2011年09月27日
まなざし
やっと秋という感じになった。体もゲンキンなもので、やっとこさ、さあ片付けるぞという気分。で夏服の整理を始めたが、もともと苦手分野とあって、散らかる一方でちっとも片付かない。うろうろしてるだけで情けない・・・・そんなときポストがごとんとなった。行ってみると宇佐見孝二さんの個人誌『アンドレ』9号が入っていた。ちょっと久しぶり気分だったが、編集後記を見ると3年ぶりとある。うそでしょう???まあ三ヶ月とは思わないけど1年ぶりあたりの感覚。ということは私は1年で三才加齢する・・・犬は我ら1年で七才分だから、それよりかはまあだいぶいいけど。で「アンドレ』だが、冒頭の詩「まなざし」は今日読むのにぴったりな詩で、なんだかとてもうれしくなった。黒部節子論も第5回目、作品図解は楽しみだ。黒部節子さんの詩はとても好きなので。
まなざし
宇佐見孝二
秋の草原では
草が
陽にひかっていた
そんな草原ははじめてではなかったが
陽にひかった草と
ちいさな蜂が蜜をもとめた花と
風と
そして見ている
ぼくを
ひとつのおおきな
まなざしの中に置いて
秋は咲かせていた
おおきなものは
花と風と蜜蜂と
ひかった草も
ぼくも
ひとしく
咲いているものとして
見つめていた
投稿者 eiko : 2011年09月27日 15:36
コメント
(おおきなもの)と、さりげなく表現しているからこそ、そのおおきなものが光ります。それぞれの存在を、(咲いているもの)とした感覚にも共鳴しました。
投稿者 青りんご : 2011年09月30日 20:49