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2022年01月31日
1月31日の夢(車に投函)
ポストに投函しようと持ってきた二枚のハガキを、路肩に駐車している乗用車の後部窓の隙間から、内部に投げ込む。しまった! と思う。車の持ち主が見つけて、ポストに投函してくれるだろうか。いやいや、それは無理だろう。でもまあいいか、と思いつつ、その場を立ち去る。
2022年01月27日
1月27日の夢(ピンク色の手紙)
全共闘運動が終わった後、さまざまな意見が寄せられた。中には女性の生き方に対する、男性からの無理解な問いかけも多かった。それに応えて、メンバーが手分けして自分の意見を手紙に書き送ったが、それぞれに赤や青やさまざまな色の便せんを使うことにした。ぼくも男性の立場で、返事を書くことにしたが、最も女性らしいピンク色の便せんを使わせてもらうことにした。
2022年01月23日
1月23日の夢(壁のないエレベーター)
妻が階下へ降りたいと言うのでエレベーターに乗る。我が家のエレベーターは屋外にあり、正方形のベランダがそのままエレベーターになった感じ。周囲に壁はなく、四方の手すり沿いにベンチ式の座席がある。
一階に着いたが、妻は座ったまま降りる気配がない。そのうちによその家の小学生の女の子とその母親が乗り込み、着席した。妻に「降りないの?」と訊くと「降りたくなくなった」と言う。それなら二階に戻ろうとエレベーターの運転ボタンを探す。それは大きな円形をしているはずだが、誰かの背中の向こうに隠れているらしく、どうしても見つからない。
医者に行く。医院は木造で薄暗い。眼科、内科、外科をめぐる予定だったが、内科と外科を終わったところで、医師に「では今度は一か月後に」と言われてしまう。ぼくは「あれっ? 眼科がまだ終わっていないのでは? それとも既に受診したのに忘れてしまったのかな」と医師に問いかける。
医師は薄暗い出口に向かいながら「そうそう。従弟の方の同人誌ですが、活版がいいと思います。いい印刷所を紹介しますよ」と言う。ぼくは面食らって「えっ? オフセットの方が安いし、仕上がりも良いのでは?」と問い返すが、医師は「活版がいい」と言って譲らない。
川に沿って上流から妻と歩いてきて、橋のところまで来た。上流はかなりの急流で、真っ青な大波が次々と立ち、若者たちが盛んに波乗りをしている。下流は堤防のせいで見ることができないが、オリンピックコースになっているという。妻は「このまま川を下って、私たちもオリンピックに出よう」と提案する。妻はいつからそんなに元気になったのだろう。ぼく自身はとても体力がありそうにない。
2022年01月21日
1月21日の夢(嵯峨さんの回顧展)
詩人の嵯峨信之さんの回顧展が開かれている。会場は二つの畳敷きの和室がぶち抜きにされ、すべての壁は天井まで書籍で埋め尽くされている。しかし、克明に見ても、ぼくの知っている本は一冊もない。何冊か取り出して、ぱらぱらとめくってみる。すると全然未知の雑誌なのに、ぼくの名前の書かれている雑誌があって、びっくりする。ぼくのいる部屋にはほかに誰もいないが、隣の部屋には何人か人が集まっているので、首を伸ばすようにして、その部屋を覗き込む。しかし、ぼくの知り合いは一人もいない。ぼくは立ち上がって、二つの部屋をくまなく見て回る。それでも誰も知っている人がいないので、ぼくはそのまま会場を後にする。
1月20日の夢(轢かれそうな犬)
会社の前の横断歩道を親子の犬が渡ってくる。生まれたばかりの仔犬はうまく歩けず、途中で転倒して車に轢かれそうだ。あっと思った瞬間、歩行者が仔犬をさっと抱きかかえ、こちらへ送り届けてくれた。
オフィスには長方形にデスクが配置されていて、ぼくのデスクはオフィスの一番奥の短辺の位置にある。そこにあるコート掛けに自分のコートを掛けようとするが、ほかの人のコートに占領されていて、ぼくのを掛ける場所がない。
会社には障害を持つ人が二人いるが、彼らはそれをカミングアウトしている。実はぼくも耳が半分聞こえない障害者なのに、それをカミングアウトしていない。会社には二つトイレがあり、その二つを今、障害を持つ二人が使用中だ。この機会にぼくも自分の障害をカミングアウトしようと思う。
ツアーでロシアの極東に行く。現地でカラオケボックスを安く買える話があり、手書きでそのポスターを二枚作る。一枚は上手に作れたが、二枚目は自分の名前を書くスペースがなくなり、失敗してしまう。
2022年01月11日
1月11日の夢(会議)
妻と会議に参加する。会場の小ホールは客席がスロープになっていて、後ろに行くにつれてだんだん高くなっている。妻は最初一番後ろ、つまり一番高いところにある席に座るが、少しずつ前の方に降りてくる。
ぼくはぐるりと会場を一周するが、後ろの方は既に満席に近い。年末で、今日が今年最後の会だから参加者が多いためだ。あきらめて前の方に戻り、一番右の列の真ん中あたりに着席する。それは妻の座っている、すぐ後ろの席だ。
1月9日の夢(就活)
就活したいという妻のために、知り合いの会社を紹介する。会社は地下街にあり、ファッショナブルな若者たちが盛んに出入りしている。だが面接試験が始まり、たくさんの人々が受験にやってきたのに、妻が現れない。スマホで電話しようと思うが、画面の操作方法が分からず、連絡することができない。
2022年01月06日
1月6日の夢(誰かが狙っている)
父が死んだ(夢です。現実の父は40年前に他界している)。それ以来、ぼくは常に背後から誰かに狙われている気がする。姿は見えないが、視線を感じるのだ。今日も新宿の街を周囲に気を配りながら歩いている。人々の視線が遮られる路地にはけっして入らない。
昔、父の事務所になっていた建物に入る。かつて父が座っていた受付のようなデスクに、今は母が静かに座って、何か書き物をしている。広い長方形の部屋は周囲をぐるりと囲んで通路があり、それ以外は書類の積まれたデスクが置かれているが、誰もおらず薄暗い。母が玄関に向かって座っている左隅の受付から、ぼくは部屋を半周して、右の長辺にあたる窓際に進んでいく。いきなりぼくのズボンの尻ポケットを誰かの手がまさぐる。ぼくはぎくりとするが、母のいる建物の中で誰にも襲われるはずがない、錯覚だと信じようとする。だが何者かの手はぼくの尻ポケットをつかんだままで、ぼくは後ろを振り返ることさえできない。
2022年01月03日
1月3日の夢(帰り道)
大学からの帰り道を歩いている。本当は夕方から学内で人に会う約束があるのだが、人恋しいので帰る人たちに合わせて、駅への道をなんとなく歩いている。振り返ると、後ろからそれほど親しくはないけれど、知っている人たちが三、四人やってくる。彼らに声をかけて一緒に駅に向かう。
途中にお店に立ち寄り、靴を脱いで上がる。ところがみんな別の出口から外に出ることになる。ほかの人たちはそちらに靴があったが、ぼくひとりだけ入り口に靴を置いてきたので、取りに戻る。ようやく靴をはいて出口から出たときには、もう誰の姿も見えない。駅に向かって歩き、小高い場所に出る。振り返ると、大学からここまでの道が真下に俯瞰できる。そこを長髪の若い男がじぐざぐに歩いてくるのが見える。彼は超能力者で、ぼくが夕方会おうとしていたのは彼である。その男に相談事があるらしく、手前から一人の女性が彼に近づいていく。二人はトラックの荷台をはさんで両側から向き合って座る。ぼくも彼らの話を聞きたい。狙いを定めて飛び降りると、ちょうど荷台の上のパラソルの上に着地できた。女性の隣にぼくも座って、男と向き合う。そんなふうに突然ぼくが現れたのに、二人とも驚く様子がなく、ぼくに気づかなかったように話を続ける。
1月2日の夢(移動遊園地)
移動遊園地が開催されているが、忙しい妻は少ししか楽しむことができなかった。夜、湖のほとりの家に戻ってくると、そこに移動遊園地がやってきてくれた。夜空にきらきら輝く移動遊園地で妻は思い切り楽しむことができる。
以前にぼくが行った講演のテープ起こしが活字になって届いた。しかし録音できなかったところが多かったらしく、冒頭をはじめ大事なところが欠落していて、なんだか変な原稿になっている。
講演会はもう終わりらしく、司会者がマイクで結びの挨拶をしている。ぼくは資料のファイルが床に散らばってしまい、膝を床についてそれを懸命に拾い集めている。会の終わるまでに揃えられるだろうか。何とか間に合いそうだと思う。