2014年02月28日
2月28日の夢(工事)
仕事が忙しいので、家の補修工事を後回しにしていた。業者から電話がかかってきた。「〇〇です」と名乗る男の声ははきはきとして明るい。「すみません。留守にしていて遅くなってしまって」と、ぼくはウソをついて詫びを言う。業者は「では明日にでも伺います」と答える。早くやってもらいたいのはやまやまだが、明日も忙しいなあと、ぼくは返事に迷う。
2014年01月17日
1月17日の夢(記録された脳内映像)
妻と時計屋へ行った。壁面に沢山の掛け時計が飾られている。それらを物色する間、ぼくの頭の中には「ウルトラマン」のようなSF映像が流れている。やがて妻は首飾りのように見える時計を手に取って買おうとする。スイスの名門パテクフィリップの時計だという。息子はそれを買うことに反対するが、妻は構わずレジに向かう。レジには中年男性が座っており、その前に大型の猫と中型の猫がいる。2匹の猫は取っ組み合いの喧嘩を始める。ぼくは窓から外を見る。眼下を美しい川が流れ、真っ青な背中を見せてカワセミが飛んでいく。
会社に戻る。会社には2つの部屋があり、ぼくのデスクのある手前の部屋で光るものがある。手にとってみると、デジタルレコーダーだ。再生してみると、さっき時計屋でぼくの見ていた脳内映像が記録されている。そのことを上司に報告すべきかどうか迷う。そこへ同僚がやってきて、昔ぼくらの会社にいた同僚女性が急逝したとの訃報を告げる。彼女がぼくの自伝「カナリヤ」を探していたという。確かこの部屋に一冊あったはずだと思い、同僚のOさんに探してもらうが見つからない。
2010年10月16日
10月10日の夢(鼓笛隊)
詩のイベント会場の最前列に妻といっしょに座っている。満員である。ぼくは眠くてしかたがない。会場の四方を鼓笛隊が囲んでいる。子供から老人まであらゆる人たちがいる。太鼓をたたきながら、低い声で歌っている。その歌が途切れそうになると、皆笑う。鼓笛隊が退場し、天井を残して四方の幕が取り払われると、そこは吹きさらしの街路だ。
2008年02月08日
新しいHPのご案内
オーバーワーク気味で夢をうまく覚えられません。今日は2月6日の小さな夢と、ずっと大きな新しいHPの宣伝です。
(2月6日の夢)
小さな女の子を連れた父親が手ぶらで新幹線に乗っている。荷物は乗る前にロッカーに預けて、身軽にしてきたという。車内にロッカーがあるといいのだが、ぼくも乗る前に預けてくればよかったと思う。
(新しいHPのお知らせ)
ぼくも含めて4人のメンバーが開設した新しいサイトのご案内です。詩のサイトでも夢のサイトでもなく、もちろんおしゃべりや投稿の掲示板でもない。でも、そのどれでもある・・・という、新感覚のHPです。メンバーははっきり言って、ぼく以外はみんなフレッシュでパワフル! 高岡力さん(中心人物なのだ!)、木村達雄さん、伊藤浩子さん(管理人さんです)。URLは下記です。行ってみてね!! えーと、名前ですか? センシチブでアクチブなHPなので、「歩くチブ4」といいます。どうぞよろしく。
http://www.mfi.or.jp/mune/
2008年01月06日
現実の交通事故と今朝の夢
今日、歩いていたら、坂道を走り降りてきた自転車を避けられず、衝突されてしまいました。ぼく自身は全く無事でしたが、加害者の自転車が倒れて、つれあいまで巻き添えに。これは現実の話です。お正月からひどい話です。さて、以下は今朝の夢。フロイト的な夢でした。
(夢ここから)
ぼくは少年で、家庭教師のお姉さんと勉強机に向かっている。しかし、勉強するふりをして、ぼくらが見ているのはちょっとエッチな映画だ。後ろからお母さんがぼくらを座って監視しているが、映画の内容までは分からないだろう。
ぼくらはいつのまにか、映画の中に入り込み、ぼくは戦車に乗って戦いに行くところだ。戦車の座席の最前列には右にぼく、左にお姉さんが座っている。ぼくは裸で、股間の蝋燭にお姉さんが火をつけてくれた。
次の日、同じ戦車に乗っているが、お姉さんはいなくて、後ろの席に迷彩服を着たおじさんが乗っている。やがて戦車は消え、おじさんとぼくは路上で会話をする。そして、おじさんはぼくのお父さんだと分かった。そのとたん、お父さんも消えて、ぼくはひとりぼっちになってしまった。
2007年08月19日
大連夢日記と中国旅行報告
海外旅行に行くと、なぜか最後の日に夢を見るということが多いです。これは昨日の朝、大連で見ていた夢。
(8月18日、大連で見た夢)
ぼくは今、スイスアルプスの山中で開かれている国際詩祭に来ている。世界各地の詩人たちが自国語で自作の詩を朗読している声が聞こえる。一瞬だけ、聴衆の中に死んだ母の姿が見える。S誌の編集委員会の同僚であるOくんと、会場に向かうカートに乗り込む。乗りながら、ぼくはこれが夢であることを感じている。だから、夢日記に今体験していることを書こうとするが、夢日記はもう全部のページが埋まっていて、書くスペースがない。たまたまノートには紙が一枚はさまれており、その紙には書き込むスペースがある。ぼくはほっとして夢を書き込み、そこにやっと全部夢を記録したと思うが、次の瞬間、それは夢で、ぼくはまだ一字も夢を記録していないことに気づく。ぼくはすっかり頭に来てしまい、ぷりぷりしながら「ぼくは降りるからね」と言って、カートから一人降りる。通路のソファに座り込んで、今度こそ夢日記を書こうと思うが、やっぱり書くスペースが夢日記にはないのだ。そこはもう詩祭の会場の近くで、大声で詩人たちの朗読が聞こえている。出演する詩人たちが大勢やってきて、次々とソファに座る。その間にまた、ぼくは自分が夢日記を書いたと思うが、よく見ると、それはきれいな赤い和紙でできた便せんで、明らかに女の子用のものだ。こんなものがぼくのものであるはずがない。慌てて、ぼくはそれを目の前にあるベンチの隙間に押し込んで、隠してしまう。
ぼくがファンの女性アイドル歌手(実在しない)が、彼女の在籍する高校の文化祭で受付をしている。雨が降っている中、ぼくは彼女に会うために長い石段を降りて、その受付の場所にようやくたどり着く。ところが、受付をしていたのは、彼女とは似ても似つかぬ初老のおじさんではないか。ぼくは慌てて回れ右をして、石段をまた登っていく。
(ついでに旅の報告)
今回は12日に大連に着き、旅順の日露戦争遺跡を見学した後、17日まで夫婦二人列車を乗り継いでシンヨウ(日本統治時代の奉天)、長春(同・新京)、ハルピンまで行ってきました。その後飛行機で大連まで戻り、18日の午後、帰国。
もちろん言葉が通じないので、スルーガイドに付いてもらいましたが、もろに中国の市民と日常を共有できたのが面白い体験でした。駅の売店で20元出して4元の水を買うと、6元しかお釣りが来ず、抗議すると悪びれずに10元また差し出すとか、他の国とはちょっと違う国民性を実感しました。
中国は四度目ですが、前回来たときと明らかに違うのは、街にごみが一つも落ちていないこと。ゴミを投げ捨てると、罰金をとられる法律が出来たそうで、警察官が目を光らせ、たえず清掃係の人がくまなく落ちているゴミを拾っています。五輪対策の一つなんでしょう。それと、あんなにいたホームレスや物乞いの人が一人もいません。ぼくの勤めている千駄ヶ谷なんて、ゴミとホームレスだらけなので、びっくりしました。各地の路面電車にも二度乗ってみましたが、たとえ車体は木造でも全車、パスネットで乗ることができます。これにも仰天。中国の電子化はいっそうすさまじい速度で進んでいました。