2022年06月28日
6月28日の夢(詩のサークル)
公民館のような場所を会場として、アマチュア詩のサークルを募集することになった。複数の部屋がある中で、薬局付属の部屋を会場としたので、人数が集まらないかもと心配したが、予想を超える大人数が参加してくれた。サークルの会長選挙を夜の11時からすることになり、隣室で待つが会場の熱気がすごいのを感じる。11時少し過ぎに会場に戻る。
「立候補する人はいますか」と尋ねると、ブロックごとに分かれた会場のあちらでもこちらでも手が挙がり、それぞれに選挙演説をする。中高年の女性が多い。ある候補は海岸の砂浜に立っている。ぼくの目がズームアップすると、水平線近くを行く汽船のデッキに有名女性詩人の姿が見える。きっとこの女性のバックには彼女がいるのだろう。最後のブロックで、男子学生のグループが手を挙げかけるが、その隣にいた男性サラリーマンが立候補した。ぼくは立候補者たちの主張をメモしつつ、「では、このメンバーから選ぶことになります」と言うが、誰の名前も記憶していない。困ったな、と思う。
2022年06月27日
6月25日の夢(シュールレアリストたち)
シュールレアリスムの集会に小さな子供連れで新しく参加した女性がいる。川のほとりに大きな青いカーペットを敷き、そこにシュールレアリストたち全員が横たわる。アンドレ・ブルトンや眼鏡のエリック・サティ、ぼくも仲間の一人だ。その中でさっきの女性は誰よりものっぽで、皆の二倍の身長がある。
2022年06月24日
6月22日の夢(〆切を忘れていた)
もうフリーの身分なのですっかり忘れていたが、とっくに「Pの本」の校正を戻す〆切を過ぎていたことを忘れていた。印刷所に慌てて電話すると「18日までにと言ったでしょう」と言われる。今日は21日だからもう間に合わないのだと悟る。机の上に原稿用紙に何枚分もの校正の赤字が積んである。直さなくても大丈夫かなと慌てて目を走らせるが、どれもなくてはならない重大な校正ばかりだ。
編集を手伝ってくれるという主婦がいるというので、指定されたマンションに行く。玄関が電子ロックだったが、ちょうど入っていく人がいたので、軽く会釈をしてその人に続いてマンションに入る。行き先は19号室だ。ドアを開けると誰もおらず、床の上に編集の手伝いをする機械だけがぽつんと置かれていた。
2022年06月22日
6月21日の夢(朝の食事会と奇蹟のピアノ)
事務所を兼ねたぼくの家に一人の少女がやってきた。ユニークな異才を持つ不思議な少女だ。道端で立ち話をしながら彼女が語る独特な意見や考えを、ぼくは夢中になってノートに書き記す。
家に入ると既に朝の食事会が始まっていた。たくさんの人々が二列に向き合って賑やかに朝ご飯を食べている。その殆どはまだ小学生ぐらいの子供たちだ。食べているのはバスケットのようなものに盛り付けられた握り寿司みたいなもの。向かいに座った五歳ぐらいの少女が遅れてきたぼくのため、手に持ったバスケットからお寿司をぼくの前の床にぱっと投げてくれる。ぼくはそれをつかんでむさぼり食べる。とても美味しい。皆がそろそろ食べ終わって解散する頃、座の一番端にいた男がぼくに肉の煮物を施しのようにばさりと投げてくれた。それもむさぼるようにして食べる。美味だ!
向こうで男がピアノを弾いている。音とともに水面から噴水が噴きあがり、空中からは火が噴きだして、それが十字に交差する。男の弾く鍵盤から奇蹟のような美しい音楽が生み出されてといる。
2022年06月17日
6月17日の夢(会社の解散)
ぼくの勤めている会社が今日で解散することになった。最後のタイムカードを押そうとする。いつもは端の方にあるタイムレコーダーが今日は真ん中に置かれ、みんな次々と押していく。ところが一人の女子社員が自分のカードをレコーダーに置きっぱなしにしてから、器械の調子が狂った。ぼくのタイムカードだけがいくら探しても見つからない。
会社の解散記念のゴルフ大会が沖縄で行われる。ぼくも実行委員の一員として、準備のために会場に先乗りする。しかし会場は緑豊かではあるが荒れ果てていて、茂みを押し分けないと辿り着くことができない。ぼくのほかにいるのは見知らぬ老人だけだ。二人で荷物を運んだり、会場の設営をしたりする。みんなが到着したら、大会についての説明をぼくがマイクでしなければならないだろう。だが自分で企画に携わったわけではないので、うまくできるかどうかとても不安だ。老人が姿を消したあと、ぼくは一人で会場にたたずむが、やってくるはずの社員とその家族は、待てど暮らせど姿を現さない。
6月16日の夢(模試を受ける)
模試を受けている。問題用紙は枚数が沢山あり、限られた時間で全問に目を通すことさえ大変そうだ。特に第一問は一ページまるまるあるほどの長い文章である。しかしよく見ると、殆どの問いは模範解答が記入してあり、楽勝で全問に回答することができた。答案を書き上げると、デスクのかたわらに尊大な感じの中年教師ふうの男が立っていて、「きみは小学校の入試の模試を受けるといい」と言う。今さらそんなものを受けたくない。きっぱりと拒否をする。
外に出ると、雪解けで水溜まりのできた道が地平線まで続いている。その水溜まりを何艘ものボートを連結したモーターボートで郵便局員が走っていく。それぞれのボートはコンテナのように巨大だ。ぼくはいたずらのつもりでそのボートの最後尾を手でつかむ。するとその力でボートの連結が外れた。あれよあれよと思ううちに、その一艘が道路から轟音を立てて崖下に転落する。直撃を受けて壊れた家の中から、一人の女性が出てきた。ぼくは自分が犯人とさとられないよう、さりげない様子で彼女と言葉を交わす。
2022年06月15日
6月14日の夢(バス停を見失う)
緑豊かな裏通りのバス停でバスを待っている。通りの向こうから、ぼくの乗ろうとするのではない、知らないデザインをまとったバスが現れた。バス停はかなり離れたところだ。ぼくはそれには乗らず、見守っている。一人の女性が現れ、それに素早く乗り込む。そこへ学生の集団がどっと現れ、ぼくは彼らに押し流されてしまう。気づいたときには最初のバス停を見失ってしまっていた。
2022年06月11日
6月11日の夢(暴力夫婦)
ぼくは自転車屋で、知り合いの夫婦の家に新品の自転車を届けに行く。青くてぴかぴか光るとてもきれいな自転車だ。奥さんは美人だが、なんだか意地が悪い。自分が注文したくせに、自転車に難癖をつける。夫は暴力的な若い男で、ぼくを脅して、衣服をはぎとり、パンツ一丁にしてしまう。さらにぼくに暴力をふるおうとするので、ぼくは目覚まし時計を投げつけるが、当たらない。「もうすぐ警察から電話があるよ」と苦し紛れの嘘をつく。その瞬間、偶然に電話が鳴り、男は驚いて受話器をとる。警察ではないが、彼の知人だったようだ。そのすきにぼくは服を身に着けて、家に戻る。
家は病院の大きな病室のように、たくさんのベッドが並んでいる。ぼくと妻のベッドから二つ置いた隣のベッドがさっきの暴力夫婦のベッドだった。戻ってきた奥さんはベッドで吐き気を催して、ゲーゲーと苦しみだす。何も知らない中年の主婦が心配して様子を見に行く。ぼくはさっき暴力をふるわれた件があるので、知らぬ顔でベッドに寝ているが、一応知人なので見舞に行くべきか迷う。
6月9日の夢(宝物を隠す)
仲の良い男友達四人と駅の階段を駆け下り、地下ホームに到着した電車の最後尾のドアから乗り込もうとする。男友達はぼくの知らない顔で、みんな頭のはげかけた中年である。ぼく以外の三人はホームにあった台の上にかけられていたバスタオルをめくる。その下にあった汚れたフェイスタオルなどの宝物をつかみあげると、それらを持って電車に躍り込む。その間、ぼくは閉まるドアをがっちりと肩で支えて、みんなが乗り込めるようにする。ぼくらは宝物を電車の中にある台の上のバスタオルの下に隠すと、ほっとしてみんなで笑い合う。
2022年06月08日
6月8日の夢(顔のない女)
二階に上がると仏壇の前に女性が後ろ姿を見せて立っている。首筋まであたりまで髪を伸ばしている。妻かつ思って声をかける。くるっと振り向くと、顔のあるはずの部分も背中と同じで顔がない。ぐるぐるぐると女はその場で回転するが、どこにも顔がない。
6月4日の夢(政治犯)
ぼくは政治犯としてニューヨークを列車で護送されている。護送といっても、親や親族などもいっしょなので、まるでピクニックのようだ。どうやらトイレ休憩になるらしい。出口は一か所しかないので、長い列車の中を車両から車両へとみんなでワイワイ騒ぎながら進んでいく。ようやく出口から外へ出る。そこは棚田のような温泉地で、棚田の一つ一つが野外の温泉になり、何人かずつが入浴している。タオルを持ってくるのを忘れてぼくはハンカチで前を隠しながら、適当な浴槽を探す。ふと見ると一角で、以前のS社の同僚たちが賑やかに騒いでいる。彼らに見つかりたくないので、顔を伏せたままあちこち彷徨い、おとなしそうな老夫婦が入浴している浴槽を見つけて、遠慮がちに顔だけ洗う。
トイレはその温泉地の一角の岩山の上にあった。岩に小さな穴が二つあけてあり、そこにトイレ用のスリッパが押し込んである。ぼくは手を使わず、足だけでそのうちの一方のスリッパをどうにか取り出して履く。トイレは便器のない、床に溝だけがついている方式だ。トイレに入ると詩人で実業家だったT氏がいるし、男子とまじって若い女性も楽しそうにおしゃべりしているので、びっくりする。
6月2日の夢(タイムレコーダー)
以前に勤務したS社で忙しく働いている。上司のI氏が今日は夜の7時半から打ち合わせだという。7月1日の取材の打ち合わせだそうだ。その日は休日だが、ぼくも休日出勤して地方の学校を取材しようと、やる気満々である。とりあえず今夜は打ち合わせのために帰宅が遅れると妻に電話したい。しかしデスクにあるダイアル式の黒電話は、どの回線ボタンを押しても使われているらしく、同僚たちの会話が流れてくるばかりだ。ふと行き先表示板を見ると、I氏は今夜は外出先から直帰となっている。社内で打ち合わせがあると思ったのはぼくの誤解で、どうやら外部でI氏が誰かと打ち合わせをするらしい。それならぼくはもう帰宅していいわけだ。
と思っているところにぼくが編集長をしている「Pの本」の文字校正が出てきた。ということはそろそろ次号の打ち合わせをクライアントとするために、特集企画のプランニングをしなくてはいけない。ぼくはそのための参考資料となりそうな書籍を何冊も集め、自分のデスクに山のように積み上げる。何か面白い話題はないかとページをめくるが、何も思いつかない。やっぱり今夜は退社した方がよさそうだ。リュックを取り出し、中にあった不要な荷物を外へ出す。思った以上にリュックが軽くなっていて嬉しい。
退社のためにタイムレコーダーのカードを押す。いつのまにかレコーダーの位置が変わり、オフィスの端でなく真ん中あたりに置かれているので驚く。しかも先に退社した女性社員が自分のタイムカードを置きっぱなしにしていったためか、ぼく自身のタイムカードがあるべきところにない。さんざん探して、予想もしないところにそれを見つけて、ようやく退社を記録する。そのカードは文具屋でぼく自身が選んできた自分専用の褐色のカードである。紙の色が濃すぎて印字がはっきり見えない。困っていると、総務兼任になったらしい男性社員が「まあ、このあたりのカードまではぎりぎり許容範囲と、オーケーにしました」と、変に恩着せがましいことを言う。
2022年05月31日
5月31日の夢(猫を助ける)
ぼくの自宅にブルージーンズをはいた見知らぬ女性がいる。ぼくが近づくと、手でぼくの体を押して、向こうへ行けという動作をする。見ると彼女の下半身が濡れている。妻の「あれを見て!」という声に振り返ると、さっきの女性が頭まで布でくるまれたようになっていて、苦しいらしく、全身を波打たせて暴れている。妻はその布をほどいて彼女を助ける。
しばらくして自宅の外の廊下に出ると、その外は湖のような広大な水面になっている。そこで子猫が溺れている。それはさっきの女性だ。妻と二人で子猫を助けると、水の中からその母親らしい猫が現れて、ぼくらにお礼を言う。いつのまにか妻は黒と茶のトラ猫に変身し、ぼくの前でくるりとお腹を見せるので、「よくやった」とそのお腹を撫でてやる。
2022年05月20日
5月20日の夢(超現実主義展覧会)
会社の一番奥まった部屋の、さらに一番奥まった壁際に長テーブルが置かれ、社員たちによる超現実主義展覧会が催されることになった。ぼくが行くと、大きめの長テーブルが社員たちの超現実主義作品集で既にすっかり埋まっていて、テーブルの向こう側に担当者らしい若い男性社員が立っている。ぼくは一般に超現実主義者だとは思われていないが、それだけにここで自分の作品集を出せば、みんな驚くだろうと思う。自分がかつて作った作品集を取り出し、出品しようとするが、よく見ると表紙が未完成で、作者名が書いてない。超現実主義なのだから、手書き文字で作者名を書いてもかえって面白いのではないか。青のボールペンで手書き文字を書いていくが、スペースが足りずに一行では名前の最後の文字を書ききれない。二行目に一字だけ記入するが、これもまたシュールな効果を上げている気がする。満足して作品集を提出しようとすると、さっきの担当者の姿がない。本当は出品者リストに記入しなくてはならないのだろうが、まあいいか。みんなの作品の上にさりげなく自分の作品集を置いて、会場を離れる。
トイレに入る。便器の下の床が汚れているので、ためらう。よく見ると、足元にちょうどぼくの足が入るぐらいのきれいなスペースがある。窮屈だがそこに立てばなんとか大丈夫だろう。
2022年05月19日
5月16日の夢(円卓)
会社のオフィス。大きな円卓が置かれており、その左隅にぼくが座り、右奥には社長。その他の同僚たちが周りを囲んでいる。夕刻、ぼくの足元にレタスサラダが落ちているのに気づき、拾って卓上に上げると、そこにパンがあった。そこへ女子社員が外回りから帰ってきて、円卓の席に座り、「お腹が減ったなあ」と言う。ぼくはそれを無視して、自分の周囲のグループだけにサラダとパンを配り、彼らに「パンはみんなあるよね?」と機嫌よく言う。
5月14日の夢(しっちゃかめっちゃかな夢)
会社にいる。外が騒がしいので出てみると、前方の建物に突然巨大なスクリーンが出現し、そこにCMの映像が映し出される。スクリーンの前には舞台がある。その左袖にH弁護士の姿が見えたと思うと、すぐ引っ込み、今度はスクリーンの左端に登場する。そしてデスクの上のものを跳ね飛ばしながら、新商品の宣伝をする。どこかの土地会社が広大な敷地を買収して、都市再開発が行われるらしい。それらのCMの後「〇〇ちゃん大冒険」というドラマが上映される。どうやら作家のRさんがモデルらしい。
突然映写が終わり、会社の中は日常に戻る。ぼくは借りてきた100個ほどの化粧品の見本を返しに行きたいが、どれをどこに返しに行けばよいか分からない。それを知っている同僚を呼ぶが、その人がどこにいるかも分からない。
2022年05月13日
5月13日の夢(椅子と座卓)
昔勤めていたS社のオフィスにいる。同僚たちが誰もいないので、少しだけ模様替えすることにする。自分の席は階下へ降りる階段脇にセットし、部長席は右奥に置くことにする。そこへ同僚が入ってきて、部屋を見回し、「部長席以外はデスクが低い。これでは仕事しづらいですね」と言う。言われて気づくと、ぼく自身の席をはじめ、デスクは座卓である。椅子に座って、座卓の上のパソコンを打つのは確かに難しい。困ったなと思う。
2022年05月12日
5月12日の夢(久しぶりの取材)
ぼくは今静岡県で暮らしている。久しぶりにクライアントから東京港での取材の依頼があった。港に停泊している船について取材し、それを来月16日発行のPR誌に載せてほしいという依頼だ。手配するカメラマンの候補を考えていると、その人ではないが別のカメラマンからちょうど連絡があり、彼に頼むことにする。ライターを依頼しようかとも思うが、締め切りを考えると自分で取材して書いた方がよさそうだと思う。
年に一度しかヴァイオリンの演奏会を開かないヴァイオリニストがいる。ちょうど昨夜がその演奏会だった。もう彼女の演奏を聴くチャンスが今年はないのだなと思っていると、ぼくのいるコンサートホールの客席に彼女が座っているのを見つけた。彼女はやおら立ち上がると、ヴァイオリンを持っていないのに、美しく緊張感ある音色で無伴奏ヴァイオリンソナタを演奏し始めた。唇が動いている。声で演奏しているのだろうか。
2022年05月08日
5月8日の夢(昨日の続き)
昨日の夢の続きらしい。
妻のライブ会場のバックヤードに行くと、来場してくれた観客にお礼として渡す品物の見本がダンボールに入れて、沢山置いてある。「検討するために家に借りていってよいか」と尋ねると「よい」と言う。早速宅配便で家に送る。
家の畑は早春の雪解け状態で、まだ雪があちこち残る中、草花も生えていて、とてもさわやかだ。その畑の上に沢山のダンボールを並べ、妻と二人で中身を一つ一つ点検していく。中身の中には時鮭や野菜、鉢植えの花などもある。最初は「よい」と思うものに印をつけていこうとするが、不適当で送り返したいものに〇印をつけていく。ダンボールに〇をつけるのは簡単だが、野菜に〇をつけるのは難しい。特にシクラメンなどの花は我が家の畑にもう植えてしまっている。これは返さなくてもいいかと思う。
2022年05月07日
5月7日の夢(妻の公演)
妻が小さなライブ会場を借りて、初めて自分のパフォーマンスをすることになった。会場は普通の会議室のような感じで、100席近くの椅子が前を向いて並んでいる。といっても前方にステージや演壇があるわけではない。妻は客席の真ん中あたりに座って演技している。とりたてて何かをしているふうにも見えないのだが。初日の公演である今回は、観客は30人~40人ほどで、若い女性の姿が目につく。ぼくは入り口近くの通路の床に座って、妻の演技を見ている。
今日は二度目の公演の日だ。同じ会場だが、客席は八割がた埋まり、人気が出てきたようだ。妻も自信を持って演技しているように見える。公演が終わった妻をねぎらいながら、ぼくは「どこでこんな公演の練習をしていたの?」と尋ねる。妻は満足そうな充実した表情をしている。
会場の屋上に出る。眼下に田植えを控えた水田だろうか、青空のうつる水面が広々と広がっている。水田の中に荷台まで水没したトラックが何台も見える。その一台はこれからステージに立つ出演者のための道具を運んできたもののようだ。
2022年05月06日
5月5日の夢(ウクライナへの配達)
ぼくは毎日一回、バスでウクライナへ荷物を届ける仕事をしている。ほとんど手紙ばかりだが、今日はぼくの配達したものの中に一頭のヒョウがうずくまっている。銃を携えていて、このヒョウはスナイパーらしい。
2022年04月24日
4月24日の夢(駅を探して)
夜の路地裏を駅を探して歩いている。途中、あちらとこちらを隔てる腰までの高さの鉄柵があり、その扉は閉じられていないので、ぼくは「道路のはずなのに、なぜこんなところに柵があり、何と何を隔てているのだろう?」と不審に思いながら、その柵の向こう側に出て、なおも歩く。空腹感もある。
前を歩いていた中年の男たちがぼくを振り返り、「高円寺駅はどこですか」と尋ねてくる。ぼくは「さあ、ぼくはこの辺の者ではないので」と一瞬ためらうが、直観で「この先が駅ではないですか」と指さす。男は「いや、さっき訊いたら、あそこは〇〇〇〇だと聞きましたよ」と反論する。ぼくは「だって、ほらそこが駅じゃないですか」と、右上を指さす。暗い民家の屋根の上にプラットホームのシルエットがあり、そこに何人かの電車を待つ乗客たちの姿も見え、ぼくはとょっとほっとする。その右手のホームにはポールのついたチンチン電車が止まっており、まるで昭和初期の駅ようだ。驚いてさらに左に目をやると、ホームはL字型に曲がっていて、現代の電車が止まっているのが見える。
その電車に乗って、昨夜の撮影現場に戻る。そこは四谷あたりの公園で、昨夜はここで大がかりなCM映像の撮影をぼくらはしていたのだ。舗道のあちこちに大きな叢があり、そこからいかにも業界人といういでたちの瘦身の老婦人がよろよろと立ち上がる。二日酔いらしく訳の分からないことをわめいており、通行人の男性にからんでいる。立ち上がると、驚くほど背が高い。よく見ると、全身がマトリョーシカ人形のような木彫りで、その胴体だけが縦に幾層も連なっており、なんだかトーテムポールのようにも見える。
2022年04月22日
4月22日の夢(全社で貫徹する日)
今日は年に一度の恒例行事、社員すべてが完全徹夜をする日だ。社長のМがぼくに「今病院に行ってる?」と尋ねる。「行ってますけど、成城の病院ですよ」。「それってT病院?」 言い当てられて(現実にはそんな名前の病院に行ったことはない)、ぼくは「どうして分かるんですか」とびっくりする。「ぼくも行ってるからさ」と、Мは平然と答える。
そしてぼくにクラシックで重たいカメラを手渡し、今夜の完徹デーの記録を撮るように言い渡す。妙に横長の長方形の視野のカメラだ。ぼくはそのカメラを持って社内の各部屋を回り、社員たちの姿を次々と写真に収めていく。不思議なことにほぼ全員がぼくの知らない人ばかりで、特に北半球のさまざまな民族のさまざまな年齢の男女が嬉々として、完徹デーを楽しんでいる。圧倒的なヴァーチャルリアリティで部屋半分が異界になっている部屋、ネイティブの人々が大自然の中で生き生きと暮らしている部屋もある。しかし、社長から預かっているカメラは使い慣れず、シャッターを深く押し切れないので、ちゃんと撮れているかどうか自信がない。
ついに夜明けの時間が来て、水平線から美しい太陽が昇ってきた。窓から社員たちがそれをカメラに収めている。ぼくも撮ろうとするのだが、画面に社員たちの頭が大きく映り込んでしまい、ついに撮ることができない。
社外に出ると、地面の上には毒蛇や毒虫がうじゃうじゃと蠢いている。ここは大丈夫と思って足を下ろすのだが、そこにも何物かがいる。ぼくは恐怖にかられながら、毒蛇と毒虫の平原を走り抜けていく。
2022年04月21日
4月20日の夢(新居と軽いピアノ)
新しく引っ越した家にいる。築数十年くらいの日本家屋で、二階建てだが家具などはまだ置かれていない。妻が外出したのでひとりで留守番していると、玄関にトラックが横付けされ、二人の男がグランドピアノを階段下に運び込んできた。ぼくは困惑して、「こんな重い楽器はこの家に置けないよ」と文句を言う。しかし男たちは「これはビニール製の一番軽いピアノだから大丈夫」と意に介さない。
突然、玄関の左側の白い壁だった部分が隠し扉のように開き、どっと人々がなだれ込んできた。家を見回しながら、「新しい会場はここに違いない」と口々に言う。ぼくは「ここは違います」と言いながら、必死で人々を外に押し出す。
今度は玄関の外で「わーっ」と大きな声が上がった。誰かが殺されたらしく、大騒ぎになったところに、やっと妻が帰ってきた。さっきのピアノ業者も戻ってきて、ピアノの調律を始める。
ここは外国だった。ぼくら夫婦は団体旅行の一員となって日本に帰ることになる。最後の点呼が金属製の外階段の踊り場で行われている。ぼくの前に鉄の柵があり、ほかの人々とは隔てられている。柵の向こう側の人々は掌の中に白いハンカチのようなものを持っていて、その真ん中に赤い花のような点がある。ガイドの制服を着た女性が「これが切符ですから、なくさないでください」と言っている。しかしぼくだけが遅れてきたので、「ぼくは持っていません」と大声で呼びかける。するとガイドはぼくと妻の分の切符を柵越しに手渡してくれた。階段の横に黄色いバスが横付けになった。さあ、これでぼくらも日本に帰るのだ。
2022年04月18日
4月18日の夢(おばあさんの牽く馬車)
夜の修学旅行に参加している。乗り物は馬車だ。馬車を牽いているのは、なんとおばあさんだ。目の前に京都の大きな寺院の門が迫ってくる。大門の段差をおばあさんの力で越えられるのか、とても心配するが、おばあさんは難なくそこを突破する。改めて眺めると、馬車を牽いているのはたくさんのエスキモー犬の群だったので、ほっとする。
帰宅して妻と夜の団欒を楽しんでいる。いつもはテレビをつけているのだが、今日はラジオが流れているのが、とても新鮮で、幸せを感じる。
2022年04月08日
4月8日の夢(入社試験)
ぼくがかつて在籍したS社の入社試験が行われている。ぼくはもう関係がないのだが、見学に行く。社運隆盛のS社だがこんな時代なので、あえて自社ビルを爆破し、建物は意図的に廃墟にされている。そこは玉砂利を敷いた清潔な墓地のような場所で、左側の一段高い敷地にあるS社の前には200名ぐらいの入社希望者が集合中だ。ベランダのような場所で社長がハンドマイクを持って挨拶しているが、マイクが壊れているのか、その声は聞こえない。ぼくは一段低い右側の敷地に座って、簡素な弁当を食べている。ぼくの前方にもS社の入社希望者が玉砂利の上に腰をおろしている。最後尾に座っているのは、北方に住むイヌイット系だろうか、毛皮を着て、妻子を連れた男性である。「このコートを脱いだ方がいいかな」と妻に話しかけている。そこへS社の女性社員がやってきて、男性に声をかけ、入試のための試問のようなことをし始めた。
ぼくはその場を離れて歩き出す。周囲は南方のジャングルのように樹々が密生し、バケツをひっくり返したような雷雨である。トイレに入ると、そこは男の子を連れたお母さんなど先客でいっぱいだが、豪雨のせいもあって足元が汚い。用を足すべきかどうか迷っているうちに、トイレの外に続く長い行列ができている。これではいつ順番が来るか分からないので、あきらめてそこを立ち去る。
2022年03月31日
3月31日の夢(先輩の教訓)
会社で先輩がぼくに教訓を教えてくれた。「困ったときには目をつむれ。けっして開けるな」。彼が荒涼とした炭鉱跡のような場所で道に迷い、空腹で地面に倒れたとき、目をつむると顔のそばにきれいな声で鳴くコオロギがやってきた。その隣に鳴かないもう一匹のコオロギがいるのも分かった。飢えた先輩は思わず手を伸ばして、鳴かないコオロギをつかんでむしゃむしゃと食べ、体力を回復して、危地を脱することができた。もし目を開けていたら、それはコオロギでなくゴキブリだったかもしれない。そしたらゴキブリを食べることはできず、先輩は餓死していただろう。そう言うと、先輩は笑った。
するとぼくもその荒れ果てた鉱山にいた。地面に穴が開いていて、その穴を降りると、ぼくは会社のオフィスに戻った。
会社は業績を伸ばしていた。右隣りにはМ社長の席があり、その上の壁には黒板があって、社員一人一人の抱えている仕事の一覧表が掲示してあった。仕事が増えて書ききれなくなったので、今は新しく入った仕事だけが掲示板に表示されている。ぼくの担当する仕事もちゃんと書いてある。ぼくは自分の制作する書籍の名前を表札のような板に書き込む。表札は半透明で、裏から反対側に文字を書いていくので、とても書きづらい。その書籍の名前は「悪い村の兄さん」というのだ。
2022年03月28日
3月27日の夢(国際詩祭と殺し屋)
ぼくの自宅で国際的な詩の朗読会が開かれており、世界中からたくさんの人々が参加している。中でも前列右側に座っている年配の婦人とその連れらしい幼児はとても感動的な朗読パフォーマンスをしてくれた。ぼくは歩み寄り、二人の肩をたたきながら「良かったよ」とねぎらいの声をかける。
何かの用で中座し、再び会場に戻ると、既に詩祭は終わっていた。途中で不審な男に出会い、ぼくはうっかり男に暴言を吐いたらしい。男がピストルを持って追いかけてくる気配を感じ、ぼくは家に戻ると、左手の堅固な壁の陰に隠れて、男の襲撃から免れようとする。
2022年03月26日
3月26日の夢(詩祭危機一髪)
しばらくアメリカに滞在していたため、ひさしぶりに日本に戻ると、すっかり浦島太郎状態である。今日、大規模な詩祭に出演しなければならないことも忘れていた。
慌てて東京の会場に行くと、まだ開幕時間前である。参加する同僚たちと舞台裏で雑談する。楽屋の並ぶ廊下で焚火がされており、ぼくは歩きながらなにげなく鞄から銀色のファイルを取り出して、その火の中に投げ込んでしまう。ファイルが燃え上がってから気が付いた。なんてことだ。ファイルの中には今日朗読するはずの「相撲」をテーマとする詩の原稿が入っていたのだ。まずい。その原稿のコピーを取っていなかった。
いや、一つだけコピーがある。でも、それは北海道にある別宅のパソコンの中にあるのだ。ぼくは躊躇なく羽田から飛行機に飛び乗る。そして別宅に着くや、パソコンを立ち上げて、詩のコピーをプリントアウトする。再び飛行機で東京にとんぼ返りすると、なんとか出演前に会場に戻ることができた。
2022年03月24日
3月24日の夢(いやな夢を取り消す少年)
おばさんが「いやな夢を見た」と話している。ぼくの知り合いに「いやな夢をなかったことにする能力」を持つ少年がいるので、おばさんに紹介する。おばさんは「本当にそんなことができるの?」と懐疑的だ。ぼくは「だって、もうあなたはどんないやな夢を見たか、思い出せないでしょ?」とおばさんに言う。
2022年03月22日
3月21日の夢(家のリフォーム)
まず、一方の家の工事をチェックに行くと、木造の床を頑固おやじのような職人がカンナ掛けしてくれていた。問題なさそうなので、もう一方の家に行く。そこでは数人の男女が畳替えをしてくれている。その中の一人の若い女性が大きな針で畳を縫いながら、「〇千円の値段で、これだけやって、お茶いっぱい出してもらえないなら、私なら怒っちゃうな」と大声で文句を言っている。ぼくが玄関にいるのに気づかないのだ。慌ててぼくはお茶の準備を始める。
家に帰るには、海岸に近い道か、内陸を通る道か、二つのルートがある。海岸の道を歩いていくと、途中で道路工事をしていて、通行禁止になっている。そういえばこないだ工事による通行禁止のチラシが入っていたなと思い出す。
2022年03月20日
3月20日の夢(浜松出張)
浜松のクライアントのオフィスでPR誌の打ち合わせをする。さくさくと思い通りに進んだので、オフィスの出口でクライアント二人ににこやかにさよならを言う。壁が邪魔をして、二人のうち右側にいる一人しか見えないので、その人に向かって手を振る。相手も振り返してくれる。しかし直接のクライアントは見えない人の方だった、そちらには挨拶できなかったことに後で気づき、しまったと思う。
予想外に打ち合わせが早く終わったので、午前11時頃には会社のある原宿に戻ることができた。今日は浜松直行だったことを会社に伝えてなかったので、そこから携帯で連絡しようとするが、なぜか電話がつながらない。
2022年03月15日
3月15日の夢(食器と仕事)
昔の勤め先だったS社で仕事をしている。ランチにしようとしたら、食器棚から茶碗や皿がすっかり消えている。これではご飯が食べられないので、部下に探しに行かせたが、その部下がなかなか帰ってこない。お腹が減った。
気がつくと、仕事がなくなっていたので、社員たちに探しに行かせる。最初は気楽に、いつものクライアントのところに営業をかければ、いくらでも仕事は入ってくると、呑気に構えていたが、何人か社員が帰ってきたものの、誰も仕事をもらえなかったという。
3月14日の夢(露店とヤクザ)
地下街の通路で4,5人の男女の仲間と、ありあわせの板を組み合わせて露店を作り、それぞれの商品を並べて販売する。そこへ通りかかったヤクザふうの男が陳列した板ごといきなりひっくり返す。なんとか商品は無事だったが、ぼくが大切にしているものがはちきれんばかりに入っていた白い袋が見つからない。仲間たちに尋ねても、知らないという。しかたなく地下街のごみ置き場に、捨てられていないか探しに行く。
2022年03月12日
3月12日の夢(同窓会)
孤独に生きてきたぼくは無謀にもぼく一人の発案で同窓会を発案し、かつてのクラスメイトたちに招待状を送った。おそらく一人も来ないのではないか。そう思いながら、会場になった教室で待っていると、開会予定時間の30分近く前に一人の男性がやってきた。感動してしまう。さらに7~8人の男女が開会前に集まった。皆さすがに大人になってしまうと、誰が誰だか分からない。
しかも彼らは驚いたことに自主的に司会者を選び、立って挨拶や自己紹介を始めた。これならぼくはいない方がむしろいいなと思って、いったん会場を出る。
そろそろ終了の時間になったので、会場に戻る。主催者としてのお礼の挨拶をするつもりだった。「終わりましたか……」と話し始めようとするが、まだ最前列の席に座った男性が発言途中で、ぼくの挨拶はうやむやになってしまう。ぼくは今度の早稲田祭に一人参加する決心をしていて、パフォーマンスをするつもりだ。この同窓会が終わった後、ここでリハーサルをすると皆に告知しようと思っていたのだが、目論見が外れてしまう。
その後もなごやかに宴が進み、そろそろお開きという時間に、急いで靴音高く会場に現れた外国人の女性がある。目の前を通り過ぎたのはラテン系で化粧が濃く、背も高い。クラスにいたはずもなく、全く見覚えがない。ぼくは慌てて後を追いかけ、「すみません。どなたでしたっけ?」と声をかけるが、「〇〇です」というその名前にももちろん覚えがない。
2022年03月10日
3月10日の夢(屋上の待合ロビー)
帰宅しようと電車に乗る。一両だけの電車だが、真ん中で二つの部分に分かれている。前側は乗客で満席だが、後ろ側はがらんとしているので、後ろへ行くと、床も座席も酔っぱらいの吐しゃ物で一面汚い。これでは座れない。すぐに駅員たちが箒と塵取りを持って乗り込んできて掃除を始めた。
電車が発車してからふと気づくと、窓の外は寒々とした山深い風景である。反対方向に乗ってしまったらしい。帰宅時間にはまだ時間があるので、焦ることはないと思い、次の駅でゆったりと反対ホームの電車に乗り換える。
帰宅途中、知り合いのいるマンションに立ち寄る。だが相手が不在なので、屋上にある待合ロビーに行く。そこは人でいっぱいで、勝手にどこかから持ち出してきたような、不揃いなソファーが沢山並べられているが、満席である。話し声もうるさい。同じマンションに住む初老の婦人が現れ、「うちで食事していきますか」と尋ねるので、うっかり「はい」と答えてしまう。しかたなく待合室で待ち続けるが、いつまでたっても誰もぼくを呼びにこない。
2022年03月09日
3月9日の夢(オリンピックが始まる)
今日の午後三時からぼくの住む街でオリンピックが始まる。開会式をテレビで観るなど真っ平ごめんなのでバスに乗ってクリニックへ向かう。右側の窓から見えるのは、低層ビルの市街地で、いつもと変りない日常が広がっている。だが右側には建設工事中の背の低い白いフェンスが並び、その上から中が見えている。中は人工で造られたらしい川で、フェンスの手前には白いヘルメットをかぶった建設会社の社員たちが並んで立ち、通行人に案内をしている。
ぼくもバスから降りたって、川を見る。川は浅くて、ほとんどの場所はくるぶしあたりしか水深がない。そこをたくさんの役者たちが江戸時代の庶民のような着物姿で行き交い、少し水深のある場所ではわざとらしく泳いだりしている。意図は分からないが、オリンピックにちなんだ街頭演劇みたいなものだろうか。川はぼくの手前で直角に左へカーブしている。
2022年03月08日
3月8日の夢(文化祭準備)
明日から文化祭なので、ぼくはその準備に忙殺されている。自分が普段ルーティンでこなしている業務以外に、文化祭のDJチームのための台本書きなど、ぼくなしではできない仕事が多いので、時間がいくらあっても足りない。夕刻になっても仕事が終わらず、準備が行われているビルの屋上とオフィスとを何度も往復する。
しかし退社時間頃、もう一度屋上にのぼってみると、もう誰もいない。みんな文化祭の会場の方に行ってしまったのだろうか。ぼくももう退社しようと思う。明日からの連休は文化祭期間で会社は休みなのだが、文化祭当日もぼくが必要とされる仕事がいくつもありそうだ。休日出勤をした方がいいかもしれない。
2022年03月03日
3月3日の夢(実家に泊まる)
浜松で詩の会合がある。ロビーでは中高年の女性詩人たちがおしゃべりしている。ぼくは彼らの間をできるだけ話しかけられないよう、適当に会釈だけしながらうつむき加減で通り抜ける。一度会場から外に出て、正午ちょうどに会場に戻ると、入り口で妻がぼくを待っていた。ぼくは「浜松に来たのだから、1000円のうな丼定食を食べに行こうね」と言って、二人肩を並べて街に出る。交差点は春の日差しで眩しいくらいだ。
ぼくの名古屋の実家に妻と、もう一人の知らない眼鏡の男性と一緒に泊まりに行く。夜遅かったので、両親と祖母は六畳の座敷で寝ていたが、祖母が襖をあけて顔を出した。ほかの部屋に一人一部屋で泊まろうと思い、眼鏡の男性は玄関部屋、妻は3畳間、ぼくは昔の子供部屋で寝ることにする。でもぼくと妻は子供部屋で二人で寝てもいいのではないか。そう思って、子供部屋のドアを開けると、そこにあったはずの作り付けのベッドはなく、普通の和室に変わっていた。
2022年02月26日
2月26日の夢(新しい道)
以前勤めていたS社のオフィスにいる。ぼく以外は皆忙しそうだ。ほとんど仕事のないぼくは社内をうろついていて、うっかりスチール棚に触れてしまう。とたんに上の二段に置いてあった荷物がどっとぼくの方に崩れてくる。懸命に腕を差し出してこらえると、なんとか荷物の総崩れは起こらずにすんだ。ふと見るとフロアの一番奥で今一番人気だという有名な洋菓子店がワゴン販売をしている。業界人としてぜひ勉強のために見ておきたい。そばへ行って、じっと観察する。
自分のデスクに戻ると、優秀な後輩たちがぼくのデスクの上に、見知らぬ最新機器を置いたまま立ち話しているので、自分の席に座ることもできない。ぼくはもう用無しなのだから帰りたいと思うが、定時にすぐ退社するのは気がひけて、しばらくまた社内をうろうろする。
帰路につき、流しのタクシーをひろう。行き先を告げてから、「しまった。この道はずっと先まで行かなければ、右側を並走する鉄道を横切ることができないのだった」と気がつき、後悔する。だが運転手は「ここから線路を渡れますよね」と言って右にカーブを切る。本当だ。まだ舗装も完全ではない道がくねくねと続いていて、簡単に線路の反対側に出られそうだ。新しい道がいつのまにか開かれていたのだ。タクシーはその道をぐんぐん進んでいく。
2022年02月24日
2月24日の夢(走るハンガーラック)
道路を不思議な乗り物に乗って、妻と二人滑るように移動している。金属製のパイプ式ハンガーラックに車輪を付けたような乗り物だ。前方に枯れ葉をかきわけて何かを懸命に探している中年の女性たちがいる。おそらく落としたコンタクトレンズを探しているのではないか。ぼくと妻も乗り物を降りて、その捜索に参加する。その瞬間、既視感を覚える。今日、この光景を見るのは二度目だ。
2022年02月21日
2月21日の夢(上映会)
ぼくの務めている会社が主催する映画の上映会が新宿で行われることになっている。障碍者のための催しだが、ぼくもそのレポートを書くために参加しなくてはいけない。
雨は降らないと思っていたのに、会社を出たとたん雨が落ちだした。だが、障碍者の人たちは一人も引き返そうとしない。ぼくもそのまま歩いていくと、新宿西口のロータリーに屋根のない円形劇場があり、何かのイベントが催されている。みんなその客席を突っ切っていくのでぼくもそうする。だが途中でみんなから随分遅れてしまう。
ようやく映画館に着き、レポートを書くためにノートを取り出そうとする。だが、夢日記ノートはもう最後のページまで書ききってしまっていて、余白がない。カバンの中にあった封筒を何枚か取り出してみるが、それらもぎっしりと文字が書かれている。荷物を包んでいた包装紙をびりびり引き裂き、その破片に懸命に映画の内容をメモするが、最後まで書ききらないうちに昼休みになってしまった。会社に戻らなくてはいけない。
戻る間も、路上を歩きながらメモを続け、何枚か書き終えたところで、手の中のメモを改めてみる。ところが不思議なことに、映画のメモだけが見当たらず、あるのは他のことを書いたものだけだ。
新宿のそこここで道路工事が始まっている。路面が通行止めになって大きな穴が掘られたり、溝を熱いどろどろの液体が流れてきたりしだした。気がつくと、ぼくの立つ僅かな場所を除いて、前後左右どの方向も立ち入り禁止になっている。しかしよく見ると、熱い液体と思っていたものは冷たい水に過ぎない。飛び石をわたって、何とか工事現場を抜け出すことができた。
会社の玄関に着いた。その周りは一面半透明なビニールカバーが天井から吊るされていて、迷路のようになっている。見通しがきかないので、いったんその中に入ると、どこが入り口でどこが出口かも分からない。玄関ロビーには長デスクが置かれ、眼鏡をかけた女性が尊大な様子で椅子に座り、じっとこちらを見ている。ぼくは彼女に「入り口とか出口という札をビニールに貼っておけばわかりやすいのに」と提案する。だが彼女はにこりともせずに言い返す。「それをあなたが提案できるかどうか、テストしていたのよ。あなたは自分が健常者だと信じているけど、本当はそうじゃない。みんなと同じなのよ」。
2022年02月19日
2月18日の夢(入りきらない袋)
網でできた袋の中にたくさんの物を詰め込んでいる。具体的な物体というより、不定形で曖昧な物だ。さらに帽子のような形の物を入れなくてはいけないのだが、どうしても入らない。何度でも別の袋で試してみるが、帽子のような物だけが外に残ってしまう。
初めて会う人と、動物園のゲートの前で待ち合わせた。その人はオニヅカさんという名前だが、まだ会ったことがなく、顔を知らない。携帯で連絡をとろうとするが、初めて使うスマホなので使い方が分からない。卵型の画面のどこをどう操作すれば、通話画面になるのだろう。あきらめてポケットにしまう。気づくとぼくの隣にさっきから動物園のゲートを見つめて立っている人がいる。「もしかしてオニヅカさんですか」とおそるおそる尋ねてみると「そうです」と言う。なあんだ。さっきから隣にいたんじゃないか。
2022年02月14日
2月14日の夢(女スパイとトイレ)
夫婦で寝たふりをしていると、予想した通り窓から女スパイが乗り込んできた。起き上がって窓の左右に分かれ、挟み撃ちであっさりと女スパイをやっつける。
某出版社にいて尿意を催し、トイレに入る。襖をあけると畳敷きの座敷の真ん中に和式便器が埋め込んである。はっと気づくと、左足を原色のイエローの絵の具のような水溜まりに突っ込んでいる。慌ててトイレを出て、左隣の部屋の襖をあける。そこもトイレだが、やっぱり汚い。「社長! なんとかしてよー~!」と心の中で悲鳴をあげる。
2022年02月10日
2月10日の夢(Yさんの本棚)
女性詩人のYさんの家で、「Y」という名前の雑誌を全冊、別の本棚に移すように指示される。Yさんと「Y」誌は奇しくも同じ名前なのだ。「Y」誌は見たところダンボールの発送用封筒に入っているように見えるが、「Y」誌そのものがダンボール製の装丁なのかもしれない。ぼくは「これ、1号から号数順に並べるのですか」と尋ねる。しかしYさんから返事がないので、号数を無視して、手当たり次第に本箱に詰め込んでいく。
2022年02月06日
2022年02月04日
2月4日の夢(日の当たるオフィス)
昔在籍したS社のオフィスにいる。とてもモダンで美しいオフィス。窓から太陽の光が燦燦と差し込んで眩しいほどだ。一番奥は社長のU氏のデスク。その手前は新入社員の女性。次がぼくのデスクである。ぼくは自前のパソコンを与えられておらず、マウスが新入女子社員のパソコンにつながっているだけだ。彼女は社長と楽しそうに話しながら、パソコンを操作しており、ほとんどぼくには使うことができない。
そこへ部長のМ氏がやってきて、「一色さんのメールボックスがいっぱいだから、溜まったメールを捨てるように」と指示をしてきた。ぼく自身もそうしたいと思うのだが、ここから見えるパソコン画面にはツールバーがなく、メールのアイコンが表示されていない。そういえばGoogleのアイコンも見当たらない。
社長のデスクのかたわらに新刊の雑誌が積まれているので、それをぱらぱらとめくってみる。うちの会社が作った広告のセンスが古いとクライアントが非難しているというので、その広告を見たいと思ったのだ。だが、その広告はどの雑誌にも掲載されていない。ただ、別の会社の広告が見つかった。詩集出版社のD社が業態を変えて、オーディオメーカーになったらしく、その広告が載っている。
どうもぼくはこの会社に必要とされていないようなので、明日会社を辞めようと決意する。ぼくのもとにはもっといい仕事の話が舞い込んでいるのだから。
2022年01月31日
1月31日の夢(車に投函)
ポストに投函しようと持ってきた二枚のハガキを、路肩に駐車している乗用車の後部窓の隙間から、内部に投げ込む。しまった! と思う。車の持ち主が見つけて、ポストに投函してくれるだろうか。いやいや、それは無理だろう。でもまあいいか、と思いつつ、その場を立ち去る。
2022年01月27日
1月27日の夢(ピンク色の手紙)
全共闘運動が終わった後、さまざまな意見が寄せられた。中には女性の生き方に対する、男性からの無理解な問いかけも多かった。それに応えて、メンバーが手分けして自分の意見を手紙に書き送ったが、それぞれに赤や青やさまざまな色の便せんを使うことにした。ぼくも男性の立場で、返事を書くことにしたが、最も女性らしいピンク色の便せんを使わせてもらうことにした。
2022年01月23日
1月23日の夢(壁のないエレベーター)
妻が階下へ降りたいと言うのでエレベーターに乗る。我が家のエレベーターは屋外にあり、正方形のベランダがそのままエレベーターになった感じ。周囲に壁はなく、四方の手すり沿いにベンチ式の座席がある。
一階に着いたが、妻は座ったまま降りる気配がない。そのうちによその家の小学生の女の子とその母親が乗り込み、着席した。妻に「降りないの?」と訊くと「降りたくなくなった」と言う。それなら二階に戻ろうとエレベーターの運転ボタンを探す。それは大きな円形をしているはずだが、誰かの背中の向こうに隠れているらしく、どうしても見つからない。
医者に行く。医院は木造で薄暗い。眼科、内科、外科をめぐる予定だったが、内科と外科を終わったところで、医師に「では今度は一か月後に」と言われてしまう。ぼくは「あれっ? 眼科がまだ終わっていないのでは? それとも既に受診したのに忘れてしまったのかな」と医師に問いかける。
医師は薄暗い出口に向かいながら「そうそう。従弟の方の同人誌ですが、活版がいいと思います。いい印刷所を紹介しますよ」と言う。ぼくは面食らって「えっ? オフセットの方が安いし、仕上がりも良いのでは?」と問い返すが、医師は「活版がいい」と言って譲らない。
川に沿って上流から妻と歩いてきて、橋のところまで来た。上流はかなりの急流で、真っ青な大波が次々と立ち、若者たちが盛んに波乗りをしている。下流は堤防のせいで見ることができないが、オリンピックコースになっているという。妻は「このまま川を下って、私たちもオリンピックに出よう」と提案する。妻はいつからそんなに元気になったのだろう。ぼく自身はとても体力がありそうにない。
2022年01月21日
1月21日の夢(嵯峨さんの回顧展)
詩人の嵯峨信之さんの回顧展が開かれている。会場は二つの畳敷きの和室がぶち抜きにされ、すべての壁は天井まで書籍で埋め尽くされている。しかし、克明に見ても、ぼくの知っている本は一冊もない。何冊か取り出して、ぱらぱらとめくってみる。すると全然未知の雑誌なのに、ぼくの名前の書かれている雑誌があって、びっくりする。ぼくのいる部屋にはほかに誰もいないが、隣の部屋には何人か人が集まっているので、首を伸ばすようにして、その部屋を覗き込む。しかし、ぼくの知り合いは一人もいない。ぼくは立ち上がって、二つの部屋をくまなく見て回る。それでも誰も知っている人がいないので、ぼくはそのまま会場を後にする。
1月20日の夢(轢かれそうな犬)
会社の前の横断歩道を親子の犬が渡ってくる。生まれたばかりの仔犬はうまく歩けず、途中で転倒して車に轢かれそうだ。あっと思った瞬間、歩行者が仔犬をさっと抱きかかえ、こちらへ送り届けてくれた。
オフィスには長方形にデスクが配置されていて、ぼくのデスクはオフィスの一番奥の短辺の位置にある。そこにあるコート掛けに自分のコートを掛けようとするが、ほかの人のコートに占領されていて、ぼくのを掛ける場所がない。
会社には障害を持つ人が二人いるが、彼らはそれをカミングアウトしている。実はぼくも耳が半分聞こえない障害者なのに、それをカミングアウトしていない。会社には二つトイレがあり、その二つを今、障害を持つ二人が使用中だ。この機会にぼくも自分の障害をカミングアウトしようと思う。
ツアーでロシアの極東に行く。現地でカラオケボックスを安く買える話があり、手書きでそのポスターを二枚作る。一枚は上手に作れたが、二枚目は自分の名前を書くスペースがなくなり、失敗してしまう。
2022年01月11日
1月11日の夢(会議)
妻と会議に参加する。会場の小ホールは客席がスロープになっていて、後ろに行くにつれてだんだん高くなっている。妻は最初一番後ろ、つまり一番高いところにある席に座るが、少しずつ前の方に降りてくる。
ぼくはぐるりと会場を一周するが、後ろの方は既に満席に近い。年末で、今日が今年最後の会だから参加者が多いためだ。あきらめて前の方に戻り、一番右の列の真ん中あたりに着席する。それは妻の座っている、すぐ後ろの席だ。
1月9日の夢(就活)
就活したいという妻のために、知り合いの会社を紹介する。会社は地下街にあり、ファッショナブルな若者たちが盛んに出入りしている。だが面接試験が始まり、たくさんの人々が受験にやってきたのに、妻が現れない。スマホで電話しようと思うが、画面の操作方法が分からず、連絡することができない。
2022年01月06日
1月6日の夢(誰かが狙っている)
父が死んだ(夢です。現実の父は40年前に他界している)。それ以来、ぼくは常に背後から誰かに狙われている気がする。姿は見えないが、視線を感じるのだ。今日も新宿の街を周囲に気を配りながら歩いている。人々の視線が遮られる路地にはけっして入らない。
昔、父の事務所になっていた建物に入る。かつて父が座っていた受付のようなデスクに、今は母が静かに座って、何か書き物をしている。広い長方形の部屋は周囲をぐるりと囲んで通路があり、それ以外は書類の積まれたデスクが置かれているが、誰もおらず薄暗い。母が玄関に向かって座っている左隅の受付から、ぼくは部屋を半周して、右の長辺にあたる窓際に進んでいく。いきなりぼくのズボンの尻ポケットを誰かの手がまさぐる。ぼくはぎくりとするが、母のいる建物の中で誰にも襲われるはずがない、錯覚だと信じようとする。だが何者かの手はぼくの尻ポケットをつかんだままで、ぼくは後ろを振り返ることさえできない。
2022年01月03日
1月3日の夢(帰り道)
大学からの帰り道を歩いている。本当は夕方から学内で人に会う約束があるのだが、人恋しいので帰る人たちに合わせて、駅への道をなんとなく歩いている。振り返ると、後ろからそれほど親しくはないけれど、知っている人たちが三、四人やってくる。彼らに声をかけて一緒に駅に向かう。
途中にお店に立ち寄り、靴を脱いで上がる。ところがみんな別の出口から外に出ることになる。ほかの人たちはそちらに靴があったが、ぼくひとりだけ入り口に靴を置いてきたので、取りに戻る。ようやく靴をはいて出口から出たときには、もう誰の姿も見えない。駅に向かって歩き、小高い場所に出る。振り返ると、大学からここまでの道が真下に俯瞰できる。そこを長髪の若い男がじぐざぐに歩いてくるのが見える。彼は超能力者で、ぼくが夕方会おうとしていたのは彼である。その男に相談事があるらしく、手前から一人の女性が彼に近づいていく。二人はトラックの荷台をはさんで両側から向き合って座る。ぼくも彼らの話を聞きたい。狙いを定めて飛び降りると、ちょうど荷台の上のパラソルの上に着地できた。女性の隣にぼくも座って、男と向き合う。そんなふうに突然ぼくが現れたのに、二人とも驚く様子がなく、ぼくに気づかなかったように話を続ける。
1月2日の夢(移動遊園地)
移動遊園地が開催されているが、忙しい妻は少ししか楽しむことができなかった。夜、湖のほとりの家に戻ってくると、そこに移動遊園地がやってきてくれた。夜空にきらきら輝く移動遊園地で妻は思い切り楽しむことができる。
以前にぼくが行った講演のテープ起こしが活字になって届いた。しかし録音できなかったところが多かったらしく、冒頭をはじめ大事なところが欠落していて、なんだか変な原稿になっている。
講演会はもう終わりらしく、司会者がマイクで結びの挨拶をしている。ぼくは資料のファイルが床に散らばってしまい、膝を床についてそれを懸命に拾い集めている。会の終わるまでに揃えられるだろうか。何とか間に合いそうだと思う。
2022年1月1日の夢(薬をいただく)
妻と神社へ行く。手前に向けて斜めに置かれた板の上に、布袋が置かれている。胃袋のような形をして、複雑にねじれている。その中におひねりのようなものを妻がいくつも詰め込むと、かわりに神様が薬を袋に入れて返してくださる仕組みだ。
それで終わったかと思っていると、その隣にももうひとつ袋が置かれている。また同じことをしなくてはいけないのか。今度の袋はねじくれていない。おひねりも入れやすい。それに対して、また神様の薬が出てくる。
2021年12月28日
12月28日の夢(北村太郎さんとの飛行)
詩人の会合に出席するため、飛行機に乗る。コロナで搭乗者が少ないため、座席は二つ並んだ席が前後に二列しかない。しかも座席はベッドのように大きく、前列と後列の間にほとんど隙間がない。そこに無理やりぼくは体を押し込むようにして座る。
だが離陸するとき、座席は四つが横一列に並び、ぼくら乗客は窓から遠ざかっていく地面を眺めている。ぼくの左隣に座っているのは、故人である詩人の北村太郎さんだ。話し始めたときには座席は再び二列になり、しかも前後に向き合う形になる。「そういえば北村さんはぼくの会社に何度かいらっしゃいましたね」と話しかけるが、彼は思い出せない様子だ。「S社ですよ。ほらKのいたS社です」とぼくは畳みかけるが、やはり北村さんは怪訝な顔だ。「政府のキャンペーンの仕事をしていたのですが、あれは下請けの下請けでした。間に何社も入っているので、結果的に経費がものすごくふくらむのです。おまけに、途中に入った人が、自分のしたい仕事は自分でやろうとするから、とっても面倒くさくなるんです」とぼくが言うと、北村さんは困ったように苦笑する。
12月27日の夢(廊下にある駅)
学校の教室のようだが、ここは職場らしい。同僚たちが次々立ち上がり、教壇に立つ初老の上司(先生かもしれない)に報告をする。ぼくも「小物はぼくが全部確認できましたが、大物が残っています。回転するデスクとか棚とかです」と報告する。上司はちょっと考えるふうだが、やがて「なるほど」という感じで頷いてくれる。
ぼくはデスクを逆さにして頭の上にかついで廊下を歩く。廊下の両側にはいくつも階段があり、番線と行き先が表示されている。上は駅のホームになっているらしい。五番線の階段下に来たとき、妻が「山手線内回り?」と尋ねる。ぼくは「そうだよ。早稲田へ行くんだから」と答えて、ホームに続く階段を登る。
登りきるとそこはバス停で、ちょうどバスが出たところだった。そこにも先生のような上司がいて、乗客たちと向き合っている。妻は「レンタカー」と言う。ぼくはポケットから振替用紙を出して上司に見せる。上司は温厚そうな感じの職人ふうの風貌である。やはり思い出せないものを無理やり思い出したように、「ああなるほど」と言う。
2021年12月21日
12月21日の夢(停電)
家にいると突然電気が消えて、真っ暗になった。停電だ。直感的に何者かが襲ってくる、という恐怖にとらわれる。家族に声をかけて懐中電灯を探し、暗闇の中で上着を着て、カバンを背負い、襲撃に備える。だが、何事もないうち、電気が再びついた。
2021年12月14日
12月13日の昼の夢(真っ赤な服を着る)
ぼくの会社のフロアがまるでショッピングモールのようにだだっ広くなっている。たくさんの同僚たちがモールの店舗の中で忙しく立ち働いているが、ぼくはそこに席がない。ぼくは通路に低い台を持ち出し、その上にパソコンを置いて仕事しようとするが、男の同僚が「ちょっといい?」と言って、その台をさっさと持ち去ってしまう。ぼくは何もすることがないので、廊下をうろうろする。知人のパソコンを借りたいと思うが、それもどこにあるのか分からない。
しかたなくランチをとろうと食堂へ行くと、そこは貸し切りになっていてパーティーの準備でおおわらわだ。そういえばさっきお誕生会のチケットを買ったんだっけと思い出す。なにげなくそばにあった上着を身に着けて廊下へ戻る。ふと自分の身だしなみを見ると、真っ赤な上着に真っ赤なズボンだ。これではあまりにけばけばしいと、たじろぐ。既にモールの中の同僚たちが気づいて、こそこそとぼくの悪口を言うのが聞こえる。どこでこの服を脱げばいいだろうか。
12月13日の朝の夢(三つの椅子)
文芸評論家で詩人のG氏が「あなたの会社に行ってもいいですか」と言うので、「いいですよ」と答えて、会社に連れてくる。ぼくの会社の従業員の数は来客に応じて、数百人単位で増えたり減ったりする。ぼくはG氏の訪問に応じて増えた従業員の数を、百人単位で数える。G氏は今度は「夜、お宅にお邪魔して、奥さんも含めて三人で寝てもいいですか」と尋ねる。「女性もいるのに一緒に寝るわけにはいかないですよ」と、ぼくは断る。
クリニックで女医の診察を受けている。診察室には三つ葉のクローバーのような形に三つの椅子が並んでいる。ぼくは真ん中の椅子に座っていたが、部屋の脇を男性の医師が通り過ぎたのをきっかけに女医が別の席に移ったので、ぼくも右端の席に移る(女医の席の位置は記憶していない)。女医はぼくに「そうしたければ言ってくれればよかったのに」と言う。
2021年12月08日
12月8日の夢(ベランダの怪しい男)
夜中に気配を感じてふと起きると、ベランダに怪しい男の影が走った。若い男がぼくの家のベランダを行ったり来たりしている。窓のところに行って「何をしている?!」と怒鳴ったつもりだが、半分眠っているらしく、もがもがと力のない声しか出ない。その間も男はぼくを無視して、左右に走り回っている。
見ると近くのどの家にもベランダに怪しい男が侵入している。それを察して、警察のヘリコプターが上空に現れ、さこからロープで警官がするすると降りてきた。警官は一人しかいないので、どの家の泥棒にも「おまえを捕まえに来たぞ!」というパフォーマンスをして見せるが、ベランダの怪しい男たちはまるでどこ吹く風である。
12月5日の夢(女性ランナーたち)
東京駅のコンコースのような広い地下空間を妻と歩いている。そこには縦横碁盤の目に通路がある。妻は「縦の通路には何もないわ」と言う。ぼくは「いや、横の通路にそれがあるよ」と答える。「それ」が何かは言葉では伝えられない。「それ」と言うしかないものだ。
「それ」を持って、沢山の女性たちが地上の道路を走り始めた。黄色い服装をした女性ランナーが、あと少しでゴールというところでなぜかギブアップして立ち止まる。だが、これまでの走りのタイムが十分に速い。もし他のランナーたちがそのタイムを超えられなければ、彼女が優勝することもありえるだろうとぼくは思う。立ち止まる彼女の前を次々とランナーたちが追い抜いていき、黄色い車両も何台か通過していく。「みんな黄色だね」とぼくは妻に言う。
2021年11月25日
11月25日の夢(曲がり損ねた電車)
妻と二人で外出し、電車で帰宅の途につく。電車は二両連結である。運転手が分岐線に入るのを一瞬忘れたらしく、猛スピードのままカーブを曲がろうとして、電車は九十度回転してしまうが、幸い脱線事故にはならなかった。
無事に帰宅して、新居で食事をする。ご飯とおかず一品だけのつましい食事だ。ぼくのおかずは豆腐、妻のおかずはもう少しおいしそうだ。
2021年11月13日
11月13日の夢(人間の壁)
会社が四国あたりの地方都市に引っ越した。雨が降っている。今日はY社から依頼された新しい切り口によるピアノの啓蒙本を作るための打ち合わせの日だ。いきなり音楽の必要性を説くのでなく、子供の情操教育の話からソフトにピアノの効果をアピールする冊子である。
二時からのつもりだったが、二階の窓から見ていると、一時に早くも下の街路に自転車の停まる音がした。調律鞄を持った男が降りたところだ。きっとあの男が打ち合わせの相手だろう。急いでデスクの引き出しを開け、名刺を探すが一枚も見当たらない。そうしているうちに男が上がってきて、ぼくの名前を呼ぶ。出ていくと、カラーで印刷された名刺と小物のノベルティをさりげなく手渡してくる。ぼくはしかたなく「今名刺を切らしてまして」と弁解する。
さて打ち合わせ場所を探すが、二階はもちろん一階に行っても空いているテーブルがない。玄関前にちょっとした台のような場所があり、そこでしようかと思うと、若い男が不愛想に「ここは俺が使っているところだ」と凄む。しかたがないので外に出て、喫茶店に入ろうと思う。しかし傘立てをいくら探しても自分の傘がない。おまけにぼくのズボンにはどうやらお尻に穴が開いているようだ。まあ、この程度なら外から見えないかもしれないと思う。
男に外出を促すと、男もしぶしぶついてくるが、「本当は予定が詰まっていて、時間がないんだ」というようなことをぶつぶつと呟いている。
喫茶店に入ると、隣の席にいる知らない女性がなぜかピアノの情操教育上の効果について話しかけてくる。なぜぼくらの話題について知っているのかと怪訝に思うが、「そうそう」と相槌を打つ。突然店中の男たちが人間の壁になって押し寄せてきて、ぼくは押しつぶされそうになる。
2021年11月12日
11月12日の夢(新年会の怪異)
お正月の新年会に出席する。舞台に向かって椅子が講演会形式に並び、固定椅子のほかに通路にも可動椅子が置かれている。会場はぎっしり満員だ。ぼくは遅れて行ったが、妻が右の通路に並べられた椅子席を確保しておいてくれたので、無事に並んで座ることができた。
会の最後に手締めが行われることになる。三々七拍子である。ぼくは拍手のテンポが一拍遅れてしまい、ちょっと恥ずかしい。手締めの後、右の席に座った痩せた老女が大きく拍手をし始めるが、会場はしんとして誰もそれに応えようとしない。気まずそうに彼女もやめてしまう。気がつくと、会場は明かりが消えていて、真っ暗になっている。なんだかお葬式のようだ。司会者の男性が「お茶の一杯も差し上げずに失礼しました」とマイクで言うと、頭の禿げた男性が「いやいや、そんなこと気がつかなかったよ」と応じる。男性の右手には缶ビールが握られており、ぼくは「こっちは飲めないんだから、お茶の一杯ぐらい飲みたかったよ」と思う。
2021年11月10日
11月5日の夢(封筒がない)
雨が降っていて、ぼくの勤める会社のビルがびしょびしょに濡れている。
その雨の中を買い物に来てくれた女性客が「袋はありませんか?」と尋ねる。ぼくは「社名入りの封筒でいいですよね」と答え、封筒を探しに二階のオフィスへ階段を登る。デスクで同僚たちが仕事をしている中、探し回るが封筒が見つからない。ようやく机の上に社名入りの定形封筒と定形外封筒を見つけ、ほっとして手に取るが、それは自社のものでなく他社の封筒だった。そういえば色がうちの会社のものと違うなと気がつく。
2021年10月30日
10月30日の夢(通勤電車)
10月30日の夢(通勤電車)
通勤電車で新宿に向かっている。電車の中はがらがらだが、もっと人が少なくなればいいと、ぼくは思っている。突然、車内は四畳半の下宿になり、大家のおやじとその妻がぼくに小言を言いながら、部屋の中をうろうろして、なかなか出ていかない。
気がつくと、電車は逆向きに走っていて、ぼくは夜の自宅近くの畑の中にいる。畑の中にはパンの自動販売機が四台立っている。それらを示して、ぼくは弟たち三人に、食べるよう勧めるが、みんな食欲がなさそうだ。(ぼくは一人っ子だけれど)
10月29日の夢(反社の邸宅)
妻と街を歩いていて、ふとしたことから反社の頭目が乗った黒塗りの乗用車に乗せられる。ぼくらは彼の邸宅に招待されたらしい。途中、何かの用足しのため、同乗していたぼく以外の人たちがいったん降りる。妻だけが戻らないでいるうち、黒服の運転手は無言のまま車を発進させる。ぼくが「妻がまだだ!」と叫ぶが、車は止まらない。後部座席にいた頭目がどすのきいた声で「止まれ、という声くらい聞いてやれ」と言うと、ようやく車は交差点を渡り切ったところで停止し、遅れていた妻も乗り込んだ。しかし運転手の男は返事すらしない。
頭目の邸宅でもある反社グループの拠点の建物に着いた。東京ドームほどの広大な内部に、歌舞伎町のような歓楽街が広がっている。頭目は妻を呼び寄せて、7枚のDVDを手渡す。「これらの映画をすべて観て、どれを購入すべきかあんたが決めてくれ」。
夜になって、妻の姿が消えていることに気づく。どうやらDVDをどこかで試写しているらしい。ステージではコーラスグループが享楽的なナンバーを歌っている。やがて戻って来た妻は「この映画は最後まで見切れなかったわ」と言う。ぼくは「その一本目はつまらなくて、途中までしか見られなかったと、頭目に報告すればいいよ」とアドバイスする。
妻の携帯が鳴った。妻が試写をしていた場所は歓楽街のどこかの店の一角だったらしく、そこのママの女性からだ。「席のチャージ料を支払ってよ」と女は言う。「こんな程度でチャージ料を払わなければならないのかしら」と妻は不満たらたらだ。
突然、壁に窓が開き、そこからさっきの黒服の運転手が満面の笑顔を浮かべて、ぼくらにカメラを向け、二人の姿を撮影してくれる。どうやらぼくらは早々にここから逃げ出した方がよさそうだ。
2021年10月27日
10月27日の夢(川の見学)
ぼくは小学生で先生に連れられて、川の見学に来ている。川の岸には全共闘時代のバリケードを思わせるように机が並べられており、ぼくはその上を歩く。川には既に生徒が降りていて、岸辺を興味深そうに眺めているところだ。ぼくは上から「何かあるの?」と生徒に声をかけ、机から川に足から飛び込む。かなりの高さがあって怖かったが、なんとか川に降りられた。
それからぼくはいったん下流に移動し、また岸に並べられた机の上を引き返してくる。すると机の上に詩人のN氏がいて、なにか演説をしている。そして、ぼくに向かってひょいと片手を伸ばすので、反射的にその手に握られていたものを受け取ってしまう。受け取ったものをよくよく眺めてみると、それは単なるゴミだった。急いで元の場所に戻るが、川の中に生徒たちはもういない。
2021年10月25日
10月25日の夢(今朝見た三つの夢)
カナダの原住民の人々の運営するアンテナショップを訪れる。建物の床に敷かれたカーペットの上にさまざまな民芸品が置かれ、アイヌのような衣装を着た女性が店番をしている。真ん中に炭がらが山のように置かれ、赤い火が燃えている。そこでおまじないができるらしいが、説明書も何も見当たらない。店番の女性もどこかに行ってしまった。
ぼくは小学生で、新幹線で修学旅行に行こうとしている。ぼくの指定席は七号車の一番だ。いくつも車両を通り抜け、指定された席にいくと、男子と女子が一人ずつ隣に着席している。窓から隣のホームに停車しているこだま型の新幹線が見える。「これから一週間、ここで生活するんだね」とぼくが言うと、ほかの二人も苦笑する。
ぼくの元の勤め先であるS社に週明けに出社すると、S社の社屋はまるで廃墟のようになっている。階段を登ると、そこにぼくの夢について書いた答案用紙が散らばっているので、慌てて拾い集める。U社長がそれを見とがめて「これは何? こっち側に用があるの?」と尋ねてくる。ぼくは逃げるように階段を駆け下りるが、その途端階段は崩れて、もう登ることができなくなる。社員たちが三々五々出社してきた。義母の飼い猫も出てきて、ぼくの前にお腹を出して寝転がり、撫でてくれと言う。ぼくは社員たちに「どこから向こう側に戻ればいいの? あっちのトンネルから?」と尋ねるが、彼らはみんな見知らぬ顔で、誰もぼくの問いに答えてくれない。ぼくのデスクがすぐそば見えるが、その前に透明アクリル板の壁が設置されている。席にあるパソコンを取ってくればこちら側でも仕事ができるのにと思うが、透明な壁を超えて向こう側へ行く方法がわからない。
2021年10月16日
10月15日の夢(封筒を探す)
会社で四角く厚いものをうまく収納できるA4判の封筒を探し回っている。
中年の男のだみ声が聞こえる。会社を代表して葬儀に出席するよう指示されたことに抗議している内容だ。会社側はそれに対して、男をなおも出席させようとして、説得を試みている。
2021年10月14日
10月14日の夢(山のような金貨)
ぼくと妻と、亡くなった妻の父親の三人で、大きなテーブルを囲んで食事をしている。結婚記念日のパーティーかもしれない。テーブルには陽の光を受けてきらきらと輝く金貨が山のように積まれ、三人ともその金貨を胸にたくさん金メダルのように付けている。それらの金貨をぼくらは胸に取り付けるマイクだと思っている。テーブルのそれぞれの前には三つの大きな楕円形の皿が置かれ、そこにはトマトソースで色づけられたスパゲティーが盛り上げられている。それと共に、大きめの貝殻を背負うイカのような、たくさんの長い脚を持つ海生物が二つずつ並べられている。それは妻の自慢の料理のようだが、父はそれを「気持ちが悪い」と言い、ぼくも父にならって「気持ち悪い、気持ち悪い」と言って、箸で別の皿に取り分ける。妻は何も言わないが、ちょっと残念そうな顔をする。
2021年10月11日
10月11日の夢(暮らしやすい家)
妻が家を快適にしてくれたので、とても暮らしやすくなった。おかげで機嫌がよく、帰宅しがてら道行く人々にそのことを自慢げに話しかけ続ける。途中、水滴のついた板塀があった。それを指さしながら、「これは雨ではないかな……いやいや、〇〇(忘れた)のために濡れたのかも……」と、なおも機嫌よく話すのが止まらない。
2021年10月10日
10月10日の夢(ラジオ)
旧知の女性詩人のHさんがラジオで詩についてのDJをするという。そんなことをしても面白くないのではないかと思ったが、聞いてみると意外に楽しい。
雑誌にイラスト付きでエッセイを発表しようとしている二人の詩人がいる。某誌ならイラストは原稿料一万円で依頼しているみたいだよ、と助言をする。
2021年09月29日
9月29日の夢(Yさんの家)
詩人で芥川賞作家のYさん(女性・故人)の家を訪問する。家は多くの幼児を預かる施設になっている。Yさんは内向的でおとなしい人柄と思っていたが、会ってみると元気のいい多弁な若い女性だったので驚く。ひとしきり談笑した後、左の部屋に彼女を残し、真ん中のロビーのような場所に戻ると、庭から「大変だあーっ!」と叫ぶ男の声が聞こえる。慌てて芝生の庭に出ると、別棟にある建物が火事か何かになったらしい。火も煙も見えないが、二階の窓から男が身を乗り出して、脱衣籠のようなものに入れた赤ちゃんたちを地上にいる人に手渡している。庭には少し年齢の高い子供たちがいて、それを受け取るが、やっぱりまだ子供なので、判断ができないらしい。赤ちゃんの籠をどすんと音を立てて、地上に放り投げるように置く。ぼくはびっくりして、籠を拾い、別の子供に「ちゃんと大人の人に手渡してね」と言う。火事騒ぎが終わり、ロビーに戻ったぼくはYさんに「いつ火事に気づいたの?」と尋ねる。彼女は小さな声で、早口に喋り立てるが、周りの騒音にまぎれて、ひとことも聞き取ることができない。
帰り道、バス停の前の芝生の舗道に寝転がって、バスを待っている。ちょうどバスがやってきたが、起き上がる間もなく、バスはぼくを置いて発車してしまった。行き先表示を見ると、どうやらぼくの乗るべきバスだったようだ。しまった。ちゃんと次の発車時刻を確認しておくべきだったと思い、ぼくは歩いてバス停に掲示された時刻表を見に行く。
2021年09月21日
9月20日の夢(封筒の中身)
会社で仕事していると、印刷所の女性が大きな封筒を届けてくれた。封筒には「スケジュール表」と書いてあるが、開けてみると中に入っていたのは、数枚のビルの中の見取り図面だった。「こんなものが出てきたけど、スケジュール表じゃないね」と近くの席の社員たちに見せようと思うが、年取った社員も若い社員も皆忙しそうだったので、封筒を棚の上に置き、自分も仕事に集中する。。
2021年09月18日
9月18日の夢(生きている死者)
ぼくは大宇宙を一周して地球へ戻ってきたところだ。ぼくは旅の途中で既に死んでしまったが、意識も肉体も保ったまま、地面に立っている。ぼくの方に沢山の飛行機の編隊が、そして列車の群が、それぞれ横一列に並んで進んでくる。手前では狭い川をはさんで両側に二列の縦隊をつくって人々が並んでいる。ぼくはその右岸の人々の足元の岸辺に寝転がっている。しかし、ぼくは死んでいるため見えないのか、誰もぼくに注意を払わない。葬式か結婚式かわからないが、何かの儀式に参列するために二列の人々が着飾って前進していく。ぼくは左の列の最後尾につく。その列のニ・三人前に肩を出したドレスを着た妻がいて、周りの人たちと談笑しているが、やはりぼくには気づかないままだ。
9月17日の夢(途中下車)
会社からバスで帰宅する途中、乗り換えるために下車をする。そこは都会の真ん中なのに、緑豊かな小高い丘の上で、庭園のように美しい。背後の山並みには墨絵のような雲もかかっている。庭園の奥に古風な和風建築の建物がある。何かの商店らしく、前庭に並んでいる商品が積み上げられているので、その一つを手に取って、玄関の横開きのドアを開ける。しかし中は奥の座敷までがらんとして、人の気配がない。庭園にいた人たちに尋ねると、「もう主人が店を閉めることにしたのだ」と言う。
2021年09月14日
9月14日の夢(巨大なスマホ)
妻と夜の買い物に出かけた。衣料品を売る店に入ろうとすると、ちょうど9時の閉店時間になったところで、消灯した瞬間だったが、ぼくらの顔を見て店員はまた明かりを点けてくれた。店内にはほかにも黒っぽい服装を着た女性の買い物客が何人もいる。離れて見て回るうち、いつのまにか妻とはぐれてしまった。待っていればいずれここに戻ってくるだろうと思うが、お店も閉まりそうなので、スマホを取り出して電話をしようとする。スマホは大型のiPadよりもっと大きく、しかも三層になっていて分厚い。手で持っているだけで大変である。電話をするには待ち受け画面を消さなくてはいけないと思うが、どうやってもうまくいかない。それを見て、ナマズ髭を生やした男がへらへらしながら「もっといいやつに替えてあげましょうか」と言ってくる。
2021年09月11日
家を借りる
一軒の家を誰が借りるかで、三つのグループの競合になった。一つはぼくたち夫婦。二つ目は二体の石仏。三つめは外国人らしい男女の若いカップル。ぼくたち夫婦が借りることになったが、住むにはこの家を直さなければならないので、ほかの二つのグループに知恵を借りに行く。石仏の答えは「何もしない方がいい」というものだった。カップルのアドバイスは忘れてしまった。
2021年09月08日
9月6日の夢(消えた床屋)
いつもの床屋に行くと、店が改装されており、店内の右半分がタオルなどを売るショップになっている。しかも「今日は親方がいないので、床屋はできません」と追い返されてしまった。
別の日に出直すと、店はすっかり解体され、地面には店舗の残骸が散らばっている。更地になった敷地の奥に三角形に土地が区切られ、大きな看板が立っている。新しい商業ビルの広告である。しかし何度看板を見直しても、地図が描かれておらず、そのビルがどこにあるのか、はたして床屋がそのビルにあるのかさえ分からない。これからぼくはどこで頭をカットすればよいのかと途方に暮れる。
2021年09月04日
9月4日の夢(お姉さんの缶詰)
妻が「お姉さんの缶詰」を20個注文した。玄関にそれを配達しに来た中年の男は「こんなもの役に立たないよ」と言うが、家の奥にいる妻は自信満々だ。ぼくが持ってみると、缶詰はずっしりと重い。
2021年09月03日
9月3日の夢(虎に襲われる)
氷河の流れ下る斜面を上空から俯瞰している。「こうした氷河には鰐が棲んでいて、空腹時には人を襲う」というナレーションが聞こえる。ちょうど氷河の上方から一匹の鰐が降りてきて、人々が下方へ逃げ惑う様子が見える。
いつのまにか鰐は一匹の虎に変わっていて、ぼくに向かって疾走してくる。小型で犬のように見えるが、それは虎である。ぼくは小屋の引き戸を閉めて、屋内に逃れようとする。間一髪ぼくは虎の鼻先で戸を閉めるが、戸の右下には四角い猫の通り道用の穴があいていて、そこから難なく虎は内部に入ってくる。絶体絶命と思ったところで、目が覚める。
2021年08月31日
8月31日の夢(110番)
家の庭に粗暴な中年男が侵入してきて、ぼくに「五万円を借りろ」と強要する。家には現実のぼくの家族とは関係ない見知らぬ家族たちがいるが、男を見てもみんなのんびりしている。ぼく一人だけが激怒して、携帯で110番する。しかし受話口から聞こえてくるのは、見知らぬ女性たちが座談会をしている音声だ。番号を間違えたと思い、もう一度110番を慎重に押すと、今度は警察につながった。だが既に男は立ち去っており、家族たちはあいかわらずのんびりしている。ぼくだけが激高して「110番してるんだけど、どうする?」「また男が帰ってくるんじゃないの?」と叫ぶが、誰も相手にしてくれない。
2021年08月27日
8月27日の夢(イベントの後)
詩のイベントが終わり、会場を出たところの舗道に体育座りをしている。そこへ人気詩人のW氏がやってきて、立ち話になる。「Wさんはフィールドワークをして、それを言葉にしていくから一篇の詩を書き上げるまでに、すごく時間をかけるんですよね」と、ぼくは言う。そこへM氏も参加するが、少し話をしただけで、立ち去ってしまう。W氏もいったん駅に向かって歩き出すが、ぼくが後を追いかけたので、駅前でもう一度腰を下ろして談笑する。そこへカップルらしい男女の詩人たちがやってきたので、W氏は二人にぼくを引き合わせて立ち去ろうとする。だが二人はぼくの見ず知らずの詩人である。慌てて「この方達はどなたですか」と尋ねると、一人は平仮名のペンネームだということだが、ぼくの知らない名前である。しばらく彼らと座って話すが、いつのまにか彼らは道路わきの川の水面から突き出した二つの岩の上に移り、そこで談笑を始める。川は深くて流れも速く白波が立っている。道路から二人に声が届かないわけでもないが、わざわざ彼らの会話に参加する必要もないだろう。みんな立ち去ってしまった。寂しさを感じるが、そのまま立ち上がって駅に向かう。
会社のある原宿駅で電車を降りる。竹下口はイベントがあるようで混雑しているので、神宮口の改札に向かう。駅舎は木造で、さびれた改札口には制服を着た二人の初老の駅員が、切符に鋏を入れようと立っている。ぼくは定期券を持っているが、それは遠く青森県の駅を経由するもので、恐ろしく高額のものだ。ぼくはおそるおそる駅員に「この切符でいいのでしょうか」と定期券を差し出す。駅員は「ああ、これは……」と言って、ぼくを親切に路線図の下に案内する。「これは経由地の駅の名前が本当は間違っていて、直さねばあかんのですよ。そうすると、もっと安くなるはずなんですわ」と、ぼくに言う。
2021年08月22日
8月22日の夢(社長が追ってくる)
夜の会社で尿意が我慢できず、人がいないのを幸い、二階へ上がる階段でズボンを下げ、歩きながら放尿し始める。すると、一階で人の気配がし、階段を上がってくる様子だ。振り返ると社長である。慌てて途中でズボンを上げ、二階のオフィスに急いで入る。そこには何人かの男性社員がいた。社長も入ってきて、みんなで親し気に談笑する。社長は白っぽいスーツを着て、スリムな体型で三十代か四十代。かっこいい。なぜかぼくだけ蒲団に足を突っ込んで寝たままである。
そこを出て一階の廊下に降りる。ぼくのズボンは案の定、大きな染みができている。何人かの女性社員が残業しているのが見えたので、窓からボール紙を一枚彼女たちに手渡してから退社する。
2021年08月20日
8月19日の夢(複数のぼくと単数のぼく)
眠っていると妻が「○○起きて!」と呼ぶ。「でも今起きると、あなたは沢山のあなたとして起きるし、雨に濡れてしまうわ」と言う。ぼくの頭の中に畑に一列に並んで雨に濡れているスイカのような、たくさんのぼくの頭部のイメージが浮かぶ。「いやだ。ぼくはひとりで起きたい!」とぼくは叫ぶ。すると妻は「それではもっとひどい雨に打たれて、死んでしまうわよ」と言う。
2021年08月18日
8月18日の夢(金八先生)
自宅で出勤の準備をしながら、今日はH氏賞の打ち合わせの日だなと思う。だが電車に乗ってから、賞の規定などを書いた小冊子を家から持ってくるのを忘れたことに気づく。会社に着いてから探すが、会社はしばらく前に小さなオフィスに引っ越したばかりで、収納場所がなく、その小冊子の見本は捨てられたらしく、書類棚をすべて探しても見つからない。その入稿データはデザイナーのSくんのパソコンに保存されているのではないかと思いつくが、彼の姿も見当たらない。かわりに亡くなったはずのコピーライター、Aくんが席についているのを見かける。
考えてみると、スポンサーの会社の広報部との打ち合わせは何時にどこで行われるのかも分からない。広報部に電話をかけてみようかと思う。いや、そんな事前の打ち合わせなどこれまでやったことがなかった。ただ、当日選考会場に行けばすむことだったと思い出し、ちょっとほっとする。
気がゆるんで、教室(オフィスがいつのまにか学校の教室になっている)の入り口に寝転んでいると、がらっと扉を開けると、金八先生が満面の笑顔で廊下に立っている。そしてその顔のまま、ぼくの寝ている顔をまたいで、教室の中に入ってきた。
(註)これは夢です。現実のH氏賞は現在もH氏(平澤貞二郎氏)とご遺族の資金提供による基金を通じて運営されており、スポンサー企業はありません。
2021年08月10日
8月10日の夢(きしめんのようなコード)
会社で仕事をしている。ぼくの書いたコピーに対して、上司(なぜか有名詩人の方々)たちから沢山の直しが入り、作業がうまく進まない。席に戻ると、隣の女性社員が(Iさんの直しは進んだ?)と訊いてくるが「いや全然」と答える。それよりぼくはコピーに書き込んだ街並みの描写に会社の傍の街並みをそのまま使ったのがよくないような気がする。そのあたりの街並みはあまり美しいとはいえない、いかがわしいものだからだ。ぼくは窓から街並みをじっと見る。だが、ぼくが見る範囲では街並みはとてもきれいだ。風景がいかがわしく変化するのは、もっと何丁も先なのだった。これなら書き直すまでもないなと思う。別の男性の同僚が「そういえば〇〇さんのパソコンの出力が12年間も止まったままだったことがあったね」と言う。当の〇〇さんも「そうそう」と言うので、ぼくはそんなことがあったのかとびっくりする。そして自分のパソコンから出ているきしめんうどんのような白いコードをぶつりと指でちぎる。
2021年08月09日
8月9日の夢(戦場からの脱出)
仲間たちと戦場にいる。第二次世界大戦中のアメリカ兵のようなアーミー・スーツにヘルメット。敵の包囲から脱出するため、トンネルか洞窟のような場所に皆で行く。トンネルの両側にはたくさんの敵軍兵士がいる。ぼくらは彼らに紛れて入り口付近に腰を下ろす。仲間の女性兵士が敵に悟られるのではないかと心配するが、互いに敵兵士と何気ない会話を交わしてうまく切り抜ける。
脱出して列車に乗っている。列車は明石大橋の上を右手に向かって進行する。窓からは海面が大きく渦を巻いているのが見える。渦潮は映画のコマ落としのようにすごいスピードで回転している。
2021年08月08日
8月8日の夢(詩で未来を変える )
これからの人生を変えていくプログラムを提供してくれる場所に夫婦二人で行く。クリニックのようでもあり、占い所や祈祷場のようでもあるが、こぎれいな白を基調とした部屋で、奥には窓がある。いろいろなプログラムがあり、妻は「詩で未来を書き換える」プログラムに取り組んでいる。手前に透明ガラスの壁があり、そこにみみずの列のようにも見える詩が赤い字で横書きに書かれているのを、自分の思い通りに書き換えていくのだ。背後からそれをぼくが見ていると、妻が「あなたもやる?」と振り向いて尋ねてくる。「いや、ぼくはいいよ」と遠慮するが、妻は目に見えて爽快な気分になっていくようだ。
2021年07月31日
7月31日の夢(オカルト教団のパーティー)
オカルト教団のパーティーの取材に行く。コンクリート造りのちょっとした会議室のような場所。教室形式に椅子が並べられ、イベントが進行するのを少し外れた場所から見守る。当然昼食が出ると思っていたのに、午前中に会議だけで解散してしまった。慌てて外に出て、メンバーを追いかけようとするが、皆早々に道路の向こうに姿を消していく。
編集部に戻る。小荷物を発送しなくてはならない。ごてごてと紙を貼ってなんとか箱の形にできた。後はガムテープを貼り付けて、切手を貼るだけだ。それらを隣のビルの系列会社のオフィスに借りに行くが、中には誰もおらず、いつもの場所にそれらが見当たらない。しかたがないので編集部に戻る。
同僚たちがぼくの髪の毛の茶髪を指摘して笑う。「ああ、これか……」。ウールのセーターを切って、鬘のようにしてかぶっていたのだ。「教団のイベントに出るには、こういう茶髪にしなくてはいけないんだ。苦労して変装したんだよ」と、ぼくは皆に言う。
2021年07月30日
7月30日の夢(ジャングルジムから飛び降りる少年たち)
ジャングルジムに小学生低学年くらいの少年たち数百人が鈴なりになっている。彼らの足元には碁盤の目のようにも見える四角い箱が数百個置かれている。少年たちは一斉に地面に飛び降りる。ほぼ全員がそれぞれの箱に気を付けの姿勢をして着地するが、一人の少年だけが失敗して水平に寝そべってしまった。それを見ているぼくもこれから、ジャングルジムから飛び降りなくてはならないらしい。
2021年07月29日
7月29日の夢(黒いもの)
家のトイレに入る。小さな物置ほどの広さがある。だが、部屋中にさまざまな物がいっぱいに置かれて、とてもトイレとは思えない。中でもインパクトのあるのは一足の黒い長靴だ。それでも便器ににじり寄って、僅かな隙間に放尿すればいいなと、気を取り直す。
トイレを出て、「ここには黒いものがあるから安心だよね」と妻と語り合う。
2021年07月24日
7月24日の夢(夢を貰う)
ぼくと妻は広くて素敵だが、家具も何もない洋館の一室にいる。暮らし方を変えたいので、夢をくれる人から新しい夢をもらいたいと思う。部屋の左側には女優かタレントのような女性がいて、しきりに仕草でぼくらを誘う。けれど、ぼくと妻は彼女に背を向けて、部屋の右側に顔を向ける。そこには三人の男性がいて、見るたびに白い服を着ているようにも、茶色のスーツを着ているようにも見える。ぼくと妻は三人の夢を息を吸い込むようにして貰う。それはとても素晴らしい夢だった。
2021年07月21日
7月20日の夢(階段本棚)
会社二階の編集部の部屋で仕事をしていたが、定時になったので退社しようとする。だが今夜7時から社員旅行へ行くと急に言われ、帰れなくなってしまった。階段を降りて一階の営業部に行くと、同僚たちは旅行の準備に大わらわだ。上司のМ氏の前のテーブルに知らない男性が来客として座っている。彼はぼくを見るといかにも親しげに「これはお礼です」と言って、何冊もの分厚い本をくれる。見ると、表紙のあちこちが破れている。さらに千円札を一枚と小銭を何枚かぼくに渡す。「何のお金ですか」と尋ねると、「社員旅行に行ける籤に当たったので、これがあなたの分の旅費ですよ」と言う。ぼくは社員旅行など行きたくなくて、いつも断っているので「要りません」と言って、受け取りを拒む。しかし同僚たちは社員旅行に夢中で、ある女性社員は先輩に「私、お風呂は水着で入っていいですか」と尋ねたりしている。
バカバカしいので二階に戻ろうと階段を昇る。ところが二階にあともう少しという何段分かに本がぎっしり詰められていて、足をかけることができない。手でそれらの本をつかんで二階の床に放り投げるが、いくらやっても足をかけられるだけのスペースができず、ぼくは二階に戻ることができない。
2021年07月10日
7月10日の夢(ビーカー)
会社で忙しく仕事していて、尿意を覚える。トイレに行こうとすると、男性の同僚が大きめのビーカーをくれる。これに用を足せというわけだ。それをもって廊下に出るが、壁がガラス張りなので、すぐ目の前に昼食をとっている同僚の顔が見える。これではあんまりなので、階段を降りて一階のトイレに行くが、便器がない。手にしたビーカーにぼくは放尿するが、すぐにそれはいっぱいになり、溜まった尿を捨てて、さらに放尿するという行為を何度も繰り返す。二階で用を足したら大変なことになるところだったと、ほっと安心する。
建物から中庭に出て、汚れたビーカーの捨て場所を探す。ふと北西の方角を見る。そこはこの建物から鬼門になる方位で、以前は荒れ果てた草地だった。そこがきれいに整えられた庭園になっているので驚く。そうこうするうちにどやどやと同僚たちが建物から出てきた。庭で何かの犯罪行為があり、同僚たちはそれに対応しようとしているらしい。ぼくは右手にあるお堂のような建物の前の草むらに慌ててビーカーを投棄して、オフィスに戻る。
オフィスではあいかわらず沢山の社員たちが忙しそうに行き交っている。ぼくの隣席には新入社員だが、顔に小皺のある女性社員がいて、大きなビニール袋の中の少し汚れた灰色の碍子をこれから撮影するのだと言ってぼくに見せる。ぼくは碍子の良し悪しなど分からないものの、先輩ぶって「てっともいい碍子だね」と褒める。
2021年06月29日
6月29日の夢(宇宙戦艦)
映画の撮影に参加し、宇宙戦艦に乗船する。こち亀の両津勘吉にそっくりの髭男と共にぼくらは奮戦した。戦闘が終わると、髭男は敵の攻撃で片足を失い、白い包帯が痛々しい。ぼくも顔などに無数のかすり傷を負う。だが、無事にぼくらは基地に帰投し、髭男も負傷にめげず明るい笑顔である。
一日目の撮影が比較的早く終わったので、これならたいした残業にもならず、10時頃には妻のもとへ帰宅できそうだ。同僚たちに「お疲れ様」と挨拶していると、髪を金髪に染めた艦長が「明日最後の突撃に出る」と言う。話から彼が一人の女性乗組員と共に神風特攻をするつもりなのだと直感する。だがぼくは何も言わない。みんなは今日の撮影が好調だったことに高揚した気分で、艦長の気持ちなど知らぬげに「お疲れ」「お疲れ様」と声を掛け合うばかりだ。
2021年06月20日
6月20日の夢(退職の日)
今日は会社を退職する日だ。けれども特にセレモニーもなく、誰もぼくのことなど眼中にないようだ。各室を回り、たまたまいた同僚たちに「今日が最後の日なので」と挨拶して回る。
2021年06月18日
6月18日の夢(東京タワー)
仕事の息抜きをしようと、東京タワーの展望台に上がる。展望台はとても狭く、その中をさらに透明なガラス扉でいくつにも仕切ってある。どの仕切りの中も図書館のようなデスクと椅子が置いてあり、お母さんと子供たちが静かに読書をしている。ぼくは風景を見たいと、次々とドアを開け各部屋を歩き回るが、親子連れに阻まれて、窓に近づくことができない。
あきらめて展望室を出ようとする。出入口は人二人分の幅しかない。そこに和服姿のおばさん二人が立ちはだかり、草履の鼻緒を直そうとしている。ぼくはその背後に立ってじっと待っているが、一向に二人は立ち去ろうとしない。これから展望台に入ろうとする人たちも列を作って、忍耐強くおばさんたちの退出を待ち続けている。
2021年06月17日
6月17日の夢(自衛隊基地と恐竜の影)
ぼくの主宰していた詩の合評会が自宅で再開することになった。陽光の差し込む板間のダイニングルームが直接庭から上がれるようになっていて、次々とメンバーが訪れてくる。懐かしい顔もあれば、初めてなのに小生意気な者もいる。
自衛隊のゲートで、ゲートの内部に向かって座っている。ぼくの足だけが敷地の中に入っている。左手には詰め所があって、門衛の姿がある。基地の中はアフリカのサバンナのような、何もない自然が地平線まで広がっている。その地平線に丸いスポットのような光の当たった部分があり、そこにティラノサウルスのような恐竜の影がうごめいている。「いつかあの恐竜がやってくるのではないか」と、ぼくは門衛の自衛隊員に言う。
2021年06月12日
6月12日の夢(きれいな服を貰う)
公園で座っていると、若い男女のカップルがやってきて、すぐ傍らで歌い始めた。男性が高音部、女性が低音部を歌うので、とてもハーモニーが美しい。女性が姿を消し、ぼくは男性とひとしきり楽しく会話する。別れ際に男性はぼくに何着もの美しい服をくれる。中でも素晴らしいと思うのは、紫色のコートである。
2021年06月07日
6月7日の夢(「ん」で終わる詩)
電車に乗っていると、各行末が「ん」で終わる詩を書くように言われる。承知をして「んという行末はイエスでもありノーでもあるということを表すんですよね」と付け加える。そのとたん周りの雰囲気が変わった。何かまずいことを言ったらしい。人ごみをかき分けるようにして現れた詩壇の大御所が、にこりともしないで「ん」の持つ意味について講釈を垂れだした。ぼくはうんざりして「それはちゃんと分かっていますよ……」と言うが、相手はぼくへの侮蔑をあらわにさらに言いつのってくる。
2021年06月04日
6月4日の夢(絡まりあうコード)
職場にいると仙台に行っている同僚から電話が入った。「鉄道模型作りのアーティスト〇〇さんと一色さんの詩とのコラボイベントで、鉄道模型が40セット売れましたよ」。ぼくのイベントでこんな成果が出るのは久しぶりだ。ぼくは「〇〇さんによくお礼を言ってくださいね」と言って、電話を切る。〇〇さんとは全く面識がないのだけれど。
ふと見ると、隣のデスクとの間に大きな黒い塊のようなものがある。よく見ると、電話線などのコードが沢山絡み合って球状になっているのだ。ぼくが使っていたイアホンも巻き込まれており、懸命に絡まりを解こうとするのだが無理なようだ。おまけによく似たイアホンがいくつも絡まっていて、どれが自分のだか分からない。同僚に「昔のイアホンはみんな形が違っていたけれど、今はみんなそっくりで分からないなあ」と言い訳をする。ところでぼくの電話機につながっているはずのコードがその中に一本もないのはどういう訳だろう?
2021年06月01日
6月1日の夢(電車の中で)
上京して駅で中央線の電車を待っていると、先輩詩人のS氏がやってきて同じように電車を待ち始めた。二人ともうつらうつらとして夢を見ている。一人の中年サラリーマンについての夢だ。
電車が到着し、二人はラッシュアワーの群衆に巻き込まれ、もみくちゃにされながら車内に押し込まれる。しかし幸いにして、すぐ近くにS氏がいる。ぼくは「先ほど見た夢の中のサラリーマンはすごかったですね」とS氏に話しかける。S氏はしばらく黙っていたが、「うん、すごかった」とぽつりと言う。二人とも同じ夢を見ていたのだ。
しばらくして電車は空き、ぼくらはゆったりとベンチ式のシートに座る。S氏は突然「ところで君に貰った二冊の詩集はずっと持っていた方がいい?」と尋ねる。ぼくは当惑して「ええ、そりゃあ持っていてほしいですよ」と答える。だがS氏がずっと沈黙しているので、「無理だったら捨ててくれてもいいですけどね」と寂しく答える。
2021年05月30日
5月30日の夢(髪が火に包まれる)
自宅のそばの店舗に妻と二人で買い物に行く。店舗は暗い土間でがらんとして何もないが、右側に老人、左側にその妻が立っている。ぼくは入り口で老人の後ろに立っているが、妻は中に入って老婦人とにこやかに世間話に興ずる。話が長くなりそうなので、ぼくだけ先に家に帰り、入り口にある樹木にかけられた物干しに洗濯物を干すことにする。すると近所の若い男性が来て、ぼくに話しかける。
妻も戻ってきて、ぼくと妻は男性の運転する軽トラに乗って、田舎道を走る。途中でカーブを曲がり切れず、軽トラは道路わきの原野に突っ込んでしまう。路面との段差がそんなにないので、そのまま道路に戻れるかと思ったが、男性は車を止め、ぼくらに降りて手伝うように言う。
近くの家に上げてもらい、ぼくと妻はそこにあるエンジンを始動する機械を、交代で足で踏み込むよう男性に命じられる。男性は軽トラでアクセルをその間踏み込むという。ぼくが最初足でペダルを何度も踏む。だがエンジンはかからず、かわりに花束のようなハトロン紙でくるまれた妻の体が炎に包まれ、とりわけ髪の周りが「燃える花」のように燃え上がる。ぼくは驚いて火を消そうとするが、妻はにこにこしたまま「大丈夫、大丈夫」と言う。ぼくは洗面器に汲んできた水をうつぶせにした妻の頭に勢いよく掛ける。火は完全に消えたが、妻は「あなたはいつも大げさなんだから」と笑う。
5月28日の夢(ダンボール)
会社でポスターを発送するためのダンボールがないか、と同僚に言われ、階段を上って探しにいく。なぜか同僚たちはぼくの後ろ姿に「大丈夫か」と口々に声をかけるが、「大丈夫」と振り切って、大階段を上っていく。階段の踊り場に二つのデスクが左右に並んで置かれ、どちらにも外国人が座っていて、ぼくに「誰だ? 何の用か?」と問いかける。ぼくは恐れることなく、「ぼくは階下の会社の社員で、ポスターを発送するための大きなダンボールを探しているんだ」と答える。
2021年05月23日
5月23日の夢(オリンピック事務局)
オリンピックの事務局に勤めている。しかし上司からは全く指示がないので、自分で勝手に適当な書類をでっちあげる。最初に原稿用紙に手書きで書く。それからノートに書き写すが、二ページ目をめくると既に他のことが書かれている、使い古しのノートだったので、パソコンで仕上げる。しかし、上司からはあいかわらず何の指示もない。
ようやく「どこそこにあるスイッチを、なんとかに切り替えろ」という指示が来たので、勇んでそのスイッチを探すが、そんなものはどこにも見当たらない。
2021年05月22日
5月22日の夢(足に湧いたゴキブリ)
戦争中から戦後を舞台にしたミュージカル映画に出演している。CGのアニメと実写が自在に入れ替わる。ぼくはその映画の中で汚い床の上を歩く。足に違和感を覚えて見下ろすと、自分の足のアキレス腱のあたりがぱっくり避けて、中にゴキブリなどの虫がたくさん湧いている。
2021年05月21日
5月21日の夢(詩を売りに行く)
地方の小都市の駅ビルの通路へ、妻と二人で詩を売りに行った。新発売の幟をかつぎ、通行客に詩を買ってもらうのだ。
うまくいったので、今日も同じ駅に詩を売りに行く。しかし道を間違えて駅ビルの外に出てしまった。目の前にコンクリートで何層にも固めた高い崖があり、ここをよじ登らなければ駅ビルに戻れない。
今回は詩人のH氏も同行して詩を売りに来ている。彼が詩を道行く人に売るのは初めてなので、ぼくと妻がいろいろと指導する。しかし彼は自分の商品である詩を、下を向いて真剣な顔で調べていて、ぼくが何を言ってもなかなか返事をしない。彼の詩は白くて固い大きな玉葱のようだ。ぼくが妻に「Hさんはね、詩のほかにマンドリンもお得意なんだよ」と声をかけると、H氏はようやく顔を上げて「ええ、まあ」と答える。
2021年05月20日
5月20日の夢(退職準備)
会社をそろそろ退職する時期になり、デスクの周りの整理をする。通路をはさんで二つあるデスク、そのどちらの上も引き出しの中も、足元も、棚も書類であふれんばかりだ。しかし肝心の最後の仕事の原稿が見つからない。仕事中にこっそりまとめていた最後の詩集二冊の原稿も見当たらない。隣の席の上司がぼくに「どうしたのか」と問いかけてきたので、正直に事情を打ち明ける。考えてみると、詩集のテキストデータはパソコンに記憶させてあるのだから問題ないはずと思い直し、ほっとする。
2021年05月19日
5月19日の夢(鍾乳洞トイレ)
子供時代を過ごした名古屋の生家がぼくの勤める会社のオフィスになっている。編集室は畳敷きの居間だ。騒然とした中に新入社員の女性たちが今日から出社してきた。以前に他社で編集長をしていたといい、その時代からの部下も一緒だ。いかにもできる女という感じである。二人はとても忙しそうだが、ぼくは暇なので会社を出て、裏手にある都電にどこへ行くあてもなく乗り込む。銀座が終点のはずだが、窓から見える景色はいつまでも下町のままだ。街並みの上に東京タワーが見えてきたところで電車を降り、対向の電車に乗り込んで会社に戻る。
編集室と廊下をはさんだ壁に二つのドアがある。トイレのドアだ。右のドアを開けると内側にさらにカーテンが降りている。それをめくると、中に男性が入っているのが目に入る。慌ててドアを閉め、今度は左のドアを開ける。その中は巨大な鍾乳洞のようなトイレで、右下にさっきのトイレで屈んでいた男性の姿も見下ろせる。二つのトイレは中でつながっていたのだ。
夕方になり、お腹が減ったので、何か食べ物を買おうと外に出る。ビルの前に食べ物を売る屋台が並んでいて、コックの衣装を着た50代くらいの男性が店番をしている。右隣の屋台のおやじに彼は「こんな人通りのない状態で売れるかなあ」と話しかけている。ぼくはそのすきに、以前にその屋台で買ったエビフライの皿をこっそり店先に置いて立ち去る。
2021年05月13日
5月13日の夢(CDショップ)
妻と縁側にいると、近所の主婦が庭からやってきて、甲高い声で近所話をする。「このあたりはみんなが協同組合を作って牛乳などを生産しているのよ」。ぼくらの家にある牛乳パックを見て、「ああ、これは詩人のKさんたちの組合が作っているものよ」。
原宿の裏通りにある会社に出勤する。近くにいいCDショップが出来て、行ったことがあったなと思い出す。昼休みにまたそこへ行こうと二階から階段を降りていくと、踊り場のようなところに中二階があり、ソファーで三人ほどの男女の社員が噂話をしている。「今度できたCDショップは当局の監視を受けていて、そこに行くとすぐしょっ引かれるみたいよ」という声が聞こえる。ぼくは「ふうん」と思うが、とにかくそこへ行くつめに外へ出る。原宿の街は左・真ん中・右の3ブロックに分かれているが、さてそのどのブロックにあったのか。さっぱり記憶が抜けている。真ん中のブロックにCDショップがあったので、とりあえず入ってみるが、どうやら問題のショップとは違うようだ。全体に赤と黒で色彩が統一されていて、ゴージャスな雰囲気だ。壁際にMacの機器なども並んでいる。しかしポップスのCDはないのだろうか。奥へ回り込むと、二階に通じる階段がある。ここを登ると、ぼくの欲しいCDが並んでいるのではないかと、期待がふくらむ。
2021年05月12日
5月12日の夢(Mくんからの電話)
川縁の道路を上流に向かって歩く。上流には米軍基地があるはず。対岸の低空に米軍のヘリコプターがホバーリングしている。しかし、見たこともない新鋭機だ。これは映画の一シーンで、CGで合成されたものではないか。引き返して会社に戻る途中、スマホに着信がある。30年以上前、会社で同僚だったMくんからだ。「懐かしいね」と会話するが、途中からMくんは「うん、うん」と気のない返事しかしなくなる。どうやら今の職場から電話しているため、遠慮しているのだろう。「Mくんはまだ60歳前だよね」と言うと、「そうだ」と言う。電話をしているうちに、ぼくの会社に着いた。会社の玄関は川が氾濫したのか。踝のあたりまで冠水している。意外に水圧が高く、体がもっていかれそうになる。
2021年05月08日
5月8日の夢(劇場で祈る)
自宅のはずなのだが、大広間いっぱいに劇場のような座席があり、ほぼ満席の状態だ。どの椅子にも白いシャツを着た男性が身じろぎもせず、前を向いて座っている。正面には大きな祭壇か仏壇のようなものがあり、それに向かってぼくの妻が立ち、瞑目合掌している。ぼくも前方に進み、妻の前の椅子に座ろうかどうしようか一瞬ためらうが、すぐに彼女の左側に立ち、同じように瞑目合掌を始める。
2021年05月06日
5月6日の夢(オフィスの掃除)
招かれて現代詩のイベントに参加する。人気詩人たち(現実には知らない顔ばかり)と共に大きな会場の席について、開会を待っている。
まだ時間があるので、会社にいったん戻る。ビルのワンフロアに広大なオフィスがあり、縦に何列もデスクが並んでいる。ぼくの席は窓に近い奥の方だ。ぼくのデスクの周囲にはたくさんのゴミが落ちている。手近にあった小型の塵取りと箒で掃除するが、すぐゴミでいっぱいになってしまう。大きな塵取りを取りに行き、戻る途中、オフィスの通路が左に直角に曲がっているところがある。そこに課長だか部長だかの上司のデスクがあり、ぼくは通路からはみ出し窓を乗り越えるようにして、その前を通り抜ける。女子社員がビットコインの話をしているのを聞いて、上司の男が「ビットコインって聞いたことがあるなあ」と間抜けな大声を出す。女子社員は「いまどきビットコインを聞いたことのない人ってないですよ」と笑い声をあげる。
2021年05月04日
5月4日の夢(ターミナル)
今日は神戸で二件の取材がある。しかし一件目は多分キャンセルになるだろうから、最初から予定に入れない。
問題は午後二時からの二件目の取材だ。ここは大阪か京都のターミナル駅らしい。乗り換えなくてはいけないが、勝手が分からず迷路のような連絡通路をうろうろする。群衆の中から一人の刑事らしい男が現れ、ぼくを捕えようとする。なんとか逃亡できたが、理由も分からないまま、ぼくは追われる身になってしまう。
駅の出口からいったん外に出て、芝生の上で睡眠をとる。目を覚まして尿意を覚えてきょろきょろする。幸い、近くに石碑のようなものがあり、その裏に身を隠して用を足そうと思う。だが実際に裏に回ってみると、障害物があり、無理だと分かる。そういえばリュックを芝生の上に置いてきてしまった。慌てて戻るが、前方からきたガードマンらしき男がリュックを遺失物として持っていこうとしている。急いで駆け寄り、それは自分のものだと訴える。意外にもあっさりと男はリュックを返してくれた。
再び駅の構内に戻り、群衆と共に神戸線への連絡通路を左に回ろうとする。その瞬間、前方からまたあの刑事が現れた。万事休す。
2021年04月26日
4月26日の夢(長期休暇明け)
会社で仕事をしている。デスクの上は書類や資料が山積みだ。原稿を書こうとして、その山を分けて二百字詰めの原稿用紙を探す。いや、原稿用紙に書いていた時代ははるか昔のことだった。今はパソコンで書くのだ。しかし、ぼくのパソコンはどこにあり、どうやって使うものだったか。あまりに長い間、会社を休んでいたので、みんな忘れてしまった。こんなに休んでしまったことを、同僚たちに謝りに行こうと思う。
2021年04月25日
4月25日の夢(ゴミだらけの街)
飛行機でモスクワに向かっている。着いたらロシアのある詩人について講演しなくてはいけないのだが、何も予習をしていない。飛行機の中でたまたま手に取った分厚い本を開けると、ちょうどその詩人についての記述があった。
(ここから別の夢)地方都市に取材に来ている。町中がゴミにあふれており、路地から飛び出してきた車の内部はゴミでいっぱいだ。ぼくは案内の男性に「すごいね、あれ」と、指をさす。男性はそれには応えず、ぼくを狭い路地に案内する。体を斜めにしないと入れないほどの路地の左側に、建物の玄関があるので、引き戸を細く開けて中を覗き込む。中は路地とは対照的に驚くほど広く、きれいな事務所になっている。そこで沢山の社員たちが朝礼をしている。とても伝統のある老舗の会社らしいが、若手の社員たちが元気いっぱい社訓の朗誦などをしている。玄関にはこの会社のシンボルらしい二つの置物が並んでいる。左は蛇で右は牛に見える。しかし抽象的なオブジェだ。「ここがこの町で一番歴史のあるお店なんですね」と案内の男性に話しかけながら、明るい表通りに出る。
2021年04月23日
4月23日の夢(洞窟の受賞式)
某新人賞の受賞式に出席する。以前はホテルの宴会場で行われていたが、最近は川が地中から流れ出す出口にある、天然の岩の洞窟が会場だという。洞窟の中には少ない人数がぱらぱらと着席しており、皆老人ばかりだ。洞窟の出口には広々とした川遊びのできる風景が広がっており、沢山の親子連れが遊んでいるのが見える。ぼくはしばらく会場内の席に座っていたが、退屈なスピーチが続いているので、洞窟奥の控室に引っ込む。ふと会場で司会者からぼくの名前を呼ばれた気がして、戻ると、何事もなく退屈なスピーチが続いており、空耳だったようだ。今回受賞した詩はぼくには少しも面白くないし、話すことも考えてこなかった。別にスピーチに指名されなくてもいいやと思う。
2021年04月17日
4月17日の夢(小さな町の下宿屋で)
ぼくは小さな町で妻と二人幸せな生活を送っている。日の当たるガラス戸の前の畳に小さなちゃぶ台を置き、そこで身を寄せ合ってご飯を食べるような暮らしだ。
そこは下宿屋で、朝の玄関は出かける女子学生たちで混みあっている。彼女たちの一人はバンドをやっているらしく、小さなアンプのようなものを抱えている。先に出て行った女子学生の一人が「ねえ。玄関の窓に変な顔が見えるでしょ?」と言うので、玄関にいたぼくたちは一斉に戸口の窓を見上げる。するとそこから、西洋漫画の主人公のような顔が中を覗き込んでいたので、みんなぎょっとする。だがよく見ると、それは隣にできた電器屋か何かの看板に描かれたキャラクターだった。
そんな賑やかな学生たちが出て行った後、奥の居間で新聞を読む眼鏡をかけた中年の大家の男と、ぼくだけが下宿屋に取り残される。
夕方、帰宅しようとちんちん電車に乗る。発車待ちの車内にぽつぽつと乗ってくる町の人たちは全員が顔なじみで、ぼくと会釈して挨拶をかわす。中には中年男性の外国人もいる。オレンジ色のパイのようなものを幾つも盛った大きな銀のお盆を持った女子学生の一人がぼくの横に腰かけた。そのはずみに、パイがぼくの足に触れそうになる。どこからか猫の鳴き声が聞こえる。見ると、子猫が乗り込んできて、ミルクを催促している。猫のくせにグレーのパンツをはいている。しかし、みんなお菓子は持っていてもミルクは持っていないので、子猫はお腹を空かしたままだ。
2021年04月14日
4月14日の夢(教室)
教室で皆と講習を受けている。全員がぼくを含め、何らかの精神障害を持つ人々らしい。机と椅子が縦に何列も並べられ、教卓には編集者のTさんが座って話をしている。
講義の途中、ぼくはデスクの上の黄色い袋を開けて、ガサガサ言わせる。そんな音を立ててはいけないと自分でも思うのだが、なかなかやめられない。おまけにそれを床に落としてしまい、慌てて拾う。そうこうするうちに伝染したように、ガサゴソさせる音が教室中に広がっていく。後ろの壁際にある荷物置きのための机の上で、ガサゴソさせる音が中でも一番うるさい。ついにTさんも講義を中止してしまう。
結局休憩になり、ぼくはデスクにあった小さな急須と、お猪口のような湯呑でお茶を飲み始める。とてもおいしい。そのお茶を一番前の列の人から、列ごとに後ろの人へ順繰りに送ることになる。ぼくのデスクの上には小さな急須と湯呑がたくさん散らかっているので、教室の前の方にある流し台でそれを洗おうと思って持っていく。だが、流し台にある真っ黒な蛇口は、流し台の横幅いっぱいもある巨大で複雑な機械だ。ぼくは戸惑い、皆に「この機械、どうやって水を出すの?」と尋ねる。
2021年04月12日
4月12日の夢(退職の日)
会社で仕事をしている。夕方までに銀座のY社に行き、取材の打ち合わせをしなくてはいけない。何もかもいつも通りの日常だが、今日はぼくの退職する日である。明日から会社に出なくてもよいというのがうそのようだ。これからY社に退職の挨拶をした後、家に仕事を一つ持ち帰って、zoomで打ち合わせをすると同僚たちに言おうか。しかし、そんなことなど何もないかのように、職場の様子は全く普段と変わりなく続いている。
2021年04月07日
2021年03月30日
3月30日の夢(展覧会)
今日は自分が出品している二つの展覧会の最終日だ。昼間に会社の仕事を抜け出して一つ目の展覧会に行き、さらに夕方二つ目の方に行く。会場の中で入り口を振り返ると詩人のA氏が現れ、さらにその後から同じく詩人のI氏が入ってきた。ぼくは二人には気づかなかったふりをして、どんどん会場の中を進む。A氏がI氏に「やあIさん、お久しぶり」と挨拶する声が背後に聞こえる。どうせI氏と挨拶しなくてはいけないだろうから、「今日は最終日だからIさんがきっといらっしゃると思いましたよ」と言おうと思う。「ぼくはもう一つの座談会にも昼間行ってきましたよ」とも。そうするとI氏が「仕事を休んでも大丈夫だったんですか」と言うだろうから、「いいんですよ。そのかわり、ぼくはみんなが休んでいるときにも仕事をしているんですから」と答えようと思う。
3月29日の夢(映画スタッフ)
市街地の一角に広い草原がある。そこは映画の撮影用につくられた野外スタジオである。敷地外の風景が見えないよう、市街との境目には巨大な壁がつくられていて、そこには岩山の絵が描いてある。敷地の反対側には別のなだらかな岩山のセットがあり、その岩山の天辺近くに小さな窓が開いていて、そこからカメラの眼が覗いている。
岩山の壁の前には小屋のように見える建物が設けられ、そこが撮影所の事務所になっている。今日もその事務所にスタッフとして詰めていると、夫婦ものらしい男女二人の歌手がやってきた。今日はこの二人のためのプロモーション・ビデオの撮影らしい。ぼくは二人を事務所の奥の楽屋に案内する。
それから外の草原で撮影が始まった。ぼくはいったん外に出て撮影に立ち会うが、すぐ楽屋に引きこもる。夕方になって様子を見に外に出ると、草原に立つ木の梢に撮影効果用のガスがかかっているので、まだ撮影中なのだなと思う。ちょうど撮影クルーが戻ってきた。スタッフの中に少し高齢の男性がいて、「おまえがこの映画を製作しているなんて思うな!」と監督から厳しい罵声を浴びせられている。ぼく自身も高齢者なので、同じように思われているのかもしれない。
楽屋に入るとクルーのメンバーは楽屋のドアをぴしゃりと閉じて、会議に入ってしまう。あとにはぼくや先ほどの男性、下働きの女性など数人が残される。ぼくらはそっとドアに近づき、中の会話に聞き耳を立てる。やがて会議が終わったようなので、ぼくらはなにげない顔でそそくさとドアの前を離れる。
2021年03月16日
3月16日の夢(パリ移住と福岡出張)
夫婦でパリに移住することになった。詩人のМ氏、A氏とSさんもそれぞれパリに移住するという。ぼくは彼らの荷物を運ぶ仕事をすることになり、М氏に見積もり状を出す。見積状には上に大きな文字、下に小さな文字で数字が書いてある。М氏が「この小さな文字のは何?」と言うので、「それは小さな荷物の分です」と答えると、М氏はうなずく。
会社で福岡へ土日に出張することになる。家で妻に「土曜の取材が終わったら一度帰宅して、日曜に出直すから」と言う。
出社してみると新人男性社員三人と中堅女性社員一人が同行することになる。若手の新人教育にもなるからだ。新幹線に乗ってから気づくと、若手社員たちがスーツ姿なのに、自分はパンツとよれよれのシャツ一枚しか身に着けていない。ラフなスタイルをしているだけと見えないこともないので、そのまま出発するが、車内で開かれたクライアントとの打ち合わせでは、みんなの後ろの席に遠慮して座る。クライアントが現地の店に電話しているのを聞くと、まだ全く取材の許可もとっていないことなしい。これではちゃんとした取材ができるかどうか分からない。それを幸い、ぼくはほかの社員たちを現地に残し、彼らに新人教育として明日の取材も任すことにし、自分はさっさと妻の待つ自宅に戻ると女性社員に告げる。
2021年03月09日
3月9日の夢(国立競技場で社員集会)
会社から全社員集会を行うから出席するよう指示が出た。全社員が集まるので、会場は国立競技場だ。トラックを取り巻いて、二重の円を描いて観客席が作られており、ぼくはその外側の円の二階席に座る。まだ観客席はがらがらで、空席が多い。集会の目的は最近、会社に反旗をふりかざす社員たちがいるので、彼らの動きに釘を刺そうというものだ。ぼくは会社に対して反抗的な社員の一人なので、集会が始まったらヤジってやろうと身構えている。
いったん席を外してから戻ると、会場はほぼ満席状態。席がないのに、ぼくの座っているベンチの外側に腰を下ろす社員までいるので、にらんでやるとすぐ立ち去った。演壇では白髪の外国人女性がスピーチしている。会社の重役陣の一人らしい。彼女は「反会社運動はAとTの陰謀である」と主張する。ぼくは「そうだったのか!」と驚き、熱心に彼女の演説に耳を傾ける。
2021年03月05日
3月4日の夢(お祈りをするカメラ)
ぼくと妻とは一台ずつのお祈りするカメラを持っている。家の中の一番いい場所でカメラを構えると、一番いい未来がぼくらのものになる。そしてその場所はカメラ自身が教えてくれる。今朝も二人でカメラを構えたのは、部屋の中の全く同じ場所でだった。
2021年03月03日
3月1日の夢(傘がない)
会社の営業部長М氏から頼まれて、某社の普段は担当しない石油関係の部署に営業に行く。相手のオフィスの前の路上に立ち、長い間待っているとようやく担当者が帰ってきた。ぼくは急いで彼に近寄り、「いい加減に情報教えてくださいよー」と泣きつく。彼はそのまま社内に入ってしまったが、代わりに真面目そうな別の担当者が出てきて、「バレル」などの専門用語を使って詳しく教えてくれた。必死で書類の裏にメモをするが、担当外のことなのでやはりよく分からないものの、どうやら一億円ぐらいの大きな取引であるらしい。まずは良かったと安堵して、雨の中を帰ろうとするが、三つ並んでいる傘立てのどれにもぼくの傘がない。どうやら盗られたらしい。
2021年02月28日
2月28日の夢(オフィス・リニューアル)
義弟にある役を依頼し、バスで前橋に送り込む。向こうに赤城山が見える。義弟がうまく任務を果たして帰ってきてくれたので、感謝して、ぼくはバスで会社に戻る。
会社はまたリニューアル中だが、社屋はごみごみして経年劣化が激しい。制作中の販促物の原稿を見直したいと、ぼくは二階のオフィスから三階のデザイン部に階段を上がり、デザイナーのSくんを訪ねる。途中、コの字型の廊下を通る。誰かの声が「改装中で、今度はお客様に待っていただく部屋もできるんだ」と自慢そうに聞こえる。Sくんがすぐ原稿を入れた袋を渡してくれたので、それを持って再びコの字型の廊下に出る。既に待機用の和室ができていて、そこには若い母親と子供が立ち話をしているのが見える。廊下も江戸城の大奥の廊下のように立派になっているが、全体に時代がかって古びた感じだ。Sくんから貰った袋は薄茶色で、ぱんぱんに膨らんでいる。
2021年02月26日
2月26日の夢(エキストラ)
SF映画にエキストラとして出演する依頼があり、集合場所の新宿にバスで向かう。新宿で乗り込んだ撮影隊のバスは車内がそのまま撮影場所になっており、座席の取り払われた中に乗客役のエキストラが大勢立っていて、バスが揺れる度右左にみんなの体も傾く。
エキストラであっても即興でセリフを言わなくてはならない。カメラの前にぼくと知らない女性が立ち、まず女性がひとこと言う。ぼくはUFO研究家役でセリフを言うという話だったが、何の設定もなしにいきなりカメラが回り出したので、ちょっと戸惑う。だが、久留米であったエピソードを交え、少し長めのセリフをよどみなくアドリブで喋ることができた。けれど、良いとも悪いとも言われることなく、スタッフからお礼としてA4判の封筒を渡されただけだ。セリフが少し長過ぎたので、カットされてしまうだろうか。封筒はなぜか三重になっていて、その中にギャラも入っているのだろうと思うが、確かめる間もなくバスを下ろされてしまう。ひょっとしたら午後の撮影でもぼくを使ってくれるかもしれないと期待していたのに、少しがっかりだ。
2021年02月21日
2月21日の夢(列車の中の家)
ぼくの家は列車の車両の中にある。ぼくは掃除機で列車の床のゴミを吸い取ろうとしているが、すぐにゴミが詰まってしまう。「朝早くからやってるのに!」とぼくは怒って掃除機を放り出す。それを妻とその母が困った様子で見ている。
ホームへ降りて、別の車両に移る。その車両の椅子には詩人のN氏が一人だけ座っており、座席の足元にはゴミのように資料が押し込まれている。ぼくが「それが必要だ」と言うと、N氏は黙って立ち去る。
さらに別の車両に移る。それは新幹線のような大型の車両だ。床には一面にほこりや枯れ葉が溜まっており、ぼくはそれを大型掃除機で吸い取ろうとするが、やはり詰まってしまうので、ぼくはまた掃除機を放り出す。
それなら箒と塵取りの方が役立ちそうだと思い、それを持って線路に降りる。線路は堆い土盛りの上を走っている。盛り土に母親と子供が座っており、その前にはゴミの山と塵取りが置かれている。子供はぼくの持っている塵取りを指さし、「あっ、7番目の塵取りだ! これで終わり!」と叫ぶ。ぼくは「いや、これは列車の中の塵取りだから違うよ」と言い、塵取りを持って引き返す。
引き返したところはNHKホールのロビー。NHKホールはホールをはさんで大きなロビーと小さなロビーがあり、ぼくの出発したのは大きなロビーなのに、間違えて小さなロビーに戻ってきてしまった。そこでは詩人のN氏(先ほどのN氏とは別人)が携帯で電話をしている。真ん中に開演中のホールがあるので、向こう側のロビーには渡れない。外に出ると川が流れている。ぼくはその浅い川床に棒で夢日記を書くが、流れる水に文字はすぐ消されてしまいそうだ。
2021年02月18日
身辺整理
会社で仕事をしている。一段落したので不要なものを整理する。古い資料やカタログ、貰った雑誌や書籍、古いお菓子、いつ貰ったのかわからないイワシ数匹など、とんでもないものを含め、見つかったゴミをまとめて何度も外のゴミ置き場に捨てに行く。ふと壁の鏡を見て、驚愕する。髪が逆立ち、ベルトが頭に蛇のように巻き付いている。こんなひどい様子なのに、会社の誰も注意してくれなかったのだ。
席に戻ると、ぼくの机に別の椅子を出して、知らない男が座っているが、ぼくの顔を見てすぐどいてくれる。だが、もう一度ゴミを捨てに行って戻ると、今度はぼくの椅子に座っている。今度もすぐどいてくれるが、ぼくはちょっとムッとする。
席に落ち着いてから考える。Y社から二つ商品マニュアルの制作を依頼されていたはずだが、ずっと放置したままだ。間に合うのかどうかとても不安だ。
外に出て、タクシーに乗る。タクシーカードを出そうとするが、財布に入っていた沢山のカードをかき回すが、そのカードだけがどうしても見つからない。
2021年02月17日
2月17日の夢(不審な電話)
会社で仕事をしている。それは以前に勤めていたSクリエイティブであるが、フロアは「く」の字型をして広大で、社員数も遥かに多い。たくさんの電話がかかってきて、社員たちが活発に応答しているが、ぼくは一心不乱に仕事をしていて、電話に出ないでいる。だが、たまたま一本の電話を取ろうと受話器を手にする。「もしもし」と聞こえてきたのは、男の濁った声だ。「Iさんはいる?」と男は言う。Iはこの会社にはいない。S社が四つの会社に分社化したとき、別の会社に移ったからだ。「ここにはいません」と答えると、男は「変だな。その会社はIとMしかいない会社のはずだが」と言う。どうやら酔っ払いか異常者らしいので、機嫌を損ねないよう、慎重に受け答える。「IはSプランニングという会社におりますので、ここにはいません」。すると相手はいきなり「あんた、占いは要らないか?」と言う。「私には占い師の友人がおりますので、結構です」と答えると、「それは男か女か?」と言うので、「男も女もおりますので、要りません」と改めて断る。そうしたやりとりを社員たちがくすくす笑っているのが分かる。上の階から降りてきたデザイン部の社員が、ぼくに校正を渡そうとさっきから背後に立っている。それを前の席にいた社員が「電話中だから後にしなさい」という意味の動作をして追い払う。当のI氏や詩人のO氏も連れ立って現れるが、ぼくは二人を無視して話し続ける。ようやく相手は「そういえば俺は溝の草取りをしなくてはいけなかったんだ」と言い出し、ぼくはほっとして「そうですか。では長時間どうも有り難うございました」と受話器を置く。
やっと席を立って厨房に行くと、昨日までなかった分別ゴミの置き場ができている。これは便利になったと思い、ぼくは手にしたゴミをそこに捨てる。
2021年02月13日
2月13日の夢(町内会)
町内会の寄り合いに招集された。学校の運動場のような、地面がむきだしのだだっぴろい場所の真ん中に、バックネットのような柵がまっすぐ続いていて、右と左に空間を区切っている。ぼくは最初、前からの習慣通り柵の左側に行こうとするが、ほかの人たちが皆右側に行くので、それに従う。
着いたところは木造の狭くて暗い小屋の中、左側に女性たち、右側に男性たちが木の床に腰をおろしている。ぼくも右側の末席につらなる。男性たちの中では一番入り口に近く、真ん中寄りでもある。中央に立ったリーダー格の男性が発言する。「この辺にはさっき電気が点いていたようなパソコンを扱う店はない。けれど、ここをもう少し先に行くと……」。どうやらこれからぼくたちが扱わなくてはいけないパソコンの販売店の話らしい。
2021年02月06日
2月6日の夢(詩人賞の開票)
会社の外廊下のようなところで、立って仕事している。すぐそばの入り口寄りに、詩人のA氏が立っていて、封筒をごそごそしながら「開票できましたよ」と言う。そういえば今日は詩人票のノミネート投票の開票日だった。どうも封筒の中に投票された用紙が入っているらしい。そこへ、外から帰ってきた同僚のI氏が「外でN氏がお待ちですよ」と声をかけてくる。ぼくの背後には木の柱があり、I氏はその向こうに立って、ぼくから姿が見え隠れしている。ぼくはI氏に「Iさん、今時間ある?」と尋ね、「開票ができたので、確認してほしいんだけど」と言う。しかし、I氏は平然とした顔で、「ええ、開票はできましたよ」と言って、はぐらかすばかりだ。あいかわらず慇懃無礼ないやなやつだ。ぼくは自分で確認しようと、票の入った封筒を手に取る。封筒は大きな袋のようになっていて、中にはぼくの私物が沢山入っている。ぼくはそれらを一つ一つ取り出して、中に票が残っていないか調べるが、あまりに私物が多すぎるので、いい加減なところでやめてしまい、「どうやらもう票はないみたいだね」と言う。
N氏に会おうと外に出る。人々の行き交う街角に、髭を生やして、ぼくの膝ぐらいの背丈しかない男がいる。N氏ってあんな男だったっけ?と、ぼくはちょっとうろたえる。しかし、その男はまさにN氏だったらしく、急いで近寄ってきてぼくに挨拶をするので、ぼくは腰をかがめ、子供に話しかけるときのように目線を合わせて、会話をする。
女性がぼくを呼ぶ声がするので、そばにある別のオフィスに入っていく。しかし、スタッフたちは多忙らしく、ほかの来客の応接におおわらわなので、ぼくは立ったまま自分の順番が来るのを待ち続ける。
2021年02月03日
2月3日の夢(業界誌の記者の夢)
ある企業から新商品発表会の案内が届いた。ある建物の二階で用を済ませた後、取材に行こうと階下に降りる。案内書を見ると、発表会6時から始まるらしい。もう15分もない。タクシーで行こうと地図を広げると、会場は東京ではなく、山中湖畔だという。それでは到底間に合わない。諦めざるをえないが、出席しないと記者をクビになるかな。いや、新商品の内容は同封されたニュースリリースに書かれているから、それに基づいて記事を書けば十分ではないか。
とりあえず失敗を取り繕うため、ぼくは赤と黄色のチューリップの花束と、紫色のズボンを買ってマンションに入っていく。花束とズボンをどこかの部屋に隠そうとするが、隠し場所が見つからない。おまけにズボンを見ると、お尻の部分がぼろぼろである。ちょうどシェパードの犬が歩いてきたので、その犬の背中にズボンをかけてやる。だが、マンションの出口に一緒に来たときには既に犬の背中からズボンはない。
マンションの敷地の真ん中で、男たちがマイクで式典をやっている。どこかの劇団が地鎮祭のようなことをしているらしいが、マイクを握らせられているのは、新入りの劇団員の男である。まだセリフがおぼつかなく、こんな大役をやらせられているのはいじめらしい。
会社に戻ると、社員たちが下駄箱のような木製ロッカーの前で騒いでいる。誰かがロッカーの鍵をなくして、中のものが取り出せなくなったのだという。木製なんだから、扉を壊して取り出せばよいのではないかと思う。
2021年02月02日
2月2日の夢(待合室のテーブルの穴)
妻といっしょにクリニックに行く。待合室には黒いテーブルがあり、そこに診察券の入ったカードケースを立てた状態で置く。ところが、テーブルには横長の長方形の穴が切ってあり、その中にケースの中のカードの大半が落ちてしまう(数枚は落ちずに、テーブルの上に残った)。慌てて指を穴に差し込み、苦労して落ちたカードを拾い上げる。
2021年01月31日
1月31日の夢(プライバシーという上着)
帰宅して窓際の椅子の背にプライバシーの黒い上着をかける。しかしこんなところに置いたのでは、妻に叱られそうなので、デスクの「プライバシー」ボタンを押す。たちまちプライバシーの上着は見えないところに収納された。
2021年01月26日
1月26日の夢(広告代理店)
広大なフロアの広告代理店に勤めている。お昼の弁当を開いて食べようとすると、割り箸の片方が折れて短くなってしまい、使えない。困っていると経理課の女性が来て、箸を貸してくれた。食べ終わって返却に行く途中、ゴミ箱があったので、弁当のからを捨てるのと一緒に、うっかり箸も捨ててしまった。「あっ、捨てちゃった!」という女性の声に慌てて箸を拾い直す。洗面台を探して水洗いした上で、経理課に返しに行く。経理課では一つの長いデスクに三人の女性が座っているが、顔を知らないため、誰が箸を貸してくれたのか分からず、真ん中の女性に礼を言って返却する。
席に戻ると、ぼくの椅子にデザイナーのSくんが座っている。「一色さんの引き出しに入っていた小さなカードの写真をクライアントが気に入ったというので、使わせてほしい」という。ぼくは引き出しを開けて、そのカードを確かめながら、「これは近くの事務所にいるカメラマンの作品だから、著作権が問題になる。すぐそばにいる人だから、こっそり使うわけにいかないよ」と答える。Sくんにカメラマンの事務所を教えようと席を立ったところで、「〇〇〇〇です」と誰かに挨拶している女性の声がする。〇〇というのは、何十年も前に海外ツアーで一緒だった人の名前だ。てっきりその人だと思い込んだぼくは「〇〇さん!」と呼びかけて走り寄るが、その女性は見上げるほどに背が高く、彫りの深い顔立ちで一目で別人と分かる。しかし、名前を呼んでしまったので後にはひけず、とりあえず挨拶しようとするが、名刺がポケットにない。急いで席に取りに戻り、近道をしようと一回階段を降りる。外は雨がしとしと降っている。そこから一階のフロアに入りなおして、反対側を目指すが、そこはマーケットらしく、出口に鎖が張られてガードマンもいるので、なかなか外に出られない。ようやく外に出ると、快晴である。二階への外階段を昇ると、さっきの〇〇という女性が「まだ待っていてくれたんですね」と、遠くから呼びかけてくる。ようやく彼女のそばに行き、持ってきた名刺を差し出すと、名刺は真ん中から引き裂かれている。しかたなくぼくはそれをつなぎ合わせながら「一色です」と挨拶する。
2021年01月25日
1月25日の夢(退職日間近)
会社で働いている。散らかった編集室には三つのデスクが並んでおり、ぼくが真ん中。左側には早稲田詩人会で後輩だったNくん、右には新入社員だがその割には齢をくった男性が座っている。お昼になったので、ぼくは弁当と缶ビールを取り出して飲む。そういえば八月末で退職すると上司には伝えたものの、退職届をまだ出していないことに気づき、書類を貰いに三階の経理部に行こうとする。だが、皆が忙しそうに働いているフロアのどこを探してもエレベーターが見つからず、階段を昇ることにする。
戻ってきてふと見ると、ぼくの飲みかけのビールがゴミの散らかった床に置いてある。ぼくが八月末に退職するとしたら、今しかかりの仕事をどう引き継げばよいのだろう? 今編集中のミュージック・ダイアリーの仕事は慣れない人にはできそうにない。ぼくがフリーになっても、引き続き担当する方がいいだろう。そのとき部屋中に鳥の鳴き声のような甲高い音が何回か響き渡る。何だろう?と思っていると、壁に貼られた多角形の色紙だと思ったものが、三匹の蝙蝠になって部屋中を飛び回る。羽の鱗粉が紙細工の雪のようにぼくの顔にもふりかかる。蝙蝠たちはひとしきり部屋の中で暴れた後、窓から外に飛び去る。
2021年01月24日
1月24日の夢(白と黒のパソコン)
会社で使おうと思い、渋谷のショップで韓国製の2~3万円台の白いパソコンを買ってくる。だが、実際に使おうとすると、いろいろやってみても日本語変換ができない。だが、席を外して戻ってくると、会社の後輩たちがぼくのパソコンを床に置いて車座になり、すっかり使いこなしている様子。ぼくは不快に思い、「そのパソコン返してもらっていいですか」と言う。彼らは「これって私物ですか?」と尋ね、「そうだ」と言うと素直に返してくれはしたが、会社中にしらーっとした空気が流れる。そのパソコンをラックに収めて再び操作してみるが、やはり日本語変換ができない。しかたなくラックをぐるっと反転させる。ラックの裏側にはいつも使い慣れた黒いパソコンがあり、こちらは自由に操作できる。だが、執筆を依頼されているピアノのマニュアルは難しくて、ちっとも進まない。おまけにクライアントは「楽器店に取材の申し込みをしているけれど、忙しくてまだスケジュールを決めてない」と電話で言っていた。請求の電話をしようかと思うが、取材ができないのを理由に、仕事を放置しておいた方がいいやと、投げやりな気持ちになる。
2021年01月23日
1月23日の夢(工作員)
地方の都市に出張するため、新幹線に乗る。車内は真ん中の通路をはさんで左右に二列ずつの座席が並んでいる。ぼくは左の通路側の席に、通路にまで荷物をはみださせて座っている。ある駅に着いたとき、ぼくの後ろに座っていた乗客の男が大慌てで駆け降りていく。彼が巻き起こした疾風のため、ぼくは跳ね飛ばされてしまい、気がつくと右の通路側の席に移動している。元の席に戻ろうかと思うが、左右どちらの席も窓際に若いサラリーマン風の男が座っており、居心地は同じだろう。そのままその席に座り続けることにする。
車両の外に出る。新幹線の中なのに、ビルの中のような階段がある。席はまだ空いているのに、通路や階段の両側に男女の乗客がたくさん黙って立っているのが、ちょっと異様だ。しかも床はどろどろでところどころ黄色い汚物がたまっていて、とても汚い。その上をぼくはおそるおそる爪先立ちで歩いて渡る。
やっと渡りきると、列車はぼくの降りる駅に着いたところだ。荷物を持って降りなくてはと焦るが、ぼくの乗っている新幹線は何本か先のプラットホームに停車している。ぼくは慌ててホームからホームへ次々とジャンプして飛び移る。ようやく目指すホームに着いた。だが、そこは先頭車両より前方なので、自分の席まで走っていくのは大変だ。
ようやく荷物を持って、ホームに降りる。人のいない駅ビルの中にきりっとスーツを着た女性工作員がぼくを待っている。彼女はぼくから荷物を受け取って開く。中身はラーメンだ。それを用意した二つのうどん用どんぶりに入れる。さらに毒入りの粉を振りかけると、ジュージューと音がする。爆発するのではないかと、ぼくはこわごわ階段の壁の陰に隠れるが、もちろん爆発はしない。ぼくらは再び粛々と作業を続ける。
2021年01月18日
1月17日の夢(校正を預かる)
勤務先の広告プロダクションで仕事していると、一人の男が訪ねてきて、ぼくに今制作中だという自分の詩集の校正刷りを見せてくれる。ぼくは男と廊下を歩きながら、それが私用であることを同僚たちに悟られないよう、「校正」「紙質」などとどっちの業界でも通じる専門用語をわざと使いながら、会話をする。ぼくの個室オフィスに来ると、男はその校正刷りを預かってほしいというので、ぼくは壁の棚の空いたスペースに置く。しかし、本心としては邪魔なので、いやだなと思う。ぼくは男に「それで装幀はどうなってるの?」「PDFで送ってくれるの?」と矢継ぎ早に質問する。だが男は「前回はコッペパンのような装幀でしたね」と言うだけで、意味がよく分からない。そういえば以前の男の詩集の装幀は、青空に白いコッペパンのような雲が浮かんでいるデザインだったような気がする。いつのまにか男の隣にはマネージャーらしき男がいて、「〇〇理事の××は止められないのか」とぼくに質問する。ぼくは意味がわからないまま、「無理だと思う」と答える。二人はがっかりした様子だ。ふと見ると、かたわらで会社の同僚が煙草の白い煙を口からシューッと音を立てて吹き出している。なんだ、彼らは喫煙にクレームをつけていたのか。それなら喫煙を控えるよう、同僚を注意すればよかったと思うが、そのまま手を振って彼らと別れる。
2021年01月15日
1月15日の夢(神宮第二球場を目指して)
小田急線に乗っている。車内の床は階段状で、ケーブルカーのように傾斜している。ぼくの隣に立っていた見上げるような大男が、突然足を上げて、ぼくを蹴った。衝撃は感じなかったが、ぼくのコートの肩から足にかけて、真っ黒な土砂がついてしまう。駅につくと、ぼくは大男の腕をつかみ、「車内で暴行されました!」と叫ぶ。抵抗されるかと思ったが、男はおとなしくぼくに連れられて、駅の鉄道公安室に出頭した。カッターシャツ姿の公務員のような容姿の男二人も、証人になろうと進んで同行してくれる。ぼくらは取調室でなごやかに事件について公安官に説明する。
友人たちと神宮第二球場で野球をすることになる。彼らはぼくの中学時代のクラスメートの顔をしている。球場に行くには背丈より高い雑草の生い茂る急斜面を登らなくてはいけない。掻き分けても掻き分けても雑草たちの力は強く、ものすごい圧力で跳ね返されそうだったが、なんとか頂上まで登りきる。そこはコンクリートの四角いトンネルの出口になっていて、温泉旅館に通じているらしく、和服を着た女将が立って、到着した人たちに挨拶している。そこが球場であるはずがない。右手の出口から出ると、そこは普通の市街地になっていて、しとしとと雨が降っている。おかしいな。友達から連絡が入っていないかと、ポケットからスマホを出す。メールが来ているが、それは仕事先からで、カラーの漫画入りの長文メールである。雨が降っている以上、野球は中止になったに違いないと思い、ぼくは帰ることにする。
2021年01月12日
1月12日の夢(出版部との確執)
まだぼくはS社の編集部員で、自分の企画したロシア語からの翻訳書籍がちょうど納品されたところだ。編集担当者はぼくなのだが、ぼくはS社では日陰者の広告部の社員。だからこの本も校正実務などを出版部の編集者が勝手にやってしまい、ぼくはとても不満である。たまたま新幹線に乗り合わせた出版部の若手女性社員が「それなら私がこれからは校正してあげましょう」と言う。ぼくは「それは有り難いです。あなたならちゃんと意思疎通しながらやっていけるでしょうから」と礼を言う。
しかし会社に戻ると、ぼくと相談のないまま勝手に販売店用の拡販チラシが刷り上がっている。とりわけチラシの右下スペースにある、ロシア語から翻訳された文章はぼくの全く知らないもので、怒りがこみあげる。それでも浜松に出張営業に行こうと、会社の引き出しをごそごそさせて、浜松行きの新幹線回数券を探すが見つからない。そういえば回数券は廃止されたのだったかもしれない。
オフィスに戻る。背後の黒い壁に斜め45度の角度で、二階に昇る黒色の木製階段が取り付けられている。クラシックでとても落ち着いたデザインだ。その手前の応接セットで打ち合わせをしていたぼくは、その階段を出版部の編集部長が昇っていくのに気づき、声をかけようとするが、彼の名前が思い出せず、「あー」としか声が出ない。だがそれに気づいた彼は階段を降りてきて、ぼくに「ごめん。これを渡さなければならなかったね」と、ぼくに刷り上がったばかりの、ロシア語翻訳書籍の見本を手渡してくれる。
2021年01月09日
1月9日の夢(S社OGの訪問)
原宿にある勤務先に出社すると、以前この会社にいて別の業界に転職した女性が来訪し、玄関先で若い女性社員と話している。彼女はきりっとした顔でぼくに「この時代に業界で発展しているのは、私の会社だけです」と誇らしげに告げる。ぼくは「成功したのはどうして? きみはどうやって会社に貢献しているの?」などと、先輩風を吹かせながら矢継ぎ早に質問を浴びせかける。かたわらの後輩社員が小さな声で質問しかけても、それを押しのけるように大きな声で話すぼくは、我ながら権力的だと思う。女性もぼくに臆せず、はきはきと胸を張って答え、三人の問答は二階のオフィスで椅子に座っても終わることなく続く。
2021年01月07日
1月7日の夢(やさしい手紙)
妻と二人年賀状を準備している。沖縄には年賀状よりももっと「やさしい」ハガキを出す習慣があるという。そのハガキを手に入れて、もっと多くの人に出し直したいと思う。
2021年01月06日
1月6日の夢(逆さづりの少年力士)
以前在籍したS社の三階建ての社屋。一階がぼくの所属する広告編集部で、二階が出版編集部、三階はワンフロアぶち抜きの会議室になっている。
今日は会議室は旅館の大広間みたいに、ぎっしりさまざまなグループの会合が開かれ、足の踏み場もない。「一色さん、あれっ!」と指さす人がいて、一番奥に行くと、左手の壁際に十人近くの少年力士がまわし一丁で二列に座っている。そして壁には一人の少年力士が逆さにぶら下がっている。驚いて彼を下ろそうとするが、縄をうまく切ることができない。ぼくは一階の編集長だが、この会議室は二階の編集長の管轄なので、慌てて彼を呼びに行かせる。だいぶ遅れてやってきた編集長はぼくの知らない男性だ。いつのまにか交代したらしい。だが、その時には既に力士たちの姿はなく、あれほど混雑していた会議室も随分閑散としている。警備員と点検するが、床には真っ黒な泥やゴミが一面に散らかっていて、とても汚い。
また三階の会議室に行こうと階段を昇る。階段は山寺にあるような段差のついた飛び石でできている。途中までそれをたどってようやく登るが、最後の飛び石と飛び石の間が大きく空いていて、これではジャンプしても飛び移れずに一階まで転落してしまうだろうと思う。
2021年01月03日
1月3日の夢(家族が集まる家)
真新しいマンションに妻と義母と共に暮らしている。壁も床もぴかぴかだが、家具は見当たらない。玄関にいると、妻に「そのスイッチを押してね。鉢のお花に水がやれるから」と言われる。自動で花鉢に水をやれる装置がついているらしい。スイッチを探すが、どこにあるのか分からず、まごまごする。いつのまにか義弟が赤ちゃんを抱いて訪れ、玄関ホールの椅子に腰かけて、哺乳瓶でミルクを与えている。下の道路を物売りが通る声がする。奥の部屋の二つ並んだ小さな窓から、義母が物売りに手を振り、「ちょうだーい!」と声をかけている。あれでちゃんと物売りに通じたのかなあと疑問に思うが、妻は鍋のようなものを手に、外へ駆け出していく。豆腐屋なのだろうか。義弟はあいかわらず椅子にかけて、赤ちゃんに黙々とミルクをあげ続けている。
2021年01月02日
1 月2日の夢(縫いぐるみを被った詩人)
妻と二人で立ったままテレビを見ている。何か大きな事件が起こり、現場中継が行われている。男女のキャスターがニュースショー形式で面白おかしくスタジオから「ただいま現場に正体不明の車が近づいています」とアナウンスする。だが画面に映し出されたのは真っ赤なコカコーラの車だった。この事件の犯人像について、識者が何人か登場してコメントするという。「最初に詩人にお願いします」とキャスターが言う。誰だろう?と妻とぼくはテレビに近付いて目を凝らす。テレビ画面は点いたり消えたりする。消えたときには、そこにはテレビはなく、ただの白い壁になる。画面に現れたのは頭からすっぽりとドナルドダックの着ぐるみを被り、顔にあいた二つの穴から目だけ出した男だった。画面には「詩人」とだけテロップが出ている。ぼくはその高い声でしゃべる男が誰なのか、穴の向こうの目だけで推理しようとするが、分からない。
トイレのドアを開ける。奥にある開けっ放しのドアの外から激しく雨が降りこんでおり、ぼくは妻に「雨が降ってるよ」と叫ぶ。それから「あれっ? 便器がないよ」と言う。妻はやってきて「ほら、またそんなことを言う。そこにあるじゃないの」と指さす。本当だ。ちゃんと部屋の手前に便器があった。「そうか。ないのは浴槽の方だった」とぼくが言う。だが、浴槽はさらにその手前にあった。
2020年12月30日
12月30日の夢(父のパソコン)
父が巨大なパソコンを操りながら、ぼくに「そんな写真ばかり撮っていると、いつまで経ってもいい写真が撮れないぞ」と、後ろ向きのままで言う。巨大なパソコンにはいくつかのモニターがあり、比較的上方にある小型モニターに、ぼくが最近撮影した赤い花のアップが写っている。確かに花をアップしきれていない中途半端な構図だ。ぼくは「ぼくだって10枚撮って、1~2枚しかこんな写真は撮りませんよ」と反論する。父のパソコンは手元に大画面のモニターがあり、そこから一メートルほど奥にある中画面のモニターと本体との奥行きを自由に深くしたり、画面を360度回転させたりもできる。まさに最新式のパソコンである。
ぼくは父の後姿に「写真の編集ですか?」と声をかける。父は「そうだ」と答える。ぼくは知っている。ぼくが今専門的に研究しているテーマは「父から見た息子という関係」、そして父が研究しているテーマは「息子から見た父という関係」。互いに相手と自分の関係を心理分析し合っているのだ。
玄関の開く音がはしたので出てみると、小学校低学年の女の子が土間に入り込んでいる。おもちゃで遊んでいるうち、そのおもちゃにつながる黒い麻糸が、脱ぎ散らかされた靴やつっかけの間にからまってしまった。ぼくは彼女の存在には気づかないようなふりをして、麻糸をそっと解こうとするが、ますますこんぐらかってしまい、「あれっ?」と声を出す。
2020年12月29日
12月29日の夢(ポエフェス)
毎夏恒例の大規模なサマー・ポエトリー・フェスティバルが六本木で行われる。六本木は播州平野のような広大な緑の大地だ。ここで日本を代表する詩人たちがそれぞれの持ち時間を使い、五時間にわたるパフォーマンスを繰り広げるのだ。すぐそばでお化粧のパフをはたきながら、女性詩人のNが「まだ開演まで時間があるわよね」と言っている。そうだ、まだ時間があるので、準備のため四谷まで戻ろうと思う。
四谷は欅の緑の葉が風に揺れる雑木林になっている。集合時間の3時15分までに戻ろうと、ぼくはバス停に行く。余裕で戻れると思ったのだが、そこはバス停ではなく、観光バスの停車場に過ぎなかった。旗を持ったガイドの周りに大勢の観光客が集まっているだけだ。時計を見ると、もう集合時間を少し過ぎている。慌てて(記憶が飛んでいる)なんとか会場に戻るが、既に出演者へのプレゼンテーションは終わっており、ぼくは何時ごろ何分朗読をすればいいのか分からない。うろうろしているとすれ違った男性が「服が切られているよ」と注意してくれる。見ると、ぼくの着ているコートもスーツもナイフで切られたらしく、ずたずたになっている。歩いているうちに、服が脱げて半裸になっていくのを、ぼくは必死で食い止めようとする。
トイレに入る。トイレは石段の上にあり、トイレの床はごろごろした石ころが敷き詰められ、立っているのも不安定だ。男たちと並んで用を足すが、ぼくは片足靴が脱げて裸足なので、他人のおしっこがかかるのではないかと気が気でない。おまけに列に割り込んで、卑猥なことをする男もいて、みんなが一斉に動揺する。
ようやくトイレの人込みから出ると、ロビーで出演者たちが紋付き袴姿で椅子に座った男性の前にひざまずいて挨拶している。ぼくも真似をして、ひざまずきながら「ぼくの出演は何時ごろで、誰の後になりますか」と尋ねる。
気がつくと、元カノのOがすぐそばにいて、燃えるような怒りの目でぼくを見ている。ぼくはそれを無視して自分の出演するステージへと進んでいく。
2020年12月22日
12月22日の夢(記者と同行)
食事に行こうと会社を出ると、一人の男が近づいてきて、マスコミの記者だと自己紹介する。そして、ぼくについてくるよう促す。ぼくはお腹が減っていたので、食事をしながら後についていく。昔風の商家のような造りの建物に案内される。室内には数人の男性がいる。記者がずかずか入っていくので、ぼくも食事の途中の皿を地面に置いて、慌てて記者を追う。記者は男たちにぼくを「フェイスブックでご存じと思いますが……」と紹介する。ぼくはこの記者を知らないが、彼はぼくをSNSで見かけているのかもしれない。記者が男たちと話している間、ぼくは奥へ行き、そこに置かれている珍しい本や機械をしげしげ眺める。とても興味深いものがいっぱいでわくわくする。記者はこれをぼくに見せたかったのだろうか。
2020年12月19日
12月19日の夢(四畳半で野球)
雨なので部屋の中で野球をすることになる。試合が行われるのは四畳半の部屋。部屋の中は内野で左右の壁にボールが当たればファウル、奥の壁に当たればホームラン。それまで弱弱しい太っちょだと思っていた少年が実はエースピッチャーだったので驚く。
そのピッチャーの左ひざに二つの透明な風船のようなものがふくらんできた。それが治るまで試合は中断。ぼくの左ひざにもそれがふくらみ、かゆくてたまらない。つぶそうと思うがつぶせない。やがて風船はぼくの口の中にも生えてきた。これなら歯で噛み潰せる。
12月18日の夢(お風呂の中の弁当)
アルマイトの弁当箱をバスルームの湯船の隣に隠して、ドアを閉める。お風呂にお湯を張り続けたまま外出し、戻ってきてバスルームのドアを開ける。お風呂は煮えたぎり、渦を巻いて沸き立っていた。弁当箱の蓋はきちんと閉まっているのに、中のおかずがお風呂の中で渦に巻かれながら煮えている。
2020年12月12日
12月11日の夢(眠りの棒グラフ)
現代では睡眠は棒グラフとして表示される。その棒グラフになった眠りは売買されている。妻は自分の眠りは買ってもらえないと悲しんでいた。ある日、妻の眠りを買いたいというメールが届いた。妻はそれを聞いて、とても喜んだ。
2020年12月09日
12月9日の夢(ポータブルプレーヤー)
丘の上の緑の芝生の上に、沢山の人たちが物を並べている。仕事でそんなことをしているのだ。周りの中年男性たちがぼくをできないやつと陰口をたたいているのが分かる。ぼくもみんなに混じって、空いている場所にポータブルのレコードプレーヤーを並べる。これは実際に音を出せるので、みんなの役に立てるだろうと自分を励ます。しかし、ターンテーブルの中心軸に通す円形のゴムがない。探しに行くが、見つかったのは麺類やパスタをゆでるときに使う金網のようなもの(何と呼ぶのだろう?)。これで代用しようと思うが、網の底に一匹の生きた蜘蛛が入っている。追い出そうとしても、指で摘まみ出そうとしてもできない。ふと気づいて割り箸を取り出し、中をかき混ぜると蜘蛛は粉みじんになって、蕎麦のかけらのようなものになる。なんだ、これでいいじゃないかと思う。しかし、蜘蛛の死体が粉々になったかけらはとても気持ちが悪い。
2020年12月08日
12月6日の夢(毎日が文化祭)
期末テストが終わったので、もう教室には教師たちもやってこない。生徒たちは各教室から机や椅子を取り去り、自由に木材や紙を使って自分たちの作品を制作中。まるで毎日が文化祭だ。ぼくのクラスは廊下の右側に並ぶ教室の奥から二番目のはずだが、そこもペンキを塗られた製作途中の作品で足の踏み場もない。
しかたなく校外に出る。雨の中、運河沿いの道を傘を差して歩いていると、足元に毛虫のようなものが落ちている。いや、よく見ると、それは練り出された茶色の絵の具の一滴なのかもしれない。気づくと、ぼくの手の甲にもそれがくっついている。うえっ、汚い! と思い、急いで拭い取ろうとするが、傘を差しているのでなかなか拭き取れない。
教室に戻る。三人掛けの長いデスクの真ん中の席に座り、カードケースを開けて、詩人のN氏に電話しようとする。ケースの中の名刺のようなカードを指で押すだけで自動的に電話がつながるのだ。隣に座った女生徒が「ねえ、Nさんって威張っているの?」と訊く。ぼくは「うーん、そうだよ」と生返事をしながら、N氏のカードを探し続けるが、どうしても見つからない。
2020年12月04日
12月5日の夢(エレベーターで行く異世界)
会社が夏休みに入ったのに、忙しくてたまらない。オフィスに泊まり込もうと思う。しかし二階のぼくのデスクのある部屋に行くと、そこは既に若手社員たちに占領されていて、ぼくの寝る余地がない。ぼくは憤然として一階の社長室に怒鳴り込もうとエレベーターに乗る。けれど、そのエレベーターは下ではなく上へ行くものだった。えっ、この建物に三階があったっけ?! と思う間もなく、三階のドアが開いた。驚いたことに、そこには緑の大草原と遠くの森、真っ青な空が広がっていた。四階に行ってみる。そこにはまた別の異世界風景があった。
会社の二階のエレベーターホールにいる。工事現場の木製足場のような不安定な場所。ぼくは手に二種類の薬壜を持っているが、その二つとも落としてしまう。一つはすぐ足元にあったが、もう一つは床板の隙間から下の階に落っことしてしまった。一階に降り、海水浴場の砂浜のようなエレベーターホールを探すが、どうしても見つからない。
2020年11月30日
11月30日の夢(墓の中のタクシー)
小高い丘の頂上が四角く石の壁で区切られている中に、動けなくなった車が一台。どうやらここは沖縄のお墓らしい。車に乗っているのはぼくと妻。
ぼくは助けを求めるために車外に出る。タクシーと石壁の間はとても狭い。車を回り込んで壁の隙間から外へ出るつもりだったが、なぜか壁の中を一周してしまう。そこへタクシーの運転手が戻ってきて、運転席に座った。ぼくはようやく壁の隙間から外に出る。
そこは建物の中なのだが、通路の両側にぎっしりと商店や事務所が並んでいる。ぼくは途中でトイレに入って大便をしていたようなのだが、なぜかズボンを下ろし、お尻をトイレットペーパーで隠した状態で、通路に出てきてしまった。賑やかな商店街では女性の売り子たちがお客を呼び込んでいる。ぼくは彼らに見つからないよう、こそこそと通路を進み、留守であるらしい部屋に勝手に入り込む。人のいないのを幸い、そこで用を足すのを再開しようとしたところへ、ちょうど部屋の主の中年男性が帰ってきた。窓からぼくを見つけた男性は、窓ガラスを一枚外して、そこに頭を突っ込んで中に入ろうとする。ぼくは床に這いつくばり、男性は上から体を押し込もうとしつつ、二人はにらみ合う。男性に殴られるかなと思った瞬間、ぼくは再びタクシーの座席にいた。どうやらぼくのパンチが先に男性に当たり、ノックアウトしたらしい。ぼくはタクシーの隣座席にいるその男性にできたばかりの詩集を渡し、「おかげでこの本が出来上がりました」と礼を言う。男性は「まあ、これでよかったのかな」と苦笑いして詩集を受け取る。
2020年11月28日
11月28日の夢(色のない花など)
部屋の中に母と祖母がいる。今日は来客が一人あるはず。花を届けに花屋も来る予定。チャイムが鳴った。母が玄関に向かう。ぼくは立ったまま半ズボンをはこうとしてよろめきながら、「誰が来たの? 誰が来たの?」と母に叫ぶ。来たのは花屋らしい。母が大きな植木鉢に植えられた花を持って戻ってきた。カラーの夢なのに、植木鉢も花も真っ黒な影法師になっていて、色がない。
Y社の仕事を三件請け負っている。浜松の同社に行くと、担当者らしい眼鏡をかけた男性がついてこいと促す。連れられていったのは野外グラウンドのようなところで、人々がレジェンドらしい車いすの老人を熱狂的に歓迎している。
女性作家の家にインタビューに行く。終わってギャラの振込先を尋ねる。ノートに書こうとして、この作家へのインタビューは二度目だったことに気づき、「あっ、前にもお聞きしましたよね」と言うと、「いえ、初めてです」と否定される。
海岸にいる。潮が寄せてきている。砂浜で粘土でつくられた象のようなものが暴れている。象の行動を阻止しようと、そこにいた人全員でスクラムを組み、デモ隊のように一斉に象に向けて押し寄せる。象の姿は見えないが、ぼくらは波打ち際に辿り着いた。どうやら象を制圧できたらしい。
2020年11月12日
11月12日の夢(B級映画)
B級映画の撮影をしている。大阪ミナミの盛り場シーンから、次は太平洋の南国の島にロケに行く。敵が砲撃をしてくるシーンだ。どこまでも青い空と海。海岸は一面の白い砂におおわれている。海には白い雪をかぶったとんがった島が見えている。こんな南国で雪?と思っていると、島は見る間に近付いてきて船に変わり、人々が降りてくる。男性の声が「マウイがこの島を侵略したとき、白い砂を持ち込んだのだが、それにしては多すぎる。誰が何の目的でこんなに白い砂を海岸にまいたんだろう?」と言う。白い砂は天然のものではなかったのだと、びっくりする。
「飛行艇を持ってこい」という叫びが上がる。敵襲だ。ぼくは逃げる人々と反対に、急いで二階への階段を駆け上がる。二階には赤いロープが張られていて、その向こうが今到着した飛行機の客席になっている。男女の肩に大きな飛行艇の模型が乗っている。ぼくと彼らと三人で飛行艇を持って、飛び交う銃弾の中、階段を駆け下りる。俳優たちは皆前回の映画と同じ顔触れだ。予算が少ないから使い回しするしかない。
一階へ降りたところで、誰かが「お腹がすいた」と言う。ぼくは「この建物の隣に食堂があるから案内するよ」と言う。妻は「えっ、そんなところに食堂があるの?」と驚く。ぼくは「うん、あるんだよ」と自信に満ちた態度で皆を誘導していく。
2020年11月10日
11月10日の夢(座右の書)
夫婦で座右の書を一冊ずつ持ち歩いている。それは二冊とも同じ本で、「革命の書」だと思っている。だが、後ろから女性に「それはそっくりだけれど、ちょっと違う本ですよ」と声をかけられる。驚いてテーブルに座り、二冊の本の表紙を開けてみると、一冊は「仲良しさんの本」というタイトルだった。もう一冊は覚えていない。
2020年11月06日
11月6日の夢(退職する日)
今日はぼくが会社を定年退職する日だ。にもかかわらず、今日も定時を過ぎて仕事が終わらない。でも会社と同じ建物の一角に裁判所があり、ぼくはそこで裁判員裁判に出なければならない。
裁判には裁判官のほか三名の裁判員が出席しており、そのうち一名は中年の婦人だ。ぼくひとりだけが夕食がまだだったので、片手にチャーハンの皿、片手におかずの皿を持っている。いったん休廷になったので、外へ出てみると、隣は貧しい人々のための給食室で、親子がつめかけて食事している。ぼくのチャーハンもこの部屋で貰ったのだろう。裁判員の婦人もいつのまにか給食室にやってきている。
裁判所の入り口は横開きのドアだ。その前にぼくが正座して覗き込むと、裁判官が「被告の言うことはでたらめだ! まことしやかなことを言うくせに、自分の正体をばらすようなことを言う」と、吐き捨てるように叫ぶ。ぼくは被告の言うことを本当だと思いかけていたので、ちょっとがっかりする。塀の外を被告が一匹の犬を連れて、トボトボと歩いていく影絵のような後姿が見える。
さて、ぼくは今日で会社勤めを終わったが、裁判は明日からも続く。それをまだ妻に言ってなかったので、帰宅したら一番に言わなければいけないなと思う。
2020年11月04日
11月4日の夢(夢の常態学)
夢の中に美しいドレスを着た妻が立っていて、「夢には平穏無事な夢と苛酷な現実の夢とがあって、平穏な夢は常態学の夢というのよ。でも私たちは苛酷な夢の方を観なくてはいけないの」と言う。その苛酷な夢の中にいる妻はドレスが次第にぼろぼろになっていくが、常態学の夢の中では妻もドレスも美しいままだ。
2020年10月25日
10月25日の夢(視力検査)
妻がぼくに視力検査を受けるよう勧める。ぼくの前に白い視力検査表のボードがあるが、検査用の記号は見えない。ぼくは黒いマスクをしていて、妻に「受けるつもりだよ。でも、このマスクを取ってからね」と言う。妻は「わかった」と答える。
2020年10月24日
10月23日の夢(集会)
会社からの帰り道、誰かがぼくに一枚の紙きれをくれる。それを見て、ぼくはもう会社に行くことも家に帰ることもしなくていいことが分かった。ぼくは集会への出席を促されているのだ。ちょうどぼくの前を同じ紙を渡された親子連れが歩いていく。二人の後を追ってバスに乗り、さらに山道を歩いて、地図にあった会場にたどりついた。
そこは自然の中に遺された古代のコロシアムのような場所。石造りの円形の場所に、沢山の人々が集まっている。一目見て彼らが「選ばれた人々」であることが分かる。子供も大人もいる。会場に着いた順番に、大きな石の椅子に荷物を置いていく。ぼくもそうしてからしばらく席を離れ、コロシアムの反対側へ行き、また戻るとぼくの席がない。新しくやってきた少女がぼくの席に勝手に座っているのだ。会場に「席を詰めてください」というアナウンスが流れる。人々が動き始め、それでようやくぼくの座る席も確保できた。これから体操のようなことを全員でやるらしい。ぼくのような運動音痴でもみんなについていけるだろうかと心配になる。
2020年10月22日
10月22日の夢(台風の朝)
下宿で目が覚めると、天気予報の通り台風が来ている。同室の50代の男性サラリーマンは朝の支度の真っ最中だが、ぼくには背を向けていて、こちらと目を合わせようとはしない。台風だから一階の大家の部屋に降りて、一緒に過ごそうかとも思うが、それも大げさだと思い直す。とりあえず窓の雨戸を閉めようとする。壁の上半分だけの窓には戸袋が付いている。昔ながらの木製の雨戸に加えて、今風の花柄の薄めの雨戸もある。どちらを閉めようかと迷うが、外を見ると既に雨もやみ、雲も切れかけている。嵐は通り過ぎたようだ。これなら雨戸を閉める必要もなさそうだ。
出勤のため外に出る。中年の女性二人が前を歩いていて、二つある私鉄の駅のうちどちらで出かけようかと話し合っている。ぼく自身もどちらを選ぶべきかと迷う。
2020年10月17日
10月17日の夢(温泉土産はコルク栓)
ぼくの泊まった東北地方の温泉宿は、小汚いビルである。上階の部屋からエレベーターで一階に降りてきたら、帰りのエレベーターの位置が分からなくなった。カーテンで囲まれた一角があったので、ここだと思いカーテンをさっと引き開けると、そこには変哲もない応接セットが置かれているだけ。一階は沢山の宿泊客であふれ、彼らはぎゅう詰めになりながら、時計回りに回転している。壁際には土産物がたくさん並べられ、売っている一番人気の温泉土産は、コルクでできた浴槽の栓である。この温泉で実際に使われていたものを販売しているのだという。
2020年10月12日
10月12日の夢(飛んでいく鞄)
妻と二人で船に乗るために岸壁にいる。ぼくが手にしている鞄を一振りすると、鞄はぼくらの船室へと飛んでいく。船室が火事になったという叫びが上がる。だが炎も煙も見えない。ぼくは何かをしなくてはいけないと感じる。慌ててもう一度鞄を一振りするが、鞄はどこにも飛んでいかない。何度も試すうちにようやく鞄が船室へ飛んでいった手ごたえがある。
2020年10月02日
10月2日の夢(アンケート付き切符自販機)
仕事で一時から楽器店の取材に行かなければならない。一時間前に会社を出たが、初めて乗る路線なので勝手が分からない。乗車券の自販機は画面に二段の棒グラフのようなものが表示されていて、いくつかのアンケートに回答しなければ切符が買えない。太い指で小さなタッチパネルを操作するのは難しく、何度も失敗してしまう。それでも自分の思う意見を打ち込んでいくと、駅のスピーカーから駅員の「ただいま○○と打ち込まれた方は××と打ち直してください」とアナウンスが流れてくる。明らかにぼくのことだが無視していると、別の男性客が「あっ、すいません。わからなくて……」と頭をかいている。知らん顔でさらに操作を続けると、後ろに並んだ乗客が「早くしてください」とせかす。「初めての駅なので、時間がかかるのです」と答え、時間をかけてようやく乗車券を手に入れるが、改札口はどうやら大通りの信号をいくつも渡った遠くにあるらしい。一時まであと十分しかない。せっかく手にした切符だけれど、タクシーを拾った方がいいだろうか。
2020年09月21日
9月21日の夢(「自我」というケーキ)
道を同僚たちと歩いている。これからみんなでケーキを食べに行くところで、一人がケーキ屋に電話で値段を問い合わせている。「ぼくが聞いてくるよ」と言って、ぼくは駆け足で先にケーキ屋に向かう。
ケーキ屋のドアを開けると、中は大きな教室ぐらいの広さで、客は誰もいない。その教室ぐらいの広さいっぱいに、生徒たちのデスクのような感じで、ケーキが60種類ぐらい置いてある。白衣を着た店主のパティシェの男性はアラブ人らしかったが、ぼくを見て慌てて立ち上がる。ぼくは一つ一つのケーキを指さして、名前を聞いていく。「このケーキは何?」。「それは自我というケーキですよ」と彼は答える。「これをいくつか買うと、いくらぐらいになるの?」とぼくは尋ねる。
2020年09月19日
9月19日の夢(植生のサンプル)
目の前に大きな土手のようなものが、見渡す限り壁となって続いている。これはぼくが小人になってしまったので、道路の段差がそんなふうに巨大に見えているのではないかと思う。
そこは宇宙人の乗り物が着陸した場所らしい。ぼくはそれを調査するため、周囲の植生や土壌のサンプルを採集して、会社へ持ち帰る。だが大きな組織の壁にはばまれて、サンプルは数日間そのまま放置されてしまった。数日後ようやくぼくは召喚され、会議室へ行く。若い男女の社員が集まってくる。ぼくは現場から持ち込んだサンプルを急いでテーブルの上に並べるが、日数が経ってしまったので、植物たちはみんなくたっとなって元気がない。
2020年09月15日
9月15日の夢(郵便受け)
緑豊かな木々の中に、四角い石柱が二本立っている。子供のときに見た戦争で焼けた家の跡地に立っていた門柱そっくりだが、これはぼくの勤めているS社の門柱だ。その門柱には赤い郵便受けが取り付けられていて、中は郵便物でいっぱいである。ぼくは自分の投函しようとする郵便の束をその中に無理やり押し込み、社内に戻ろうとして、郵便受けの中に配達された郵便の束があるのに気づく。取り出すと、大小の封筒に入った分厚い郵便物の束は細い紐でくくられている。
2020年09月08日
9月8日の夢(明日は退職日なのに)
会社の冷蔵庫を開けると、封を切って飲みかけの牛乳パックが何本もある。その一本からコップに牛乳を注ぎながら、「明日からぼくは退職者のはずなのに、なかなかそうさせてもらえないな」とひとりごとを言う。明日だって、広島に出張してそのまま会社に戻らないつもりだったのに、まだ「あれをしろ、これをしろ」と会社がうるさいのだ。
緑豊かな田園地帯。川が二本に分岐する場所に、二人の男がいる。一人は初老で、一人は壮年だ。バスに乗っている初老の男に、壮年の男はケータイで「今どこですか」と問いかける。
2020年09月03日
9月3日の夢(犬と旅行する)
仲間と冒険旅行に出かける。大きな犬もいっしょだ。飛行機の中では犬はおとなしく座っていたが、空港の到着口から出たとたん、ぼくの隣でおしっこを始めた。なかなか止まらない。ぼくのズボンが犬のおしっこだらけになり、みんなが笑う。ぼくは「飛行機に乗っていた間我慢していたんだね。えらい、えらい」と犬を褒める。
(それに続く断片夢)麻雀卓で牌をかきまわす自分の両手が見える。
2020年08月30日
8月30日の夢(皿の中で入浴)
妻と二人、そろそろお風呂に入りたいと言いながら、なかなか入る気力が出てこない。食卓にはいつも古ぼけた二枚のピンクのお皿が並ぶが、そこには何も載っていない。このお皿の中がぼくらのお風呂なのだ。
2020年08月10日
8月10日の夢(大リーグに就職)
アメリカ大リーグのある球団への就職が決まった。だからぼくは今の会社に出勤はするものの、自分のオフィスには顔を出さず、別のフロアにあるステージに毎日行く。そこにはソファーがいくつか置かれ、ぼくはそこに座って、来期のチームの構想を練っている。
ある日、ついにアメリカからチームのスタッフたちがやってきて、ぼくと合流した。みんな見上げるような大男たちばかりだ。ぼくらはトップバッター、二番バッター、三番バッターは誰……と打順ごとに選手を確定していく。そして久しぶりに自分のオフィスに顔を出すと、上司が「なぜ勝手に何週間も休んでいるのか。これ以上続くなら、おまえはクビだ」と居丈高に言い放つが、ぼくは黙って聞き流す。しかし、渡米する前の数か月の間に苦手の英語を勉強しなくてはならないなと、ちょっと不安になる。
2020年08月01日
7月25日の夢(名刺を忘れた)
久しぶりにМカメラマンとその助手さんと三人で新潟に取材に行った。まず楽器店を訪ね、二階に上がってスタッフに話を聞く。だが、名刺を忘れてきたので、相手がぼくらの来訪を承知していたのを幸い、挨拶もなしにインタビューを始める。話を聞いたのは最初はセールスマン、次は地元の刑事という順番。さらにピアノユーザー宅にも車で伺おうと階下に降りる。
外には池があり、子供が遊んでいる。池の中に積みあがった石の山のようなものがあるが、石に見えるのはすべてカメだった。Мカメラマンにそれを教えようとして振り向くが、彼の姿はない。そうだ。車の駐車場は地上ではなく、二階にあったのだ。ぼくは気づいて、慌てて階段を登る。
そこには既に取材先のユーザーにレッスンをしているピアノの先生もいて、みんなと話している。ぼくは近づいていき、「すみません。名刺を忘れてきまして‥‥」と挨拶をする。
7月23日の夢(鉄のカーテン)
H市では二大企業として、Y社とK社が競い合っている。普段は両社の間は互いに鉄のカーテンで仕切られているのだが、時折りそのカーテンが取り払われることがある。いつもはY社の方から開放して、K社に呼びかけを行うのだが、今日はK社の方からカーテンを取り払ってきた。そしてK社側の司会者がマイクを握って、Y社側のぼくらに話しかける。ぼくは境界線の最前線にいて、その話を聞いていたのだが、取材の予定が入っていたことを急に思い出して、その場を外す。
カメラマンといっしょに取材に出かけた楽器店はとても狭くて、店内全体を撮影しようとすると、階段を数段登らなくてはいけない。しかも狭いフロアに置いてあるのは、一台のエレクトーンだけだ。ピアノの取材に来たのに、これでよいのかと戸惑う。
2020年07月14日
7月14日の夢(アメリカ移住)
日本人が集団でアメリカに移住することになり、ぼくもそれに加わった。メンバーの中にはアメリカの住宅だけでなく、大きな橋を自分の所有にした人もいる。
ぼくは一軒のアメリカの住宅に移り住んだが、なぜか隣家は破壊されていて、住人がいない。ある日、そのぼくの家に突然知らない日本人の一家が押しかけてきて、勝手に上がり込み、ぼくは接待に大わらわとなる。ぼくは四角い和紙を二枚かざしながら、「この文書が翻訳されていない」と彼らに訴えるが、「隣に誰もいないんだから、翻訳しようがないじゃないか」と笑い飛ばされてしまう。
2020年07月13日
7月13日の夢(混雑した社内)
原宿のS社のオフィスが今日は人がいっぱいで、山手線の車内のように混雑している。そういえば出社する途中、S社のすぐ手前の低いビルの屋上から滝のように雨水が溢れ落ちていたなと思い出す。カメラを抱えて、急いで撮影しに行く。周囲は緑豊かで、雨上がりの風景がとても瑞々しい。社内に戻ると、一角に出版部の社員たちが集まって立ち、壁に映写されたぼくら広告部の制作した映像を、感動した様子で見守っている。S社というと、最近は出版社のイメージが強いが、もともとは広告制作プロダクションなのだ。ぼくら広告部の実力を出版部の連中に認めさせたことで、ぼくは「やった!」と思う。
7月12日の夢(携帯がない)
退社時間になり、帰ろうとするとクライアントの女性から電話が入った。〇〇興産という名前の聞き覚えのない社名だ。相手の声もよく聞き取れないが、校正の返事だというので、「はい、はい…」といかにも分かったようなふりをする。しかし、ぼくのデスクには女性の言うような校正は置かれておらず、当惑していると、思いがけなくその校正紙が直接、女性の会社から送られてきた。ほっとするが、退社後ぼくは人と会う約束があり、スケジュールを調整しなくてはいけない。携帯で連絡をとろうとポケットを探るが、中から出てきたのは木製のピストルに似た三角形の携帯だ。自分の携帯が壊れたので、同僚から最新型の携帯を借りたのだと思い出したものの、当然ながらその携帯にはぼくの知人の発信先は記憶されていない。何度もポケットを探るが、ほかに携帯はない。おまけに自分のデスクに戻ろうとすると、そこでは別の女性社員が打ち合わせしていて、戻ることができない。
2020年07月08日
7月8日の夢(黒い球)
妻がボーリングの球のような黒い箱をぼくにくれた。中から四角い和紙、宗教家の演説、薬など、さまざまなものをぼくは取り出す。しかし、中に戻そうとしてもできない。妻を呼ぶが、なかなか手伝ってくれない。彼女がそばにいた男性に声をかけて手伝ってもらうことになる。彼に任せると、たちまち元通り収納することができた。
2020年07月07日
7月7日の夢(オフィスのリニューアル)
会社のオフィスがリニューアルすることになり、その責任者に指名された。オフィスは総ガラス張りで燦燦と日光が差し込んでいる。すべての部署がぼくの考え通りに順調にリニューアルされ、さて自分のデスクに戻ろうとすると、ぼくの席だけ椅子がない。探しに行くと、少し離れた場所に発見。車輪付きのその椅子をごろごろと自席まで転がして行き、無事に着席することができた。
2020年06月29日
6月27日の夢(水で書いた文字)
玄関のセメントの上に、「ぼくは〈きみの思想は?〉と訊かれてすらすら答えられる人のことを信じられない」と書くが、水はうまく文字にならない。周りにはなんだかよく分からないものが低い山のように積み上げられている。
6月25日の夢(水を飲む自動車)
ぼくの編集する「ピアノの本」が出来上がってきたが、誤植はないか、前回変えた判型は正しく継承されているか、などと不安でいっぱいだ。
そこへ「水を飲む自動車が開発された」という声がするので急いで行ってみる。屋外にはいろいろな車が停まっているが、ひときわ異彩を放つのは、泥船にも張りぼてにも見える水飲み自動車だ。ルームミラーの部分に大きな丸い口が暗くあいていて、そこからどくどく水を飲むのだという。そばに開発担当者らしい男が誇らしげに無言のまま微笑んで立っている。
6月19日の夢(人腹)
出社すると新入社員が二人入社していた。二人とも優秀で、プレゼンに使うスケッチを描くのが上手い。ぼくは「もっと山っ気を出して、有名人を起用してもよいのでは?」とアドバイスする。
「ちょっと一色くん」と呼ぶ声がするので振り向くと、とっくに亡くなったはずのN元社長だ。彼のデスクだけが、ぼくらのデスクを管理するようにこちらを向いて並んでいる。「きみの動画、なかなかいいじゃないか」と言うので、彼のパソコンをのぞき込むと、ぼくがデジカメのシャッターを長押ししたために、うっかり撮影してしまった動画が再生されている。それは夜祭の動画だ。Nが「人腹が映っている」と言う。なるほど暗闇の中にたくさんの男たちの裸のお腹が映っていて、それが皆鮭の婚姻色のように赤く染まっている。
2020年06月13日
6月13日の夢(乗り間違える)
かつて在籍していた原宿にあったS社の屋上で数人と談笑している。中には詩人の清水兄弟もいて、俳句などの話題で盛り上がる。そこへ女性長老詩人の白石さんが現れ、ぼくについてくるように言う。
彼女は森の峰道を飛ぶように歩いていくので、ぼくはすぐに彼女を見失ってしまう。道には大きな蜘蛛がたくさんぶらさがった木が何本も立っていて、その下を潜り抜けるたびにぼくは崖から落ちそうになるが、なんとかこらえる。
たどりついたところはイベント会場で、宇宙人の話をテーマに講演が行われている。しかし、話は中途半端に終わってしまい、なんとなく流れ解散のような雰囲気になる。考えてみると、原宿でぼくは自分の合評会を二時から主宰する予定だったのに、もう一時間半も遅刻している。慌てて最寄りの中野駅から電車に乗る。
気がつくと、電車は大きな川を渡っている。新宿に戻るつもりが、反対の電車に乗り違えてしまったのだ。次の駅で、乗り換えなければと思う。
6月12日の夢(風呂場を覗かれる)
お風呂に一人で入っている。自分の家ではない。入り口の右側に汚れた木製の桶のようなものがあり、周りに木切れが散らばっている。湯船はぼくの背後にあるらしいが、視界に入らない。桶の前に座り、お湯を体にかけていると、外から「Hさん、Hさん!」と呼ぶ女性の声がする。「いません」と答えるが、老人や若い女性など5,6人がさらに「Hさん、Hさん!」と呼ぶ。「いませんよ」と答え続けるが、みんな中に入ってきて、きょろきょろとHさんを探す。
2020年06月07日
6月6日の夢(朝食で占い)
農家で暮らしているぼくと妻は、毎朝、自分の食べた食事でその日の運勢を占っている。ぼくは今朝石臼の上の粉を食べたが、妻は隣室で石臼の上のトンビを食べた。妻の朝食がとてもおいしそうなので、明日はぼくもそれを食べたいと思う。トンビを食べる部屋には素敵なBGMもかかっている。
2020年05月25日
5月25日の夢(エリザベス女王の来臨)
今日は会社にエリザベス女王が訪れる日だ。いつもは閑散とした社内が今日だけは人でいっぱいで、山手線の車内のように混雑している。ぼくは女王には興味がなく、ひたすら自分の仕事の方が大切だと思っているので、人波を押し分けてコピー機を探すが、見つけることができない。しかたなく奥の壁際で人々と共に女王を待つことにする。
そのとき通路の向こうから美しい青いものがやってくるのが見えたので、「女王がやってきた!」と思うが、それは何か青い奇妙なものに過ぎず、女王ではなかった。
いつのまにかぼくは一人になっている。老人や中年の女がかわるがわる「お前の日頃の言動は問題だ!」とぼくを非難し、首をしめたり、さまざまな暴力をふるってくるが、ぼくはけっして彼らには屈しない。
2020年05月22日
5月22日の夢(行列のできる床屋さん)
床屋の順番を待っている。フローリングされた待合室にはたくさんの椅子が置かれ、真ん中に赤い花が壺に活けられている。その花の向こうは待つ人たちで満員だが、こちら側にはがらんと誰もいない。ぼくは一人だけこちら側に、みんなよりちょっと立派な椅子を置き、待つことにする。
中古の青い四角の浴槽をネット・オークションに出品することになった。浴槽はゴミだらけなので、「院長」と呼ばれる初老の男とぼくと二人で懸命にたわしでこする。オークションには売り手であるぼくら二人も買い手として参加している。ライバルたちがどんどん値をつり上げてくるので、これでは負けてしまうと判断した院長は「21,000円」と叫ぶ。ぼくは、それでは元の値段で買い戻すだけではないかと思う。
自宅にいて「ご飯ですよ」と声をかけられる。同時に隣の床屋からも、ぼくの順番が来たと呼ばれる。後ろ髪を引かれる思いで、ぼくは床屋へと向かう。
2020年05月17日
5月17日の夢(喫煙会社)
勤めている原宿の会社に出勤しようとするが、あるべき場所に会社がなく、出勤することができない。
会社に入ってみると、新任の社長がいた。長老詩人のI氏である。社員たちは知らない顔ばかりだが、タバコを吸っている男がいて吃驚する。社内禁煙ではなかったのか。男は「会社は分煙になり、こっちから先は喫煙可なんだ」と言う。実際、社内のあちこちから青いタバコの煙が立ち上り、心臓の悪いぼくは胸苦しさを覚える。でも分煙ならまあいいか、と思う。だが、自席に戻ると隣の席の男もタバコを吸っている。こんな会社にはいられない。ぼくは激怒して、I社長に抗議に行こうとする。
2020年05月14日
5月14日の夢(スーパーの周年記念日)
実家のそばの丘の上に建つスーパーの何十周年かの記念行事に招待された。もうすぐぼくはこの土地を立ち去る予定だ。スーパーの歴史はぼくのこの土地での歴史でもあり、一角にはぼくの寄贈した子供向け絵本の図書コーナーもあって懐かしい。イベントの最後の挨拶で、そうした思いをスピーチしようと思う。
楽屋でスピーチの準備をしていると、老人がにこやかに近寄ってきて、ぼくに縦長の四角い桶のようなものを手渡す。中には傘や棒のようなものの三点セットが入っており、ぼくへの餞別らしい。
しかし、イベントはぼくのスピーチなしに終わってしまい、ぼくは衝撃を受ける。ぼくを送り届けるバスが出るからというので、ぼくは大慌てで急な崖道を駆け降りる。石段というより岩山を転げ落ちていくようだ。気がつくとさっき贈られた餞別もどこかへ行ってしまい、バスもぼくを残して発車してしまいそうだ。
2020年05月02日
5月2日の夢(ヴァーチャル・ワールド)
会社で卵料理を作った。皿を探すが見つからないので、とりあえず左のてのひらに乗せる。オフィスは真ん中にデスクが並び、壁際はすべて食器棚である。居合わせた同僚たちも探してくれるが、その食器棚にはぼくの料理にふさわしい皿が一枚も見当たらない。
その日、新しい社長が就任した。なんだかヤンキーのような男で、信用できないが、ぼくともう一人の男性社員とともに、新しいクライアントにプレゼンに行こうというので、しかたなく従う。クライアントのオフィスのあるビルの階段を上りながら、ぼくは名刺を忘れたことに気づいて、社長に言う。だが彼は「ぼくも今日来たばかりだから、そんなもの持っていないよ」と、にべもない。
いよいよプレゼンが始まった。それはぼくが今まで見たこともない、ヴァーチャル・リアリティの世界だった。クライアントのオフィスは一瞬にして、ファンタジックなアニメ映画のような世界に変貌する。驚愕しているうちに、プレゼンが終わると、ヴァーチャルの世界で活躍していたキャラクターの二人は、実は顔などに特殊メイクを施した実在の男たちであることが分かる。ぼくの質問に二人は、「リアルな人間が混じっていた方が、ヴァーチャルの世界がよりリアルになりますから」と照れながら説明する。
会社のデスクに戻る。ぼくはとっくに定年を過ぎているが、まだ「Pの本」の編集長を続けなければならない。何の企画も取材もしていないが、果たして次号が発行できるのだろうか。隣のデスクにY社銀座店の店長だったK氏が座っていて、「〇〇という町でぼくは……」という話をしている。ぼくは驚いて、「その〇〇にぼくは住んでいるんですよ」と話しかける。しかし、〇〇という名前の町は全国にいくつもあるので、別の町の話だったかもしれないと気づき、彼に勘違いの詫びを言う。彼もとまどった表情でぼくを見返し、二人の間でちょっとした沈黙の時間が流れる。
2020年04月15日
4月15日の夢(企画書紛失)
会議室で半世紀前に早稲田詩人会の会員だったT氏、先輩女性詩人のKさん、それに中年の子育て研究サークルの知らない女性たちと、子供たちのためのパーティーの企画会議をしている。前半の会議はぼくのリードでスムーズに進んだが、後半の子供たちのためのゲーム企画のテーマになったところで、テーブルの上の書類の束の中に、せっかく準備したぼくの企画書がないことに気づく。書類の一番上にあった下書きを一瞥し、女性たちは「面白くないわね」とにべもなく言う。そして部屋の別のテーブルに場所を移し、自分たちの企画書を手前みそに面白がりながら、どんどんプレゼンしていく。ぼくは必死でテーブルのあちこちに置かれた書類の束を探し回るが、ぼくの企画書は見当たらない。テーブルからTくんやKさんもそっと席を立って、部屋を出て行ってしまった。ぼくだけが屈辱感にまみれながら、一人で企画書を探し続ける。
4月13日の夢(荒野の中の劇場)
劇場の地下にあるバックヤードを歩いているうち、四方を青い壁に囲まれた小部屋に迷い込む。壁以外に何一つない部屋。振り返ると、自分の入ってきた入り口が見当たらない。驚いて戻ると、入り口がすっかり壁に溶け込む仕組みになっているのだ。この部屋に誰かを誘い入れて、殺してしまうこともできるなと思う。自分が出入り口を見失わないように、赤のボールペンで丸印をつける。
地上に出てみると、そこは丘の上に立つ一軒家だった。自分が元いた場所に戻ろうと歩き出したものの、スポーツセンターの敷地に迷い込んでしまった。男性のインストラクターが体操の指導をしているところで、彼の体にぶつかってしまい、「すみません」と謝罪する。
会社へ通勤するためのバス停が遠くに見える。そこまでは起伏に富んだ荒野が広がっているが、ぼくは突然空に飛びあがり、地上すれすれを低空飛行で、あっという間にバス停にたどり着く。
バス停には小劇場の次回の公演プログラムが置いてある。誰かが「〇〇さんのためにこれを持っていくの?」と尋ねる。ぼくは、そうだ、それがぼくがここに来た目的だったんだと思い出し、「そうだよ」と答えると、プログラムを一枚手に取って、やってきたバスに乗り込む。
2020年04月05日
4月2日の夢(サンマ)
大きな窓から日のさんさんと差し込むオフィスだが、教室のようでもある。若い男女の同僚たちとランチを食べているのだが、ぼくにはご飯の器しかなく、おかずの皿がない。白い皿がいくつも並ぶ中に、一つだけサンマが一匹載っている。きっとあれがぼくのお皿だろう。「それ、ぼくの…」と言うと、女性社員の一人が「あらあ残念。余っているなら、私が食べようと思っていたのに」と笑う。
そのとたん、ぼくは自分がズボンをはいていないことに気づく。デスクの下からごそごそと新しいズボンや上着を出して身に着けるが、みんな原色の黄色でなんだか派手なものばかりだ。そういえばベルトが切れたので、古いズボンを脱いだのだったと思い出す。新しいベルトは編み編みのもので、なかなかかっこいい。ズボンもうまくはけて、意外におしゃれな自分に変身した。
服を身に着け終わり、さあランチを食べようと思うと、さっきのサンマが見当たらない。みんな素知らぬ顔をしている。結局、食べ損なったみたいだ。
4月1日の夢(銀世界)
目覚めて古風な町家の玄関を開けて外に出ると、思いがけず一面雪が積もって銀世界に一変している。しんとして神秘的な青白い雪野原がどこまでも広がっている。積雪は何センチあるのだろう?と思う。
3月30日の夢(京都イベント計画)
京都の古い街並みの町家で、黒い板塀の戸口を開けると、土間のような玄関のデスクの向こうに古い友人のピアニスト、Sさんが座っている。ぼくらは二人で新しい舞台の打ち合わせをしているところだ。ぼくは途中でちょっとした用を思い出し、表の細い路地に出る。外は静かに霧雨が降っている。ところがあまりに路地が狭かったため、間違えて向かいの家の戸口を開けてしまったことに気づくが、何食わぬ顔をして戻る。この舞台に来てくれた客には、二人で著書にサインをし、おみやげとして配ればいいと思う。
3月29日の夢(市ヶ谷の水辺リゾート)
東京・市ヶ谷の仕事先に荷物を届けるため、久しぶりに総武線の電車に乗った。車内は満員で、ぼくは黒いスーツケースと大きな段ボールを床に置いて、立っている。駅に着いたので、スーツケースを置いたまま段ボールだけを抱え、進行方向右側の出口からホームに降りる。スーツケースは後で回収すればよいと思う。ところが駅の感じが微妙に違う。市ヶ谷駅は進行方向左側から降りるのではなかったか。そうだ。ここは市ヶ谷駅ではない。四谷と市ヶ谷の間に新駅ができ、そこでリゾート開発が行われているはずだ。慌ててもう一度車内に戻る。電車が走りだすと、窓から緑豊かな丘陵に囲まれた広大な入り江が見える。都心だった四谷と飯田橋の間が、海と山のある大自然の風景に造り替えられているのだ。いつのまに東京はこんなふうに改造されたのだろうか。ぼくは驚きながら新しい市ヶ谷駅のホームから、鬱蒼と茂った山道を段ボールを両手に抱えて下っていく。
2020年03月01日
2月29日の夢(すべてはマンガだ)
会社をサボりたいので風邪の診断書をもらおうとクリニックに向けて歩き出す。しかし、既に風邪の症状は治っているので、診断書を貰うのは無理だろう。それより以前勤めていた業界紙「印刷研究社」を訪ねて営業をかけた方がよいと思い、手土産に菓子折りを持ち、手近のバス停からバスに乗る。しかし、バスはJRの駅に行くには行くが、かなり遠くの駅に向かう。すぐそばのJR駅の隣駅に同社はあるのだから、JRに乗ればよかったなと思うが、もう遅い。
印刷研究社に着いた。広い講堂のようながらんとした場所で、同社の社長はほかの来客と面談中だ。ぼくは持参した菓子折りを開けて面談の終わるのを待つ。だが、その話し合いを見ているうちに、すべてがお金で動いていく社会に嫌悪感がつのる。ぼくは菓子折りを再び閉じ、包装紙の上に「マンガ」と書いて、その場を立ち去る。すべてはマンガのように滑稽だと、ぼくには思えたからだ。
2020年02月22日
2月23日の夢(タクシーでNHKに行く)
書類が郵送されてきた。開けてみると、「NHKに手続きに行ってください。タクシーを利用するなら、その内三千円を負担します」と書いてある。ぼくはすぐにNHKに行くことにして、夜の街に飛び出し、タクシーを拾う。
運転手は若い気弱そうな男である。ぼくは「NHKへ行ってください。NHKといえば渋谷だね」と言う。タクシーが走り出してから、ポケットの財布を探るとやけに軽い。全くカラであることに気づく。だが、どうせ夢なのだから、お金を支払う真似をすればいいのだと思う。
NHKの前に着いた。書類を見せて、お金を払う真似をすると、運転手は「234円です。残りの三千円はこの書類に書かれた三ノ宮に請求すればいいのですね」と言う。
タクシーを降りて、建物に入ると、そこはNHKではなく民放だった。ロビーには守衛がいたが、見とがめられることなくぼくは階段を上る。そこでは番組スタッフが忙しそうに働いている。ぼくは手続きに行く前に、まずすトイレに行こうと思って、目を覚ます。
2月21日の夢(嘱託人生)
今日こそは会社を辞めようと思っていたのに、言い出せないままだ。三階にある本社の総務に「辞めたい」とひとこと言えばすむことなのに。でも退職するには三か月前に申し出ないといけないだろう。63歳で嘱託になり、いつのまにか73歳になってしまった。仕事はそんなにないとはいえ、やはり働き続けるのは辛い。デスクの周りを布で掃除し、良いと思うポスターを何枚か壁に貼る。
2月20日の夢(重要な台所)
三種類の夢をバスケットに入れて提出しなければいけない。夢はポリ袋に入っていて、長いもの、小さいもの、中ぐらいのものが沢山ある。その中からどの三つの夢を選べばよいのか迷うが、ぼくは自信を持って三つを選んで提出する。
市電の線路の向こう側に会社があり、その右側にぼくの個人事務所がある。ぼくは個人事務所に帰りたいが、会社のデスクにぼくへの伝言が貼ってあるかもしれないと思い、いったん会社に立ち寄る。社内でぼくは、まだ開けていない横開きの木製ドアがあることに気づく。それを開けると、台所があった。ぼくはそこがとても重要な場所であると気づく。
2月18日の夢(赤いお札)
目覚めると狭い部屋の中いっぱいに赤いお札が、壁といわず床といわず散らばっている。この集落ではいろいろなしきたりがあるが、このお札があればそれを破ってもよいのだ。ぼくたちはこのお札を使って新しい生活を始めたいと思っている。「でも、このお札あまりに数が多すぎるんじゃない?」と妻が言う。
2020年02月15日
2月12日の夢(詐欺師チーム)
チャイムが鳴った。今日の契約の相手が到着したのだ。正面ゲートもうまく開錠できた。そのゲートを抜け、何台もの高級車が横並びの隊列を組んで走り込んでくる。ロータリーを威嚇するようにぐるりと一周し、運動場のように広いエントランスから両側に緑の豊かな坂道を登ってくる。
契約を祝うパーティーが始まった。賑やかな談笑の中で、本当に彼らはぼくたちがこの会社の経営陣を装う詐欺師チームであることに気づいていないのだろうか。
2020年02月11日
2月11日の夢(青い封筒と霊柩車)
73歳になってもまだ会社で働かせてもらっている。いつまでできるのだろうかと考えていると、青い封筒が届いた。G詩人会のH氏賞担当理事M氏からで、H氏賞を東京などの主要都市ではなく、地方都市で行ってはどうかといった企画案がぎっしりと書き込まれている。
両側に京都の町家の民家が建ち並ぶ住宅地の暗い路地をさまよっている。しかし、目的地にたどりつくことができず引き返す途中、民家から怪しまれて誰何の声がかかる。
ホームで待っているがなかなか電車が来ない。やっと特急のような電車が入線したので乗ろうとすると、ぼくの前でドアが閉まる。ほかの人は乗車していくので、そちらのドアに急ぐが、やはりぼくの前でドアが閉まる。一番先頭のドアまで走るが、列車はついにぼくを拒否して発車してしまう。クラブ活動のリーダーしか乗せない特急なのだという。
先ほどの路地の少年たちが今まで使っていた施設から締め出されるのに抗議して署名活動にやってきた。ぼくは署名しないつもりでいたが、同僚に勧められて玄関に引き返した時には、少年たちがばたばたと足音を立てて走り去った後だった。
車の助手席に乗っている。「バンパーン!」と大きな音がするので驚く。そうか。これは霊柩車で、今のは弔意を示すクラクションだったのだと気づく。
2月10日の夢(新製品体験ルポ)
会社で仕事していると、クライアントがやってきて、新製品の体験ルポを「ピアノの本」に書いてほしいと言う。それはアメリカの依頼で日本に設置されたスパイ装置なのだが、一般家庭用にも応用できて、親子で楽しめるらしい。ぼくが自分で取材しようと思うが、もう65歳(実際にはもっと年上)のぼくではリアルな体験記にならないかもしれない。ライターさんに依頼した方がよいだろうか、依頼するとしたら誰が適任だろうかと考える。ふとぼくのデスクを見ると、置いてあったオーディオ装置やパソコンが皆、床にぶちまけられている。これでは自分の席では仕事ができないなと思う。しかし、忙しいのでそんなことはどうでもいい。ぼくは取材に行くために、地下への大きなトンネルを降りていく。下り終わって、さらに上がったところにアーチ形の出口があり、その向こうに取材先があるのだ。
2月9日の夢(消えた郵便物)
朝届いた大量の郵便物を抱えて、通勤のため電車に乗る。ラッシュの車内から降車する人々をやり過ごすため、郵便物の山をいったん車内の床に置いて、自分もホームに降りる。再び乗車すると、郵便物の山が消えている。落とし物として駅員に処理されてしまったらしい。慌ててホームに降り、駅員を探すが、一人も見つからない。その間に電車も発車してしまった。次の電車に乗り、隣の大きな駅で降りるが、そこにも駅員は一人も見当たらない。
2020年01月30日
1月30日の夢(新藤兼人監督の新作映画)
過去の大作映画を新藤兼人監督が新たな演出と編集でリメイクし直した新作推理映画が完成間近である。ベースには過去の映像がそのまま使われているので、星由里子ら往年の名女優も若いままの姿で出演している一方、新しく撮り直された部分ではゆずのメンバーや、TやKなどぼくの知人も参加している。ぼく自身もオフィスの白板に「NHKに行く。22時まで」と嘘の予定を書いたまま、この映画に巻き込まれることになってしまった。出がけに棚の荷物を後輩が落としてしまい、それが発火しそうになるが、うまくぼくが受け止めて難を逃れる。
さて今撮影されている港のシーンでは、海の中を沢山の消防車が隊列を組んで走り、その後ろを大量の血のようなものが追いかけていく。色彩が鮮やかで、美しく迫力のある画面だ。港の後方を振り返ると晴れ上がった夜空が見えるが、前方は昼間なのに青いスモークで深い霧がかかっている。その霧の奥から貨物列車が驀進してくる。貨車ごとに積まれているのは木製の大きな看板のようなもので、それを演出したのは黒澤明監督だという。次のシーンでは由緒ありげな古風な日本家屋が写される。その建物はがちゃんがちゃんと音を立てて、壁や窓が移動して別の建物に変わっていく。日本の伝統的な建築様式であるらしい。
映画には沢山の名優が出演しているが、ぼくには誰が誰だかよくわからない。既に亡くなった俳優の出演場面では、壁に投影された影法師だけで表現されているシーンもあり、上手い演出だなと感心する。
不意に電話がかかってくる。受話器をとると女性が早口でまくしたてて、聞き取れない。もう一度かかり直した電話を星由里子に渡す。電話の相手は星に自分の名前は「赤」だと名乗る。この「赤」という言葉をキイとして、事件は一挙に解決に向かっていくのだ。
撮影が終わり、ごみごみした料理屋で打ち上げが行われる。長老詩人のN氏が訪れるというので、狭い部屋から広い部屋へと移動して待ち構えるが、なかなか現れない。誰かが「この部屋は撮影中、Tが使っていた」と言う。ぼくは「出演者の中には自分のことを名優と自ら誇る人もいるが、彼女はけっしてそういう自慢をしない。むしろ自分には実力がないと思っている。だけど、彼女の歌は天才的に上手いんだ」と、みんなに力説する。
2020年01月24日
1月19日の夢(レコーディング)
古びた田舎家を改造したレコーディングスタジオで、ぼくは新曲の録音をしている。右手に木製の扉があり、その向こうは調整室だ。そこへコンコン咳き込みながら義母が現れ、スタジオの中をぐるぐると歩き回る。スタジオにはクリニックが併設されていて、義母は診察を受けに来たのかもしれない。
母に外へ出てもらい、レコーディングの準備を進めるが、歌を全く練習してこなかったことに気づき、スタッフに楽譜を探させる。その間にぼくも外へ出ようとして、奥へずんずん進むと、そこには民家の部屋があり、眼鏡をかけた男とその息子がおびえた様子で、ぼくの様子をうかがっている。驚いて反対の方向へ進むと、縁側があり、その向こうに池が広がっている。池には狭い岸辺があり、そこを観客席にして朗読会ができると思う。でも少し狭すぎるなと、スタッフと話し合う。
夕食時で、家では妻が食事の準備をして待っているだろうと思いながら、調整室のドアを開けるとそこは我が家だった。そして妻が「ああ、そこにいたの?!」とにこやかな顔を出す。隣にいる義母は車椅子に乗っていて、二人ともとてもファッショナブルなスタイルだ。二人の隣には見上げるように背の高い黒服の男が立っている。まるで黒い電柱のようだ。妻は男に向かい、しきりに「Hさん、Hさん!」と呼びかける。
2020年01月16日
1月16日の夢(水びたしの世界)
会社の二階で働いている。ぼくの机の上は原稿や校正などでいっぱいだ。一階に席がある中年女性のスタッフが、自分の制作物のためにぼくの作品を参考にさせてほしいと言って、二階に上がって来た。彼女が貸してほしいというのは、コミックとコピーの組み合わせられたものだが、それはまだ未定稿なので渡せないと、ぼくは断る。
会社を退出して帰宅しようとする。いつも通る丘の上だが、あたり一面が冠水していて、見た渡す限り水びたしだ。気づくとぼくは泥の中に膝まで入り込んで、動くのもやっとの状態だが、幸いなことに膝まである長靴をはいているのがせめてもの救いだ。
2020年01月12日
1月12日の夢(クリニック卒業)
クリニックへ行くが患者が多く、待合室で長時間待たされる。忘れられてしまったのかと不安になる。受付の女性が待合室の患者たちに「帰りは入り口と違い、隣のビルへの坂になった通路を上がって、そこから階下へ降りてください」と、図を示しながら説明している。
ようやく診察室に呼び入れられると、医師は「もうあなたは卒業」と宣告する。なんのことか分からないまま、言われたままに別のビルの出口から降りると、後からついてきた女性がぼくに花束を渡してくれる。つきそいの妻といっしょにタクシーに乗り込む。目的地に着くと、ぼくは運転手にさっきの医者の領収書など三種類の書類を見せる。それを見せると、運賃が割引になるらしい。運転手は「確かリアウィンドウに印鑑があるはずなんですが」とぼくに言う。手探りして、ぼくはそれらしい短筒状の物の入った袋を手渡すが、運転手は「それじゃない」と否定し、ぼくは慌ててそれを落としてしまう。そしてそれはそのまま見つけることができなくなる。運転手は「ああ、印鑑はありました」と言って書類に捺印し、「そういえばYさんは衆議院にいるんですよね」と話しかけてくる。Yさんは詩壇の要職を歴任している詩人だ。ぼくが「えっ、Yさんは衆議院議員になったの?」と驚くと、運転手は「いや、そういうわけじゃないんですが、都庁を辞めて……」と言葉を濁す。
2020年01月11日
1月11日の夢(怒鳴り込み)
S誌の座談会が行われる部屋の前に、準備のため椅子を並べていると、出席者の一人の女性詩人がやってきた。彼女にいったんは椅子を勧めるが、直接部屋に入ってもらってもいい時刻だと気づき、「お部屋の方へどうぞ」と言いながら、ドアを開ける。しかし部屋の中は異常に狭くて汚く、まるで荷物置き場のようだ。座ってもらう椅子も一脚しかない。「こんなところで座談会ができるわけないじゃないか」とぼくは激しい怒りを覚え、すぐに部屋の変更を求めて貸し会議室のフロントに怒鳴り込むことにする。
フロントの前は大きな会議室になっていて、粛々と某詩人クラブのイベントが行われている最中だった。ぼくは司会席ごしに首を伸ばして、フロントの男に抗議を始める。それがちょうどマイクの前だったので、ぼくの怒声はマイクで会場中に響き渡ってしまう。フロントの男はぼくに「文句があるなら情報部に直接言え!」と冷ややかに答える。クラブの男たちも威嚇するように周りに集まってきた。ぼくは男の胸ぐらをつかんで、思わず相手をぶちのめそうとする。
そこで唐突に夢は中断され、気づいたときはぼくはまた、何事もなかったように座談会の会場に向かっている。階段を登って詩人のH氏が現れるが、ぼくは無言で会釈をしただけで、彼をやり過ごす。もう会場は適切な部屋に変更されているだろうか? と期待してドアを開けるが、そこはあいかわらず狭くて汚い荷物置き場のままである。
2020年01月06日
1月5日の夢(名刺と渡り鳥)
会社で残業をしていると、声高に会議をしている部屋がある。一番玄関に近い会議室に暴力団ふうにも見える若い男たちがぎっしりと詰めかけているのだ。奥の自分のオフィスに戻ると、そこは半分壁がなく、外気にさらされているので、とても寒い。空を見上げると、渡り鳥の大群が飛んでいるのが見える。「気だ! 季節が変わるんだ!」という声が聞こえる。ぼくははっと我に返り、夢中で慌てて渡り鳥の写真を撮る。
そこへ人相の悪い男が一人でやってきて、挨拶もなしにいきなり、ぼくの詩作についてインタビューを始める。明らかに会議室にいた男たちの一人だ。一通り答え終わった後、ぼくは男に「名刺、いいですか?」と、身分の証明を求める。男が「うん、別にいいよ」と答えるので、ぼくもスーツのポケットから名刺入れを出すが、中に入っているのは全部他人の名刺だ。隣の部屋に探しに行くが、そこにもぼくの名刺はない。
オフィスに戻ると、男の姿は消えていて、「明日、静岡県まで取材に行け」と指示が出る。時計を見ると、もう夜の11時半だ。家に帰るのもやっとなのに、また明日は早起きか。やれやれと思う。
2020年01月02日
1月2日の夢(渋谷のデストピア)
メトロの渋谷駅から降りて、エレベーターに乗る。階数表示板には数字のほかに「T」という符号も打たれていて、ぼくはそのボタンを押してしまう。乗り合わせた男女が「えっ?」という表情でぼくを見る。
「T」というフロアで降りる。デパートのはずなのに、そこには何もなく、廃墟のようだ。仕方なく階段を降りる。階段には浮浪者の男たちがぎっしりと寝ている。うっかり一人の男の上に傘を落としてしまい、男は「何をするんだ?!」とぼくにすごむ。こわごわ男たちの脇を通り抜けて、階下のデパートとして営業しているフロアに降りる。そこでもお客の姿は少なく、納入業者が店長らしき男に何事か激しく譴責されている。一階から隣のビルに行こうとする。そこもぼくの記憶では同じような商業ビルのはずだ。だが、ビルは見当たらず、右手の丘のように小高くなった緑豊かな道を沢山の男女が急ぎ足で歩いて行く。きっとその方向にJRの渋谷駅があるのだろう。その道を人々と反対方向に、巨大な銀色の馬のような動物が一人の農夫に引かれていく。戦後初期の農村のようなのどかな風景だ。慌てて写真を撮ろうとするが、撮りそこなう。ふと足元から声がするので見下ろすと、犬ほどの大きさの継ぎ接ぎされた鯉のぼりのような玩具が、ぐるぐると輪を描いて歩いている。それがしきりに女の子の声でぼくに話しかけるのだ。カメラで何枚も写真を撮っているうちに、体表の一部が剥がれて中に少女の顔が見える。そばにいた女性が「かわいそうに、こんなところに押し込められているのね」と声をかける。
2019年12月23日
12月22日の夢(ヴァーチャルな海)
会社で仕事をしている。午後1時にクライアントと合流して、ユーザー取材に出かける。しかし、取材先の家では4時に出直すように言われ、いったん会社に戻ることにする。湘南の海が目の前に広がっている。海はそのままでも美しいと思うが、デジタル・プロジェクションで太陽にきらめくエメラルド・グリーンの海が、実在の海の上に合成されている。波打ち際数十センチのあたりまでは本物の海なのだが、いくらじっと見つめても合成の境界線が分からない。ヴァーチャルの海の浅瀬には緑色の海藻がからまって浮いている。沖には船が航海し、右手からは若い男性たちが数人、並んで泳いでくる。彼らはヴァーチャルなのかリアルなのか分からないが、海は色彩こそ緑に変えられているものの、とても自然だ。
会社に戻り、掃除などをしながらふと腕時計を見ると、3時だ。まだ時間があると思い、次に見るとやっぱり3時だ。見直すと、時計は止まっている。実際はもう5時ぐらいなのだろう。取材に戻る約束の時間をとっくに過ぎている。でも、これは夢なのだから戻らなくていいと思うものの、罪悪感にかられる。
2019年12月19日
12月19日の夢(走るオフィス)
会社が改装されることになり、オフィスの配置換えも行われることになった。真ん中の部屋には三台ベッドが置かれ、仮眠室として整備される。ついでにビル全体が列車になり、線路が廃止されたあとの跡地を走ることができるようになった。窓のある側だけでなく、内部にある部屋の壁にも大型スクリーンが設置され、どの部屋も窓からの疾走する風景を楽しめる。街中どこでもいいわけではないが、廃線の跡地なら自由に走ってよいのだという。廃線の行き止まりには確か郵便局があったはずだが、実際に列車オフィスに乗って行ってみると見当たらない。きっと廃止されてしまったのだろう。6時の退社時間を過ぎたが、列車オフィスが面白いので、そのまま残業することにする。
同僚の初老の男性の夫人が家出してしまったと嘆いている。孤独になった男を同僚たちがみんなで慰める。向かいのビルのベランダから、クレーンで空中に身を乗り出し、励ましの演説をする男もいる。その甲斐あって、夫人が車で戻って来た。会社全体が歓喜に包まれる。
2019年12月14日
12月14日の夢(飛行機に乗り遅れる)
仕事で会社のメンバーの八時発の飛行機でパリに発つ予定だ。しかし、まだ15分ほど余裕があるので、近くの商店を回り、品定めをしながら食べ物を買う。買い終わって腕時計を見ると、8時5分だった。
12月13日の夢(詩人たちの来訪)
夜、玄関のガラス戸の向こうに、人気詩人のN氏をはじめとする多くの詩人たちが近づいてくるのが見える。葬式か何かの流れで、みんなで立ち寄ってくれたらしいが、彼ら自身が死者であるような気もする。玄関戸を開けて招き入れ、皆で部屋に入って雑談する。ぼくは「前にもこんなことがありましたね」とN氏に言う。妻が自分の作った小詩集の値段一覧表を急いでつくり、「こんなものでいいかしら」とぼくに尋ねる。彼らにそれらの小詩集を特別価格で買ってもらうつもりらしい。ぼくは「さあね」と答えながら、自分も何か売るものがないかと、書棚を見るが、最近同人誌に入っていないせいもあって、何も見当たらない。
2019年12月07日
12月7日の夢(赤い靴)
大きな企業のホテルのように豪華な正面玄関への大階段を降りてきたところで、自分がはいてきた真っ赤な靴をどこかに置き忘れ、靴下のままで歩いていることに気づいた。目の覚めるような真っ赤なスニーカーをはいてきたはずなのに。引き返すが、自分の靴は見つからない。けれども、大階段の下に沢山の靴が積み上げられていて、そこに真っ赤なスニーカーもいくつかある。あの一つを黙って借りて帰ればよいのではないかと、ふと思いついた。
2019年12月03日
12月3日の夢(空飛ぶピアノと寂しいバス)
会社で忙しく働いていると、電話が鳴った。ぼくの取引先の中国人だ。名前すら教えてくれない秘密のクライアントである。その男から仕事の指示書が送られてきた。「〇月〇日にアモイで取材が可能か?」と書かれているが、どんな取材かは分からない。目の前に座っている上司に確認すると、「そういえばアモイには昔NHK職員だった男がいて、腹話術などいろいろ特殊な能力を持っているらしいよ」と言う。同僚が鉛筆ラフを見せてくれる。あるピアノメーカーからMXというアップライトピアノが発売され、その広告の企画らしい。なんとヘリコプターがピアノを空から運んでくる設定だ。実際にはピアノユーザーの家庭訪問取材になるだろうなと思う。だが一か月半の中国取材となると、切れかけたぼくのパスポートが無効になってしまいそうだ。
退社して電車に乗る。女性がドアを開けっぱなしにして乗っているので、落ちないかとはらはらする。駅に着き、バスに乗り換える。バスの中はとても広くて、小さなホールのようだ。だが、長椅子が三脚ほどばらばらに置かれているだけで、がらんとしている。今度走り始めた新型のバスで、まだ一台しかないのだという。乗客はぼくのほかに男女が一名ずつ。だが、三人とも離れて座ったので、とてもさびしい感じだ。
11月30日の夢(洪水)
地面に生首が落ちているように見えたのは、丘のてっぺんの草地で男性が穴を掘っていて、穴の中にいる男性の首だけが地面に突き出しているからだった。その場所を舞台に近くの人たちが集まり、ちょっとしたイベントが始まった。ぼくは「住んでいるのがこの近くなので……」ということで、司会を仰せつかる。
起きると、知らないうちに洪水が起きていて、あたりが床上浸水している。どの家も配達された新聞がびしょ濡れだが、配達された場所に置かれている。中には「新聞赤旗」も混じっている。それなのに我が家の取っている朝日新聞だけが流されてしまって見当たらない。どこかの家の奥さんが「あら、注文した新聞が届いたわね」と言う。みんな再配達を頼んだのだろうか。我が家は洪水で家族三人が一室に閉じ込められてしまい、朝食をとりながら「洪水になっていたなんて、全然気づかなかったねー」とみんなで話し合う。
2019年11月27日
11月26日の夢(一度しか来ないバス)
バスに乗って取材に行こうとして、山のほとりの十字路に立っている。この道は70年前、ぼくが幼稚園に通うための通学路だった。このバスに乗るには、お金は要らない。けれど、夢から覚めたら思い出すことのできない〇を沢山持っている必要がある。けれど、一日待っても停留所にバスはやってこない。日暮れごろ、ようやく山向こうからバスがやってきたのが見える。だが、ぼくはテレビカメラもノートも取材用具を何もかも忘れてきたことに気づく。
2019年11月23日
11月23日の夢(現代詩ゼミ)
軽い風邪をひいて、自宅の部屋で寝ている。明日は現代詩ゼミなので、それに出演する講師二人が打ち合わせに隣室に来ているが、ぼくは病気と称して応対に出ず、ドアを閉めて家族とご飯を食べる。
翌日、ゼミの会場に向かう途中の広場で、やはり講師として来てくれた女性詩人のNさんとばったり会う。Nさんは突如、街路に一匹の猫となって身を投げ出し、「お久しぶり!」と叫ぶ。やがて人間に戻って起き上がったNさんは、ぼくが見上げるほどの身長である。あれれっ、こんな大柄な女性だったっけ? 彼女が共演のあさのあつこと打ち合わせに喫茶店に入っていく後姿に、ぼくは「Nさん、頑張れ!」と声をかける。
さて、会場でゼミが始まったが、出演者を除けば純粋な聴衆は10名ほどしかおらず、低調である。ぼくの主催者としての挨拶の後、第一部のバンド演奏が始まる。オーケストラのように見えるが、楽器はすべて紙で作った張りぼてだ。なかなか面白い企画だったが、終わった後の楽屋でバンドリーダーの老人が女性担当者に「楽器の制作費が沢山かかったので、経費を支払え」と迫る。そんな話は聞いていないので、ぼくは「後でネットのオークションに楽器を出して、その売り上げをあなたが取ればいいじゃないか」と言って、引き下がらせる。
2019年11月22日
11月22日の夢(入社試験)
ぼくが十年以上前まで在籍していたS社の本社ビル。帰社したぼくは驚いた。今朝、出版部が新聞に出した二名の入社募集広告に応えて、二百名ほどの受験生が殺到し、ビルの中が彼らに占領されてしまっていたのだ。出版部の面接会場や待機場所に使うため、ぼくの所属する広告部はオフィスを全部明け渡してしまったらしい。元の自分のオフィスにはコードを抜かれた沢山のiMacが片隅に積み上げられているだけ。同僚は一人も見当たらない。忙しい仕事にすぐにでも取り掛かりたいのに、どうしたらいいのだろう?
部屋の外に出ると、階段も受験生たちにあふれていて、中には和服のお母さんに引率された明らかにオタクと思われる男の姿もある。母親連れの受験生など全員即刻受験資格なしにすればよいと、ぼくは悪態をつく。
ぼくはiPadを取り出して、同僚に連絡をとろうとする。だが、iPadの待ち受け画面は知らない他社のホームページに固定されてしまっていて、そこすら抜け出すことができない。見慣れたはずのS社ビルがどんどん見知らぬビルに見えてくる。もしかしたら、ここはS社ビルではなく、ぼくがビルを取り違えただけではないのか。ぼくはエレベーターに乗り込むがその中も応募者たちでいっぱいだ。急いで階数表示ボタンを押すが、エレベーターはびくとも動かない。「ちょっとごめんなさいよ!」とぼくは応募者や母親たちを押しのけてエレベーターを飛び出すが、ますます迷宮の世界に迷い込むばかりだ。
2019年11月08日
11月8日の夢(中二階のオフィス)
中庭を円形に囲んだ中二階が「ピアノの本」の編集部になっていて、オフィスには乱雑に山のような資料が置かれている。ぼくの席の傍らにはグランドピアノがあるが、やむなくその鍵盤蓋の上にもぼくは資料を積み上げる。早急に校正をしなくてはいけないのだが、ゲラは確か中二階の反対側にあるはずだと思い出す。急いで当たりをつけた場所を探すが、ゲラは見つからず、ぼくは空しく席に戻って来た。
見下ろす中庭の真ん中には殆ど水の涸れた池があり、日本列島のような形の岩が置かれている。よく見ると、一つだけ外側に余った岩がある。ぼくはそれが日本列島のどこかの一部ではないかと考えて見回すが、列島型の岩には特に欠落した部分はない。大相撲解説者の北の富士が池の傍らに立ち、「こうやって君たちが靴で池の縁を踏み荒らすから、〇〇(実在しない虫の名前)がいなくなるんじゃないの?」と言う。編集部員の一人が「そうなんですよね。〇〇が随分減った。〇〇って虫眼鏡で見ると、四角い顔をしてるんですよね」と、にこやかに応答する。
2019年11月07日
11月6日の夢(コンセント)
今日は医者に通院する日だ。クリニックの前の舗道に立って、診察の順番を待っていると、数人の男女がやってきて、ぼくに「ちょっとどいて」と言う。そして、ぼくの足元の地面にコンセントを探し始めた。けれども見つからないので、ぼくは街中をコンセントを探して歩き回ることになった。
2019年10月31日
10月31日の夢(休日出勤)
新しい会社に就職した。若い社長はぼくに現代の若者について書かれたプリント資料を二つ渡し、それを読むように言うだけで、何の指示もしない。ぼくは何をすべきか分からないまま、それに読み耽る。まだ読み終わらないうちに、社長は「二日後に広島にワッツという女子学生コンビを取材に行くが、一緒に行けるか?」と尋ねてくる。ぼくはもちろん承諾する。
翌日は土曜日で、ぼくは一人会社に出社した。昨日は「二日後」を週明けの二日後、つまり火曜日のことと思い込んでいたのだが、もしかしたら明日の日曜日のことかもしれないと思い直す。社長のデスクに行ってみると、日曜日の時刻表のコピーが置いてある。やっぱり明日、休日出勤しろということなのだろうか。それにしても、チケットも予定表も渡されていない。明日、何時に広島のどこへ行けというのだろうか?
10月30日の夢(海岸で詩人会議)
海の波打ち際に舞台がつくられ、そこで詩人たちの国際シンポジウムが開かれている。ぼくはその司会者だ。聴衆は打ち寄せる波の間に間にぷかぷかと浮かんでいる。パネラーは五人ほどの海外女性詩人。なぜか皆民族衣装を着たアジア系で、生真面目な表情だ。ぼくはマイクを握り、彼女たちに「では皆さん、まず舞台の前に出て来てください。そして自己紹介をひとことお願いします」と言う。彼女たちが簡潔に自己紹介をしたところで、ぼくは聴衆に向けて語りかけようとするが、ぼくと聴衆との間には紙や布でできた沢山の衝立のようなものが置いてある。ぼくはそれらを突き破って前進しながら、駆け付けた女性スタッフに「なんて難しい舞台なんだ!」と悪態をつく。それがマイクに拾われて、会場に響き渡ってしまう。
2019年10月25日
10月24日の夢(偽記者)
町田の大きなホールへ取材に行く。いや、ぼくはとっくにライターを辞めているのだけれど、みんなはぼくが以前のように、記者として取材に来たと思い込んでくれるだろう。けれど、町田のホームは長く、ホールは反対側にあるから、長い距離をぼくは歩かなければならない。おまけに途中にはよじ登るような険しい階段がある。
ようやくホールにたどり着き、いかにも現役の記者のような顔をして、スタッフや出演者に声をかけて回る。もしぼくの顔を知っている人がいると、偽記者であることがばれてしまうので、駆け足で通り過ぎる。スポンサーの紳士たちが話しかけてきたので、いかにも記者らしく質問したりしてあしらう。うまくいったが、招待状を持っているわけではないので、観客席に入るわけにはいかない。名残惜しいが、会場を後にする。ホールの壁はガラスなので、外から中の様子が見える。今日の演目は障碍者たちによる演劇であるらしい。
2019年10月22日
10月22日の夢(親戚の家など)
私鉄沿線の下町にある親戚の家を訪ねた。身内の人々が何人も来ていて、法事か何かがあるのかもしれない。彼らと自分の暮らしぶりや身内の噂話をするが、話しているうちに微妙にぼくと彼らの間に溝ができていく。どうやら、ぼくは精神を病んでいるらしいと気づく。けれども、頑張ってみんなときちんとした会話を続けていく。
夢をシネマスコープのような映像にする作家がいる。その作品がぼくや女友達のイメージと違うので、直してほしいと要求する。直した映像を改めて女友達に見せると、彼女は喜んで「そう、これでいいのよ」と言ってくれる。
10月21日の夢(豪華客船乗っ取り)
取材で豪華客船の初めての航海に乗船する。ところが、船はテロリスト集団に乗っ取られてしまった。彼らと対決するために、沢山の制服を着た部隊が乗船してきた。セーラー服を着た女子高生の部隊もいる。これなら大丈夫だと安心する。だが、犯人たちも部隊の側も行動を起こさず、何事も起こらないまま時間だけが過ぎていく。
ぼくはしばらく港に降り、また船に戻ってみると、事件はいつのまにか解決していた。だが、船内には煙が充満していて、ぼくの知人も何人か亡くなったようだ。窓のカーテンを開けて外を見て、驚く。なんと、そこは東京駅のホームだった。船は航海に出たように見せて、実は東京駅のホームに停車したまま、一歩も動いていなかったのだ。
ぼくは何が起こったのかと、周りの人々に問いただす。けれど、誰もが重ぐるしく沈黙したまま、ぼくに何も教えてくれない。
10月18日の夢(席替え)
オフィスが新しくなり、席替えも行われた。出勤してみると、自分のデスクは部屋の奥の壁に面した左隅で、座席はデスクと一体型のコンパクトなものになっていた。これはこれで使いやすいし、良い席になれたと思う。
2019年10月15日
10月15日の夢(消防隊の取材)
久しぶりに会社に戻ると、会社は東京ドームのような広大な新社屋に移転していた。部門ごとに大きなゲートで仕切られ、どこに自分の席があるのか分からないほどだ。外国人の社員もたくさん働いている。
ふと見ると、窓の下に消防車が到着したところである。ぼくの依頼に応えて消防隊の人たちが、インタビューを受けに来てくれたのだ。彼らを迎えて一緒にエレベーターに乗り、ポケットを探るが、名刺が見つからない。名刺を探して自席に戻ろうとしても、その自席がどこにあるのかさえ分からない。「ピアノの本編集部はどこでしたっけ?」と社員に尋ねると、外国人社員の一人が「あっ、ドイツ語のタイトルの雑誌ですね」と言う。ぼくはむっとして「違います。日本語ですよ」と訂正した上で、「一色真理の席はどこでしょう?」と聞き直す。すると相手は「イッシキシャンリ?」と、まるでちんぷんかんぷんだ。
しかたなく消防隊員たちのいるテーブルに戻ると、中年の隊員が「今日はこちらとそちらと立場を交換しましょう」と提案してくる。しかし、名刺を見つけられないことが気になって、とてもそれどころではない。
2019年10月10日
10月10日の夢(水びたしのオフィス)
オフィスで仕事をしている。一度離席してから戻ると、ぼくの席には若い社員が座り、打ち合わせの真っ最中なので、ぼくには居場所がない。
会社には二つの建物があり、もう一つの方へ行く。そこにはぼくの女友達がしどけない姿で眠っている。その足元にぼくも身を投げ出し、女友達から貰ったばかりの手紙を声に出して読む。すると彼女も目を覚まし、「あたしの足元で何を読んでいるの?」と官能的な様子で尋ねる。
元のオフィスに戻ろうとして、いつもと別の道をたどる。すると、すぐ隣のはずなのに、目指す建物ははるか遠くにしか見えない。おまけに大きな川に行く手を阻まれて、それ以上進むことができない。周りでは体育会系の学生たちが何かの練習をしていて、なんだか怖い雰囲気だ。
ようやく自分のオフィスに戻ると、部屋は天井から大量の雨漏りがしており、ぼくの席も床もすっかり水びたしになっている。
2019年10月08日
10月8日の夢(ドアの中)
京都大学の一角にアーチ形の閉ざされたドアがある。男が一人、ドアにあいた穴から中を覗いていたが、ドアを開けて中に入っていった。僕も続けてドアを開け、中に入ってみると、中は灰色の壁で囲まれていて、どこにも出口がないのに、さっきの男の姿はどこにもない。
10月6日の夢(倉庫になったエレベーター)
女友達がコンクール方式の美術展に出品するため、高知に出かけたので、ぼくも別行動で高地に向かった。そういうぼくらの後になり先になりして、眼鏡をかけた若い男が同行している。女友達のファンなのだろうか。
高知で女友達は厳しい顔つきでせっせと作品を制作する。彼女の昔の友人たちも駆けつけ、皆で彼女を応援している。幸い、作品は高い評価を得たようだ。それは長方形の粘土板のような色と形をしている。
コンクールが終わり、ぼくたちはまた後になり先になりして東京に戻る。東京の古い工場のような広い建物がぼくらの拠点となっているのだ。ぼくの方が先に出発したものの、バスだから遅くなると思ったのに、意外に早く夕刻には戻ることができた。途中、水深の浅い小川をぼくは渡ろうとして、水面下の三つの石を踏み石にしようとする。その真ん中の石に物差しのような形をしたものがあり、手にとると見るまにそれは一匹の猫に変わり、ぼくを先導してくれたからだ。
その工場のような建物でも、皆が女友達を熱狂的に応援している。すぐに女友達自身も帰り着いた。木造やレンガ壁の目立つ建物の三階にぼくはエレベーターで昇ろうとするが、エレベーターの中には若い男が仕事をしている。どうやらエレベーターは倉庫代わりに使われていて、エレベーターの役割を果たしていないらしい。今夜はここで女友達のコンクールでの成功を祝うパーティーが開かれる。
2019年09月26日
9月25日の夢(暗闇の交通事故)
女友達と寝ている。ベッドの向こうは屋内に入る扉で、その中は真っ暗だ。屋内には交差点があるらしく、先ほどから白と黒の二台の自動車と一台の自転車が交差点を渡ろうとしている。だが、信号がないので、どの一台が飛び出しても他の二台に阻まれ、互いに動くことができない。そのうち、二台の車が互いのタイヤの上にタイヤを乗り上げてしまう。その事故のショックで左の車から落ちた袋が破れ、中から一匹の愛玩犬が駆けだした。ぼくは驚いて、女友達に「見て! 見て!」と言う。だが、女友達は「タイヤの上にタイヤが乗り上げただけだから、たいしたことないよ」と答える。
夜の道を歩いて行くと、向こうからパジャマを着た女性詩人のHさんが歩いてきた。車椅子には乗っていない。胸はふくらむより、えぐれていて、なんだか幽鬼のようにやせ細った感じだ。
2019年09月24日
9月24日の夢(ピアノの日)
パリに「ピアノの日」(実在しない)の取材に来ている。野外の目抜き通りでピアノが演奏される様子をカメラに収めようと歩道橋に上がる。その瞬間、市街に洪水が押し寄せ、大通りは一変して川のようになる。「ピアノの日」の行事は当然中止だ。一緒に取材していたフランス語のできる他社の女性記者が、外国語の話せないぼくを気遣うが、ぼくは彼女に「大丈夫だ」と答え、一人で取材を続ける。屋内で「ピアノの日」の行事が何か行われていないかと思い、手近なレストランに入ってみる。正装をした紳士淑女が災害などなかったかのように店内に集まっているが、そこにもピアノはなく、客たちも「ピアノの日」の話など全くしようとしないので、ぼくは途方に暮れる。
2019年09月23日
9月20日の夢(銀座の円形劇場)
銀座のガスホールの隣のビルが取り壊され、跡地が円形劇場になっている。真ん中は青い水をたたえたプール。その周りをぐるりと観客席が取り囲んでいる。入り口近くの席には、繃帯で全身をぐるぐる巻きにして、顔に大きなマスクをつけたT氏が立っている。亡くなったと聞いていたが、生きていたのかと驚く。
客席が結構埋まっているので、良い席を求めてぼくはぐるりと一周しようとする。しかし、ステージの反対側は観客席ではなくステージで、今しも役者たちがリハーサルの真っ最中だった。ぼくは恐縮して、身を縮めながらステージを通り過ぎる。そして、入り口近くの観客席に戻ったところへ、電車が走り込んできたと思うと、ぼくの目の前で急停車し、運転士が窓から顔を出して、ぼくを怒鳴りつける。「おまえの書いた書類を轢いたために、電車が故障してしまったじゃないか!」
2019年08月31日
8月31日の夢(大理石のトイレ)
ぼくはツアー旅行で海外へ行っている。メンバーの中に、事前に自分でチケットを買った人たちと、ぼくのように現地で支払いをする人たちの、二つのグループが混在していて、お互いに気まずい。レストランに入り、現地支払い組はアイスクリームやケーキをオーダーする。事前購入組は事前にオーダーされた食事しか出ない。ぼくは席で立ちあがり、大きな声で「ちょっと聞いてください。これからケーキとアイスクリームが出ますが、これは現地支払いの皆さんのみです」とみんなに言う。滑舌が悪くて、うまく話せないが、なんとかみんなに伝わったようだ。
トイレに行こうと廊下に出て、さっき脱いだ靴を探すが、見当たらない。うろうろすると、水色のケースの中に泥水がたまっていて、そこに何足かの靴が沈んでいる。ぼくの靴もあった。両足分履いてみると、何かおかしい。片足に自分のではない違う靴を履いてしまっていたので、履き替える。
トイレのドアは閉まっていて、入れない。しかたなく席に戻り、もう一度行ってみると、今度はドアが開いた。トイレもバスもあり、すべてが大理石でできた超豪華で広いバスルームだ。しかも真ん中が丘のように盛り上がっている。便器は真ん中の丘のような部分に折りたたまれて格納されているので、折り畳みを開いていく。すると中からバスタブが現れ、初老の男性がお湯につかっている。構わずさらに開くと、丘のてっぺんに大理石の便器が現れた。そこに足を踏ん張り、用を足そうとするが今にも足をすべらせて転落してしまいそうだ。
2019年08月30日
8月30日の夢(パーティーと旅立ち)
女友達の家でパーティーがあるので遊びに行く。最初は数人の男女しかいない。ぼくはミニキーボードだと思って、黒い楽器のようなものを取り上げるが、よく見ると鍵盤が付いていない。何かの電子機器らしい。
そうこうしているうちに家はあふれかえるほどの男女でいっぱいになる。若い男性が「一色さん、ここに何か言葉を書いてください」と言い、ノートのようなものを示す。だが、ノートは紙ではなく土でできていて、彼自身がそこに木の枝のようなもので地面に線を刻むようにして、熱心に文字を書きつけているところだ。しばらくして戻ると、彼もノートも消えている。
女友達の家は左側のキッチンやトイレのある部分と、右側のパーティーの主会場であるリビング部分とに分かれている。上の黒い楽器のエピソードは右側で、土のノートのエピソードは左側で起きたことである。その左側の部屋から右の部屋に戻ろうとすると、その間の部分でいったん家の外に出ることになる。しばらく歩くうちに方向を間違えたらしく、家の外に出てしまった。慌てて家に戻ろうとすると、もうみんなは水色のミニバスに乗り込んでいて、車内は満員だ。中野に行くバスだという。「ぼくも乗っていいですか?」と声をかけ、助手席に座る。なぜか頭が天井にくっついてしまう。「椅子がいやに高いよ」とぼくは言い、帽子を脱ぐ。すると、驚いたことにぼくは二つの帽子を二重にかぶっていたことが分かる。
バスを降りて、緑の山道を歩いている。ぼくの左側を編み笠に墨染の衣、草鞋姿の僧らしき人が並んで歩いている。ぼくは手に持っていたお経のような小さな本を道に落とす。拾い上げると、それは別の本に変わっている。さらに歩いていくと、視界がぱっと全面的に開けて、真っ青な水面が広がる。そこに七隻の船がいて、どれも沢山の人を乗せて出発していく。見ると、水面の向こうには美しい都市が広がっている。ようやくここまで来た。ぼくもあの都市を目指して旅立とうと思う。
2019年08月28日
8月28日の夢(選考会の夜)
今日は詩の賞の選考委員会なので、ぼくも理事として出席している。会場は屋外の、駅の待合スペースのような場所で、既に会員が沢山集まっている。外の闇の中から、二人の女性がにこにこしながら現れる。きっと選考委員なのだろう。しかし、担当理事はどこにいるのだろう? そこへ女友達がやってきて、目をきらきらさせながらぼくに挨拶をする。彼女も選考委員だったのだ。ぼくは「今日はずっと一緒だったねえ。先ほどまで見ていた夢の中でも一緒だったから」と彼女に言う。担当理事はどこかへ別の選考委員を迎えに行ったのかもしれないと思う。会場の外の手洗い場のようなところで、担当理事に電話をしようとする。電話台は戦後の頃のように、丸太でできている。なんだか汚いので、手にしていたハンドタオルで拭いてみるが、よく見ると小さなゴキブリの死体が二つ転がっている。ぼくは慌ててハンドタオルをゆすごうと蛇口で水をかける。だが、出てきたのは熱いお湯だった。
2019年08月25日
8月25日の夢(アシカの親子)
助けを求める子供の声が聞こえるが、そこには四角い丘が崖のように立ちふさがっている。崖を回り込むと、細い小川がある。その中で数匹の真黒な体のアシカたちがばしゃばしゃと水を跳ね散らかして、苦しんでいる。全員同じ大きさだが、「お母さん!」と呼びかけられている一匹は、ほかのアシカの母親らしい。親子ともに時おりゲボッと口から真っ黒い水を吐き出している。目には見えない何かにとらえられているようで、その流れを親子は渡ることができないらしい。日本語で「助けてください」と子供のアシカがぼくに言う。母親は「いや、あの人はもう行ってしまうよ」と子供に言い聞かせる。しかし子供は「そんなことない。あの人はずっとここにいてくれるよ」と答える。ぼくは行きすぎかけていたが、すぐに地面に腰を下ろし、そばにいてあげるよと安心させる。
2019年08月16日
8月16日の夢(震災再び)
丘の上の建物にみんなで集まっていると、突如大地震が来た。ふと見ると、屋外のすぐそばまで津波が迫っている。水色の美しい波頭だ。みんなで声を掛け合い、慌てて階段を駆け上がる。
安全を確認して丘を降りたところで、また地震だ。もう一度丘の上の建物に帰ろうと、ぼくは斜面を登っていく。市街はジグザグに斜面につけられた路地の両側に広がっている。頂上につくとタクシー会社の車庫がある。ここではない。この裏手にさっきいた建物があるのかもしれないと思う。
8月15日の夢(止まらないタクシー)
会社のロビーにいる。床も壁も天井も格調高く黒でデザインされた豪華な大広間だ。ぼくの手に持っているiPadも真黒のデザインだ。その画面には何やらエロイ映像が映っている。中年の妖艶な女性が出てきて、ぼくにそのことを指摘する。ぼくがちょっと困っていると、「私が直してあげましょう」と言うが、彼女もその映像を止めることができない。
自宅に戻ろうとタクシーを止めようとする。多摩川のほとりのような道路。ここが道路わきと思って立っているが、実際の道路はもっと川に近い場所にあった。タクシーに乗り、自宅の住所を告げる。やがてタクシーは自宅近くのS学園前の十字路に差し掛かる。ここを左折と思っていたが、運転手はそのまま直進する。次で左折するかと思うと、そこも直進する。ぼくは慌ててタクシーを止めて、戻るように言う。しかし運転手は「あなたの家はここから五反田を通り、横浜よりさらに向こうへ行くんですよ」と告げる。
2019年08月14日
8月14日の夢(馬の不法侵入)
名古屋の実家の前の道路に母と立っていると突然、チョコレート色に塗られた木製の柵を飛び越えて、庭から道路へ騎手を乗せた馬が飛び出し、駆け抜けていった。びっくりしていると、さらにもう一頭が続いた。母に「どこからあの馬は来たのだろう?」と言うと、母は「裏の柵を飛び越えて他の家の庭からうちに入り、近道をしようとしたのだろう」と答える。さらに三頭の仔馬が横に並んで柵を飛び越えたところで我に返り、ぼくは「人の庭に馬を勝手に入れるな!」と叫ぶ。仔馬たちの手綱を握っていたのは、初老の小男だった。ぼくの剣幕に驚いて、仔馬たちを連れて野川の遊歩道に走り込んでいく。ぼくは周りの家々にも聞こえるよう、大声で「「人の庭に馬を勝手に入れるな!」と叫びながら、彼らを追いかけていく。
2019年08月06日
8月6日の夢(不法投棄)
ある会計士の仕事に対して批判が出ているので、ぼくは上司と共に内偵班を組んで実態調査に出かける。川のそばに移動式の巨大なビルのようなものがあり、その屋上で会計士に指示された人々が蟻のように働いている。これ全体がバカでかい機械であるらしい。屋上で処理されているのは食べ残された食材だ。魚はその機械で処理されるが、黄色い肉のようなものは屋上から下の廊下に投げ捨てられる。道路わきの側溝に遺棄されたそれをぼくは靴で押しやって検分する。上司はスコップでそれを小山のように積み上げる。
そこへ川の方からゴーッという音がする。驚いて目をやると、川の中に黒い巨大な四角い泥船が押し出されてきた。舟全体が墨のように真黒で、真ん中に墨壺のような池がある。その中に黒いけだものが一頭追い込まれる。とたんに舟から真黒な汚水が川に垂れ流される。
それを見ている間に、気づくとさっきの巨大な機械も側溝の汚物も会計士も姿を消し、街は平和な姿に戻っている。
2019年08月01日
8月1日の夢(大温室)
三階建てぐらいの大温室を基地として、ぼくらはそこから出動する。しかし、ぼくは仕事がなくて暇なので、バスの中で一日中本を読んでいる。上司からいやがられるが、ぼくは意に介しない。
今日もバスで大温室に戻って来ると、大温室の中にアラブ人の父子が匿われていた。ぼくは鞄の中から弁当と本を取り出し、いったんベンチの上に置くが、すぐにそれらを手に持って、二階への階段を登る。
2019年07月29日
7月29日の夢(夕涼みコンサート)
街角にベンチを並べ、納涼コンサートをするから、そこで歌ってほしいと言われ、二つ返事で引き受ける。だが会場に着いてみると、鞄の中に一冊も楽譜を入れてこなかったことに気づく。これでは歌えない。聴衆の一人が歌の本を持ってきてくれたと聞いていたが、その人を探しても会場にいない。
2019年07月27日
7月27日の夢(緑のネクタイ)
クライアントの某社の特約店研修会が名古屋で開かれるので、そのプロデュースをしに行く。会場は二階建ての一軒家で、一階も二階も壁中に書棚が設けられ、さまざまな書籍や資料が展示されている。中にはぼく自身が個人で持ち込んだものもある。
ぼくは研修会の司会役なのだが、講師役の特約店の男が頼りなく、すぐにトークがストップしてしまう。畳敷きの会場の幹事席から、おいでおいでと手招きがされるので、ぼくが司会席から立って行こうとすると、ダメ講師がさっさと幹事席へ行き、ぼくは取り残される。これではダメなのは講師でなく、司会のぼくのように見えるではないか。
結局、研修会はそのまま解散になってしまう。残されたスタッフのぼくらは書棚の大量の書籍の回収に追われる。ぼく個人の本も急いで鞄に詰める。どうしても確保したいものをぼくは箱のようなものに詰め込み、風呂敷のようなもので包むが、中身が収まりきらず、少しずつこぼれてしまう。よく見ると、風呂敷と見えたものは、ぼくの緑色のネクタイだ。こんなもので包めるわけがないと思う。
最後の点検をして、撤収のためのバスに乗る。バスは名古屋の中心街に向かうはずなのに、木々の間の細い道に入り込んでしまう。道はバスの車幅より狭くなり、さらには石段を降りなければならなくなる。
2019年07月18日
7月18日の夢(脱出)
北海道あたりの広大な邸宅に全社員が集められ、泊りがけの会議が行われた。裸足でトイレに入ると、床は小便だらけで、とても便器のところまで進めない。あきらめて出口に戻ろうとすると、鞄をどこかに隠されてしまった。そこへ女性がやはりトイレに入ろうとして、立ちすくんでいる。トイレにいた若い男が彼女の服を両手で撫でまわす。たちまち服は黄色く変色していく。
トイレをなんとか脱出すると、知人の男が乗る最新型の車が敷地内に疾走してきて、ぼくと女性を拾い上げてくれた。その男は鈴木という名前で知られている。車の座席は前・中・後ろの三つに分かれていて、前の席に運転者と女性、中の席にぼく、後ろの席に鈴木が座っている。鈴木は礼を言うぼくたちに目もくれず、ケータイのメールを悠然と打ち続ける。しかも、後ろの席だけが車から分離して、ちょっと後ろに離れた。最新式だ。なんともかっこいい。
2019年07月17日
7月16日の夢(人生否定ソフト)
パソコンの画面の右半分をぎっしりと埋める文章は、ぼくの人生についてだらだらと書かれたものだ。そして左半分には、それを否定する三つのソフトがある。その三つは見た目は違うけれど、どれを使っても情報量は同じだという。くやしいが、これを使おうと思う。だが、このどれかをクリックしたら、もうぼくは無言の存在になってしまう。だから、人生否定ソフトをぼくがクリックしたら、ソフトは走って山を下り、近くの集落までそのことを伝えにいってくれるのだという。
トイレの個室の前に、一枚の座布団が敷いてある。
2019年07月15日
7月15日の夢(受験者の逆襲)
今まで試験を受けるときはいつも受け身だった。けれど、これからは試験問題の文体を全部自分のものに書き換えてしまおうと思う。そのためにぼくの点数が下がっても構わない。さあ、いよいよ答案が配られた。これを全部ぼく自身のためのものに作り直してしまうのだ。
2019年07月12日
7月12日の夢(鍋と鋼鉄の歯)
パーティーの終了間際に行ったので、もう料理が片付けられようとしている。白い制服のウェイターが皿から一尾の魚を箸でつまみ、鍋に入れたのを見て、ぼくもその真似をする。するとウェイターはぼくにお世辞を言いながら、ぼくのために何尾かの魚を取ってくれる。皿の上の魚は全部が白い骨でできたような、不気味な種類ばかりだ。それでもぼくは空腹なので、周りの人にも勧めながら魚を食べようとするが、取り分ける小鉢がない。必死で探すと、テーブルの下に残り水の入った、ちょっと汚れたガラスのコップがいくつかあった。これでもいいかなと思う。
歯を磨こうと口をあけると、前歯の真ん中に巨大な鉄製の機械が埋め込まれている。いつのまにこんなものが、と思うが、電動歯ブラシでそれを磨いていく。
2019年07月11日
7月11日の夢(リオデジャネイロ)
ブラジルのリオデジャネイロに引っ越した。街の地面に駅のホームとも港の埠頭ともつかない、コンクリートの縦長のものがあり、そこに沢山のズボンが置かれている。市民になったしるしとしてぼくもその上に自分のズボンを置く。しかし、すぐに市民たちから「おまえのズボンは左右にある二つの細いホームの上に置け」と注意される。しかたなくズボンを並べ替えるが、そこに置かせてもらうには、またもや多額のお金が必要だという。
2019年07月09日
7月9日の夢(新大陸)
ぼくは新大陸アメリカに渡り、自分の新しい夢に挑戦する第一歩を踏み出した。同じように夢を求めてアメリカに渡った仲間たちと共に、大陸横断鉄道に乗り込む。レールが交差する場所にウエスタンスーツに身を包んだ日本人のフォークシンガーが座り、ギターをかき鳴らしながら夢を追いかける歌をうたっているのが見える。ぼくはその歌に感動し、涙が流れて止まらない。夢を追いかけるぼくらの旅はまだ始まったばかりだ。
2019年07月08日
7月8日の夢(田舎町のコンクール)
ぼくの住んでいる田舎町でもピアノコンクールが開催されることになった。何人かの若い人たちが挑戦したが、さすがにレベルがいまいちだ。最後の本選を前に、オーケストラの指揮者が会場の前で日向ぼっこしている。鼻歌でリズム・パターンを口ずさんでいるようだ。指導者の男性がコンテスタントたちに「ほら、あのリズムでピアノを弾くんだよ」と、こっそりアドバイスしている。
2019年06月23日
6月23日の夢(パーティに潜入)
銀座の洋菓子店で行われているパーティに、招かれてもいないのに出席する。会場は二階なので店員に見つからないよう、エスカレーターの脇の壁をよじ登って潜入。
パーティは知人の弟が司会をしている。ぼくもマイクを握り、チャンピオンのボクサーを紹介する。たらふくおいしいものを食べた後、またこっそりと会場を脱出。店頭に飾られたケーキの山を跨ぎ越えなくてはいけない。大きく股を開いて、生クリームがお尻につかないようにするのが大変だ。
無事街路に降り立つと、パーティに出ていた老人たちといっしょになる。聞いてみると、みんなぼく同様、招かれてもいない潜入者たちだと分かる。
2019年06月16日
6月16日の夢(家庭で受賞式)
少年が詩のコンクールで受賞したので、彼の自宅に賞状を伝達に行く。一度目はドアを開けて出てきたのがお母さんだったためか、ぼくは身をひるがえしてドアを閉め、もう一度訪問をやり直す。今度はお母さんに呼ばれて、小学生くらいの利発な印象の少年が顔を出したので、ぼくは靴を脱いで上がらせてもらい、鞄からビニール袋に包まれた賞状を取り出す。居合わせた少年のお父さんに記念の撮影を頼み、さて賞状を伝達しようとすると、肝心の賞状が見当たらない。窓際の壁いっぱいに大きな机があり、その上を丁寧に探す。少年は天井の方を指差す。見上げると、天井近くの壁に二つほど額がかかっていて、そのうち大きい方は手書きの賞状である。だが、それは宮沢賢治賞の賞状で、ぼくの持参したものではない。困っていると、かつての同僚のI氏が「これをお忘れじゃありませんか」と言って、ビニール袋をぼくに渡す。その中にぼくの探していた賞状がある。「これを探してたんですよ」とぼくは言い、賞状を朗読しようとする。すると、別の同僚がやってきて、「一色さん、今日は早く帰って、台風が来る前に雨漏りを直すんでしょ?」と言うので、「うん、そうだよ」と答える。
2019年06月15日
6月15日の夢(大掃除)
会社で大掃除をしている。ぼくの役目は天井まで壁いっぱいにある書棚の整理。懸命に手を伸ばして、乱雑に積まれた本を詰め直していく。棚の中から一個の黒いバッグが出て来た。チャックを開けてみると、中には金属棒が沢山詰まっている。同僚の男性が「去年、地面に穴を掘るために、沢山棒を用意したけど、結局使わなかった」と言う。そうか。それなら、このバッグはもう処分してしまっていいだろう。
2019年06月13日
6月13日の夢(詩の研究会)
大学の屋上にある詩のサークルの部室に行く。部室は二階建てで、ぼくが顧問をしているのは二階の方のサークルだが、数年前まで講師をしていた一階の研究会にまず顔を出してみる。後ろの席に着席すると、会場は満員で、ぼくの知らないメンバーばかり。ほとんどが中年以上の男女である。しばらく座っていたが、誰もぼくに注意を払わないので、退室して二階に向かう。
二階へは壁や屋根をよじ登らなければならない。古い建物なので、壁はぐらぐらしてなかなか登れないが、なんとか無事に二階の部室に入り、やはり後方に着席する。こちらも満員だが、対照的に若い学生ばかりである。騒然とする中で、演壇に立った若い男性がいきいきと長い物語詩を朗読する。ぼくはその詩を肯定して、「詩に大切なのはこういう新しさです」と力説する。
外へ出ると、白と黒と半分ずつの服を着た中年の男たちが、学校で葬儀の準備をしている。道路で行き会った男が「小学校の先生が亡くなられたんですね」と話しかける。ぼくは「はい。中学の先生も亡くなりました。そして我が家の父も亡くなりました」と男に告げる。
2019年06月10日
6月7日の夢(人民革命バス)
冬にだけ運行する上野公園行きの都バスがある。乗客のほかに食料もたくさん積み込み、最後にぼくが乗り込む。そして運転席の運転手と女性車掌を前に「ただいまからこのバスはバスジャックされました」と宣言をする。そして悠然と一番後ろの座席に座り、一人拍手をする。すると、バスの乗客たち全員がぼくに合わせて、賛同の拍手をしてくれる。車掌がびっくりして後ろを振り返り、「それはないだろう」という顔をする。このバスはたった今から人民革命バスになったのだ。
6月6日の夢(大詩人の講演)
千駄ヶ谷にあるレストランYの跡地がぼくの新居になり、モノクローム・プロジェクトの事務所にもなっている。戦争か災害があって、東京が廃墟になり、その後ここにぼくは暮らすようになったらしい。玄関から階段で一度地下に降り、そこから階段でまた半地下に上る独特の構造の建物だ。
今日はここで大詩人A氏による講演がある。某詩人会で行われた二回の講演に続く、第三回目の講演だという。こんな場所で講演してくださるなんて、とても名誉なことだと思う。
突然、玄関につながる地下道の暗闇から大きなノックの音が響く。A氏の到着だと思い、急いで迎えに出るが、誰もいない。不思議に思って会場に戻ると、既にA氏は演壇の椅子に腰かけ、聴衆も着席している。満員にはほど遠いが、こんな小さな会場なのだから、これで十分だろう。司会を担当するぼくは「えー、詩人会での二回の講演を受けて、三回目は……」と話し出すが、肝心の演題を書いた紙を隣の部屋の机に置き忘れたことに気づく。慌てて探しに行くが、見当たらない。考えてみると、着ている服も普段着で、司会者にはふさわしくない。奥に洋服ダンスがあるので、開けてみるが、タオルや毛布しか見当たらない。困っているうちに開演時間をもう五分間も過ぎてしまった。
2019年06月03日
6月2日の夢(似顔絵かき)
外国の海に近い街の石畳の広場にいる。ここにいれば仕事の手配師と交渉することができるのだ。周囲で次々と求職者と雇人の間で交渉が成立していくが、ぼくの前には一人も求人の相手が現れない。中年の女性がいるので近づくと、彼女も求職者の一人だった。ぺらぺらといろいろ話しかけてくるが、構わず彼女のそばを離れ、道端で営業している売店に行く。そこで求人の書類を見せると、すぐに仕事の依頼書を渡してくれた。「安倍首相の似顔絵を描いて送れば、一枚につき1800円~2300円を支払う」と書いてある。そんな仕事がはたしてぼくにできるだろうか?
2019年05月29日
5月29日の夢(女王のカーディガン)
50年前に卒業したW大学にぼくはいる。本部キャンパスの暗い建物から明るい外を見る。青空を背景に細かい粉のようなものがしきりと降り注いでいる。普段は気づかないが、よく見るとこんな塵が空中には漂っているのだ、と思う。傍に詩人で美術評論家のО氏が野球帽をかぶった若い男と共に立っていて、ぼくに「一番大きな講堂へ行こう」と促す。だが、ぼくはその誘いに乗らず、文学部のある戸山町キャンパスに向かう。
戸山町キャンパスの階段を登り切ったところに、何人かの男女が立っている。その中の一人の女性がカーディガンを投げ、それがぼくに当たる。ぼくはカーディガンを拾い上げ、「これ何?」と尋ねる。最初みんなは「分からない」と言うが、やがて女性は「ああ、それは女王様の……」と答える。後ろを振り向くと、そこに床屋の椅子のようなものが3つ並んでいるので、ぼくは真ん中の椅子にカーディガンを置く。若い男が「宇宙飛行士はどこにいるの?」とぼくに尋ねる。もしかしたらO氏の連れていた若い男が宇宙飛行士なのだろうか。ぼくはみんなに「一番大きな講堂にいるよ」と答える。
2019年05月24日
5月24日の夢(ちょっと宇宙へ)
会社の上司がいやな男性に変わったので、ニ・三日宇宙へ行ってくることにする。デスクの上に沢山の百円玉、五十円玉を並べて、旅費にする。上司が「向こうではよくこういうことがあるのですか? 向こうでは何と呼ぶのですか?」と言うので、「そうですね。よく散歩と言いますよ」と答える。
2019年05月22日
5月22日の夢(会社の中の窪み)
バスに乗って出勤する。バスは前進したり後退したりして、会社に着く。近くに川が流れているようだ。オフィスの一番奥の白い壁がちょっと凹んだところ、会社の中の窪みのような場所が、ぼくのコーナーだ。ここを死守しなくてはならないので、ぼくは特に仕事もないのにそこに明かりを点ける。中年の女性がぼくに仕事の状況はどうかと尋ねる。「2000作って全部売っちゃう場合もあれば、400作って全く売れない場合もあります」とぼくは答える。時計を見ると、まだ10時20分だ。午前は長いなあと思う。
2019年05月15日
5月15日の夢(広告課)
新しい職場にも慣れて、今日は銀座にあるクライアントの広告課に行くことになる。そこは僕が若い時から夢見た場所だ。僕は銀座の街頭に立てられた行き先表示板に、少し恥ずかしいが、それでも誇らしい気持ちで「広告課」と書き付ける。タクシーで電話ボックスに乗り付け、胸ポケットからたくさんのカードを掴み出す。だが、色々なカードがごっちゃになり、目指すカードがなかなか見つからない。
5月13日の夢(再就職)
新しい職場は音楽関係の団体だ。若い女性がトップを務めるこの団体は、とても雰囲気が悪い。ロビーで人前で風紀を乱す男女がいる。同姓の人と平気で人間違いをするスタッフもいる。僕の編集する雑誌の印刷ができてきたので見ると、表紙がペラペラでとても商品として出せない。がっかりして外に出る。周りは空き地が広がっている。おまけに夜で雨も降っている。駅に向かって歩いていると、以前の職場の同僚がにこやかな顔ですれ違うが、二人とも知らん顔をしたままだ。
2019年05月02日
5月2日の夢(少年アンドロイド)
某詩人会の理事会に出席している。理事たちは畳敷きの広間に四角形にテーブルを並べて着席。ぼくの席は右側の上座側の一番端だ。定時になったので、立ち上がって次回のゼミナールについての議案書を読み上げようとするが、隣席の理事が携帯で通話中なので暫く待つ。それが終わっても、今度は中ほどにいる別の理事が通話中で、開会は五分ほど遅れてしまう。
その通話も終わり、いよいよ立ち上がって発言しようとすると、議案書をテーブルのどこに置いたのかわからなくなってしまう。やっと見つけて手に取るが、予習しておかなかったので、しどろもどろだ。「第一案として……」とぼくは次回のゼミをパリで行いたいと提案する。それに対して別の理事が「なぜ海外でやる必要があるのか?」と反対する。ぼくは「いや、以前にもウィーンでやったことがあり、前例がある」と反論する。
そのとたん、そこはパリの街角になるが、そう思っているだけで、そこは明らかに成城学園前駅の東口だ。そこでぼくたち理事は甘栗を食べている。甘栗はなぜか納豆のようにねばねばだ。東口通路の反対側の商店に、大きな豆か瓜のようなものが沢山吊り下がっているのを指差し、ぼくは「ぼくがやろうとしているのは、あの豆のようなものです」と発言する。
「そして第二案は……」とぼくは言い、一人の少年を呼び寄せる。とても利発そうな彼は実はアンドロイドである。ぼくは彼の頭を撫でながら「この子をテーマとするゼミナールです」と言う。そして説明を終えると、ぼくは彼に「ありがとうね」と言って、彼を解放してやる。彼はお店の人ごみの中に静かに消えていく。「さらに第三案は……」と、ぼくは発言を続ける。
2019年04月29日
4月29日の夢(バッタの首)
トイレを探して道を歩いている。角にある家はいつも勝手にトイレを借りている家だ。今日もそのつもりで上がってみるが、リニューアル工事で大工さんたちが働いており、借りることができない。何食わぬ顔をして出てくると、見知らぬ男が「トイレがなくて残念でしたね」と揶揄の言葉をかけてくる。
無視して畑の中の道を歩いていくと、畑の向こうから三十代くらいの主婦が、ぼくの側にいる別の主婦に向かって駆け寄ってくる。「バッタの首が二匹入っているの。おいしいよ」と手にした小鉢の中身を見せて言う。そこへ先ほどの男がまた現れ、黒土の地面を指差して「ここは二階か?」と尋ねる。ぼくに問われたのかと思って当惑するが、主婦に尋ねたのだった。男が主婦に「今日は友達として聞いてよ」と言うと、主婦は大喜びで「友達! 友達!」と叫んで、満面の笑みを見せる。
2019年04月28日
4月28日の夢(みんなで歯医者)
会社の同僚たち十数人で一緒に歯医者に行く。当然待合室に入りきらず、屋外の待合ベンチにみんなで座る。緑の芝生がとてもきれいだ。少し散歩して戻ると、みんなの姿がない。診察室にみんな入ったらしい。
ぼくも入ると、長老詩人で既に故人のY氏がベッドに下半身裸で横たわっており、歯医者は彼の肛門を覗きながら「あっちを向いちゃダメだよ。みんなに臭いと言われるから」と言う。けれどすぐに診察を終わり、「悪いところはなんにもないよ」と言い、Y氏は大きな声で「ああ、良かった!」と笑う。
歯医者を終わり、帰りのバスに一人で乗る。一階は満員なので、一番後ろの階段を上がると、そこがホテルのソファーのようなクッションのきいたベンチ席になっている。そこに一人で座るが、椅子の背が高いため、ぼくは足が床につかない。
2019年04月27日
4月27日の夢(甘い人形)
この世界では誰もが一体の等身大のフィギュア人形と暮らしている。ぼくは女友達のためにフィギュアをもう一体作ってあげた。だが、それがまずかったらしい。彼女を守っているらしい眼鏡をかけた恰幅のいい壮年男性が厳しい眼でこちらを見ている。しかたがないので、ぼくの作ったフィギュアを廃棄しようと首を外すと、人形の頭の中には餡子が詰まっていた。それならこれはフィギュアではないのだから、問題ないのではないかと思う。
2019年04月25日
4月25日の夢(悲しき王子)
ぼくはこの国の王子だ。めでたく妻を迎えることができ、海外に新婚旅行に行くことになる。だが、経費節減のため一般のツアーに組み入れての旅行である。しかも空港で飛行機に乗り遅れてしまい、新妻だけが一人で旅に出た。一週間ほどぼくは国内で待つしかないのだという。しかたがないので勤務先の居酒屋に戻り、皿洗いなどの仕事をぼんやりこなす。店長だろうか、眼鏡の男性がぼくを睨むように見ている。
ようやく妻が旅行から戻ってくる日になり、ぼくは迎えに行こうと路線バスに乗る。バスの中は広い。一人席が劇場のように沢山あり、中南米系のハーフの女性たちが何人か乗ってくる。海外から働きに来ている人たちだろうか。
2019年04月23日
4月23日の夢(シェルター)
核戦争なのか災害なのか、巨大なシェルターの内部に沢山の人といる。その中でぼくは女友達といちゃついたりする。だが、ぼくらに関心を払うような人は誰もいない。シェルターを奥まで歩くと、二つのドアが左右に並んでいる。その右側のドアを開けると、外は雪がしんしんと降り積もっている。先ほど正面の入り口から入ったときは春だったのに。
正面まで戻ると、大きなトレイに載せられた食事が運ばれてくる。最初の人が運んできたのは卵料理。二人目の人はまた別の料理を運んでくる。ぼくは卵料理の皿を手にする。
慰問コンサートが開かれるというので会場に向かう。シェルターの中は迷路のようで、みんなてんでに歩いていく。ぼくはみんなと違う、少し上り坂の通路を進む。すると慰問会の会場の天井裏に出てしまった。眼下に観客が立ち見しているのが見え、天井裏から人々が手をついて次々と飛び降りる。最後の順番になったぼくも天井板に手をついて、先に降りた男性に「ぼくも降ろしてください」と言うが、彼は悪意のある顔で「だめだ」と答える。だが、ぼくは無視して飛び降りる。幸い、それほどの高さではなく、無事に着地できた。慰問のコンサートということだが、舞台では何も行われていない。そこへ中年の女性がやってきて、ぼくに厚紙を丸めたようなものを手渡し、「これはあんたが書いたものだけれど、間違いがあるわね」と言う。しかし、それは明らかにぼくが書いたものではないので、彼女にそう答える。そうしながら、ぼくはこれを夢だと認識し、懸命に夢日記を書き続ける。
ぼくは自宅のあるマンションの手前の交差点を渡ろうとしている。いつのまにか左手のビルにガラス張りのスタジオがあり、そこから地域FMが若者たちによって放送されている。放送の内容は明らかにヘイトスピーチだ。いつのまにか日本はこんないやな国になってしまったのだなと暗然とする。
2019年04月19日
4月18日の夢(道路上の展示会)
知人の奥さんが道路わきで昔の生活用具を展示しているというので、歩いて見に行く。車が渋滞する道路の舗道に並べられた展示品の内、とりわけ目をひくのは戦闘機の部品にも使われているという不思議な機械だ。奥さんは渋滞中の車の中からそれらの解説をしてくれる。
展示を見ながら道路を進むと、道路は岡の頂上に出た。その向こうはパノラマのように眼下に田園地帯の風景が広がっていて、真ん中を一本の川が流れているのも見える。道路はそこから麓まで続いていて、豆粒のように小さく見える車が坂を登ってくる。そのとき突然どこからか「一色さーん!」と呼びかけられた気がする。見ると、道路の反対側の舗道はこちらより一段低くなっていて、そこに若い男女の同僚たちが7~8人並んでいる。彼らはぼくの方に渡ってこようと、道路を横断し始めたところだ。
2019年04月14日
4月14日の夢(70周年記念事業)
会社でクライアントの企業の創立70周年事業の仕事をしていると、不意に窓ガラスの隙間から、黒いタオルのようなものが飛び込んでくる。びっくりしていると、皆が「投げ返せ」と言うので、窓の外に力いっぱい投げ返す。
道に交通事故を起こした車が立ち往生している。自動車なのだが、外観は皇太子夫妻が結婚したときに乗った馬車とそっくり。運転していた女性が血だらけで、ぐったりしている。女性の夫らしい人がそれを見て激怒している。ぼくはその情景を見ていただけなのに、手から血が流れ出した血がボウルにいっぱいになるほど溜まっている。
クライアントに連絡をとろうと、エレベーター前のロビーの電話機を取る。同僚のМ氏が「切符を買ってあげるよ」と言ってくれるが、うまく行かない。オフィスに戻って、電話しようとするが、クライアントは何という部署にいるのだったか、そもそもぼくの勤めている会社は最近社名を変更したようだが、何という社名だったか、ぼくは何も思い出せない。しかたなく受話器を置くと、ぼくが電話をかけていたのは黄色に塗られた公衆電話だった。デスクの上にはさまざまな種類の電話が乱雑に置かれている。ぼくは「この70周年事業の仕事の責任者はそもそも誰なのか」と、上司に尋ねようとする。
2019年04月06日
4月6日の夢(吊るされた大海老)
今日は東京郊外の町にある楽器店の取材に行く日だ。だが、行き方が分からない。ラッシュの駅でまごついていると、会社の同僚の男性が通りかかった。しかし、彼はぼくに目もくれずに行ってしまう。次に女性の同僚がやってきた。彼女について、ぼくは目指す町に到着することができた。
着いてみると、町の大通りは既に報道陣でいっぱいだ。通りの両側にレジャーシートみたいなものを敷き、そこに各社の記者が座り込んでいる。まるでお花見のようだが、だが桜は見えず町は暗い。突然、通りの反対側の街路樹の上に登って、男が騒ぎ始めた。かたわらの他社の記者が「こないだも詩人のAが変なことして騒いで大変だったよ」と言う。Aは若手詩人として70年代に注目されたが、今も元気にそんなパフォーマンスをしているのかとびっくりする。
取材を終えて、帰宅の途中、道路を競走するように激走する2台の車に会う。2台とも泥のようなものを巻き込んで走っているが、幸いにしてぼくの近くには来ない。
自宅に近づくと、道の向こうから石つぶてが飛んで来て、外国人などが一斉に逃げてくる。誰かがいたずらに石を投げているらしい。ぼくは逃げずに前進して、他の通行人と共に建物の一つに身を隠す。そのロビーの壁には窓のような四角い穴が開いていて、その中にはたくさんの赤いエビが天井から紐で吊るされている。
2019年04月05日
4月5日の夢(空飛ぶ整備士)
飛行機の操縦室に乗っている。ブレーキの利きが良くないと操縦士が言う。つなぎの服を着た若い整備士が命綱を巻いて機外に出る。まるで凧のように空中を舞いながら、手で指示を送る彼の活躍で、飛行機は無事に着陸することができた。
地上でぼくたちは彼のために感謝のパーティーを開く。出席者の前にはそれぞれ和風のお膳が置いてあり、額が伏せてある。その額を表に返すと、そこに描かれているのは手のひらに血がついたモノクロの絵柄だ。これが彼への感謝のしるしなのだ。
2019年04月03日
4月3日の夢(詩人会総会のトイレ)
某詩人会の総会が行われている。会議室の真ん中に四角形にテーブルが配置され、黒板の前に議長席がある。総会といっても参加者は20名程度だ。全員席についたところで、議長が「では皆さん、まず乾杯しましょう」と言う。ところが乾杯した勢いでみんなまた席を立って、てんでに歓談し始める。これでは議事が始められない。慌ててぼくは「議事が始まるよ」と、みんなを席に呼び戻す。
しまった。開会前にトイレに行っておこうと思ったのに、忘れてしまった。我慢できずにぼくは席を立って、トイレに行く。個室に入ると、戦後の頃にあったような立ち便器が一個だけある。小用を足しながらふと見ると、便器には軟便のようなものが付着していて、汚い。小用を足しているのに、変だなと思う。こんなものが排泄されたとしたら、ぼくは病気なのだろうか? しかも、ぼくの着ているレインコートの下部にも、円形の染みとなってそれが付着している。後で拭き取ろうと思う。
廊下を個室に近づいてくる足音がする。今にもドアを開けられそうな気がして、ぼくは内側からドアをコンコンと叩く。すぐに外側からもコンコンとノックがあり、ぼくは体をひねってもう一度コンコンと叩く。個室のドアは驚いたことに鍵がかかっておらず、少し内側に開きかけている。しかも、ドアはメッシュになっていて、なんだか柔らかい。幸い、相手は行ってしまったようだが、ぼくは慌てて鍵を掛け直す。
2019年04月01日
4月1日の夢(男子校の教師)
ぼくは教師だ。これから生徒を別室に集めて、ホームルームのようなことをしなくてはいけない。ぼくにそんなことができるだろうかと、どきどきしながら隣の教室に行く。そこには椅子もテーブルもなく、ぼくのクラスの生徒がたくさん立ったまま、ぼくを待っていた。全員、二十代ぐらいの男性ばかりで、ますます気後れする。「ぼくたちのクラスについて、何か意見のある人は?」と言うと、1人の男が前に出て意見を述べる(内容は記憶していない)。ホームルームが無事に終わり、ぼくは自分がクラスをうまく統率できていることに、ほっとする。
ひと眠りして目覚めると、ぼくは西に向かう新幹線の車内にいる。座席は二人掛けで、右隣り(通路側)に某詩人会のS会長が黒い服を着て立っている。ぼくは右側の席にずり落ちるような恰好で眠っていたので、会長は自分の席に座れなかったのではないかと、心配になる。
車内は振動と轟音がすごい。飛行機の中だからしかたがないと思う。一番後尾の扉からぼくは外に出る。そこは天空高く突き出した崖のてっぺんで、すぐ右にガラス張りの美容室があり、暗い店内で沢山の男性美容師が忙しく働いている。ガラス越しに女友達の顔が見え、ぼくに「元気?」と声をかけてくれるので、ようやく安心する。
2019年03月31日
3月31日の夢(マーケット)
デパートのようなビルのワンフロアを占めて、マーケットが開催されている。ほとんどの店がコンクリートのフロアに直接商品を並べ、店員も床に座っている。フリーマーケットのような雰囲気だが、扱っている商品は百均のような感じ。ぼくはマーケットを一周しながら、目についたお店でビニール袋を一つ籠に入れる。それを見た別の店の男性店員が「しまった! 和風の袋にはうちの商品は対応してない」と独り言を言う。それを聞いて、ぼくは「そうか。間違えて和風の袋を買ってしまったのだな」と気づく。他の店を覗くと、洋風のメッシュの袋も売っている。籠の中の商品を返品したいが、それも気まずい。木製の棚を並べた店があり、がらんとして殆ど商品がないのに、髭を生やした男の店員が店番をしている。その店の棚の裏側に、ぼくは何食わぬ顔で和風の袋を置き去りにする。そしてさらにマーケットを一周するが、結局何も買わずにビルの外に出る。
そこにはぼくの学生時代の友人で今は松山在住のHくんがもう一人の男と待っていた。Hくんはぼくに「オーストラリアの飛行機の話を知っているか?」と尋ねる。ぼくは「昨日、オーストラリアから飛行機に乗って帰って来たところだ。思いつくのはそれだけだよ」と答える。そして「きみの言っているのは、飛行機が泡のような悪魔の上に乗って飛んだ事件かな。泡が空の上で弾けたために、それに乗っていた飛行機は墜落してしまったんだ」と言う。もう一人の男は驚いて、「そんなことが本当にあったのか?」とぼくに尋ねる。
」
2019年03月30日
3月30日の夢(食堂)
四谷近くの路上で、若い男性と共にバスを降りる。ご飯を食べたいが、四ツ谷駅近くにいいお店があったはず。多分、こちらの方だと思う方向に二人で歩きだす。いくつか通りを渡ると、目指す四ツ谷駅に迷うことなく着くことができた。
そこでふと気づくと、ぼくは抱えていたはずの鞄をどこかに置いてきてしまったようだ。けれど、まあいいかと思い、目当てのお店を探すことにする。
幸い、その店は四ツ谷駅の線路を渡ったところの、お茶の水寄りのところに見つかった。外から見ると、畳敷きのお座敷で、座卓が六つ並んでいて、ほとんど満席である。しかもお値段も高そうだが、今日は豪勢な食事をしてもいいと思う。女性店員に声をかけて上がると、奥の一番右の座卓がちょうど空いたところだ。そこに座ろうとするが、まだ前の客の食器類が片付けられていない。店員の案内を待つべきか、ちょっと迷う。
2019年03月25日
3月25日の夢(新任教師)
新宿のちょっと裏の路上で、保護者のお母さんたちと打ち合わせをしている。路面電車の線路の上である。そこからぼくは一人、学校へと歩く。ここは明治通りだろうか。右手に雲から冠雪した頂上を突き出した巨大な富士山の威容が近々と見える。成城学園前から見る富士は地平線の小山に過ぎないのに、もっと遠い新宿でこんなに大きな富士山が見えるのはなぜだろう?
学校に着き、担当する教室に入る。このクラスを担当する教諭はぼくをはじめ、六人いて、教室の左右の壁際にある六本の巨大な円柱の間に、自分のブースをそれぞれ持っている。ぼくのブースは右側の窓際なので明るい。なんだか妙に日常的だ。それに反して、左側のブースは一様に天井が高い。いや、暗闇の中に天井は消えていて、無限の高さを持っているようだ。その高みに向けて、ブースの四方にはどこまでも高く伸びる暗くて神秘的な書棚がある。ぼくは羨ましくて、しばしそのブースに入りうっとりする。
そこへそのブースの男性教師が戻って来た。窓際のリーフレットの置かれた棚を指差し、「おれ、こんなリーフレットなんか今まで見たこともなかったよ。大丈夫かなあ」と不安そうに言う。ぼくは「ぼくだって見たことないよ」と答える。窓の外から合唱部の生徒たちが歌う、荘厳な男性コーラスが聞こえてくる。
2019年03月22日
3月22日の夢(前向き合評会)
今日は詩の合評会である。会場は教室スタイルに前向きにテーブルと椅子が並べられ、若い人たちを中心に沢山のメンバーが着席している。だが、前方の講師席には誰もおらず、講師のぼくは最後尾の席からみんなの背中を見つめている。最前列の若い女性が立ち上がって朗読を始める。初めて参加したらしいアジア系外国人で、少し日本語が怪しい。すると、後ろから二列目、つまりぼくの前列にいた若い女性が騒ぎ出し、朗読を続けられなくなった最前列の女性は泣き出してしまう。ぼくの前列にいる女性もやはりアジア系外国人らしく、日本語がうまく通じずに、周囲と悶着を起こして泣き出したらしい。ぼくはその騒ぎをどうしようもなく、背後からはらはらしながら眺めている。
2019年03月21日
3月21日の夢(3つの黒い鞄)
ベンチの上に、黒い三つの鞄が置いてある。どれも縦に長く、不揃いで、しかも重そうだ。とにかくあの三つの鞄をぼくが手で持っていければいいのだなと思う。
長老詩人のK氏が「ぼくがそのこと、パソコンで書いといたからね」と、やさしい笑顔で言う。
2019年03月20日
3月20日の夢(朗読会の司会)
学校のような建物を借りて朗読会が行われている。ぼくは司会だ。最初こそ、自分でパソコン打ちした台本に従って、快調に進行していたが、いつのまにかその台本が見当たらなくなる。みんなに探してもらうが、見つからない。それでも、出演者たちが持っていたプログラムを借りて、司会を続ける。だが気がつくと、それも見当たらなくなり、しかたなくぼくは休憩を宣言する。その間に出演者たちに尋ねてみるが、誰も資料を持っていない。休憩の時間が五分、十分と過ぎていき、焦る。そうだ。朗読会のポスターがロビーのどこかに掲示してあるはずだ。そこには出演者の名前が出演順に記載してあるはずだ。男性出演者の一人を伴って、人々で賑わう廊下や入り口ロビーの掲示板を探して回るが、不思議なことに一枚もポスターは貼られていない。これでは誰が出演するのかも分からない。万事休すだ!
2019年03月12日
3月12日の夢(フィルムがない)
会社で片付けをしている。二つ部屋があり、ぼくのデスクは右の部屋にあるが、今は左の部屋にいる。ここにいる人たちはぼくの会社の昔からの同僚たちで、皆懐かしい顔ぶれである。
そういえば明日は久しぶりにカメラ取材があるのだと思い出す。自分で写真を撮るなんて何年ぶりだろう? 会社のカメラを取り出す。さてフィルムはどの引き出しにあるのだっけ? 探し回るが見つからない。同僚たちにも探してもらうが、なぜか皆気が乗らない様子だ。
考えてみたら、今はデジカメの時代だ。フィルムなんて不要だし、こんな重いカメラでなく、ぼくのポケットの中の自分のデジカメで十分じゃないか。そう気づいて、ふうっと気が軽くなった。
2019年03月09日
3月9日の夢(脛から生える葉)
もうすぐ自宅というところまで戻ってきて、ふと見ると、左足の脛から観葉植物によくあるような長い葉っぱがいくつも生えている。生えているのではなく、刺さっているのかもしれない。驚いて、一本ずつ力任せに引き抜く。痛みはないし、血も出ない。ほっとして自宅に戻る。
自宅は壁もドアもガラス張りで、なんだかヘアサロンのような感じだ。左隣の家も同じようにガラス張りで、住人がぼくを見ている。いやな感じだ。自宅の前にはまだ小学生の妹がいて、とてもかわいい。ぼくは「いい子だね」と言いながら、頭を撫でる。
ドアから中に入って驚く。一階のフロアいっぱいに椅子が並べられ、三人ほどの子供が座っていて、やはりぼくと妹をじっと見る。いつから我が家は学習塾になったのだろうか? ぼくは彼らを無視して、妹の手を引っ張り、二階への階段を上がる。
2019年03月03日
3月3日の夢(試しを受ける)
海外へ行く。中年女性がぼくにこれからの行動を指示する。試しを受けるらしい。崖をよじ登ったり、深い穴を潜り抜けたり、ようやく暗い穴から地上に顔を出すと、前を行く男が「あっ、ここで地球が裂けてるぞ!」と叫ぶ。前方には左に海か湖が見え、右に小高い山が見え、その境い目にホテルのような建物があって、海岸との間に沢山の人々の姿がある。まるで無数の蟻がたかっているようだ。そして山には確かに裂け目のような深い谷があるが、男の叫びはいくらなんでも大げさだろう。と思ううちに、山は音もなく左側へ崩れ、ホテルを押しつぶしていく。人々は逃げ惑うが、なんとか無事に避難できたようだ。試しの最後に、ぼくたちは壁の前に座らされる。ぼくの前にいたY氏がその姿勢で壁に頭をぶつけると、壁に穴があき、顔が壁の外側に出る。さらに両手を突き出すと、両手も壁の外に出て、Y氏はオートバイに座った格好になり、Y氏を乗せてオートバイは前方に開けた道を驀進していく。彼は試しに合格したのだ。ぼくも同じことを要求されていると分かるが、ぼくは運転免許を持っていないので、ひるんでしまう。指示を出す女性に「ぼくはオートバイにも自転車にも乗れないんです」と訴える。女性は一枚の地図を出し、ぼくに「こことここに〇をつけなさい」と言う。「そして、ここには花丸をつけなさい」。ぼくは「えっ? どこに〇をつけるんですか?」と聞き返しながら、なんとか記入して女性に地図を返す。すると女性は地図の最後に、英語で「out」と記入する。
ぼくは日本に戻り、そこで再び試しを受けることになる。入社試験なのかもしれない。埃っぽい理科室の準備室のような場所に行くと、眼鏡をかけた中年の男がいて、ぼくに「コップにこの飲み物を満たし、ストローでその中に息を吹き込みなさい」と指示をする。ぼくは言われた通り、オレンジの液体を透明なコップに満たし、思いきり吸い込んだ息をストローで吹き込む。液体は激しく泡立つ。ぼく自身にも満足のいく肺活量を示すことができ、どうやらぼくは合格したらしい。ぼくはほかの若者たちと共に軽トラックに乗せられ、夜のライトアップされたサッカー場のような場所に行く。ここから夢は曖昧になるが、ぼくたちのやることはことごとくうまく行って、ぼくらの姿は夜に輝く光の群のように見える。
2019年03月01日
3月1日の夢(逃亡バス)
バス停で待っていると、定時にバスがやってきた。乗り込むとパスモの読み取り機がない。車内は部屋のように広くて、ほとんど正方形に近い。ぼく以外に乗客はなく、座席の前方中央に紙切れに埋まるようにして、読み取り機があった。しかしランプが点灯しておらず、明らかに生きていない。
ハンドルを握る初老の運転手にそう声をかけると、「12番の席にも読み取り機がありますよ」と言う。窓際の12番の座席を探すが、そこには読み取り機はない。しかたなくぼくは無賃乗車のまま一番後ろの席に座る。
運転手は大きく振り返って、ぼくの方を見ていたため、前方に曲がり角が近づいているのに気づくのが遅れた。バスは猛スピードのまま、レンガの壁を避けて右折する。コンクリートの電柱に激突しそうな勢いなので、ぼくは「うわあ」と思わず声を上げてしまう。
「このバスはもう1時間も遅れているんです。私は何かから逃げているのかもしれないなあ」と運転手は独り言のように言う。「でも動物たちは歌をうたっているし……」と彼はつぶやく。そういえば窓から見える街に不思議な動物たちの姿を見かけたな」とぼくは思う。
2019年02月28日
2月28日の夢(天井近くの四角い穴)
取材のためにY社の特約店に行く。ここは東京でも港に近く、しゃれた感じのお店である。中に入ると、広い部屋と狭い部屋とに店内は分割されている。広い部屋にいる店員らしい女性にインタビューをして、写真を撮る。ぼくはこの店に来たのは偶然で、たまたま彼女を見つけたと思っていたが、これは仕組まれた偶然で、彼女の取材はY社がぼくに望んでいたことではないかと気づく。それならお店の外観写真も撮らなくては、と外に出るが、もう夜なので、外観を撮ることができず、焦る。
しかたなく店内に戻ると、狭い方の部屋の天井近くの壁に長方形の穴があいている。しかし、穴はゴミが詰まっていて、とても汚い。ぼくがカメラをそれに向けてシャッターを切ると、シュッと風のようなものが勢いよく出て、ゴミを吹き飛ばした。シャッターを切るたびに穴はきれいになり、そこから空が見えるようになる。ぼくは得意になって、「ほら、あそこがこの店で唯一、ぼくの気になっていたところなんですよ」と言う。
2019年02月26日
2月26日の夢(時計と蚊柱とビニール袋)
会社にいるが、仕事がないので、なんとなく時間をつぶしている。ふと腕時計を見ると、もう5時過ぎだ。驚いて壁の時計を見ると、まだ昼の12時10分過ぎである。ぼくの時計が狂っているのだと分かり、時計を合わせる。もう昼休みなのに気がつかず、損をしたなと思う。
ぼくは右手に細い棒を持ち、それを振り子のように振っている。これは蚊取り棒だ。空中から大量に蚊が湧き出し、棒の表面にハエトリガミみたいにくっつく。棒を持つぼくの右手の指や腕にも蚊がとまるが、気にせず、蚊のついたままの蚊取り棒をゴミ箱に放り込む。
壁のテレビに3人の白装束の男が写っている。そのうちの一人だけが頭抜けて身長が高いので、テレビの中の出演者も見ているぼくたちもどっと笑う。
テーブルの上に透明なビニール袋や、牛乳パックのようなボール紙製の箱が沢山置いてあり、数人の男女の社員が周りを囲んでいる。女性社員の一人がぼくに「水をビニール袋に入れて」と言う。しかし、ビニール袋は大きく破れている。ぼくがそれを指摘すると、彼女はボール紙の箱を指差し、「ひとまずこちらに入れておいてから、後でビニール袋に移せばいいわ」と答える。そんなことをしても結果に変わりはないのではないかと思い、ぼくは「ええーっ?!」と当惑の声を上げる。
2019年02月23日
2月23日の夢(スリッパ)
トイレに行こうと部屋を出る。視野には自分の足元しか映っていない。木製のフロアなのだが、一面水でべたべたである。トイレのスリッパを探すが、全部使用中らしく見当たらない。一足だけ裏返しにひっくり返っているスリッパがあり、汚いが手を使って裏返す。しかし、それは子供用の小さなスリッパなので履けない。あきらめて部屋に戻る。
2019年02月21日
2月21日の夢(4つの部屋)
今日は現代〇人会の総会である。会場は三つの広い部屋がつながっているが、それぞれの部屋は直線的に並んでいないため、互いに別の部屋を見通すことができない。ぼくは理事なので、一番奥の部屋に荷物を置いて、席をとる。
そこから再び出入り口に向けて、歩いていく。とても広い会場なので、ぱらぱらとしか人は座っていないのに、通路になる部分に限って、隣同士で話し合ったりしているため、彼らの存在が邪魔で通りにくい。理事長のA氏がうろうろしているのが見える。部屋にはテーブルはなく、移動式の椅子だけがぎっしり並べられている。
出入り口から二つ目の部屋に知人がいたので、ぼくはその部屋の椅子にコート等をかけ、そこに落ち着く。外を見ると、庭は芝生のようになっていて、屋外にも椅子が並べられている。だが、こんな入り口近いところに座っていたのでは、理事としてはまずそうだ。
また奥に向かって前進すると、最初に座っていた部屋の奥にもう一つの部屋があり、そこが演壇のある部屋だとわかる。こんな部屋、さっきは気づかなかったのに。それにぼくが荷物を置いておいた席のあたりは、すっかり他の会員たちに占領されてしまっている。
2019年02月18日
2月18日の夢(カラオケルーム)
ぼくと女友達とその母親と三人でカラオケに行く。何かのお祝いらしい。女友達はその場で「緋色の朝焼けの空は~」とこれから歌う自作の曲を作り始める。「家ではなかなか電話がかからないけれど、この部屋はケータイ電話の電波がよく入るからいいわ」と言う。
2019年02月17日
2月17日の夢(鋏の音)
デスクの右の床にデスクと同じ高さまで書類の山が積んである。山というより一本の柱みたい。その上に鋏が置いてある。鋏の刃の部分が二重になったト音記号のように、幾何学的にデザインされていて、美しいがとても切れそうにない。ぼくはその鋏を床に落としてしまい、鋏はガチャンという音を立てる。書類の山の横に立っていた新入社員のような女性に、「鋏を落とした音が分かるか?」と、ぼくは尋ねる。女性はいぶかしげな表情をしたまま「はい」と答える。
2019年02月16日
2月16日の夢(三姉妹と頑固爺さん)
今日は就職のために都心に出る日だ。駅は人里離れた山中にあり、ホームまで緑の樹木が屋根のように両側から蔽いかぶさっている。乗り間違えないようにしないといけないが、四両編成の各駅停車と十両編成の急行では全く停車位置が違い、慣れないぼくは乗車するにも一苦労だ。
ようやく目指す電車に乗り込むことができた。対向するホームに、吊り広告をすべて新装飾という会社の制作したポスターで統一した車両が入線した。ぼくはたまたま隣に座った知らない女性に「見てください。新装飾というのはぼくが家出して上京したとき、最初に勤めた会社です。今はあんなに大きな会社になったんですよ」と自慢する。
原宿の駅に着き、ぼくは三姉妹が経営する会社で下働きをすることになる。三姉妹はこれから頑固爺さんの経営する和菓子屋に、景品にする和菓子セットの件で交渉に行くところだという。会社の裏口から外に出る三姉妹をぼくも急いで追う。
裏通りを横切った向かいの店が目指す和菓子屋だ。石でできて門柱が立ち、石段を何段か上がったところに、玄関がある。ぼくは三姉妹に「交渉はぼくに任せて」と言い、風呂敷に包んだ和菓子セットを出て来た爺さんに見せる。「これと同じセットをあと250、明日の夜までに作ってほしい」とぼくは言う。それが注文主の意向だからだ。どうやら顧客への引き出物に使うらしい。だが、爺さんはぶすっとしたまま「できない」と答える。でも、爺さんとぼくと頑固者通し、何か気持ちの通じるものを感じる。
2019年02月05日
2月5日の夢(帝都という機関車)
自分の会社のあるお茶の水の駅に降りると、盛んにサイレンが聞こえてくる。救急車か消防車かと思ったが、そうではないようだ。街並みの屋根の向こうに、屋根よりも高く大型の蒸気機関車が台車に乗って、街を進んでくるのが見える。そして総武中央線のレールに乗ると、目の前にその機関車がやってきた。巨大な威容に驚いていると、誰かが「あれが帝都だ」と言う。そういう名前の機関車なのか。あるいはこれは映画の撮影で、「帝都」とは映画のタイトルなのだろうか。
いっしょに駅を降りた同僚社員の男性が「線路の向こう側を歩いて通勤したことがあるか?」と尋ねる。そちら側の方が寺院などが多くて、出勤前の散歩にいいとは知っているが、ぼくは歩いたことはないと答える。
ぼくは突如疾走し始める。岩でごつごつの下りの地面をものすごいスピードで走る。岩の突き出た部分もなんのその。息が上がることもない。
会社のそばの街角で、露店を出していた老婆がぼくを呼び止める。「一色さん、こないだの買い物は150円足りなかったよ」と言う。記憶していないが、謝罪して150円を老婆に支払う。すると、老婆は急に優しくなり、海苔のついた小さな煎餅を沢山ビニール袋に詰めて、ぼくに渡してくれる。それをポケットに押し込もう手するが、入りきらない。ぼくはその袋を手に持ったまま、誇らしそうに会社に出社する。
2019年01月31日
1月31日の夢(野原電車)
モノプロの合評会を広い畳敷きの部屋でしている。メンバーの数は少ないが、長老女性詩人のKさんが参加してくれている。もう少し参加者があるといいのだがと思っていると、メールで未知の男性から問い合わせがあり、すぐに本人が現れる。現代詩を殆ど読んだことがない人らしい。ぼくは彼を交えたメンバーの前で自作の詩の朗読をする。
終わって、駅に向かう。これから幼なじみのWくんと電車で戦いに行く約束をしている。ぼくは何か液体を付けたセーターを着ていて、それを脱いでバッグの中にしまう。だが、何かで液体を拭いた方が良いと思い、駅の食堂で雑巾かティッシュを探す。幸い、死角になったテーブルの下の棚にナプキンがあったので、うまく汚れを落とすことができた。
乗車するはずの電車が入線してきた。レールは直接ホームの上まで敷かれており、青色の電気機関車はレールを少しオーバーランして、ホームで停まる。だがすぐに「バックします」という放送があり、電車はレールに収まるところまでバックして、ドアが開いた。電車は屋根も壁もなく、床は緑の苔や雑草が生えた大地そのものだ。道路の中央にあるグリーンベルトのような感じ。ぼくはWくんの姿を探すが見当たらない。しかたなく、空いている地面に座る。そこは針葉樹が隣に立っていて、時々顔に当たって邪魔である。だから空席だったのかもしれない。
いつのまにかWくんと合流して、ぼくらはクライアントのオフィスへ戦いの報告に行く。だが、肝心のクライアントがまだ帰社していない。やっと戻ってきたクライアントはディズニーの3Dアニメに出てくるような顔をしている。とても生身の人間とは思えない。
2019年01月28日
1月28日の夢(北海道支店)
勤務する会社の北海道支店に向かっている。立派に舗装された道路に一台の車も走っていないので、ぼくはのんびり車道を歩く。あちこちに警官が立つ姿が見える。なんだか変だ。「ここはオリンピックのマラソンコースなので、コースに入ると逮捕されることもある」という誰かの声が聞こえ、慌てて舗道に戻る。
支店に着いた。ぼくはこれまで入り口に近いところにデスクがあったが、今日から奥の方に席替えになった。仕事も忙しくなり、夜の八時になってもみんな帰れない。高級車で乗り付けた女性が片手鍋の蓋を取る。緑色と灰色の長い麩のようなものが四本、鍋の中にあり、かなり煮崩れている。その四つのうちのどれかを選ぶよう、女性に言われ、ぼくは選択に迷う。
2019年01月23日
1月23日の夢(法事)
今日は我が家で法事があるので、僧侶を呼びに行く。僧侶とともにマンションに入ろうとすると、敷地の手前の交差点が大きな水たまりになっていて、渡ることができない。どうやら何かの事情で、マンションから噴き出した水のようだ。
交差点の左にある赤信号をしばらく見ていて、ふと目を戻すと、いつのまにか水はすっかり消えているので、マンションに入る。そこで参列者の一人、詩人のG氏と出会い、いっしょにエレベーターに乗る。着いたぼくの自宅は文字通り邸宅というのにふさわしい豪華な部屋だ。
法事が終わったあと、ぼくは参列していた年増の二人の女性とともにエレベーターに乗る。なぜか下へ降りるのでなく、上に昇ろうと3階のスイッチを押す。隣にいた若い男が「ぼくも3階」と言ったので安心していたら、エレベーターは横揺れを始める。地震が起きたのだ。そしてエレベーターは3階に停まらず通過してしまった。このまま乗っていたらどこへ連れて行かれるか分からない。5階のスイッチが押されているので、そこでぼくも降りて、下りのエレベーターに乗り換えよう。ところがエレベーターは上にではなく、横に疾走し始めた。窓の外には川が見え、船や工事のトラックが見える。だが、乗客たちはそれに気づかないようだ。
5階でドアが開いたので、あわてて降り、廊下を進む。廊下は鍵の手に曲がっていて、別の棟に渡り廊下となって繋がっている。走るようにして、廊下を突き進むと、目の前にあったのはアフリカの大草原だった。
2019年01月22日
1月22日の夢(解散パーティー)
何かの解散パーティーのため何人かの男女が一軒家に集まり、てんでに料理を作っている。ぼくは川で取れた小さな細身の魚をフライパンに入れ、フライにする。パスタを作っている男性に「味見してね」と言うと、彼は鍋から直接パスタを一本すくって口に入れる。ちょっと汚い。このパスタは食べない方がいいなと思う。
2019年01月13日
1月13日の夢(ハガキのジェットコースター)
高速道路なのか、遊園地の遊具なのか分からない。人ひとり分のお尻の幅のすべり台のようなコースがジェットコースターのように設置されている。お尻の下に年賀状のようなハガキを一枚敷き、残りの何枚かを手に持ってぼくは滑降し始める。コースは上下の二手に分かれ、上を行くと自動車専用コースにつながるらしいが、ぼくは下のコースを行く。すごいスピードでみんな滑っている。最後に改札口があり、ぼくは手に持ったハガキを係員に渡して、出ようとする。係り員は「お尻の下の一枚もください」と言うので、ぼくは苦労して体を折り曲げ、その一枚のハガキを渡してコースを出る。
2019年01月10日
1月10日の夢(外泊)
よその家の二階に泊っている。目覚めて、ふと見ると蒲団の向こうから一本の手が出て、何かを投げ捨てる。手だけが見えるのは気味が悪い。だが、すぐにそれはこの家の息子だと気づく。二部屋つながっている和室の襖を開けて隣室に出て行く手を追いかけて、捕まえてみると、やはり小学生くらいのこの家の息子だった。彼に着換えを借りて、階下に降り、家のご亭主と主婦に挨拶する。この家に泊まったのは、この近くに訪ねようとしている女性の家があるからだが、その人がおばあさんなのか、中年なのか、それとも若い人なのか全く見当がつかない。さて、どうしたものかと考える。
2019年01月05日
1月5日の夢(留学生の集い)
東京にインドネシア系の留学生が沢山暮らすようになった。しかし、なかなか日本の習慣になじめず、苦労しているという。今日はそんな彼らのために交流パーティが開かれるというので、ぼくも初めて参加することにした。
会場は既に沢山の留学生たちで賑やかだ。長いベンチが沢山置かれており、真ん中あたりに一つだけ誰も座っていないベンチがあったので、ぼくは飲み物片手にそこに座り、にこにこしながらみんなを眺める。彼らと日本人との異文化衝突で今話題になっているのは、彼らが椅子をハサミで切り刻む習慣を持っていること。それで日本の人たちとの間でトラブルになることもあるという。ぼくはそんな日本人ばかりではないことを示そうと、小さな一人掛けの椅子をハサミで切り刻む。けれど、会場で他にそんなことをしている人はいない。もう椅子を切り刻むことは留学生たちもしなくなったのだろうか。
壁際のベンチにボランティアで参加したらしい日本人男女の姿がある。ぼくも彼らの近くに行くと、そこに電子ピアノが一台置いてあった。蓋を開けようとしてうっかり鍵盤にさわり、大きな音を出してしまう。電子ピアノの内部は洗濯機の中のようで、そこに色とりどりのビー玉のようなものが沢山詰まっている。ぼくはそれらを取り出し、隣にいた日本人の初老のおばさんに渡すが、ビー玉は後から後から出て来て、きりがない。おばさんは「これを容れるものはあるの?」とぼくに尋ねる。ぼくは「いや、ないだす。仕舞う場所がないから、このままピアノの中に入れた方がいいですかね」と尋ね返す。おばさんが「その方がいいわよ」と言うので、ぼくはせっかく取り出したビー玉をまたピアノの中に戻していく。
2018年12月26日
12月26日の夢(新理事交代)
某詩人会の総会で、新しい理事が指名されていく。指名するのはまだ若い一人の男性で、指名されるのも若手の男女。全員ぼくの知らない顔で、とても清新な感じだ。「最後に監査役二人を決めてください」とぼくが言う。やはり若手の男女二人が指名され、女性の方は外国人だ。早速キッチンのような場所で、新理事長のトークが始まる。左手の壁にドアのない出入り口があり、その奥で監査役二人は理事長の発言に問題がないかチェックする。だが、だんだん奥に引っ込んでしまい、ぼくが「監査役さん」と呼び出さねばならないほど、奥へ行ってしまっている。
2018年12月24日
12月24日の夢(本を買う)
テレビで「かたのがはら」という場所の歴史が特番をやっている。昔ここで大きな洪水があり、そこから人々が立ち上がった歴史が現在の「かたのがはら」を形づくっているのだ。その物語を書いた本が今ベストセラーになっているという。それを見た家族みんなで本屋に買いに行くことになる。
年老いた祖母を含め、みんなで本屋のレジに向かって一目散に走る。ぼくがトップでレジに到着するが、肝心の本を持ってくるのを忘れた。しまった! と叫んで、また脱兎のようにショッピングセンターの楽器売り場を駆け抜け、書籍売り場に向かう。走りながら、ぼくは本当に「かたのがはら」の本を欲しかったのだろうか? 本当に欲しいものが別にあるのではないかと思い始める。
2018年12月22日
12月22日の夢(千客万来)
大相撲名古屋場所の会場である体育館に取材に来ている。会場の外でインド人の青年がぼくに話しかけてくる。とても日本語が上手なのは、彼が外国出身の元力士であるかららしい。そこは体育館裏の野原だが、入り口の向こうに土俵や観客席が見える。体育館は天井近くまで升席が組まれているが、意外に狭い。青年は自社製品の広告をトラックの車体に掲示したいので、その制作を請け負ってほしいと言い、製品の写真や資料をぼくにくれる。
打ち合わせを終えて会場に入ると、もう相撲は終わってしまっている。驚いたことに観客席はすっかり取り払われている。いつのまに作業をしたのだろう?
会社へ戻ろうとすると、美しい外国人女性が現れ、やはりぼくに仕事をくれる。彼女は突然お風呂のようなプールに飛び込んで、自分の泳ぎの上手さをアピールする。それが彼女のプレゼンのやりかたらしい。
外に出ると、街はクリスマスだ。会社に戻り、インド人の青年にもらった製品の模型を吊るす場所を探す。仕事がこんなに沢山入ったことを上司に報告しなければいけないが、ぼくの上司という存在はそもそもいるのだろうか? ふと見ると、オフィスの一番奥の同僚たちに隠れる位置に、課長がデスクに座っているのに気づく。ぼくが一番最初に就職したA電器という会社の販促課長だった人だ。早速報告しようと思うが、5時を回ったところで早々に退社してしまったらしく、デスクはライトが消えて真っ暗だ。
2018年12月16日
12月16日の夢(地面の黒い穴)
ぼくは会社をほぼリタイアしているため、ぼくの仕事を後輩の女性社員に引き継ごうとしている。渋谷での取材を彼女に同行してもらい、一緒に食事した後帰ろうとして駅に向かう。だが、彼女はさも当たり前のように地面にあいた黒い穴の中に降りようとする。細くてほとんど垂直の穴。壁は真黒で、少しねじれたような形をしている。覗き込むと、穴の下からもサラリーマンふうの男女がこちらへ登ってくる。しかたなくぼくも穴に降りる。壁には手掛かりになるものがなく、滑り落ちるような感じだ。
穴を抜けると、そこには駅があり、懐かしい街が広がっている。いつも夢に出てくるあの街だ。ここにぼくらの会社もある。しかし、ぼくは道に迷いそうになり、すたすたと前を行く女性社員の後を急いで追いかける。
彼女はモダンな感じのレストランにできた行列に並ぶ。入り口に一枚のガラスの壁があり、彼女は壁の向こう、ぼくは外にいる。そして、ぼくの後にもどんどん行列ができる。さっき食事したばかりなので、ぼくはまだランチを食べる気にはならない。だが、彼女は朝食抜きで出勤したから、もうお腹が減ったのだろう。その彼女が振り向いて、ぼくに問いかける。「さっきキムさんとおっしゃいましたよね。キムさんてどういう人ですか? 正式な名前を教えてください」。ぼくは懸命に頭を働かせるが、彼女にキムさんについて話したことも、キムさんという人物のことも全く思い出せない。「ごめん。あとで電話するよ」と言って、ぼくはひとり会社に帰る。
オフィスのデスクで、もう一度キムさんのことを考えるが、やっぱり思い出すことができない。
2018年12月13日
12月13日の夢(沖縄の新社屋)
会社が沖縄に移転した。今日がその第一日目である。朝目覚めて、一階へ新聞を取りに降りる。玄関の郵便受けから二種類の新聞と、封書を一通取り出すが、ぼくの読みたかった朝日新聞ではない。手紙もぼく宛のものではないので、もう一度郵便受けに戻そうと引き返す。
階段を上がる途中で、若手の男性社員が「ゆうべ、未明の三時ごろに社長が入ってきたので、びっくりした」と話している。深夜に起こされるのはいやだなあ。ケータイで誰かに電話しようとして、ボタンを押し間違える。見知らぬ女の声がけたたましく返事をしてくるが、階段の途中で中年の女性社員が大声で電話しているのに出会う。ぼくが間違い電話をうっかりかけた相手は彼女だったらしい。
二階のオフィスに戻ると、もう社長の一時間目の訓話が始まっている。奥の自席に行くと、ぼくの椅子はあるが、さっきまであったはずの木製デスクがない。周りの同僚に尋ねてみるが、みんな知らないと言うので、ともかく椅子に座って、社長の話を聞く。ぼくは朝食用に温かいパンケーキを一つ持っているが、隣の席の女性社員がもっと温かくて大きなパンケーキを「冷めるといけないから、一時間目の間に食べてね」と渡してくれる。デスクはないけれど、ぼくは両手にあつあつのパンケーキを持って、ちょっとご機嫌だ。
2018年12月12日
12月12日の夢(ズボンがない)
会社から道路を一本隔てた裏通りに、一軒のお店がある。ぼくは毎日のようにそこに通っている。昨日も顔を出すと、テーブル席に座った男性に一人の若い女性が話しかけていた。学校の先生のようだ。
今日もお店に行き、閉まっているドアを開けようとすると、中から女性が細めにドアを開けて、「今日は土曜日なので、入るのならお金をいただきます」と言う。そうか。ウィークデーは無料だったのだ。ぼくは「じゃあ、いいです」と断り、外に出るが、ふと気づくとズボンをはいていない。スーツの上着を着ているので、ぎりぎり下半身は隠れているのだが、このまま地下鉄に乗って帰宅してもいいものか、思い悩む。
2018年12月11日
12月11日の夢(定員4人の個室トイレ)
トイレの個室のドアを開けると、そこには既に三人の先客がいた。一人の若い女性と二人の若い男はどうやら三角関係らしい。広い個室の真ん中に和式便器があって、そこで女性が用を足している。一人の男性はその女性の手前、もう一人は女性の横の壁際で、トイレの床に直接用を足している。女性は二人の男たちに「早くしてよ!」と言う。ぼくは一番ドアに近いところに腰を落として用を足し始める。その間に三人はさっさと用を済ませて、出て行ってしまう。ドアは鍵が開いたままだ。ぼくは用を足しながら手を伸ばして、必死でドアを押さえるが、そのうちかしゃりと音がして、ドアに鍵がかかった。これなら安心だ。
2018年12月10日
12月10日の夢(突風)
突風がやってきて、巨大な体育館のような建物の屋根を吹き飛ばした。ぼくは避難所生活を送ることになる。避難所は木製のカウンターのあるバーのような雰囲気。ぼくは見知らぬ男性二人といっしょにそこに入る。先に椅子に腰かけていると、二人は「食事二人前」と注文する。それではぼくが食いっぱぐれるので、慌てて椅子を降り、「三人前」と注文し直す。
先に二人分の食事が運ばれてくる。あと一人分を貰いにカウンターに行くと、そこにもう一人の男性がいる。これではどちらか一人、多分ぼくが食いっぱぐれる。
2018年12月09日
12月9日の夢(学校取材)
学校取材に行くことになり、ケータイで校長に10時半に訪問する約束をする。けれど、うっかり学校の名前を聞き漏らした。でも表参道にある学校なのだから、行けば見当がつくだろうと思う。
取材の準備のために会社に行く。会社は表参道と明治通りの交差点に面したビルにあるが、今日が休日だということを忘れていた。中は真っ暗で、何人か休日出勤の男性社員が働いている。でも経理が休みだから、謝礼のお金を貰うことができない。しかたなく自分の財布から1万円札を出して立て替え、封筒に入れる。
列車に乗るが、行先を間違えて、見知らぬ海辺の町に着いてしまう。屋並みのすぐ向こうが荒波の立つ海で、海岸の堤防を兼ねた道路は浸食されて、刻々と幅が狭くなっている。なかなかやってこないバスに乗り、なんとか目指す学校に着いた。
学校の中には既に他社の取材クルーもいる。しかし、校舎の中はまるで迷路のようで、取材のアポをとった校長の名前も分からない。
2018年12月07日
12月7日の夢(総会)
今日は某詩人会の総会である。会場は初めての場所なので早めに到着する。以前海外で買った花柄のズボン(実在しない)を履いて出かける。ところが会場で見知らぬ女性会員と話をするうち、床に転倒して花柄のズボンを泥で汚してしまった。なんとか泥を落とすが、ズボン全体が泥色に染まったまま、会場から少し離れた控室に行く。そこで会員たちと座って待っていると、「もうすぐ始まるから、行かないとダメですよ」と促される。ああそうか。会場とここは離れているのだと思い、道をてくてく歩いて会場に戻る。しかし、さっき沢山舞台にいた理事たちは誰もいない。今日はここではなく、地下室が会場なのだという。
地下に行くが理事たちは誰もぼくに声をかけず無視している。席もないので、自分で小さな椅子を抱えて舞台に上がる。台本を見るが、どこにもぼくの出番はないようだ。おまけに報告をしようにも、自分の書いたメモがない。舞台ではいつのまにか余興の踊りが始まっている。
2018年12月01日
12月1日の夢
ケーキを買いに行った。ケーキ屋さんには年寄りの店主が白い上っ張りを着て、店番している。ぼくは欲しいケーキについて詳しく記入したノートをショーケース越しに店主に渡す。ノートには中央に水平に引いた手書きの一本の線があり、その上と下とにぼくの欲しいケーキがイラスト付きで描写してある。
ぼくが「ケーキは千円ですよね」と言うと、店主は「1万円ですよ」と答える。えっ、ケーキってそんな高いんだっけ?! と絶句していると、店主は「ケーキ2個で1万円ですよ」と言い直す。ぼくは慌ててノートを指差し、「ケーキは1個です。ノートには二通りのやり方で一つのケーキを説明しただけです。今までだって、そうしていましたよ」と主張する。店主はノートを前の方にぱらぱらとめくりながら、「まあ、今までそうしていたならしょうがないか」と不満そうだ。店主の手元のテーブルには生クリームとフルーツがたっぷり乗った、巨大プディングのような形をしたおいしそうなデコレーションケーキが作られているところだ。
2018年11月30日
11月29日の夢(箱を見失う)
久しぶりにカメラマンとピアノコンサートの取材をする。グルダが屋外で演奏するという珍しい演奏会だ。カメラマンは昔ながらの6×6のカラーポジで撮影する。ポジの中に会場に生えていた樹木を撮影したものが二枚あった。木肌に緑の苔が生えた様子が、それぞれ男と女の顔に見える。とても珍しいので、ぜひ誌面に使いたいと思う。そこへ前編集長のK女史が嵐のように乱入してきて、ポジを皆に見せながら演説を始めた。彼女が立ち去った後、ポジを見ると、顔のように見える樹木のポジの一枚の真ん中に穴があいている。
クライアントの原発会社に用もないのに出かける。同社のオフィスはまるでローマのコロッセウム遺跡のように、屋外にある。広報部の前のロビーは業者でいっぱいだ。持参した書類入りの段ボールをうっかり床に置くと、人ごみにまぎれてしまった。遠くにそれがあるのを見つけ、人ごみをかき分けて行ってみると、もうそこにはない。さんざん探し回るぼくを見て、顔見知りの他社の営業マン二人が捜索を手伝ってくれる。「この箱じゃないですか?」「いや、そんな大きな箱じゃない。段ボールですよ」。しかし見つからない。二人は「ここへ来たら、まず最初に担当者へとにかく渡してしまった方がいいよ」と忠告してくれる。
最後にもう一度探してみようとロビーに戻ると、そこでは「月の砂漠」の歌をバックに能が舞われていて、みんなが見学している。その邪魔にならないよう、ぼくは腰をかがめた姿勢でロビーを一回りする。やがて能は終わり、人々はどやどやとオフィスの外に出て行く。ぼくも帰ろうと思う。すると、今まで知らなかった外への出口が、オフィスの奥と側面に開いていて、その坂を下ると街へ出られることが分かった。街には商店街があり、食堂街になっているが、まだ昼食の時間には早すぎる。
2018年11月25日
11月26日の夢(退職の日)
今日、ぼくはこの会社を出て行く。退職して独立するのだ。さして自信はないけれど。社長が最後に話をしたいと言い、二人は床に並んで寝転がる。「きみの後輩の一人が書いた作品がなかなかいいんだよ」と、社長は天井を見上げて言う。「そうですか。良かったですね」と、ぼくも天井を見上げて答える。
社長はその後輩の男の書いた作品を鞄に入れて、クライアントへのプレゼンに出かけた。天井の鴨居には後輩の書いた作品が、半紙にずらりと書いて貼ってある。ぼくは踏み台に昇り、空欄になったままの一番左の半紙に「夢のうちそと」という文字を書き込む。社長が彼の作品をそう名づけたいとさっき言ったからだ。背後でほかの後輩たちが「そういうタイトルだったのか!」と賛嘆の声を上げるのが聞こえる。さあ、これで終わった。ぼくは後ろを振り返ることなく、お世話になった会社を後にする。
2018年11月23日
11月23日の夢(イラストレーター/箱の中の財布)
会社で仕事をしていると、「一色さん、お客さんですよ」と呼ばれる。応接室に行くと、見知らぬ女性イラストレーターが「作品ができました」と言って、手書きのイラスト原稿を何枚も取り出す。だが、ぼくは誰に何の目的でこんなイラストを描かせたのか思い出せない。しかも、彼女は息もたえだえに床に両手をついており、ぼくも同じように今にも死にそうである。それでもイラストを見ると、ピアノが描いてあり、手書きの文字が入っている。ぼくは「そんな文字は要らない。書いてもトリミングされるよ」と教えようと思う。
これから会議があるので、会議室で講師席に対面する形で椅子を並べる。箱の中から資料を取り出す。するとその中にぼくの財布があった。こんなところに置き忘れていたのか。危ない、危ないと思う。
11月22日の夢(そっくりなのに中が違う建物)
ぼくは取材記者で中国に撮影に来ている。うつむいて懸命に写真の整理をみんなとしている。はっと気づくと、そこはゴミ捨て場で、ほかの記者たちの姿はなく、1人の中国人の老人がゴミを拾っているばかりだ。慌ててぼくは雨の中を宿泊先のホテルに走り込む。
そのホテルは日本にあるぼくの住むマンションとうりふたつだ。だが、中は全く違う中国の建物である。そこでぼくと記者仲間たちは沢山の写真を撮るが、何度シャッターを押してもぼくのカメラはストロボが焚けない。
2018年11月17日
11月17日の夢(トイレ/乗馬/タイムカード)
トイレのドアを開けると長老詩人のK氏がこちらを向いて、洋式トイレに座っている。慌ててドアを閉める。K氏の退室後、もう一度トイレに入る。右に小用の便器、奥にさっきの洋式トイレ、手前に四角いプールのような、水の溜まった便器がある。もう少しでそのプール便器に落ちそうになる。
会社から帰宅しようとすると、同僚の男が「新宿まで馬に乗って帰らないか」と言う。いったんは断るものの、なんだか興味が湧き、後ろから呼び止める。「馬に乗れば早く帰れるのか?」と尋ねると、「いや、乗馬のための装具を付けるのが大変だから、遅くなるよ」と言う。
オフィスの席替えになった。初日にタイムカードを押すがうまく押せない。よく見ると、タイムカードの手前によく似た器械があって、そちらにカードを突っ込んでいたのだ。本物の方にカードを入れると、上下逆に押してしまう。もう一度入れ直すと、カードは真ん中からちぎれてしまった。新しい席のあるデスクに行くと、女性社員が座っている。とまどっていると、「ちょっとこの席お借りしてます」と言うが、立ち上がる気配もない。
2018年11月16日
11月15日の夢(長すぎる電話番号)
楽器店に三名のチームで取材に行くことになる。ぼくのほか男女各一名だ。ぼくは自分で列車を予約し、手荷物を預けた。だが、男性が「一人三千円でチケットがとれたから」と言って、別の列車のチケットを持ってくる。「えっ?」と思うが、もう遅い。ぼくらはその列車に乗ってしまった。
現地に着いた、しかし手荷物は別の列車に預けたのだから、当然ながらぼくの鞄は見当たらない。鞄の中に入っていた資料もない。どこへ取材に行けばいいのかも分からない。女性が「確かK屋楽器店という名前だった」と言う。それなら番号案内で電話番号を調べようと思う。携帯で104に電話すると、「何についてのお問い合わせでしょうか?」と男性の声が答えた。女性の声でないことに驚いているうちに、他の担当に回されてしまったので、慌てて再度番号案内に戻してもらう。「K屋楽器の電話番号を…」と言うと、「K333……」という長い番号を教えてくれたが、長すぎて何度復唱しても覚えられない。そんなことをしているうちに、取材の約束をした時刻はとっくに過ぎてしまった。
2018年11月07日
11月7日の夢(光華という元号)
耳元で「おーい」と女性の声で呼ばれて、夜中の3時半に目覚める。もちろん部屋には誰もいない。トイレに行き、再び眠ったあとに次の夢が始まった。
ぼくは砦でありオフィスでもある場所に沢山の仲間たちといる。前回の夢のスタジアム型オフィスと同じ場所かもしれない。ぼくらは敵と対決中だが、いろいろなものが足りない。それらを手に入れるためには、ここを出て、バスに乗って遠くまで探索に行かなくてはならない。
ぼくはまず、何十年も帰っていない故郷の名古屋に、「先生」と呼ばれる男と何かを探しに行く。久しぶりに見る夜の名古屋はコンクリートの道路と建物の濃い影ばかりの街で、人影は全くない。ぼくは先生と共に懐かしいが不気味でもある街を、元の実家の方に歩いていく。
次に、ぼくは志願して一人で、清瀬か所沢にある大切なものを手に入れるため、バスと西武鉄道を乗り継いで出発する。現地に行くと、一人の女性がいて、ぼくに「それ」を渡してくれる。砦に戻って「それ」を開けてみると、それは「光華」という昔使われた元号だった。だが、天皇制に反対する仲間たちはぼくの行為を利敵行為だとして糾弾する。そして組織は二手に分かれて一触即発になる。
2018年11月05日
11月5日の夢(スタジアム型オフィス)
ぼくは新しいオフィスで働くことになった。スタジアムのように巨大なオフィスで、たくさんのスタッフが働いているのに、ぼくは干されて全く仕事がない。いつの間にか靴も失くしてしまい、靴下で雨の道路をぺたぺたと歩いている。
ランチの時間になった。スタッフたちは一斉に隣の食堂に行く。スタジアムの階段式観客席のようなベンチにみんな腰かけて食事を待っている。新人のぼくは階下に届いた弁当を取りに行く。せっせと人数分を食堂に運び、一つは自分用に残す。ところが食堂に戻ってみると、みんな黙々と弁当を食べているのに、ぼくの分がない。みんなの人数を数え間違えていて、一人分足りなかったのだ。しかし、みんな知らん顔で、ぼくの食事がないことに気づかないふりをしている。
再び階下に戻る。すると、仕出し屋のおばさんたちがおいしそうなお寿司の弁当を沢山用意している。「これを食べていい?」と尋ねると、おばさんはちょっとにっこりし、黙ってぼくに一つ渡してくれる。ぼくはおばさんたちの人情に胸が熱くなる。ぼくはお寿司弁当を持って、意気揚々と二階に上がり、みんなに「下にもっと食事が来てますよ」と声をかける。しかし、みんなは既に弁当を食べてしまったので、お腹がいっぱいのようだ。黙って白けた顔をしている。
仕事がないので、オフィスにいても気づまりなばかりだ。さぼって外出しようと思う。黒板の「行先表」に外出先を書こうとチョークを探す。巨大な黒板なのに、どこを探してもチョークがない。外出をあきらめ、別の部屋に行くと、若い男性研究者が着任したところだ。とてもいい人で、ぼくを助手に雇ってくれるという。
2018年10月30日
10月30日の夢(まつりあげ)
沖縄で講演することになり、そこで使う小道具を沖縄のデパートのような店に買いに行く。三階の売り場にキャラクターグッズが山のように置かれた売り場がある。ぼくは男性店員に「小さなイルカのようなキャラクターをください」と言う。講演の中で美ら海水族館を取り上げ、それがどこであるかを聴衆に質問する。正解が出たら、水族館を象徴するものとして、イルカのキャラクターを聴衆にプレゼントしたいからだ。だが、ぼくは「美ら海水族館」という名前をど忘れしてしまい、そちらの方向を指差して「あそこの」としか言うことができない。それでも店員はぼくの意図を了解し、「その商品なら一階の売り場にあります」と答える。
会社に戻る。顧問として迎える先輩詩人G氏の席をオフィスに作らなければならない。しかし、フロアには空いたスペースがない。ぼくは壁際に積み上げた棚の上に、彼の席を作る。彼をそこに座らせてみると、大変安定が悪い。今にも落っこちてしまいそうで不安だ。ぼくは危険を感じて、部下の社員に「やっぱり下に席を作ってあげて」と指示する。
2018年10月27日
10月27日の夢(宝物の地図)
会社の二階のオフィスに戻る。手前と奥に二つの部屋があり、手前は広く、奥は狭い。ぼくは手前の部屋だが、そこにはぼくと女性社員の二人のデスクしかない。その女性社員が自分のデスクを奥の部屋に移動させてしまったので、ぼくは広いがらんとしたフロアを独り占めすることになった。きっと奥の部屋はぎゅうぎゅう詰めに違いない。
いったん外に出て、街路を歩く。ほとんど人けはないが、ここは原宿の竹下通りだ。会社に戻ろうとするが、何度竹下通りを往復しても会社の建物がない。同僚の三人の男性社員に出会ったので、会社の場所を尋ねると、「この建物に乗っ取られてしまったのですよ」と言って、ある建物を曖昧に指差す。彼らのあとをついていくと、カフェに入った。社屋がないので、そこをオフィス代わりに利用しているらしい。
ぼくもカフェに入って、入り口から一番近い丸テーブルに席をとる。ぼく自身も洋服や鞄、紙袋などの大量の荷物を持っているが、テーブルの上にも先客が置き忘れたらしい書類の山がある。中でも目についたのは一枚の地図。どうやら宝物を埋めた場所を示すものらしい。ぼくはあたりを伺い、こっそりと地図を自分の紙袋の大量の書類の中に押し込む。
そこへ頭の禿げあがった初老の男が現れ、「ここに書類を置き忘れた。誰か知りませんか?」と尋ねる。ぼくは知らん顔をして、慌てて外に出る。慌てていたのど、雨でぬかるんだ舗道に上着を落としてドロドロにしてしまうが、それでも宝物の地図はきちんと持っている。
2018年10月25日
10月25日の夢(ニューヨーク)
海外に出張する。どうやらここはニューヨークらしい。会社の同僚たちと会議をする。初めは簡単に片付きそうだったが、だんだん話がややこしくなり、遂に泊まり込むことになる。
お腹が減ったので、何か食べ物を探して街に出る。交差点の周りには沢山のガラス張りのウィンドウを持つ商店が建ち並んでいるが、日付が変わると共に一斉に閉店していく。一本路地裏に入った食料品店がまだ開店している。太ったおばさんと若い男性が店番しており、ガラスケースの中にはチョコレート菓子らしいものが見える。それを手に取ると、中身は葉っぱのようなものだ。女主人が「It is tea」と言う。紅茶だったのだ。しかたなく若い男性店員に英語で「何か食べられるものはないか」と尋ねると、彼は笑って「私も日本人ですよ」と言い、ニューヨークの夜の食糧事情について説明してくれる。
2018年10月24日
10月24日の夢(ウエブで講演)
「UFOと宇宙人は実在するか」というテーマで講演を始める。しかし、暗い部屋にはぼくの座る椅子とテーブルがあるだけで、聴衆はいない。これはウエブ講演だからだ。
ぼくは「これはインターネットのツイキャスを使った講演なので、ここには誰もいないけれど、本当は皆が聴いてくれているんだね」と話し出す。「ぼくはUFOを見たことがあります。だからといってその実在を信じているわけではないんですよ。あれは小学五年生の時でした。自宅の庭の上をジュラルミンのように銀色に輝くドラム缶のような形のUFOがゆっくり回転しながら、低空で飛行していったんです。でも、あんなに大きく見えたUFOを隣にいた母親にいくら指差しても、母親には全く見えなかったんです……」。するといつの間にかぼくの足元に女性の老詩人が二人いて、うるさくぼくに質問してくる。話の腰を折られたぼくはたまりかねて、「ちょっとぼくの話を聴いて!」と彼らを叱りつける。
これは夢ですが、中でぼくの語った小学五年生のときのUFO目撃談は、細部まですべてぼくが実際に体験したものです。
2018年10月22日
10月22日の夢(マラソン大会)
ぼくの通っている大学で共産党主催のマラソン大会がある。ぼくも出場するので、その説明会に出席した。四角い木のテーブルが並べられ、その周囲にぼくたちは着席している。説明を懸命にノートにメモしていて、ふと顔を上げると、みんなには二枚ずつ配られているゼッケンがぼくの前にはない。テーブルの向かい側に座っている詩人のT氏が「これは貰っていい?」と言って、さっさと目の前のゼッケンを取り、立ち去った。ぼくは写真係なので、カメラを抱えて走らなければならないらしい。係の男性がぼくにそのカメラを渡して操作方法を説明してくれる。なんと重たい二眼レフカメラだ。こんなものを持ってマラソンを走るのか?!
2018年10月18日
10月18日の夢(北海道で野外演劇)
仲間と北海道へ行き、野外の牧場のような場所で集団演劇をする。敵と味方に分かれ、撃ち合ったりする派手な演劇である。演じている中にはアフリカ系アメリカ人など外国人も混じっている。日本語でぼくはいろいろ指示を出すが、はたして彼らに通じているのかどうか疑問だ。
演劇が終わり、今度はそれをテーマにシンポジウムのような催しをする。討論はぼくの思い描いた通り、うまく進行したが、時間を大幅に超過してしまった。後の便の飛行機で来た第二陣のメンバーが到着し、場所を変えて第二部に移ることになる。しかし、東京へ帰る予定の飛行機の時間を考えると、もう時間は一時間程度しか残っていない。これでは第二部の人たちから責任を追及されるのではないかと不安だ。
2018年10月17日
10月17日の夢(代替わりした医院)
今日は青山の眼科クリニックに行く日だ。女友達がついてきてくれる。途中、雨が降ってきたが、ぼくは傘がない。女友達の折り畳み傘をぼくがひろげ、相合傘にしてクリニックに着いた。
受付の中年女性はなじみの気さくなおばさんだ。「いつもお仕事に行かれるの、ここから見ていますよ」と言われる。振り返ると、街全体が大きなビルで、しかも壁が透明だ。右下にぼくらの出て来た会社が見えることに驚く。
待合室に入る。いつのまにか院長が息子に代替わりしていて、内部はすっかりリニューアルされている。左手にはお茶の飲めるドラッグストアがあり、女子高生たちが賑やかにおしゃべりに夢中。右手奥の以前リハビリの器械の並んでいた場所はゲーム機がいっぱいで、沢山の少年たちに占領されている。
診察室に入る。驚いたことに椅子がなく、真ん中に背の高い四角いテーブルがあるだけ。若い医師とぼくはテーブルをはさみ、立って向かい合う。その上に診察する器械があって、それにぼくは腕を通し、スイッチを押す。器械は長い時間動いていて、その間医師は奥へ引っ込んでしまう。器械が止まったので、ぼくは思わずスイッチを切る。すると、医師と若いアシスタントの男は「スイッチを切ったので、せっかくのデータが消えてしまいました。困りましたね。これじゃ診察できない」と言う。ぼくは慌てて「家では血圧は120ぐらいでしたよ」と言うが、取り合ってもらえない。
それなら中野の女医さんのところに行った方がいいと思う。しかし、中野への道は工事中で、レールのように細い道を延々と歩いていかなければならない。夜であたりは暗く、雨が降って足元はドロドロで滑りやすい。ぼくはあきらめて引き返すしかない。
2018年10月14日
10月14日の夢(鞄を失くす)
銀座にあるクライアントの事務所に行く。ぼくは海外出張から帰ったばかりで、なんだかぼーっとしている。ふと自分の服装を見直すと、ズボンの間から下のシャツが見えている。慌てて居住まいを正す。
クライアントが新製品を出すので、同業他社とも分担して大がかりなキャンペーンを組むことになったという。その関係資料をぼくは巨大なバッグに詰め込んで会社に持ち帰ることになる。スーツをハンガーにかけたまま持ち運ぶケースみたいに大きなバッグだ。
会社に戻ってみると、社内は足の踏み場もないほどに取っ散らかっている。上司に報告し、自席に戻るが、忙しくてバッグの整理をする暇がない。どこにバッグを置いたのか、見えないのが気にかかるが、忙しさに取りまぎれてしまう。
だが、さすがにだんだん不安になり、社内を一階から二階までくまなく捜索する。バッグは見つからない。同僚に尋ねると「一色さんは社に戻ってきたとき、鞄なんか持ってなかったですよ」と言う。そこへキャンペーンの打ち合わせに他社のスタッフが現れる。さあ、ぼくはあの資料をどこへ失くしてしまったのか?! パニックになる。
2018年10月13日
10月13日の夢(運転手の正体)
海外出張を終えて、会社に戻るためタクシーに乗る。運転手は初老に近い、中年の男性だ。長い出張だったので、会社の様子も随分変わった。広大なオフィスはすり鉢状で同心円状にデスクが囲んでいる。オフィスの中心はすり鉢の遥か底の方。ぼくは一番外側の円、つまり一番高い場所にある。そのデスクは三人分がつながっていて、左は男性社員、右は新入社員の女性。ぼくは二人にはさまれた真ん中だ。
早速、その席に荷物を置き、ランチボックスを開けて食べようとしたところで、それをひっくり返してしまう。慌ててそれを捨てようと階下に降りる。きょろきょろと探し回るが、どうしてもゴミ捨て場が見つからない。鞄の中には出張で撮影したばかりのピアニストの写真がいっぱいある。早く整理したいし、記事も書きたいのに。
ふと階下の部屋を覗くと、一人の男性が寝ている。さっきのタクシーの運転手だ。実はこの会社のエライ人だったらしい。そういえばタクシーの運賃が未払いになっていた。慌てて支払おうとすると、彼の息子らしい青年が出てきて、にこにこしながらぼくからお札を受け取る。
2018年10月11日
10月11日の夢(所沢への道)
路線バスに乗っている。比較的空いていて、ぼく以外には中年のサラリーマンふうの男性が一人、ほかには若い女性グループが数人で、彼らはおしゃべりに余念がない。中年男性の運転手はマイクで「所沢への道は分かりにくいので、お気をつけください」と車内放送している。
途中でふと気づくと、荷物を座席に置いたまま、男性の乗客の姿がない。どうやらそれに気づいたのはぼく一人だけらしい。
終点に着いた。運転席の横の出口から降りようとすると、運転手がぼくを振り向いて「さっきはああ言いましたが、所沢への道は本当は簡単なんですよ」と告げる。
そこから改札口までの間には広い待合室がいくつも並んでいる。女性客たちは最初の部屋に入り、またもやおしゃべりに夢中だ。ぼくは男性客の失踪について誰かに訴えたいと思うが、その相手が見当たらないまま、ついに最後の待合室まで来てしまった。
2018年10月06日
10月6日の夢(独身寮)
昨夜からぼくは独身寮に住むことになった。トイレに行きたくて目が覚める。廊下には既にきらきらとした朝日が射しこんでいる。部屋は四方の壁一面が書物で埋まっていて、何もかもが希望にあふれて輝いている。
廊下をトイレに向かいながら腕時計を見ると、もうすぐ起床時間だ。このまま起きてしまおう。部屋に戻ろうとすると、各室のドアが開き、男女の寮生が入り口に立っている。見るとどの部屋も内部は書物でいっぱいで、ぼくの部屋とそっくりだ。うっかり手前の女性の寮生の部屋に入りそうになり、驚いて女性が一歩身を退く。
自室に戻って着替えを始める。ぼくの部屋は廊下との間にも天井まで届く本棚があり、ここで着替えても外から見えることがないので、便利だなと思う。
2018年10月05日
10月5日の夢(詩人パーティー)
詩人たちのパーティー会場に出かける。レストランの入り口に透明プラスティックケースに入った料理の詰め合わせが山のように積まれている。中身は魚、肉、野菜……すべてが上等で、とてもおいしそうだ。入り口に縁台のようなものがあり、そこに知人の女性詩人がいるので、ぼくも隣に座る。楽しそうに話し込むうち、彼女の体がだんだんぼくに傾き、しなだれかかってくるが、心地よいのでそのままにしている。
左手奥にあるパーティー会場に入る。ぼくに割り当てられたテーブルは三人席で、左と右に既に亡くなった長老詩人が座っていて、互いに口角泡を飛ばす勢いで話している。二人の間が空席になっていて、そこがぼくの席だ。あまり有り難くないが、ともかく席につく。そこではっと気がつく。入り口で貰った御馳走を忘れてきた。
慌てて入り口に引き返すが、もうそれは誰かに持ち去られてしまったあとだ。それでも必死で料理をかき集め、席に戻ると、もうパーティーは終わりだという。
テーブルの反対側にはポエトリー・スラム系の女性詩人たちがいて、「別の会で、会費がとても高いので、てっきり食事つきだと思ったのに、なんにも出なかったわ」とか「誰かが出演の順番を自分勝手に変更してしまったのよ」などという下世話な話を大声でしていて、なんだかいやな感じだ。
2018年10月03日
10月3日の夢(粉かけ芋虫)
合評会に行こうとして、乗換駅の新宿にいる。メンバーのAさんとTさんも一緒だ。Tさんは荷物を沢山持っており、それを整理するためスーツケースを床に下ろす。すると見知らぬ若い男が近づいてきて、「スーツケースを沢山お持ちですね。一つ貸してください」と一個持ち去ろうとする。慌てて男を追い払い、荷物を見張ることにする。
その間にAさんは一匹の芋虫をつかまえ、その胴体に黄な粉のような粉をまぶす。床にあいた浅い円形の穴に虫を放すと、虫は逃れようとして穴の中を暴れまわる。暴れながら虫はどんどん大きくなり、やがて粉まみれのドブネズミのようになった。そして穴の縁を乗り越えて、外に逃げ出してしまう。
三人は時計を見て、合評会の開催まであと15分もないことに気づく。急いで荷物を持つと、地下道を左に折れて乗り換えホームに向かう。
2018年10月02日
10月2日の夢(島めぐりの連絡船)
島がたくさん浮かんでいる海の、島から島へと各駅停車のように巡る船に乗っている。それぞれの島での停船時間はとても短い。しかも初めて乗る路線なので、駅名がよく分からない。ある島の駅名表示を見て、「あれっ、ぼくの降りる島はここだったのではないか?」と思う。だが、その瞬間に船は出発してしまう。しかたなくぼくは終点の島まで行き、改札口の駅員に帰りの船の時間を尋ねる。すると、幸いなことにすぐ帰りの路線の船が出るという。それに乗れば、今度こそ目的の島に着くことができるだろう。
2018年09月27日
9月27日の夢(襤褸の服)
会社で安価な服を斡旋してくれたので、とてもいい買い物をしたと思い、早速それを着て仕事をする。ところが夕方、なんだかすうすうする。安い服は見かけこそちゃんとしていたのに、一日もたずにあちこちが破れ、お尻やお腹、肩などが露出してしまっているのだ。慌てて、残っている部分を首のあたりで結んで、これ以上肌が露出しないようにする。そして、同僚や社長に気がつかれないよう、挨拶もしないで退社する。社長はD社の女性社長。二人の同僚は編集委員のNとOだ。同僚は二人で話に夢中だし、社長は右隣りの店舗へ行って、娘二人とはしゃいでいる。ぼくらの会社も道路に面した店舗で、床にはオートバイの部品のようなものが足の踏み場もなく散らばっている。
外に出て、右に折れる。その道は昔、ぼくが名古屋の東海高校に通っていた頃の通学路である。地下鉄に乗ると、襤褸服に身を包んだぼくは怪しまれるだろう。この道をまっすぐ行けば、バスの走る桜通りに出るはずだ。でも、バスで吊革につかまれば、目の前の座席の客に浮浪者と思われるかもしれない。いっそ、タクシーを拾って帰る方がいいだろうか。
2018年09月17日
9月17日の夢(ブレーキ)
住宅街に路駐した車に一人で乗っていると、車が勝手に動き出した。慌ててブレーキを引こうとする。ブレーキは足元ではなく、ハンドルの脇にあり、浅いお椀のような形をしている。道路の反対側の民家の前の電柱に衝突する寸前で、車はぎりぎり停止した。
2018年09月16日
9月16日の夢(針の衣)
京都の街で舗道に三人の男たちと野宿した。朝、起きてみると、これから海外旅行に行くのに、ぼくの着ていた服がなく、下着姿である。盗まれたのだ。代わりに木の皮で作ったスーツの上下がある。しかたなく身につけようとすると、服には無数の縫い針が刺さっている。束にして抜くが、抜いても抜いても針だらけだ。それを捨てた足元も針山のようになる。
海外へ行くため、仲間がタクシーを呼び止める。だが、そのタクシーの運転手は以前からそばにいた別のタクシーに乗るようにと勧める。乗り込んだタクシーは白い長方形を三つ縦につないだ形で、その上に腹ばいになって乗るのだ。こんな姿勢で海外まで飛ばされたら、振り落とされないだろうか。だが、幸い、ぼくは運転手の隣の助手席に座らせてもらうことができた。慌てて出て来たので、荷物が揃っているかどうか不安だ。パスポートや保険証はあるだろうか? ぼくは真っ白な立方体の箱の蓋を開けて、中を覗き込む。
2018年09月05日
9月5日の夢(鮎ぱー)
ぼくは二人の女性と三人で共同生活をしている。ぼくは脚立に登って、天井のフックに洗濯ハンガーをかける。何かの拍子にハンガーは墜落しそうになるが、予期していたのでさっと受け止めて事なきを得る。
三人でじゃんけんをして炊事当番を決めることになる。ぼくと向き合って、右に年下、左に年上の女性がいる。ぼくが「じゃんげんぽん!」と発声し、みんなで一斉に手を突き出すと全員が「ばー」だ。引き分けだと思ったが、年上の女性が「あたしの勝ちだ」と言う。「あたしは手のひらを細かく揺らしていたから、これは鮎の泳ぎを示す鮎ぱー。だから、あたしの勝ちで、あたしが炊事当番をする」。ぼくはそんなインチキを彼女が言って、自分が負けたことに悲しくて涙がこみあげてくるが、「でも炊事当番をしてくれるのだから、まあいいか」と思う。
2018年09月03日
9月3日の夢(後ろ向きに走るトラック)
駅に向かって歩いている。駅はレンガ造りで、アーチ形の入り口がある。その入り口は木製のドアですっかりふさがれている。そこへスリムな男性の運転する軽トラがバックしてきて、車体の後ろがドアに衝突する。ぼくはその車に轢かれないよう、慌てて駅に入る。すると、軽トラもいつのまにか駅の構内に入ってきて、駅の柱を巧みに避けてバックしながら、ぼくから遠ざかっていく。
2018年09月02日
9月2日の夢(旅立ち)
ぼくは取材に行かなくてはいけないのだが、頭が痛くて気分が悪い。一回目の取材には早稲田の詩のサークルの後輩で、後に弁護士になったYくんが電車で同行してくれた。二回目の取材には女友達が付き添ってくれた。
そして三回目。もう気分は悪くない。ぼくは女友達と旅立とうとして、駅員と向かい合っている。左手カウンター奥に駅員たちの事務室がある。ぼくのいる場所には二つの小さなテーブルがあり、照明の関係で一つは明るく、一つは暗い。ぼくは迷った末、暗い方のテーブルに着席する。そこにはぼくのではないリュックが置かれていて、中には書類が詰まっている。ぼくは駅員に提出するために書類を書く用紙がないかと探す。しかし、リュックから出てくるのは透かしの入った和紙やデザインされた紙ばかりで、ぼくが書類を書く白紙の紙はない。ぼくは駅員に「センスが悪いのばかりだ」と言う。
女友達が待っているはずの待合室に行くと、彼女の「トイレに行くので荷物を見ていてくださいね」という声が聞こえる。部屋には手前と奥に四角いテーブルがあり、それぞれの両側にベンチがある。どちらもテーブルの上は鞄などの荷物でいっぱい。手前のテーブルには学生たちが座っている。
二つのテーブルの荷物のうち、どちらかがぼくたちの旅立ちの荷物のはずだ。だが、どちらがそうだろうか? ぼくは分からないままに奥のテーブルの上の荷物を開けようとする。
2018年08月29日
8月27日の夢(父に会う)
ぼくはターンブルという人が描いた絵を見ている。それは映像のための下絵で、水の流れを青い布で表現し、花の赤、白、黄の系統が遺伝的にどう展開していくかを図解したものだ。ターンブル氏を空港に送っていく途中、道路にぼくの父親がぼーっとした表情で立っているのに気づく。あたりは薄暗い。朝なのか、あるいは夕方なのかもしれない。ぼくが「お父ちゃん?!」と半信半疑で呼びかけると、父はぼくに返事をしてくれる。
2018年08月23日
8月23日の夢(パリで帽子を失くす)
雑誌の特集号の取材も兼ねて、みんなでフランスへ行く。空港からパリへ行く途中で、ぼくと妻は一行とはぐれてしまった。しかたなくパリで目についたホテルに入る。レストランで帽子を脱いで食事をした後、部屋の大きな窓から、身を乗り出すようにして外を見ている。一行の誰かが通りかかり、ぼくを見つけてくれないかと思ったからだ。すると、通行人の男がぼくに「〇〇さんですか」と尋ねてくる。知らない人だ。ぼくは「違います」と答える。しばらくして、また声をかけてくれる男がいた。今度はツアーのメンバーの一人だ。だが、ぼくはレストランに帽子を忘れたことを思い出し、取りに戻る。レストランには沢山の帽子が置いてあるが、どれもぼくのものではない。よく似ている帽子があっても、別の人の名前が書いてあるのだ。ぼくは男と妻に「先に行ってください。ぼくは帽子を探すから」と言う。妻は「あなたは××さんといっしょにパリに残ればいいわ。私たちは田舎へ出発します」と言い捨てると、男とさっさと出発してしまう。
2018年08月22日
8月22日の夢(またもや浜松出張)
浜松へ出張する。クライアントからこうるさく注文をされる。タクシーに乗って帰ろうとするが、なかなかつかまらない。
別の日、また浜松へ出張する。今度は中年の男性二人の就職を依頼するためだ。二人は課題の作文を提出する。採用担当の女性社員(こちらも中年)はその場で二人の採用を決めてくれる。ぼくは同僚たちと喜び合う。駅に向かうため、タクシー乗り場に駐車している二台のタクシーに手を振ると、タクシーの方からこちらへ迎えに来てくれる。今日は何をやっても調子がいい。
2018年08月14日
8月14日の夢(すり替え)
ぼくは美術評論家だ。今日はある優れた展覧会を紹介するコラムを書いている。添付するために出展された作品の一つを写真に撮る。それは八分の一に切り取られたピザの断片のようなもので、うまく切り離せなかった部分が尻尾のようにくっついている。入稿してからはっと気づく。これは入稿直前にすり替えられた偽物の作品だ。この断片は人間生活の醜悪さを象徴するもので、展覧会を否定しようとするものが置いて行ったものだ。だが、もう既に遅い。
2018年08月09日
8月9日の夢(上司の多い編集部)
ぼくはファッション雑誌の編集部にいて、とても忙しい。デスクの上には大型モニター付きのパソコンがあり、そこに見開きページの組版を表示しながら、原稿を書いている。ぼくの上には男性二人、女性一人と三人もの上司がいるので、それぞれの命令を聞くのがとても煩わしい。直属の男性上司は痩せた初老の男だ。ぼくに「コートのことで話がある」と言う。「どのコートの話ですか」と言いながら、ぼくは席を立って、彼の後についていく。けれど、編集部の中は駅の構内のようにごった返していて、彼の姿を見失ってしまい、しかたなく自席に戻る。
一つ無人のデスクを隔てて、左には新入女性部員が二人いて、女性管理職から回覧板を受け取り会話している。しかし、回覧板はぼくのところには回ってこない。
女性管理職は今度はぼくの席へやってきて、原稿を書き直すよう注文をつける。原稿段階に戻って書き直すのは面倒なので、デスクトップに表示された見開きの組版からテキストを消して、書き直そうとする。だが、どうしたらこのテキストを消すことができるだろうか? いつのまにかパソコンのモニターは女性管理職の顔になっていて、その顔から原稿を消そうと押したり引いたり四苦八苦するがどうしても消えない。新入社員たちの手前、先輩としての威厳を示したくて、ぼくは焦る。
2018年08月05日
8月5日の夢(パンツをなくす)
避暑地の知人の別荘に居候をしている。自分の一枚しかないパンツが見当たらないことに気づく。ぼくは病気なので、特別仕様のそのパンツなしでは困るのだ。家主のタンスや鏡台の引き出しまで開けて探し回るが、見つからない。だんだんイライラしてくる。外に出ると、道路に出ていた奥さんが「何かなくなったの?」と尋ねてくるので、事情を説明する。
会社で女友達の作った商品が採用された。だが、その商品にアクセスするには、玄関に置かれた電話機をはじめとする沢山の小型の機械を経由しなくてはならない。これまでの商品に比べて、その列がいやに長い。ぼくは壁との隙間を詰めたりして、少しでも列が短くなるようにする。
2018年08月03日
8月3日の夢(父の小言)
ぼくはホテルで子供たちを預かっていて、今日は徹夜だ。とても忙しいが、一度実家に戻ってそのことを報告しようと思う。実家は広大な白亜のマンションで、曲がりくねった長い廊下を歩いて行かねばならない。玄関を開けて、立ったまま母や祖母に、預かっている子供たちの番号札を輪ゴム留めしたものを見せていると、思いがけなく中から白い服を着た父が出て来た。母や祖母よりも背丈が低い。番号札を見せると、父は相変わらず口うるさく、「これらの子供たちをちゃんと風呂に入れなくてはいけない」とぼくを叱責する。ぼくはうんざりしながら、「ホテルでちゃんと風呂に入れていますよ」と答える。
2018年08月01日
8月1日の夢(ホテルでのんびり)
ホテルの部屋で目を覚ました。今日は仕事もなく、慌てることは何もない。部屋に常備してあるビニール袋の中に親指ほどの大きさの安全カミソリが入っている。その一つを取り出し、頬の髭を剃る。デスクの上は書類でいっぱいで、その中で光が点滅している。音を消したラジオの音量を示すインジケーターの光らしい。いや、これはもしかしたらケータイの着信を示す光ではないだろうか? と思っているうちに、安全カミソリがどこかへ行ってしまった。まあいいか。ビニール袋から二つ目のやや大きな安全カミソリを取り出す。デスクの上に新品のシャツがあるのが目に入る。以前の泊り客が忘れて行ったものかもしれない。ぼくのものにしていいだろうか? テレビにニュースが映し出されている。犯罪者の二〇代の男を四〇代の男が匿っていたという。時計を見る。11時だ。でも、今日は暇なので、何も慌てることはない。
2018年07月30日
7月30日の夢(きれぎれの夢)
ホテルの部屋のように見えるが自分の部屋かもしれない。美しい部屋にタイル張りの浴槽がある。その中にパイプのようなものが縦に取り付けられていて、水面に口が開いている。中には黒い大便が溜まっている。お風呂に入りたいが、ちょっといやだ。
バスに乗っている。バス停で停車時間中に一度降りて買い物をする。再び乗り込むと、さっきまでぼくの座っていた座席には、二人のスーツ姿のサラリーマンがいる。そこにぼくの鞄が置いてあったはずだが、どこへ行ったのだろう?
家に帰ると、新しい部屋があり、ギターが置いてある。ギターには白い格子のようなものが付いている。楽譜を見ると、弾きながらこの格子を叩いて音を出すようだ。しかし、やってみると、とても難しい。
壁に棚があり、そこにボクサーパンツが置いてある。パンツの上には火のついたタバコがある。火を消したいと思うが、火を消すとパンツも消えてしまう。家にはもうパンツがないので、消さない方がいいだろうか。
2018年07月29日
7月29日の夢(今日も浜松出張)
会社で仕事をしている。ものすごく沢山の仕事があるので、通し番号を振って仕分けしないと、忘れてしまいそうだ。
同僚たちといっしょに浜松のY社に出張する。ほかの打ち合わせがある同僚たちは二階への階段を登っていき、ぼく一人が一階で待つことになる。同僚女性の一人がぼくに、打ち合わせテーブルの方を黙って指差す。ほかにもたくさんの業者が打ち合わせに来ているので、どれか一つを確保しておけということだろう。実際、使い勝手の良さそうなテーブルはどんどん他の業者に占拠されている。ぼくも急いで、何人か座れるテーブルの一つを確保する。
もうお昼近くなったのに、なかなか皆は二階から降りてこない。お腹が減ったな、と思う。そこへ二階から階段をY社の女性社員二人が降りてきて、ぼくの顔を見ると「わあ、なつかしい!」と声を上げる。以前、ぼくのクライアントだった人たちだ。しばらく彼女たちと世間話をして別れるが、まだ同僚たちは降りてこない。そして、ぼくの周りではますます業者たちの椅子取り合戦が熾烈を極めだしている。
2018年07月27日
7月27日の夢(免許の試験)
これから車の運転免許の試験を受けなければならない。試験場は大きなビルだ。試験の設問ごとにこのビルの部屋を一つずつ訪問して、受験者は設問に答えなければならない。中には油絵を描いたり、パステル画を描くことを求められる部屋もある。油絵を描く部屋で、試験官がぼくに「油絵はどうやって描くか、知っていますか」と尋ねる。ぼくは「知っています。まず空色の絵の具で輪郭を描くことから始めるのです」と答える。
2018年07月21日
7月21日の夢(退職の日)
今日はぼくが会社を退職する日だ。そのための最後の会議が経団連会館を借りて行われる。この会場を選んだことへの儀礼なのか、経団連会長も出席して、挨拶をしてくれた。皆にぼくが別れを告げ、辞去しようとすると、会長がぼくに近づき女性もののコートのようなものを手渡す。今度はこれをぼくにデザインしてほしいというのだ。ぼくは礼を言って受け取り、まずはトイレを探す。だが、建物は工事中で作業員たちであふれ、そのフロアのトイレは壁がなく、全部外から見えてしまう。階下に降りたいが、エレベーターも見当たらない。ぼくは辞去したばかりの会社に戻り、社長に小さな声で「ただいま」と言う。そして「経団連の会長にこのコートを貰ったが、ぼくには一人で独立してコートをデザインする自信がない。会社でやってもらえないだろうか」と頼み込む。
2018年07月16日
7月14日の夢(最後のリサイタル)
久しぶりにホールで声楽のリサイタルをすることになった。だが、プログラムに印刷された曲の殆どはぼくの知らないものばかりだ。前半はなんとかこなしたが、休憩時間に頭を抱えてしまった。もうプログラムの中に知っている曲がないのだ。女性スタッフが「客入りはどうですか?」と声をかけてくる。「二階はまあまあ入っているんだけれど、二階席はぼくからは目に入らない。よく見える一階席はがらがらです」とぼくは答える。
もう休憩時間を十分間もオーバーしてしまった。これ以上、うじうじしていられない。ぼくは意を決して、一階から二階、そして舞台へと続く壁際の坂道を、駆け上がっていく。そんなぼくを客たちが拍手で応援してくれる。意外にも客席はほぼ満席だった。一階席を登り切って、道は右の壁際から左の壁際へと移る。こちらはまるで神社の山門に続くような石段である。しかも、そこを二台の白い車が降りてくる。困ったなと思っていると、ぼくの姿に気づき、二台の車は次々とUターンして、道をあけてくれた。
そして、ぼくはついに舞台にたどりついた。マイクの前に立つ。もういいじゃないか。プログラムに書かれていなくても、後半はぼくが子供のときから歌い込んできた、好きな歌をうたおう。「次の曲は〈涙をこらえて〉です。これはダークダックスがロシアに演奏旅行したとき、向こうで採譜した曲です」と前置きして、ぼくは歌い始める。少しだけ間違えたけれど、なんとかぼくは歌い終える。盛大な拍手が湧きおこる。これでいいのだ、とぼくは思う。今日はぼくの最後のリサイタルなのだから。
2018年07月09日
7月8日の夢(エッチな寄宿舎)
野球部の寄宿舎で先輩といっしょに寝ている。先輩の一人部屋のはずなのに、なぜかツインのベッドが窓際に並んでいる。先輩はオウムの林死刑囚だ。彼がすやすやと寝息を立てている隣で、ぼくは自分の性欲を持て余している。隣の先輩が気づいて目を覚まさないかと心配だ。すると、いきなり窓から手が伸びてきて、ぼくのペニスを握った。驚いて飛び起きると、窓の外の塀に別の先輩が仁王立ちして、窓越しにぼくにいたずらをしているのだ。ぼくは室内を見回し、長い棒を見つけると、それを窓から突き出し、先輩の体を突く。不意をつかれた先輩は両手を振り回してバランスをとろうとするが、塀から落下した。かたわらで女の人の悲鳴が聞こえる。
ぼくは何食わぬ顔をして、その部屋から出る。壁の上部の吊り棚に誰かが大工仕事をして、いろいろな飾りを取り付けたらしい。歩くのに邪魔になる。それを見ていた母が「そんなの取り外していいわよ」と言ってくれるので、ぼくは腹立ちまぎれに皆ぶち壊す。外へ出るのに最低限必要な軽い服装を身に着け、建物の外に出ようとする。建物の屋上に灰皿がある。カメラマンの忘れ物らしい。「それを返してくる」という女性をエレベーターで二階に降ろし、ぼくはそのまま一階に降りる。エレベーターの窓から名状し難い恐ろしいものが見えてきた。
2018年07月07日
7月6日の夢(輸送機でヒッチハイク)
沖縄に米軍基地を見学に行く。車がビュンビュン疾走する道路に、詩人のS氏が立っている。「ここから路線バスは出ていますか」と尋ねると、「出ていないよ」というそっけない答えだ。しかたなく、ちょうど通りかかった巨大な米軍輸送機にヒッチハイクで乗せてもらうことにする。
輸送機の貨物室は快適だが、前方に小さな横長の窓が一つあるだけだ。米軍機は何かを見つけたらしく、それを追撃するため、どすんと段差を降りて、海の中に入っていく。だが、ぼくは米軍輸送機の強固さを信じているので、他人事のようにその様子を眺めている。
2018年07月05日
7月5日の夢(病院デート)
今日は女友達とのデートの日だ。しかし、彼女は表参道のキディランド前でタクシーを止め、ぼくを職場に送り出す。朝から代休をとるつもりだったのに、ちょっとがっかりだ。午前中はデスクでせっせと働き、頃合いを見てぼくは行先表示板に外出と書き込み、デートの場所へと向かう。
出かけた先は北欧のような土地に立つ建物で、病院のような雰囲気だ。フローリングした床の真ん中に小さなテントが張ってある。ぼくらはこのテントでデートするのだ。ぼくは気づかれないよう、カメラマンを名乗り、取材しているふりをして、建物の中を偵察する。
いったん外に出て、また室内に戻ると、光景は一変していた。フロアには男たちが足の踏み場もないほどたむろしていて、恋人のテントも見当たらない。焦るが、彼女は苦労していろいろなものを持ち込み、夕方にはようやく元のようなテントを張り直すことができた。でももう六時だ。すぐに帰らなくてはならない時間になってしまった。
2018年07月03日
7月3日の夢(映画館と食堂付き列車)
ぼくは列車に乗っている。列車の中には映画館があり、観客席の真ん中のテーブルには鍋がいくつか湯気をたてている。そこから好きな料理を選んで食べながら、映画を観るのだ。初老の男が卵料理を皿に盛り、その皿を女友達の前に置く。ぼくは彼が自分の席に持っていく前に、たまたまそこに皿を置いたのだと思い、彼女に「それを食べてはダメだよ」と注意する。だが、男は単に女友達への好意でそれを置いてくれただけらしい。
列車の右側は映画のスクリーンだが、左側は外の見える窓である。ぼくは隣に座った女性客と協力して、窓を開ける。映画と料理のおかげで、駅に着く頃には列車中の乗客が友達になっている。
2018年06月30日
6月30日の夢(二枚の上着)
残業をしていて、うっかり手をすべらせ、バスタブに上着を突っ込んで、びしょびしょにしてしまった。もう一枚上着を持っているが、そちらはチョークの粉だらけだ。びしょぴしょと粉粉の二枚の上着を家に持って帰るのには、どうすればいいだろう? どちらか一枚を着て、一枚を手に持って帰るのか? それとも二枚とも着て帰るべきだろうか?
2018年06月29日
6月29日の夢(K氏の助監督時代)
詩人のK氏が助監督をしていた時代を女優が回想している。ふつうの助監督は撮影がうまくいかないと怒りまくるが、K氏はそうしないという。黙って、ただ自分の体を丸めた台本でバンバン叩くだけなのだという。だけど、それで彼の機嫌が悪いことが分かる。だから、もう怒る必要もないのだそうだ。
6月28日の夢(バリに土地を買う)
東京を離れ、バリ島のような南の島で暮らすことにした。現地の不動産屋で契約が成立し、今日はその成約式だ。青空のもと緑の木陰の広場に人々が集まっている。二階の事務所からデスクや椅子が運び出され、野原に立派な式場ができた。司会者が右端のデスクからマイクで「ここが中心ですから、皆さんこちらに注目して」と挨拶する。そのときちょうど老所長が左端のデスクに遅れて座ったので、みんながどっと笑う。島の人々は本当にぼくがこの土地を借りるのかと尋ねる。ぼくは力強く頷く。式典の最初は地元の気象台員の天気予報だ。男がとぼけた調子で「今日は部屋の中を〇〇という鳥が飛ぶでしょう」と予言する。広場の周囲は緑に苔むした古代の遺跡だ。昔はここは動物園だったという。でも動物園を再建するのは無理らしい。
2018年06月26日
6月26日の夢(運動会でスピーチ)
今日は運動会だ。運動会はサーカス小屋ぐらいの大きさの木造体育館が会場だ。満員の参加者たちを前に、ぼくは壇上でスピーチをする。そして、壇を降りると、なぜか会場はがらがらになっている。だが、ぼくは得意の絶頂という感じで、一番奥のテーブルの席に座って、リラックスする。この席は一番エライ人たちが座る場所のようだが、ほかには誰もいない。トップが座る真ん中の席さえ空けておけば大丈夫だろう。もう一つ手前のテーブルには副理事長らがやってきて座った。
運動会が終わり、皆列車で帰ることになる。どの列車も天井や壁がなく、折れた柱がにょきにょき突き立っているだけの車両に、鈴なりになって乗り込む。今にもみんな零れ落ちそうだ。強制収容所への移送列車みたいだなと思う。
新宿へ着いた。ホームの壁に開いたドアから入るように言われる。ドアが閉まると、その部屋はごとごとと動き出した。これはきっと、今噂になっている「乗り込んだ場所とは全く別の場所に客を降ろして驚かせるエレベーター」だろうと気づく。ぼくがそう言うと、周りの人たちは「なんだ、よく知っていたね」と驚く。
2018年06月24日
6月24日の夢(バスに乗り遅れる)
愛知県の半田に出張することになった。同行する同僚は父の顔をしている。父はJRの切符を二枚買ってくれた。東京駅のホームに出てから思い出した。半田にはJRの駅はない。名鉄しか停まらない。ぼくがそう言うと、父はホームにある臨時の券売所で、名鉄の切符に買い直してくれる。駅員は面倒くさがって、クリップに留めた領収書のように大きな切符を二枚、よこしてきた。また、ぼくは考える。ここは東京駅だ。ここから名鉄で半田まで行けるのだろうか? 行けるとして、はたして今日中に着くことができるのだろうか?
結局、ぼくはツアーのバスに乗って海辺のさびれた街に着いた。道の駅のレストランで食券を買おうとするが、ぼくの前に三人の男子高校生が横入りした。そのせいだろうか。食券売り場はぼくの前でカーテンで窓口を閉ざしてしまった。
しかたなく道の駅の反対側に行く。食料品売り場で食べ物をいくつか選び、女子店員にレジを打ってもらう。千円以下で買えた。バス乗り場は荒れ果てた砂丘のほとりにある。ポケットの時刻表を見ると、ぼくが乗ってきたツアーバスは一時間も前に東京への帰路についたところだった。ぼろぼろのバス停にあり、浮浪者のような男がベンチに座っている。もしかしたら東京に戻る路線バスがあるのだろうか。期待して時刻表を探すが、バス停にはそんなものも見当たらないのだった。
2018年06月19日
6月19日の夢(馬蹄形テレコ)
今日は夕方四時から取材がある。忙しく仕事に追われているうちに、もう四時までは一時間を切った。慌ててテレコを借りに行く。いつもテレコが何台も置いてあるデスクの引き出しを探すが見当たらない。女性社員が「こっちです」と教えてくれる。別の引き出しを開けると、最新式のテレコがあった。黒くて大きな馬蹄形をしている。しかし、持ってみると、意外に軽い。早速使ってみようと思う。
2018年06月17日
6月17日の夢(記念パーティー)
浜松でぼくの詩人デビュー何十周年かの記念パーティーをみんなが開いてくれるという。しかし、新幹線を降りて駅ビルのカフェで待っていても、一向に誰も来る気配がない。そういえばリュックの中にケータイを入れていたのだったと思い出し、取り出してみる。案の定メールが来ていて、既にみんな駅前の居酒屋に集まっているという。
行ってみると、ぼくが講師をしている合評会のメンバーが数人いて、アップライトピアノが運び込まれるところだった。ぼくにこれを弾いて歌えということかと思うが、奥にはグランドピアノも見える。グランドは弾かせてもらえないのかと、ちょっとさびしい。
それにしても、人数が少ないなと思っていると、奥の席にもかつてのメンバーたちが集まってきた。一人の初老の男性メンバーが脚立に登り、クレーンのようなもので天井に黒い球を吊るそうとしている。あれはミラーボールだろうか、それともお祝いの薬玉なのかなと思う。
2018年06月15日
6月15日の夢(エスカレーター)
二階で皆と仕事していたが、用があって一階に降りる。エスカレーターに乗ってまた二階へ戻ると、エスカレーターの降り口に透明プラスチックの機械が二つ取り付けてある。邪魔なので、跨ぎ越えようとする。ところが年齢のせいか、跨ぎ越えようとすると身体のバランスが崩れ、よろよろとして、とても危なっかしい。二階で働いているみんなは、そんなぼくの危機に目をくれようともしない。それでもようやく乗り越えて、二階のフロアに降り立ち、何食わぬ顔をして皆のところに戻る。
2018年06月12日
6月12日の夢(だまし絵ビル)
イタリアだろうか、外国の街にいる。ぼくと詩人のA氏、それに若い女性の三人で落ち合い、十階建てくらいの四角いビルに突入する。そのビルでぼくらは階段を駆け上りながら敵と対決し、ついに彼らを打ち破った。だが、最後はぼくらもビルの屋上に追い上げられてしまい、息も絶え絶えのありさまだった。
屋上にはベンチがいくつもあり、そこここにカップルが休憩したりしている。中に小さな幼児がいる。彼は突然、右側のフェンスを乗り越え、あっという間に地上へ飛び降りる。だが気づくと、彼は地上に安全に着地している。高層ビルだから地上との間は相当な距離があると見えたのだが、この風景は実はだまし絵になっていて、右側の地面まではおとなの背丈ほどしかなかったのだ。
ぼくとA氏は街頭で別れ、互いのホテルに帰ることにする。タクシーを拾おうとするぼくに、A氏は「確か一色さんのホテルはここからすぐだと思いましたよ」と言う。見回すと確かに、そこはぼくが今朝出発した風景のように思われる。電柱の住居表示には「〇〇一丁目」とあるが、確かホテルは「〇〇二丁目」だったはずだ。ぼくはそこから斜めに続いている路地の奥を眺める。そこにホテルがあったような気がする。
ぼくは日本に帰るため、空港に行こうとする。それにはバスがいいのか。それともタクシーがいいのか。道が分からないので、誰か日本人か日本語がわかる人を探す。建物の中で、赤い服を着た日本語を話す二人連れの女性を見つける。話しかけると、丁寧に道順を教えてくれた。
2018年06月10日
6月10日の夢(クリニックの受付)
原宿の会社で土曜出勤をしている。会社は宮殿のように豪華だ。
退社して急いで自宅近くのクリニックに駆け込む。受付は横に長いデスクで、真ん中は若い女性、右は誰だか不明で、左は詩人のY氏である。ぼくは左手に提げた紙袋の底に書類が一枚張り付いてしまって、なかなか取れない。懸命に取ろうとしながら、「診察お願いします」と言う。ところが意外なことにY氏は「今日は予約された方だけなんですよ」と答える。ぼくは驚いて、「えーっ。仕事が忙しいので、他の日には来られないんです。なんとかお願いしますよ」と頼み込む。Y氏は予約票をめくりながら、「このあたりに何とか押し込めないかな」と考えあぐねている。
2018年06月08日
6月8日の夢(投稿欄とムダ毛)
ネットの詩の投稿欄の発表のしかたが変わり、それが青いカードに書かれている。そのカードは他の書類より一回り大きいため、持っているとどうしても目立って、気になる。新しい発表方法をきちんと文章にしようと、ぼくはそれを名古屋の実家に持ち帰り、ハタキで埃を払う。そして、投稿欄は来年の初頭には中止になるので、横長の白い紙にマジックで「2019年〇月で中止」と書いていくが、スペースに書ききることができない。
手や足に数本ずつ長い毛が生えているので、電気シェーバーで剃ってみると、きれいに剃り落とすことができた。
2018年06月06日
6月4日の夢(靴がない)
今日はこれから東京郊外の地方都市で楽器店の取材を一つした後、浜松に出張する予定だ。だが、日は高いとはいえ、もう夕方である。はたして間に合うのだろうか。
競技場のような広大な施設の中のトイレに入る。トイレは広大で、ぼくの入った個室にはドアがないから、トイレ中が見渡せる。小便器の背後の壁の随分と高いところに、大きな黄色い染みがついている。あんなところにおしっこをぶちまけた人がいるのだろう。
服を着替える場所を探して、さっきまで泊まっていた和風旅館にこっそりと戻り、空き部屋の一つに入る。鏡台に向けて着替えていると、襖の外でいろいろな物音がする。今にも誰かが部屋に入ってきそうで、気が気でない。
ようやく身支度を終えて、玄関に出る。ほかの客とおかみがいる。そこに脱ぎ捨てたはずの靴を探すが見当たらない。きっと靴箱に入れられてしまったのだ。ほかの客は部屋番号を言って出してもらっているが、ぼくの場合は正規の客ではないので、部屋番号を言うことができない。玄関先にそっと身を隠し、お客とおかみがいなくなるのを待つことにする。それから靴箱中を探そう。
それにしても、こんなことをしていて、取材と浜松出張ができるのだろうか?
2018年05月31日
5月31日の夢(イソベの森)
かつてロシアから迫害を逃れて人々は列をなして逃れた。山を下り、野を横切り、大河のほとりに出た。河には巨大な亀や魚がうようよといた。人々は恐れることなく、河に入り、亀や魚と共に河を下った。河にはたくさんのフグも棲息していた。フグは五千年前から我が国の「イソベの森」にも棲息していたとされる。そうだ。難民たちの一部は我が国のイソベの森に逃れて、私たちの祖先となったのだ。
5月30日の夢(父の新居)
父の住むアパートを訪ねる。一間だけの古い畳敷きの部屋だ。父のほかに若い女性が二人いる。二人とも軽装でしどけない感じである。父と雑談して、アパートを出る。外は雨が降っている。玄関に新品の傘を置いたはずなのに、誰かに盗られてしまったようだ。代わりに小さく、柄の壊れた傘がある。しかたなく、それを差して外へ出る。窓に先ほどの女たちのスリップの胸をはだけたシルエットが映っている。なんだかとても楽しそうで、ぼくもほっとしてその場を立ち去る。
2018年05月29日
5月28日の夢(お金のかかる取材)
古くてごみごみした暗い編集室で忙しく働いていると、「一色さん、お客さんですよ」と声をかけられた。出て行くと、中年の女性だ。しまった。今日はこの女性をインタビューする予定だったのだ。だが、会社で取材に使えそうな個室や応接セットは全部埋まっている。玄関から外にも出てみるが、適当な場所がない。それに第一、取材に使うテレコも一台も空いていない。まあ、いいや。メモをとればいいか。書類棚を探すと、インタビュー項目を書いたファイルだけは見つかった。ラッキーだが、どんどん時間だけが過ぎていくので焦る。女性のところへ戻ると、もう一人の取材相手である男性も到着している。まずは二人に名刺を渡すと、二人はぼくにメモを見せる。「ここにイラストも入れたいのですが……」と言う。ぼくは慌てて「イラストを入れると、お二人のギャラの二倍の金額がかかってしまいますよ。70万……」と翻意を促す。だが、女性は「いえ、35万のはずでしたよ」と答える。
5月27日の夢(蒲団の上で整列)
大広間一面に蒲団が敷かれ、その枕元に男も女も気をつけの姿勢で整列している。ぼくはその蒲団の上を彼らの顔を見ながら疾走していく。しかし、それはあまりにも失礼ではないかと気づき、蒲団の外側を走ることにする。だが、それでは光線の加減で、人々の顔が半分影に沈んでしまい、よく見えない。ぼくは親知らずが痛い。ふと見ると、ぼくの足のかかとに針山のように無数の針が突き刺さっている。
5月26日の夢(壁の穴)
数人でテーブルを囲んで会議をしている。休憩になり、ふと気づくと若い男性のKがいない。「しまった。Kがいないぞ」とぼくは叫び、壁に貼ってあったポスターをめくる。すると、そこには穴があいている。Kはそこから逃げたのだ。「つかまえなくては」。廊下を隔てた隣の部屋の壁にも穴があいていた。「ここからやつは外に逃げたのだ。つかまえよう」と何人かが穴の中に潜り込む。だが、彼らは慌てて駆け戻ってきた。息を切らしながら「やつが帰ってきた」と言う。「まずい」。皆、急いで元の部屋に戻ると、老婦人が部屋に入ってくる。みんななにげないふうを装って、また会議を続ける。
2018年05月19日
5月18日の夢(地下に通じる穴)
見知らぬ少女と雪国を旅している。どうやら北海道らしい。雪の降り積もった街に出て、真っ白な雪原を少女と走る。走るというより、ほとんど滑っている感じだ。だが、足の裏が冷たい。「靴下に穴があいているのかもしれない。いや、あいてなくても、そんな気がするだけかもしれないけれど」とぼくは少女に言う。
建物の中に入り、窓の外を眺める。北海道のはずなのに、周囲は熱帯のジャングルだ。ぼくらはターザンの砦のような場所にいるらしい。室内を見回すと、中はしゃれたブックカフェのようで、数人の女性が働いている。床には穴があいていて、地下に通じる深い階段が見える。地下室には詩人のA氏がいて、何かをそこで発見したようだ。ぼくは彼が着ている雨合羽は自分のものだと一瞬思うが、よく見るとそうではなかった。地下室に一つだけぼくの入れたものがあるので、ぼくはそれを取る。
建物から出て、また雪原の街を通る。ぼくの靴下は片方が既に脱げてしまっている。さっきまでいたあの場所が何者かに攻撃されようとしていることをぼくは感じる。
2018年05月16日
5月16日の夢(電車の中の荷物)
発車前の電車に乗る。がら空きなので、後ろの車両の座席に荷物を置いたまま、自分は前の車両の座席にのんびり座っている。発車間際になって、ふと顔を上げる。大変だ。列車の中は超満員で、ホームにも乗り切れない人が長蛇の列をなしている。これでは後ろの座席の荷物を降車駅で取りに行けないと思い、脱兎のように飛び出すが、発車間際なので慌てて席に戻る。幸いなことに席は取られていなかった。
突然、鉄道公安官が乗り込んできて、ぼくに「おまえはフィルムを隠し持っているのじゃないか?」と職務質問をする。ぼくはぎくっとして、思わずポケットを手探りする。公安官はそれを見て、「ほら、そこに持っているのだろう」と言うが、ぼくはポケットからデジカメを取り出し、「ほら、ぼくの持っているのは最新式の外国製デジカメですよ」と答える。
目的地の駅に着いた。女友達とぼくはホームの売店に急ぐ。そこに買いたいお菓子があるからだ。だが、ぼくらが着くと同時に店番をしていた駅員は、売り台の上にあった二枚のフライヤーをさっと引っ込めてしまう。女友達は「それが欲しかったのに!」と抗議するが、駅員は「ワサビが少なくなってしまったので、売れないんですよ」と言う。店の前には上品な初老の女性がいて、ぼくらの言い分を英語で駅員に通訳してくれる。その女性はどうやら、ぼくらがこれから会わなければならない女性らしい。
2018年05月12日
5月12日の夢(壁だけの建物)
ふと思いついて、オフィスの古雑誌等を紐で縛り、ゴミ出しをする準備をする。それを見て、社員たちはみんなぼくにつられ、全社で大掃除を始めてしまう。「きみのこの本、捨てていい?」と同僚が声をかけるので、「ああ、UFO関連の本はみんな捨てていいよ」と答える。これで本棚がかなり広くなったと思う。
さらにエスカレートして、社内でオフィスの配置換えが始まる。一階にいたぼくは二階にデスクを貰うことになった。同僚たちと別れ、ぼくは一人新しい二階のフロアに上がる。そこには広辞苑などの辞書類が沢山ある。これは役に立ちそうだ。うっかり捨てられないようにしないといけない。しかし、デスクの幅が随分狭いのは不便だ。がっかりだが、それでも新しい同僚たちと力を合わせて、ようやく部屋の全容を整える。席についてみて見回すと、なんとこの部屋の同僚たちは男性ばかりである。
いったん会社の外に出て、戻ると、会社の敷地の入り口に一夜にして、巨大なヨーロッパの旧市街ふうの建物ができている。市民たちも驚いた様子で、通りに出て眺めている。ぼくもびっくりして、裏に回ってみると、建物はなんと壁だけであり、映画のセットのようなものだった。でも、市民が驚くような、こんな場所で働けるのは幸せだと、とても誇らしい気分になる。
5月11日の夢(住所差替え機)
レコード会社に遊びに行くが、オフィスには男性社員が一人いるだけだ。フロアには古い木製の机が並び、なんだか郷愁を誘う雰囲気。ウォンウォンという低い音が響いているのは、何かを冷やすためにファンが回っているらしい。男性社員がぼくに「何か用?」と問いかけるので、ぼくはどぎまぎして「いや……」とお茶を濁す。彼が動かしているのは、精米機のようなブリキの機械である。だが、漏斗状になった口から出てくるのはお米ではなく、細長い住所を印字した紙だ。それが市、区、町、番地などがばらばらになって出てくる。「これは住所差替え機です。アーティストはよく引っ越しをするので、名前と住所をばらばらにしてくっつけ直す機械なんです」と彼が言う。ぼくは感心して「ああ、これは便利ですね。詩人もよく引っ越すから全くやんなっちゃうんですよ」と答える。
2018年05月08日
5月8日の夢(電話と直観)
会社で仕事をしている。同僚の女性がかかってきた電話に「じゃあ〇〇日はあけておくわ」と答えている。ぼくは直観で「そうか。この日はピアノの撮影だな。ぼくも休日出勤になるな」と思う。
知り合いの年上のコピーライターから電話がかかってくる。「例の男だが、息子に300万ずつ生命保険をかけているんだって。ブルジョアのくせに……」と言う。ぼくはやはり直観で、「忘れていたが取材先の家のことだな、あの家の資料がデスクの棚にあったはずだ。調べてみなくては」と思う。
2018年05月07日
5月7日の夢(待合室)
若い男に追われている。逃げる途中でバスの待合室で座っていると、偶然男が入ってくる。今さら逃げられない。男は最前列に座る。ぼくはこっそりと最後列まで移動する。最前列にいる仲間が「おまえはそこか」と、ぼくに目で合図してくる。男が気づかないようなので、ぼくは大胆にも再び最前列に移動し、仲間と共に外へ出てレストランに入り、ランチを食べようとする。すると、男が入ってきて、「本当におれに見つからないと思ったのか」と嘲りながら、ぼくらを捕える。ガラス窓越しに隣にガソリンスタンドがあるのが見える。そのトイレに客が入っていく。ぼくもあそこへ行きたいと思うが、はたして男が行かせてくれるだろうか。
2018年05月06日
5月6日の夢(二階建ての住居)
二階建てのビルを住居として借りている。だが観光地なので、観光客のおばさんたちが勝手に二階まで上がってきてしまい、大きな声でおしゃべりしながら部屋の中を見ている。二階はトイレなのだが、これでは安心してお尻を出すこともできない。たまりかねて立ち入り禁止の貼り紙をしようとするが、反故紙の裏にもすべて印刷がしてあり、白紙を見つけることができない。そうこうしているうちに二階には勝手にデスクが並べられ、オフィスにして仕事を始める人たちまで出てきた。彼らのデスクも探すが、やはり貼り紙に適した白紙はない。ふと見ると、三階への階段を郵便配達夫が登っていく。途中でぼくに気づき、手にした手紙の宛名を見ながら、「ここにはもうこの人はいませんよね。昔いたのかなあ?」と首をかしげる。ぼくはこの家に三階があるらしいということにびっくりする。その間もおばさんたちは部屋に置かれたフライヤーなどを手にして興味深そうに眺めている。ぼくは「それ勝手に持っていってもいいですよ。でもここから先は居城スペースだから入らないでね」と言う。でもドアもつい立てもカーテンもないのに、どこからがぼくのスペースなのだろうか。
2018年05月04日
5月4日の夢(電話インタビュー)
編集部員全員一斉に同じテーマで電話アンケートをとることになる。そして、自分のかけた相手の答を記録するのだ。誰かがぼくに「おまえはわざと間違い電話をして、その答を記録しろ」と言う。ぼくはそれを冗談だと思って笑うが、誰も何も言わない。そこは雑草の生えた広場で、全員立ったままてんでにケータイで電話をかけ始めてしまう。ぼくは慌てて「いくらなんでも、それは……」と抗議する。だが、誰もぼくに応える者はいない。ぼくはしかたなく間違い電話をかけ、「おかけになった電話番号は……」という自動メッセージのメモをとる。
2018年05月02日
5月2日の夢(6時5分前)
女性ピアニストの知人のオフィスにいる。奥の壁際のデスクにこちらを向いて彼女が座っており、ぼくと彼女の間に一人の男性がいる。6時から彼女は健康診断に行くのだが、ぼくも同じ時間に行くことを彼女は知らない。ぼくは席を立ち、「この後、またお会いしますよ」と言うが、彼女は怪訝な顔。時計を見ると6時5分前だ。
外へ出ると、いつのまにか女友達と一緒になった。だが、ぼくは6時から健康診断なので、彼女を原宿駅前まで送り、そこで別れようとする。ぼくは「開演6時」と書いてあるライブのチケットを彼女に見せるが、彼女は「私も一緒に行きたい」と言う。「もしかして入れないかもしれないよ」とぼくはためらうが、「それでもいい」と積極的だ。それならもう6時5分前だから急がなくてはいけない。狭い道路の左車線を車が二台停車してふさいでいる。空いている右車線を対向車が何台も高速で通り過ぎ、なかなかそこを通ることができない。ようやく難所を通過して、ぼくらはロビーのテーブルにつく。ぼくの手にはライブのプログラムを兼ねたタブロイド判の小冊子がある。スペースを巧みに活かした瀟洒なデザインが素敵だ。ぼくが「ぎっしり詰めずに余白を活かしたこういうデザインもいいね」と言うと、彼女も頬を寄せて覗き込んでくる。時計を見ると、まだやっぱり6時5分前だ。
2018年04月29日
4月29日の夢(非常階段とパーティー)
ビルの内側にある裏階段を降りていく。そろそろ一階かなと思ったら、間違えて地下一階まで降りてしまった。一階まで引き返す途中で、壁の外から「誰か?」と男の声がする。僕が応える間もなく、「ああ、一色さんだ。そこにいてくださいね」と言う。目の前の階段が男の声で穴があくのではないかと思うほど、破壊される。ぼくの姿は男の眼に見えないはずなのに、どうしてぼくだとわかったのだろう? 一階から外に出ようとする。知らない別の男が後ろからついてくる。地面まではかなりの高さがあるので、ぼくは手をついて飛び降りる。だが、衝撃はなく、ふわりと地面に着地した。「重力がかなり弱い」と呟くと、後ろの男が「そうなの?」とびっくりした声を出す。
パーティーで詩人・文芸評論家のG氏と会い、「そういえばGさんが英語で講演するのを聞きましたよ」と言う。G氏は「そうなの?」と答え、まんざらでもない様子だ。だが、すぐに誰かが彼を連れて行ってしまった。暑いので上着を脱ぐ。すると驚いたことに、ぼくはシャツの下にパジャマを着たままだった。これでは暑いはずだ。それを脱いで、置く場所を探してパーティールームの奥まで歩くが、長いテーブルや壁際の棚のどこにもスペースが見つからない。
2018年04月28日
4月28日の夢(受賞式に行かないバス)
浜松の取引先へ出張する。今日は社内で式典がある日なので、二階ロビーの奥にある一番右端の大理石の柱にもたれ、立ったまま一人開会を待ち続ける。
いつのまにかバス停にいる。これから受賞式に行くところだ。バスの停まる音がしたので、はっと我にかえり、乗ろうとする。だが、来たのは少し離れた場所にある別の番線の青いバス。ぼくは赤いバスに乗らなければいけないのに。
ようやく赤色のバスに乗った。だが、このバス停に来たバスはどれでも受賞式の会場前に停まるはずなのに、なぜかぼくの乗ったバスだけが停まらないという。
4月25日の夢(バスと荷物)
出張からの帰り、沢山の荷物を持ってバスに乗った。だが、降りたときは手ぶらだった。ぼくは荷物をバスに忘れてきたのだろうか?
2018年04月20日
4月20日の夢(ゴリラの名前)
エレベーターらしい狭い四角い部屋の中にいる。四方の壁にはキングコングのようなゴリラの名前が沢山貼り出してある。一人の女性が現れ、「ここにゴリラの名前がいくつ書かれているかわかる?」と尋ねる。彼女はこのビルにある会社で働いていて、上司に「大至急調べろ」と命じられたらしい。ぼくは見渡して「ざっと150」と答える。そばにいた男が「いや、200はある」と言う。ぼくは「時間があるなら、ちゃんと調べる。でも、どうやって連絡したらいいの?」と彼女に言う。女性はぼくの携帯に長いメルアドらしいものを設定してくれる。ぼくはいちいちゴリラの名前を紙に書き写しながら数えていく。しばらくすると彼女が通りかかり、ぼくに「順調?」と言う。ぼくは「ああ、順調だよ」と答える。
4月18日の夢(引退)
もうぼくは引退したのだ。だから、社長といっしょに取材に出ても、会社には戻らず、自宅にそのまま戻っていい。オフィスでは並んだデスクの一番右端にいる。向かいのデスクは詩人のA氏だ。夕方になって暗くなったが、ぼくは電気もつけない。第一、ぼくのデスクにはライト自体がない。これが引退したということなのだ。
2018年04月16日
4月16日の夢(飲み物を求めて)
どこかの町で詩人会議のような集会があり、広場にはたくさんの露店や屋台が出ている。おいしい飲み物を出す店があるというので、ぼくは広場の露店を一つ一つ覗いていく。しかし、ぼくの見る限りでは、飲みたいと思うようなものはどの店にもない。自販機でもいいやと思うが、それにも飲みたいものはない。広場から出て、少し先の道路にある自販機に行く。けれど、自販機の周りには雑然と物が散らかっていて、近づけない。手を伸ばして、なんとかコインの投入に成功する。するとがちゃがちゃと音がして、沢山缶ジュースが出てきた。だが、自販機の前にはヤクザのようなお兄さんたちがたむろしていて、それ以上近づけない。やむをえず広場を通ってホテルに戻り、館内の自販機を覗くが、やはり欲しい飲み物は見つからない。
ホテルの中で若い男が突然、発作を起こして叫び出した。女性従業員が男をどこかへ連れて行き、救急車を呼んでと言う。ホテルから少し離れたところに救急車が到着した。乗っている男が「今連れてこないと入院できないぞ」と叫んでいる。だが、男も女性従業員もどこへ行ったのか、姿が見えない。ぼくも心配になり、下へ降りようとするが、一階と二階をつなぐ移動式の階段が取り外されてしまい、下へ降りることができない。
2018年04月14日
4月14日の夢(デスクの上のピアノ)
今は戦時中だ。でも化粧品会社はたくさんの商品を作っていて、その分厚いカタログに感動を覚える。だが、とうとう時流に押され、「市場の動向が変わったので、化粧品販売をやめる」と発表された。とても悲しいことだ。
久しぶりに職場に復帰する。ぼくのデスクは前列の右側にあり、その上には大きなグランドピアノの上部がでんと載っている。鍵盤をつまびきながら、素晴らしい待遇に感激する。だが、ぼくはすぐに後列の右側デスクに移動させられてしまう。その左には気のよさそうな初老の男性社員が座っている。ぼくのデスクの上にはミニチュアの小さなピアノが載っているだけだ。
2018年04月13日
4月13日の夢(越境)
見知らぬ少女とぼくは国境のような場所を越えようとしている。境界線にはゲートがあり、ドアを開けると四つの椅子がある。手前の椅子と向こうの椅子の間は背の低い板で仕切ってある。ぼくはその仕切りを跨ぎ越え、向こう側の椅子に座る。少女は「まだ境いを越えてはいけないと思う」と言い、仕切りを越えずに手前の椅子に座る。そこへ案内人と称する若い男が現れ、ぼくの左隣に座る。すると四つの椅子はそのまま自動車になって走り出す。窓の外は海岸で、高い波が立っている。だが、その波はいつまでも同じ高さのまま崩れない。「あの波は人工的につくってあるのですよ。そんなことをするのは良くないという人もいるのですが」と案内人の男は苦笑する。
2018年04月11日
4月11日の夢(薔薇とぼろ布)
ぼくは二人の若い男と一緒に、それぞれ自分のぼろ布を大事に持って歩いている。二人はぼくの前を話しながら歩き、親しそうだ。ぼくはその後をひとりでついていく。彼らはぼくの下宿屋に行こうとしているらしい。男の一人がぼくを振り向いて尋ねる。「薔薇の木はあるのかい?」 ぼくは「あるよ」と答える。
下宿屋に着いた。ともかく二人を招きあげる。ぼくは手前の一部屋を借りているが、向かいにももう一部屋あって、そこは三分割されており、その真ん中の区画もぼくが借りている。けれども、それは所有しているというだけで、使用していないので、何も置かれておらず、部屋もこざっぱりときれいなままだ。気がつくと、二人の男はその部屋いっぱいに自分たちのぼろ布を敷きひろげている。ぼくの所有していない左右の区画も完全に侵犯している。ぼくは慌ててそれらのぼろ布を片付ける。
すると下宿屋の玄関がドンドンと叩かれる。出てみると、若い男が不機嫌そうに立っていて、「俺の薔薇にこんなことをしたのはおまえか?」と尋ねる。外へ出てみると、そこは遠浅の渚のように砂地がなだらかに傾斜しているが、彼方は茫漠とかすんでいて、海が見えるわけではない。その砂地に薔薇が植えられていて、多分それが男の薔薇なのだろう。その薔薇にまとわりついているぼろ布はさっきの二人の男たちのものに違いない。あの二人が「薔薇の木があるか?」と聞いたのは、そういう意味だったのか。ぼくは薔薇の持ち主の男に謝罪し、「ぼろ布の持ち主はまだこの建物にいるが、二人から直接謝罪させましょうか」と問い返す。薔薇の持ち主は「いや、そんなことしてくれなくていい」と言って、立ち去る。
下宿屋に戻り、トイレに入る。便器の周りに沢山のぼろ布が置いてある。またもや二人の男たちの仕業だなと分かる。小用を足すうち、ぼろ布のいくつかが便器の中に落ち込む。ぼくは慌てて手を突っ込んで、ぼろ布を引き上げるが、指が少し汚れてしまう。
2018年04月10日
4月10日の夢(大洪水)
帰宅してみると、台風が激しさを増していた。サッシ窓の向こうは大嵐だ。しかも庭は濁流であふれ、塀の向こうから押し流されてきたパトカーが、ぼくの部屋に正面から向かってくる。ぼくは逃げ出そうとするが、腰が抜けてしまって動くことができない。たちまちパトカーはサッシのガラスを木っ端みじんに突き破って、部屋に突っ込むが、幸いにしてぼくは無事だ。「まさかパトカーが来るとは……」とぼくは呟く。振り返ると、大きな四角いちゃぶ台を、さざえさん一家のようなぼくの家族が囲んでいる。ぼくの知らない人たちだが、それは間違いなくぼくの家族だ。「どこからこんなに大量の水が来たのだろう?」というぼくの問いかけに、「多摩川からだよ」と家族が答える。水にあふれた庭は深い青と緑で、対照的に白と黒の壊れたパトカーがとても目に鮮やかだ。
4月9日の夢(噴出するミルク)
朝食会に招待されているが、会場の場所がわからない。宿泊しているホテルを出て、道路が半地下のトンネルになったような交差点でタクシーをつかまえようとする。警官が目に入る。けれども車の往来は少なく、タクシーもやってこないので、右手の森に続く道に移動する。突然、トンネルの天井二か所から大量のミルクが噴出し始める。その間もぼくはタクシーを待ち続けるが、人の往来さえ少なくなり、タクシーはとてもつかまりそうにない。
2018年04月02日
4月2日の夢(高等遊民)
雨の夜、ぼくと女友達は原宿をさまよう。そこはラフォーレの裏の丘で、何度も四つ角を曲がり、ようやく目指すラフォーレにたどり着く。
そこで元気でおしゃべりな初老の大学教授が、ぼくらを指して「高等遊民だ」と主張する。ぼくは「いや、ぼくらはかつかつの生活をしている」と否定するが。教授は意見を変えない。そこでぼくが「四十時間ぶっ続けの映像編集の仕事にスタジオに入り、三十時間目に大停電が起きて、せっかく編集した映像がおしゃかになった事件」について話すと、ようやく教授はぼくらが高等遊民ではないことに納得してくれる。
4月1日の夢(クロネコ伝票)
社員研修会に出席するため、ぼくと社長は洋服ダンスのような家具を乗り越える。社長は詩人のA氏である。しかし、ぼくらは招かれざる客だったようで、参加者に追い出されてしまう。講師の老婦人が古いマニュアルに従って対処した結果らしい。
男性社員の一人がぼくらにクロネコの伝票を書くようにと言う。彼は箱の中を指差すが、探してもそこには伝票がない。社長は一枚だけ伝票を持っていたようだ。ふと見ると、書類棚に大量のクロネコ伝票が何種類もきちんと整理されて置いてある。しめた。これを使えばいいと、ぼくは思う。
3月31日の夢(燃える左腕)
病院に診察してもらいに行く。暗い診察室の前で待っていると、ぼくの前の女性患者を別の医者が呼び出し、彼女は診察室を出て行ってしまう。階段の踊り場へ行き、今にも下へ降りようとする彼女を二人の医者とぼくは呼び戻し、「まだ診察中だから」と言う。彼女によれば「女友達が下に来たので、一緒におやつを食べる予定だった」とのこと。そんな騒動があったので、ぼくは自分が何のためにこの病院に来たのかを忘れてしまった。しかし、ぼくの左腕には大きな黒い穴があいているので、それを医者に診せる。医者はそこに何かの治療器具を当てると、アルコールに浸したパッドのようなものに火をつけて燃やす。ぼくの腕から炎が上がるが、熱くはない。ところが、ほかの男性患者がそばにやってきて、「だめだめ。ぼくはこれからキャンプに行くんだから」と言って、火のついたパッドを取り上げる。ぼくと医者は呆然となるが、無言のまま男からパッドを取り戻し、もう一度患部に当てる。「この病院では大きな注射針を使うので、時々そういう大穴があくことがあるのですよ」と医者はぼくに説明する。
3月30日の夢(活版)
行きたいと思った家の前に、その家の女主人が立っているので、何気ない顔をして通り過ぎる。川沿いに右に折れた道を歩いていると、女性に呼び止められた。マンションの玄関前のロビーに彼女はぼくを案内し、ぼくらは印刷の件で打ち合わせをする。女性はぼくの言い分を否定し、一枚の紙をぼくに見せる。いや、その紙はぼく自身が持っていたのかもしれない。そこには「この紙と同じ大きさの活版を造る」ことが指示されている。しかも、それを何枚も造るのだという。そんなことをしたら、とても印刷代が高くなるのではないかと、ぼくは不安になる。
3月28日の夢(エレベーター緊急停止)
エレベーターに乗り、階数ボタンを押すが、うっかりしてバンバンッと強く叩くように何度も押してしまった。その振動を感知したエレベーターは階数表示がチカチカと点滅し、女声のコンピューターボイスが何かわめき始めた。しまった。エレベーターが地震と勘違いして緊急停止し、ぼくは閉じ込められてしまうのではないか。だが、しばらくして表示の点滅は終り、エレベーターは通常の上昇を開始する。気づくとぼくはA4大の紙を何枚も持っていて、そこにはエレベーターを停止させなくてはいけない階数の指示が書いてある。ぼくはその紙の指示に従って、エレベーターをほとんどの階ごとに停止させなくてはいけないのだった。
2018年03月25日
3月25日の夢(医者へ行く)
ぼくは次から次へと病気にかかり、さまざまな医者にかかっている。今日行った医者は暗い待合室に左右二つのドアがある。名前を呼ばれて、左のドアから診察室へ入る。中には三つのベッドあり、男性看護助手から「今日は一番左のベッドへ」と言われる。女性のナースもいて、「もしかして、ほかに治りにくい病気があるのでは?」と尋ねられる。ぼくは「はい。今は治りましたが、以前は一か月くらい扁桃腺を痛めていました」と答える。医者はぼくに「そうだろう、そうだろう。でも、ここに来て、この病気を治しさえすれば、ほかの病気もみんな治るよ」と言う。ぼくはこの医者にさして期待をかけていなかったにもかかわらず、「ほかの医者に期待したのが間違いだった。最初からこの医者にかかれば分かってもらえたのに」と思う。
2018年03月24日
3月24日の夢(名刺がない)
ぼくはP誌の編集長だ。今日は入社したばかりの新米記者を連れて、Y社主催の音楽イベントに取材に行く。最初に個人宅を訪ねる。草の生えてない土の地面に建っている家だ。玄関の硝子戸の中に、女性が一人佇んでいる。「ごめんください」と開けて入ると、最初は女性の一人暮らしと思ったのに、入れ替わり立ち替わり若いのや年取ったのや、さまざまな女性が一人ずつ地下室から現れる。
イベント会場に着く。広間の真ん中に四角いテーブルがあり、それを囲んで出演者と観客が一緒に座っている。ミュージカルのステージに観客もそのまま参加するのだ。新しい面白い企画のイベントだと思う。
ぼくはそれを別室から開いたドア越しに取材している。イベントが終わり、Y社の担当者に取材しようと待ち構える。だが、新米女性記者はさっさと帰ってしまった。しまった。観客の感想のコメントをニ、三人から取らせるべきだったと悔やむ。担当者は沢山の洋服や端切れの山をぼくの前に置く。説明を始めるが、同僚が呼びに来たので、「ちょっと待ってて」と言ったまま、会場に戻ってしまう。
その間にも取材していた部屋はスタッフたちがどんどん片付けていき、洋服と端切れの山も勝手にあちこち移動させられる。最初はこれらはぼくが貰えるのかと喜んだが、どうやら撮影してくれということらしい。やっと担当者が戻ってきて、それらを段ボールの箱に入れる。だが、段ボールの中には水が入っていて、たちまちそれらは汚水でよごされてしまう。ぼくは担当者に「名刺をください」と言い、名刺を受け取る。しかし、ぼくのポケットから出した沢山の名刺は全部他人から貰ったもので、ぼく自身の名刺は一枚もない。しかたなく「今度お会いしたとき、差し上げます」と詫びを言う。
そろそろ退出しようと思っていると、別のY社のスタッフがドアの外から「アナウンサーの〇〇はいますか」と大声で尋ねてくる。「ぼくは他社の人間なので、わかりません」と返事をする。
時計を見ると、夜の十時半過ぎだ。これでは家に帰るにはタクシーに乗るしかない。ここは品川なので、通りを右に行けばタクシー乗り場があるはずだ。外に出ると暗い中を急な石段が下へ続いており、年寄りが数人歩いている。どこかの山寺の山門のような感じだ。石段を下りると、広い通りだ。視界がばっと開ける。快晴の青空のもと、一面の緑の田園地帯が地平線まで広がっている。左は多少市街地があるが、右には人家も少ない。さっきまで深夜だったのに、白昼である。右にいくら歩いてもタクシー乗り場などない。舗装された広い道路を車がスピードを出して行き交っている。ここからどうやって家に帰ればよいのだろう?
2018年03月23日
3月23日の夢(隠し芸でバンド演奏)
会社のパーティーで隠し芸にバンド演奏をやれと言われる。指示書にはぼくの担当はベースだと書かれている。ギターなら弾けるけれど、ベースは触ったこともない。編集長のFさんに相談するが、取り合ってもらえない。楽器置き場に行くが、ベースは見当たらない。居合わせた、元ミュージシャンでチーフコピーライターのIくんに「ぼくのベースはどこにあるの? アコギなら弾けるんだけど」と言う。彼も「そうですよねえ」と苦笑するばかりである。
退社しようとすると、裏口の鍵がかからない。ちょうどFさんが表口の鍵を閉めて退社するところだったので、戻るように言う。裏口には古い角材をいく本もほぞ穴でつないだ長い閂をかけるのだが、どうしても一本の閂になってくれないのだ。
3月22日の夢(猫の死体)
仲間のライターが某家の夫人との恋の噂を立てられ、ぼくはその取材に行くことになる。某家へ行ってみると、夫人はふつうのおばさんに過ぎない。その家を出て歩いていると、前をY社の男性社員が歩いている。彼に声をかけ、彼は街を仕切る金網の壁の向こう側、ぼくはこちら側に別れるが、結局金網のドアを開けて、ぼくも向こう側に行く。
これから浜松に行かなくてはならないが、行きたくない。改札のおばさんに数個の札のようなものを投げると、おばさんはそれを受け取り、「了解」と言う。しかし、ほかの仲間たちがやってきたので、結局ぼくも新幹線に乗ることになる。すると、ぼくの足はミカン箱になり、重くて動かない。空中を飛んできた黒くて丸いものをキャッチしてみると、やけに重い。よく見ると、それは猫の死体である。
3月18日の夢(横に動くエレベーター)
エレベーターに乗って、11階のボタンを押す。ぼくはエレベーターの窓を少し開け、身を外に乗り出したまま9階まで昇る。そこでアナウンスがある。「これからエレベーターは横に動きます。危険なので、身を乗り出して手や顔を出すのはおやめください」。ぼくも慌ててドアを閉める。エレベーターの中はまるで電車の中のようだ。10階からエレベーターは横へ水平に走り出す。11階に着いた。ぼくはお経のように見える黒いデジカメを慌ててポケットに押し込み、荷物をたくさんエレベーターの中に残したまま、外に出る。そこは屋上だった。いっしょに降りた乗客たちはまたエレベーターを待っている。きらきらする朝日の中を右奥から列車のようにエレベーターが驀進してくる。
2018年03月15日
3月15日の夢(取材)
電車に乗って、取材に出かけた。JRの山手線らしい駅のホームで乗り換えようとして、電車に乗り間違えたことに気づく。目指す駅にはここからどう行けばよいのだろう? ふと気づくと、カバンは持っているが、手提げの紙袋をどこかに置き忘れたようだ。中に録音機も手土産も入っていたのに。早めに出てきたので、まだ一時間ある。その間に二つをどこかで手に入れられるだろうか? 絶望的な気がする。
2018年03月13日
3月13日の夢(抗議集会)
長老詩人のY氏が最近発表した詩は、詩壇ジャーナリズムを批判する勇気ある作品だった。それに対して弾圧が予想されることから、詩人の有志数人が駅頭に出てマイクを握り、応援演説を行う。ひとわたり全員が演説した後、最後にまたぼくにハンドマイクが渡された。「かつてS氏の詩でも弾圧があり、ぼくの詩でもあった。Yさんの詩でも同じことが起きるかもしれないので、念のため・・・・していこう!」とぼくはアジる。だが、マイクの電源が入っていないのか、ぼくの声は全く聞こえない。
2018年03月12日
3月12日の夢(浜松出張)
浜松に出張したぼくは東京に帰ろうと私鉄の駅に行く。ところが切符の自販機がなく、窓口でしか買うことができない。デスクを一つ置いただけの窓口には、丸顔の駅員が座っているが、中年の女性たちが一斉に切符を買おうと囲んでいて、とても近づけない。あきらめて駅から外に出る。駅は道路の上の高架駅だった。「しまった。せめて駅にとどまるべきだった」と思うが、もう遅い。しかたなくJRの駅を探して、道路を歩きだす。タクシーに乗った方がいいだろうか、と思う。
3月11日の夢(村上春樹インタビュー)
ホテルで村上春樹のインタビューをかる。ホテルのロビーというより、舞台のようなところで椅子に座った村上は、機嫌よくぼくのインタビューに応じてくれたが、掲載に当たって条件を付けた。編集部としては二本の特集の柱を用意しており、村上のインタビューはそのうちの一本だったのだ。デスクの男性とぼくは「春樹のインタビュー一本だけでは、あまりにも当たり前の企画になってしまうなあ」と残念がる。
2018年03月05日
3月5日の夢(殺し屋認定)
ぼくはピストルを使う殺し屋で、ある女性の依頼により、人を殺そうとしている。殺し屋には業界としての認定機関があって、今日はそこから「優秀な殺し屋」としてのお墨付きをもらった。しかし、久しぶりの実戦であり、ピストルの撃ち方を忘れていないか、心配である。
3月1日の夢(薬がない)
一昨日会社に置き忘れてしまった薬の袋を、昨日自宅に持ち帰った。ところが今日はその薬をすべて家に置いてきてしまった。薬が切れたためだろうか。なんだか息苦しい。あきらめきれずにデスクの後ろの棚を、本の背表紙を声に出して読み上げながら探すが、もちろんそんなところに薬があるはずはない。
2018年02月12日
2月12日の夢(ぼくはスパイ)
電車が駅に停まった。駅名がよく見えないが、ここはぼくの住む狛江らしい。ちょっとうろうろしてから、ホームに降りる。どこかで休みたいと思う。
駅前に旅館がある。勝手に上がり込むと、空き部屋がある。中に入って、スパイの七つ道具をチェックする。作業はすぐに終わり、帰ろうとすると、空き部屋に電気がついていたことで、従業員に気づかれたようだ。急いで部屋の出入り口に行く。
出入り口のドアはマジックミラーになっていて、鏡の向こうにこちら向きに正座する女性の姿が見える。この旅館のおかみだろうか。ぼくの方からドアをがらりと開け、旅館の外に出て近くの住民たちもまじえ、みんなに事情を説明する。どうやらあの部屋を定宿にしている男がいて、今日も深夜にその部屋に入り、明け方に出て行ったため、部屋がたまたま空室になっていたらしい。どうもその男には怪しいところがある。きっとぼくの同業者かライバルのスパイだろう。
ぼくの傍らに鏡のついた広告台のようなものがあるが、そこに何か黒いものがぱらりと落ちた。拾い上げてみると、スパイ用の盗聴器か何かだ。ぼくのものか、男のものか分からないが、何気ない顔をしてポケットに入れる。
2018年02月11日
2月10日の夢(1丁目1番地)
ぼくは地元の町で宅配便配りのアルバイトをしている。荷物と伝票を照らし合わせていると、伝票にない荷物が沢山ある。どうやら店主がぼくにプレゼントしてくれたお菓子らしい。
街の中心部の喫茶店で一服する。店主と客がこの町の「一丁目一番地」について話している。そういえば、ぼくはこれからその「一丁目一番地」を取材に行くところだ。どうやら窓から見える交差点の向こう側が「一丁目一番地」だと見当をつける。
ところが、そこへ行くのを忘れて、ぼくは気がつくと全く別の駅に来ていた。大雪で駅の構内も線路も真っ白だ。電車から線路に降り、歩いてホームに上り、待合室に入る。ぼくの手には指令書のようなものがあり、そこにはこの町の地図がある。長方形に囲まれた場所が示されており、110円の自転車に乗って、そこへ行くようにということだ。突然、隣にいた男が「その地図を見せろ」と言い、「いやだ」と拒否するぼくとの間で地図の引っ張り合いになる。なんとか地図を奪われずにすんだものの、ぼくは自転車に乗れないのだ。でもこのくらいの距離なら、歩いても大丈夫だろうと思う。
2月5日の夢(壜詰の蓋)
いくつかの壜詰が横に並んでいる。みんな黒い蓋がはめてある中で、一つだけ白い蓋のものがある。「まだ温めたばかりで、開けるのは無理だ」と言われるが、ぼくはその白い蓋をそろりそろりと回して開けていく。
2018年02月04日
2月4日の夢(窃盗の疑い)
絵本を使った斬新なキャンペーンのアイデアが見つかりそうだと、同僚のМ氏に言われて、二人で楽器店を訪ねる。楽器店というが、見かけはかやぶき屋根の農家だ。縁側に上がり、若い女性の担当者に絵本を沢山見せてもらう。
いつのまにかМ氏は詩人でS誌編集長のN氏に変わっている。彼の絵本をめくる手が止まり、「これじゃあ面白くないね」と、冷めきった顔つきで言う。熱しやすく冷めやすいいつもの性癖が出たようだ。それならこんなところに長居をしてもしかたないと、ぼくは彼を置いてさっさと帰ることにする。
途中でふと気づき、リュックの中を改める。いつのまにか中に知らないケータイが二つ入っている。これではぼくは泥棒の疑いをかけられそうだ。どこで捨てようかと悩みながら歩いていると、路傍の店舗から知らない男たちが出てきて、ぼくは物陰に引っ張り込まれた。男たちは「これを盗んでいないか」と言って、ぼくに小さな箱の中身を見せる。見ると、黄金のネクタイピンとカフスボタンだ。「ぼくはネクタイをしないたちですから、そんなものは知りません」と、ぼくは答える。実際に身に覚えがないので、我ながら自然なふるまいができた。
ぼくは会社に戻ることにする。あいかわらずリュックには見知らぬケータイが入ったままだ。どこかで捨てても、発見されて指紋が検出されたら、かえってヤバいだろう。そういえば忙しくて、何日も会社で泊まり込みが続いている。今夜もまた帰宅できないだろうと思う。
2018年02月02日
2月2日の夢(カラスとガラス)
マンションの部屋の窓から外を見ていると、空から沢山のカラスが次々と急降下してきて、地面に降り立つ。まるで地面に激突するかのようだ。落ちてくるカラスが窓に激突したら、窓が割れて危険だろう。ぼくは窓から後退して部屋の奥に避難する。部屋の奥は右隣りの部屋につながっている。そのとたん、右隣りの部屋の窓ガラスがガチャンと音立てて割れ、「きゃーっ」という女性の悲鳴が上がる。右隣りの部屋の住人の女性が割れた窓のそばにいる。そして、ぼくの足首にはピンクの傷口があり、そこにガラスの破片が大小二つ刺さっている。
2018年01月29日
1月29日の夢(コンビニアイス)
家族のいるリビングルームで、ソファーの置かれた壁に向かって、じゃーじゃーと放尿しながら、ふと気づく。しまった。会社ならこれでいいが、自宅でこんな用足しをしてはまずかった。
冬なのに、コンビニでアイスを食べたくなる。お腹が痛くなっても困るが、アイスボックスの中には、なかなか適当な大きさのものがない。さんざん迷ったあげく、ちょうどよいと思う白いアイスを取り出して、レジへ持っていく。そこは学校の体育館のホールのような場所に臨時につくられた店舗らしい。左のレジに行くと、係員が「ここは市役所の受付です」と言う。慌てて右のレジへ行く。そこにも同じような中年の禿げかかった男性がいて、レジを打ってくれる。だが、男に渡したときにはアイスは、汚れて黄ばんだ包帯のようなものに変わっている。男は「若い人はこれに口をつけて、チューチュー吸うとおいしいらしいんですよ」と実演してくれる。
2018年01月28日
1月25日の夢(校正の準備)
ぼくは校正のための準備をしている。ふと見ると、ぼくの大好きな白い犬が飼い主の奥さんに連れられて、喫茶店に入ろうとしている。犬は舞台に出演中で、公演の合間にその店で休憩したいらしい。マンションの屋上公園の反対側にあるその店に、ぼくも何かと理由をつけて入ろうとする。たまたま男の従業員が店の前に出てきたので、彼の後について店に入り込む。やった! と思ったが、中に入ると、そこは別の店だった。どうしてこんな店に入ってしまったんだろう? ぼくは慌てて外に出て、犬の入った店に入りなおそうとする。
しかし、校正は本当にこれでいいのだろうか。なんだか紙がしわしわだ。ぼくはコピーをして、それを胡麻化そうとするが、貼り合わせた紙の皺の影が写ってしまい、ますます汚くなってしまった。
2018年01月24日
1月15日~24日の夢
・1月15日
会社にいつのまにか何人も新入社員が入ったらしい。ぼくの隣にも一人いるが、何も仕事がないらしい。ぼくも同じで本を読んでいる。ぼくのデスクの下には2冊の本がある。一冊は吉増剛造さんの詩集だ。
・1月18日
トイレに入ると、便器の前に応接セットがあり、外国人の男性が3人談笑している。その前でおしっこをしなくてはいけない。
・1月19日
空を宇宙船が飛び回っている。大きな輪を吊り下げたヘリコプターが空高くへ飛び上がったり降下したりしている。この輪をできるだけ遠くで爆発させないと、宇宙船が着陸できないらしい。
・1月23日
女性が持っている箱の中に人生が詰まっている。「人生はつまらない」と女性が言う。ぼくは「でも、その箱をまだ開けていないのだから、大切に使おう」と答える。
・1月24日
暗い廊下にいて、目の前に会社のオフィスの扉がある。ぼくは腕時計が1分狂っているのに気づき、入る前に合わせようとする。そこへ男性社員が来合せ、「どうぞ」と中を指さす。ぼくは「どうぞお先へ」と言って、彼を先に通す。腕時計の竜頭をつかんで時刻を合わせようとするが、勢いよくつかんだために5分ほど時計が進んでしまい、今が何分なのか分からなくなってしまう。
2018年01月14日
1月13日の夢(大災害)
地域の人々と共にぼくは道路に出て、立ち尽くしている。なんだか分からないが、災害が起こり、何人か行方不明者が出ているようだ。ぼくらは互いに名前を呼び合い、助け合おうとする。
疲れてカフェで待っていると、神父が現れた。沈痛な表情で犠牲者の発表をする。二人が亡くなったという。そのうち一人はルーシーという名前である。ぼくはその死が受け入れられない。何度も「受け入れられない!」と声に出して叫ぶ。
2018年01月07日
1月7日の夢(父に会う)
故郷である名古屋にいる。ぼくは坂の上から見下ろしている。まだ若いぼくの父が坂を下りていくところだ。ぼくのためにタクシーを止めようとしているのだ。だが、下りていくうちに、ぼくは父を見失う。しかたなくぼくはバスで行くことにする。ちょうどバスがやってきた。バス停は交差点を渡って、100m進んだところだという。赤信号になりかけた交差点を走って渡るぼくを、お巡りさんが何も言わずに見ている。バス停でバスを待つ行列に並ぶと、乗客たちが「あっ、一色さんだ。一色さんだ」と声を上げる。
クリニックを映した番組をテレビで放映している。みんなに「ほら、見てごらん。モデルになってる患者はぼくだよ。頭に開頭手術をしたように見せかけているから、ぼくじゃないみたいに見えるけど」と自慢する。若いナースがぼくを探している。「癌の薬だから、癌の薬だから……」という鼻歌をうたって、楽しそうだ。もしかして、ぼくは癌なのだろうかと思いながら、彼女から見えない別室で、ぼくは間違えないよう確認しながら、薬を飲む。
1月4日の夢(恐竜との闘い)
東京の街にトリケラトプスのような恐竜たちが出現した。彼らを駆逐するため、ぼくは装甲車に乗って出撃する。すべての窓を鋼鉄板で覆っているため、どこを走っているのか分からない。停車したので、窓を開けてみると、そこは国会議事堂の前だった。
地方都市にある電気店を取材に行く。店主には会ったが、この店にいるはずの田淵元選手には会えなかった。帰社して、喫茶店のような場所で仲間たちと待機する。女性は一人だけで、ほかはすべて男性スタッフだ。トイレに立って、戻ると、ぼくの席には別のスタッフが座っている。仕方なく隣のテーブルから椅子を持ってきて座る。
一軒置いた隣は電気店で、この店にも取材に行く。バスがやってきた。田淵元選手が着いたのかもしれないと思うが、誰も降りてこない。まだ時間が早いから、次のバスかもしれないと思い直す。
2018年01月03日
1月3日の夢(富士山)
部屋の窓いっぱいに冠雪した大きな富士山が見える。その雪と地肌との境目にタクシーが右から左へと走っていく。富士山全体の幅の五分の一ほどの大きさで、縮尺がおかしい。大家の女性はそのタクシーを指さし、ぼくに「11時半にタクシーを呼んで富士山に登ってください。いつもあのタクシーが来ますから」と言う。そんな時間に富士山に登ったら、タクシーの運転手はお昼ご飯を食べられないのではないかと、ぼくは心配する。
2018年01月02日
1月2日の夢(屋根裏の白いペット)
コンサート会場へ行く。屋外にある受付で、係員から予約していたチケットを受け取る。代金は300円。すぐに二枚のコインは出てきたが、3枚目のコインが財布にはない。「コートのポケットにありますから」とぼくは言い、中からコインをつまみ出すが百円玉はない。もう一度探すと、ようやく見つかって、支払うことができた。
友達3人で、そのうちの一人の家に遊びに行く。ぼく一人だけが屋根裏部屋にはしごで上がる。あとの二人は上がってこない。そこには真白でふわふわの布団が敷き詰められ、友達の若い夫が座っている。挨拶するわけでもなく、なんだか居心地が悪い。それに、友達は男のはずなのに、なぜ夫がいるのだろう? そこには一匹の白い犬とも猫ともつかないペットがいて、ぼくにすり寄ってくる。ぼくのカバンをくんくんする。とてもかわいいので撫でてやるが、白い毛並みのあちこちがピンクになっている。皮膚病にかかっているのだろうか?
12月31日の夢(家を出る)
自分の服を取りに、家に帰ってきた。子供向けの付録の玩具を入れた袋がある。そこからテレコの玩具を取り出しながら、「これは本当はコルトのピストルと同じ重さだから、もっと重いんだよ」と言う。それを隠すようにしてカバンに入れ、そっと家を出ようとする。ふと見ると、ぼくの部屋に自分の服の詰まった長持ちのような箱がある。それを片付けずに出ていくことに、ぼくは後ろめたさを覚える。
2017年12月28日
12月28日の夢(パン屋のない原宿)
出張から帰って、会社のデスクに戻る。まだ12時には20分ほど間があるが、お腹が減った。早めにランチのためにパンを買いに行こうと、会社を出る。
そこは原宿の街である。表参道を渡ったところは、以前「さよなら」の詩の舞台となった地下街のあったところだが、今はあの地下商店街はない。交差点を渡って原宿駅の方に向かう。しかし、街はすっかりアパレルの店ばかりに変わっていて、食べ物屋は一軒もない。
しかたなく会社に戻ると、そこは木造の安宿に変わっている。共同トイレのドアをノックもせずに開くと、中に老婆がいた。トイレ専用のスリッパが入り口に置いてあるが、自分のスリッパのまま入ろうとして、思い直してトイレのスリッパを履く。便器は2個あり、右の便器は手すりがついているが汚い。左の便器で用を足すことにするが、こちらも同じように汚い。トイレ用スリッパに履き替えてよかったと思う。
さっきの老婆がまたトイレの中に戻ってきた。一体、何の用だろう? いつのまにか老婆はアラフォーの女性に姿を変えている。彼女もランチに行くらしいので、一緒にまた外出することにする。
だが、原宿の街はやっぱりアパレルの店ばかりだ。新しくできた商店街は「人絹」でできた服の専門店街になっている。ぼくは女性に「結婚経験は?」と尋ねる。彼女は「離婚経験なら40年ぐらいです」と答える。
2017年12月24日
12月24日の夢(道に迷う)
名古屋駅前からバスに乗ろうと、バス停を探す。ここは港が近いらしい。道路には起伏がある。四方に並ぶ建物はすべて瓦屋根の一戸建てだ。どうも場所を間違えたらしいので、走って別の場所に行こうとする。ぼくの腰のあたりに四角い木の板がはまっていて、自分の下半身は見えない。しかし、足が短くなったように感じられる。ぼくはその短い足をばたばたと動かして疾走する。意外にスピードが出る。しかも、息も上がらない。角をいくつか曲がったところは港を望む丘の上だ。しかし、何度も曲がるうちに、結局元の場所に戻っただけのような気がする。
2017年12月16日
12月15日の夢(バスの中の青いバケツ)
フランスに旅行する。一度行って、土地勘があるので、空港からホテルまで見知った道を歩くことにする。交差点で曲がるべきかどうか、記憶が定かでないが、思い切って右折してみる。正解だった。途中で日本人の旅行者たちに出会い、ぼくも仲間に入れてもらう。その中にはガイドのできる人も混じっている。
途中でトイレに行きたくなる。たまたま停まっていたバスに飛び込む。運転手が一人乗っているが、真ん中のドアの横に青いバケツがあるのど、そこに用を足す。だが、運転手がいつ振り返るか気が気でなく、やめて仲間たちのもとへ戻る。彼らもトイレに行くので、ついて行き、行列の最後に並ぶ。女性と男性は列が別なので、男性のぼくは置いて行かれるのではないかと不安になる。
2017年12月13日
12月13日の夢(警察で面接)
ぼくはこの年にして、警察の入社試験を受けることになり、面接に行く。名前を呼ばれて、面接室のドアをノックするが、荷物を持っていたので、ドアを擦るような弱い音しか立てられなかった。
部屋にはデスクがあり、その向こうに老若二人の試験官が座っている。立ったまま挨拶し、名刺を出そうとするが、名刺を持ってこなかったことに気づく。二人はぼくを入ってきた廊下の向こうの、別の部屋に案内する。
街を歩いていると、不審車両を調べている刑事がいる。顔を見ると、さっきの年配の方の試験官だ。「さっきお会いしましたね」と話しかけ、改めて名刺を渡そうとする。だが、彼はぼくを制して「既に何枚か勝手にいただきましたよ」と言う。
2017年12月09日
12月9日の夢(ホールの撮影)
ぼくはランチに出るつもりで地下街に降り、メトロに乗るが、間違った路線に乗ってしまった。たまたま隣に座った女性が話しかけてくる。ぼくは自分がカメラマンで、小さなホールを専門に撮影しているのだという話をする。
翌日、関西の電車に乗っている。こちらの小さなホールを撮影するためだ。だが、どこにある何という名前のホールを撮影するのかの、メモを忘れてきてしまった。偶然だが、右隣に昨日と同じ女性が座っており、話をしていると、左隣に座る男性が居眠りして、ぼくに寄り掛かってきた。ふりほどくと、彼は通路に前のめりに倒れ、ガンと頭を床に打ち付けて、そこから汚い液体が噴き出す。どんぐり型の頭をした、人間ではないような感じの男だ。しかし、周りの人と口をきいているので、重傷ではないのだろう。
電車が駅に着いたので、女性が先に降りた。ぼくは慌てて床に散らばった荷物を拾い集め、ドアが閉まる寸前に飛び降りる。それは電車の一番前のフロント部分に着いたドアで、連結器が突き出しているので、ホームとの距離が遠い。えいやっと、なんとかぎりぎりでホームに着地することができた。
12月8日の夢(地底人との戦争)
料亭の和室で、故人の詩人を偲ぶ会が行われている。その詩人は藤冨保男さんらしいが、嵯峨信之さんであるようにも思う。ぼくも個人とのエピソードを披露する。だが、しゃべるたびに唇の右端から息がもれ、「ぷしゅうー」と不快な音をたてる。
今、地上人と地底人が戦争をしている。ぼくはある理由で、地底人とも交際しているのだが、人々はそれを理解できず、ぼくを敵方のスパイだと思っている。
12月6日の夢(名前で苦労する夢)
電車で何かの会に向かっている。降りようとすると、柔道着を盗まれていた。
会場に着くと、小学校のとき担任だった三宅先生がいて、机を囲んでみんなで話す。先生はぼくに歌をうたえと言う。楽器店の社長夫妻が見学に現れた。
ぼくは「しんり」という名前の男が、その名前のために苦労をして、死んで初めて本名の「まこと」で呼ばれたという話をする。
2017年12月04日
12月4日の夢(アメリカの夢と金縛り)
アメリカの西海岸らしいところに一人で滞在している。お腹が減ったが、言葉が通じないので、朝食をとることもできない。そこへ三人の日本人のグループがやってきて、ぼくを仲間に入れてくれた。これで食事をとることができる。
寝ていると、ぼくの顔に密着するように、女性らしい人の顔と手がかぶさってくる。相手の顔を見ようとしても、真黒な影法師としてしか見えない。金縛りになってしまう。なんとか叫び声をあげて、目を覚ますと、そこは病院だ。ぼくはドクターでほかに男と女の同僚がいる。彼らに金縛りのことを話し、もう大丈夫だと思って眠ると、また同じ金縛りになってしまう。もがいていると、目覚ましが鳴って、本当に目が覚めた。
12月2日の夢(闘い)
「ぼくが闘うから、おまえはもう辞めていいよ」と男に言われ、ぼくは退会届を出した。だが、その男はぼくと交代してすぐにのされてしまった。ぼくは慌てて再度エントリーをする。
11月29日の夢(オレンジの人)
ある街路についての広告に、ぼくは「オレンジ色の人がいっぱい渡ってくる」というコピーを書いた。その道路に行ってみると、道路の向こう側に女性が一人立っている。ぼくは道路を渡って、彼女と話をする。
また、こちら側に戻っていると、向こう側に小太りの若い女性がお母さんに伴われて立っている。ぼくの広告を見たのだろう。「ここにいると、いっぱいオレンジの人が渡ってくるかな」と二人は会話している。
2017年11月28日
11月28日の夢(休日出勤)
会社に休日出勤している。看護師さん向けにピアノをお勧めするパンフレットの企画書をクライアントに見せに行こうと、デスクの上にラフスケッチを置く。すると、別のクライアントの来客の打ち合わせに出社していた女性スタッフが一度社外へ出ていくが、すぐに戻ってきて、わざとらしくぼくのラフスケッチを手に取る。「いいですわね。このコピーの〇〇という言葉は、語呂合わせですよね」と嫌味っぽく言う。「いや、それは別にシャレで書いたんじゃないんですけどね」とぼくは苦笑する。
11月27日の夢(インタビュー)
新聞社のインタビューを電車の中で受けている。だが、質問に答えるそばから、ぼくの答えは全然別の意味に変わっていってしまう。
11月25日の夢(空港待合室)
海外旅行から日本に帰国するため、空港で帰りの飛行機を待っている。トイレに行きたくなったので、空港ビルの通路を戻って用を足す。それから待合室に戻ろうとすると、二人の旅行者がぼくの前を歩いている。しばらくついて歩くうち、自分の戻るべき待合室がどこにあるのか分からなくなってしまう。
11月24日の夢(立ち飲み屋で両替)
祖母と立ち飲み屋に行った。祖母はカウンターのお姐さんに頼んで、五千円札を千円札五枚に両替してもらう。円形のテーブルに置かれた五枚の札を指さし、お姐さんはぼくに「持っていきなさい」と言う。ぼくは「何をですか?」と尋ねるが、すぐに気づいて「ああ、そうでした。両替してもらったんでしたね」と答える。
2017年11月15日
11月14日の夢(面談アンケート)
ドアのチャイムが鳴った。近所の奥さんが小さな子二人の手を引いて、家の前に立っている。アンケートのお願いだという。用紙だけもらおうかと思うが、気が変わってドアを開ける。「トランプが大統領に就任したおかげで、中国の大連や瀋陽の観光旅行が危険になっています。このことについて意見をお聞かせください。第一問です。大連や瀋陽に行ったことがありますか?」と奥さんは言う。ぼくは「はい。あります」と答える。
終わって親子を自分の運転する車で送っていく。道路の真ん中に車を止め、後部座席のドアを開けて、彼らを外に出す。外は台風である。山を越えて、ゴジラのような大波が打ち寄せてくる。ぼくは車内で彼らに「バイバイ」と言うが、外にいる彼らには聞こえない。
車内にあったリュックを二つぼくはかつぐ。その中には郵便物がいっぱい詰まっている。郵便局はすぐそこに見えているのに、あまりの重さにぼくはリュックを取り落としてうずくまる。
2017年11月12日
11月12日の夢(病欠)
ぼくは軽い病気にかかっている。それを理由に会社を休み、家でごろごろしている。とても快適な生活だが、こんなことをしていていいのだろうか。試しに一日だけ、出社してみる。ふつうにクライアントと打ち合わせをしたりするが、相手は特に不審に思っていないようだ。しかし、それからまたぼくは休み続ける。たまにマンションの玄関に近づく男の足音がするとどきっとするが、足音は上階に上がっていった。このままいつまでぼくは休んでいればいいのだろうか。
11月10日の夢(屋台)
アジア系外国人のおばさんの屋台で、何かを買う。おばさんは「C10/1」と手書きで書いた紙片をくれ、ぼくがお金を渡す前にお釣りの300円をくれるので、慌てて1000円札を渡す。隣にいた女友達が「あれっ、1000円札でいいんですか?」と言う。ぼくは「最初にお釣りをもらったんだから、いいでしょ」と答えるが、やっぱり何かおかしい。「あれっ、変だな。900円お釣りをもらうべきなんじゃないかな」と言う。
11月9日の夢(残業)
会社で残業をして、記事を書いている。同僚がやってきて、ぼくにファッション・デザイナーの男性を紹介する。ぼくの隣で仕事をしていたのが、そのデザイナーだったのだ。彼のデザインした洋服やデザイン画を見せてもらう。針葉樹のようなデザインで、なかなかいい。でも、ぼく自身は彼の服を着たいとは思わない。ぼくは自分の席に戻り、帰るとき忘れないようにしなくてはと考えながら、コートをばさりとデスクに置く。そして彼のデザインする服について、記事を書く。「その素材は自然のものだけで一千種類に上るともいわれる」と資料に基づいて書くが、わかりにくいと思い、「天然素材だけでも一千種類……」と書き直す。確かにわかりやすくなったが、この数字が正しいのかどうか自信がない。
2017年11月07日
11月7日の夢(視覚障碍者の課外授業)
今日はぼくのクラスに視覚障害のおじさんが招かれ、課外授業をしてくれる日だ。おじさんは黒い服に黒い眼鏡、白い杖を持っている。授業が始まったのに、黒板の前では二人の工事のおじさんがヘルメット姿で配線か何かの作業をしていて、ガーガーピーピーとうるさい音を立てている。そこには目の悪いおじさんはいないのだが、おじさんの声はマイクを通してはっきり聞こえる。もしかしたら廊下から話しているのかもしれないと思う。だが、おじさんが「せっかくの授業なのに、後ろから失礼します」と言うので、教室の一番後ろにいるのだと分かる。でも、ぼくは振り向くことはせず、前を向いたままおじさんの話を聞いている。
2017年11月05日
11月5日の夢(詩人のTシャツ)
名古屋の実家に女友達が滞在している。彼女が身に着けているのは詩人のTシャツだ。畳の上に寝ている彼女を見て、祖母が「うちには田村隆一のTシャツがあるよ」と言う。小学生の孫娘(現実には存在しない)が「そのTシャツはどこにあるの?」と尋ねる。祖母は「わからない」と答える。すると女友達はいつのまにか出入り口の襖にもたれかかるようにして立っている。ぼくは驚いて「どうしたの?」と問いかける。
2017年11月03日
11月3日の夢(輪ゴム)
女友達が髪に輪ゴムをはめている。ぼくがそれを注意すると、彼女は苦笑して輪ゴムを外し、「また……」と言う。「また」の後は言葉が聞き取れないので、ぼくは曖昧に返事をする。いつのまにかその輪ゴムがなくなる。彼女は自分でそれが肩にはまっているのに気づき、「あっ、こんなところにあるんだ」と苦笑する。さっき自分でそこにはめたのを忘れたらしい。
2017年10月24日
10月24日の夢(床掃除)
会社で暇をもてあましていると、フリーのライターがやってきて、隣に座った。彼女が上司と打ち合わせをする間、ぼくはなんとなく彼女の原稿を手に取って眺めるうち、無意識に原稿の校正を始める。それはA5判四ページの冊子になっていて、書いてあることが動画として見える。男女のカップルが湘南の遠浅の海の中で遊んでいる動画だが、二人の姿が見たことのない文字になっている。これは明らかに誤植だ。一つでも誤植を発見したことで、自分がまだまだ会社に貢献できることを証明できてうれしい。ライターはぼくに「やはり現場によく取材に行かれるんですか」と質問する。ぼくは「いやあ、六十代の前半くらいまではよく行きましたが、今は体力的に無理ですよ」と答える。
オフィスの床は土間である。その土間の真ん中にゴミがいくつも落ちている。しかも、割れたガラス瓶のかけらで、とても危険だ。ぼくは棒の先に金属の部品のついた道具で、それをかき集める。かたわらで社長がスタッフと立ち話をしながら、自分の靴でやはり落ちているゴミをかき集めている。ぼくは社長に「それはぼくがやりますから」と言う。
そのためにも箒が欲しい。総務の社員に箒のありかを尋ねようと駆け出すが、あいにく電話中だ。戻りかけると、壁にさまざまな箒がいくつも立てかけてあるのを発見する。ぼくはその一本を選び、勇んでゴミのある場所へと戻る。
2017年10月15日
10月15日の夢(ニュースリリース)
今日と明日で締め切りの差し迫ったニュースリリースを二本書かねばならない。当然徹夜だと思う。土曜の夜に出社する。会社には二つのオフィスがあり、最初の部屋はスチールのデスクが左右に並んでいる。そこにもぼくのデスクがあるが、今日はそこを使わないので、黙って通り過ぎる。
次のドアを開けると、そこは海岸である。大きな波がざぶんと打ち寄せ、日差しに照らされた砂浜は焼けるように熱い。
さらにドアを開けると、制作部のオフィスである。奥の列の二番目がぼくのデスクだ。だが、ぼくが長期間出社しなかったため、そのデスクをデザイナーが使用していたらしく、デザイン用紙が勝手に置いてある。デザイナーはぼくを見て、「やあ、申し訳ないが、ちょっと借りていたよ」と言う。ぼくは彼に手を貸して、たくさんの書類の山を片付けようとする。だが、彼の湯飲みに入っていたお茶がこぼれて、用紙の一つにオレンジ色の丸い染みがついてしまう。ぼくは謝罪し、彼はぼくを許してくれた。
ニュースリリースの一つは大相撲に関するものだ。ぼくのデスクには最新式の薄型モニターがあり、部屋の天井からも大型モニターが吊り下がっている。ぼくはデスクのモニターで今日の横綱の相撲を再生しようとする。パソコンのキーボードをたたくが、選局と時刻の調整に手間取る。おまけに、間違って、天井の大型モニターに再生してしまったりして、なかなかうまくいかない。
時計を見ると、もう深夜の11時過ぎだ。横綱に電話インタビューしなくてはいけないのだが、あまり遅い時間では、翌日の取り組みに影響するからと、親方に怒られそうだなと思う。それにしても、ぼくがいきなり横綱に電話したら、みんな驚くだろうな。並行してもう一本のリリースも書かなくてはならないし、とにかく急がなくては。
2017年10月14日
10月14日の夢(お湯で編集)
アパートの六畳間でぼくは若い男女二人と編集の仕事をしている。どうやらぼく以外の二人は恋人どうしらしい。ぼくはそれを承知の上で、取材に必要な資料を手際よく作っていく。まず熱いお湯を薬缶からひょうたん型の徳利に注ぐ。お湯が足りないかと思ったが、意外に徳利の口元まですぐにいっぱいになったので、機嫌よく徳利に蓋をする。赤さびの交じる濁ったお湯である。次に本棚の下段に差し込まれたファイルにお湯を注ぐ。隣にとても大事なファイルがあるので、それを濡らさないかが心配だ。ぼくたちは詩人の故秋谷豊さんの本の編集をしているらしい。
10月12日の夢(カセットテレコ)
カセットテープレコーダーの再生を終わり、停止ボタンを押したのに、まだカセットはしゃべり続けている。困って、カセットテープを取り出す。しばらく沈黙していたが、またしゃべりだした。見かねて、傍らにいた老女が電源を切ってくれる。それでもカセットはしゃべり止めない。
2017年10月06日
10月6日の夢(壁の穴)
コンサートを聴きにホールのロビーに到着した。既に何人かの聴衆がロビーの椅子に腰かけて開演を待っている。壁には円形の穴があいており、その向こうは海らしい。ときどき真っ白な泡を吹いた大波が、その穴からロビーに猛烈な勢いで打ち寄せてくる。しかし、ここにいる誰もどうすればホールに行けるのかわからないままだ。
2017年10月02日
10月2日の夢(オーディション)
ぼくの女友達は毎年、スターを発掘するためのオーディションに応募している。彼女に付き合って、ぼくも演技をしてみせる。その結果を知らせに審査員が、ぼくらのいるビルにやってきた。彼は女友達ではなく、ぼくがオーディションにパスしたと告げ、衣装を一式どさっと床の上に置く。ぼくは辞退したい。だがせっかくだから、演技たっぷりに辞退したいと思う。衣装をわざとらしく布でくるんでいると、審査員が不審な顔で「何をしているのか」と尋ねる。ぼくは「もう七十歳だから、お断りしたいのです」と、最後の決め台詞を言おうとするが、フロアには事情を知らない若者たちがぎっしり詰めかけていて、ぼくが演技するスペースがない。
2017年10月01日
10月1日の夢(白い花)
小さな子供を連れて、夜の街を散歩している。一角に越してきたばかりの若い夫婦連れがいる。ものづくりを生業にしているらしい。その家の前には雪が積もったかと見まがうばかりの白い花が咲いている。子供とその花にそっと触れてみる。
9月25日の夢(鍵のかかった部屋)
ホテルの部屋の鍵を一人の男性客と支配人が開けようとしている。だが、開かない。カードキーの手書きの文字が読み取れず、別の部屋の鍵なのかもしれないのだ。ぼくの部屋はカードキーには608と書いてあるようだが、はっきりしない。でも、試しにカードキーを差し込むと、すぐに開きそうだ。
そのとき支配人がぼくに尋ねる。「あなたの自慢は何ですか?」 ぼくは答える。「ぼくの自慢は常に二番だったことです。小学校ではクラスで二番。今は会社で編集長をしていて、社長の次に二番です。それがぼくの誇りです」。支配人はからからと笑い、「よろしい」と言う。無事に鍵が開くと、支配人は「この部屋はホテルで二番目に広いんです」と言う。だが、部屋の中は濁った水でいっぱいだった。
2017年09月24日
9月24日の夢(ウナギが食べたい)
デパートのレストランフロアへ行く。今日はウナギを食べたい。フロアの入り口に「ウナギ」の表示があったのを確認したのだが、探し回ってもウナギを出してくれる店はない。おまけに片手に紙のショッピングバッグを持ち、もう一方の手には破りかけの錠剤の袋を持っている。錠剤の袋を紙袋に入れれば楽だが、そうすると紙袋の中で錠剤がどこへ行ったか、分からなくなるに違いない。そう思いながら、紙袋に錠剤を入れると、案の定下の方に沈んでしまうので、慌てて取り出す。壁際の狭い通路を進むと、その先は行き止まりだ。思い切ってフロアの真ん中を進むと、今まで気がつかなかったスペースがある。けれども、やっぱりウナギを出してくれる店は見つからない。
9月23日の夢(ゴミ拾いと芸人)
会社で勤務しているのだが、仕事がない。畳敷きの二間の襖を取り除いた和室がオフィスになっている。床にゴミがいっぱい落ちているので、手で拾ってゴミ箱に入れる。随分きれいになったと思う。上司が戻ってきたら、きっとびっくりすることだろう。だが、気づくと奥の部屋にまだいっぱいゴミが落ちている。それらも拾い集めて、自分のデスクに戻る。デスクの下は荷物がぎゅうぎゅう詰めになっている。その中に菓子折りが三つあるのを見つける。まだこんなにお菓子がたくさんあったのか、と驚く。
芸人たち二人が何かの機械を使ったコントを演じている。もしかして、彼らがぼくを指名し、何かのリアクションを要求するかもしれない。そうしたら何もない空間を指さして、「あなたたちはもしかしてトリオなのですか? だって、このあたりからガタガタという音がしてましたよ」というジョークを言って、目立ちたいと思う。
2017年09月22日
9月21日の夢(脚立)
大学でイベントをやっている。その懇親会で老齢のピアニストがぼくに挨拶してくる。他の人に挨拶したのだと思って、無視していたが、どうやらぼくに対してだったらしい。ぼくも挨拶を返すが、その人が誰なのか分からない。そばに腰かけていた旧知の女性ピアニストも立って、ぼくににこやかに挨拶してくれる。しばらく見ないうちに、目が落ちくぼみ、老けているのに驚く。
別の部屋でぼくの母が仕事をしているので、声をかける。母は「ここからの帰り方がわからない」と言うが、無視して部屋を出る。
そこに誰かのバッグがある。中にはお菓子や食べ物、メモ帳などがぎっしりだ。それも母同様、置き去りにして帰ることにする。
帰るためには脚立から脚立へと飛び移らなければならない。なんとか飛び移ることに成功するが、脚立の間の距離があいているので、落下するのではないかと、とても恐ろしい。
9月20日の夢(DJ店長)
自分のレストランでディスク・ジョッキーをする店長が人気だ。ぜひ取材をして話を聞きたいと思う。行く途中で意気投合した男性と共に、レストランに入ると、店内にはDJ店長の放送が流れている。食事をしながら、待てよと思う。今、店長がDJをしているということは、今は話を聞けないということだ。いつ終わるのだろうか。終わったとしても、超多忙で、すぐには話を聞けないのではないだろうか。
9月18日の夢(スター・ウォーズ)
ぼくは映画「スター・ウォーズ」に出演している。新幹線のような形をした宇宙船の一番前の見晴らしのよい窓際の椅子に座り、これから宇宙へ飛び出すところだ。宇宙船は銀河鉄道999のように、線路の上を滑走し始める。線路はそのままジェットコースターのように空中へ伸びている。線路がカーブする部分に、壊れて焼け焦げた宇宙船の残骸がそのまま放置されていて、はっとする。
宇宙の惑星に到着した。タクシーに乗るが、目の前に鉄のゲートがあり、そこを大勢の人たちが通り抜けようとして渋滞している。タクシーもなかなか進めない。ホテルの和室で、見知らぬおじいさんと一緒に一泊する。
再び宇宙に出発する。今度は中の方の席に座っていたが、すぐに昨日と同じ展望のよい席に戻る。だが、油断していたすきに、宇宙船の床にいた宇宙の寄生虫が何匹もぼくに襲い掛かる。蛇のような形をした寄生虫はたちまち、ぼくの腕を食い破って大きな穴を作り、そこからぼくの体の中に入ろうとする。懸命に闘い、ぼくはようやくすべての寄生虫を体内から追い出す。だが、腕には大きな穴があいたままで、きっといつの日かぼくの体内に残った寄生虫がぼくを蝕むのではないかという予感がする。
着陸した惑星の商店街を歩く。歩いている人々は人間に似ているが、宇宙人ばかりだ。花売り娘から花束を買う。ふと見ると、彼女の腕にも大きな穴があいている。
商店街に女友達と詩人のK氏が立っている。K氏は女友達に「本はどれくらい売れた?」と尋ねる。彼女は「これくらい」と両手で表現するが、彼女の腕にも大きな穴があいている。
9月17日の夢(中国兵の行進)
新幹線の中で先輩女性詩人のK・Rさんにばったり会った。ぼくが窓際、Kさんが通路側の席に並んで座る。「しかし、暑いですね」と、二人とも汗を拭きながら挨拶するが、なぜかKさんは遠くの席に移動してしまう。そこで、ふと気づく。この列車は乗り越した区間を引き返すために、一区間だけ乗ったのだった。次で降りなければと、慌てて両手に荷物を抱えこむ。
急いだので、スーツケースの一つの黄色い蓋が閉めてなかった。よく中身をこぼさずに降りられたと安堵するが、Kさんに降車の挨拶をし忘れたなと思う。降りた駅の中を中国兵が行進している。なんだかとても不安になる。一緒に降りた乗客たちも皆一様に不安な様子である。
9月16日の夢(取材で忘れ物)
名古屋へ三人のクルーで取材に出かける。行先は大きな楽器店だ。取材相手がなかなか外出から戻らず、やきもきする。
やっと相手が戻ったので、挨拶しようとするが、名刺がない。取材用の書類もない。ポケットから出てくるのは、役に立たないものばかりだ。おまけに冷や汗をびっしょりかいたので、濡れたカッターシャツの右肩が破れてしまった。これは致命的だと思った瞬間、上着を着てしまえば問題ないのだと気づく。
「名刺をあいにく切らしてしまって」と言いながら、ぼくは平然と相手に挨拶をする。
9月10日の夢(花束)
今日は会社が終わってから、長野の方で公演をしなくてはならない。同僚の中には別の街で公演する予定の人もいて、早々に出発していった。デスクで退社準備をしているが、さて何を持っていけばいいのか。とりあえず忘れてはいけないのは、何日も前から準備しておいた大きな花束だ。デスクの下から取り出してみると、赤や黄色の華やかな花々はまだまだ瑞々しい。この大きな花束を公演後に受け取る自分を考えると、とても誇らしい気がする。
9月15日の夢(バスタブ・トイレ)
海外へツアーに出かけ、帰国するため空港で集合するが、ぼくと女友達のチケットがない。慌ててポケットを探し回るが、知らない中年紳士の白いシャツの胸を、ぼくの体と間違えて触ってしまう。どうやら、ぼくらのチケットは予約されていなかったらしい。改めて発券してもらう。飛行機に乗る前に用を足そうと、ぼくは空港ビルの誰もいない部屋に入る。バスタブのように巨大な便器に放尿していると、誰もいないと思っていた床から、老紳士と医者がむっくりと起き上がったので、びっくりして逃げ出す。
2017年09月09日
9月9日の夢(トイレビル)
ぼくは広告制作プロダクションの社員である。しかし退職間近なので、明日までにプレゼンしなくてはいけない急な仕事には、もう参加させてもらえない。会議室の窓越しに若い社員たちだけで企画会議を開いているのが見える。
翌朝、徹夜した彼らは勇んでプレゼンに出かけたが、写真を持っていくのを忘れてしまったという。プレゼンは不発に終わり、彼らは大恥をかいて引き上げてきた。また会議を開いているが、ぼくはあいかわらず蚊帳の外だ。
ぼくのいる建物の隣にはホテルのように立派なビルがある。ここは以前は賓客を迎える迎賓館として使われていたのだが、今は外国人向けのトイレになっている。ビル中どこで放尿してもいいのだ。内部はとても汚いので、会議はその玄関口で行われている。外国人が「仕事は中でしないの?」と尋ねるが、「いや、中は老朽化してしまったので」と言って、ごまかす。
ぼくも中でトイレを使おうと思うが、どの部屋も外観はきれいなのに、内部は男女の尿が流れていて、足の踏み場さえない。とても無理だと判断して外に出る。外は雪の降り積もった砂漠だ。途中にY字型の三差路がある。ぼくは右側の道を選ぶ。さらに行くと川が流れている。堤防も何もない砂漠の川で、人々がじゃぶじゃぶと渡っていく。だが、ぼくは水の少ない場所を選び、ほとんど足をぬらさずに対岸に渡ることができた。
9月7日の夢(修学旅行)
列車で修学旅行に出かけた。同乗しているのは知らないおじさん、おばさんばかり。みんな仕事をリタイアするのだろう。楽しく話がはずみ、みんなと友達になった。着いた先でもテーブルを囲んでおしゃべりしていたが、話がまだ佳境のうちにバスに乗せられ、車内ではロシア芸術の話で盛り上がる。
帰りは名古屋駅から列車で帰ることになる。行きと違って、集合場所が知らされていないが、駅の入り口に何人かが自然に集まった。他校の修学旅行生が長い列を作っている。ぼくらの仲間もほかに集合場所があって、そこに集まっているのだろうか。
2017年09月06日
9月5日の夢(誰もいない家)
目が覚めると、そこはぼくの家ではない。四十年前隣人だった奥さんや、五十年以上前隣人だったセーラー服の女子高生たちがいて、とても賑やかである。ぼくの家はこの部屋と連絡通路でつながっているはずだ。慌ててぼくはその通路を通って、我が家へと向かう。だが、通路には誰の姿もなく、ぼくの家にも誰もいない。なんだか勝手が違う。トイレを開けると、便器の上に子供用の毛布とシーツがある。それを取り上げようとして、逆に便器の中に落として水に濡らしてしまった。失敗したなと後悔する。
2017年09月04日
9月3日の夢(女性アイドルの威嚇)
電車に乗っていると、同乗していた女性アイドルが突然、みんなを「駅に着いたら、すぐに反対ホームへ行きなさい。さもないと、壁に塗りこめたものを食べてもらうわよ」と威嚇する。終着駅に着くや、男たちは我先に電車の中を通り抜けて、乗車側のドアから反対ホームへ出ようとする。すると、さっとドアが閉まり、後尾からやってきた男性車掌が「そちら側から降りてはだめだと、こないだも言ったろう!」と、男たちを叱りつける。男たちはすごすごと降車側のホームに降りて歩いていく。すると、意外に近いところに、反対ホームへ渡る連絡階段があった。
8月31日の夢(メールが不通)
レストランで女友達と食事をすることになっている。席を確保し、さて彼女に連絡をとろうとするが、携帯のメールが通じない。それどころか、携帯の中のすべての情報が失われてしまっている。途方に暮れていると、ある人が「その人ならYou-Tubeに動画が出ていたよ」と教えてくれる。半信半疑でYou-Tubeにアクセスし、動画をスローで再生してみると、確かに数秒間だが街路を歩く彼女の姿が映し出されている。傍らにいた上司が「すぐこのこの場所に電話した方がいい。私はすぐ退くから」と言うが、ぼくは冷静に「いや、これは昔の画像です。彼女が今どこにいるかは分かりません」と答える。
2017年08月28日
8月28日の夢(泣いた保安官)
アメリカだろう。白人の年老いた泥棒が、やはり白人の老保安官に取り押さえられ、ぼこぼこにされて、「痛いよお…」と泣き出した。ところが反撃されて、今度は老保安官がぶちのめされ、「ひいーっ、痛い、痛い、痛いよお」と子供のように泣き出す。泥棒はそのすきに逃亡。そこへ丸眼鏡をかけた少年が登場して、「よしよし、痛かったんだね」と老保安官の体を撫でさすりながら、いたわりの声をかける。
(夢見者注)丸眼鏡の少年は昨日の夢で警察に電話をした少年と同一人物でした。ただしリアルの世界でのモデルは思い当たりません。
2017年08月27日
8月27日の夢(父親と工作)
昼に父と久しぶりに何かを一緒に作ろうと約束した。だが、父はそのままどこかへ散歩に行ってしまい、帰ってこない。
夕方になって、玄関で呼ぶ声がする。山田さんが父を呼びに来たのだ。約束の時間より随分早いなと思う。ぼくが座っているのは二つ並んだ、形の違う机のうち、左側の木の机だ。それは父の使う机である。ぼくは「今日は父の机の上が随分片付いているね」と言う。右の机に座った女友達が「そういえばそうね」と言う。父の机の上には機械のようなものが置いてある。その蓋を取ると、中では炭火が赤々と燃えている。
校庭に置いておいたぼくのカバンが見当たらない。校庭に置きっぱなしにするのは規則違反なので、きっと先生が片付けたのだろう。校庭の奥にあるバラックのような職員室に行く。外から覗くと、中では何人かの男の先生が居眠りしている。ぼくがガラス戸を開けると、先生たちは「うーん」とうなって。起き出してくる。けれど、そこにはぼくのカバンはなかった。職員室を出たところで、一人の男の子が警察に電話している。「大きな爆発音を聞きました」と男の子は警察に言う。そういえばぼくも音を聞いたな。けれど、警察は「それは電気だ」と返事したと、男の子は言う。「ぼくは電気だとは思わなかったけどな」。
地面ばかり見ながら歩いていると、地面が砂や石ではなく、いきなり陶片ばかりになった。驚いて目を上げると、すぐ目の前に川が流れていて、道は行き止まりだ。慌てて街の方にとぼくは引き返す。
8月26日の夢(壁の下の白紙)
街路のわきの壁の下に、白紙が何枚も落ちている。それを拾おうか、それとも家に帰って仕事しようか、迷う。拾うためには手袋を着けなければならない。迷いあぐねて、何度も手袋を脱いだり着けたりする。
2017年08月24日
8月24日の夢(再会)
原宿とも新宿ともつかない繁華街を女友達と歩いている。レストランで食事をしようとして、彼女はうっかりテーブルの上の商品をひっくり返してしまった。慌ててぼくたちはお店の外に逃げ出す。雑踏の中でふと振り返ると、彼女の姿がない。しまった。はぐれてしまったのだ。
携帯で彼女を呼び出そうとするが、携帯はばらばらに分解してしまう。なんとか電話番号を押すと、赤いランプが点くが、誰のものともしれない弱弱しい声が聞こえるばかりだ。彼女と連絡がつかないまま、ぼくは雨の街をさまよう。建物の形を見て、確かこのあたりのレストランで別れたはずと思うが、近づいてみると、そこは全く知らない街並みだった。
それからぼくと彼女は連絡がとれないままになる。ある日、合評会のメンバーの一人が「〇〇さんは原宿で亡くなったらしいね」と言う。彼女のことだ。だが、その瞬間ドアがあいて女友達が元気に入ってくる。そして、自作の詩の朗読を始める。一連が三行ずつで構成されている、今までの彼女とは全く違う新しいスタイルの作品である。彼女はたくましい詩人に生まれ変わっていた。
2017年08月23日
8月23日の夢(閉店するレストラン)
ぼくの友人(「あの頃ペニー・レインと」に出てくるクリーム誌のロック・ライター)の経営するレストランで、その友人と話している。この店は経営がふるわず、もうすぐ閉店するという。あまりに理想を追う経営をしすぎたのだ。彼といっしょに店を出ようとすると、入り口から通路にはみだした席でぼくの女友達が食事をしている。ぼくからお店の評判を聞いて、食べに来てくれたのだ。今ちょうど食べ終えたところだという。
2017年08月22日
8月22日の夢(スイーツなお酒)
ジンやウォッカなどのおいしいお酒をたくさん貰った。飲みたいと思うが、ぼくは心臓が悪いのであきらめる。
ふと見ると、白いシーツの上で小さな男の子が寝ている。そこにもそのお酒が届けられ、男の子は小さなハサミでお酒を切って食べている。お酒は四角や三角のぶよぶよした寒天のよう。たっぷりと甘い生クリームをつけて、ケーキにして男の子は食べる。ぼくも喜んでお相伴することにする。
2017年08月19日
8月19日の夢(会社を辞める日)
今日はいよいよ会社を辞める日だ。二階のオフィスでは若い社員たちが、ぼくの最後の仕事に一丸となって取り組んでくれている。でも、能力のないぼくは、彼らのお手伝いをするくらいで、ほとんど何の役にも立っていない。みんな忙しそうだ。今日は徹夜になるのだろうか。仕事が完成するのは多分明日の日曜日になるのだろう。ぼくは今日で会社を辞めるのだけれど、明日も出勤して、仕事の出来を確かめたいと思う。
そう思ったぼくは夜の10時に会社を出て、いったん帰宅。翌朝はいつも通りの時間に、休日出勤した。もうぼくは会社を辞めた身だから、仕事の確認だけしたら、10時に退社しようと思う。でも、朝から出勤しているのは、女子社員一人だけで、他の社員はまだ出社していない。そして、仕事はまだ全然完成していない。
ぼくは予定通り10時に会社を出る。しかし、自分の私物を取ってこなくてはいけないと思いなおし、いったん会社に戻る。だが、ドアを開けると、そこにはもう見慣れたオフィスはなかった。まるで住人の引き払った下宿のように、色あせた壁紙や床に黄色い埃が積もっているばかり。何もかも消えてしまっていた。ぼくは私物をまとめる。その間に、ぼくの紺色のスーツはすっかり黄色い埃にまみれてしまい、ぼくはぱんぱんと両手でそれを叩き落す。
最後までつきあってくれた友人ネモト氏と共に、ぼくはオフィスを後にする。ネモト氏は黙ったまま、笑みを絶やさずにぼくを導いていく。ぼくらは街の中に口をあけた地下鉄の駅に、吸い込まれるように入っていく。ホームへ向かうエレベーターは大混雑で、ネモト氏はそれに乗ってぼくの前から姿を消し、ぼくは取り残されてしまう。すると驚いたことに、エレベーターの前の空間そのものがエレベーターになって、移動し始めた。ぼくはどこへ連れて行かれるのだろう? 気づくと、窓の外に銀座の街並みが見えたので、ぼくはそこで降りることにする。
駅ビルに入るために、狭い通路を通り抜ける。そこは喫茶店で、テーブルに置かれたケーキをぼくは引っ掛け、床に落としてしまう。おまけに服の胸にケーキがべったり付いてしまった。そこへ喫茶店のナマズ髭のマスターが現れ、ぼくを激しく叱咤する。ぼくは平謝りに謝る。なんとか許してもらい、中庭のようなところを通って、別の大きなレストランに入る。地下らしく暗いが、クラシックな丸テーブルを囲んで、たくさんの男女がにぎやかに談笑している。カウンターの中のマスターはさっきの男より恰幅がよく、温和な感じだが、やっぱりナマズ髭を生やしている。ぼくはオムレツを注文する。マスターは中華鍋に鉛筆書きのメモ用紙を何枚か敷き詰め、その上でオムレツを焼く。そして大きなオムレツの半分をちぎって、客席に男たちに囲まれて座っている女店員に投げる。彼女は男たちと談笑しながら、オムレツの半分を折り紙のように折っていく。
2017年08月18日
8月18日の夢(地上への踏み段)
東京タワーのように高い鉄塔のてっぺんから地上まで、一段の高さが人の身長くらいある踏み段が空中に作られている。踏み段はそれぞれ戸板ぐらいの大きさで、踏み段と踏み段との間には何もない。ぼくたちは小学校の生徒で、一人ずつそれぞれ担当の踏み段を組み立てている。ぼくは最上級生なので、一番上の踏み段の担当だ。そこからぼくがまず最初に地上へ降りることにする。踏み段に両手でぶらさがって、下にある次の踏み段に飛び降りる。そういう動作を繰り返して、どんどん地上に向かって降りていくが、下の方にはまだ未完成の踏み段もある。ちょうどぼくの飛び降りるところに邪魔なものが置いてあって、つるりと足がすべってしまう。「うわーっ」と叫びながら五段ぐらい墜落するが、なんとか別の踏み段につかまり、地上ぎりぎりのところで体勢を立て直すことができた。
8月17日の夢(選挙運動)
小さな町で、たくさんの人が立候補して、選挙運動が行われている。ぼくも立候補した一人だ。もう一人の女性候補者といっしょに、河原で人々を前に選挙演説をしている。候補者が多いので、どんなスローガンを掲げるかが難しい。ぼくは「新しい未来へ向かって」というスローガンを叫ぶ。
2017年08月11日
8月10日の夢(社内劇団)
ぼくは社内劇団の主宰者である。今日はS社二階の講堂を借りてリハーサルをすることになっている。立派な会場でリハができることで、ぼくは誇らしい気持ちだ。ひとり勇躍して、ぼくはエレベーターで二階に着く。
しかし、そこにはS社の社員たちが大勢いた。なにやら行進をしたりして、社内行事の真っ最中だ。おかしいな。ぼくは会場予約を忘れたのだろうか。楽屋のドアを開け、ぼくは中にいた中年男性に問いかけるが、彼は床に座り込んだまま要領を得ない。やがて隣のドアを開けて、個性的な顔の男性が顔を出した。ぼくは改めて彼に話しかけるが、彼はぼくになれなれしく「ほら、ぼくですよ。また忘れちゃったんですか」と笑顔で話しかける。ぼくは彼に見覚えがないが、ぼくと前にも会ったことがあると言いたいらしい。そこへどやどやと劇団のメンバーが談笑しながら階段を登ってきた。彼らの士気をくじきたくない。この会場が押さえられていないと知ったら、ぼくの顔は丸つぶれだ。本当に会場は予約されていないのだろうか。
2017年08月09日
8月9日の夢(弁当一つ)
ぼくは会社ではいろいろ企画書を出すのだが、部内では全く評価されず、それらが採用されることがなかった。そんな社内に、改善提案の企画を審査・採用する部署があると聞き、行ってみることにした。
一階の階段下の吹きさらしのフロアにその部署はあり、オレンジ色のヘルメットをかぶった職員たちはなんだか暇そうに、床に腹ばいで寝転がっている。ぼくが起死回生の思いで提出した企画書を、彼らは意外にも集中して読み始めた。初めてぼくの企画が注目されたのだと、ぼくは嬉しくなる。だが、ふとぼくが注意を外しているうちに、彼らの姿は見えなくなってしまう。壁越しに彼らの声が聞こえてくるのに。ぼくの後でここを訪ねてきた別の社員もあちこち探すが、やはり彼らはどこにもいない。
しかたなく、ぼくは社員食堂へ行く。そこにはさまざまな料理が皿に入れて並んでおり、どれもおいしそうだ。だが、ここではみんな「お弁当」をオーダーするのが不文律らしい。ぼくはカウンターに行き、小さな声で「お弁当一つ」と注文する。係りの男性社員が「これでよろしければ一つだけありますよ」と、折り詰め弁当を手渡してくれる。コロッケ等が入った普通の幕の内弁当だ。
オフィスへ戻ろうと階段を降りていくと、途中に大きな白い紙が落ちている。拾おうとするのだが、あまりに大きすぎて手に取ることができない。
2017年08月05日
8月5日の夢(ジャイアンとほうれんそう)
バスに乗る。かたわらにジャイアンがいる。だが、走り出してから、ぼくは失敗に気づく。ぼくの会社は今日からバスの行先とは反対の地域に移転したのだ。慌ててジャイアンに別れを告げ、ぼくは次のバス停で反対行きのバスに乗り換える。
会社に行くと、社員たちにまじってアングラ劇団の人たちが芝居をしている。みんな同じような恰好をしているので、誰が社員で誰が俳優だか区別がつかず、混乱した芝居だ。
ぼくは一人でオフィスに戻る。オフィスは広大で、テーブルには所狭しとパーティー会場のように、料理が置いてある。何人か社員がいるが、不思議に誰も料理に手をつけない。
プレゼンをしなくてはいけないので、プレゼンルームに行く。ぼくの前に三人の社員が膝をついて座り、プレゼンの順番を待っている。ぼくの前に座った社員が「月に1000~2000時間も残業しているのに、なんだかねえ」と愚痴を言う。ぼくはあいまいに相槌を打つ。
会社を出ると、そこは原宿の裏町だ。まだ同潤会アパートがあり、緑も豊かである。帰宅するため、またバスに乗る。ぼくは箱のようなファイルを持っていて、中には食べ残したほうれん草がいっぱい入っている。それを見て、乗客たちが口々にぼくを非難するが、ぼくには言い返す言葉がない。
8月2日の夢(ジョーク大会)
マンションの自室に入ろうとすると、廊下の向こうの部屋で幼い姉弟が会話している。姉が弟に「トイレ」と言うと、弟もおうむ返しに「トイレ」と答える。姉は「大きな大会に出るときにはね。答えに段差をつけるといいのよ。たとえばトイレ、と言われたら、入れ! と答えるのよ」。
8月1日の夢(東京駅)
久しぶりに地方から東京駅に帰ってきた。新幹線のホームには前と後ろにエスカレーターがある。乗客たちの最後でわいわい騒いでいるのは、幼稚園の子供たちだ。ぼくは彼らに遅れないよう、前方のエスカレーターを急いで駆け上がる。
改札を出て、窓口の駅員に「これ、返します」と言って、書類を何枚か渡す。幼稚園の子供たちの団体乗車についての書類だ。その書類の一枚を見て、駅員は「こういう書類は書かないほうがいいですよ」と、ぼくに注意する。それは幼稚園で書くように言われた証明書である。ぼくは「郵便局の方で書いてくださればいいのですが」と、いつのまにか郵便局に変わってしまった駅の窓口で、局員に言う。
2017年07月28日
7月28日の夢(城の中の会社)
ぼくの会社はヨーロッパ中世の城の中にある。ぼくは二組の顧客の父子に、謝礼のための贈り物を梱包しているところだ。送るのは中古の文庫本数冊とオムライス。一個目の荷物はうまく梱包できたが、二個目は何度やってもオムライスがばらばらになって、うまくいかない。しかしそろそろ朝礼の時間だ。遅れると、城の衛兵に石門を閉められてしまうので、梱包をあきらめ、走ってオフィスへ戻る。
仕事をしていると、同僚が会社の外で打ち合わせをしようという。出版部から最近異動してきた男性社員を含め、男女数人で出かけることにする。その前に、先ほど梱包をしていた倉庫のような食堂でランチを食べることになる。床にぎっしり置かれた荷物の間に、定食がいくつかある。見た目は二個の握りずしだが、食べてみると意外に量があり、しかもおいしい。皆が食べ終わって、出発しようとするところで、ぼくはおかずを食べるのを忘れていたことに気づく。冷や麦のサラダの中に茹でたエビが入っている。これを食べたらトイレにも行きたいと思う。
2017年07月14日
7月14日の夢(授業と発表会)
先生の授業を受けに行く。教室は石造りの砂漠の遺跡のようで、天井がない。広いスペースはなんとなく前と後ろに分かれているようだ。ぎっしりと受講者が椅子に座っており、ぼくは最後部に近い席にいる。思いがけず先生はぼくを指名して、今日の授業のための発表をするよう、ぼくに促す。不意をつかれたぼくは驚いて起立する。何の準備もしていない。だが、それらしい発表をしようとして、口を開こうとした途端……
轟音が響いて、外の道路に敵の軍勢が押し寄せてきた。軍勢といっても近代的な軍隊ではなく、中世の騎士団である。田舎の郷士の集団という感じで、およそ洗練されていない。逃げようとぼくは裏の小屋に隠れる。そこへ敵が押し寄せてきて、絶対絶命と思ったところへ、また轟音が響いた。見ると、外のY字路のもう一方の道路に、別の同じような軍勢がやってきたのだ。うりふたつに見えるが、彼らはぼくらの味方らしい。
乱戦になった間に、ぼくは地下道に飛び込み、さまざまな障害物を乗り越えて逃げる。ようやく自分の会社にたどりついた。とりあえずお腹が減ったので、外に買い物に行く。広い巨大な階段全体が店舗になっている。だが、カーテンの向こうの店内ではスーツを着た男性店員たちが、「まだ商品が準備できておらず、開店できません」と、どこかに電話をかけている。見ると、店内にはたくさんの紙の束が積み重ねられていて、そのどれもに大きく数字が書かれている。この店では買えないと判断して、ぼくは階段を降りて、会社に戻る。
会社では青山タワーホール(昔青山一丁目にあった音楽ホール)を借りて、発表会が行われている。そんなもの面白いとは思わないので、ぼくは後ろの方で舞台に背を向けてぼんやりしている。すると突然、美しいギターのフレーズが聞こえてきた。ぼくは驚いて、前の方に行き、舞台を眺めようとする。しかし、舞台の上はまるで納屋の中のように雑然としている。
2017年07月05日
7月4日の夢(重役の息子)
Y社の重役に呼び出され、浜松に出張した。新幹線のホームで重役と会い、挨拶するが、どうも様子がおかしい。彼はぼくを呼び出したことを記憶していないようだ。打ち合わせをするでもなく、ぼくをホームへ連れて行き、自分の部屋に置き去りにしてしまった。
部屋には彼の息子がいて、机に向かって一心に勉強をしている。打ち合わせの予定がないのなら、さっさと東京へ戻りたいと思う。とりあえずトイレに行きたい。ドアから出ようとすると、重役のもう一人の息子が入り口に机を置いて勉強していて、それが邪魔になる。どうもさっきとは違うドアを開けてしまったようだ。なんとかすり抜けるようにして、外へ出ると、そこは押し入れの中。暗闇の向こうに、人の行きかうホテルの廊下が見える。だが、見つかると、怪しいやつと思われるかもしれないので、人通りが絶えるのを待って、廊下に出る。賑やかな商店が軒を連ねているが。そのフロアにはトイレは見当たらない。
2017年06月27日
6月27日の夢(一階は国会)
久しぶりに会社に出社した。同じビルの一階で国会が開かれているので、行ってみる。ドアを開けると、そこは体育館のような空間で、見上げるような観客席の高さに、演壇と議員たちの席がある。ちょうど与党側の議員が演壇で野党議員を侮辱する発言をしたところだ。与党席が大喝采している。議員たちの席を支える柱が右手にあり、そのかたわらの卓に、きれいに畳まれた議員たちの背広の上着が積まれている。皆上等そうな服だ。ぼくはそこを通ろうとしてうっかり背広の一つを床に落としてしまう。慌てて拾おうとして、さらに沢山の背広を落としてしまい、収拾がつかくななって逃げるように国会を出る。
二階のオフィスに戻る。ぼくのデスクは会議室によくある長いテーブルで、それが部屋の一番奥の壁際に移動させられている。薄暗くて書類を読むのも大変そうだが、まあ読めないこともなさそうだ。玄関のポストを見に行く。ポストは桜の木の二股に分かれたところで、そこに沢山の郵便物が配達されている。なぜかぼく宛の詩集や詩誌、投稿原稿などが雨ざらしになっている。会社ではひどい扱いをされているが、こんなぼくを信頼して、みんな送ってくれているのだと思い、胸が熱くなる。
2017年06月21日
6月21日の夢(入り口の小部屋)
会社のオフィスの入り口に、要人の私邸の警備小屋のような、小さなボックスがある。ぼくはその中に、アルミの枠でできた洋服ダンスの骨組みみたいなものを懸命に押し込めようとするが、どうしても僅かに入りきらない。テレビのヴァラエティ番組で、お家ごっこをしてここに人を招き、その人に「狭いじゃないか!」と言わせて、笑いをとろうとしているのだ。奥行きが足らずにはみ出したものの、間口はうまく収まったので、ぼくはその出来栄えに満足し、オフィスの中に戻る。オフィスの中のぼくの歩く通路と、みんなのいるスペースとの間は、天井近くまである衝立によって遮られている。
2017年06月20日
6月19日の夢(もう一つの鎌倉駅)
鎌倉駅から電車に乗って、帰ろうとしている。ホームで電車を待つが、なかなか乗るはずの電車が来ない。ふと見ると、ホームの先にもう一つのホームがあり、そこにぼくの乗りたい電車が来るようだ。そちらへ移動しようとすると、ホームの先端にデーモン小暮閣下が人形のように座っている。通り道なので、しかたなく閣下の頭を踏んで通る。
電車に乗ると、車内では閣下の作った実験映画が映写されている。汚い壁に取り付けられた壊れかけた金属の箱の中から、液体がちょろちょろと流れ出す映像だ。ぼくにはそれがおしっこのように見えたので、「なんだか淫靡だね」と呟く。ぼくの発言に乗客たちが笑う。ぼくはベンチ式のシートに腰を下ろす。この電車は新幹線のはずなのに、車内はぼろぼろで、がらがらである。
6月15日の夢(コートを探し出す)
高級な服を買い、電車に乗って帰るが、どこかにコートだけを忘れてきた。再び戻り、駅や近くの民家を探すが、見つからない。だが、一軒の貧しそうな家に立派な木製の洋服ダンスがあり、そこに自分のコートがかかっているのを発見。ほっとして、これは自分のものなのだからと、勝手に着て帰る。
2017年06月10日
6月10日の夢(文字の裏側)
人の名前を書いて、その文字をどんどん封筒に詰めていく。しかし、文字はまだ濡れているので、封筒が水浸しにならないよう、後ろ向きに入れなくてはならない。後ろ側からは何が書いてあるか、判別することができない。それでも沢山文字を書いていくうち、それが誰の名前であるか、裏側からも分かるようになった。
2017年06月09日
6月9日の夢(金子光晴先生の授業)
今日はずっとさぼっていた金子光晴先生の授業に久しぶりに出ようと思う。遅刻だが、急いで駆けつけると、教室の入り口に外国人の男たちが何人も立ちふさがっている。彼らに肩車するようにして乗り越え、教室の中に飛び降りる。
その瞬間、悲鳴が上がる。かつての同僚Iくんの上に着地してしまったのだ。慌てて跳ね起きると、ポケットから転がりだしたケータイが床で二つに折れ、分解してしまっている。せっかく直したばかりのケータイなのに。
教室の真ん中に机が四角形に集められていて、その周辺に生徒たちが集まり、彼らの中心に金子先生が座っている。ぼくはきょろきょろして空席を探すが、既に立ったり、床に膝をついて座っている生徒さえいる。ぼくはあきらめて床に座り、講義を受けることにする。
金子先生はとても不機嫌そうで、何人かが提出したレポートに無言で赤字の採点をしている。ぼくにはちんぷんかんぷんの内に、授業は終わってしまう。
教室から出ようとして、ぼくは自分がパンツ一丁しかはいていないことに気づく。さっき飛び降りて転倒したときに、ズボンが脱げてしまったのだ。慌ててズボンをはいていると、隣でもズボンをはいているやつがいて、友達に「こんなところではくやつがあるか」と言われている。
ぼくは急いでケータイを直してもらおうと、ドコモの店に急ぐ。外は緑が豊かな市街地。でも、どこに店があったのか覚えていない。
2017年05月29日
5月29日の夢(空港待合所)
グループで海外へ行き、誰かの家で実験のようなことをした。その仕事がうまくはかどり、例によって玄関で持ち物が行方不明になったりしたが、なんとか見つかり、いよいよ帰国することになる。
空港へ行き、日本への出発までを待合室で過ごすことにする。待合室は金網を張り巡らせた学校のグラウンドのように広大な場所。なんだか収容所のようにも見える。そこへ入るまでは、仲間の女性の後ろ姿が見えていたのだが、右にカーブして金網の中に入ったとたん、そこにはいくら探しても仲間の姿がない。
トイレに行きたくなり、待合所につながる建物の中に入る。それは校舎のような細長い建物だが、中はモダンでおしゃれな空間。女性専用のホテルになっているらしく、女性たちでいっぱいだが、男性の姿はない。当然ながら男子トイレもない。
何度もトイレを探し回ったあげく、もう一度待合所に戻ると、金網越しに女友達の姿が見えた。二人ともほっとして、無言のまま眼差しを交わし合う。
2017年05月26日
5月25日の夢(バス停)
バス停へ行こうとする。バス停はこの古いビルの立ち並ぶ一角の向こう側だ。それならビルの中を通り抜ければ近道になるはずだ。
ビルの中に入ると、小さな縦型の穴がある。通り抜けられるだろうか? 体を無理やり押し込むが、通り抜けられない。ぼくの後から若い男が来て、やはり通り抜けようとするが、彼も無理だ。
あきらめて別の穴に潜り込む。しかし、やはり体がつかえて、どうしても抜けられない。
2017年05月16日
5月16日の夢(四国の小学生の夢)
ぼくは四国の雨が多い、高温多湿の海辺の町に引っ越してきた小学生だ。机は二人掛けで、隣に座っているのは級長の渡辺さん(ぼくの詩に出てくる登場人物)だ。授業時間中だが、クラスの男の子が問題を起こしたため、若い男性担任教諭はPTAのお母さんたちとの対応にかかりきりで、ずっと自習が続いている。
ぼくはこっそり教室を抜け出し、学校の外に出る。目指すのは、これから学校へ来てくれる予定のО氏(かつての「詩学」編集長)のお屋敷だ。暗くて湿ったジャングルを思わせる緑の中にたたずむО氏邸は門が固く閉ざされている。ぼくはその門の前の石畳に、泥棒除けの金属片をいくつも差し込む。しかし、これでは通行する人たちに危険だと思い直し、それらをまた引き抜く。そうしているうちにО氏が外出しようとする気配がしたので、慌てて学校に戻ることにする。
さっきはそんなことはなかったのに、途中の歩道を川のように水が流れているのを渡って、教室へ戻ると、隣の渡辺さんがいない。教卓のかたわらに台があり、そこには赤、緑、黄、青など色とりどりの蕎麦が笊に入れて置いてある。ぼくは空腹感を覚え、ちょうど戻ってきた渡辺さんに「これは人数分あるのだろうか?」と尋ねるが、彼女は「わからない」と言う。先生のいない教卓にはこの学校を紹介するパンフレットがある。町の写真も紹介されているが、観光スポット以外の住宅地は白くボカされている。個人情報だからだろうか。違和感を覚える。先生はまだ戻らない。
2017年05月05日
5月5日の夢(野茂投手が後輩の夢)
丘の坂道を会社に向かって通勤中。周りには同じ会社に勤める同僚たちがぞろぞろと歩いている。ぼくの後ろを歩く先輩の女性社員が後輩に何か声をかけている。しかし、後輩は無言で、返事をしない。
振り返ってみると、後輩の男性社員は野茂投手だ。しかし、野茂もほかの男性社員も先輩の問いかけを無視したまま、横道に逸れて見えなくなる。先輩は「今の若い人達はいつも答えてくれないのよね」と愚痴を言う。ぼくは「先輩は野茂投手よりも年が上だったんですね」と問いかける。しかし、先輩ははぐらかして、ぼくを「もう7時よ!」と𠮟りつける。気がつくと、7時にかけた目覚ましが鳴り響いていた。
2017年05月04日
5月4日の夢(どこへも行けない地下鉄)
東京だが、ぼくの知らないイベント会場に来ている。緑もあるが、コンクリートに囲まれている。でもその切れ目から僅かに海が見える。
帰宅しようとして、なにげなく手近な地下鉄の階段を下りる。路線図を見上げる。どの駅名もぼくの知らないものばかり。しかも、この路線は他のどの路線とも接続していない。これでは帰宅することができない。しばらく呆然としていたが、たまにはこういう地下鉄に乗ってみるのもいいのではないかという気になった。
2017年05月03日
5月3日の夢(三島由紀夫のロボットの夢)
三島由紀夫のロボットができ、それが路傍で何かの説明をしている。それに耳を傾けていると、中国人の一団がガイドと共にやってきて、一緒に聞き始める。
今日は「日本の詩祭」で、ぼくは担当者として会場にいる。会場は古い洋館の内部のようなところで、白い壁には全く窓がない。椅子はなく、参加者たちは床に座っている。あちこちに布団も敷かれていて、そこに寝ている人もいる。会場から受付までの通路をぼくは歩いていく。ぽつぽつと実行委員が立っているが、もうあまりお客はやってこないようだ。
5月1日の夢(本屋の夢)
本屋で小さな雑誌を買ったが、お金を払うのを忘れて出てきてしまった。遠くまで歩いてから、しまったと思い、お金を払いに戻ろうとする。けれど、一回くらいいいんじゃないか。それに、レジの人ももうぼくのことを覚えていないだろうと考えなおし、そのまま歩き続ける。
2017年04月28日
4月28日の夢(大きな火と激しい水の夢)
ぼくは広大な敷地に沢山の居住棟が建ち並ぶマンションで家族と暮らしている。家族の構成は分からないが、家長はぼくで、父親がいっしょにいる。
外を見ると、火事が起きている。それも敷地内のあらゆる建物の、窓という窓から炎が噴き出す大火である。だが、ぼくらの住む棟にはまだ延焼しておらず、避難も始まっていない。けれど、ぼくと父とはすぐに危険を察知し、直ちに脱出を決意する。火事を知らせにきた住民には何も言わないまま、ぼくは家族に「出発!」と宣言する。そして、ありあわせの二種類のお菓子を詰め込めるだけポケットに詰め込む。
脱出してマンションの敷地と外を隔てる小川の対岸を歩いているとき、ぼくと父は家に忘れ物をしてきたことに気づく。川を渡って、取りに戻ろうとしたとき、住民が「鉄砲水だ!」と叫ぶ。見ると、小川は増水してごうごうと流れ、マンションの敷地も冠水して、すべての水がぼくらの進路と同じ左から右へと流れている。とはいえ、川はもともと人の身長ほどの幅しかなく、たいした洪水ではない。父親がまず川をうまく飛び越える。ぼくも続くが、勇気がなかったためか、ぼくのジャンプは対岸まで届かず、激しい水の中に落ちてしまう。濁流に倒れ掛かるが、ぼくはなんとか体勢を立て直して、向こう岸に這い上がる。もう炎は見えない。ぼくと父は水の中を家に戻ろうとする。
2017年04月24日
4月24日の夢(喫茶店で研究会)
詩と思想研究会を今日は店主たちのいるスペースを囲んでカウンター席のある喫茶店で開くことになった。一人だけ若い男性メンバーが遅れてくるという。ぼくが「来るまで待とう」と言うと、メンバーたちも店主たちも不機嫌そうに沈黙してしまう。あまりの間の悪さに、ぼくが「どうせ遅れてくるのだから、先に始めよう。まずオーダーしよう。ぼくはコーヒー」と言うと、皆とたんに活気づき、笑顔になる。
女性に抱かれた赤ちゃんがふざけてうるさい。ぼくは振り向いて、赤ちゃんの頬をやさしく叩き、「そんなことしてると、こうするよ」と言うが、赤ちゃんは騒ぐのをやめない。ぼくは「それなら抓るよ」と言い、今度は力を入れて頬を抓る。だが赤ちゃんは泣くこともなく、平気な顔でぼくを見て、「うん。じゃあ、もうしないよ」と、ませた口をきく。
2017年04月21日
4月21日の夢(ガスコンロ)
ぼくの家は一戸建てだが、奥へと長く続くワンルームである。そしてワンルームの真ん中を長い一個のテーブルが奥まで伸びている。その一番奥のテーブルに散らかっている書類を整理してびっくり。書類の下はガスコンロで、ぼうぼうと炎が勢いよく上がっていたからだ。昨日、点火したまま、ずっと忘れていたらしい。書類を退けたときに、手を少し火傷してしまった。
ぼくの家の裏には未舗装で砂利敷きの広い直線道路が伸びている。その通りを少し行ったところに、一軒の店があり、いろいろな詩人が手作りカードなどを置いて販売している。ぼくは一枚のカードを見つけ、それを誰かに奪われないよう手に持ったまま、ほかにも何か欲しいものがないか探す。今は西部の開拓時代で、ここは東海岸。地理的にはニューヨークのすぐ裏に当たるので、詩人たちがよくやってくるのだと思う。
2017年04月19日
4月19日の夢(映画館)
男は旅するセールスマンである。町から街へと旅しながら、さまざまなものを売り歩くのが商売だ。今日もセールスに出かけようとして、偶然熱した鉄板の上に水を零してしまった。水は鉄板の上で大きなあぶくになり、じゅうじゅうと沸騰する。男は思いついて、その上に肉片を置いてみた。おいしくステーキを焼くことができた。男はこうしてバーベキューの鉄板を発明し、それを西部の町に売り歩いて、大成功を収めた。
というセピア色に褪せたモノクロの映画をぼくは映画館で観ている。席は最後列に近い、右奥である。当然画面は斜めにしか見えず、見づらいのだが、このあたりから映画を見るのも悪くないなと思う。
4月17日の夢(腫物)
体に腫物がいっぱいできた。いつものように女祈祷師に予約して治してもらおうとするが断られた。ぼくは不治の病にかかったのだ。指で腫物を押すと、ぶちっとつぶれて汚い汁が出た。
2017年04月12日
4月12日の夢(組み立てキット)
職場に何かの組み立てキットが30cm四方ぐらいの箱に入れて送られてきた。道端で梱包を解いて、中身を取り出す。いろいろなパーツが沢山出てくる。どうやってこんな小さな箱に入っていたのかと思うくらいだ。男性社員がやってきたので、組み立てを手伝ってくれるのかと思ったら、交差点の左側にある3階建ての建物によじ登り始めた。そいつはキングコングだった。ぼくは「ややっ、あれは何だ?!」と叫ぶが、よくよく見直すと、ただの人間である。交差点の右側のビルにも別の男が登っていく。
その間に箱から出てきたのは、デスク2つ分の部品である。そこへ新任の女性管理職がやってきて、てきぱきと命令を下し始めた。オフィスは畳敷きでそこに2列にデスクが並んでいる。左の列の一番奥に既に組み立てられた文机が置かれ、書類もセットされている。「これがあなたのデスクですか?」と尋ねると、「それは〇〇のです」と別の社員の名前を言う。「私の席はあそこよ」と彼女が指さしたのは、入り口のすぐ左側のちょっと奥まった場所。「そこでいいんですか? ここからだとオフィスの全体が見渡せませんよ」とぼくは言う。でも、そこが床の間のように畳一つ分床から高くなっていることに気づき、「やっぱりここが一番の上席かもしれませんね」と付け加える。
2017年04月11日
4月11日の夢(銀座大停電)
銀座に新しい社屋ができて、ぼくはその二階で仕事をしている。若い男女の社員がデスクを連ねていて、ぼくは左奥から二つ目の席だ。6時が終業時間だが、誰も退社する者はいない。みんな忙しいのだろう。ぼくは6時40分に一人タイムレコーダーを押す。そこには長方形の小さな鍋が火にかけてあり、中で水炊きがぐつぐつ煮えているので、蓋を取る。外から帰ってきた女性社員がぼくを見て、「あっ、店長。私もどうしようかな」と笑いながら言う。ぼくが水炊きを食べたと思ったらしい。ぼくはそれには答えず、そのまま退社する。しかし、今「店長」と呼ばれたということは、ぼくは知らないうちにここで一番偉い地位に出世していたのだ。それも部長というような人事管理のポストでなく、実務のトップであることが嬉しい。
外へ出ると、なんだか銀座の様子がおかしい。ビルと路面を結ぶエスカレーターは三本あるが、動いているのは上りの一本だけだ。ぼくは一番左のエスカレーターを歩いて降りる。それはまるで巨大な石段のように見える。銀座の交差点は暗く、信号さえ消えている。だが、昭和を思わせる電灯の明かりだけはついていて、戦後の夜のような雰囲気だ。大停電が起きているのだろうか。ぼくはまだ社内にいる社員たちにそれを知らせるべきか迷うが、そのまま帰路につく。照明が消えているので、いつもの地下鉄の入り口は見つからず、べつの入り口から階段を下りる。地下道はもっと暗いのかもしれない。はたして地下鉄は動いているのだろうか。人々は既にパニック状態におちいっている。
2017年04月10日
4月10日の夢(性的少数者)
小さなホールのような会議室でクライアントにプレゼンをしている。簡単にOKがとれると思っていたのに、立派なスーツを着たクライアントはぼくの仕事に満足しない。もっとちゃんとした仕事をしろと、どなられてしまう。しかたなく徹夜で作業をする。
トイレに行きたくなった。オフィスの外れに飛行機の乗降口のようなスペースがあり、両側に男が一人ずつ座っている。彼らの間に立って、ぼくは外に向かって放尿する。そのしぶきが左側の一人に、シャワーのようにかかってしまう。放尿を終わったぼくを、その男が追いかけてくる。彼は性的少数者で、ぼくが好きだと叫ぶ。ぼくは広くて近代的なオフィスを逃げ回りながら、「出ていけ」と彼に向って叫ぶ。同僚たちはなすすべもなく、ぼくらをあきれ顔で見ている。
2017年04月09日
4月9日の夢(ディックの本をください)
本屋にフィリップ・K・ディックの本を探しに行く。本屋には本棚はなく、木の壁と木の床に小さな円形のテーブルが並び、それぞれのテーブルごとに2脚の椅子が置かれているだけだ。たくさんの客が本を求めに詰めかけていて、店員が総出で対応しているが、待ち時間が長い。ぼくの前のテーブル席が空いたので、ぼくは席を詰めようと自分の席から立ちあがる。だが、初老の夫婦がさっと空席を埋めてしまったので、急いで元の席に戻る。周りにはたくさんの客が立っており、よく席を横取りされなかったものだと、ほっとする。
だが、一向に店員がやってこない。しかたなくぼくは席を立って、奥のカウンターに行き、そこで立って待つことにする。ようやく若い女性店員が来てくれた。「ディックのこの本が欲しいんです」とある書名を挙げるが、女店員はぼくに同情のこもった目を向けるばかりで、何も答えない。心配になって「もう品切れなんでしょうか」とぼくが言うと、ようやく「そうですね……」と答えたものの、本を探そうともしない。
2017年04月07日
4月7日の夢(高原の駅)
今日は高原で会合がある日だ。高原列車に乗って、会場に近い緑豊かな駅に向かう。いつもは右から来る列車に乗り、ある駅で線路をまたいだ反対側の列車に乗り換えて、目的の駅に着く。だが、今日はみんなとは反対に左から来る電車に乗って、目的地へ向かう。いつもの乗換駅に着いた。反対から来たのだから、このまま乗り続ければよいのではないか。だが、やはり不安になり、ぼくは線路を超えて、反対側の列車に乗り換える。窓外の景色を眺めると、やはり乗り換えて正解だったようだ。
2017年04月02日
4月2日の夢(病院にて)
病院から帰ろうとすると、院長が「一週間ほどここにいなさい」と言う。ぼくのほか十数名が居残りを指示される。その中に女友達がいるので、少しうれしい。しかし、しばらくすると彼女の姿は見えなくなる。どうやら帰宅していいグループだったらしい。
病院の中の公園のような場所にいると、黒人の男がやってきて、ぼくを探していたと言う。オリンピックのために、ぼくのような人材を探していたのだという。訓練さえすれば、ぼくは世界的な調律師になれるらしい。
3月31日の夢(教室で夢を語る)
教室と廊下を仕切る白いカーテンが風に揺れ、その隙間から廊下が見えている。ぼくはそれが気になって、カーテンをしっかり閉める。中では先生が生徒にひとしきり話をした後、生徒が先生に今日見た夢の話をする授業が始まる。
ぼくは先生にこんなふうに夢の話をする。最初、ぼくは子供で、ある人の名前のついた行き先のバスに乗っていました。外は梅雨時の空のようなうす曇りで、でも雨は降っていません。風景は戦後の頃のようなのどかな田園風景。崖がむきだしになっている場所もありました。やがてバスはUターンをします。そして今度はまた別の人の名前を行き先にしたバスになります。乗っているのは、今度は大人になったぼくです。
その話を先生にしているうちに、先生の姿はだんだん曖昧になり、ガラリとドアを開けて、本当の先生が現れた。先生は懸命に夢の話をし続けるぼくの様子にただならぬものを感じたらしく、入り口にじっと立ち止まったまま、ぼくの話に耳を傾ける。
2017年03月28日
3月27日の夢(座れない椅子)
何かのイベントに出かける。ホールは一階が大ホールで地下が小ホール。横長のトンネルのように、両ホールの入り口が見えている。ぼくはまず大ホールを覗き、それから小ホールの入り口まで行く。すると、後ろからついてきた男性スタッフが椅子を並べだした。横一列に5~6脚の椅子が並ぶが、ぼくに指定された椅子だけがぺちゃんこで高さがなく、とても座りにくい。
ホールの中から旧知のピアニスト仲道郁代さんがドレス姿で出てくる。ぼくは彼女を呼び止め、「仲道さん、関係ないけど、『ピアノの本』の一色です」と挨拶する。彼女は足を止めて、「あら。関係ないけど、せっかく会えたのだから、握手をしましょう」と言って、ぼくに握手をする。
その場を離れて歩いていくと、一人の女が携帯に向かって「財布に今三万五千円あるの」と大声で話している。ぼくは聞いてはいけないものを聞いたような気がして、慌てて女から遠ざかる。
グループで車に乗り、花見に行く。美しい街路は両側に桜が咲いているらしいが、よく分からない。ただ、正面の突き当りには朱塗りの立派な寺院がある。みんな、「東京にもまだこんなお花見のできる道があるんだ!」と興奮する。そこで運転手は車をUターンさせる。すると、周囲は見慣れた景色に戻る。「なあんだ、ここは代々木だったのか」。
3月26日の夢(ホールで釣り)
通りかかったコンクリート造りの立派なホールの舞台で二人の女性が釣竿を振っている。一人はベテランらしく、竿を振るごとに高級魚がかかり、高い値段でその魚が売れていく。もう一人の少女は新人らしい。パソコン画面に個人カードを掲げて頑張っている。
またそこを通りかかると、新人少女はまだその場所にいた。だが、パソコン画面に個人カードはない。ちゃんと頑張っているのだろうか。心配になる。
2017年03月24日
3月24日の夢(電車事故)
ぼくは電車会社の社員で、研修会に出席している。参加者がどんどん詰めかけ、ぼくは長円形の会議テーブルからはじきだされんばかりだ。
支店に所属する電車が事故を起こしたという知らせが入り、ぼくは救援に駆けつける。負傷した社員たちが床に寝かされている。外のレールの上には一両編成の電車が前部の壊れたまま放置されている。ぼくは支店の書類を無事なものと、破損してしまったものにより分けて、積み上げる。通りかかった男性が壊れた支店を眺めて、「これは風で壊れたのですか」と尋ねる。ぼくは「違います。事故に遭ったんです。電車はそこにいます」と指さす。社長がやってきて、黙って一枚の手書きの紙を置く。それは事故のおわびに、社員に一か月分のボーナスを支給するという計算書だ。それを見ているうち、ぼくの目から涙があふれ、ぼくは激しく嗚咽する。
2017年03月22日
3月22日の夢(休暇明け)
休暇明けに出社すると、ぼくの席がオフィスの奥の方に変わっていた。オフィスと外の間は全面が透明ガラスで、緑の木々や青い海が美しい。窓の上には横にワイドな大スクリーンがあり、そこに映像が映る。始まってすぐ映像は途切れてしまう。どうしたのだろうと思うが、ぼくの前にいる人たちの頭が邪魔になって、ぼくに画面が見えないだけだった。窓の外の青空をジェット機の編隊が飛んでいく。だが、それは明らかにCG映像だ。どれが現実で、何が映像なのか、よく分からない。
もう夜の8時だ。そろそろ帰ろうとするが、出口に行くには皆の書類や荷物を跨いでいかなくてはならない。あっという間に10時ごろになってしまう。階段を下りながら、席に上着やコートを置いてきてしまったことに気づく。慌てて戻り、コートを着るが、慌てていて裏返しに着てしまう。そういえば鞄も忘れていた。その中には先ほどN氏が「どうもすみません。忘れていて」と、何かの代金としてくれた札束が入っている。しかし、それはドル紙幣なので、このままでは使えない。
会社から出たところには、大きなゲレンデがあり、どんどん人々がスキーで滑り降りてくる。もちろん東京にゲレンデがあるはずはなく、これはCGによる偽現実だ。向こうから女性詩人のKさんが歩いてくる。挨拶をするが、彼女は気づかずに通り過ぎてしまう。駅に着くと、ちょうど小田急線直通の電車が着いたところだ。京王線で帰るつもりだったが、小田急線で帰った方が便利だろうか、と考える。
3月17日の夢(社員食堂)
大企業を取材で訪問する。従業員ではないから社員食堂は利用できないと思うが、テーブル越しにいろんな食材が並んでいるのが見える。社員たちが列をつくり、殺到しているので、思わずつばを飲み込む。
お昼休みが終わる頃、そろそろ社員食堂も空いてきた。思い切ってぼくは中に入る。テーブルの上には残り物が数皿あるだけだ。ぼくはその一皿を手に取り、一口食べる。そして飲み物を取りに行って戻ってみると、もうウェイターがその皿を下げてしまっていた。もう一皿も食材は残っていない。
大きなビルに会社が移転した。地下に購買部がある。階段を無理な体勢で降りる。そのフロアの一番外側の吹き曝しに近い場所に、カメラの機材を収めたロッカーがある。記者章のピンクのバッジもあるので、それを襟元に留める。だが、肝心のカメラが見つからない。
3月16日の夢(クリニック)
かかりつけのクリニックに行く。いつのまにか院長の名前が変わっている。受付の部屋は和室で、畳の上に座っているのは、マスクで顔をおおっているものの、以前ぼくの勤めていた会社の社長U氏ではないか。ぼくはU氏に診察券を渡し、「Uさんですよね。どうしてこんなところにいるのですか?」と尋ねる。「いやあ、みんなからクビにされちゃいましてね」と彼は苦笑する。
待合室を見回すと、たくさんの患者が待っている。医師が変わったというのに繁盛しているらしい。「今度の医者はよくないんですよね」という陰口が聞こえるが、ぼくには良い医者のような気がする。
新しい社屋ができた。二階に木枠で囲われたベランダがあり、その外に物干し場がある。洗濯物を取り込むには、相当身を乗り出さなくてはならない。危険だが、ぼくは男としてやるべきだと思う。会社の建物から出て、外から眺めてみると、中から見たほど危険ではなさそうに見える。
2017年03月13日
3月13日の夢(土饅頭ホテル)
列車に女友達と乗っている。列車の窓は大型スクリーンで、そこには風景ではなく映画が上映されている。二本目の映画は時々早送りされる。三本目の映画は戦争映画だった。「この後、どうなるんだっけ?」と、ぼくは女友達に尋ねる。「敵軍は負けて、最後は戦車隊の解散式になるのよ」と彼女は答える。
ぼくらは駅で降りて、その映画の中に入っていく。丘一面に階段状の土饅頭ともトーチカとも見えるものが同心円状に並んでいる。「ぼくたちは今夜どこに泊まるんだっけ?」と、女友達に尋ねる。「ここよ」と女友達は土饅頭を指さす。すると、丘の麓に座り込んでいた男性たちが一斉に立ち上がり、ぼくらの後に従う。女友達は確信を持った足どりで、ぼくらをホテルのフロントに導いていく。
2017年03月08日
3月8日の夢(阿部巌宅訪問)
詩人の故阿部巌さんの家を久しぶりに訪ねた。通されたのは庭に面した大きなガラス窓のあるダイニングルーム。庭は周囲の地面より十センチほど盛り土がしてあり、よく手入れされた花壇になっている。庭の向こうは人通りの多い緑の街区で、神宮外苑あたりのようだ。
迎えてくれたのは若々しい美人の奥様。彼女と話していると、にこにこして元気な阿部さんが出てきて、ぼくに挨拶する。ひょっとして阿部さんはもう亡くなっていたのではと思っていた。体型はスリムでとても若々しい阿部さんを見て、ぼくはほっとする。お茶をいただきながら談笑するが、ぼくは話題が続かず、会話は途切れがちだ。せっかくお会いできたのに、これではいけないと焦る。そこへぼくの携帯に電話がかかってきた。話の腰を折りたくないので、一度目は無視する。だが二度目の電話に思わず出てしまう。男性の声で、いきなり名乗りもせずに「あの件ですが、これこれに決まりました」と一方的に話して切ろうとするので、慌てて「もしもしあなたは誰で、これは何の話ですか」と尋ねると、相手は旧知のK・S氏で、タレントの取材の日程の話だと分かる。だがその間に阿部夫人はさっさと食卓を片付け、「私はこれから仕事なので」と言って、席を立つ。ぼくはもうここから立ち去らねばならないことが悲しくてたまらない。
タレントの取材は白と黒のインテリアの洒落た喫茶店で行うことになった。入り口のテーブルにぼくは席をとる。この日は朝から夕方まで次々と取材の予定が入っている。ウェイターのチーフはМ印刷のK氏だ。彼は予約票の束をめくり、「今日は一日ここで取材ですね」と確認し、奥へ行って、後輩のウェイターに細々と指示を出す。戻ってきた彼に「カメラはストロボを使わなければ、店内でも大丈夫ですか? ダメならそこの外廊下で撮影しますが」と、ぼくは確認する。彼は無言だが、やはり外廊下で撮影した方がいいだろう。
突然、右奥のテレビの前にいた小学校低学年の少女が長い悲鳴を上げる。「いやだー! はさまれちゃう!」と助けを求めている。見ると、テレビの中から新幹線が少女めがけて疾走してくる。ぼくは急いで駆けつけ、彼女を間一髪で救い出す。
2017年03月06日
3月6日の夢(ベッド型トイレ)
ぼくは秘密任務を帯びて、見知らぬ土地へチームで派遣されている。まずトイレに入る。部屋の中には歯科の診療台のような形の大きなベッドが二つ並んでいる。飛行機のファーストクラスの椅子のようなベッドというべきかもしれない。足元の毛布の上に、前にトイレを使った人の尿が溜まっていて、とても汚い。それに触れないように用を足そうとして、このベッド式便器には孔がないことを発見する。これでは用を足しても、ベッドが汚れるだけではないか。
用を足すのを中止してベッドから降り、出ていこうとするが、バッグが見当たらない。隣のベッド式便器に寝ていた男が「この部屋に泊まるなら、ちゃんと確認すべきだったのに」と、ぼくにお説教をする。余計なお世話だ。バッグはベッドと壁との間から見つかった。
駅で集合という指令がかかっているが、おなかが減った。駅の中に小さな屋台のような飲食店が並んでいて、中年の婦人が店番をしている。お客は頭のはげかかった初老の男。ぼくも何かを注文しようとするが、紙コップに入って陳列されているのは味噌汁だ。これではおなかの足しにならない。あきらめて外に出ようとして、婦人のわきにあるガラス戸を開けてくれるように頼む。だが、そのドアからは出られず、傍らにある別のドアから、ぼくは外に出た。
すると、そこは濡れた大粒の砂利が広がる荒れ地で、あちこちに大小の岩塊が転がっている。とても美しい風景だ。観光地であるらしく、年配の観光客たちが三々五々散策している。どうやら駅とは反対側に出てしまったらしい。チームのみんなとはすっかりはぐれてしまった。
2017年03月05日
3月5日の夢(スプーンがない)
ぼくは大企業の社員だ。朝、出社すると、社員全員が社員食堂のようなところで、無料で好きなコーヒーを選んで飲むことができる。入り口のテーブルにたくさんの種類のコーヒーが置かれているが、粉で選ばなくてはならず、ぼくはその選択に自信がない。だが、コーヒーの上に生クリームがふわりと乗ったウィンナーコーヒーだけは、カップに入ったものが二つ用意されている。ぼくの前にいた男性社員がその一つを選んだので、ぼくも真似をして最後のウィンナーコーヒーを手にとる。傍らに砂糖やクリーム、スプーンなどを置いたコーナーがある。誰かが「スプーンがないね」と言う。本当だ。いくら探しても、スプーンはなく、耳かきのように小さなスプーンばかりだ。あきらめて、その一つを選び、食堂の奥に進む。食堂は一番奥がカギの手に曲がっていて、そこだけ入り口から見えないスペースになっている。ぼくはその一番奥のテーブルにウィンナーコーヒーのカップを置き、立ったままで飲む。みんな執務時間に入ったのに、こんなふうにのんびりとコーヒーを飲んでいてよいのだろうか。
会社から外に出て、ふと自分のいでたちを顧みる。ぼく以外はみんなスーツとネクタイ姿なのに、ぼくは上着こそスーツを着ているが、下は細身のブルージーンズだ。こんな格好でよいのだろうかと戸惑う。
2017年03月03日
3月3日の夢(マンション内のスーパー)
夜遅く自分のマンションに帰ってきた。薄青い照明の中、若い女性がエレベーターに乗っていくのが見える。エレベーターホールで見ていると、階数表示の明かりが十三階で止まった。最上階の住人なのだなと思う。
自分もマンションに入ろうとして、薄闇の中、入り口のベンチにホームレスらしい老女が一人腰かけているのに気づき、ドキッとする。よく見ると、ガラス張りのマンションのあちこちにそうした老人の姿が見える。そうした人たちのいない入り口からマンションに入る。
すると、そこはスーパーマーケットになっている。自分のマンションにそんな店があるとは、今まで気づかなかった。老支配人が「買い物が終わったら、すぐに商品を持って、表に出てください」と呼び掛けている。もう夜の九時頃だろうか。きっと閉店時間なのだろう。ぼくも店内でいくつかの商品を購入する。
2017年03月02日
3月2日の夢(難読なメニュー)
会社で働いていると、詩人で出版社主のT氏が来社したという。二階に上がってみると、ガラス張りの部屋に三人の来客がある。でもT氏とは別人である。ついでに突き当りの部屋をそっと覗くと、若い女の子たちが女子トークをしている気配なので、そおっとドアを閉めて、戻る。
だが、なぜかT氏と喫茶店でお茶を飲んでいる。店にいるのに、ウェイターにオーダーを電話でしなくてはならない。手書きのメニューなので、とても読みづらい。T氏が読めずに、ぼくに受話器を渡す。ぼくが苦労して「いえ…」と読むと、ウェイターは「それは和という字ですよ」と笑う。ぼくはT氏に「漢字をローマ字と間違えて読んでしまった」と言い訳する。
尿意を覚えて、外に出ると、そこは四谷の交差点だ。緑豊かな街並み。交差点の向かい側にトイレの赤と青のマークが見える。けれども、どうせ夢だからトイレが見つかることはないだろう。
2017年03月01日
3月1日の夢(運命のボタン)
ぼくの体にはボタンがついている。起きてから10分以内にそのボタンを押すと、体がピンク色に変わる。そしてぼくは運命から自由になり、自由意思で死ぬこともできるようになるのだ。
2017年02月28日
2月28日の夢(災害派遣)
東北に災害派遣されて、片付けの作業をしている。大きな川が目の前を流れている。当分、帰れそうにないなあと思う。
駅前の広場のようなところ。人通りが激しい。突然、銃の発射音のようなものが響く。みんな不安そうだ。
2017年02月24日
2月24日の夢(来客待ち)
Y社の銀座店の高橋氏が我が家へ遊びに来たいという。とても名誉なことなので、多分昼食後に来られるのだろうと準備している。我が家は生垣に囲まれた芝生の庭のある一軒家だ。窓際に息子の勉強机が置かれた部屋の手前に、小さな卓を囲んだ二脚の椅子が置かれており、ここで応接したいと思う。しかし、時間の約束もしていないし、我が家の場所も高橋氏は知らないはずだ。口ではそう言っていても、実際には来ないのではないかと考え始める。外では植木屋のおばさんたちが談笑しながら、生垣の剪定をしており、のどかな初夏の光があふれている。
2017年02月14日
2月14日の夢(研修所)
海辺にある木造の研修所に行く。衝立とかではなく、室内は木組みでいくつかのスペースに仕切られている。入り口に近いスペースが、ぼくらのグループの集まりの場所で、そこにバリトンの立川清澄(故人)が来て「イエスタデイ」を歌うことになっている。
彼を待つ間に、我慢できず、ぼくはトイレに立つ。小用をした後、パンツのしみが気になる。ぼくは下半身にズボンではなく、大きな下着のパンツをつけているだけなので、とてね恥ずかしい。
席に戻ると、立川は既に到着している。ぼくの座る椅子がないので、ぼくは手前のテーブルから赤い椅子を一つ取って、空いている場所に自分用に置く。ぼくだけが赤い椅子に座るが、みんなは「それでいいよ」と言う。
集まりが終わって、帰りのバスを待つ間、またトイレに行きたくなる。丘の上に休憩所のような建物があり、そこへ入る。二階にあがってトイレを探すが、見つからない。中年の女性たちが飲食をしている喫茶室を横切ろうとするが、空間がないので、ぼくはテーブルの上を這うようにして、外に出ようとする。ぼくが通るのを避けて、既に誰かが席を立ったのだろうか。テーブルの向こう側に一人分、ぽっかりと椅子のないスペースがある。
2017年02月10日
2月10日の夢(義務としての夢日記)
わが国では全国民が夢日記をつけることが義務付けられている。でも、せっかく個性的な夢を見たというのに、女友達は国の定めた「最低基準夢解釈」をそのまま日記に書くという。「そんなことしないで……」と説得しようとするが、多分無理だ。
2017年02月08日
2月8日の夢(選考準備)
今日は詩集賞の選考日だ。選考委員は四人なので、文庫版の詩集を四冊用意する。選考委員に口うるさい女性詩人がいるので、資料を細かく何度も書き直す。それから駅前に行き、選考委員を会場に運ぶためのタクシーを四台ロータリーに用意する。全部同じ会社の同じデザインのタクシーに揃える。でも、一台いなくなってしまったので、あとからもう一台追加する。さあ、これで準備完了だ。
2017年02月07日
2月7日の夢(バス停)
女友達と街の中心部にあるバス停で、バスを降りる。ぼくは「ここでいいの?」と言って、右へ行こうとするが、彼女は自信をもって左へ行く。自信たっぷりな様子にちょっと驚きながらついていくと、まさしくそこが会場だった。女友達は行列に並び、やがて中から名前を呼ばれた。「はーい」と彼女が答えると、ぼくは彼女が中に入るのも待たずに「じゃあね」と言って、きびすを返し、隣のビルに入ろうとする。隣のビルの黄色い土の壁には、上から下に狭い土の階段がついており、ぼくはそれを一人で降りていく。人々が邪魔になって、彼女の姿は見えない。途中でぼくは手すりもない狭い階段を降りていく恐怖に身がすくみ、うずくまってしまう。変だな。今までこんなことはなかったのに。勇を鼓して立ち上がり、這うように階段を降りて、建物の中に入る。ロビーにはソファーがいくつか置かれ、新川和江さんたちが座っているのが見える。ぼくはとても気分が悪い。インフルエンザにかかって、高熱が出ているようだ。ソファーに座って、体温を測らなくてはと思う。
2月6日の夢(トイレ掃除)
うっかり古い小さな汚れた便器を、黄色い財布をスポンジがわりにして、新しい大きな便器の中でごしごし洗ってしまった。しまったと思ったが、もうどうにもならない。新しい便器もすっかり汚れてしまった。
2017年02月03日
2月3日の夢(地下遺跡)
北陸のある都市を歩いている。この町は歴史が古く、地下深くには昔の遺跡がたくさん埋まっているらしい。「この地下にはこんな遺跡があります」という標識を、街のあちこちで見ることができる。ぼくが今通りかかったガラス張りのビルのオフィスの中にも、透明ガラスの立方体が二つ置かれている。その立方体を通して、ビルの地下に眠っている遺跡を街路からも確認することができるのだ。
2017年01月30日
二つの短い夢
1月29日の夢(電話機)
ぼくはある男を殺した。このままではそのことがバレてしまう。でも、黒い電話機の下部にあめボタンを押すと、そのことが秘密にできる。
1月30日の夢(詩と現実)
詩人の詩と現実生活は結びついている。だから詩を直せば、現実も改められる。だが、この男性詩人の場合は、その一部分がどうしても直せないなと、女性詩人は思う。
1月28日の夢(研究会)
山手線に乗って鶯谷駅に向かう。今日はそこでぼくが講師を務める研究会があるのだ。山手線は超満員である。一番前の車両に乗ってしまったため、停車した駅で「ここはどこ?」と言いながら駅名表示を探すが、ホームには駅名を示す表示は見当たらないので、またぎゅう詰めの車内に戻る。窓からは緑の丘陵が見える。もしかして、ここが鶯谷ではなかったかと不安になる。
研究会の会場であるらしい喫茶店に着いた。オレンジ色の服を着た中年女性がいるので、研究会のメンバーかと思って声をかけそうになるが、それはこの店の女主人であった。メンバーは誰もやってこない。女主人は奥の個室を会場として貸してくれるという。嬉しい。
やっとメンバーが集まり出した。けれど、テーブル席の手前でみんな女主人と話していて、奥の個室へ入ろうとしない。早く会場に入るよう言おうと思っていると、それはすべて幻覚だったらしく、やはり店内には誰もいない。何時間も待つが、やはり今日も研究会には誰もやってきてくれないようだ。
2017年01月27日
1月27日の夢(侵入者)
ぼくは西部開拓時代のような草原を木の柵で囲った広い庭のある家に住んでいる。窓を開けると、一人の男が左から侵入してきて、庭を横切り、右端の柵まで歩いて行く。ぼくの所有地であるそこを誰かに売るために見せようとしているらしい。ぼくは男に「住居不法侵入罪で訴えるぞ」と大声で叫ぶ。しかし、相手が応じないので、携帯を取り上げ、119番(夢のまま)を押す。低い声の男が応答したので、「こちらは……」と自分の電話番号を名乗るが、すぐに間違いに気づき「こちらは……」と住所を告げる。
2017年01月26日
1月26日の夢(コンサート)
ある男性アーティストがステージでギターの弾き語りの公演中だ。聴衆は椅子とデスクが一体になった移動式の椅子で聴いている。ぼくの後にいた女性詩人のAさんが大きな声で私語をすると、アーティストは怒って舞台を降りてしまった。だが、また思い直したのか、戻って弾き語りを始めた。そのとき、ぼくは舞台に背を向けて座っていたので、慌てて向き直る。
ぼくに向かって誰かが関西弁で「よう大臣になられた……」と声をかけてくる。
1月25日の夢(プレゼン)
ぼくは看護師である。仕事は東京オリンピックの標語を作ること。そのプレゼンテーションを同僚と二人で、終電後のメトロの駅でしている。持っていたカバンを開けると、中から消防団員の制服が出てきた。これは宮沢賢治が昔着ていたものだ。
いつのまにかみんなとはぐれ、控室でひとりで待っている。そこへ店員が呼びにきて、またみんなと合流して、プレゼンの続きをする。
2017年01月24日
1月24日の夢(美しい世界)
車に乗っている。宵闇の空が窓から見える。桜の花びらが群青色の空に舞い散り、雲と花弁で日本画のように美しい世界をぼくは進んでいく。
賑やかな街の橋のたもとで車を降り、白くて瀟洒な一軒家にぼくは入っていく。そこには世界中から集まった沢山の若者たちが共同生活している。みんなさまざまなジャンルのアーティストの卵らしく、ぼくもその中に加えてもらう。部屋の窓からは水辺の対岸に立つ、美しい仏塔か神殿のようなものが見える。絵のように美しい風景に見とれる。
1月23日の夢(100個のアート)
個展に備えて、会社のデスクを三つほど占領して、100個の小さなオブジェを並べている。オブジェといっても殆どガラクタに近い。並べ終わって、本当に100個あるかチェックしようとしたが、作品を包んだ透明袋に黄色のマジックでナンバーを書いたため、老眼のぼくには数字がよく読み取れない。本当に100個あるのかどうか確認できなくなってしまった。
スマホの画面に炎が燃える動画を再生しておいたら、その炎で現実にスマホが燃えて、その熱でスマホが焼けただれてしまった。会社の後輩のIくんが驚いているので、その経緯を説明し、他の社員にもスマホを見せる。スマホは社員たちの手から手へと渡り、どこへ行ったのか分からなくなってしまった。
2017年01月22日
1月22日の夢(高速バス)
高速バスに乗る。ぼくはどこへ行こうとしているのだろうか。すぐにバスは発車した。車内の座席は、窓際の両側にベンチ式に並んでいる。空いているとおぼしい場所に行ってみるが、どこも荷物や衣類が置いてあり、ふさがっている。ぼくひとり吊革を握って、車内で立ったままだ。
1月14日の夢(アトリエ新幹線)
新幹線の一号車の一番前の座席に座る。列車の壁は額装された沢山の絵画でいっぱいだ。ぼくもこの新幹線の中で絵を描いているのだ。
2017年01月14日
1月13日の夢(西安の写真)
NHKの書道の番組に研究生として出演している男性に、詩人のK氏を通して筆の先の破片をプレゼントした者がいるという。実はそれはぼくなのだ。そのことを伝えにNHK本部のそばの小さなビルに詩人のK氏を訪ねる。ふと見ると、外は雪だ。
K氏の部屋にいると、外からコツコツという靴音が近づいてきて、ドアをノックする。出てみると、ピアニストのМさんである。Мさんが室内に入ると、K氏は女性に変身している。Мさんは一枚の写真を取り出し、「これは西安でのコンサートの写真だけれど、うまく現像できていないのはきっと慌ててやったんでしょうね」と、女性になったK氏に言う。ぼくはそれを見ながら、「西安は昔は長安という都だったんだよ」という知識を披露したくてたまらない。
2017年01月11日
1月6日~10日の夢
1月6日の夢
誕生日が来ると、詩人は作品を書き、その作品の世界に自分が入ってみせる。こないだぼくの誕生日が来たので、ぼくも自分の詩の世界に入ってみた。けれども、そこは普段の世界とあまり変わらなかった。
1月8日の夢
外国で身体検査の受付窓口に並ぶ。ぼくは運よく一番に並べ、ぼくの後に縦に長い列ができる。だが、ぼくの横にインド人が並び、そこから横に長いインド人の列ができた。この列は一体何だ?!
1月9日の夢
電車に乗っていて、駅が近づいた。ぼくの隣の窓際に座っていた女性が立ち上がり、後ろの棚から段ボールいっぱいの荷物を取り出して、降車していった。彼女はきっとまじめな研究者なのだろうと想像する。
1月10日の夢
М印刷のK氏が特集の扉ページの校正を持ってきて、ぼくから少し離れた左側にいるT社長と談笑している。編集部の柱に卵型の白い染みがついている。ぼくが「これは何かしらね」と言うと、K氏は「はっ?」と言う。
2017年01月05日
1月5日の夢(帰れない)
夜、どこかで取材が終わり、JRの駅から電車を乗り継いで帰宅しようと思う。だが、ここは初めて来た場所なので、どう乗り継いだら帰れるのか見当がつかない。路線図を見上げていても分からないので、窓口の女子職員に帰り方を尋ねる。すると女子職員は左手の切符の自販機を指さし、ぼくに小さな鍵を渡して「ふつうの切符ではここからあなたの家には帰れません。この鍵をその自販機に差し込んで、右に回すと、あなたの家に帰る特別な切符が買えます」と言う。ぼくは鍵を受け取るが、まごまごしていると、彼女は窓口から出てきて、自分で自販機に鍵を差し込む。すると、自販機から畳まれた白い手紙のようなものが出てきた。「さあ、これがあれば、あなたは逗子海岸まで帰れます」と彼女は言う。ぼくの知らない間に、ぼくの家は逗子海岸に引っ越してしまったのだろうか、とぼくは呆然とする。
駅の外に出ると、Iくんがいる。彼は以前ぼくと対立していた男だが、ぼくを助けようとしてくれているらしい。おんぼろのタクシーが目の前に停まる。どうやら自販機から出てきたチケットはこのタクシーのものらしい。タクシーのドアを開けると、運転席ではなく、座席の下に二人の中国人の男が隠れている。Iくんは二人の名前を呼び、間違いなくぼくの乗るタクシーであることを確認する。
タクシーが止まったところは逗子にある青少年のための養育施設だった。ちょうどパーティーが終わったところで、広い部屋に沢山のテーブルが並び、食べ終わった皿がそのままになっている。入所者の男がそれを片付けようとしているのを見て、ぼくも手伝うことにする。
片付け終わって、外に出ると、そこは下へ降りる幅の広い階段で、沢山の施設の職員の男女が意地悪そうな顔をして並んでいる。ぼくは家に帰ろうとするが、彼らはぼくをここから出すまいとして邪魔をする。怒ったぼくは狂暴な怒鳴り声をあげて、棒を振り回す。棒は新聞紙を丸めて固めたもので、小学校か中学校の運動会で使ったもののようだ。ついに、彼らは一人もいなくなり、ぼくは階段の下にたった一人取り残される。すると、またIくんが現れ、ぼくに「さあ、家に帰ろう」と言ってくれる。
2017年01月04日
1月4日の夢(テレコが回らない)
Y社のオーディオユーザーの取材のため、都電に乗って出かける。小さな子供のいるお宅だ。下町だが、ある程度のお金持ちであることが、家の大きさから想像できる。先客に保険の外交員がいて、その契約が終わるまで、同じ部屋で待つように言われる。主人と外交員がちゃぶ台をはさんで交渉している間、ぼくは外交員の隣の座布団に座っているが、そのまま眠り込んでしまう。
外交員が帰り、ぼくの番になる。取材場所は主人のオーディオルームだというので、みんなで二階から地下室に降りる。ぼくは取材用のカメラを持ってきていたが、なんと隣にUカメラマンがいる。これなら安心だ。さあ、インタビューを始めようと、テレコを取り出すのだが、四角い白い箱のようなテレコにはいくら探しても、録音ボタンがない。適当なことをしゃべって間をつなぐが、焦りまくる。おまけに、ぼくの座っている位置と主人との間には、胸の上まである間仕切りがある。これで主人の声が録音できるだろうか。おまけに用意しておいた設問を書いた紙までどこかへ行ってしまった。
2017年01月02日
1月2日の夢(コーラの自販機)
男友達と愚痴を言い合いながら歩いていて、彼は右側にあるトイレに入る。ぼくは正面に進む。そこには二台のコーラの赤い自販機が置いてある。喉が渇いているので、コーラを飲みたい。左の自販機は紙コップにコーラを注いで飲む自販機だ。後ろに男が並んだ気配があるので、慌てて百円硬貨をポケットから取り出し、自販機に入れる。コーラが紙コップに注がれる。右側の自販機は缶コーラが買える。ぼくはそちらにも百円硬貨を入れるが、なぜか缶コーラは出てこない。けれども、ぼくは何食わぬ顔をして、そこを立ち去る。
2016年12月31日
12月31日の夢(母が迎えに)
泊まりの出張帰りで、家に寄れないまま、現代詩人会の集まりに出かける。会場は美容院だ。グランドピアノが置いてあるので、腕で倚りかかると、鍵盤が一つ上にめくれあがっていることに気づく。こんなピアノで弾けるだろうかと思い、めくれ上がった鍵盤を下に押し込もうとすると、ポキンと折れて、壊れてしまった。集まりにやってきたのは、病気で妻を亡くしたA氏と、とうに故人のはずのK氏など、ごく僅かだ。打ち合わせの後、ぼくは早く帰宅したいのに、彼らは「これから飲みに行こう」と誘う。「お金はどうするの?」と尋ねると、会計担当のA.S.氏がちょうどやってきた。ふと見ると、美容院の待合室の壁際にひっそりと、十数年前亡くなったぼくの母親がにこにこと座っている。ぼくを迎えに来てくれたのだ。これで家に帰れると思う。奥にはベッドがあり、癌で闘病中のO氏が寝ている。半身を起こして、ぼくと言葉を交わすが、とても体調が悪そうだ。飲みにいく詩人たちを都電の停留所に送っていき、彼らと別れを告げる。高台に来て、ふと気づくと、母の姿がない。はぐれてしまったようだ。左には地下へ続く穴のような、メトロの入り口が口を開けている。右にはさっき出てきた美容院の出口がある。そのどこにも母の姿はない。ぼくはただ一人、地上に取り残されてしまう。
2016年12月30日
12月30日の夢(ヒットラーの魔球)
会社で仕事している。とても忙しく、社内はてんやわんやだ。若手人気詩人のK氏がやってきて、ぼくのデスクの左に座り、いきなりぼくの使っていたパソコンを横取りして自分の仕事を始める。しかたがないので、右隣の女性社員に「コピーを下でとってくる」と言って、階下へ降りる。階下はさらにデスクや事務機器が混みあっている。コピー機は女性社員たちのデスクに囲まれていて、ぼくのとったコピーは女性社員のデスクの一番下の引き出しに吸い込まれてしまう。苦笑して、女性社員がそれをぼくに渡してくれる。
これから校正をY社とその子会社のYМ社に届けなければならない。しかし、もう何年も両社へ行ったことがないので、どこにあるのか覚えていない。右隣の女性社員に行き方を尋ねるが、ぼくには道筋がよく理解できない。YМ社は確か外国人が多いビルの中にあるはずだ。
今は戦争中で、ぼくは郵便局の前の道路にいる。周りにはさまざまな男女が詰めかけている。みんな外国のスパイたちだ。郵便局の建物の中に、病気療養中のヒットラーが潜んでいるので、彼らはなんとかしてその動静をつかみたいのだ。
ぼくは郵便局の二階に上がる。そこは一面に布団が敷かれていて、女性たちにかしずかれて黒い着物を来た老人がいる。彼が実はヒットラーその人である。病気で療養中なのだが、その間に今までどんなピッチャーも投げたことがない魔球を考案したと言い、その呼び名も教えてくれる。ぼくはその名前はダサいと思う。「この戦争が終わったら、ぼくがその魔球を投げてあげますよ。でも、その名前はカットボールにしてください」と、ぼくは言う。早くその魔球を投げてみたい。そのためにヒットラーとぼくは戦争を早く終わらせたいと思う。
2016年12月29日
12月29日の夢(生徒会議)
二時から学校で生徒会議が開かれる。もう一時過ぎだから、皆準備のために集まっているだろうと思い、二階の会場に行く。だが、室内はがらんとしていて、数名の見知らぬ男子生徒がいるばかりだ。廊下に出て、椅子に座り、皆が来るのを待つことにする。あたりは森閑としている。男子生徒が非常口のドアを開けて、外から入ってくるが、それもまた見知らない生徒だ。
2016年12月28日
12月28日の夢(道路を走る飛行機)
アラスカ旅行のツアーに参加する。ぼくらを乗せた飛行機は低空飛行をし、ついに路面の高さまで降りて、車列に割り込む。すぐ後ろには男女二人乗りのオートバイ。その後ろには黒い四輪駆動車。ぼくらの飛行機が次第にスピードを緩めるので、オートバイは今にも四輪駆動車との間にはさまれて、大事故に巻き込まれそうだ。しかし、危機一髪のところでパイロットは機体を空中に舞い上がらせる。
飛行機の中はバスのような感じ。いつのまにか、ぼくは下半身がパンツ一丁になっている。眼鏡をかけた中年の男がぼくを右列の座席に座らせ、自分もその隣に腰掛けて何かを講義してくれる。
さて、アンカレッジの街に着いた。街は雪におおわれている。歩いているうち、気づくとツアーの仲間とはぐれてしまった。これではどのホテルに泊まればよいのか分からない。街にはほかにも日本人ツアーのグループが歩いている。彼らのガイドに声をかけて、自分のツアーのガイドに連絡をとってもらおうと思うが、うまくいかず、ぼくはひとりで寒い街をさまよい続ける。
2016年12月27日
12月27日の夢(これからが勝負)
ぼくは学校の生徒で、ボーイスカウトのような制服を着ている。だが、生徒たちはさまざまな年齢で、ホグワーツ魔法学校のような職能訓練校であるらしい。みんなでバスに乗り、これから学校へ帰るところだ。ぼくの二列ほど後ろの席に、中年後期の美しい女性がいて、ぼくにお茶の葉をプレゼントしてくれると言う。よく見ると、顔には小じわが目立つが、以前は有名女優だったらしい。だが、彼女は姿を消してしまい、バスが学校に着く頃になっても戻ってくる気配がない。がっかりしていると、後ろからもっと若い女性がやってきて、「お茶の話をしていた人は?」と言うので、「ぼくです」と手を上げると、黙って事務的に薄い封筒に入ったお茶の葉を手渡してくれる。
学校に着いた。古い木造の校舎はニスでぴかぴか輝いているが、外の光が入らずに暗い。生徒たちはクラスごとに三つのホールに分かれ、三方に散っていく。だが、ぼくは自分がどのホールに行けばいいのか分からず、まごまごしていると、みんなに「北へ行け」と言われる。
北のホールもにすに輝く木造の立派なホールだ。入り口で「本当にぼくはここでいいのか」と尋ねると、後ろから来た男が肩をぽんと叩き、「みんなの顔も人数も合っているから、確かにここだ」と断言する。ぼくは彼の顔に見覚えがないのだが……。
ホールで担任の話を聞いた後、解散になる。だが、一人の若い女性が「あたしは帰る家がない」と言う。男子の生徒たちが「いや、大丈夫だよ。彼女の近くに住んでいる人は?」と言う。若い人から年配の髭面の外国人まで、沢山の男たちが手を上げる。そして、みんなで彼女を守って、家まで送っていくと言ってくれる。
さて、ぼくはまたバスに乗り、仲間たちと競技場に出発だ。これからとても大事な試合に出るのだ。さあ、勝負はこれからだと思う。窓から山々に囲まれた青いダム湖の水面が見える。
2016年12月25日
12月25日の夢(手が4本)
ふと目覚めてベッドから起きる。なんだかおかしい。ぼくの両腕を握っている手が見える。そして、手を握っている自分の手の感覚もある。ぼくの手が4本になってしまったのだ。自分の変身の恐ろさに心臓が早鐘を打つ。そのとき、窓の外で何者かが飛び降りた気配と大きな物音がする。窓を開けて、自分も飛び降り、逃げたやつを追いかけようかと迷う。
2016年12月24日
12月24日の夢(電車で何かを落とす)
仕事で大分県らしいところに出張している。映画館で映画を二本見る仕事である。途中でロビーに出て、ソファーに座っていると、上司から電話がかかってきた。上司は詩人のG氏である。「困ったことがある」と上司は言う。ぼくの書いた記事にミスがあったというのだ。書き直さなければいけないのだが、どう書き直せばよいのか分からない。電話取材をすませたら、すぐに夜の飛行機で帰ろうと思う。
とにかく空港に行こうと、電車の停留所へ行く。山中の森にある停留所に着くと、ちょうど二両連結の電車が発車したところで、ぼくの目の前でカーブを大きく切って、遠ざかっていく。制服を着た駅員が赤い旗を横にして、線路の横断を禁止しているが、ぼくを見て、「まあいいや、渡れ」と言って、ぼくを通してくれる。
いさのまにか電車に乗っている。しかし、ここは本当に大分なのか。空港は大分空港がいいのか、それとも他の空港の方が近いのか、こんな遅い時間に東京へ帰れる飛行機があるのだろうか。それに、チケットを持っているのだろうか。そう思って、ポケットを探るうち、胸のポケットから何かが飛び出して、音を立てて床に落ち、遠くの方まですべっていくのが見える。
2016年12月21日
12月21日の夢(寝て記者会見)
畳敷きの大広間で誰かの記者会見が開かれている。その人は寝たきりなのか、布団の中で記者会見をする。だから、記者たちもそれぞれに布団を敷いて、そこで寝たまま取材する。それを上から撮影したのは、寝たきりの身障者詩人のKさんだという。一体、彼女はどうやってこんな角度から撮影したのだろうか。
2016年12月20日
12月20日の夢(眼鏡をかけた赤い鳥)
大きな窓のある部屋にいる。窓の外に鮮やかな真っ赤な小鳥が飛んでくる。部屋の中には女友達がいたが、すぐ飛び去ったので、教えそこなった。また飛んできたので、女友達に「ほら、赤い鳥だよ」と教える。今度の赤い鳥は黒縁の眼鏡をかけている。
2016年12月18日
12月18日の夢(ハワイ合宿)
グループでハワイ合宿に行く。大学のサークルかもしれない。全員知らない人たちだ。狭い宿泊施設の一部屋を借りているが、その内の何人かが「外で寝よう」と言い出し、ぼくも外で寝ることになってしまった。地面に布団や板を敷いて、てんでにおしゃべりする内、あっという間に朝が来て、ぼくは一睡もできなかった。
朝食を食べに行くことになるが、ぼくはどうしても靴が見つからない。寝ていた場所や他の人の持ち物なども徹底的に調べてみるが見当たらない。仲間たちはぼくの手助けをするふりをするが、少しも気にかけている様子はなく、ぼくを置いて、さっさと朝食に出てしまった。ぼくは靴を探して宿泊施設の中に入る。二階にはもっと大きな部屋がいくつかあり、宗教団体なのだろうか、整然とリーダーの指揮に従うグループが宿泊している。
ぼくは建物を出て、丘を登る。その向こうには小さな円形の港があった。駅前のロータリーぐらいの小さな港だ。ぼくの足元のほんの僅かな部分が扇型のビーチになっている。ハワイのビーチとはこんなに小さなものだったちのか。対岸に川というより、田んぼの中の用水路のようなものが港に流れ込んでいる。そこからハワイの艦隊がそれぞれに旗を立てて港に行進してくる。一斉に人々が拍手するが、ボートに一本マストの小さな貧弱な船ばかりだ。港を一周して、ぼくのそばへ来る。船には一頭ずつ雌ライオンが乗っていて、後足で立ち上がり、ウォーっと前足でぼくらにハイタッチする。前にいる二人の女性たちは「手をグーの形にしてハイタッチしてくれるのよ」と大喜びだが、ぼくは引っかかれそうな気がして、一歩下がる。
2016年12月16日
12月15日の夢(音楽家たち)
ピアニストのМ・Rさんが女性マネージャーと電車で公演地に向かっている。途中駅でマネージャーがホームに降り、飲食する。ところが彼女を乗せずに電車が発車してしまった。ピアニストは今日の公演をキャンセルして、帰ることにした。
ステージで老いたミュージシャンが講演をしている。突然「ああ、明日の今頃は……」と歌い出したので、それが財津和夫だと分かった。聴衆は手拍子を打ちながら、唱和していたが、すぐにやめてしまう。最後にもう一曲歌い始めるが、誰もその曲を知らず、唱和できない。聴衆が誰もその曲を知らないことに、財津自身ショックを受ける。
そういえば今日は編集部に出社する日だった。行ってみると、若い男性詩人がぼくを待っている。木の階段を登って、彼と会い、遅刻したことを詫びる。彼は原稿をぼくに見せ、これを詩集にしたいという。お世辞にも上手な詩ではないので、また別の機会に見せてもらうことにする。彼は本職はポピュラー・ピアニストだという。
時間が余ったので、二階で本を読んでいる。何か忘れていることに気づく。そうだ、今日は原稿の依頼状を書く日だった。だが、用意してくるのを忘れていた。慌てて、専務に謝罪する。
2016年12月13日
12月13日の夢(運動会と新年会)
室内体育館で運動会の大会委員長をしている。冒頭で大会委員長挨拶をするのが誇らしいと思っている。ところが打ち合わせで場外に出ていて、戻ってみると、既に競技が始まっている。大会委員長挨拶は省略されたか、代理の人がやったのだろう。がっかりしていると、プログラムの途中でぼくがトークするコーナーがあった。今度は音楽をBGМにしてのおしゃべりだ。だが、なぜか途中でまた場外に出てしまった。慌てて戻ってみると、さっきのBGМがまだ続いている。スタッフの男性に「これはまだぼくの挨拶のBGМなの?」と尋ねると、「そうです。皆待っていました」と言う。
詩人の団体の新年会に出かけた。いつもの会場に皆で入ろうとするが、一階の会場では小さなテーブルを囲んで若者のグループが打ち合わせ中だ。同じ会場の地下と二階の部屋に行ってみるが、やはり他の団体が使っている。会場の外の街路には詩人たちがどんどん集まってくるが、会場について問いただそうにも、誰が新年会の幹事なのかさえ分からない。そこへ後ろからやってきた自転車の女性が猛スピードで通り過ぎながら「樋口○○子さんはまた来てほしいと言ったんじゃないんですか」と、ぼくに叫ぶ。そして、すぐに路地を左折して行ってしまう。ぼくはもういない彼女に「いや、そんなはずはない」と空しく叫び返す。
(樋口さんは占い師で、ぼくの在籍した会社が突然に倒産する直前、いきなり現れて「大変なことが起きるから、来年の三月まで今いる場所を動くな。それから後は好きなことをやりなさい。何をやっても成功するから」と予言した。彼女の言う通りにして、ぼくは翌年の三月に「詩と思想」編集長に就任。来年その仕事を辞めるので、こんな夢を見たのだろう。)
2016年12月10日
12月9日の夢(全部やり直し)
「地球」という同人誌の主催するツアーで旅に出かける。まずは記念写真の撮影だ。「地球」といえば秋谷さんだが、なぜか彼がいない。かわりにA氏が指揮をとるが、なかなかみんなの息が揃わない。十字路で本当は直進しなくてはいけないのに、みんなは左へ曲がってしまう。慌ててぼくは大声で「バック! バック! バック!」と声をかけて、みんなを呼び戻す。
電車の中で、詩の朗読会が始まった。電車の中にスタジオがあり、そこでメンバーが朗読をする。だが、朗読の声が外にいるみんなには聞こえない。「変だな」と気づいたぼくは、スタジオに入り、「全部、やり直し!」と声をかける。
12月8日の夢(会社の引っ越し)
会社が引っ越しをした。引っ越し先のビルの一階と二階を借りたのだが、埃だらけ、ゴミだらけの部屋だ。懸命に要らない本を後ろに片づけたり、必要な写真フィルムを手元に引き寄せたりするものの、とても仕事をできる環境ではない。なぜか一階にも二階にもぼくのデスクがあるが、周りにいる社員たちは全く違うメンバーである。
ぼくは雑誌で、あるアメリカ人の子供の記事を載せようとしている。二件の取材が入っていて、当然同じ子供の取材だと思っていたのに、一件はアメリカ人、もう一件はアフリカ人の子供の取材だったので、驚く。
2016年11月29日
11月29日の夢(幽霊長屋)
トイレへ行きたいと思い、布団から起き上がって、玄関から外へ出る。我が家は長屋なので、自宅内にトイレがないのだ。玄関先に柳の木のような、ぞろっとした感じの女性二人が立っておしゃべりしている。一瞬、幽霊ではないかと、ぞっとする。長屋の中はいくつも部屋があるが、間仕切りの襖はすべて取り払われている。あちこちに煎餅布団が敷かれているものの、寝ている人の姿はなく、真夜中だというのに沢山の人々がおしゃべりに夢中だ。だが、あたりには沈黙が支配していて、喧騒は全くない。
2016年11月28日
11月28日の夢(中国詩人との交流)
ぼくの編集するS誌に以前から中国の詩人が寄稿してくれるようになった。最初は体制派の詩人だったのが、いつしか中間派の詩人に変わり、気づいてみると今は少数民族の反体制派詩人になっている。突然電話をかけてきて、寄稿したいと言ってきたので承知すると、毎号のように原稿を送ってきて、否応なく連載という形になってしまった。しかし、この詩人はどういう詩人なのか、どういう経緯でこういうことになってしまったのか、考えてみると、よくわからないことばかりなのだ。
ぼくはまず中国の大使館のような建物に調査に行く。緑の中にある三階建ての白亜の建物だ。さらに、この詩人が来日して講演をしているというので、その講演会場に足を運ぶ。お腹が減っているので、お椀に入れたお雑煮を食べながら、講演会場の右後方のドアから入る。客席は階段式になっていて、前方のステージで詩人が熱弁をふるっている。しかし、お雑煮を食べながら聴くのはいかにも失礼である。ふと左を見ると、最後列の座席だけが舞台とは反対向きに置かれていて、しかも舞台との間に白亜の壁がある。ここなら講演は聞こえるが、舞台から見られることはない。そこに腰を下ろすと、ぼくが昔編集していたP誌の元編集長であるK女史が、奥に座っているのが見える。ぼくと仲の悪かったいやなおばさんである。後方のドアが開く音がするので振り返ると、何人かの男性がどやどやと入ってきた。おそらくK女史に会いに来たのだろう。ぼくは席から立ち上がり、彼らの通行の邪魔にならないようにする。
2016年11月27日
11月27日の夢(海辺のホテル)
会社をさぼり、いつもの海辺のホテルへ行く。海岸から少し離れた丘に建つ、瀟洒な白亜のホテルだ。そこへ行くには地下トンネルを通るのだが、途中で道を間違えたらしく、地上に出てみると、ホテルを通り越して、海岸へ出てしまった。
改めてトンネルへ入り直す。トンネルは工事中で、文字通り迷路のようだ。駅員や工事の人たちが沢山いる。工事のため立ち入り禁止の表示のされた区間もあるが、親子連れがそこを歩いていくので、ぼくもその後について行ってみる。
いつのまにかホテルに着いた。ぼくのほかに男性と女性、そのほかにもう一人いるらしく、四人のグループである。ぼく以外の三人はぼくをロビーに残して、トイレへ行ってしまった。ぼくは猛烈な空腹を感じて、オーダー用のベルを押し、ケーキを頼もうとする。女性が戻ってきて、「どうされたんですか? ホテルのスタッフが何か怒らせるようなことをしましたか?」と、ぼくに尋ねる。ぼくは慌てて「いや、お腹が減っただけだよ」と弁解する。時計を見ると、もう帰らなくてはいけない時間だ。注文したケーキがまだ来ないのに、男性は伝票を持って会計に向かう。ぼくは廊下で一人待っているが、仲間たちは誰もいなくなってしまい、ひとりぼっちになってしまう。
2016年11月19日
11月18日の夢(2つの鍵)
日本には隠された軍港があり、そこが観光地になっている。その町の観光を終えて、夕方帰ろうとして、ポケットを探ると鍵が二つあった。何の鍵だったか記憶がない。砂浜に戦後の海の家のようなバラックが沢山建っており、その一つは傘を預かる店だ。多分、一つは傘の鍵で、もう一つは荷物を預けたときの鍵だろう。しかし、ぼくには預けた記憶がない。認知症になってしまったのだろうか。不安になりながら、皆が並ぶ行列の後につき、傘の預かり屋の奥さんの前に行く。すると、奥さんは「もう今日は閉店です」と言う。ぼくは「いや、お宅の旦那はまだ帰ってこられないようだが、彼があと十五分は大丈夫だと言ってくれましたよ」と答える。すると、奥さんは急ににこやかになり、「そうらしいですね」と答える。
11月15日の夢(地下室の小人たち)
仕事もないのに、会社に6時まで残っていて、デスクの引き出しのゴミの整理をしている。会社の中には女性社員が多く、みんな年をとって、表情が死んでいる。その一人がぼくに話しかけて、ぼくのことを探るようにいろいろ聞き出そうとする。その隣にいる年とった女性社員もぼくらの話に聞き耳をたてている様子だ。ぼくはそんな雰囲気がいやで、振り切るように意味なく会社の外に出て、また戻る。
もう誰も話しかけてくる者もいなくなったので、ぼくは次の取材に必要なピアノについての資料を何枚か、なくさないようにどこかの壁に貼ろうと思う。さんざん迷った末、自分のデスクの棚に貼ることにする。
するとぼくの背後に、3人の初老の女性が現れる。一人がさっきぼくに話しかけた女性に「私は1日に10時間寝ないといけない人だったが、元気になって働けるようになった。それなのに、またダメになって、あんたが私のために買い物をしてくれるようになるとはね」と言う。
ぼくは彼女たちに構わず退社しようとする。すると、床の一部がぱたんと開いて、地下室への通路が出現した。そこからぼくの知らない黒い服装の男たちが沢山出てきた。そうか。うちの会社には地下室のオフィスがあり、そこが出版部になっているのだ。彼らは出版部の社員なのだろう、と思う。中にはおじいさんや膝の高さまでしかない小人もいる。不気味な無言の男たちの集団である。
ぼくは7時過ぎまで仕事をして、帰宅することにする。
2016年11月08日
11月8日の夢(福岡の陥没の予知夢?)
ホテルのような場所で皆でパーティーをしている。何か異常なことが起きた気配がある。窓から外を見ると、家々が崩れ落ちていく。宇宙人襲来か、あるいは異界からの攻撃だろうか。小さな子供たちを守りながら、ぼくらは外に出て、見えない敵と戦いながら逃げる。皆もぼくも、まるでスーパーマンのように活躍して、敵を倒していく。車に乗り、さらに電車に乗り換えて脱出だ。だが、電車の窓からも崩れ落ちていく市街が見える。ようやく安全な場所にたどり着き、敵の攻撃も撃退したので、再び最初のホテルに戻る。皆、服を着替えるが、ぼくだけ履いていた青いズボンが見つからず、下着姿のまま皆に探してもらう。そのとき、またもやぼくの神経は異常を感知する。再び敵が襲ってきたのだろうか。
2016年11月05日
11月5日の夢(はぐれる)
秋晴れの空の下を女友達と二人で歩いている。ぼくは自分の肩あたりまであるキャスター付きの大きなスーツケース。女友達は軽くて小さなバッグを持っている。左に曲がるとエスカレーターがあり、乗るには改札を通らなければいけない。ぼくはパスモをかざそうとするが、そうではなかった。左の壁にコインロッカーのような、大小たくさんの四角い凹みがあり、そこに荷物を押し込んで扉を閉め、消毒してもらうのだ。女友達は簡単にパスして、先に行ってしまった。だが、ぼくの荷物は巨大で重い。なんとか持ち上げて、中に入れ、扉を閉めるが、少し隙間が空いてしまう。そこからシューッと噴霧器のように、白い消毒液が空にまき散らされる。思わず目をそむける。消毒が終わったところで、スーツケースを取り出し、女友達の後を追う。岡の上の広い道路に出る。うららかな秋空の下を車がスピードを上げて行きかっている。しかし、女友達の姿はない。ふと見ると、スーツケースの一部が点滅している。何かのボタンらしい。押すと、女友達の声が聞こえてくる。彼女の声は不機嫌そうだ。一瞬、留守番電話の声かと思ったが、そうではなく生声である。ぼくは彼女が「どこにいるのか」と聞き出そうとするが、ぼくの声は彼女に聞こえていないのかもしれない。
2016年11月03日
11月3日の夢(母校へ進軍)
5、6人の仲間たちと名古屋にある母校の東海高校に向けて進軍している。そこに敵が立てこもっているからだ。しかし、名古屋の中心街は賑やかで、戦争を連想させるものなど一つもない。
ぼくは東海高校はこの広い通りに面してあると思っていたが、それは思い違いで、ここから右手の奥に入った市街にあるようだ。ぼくの合図でみんな右手に向かうが、そこには道路はなく、川に行く手を阻まれてしまう。後ろにいた男が手を振って、左へ戻ろうとする。だが、先頭を行く男が「いや、川で濡れた方が相手に恐怖を与えられる」と言い、ぼくらは川に向かう。男に続いて、水面に降りようとするが、青い水面までは垂直の崖になっていて、とても降りられそうにない。漁師たちが軽々と水面に降りていくのを見ながら、ぼくは途方に暮れる。
同じ仲間たちと電車に乗る。男たちの乗った左の車両は満員だ。だが、ぼくと女友達の乗った右の車両はがらがらで、ぼくらはゆったりとベンチ式のシートに座ることができた。
ぼくはトイレに行きたくなり、一人で電車を降り、駅裏の迷宮のような裏町に入っていく。迷宮は海の底の竜宮のような怪しい極彩色の世界で、おばあさんが一人店番をしている。その一角に小さな鍾乳洞のような窪みがあり、男性用の便器が一つだけある。そこで用を足そうかと思うが、思い直してさらに奥へ進む。
ちょうど入った店に便器があった。だが、ここは夢の中だ。ここでしてはいけない、と思う。目を覚まして、外へ出なくては。ぼくは店から外へ出る。いや、これもまだ夢の中だ。ぼくは地面に自分の体を打ち付け、転がり廻りながらなんとか目を覚まそうと七転八倒する。
2016年11月01日
11月1日の夢(インドネシア様式のホール)
女友達と二人で大きなホテルに滞在することになる。ホテルには「インドネシア様式」の広い板の間の部屋がある。ぼくらはまずこの部屋を掃除しなくてはいけない。インドネシアから古い建物を移築したのだろう。床も壁もすっかり古びていて、薄汚れていて暗い。
まず照明のスイッチを探すが、見つからない。そこにいた男性に尋ねてみるが、振り返ると既に明かりはついていた。掃除機をかけたいと思うが、あるのは昔ながらの箒だけだ。それも二つあると思ったのに、一つは箒ではなかった。ぼくは一つだけの箒を持って、床を掃き始める。
足がむずがゆいので、ふと見ると、足の指と指の間に楕円形の虫がはさまっている。この虫はこうやって、人の血を吸う吸血虫だ。ぼくは虫たちを一つ一つ箒で叩き潰しながら歩く。そんな中を子供たちが元気に遊んでいるが、ぼくは彼らの足元の虫をやっつけるのに夢中である。
部屋の中に得意そうな笑みをたたえた、顔に皺の多い男性が立っている。彼は「ぼくは今、宇宙飛行士になって、一日千五百万の収入を彼女のところに送っているんだ」と自慢する。だけど、そのために宇宙でいつ命を失うかもしれない。それが代償なのだ、と思う。
このインドネシア様式のホールを何時になったら、閉館すればいいのだろう? 一人の男性がぼくの掃除を手伝いもしないで、立ったままぼくをじっと見ている。彼はぼくがインドネシアから来たと思って、いろいろと質問してくる。
2016年10月31日
10月31日の夢(ラジオ英語講座)
倉庫街を急ぎ足で歩きながら、ぼくは携帯ラジオで英語講座を聴いている。男性講師が何か問いかけ、ぼくはそれに「サウザンド」と答える。するとまた、男女の講師がラジオからぼくに何事か二言、三言応答する。たった一人の生徒であるぼくのために、彼らはラジオの向こうで懸命に英会話を教えようとしているのだ。でも、こんなこと面倒くさいじゃないか。目指す倉庫にたどり着いた瞬間、ぼくは冷たくラジオのスイッチを切る。
2016年10月30日
10月30日の夢(週明け出勤)
月曜の朝に出社する。ぼくが一番の出社で、まだ誰も来ていない。誰か、日曜に休日出勤した者がいるのだろう。それぞれのデスクに伝言メモが置いてある。ぼくのところにも隣のA氏のところにも、校正ミスなどを指摘するメモがある。ぼくは自分宛てのメモを急いで隠す。そして、デスクの中にあった書類や私物をいったん全部外に出す。足の踏み場もなくなる。それを跨ぎ越すようにして、隣のデスクにA氏が出社する。さらにその隣の女性社員も「ちょっと通してね」と言いながら、デスクにつく。みんな自分のミスを指摘するメモのことで大騒ぎになる。やがて社員たちは「課長! 気になるから、ずっと立っているのはやめてください!」と言い出す。デスクの列の右に課長のデスクがあって、確かにその横に課長が立って、こちらを見ている。まだ若い男性の課長は、不意をつかれたようで、顔を赤らめ、どぎまぎした様子だ。
2016年10月29日
10月29日の夢(ラスベガス)
女友達がラスベガスでギャンブル・デビューするというので、付き添いで隣の部屋に宿泊する。ぼくは何かと世話を焼きたくてたまらない。手で持てる限りのものを持って、隣室を訪ねると、彼女は喜ぶものの、そのままぼくの傍らを通り過ぎようとする。ぼくは痛み止めの塗り薬のボルタレン・ゲルを取り、「せめてこれだけでも塗ったら?」と言い、彼女はその薬を首に塗り付ける。ぼくは隣室に帰るが、再び彼女が気になって、いろいろなものを手に持ち、隣室のドアを開けかけるが、あまりにも世話を焼き過ぎだと考え直して、部屋に戻る。
2016年10月28日
10月27日の夢(精神分析)
新しくできたばかりの遊園地に行く。そこにある精神分析医のオフィスにぼくは出頭を命じられたからだ。立派な建物の二階にオフィスはあった。男性アシスタントがぼくをベッドに寝かせる。だが、医師を待つ間にふと気が変わり、ぼくはそこから脱走する。
遊園地の中を疾走する間、空から色あせた桜の花びらの塊が、ばさっばさっと降り注ぐ。ぼくはとても身が軽い。追跡してくるアシスタントの男を振り切って、ぐんぐん疾走する。ある角を曲がって、ぼくはぱっと身を隠す。男は行き過ぎたところで立ち止まり、ぼくを探してあたりをきょろきょろする。「こういうのが一番辛いんだよ」と男は愚痴る。
だが、ぼくは逃げるのをやめ、再び分析医のオフィスに引き返す。診察室に行く前に用を足そうと、トイレのマークのついた部屋のドアを開ける。だが、そこには洋服に金銀の飾りをつけた立派な身なりの男が二人、奥と右の玉座のように豪華な椅子に座って、執務している。だが、ここはトイレなのだから、二人に構わずぼくは床に放尿しようと思うが、結局あきらめて診察室に向かう。だが、ぼくにはもう男の言うがままに分析を受ける気持ちはさらさらない。
10月26日の夢(笑いのアイコン)
誰かの個展に出かける。作品として(笑)を表すシンプルなアイコンが展示されていたはずだ。それを写真に撮ろうと探すが見つからない。ぼく自身はそのアイコンをやめて、他のもっと複雑なアイコンにしてしまったが、やはりシンプルなアイコンが一番だ。けれども個展会場中探してもやっぱり見つからない。
2016年10月22日
10月22日の夢(解散パーティー)
ある大きな同人誌のパーティーに行く。会場は隣り合って二室あり、皆は食事の用意された広間で賑やかに団らんしているが、ぼくだけ一人ぽつんと何もない別室に座っている。しかし、どうにも空腹なので、皆のいる方へ入ってみる。テーブルの上にはもう取り皿は一枚もない。ケーキが僅かに残っているのを、紙ナプキンに取ってなんとか食べる。
パーティーが終わり、外へ出ると、皆が「この会はもう終わる」と言う。メンバーが沢山死んでしまったからだとのこと。皆が立ち去り、ぼく一人だけが呆然と後に残される。
2016年10月21日
四つの短い夢
●10月16日の夢
列車に乗って、Aという駅に行くつもりだったが、うっかりして乗り越してしまう。降りてみると、ここはB駅だ。Aに戻ろうと、ホームの反対側に行くが、Aに戻る線路はないのだった。
●10月17日の夢
新宿西口からバスに乗る。バスが西口から南口に回ると思っていた同僚は「あれ?」と首を傾げ、別の乗客に「南口元町で降りたいんですが……」と話しかける。ぼくは「西口元町で降りればいいのに……」と思っている。
●10月18日の夢
ある編集者から原稿依頼を受ける。どこかから「左へ、左へ」という声がしきりに聞こえる。
●10月20日の夢
楽器店に取材に行く。中年の男が店頭に3人立っている。そのうちの一人がぼくの顔を覚えていて、「後で……します」と言う。それを聞いて、ぼくはすぐに会社に引き返す。
社内にいるとデザイナーの男性から内線がかかってくる。「○○はどうしたんですか?」と言う。そういえば彼に仕事を依頼していたのに、すっかり忘れていた。仕事の材料を持って、急いで一階の彼のデスクへ向かう。
2016年10月13日
10月13日の夢(従軍慰安婦の夢)
戦争がようやく終わり、従軍慰安婦だった女性たちも解放された。終戦のどさくさに紛れて、彼女たちは軍に反乱を起こし、軍資金を奪って北極海に逃亡する。そのお金で連合国に助けてもらおうというのだ。それを知ったぼくは彼女たちの救援に向かうが、うまく彼女たちと出会うことができない。
書店だか図書館だか分からない、本ばかりが壁に並ぶ暗い建物の中。洋書がぎっしり並ぶ二階にいるぼくは、一冊万引きしたいという誘惑を必死に抑える。階段を忍び足で降りると、今まで誰もいないと思っていた真っ暗な一階のテーブルを囲み、沢山の少女たちが読書している。こんな暗闇の中で本が読めるのだろうか。ぼくは足音を忍ばせて、彼女たちの間をすり抜けて外に出る。
2016年10月10日
10月10日の夢(韓国で記念撮影)
韓国に行き、二人芝居を観る。出入り口にドアはなく、半円形のスペースが個室の劇場になっていて、観客はぼく一人だ。役者は頭の禿げかかった男と、中年の女。劇が終わり、出て行く役者を、ぼくは拍手をしながら追いかける。そして、出たところにある大きな円卓のところで、一緒に記念撮影してもらおうとする。ところが、机の上の邪魔なものをぼくが片づけていると、沢山の人が次々に集まってきて、記念撮影の輪に加わろうとする。韓国の著名な女性詩人の顔も見える。しかし、いざ撮影しようとすると、カメラの「××(不明)機能」の問題で、シャッターがどうしても降りない。
2016年10月08日
10月8日の夢(他人の夢に入る)
一人の女性が夢を見ている。夢は透明な、縦長の繭玉のようだ。その中に白い服を着て、彼女は立っている。ぼくは「ぼくも同じ夢を見るね」と言って、自分の夢の中に入り込む。そこにはさっきの繭玉があり、彼女がいて、歓迎するように両腕を広げている。
2016年10月04日
10月4日の夢(乗換駅)
小田急線・代々木上原のホームで三番線の電車から降りて、反対側の四番線の電車に乗り換えようとする。ぼくのほかに男性二名、大人の女性二名、女子中生二名がいる。人波にまぎれて、二名の男性は姿を消した。四番線の電車に殺到する人々の列の、ぼくの前には女性二名がいて、その前にいた大きな荷物を持った一人の女子中生が今まさに乗り込もうとしたとき、背後からもう一人の女子中生が「混んでいるからやめようよ」と悲痛な声をかけた。その声に、乗り込もうとした女子中生は思わず、足を止め、彼女の大きな荷物にさえぎられて、誰も乗り込めなくなってしまう。押し合いになるが、よく見ると、車内はがらがらで、みんな座れそうだ。「空いているじゃない?!」と、ぼくは声を出す。「本当だ!!」 みんな、とたんに希望が湧いてきたようだ。
2016年10月03日
10月3日の夢(騙し合い)
詐欺師の母親と娘がいる。娘の方は二十代のお嬢様風である。ぼくは仲間の男性と共に記者として、この詐欺師母娘を逆に騙してやろうと考える。
ちょうど手頃な廃屋になったばかりの高級ホテルがある。広い芝生の前庭も高級感のあるロビーも、多少くたびれてはいるものの元のままである。
ここに二人をインタビューするからと言って、呼び出した。二人をロビーの席につかせ、食事をご馳走すると言う。ここで、ぼくの相棒の男は「手洗いに行く」と言って、姿を消した。ここからはぼく一人でやらなくてはいけない。ロビーにはぼくと母娘しかおらず、閑散としているが、母娘はぼくを疑っていないようだ。一人しかいないウェイターがトレイに載せたランチを運んできた。チャーハンは小さな小皿にほんのちょっぴりで、味も薄い。手抜き料理だが、二人はまだ気がつかない。
「では上の部屋でインタビューしましょう」とぼくが言うと、二人は頷いて席を立つ。母親はクロークへ行き、高級な黒い上着を自分のものだと言って、騙し取った。そして、二人は上へ行くと見せかけて、そそくさと玄関から外へ逃げる。ランチを食い逃げするつもりなのだ。
ぼくが様子を伺いに出口まで行くと、雨の前庭を慌てて母親が駆け戻ってくる。忘れ物をしたらしく、ばつが悪そうにぼくを見る。
2016年10月02日
10月2日の夢(病院から通勤)
病気になり、入院先から会社に出勤している。病院では忙しくて大変だが、会社ではたいした仕事もなく、暇である。今日も出社してみると、大きな事務封筒に入れた入院書類を病院に忘れてきたことに気づく。また取りに戻るのは大変だ。病院に電話して送ってもらおうとするが、電話が通じない。
10月1日の夢(銭湯海水浴場)
詩人のH氏の運転する車で仲間たちと海水浴場に向かう。車は一番舗道に近い側を疾走しているが、センターラインには金属製の長方形のものが、沢山旗のように立っていて、車が接触するのではないかと気が気でない。
海水浴場は銭湯の入り口のような感じだ。すごい数の人が行列して並んでいる。何人かずつ入口で靴を脱いで上がり、みんなにお辞儀をして順番に暖簾の向こうに消える。そしてまた何人かずつ暖簾から出てきて、そこで舞台あいさつのようなことをする。ぼくのすぐ後から出てきたのは、海水浴なのにすっかり服を着こんだ髭の紳士である。慌てて服を脱ごうとするが、続いて出てきた女性が「この人は西洋画家なの。ごめんなさいね」と言い、彼は服を脱がなくてもいいことになった。
2016年09月30日
9月29日の夢(食堂)
ぼくの実家のあったところは名古屋の覚王山である。今は地下鉄の通っている広小路通りには昔は市電が走っており、覚王山の一つ手前が池下、もう一つ手前が仲田、それから今池であった。今日は池下で一時から取材があり、タクシーに乗って今池、仲田とだんだん近づいていく。広小路通りは人通りもなく、暗くて車がすれ違うのもやっとの感じだ。こんなに狭い道を市電が走っていたのだろうか。
池下で車を降り、取材の前に腹ごしらえをしようと、ランチする場所を探す。ビルの二階に食堂街がある。最初に覗いた中華レストランは手頃な感じだが、中年婦人の団体が賑やかにしゃべりながら食事をしているので、敬遠する。いろいろと店をひやかすが、適当な店を見つけられないまま、今池まで歩いて戻ってきてしまった。最後に入った店は、頭のはげた初老の男が主人である。ところてんか豆腐のような、不定形のものを水槽に入れて販売している。それを一個、皿に入れてもらうが、これだけではランチに足りない。しかし、ほかに食べられそうなものがこの店には見当たらない。
2016年09月28日
9月26日の夢(地下鉄)
仲間と地下鉄で出かけ、別の路線に乗り換える。反対側のホームに既に停車していた車両に慌てて飛び乗った。そこは一番後ろの車両で、窓際の通路に小さなテーブルが一つ置いてある。ぼくはそこにリュックを置きたいと思うが、別の乗客がそこに荷物は置いてしまった。ぼくはしかたなく床に座り込み、膝の上にリュックを置いて、中身をごそごそとあさる。気がつくと、さっきまで一緒だった仲間がいない。そういえばあの乗換駅には二つの路線が乗り入れていた。ぼくは別の路線に乗ってしまったのかもしれない。アナウンスをよく聞いて、また乗り換えればいいと思う。
9月25日の夢(ショッピングセンター)
ぼくの住むマンションの端に二階建てのショッピングセンターができた。靴を脱いで上がるフローリングのショップである。中年男性のマネージャーが取り仕切るオープニングを見学し、自宅に戻ろうとすると、自分の靴が見当たらない。しかたなく、裸足のままけがをしないよう、気をつけながら歩く。
お腹が減ったので、新しくできたショッピングセンターに出かける。総ガラス張りのとても近代的な広い建物だ。だが、ここはアフリカなので勝手が違う。レストラン街を見て回るが、いるのは黒人たちばかりで、食べ物も見たことのないものばかり。入る勇気がないまま、中二階のお菓子屋の並ぶフロアへ行く。女性店員がぼくを呼び止めるので、勇気を出してお菓子の一つを指さし、「これをください」と言う。店員はそれをトレイに載せて、「四千円です」と言う。ぼくは「えっ、そんなに高いの?」と驚き、「どこにその値段は表示されているの?」と尋ねる。女性は印刷されている文字をいろいろと指さして見せるが、どこにも価格表示は見当たらない。
9月24日の夢(大邸宅)
立派な邸宅を仲間たちと訪問している。一室で仮眠をとり、目が覚めると、もうみんなは帰り支度をすませたようだ。慌てて起き上がると、水色のカーテンの陰でお風呂から上がった男がタオルで体を拭いている。「失礼します」と男に声をかけ、自分の荷物をかき集めて隣の部屋に行く。さっきの男はこの家の主人だと思ったのに、主人は隣室で女性と話していた。彼の夫人など何人かがその部屋にいる。話がなかなか終わらないので、さっきの部屋に戻るが、そこには何人か主人の家族がいる。誰かが「女ではない、女ではない」と繰り返し叫んでいるのが聞こえる。
2016年09月22日
9月22日の夢(大阪城築城)
大阪城を築城する責任者になった。といって、現在の話である。既に原型となる建物はあり、これを改築するだけだが、待っていてもなかなか人手が集まらない。何人かで座って待っていると、少しずつ人が集まってきた。一応、徳川方との戦争状態にあるらしく、「窓から外を覗くな」と注意されるが、ぼくは無視して覗く。でも、窓からはたいした景色は見えない。
やっとコンクリートミキサーやワゴン車が集まってきた。ぼくは外に出て、舗道の柵に腰掛ける。銀座のような賑やかな表通りだ。車道の方から青っぽい制服を着た男たちがどやどやとぼくの周囲に集まってくる。どこかの大学のラグビー部らしい。ぼくは彼らの傍若無人な態度に腹を立て、我慢して座り続けるが、あまりにやばそうな感じになったので、立ち去ることにする。
城内に戻ると、ついに大勢の人たちで中はいっぱいになっている。隣室では合唱が始まった。美しいハーモニーに惹かれて、ホールのような広い部屋に入る。舞台の上に数十人の学生が上がって、山の歌をうたっている。それと同じぐらいの数の学生が客席に座って、それを聞いている。
2016年09月21日
9月21日の夢(パーティー)
パーティーに招待されている。知らない男性二人と一緒だったが、一階の控え室は招待客でいっぱい。人ごみの中で、彼らを見失ってしまう。招待客には変人が多いようだ。頭にターバンのようなものを巻き、爬虫類のような目をした女はTシャツをまくりあげてお腹を出し、ぼくにへそを舐めろと言う。
とてもこんな連中とはつきあっていられないので、外に出る。これはテレビドラマで、どこかでロケされたものらしい。見回すと、目の前の風景に見覚えがあり、はっとする。ここはぼくが昔いた草思社の近くではないか。
よく見ると、建物は傷ついていて、焦げ跡がある。原宿で大きな火事があり、そのあたりの建物は廃屋になっていた。その建物を改修してロケをしているのではないか。だがよく見ると、似ているようで違う気もする。
9月20日の夢(花が燃える)
かつて詩誌「地球」の同人だったH氏が舞台で歌っている。「花が燃える、花が燃える……」。やがてその歌をうたっているのはぼく自身になる。「花が燃える、花が燃える……」。目覚ましが鳴り始めたとたん、音楽はぴたりと止まってしまう。もっと聴いていたかったのにと悲しくなる。
2016年09月19日
9月19日の夢(喫茶店)
喫茶店だと思っているが、フロアに立ち並んでいるのは木製の書棚。そこにぼくの作った本を並べて、売らせてもらっているらしい。昔の仕事仲間のイラストレーターに依頼して、描いてもらったイラスト付きの本も作って売る。それとは別に、自費出版本も作ってあげたので、その費用として二十万円ほどの代金を受け取った。しかし、描いてもらったイラストの料金を支払っていない。会社に戻って、原稿料支払い依頼書を書かないといけないなと思う。さっき貰った自費出版代と相殺すればよかったなと思う。
女友達を原宿に遊びに連れて行く。原宿はその名の通り、一面の緑の芝生の原っぱだった。馴染みの店のはずのレストランに入ろうとして、ドアをあけると、中は予想外に狭く、左右に二つのソファがあるだけだ。片側は三人掛けで二人の女子中生が、他方は二人掛けで一人の女子中生が座って、飲み物をストローで飲んでいる。これでは二人並んで座れない。三人が一つのソファに詰めてくれることを期待するが、彼女たちは黙ってぼくの顔を見つめるだけで、動こうとしない。ぼくは外にいる女友達に声をかけて、中に入るように言う。そして、別棟にあるトイレに行く。トイレにはドアがなく、白い大きなカーテンが激しく風に揺れている。風が吹くたびに、ぼくの用を足す姿が彼女たちに見えてしまいそうで、気が気でない。
2016年09月17日
9月17日の夢(要塞)
砂漠のような場所にある二階建ての要塞に立てこもり、銃で戦っている。最初に撃っていた部屋から隣の部屋に移り、さらに撃つ。そして、要塞から外に出て戦う。
夢の画面はテレビ中継車からの映像らしい。要塞にだんだん近づいていく。外から攻める側と、中から応戦する側の戦闘がどんどん激しくなる中、テレビ画面はどんどん要塞に近づいていき、戦闘のすぐそばをゆっくりと通り抜けていく。二人の兵士が手榴弾を投げ、カメラのすぐ近くで爆発する。
9月14日の夢(宝石店)
もうおしっこが我慢できない。高級宝石店は照明が暗いので、ここでしてしまおうと思う。眼鏡をかけた男性店員が何人か目を光らせているが、何気ない顔をして、宝石の飾り立てられたテーブルを回りながら、その足元に放尿をしていく。
2016年09月04日
9月4日の夢(川のほとりの朗読会)
今日は学校の文化祭の日だ。いつのまにかクラスのメンバーはみんな外に出てしまい、教室に残っているのはぼく一人だ。そこへ、この教室を会場として使おうとしている他のクラスの男子生徒たちがどやどやと入ってくる。慌てて教室の外へ出ようとするが、出入り口の床には彼らの持ち込んだ機材がいっぱいで、それを思わず踏んづけてしまう。さて、これから柔道部の部室に行かなくてはならない。それは校舎とは独立した建物のはずだが、どこにあるのか見当がつかない。
そうだ。これから知人の女性詩人の発表会があるはずだった。彼女の朗読のバックで、ぼくは神楽太鼓を叩いたり、鞭をふるって風の音を出したりしなくてはいけないのに、まだ何の準備もしていない。だが、川のほとりで彼女の朗読パフォーマンスは既に始まっていて、ぼくがいなくても大成功を収めているようすだ。
9月3日の夢(コンサート)
ホールでぼく自身が出演するコンサートの準備をしている。ホールは六角形か八角形で、その角の部分ごとにちょっとした部屋のようなものがある。ぼくは共演するもう一人の男性アーティストと共に、のんびりとそれらの部屋を巡っていく。自信たっぷりで、とても充実した気分だ。
2016年09月02日
9月2日の夢(クビになる)
会社にいると、「当社ともう一社と御社と組んで、共同事業をできませんか」という電話がかかってきた。ぼくは無意味な電話だと判断して、お断りする。
今日は上司が部下を一人一人自分の個室に呼び出して、面談をしている。次々と同僚が呼びこまれるが、ぼくはその間に服を着変えようと思う。裸にならなければならないので、一人だけになれるところを探すが、社内にはない。会社の外に出ると、そこは眼下に流れの早い川が流れる谷間を見下ろす岩山の上。観光客が沢山いるので、人目がある。茂みのかげにどうにか人目を避けられる場所を見つけ、着替えようとすると、二~三人の同僚がやってきたので、そのまま談笑する。
会社に戻ると、ちょうどぼくの面接の順番である。上司は民進党の江田である。怖い顔で「さっきおまえに他社のふりをして電話をかけたのは私だ。あんないい話を断るなんて、おまえはクビだ」と宣告される。だが、ぼくは平然とプライドを保ち、胸を張って会社を出ていく。
9月1日の夢(ねじめさんの書斎)
ねじめさんの家へ行く。階段を上がった二階に奥に広がった大きな書斎があり、何台もベッドが並んでいる。ぼくの持っている掃除道具は箒と塵取り。集めたごみを箒で塵取りに入れようとするが、なかなか入らない。掃除機を借りたいが、ここにはなく、どこかの部屋で掃除機が唸っているのが聞こえる。「使っているんだなあ」とぼくが呟くと、隣にいたH氏が「えっ、えっ?」と言う。床を見ると、薬袋やいろんなゴミが散らかっている。
2016年08月30日
8月30日の夢(トイレ掃除)
ぼくは中学生か高校生。別のクラスと合同で何かの活動をするので、お礼にそのクラスのトイレを掃除することになる。よく知らない女生徒とぼくとが掃除当番に選ばれ、掃除道具を持ってそのクラスに出向く。途中、掃除道具のビニール袋の底にくっついていたらしいぼくの帽子が、はらりと廊下に落ちたのを拾う。
クラスに着いた。白いワイシャツ姿の男子が廊下との間の窓に猿のように乗っかっていたり、普通の腕白なクラスである。驚いたことに、教室から廊下にちょっと張り出した形で、男子用・女子用の便器が一つずつついている。このクラス専用のトイレがあるのだ。かたわらにビニール袋が二つ、フックに吊り下げられている。自分のクラスから持ってきたビニール袋ではなく、これを掃除に使えばよいと思う。一つの袋には棒状のフライドポテトが、もう一つの袋には割りばしが沢山入っている。いずれも便器の中に必ず落ちているものだ。手にとると、中で汚物のガスが発酵しているのだろうか。パチパチと音を立てて、ポテトチップスや割りばしが間欠的に飛び上がるのが面白い。
2016年08月29日
8月29日の夢(荒廃した中央快速)
ある詩人の作った映画の試写が阿佐ヶ谷であるので、会社の先輩の女性と一緒に、東京駅の一番線から昔懐かしい赤色の中央快速に乗る。彼女は40年以上前に「声に出して読む……」シリーズを企画した編集者だ。二人とも立っていたが、ふと見ると同僚のかたわらにはイケメンの男性二人が寄り添っている。しかも、いつのまに座席に座ってしまい、ぼく一人が吊革にぶら下がっている。
気がつくと彼らの姿はない。電車の中は座席が外れて床に転がるなど、ひどく荒廃している。乗客のほとんどは汚い床に座り込んでいる。目つきの悪い若くて痩せた女が、体育座りをしたまま、ぼくを遠くから睨んでいるのが薄気味悪い。
もう中央快速に長い間、乗っている。このあたりの駅から詩人の郷原さんが乗車するのではないだろうか。目の前に座っているのは、もしかしたら清水さんではないだろうか。いやいや、と、ぼくは思い直す。阿佐ヶ谷がこんなに遠いわけがない。電車が今渡った鉄橋は多摩川ではないだろうか。車内アナウンスが「いなりながやー」と駅名呼称する。聞いたことがない駅だ。引き返した方がいい。腕時計を見ると、まだ10時半だ。開映までにはまだ十分、時間がある。
2016年08月28日
8月28日の夢(らせん階段のある楽器店)
楽器店にピアノの修理を頼んだが、要領を得ない。店から電話がかかってきたので出るが、男性店員はまともな対応をしてくれるものの、女性店員はまるで呪文か暗号のようなものを口にするばかりだ。ぼくはその対応に怒りを爆発させるが、よくよく彼女の言葉を聞いてみると、「島崎藤村の『小諸なる古城のほとり』を歌えるようにピアノを直します」と言っているらしい。こんな対応ではお客は怒るばかりだとは思うものの、一応彼女の言いたいことが分かったので、バスに乗って店に向かう。
店に着くと、早速その女店員が出てきて、同じ呪文か暗号のような言葉を呟く。ぼくは一人だけ店のらせん階段を登るが、下にいた人たちが全員どこかへ消えてしまったので、慌てて降りる。みんな店の出口に止めた車に乗り込み、ピアノの修理を頼んだ顧客の家へ向かおうとしている。そのとき、ぼくは階段の一番下の段に鞄かコートのようなものが忘れられているのに気づく。女性店員のものかと思うが、彼女はその両方とも持っていると言う。
乗っていたバスが故障だというので、降りて修理が終わるのを待っている。ようやく直ったと思ったら、ぼくを置いてバスは出発してしまった。車も持っていないし、ここからどうやって帰ればよいのかと、途方に暮れる。
2016年08月27日
8月26日の夢(少女の遭難)
大きな石がごろごろある丘の上に建物がある。建物に近道するつもりだろうか。麓で小学生くらいの少女が登山道ではない岩場をひとりで登っていくの。ぼくはふつうの登山道を登り、建物にたどり着く。そこで、さっきの少女が途中で遭難死したことを告げられて驚く。
建物ではピアノの録音作業が行われている。ピアノが廊下に置かれているので、廊下を通ることができず、室内を廊下代わりに通行する。
老婆と二人外に出る。一段地面から高くなった道にバスが来ているはずだったが、スタッフの男が鉄道で帰るようにと指示をする。しかし、駅に行ってみると、全く知らない路線の駅だ。ひれに乗っても都内の駅には帰れそうにない。老婆が困っている。ぼくもどうやって帰ろうかと、途方に暮れている。
8月21日の夢(パリで暗殺)
ここはパリ。障碍者のためのものらしい施設に入所して、作家をしている男がいる。彼は恋人とデートに出かけるが、デート先で施設のマネージャーに銃で殺されてしまう。それは事故として処理された。
それを知って、新たな入所者が作家になった。だが、女性を連れて外出し、地下鉄の駅への入り口で、施設のマネージャーに「これからデートだ」と言ったとたん、同じことが繰り返される。
殺人現場の正面は暗い広場で、夜黙々と現場検証をする捜査員たちの姿が見える。空にヘリコプターの爆音が大きくなる。
(以前にアップした夢の二日前に記録した夢ですが、記録したこと自体を忘れていたため、アップするのが遅くなりました)
2016年08月23日
8月23日の夢(暗殺列車)
今は戦前である。ぼくら男女数名からなるグループは、豪華列車に乗って成功の見込みのない暗殺を実行するために、現場へ向かうところだ。ホームに列車が滑り込み、同志たちが次々乗り込む。だが、ぼくだけが切符を忘れてきた。でも幸いにして改札もなく、車掌にも見とがめられることがない。列車の窓から巨大な高層ビルや軍艦の停泊する港の風景が見える。夜空にはぼくらの前途を祝うように、星々が華麗な天体ショーを繰り広げて、夢のような美しさだ。
2016年08月17日
8月17日の夢(レジ袋の詰まったバッグ)
学校の教室の中で、生徒たちが互いに悪口を言い合っている。教室から一人の女の子が外に飛び出した。彼女のバッグにはスーパーのレジ袋がいっぱいに詰め込まれ、まるでサンタクロースの袋のように膨らんでいる。後方から走ってきたトラックの車体の一部が、そのバッグを引っ掛ける。今にもバッグがはじけて、道いっぱいにレジ袋が飛び出すのではないかと思う。
2016年08月16日
8月16日の夢(テスター)
会社の実験室で新型のテスターにビデオテープのようなものをセットして測定している。同僚たちが見学に近寄ってくる。ビデオテープのようなものからは、今では希少価値の35mmフィルムがはみだしている。当然ながらとてもレアなものに違いない。同僚が「見せて」と言うので、わざわざテスターから取り出して自慢する。
女友達が外に来ていて、ぼくは彼女に有名アニメーターの書き損じのスケッチをいくつか渡すことになっている。いずれも厚めの画用紙にトレぺをかけたものだが、中にはこれはあんまりではないかと思うものがあり、そのうち3枚を表で待っている彼女のもとへ、確認のために見せに行く。1枚はトレぺに絵具ではなく、犬の糞が付いているように見えるもの。もう1枚はアニメーターのものではなく、ぼく自身が描いたもの。最後の1枚はそもそも絵そのものが描かれていない、不完全なものである。地面にしゃがんでいた女友達は意外にもそれらを受け取ってとても喜び、「これもあれも下さい」と言う。
市街を歩いていて、自分の着ているピンクのシャツに黒いうんちが付いているのに気がつく。きれいな服だが、しかたなく脱ぐと、もう1枚にも付いているので、それも脱ぐ。それでもぼくはまだ2枚の美しいピンクのシャツを着ている。これで十分じゃないかとぼくは思う。周りは渋谷のような近代的な、とても賑やかな交差点である。
2016年08月10日
8月9日の夢(布団)
会社から帰宅すると、ぼくの布団だけが見当たらない。気が付くと、洗面所の奥の洗濯機が置かれていた場所に、押し込められて敷かれていた。
2016年08月06日
8月6日の夢(床屋)
会社を途中でさぼり、家のそばの床屋さんに向かう。床屋さんの何周年かの記念日なのか、それとも経営が思わしくないから、お客さんになってあげたいと思ったからなのかは、思い出せない。ただ、ぼくはもう四十年ぐらい床屋さんに行ったことがない(他人任せにするのがいやなので、必ず自分で調髪する)ので、相当な意気込みであることは確かだ。
三時から開店のはずである。近くの公共駐車場に床屋さんの軽自動車が滑り込んできた。降りてきた床屋さんは長年Y社でお世話になったN氏である。ここで出張床屋をするつもりなのだろうか。
開店まで待とうと、近くの喫茶店に入る。同席したおばさん三人組も、その床屋さんにこれから行くと話している。
そろそろ開店時間だなと思って、店を出る。外はもう夕闇が降りていて、まるで見知らぬ街に来たみたいで、途方に暮れる。駐車場へ行くべきか、床屋のお店に行くべきか迷うが、お店に行くことにする。しかし、ぼくの歩いている方向が正しい道なのか、全く自信がない。
2016年08月05日
8月4日の夢(アポ取り)
そろそろお昼休みだ。昼食をとろうとしながら、なにげなくノートを見て、今日はお昼と夕方に二本のインタビューの予定を入れていたことに気づく。しかも、お昼のインタビューは「女性ミュージシャンを0時00分から」となっていて、既に予定時刻を20分ほど過ぎているではないか。慌てて階段を降りて飛び出そうとして、テレコを用意してないことに気づく。彼女の所属事務所である「音楽振興会」の女性マネージャーに電話するが、焦って「もしもし、こちらは音楽振興会の一色ですが」と名乗ってしまい、急いで「SCRの一色ですが」と言い直す。さて、ぼくがインタビューする相手はピアニストだったか、名前は何というのだったか……。企画書を目で追いながら、データを探す。手土産は、ちょうど食べようとしていたお菓子の詰め合わせにしようと思い、受話器を持っていない方の手でその包みを裏返すと、デスクの上でそれはばらばらに砕けてしまった。
2016年08月02日
8月2日の夢(エレベーターと階段)
二階へ行こうとしてエレベーターに乗る。後から子供連れの夫婦が乗ってきて、三階のボタンを押す。エレベーターはなぜか二階を通過して、三階に止まる。恐縮する夫婦に「大丈夫です。階段で降りますから」と言う。このドアが階段だろうと思って開ける。実際、そこには階段があったが、左へ曲がっていて、踊り場から下は暗くて見えない。おまけに真黒なコールタールのような泥が下から踊り場までを埋めていて、とても降りられない。三階なのだが、そこは地上で、普通の市街地が広がっている。
改めてエレベーターで二階へ降りる。外へ出ると、そこも地上であるが、さっきとは別の市街地が広がっている。
2016年07月31日
7月31日の夢(中国)
中国の劇場で仲間たちと芝居を観ている。昼休みになった。一人劇場を離れて、食堂でランチをとる。ロビーに戻ると女性が「今日はあなたと食事する」と言って、自分のお弁当を開ける。他のメンバーは客席で食事をしているようだ。なんだ。そんなことなら、ぼくも劇場でランチをとればよかったと思う。
午後の部が始まる前に、トイレに行こうとする。ロビーから劇場へ行く細い通路の左側に、男女のトイレのマークが見える。だが、トイレのドアはとても狭くて、トイレに入ることのできないまま劇場に出てしまった。反転して、再度ロビーに出る通路を探す。多分、ここだろうと思う壁の一部を押すと、ドアが開き、さっきよりさらに細い通路に体を押し込むことができた。だが、この通路にはトイレはなく、劇場の外に出てしまった。
一人で外を歩いていると、突然サイレンが鳴り渡る。演習だろうか。中年の中国兵がぼくを誰何し、「止まれ!」と命令する。日本人だと答えると、彼はぼくに銃を向け、大きなボールを渡し、「日本人ならおまえの肌でこの球を磨け」と言う。戸惑いながら、ボールを受け取ると、別の日本人が訳知り顔ににやにやしながら近づいてきた。彼も同じボールを持っている。「左手は中国では穢れた手とみなされる。だから右手で磨くんだ」と教えてくれる。弾力のあるボールはまるで女の乳房のように、手にまといつく。
2016年07月25日
7月25日の夢(張り込み)
早稲田詩人会で船の運送業を始めた。ぼくはその受付係だ。早速、発注の電話がかかってきた。S月堂のC社長からである。「こういうふうに事前に電話しておけばいいのですね」と問われ、ぼくは「はい。それでは27号室(50年前、早稲田詩人会があった部室の番号)でお待ちしています」と答える。
ある夫婦が夜中に何者かに拉致された。近所の人たちが総出で、いなくなった夫婦の家に真夜中に張り込むことになった。ぼくが行ってみると、家の前の暗がりに3人の男女が身を隠すように潜んでいる。一人は猫のお面をつけている。
家の中には大勢の住人たちがいる。突然、誰かが「敵がやってきた」と叫ぶ。ぼくは「誰が指揮をとるんだ? 逃げるぞ!」と叫ぶ。一斉に家から飛び出すと、向こうから大きな人影がどたどたと息をきらして走ってくる。「小川くんも来てくれたんだ」と、皆喜ぶ。
2016年07月24日
7月24日の夢(女王様の会社)
女王様の治める会社に勤めている。海の近くに建てられた新社屋だ。島なのだろうか? 海の中に敵の陣地の灯が見える。だが、それは過去の時代の風景らしい。半透明に現代の都市の風景がそれに重なって見えている。ぼくらはその陣地を偵察したり、女王様にもらったさまざまな武器で攻撃する。西洋の中世のような剣がある。研いでみると、ちゃんと切れる。しかも、ぼくでも扱えるほど軽い。ぼくは女王様から望遠鏡を貰い、それを使って勝利することができた。
武器を別室にいる女王様に返還する儀式があり、ぼくは望遠鏡を返しに行く。女王様の足元には茨のバリケードのようなものがあって、とても邪魔だ。ぼくがそれを跨いで、無事に返し、退出すると、女王様が「一色さんが望遠鏡を本当に返しに来たのよ」と、感に堪えたように言うのが聞こえる。
ぼくの隣のデスクには相沢正一郎さんが座っている。ぼくらのデスクの足元は沢山の段ボール箱でぎっしりだ。それらを足で押しのけながら、ぼくは仕事をする。その会社を、ぼくは一日ずる休みしてしまう。翌日、首をすくめて出勤するが、誰もぼくの欠勤をとがめだてしない。
7月19日の夢(鮎川信夫についての講演)
教室で鮎川信夫について講演をしている。教室の中を歩き回りながら話し始めたが、手にしているメモは一枚だけ。ぼくと鮎川さんの関係について話し出したのに、二枚目以降は持ってくるのを忘れたらしい。
鮎川の幼稚園時代の写真、ピアノ教室に通っていた時代、小学校時代のカラー写真が詰まったアルバムを手にしている。しかし、そのどれにも人は一人も写っていない。
2016年07月15日
7月15日の夢(兵士に志願)
大学の研究室の訪問を終えて、廊下に出る。二階から一階にかけての廊下と階段は、壁際にスチール棚がびっしりと置いてある。そこには乱雑に貴重なCDやビデオカセットが所狭しと並んでいる。いずれ改めて、欲しいものを借りに来たいなと思う。一階には製本される前の校正刷りも何冊かある。これは貴重な資料だ。
波打ち際に出る。海の深い青が美しい。志願兵の受付が終わろうとしているところだ。十八世紀ぐらいのヨーロッパの髭を生やした若者たちが七~八名整列している。担当者が「午前中は一歳年上の志願兵を受け付けたので、皆さんは午後からの受付になります」と言う。ぼくは彼に左手を敬礼するように挙げて、「志願兵です」と申告する。だが、肩がしびれて、左手は肩の高さまでしか上がらない。
2016年07月13日
7月13日の夢(プレゼン)
クライアントのところにプレゼンテーションに行く。クライアントの初老の男性が一人椅子にかけていて、プレゼンをする各社の担当者がその前に何人も並んだ。ぼくはその一番前。定時になり、さあプレゼンをしようとして、自分の荷物をごそごそ探すが、どうしても資料が見つからない。あまり皆を待たしてはまずいので「忘れてきたみたいです」と言って、順番を譲る。
トイレに入る。特に左側が汚れていて、スリッパが床の茶色い液体を吸って、気持ちが悪い。足元の和式便器を見ると、真ん中に黄色い汚物がこんもりと盛り上がっている。
2016年07月12日
7月11日の夢(トイレ行ってこい!)
バスの車内で食事をしながら、建設技術者たちがボランティアの話をしている。労務手帳に「竹中組、○○組」と記入されているため、皆就労中とみなされて、「既に稼いでしまった者には仕事させられない」と言われてしまったのだ。「だから、ボランティアをするにはちょうどいいのです」と彼らは言う。そのとき一人の男が車外から名前を呼ばれ、出ていく。その瞬間、突然「トイレ行ってこい!」という男の罵声がどこからか聞こえて車内に響き渡り、皆呆然とする。
7月7日の夢(赤いスーツケースと黒いリュック)
観光バスで日本全国を旅して歩いている。現在の日本は人口がとても少なくなり、自然の中に巨大な一軒家がぽつんぽつんと存在しているだけ。今日ようやく日本一周の旅を終え、ぼくらは大きなスーツケースを抱えてバスを降りる。ぼくは出口に巨大な戸板のような赤いスーツケースを、飛行機の脱出口のように斜めに立てかけ、そのスーツケースを踏まないように気をつけて降りる。だが、うっかりして黒い自分のリュックを車内に置いてきてしまったことに気づく。「ちょっと待って。荷物を取ってきた方がいいかな」と、ぼくは誰にともなく言い、車内に戻る。すると、バスの中は賑やかな中学生たちでいっぱいだ。「ちょっと待って。ぼくの荷物がないかな」と声をかけるが、誰もぼくのことなど気にかけない。バスは今にも発車してしまいそうだ。
2016年06月28日
6月28日の夢(印鑑)
丘の上の草原にある瀟洒な白亜の建物の中に、ぼくの会社が移転したらしい。学校の校舎か教会のような感じのする二階建ての建物だ。二階のオフィスにいると、Uくんたちが会社から新しいきれいな印鑑を支給されたようで、早速それを使って見せている。うらやましい。ぼくの印鑑もあるかもしれないと、階下に降りる。職員室のような部屋の前の廊下に、ビニール袋に入れたたくさんの印鑑が置いてある。一つ一つ確かめてみるが、ぼくの名前のものは見当たらない。ぼくは正社員ではないし、お金もないから、作ってもらえないのだ。
2016年06月24日
6月24日の夢(裁判)
みんなに集まってもらい、裁判を開くことになった。しかし、詰めかけた傍聴人というより客たちは、ロビーでがやがやと騒ぐばかりで、なかなか法廷に入ってくれない。ぼくは「ただいまから開廷しますので、お集りください」と声を嗄らして叫んでまわるが、「お集り……」のあたりになると呂律が回らず、滑舌が悪くなる。
二時間ほど待ちくたびれたところに、やっと被告たちがやってきた。三人の青い作業服を着た男たちで、頭からどろどろの白い石膏をかぶっており、「これから風呂に入りたい」と言う。法廷の後ろの席にいるぼくに、舞台から司会者が「一色さん、どうですか」と声をかけてくるので、ぼくは彼に被告たちが風呂に行ったことを告げる。
そんなふうにして、今日でもう裁判は三日続いている。気づくと、ぼくの家の中が法廷になっている。ぼくの家は左右二つの部屋に分かれ、どちらも厚いひだのあるビロードのカーテンがかかっており、中は見えない。左側の小さな部屋は寝室だ。右側の部屋のカーテンの奥でまだ裁判は続けられているのだろうか。
2016年06月21日
6月21日の夢(銀座で対談)
歳末の銀座のオフィス。場所は八丁目あたりだ。通りを隔てた反対側の店を会場に、詩人のA氏と誰かが対談することになっている。通りを渡って、会場の店に入る。左手に狭い部屋。右手に広い部屋があり、椅子もテーブルもすっかり片づけられている。真ん中に座っている頑固そうな店主に「対談の方、よろしくお願いします」と声をかけると、彼は「対談? そんなものはダメだ」と言う。ぼくは「いや、既にここを会場として予約済みなんですよ」と言う。店主は「そんならいい」と態度を変える。
また通りを渡ってオフィスに戻り、対談の準備をする。A氏は座卓に正座をして読書中だ。ぼくはトイレに行く。便器の代わりに衣服や布団が丸めて置いてあり、これに用を足せばいいらしい。トイレの足元の白いシーツの中に誰かが寝ていて、ぼくはそれを踏んづけてしまう。
2016年06月19日
6月18日の夢(ホワイトボード)
浜松の会社から東京の自宅に帰ろうとしている。今から静岡で乗り換えて帰宅すると、夜遅くなってしまうなと思う。出先を記入するホワイトボードに「退社」と書こうとするが、それはスチールの棚の奥にあって、ぼくの名前の欄はどう手を伸ばしても届きそうにない。しかし、実際に手を伸ばしてみると、すぐにそこに記入することができた。
6月17日の夢(見えない車と信号機)
タクシーに乗り、四谷あたりの交差点で、信号待ちをしている。信号は上下に開閉する鉄の門だ。そして、車は透明で、自分の尻の下の小さな薄い板しか見えない。永遠のように長い信号で、みんないらいらしている。「やっと開いた」。一番前にいた黒い顔のインド人の男が、這うようにして鉄門の下を潜り抜ける。続いて、たくさんの男たちの乗った、車体の見えない車が通り抜け、ぼくのタクシーも後に続く。
信号を抜けたところは急な斜面である。塵取りに尻を乗せて下っていくような感じ。今にも放り出されそうだ。後ろからクラクションが鳴っている。放り出されて轢かれてしまうことを恐れるが、運転手はうまく車を立て直して、斜面を下り終える。
新宿の南口が見えてきた。ぼくは「甲州街道を左へ行ってください」と運転手に指示する。「目的地は何という建物ですか」と訊かれ、「えーと、なんというのだったかなあ」と必死で思い出そうとするが、どうしても思い出すことができない。
2016年06月09日
6月8日の夢(二つの断片的な夢)
薄暗い部屋の中で、十数名の仲間たちと詩の会合を開いている。前列の女性が話し出したが、彼女は呂律が回らない。
自宅にいる。窓の向こうに白い水しぶきをあげる小さな人工の滝がある。電話がかかってきた。受話器をとると「○○さんはいらっしゃいますか」と言う。「今は自宅にいらっしゃると思います」「ご自宅の番号はお分かりになりますか」「はい。ちょっとお待ちください」という問答をしてから、受話器を置き、住所録を探す。
2016年06月04日
6月4日の夢(水平移動するエレベーター)
新しい病院長を公募することになり、三人から応募書類が寄せられた。現院長を中心にぼくらはロビーで、選考会議を開いた。院長は一人の書類を指して、「こいつは院長より舞台監督がふさわしい」と言う。舞台監督は院長に次ぐ地位の役職である。だから、あとの二人のうちどちらかが新院長になるわけだ。
しかし、なかなか選考が終わらないので、休憩してぼくは外に出る。外はさびれた漁師町だ。もう夜の十時過ぎなので、今夜は帰宅できないかもしれない。
ロビーに戻ると、もう会議は終わったらしく、ぼくの属する営業部のスタッフは誰もいない。知らない顔の人ばかりだ。そこへのっそりと元野球監督の野村さんが現れ、ぼくを見て、「この時期になると、いつもいるな」と声をかけてくる。「この時期にはいちもヤマハ会がありますからね」と、ぼくは答える。
ぼくも帰宅するため、一階に降りようとエレベーターに乗る。するとホテルのボーイが乗ってきて、「この時間はエレベーターは○○と××の間を永遠に往復するだけです」と言う。構わず乗っていると、エレベーターは長い時間水平移動し、別の町でようやくドアが開いた。そこもまたさびれた漁師町だ。
2016年06月01日
5月30日の夢(便器付きデスク)
5月30日の夢(便器付きデスク)
おんぼろな木造校舎の二階の一番端にぼくらの会社のオフィスがある。デスクも汚い木製で、その足元にはそれぞれ自分用の便器が口を開けている。どのデスクの足元もドロドロでとても汚い。
今日は二時間を単位にして一人ずつ講師が教壇に立つ。一時間目にやってきた男は「私は誰でしょう?」と言って、自分の名前を当てさせる。「こないだ現代詩手帳に私の作品が載っていました」と、ヒントを出す。
二時間目の講師は中島みゆきだという。顔を見るだけで帰ろうと思う。休憩時間になったので、外へ出るが、そこはとんでもない山奥だったので、しかたなくまたオフィスに戻る。トイレで用を足したいが、一番奥のデスクの下の便器には誰かが血を吐いた痕があり、とても使う気になれない。とにかく帰り支度を始める。沢山の重い荷物が意外に小さな軽い荷物にまとまった。
そこへ中島みゆきがやってきた。ガラスケースに入った彼女の身体にはアンドロイドみたいにいろんな管が巻き付いている。しかも半裸で、両手で胸を隠しながら、メイクをしてもらっている。それなのに大声でおばさんのようにしゃべりまくる。
2016年05月26日
5月26日の夢(デスクがない)
JRの社員大会のようなものの取材に行く。夜には組合のパーティーがあるはずだが、招待状がなければ入れないだろう。鞄の中をごそごそ探すが見つからないので、いったん社に戻る。
戻ってみると、ぼくのデスクと隣の同僚のデスクが壁際に押し付けられ、片づけられてしまっていて、椅子がない。しかたなく床にパソコンを置いて、原稿を書く。しかし、組合のパーティーが気になる。今からでは遅刻だけれど、やはり取材しようと思い、編集長に「国労のパーティーに行ってきます」と声をかける。
玄関を出る前の廊下で、政治部記者のH氏にすれ違う。国労パーティーについて「まだやっていますか」と尋ねると、「うん」と頷く。
2016年05月24日
5月24日の夢(取り残される)
せっかくお休みがとれたので、ドイツへのツアーに参加した。たいした参加人数ではないのに、人手不足のせいか待遇が悪い。ろくな夕食にもありつけないうちに、すぐ宿舎に戻された。マイクロバスが来て、メンバーをどこかへ連れていくらしい。ぼくも一緒に乗り込もうとするが、女性コンダクターが「もう満員なので、次の便を待ってください」と言う。しかたなく、他の数名とホテルに取り残される。海岸に出ると、夕日が沈むところだ。西空から大きなヘリコプターが頭上を通って、帰っていく。あのヘリコプターからぼくらは撮影されていたのだなと気づく。
コンダクターが戻ってきた。ぼくに「あなたはあまりにもひどい声をしているけれど、歌えますか? あなただけやめましょうか」と尋ねる。これは歌のステージに出るためのツアーなのに、歌えないなんてひどい。それに、ぼくの声がそんなひどいなんて思えない。「とんでもない。歌えますよ」と、ぼくは言い張る。横から男性も「この人は声がいいんです」と加勢してくれる。
宿舎から外へ出る。雪が降っている。ここはドイツなので、暖かくなると雪が降るのだ。雪景色なのに、生暖かい風が吹いている。迎えのマイクロバスが戻ってきそうもないので、ぼくはトイレへ行くことにする。さっき、ちらっとトイレの位置を確かめておいたのだ。だが、並んでいる便器だと思ったものは、そういう形の物入れで、トイレではなかった。コンダクターが「さっき、ある部屋に水があふれたというクレームが来ましたが、何かありましたか」と質問してくる。しまった。ぼくがトイレ代わりにしたことがバレたのだろうか。
ふと後ろを振り返ると、遠くの方にマイクロバスが到着し、他のメンバーが急ぎ足で乗り込むのが見える。これでは、またぼくひとり取り残されてしまうかもしれない。
2016年05月18日
5月18日の夢(宇宙ツアー)
宇宙へのツアーに出かけようとしている。空港のロビーに在るロッカーに、家から持ってきた大量の荷物を預ける。出発時間が近づいたので、さらに別の場所にあるロッカーに向かう。しかし、とても全部の荷物は運びきれないので、いくつかを置きっぱなしにしなくてはいけない。何を持って行くべきか迷う。それに、最初のロッカーにはもう鍵もかけられないのだ。他の人は古い服を中心に、少ししか持って行かないようだが、ぼくはもう一度前のロッカーに戻り、このツアーのために買った、自分でも驚くような洒落た服を着こみ、颯爽として次のロッカーに進む。だが、せっかく用意した銀色に輝く包丁は持って行けないなと思う。
2016年05月16日
5月16日の夢(走るおばあさん)
朝起きたら体調が悪い。会社を半休して、午後から出社しようと思う。ちょうど会社から電話がかかってきた。その電話への応対を終わってから、半休の連絡を忘れたことに気づく。
派手な色彩の服を着たおばあさんが、突然ぼくのいる部屋の壁に沿って疾走し出す。そんなに大きくない、四角い部屋で、隅にはいろいろな道具が置いてあるのだが、それらを飛び越えてものすごいスピードで何周もする。ぼくは思わず「危ないですよ」と声をかけるが、疾走するのをやめない。
2016年05月15日
5月15日の夢(研究会)
今日はぼくが講師を務める研究会の開催される日だ。ただ、いつもは午後なのだが、今日に限って午前10時半からの開催である。
早めにいつもの会場であるビルの2階の料理屋に行く。ところが会場の座敷の前に、いつもなら「○○研究会」と貼り出してある看板が白紙のまま、通せん坊でもするように置いてある。おかしいな。入口に戻って、おかみに声をかけると、「ごめんなさい。担当に新しい人が入って、忘れていたようです。ちゃんと予約されていますから大丈夫です」ということだった。おかみによれば、その新人さんは「自分も少し詩が好きだと言っています」とのこと。
だが、研究会のメンバーはまだ誰も来ていない。いったん外に出ると、向かいのビルの掲示板に貼り出してある研究会のポスターを見て、外国人の男が「あっ、詩の会がある。しかも、この近くだ!」と言って、会場の住所を確認している。研究会のメンバーもどやどやと到着し始める。
再び会場に戻り、ふと気づくと、ぼくのズボンの右ひざに大きな血の染みが広がっている。しかし、痛みはない。念のためズボンを脱いでみると、膝がしらに穴があいていて、ここから出血があったようだ。座敷に敷いてある布団のシーツの上にも、大きな血の染みがある。
それにしても、今日は出席者の数が少ないな。しかも、高齢の男性ばかりで、女性が一人もいない。おまけに、ぼくは今日講評しなくてはいけない作品を殆ど読んでない。鞄から作品を出そうとするが、出てくるのは先月の作品ばかりである。
2016年05月14日
5月14日の夢(交差点)
ぼくはまだ以前勤めていたS社の社員で、ある楽器店の紹介で、その店の顧客の家に取材に行くところだ。紹介してくれた楽器店の男性社員と、女性と三人でぼくは駅ビルの階段を降りていく。取材先に手土産を持っていかくていいのだろうか。そう気づいたぼくは男性社員に声をかけようとするが、まだ彼の名前を聞いていなかったことに気づき、「あのー、すみません。手土産持っていかなくていいのでしょうか」と間の抜けた声で、後ろから話しかける。男性は「いいのじゃないですか」と答える。しかし、女性の方が「やっぱり持って行くべきだ」と言うので、途中で買い求めることにする。
楽器店のある賑やかな側から、駅ビルを抜けて、ぼくらは反対側の交差点に向かう。そこには対照的な街並みが広がっていた。明るい繁華街ではなく、全体が中華街のような雰囲気で、花街のような妖しい雰囲気だ。交差点の周りに立ち並ぶ建物は、殆どが楼閣のように見える。歩いているのは、なぜかピンクの服を着た女性ばかりだ。その交差点の真ん中で、ぼくは疾走してきた車に危うく轢かれかける。やっとの思いで、体を立てなおし、あたりを見回すが、同行者の男性も女性もいない。尻尾から赤い煙を吐き出す鳥が何羽も頭上からぼくを襲うように飛んでくる。青空の下を何匹も赤とんぼが舞っている。春なのに……。
2016年05月11日
5月11日の夢(魔法学校)
ぼくは魔法学校の生徒として、外国の街にいる。学校での授業が終わり、宿舎に帰ろうとしている。宿舎はここから目と鼻の先だが、ぼくに「宿舎はどこ?」と尋ねる女生徒もいる。ぼくは指を差して、帰路を教えてあげる。
とてもお腹が空いているので、食事を買って帰ろうと思い、屋台を冷やかす。とてもおいしそうだが、小皿が汚れている。この国では使用済みの皿を洗わないまま、また使うのだということを思い出した。隣の屋台を見てみるが、そこも同様だ。だが、あきらめきれずに、夜の街を少し歩いて、別の屋台に行く。もう店じまいをしようとしているが、小皿ではなく、紙ナプキンに食べ物を包めばよいことに気づく。そうやって、無事に食べ物を調達したが、宿舎に持って帰ると、生徒たちに分けてあげなければならない。もったいないので、途中で食べることにしよう。
2016年05月07日
5月7日の夢(バックミラーの夢)
中年の男性が車を運転している。車は勝手にバック・ギアに切り替わる。おまけに、窓の外は霞んでしまって、肉眼では確認できない。ただ、バック・ミラーにだけ鮮明に外の景色が写っている。男性はバック・ミラーだけを頼りに、慎重に車をバックさせていく。
2016年05月06日
5月6日の夢(文字の蟻)
誰かが詩を書いているらしい。右から目の前の地面に蟻のような文字がいくつも這ってくる。ぼくはふうっと息を吹きかけて、その文字を吹き飛ばす。だが、ちょっと油断しているうちに、その人はまた詩を書いたらしい。もっと沢山の文字が目の前の地面に走り込んできた。急いでまた吹き飛ばそうとして、懸命に息を吹きかける。
2016年04月30日
4月30日の夢(事件現場のレプリカ)
新聞はネットに対抗するため、写真以上にリアルな現場のレプリカを作り、それを家庭に届けるサービスを始めた。我が家の土間には、殺人事件の前と後で岩だらけの海岸の様子がどう変化したかがひと目で分かるよう、「事件前」を左に「事件後」を右に配置したレプリカが置かれている。黒い岩と、それに積もった白い雪。本物そっくりだが、こんなものを一軒一軒に置くとして、スペースのないお宅はどうするのだろうと思う。
2016年04月29日
4月29日の夢(血の噴き出る詩)
女友達が船の中で詩を書くというので、いつもの部屋を予約してあげる。おかげでいい詩が書けたけれど、彼女の胸から鮮血がぼたぼたと床や壁に零れ落ちる。血の噴き出る詩を書いたからだ。
4月28日の夢(おじいさん対策)
高齢化社会の中でおじいさんたちの不満が高まっている。そこで「思い出の中の品物で、今でも欲しいものを一つだけあげましょう」ということになる。だが、欲しいものを一つだけ与えられたおじいさんは「これだけか」と言って、その顔が怒りに変わる。
4月25日の夢(360度の映画)
中国の鉄道に乗っている。強烈な寂しさに襲われる。気づくと、車内は360度ぐるりと映画のスクリーンに囲まれていて、色彩豊かなその映画を見る内、次第に寂しさがやわらいでくる。そして、いつのまにか自分も主演俳優として映画の中に入り込んだばかりか、監督としてその映画を撮影している。「よーい、はい!」という掛け声が気持ちいい。女友達と大きな白い犬に中国で再会する物語の映画だ。
4月23日の夢(愛用者カード)
なじみのコーヒー屋に行く。店内には女子高生たちがキャピキャピしてうるさい。中からきちんとした身なりの男性店員が出てきて、「これから購入されるのはお一人だけですか?」と言い、一枚のカードをくれる。名前と住所を記入していると、それを見た店員は「ああ、いつもご購入くださる方ですね」と言って、中へ引っ込むが、ぼくは立ったまま記入を続ける。
2016年04月19日
4月19日の夢(テレビの「詩人の時間」)
テレビで「詩人の時間」という番組を見ている。男性詩人三人が出演したが、面白くない。その後に、女性詩人が出てきた。とても良い詩を朗読する。司会者が作品をわかりやすくするため、いくつかの質問を彼女にする。その答えもとてもわかりやすかった。
2016年04月18日
4月18日の夢(広大な浴室)
ぼくの大きな新しい邸宅が完成した。二階まで吹き抜けの巨大なバスルームがある。二階の回廊から、なみなみとお湯をたたえた巨大な浴槽に向けて小用を足す。途中で気がつくと、浴槽に隠れて便器がある。しまった。用を足すのはあっちの方だったか。後からこの浴槽にぼくも入るのだが、大きいから拡散してしまって、問題がないだろうと思う。そんなぼくをT専務がじっと見ている。
用を足して、階下へ降りる。いくつも部屋のある大浴場だ。だが、途中で階段が途切れていて、その向こうにメイド服などを着た沢山の従業員が並んでいる。彼らの組み合った腕の上を人間階段のようにして降りていく。一番最初の浴室のドアを開ける。そこには有名人が沢山いるので、遠慮して、次の浴室のドアを開ける。そこはサウナだが、誰もいないので、そこにいるとフィリッピーナらしい女性従業員が何人か入ってくる。まずい。ここは女風呂なのか。慌てて外に出ると、そこには広大なビーチが広がっていて、沢山の男女が賑やかに談笑している。
2016年04月16日
4月16日の夢(一人だけ逆行する)
朝、下宿屋にぼく一人だけいて、レポートを書いている。ほかのみんなは外出中だ。ぼくは雑誌に連載するレポート原稿を書いているが、大家に気兼ねして優等生的な内容である。それを投函しようとして、連載ではなく、一回完結だったと気づき、慌てて書き直す。
それを発送するために、玄関へ降りていくと、外出していたほかの下宿生たちが外からちょうど帰ってきた。玄関の前で、ぼくは彼らと逆行する形で、一人外に出ていく。それを見て、大家(中年のおばさん)が「良かった。この家の反対側にも入り口があるのかと思ったけど、あなたは外から帰ってきたのではなく、中から出ていくのよね」と、ぼくに言う。
2016年04月15日
4月15日の夢(録音失敗)
やっと取材先の男性にインタビューすることができた。こないだの夢の続きらしい。アシスタントの女性も隣にいる。取材が終わって、男性と別れた直後、録音機が回っていなかったことに気づく。茫然として、男性を呼び戻そうかと思うが、彼の考えていることは著書や他誌の記事で理解できている。記憶を整理すれば、録音なしでも原稿を作成できそうだと思う。
2016年04月13日
4月13日の夢(取材予定を忘れる)
雑誌の編集部で深夜まで忙しく勤務している。そういえば、今日の午後0時にヤマハの横浜店の男性社員を取材するはす゜だったのに、すっかり忘れていたことに気づく。この男性の取材は本来、昨日の同じ時刻に約束していたのに、昨日も忘れてしまい、約束をとり直したのだった。彼の紹介してくれた楽器ユーザーをこれかに取材しようとしているのに、なんという失態をしてしまったのだろう? 改めて電話をして謝罪するべきか悩んでいると、隣にいた後輩の女性社員が「それなら私が行ってあげましょうか」と声をかけてきた。渡りに船というべきだろうか。
2016年04月12日
4月12日の夢(ポスター)
壁にぼくがかかわっているイベントのポスターを貼る。だが、その記載に間違いがあることに気づき、訂正してもらおうと電話をかける。すると、即座にピンポンとドアチャイムが鳴り、玄関に中年の男が現れた。中に入ってもらうと、彼はすぐに壁のポスターを見て、「これは本当にやっているイベントか? 証明するものを出せ」と、ぼくに迫る。ぼくが資料を出してみせると、「これは行政がやっているものだから、大丈夫です。ねっ?」と、ぼくのかたわらに座る女友達に同意を求める。
2016年04月10日
4月10日の夢(札幌で迷子になる)
ツアーで札幌に来ている。東京に戻る飛行機に乗り遅れそうなので、空港へとガイドを先頭に街路を走る。しかし、道は沢山の人にあふれていて、みんなバラバラになってしまった。気がつくと、郊外のさびれた市電の駅にぼくはひとり取り残されている。駅ビルらしい建物に入り、店の人に電話をかけてもらうが、なかなか連絡がとれない。頭の禿げたけた初老のおじさんの協力で、やっとツアーの人たちと合流する。だが、ぼくの荷物が見当たらない。今度はそれを取り戻すのに、また時間がかかる。
4月6日の夢(捕虜収容バス)
ぼくは捕虜もしくは戦犯として敵国に捕らわれの身となり、収容所にバスで到着した。収容所はとても広大な建物で、上層と下層に分かれている。だが、収容者は少なく、閑散としている。しかも建物だと思っていた収容所は実は巨大なバスで、ぼくらを乗せて、どこかへ移動中なのだった。
食事の配給があるというので、他の収容者に混じって行ってみるが、どこで食事をくれるのか分からない。収容者たちも口を閉ざして、ぼくに何も教えてくれない。女性の収容者に声をかけて、ようやく場所を教えてもらう。食事は小さな包みに入っている。配給所の出口で、頭の禿げた外国人がトングで何かを包みに付け足してくれた。
2016年04月04日
4月4日の夢(バスタブの中の客人)
ぼくの家に女友達と小学生の息子と愛犬が遊びに来た。いや、来たはずだが、みんな姿が見えない。隠れているのだろうと、あちこち探す。バスタブの蓋を取ると、女友達がにこにこぼくを見上げている。あとの一人と一匹は見つからないが、とりあえずダイニングキッチンに戻る。茶箪笥に携帯型のガスコンロが置いてある。女友達が持ってきたのだろう。それを点火し、アルマイトの薬缶をかけて、お茶をふるまうことにする。
2016年04月03日
4月3日の夢(日米共同軍事作戦)
日本軍とアメリカ軍は共同して敵軍と闘っている。だが、米軍は日本のことなど何とも思っていないらしい。米軍の最新兵器であるエヴァンゲリオンのような人体型戦闘機械は、行く手をふさぐようにホームに停車していた日本の新幹線車両をかみ砕いてしまった。ぼくは恐怖を感じて、地下トンネルに走り込む。
トンネルを出たところは、川の上流の田園地帯だ。どうやらぼくの実家の近くらしい。ここまで来れば、安全だろう。早くみんなに米軍の恐ろしさを知らせなければいけない。
ハガキを何度も書き間違える。その度に修正液を塗るが、ますます黒く汚くなる。ハガキ全体を真っ白にしようとしたのに、かえって真っ黒になってしまう。
2016年03月28日
3月27日の夢(空飛ぶオートバイ)
勤めている出版社が森の中の新しいオフィスに移転した。部屋の中に木々の枝や蔓が這いこんでいる、とても美しい建物だ。壁には小さく縮んだミイラが飾られている。よく見ると、ミイラは生きて動いており、壁を伝わってぼくから離れていく。その様子を見ながら、ぼくはお茶を飲む。床は乱雑にいろいろなものが散らかっている。歩いているうちに、ぼくの靴下が片一方だけ脱げてしまった。探すが見つからない。床には同じ緑色だが、ぼくのものより少し色の薄い靴下が一足ある。しかたなく、ぼくはその靴下の片一方をはく。隣のテーブルには詩人の相沢さんがいる。
窓の上には木製の神棚のような場所があり、そこは皇族の王女のいる場所だ。挨拶のために、同僚の女性とそこに上る。女性は先に上がってしまい、縄梯子で苦闘するぼくに「きれいに上がってね」と声をかけてくる。王女は血筋のわりには顔が美しくなく、貧相な女性である。ようやく上ることができたのに、「狭いから、あなたは来てはだめ」と断られてしまう。
その瞬間、ぼくはオートバイのようなものに乗せられ、運転手の背中につかまったまま、空中へ猛スピードで飛び出した。オートバイは樹木や電柱など、いろいろなものに接触しながら高速で上昇する。空中で何かにぶつかるのではないかと、とても恐ろしい。
2016年03月27日
3月26日の夢(帰郷)
名古屋の実家へ帰るため、高速バスのターミナルに行く。チケットを買って、改札を通り、荷物を預けようとする。どうも手続きの順序が逆らしい。本当は荷物を預けてから、改札を通るべぎったのだ。同行するはずの同僚は荷物を預けるため、再び改札を出て行ったが、ぼくはそんなことはしたくない。改札の下に地下通路があるので、そこを通ると無事に待合室に入ることができた。しかし、空いている席がないので、何度も部屋の中をぐるぐる歩き回り、ようやく老夫婦の隣に空席を見つけて座る。その奥さんの方が切符を落としたので、拾ってあげる。自分もチケットを確かめてみる。何枚もチケットがポケットから出てくる。どれをどう使えばよいのか、途方に暮れる。
ともかく無事、実家のあった名古屋に戻ってきた。タクシーで南の方から、実家のあった山添町に近づいていく。懐かしい街並みが見えてくるが、昔のままなのは道路だけで、建物はすっかり一変している。
このまま実家に帰ったのでは、少し早すぎる。どこかで時間をつぶそうと思う。ネットカフェに入り、フェイスブックでフレンドの鈴木さんと長尾さんに寄稿を依頼する。フェイスブックを開いてみると、鈴木さんが「長尾さんのウォールはここですか」と言って、そこにコメントをしている。
2016年03月24日
3月24日の夢(コーヒーと白粉)
トイレで用を足し終わり、お尻を拭こうとすると、トイレットペーパーがない。気がつくと、便器にぼくと並んで窮屈そうに若いヤクザのような男が座っている。メガネをかけていて、やせている。そいつがぼくになれなれしく話しかけてくる。壁に便座カバーの紙があるのが見える。男の肩越しにその紙を取って、トイレットペーパーの代わりにする。しかし、それは便座カバーではなく、轢いたコーヒー豆を入れた袋だったので、体中真っ黒になってしまった。ぼくは慌ててパンパンと服を叩いて、コーヒーの粉を払い落とす。それでも周りの女性たちがぼくを見ておびえるので、鏡を覗くと、ぼくの顔は白粉を塗りたくったように、まだらに真っ白だ。
3月22日の夢(2着ずつの服)
ハンガーに二着ずつお揃いの服が三組かかっている。一組目は長袖のシャツで、一着はピンクと白、もう一着は青と白のストライプ模様だ。二組目は半袖のシャツで、袖の長さを除けば一組目と全く同じ柄。三組目は半袖だが、一着はピンクの無地、もう一着は青の無地だ。それらを見て、詩を書かなくてはいけないと思ったところで、目が覚めた。
3月20日の夢(鍵がない)
障害のある子供のための学校に勤めている。朝一番に出勤したのだが、鍵のある場所を知らないので、中に入ることができない。
2016年03月19日
3月18日の夢(ギター)
女友達を椅子に座らせ、傍らに立ってぼくはギターを弾いている。最初は下手だったが、コツを覚えてからはすごいテクニックでソロができるようになった。気がつくと、女友達の横に知らないおばさんが座ってしまい、ぼくの席はなくなってしまった。それでも構うものかと、ぼくは立ったままギタリストみたいに弾きまくる。
2016年03月14日
3月14日の夢(会社の終わり)
会社がもう終わりになるらしい。ぼくはみんなのために、お別れパーティーの幹事を買って出た。パーティーの後はテニスの試合をみんなでする趣向だ。
準備のため、みんなより早く会場に乗り込む。一階の喫茶店でお茶を飲み、会場に向かうことにする。ハンガーに黒い沢山のバッグをかけておいたのだが、連れの女性がさっさと取った後、ぼく一人ではとても持ちきれない。後からもう一度来ようと思う。
この会場は靴を脱いで上がるのだが、床は一面苺ジャムのような薄赤い汚れで覆われている。その上を靴下で歩くのは、汚くて不快この上ない。尿意を催したのでトイレを覗く。女子トイレはきれいなのに、男子トイレはどれも汚物があふれるほどに積み上がっていて、とても用を足せる状態ではない。
そんな中で、ぼくはテニスのことを考える。ラケットはできるだけ水平に近く持ち、ドライブをかけてボールを打った方がいいと、心が弾む。エレベーターから社員たちがどやどやと笑顔で、会場に到着した。トイレを探しに、逆に階下に下りようとするぼくに、誰も気がつかない。
2016年03月12日
3月12日の夢(地下オフィス)
ぼくの会社は地下の洞窟の中にある。出社のために歩いていると、前方を仲良さそうに手をつないで歩いている若い男女のカップルがある。ぼくが会社に入ると、彼らも入ってくる。彼らはぼくの会社のIT業務を担当する業者だったのだ。オフィスの奥には天上から床までの高さの大きな窓があり、それが少しだけ開いている。窓の向こうには鍾乳洞のような、洞窟の奥が見える。ぼくは換気をしようとして、さらにその窓を大きく開ける。それからタイムカードを押そうと、タイムカードを探す。それは左側の壁に取り付けられていた。だが、カードを機械に差し入れても、出社時刻の印字ができない。カードを裏返してやり直してみるが、やはり印字できない。ちょうどいいから、直してもらおうとして、二人を振り返る。
2016年03月08日
3月8日の夢(キャンセル)
男性から電話があり、今日予定していたインタビューの予定をキャンセルしたいと言う。多分、某男性ライターがインタビューする相手だろうと思い、そう尋ねると、「いや、インタビュアーは女性だ」という答。「わかりました。〇〇さんのマネージャーさんですね」と確認すると、「〇〇本人だ」と言うので、驚く。
2016年03月05日
3月5日の夢(詩のイベント)
札幌へ行く。詩についての討論会に出席するためだ。会場はこのビルの8階あたり。エレベーターに乗ってから、気がついた。このエレベーターは高層階行きだった。ぼくの降りるはずの階は、あっという間にノンストップで通り過ぎてしまった。扉が開いた最初の階で降り、低層階行きエレベーターに乗り換えようとする。だが、そのエレベーターの乗降口は正方形の穴になっていて、穴の下は2階分くらい下だ。とてもそこまで降りることができない。
やっと会場に到着した。ぼくは司会役なので、台本通りに討論会を進行していく。台本にはちゃんとぼくが意見を言うはずの箇所も書かれている。ところが、その箇所にさしかかると、有名人たちがてんでに発言をして、ぼくに発言の時間を与えてくれない。結局、第一部ではぼくは自分の意見を言わないままに終わった。
第2部が始まる前にトイレに行く。個室に入ったので、用足しに時間がかかる。どうせ遅れて始まるだろうと思っていたのに、ぼくがいない間に討論会は再開されてしまった。「あの男がいない」「トイレに行ったみたいだよ」という非難の呟きが会場から聞こえてくる。
2016年03月04日
3月4日の夢(散らかる会社)
会社の中を片づけているが、大変な散らかりようだ。オフィス中に書類やゴミがあふれ、自分のデスクにも座ることができない。新しい仕事の打ち合わせをしなければいけないのだが、会議室には得意先の男たちがいて、なかなか帰ろうとしない。これでは会議が始まるのは、夜になってからだなと思う。だが、社長が「〇〇ビルにお部屋を用意しましたから、そちらに移りましょう」と言ってくれたので、ようやく彼らも立ち去った。これなら意外に早く、打ち合わせを始められるかもしれない。
というところへ、ピアニストのSさんから電話があったらしい。「映画の試写会があるから、見に来てほしい」と一方的にしゃべって電話が切れたと、同僚の女性が笑う。彼女の叔父が作った映画らしい。試写会に行くのは断ろうと、彼女へ電話をかける。すると、「これから映画を作るので、手伝ってよ」と逆に言われてしまう。
2016年03月03日
3月3日の夢(学校でお泊り)
ぼくは小学生らしい。遅くなったので、今夜は小学校の教室でお泊りすることになった。クラスメイトの子供たちと過ごしているうちに、いつのまにか朝が来てしまった。まだ夜だと思っていたのに、もう朝の8時過ぎだ。早く学校へ行かないと遅刻だと思う。でも、ここは学校なのだから、慌てることはない。ゆっくりお風呂に入ろうと、階下の浴場へ行き、服を脱ぐ。だが、うっかりしてタオルを教室に忘れてきた。また服を着るのは面倒くさいので、ぼくは上半身裸のまま、木造校舎に階段を登っていく。
2016年03月01日
3月1日の夢(父の家)
今日は我が家で業界の関係者を招いてパーティーをする。父はもう八十代だが(現実の父は三十五年前に死亡)、藍の着物を着流して大はりきりだ。
始まる時間に家族たちと父の家に行く。しかし、入り口にいろいろな荷物が置いてあり、入れない。これをどかさないとダメだなと思う。近くに死んだ母のいる気配もする。
2016年02月28日
2月28日の夢(雨の花見)
女友達と花見に来たが、休憩所で離ればなれに座る。しばらくそこを離れ、戻ってみると雨が降っていて、彼女の座っていたところはびしょびしょだ。どこへ行ったのかと見回すと、彼女は道路に枕を置いて眠っている。起こすと、「これから山崩れが起こり、その跡に新しい建物が建つはずなので、それを見たいが、いつ山崩れが起きるかが分からない」と言う。たまたま隣にいる紳士とぼくは顔を見合わせ、どうしたものかと思い迷う。
2016年02月26日
2月26日の夢(工事現場)
工事現場のような荒れ果てた空き地。そこに転がっていた壜に紙ごみを詰めて、火炎瓶か投壜通信みたいなものを作っていると、田舎のおばさんみたいな人が現れたので、慌てて放り出して隠れる。おばさんが離れたすきに、急いで壜を取り戻そうとするが、急に風が吹いてきて、大量のゴミの山の中に壜はうずもれてしまう。せっかく作ったのにと、喪失感に襲われる。
2016年02月17日
2月17日の夢(お屋敷と叱責)
夕方、会社への帰途、丘の上から眼下に金持ちの大邸宅が見下ろせる。四角い敷地に母屋や納屋などが並び、数人の制服を着たお手伝いさんたちが、忙しく立ち働いているのが見える。
会社に戻り、行動予定表の白板に手を伸ばすため、足場の板に片足を乗せる。すると、その板は同僚たちの座るデスクの下につながっていたらしく、数人の女性社員のデスクが持ちあがり、「きゃーっ」という悲鳴が上がる。課長が立ち上がり、「今頃までどこへ行っていたんだ? 毎日、夕方になると、どこかへ休憩に行くのもみんな知っているんだ」とぼくを叱りつける。今はエラそうに課長になっているが、この男は昔はこの職場で一番若くて、出来の悪い男だった。「ちょっと、こっちへ来い」と、彼はぼくをオフィスのどこかへ連れていこうとする。ぼくは後ろに従いながらも、逃げ出す隙を狙っている。どんなことをしたとしても、ぼくをこの職場から追い出すことなんて、できはしないのだから。
2016年02月14日
2月14日の夢(空飛ぶ救急車)
熱海あたりの料亭で飲み会が終わった。外に出ると、海水面が上昇して、道路の上に海水が打ち寄せている。早く東京に戻りたいのに、みんなは出発しようとしない。この参加者たちなら、会社に寄らなくても新宿あたりに車を飛ばせば、みんな早く家に帰れそうだ。
突如、三角形をした巨大なロケットが轟音を上げて上昇する。しかし、上昇に失敗し、地上すれすれを飛び、Uターンしてこちらに向かってくる。うわあ、衝突すると思うが、右にそれて飛んでいく。これは開発中の大型の空飛ぶ救急車なのだという。大事故のとき大勢の負傷者を一度に運ぶためだという、救急病院の院長の声が聞こえる。
2016年02月13日
2月13日の夢(野外レストラン)
Y社の経営する野外レストランで、久しぶりにピアニストのSさんたちと待ち合わせをした。野外レストランは円形の芝生の上に、沢山のパラソルを立て、その下に椅子とテーブルが並んでいる。約束の時間より早く行って、席をとり、一人で待っている。
大雨が降り始めた。気がつくと、レストランは満席になって、とても賑やかだ。いつのまにかぼくのテーブルに知らないおばさん二人が座ってしまい、おしゃべりをしている。これではSさんたち三人に座ってもらえないので、しかたなくテーブルを離れる。
そんなぼくを見て、従業員の男性が指を一本立て、「お一人さま?」と尋ねる。しかし、ぼくが「三人」と答えると、彼も満席のテーブルを見回して、当惑した様子だ。ふと見ると、別のテーブルにSさんたち三人が座っておしゃべりをしている。ほっとして彼らのテーブルに座る。Sさん以外は男性のアーティストだが、みんなそれなりに齢をとったなと思う。楽しく食事をしながら、気がついた。そういえば、今日は「新しい作品」というテーマで、みんなが作品を持ち寄ることにしていたのだ。みんなテーブルの上に斬新な作品を並べているのに、ぼくだけが宿題を忘れてしまった。気づかれないうちに、一人で帰ってしまいたいと思う。
2016年02月12日
2月12日の夢(名優のインタビュー)
1時から会社の会議室で、著名な名優のインタビューをする予定だ。インタビュアーを務めるのは、ピアニストのМさん。ぼくは名優に名刺を渡して挨拶する。あれっ、この人はとっくに亡くなった人ではないかと、ちらと思う。彼はぼくに懐かしそうに挨拶する。ぼくには記憶がないが、以前にぼくらは会ったことがあるらしい。彼に話を合わせ、ぼくもいかにも親しそうに挨拶を返す。彼がぼくにくれた名刺は大きな風合いのある紙を4つ折りにしたものだ。巨大な名刺にびっくりする。名優のインタビューだけに、カメラマンも著名なベテランを起用し、ぼくのほかに二人の幹部社員が同席している。
いったん休憩をとり、再開しようとすると、インタビュアーが戻ってこない。窓の外を見ると、ここは高層ビルらしく、地上は猛吹雪になっている。窓から目を室内に戻すと、そこにはもう誰もいない。ぼくは気づかずに眠ってしまっていたのだろうか。
気づくと、二人の若い荒くれ男に囲まれている。恐怖を覚えるが、二人はぼくの知り合いであるらしい。なんとか二人と話を合わせて、とりつくろう。
実家に行く道が見えてくる。ぼくは空から実家に近づいていく。道には大きな白い犬が一匹。その周囲に沢山の白い小犬たちが見える。
2016年02月11日
2月11日の夢(ランチカレー)
午前中、オフィスで仕事をしていると、入り口に弁当屋のおじさんが来て、ランチ用のカレーライスを仕込んでいる。大皿にカレーライスが盛られ、さらに四角い大きなトレイにサラダやスープのセットがつくらしい。今日のランチはぜひ、それを食べたいと思う。
12時になり、同僚のA氏が会社の外へ出ていく。彼もカレーのランチを食べに行くに違いないと思い、その後を追う。そこは神宮前4丁目のぼくが以前勤めていた原宿の裏町だ。でも神宮前小学校の裏でA氏に追いついてみると、いつのまにか知らない人に入れ替わっている。そのまま小学校の前を通り過ぎ、表参道のビクタービルに向かう。
ビクタービルの前には大きな四角いテーブルがセットされ、屋台店になっている。スーツを着たサラリーマンたちがテーブルを囲んで、ランチを食べているが、空席がないので、そこを通り過ぎる。さっきのランチカレーの店はどこで営業しているのだろう? 明治通りに面したビルに入ってみるが、がらんとして全く人けがない。こんな場所が原宿にあっただろうか。結局ランチカレーの店は見つからず、お弁当も買えないまま、お昼休みの時間は終わってしまった。
2016年02月09日
2月8日の夢(ひとり芝居)
きらびやかな建物の中の部屋にいる。ぼくはここで四人の女優と、一人ずつお芝居をしなくてはいけない。三人目まではうまくいった。ところが、なぜか四人目の女優とのお芝居を、うっかり一人で演じてしまい、彼女を待ちぼうけさせてしまった。帰り支度をしていて、そのことに気づき、慌てて彼女と待ち合わせた部屋に戻る。しかし、部屋にはもう別のグループの男女がいる。彼女は待ちくたびれて帰ってしまっただろうと思うが、できれば彼女に謝罪したい。グループの男の一人に「山本ゆうこさんはいらっしゃいますか」と尋ねてみる。頭のはげた男は「ちょっとお待ちください」と奥へ行く。早くしないと、定刻に帰宅できなくなるなあと思う。
2016年02月08日
2月7日の夢(歯が抜ける)
(昨日見た夢ですが、今朝になって突然思い出しました)
歯に違和感を覚え、鏡を見ると上あご左端の前歯がぐらぐらして、今にも抜けそうだ。手でつまんで折ってみると、痛みもなく簡単にぼきりと歯を折り取ることができた。
2016年02月06日
2月6日の夢(名刺)
取材先に着いた。なんだか白い船室のような場所だ。挨拶のため、ポケットから名刺を出そうとするが、見つからない。あらゆるポケットからあらゆるカードや紙類を出してみるが、他人の名刺ばかりで、自分のものがない。さんざんじたばたしたあげく、紙にとりあえず自分の名前や連絡先を書いて渡そうと思う。しかし、ポケットやカバンから出てくるのは印刷された紙ばかりで、白紙がない。それでも、相手はぼくを信頼して、こないだ送った原稿の直しを依頼してくる。でも、それは相手の思い違いだ。その原稿を送ったのはぼくではなく、Fくんなのにと思いながら、焦りまくる。
2016年02月05日
2月5日の夢(朗読会)
朗読会に行く。会場は畳敷きの広い和室で、宴会のような感じに、参加者が座っている。自己紹介がわりに、開会前の時間に到着順に自作を読むのが規則だ。ぼくは遅刻してくるらしい別の詩人の作品を、代読することになる。とても読むのが難しいテキストで、大きく時間をくってしまい、恐縮する。次に自作の詩を読む。テキストは動画になっていて、ぼくの詩のテキストを持った人が歩いていくのを、目で追いながら読んでいく。ところが、その人が別の人の影に入ったり、意外に難しい漢字が使われていたりして、冷や汗をかきながらやっと読み終える。すると、ぼくに温かい拍手が送られる。遅刻すると言っていた詩人も、既に会場に到着しているらしい。なあんだ、と思う。
2016年02月01日
1月31日の夢(バスで取材に)
バスに乗って、取材に出かける。初めて行く場所だ。バスはガードレールのない崖の上の曲折する道をすごいスピードで突っ走る。今にも崖下の海に転落してしまいそう。橋のある町で降りて、取材先に向かう。だが、川沿いに見知らぬ橋のたもとまで来て、道に迷った。昔ながらの豆腐屋があり、そこに初老の主婦が買い物に来ている。彼女に道を尋ね、目指す家にたどり着いた。どこかのマスコミの幹部だったらしい紳士に、無事に面会することができた。自社に戻り、女子社員たちに取材の様子を話して聞かせる。
2016年01月30日
1月29日の夢(廃墟の日本)
原発の爆発などがあったのだろうか。日本は廃墟になり、残された僅かな人々がコロニーで生活している。コロニーは学校の教室のような雰囲気。青森のコロニーから海峡を渡り、北海道へ遊びに行く計画を立てている者がいる。交通手段は井戸のポンプのようなものを使って、手動で動かすトロッコだという。
ぼくは席に座り、古い都はるみのドーナツ盤レコードを袋から出して見ている。ぼくの貴重なコレクションだ。前の席の男が振り返り、「へーえ、都はるみか」と感心する。部屋にいる仲間たちも驚いた様子だ。
天井に小さな緑のカメレオンがいる。それをぼくは本で叩き潰そうとする。別の男がぼくのかわりに、本で叩きつぶそうとするが失敗して、カメレオンは噴水のように噴き出す水の中に落ち、器用に泳いで逃げだしたので、皆びっくりする。
1月28日の夢(決戦)
決戦の最中だ。ぼくらは圧倒的に劣勢である。戦場は屋外レストランのようなところ。頭の上には真っ青に晴れた空が広がっている。ぼくはテーブルの上の食器や、下にある何でも、手にふれるものすべてを敵に向けて投げつける。だが、一つも相手に命中しない。
2016年01月26日
1月26日の夢(タクシー待ち)
実家のある名古屋に着き、体育館のような広い場所でタクシーを待っている。ぼくの二人前までは次々とタクシーが来たのに、あとは全然来なくなった。携帯がかかってきたり、置き忘れた鞄を取りに行ったりして戻ると、いつの間にか長い行列ができている。ぼくは本当はこの列の先頭だと、みんなに納得してもらうことができるだろうか。
2016年01月24日
1月24日の夢(工場と学校)
新しい工場を建設中だ。目の前にいくつかの灰色の袋が転がっている。その中に工場の環境基準と異なる言葉の入ったものがあるという。ぼくは袋を一つ一つ測定し、ついに基準値違反の袋を突き止める。
学校取材に行く。運動会か何かの式典があるらしい。私鉄の駅で降りようとして、その学校は別の路線の別の駅にあったことを思い出し、慌てて乗りかえる。だが、その駅に着いたものの、学校がどこにあるのか分からない。どこかに地図がないか探し回るが、見当たらない。
2016年01月22日
1月22日の夢(卒業生の演奏会)
ぼくの在籍する学校の卒業生であるG氏が、在校生にピアニストとしての腕を披露するために来てくれた。二つのクラスがあり、まずは左隣の教室で演奏。いよいよぼくらの教室にG氏が現れた。教室にはアップライトピアノがあるが、彼はそれを使わず、生徒の机の上にまるで紙鍵盤のようにも見えるキーボードを置き、それで演奏した。終わって、屋上に木の椅子を三列ほどに並べ、彼を囲んで記念撮影することになる。みんな遠慮して、なかなか椅子に座らないが、ぼくは年長者なので、さっさとセンター近くの最前列に座る。といって、真ん中はやはりGさんに座ってもらうべきだろう。
2016年01月20日
1月20日の夢(薬師丸寛子のインタビュー)
会社が新社屋に引っ越した。沖縄のような青い海を見下ろす白亜の館だ。1日目は三階のホールのような部屋で朝礼があった。
2日目は朝礼はないものと思い込み、2階の自席にいると、どうやら3階で朝礼が始まったようだ。慌ててホールに駆けつけ、両開きのドアが開いたままだったので、その入り口のところに隠れるようにして参加する。
終わって、再び自席に戻る。透明なスーツケースの中に、前回の取材に使った道具がいっぱい入っている。見慣れない不思議な機械ばかりである。1時から3階に女優の薬師丸寛子を呼んで、インタビューなのでその準備を始める。
1時直前になり、手元のメモを見て、薬師丸のインタビューの場所は社内ではないことに気づく。知らない都営地下鉄の駅の名前がメモに書きこんである。これでは遅刻である。彼女に連絡すれば待っていてもらえるだろう。パソコンで検索するか、固定電話の114で彼女の事務所の電話番号を訊こうと思うが、オフィスにはパソコンも固定電話も見当たらない。慌てて3階に上り、他の社員のパソコンを借りようと思う。前回の連絡ではスケジュールには余裕があると言っていたから、多分大丈夫だろうと楽天的に考える。
2016年01月08日
1月8日の夢(雪の日)
雪が降り積もって、とても寒い。あちこちで車がスリップして立ち往生している。立ち往生している車はみんな軽自動車のようで、車体がぼこぼこになっている。右に曲がくるくるとった路地では、男性の運転する白い軽自動車が苦闘していた。男性が無理にアクセルを踏み込むと、車体は真ん中からちぎれ、前の部分だけが発車してしまった。そしてちぎれた真っ白な車体はゴムのようにまるまり、運転席の男性をまゆのように内部に閉じ込めてしまった。
2015年12月26日
12月26日の夢(バーでビールを)
会社で何もすることがないので、ふらふらと渋谷に出て、丘のてっぺんにあるバーに入る。明らかにゲイと分かる痩せた男がやっているバーだ。カウンターの前に腰かけると「何にしますか」と言われ、ぼくは「ああ、ビール」と答える。彼がグラスについでくれたのは外国製のビールだ。とてもおいしい。
男が外へ出ていくので、ぼくもついて出て、店の外にある、カフェスタイルのテーブル席につく。そこから中を見ると、食堂のようなテーブル席がいくつも並んでいる。そして、右端にゲイのマスターのいるバーがあり、左端には別の男のマスターのいるバーがある。真ん中は二つの店の共有スペースということらしい。そして、そこにはお年寄りから子供たちまでさまざまな客層の人たちがいる。
ぼくには見えないが、右側のバーで「忘れ物がありました」というお知らせが紙に書いて掲げられたらしく、左側の店主がそれを声に出して読み上げ、皆に教えている。
そろそろ会社に戻ろうか。でも昼間からお酒を飲んだのが、顔に出ていないだろうか。それに、ぼくはビールを一杯飲んだのに、不整脈の発作が出ないのはなぜだろうか。実はこれは現実ではなかった。ぼくは芥川賞の受賞作品の中に入って、その登場人物としてここにいるのだということを思い出す。
2015年12月20日
12月20日の夢(床屋医師)
会社で残業してから病院へ行く。かかりつけの医者だが、長く待たされる。同僚が特別に医者に頼んでくれたので、今日は特別の医療が受けられるはずである。随分待った後で、現れたのはいつもとは違う医者だ。およそ表情というもののない医者は一言も発しないまま、ぼくの後ろに腰を下ろすと、ぼくの後頭部の髪をバリバリと切り始めた。特別な医療とは整髪のことであったらしい。
再び会社に戻る。会社は緑豊かな、細長い半島のような所にある。帰宅するため、同僚の車に乗せてもらう。車は海面から突き出した半島の細い稜線を疾走する。車体よりも狭い道路で、両側は切り立つ崖だ。徒歩でここを歩いたら、バランスを崩してきっと海に転落してしまうだろうと思う。少し広い場所に出ると、対岸に怪獣がいて、それを退治しないと先へ進むことができない。皆でチームを組んで怪獣を攻撃する。怪獣は空気の抜けたアドバルーンのようなもので、なんとなくゲームをしている気分。どうやら怪獣を打ち負かし、ようやく帰宅できそうである。
2015年12月19日
12月19日の夢(しゃべる表札)
表札のような形のものを持って、地下鉄の駅の階段を降りていく。ぼくはその物体に指であちこち触れると、自分の名前を男の声でしゃべるのだということを知っている。その名前は「アグレス・タフ」だ。だが、指で触れてもなぜか、それは音を出さない。ぼくの心の耳にだけ、しわがれた初老の男の声で、それが「アグレス・タフ」と名乗る声が聞こえている。
2015年12月18日
12月18日の夢(沖縄の家)
会社に週一回の出社をする日だ。けれども仕事がなく、皆の共有スペースになっているカウンター席で文庫本を読んでいる。同僚たちが仕事しているのに、気がひける。自分のデスクに戻って、カセットでテープ起こしをしようとするが、だらだらとして、なかなか始められない。左隣の女性との席の間に、人形などの小物を置き、品定めをし合う。右隣の男性もぼくと同じで、週一回の出社らしい。
会社を早めに切り上げ、自宅のマンションに向かう。都会の大通りにある巨大なマンションだ。信号を渡ると、マンションは工事中でネットに完全におおわれている。おまけに工事のトラックに今にも轢かれそうになる。マンションへの入り口らしい場所から敷地内に入ると、そこは誰もいない巨大なスタジアムだった。客席の一角に商業施設があり、そこがマンションの玄関らしい。
そこを入ると、景色が一変し、ぼくは沖縄にいた。邸宅があり、そこがぼくの新しい家らしい。中に入って掃除をしていると、玄関で声がする。出てみると、女友達がにこにこ笑っている。「おかえり。よくここが分かったね」と言うと、「迷いながら来た」と答える。奥に三人の女性の黒い人影が見える。お手伝いさんたちらしいが、何か邪悪な感じもする。
2015年12月16日
12月16日の夢(突風)
都会の舗道を歩いていて、信号機付きの交差点に差しかかる。ふと気づくと、交差点の手前に何か白いものが落ちている。よく見ると、鳥の彫刻である。それを載せていたらしいポールもぐにゃりと折れ曲がって倒れている。見回すと、信号機のポールもくしゃくしゃになって散乱している。良い天気なのに、突風が吹いた後なのだろうか。交差点には茶色の砂利が盛り上げられ、工事の男たちが復旧作業に従事している。横断歩道を渡ろうとするサラリーマンふうの男たちが歩き出したが、まだ信号が赤だ。青に変わるのを待って、ぼくも歩き出す。交差点を渡った向こうは激しく雨が降っている。どこかのコンビニで傘を買おうと思う。
2015年12月13日
2015年12月12日
12月12日の夢(座卓トイレ)
九州へ会社の同僚たちと出張する。早く仕事が終わったので、ぼくひとりで先にホテルに戻ろうと、みんなと別れる。だが、予約したのは福岡のホテルだったか、山口の門司のホテルだったか、わからない。このままではみんなの方が先に宿についてしまう。多分、福岡だろうが、一番早く帰る方法は列車だろうか船だろうか。道行く人に聞いてみようと思う。
駅に来て、待合室に入る。部屋の壁際は壁の下に溝があるだけのトイレになっている。部屋の真ん中は長い座卓が何列もあって、人々が座っている。ぼくも彼らに交じって座るが、うっかりそこで用足しを始め、自分の粗忽さに気づいてトイレの方へ向かう。だが、いつのまにかそちらも長い座卓が並んでいる。でも、ここはトイレだから、座ったまま用を足してもいいのだと思う。
2015年12月08日
12月7日の夢(南アフリカ)
会社が南アフリカに引っ越すことになった。深夜にぼくらは原宿駅を出発する。そして氷原を疾走する。一番足の遅いぼくは、皆に遅れないよう懸命に走って、船着き場に着く。海面には氷塊がぷかぷか浮いている。ぼくはその一つに片足を乗せ、船頭さんにつかまって、やっと船に乗り込む。乗っているのはU社長はじめ五人だ。やがて船は電車に変わった。空にはUFOか月かと思うほど、大きな星が出ている。ぼくらが疾走しているのはもう南アフリカの市街地だ。それが一面の雪原に変わったところで、ぼくらは乗り物を降りる。人っ子一人いない。暮らしにくい季節には強制的に他の地域に全員で旅に出る規則なのだという。黒人の船頭の男はぼくらに「さあ、これからは私がきみたちの母や愛人のように、きみたちの管理人になるからね」と言う。
2015年12月05日
12月4日の夢(アンケート)
女性がアンケートをぼくに手渡す。沢山の質問があるが、切手についての問いとUFOについての問いが交互に書かれている。女性の付き添いに来ていた部長という男がアンケートについて演説をぶつ。これは何かのテストであるらしい。髭を生やした試験官がいて、そのデスクに置かれた答案用紙を使って喋る。だが試験官に「それはまだ時間が来てから」と注意され、ばつが悪そうに謝罪する。ぼくはアンケートを一枚ずつめくりながらチェックするが、一ページ間違えて消してしまったページがある。そのページはもう回答することができない。
2015年12月02日
12月2日の夢(病み上がり)
病気をして、長く休んだ会社に久しぶりに出社した。まだ四時過ぎなのだが、明日の出先を白板の予定表に書き込み、さっさと退社しようとする。しかし、いくら病み上がりとはいえ、この時間に退社するのは、いかにも臆面がない。せめて六時まで会社にいようと思う。
階下に降り、台所の流し台で水道の蛇口を開け、何かを洗う。後ろで流し台を使う順番を待っている人があるので、急いで蛇口を締めるが、水道管が大きな音を鳴り響かせ、なかなか止まらない。「なんじゃ、これは」と呟くと、ようやく止まる。
2015年11月27日
11月27日の夢(社員演劇)
会社が新しい社屋に引っ越した。とてもおしゃれでモダンなオフィスだ。ぼくはそこにいくつかの本棚を配置し、一生懸命本を詰めていく。しかし、いつのまにか本棚の配置が変更され、ほかの社員が本を詰め直している。
社員たちによる社内演劇がこれから始まる。台本は手書きだ。ぼくはその台本を持って舞台に上がるつもりでいたが、いざ始まってみると、社長以下全員台本を持たずにどんどん演劇が進んでいく。みんなセリフを暗記しているのだ。セリフを覚えていないぼくが舞台に上がれないでいるうちに、ぼくの出番なしで演劇は終わってしまいそうだ。
2015年11月25日
11月25日の夢(膝で階段を上がる)
送られてきた大判のPR誌を開けてみると、写真を引きはがした痕がいくつかあり、かわりにヤマハのコンサートグランドピアノの設置事例の写真が貼り付けてある。誤植した写真を貼りかえたのだろうか、
会社が新しい建物に引っ越した。二階に上りたいが、両手にコップやボトルを持ち、しかも膝でしか登れないのでとても難しい。やっと登りきると、すれ違った女性が「雨の日は大変ですよね」と声をかけてきた。
自分のオフィスに着き、デスクを開けて、銀色の機械にCDを入れると、ガーガーと耳障りな音が出る。
11月23日の夢(写真)
ぼくの撮った写真を見たいと女性が言うので、彼女を会社に連れてきた。ぼくの会社は外壁が総ガラス張りで、内部が外から丸見えだ。そこでは同僚たちが総立ちで賑やかに働いている。誰かがぼくに「〇〇さんは写真を自分で撮ってくれるって」と伝えてくる。ぼくが女性に見せたい写真は入り口の壁際にあるのだが、そこには同僚たちがいっぱいいて近づけない。しかたなく、写真の代わりに線画のイラストを見せる。そこにはぼくと女優の左幸子の子供たちが写っている。ぼくは女性に「これはぼくももう一つ下の世代だよ」と説明し、彼女は「すごいなあ」と感心する。それからぼくらはまた外に出る。ぼくは彼女に「ぼくは細く長くはいやなんだ。太く華麗に生きたい。ね、そう思わない?」と問いかける。
2015年11月20日
11月20日の夢(教室オフィス)
学校の教室のように見えるが、ここは会社のオフィスだ。教卓には担任の教師が立っている。生徒の席には詩人の荒川洋治氏もいる。だから、ここはオフィスなのだ。だけど、ぼくはこの教室には間違って入ってしまったらしい。ぼくのクラスは二つの教室に分かれていて、ぼくはもう一つの教室のメンバーのはずだから。ぼくはデスクの周りの荷物をまとめ、そっと出て行こうとする。と、床に古い上着が落ちているのに気づく。男物なのに女性の名前が記されたタグが付いている。これはぼくのものではない。もう一つ、セメントに汚れた上着があり、これはぼくのもののようだ。廊下に出て、改めて眺めてみる。こちらにもタグが付いており、いろいろな人の名前が書かれている。やはりぼくのものではないようだ。一番後ろのドアをそっと開けて、ぼくは上着を教室にこっそり返却する。
11月19日の夢(手土産)
北海道へ取材に行った。空港の地下にある土産物店に降りていく。手土産が二つ欲しいのだが、ぐるぐる回っても、ふさわしいものが見つからない。奥にある店の男性店主に声をかける。彼は他の客の応接に向かおうとしていたところだったが、その客に「ちょっといいですか」と断りを入れて、ぼくの方に来てくれる。ぼくは「二千円ぐらいで、おつかいものにできる品が欲しい」と彼に言う。彼はわざわざ店の本社に電話をかけて、ぼくの求めにぴったりの商品を選んでくれた。ぼくはそれを二つ買って、取材先の幼稚園に向かう。
その手土産は緑色をした大きなボトルに入っていた。ところが園に着いたとたん、園児の一人がぼくからそれを奪い取る。蓋が壊れてしまい、中から液体が漏れだした。ぼくは怒って、保母を呼びつけ、損害賠償を要求する。そうしながら、もう一つの手土産を取り出し、保母に「どうぞよろしくお願いします」と手渡す。なんだか変だなと思いながら。
2015年11月18日
11月18日の夢(海外取材)
ツアーを組んで海外へ出張取材に行く。アジアのどこからしい。旅館のようなホテルにチェックインし、一緒に食事をして眠る。翌朝、起きて食堂に行くが、まだ誰の姿もないので、散歩に出た。意外に長い時間歩き回ってしまい、ホテルに戻ると、他のメンバーは既に食事中だが、ぼくの分はない。リーダーのA氏が「勝手に単独行動をする一色には食事は出さなくていい」と言ったという。
仕事を終えて、ホテルに帰るため、相乗りタクシーに分乗することになる。タクシーはオープンカーで、遊園地のジェットコースターのように縦に五列客席が並んでいる。ぼくは最前列の席に座るが、ほかは仲間たちではなく、全員外国人だ。乗ってから、自分のホテルが何という名前でどこにあるのか、知らないことに気づく。しかたなく降りる。
降りたところは博物館の前だったので、見学に入る。そこは日本の茶器を集めた博物館で、幸いスタッフは日本人と日本語のわかる現地の人ばかり。ぼくは自分の窮状を訴え、今度は一人、タクシーで帰ることにする。
2015年11月17日
11月17日の夢(鏡の中の自分)
詩を書いていて、ふと目を上げると、そこに鏡があった。鏡に映る自分の顔は全く見知らぬ異様なものに変貌していた。やせこけた顔の目は細くなり、右目はとろんとした乳白色におおわれていた。多分白内障なのだろう。目の下にはまるで棒が突き刺さったようなイボが、いくつも突き出していた。老化のせいでこんな顔になってしまったのかと、ショックを受けるが、ぼくは次第にその顔を受け容れていく。
2015年11月16日
11月16日の夢(間に合わない)
今日は午後4時から奈良で女性ピアニストのコンサートがあるので、その2時間前にインタビューを申し込んである。若手の男性社員を先に奈良へ派遣してあるものの、やはりインタビューはぼく自身がしないといけないだろう。気がつくと、もう午後1時だ。のんびりし過ぎていたと思う。今から新幹線に乗って間に合うた゜ろうか。それに、新幹線は奈良へは通じていない。京都で乗り換えなければいけないのだ。逡巡するが、とりあえずタクシーを探すことにする。街に出ると、まるでアラブの街角のように、男たちがたむろしている。その人だかりの中に一台の車が見える。タクシーのようだと思って近づくが、運転手が乗っていない。それにしても、タクシーをつかまえて東京駅まで飛ばすのか、それとも奈良のインタビュー会場まで飛ばせばよいのだろうか。
2015年11月14日
11月14日の夢(巨大エレベーター)
編集委員の人たちとその一人の家に遊びに行くことになる。マンションに着き、エレベーターに乗り込む。エレベーターの中はとても広い。床はぴかぴかに磨かれ、ホテルのロビーのよう。奥に外国製の自動演奏グランドピアノが置かれており、制服を着たスタッフたちが演奏前の準備をしている。しかし、ピアノの周りは透明な仕切りで隔てられていて、楽器そのものに触ることはできない。
ピアノに見とれているうちに、降りる階に着いた。慌ててドアにダッシュするが、随分遠い。ドアは二重、三重になっていて、「ドアが閉まります」というアナウンスに急き立てられ、「すみません。降ります」と叫びながらようやくドアから外に出る。
降りたフロアにはもう編集委員たちの姿はない。左右に出口があるが、どちらへ彼らが行ったのか分からない。とりあえず左の出口から出ると、昼間に都会のマンションに入ったはずなのに、外は既に夜のとばりが降りている。そして、そこはうらさびしい山村だった。森閑として、人通りも僅かだ。しばらく歩いてみるが、こちらではないと判断し、右の出口に向かう。右の出口から出ると、そちらは昼間で雨が降っている。京都あたりの賑やかな下町である。しかし、やはり編集委員たちの姿はない。
新幹線に乗って、横浜から東京へ帰ることにする。車両の入り口のドアから、ぼくはメガネをかけた男性と若いロシア人らしい女性と共に乗り込む。ぼくは一番手前の二人掛けの席の通路寄りに座る。窓側には眼鏡の男。ロシア女性はもう少し中の席に座った。ぼくは膝に置いたハードカバーの本を読み始める。中にぼくの描いたらしい裸女のスケッチがいくつかはさまっていて恥ずかしい。慌ててページをめくる。と、隣の男性が「おおーっ!」と声を上げる。ぼくは自分の恥ずかしい絵を見られたのかと一瞬ひるむが、そうではなかった。さっきのロシア女性が何のつもりが上半身をむきだしにしているのだ。ぼくも乗客たちもその美しさに見とれる。目覚まし時計が鳴り出し、ぼくはもっと見ていたいのに残念だと思う。
2015年11月13日
11月13日の夢(フリーマーケット)
女性の助手として、ぼくは彼女に連れられてフリーマーケットへ行く。それに参加するのがぼくには輝かしい夢のように思えている。しかし、会場の前に着くと、その輝かしい光の洩れてくる入り口の前でくるりと引き換えし、「後にしましょう」と言う。入り口の光の中にまぎれるようにして、透明なドレスを着た女性のシルエットが見える。ぼくも残念だが、引き返そうとして、足元の空き箱をぐしゃりと踏みつぶしてしまった。
女性が会場に入る前に、ぼくは持っていた空き箱をこっそり処分しようと思う。会場の前に二つの部屋があり、その二つの部屋の境目にぼくは箱をみんなに隠れて捨てる。幸い、誰にも見つからなかったようだ。
2015年11月12日
11月12日の夢(早稲田祭)
早稲田祭へ行った。早稲田は大学、高校、中学だけでなく、小学校や幼稚園もあるらしい。ちょうど運動場では小学生の児童たちが運動会をしている。周りは父母たちでいっぱいだ。楕円形のグラウンドは真ん中左寄りに木立があり、その向こうが見えないのが変な感じである。
それをぼくは室内から窓越しに見ていたのだが、気づくとぼくの服はゴミだらけになっている。外に出ると、雨だ。壊れた雲梯があり、ぼくはそれにつかまって端から端まで渡る。周りで男たちがはらはらしながらぼくを見守っているが、なんとか渡りおおせる。
寺がいっぱい立ち並ぶ場所に出た。地面は岩だらけで、石が階段状に敷き詰められたような感じ。石段を登るように歩かなければならないので、かなり苦しい。こんな場所が早稲田にあったなんて、知らなかったと思う。
女友達から電話がかかってきた。彼女も早稲田に来ていると言う。ただ、どこにいるのかが分からない。どんな建物が見えるかを聞くが、要領を得ない。早稲田にいるのに、大隈講堂のような目印になる建物が見えないのはどうしてだろう? 会話しているうちに二人のいる風景が夢の中で一つに溶け合い、ぼくたちは再会することができた。
2015年11月05日
11月5日の夢(下宿屋)
一軒の下宿屋があり、ぼくはそこの住人たちと親しい。今日も遊びに行った。家主は気のいい中年の主婦。一階に男性二人、二階に男女のカップルが暮らしている。午前中みんなで歓談した後、午後から男たちは勤めに出て行き、カップルも外出してしまった。ぼくは孤独感を感じ、とたんに寒さが身にしみる。カバンから衣類をいくつも取り出したが、上に羽織れるものは一つもない。
がっかりして靴をはき、外に出てみると、玄関の先に坂があり、その下でカップルの男女がぼくを待っていてくれた。ぼくらは馬車のような乗り物に乗る。犬を抱いた女性の方がえいっと声をかけると、乗り物はふわりと空中に浮いた。そのまま前にいるバスを機関車のように押して、空中を飛んでいく。男は「彼女がこんなに上手に運転するのは初めて見たよ」と上機嫌だ。
ぼくは彼らと別れ、一人で無人の下宿屋の二階に戻る。もう二人ともここには帰ってきてくれないのだろうか。一階に降りようかと思うが、鍵が見つからないので、この部屋の戸締りをすることができない。しかし、白い鍵がベッドの上にあった。それに、彼女も戻ってきてくれた。ぼくを信頼して帰ってきてくれたのだ。
2015年11月03日
11月3日の夢(白亜の壁階段)
ちょっとした出来心で白亜の建物にエレベーターで登った。屋上に出て、帰りは白亜の壁の外側につけられた階段を降りることにする。壁は全体が不定形の沢山の階段でできている。一番左の階段を降りようとするが、険し過ぎて、途中で行き詰ってしまう。起点に戻って、なるべく降りやすい階段を探すが、どれも難しそうだ。それでも何とか降りて、地上に戻ることができた。あちこちの建物の窓から人々が見ているので、自分が颯爽と降りる姿を見せられて、いい気分だ。
ケーキ屋さんのショーケースの前で、包装された箱に火をつける。シューッとロケットのように焔が左に噴き出す。結構、危険な感じだ。帽子をかぶった男の店員が来て、「危ないので、十メートル以上離れたところでやってください」と言われてしまう。
2015年11月02日
11月2日の夢(建て直し)
老朽化した東京タワーがすっかり建て直されることになった。望遠鏡で覗いてみると、既に出来上がった展望台で着々と内装工事が進んでいる。
我が家も建て直すことになった。トイレが撤去されてしまったので、バスタブのような大きな仮便器があり、そこにさまざまな色の尿が溜まっている。
2015年10月31日
10月31日の夢(アパートとデパート)
新しいアパートに引っ越した。縦長の部屋で、その間を障子で仕切って、四つの部屋に分割する。一番奥の部屋には社長のU氏が住み、次の部屋には女性たちのグループ、三番目の一番大きな部屋がぼくの部屋で、一番手前にはハイソサエティな感じの女性が暮らすことになる。
ぼくは探偵だ。同僚の初老の女性とデパートに踏み込む。ぼくの前を黒い制服を着た中年の男性従業員が「失礼します」と言って、大きな荷物をカートで押していく。中二階のようなところから、ぼくらは下のフロアでダンスをしている若い女性を眺める。彼女は共産党員で、殺人犯である可能性が高い。同僚の女性は「今日はこんな踊りが見られて、いいわね」と呟く。皮肉だろうか。
雨の中、投稿欄で選ばれた原稿をぼくは編集部に届けようとしている。学校の広い運動場のような場所。暗くて、雨脚も激しい。帽子をかぶっているものの、少し寒い。走っていくと、奥にタクシーが停まっているのが見える。空車だったら乗りたいと思う。
2015年10月30日
10月30日の夢(バス停の校正紙)
我が家のあるマンション前のバス停の地面に校正紙を並べ、若い男女に印刷について教えている。「こういうふうに書籍の印刷は16頁を一折として刷るんだ」と言うと、女性は「ああ、こういうふうに刷るんだ」としきりに感心しながら、校正紙を手に取って見ている。
2015年10月28日
10月28日の夢(思い出話)
畳敷きの座敷で大きな座卓を囲み、ぼくは男二人と話している。左にいるのは大学時代の友人で、今は松山にいる堀内くんだ。右にいるメガネをかけた男も旧友らしいが、誰だかわからない。せっかく集まってくれたのに、二人に何も手土産を持ってこなかったことを、ぼくは後悔する。かわりに、今度松山で開くイベントのチラシを見せようと、ポケットに手を突っ込むが、出てきたのは薬袋だった。「岩谷や望月は元気か?」とメガネの男が言う。「岩谷って誰だっけ?」と、ぼくは首を傾げる。「ほら、感情がゆっくりと動くやつだよ」と彼は答える。「望月って、望月さなみだっけ」と堀内くんが言う。「望月そのみだよ」と、ぼくは名前を訂正する。
2015年10月26日
10月24日の夢(階段のある電車)
山間の邸宅の前に電車の駅がある。そこで東京に帰るため、グループで電車を待っている。リーダーは女性で、ほかに数人の男性メンバーが一緒だ。
電車が来たので、乗り込む。車内にはかなりの段差がある。真ん中に階段があって、電車の片側は中二階のようになっている。車内は驚くほど広く、テーブルと椅子がレストランのように並んでいる。窓際の荷物棚がひとの荷物でいっぱいなので、ぼくは自分の荷物を階段席の乗客のテーブル越しに、脱衣籠のようなものに入れる。
だが、降車しようとして、その荷物をどこに置いたか忘れてしまい、慌てる。おまけに靴が見当たらない。乗車するとき履いていたのかどうかさえ記憶にない。
ホームに降りると、グループのみんなはまた別の電車に乗り込む。乗り換えるのだと思って、付いていくと、向こう側のドアも開いていて、みんな隣のホームに降りる。そのホームにしかトイレがないからなのだという。
2015年10月18日
10月18日の夢(会社の引っ越しと面接)
会社の引っ越しをしている。社員たちは見知らぬ顔ばかりだが、みんなぼくの同僚らしい。中から運び出した荷物で、外は足の踏み場もないほどごった返している。中年の女性が透明な袋に入ったシャツを小さく折りたたむようにと、ぼくに指示する。そばにいた男性といっしょに作業を始めるが、うまくいくかどうか不安だ。だが、案ずるより産むがやすし。作業はさくさくと進む。
ぼくは新しい会社に移るための面接を受けなければならない。他の二人の男性と共に面接会場へ行こうと、バス停に立つ。しかし、なかなかバスはやってこない。会場は二つ先のバス停にあるのだから、歩いた方が早いと思うが、二人が談笑しながら待ち続けるので、ぼくもしかたなくバスを待つ。
会社の中に入ると、片づけが終わり、驚くほどに広々としている。デザイン室は二階までの吹き抜けの立派なスペースだし、奥にはテナントの商店街さえある。トイレに入ろうとするが、あいにく満室だ。隣のビルのトイレを借りようとするが、そこには赤いツアーの旗を持った男性のツアーガイドがいて、団体客を次々とトイレに誘導している。その列に割り込むのはとても無理だろう。
雑踏を歩きながら、ふと気づく。これから面接を受けるのだが、ネクタイをしてこなかった。
2015年10月17日
10月17日の夢(1万円札)
取材に出かける。今日の取材は二本だ。最初の取材はМカメラマンとチームを組むはずだったのに、ぼくはその約束をすっぽかし、別の女性カメラマンと二本目の取材へ行ってしまった。それが終わり、最初の取材の待ち合わせ先に、電車で向かう。電車を降りるとき、胸ポケットから出した1万円札を落としてしまう。すぐ見つかると思って、屈んで床を探すが見当たらない。駅員を呼んで懸命に探すが、どうしても見つからない。だが、胸ポケットからカードを出すと、その裏側に1万円札がはりついていた。なーんだ。落としたと思ったのは、錯覚だったのだ。
2015年10月16日
10月15日の夢(洪水)
洪水に襲われ、一軒家の我が家の庭先にも水が来た。水辺には一面に沢山の水鳥がいる。女性が鳥たちに餌をやろうと近寄っていく。いや、それは餌ではなく、毒だった。すると、鳥たちは沢山の猫たちに変わってしまう。そして、猫たちは女性の毒を食べることをしない。
会社で夜中にトイレに行こうとする。だが、放尿を始めたのは便器ではなく、籐で編んだ大きな籠だった。そういうぼくを総務のおじさんが首を伸ばして、じっと見ている。まずい。慌てておしっこをやめ、今度は社長室に入ってドアを閉める。ここならおしっこをしていいだろう。いや、いいわけがない。ぼくはドアを開けて、再びトイレを探しにいく。
2015年10月14日
10月14日の夢(インタビュー)
ピアニストのS氏の公開レッスンに同行して北海道へ出張取材する。インタビューの場所は白いシーツの寝乱れた、布団が一面に敷かれた旅館の和室。S氏は質問に丁寧に答えてくれるが、ぼくはなぜか三つ質問をしただけで「ありがとうございました」と言い、インタビューを打ち切ってしまう。謝礼の一万円の入った封筒を慌てて探す。それはぼくの鞄の中でくしゃくしゃになっていた。しかたなくそれを差し出すと、S氏は「いつも現金でくれるように言ってあるのに、おまえの会社で現金は一度も見たことがない」と冷たい顔で言い放つ。ぼくは「すみません」と言って、頭を下げる。
2015年10月12日
10月12日の夢(ツイッター)
ツイッターへ詩について投稿する。すると、見知らぬ男性詩人から「ああいうものを擁護するなら、私はついていけない」というレスがあり、ショックを受ける。
10月11日の夢(トイレ・エレベーター)
ホテルのトイレの個室に入り、用を足し始める。すると、個室はそのままエレベーターになっていて、そのままするすると一階ロビーの真ん中に降りてしまった。ぼくは便器にまたがった恥ずかしい姿のままだ。周囲を従業員たちが見て見ぬふりをしながら行ったり来たりする。用を足し終えたところに著名な女性詩人たちがどやどやとやってきて、便器にまたがったぼくに話しかける。話しながらトイレットペーパーでお尻を拭くと、軟便が掌からあふれるほどに盛り上がっている。彼女たちの着ているきれいな和服に、その便がついてしまう。
またトイレに入る。広い男性用トイレだが、床は尿で汚れていて、足の踏み場もない。あちこちきれいな場所を探して、一番奥まで行く。便器は一切なく、壁際にマークがついているだけだ。それを目標に放尿しろということらしい。用を足し始めると、すぐにぼくの横に男子学生がやってきて、ぼくにセールスの勧誘を始める。
2015年10月10日
10月10日の夢(大学で)
大学で講義を受けている。ぼくは教室の後ろの方で、机を逆向きにして、教授に背を向けて座っていたが、休憩の後で机を元に戻し、前を向いて座りなおす。
10月8日の夢(長い坂)
六本木の坂道を登っている。目を上げると、急な長い坂が続いている。果てしなくまっすぐに続く、赤い色をした坂道だ。ようやく坂の上に着いたが、誰かの郵便物を坂の下から持ってきてしまってきたことに気づく。返しに行かなければならないが、その前にまずは食事をしよう。上品なおかみのいる割烹屋を覗く。どこにもメニューが掲示してない。ようやく見つけたお品書きには「昼定食 三千円」とある。とてもそんな贅沢はできないので、また長い下り坂を引き返す。泥が泡状に噴き出して固まったようなぼこぼこした急坂だ。降りる途中で、手にしていたお弁当を落としてしまう。色のついたご飯が地面に零れ落ちたが、もったいないので拾って食べる。ぼくのかたわらで女子高生たちもお弁当を食べている。
2015年10月07日
10月7日の夢(黒いコートと茶色のコート)
ピアニストのSさんの邸宅にいる。邸宅は左右二つの棟に分かれている。右の棟にいたぼくは小さな庭に降り、そこから左の棟を通って、玄関から帰ろうとする。だが、玄関にぼくの靴がない。騒いでいるうち、右の棟に自分で忘れてきたことに気づく。それを取ってきて、再び玄関に戻ると、Sさんの令嬢たちがおめかしをして、どこかへ出かけようとしている。ぼくは礼儀正しく「それでは皆さん、失礼します」と頭を下げるが、令嬢たちは無言でぼくを見つめるばかり。ぼくは何か礼に反することをしたのだろうか。
東京駅に新幹線で戻ってきた。駅ナカにITという英語学校が開校していて、その従業員の女性たちがしきりに受講を勧める。振り切って先へ進むと、別の英語学校の女性たちがまたぼくを勧誘する。なぜか、ぼくはその英語学校にとどまり、帰ろうとしない。壁の時計が十時半を示している。
駅のホームに、ぼくは黒いコートと茶色のコート二着を手に持って、立っている。黒いコートが雨で濡れた地面につくので、何度か抱え直すが、そのたびに逆に黒いコートはますます地面について、汚れてしまう。中年の婦人が「あんたは新人だからね」と、そういうぼくをなじる。ぼくはきっとして、「新人だから悪いんですか? じゃあ、阿部首相もですか?」と言い返す。
2015年10月04日
10月3日の夢(浜松出張)
クライアントに原稿を見せるため、浜松に出張することにする。原稿を包装し、スーツに着替える。パンツを持参するのを忘れたため、素肌の上にスーツのズボンをはく。
新幹線に乗ってから、ポケットを探ると、ぼく個人名義の名刺はあったが、会社の肩書のついた名刺を忘れてきたことに気づく。浜松に着いて、古い寺院のような形をした私設の博物館を、他の団体に混じって見学する。しかし、名刺がなくてはクライアントに挨拶もできないから、出張は中止することにし、駅へ戻るためタクシーに乗る。原稿は東京から郵送することにしよう。
2015年10月02日
10月2日の夢(四角くない写真)
まだ小さな子供である息子が、D社のT専務からカレンダーの大きさのカラー写真のプリントを何枚も預かり、くるくると円筒状に丸めている。それらはカレンダーから破り取った印刷物のように見えるが、一番下にある二、三枚は専務が写真展のために引き伸ばした生写真である。緑色を基調としたそれらが生写真であることに気づかない息子に、ぼくはそのことを指摘する。息子は「ああ、そうか」と言って、びっくりする。生写真に罅や汚れがついてしまったのではないかと心配だ。その写真は四角形ではなく、アメーバーのような不定形をしている。
2015年10月01日
10月1日の夢(派手な服)
ぼくはとても忙しい。どうやら転職したためらしく、服を着替える暇もない。夕方になって、黒と白のストライプの派手な上着を脱ぎ、二階にあったハンガーをこっそり借りて、その上着を掛け、一階の自分の部屋へ持って行く。この上着に合わせるなら、もっと派手なシャツが要るなと思う。
2015年09月30日
9月30日の夢(召集令状)
ぼくに召集令状が来た。ぼくは兵士になるため、バスに乗る。満員になると思っていたのに、ぼく以外には1人しか乗っていない。ぼくは兵士の帽子をかぶっているものの、まだ私服のままだ。バスが停まったところで、降りて制服に着かえようと思う。気づくと帽子を二つかぶっていたので、一つを地面に置く。しかし、この帽子は大きすぎて、ぶかぶかだ。
着替えのために、元いたビルに戻ろうとするが、間違えて反対方向に歩いていた。気づいて戻る途中、研究会メンバーのY氏に出会う。彼は「意外に制服似合うじゃないですか」と皮肉に言う。変だな。彼の方が年下なのに、なぜぼくが召集されるのだろう。
着替えてバスに戻る。バスは谷のようなところを進む。道路の両側は兵士でいっぱいだ。右側には高圧鉄塔が並んでいて、それに兵士たちが登って工事をしている。バスに上官らしい兵士が乗ってきて、「人が多すぎて、寝る場所がない。地面で眠れる人はトンネルの中で寝てほしい」と言う。
2015年09月28日
9月28日の夢(赤い服の男)
知り合いの女性が帰宅する際、自宅近くの駅で襲われるという情報をキャッチした。彼女の友人の女性たちとは途中の駅で別れた。ぼく一人、彼女の降車駅まで送り届けることになる。電車のつり革につかまっている彼女の隣に、赤い服の男が立っている。情報では襲撃者も赤い服を着ているとのことだ。緊張して隣の男を見守るが、怪しいそぶりはない。
駅に着いた。まるで庭園美術館のような豪華で美しい駅だ。香水塔のある広間のあちこちに、男女が三々五々座っておしゃべりをしている。ぼくはじっくりと彼らを観察するが、怪しい人は見当たらない。
9月25日の夢(穂村さんと話す)
歌人の穂村弘さんと座談会をしている。ぼくは彼に「穂村さんは川の中を魚のように回遊して、歌を作っている感じがする」と言う。彼はそれを聞いて、黙って笑っている。
2015年09月24日
9月24日の夢(天皇に刺さる棘)
マンションの一階の共同ロビーのようなところで、住民の男性が帰ってくるのを待っている。だが、帰ってきたのはぼくの想像したのとは全く違う、スーツを着たスリムな別の男性だった。しかも、ぼくには目もくれないで、さっさと上に上がっていく。ぼくは「さあ、もう帰らなくては」と言って、立ち上がる。
ぼくの部屋は大きな二部屋があって、一部屋には壁一面ぐらいの大画面テレビがついている。もう一部屋には大きなお風呂にお湯がたたえられている。お風呂に入りたいけれど、そうするとテレビが見られないなあと思う。
テレビには天皇が写っている。床を拭き掃除か何かしていて、床から出ていた棘が手に刺さってしまう。黒い線状の傷が手の甲に盛り上がっている。
2015年09月21日
9月19日の夢(待ち合わせ)
女友達との待ち合わせまで間があるので、早稲田で喫茶店に入る。中年の女主人が切り盛りしていて、昔の居酒屋のような雰囲気。ケータイの待ち受け画面を出して、テーブルに置き、連絡を待つことにする。ぼくはケータイをもう一台紙袋の中にも持っていて、そちらにも同じ待ち受け画面を出しておく。ぼくの前には木製のテーブルがあり、向こう側には若いカップルが相席している。ぼくの隣はもちろん女友達のために空席としている。
そこへいきなり入ってきた男が、ぼくがテーブルに置いたカードを取り上げる。ぼくが驚くと、男は「一週間前にここに忘れたタバコを探しているんだ」と言い訳をし、ぼくの隣に座ってしまう。そして、いろいろ話しかけてくるのだが、すべて意味不明だ。異常者なのだろうか。女友達が来たら、この店を出ようと思う。
2015年09月13日
9月13日の夢(野川朗読会)
野川朗読会の最後の出演者はそらしといろさんだ。音楽がかかり、司会の女性が彼女についての口上を述べる。しかし、彼女が今日、会場に来ていないことを知っているぼくは「そらしさんは来ていないんじゃないの?」と言う。だが、司会者は「いや、確か来ていたはずだ。私はさっき見ましたよ」と答える。でも、待てど暮らせど彼女の姿は舞台に現れない。
2015年09月11日
9月11日の夢(大忙し)
会社にいる。珍しくぼくは殺到する仕事を抱えている。Y社のまだつきあいのなかった部署から、ぼくを指名で仕事の依頼が来るのだ。電話で某博物館の館長に引き合わされる。ぼく自身も別の博物館の館長に就任することが決まっているので、「もしもし、ニース博物館館長の一色です」と挨拶するが、急に相手の声が聞こえなくなり、「もしもしもしもし…」と言い続ける。
自分のデスクに戻ると、そこを別の若いスタッフが占領している。ぼくがデスクに置いていた資料は向こう側へ墜落させられてしまう。同僚のFが「仕事がいっぱいだから、これは一色さんに振ろう」と言っている。これ以上、仕事を抱えるなんて冗談ではない。
若い同僚が「さっき、一色さんが〇〇と〇〇と言っていたのは、何のことですか」と尋ねてくる。説明しようとするが、メモが見つからない。営業担当のTに助けを求めに行くが、彼は不在だ。Y社から出向してきた男性が隣のデスクから「彼はしばらくお休みだよ」と教えてくれる。
再び自分のデスクに戻るが、鉛筆もペンも一つもない。「みんな持っていかれてしまうんた゜」とぼやく。ふと見ると、デスクの下の引き出しにまだ削られていない何本もの鉛筆がある。それを取り出して鉛筆削りにかけるが、どれも芯が折れたり、T字型に曲がってしまったりして、原稿を書くことができない。
8月10日の夢(ハローワーク)
古い仕事仲間のデザイナーМさんとハローワークにいる。求職のための資料を請求し、窓口に行くと、担当者の男性が「6万5千円です」と言う。財布を見るが、そこには2万円ほどしか入っていない。なぜかベトナムの紙幣も混ざっている。そこへケータイに女友達から電話がかかってくる。「今、支払いしているところだから、ちょっと待って」と電話を切り、Мさんを「ちょっと待って」と呼び止める。「お金貸してください」と頼むと、「えっ、一色さんが?」とびっくりする。それでも「そうでしょ、そうでしょ」と言いながら、窓口に支払いに行ってくれる。すると窓口の男性は「あれっ、Мさんじゃないの?!」と驚く。二人は知り合いだったのだ。
2015年09月03日
大学と駅
戦前だろうか。昔の日本のセピア色の風景。路地裏のようなところに大学がある。ここで作家でもある教授が自殺したという噂だ。路地を迷いながら歩いて、ようやく大学に到着する。教室に入り、講義を聴いていると、男が入ってきて、ぼくに耳打ちをする。また一人、作家でもある教授が自殺したという。部屋の外に出ると、救急車の中に作家が横たえられている。だが、体を動かしているところを見ると、ちゃんと生きているようだ。
名鉄電車の駅で年老いた知人と待ち合わせ、名古屋の家に戻ろうとする。だが、迷子になってしまい、約束の駅を見つけられない。しかし、歩いているうちにも別の駅を見つけることができた。躊躇することなく、改札をくぐる。そうしてから、果たしてこの駅で本当に名古屋へ帰れるのかと、不安になる。駅にはこの駅のテーマソングがたえず流されていて、とても明るく楽しそうな雰囲気だ。階段を上がると、ホームにちょうど電車が停まっている。だが行き先表示は見知らぬ地名が書かれている。この電車は名古屋には行かないかもしれない。もう一つのホームへ行ってみようと思う。だが、そのホームはもう一階上にあり、そこには殆ど垂直に近い梯子をよじ登らなければいけない。迷っていると、老婆が一人、身軽にその梯子を昇って行った。
2015年08月31日
8月31日の夢(残業)
今はない草思社で働いている。癌で亡くなった社長のNがいて、「この資料をまとめて期限までに一冊の本にしなさい」と命令する。社員たちは皆忙しそうだ。もう夜の10時を過ぎた。そろそろ帰らないと、午前0時までに帰宅できない。周りのゴミを集めて、捨てようとするが、ゴミ捨て場が見つからない。トイレに行こうとするが、便器にはゴミが押し込められていて、使えない。うろうろして出遅れているうち、ぱらぱらとしかいなかったはずの社員たちがまた全員デスクに戻っている。彼らを置いて、ぼく一人だけ出口に向かう。
2015年08月29日
8月29日の夢(梯子を昇る)
名古屋の和風旅館に外国人の男性を含む数人で宿泊している。みんなで銭湯へ行くことになり、出かけようとすると、ぼくのケータイが鳴り出す。電話に出ようとするが、待ち受け画面からクマモンのような変なキャラクター画像がはみ出して、受信することができない。みんなの力を借りて、上からケータイを懸命に押さえつけ、なんとかその画面を消すことに成功する。その間に開けておいたドアから外人の男が入ってきて、流ちょうな日本語でお笑いのようなことをしゃべる。彼を追い出し、「最近、ああいう太鼓持ちみたいなのが流行っているんだって」と、ぼくはみんなに知ったかぶりをする。そうこうしているうちに、みんなは銭湯へ行ってしまい、同室者の中で残っているのは、黒い髭の外人の男とぼくだけになる。慌てて、玄関に飛び出すが、出口があちこちにある。「銭湯はこっちだっけ?」とぼくが指さすと、外人の男は「いや、あっちだよ」と反対方向を指さす。
外へ出る。そこは学校の校門で、ぼくは志望する大学を受験するようだ。そのためにはまずこの校門を乗り越えなければならない。垂直に粗末な木の梯子が立てかけられている。ネットの先輩詩人であるIさんの声がする。「昇るのは簡単だが、降りるのが大変だよ」。ぼくは懸命に梯子を一段一段昇る。やっとてっぺんに着いた。反対側の梯子は垂直どころか、背中を下にして降りなくてはいけない。危険を覚悟して、反対側にぶら下がる。すると、意外にもぶら下がったまま、ぼくの体はすーっと下降し、簡単に校門の内側に入ることができた。
2015年08月28日
8月28日の夢(シネコン新幹線)
新幹線の八号車で撮影をしている。そのぼくの座っている座席は、他の座席の二倍の広さがある。窓の上部には角材が水平に打ち付けてある。撮影している映像は一号車に置かれたサーバーに、床を這うケーブルを通して送られている。ぼくはそのケーブルをさかのぼって、一号車まで行くことにする。どの車両も中は映画館で、新幹線そのものがシネコンのようだ。乱雑な座席に親子連れが沢山座って映画を見ている。観客の邪魔にならないようにしたいが、通れるのはスクリーンの手前の通路だけだ。一号車まで行くが、あるはずのサーバーが消えている。誰かに盗まれたのだろうか。さらにさかのぼって外へ出てみる。そこは福岡だろうか。人々が散策する石畳の広場だ。しかし、何も見つからないので、再び一号車から八号車まで戻ることにする。
2015年08月27日
8月27日の夢(旧草思社ビル)
旧草思社のメンバーで海外旅行に行く。一日目は旧草思社ビルをみんなで訪ねる。丘の上にあるそこへ行くには、ロープーウェイに乗るのだ。会社を訪ねてはるばる麓の草原を登ってくる人たちを窓から見下ろすことができる。ぼくは女友達を二階に案内し、「ほら、ここがぼくらの編集室だったんだよ」と自慢する。「三階は出版の編集室で、もっと広いんだ」。その三階は今は温泉施設になっている。沢山の親子連れがプールではしゃぎまわっている。
一日目の旅行が終わり、自宅に帰って、二日目はまた羽田から出直す。朝、なぜか浜松町ではなく、隣の駅で降りて、モノレールの駅まで歩く。前を旧草思社のメンバーたちが歩いている。彼らを追い抜きながら、帽子に手をやって、「おはようございます」と挨拶する。だが、みんな小さな声で挨拶を返すだけだ。「モスクワへ行くのは初めて」と言うメンバーもいる。
2015年08月25日
8月25日の夢(羊雲とケーキ)
どこかのホテルに宿泊している。食堂に行ってみたが、深夜のコンビニのように棚はすっかり商品がなくなっていて、がらんとしたショーケースにケーキだけが残っている。貴重な食料としてケーキをかき集めるようにして、部屋に持って上がる。
隣の部屋で子供や大人のグループが楽しそうに歌ったり踊ったりしている。ギターをかき鳴らして歌う若者たちがベンチに重なり合って坐っている。彼らは何かを売っているようでもある。だが、近づいてみると、もうその部屋には誰もいない。
自分の部屋に戻ると、同宿者らしい若い男3人がいて、ぼくのケーキにおおいかぶさるようにして、「これは俺の、これはお前の……」と品定めをしている。ぼくは慌てて「これはぼくのものだ」と言って、ケーキを奪い取る。彼らは不満そうな顔をしているが、何も言わない。おまけにテーブルの上には大きなカステラケーキが載っている。それなのに、ぼくのケーキを奪うなんて太いやつらだ、と腹が立つ。
同じ建物の中にある印刷所に8ページのペーパーをレイアウトして半分入稿してあった。残りを入稿しようと行ってみると、印刷所のスタッフは誰もおらず、詩人の白石かずこさんがいた。ぼくは「残りの入稿をしたいのですが、白石さんにお願いしていいですか」と言い、説明しようとする。だが、既に入稿した部分がないので、白石さんに何と説明していいか分からない。原稿のかわりに、ぼくの手にあるのは、しわくちゃの包装紙にくるまれた反故紙みたいなものだけだ。いつのまにかぼくらは建物の外に出ている。空がとても広い。羊雲が浮かび、澄んだ空はすっかり秋の気配である。
2015年08月21日
8月21日の夢(円卓会議)
職場で円卓会議に出ている。大きな円卓が置かれ、その周りに出版業界の人たちがずらりと座っている。ここでメディアどうしの情報交換をするのだ。はす向かいに座っているのは、以前自費出版大手の社長をしていたМ氏だ。テーブルごしに彼がくれた情報はぼくには価値がないように見えた。隣に座っていた女性も同意見だ。ぼくは冷ややかで厳しいコメントを添えて、その情報を送り返す。
2015年08月18日
8月18日の夢(浴室でインタビュー)
夏休みなのに新しいプロジェクトが始まった。毎回ゲストを迎えて、インタビューするという企画だ。インタビュアーのぼくのほか、続々とスタッフたちが集まってくる。コーディネーターの女性は、今回は狭い浴室をインタビューの会場にしようと言う。浴室には上半分にピンクの薔薇が飾られ、下半分はドレープのあるブルーのカーテンがかけられている。遅れて到着したメガネをかけたスタイリストの女性が、あちこち駆け回っている。ガラス張りの部屋の中にいるぼくに会釈をすると、「あなたは英語をしゃべれませんか」と尋ねてくる。ぼくは「できない」と答え、「今日はここだからね」と浴室を示してみせる。
2015年08月14日
8月14日の夢(角卓パーティー)
出版業界のパーティーに出席する。大きな四角形のテーブル一つを皆で囲んでいる。誰一人知っている顔はなく、ぼくはひたすら出された料理をぱくつく。
途中で会場を抜け出し、ぼくは実家のあった名古屋の覚王山の夜道を歩いている。この丘を降りれば実家だと思うが、時間がないので、途中で引き返す。
ぼくは居眠りしていたのだろうか。気づくとテーブルを囲む人々がぎっしりいっぱいになっている。右隣に座っていた痩せた中年の男が「新人賞というものは不要だ。そんなものなくても、人気作家は誕生する」という演説をする。ぼくはすぐそれに反論し、「大衆的な人気だけに頼っていては、本当に良い作家は世に出られない。たとえ百人の読者のうち1人だけしか認めなくても、本当に素晴らしい新人を見つけるためにし、新人賞が必要だ」と主張する。男は苦笑して、黙ってしまった。
しばらくして、年寄りの出席者が「あの時、みんな笑っていたのに、あんなこと言いだすとはなあ」と言う。「えっ、それってぼくのことですか」と尋ねるが、「違うよ」と答える。
もう食器をウェイトレスが次々と下げに来ている。ぼくは大慌てで残りの料理を詰め込む。誰かが閉会の挨拶を始めた。年配の男性のように見えるが、声を聞くと女性である。
2015年08月12日
8月11日の夢(出版記念会)
出版記念会に行く。会場のビルの一階の奥にエレベーターがあったはず。ところが床に二つの白い長方形の痕跡があるばかりで、エレベーターがない。ぼくが右の痕跡の上に立つと、左の痕跡の上に後から来た眼鏡の男が同じように立つ。顔を知っているような気がして会釈をするが、相手はぼくを無視する。二人で床をどんどん踏み鳴らしてみるが、もちろんエレベーターはやってこない。
しかたがないので、階段を探して登っていく。だが、ビルは改装中で、工事のためなかなか登れない。途中で何度もあきらめかけるが、ようやく会場の三階まであと一歩というところへ来る。その最後の階段は頭の上の高さに次の一段がある。足を思いきり上げて、その一歩を登りきるとやっと会場だ。既に到着していた女性が、「足の上がらない人は、この会に出席できないのよね」と言う。
2015年08月09日
8月9日の夢(残業)
めったに残業しないぼくが、今日は珍しく夜の9時になっても会社にいる。ぼくは滅多に自分で服を買うことがないのだが、珍しく自分で買った青い上着があり、それを頭からかぶって着ようとする。だがきつくて、なかなか首を出すことができない。
木製の大階段に沢山人が座っている中を駆け足で降りる。ぼくの足がうっかり触れたのだろうか。座ってコーヒーを飲んでいた女性が「あちちっ!」と言って、顔をしかめる。だが、急いでいるので、彼女に謝っている暇はない。
自分のオフィスに戻ろうとするが、戻り方がわからない。しかたがないので帰宅することにする。適当な出口から外に出ると、全く見知らない街並みが広がっている。ここは早稲田大学なのに、一度も来たことのない場所だ。だが、歩き続ければきっと、大隈講堂など見知った場所へ行き着けるに違いない。
2015年08月03日
8月3日の夢(いやがらせ)
会社の総務の男性から電話が来る。ぼくが取材したY社の全国のお店から、大量の商品がぼくからの注文だとして届いたという。Y社の担当者がぼくのことを気に入らず、いやがらせで発注したらしい。「一色さんは既に退社していることを、社員名簿を見せて納得させ、商品は送り返しましたけどね」と総務の男性は言う。
金持ちの家の豪華なホームコンサートへ行く。まるで少女漫画のような世界だ。知人のピアニストも招かれている。後で挨拶しようと思っているが、途中で帰ってしまったようだ。トイレに入ろうとするが、沢山置かれているスリッパは右足と左足がどれも揃わないものばかり。あきらめて戻る。
階段を降りなければならない。階段というより、狭い垂直の穴に過ぎない。ぼくの前に頭の禿げた痩せた老人が降りていく。穴の端に両手をかけてぶら下がり、なんとか下に飛び降りたものの、そこで立ち止まっている。これでは、ぼくが降りられない。ぼくがもたもたしていると、後ろの人に思われるのはいやなので、老人に「危ないので、退いてください」と言うが、なかなか退かない。後ろの人が「名前を呼ばないと、わからないのじゃないの?」と言う。それでも、なんとかぼくも下に降りることができた。
2015年08月02日
8月2日の夢(プレゼンテーション)
社員全員で、同じビルにある別の会社にプレゼンに出かける。行く前にトイレをすませたいが、トイレが見つからない。遅刻してはまずいので、そのまま出発する。
ぼくの会社も若者だけの会社だが、相手も同様な若者会社だ。向こうも社員全員で、プレゼンに応じてくれる。なぜか、ぼくがプレゼンターとなり、なんとか無事にプレゼンを終える。
靴を脱いで上がるオフィスだったので、ぼくらの靴は靴箱にしまわれていた。ぼく以外は全員自分の靴を見つけて帰ったが、ぼくの靴だけが見つからない。プレゼン相手の社員たちも全員夕食に行ってしまい、ぼくだけが他人の会社で靴を探し続ける。途中で戻ってきた社員の一人が「ここで何をしているんだ? もう誰もいないよ」と、ぼくを見咎める。この会社は夜は居酒屋になるのだ。靴を失くして帰れなくなったぼくは、ここで昼間は会社員、夜は居酒屋の店員として一日中働くことになった。
2015年07月31日
7月31日の夢(大山のぶよインタビュー)
声優の大山のぶよさんが認知症から復活して、再びアニメの声の仕事を再開した。久しぶりにインタビューさせてもらうことになる。丘の上にある会社に足を運んでもらい、無事にインタビューは終了。だが、帰途についた大山さんは丘からの降り道の前で、突然服を脱ぎだした。ぼくは慌てて「大山さーん!」と叫びながら、彼女を追いかける。だが、大声を出しているつもりなのに、何度叫んでもぼくの声はかすれてしまう。こんなふうに声が出なくなってしまったら、ぼくの編集者生活も終わりだなと、不安が頭をかすめる。なんとか大山さんを会社に連れ戻すが、同僚たちの無言でぼくらを見る白い目が突き刺すようだ。
7月30日の夢(撮影現場の夜食)
撮影の仕事が夜遅くなっても終わらない。広い室内のあちこちを移動しながら撮影しているが、クルーの人数が多く、ぼくはただついて回っているだけで、殆ど仕事がない。空腹を感じ始めたところへ、夜食がテーブルに載せて用意された。皆、一斉にテーブルに押し寄せ、メインの皿に手を伸ばす。人垣に隠れて見えないうちに、食べ尽くされてしまったが、カレーライスか何かだったようだ。ぼくは残っていた小皿を一つ手に入れて、グラタンか何かを食べる。スタッフの中には全く夜食にありつけなかった者もいるようだ。
2015年07月29日
7月28日の夢(書いたことが現実になるノート)
何かを書くと、それが現実になるノートを女友達が書いている。初めは現実的なことを書いているが、だんだん夢のようなことを書き始める。でも、それでいいのだと思う。
会社で残業をしている。もう夜の九時だ。撮影が続いていて、芸能人の演技をすぐそばで大勢のスタッフに囲まれて見ていると、「校正刷りにミスがある」と呼び出される。しかし、ぼくの見た限りでは、どこも間違っているようには思われない。
2015年07月26日
7月25日の夢(面接会場)
知人の女性が面接試験を受けるというので、ついていった。面接会場は六本木だ。六本木駅は緑に囲まれた、のどかな田園の中にひっそりとある。会場のビルの面接待合室に彼女を残し、ぼくは別室へ行って弁当を食べる。白いズボンの上に食べ物が落ち、汚してしまった。待合室に戻ろうとして立ち上がり、ふと気づくとぼくは真夏なのにきちんとスーツの上着を着てネクタイを締め、手に別の上衣を二着も持っている。慌てて、二着の上衣をカバンに押し込もうとする。
トイレへ入るが、スリッパがない。もう一度廊下に戻ると、山のようにスリッパが積んである。その中から一つを取り、トイレの一番端の便器を選んで用足しをする。まるで高圧洗浄のように、勢いよくおしっこが出る。あまりの勢いにビルの窓から、執務中のビルの男性におしっこがかかってしまいそうだ。もう少し右へ向けようとするが、方向が変わらない。しかたなく、手を出して、おしっこを遮る。
面接待合室に戻る途中、女性社員が2人話しながら通りかかる。「こないだはこっち系、今日はあっち系のばりばりの社員の面接らしいわよ」と言っている。早く知人のところに戻らないといけないと焦る。
2015年07月15日
7月13日の夢(パリの宿泊所)
パリに旅行し、日本人専門の宿泊所に泊まる。旅館の大広間のような畳敷きの部屋に、何家族もの大勢の日本人が雑魚寝している。座敷には1メートル四方ぐらいの四角い穴があり、それが風呂だ。ぼくが風呂に入ろうとすると、ちょうど新しい一団が到着し、風呂の周りにたむろする。ぼくは風呂に入りたいので、強引に彼らを押しのけ、裸になって湯につかる。お湯は少ししかなく、しかもオレンジに色がついていて、油やいろんなものが浮かんでいる。まるでスープに入浴しているようだ。
翌日、外へ出て、迷子になる。電話しようと思うが、宿泊所の電話番号が分からない。困っていると、親切な人が通りかかり、別の宿泊所に泊まることができた。
そこを出て、帰国のため、空港に向かうバスに乗る。乗客たちは「帰国する前にカラオケに行こう」と言う。ぼくもその気になり、「花の首飾り」を歌おうか、それとも「サルビアの花」にしようかと迷っていると、宿泊所の女主人から電話がかかる。うっかり宿泊所の枕を持ってきてしまったのだ。ぼくは「エアメールでついでの時に送りますよ」と答える。駅に着き、トイレを探すため、ホームに荷物を置いたまま、トイレがないか、向かい合わせの座席を一つ一つ覗く。座席をトイレ代わりにした形跡もあるが、正式なトイレは見つからない。
2015年07月13日
7月12日の夢(辻井喬さんと再会)
山の中のホテルで詩人たちの会合があった。辻井喬さんがいて、会話をする。確か彼は亡くなったはずなのに、と不思議に思いながら。
東京に戻ってきて、株主総会に出かける。すると、受付の一番手前にまた辻井さんが座っていて、彼と話す。そのうち「ちょっとトイレへ」と言って、彼は立ち上がる。そのままふっと消えてしまった。
外に出ると、すぐ足元からもう一面の雲海である。高層ビルだけが、いくつかその上に頭を出している。荘厳で美しい風景だ。
ぼくは山を下りて、電車の駅に向かう。
7月11日の夢(発光しないストロボ)
外国の学校を撮影に行った。外観を撮ろうとするが、ほかの建物に邪魔されて、なかなかうまくいかない。中に入っても、人々が沢山いて、撮影する角度に苦労する。やっといいカットが撮れたと思うが、ストロボが発光しない。何度シャッターを押しても発光しない。
2015年07月09日
7月9日の夢(湖畔の本屋)
湖のほとりに本屋がある。そこではショッピングカートのかわりに、三段になった書棚のような、白くて大きな透明ケースを渡される。このケースの中に好きな本を詰め込んで、買うことができるのだ。だが、本屋の中をいくら探しても、ぼくには買いたい本がない。このケースをどこへ返したらいいのかも分からない。
本屋の中に、今まで気づかなかった部屋がある。壁の書棚にはぼくの好きな古い泰西古典のような書物がぎっしり詰まっている。ぼくより先に少女が一人、テーブルに座って、静かに読書をしている。
ぼくは食事を作ろうと、隣の台所へ行く。だが、調理器具は殆ど取り外されている。ぼく自身も設備の一部を取り外す。取り外した器具をみんな洗って組み立て直すとしても、とても料理は作れそうにない。
2015年07月04日
7月4日の夢(病院で撮影)
仕事でロケのため、病院へ行く。ここで、ある音楽事務所のクラシックのアーティストたちの撮影をするのだ。病院の庭にはきれいなプールがあり、かたわらのベッドで男が一人寝ている。「前はこのプールももっと大きかったのにな」と、皆で話す。
室内の白いソファーの上に、ぼくがアーティストと一人ずつ手をつないで立ったポーズで、一カットずつ撮影していく。5、6人のアーティストとの撮影が終わり、最後のピアニストのところでカメラマンが行方不明になった。撮影は中止になり、ぼくは眠ってしまう。
目を覚ますと、室内はしんとしている。皆、帰ってしまったのかと思い、慌ててきょろきょろする。ちゃんと皆はいた。さっきとは違う、老人のカメラマンが現れる。やたらと小うるさく、厳しいカメラマンだ。ぼくは一度建物の外に出て、車の多い賑やかな四つ角へ行き、また戻る。ようやく最後のピアニストとの撮影が終わった。
2015年07月03日
7月3日の夢(船の中で)
ぼくは乗組員として船に乗っている。航海中、さまざまなことが起きる。トイレ掃除とか棚に飾る小物の置き方などで、最初はことごとく同僚たちと衝突する。だが、だんだん皆の息が合いはじめ、工夫し合うようになる。ぼくたちは実は兄弟姉妹で、ぼくらの父親はこの船を所有する船会社の社長だったのだ。兄弟姉妹皆で協力して、危機を乗り切り、無事に船を港にたどり着かせることができた。
2015年07月02日
7月1日の夢(詩の教室)
教室のようなところで皆で詩を書く。ぼくは「フロリダ」という題の作品を書いた。早く書き終わったので、皆が書いている間、別室に行く。戻ると「一色さんの詩を新聞の二面に掲載することになりました」と言われる。ほっとする。しかも、何かの賞も受賞するのだという。
2015年06月29日
6月29日の夢(歯医者)
隣のビルにある歯医者を予約している。3時から待合室で待っているが、4時になっても順番が来ないので、いったん会社に戻る。5時になって再び歯医者に行くと、「うちはここにいる人が優先ですから」と受付に言われ、後からどやどややってきた人たちが先に診察室に入ってしまう。
6月28日の夢(ベッドの交換)
ぼくのベッドは一階に置かれていたが、いつのまにか二階のベッドにぼくが寝ることになったらしい。一階でズボンを脱いで、ベッドにそれを放り投げてから、二階のベッドに上がって寝る。そこへインド人の浅黒い顔の男が訪ねてくる。ぼくは彼に「一階と二階のベッドを交換したんですよ」と言うが、言葉が通じない。英語で言い直そうかと思うが、どう言ったらよいのか分からないので、そのまま知らん顔で本を読んで寝ている。
6月27日の夢(岐阜行きの電車)
一人で船に乗って、島へ渡る。港に着いて降りようとすると、脱いだ靴が見つからない。皆に探してもらうが、どこにもない。ありあわせの靴をはこうと思うが、あるのは女性用のパンプスで、しかも小さくてぼくの足は入らない。しかたなく黒いスリッパをはいて、島に上陸する。
詩人のA氏と連れ立って、帰りの電車を待つ。故郷の名古屋・覚王山の交差点が待合室になっていて、椅子が沢山並んでいる。無言で座っていると、すぐ隣にいたA氏が黙って、別の席に移る。ぼくが黙っているから、気分を害したのだろうか。
彼が立ちあがったので、急いで後を追う。ホームに入ってきた電車に乗る。乗ってから、これは岐阜行きだったことに気づく。所沢に帰る彼にはいいが、ぼくには反対方向だ。だが、まあいいか。
ホームの上を真っ白い服を着た、白い平たい顔の女性が走ってきて、電車の窓をとんとん叩き、運転手に「止めてくれ」と合図する。荷物を社内に置いたまま、トイレに行っていたのだろう。運転手は電車を停め、女性は乗り込んで、ぼくの前の席でうれし涙に暮れる。
2015年06月24日
6月20日の夢(バスルーム)
部屋の奥からぼくを「もういいよ」と呼ぶ娘の小さな声が聞こえる。ぼくはバスルームに入っていく。ぼくと娘は探偵ごっこをしているのだと思う。そこが殺人事件の現場なのだ。懐中電灯を手にして、ぼくより前を女性が進んでいく。バスルームの床にはタールのような真っ黒い液体が流れている。そして、娘ではなく、黒っぽく汚れた男がうずくまっているのを発見する。ぼくは女性に代わって、自分がリーダーシップをとりたいと思うが、成行き上二人の後ろから見守るばかりだ。
2015年06月18日
6月18日の夢(キャベツラーメン)
夜、部屋の中でキャベツラーメンを食べる。キャベツの大きな葉っぱが何枚も入っているのだが、これが予想外に美味い。連れの女性は隣で別のものを食べている。夜遅くなのに、窓の外を大勢の男子高校生たちが通って行く話し声がする。
2015年06月17日
6月17日の夢(神の小鳥)
左側に右を少しだけ開けたすりガラスの窓がある。そこからムクドリより少し大きめのグレイの小鳥が飛び込んできた。ぼくの部屋には壁際に、左に神棚が、右に少し大きめの六角形の厨子がある。鳥はまず神棚の中に入り、次に厨子に入って、ぼくの方へ首を出した。ぼくは「ほら、また鳥が入ってきた。こんにちは」と、鳥に挨拶をする。鳥は再び窓に向かうが、すりガラスにぶつかって、外へ出られないまま、羽ばたいている。
2015年06月13日
6月13日の夢(あっさり系)
オフィスでデスクの席についたまま、みんなで企画会議をしている。デスクは向かい合わせに二列に並んでいるが、真ん中に書類棚があって、互いに目隠しになっている。だから、相手の顔が見えないままの会議だ。みんな社長の意見にへつらっているが、ぼくひとりだけ公然とそれに反対したので、除け者にされてしまう。
昼食の時間になった。仕出しの弁当を開ける。玄関に味噌汁の椀を取りにいく。片手ではさみつけるように椀を持つと、どこかから味噌汁がこぼれ始め、席に戻ったときにはもう一滴も残っていない。
Sが石段の上のレストランに入っていく。ぼくは彼を追いかけて石段を駆け上がり、店員に「ぼくのつれはどこ?」と尋ねる。彼はぼくから見えない左奥の方を無言で指さす。そして、「これが要るよ」と、ポケットのあたりをポンと叩く。ぼくはわかったというふうに、ポケットから千円札を一枚出して、店員に渡す。Sが「あっさり系の定食」とオーダーするのが聞こえる。ぼくは店員に「ぼくもあっさり系」とオーダーする。
2015年06月11日
6月11日の夢(靴がない)
燕尾服やドレスを着た正装の男女がビルの中に集まっている。社交場なのだろう。ぼくも靴を脱いで仲間に加わる。帰ろうとして、靴をどこに置いたか分からない。係員に聞くと、それぞれの階の裏に靴置場があるという。最上階から1フロアずつ靴の山を見ていくが、ぼくの靴は見当たらない。しかたがないので、別のビルの靴屋に行き、ぼくの足に合った靴を探すが、やはり見つからない。また元のビルに戻り、遊んでから帰ろうとする。やっぱり靴がない。嵐の後で、床に水が流れている。
2015年06月06日
6月6日の夢(動く絵)
会社のオフィス。明るい大きな洞窟を利用した広々とした空間に、多くのデスクが置かれている。ぼくが外出から戻ると、壁にもともと沢山貼ってあった絵画の上に、新しいカラフルな絵が何枚も貼られている。ぼくの友人のイラストレーターが貼っていったらしい。しかも、よく見ると、どの絵も描かれた動物や人物、風景などが動いており、刻々と変化している。テーブルにも沢山の人形が置かれており、これらもすべて動いている。ある人形は隣の人形を蹴落とそうとして、自分も一緒に墜落してしまう。見ていて、ものすごく楽しい。床には猫がいて、ぼくにお腹を見せて、撫でてくれという様子。こわごわ手を伸ばして、頭を撫でてやる。一段高い自分のデスクに戻ると、その上も楽しい本や雑誌でいっぱいだ。そこからオフィス全体が見渡せる。みんなぼくの友人が仕組んでくれた、動く絵や人形を楽しんでいる。漫画家のNさんが様子を見に来て、にこにこしているのが見える。きっとこれらを指示したのは彼女なのだろう。ぼくのデスクの隣には初老のおじさんが座っていて、ぼくのデスクの上を覗き込む。ぼくは雑誌の付録の黄金色のタオルを見せ、「この色のタオルを持っていると、お金がたまりますよ」と言う。
2015年06月05日
6月5日の夢(パーキンソン病)
医者に行く。後からH氏とAさんが来る。二人はパーキンソン病らしい。ぼくが代金を払っていると、医者は「今日の診察はこの二人で終わりだ」と言う。
6月4日の夢(作品集)
Tさんと二人で研究会の作品集のようなものを読んでいる。ぼくらとは関係のない他の詩人の作品を集めたもので、かなり分厚い。Tさんが「よかった?」と訊くので、「いや、上手いんだけれど、冗談みたいな作品なんだよね」と答える。Tさんと二人で一篇ずつ交互に朗読する。だんだん白熱してきて、「〇〇という作品がよかった!」とTさんが言う。ぼくは慌てて手元の作品集をめくるが、どこにその作品があるのか分からない。
6月3日の夢(発表会)
ホテルに泊まっている。連泊のはずなのに、部屋を追い出される。みるみる他の部屋はお客で埋まっていき、ぼくは居場所を失う。おまけに連れの女性も現れない。もう夜の9時になろうというのに。
そうだ。9時からはぼくの作品の発表会があるのだ。ぼくは急いで作品を組み立てていく。作品番号一番、二番、3番……。だが、そこでパーツが一つ足りなくなる。かたわらに詩人のМ氏がいるので、助けを求めるが協力してくれない。「これ借りていい?」と、強引に足りないパーツを横取りする。それでも、まだまだ作業が終わらない。なんとか時間前に完成させなくては。
2015年06月01日
5月29日の夢(親子丼)
食堂にいる。主人と話しているところへ、二人の不審な男が訪ねてきた。実はぼくと主人とは刑事で、ぼくらは二人を尋問に連れて行こうとするが、ぼくは急に空腹に気づく。「待って。オーダーしてもいいですか?」と、ぼく。「何を?」と、驚く主人。ぼくは「親子丼」と答える。やれやれという様子で、主人は調理場へ引っ込む。
それから、ぼくらは二人を引っ立てて、外に出る。大きな建物があり、そこが警察署らしい。二人が尋問される声を聞きながら、ぼくは丼を食べる。親子丼ではなかったが、ナスと〇〇(判読できない)などが熱いご飯の上に乗っており、とてもおいしい。
2015年05月25日
5月25日の夢(スタジオ)
ぼくは俳優で、スタジオの中でテレビドラマを撮影中だ。隣のセットから女優が声をかけてくる。「あなたの演じている役柄はとてもいいですね」。デスクに座っていた脚本家が問いかけてくる。「お友達に外人さんはいませんか。今度、外国人の出るドラマをやるので」。ぼくは冷たく「いません」と答える。
2015年05月21日
5月21日の夢(倒壊する校舎)
喉の痛みを感じて、医者へ行く。待合室には患者が沢山待っているのに、診察室に医師がいない。ちょうど12時になったところで、女医が入ってきた。待ちかねたように、男性患者が何人かどどどっと診察室に入った。診察室と待合室の間は駅の改札のようなものがあるばかりで、丸見えである。しかし、もうお昼休みの時間だから、ぼくの順番まで回らないのではないかと思う。
木造の校舎のような建物がどおっと倒壊した。今まで日本が後方支援か何かの基地として使っていたものだが、最近は使われなくなっていた。けれど、使われなくなったことと倒壊したこととの間には特に関連はないと、ニュースで解説している。
2015年05月19日
5月19日の夢(羽毛)
長い夢の最後のシーンだけ覚えていた。男が部屋から出ようとして、ふと入口のデスクの上を見ると、沢山の羽毛が置いてある。そのデスクに座っていた男に、彼は語りかける。「こないだ鳥を引き取ってほしいと言われ、鳥を引き取ってきたんだ。だけど、羽毛は返してくれなかった。だから、その羽毛が今ここにあるということは、向こうが私のいない間に返しに来たとしか考えられないな」。
2015年05月18日
5月18日の夢(学生会館)
緑豊かな芝生のある大学のキャンパスを女子学生に運転させて車で進む。彼女は病気で体調が悪いのだが、「ぼくは運転できないから」と無理やり運転させているのだ。
着いたところは五階建てぐらいの学生会館。ぼくの知り合いが二組サークル活動をしているはずだ。一番上のフロアから順番に探していくが、どの階もぎっしりと床に男女の学生たちが座っていて、探すのが大変だ。
ようやく一つのサークルを見つける。「ぼくは昔、寺山修司といっしょに本を造っていたんだ」と威張っている男がいる。その男の本を一ページずつ確認していく。へたくそだ。彼の言葉にはかなりウソが混じっているのではないだろうか。
2015年05月14日
5月14日の夢(古図鑑の部屋)
山の中の研修センターに滞在している。トイレは研修生たちで満員だ。和室など空き部屋が沢山あるので、そこをトイレがわりに使おうとするが、人がやってきたりして、どうしても用が足せない。
偶然ある部屋に入ると、そこは古本の子供用図鑑ばかりを揃えた図書室だった。背表紙に手が加えられていたり、ふだんは手に入らないレアな図鑑も沢山あり、夢中になる。ぼく以外にもその部屋に気づいて、びっくりしている人たちがいる。見ていくと、次々と新しい書棚が見つかり、いろんなジャンルの本が収められていることに感動する。
2015年05月13日
5月13日の夢(タクシー)
タクシーに乗り、運転中の運転手にインタビューするという取材をしている。最初は運転手がどんどん話してくれて、うまくいっていたが、やがて運転手は黙ってしまう。かわりに乗客だった人がハンドルを握り、今度はその人にマイクをつきつけて、ぼくは取材を再開する。だが、とうとうタクシーは止まってしまい、彼は車から降りる。再び乗ったものの、運転席で眠ってしまった。気がつくと、タクシーの車内はものすごく広い。学校の教室ぐらいの大きさだ。沢山の机と椅子があり、席で何人もの乗客たちが眠っている。その中の一人が詩人のN氏だった。N氏はぼくと目が合うとにっこり笑い、運転席に近づいてくる。
2015年05月12日
5月11日の夢(北海道)
北海道へピアノの先生の取材に行った。札幌からかなり離れた場所だ。終わって駅へ戻ろうとするが、道に迷ってなかなかたどりつけない。ようやく駅に着いたが、乗客たちが騒いでいる。事故で電車が運休しているという。日帰り出張のつもりだったが、もう夜だ。八時には東京に帰宅するつもりだったのに、これでは一泊せざるをえないなと思う。
2015年05月05日
5月4日の夢(郵便局)
郵便局の窓口の前で行列している。列が長いので、二列になっている。ぼくが一列目に並んでいると、二列目にはただひとりおばあさんが並んでいる。そのおばあさんの後ろに机がある。机の後ろに外国人が二人並んだ。すると、彼らが列の先頭のように見えてしまうので、おばあさんは机の後ろに行き、二人の前に並ぼうとする。
2015年05月02日
5月2日の夢(漫画家の家)
友人の漫画家Nさんの家へ行く。初めてなので、勝手が分からず、最初の部屋で迷ってしまう。壁の向こうからNさんや助っ人さんたちの話す声が聞こえている。
やっと次の部屋へ行くと、大勢の来客がいて、多くは男性だ。まずNさんに挨拶に行こうとすると、男性の一人が「いや、今ゲームの最中だから、自然な感じで中に混じっていればいい。あとで挨拶すればいいよ」と言い、一枚のタオルを渡される。見ると、男性たちはみんな、タオルを折りたたんで床に敷き、それに乗ってソリのように床をすべっている。そうやって、ゴールに一番に着いた者が勝利者になるらしい。ぼくも一応そのゲームに参加しながら、物珍しげに部屋の中を眺める。部屋の左右の端に何台かベッドが並んでいる。きっとどちらかが助っ人さんたちの仮眠場所なのだろう。
気がつくと、みんなゴールの部屋に入ってしまい、中から楽しげな笑い声が聞こえる。ぼくだけが一人、部屋の外に取り残されてしまった。
5月1日の夢(ピンクの豚)
ぼくは講演をこれからするところだ。一人の女性がぼくの前に講演をすることになっていて、ぼくらの話すテーマは二つのアイコンで表されている。一つはピンクの豚のアイコンで、もう一つは黒い豚のアイコンだ。ぼくはピンクの豚のアイコンの話が面白いと思ったのに、女性は黒い豚の方を選んで話し始めた。
2015年04月20日
4月19日の夢(実験レポート)
定時に退社しようとして思い出した。今日の夕方までにある実験レポートをクライアントに届ける約束をしていたのだ。
慌てて席に戻る。ぼくが提出しなければならないレポートは、既にある雑誌に他社が発表したものと内容的にはほぼ同じものである。面倒くさいので、それをちょっと書き直して、引き写そうとする。だが、時間がない。まるごとコピーしてしまおうかと思う。
手伝ってもらおうと、家から母を呼び出す。ちょうど社内では、有名な海外のチェリストがコンサートをしているところだ。だからといって遠慮していては、時間内に仕事が仕上げられない。皆が静粛に聴いている中、無理に母を社内に入れ、ぼくは空いているデスクに自分のパソコンをセットする。隣に母が座ろうとするが、そこはダメだ。同僚が既に座っているのだから。母には悪いが、立ちっぱなしでいてもらう。
なんとかレポートを仕上げ、クライアントを訪ねる。彼はすっかりぼくを信用しているので、丁重にぼくを迎えてくれる。いいかげんな仕事ぶりに、申し訳なさでいっぱいになる。冊子にするため、クライアントが用意した他のページの原稿と突き合わせる。これは困った。他のページは全部手書きの文字で、しかも書式が全くぼくの原稿と違っている。
2015年04月17日
4月17日の夢(デパート)
デパートに行き、エレベーターから降りる。デスクと椅子が一体になった形のカートが沢山、あたりに乱雑に散らばっている。その一つに乗り、邪魔なカートをよけながらすいすいとフロアに進む。そこでカートを乗り捨て、歩き出す。広いフロアは邪魔なものが何もない。ここからカートに乗るべきだったな、と後悔する。反対側からカートに乗って男がやってきて、乗り捨てられたカートを邪魔にしているが、ぼくだけの責任ではないので、無視する。
フロアの真ん中に大画面のモニターが立っている。その前でどこかの大学の学長が講演の準備をしている。テレビ放送されるらしい。係員が「この近くで聴く人がいるから」と、周りの通行人を規制している。生放送で一回中継したあと、録画で何度も再放送されるらしい。
フロアの反対側に着いた。そこはきれいな古書売り場になっている。そこからエスカレーターでぼくは階下へ降りることにする。
2015年04月12日
4月11日の夢(焼肉弁当)
旅先で駅に着いた。荷物が多いので、カメラ用の三脚等は宅配便で送り、スーツケースだけ持っていくことにする。駅でとりあえずお弁当を食べようとすると、二人の男性職員がにやにやしながら近寄ってきて、ぼくの焼肉弁当を開け、中身を点検しようとする。
2015年04月07日
4月7日の夢(命綱)
テレビ番組の収録をしている。懐かしい音楽や映像を見て、思い出したことを出演者が語り合う番組。ぼくも出演者の一人だ。だが、ぼく以外の出演者は少しも思い出を語ろうとしない。沈黙が続いて、これでは放送事故になると思う。若いディレクターもスタジオの外へ出て行ってしまい、窓の外から「てめえら、早く思い出せ!」と汚い言葉を投げつける。
改めて窓から外の風景を見る。水と陸地の連なりが山水画のようで、実に風光明媚だ。これは昨日の夢に出てきた景色を上から眺めているのだと思う。とても日本とは思えない風景だ。
収録が終わり、出演者の一人の少女をタクシーで送っていく。タクシーは右にカーブしたところで停止し、あとから来た車を先に通そうとする。しかし、後続の車の殆どはこちらには曲がらず、直進して行ってしまう。最後の車だけが右折して、ぼくらの車を追い抜いて行く。少女はぼくの靴に白い紐を結び、それを自分の体に結びつけて言う。「いよいよこれが最後の命綱よ」。
2015年04月06日
4月6日の夢(会社の同窓会)
ぼくが以前勤めていた草思社の同窓会が東京の東の方で開かれている。何人もの男女が集まってテーブルを囲んでいるが、なぜかぼくの知らない人たちばかりだ。ぼくは首に白いタオルのようなものを巻いてビールを飲んでいる。しきりに「現代詩手帖」という言葉が聞こえる。変だな。みんな現代詩なんか読んでいるのだろうか、と不審に思う。
途中で飲み会を抜け、ビルの他のフロアに行ってみる。各階が特徴のある書店になっている。子供たちの遊び場付きの児童書売り場もある。
飲み会に戻ると、夜の闇の中から初めて知り合いが顔を出す。若い頃にいっしょに仕事をしたカメラマンのT氏だ。まだ若々しい。ぼくが「一色です。覚えてますか」と挨拶すると、「もちろん覚えているよ。元気?」と言ってくれる。
飲み会は夜明け頃に散会となった。朝の光の中で見回すと、そこは複雑に入り組んだ水辺である。東京にこんな場所があっただろうか。地面に大きな白いタオルが落ちている。ぼくの首のタオルかと思って、はっとするが、首には小さなタオルがちゃんと巻かれている。みんな、ぼくだけを置いて、二次会へ行ってしまったらしい。駅はどこにあるのだろう? 家へ帰れるだろうか……
2015年04月03日
4月3日の夢(3人のキャスター)
3人のテレビキャスターが横長のテーブルに並んで座り、口げんかをしている。左にいる2人の男性はそれぞれポジティブな話をする。テーブルには活字のようなものが2つの山になって積まれている。右端にいる女性は「右の山の漢字は左の山の漢字たちと違います。これらの山のものに似せて新しく造られたものです。たとえばこの『上』という漢字がそうです」と言う。それから自分の置かれた立場について、長々と苦情を述べる。それに対し、左にいる2人の男性は女性をたしなめる。女性は口げんかをしているにしては台本を読んでいるみたいな、感情を感じさせない話し方である。
4月2日の夢(ベッドのオフィス)
オフィスにいる。デスクはなく、かわりに背の高いベッドが人数分置かれている。ぼくは誰もいない他人のベッドに上がり、寝転ぶ。隣のベッドにはS社のT編集局長がやはり寝転んでケータイを操作しているのが見下ろせる。すると、足元からクスクス笑う女の声がする。どうも、ぼくの寝ているシーツの下に女の子が二人隠れているらしい。
ぼくはみんなに「北へ行く」と宣言して、北国へ向かう。着いたのは岸から少し離れた島のようなところ。島全体が巨大な観光ホテルの敷地になっている。ホテルは老朽化しており、乗ろうとするエレベーターは満員だ。自分の部屋まで階段を登っていこうか。でも、7階まで歩くのはちょっと無理だろう。
2015年04月01日
4月1日の夢(隣人は健さん)
会社が廃業することになり、みんなで大掃除をしている。自分が会社に置いている服を集めてみると、ものすごく沢山あるのでびっくりする。それをまとめて自宅に持ち帰る。自宅はとても美しく整えられた現代的な家である。母が「そんなに服を持ちこんで」と文句を言うが、意に介さずデザインの美しいハンガーに一着だけ吊るす。隣の部屋からものすごい騒音が響いてくる。隣室に高倉健が住んでいて、壊れた扇風機を使っているからだ。
怪しい男の運転する車の後部座席に乗っている。歯をむきだした骸骨のような感じの男だ。助手席には別の男がいる。高速道路にこもをかけられた死体らしきものがあり、警察官がそれを調べている。ひき逃げされたのだろうか。車はあやうくその死体を轢きそうにかすめて過ぎる。男の運転は明らかに常軌を逸している。事故処理中の二台の車を跳ね飛ばして、暴走する。ぼくは助手席の男に「危ない。ブレーキを引け」と叫ぶが、彼は何を思ったか、運転する男の足を引っ張る。車は暴走したまま室内に入って、急カーブを繰り返す。ぼくは壁に激突すると思い、身構えるが、男はなんとかおとなしくなって、車をストップさせる。ほっとして外に出て、庭でキャンプしている人たちに「暴走男をつかまえたぞ」と叫ぶ。だが、キャンプの人たちは温厚に「例の男だね」とほほえむばかりだ。
亡くなったK社長が庭で、アメリカ帰りの若い男にインタビューしている。男は目の先端が裂けて、口のあたりまで裂け目が垂れ下がっている。アメリカでは今、差別や格差に反対する過激な暴動が全土の若者層に広がっているらしい。男は社長に暴動の夜のことを誇らしげに語り聞かせる。
2015年03月31日
3月31日の夢(全館避難)
我が家のあるマンションは全4棟でできた集合住宅である。その一角の今まで空き地だった場所に、巨大で豪華なマンションが新築された。ふと自分の横を見ると、にこやかに笑っている老女がいる。年老いてはいるが、元「Pの本」編集長のK女史(ぼくと性格が合わず仲が悪かった)だ。彼女もここに引っ越してきたらしい。
嵐になり、その新築マンションの上に裏山が崩れてくるのが見える。しばらくすると、蜘蛛の子を散らすように住民が着の身着のまま四方に逃げ出すのが見える。緊急全館避難となったらしい。
2015年03月27日
3月28日の夢(電車で合唱)
ホームで電車を待ちながら、端末を操作して、友人の誕生日を設定する。だが、設定した画面は横倒しになってしまって縦にならない。電車が入ってくると、乗客全員が合唱を始める。ぼくはメロディーではなくオブリガードを歌っているが、車内に入り歌うのをやめると、オブリガードを歌っていたのはぼくだけだったと分かり、当惑する。
2015年03月25日
3月25日の夢(撮影所)
自転車で早稲田大学文学部のキャンパスの坂を登っていく。だが、目的地を間違えたことに気づき、Uターンして校門を出る。堀の向こう側は撮影所の敷地で、オープンセットがそのまま展示施設になっている。まだ開聞時間前だが、無理に入れてもらう。
グループの一人の男性が「そこの入り口には昔はずらっと普通は海兵隊が並んでいたものだが、変わったもんだなあ」と慨嘆したように言う。オープンセットは時代物だが、すぐ向こうの道路を車が走り、電車が走っているのが見える。壁に「愛している」という文字が刻まれている場所は、きっと牢獄のセットなのだろう。市川昆監督の映画フィルムの一部が展示してある。窓際には障子がたくさんあり、みんな嬉々として、糊をハケにつけて障子紙を張っている。「一色さんはまだ張ってないよ」という声がする。一人の女性が「きゃっ」と悲鳴を上げるので、「びっくりさせるなよ」と振り向くと、泣きそうな顔で「だって、ビリっときたから」と言う。その瞬間、ぼくも「あっ、ビリっときた」と叫ぶ。頭のてっぺんに天井から何かが落ちてきたみたいだ。「あっ、まただ」と、ぼくは声を上げる。
3月22日の夢(坂本龍一)
山の中のカフェで知り合いのクリエイターと打ち合わせしていると、彼の隣にいつのまにかミュージシャンの坂本龍一が座っている。白髪が短くなり、面影がないほどに老けている。慌てて名刺を交換しようとして、ポケットの中を探り、テーブルの上に中身をすべて出してみるが、出てくるのは他人の名刺ばかり。しかたなく、白紙のカードに自分の名前を手書きして渡し、「今度会ったら、本物の名刺を渡します」と言う。
2015年03月18日
3月18日の夢(樹の中のバス)
暴風雨の中、風景の真ん中に一本の揺れない樹木がある。絵本にあるような、様式化された樹木。その中には沢山のバスが隠れている。
2015年03月17日
3月17日の夢(中野駅)
中野駅で会社に通勤するための総武線電車を待っている。次々と各ホームに電車が入ってくるが、ホームにも電車にも行き先表示がなく、どの電車に乗ればよいのか分からない。困っているうちに一日過ぎてしまった。
翌日も中野駅に行くが事態は変わらない。困って駅員に尋ねると、「この電車は新幹線仕様ですから、新幹線に乗り入れるんですよ」と言う。そうか。昔とは別の路線が敷かれて、総武線の駅はそちらに移転したのだ。地図を見ると、かなり遠くに総武線の駅がある。電車でその駅に向かうが、ふと気がつくと一駅乗り越してしまっている。
T社長の自宅が新築されたので、太陽電池についての手続き書類を書きに訪問する。通された部屋には、別の手続きで訪れた女性がやはり書類を書いている。自分の書類に目を通すが、書き方がさっぱり分からない。二人で書類の書き方を尋ねに階下へ降りていく。家の中は広大で、廊下は街路のよう。それに沿って、部屋というより街並みがそっくり家の中にある感じだ。Tこんなに儲かっているのかとびっくりする。
2015年03月15日
3月15日の夢(宇宙船)
ぼくらは遠い星系に向かって航行中の巨大宇宙船に乗っている。その宇宙船が故障し、このままでは爆発すると分かった。乗船する全員に退船命令が出された。といって、深宇宙を長期にわたって航行する宇宙船はほとんどミニ地球と言っていいほどの巨大さだ。退船すると言っても、容易ではない。
続々と船から降りる人々に逆流するようにして、1人の女がタラップを駆け上がった。「その女はテロリストだ。そいつを掴まえろ!」 ぼくは叫びながら女を追いかけるが、退避する人々はぼくらに目もくれない。女を追って、ぼくはどんどん宇宙船の深部へと引き込まれていく。
通路が直角に左折する曲がり角に、三角形の部屋がある。保安室だ。構わず通り過ぎようかどうしようかと逡巡する。その瞬間、斜めについたドアがあき、白人の中年保安官が出てきて、ぼくを誰何する。しかたなく、ぼくは追跡をあきらめて、自分の身分を説明する。
とうとう宇宙船の一番奥の居住区に入った。中にはアメリカの西海岸を思わせる世界が広がり、青空に白い雲がたなびいている。しかし、その空が偽物であるのは、青空の二か所で塗装や破損を修復する工事が行われていることで分かる。深宇宙を行く宇宙船の内部にいても、まるで地上にいるように感じられるよう、環境整備がされているのだ。
引き返す途中の部屋に、三人の男がいる。ぼくは男たちに「明日、この船は爆発する」と言い、退避を勧めるが、男たちは暗い顔で押し黙ったまま腰を上げようとしない。船と運命を共にする気なのだ。ぼくは感情がこみ上げてきて、号泣する。泣いて泣いて、涙が涸れつくすと、ぼくは散らばったカバンや服をひろって身につける。そして無言のまま、宇宙船を退船するため、エアロックへと向かう。
2015年03月14日
3月13日の夢(雪の駅)
東京から雪の温泉宿へ列車で行き、宿でいろいろあって、無事東京に戻ってきたところで、夢が終わった。夢の中で、これは夢日記に書くために覚えておかなければならないと思い、最初から回想しようとしたら、全く同じ夢をもう一度見ることになった。
雪の積もったホームに東京から来た、ぼくらを乗せた列車が停止した。みんな荷物を持って、降りてしまったが、貨物室はゴミ袋のようなものでいっぱいで、探しても探してもぼくの荷物だけ見つからない。でも、女性添乗員が一緒だったから、きっと彼女が持って降りてくれたに違いないと思い、身一つで降りることにした。すると、列車は生き物のように勝手に動き出し、暴走して線路を外れ、崖から転落していく。最後の一両だけが僅かに崖の上に引っかかっていたが、やがて全部がすっかり谷底に落ちてしまった。茫然とするが、ここへやってきたのは二度目だし、一回目も同じように列車が転落したのだ。そのときも無事に東京へ戻れたのだからと思い直し、とにかく温泉街へ行って、仲間たちに追いつこうと吹雪の中に歩き出す。そこで、寝過ごしたことに気づき、目が覚めたので、慌てて起きて朝食の支度をした。だから、覚えていた一回目の夢の内容はすっかり忘れてしまい、二度目の夢だけを覚えていた。
2015年03月12日
3月12日の夢(研究会と道路工事)
詩と思想研究会の講師をしているが、会場の空気が悪く、途中で居眠りしてしまった。亡くなったはずの小説家で詩人の稲葉真弓さんが出席していて、気をきかして休憩にしてくれた。「トイレあいているかしら」という女性メンバーの声で、はっと気づく。みんなトイレに行ったのだろう。会場はがらんとしている。ぼくも急いでトイレに向かう。
自宅のマンションに帰ってくると、辺り一面道路工事の真っ最中だ。真っ黒な土がむきだしになっているところに、男たちが集まっている。工事の人たちが休憩しているのだろう。そのうち1人が刃物を振ったり、投げつけたりしてふざけ始める。危ないので注意しようと思うものの、関わり合いになるのがいやなので、黙って通り過ぎる。
マンションの入り口で男の子とおとなの男が柔道の練習をしている。二人の間を走って、入ろうとすると、男がぼくに気づいて、男の子にやめるよう促す。礼を言って通ろうとするが、男はぼくに「何のために通るのですか」と尋ねる。なんでそんなことを答えなくてはならないのか。失礼だと思い、むっとする。どうも曜日ごとに違うスポーツの練習をここでしていて、木曜日は柔道の番らしい。こいつらバカなのか。めちゃくちゃ腹が立つ。
2015年03月11日
3月11日の夢(アラーキー)
夜、男女の二人連れと書店に入る。ふと見ると、早稲田詩人会の後輩だったTくんがいる。声をかけると、「やあ、ごぶさたしてました」と明るい笑顔を見せてくれる。だが、病気の噂も聞いていたので、体調を訊くと、ふくらんだお腹をぼくに見せる。そこには出っ張りのようなものが見える。腫瘍だろうか。「これがあちこちと位置を変えるんですよ」と、何でもないかのように言う。ぼくはさっきの二人連れに別れを告げ、Tくんの後について外へ出る。彼は「いっしょに写真を撮ってもらおう」と言う。アラーキーがそこにいて、本格的なセッティングをしてぼくらを待っている。ポーズをとって、彼の写真におさまるが、いつのまにかTくんはさっきの女性に変わっている。なぜかシャッターは十数秒、音を立てて開放されたままだ。その間じっとしていなくてはいけないのに、ぼくの体は緊張のあまり前後左右に大きく揺れてしまう。
3月9日の夢(海辺で連詩)
漁船に何人かの男女が集められた。集められた理由は分からない。地元の漁業者から、これからみんなでする漁について説明を受ける。グループの中心になった女性と話をする。彼女が下を向くと、服の中が覗けるが、大事なところは見えない。二人で海岸を散歩しながら言葉を交わす。二人の言葉はだんだん詩になっていく。きっとこれがぼくらがここに来た目的なのに違いない。
3月8日の夢(倉庫)
会社で本を書くための資料を集めて、棚に二か所に分けてしまっておいたはずなのに、誰かに捨てられたのだろうか、少ししか見つからない。同僚の女性がもう会社を辞めてしまうかもしれないと思う。倉庫になっている部屋へ行くと、係の太った男がいる。ぼくは棒のようなものを中に突っ込み、何かを取り出して、かわりに別のものを押し込む。ぎっしり詰め込まれた中に、まだ少しだけ隙間がありそうなので、無理やり大きな紙の塊りを二個さらに押し込む。
2015年03月07日
3月6日の夢(メンチカツ)
若い男の運転する軽トラックの荷台に、ぼくは数人の男たちと一緒に乗っている。その一人は自民党の高村副総裁の顔をしているが、彼は最近ぼくらの労働組合に入ったばかりの、気のいい男である。話しながら、ぼくらは紙袋に入った食糧を分け合って食べる。空がきれいだ、と皆は言う。だが、ぼくには空にはガラスかプラスティックの透明板が何枚もはめられて、しかもそれが汚れているように見える。他の男たちにはただのよく晴れた青空しか見えないらしい。
気がつくと、ぼくらは鉄道線路の上に椅子を置いて座っている。ほかの男たちはレールと同じ向きに座っているが、ぼくの椅子だけがレールからはみ出して横向きに置かれている。皆、白い紙を巻いて筒状にした中の食糧を黙々と食べる。空中に棚があり、ぼくはそこから袋を取り下ろそうとして、線路の上に落としてしまう。袋から二つメンチカツがこぼれ落ちたが、ぼくは黙っている。ぼくは重ね着していた服を二枚脱ぐ。その一つの白いセーターはケチャップやソースで、赤や黒に汚れている。洗濯しなくてはいけないので、怒られるなと思う。
2015年03月03日
3月3日の夢(シェアハウス)
新しいしゃれた家に転居した。ここは二家族のシェアハウスで、今日、まだ小学生ぐらいの娘を連れた母親が引っ越してきた。共同で使う台所はとても広く、シンクは奥行きが10メートルぐらいありそうだ。ぼくはそこにスーパーから買ってきたお弁当の食べ殻を置いたままにしておいたので、みっともないと思い、水道の水を出しながらスポンジで洗い始める。反対側で母娘が食事の支度をしており、娘が水栓に近寄ってきたので、沢山の食べ残しがついたままの弁当殻がとても恥ずかしい。ぼくは「これ、1週間か10日前のものなんですよ」と言い訳をする。
2015年03月02日
3月2日の夢(半ズボン)
一昨日の夢の続きを見た。ホテルで朝、ズボンが汚れていたので、新しいものに穿きかえる。これも新調したおしゃれなズボンのはずなのに、冬なのに半ズボンなのだった。しかたなく、その恰好でダム湖か大きな川のほとりを歩いて、朝食会場に向かう。ホテルの建物に入ると、そこは迷路のように入り組んでいて、仲間たちの後をついていったはずなのに、1人置き去りにされて迷子になる。すれちがった男がぼくに「ズボンが脱げかけているよ」と注意してくれる。慌てて穿き直すが、びっくりしたので間違えてパンツまで脱いでしまい、男に照れ笑いをしてみせる。
2015年03月01日
2月28日の夢(人間瞬間伝送機の夢)
今日は出張に行く日だ。会社にいるが、まだ出発まで時間があるので、いったん中野の自宅に戻る。だが、家には同行するはずの妻がおらず、小学生の息子だけがいる。家はすっかり新しくなっていて、なんだか大金持ちになったみたいだ。息子がぼくのために新調してくれたお洒落な洋服やスーツケース、カバンを持たせてくれる。とてもかっこいい。だが、タクシー乗り場がなかなか見つからず、時間ぎりぎりになってしまった。おまけにこの駅は本当に東京駅だろうか。昔の名古屋駅のように見える。梯子のような垂直に近い木の階段を登る。両手に荷物を抱えているので、落ちてしまいそうだ。階段の上のデスクで駅員が制服制帽で座り、書きものをしているが、助けてくれない。だが、荷物をまず放り投げて、両手で這うようにして、なんとか改札口上る。こんな時間で列車に間に合うだろうかと心配になるが、今は新幹線ではなく、瞬間伝送機であっという間に目的地に着けるのだった。たちまちぼくは避暑地にいる。そこには同僚の桃色クローバーZのメンバーたちがいて、みんなで宿に移動する。しかし、旅行会社から貰ったバウチャーにはいろいろな種類があり、どこへどう行けばよいのか分からない。それにしても妻はどうしたのだろう? 家に電話すると、息子が出て、妻に変わるというのでびっくりする。妻はのんびりとした声で「まだ早いじゃないの。夜の12時までに行けばいいでしょ」と言う。確かに、瞬間伝送機で来たから、予定時間よりずっと早く着いてしまったのだ。
2月27日の夢(北向きの窓)
深夜、家族が寝静まっている中、ぼく1人が起きている。ふと北向きの窓を見ると、いつもは左側のサッシが開けてあるのに、今日は右側が開いている。そこからマンションの廊下の白い壁のはがれかけた部分が見える。その窓から何か怖いものが入ってきそうな気がするが、見るのをやめ、家の奥に入る。
2015年02月27日
2月26日の夢(朗読パフォーマンス)
ステージで男女三人のグループが詩の朗読をしていると、その右に突如登場した男たちのグループが別のパフォーマンスを始める。「死せる詩人の会」による妨害行為だ。客席から彼らを止めに入った若者たちとの間で暴力沙汰になる。三人の朗読者たちはステージで立ちすくんでいたが、ようやく話がついて妨害者たちは退場し、再び朗読が始まる。だが、彼らの朗読はあまり上手ではない。
2月23日の夢(3つ目のパソコン)
会社のオフィスにいる。デスクは全部座卓である。ぼくと隣の女性社員のデスクの間に置いてあるパソコンを取り上げると、やけに軽い。それに、これは女性のパソコンだ。「あれっ、ぼくのiMacは?」と言いながら、二台目のパソコンを取る。それもぼくのではない。三台目に手に取ったパソコンがぼくのものだった。
2015年02月18日
2月18日の夢(現代美術館)
詩人たちのグループの一員として、団体で現代美術館を見学する。食堂や休憩室をそのまま通り抜け、展示室へ入る。女性詩人たちがぼくを呼ぶ。「ボタンを押しながらこの筆で何もない空間に文字の形を書くと、ちゃんとその文字ができるのよ。やってみて」と言う。とっさに何の文字を書いてよいのかわからず、筆を横に動かすと、「一」に似た形が何もない空間に浮かび上がる。続けて、筆を動かすと、どんなふうにやっても虎の絵が浮かび上がる。沢山の虎の絵ができたところで筆を置くと、周囲から一斉に拍手が起きる。ぼくは照れくさくなる。
2月12日の夢(父親と企画書)
父親に分厚い企画書を読ませている。一番重要な部分は、彼が今読んでいるページの前のページだ。ぼくはそこに戻らせ、内容を詳しく説明するが、父親は乗り気ではない。
2015年02月11日
2月11日の夢(電車)
駅の構内。停車している電車のすぐ前を横切ると、すぐに電車が動き出したのでびっくりする。だが、電車は発車したわけではなく、前・右・前と鍵の手に動いて、駅の壁に向き合ってまた停車した。何十年も前の電車のような、四角張った一両だけの車体である。
電車で飯田橋に行く予定だったが、本に夢中になっていて、ふとホームの駅名表示を見る。浅草橋だ。乗り越してしまった。
2015年02月09日
2月9日の夢(手術)
泌尿器科に行くと、女医さんが「手術の必要があります。でも手術ができるのは今日しかありません」と言う。ほかの男性患者と三人で手術の順番を待つことにする。だが、待てど暮らせど順番が来ない。待合室を覗くと、今日に限って患者が満員で、女医の手が空かないのだ。「トイレに行っておいた方がよいでしょうか」と尋ねるが、「そうね」と女医は気のない返事しかしない。自分の判断でトイレへ行くことにし、トイレのドアを開ける。
トイレの中は真ん中に大きな穴があり、全体が灰色の石臼のような感じ。床は汚いが、スリッパがないので、裸足のままで入る。およそトイレらしくないけれど、ここはトイレなのだからと、石臼の外側に用を足し始める。すると、真ん中の穴の底に痩せた老人が現れる。穴はほぼ人の身長の深さなので、ちょうど真ん中の禿げた頭だけが、床から顔を出す。ぼくは彼の頭におしっこがかからないように苦労する。
トイレから戻ると、待ち時間が長いので、食事が出されていた。しかし、ぼくは運悪く、食べ逃してしまった。いつのまにか他の男たちは手術を終えたようだが、日が暮れて夜が来ても、ぼくだけは忘れられたみたいに待ち続ける。いったんクリニックを離れ、帰ってきてみると、シャッターを下ろした商店街の一角に、手術用のベッドがセットされている。だが、女医も看護師もいない。戻ってきたぼくを見て、誰かが彼らを呼びに行ってくれる。もう夜の十時だ。半分あきらめかけている。すると、夜の車道を、女医と看護師たちが点滴や手術道具を持って、ぼくに向かって走ってくるのが見える。
2015年02月07日
2月3日の夢(黄色い女性)
ぼくの隣に全身黄色の女性がいて、ぼくに「ドラムを叩きなさい」と言う。ぼくはドラムセットを買い、早速練習を始める。すると詩人の新川和江さんがやってきて、「そんな叩き方ではいけない。ちゃんと彼女のようにやりなさい」と、ぼくを叱る。
2015年01月27日
1月27日の夢(湯気の立つ話)
お風呂場に三つの浴槽があり、それぞれに男性二人と女性一人が入っている。女性一人は先日故郷へ帰ったぼくの知人だが、もう帰ってきたらしい。彼らは一人ずつ話をする。男性二人のときは何も起こらなかったが、女性が話すと、浴槽からもうもうとすごい湯気が立つ。もう新しい仕事も決まったらしい。
1月26日の夢(満員風呂)
共同風呂に入らなくてはいけない。ぼくは他人に裸を見られるのが嫌いなので、みんなが入ったのを見届けてから、ゆっくりと脱衣し、片手にバスタオル、片手で下腹を隠しながら湯船に向かう。途中でうっかり緑のセーターを湯船に落として、ずぶ濡れにしてしまった。湯船は男の子たちがいっぱいで、仕切りでいくつもの四角形に仕切られている。空いているのは一つの仕切りの中だけで、そこにも既に一人の男の子が入っている。母親に手を引かれた別の男の子がそこへ入るつもりだったようだが、ぼくの方が先にそこへ到達する。だが、スペースが狭すぎて、座ってお湯につかることができない。ぼくは立ったまま、下半身だけをお湯で温める。そして、お湯にはいろんなものが浮かんで、まるでミネストロープスープにつかっているみたいだ。
1月25日の夢(海と山で撮影する)
海での撮影を終え、ぼくたちは山の別荘での撮影のため、車に乗り込む。監督の男性と女性とぼくとの三人のクルーだ。撮影に使う予定の別荘は今日は無人のはずだが、ぼくが二階のベランダに梯子をかけて登ってみると、カーテンの内側に灯火がある。「中に人がいます」というぼくの声に、下から監督が上ってきて、鏡を下からあてがって、カーテンの中を覗き込む。そこへ下で叫び声が上がる。この家の主婦らしい白人の初老の女性が英語で「あんたたち、何をしてるの」と叫ぶ。ぼくは慌てて下に降り、女性に怪しい者ではないことを説明する。スタッフの女性は機転を利かして、鞄からお茶の道具を取り出し、女性においしいお茶を勧める。
1月24日の夢(下着のゴムが切れる)
若い女性たち三人と部屋にいると、ぼくの腰でブチっという音がする。股引のゴムが切れてしまったのだ。ぼくが慌てて衝立の陰で、ズボンを下ろしていると、女性たちが「きゃっ」と叫んで部屋の外へ逃げ出す。「ズボンのベルトが切れてしまって」とぼくが言うと、みんな安心して戻ってきた。
1月20日の夢(顔を傷つける)
ぼくは自分がマネージメントしている若い男性タレントの顔に、ナイフで薄く傷をつけていく。横に平行に何本も傷をつけ、それから縦に……。タレントは「多分、血は出ないと思いますが、その時は……」と言う。ぼくは「うん。手当をしていいから」と答えながら、ナイフを動かし続ける。
1月19日の夢(引っ越し)
会社が引っ越しをするというので、荷物を運ぶための段ボールが届くのをみんなで待っている。しかし、一向に届かず、手持無沙汰のまま夜になってしまった。運送屋の人が遅れを謝りに来たが、依然として届かないまま、夜の十時過ぎになってしまう。今夜は遅くなると自宅に電話しようとするが、ケータイのネジが外れて、かけられない。デスクの上の固定電話もなぜか使えない。隣の部屋に行くが、うっかり部外秘の書類を持ち出してしまった。悟られないよう、隠すようにしてデスクに置く。
2015年01月18日
1月18日の夢(中国人と争う)
混みあった食堂。まるで満員電車の車内のようだ。中国人らしい二人組が母国語で会話している。ぼくの隣には学生時代の友人Hがいる。Hは二人が日本語を分からないと思って、露骨に二人の悪口を言う。ぼくは「聞こえるよ」と制止するが、Hは悪口をやめない。たちまち激昂した二人にHは飛びかかられる。ぼくらは人波の中に逃げ込み、なんとか逃げおおせる。
別の食堂に入りなおす。だが、この店は最初から不穏な感じだ。Hはぼくより先に店に入ったはずなのに、見当たらない。店の周囲には地面に棘のようなものが一面に刺してあり、逃げられそうにない。ぼくは別の席に移るように店員から指示される。そのためには空中ブランコのように、高いところから飛び移らなければならないが、なんとかうまく着地する。だが、やってきた中国人の女店員がとても不穏な雰囲気だ。これでは食事なんかできそうもない。
2015年01月16日
1月16日の夢(詩人住所地図)
「詩と思想」の付録として黄色い表紙の「詩人住所地図」が出た。各ページに町や地域の地図があり、そこここに丸数字が表示されている。その番号と照らし合わせれば、どこに誰が住んでいるかがわかるのだ。こんなに早くよく出来たものだと感心する。
2015年01月14日
1月13日の夢(急ぎの仕事)
会社でのんびり仕事をしてから、クライアントの本社のある浜松に出張する。そこで突然、20日までに仕上げなければならないマニュアル本のシリーズの原稿執筆依頼を受ける。「期日までに仕上げないと、ひどいことになるからな」と殆ど脅迫まがいである。他の仕事をしていたが、そちらは一時中止して、こちらの仕事を優先して取りかからなければならない。だが、得意の分野なので、自信がある。
2015年01月09日
1月9日の夢(危機一髪)
会社で残業していて、お腹が減ったので、外に買い物に行く。夜だと思ったのに、外は明るい真昼だ。しゃれた明るいカフェが立ち並び、たくさんのお客がどの店でも楽しそうに談笑している。でも、その人たちの食べている料理をテイクアウトしようとしても、店のどこにもメニューが表示されておらず、オーダーすることができない。空腹のまま、ぼくは会社に戻る。
会社の床には長方形の水槽がいくつも埋め込まれている。中は汚い泥水だが、たくさんの金魚が泳ぎ回っている。危うくもう一歩で、その一つに転落しそうになるが、なんとか踏みとどまる。
壁と壁の間に裂け目ができて、そこから暴風雨が吹き込んでく。必死で裂け目を修理し、風雨から身を守ろうとする。
2015年01月05日
1月5日の夢(紅白のシャツ)
学会に出席している。劇場のようなホールは舞台に向かって、二つの通路で三つに分割されている。ぼくは最初右の席に座っていたが、男性が服を着替えにきたのをきっかけに、中央の一つだけ空いている席に移る。
外に出て、帰り道を歩く。ふと気づくと赤白のだんだら模様の長いインナーのシャツが腰から下に垂れている。みっともない。うまくズボンの下に隠そうとするが、うまくいかず、どうしても一部が外に垂れ下がってしまう。
1月3日の夢(長い名前)
酒屋さんのご主人夫妻にインタビューしている。ぼくがものすごく長い名前の人について質問するので、二人は迷惑そうだ。
2014年12月29日
12月29日の夢(砂漠の現代詩ゼミ)
エジプトの砂漠にある大学の三つの教室を借り、昼から夜にかけて現代詩ゼミを開催している。最後のゼミが終わり、周囲に片づけてあった机をみんなで元に戻す作業をする。それなのに、机の上ですやすや眠っている男がいる。現代詩作家のA氏だ。それに壁際の机の上には、参加者たちの荷物が沢山置かれたままだ。ぼくは撤収を急ぐため、「まだ荷物が沢山残っていますよー」と皆に呼びかける。
外に出ると、日本人の男がいて、ぼくを自分の会社に案内してくれる。招き入れられたところは体育館ほどの広さのある広大な何も家具のない部屋である。
12月28日の夢(贈り物)
一面に分厚く砂浜のような砂利が敷き詰められた広い敷地に、ぼくの会社は建っている。オフィスのぼくのデスクの隣に新入社員の女性が着任し、ぼくはその指導役だ。彼女のデスクとぼくのデスクとは微妙に高さが異なっている。しかも、ぼく自身には殆ど仕事がなくて暇なので、ぼくは意味もなく書類を開いたり、動かしたりしているだけだ。
トイレに行きたくなって、外へ出る。トイレは別の建物にあるので、砂利の上を歩くのは、足をとられてとても歩きにくい。そういえばこのトイレは以前は使用禁止だった。用を足していると、床に近い小さなガラス窓の向こうに、まだ少年のぼくの息子がいて、「そこでしてはいけないんじゃないの?」と言う。ぼくは「もうしてもよくなったんだよ」と答えて、用を足し続ける。ふと足元を見ると、そこに小さな黒い壺が置いてある。そういえば、今日は会社から社員に贈り物がされる日だった。これがその贈り物に違いないと思う。
オフィスに戻ると、新入社員も贈り物をもらったらしく、紙で何重にも包まれたものを、他の女子社員に囲まれて嬉しそうに開けているところだった。しまった。ぼくはあの壺をトイレに置き忘れてしまった。急いで外に出て、また歩きにくい砂利を踏んで、トイレに向かう。壺はまだあそこにあるだろうか?
2014年12月26日
12月24日の夢(悪い噂)
会社のパーティーに出席すると、みんなのぼくを見る目がどうも変だ。聞いてみると、出版部の女性がぼくにだまされて関係を持たされたあげく棄てられた、という置手紙を残して、会社を辞めたらしい。だが、ぼくはその女性を全く知らず、事実無根の話だ。「ぼくはこの人の名前さえ知らない」と抗弁していると、壁の地面に近いところに窓があって、そこから外人らしい男がぼくをなじる。やましいところの全くないぼくは、すぐに窓へ駆け寄って、「なぜ、そんなウソを言うのか」と抗議する。
今日からぼくと前編集長のМ氏とは互いに名前を交換することになった。チーフにぼくの原稿を朗読して聴いてもらうが、ぼくの名前で発表されるその原稿はもちろんМ氏が書いたものだ。自分で書いたものではないので、うまく朗読できずに苦労する。
2014年12月23日
12月23日の夢(郵便ポスト)
観光バスの一番前の座席に乗っている。運転手の姿は見えないが、ぼくは左の窓際、女性が右側に座っている。細長い休憩所の建物にバスはものすごい急カーブをして入る。上手な運転だと思う。二人はそれぞれ左右のドアを開けて降りる。ぼくは自販機に飲み物を買いに行こうとするが、女性は遠くへ行くつもりはなさそうだ。ぼくも手近な自販機に向かうが、ぼくがいるのは赤くて四角いポストの上だ。周囲にたくさんのサラリーマンやOLたちがもたれて談笑している。飛び降りようとするが、意外に高いので、足をくじいてしまいそうだ。みんなに「ちょっとすみません」と声をかけて、うまく降りようとするのだが、なかなか難しい。
12月18日の夢(肖像写真)
会社の先輩だったUカメラマンに、暗くて粗末な部屋でプロフィル用の写真を撮ってもらっている。ぼくの後ろを男女の子供たちがちょろちょろ駆け巡る。カメラマンは「後ろを子供が……」と言う。入れ替わり立ち代わり、子供たちがちょろちょろするので、なかなかシャッターを切ることができない。
2014年12月14日
12月14日の夢(無音の稲妻)
ベランダへ洗濯物を干しに出ると、向かい側のマンションの左上の空で一瞬、稲妻が閃いた。雷鳴を予想して身構えるが、なぜか音はしない。そのかわり、あたりが真の闇になった。「停電だ! そっちへ行くね」と、ぼくは家の中に声をかけ、そろそろと手探りで窓から家の中に戻る。だが不思議なことに、暖炉の燃える居間には明かりがついており、パソコンのモニター画面もカラフルな光で輝いている。
2014年12月08日
12月8日の夢(初日の舞台挨拶)
12月8日の夢。ぼくは舞台の演出家で、初日の開演挨拶をしている。黒の空間の劇場で、舞台も客席も薄暗い。舞台を見下ろす階段式の客席は空席も多いみたいだ。
準備不足で練習もきちんとできないまま、もう開演時間だ。ぼくは上手側の舞台に立ち、マイクをとって出演者の紹介を始める。最初のうちこそとんとんと進むが、だんだん読み方のわからない役者の名前が出てきたり、入れ替わり立ち代わり舞台に現れ、中には今到着したばかりの役者たちを全員紹介できたのか、心もとなくなってくる。最後に「演出は一色真理です」と結ぶが、ぼくは実際には何もしていないに等しい。「では、只今から……を開演します」と宣言しようとして、台本の表紙にある演目の読み方さえ分からないことに、我ながら唖然とする。しかし、もはやぼくは引き返せない。「では、開演しますので、スタッフの方は舞台から降りてください」と言い、一礼をして役者たちと楽屋に下がる。楽屋も黒い空間で、大部屋に全員がいて、談笑している。その瞬間、ぼくは不安にかられて叫ぶ。「あれ、ここには舞台の様子を見るテレビがないじゃないか!」 役者たちもそのことに気づいたようだが、平気な様子だ。ぼくは楽屋を飛び出して、舞台袖に走る。ぼくが役者たちに出番を知らせる以外に方法はないのだ。
2014年12月07日
12月7日の夢(少年院)
ぼくは何かの罪を犯したようで、少年院に入ることになった。緑の芝生の中に点々と瀟洒な小屋が建っており、これらが少年院の建物である。特に塀や監視所、監視員のようなものは見えない。篤志家がトラックで大きな絵画を運び込んでいる。院に寄贈するつもりらしい。案内された部屋は大部屋で、立派なベッドが一人に一つずつあてがわれている。ぼくと隣の若者との間は、喫茶店の仕切りにあるような木製の透かし彫りのある衝立だけ。これではプライバシーが守れない。ぼくは隣の若者に「間にカーテンがわりにとりあえず新聞紙を吊るそう。いずれはデパートの包装紙なんかにするといいね」と提案し、相手も賛成する。
ふと見上げると、二人の作業員が天井にさっきの篤志家の絵を飾っている。壁だけでは飾りきれず、かといって善意の寄贈を無駄にできないので、天上に飾るらしい。宗教画なので、頭の上からキリストや天使に監視されているようで、いやな感じだ。
院の中にはいろいろな作業グループがあり、ぼくは辞書を作るグループの先輩からチームに入るよう指示され、とても嬉しい。やがてぼく自身がチームのリーダーになり、さっき見かけた少女を含め、何人かのメンバーのリストを紙に書く。ただし、文字では書けない。ぼく自身を含めてメンバーの名前は一握りの泥で表すのだ。
いつのまにかぼくはもう院の外に出て、雨の道路を歩いている。着ている服の特に下半身は泥だらけである。ぼくの鞄に泥がついているので、それが触れるたびに服が泥にまみれる。しかたがないことだと思う。道路の反対側に選挙運動をするヘリコプターが着陸して、盛んに選挙運動をしている。そうだ。選挙も後半戦に入り、もう泥がつくからいやだなんて言っていられないのだ。選挙運動をしているのは、全員言葉をしゃべっているが動物たちである。選挙運動は動物がするものと決められているのだ。
2014年11月27日
11月27日の夢(海に浮かぶ家)
今夜は東京で出席しなければならないパーティーがあるのに、四国へ出張している。帰るために飛行機に乗る。飛行機は海面すれすれに飛ぶので、とても景色がいい。港に着陸する。降りると、海面に樽のような形の建物が浮かんでいる。珍しいので写真に撮ろうとするが、うまく撮影できない。
11月25日の夢(上原さんのインタビュー)
「ピアノの本」の編集長をリタイアして以来久しぶりに、ピアニストの上原彩子さんをインタビューすることになった。だが、ぼくの前に座った上原さんは緊張した様子だ。あんなに何度もインタビューした仲なのに、ぼくのことを忘れてしまったんだ!
2014年11月24日
11月24日の夢(小田急線)
小田急の新宿駅を歩いていると、前方から来たおばあさんを若い男が追い抜きざまに押し倒す。一瞬、かかわらずに行き過ぎようかと思うが、急いでおばあさんに他の男の乗客と共に駆け寄る。おばあさんの指からどくどくと赤い血が流れ出している。そこへ詰所のドアを開けて、駅員が文字通り飛び出してきた。ぼくは駅員に「止血をしてあげて」と頼み、連れの女友達といっしょにホームへ行く。
電車は満員で、ぼくと女友達は一番後ろの車両のドアの閉まらないデッキに乗り、手すりにしっかりとつかまる。彼女は開いたドアの向こう側にいて、ぼくらはしばらく会話しているが、そこへ荒くれ者のような男が現れ、彼女の手を取ってダンスを始める。ぼくはしかたなく開いたドアの外を眺めることにする。
2014年11月21日
11月21日の夢(デパート)
渋谷の街を見下ろす高台に木造3階建ての巨大な廃墟があり、敗れた障子などが壁にぱたぱたとはためいている。地面は舗装されておらず、砂埃が舞い立っている。ここは渋谷のデパート王といわれた創業者が家族と共に住み、その令嬢が窓からいつも父親のデパートを見下ろしていたエピソードで有名な邸だ。しかし、一家は遠い昔にここを引き払い、今は僅かな観光客が訪ねてくるだけの場所である。
そのデパートはエレベーターでなく、フロアの端にある階段を昇り、反対側の階段まで歩いて、また上の階に昇ると、他のデパートにないユニークな店づくりが見えてくるのだという。階段を探すと、薄暗く置き忘れられたようなところに上り口がある。昇ってみると、旅行代理店ばかりあるフロアとか、各階ごとにデパートとは思えないテナントが入っていて、面白い。すべての階を探検してから屋上に昇る。
屋上は四方の壁に大木の切り株があったり、削られた丘の断面が見えたりする。このデパートは自然の丘を利用して、それを刳り貫いて作られたものだったのだ。屋上には渋谷の街の太古の姿がそのまま残っているのだった。
2014年11月19日
11月19日の夢(詩集賞)
ぼくは現代詩人会の詩集賞担当理事だ。けれど、この日ぼくは用事があり、選考委員会に遠くから遅刻して駆けつけることになった。途中には深い亀裂のようなものが道にできていて、その両側に手すりがついている。手すりを潜り抜けて、亀裂をなんとか飛び越え、選考会の会場に駆けつける。
会場の喫茶店ではH氏賞と現代詩人賞の2つの選考会が開かれているが、ちょうど休憩中で、誰が選考委員長なのか分からない。そのうち、現代詩人賞の方は長老詩人のK氏が委員長であることがわかったが、いつのまにか選考が終わってしまい、その選考経過を教えてもらえない。選考経過を発表しなければならないぼくは途方に暮れる。
11月18日の夢(アトレ)
アトレという小型の円盤型ケースに入ったお菓子が近頃人気だ。デパートで買っても、デパートの包装紙ではなく、そのお菓子専用の包装をしてくれるので、贈り物として喜ばれているからだ。
2014年11月15日
11月15日の夢(街で合唱)
今、街で歩きながら自由に合唱を楽しむことが流行っている。今日も表参道あたりを歩いていると、通りのあちこちから合唱のリーダーたちが歩きながら「あーあーあ、あーあーあー」と歌っている。ぼくもそれに合わせて歌うが、恥ずかしいので、顔は彼らからそむけている。街中にハーモニーが広がり、とてもいい気分だ。
浴槽を洗っている。底の2か所に砂糖の塊りがこびりついている。お湯で溶かして洗い落とそうとするが、なかなか取りきることができない。
2014年11月14日
11月10日の夢(船の中の会社)
会社が船の中に引っ越した。船の中はたえず水が流れている。食堂の一番奥にあるパーティールームへ行く。「狭いね」とぼくが言うと、詩人のS氏が「でも椅子は立派ですよ」と言う。窓から河口が見える。校正をすませて、階段を降り、ロビーへ向かう。そこに校正紙を置く場所があるはずだ。そこへたどりつく前にぼくは足をすべらせて、校正紙を床に落としてしまう。だが、水に濡らさなくてよかったと思う。女性が「今日の弁当は多すぎて、昨日の150倍も余った」と言う。ぼくは「自前の弁当だからわからない」と答える。また階段を昇る。部屋に入るにはとても狭いところを通らなければならない。だが、なんとか通り抜けて、入ることができた。
2014年11月09日
11月9日の夢(怪しいホテル)
ホテルに宿泊していて、ロビーへ降りていく。ここは格式高いホテルだから、いつもはロビーにスーツ姿の男たちが群れているのだが、今日ソファーに座っているのは浴衣姿の男たちだ。右側の一角にはバリケードのようなものがあり、視野をさえぎっている。どうやらその向こうで数人の男たちが、半裸の女性と何かをしているようだ。今日はこのホテルは団体貸切なのかもしれないと思う。でも、誰にも何も言われないので、ぼくは一番端のソファーに腰を下ろしてくつろぐ。
2014年11月08日
11月6日の夢(東北の文学館)
東北にある文学館で詩のイベントがあるので、バスに乗って仲間たちと出かける。バスを降りて建物に入り、席をとる。ぼくはここが会場だとばかり思っていたのだが、そこは休憩のため控室だった。気がつくと、皆会場に移動してしまい、ぼく1人だけが取り残された。でも、当然同じ建物の中に会場があるのだろうと、建物の中を歩き回るが、どの部屋も別の団体が使っている。係員の女性に「詩の会はどこですか」と尋ねるが、首をかしげて「わからない」と言う。携帯で仲間に電話しようとするが、何度やっても知人の電話番号が表示できない。そのうち、偶然会場に着くことができた。その瞬間、司会者から「遅れてきたお待ちかねの一色さんです」と紹介され、ぼくは満場の拍手の中で深々と頭を下げる。
2014年11月02日
11月2日の夢(エレベーター)
ビルに入り、エレベーターに乗ろうとする。ロビーを横切り、エレベーターの前に来て、ふと気づく。そこからソファーがずらっと列をなして並んでいて、そこに座っている人たちは皆エレベーター待ちの行列だったのだ。その行列の中の誰かが「あっ、エレベーターを呼ぶボタンを押してなかった」と言う。皆、爆笑する。
エレベーターがやってきたが、ぼくは遠慮して乗らないことにする。しかし、ドアが閉まってみると、エレベーターのドアにあいた小さなガラス窓の中は意外に空いているようだ。「乗ればよかったかな」と後悔する。しかし、エレベーターは上昇していかない。中の人が行き先階のボタンを押し忘れているのだろうか。
エレベーターの前に受付嬢の座るデスクがあり、その上に誰かが下手な字で書いた伝言が載っている。なるほど、こういう形でメッセージを残すこともできるのだなと思う。
2014年10月31日
10月29日の夢(バスの中で)
とりあえず出社してみたものの、暇なので外に出て、バスに乗る。満員なのに、ぼくの左隣だけが空席だ。前の席で立ちあがった若い男が息子にそっくりなので、はっとする。バスはY字路に差し掛かり、左の道を選んだ。さあ、これからどこへ行って、何をしよう? まだ9時50分だ。とりあえず新宿に行こうか。でも、そこへ行って、何をするのだ?
10月28日の夢(犬をいじめる)
電車に乗っていて、忘れ物をしていたことに気づき、取りに戻る。見ると、書類を入れるケースの中に札束を入れてしまっている。さんざん苦労して、やっと取り出す。
広場に洗濯機が置かれている。沢山の洗濯物を入れて、取り出してみると、衣類から水がしたたっている。皆に分からないように、こっそり取り出す。
エレベーターで子どもと乗り合わせた。その子はかつてぼくをひどい目に遭わせたいじめっ子だ。ぼくは既におとなになっているので、思う存分いじめ返してやろう。床に倒して、靴で踏みつけると、いつのまにか子供は犬に変わっている。そして、お腹にぼくの靴がぐさっと刺さって、体の右半分がちぎれてしまった。
2014年10月21日
10月21日の夢(池の中の花束)
テレビ番組で二人の男性タレントが向き合っている。
右側の男は池の中に花束を投げ込んだ。それを左側の男が池に飛び込み、探しに行った。「水の透明度が10センチしかなく、難しかった」と左の男は言う。誰もが探索は失敗したと思う。だが、左の男の背後から、ワゴンに載せられて花束が現れた。それは紫を帯びたピンクの野草で、アザミのような花である。間違いなく右の男が池に投げ入れた花だ。探索は成功したのだ。
2014年10月20日
10月20日の夢(死からの生還)
東京行きの新幹線に乗る。座席が都電のような、窓際のベンチ式なのでとまどう。一番端に一つだけ席があいていたので、そこに座り、ふと気づくと、隣にいた女性の姿が消えている。彼女はどこへ行ってしまったのだろう? しかも、駅名を見ると、この列車は大阪に向かって逆に走っている。
ぼくの住むマンションは横に3つの部屋が並んでいて、それぞれの部屋の間にはドアがなく、互いの室内が見渡せる。仕事で男性が1人ぼくを訪ねてきた。会社にあった資料棚をそのまま持ち込んだので、どの部屋もすごい資料が天井まであるのが、ぼくの自慢だ。だがよく見ると、あちこちまだ空きスペースもある。
突然、呼吸ができなくなり、ぼくは床に倒れる。苦しい。死ぬと思う。床に散らばった薬袋をかき回して、心臓の薬を探す。あった! おかげでぼくは無事生還して、目が覚めた。
10月19日の夢(寮列車)
ぼくはアメリカンスクールの生徒で、寮に入っている。寮は列車の中にあり、途中駅まで寮の列車が行って、そこで学校行きの列車に乗り換えて、登校するのだ。だが、ぼくはまだ一度も登校したことがないことを誰も知らない。今日もそのまま寮列車に残っている。寮列車はレールの上をゆっくり動いて、どこかじゃまにならないところへ行くらしい。一両の車両にいくつもの部屋があり、一部屋に3人の生徒が生活している。ぼくの部屋は後ろから2つ目だが、間違えて一つ目の部屋に入ってしまう。
10月18日の夢(漫画家Nさん)
友人の漫画家Nさんの自宅にいると、ピンポーンと呼び鈴が鳴る。玄関に出てみると、5人の若い男女がいる。こいつらはストーカーだ! と、ぼくは直観し、「しばらくお待ちください」と言って、素早く玄関に鍵を掛ける。若者たちの抗議の声を後に、Nさんはじめ全員脱出することにする。若い男性は「ちょうどサックスの練習するのにいいや」と嬉々としている。別の女性は外に出て、バスターミナルを指さし、「あの一番向こうのバスに乗って戻ると、身を隠す時間にちょうどいい」と言う。
皆乗り終わったが、バスの最後部に開いたドアから食べ物や飲み物、荷物などを引っ張り上げるのが大変だ。「手を貸して」と言っている内2、どさくさにまぎれて、関係がないはずの女性が1人乗ってしまった。男性が1人、発車したバスのドアに「乗せて」と言って、張りつくが、もちろん乗せない。
ぼくは最初、バスの一番後ろにひとりで座っていたが、前方に移り、テーブルをはさんでNさんと話しこむ。
10月17日の夢(蕎麦屋)
妻と二人、蕎麦屋に入って、カウンターに座る。この店ではいつも頼む大好きな麺があり、それを頼みたいのだが、麺の名前を思い出せない。店内を見回してもメニューはどこにもない。困っているぼくを見て、妻は「出ようか」と言うが、「いや、いつも大盛りで食べる上手い麺があるんだ」と、ぼくはあきらめきれない。
朝、「パパ、死ねやせんから」という女性の声が聞こえて、目を覚ます。
2014年10月13日
10月13日の夢(透明少女と映画館)
小太りの少女がスコットランドから来た旅芸人の演技を見ているうちに、自分も何かを演じたくなってしまった。ぼくは彼女がスコットランド音楽を演奏するのだと思ったのに、彼女は舞台の上で衣服を脱ぎだした。そして、衣服を脱いだとたん、彼女の肉体は目に見えないものになってしまう。だが、よく目を凝らすと、舞台の真ん中で妖精のような小さなサイズに縮小し、下着姿で踊っている少女の姿がうっすらと見える。
映画館にやってきた。戦後のバラックのような映画館だ。上映前にまだ僅かだが時間がある。ぼくは最前列右側の長椅子に席をとっていたが、この暇にトイレへ行こうと思う。スクリーンと客席の間に、右側に非常口があるというサインが出ている。しかし、ここにはトイレはないかもしれない。後ろの通路には必ずトイレがあるだろうと思い、ほかの観客たちと一緒に後ろのロビーに出てみる。
案の定、トイレはあったが、トイレの中は狭くて汚い。人とすれ違うのも難しい。中にいた人が出てくるのを待ち、一番奥の便器まで行く。用を足すと、キャロットスープのようなオレンジ色の尿が出る。すぐそばに白いズボンをはいた若い女性がいて、そのズボンににんじん色のおしっこがかかる。女性は一瞬顔をしかめるが、すぐに「なんでもないよ」という感じの笑顔になる。ぼくは申し訳なさでいっぱいになる。
2014年10月07日
9月6日の夢(歯車式携帯電話)
電車で妻と出かけたが、明大前で乗り換えたときに、はぐれてしまった。携帯で呼び出そうとする。だが、携帯の蓋を開けると中には歯車があるばかりで、時刻表示もなければ、電話をかけることすらできない。地面にはロボット動物が這っている。紙のように薄い動物だ。どこかのマダムが犬を連れて散歩している。犬は平気でロボット動物の上を踏んで歩く。目的の駅に着くと、ホームに近い野外にテントが張られ、長いテーブルの両側に知り合いの詩人たちが座り、ぼくの歓迎会を開いてくれる。参加者の一人の女性が、会津磐梯山の民謡をジャズにアレンジして、上手に歌う。ぼくは不安な気持ちだが、皆といっしょに手拍子を打つ。
2014年10月05日
10月5日の夢(デパート)
ぼくは時間さえあれば一日のうちに何度も、デパートのパソコン売り場へ入り浸ってしまう。今日もそこにある黒いパソコンが愛しくて、その上に積もった埃を払い落していると、女性店員が他の男性客に声をかけた。「いつもここでお見かけいたしますね」。ぼくと同じような常連客なのだろう。男性客はぎくりとした様子で、「あっ、いや、ちょくちょく来ています」と慌てて釈明すると、その場を逃げるように離れた。ぼくも店員にそうした不審客に見えているのかもしれない。急いで売り場を離れ、階段を降りようとするが、思い直してエレベーターで降りることにする。
2014年10月02日
10月2日の夢(首相官邸)
ぼくは首相官邸のスタッフだ。有力なメンバーが出払ってしまい、少人数で留守番していると、玄関が騒がしい。出ていくと、制止を振り切って、諸外国の首脳たちが「首相に面会させろ」と言っている。ぼくをはじめ、スタッフには外国語のできる者が一人もおらず、彼らはどんどん中に入ってきてしまう。廊下をのし歩く巨体の黒人大統領の姿に、ぼくは対応を諦めてしまい、官邸の一角に店を出している居酒屋にひとりで戻る。その一番奥の席がぼくの定位置なのだ。
2014年09月30日
9月30日の夢(列車長)
大阪に出張していて、東京へ新幹線で帰ろうと思う。重い紙袋を持って、駅へ行く。この紙袋に入っているのはお土産だ。だが、東京で買って大阪へ持ってきた土産なのか、大阪で買って東京に持って帰るの土産なのか思い出せない。
いくつかの新幹線の発車案内がある。川崎までしか行かない新幹線もある。船に船長、飛行機に機長がいるように、新幹線にも列車長がいる。有名なシェフが列車長を務める新幹線が一番早く東京に着くらしい。初老の駅員の後について、他の乗客たちとホームへの螺旋階段を降りていく。途中、地上に出たところで、旧知の黒髪の女性に声をかけられる。しかし、挨拶をしているうちに、ぼくだけそこに取り残されてしまった。ぼくは「あなたに声をかけられたおかげで、みんなを見失ってしまったよ」と言い、路上で途方に暮れる。
9月23日~29日の夢
9月23日
フライパンでお好み焼きを焼く。自分で焼くのは初めての経験だ。
9月26日
イベントの撮影に行く。他のカメラマンと一緒に舞台の袖で撮影していると、フィルムがなくなった。客席に戻って、詰め替える。
9月27日
ぼくはスーパーマーケットのオーナーだ。他のスーパーが次々と閉店する中、ぼくのスーパーだけが繁盛している。だがある日、傘を差して行ってみると、ぼくのスーパーは休業していた。慌てて、家に電話した。
9月28日
夢の中で長い夢を見て、外のベンチで延々と夢日記を書き続ける。
2014年09月20日
9月20日の夢(黒いファイル)
ぼくは黒いファイルを手にして、帰宅を急いでいる。ファイルはパンパンに詰まっていて、書類とともに千円札や一万円札も詰まっている。ふと見ると、札がファイルからはみだしていて、今にも飛んでいきそうだ。なんとか家にたどりついて、気がつくとそのファイルがない。どこかへ忘れてきたのだ。慌ててマンションの入り口に戻ると、管理人が「玄関に忘れてありました」と言う。見ると、受付カウンターに無造作にファイルが置かれ、やはり札がはみ出している。これでよく誰かに盗まれなかったものだ。
再び家に戻る。以前から狭い部屋に住んでいたが、さらに狭い部屋に我が家は転居していた。縦長の部屋の入口に、死んだはずの両親の布団が並べて敷かれ、そこから僅かの空間を隔てて、奥にぼくの布団が敷かれている。
2014年09月18日
9月18日の夢(昔のクライアント)
Y社のT氏が制作物の相談でぼくを訪ねてきた。T氏はぼくがY社のピアノの仕事を始めた頃のクライアントだった人だ。当時のままに若々しく見えるが、もう相当の年齢のはずで、支店長にでもなったのだろうかと思う。
ぼくは彼と社員食堂で応対する。社員食堂は広い畳敷きの部屋に、座卓がいくつも並んでいる。その真ん中あたりの卓を囲んで話すうちに、昼休みになり、周りが社員たちでいっぱいになったので、いったん打ち合わせを中断する。
午後、社員食堂の入り口の座卓で打ちあわせを再開する。T氏はおみやげのお菓子を持ってきていたが、ぼくは食堂の真ん中あたりの卓に煎餅や饅頭が盛られているのを見つけ、それを両手でつかみとって、打ちあわせの卓の上に並べる。
若い同僚の一人が、T氏であることに気づかず、彼に対して失礼なことを口にしながら、傍を通り過ぎるので、ぼくはその男に注意する。彼も周りの同僚たちも急いで戻り、神妙に謝罪と挨拶をする。かえって、いい雰囲気になり、ぼくは安心する。
それから、ぼくとT氏は廊下の壁に向かって置かれたデスクで、打ちあわせの続きをする。椅子はぼろぼろで、座ると、ぼくの方がT氏より低い位置になる。隣にあった椅子からクッションを取り、それを敷いて座ると、今度はぼくの方がT氏を見下ろす形になり、困ったなと思う。
2014年09月16日
9月16日の夢(講義と金時計)
今日は大学で1時から女性講師による哲学の講義に出席する予定で、教室の最前列に席を取り、机の上に金の置時計を置く。四角くも丸くもなく、ピラミッドのような三角形をした、黄金に輝く時計だ。しかし、よく考えると、今日は2時から渋谷で行われる別の講義に出席する予定だった。昼食もとらなければいけないから、この講義に出てはいられない。ぼくは急いで金の置時計をつかむと、階段を駆け下りて、渋谷に向かう。
2014年09月10日
9月10日の夢(バス旅行)
バスに乗って旅行に行った。帰ろうとして、なかなか切符が見つからない。やっと見つかったと思ったら、カバンを忘れて、取りに戻る。時間に遅れそうなので、走ってバスの出発場所に向かう。途中、円形のテーブルがあり、ぼくのスーツケースが置かれている。知らない女性がぼくを心配して、それを運ぼうとしているので、お礼を言って、それを断り、自分でいろいろなものを両手にいっぱいぶら下げて走る。
なんとかバスの出発に間に合った。走り出すと、車内の灯火が全部消され、皆は眠った。ぼく一人だけが目覚めている。途中、バスがどこかの広場で停まった。運転手やガイドの男以外は全員寝ているので、ぼく一人外へ出てぶらぶらする。
戻ると、車内は明かりがついていて、皆は朝食を食べ終わろうとしている。慌てて乗客たちをかき分けて自席に戻り、最後の味噌汁だけをすすることができた。
2014年09月07日
9月7日の夢(試験)
試験を受けている。初めての受験だ。緊張してしまい、問題用紙も解答用紙も、うまく把握できないまま、時間だけが過ぎていく。答を書きあぐねているぼくを年寄りの男と若い女の監督官がにやにやと覗きこむ。そして「意外に今回は書けていないな」と呟くので、ますます焦ってしまう。
2014年08月31日
8月30日の夢(100万円を運ぶ)
ぼくは100万円をなんらかの手段でゲットしたらしい。その札束をぼくは成城学園前まで運ばなければならない。下北沢で仲間と待ち合わせて、タクシーで運ぶ手筈なのだが、街には人があふれていて、タクシーなど1台も来ない。仲間たちも現れない。
約束の時間の10時を大幅に過ぎてしまった。ぼくは交差点に出て、駅ビルに入り、小田急線で成城学園前に向かう。成城で男がぼくを待っていた。男には分け前として10万円を渡すことになっている。ぼくは内ポケットから無造作に1万円札を10枚つかみ出して、男に渡す。男は札束を数え、「本当に10万円だ」と大はしゃぎする。ぼくは「もっと渡してもいい」と思うが、無言でそこを通り過ぎる。塀にもたれて黒い服を着た女性が待っている。彼女に札束を渡すと、両手でゆっくりとお札を数えはじめた。このお金はぼくら二人の稼ぎであるらしい。
2014年08月28日
8月28日の夢(敵侵入)
大きな建物を要塞のようにして敵の来襲を待ち構えている。敵は銃を持っていて、頭の禿げた初老の冴えない男だ。ぼくは守備隊の隊長として、部隊を率いている。今まで敵対していた人たちもぼくらの隊列に続々と加わってくれるので、とても心強い。
だが、ぼくの不注意から男はあっという間に要塞の中に走り込み、姿を隠してしまった。ぼくは「既に敵は侵入したぞ!」と叫びながら、皆に注意を呼びかける。しかし、相手はなかなか攻撃してこない。守備隊のメンバーはそこここで談笑したりして、だんだん緊張がゆるんでいくようだ。あぶない。注意しなければ。
2014年08月23日
8月23日の夢(蓋つきトイレ)
激しい喉の渇きを覚え、水をがぶ飲みした。おかげで尿意を催し、ぼくはトイレに行く。隣室では母親や妻たちが食事の用意をにぎやかに終えたところらしい。
父が新調したトイレは広い床の真ん中に少しいびつな形の四角形(殆ど三角形に近い)の木の蓋がついている。それを取ると、また木の蓋がある。やっとトイレの穴が開いた。用を足し始めて、ふと見ると、穴の左側に研究会のテキストが半分落ちそうに引っかかっている。まあいいやと思っていたが、もう一度見ると、かなり下に落ちてしまった。テキストをトイレに落としてはまずい。用を足しながら、慌てて左手で拾い上げる。すごい水しぶきが顔にかかる。なかなか用を足し終わらないので、いいかげんなところで切り上げるが、またすぐに尿意を催しそうな気がする。
2014年08月18日
8月16日の夢(北海道へ転出)
東京の仕事に見切りをつけ、明日から北海道の支店へ行こうと思う。女友達のMもいっしょに連れていこう。東京でもうぼくのする仕事は何もないのだせから。引っ越し代は三万円以上かかるところを二万円台で収められるらしい。そう言うと、Mは「それだけお金があれば、私が音楽学校へ通うと言ったのに」と我儘を言うが、表情は笑顔だ。見納めなので、本社ビルの中を地下一階から三階までぐるりと見て回る。二階のロビーに大きなデスクを置いて、M専務がひとり仕事をしている。挨拶しようかと思うが、やめる。地下の楽譜売り場で、レジの向こうにちらりと詩人の新川さんの顔を見たと思ったが、振り返るといない。気のせいだったらしい。北海道へ行っても、そのまま今の仕事を続けるつもりだが、いつかまた東京へ戻ってこられるのだろうか。
2014年08月13日
8月13日の夢(カウンター式山手線)
山手線で早稲田にある会社に出社しようとして、新宿駅のホームの雑踏を歩く。するとホームに昔の女友達のTがマネージャーと一緒に立っている。なにげない挨拶の言葉を交わし、2人をそこに残してぼくは山手線のホームに向かう。だが、ちょうど電車が出て行ったばかりだ。次の電車を待つが、なかなかやってこない。隣にいた女性が「このホームからはどうも当分山手線は発車しないみたいです。別のホームに来るらしいですよ」と言う。そこでさっきTのいた場所をもう一度通って、別のホームへ移動するが、もちろん彼女の姿はない。
山手線が入ってきた。山手線はすべての車両がカウンター席になっている。片側がバーのカウンターのような長いテーブルで、そこに向かって三つ単位で席が並んでいる。カーブしたホームを前へ前へと進むが、なかなか空席がない。ようやく見つけて、座ることができた。隣は若い男女のカップルだ。すぐに女は車室から出て、トイレに入った。暫くしてそこから大声で男を呼ぶ声が聞こえる。どうやらドアが開かず、トイレから出られなくなったらしい。
早稲田に着いた。駅を降り、会社に向かおうとするが、そこは全く見知らない場所である。道端にある地図の看板を見ると、なんとここは愛知県にある早稲田だった。
自宅で洗い物をしていると、妻が「地震よ」と言う。「えっ」と振り向いたとたん、床が揺れ出した。懸命に前進し、テレビや本棚を揺れから守ろうとするが、その手前にある間仕切りの障子が倒れてしまう。本棚が二つ崩れたが、思ったほどの被害ではない。外に出ると、そこは「自動搬入工場」という看板のかかった建物で、中から従業員たちが茫然とした表情で外へ避難してきた。
2014年08月10日
8月10日の夢(講演会)
講演会を聴きに行くが、ひとり眠ってしまう。突然、枕元に立てかけておいたギターが轟音を立てて倒れ、目を覚ます。聴衆たちが迷惑そうにぼくを見ている。しかし、眠くて起きることができない。手探りでギターをごそごそ布団の足元に置き直す。1枚の布団には5人ぐらいの聴衆が入っている。布団の真ん中あたりにいるぼくは、正しく布団をシェアしているか、体がまっすぐになっているか、気になるけれど、そのまま眠り続ける。ぼくの隣に寝ているのは若い男性のようだ。
2014年08月04日
8月4日の夢(2つの箱)
少し熱のある重い体で会社へ出勤する。今日のぼくの仕事をナンバーツーのMくんが指示してくれる。引き出しのような形をした、2つの黒い箱の整理である。蓋がなく、平たい形のその箱には、さまざまな郷土玩具や昔懐かしい文具などが沢山無秩序に入っている。ぼくはそれらを整え、机の外にはみだしている同じようなものを入れる。
大体作業が終わったところへ、若い女性を連れて、同僚が入ってきた。以前この会社にいたこともあるという白いワンピースの清楚な女性だが、ぼくは見覚えがない。いや、よく見ると、写真で見た高村光太郎夫人の智恵子そっくりである。彼女がお辞儀をすると、胸元が下着がちらりと見える。
オフィスから外に出る。なぜかフロアは真っ暗だ。下からガサツな中年の、いかにも業者という感じの男が上ってきて、ぼくに「サーファーはどこ? 場所変わったのかな」と声をかける。サーファーて何だろう? 会社の名前だろうか。
2014年08月03日
8月3日の夢(詩集)
誰かの詩集の出版記念会に行き、途中、控室に脱け出して休憩する。すると知らない女性が近寄ってきて、自分の詩を見てくれと言う。承諾して読んでみると、全く意味不明の詩だ。その間に隣の会場からパーティーのおひらきの言葉が聞こえてくる。
部屋から出ると、テーブルに真っ黒い装幀の詩集が何列にも沢山並べてある。さっきの女性の詩集だという。沢山の人がそれを手に取って読んでいるので、ぼくも興味が出て、ページをめくってみる。
2014年07月27日
7月27日の夢(医者)
医者へ行ったが、医者は留守で、診てもらえなかった。家に帰っていると、ナースが呼びにきてくれた。ぼくが今日最後の患者なので、ゆっくり診てもらうことができた。
7月22日の夢(雑多な断片夢)
手帖に出席したい関西のイベントを書きこむだけで、大阪までの新幹線のチケットの予約ができるサービスが始まった。手帖に書くと、本当に予約できてしまったので、慌てて取り消そうとする。
女性の同僚が四時半に退社したので、ぼくも急いで会社を飛び出す。だが、早退の手続きをしていなかったことに気づく。
マンションの隣室に友人の能役者が住んでいる。ぼくは3階のベランダづたいに隣室に入り、「来たよ」と彼に声をかける。彼は驚くが、「今日はだめだ」と言う。ぼくはすごすごと、またベランダづたいに戻る。
7月20日の夢(軽井沢)
軽井沢にあるS財閥総帥のT氏お勧めの老舗ホテルに滞在している。ぼくらはここで、しつけの教育を受けているのだ。先生役をしているのは同財閥の従業員だ。だが、ぼくらは反抗的で、特にぼくは部屋の隅にいて、隙あらば逃げようと思っている。でも門は男用と女用があって、どちらも固く閉ざされているので、逃げ出すことができないのだ。
敷地内に整体と精進料理の店がある。ぼくはここの食事を出前してもらおうと思い、店の前に並ぶ。ぼくの後ろには順番を待つ長い客の列ができた。というのは、先頭に並んだぼくが黙ったままなので、従業員たちも後ろの客も手の下しようがないのだ。ようやく、ぼくが話をしてもいいと思う、責任者の男が出てきた。ぼくは彼に「7時に食事を届けてくれませんか」と要求する。男は「10時ではだめですか」と言う。「それではお腹が減ってしまいます。7時です」と、さらにぼくは要求する。だが、男も負けてはいない。「お客様に召し上がっていただく以上は、おいしく召し上がってほしいのです」。それを聞いてぼくは「どうせおいしくないだろう」と思いつつも、それを食べたいという思いがますます強くなってくる。
7月17日の夢(トイレで書きもの)
トイレの中で書きものに没頭している。ドアがノックされ、少しだけ開いて、誰かが覗いた。小さな男の子を連れたお母さんのようだ。ぼくは慌てて「ちょっと待ってください」と言い、彼らを閉め出す。やれやれと思って、振り返ると、なんと部屋の中に身なりのいい少年が二人、黙ってうろうろしている。「しまった」と思うが、ぼくはそのまま書きものを続ける。
2014年07月16日
7月15日の夢(詩の教室)
詩の教室をアトリエでやっているが、今日はまだ女生徒が一人だけだ。木の床に四角い穴があいていて、その下が階段になっている。そこから二人の生徒が首を出して加わる。最初の生徒とぼくは一つの詩を合作で書く。
2014年07月13日
7月13日の夢(消えたデスク)
廊下に緑色の原稿用紙が1枚落ちている。拾ってエスカレーターのところに行くと、山のように原稿用紙を抱えた詩人のN・Y氏がいる。彼の落し物だと思い、手渡す。彼は一瞬ためらった後、「後でお渡しします」と言って、エスカレーターで下へ降りて行った。その山のような原稿用紙に「一色の」という文字が書かれているのが、ちらりと見える。詩論の原稿らしい。
自分のオフィスに戻る。気づくと、ぼくは茶色と黒と、2つのオーバーコートを重ね着していた。我ながら、呆れてしまう。ぼくのデスクは普通の事務机だったはずなのに、いつの間にか座り机になっている。隣のN・F氏は最初から座り机である。見回すと、部屋中にさまざまな机が散らばっている。N・S氏がそれらの机の中に、ぼくのデスクがないかどうか探してくれる。だが、引き出しを開けてみると、どれもぼくのデスクの中身とは違っている。ぼくのデスクはどこへ消えてしまったのだろうか。
2014年07月08日
7月8日の夢(ギター)
詩人のIくんがエレキギターを弾いている。ワンコーラス目はソリッドな音色で、ツーコーラス目は目ロウな音で弾く。ぼくも右腕を胸の前でさっと振り下ろすと、ジャンとコードが鳴る。そうだ、ぼくはアコースティックギターを胸に抱えていたのだ。ぼくがこのギターでツーコーラス目を弾けばよいのではないかと思う。
2014年07月02日
7月2日の夢(インドで靴をなくす)
インドに探検隊の一員として行き、列車の最前部に乗っている。トンネルから出たとたん、左側から何人もの男たちが現れる。そのうちの一人の太った男が列車に気づかず、線路の上に踏み出す。はっとするが、すんでのところで男は列車に気づいて、跳ねられるのを免れる。
荷物を持って、宿舎へ移動する。ぼくは自分の担当する大切な仕事の資料を片手に握っているが、それは少しずつ手からこぼれ、どんどん失われていく。
宿舎ではぼくはいつも一人で、することがない。他のメンバーのいる大河の方へ行ってみる。足首まで泥水につかる岸辺で、ぼくは自分の靴を脱いだはずなのに、見当たらない。盗まれたのだろうか。他のメンバーに問いかけるが、みんなぼくを無視する。インドにいるんだから、靴なんかなくてもいいかと思い直す。
隣の男はさっきから電話ばかりしている。リース会社と冷房室を借りる交渉を延々としているのだ。いつのまにか他のメンバーがいなくなり、宿舎でぼくはまた一人ぼっちになる。みんな、食事に行ったのかもしれない。窓を見ると、蜘蛛の巣がいっぱいだ。寝転がって、何のためかしらないが、天上からつりさげられた板切れのようなものを蹴飛ばして、振子のように揺らす。隣の男がぼくを見る。もしかしたら、これは貴重な標本なのかもしれないと思い、慌てて揺らすのをやめる。
2014年06月29日
6月28日の夢(入試面接)
汽車で学校の入試会場に向かう。窓の向こうを戦前の風景が流れていく。きっとCGだろうと思う。
入試会場に着いた。母ともう一人男性の知人が一緒だ。体育館のようなところで順番を待つ。戦時中なので、負傷兵だろうか。茶色の布で体をぐるぐる巻きにした男と入れ替わりに、その人に触れないように面接室に入る。入り口で学生帽を脱いで、礼をすると、試験官もにこやかに礼を返してくれたので、ほっとする。だが、気づくと、学生帽の下にぼくはもう一つ野球帽をかぶっていたので、慌てて脱ぐ。
面接が終わり、支援してくれた人、二人に電話するが、一人は出ない。爆撃でもうやられてしまったらしい。
2014年06月24日
6月24日の夢(路面電車)
ピアニストのSさんと待ち合わせ、帰宅のサラリーマンでごったがえす埠頭のような場所から2両編成の路面電車に乗る。だが、乗ったときはもう、ぼく一人になっている。
持っているのは指定券だが、それは習字に使う半紙の大きさで、よれよれの二枚綴りの紙だ。決められた停留所の決められたドアから乗り、指定されて席を探すが、一体チケットのどこに席の番号が書いてあるのだろう。二ケタの数字がチケット中に書いてあって、どれがそうなのか分からない。二枚綴りの一方はチケットの見方の説明書らしいが、それ自体がちんぷんかんぷんだ。車内をうろうろしながら、ぼくは乗客たちに助けを求めるが、誰も答を教えてくれない。
2014年06月22日
6月19日の夢(2人部屋)
ぼくのオフィスは二人部屋である。室内には放送でアナウンスが流れている。夕方になり、体が辛くなり、もう帰ろうと思い、隣の同僚に「お疲れさま」と言って、帰ろうとする。その瞬間、放送だと思っていたのは、隣の同僚がぼくに話しかけていたのだと、気づく。このままここにいた方がよいと思い、帰宅を中止する。
6月18日の夢(ワルシャワ労働歌)
自宅にいると、大音量でワルシャワ労働歌が聞こえてきた。窓から見ると、1台の車が止まっていて、大人二人、子供二人の4人家族が、集会の様子を録音したテープを、スピーカーで流しているのだった。その周りをとりまいてばらばらと大人や子供たちが立ち、まるでミニ集会のような感じだ。
2014年06月17日
6月17日の夢(金属製の太鼓)
道路の真ん中で男性が楽しそうに金属製の太鼓をたたいている。それに合わせて、ぼくは玄関に置いてある金属製の米櫃を棒でたたく。だが、男性が近づいてくると、恥ずかしくなり、やめてしまう。
6月15日の夢(滴の降るトイレ)
トイレで用を足そうとすると、ヒヤリと冷たい。天井から滴が落ちてくるのだ。便器は三個あって、左と右の便器の上に滴が落ちてくる。真ん中には落ちてこない。だが、ぼくは左の便器で濡れながら用を足すことにする。
2014年06月09日
6月9日の夢(吉増さんのインタビュー)
詩人の吉増剛造さんを昨日に続きインタビューする予定だ。ホテルの部屋で同僚のTくんが「さあ、そろそろ行こう」とぼくを急かす。もう約束の時間が迫っている。ぼくは「待ってくれ。薬がないんだ」と言い、カバンの中身を全部ぶちまけて常備薬を探す。だが、そこにあるのはぼくのではない錠剤ばかり。なぜこんなものがここにあるのだろう? Tくんもそうやって薬を探したからだろうか。ぼくは薬を探すのをあきらめ、「よし行こう」と言って玄関へ歩き出すが、自分の姿を見ると、アンダーシャツとパンツ姿だ。おまけに吉増さんが何号室に泊まっているのかも聞きそびれた。
2014年06月08日
6月8日の夢(桑田さん)
医院の待合室にいると、サザンの桑田さんから電話だ。これからそっちへ行きたいと言う。クリニックの場所を教え、入り口を気にしながら待っていると、サングラスをかけた彼が現れた。片手を大きく上げて合図する。彼も片手を軽くあげて目配せする。ふたりで並んで座れる席はなさそうだ。持っている本に目を落として読書するふりをしていると、彼が背後に立った気がする。
2014年06月07日
6月5日の夢(劇中劇)
ぼくの部屋なのだが、観客たちが座っていて、部屋の一角が舞台になっている。ぼくはズボンを脱いで、それを折りたたみながら舞台を見ている。
舞台に近所のおばさんが二人登場。「ここならできそうだよ」と言って、コントを始める。一人のおばさんが「この街の地下には死んだ人が住んでいる。ほら〇〇ちゃんが……」とセリフを言うと、死んだはずの〇〇ちゃんがランドセルを背負って、部屋の中に現れる。
2014年06月06日
6月6日の夢(インタビュー)
Y社銀座店のK店長に、歴史の趣味の話でインタビューしようと、ジャズ喫茶に行く。ソファーに座ったK氏と店の主人と、さあインタビューを始めようとしたとたん、レコーダーを忘れてきたことに気づく。店主に「この近くにレコーダーを売っている店を知りませんか」と尋ねると、「ありますよ。〇〇に買ってきてもらおう」と言って、若い従業員に言いつけてくれる。
彼が帰るのを待つ間、店主は以前ぼくが来店したときの動画を再生してくれる。名前だけでなく、帽子などの特徴からたちどころに来店客を割り出して、以前の動画を検索できるのだという。でも、その検索システムは紙のカードでできていて、そこに付箋が張ってあり、アナログである。動画にはぼくがパーティーで、顔にいろんなものをぶつけられてキャーキャー言って楽しんでいる様子が映し出される。てっきり初来店だと思ったのに、こんな過去があったのだ。
そのとき、壁のドアが開いて、奥から長門博之氏が一瞬顔を出し、すぐ引っ込む。ぼくは「あっ、長門さんだ」と言う。
そういえばカメラも持ってこなかったが、Kさんなんだからまあいいや、と思う。
2014年06月04日
6月4日の夢(詩の専門書店)
ビルの2階にある本屋さんに行く。そこは詩の本の専門店のはずだ。ぼくのほかに客はおらず、詩の専門出版社の社長と若い男性社員がいる。ぼくは彼らに気づかないふりをして、本をひとしきり探すふりをしてから、挨拶しようと近づくが、それは別人だった。本屋はもう閉店するのだろうか。書棚はがらがらで、床には本が散らばっている。階下に降り、ビルの玄関でぼくはゴミを不法投棄しようとする。金属の縁のついた布の袋だ。だが、思い直してまたそれをカバンに入れ、ぼくはそこを立ち去る。
6月3日の夢(着替え)
職場で同僚たちとの集合写真を撮ってもらう。ふと気づくと、ぼくは変な格好をしている。首にラクダのアンダーシャツをマフラーのように巻いているのだ。これはまずいと思うが、2列に並んだ後列にいるから、多分写真ではわからないだろう。
撮影が終わり、急いで階段を駆け下り、着替える場所を探す。1階下のそのフロアは人が少ないが、中国人かアメリカ人のための国際学校のようで、ここで着替えるのはまずそうだ。さらに階段を降りて、1階の玄関から駆け出す。そこは小学生時代のどろどろの校庭である。ズボンを脱ぐと、汗と泥で真っ黒に汚れている。しばらく躊躇したが、ほかに替えのズボンはないのだから、あきらめてまたそのズボンをはく。
2014年05月31日
5月31日の夢(個室の中の個室)
会社のトイレへ行く。個室に入って用を足し、ふと見るとドアの鍵が外れて、半分開いている。慌てて鍵をかける。トイレットペーパーは大きな力で引きちぎらないと使えない。しかも、お尻を拭ききるには足りない。そのとき突然、個室の壁の隠しドアからむさくるしい老人がぬっと出現する。こんなところにもう一つ個室があったのか。驚きながら水洗のひもを引っ張ると、大量の水が便器からあふれ出し、個室の外に置いてあったぼくの鞄や上着が汚水で濡れてしまった。
5月29日の夢(スイートルーム)
女性スタッフがホテルの部屋を借りて、撮影をするというので、ついていく。みんなは庭の見える明るいリビングルームに商品を置いて撮影しているが、ぼくは暇なので部屋のもっと奥を見に行く。たくさんの付属部屋があり、一番奥は薄暗い中に布団が2つ並べて敷かれた和室だ。こんなに広いのはスイートルームだからだろうと思う。
2014年05月28日
5月28日の夢(恐怖のトイレ)
エレクトーンの特集本を作りたいとY社が言いだしたので、エレクトーン博物館へ取材に行く。ここにはもはや歴史的遺物となった古いエレクトーンが沢山収められている。用を足したくなり、トイレのドアを開けると、鍋の中でドライアイスが煮えたぎっていて、その中に初老の男の首がある。ぎょっとして、そのトイレをあきらめ、別のトイレへ行く。ドアを開けると、もっと怖いものが見える。新しいトイレのドアを開けるたびに、いっそう怖い世界が広がる。「こんなことなら、一番最初のトイレで用を足しておくべきだった」と思う。
5月27日の夢(姉妹)
老教授が引退することになり、それを記念するパーティーがある店で開かれることになった。そこへ対照的な性格を持つ姉妹がやってきた。先に現れたのは妹の方。
老教授はカウンターの中でくるくるとバーテンダーのように働いているが、頭の上までシャツをかぶっているので、まるで首のない男のように見える。そして客のいるフロアに出てきて、テーブルの上の袋を開ける。それはさっき女性客が置き去りにしていった袋だ。中からヤマハの楽器のカタログなどがばらばら出てくる。「だって、こうしないと、生涯ヤマハの楽器の世界なんて、見ることがないからね」と彼は言う。
5月25日の夢(古いしきたり)
新しいマンションに引っ越した。ひとりで留守番をしていると、吹き抜けになった下のフロアから、見知らぬ一家が不機嫌な顔付きで我が家へと登ってくる。どうやら、このマンションには古いしきたりがあって、ぼくらをそれに従わせようとしているようだ。
5月24日の夢(風呂から富士山)
詩人のKさんのマンションのお風呂に二人でいっしょに入っている。大きな窓のあるバスルームで、素晴らしい山の景色が見える。一番左端に見えるのは富士山だ。
2014年05月27日
5月21日の夢(大掃除でレタスを拾う)
会社の大掃除をしている。最初は自分一人で身の回りを片づけていたのだが、女性社員全員が参加して、床に散らばったレタスを拾い始める。歌声が聞こえるので窓を開けると、港で外国人もいる混声のボーカルグループが、楽器を演奏しながら歌って踊り、さらにコントも演じている。楽しくてたまらない。
5月20日の夢(探偵と詩人の勝負)
会社で他の人が忙しく働いているのに、ぼく一人だけ暇で暇でしょうがない。仕事をしているふりをするが、とても退屈だ。トイレに隠れて詩でも書こうかと思っていると、「ふーん。処分をちゃんとしていないんだねえ」と言いながら、同僚女性のRさんが縦長のカードをくれる。パリで作られた絵葉書である。「もしも探偵と詩人が平等に勝負したら」というタイトルで、イラストはぼくが書いた原作が映画になったという想定で作られたものだ。
5月19日の夢(会社を移る)
S社から別の会社へぼくは移籍した。2階の一番奥にぼくの部屋がある。ここへI氏が来ていると聞き、びっくりする。それからまたS社へ再移籍する。ちょうどIカメラマンが帰社するところなので、彼に挨拶するが、気づいてくれない。同僚の女性が彼に注意してくれる。それで、彼もぼくに気づき、振り向いて「おーっ」と挨拶してくれた。
5月15日の夢(夢から覚めない夢)
大きな船に乗っている。船のケーキ屋さんだ。
目が覚めると、父や母と同じ部屋に寝ている。トイレへ行きたくなって、部屋を飛び出す。いくつも部屋を通り抜け、邪魔なものをどかし、西洋人のシェフが料理しているのを「ちょっとどいて」と横へやり、やっとトイレにたどりつく。だが、便器は一つしかなく、既に他の人が使っていた。他のトイレへ行こうと、あきらめて出る。でも、これは夢だと思う。ここで用を足してしまってはいけない。チョコを食べて、懸命に目を覚まそうとする。もう起きたから大丈夫だと思いながら、トイレのドアを開ける。やっぱりトイレは汚くて、用なんか足せない。まだきっと夢から覚めてはいないのだろう。
2014年05月12日
5月12日の夢(操作盤)
なんだか得体のしれない機械が会社の中にいっぱいある。操作のしかたが分からない。ふと思い立って、その機械の裏を覗くと、使用法を書いたカードが貼ってあった。以前、この会社のオーナーが急死したとき、誰も使い方がわからなかったので、このカードが貼られたらしい。裏側に半円形のくぼみがあり、そこにぼくが持っていた操作盤を取り付けると、ぴったり貼りつき、機械は自在に使えるようになった。
2014年05月11日
5月11日の夢(結婚記念出版パーティー)
ある詩人の結婚を記念して、刊行された詩集の出版記念会の案内を受け取った。その詩人は離婚をして、華やかな女優さんと再婚した。だから、詩人よりも芸能人たちが沢山参加するため、パーティーは一つの会場では参加者を収めきれない。そこで丘の下と丘の上と、2か所のお店を借り切って行われることになった。
ぼくはまず丘の下の会場へ行く。会場の真ん中あたりで、詩人の甲田さんが「こっちこっち」とぼくを手招きする。芸能人だけでなく外国人たちも多いし、主催者によると「学生たちもいっぱい来てるね」ということだ。きっと詩人は大学で教えているのだろう。なんとなく気詰まりなので、ぼくはその会場を出て、丘の上に見える第二会場を目指す。坂道を登って、丘の上の道を歩き出すと、下からはあんなにはっきり見えたのに、どこにその会場があるのか分からない。もう一度、丘の下の会場に戻ることにする。そこに自分の鞄を置いてきてしまったことを思い出したからだ。再び、そこへ戻ると甲田さんが「さっき、こっちこっちと呼んだのに」と声をかけてくる。だが、さっきあんなに混んでいた会場は、火が消えたようなさびしさで、がらがらになっている。
そこを出て、Tシャツ専門店で気に入ったシャツを買おうとする。レジのカウンターは丘を少し登った野外にある。店主が「このTシャツは胸に大きく中村という文字が書いてありますが、大丈夫ですか」と言う。それはいやだなあと思うが、広げてみると図案化されていて、全然「中村」とは読めない。「大丈夫です。気に入ったから買います」と、ぼくは答える。
2014年05月10日
5月10日の夢(藁でできたビル)
名古屋へ行く。公園の一角に野外劇場があり、そこで映画を見るつもりだったが、実際に俳優が演じるドラマだった。一種の推理ドラマである。
終わって、新幹線に乗り、東京へ帰る。窓の外の沿線に、藁でできたビルのような建物があり、工事のためだろうか、男たちが数人壁に登っている。と、その藁のビルが崩れ始める。男たちは急いで、軒にぶら下がるような形で飛び降りる。意外にみんなうまく着地できたので安心するが、すぐにビル全体が崩れ落ち、男たちは押しつぶされてしまう。
東京に戻り、さっきの推理ドラマを演出していた監督が、事件の真相をみんなに説明する。次々と証拠の服やタオルが提示される。だが、監督が後ろを向いている間に犯人の男が、それらをこっそりすり替える。気づいたぼくは、それを阻止し、事件は無事に解決した。
ぼくの女友達も事件に巻き込まれた。「私が食べたパンも証拠として提出しなくてはいけないわね」と言う。ぼくは「いや。あのパンも実は犯人によってすり替えられていたんだ。だから、それを提出する必要はもうなくなったんだよ」と説明する。
2014年05月09日
5月9日の夢(プレゼン企画)
Y社に対する広告やプロモーション活動の提案活動について、みんなで会議をしている。ぼくはオーディオとピアノ部門の担当なので、ピアノにアコースティックではなく電子化された新商品が投入されることを報告する。しかし、ピアノの仕事は好きではないため、提案についてはオーディオのことだけを話して、座る。すると、中年の同僚の男性が立って、ピアノの新商品についての提案はどうするのかと質問してくる。確かにピアノはY社の主力商品だから、何かを自主プレゼンしないといけないだろう。やれやれ、これから残業して企画を練り、浜松へ出張するためのプレゼン資料を作らなければいけないのかと、うんざりする。
2014年05月07日
5月7日の夢(テロリスト会社)
ぼくの会社で政治的テロとして要人暗殺を行うことになった。実施するのは今日の夕方。退社時間後の設定なので、成功したら残業になっていやだなと思う。
外出して車がびゅんびゅん走る道路沿いの公園に向かう。知り合いのカメラマンから携帯に電話がかかってきたが、子供たちの遊ぶ声や車の音がうるさくて聞き取りにくい。用件はぼくが彼に渡すべき書類をすっかり忘れていたことだった。ぼくは自分の非を認めて詫びる。すると、相手は「どこにいるのか」と尋ねてきた。隣の道路の名前を言おうと思うが、度忘れしてしまって思い出せない。近くにいた同僚に尋ねるが誰も教えてくれない。そうだ、246(国道246)沿いにいると言えばいいと思い、「もしもし」と言うが、相手は応答しない。電話が切れたのか、と思ったが、そうではない。会社の暗殺チームが予定通り電話網を切断したのだ。いよいよテロが始まった。ぼくは早足で会社へと戻る。
2014年05月03日
5月2日の夢(座談会)
会社が新しい超高層ビルへ引っ越した。一階上の出版部の会議室を借りて、座談会をやることになっている。「広告部の一色です」と名乗ればよかったのに、受付で「〇〇の座談会です」と言ってしまう。しかし、受付の女性はすぐ了解して、ぼくらを会議室に案内してくれた。
会議室はとても広い部屋で、食堂のような感じ。いくつものテーブルが並んでいるが、全部形が違っている。殆どのテーブルを囲んで、さまざまなグループが会議をしている。中には隣との間がひどく接近した席もあり、これでは落ち着かないのではないかと心配になる。
ぼくは案内された席につくやいなや、「この前にもう一つ座談会がありますので」と挨拶して、会議室を飛び出す。先にトイレへも行っておきたい。確か廊下に出たところにあったはずと思うが、逆の方向に歩き出してしまったようだ。廊下はビルの外壁に沿って、ぐるりと一周している。外の光が燦々と降り注ぐ窓があり、とても明るい。一周すれば元に戻るはずだが、このビルは大きくなかなか戻ることができず、トイレも見つからない。おまけに録音機を忘れてきたことに気づく。
2014年05月01日
5月1日の夢(サッカー日本代表)
映像作家のNさんが設計した施設の建物は、現在は5つの長方形の柱みたいだが、これにもう一つ建物が増えると、全体が重なり合ってぐにゃりと変形し、どんどん形が変わっていくのだという。
ぼくはサッカー日本代表のメンバーだ。テレビで自分たちのことを映した特番をやっている。ぼくが遅れて部屋に入ると、監督が「テレビに映った人は?」と質問する。ほぼ全員が挙手をしたが、ぼくたけ手を上げない。
長友選手が結婚式を夜に挙げたという。川のそばに横に長い石の壁が立っていて、そこに黒い焦げ跡が左から右へとついている。これに結婚式から披露宴までの流れが記録されているのだという。やけに女性の数が多いが、「長友はいつもこのくらいの彼女といつもつきあっていたからね」と、みんな納得顔だ。
2014年04月30日
4月28日の夢(満員バス)
満員バスを終点の一つ前の停留所で降りようとし、押されて転んでしまう。なんとか起き上がり、バスを乗り換えようと反対方向に歩き出す。そこは陸橋だ。ぼくは手に沢山ピンポン球を持っている。喜んでいると、そのピンポン玉が一つ一つ手から落ちていく。喉が痛い。天津感冒片を飲んでおくべきだったと思う。地面に穴があいている。覗き込むと、ひどく深い。
2014年04月23日
4月22日の夢(徹夜)
以前在籍していたS社にいる。忙しくて退社することができず、徹夜のまま2日目に突入する。4時ごろになり同僚の女性社員Oさんが退社するので、ぼくも帰ろうとする。ところがAくんやIくんが寄ってきて、ぼくに1枚の書類を見せる。「この方程式の数字はパ行とカ行の一番愛している文字を示している。どれがどれだか分かるか」と尋ねる。わかるはずがない。結局、今日も帰ることができない。
4月20日の夢(海の上の富裕国)
ぼくは夢のように広いお屋敷に住んでいる。室内装飾も家具も超一流の豪華な部屋である。窓から見ると、四方は陸地から離れた海であり、陸との間は満潮には海面下に隠れるほどの高さの細い道があるだけだ。ここは富裕層だけが住む島であるらしい。
部屋にはさまざまなベッドやソファーがあり、ぼくはそのどれかに休みたいと思うが、どれにも既に別の男が横たわっていて、ぼく一人休むことができない。
そしてある日、窓からその道を渡って騎馬隊が進撃してくるのが見える。反乱が起きたのだ。ぼくらは彼らの奴隷にされ、バケツで汚い水を汲む労働をさせられる。何度も水を汲んでいると、バケツが赤く濁り始める。ここで殺人が行われたのだろうか。しかし、それは単に赤い粉を混ぜただけのようにも見える。ぼくを殺人の罪におとしいれるために、仕組まれた罠なのかもしれない。
4月19日の夢(火事と暴動)
日本海側の港町にある会社にぼくは就職した。社長はまだ若いが、ワンマンである。幸い、ぼくは彼に気に入られたようで、最初に在籍した広報部から販売促進部に転籍させられた。
社長はなぜか社員に絵を描くように勧め、会社の中に美術部を作っている。しかし、クラブ活動はこれ一つしかなく、社員全員が美術部の部員でもあるのだ。そして、彼らの作品を織物にして、バスルーム兼トイレに飾っている。
ぼくの後を追うように、広報部から中年の男性社員が販売促進部に転籍させられた日、会社が火事になった。ぼくらのいる本社棟は大丈夫だったが、工場や店舗などのすべてが灰燼に帰した。これでは経営が成り立たなくなるのは目に見えている。ぼくの見ている前で、社長は腹心の部下に、「これからリストラする社員を選り分ける」と言う。そして、バスルームにあった織物を一つ一つ選り分け始める。社員に美術を勧めたのは、このためだったのだ。
ぼくがその腹心の部下の男に火事の原因を尋ねると、「ある若い女子社員が会社から受けた理不尽な仕打ちに絶望して、窓から身を投げた。その体が地面に落ちると、そこから火が起こり、瞬く間に全社に燃え広がった」と、ぼくに打ち明ける。その話の間、男は小部屋の中にぼくの体を押し付けるようにして、ささやく。ぼくの後ろに掃除婦のおばさんが押し付けられて、身動きがとれず、さらにその後ろを掃除のおばさんたちが迷惑そうにすり抜けていく。
リストラ社員の選別を終えた社長は、社員の一人に「店舗が燃えてしまったから、新しい店を開ける場所を探しに行け。その間も少しでも商品が売れるように、チリンチリンと手でベルを鳴らしながら、行商するんだぞ」と指示している。
ぼくはこれらの真実を皆に明らかにしようと、美術部の部室のドアを開ける。ぼくから真実を聞いた社員たちはきっと暴動を起こすに違いない。
2014年04月16日
4月16日の夢(横領)
会社で同僚の女子社員が「これって、私が預かっているお金かな」と言って、大型封筒を見せてくれる。宛名に「S社様」と書いてある。彼女はその封筒に入っていたお札を全部抜き取って、自分の財布に入れ、書類だけを封筒に残す。
それを見て、ぼくもデスクの足元の影になったところに、小さな封筒を置いていて、そこにも預り金が入っていたのを思い出す。どうせこの封筒のことは誰も知らないのだ。ぼくはそれを開けて、急いで札束を自分の財布に入れる。だが、慌てていたので千円札の札束で財布がいっぱいになってしまい、一万円札の束を入れることができず、カバンの中にしまうことにする。
2014年04月14日
4月14日の夢(青森駅)
仕事で青森へ列車で行った。東京も雨降りだったが、こちらは傘を傾けて必死で差さなければならないほどの、嵐になっている。ホテルのフロントは野外にある。そこで講演用の貸しホールの申し込みをする。男性のフロントマンは「ホールはここからバスで1時間半かかります。料金は37,500円です」と言う。財布からお金を出すが、一万円札のつもりで五千円札を持ってきたため、足りない。妻に「お金」と言うと、妻は慌てて財布を探し出す。手に持ったカバンには見当たらないらしく、地面に置いたスーツケースというより、土色の地面そのものにあるポケットの中を探っている。その間に左側にいたおばさん客が横入りして、フロントマンに別の相談を長々と始める。
駅前からバスに乗ろうと、道路に向かう。しかし、道路はそこから一段下の階層にあるため、降りることができずに引き返す。途中に懐かしいオート三輪が止まっている。運転席には若いカップルが客待ちしている。「東京まで45,000円で行きます」と男が言う。女は「私が40,000数えるうちに着きます」と言う。そして、女は男に「私はたえず数を数えていなくてはいけないので、忙しくてしょうがないわ」と文句を言う。
4月13日の夢(海外旅行)
イタリア半島が北向きに伸びている。その先端右の町に滞在していて、ここから日本へ帰るつもりだ。そういうぼくに「1カ月バリ島に滞在して、それからニューヨークへ行くより、いったん日本に帰り、見たい映画がある時だけ、日帰りでニューヨークへ行けばいいよ」とアドバイスしてくれた人がいる。
2014年04月12日
4月12日の夢(野川祭)
ぼくの会社は表参道の北側にあったのだが、それが南側に引っ越した。新しいオフィスでぼくは一番奥の窓側のテーブルの真ん中の席である。いわば一番いい席で、すぐ左側に社長が座る。右手の壁には引き出しが沢山あり、中にはぼくの衣類がある。外から帰ってきたぼくは服を脱いで下着姿になり、着替えをする。机の上にプラモデルのバリがある。このゴミをどこに捨てればいいのだろう? 同じビルの右隣の店を通り、さらに隣の店に行く。ファストフードの店らしいが、がらんとした店内にはほとんど客がおらず、男女の店員が世間話に興じている。しかし、店のキッチンに捨てるのは気がひける。外に出ると、そこは神宮前の交差点で、舗道にゴミ箱があったので、そこに捨てる。
オフィスの真ん中のテーブルで会議が始まった。廊下との間の壁に穴があり、そこから若い女性が首だけ突き出して、司会をする。野川フェスティバルのような催しが流域で行われるので、それに参加してはどうかという内容だ。いろいろな企画の画像が映写されるが、「狛江」「狛江」という言葉がしきりに出るのに、画像の町はもっと下流の川崎あたりではないか。そこへ電話がかかってきて、どこかの企業が参加することになったという。主催者の男はその話に有頂天になり、会議はそこで打ち切りになった。
4月10日の夢(ロボットの違和感)
ぼくは会社で仕事がなく、暇をもてあましている。一人、封筒を裏返したり、メモ用紙をもてあそんだりするばかりだ。向かいの席に女子社員が座っている。考えてみると、ぼくが今座っているのは、この女子社員の席だ。本来のぼくの席に別の男が座ってしまったため、順繰りに別の席に座ることになったらしい。
街路で若い男がぼくに話しかけてくる。「ロボット三原則があるから、一般のロボットは人間に危害を加えることができない。けれど、あえて人間に危害を加えるために、つくられたロボットもある。このロボットが人間や他のロボットに対して感じるものが違和感だ」と言う。
4月9日の夢(米軍基地)
米軍基地で記者会見が開かれる。参加者はバスに乗せられて、会場に向かう。駐車場では米兵が「今日は車両が少ないから、空いてるぜ」と、バスを誘導しながら言う。バスはぎゅうぎゅう詰めの満員である。乗車した時には隣にいた女性が、押されたせいかぼくの前に座っている。
会見場所は格納庫のようなスペース。床はコンクリートを流し込む時に使うような、背の低い板で一面に四角い枠がしつらえられており、それに躓かないように気をつけて歩く。ガイドの男がみんなに封筒を配り、ぼくに中身について説明する。
これは身分を証明するための身上調査書だ。趣味はできるだけ、みんなと同じようなものにして、目立たなくするのがいい。だから封筒の中に「無線と実験」誌が入っている。ほかに科学少年が好きそうな工作の実験用のモーターなどもある。しかし、肝心の身上書の用紙がない。男に尋ねても「みんなに聞いてくれ」と言うばかりだ。
2014年04月06日
4月6日の夢(ポールと話す)
町を挙げての大規模なイベントに出席している。続々と世界各地から著名人が集まってくる。ポール・マッカートニーがちょうどぼくの後から歩いてきて、ぼくに言葉をかけてくれる。新川和江さんはトラックの荷台から拡声器で挨拶している。
ビルの屋上にぼくは席をとり、イベントを見守る。しかし、そこからは屋上の柵が邪魔になって、下を通るポールが見えないので、立ちあがって首を伸ばす。
イベントが終わり、出演者たちは車に分乗させてもらい、それぞれの自宅に順番に送り届けてもらうことになっている。ぼくも一台の車に乗り込む。ぼく以外は全員中年以上の年齢の女性ばかりだ。運転手が「では、〇〇と××と△△とへ行きます」と行き先を読み上げる。ぼくの自宅の場所が読み上げられなかったので、ぼくは「狛江も」と声をかける。運転手は驚いた顔をして、「ちょっと聞いてきます」と言って、車を降りてしまう。そうか。毎年出演者だったので、つい習慣で車に乗ってしまったが、今年はぼくは観客に過ぎなかったのだと思い出す。
2014年04月05日
4月5日の夢(6時からのインタビュー)
6時に渋谷でインタビューをすることになっている。まだカメラの用意をしていなかった。若い男性社員にカメラのありかを尋ねると、「ここに隠してあります」と言って、引き出しの前に連れていってくれた。何台もあるカメラの中からぼくは一番高級そうなものを選び、使い方を彼に習う。そんなことをしているうちに、時間が迫ってきた。慌てて2階の自席に戻ると、別の社員がそこに座っている。しかし時間がないので、構わず引き出しを開けて、インタビューのための資料を引っ張り出す。誰に何をインタビューするんだったっけ? 資料を見ると、インタビューは渋谷ではなく、6時から札幌でだった。ネットで一番早い路線を選択しようとするが、しかしたった20分では間に合いそうにない。
4月4日の夢(ダム湖のほとり)
ダムでせきとめられた湖の上を人が歩いている、と思ったが、よく見ると、風でスーパーのレジ袋が水面を吹き飛ばされていくのだった。ぼくはその湖のほとりの道を、紙を空に投げ上げながら歩く。子供の頃、下敷きを空に放り投げて遊んだ。ちょうどあれと同じだ。空の上でくるくると回転した紙は落ちてきて、ぼくの手にうまくキャッチされる。繰り返すうちに紙はだんだん大きくなり、やがて紙は建物の2階に届くほどの大きさになった。後ろから歩いてきた女性が「私もやってみたい」と言う。うまくできるか心配になるが、彼女が投げ上げた地図はくるくると空の上で回転し、ちゃんと彼女の手に戻ってきた。
彼女の働き先だという貿易会社にお邪魔する。休日だというのに、社内はほぼ全員が出社している。なんだか人相の悪い男たちが多く、ここはヤーさんの会社ではないかという気がする。ぼくが座らされたソファーは一段低い穴のようなところにあり、首を伸ばさないと周りが見えない。衝立の向こうで女性は社長と話をしながら、小間使いのようにくるくると働いている。
4月2日の夢(詩を批評する機械)
詩について批評するだけでなく、その詩を詩人が書いた背景まで言及することを可能にする機械が開発され、実用化された。早速、早稲田の喫茶店で実験してみると、うまくいった。
2014年03月31日
3月30日の夢(カワセミとのハーフ)
ぼくにはハーフの子供がいる。母親はカワセミだ。見た目にはカワセミに見えるが、それはぼくの子供なのだ。自分でもカワセミとの間にハーフの子が生まれるなんてびっくりだが、実在する以上、みんなにこういうことも起こるのだと訴える必要があると思う。
2014年03月29日
3月29日の夢(失くした靴を見つける)
ぼくの会社は玄関で靴を脱いで上がらなければならない。お昼休みになり、ランチを買いに外へ行こうとするが、自分の脱いだ靴が見当たらない。
うろうろしているうちに音楽の授業が始まり、先生が入ってきた。赤い帽子をかぶった外国人の宣教師である。助手として通訳の女性がついている。「雨が降ってきたので、今日はご案内できません」と、彼女が言う。外は大雨になっていて、校舎の中も雨漏りがひどい。もう一つ別のオルガンのある部屋へ移動してみるが、そこも雨がだだ漏りで、とても授業どころではない。
自分の席に戻ると、椅子の下に縦穴が掘ってあり、そこに自分の靴が入れてあるのに気づく。自分でこんなところにしまっておいたのを、すっかり忘れていたのだ。
2014年03月27日
3月27日の夢(分厚すぎる詩集)
女性詩人のTさんから第二詩集の原稿をもらう。なんと二百数十ページもある。こんなに分厚い詩集造って、どうするんだ?!と思う。
2014年03月26日
3月26日の夢(サティ事務所)
会社でメガネをかけた頭がバーコードの部長から、いろいろ分かりにくい書類が多いので、部門ごとの仕事の内容や損益状態を一覧表にしたものを作成してほしいと依頼される。「中には全く利益を生み出さない部門もあるんだ」と言うので、みると「エリック・サティ事務所」という部門である。サティの考え方を現代に活かして、ユニークな活動をしているらしいが、確かに一文の利益にも結び付かないだろう。ぼくは笑って、サティの音楽観などを部長に説明する。
全部の書類を書き終わり、部長に説明することにする。どの部門から始めようか。やはりサティ事務所から始めるのが、わかりやすそうだと思う。
2014年03月25日
3月25日の夢(合宿)
ぼくは中学生で、学年全体の合宿で海へ出かけた。みんなでボートに乗って、坂を滑り降り、あやうく海に突っ込みそうになった。ぼくは泳げないので、危機一髪だった。地震が来た。トイレに行くと、床がおしっこで汚れていた。ぼくは布の靴をはいていたので、足にしみてきた。でも最後は敷地内で打ち上げ花火が盛大に打ち上げられ、みんなで拍手しながらそれを見ていた。
2014年03月24日
3月24日の夢(緑のスーツケース)
ホテルからバスで大きな劇場に移動することになる。皆が乗ってしまい、慌てたぼくは緑のスーツケースをホテルの玄関に置いて、また部屋に忘れ物を取りに戻る。だが、ぐずぐずしているうちに、バスはぼくを置いて出発してしまった。
2014年03月23日
3月22日の夢(無銭飲食で逮捕)
今はアメリカに日本が占領されている。2階のレストランで食事をし、椅子に荷物を置いたまま中座して、地下のトイレへ行く。その個室には以前勤めていた会社のかつての同僚たちがいる。その何人かは既に死者である。彼らと打ち合わせをすませ、再び2階へ戻ろうとすると、いきなり数人の刑事に逮捕されてしまう。無銭飲食の疑いだという。「そんなバカな」と抗議し、無実を証明するため、刑事を連れて地下トイレへ戻る。そこで死んだ同僚たちの名前を呼ぶが、誰もおらず、しーんとした沈黙がトイレを支配している。
その後、経緯は忘れてしまったが、ぼくの罪は晴れ、いい出来事もあって、ぼくは感極まって号泣する。生まれて初めてというくらいの大泣きだった。
家に息子宛の郵便物が届き、息子の下宿先に持って行く。彼は「それは〇〇だよ。表札を隠さなくてはだめだ」と言う。ぼくは慌てて家に帰り、セロテープで紙を貼って、表札の名前を隠す。
2014年03月20日
3月20日の夢(商談)
午後6時に近くの会社にエアコンのカタログを届けに行く約束をしている。まだ5時半だから、楽勝だ。悠々と会社を出たが、考えてみると、相手の会社の名前も担当者の名前も分からない。慌てて戻り、デスクを捜索するが、何も手がかりはない。それでも、確か社名はダイキンだったと思いだす。大きなメーカーと同じ名前だなと思って、覚えていたのだ。もう一度出ようとして、今度は行き先表示板に書きこむのを忘れたことを思い出す。ようやく会社を出たときはもう6時2分前だ。こんなことで、ちゃんと商談ができるのだろうか。
3月18日の夢(泥棒)
ぼくは指揮者で、合唱団の練習をしなくてはいけない。けれども、楽譜を買ったり、いろいろな準備に時間がかかり、ちっとも練習に入れない。
夜中にトイレに起きると、隣の部屋のベッドに凶悪な感じの男が寝ていて、ぼくに声をかけてくる。そういえば、ゆうべからこの男はここにいるのだ。泥棒だろうか。「警察に電話するぞ」とぼくが言うと、男は「そうすればいい」と言う。ちょうど壁に防犯ポスターが貼ってある。ぼくはそれを見て警察の番号をメモして、電話の準備をする。
3月17日の夢(卒業式)
会社にいると、「在校生代表として卒業式に出なさい」と指示される。社員全員が出席するのだと思って、行ってみると、在校生代表として呼ばれたのは少数の男性たちだけだった。そこは新しい社屋で、ぼくたちは出来たばかりの床に座る。総務部長のM氏が「少ししかいないな」と言う。ぼくはうっかり帽子をかぶっていたのに気づき、脱ぐとその下にも帽子があった。その帽子も脱ぐと、さらに帽子があった。野球帽を2つと黄色い学生帽を三重にかぶっていたのだ。総務部長がみんなにバナナを一本ずつ配っている。ぼくも貰いたかったが、ぼくを見ると、彼は回れ右して立ち去り、ぼくだけ貰えない。その場でひとり待機していると、ぼくだけ取り残されてしまう。とっくに卒業式は終わってしまったらしい。
2014年03月19日
3月16日の夢(白と黒の文学史)
この国の詩の文学史をみんなで手分けして書くことになった。この国の詩の歴史は優れた巨匠たちの時代の後に、盗作のはびこる暗い時代がやってくる。それが地層のように、白・黒・白・黒と積み重なっているのだ。ある詩人の盗作問題をテーマにした時評でデビューしたぼくは、当然黒の時代の文学史を書くことになった。だが、書こうとしても、その時代の資料は少なく、十分な文学史を書くことができない。
2014年03月12日
3月12日の夢(低すぎる天井)
トイレに行くと、男性がぼくに金を払えと言う。確かに彼に支払いをする必要があるので、トイレを連れだって出る。そこは大理石で飾られた立派なホテルのロビー。テーブルに向かって座った男性は、椅子の上で足を組み、半分胡坐をかいた格好になる。そうやって領収証を書きながら、彼はこっそりおしっこを始める。その滴がぼくの足にかかったので、本能的にぼくは足をひっこめる。男性は盛んにぷるぷると体を振って、水切りをする。床に小さな水たまりができる。ぼくは急いで1円玉でお釣りを受け取り、その場を逃げ出す。
すると女性が箱を持って現れ、みんなに「ケーキです」と言って、配り出すが、ぼくにはくれない。「あらあら赤飯が凍っちゃった」と言うので、ぼくはその箱の蓋を開けてみる。すると、中には赤飯ではなくモンブランのケーキが入っていて、確かに凍っているらしく、ドライアイスのように湯気を立てている。もう一度トイレに入りなおそうとするが、今したばかりだったことを思い出し、再びロビーに戻ろうとする。なぜかホテルの天井がどんどん下がってきて、腰をかがめないと歩けなくなる。這う這うの体で皆に近づくと、やっと立って歩ける高さに戻った。
2014年03月11日
3月11日の夢(東北の町で)
東北地方の小さな町のホテルに滞在している。そこは本屋でもあるようだ。しかし、ぼくの探している本はそこにはない。この小さな町にももう一軒本屋があり、そこに目指す本があると聞いて、ぼくは外に出る。
細い道路はすべての商店が店を開け、夜店も出て、まるで祭りのように人々がぎっしり散策している。そのほとんどは小さな子供たちだ。殆ど身動きがとれないまま少し進むが、どうやら方向を間違えたらしい。目指す本屋は反対方向の右手の高台に見える。Uターンしてそちらを目指す。
とたんに道路からは人影が消え失せ、真っ暗な夜道を一人の痩せこけた老婆がぼくを追い抜いて走っていく。それは老婆だが、少女のようにも見える。交差する道路に出て、彼女はなおも走りながら人力タクシーを呼ぶ。車に轢かれそうで、はらはらする。人力タクシー(といっても、それを引く人の姿は見えない)が前から、青いライオンが後ろから疾走してきて、老婆をはさんで正面衝突するが、老婆は無事だ。
ぼくは人力タクシーに乗って、本屋を目指す。あいかわらず引く人物は見えず、しかも遠回りしているようだ。ぼくの前後を父親のような男性と、幼女がはさみこんで走っている。ぼく一人が人力タクシーに乗っているのが、気が咎める。しかも、二人がぼくのために料金を払ってくれる。
本屋に着いた。中は図書館のようで、たくさんのベンチにたくさんの少年たちが座って、がやがやと読書したり遊んだりしている。先に入った男性と幼女は「こっちこっち。これがあなたの求めている本よ」と、ぼくを呼ぶ。だが、やはり子供たちがいっぱいで、そこへたどり着くのもやっとだ。おまけに幼女とぼくの間には白い柵のようなものがある。やっとそれを乗り越え、彼女の隣に座って本を開く。薄い絵本である。詩人の金井雄二氏が選考委員となって選んだ受賞作だと書いてあり、選評も載っている。そのことをかたわらの男性に言う。男性は詩人の八木幹夫氏だ。そのとき、男の子がジュークボックスで童謡を再生し始める。それがうるさくて、ぼくはちっとも読書に集中できない。
3月9日の夢(ルームシェア)
単身赴任でアパートに一部屋借りることにした。ところがひょんなことから、2DKの部屋に男二人、女一人がルームシェアすることになってしまった。女性はぼくの知人で、いつもは隣の部屋に引っ込んでいるが、寝るときはぼくの隣の布団で寝る。男性は一段高いベッドか、押し入れの上段のようなところにいる。ぼくが女性にジョークのつもりで、「まるで修学旅行みたいだね」と笑顔で話しかけると、彼女は急に怒り出し、「何言ってんのよ」と顔をそむける。彼女は長い髪をばっさり切り落として、短髪にしてしまった。その髪が畳の上に落ちている。
妻がこの住居を訪ねてきた。彼女はてっきりぼくが一人暮らしをしていると思ったのだが、ルームシェアする仲間がいることを伝えると、「えーっ、私はその人たちに挨拶しなくてはいけないの?」と急に不機嫌になり、庭に座り込んで髪を直し始める。彼女が部屋に入るために入り口のドアを開けると、部屋の中に北風が吹きこんでくる。おまけにぼくらの寝室には、自分たちでは調節できないエアコンがついていて、それが冷房になっているので、ひどく寒い。
2014年03月08日
3月8日の夢(デパート勤務)
ぼくはデパートに勤務しており、今日は休日出勤している。フロアは殆ど消灯され、真っ暗に近い。「トイレはできるだけその階ですませてください。ほかの階へのドアは施錠してあります。釘などで無理やり開けないでください」と館内放送が流れる。見ると、ドアの鍵を実際にがちゃかせちゃと開けようとしている男がいる。
ぼくはこのフロアのトイレに行こうとする。トイレの前は劇場の階段席のようになっている。暗闇の中、階段席の背もたれの上をたどって下まで降りる。だが、一番下の席まで降りても、そこから床までは相当の距離がある。しかたなく、また椅子の背もたれをたどって上までのぼるが、最後の段でぼくの靴が何かに引っかかって、抜けなくなってしまった。じたばたしながら暗闇に目を凝らすと、だんだん目が慣れてきた。今まで無人だと思った階段籍の椅子には、顔の見えない男たちが黙ったまま座っているのが、ぼんやりと見えてくる。このまま足を抜けば、お客さまである男の顔を思いきり靴で蹴ってしまうだろう。ぼくは一体どうしたらいいのだろうか。
2014年03月05日
3月5日の夢(お風呂と用足し)
雑誌の仕事のため、編集部へ出社する。専務がいないなと思ったら、箱いっぱいの野菜を持って帰ってきた。これを今度の号の表紙の写真に使うらしい。社長と打ち合わせをするが、何の特集をするのかよく分からず、聞き返すと、それは他の出版物の話で、雑誌の特集のことではないという。夜の6時過ぎになっても、打ち合わせが終わらない。今夜は遅くなるなと覚悟する。
隣の部屋へ行き、西洋式のバスタブにつかる。すると、浴室へ隣家の母親と小さな男の子が入ってきて、キャッチボールを始めた。浴槽の近くにボールが飛んできたので、ボールを片手でつかみ、男の子に返してあげる。
帰りに、何かの作業場へ寄る。机の上に大きな紙袋が載っている。尿意を催したぼくは、ジッパーを下げ、その紙袋の下に用足しをする。水たまりが紙袋にうまく隠れた。みんなに見つからないうちに、慌てて身じまいを整え、外へ出る。
2014年03月01日
3月1日の夢(レストラン)
仕事が終わり、後輩の男と二人でビルの中にあるレストランに行く。そこは最近、トレンディなお店として知られている。一種のバイキング・レストランなのだが、料理はあたり一面に天井近くまで林立する部品棚のようなところに、ぎっしりと上から下まで並べられている。早速取り皿を取ろうとするが、どの皿も食べ残しがついていて、汚くてとても手に取れない。ようやくきれいな皿を手に取るが、こんなに大量にある料理のどれもおいしそうでなく、お腹がぺこぺこなのに食べる気がしない。ようやく好物のチャーハンを見つけて皿に取るが、食べてみるとやはりおいしくない。
ビートルズのメンバーの内、2人とインタビューすることになる。さぞかし厳重な警備に守られて現れると思ったが、マネージャーを連れてひっそりと一人だけが現れる。全然ポールにもリンゴにも似ておらず、疲れた様子ですぐにソファーに横になってしまう。もう1人はなかなかやってこない。
2014年02月25日
2月24日の夢(ケーキを落とす)
商店街をケーキを選びながらさまよう。どのケーキもおいしそうで、選ぶのが難しい。昔の会社の同僚のSさんが顔を出し、「これを食べなきゃダメですよ」と忠告したりする。ついにケーキを選び、それを床に置いて、レジでお金を払おうとすると、後ろに並んでいた客が「あっ」と叫ぶ。ぼくのケーキが床の溝に落ち、真っ黒なゴミがついてしまったのだ。立派な黒服を着た支配人が「洗って食べれば大丈夫ですよ」と言うが、ぼくは断固として「買い直します」と言い、同じケーキを支配人に持ってこさせる。
今日は一本、取材の仕事が入っていたのを忘れていた。ピアノショップのオープン記念に出演した男性ピアニストにあわててインタビューに行く。しかし、カメラを持って行くのを忘れた。ポケットをかき回すと、古い使い捨てカメラがあった。それでどうにかピアニストの写真は撮れたが、お店の写真を撮り忘れてしまった。
2014年02月23日
2月22日の夢(大学食堂)
大学の授業の休み時間に地下の食堂に降り、テーブルで軽食を食べる。皿の端ににんじんが隠れているので、それをつつき出して食べる。もう授業が始まるらしく、周りにいた女子学生たちの姿もなく、ぼくは食堂でひとりぼっちだ。慌てて出ようとするが、荷物が多すぎて持ちきれない。何度も何かを床に落としてしまう。手をやると、頭には帽子を2つもかぶっている。
2月20日の夢(エスカレーター逆走)
会社の同僚と新幹線で浜松に出張する。ぼくらの周りに若い女の子たちが何人も乗って騒いでいたが、みんなどこかへ行ってしまった。浜松に着き、降りようとして、後ろを振り返る。すると、ぼくらの座っていた席に忘れ物がいっぱいある。「あっ、あの女の子たちのだ」とぼくは言うが、同僚は「そんなの、いいじゃないですか」と取り合わず、さっさと降りてしまう。
ぼくは駅のエスカレーターを先に立って降りる。どうも降りにくいし、エスカレーターも変に白っぽい。よく見ると、それはのぼりのエスカレーターである。だが、ぼくは構わずにそれを下まで降りきる。
駅ビルの出口が大きなこうもり傘のようなものでふさがれている。ぼくはそれを持ちあげて、下をすり抜けようとするが、うまくいかない。立派な身なりをした支配人がぼくを見兼ねて手伝ってくれるが、かえって出られなくなる。よく見ると、その傘を迂回して、みんな左側から外へすいすい出ている。また、ぼくは失敗してしまったらしい。
2月18日の夢(使えないケータイ)
ケータイを2台貰った。だが、1台は壊れていて、全く使えない。もう1台を持って歩いてはみたが、電話以外の機能ばかり沢山ついていて、ケータイとしては役に立たない。スイッチを切り替えると、ラジオのように音楽が鳴ったり、CМを流したりする。
街も随分変わってしまった。大きな床屋があり、ものすごい数の床屋のおじさんがものすごい数の客の髪を切っている。待っている人も店からあふれるほどだ。その店を通り過ぎ、なじみの別の店を探すが、つぶれてしまったのか見当たらない。
通りではビルを倒す作業が行われている。ところが間違えて、倒さなくてはいいビルを倒してしまった。しかたがないから、もう一度建て直すという。
近くに橋があり、それは外国の有名な橋を真似たものらしい。ぼくの隣に老人がいて、しきりにぼくに「本当にその橋に似ているのか」と詰め寄ってくる。ぼくはその橋の写真を探すが、橋の全体が写ったものは1枚も見つからない。
2014年02月18日
2月17日の夢(コンクール)
ぼくはあるクリエイティブスタジオに勤めている。社員全員であるコンクールに出す作品をそれぞれ制作することになった。みんな悠然と作っているように見えたので、ぼくものんびりとやっていると、いつのまにか彼らの作品はどんどん完成している。ぼくはアーティストとしては殆ど素人だし、とてもセンスの良いものは作れそうにない。それにある程度できたと思う作品は、なぜかどこかへ消えてしまい、何日経っても完成しない。それでも先輩が「なかなかいいじゃないか」とほめてくれるのに、少し自信が出てきた。先輩たちの中には作品を既に映像に取り込み、試写をしている人もいる。ぼくだけがいつまでも一人、へたくそなコラージュ作品に取り組み続ける。
2月16日の夢(戦争の終わり)
ようやく戦争が終わり、あるホールのオープニング式典に出席している。ここの出演者たちは欠席が多いのが問題だ。その女性も休みが多いので、今日も欠勤と思っていたら、遅刻して登場した。しかし、彼女が使っている芸名は本来彼女のものではなく、彼女が演奏する何やら大きな楽器の名前のはずである。ぼくは「そんな芸名はだめだ」と抗議するが、彼女は構わず歌を披露すると言う。しかたなく、ぼくは客席からギターを持って登壇し、伴奏を買って出る。といって、めちゃくちゃな即興演奏をしているだけだ。彼女がぼくに何かを尋ねた。ぼくはてっきり、そのめちゃくちゃな演奏のことで文句を言われたのだと思い、「ただめちゃくちゃに鳴らしているだけだよ」と答える。彼女は「違うのよ。あなたの誕生日はいつ? 私は1月16日。中村さんの誕生日と同じよ」と言う。ぼくはその中村という人に嫉妬して「知らないよ」と、すねる。
2月14日の夢(偲ぶ会)
誰かを偲ぶ会に出席しているが、途中で退席しようとすると、出口近くに先輩詩人のK氏が座っていた。厳粛な席なのに、つい大きな声で会話をしてしまう。挨拶して、出口のドアを開こうとすると、ドアは1枚のベニヤ板に過ぎず、外れてしまった。ぼくを送りに来た二人の女性に「これから築地で行われる本葬の方に行ってきます」と言う。
2014年02月12日
2月12日の夢(館長室)
詩の研究会の講師の同僚であるA氏と二人、日差しが明るく差し込む、どこかの館長室のソファーに座っている。A氏は一身上のことで館長に相談があるらしいのだが、館長は乗り気ではない。ぼくはA氏に、「ぼくが一緒に行ってあげてもいいですから」と言って、励ます。
2月11日の夢(講師席)
今日からちょうど1年前に、ぼくはある詩のコンクールで優勝したのだった。そのとき、優勝盾を貰ったのだが、もうひとつ貰い忘れたものがあり、それを受け取りにいく。
行ってみると、そのほかに野菜やいろんな貰い物があり、持って帰るのが大変だ。ネギの泥をはたきながら、なんとかして全部を袋に押し込めようと苦闘する。そのうち、野菜とそれ以外のものを分けて、2つの袋に入れれば簡単なことに気づく。
詩の研究会に早く着いて、真ん中あたりの席に座っている。話し声が聞こえるので、後ろを振り返ると若い女性の研究生が二人話している。1人が「清水哲男さんに講評してもらえるんじゃないのか。がっかり」とぼやいている。ぼくが講師だと気づかないのだ。やっぱり黒板の前の、みんなに向き合う席に座らないと、講師らしくないかなと考える。
2014年02月08日
2月8日の夢(見えない手)
ぼくの住んでいるマンションに女友達が引っ越してきた。
昼寝をしていると、布団の中に誰のものでもない、見えない手がいくつもあることに気づく。ぼくの体のあちこちをそれが触ったり、くすぐったりする。つかもうとすると、その手をつかむことができる。だが、それはすぐに場所を変え、布団の中のあちこちに現れる。目をあけて、布団をめくり、正体を確かめてやろうとするが、いくら力をこめても体が動かないので、それを見ることができない。2つの見えない手がだんだん首の近くに迫ってきた。このままでは首を絞められてしまうのではないかと、必死に抗う。
2014年02月06日
2月6日の夢(2人の女性)
会社で働いていると、突然何者かに拉致されてしまった。そこはお屋敷の前の路上で、お屋敷には老婦人とその秘書らしい若い女性が住んでいる。ぼくは二人に沢山の書状の束にサインをさせられる。ぼくがこれまで書いてきた帯文や跋文に対する支払いの領収証らしい。お金を貰えるなら悪い気はしない。目の前の公園では何人かの男たちが掃除をさせられている。
署名を終えて、男たちと屋敷に入ると、中では宴会が開かれている。空腹なので沢山食べたいのだが、一椀一汁しかもらえない。全員に写真の束が配られる。他の男たちはそれぞれ自分の仕事を記録した写真を沢山貰っている。だが、ぼくはここで仕事をするのは初めてなので、他人の写真を何枚か貰っただけだ。
昼間からここにいて、もう夜だが、2人の女性はまだぼくを帰してくれない。会社も忙しいのに、困ったなと思う。若い方の女性が「これからも京都出張があるの?」と尋ねる。ぼくは「いや、ないと思いますよ」と答える。
2014年02月01日
2月1日の夢(編集会議)
詩誌「黄金時代」の編集会議が始まるまで、まだ随分と間がある。のんびり出先で待っていると、いつのまにか居眠りをしたのだろう。時計は定刻の6時まであと10分を指している。会場はすぐ近くなのだが、タクシーを飛ばそうと思う。外に出ると、そこは岡のてっぺんで、四方はすべて下りの坂道だ。タクシーは何台も坂道を登ってくるが、すべて実車である。遠くから空車が走ってくるのを見て、駆け寄ると、ぼくの見間違いでそれは車ではなく人なのだった。
なんとかタクシーをつかまえたらしく、ぼくは編集会議に出席している。メンバーは編集委員のOさんと印刷所兼出版社S堂の女性社長Cさんとぼくである。今回の特集はO氏の企画らしく、童話が掲載されている。ぼくはその校正を届けに、印刷を頼んでいるS堂に歩いて向かう。原稿料がわりに抱えていた切手を、ぼくはうっかり道路にすべてぶちまけてしまい、拾い直す。S堂に着くと、こちらにもCさんがいた。編集会議に戻ると、やはりCさんがいる。しかし、若々しくて痩せているから、こちらはきっとCさんの娘さんなのだろう。「切手は要らないと言われました。だから、この切手はすべてあなたの会社のものです」と、ぼくは同席していたD社のT専務に言う。
2014年01月31日
1月31日の夢(服脱ぎ体操)
大きなホールで集会が開かれている。全員起立し、体操をすることになる。壇上から男性の指導者が声をかける。「服を脱いでー!」 男も女も全員当たり前のように上半身服を脱いで下着姿になるが、1人の女性だけが「ええっ、ええっ、どうしよう?! 恥ずかしい!」と脱がないでいる。別の女性が彼女を振り返り、自分の背中を指さして「骨格!」と言う。
2014年01月30日
1月30日の夢(宇宙の財宝)
ここは宇宙基地の中。正体不明の組織が命知らずの若者たちを勧誘し、宇宙の財宝を盗んだ。ぼくも勧誘された仲間の一人だ。
その拠点となっている部屋にぼくを含め、3人の男と一人の女がいる。いや、正確に言えば女は実は人間ではなく、ロボットである。ほかに熊と鳥がペットとして飼われている。ぼくともう一人の男は一仕事しに出かける。後に残った男は金盥のようなものに毒を溶かして、しきりにかき混ぜている。
ぼくと男が部屋に戻ると、部屋はしんとして誰もいない。入り口のそばに布のおおいのかけられた場所がある。布の一部をはぐと、ペットの熊と鳥が死んでいる。さらにはぐと、毒をかき混ぜていた男も死んでいる。彼はそれが毒だと知らなかったので。
ぼくと男はすぐにここを撤収しないと、敵に攻撃されると思う。盗んだ財宝を持ち出さなければならない。しかし、それはどこにあるのだろう? 男が地下からそれを持ってくる。残されたメンバー3人で分担してそれを運び出す。しかし、どう見てもそれらは財宝には見えない。ガラクタのパーツのようだ。これはいなくなった女ロボットが解体された姿ではないのだろうか。
外に宇宙船が着陸する音がする。ぼくはそれを男に指さし、「あれで逃げる」と言う。3人は宇宙船に向かい、走り出すが、あらかた地面に落としてしまう。それでもいくつかの財宝は無事本部に届けることができた。
本部ではぼくらを迎え、円卓の周りにぼくらを座らせ、財宝奪取成功の祝賀パーティーが開かれる。ボスが「さあ、これを飲みなさい。この砂糖のようなものを振りかけるとおいしいよ」と言う。飲み干して、顔を上げると、さっきの男だけが死んでいる。言われるままに砂糖のようなものを溶かせて飲んだのだ。だが、ぼくはそれがさっきの毒であることを知っていたので、飲まなかった。
それを見て、本部のスタッフの緊張がゆるみ、みんなが笑顔を見せる。実はこの組織は宇宙に一番大切なものを取り戻すためのチームで、その活動に耐えられる者をこうやって選抜していたのだ。だが、殆どの者はさっきの男のように、自分の欲に目がくらんでしまう。ぼくはその選抜試験のすべてに合格したのだ。さあ、また新しい仲間を探しにいかなければならない。
女性スタッフの1人が「さあ、これから私の手作りの笛を吹く練習をしよう」と言って、ぼくらを外に連れ出す。外には雪が降っている。笛は指で開閉する穴が沢山あいているが、やわらかくて、まるで餡ドーナツのように見える。女性は「練習は5時からです」と言う。それまで待たなくてはいけない。「その間、打ちあわせに行ってくるね」と言って、ぼく以外はいなくなってしまう。2つの笛を持ったぼくと女性だけがそこに残される。
1月29日の夢(タレント)
ぼくの事務所に所属するタレントが今度引っ越しをするという。事務所のオフィスには横に何列ものデスクが一直線に並んでいる。ぼくのデスクの隣は女性社長のTさんだ。ぼくはTさんにタレントのことで質問を2つする。しかしTさんが答えないので、ぼくはしかたなく「社長、電話ですよ」と言う。後ろの列のデスクに彼女宛の電話がかかってきたのだ。
1月26日の夢(3月15日の夢)
夢の中で、次のような日記を書いた。
3月15日。寒い。知人が「下北沢に住んで、毎月一度視力回復手術を受けることになった」と言う。「体を寒い風が吹き過ぎていく」とも言う。
2014年01月24日
1月23日の夢(バレンタインデー)
バスに乗って帰宅を急いでいるが、行列が通りを埋め尽くしていてちっとも進めず、遅くなってしまう。今日はバレンタインデーなので、花を買おうという人々が町中にあふれているのだ。
ぼくはまだ少年で、仲間とバスに乗って、旅行に行く。降りると豪雨のため、道はどろどろで、雨の中をさまよううち、ズボンが泥だらけになってしまう。翌日、ズボンは乾いたものの、はたくとものすごす土ぼこりが上がる。みんなから「汚い」といって、いじめられる。
1月22日の夢(詩と夫婦2014)
Cという詩誌の企画書を他の人のデスクを借りて書く。表紙に「詩と夫婦2014」と書くと、「みんながいいタイトルだね」と言う。ぼくは「いや、これは第1章のタイトルで、第2章は『詩と家族』。全体は家族をテーマにするんだ」と答える。そこへ本来の机の持ち主が帰ってきたので、ぼくはデスクに置きっぱなしにしていた資料を取り、「これで全部だよね」と確認する。
お菓子の企画書を作る。「望郷の詩」という名前の和菓子だ。
2014年01月18日
1月18日の夢(新幹線で外国旅行)
ライバル出版社のS社から、ある女性著者の原稿をまるごと一冊リライトするようにと、メール便が届いた。冊子状にされた原稿をぱらぱら見るが、殆ど書いてある意味が分からない。S社の編集部へ行き、空いているデスクを借りて、原稿を読みこむ。午前中のせいで社員はほとんど出勤前で、オフィスはがらんとしている。
午後になって社員がどんどん出勤してくる。ぼくの借りたデスクの周りでうろうろしている若い男性社員に、「あっ、ここはあなたの席でしたか」と声をかけて謝り、席を立って床に座って、さらに原稿を読み続ける。
ふと顔を上げると、O会長もやってきて、社員総会が始まっている。部屋には立錐の余地もなく社員が詰めかけている。S社にこんなに沢山の社員がいたっけ? 集会が終わり、みんなぞろぞろと帰り支度を始める。ぼくも一緒に外へ出て、電車に乗るが、気づくとそれは新幹線で静岡の掛川あたりを疾走している。どうも社員旅行らしい。これでは家に帰れないと、慌てて列車を降りる。すると、そこは南米のどこかの国である。いるのは外国人ばかり。建物の駐車場ゲートから次々と車が出てきて、空のタクシーもまじっている。警官が「ここでタクシーを拾わなければ、他では拾えないよ」と声をかけてくるが、なんとなくそこでタクシーを止めるのは気がとがめ、街路に出て空車を拾おうとする。しかし、警官の言う通り、そこには空のタクシーなど走っていない。ぼくはどうやって家に帰ればよいのだろう?
2014年01月15日
1月15日の夢(大きなパンツ)
朝早くデパートへ妻と買い物に行く。妻は入り口を入りながら「熱が高いの」と言う。「大丈夫?」と尋ねると、「下がるから」という返事だ。角を曲がるとき、彼女の持っていた2つの手提げから沢山の小物が落ちて、床に散らばる。ぼくは慌てて拾い集める。そのため後ろの人たちが足止めされて、通路が渋滞してしまう。
店員に妻は「大きなパンツが欲しい」と言う。店員は「それならエレベーター係の男が持っている」と答える。エレベーターは古い時代もので、その中に椅子を置いて、男が一人腰かけている。彼に「大きなパンツが欲しい」と言う。男は「売れない」と答えるが、妻は強引に彼の持つ大きなパンツを取ろうとする。ぼくは慌てて男に1,000円札を渡すが、男は「いいですよ」と言って、それをぼくに返し、逆にいろいろな物をぼくにプレゼントしてくれる。
2014年01月13日
1月13日の夢(南洋の島で)
日本が占領をしていた南洋の島で、ぼくは2階建ての建物に暮らしている。いくつもの部屋があり、それぞれの部屋に数人の外国人の捕虜と、ぼくたち日本人が生活する。もちろん、ぼくらが監督役で、捕虜たちはぼくらに従わなければならない。この捕虜収容所には特殊なルールがあり、1日ごとに一階と二階の住人が交替することになっている。窓の外には美しい海が広がっている。
ところが敗戦の日がやってきて、建物の中に暮らしている住人は同じなのに、今度はぼくたちが捕虜で外国人が監督役になった。立場は入れ替わったものの、部屋割りは変わらない。しかし、1人2人と住人たちは姿を消していく。帰国したのか、それとも処刑されたのか。
ある日、一階からぼくを呼ぶ、詩人のN氏(故人)の声がした。しかし、ぼくは降りて行かない。翌日、下へ降りてみると、もうN氏の姿はなかった。誰も行方を知らないと言う。ぼくは昨日降りて行かなかったことを悔やみ、二階で泣く。
それから何年かが過ぎ、再びぼくはその地を再訪した。もうそこには美しい海もなく、住人たちもいない。周りの風景はすっかり変貌している。ぼくは大声を上げて、涙を流す。
1月12日の夢(地下室トイレ)
軽井沢のお屋敷を訪ねたが、主は不在だった。待つことにして、読書を始める。ところが、あまりに本が面白くて時の経つのを忘れ、気がつくと帰りの列車の時間の6時半が迫っている。しかたなく辞去しようと思うが、その前にトイレを借りる。
トイレの部屋はバスタブがあるのに、便器が見当たらない。当惑してきょろきょろすると、地下へ降りる穴があいていた。階段を降りると、地下の坂道になっている。そのところどころに、用を足しても大丈夫に見える窪地がある。そこで用を足していると、下から3人の人相の悪い男がやってくる。隠れて用を足し続けるが、彼らにかかってしまったらどうしようと、気が気でない。
2014年01月11日
1月11日の夢(皿のないバイキング)
昼食をとりに遅い時間に食堂へ行く。階段教室のような広いホールにバイキング料理が並んでいる。一番低い場所に取り皿があるが、もう一枚しか残っていない。しかも、取り上げてみると、汚れていて、とても使えそうにない。料理も殆ど食べつくされていて、あまり残っていない。しかし、空腹なので、ケーキを三個ほど片手に載せ、歩きながら食べる。壁の時計を見ると、もう三時半だ。食べていたお客たちが一斉に立ち上がる。しかし、まだまだ空腹のぼくはまた取り皿を探しに行くが、やはり一枚もない。さらにケーキを二つ取って、食べながら歩く。
クライアントのところへ打ち合わせに出張する。しかし、制作予定のマニュアルをもう既に納品したのか、どこまで仕事が完了したのか、なぜか記憶が曖昧だ。クライアントに尋ねてみるが、相手もよく分からず、隣の同僚に「あれは、もうできたんだっけ」と尋ねる。同僚もやはり分からない。しかたなく会社に戻り、担当者の女性に「あれはもうできたのか」と尋ねるが、「わからない」と言う。誰に聞いてもわからない。ぼくは認知症になってしまったのだろうか。
ぼくの会社には実験用の大きなクマが飼われている。ぼくにとても馴れていて、ぼくに抱きつき、顔をぺろぺろなめて、じゃれてくる。ぼくから離れ、今度は上司の男性に抱きつく。上司は熊の下敷きになり、どこか怪我をしたようだ。それがきっかけで、クマは会社を解雇されてしまった。
2014年01月10日
1月10日の夢(暗闇の階段)
会社で絵本の制作を命じられる。それも旧友の鈴木翁二の真似をして、彼のとそっくりの絵本を造るようにという指示だ。だが、そんな面倒くさい仕事は後回しにして、もっと簡単な仕事から始めようと思う。いずれにしても参考書が必要だ。それを自分の机の上ではなく、隣のN氏の机の上から探す。
三階から一階へ降りようとして、階段を使う。ところが階段の二階部分は真っ暗で、おまけにフロア全体が大きな階段になっている。そこに沢山のカメラマンがいて、その機材が足元に沢山置かれている。暗闇の中でそれを踏んだりせずに、階段を降りるのが、とても大変だ。
2014年01月06日
1月6日の夢(絶体絶命)
ぼくの家のベランダに猫などの沢山の動物がいつのまにか集まっている。一番左にいる大型の動物はネコ科ではあるが、どう見ても本物の虎である。しかも大型の虎だ。その虎に隣にいる猫がじゃれつくが、虎は無視しておとなしく座っている。ぼくは猫に「ダメだよ」と言い、虎を刺激しないよう、窓を静かに閉め切る。
巨大なエレベーターに乗る。間口が広くて、扉がいくつもついている。しかし、乗ろうとすると、ぼくだけ一人乗りきれずに満員になり、取り残されてしまう。次のエレベーターに乗る。エレベーターは壁が総ガラスなので、展望が素晴らしい。ところがたどりついた部屋の隅に、ぼくは二人の男に追いつめられてしまう。二人の男の手にはナイフがぼくの心臓を狙っている。だが、そのナイフは長方形で、お菓子のウエハースのようにも見える。
2014年01月05日
1月5日の夢(会社でテスト)
会社で突如、社員の知力を試すテストが行われることになった。一つ目のテストは男女二人でペアになり、渡された台本に従って即興でお芝居をする。これは相手との息もぴったりで、無事にパス。
次の会場へ移ろうとすると、隣接する空港で爆発事故が発生。真っ赤な火の玉が上る中、皆走って逃げる。
次のテストは、全く架空の都市に攻めてくる敵に対して、どう守るかのシミュレーションをするというものだ。地図を渡され、試験官から説明を受けるが、地図の地名などに何か象徴や寓意が含まれている可能性があり、必死で考えなくてはいけない。ぼくのパートナーの女性を目で探す。どうやらみんなから離れて、壁際でぽつんと立っている赤い服の女性がそうらしい。時々近くに寄ってきたりするが、なにげないふうを装っている。本当に彼女なのだろうか。社員たちは大きなテーブルの周りに集まって、互いに情報を交換し合って謎を解こうとしている。ぼくは彼らの仲間には入らず、こちらの端に座り、たった一人でこのテストに立ち向かおうとする。テストが実施されるのは、週末の連休明けであるらしい。
2014年01月04日
1月4日の夢(別所さんのインタビュー)
S誌の編集部で、女性タレントのインタビューをした後、俳優の別所哲也さんをインタビューする。終わって、憧れの別所さんと一緒に帰りたいと思うが、前の女性をインタビューした部屋にUSBメモリーやその他の機材を忘れてきたことに気づき、慌てて取りに戻る。さらに別の部屋に行くと、そこはメイクアップルームで鏡の前に二人の女性が座って、お化粧を直している。顔は鏡でしか見えないが、1人は有名な女優さんで、右がさっきのタレントだ。そこで即席にインタビューの続きを始めるが、なぜか左右の女性を取り違えて話しかけ、注意されてしまう。しかも、レコーダーを回すのを忘れていて、「ちょっと待ってね」と取りに戻る。
そんなごたごたが終わり、別所さんと一緒に帰ろうと、自分も服を着替える。ところがズボンとズボン下とに足がうまく入らず、時間がかかってしまう。でも、外から玄関に別所さんが首を出して、ぼくを待っていてくれるのが見えた。大喜びで玄関に降りる。そこは学校の靴脱ぎ場のように一面に簀子が並べられていて、周囲に沢山の靴がある。なのに、ぼくの靴だけがない。専務が出てきて、探してくれるが、やはり見つからないので、別の靴を貸してもらう。専務が出してきたのは緑の笹の葉で編んだ靴だった。それを履いて、大急ぎで外に飛び出す。しかし、さすがにもう別所さんは待っていてはくれなかった。しかも、駆けだすと数歩で緑の靴は解体してしまった。だが、不思議なことにその下にぼくは黒い布製の靴を履いていたのだった。
がっかりして地下道のようなトンネルを歩く。すると曲がり角から別所さんが連れの男と現れて、ぼくのすぐそばをすれ違う。ぼくは声をかけようかどうしようかと迷うが、結局声をかけそびれ、別所さんの姿は見えなくなってしまう。
2014年01月03日
1月3日の夢(雨漏りするビル)
会社が新しいビルに引っ越した。ぼくはそのビルの階段を、カバンとギターケースともう一つ小さなバッグ、それに傘を持って上って行く。そんなに荷物を小分けして持っているのは、その方が忙しそうに見えるからで、本当はたいした仕事なんてないのだ。階段は天井から激しい雨漏りがして、床は水たまりでいっぱいだ。見た目は立派なビルだが、こんなに雨漏りがひどいのは不動産屋にだまされたからだろう。2階にタイムカードと、社員のためのロッカールームがある。ぼくはそこで大荷物をどう置いたらいいか戸惑う。それにしても、このビルは階段の感じとか、以前の社屋とあまりにもそっくりだ。でも、ここが今日から通う新しい社屋なのに。
2014年01月02日
1月2日の夢(坂の上の川)
残業をして、深夜の街を歩いている。神宮前の交差点で、同僚のコピーライターが携帯で「これから打ち合わせに行き、1時過ぎに会社に戻ってまた直しを入れる」と電話している。ぼくはそのまま直進して、坂を登る。坂のてっぺんに立つと、その向こうは多摩川だ。水面が星明りにきらきらと光っている。回れ右をして、戻ろうとすると、坂が殆ど崖のような急斜面になっている。おまけに両側の家が左右に迫っていて、壁がなくなり、勉強している受験生など住人の姿がむきだしになっている。ぼくは墜落しそうな急こう配を両側の家に迷惑をかけることなく、なんとか降りることができた。麓で左折し、月明かりの広場を駆けていく。
会社に戻ると、上司の小太りの男がホモ・セクシュアルらしく、ぼくに関係を迫ってくる。ぼくは身の危険を感じて、逃げ出すのをやめ、相手のペニスをズボンから引き出す。巨大な四角いはんぺんのようなペニスをぼくは愛撫する。相手は歓び、何度もねばねばした液体がぼくの指につく。
オフィスはガラスの壁でいくつもの小部屋に仕切られていて、それを通り抜けないと次の部屋にいけない。ホモの上司が自分の部屋で出かけるための身支度を始めたので、隣の一番奥の部屋に入ったぼくはそこから出られなくなってしまった。その部屋にいた同僚たちもプレゼンに出かけたいのだが、「あいつのせいで、いつも出られなくなるんだよな」とぶつぶつ言いながら、彼の支度の終わるのを待つ。その間にプレゼン資料の検討をしているので、それを覗く。宮崎駿の初期のイラストが沢山入っていて、とてもきれいな資料だ。
ぼくは会社でみんなが忙しそうに仕事をしているオフィスで、1人だけひのデスクの上で寝ている。しかし、不眠症になってしまって眠れない。そこへ二人の知らない女性がやってきて、「すみませんが問い合わせをしたいので、電話を貸してください」と同僚たちに頼みこむ。ドアを開けたままの隣室から、先輩の経理の女性が顔を出す。ぼくに「そいつらの言っていることが本当かどうか、会話を盗み聞きしてチェックしろ」と言うのだ。もとより、ぼくもそのつもりだ。デスクの上をごろごろと転がって、聞き耳を立てるが、特に怪しい様子はない。しかし、ぼくの不眠症は深刻だ。
2014年01月01日
1月1日の夢(宇宙のリンゴ)
人間は深宇宙にまで進出、一人の研究者が実験的に宇宙でリンゴを栽培している。食糧増産につながるはずだという。ご飯にリンゴを混ぜて、炊き込みご飯にする。ご飯は五穀米のような感じで、リンゴの入っている部分はジャリジャリして、なんだかゴミっぽい。
2013年12月30日
12月30日の夢(戦い)
ビルの中で、ぼくらは10人程度のグループで敵と戦い、勝利した。指揮をとるのは編集者のFさんだ。戦いが終わって、バスに乗ると、作家のR夫妻の姿がない。あんなに勇敢に戦い、敵をやっつけたのに。「いくら戦いだからといって、敵をピストルで射殺した人とは、一緒にいられない」とFさんが言う。
女友達と電車に乗って、一緒に詩を書く。お互いの作品を見せ合うと、「はるか遠くの……」というワンフレーズが二人で偶然一致している。二人で喜んでいると、電車がちっとも動かない。車掌が指令室に「前方に10人のホームレスがいて、発車できません」と報告しているのが聞こえる。
2013年12月29日
12月29日の夢(新幹線乗り違え)
長老女性詩人のKさんと、男性社員と三人で浜松へ企画書を持って出張する。新幹線でお弁当を食べ、そろそろ着く頃だと窓の外を見る。なんだか風景が違う。改めて車内を見回すと「北陸新幹線」と書いてある。もうすぐ加賀温泉駅だ。
2013年12月28日
12月28日の夢(車掌の講演)
中央線の快速電車に乗ると、出入口付近の椅子が取り払われていた。そこに車掌が立ち、車内サービスとして講演をしている。話の内容は、いろいろな人の「おはよう」の挨拶をテープにとって、車内放送で流しているが、その録音が大変だという苦労話。大半は車掌の詰め所で録るのだが、日によっては数が集まらないことがある。その場合はテープの両端をカットすると、全体のボリュームがアップするのだそうだ。しかし、車掌の講演なんて退屈だからと、椅子の下の床で寝ているご婦人もいる。そろそろ新宿駅が近づいたので、車掌も持ち場に戻り、乗客たちは一斉に降り支度を始める。はて、ぼくはどこの駅で降りるんだっけ。確か新しい会社が御茶ノ水駅の後ろの改札を出たところにあるはずだと思いだす。
30年以上前にもらったH氏賞の記念品は黄金の置時計である。これを手に抱えて持ち歩いているうちに、地面に落っことしそうになり、思わず「おおっ」と声を上げてしまう。周りにいた女性たちが「それを落っことしたら、2度ともらえませんよ」と笑う。それもそうだなと、大事に地面に下ろす。
2013年12月27日
12月25日の夢(残業)
夜遅く残業している。年下の役員のMくんがやってきて、「クライアントの財団の新しい担当者が、メカにはどんなものがあるか知りたがっているので、会社の中にある雑誌をしらみつぶしに調べて、メカの絵を探すように」という指示を出した。早く退社したいのに、これではまた徹夜残業だ。しかたなく、棚のあちこちにある古雑誌の束を見つけてはページをめくるが、そんな絵は見つからない。しかも、Mくん自身は同僚たちの「えっ、帰るんですか」という抗議の声を振り切って、退社してしまった。困惑していると、数時間後にまた戻ってきたMくんは「ほら、こういうのだよ」と、勝ち誇ったように、どこかの雑誌から破り取ってきたイラストをぼくらに見せる。
2013年12月23日
12月23日の夢(要塞渋谷駅)
今日は今年最後の出社日だ。仕事もないので、早く家に帰りたい。けれども社長がやってきて、社員を全員いったん社屋の外に追い出す。出てみると、そこは岡のてっぺんにある渋谷駅だ。渋谷駅は要塞のような造りなので、敵に責められても万全だなと思う。反対側にはなみなみと水をたたえた多摩川が流れているので、裏から攻められる心配もない。けれど、南側だけはなだらかな斜面で、白い無人の道がどこまでも続いている。こちら側だけは防御を固める必要がありそうだ。
社内に戻ると、皆は忙しく働いているが、ぼくは何もすることがないので本を読んでいる。すると専務がやってきて、「わが社は来春新しいビルに移転します。ついては今夜引っ越しをするので、あなたも時間があれば自分のデスクだけでも、向こうに運んでおいてください」と、引っ越し先の地図を渡す。やれやれ、今夜も帰れないのかと思う。
布団の中でごそごそしている。周りを豪華な和服に身を包んだ吉永小百合がうろうろしている。
2013年12月22日
12月22日の夢(死を運ぶ蝶)
未来の地球。各都市は宇宙から侵入する敵に対抗するため、堅固な防壁に囲まれており、秘密のゲートを通してしか出入りできない。ぼくの隣にいた少し頭の薄くなったリーダーが突然言う。「何かが入ろうとしてゲートのところに来ている。入れてやろう。内扉をすり抜けて、中に入ろうとさせなければいいんだ」。ぼくはリーダーの男の後について、ゲートへと向かう。驚いたことに、ぼくの家の風呂場の裏口が、ゲートだった。そこを開けると、一羽の蝶がするりと入ってきた。ぼくは慌てて、屋内に通じる内扉を閉めようとするが、蝶はいつのまにかそれをすり抜けて入ってしまった。これは致死量の毒を持つ蝶に違いない。取り返しのつかないことをしてしまったと思う。
T社長らが全社をあげて、夜の駅のホームでリンゴを売りさばいているので、気が進まないが手伝いに行く。専務はぼくにその様子を絵に描き、エクセルで売上表を作るように言う。「ぼくは絵は下手です。エクセルも使いこなせません」とぼくは言って、さっさと帰ろうとする。だが専務は高圧的に「何を言っとらっせるんですか。エクセルなんか誰にでも使えるじゃないですか」と言う。社員たちも黙々と仕事をしながら、冷たい目でぼくを見る。今日は徹夜の作業になりそうだと観念する。
2013年12月17日
12月17日の夢(日本語でしゃべる猫)
ぼくは学校の生徒で、男子全員で入浴。下着をつけないまま、お風呂場の外に行く。しかし、帰ってみるた、もう女子の入浴が始まっており、外にいた男子は下着を取りに入れないと、教師に言われてしまう。しかたなく、下着をつけないまま、上着とズボンをつけて待つことにする。
時間つぶしに運河を回る観光船に、他の男子たちと乗る。途中、案内ガイドが「ここは昔駅でしたが、今は水没しています」と言う。なるほど水の中にホームと建造物らしきものが見える。そのとき、対岸から大きな波が押し寄せてくる。なんだか猫の形をしている。甲板にいるぼくの足元で、波は大小2匹の猫に変わる。小さな猫が言葉を発したように思い、一瞬錯覚かと思うが、やはり女の子の声で「私を抱いて」と言っている。そして「こっちの大きい猫はお兄ちゃんよ」と言う。大猫はなんだかぼくを威嚇するように見ている。「お兄ちゃんが怖いの?」という猫をぼくは抱き上げてみる。
2013年12月16日
12月16日の夢(人形祭)
会社の残業で遅くなったのに、短歌会のメンバーがこれから合同で研究会をやりたいという。講堂には沢山の椅子が並べられ、短歌会のメンバーが腰かけている。真ん中には相棒の講師のA氏もいる。しかし、司会は短歌会のメンバーらしい知らない男だ。マイクの前には立っているものの、ちっとも始めようとしないのにイライラする。なんだか外がうるさい。「人形祭だ」と言って、メンバーは一斉に窓に集まり、行列を眺めている。そんなものいいから、早く研究会を始めようよと思う。やっと最初の作品の発表がだらだらと始まったが、ちっとも良い作品ではない。それに、ぼくの手持ちの資料が部屋のあちこちに散らばってしまい、それを拾い集めるのが大変だ。時計を見ると、もう夜の11時過ぎなのに、まだ一つ目の作品が終わらない。徹夜でやる気なのだろう。「今夜は帰れない」と自宅に電話しなくてはと思う。
2013年12月11日
12月11日の夢(南洋の農園)
ぼくは南洋の国で広大な農園を経営している。農園といっても畑ではなく、ヤシやバナナのような高木から果実を収穫する農園だ。何かの事情でぼくはそこをしばらく離れていたが、再び戻ってきて、自分でテーブルに登り手を伸ばして収穫しようとする。ところが倒れそうになり、テーブルごと床をすべって別の家具にぶつかって止まった。ああ、怖かった。外に出て、現地のスタッフたちに「もうぼくは高齢になり、はしごを登れない」と告げる。皆尻込みするが、ぼくが「かわりにやってくれたら二倍のお金を出す」と言うと、顔の色の黒い男がすっと立って、農園へ入って行った。ぼくはほっと安心して、彼の支援をするためにその後を追って農園へ入る。
2013年12月10日
12月10日の夢(パーティー・スピーチ)
会社のパーティーでスピーチに指名される。なぜか全員三列に並んでいる中で、その列の外側にいる主賓の女性について、ぼくは話し始める。だが、今は作家になったRさんの想い出話から語り始めとしまい、これはその女性と関係ないので、「皆さんはLМというジャンルをご存じでしょうか」と、ポピュラー系の楽器のコピーライターの男性の話に、話題を転じる。だが、これも女性とは全く関係がない。本当はその女性の旦那について語らなければいけないのだが、どうしてもその人の話にたどりつくことができない。
2013年12月08日
12月8日の夢(狛江ターミナル)
バスに乗っている。これから狛江ターミナルに行くのだ。そこから全国に向かって八本の鉄道線路が延びている。しかし、暢気にバスの案内放送を聞き流していた。バスの車窓から見える風景は本当に狛江に向かっているのだろうか。
図書館で自分が書いた民俗学研究全集を探している。その書架へ行きたいのだが、子供たちが遊んでいて、たどりつけない。するとT社長がその本とミカンを手に持って近づいてくる。そして、ぼくに本ではなく、ミカンの方を勧める。ぼくは「ぼくの本はこの図書館では資料として認められなかったのです。それで、それに代わる本を探したいのですが、ぼくの本もあったのですね。どこの書架にあったのですか」と尋ねる。しかし、社長の答は曖昧で、ぼくの本がどこの書架にあるのか、分からない。ぼくはその本を裁判の証拠として使いたいのだ。
2013年12月05日
12月5日の夢(美空ひばりと戦う)
トイレのドアをあける。とてもきれいだ。中から女性が出てきた。まずい。ここは女子トイレだ。
男子トイレのドアをあける。まるで体育館のように広い。床にいくつかの不定形の水を吸う大きなスポンジが置いてある。大人や子供がそれに向かっておしっこをしている。既に入り口に行列ができている。やっとぼくの順番が来て、おしっこをし始める。すると、いたずらっ子が来て、ぼくのしているスポンジを動かす。慌てて、ぼくもスポンジと一緒に動きながら、おしっこを続ける。スポンジにしみこんでいたおしっこが逆流してぼくの足元に流れてくる。あまりに汚いので、他の男性が子供を叱りつける。
美空ひばりと戦っている。ひばりはまるで女忍者さながらだ。彼女が窓の向こうから割りばしの束で攻撃してきたので、ぼくはその割り箸を奪い、彼女の胸を突き刺して殺してしまう。
2013年12月03日
12月3日の夢(恥ずかしい診察)
医者に「右ひざの関節を曲げると痛いんです。でも少し関節を後ろに押し込んで曲げると痛くないんです」と懸命に説明するが、納得してくれない。ズボンを脱いで、患部を診てもらう。しかし、パンツはずり落ちて、しかも汚い染みや精液の痕みたいなものがいっぱい付いているし、パンツの中にはチリ紙がいっぱい押し込まれているので、とても恥ずかしい。
2013年12月01日
11月30日の夢(空港)
フランスの空港で帰りの飛行機を待つ間に、レストランに入る。ウェイトレスに短冊のようなメニューを示してオーダーする。しかし、飛行機に乗るための荷物は? 探し回って、やっと荷物を見つけるが、カバンの中身は空っぽだ。おまけに、今度は今まで着ていた服がなくなり、ぼくは裸だ。
出国検査の列が2列できている。男女別なのか国籍別なのか、ぼくはどちらの列に並ぶべきか分からずに、おろおろする。
11月29日の夢(裸でバスに乗る)
映画館の中にいる。学生の主催する映画会のようだ。ぼくの隣に変な男が倒れ込むようにして席につく。呼び出しのアナウンスがあり、呼ばれた男が前の方から外へ出ていく。観客の誰かが映写機を止めてしまったようで、観客たちは「巻き戻せ」と一斉に叫び始める。主催の学生が「ひどいなあ」と言いながら出てきて、フィルムを巻き戻し、また映写が始まる。
バスでツアーしているが、ぼく一人だけが裸だ。鞄で前を押さえて隠し、バスに乗り込む。しかし、ぼくの泊まる部屋はこのホテルにあるのだから、わざわざバスに乗ってどこかへ行く必要はないのではないか。
バスに乗ろうとするぼくに、食いつかんばかりにして、犬が襲い掛かる。振り払おうとしていると、突然日本語で犬はぼくに訴え始める。ぼくはそれを許し、みんなでレストランに入ることにする。
2013年11月25日
11月25日の夢(病気で退社)
退社の準備をするぼくを見て、女性の同僚が「もう帰るの?」と尋ねる。病気が治ったので、ひとまず会社を辞めることにしたと説明する。別の同僚が「もうこれで永遠に来ないの?」と言うので、ちょっと動揺する。「いや、また戻ってくるよ」。本当は明日からまた出社したいと思っていたのだ。
みんなで荷物をお神輿のようにかついで素早く廊下を走る。曲がり角で何かにぶつかり、ぼくの荷物が落ちそうになる。三枚つながった皿のようなものだ。うまく途中でぼくは受け止め、落ちないように空中で支えながら、さらに進む。
退社して帰宅する途中、長靴を脱いで、道に捨てられていた草などを中に詰め込む。すると、通りがかりの男がその靴を持ち去ろうとするので、慌てて取り戻す。
ベッドから起き上がろうとするが、起き上がれない。ベッドの両端にぼくより何倍もでかい人が二人寝ていて、つかえて起き上がることができないのだ。
11月23日の夢(小さな自動車)
編集委員の同僚のN氏が、ぼくを車で送ってくれるという。駐車場は森の中で、彼の車は樹木の影に隠れている。なんとなく墓地のような雰囲気もある。たどりつくと、車はとても小さく、助手席と運転席はほとんど一人分のスペースしかない。そこに奥様が座っているが、彼女一人でいっぱいで、とてもぼくの座る余地がない。後ろの席も同様だ。「狭くて大変なんですのよ」と奥様は言う。そうこうしているうちに、パチンと助手席のシートベルトが切れた。うろたえる夫婦を見て、「ぼくが助手席に乗りますから」と言うが、2人は「いえいえ、それはダメです」と言いつつ、言い争いを始める。
2013年11月24日
11月21日の夢(好きな人)
バスから降りると、ガイドの女性が「好きな人のそばについてください」と言う。ぼくは急いで母の隣に立った。しかし、それは母ではなかったらしい。ぼくを置いて、さっさとどこかへ行ってしまった。見回すと、ぼくの周りにいろんな女性が立っている。けれども、どこにも母はいない。
2013年11月19日
11月19日の夢(ネット商店街)
ぼくの住む狛江市で新市政の目玉として、百万円の予算でネットにショッピングモールを展開することが決まり、若手の市議が担当者に決まった。ところが市にお金がないからと予算が削られてしまった。でも、市議は手弁当でやるという。それなら、ぼくのころころ夢日記をりリニューアルして、そのモールに出店してもいいと思う。
学校の敷地のそばにある商店街に買い物に行こうとする。だが、気がつくと、いつのまにか学校のグラウンドに入ってしまった。きつねにつままれたような気がして、周りを見回す。あたりはすっかり荒れ果てた更地になっている。商店街はつぶれてしまったようだ。
2013年11月17日
11月17日の夢(グループ学習システム)
新しいグループ学習システムが開発された。広い部屋の床に、島のように四角い台がいくつも置かれている。台の上にはそれぞれ十人ぐらいの学生たちが自分のデスクに向かって座っている。そのグループの中では1人の学生の声だけがマイクで聞こえる。グループの中でその学生がリーダーシップをとることになるので、その学生の学習能力がアップするのだそうだ。
2013年11月15日
11月15日の夢(卓球台)
体育館に沢山卓球台が、まるでレストランのテーブルみたいに沢山置いてある。先輩が練習しているところへ近づき、後輩と二人で「ぼくらにも打たせてください」と頼み込む。すると先輩は隣の卓球台を指さし、「少しそれを離して、そこで打ってもいいよ」と言ってくれる。しかし、目に見えるのは卓球台ばかりで、ぼくらも先輩も姿は透明人間のように見えない。
机の向こう側に肉感的な女性がいて、こちら側にぼくがいる。ぼくは机にハンマーをふりおろす。女性は机に両手をついているが、ぼくがハンマーを打ちおろした瞬間、ぱっと両手を机から離す練習をしている。
2013年11月13日
11月12日の夢(火星へ行く)
ロケットに乗って、火星へ行く。ロケットの中でクルーの仲間割れが起き、激しく葛藤する。
火星に着いた。火星は地球そっくりの文明があり、みんな日本語ができる。火星人は日本人によく似ているが、目が吊り上がっているところが少し違う。一人の火星人がクルーの男性を襲い、抱きついてきた。火星人の弱点はくすぐりに弱いことで、下に組み敷かれていたクルーがくすぐりで反撃すると、すぐに相手は逃げ去った。
ぼくは船外へ出て、火星の街を歩く。すると、またさっきの火星人が襲ってきた。彼の弱点はよくわかっているので、くすぐりでたちまち撃退することができた。ぼくの帰りが遅いのを心配して、クルーの年長の女性が電話してきたので、「すぐ帰ります」と返事をする。しかし、ぼくは火星という異邦で、どこへ帰ればいいのだろう。途方に暮れて歩いていると、向こうから満面の笑みをたたえて連れの女性が迎えにきてくれた。
2013年11月12日
11月11日の夢(現代詩ゼミ)
これから某詩人会主催の現代詩ゼミが始まる。会場は狭いが明るい部屋と、広いが暗いホールと二つある。
狭い方の会場で待っていると、戸口に講師が到着するのが見えた。ぼくは舞台の準備をしているスタッフたちに「講師が入り(いり)です」と声をかける。
広い方の会場は二階や三階から張り出したボックス席もあり、まるでオペラハウスのようだ。そこにも別の講師が到着した。ぼくはやはり「講師、入りです」と声をかける。しかし、会場はがらがらで空席が目立つ。
2013年11月09日
11月9日の夢(脱衣所)
みんなでプールへ行った。広い脱衣所がある。下駄箱のようなロッカーがいくつもあるが、それには服を入れず、片隅に緑の上着と茶色のズボンを脱ぎ、誰かが用意してくれた海パンに着替える。だが気がつくと、ぼくは海パンをはいておらず、全身裸だ。慌ててほかの海パンを借りて、はく。それは薄いビニール製で、うっかり二枚重ねてはいてしまいそうになる。それに半透明で裸が透けて見えそうだ。
帰ろうとして服を探す。脱衣所にあるみんなの服は全部緑の上着と茶色のズボン。これではどれが自分の服かわからない。みんなはどんどん自分の服に着替えて出ていくが、ぼくだけ裸のまま一人取り残される。
2013年11月08日
11月8日の夢(時計で相撲判定)
丸い掛け時計を行事や審判たちが食い入るように見つめている。微妙な勝負を時計が判定してくれるらしい。ちっとも結論が出ないので、後ろからぼくが「長い針の方が少し後から動きましたよ」と言うが、相手にしてもらえない。みんながまだ延々と時計を見つめているので、「いっそ三つの針を別々に動かしたら?」と提案してみる。「そんなことしたら時計が壊れてしまう」と審判長が言う。
会社で原発推進の制作物のためにイラストを描いてくれるイラストレーターと打ち合わせをし、その作品を持ってプレゼンに行く。しかし、原発会社の若い担当者はいろいろとクレームをつけてくる。しかたなく写真を撮りなおすことにする。米軍か自衛隊の基地の周りの金網に一か所、長方形に内側に凹んだ部分がある。そこに三人の男女が何か文字を書いた紙を手に、にこやかに並んでいるところを撮影する。ぼくが自分のデジカメで撮るつもりだったが、大きなカメラを持った本職のカメラマンも撮影している。
仕事で何か不都合が生じたらしく、ぼくは会社にとって返し、黒のマジックを探すが見つからない。他の同僚たちは弁当を食べ出した。時計を見ると、十二時を回っている。「もうこんな時間か」とぼくは呟き、文房具置き場にマジックを探しに行く。しかし、そこには新人の若い男がデスクを構えて座っていて、やはり黒のマジックは見つからない。
2013年11月06日
11月6日の夢(トイレで仕事)
クライアントのY社からサイレントピアノの新製品が出た。ぼくはPR誌にその記事を書きさえすればいいのだが、妙にその商品に入れ込んでしまい、自分なりに広告のラフスケッチを作ってみることにする。会社には広いトイレがあり、中には楕円形のテーブルがある。ぼくはトイレの中にギターとリュックと資料を持ち込み、そのテーブルを占領して仕事をする。時々トイレから出て、自分のデスクに戻り、資料をまた持ち込む。しかし、ギターとリュックまで持ち込むのは気がとがめて、持ち出そうとする。同僚たちに冷やかされるが、ぼくはそんなこと気にしない。広告制作のために自主的に残業して、打ちこむが、なかなかいいものが出来上がらない。トイレに戻ると、いつのまにかテーブルは他のスタッフたちに占領されていた。しかたなくロビー兼用の廊下に出て、そこにあるテーブルで作業を続ける。
2013年11月05日
11月5日の夢(洪水)
遠い街にある学校にぼくは通っている。めったに授業には出ない。外から帰ってくると、校内で何か事件が起きたらしい。床に誰かの吐しゃ物が広がっている。クラスメートでぼくの子分格の小男が「調査に行ってきます」と走っていく。先生がやってきて、ぼくに「下の講義に出るように」と促す。その講義は少し離れた別の校舎で催されるため、街を歩いて行く。途中傾斜が四十五度を超える急な坂があり、そこが洪水で水が滝のように流れている。とてもここを降りることはできない。戻って、生徒たちであふれる駅の背後を通り抜け、校舎らしい頑丈な石造の建物に入る。女性たちが弁当を手渡してくれる。ぼくにはお魚が二匹。教室は二階にあるらしい。
2013年11月04日
11月4日の夢(壊滅する世界)
風邪をひいたらしく、いつもの医者に行く。だが、新任の医師に交替していて、2時間待ってもまだ順番が来ない。待合室は患者たちで満員だ。
ふと上を見ると、まるで雲のように無数の岩が空を飛んでいる。ぼくはとっさに外に飛び出し、「岩が落ちてくるぞ! 危ない! 逃げろ!」と叫びながら、頑丈そうなビルの中に駆けこむ。窓から見ていると、地上に次々と岩が落下し、飛行機も墜落して、あたりは修羅場のようだ。それでも、ぼくはなんとか会社に行こうと、道を歩き出す。傷だらけの電車がよたよた走っているので、それに乗る。ドアは壊れて、荒縄で縛ってある。次の駅でぼくは縄をほどいてドアを開け、懐中電灯を振り回しながら、「発車します!」と乗車を促す。ホームの上には沢山の人たちがいて、黒人も混じっている。人波をかきわけて、1人が乗車する。ぼくは再びドアを縄で縛りつけ、電車はまた首都へ向けて走り出した。ぼくの風邪はすっかり良くなったようだ。
11月3日の夢(山田電器)
山田電器に買い物に行こうと、池袋で電車を降りる。駅前の広場は雪が積もっていて、地理が全くわからない。それでも遠くに山田電器の建物が見えるので、その方向へ向かう。庭園のような広場に出る。ここはテレビの撮影用の広場だろうか、なにか不思議な空間である。今夜はともかく泊まることにして、旅館に入り、部屋で新聞を読む。山田電器のチラシが入っているかと思ったが、新聞にはチラシは入っていない。
11月2日の夢(2次会のコップ)
詩人会の会合の後の2次会で、夜遅くなってしまう。もう家には帰れない。前でかわいい女の子なのに、おばさん声の二人の女性が挨拶している。テーブルの上に伏せてある湯呑を取って、お茶を注ごうとすると、そこには呑み残しのお茶が既に入っているので、やめる。テーブルにはほかにガラスの杯とコップがある。このどちらかにお茶を注ぐべきかやめるべきかと悩む。
11月1日の夢(未来旅行)
バスで未来へ観光旅行した。現在に帰還し、マンションの前の広場で最後の休憩をとる。未来の川に現在から土砂を何度も寄付した人がいるという。
10月31日の夢(女子校と男子校)
ぼくは学校のベランダにいる。校舎の中では女子高生たちが楽しそうに授業を受けている。けれど、ぼくはその仲間に入れてもらえない。ここは女子高だからだ。
今度は仲間に入ることができた。ここは男子校だからだ。夏の間、ぼくらはここで共同生活することになるのだが、ぼくはひたすら読書に没頭して、皆とはなじむことができない。
2013年10月30日
10月30日の夢(舗道の引き出し)
ぼくの部屋に2つのベッドが並んで置かれ、それぞれに知らない若い女性が寝ている。そのうちの1人が「東京の家へ帰る」と言うので、「ぼくも帰る」と言って、一緒に部屋を出る。あとに女の子一人だけが、ベッドに眠った状態で残る。部屋の出入り口は床から天井まで1枚ガラスのサッシ戸。鍵をかけず、少し開けた状態で外へ出たが、なんだか不用心だ。後でそのことを咎められないだろうかと、不安になる。
いつのまにか女性はいなくなり、狭い舗道をぼく一人で歩いている。後ろから男が早足で歩いてくる。男に追い立てられるように、ぼくの足も早まる。前方の舗道に空っぽの引き出しのようなものがある。その中へ足を踏み入れる。
2013年10月28日
10月28日の夢(変な時計)
会社で働いていて、なんだか風邪を引いたようなので、5時に病院を予約する。予約時間の「5時」というのは、5時までに行けばいいのか、それとも5時までに行かなくてはいけないのか。後で説明書を読んで確認しようと思いながら歩き出す。なぜか会社の周りを歩いて一周するうち、そのことを忘れてバスに乗ってしまう。おまけに、途中の停留所でなにげなく降車ボタンを押し、そこで降りてしまった。そこにはぼくが予約したのではない、別の病院がある。なんとなくその病院に入ると、何かを測定する機械があった。スイッチを押すと、円い図形を描いた紙が出てきた。同じ紙をもう一度機械に入れ、スイッチを押す。同じ紙に位置が少しだけずれて、二重の円が描かれて出てきた。しかし、こんなことをしていても時間の無駄だ。腕時計を見ると、まだ4時半である。今からバス停に戻り、またあのバスに乗れば、5時に予約した病院に着けるだろう。けれど、どうも時計が変だ。よく見ると、12の文字があるべきところに5の数字が書かれている。一体、今は本当は何時なのだろうか?
2013年10月26日
10月26日の夢(団体行動)
学校か何かの団体行動で、ぼくらは電車に乗せられ、遊園地に向かう。電車といっても、屋根のない遊園地のお猿電車のようだ。予定では行き帰りに、ぼくがマイクを握り、みんなにガイドとして説明することになっている。ぼくは片手に台本のメモを持ち、意欲満々だ。ところが、先生たちは「時間がないから」と言って、ぼくにはマイクを渡さず、他の生徒たちが往復とも話すことになる。ぼくは口には出さないが、悔しくてしかたがない。帰りの駅に着いた。テレビ局の取材クルーがぼくを取り囲んで、撮影を始めた。彼らは予定変更を知らされておらず、ぼくがガイドを務めたというアナウンスを始める。これでいいのだ。ぼくはプライドを回復して、満足する。
2013年10月24日
12月24日の夢(トイレで密談)
木造の納屋のようなトイレで便器に腰かけ、男と密談をしている。ふと気配を感じ、振り返ると、ドアの掛け金がかかっておらず、若い男が入ろうとしていた。慌ててドアを押さえながら、「入っています、入っています」と叫ぶ。若い男は「長くかかりますか」と尋ねるが、無視してドアを閉め、密談を続ける。
2013年10月22日
10月22日の夢(地下トイレ)
まだ小学生の息子が我が家の広い地下室をトイレにしている。床下に僅かな隙間があり、そこを潜り抜けると地下トイレに入れる。そこを降りていくと、地下室の真ん中に布団が1枚敷いてある。その周囲に放尿する。尿は黒褐色をしている。病気なのかもしれない。
今、放尿したばかりなのに、またすぐトイレへ行きたくなる。急いで角を左に曲がると、そこに姿を隠していた男が勢いよく放尿している。慌てて壁のこちら側に戻るが、ぼくの目や口に男の尿がかかってしまう。
2013年10月20日
10月20日の夢(屋上に山がある)
クライアントの企業から男女二人が打ちあわせのために来社した。年上の女が上司で、男はその部下だ。こちらもぼくと同僚の女性、2人で彼らに応対する。打ちあわせテーブルに座るとき、最初ぼくの向かい側に男が座ったが、女性が男と席を交換して、ぼくの前に座った。女はきっとぼくが気に入っているのだと思う。
この打ちあわせ室は会社の片方の端にあるのだが、反対側の端にも打ちあわせ室があり、そちらに移動するようにと指示があった。そのため、場所を移動してまた座りなおすが、やっぱり席順がうまくいかない。
会社の屋上に登る。そこは広くて、両方の端に山が立っている。片方は高く、片方は低い。ぼくは高い山へ登る。山頂は寒くて、深い霧に包まれている。
ぼくが山から戻ってこないので、打ちあわせは流れてしまった。ぼくが戻り、4人で外へ出る。外で打ちあわせの続きをしようと思ったのだが、女性2人はどこかに消えてしまい、ぼくとクライアントの男だけが残された。二人で食事をし、「これから泊まる? それとも帰りますか?」と尋ねる。男は「ここまで来たんだから、当然泊まっていこうよ」と言う。同じホテルに泊まることになるが、別の部屋に分かれる。けれども、ぼくの泊まる部屋は二人部屋で、知らない男と同室になる。ぼくは服を着替えながら、妻に「今日は泊まっていくよ」と電話しなくてはいけないなと思う。
10月19日の夢(泥棒にお礼する)
バスに乗っていて、上着を脱ぐ。窓ガラスに細い割れ目が入っていて、上着はそこから外へ落ちた。そして、道路わきのしもた屋の玄関のガラス戸にガチャンと音を立てて、はさまってしまった。もうすぐバスは停車するので、それから取りに行こうと思っていると、小太りの男が現れて、その上着を着込んで立ち去ろうとする。泥棒だ! ぼくは慌ててバスのガラス窓をこじあけ、男を大声で呼びとめる。男は驚いて、ぼくに服を返してくれた。ぼくは服を拾って、ぼくに届けてくれたのだから、男に感謝しなくてはと思い、住所を尋ねる。だが、ぼくがメモをとろうとしているうちに、男は無言で立ち去る。慌ててもう一度呼び止め、お礼の品物を送りたいからと言って、住所を訊く。今度は素直に教えてくれるが、普通は番地で終わるはずの住所の末尾が、不思議な記号と数字になっている。それは住所ではなく、ある配送システムで使われている彼の家を示す記号らしい。
2013年10月18日
10月18日の夢(共著の本)
二人の女性がいる。一人は現実を直截に、もう一人は暗示的に語る人である。ぼくは後者の女性と共著で、本を出そうと思う。しかし、彼女が書いていることは随分昔の話だ。50年も前の話である。
10月17日の夢(ナビゲーター)
ぼくはいつも大きな磁石を持ち歩いている。それを連れの女性に「ナビゲーターだよ」と言うが、彼女は半信半疑のようだ。レストランに入ってテーブルにつき、そのテーブルに置くには大きすぎるので、後ろの円卓に置く。彼女は近づいてきたウェイターに「ねえ、これってナビゲーションするんですか」と尋ねる。彼はそれをちらりと見て、「多分、ナビゲーターではないと思いますよ」と答えるが、ぼくは黙っている。
10月16日の夢(複合銭湯ビル)
会社の階段に置く、新しい家具を買ったという。ぼくは「投票?」と聞き直しながら、椅子の上に登る。同僚の女性に「籐椅子と言ったんですよ」と笑われてしまった。そのとたん、ぼくはバランスを崩し、自分は大丈夫だったが、椅子を階下に落としてしまう。女性が「大きな音がする」と叫ぶが、意外にたいした落下音はしない。
「ピアノの本」の表紙画の原稿が沢山届いたので、2階の自分のデスクの引き出しにしまうが、既に編集長は1階の男性の同僚に引き継いだのだった。その新編集長に内線電話をするが、つながらない。しかたなく、引き出しから改めて大小の原稿を取り出し、階段を降りる。「これをカメラマンに撮影してもらってください」と言おうと思う。
お風呂に入りたい。隣のビルがシネマコンプレックスのような銭湯コンプレックスになっているので、そこへ行く。どのフロアのどの部屋も銭湯だ。廊下の床も汚れたお湯でいっぱいである。できるだけ奥の地下の浴槽に入ろうとする。だが、そこは馬のような顔をした男たちでいっぱいだ。自分も馬のような顔になってしまうのではないかと怖くなり、慌てて別のフロアの浴槽につかる。風呂の中で眠ってしまったらしい。目を覚ますと浴槽には6人の男が入っており、体がぎゅうぎゅうに密着している。気持ち悪いので慌てて飛び出し、体を洗う場所を探してうろうろする。Aくんたちがカメラの取材クルーに、この銭湯コンプレックスの入り心地を取材されている。Aくんは「まいったなあ。みんなこんなこと訊かれるんですか」と文句を言っている。ぼくは別の浴槽へ行き、タオルを絞る。お湯はゴミだらけで汚い。
2013年10月14日
10月14日の夢(夢ノート)
「眠れましたか」と、かたわらの女性に声をかける。彼女のノートには夢がびっしりと書かれている。それもみんな、ぼくひとりのための夢なのだ。この夢のためなら、どんなに大枚をはたいても惜しくないと思う。
10月12日の夢(円いちゃぶ台)
出版社のトップや編集部員が会議を開いている。編集会議の結果、ぼくの作品は雑誌に掲載されないことになった。その結果がノートにえんぴつ書きで書いてある。ぼくはショックを隠すことができない。
自分の家で服を着替えながら、支払いをする。三枚の一万円札を出すと、五千円足らずのおつりが来た。これだけで連休明けの二日間を食べていかなければならない。
夕食の卓につく。狭い部屋の中、円いちゃぶ台を詩人のNさんやA氏といっしょに囲む。ぎゅうぎゅう詰めだ。献立はコロッケを添えたカレーライス。みんな食べるのが大変なんだなあと思う。
2013年10月11日
10月11日の夢(泡だらけ)
坂を登ってオフィスへ出勤する。途中に手洗い場があるので、石鹸で手を洗う。すると、その泡で、見渡す限りの地面が真っ白におおわれてしまう。二人の同僚女性がぼくとつかず離れずの距離で同行する。途中にどうしても開かないドアなど、さまざまな障害物があり、自分のデスクにたどり着けない。そんなぼくを不審な目で見ていく同僚がいる。ぼくはあたりを掃除するふりをしてごまかす。
名古屋の観光地を編集委員のN氏らとバスで回る。御園座などをめぐる予定だが、最初にバスが着いて見学することになったのは、ぼくがどうしてもたどり着けない自分のオフィスだった。
2013年10月10日
10月10日の夢(傘がない)
市長の取材をしたいと思い、申し込みに行く。記者対応が悪いことで有名な市長である。相棒のカメラマンも一緒に行く予定だったが、なぜかぼく一人で行く。定刻の10時に市役所に着くと、当の市長がにこやかに現れ、快く申込書を受け取ってくれた。
ところが本番の取材に行くと、全く市長は現れない。けんもほろろに追い払われてしまう。これでは記事に穴があく。困ったなあ。女性スタッフがぼくを追いかけてきて、「どうするのか」と詰め寄る。ぼくは両手を広げて「お手上げだよ。追加取材をしようにも、あとは深夜しかスケジュールがあいてない」と、ぼくは答える。
帰ろうとして、傘を忘れたことに気づき、坂を駆け上がって取りに戻る。そこは小学校の校舎である。傘置き場にはぼくの傘とそっくりだがちょっと違う水色の水玉模様の傘が沢山並んでいる。だが、本物のぼくの傘はない。これでは帰るに帰れない。
2013年10月07日
10月7日の夢(ギター)
会社で仕事中にギターを弾く。アコギなのだが、まるでエリック・クラプトンが弾いているような、すすり泣くようなサウンドが出る。素晴らしい音色だ。その瞬間、前に座っていた小太りの同僚が振り返り、「あっ、いやな音だ。」とクレームをつける。ぼくは驚いて「自分には気持ちのいい音だったんですが」と言うが、男は聞き入れず「ガラスを引っ掻いたような、頭に響く音だ」となおも言いつのる。周囲の同僚たちも冷ややかにしんとしている。しかたなく「ごめんなさい。もうしませんから」と謝る。
文章を書いて提出するが、全く受け入れられない。「そんな自分の言葉でなく、ネットの文章を引用したものだけを使いなさい」と言われる。
2013年10月05日
10月5日の夢(カメラマン)
撮影が終わった後、カメラマンがピンクのデジカメを忘れて行ったことに気づき、ポケットに入れる。途中で椅子の上にカメラを置こうとして、地面に落として、汚してしまうが、またポケットに入れる。そのカメラの存在が気になってしかたがない。
カメラは携帯にもなっているらしく、ポケットの中で着信音が鳴る。しかし、カメラなので、どうやって電話をとればいいのか分からない。通りすがりの少女に声をかけて、着信の方法を教えてもらう。すると、さっきのカメラマンの声で、ある場所に行くよう、ぼくに指示をしてきた。どうやらフーゾク系の遊興施設らしい。一応行ってみるが、興味のない場所だし、人もいないので、そのまま帰ろうかと思う。すると、柱の陰で話し声がする。従業員らしい女の子が二人和服の接客姿でおしゃべりをしている。「このカメラを持ち主に返したいんだ」とぼくは言うが、2人はおしゃべりに夢中だ。ようやく一人が「石井さんのカメラね。彼ならどうせ一番上の部屋にいるわ」と教えてくれる。
エレベーターが左右にあり。右の短い列に並ぶ。だが、それは地下にしか行かないエレベーターだった。上へ行く左のエレベーターは長蛇の列。ぼくまでとても乗り切れないだろうと思う。誰かが「このエレベーターは話をするんだ。それも反対のことばかり言うから、逆のことを言わないといけない」と言う。それで、みんなで「こんなエレベーターなんか乗りたくない。乗りたくない」と騒ぐ。こう言えば、反対にエレベーターは乗せてくれるに違いない。
10月4日の夢(弟ができた)
横に二部屋つながっていた勉強部屋が、今日は三部屋になっていて、増えた一番右の部屋に新しい弟が座っている。三部屋といっても仕切りはなく、横長につながっている。弟はハンサムで、とても端正な顔立ちだ。ぼくが手にしていたしわくちゃの紙を見て、「それは何?」と尋ねる。ぼくははっとして、「いや、なんでもないよ」とごまかし、紙の皺を丁寧に伸ばして机に置く。
場面変わって、大きなガラス窓のある部屋。室内にはぼくのほか一組のペアの男女がいる。窓の外に不審な外人がいる。さっき部屋の中にいた男だ、と思う。その男の不審な行動について、女性の方がぼくに目配せしてくる。ぼくも目配せを返すが、もしかしたら彼女は連れの男に目配せしたのかもしれないと、顔から火の出る思いをする。
2013年10月02日
10月1日の夢(口パク講演会)
女性スタッフと一緒に地方へ講演会の取材に行く。休憩になり、控室から戻ると、故人であるN元社長が手前の部屋で腰を下ろしている。
ホールではピアニストのリヒテル氏の演奏を記録した大きな録音機を手に、有名な調律師が定期調律の大切さについて講演を始めたところだ。女性スタッフを探すが、彼女の姿はない。目の前に男がいて、ぼくに会釈をして、ぼくのために場所をあけてくれる。タレントの魚くんである。すると、目の前に男がいて、ホールの講師の話に合わせて口をぱくぱくさせている。つい、ぼくは男の口元を凝視して、話に聞き耳を立てる。だが、本当に話しているのはここからは見えない、ホールにいる講師のはずだ。ぼくはそのことにはっと気づき、男から視線をそらす。
9月29日の夢(荷物を探して)
大学のグラウンドにミニ円形劇場みたいなものがある。ぼくはすり鉢状の観客席の一角に荷物を置いておいたが、戻ってみると、観客席は一面書籍がいっぱい置かれている。新入生のためのテキストを販売しているのかもしれない。ぼくの荷物はどこかへ片づけられてしまったらしい。探してさんざん歩き回る。グラウンドの一角に掘っ建て小屋がある。仮設の研究室らしく、数人の教官がデスクに向かっている。ぼくはその中に勝手に上がり込み、デスクや棚に土足で上がって、探し回る。それでも見つからない。ぼくはあきらめることなく、なおも荷物を探して歩き続ける。
会社でランチのお弁当を予約するのを忘れていた。お弁当置き場に行き、「まだ余っていますか」と尋ねると、誰かが「うん」と言う。お弁当を一つ取り上げ、予約表にチェックを入れようとするが、見当たらない。まあ、いいや。お弁当を開けてみると、ほんのちょっとしか入っていない。これではお腹がいっぱいになりそうにないなと思う。
2013年10月01日
9月28日の夢(靴がない)
みんなとある施設でおしゃべりをしてから、2次会で別の店に行く。そこでは座席を独り占めして、1人の男が寝ているが、いつのまにかその男とぼくは仲良しになる。
そこへ中年の女性が来て、「みんな、ここだと聞いたから」と言いながら、みんなにお菓子を配る。ぼくが「どうしてわかったの?」と訊くと、「GPSで調べたのよ」と言う。ぼくは「しまった。ということは、ぼくがここにいることを会社に知られているのか」と、びっくりする。そこへ老詩人のU氏が現れ、「また、ぼくの同人誌に寄稿してくれませんか」と言う。
もとの場所に戻り、帰ろうと靴をはこうとする。しかし、この茶色の靴は別の人のものだ。自分の靴は見つからない。女主人も出てきて、探してくれる。箱の蓋を開けると、小さな女の子が転がり出てくる。そこで寝ていたのだろう。見つからないので、靴箱を開け、代わりの靴を出してもらう。「傘は?」と女主人が訊くので、「持っている」と答える。
帰る途中、一つの機械がある。そこにカードを入れると、別のカードが出てくる。会費が1380円に値上がりしている。退出後1時間以内にカードを入れないと、値段が上がってしまうらしい。連れの男は「洋服屋へ行く」と言って、昭和の感じのする懐かしい商店に入っていく。ぼくは一人になったので、すたすたと歩いて行く。
9月27日の夢(きつい味の料理)
大学の授業が始まる前の教室。畳敷きで、料理屋のテーブルのような机が並び、それを囲んでさまざまな人種の学生たちが集まっている。ぼくの隣に来たのは黒人の女性だが、そんなに肌は黒くない。畳に投げだした足を見ると、片足がバネのような形の細い義足だ。ぼくらの間へ、もっと肌の色の濃い黒人の男子生徒が、白い座布団を持って割り込んできた。エキセントリックな感じの学生である。
みんなで昼食を食べに食堂へ行く。ここも畳敷きだ。ぼくの右隣に座った日本人の女子学生がまとめてオーダーをしてくれる。左隣にはさっきの黒人男子学生が座った。注文したのは煮物と何かだったはずだが、ぼくの前に来たのは明らかに激辛と分かる料理。ぼくは「これ、辛くない?」と言って、男子学生の料理と取り換えたいと思うが、無視されてしまう。ウェイトレスにこの料理について尋ねてみると、それは「辛い」のではなく、「きつい味」の料理なのだという。
9月24日の夢(裏道)
建物があり、その両側に道がある。右側は山の斜面と建物の間にはさまれた細い路地だ。その路地を一人だけ人が歩いている。左側は広い途になっていて、長老詩人のKさんたち数名がこちらにやってくるのが見える。すれ違う形で、こちらからも数人が歩いて行く。ぼくもその後から歩き始める。どうやらKさんはぼくに気づかないようなので、黙って挨拶せずに通り過ぎる。
2013年09月24日
9月23日の夢(透明なドア)
どこかの知らない街に取材に来た。取材対象の人物を囲んでいる記者たちは、ぼく以外はみんな顔見知りらしい。
取材の途中で、ぼくはもう帰ろうという思いが強くなった。実はさっきも帰りたくて、駅のホームで電車に乗ろうとしたのだ。けれど、電車には透明ガラスのドアが閉まっていて、ぼくを乗せてくれなかったのだ。
また、ぼくは駅のホームに走って行く。ホームの両側に電車がいて、ぼくが乗るのはどちらなのか、分からない。そこで躊躇したのが命取りになった。慌てて、一方の電車に走り込もうとするが、やはりそこには透明なガラスドアが閉まっていた。泣きたくなる。
しかたなく、元の取材場所に戻る。誰かがぼくを「ここで待ちなさい」と言って、ある場所へ連れて行く。そこからは遠く、沢山のオットセイの群が見える。頭上を見上げると、少し変わった桜の花が見えた。ここは沖縄なのだろうか、と思う。
2013年09月22日
9月22日の夢(逆走)
妻と長良川にドライブに行く。雨が降っているのだろうか。煙っていて視界が悪い。左側に柵が続いている。その向こうは水力発電所の敷地らしく、途切れ途切れに大きな機械や、太い水の通るパイプが見える。右にカギの手に曲がると、山頂に向かう道路に出る。まっすぐ行くと、ガードレールもない断崖だ。「あの突き当りを曲がるんだよ」とぼくは言うが、妻は答えない。どきどきするが、妻はうまくカーブして、登頂道路に出る。片側二車線の広い道路だ。対向車が何台も通り過ぎる。だが、妻は間違って右側へ寄り過ぎ、対向車線に出てしまう。「こっちは対向車線だよ」と注意しても、対向車があるのでなかなか戻れない。おまけに急角度のきつい登り坂だ。
2013年09月18日
9月18日の夢(食事)
食べ物を盛った大皿の載ったテーブルを囲んで、ぼくと妻、それに左右に二人の男がいる。ぼくはその皿から自分の小皿に料理を取り分けたい。しかし、自分でテーブルクロスを拡げたり、二人の男が先に料理を取り分けたりしているため、なかなか自分の食べたい料理を取れない。妻が心配して、ぼくに声をかけてくるが、ぼくは「大丈夫だよ」と言う。
2013年09月11日
9月11日の夢(銀の椅子)
広い食堂にいる。懐かしい声がするので振り返ると、後ろのテーブルに元編集者の大西さんが銀色の椅子に座って、女性と話している。大西さんはぼくの詩集「純粋病」の編集者だが、とうに世を去った人だ。女性は後姿なので、誰だかわからない。
電車に乗る。車内は比較的すいているのに、ベンチを独り占めして寝ている男性もいて、ぼくの座る席がない。壁際にちょうど腰かけられる凹みがあるので、ぼくはそこに落ち着く。
降りる駅が近づいたので、荷物をまとめようとする。箪笥があって、ぼくの荷物はその前に洗濯物のように散らばっている。怖そうな男性がやってきて、黙ってぼくを見つめる。どうやら彼も降りるのだが、その荷物が箪笥に入っていて、ぼくの荷物のせいで取れないらしい。ぼくは焦って洗濯物をかき集めようとするが、うまくいかない。その騒ぎの中で、ぼくの大切な印鑑がどこかに失われてしまった。
電車の後ろにはロープにつながった銀の椅子があり、そこにはまだ大西さんが座っている。椅子はお堀の水の中を電車に引っ張られて疾走しているが、どんどん水中に沈んでいく。このままでは大西さんは溺れてしまいそうだ。
2013年09月09日
9月9日の夢(我が家)
大学の学園祭でみんなと準備をしている。しかし、人数が少ないなと思ったら、メイン会場は別の場所で主力部隊はそっちで準備しているのだ。こちらは控室だから、だんだん人数が少なくなっていく。でも、ここでやり遂げなければならないことがあるのだ。
ぼくの家は一軒家で右隣が大学だ。そこで軽音楽の演奏が始まった。何をやりだしたのかと覗くが分からない。
一方、ぼくの家の裏手は別の家の裏庭で、背の低い塀で仕切られている。その塀のこちら側にも向こう側にも、木屑とも卒塔婆とも見えるものが一面に地面につくつくと刺さっている。それを大きなとげぬきのようなもので、ぼくは抜いていく。
さらに、ぼくの家の玄関では、テレビの朝ドラの撮影をしている。なぜかぼくの詩集が取り上げられていて、その詩にメロディがついている。それを子供たちが行列して、店主のおじさんに「ぼくはこれ」と指差して買っていく場面だ。たまたまこのシーンに行きあわせたが、ちゃんと毎日朝ドラを見ていたらよかったと後悔する。そしたら、そこでぼくの詩が取り上げられたことを宣伝して、ぼくの詩集も爆発的に売れたかもしれないのだ。
2013年09月08日
9月8日の夢(トンピリビ)
ぼくは畳の上に線を引きながら、歌っている。
みんなで食事をしている。向かい側に座った男が「トンピリビ」の歌を歌っている。ぼくもそれに合わせて「トンピリビ……」と歌う。最後まで上手に歌い終わったので、ぼくはみんなに賞賛される。
2013年09月04日
9月1日の夢(箸が6本)
人けのないオフィスでお弁当をカバンから取り出す。箸箱にはなぜか6本も箸が入っている。しかも、どの箸も虫が食ってぼろぼろだ。箸箱からは、ほかに鉛筆やセロファンなども出てくる。
2013年08月25日
8月25日の夢(漫画家さんの家)
いつも出入りしている少女漫画家さんの仕事場に行く。勝手を知った場所なので、三階まで上がり、書棚や段ボール箱の中身を勝手に見て回る。ふと気づくと、部屋と廊下の仕切りのあたりに、漫画家さんが横たわっている。疲れて居眠りしているだけだろうか。それとも何か異変があったのか。ぼくはうろたえて、一階まで階段を駆け下りる。
野球場の内野席に行く。指定席の場所だけれど、がらがらなので勝手な場所に腰を下ろし、ペットボトルで水を飲む。すると、隣に初老の婦人が来て、座った。彼女は多分、ここが指定席なのだろう。ぼくがペットボトルの蓋をしめようとしているのを見て、「そういう時はこうするのよ」と言い、蓋のかわりに親指で栓をしてみせてくれる。ぼくは「ああ、そうですね」と言って、真似をするが、失敗して、婦人の靴をびしょびしょにしてしまった。慌ててズボンのポケットからハンカチを取り出し、婦人の靴を拭く。婦人は「そんなことしていいの?」と、ぼくの顔を覗き込む。
2013年08月24日
8月24日の夢(発疹)
女性が詩を書こうとしている。ふと見ると、彼女の首筋から胸の上部にかけて、おびただしい真っ赤な発疹が、幾筋も走っている。
2013年08月23日
8月23日の夢(祖母)
ぼくの家に亡くなった風刺詩人のM氏と、社会派の女性詩人Nさんが来て、仲良く並んで座っている。二人とも妙に恰幅がいい。しかも青緑色のお揃いの服を着ているのを見て、ぼくは二人をはやし立てる。
パソコンの中に犬の画像がある。それにコメントをつけるのを忘れていたことを思い出し、書きこもうとしている。ふと見ると、隣に随分昔に亡くなった祖母がいて、縫物をしようとしている。針仕事の道具をひろげるための1メートル四方の布が敷かれ、ぼくのパソコンがその上に乗っているのに気づく。「もしかして邪魔かな」と祖母に聞くと、「うん、邪魔だ」と言われる。
2013年08月18日
8月16日の夢(夏休み最後の日)
夏休みがいよいよ今日まで、という日、荷物が送られてきた。開けてみると、中から果物が現れた。母が喜んでそれを水で洗っている。一種類だけと思ったのに、取り出すと次々新しいびっくりするような果物が現れ、トウモロコシまで出てきた。しかし、その下からはだんだん見慣れた普通の野菜になった。母が「もう学校も始まるし、普通の顔をしなくちゃね」と言う。
2013年08月15日
8月13日の夢(今年最後の日)
今日は年末最後の出社日だ。退社しようとして、まだ交通費の請求書を出していなかったことを思い出し、女性社長に渡す。社長が帰ってしまい、スチールデスクが並ぶオフィスには男性の専務とぼくだけが残される。専務は営業笑いをして、いやに機嫌がいいが、会話しているとなかなか帰るに帰れない。やっときっかけをつかんで挨拶をし、なんとか退社できた。
8月9日の夢(湖からの帰還)
(この夢も消えてしまったので、再掲です)
山の湖に旅行に来た。これから東京に戻ろうと、駅に行く。ちょうど電車がホームから発車するところだ。どのドアも人がぎっしりで満員だ。一つのドアを選び、無理に乗り込む。
乗ってみると、あんなに混んでいた車内だったのに、立っている人はまばらにしかいない。駅に到着するたびに、人が降りて行き、ますますがらがらになる。しかし、一駅過ぎても二駅過ぎても知っている駅名が出てこない。きっと東京行きとは反対方面の電車に乗ってしまったのだと思う。
2013年08月02日
8月2日の夢(コンクールの準備)
コンクール会場の二階で本番のための準備をしている。まず最初にパネルを一枚作る。巨大恐竜の復元図だが、骨は一部しか見つかっていないから、恐竜の本当の大きさがどれくらいかはっきりしない。だから骨の見つかった部分だけの復元図で、ちょっと見た目には恐竜の一部だなんて分からない。自分でお皿に食事を2人分作り、両手に持って一階に降りる。しかし、本番が迫っていて、食べる時間はなさそうだ。コンクールではぼくも出場者と共演する予定だったのだが、関係者はステージには出られないと言われてしまう。
2013年07月31日
7月30日の夢(大きな人と小さな人)
ドアを開けると、そこは四角い部屋で、中に緑の草原がある。男と女が倒れており、女の方をハイエナがむしゃむしゃ食べている。女は激しく抵抗する。隣に横たわった男もハイエナに狙われており、やはり抵抗している。男は大きなチェロを持っている。
この世には大きな人と小さな人の2種類がいるらしい。そして、大きな人は常に迫害されるのだ。小さな人たちが沢山現れ、2人はやっと救出されて、チェロを持って立ち去る。小さな女の人に皆が「それでどうなの? 無期?」と尋ね、女は「私には分からないわよ」と答える。
7月29日の夢(ドイツバス旅行)
ドイツをみんなとバス旅行している。遠浅の湖がきれいだ。帰りのバスで、往きには確かいたはずの人がいない。それともぼくの見間違いだったのだろうか。バスを降りて、旅館に泊まる。ドイツのはずなのに、和室である。縦一列に部屋が並んでいて、ここから先の部屋はすべてぼくたちのグループで使っていいという。でも、雑魚寝になるらしい。女性の客室係が点呼をし、ぼくが手にしたメンバー表をチェックしていく。意外に早くぼくの名前が呼ばれたので、どぎまぎして、「はい」と声を出すのが恥ずかしくなってしまう。
図書館でイベントの準備をしている。夜の11時だというのに、誰も帰ろうとしないから、ぼくも帰れない。宵のうちはがらがらだった席が夜中になって、なぜか満席になった。けれどももう、イベントのメンバーの姿はない。ぼくも帰ろうと思う。しかし、ぼくの黒いリュックが見当たらない。館内中探しても見当たらないので、女性館員に伝えようと思う。
2013年07月28日
足が燃える
知人のH氏の実家は四国にある。その県では今「珍しい石を拾おうキャンペーン」というのをやっていて、一番珍しい石を拾った人は一千万円貰えるのだ。県民総出で皆泥だらけになって石を探しているのも当然である。ぼくも石探しに参加することにする。
Iさんの後を追って、H氏の実家のお店に入る。中に入った途端、真っ暗で何も見えなくなるが、目が慣れてくると、奥にH氏の顔がぼうっと浮かんできた。大きな家である。階下に降りると、広大な池がある。そこで子供と犬や猫がボール遊びをしている。ぼくも仲間に入れてもらい、ボールを蹴る。
ボールを追って、道路へ出ると、学生のデモ隊がシュプレヒコールを上げて行進している。警察が取り締まりを始め、ぼくも拘束されてしまう。「石を拾っていただけだ」と抗弁するが、聞き入れてもらえず、水戸へ追放されてしまう。
水戸にもH氏の家があり、そこへ入ったとたん、ぼくの右足が炎に包まれる。慌てて消そうとするが、消えない。やっと火は消えたが、火傷の傷口から真っ黒な血が噴き出す。重症だ。薬を塗って治すことにする。
7月27日の夢(レストランバス)
新しい会社で仕事をしている。隣の席の女性はいつも欠勤だ。夜退社しようとして、レストランに入る。チャーハンともう一つのお勧めメニューを注文する。店員は「二つも?」と言って、目を丸くする。文句あるのか。突然レストランは動き出した。このお店はバスだったのだ。食事しながら帰宅できるとは、なんて便利な世の中になったものだろう。しかし、バスはぼくの自宅とは反対方向へ進み、ここはもう荒川区だ。時刻も11時を過ぎてしまった。シェフがワゴンを押して、乗客に料理を配って歩く。しかし、ぼくの料理はまだ出てこない。
2013年07月24日
7月24日の夢(独裁政権vs軍事政権)
外国を妻と旅行している。この国は独裁政権が統治している。広い地下の道路の右側の舗道を妻と歩いていたが、妻がどんどん先へ行ってしまう。追いつこうとしたが、何もないと思った道路には透明ガラスでできた壁があって、行く手を阻まれてしまう。しかも、行く手からは蒸気機関車がやってきた。この列車は独裁政権に反旗を翻した軍事政権のものだ。しかたなく左側の舗道にぼくは移る。地下から道路が出るあたりで、ぼくは二人の人物と出会う。一人はおじいさん。もう1人は少年とも少女とも見える中性的な若者だ。
2013年07月22日
7月22日の夢(車の中の郵便物)
路面電車の通っている道路の真ん中に、我が家の白い自動車が停まっている。窓から覗き込むと、中には郵便物がどっさり。車の鍵を開けて、腕を突っ込み、誰から来たものか改める。しかし、袖が何かに引っかかって、うまく動かせない。かたわらを自転車に乗ったお巡りさんが、こちらをちらっと見ながら通る。別に悪いことをしているわけではないが、なんだか不安になる。
2013年07月21日
7月20日の夢(空の上と地の下)
大空をジェット機の群が二機ずつまとわりつくようにして編隊飛行している。
ぼくは北海道へ出張することになった。ここは函館か札幌。ふとインスピレーションが働いた。見ると、地下街への入り口にシャッターが下りるところだ。閉まる瞬間に潜り抜けて地下トンネルに駆けこむ。想像した通り、これが秘密の地下通路だった。半円形の地下通路をぼくは息の続く限り疾走する。そこでは町内会のいろんな行事がこの日だけ行われている。通路を駆け抜けて、地上に出ると、そこはレインボウブリッジのような巨大な橋の欄干の上だった。
2013年07月17日
7月16日の夢(反乱軍)
バスに乗せられて、待機している。これは上野方面へ行くバスだが、なかなか発車しない。トイレに行きたいが、行かせてもらえない。やっと発車するが、途中で数名が反乱軍に寝返る。ぼくはどちら側なのか分からない。銃を撃ちあい、手りゅう弾を投げ合う。その一つがぼくの至近距離に投げ込まれたが、幸いなことに不発だった。
崖の向こうは雪山だ。それを真上から見下ろした風景。いつのまにか戦争は終わり、みんな楽しくパーティーで踊り狂う。仲間の女の子の1人が男の子の頭を木の桶でパカンと殴る。
7月15日の夢(大きな食卓)
広い部屋に大きな楕円形のテーブルがある。その上には沢山の料理が大皿に盛られて、ぎっしりと並んでいる。周囲の椅子にはぼくを含めて、三人ほどしか座っていない。まだこれから客が来るのだろう。早く好きな料理を小皿に取って、みんなの来る前に食べてしまいたいと思うが、一番おいしそうな料理の皿は手が届かない。あれはぼくの食べてはいけないものなのだろうか。「軍隊の食べ物だよ」という声も聞こえる。
2013年07月13日
7月13日の夢(靴が生える)
会社で残業している。もう八時好きなので退社することにする。同僚たちはまだ皆残業中だ。同僚の女性が「早く帰れていいね」と言う。それには答えず、会社の玄関で靴を探すが無い。しかたなく靴下のままで外に出る。交差点を渡ろうとして、ふと足元を見ると、左足だけ白い靴をはいている。靴が足に生えたのだと思う。
ぼくの主人の家に行く。小さな一間だけの家だ。若い主人とその妻、それに居候の男がいる。主人は居候の男に「まあ、その穴場へ座れ」と言う。丸いちゃぶ台と玄関の間のスペースに座りなさい、ということらしい。ぼくはその様子を傍観しているが、その居候の男はぼく自身のような気がしてくる。
2013年07月11日
7月11日の夢(異星へ)
宇宙船に乗って、みんなで地球を飛び立つ。滑走路は普通の住宅地の未舗装の坂道だ。宇宙船はポンコツ車のように、坂道をごとごと跳ねながら離陸する。これで飛び立てるのかと不安だったが、いつのまにか眼下に地上が見える。
異星へ着いた。同僚がハッチを開ける。同時にぼくは電子銃を構えて油断なく飛び降りる。それを見て、同僚たちは「そんなことしなくてもいい」と、ぼくをたしなめる。確かに危険はないようだ。白い菊の花束を持った中年の女性たちが、声もなく行ったり来たりしている。全員がクローンのように同じ顔だ。あたりは夜のように暗い。
場面が変わり、ぼくは展望台から外を覗いている。360度の素晴らしいパノラマがフルカラーで広がっている。右端には麓から頂上まで真っ白に輝くなだらかな山が2つ見えるので、同僚の詩人Aさんにそれを告げる。彼はぼくに「地球に戻ろう」と言う。振り返ると、そこは地球に戻るための駅の切符売り場だった。
2013年07月10日
7月10日の夢(狭い新居)
代々木八幡あたりの新居に引っ越した。女友達と赤ちゃんもいっしょだ。狭い部屋の真ん中にベッドを置く。壁にはテレビ。ベッドと壁との間に正体不明の機械が稼働している。テレビの音をリモコンで消そうとするが、完全には消すことができない。もしかして、このリモコンは正体不明の機械のためのもので、テレビのものではないのかもしれない。部屋は狭すぎて、ドアを開けて外に出ないと、服を着替えるスペースもない。そのことで愚痴ると女友達に「そんなに辛かったらやめてもいいのよ」と言われてしまう。
2013年07月05日
7月5日の夢(クリニック)
クリニックに行く。玄関を入ると、今改築中らしく、工事中の家の中の細い通路が中庭をはさんだ別棟まで、曲がりくねって続いている。ほかに三人ほど男女の患者がいて、どんどん通路を進んでいくので、ぼくも後に続く。白いカーテンをくぐり、さまざまな部屋を通り抜け、コの字型に曲がってやっと受付にたどりつく。受付には女性が二人。ぼくは診察券を忘れてきたことに気づく。受付の女性はボードにはさんだ問診票に改めて書き込むように求める。最初の質問は「症状はどのくらいの頻度で現れるか」というものだ。ぼくは「しょっちゅう」と書き込む。
2013年07月02日
7月2日の夢(押入れの中のO氏)
編集委員のN氏が某詩人団体の月めくりカレンダーを作った。それを複写して簡略化したものを、S誌の広告として掲載したいと言ってきた。部屋の壁に、そのカレンダーがべたべたと幾つも貼ってあり、鉛筆で簡略化するために割愛するところ、残すところがチェックしてある。カレンダーと一緒にN氏のフォーマルなスーツやカジュアルなジャケットも壁いっぱいに沢山つりさげられている。
突然、編集委員のO氏が「ちょっとちょっと」とぼくを呼び、隣室の押入れの下段に潜りこんだ。彼は巨体なので、まるで頭隠して尻隠さずの状態だ。ぼくは彼に「服を汚しちゃったんでしょ」と、子供に尋ねるようにして声をかける。彼は「そうなんだよ。Nさんから服を借りたいんだ」と答える。ぼくは「いや、ぼくも汚しちゃったんだよ」と言って、彼を慰める。それはそうと、もう夕方の5時だ。銀座のヤマハに6時に行って、そのまま直帰したいと思う。
2013年07月01日
6月30日の夢(詩の連載)
生活の党のO代表の肝いりで、何かに詩の連載をすることに決まったものの、ちっともゴーがかからない。彼の気の変わらないうちにさっさと書き出してしまおうと思う。あの人はすぐにみんな忘れてしまったように、全く違うことをやろうと言いだす人だから。
6月29日の夢(沸騰した鍋)
夜に帰宅して、台所で鍋にお湯を張る。今10時半だ。お湯が沸騰したので、中にブロッコリーを入れて茹でる。足元に何かが当たったので、見ると袋に入ったパイナップルがごろんと転がっている。
6月28日の夢(会社の最後の日)
駅のエスカレーターに乗る。短い距離だが、ものすごいハイスピード。なぜか右足が変な形に宙に浮いてしまい、エスカレーターを降りた後もうまく歩けない。携帯に切符を読み込んであり、それをかざして改札を通過しようとする。ところが右手に持っていたのは、単なるボロ紙だ。もしかして、そこに切符が印刷されていないかと、念のために皺を伸ばしてみるが何もない。
今日はぼくの会社の「最後の日」だ。みんなでカラオケパーティーを開いて、お別れ会をするという。会場には三つの入り口があり、そのうちただ一つの「正しい入り口」から入らなければ、参加することはできないのだ。
ぼくは正しい入り口から入ることができた。ビルの地下にある小さなお店だと思ったのに、中は温泉の大浴場になっている。その湯船は港のように大きい。みんながぼくに声をかけてきたので、景色に見とれるのをやめて、海のような湯船が見渡せる石造りの椅子に座る。カラオケをやっている人たちははるか遠くで、声も小さくしか聞こえない。そういえばぼくは楽譜を忘れてきた。でも、あそこまで行けば、きっとカラオケのマシンがあり、その画面に歌詞が出てくるだろう。ふと隣の男性の顔を見ると、それはぼくより早く会社を辞めた先輩のUカメラマンだった。
2013年06月25日
6月25日の夢(フクロウ型計算機)
フクロウの形をした計算機で計算している。しかし、それが表示している数値は小さすぎる。絶対、こんな数値になるはずはないと思う。何度計算し直しても変だ。
テレビの台の下から炎が上がる。ぼくは叫び声を上げるが、母も祖母も「あ、本当だ」と言って、見ているだけ。ぼくは「早く水をかけなきゃ」と叫ぶ。
2013年06月19日
6月19日の夢(試写室)
映画の試写室にいる。一本観終わって、休憩中である。ぼくは最前列に座っている。左隣の外国人の男性が「ぼくはエキストラに呼ばれているんだ」と言って、ぼくにバイバイと手を振りながら、席を立つ。ぼくは羨ましいなと思う。そのさらに左隣にいた男たちが彼の席を占領しようと手を伸ばすので、ぼくは彼らの邪魔をして、その席を守る。
席を立ってロビーに出ると、廊下に座って立ち話していたさっきの男性や映画監督たちと行き会う。監督はぼくに声をかけ、「もう少しエキストラがほしいんだ。きみもあの監督と一緒に出てくれないか」と言う。そういえば有名な映画監督が試写室に来ていた。ぼくは早速戻って、その監督に伝える。彼は「いいけど、ちょっと待って」と言って、階段を降り、右手の方に行ってしまう。それは渋谷駅の井の頭線に続く階段だ。ぼくは階段の上で待ち続けるが、いつまだ待っても彼は帰ってこない。
知り合いの女性がやってきて、「あなたと私の心と体が互いに入れ替わっていましたね」と、ぼくに言う。
6月18日の夢(オフィス撤収)
これまでずっと拠点としてきたオフィスから撤収することになった。皆で内装や、資料、書類などをどんどん解体していく。そして、それらを煮え立つ鍋の中に、ちょうど闇鍋のように投げ込んで、ぐつぐつ煮え立たせる。ぼくは食べられないものを入れるべきだと思うのだが、皆はなぜか食べ物ばかり投げ込んでいる。ぼくは鍋に近づけず、皆もぼくに何かを入れろと促そうともしない。せめて最後に何か食べ物でないものを入れたい。できれば白銀にきらきら光る金属片をいくつか入れたいと、床を探すが見つからない。
オフィスを閉鎖する記念のD.J.があり、ステージの機材に関心を持って、見に行くが、皆に邪魔にされ、怒られてしまう。女性の心地よいヒップホップを聞きながら、眠ってしまう。
起きると、鍋は灰緑の豪華なカバーをかけられた棺桶の中に納められていた。既に室内は何もなくなっている。今まで隠されていて、気づかなかったが、大きな窓があり、外に四ツ谷駅が見える。駅の向こうには海さえ見える。ホームから「大阪、大阪」というアナウンスが響いてくる。多分、大阪行きの列車が出発するところなのだろう。同僚の男性が「顧客からの電話に、あの大阪大阪というアナウンスが入っちゃうんですよね」と懐かしそうに声をかけてくる。
ぼくはその建物の地下にエスカレーターの手すりの上にまたがって降りていく。だが、手すりと天井との仕切りにはさまれかけ、間一髪で飛び降りることができた。ぼくのすぐ後ろにいた男性はまともに仕切り板に頭をぶつけ、「わあっ」と悲鳴を上げて、地下の暗闇に転落して行く。助けなければと思うが、誰も援けに行く者はいない。みんなオフィスを最後に見て回るために、順番に車いすに乗る。詩人の清水哲男さんがぼくの乗った車いすを押して、ぼくを外へと連れ出してくれた。
2013年06月17日
6月17日の夢(女友達)
女友達が立っている。その胸のあたりにウィンドウが開き、画面は上下に分かれている。上半分に彼女の書いた文章が、下半分にぼくの書いた文章が表示される。「上下、それぞれに関係ないから、かえっていいんだよ」と、ぼくは女友達に言う。
6月16日の夢(廃屋のオフィス)
世界は崩壊の危機に瀕している。遠くへ逃げたい。だが、ここから出るバスは一つも目指す名古屋には停車しない。あきらめて廃屋を借り、そこに仮オフィスをみんなで開くことにする。しかし、あまりに手狭だ。本はあふれかえり、デスクは皆に行きわたらない。ちょっと手を触れると、ドミノ倒しのように書類が崩れてくる。おまけにぼくのデスクにはゴミ箱がないから不便だ。しかたなく、適当な袋の中にゴミを投げ込む。
6月15日の夢(残業)
夕方になって出先から会社に戻った。そこはぼくの本来の部署ではなく、出版部のオフィス。タイムカードを押そうとするが、見当たらない。そもそも最初からないのだろう。近代的なオフィスだが、何かよそよそしい。皆が残業しているので、ぼくも帰るに帰れない。深夜になって、ようやく退社して駅へ向かう。ここは名古屋駅だ。これでは12時過ぎにしか自宅に帰れそうにない。
2013年06月11日
6月11日の夢(戦い)
ぼくらは戦っている。つやつや光る広いフローリングの床に、ぼくと男性、女性各一名が座っている。ぼくらは食事を終ったところだ。ぼくは「we shall overcome・・」と歌いだす。あとの二人がそれに唱和する。ぼくの頬に涙があふれだす。なぜ泣いているのだろう? ぼくらは敗戦し、あとに残ったのはこの三名だけなのだろうか。
2013年06月09日
6月9日の夢(D社の庭園)
D社の一階の部屋で、編集委員のO氏が黒い服を着て、大きなトランクをいくつも荷造りしている。ぼくはもう退社したいのだが、彼の作業が終わるまでは帰れない。しかたがないので、コミック本を読んで時間をつぶす。そのコミックは中年男性の某漫画家が「一色さんに示唆されて書いたから」と言って、献呈してくれたものだ。O氏のトランクが出来上がると、T社長との間で喧嘩が始まった。ぼくは部屋の掃除を始める。どうやら二人はぼくなど眼中にないようなので、ぼくは退社してしまってよさそうだ。しかし、「お疲れさま」の挨拶を言うタイミングが難しい。手を洗おうと外へ出る。うっかりいつもと反対側へ出てしまった。そこはD社の大庭園で、見渡す限り広がる敷地には人工湖や噴水まである。彼らはこんな大邸宅に住んでいたのかと、びっくりする。
2013年06月08日
6月8日の夢(ジェットヘリ墜落)
調律師の集団と大きな車に乗って旅をしている。その親玉にぼくは「2台のピアノをステージに並べてデュオで演奏するのはどうだろう?」と提案する。親玉はぼくの提案に「面白い」と興味を示すが、「でも、そんなことが本当にできるだろうか。2台のピアノの音律を完全に合わせるなんてことが」と不安顔だ。ぼくは「以前、知り合いのピアニストと実際にやったことがありますよ」と言う。手下の調律師も賛成するが、親玉はやはり「うん」とは言わない。
空をジェットヘリコプターの一群が絡まり合い、一台の飛行機械であるかのように飛んでいる。あんなことをして、よく落ちないものだと感心する。やがて一群は解体して、1機ずつの飛行に移る。そのとたん、最初の1機が落下して爆発する。次々とジェットヘリは墜落し、最後の1機はぼくの至近距離で落下爆発する。火花が飛び散り、まるで野球ボールのように飛んでくる。ぼくはこうもり傘をバットのように構えて、それを次々と打ち返す。
この試合でイチロー選手は投手として2勝目を上げたが、この爆発事故に巻き込まれて、全治3か月の負傷をしたという。
2013年06月07日
6月7日の夢(ピアノ教室)
ピアノ教室へレッスンに行く。先客の若い女性がレッスン室で老ピアノ教師と話しているのが聞こえる。終わって出てきた彼女はぼくに「いつもレッスンのつもりが人生相談になっちゃうの」とほほえむ。
代わりにぼくがレッスン室に入る。ピアノ教師は長老詩人のN氏だ。ぼくは彼と向き合ってソファーに座り、クッションの隠れた便器の蓋を探して開ける。ピアノ教室では思いのたけを吐き出すため、用便をするというのが昔からの決まりなのだ。
6月4日の夢(南の島で)
南の島のある施設を訪れている。病院と商業施設が合体した建物で、ぼくはそこでのんびりと治療の順番を待っているらしい。いや、もしかしたら単に病院取材に来ただけかもしれないと思う。呼ばれて診察室に入ると、ここは外国のはずなのに、初老の日本人の男性医師がいた。部屋を出て、薬の順番を待つ部屋に行くが、そこに沢山並んでいるベッドはすべて薬を待つ患者たちに占領されている。あきらめて、ぼくは外で待つことにする。
気がつくと、さっきの薬待ちの人たちは全員外に出てきている。慌てて建物の中に入る。デスクにKくんが座っていて、ちょうどかかってきた電話に出たところだ。彼は電話の主の問いに答えるため、ぼくに「明日は8時くらいにこちらへ帰られますか」と尋ねる。実際は今夜中に帰る予定なのだが、ぼくは「あっ、何か悪い予感。明日はイベントでしたっけ」と、答をはぐらかす。「ええ、8時くらいに一番音のいいやつが通るんですよ」と、Kくんはぼくに言う。
2013年06月03日
6月2日の夢(止まらないバス)
鍾乳洞の中が駅舎になっている。地面は水浸しで、びちゃびちゃと汚い。ぼくはそこに立小便をする。水たまりの上を素足で歩くのはいやだ。ちょうどスリッパが落ちている。一つは大きく、一つは小さい。これはノムラさんのものだと思うが、とりあえずはいてみる。電車がちょうど到着したらしく、プラットフォームのある岩壁の向こうから若い女性が二人、水たまりに今にも落ちそうにして、歩いてくる。ぼくも歩いていくが、それはここで立小便をしたのをさとられたくないためだ。二人が歩き去って見えなくなると、回れ右して戻り、洞窟の外に出る。そこにはバスが待っている。降りる駅が近づいてきた。ぼくも他の乗客たちも一斉に降車ボタンを押すが、運転手は押し黙ってバスを疾走し続けさせる。バスは止まってくれるだろうか。
2013年05月29日
5月29日の夢(お菓子の階段)
お腹が減ったので、何か買って食べようと会社を出る。玄関で自分の履物をはく。靴ではなく、草鞋のようなスリッパのようなものだ。後ろからムラカミ氏が「ぼくのは?」と尋ねる声がするが、「知らない」と答えて外に出た。
そこは原宿の街である。明治神宮前の交差点を渡る。このあたりに確かお菓子屋があったはずだ。トンネルみたいな階段を昇る。階段の床はお菓子の詰め合わせでいっぱいで、その上を歩くのは容易ではない。おまけに昇るにつれて天井が低くなり、首を縮めて歩かなければならない。そういう姿勢でお菓子を食べながら歩くので、ちょっと息苦しい。やっと踊り場に出た。そこにはムラオカ氏がいて、携帯で会社に電話しているところだった。彼はぼくの顔を見て、「上段にあった手紙をまた戻しているのか」と尋ねる。ぼくは「してない」と答える。
2013年05月28日
5月28日の夢(交通事故)
車の後部座席に乗っている。運転席には眼鏡をかけた痩せた男性。助手席にはぱっとしない女性が座っている。ゆっくり走っていたのだが、車の左側を停車していた車に接触させてしまう。その車はもともと凹んだ痕があり、今回の事故で傷ついたようには見えない。女性に「大丈夫?」と声をかける、彼女はうなずく。どうやら無傷のようだ。そのまま立ち去ろうと運転者は車を発進させる。ところが、相手の車の運転席に男性が座っているのが見える。これでは逃げられない。しかたなく車を止めて、運転者の男性がゆっくりと降りて、相手に話をつけにいく。ぼくは時間かせぎに、手にしていた折り畳み傘をゆっくりと畳む。
2013年05月24日
5月24日の夢(砂の中の魚)
外国の都市にいる。ぼくはここで外国人労働者として働いているのだ。通勤のためバス停に並んでいると、いつもはバスは小型で、しかもガラガラなのに、今日は車体を真っ青に塗った大型バスがやってきた。どうやらかなり遠くから来たバスらしく、中は黒人労働者たちでいっぱいだった。この国ではまだまだ人種差別が強く、労働者階級の殆どは有色人種である。
バスは海岸に着き、そこでぼくも降ろされた。地面は深く灰色の砂でおおわれている。砂の中には大型の魚たちの死骸が沢山埋められているのが、砂の凹凸の形で分かる。中には砂の中でまだ命があり、動いている魚もある。それを監視している白人もいる。ぼくは少し高台になった場所にいるのだが、そこから波打ち際を見ると、沢山のネコたちがいて、死んだ魚を食べあさっているのが見える。それを逃れようと、砂の中を這って逃げようとするまだ命のある魚もある。ぼくの足元の砂の下にも巨大な形がうごめいている。どうも形からして、それは魚ではなく、小型の象のようだ。
2013年05月21日
5月21日の夢(アンケート)
妻と一緒に駅へ行く。駅には露天商が床に品物を広げている。妻がその中から白い紙で円筒形に包まれたものを取り上げ、買おうとしている。ぼくも同じものを手に取り、一緒に買おうとして顔を上げるが、妻が見当たらない。どうやら、とっくに買い物をすませて、どこかへ行ってしまったらしい。ぼくは同じものを二つ買ってもしかたがないと思い直し、手にしていたものを元の場所に戻す。しかし、白い紙包みが少しほどけてしまった。露天商はぼくにアンケートを求めてきたので、ITのことを書いて渡す。
そのアンケートをまとめた小冊子が送られて来た。早速ページを開けて見ると、「IT」の文字が数字の「1,2」と誤植されている。がっかりしてしまう。
2013年05月18日
5月18日の夢(行き先表示板)
会社がまた新しいオフィスに引っ越したようだ。随分昔に死んだN社長が元気に指揮をとっている。女性の同僚がしきりにグランドピアノのカタログを探している。それなら、さっき印刷所の人が見積書といっしょに見本を持ってきたはずだ。引退するぼくに代わってピアノの仕事のチーフになった若い男性が自分のデスクにしまったようだ。彼女といっしょに男性のデスクを開けてみるが、引き出しは書類でいっぱいでカタログは見つからない。
ぼくは6時に銀座のヤマハに行かなければならない。新しいオフィスの壁の行き先表示板に、自分の行き先を書こうとする。それは汚いベニヤ板で、名前が天井近くの高い場所に書いてあるため、ぼくの欄がどこなのか探すのが大変だ。自分の欄に小さなぽろ布が取り付けてあり、そこに行き先を書くらしい。しかし、「銀座店」とマジックで書いただけで、スペースがいっぱいになり、「直帰」と書きたいのだけれど、その文字を書くことができない。ベニヤ板に直接書いたらマジックだから消えなくなってしまうだろう。それにもう時間がない。さっきの女性を誘って、タクシーで行った方がよいと思う。
2013年05月15日
5月15日の夢(宇宙から来た友達)
宇宙から帰ってきた友達が何人もぼくの家を訪ねてくれた。男性もいれば女性もいる。慌ててフライパンを持ち出し、食パンを入れて、フレンチトーストを作る。友達の1人が手伝ってくれる。少し頭の薄くなった男性だ。
2013年05月13日
5月13日の夢(大きな家)
今日、大きな家に女友達を連れて行き、家の中を見学させた。すると、どこかから女性の声がぼくにこう告げた。「明日からその家はあなたのものになります」。
その家にいると、ぼくの母の弟が入ってきた。とっくに死んでいるはずなのに。彼はぼくに「腰と頭が痛いんだって?」と尋ねる。ぼくは笑って、「いや、腰はなんでもないです。痛いのは頭だけです。でも、もう65歳ですから、いやもう66歳ですから・・」と答える。
2013年05月12日
5月12日の夢(隣の少年)
近代的なオフィスにいる。高層ビルらしく、目の前は大きなガラス窓。ぼくは仕事がものすごく忙しく、デスクの上は書類でいっぱいだ。それなのに、今日はいやにデスクがさっぱりしている。見ると、左隣のデスクに一時的にそれらを退避させたためらしい。その席には小学生ぐらいの少年が座っていて、困惑した表情である。ぼくは少年に「ごめんごめん」と謝り、彼のデスクの上のものを自分のデスクに移し出す。たちまちぼくのデスクの上は並べきれない書類であふれてしまう。
2013年05月10日
5月10日の夢(三つの断片夢)
左側を真っ青な水を満々とたたえた多摩川が、こちらに向かって流れている。大きな川だが、川以外に何もない風景。右側は岸辺で、そこに低層の建物が三つほど並んでいる。病院のような施設で、ぼくもそこに入院しているらしい。施設の中には酒場があり、そこで女給をしている患者もいる。週末だからか、みんな家に帰ることになり、彼女の保護者もやってきた。互いに住所を教え合い、再会を約束して別れる。
三階まである建物。一階は喫茶店で、二階から上は居酒屋だ。最初、みんなと楽しく一階でお茶を飲んでパーティーをしているが、気づくと一階にいるのはぼく一人で、ほかの人たちは二階か三階へ上がってしまった。このまま帰ろうか、それとも二階へ上るか迷う。
道の真ん中に巨大な穴があいている。その両側に人が一人やっと通れる幅の砂の道がある。どちら側にも沢山の荒くれ男たちが並んでいて、みんなナイフや包丁を持っている。中にはぎざぎざのパン切り包丁をぼくにつきつける者もいる。どちら側を通ろうとしても彼らにおどされ、通り抜けることができない。
2013年05月09日
5月9日の夢(昼食)
仕事を終えて、お昼になった。オフィスの隣室に移動する。カウンターの中で社長夫妻が鍋やフライパンを使って昼食を作ってくれる。既にそこには二人の人物がいる。一人はメガネをかけた男性。もう1人は女性だったが、いつのまにか男性になっている。社長夫妻がみんなの前に皿に盛った料理を並べてくれる。メガネの男がおかずの皿を食べている間に、ぼくはご飯の皿を食べる。とてもおいしい。もしかして、夫妻はぼくは仕事が終わったから帰ると思っていたのではないか。この皿はご飯とおかずでセットにして、隣の男が食べるものではなかったのか。と思うが、構わずぼくはご飯を平らげる。本当は鞄の中に自分のお弁当を持っていたのだけれど。
2013年05月08日
5月8日の夢(五十音ダイヤル式電話機)
長方形の木の箱がある。これは電話機だ。四角い空間にばらばらに五十音の文字が配置してあり、それを使ってダイヤルする仕組みである。長文の文章を一つ一つ文字を探してダイヤルする。ちゃんと間違えずに電話すると、文字盤が光るので分かる。隣にいる女性の助けを借りて、なんとか全文をダイヤルし終えた。
2013年05月07日
5月7日の夢(三人掛けトイレの夢)
北海道に出張して、相手先と打ち合わせをした。終わってトイレに入る。トイレは三人掛けの椅子で、馬に三人がまたがるような具合にして腰かける。一番前の人はそのままおしっこをしても大丈夫だが、ぼくは一番後ろなので、ここでおしっこをすれば前の人にかかってしまう。「皆さんが降りてからします」と言って、椅子から降りる。
今回は久しぶりに大きな撮影がいくつもある、すごい仕事だ。駅の待合室で見積もりの準備をしていると、男性が近づいてきて、「もう営業の人は帰ったよ」と言う。よけいなお世話である。「はい、わかってます」と答える。
2013年05月03日
5月3日の夢(深宇宙からの帰還)
ぼくは深宇宙から地球へ帰還する宇宙船の中にいる。乗員たちが手にしている団扇のような器具は、深宇宙では危険を知らせる情報を表示する道具だった。だが、ここまで戻ってくればもう安全だ。今、団扇に映っているのは地球のさまざまな企業のコマーシャルだ。それが終わり、今そこには空から地上へ射すピンクの光の柱の映像が映っている。
2013年04月30日
4月30日の夢(階段を下る船)
社会見学で運河を下る船に乗ることになる。いいアイデアを思いついた。理事会で「お歳暮を船中で買って配れば安くなりますよね」とその考えを披露してみるが、理事たちは皆黙って苦笑するばかりで、賛同者がいない。ぼくは船で買ったお歳暮をカバンに入れていたのだが、結局出せずじまいになる。
さて、その船に乗ってみた。隣には元サザンの桑田さんがいる。彼は写真が得意で、「これから撮影するから、あれを片づけて」と言う。あれって何のことだろうか。「対岸のもの?」と尋ねる。そうではなくて、すぐ目の前の手の届く壁にかかった小物のことだった。桑田さんはカメラのシャッターを押し、その場でプリントを取り出す。ポラロイドカメラのようだ。見ると、素晴らしい傑作である。そのとき船はいよいよ運河の最終地点にさしかかった。ここからは運河が階段状になっており、船首をぐっと前に傾け、階段をがんがんがんと降りていく。最後に築地のような大きな魚市場に着いて、船旅は終わった。
船を降りると、そこはお茶の水である。昨日妻が喉が乾いたので、このビルに入ると村上春樹がバーテンをしているバーがあり、そこでトマトジュースを注文して飲んだという話を思い出す。ぼくもビルに入り、二階に上がってみるがそれらしい店はなく、一階からまた外に出る。たむろしていた若い男女がうさんくさそうにぼくを見送るが、無視をする。
4月29日の夢(漫画家の新人賞選考)
ぼくは漫画家の新人賞の選考委員だ。真向かいに座っている若い男性に「ぼくが〇をつけた人は6人しかいなかったよ」と言う。
2013年04月28日
4月28日の夢(靴の置き場所)
職場のつもりだったが、どうやら学校らしい。靴箱だけではスペースが足りなくなったので、広い部屋を確保したと、男性の声でアナウンスがある。畳敷きの部屋をいくつも通り抜け、ぼくの靴を置くよう指定された場所に急ぐ。しかし、ぼくの靴置場として指定された場所は職員室だった。畳の上に座り机を置いて男女の先生が仕事をしている。ぼくの指定場所は中年の女性教師の机の上で、そこには書類がいっぱい。ここにどうやって靴を置けばよいのだろう。ぼくはバッグの中を探してビニール袋を取り出す。その中に靴を入れてみたのだが、それをこの机の上に置いてよいものだろうか。
2013年04月24日
4月24日の夢(ホテルの社歌)
ホテルに滞在している。自分の部屋を出て、ロビーに行くと、テレビの取材クルーが来ている。ぼくの姿を見て、支配人はホテルの社歌を歌ってほしいと言う。承知はしたものの、知らない歌である。ロビーに置いてあるパンフレットに楽譜が載っているので、それを手元に置いて出番を待つ。ところが、ちょっと目を離したすきに、誰かがそれを片づけてしまった。慌ててもう一度パンフレットを探すが、ロビーにはもう見当たらない。自分の部屋へ戻ってみる。部屋では布団の中で作家の井上ひさしが寝ている。ぼくも布団の中に入って、寝てしまう。すると、天袋のドアがごそごそ開いて、男性従業員が顔を出し、ぼくを見つけて「出番ですよ」と呼ぶ。またもやロビーに戻ったものの、パンフレットはないし、そんな知らない歌は歌えないのだが、出番の時間だけが迫ってくる。
2013年04月19日
4月19日の夢(箱詰め死体)
避暑地の別荘から車で東京に戻ろうとしている。ぼくたち夫婦だけが老人で、ほかは若い人たちだ。ぼくは最初に車に乗り、運転席に立って、車の真後ろのドアから荷物を「オーライ、オーライ」と言って受け取ろうとする。だが、若者たちはぼくがじゃまらしく、1人の女性が「少なくともあなたはここから出て」と言って、ぼくを車の外に追い出してしまう。
ぼくと妻とは大小2つの荷物を箱詰めしている。小さい方は普通のおみやげだが、大きい方はまるで棺桶のようだ。当然だ。妻が懸命に荷造りしているのは、ぼくらが殺した誰かの死体なのだ。そんな証拠物件をここに置いては帰れない。だからといって、妻はその箱をデザイナーのN氏のもとへ発送しようとしている。そんなことをしたら、すぐにバレて、明日にも警察の取り調べを受けることになるだろう。ぼくは気が気でないので、しきりに妻を説得しようとするのだが、妻が耳を貸さないので、ぼくは「ちょっと来て」と別荘の室内に彼女を呼び込もうとする。
ぼくらはついに車で出発した。だが、途中で何かが起きたらしく、足止めされてしまう。ぼくらのグループのガイド役の若者が、これからばらばらにぼくらは逃げるべきだと言い、可能性のある3つの逃亡先を挙げる。妻はそのうちで最も遠い小倉を逃亡先に選ぶ。今、ちょうど地平線に美しい夕日が沈もうとしている。「あっちが西だから、そちらの方角へ行けばいいんだね」と、ぼくは妻に尋ねる。妻はそばの商店に入って行き、店員の女性に「すみませんが、小倉へはどちらの道を行けばよいのでしょうか」と尋ねる。
2013年04月16日
線路の上の軍楽隊
小田急線に乗っていると、駅でないところで停まってしまった。何かあったのかなと思っていると、別の列車に自衛隊が乗り込むためという車内アナウンスがあった。そのためだろうか、ぼくの乗る電車は本線と直角に交差する支線に退避して、右の方へ行くが、すぐまた本線に戻った。すると、本線の上に三人の楽隊が姿を現した。小太りの初老の男と中年の男二人だ。初老の男はチェロを、中年の男のひとりは太鼓を抱えている。そして三人はレールの上で勇壮なマーチを奏でだす。よく見ると、皆一つの楽器ではなく、三つぐらいの楽器を同時に演奏しながら、二本のレールの間を行進して見せる。彼らがここで演奏するのは、今回が二度目だという。
2013年04月13日
4月13日の夢(交通事故)
夫婦でバスに乗って、外を見ている。すると、隣を走っていた乗用車が宙に舞いあがり、1回転した。でも、無事に着地したように見えた。それを追い越して進むと、別の車が二台ぺちゃんこにつぶれている。どうやら一台が舞い上がって、もう一台の上に落下したらしい。妻がそう言うと、話を聞いていた乗客の1人が保険会社の社員だったらしく、「では保険金を皆さんにお支払いしましょう」と言う。乗客たちは全員がバスを降り、その男の後についていく。途中、妻だけが列を離れてどんどん行ってしまうので、慌てて連れ戻す。妻は「車の音の聞こえるところまで行くのかと思った」と釈明する。保険金窓口に着くと、窓口から係員の男が二種類の半透明のゼリーのようなものをくれたので、ぺろりと食べる。これが保険金らしい。
2013年04月12日
4月12日の夢(病院)
入院している。久しく会っていない知り合いの中国詩人、Rさんが突然お見舞いにやってきた。そこへナースが薄いピンク色の薔薇の大きな花束を持って現れた。当然、その花束はぼくに貰えるものと思ったのに、隣のベッドの少年が貰ってしまった。ナースはぼくのベッドにやってきて、噴霧器でシュッシュッと消毒液を噴射した後、折り畳み式のちゃぶ台をぼくのベッドの上に組み立て、夕食を並べる。ぼくは全く食欲がないのだが、食べないわけにはいかないと思う。
2013年04月09日
4月9日の夢(川向うは墓場)
ぼくは自宅で父と二人暮らしをしている。今日はぼくの劇団の公演があるので、出かける準備をしていると、父が「早く出かけないと、戻ってこれないよ」と言う。電車に乗って出かけたものの、それはどういう意味なのだろう、と考える。てっきり父はあとからぼくの公演に間に合うよう、追いかけてくるものと思っていたが、どうも一度家に戻って自分を迎えに来いということらしい。今は公演2時間前だが、一度自宅に戻るのは無理そうだ。
早稲田に着き、大熊講堂を目指して歩きながら、「しまった。今日は慶応で公演するのだった」と間違いに気づく。再び、電車に乗って、日吉で降りる。川の向こうに渡る道を探す。小さな路地に入っていくと、川に出た。浅い川には少年たちが入って遊んでいる。こちら側は昼間なのに、川向うは夜だ。しかも一面に墓地が広がっていて、月明かりにぼうっと光っている。橋を探すが見当たらない。しかたなく別の道を探そうと引き返す。とても父を迎えに行けそうにないので、携帯で連絡をとろうと思ったが、ぼくの携帯には父の携帯が登録されていない。固定電話にかけようとするが、何度も指がすべって他の人に電話がつながってしまう。
2013年04月08日
4月8日の夢(トイレの中で打ちあわせ)
会社のスタッフ3人で、ある大企業に売り込みに行く。ぼくがチーフでほかに女性と男性が1人ずつの3人のチームだ。大企業の担当者は忙しいらしく、ぼくらは彼らを待つために、学校の運動場のように広い庭の真ん中にある地下室へ階段を降りていく。そこはトイレなのだが、大きな大理石のテーブルが据えられ、十分打ちあわせができるスペースが確保されている。さすが大企業だ。
やがて3人のいかにもエリート社員という感じの中年の男性たちがやってきた。一人はメガネをかけていて、とても温厚そうだ。ぼくは名刺を出そうとするが、デザインは確かにぼくの名刺なのに、一つ残らずぼくではない別の名前になっている。一瞬躊躇するが、どうせ相手はぼくの名前を知らないのだからと、にこやかに偽の名前の名刺を渡す。かんじんのカタログも忘れてきてしまったが、たまたまY社の管楽器カタログがあったので、それを開き、企業紹介のページを見せて、「Y社はこのようにさまざまな分野の製品を扱っています。きっと御社にもふさわしい商品が見つかると思います」と口から出まかせのセールストークを言う。どうせこの企業が発注をしてくれるわけはないのだから、これでいいのだと思う。
2013年04月06日
4月6日の夢(片方だけの靴)
今日は7時半から講演をしなくてはいけない。その前にトイレに入る。出てから、片方の靴を個室に忘れてきたことに気づく。慌てて取りに戻ると、意地悪そうな掃除婦のおばさんが、その靴を新聞紙に包んで持っており、「もう返せない」と言う。しかも新聞紙の内側は黄金色のうんちにまみれている。
とてもそんな靴ははけないので、新しい靴を買おうと急いで靴屋に飛び込む。だが店長は靴ではなく、大きな段ボール箱を持ってきて、「これをはきなさい」と言う。覗き込むと、中にはさまざまなパンツが入っている。しかたなく、一つのでかパンツを試着してみると、胴回りも長さもぼくにぴったりだ。「でも、欲しいのは靴です。スーツは要りません」と断ると、店長は女性店員に「では、持ってきてあげなさい」と言う。しばらく待っているが、店員は戻ってこない。店長を問い詰めると「靴は売れません」の一点張りだ。
もう時間がないので、外へ出てタクシーを探す。後輩のKくんが現れたので、「どの道でタクシーを探せるだろうか」と尋ねる。彼も手伝って流しのタクシーを止めてくれようとする。ちょうどそこへタクシーが停車し、客が降りる。しかし、老運転手はタクシーのドアを閉め、「空車」のランプも消してしまう。ぼくは袋町センターというところで講演をすることになっているので、地図を探すが、それも見つからない。タクシーも来ないし、道もわからず途方に暮れてしまう。
2013年04月05日
4月5日の夢(空港)
海外へツアーで旅行することになり、バスで空港へ到着。飛行機に乗り込むまで、建物の一つで待機することになる。空港には形のよくにた建物が沢山あり、しかもよく似た団体客がひしめき合っている。皆寝て待つことにしたらしく、小説家のRさんが自分の隣にぼくの布団を敷いてくれる。彼女の隣にぼくが寝てもいいのかと胸が弾むが、急に場所を移動することになる。妻も急いで行ってしまったが、押し入れの中に置いた着替えなどの荷物を忘れている。ぼくは慌てて一人でそれらの荷物をまとめ、荷造りして外へ出ると、もう皆の姿はない。ぼくはひとり荷物を抱えて、皆の移動先を人々に聞いたりして探し回るが、どうしても見つけることができない。
2013年04月03日
4月3日の夢(居場所はどこ?)
編集部に新しい女性が入ってきた。30代のベテラン編集者である。ぼくが編集長のはずなので、オフィスの模様替えを指示し、二つある部屋の内側の部屋の真ん中に自分のデスクを構える。ところが、その女性がいつのまにかチーフになったらしく、改めて配置換えを指示した。みんな嬉々としてそれに従っている。ぼくは外側の部屋の窓際の席になったらしい。ほかの社員は既に自分のデスクに落ち着くが、ぼくだけどの席だかよく分からない。ぼくは窓際に白いシーツのベッドを置いて、そこに寝転がってだらだらと本を読んでいる。隣の一番隅っこの席に男性社員が窮屈そうに座っている。もしかしたら、ぼくがいるこの席は彼のデスクを置くスペースかもしれないと不安になる。そこへ女性チーフがつかつかと入ってきたので、ぼくは慌ててベッドの上を片づけ、なんとか仕事をしているふうを取り繕おうとするが、間に合わない。
2013年04月02日
4月2日の夢(靴を脱いで乗る電車)
仕事から帰ろうとして井の頭線に乗る。井の頭線は靴を脱いで乗る電車だ。先頭車両だったので、前方の大きな窓から進行方向がよく見える。どういうわけか運転手の姿はなく、電車は無人で走っている。このまま帰宅しようかと思ったが、まだ早すぎる時間なので、いったん会社に戻ろうと上野で降りる。
歩いていて、何か違和感を覚える。書類をどこかへ忘れてきたみたいだと思うが、探すとちゃんと持っていた。足元を見ると、ぼくは裸足で歩いている。井の頭線に靴を忘れてきたのだ。ここは上野だから、必ず安い靴屋さんがあるはずだと思い、交差点できょろきょろする。右へ行こうかと迷いつつ、左へ行く。ふと足元をもう一度見ると、自分の靴ではないが、誰かの靴をはいている。とりあえず靴を買わなくてすみそうなので、会社に戻ることにする。
2013年04月01日
4月1日の夢(700枚のシャツ)
テレビのヴァラエティ番組。10代の美少年タレント二人がジーンズ姿で出演している。左側の子がナイフで自分のジーンズの腿を切り裂くと、中からもう1枚のジーンズが現れる。今流行の「二枚穿き」というやつだ。二人の間に立っていた女性司会者が右側の少年を促す。彼が同じように腿を切り裂くと、中から700枚のシャツが現れた。
2013年03月29日
3月29日の夢(レストランでお弁当)
アジアのどこかの国にツアーで出かけた。一日目は自分たちのツアーのグループできちんと団体行動がとれた。二日目に自由行動の観光を終えて、グループに戻ると、見知った顔がない。もしかしたら、違うツアーの団体に紛れ込んでしまったのかもしれないと、不安になる。食事の時間になり、ロビーのようなところでみんなで座って待っているうち、トイレに行きたくなって席を外す。
帰ってみると、ロビーの壁だと思っていた部分は扉で、そこが開け放たれ、向こうは大食堂になっている。グループは既にその中へ入ってしまって、どこにいるのか分からない。ぼく同様に自分の行き先の分からない人が、カウンターの中にいる現地の女性に自分たちのグループのいる場所を尋ねている。ぼくが一番最後になってしまった。照れ笑いしながら彼女の前に立つと、彼女はお弁当をぼくに手渡してくれる。それは崎陽軒のシュウマイ弁当だった。「これを持ってどこへ行けばいいのか」と尋ねると、「どこでも好きな席に座って食べなさい」と言われる。
2013年03月24日
3月24日の夢(コート)
妻と映画館へ行く。ぼくは最前列、妻は一列後ろに座る。映画が終わって席を立つ。円柱の前に置かれていた背もたれのない小さな木の椅子が、後ろから出ようとした男性の邪魔になっているのに気づき、それを片づけてあげる。
映画館の出口に来て、妻がいないことに気づき、携帯をかけると「まださっきの席にいる」と言う。ぼくは預けておいたコートを探すことにする。壁際にコートが山積みされていて、元社長のSと現社長のUが探してくれる。「黒のコート?」と言われ、「いや、カバ色だよ」と答える。観客たちが次々とコートを取り戻し、全部のコートがなくなってしまったが、ぼくのコートはない。がっかりしてそのまま帰途に着くが、はっと気づいて再び映画館へ引き返す。「大ボケをかましてました。コートは自分で着てました」と言ってみるが、誰も笑ってくれない。
2013年03月20日
3月20日の夢(豆笛)
これから総会がある。ぼくは自分の担当する2つの部門の報告のため、2冊のファイルを作り終わった。さあ、これで準備万端。そこへK社長と秘書の男が帰ってきた。社長は今、癌を患っていて、既に死期が迫っている。彼は社長室にそのまま籠ってしまうが、秘書が出てきて、オフィスの真ん中に立って話し出す。オフィスの中心には土俵のように円形のフロアが一段低くなっている場所がある。左奥が玄関に通じる廊下で、右奥にも別の廊下がある。その廊下の向こうに会議スペースがあり、廊下の右側は社長室になっている。
秘書の周りに、居合わせた社員が次々と集まってきて、円形に彼を取り巻いて、話を聞く。秘書は「男手はいるのか?」と尋ねる。社員たちは「いますよ」と答える。すると玄関から屈強な若い男たちが次々と入ってきて、社員たちの円陣を取り巻いて立つ。とても心強い感じだ。
秘書は話し出す。「私と社長はこれまでシベリアを旅してきた。そこで社長は演劇をやり、それはロシアの人たちに感動を広く与えた」。ぼくは目頭が熱くなる。最初はウソ泣きのつもりだったが、だんだん感情が高まって、社員たちと共に大泣きを始める。
それからぼくたちは会議スペースの方に移動する。社員たちも資料もとっちらかってしまい、せっかく用意した2冊のファイルもどこかへ行ってしまった。ぼくはそれならそれでいい、と覚悟を決める。と、1人のメガネをかけた痩せて若い男が人垣の外からぼくを手招く。ぼくが近寄ると、男は「これは女性から預かったおみやげだ。きみが待っていたものだよ」と、ぼくに何かを手渡す。見ると、それは一個の小さな豆である。そして豆には真ん中に小さな穴があけられていて、唇にあてて息を吹き込むとピーっと音が出る。皆が秘書の話に感動してピーピー口笛を鳴らしているので、ぼくも小さな音で豆笛を吹いてみる。
やがて、ぼくは体が動かなくなり、床に腹ばいになって、僅かに動かせる手で近くにあるものを叩いて、リズムをとる。社員全員がさまざまな音を出し、それはまとまって一つの音楽へと高まっていく。
2013年03月18日
3月18日の夢(車消失)
いい詩を書いた人や、いい企画を出した人はコーヒーがただになるらしい。だが、ぼくはそんなものは欲しくない。断ると、随分前に自殺した友人のAが社長のSと一緒に出てきて、「時間があるなら、これから軽井沢へ行こう」とぼくを誘う。ぼくは妻と一緒なので、行きたくない。これも断ると、Sだけが軽井沢へ行ってしまう。何かいい企画がそこであるらしい。
実は、ぼくの乗ってきた車が交差点で動かなくなったのだ。しかたなく乗り捨てて、ここへ来たのだが、交差点に戻るとその車が見当たらない。そのことをAに話そうと、彼の家へ向かうが、綱が張り巡らされていて、中に入れない。綱を乗り越えて、よじ登って入ろうとするが、足元の床を危うく踏み破りそうになる。
2013年03月11日
3月10日の夢(券売機)
妻とバスで静岡へ行く。ランチは路上にパラソルを立てたカフェでコース料理を食べる。途中までスムーズに料理が出てきたのに、最後のデザートがなかなか来ない。時間がもったいないので、店を出ることにする。ところがテーブルの上に伝票がない。ビルの中に入ってレジ係を探すことにする。
立ち上がって歩きだし、ふと後ろを振り返ると、何人かの青い制服姿の男性作業員がさっきまでぼくらの座っていた椅子を積み重ねて片づけている。まるでぼくらを追いたてているみたいだ。しかもビルの中は人でいっぱいで、どこにレジがあるのかさえ分からない。
帰京しようと思うが、帰りのバス停が見当たらない。電車の駅に行くと、二両連結のかわいい電車がちょうど出発しようとするところだ、急いで券売機に向かうが五台ある券売機の四台は灯が消えていて、停止中だ。唯一あいている券売機で買おうとして、コインと間違えて札を入れてしまう。慌ててコインを入れ直すが、なぜかサイズが合わず詰まってしまう。その間に電車は発車してしまった。これでは東京に帰れるかどうか分からない。
2013年03月06日
3月4日の夢(避難バス)
皆、地下などにてんでに避難している。怪獣が襲ってくるという者もいれば、いや津波だという者もいる。バスがぼくらを迎えにきた。ぼくは13号車と14号車の指揮をとることになる。ぼくは運転手に「これが14号車? じゃあ、前にいるのが13号車だね」と呼びかける。
3月2日の夢(母燃える)
母が火事で死んだ。その直前で母が録音したというテープを聞かされる。何度か断片的な声が記録され、その後で空気中に消し忘れたように小さな声で「しんちゃん」とぼくの名前が呼ばれる。
2月24日の夢(人間人参セロリーヌ)
人間人参セロリーヌというものができた。人参でありながら、光線を照射すると、人間としての知能を持つらしい。
いくら権力があるからといって、地下36メートルでジェット機を走らせるという暴挙が許されるはずがない。
パリのアーケードのような路地が東京にもできた。一番奥には某音楽財団の宗教施設があり、その手前にはOさんたちの経営する小物のブティックがある。ファッショナブルな小物がとても美しい。財団へ仕事でプレゼンに行かなくてはいけないのだが、ぼくはとても行く気がしない。
2013年02月19日
2月19日の夢(ダム湖)
バスに乗る。観光バスのようで女性のガイドさんがいる。「多摩地方にも水の確保のため、新しいダムの工事が進んでいます」という説明がある。家のこんなそばにいつのまにか大きなダム湖ができたんだ、とびっくりする。陽光を浴びて、水面の青と周囲の森の緑がとても美しい。だが、まだ工事中らしく、湖の周囲には重機がいっぱいだ。
2013年02月18日
2月18日の夢(3階建ての新居)
広い家へ引っ越した。駅からは随分離れた街中にある。シスターたちがおしゃべりしながら歩いている賑やかな通りを渡ると、高速道路のすぐ下に新居があった。一本道を隔てた裏は巨大なショッピングセンターだ。これは便利である。老詩人のN氏と明日は旅行することになっているので、それに着ていく服を買いたいと思う。
家は3階建てで、穴のような場所に建っており、1階は半地下である。そこにはグランドピアノが置かれており、地上との出入り口になる玄関は2階だ。早速友人夫婦を招いてホームパーティーをする。すると、昔の同人誌仲間のSが挨拶もなしに突然玄関から上がり込む。あいかわらず無礼な男だ。ぼくは空いているソファーへ座ろうとして、そこがトイレに行った友人の奥さんの席だと気づき、また立ち上がる。
2月17日の夢(激怒)
会社で上司に本棚に登れ、と言われる。木の本棚だが、下半分は段がなく、手掛かりのない中を必死に登る。上段の手掛かりのあるところにやっと到達し、やれやれと思い、さあここで何をするのかな・・と下を見ると、上司が「打ち合わせをするから降りてこい」と言う。ようやく苦労してここまで登ったのに。ぼくは激怒し、上司を思い切り罵って、「辞めさせてもらいます」と宣言して会社の外に出る。振り返ると、さっきまでぼくのいたオフィスに登る階段が2つある。今まで賑やかにみんなが上り下りしていた階段は、今では物置になっている。そして、以前はさびしかった階段がメインの通路に変わっている。
2013年02月13日
2月13日の夢(信号は白)
とても広い交差点を渡ろうとしている。向こう側の信号機の色がよく分からないほどだ。青色なのだろうか。なんだか白色のように見える。でも、お巡りさんが手信号で合図をし、中学生たちが一斉にこちらに駆けだしたのだから、青なのだろう。ぼくは判断に迷ったので、通行人の最後尾から少し遅れ、慌てて走り出す。通行人の殆どは道路の真ん中にあるバス停で足を止める。ぼくは向こう側まで渡りきれるだろうか。そのとき信号が変わり、はっきりと白色になった。ぼくは走るのをやめ、バス停でしかたなく足を止める。
2013年02月10日
2月9日の夢(外国人ライターとの電話)
久しぶりに以前勤めていたS社へ遊びに行くと、親しい外国人ライターから電話がかかってきた。「S社をぼくが辞めて、会社のイメージが変わりましたか」と、ぼくは尋ねる。「全然変わらないよ」と彼は答える。「では、ぼくが辞めても何にもならなかったな。せっかく辞めたのに」とジョークを飛ばすと、背後の社員たちから笑い声がもれる。
電話を切ると、男性社員が言う。「それにしても、あの会社のUさんはうるさい人ですね」。ぼくが「あの人は今年80歳だからね」と答えると、相手は「ええーっ」と驚く。「実はあの人、ぼくの結婚式のとき、司会をしてくれたんですよ」と言うと、相手はさらに驚く。
2013年02月05日
2月5日の夢(バスの中の大広間)
社員旅行でバスに乗る。ぼくの席は右側の最前列で、運転手席のすぐ後ろだ。この席だけは特別に足を伸ばせる足台がついていて、とてもラクチンだ。しかし、気づくとぼくの対面にも席があり、いつのまにか見知らぬ男女が座っているので、慌てて足をひっこめる。
バスの中は大広間になっていて、鉢植えの観葉植物がいっぱい積み込まれている。これを使って、これからゲームをするのだという。みんなでその植木鉢を部屋中に配置するというので、ぼくも手伝う。
2013年02月04日
2月3日の夢(女医と少女)
二人の見知らぬ女性と共に、小学生ぐらいの少女を診察のため病院に連れていく。広い畳敷きの和室が入院患者たちの病室で、そこに布団を敷いて沢山の女性患者たちが寝ている。だが11時までは休憩時間だということで、患者たちは全員起き上がり、見舞いの家族と共に外出してしまった。残されたシーツだけが鮮やかに白い。
診察室を開けると、狭い室内のデスクに半身をあずけ、背中を見せて若い女医が眠っている。これでは診察を受けられない。ちょうど11時になり、どやどやと患者たちが帰ってきて、布団にもぐりこむ。ぼくは逆に外へ出ようとするが、患者たちに押されて土間に戻る。ぐずる少女をぼくはしきりになだめる。
2013年01月30日
1月26日の夢(寝ながら聴く講演会)
広い講堂のようなところに講演会を聴きに行く。といっても寝転んで聴くのだ。寝ているぼくの上にどんどん人が寝た姿勢で積み重なる。ぼくの着ている上着がどこかへ行ってしまうが、身動きがとれない。講演が終わり、人々がやっといなくなった。会場にはあちこちに上着やセーターが畳んで山積みされたり、ハンガーにかけられている。それらを一つ一つ何度も点検するが、ぼくのものは見つからない。なくした上着があきらめきれないのに、誰も困っているぼくに声をかけてくれない。
2013年01月24日
1月24日の夢(レストラン)
妻とレストランの席が空くのを順番待ちしている。ぼくだけ別室に行き、ドアの鍵穴を覗く。隣室では野球の練習をしている。至近距離からピッチャーがボールを投げ、それが首に当たって、バッターは「あいた!」と叫ぶ。もう一度鍵穴を覗くと、もう誰もいなくなっている。レストランに戻ると、さらに行列する客が増えている。妻は既に一人で席について食事中だ。「ぼくの分は?」と尋ねると「ないよ」と言う。
2013年01月20日
1月20日の夢(不正の告発)
知人の女性があることで不正があるのではないかと疑い、直接質問に行くと言うので、ぼくもついて行く。そこは劇場で、客席には沢山の観客が座っている。その左側通路から女性は舞台と客席の間に張ってあるロープを潜り抜け、舞台前の空間に入り込む。客席最前列左端の男性が喫煙していて、タバコの煙が通路に漂っている。ぼくはいったんは通路から女性が担当者に抗議するのを見守っているが、らちがあかない様子なので、タバコの煙とロープを越えて、自分も舞台前に行く。
そこには下手側に椅子とテーブルを出して担当者が座っている。年上の女性である。ぼくの知人の女性は上手側の椅子に座っており、二人の間にはかなりの距離がある。問題になっているのは腕時計やカメラに使われるボタン型の電池みたいなものだ。
ぼくは二人の真ん中あたりに立って、知人に助太刀するつもりで発言する。「これは正しく真円を描いて回転するんですか?」 しかし担当者は話をはぐらかし、「橇にはベルがついているので、まるで本物のように聞こえて愉しいでしょ?」と答える。ぼくはさらに「そんなことより正しく回転するかどうかの方が大切でしょ?」と言いつのる。
2013年01月16日
1月16日の夢(黒煙吐く飛行隊)
八百屋さんの一角に座ってお寿司や果物、野菜を食べられるコーナーがある。そこに座って、八百屋のおばさんと雑談しながら、ご飯をいただく。
その八百屋さんに向かうため、バスに乗っている。時間内に着かないと食べられないのだ。ふと窓を見ると、低空を船のような形をした巨大な飛行隊がお尻から黒煙を吐きだしながら飛んで行くので、妻に指さして教える。だが、妻にはそれが見えなかったようで、その隣に座っていた乗客の中年男性が「火事だ!」と素っ頓狂な声を上げる。妻が男性に「いや、あの煙は何かが飛んでいるんだそうですよ」と言うと、彼は「いやあ、技術も進歩するものですなあ」と頭をかく。
2013年01月13日
1月11日の夢(3枚のハガキ)
会社の新しい部署に転属した。小学校の講堂ほどもある大きなオフィスの一番右端に近く、ぼくの右にはもうひとつだけデスクがあり、そこには女性社員が座っている。部屋は妙に暗く、電気を点けたいのだが、天井から下がった紐を引っ張っても、蛍光灯は一つも点かない。
ハガキが三枚ぼくのところに配達された。そこに書かれた内容を素材に青いクレパスを使って、ぼくは文章を綴っていく。そんなぼくをじっと監視している一人の男性の視線を感じる。
1月10日の夢(合唱指揮)
自分のノートにクリスマスソングを書き写し、それを譜面にして同僚の男性たちを指揮して、3日間合唱させている。そこへ前編集長のK女史が現れた。目の前に黒い服を着て座った彼女に、ぼくは「Kさん、指揮してよ」と言う。彼女は「指揮なんて」と謙遜するが、手彫りの黒い箱を取り出して、その自慢を始める。それを見て、ぼくが「ほら、やる気あるじゃない」と言うと、彼女は「うふふ」と笑う。
2013年01月09日
1月9日の夢(温泉町にて)
ぼくは温泉町に会社の仲間と滞在していて、どこかへそろそろ出発しなくてはいけない時間だ。そのためには外出先から早く宿に帰らなくてはいけない。急ぎ足で橋を渡る。もしかしてもう一本先の橋を渡るのではなかったか。もう一本先の別の建物に宿をとっていたのではないか。次々と疑念が襲う。だが、その建物の階段で、ちょうど降りてくる仲間たちと会った。やはりここで良かったのだ。ぼくは走りながら服を着替え、持ち物を整える。なんとか形になった。ぼくがネクタイを締めるのを見て、同僚二人が「あっ、じゃあ上着も要るのか」と言って、宿に駆け戻った。ネクタイはいつのまにかセーターに変わっていて、そのセーターを着ようとして腕を頭の上にあげたまま、衣服に絡まり、ぼくは身動きできなくなってしまう。
2013年01月08日
1月8日の夢(一番明るい電球)
女性の家のトイレの電球が切れた。交換したいが、家にあるのは7ワットとか11ワットとかの電球ばかりだ。その中で一番明るい電球をつけようとしている。
2013年01月07日
1月7日の夢(日帰り出張)
朝会社に顔を出してから、東京駅へ向かう。そこでしばらく時間をつぶして、新幹線に乗る。まず岡崎駅で下車。1時間ほど駅の周りを散策して、また時間をつぶす。さらに新幹線に乗って、浜松駅に12時に着く。駅の待合室で打ち合わせを手早くすませ、1時過ぎの帰りの列車まで駅の周辺を散策しようと思う。ところがぼくの後ろでNデザイナーが別の打ち合わせを始めた。Iさんも加わっている。彼らを置いて自分だけ外に出るわけにいかない。そうこうする内、1時になったので新幹線に乗り、東京へ戻ることにする。途中の駅で通過待ち時間があり、列車が停車していると、乗客の一人の男がケータイで電話しながらホームに出る。そこへ発車ベルが鳴り、男が乗らないうちに列車は走り出した。男はホームを走って追いかけるが、結局乗り損ねてしまった。ぼくは無事に東京に戻り、まだ勤務時間内だが、会社には寄らず、そのまま自宅に直帰する。
大きな川の中に船を浮かべて朗読会が行われている。それをぼくは対岸の崖の上から見下ろしている。朗読が終わると、待機していた大男が朗読している男を川の中に投げ飛ばす。溺れるのではないかと心配だ。だが男は幸いにして泳ぎができるらしく、無事に泳いで戻ってくる。とはいえ、泳ぎのできないぼくが出演して水の中に投げ飛ばされるのはごめんだ。ぼくは逃げ腰になる。
2013年01月02日
1月2日の夢(空に移住する)
大きなお風呂に入っている。ぼくのほかにもう一人男性が入浴している。
美しい庭園にいる。空を見上げると、雲が緑色に輝いていて、野原のように見える。隣に立っていた同僚の男性が「あれは本当の野原だ。これからあそこへ行こう」と言う。半信半疑のまま彼のあとについていくと、森の中に白亜の建物がいくつか建っている場所に出る。「さあ、ここからもう空の野原です」と同僚が言う。見回すと、確かに空に逆立ちして、この建物が建っていた気がする。建物から見知らぬ男性が出てきて、ぼくらに挨拶する。そこへ別の男性が通りかかる。同僚は彼を呼び止め、建物から出てきた男性に「この人が必要なものを遠いところへ運んでくれる人です」と紹介する。
2012年12月31日
12月31日の夢(お供え赤ちゃん)
詩人たちで舞台に上がる催しが好評で、今年はその二回目だ。中年男性の作曲家が楽屋に「始まるよ」と呼び出しにきて、最初の出し物の出演者が舞台に出て行った。女性詩人のUさんとぼくだけが楽屋に残った。ぼくは一人、楽屋を離れて、舞台の見える袖に行く。そこにはもう沢山の人がいて、舞台を見つめている。背伸びして眺めると、客席はほぼ満員のようで、ほっとする。楽屋へ戻る途中、通路にあったお供え餅のようなものがぴくりと動いたのでびっくりする。よくよく見ると、お供え餅と見えたのは赤ん坊の大きな頭だった。
2012年12月27日
12月27日の夢(海外ホテルでさんざん)
列車に乗って海外旅行に行く。特急の車両の中は一部の座席が取り払われ、そこに小型のグランドピアノが置かれて、少女ピアニストが練習をしている。ぼくの行く東南アジアの島で国際コンクールがあり、彼女はそれに出場するのだ。
島に着き、ホテルに投宿する。すべての日程を終えて、いざチェックアウトしようとする。顎髭のはえたホテルマンに請求書を貰うが、お金の数え方がわからない。外国語も全く通じない。しかたなく、持っていた全額を彼に渡し、必要なだけ取ってほしいと、身振りで伝える。すると、彼はその全額を取って、見積もりを書いた領収書だけをぼくに渡す。皆先に空港へ行ってしまい、取り残されたぼくはパンツ1枚だ。お金も洋服もないのに、帰りの飛行機に乗せてもらえるだろうか。
2012年12月26日
12月26日の夢(一躍時の人になる)
ぼくは会社では窓際族で、暇を持て余している。自分の本来のデスクさえ他人に奪われ、やむなく別の空きデスクで居眠りをする。起きて、デスクの電灯を点け、しゃきっとして仕事をするふりをするが、実際は新聞を読んでいるだけだ。そこからは柱の陰に隠れて、本来の自分の席が見えない。その席に戻ろうとするが、行ってみると、やはり別の人が座っているので、すごすごと空きデスクに戻る。
たまたま外出したときに、ぼくはある事件に巻き込まれる。そして全くの偶然から犯人をつかまえ、表彰されることになった。一躍時の人になったぼくが会社に戻ると、ロビーにはインタビューしようと記者が待っており、出迎え役として会社が用意した美女たちもぼくを待ち構えていた。
2012年12月24日
12月23日の夢(ぼくの名はディッシュ)
会社が改装された。クラシックな感じの西洋の城館風の大きなビルだ。ぼくはデスクの上の資料をせっせと棚に収めようとするが、入りきらない。資料があふれて、自分の椅子にも座れず、隣の椅子に座る。しきりにケータイにメールが着信した音がする。
資料を抱えてエレベーターに乗ろうとする。ドアが開くと、このビルのオーナーとお付きの男が乗っている。ぼくは「あっ、いいや」とごまかして、エレベーターから回り右する。そして、資料を抱えたまま階段を降りるが、いつのまにか階段を昇っていて、心臓がどきどきする。
自席に戻るとケータイが鳴る。通話ボタンを押し、「ディッシュです」と名乗る。ぼくはそういう名前らしい。
2012年12月22日
12月22日の夢(世界が終わる日)
今日は世界が終わる日だ。誰もがそのための片づけをしている。トイレから席に戻ると、ぼくは股引姿であるのに気づく。急いでズボンをはくが、前の部分に大きな白い染みがある。爪で削り取って匂いを嗅いでみると、甘い香りがするるデスクの上に何かが置かれている。これはある女性との大切な思い出の品だ。世界が終わる日に、今さらとは思うが、ぼくはそれを大切にカバンにしまう。
2012年12月19日
12月19日の夢(ラジオに出演)
実験台になってほしいと頼まれた。お盆に載せた沢山の料理を食べ、どれが一番おいしいか意見を言うのだという。その後、同じ料理をぼくの家で用意して同じお盆に載せ、別のお宅に回さなくてはいけない。ぼくは同学年の男の子のいる隣のKさん宅に回そうとするが、「あの家は料理が作れないから、Tさんの家ではどうか」と母が言う。Tさんの家にはぼくより3つ年下の、ぼくの片思いしている女の子がいる。ぼくは胸がどきどきして苦しくなる。
どこかのお屋敷の敷地に侵入する。そこは正方形に緑のネットが張られていて、ゴルフの練習場のような感じ。ネットにからまるようにして、照明器具のようなものがいっぱい取り付けられている。そのどれかは監視カメラではないか。ぼくは緊張して、カメラを見分けようとする。
ラジオ番組に出演を依頼された。番組のパーソナリティを務める中年の男性がもうひとりの男と訪ねてきた。ぼくはカーテンで仕切られた中で待っているが、二人はぼくに会おうとせずに帰ろうとする。慌ててカーテンの外に出る。部屋の中央にデスクが集められ、周囲で学生たちが勉強している。ぼくが男性に「当日はスタジオに行けばいいのですか」と尋ねると、「それでもいいよ」という答が返ってきた。どうせラジオに出るのなら、やはり放送局のスタジオに行きたいと思う。男性はぼくに「卒業したら、就職はどうするの」と質問する。「ぼくは一度会社に出て、そこに籍を置いたまま学校に戻ったのです。だから、卒業したら元の会社に戻るんですよ」と答えると、男性はびっくりする。
2012年12月18日
12月18日の夢(スーダラ節)
パーティーの余興でぼくはスーダラ節を歌うことになった。スーダラ節の歌い方や踊り方についての企画書を事務所でスーツ姿の男性から渡される。三枚ぐらいの書類だ。会場でそれを全員に配り、踊りの練習をする。ぼくは調子よく歌い、みんなも企画書通りに踊るが、おばさんが一人だけ間違えて踊っている。
トイレでおしっこをする。途中でおしっこがズボンに何か所かかかり、汚してしまうが、乾かせばわからないだろう。外へ出ると、腕時計をトイレに外して忘れてきたことに気づく。急いで取りに戻るが、トイレの中はいつのまにかデスクが並び、高校生たちが勉強をしている。デスクは透明で引き出しの中が見える。腕時計が見えるので、男子高校生に「それはぼくの忘れものだ」と言って、引き出しを開けてもらう。いくつか腕時計があるが、どれもぼくのものではない。その様子を見て、女性が「腕時計を忘れるなんて、年中行事ね」とぼくをからかう。ぼくは「なかった」と男子高校生に謝り、また外へ出る。気がつくと、服の袖に糊がついていたのか、引き出しの中にあった紙が何枚か貼りついている。それをはがして男子高校生に返しに行く。
2012年12月10日
12月10日の夢(社員食堂)
会社の社員食堂に行く。長いカウンターがあり、そこに並べられた皿に盛られた料理をセルフサービスで取っていくシステムだ。空腹なぼくは手近な皿を1枚手に取るが、それはあまり好きなものではなく、入り口近くのカウンターに戻す。だが、そこは女性が調理したばかりの別の皿を置いたばかりで、ぼくの置いた皿がその上に乗っかって、両方とも料理が少し崩れてしまった。ぼくは自分の行為を反省し、どちらかの皿を買い取ろうかと思うが、女性が特に抗議もしないので、そのままやり過ごす。
また食堂の奥へ戻って、一つだけ残ったコッペパンを取りたいと思う。しかし、小学生の男の子がもっと奥にある料理を取ろうとしてカウンターの上に乗ってしまい、その子の運動靴がコッペパンに触れてしまう。それでも食べようかと思うが、やはり汚くて食べられないので、あきらめる。
ふと見ると、少し入り口寄りのカウンターにサンドイッチが山盛りされている。ぼくはそれを沢山自分の皿に取り、さらにおいしそうなデザートを大量に上に乗せて運ぶうち、そのデザートを床に落としてしまった。皆が「料理を床に落とすなんて珍しいね」と言う。ぼくは恥ずかしさに焦って、皿に盛った料理と、落としたデザートをつかんで急いで食堂を出る。街路を歩きながら、そのデザートをどこへ捨てようか迷う。そういえばレジでお金を払うのも忘れて出てしまったが、まあいいかと思う。
2012年12月05日
12月5日の夢(水場の白蛇)
大きな川の堤防の上に水場があり、そこには野生動物たちが集まるので、よい写真が撮れると思って出かける。以前、水場に二頭の象がいる写真を見たことがあるが、日本に象はいないから、せめて熊の写真を撮りたい。堤防に上って水場を見ると、思った通り二頭の黒い熊がいたが、ぼくがカメラを向けたのを見て、瞬時に左右に逃げ去る。不思議に怖さはない。ふと足元を見ると、さまざまな太さの白いまっすぐな棒が何本か落ちている。それがいきなり動いて逃げ出した。みんな蛇だったのだ。彼らは紙切れや石の下に隠れる。ぼくは慎重に靴でそれらをつつき、蛇を追い出す。彼らはしかたなく、出てきて、とぐろを巻き、ぼくに向けて鎌首をもたげる。見事な白蛇だ。写真を撮ろうと携帯を構えながら、妻を呼ぶ。
2012年12月04日
12月4日の夢(居場所がない)
ホテルに団体で宿泊していて、朝、みんなで朝食会場に向かう。しかし、レストランは満員で、ナースのような白い制服を着たウェイトレスは、屋外に向かう長くてなだらかな階段をずんずん降りていく。ぼくらも途中までついていくが、「雨が降っているじゃないか」と足をとめる。少し戻ると、途中のスペースに別のウェイトレスや従業員が椅子やテーブルをセットして、ぼくらのための席を用意してくれている。さっきのウェイトレスも戻ってきて、「そこなら全員席があるはずですね」と言う。
その席に座って、みんな朝食をとる。しかし、ぼくだけがテーブルの隅の一人席である。おまけにパンに塗るバターは前の人の食べ残しで、ぬるぬるしていて気持ちが悪い。皿の上にはハムも玉子料理もなく、デザートの大きなプディングだけが載っている。しかたなく、それをスプーンで食べてみるが、脂っこくて、とても食べられたものではない。
交差点に面したビルの地下レストランで仲間と食事中、ぼくだけ用があって、地上に出る。用をすませて、元の店に戻ろうとするが、交差点に面したビルはどれも地下にレストランなどない。一人だけはぐれてしまった。店を探して、別の交差点に行くが、どこにもそれらしいものはない。とうとう街を離れて、田園地帯に出てしまった。灯台の立つ丘を降り、踏切を渡って、畑の中の無人駅のホームに上る。
2012年12月03日
12月3日の夢(受験生)
ぼくは二人の女性と廊下にいる。二人は姉妹で、妹はみにくく太っており、姉は美しくてスタイルもいい。妹がぱっと大きく手を振ると、いきなり姉が消え失せてしまう。妹の持っていた大きな袋の中に隠れているのではないかと疑うが、中はからっぽである。ぼくと妹は「大変だ!」と叫んで、長い階段を駆け下りる。一階に着くと、椅子に姉が腰かけている。「ああ、よかった」とぼくは彼女の服の下に腕をさしいれ、抱きしめる。背中のやわらかな感覚が心地よい。しかし、彼女はぼくに「私たちは別れなくてはいけません」と言う。
ぼくは受験生で広々とした教室にいる。そこにいるのは若い男性ばかりだが、みんな受験生というには大人のようだ。ぼくは最前列に座って、問題を解いていく。箇条書きになった問題はみな易しく、時間前にすべて解けてしまう。多分、見直すまでもなく全問正解だろう。それは他の受験生も同じ思いだったようで、がやがやと私語がうるさい。「美智子さまの後ろに並んだ方がよかったな。警備員がいるのは、そこからだろうから」という声も聞こえる。試験は実際に問題用紙が配られた時間から正確に何分と決められているようで、いつが終わりなのかわからない。まして、ぼくは最前列なので、皆の様子がわからない。ふと振り返ると、数人を残してみんな教室を出てしまっている。とっくに休憩時間になったのだ。周囲に何人かの年取った制服姿の警備員が立っている教室を、ぼくは勢いよく走り抜け、玄関に出る。そこには靴はなかったが、下駄があったので、それをつっかけ、ぼくはトイレに向かって駆け出す。
2012年11月30日
11月30日の夢(落合館長)
ぼくは何かの博物館か記念館のスタッフである。「落合館長が呼んでいる」と言われ、ぼくはオフィスの一番奥の席から出入り口へと向かう。
オフィスはドアのない空間で、奥の方に縦に何列か館員たちのデスクがある。館長席は一番入り口に、なぜか横向きに作られている。しかも、小さくて質素なデスクだ。だが、そこに館長の姿はない。誰かがぼくに「ここに館長が座って会議をやるのですね?」と尋ねるので、「そう」とぼくは笑顔で答え、エレベーターのドアを開けようとボタンを押す。だが、館長は意外なことにロビーにいて、そんなぼくの動作を厳しく見咎め、「押す? エレベーターのドアは横に開けるんでしょ?」と言う。ぼくが「すみません。そうでした」と謝っても、落合監督は「ダメだよーっ」とご機嫌斜めである。
2012年11月28日
11月28日の夢(畳敷きオフィス)
映画のように大きなテレビスクリーンの中で、詩人のA氏が話しているのを妻と観ている。しかし、声がA氏とは違っている。
広いオフィスに出勤した。だが、いくつかある部屋のうち、どこが自分のオフィスか分からずまごまごしていると、あとから来た女性社員に笑われてしまう。オフィスは柔道場のような広い畳敷きで、片側は天井までの大きな窓だ。ぼくは仕事がなく、畳の上にごろごろ寝て、新聞を読んでいる。「開けるか」と言って、窓の白い帆布のようなカーテンを引っ張って開けるが、ところどころ開かない部分がある。社員たちは皆、何かを食べながらビールを飲んでは、新聞を読んでごろごろしている。
11月27日の夢(家族団らん)
久しぶりに単身赴任から帰り、自宅でくつろいでいる。ぼくには娘がいて、娘の女友達も遊びに来ている。そこへ息子も友人を連れて帰ってきた。息子はなかなかのイケメンである。ぼくは息子の顔を見て、新聞を読みながらてれかくしに「あはは・・」と笑う。その新聞には絵入りである実験のことが書かれている。それによると、猿たちは食物を色で判断しているというのだ。猿の大好きな餌を与えたあと、その餌と同じ色の蛇を置いたところ、猿たちはみんな喜んで蛇を食べてしまったそうだ。
2012年11月25日
11月25日の夢(図書館)
書店のように見えるが、ここは図書館だ。平積みにされている本を借りたいと言う幼女を、係のお姉さんがやさしく止めている。それは小さな女の子が借りて読むには難しすぎるというのだ。ぼくはそっと近づいて、その本の中身を盗み見る。天文学の本だ。ぼくもなにげないふりをして、別の天文学の本を一冊手に取り、借りる手続きもせずに図書館を出る。手続をしなかったのは大丈夫だと思うが、家にはあんなに読むべき詩集が山になって待っているではないか。この上、本を借りてどうするのだ?! さんざん迷った末、ぼくは回れ右して、その本を返しに行くことにする。
2012年11月23日
11月22日の夢(巨大桜)
東北地方の海岸線を旅している。山の迫るさびれた道路をとぼとぼと歩く。海は見えない。
ところが角を曲がったとたん、視界が明るくぱーっと開けた。そこは湾になっていて、その一番奥の海岸にピンクの巨大な桜が咲いている。青空のもと見上げるほどの大きさ。これが名高い「〇〇桜」なのだろう。地面もピンクの雪が積もったようになっている。ピンクの花びらが吹雪のように舞い、現実とは思えない幻想的な美しさだ。
旅館に戻る。旅館は旅人でいっぱいで、部屋の中は足の踏み場もないほどだ。それも皆夕食の卓を囲んでいる。しかたがないので、みんなの食膳の上をぴょんぴょん飛び跳ねるようにして、奥へ向かう。
部屋の一番奥がぼくたち夫婦のスペースなのだが、妻の姿が見当たらない。「ママー!」と呼んでみる。近くのベッドからずり落ちそうにして眠っている中年の男が寝ぼけて、「おーっ」と返事をする。
翌朝、部屋で同僚のSと共に出勤の準備をしている。そこへ目の覚めるような青い上着を着た上司がやってきた。ぼくたちは「おはようございます」と挨拶をする。Sはぼくに「着替えます」と言い、作業着に着かえる。彼のハンガーには沢山の服がかかっていて、仕事のときとオフのときは別の服を着るのだ。ぼくは1着しか服を持っていないので、仕事の準備といっても、ただ上着を脱ぐだけだ。
2012年11月21日
11月21日の夢(水鉄砲の男)
オフィスを退社しようとして、荷物をまとめている。デスクのかわりに置かれたベッドの下に、汗で汚れた自分の服が沢山ある。それを取り出して、大きなカバンにぎゅうぎゅう押し込んでいると、Kくんが「一色さんの服は体にぴったりしていて、かっこいいですね」とお世辞を言う。
同僚の一人が「変だな。こんなところが濡れている」と声を出す。オフィスの中央に敷かれた布団の上に水滴がついている。なんだか線になってついているようだ。それをたどって目を上げると、窓から小銃を構えた若い男が無言で入ってくる。どうやら小銃型の水鉄砲を撃ったのだろう。銃はぴたりとぼくに狙いをつけられているが、水鉄砲なら怖くはない。
電話が鳴っている。男に気をとられていたので、気づかなかったが、皆がぼくに「電話だ」と叫んでいる。気がついたときにはもう誰か別の部屋の人が間違ってその電話に出てしまったらしい。内線で改めてぼくの電話を確認し、それに出る。暗い聞き取りにくい男の声で「こないだ返してもらった車は間違っていた」と言う。寝耳に水なので「もしもし。そちらの電話番号を教えて」と言うが、もう切れてしまっている。部屋の中のすべての人がぼくを無言のまま見つめており、銃を持った若い男は消えている。
2012年11月17日
11月16日の夢(避難訓練)
会社のエレベーターで10階まで昇ろうとするが、急にエレベーターがぐらぐらと上下に揺れ出した。危険を感じて、ぼくは9階のボタンを押して、脱出する。
9階ではお客たちが社員の誘導で避難訓練をしているところだった。ぼくも何食わぬ顔で、その群にまじって階段を降りる。
女性社員が瓶詰の中に怪獣の卵を押し込み、「孵るかな」と嬉しそうだ。
会社に捜査員がやってきて、女性上司が逮捕されて失脚した。「それでここにあった、沢山の風船が片づけられたのね」と女性社員たちが噂している。
11月13日の夢(鬘トラック)
車体の前後左右に沢山の鬘を飾り付けた超大型のトラックが日差しのさんさんと当たる街道を走っている。このトラックの中には1人の少年が身を隠している。宿場町にトラックが差し掛かると、町娘たちが一斉にトラックを取り囲み、我勝ちに鬘の値踏みを始める。「後でゆっくり選べばいいのに」という声が聞こえる。娘たちの一人は「だって、今から目星をつけておかないと、いざというときに目移りして困るでしょ」と反論する。
いつのまにか鬘は貝細工に変わっていて、ぼくもそれを選んでいる。貝殻製の細い角のついた簪を選び、それで痒いところを掻こうと袖の中に突っ込むが、角はポキンと折れてしまう。
2012年11月09日
11月8日の夢(遊覧船予約)
パソコンをつけると、画面が木星の表面のような模様になり、しかもぐにゃぐにゃに歪んでいる。買い替える前のパソコンには、こういう場合の対処法がマニュアルとして付いていたが、今度のパソコンにはない。手をつかねたまま、ぐにゃぐにゃの画面を見つめている。
妻が桜見物の川下りの遊覧船に乗ろうと言う。予約には二人で行った方がいいらしい。なぜなら日時の予約と、曜日別の乗船券の購入を別の窓口でしなければならないからだ。ぼくが曜日別のチケット購入窓口に並び、順番が来た。しかし、妻の並んだ窓口ではすぐ前に並んだおばさんが、どの日時にするか迷っていて、妻の順番がなかなか来ない。日時が決まらなければ曜日も決まらない。ぼくの後ろに長い行列ができてしまい、大いに焦る。
2012年11月05日
11月5日の夢(学校の孤独)
学校の廊下を歩きながら、窓から教室の中を覗く。教室はみんな小型で狭く、中にいるのは男子ばかりで、ぎゅう詰めである。がやがやとうるさい。こないだクラス替えがあったばかりなのだが、ぼくは一体どのクラスになったんだろう、と考えるがわからない。5つほどクラスがある中で、前の方ではない。4組か5組である気がする。その一番右端にある5組の教室を覗くと、担任の教師は外国人であった。
知り合いの若い女性詩人Mがうろたえた様子で部屋に入ってくる。見ると顔にベージュ色の絵の具のようなものが点々とついている。拭いてあげようとするが、彼女は鏡で自分の顔を覗き込みながら、「それどころじゃないんです。お父さんが30万の借金をしてしまい、大変なんです」と言って、ぼくに顔を触らせようとしない。
2012年10月30日
10月29日の夢(自動車ドア型菓子)
お菓子を貰った。ぼくもお返しをしようと思う。ちょうど左手の中に自動車のドアの形をしたお菓子がある。見ようによっては鳥の翼の形にも見える。薄っぺらなのだが、剥がすとちょうど4枚に分かれた。ぼくの周囲に母親と父親と息子がいるので、1枚ずつ渡す。母親はぼくよりずっと若く、まだ30歳ぐらいの見知らぬ女性だ。「このあたりで爆発があったから、それでみんな社会問題に興味を持ったんでしょ?」と言う。そういえば確かに爆発事件が2回あった。ぼくは「爆発って、最近の方? それとも昔の方?」と聞き返す。
新聞の全面広告で、映画館の閉館告知が出ている。ビジネス系の映画専門館が一斉に閉館するらしい。最後の方に「喜多見」という地名のついた映画館もある。ぼくの自宅の近くにも映画館があったのだ。女性が「全部で20館ぐらい?」と尋ねる。ぼくは我に返って、映画館の名前を数えてみる。せいぜい10を少し越える程度だ。
2012年10月22日
10月22日の夢(コンクール)
熱海に行く。知人からH氏賞への公募申し込み書(現実のH氏賞は非公募)を預かってきている。窓口の前の行列に並び、床に置いた大きな荷物の入った袋から申込書を慌てて探しだし、役員に差しだす。役員はそれを一瞥して何か言う。聞こえなかったので、ぼくは「何か問題ありますか?」と聞き返す。すると役人は「いや。今から申し込むなんて、この人は電波系なのかなと思って」と答える。そうか。まだ申込〆切はずっと先なのか、と思う。
ホテルに帰り、2階から階段を降りていくと、高校時代の友人に出会う。友人は「S崎とS藤が〇〇ピアノコンクールに出ているのを知ってる? 聴いてみたけど、S藤の方が上手かったな」と言う。えっ、S崎は有名な評論家になったはずだが、この年になって新たにピアニストになろうとしているのか。驚くが、「そりゃあそうでしょう」とだけ答える。そう言えば、熱海の公園の広場で、ステージでピアノが演奏され、ベンチに座った親子連れなどが聴いていたが、あれがそのコンクールだったのかもしれない。
2012年10月21日
10月20日の夢(半裸になる)
会社から帰ろうとするが、荷物が沢山あり一度に持って出られない。一つ目の荷物を持って出たところで、中から鍵を閉められてしまい、戻れなくなってしまった。
駅まで一つだけ荷物を持って、とぼとぼとやってきた。ふと見ると、上半身はアンダーシャツを着ているが、下半身には下着すらつけてない。シャツの裾を引っ張って、必死で股間を隠しながら歩く。
2012年10月12日
10月12日の夢(和室のオフィス)
オフィスには三つの部屋があり、全部畳敷きの和室である。そこに座卓を並べて仕事しているが、ぼくには殆ど仕事がなく、仕事をするふりをしているだけだ。
今日出社してみると、オフィスから机が消えている。当然ながら、どこに自分の席があるのか分からない。一番目の部屋、二番目の部屋には誰もいないので、一番奥の部屋に行く。そこには中年の女性社員たちがいて、声高に会話をしている。しかし、どうもこの部屋にはぼくの席はなさそうだと、一番目の部屋に戻る。女性社員が一人いたので、「ぼくの部屋はこっちだっけ?」と尋ねる。どうやら彼女も自分のいるべき部屋を間違えていたようだが、ぼくには二番目の部屋の入口あたりを指さす。どうやら、そこがぼくの席らしい。
2012年10月10日
10月10日の夢(鎌倉)
午後になって突然、会社がオフィスごと鎌倉に引っ越した。仕事をしていて気がつくと、鎌倉にいたのだ。もともと鎌倉のビルにもオフィスがあったのだが、そこに空き室ができたので、ぼくの部門もそのビルに入ることになったらしい。
とてもいい環境の近代的なビルで、窓が出窓というよりカウンターのようになっている。部屋の真ん中にあるデスクより、そこで仕事をしたいと窓際に陣取るが、別の女性社員二人に窓際の席は既に決まっていたらしい。あきらめてデスクに戻る。
4時を過ぎたところで、別の部屋の社員が「お疲れさま」と言って退社した。東京から通勤するのに時間がかかるから、こんなに早い時間に退社してもいいことになったらしい。ぼくも帰ろうと思い、同僚の女性社員が部屋に戻るのを待つが、帰ってこない。多分、彼女は直帰してしまったのだろう。それならぼくも帰宅しよう。
隣のオフィスで男女の争う声がする。新入社員の女性が男性社員のセクハラにあったらしいが、撃退したみたいだ。隣室を覗くと、女性社員もこちらを覗いている。
会社を出て、道路をあてずっぽうに歩く。砂利道で、途中に樹齢何百年という大木がある。さすがは鎌倉だ。しばらく歩くとバス停があった。ちょうど小さな懐かしいボンネットバスがやってきたが、それには乗らず、時刻表を探す。しかし、それらしいものが見当たらない。バス停の前の駅舎は正方形で、その中に四角形をしたコンクリートの溝がある。どうやらトイレとしても使われる溝のようで、水がたまっているが、駅舎を歩くと、どうしてもその水たまりに足を踏み入れてしまう。ここで待っていれば、本当に東京に帰るバスがやってくるのだろうか。
2012年10月07日
10月7日の夢(霊夢?)
目覚まし時計がかしゃりと音を立てたので、半分目が覚める。少し遠くの方に女性の全身像が見える。どうもぼくの最初の婚約者の女性のようだ。彼女は数字をいくつか挙げて足し算か引き算をし、「こういう数字だから、あなたを手助けしましょうか」と言う。ぼくも同じような数字を挙げて計算し、「いや、こうだから手助けするのはぼくの方ですよ」と答えて、彼女の申し出を断る。
その途端、ぼくの顔と接するくらいの至近距離に、水面から水しぶきをあげて別の女性の顔が突きだす。彼女は無言のまま、ぼくの顔を愛と憎悪が入り混じった顔で睨みつける。昔、ぼくが捨てた女の顔だ、と思い出す。真っ白な顔の彼女は水死体のようだ。
恐怖でぼくは眼が覚めてしまい、時計を見る。起きる時間の10分前だ。すると、もっと遠方に黒いスーツを着た男性が立ち、ぼくをじっと見つめる。無表情のままで、何も言わない。ぼくと男性との間には越えられない距離があるようだ。そのとき目覚ましがなり、すべての幻影は消え去った。
2012年10月06日
10月6日の夢(押し寿司)
会社でお昼休みになった。お腹が減ったので、外へ出て寿司屋に入る。きょろきょろするがメニューがない。カウンターの向こうに主人とその奥さんがいる。「どうやって注文すればいいんですか」と尋ねながら、ほかの客の様子を見ると、自分の好きなネタで押し寿司を作ってもらっているようだ。その客が注文したサーモンの押し寿司がおいしそうだったので、ぼくも真似して「しゃけと卵焼き」と注文する。すると主人がびっくりした顔をする。どうも卵焼きを注文する客は珍しいらしい。
会社のあるビルに帰り、女性詩人のAさんのオフィスに「こんにちはー」と、つかつか入り込む。意外にも狭い室内に二人の男がいて、不愛想に椅子に座っている。ぼくは一瞬驚くが、つとめて平静を装いながら二人にも挨拶する。Aさんはおとなしい人だと思ったのに、全身黒ずくめで黒い網タイツの下に肌を大胆に露出している。こんな女性だったのか、とびっくりする。
2012年10月03日
10月3日の夢(王女)
どこかの国の王女を連れて、展覧会を見に田舎の駅に降り立った。だが、駅前のケーキ屋さんで彼女の足が止まってしまったので、先に行く。線路の反対側から、修学旅行に来たらしい生徒たちの人垣ごしに彼女の姿を探すが、見つからない。戻ってみると、「下北沢で少女が事故ではさまれた。吐く息と吸う息を正確につりあわせないと助けられないと聞いて、王女は下北沢へ向かったよ」と聞かされる。王女は命をかけて救助に向かったが、きっと失敗したのだ。ぼくも下北沢に行こうと改札口を目指すが、デザイナーのN氏に無言のまま制止される。
2012年09月30日
9月30日の夢(大洪水)
コネである会社に入った。入れてくれたのはいいが、社長たちはぼくに冷たい。スカイツリーのようなとても高い塔の上で会社の式典があり、社員たちはみんな登ってしまったが、ぼくはひとりで地上にいる。社員たちの荷物が地上に列を作って並んでいる。そこへ大洪水がやってきた。それらの荷物も、ぼくの鞄もみんなずぶ濡れになってしまった。でも携帯だけは無事だと思い、ぼくは胸ポケットから取り出す。最近、ぼくはピンクの携帯に替えたばかりだ。だが、どうも形が少し違う。これはさっきある韓国人が持っていた携帯だ。いつのまにかすり替えられたか、間違えられたかしたのだ。ぼくはすっかり落ち込むが、よく考えると、ぼくの携帯は枕元で充電中だったということを思い出す。
2012年09月29日
9月29日の夢(豚とタロウ)
今日は「地下鉄の日」だ。それを祝って目抜き通りをパレードが通る。沢山のスーパーカーや女性たちの華やかな舞踏の列が続く。それをガラス張りのビルの中から、ぼくとDJタロウが見ている。
突然、ガラスドアを破って一台のスーパーカーがビルの中に入ってくる。さらに大きな豚が男に紐で引かれて入ってきた。タロウは冗談に後ろ向きに歩いて、豚の前に立つ。すると豚は勢いよくおしっこをタロウにかける。びっくりしたタロウがぼくに駆け寄ってくるので、ぼくは必死で逃げ出す。タロウはぼくを追いかけるうち、丘の中腹にある穴の中に転げ落ち、姿が見えなくなる。中から「うわーん」とタロウの泣き声が聞こえる。ぼくはそれでも豚のおしっこのかかったタロウにつかまりたくないと、丘の裏側に駆け込み、地面の中に入ってしまう。それでも永遠にタロウから逃れることはできないだろうという気がする。
9月28日の夢(レコード針)
古道具屋で小さな木製のレコードプレーヤーを買う。家に戻り、共同生活している仲間たちとプレーヤーを囲み、「さあ刺すぞ」と言いながら、レコード針を盤面に落とす。少年のボーイソプラノで「みかんの花咲く丘」が流れ出す。
歩いているとなんだか足が痛い。見ると、さっきのレコード針がぼくの足の裏に刺さっているのだ。やっと足から抜いて、レコード針を窓枠の上に載せる。男が「あぶなっかしい場所だね」とぼくに言う。ぼくは「それは今までぼくの足に刺さっていたんだよ」と答える。
2012年09月21日
9月20日の夢(人生相談)
詩のイベントをうとうとしながら客席で見ている。姿勢を変えて、もう一眠りしようとしたとき、背の高い若い男性に「すみません。一色さんですね。相談があるのですが」と、会場の外に連れ出される。あと一人でプログラムは終了する、というのに。ぼくらが出ていくのを詩人のH氏がけげんな顔付きで見送る。
ロビーに出るには自動ドアがあるのだが、男性はあえてそれを通らず、一番手前のガラス戸を無理に開ける。そして、ファストフードの店の丸テーブルの席を「ここでいいですか」と、ぼくに勧める。そして、なぜか別の場所から椅子を運んでくるのだが、そのために後から来た外国人の男性の進路がさえぎられて通れなくなり、ぼくははらはらする。
2012年09月16日
9月16日の夢(階段のない二階)
妻と外国旅行に行く。旅行社のツアーだが、旅程の前半は既に行ったことのある場所なので参加せず、途中の列車の駅から合流することにする。
ホームの端で列車を待っている。左側に来た列車はホームいっぱいに停まった。一方、ぼくらが乗るはずの列車はホームの向こう半分にしか止まらない、短い列車だった。ぼくと妻は慌ててホームを走り、ようやく発車寸前に乗り込む。
車内は豪華なラウンジのような雰囲気で、乗客は日本人ばかりだ。
さて、旅行先のアメリカに着いた。慌てて乗ったので、いろんなものを忘れてきた。ネームプレートを付けた帽子がない。レストランの二階に階段でもエレベーターでもない不思議な仕組みを使って上がる。だが、二階の部屋から出ようとすると、鍵が開かない。忘れてきたプレート付き帽子がないと、鍵が開かないのだ。
やっと開けてもらい、下へ降りようとするが、階段がないので、降り方が分からない。「左右に並ぶ二本の金属の棒を両手でつかめば、自然に降りられるよ」と男性が教えてくれる。ぼくが棒をつかむと、男性は空中にふわっと浮かび上がり、ぼくを抱いていっしょに降りようとする。ところが、ぼくは荷物を持っているので、想像以上に重かったらしい。「うわあ、重い。あなた、荷物いっぱい持っているでしょ」と男性は叫ぶ。これでは二人とも墜落してしまいそうだ。
ようやく日本に帰国し、ホテルで始まる詩の会合を待っている。控室で一人待っているが、誰も来ない。ふと奥のドアを見ると「S社様控室」と書いてある。まずい。ここはライバル他社の控室じゃないか。慌ててぼくは妻を探してロビーに飛び出す。壁の時計を見ると、まだ三時過ぎだ、会合は夜だから、まだ随分早い。誰もいないわけだ。
2012年09月10日
9月10日の夢(6万円札)
定年退職の日が来た。妻といっしょに会社のみんなに花束をもらって、拍手に見送られて会社を出た。これでもう永遠にこの会社に出社することはないのだ。
ところが翌日も会社に行き、今は空席になった自分の席に座っている。もちろんパソコンもなければ、仕事もないから、全く退屈なのだが、どうせ空席なので、皆も黙認してくれている。こんなことはやめて明日からは家にいればよいのだろうか。
旅館の支払いをしなくてはいけない。一度玄関を出てから、また戻って「すみません」とおかみを呼び、お勘定を頼むと、おかみは「2階のお部屋の方ですね。5万円かなあ」と、曖昧な言い方をする。6万円と聞いていたのに、1万円安い。ぼくは反射的に6万円札を1枚おかみに渡す。彼女がごそごそとお釣りを探すのを見ながら、ぼくは「お釣りはいいよ」と言うべきか、せめて、「これはよくしてもらったお礼だから取っておいて」と言って、5千円チップをあげるべきかなあと悩み、財布をあけて千円札の数を数えはじめる。
2012年09月09日
9月9日の夢(新聞の中の3万円)
新聞を読もうとして開く。映画の観客へのプレゼント企画の記事が載っているからだ。最近、パリのオペラ座を舞台にした映画がつくられた。しかし、映画ではオペラ座ではなくオペリ座という名前になっている。その公開記念にオペラ座が分割されて、抽選で観客に当たるのだという。
ところが開いた新聞の中に1万円札が三枚入っていて、はらりと膝に落ちた。妻に「新聞の中に3万円入っていたよ」と渡そうとするが、妻は受け取ってくれない。なぜ新聞に3万円入っていたのだろうか。昔、女性占い師のHさんから3万円の入った新聞を貰ったことがあったが、あれをずっと入れっぱなしにしていたのだろうか。
2012年09月07日
9月6日の夢(終戦直後)
今は終戦直後の混乱期だ。生き残った人は生活するのに必死だし、生きているのか死んでいるのか消息不明の人も多い。
新幹線から浜松駅に降り立つと、詩人のN氏が改札の周りで雑用係をしている。彼も生きるのに必死なのだ。その点、ぼくは大きな会社に入社できたので、今日からもう夏休みに入れる。わが身の幸せを感じる。会社に戻ると、みんなもう休暇に入ったらしく、がらんとしているが、暗い部屋の中で二人の女性がすやすや寝入っている。一人は堀北真希ちゃんだ。このまま鍵をかけて退社するわけにもいかず、どうしたものかと思案する。とりあえず電気をぱっと点けてみる。二人は一斉に目を覚ました。やれやれ。
街に出る。女性詩人のAさんとHさんが、消息不明で死んだものとあきらめていたIさんが生きていたとわかり、涙を流して喜んでいる。ぼくも感激して大泣きする。感激したら地面から足が離れ、空中浮揚してしまった。
2012年09月02日
9月2日の夢(3人の芸人)
地方の電気店がオープンしたので、カメラを持って取材に行ってこいと編集長に指示される。
持たされたカメラの使い方がよく分からないが、とにかく若主人の写真が撮れればいいと思う。ぼくはどんどん店内に入っていくが、これでは近すぎて店の全貌を一画面で収められない。そう気づいて、急いで店の外に出る。
ところが、ムービーカメラが回っているのに気づかず、その前を横切ってしまったため、テレビクルーから「あーあ」と言われてしまい、険悪な雰囲気になる。
店内からバスに乗って、オープニングの記念ゲストたちが出てきた。笑福亭鶴瓶など3人のお笑い芸人が乗っている。ぼくがカメラを向けると、彼らはにこやかな表情になる。よし。この方法で雰囲気を解きほぐそう。ぼくは次々とみんなに向けてカメラを向け、シャッターを押していく。
2012年08月31日
8月28日の夢(砂利でできた本)
編集部で原稿を書いている。ただし、書いているページは紙でなく、砂利だ。ところが、砂利というより小石が敷き詰められたページがあり、ここには細かい字が書きこめない。困ったな、と思い、社長夫妻を呼ぶ。ところが、やってきたのは社長によく似ているがちょっと違う人たちばかりだ。これらの人たちは社長の姉妹やお母さんなのだろうか。
2012年08月22日
8月22日の夢(スターを夢見る仔馬)
ゆるいカーブになった地下トンネル。出口は見えない。車が行きかう左右に歩道がある。
左側の歩道をこちらから男が白い仔馬を連れて歩いていく。仔馬に「いずれおまえはスターになるんだ」と言い聞かせながら。すると、向こうから同じ歩道を大きな白い馬が別の男に連れられてやってくる。鬣もいかにもスターのように刈りそろえられ、前足を両方揃えて前進しては、次に後足を揃えて前に出すというとても優雅な歩き方をしている。仔馬もいずれこの白い馬のようなスターになるのだ。二人と2匹は黙ったまま、静かにすれ違う。
2012年08月20日
8月20日の夢(大洪水)
ぼくはホテルに事務職員として勤めている。1階のオフィスから2階に上がり、女性社長にホテルの案内リーフレットのラフを見せに行く。終わって、原稿を点検してみると、使用する予定の写真がない。失くしてしまったらしい。おまけにホテルは改装中で、一階と二階の間の床にコンクリートが流し込まれたばかりだ。ヘルメットをかぶった男性作業員たちに、ぼくは足止めされてしまう。二階には女性事務員もいたが、ぼくらはここから一晩降りることができなくなってしまった。
翌朝、降りようとして、驚く。大洪水で一階が浸水し、二階も床上まで水が来ている。それでも郵便配達は郵便を届けに来るし、予約客も一人もキャンセルすることなく、来館してくれた。今のところ、お客の全員を個室に案内できるという。
従業員は昨日から徹夜になっていたが、暗くなってようやく解散命令が出た。ぼくも帰宅しようとするが、流されてしまったらしく、靴がない。靴下のまま真っ暗な泥水の中にそろそろと踏み出してみるが、とても進めそうにない。あきらめてホテルに引き返し、妻に携帯でSOSをする。
2012年08月19日
8月19日の夢(雪山)
海外アーティストの演劇公演の取材に行く。会場は雪山にあるホテルだ。少し離れて見守っていると、S社のFさんが読者を案内してやってきた。Fさんは演劇に詳しく、評論活動もしているのだが、今日は編集者としてみんなの後ろからにこにこと見守っている。彼らの姿が消えてから、ぼくは雪の上を歩いて、ホテルに近づく。雪はそこここに丸いお椀のようにうず高く積もっているが、少しも冷たさを感じさせない。そこへ一人の男性が現れ、雪の上を歩き、ホテルへ窓から入れないものかと、サッシをガタガタと揺らしている。なんて横着なやつだ、と思う。
2012年08月18日
8月18日の夢(イチロー選手)
イチロー選手とあやしげな店のテーブルで話している。広い店内に、所狭しとこうしたテーブルに椅子、ベッドが置いてある。カップルで入店して愛し合ってもいいし、お店にいる女性とベッドインしてもいいのだ。しかし、すべてオープンな空間である。ぼくとイチロー選手は話が面白くて、とてもエッチな気分にはならない。このままお店を出ることになりそうだ。
2012年08月16日
8月16日の夢(朗読会)
東北の街で地元の詩の団体と共催で詩の朗読会を開いている。ぼくは東京から来た詩人だからと司会役を仰せつかっている。今日が2日目だというのだが、実は昨日の1日目の記憶が全くない。しかも、プログラムをなくしてしまった。はっと気づくと、会場がしーんとしている。出演者がもう朗読を終えたのだ。ぼくはあわててマイクを握り、随分間の抜けた沈黙の後で「失礼いたしました」と言う。それから会場の熟年男性に「ちょっと貸してください」と言って、プログラムを無理やり見せてもらい、「では次の朗読は誰々さんです」と紹介する。だが、またはっと気づくと朗読は終わっていて、会場を白けた沈黙がおおっている。しかも、ぼくはいつの間にか上着を脱いでいて、アンダーシャツを1枚着ているだけだ。手元にやはりプログラムがないので、ステージに立った女性に名前を聞き、「では、今度は女性詩人の何々さんです」と言うが、どうやら名前を聞き間違えたらしく、女性詩人から訂正されてしまう。その間もぼくは上着を探す。しかし、見つかる服は背中が破れていたり、肩のあたりがぼろぼろだったり、まともなものは一つもない。早くこんな朗読会終わってくれないかな、と思っていると、地元の詩人団体の事務局長みたいなおじさんが「悪いですが、私は早く帰らなければならないので、これで・・・」と席を立とうとする。それなら、これでもうプログラムを終わりにしてもいいだろう。念のために「飛び入り朗読の時間を設けてもいいですか」とおじさんに聞くが、「要らない」と言う。ぼくは「大変有意義な会となり、本当に有り難うございました」と終わりの挨拶をして、さっさと朗読会の幕を下ろす。
2012年08月14日
8月14日の夢(父の代理)
男性詩人のМと二人で取材に出かける。その取材先に行くには新宿で電車を降りるべきだと思うのだが、Мは東中野で降りればいいと言うので、逆らわないことにする。Мはちょっと頭がおかしいらしく、取材だというのに野戦服を着てヘルメットをかぶり、銃を手にしている。完全武装スタイルだ。
東中野の駅で降りる。そこは高速道路で、下の街路までは急角度の石垣になっている。Мは片手で銃を構えたまま、急な崖を巧みに下降して行く。そのあたりはさすかだと思うが、ぼくはさっさと別の降り口へ回る。そこはゆるやかな坂で、なんの苦もなく歩いて降りられるのだ。
ぼくたちはまずぼくの自宅に立ち寄ることにする。この時間はぼくの自宅には誰もいないはずだ。ぼくらは二人で新聞を1枚ずつ読んで床に置く。全部読み終わったところで、ぼくはМに「いいか?」と尋ね、立ち上がる。外へ出ようとして、誰もいないはずのリビングで後ろから声をかけられ、ぎょっとして振り返る。
円卓の周りに椅子がいくつも並べられ、会議室のようになっている。一番奥の上席がぼくの父親の席だ。父は今日は不在だが、その席に浅黒い肌の男が座っている。ラテン系ともハワイ系ともとれる男で、日本人ではない。彼はぼくの父親の代理人をしている男だ。前にも一度会ったことがあるので、ぼくは挨拶をする。銃を構えたままのМも平静に挨拶をする。銃を向けられて男もよく平静でいられるものだと感心する。
これからぼくらは友人の精神科医Sドクターのところへ取材に行くので、代理の男から彼についていろいろ教えてもらう。
2012年08月12日
8月12日の夢(大地震)
丘の上のオフィスから出て、下へ降りると、いつのまにか大地震が来たらしい。そこにあった本社ビルがぺしゃんこになり、瓦礫の山になっている。オフィスに戻り、みんなに「本社ビルがぺしゃんこにつぶれていますよ。知っていましたか?」と言うが、みんな平然としている。知らなかったのはぼくだけらしい。
外へ出て、道路にデスクを並べて仕事を続けていると、また大きな余震がやってきた。地面が左右にゆさゆさと揺れる。かたわらの古い木造建物がこちらに倒れかけている。ぼくはそれを指さし、みんなに警告した上で、自分も右手の広い通りへと逃げる。そこは右から左へとゆるやかな坂になっている。坂の上から舗道を重機のようなものが、ぼくに向かってゆっくりと落ちてくる。
8月11日の夢(バンド演奏)
博物館にいる。スピーカーから音楽が聞こえてきた。上手な演奏だ。そう思いながら前方へ進むと、今まで壁にさえぎられていたステージが見えてきた。少年たちがライブで演奏しているのだった。2列にマイクスタンドが並んでいて、沢山のメンバーが同時演奏できそうだが、実際に演奏しているのは数人。どうも彼らはこのステージを不法に占拠したらしい。その真ん中でメインボーカルをとっているメガネの少年は明らかにぼく自身だ。彼の目の前に、長方形の立体画面が2段上下に浮かび、そこに楽譜が立体的に浮かんでいる。彼はそれを見ながら演奏している。
ある建物に入る。誰もいないので、便器に腰をおろして用を足し始める。そこへ見知らぬ男たちが一人ずつ無言で入ってくる。彼らは無防備のぼくをいつでも無言で殺すことができるのだ。ぼくは不安と緊張にさらされる。
2012年08月07日
8月7日の夢(来客)
平屋の一軒家に住んでいる。勝手口に来客がある。お寿司の出前が届けられたのだ。頭の禿げた江戸っ子ふうのおじいさんが、大きな盆に入ったお寿司を「お待ちどう!」と渡してくれる。すると、今度は少し離れた玄関に若い女性がやってきて、チャイムを鳴らすのが見えた。勝手口から首を出して、「はい。なんでしょう?」と尋ねると、「今日はぼっちゃんに・・・」と言う。息子の同級生の母親だろうか。「今はいません」と答えると、「じゃあ、また今度」と言って、そそくさと引き上げていった。
2012年08月06日
8月6日の夢(取材は3時から)
朝、会社を出たところで、Iカメラマンとばったり会う。朝食をとってきたところらしい。「今日は取材ですね」と声をかけられる。しかし、ぼくは空腹なので気もそぞろで、レストラン街のメニュー見本ばかりに目が行く。一番手近な店は地方都市の郷土料理の店だ。おいしそうだが、殆どが大きなドジョウがにょろりと入った鍋料理で、お値段も高い。ほかのお店にはオムライスやカレー、チャーハンなどがあるが、混んでいて入れない。カメラマンに「ちょっと出かけるので」と口からでまかせを言い、やってきたバスに乗る。
バスに乗ったのは口実で、ただカメラマンと別れるためだったが、バスがカーブして駅前から離れたので慌てる。次の停留所で降りられるだろうかと、ドキドキする。幸い、その停留所は乗り換えターミナルになっているので、お年寄りたちが沢山降りる。ぼくもそれに乗じてバスを降り、再び道を引き返して、駅前に戻る。そういえばカメラマンの言っていた今日の取材は何時からだったろう?
駅前でまたIカメラマンとばったり会ったので、「取材は何時からだっけ?」と尋ねる。「3時からです」と言うので、ほっとしたぼくは「じゃあ、それまでまた別行動しましょう」と言い、そそくさと彼と別れる。
2012年08月05日
8月5日の夢(追いかけられる)
もう退職したというのに、浜松に出張することになる。行き先はYP社だ。同社から出す社内報のための企画書を自分で作成し、1人でプレゼンに行くのだ。しかし、もう退職後のため、現在の相手先の担当者名がわからない。不安なまま同社へ行くと、たまたま担当の女性部長がいて、ぼくの企画書に目を通してくれることになる。ロビーで打ち合わせを始めたが、ほどなく彼女は中座したまま戻ってこない。これでは東京へ戻れなくなると、不安になったぼくはいたたまれず、あちこち彼女を探し回る。だが、見つからずロビーに戻ってみると、ぼくが座っていた小さなスペースはもう他の人たちの打ち合わせに使われていて、ぼくの居場所もない。しかたなく、そのまま黙って帰ることにする。
浜松駅に向かう途中、突然身長2メートル以上の大男が前から襲ってきて、ぼくに黄色いものを投げつける。やっと身をかわすが、追いかけてくる。怖い。行き止まりに追い詰められないよう、注意しながら、ぼくはどんどん逃げていく。
2012年07月31日
7月31日の夢(円形脱毛症の女性)
午前中大阪に行っていたぼくはお昼前に原宿のカフェに戻り、冷たいものを注文する。店にはP誌の元編集長K女史がいる。いやな女だ。窓の外はラフォーレの前の交差点で、その横断歩道を一人の女性が渡ってきて、互いに目が合い、びっくりする。ぼくと同期でS社に入社したI女史である。彼女もこのカフェに入り、ぼくらは挨拶を交わす。年相応に彼女も老けているが、驚いたのは後頭部に円形脱毛があることだ。それにしても、なんて久しぶり・・・と言いかけて、しばらく前にやはりこの近くで彼女と会ったことを思い出す。彼女はぼくと1人置いたカウンター席に座っており、若い男が二人の間にいるので、うまく話せない。ぼくは何気なくポケットに手を突っ込む。するとそこにはジャーマンベーカリーという店のレシートがあった。そうだ。ぼくは午前中に大阪でこの店にいたのだ。そして、その店にも彼女はいたのだ。ぼくは驚いて、その話を彼女にしようと思うが、トイレに立ってしまった。K女史もトイレに行ったのか、姿が見えない。そろそろ十二時だ。家に帰った方がよさそうだ。ぼくは黒いオーバーコートを身につけ始める。
7月30日の夢(女性宇宙飛行士)
女性宇宙飛行士を今日は取材する日だ。カメラマン仲間と彼女の登場を待ちうけている。一度顔を見たのに、時間になってもなかなか彼女が現れない。「門の前に彼女がいるよ」と言う人がいたので行ってみるが、別人だった。
ところが突然足元でぼくに挨拶する声がする。見ると、まるで一寸法師のように小さな女性宇宙飛行士がいる。おかしいな。前に会ったときはこんなに小さくなかったのに。でも、こんなに小さければロケットに乗って飛行するには便利に違いない。
ノートを何冊もぼくは抱えている。それは詩人のA氏のものだと思うが、彼ははっきりしたことを言わない。ぼくは上半身裸で、恥ずかしいなと思う。でも、気がつくと、いつのまにかスーツを着ている。ストライプの柄がA氏のものとそっくりだ。見比べているうち、どっちがどっちだか見分けがつかなくなる。
2012年07月25日
7月25日の夢(火星植民地)
火星にできた植民都市。そこを馬のいない荷馬車のような乗り物で走る。途中で地球からの郵便物を3通貰った。大きな封筒が2つとハガキが1枚。地球からの便りは貴重なので、とても嬉しい。だが、手綱を両手で握りしめていないと振り落とされてしまうため、必死で運転しているうち、途中で落としてしまったらしい。乗り物を降りたときには、手に何も残っていなかった。
住民集会に出席する。議題は市民に規則を守らせる査察官に女性がなることが多く、あまりに厳しくルールを守らせようとするため、自由のなさに耐えきれず、街を逃げ出す住民が増えていることだ。試しに通りを歩いてみると、半分くらいの家から住民が逃亡し、廃墟になりかけている。
2012年07月24日
海外生活
妻と小さな息子と三人で海外に引っ越した。寝室のベッドで一人で寝ていると、書棚にぎっしり詰まった書籍の一部が崩れた。見る間にドミノ倒しのように本が崩れていき、ついにすべての本が崩れ落ちた。隣室からその音を聴きつけた妻のくすくす笑いが聞こえる。
もう朝の光が窓から差している。しかし、日本とは時差があるので、自分がどれくらい寝たのかわからない。隣室との壁につけられた狭い窓越しに、妻に「ぼくたち、どのくらい眠ったの?」と尋ねる。妻は寝たまま「十分ぐらいでしょ」と答える。えっ、ぼくが眠ったと思ったのは、そんな短時間だったのか。それとも妻は十分間しか眠れなかったという意味だろうか。
やはり海外で大きな建物に共同生活をしている。詩人のI氏がリーダーシップをとって、皆で大掃除中だ。しかし、ぼくはやる仕事がない。ぼくを尊敬しているらしい中年の婦人が、「何かやることがあればお手伝いします」と床に正座しているが、「ぼくが仕切っているわけではないから」と答えて、帰ってもらう。
胸のポケットに薬袋があるのに気づく。そういえば日本を出てから、もうずっと飲んでいなかった。水を取りに外へ出て、戻るとき間違えて別の建物に入ってしまう。管理人のおばさんがぼくを見て「どろぼう!」と言い、玄関にいた掃除婦に「あの男を非難しろ」と叫ぶ。ぼくは「ノーノー」と自分が泥棒であることを否定しつつ、外に出る。
隣の建物に入ると、そこには見知った別のグループが生活している。さらに次の建物に行くと、そこが元の自分の生活場所だった。やっと戻れたことに安堵し、寝転がったが、すぐに顔合わせの点呼になる。起き上がって、座ろうとするが、もう人でいっぱいで、ぼくが休息できるスペースはどこにもない。
2012年07月22日
7月20日の夢(霊と共寝)
布団に入って寝ている。ふと気づくと、聞こえる呼吸音が自分のものではない。自分が吸ったり吐いたりするのとは別のタイミングで呼吸音がしている。「誰だ?!」と言いながら、手で自分の周囲を探そうとするが、腕が重くて上がらない。誰だか分からないが、霊が来ているのだろう。ぼくは「許してくれ」と霊に懇願する。
2012年07月18日
7月18日の夢(高倉健監督作品に出演)
箱根町にいる。ここでぼくは高倉健監督作品の映画に出演しているのだ。きちんとした脚本はなく、俳優たちは自由に演技してよいことになっている。
舞台は山小屋ふうにも見える一軒家で、そこは洋服を仕立てるお針子たちが働く洋裁スタジオになっている。何人かの女性たちが働いているが、この店にやってくる客はいない。もう閉店するしかないのだろうか。
ところが一着の洋服が仕上がったのを窓の外から目にして、中年の女性客が入ってきた。それをきっかけに、どっとばかりに女性客が店内に押し寄せる。しかし、その服をデザインした女性2人は無言のまま、隣の部屋のベッドに入り、シーツをかぶって寝てしまった。
客の応対に追われていたぼくがふとその部屋を見ると、二人はいなくなっている。慌てて名前を呼びながら外に飛び出すが、彼女たちの姿はない。とぼとぼと引き返し、スタジオの門の前に生えている大きな木を見上げる。そこには三人の小さな子供たちとその母親が樹上生活をしている。とても幸せそうだ。
ぼくはスタジオに戻り、彼女たちを失った悲しみから、大声で泣き叫ぶ。だが演技なので、涙は出ない。我ながら迫真の演技だと思う。
映画が完成し、ぼくは遅れて試写室に入っていく。もう室内はスタッフやキャストでいっぱいで、ぼくには席がない。後ろで立っていると、トイレから戻ってきた女性が「どうぞ前へ行って座ってください」と、ぼくに勧めるが、ぼくはほほえんで断る。窓の外にバスがいて、そこに犬たちが乗っているのが見える。
1人の外国人女性が近づいてきて、ぼくの手をとり、ピンクのセーターの下にぼくの手を導く。ちょうどブラの下の部分だ。だが、ぼくは遠慮して手を動かそうとはしない。彼女はそうしたまま、ぼくに明るく話しかけていたが、突然ぼくの手を放し、「強くやってくれないなら、いいわ。後で、家でひとりでやってなさい!」と捨て台詞を残して、立ち去る。ぼくは茫然として言葉もなく彼女を見送る。
2012年07月14日
7月14日の夢(ウナギとアンドーナツ)
クライアントの特約店会議のための準備が始まっている。他のスタッフに先んじてぼくは2日前から、クライアントのオフィスへ行き、準備会議に参加する。特約店会議では会議の前に必ず映画が上映される。今日はその試写があるのだ。映画が終わったあと、深夜まで会議があり、この映画のどういう点が特約店への教訓となるかを議論するらしい。夜食用だろう。バケツの中にアンドーナツが山のように盛られている。ぼくは会議が始まる前にさっさと帰る。そんな教訓など、上映する映画を決めた段階で、決めた人がわかっているはずではないか。
その翌日も準備会に、今度は会社の同僚たちと共に出かける。やはり試写が終わったところで、ぼくは1人帰ることにする。皆がエレベーターで下へ降りるので、ぼくは階段を駆け下りる。しかし、十一階だったことを忘れていた。心臓がばくばくする。一階に着くと、ちょうどエレベーターも着いたところで、みんなと合流してしまう。ぼくの会社は孫請けだが、下請けのHIASとかいう代理店がちゃんと夕食の個室をレストランに予約してくれていた。奥のIさんの席の隣が空いている。そこへ座りたいなあと思うが、食事は立食だった。一番奥の大皿は影の中で暗いが、中にウナギのかば焼きがいっぱい盛ってある。好物なので自分の小皿にとる。次の大皿は少し明るいが、そこにも串に刺したウナギのかば焼きが盛ってある。ぼくは大喜びでそれも取る。さて、食べようとすると、席がない。外国人の初老の男性が大きな丸椅子に座っているので、そこにかけさせてもらうと、椅子ががくりと動く。男性に謝って顔を見ると、サッカーの日本代表監督のザック氏ではないか。それから、ぼくはIさんに、「ぼくは昨日もこの会議に出たから、今日は帰るよ」と通告する。
そして店を出ようとすると、1人離れて前編集長のK女史が座っている。Kさんは生意気そうに煙草をふかしながら「あれはどこだったかしらねえ?」と言う。ぼくも冷ややかに「さあ、忘れましたよ」と答える。「野辺山だったのではないの?」と彼女。「ああそうでしたね」とぼく。
2012年07月13日
7月13日の夢(爪の棘)
ぼくが帰宅しようと外に出ると、視察に訪れた防衛庁長官に呼び止められる。長官は共産党委員長の志位さんだ。ぼくが何かをひざまずいて彼に見せている間、若い副官の男がぼくに爪を立てる。手足のあらゆる指の爪が棘のように鋭く尖っている。それをぼくの足に突き立てて、ぼくを無言のままいじめているのだが、ぼくは痛みにじっと耐える。
列車に乗っていて、居眠りから目覚めると、車室のドアのところで車掌が早めの食堂車利用を勧めてくれる。まだお昼頃だと思っていたのに、なんともう夕方6時半だ。これではお腹が減るわけだ。ぼくはずっと眠っていたらしい。
7月12日の夢(合戦)
夜、会社で残業をしている。玄関に出てみると、郵便物を仕分けする台に、自分のセクション宛のものが沢山置かれている。腕にいっぱい抱えるが、なぜか社内に戻らず、そのまま自宅に帰ろうと外に出る。歩いていると、後ろから来た中年の男が「ここらは広いから、そんなものみんな、分からないように捨てちまえよ」と言う。ぼくはそれもそうだと思い、郵便物を一つ一つくしゃくしゃに丸めて、ゴミのように捨てていく。
すべてを捨て終わり、マンションに戻る。自宅には人々がぎっしりいる。窓の外でおたけびが上がるので、覗いて見る。まるで映画の合戦シーンのように、沢山の人々が動いている。外に出て、車に乗る。道路をはさんで、開発賛成派と反対派がそれぞれの砦を作っていて、それを両派が攻撃し合っているのだ。
2012年07月11日
7月11日の夢(タクシーとバス)
土曜日の午後なのだが、タクシーに乗ってロケ地へ行き、撮影に立ち会う。こんな苦労をしても、報われることの少ない仕事だなあと思う。
同僚のOさんが請求書を書いている。見たことのない社名で手数料が90万円計上されている。なんと、それはぼくの報酬分なのだという。「これでいい?」と問われ、ぼくは自分の苦労がすべて報われたような気持になる。
この場所での撮影が終わり、クルーはさらに別の場所に移動するらしい。だが、ぼくは「悪いけど、ぼくはここで帰るよ」と言って、Oさんと見知らぬ男性スタッフ二人に任せ、現場をあとにする。
先輩詩人のF氏がぼくの詩作の秘密について、推理を聞かせてくれる。「きっと一色さんの世界には一台のリムジンバスが走っているんだと思いますよ」。ぼくは「いや、実際にはバスは走っていませんが、確かにぼくの詩にはいつもバスが出てきますね」と答える。
2012年07月10日
7月10日の夢(本物そっくり)
会社にいると、売り込みのセールスマンがやってきた。スーツの袖につけるネームを売りに来たのだ。応対した社長は「セールスマンにとって名前を覚えてもらうのはいいことだから買おう」と乗り気だ。セールスマンは「ありがとうございます。ではこれで」とネームを一袋置いて立ち去ろうとする。それは擦り切れた活字である。社長はそれを見て激高し、男を追い返そうとする。だが、男はなかなか立ち去らない。オフィスのすみの壁際でふて寝している。ぼくも寝たまま、男のそばへごろごろと転がっていくと、上から突然男におおいかぶさるように襲われてしまう。男はメタボなお腹の突き出たでぶだ。ぼくは男に負けず、「じゃあこうしてやる」と言って、男の体中をくすぐる。
バスに乗る。たまたま乗り合わせた赤い服の少女に、ぼくは「日比谷で降ります」と話しかける。しかし、運転手はバス停に停まる前に全く駅名コールをしない。もしかしたらもう日比谷は通り過ぎてしまったのではないか。外はしとしとと梅雨の雨が降っている。ぼくは不安になり、また少女に嘲笑されるのが怖くて、彼女の席を振り返る。だが、赤い服の少女はほかの六人の少女たちとの話に夢中で、ぼくのことなど眼中にない。ぼくはほっとする。
会社に戻ると、デザイナーが作ったらしい、ぼくの詩集のカンプがある。木かプラスチックのように固くて分厚い素材で作られたその本の表紙にぼくの名前はないが、書かれている詩のようなもの、知人から来た手紙など、いかにも本物そっくりの偽物である。ぼくはこれをみんなに見せびらかしたいと思う。
2012年07月06日
7月6日の夢(大島弓子の本)
小学校の講堂のような場所が仕切られて、オフィスになっている。天井のないテレビドラマのセットみたいだ。そのオフィスの外(といっても講堂の中)を歩いていると、ぼくに電話がかかっているのが聞こえた。ぼくは大声で「はーい、はーい」と叫び、中に駆け込む。
電話に出ると、若い男の声で「大島弓子の本を先着順50名様にプレゼントと書いてあったので、電話しました」と言う。確かに雑誌にそう書いたのはぼくだが、実は大島弓子の本など在庫していない。オフィスの同僚の棚に一冊だけあるのを見て、どうせ誰も応募してこないだろうと多寡をくくって書いたのだ。ぼくが口ごもっているうち、男は怒って電話を切ってしまった。念のためあの本は今もあの棚にあるだろうかと見に行くが、その棚の前に同僚が座っているので、確かめることができない。
2012年06月29日
6月29日の夢(医者に行く)
医者に行く。医者というより床屋のようだ。沢山の椅子が並び、そこに患者たちが閉じ込められるような感じで座っている。主治医の院長がいない。ぼさぼさ髪の知らない医者が「あなたは心臓になんの異常もない。それなのに院長がこれまで出してきた薬をそのまま出していいものか、と思っているんですよ」と言う。ぼくは驚いて「もう何十年も不整脈に苦しんできたんですよ。3拍に1拍欠ける不整脈です」と力説する。ぼくがそう話しているところへ、見知らぬ女性患者が横から口をはさみ、医者をどこかへ連れていってしまう。椅子に閉じ込められたまま、ぼくは「この医者をあきらめ、他に循環器科の医者を探すべきだろうか。でも、何度同じようなことがあり、何度医者を変えたことだろう」と考える。
2012年06月26日
6月26日の夢(AKB48)
テレビ局の楽屋で、四角い大きなテーブルをはさみ、死んだ母親と向かい合っている。これは歌手の持ち歌をめぐる知られざるエピソードを披露して、出演者も視聴者も驚くということを売りにしている番組だ。司会者であるぼくは母親にそのエピソードを話そうとするが、彼女は「聞きたくない」と言って、ぼくを制止する。
いつのまにか母親はAKB48のメンバーたち数人に変わっている。ぼくはそのエピソードが彼女たちの聞きたくないものなのだなと判断し、パフォーマンスが終わってから、戻ってきた彼女たちに披露する。「ヘビーローテーション」にまつわるエピソードだった。案の定、彼女たちは「やっぱり」と言って、顔をしかめる。
6月23日の夢(暗闇のビール坂)
ある場所へ急ぐのでタクシーに乗った。そこへ行くには自宅のすぐそばのビール坂を降りて、そこからまた別の方角へ向かうのだ。さあ、ビール坂だ。街灯もなければ、周囲の家の明かりもない。真の闇だ。しかも、道幅もぐんと細くなっている。暗闇の中をタクシーはぼくを乗せて、猛スピードで駆け下り始める。
2012年06月22日
6月22日の夢(怪しいお屋敷)
大きなお屋敷に逗留している。何気なく浴室の前の廊下に出ると、浴室のドアの前の床にある小さな上げ戸が開き、女の片手の手のひらだけが突き出される。てのひらには真っ赤な血のりがついている。切り傷を負ったのだろうか。まさぐるように手のひらは動きながら、少しずつ腕の部分まで突き出てくる。ぼくはいけないものを見てしまった気がして、それを見ずにすむよう、廊下に寝転ぶ。ふと気づくと、周りには頭を丸めた尼のような老女たちが和服を着て、数人集まっている。そして知人のピアニストSに「あなたにこの場は任せるわ」と言っている。ぼくは明らかに、いてはいけない場所にいるらしい。
逃げるように玄関に出て、靴箱から自分の靴を取り出し、外に出る。青空の下に緑の大草原がどこまでも続き、少年たちが声を上げて遊んでいる。遠く、1人の少年が空中ででんぐり返しをして、頭から地面に落ちるのが見える。はっとするが、子供たちの笑い声が続いているところを見ると、何でもなかったのだろう。ぼくの右手の方は草原がそのまま垂直に近い崖へと落ち込んでいる。ここから落ちたらいのちはないだろうな、と思う。
2012年06月20日
6月20日の夢(またもや鞄がない)
取材に出かける都合から、Y社銀座店の一室に、泊めてもらう。ベッドでふと目覚めると、室内で話し声がする。Y社のエライ人がいつのまにか入室しているらしい。起きて挨拶しようかと思うが、そのままタヌキ寝入りを続ける。だが、どうせすぐ出ていくだろうと思ったのに、彼らは出て行かない。寝返りを打ちながら、薄目を開けて時計を見る。まだ6時半だ。ぼくは薄目を開けつつ、眠っているような演技を続ける。室内にいる男たちは「こいつは目を開けていても寝ているんだよな」と言う。
しかし、ついに10時半近くになってしまった。もう起きないと取材に間に合わない。素知らぬふりをして起き上がって、驚いた。室内には若い男女が10名ほどもいる。どこかの取材クルーだろうか。男の一人がぼくに「ぼくたち巧妙だったんですよ。スイッチを切って、音が出ないようにして部屋に入りましたからね」と言う。とにかく出かけようとして、自分の黒いリュックサックを探す。だが、床に置かれているバッグはすべて彼らの持ち物で、ぼくのリュックは見当たらない。
彼らと街に出る。ぼくは急に一人だけ駆け出す。高速道路をリラックスしてジョギングする。とても身が軽い。昔はよくこうして走ったものだが、今こんなふうに走って心臓は大丈夫なのだろうか。あっという間に成城の丘から狛江へ下るビール坂にやってきた。しばらく見ないうちに開発が進み、坂には野外のしゃれたカフェやビアガーデンができている。カフェの椅子に詩人のK氏が座り、別の客にM前編集長から来た請求書のコピーを笑いながら見せている。「必要な数字以外は塗りつぶしてあるんですよ。でもこの文字は色という字に見えますね」と言っている。どうやらぼくの名前が塗りつぶされているらしい。あのM氏がぼくに隠れて、ぼくの生徒を自分の教室に引き抜いているのだろうか。ぼくは裏切られた気がして、大きなショックを受ける。
2012年06月19日
6月19日の夢(地方取材)
夕方6時過ぎ。会社で仕事をしていると、M専務にY社の仕事で急に高崎まで出張取材を依頼される。すぐに出かける準備をしていると、営業のM氏がやってきて、「今、忙しいの?」と聞く。どうやらぼくに別の仕事を頼みたいらしいが、そんな暇はない。それを察して、専務が「一色さんは今はとても無理だよ」と言ってくれたので、M氏はすごすごと引き下がった。
出かける前にトイレへ行くと、女性詩人のNさんが自分のバッグをトイレのドアノブに巻き付け、入れないようにしてから、「ちょっと待って。まだ連絡がないの」と言う。やはりぼくを行かせないで、別の仕事を頼みたいのだろう。ぼくはトイレをあきらめ、「とても2つの仕事をいっしょには無理だよ」と答え、強引に出張へ出かける。
高崎の西武デパートへ着いた。壁面に大量の生野菜が埋め込まれて、その新鮮さがこのデパートの「売り」になっている。ぼくは店長へのインタビューを無事に終え、さて写真を撮ろうとするが、もう夕方なので光量が弱く、ピントも合わないし、シャッターも下りない。困っていると、窮状を察したのか西武の女性社員が「この明るさでシャッターが下りないなら、写真は無理でしょう。その場合はうちの社で撮った写真をお貸しします」と言ってくれる。
安心したのが災いして、ぼくは取材現場へリュックサックを置き忘れてきてしまった。青くなって、走って取りに戻る。もうないとあきらめかけていたのだが、舗道にちゃんとそのまま置かれていた。ほっと胸を撫で下ろす。
2012年06月15日
6月15日の夢(無能な物書き)
ローカル紙のためのエッセー原稿を書き、妻にチェックしてもらった上で、編集部に送った。ところが担当の記者から山のような資料と共に、ダメだしの赤字入りの原稿が戻ってきてしまった。エッセーの中にたまたま実際にある川の名前を書き込んだのだが、その川はぼくの想像したような大きな川ではなく、小さな川なのだという。その川の写真入りの記事の切り抜きが証拠として入っている。小さな川ではあるが、水害があったらしく、黒い柵のようなものが沢山濁流に押し流されている写真だ。そのほか徹底的に書き直された文章が別紙で原稿の上に貼り付けられている。
その原稿と資料の山をオフィスの自席の前の床に置き、ふと見ると、ぼくの席とその前後左右四つの席を同僚の女性たちが占領している。裁縫部の女性たちで、大急ぎで商品の洋服を繕わなければいけないらしい。しかし、それではぼくがパソコンを使えない。ぼくの席で裁縫に夢中の女性の肩を叩き、「すみません。ぼくの席をあけてくれませんか」とお願いする。それでやっと自分のデスクに座り、原稿を改めて点検する。なんだ、これは。まるで箇条書きのような文体で、ぼくはこんな下手なエッセーしか書けないのかと、がっくりする。
音楽誌に自分の音楽知識の能力を超える講演をレポートするため、ノートに手書きで原稿を書く。講師にそのノートを見せると、やはりぼくの原稿が気に入らないらしい。ぼくをはじめ業界の人たちを沢山自分の山の別荘に呼び、パーティーを開くという。
その別荘に行くには、大きな噴火口のような場所を通る。まるで巨大な牡蠣の貝殻のように岩石が同心円状に皺をつくっている。真ん中から少し斜めにずれたところに向かって底なしの穴になっていて、はるか下方の底には小さく青い湖の水面が見える。もしこの穴に落ちたら絶対いのちはない。ぼくは恐怖にかられ、思わず「怖い」と呟く。同行していた同僚が「あんな斜めの場所に底があるわけないじゃないか。そう見えるのは目の錯覚だよ」と笑い飛ばす。しかし、ぼくは恐怖が消えない。
別荘に着き、パーティーが始まった。大皿に載せて次々と料理が運ばれてくるが、ぼくは野菜ばかりを食べている。そのうち我慢できずに、ただひとつ残っていた甘いものを食べる。おいしさに幸福感で満たされる。遠慮せずに肉料理もいただこうと思う。
2012年06月13日
6月13日の夢(夏休みが終わった日)
今日は夏休みが終わった日だ。登校すると、教室で若い男の担任がみんなに夏休み中の生活の発表をするようにと言う。女生徒のAさんは「あたしはこれまでピアノばかり弾いていたけれど、この思い出はとてもピアノだけでは表現できません。ギターで弾きたいと思います」と言う。ぼくはそれを聞いて、とても嬉しくなる。
6月12日の夢(トンボの証人)
裁判所で二人の罪人の裁判が行われている。ぼくはそのために呼ばれた二人の証人のうちの一人だ。どうもぼくはトンボであるらしい。しかし、自分が本当は何者なのかよく分からないのだ。
2012年06月07日
6月7日の夢(布団で散髪)
つぶれた床屋さんを買い取って、ボランティアの運営する床屋さんができた。二階の待合室では床に座って沢山のお客が待っている。最初に名まえを呼ばれたお客はボランティアに出資しているのをいいことに、あまりにも何度も髪を切りに来ると、ほかの客たちからブーイングされている。
店の前にバス停があり、そこにも沢山のバス待ち客が並んでいる。バスに乗ろうとやってきた女性が長蛇の列に恐れをなし、自転車を借りて猛スピードで坂を下りていった。だが、向こうからバスがやってくるのが見えたので、気が変わったらしく、慌ててまた猛スピードで戻ってくるのが窓から見える。
床屋さんではついにぼくの順番が来た。「一色さん、〇〇さん」と呼ばれる。「〇〇さん」というのは女性の名前で、おそらくぼくの女性的部分について独立した名前が与えられたものだろうと思う。ところが驚いたことに、本当にそういう名前の女性がいて、ぼくといっしょに三階へ上がった。そこには布団が敷かれていて、二人は隣同士の布団に寝かされる。一体、寝たお客の髪が切れるのか疑問だ。それに、どうしても隣の女性の方に体が近づきそうなので、注意しなくてはいけない。と思っているうちに、あっという間に散髪はすんだらしい。ぼくは頭がかなり禿ていて、髪がないのにうまく散髪できたのだろうか。壁に天井まで届く大きな鏡がはめこまれているので、全身を写そうとしたが、なぜかやめる。そして、待合室の客の頭を踏みつけそうになりながら、踏み越えて外に出る。
2012年06月06日
6月6日の夢(DJ天皇)
ぼくは放送局のディレクター。天皇に65分番組のディスクジョッキーをお願いする番組を企画した。天皇もこの企画のノリノリである。
2012年06月05日
6月5日の夢(退職した会社訪問)
退職した会社をリタイア後初めて訪ねた。ぼくがダメだと思っていたカメラマンを使ったピアノの広告が新聞の一面広告として採用されたらしい。青森の恐山近くの風景にアップライトピアノを置いて撮影したカットで、ぼくはそんなものが採用されるわけはないと、さんざんくさしたものだ。撮影したときは天気が悪かったらしく、全体に画面がぼーっとぼやけている。しかし、ぼくの意見とは反対にこの広告がクライアントに採用されたことに、ぼくは動揺する。
オフィスの二階に上がるとスタッフは一新され、オフィスの中もすっかりモダンになっている。ぼくの後任の男性は就業時間が終わったあと、自席にチェロを持ちこんで現代音楽を超絶テクニックで演奏している。ほかのスタッフはその音量に迷惑そうだが、彼がぼくより存在感を出していることにさらに動揺する。
あらゆることがぼくの考え方を否定した形でうまく回っているようだ。ぼくはいたたまれなくなって、自分のもう居場所のない元の職場を後にする。
2012年06月04日
6月4日の夢(父殺し?)
札幌に飛行機で出張し、イベントのオープニングに出席する。詩人のK氏とM氏が同行している。会場はビルの7階だ。一階のエレベーターホールにはその会場に行くらしい、沢山の詩人たちが待っている。だが三台あるエレベーターの内、彼らの前のエレベーターではなく、一番右端のぼくの前のドアが開いた。乗り込むと、ぼく以外はこのビルにあるオフィスの会社員らしい若い男性や事務服姿の女性である。
7階に着き、ふと自分が黄色いスーツの上着を着ているものの、ズボンをはいていないことに気づく。これでは格好がつかない。もう一度エレベーターを降りて、ホテルの自室までズボンを取りに行く。
自室を開けて、驚く。ぼくの父親が鮮血にまみれて死んでいたのだ。
とにかく東京に戻ろうと、二人の同行者と共にタクシーで空港に向かう。海沿いの道路には大波が襲いかかってくる。運転手は「あれ、海面が下がってないな」と言う。さらに行くと、道路が波でえぐり取られ、これ以上進めなくなった。運転手は「ちょっと聞いてきます」と言って、降りた。ぼくはこのまま車が海に落ちるのではないかと恐怖にとらえられ、慌ててドアのロックを解除しようとする。だが、間違って別のボタンを押してしまい、何かがM氏に当たり、彼は「あいてっ」と悲鳴を上げる。ぼくは彼に謝罪し、ドアを開けて降りる。
近くの家の中に避難し、なんとか落ち着くが、このままではにっちもさっちもいかない。ホテルに早く帰って、父親の死体発見を警察に通報しないと、ぼくが父親殺しの犯人としてつかまってしまうのではないかと、気が気でない。
2012年05月30日
5月30日の夢(銀色の機械)
会社から退社しようと外に出ると、いきなり女友達のYさんにタクシーに乗せられる。これから松坂屋ホールでお芝居の公演を2人で見るのだという。ちゃんと指定席券もある。終演まで見ていたら帰りが遅くなり、妻に怒られるなあと、ぼくは心配になる。途中で帰るかわりに、銀色に輝く四角柱のような機械をYさんにプレゼントすることにする。
2012年05月29日
5月29日の夢(夢見るビル)
ある地方都市で演劇公演の準備をしている。会場は地下で、そこへの降り口は狭く、ベルベットの布につかまり、斜めの穴を滑り降りるようにするしかない。スタッフたちは皆準備に熱中しているが、ぼく一人だけ何もすることがない。
食事の時間になった。皆でテーブルを囲む。ぼくは最初壁際ではない列の一番右端に座るが、そこは本来の自分の席ではない。途中から奥の壁際の真ん中の席に移動する。しかし、その途中で食事中の女優の足を2度も踏んでしまい、慌てて謝る。
その後、床に寝転がって休憩する。なんだか女っぽい男がぼくに手足をからみつかせるようにする。ぼくは気持ち悪いので、起き上がるが、男は「ねえ、ここにいて。ここにいて」と言って、ぼくに取りすがる。ぼくは男をはねのけ、「一人で勝手にやってろ」と怒る。
外へ出るともう夕方だ。砂漠のような街に黄金色のビルが3つ並んで建っている。有名な新興宗教の教団本部と神殿だという。真ん中のビルだけが少し淡い色の黄金色だ。そのビルのドアから二体の巨大ロボットのようなものがギクシャクと外へ出てきて、周りを確認する。二体が戻ると、建物の窓はそれぞれ裏返るようにして、巨大なメカニズムにより閉じられる。そして窓は閉じられた人間の瞼のようになる。その窓に世界中のさまざまな風景が投影される。まるでビル自体が夢を見始めたみたいだ。
2012年05月28日
5月28日の夢(出張)
浜松のクライアントへ同僚と二人で出張する。相手先の役員二人と面会し、いっしょに映画を観に行くことになる。それも相手先の全社員がいっしょに観に行くのだという。みんなで映画館まで歩きながら、若々しい二人の喉元を見ると、二人ともクールビズである。
そういえば会社から「明日は名古屋へ社長のかわりに出張して、スポーツ大会の取材をしてくるように」と言われていたのだ。どうも気が重い。しかも、その社長と連絡がつかず、具体的な取材計画が立てられない。
その社長が幸いなことに、浜松に現れた。小学校の校庭のようなところでその話をすると、「とんでもない。明日の取材は難しいので、一色さんに行ってもらうのは無理ですよ」と、にこやかに言われる。やれやれとほっとするが、喜んでよいのか悲しんでいいのか、ちょっと複雑な気持ちだ。
2012年05月26日
5月24日の夢(教科書は鯖)
会社が終わり、トイレへ行く。民主党の前原らは女子トイレへずんずん入っていく。ぼくの前を行く男性は「あれっ?」という表情で男子トイレの前で立ち止まり、中を覗き込む。すると、男子トイレの中から女子社員が現れた。ところが自動ドアが開かず、彼女は外に出られない。電気が切れてしまったらしい。ぼくは少し引き返して、壁の下の方にあるスイッチを探る。すると、特に切り替えたわけでもないのに、すーっと自動ドアが開いた。
そのとたん、トイレの周りは海になった。波打ち際の岩の上に、ぼくの教科書が沢山積み重ねられている。その一冊が波にさらわれて、海に落ちた。ぼくは海に飛び込み、教科書をつかまえて開くと、それは一匹のお魚である。またそれが海に落ちたので、拾い上げると魚は2つに裂けてしまった。よく見ると、それは大きな鯖である。
2012年05月21日
5月21日の夢(金環食型の腸)
自分のお腹から腸を取り外す。ぼくの腸は細いチューブで、両端がウロボロスのように結ばれて、真円の形をしている。どうせなら腸の掃除をしようと、両端を閉じている留め金を外す。どうやらぼくはお腹を壊していたらしく、茶色の液体が両端からあふれだす。やばい。ぼくの手や鞄にもかかってしまった。早く洗わなきゃと思っていたのだが、気づいたらすっかり忘れてしまっていたのだった。
2012年05月20日
5月20日の夢(エンゼルトランペット)
走るボックスカーの中。運転席の左側の一段高い場所に男性シンガーがいて、歌をうたっている。顔は見えない。その右側にプロンプター役の若い男性がいて、シンガーに歌詞を声に出して教えている。
ぼくは後部座席にいて、窓の外を見上げている。コンクリート製の電柱のかなり高いところに、ぐるりと電柱を囲む形でエンゼルトランペットの花が咲いている。プロンプターの男に教えてあげようかと思うが、そのためにシンガーの歌が中断してしまってはまずい。エンゼルトランペットの花はぼくだけの記憶に焼き付ける。
2012年05月19日
5月19日の夢(ローカル新幹線)
浜松出張から夜、新幹線で東京へ帰ることになる。ぼくとM前編集長、それに女性が2人の、4人のグループである。9時くらいに駅に着く。裸電球が闇の中にともっているような田舎のさびしい駅だ。小さな数両連結の列車がホームに停まる。これが新幹線だ。ぼくと女性の二人が乗り込んで席に座るが、M氏と女性の姿はない。乗り遅れて、2時間ぐらい後の新幹線で東京へ戻ったというのだが、なんかこの二人は怪しいなと思う。
2012年05月18日
5月18日の夢(少年と自転車)
少年が舗道でぼくの前を危なっかしげに自転車に乗っていく。まだ練習中らしい。少年の自転車は左に傾いてバランスを崩し、ハンドルを左に切りながら足を地面について転倒を免れるが、靴が片方脱げてしまう。ぼくの背後から母親が「ほらほら、もっとうまくなると、そういうハンドルもわざと使えるようになるの」と少年を励ます。彼は泣きそうになるのを必死にこらえている様子だ。ぼくは行く手を少年の自転車にふさがれてしまったため、「バカヤロー! 早く行け!」と思っている。
2012年05月16日
5月16日の夢(行き先のないエスカレーター)
妻に「エスカレーターに乗ると、だんだん互いの距離が離れる」というたとえ話を実際の行為で示そうと、乗らなくてもいい登りのエスカレーターについ乗ってしまう。あとから妻も乗ってくる。ふと前を見て驚く。エスカレーターは上階に通じているのではなく、そこには壁しかない。しかも、上に行くにしたがってエスカレーターの角度はだんだん垂直に近くなる。このままではぼくらは壁に激突する前に、エスカレーターから転落するしかない。
と思ったところで、エスカレーターは停止した。だが、そのままぼくらは身動きもままならず、エスカレーターから降りられない。少し下のステップにいる妻に「そこからオーイと下にいる人に声をかけられるか」と尋ねる。妻は小さな声で「オーイ」と呼ぶが、それではとても下のホームにいる人には声が届かない。そうだ。ここは駅のホームなのだ。そのとき、たまたまホームを同僚のSさんが通りかかった。ぼくは大声で「Sさーん!」と声をかける。彼女は立ち止まり、ぼくを見て目をばちくりさせる。「あなたは勇気がないから、そんなところに登ったんでしょう」と彼女は冷たく言い放つ。近視のひどい彼女はどうやらぼくを誰かと間違えているようだ。近づいてきた彼女はようやくぼくだと認めたらしく、「あっ、違う、違う」と呟き、ようやくぼくらを助けようという仕草を見せる。
2012年05月13日
5月13日の夢(湖の上の犬の大群)
出張に出かける途中、湖を眼下に見下ろす道を通る。ふと目をやると、上品な老婦人が飼い犬のシェパードに凍った湖の上で、盛大におしっこをさせている。さらに驚いたことには、湖の上には飼い主に連れられたさまざまな犬たちが大群になって、泳いだり遊んだりしているではないか。これはシャッターチャンスだ。ぼくは鞄の中から取材用の一眼レフを取り出そうとするが、ふといやな予感がする。思った通りだ。カメラにはレンズがない。会社に忘れてきてしまったのだ。
2012年05月12日
5月12日の夢(レールのない地下鉄)
トイレへ行く。トイレの中には鉢植えの観葉植物とグランドピアノが置かれている。その間にある便器は蓋が閉まっている。蓋を開けると、指にねとっとした気持ち悪い感触がある。それに、便器の位置が微妙にぼくの立ち位置より左にずれている。随分と遠いが、しかたなく用を足し始める。そこへ小学生の男の子が入ってきて、その便器の正面に立ち、勝手におしっこをしだした。さらにどやどやと沢山の男性サラリーマンが入ってきて、トイレは満員になる。ぼくの後ろにも行列ができた。しかたなく、ぼくは便器のない場所で、グランドピアノの足をめがけて用を足すことにした。便器がないことがばれるのではないかと、ひやひやする。用を足し終え、慌ててチャックを引き上げ、逃げるように外に出る。外に出てから確かめると、ぼくは黒いズボンをはいている。これなら多少トイレでズボンを汚したとしても、目につくことはないだろう。
非合法の集会に出る。銃を持って参加している若者もいる。ほかの参加者が「やっぱり銃は要りますよね」と声をかけ。若者は「ええ、いつ襲撃されないとも限りませんから」と答えている。ぼくは「そのかわり、銃刀法違反に問われる恐れもありますよね」と言うが、みんなしーんとしてしまう。場違いなことを言ってしまったらしい。
集会が終わって、出口で靴をはこうとすると、別の男がぼくの靴をはいてしまっていた。だが男の足は大きすぎて、ぼくの靴に入りきらない。そのため、ぼくの靴を放り出したが、脱いだあとの靴はぺちゃんこにつぶれてしまっている。しかたなく、ぼくがつぶれたままの自分の靴をはくと、「この前もそういうことがありましたね」と声をかけてくる人がいた。「ええ、そうでしたね」とぼくは言う。
それから地下鉄に乗って渋谷へ向かう。運転席の後ろに立って、前方の窓を見て驚く。地下鉄は黄色っぽい粘土のような土でできた狭いトンネルの中を走っているのだ。そして、そのトンネルにはなんとレールがない。いつから東京の地下鉄にはレールがなくなったのだろう?!
2012年05月11日
5月11日の夢(死んでバスに乗る)
ぼくは死んだ。死んだ人たちはここでバスに乗る。
バスには二つ行き先がある。お尻を鞭打ちされた後、もう一度生まれ変わる道と、もう二度と生まれ変わらずこのまま死んでしまう道とだ。
ぼくは最初、生まれ変わるつもりだったが、最後の瞬間に気が変わり、発車寸前の「永遠の死」行きのバスに飛び乗る。このバスは最後部が観音開きのドアになっている。満員で、ぼくのすぐ前には大腸がんのデザイナーFくんの背中が見える。彼は白いタオル地のガウンのようなものを着ているが、けっして後ろを振り返らない。前の方から「もうこのバスは満員で、一人も乗れないよ」という声が聞こえてくる。けれど、ぼくは何としても乗りたいと、無理やり体を押し込み、バスはぼくを乗せて発車する。
机の上に何冊もの書物が置いてある。上から一冊ずつ手に取って見ていくと、一番下に「解答」という題名の本があった。思わず表紙をめくるが、中身を読まないうちに目が覚めてしまった。
2012年05月07日
5月7日の夢(銀座駅移転)
地下鉄の銀座駅を探すが見つからない。地下街の店員さんに聞くと、ずーっと向こうの通りの反対側へ移転したと言う。みんな急に銀座駅がなくなってしまったので、道に迷っているようだ。
新しい銀座駅に着くと、改札口の前で料理教室がオープンしたところだ。事務員ふうの女性が道の真ん中に置かれたテレビの画面で挨拶のスピーチを始める。なんてつまらない話をしているのだろう。集まった人々は地下街に腰を下ろして、そのテレビの中の彼女を見ていたが、つまらないので見るのをやめてしまった。ぼくも居眠りを始めた。
ところが挨拶の終わり近くになって、スピーチしていた当の女性がいきなりテレビを片づけ始めた。ぼくも人々もとまどう。その女性はテレビの中にいたはずなのに、なぜテレビの外にいて、自分の写っているテレビを片づけているのか? 突然、ぼくの隣にいた外国人の男性が憤慨して叫ぶ。「あなた方はテレビをちゃんと見ていたのですか?!」 皆、驚いてテレビをもう一度眺める。テレビに映っているのは、あのつまらないスピーチをする女性ではなく、ほれぼれするような美女たちで、しかも次から次へと新しい美女が登場している。ぼくは眠くてたまらないが、必死に目をあけてテレビを眺め、彼女たちの話を聞こうとする。話はどんどん感動的になり、ぼくは大粒の涙を流して、声を上げて泣き始める。
2012年05月06日
5月6日の夢(相談に乗る)
ぼくの前にいる女性は犯罪者に仕立てられることが決まっている。ぼくは彼女に「懲役刑をできるだけ軽くしてやるから」とウソを言い、仕事をさせることにする。
男性詩人のOくんが相談があると言うので、レストランで会食しながら相談を聞く。ところが途中で席を立ったまま、帰ってこない。「トイレにでも行ったのかな」と思っていると、突然見知らぬ男の顔が目の前にぬーっと現れた。びっくりすると、男は「いやあ、Oは今岩山を登っていましてね。岩角を曲がろうとして、どうも動けなくなっちゃったみたいで、そこからあたしに電話してきたんです。すると、このレストランに一色さんを放りっぱなしにしてると言うじゃありませんか。ええまあ、いつものことなんですがね。それじゃまずいからと、あたしがここに出てきたというわけなんでございますよ」と、卑屈な調子で言う。
そんなことはどうでもいいが、とにかくここの支払いをしてもらい、エレベーターで下に降りようとする。ちょうどエレベーターが着いたところで、待っていた人たちがどっとドアの中になだれこむ。男は乗りこめたが、ぼくと白髪のおばあさんだけが廊下に取り残されてしまい、二人で苦笑いする。
さて、5時から医者で再検査だ。いや、4時からだったかもしれない。それまでにデザイナーに発注する表紙の素材を決めなくては。素材は読者から募集した子供の絵だ。その場で決めようとしたが決められず、いったん自宅に戻り、ベッドの上で封筒から公募作品の絵を取り出す。いくつかはぼくの保管のしかたが悪かったのか、ちぎれたり汚れたりしている。どうせ公募作品なんだから、まあいいやと思う。時計を見ると、もう5時近い。医者に行かないといけない。絵の選択はデザイナーに任せてしまおうかと思っていると、今まで気づかなかった上手な絵の入った封筒が2つ見つかった。
2012年04月30日
4月30日の夢(空港)
空港で出発便を待っている。だらだら過ごしているうちに、気がつくと、もう1時間も経ってしまった。とっくにぼくの乗る飛行機は飛び立ったのではないだろうか。
搭乗口に移動する途中、足首まで水につかった中で、チェロを弾いている中年の男性演奏家がいる。チェロは表側の響板が外され、内臓のような部分が見えている。彼は「ぎりぎりまで練習しなくては」と言う。立って見とれていると、「ここにいる100人は・・・」という声がする。気づくと、ぼくの周りは彼の仲間のオーケストラの人たちでいっぱいだ。ぼくはここでは部外者なのだと感じ、すぐにその場を外す。「あれ? あの人はどこへ行くんだろう?」という声が後ろから聞こえる。
ぼくは空港の一番奥にある薄暗い搭乗口に、吸い込まれるように入っていく。そこはモンゴル行きの便の搭乗口だ。階段を降りるごとに暗さが増し、これ以上前へ進めない。係員の女性が死神のようにぼくを待っているのが見えるが、ぼくは反転して再び階段を登る。
売店がある。ぼくはその男性店員に、寄付のためのTシャツに切手を貼って、「郵送してください」と渡す。シャツは灰色に近い白で、そこに貼る切手も毛の荒い白い布地の感触のある巨大なものだ。だが、ちゃんと糊がついていて、ぺたんと貼ることができる。けれど、どこにも住所が書いてない。店員が「住所がなくては遅れません。だいたい、これが切手だというのはウソではないですか? 私が送り先に電話して聞いてあげましょうか」と言う。ぼくは「いえ、自分で聞きます」と言って、送り先になっているアーティストに電話する。意外にも相手は磊落な男性で、ぼくの「これはウソじゃないかと言われたんですが」という失礼な問いかけにも動じず、「そうかい? ウソかい?」と明るい声で応じる。
4月29日の夢(クビになる)
急ぎの仕事でテープ起こしをしている途中、別の仕事で呼び出され、島に行く。
映画の撮影だ。仕事を依頼されるが、多忙を理由に断る。レストランに行くと、スタッフたちが打ち合わせをしている。ぼくは彼らに加わらず、一人でぼんやりと立っている。「一色が・・・」と、ぼくの名前を誰かが口にするのが聞こえる。そして、彼らはぼくのところにやってきて、「おまえはクビだ」と宣告する。「たとえ仕事がなくても、会議にぐらい出て、みんなの話を聞いているものだ」とも言われる。
これで自由になったのだ、と思う。ぼくはそこから走り出す。どんどん走る。自分が自由になったことを実感する。だが気がつくと、出発したところと似たような場所に来てしまった。また、みんなにつかまっては困る。デザインスタジオがあり、二人の若いデザイナーが壁に向かって仕事をしている。ぼくは彼らのデスクに自分の持ってきたカードを置き、「これ、ステキでしょ」と言う。二人はぼくに同意するが、その上にさらに何枚もカードを重ねて、ぼくのカードを隠し、「この方がいいよ」と言う。
ぼくは氷のかけらを手にとり、海岸を歩いている熊のような動物に投げつける。頭のはげたおじさんが怒って駆けてくるが、ぼくは隠れておじさんをやり過ごす。
2012年04月25日
4月25日の夢(靴がない)
会社がリニューアルされて、オフィスの真ん中に大きな四角いテーブルが置かれ、みんなそのテーブルに向かって仕事をしている。まるでちゃぶ台を囲んだ家族のようだ。新しい同僚の中にはオリンパスの元英国人社長もいる。みんな自分の持ち物を収納スペースにうまく収納できて、満足そうだ。だが、ぼくだけは自分の荷物がどこかへ失われてしまった。外に嵐がやってきて、オフィスの中に水が浸入してきた。大変だ。逃げ出そう。慌てて玄関にあるきれいな収納スペースの観音扉を開けるが、ぼくの靴だけが見当たらない。
2012年04月23日
4月21日の夢(名刺がない)
NHKから電話があり、本の注文が大量に来た。喜んで、その電話に応対しながら二階に上がり、担当者のところへ行く。しかし、彼の名前を度忘れしてしまい、せっかく彼の後ろにいるのに呼んで振り向かせることができない。電話を切らずにいったん席に戻り、彼の名前を思い出してから再び二階に上がるが、担当者はもう外出してしまっていた。しかも、二階のオフィスは同僚たちが大声で会話していて、とてもうるさく、電話の相手の声がよく聞こえない。送り先の住所が聞き取れないまま電話を切ってしまい、困ったなと思っていると、その相手が直接現れた。しかも、彼の妻がぼくの妻と知り合いの上、詩人の長谷川龍生氏とも知り合いだと言う。それは好都合だ。思わず名刺を渡そうと鞄の中を探るが、今度は名刺が一枚も出てこない。たまたま長谷川氏の写真が出てきたので、それを相手に見せて、その場をなんとか取り繕う。
2012年04月20日
4月20日の夢(大地震)
バレエを習っている少女は少年との再会を待ち続けている。そこへ大地震が来る。壁も天井も剥がれて崩れる。
それから長い年月が経った。ぼくが家にいると、すっかりおとなになった少年と少女が仲良く家にやってきた。二人はその後ちゃんと再会して結婚できたのだ。映画はハッピーエンドになったのだ。ぼくは感動して、大泣きする。
ツバメが帰ってきた。温かい春の雨が降っている。庭に管理人二人が傘をさして立っている。ぼくは傘がないが、そこに朱塗りのオキナワ風の門がある。ぼくは「ちょうどいい」と言って、その下に立って二人を招く。そして「30?号室の人がいいと言うなら、ぼくがその家の屋根を塗り直しますよ」と言う。
4月19日の夢(ガスコンロ)
乱雑な部屋の床にガスコンロが置いてある。ぼくは一度そのコックをひねるが点火しない。もう一度ひねると、前にもれていたガスに引火して、ぼあっと大きな炎が出た。あわてて自分の着ていた上着を脱いで炎にかぶせようかと思うが、その前に火は消えた。かたわらから妻がのんびりと「どうしたの?」と声をかける。ぼくは「爆発したけど、消えた」と答える。
2012年04月18日
4月18日の夢(巨大な名刺)
デザイナーのN氏に名刺の発注をする。彼が「名刺は三色刷りの方が安いですよ。そうしていいですか」と言うので、承諾する。出来上がった名刺を見ると、A5判ぐらいの巨大な大きさだ。
N氏がぼくの会社に同年輩の知り合いだとというデザイナーと共にやってくる。会社は風にそよぐ広大な草原の中にある。ぼくはそのデザイナーとも仕事を既にしているらしく、「あの仕事はどうなっているの?」と尋ねる。彼がその件で打ち合わせしたいというので、残業しなくてはいけない。これは藪蛇になったなと思う。
そこへU社長がやってきて、「今後の会社のことについて話したいから、明日は朝7時に出社するように。ぼくらはそのくらいのことはしなくちゃいけないと思うんだ」と申し渡す。みんな早朝出社と聞いて、ぶーぶー文句を言う。ぼくは自分はもう社員じゃないんだから、そんな早く来なくてもいいやと勝手に思う。
4月17日の夢(昔の女友達)
雨の原宿を傘をさして妻と歩いている。昔の女友達と出会い、彼女から何かを受け取る。彼女はそのままぼくらと一緒に帰りたいそぶりだが、ぼくは一刻も早く彼女から離れたい。彼女を無視して、妻と二人わざとらしくおしゃべりしながら、早足で階段を登ったり降りたりする。ようやく彼女をまくことができた。
2012年04月16日
4月16日の夢(豪雨)
成城の駅を降りると大雨である。タクシー乗り場は大変な行列。前に並んでいたおばさんたちが、そこに並んでいたタクシーのすべてを借り上げ、乗って行ってしまった。しかたなくバスに乗る。
すると運転手が「前に来たバスに乗り替えなさい。あちらの方が早く着くから」と言う。なるほど、あちらの方が電通学園前経由だから早回りだ。乗客の殆どがそちらに乗り換えるが、ぼくはバスを降りない。見回すと、ぼくのほかに二人の女性が残っている。一人は日本人、もう一人は外国人の若い女性だ。
バスは出発した。だが途中の交差点で津波のような洪水が前方から押し寄せ、周りは水浸しになって、バスは動けなくなった。
ぼくと女性たちはバスを脱出し、駅に戻ろうとするが、反対車線を沢山のタクシーが洪水から逃げてくるのが見える。その一台を女性がつかまえ、ぼくらは全員それに乗りこむ。タクシーはUターンして、ぼくの自宅に向かうことにする。
驚いたことに、運転手は若い外国人の男性だ。詩人のビナードさんに似ている。彼はぼくの行き先指示を理解し、無事自宅に車はたどりついた。
その運転手と女性たちともども、ぼくはバタバタと二階の自室へ駆け上がる。一階には両親がいたが、みんなのことは話さない。そして、ぼくらは一夜を過ごす。外国人の女性がこっそりぼくのかたわらへ来て、ぼくらは抱き合って、愛を交わす。
翌朝、目を覚ますと三人は既に目覚めて、出発の準備をしている。ぼくは彼らに置き去りにされるのが不安だが、なかなか夢日記を書き終えることができない。ぼくらがここにいることそれ自体が夢なので、いつまでも書き終えることができないのだ。三人は緑色の服を着ている。ぼくも慌てて服を着ると、それも少し青みがかっているが、やはり緑色の服だ。
2012年04月13日
4月13日の夢(墓標)
道路予定地を沢山の作業員が掘削している。その工事現場から、どこを掘っても大小の魚の形をした石像が大量に出てくる。石の魚はすべて道路の通じる方向を向いて、埋められていた。
作業員たちは気味悪がって、それを道路に積み上げる。その上に松の幹をくりぬいて、それを蒲鉾型に半分に割ったものをかぶせている。ぼくらはその上をまたいで、道路の反対側に渡る。作業員たちはそんなぼくらを叱りつける。最後に渡ったぼくは松の幹の上でバランスを崩すが、なんとか転倒しないですんだ。
反対側には石垣があり、その一角に人型の墓標が二つ段ボールで配置されている。「ここで〇〇と〇〇と倒れる」と、作業中に死んだ二人の人の名前が刻まれている。この人たちの死をぼくらは忘れてはいけないのだ。
2012年04月11日
4月11日の夢(クリーニング屋)
自宅近くのクリーニング屋に行くと、入り口にさっき会社で別れたばかりのデザイナーのSくんがいた。目を合わさず、会釈しただけで、中へ入り、店内を見学することにする。最初の部屋は待合室で沢山のお客が待っている。奥の部屋はカウンターの中に白衣を着た店員が何人もいて、忙しく客の注文をさばいている。見学しようと思ってきたのだが、ただ行列したお客から汚れ物を預かったり、渡したりしているだけだ。長く見学している理由はないことに気づき、店を出ようとする。Sくんがドアを開けてくれる。ぼくは再び、ただ会釈しただけで、目を合わせることなく外へ出る。
2012年04月10日
4月10日の夢(路上オフィス)
そろそろ退社時間だ。ぼくの勤めている会社は住宅地の路上にあり、デスクは道路わきに並べられている。しかし、同僚たちが残業しているので、ぼくも残った方がよいだろうか。
そう考えながら、トイレに行き、席に戻ると、ぼくが退社するものと決めてかかっているらしい若い男性社員が、ぼくのデスクに座り、夢中になって仕事をしている。ぼくは赤、黄、青、緑の色違いのノートを大切にしているが、それが床に放り出されている。寒くなったときのための用心に置かれている白と緑の2着のセーターもそうだ。彼はぼくの方を振り向きもしないが、ぼくは「デスク、貸してあげてもいいよ」と声をかけ、ノートとセーターを回収し、空いているスペースに収納する。そして、あきらめて、そのまま退社することにする。
駅まで坂道を下って行く。ふと自分の服装に気がつく。ズボンは赤に白がまじったバラ色で、手に持った上着は紺色である。まるでカラーコーディネートができていない。おまけに、ズボンは足首が両足ともまくれあがっている。カッコ悪いので、ズボンの足元を直しながら、駅に着く。
駅にはちょうど電車がすべりこんできたところだ。先に到着していた女性社員たちが我勝ちに無人の改札口にチケットを見せる格好をしながら殺到する。ぼくはまだ自動改札が導入される前の時代を扱った映画に出演しているのだ。そういえば反対側のホームに到着した電車も木製の車両である。跨線橋がないので、彼女たちは机や椅子をてんでに線路に積み上げ、それを乗り越えて隣の線路に渡る。ぼくもそれに倣うが、踏み台にした二脚の椅子がひっくり返る。ぼくはなんとか事なきを得たが、これが女性たちだったら事故になっただろう。駅員に文句を言うべきだと思う。
電車に乗り込むと、ワンマン運転で、女性たちはてんでに運転手にお釣りをもらおうと殺到している。その間に、ぼくはがら空きの車内の後ろの席にゆったり座る。運転手はまるで機械のように「マーチ、マーチ、マーチ」という言葉を繰り返している。
2012年04月09日
4月9日の夢(床に画鋲)
久しぶりに音楽教育研究家のI氏をインタビューしている。そこは広いオフィスの一番奥に置かれたベッドの上である。I氏はぼくに彼が原稿としてメモをした青色のノートと、それをもとに清書した赤色のノートの2冊をぼくに貸してくれる。だから、ぼくは自分でノートをとる必要がなく、彼の話をただ聞き流しているだけだ。
インタビューはある演奏家の少年が講演中に話に詰まってしまい、話すのをやめて歌いだした、というところまで進んだ。ところが突然、I氏は「ちょっと広い部屋へ行ってくる」と言い、ぼくをベッドに残して、どこかへ行ってしまった。トイレなのか、あるいはタバコを吸いに行ったのだろうか。
ぼくもベッドを降りて、がらんとしたオフィスを歩く。ぼくの会社は民事再生法を申請したので、殆ど倒産したも同然で、フロアは殆どデスクもない。歩けば歩くほど、その向こうに空間が広がる。こんな大きな会社だったのかと驚く。途中でI氏に出会い、「ここにもとは出版部があったんですよ。でも今後はひとに貸すことになります」と話しかける。
さて、元の場所に二人で戻るが、ベッドがない。同僚に尋ねると、フロアの反対側の端に移したという。延々と歩いて、反対側の端に行くと、四畳半ぐらいの狭い部屋の中に窮屈にさっきのベッドが置かれていた。インタビューを再開しようとするが、青と赤のノートを前の場所に忘れてきたことに気づく。I氏に「探してきます」と断って、フロアを元に戻る。床には一面に画鋲がまかれている。ぼくはそれを踏まないよう、這って進む。元の場所にたどりつくと、怖そうな顔の男がいる。彼にノートの所在を尋ねるが「知らない」と言われる。ぼくはしかたなく画鋲の床を這って戻る。四畳半の部屋にノートはもしかしたらあるかもしれないと、一縷の望みを託して。
2012年04月06日
4月6日の夢(米研ぎ)
妻の手伝いで、夕食のために米を研ごうとしている。部屋には何種類か、米を入れた箱や袋が置いてある。その一つから枡で米をすくい、いざ研ごうとすると、それは米ではなく、葉っぱばかりだ。慌てて別の袋から米を取り出すが、それは米ではなく蕎麦だった。これではちっとも夕食の支度がはかどらない。流し台で料理の準備を始めた妻にも怒られながら、ようやく正しい米の入った長方形の箱を手にとったところへ、父親と祖母が、いかにも農家の嫁という感じの女性を伴って、帰ってきた。まだ赤ん坊のぼくらの息子を女性に見せたいのだ。祖母は周りの物を片づけ始め、そのためにせっかく見つけた米の箱がまたどこかへ行ってしまった。ぼくが「おばあちゃん、いいかげんにしてよ!」とどなりつけると、祖母は「はい」と言って、その場に硬直する。ぼくが米を別の容器に移し替えようとするのを、父は手伝おうという仕草をしているが、緊張のあまりその手がぶるぶると震えている。ぼくが怖いのだ。父親は笠智衆である。
2012年04月05日
4月5日の夢(カード数え)
廊下でカードの枚数を数え直した。最初、一人の女性のそばで数え直しを始めたが、廊下の一番どんづまりに詩人のアイザワさんのデスクがあるのに気づく。そこまで移動して、そのデスクの下でさらに数え直しを続ける。とてもカードの数は多く、数え切ることができない。途中で、昼食の時間になった。皆に促され、しかたなくカードをデスクに置き、上に本を一冊重しに置いて、外に出かけることにする。そこへ幼稚園児たちがどっと駈け込んできた。彼らがカードをひっくり返してしまうんじゃないかと、ぼくは気が気でない。
2012年04月04日
4月4日の夢(国務省)
アメリカ国務省に妻と二人で行く。ガラス張りの大きな窓の前に長いカウンターがあり、アルファベット順に各部署につながる電話機が置かれている。ぼくの持っている部署カードは「NT」という頭文字で、これで「ディー」と発音するのだという。だが、二人で何度探しても、そんな部署は見当たらない。
2012年04月03日
一色真理
通勤のため、地下鉄の一両目に乗る。気づくと黒服の海上自衛官がいっぱい乗車している。出動する部隊の専用車なのかと、慌ててホームに降りる。
だが、そうではなかった。どの車両も黒服の自衛官でいっぱいで、通勤客たちは満員の車内に乗りきれず、ドアからあふれだしてしまう。電車からはみだした男性通勤客の頭がホームの構造物にぶつかりそうだ。慌てて電車は急停止する。
次の列車に乗ったが、行き先を変更し、東京駅ではなく銀座に向かうという。降りなくてはと、茣蓙の敷かれた車内で自分の脱いだ靴下を探す。周囲は脱ぎ散らかされた靴下でいっぱいだが、どうしても自分の靴下が見つからない。床には壊れた何かの機械が置かれている。さっきの騒動で壊れてしまったらしい。列車は突如、地下深くへ急角度で突入していく。
銀座駅で降り、エスカレーターで地下街に降りる。なぜかぼくはエスカレーターに後ろ向きに乗っている。すぐ後ろに二人の少年がいて、ぼくに因縁をつけてくる。降りる寸前、ぼくはぱっと前を向いて、転倒せずにエスカレーターから降りることができた。少年たちから急いで逃げる。
デパートの地下街にはぼくと同世代の女性詩人がいて、二人は階段の踊り場で「どうぞお先へ」「そちらこそ」と譲り合い、どちらも進退窮まってしまう。
2012年04月01日
4月1日の夢(ロボットに襲われる)
ロボットが次々と人を襲っている。フェイントをかけるようにして、突然固い金属の塊を投げつけてくる。しかも「一色さん、一色さんはどこへ行った?!」と、ぼくを名指しで襲ってくる。ぼくは狭くて細長い小さな部屋に逃げ込んだが、すぐにロボットに見つけられ、ドアを開けられた。ロボットにはぼくが見えているはずなのに、手探りするだけでぼくをつかまえることはできない。
ようやくロボットは立ち去る。しかも、穴の中に落っこちてしまった。穴の上に蓋をし、その上に力を秘めた言葉を書いた紙を沢山置く。これでロボットはねう地上に出てくることができないだろう。
3月31日の夢(山田さん)
ぼくの編集している「ピアノの本」という雑誌の発送用封筒の刷りこみについて、いろんな人から尋ねられたので、見本を探そうとする。会社のデスクや棚を探し回るが、どうしても見つからない。会社の中は足の踏み場もないほどに書類が床や壁一面にぎっしり詰まっている。
隣のデスクのアシスタントの女性に尋ねようと思う。それに雑誌の発送も依頼したい。しかし、彼女は席を空けたまま、なかなか戻ってこない。やっと戻ってきたが、かんじんの彼女の名前を思い出せず、声がかけられない。皆が「山田さん」と呼んでいるが、本当にそんな名前だったろうか。ぼくには彼女が別の名前だった気がしてしかたがない。それに、皆は彼女が正社員であるかのように、大事な仕事を彼女に託しているようだ。
隣のセクションから若い男性社員が飛び出してきて、いきなり「なんとかさーん、なんでそんな名前の喫茶店をやってるの?」と窓の外に声をかける。見ると、山田さん(でも男性社員は別の名前を呼んだ)が校庭のはるか遠くに椅子をいくつか置いて、子供たちのためにお茶を出す喫茶店をやっている。
ぼくはデスクで分厚い文学書の第1巻を読んでしまったところだ。会社で公然とこんな本を読んでいてよいのだろうか? 早く次の巻を読みたくてちまらないのに、その第2巻はやはりいくら探しても見つからない。
女性が窓の外を指さし、「誰かさんが帰ってしまうのはなぜ?」と、ぼくに尋ねる。その女性は半世紀以上前にぼくの同級生だった小滝さんだ。小学生のときは眼鏡をかけたいかにも秀才ふうの女の子だったが、成長した彼女は輝くような女性になっている。
2012年03月26日
3月26日の夢(地下鉄トンネルの少女)
地下鉄に乗っていると、急ブレーキがかかって停止してしまった。まるで時間が止まってしまったかのような中、先頭の車両から線路に降りると、レールの真ん中に穴があいていて、そこから工事のヘルメットをかぶった若い女性が首だけを出している。線路のかたわらにも別の女性のいる気配がある。首だけ出した女性は「また会ったわね。私たちはエスは交わしていないけれど、詩人よね」と言い、ぼくにさまざまな深い真理を含蓄のある言葉で教えてくれる。そして「もっと教えてあげたいことがあるから、また会いましょうね。今度、ランチの後であそこへ行きましょう」と言う。ぼくは時間がないし、そんなことは迷惑だなと思うが、彼女たちは魔術のような力で、時間を止めてしまえるから、問題は起きないのかもしれない。「あそこ」とは秘密のバーのようなところらしく、そこへ行けばぼくはとても大切なことを彼女たちから教われるのだ。首だけ出した地下の女性はぼくに「きっときっとよ。約束してよね」と迫る。
2012年03月23日
3月23日の夢(海のミニ火山)
海で写真取材をしている。波打ち際で小さなミニ火山が2つポッポッと噴火している。
そのことを「知っているかい?」と尋ねられたので、「知ってるよ」と答える。
学習施設で教師をしている。この施設では生徒の足りないところを集中的に個人授業できる個室が沢山用意されている。上司はぼくの父親だ。ぼくと打ち合わせをしたいからと会議室を予約し、ぼくに「牛乳でいいな?」と尋ね、ぼくが「いいよ」と言うと、食堂のおばさんに「それから、おれはチャーハン」とオーダーする。自分一人だけ食べるつもりらしい。
2012年03月21日
3月21日の夢(便器のないトイレ)
以前在籍していたS社にいる。いい企画書が書けたので、出版部に持ち込みたい。誰のところに持っていけばよいだろうか。皆の意見を聞き、わりと若い出版部員に見てもらうことにする。
出版部は外国人の採用を決めたようで、沢山の黒人女性が座って、面接の順番待ちをしている。企画は出版部でも幸い好評で、満足してオフィスに戻ると、ぼくの席には他の同僚が座っていた。女性社員たちがぼくに「歌をうたって」と言う。「他の人の方が上手だよ」とぼくは依頼を断り、トイレへ行く。
トイレはドアの前に木製の椅子が置いてあって、ドアが少ししか開かない。その椅子を取り除いて、中へ入る。手前の狭い土間に立って、奥の広い土間に放尿する仕組みだ。便器はないが、奥の土間は本来は大便をする場所のはずだ。そこを汚してしまうのは、後で自分が困るだろうと思いながら、背に腹は代えられず用を足してしまう。
2012年03月18日
3月18日の夢(エスカレーター逆走)
仕事の途中、銀座で手土産を探しになじみの店へ行く。ついでに食事もしたい。その店はあるビルの2階にあり、まだ開店前だ。入り口に和服姿の女主人と女性店員が何人も出て、大わらわで開店の準備をしている。食事はできないまでも、手土産の菓子箱は買えると思ったのに、無理なようだ。
別のビルに行く。エスカレーターが止まっているので、階段のかわりにそれを登る。と、突然エスカレーターが動き出した。しかも下りの方向へ動き出したので、ぼくはそれに逆らって上昇しなければならない。ぼくの後から登ってくる人もいるので、必死で登り、ようやく2階に到達。次の階に登るエスカレーターはすごい高速で動いている。またもや必死の思いで飛び乗る。そんなに苦労したのに、このビルにはお菓子屋もレストランもない。
しかたなく銀座通りを歩く。ふと素敵なコーラスが聞こえるので、上を見上げると、大画面の中で年老いたボニー・ジャックスがあいかわらずいい声で歌っているのだ。しかし、メンバーは3人しかいない。そうだ。一人死んでしまったのだ、と悲しくなる。
トイレに入る。下がオレンジ色の液体で水たまりになっている。これは尿かもしれないが、構わずスリッパでそこに立ち、前方に広がる広大な土間のような場所に用を足す。ぼくの尿もオレンジ色だ。どうやらミカンジュースを飲み過ぎたらしい。左側に後輩の男子がいて、「すごい! 先輩の飛距離が誰よりも一番ですよ」とほめてくれた。
2012年03月17日
3月17日の夢(熊野から成城へ行く電車)
熊野のあたりの山中で仕事を終え、駅で電車に飛び乗る。車内は空いていて、座ることができた。やれやれと思うが、車窓から見る外の景色に違和感がある。どうも反対方向へ行く電車に乗ってしまったようだ。次の駅で女性の乗客が降りるのに続いて、「すみません」と言いながら、既に閉じかけたドアをこじあけて降りる。ホームの反対側に停車していた電車に乗る。走り出して再びやれやれと思うが、なんと窓の外をすれ違った電車は「成城学園前行」と表示してあるではないか。あれに乗れば、ぼくの自宅のそばまで直行で帰れるのだ。慌てて次の駅で降り、その電車に乗り換える。ところが電車は延々と各地を経由して、いつ東京へ帰れるか分からない。しかも、変なところで降ろされてしまった。道が二股に分かれていて、片方は「京都へ徒歩1分」、もう一方は「大阪へ30分」という表示板がある。さて、ぼくはどちらへ行けばよいだろうか。
3月16日の夢(黄色いお弁当)
黄色いお弁当というのが有名らしい。そのお弁当についてぜひ知りたいと思う。知人の女性が沢山そのお弁当を買ったというので、一つ分けてほしいが、全部自分で食べるのだという。
それなら、黄色いお弁当を作った業者から話を聞こうと思う。それはそのお弁当のために死んだ女性にまつわる怖い話だ。黄色いお弁当を買った女性に、いっしょに聞きに行こうと誘うが、彼女は恐怖のためにパニックになり、お弁当をみんな火にくべてしまう。驚いたぼくは慌ててお弁当を火の中から拾い上げる。幸い、お弁当に火はまだ燃え移っていなかった。
2012年03月14日
二段重ね弁当風呂
二段重ね弁当を食べようとしている。このお弁当箱はお風呂にもなるのが特長だが、ぼくには小さすぎて入れない。
会社をいったん退職し、契約社員になった。そろそろ退社時間なので、自分のデスクの片づけをしようと思うが、ぼくのデスクの周りに若い社員のチームが腰を下ろし、これから打ち合わせをしようとしている。広告プロダクションではよくあることだ。ほかの空いているデスクにとりあえず座ろうと思う。詩人のA氏が隣の部屋から「一色さん、ちょっとちょっと。リンクのページはhtmlを手書きしているの?」と声をかけてくる。「あそこは以前からある古いページなので、手書きなんですよ」と答える。
同僚のOさんのデスクを探して部屋の端の方へ行くと、そこにはIくんが座っている。ぼくは彼に「Oさんの小物箱はどこ? ハンコを探しているんだ」と尋ねる。彼もいっしょに探してくれるが見つからない。
これでは仕事にならないから、もう退社しようと、タイムカードを押し、カードを所定の場所に戻す。今日からぼくは契約社員なので、タイムカードケースの一番下が所定の位置だ。そこにはもう一枚、カードがある。この会社にはもう1人、契約社員の女性がいるらしい。
2012年03月11日
3月11日の夢(靴がない)
会社が引っ越した。ぼくは引っ越しには立ち会えなかったが、当然新しいデスクが用意されているだろうと思って出社した。同僚たちはフロアの真ん中に長方形にデスクを集めて仕事をしている。その周囲をうろうろするが、ぼくのデスクはない。ぼくの荷物も段ボールに詰めたままで、開けてさえない。
女友達と昼休みに会う約束だったが、外出しようとすると玄関に靴がない。誰かに盗まれたらしい。探している間に、約束の時間を過ぎてしまった。
夕方、退社しようとすると、管理職が「残業する人は場所を移して、みんなでまとまってしなさい」と大声で呼びかけている。今までは自由な場所でのんびり仕事できたのに、これからは管理体制を強化するらしい。それなら残業する気などさらさらない。こんな会社にいるつもりもない。ぼくは一人で残業していた個室に、仕事の材料をばらまいたまま退出しようとするが、それでは次にこの部屋を使う人に失礼だろう。思い直して、申し訳程度にちらばった書類を拾い集め、床に置く。そして、管理職に見つからないよう、裏口からスリッパで出て、裏道を通って帰宅しようとする。
2012年03月10日
3月10日の夢(自家用クジラ船)
ぼくの会社のU社長は150万円もする自家用のクジラ船に乗っている。犬橇のようにクジラが曳いて動かす船である。豪勢だなあ。「しょうがないよな。社長だもんな」と、ぼくはみんなに言う。
ぼくは学生で、長方形のテーブルの端に座っている。周りには日本語を学ぶベトナム人の留学生四人がテーブルについている。次の授業では生徒の一人がデザインした教科書が使われる。「あの教科は何でしたっけ?」と女子留学生の一人が言う。ぼくは「しまった。その教科書を忘れてきてしまった」と思う。次の時間はクレタ島文化の授業だ。
2012年03月04日
3月4日の夢(生きていた幼友達)
子供の頃、ぼくの幼馴染だった大好きな少女が、白バイの先導付きの救急車で運ばれていった。それきり少女は帰ってこず、ぼくは彼女はそのまま死んでしまったものと信じていた。
だが、おとなになってある建物で階段を降りていると、下から登ってくる二人連れの女性とすれ違った。その一人が口にしたある言葉で、ぼくは電流が走ったようなショックを受けた。それは彼女とぼくだけが知っているはずの、秘密の言葉だったからだ。彼女は生きていて、ちゃんと成熟した女性になっていたのだ。彼女もぼくに気づき、ぼくらは涙にくれて抱き合う。
公園を歩いていると、今まで平地だったところが、ものすごい断崖になっている。ぼくはそこを降りて、向こう側へ行かなければならない。崖を石や根につかまってそろそろと降りるぼくを、お巡りさんやガードマンが総出で、手助けしてくれる。おんげで、ぼくは無事に向こう側の地上へ降り立つことができた。ほっとして、なにげない顔で歩き出すが、さっきまで拡声器を使ってみんなが大騒ぎでぼくを支援してくれていたので、人々の注目が自分に集まっているようで、なんだか恥ずかしい。
3月3日の夢(37枚目)
同僚のOさんの家で、ぼくとS氏とOさんの三人で仕事をしている。もう夜の11時頃だ。ぼくのまとめている資料は39枚ある。その後ろから2枚目、つまり37枚目の上にぼくは肘をついてS氏と話をしているが、知らないうちにそのページだけどこかへ消えてしまった。慌てて探し回るが、どこにもない。ぼくは「もうあきらめて、明日書き直しますよ」と言って、帰り支度を始める。だが、書き間違いだと思って捨てたページが、どうもその37枚目らしいと気づく。
2012年03月02日
3月2日の夢(エジプトにて)
エジプトに修学旅行か何かで滞在している。急にホテルの外で食事をすることになり、その前にトイレへ駈け込む。床に散らばっていた籐のスリッパをつっかけるが、右のスリッパはかなりくたびれた感じだ。外出前だからさぞかしトイレは混んでいると予想したが、意外にがらがらである。ただ、風が強いため、隣の人のおしっこがぼくにかかりそうだ。
トイレへ行ったために、ぼくひとりだけ遅れてしまう。そこはナイル川の岸辺だが、両側も足元もコンクリートで固められていて、全く川は見えない。その両側に生徒たちがじっと立っている中を、ぼく一人だけがどんどん前進していく。途中に妻が腰を下ろしているので、思わず声をかけるが、返事がない。見ると、両手の指に緑のネイルをしている。妻にそっくりだが、別人かもしれない。ぼくは先へ行こうと急ぐが、どうも何かの儀式のために、みんなはじっと立っているらしい。動いてはいけないのかもしれないと、ぼくも立ち止まる。
2012年02月24日
2月24日の夢(青年詩人と空を飛ぶ)
若い男性詩人の詩の朗読を聴いている。いつのまにかぼくは彼に抱えられるようにして空を飛んでいる。街の家々の屋根をかすめて、ぼくらはどこまでも飛んでいく。1軒の家の煙突のようなところから針金のようなものが伸びてきて、こちらへと直角に折れ曲がる。まるでぼくらの飛行を邪魔するかのようだ。ぼくらは「あれは何だろうね」とくすくす笑う。
2月23日の夢(フランス旅行と入浴と)
フランスへ旅行して、知らないおばさんとバスで東ドイツのティノという町まで遊びに行くことになった。その途中、荷物にパスポートを入れてこなかったことに気づく。だが、途中でバスはバックを始めた。どうやら旅行は中止になったようだ。フランスのマンションに戻り、妻と食事をする。明日日本へ戻らなくてはいけないのだが、スーツケースをまだ詰めていないのが気になる。
知恵おくれの女の子といっしょにいる。だが、ぼくと二人だけになると、彼女はしっかりした普通の女の子のようにふるまう。そして、一人でお風呂に入る。
気がつくと、入浴しているのはぼく自身で、妻が洗い場でぼくの世話をしている。驚いたことに、ぼくは服を着たまま湯船につかっている。そして「あれっ、あの女の子はもうお風呂を出たの?」と尋ねる。
2012年02月21日
2月21日の夢(早稲田詩人会)
ぼくは早稲田の学生で、詩人会の部室にいる。部室といっても、見た目は文学部の教室のようで、ぼくは一人きりだ。携帯に先輩の男子学生から電話がかかってきた。「あと1時間ぐらいかかるけど、今日の会合には必ず行くからね。でも授業があるので、15分ぐらいしかいられない」。来てくれるのはうれしい。しかし、彼以外のほかのメンバーには連絡がつかない。たとえ彼が来てくれたとしても、今日の部会を開くことができるだろうか。
マッチ箱をひっくり返してしまった。地面に散らばったマッチを慌てて拾い集める。もう少ししか残っていなかったはずなのに、拾っても拾ってもマッチは散らばっている。マッチ箱に山盛りになっても、まだまだマッチ拾いは終わりにならない。
小田急線に乗って、自宅とは反対方向へ行く。途中の駅で「ガソリンが切れたので、給油に時間がかかります」というアナウンスがあった。ほかの電車に乗り換えた方がいいらしい。ぞろぞろホームに乗客たちは降りたが、乗ったままの人たちもいる。怪しんで見ていると、彼らを乗せたままドアが閉まり、動かないはずの電車の方が先に発車して行ってしまった。「ほかの電車は今夜はこの駅泊まりで、明日の朝発車いたします」とアナウンスされる。
2012年02月19日
2月19日の夢(蛇口)
部屋の窓際の壁に水道の蛇口がある。そのそばの壁には川越のステッカーが二枚貼られている。ぼくは理科の実験で使うビーカーに蛇口から水を汲もうとするが、水の勢いが激しすぎて、水がビーカーから飛び出てしまい、なかなかいっぱいにすることができない。
2012年02月17日
2月17日の夢(マンション住民祭)
ぼくの居住するマンションで、住民祭をやることになった。フロアごとにまとまって何かをやるのが原則だが、ぼくの住んでいるフロアは出遅れてしまったため、殆どの住民たちは別のフロアのイベントに参加してしまった。もう残っているのはタレントや俳優、外国人ばかりである。ぼくは彼らを集めて、イベントをやることにする。アフリカ系の外国人男性三人にはお国料理を披露してもらうことにし、タレントたちからはお風呂のための高級石鹸三個を寄付してもらう。
詩集賞の担当をしているが、今年の候補では伊集院という名前の女性が圧倒的に強そうだ。だから彼女の資料しか集めていない。もし他の候補が受賞したら、どうするんだろう?(すべて夢です)
2012年02月14日
2月14日の夢(頭文字をつないで)
女性詩人のIさんが遊びに来た。彼女は沢山の本を持参して、それが床の上に散らばっている。ぼくはそれを拾い集めて彼女に渡す。その書名の頭文字を順番につなぐと、ぼくの思いを伝えるあるメッセージとなるのだ。しかし、思いはうまく伝わらない。
2012年02月13日
2月13日の夢(祖母と2人暮らし)
家で祖母と二人暮らしをしている。そこへ三人組の男が訪ねてきた。うっかりしているうちに、するりと家の中に入られてしまった。奥にいる祖母に「早く警察を呼んできて」と言うが、祖母はなかなか外へ行こうとしない。ぼくは狭い部屋に入ったとたん、男たちに閉じ込められそうになるが、なんとか脱出。からくも玄関まで逃げると、新たにお客に来た和服姿の男二人が腰かけて待っている。ぼくは機転を利かして、彼らを私服警官に見立て、「おまわりさん、こいつたちですよ」と叫ぶ。二人の客はしばらく訳が分からないようだったが、すぐにぼくの意図を理解し、立ちあがって警官のふりをしてくれる。三人組は慌てて逃げ去った。
大好物の卵焼きが三つある。最初の一つめを箸でつまんで、ぱくっと食べようとした瞬間、目覚ましが鳴って起きてしまった。
2012年02月12日
2月12日の夢(刑務所でジャズ)
忙しい女性ジャズ奏者が逮捕されて刑務所に収監された。刑務所の中では暇なので、この機会に若手の女性ジャズ奏者との共演CDを録音することになる。といって、刑務所で共演するわけにもいかないので、一方が先に録音したものに、もう一方があとから音をかぶせていく方式にする予定だ。
2012年02月11日
2月11日の夢(文研再建)
ぼくは東京に出てきて、学生生活を始めた。ぼくの下宿にはいつも男の学生たち四人ぐらいが勝手に入り込み、部屋を占領しようとするので、外から帰ってくると、彼らを大声で叱責し、追い出すことから始めなければならない。
さて、今日は最初の講義の日だ。授業前に日替わりで学生たちが黒板に何かを書くことになっている。今日はぼくが当番の日だ。明日は誰が当番なのだろう?
「藤巻先生の授業が始まります」という声がする。学生が二人アシスタントにつくらしく、彼らの名前もコールされる。クラスのリーダー格の女子学生が「一色さん、今日は授業が延びるので、その後で一色さんが予定されている文研の集まりが少し遅れてもいいですか」と尋ねてくる。「ええ、いいですよ」と反射的に答えるが、メンバーにどうやってそれを伝えればよいのだろう。第一、文研はもうあってなきがごときサークルなのだ。メンバーの中にファンタジーの作者として才能のありそうな人が何人かいるので、彼らを再結集して新しい文研を作り上げたいというのがぼくの夢なのだが、去年の機関誌をぼくは一冊も持っていない。これでは彼らに連絡のとりようもないではないか。メンバー募集のため、学生課のハンコを貰って、掲示板にポスターを貼りだそうか、あるいはキャンパスでチラシ配りをしようか。どちらもかったるいなあと思う。
2012年02月07日
2月7日の夢(トイレのない家と海岸の御茶ノ水駅)
家の外に出たとたん、急に便意を催し、我慢できずに漏らしてしまった。慌てて後始末のために、家に入る。
この家にはいくつかの家族が共同生活している。トイレを探したが、この家にはトイレがない。「この部屋をトイレに使ってもいい」と言われたが、そこには若い女性が一人で暮らしている。とりあえず用を足すことだけは許してもらえたが、もともとトイレではないので紙が用意されていない。ありあわせのぼろ布二枚でお尻を拭くが、とても足りない。女性は怖い顔で「それ以上お願いされても、あたしの部屋にはもう何もありませんからね」と言い、にべもない。
御茶ノ水駅のホームに上がろうとする。沢山の乗客たちが行列を作って進む。全員が男性だ。御茶ノ水駅は海岸の断崖絶壁の上にあって、風が強い。ホームと手すりの鉄柵の間に隙間があり、そこから足を踏み外さないよう、年配の駅員が手すりの外側で見張りをしている。隙間から下の海岸に巨大なカエルが何匹もうごめいているのが見える。
ホームに上がるには、大きな段差があり、そこにも隙間がある。足を滑らせたら転落だ。ぼくがその危険な段差に足をかけた途端、前を行く男性3人が写真撮影を始めたりして、ぼくは危険な段差の上で身動きできなくなってしまう。おまけに、3人は荷物をそこへ置いて、どこかへ行ってしまった。強風が吹きつけ、荷物を吹き飛ばしそうになるが、危機一髪でみんなホームに引っかかっている。ぼくの荷物も飛ばされそうだ。もう絶体絶命と思って、下を見ると、白砂に波が砕ける浜辺はもう足がつきそうなほどの位置にある。御茶ノ水駅が断崖の上にあると見えたのは目の錯覚だったのだ。
2012年02月06日
2月6日の夢(ほかほか弁当)
妻とほかほか弁当のお店に行く。中年の夫婦がやっている小さなお店だ。妻が先に好きなメニューで弁当をオーダーした。ぼくはカウンターの向こうにオムレツのようなものが見えたので、「じゃあ、シュウマイとオムレツと・・・」と言うが、奥さんに「みんなありません」と言われてしまう。よく見ると、オムレツだと思ったものは、卵焼きの破れ目からご飯が見える。オムライスだったのだ。他にメニューを思いつかず、「では、おすすめは?」と聞くと、「サツマイモとしゃけのフライ」と言って、現物を見せてくれる。皆、好物なので、そのメニューでお弁当を頼む。
2012年02月05日
2月5日の夢(模型列車)
選手が一斉にプールへ飛び込み、競泳がスタートした。その瞬間、画面が切り替わり、ボートレース場の岸辺を模型の列車が走りだした。この模型列車はトップの選手と同じスピードで走るようコントロールされている。さらにその模型列車を追って、自転車に乗ったタレントの男がスタートする。彼は模型の線路の横を、また時には上を走る細い道を必死に自転車を漕いで疾走するが、少しだけ列車に遅れ気味だ。ボートコースの端で、模型列車はたくみにUターンして逆戻りする。自転車の男も負けずにターンする。そして、列車が元のスタートラインにゴールしたとき、男の自転車も殆どタッチの差でゴールすることができた。
2012年02月01日
2月1日の夢(自転車少女)
若くてスリムな女性が自転車に乗り、そこからロープが張られて、ぼくの自転車を引っ張り、さらに後ろに妻とS誌編集委員のN氏の自転車を順番に引っ張る形で、街路を走っている。女性なのにとても力持ちらしく、すいすいと走っていく。一度停止の場所ではちゃんと停止し、そこからぼくらを引っ張ってまたペダルをこぎ出すのだから、さぞかし大変だろう。カーブでは大きな円を描いて巧みに曲がっていくが、ぼくの自転車が中年の主婦の自転車と交差点で接触しそうになり、ぼくは主婦に「すみません」と謝罪する。
やがて、ぼくらは中野駅前に着いた。自転車便のスタッフが出迎えてくれる。女性はそれだけ走った後でも全く涼しい顔だ。荷物の発送台帳にはいくつもぼくらの名前が出ているので、お得意さんと判断したらしく、若い男性スタッフがぼくらを見回し、「今日は皆さんお揃いですね」とお世辞を言う。
2012年01月31日
1月31日の夢(パンツ丸見えアイドル)
女の子3人組のアイドルグループがステージに登場。3人ともかわいくない。両側の女の子二人が真ん中のボーカルの子を腕で空中に引き上げる。真ん中の子はそのまま前方に両足を突き出したまま、ブランコのようにして歌い始める。当然ながら緑色のパンツが丸見えだ。いくらなんでも、それはないだろう。おまけに、これはNHKの歌番組だよ。
1月30日の夢(女盗賊)
ぼくらの友達に女盗賊がいる。ぼくらとしては危険な真似はやめてほしいのだが、そうしなければ生きていけない以上、ただ「やめろ」というのは無責任である。そこで一計を案じ、今日の夕方我が家の隣の店を彼女が襲撃するよう仕向けることにする。そして、ぼくらは玄関に隠れて、彼女の登場を待ちうける。
案の定、彼女がやってきた。うちのすぐ右隣の家に凶器をつきつけて侵入し、襲撃は成功した。しかし、隣でぼくらが見ているのに気づき、彼女は「ん?」という感じでぼくらを見る。
ぼくらの計画は成功し、彼女はぼくらの狙い通りに欲しいものを手に入れ、もう盗賊をやらなくてもすむようになった。そして、女盗賊の彼女を主人公としたテレビシリーズはめでたくエンドマークとなる。
みんながぼくに「あなたの高校時代のクラスメートが街を元気に自転車で走っているよ。よかったね」と教えてくれる。なるほど若い男女が自転車で颯爽と緑濃い街を走り抜けていく。でもぼくの高校時代はもう五十年も前のことだ。ぼくは「クラスメートはあれから五十歳年をとって、顔なんか分かるはずがないよ」と言って、否定する。
2012年01月29日
1月28日の夢(チラシ制作)
東急デパートで開催する催し物のため、北海道から何か荷物を持ってきてくれるという男性がいる。それならと荷物を受け取りに行くつもりでいると、その男から電話がかかってきて、「お礼も何もしないとはどういうことだ?!」と言う。明らかに声の調子が異常で、しかも言いがかりなので、ぼくはガチャン!と音を立てて電話を切る。それでも気になって、指定された三階まで行ってみると、目つきの悪い男が二人並んでソファーに座っている。きっと、電話の男たちだろう。慌てて素知らぬ顔をして回れ右する。でも、彼らにぼくだと分かってしまったかもしれない。
会社に戻ると、その男たちに依頼されたというチラシのラフの企画会議がコピーライターのSさんを中心に行われている。ぼくも参加する予定の仕事ではあるが、男たちへの反感から「もういやになった」と断ろうかと思う。しかし、Sさんはぼくが既に作ってデスクの上に置いておいたラフを見つけ、「あっ、これ何?」と言う。そのラフはぼくの性格のままに、ぎっしりと文字で埋まっている。一方、壁に貼ってあるSさんのものらしいラフは、殆どコピーがなく、実にすっきりとまとまっている。チラシではなく、ポスターなのかもしれないと思い、そう尋ねると、「いいえ、これはチラシよ」と言われてしまう。
2012年01月25日
1月25日の夢(大画面でパソコン)
大学の研究室にいる。といっても見た目は教室だ。ぼくはパソコンで修士論文のための下調べをしている。モニターはぼくのすぐ左手の壁にセットされた大画面だ。そこにテレビのように音声付きで映されるので、みんなに音が迷惑だろうなと思う。わざと「うるさいなあ」と声を出し、リモコンで音量を下げようとするが、リモコンの操作方法が分からない。
やっと研究の下調べが終わり、ほっとした拍子に資料の入ったカードケースを床に落とし、カードが散らばってしまう。再び「あーっ」と声を出して、それらを拾い集める。
下調べに時間がかかったが、実は本論文の方は既に書いてしまってあるから、あとは簡単だ。けれど、指導教授に「資料に使った外国の論文はきちんと全訳しろ」と言われるかもしれない。面倒くさいなあ。どうせぼくはコピーライターとしてもう一人でやっていけるのだから、大学院なんか中退しようかと思う。
バスに乗って、外国をツアーしている。トイレで用を足していると、アフリカ系ともアラブ系とも思える現地の少年がやってきて、ぼくの体や荷物に放尿する。そんなことが三度も繰り返される。汚いなあ。でも文化習慣の違いだから、我慢しようと思う。バスに戻って、驚いた。窓の外の景色は新宿である。ぼくらは外国をツアーしていると思い込まされていただけで、ここは日本だったのだ。
2012年01月24日
1月24日の夢(スタジオ)
ぼくはテレビの音楽番組の製作スタッフの一員である。スタッフの中ののど自慢を特集することになる。収録した画面を見ると、作業服を着たさえないおじさんたちが、朗々としたクラシック唱法で現代歌曲を歌いこなしていて、感心させられる。皆、超絶技巧の持ち主だ。次の収録のため、スタジオを片づけようとしていると、ぼくの鞄の中から電子ノイズが聞こえ出した。携帯ラジオの蓋が外れてしまったのだ。慌てて修理に集中する。ようやく直して、周りを見回すと、スタジオはすっかり片付いていて、人っ子一人いない。慌ててぼくも外に出る。
2012年01月20日
1月15日の夢(ケーキ入りの鞄)
鞄の中身を点検する。小さなショートケーキが沢山出てくる。これだけあれば食事1食分になるだろう。集めてビニール袋に詰め直し、席に戻る。これを持って、早く退社したいなあ。
2012年01月14日
1月14日の夢(塀を乗り越える)
何かの都合で、ぼくはひとり高い塀を乗り越えて、下で待つ皆のところへ降りていかなくてはならない。かなりの高さである。うまく飛び降りられるといいのだが、何回か経験した中で今回が一番難しい気がする。うっかりすると、そのまま落下して負傷してしまいそうだ。塀の下に向こう向きで腰かけている男たちに声をかけ、ぼくの降りるスペースをあけてくれるように頼む。なんとかひとり分の隙間ができた。ところが、一人知能の遅れた人がいて、ぼくの言うことがよくわからないらしい。せっかくできたスペースに眼鏡を入れた箱を置いてしまった。ぼくはもう一度「それを片づけてくれ」と頼む。その人は「こんな箱でもあると怖いですか」と言う。ぼくは「怖いです」と答える。ようやく箱がなくなった。ぼくは両手で塀のてっぺんにつかまり、慎重にまず途中まで降り、そこからさらに下へ降下する。地面に足がついたときはもうふらふらだった。「怖い。怖い。昨日よりずっと怖かったよ」と、ぼくはみんなに弱音を吐く。
2012年01月11日
1月11日の夢(会社買収)
ぼくの勤めている会社が立ち行かなくなり、他社に買収された。オフィスの中にその会社の社員たちが乗り込んできて、上司も向こうの社員になった。最初のうちこそ、なかなかいい上司だと思われたが、だんだんぼくらの席は後ろの方に押し込められ、オフィスの中にはクラシック音楽がたえず流れるようになる。オフィスの一角にはデジタル楽器の開発チームもいて、とても仕事がやりにくそうだ。「せめてこちらのシマには音楽流すのをやめてもらわないとねー」とK女史が言う。
ぼくは年長者として、買収された側の社員代表として合併の式典で誓いの言葉を述べなくてはならない。しかし、心の中では定年にはあと2年あるものの、もうこの12月で退職しようと決めている。12月まではあと3か月と少ししかない。そんなぼくが誓いの言葉を述べてよいものだろうか。
2012年01月10日
1月10日の夢(医院付属の喫茶店)
医者に行く。流行っている医者なので、待っている患者が多い。ホテルのロビーほどの広いスペースに沢山の椅子があり、そこは喫茶室を兼ねている。レジで食券を売っているのは医師自身だ。ぼくは「ミルク素材とコーヒーをください」と言い、650円を医師に渡す。しかし、レジには900円という表示が出る。あれっ、足りないのかと慌てるが、医師はぼくに百円玉のお釣りをくれる。そして「斜め前方のテーブルにいるお客があなたと全く同じ注文だから、そこへ行って飲ませてもらいなさい」と指示する。
2012年01月07日
1月7日の夢(数字の夢)
会社で女性顧客から「問い合わせの電話番号を教えてください」と電話がかかってきた。ぼくはその番号がわからず、電話を保留にして女性社員のところへ行き、「8729-5301です」と教えてもらう。一瞬自席の電話に戻ろうかと迷ったが、女性社員の席を通り過ぎ、手近でちょうど空席になっている上司の大きなデスクの受話器を取る。だが、ぼくは教えてもらったばかりの電話番号を「3729-53・・」と間違えて顧客に言いかける。顧客は冷静にぼくの伝えた番号が間違いだと気づき、「8729のですね」と局番を言い直す。ぼくははっとして「あれ、何番だっけ?」と女性社員に問い直す。「5301」と答えた女性社員の声を聴いた顧客は、「あら、その声は『重量51』という映画の原作を書いた方ね」と言う。女性社員の裏返ったような高い声は、誰にでもすぐ覚えられてしまうのだ。ぼくは「そうですそうです。あの声ならわかりますよね。今変わりますね」と言って、受話器を女性社員に渡す。そして、よくあんなすごい原作が書けたものだな」と女性社員に感嘆する。
2012年01月02日
1月2日の夢(刑務所)
ダイニングの床一面に大きめの服のボタンのようなものが沢山散らばっている。それを掃除しようかどうしようかと迷う。
刑務所に入っている。作文の時間がある。普通はタテマエしか書いてはいけないのだが、一つだけある特別の座布団に座ったものだけは、自分の内面の真実をありのままに書いていいことになっている。だから、そこに座ろうと我勝ちに入っていく受刑者もいるのだが、ぼくはあえてそこに座ることを望まず、ゆっくりとした足取りで部屋に入っていく。
2011年12月31日
12月31日の夢(お弁当)
川のほとりに腰をおろし、お弁当を食べている。本当はある女性のために用意するお弁当なのだが、量が多すぎる。だから、ぼくが食べたいだけ食べ、その食べ残しを妻に渡す。妻はそれをきれいに整えて、女性に渡す準備をする。牛肉と昆布がご飯の上に乗ったおいしいお弁当だった。
うっかりぼくが図書館から借りた本を一冊、お弁当といっしょに女性に渡してしまった。これでは図書館に返却できない。彼女が気づいて送り返してくれればいいのだが。返せなくなったら、ぼくが今後その図書館から本が借りられなくなるだけですむだろうか。それとも本の代金をぼくが賠償すればすむのだろうか。
2011年12月30日
12月30日の夢(納豆かけご飯)
立ち食いの食堂の仕込みをしている部屋に遊びに行き、うっかり納豆かけご飯をひっくりかえしてしまった。
そこを出て、お店のカウンターにお客として並ぶ。年末のせいか、とても混んでいる。カウンターの中にいるおばさんに「納豆かけご飯とコロッケ」と注文する。すると、おばさんは「一度さつまあげご飯を食べていきませんか?」とぼくに言ったあと、お店の人たちに「この人、さっき裏で納豆かけご飯をひっくり返した人だから」と、ばらされてしまう。ぼくはしかたなく「そうします」と答える。
2011年12月28日
12月28日の夢(オノ・ヨーコさんの膝に乗る)
学校の教室。先生が入ってきたが、予習がちゃんとできていないぼくは不安でたまらない。だが、先生はお腹の調子が悪いらしく、トイレへ行ってしまった。クラスメイトの男の子が教科書のどのページを開ければいいのか分からないでいるので、教えてあげる。ぼくの左手に仕切り壁があって、デスクの上が暗いので、蛍光灯スタンドを点けて明るくする。
ぼくはビートルズに対して何か貢献をしたらしい。おかげでこの列車に乗る権利をかちえち。しかし、列車に乗り込むと、いい席を既に2人の女性が占領している。彼女たちはビートルズに対してまずいことをしたので、そこに座る権限はもうなくなったはずだ。ぼくは居座り続ける女性を居丈高に押しのけるようにして、窓際に座っている方の女性の膝の上に座る。彼女はどうやらオノ・ヨーコさんだ。ぼくには確かにこの列車に乗る権利ができたのだけれど、ここまでやるのは権利の乱用ではないかと、反省する。
2011年12月27日
12月27日の夢(神戸に津波)
ぼくら夫婦はサギの放し飼いをしている。車で会いに行く。空からまっしぐらにサギが降りてくる。しかし、黒い鳥で、どう見てもカラスだ。道路には白い線で四角がいくつも描かれ、それに対角線が引かれて三角が沢山あるようにも見える。こういうふうに道路を細かく区切って、区画ごとに市場調査のデータを書き込むのだ。
神戸港の模型がある。震災が来たときに市の中心を迂回して周辺部から中枢に向かうルートが示されている。市街の左側の海を航行している模型の船が、岸壁に衝突して沈没する。大津波がやってきたのだ。
2011年12月26日
12月26日の夢(海辺の病院)
海辺の病院の取材のため、取材の拠点となる建物に投宿する。そこで病院についての大体の話を関係者から聞き、これから病院へ一人で向かうつもりだ。
そこへ病院の院長が現れ、「私もしばらく病院に行っていない。久しぶりに登院するから、同行しましょう」と言う。ありがたいが、その前にまず用を足したいと思うものの、トイレが見当たらない。どうせ誰も見ていないのだから、ここでしてしまおうと、廊下の突き当たりの土間で用を足していると、庭先に用務員らしい老人が現れた。ぼくには気づいていないようだが、やむなく用を足しつつ廊下の中に後退する。おかげで廊下に置いておいた自分のカバンやズボンも少し濡らしてしまう。
男の職員が老人に「荷物を病室に預けている人がいるっていうけど、本当かね?」と尋ねる。老人はなまりがひどい。「そんなもん、ありゃせんがね。何人も泊まっていく人がいると言った手前、そう言っただけだがね」と名古屋弁で答える。
ぼくは車で病院に到着した。役所の一部の二部屋を借りて、二人の先生が診療を行っている。ガラスドア越しに中が見えるので、村人たちはその前を通って、患者がいないかどうか確認してから、診察を受けるようにしているそうだ。
2011年12月22日
12月22日の夢(昔踏切のあった場所)
昔住んでいた中野の、中央線の踏切に行こうと、東中野駅から中野駅に向かう。以前あった線路脇の道路は見当たらない。線路の上を歩こうとして、それはあまりに危険すぎると思って、やめる。
住宅街の中の道を進むと、何か大きな建物の跡らしい広大な空き地に出る。空き地は水がたまってどろどろになっており、とても横切れそうにない。一人の中年の女性がこの泥の中を渡り終えたらしく、向こうの坂を登って行くのが点のように見える。
ぼくはその道もあきらめ、さらに右の道を行く。しかし案の定、踏切を通り越してしまったようだ。すぐそばに中野駅が見える。ぼくは跨線橋を渡って、反対側の道を再び東中野に向かう。途中の広場でピアノのライブをやっている。チラシが何枚も置いてあるので、それを貰う。
ぼくが出発した元の場所にはバスがいる。乗ると、バスの中は学校の教室だ。困ったな。予習をしていない。次の時間が英語だったらどうしよう? 生徒手帳を開いて、時間割を確認すると、どうやらホームルームの時間らしい。先生がなかなか現れないなと思っているうちに、バスの中は職場に変わる。仕事が忙しくて、授業は中止になったらしい。皆、忙しそうだが、ぼく一人だけが暇である。
2011年12月20日
12月20日の夢(カウンセリングルーム)
CM撮影の準備のため、女性スタッフと壁に物差しを当て、ピアノとうまく背丈がつりあうよう、セットを工夫している。しかし、なかなか作業が進まず、ベッドに倒れ込んで休憩。しばらくして「さあ、やるぞ」と声を上げ、元気よく飛び起きるが、スポンサーに「もう少し休憩してから」と言われ、また寝る。
起きると、「2階でカウンセリングを受けるように」と言われる。「1番の部屋だよ」と言われ、2階に上がって探すが、1番から3番まで番号のついたトイレしか見当たらない。もう一度階段のあたりまで戻ると、そこに1番から3番までのカウンセリングルームがあった。だが、1番のドアの前には大きな箱が沢山置かれていて、入るのが難しい。箱をよじのぼって乗り越え、ドアをノックする。
ドアを開けてみて、驚いた。1番の部屋と2番の部屋はドアの中でつながっているのだ。2番でカウンセリングを受けている人が慌てて境目のカーテンを閉める。
驚いたのはそれだけではない。部屋の中は地平線まで続く大草原で、ぼくは大きな木の根の上にバランスを崩しながら立っているのだった。大草原にはテーブルが置かれ、その向こうに女性カウンセラーが座っている。ぼくが彼女に「こんにちは」と声をかけると、彼女は「あら、あたしは覚えてないけど、あなたはあたしを知っているのね」と言う。いや、そういうつもりはないのだがと思うが、ぼくは否定しない。彼女は半分使いかけの青い歯磨きチューブみたいなものをぼくに渡し、「おいしいから食べなさい」と指示する。一応受け取るが、とてもそんなものを食べる気にはならない。早くカウンセリングをしてほしいと思うのに、彼女は他の女性とのおしゃべりに夢中だ。
2011年12月19日
12月19日の夢(俳優犬)
劇団を作った。公演のため、俳優として水泳部の男性にも出演を依頼した。最初の打ち合わせのとき、待ち合わせに失敗したので、二回目は間違いのないよう、図書館の一番上のフロアで仲間の女性とともにエレベーターの前で彼を待っている。しかし、ずうっと立っているのに、定刻を過ぎても彼は現れない。周りの閲覧室は男女の学生たちでいっぱいだ。
ぼくは女性に「ちょっと見てくるね」と言って、外へ出ようとする。すると、見覚えのある男性とすれ違う。「もしかしたら水泳部の方ですか」と声をかけると「そうですよ」との答。やっと巡り合えた。
ぼくは彼を連れて戻り、「テーブルに向いた椅子にどうぞ」と着席を促すが、彼はその席を固辞して、壁際の女性の隣の椅子に座る。ぼくだけが机に向いた椅子に座る形となったので、ぼくは自分の椅子を彼らの方に向けかえる。かたわらには茶色のふさふさした毛並みの大きな俳優犬が座っていて、ぼくのコートを爪でひっかいている。いつもはそんな態度をしないのに、緊張しているのだろう。ぼくは犬に「よしよし、ジェリー。ぼくのコートをぼろぼろにしてはダメだよ」と語りかけながら、撫でてやる。
12月19日の夢(俳優犬)
劇団を作った。公演のため、俳優として水泳部の男性にも出演を依頼した。最初の打ち合わせのとき、待ち合わせに失敗したので、二回目は間違いのないよう、図書館の一番上のフロアで仲間の女性とともにエレベーターの前で彼を待っている。しかし、ずうっと立っているのに、定刻を過ぎても彼は現れない。周りの閲覧室は男女の学生たちでいっぱいだ。
ぼくは女性に「ちょっと見てくるね」と言って、外へ出ようとする。すると、見覚えのある男性とすれ違う。「もしかしたら水泳部の方ですか」と声をかけると「そうですよ」との答。やっと巡り合えた。
ぼくは彼を連れて戻り、「テーブルに向いた椅子にどうぞ」と着席を促すが、彼はその席を固辞して、壁際の女性の隣の椅子に座る。ぼくだけが机に向いた椅子に座る形となったので、ぼくは自分の椅子を彼らの方に向けかえる。かたわらには茶色のふさふさした毛並みの大きな俳優犬が座っていて、ぼくのコートを爪でひっかいている。いつもはそんな態度をしないのに、緊張しているのだろう。ぼくは犬に「よしよし、ジェリー。ぼくのコートをぼろぼろにしてはダメだよ」と語りかけながら、撫でてやる。
2011年12月18日
12月18日の夢(パンツの中の宝石)
外国のホテルに仲間と滞在している。男性が窓を見ながら、「ここは景色のいいところなのに、窓からの眺めが悪いなあ」と言う。
朝になり、女性たちは襖の向こうで着替えをしているらしい。外国なのに仲居さんがやってきて、「なんとかはありましたか」と尋ねる(「なんとか」は思い出せない)。ぼくはどうも下着のパンツのあたりに違和感がある。寝ぼけてパンツを二枚はいてしまったのかと思ったが、そうでもないらしい。そこへ仲間の男性の一人がやってきて、「泥棒がきて、だまして宝石を預かると言うかもしれない。そしたら、だまされたふりをして宝石を預けてやってくれ、と刑事さんが言っているよ」と言う。もしかして、ぼくのパンツの中にあるのはその宝石かもしれないと思う。
12月15日の夢(駅弁が買えない)
新幹線に乗るので、ホームの売店にお弁当を買いにいく。店の中に三人の酔っ払いがいて、なかなか出てこない。そのため、店の前に行列ができてしまう。並んでいるのは、女性たちばかりだ。ぼくも並ぶが、なぜかズボンを下ろし、パンツ姿になりかけ、気づいて慌ててズボンをはき直す。そこへ突然行列が動き出したのど、ぼくは片足、靴をはけないまま進む。
売店の中に入ると、売り子をしているのは今年80歳の長老詩人М氏だ。「お弁当を」と言うと、あっさり「ないの」と言う。「えっ」と驚き、店内を見回すと、棚の上にほかの商品にはさまれて一つだけお弁当らしきものが見える。それを指さし「一つだけしかないってこと?」と食い下がる。М氏は「いや、あのね。駅の外へ出て買ってもいいんだけど、列車の中の医院や何かにも弁当は置いてあるから、そこで事情を話して買った方がいいと思うの」と言う。ここまで来てお弁当が買えないのかと、ぼくは悲しくなる。
2011年12月14日
三つの短い夢
12月11日
女友達と喫茶店で話している。彼女との約束をマリモのような球状に丸めてみせる。彼女が怒るかと思ったら、反対に大喜びして、次のデートを約束してくれた。
12月12日
同じ女友達がぼくに「あの人といっしょに掲載されてよかった。ちょうどウサギとカメよね」と言う。
12月14日
別の女性。彼女の超能力で名古屋の広小路通りの一郭に重力のきかないところができた。地図を見て、そこへ行ってみようとしたところで目が覚めた。
2011年12月13日
12月13日の夢(コンサート)
大きなスタジアムで行われるコンサートへ行く。吹奏楽のバンドが出るらしい。まず二階席へ行くと、「二階は指定席が多いので、舞台が見にくいよ」という誰かの声が聞こえた。そこで三階へ上がると、既に前の方は満員で、後ろは舞台が見づらい。一階へ降りてみるが、一階は椅子がない空間なので、いやだ。とうとう建物から出て、ステージに近い脇の屋外に、腰をおろせる場所を見つける。すると、金網の外の道路から三人の女性がぼくを呼ぶ。ぼくの方では見覚えがないが、向こうはぼくを知っているらしく、「この街ではもう近くのローソンと契約されましたか」と尋ねてくる。コンビニと契約することで、何かいいサービスが受けられるらしい。ぼくは「この街には滅多にこないので、結構です」と申し出を断る。
2011年12月09日
12月9日の夢(パリで靴が脱げる)
親しい女性詩人のIさんが今はパリの大きなマンションで暮らしている。何家族もで遊びに行き、滞在するが、それでも部屋は十分ある。ただし、ぼくら夫婦以外は全く顔見知りではない。
食事は一部屋に集まり、大きなテーブルを皆で囲む。途中でぼくの靴が脱げてしまい、それが隣の隣の女性の足元に転がる。ぼくは席を立って、その女性のかたわらに屈みこみ、「失礼」と言って、自分の靴を拾う。
2011年12月08日
12月8日の夢(どこへも行けない)
バスで皆とどこかへ行こうとしている。皆は小学生だ。ぼく自身は小学生かどうか分からない。ともかく、自由が丘あたりの住宅街に停まっていたバスにぼくらは乗り込む。
座る席を探す。最初に見つけた空席は隣の子に「空いてない」と言われてしまう。別の空席を見つけ、隣の女の子に「誰かいる?」と聞くと、「わからない」という答え。とりあえずその席に座る。
バスがまた停車し、ぼくは降りて、出版記念パーティーの受付に行く。ぼくの隣には一人の女性がいて、ぼくの連れらしい。受付の女性がぼくらに一枚の地図を渡す。四つ折りの紙を開くと、真ん中に大きく駅が書いてあり、会場までの行き方が書いてある。どうやらパーティーはその会場で行われるらしい。しかし、その駅は一体どの路線にあるのだろう? 連れの女性に「知ってる?」と尋ねると、「あなたが知ってると思ったのに」と言われる。しかたがない。タクシーに乗ってその駅の名前を運転手に告げ、連れて行ってもらおうと提案すると、彼女も喜ぶ。
しかし、その地図の場所へ行ってみても、会場がどこなのか分からない。
しかたなく、ぼくはひとり元の住宅街に戻る。バスの停まっていた場所で引率の男性教師二人が話をしていて、ぼくをちらりと見る。しかし、あのバスの姿はない。ぼくはもうどこへも行くことができない。
2011年12月07日
12月7日の夢(セーター破り布)
今日買ったばかりのぼくのセーターをびりっと破る。そのセーターには同じ生地で作った専用のセーター破り布がおまけについているので、簡単に破くことができる。その布をセーターにくっつけると、まるで糊で貼りついたようになる。それを力をこめて引っ張ると、ビリっと破れるのだ。向かい側に座っている女性社長のTさんが「破り方を教えて」と言うので、破り布のことを教えてあげるが、彼女はうまく自分のセーターを破くことができない。そういうぼくも最初の一度以外は破けなくなってしまった。
2011年12月06日
12月6日の夢(なんとか講)
自宅の室内に四角い座卓を囲み、妻と死んだはずの母、手伝いらしいおばさん、それにぼくの四人が座る。年末恒例の「なんとか講」というものだという。白い蕎麦の木で作ったという、紐が絡まったような形のものが二個、順番に受け渡されていく。女性たちはみんな軽々とそれを扱っている。手伝いのおばさんははめていた手袋を慌てて脱いで、それを受け取る。最後はぼくの番だ。受け取って、びっくり。右手に持ったものはそれほどでもないが、左手で受け取ったものはずっしり重い。地面から持ち上げるのさえ、容易ではない。ぼくは「うわあ、重いですね」と声を上げるが、皆は「軽いよ」と言う。しかたなく、ぼくは「ぼくの手がダメなのかなあ。血のめぐりが悪いからかなあ」と言う。
2011年11月30日
11月30日の夢(グルービングタイピスト)
珍しく若い詩人のKくんから電話がかかってきた。ぼくが作っているある神社のチラシに載っているスタッフ表に間違いがあるというのだ。「Oさんからも聞きました?」と言う。「いや」と答えると、早口でしゃべりだしたが、ぼくは受話器を耳から離して持っているので、殆ど聞き取れない。「えっ、聞き取れないよ」と何度も聞き返す。ようやく受話器を耳に当てることができた。彼は「グルービング・タイピスト」と言っているらしい。確かにぼくのチラシには眼鏡をかけたタイピストの男の顔写真が載っている。「そうです。これは専業ではないんです。専業ではないんです・・・」と、彼は何度も繰り返して言う。
2011年11月29日
11月29日の夢(最後まで走れ)
同僚たちも忙しそうだが、ぼくも忙しい。だが、みんなが短期的な〆切に追われているのに、ぼくだけはずっと先の〆切を目指して仕事をしている。ぼくのデスクの一番下の引き出しに、来ている原稿はまだ一つしかない。でも、ぼくはその分厚い原稿の束に緑色の太いペンで訂正や注釈を書き込むのに余念がない。
同僚の女性がテレビを見ながら「最近のランナーはみんな、自分が速いことを見せようと、すごいスピードで駆けだすけれど、途中でわざと転んでしまうのよね。ほら、中国人のこの女の子もちょうどいいところで転んでるでしょ」と言う。「でも、私は祖父に言われたの。どんな小さな競技で走っても、それはすべて国際陸連に記録されている。だから、必ず最後まで走りなさいって」。
2011年11月28日
11月28日の夢(病院はランチの後で)
ぼくは食堂でランチを食べている。隣のテーブルには古くからの女友達が連れと一緒にやはり食事をしている。超美形だが、残念ながら彼女はレスビアンだ。食堂で働くおばさんが「この眼鏡は重いのね」と言いながら、ぼくの眼鏡がずり落ちるのを指で直してくれる。ぼくは病院の予約をしており、三時間前から食べ始めたのだが、ふと時計を見ると、あと25分しか時間がない。
慌てて席を立つと、隣の女友達も立ち上がり、「行きましょう」と言う。「Mさんは何時から?」と聞くと、「私は12時から。1時間半以上遅れる場合は電話しなさいと9時半に言われたの」。「えっ、もうそれ以上の遅刻でしょ?」とぼくは驚く。そういえばさっき、ぼくと彼女の共通の主治医が食堂のテーブルを巡回していたっけ。彼に病院への行き方を聞いておけばよかったと思う。前に行ったように、福島駅からタクシーに乗るのが本当に一番近いのだろうか。
11月27日の夢(四角い鍵)
浜松で下宿を借りている。大家が一人の男を連れて、窓からぼくの部屋へ入ってきた。ぼくは「どうぞこの部屋をお使いください。ぼくは会社へ戻りますから」と二人に言い残して、外へ出る。大家は部屋の中から「鍵は持ったか?」と尋ね、四角い鍵穴から四角い鍵を突きだして見せる。ぼくは自分のポケットを探るが、ポケットの中は狭く、手がつっかえてしまう。「ポケットから手が出ない」と思わず声を上げるが、なんとか鍵を取り出し、鍵穴越しに大家に見せる。もう会社にも下宿にも戻らず、このまま東京へ帰ってしまうつもりだ。
2011年11月25日
11月25日の夢(いやな上司)
会社で皆は忙しそうにしているが、ぼくだけはもうやることがない。廊下に出て、左右に並んだ二つのトイレのうち、右のトイレへ行こうとする。トイレのドアを開けると、若い男がいたが、すぐに外に出てくる。代わりにぼくが中に入り、スリッパに履き替えようとするが、そこにあるのはスリッパではなく、革靴だった。トイレのスリッパが革靴に変わったのだろうかと思い、履こうとする。すると、別の男二人がトイレにいるのが見える。彼らは用を足していたのではなく、ここで何か密談していたらしい。そして、革靴はそのうちの一人のものだったのだ。ぼくは彼らに「いいよ。別のトイレでするから」と言い、左のトイレへ入ろうとする。だが、このトイレは外から丸見えだ。あきらめてオフィスへ戻る。退社する前に、念のために状差しを調べる。すると、意外にも、ぼくの席に配達されなかった手紙が沢山そこにある。みんなはぼくを無視して、配達さえしてくれなかったのだ。ということは、ぼくにはまだ沢山やるべき仕事があるということだ。ぼくはそれらの仕事に必要な参考書を書架から取り出し、山のようにデスクの上に積み上げる。だが、ちょっと席を外して戻ると、デスクの上には何もない。若い上司二人がぼくに「これからはデスクの上には何も置かないことにしたんだ。段ボール一箱分くらいの資料なら、ほかのところへ置いて、必要なときだけ持ってきても大丈夫だよね」と言う。ぼくはしかたなく、「はい、まあ・・・」と返事をする。
2011年11月23日
11月23日の夢(脂肪剥ぎ)
自分の足を腿からつま先へと手でこすると、垢が剥がれるように脂肪が夏ミカンのような塊になって、足元に落ちる。何度か繰り返すと、随分足が細くなった気がする。
2011年11月19日
11月19日の夢(深夜電車)
夜中に会社でS氏と見知らぬ女性、ぼくの三人で残業をしている。ぼくがちょっと席を外して戻ると、フロアの床に布団を敷いてS氏が寝ている。女性は既に帰宅したようだ。ぼくは女性のあとを追って、退社する。
もう午前三時だ。タクシーで帰ろうと思うが、ポケットには八千円しかないことを思い出し、わざわざ左のポケットに手を突っ込んで、お札を確認する。やはりこれでは自宅までお金が足りない。
四ツ谷駅に行く。こんな時間にも深夜電車が走っているのだ。電車も満員だし、ホームも人でいっぱいだ。しかも、なぜか乗客は若い女性ばかり。駅員が整理のために声をからして叫んでいる。
2011年11月16日
11月16日の夢(死者の棲むリゾート地)
妻といっしょに箱根山中の別荘に到着。早速家具の整理など、室内を片付けていると、うっかりしてズボンのお尻に真っ黒な泥をつけてしまった。白い蛆のような虫も泥に交じっていて、気持ち悪い。妻に洗濯してもらおうとするが、着替えもないし、そんな汚いものは洗えないと言われてしまう。そこへ二人の中年の男が陽気にはしゃぎながら遊びに来た。話しているうちに、はっと気がつく。どこかで見た顔だと思ったが、この二人はS社で働いていたときの上司、NとМだ。Мの方は分からないが、Nはとっくに癌で死んだはずだ。ぼくの家族を除けば、このリゾート地で親しく付き合っているのはみんな死者で、ここは死の国なのだと直観する。
会社の同僚たちとぼくは一緒にここに滞在している。道路を横断しようとすると、遠くからものすごい轟音を響かせて巨大なトラックがやってきて、ぼくはもう少しで轢かれそうになる。みんなが集まっているところへ戻ろうとすると、同僚の1人の声が聞こえ、思わず足を止める。「しーっ! 一色さんが見ているぞ」。彼らは会社が用意した弁当をぼくに隠れてこっそり食べていて、ぼくだけは弁当がないのだ。ぼくはそ知らぬ顔をして回れ右をし、見世物小屋に入っていく。いろいろなお店がある。ある店では昔話の世界が人形たちで再現されている。金太郎や桃太郎の巨大な人形があり、親子連れが楽しそうにはしゃいでいる。しかし、人形はみな不自然に大きくて、あまりにも不気味だ。
2011年11月11日
11月11日の夢(野川に熊)
今日は研究会の当日だ。それなのに、うっかり提出作品を読むのをすっかり忘れていた。相沢講師も到着して、我が家で研究会が始まってしまう。それなのに妻が風呂へ入ってしまった。ぼくも研究会を中断して、入浴しなければならないだろうか。「ちょっとお風呂へ入ってきます」と、みんなに挨拶すればいいのか。
今日は怖そうな武道家が弟子たちと一緒に参加している。ビデオで彼らの武道パフォーマンスが上映され、みんなはそれを見ている。しめた。これで時間をかせげるなと思う。
ふと窓から外を見る。そこには野川が流れているのだが、いつもとは反対に右から左へ流れている。しかも増水して、ものすごい大河になっている。津波のようだ。そこを何かにつかまって猫が流れてきた。まるで熊みたいにでかい。いや、熊じゃない。あれは確かに猫だが、その隣にいるのは本物の熊だろう。その向こうには小熊も数頭泳いでいる。研究会のメンバーも見に来て、確かにあれは熊だと言う。
そう言っている間に、上映は終わり、みんな席についてテキストを開いている。まずい。ぼくは慌てるあまり、上席についていた武道家のテキストを取ろうとして、慌てて手をひっこめる。自分の部屋へテキストを置き忘れたらしい。取りに戻ろうと、ドアをあけて部屋の外に出る。
そこは名古屋の広小路通りで、実家までまっすぐ繁華街が続いている。数メートルおきに空から紐が垂れ下がっている。引っ張ると、ぱっと空に明かりがつく。ぼくはそれを引っ張りながら世界を明るくして、道路に散らばっているテキストを拾い集める。だが、どうしても全部は揃わない。揃ったとしても、読んでないのだから、講評なんかできない。どうしよう?!
2011年11月10日
11月10日の夢(洗濯屋)
洗濯屋の御用聞きが来たら、今日は妻の洋服を出し、次回にぼくの洋服を出すという約束を妻とする。
その洗濯屋がやってきた。妻が自分の洋服を出し、そのあと妻と洗濯屋はじいっとぼくを無言で見つめる。ぼくはその圧力を感じて、思わず自分の部屋へ入り、汚れものを探す。洗濯に出すものはやはりない。出てきたぼくに妻が「今日は出さないの?」と尋ねる。ぼくは「だって汚れていないもの」と答える。すると洗濯屋が驚いたように大声で「えっ、汚れていないの?!」と言う。
2011年11月08日
11月8日の夢(建築プロジェクト)
ある建物をつくることになり、女性詩人の建築プランがプロジェクトに採用された。彼女に「もう採用されて、建築が始まっているよ」と伝えるが、実はそれは嘘で、まだ始まっていないのだった。ところがその後、プロジェクトの方から「その人も打ち合わせに参加してもらい、そこでスタートを宣言したい」と言われる。彼女に来てもらわなくてはいけないので、改めて本当のことを打ち明け、一緒に行くことにする。
2011年11月07日
一色真理(四番目の皿)
食卓に皿を並べ、妻が手作りの料理を次々と盛り付けていく。二人でテーブルをはさんで食事を始めた。気がつくと、四枚ある皿のうち一番左にある一番大きな皿が空のままだ。この皿の料理はどうしたんだろう?!
2011年11月06日
11月6日の夢(市電でパソコン)
残業をして徹夜になり、家に電話もできずに朝を迎えてしまった。だが、まだこれからやる仕事がある。どこかへ行くためにタクシーを止める。タクシーは混雑した車道から舗道に乗り上げ、かなり走ってからようやく停車する。
郊外に向かう市街電車に乗り込む。満員だ。立ったまま終点まで行く。だが、ぼくはそこで降りずに、Uの字型のホームをぐるっと回りこみ、反対側のホームに回送してきた先ほどの市電にまた乗り込む。元へ戻る電車らしい。今度は比較的空いている。車内には何列もテーブルと椅子が並び、中ほどの空席にぼくは座る。見回すと、乗客の姿はないが、既に埋まった席のテーブルにはぎっしりと乗客たちのノートパソコンが蓋を開けて置かれている。パソコンがない席は、椅子の上に荷物や上着が置かれている。ぼくだけが身一つで、パソコンを持っていない。
2011年11月05日
11月5日の夢(移動教室)
ぼくは小学生で、学校にいる。女性詩人のWさんとお茶を飲んでいるうちに、一時間目の授業が終わってしまった。二時間目は受けなければ。どこの教室だったろうかと、廊下をさまよう。見つかった教室はバスの中だった。授業中にクラスメートの男子が福島で行われる現代詩のイベントに参加するツアーのチラシを配る。見ると人気詩人が揃い、とてもよい内容なので、ぜひ参加したいし、みんなにも勧めたいと思う。そう意見を述べると、男子は「でしょ? これから打ち合わせ会をやるんだけど、出ないか? 会費は一万円だよ」と言う。出てもよいと思い、自分の財布を覗く。中には米ドル紙幣がぎっしり。その中に数枚千円札が紛れ込んでいる。「お金がないから出られないよ」とぼくは答え、「そりかわり、このチラシを詩人たちに配ってあげるよ」と提案する。
すると男子は「いや、このチラシはもう残っていないんだ。それに、ここに書かれた詩人は出演予定としてぼくが勝手に書いただけで、本人のOKは貰っていないんだ」と言う。ぼくは「それならこのチラシをカラーコピーするしかないね」と答える。
それからぼくは三時間目の教室を探しに行く。今度の教室は雨の降る古い商店街の軒下だ。そこで授業の始まりを待っていると、さっきの男子が蓋のあいたペットボトルを「これ、きみの忘れ物だろ」と言って、持ってくる。片方はぼくのものかもしれないので、飲んでみる。もう一方は明らかにぼくのものではない。彼は真新しいさっきのチラシの束を持っていて「新しいチラシを印刷所から貰ってきたよ。こういうものは代金引き換えになるんだ。きみにこれをあげるから十万円ぼくに払ってね」と言う。ぼくはそれではぼくが損するだけだと思い、「いいけど、そのかわりみんなからの参加費の振込先はぼくのところにするからね」と釘を刺す。
2011年11月03日
11月3日(大ネズミ少女)
公園にいると、オオカミ少女ではなく、大ネズミ少女がやってくる。とても獰猛で、鋭い歯でぼくに噛みつこうとする。大ネズミ少女は一冊の本なので、歯の部分のページをビリっと破ると、もう噛みつくことができなくなる。彼女を家の中に追い込み、トイレの汚水槽に投げ込む。彼女は水中深くぶくぶくと沈んでいく。しかし、しばらくするとまた浮き上がってきて、外へ逃げ出す。幸い、ぼくは彼女には襲われずにすんだ。
さっきの公園にはぼくの恋人の少女がいて、大ネズミ少女をなだめておとなしくしてくれる。その後で、恋人とぼくは自分の家へ向かう。母に彼女との結婚を報告するつもりだ。ところが、家に着いて母と話し出した恋人は突如、全くあらぬ話をしだした。どうやらこの少女も人間ではないらしい。
2011年11月02日
11月2日の夢(ハワイ修学旅行)
ぼくはハワイにいる。どうやら中学か高校の修学旅行に来ているらしい。この旅館で雑魚寝して一泊するのだ。部屋中に布団が敷かれているが、布団より生徒の数が多い。男子校らしく、男子ばかりだ。布団をかぶり、目をつぶる。周りは生徒たちでぎっしりだが、眠れなくてもここで朝まで過ごせば、明日は帰れるのだからと思う。
誰か起きてわるさをした生徒がいるらしく、班長がそれを叱責し、怒られた生徒が逃げ出した。それをきっかけに、みんな起き上がって混乱状態になる。ぼくも起きて、旅館の外に出る。地平線に外輪山が見える。ということは、ここは火山の古い噴火口の中なのだ。
再び、部屋に戻ると、ぼくの寝ていた布団の中に、綿でなくカレーライスが詰まっている。とてもこんなところには寝られない。少しでもきれいな布団を選んで、もう一度眠ろうとする。さて、ぼくは頭をどちら向きにして寝ていたんだろう?
2011年11月01日
11月1日の夢(猫町効果)
道をABCとぼくの四人で歩いている。なんだかいやに道が渋滞している。先にみんなを通してあげようと、ぼくは道より一段高い右側の畑の畝に上がる。すると、左を歩いていたAが「渋滞はぼくのせいではないよ」と言う。見ると、その人の前にオートバイが走っている。運転しているBは右足が悪く、一歩オートバイが走るたびに、尖端が杭のようになった右足を地面に突き立てている。だから、オートバイは亀のようにのろのろとしか進めないのだ。Bはそうやって日本全国をオートバイで旅行しているのだという。それを見て、Cが「せめてBは新型の身障者向けオートバイを買ってから旅をするべきだね」と言ったので、Bは「なにい!」と怒り出す。それをなんとかなだめる。
Aは杖をついて先に行く。ぼくも杖をついているので、彼を追いかけるように歩き出す。BとCは後に残される。
渋谷駅に着いた。勝手を知った駅だと思ったのに、なぜか迷子になってしまい、駅の裏側に迷い込む。これが猫町効果というものかと思う。
2011年10月31日
10月31日の夢(無料食事ビル)
一つのビルの中が全部ご馳走でいっぱい。しかも、その全部をただで食べていい。エスカレーターを乗ったり降りたりしながら、おいしいものを好きなだけ食べ歩いた。
有名女性詩人が死ぬ前に、ぼくに刊行してもらおうと書いた詩集の原稿がそのビルの売り場の一つに、天井から吊り下がっている。読んでみると、どんな詩人の詩よりも言葉の力が強い。ぼくはそれも食べてしまう。別の女性詩人がぼくに「すごい詩が展示してあったでしょ」と言うが、今はもうないのだ。ぼくが食べてしまったのだから。
電車の中で向かい側に座った男が突然朗読を始めた。ぼくも負けないように何かの文章の朗読を始める。それを心配したのか、妻が別の席から立って、こちらへ移ってきた。ぼくは席を詰めて、隣に妻を座らせる。
2011年10月30日
10月30日の夢(アラブ転勤)
会社で突然、週明けからアラブ支店への転勤を命じられた。エジプトから一つおいて内陸にあるアフリカ大陸の国である。当然、語学研修や支店所在地などを教えてもらえると思ったが、すべて自力で探して行けと言われる。まあなんとかなるだろう。
今日は金曜の夕方で、もう退社時間だ。自分が会計を務めるUFO研究会の事務を同僚のM川氏に引き継いでもらうため、会計の分厚い帳簿を探すが、デスクのどの引き出しにもない。向かいの席のA沢氏に渡したのだったろうか。
デスクの周囲のゴミを壜も紙も分別せずにビニール袋に詰め込む。会社を出て、街のどこかにこっそり捨てようと歩き回るが、どこにも誰かの目が光っていて、捨て場所が見つからない。
2011年10月28日
10月28日の夢(インド旅行)
インドに妻と滞在している。奇妙なイベントに連れて行かれる。隣で踊っていた中年女が突然上半身裸になる。乳房がみにくく変形している。目のやり場に困る。そこを出て帰ろうとすると、女が追いかけてくる。「あれはみんなには見えなかったはずだ。それなのに、あんたには見えたのか?」 詰問されるが答えようがない。
板張りの部屋で誰かのトークを聴いていた。終わって、みんなで椅子や机を壁際に片づける。ぼくが座っていた椅子も片づけようとするが、みんなより遅かったため、スペースがなくなってしまった。無理やり他の椅子に重ねる。すると誰かがその椅子を邪魔にして移動させたので、上に載せておいたカバンが落ちかかるのを慌てて手に取る。
なんだか眠い。居眠りをして目を覚ますと妻がいない。外に出て、あちこちと裸足で探し回る。ここはインドだから裸足なのだが、足にけがをしないかどうか心配だ。だが、みんな裸足なのだから、きっと安全なのだろう。
妻を探して、店に入る。入り口で足についた砂をこすり落とそうとするが、うまくいかない。立派な髭を生やしたインド人が道具を使って、落としてくれる。
外に出ると、道の向こうから犬を連れた妻に似た女が歩いてくる。だが、近寄ってみると、眼鏡をかけていて全くの別人だ。
こんな広いインドで妻とはぐれて、どうすればいいのだろう? しかもこれからぼくは二年間ここで働くのだ。インドは静岡県にあるので、新幹線を使っても東京まで二時間かかる。詩人会の理事会も詩と思想研究会にも通えない。両方ともやめなくてはいけないのだろうか。たった二年間だけなのだが。
10月27日の夢(東南アジア旅行)
妻と東南アジアを旅している。歓待されるのだが、言葉が分からない。取引先の社員に連れられて、都市の旅館に泊まる。どう見ても、ホテルではない。旅館。やけにだだっ広いだけの部屋に二人でリラックスしている。
そこへ突然、小学生の集団が引率する教師や父母たちと共に到着し、ぼくらの部屋を占領する。えっ? ここはぼくら夫婦の部屋ではなかったのか?
部屋から廊下へぼくは飛び出し、「誰か日本語のわかる人はいませんか?」とどなる。男と女が1人ずつ「わかる」と答える。ぼくは二人に「急ぎませんが、後で話を聞いてくれませんか」と言う。すると、あまり日本語が得意ではなさそうな女性の方が部屋についてくる。ぼくは彼女に「ここはぼくたち夫婦の部屋なのに、この人たちがおしかけてきたんです。そのことをホテルの人に伝えてください」と頼む。女性は「ここはあなたたちの部屋なのに、これらの人たちが入ってきたのですね」と、たどたどしい日本語で繰り返して確認する。
2011年10月24日
10月24日の夢(哲学教師)
学校で哲学の講義を受けている。ぼくの席は教室の一番窓際で、隣に座っているのは妻だ。教師はある哲学の言説を取り上げ、それに対して学生たちの意見を求める。ぼくは言いたい意見があり、発言したいと思うが、妻の意見も聴きたい。そこで、教師に妻を指さしてみせるが、教師はそれに気づかず、講義は終わりになる。
休憩時間に妻と共に廊下に出て、教師と話す。妻はいつのまにか別の女性になり、しかも次から次へと別の女性の顔に変わっていく。そばのテーブルに段ボール製の小さなハンドバッグのようなものが置いてある。教師は妻、いや妻ではない女性に「あなたが作ったの?」と尋ねる。彼女はぼくを指さす。ぼくは謙遜して「先生のご本にあった通りに作ったのですが、不器用でして」と言う。教師はにべもなく「うん。下手だね」と言う。
2011年10月21日
10月21日の夢(演劇公演)
ぼくの台本でお芝居を上演することになった。ぼくは不安でどきどきしている。早速役者たちが集まり、2つの部屋の境を取り払って公演の準備が始まった。役者たちは手分けして、必要なものを買い出しに向かう。「〇〇布はないかな? あれを身にまとうと感じがいいんだけど」などと、いろいろなアイデアもどんどん出される。
やがて買い出しに行った役者たちが車で荷物を運び入れ始めた。彼らはぼくを「先生、先生」と呼び、演出や細かいセリフを台本に書き足していく。意外にも沢山の役者たちが自主的にぼくを信頼し、この公演を立派なものにしようと力を尽くしてくれることに、ぼくは驚く。
2011年10月16日
10月16日の夢(校内探検)
ぼくは中学生らしい。一人の同級生の少女とこれから校内探検に出発しようとしている。学校という空間は未知の暗黒迷宮なのだから。ぼくらの前に探検に出発した別の男子生徒と女子生徒のペアが校内を進んでいく足音が校内放送のスピーカーから聞こえてくる。それを耳にしたとたん、ぼくの相棒の少女は「どうして? どうしてあの人たちはあんなふうに出発できるの?!」と叫び始める。ぼくは彼女の取り乱し方を見て、おろおろする。「きみは、あの人たちが目的地を知っていると思っているの?」と尋ねてみるが、彼女は「違うわ」と首を振るばかりで、そこを動こうとしない。
タクシーの助手席に乗っている。道の左側に車が駐車していて、右側には障害物があり、通り抜けられない。すると、運転手はいきなりタクシーを障害物に突っ込ませて、無理やりそれを押しのける。車以外の障害物が道路にある場合は、そうやって排除してよい規則なのだ。だが、排除した障害物の中に隠されていたコンクリートブロックが崩れて、助手席側のボディにドカドカと当たる。ぼくは「しまった! 凹んだだろうか」と叫ぶが、どうやらたいしたことはなさそうだ。
2011年10月15日
10月15日の夢(S社のM)
ぼくはS社の社員で重役のМのところに昼食のパンを届けに行く準備をしている。そのパンを試食しているうちに、おいしくて、はっと気づくと半分以上のパンを食べてしまった。やばい。残ったパンをトレイに並べ直してみると、なんとか皿一杯という感じになった。ほっとして、部屋の真ん中を仕切る衝立の向こうで待つМのところに持っていき、「お待たせしました。少しお相伴してしまいましたが」と言う。Мは無表情な冷たい顔でガスコンロにフライパンをかざしている。どうやらパンを温めるつもりで、さっきからそうしていたらしい。「こうやってパンはフライパンに載せ、蓋をして温めるのが一番おいしく食べられるのだ。よくレストランでパンがまずいのをシェフのせいにするやつがいるが、けしからんよ」と居丈高にぼくに言う。そこへ一仕事終えた若い社員たちがどやどやと階下から上がってきて、すっかり心服した顔でМの周囲を取り囲む。ぼくはそろそろと後ずさりしながら「そうですね」と営業笑いをする。あいかわらずМのこごとは続くが、ぼくは社員たちの輪から一人抜け出すことができた。
2011年10月14日
10月14日の夢(最後の生徒)
今日は学校でぼくたち生徒全員が映画館に行かせられる日だ。そのための準備学習の集まりがあり、ぼく以外の生徒は全員それに出席したが、ぼくは一人教室に残って弁当を食べ続けている。それを見て担任の男性教師が「おまえだけ行かなくていいのだな」と言う。ぼくは反抗的に「ええ、いいですよ」と答える。
ぼくは弁当箱を2つ持っていて、一つを食べ終わり、2つ目に移ったところで、「なにも2つとも食べなくてもいいのじゃないか」と思い直し、弁当をしまう。そして担任に「ぼくも行きます」と言う。
その前にトイレへ行っておこう。気持ちよく用を足していると、見回りの教師が来た。見つかってはまずい。ぼくは最後まで用を足せないまま、身を隠して、床に腹ばいになる。そのため服が自分の尿で塗れてしまい、おまけに教師にも見つかってしまう。「最後の生徒がいないぞー!」と叫んでいた彼は、「最後の生徒」であるぼくが見つかってうれしそうだ。「おお、おまえが最後か」とにこやかに声をかけてくる。ぼくは隠れ場所から出て、映画館に向かうことにするが、みんなと一緒にバスに乗ると、服の穢れが見つかってしまうので、徒歩で行くことにする。映画館まで走っていくが、途中で道に迷ってしまう。
2011年10月13日
10月13日の夢(第二の地上)
ビルの一階に新しい住居を借りた。そこから不動産屋の男と友人の三人でエレベーターに乗る。エレベーターとホールの間は一枚の総ガラスになっている。どちらが内でどちらが外か分かりにくい。せっかく乗っていたのに、降りて向こう側へ行ってしまう人や、「乗りなさい」と声をかけても恐れて乗ってこない老人もいる。
結局、ぼくたち三人だけでエレベーターは上昇を開始する。随分ゆっくりだ。目指すのはぼくの自宅の第二の居室がある十一階。そのフロアに到達すると、エレベーターはガタンと激しく揺れて止まり、そこから水平に横移動する。さあ十一階だ。
降りると、そこは空中ではなく、そこにも地面があった。ちゃんと街があり、路面電車や車が賑やかに行きかっている。「これは山をくりぬいて作ったビルだからね」と、ぼくは説明する。しかし、似たようなドアがあって、どちらがぼくの居室か分からない。鍵を持ってうろうろしていると、不動産屋が「両方ともあなたの家ですよ。二つ隣り合わせの部屋をおとりしたんです」と言う。そうか。これからぼくはこの二つのフロアを一階と二階のようにして暮らしていくのだ。
2011年10月12日
10月12日の夢(青い封筒)
トイレに行く。トイレは畑で、おばさんが一人掃除をしている。真ん中に青くて大きな封筒が口を開けたまま、土に差してある。これが便器だろう。しかし、用を足し始めるとみるみるいっぱいになり、溢れそうになるので慌てる。なんとか最悪の事態は回避できたが、どうもこの封筒はおばさんの大切なものだったらしい。
ぼくはおばさんのすきを見て、封筒をかっさらい、捨て場を探しに行く。街の中はガードマンの目が光っていて、なかなかいいところがない。その警戒をくぐって、一つの路地に入る。そこには全く人けがなく、道路には丈の高い雑草が生い茂っているのに、周囲は立派な住宅が建ち並んでいる。まるで死の街だ。しばらく歩くと、ある境界を越えたとたん、世界がぱっと夜のように暗くなる。ぼくは丈高い雑草の中に青い封筒を隠し、逆戻りをしてガードマンの目をかすめ、再びさっきのおばさんの畑に戻る。
さらに会社に戻る。よく見ると、ぼくの着ている服には汚れや傷がいっぱいついている。自分がしてきたことを社員たちに嗅ぎつかれるのではないかと心配になる。
2011年10月11日
10月11日の夢(試験)
学校でテストを受ける。絵をたくさん描かせられる。不器用なので、うまく描けない。しばらくして、ようやくうまく描ける方法を見つけ、すべての課題を描きなおそうとして腕時計を見ると、もう試験時間の終わりに近づいている。描きなおす間もなくついに終了。試験官の教師がチェックに回ってくる。描いた絵はすべて本物に変わっている。編み物や料理など、ぼくの苦手なものばかりだ。ぼくの作品としてはそれなりに形がついていて、まあまあの出来だと思うが、オムライスのはずがどう見てもハンバーグなのは、いくらなんでも許されないだろうか。案の定、先生はぼくの作品すべてを酷評する。「ぼくは手先が不器用なんですよー」と、ぼくは苦笑いしながら弁解につとめる。
2011年10月09日
10月9日の夢(気象予報士のお姉さん)
気象予報会社へ取材に行く。二階で応対してくれた予報士のお姉さんは目が大きくてとてもかわいらしい。彼女はカードをぼくに見せ、「ここの灯台にいる男性に尋ねると詳しく教えてくれますよ」と言う。「今から行かれますか」とすぐにも紹介の電話をかけそうなので、ぼくは「ええ、できるだけ早く」と答を濁す。そこへ妻がやってきた。美しいお姉さんにちょっと嫉妬している様子だ。お姉さんは急にそれまでの他人行儀な様子をやめて、「一色さん、あたし、歯が痛い」と頬を押さえて訴える。「親知らずですか」と聞くと、そうだという。「それならいい歯医者があります。でも、会社に診察券を置いてきてしまったので、戻ったら電話しますよ」と答えて、妻とともに階下へ降りる。
玄関はいつのまにかお客でいっぱいで、沢山の靴で足の踏み場もない。いくら探しても自分の靴が見つからない。けれど、どうせこれは夢なんだから、いいやと思う。
ともかく外へ出て、港から船に乗る。着いたところは四国の海岸の街だ。中年の男がバスから降り、一人で選挙演説を始める。地上には全く人がいないのに、建物の二階以上の窓やベランダには沢山の人がいて、「頑張れ」などと応援を始める。人だけでなく、何頭もの馬もてんでに窓から首を出す。ぼくは妻に「ほら、馬もいるよ」と指をさして教える。
道路に長机を出して、その男性と先ほどのお姉さんが並んで座り、選挙運動はさらに熱を帯びる。お姉さんはギターの弾き語りで、歌い始める。机の上には二つの装置があって、右の装置を押すと「もっとやれ」という合図。左の装置を押すと「やめろ」という観客の意思表示になる。妻はつかつかと出て行って、ためらわず左の装置を押す。しかたなくお姉さんは歌をやめるが、頬には悔し涙が流れている。
翌日、妻は街角でぼくに「今日は午前と午後に行くところがあるから、その間に二時間ほど昼寝しましょう。何人ぐらい入れる部屋があるかしらね」と言う。ぼくは「どこの街で?」と尋ねる。妻はちょっと首をかしげて考え、「でも、あのお姉さんはあれから熱が出ちゃったから、イベントの一つは中止になるかもしれないわね」と答える。
それからぼくらはぼくが昔一人で住んだことのある古いアパートの部屋を訪ねる。大家のおばさんがちょうど掃除をしているところだったが、構わず入り込む。ぼくはベッドの上をのそのそ歩き、妻は窓から道路に降りて、そこにある書棚を点検する。書棚は四つあり、どれにも結婚披露宴の紅白の式次第がぎっしりと詰まっている。ぼくは妻に「向こうの二列はぼくのじゃないよ。手前の二列だけがぼくのだよ」と教える。
2011年10月08日
10月8日の夢(余興大会)
岡山のラーメン屋で食事をしていると、突如お客による余興大会が行われることになる。一人の男性客が店主から指名されて、前に出ていく。彼は「じゃ、お手近な6人」と言って、6人の客を前へ手招きする。その中にぼくも入っている。ぼくはどんぶりの中にあと一すくいの麺を残していたが、しかたなくそれを置いて前へ出ていく。
彼は即興のコントをやると言う。台本はなく、彼の言う言葉をヒントに自由にしゃべればよいのだ。ぼくはその言葉からどんどん連想したものをしゃべっていくと、意外にもそれが客たちに大受けする。他の客たちの隠し芸も演じられ、最後に司会者が優勝者を発表する。四角く組み立てられたミニレールのような列車の玩具が走りながら点灯すると、それが優勝の合図だ。なんと、ぼくのチームが優勝してしまった。他の5名は喜んで前へまた出ていくが、ぼくだけ出遅れたので遠慮して座ったままでいると、手招きされて呼び出される。美しい女性が賞品を手渡してくれる。彼女は2匹の犬を抱えている。左の犬は生きている本物の犬だが、右の犬は人形で、ぼくはその人形を貰う。だが、人形とはいえ、ぼくの顔をぺろぺろなめまわして本物そっくりだ。嬉しくなって犬を抱え、宿に帰る。だが、ぼくが自慢するその犬の人形は宿に入ったとたん、ぼく以外の誰にも見えなくなってしまう。
さっきの美人とともに本社に向かう。本社の周りは数階建てのビルの上まで届くものすごい砂丘だ。難儀をして登りながら、前回来たときよりさらに砂丘が高くなったなと思う。
2011年10月04日
10月4日の夢(ご馳走だらけの家)
子供のぼくは一人で大きなお屋敷で留守番をしている。母の帰りを玄関で待ちわびていると、いつのまにか母が庭先で洗濯物を取り込んでいる。もう帰っていたのだと安心する。
今度はスペインにあるような白亜の家にいる。そこにはD社のT専務がいて、さまざまなご馳走を作っている。それが床一面に並べられ、足の踏み場もない。痩せ細った猫が現れ、空腹に耐えきれずおすしや卵焼きにむしゃぶりつく。ぼくは慌てて猫を追い払う。どうやら食べられずにすんだようだ。
そこへ荒くれ者の兵士三人が現れ、ガスコンロにかけられた鍋の中の料理を夢中で頬張るが、そのとたん三人とも悲鳴を上げる。ものすごく辛い味付けにしておいたのだ。
ぼくは急いで外に出て、彼らが逃げ出さないよう、外からドアを押さえる。何事も起こらないので、そっと中を覗いてみようとドアをそろそろ開けるが、ドアは三層の板に分かれてしまい、その一層目だけが開き、あとの部分は閉じたままだ。
2011年10月03日
10月3日の夢(スター・ウォーズ)
スター・ウォーズの世界にいる。1人乗りの小型戦闘機が帰還した。パイロットは女性で、疲れたため、基地内の廊下も搭乗したまま、戦闘機で飛行してきたらしい。そのままトイレへ入ろうとして、戦闘機の尾翼がガンッ!と入り口の壁にぶつかる。墜落しそうになるが、女性は搭乗席から伸ばした手で壁につかまり、辛くも機体を支える。
彼女が手渡してくれた自分についての個人新聞には「そのまま基地内を戦闘機で飛行」というニュースが一面トップで報じられているが、さすがにトイレで壁にぶつかって墜落しかけたことまでは書いてない。
2011年09月30日
9月30日の夢(船に乗る)
会社に勤めていたのだが、外出先でもう元の生活に戻るのがいやになった。放浪の旅に出よう。それにしてもここはどこなのか? 新宿から湘南にかけての海沿いであると思うのだが、目を凝らしても知っているランドマークは見当たらない。
歩いているうち、なぜか服を脱いでしまい、パンツ1枚になる。その格好で歩き続けると、大きな駅に着いた。線路を越えて、ホームに上がる。すると、ホームに次々とやってくるのは電車ではなく、船だ。ちょうど出発する大きな船には乗り損ねた。次に来たのは小さな船で、船首に立つ船頭は朝鮮の人らしい。駅のマイクが「違反だから船を移動させなさい」と繰り返すが、彼は動じない。乗客も既に数人が乗っている。ぼくも乗り込む。綱にぶら下がって、反動で船内に飛び降りるのだ。マットレスの空いている部分に降下しようとするが、先客の男性の足の上に着地してしまいそうになる。だが、なんとかそれは避けられた。
ところが先客たちはぼくに、この船に乗るには切符が要ると言う。その切符は船のマストのようなところに吊るされている。空中ダイビングをして、それを手にしないと乗ってはいけないのだ。運動神経のないぼくにはとても無理だ。ぼくはすごすごと船を降り、次に来た別の船に乗る。
そこには一人の少女が乗っている。少女とぼくは最初、二人掛けの同じシートに仲良く座っているが、途中で彼女は前の席に移る。そこに座っているのは彼女の父親らしい。さらに少女はそこから別の男性のいるシートに移る。
船が港に着き、全員が降りる。ぼくはあいかわらずパンツ1枚だ。港から続く道をぼくも少女たちの後について、あてもなく歩き始める。
2011年09月28日
9月28日の夢(クリップがない)
会社の中で同僚たちは皆忙しく働いているが、ぼくだけは何の仕事もない。しかし、いかにも仕事をしているように、部屋から部屋へとせわしなく動き回っている。会社はオフィスというより、普通の住宅のような感じだ。
もうすぐ退職なので、自分のデスクを片付けていると、一番下の引き出しからアーティストの写真を透明ファイルに入れたものが沢山出てきた。これは自分の仕事の記録として、ぜひとも家に持って帰りたいと思う。何枚かまだファイルされていない写真があるので、それを綴じ込むクリップを探すが、引き出しの中はゴミがいっぱいあるのに、クリップは一つもない。
2011年09月27日
9月27日の夢(皮がむける)
四谷あたりの駅で早稲田詩人会の先輩H氏と待ち合わせて飲みに行く。久しぶりの再会だが、一時間ほどでお開きになる。これなら早く帰宅できるなと思う。
途中でヤマハの元JOCのメンバーと出会い、今度は彼らのコンサートの反省会に出席することになる。ぼくもJOCのOBであるらしい。十代後半らしい男の子が「ソロをとっていた子が失敗した場合、我こそはと思う者がソロを交替する。それが一番いい結果につながる」と意見を述べる。
会のあと、みんなで沖縄の海に入る。指導者の男性が「ようし。今日はこれからみんなをご褒美にハワイのオアフ島の海に連れて行ってやるぞ」と言う。ぼくは「ええっ!」と思うが、皆ぼくと同意見だったらしく、「ここでいいよ」と反対してくれた。ぼくらはそのまま沖縄の海で一時間ほど遊んでから解散する。
帰宅して鏡に向かう。首のあたりの皮が一面に白くなってずるっとむけかけている。それをシェーバーで削り落としていく。
2011年09月26日
9月27日の夢(原発事故報告)
詩人の集まりで毎回連続で研究発表をしている。今回もみんなにレジュメを配り、つつがなく発表が進む。レジュメの最後のページは今回のフクシマ第一の原発事故についてだ。そのページについて話そうとしたとたん、舌はもつれ、頭の中が真っ白になる。一体、ぼくは何を話そうとしていたのだろう? ぼくは混乱して長い間沈黙してしまう。ようやくなんとかごまかして、「次回はその対策について発表したいと思います」と言って、席に戻ろうとするが、立っていられなくなり、床に膝をついてしまう。片足の靴下が脱げてひっかかっていたのだ。席の丸椅子に座り、靴下を引っ張り上げて直す。
2011年09月19日
9月19日の夢(撮影所)
撮影所を見学に行く。スタジオではテレビドラマの撮影中だ。最近の新機軸として、ドラマの本番中にセットの中で、出演者のすぐそばで自由に見学できるようになっている。当然、自分も画面に映るわけで、いつもはテレビなど見ないぼくだが、これは見ないわけにいかないなと思う。そんなスタジオのひとすみでじっと座っていたら、出演していた猫がぼくにおしっこをかけた。でも床に水たまりができただけで、ぼくのズボンは無事だ。出演者たちに失笑されてしまった。そのうち、ぼくも出演者の中に混じり、演技を始める。ここは研究所で、来客の外国人に上司がぼくのことを「イッシキ・マコト」と紹介してくれたのに、ぼくは上がってしまい、「マイ・ネーム・イズ・ミスター・マコト・イッシキ」と言って、握手する。そのあと、何と言って挨拶したらいいか分からず、日本語で「どうぞよろしく」と言う。
撮影後、帰途につく。みんなが殆ど垂直に近く、足がかりのない白い岸壁をつたっていくので、ぼくも後に続く。しかし、潮が満ちてきて、ぼくは途中で進退窮まってしまう。前方を行く人たちは海水の中にもぐって、洞窟の中に難を逃れ、脱出方法を話し合っている。女性詩人Wさんの顔も見える。みんな涼しい顔だ。ぼくはとてもそんな真似はできないので、じりじりと崖を後退しようとする。
2011年09月17日
9月17日の夢(乳房)
遠方の出張から帰るため、列車に乗る。列車は新宿止まりだ。そこからまた京王線に乗りかえるので、10時までにはとても帰宅できないなと思う。
ぼくは昔の女友達のMとその彼氏といっしょに狭いビュッフェにいる。真ん中のテーブルの両側に丸椅子があり、ぼくらは手前に3人並んでいる。反対側には一人の男がいて、あとは空席だが、とても窮屈そうだ。
視線を戻すと、さっきまでいたMたちがいない。探しにいこうかと一瞬思うが、きっと二人だけでいたいのだろう。ここで一人で飲むことに決める。
Mが戻ってきた。いつのまにか別の女友達に顔が変わっていて、はだけた胸元から見える乳房が赤く帯状にただれている。驚いてそのことを指摘すると、彼女は黙ったまま悲しそうに笑うばかりだ。
ぼくは列車の一番先頭の車両に通じるドアを開ける。さっきまで満員だったそこは無人のように見えたが、真ん中にでんと据えられたベッドの中に一人の男が寝ているのに気づき、ぼくは無言のままドアを閉める。
2011年09月16日
9月16日の夢(左右の長さが違う足)
修学旅行で四国へ行く。バスで東京へ戻ろうとすると、引率の教師だろうか、シルクハットに黒い燕尾服の男が「忘れ物をしたから取りに帰る」とホテルに引き返す。とほほ・・。これでは今日中に帰れそうにない。
最後にお別れパーティーをする。あんなに沢山仲間がいたのに、参加者は男性四人だけだ。なんともわびしい。とにかく料理を食べようと、紙の取り皿を手にする。すると、どれも使い古しで、食べ物の残りかすがついている。「使わない方がいいですよ」と横から老人が訳知り顔に言う。そこで、取り皿を使わず、テーブルの大皿料理を手で直接つかんで食べる。
このホテルのオーナーでデザイナーでもある老人について、そのマネージャーらしい男と話す。いつのまにかぼくはもう高校生ではなく、一人前の社会人だ。「いやあ、我々は世界が狭くて、ああいうデザイナーのような方とは最もつきあいが遠いのですよ」と、ぼくはお世辞を言う。相手はこびとで、突然床にうずくまるとどう見ても一匹の黒犬である。異界の存在なのだろう。ところが、ぼく自身もどうやらまともではない。右足が妙に長くて、左足が妙に短いのだ。
2011年09月12日
9月12日の夢(9.11 10周年)
郊外のホールでオウム真理教の講演会に来ている。既に故人のはずの有名詩人A氏がオウムと提携して開いたものだ。ロビーは総ガラス張りで外の風景がすっかり見える。少ししか建物のない丘陵に、突然むくむくと巨大なビルが風船が膨らむように立ち上がる。すごい。オウムの起こした奇蹟の力らしい。
講演会が始まる前に、オウムの幹部がA氏に言う。「講演会のあとは文学紀行のツアーですね」。A氏は顔色を変え、「講演会のことは聞いているが、その後の予定なんか聞いていない」と抗議するが、幹部は取り合わず、ぼくたちは講演会場に押し込まれる。
そのとたん、今度は周りのビル群が風船がしぼむように一斉に縮み始める。気がつくと、ぼくはビルの床に一人倒れていた。みんなビルの崩壊で死んでしまったのか。足元にIカメラマンの姿がある。「どうやらこのビルだけはオウムの幻影ではなく、本物だったみたいですね」と彼は言う。
2011年09月10日
9月10日の夢(水族館という家計簿)
超豪華マンションに引っ越した。妻と3人の娘たちが一緒だ。長女は人気若手詩人のBさんである。夜、寝る前に家計簿をつけようとするが、見つからない。あちこち探すうちに、この部屋のすごさに目を奪われる。文化財級のしかも独創的な飾り物があらゆるところにあるのだ。それを見つけてはきちんと並べ直す。小さなトイピアノも見つかった。音は狂っているが、デザインが素晴らしい。
家計簿は流し台の中に、水につかった状態で見つかった。それを妻のところに持っていくと、妻は日記帳をぼくに見せて、「坂本竜馬の本物の日記なんですって」と言う。ぼくはそれをぱらぱらとめくり、「すごく見やすい文字だね」と答える。妻はぼくから家計簿を受け取り、表紙に書いてあるタイトルに憤慨する。「この家計簿の題を見てよ。どう思う?」 そこには「水族館」と長女の筆跡で書いてあった。しかも「お父様 お母様」という献辞もあり、ちんぷんかんぷんだ。「それって、ぼくらのことじゃないの?」とぼくが言うと、妻は「そりゃそうでしょうけど」と、憤懣やるかたない様子だ。
2011年09月07日
9月7日の夢(人力飛行機)
若手女性詩人のOさんら男女4人で旅館の一つの部屋に泊まる。手前と奥と2つの部屋が間仕切りなしに続いており、それぞれ2人分の布団が敷かれている。ぼくは手前の部屋の奥側の布団だ。一番入り口の布団には若い男が既に寝ている。Oさんはどこで眠るのだろう、と気になる。
人力飛行機が舞い降りた。不時着なのかもしれない。緑の繁った垣根があり、そこへゆっくり突っ込んだ機体が少しずつ緑に溶けていく。それは垣根でも止まりきれず、向こう側へ進んでいくためだと気がつく。ぼくも垣根を押し分けて行ってみると、向こうには川が流れている。男性の操縦する人力飛行機は川の手前でからくも停止した。
2011年09月06日
9月6日の夢(消える便器)
トイレへ行く。できるだけ下の濡れていないところを探して、用を足そうとすると、なんと便器がない。驚いて見渡すと、ほとんど便器が見当たらない。「ここにあるよ」と男の声がして、振り向くと、そこでは便器のところに事務机が置かれ、男性社員がデスクワークをしている。
しかたなく。外に出る。詩人のA・S氏が待っていて、小型トラックにぼくを乗せ、建物の奥にある別のトイレまで送ってくれた。ここなら絶対便器もあるはず。駆け込むと、ちゃんと2つ便器がある。その一つに向かい、用を足そうとすると、便器がふっと目の前で消えてしまう。振り向くと、もう一つも消えてしまった。でも、便器がなくても、ここで壁に向かって用を足せばいいだろう。そう思って用を足し始めたら、その上にあったデスクの上に顔を伏せて居眠りしていた女性が、にこにこしながら顔を上げた。驚いて目が覚めた。
2011年09月05日
9月5日の夢(地下都市)
駅の小さな待合室で列車を待っている。通路の反対側には大きな待合室があるのだが、あえてこちらに来たのだ。奥に2つの椅子があり、そこには若い女性と初老の紳士が座っていて、会話をしている。ぼくは離れた場所に立っていたのだが、かたわらに椅子が一脚置かれているので、それを持って二人のそばに行き、話に加わりたいと思う。
しかし、そうはせず、外へトイレを探しに行くことにする。出たところはホームで、大きな待合室に通じる通路が見える。そちらには当然トイレもあるだろうが、あえてそちらには行かない。別の通路への入り口があったので、そっちへ行ってみる。そこには想像以上にとても賑やかな地下街が広がっていた。だが、トイレは見当たらない。そこからさらに下へ降りる通路がある。そこを潜り抜けると、いっそう広大な地下街が広がっている。いや、地下街ではなく、地下都市だ。路面電車や車が行きかい、商店街の上には地下だというのに青空が広がっている。
そこで目が覚めた。夢の中では「みんなでお正月~」という自分で作詞作曲したらしい歌が流れていたことに気づく。目覚めてからもずっとそのメロディーが頭の中で鳴り響いていた。
2011年09月03日
9月3日の夢(ランチ)
レストランへ行く。ランチボックスを買って、外で食べようと思う。カウンターの上には工場の自動製造ラインのような三本のレールがある。その上をすべってくるのはランチのトレイで、豆サラダなどが幾皿か載っている。どうやらテイクアウトはできそうにない。ちょうど目の前にすべってきたトレイを、店内で食べようと思う。「それ、いいですか?」と和服を着た配膳のおばさんに言うと、「いいですよ。これにワインがつくんですが、後で係の者がお席までお持ちしますから」との答え。ぼくはそのトレイを持って、席を探す。座りたいと思った一人用のテーブルはあいにく掃除中だ。相席を避けて、ぼくはカウンターに向かう一人席へと向かう。
2011年09月02日
9月2日の夢(バス料金)
バスから降車しようとして、料金箱に料金を入れようとする。料金は「飲んでいるすべての薬」だという。料金箱は上下2段で、両方とも白いガーゼが敷かれている。「どちらに薬を入れればいいの?」と尋ねると、「上段だ」という。答えたのは外国人の男性だ。彼がこのバスの運転手なのだろうか。ぼくはポケットからありったけの薬をつまみだして、まとめて料金機に放り込む。薬だけのつもりがコインやお菓子や玩具のようなものもあって、それを選り分けて取り出すのが大変だ。
2011年09月01日
9月1日の夢(ぼくと姉と兄と)
ぼくは古い館のようなお屋敷に住むことになった。ぼくには姉がいて、彼女はまだ少女である。母親はぼくらに「お留守番をしていなさい」と言ったまま、どこかへ出かけてしまい、ぼくらは夜も子供たちだけで留守番をする。トイレに入ろうとすると、電気が切れていて真っ暗だ。
そんな館の部屋の中で一人の若い男がむっくりと起き上がった。彼はぼくの兄だと自己紹介する。そして「母に自分はいないことにされていたので、今まで隠れていたのだ」と言う。彼は見たところ完全におとなだが、少女にしか見えない姉の弟にあたるそうだ。そして、彼はぼくに「話を聞いてほしい」と言う。ぼくたちは話をするためソファーに腰かけたいが、ソファーは部屋から少し離れた廊下にしかない。いや、部屋の中にもあるにはあるのだが、そこには母の置いて行ったままの荷物があって、座れないのだ。
ぼくはいつのまにか帰っていた母親に文句を言い、荷物を退けてもらう。
2011年08月31日
8月31日の夢(休日出勤)
会社に休日出勤する。最初出社しているのは数人だったが、やがてぼくの所属する課はほぼ全員が揃う。デスクの前の椅子は三人掛けなので、とても窮屈だ。女性社員が連弾する予定のピアノ曲の自分のパートを練習したいので、楽譜はあるかとぼくに尋ねる。ぼくは「あるよ」と言って、捜し始めるが、実際は子供用に編曲された簡単な楽譜しかないことが分かっている。彼女がこの楽譜で満足してくれるかどうか心配だ。
会社の外に出る。まるで俳優のようにイケメン男性の同僚とばったり会う。ぼくはこのまま直帰しようと思っていたので、「じゃあね」と彼に手を振って別れを告げる。彼が「どこへ行くの?」と尋ねるので、ぼくは曖昧に「高崎へ」と言う。
2011年08月30日
8月30日の夢(編集委員)
NくんがP誌の編集委員になった。彼の最初の仕事は郊外の崖下にある空き地に、杭を打って建ち並ぶ看板広告の文字をすべて書き写して、原稿にすることだ。
P誌の編集が始まる。ベテランのSさんをはじめ、皆てきぱきと仕事が早い。あっという間にすべての原稿が出来上がり、ぼくはそれを積み重ねて束にしたものをデザイナーのS氏のところへ運んでいく。
2011年08月29日
8月29日の昼寝の夢
女性詩人のAさんと喫茶店を出ようとする。テーブルの上のガスコンロの火が点けっぱなしだったので、「消しておこう」とぼくがコックをひねる。ところが元栓が別にあって、それを止めないとダメらしい。おろおろしているうちにあちこちから炎が噴き出し、ますます火が燃え盛ってくる。
2011年08月27日
8月27日の夢(二人羽織)
新橋から電車に乗ろうとする。ホームの反対側に来た快速電車の方が早く着きそうだ。乗り換えようとしたが、大阪・名古屋方面と書いてあるから、どうも反対方向のようだ。元の側の電車に戻ろうとしたとたん、ドアの前に乗客の行列が出ているのにもかかわらず、電車は出てしまった。
しかたなく、次の電車を待つことにする。ホームの一段下に、何人かの乗客が大の字になって寝ている。一人だけものすごく巨大な紺色の着物を着た人がいる。よく見ると、袖も二つで、足も二本しか出ていないのに、顔が二つある。二つともお相撲さんの顔だ。二人羽織であるらしい。
会社が引っ越した。退出しようと思うが、フロアはものすごい散らかりようで、タイムカードの機械がどこにあるのかさえ分からない。
ぼくはもう足が立たず、電動車いすに乗って丘の頂上へ登って行く。絵のように美しく、春霞のかかった風景。頂上には白い花の咲く木があり、詩人のK氏が奥さんとともにその花を眺めている。ぼくは電動車いすが丘の向こうへ勢い余って転落してしまわないかと、注意深く運転する。うまく頂上を通り越し、ゆっくりと反対斜面へ降りることができた。
2011年08月25日
8月24日の夢(第二の財布)
未来の世界へタイムトリップする。若者たちに「みんな長寿なんでしょ? きみたちはどのくらい生きてるの?」とマイクを向けると、「ええ、まあ200年くらい」と答えるので、びっくりする。
本屋へ行く。とても美しい画集が片隅に平積みしてあり、大好きになって、買うことにする。手に取ってよく見ると、一つの山に積まれているのに、3種類の画集があり、ぼくが欲しいのはそのうちの一つだけだ。カウンターには人けがなく、奥からイラストレーターのA・I氏の声が聞こえる。かたわらにU氏がやってきて、「お金はここへ置くよ」と声をかけて、さっさと本を買って行った。ぼくもその画集の定価2044円を、いつもの財布ではなく、第二の財布から出して払おうとする。第二の財布にはぎっしりといろんなお札やコインが詰まっていて、なかなか取り出せない。
2011年08月22日
8月22日の夢(取材で大騒動)
関西に近いローカルな町にはるばるクルーを率いて、取材に行く。その地を代表する電気店の取材である。
まず訪ねたのは本社。ここは新幹線を降りてすぐの便利な市街地にある。若社長に挨拶することにしたのだが、彼は忙しくてなかなか会ってくれない。やっと会える順番が来たとき、クルーはどこかへ散らばってしまっていて、ぼくだけが彼の執務室に入る。しかし、ぼくは既に退職してしまっているから、会社の名刺がない。「今名刺を切らしていて」とウソをつこうかと思うが、「昨年フリーになったので、個人の名刺ですが」と本当のことを言って、名刺交換をする。
さあ。今度はいよいよ店舗の取材だ。それからまた長時間待たされたあげく、ようやくお店への訪問許可が出た。
みんな電車に乗り込むが、ホームの柱と電車のドアの間が僅かしかすきまがない。クルーのみんなはなんとか乗車したが、ぼくは体がつかえて乗りこめないうち電車は発車してしまった。しかたなく、ぼくは徒歩で行くことにし、雪の積もった山の上を疾走する。すぐ近くだと思ったのに、随分遠い。はるか遠くの下方に火山湖の水面が見える。
ようやく商店街に着き、地下のアーケードに入る。電気屋だからすぐ見つかるはずと思うのに、電気店は見当たらない。地上に出て、駅のホームのような場所を渡ろうとすると、突如地面の一部がせり上がりの舞台のように空中に持ちあがる。慌てて飛び退くと、今度はそちら側がぐーっと沈み込む。エレベーターになっているらしい。ぼくはその間を係員の制止も聞かずに走り抜ける。今度は橋があった。そこを一人で渡ろうとすると、周りに人々が並んでいる。これから橋の開通式で、まだ渡ってはいけないのだ。また制止されるが「急いでいるので」と走り抜ける。しかし、まだペンキ塗りたてで、ペンキだらけになってしまう。やっと取材現場に到着。
クルーのメンバーである女性ライターが困っている。取材契約書に印鑑を押さなければいけないと、相手のネクタイ姿の男に言われたのだが、三文判しか持ち合わせがないと言う。ぼくだって、印鑑なんて持参していない。
そんなこんなで大騒動のあと、帰る準備のため、デスクの上のガラクタを集めて捨てようとしていると、カメラマンたちが「お疲れさま」と帰ってしまおうとする。あれ、ぼくを置いていくの? でも、ここからなら車で帰るより、新幹線で帰る方が早そうだ。
2011年08月21日
8月21日の夢(屋敷迷路)
大きなお屋敷に滞在している。便意を催し、上品な和服姿の女主人にトイレへ案内してもらう。そこは畳敷きの普通の和室で、周囲から丸見えである。とにかく用便をすませ、拭こうとすると紙がない。そばに落ちている紙には誰かの精液がついており、不潔でとても使えない。女主人を呼ぶと、数枚の和紙を用意してくれた。有難いが、あまりに少なくて不安だ。おまけに拭うと、大量の軟便が付着する。うわー。とても拭ききれないぞ。終わって手を洗おうとするが、案内された手洗い場には石鹸もない。
そこから一人で元の部屋に戻ろうとするが、迷ってしまった。男の学生が二人で話し合っている部屋へ入り込んでしまったり、美しい日本庭園へ出てしまったり、気がつくと港のドックだったり・・・。「この家は二つ玄関があるから分かりにくいのよね」と女性たちに冷笑されてしまう。
ようやく元の玄関に案内され、外へ出ようとするが、今は真冬なのに着てきたはずのコートがない。不思議なデザインのコートを借り、タクシーに乗るが、どこかで無意識に降りてしまったらしく、街の中を道に迷う。さんざん歩いたあげく、気がつくと元の屋敷に戻ってしまっている。なんとかして帰ろうと思うが、またもやどうしても玄関が見つからない。
2011年08月16日
8月16日の夢(教室バス)
大学の教室の最前列の椅子に荷物を2つ置き、自分の座る席を確保したつもりで、別の学生と立ち話している。そこへ後から来た学生がやってきて、ぼくの荷物を無視してちゃっかり座ってしまった。先生が入ってきたので、しかたなくぼくは「じゃあ、荷物取るね」と言って、自分の荷物を持ち、別の席を探しに行く。後から来た学生は黙ってうなずいただけだ。
教室の壁際に少し高くなった席が一列ある。とても狭いが、もうそこしか空いていないようだ。その周囲に座っていた女子学生は「座るの?」と、なんだか迷惑そう。ぼくは無理やり隙間をこじあけるようにして、そこに座る。
すると、教室はバスになって、市街へと出ていく。この教室も街も世界も何の理由もなく存在していて、この世界には意味なんてないのだということを、ぼくは悟る。
2011年08月14日
8月14日の夢(夕日に石)
夕方である。坂道に一面ツタのような植物が生い茂っている。ぼくは先生と一緒で、先生が道ではない斜面を先に立って降りていく。ぼくは後ろから「石を投げますよ」と叫んで、石を先生に向かって投げる。石は先生には当たらなかったが、何かに当たったようだ。空がバチッと鳴って暗くなる。どうも夕日を壊してしまったらしい。ぼくと先生とはツタの上を滑るようにして、坂道を駆け下りていく。
2011年08月13日
8月13日の夢(気球でやってくる人)
夜、名古屋の栄町あたりを歩いていると、U氏とばったり会う。「もうすぐIさんがこのあたりに気球で着陸しますよ」と言う。それなら彼女を迎えに行かなければならない。腕時計を見ると、もう夜の9時近い。今日も帰宅が遅くなってしまうな。
その前にこのあたりのビルにある印刷所に雑誌の入稿をしようと思い、ビルの階段を降りていくが、見つからない。もう倒産してしまったのだろうか。そこへN氏が階段を登ってきた。ということは気球が着陸したのだ。「Iさんは?」と意気込んで尋ねると、「自分一人でまとめられるレポートばかりなので、もう家へ帰ったよ」と言う。そして、あいかわらずのポーカーフェースのまま、男たちでごったがえすバーのカウンターのような場所に、着陸手続きのため行ってしまう。
今日もIさんには会えないのだなと思い、ひとりなおも印刷所を探してビルの階段を、ぐるぐると反時計回りに降りていく。しかし、見つけることはできない。
2011年08月12日
8月12日の夢(犯罪都市)
ぼくはバスに乗って、山へ登って行く。山には麓からてっぺんまで沢山のビルが斜面にしがみつくように建ち並んでいる。ここはアメリカでも有名な無法地帯で、山全体がギャング組織に統治されている犯罪都市だ。そこには白人から有色人種まで、沢山の刑事たちが潜入しており、ぼくもその一人である。
新しく潜入した刑事グループが何気ない顔をして、一つの箱を置いていく。その蓋をやはり何食わぬ顔で取ると、蓋の裏に新たな指令が書かれている。ぼくはこの街で一人の女性シンガーのインタビューを二回したことがあり、今回はその弟に話を聞くことになる。
弟はぼくのインタビューメモがみみずの這うような文字で記されたノートを見て、いろいろコメントしてくれる。ノートの上部に何か緑色の染みがついており、彼はその染みにペンでバツ印をつける。
ぼくは彼にノートの文字を指さし、「この言葉の意味がわからないんだ」と話しかける。彼は「それはこの国で作られた交響曲の名前だよ」と答える。「ああそうか。この曲はお姉さんの作曲じゃなかったんだ」とぼく。そうしたやりとりを、かたわらで男が無言で見守っている。どうやら二回のインタビューのうち、前回のものだけで十分だったようだ。
ぼくは休憩のため寝転び、テレビを見ている。ちょうど反対側に同僚のOさんが寝転んで、文庫本を読んでいる。ぼくらは偶然、顔をつきあわせて寝ているかっこうになり、はた目には恋人のように見えてしまうかもしれないなあと思う。
2011年08月10日
8月10日の夢(蒸気機関オーケストラ)
小規模編成のオーケストラが佐渡裕のような指揮者のもとでブラームスの交響曲を演奏している。管楽器が鳴ると、その前に置かれた蒸気機関から水蒸気がすごい勢いでブアーッと噴き出す。会場内の湿度を保つためなのか、それとも別の意図があるのだろうか。シンフォニーの背後にたえず蒸気機関の重低音が鳴り響き、実に迫力がある。
2011年08月09日
8月9日の夢(ガイガー病)
ガイガーという病気が流行している。これにかかると、今までのどんな病気よりも痩せ衰えてしまう。ということはダイエットにはとても好都合だ。
8月8日の夢(N氏の詩を贋作する)
人気詩人のN氏から手紙が来た。「ぼくの詩を贋作してみてください」と言って、書くべき詩の梗概が書かれている。途中で酷暑と極寒について対比をする部分があり、ここは何行も使いたいので、ネットで検索して調べて書くようにという指示だ。
その手紙を持って会社に行く。N氏も出社しているが、話すチャンスはない。だが、ぼくはN氏からそういう依頼を受けたことが嬉しく、見せびらかすつもりで自分のデスクの上に、その手紙をわざと開いて置く。
それから「プレイボーイ」誌を持ってトイレに行く。スリッパに履き替えようと思うのだが、スリッパがビニール袋に入れてあり、これではトイレに入れない。あきらめようとすると、突然トイレの中に掃除のおばさんが出現した。彼女が脱ぎ捨てたスリッパをはいて、ぼくはトイレに入る。だが、なんと汚いトイレだろう。便器は上まであふれるまで大便が詰まっている。それでも、足の踏み場さえあればと思うが、よく見ると床にも大便があふれている。驚いて、その上に「プレイボーイ」誌を落としてしまった。
8月7日の夢(電車の中のレンガ)
会社から定時に退社し、山手線に乗る。しかし、反対回りの電車に乗り間違えたことに気づき、ある駅で降りて、ホームの反対側の電車に乗り直す。短い編成なので、ドアから人がはみだすほどの超満員だ。あきらめて乗らない人たちも多いが、ぼくは無理をしてドアに体をねじ込む。すると、不思議なことに車内はがらがらである。奥に入っていくと、床に一個のレンガが置かれている。ぼくはそれを持って、ある駅で降りて、ホームの壁際に置く。そのとき初めて、間違えて快速電車に乗ってしまったことに気づく。乗換駅を通り越して、五反田まで来てしまった。腕時計を見る。これではまた家に帰るのが遅くなるなあと思う。
そこへ二人の女性詩人が現れる。一人は人気者のHさんだ。彼女はさっきのレンガに似た正方形の物体を手にしている。この物体の光に当たると詩が書けるのだが、彼女はそれをぼくの足に押し当ててくれた。熱い! しかし、おかげでぼくはとてもいい詩を書くことができた。
8月5日の夢(研究会)
今日は研究会の日である。畳敷きのそんなに広くない部屋に、白い座布団がいくつも並んでいる。ぼくの席はいつもと同じらしく、前列中央の座布団の上にぼくが寝るときに使う掛布団が置いてある。しかし、いつもはそこにあるはずのまっさらな研究作品のテキストがない。隣はと見ると、女性詩人のWさんの席らしい。そこにはテキストが置いてあるので、ぱらぱらとめくってみる。初めて参加する「あさみ」というハンドルネームじみた名前の作者の詩がある。連ごとに「一、二、三、四」と漢字で番号がふってあるから、まるで歌謡曲の歌詞だ。やれやれ。とんだ新入会員が飛び込んだものだが、しかたがないだろう。さらにページをめくると、明らかに小学生とわかる稚拙な文字の作品がいくつも並んでいる。皆、あさみさんが連れてきたものらしい。今日の研究会は大変なことになりそうだ。
2011年08月02日
8月2日の夢(新幹線で取材)
ピアノレスナーの取材をすることになる。もうとっくに退職したはずなのに、なぜぼくはこんなことをしているのだろう。しかも、ここは疾走する新幹線の車内だ。相手は2人の若い女性で、1人がレスナー、もう1人はその助手だという。ぼくはまだ挨拶もしていないことに気づき、名刺を探すが、ポケットから出てくるのは汚れたり、水に塗れたものばかり。どうしても1枚しかまともな名刺は見つからない。
新幹線はスピードを出しているためか、大揺れに揺れる。だが、有難いことに、レスナーは予めインタビューの答えをメモ書きしてくれていた。これをコピーさせてもらい、アレンジすればぼくの取材は完了したことになる。しかし、うっかりしてカメラマンの手配を忘れていた。カメラマンの派遣を、同僚である詩人のN氏に頼む。彼は携帯電話に記憶されている暗証番号がもし変わっていたらどうしようと、しきりに不安がる。
ぼくは列車の各号車に散らばってしまった取材資料を回収しながら前方の車両に向かう。ついに先頭車両に着いた。そこにある資料を手に取ろうとすると、今は社長になっている後輩のUくんが「あっ、それはぼくのものですよ」と言う。しかし、その間にもいろんな袋からさらに多くの資料がこぼれ出してしまい、ますます収拾がつかなくなっていく。
2011年07月29日
7月29日の夢(猫の生首)
会社のぼくの隣のデスクに若い男性新入社員が入った。ぼくらの席の周りの書棚は本や資料、書類などでいっぱいである。仕事に熱中していて、ふと時計を見ると、もう12時40分だ。とっくにお昼休みではないか。誰も席を立つ人はいないが、ぼくは一人、足の踏み場もなくごったがえすオフィスから外に出ようとする。廊下との境目にドアはないものの、床に女性社員たちが何人も座り込んでいて、話しながら仕事をしている。彼女たちを踏み越えるようにして、廊下に出る。
トイレに行きたいが、どうせトイレは満員だろう。ぼくは廊下の真ん中に寝転がって、そのまま用を足そうとするが、これでは自分がぬれねずみになってしまう。中止して、男子トイレのドアをあける。案の定、中は男性でいっぱいだ。中には自転車に乗ったまま、用を足しているやつもいる。
外に出ると、公園がある。その周囲の柵を労務者たちが工事している。外周通りでは不良少年たちが車をバックさせていて、あやうく労務者たちの作った柵に接触しそうになり、はらはらする。少年たちは車の後部から大量のゴミを道路におろす。選定した木の枝の中に沢山の猫の生首が混じっている。誰かにだまされて、こんなものを積み込まされてきたらしい。
2011年07月25日
7月25日の夢(副担任)
仙台から船に乗り、学校に副担任として赴任する。授業開始の時間になり、ぼくは教室の後ろで待ち受けるが、生徒たちがやってこない。どうしたのだろう?
ようやくやってきた少年たちと床に寝転んで会話をする。こうすることで生徒たちと信頼関係ができ、クラスのいろいろな問題を知ることができる。
さて、これはすべて映画の中の話で、ぼくたちはその映画を今セットで撮影中なのだ。しかし、外の様子を見ると、ここは屋内ではない。わざわざ学校のオープンセットを作ったのだろうか。
生徒たちにそう質問すると、彼らは「違う」と言う。どうやらCGを使っているらしい。
皆でバスに乗り、仙台に戻ることになる。ぼくは後方の席に座った。ほぼ中央の席に女性詩人のIさんが誰か男性と並んで座っている。彼女にぼくが声をかけると、「今日は一色さんはそこにいてくださいね」と言う。
雪が降ってきた。だがよく見ると、映画の降雪用に作られた化学物質で、集めて固めると一枚のお餅のようになる。詩人のA氏と、それを使って広場で遊ぶ。
「バスが出発するよ」という声がする。見ると、随分遠くの広場の出口にバスがすべりこんできた。置いて行かれてはかなわない。ぼくはパンツ一枚だったので、大慌てでTシャツを着て、ズボンをはこうとする。だが、バスに乗り遅れないことの方が大切なのだから、全部着なくてもいいと思い直す。
2011年07月20日
7月20日の夢(線路の向こうへ)
詩人のA氏と山手線に乗っている。ドアのところで床に腰をおろし、ぼくは疾走する車内から外に両足をぶらぶら垂らしている。しかし、さすがに危険なので、引っ込める。A氏が「あの本の名前は何でしたっけねえ。木曜日にTさんがニューヨークへ行かれるので、向こうで評判を聞いてこられるそうですよ」と言う。振り向くと詩人のT氏も同乗していたのだった。A氏は「じゃあ、Tさんがお帰りになったら日曜日にその報告を聞きましょう」と勝手に決めてしまう。ぼくは土曜日が研究会なのに、連続で出かけるのはつらいなあと、ちょっと不満に思う。T氏はひとことも言わず、いつもの温和な笑顔のまま、次の駅で降りていった。
ぼくはこれから編集部に出社するのだ。それまでにアンケートに答えなければいけない。ちょうど編集部の持ち物であるオフィスがあるので、そこへ入ってデスクに向かう。そこはめったにぼくらが使わないため、他社の若い社員たちがにぎやかに談笑しているが、ぼくらの所有物であるのは間違いないので、構わず最後までアンケートの解答欄を埋めていく。
二階にあったそのオフィスを出て、下の通りでタクシーをひろう。ふとリアウィンドウから後ろを見ると、他の車とトラブルを起こした男が刃物を振り回している。男はぼくの乗ったタクシーに手を伸ばし、乗り移ろうとする。「危ない!」 運転手はとっさの判断でアクセルを踏み、なんとか男の追跡を振り切る。ちょっとしたカーチェイスだ。
タクシーを降り、高田馬場駅で電車を待っていると、男が「お宅の出版物は・・・」と因縁をつけてくる。なんとか男を説得して、誤解をとき、ぼくはまたタクシーに乗り込む。
ところが走り出してしばらくして、ぼくは運転手に誤った行き先を告げたことに気づいた。「すみません。ぼく今、どこへ行ってくれと言いましたか?」「東京のツキへとおっしゃいましたよ」「えー、間違いました。早稲田へ行ってください!」
タクシーはしかたなくUターンして、早稲田へ向かう。また大きな戦争があったのだろう。街並みは焼け焦げ、古びている。ちんちん電車が走り、なぜか時代が退化しているようだ。「どのあたりですか?」と運転手に問われ、「もう何年も来てないから、わからないな」とぼくは答えて、車を降りる。「あの線路の向こうがそうですよ。でも今はナショナルの人たちに封鎖されていて渡れません。でも、ちょうど今はお昼です。この時間に鎖が解かれますから、その間に線路を渡ってください」と運転手は教えてくれる。広場に白いシャツを着たナショナルの社員たちが現れ、境界線に張り渡した鎖をほどいた。ぼくはその間にこっそりと線路を向こう側へ渡った。
2011年07月19日
7月19日の夢(都知事になる)
ぼくは東京都知事になり、自然と共生する都市を目指す。そのシンボルとしてマケピチュを使うことになる。ぼくはそれはネパールの首都の名前だと思っていたのだが、古代マヤの首都の名前だった。
校正を印刷屋に返す作業をしている。校正は完璧にできたが、大きなカラーイラストを何枚も添えるのを忘れていた。印刷屋が来るまでにそろえることはできたものの、指定も何もしていない。印刷屋任せでそのまま渡してしまったことを後悔する。
もう夕方で、みんな珍しくさっさと退社しようとしている。ぼくも帰りたいが、クリップのようなものをどこかにしまおうと、両手に抱えてオフィスの中をうろうろする。デスクの引き出しとかあちこち探したあげく、これは紙袋に入れておくんだったと思い出す。その紙袋は壁際の片隅で見つかったが、両手がふさがっているため、袋を引っ張り出そうとしてもうまくいかない。
2011年07月18日
7月18日の夢(レストラン)
大きな通りの舗道を、用を足せる場所を探してうろうろしている。電柱や何かの物陰に隠れてできないかと思うものの、車や人の往来が激しくて無理だ。その間に、前を楽しそうに笑いさざめきながら行く女性たちは、ぼくからどんどん遠ざかっていく。
あきらめて見知らぬ男性とレストランに入り、テーブルにつく。ぼくと男性はリトルマガジンを作っているのだ。それを一冊150円で隣のテーブルの男性たちに売りつけようとする。そこへウェイターが料理のトレイを持って現れる。ぼくと男性はそれぞれ二品頼んだのだが、一品を各自二つずつ頼んだらしい。そのためテーブルの上が八つの料理でいっぱいになる。不器用なぼくは、料理の皿から出た液体で、雑誌の表紙を濡らしてしまった。男性は隣の男性たちに「あーあ、しょうがないな。お前たち、こいつを一冊150円で買え」と、さらに強要する。そして、「まずは俺が買うか」と言って、テーブルにコインを置く。しかたがない。ぼくも自分で買おうと思って、小銭入れをポケットから出す。たっぷりコインが入っている手触りがしたのに、開けてみると中から出てきたのは英単語カードのようなものばかりで、小銭は1枚もない。
2011年07月17日
7月16日の夢(総ガラス張りトイレ)
お屋敷の寝室の大きなベッドで寝ようとしている。同じベッドの隣に清楚な少女が寝ていて、話しているうちとてもいい雰囲気になる。だけど、その前にトイレに行きたい。
最初に行ったトイレは一人で満員である。別の大きなトイレに行く。ちょうどIくんが用を足して出てきた。ぼくは彼のスリッパとぼくのスリッパを交換しようとするが、彼はぼくにとりあわない。グランドピアノの下で、ぼくと彼は無言のままスリッパをとりあうが、結局ぼくは元のスリッパのままトイレに入る。
トイレは四方の壁が総ガラス張りだ。おまけに便器がない。壁の下の方に水たまりがあるのは、さっきIくんが用を足した場所なのだろう。トイレの外は笹がいっぱいに繁った山道で、そこを通勤通学から帰宅する男女が忙しそうに歩いている。壁に向かって用を足そうとするが、彼らの目の前でそれをするのは恥ずかしい。あちこち場所を変えてみるが、そのたびに目の前の道はますます人通りが激しくなる。ついに山道の一本がトイレの中に通じ、トイレの中も人々の交通が激しくなる。
2011年07月11日
7月11日の夢(取材依頼)
クライアントから二人のタレントの取材を依頼される。街角で携帯を使い、取材先の女優の所属する劇団の事務所に電話しようとしていると、マイミクの女性Sさんがやってきて、隣に座る。初対面だが、いきなり「今妊娠しているの」と告げられる。妊娠させた相手は人気詩人のN氏だという。「産む気があるの?」と彼女に言いつつ、資料を取り出し、ぼくは劇団の事務所に電話する。
マネージャーの女性は「一色さんから電話が来るのは分かっていました」といきなり言う。「でも、その人の写真も貸してくれというなら、ダメです。もう、そのお芝居も終わってしまいましたし」。断られるのは困る。なんとかして粘ろう。その女優の名前を呼ぼうとするが、思い出せない。慌てて資料を探すが、見当たらない。「もっと資料の紙があっただろ」と、Sを叱咤し、電話を地面に置いて、二人で探し回る。あった。携帯を手に取り、「もしもし」と言う。とっくに切れているかと思ったが、電話は切れていない。しかし、マネージャーはやはり「ダメです」としか言わない。しかたがない。「じゃあ、またの機会にお願いします」と言って、電話を切ろうとする。すると、マネージャーはとたんに声が心細そうになり、ぼくに電話を切らせたくない様子。「うーん、ほかにいい女優はいないですか」とぼくは言う。いつまでたっても電話は延々と終わりそうにない。
2011年07月10日
7月10日の夢(愛人面接)
某財団の事務所に行く。今日は理事長が新しく愛人として採用する女性の面接をしている。面接が続いている間に、その愛人候補の控室にこっそり入る。トレイに彼女のヌード写真が何枚も畳まれて置いてある。ぼくは情欲を刺激され、その写真を盗もうとするが、あいにく面接が終わって、理事長室から女性が出てきたようだ。ぼくは慌てて隣室に移るが、そこも別の愛人候補の控室だ。ロビーで男性と愛人候補が話している声がする。怪しまれないうちに逃げた方がいい。ぼくは部屋とロビーを隔てる暖簾をくぐって、「失礼しました」と小声で挨拶し、急いで玄関に出る。靴をつっかけようとするが、慌てているのでなかなか履けない。ドアを開けて、街をどんどん走って逃げる。大きな川にかかる橋を渡る。ここまで来れば、もう追っ手も来ないだろう。
7月9日の夢(朗読会)
ぼくと同期でS社に入った女性が朗読会を開くという。当日はあいにく行けそうにないが、別の日にぼくだけのために試演してくれるというので、妻と二人で聴きに行く。
最初はちゃんとステージの上で朗読していたが、上演中に電話がかかってきて、中座。戻ってきてからは、しんどいので、演る方も聴く方も床に寝転がることにする。彼女が寝返りをうつたびに、スカートの中がしどけない。しかし、彼女は朗読には手を抜かず、最後までしっかりと読み終わる。
終わって、時計を見ると夜の6時を過ぎている。ぼくはこれから浜松へ出張なのだが、泊まるホテルさえ決めていない。携帯でここから予約すれば、ホテルの電話番号も携帯に記録されるから便利だと思いつく。
明日もぼくは浜松に泊まりで、明後日はいよいよ彼女のステージの本番だ。しかし、ぼくが27歳で途中入社したとき、彼女は新卒だったとはいえ、あれから37年も経っているのだから、彼女自身随分いい年のはずではないか。なぜこんなに若々しく見えるのだろう? そういえば、このステージはもともとは原宿にある小学校の教室で、このクラスの担任は新鋭女性詩人のBさんなのだという。
東京の高架線を走る電車に乗っている。晴れた空が青くて美しい。電車は環状線らしくぐるぐると回るばかりで、ちっとも目的地に行きつかない。乗り間違えたのかもしれない。だが、なんて美しい景色だろう。
2011年07月04日
7月4日の夢(キュウリ)
現代詩ゼミナールの担当者として会場に行く。受付に女性詩人のSさんが座っている。まだ開演前なのでいったん席を外し、会場に戻るとSさんの姿がない。だが、それは勘違いで、Sさんは受付を90度角度を変えて、別の場所に設営したのだった。
どんどん会場には参加者が入ってくるが、一向に講演者が現れない。聴衆をかき分けてSさんのところへ行き、「今日は二人の詩人のどちらが先に話すの?」と尋ねると、「今、皆、隣の部屋で作戦会議をしていて、分からないのです」と言う。もう開演予定時間を10分以上過ぎているのに、困ったものだ。
と思っているうちに、皆いつのまにか会場に到着したらしく、女性詩人が痩せた司会者の男性詩人の質問に答える形で、最初の講演が始まった。しばらくやりとりをして、女性詩人はいったん着席するが、また立ち上がり、「私は特にキュウリが好きです」と言う。一体なぜ唐突にキュウリなのだろう? 同じ疑問を感じたらしく、司会者はマイクを持ったまま、会場の奥まで見に行くが、キュウリは見当たらないらしく、怪訝な顔で戻ってくる。ぼくは隣席の妻にパンフレットを見せる。妻は「どこにもキュウリなんてないのにね」と笑う。
2011年07月02日
7月2日の夢(2つの帽子)
出張からの帰途、新幹線に乗っているうち眠ってしまう。目が覚めると、いつのまにかぼくはホームの端に寝ていて、周囲をぞろぞろと人々が降りていく。ホームの端にいるせいか、駅名呼称もよく聞こえない。ここはまだ新横浜だろうかと、寝ぼけて考えるが、どうも東京駅のようだ。慌てて起き上がる。ホームにはぼくの荷物もある。隣で転寝していたおじさんも慌てて起き上がり、降車するようだ。ぼくは帽子を2つ手にしていて、一つをかぶり、一つをカバンにしまう。荷物を持って、階段を降りる。
2011年07月01日
黄金まわしの相撲取り
マンションの自室に黄金色のまわしをしめた相撲取りがいる。彼は手にした包丁で自分の腹をめった刺しにし、血だらけで床に倒れる。ぼくは相撲取りが暴れて、ぼくを刺すのではないかと恐れ、慌てて部屋を飛び出す。途中、男と女が一人ずつ加わり、三人でパニックになって階段を駆け下りる。遠くへ逃げ去ろうかと一瞬思うが、それより沢山の人のいるマンションの管理室が安全と判断し、そこに駆け込む。そこには多くの人々がいる。ぼくは恐怖にかられ、四方の窓をたえず監視し続けるが、相撲取りはやってこないようだ。そのうち男と女はいなくなり、ぼくは一人で管理室にこもり続ける。
2011年06月28日
6月28日の夢(パソコン盗難)
職場中が忙しい仕事に追われている。ぼくのデスクのある列の右端は上司の席だが、そこには誰もおらず、その周囲、つまりぼくの右側は人けがない。一方、左側は戦場のような忙しさだ。ぼくもここで泊まり込みで仕事をしているのだが、実は妻にも小さな子供にも行き先を告げずに、来てしまった。自分が必要とされているのだから、しかたがないと思ったのだ。経営者の老人がチームのメンバーを集めて檄を飛ばした後、急に思いついて全員の紹介をするという。一人一人名前を呼ばれたのに、ぼくの名前は呼ばれず、妻の名前が呼ばれる。驚いて「それはぼくの妻ですが」と言う。そういえば、招集されたメンバー表の中に妻の名もあったのだが、間違いだろうと思って、気にしなかったのだ。だが、本当にここで必要とされているのは、ぼくではなく、妻の方だったのだ。
デスクに戻ると、さっきまで使っていたぼくのパソコンがない。パソコンがなければ仕事も続けられない。別の部屋へ探しに行き、再び戻ると、デスクの上にそれらしいパソコンがある。だが、別のプロジェクトチームが開発したシステムの実証試験にそれを使っている。よく見ると、ぼくのパソコンではない気もする。作業を終わり、急いで撤収しようとするメンバーの一人の袖を必死でつかみ、「もう一度確認しますが、このパソコンはぼくのものではありませんよね」と言う。もちろん彼らは冷たく否定する。パソコンを奪われてしまったら、ぼくには手も足も出ない。こんなひどい目に遭うなら、もう仕事をやめてしまおうかと悲しくなる。でも、同じような境遇にある人も沢山いるはずなのだ。ここであきらめてはいけない。頑張らなきゃダメだと思う。
2011年06月27日
6月27日の夢(黄金のトイレ・金色のパンツ)
レポーターのぼくはマイクを手に、カメラクルーを従えて新しくできたスタジオの中をレポートしていく。スタジオの中は黄金一色である。まっすぐに続く廊下の手すりを乗り越え、さっと下に飛び降りると、そこは黄金のトイレだ。だが、トイレの中には大小のテーブルが喫茶店のように置かれていて、沢山の人たちが椅子に座り、おしゃべりを楽しんでいる。ここはトイレなのだから壁に向かって用を足せばいいのだが、これではあんまりだろう。それに、夢ではしばしばこんなふうにトイレじゃない場所をトイレと思い込まされることがある。だまされてはいけない。ちゃんと「トイレ」と壁に記された部屋を探さなければいけない。さらに歩いていくと、まさに「トイレ」と書かれた部屋を見つけた。早速ドアを開けて中に入るが、どうやらここも違うようだ。中にいたタレントらしい男に「黄金のパンツはありますか?」と声をかける。それはレポーターとしてのぼくの役目だから。男は「さあ、今年は衣装部は買ってくれたかなあ」と首をかしげつつ、奥へ探しに行く。だが、すぐに出てきて、「やっぱりなかった」と言う。
2011年06月24日
6月24日の夢(大雪)
ランチに色紙を食べようとする。しかし、手に取ると氷のように冷たくて、持っていられない。かわりにYさんのA4判の原稿を持つが、これも冷たくて食べられない。
家の外に出る。大雪で純白の雪に自動車が半分埋まっている。新雪を踏んで、車の上にも駆け上がりたいと思うが、あまりに子供っぽいのでやめる。かわりに道路の方へ新雪を踏んで歩いていく。ぼくが初めて足跡をつけるのだ。
2011年06月23日
6月23日の夢(お椀)
夢友だちの映像作家N夫妻が突然、ぼくの会社を訪ねてくれた。二人ともあか抜けた茶色の服に身を包み、元気そうだ。ぼくが遠慮がちに「まだ上映会とかやっているの?」と尋ねると、「全然。でも、子供のためにはこれていいのだ」と言いつつ、案内ハガキのようなものを沢山手渡してくれる。えっ、二人に子供ができたのか・・といぶかしみつつ、ハガキを手に取る。ハガキの間に1個だけ木製のお椀が入っている。ぼくはさりげなく、そのお椀をかたわらの棚に置いて、ハガキを眺める。
2011年06月22日
6月22日の夢(居場所がない)
みんなが海の島に旅立ってしまった。ぼくもそこへ行くことにする。しかし、行ってみると、海岸までぎっしり建った旅館は満員らしく、ぼくの泊まる場所はないかもしれない。
息子も島へ行ってしまったので、いない留守に息子の部屋を妻と掃除することにする。なぜか掃除機ではなく、塵取りに箒。床にガムテープがいくつもこびりついていて、とることができない。この部屋はモダンなマンションの一つの部屋を無理やり半分に分けたもののようだ。壁は曲線を描いていて、もともとは全面透明ガラスだったところへ、わざわざ壁紙を貼って、外からの視線を遮るようにしている。
2011年06月21日
6月21日の夢(花の祭)
街角のラーメン屋のような店のテーブルで仕事をしている。何かのイベントの準備をしているのだ。ぼくが来るより前から一人の外国人の男性がデスクワークをしており、ぼくの後からもさらに若い外国人の男性がやってきて加わる。その男性が「交代でトイレへ行く?」と尋ねる。まず最初からいた男性がトイレに行き、彼と入れ違いにもう一人の男性がトイレに行く。ぼくの番だなと思った瞬間、「花の祭を忘れた!」という男性の大声がして、ぼくは目を覚ました。
2011年06月19日
6月19日の夢(新しい妻と家)
ぼくに新しい家と妻ができた。妻は大金持ちで会社の社長らしく、ぼくは遊んで暮らしていける。7時半に一人で起きて、とりあえず髭を剃るが、あとはすることがない。妙に暗い部屋だ。
そこへ社員たちが続々出勤してくる。ぼくの寝室は妻の会社のオフィスでもあるのだ。なにか気が休まらない。天井から本を読む機械がするする降りてくる。自分で本を手に持たなくても、その機械に任せればいいのだが、ゆらゆら揺れて勝手が悪い。それでもその機械で読書していると、妻もやってきて、「あら、それを使っているの?」と笑われてしまう。
この部屋にはやばい生き物が住んでいる。床の上を体長30センチもある巨大な青虫が通り過ぎ、どこかに隠れる。ビルの外に出てみると、その壁を巨大な青虫やほかのやばい生き物の模型が登ったり降りたりしている。
2011年06月17日
6月16日の夢(舩の上のコンクール)
港に係留された豪華客船を舞台に行われるピアノコンクールに取材に行く。あれ? ぼくはもう退職して、取材に行かなくてもいいのではなかったか。とにかく船に乗らなくてはいけないのだが、毎年乗船のしかたがわからず、甲板から埠頭につながれているロープをつたって、ターザンのように這い上ることにしている。今回もそうしようとしたが、ロープをよじのぼることができず、ゆらゆら揺れているところを、歩いてきた青年に見とがめられてしまう。青年に事情を話し、改めて見直すと船にかかった乗船用の屋根付き階段が目に入る。試しに上ってみると、ちゃんとコンクールの会場に出られた。今年は友人のピアニストTさんが出場する。ピンクのドレス姿が美しい。コンクールはテレビ中継されていて、コマーシャルで中断される。だが、そのコマーシャルの中でも彼女が出ているので驚くが、よく見るとピンクの服を着た別人だった。さて、本物のTさんを見ると、ドレスの胸元からどきどきするほど中が見えてしまう。彼女に注意してあげようとするが、よく見るとそれも錯覚だった。もう取材も終わり、船を降りてよいのだが、少しでも彼女のそばにとどまっていたいと思う。
2011年06月13日
6月13日の夢(青い服の少女)
会社から外出したいと思うが、着ていくおしゃれな服がない。しかし、棚にちょうどいいシャツを見つける。これでかっこよく街に出られる。
オフィスで自分の席から振り返り、後ろの席にいる少女にお説教をする。「きみの服は広辞苑という辞書の表紙に風合いが似ているね。もっとも今は電子辞書の時代だから、そんなもの見る機会はないかもしれないが」。少女は上下とも本当に広辞苑そっくりの青い服を着ているのだ。だが、もう一度後ろを振り返ると、少女の姿はない。幻影だったのだろうか。
今日は会社の総会がある日だ、ということを街を歩いていて、急に思い出した。総会の進行台本はぼくが書いたのだが、まだ手直しをする箇所があった気がする。どんどん走って、街区の終わり近くにあるビルに飛び込む。自信はないが、多分ぼくの会社はこのあたりにあったはずだと思いながら。二階に駆け上がると、既にぼくの台本で総会は始まっていた。議長をしているのはOさんで、どうやら何の問題もなさそうである。
2011年06月10日
6月10日の夢(雑魚寝の病室)
畳を敷いた部屋で、ぼくも妻も沢山の男女と共に雑魚寝している。多分、ぼくが病人で、妻が介護をしているのだが、逆かもしれない。あるいはその両方なのか。とにかく、ここにいるのは今にも死にそうな老人ばかりだ。隣の部屋から「院長を呼んでください」という悲鳴のような叫びが上がる。「この呼び出しのあと、もう呼び出すことはありませんから」と男性医師の声がしたのは、もう病人の死を覚悟したからだろう。「うーんうーん」という患者のうめき声も聞こえる。
ぼくの前に寝ていた老人が布団からがばっと半身を起こした。苦しいらしい。周囲の人々が「死ぬなよ」と声をかける。妻の後ろに寝ていた男性がどさくさにまぎれて、妻に寄りかかろうとしているように見える。「人の妻に手を出すな」と、ぼくは叫ぼうとするが、周囲の状況を考えて我慢する。
2011年06月06日
6月6日の夢(異星にて)
浜松へ社長の出張に同行する。社長は若くてかっこいい男性だ。ただ、行き先の工場まではかなりの距離があるのに、乗り物を使わず徒歩で行くのがちょっと問題。二人でしゃべりながら歩くうち、工場の昼休みが終わるぎりぎりにようやく到着した。ちょうど跨線橋の向こうのゲートへクライアントの◯◯さんが入ろうとしているのを、社長は目ざとく見つけたらしい。「つかまえなきゃ」と言って、脱兎のごとく駆け出した。しかし、ぼくには遠すぎてよく見えない。跨線橋へ上る斜面に旧知の背の高いカメラマンがぼくを見つけて手を振ってくれた。ぼくも振り返したが、今度は相手は無反応。
工場の中で、女性モデルを床に寝そべらせたポーズで撮影が始まった。ふざけて彼女がポーズをとると、カメラマンは「あっ、そのポーズがいいんじゃない?」とお世辞を言う。ぼくがちょっと鼻白んで振り返ると、白い経帷子のようなものがテーブルに置かれている。よく見ると五芒星の形をしている。誰かのお葬式かもしれないと、ぎょっとする。
ぼくらは銀河系の遠くの惑星へ探検隊として出かけたが、そこには異星の文明があり、ぼくらはその星の幼稚園のようなところに軟禁されてしまった。ここなら高い土の塀で四方を守られており、異星人たちの襲撃から守られるからだという。塀の切れ目からぼくは海を見つけ、「あれは海ですよね」と叫ぶ。
探検隊の中に同性愛の男性がいて、その男が異星人の少年を風呂場に連れ込んでいたずらをしたらしい。少年の母親が様子を見に行って発覚し、ぼくらは地球に送還されることになる。
2011年06月05日
6月5日の夢(湘南分室)
ぼくの会社には湘南分室がある。今日はそこに詰めていたが、暇なので午後1時頃もう退社しようと、靴を持って玄関に出たとたん、同僚に「どこへ行くの?」と声をかけられる。「仕事がないから本社へ戻るんだよ」とウソを言う。すると相手も「ぼくもそうしようか」と言うので、慌てる。ぼくは自宅へ帰ろうと思ったのだが、彼と一緒に本社へ戻った方がいいだろうか。
後ろから声をかけられ、ギクッとして振り返ると、いつのまにか白髪の男とも女とも分からない異形の者が畳の上に伏している。老詩人のT氏のようだ。「これを持っていきなさい」と渡されたのは、猫の毛で作られたブラシだった。しかたなく、ぼくはそれで自分の髪をとかす真似をする。
今度こそ本当に退社しようと、パソコンの電源を落とす。今はパソコンから離れた場所にある注射痕に貼る絆創膏ぐらいの大きさのリモートスイッチを押すだけですむから、とても便利だ。ところが隣席の同僚がパソコン本体を出してきて、それを付けたり消したりし始めた。パソコン本体といっても、それは昔のLPレコードのような形をしたものだ。その様子を他の社員たちも興味を持って見に集まってきた。これではまた帰れなくなるな。同僚が「このパソコン、誰の?」と言うので、しかたなく「ぼくの」と答える。
2011年06月03日
6月3日の夢(転居)
妻と大きなマンションに引っ越した。昨夜、いつものようにちゃんと家事を終えて寝たつもりなのに、朝起きてみると、どの部屋も洗っていない食器など、汚れものでいっぱいだ。こんな大きな家で新しい生活をやっていくのは、ぼくらには無理なのだろうか。妻も既に起きていて、「起きる時間も遅くなっちゃったわねえ」と言う。「いや、それは大丈夫でしょう」と、ぼくは答える。
2011年05月30日
5月30日の夢(引き出しの中の函)
もう会社を辞めるのだから、忙しい仕事が来るはずもないと思って、放置しておいた仕事が明日の提出だと分かり、慌てる。しかも雑誌広告が2つだ。慌ててコピーを書き、自分でラフを考える。登場してもらうミュージシャンに電話すると、相手は「メールします」と言うので、アドレスを教える。しかし、間違えて伝えてしまったことに気づく。
デスクの引き出しを開けると、奥に箱があった。なにげなく開けると、沢山ゴキブリが飛び出したので、慌てて閉めるが、何匹かは外に出てしまった。だが、隣の女性社員は気付かなかったらしい。
翌日はさぼって、午後の1時半に出社。ズボンのお尻で滑り台のようにして、斜面を滑り降りて、会社に向かう。途中、転げ落ちそうになるが、なんとか着地。らせん階段を上ると、階段の手すりをデスクがわりにして、何人かの社員が仕事をしている。遅刻を見とがめられず、なんとか自分のデスクにたどりつくことができた。
2011年05月29日
5月29日の夢(放射能汚染された東京)
女性詩人のWさんとレストランで食事をした。「今日はぼくがおごるよ」と言って、伝票をつかみ、レジへ向かう。彼女はハンドバッグに手を入れ、自分の分を払いそうな気配なので、それを制止する。
レジには二人の女性がいて、右の女性は先客の支払いを扱っている。左の女性がぼくににっこりと笑いかけるので、伝票を渡すと「30,000円です」と言う。えっ、そんなに高いのか! と、ぎょっとする。ぼくの公式の財布にはそんなにお金が入っていない。秘密の財布を取りだし、そこから5,000円札を何枚か出して、なんとか支払おうとする。ところが、肝心の伝票がどこかに消えてしまった。
ある女性社員のデスクで、その伝票は見つかった。レジの女性が「いいのよ。あなたのせいじゃないの。別の人が間違えて、ここに置いたのよね」と言うが、デスクの女性の目からみるみる涙があふれ出した。どうもぼくは彼女に恥をかかせるようなことを何かしでかしたらしい。
店を出て、雨の街を歩くうち、人波にまぎれてWさんを見失ってしまう。JRの千駄ヶ谷駅に向かうが、改札口にはロープが張られ、駅舎には人けがない。原発事故による放射能汚染で、首都の地上の鉄道はすべて動いていないのだ。地下鉄で帰ろうと思うが、どの駅からどの路線で帰ればよいのだろうか。
5月28日の夢(新入社員)
会社に新入社員の女性が入社した。営業のM氏は彼女にX社広報部の仕事を命じたらしい。だが、彼女は勝手が分からず、ぼくに質問をしてくる。これでは効率が上がらないと思い、M氏に「ぼくがその仕事はやった方がいいんじゃないの?」と提案する。彼は「X社の◯◯さんの仕事がもし紙の仕事だったら、一色さんが連絡してあげた方がいいと思うよ」と言う。では、◯◯さんに電話してみようと思うが、しばらく◯◯さんの仕事から離れていたので、デスクの周りに貼っておいたその人の電話番号を剥がしてしまっていた。それに新入社員の名前はそもそも何と言うのだっけ? 会社の新人用マニュアルを開いてみるが、古ぼけた資料ばかりで、彼女の名前は載っていない。
異民族との戦争が始まった。白い大きな箪笥が広場に置かれている。こんなものをここに置いては危険なのではないかと、ぼくは思うのだが、戦闘になったときは広場にこれがあった方が危なくないのだという。
2011年05月27日
5月27日の夢(工場迷路)
会社でマニュアルを作る仕事を命じられているのだが、他に仕事がない。暇なので、散らかったデスクの上の整理をしている。若い同僚が「東野川から来るやつはダメだな。ぼっちゃんばかりで」と話している。ぼくと同じ東野川から通勤している新入社員を話題にしているのだが、半分はぼくへの揶揄だろうと思う。
いたたまれなくなり、外に出る。道路の脇に同僚のOさんが立っているが、見上げるように背が高い。よく見ると、円筒形の台の上に立っているからだ。道の反対側に別の中年女性も台に乗って立っているが、Oさんの方がずっと背が高い。
いつのまにかOさんの姿がなくなり、ぼくはマニュアルを書く参考書を探しに街の書店へ向かう。だが入り込んだ建物は何かの工場で、どのドアを開けても、中では白い無菌服を着た女性たちが忙しく働いている。どこもが立ち入り禁止だ。書店はこの建物の一階かもしれないとエレベーターを探すが見当たらない。まるで迷路に迷い込んだみたいだ。
2011年05月23日
5月23日の夢(蓋の上に便座があるトイレ)
どこか地方にいる。そこで、ぼくは二人の少女に代わって、答を出してあげることになっている。あまり気が進まないが、答を出すと、二人はさっさとその答を荷造りしてしまう。
トイレへ行く。中では中年女性二人が立ち話をしている。便器は蓋が閉まっていて、その上に便座がついている。構わずそれに用を足そうとすると、女性たちに「蓋が閉まっていますよ」と厳しく注意されてしまう。
部屋に戻り、もう一人の少女に向けられた問いに、今度は妻が答えることになる。問いは「野球で審判の誤診のために二塁へ走者を進められなかった。その理由は?」というものだ。質問のニュアンスが微妙なので、妻に説明しようとするが、彼女は「ああ、それはこういうことね」と言い、ちゃんと理解しているようだ。
2011年05月22日
5月22日の夢(生きている死者)
謝罪文をぼくは書かなければならない。ぼくが失敗してしまったからだ。その失敗した食材を、ぼくは贖罪のため永遠に食べ続けなければならない。
テーブルの向こう側に何人かの男性が座り、その件で話をしている。真ん中で自分の好きなバンドの話をハスキーな大声で話し、笑い声を立てているのは随分昔に癌で亡くなったN氏だ。いかにもおじさん化しているが、確かにあれはN氏だ。生きていればこんなおじさんになってしまうのだ。
2011年05月20日
5月20日の夢(イベント)
イベントをやることになっているのだが、これは差別問題ともかかわるかなり危ういイベントだ。やはり参加しない方がよいのだろうか。そう思っていたら、突如心の中から湧き上がるものがあり、自分がどう対処すればよいのか分かった。無意識が教えてくれたのだ。これなら主体的に参加することができる。
2011年05月19日
5月19日の夢(震災支援ネット)
町田で震災被害者を支援する詩人の集いが開催されることになった。そこに出演する詩人たちの寄せ書きができるサイトがネットにできた。まるで大きな白板に文字を書くように、前後左右のスペースにみんな自由に詩やエッセーを書いている。「Sさんがまだだね」と話していると、彼女の長い詩の書き込みも始まった。一方、ぼくだけは皆にまじらず、一人だけ自分のブログを書き続けている。
2011年05月18日
5月18日の夢(空飛ぶ亀)
デパートで、妻が買い物をしているところに通りかかる。妻は何かを買うので、店員とのやりとりに夢中。その手前に楽器売り場があり、若い男性店員がぼくを呼び止め、二曲、歌のレッスンを勧める。いつも歌っている曲なので、喜んで応じる。高音はちゃんと出るのだが、どうしてもうまく歌えないフレーズがあり、切れ切れの歌になってしまう。
絵画売り場で、妻がニューヨークで買ってきた絵を鑑定してもらう。店員の答えは「これはニューヨークで買ってこられたんでしょ? だったら、まあいい絵なんじゃないですか?」 ということはあまりよくないということか。
ニューヨークにいる。踏切の手前だ。日差しが青空から燦々と降り注いでいる。片方の靴に羽虫がとまったので、もう片方の靴で叩くと、黒い泥がべったりとついてしまう。「亀って、どうして空を飛ぶの?」という声に驚いて、空を見上げる。本当だ。沢山の亀たちが風船のように空を飛んでいる。
2011年05月16日
5月15日の夢(眼の中の弾丸)
どうしても犯罪を繰り返してしまう少年がいる。その子を更生させようとするおばさんの努力にもかかわらず、また罪を犯してしまった少年を、刑罰として、おばさんはピストルで撃たねばならない。そういう決まりなのだ。少年はこんな自分に絶望して、射殺されたいと思う。一方、おばさんはできるだけ急所を外して撃ちたい。遂に弾丸が発射された。少年は瞼を指でひっくり返し、「眼の中に弾丸が入ってしまった」と訴える。おばさんは半泣きになって、「そこが一番安全な場所なのよ」と言う。
2011年05月14日
5月14日の夢(公開録音)
古い日本建築の一室で、ラジオの公開録音が始まった。ふだんは音楽を職業としていないタレントなどの著名人が十数人、畳の上で車座になり、みんなで楽器を演奏したり、楽しそうにトークしたりしている。ぼくはそのメンバーではないので、隣の部屋からそれを指をくわえて見ている。
公開録音が終わったあと、ぼくはうっかりそこにあったギターを持ち出してしまったことに気づき、返しにいく。すると、その部屋はもう観光客たちでいっぱいだ。玄関の土間から上がり、返したつもりだったが、それはギターではなく、箒だった。あれっ、ギターをどこへ忘れてきたのだろうと、見回すと、幸いなことに玄関にギターがあった。今度は靴をはいたまま、土間から手を伸ばして、ギターを以前楽器の置かれていた場所に返す。それは古くて、とても価値のあるギターなのだ。
その部屋の縁側に立って庭を見ていると、大きな葉っぱでできた四角い風呂敷が風で飛ばされてきた。手でつかまえて、よく見てみると、それにはポケットなどが縫い付けられており、自然のものではなく、明らかに人工的に作られたものだ。しばらく見ているが、手から離す。
気づくと、その部屋からある脚本家の名刺を何枚も持ってきてしまった。あの部屋に返しに行くべきか、それともこの名刺に書かれた住所に送り返すべきか、思い悩む。
2011年05月13日
2011年05月12日
5月12日の夢(のだめが編集部に)
「詩と思想」編集部に新入社員の女性が入ってきた。のだめである。今までぼく一人で編集していたのを、これからは二人で作っていくことになるのだ。
編集部は細長い部屋で、そこに応接セットが置かれているだけだ。応接椅子の一方にぼくが座り、テーブルをはさんでもう一方にのだめが座り、二人でテレビを見ている。
途中、ぼくがトイレに立つと、向こうでのだめが何かぼくに叫んでいるが、聞き取れない。トイレと編集部の間には広い部屋があり、そこでは社員たちが忙しげに働いている。そうか。ぼくらの編集部が細長いと思ったら、あそこはこの部屋に通じる廊下だったのだ。どうりで人通りが激しいと思った。
席に戻り、椅子をそっと彼女の隣に近づけると、彼女はまんざらでもなさそうだ。さらに少しずつずらしていき、ついには彼女の横にぴったり椅子を寄り添わせて、仲良く仕事を始める。
「知ってますか? この会社では男性社員は30代半ばになると、持ち場をちょっとずつ変わって、どこが一番適任かを見るんですって」とのだめ。「へえー」とぼくは答えるが、実はよく知っている。ぼく自身、その年齢なので、今まさにあちこちの職場を転々としているところなのだ。
突然、ぼくは彼女の耳元に口を寄せてささやく。「ねえ、ぼくのこと好きじゃない?」 彼女は「好きですよ」と答えたあと、雑誌を見せながら「ねえ、このゲームわかります? 仲良しの男と女が別々の服の両方に手を入れて、二人で手を結んで着られるようにするには、どうすればいいでしゅか?」と言う。「そんなのわかんないよ」「じゃあ、これはどうですか? エレクトーンに新しい名前をつけることになりました。何て名前がいいでしょう?」「エレクトロンがいいんじゃない?」
と、ぼくが答えた瞬間、目覚ましが鳴りだした。夢の画面に「ののののの・・・」という文字列が上から落ちてきて、目が覚めた。
2011年05月09日
5月9日の夢(転地療養)
田舎で療養生活をしている。布団の中から見る窓の外は山が雨に煙っている。食欲がなく、今夜は食事抜きにしよう。皆はぼくの病気はよくなると言うけれど、それは嘘で、ぼくには死期が迫っているのかもしれない。
そんなぼくなのに、まだ会社に勤めている。皆は残業しているが、ぼくはもう退社しようと思う。喉が渇いたので、台所へ行く。そこには見知らぬおばさんが働いているが、彼女の助けを借りようとはせず、自分でお湯を沸かす。なぜかそのお湯を薬缶から、流し台にある誰かの食べ残しの食器に注ぐ。食器は白く濁る。それを見て、初めてぼくはなぜこんなことをしているのだろうと思う。ここにはお茶っ葉もないし、自分の湯飲みもないのだ。相変わらずおばさんが立ち働いているが、2人とも互いに無視したまま、ぼくは台所から出ていく。
2011年05月06日
5月6日の夢(谷山さんのパーティー)
シンガーソングライターの谷山浩子さんのパーティーに出席した。広い会場は奥に向かって、末広がりになっており、両側の窓際が一つながりのベンチ式ソファーになっている。左側の席に谷山さんがいる。その隣は空いているが、そこに座るのはためらわれる。少し行きすぎて、同じ側に席をとる。
誰かのスピーチが中央で始まる。皆、真ん中に集まってきたので、ぼくも取材用のカメラでその人を、ホール中央に駐車した車によりかかるようにして撮影する。だが、いつのまにか皆は別室へ移動してしまった。ぼくは慌てて荷物をかき集め、皆の後を追う。
別の大きな部屋で皆が食事をしている。ここにいるのはあのパーティーの人たちだろうか。テーブルが教室のように並べられ、通路には大きなケーキを満載したカートがいくつもある。ぼくもケーキの皿をとる。他の参加者がじゃまだ。空いている席に荷物を置いて確保し、座ろうとすると、女性が2人並んで座る席を探しているので、彼女たちに譲り、自分はその隣に座る。
このメンバーを統括するプロデューサーの男がなんだか中性的な声で、スピーチを始めた。「皆は空中でジャンプするとき一回転するが、私は半回転しかしない。なぜなら一回転すると元の場所に戻ってしまうからだ。半回転することで、私は前に進むことができるのだ」。
2011年05月05日
5月5日の夢(引退記者会見)
ぼくはさほど有名ではないが、芸能人のはしくれとして事務所に所属している。その事務所から「夜の8時から記者会見だ」と通告される。ぼくのほかに男女一人ずつ、計3人の合同記者会見。どうやらぼくらは強制的に芸能界を引退させられるらしい。記者たちがさっさと会場へ行ってしまった後、ぼくは記者会見を拒否すべきかどうか葛藤しながら、とにかく会場に向かう。階段を上ろうとしたが、2階との間はロープのようなもので結ばれていて、それをターザンのようによじ登るのだ。白い制服を着たバーテンダーのような男性に手伝ってもらいながら、懸垂のできないぼくはやっとの力を振り絞って、2階に上る。会場には椅子が沢山あるが、並べるのが難しい。ぼくは事務所から台本を渡される。この台本に従ってしゃべれば、そつなく引退表明をすることができる。本当にそれでいいのか? 迷っているが、いつまで経っても記者会見が始まらない。ぼくはつと立ち上がって、「こんなのやめにしよう!」と叫んで、会場を後にする。
2011年05月04日
5月4日の夢(仕事カフェ)
X社に出入りしている業者の人が集まるカフェに行く。丸テーブルの一つが空いていると思い、座るとウェイトレスに「そこは先客がいて、相席になりますがいいですか」と注意される。なるほど、今は席を外しているが、向かいの椅子の上に誰かの荷物が置かれている。ぼくは彼女に「構わないよ」と答える。ウェイトレスはさらに「一色さんは今日は夕方6時から◯◯を食べると予約されています。それに××もするとおっしゃつていたはずです」とたたみかける。しまった。ぼくはそんな約束をしていたのに、すっかり忘れていたのだ。6時まで待つのは大変なので、ぼくは一計を案じる。「いいですよ。それなら6時からでなく、今から食べます。今ならお腹ぺこぺこで、何でも食べられますから」と答えて、彼女を納得させることができた。
テーブルの足元を見ると、何冊か新刊のX社のPR誌が落ちている。その一冊を手に取ってめくると、ぼくが妻に宛てて書いたX社の仕事についての詩が、本名ではなく変名で載っていた。その名前には「一」という文字が入っている。ぼくはそのことに深い満足感を覚える。
2011年05月03日
5月3日の夢(言論統制に抗して)
最近、同調的言説や言論統制的風潮が増加してきた。編集者たちはそれに対抗するため、自閉症やパーソナリティ障害の人たちに詩を書かせるようになった。彼らはけっして世の中に迎合しないからだ。ぼくも自閉症的詩を書くことにした。
2011年04月30日
4月30日の夢(明日も出張)
会社を挙げて出張に行き、終わって撤収することになった。バスに乗って帰ろう。急いだため、ぼくのスーツや書類を社長の荷物の中に投げ込む。帰社して、社長の荷物を探すが、見つからない。同僚に尋ねると、「社長は荷物を持ってもう帰宅してしまったよ」と言われる。「あの荷物を持って、ぼくは明日も地方へ出張するんですよ」と抗議するが、らちがあかない。
妻と時間をつぶそうと映画館に入る。上映していたのはプールを舞台に男女の恋愛模様を描いたつまらない青春映画で、観客も少ししかいない。ぼくが思わず、「ああ、この映画か」と声を出すと、みんながぼくを振り向いた。
映画館は半屋外にあって、スクリーンの隣は別のビルの白い壁だ。そこに意味は分からないが、時計のようにも紋章のようにも見える抽象的な画像が映っている。妻が中座して外へ出たので、ぼくも後をついていく。映画館の外を水量の豊かな川が流れていて、対岸には廃墟になったデパートがある。街の中で谷のようになったところをSLがこちらに向かってくるが、煙しか見えない。階段を下りて、隣のビルの地下へ行くと行列があったので並ぶ。どうやらトイレらしい。ぼくは行きたくないので、そこを離れる。
2011年04月29日
4月29日の夢(大地漂流)
地面が氷山のように流れてきて、我が家の子供部屋の前に漂着した。その上には知らない国から来た、見知らぬ鳥や虫がいる。鳥はムクドリほどの大きさだが、ぼやぼやとした綿毛のような羽毛で全身が覆われていながら、翼がない。飛べない鳥なのだろう。まだ小さいぼくの息子の遊んでいる暗い子供部屋の中に、鳥は小さな2つの荷物をくちばしで運び込み、姿を隠した。
2011年04月28日
4月28日の夢(妻とはぐれる)
夫婦で地方都市に旅行し、お昼になった。妻が「いつもあなたがいい食事のお店を見つけてくれるから、今日は私が食べるところを見つけてくるわ」と言う。そこはビルの中だ。そして、ぼくがちょっと目を離して、また妻に視線を戻すと、彼女はいなくなっていた。すぐに帰ってくるだろう。ここをぼくがへたに動くのは危険だと思う。しかし、いつまでたっても妻が戻らないので、しかたなく外に出る。多分、妻は駅の方に向かったのに違いない。だが、見回しても、駅は見当たらない。妻にケータイで電話をかけようと思う。お尻のポケットを探ると、いろんなものが出てくる。やっとケータイを見つけて、待ち受け画面を見るが、妻からの着信はない。
2011年04月27日
4月27日の夢(郵便局員に脅される)
トイレに起きる。用を足していると、ぼくの左手が異様にふくれ、そこに明らかにぼくではない異質な人格が宿っている。用を足しながら、ぼくは自分とつながった別の意思を持つ肉塊と闘う。
郵便局に行くと、窓口が2つともふさがっている。窓口にいるのは全員男性だが、親切そうな女性職員が「お次の方、どうぞ」と呼んでくれる。一つの封筒でぼくはある団体の会費と維持会費と原稿とを一緒に送ろうとしているのだが、女性職員に緑の美しい野原に連れ出されてしまう。そして「2つの会費を払っていただかないと、この原稿が送れるかどうか、私どもとしてはどうにもなりません」と、慇懃無礼に脅される。
4月26日の夢(本の山崩壊)
ぼくはH氏賞の担当理事だ。あと1時間で選考が始まる。その記者発表書類を作ろうとしているのだが、候補詩集やFAX先のリスト等を全部家に置き忘れてきてしまった。どうすればいいだろう? おたおたするうち、曲がりくねった通路の両側に頭より高く積み上げられていた本や書類の山をがらがらと崩してしまった。
2011年04月22日
4月22日の夢(自分自身と対談)
会社に行き、二階、三階と階段を上り、各フロアにいる同僚たちに一冊ずつ大学ノートを配って歩く。だが、仲の悪いK前編集長には配らない。男性スタッフの一人が「これで資料を貰ったわけだけど、いつ打ち合わせをやりますか」とぼくに尋ねる。ぼくは半分階段を下りかけながら、「いつでもいいが、いつがいい?」と言う。彼が「じゃあ、今すぐ」と言うので、「分かった。では、これを置いてからすぐ来るよ」と返事をする。
一階に戻ると、みんなが口々に「今、一色真理さんという80歳過ぎのおばさんが来て、一色さんと対談したいと言ってたよ」と言う。ぼくは「うん、聞いてる」と答える。男性の上司が「いつやるの」と尋ねるので、「これからすぐその打ち合わせを上でやります。なんなら一緒に来ますか」と言うと、上司は「いや、いい」と答える。
2011年04月21日
4月21日の夢(集金人)
自宅にいると玄関のチャイムが鳴った。「集金です」と言う。食事中だったが、財布を持って玄関に出て、ドアを開ける。二人の男が立っている。一人は大柄、一人は小柄でひ弱そう。どちらもアジア系の外国人で、大柄の方は以前にもどこかで会ったことがある。
「やあ、久しぶりじゃないですか」とお互いに挨拶し、言われた金額を小銭で持ち合わせがないので、紙幣で支払おうとする。男はその紙幣を受け取り、明らかに少なすぎる釣銭しかぼくにくれない。抗議すると、二人はいつのまにか玄関の中に入ってきて、そこにある物品を持ち去ろうとする。やっとのことで二人を撃退し、お釣りもちゃんと貰う。随分長い時間がかかってしまったが、ダイニングに戻ると、妻が「何かあった?」と言う。ぼくは「いや、別に」と言って、また食事を続ける。
2011年04月20日
4月20日の夢(黒い森)
岡山のあたりにみんなで旅行に来ている。バスで観光に行く。男性ガイドが「このあたりで観光地といえば大きな川しかありません」とマイクで言う。川を渡り始めたが、窓から見えるのは山だ。その山には稜線をはじめ、CGのグラフのように白く光る線が縦横に走っている。やがて窓外は新緑の森になる。と思ううちに、外は夜のように暗くなる。「もう5分も10分も暗闇の中を走っていますよね」というガイドの声で、我に返る。そうか。ここは昼なお暗い「黒い森」なのだ。
タクシーで駅に着き、運転手に千円札のつもりで5千円札を渡してしまう。だがメーターを見直すと2千円台だから、これでいいのだ。運転手がおつりに苦労している。そうか。ここは外国だから日本円で払うと、おつりの換算が難しいのだ。なんとかおつりを貰うが、どうも損をした気がする。
駅のホームを歩いていると、見知らぬ女性から「振り返ると名古屋が見えるというのはこのあたりですか」と声をかけられる。ここは岡山あたりだから、見えるはずがない。ぼくは夢日記としてそのフレーズを書いたのだが、女性は現実として受け止めたらしい。
ホームにはいい香りが立ち込めている。女性は「これは私の好きな匂いなの」と言う。跨線橋の下に売店があって、太ったおばさんがいろんな香木を焚いて、売っている。
駅で着替えている。まだ着替えの入った荷物が着いていないが、ズボンを脱いで灰色のパンツ一枚になる。なぜかベルトが二本ある。ズボンは一つなのに。
会社にいる。ぼくは辞める直前だからと、フロアの周囲に殆ど人のいない場所にデスクを貰った。だから灰色のパンツ一丁で仕事していてもかまわない。Iくんが来て、ぼくの机の上の小銭の入ったガラス瓶を勝手に持っていく。またやってきて、別のガラス瓶を取ろうとする。「それは外国のコインしか入っていないよ。日本のはさっき君が持って行ってしまったじゃないか」と言うと、彼もさすがにあきらめてくれた。
2011年04月18日
4月18日の夢(生協食堂)
お弁当に買ってきたブラ容器入りのお寿司を食べ、残りをゴミ箱に捨てる。だが、まだ食べ残しがあったのに気づき、もったいないのでもう一度拾い上げ、食べる。しかし、梅干によく似た外国製のフルーツのようなものが、中に入った三角おにぎりのようなものがあっただけ。がっかりだ。
ランチの時間になったので、妻を誘って生協食堂へと階段を下りる。階段に所狭しと、オムライスなどの見本が並べられ、歩きにくいが、それを見てオムライスを食べたくなる。でも、食べるのはやはりカレーにしよう。ところが、食堂の入り口に着くと、メニューの見本は乱雑に床に投げ散らされている。今日はもう営業が終わってしまったのだろうか。中に入ると、タータンチェックのクロスをかけたテーブルにぱらぱらとお客が食事をしている。カウンターの中で、眼鏡をかけた実直そうな男性のコックがフライパンを炒めている。「何かご飯もので食べられるものありますか」と尋ねると、「さっき北島さんという人が電話で予約してきて、そのたきまであったんだけど、もうないんだよ」という返事。「じゃあいいよ」とぼくは言い、妻とともに階段を引き返す。
2011年04月17日
4月17日の夢(雪とアヒルの子)
3日間のツアーのコンダクターをもう一人の男性とともにしている。男性は眼鏡をかけていて、ちょっとあぶない感じの人。殆ど立ちっぱなしなので、自分の体力が心配だったが、1日目は無事に終わりそうだ。
一面に真っ白な雪が大地を埋めている。好きな女の子の家の玄関に続く石段をこっそり降りる。表札を見れば、その子の生年が分かると思ったからだ。石段の前に大きな窓があり、その子の家族3人がテーブルを囲んでテレビを見ているのが、外からうかがえる。気づかれないようにこっそりと玄関まで降り、そちらを見ないように慌てて駆け上がる。彼女は1962年生まれだとわかった。ということは、今年は1974年だから、もういつのまにか思春期になったのだ。だとしたら、ぼくを好きになってもおかしくない年齢だと、嬉しくなる。
雪の中を逃げるように歩く途中、はいていたスリッパが片方だけ脱げてしまう。慌てて戻り、またはき直す。雪の中に生まれたばかりの二羽のアヒルの子が横たわっている。一羽は首が折れて、今にも死んでしまいそうだが、まだ何かを叫んでいる。道の向こうには暗い海が広がっている。
2011年04月14日
4月14日の夢(犬を抱きしめる)
白い犬を両手で抱えるようにして、抱きしめている。犬は抵抗しない。犬もぼくも皆も、ギュっとされることに飢えていたんだなあと思う。
2011年04月13日
4月13日の夢(捨てたメモ)
浜松へ校正を持っていこうとして、現地のクライアントに電話でアポをとる。しかし、他の仕事にかまけて夕方まで会社を出られなかった。今週はもう無理なので、来週の約束をとり直そうと思う。しかし、そのためにはぼくの右隣に座っている上司のN氏の都合を聞かねばならないし、クライアントにも予定があるだろう。だが、電話しようとして、連絡先の担当者の名前や電話番号を書いたメモを、不要と思って捨ててしまったことに気づく。あわてて会社の外に出て、隣接する古びた一軒家の周りを探す。見つからない。本当にぼくはこんなところにメモを捨てたのだろうか。
2011年04月12日
4月12日の夢(だまされているはどっち?)
船に乗ってみんなで海賊退治に行ったが、逆にだまされて彼らの配下にされてしまった。だが、実はこれはだまされたふりをしただけで、ぼくらの勝利に終わる。
詩人たちが震災と原発事故についての詩を書いている。その中で、女性詩人のKさんだけが対立する詩をひとり書いている。「みんなはだまされているんだ」と彼女は言う。一体どちらが正しいんだろう?
2011年04月11日
4月11日の夢(水底に沈む人々)
ぼくは山の上にいる。見晴らしがよく、下にある町が一望できる。ものすごい風が吹きすさんでいて、いろいろなものが吹き飛ばされていくのを、ぼくはみんなと指さしながらなすすべもなく眺めている。風の中で右往左往する人々も見える。
いつのまにか町は青黒い一面の水におおわれている。その水底に黒い蛙の卵のように沈んで、風が吹く度に思い出したように揺れているもの。あれはみんな町の住人たちだ。
町を滅ぼしたものと対決するため、ぼくらは老賢人の指揮のもと、町の寺院に向かう。老賢人を演じるのは、かつての「詩学」の名編集者・嵯峨信之さんだ。ぼくらは魑魅魍魎と闘い、勝利を収める。だが、これは現実ではなく、街頭で演じられる群衆ドラマらしい。左前方で肩にプロジェクターをかついだ男性が、寺院の壁に太陽が昇ってくるシーンを映し出し、ぼくらはそれに向かって勝鬨を挙げる予定だったが、男性は間違えてドラマの一部始終を早回しで映し出しただけだ。かたわらにいた進行係の詩人N氏が「違うよ。朝日の昇るシーンだよ」と注意するが、男性は彼の言葉を理解しないまま、太陽の昇る前のシーンで上映を打ち切ってしまう。N氏は男性に「わかってる?」と尋ねるが、結局「わかってないみたいだな」と苦笑するだけだ。
2011年04月10日
4月10日の夢(地震を買う)
大地震は人民管理になることが法律で定められているが、こんな状勢だから、小さな地震も人民管理にするよう、手続きに行こうと、都電に乗る。ぼくの隣に妻と、編集委員のSさんが座っている。なぜかぼくだけ高い窓枠に座っているため、土足の両足がぶらぶらして、二人にぶつかりそうなので、座席に降りる。
気がつくと、ぼくと妻は電車の出入り口近くに二人だけで座っているが、傘を何本も携えているため、整理が大変だ。
地震管理の役所に着いた。地震を2000円で買うため、コインを出す。500円玉に100円玉を何枚もポケットから取り出すが、うまくつかめなくて何度も床にぶちまけてしまう。やっと拾い集めるが、何かのプラスティックケースを壊したようで、そのギザギザして破片が混じっていて、とても危険だ。
2011年04月05日
4月5日の夢(水野晴郎さん)
ある詩の催しに向かい、妻と一緒に神田あたりの道を歩いている。後ろから編集委員のSさんの声が聞こえるので、てっきり自分たちに向けられたものだと思って返事をしたが、別の人宛てだったらしい。彼女は「今日はお風呂に入らない日だからいいわね」と言いながらぼくらを追い越し、先にイベントの受付の列に並ぶ。
受付の横に窓口のカウンターのようなものがあり、そこには昔風の口ひげをはやした五人の男性が並び、ぼくらに話しかけてくる。
いくつかのグループの受付が終わり、ぼくら夫婦の番になった。受付をしているのはなんと、亡くなったはずの映画解説者、水野晴郎さんだ。まだ生きておられたのか?! 「どこかであなたににはお会いしましたよね」と水野さん。「はい。X社のPR誌のインタビューでした。いやー、ピアノも映画もいいですよね、とお話ししていただきました」とぼく。「でも考えてみると、随分強引に二つを結びつけたものですよね」と二人で笑い合う。
2011年04月04日
4月4日の夢(津波)
高層ビルの二十階で行われている男性歌手のコンサートを取材する。お客は少ない。会社に戻ると、津波が襲ってきた。みんなでタクシーに分乗して、家に帰ることにする。ぼくの乗った車には、編集委員のH氏と誰だか分からないがヤーさんのような男、それに知らない女性が同乗する。
しかし、タクシーは津波の上に浮かぶ形になり、波任せで街路を進んでいくしかない。運転席のフロントグラス越しに、水面に何かの箱が一つ、ぷかぷか浮かんで近づいてくるのが見える。
交差点で向こうから来た別のタクシーの群と鉢合わせになる。このままではぶつかると思ったが、運転手が機転を利かせてバックし、事なきを得る。ホテルを会社が十日分予約してくれたので、そこに避難することにする。皆は「一色さんがお金を払ってくれるなら、ここに泊まるが、そうでなければ帰宅したい」と言う。しかし、ぼくのお金はさっきの取材で使い果たしてしまった。皆で歩いて帰宅することにする。
途中、コンクリートの塀の上のようなところを歩いていて、H氏が足をすべらせて落ちてしまう。地面に顔から落ちて、ぐしゃっといういやな音がする。「しまった!」と叫び、急いで駆け下りて、介抱をする。男がH氏の顔にティッシュを当てて止血している。ぼくもポケットからティッシュを何枚も出して、男に渡す。どれも使い古しで、黒い染みがついているがそんなこと言っている場合ではない。幸い、H氏は鼻が折れたものの、たいした負傷ではなく、そのまま歩き続けられそうだ。
2011年04月03日
4月3日の夢(クラリネット)
会社で退社時間後に社員向けの演奏会が開かれた。クラリネットのソロを頭の半分はげあがった、痩せた男性演奏家が奏でている。社員たちはパイプ椅子を並べてそれを聴いている。演奏が行われているのはロッカーの前だ。
ぼくはそんな演奏を聞くよりさっさと帰りたい。最初、演奏家の右手にあるロッカーにぼくの私服がある気がして、暗闇の中そこを開ける。だが、そのロッカーは女性用のロッカーだ。ぼくは演奏を中断させて、中央のロッカーを開ける。しかし、私服は見つからない。演奏が中断したままなので、客席の社員たちからぼくに抗議の声が上がる。ぼくは皆と対決するため、演奏家を伴って楽屋へ行く。そこには出番を失った女性演奏家がぽつんと楽器のケースの上に腰を下ろしている。
ぼくは社員たちを置いて、一人だけさっさと退社の準備をする。二階から一階を見下ろすと女性詩人のYさんが社員食堂のテーブルで何かを飲みながら、にこにことこちらを見ているのと目が合う。ぼくと一緒に退社してくれるに違いないと思ったのに、彼女は席を動かない。ひとりでぼくは山の中の駅に向かう。ちょうど電車がホームに入ってきた。
2011年04月01日
4月1日の夢(迷子になる)
コンサート会場の一階で行列に並んでいる。ぼくら夫婦のチケットをガイドの老人が買ってくれている。妻と二人その後についていたつもりなのに、何重にもなった行列にさえぎられて三人ばらばらになってしまう。妻が先に階段を上がったらしいと判断し、老人も階段を上っていく。ぼくも慌てて後を追う。
ところが、二階には妻も老人も見当たらない。まるで小学校の廊下のように、子供たちが走り回っている。曲がり角には廊下いっぱいに子供たちが座り込んでゲームに興じていて、ぼくを通してくれない。それどころか、ぼくのことを「規則違反だ」と指弾する。彼らの間をやっと通り抜け、外に出る。そこは日本庭園。そこを列車に乗って走り抜ける。大きな鉄橋を渡る。列車を降り、崖から崖へ飛び移るなどの冒険をして、やっとまた会場に戻る。だが、あいかわらず子供たちがわいわい騒いでいるばかりだ。徒労感に襲われる。
2011年03月30日
3月30日の夢(大蛇)
都会の真ん中に白とチョコレート色のツートンカラーになった、雪の塊のような小山ができたいる。ぼくは好奇心が出て、こっそり一人でその小山に登る。すると、後から子犬を連れた男性が登ってきた。ぼくは恥ずかしいところを見られたような気がして、引き返そうかと思うが、どうも彼もこの小山の感触を楽しんでいるだけらしい。二人の降りていこうとする方角の地面に、灰色のブキミな色の物体が見える。あれは巨大な蛇の体の一部ではないだろうか。ぼくは彼に危険を知らせようと「蛇だ!」と叫ぶが、彼は構わずそちらへ降りていってしまう。ぼくはパニックになり、後ろも見ずに一目散に反対側へ駆け下りる。背後から男性の「うわあ、蛇だ!」「呑み込まれる!」という悲鳴が聞こえるが、それもトンネルの中で反響するようなくぐもった響きに変わる。大蛇の体内に既に取り込まれてしまったのだろう。だが、ぼくの降りようとしている地面にも、さっきのやつよりは小柄だが、明らかに大蛇と分かるものが流れるように地面を這うのが見える。
2011年03月27日
3月27日の夢(また新幹線)
新幹線に乗って、東京へ帰ろうとしている。ホームまでの跨線橋の階段を駆け上がり、駆け下りる。途中、重い荷物を持った男性が上司に「ちょっと遅かったですね」と言い、早々と乗車をあきらめて苦笑しているのを追い越す。女性の声が「これが一番の最新車両ね」と言っている。その車両に飛び込む。中はそれぞれの席が個性的な一人掛けの椅子とテーブルで、まるで喫茶店のようだ。しかし、よく見ると、皆足元に「予約済み」の赤い紙が貼ってあり、乗客たちは座れないのだ。ぼくは通路にぎっしりと立っている彼らの間を「ごめんなさいね」と言いつつ、かき分けて通っていく。男性をうまく避けたつもりだったが、気付かずにその傍らの女性の足を踏んでしまったらしい。女性は「無礼者め!」と言って、ぼくの背中を丸めた新聞紙で叩く。イライラしていたぼくは思わず、彼女の顔にパンチを見舞う。
2011年03月25日
3月25日の夢(スパイ)
新幹線から降りる。ここが終着駅のはずだ。だが、まだ列車は先に行くという。ホームにいるのは黒い服を着た人たちばかり。K国の人たちだ。この線路の先にK国から来た人たちが住む町があるのだという。列車の窓から大きな丸みを帯びた建物がある。宮殿のように見えるが、秘密の通信基地らしい。降りて、乗客たちと建物の中に入る。すると、内部にいた人たちが一斉にぼくを指さして、迫ってくる。「スパイだ! スパイだ! スパイだ! ・・・」
2011年03月20日
3月20日の夢(ドッグラン)
犬のためにドッグランのようなものを作っている、長円形に頭に穴のあいた杭を地面に打ち込み、その穴に太い紐を通していく。ぼくは左側の杭全部に紐を通し終わり、相棒の男性を待つ。やがて彼はやってきたが、よけいなことをしてくれたので、せっかくぼくの通した左側の紐が殆ど抜けてしまった。しかたなくもう一度結び直す。やれやれ。でも、これが完成して、犬も嬉しそうだ。
2011年03月19日
3月19日の夢(蛍の光)
一度見ていた夢から別の夢に移ろうとしたのに、前の夢からアクセスを切ることができない。その夢ではみんなが「蛍の光」を合唱している。
2011年03月18日
3月18日の夢(上司のチェック)
会社でスライドを使った何かのマニュアルの原稿を書いている。ぼくはマニュアルの原稿書きではベテランなので、自信を持って書いたのだが、新任の上司はそんなぼくを呼びつけて、原稿にいちいち文句をつける。ある程度反論しながら、ある程度は相手を立てなければならないので、やりにくい。
2011年03月17日
3月17日の夢(コピー)
二階の制作部から一階の営業部へ降りる。もう退社時間を過ぎているのだが、皆忙しそうで退社する気はなさそうだ。K会長が「これから会議するんですよね」と言う。会議があるのではますます帰れない。あきらめて二階に戻り、会議に提出するための自分の業務リストを作る。随分進行中の仕事がいっぱいある。それなのに、なぜこんなに暇なのだろうか。
とりあえずまた一階に戻り、自分が今作っている服の見本を全部コピーしようと思う。男性社員のデスクにスキャナーがあったので、「この机貸してね」と言うが、このデスクで服をコピーするには狭すぎる。スキャナーだけ外そうとすると、同僚が手伝ってくれる。だが、その同僚は地面から生えているコードごと、庭木を抜くようにスキャナーを引っこ抜こうとする。これでは電源も通じなくなってしまうと、慌ててそれを止める。
別の空いたデスクでコピーを始める。だが、服は大きくて、当然ながらコピーの一枚の用紙に全体を写し込むことはできない。苦闘していると、女性社員のIさんがいきなり「これ、私の机の上にありましたよ」と安物のバッジのようなものを差し出す。ぼくが海外旅行のおみやげに買ってきて、女友達にあげようと思っていたのに、彼女の机の上に置き忘れてしまっていたのだ。ぼくは「おみやげにしようとして忘れたんだ」と間抜けな答を返す。Iさんは苦笑し、「変なの」と言っただけで返してくれた。
またコピーを始めると、いきなり目の前でぼくに背を向けたIさんが着替えを始めた。裸の背中がぼくの目の前に現れたので、ぼくは仰天する。だが、彼女はさっさと着替えをすると、退社していってしまった。なーんだ、会議があるんじゃないのか。壁の時計を見ると、もう7時半に近い。ぼくも帰ろうと思う。ところが、せっかくできたコピーの紙を地面に落としてしまった。泥で真っ黒になっている。慌てて水道で洗おうとするが、蛇口が外れて、デスクを水浸しにしてしまう。
2011年03月16日
3月16日の夢(コーラス)
会社で定時を過ぎたのに、誰も退社しようとしない。皆忙しそうにしているが、ぼくだけ仕事がなくて手持ち無沙汰。隣席のOさんに「暇だね」と言うと、「あら、私は忙しいわ」と一蹴される。
オフィスに中高年の盛装した男女のコーラス隊がいて、練習をしている。ソロをとっているのは、背の高い女性だ。彼らの練習が終わったところで、何人かの社員が帰りだしたので、ぼくも一緒に退社しようとする。するとバッグの紐が何かに引っかかってしまい、なかなか外に出られない。
トイレへ行く。いや、昨日までトイレだった部屋というべきだろうか。トイレのはずなのに、便器がすべてなくなっているのだ。天井から床まで壁一面が大きなガラス窓になっていて、カーテンが中途半端に開けられている。下の舗道では女性がこちらを見上げている。カーテンを引いて身を隠しながら、小用をしようとする。その瞬間、ドアを開けて、暗い顔をした男たちが三人、室内に入ってくる。「まずい」と思うが、もう止められないので、彼らは幻覚だと思い込むことにする。
2011年03月14日
3月14日の夢(床屋で研究会)
ぼくを講師とする詩の研究会が床屋で行われている。鏡を前にずらりと並ぶ調髪用の椅子にメンバーたちは座っている。中に一人女性がいる。いつのまにか彼女は人気詩人になり、スターのようにあちこちに作品が掲載されている。新聞記事も彼女についてのことばかり。ぼくはすっかり威光を失ってしまう。
ぼくは白人のミュージシャンたちとレコーディングスタジオにいる。ぼくはギターをアマチュア程度にしか弾けないのに。ミュージシャンの一人がぼくの方を見て、同僚に「あいつの演奏を聞いてみて、もしたいしたことなければ、たとえ言われていても録音ボタン押すことはないからな」と言う。ぼくは聞こえなかったふりをして、時間をかけて黙々と楽器や機材の準備を続ける。
2011年03月12日
3月12日の夢(地震で避難)
地震で家族と共に簡易ホテルに避難する。粗末ではあるが、かなり広い部屋。ふと目を覚ますと、もう朝の9時半だ。おかしいな。妻子を起こさなければ。二人のベッドに行くと、いつのまにか知らない男性がそこに寝ている。誰か客人が部屋にやってきた。ますますおかしい。これは現実ではなくて、映画か何かなのだろうか。悪の勢力が近づいてきている。いつのまにかぼくらは映画館にいる。映画の観客はそのまま映画の出演者になるので、すごい迫力だ。逆に、有名女優が映画の中から出てきて、客席に座っている。見上げると、空中をロケットの群が急上昇し、窓の外にはお城のような大学がそびえている。ここが悪の根城らしい。彼らは善の勢力を「海賊」として摘発している。ぼくとホテルで同室だった男性も「海賊」として捕えられてしまった。ぼくの妻は女優と共に悪と戦う戦士たちの一員になる。女優は先ほどぼくが書いたアンケートを見て、妻に「この人は誰?」と尋ねる。ぼくも仲間に加われるのだろうか。映画館の外には悪の帝王がいる。巨漢の把瑠都関だ。ぼくは彼の目をぬすんで、映画館の中に弾薬を運び込む。
2011年03月11日
3月11日の夢(盛り上がる水)
大きな会場の各部屋で一斉に座談会をやっている。折れ曲がった廊下をたどっていくと、その一番奥の部屋ではアフリカの黒人たちが座談会中だ。廊下をはさんだこちら側には、プールというか大きなバスタブのようなものがあり、そこにアフリカの海の水が満々と湛えられている。アフリカの水は真っ黒で、しかも真ん中が大きく盛り上がっているのが特徴だ。その水は土のように手で掘ることもでき、そうするとまるで砂のように水に穴をあけることもできる。
座談会終了の時間だ。ぼくは担当編集者として、各室に「時間です」と告知して回る。しかし、こんな同時多発的な座談会のテープを一人で原稿に起こすことができるのか、不安だ。おまけに、アフリカ人たちの座談会のテープだけ回収し忘れた気がする。同僚が「お昼休みの時間は人が少ないでしょうから」と言って、外に食事に行ってしまった。ぼくもランチにしようと、妻の手作りの弁当を大きなスーツケースから取り出す。だが、スーツケースの中はなんと水浸しだ。それも汚い水なので、これではとても食べるわけにいかない。
2011年03月10日
3月10日の夢(見積書)
浜松のクライアントへ若い社員を出張させることにする。企画書につける見積書をМ営業部長から貰い、ポケットに入れる。それを社員に渡そうとするが、見つからない。社員は古い見積書を出して、「これと同じ80万だと言えば、いいですよね」と言う。いや、その古い見積書はぼくの入社した30年以上も前のものだ。今は100万以上はとれる仕事だ。しかし、すべてのポケットを探しても見つからない。あちこち探しまくるうち、若い社員の脱いだ洋服やコートをみんなテーブルから床に落としてしまう。
2011年03月09日
3月9日の夢(糾弾される)
ぼくと妻と誰だか分からないもう一人とトラックで走行中、急カーブを切ったために横転してしまう。しかし、三人とも無傷だった。
そこには大きな建物があり、ぼくらはその中に拉致されてしまう。中では劇の上演が始まった。ぼくはそこにあったスピーカーを知らずに壊して、大きな爆音を出してしまう。たちまち団長を先頭とする劇団員に、ぼくは激しく追及される。しかし、彼らはなぜか途中でぼくを放置してどこかに行ってしまい、ぼくは帰宅することができた。
自宅でベランダに出てみると、ぼくの体重で床が今にも抜けそうだ。慌てて部屋に戻ると、男性詩人のOくんが血だらけで運び込まれてきた。またもや劇団員たちがぼくの自宅に糾弾にやってくる。それなのに、ぼくは彼らの使っているスピーカーを床に落として、さらに壊してしまった。
2011年03月07日
3月7日の夢(おつり計算機)
夕方、会社を出て、タクシーで仕事先へ向かう。幸い、ぼくの自宅の近くだ。細い路地をタクシーは走っていく。うとうとしていて、ふと気づくとタクシーは道路から左手の空地へ入っていく。ここで降ろされるのかなと思ったが、反対から老婦人の運転する車が来たので、すれ違うためだった。そこからまた道路に出て、目的地に近いタクシーの車庫で、無事降りることができた。
着いたのは上司の自宅である。上司は詩人のY氏だ。この家は以前は喫茶店か何かだったらしく、2階建てでベランダもついている。ポケットから預かってきた分厚い札束を出して、上司に渡す。彼はぼくに小銭のおつりを渡そうとするが、どうしても計算がうまくいかないと言い、奥へ引っ込む。そして、札束を機械に入れる。これはおつり計算機で、必要なおつりが自動的に出てくる。
そのおつりを貰って、彼がお姉さんたちと奥へ行っている間に、そっとその家を出る。まだ退社時間前なので、自宅に直帰するわけにもいかず、ぶらぶらして時間をつぶすことにする。小高い空き地に登ると、地平に山脈が見える。その一部は砂漠化していて、植物は一本も生えていない。路地を歩いて、上司の家に戻る。遊園地になっている空き地で子供たちが遊んでいて、「あっ、一色さんだ!」と言う。どうしてぼくの名前を知っているのだろう?
2011年03月05日
3月5日の夢(お葬式)
ついに戦後詩の巨人A氏が亡くなった。今夜8時からの葬儀に駆け付けられるよう、取材を代わってもらう。電子ピアノのユーザー取材である。女性社員のWさんが「一人で行ってもいいです」と言ってくれたが、商品知識のない彼女では何を質問したらいいかさえ分からないだろうと、不安だ。
葬儀の会場に早めに着いた。大広間にはさすがに大勢の詩人が集まっている。外の運動場のようなところに受付があるらしいので、行ってみる。山のように何かが地面に積み上げられた向こうで何人かの若い男性が受付をしている。「お香典はここで渡していいのですか」と尋ねて、封筒を彼に渡すと、「千人針をいつやるか奥様に聞いてください」と言われる。そういえば、つれあいは連れてこなかったのだ。「ぼく一人で来たから、自分でやりますよ」と言い、針を受け取る。それで死者の遺髪を縫うのが決まりなのだ。だが、ぼくの手の中でA氏の遺髪は複雑に絡み合って、解けそうにない。
大広間に戻ると、長身の二人の男性がいて、ぼくに「お久しぶり」と言って握手する。一人は有名詩人のT氏だが、もう一人は知らない男性だ。ぼくはT氏が握手してくれたものと思い込み、感激するが、どうやら話しかけたのはもう一人の男性らしい。ちぇっ。こいつは誰だろう?
いよいよ読経が始まったので、そちらへ移動する。そこへまたもや見知らぬ眼鏡の、いかにもオタクっぽい男性が現れ、「合体ロボットのいいアニメを録画したから、ぜひ見てください」とぼくを別室に連れて行く。思わずついていきかけるが、皆葬儀会場に行ってしまい、大広間はもぬけのからだ。慌ててぼくもそちらに向かう。
2011年03月03日
3月3日の夢(ベンガル虎)
下宿屋のようなところにいる。トイレに入ろうとすると、みんな無言でぼくを非難の目つきで見る。ドアの前に荷物が置いてある。既に予約されているということか。周り中敵ばかりだ。
帰るため、駅からバスに乗る。ところがバスはどんどん東京から離れていく。乗り間違えたらしい。おまけに同乗していた若夫婦の連れた子供にぼくはうっかり暴力をふるったらしい。彼らの敵愾心に満ちた視線にさらされる。
やむなくバスを降りる。そこはインドだ。純白の人工の岩山がある。そこを降りていくと、純白のサリーとターバンをまとったインド兵に制止される。そうだ。ここではベンガル虎と人間が闘う見世物がこれから行われるのだ。虎の低いうなり声も聞こえる。ぼくは慌てて白い山を登っていく。だが、今度はぼくを虎と間違えたインド兵に上から狙撃されそうになり、手を挙げて人間であることを示す。途中で水に落ちてしまい、せっかくの白いスーツもずぶ濡れだ。皆が呆れた目でぼくを見下ろしている。また昨日と同じ目にあったなと思う。
女性長老詩人のSさんのお話会にやっとたどり着く。本来はここに昨日来るはずだったのだ。昨日と同じメンバーが昨日と全く同じ話を真剣にメモをとりながら聞いている。壁を隔てた隣の部屋にも聴衆が集まっている。なぜ皆繰り返し同じ話を聞きにくるのだろう?
2011年03月02日
3月2日の夢(井戸トイレ)
白く美しい新造船がすごいスピードで左へ疾走していく。皆、船の速度と美しさに感動する。船はまた右に向かって戻ってきて、潜水艦のように潜航を始める。どうやら新兵器らしい。
井戸のような深い穴の底に向かって、おしっこをしている。井戸のように暗くはなく明るい。途中の空間にスーツを着た若いサラリーマンが浮かんでおり、そのかたわらには虫かトカゲのようなものが浮いている。おしっこはその虫にかかる。サラリーマンは「うまく命中するもんだなあ」と感心するが、おしっこは男のスーツにもかかってしまう。見ると、ぼくのズボンの右足にはびっしりと毛虫のようなものがとりついている。
3月1日の夢(汚れた野菜)
生家のあった名古屋の覚王山バス停で、若い女性とおしゃべりしていたのだが、彼女はさっさとどこかへ行ってしまった。
これからサラダを食べなくてはならない。このキャベツの葉を洗って食べるのだ。だが、それは葉というより、汚れたぼろきれだ。ゴミがいっぱい付いている。気持ちが悪い。いっそ食べずに捨ててしまおうか。
イギリスの元貴族の館だったらしい豪邸が改造され、今は豪華なレストランとなっている。だが、なぜか玄関先には安っぽい日本語のメニューが台に置かれ、それをいかにもお上りさんふうの日本人親娘が覗き込んでいる。母親は娘に「◯◯しかないから、やめよう」と言って立ち去る。ぼくは日本人観光客が恥をかかなくてすんだのを見て、ほっとする。
2011年02月25日
2月25日の夢(旅行)
修学旅行に行くのだが、予定を一日間違えて、明日だと思っていた。慌てて駅にかけつけると、女性が「早くしないと、飛行機が出ちゃうよー!」と叫んでいる。ぼくは「そんならいいよ」と拗ねて、回れ右して家に帰る。
旅行先まで近所のカメラ屋さんが車で迎えに来てくれた。なんて、サービスがいいんだろう。女性たちと一緒に東京まで帰ってくるが、ぼくだけなぜか二つ前の駅で車を降りてしまう。
それから一度会社に出社し、夕方退社して、カメラ屋に現像を頼みに行く。お金を払うのに、さんざん待たされたあげく、17000円を請求される。ぼくが驚くと、店の主人は「車で迎えに行った料金です」と言う。そんなあ・・・と呆然とするが、あきらめて支払うことにする。だが、財布を覗きこむと日本円は少なく、殆どがドル紙幣である。これではお金が足りない。「夢の中でぼくは確かにあなたの車に乗りました。でも、一緒に乗ったのはカメラマンのアシスタントと漫画家さんのアシスタントなんですよ。お金は明日払いに来ます」と、ぼくは訳の分からない捨て台詞を残し、ぷりぷりしながらカメラ屋を出る。もう9時半だ。やれやれ。
2011年02月24日
2月24日の夢(割り勘じゃなかったの?)
友人と二人で食事に行く。終わって、レジでちょっと格好をつけたくなり、二人分払おうとする。確か一人550円だったと思い、1100円を用意する。ところがレジの女性は1111円だと言う。慌てて財布を見ると、ちゃんと小銭があったので、その金額をきっちり支払う。てっきり友人は、自分の分のお金をぼくに渡してくれると期待して振り返るが、さっさと行ってしまう。あれっ?
2011年02月23日
2月23日の夢(インタビュー)
ピアニストのSさんが会社へやってきて、コンサートの準備を始めた。といって、ここで演奏するわけでもないのに、準備の場所だけ借りるつもりらしい。なんだか図々しい。チラシのようなものを切ったり貼ったりするのを手伝いながら、「インタビューしてもいいですか?」と言うと「いいわよ」とにこやかに答える。それならと、カセットテレコを持ってきて、仕事の手を二人とも休めないまま一問一答を始める。「ピアノをやってきて、一番の喜びは?」といった、我ながらありきたりの質問しかできない。
ところが気づくとテープが回っていない。準備作業をしながらだったので、途中長い中断があったとき、うっかりテープを止めるのを忘れたらしい。そのため、テープが回りきってしまったのだ。慌ててリセットしようとして、今まで録音した分もかなりの量を消してしまう。「しかたがありません。ここからは手書きでメモをします」と言って、さらにインタビューを続ける。だが、「はい、こことここを貼って」と彼女に言われて手伝ううち、インタビューを続けられなくなってしまう。
「できたものを車に運んで」と言われ、他の同僚たちも手伝い、四角形の大きなものを三人で運ぶ。一人運び手が足りないのでバランスが崩れ、歩きにくい。途中にどろどろの溝を渡らなければならない。なかなかの難所だったが、なんとか乗り越える。
さて、車はナイル川の対岸に駐車しているものと思い、ぼくは橋を渡ろうとするが、同僚たちは「いや、こちら岸にあるはずだ」と譲らない。そう、ここはエジプトのカイロだったのだ。「ほら、高速道路に何台も車が停まっているでしょ? あそこが駐車場だよ」と言われて、よく見ると、確かにナイルにかかる高架橋の上にそういう場所が見える。Sさんはごきげんで、きれいな声で「冬のらららーん・・・」と歌っている。「これが今回のコンサートのテーマソングなのよ」。そう言いつつ、彼女はどこかへ姿を消した。
さて会社へ戻ろう。そのためにはどろどろの土でできたカリフラワーのようなものを伝い降りなければいけない。けれども、それはぼろぼろと崩れ、地表ははるかな下だ。とても危険な感じがする。
2月22日の夢(社屋改築)
勤めているS社の社屋が改築されることになった。会社の規模が拡大して、今まで使われていなかった三階や隣のビルも新たに使うことになるらしい。ぼくも隣のビルに移ろうと、旧社屋から出て、外から入ろうと試みるが、いくら探しても入り口がない。しかたがないので、旧社屋の三階から渡り廊下を使って入ろうとする。
ところが二階から三階に上る階段は、Iくんの指揮で工事中だ。全体が戸板のようなもので覆われ、足を乗せてみると不安定で、踏み抜いてしまいそうだ。Iくんに案内してもらい、階段の端の方をそろそろと上る。
ようやく三階に出る。今まで入ったことはなかったが、四方にガラス窓があり、素晴らしい眺めだ。ここにオフィスではなく、喫茶店をオープンすれば、きっと人気が出るだろう。しかし、ここは原宿の裏町で、表通りから引っ込んでいるのが問題かもしれない。
と思いつつ、実際に喫茶店をオープンする。すべては杞憂だった。お客さんがどんどん詰めかけている。
2011年02月13日
2月13日の夢(会社の引っ越し)
会社が引っ越した。新しいオフィスに落ち着くやいなや、業界団体の男性が書類に住所印や印鑑を求めてやってきた。すぐにはそれらを探し出せないので、後からまた来てほしいと答える。
夕方になり、また彼がやってきた。忘れていたので、慌てて探し始める。確か、引っ越しのときまとめて箱に入れようとして、すべてを集めるのに時間がかかり、最後に大慌てで箱詰めした気がする。だが、記憶がはっきりしない。新しいオフィスは3つの部屋に分かれていて、それぞれがかなり離れているのだが、どの部屋に置いたのだろう? 同僚のOさんも覚えていないという。早くもぼくはアルツハイマー病になってしまったのかもしれない。80メートルぐらい離れた別の部屋で探し、こちらの部屋で探し、やっと箱の山の中にそれらしいものを見つける。下からやっと箱を引き抜くと、まさしくそれだった。けれども、引っ越しと同時に社名も住所も変わったのだから、これらは役に立たない。新しい印鑑を作らなくてはいけない。
社長であるぼくの父親の部屋に行こうとするが、父親は今お風呂に入っているらしく、厚いカーテンが閉め切ってある。そうだ。新入社員の経理の男性が既に新しい印鑑を作ってくれているのではないか。経理の部屋へ行こうとして、ぴかぴかに磨かれた板廊下の上で、あわてて靴を脱ぐ。だが、社長室の近くなので、入れない。内線電話をしてみよう。ぼくは内線電話をかけるために、再び80メートル離れた別室に夜道を向かう。
2011年02月12日
2月12日の夢(靴がない)
S誌の同僚編集委員のN氏が新居に引っ越したので、遊びに行く。たまたまS誌の校正が出たところなので、それを見せると、「このページは筆者から自分の言いたいところがカットされてしまっている、とクレームが入っているんですよ」と注意される。その記事は見た目には一つの記事だが、二人の筆者が共同で執筆したものだと言う。ぼくは気づかずに、その一人の原稿のあらかたを省略してしまったのだ。それでは相手が怒るのも当然だ。ぼくはその場で、校正に赤字を入れ始める。
そうしている間にN氏は出かけてしまった。帰りを待っていると、新築祝いパーティーに集まった彼の知人たちが次々と詰めかけてくる。いずれもぼくとは面識のない人たちばかりだ。ベランダで男声・女声二人ずつで混声合唱をする人や、ピアノを弾く人もいる。ピアノがあるなら、ぼくも弾いてみたいと、そちらに行ってみる。てっきりグランドピアノだと思ったのに、置いてあるのは恐ろしく古い電子オルガンと、時代物のアップライトピアノだった。これでは弾けそうにない。
あきらめて帰ろうと思い、棚の上の荷物に手を伸ばす。ところが棚が斜めになっていたため、荷物が滑り落ちてある紳士に当たってしまった。紳士はぼくに文句を言う。ぼくは「詩人というのは、世界の悪の側の存在ですからね」と紳士に向かい、挑発的ににたりと笑いかける。そして玄関で靴を探すが、見つからない。見ると、壁一面が銭湯の脱衣所のようなさまざまな大きさのロッカーになっている。靴はこのどこかにしまわれてしまったらしい。一つ一つ開けて探すが、見つからない。
2011年02月11日
2月11日の夢(お弁当)
街の至る所で、地面にお弁当を広げて売っている。業者が乱立気味なので、競争も過熱している。抽選で当たると、もう1個お弁当をただで貰える。2個お弁当を貰っても食べきれないから、もったいないだけなのに。
2011年02月05日
3月5日の夢(交差点)
交差点の向こうは函館、こちらは青森だ。青森には友人のピアニスト、Tさんが住んでいる。彼女は函館に住む芸能人の男性に花輪を奪われたと訴える。正義感に燃えたぼくは、それを取り戻そうと函館に渡り、男性と対決して花輪を取り返した。だが、実はその花輪はTさんのお姉さんがこっそり事前にすり替えた偽物だった。男性はお姉さんにうまうまとだまされたのだ。とはいえ、花輪を取り返したのは、ぼくの手柄といえるだろう。
Tさんの友達のピアノの先生のところに、ぼくの娘がレッスンに通っている。ピアニストのМさん似の自慢の美少女である。だが、彼女はちゃんとレッスンに通っているのだろうか。妻は「もしかしたら、そういうふりをしているだけで、本当はさぼっているのかもしれない」と言う。Tさんに問い合わせても、多分分からないだろう。娘によれば「今日は風邪をひいているし、今学校が試験中だから、レッスンを短くしてもらった」とのことだ。
ぼくはある芸能人の男性をインタビューする約束で待機している。だが、相手がなかなか現れないので、ドアのところまで探しに行く。部屋には沢山のドアがあり、ぼくは男性が奥から二番目のドアから現れると思っている。しかし、開いたのは一番奥のドアだった。多分、そこから現れたのがぼくの待ち人だろう。ぼくはその男性の名前や顔を全く把握していなかったことに気づいて、慌てる。男性は黙って、ぼくの方に近づいてくる。間違いない。ぼくは自己紹介しようとしてうっかり「シチョウシャの・・」と言い間違え、慌てて「ソウシシャの一色です」と言い直す。男性はこんなに到着が遅れたのに、そのことを詫びようともしない。
2011年02月03日
2月3日の夢(会社はどこへ?)
市谷に黄色い電車が着いた。どうやら会社が新しく引っ越したのはこの市谷だったような気がする。降りなくては。電車は2階建てで、ぼくは2階に乗っている。下を見ると、階段が深い井戸のように続いている。あの穴の底に駅のホームへの降り口があるのだ。
ホームへ降りてみたが、本当にぼくの会社はこのあたりにあるのだろうか。飯田橋ではなかったのか。とにかく駅を出て、歩き出す。自分の会社の引っ越し先を忘れてしまうなんて、もうぼくはアルツハイマーになってしまったのだろうか。しばらく歩いていると、なんと会社が自分からぼくの目の前に現れた。小高いところにあるフツーの家。あれが新しいぼくの会社だ。
2011年01月28日
1月28日の夢(最後の合評会)
今日は最後の合評会なので、夫婦でぜひ出席させてほしいと、主宰者に頼む。すると、長方形に並べたテーブルの、左の短辺に講師が座るのだが、反対側の右側の短辺に夫婦で座るようにと言われた。とても嬉しい。
2011年01月27日
1月27日の夢(水銀調査)
部屋にいると、ベランダに通じる窓をおおった、帆のように大きなカーテンの向こうに二人の人影が見える。そして、二人の作業服姿の男性が「すみませーん」と言いながら、ずんずん室内に入ってくる。室内にはぼくと妻、息子、それに死んだ父親もいる。二人はガスか電気の修理人のような雰囲気だ。ぼくは二人が許しも乞わずに、ベランダから入ってきたことに腹を立て、「ちゃんと挨拶をして、許可をとってから入るべきだ。もう一度やり直しなさい」と説教をする。すると、年上の方だけがもう一度ベランダに出て、「水銀の調査に上がりました・・」と挨拶をし直す。若い方の作業員は、なぜかぼくの隣でそれを見ているだけだが、許してやることにする。二人が入ってきたとたんに、いきなり天井から雨のように液体が降り始める。これが「水銀調査」の試薬なのだろうか。慌てて家族に「何か蓋が開いているものはないか?」と尋ねるが、どうやら大丈夫らしい。
2011年01月25日
1月25日の夢(谷山浩子さん)
シンガーソングライターの谷山浩子さんと、もう一人の男性を仕事で撮影することになった。Iカメラマンが小物の撮影をいくつか終えた後で、その部屋で二人を撮影することになる。待機の間、隣のキッチンに行くと、柱の陰で二人がこそこそと立ち話をしている。ちょっと嫉妬心を覚えるが、気にしないことにして、撮影に使う小道具を探す。最初に目についたのは、経理用の帳簿だ。帳簿の紙はぼろぼろで、ひどく汚れている。「何かいい小道具はないかなあ?」と、ぼくは声に出してスタッフに尋ねる。何だったかは忘れてしまったが、格好のものが見つかったので、それを持ってみんなで元の部屋に戻る。ポーズをとった谷山さんは年相応に老けてはいるが、以前と同じ髪型で、あいかわらずだ。なんとなく視線を合わせるのが恥ずかしい。
2011年01月20日
1月20日の夢(読書ノート)
ノートに手書きのフリーハンドで縦の罫線を何本か引き、読書ノートを作っている。見た目は家計簿だ。読んだ本の特長を著者の言葉を使って、一番左の一番広い欄に書き込み、右のいくつかの狭い欄に、それについての補足的なデータを書き込んでいく。今書いているのは吉本隆明か吉増剛造か、そのどちらかについてだ。もう眠いのだけれど、作業が面白いので夢中になっていると、妻に「これがすんだら寝るとあなたが言っていたから、私も寝ようと思っていたのよ。それなのに、寝ないのはずるい」と言われる。しかたなく、中止して寝ようと、隣の部屋に移る。
隣の部屋には出窓があり、二人のおばさんが片付けのようなことをしている。ぼくはその出窓に、また新しいノートを開き、ボールペンで罫線を引き始める。この引き方で正しいのかどうか、またおばさんに片づけられてしまうのではないか、どちらも心配だ。おばさんたちが二人で話している様子では、どうやらもう帰るようだ。それなら心配要らないだろう。
2011年01月13日
1月13日の夢(新幹線の中の職員室)
ぼくは学校の教師だ。国語の試験問題を作らなければいけなかったことを思い出す。試験は週末だ。日曜日だった気がする。休日出勤は気が進まないが、もう火曜日なので1日でも遅い方が大助かりだ。手元のデスクに立ててある本や冊子から、書き取りの問題に出せそうな文章を手当たり次第に探すが、適当なものが見当たらない。早く帰宅したいが、なかなか帰れない。職員室は東北新幹線の中にあるので、最初都内を走っていた列車はもう仙台に向かって驀進している。とりあえず仙台まで行って、引き返してこようか。帰宅の時間が夜遅くなってしまうなあ。
2011年01月09日
1月9日の夢(会社)
会社に出社しようとしてバスに乗る。バスといっても、トラックのようで、運転席の前の外側に突き出した席に座る。走り出した瞬間、ぼくの会社は目の前のビルだったことに気づき、飛び降りる。バスにはねられるのではないかと不安だったが、大丈夫だ。
エレベーターを降りて、「おはよう」と言うが、自分のオフィスとそっくりなのらに、何か違う。課長も社員も見知らぬ人たちだ。一階下の営業部に降りてしまったのだ。ぼくは五階の販売促進部の社員なのだ。慌ててエレベーターに戻る。
目覚める直前、一人の太った女性が出てきて、「父!」とひとこと叫ぶ。
1月8日の夢(朗読会)
パーティーで詩の朗読をしている。手に原稿を持っているのだが、その原稿は卵など現実の素材を組み合わせたオブジェで、それを読み解きながら言葉にしていく。しかし、自分で作ったにもかかわらず、それがうまく読み解けず、意外に朗読に時間がかかってしまった。あと2つ、紙に書いた詩も読むつもりでいたが、それは中止し、司会者に「これで終わります」と言って、席に戻る。
2011年01月04日
1月4日の夢(長嶋さん)
ミスター・ジャイアンツ長嶋茂雄氏と一緒に、箱におさめられた金色に輝く壺を取り出している。6個の金の壺は皆同じ、カラオケマイクのような外形だが、中身はそれぞれ違うらしい。長嶋さんは2つのものを欲しいという。一つはジュース。もう一つは「苦闘」というように聞こえたが、はっきりしない。二人で1個ずつ壺の蓋をあけていく。ぼくが3番目にあけたのがジュースだった。長島さんに渡すと、とても喜んでくれる。だが、最後の壺の蓋をあけても、もう一つは入っていなかった。
2011年01月02日
1月2日の夢(初夢)
ぼくは学校の生徒である。日本の学校らしくない、伽藍のようなきれいな建物。校長は女性で、担任の教師は男性。担任教師はぼくの父親に似ている。クラスを横暴に運営しており、ぼくは反抗して、授業中も廊下に座り込んでいる。担任はそんなぼくに言葉でも肉体的にも暴力をふるうが、ぼくは屈しない。周りにクラスメイトたちも一緒に座り込む。そこへかたわらからパワーショベルが突っ込んできた。ショベルの先端がぼくの頭に振り下ろされ、寸前で停止する。そのため、ぼくは頭を動かすことができなくなるが、どうやら怪我はしていないようだ。
さすがに教師たちも心配して、ショベルを後退させて、「怪我はないか」とぼくに声をかける。ぼく自身は、負傷したのかどうか、あやふやな感覚でいる。
トイレに行く。女子中学生たちが沢山用を足しているので、彼女たちにかからないよう、気遣いながらぼくも用を足す。気遣い過ぎて、自分のズボンを濡らしてしまったことに気づくが、すぐに乾くだろう。
(パワーショベルは昨晩観た、マイケル・ジャクソンの「This is It」に出てきた重機の短期記憶が強烈だったためのようです)
2010年12月31日
12月31日の夢(1年を総括する夢)
旅行で温泉地へやってきた。登山電車に乗る。改札口で女の子がおしっこをしている。避けて通ろうとするが、もともと地面がぬかるんでいて、どうもその上を踏んでしまったようだ。
渓流の上を列車はすぐに走り出した。ぼくは慌てて急な階段を登り、すがりつくようにしてようやく機関車に入り込む。布張りのこの機関車に乗るのは規則違反だが、客車に移る余裕がない。その上、うっかり乗車口に靴を置いてきてしまったと思う。
帰りの列車では客車に乗り、吊革につかまる。登山口に戻り、靴を探す。駅は仕切りのない二間続きの和室になっていて、奥の部屋には男が一人座っている。ぼくは男に「失礼します」と声をかけ、そこから渓流に降りるが、靴は見つからない。上流からは定期的に温泉の残り湯が流されるらしく、乳白色の水が流れてくる。おまけに靴下をはいたままなので、靴下まで水浸し。しかたなく、その格好で温泉町に靴屋を探しに行く。腕時計を見ると四時五十分。五時五分集合なのに、間に合うだろうか。
町はお土産屋が軒を連ねている。靴を買うよりおみやげを買うべきだろうか。ある店の主人が道路にホースで洗剤をまいていて、そのオレンジ色の泡がぼくの全身にかかってしまう。踏んだり蹴ったりだが、ぼくはもう怒る気力も絶望する気力もなく、主人夫婦の前を通り過ぎる。すると、後ろから二人が四角い板を持って追いかけてきて、「すみません。これに乗ってください。お湯に入って洗い落としましょう」と言ってくれる。ようやく救われたと思う。
2010年12月30日
12月30日の夢(新人賞)
今日は新人賞の公募原稿の締切日だ。ぼくのミスで公募の宛先に社名を書かず、住所だけを書いてしまった。その住所はS社の前にある交差点になっている。S社に行く前、その交差点に寄ってみると、植込みの上に原稿を入れた封筒が置いてある。それを取って、S社に行き、担当のKさんからS社宛に来た原稿の束を受け取る。
そこまではよかったのだが、うっかりして原稿の束をどこかに置き忘れてしまった。さあ、困った。再び交差点に来てみると、また新たな公募原稿の封筒が置いてあり、それを取る。
再びS社に戻ると、もう誰もいない。昼休みなのか、年末休暇に入ってしまったのか。社内にあるすべての場所を探し、引き出しもみんな開けてみるが、やはり原稿の束は見つからない。
いつのまにかKさんが戻ってきていて、同僚らしいIさんというおじいさんと3人でS社を出る。外に出るためには同じビルの中の他社のオフィス2つを通り抜けなければならない。その2室は家具類はすべてあるのに、人の姿も書類も一切ない。
外へ出た。すると今度はIさんとはぐれてしまった。八百屋か何かの店の壁にある鏡にIさんの姿がちらりと映った。とすると、このあたりにいるのかと振り向いてみるが、Iさんは見つからない。
2010年12月27日
12月27日の夢(新幹線と雪)
新幹線に乗った。車両ごとにいろいろな座席になっている。バスみたいな座席もあれば、都電みたいなやつもある。何両か通り過ぎるが、ぼくの座れる席がない。山手線のような席の配置になっている車両に、席が空いていたので、そこに座る。
ぼくは出張帰りで、手にしていた白い校正刷りの冊子を眺め始める。と、ぼくの隣に見知らぬ男が一人座った。次の駅で、男の同僚らしい女性が乗り込んできて、ぼくの隣に座る。二人は仕事の資料を座席の上に並べて仕事を始めた。
ぼくはトイレに行きたくなった。二人に席をとられてしまわないよう、白い冊子を席に置く。トイレは多分右手にあるという気がするが、そこは左側の連結部に近い場所なので、念のために左の連結部を覗く。やはりそこにはない。右の連結部に行ってみるが、そこにもない。トイレを探して、何両も車両を通り抜ける。そのたびにさまざまな車両があり、ついに明るいお日様のさんさんと当たる公園のような車両に行きつく。そこでは子供たちが楽しそうに遊んでいる。
ぼくは息子と二人で塔に登ることにする。なぜかぼく一人が先に上がってしまい、いざ降りようとすると、雪が階段に降り積もって、すべりそうでとても怖い。手すりに両手でつかまって、必死で降りる。ほかの人たちは誰もそんな無様な降り方をしていないので、カッコ悪いなあ。でも降りてみると、意外に簡単に下まで降りられた。そこに息子がいて、知らない女の子と話をしている。早く塔に登るよう、声をかけて通り過ぎる。しかし、サングラスをつけたあの男は本当にぼくの息子だったのだろうか?
2010年12月22日
12月21日の夢(父親)
明日X社からオーディオ機器を借りることで、電話で話がついた。明日出社したらゆっくりこちらの製品の試聴テストをしようと思う。ところが父親が横から口を出してきた。「今日、他の機器のテストをしたい。スピーカーやアンプを一つずつ取り外し、お前がX社から借りる新製品とつなぎかえて、テストしよう」と言う。そんなことしたら、今夜残業になってしまうし、X社から明日でなく今日のうちに機器を借りられる保証もない。無理な話だと思うが、黙って話だけ聞いてやる。
2010年12月19日
12月19日の夢(映画祭)
高崎映画祭に行くことになった。同行する男女は兄と妹の間柄のようだ。ぼくが一番先に出発したのに、坂道で妹の方に追い抜かれる。どんどん駆け下りていく妹を見て、兄の方は「母に急いで渡したいものがあるからでしょう」と解説する。彼女が母親に渡したいものとは麻薬である。ぼくも急ごうと、お尻を地面につけて滑り降りる。
高崎映画祭は学校の校舎を会場にして行われる。到着したときには、その廊下は人々でいっぱいだ。その中をかき分けかき分け、母親のいるはずの部屋へと近づく。少年が「ぼく、風邪をひいて喉が痛い」と大声で言い、すぐに小声で「嘘だよ」とつぶやく。「だって、風邪をひいていると言えば、長く父さんといっしょにいさせてもらえるでしょ?」と彼は言う。
2010年12月16日
12月16日の夢(東京の中の森林)
楽器店の取材に行った。簡単にオーナーのインタビューを終え、帰ろうとしてこれはクライアントのX社の担当者との同行取材のはずだったことを思い出す。失敗したなーと思っていると、当の担当者がやってきた。彼は「ぼくは異動が決まった。異動先にこの件の責任を持っていきたくないから、ちょうどよかった」と言ってくれる。
しかし、帰途について、さらに重要なことに気づく。写真を撮るのを忘れていたのだ。慌てて戻り、カメラを覗くが、楽器店のビルが大きすぎて、入りきらない上、全体が工事用の布でおおわれていて、うまく撮れない。周りを見回してみると、東京のはずなのに、あたりは鬱蒼とした森林と丘陵が続いている。都内にこんな場所があったのだろうか。
2010年12月15日
12月15日の夢(透明トイレ)
会社を出る前にトイレに寄っていこう。2つあるのだが、一つは女性には使いづらい構造になっているから、男性であるぼくはこちらを使うべきだろう。それは隣家との境目にあって、テーブルのような板がついている。まずこの板を蓋のように開けて、便器に向かう。隣家との間の壁は透明で、すぐ至近距離の右側に、紳士がタバコをふかしながら座っている。ぼくのおしっこはそのすぐ目の前の空中に流れ出すので、とても不安だが、紳士は知らん顔をしている。左奥には眼鏡をかけた中年の女性が立ち働いているが、彼女も知らん顔をしている。
2010年12月14日
12月14日の夢(ネット紙)
パソコンを通さず、直接ネットにつなぐことのできる紙ができた。A4判くらいの紙で、小さな装置が点々と紙に貼り付けてある。この一つ一つが何かのソフトらしい。
最初、使い方がわからなかったが、コンセントから伸ばした白い電線の先を、紙の細い管にちくっと刺すと、そこから白い光が紙の上にゆっくりと広がっていく。ソフトが起動して、紙のあちこちから小さな音量でメロディが聞こえ始めた。
ぼくの部屋の白い壁が半透明になり、その向こうの部屋にいる少女が、ぼくがネット紙の接続に成功したのを妬んでいるのが感じられる。
2010年12月09日
12月10日の夢(身障者施設)
秋田の身障者施設を取材で訪ねる。ここを訪れるのはもう何回目だろうか。女性の園長にインタビューした後、子供たちのいる部屋を2つ横切る。ふすまを開けながら「入っていいですか」と言うと、最初の部屋はすんなり入れたが、2つ目の部屋で「今着替え中だからだめ」と制止される。女の子たちが着替え終わるのを待って、さらに先へ進む。
そこは広いホールで、白いシャツに白いパンツの男の子たちが運動会をしている。あれ、ここにこんな部屋があったっけ? と戸惑う。男の子たちの席の間の通路を進むが、子供たちが邪魔で進めない。わきの通路を使って、ようやく出口にたどりついたところで、逆にそこから入ってきた中年のがっしりした男に誰何される。男はぼくが怪しい侵入者だと誤解したらしい。しかし、よく見ると、彼は以前の取材でも会ったことがある。そこで、「ぼくはもう3回、いや5回も取材に来ました。あなたの顔も覚えていますよ」と言う。相手はようやくぼくを思い出し、隣にいた同僚に「この人は定年で退職された後も、こうしてフリーでやっておられるんです」と、ぼくを紹介する。これで、ようやく外に出られそうだが、かんじんの靴を園長室の玄関に置いてきてしまったことに気づく。おまけに男に挨拶しようと、懸命にポケットを探るのに、名刺が見つからない。
12月9日の夢(花粉まみれ)
ぼくはまだS社の社員らしい。そこへ元社員の女と男がやってきた。その二人とぼくとは何十年も同僚だったのだが、最近二人はあるコンクールで第一位に輝き、今日は凱旋のような感じでやってきたのだ。二人が持ち込んだ賞品がまるでひな壇のように並んでいて、社員たちが嘆声をあげて眺めている。ぼくはいやな気分になるが、一応見に行ってやる。すると女が「天井を見て! 孔があいているでしょ? あれは私たちの育てた植物が天井を突き抜けて、空にまで伸びたせいなのよ」と自慢そうに言う。いやみな女だ。
そこは会社の中なのだが、大きな街路樹の繁る何車線もある道路の上でもある。ぼくらはその木陰にデスクを並べて仕事をしていたのだが、席に戻ろうとすると、ぼくのデスクは二人の祝賀会に持っていかれてしまい、残っているのは椅子だけだ。しばらくぼけーっと椅子に腰かけているが、馬鹿馬鹿しいので社外に出る。
そこは広場になっているが、ぼくの周りはなぜか人けがない。面白い本が並んでいる古本屋が目に入り、中に入ってみる。しかし、意外にたいしたものはない。店主が立ったまま、ぼくを見ているが、その視線を受け流して、また外に出る。
舗道に腰をおろし、ぼくは持っていたビニール袋を開ける。中には黄色い花粉がたくさん入っている。うっかりぼくはそれをこぼしてしまい、服が上から下まで、黄色い花粉だらけになる。恥ずかしいので、立ち上がり、はたきながら舗道を歩く。何回ぼくは同じ失敗を繰り返すのか。本当にいやになるよ。
2010年12月08日
12月7日の夢(床屋)
有名人の床屋さんを三人のクルーで取材にきた。クルーの一人は女性だ。待たされていて、なかなか取材が始まりそうにないので、ぼく一人だけ外へぶらぶらと出る。
ところが外からふと店内を覗きこむと、二人の仲間の姿は消えている。ということは、ぼくを置いて、取材がどこかで始まってしまったということだろうか。
しかたがない。そのまま帰宅することにし、電車に乗り込む。立ったまま本に夢中になっていたが、駅名のアナウンスを聞いて驚く。「いわき」だという。そういえば、さっき路線を間違えた気がしたのに、読書に我を忘れてよく確かめなかったのだ。ドアが閉まる前に、ホームへ飛び出そうか。しかし、なにか恥ずかしいので、次の駅で降りて戻ろう。これではいつ家に戻れるのか、わからない。
2010年12月04日
12月4日の夢(円盤実見記)
クライアントの女性にプレゼンをしようとしている。プレゼン用資料に、戦後、UFOの搭乗者である宇宙人と会ったとして有名になったアリンガム氏のことが書いてある。それなら彼の著書「空飛ぶ円盤実見記」を資料として用意した方がいいだろうと、テーブルの上の本の山から抜き出す。しかし、手にしてみると、それは原本ではなく、要点をレジメにまとめた資料だった。しかも、これからプレゼンする相手の女性用にまとめたものである。
アリンガムの「空飛ぶ円盤実見記」は実在する本です。もちろん内容はでっち上げだと思いますが。
2010年12月01日
11月30日の夢(悪夢)
退職したはずなのに、まだ会社で働いている。クライアントのために、ラフを作って、プレゼンしなければならない。銀座の広い舗道には大きな電話ボックスのようなガラス張りの休憩所が点々と並んでいる。その中にいろいろな品物を置いては写真を撮る。その写真をレイアウトしてプレゼンするのだ。一つ一つボックスを移動しながら撮影するので、大変な手間だが、わざわざ移動する必要などないことに気づく。だが、外に出て振り返ると、もう休憩室には別の人が入っていて、戻ることができない。
とりあえず会社に帰ってきて、手書きでラフを作り、癌でとうに死んだはずの社長のNに見せる。Nは一瞥して「気に入らんな」と言って、突っ返してくる。だが、ほかにどうしようがあるというのだ。大体、ぼくはこの会社を退職したはずなのに、なぜこんなことをやっているのだろう。
目覚めると、隣の布団に父が寝ている。30年前に死んだはずなのに。布団をまたぎこすとき、少し父の体を踏んだようだ。廊下の窓から競技場が見える。そこで慶応のラグビー部が試合をしている。姿は見えないが、母の声がして、「さっきまでおばあちゃんが慶応の歌をうたって、応援していた」と言う。もちろん祖母の姿も見えない。寝床に戻ろうとすると、寝たまま父が「さっきおれを踏んだだろう」と、ぼくを詰る。あいかわらずいやなやつだ。
2010年11月22日
11月22日の夢(沖縄の奈良)
沖縄にある奈良の町に三日間の予定で旅行する。そのうち一日を使って、インドネシアまで遊びに行く予定で、既に航空券も用意した。
ところがすっかり計画が狂ってしまった。奈良に着くなり、殺人事件を目撃してしまったからだ。ぼくは新聞記者なので、その記事を今夜中にも書いて送稿しなくてはならなくなった。いや、殺人事件と合わせて、本来奈良で聴きに行く予定だった詩の朗読イベントの記事も書かなくてはいけない。
殺人事件といっても、ぼくは現場を見ただけなので、殺された被害者が誰かすらわからない。どうせ本土の新聞にはもう報道されているだろうから、自宅に電話して、妻にその切り抜きをFAXしてもらおうかと思うが、それより奈良で詩のイベントにも参加する予定だと言っていた女性詩人のBさんに聞けば、両方のことが一度にわかって、効率的だと気がつく。
というわけで、Bさんにそれらの件を依頼し、「ぼくはこのホテルに泊まっているから、ここに連絡して」と、自分の宿泊先を書いたメモ用紙を渡そうとするが、見当たらない。何度もポケットの中身を全部出してみるが、ないのだ。ぼく自身、まだチェックインしていないので、自分の宿泊すべきホテルさえ分からなくなってしまったことに愕然とする。
2010年11月19日
11月19日の夢(なげやり床屋)
床屋へ行った。床屋はアメリカの詩人ガンダーさんだった。ぼくの頭を途中まで刈ってくれたのはいいが、「他の客を待たせているから」と言って、途中でやめ、ぼくを和風旅館のようなところへ連れていった。そこにも外国人のグループがいて、ぼくは一人だけその中に放置される。さんざん待ってみるが、床屋は戻ってこない。ぼくは手で自分の後頭部を確かめ、「まあ、これならいいか」とあきらめて、そのまま町に出る。
2010年11月17日
11月17日の夢(倒産寸前)
会社がもうつぶれかけている。会社は2つ建物があり、一つは覚王山のバス停、もう一つはその先のバス停近くにある。
社員たちは同じバスに乗って、会社に向かう。バスの中で個室の鍵を受け取り、降りていく。ぼくは覚王山で降りなくてはいけないのに、ぼーっとしていて、発車寸前に慌てて降りる。他の社員たちは皆これから残業するつもりのようだが、ぼくはしばらく考えた末、交差点を渡って、そのまま家に帰ることにする。
(覚王山は名古屋のぼくの実家のあった場所)
11月12日の夢(失恋の染み)
会社の台所を覗くと、女性社員が洗い物をしている。彼女の体に触れたい、と思う。すると、ぼくの視線に気づいたのか、彼女が振り返り、「このタオル、女の力ではしぼれないの。男の人の力でしぼってくれませんか」と言う。承知してタオルを受け取る。タオルには真っ黒な染みがついている。それはぼくが若き日に大失恋したTの思い出だと直感する。思い切り絞ると、水が飛び散って、台所の棚のあちこちがびしょ濡れになる。
2010年11月10日
11月10日の夢(無差別投石)
交差点にある大きな店の前で、眼鏡をかけた若い男が誰かに向かって説教をしている。「おまえなあ、二十歳のおまえと、昭和20何年生まれのやつでは、違うのがわかるだろ」と言う。顔を見ると、秋葉原無差別殺人の犯人に似ている。説教されている側が何かを言ったらしく、男は「じゃあ、これはどうだ」と言って、持っていた一掴みの小石を店の屋根に投げつける。石は雨あられと通行人に降り注ぎ、ぼくも頭を手でかばって逃げ回る。たまたま店の前に警官がいて、もっそりと警棒を抜いて構えた。それを見て、周りを囲んだ報道陣が高く手を上げてカメラをかまえたり、マイクを掲げたりする。すると、犯人の男も笑顔でみんなといっしょに両手を空に突き上げて、ポーズをとる。みんなが自分をつかまえようとしているのに気付いていないのだ。「自分もやってるよ」と、呆れた通行人たちから声が上がる。
11月9日の夢(双子のような夫婦)
ぼくの在籍していたS社の業績が悪くなったので、退職し、新しい会社に入った。バスで通勤する上野あたりにある会社だ。
そこには詩人のR夫妻がいて、二人はまるで双子のようにそっくりだ。夫の方は物静かな人だったはずなのに、電話で長話するなど、かなりうるさい。夫婦でセールスに二人が出てしまったあと、ぼくは埃まみれの自分のデスクを雑巾で拭いている。すると、女性社員が「この会社は汚れっぱなしだから、そんなことしなくていいのよ」と言う。でも、ぼくは性分がきれい好きなので、彼女のアドバイスを無視して拭き続ける。
2010年11月05日
11月5日の夢(地下住宅)
昨年亡くなったはずの詩人AY氏ともう一人の詩人が、大分で地下住宅を建てて住んでいる、という記事が、タブロイド判の新聞に出ている。早速、大分にその家を訪ねる。地下だから窓はないが、部屋は広々としており、一室にはお雛様が飾られている。「こういうことをするのが東京の男さ」とAY氏は胸を張る。
11月4日の夢(女性専用バス)
女性だけが乗れるバスに、ぼくは一人だけ男なのに乗っている。トイレを探して、バスの前部に行くが見当たらないので、戻る。通路に客が寝転んでいるのをまたいで、自分のもといた席を探す。バスの車体は真ん中で直角に右に曲がっている。
バス停で停車した。停留所名を見ると「多摩が丘」とある。ぼくはそこで降りるつもりはない。渋谷で降りようと思ったのに、新宿で降りてしまう。
お店に入ったところで、携帯が鳴る。バスに同乗していた女性からだ。2度鳴るが、2度とも取り損なう。慌てて店の玄関口から外に出て、こちらから逆電すると、すぐ女性が出て、「多摩が丘」について質問してくる。「多分新しくできたニュータウンだと思うが、ぼくはよく知らない」と冷たく言って、電話を切る。
2010年10月21日
10月20日の夢(映画の撮影)
昨年まで在籍したS社。今、怪獣映画を撮影中で、会社はほとんど外部の撮影チームに乗っ取られたような感じだ。Uカメラマンの部屋へ行くと、彼は暇そうにベッドに寝転んで、文庫本を読んでいる。その手前では営業部長が母子と打ち合わせをしている。盗作スキャンダルで世間を騒がせた母子かもしれない。ぼくはしかたなく、すぐ引き返す。
すると、街角でふいに後ろから、ぽんと肩を叩かれた。Uカメラマンである。「なんだい。打ち合わせ中なので、帰っちゃったのかい?」と磊落な様子だ。
映画の打ち合わせが終わったらしい。撮影チームが一斉に動き出し、撮影がスタートする。その瞬間、Uカメラマンが小さなカメラを奪い取り、撮影チームを反対に撮影しだす。「おいおい、何をしているんだ」と撮影チームが騒ぎ出すが、無視する。
現像したフィルムを試写する。「ほら、これ」とUカメラマンが画面を指さす。船を怪獣が襲撃するシーンだ。彼が何を指さしたのかわからないまま、ぼくは「どんな高さから、どう撮ったのか、これではわからない」と批評する。プロデューサーも「なるほど。あいつはどう模型を作るかはわかっていても、撮り方がわからないのだな」と言い、すぐに撮影中止を指示する。スタッフたちは皆、ほっとした表情で直ちに解散する。
2010年10月17日
10月14日の夢(大津波)
世界が最後を迎えようとしている。海からもうすぐ大津波が押し寄せてくるのだ。しかし、建物にはサバイバルルームが設けられており、ぼくもその中に隠れる。さらに津波を攻撃して、それを無力にする防御システムもあり、ぼくはそれを操作する。しかし、本当に巨大津波が襲来したら一巻の終わりかもしれない。警報が鳴った。ぼくはシェルターの中に走りこむ。
2010年10月16日
10月11日の夢(エレベーターの穴)
ホテルに泊まり、朝、フロントに降りる。妻に代金8000円を持ってきてもらう。だが、まだ部屋に荷物を置きっぱなしだった上、靴下をはき忘れていることに気付く。部屋に取りに戻ろうと、エレベーターを運転する。紙の束をエレベーターの操作盤の穴に突っ込んで運転するのだが、どうしても目的の階に停まることができず、上ったり下ったりを繰り返す。、
2010年10月12日
10月10日の夢(人々が消えていく)
困ったとき、ぼくがいつも行くレストランがある。そこに行くには、鉄道のレールの上を歩いていかなければならない。レールの上を沢山の車が走っているので、それをよけながら歩かなければならず、ちょっと一苦労だ。しかも、レストランは森の中にあり、入るためには鉄格子のはまった窓から、入らなければならない。窓に這いあがり、狭い鉄格子の中に体を押し込む。皆が中から引っ張り込んでくれた。
だが、この世界からぼく以外の人が消え始めた。電車の運転手は、運転しながら電車ごと消えていった。プールを泳いでいる女性は泳ぎながら消えていく。ああ、みんなみんな、行ってしまう。
10月8日の夢(着信あり)
校正が出たので、早く持っていかなければと思う。だが、ぼくは上着こそスーツを着込んでいるが、下は半ズボンだ。みっともなくて外出できない。どうせ、この仕事は上の許可が下りず、進行を止められているのでXX(メモの判読不能)でいいかと思いなおす。取材先の母子にだけ見せに行こうと、保育園を訪ねる。お母さんに「早く発行してほしい」と言われるが、許可が下りるまでは無理だ。外国の大使館へも校正を届ける。ここでも進行がストップしてしまう。帰社すると携帯が鳴った。「着信あり」と表示されているが、誰からか分からない。
10月6日の夢(花のサラダ)
未来の世界に来ている。妻と二人でレストランに入り、ランチのセットメニューを三つ選んでオーダーする。ウェイターが「それだと、野菜が一つも入りませんが」と言うので、他のメニューから花のサラダを頼むことにする。
2010年10月03日
10月2日の夢(赤いセーター)
Y社の広いオフィスに写真を届けに行く。広大なオフィスには沢山のデスクが並び、窓際に一番偉い人の席があるのが見える。今は昼休みらしい。見渡すが、ぼくが写真を届けるべき人が誰なのか、分からない。誰かに「○○さんはいらっしゃいますか?」と尋ねようと思い、入っていくと、奥にいる一番偉そうな人がいきなりぼくの名前を呼び、「誰を探しているの?」と親しそうに話しかけてきた。この人がぼくの探していた人なのだろうか。ともかく抱えていた紙袋から写真を出し、相手に見せる。まだ銀塩フィルムの時代らしく、ぼくの手渡したのはフィルム全体を一枚の印画紙に焼き付けたいわゆるベタ焼きだ。その人は「紙焼きはないの?」とぼくに言う。「まずベタで見ていただいて、選んでいただいたものを紙焼きします」とぼくは答える。周囲の人たちもえらい人のデスクに集まってきて、写真を覗きこむ。コンサートグランドピアノを弾くピアニストの演奏写真だ。ふと気付くと、ぼくは写真を入れてきた紙袋と、赤い色のセーターを床に落としてしまっていた。拾おうとすると、セーターを誰かの足が踏んづけてしまっている。引っ張って、やっと拾い上げる。それにしても、ぼくの名前を知っているこのえらい人は、誰なのだろうと考える。
2010年09月30日
9月30日の夢(また小学生)
ぼくは小学六年生。担任の先生から五時からホームルームをやるので、机を四角形に並べておくように言われる。みんなで並べ終わり、待っているけれど、ちっとも担任は現れない。六時近くなって、やっと校長先生と担任が現れた。しかし、二人とも座ろうとせず、校長はぼくに通り過ぎざま、「読むか」と言って、一冊の本を手渡す。この学校の卒業生でサックス・プレーヤーになった男の自伝らしい。写真が沢山ついている。ぼくはパラパラ読んで、隣の生徒に回す。彼は本を開こうともせず、隣の男の子に回した。
ホームルームの議題は、来年から体育着のデザインを変えることだった。もう六年生で、三月で卒業してしまうのだから、いまさら新しい体育着を買いたくないとぼくは思う。
それにしても、せっかく大学まで出たのに、なぜまたぼくは小学生をやっているのだろう。来年からは中学進学だ。こないだも妻に「中学卒業後はどうするの」と聞かれ、「高校へ行くんだ」と答えたばかりだ。なぜ、ぼくだけがいつまでも学校に行かなければならないのだろう。
ふと見ると、廊下に置かれた椅子にクラスメートたちが座っている。ぼくも空いた席に腰を下ろすが、座席の幅が小さすぎて、座り心地が悪い。これは座席がたたまれたままだからだ。たたまれた部分を引き出して座ると、普通の椅子になった。
2010年09月29日
9月29日の夢(津波)
理由は分からないが、ぼくは何か問題を起こしたらしく、人々から激しく追及を受ける。
外へ出て、列車に乗る。窓から見る外の風景は想像を絶するものだった。近代的な都市の景観はそこにはなく、昔風の日本家屋が建ち並んでいる。それを海から押し寄せた大津波が次々と押し流していく。海岸線には巨大な青鷺がたくさん羽を休めている。そして青い制服に身を包んだ不気味な若者たちの集団が、そこここで無言の行進をしている。彼らは津波の惨状には見向きもしない。
2010年09月27日
9月27日の夢(医療検査サービス付きバス)
仕事で遅くなったので、若い同僚たち二人とタクシーに同乗して帰ることにする。三人とも中央線沿線で、ぼくが一番近い。「自宅までそれぞれ寄ることにしていいかな」と確認してから、タクシーに乗る。しかし、若い二人はそのまま帰宅せずに、タクシーをあちこちのお店に載りつけて遊んでから帰るので、早朝の四時になってもまだ帰りつかない。
バスに乗っていると、男の車掌が「これからサービスで医療検査を行います。ご希望の方はお申し出ください」とマイクでアナウンスし、乗客に検査表を配って歩く。ぼくは「もう降りる停留所ですから」と慌てて降車ボタンを押すが、そこは新橋なんとかというバス停で、まだぼくの目的地には遠かった。
座談会の立ち会いに行く。上司である詩人のY氏がなかなか現れない。ようやく定刻ぎりぎりに窓越しにやってくる姿が見える。ぼくは「あの人は太っているからすぐわかるよ」と言う。座談会が始まると、なぜかぼくらは立ち会わなくてもいいことになり、他のお店でのんびりお茶を飲んでだらだらする。ぼくは会場に早く戻りたい。だが、みんなは「今日は会社から半休を与えられているから、こういう日は夕食も会社から出るんですよね」と言う。ぼくが「食べないで帰ります」と言うと、みんな白けてしーんとしてしまう。
9月26日の夢(停電)
カセットのテープレコーダーを使い終わり、イヤホンのプラグを引き抜いたとたん、ショートしたらしく、オフィス中の電源が落ちてしまい、非常燈だけになる。社員たちから「あっ」という悲鳴のような声が上がる。
9月25日の夢(エスパー戦争)
出張に出かける前、駅で休憩する。ちゃんと個人用の待合室が地下にある。広大な敷地にいくつも部屋があり、庭もあって、そこには別棟も建っている。どうやら老夫婦が別棟で休憩しているようだ。
ぼくは奥の広い一室を一人で占有している。そこへ間違って、他社の若い男女社員ががやがやと入りこんできた。「きみたちの部屋は、その障子の向こう側までだよ」と注意する。そのままぼくは眠ってしまう。気づくとまた若い女性二人がぼくの部屋に間違って入りこんできた。二人はぼくの枕元まで来て、初めてぼくの存在に気づき、驚きのあまり悲鳴を上げようとするが、恐怖のあまり声も出せずにその場に倒れこむ。ぼくはなんとかして目を覚まし、彼女たちの方を振り向こうとして手を振り回すが、どうしても起きることができない。
ぼくは実は超能力者なのだ。出張先は戦場で、エスパーどうしの戦いになる。だが、なんとかぼくは無事に自宅に帰りつくことができた。部屋の中はめちゃくちゃの散らかりようだ。そんなぼくを見て、妻も文句を言えないようだ。こないだ買ったばかりのサマージャケットをぼくは懸命に探すが、どうしても見つからない。
2010年09月24日
9月24日の夢(システムオムライス)
レストランの食券売場で行列している。一番前に並んでいるのは女子大生。次がぼく。ぼくの後ろも男女の学生たちだ。オーダーする直前になって迷い、行列を離れてショーケースの見本を見に行く。よし。やっぱり「システムオムライス」にしよう。それに、ぼくの後ろの女子大生も迷っていたらしく、間を詰めなかったので、そのまま2番目でぼくはシステムオムライスの食券を買う。食券を売るのは民族衣装を着た若い女性。ぼくが1000円札を出すと、勝ち誇ったような顔をして、「システムオムライスは値上げしたので、1125円よ」と言う。慌てて百円玉を追加する。「あと25円」と言われ、財布を覗くが5円玉がない。彼女に10円玉を三枚渡し、「つりは要らないよ」と言う。
その間に後ろに並んでいた学生たちが次々とテーブルを占領する。慌てて、自分の席を確保する。システムオムライスが運ばれてきた。食べようとして、ぼくのシステムオムライスは半分大皿からテーブルの上に飛び出してしまった。箸でつまんで懸命に皿に戻そうとするが、どうしても全部は戻らない。量も少なく、これではお腹がいっぱいにならない。ほかの学生たちの食べているのを眺め、「こんなことなら、普通のオムライスにすればよかった」と後悔する。
2010年09月23日
9月23日の夢(手帳式携帯電話)
妻とツアーに出かけた。高層ビルにみんなで上り、いっしょに降りてきたはずなのに、妻だけが見当たらない。みんな妻を待って、待機する。
と、妻が降りてきて、「途中で親戚のおじさんに会って、話しこんでしまったの」と言う。ぼくは妻との再会に嬉しくなり、ツアー中であることを忘れて、次の駅まで二人だけで行ってしまう。そこで失敗に気づいたが、しかたなくそこで待っている。すると、後からみんながやってきて、「ああよかった。ここにおられた」と言ってくれる。
再び旅を続けたが、また別の高層ビルに上って、地上に降りてくると、今度はぼくと妻だけで、みんなの姿がない。妻は「私が探してくる」と言って、単身ビルに登っていく。やがて、みんなは降りてきたが、妻だけが降りてこない。携帯電話をかけようとするが、携帯を買い換えたばかりで、使い方が分からない。システム手帳のように、ページをめくれる多機能携帯だ。一体、どのページで電話をかければいいのだろう? ぼくが困っていると、Y社のN氏が「このページが電話だと思うよ」と教えてくれるが、まだ妻の携帯の番号を登録してないことに気づく。延々と、このシーンが悪夢となって続き、ついに起きてしまった。
トイレに行って寝なおす。次の夢でもぼくはツアー中で、広島近くの空港に降り立った。ぼくだけ一人みんなから遅れて、待合室に着く。そこで椅子に座って待っているが、ツアーのメンバーは誰もいない。ほかに出口や待合室があるりかもしれない。チケットを持って、窓口の女性ら尋ねると、「ちょっと待ってください」と言ったまま、彼女は戻ってこない。再びぼくは悪夢の中に取り残され、四時間たっても、そこから出ることができないままだ。
2010年09月20日
9月20日の夢(火事)
大きな2階建の家に住んでいる。知らない男が何人か招かれてもいないのに、朝食のテーブルについている。パンは自分で持ってきたようだが、そのうちの一人が図々しく「コーヒーはありませんか」と声をかける。妻は「コーヒーはありませんが、これはいかがですか」と言って、ぐつぐつ煮え立っている大鍋の中身を見せる。昨日の夕食の残りのほたてなどが、煮えたぎっている。
電気カミソリが壊れたので、新品を買ってきたはずなのに、髭を剃っているのは古い壊れたカミソリであることに気づく。使っているうち、ますます壊れて、シェーバーの3分の1くらいがごっそり崩れて、なくなってしまった。「せっかく買ってきたはずなのに」と妻に言うが、妻はとりあわず、2階にお客を連れて上ってしまう。ふと見ると、壁に取り付けられた棚のあちこちから配線がショートして、火花が上がっている。「火事だ!」 お手伝いの女性が気づかないので、指をさすと、やっとわかったようだ。大声で妻に「火事だ! 1階が火事だよ!」と叫ぶが、声がかすれて小さな声しか出ない。2階に上り、出ない声をふりしぼって何度か叫ぶと、やっと妻にも通じたようだ。階下に戻ると、水をためた大きな金盥が床に置かれている。ぼくは消火のために、それを抱えて火元に近づく。
2010年09月17日
9月17日の夢(エレベーター電車)
会社の中に、小説を書いている者が二人いる。一人はぼくで、もう一人はKという女性だ。Kの書いた小説は90枚。しかし、ある部分だけが異様に長すぎるので、そこをコンパクトに削って、5枚ぐらいにしてはどうかと、ぼくは忠告する。
そういうぼくの小説も70枚に達したが、そこで原稿用紙がなくなり、用紙の束の裏紙が見える。しかたがない。今日は早じまいをして帰宅することにする。両開きの重い扉を開けて、廊下に出る。閉めようとすると、ぼくに続いて出ようとする男がいたので、そのままにする。
エレベーターの前で待っていると、ドアが開いた。総武線の黄色い電車がすべりこんできた。しかし、エレベーターのドアと電車の間には段差があり、電車は少し下の方に停まっていて、誰も乗ることができない。
9月15日の夢(ヴァーチャルな巨大ライオン)
廃墟のような世界。今は核戦争後なのだろうか。人々はコロニーに分かれて生活している。コロニーの窓を開けると、隣の建物が見える。それは格納庫のような巨大な建物で、内部には黄金色に光り輝く巨大なライオンが何頭も見える。あれはヴァーチャルな3D映像なのだろうか。それとも本物の巨大化したライオンだろうか。
ぼくは外出しては泥棒をして暮らしをたてている。見渡す限り地面は掘り返されて、工事現場になっており、なんだか怖い。警備員たちもここかしこに見える。通行禁止なのかとびくびくしながら通るが、とにかくどこもかしこも工事なのだから。通行禁止措置はとられていないらしい。
9月14日の夢(寝息の電話)
電話が二本同時に鳴った。印刷屋さんからだ。慌てて二本の受話器をとり、どちらに先に返事をするか迷う。一本目に「もしもし」と言うが、聞こえるのは「ぐーぐー」という寝息ばかり。もう一方を耳に当てるが、そちらも「ぐーぐー」。どちらも起きてくれない。困った。
9月13日の夢(引き抜かれぬソケット)
ある歌手のファンクラブに入ることになった。入会するためのマニュアルが届いた。そろえなければならない電気システムの配線図が入っている。壁の中に設置する機器の見本も入っている。それらは壁から引き抜かれたばかりらしく、壁土やちぎれたコードがくっついている。まるで地面から収穫されたばかりの野菜みたいだ。見本付きなのは、ぼくが特別扱いされているからだろう。プライドが刺激されて、熱心にマニュアルを読む。
2010年09月10日
9月10日の夢(地下ネットワーク)
御茶ノ水駅に入ろうとする。改札口は円形の柵に囲まれていて、2か所に駅員のいる改札がある。1か所に切符を投げ込むが、ぼくだけ入れない。何食わぬ顔をして、反対側の改札に行く。改札の駅員に入り方を教えてもらい、ようやく入場する。ホームには垂直のはしごを登らなくてはいけない。途中で別のはしごに乗り換えて、苦労してやっとホームに出る。
食堂に入る。沢山の人々がいくつかの円卓を囲んで食事している。荷物を預けるように言われ、大きなスーツケースを床板の下にある荷物置き場に入れる。食べ終わり、帰ろうとするが、そこに置いたぼくのスーツケースがない。もう一人、荷物がないという男とともに、女主人を呼ぶ。荷物置き場は地下深く広がっていて、もう一人の男の荷物は洗浄機にかけられていたのが見つかる。ぼくの荷物だけない。もしかしたら、機械が勝手に自宅あて発送してしまったのかもしれない。その確認にはあと1時間かかると、女主人は言う。地下には都市全体に張り巡らされたそんなネットワークがあったのだ。
2010年09月08日
9月8日の夢(縦長の映画館)
医院の待合室がものすごく混んでいる。健康診断に来ている人が多いらしい。窓口で診察券を出そうとして、ポケットの中のものを山のように積み上げるが、見つからない。出てきたのは前回の健康診断書のコピーだ。しかも昔の青写真のような感じだが、青ではなくピンク色だ。それを見せると、窓口の女性に「それならこちらでお預かりしていますよ」と笑われてしまう。
映画を見ている。ふつう、映画館は横長の空間だが、ここはものすごく縦長の空間に座席が並んでいる。しかも映写されているのはスライドのようで、1カットごとに画面が正方形になったり、横長や縦長に変わる。ぼくはほぼセンターの席で見ているのに、普通の画面サイズでも横が隠れて、見えなくなるのは困ったものだ。
9月7日の夢(絶望した男)
不況だ。街は絶望におおわれている。現代ではないらしい。戦前の古い街並みだ。そこへ絶望した男が一人、叫びながら走ってくる。いったん通り過ぎて、また叫びながら戻ってくる。絶望のあまり何をするかわからない。人々はてんでに逃げ散る。ぼくも路地裏に走りこむが、男の目から身を隠しきれない。道路に伏せてみるが、男と目が合ってしまう。
不思議なことに、ぼくと男は意気投合して、市電を一台借り切り、それを会場に男が常盤津をうたう独演会を開くことにした。一回目はお客が集まらず、大失敗。でも二回目は超満員で大成功だった。ぼくは白い大きな犬と肩を寄せ合い、喜びにひたる。すぐに男もやってきて、犬を中心に男が左、ぼくが右で肩を寄せ合う。男は「これだけ成功したんだから、次は結婚したい」と言う。「誰と?」と、ぼく。それから、ぼくはふと思いついて言う。「そういえば、この犬の飼い主は中学の先生をしている女性だった」。男は「中学の先生かあ・・」と希望に満ちた顔で言う。
2010年09月04日
9月3日の夢(大陸進出の宣伝担当)
楽器店に就職したぼくは社長の訓示を受ける。ちょっとヤクザのような感じのあぶない社長だ。社長はぼくらに「我が社のセールスポイントを言え」と言う。差された新入社員の若い男はへどもどして、答えられない。彼がぼくにメニューのような紙を渡してくれた。それをカンニングペーパーにして、答えようとするが、書かれている文字はぼくには読めない。しかし、社長たちはぼくを気に入ってくれたようで、ぼくは国家の大陸進出の宣伝担当を任されることになる。
9月1日の夢(ラッパの売り方)
会社の業績評価会議を傍聴する。主婦パート二人が、自分たちは人気詩人のN氏より売り上げも作品の評価度も高いと主張する。
この会社が製造しているのはラッパで、彼女たちはそれをお店に卸すルート販売員だ。しかし、ノルマがないため、みんなマイペースで平均売り上げは一人月3万くらいしかない。これではどうしようもない。コピーライターであるぼくは、彼女たちのための販売マニュアルを書くことになる。
彼女たちの中で、月一千万以上の売り上げがあるという二人を招いて、ぼくは話を聞く。しかし、それはたまたま関連した金融商品が売れたためらしい。これではマニュアルが書けるかどうかわからないと、頭を抱えていると、無能な上司のSが来て、「きみは週一回の出社だから、売り上げがなくても平気な顔をしているが、これからはきみも売り上げを出さないとね」と威張る。
8月30日の夢(嵐の色のピアノ)
会社で残業している。窓から外を見る。すっかり夜だ。窓のところには一枚の布がふうわりと落ちている。白から黄、黄から黒へとグラデーションがかかった布はとても美しい。そして布の端の黒はそのまま夜の闇へとつながっているかのようだ。
思わずそう口にしようとすると、隣に立っていた女性がまるでぼくの心を察したかのように「美しいね」と呟く。二人でしばらくうっとりと外を眺めた後、ぼくは彼女に「もう帰る?」と声をかけるが、彼女は無言のままだ。ぼくは「これからはきみの・・・」と言いかけるが、胸がつまって言葉にならない。
部屋の中では別の女性が友人と共にピアノを弾こうとしている。部屋にはグランドとアップライトの二台のピアノが置かれているのに、彼女が向かっているのはアップライトで、しかも電子ピアノだ。ぼくも彼女の真似をして、ピアノの蓋をあけるが、なぜか蓋の下に鍵盤は現れず、釘のいっぱい打たれた板が現れる。しかたなく、ぼくはピアノを弾くのをあきらめる。女性は「こういう嵐の色のピアノは珍しいのよ」と言う。「嵐の色」ってどんな色だろう。ぼくは右手の壁にかかった絵を指差し、「こういう色?」と尋ねる。彼女は「そうよ。私知っているの。だって、このピアノを売っていたんだもの」と言って、ピアノを弾き出す。いつのまにか、彼女は最初に窓のそばにいた女性に変わっている。
2010年08月27日
8月26日の夢(完全に仕事を辞める日)
さあ、今日は完全に仕事を辞める日だ。会社で整理のため、箱の中身を床にぶちまける。大量に出てきたのは目玉クリップだ。同僚が目歩丸くして、「何、それ?」と言う。ぼくは「これはぼくのところに届けられた資料の束をとめていたクリップさ。それをもとに、ぼくは沢山のマニュアルを書いたんだ」と答える。
クリップを拾い集めるのもそこそこに、ぼくは階下に降りて、自分のデスクの整理をする。デスクは脚がふにゃふにゃになっていて、もう満足に立っていることができない。でも、ピアノを買いたいというお客がやってきた。ぼくはデスクの上に物差しを置いて、その物差しを鍵盤に見立て、ピアノを弾く真似をしてみせる。当然、うまくは弾けない。「音の出ない状態で弾くのは難しいね」と、ぼくは苦笑してごまかす。
そろそろピアノを教える先生と生徒がやってくる頃だ。玄関が開き、先生が顔を出す。都はるみさんだ。しかし、生徒の方は遅れているらしい。その間にぼくはラジオを組み立てなければいけない。知ったかぶりで一人で組み立て始めたのはいいが、うまく配線がつながらない。
2010年08月23日
8月23日の夢(トイレの幽霊)
妻と地方へ旅行する。地元の資産家一家と仲良くなり、その自宅に逗留する。その娘は既に結婚しているが、夫と一緒にこの実家に暮らしている。ぼくは彼女に話しかけてみるが、つんと澄ましていて、とりつくしまもない。
テレビをつける。拉致対策の政府チームと、一般の人たちで意識に温度差があることがテーマの番組だ。ある事件のストーリーが語られ、その犯人を許したいと思うかどうか。許したい人は左へ、許さない人は右に出て、意思を示す。拉致対策チームの人々はほとんどが「許す」意思表示をするが。学生チームと居酒屋チームはどちらも「許さない」が大半で、正反対の結果が出る。
そのテレビで災害のため、列車が不通であると報道される。これでは帰れないかもしれないが、帰宅準備のためトイレに行く。さすがに大きな邸宅で、途中で必ず廊下を逆方向に曲がってしまい、道に迷うが、なんとかトイレにたどりつく。だが、トイレの前には幽霊が座っていて、ちょっと怖いが、ぼくは幽霊を迂回して、なんとか用を足す。
テレビでもう一度、鉄道の様子を確かめる。まだ復旧していないようだが、若夫婦たちと一緒に、娘の方の運転でぼくらは出発する。途中、ガソリンスタンドに寄る。スタンドのチーフが「なになに組の若奥様だよ」と店員たちに叫ぶ。一家はこの地方で有名な土建屋らしい。「オーライオーライ」と車が誘導されるスタンドは、芝生の生えた広大な丘全体を広々と占めている。なんて大きなガソリンスタンドだ!
2010年08月20日
8月20日の夢(難民)
夜、なじみの店で食事をしようと思って出かけるが、いつのまにか模様替えされている。店主の周りをぐるりと楕円形にカウンターがとりまいているのだ。これでは一人で落ち着いて食事ができないので、別の店に行く。その店で食事をし、買い物もするが、いざ帰ろうとすると伝票がない。伝票がないのは、覚えていないものの先に支払いをすませたからだろうと勝手に解釈して、店を出る。しかし、なんとなく居心地が悪い。
外は嵐になっている。港に続々と船が避難してきて、乗客たちは難民になる。ぼくもいつのまにかその一人になって、施設に収容される。施設の中で封筒に入った見舞金が配られるが、同室の老人がさっとぼくの見舞金をかすめとる。しかし、ぼくの目がそれを見逃さなかったのに気づき、黙ってテーブルに戻した。ぼくは何も言わないが、それを目撃した女性が施設の管理者に告げ口したようだ。
ぼくは携帯を使って、ぼくのカウンセラーと何度も会話する。外出中にも着信があったので、施設に戻ってから出てみると、親戚のおばさんからだった。行方不明になっていたぼくと連絡がとれたことで、彼女はとても喜んでいる。電話の向こうではもうパーティーまで始まっている。
2010年08月19日
8月19日の夢(夜祭)
今日は夜祭だ。夜、D社へ寄ろうとすると、女子社員のKさんが社長に黙って、夜祭の神輿をかつぎに行ってしまったという。それで、出社をあきらめ、燈火の美しい夜の街路に座り、人々と共に祭の行列を待つことにする。
いつのまにか、そこは街路ではなく、地下の細いトンネルになっている。そこに、ぼくたち編集者は一列に並んで座り、目の前に自分の雑誌を置いている。売れ行きのいい順に並んでいるのだ。ぼくより少し前に同僚のIさんも座っている。後ろの方から若い女性がやってきて、自分の作った商品を雑誌に紹介してほしいと、頼んで歩いている。Iさんは承知したようだ。ぼくも担当している雑誌2冊のうち、一冊は無理だが、もう一冊に紹介してあげようと言う。
クライアントと打ち合わせのため、その男の会社へ行く。初老で小太りの外国人だ。会社はとても規模が大きく、農村の一つの村がそのまま一つの部門になっている。田畑の真中の十字路に受付があり、道端に荷物を置いて、男はすたすたと村の中へ入っていく。慌てて後を追うが見失ってしまった。村の奥で、男が別の男と話をしているのを見つけ、駆け寄る。だが、ぼくは名刺を持っていないことに気づく。笑顔で男に近づき、「ぼくのことを紹介してください。うっかり名刺を切らしているのですが」と言う。だが、男は怪訝な顔をして、「人違いでしょ。私はあなたを知らない」と言う。よく見ると、確かに外国人ではあるが、さっきの男よりかなり若い。ぼくは人違いを誤り、慌てて村を入口に向けて戻りながら、さっきの男を探すが、どうしても見つからない。
2010年08月18日
8月18日の夢(岡山取材)
出張取材が終わり、帰途につく。新幹線で帰らなくてはならないが、その駅までもう一つローカルな鉄道に乗らなくてはいけない。二つの鉄道の駅があり、まず遠い方の駅に行く。どこにもそれらしい告知は出ていないが、一つ電車が行ってしまったあと、どうも事故があったらしく、ホームに乗客があふれている。
あきらめて、近い方の駅に行き、路線図を見上げるが、見知った駅名が一つもない。この鉄道では帰れそうもないと納得し、遠い駅に戻ろうとして、「一色さん」と声をかけられた。もう忘れてしまっていたが、先ほどまでぼくがインタビューしていたらしい男女の二人連れが声をかけたのだった。有名大学の先生たちらしい。
二人とともに、遠い方に駅に戻る。あいかわらず乗客があふれているが、列車の手配がつかないらしく、プラスチック製のおもちゃの列車がホームにすべりこんできた。それでも乗りたいと、各車両に一つずつのビニール袋に乗客が一人ずつ入り、蓋をあけておもちゃの車両に、他の乗客に押し込んでもらっている。しかし、走り出したとたん、みんな列車から振り落とされてしまう。それをまた拾って押しこみ、なんとか出発させる。
ようやく列車が到着し、乗り込む。窓から沿線に温泉ホテルの美しいビルが建っているが、なんとビルは壁1枚で奥行きがない。やがて新幹線の駅が見えてきた。それまで、ぼくはここは福岡だと思っていたが、ここは岡山だったのにびっくりする。
駅前に別の大学があり、二人の先生たちはそこにぼくを招く。ぼくも張り切って、自ら持参した実験道具や資料など3種類のものを持って、若い男性教授のデスクの前に座る。インタビューしていると、部屋の向こう側で女性教授がマリオネットのように、糸で全身の関節を吊り、横に転倒するような面白い実験をして見せる。
ぼくも実験してみないかと言われ、言われるがままに、部屋の奥の水の薄く張られたスペースに滑り込むスピードを試す。上着を脱いで何度も試すが、とんどんタイムが遅くなるので、ぼくもみんなもがっかりしてしまう。
2010年08月14日
8月14日の夢(過去の世界の新しい家)
新しい家に引っ越した。新築ではないが、広い日本家屋だ。トイレに入って、用を足す。この部屋は崖から突き出しているらしく、トイレの穴から下の街が見える。そこに電力会社の制服を着た男がいて、大声で別の男と会話している。その男の頭の上にトイレの汚水が降り注ぐが、男はクーラーの水か何かと思ったらしく、全く気にしない。ぼくの方は男が上を向いて、気づくのではないかと気が気でない。
自分の部屋に入ると、窓のところに二人の女性が寄ってくる。一人は外国人で、一人は日本人だ。外国人の方がぼくにしきりと日本語で話しかけるが、声が小さくと聞きとれない。彼女より遠くにいる日本人の女性が大きな声で、言いなおしてくれる。どうやら二人は、映画に出演するため、ぼくにどこかに行ってほしいと頼んでいるようだ。承知すると、二人は窓からするりと部屋の中に入ってくる。
隣室から妻もやってきたので、二人を紹介する。二人は「変なところからお邪魔しまして、どうもすみません」とにこやかにあいさつをする。妻も一緒に撮影所に行くことにする。外に出ると、どうもぼくらは過去の時代にタイムスリップしているようだ。「今は昭和何年くらいだろう」とぼくが尋ねる。妻は「1905年くらいじゃない」と答える。ぼくは周囲を見回し、「それはあまりに古すぎるのでは?」と言う。
2010年08月12日
8月12日の夢(オフィスと宇宙戦艦)
会社のオフィスにいる。ぼくの右隣りには女性社員が忙しげに働いている。しかし、ぼくは暇だ。デスクの上方に大きなワイドテレビがあり、大相撲の中継をしている。忙しくしているふりをしてもしょうがない。そのテレビをのんびり眺めていよう。そう思ったのだが、次の瞬間には忘れて、外に出てしまい、しまったと思う。
外の地面に妻がぽつねんと一人座っている。ぼくの顔を見ると、彼女の友人の詩人Kさんがモデルになったカタログがあるはずだと言う。ぼくはオフィスに引き返し、デスクの上の棚を探してみる。意外なことに、ぼくの友人の小説家Rさんがモデルになったカタログが二つ見つかる。こんな仕事までしていたのかと驚く。Kさんの映ったカタログも一つあった。大きな事務封筒に入ったそのカタログを妻に見せに行くが、彼女は「これではない」と言う。ぼくはもう一度探しに行くが見つからない。
尿意を感じたので、トイレに行く。個室がいくつか並んでいるが、そこは通り過ぎる。お湯を抜いた風呂場のようなものがあり、そこに女性たちが何人か芋虫のように這いつくばって仕事をしている。ぼくはその縁で用を足すが、女性の一人にかかってしまうのではないかと心配だ。だが、彼女はぼくには目もくれない。
突然、宇宙戦艦にぼくは乗っている。「全員配置につけ」と命令が出る。「配置完了」。艦長が「あと1日で交信可能領域に入る。そうしたら○○だ」と言う。兵士の一人が「○○とは何でありますか」と、間の抜けた質問をする。
8月5日フィレンツェで見た夢
(8月4日にペニスでシェークスピアの「ペニスの商人」の舞台となった法廷を見学。その後フィレンツェに移動した夜、夢にその法廷が出てきました)
ぼくは鉄道会社の社員である。ある駅をはさむように上り側と下り側の線路にうずたかく瓦礫の山ができている。そこに電車が突っ込んで脱線した。誰かが妨害行為を行ったらしい。
ぼくはたまたまその妨害行為の現場を目撃してしまった。ある女性がにたにた笑いながら、目覚まし時計を駅の両側に向けて投げつけたのだ。これは明らかにテロだ。しかし、その女性はぼくの知人である。
ぼくは会社の法務担当社員として、彼女を法廷に引き出し、断罪しなければならない。なんという巡りあわせだろう。ぼくは悩む。
だが、突然、奇跡が起こった。彼女が目覚まし時計を投げつけたのは、事件の1日前だという証拠が出現したのである。これで、ぼくは彼女を法廷に引き出す役目から解放された。ほっとする。
2010年07月25日
7月25日の夢(退行する世界)
何かを頑張ってやればやるほど凡庸になってしまう世界にいる。ぼくが暮らしているマンションは一つの部屋にあと二人男がいる。そして、両側にいくつも部屋があり、どちら側も二つ部屋を越えると、そこがトイレ兼会議室になっている。ぼくはトイレに行きたいのだが、どちら側のトイレも中で話し声がして、「今会議中だから駄目だ」と言われる。しかたなく元の部屋に戻る。
外出する。外の世界もどんどん退化している。地平線まで見渡す限り荒れ野になっていて、電車の線路が続いている。もう電車も走っていないのではないかと思ったが、走っていた。ぼろぼろの駅にぼろぼろの電車が停車するのを、ぼくは小さな女の子と見守る。
部屋に戻る。ますますすべてが退化している。空腹を覚える。そういえばさっきポケットにお菓子を二つ入れたのだった。取り出してみるが、一つは星型、一つは多角形のパウンドケーキはむきだしのままポケットに突っ込んであったから、汚くて食べられない。しかたなくゴミ箱に捨てる。女性詩人のWさんが一生懸命誌を書いたのに、凡庸な作品になってしまったと嘆いている。この世界では努力すればするほど、駄目になってしまうのだ。けっして彼女のせいではないのに。
2010年07月22日
7月22日の夢(仕事)
退職した会社に久しぶりに出向く。女性デザイナーと組んでやった仕事がうまく行き、クライアントから同じスタッフでやってほしいという依頼が来ているらしく、社員たちはみんなにこにことぼくを迎えてくれる。しかし、ぼくはもうお金のためにストレスを感じながら働くのはごめんだ。きっぱりと誘いを断り、外へ昼食に出る。
だが、よく見知っていたはずの街は全く見知らぬ街並みに変貌している。行きつけのレストランもパン屋さんもない。道を間違えたのだろうか。通りを変な楽隊がパレードしている。
空腹なまま会社に戻る。会社はいつのまにか暗い日本民家に変わっている。二階にぼくは上がり、トイレに入る。だが、そこも見知らぬ部屋に変貌している。ぼくが入った部屋の両側に二つの部屋があり、そのどちらかがトイレだったはずなのに、暗い部屋の仕切りのふすまを間違えて開けてしまったらしく、トイレではない部屋の調度をふすまを開けた拍子にひっくり返しそうになったが、なんとか踏みとどまった。
そうしている間に、女性がしきりにぼくを探して、二階に上がってくる。一階の和室に降りると、D社のT女性社長がいて、来客を接待している。こたつを来客と一緒に囲んでいる沢山の女性たちはT社長の姉妹らしい。社長が「あなたがまだ帰宅していないと思った」と言うので、「トイレに入っていたんです」と、ぼくは言い訳をする。来客とぼくは今度はやる気になって仕事の打ち合わせを始める。
2010年07月15日
7月14日の夢(忘れ物)
喫茶店を出ようとレジまで来て、青い上着を持っていないことに気づく。どこに忘れたのだろう? 自分のいた席も含めてくまなく探すが、見つからない。何度も探すうち、自分のいた席の天井近くに荷物棚があり、そこに置いてあるのを見つける。再び出口に向かう途中、床に充電中の携帯がある。これもぼくの忘れ物ではないか、と思って手にとってみると、自分のものではなかった。
2010年07月12日
7月12日の夢(水をこぼす)
久しぶりに会社に行ってみると、ぼくの企画案で進んでいたはずの仕事が、いつのまにかK女史のプランに変更されており、彼女が自信たっぷりに指揮をしている。ぼくはもうここではやることがないのだ、と改めて思う。おまけに飲んでいたペットボトルの栓を閉め忘れていた。それをうっかりひっくり返してしまい、デスクに座って仕事していたおばさんたちの足元に水がこぼれてしまう。彼女たちは雑巾を流し台から取ってきて、床を拭き始める。責任を感じて、ぼくは「ぼくがやります」と雑巾を受け取って、拭き掃除をする。だが、拭いても拭いても水は拭きとれない。おまけにボトルの中には何か食べ物が入っていたらしく、それらがいっぱい床に散らばっている。なんだか汚物を雑巾でつかんでは捨てている感じだ。しかも、大量でちっとも片付かない。
会社を出る。そこは原宿の街だ。しばらく来ないうちに、街はすっかり様相が変わっている。目の前にあるのはラフォーレのある交差点だとばかり思ったのに、近づいてみると全く知らない場所だ。おまけに大粒の雨が降り出し、僕はびしょ濡れになる。会社に傘を取りに戻ろうかと思うがやめる。これではなかなか家に帰れそうもない。
2010年07月11日
7月11日の夢(駅)
駅のホームにいる。時代がかなり昔のようだ。映画のためのオープンセットなのかもしれない。沢山の同僚らしい人たちがいる。しかし、ぼくが顔を覚えているのは、S印刷の専務だけだ。ぼくは自分のバッグから食料や着替えの衣類を出して、それを同僚たちの荷物の中に詰め替えている。なぜそんなことをしているのかわからない。ホームの右にも左にも豪華な客車を連結したSLが停まっている。いい風景なので、両方の列車とともに、その間に見える空を撮ろうとしたが、カメラで覗くとうまい構図にならないので、断念する。
ホームの上空を変な物体がいくつも飛び始めた。四角形のはしごか物差しみたいなもの、三角定規のようなものが空中戦をしている。一機が撃墜されて、こちらに落ちてくる。みんな悲鳴を上げて逃げ去る。ぼくのすぐそばのホームに墜落し、爆発したが、ぼくはどうにか無事だ。
みんなは食事に行ってしまったらしい。ぼくはなぜか取り残され、ひとり荷物の整理をしている。そこへ指揮官がやってきて、「箱根新道を交通止めにしてこい」と命令する。ぼくは指示に従って、駅を出て、箱根に向かう。こうやって、文明は刻々と破壊され、時代は退化していくのだ。
絶望していると、ふいにぼくは元の世界に戻っていた。
2010年07月09日
7月9日の夢(夜の医院)
夜、仕事が終わってから医者へ行く。若いとき診てもらっていた山内先生の医院だが、なんだか和風の待合室になっている。順番を待っていると、会社の同僚たちが続々と詰めかけてくる。妻もいる。先生は「最初に女性のグループを診よう」と言い、妻と女性二人が診察室に入る。次は「のどの痛い人」と言われ、作業服姿の同僚たちが入っていく。何かの連絡で顔を出した子会社の社長のМも「そういえば数日前からのどがおかしかったんだ」と言って、順番待ちに加わる。犬も一匹待っている。ちゃっかり幼児を連れたいいところの奥さんふうの母親も二人ソファーに座っている。診察は長引いていて、夜はふけていく。時計を見ると、もう10時少し前だ。
気分転換に犬と遊ぶことにする。獣医でもないのに、犬まで診てくれるなんて、素敵な医者だ。紙袋を犬の前にぶらさげると、犬はその端にがぶりとかぶりついた。少し破れたようだが、持ち運びには問題はなさそうだ。袋を振り回すと、犬はそれにかみつこうと、ぼくの膝の上に乗ったり、部屋中を走り回ったりする。ぼくは犬の追跡を振り切ろうと、走るのを急にやめ、さっと身をかわして隠れる。犬はぼくの作戦に乗せられて、通り過ぎてしまうが、気がついて引き返してきた。ぼくを見つけて、「あっ、あそこだ」と楽しそうに笑う。犬はかわいい金髪の幼女に変わっている。
2010年07月07日
二日分の夢
(7月6日の夢)
新聞に載っている写真を眺める。セピア色の写真が「ハリー・ポッター」の映画の中のように動いている。最初は目の錯覚かと思ったが、虫眼鏡でよく見ると、細部までが全部動いているのだった。ぼくは病気なので寝て、新聞を読むぐらいしかできない。ぼくは母には写真が動く事実を告げず、黙って新聞を書棚にしまう。
(7月7日の夢)
何かのイベントを取材に行く。ステージとぼくらの間は至近距離なのに、透明なガラスの壁がある。その壁の向こうで、手塚治虫などの有名人が講演をしており、ぼくが到着して彼に目礼をすると、向こうも会釈してくれる。
次のステージの取材のため、フローリングの床の上に記者たちはみんな腰をおろす。気づくと、ぼくは一番ステージに近いところに座っている。女性係員が近づいてきて、「取材は二人か」と尋ねる。「いや、3人だ」と答えるが、そういえばОくんの姿がない。
マラソンが始まり。ぼくらは電車に乗って、走る選手たちを伴走する。だが、いつのまにかマラソンは終わってしまったらしく、電車の中はどんどん人がいなくなり、ぼくは取り残される。
2010年07月03日
7月3日の夢(飾り付け)
「庭で飾り付けをします」という声がして、みんな一斉に走り出した。ぼくも先頭をきって走る。ビール坂の下に、その庭が見える。大きなグラウンドで黒い土が雨に濡れている。しまった。靴を忘れた。ぼくは取りに戻ろうと、みんなに逆行して走り出す。その間に妻をはじめ、みんなはどっと先へ行ってしまう。おまけに部屋の鍵を忘れて、入れない。右隣の家の奥さんが見ているのに、ぼくは左隣の家のドアからはみだしているレースのカーテンを破り取って、走り去る。これで飾り付けをするのだ。
ぼくが疾走する廊下は豪華な飾り付けでいっぱいだ。その間を縫って走る。まるで映画の一場面のようだ。
遠くの国から馬車に乗って、男の子と小さな妹が到着した。お屋敷のお姫様たちは彼らを受け入れるか、それとも殺すかで議論をする。結局、妹の方をこちらの王子のお妃にすることを条件に、彼らを受け入れることにする。「でも」とお姫様は言う。「あなたたちの国のレベルとこっちの国とはレベルが違うの。あなたたちの基準で、自分たちをリッチと言わないこと」と二人に命令する。
さあ。飾り付けだ。大広間の片側の大きな壁一面に伸縮する縄梯子がいくつもかかっている。みんな、これを使って、猿のように壁を滑り登り、滑り降りして飾り付けをしていく。詩人のTくんもすぐに上手にできるようになった。うっかり手が離れて落下しそうになるが、飾り付けの一つに手をかけて、ちゃんと体を支える。これは絶対安全なやりかたなのだ。
2010年07月01日
7月1日の夢(98番の女性)
出張で大きな会社の事務所に一人で乗り込む。ここは満鉄の本社だ。既に会社は危機にひんしていて、混乱を始めている。金持ちの女とその息子を相手に、ぼくは一芝居うち、当面の危機を乗り切るが、崩壊はもう時間の問題だろう。
満鉄のワンマン経営者が部下を首にした。だが、もう社内で列車の運行をコントロールする技術を持つ技術者は、彼しかいなかったのだ。社内はいっそう大混乱におちいる。
それから暫くして、ぼくはもう一度満鉄の本社を訪れた。ぼくを入れてはくれないのではないかと危惧したが、たまたま前回顔見知りになった頭のはげかけた男が出てきたので、「こんばんは」と親しそうに挨拶し、うまく中に入ることができた。
もうこの会社を危機から救えるのは「98番」の女性だけだ。しかし、今彼女を切り札として使ってしまえば、もうぼくに残されたカードはなくなってしまう。
2010年06月23日
6月23日の夢(詩の事務所開設)
今日は詩の事務所のオープンの日だ。女性長老詩人のSさんや皇族の人も開設式典に来ている。まだ事務所の中は乱雑で、ぼくは床に山となっている荷物を足でこっそり払いのけながら、もうすぐ自分のスピーチの順番が回ってくるだろうと考えている。急いで話の内容を考えようとするが、会場に飾られた大きな名画の作者は誰なのかとか、お祝いにかけつけた皇族とは一体誰なのかとか、把握してないことばかりだ。ちょっと焦るが、そんなことは無視して、開き直って挨拶しようと心を決める。見ると95歳の現役詩人N氏が元気で、さかんに指示を飛ばしている。おまけに髪に緑の羽を挿しているのがとてもおしゃれだ。
いつのまにかそこは劇場の舞台の上で、そこに事務所のセットが造られ、そのセットの中に座って、ぼくらは芝居を見ているのだった。後ろを振り返れば、きっと大きな観客席があり、そこからぼくらを眺めている観客が大勢いるはずだ。そう確信して後ろを振り返るが、そこには部屋の壁があるばかりで、観客席は見当たらない。ぼくの隣でこの芝居の記録をとっていた女性がN氏に、「ちょっと席をはずすから、後は記録して」と言って、メモと鉛筆を渡して立ち去った。それを見て、ぼくではなくN氏の方が彼女に信頼されているのだなと、ちょっとさびしくなるが、この舞台で何が行われているのか、ぼくはまともに把握できていないので、自分じゃなくて助かったなとも思う。
建物のオープニングでは恒例として119番をすることで、安全を祈願する風習があり、今日も誰かが消防署に通報したらしい。サイレンを鳴らして一斉に消防車が駆け付けてきた。
2010年06月19日
6月19日の夢(大皿料理)
ホテルで昼食をとることになる。おばさんたちがいっしょにどどっとレストランに入っていく。バイキングの大皿料理だ。それを小皿にとって食べなくてはいけないのに、おばさんたちは図々しく大皿ごと一人分として持って行ってしまう。そのためなかなか食べ物にありつけない。ソファーのかげに、やっと誰にも見つからずに手つかずの大皿があった。今度は小皿がない。なんとか、誰かが食べ終わったものかもしれない、ちょっと汚れた小皿があった。それに料理を盛り付ける。さあ、食べよう。そこへおばさんたちが「あっ、こんなところにもあった」と言って、群がり押し寄せる。
食べ終わったぼくはレジで現金で支払いをする。7000円を超すかなりの高額だ。だが、ぼくが何かの書類を見せると、レジの女性は「すみません。間違えました」と言って、ぼくにお金を返し、かわりに「書類にサインしてください」と言う。
2010年06月16日
6月16日の夢(更衣室)
みんなでプールに入ろうということになり、ぼくもその気になる。ぼくはプールが嫌いなはずなので、自分で自分にちょっとびっくり。
その場で着替えようと、服を脱いで下着姿になったところで、みんなが更衣室に行ったことに気が付き、慌てて後を追う。
更衣室は小学一年生の教室を兼ねているらしく、かわいらしい子供たちがぎっしり座っている。その間で、空いているロッカーを探す。ロッカーというより、それは透明な引き出し付きの棚で、どの引き出しにも色とりどりのクレヨンが入っている。それでも、みんなは空いているロッカーを見つけて、水着に着替え、どんどんプールに行ってしまう。
ぼくもようやく一つ、あいている引き出しを見つけて、そこに半分だけ脱いだ服をしまったところで、何かがあって、その動作を中断する。それからまた、服を脱ぎ始めようとするが、せっかく見つけた引き出しがどこにあるのか見つからない。先輩のМ氏にも言って、いっしょに探してもらうが見つからない。そのとき、部屋が轟音とともにぶるぶると振動しだす。ぼくは「地震ですか」と尋ねるが、どうもそうではないらしい。きっと飛行機のプロペラが出す空気振動と、部屋が共振しているのだ。
いずれにしても、みんなはとっくにプールへ行ってしまい、ぼくだけが更衣室に取り残されている。
6月15日の夢(実家の庭)
夜、用を足そうと思って、庭に出る。ここは名古屋にあった実家の庭だ。なかなか用を足せないでいるうち、闇の中からぬっと見知らぬ男が立ち上がる。驚いて逃げようとするが、間に合わない。男は手裏剣のようなものを投げてくる。いくつか身を交わすが、もはや絶体絶命。観念して、男の投げたのを身に受けるが、それは男の主宰する空手教室のチラシだった。
2010年06月11日
6月11日の夢(自分が二人)
夜中にトイレに行こうとする。我が家なのだが、沢山の人が部屋の中で眠っているようだ。祖母や知らない男性など、沢山の人がトイレに起きてきていて、なかなか入ることができない。真夜中のトイレは幽霊が出そうで怖いので、誰かといっしょに入りたいと思うが、みんなさっさとすませて寝てしまった。しかたがないので一人で入ろうとする。トイレの前には沢山のスリッパが乱雑に置かれている。わらじから現代的なスリッパまでさまざまなものがあるが、なぜか全部片一方ずつ不揃いなものばかり。しかたなく片足にわらじ、片足に現代のスリッパをつっかけてトイレに入る。中はぼくが幼年時代を過ごした名古屋の実家のトイレだった。便器の前に立つと、自分の着ている長い寝巻がじゃまになる。おまけにぼくの体は左右に二体あって、複雑に腕がからみあっているため、うまく用をたすことができない。
会社にいて、夕方からのプレゼンに行こうとしている。自分の作ったラフのコピーをしようと一階に降りるが、他の同僚がコピー機を使っていて、あきらめる。待つ間にラフの上に自分で作って置いておいた握りずしを全部自分で食べてしまった。しまった。コピーしてから食べるべきだったと思うが、もう遅い。
2010年06月06日
6月6日の夢(タクシーで揮毫)
大きなイベントで司会をすることになり、タクシーで会場に向かう。こういうときは祝いに運転手にご祝儀をはずむべきだ。まず記念として半紙に揮毫をする。この代金が1万3千円。そのほか、あれが8千円、これがいくら・・・と大変な出費になる。そういえば財布にはそんなにお金が入っていない。一番お金のかかる揮毫はやめるべきだろうか。第一、記念に運転手に渡すものなのだから、運転手の方が払うべきで、ぼくが払うのは筋違いではないか。
そんなことを思っているうちに、ぼくは畳の部屋にいて、半紙に揮毫を終わったところだ。字の下手なぼくとしては、日付や会場や自分の名前もまあまあ書けていて、ほっとする。ところが、いつのまについたのだろう。半紙の上には何かの液体が飛び散った跡が点々と黄色いしみとなって残っている。やっぱり書きなおすべきだろうか。
2010年06月03日
6月3日の夢(展覧会と映画館)
明日は秋田へ出張するので、朝早く起きなければならない。それなのに親子で出品する展覧会の準備ができていない。父と母が11時近くなって制作を始めたので、ぼくも慌てて踏み台に上がって、高い棚の上のものをおろしたりして、材料を集め始める。家の中には古い人形やらガラクタなどが山のようにあり、箱庭風のオブジェを作るには材料に事欠かないのだ。12時頃、父はもうできたと言うが、ぼくの制作は夜中の3時を過ぎても終わらない。これでは寝ている暇がないので、制作を中止して眠った。
翌朝起きて、階段を下りる。地下へ降りる長い階段は、降りても降りてもまだ深い。ぼくの横を女性が歩いて降りていくが、ぼくは足が立たず、這って降りなければならない。
ようやく映画館に着いた。なんとか間に合ったようだ。マニアックな映画館らしく、喫茶店のようなつくりだ。もともとは喫茶店だったのを改造したのかもしれない。一番手前の席が空いていたので、そこに座るが、そこからは覗きこまないとスクリーンが見えない。奥にも空席があるようなので、中に入る。しかし、通路が狭く、椅子を乗り越える必要があるので、とても難儀をする。ちょうど一列すっかり空席があり、その一番通路側に座る。だが、こんなに通路が通りにくいのでは、途中でトイレに行くのも大変だろう。腕時計を見ると、まだ3分近くあるので、急いでトイレに行くことにする。ところがトイレの通路は既に用を足した人とこれから足す人とでごった返し、すれ違うのも容易ではない。これではやっぱり開園に間に合わないかもしれない。
2010年05月29日
5月27日の夢(トイレ)
我が家のトイレに入ろうとする。そういえば、我が家には男子中学生たちが合宿中だった。トイレは彼らで満員である。うっかり開けてしまったドアの下にスリッパがはさまり、閉まらなくなった。用を足して中から出てきた生徒に「ごめんね」と謝る。「ぼくは奥の個室の方でするよ」と他の生徒に言って、個室のドアを開ける。
そのとたん、我が家のトイレは体育館くらいの広さになった。あちこちの床に便器が点在しており、中学生たちがてんでに用を足している。だが、ぼくの用を足そうとした便器はセメントで埋めて、しっかりと固められてしまっていて、ぼくだけが用を足せないのだった。
2010年05月27日
5月27日の夢(ズボン)
街を歩いていて、いつのまにか自分がズボンをはいていないことに気づく。恥ずかしいから、古着屋でズボンを買おうかと思うが、裸というわけでもないから、そのまま歩き続ける。原宿の駅前で学生時代の友人のHに会う。彼もずいぶん年取ったものだと感心する。別れ際、ぼくは彼に「実はズボンをはいていないんだ」とレインコートの前をちょっとだけ開けてみせるが、いつのまにかまたいつもの白いズボンをはいていた。
もう会社は退職したのだが、会社に行って個室で原稿を書いている。その個室は壁の中に塗り込められたようにしてあるので、社員でさえ個室の存在に気づかないかもしれない。仕事を終わり、ドアを開けようとするが、ドアの調子が悪く、うまく開かない。もし開かなければ、誰もこの部屋の存在に気づかず、ぼくは閉じ込められてしまうかもしれない。ようやく引き戸をこじあけて、オフィスの中に出る。もう夜なので、誰もいないのかと一瞬思ったが、一番後ろのデスクで一人の女性社員が残業をしていた。彼女はぼくに目をやるが、たいして驚いたようではない。
2010年05月24日
5月24日の夢(熊男)
食べ歩きツアーのバスに乗り込む。ほとんどがおじさん、おばさんばかりだ。
たとえばある場所では、禅寺の僧侶たちがそばをふるまってくれる。一人ずつ小皿を芝生のようなものの上に置いて待っていると、かたわらで何種類ものソバの苗を僧侶たちが育て、それを棒のようなもので押して丸めてソバにして、ぼくらの皿の上にソバが自動的に乗る仕組みだ。芝生のように見えたのは実は薬味で、それもいっしょに皿に乗ってくるのだ。
最後はバスから降りて、電車に乗った。電車が地上から地下のトンネルに入るところで急停車した。ぼくの後ろにいたおばさんが押されて「いててー」と悲鳴を上げる。窓から前方を見ていると、熊の毛皮を着て、熊の仮面をつけた男がトンネルの中から出てきて、係の男たちにつかまえられるところだった。男たちは熊男を棒でさんざんにぶちのめす。どうやら最近、そういう熊退治のゲームがはやっているらしい。ぼくには熊男が哀れに思える。なんだか羊男を連想させる。殴られる熊男をかたわらに電車は動き出した。なんと、仮面をとった男は貧相な老人ではないか。乗客たちは「かわいそうに。本当にいたそうですよ」と同情する。
2010年05月22日
5月22日の夢(眼医者)
会社のデスクに向かっているが、実際はもうぼくには仕事がない。そういえば目がなんだか変だ。眼医者に出掛けることにする。男性の眼科医は「今日はもうここは終わりだから、昼ごろこの地図の場所を訪ねなさい」と言って、地図を渡してくれた。ここ以外にもう一つ彼が所属する本来の医院があったのだ。そのことを急に思い出し、とにかくそこへ行こうと思う。
いったん会社に戻り、離席表に「中野」と書く。しかし、それは黒板である。そこに黒のマジックで書いたから、全く読めない。どうせもうこの会社にはおさらばなのだから、それでいいことにする。上司の目を盗んで部屋を出ることに成功。廊下で女子社員に「一色さん、かっこいいよ。また、うちの服着てくださいね」と声をかけられる。そういえばぼくは自社ブランドのモノクロのファッショナブルな服を身につけている。だが、お腹のあたりで重ね着がはみだしていたのに気づき、慌てて身だしなみを整える。
だが、会社の玄関でさっき脱いだ自分の靴がいくら探しても見つからない。ぼくの会社は玄関に靴屋も開店しているから、ぼくのはいている他社の靴は捨てられてしまったのかもしれない。
しかたなく雨の街を一人だけはだしで歩いていく。中野に行くためには新宿駅にまず行くのだ。だが、JRの新宿駅だったか、メトロの新宿駅だったか思い出せない。いつのまにか知らない地下道を歩いている。おまけにさっきの地図も忘れてきた。会社を出るのに手間取ったから、もう4時だ。眼医者はとっくに閉まっているかもしれないと思う。
2010年05月20日
5月20日の夢(テレビ)
ホテルでテレビを見ている。床に置かれた薄型テレビである。見たいミュージカル映画がこれから始まるところだ。しかし、音が小さく、よく聞こえない。気がつくと、部屋の中にはもう一人男性客がいる。彼は「いいですか」と言ってテレビにさわり、おかげで音はちゃんと聞こえるようになったが、別のつまらない番組に切り替えてしまった。がっかりだなあ。
2010年05月19日
5月19日の夢(地獄)
おんぼろのホテルに泊まっている。ぼろいホテルなので、ベッドさえないらしく、ぼくはミノムシのように寝袋にくるまって眠っている。ふと目覚めると、ぼくは眠ったまま寝袋の中で放尿していた。これはホテルの備品だから、見つかったらまずいことになる。そう思ったぼくは不安にかられて、部屋の外に出る。
しかし、どうしようもないので、部屋に戻ることにする。確かぼくのいたのは1階の部屋だったと思うが、そこには別の客がいる。二階にも行ってみるが、やはり別の客の部屋になっている。もしかして地下だったかと思い、階段を下りると、そこは地獄のような場所だった。いや、本当に地獄なのかもしれない。針の山や血の池のような景色の向こうから、何か怖いものが襲ってきそうで、ぼくは慌てて一階に逃げ帰る。
一階の客室は確かにぼくの部屋だったと思うのだが、寝袋は跡形もなく、真中に大きなテーブルが置かれて、三つの椅子が並んでいる。左右の椅子に見知らぬ中年のサラリーマンが座り、新聞を読んでいる。やはり、ぼくがいたのはこの部屋だったはずだ。あの寝袋をこの男たちが片付けたのだったら、かっこわるいなと思いつつ、空いている真中の椅子に座る。
と、しばらくして、右側の男が「そろそろ行こうか」と左側の男に声をかけ、二人は部屋を出ていく。やはり二人は仲間だったのだ。そこへ突然割り込んだぼくはどんなふうに見えただろうかと、一瞬うろたえる。しかし、彼らが出て行ったのだから、ここはぼくの部屋に戻ったのだと思うが、それもまた早とちりだった。入口から既に次の客が入ってきて、「ここは私たちの部屋ですが」と、ぼくに言う。
2010年05月18日
5月18日の夢(再開発)
電車に乗っている。窓の外を見ていた頭のはげた男性が、「ぼくはここの産院で生まれたんです」と指をさす。しかし、そこには産院は見当たらず、地平線まで見渡す限り新しい建物群が工事中である。「再開発中だね」「遊園地になるのだろうか」などと、乗客たちは話し合う。
2010年05月15日
5月15日の夢(公民館)
地域の公民館に、ぼくは自分の参加しているレコード鑑賞クラブの例会に出席するため、出掛けた。昔懐かしいLPレコードで音楽を聴くのだ。最初、ぼくは建物の外で音楽を聴いているが、いつのまにか中に入っている。最前列に座ったものの、なぜか音楽を聴かずに、夢中になって机の上のノートに向かい、何かの仕事をしている。そのうち、誰かに肩をとんとん叩かれる。顔を上げると、知らないおじさんだ。「もうあんたのクラブは終わったから、出ていきな」と言われる。見回すと、いつのまにかレコード鑑賞会は終わっていて、別の団体の会合が始まっていた。
2010年05月14日
5月14日の夢(50年史)
仕事である団体の50年史を記事に書かなくてはならない。その団体の事務所に行き、担当者からレクチャーを受けるが、相手がなぜか途中で黙ってしまった。ぼくはメモを片手に立って待っているのに、相手はデスクに座って、他の仕事にかまけてしまう。しかたなく、ぼくは棚に収められた資料などを見ている。古い印刷物などがラベルをつけて沢山ある。しかし、これでは仕事にならないので、外へ出て会社に戻る。手元の資料を調べてみると、これらをつなぎあわせれば、なんとか記事は書けそうで、ほっとする。社長が「仕事が混んでいるみたいだが、大丈夫か」と声をかけてくる。ぼくは「いや、会社を辞めたおかげで、他の仕事をしているわけじゃなく、これくらい大丈夫ですよ」と答える。
2010年05月13日
5月13日の夢(ワープロ)
北極に近いシベリアにぼくらは入植した。氷の浮かんだ海から大波が押し寄せてきて、ぼくらの入植地の大半の家が押し流されたが、ぼくの家は大丈夫だった。
その入植地が発展して町になり、その中央にある広場の右側に最新式のワープロが設置された。反対の左側には少し古いワープロが設置され、ぼくはそれを使い、ほぼ原稿を完成した。どちらのワープロも地下鉄にあるクーラーくらい巨大な、縦型の機械だ。
翌日、原稿を完成させようと広場に行ってみると、いつのまにかぼくの使っていたワープロが見当たらない。驚いて上司に尋ねると、「もう撤去したが、悪いか?」と言われる。ある有名な女性のもとにワープロは送られたらしい。ぼくはなんとかしてそのワープロを探し出し、原稿を取り戻そうと走り出す。
2010年05月12日
5月12日の夢(天皇を広告に)
Y社の販促物の企画会議をした。天皇陛下に商品を試用してもらい、その感想をインタビューして記事にすれば、説得力ある宣伝になるのではないか、という結論になる。しかし、誰もそれを具体的なラフスケッチに落とし込もうとしない。それではまずいのではないかと思っているうち、社内のサークルの練習時間になった。
ぼくは社内で4人の男女によるコーラスグループの一員なのだ。ぼくは新規加入のメンバーで、一人だけ楽譜も読めないのだが、とにかく別室でメンバーたちとコーラスの練習を始めようとする。
そこへY社のО氏が来社したという知らせが来たので、慌ててオフィスに戻る。О氏は打ち合わせテーブルではなく、床に置いた丸いちゃぶ台のかたわらに座っている。驚いて「ここでいいんですか」とぼくが問いかけると、彼は「うん。ほかは使っているからね。それにしても、おいおい、天皇を広告に使うんだって?」と言う。「そうなんですよ」とぼくは言い、離れたところにある自分のデスクにその企画書を探しに行くが、どうしても見つからない。
2010年05月10日
5月10日の夢(障害のある少女)
ぼくの勤務する学校に、今日は久しぶりに筋委縮症の少女が登校してくるという。ぼくは急いで学校の玄関に迎えに出る。すると、靴脱ぎ場の床の上に少女がくったりと倒れていた。慌てて駆け寄り、両手で抱き起こすと、なんとか彼女はすっくりと立つことができた。ぼくは少女を両手で支えながら、彼女と言葉を交わす。
2010年05月05日
5月5日の夢(またトイレ)
この会社の建物にはトイレらしいトイレがない。しかし、いつもトイレとして使っている部屋があり、今日もそこに行く。そこには入口近くの床に、白くて四角い板が置いてあり、そこへ用を足すと、その板が水分を吸収してくれるのだ。今日もそこに用を足そうとするが、ふと見ると、左奥に穴がある。トイレなのだから、穴にする方が正式かもしれないと思い、そこに用を足し始める。
その穴の奥は深くて険しい傾斜の坂になっていて、ずうっと下の方に男の作業員が働いているのが見える。ぼくのおしっこはその坂を流れ落ち、作業員のかたわらに小さな川となって届いた。男はふと振り返って、ぼくを見つけた。そして拳を振り回し、仲間を呼ぶ。たちまち男たちが何人も現れて、ぼくを見上げて怒りの様子を見せる。彼らはぼくを指差し、つかまえようと一斉に駆け出した。
大変だ。ぼくは早々に用を足し終えると、部屋を飛び出し、町の中に駆け出す。さまざまな街路を風のように疾走して、どうやら追手の来ないところまで逃げのびることができた。
2010年05月03日
5月3日の夢(トイレ)
トイレに行く。床に三角形のソファーのかけらのようなものが転がっている。それが男性用の便器だ。用を足そうとしていると、二人の女性が通りかかり、一人が「わたし、トイレに行きたいの」と言って、ぼくのかたわらをすり抜けていく。もう一人の女性はぼくのかたわらに残った。その女性の視線を気にしながらも、ぼくは用を足し始める。ふと見ると、便器の横に3D映像のように、小さな男たち5、6人が並んで立っているのが見える。ぼくはいたずら気を起して、彼らにおしっこを浴びせる。すると、女性とは反対側にいたメガネの男性が「あいつらの着ている洋服はおしっこの吸収率が悪いんだ。それではまずいだろう?」と、ぼくをさとすように言う。しかたなく、ぼくはさっきの便器の方で用を足し続ける。
雨の中、学校で何かの行事に参加させられるが、外に出ようとすると、さっき脱いだ靴がどうしても見つからない。しかたがないので、そのまま雨の中をはだしで会社に戻り、みんなの帰りを待つ。その間さぼっていたわけだが、帰ってきたみんなはぼくを咎めないでいる。
これらの夢をちゃんと夢日記に書いたと思ったのに、それは夢だった。慌てて手近のペンをとって、藍色のインクでシーツに書いていく。かたわらに寝ている妻に怒られるのではないかと思いながら(これももちろん夢)。
2010年04月26日
4月26日の夢(詩人クラブ)
某詩人クラブの何十周年かの行事に招待されたので、その準備会合に出席する。夜中の会合なので、室内の床には一面の布団が敷かれ、皆寝ながら会議している。ぼくもすやすや寝息を立てていると、突然誰かが「私はまだ会費を払っていないのですよね」と発言する。それはぼくも同じだ。慌てて起き上がり、「ぼくもそうなんです。おまけに、ぼくは会員でもないし」と言う。すると、議長をしていた男は、慇懃無礼な態度でぼくに「この行事は会員のための内部的なものなので、あなたが参加されるのは何かの間違いでしょう」と言う。ぼくも「そうですね。じゃあ、早速解約手続きをしましょう」とにこやかに応じるが、ぼくを招待してくれたのはN氏だ。彼の好意に応えないわけにはいかないから、やはり出席しようと思う。
4月25日の夢(上座)
入り婿をしたのか、居候になったのか、わからないが、ぼくはお屋敷に住むことになった。食事の時間、広間に横に御膳が並べられ、ぼくはその手前側左端に座って、食べ始めた。しばらくすると、この家の主人らしい白髪の男がぼくの隣に座った。もしかしたら、ぼくの座っているところは一番の上座で、ここに主人が座るはずだったのかもしれない。だが、ぼくは黙々と顔を上げずに、そこで食事を続ける。うっかりご飯を半分茶碗から落としてしまったが、無視する。御膳の左側には給仕の女性も座っている。このまま、彼女に御代わりのご飯も頼もうと思う。
4月24日の夢(大雪原)
北海道の広大な雪原。空には真っ白な巻積雲が出ていて、地も空も純白で全く見分けがつかない。
車を走らせていくと、別の色の空になっているところがある。あれは、地上にいる人の服の色が空に映っているためだ。だから、オレンジ色の服を着ている人を探すためには、空がオレンジ色の場所を探せばいいのだ。ぼくはオレンジ色の洋服を売りたいので、それをみんなに示すために、沢山のオレンジ色のものを地上に集めて、空がオレンジ色にすっかり染まるようにする。
2010年04月22日
4月21日の夢(共同浴場)
友人と共同浴場に入ろうとしている。貸しタオルの棚がある。服を脱いで裸になり、奥の段にある籠からタオルをとる。友人は「それは古いタオルだよ」と注意してくれる。なるほど。色も黄ばんでいるし、向こうが透けて見えるほど使い古され、ゴミもついている。ほかにもタオルを借りられる場所があるので、そちらに行こうとする。だが、そのためには交通量の多い道路を横切らなければならない。しかし、そこは大使館のような立派な建物の庭で、そこにある池のほとりにタオルが沢山置かれているはずだ。どうせお風呂に入るところだからと、ぼくは裸のままそこへ向かうが、行ってみるとあるはずのタオルはほとんどなく、上品な子供たちが歩いているばかりだ。さすがにぼくは恥ずかしくなり、古いタオルで前を隠しながら戻ってきて、友人に「古いタオルでいいよ」と言う。
4月20日の夢(座談会)
ぼくは座談会に参加している。しかし、準備不足だ。「あじゃり」について話したいのだが、それが何だったかよく覚えていないのだ。ちょうど担当者が3冊ほど置いていった会報の中に、ぼくは「あじゃり」のことを書いていたはずだ。慌ててそのページを探す。座談会のメンバーの一人である女性が「私は今日、地上100階、地下100階の建物の夢を見ましたよ」と言うので、ぼくは「ぼくもその夢を見ましたよ」と言い、「さて、そこで大切なのがあじゃりなんです。あじゃりは愛のことと言いますか、えーと・・」と、ページをめくりながら記述を探すが、老眼なのでよく見えない。慌てて虫眼鏡で見てみるが、「あじゃり」についての記述などどこにもない。
2010年04月19日
4月19日の夢(社長)
ある会社の会議を取材している。ただし、ぼくはこの会社の社員ではなく、出入りの業者として取材の仕事をしているのだ。社長の演説を遠くの方から取材しているのだが、なぜかぼくはズボンをはいていない。上半身はきちんとスーツを着ているのに。社長に気づかれるのではないかと不安だ。
別の場所に移動。今度は社長がぼくのそばにいて、ぼくに話しかけている。あいかわらず、ぼくはズボンをはいていないのだが、あたりはうす暗い上、何かの影がぼくの下半身に落ちていて、それが灰色の細かい柄のズボンをはいているようにも見える。ステージでは社員が今進めているプロジェクトの内容についてスピーチしている。社長はその内容をぼくに解説してくれる。少なくともプロジェクトの一つは中止されそうな様子だ。
2010年04月18日
短い夢三つ
4月11日の夢
男たちが我が家の玄関に殺到している。廊下の真中あたりまで土足で上がり、慌ててそこでスリッパにはきかえようとする。ぼくは「はい。ここから先は土足で上がらないでくださいね」と、冷静に対応している。
4月16日の夢
妻と隣り合わせで列車に乗っている。目的地の一つ手前の駅で、肩をたたかれ、はっとして見ると、隣の席には別の女友達が座っている。「あれっ、つれあいは?」と尋ねると、「一つ手前の駅で降りたわよ」と言われる。
4月18日の夢
ふと気がつくと、ぼくはフライパンでオムレツを作っているのだった。もう焦げ目が入っている。早く裏返さなくては。焦って箸を探すが見つからない。フライパンを振って、オムレツを投げ上げ、うまく裏返す。しかし、卵を1個しか使わなかったので、小さなオムレツしかできない。失敗したなと思う。
2010年04月17日
4月17日の夢(精神病院)
ぼくは精神病院に入院している。トイレにスリッパをはいて入る。案の定、患者たちのおしっこで床はすっかり濡れている。用を足そうと思うが、少年たちが袋からはまぐりのようなものをつかみだしては床にばらまいているため、邪魔になって用を足せない。
部屋に戻り、今度は素足にビニール袋をつけて、スリッパがわりにしようとする。そのビニール袋にもゴミのようなものがいっぱい入っている。
青春時代に事故死した友人のTがやはり入院していて、夜中の3時に自宅に帰り、「外泊許可をとるのが面倒くさかったから、こんな時間に帰ってきてしまった」と言う。玄関で彼を迎えた両親はやさしく彼を受け入れ、「きっとそうするだろうと思っていたよ」と答える。
2010年04月15日
4月14日の夢(入れ子の部屋)
ぼくはアパート暮らしだが、そのぼくの部屋の中にもう一つ部屋が入れ子になっていて、そこにも住人がいる。その部屋はぼくの部屋の天袋のあたりにあるのだ。
ぼくは天気が良いので、庭に出て、窓ガラスごしに自分の部屋の中を覗いている。すると、部屋の中の部屋の住人もドアを開けて、ぼくをにこにこと見つめている。田舎くさい素朴な感じの少女だ。
ぼくは自分の検尿検査のサンプルを宅急便で送れるものだろうか、と考えている。台所の戸棚をあけて、尿サンプルを入れられそうな容器を探す。ちょうど手ごろなガラス器が見つかった。入れてみる。蓋がうまくしまったので、妻が喜んでガラス器を高く差し上げる。と、底の方から尿がだだ漏れしている。底に蛇口がついているのだ。一つ閉めてもまだもう一つある。二つ目の蛇口を閉めると、ようやく漏れが止まった。
2010年04月12日
4月12日の夢(名前のない駅)
新幹線で東京へ向かっているが、検札に来た車掌は「この切符ではまずい」と言う。どうすればよいかと尋ねると、パスポートにぼくがチリとアラスカを経由して、今東京に帰るところだという記載をしてくれた。このパスポートを切符といっしょに乗り換え駅の改札口で見せればいいらしい。
新幹線が停車した。見たことのないような立派な駅だ。ここが指定された乗り換え駅だろうか。必死で見回すが、どこにも駅名の表示がない。
気がつくとバスに乗せられている。振り替え輸送らしい。だが、東京に着く一つ手前の駅で、ぼくだけおろされてしまう。ほかの乗客たちは全員乗って、東京へ行ってしまった。
そのまま停留所で待っていると、さっきのバスが戻ってきた。絣模様の大きな風呂敷包みが見える。あれはさっきの乗客が持っていたものだ。ということは、東京へ行ったはずの乗客たちがまた戻ってきたらしい。次の停留所が空港で、みんなはそこから海外旅行に出かけるらしく、「時間がないので、急いで」と運転手に要求している声が聞こえる。ぼくもその飛行機に乗りたいが、バスには乗せてもらえないので、手を上げてタクシーを止める。その瞬間、元S誌の編集長だったМ田氏が現れ、「これを窓からばらまいた人がいますが、ここにはいませんか」と尋ねる。見ると、それはМ川氏が手書きで書いた日記だった。
2010年04月11日
4月10日の夢(革命)
ぼくは会社の一室に寝ている。いつのまにか会社は豪華な一流ホテルのような建物に変わっている。
目を覚ますと、ぼくの布団はめくられて、マットレスだけの上にぼくは寝ていた。布団は子供たちが食べ散らかしたお菓子の粉まみれになっている。ぼくは子供たちをつかまえて、布団蒸しにしてこらしめる。布団の下から「苦しいよ」という声が聞こえる。上に乗ってぎゅうぎゅうやると、本当に殺してしまうかもしれないな。
歯を磨こうと引き出しを探すが、歯ブラシがあるのに歯磨きが見当たらない。それでも、ともかく洗面所を探そうと廊下を歩きだす。建物のこちら側には2か所の洗面所があったはず。ところが豪華な大理石の廊下を歩いても、空いている洗面所が見つからない。しかたなく建物の真中の境を越えて、向こう側に行く。
向こう側には右翼的な学生たちがいて、皆詰襟の黒い学生服を着ている。彼らの間を通り抜けようとするが、椅子の出っ張りや彼らの足がじゃまになって、通り抜けられない。
ホールでぼくは前衛劇を見ている。場面が進行していき、突如、「ここで革命が成就した」という気がして、ぼくは一人リズムをとって拍手をしだす。すると、驚いたことに客席の全員が次第にぼくの拍手に合わせて手をたたきだし、ついにはみんな肩を組んで革命歌を歌いだす。ぼくも隣の席の女性と肩を組もうとするが、両隣とも空席があるため、ぼくの腕は長く伸びて、ようやく二人の肩に届いた。
劇が終わり、外に出る。時計を見ると、もうすぐ深夜の1時だ。革命が成就したのに、いまさら家に帰る時間を気にしてもしかたがない。反対側から、若い女性看護師が歩いてきて、ぼくとすれ違う。
2010年04月09日
4月9日の夢(障害物)
バスに乗る。普通の切符を運転手に売ってもらおうとして、運転席に行く。ほかの乗客は全員大きなカードのような切符をもらっている。ぼくだけ普通の切符でよいのか戸惑うが、運転手はぼくにはちゃんと普通の切符を売ってくれた。運転席の窓を見て、びっくりする。窓のほとんどが運転機器で覆われ、これでは前方が見えない。そんな視界不良の中をバスは平気で走り出す。曲がり角にやってきた。それなのに運転手はハンドルに手をかけない。はらはらするが、バスは車体をこすりながら、なんとか器用にカーブしていく。
道の途中に沢山の障害物が置かれている。運転手は「しょうがないな。片付けるか」と言って、バスを降り、少しずつ障害物を抱えて、別の場所に運ぶ。ぼくも降りて手伝う。どこかのおばさんも降りてきて、手伝うが、いつのまにか彼女は道のわきの全然障害ではない物を一生懸命運んでいる。よほど注意してやろうかと思うが、やめにする。
ここは京都なので道路がやけに狭い。おまけに道路わきのお店が道路いっぱいに日本式のテーブルや椅子を並べていて、これではバスが通れそうにない。ぼくはそれらを片付けてやろうかと思うが、それも余計なおせっかいだろう。やめにしておく。
もう少し行くと、道が大きな岩に阻まれている。その岩の表面をこすると、泥が落ちて、大きな目玉が出てきた。大きな龍がこの岩の中に隠れているらしい。ぼくは手で、さらに泥をこすり落としていく。少しずつ龍の姿があらわれてくる。
2010年04月04日
4月4日の夢(置き去り)
観光バスに乗る。降車見学した施設が意外に面白くて、長居をし、戻るとバスがいない。念のため施設の周囲を一周してみるが、どこにもいない。置き去りにされたらしい。慌てて携帯を見ると、着信履歴がいっぱい表示されている。次々と押してみるが、バスの手がかりになるようなものは一つもない。
しかたなく会社に戻ると、同僚のIさんの戻ってきた姿がガラス越しに見える。次々とみんな戻ってくるが、誰もぼくを置き去りにしたことにひとことの挨拶もなく、知らん顔だ。
4月1日の夢(セールス電話)
朝、保険のセールスの女性から電話がかかってきた。我が家の電話機はそれに対して自動応答を始めたが、その声は以前我が家を担当していた老人セールスマンのものだ。完全に痴呆症状態で、途中まで日本語だったのに、途中から英語で応答し始めた。これでは女性が呆れて、電話を切ってしまうのではないかと慌てる。
2010年03月31日
3月31日の夢(倒産)
通いなれた居酒屋がついにつぶれることになった。店の主人は既に大家から借りたものと自分のものとを分けて、大家が来たらすべて返すだけだと、さばさばしている。幸い、それほどの借金があるわけではないらしい。ぼくのアシスタントとして四人の女性がこの店で踊っていたが、彼女たちも既に閉店を通告されているが、しっかり者なので少しも動じていない。
同僚のМが「飲んでみたい」という酒が会社の二階にあるので、ぼくはそれを取りに行くことにする。しかし、二階は立ち入り禁止のロープが張られ、入れないので引き返す。ぼくらはオリンピックか何かの誘致の仕事をしていて、その投票結果がわかるのは夜の十時頃だとテレビが告げている。同僚たちはみんな残るつもりらしいが、ぼくは残業なんかしたくない。さっさと帰ろうと思う。階段を下りると、階段にはいくつも水たまりができていて、そこには大きなワカメが浮いている。これらはみんなぼくが落としたものなので、拾い集める。
会社の外に出ると、そこは夜の交差点だ。一瞬方向感覚を失う。同僚のОたちがゴミを出そうとして、沢山のカートを一列に並べ、交差点の反対側に向けて勢いよく押す。危ないなあと思っていると、案の定、先頭のカートが舗道を走っていた自転車の男性にあたり、彼は転倒する。
3月30日の夢(墜落)
仕事で撮影を担当することになる。ところが、なぜかぼくはカメラを持っていないため、持っている詩人のYМやKМに反対に撮られる一方になってしまう。
ようやくカメラを手に入れて撮り始めると、知らない外国人など沢山の人々がぼくに撮ってもらおうと集まってきた。
荒れ地を女性たちとともに横断している。道が崩れて危険な状態になる。高い場所からぼくは率先して飛び降りる。予想外に地上まである。途中の木の屋根につかまろうとするが、手は空を切る。そのまま落下していくが、地面はまだまだ下だ。
3月29日の夢(ホテル)
大きなホテルのロビーに向かう。2階の玄関から入ったので、1階のロビーに行くには階段を下りなければならない。しかし、ロビーの入口にはプラスティックの扉がついており、裏からは開けられないようになっており、女子職員に注意される。
何やら怪しげなホテルらしいのに、ロビーは小さな子供を連れた母親や中高生らで、大混雑で、友人と話しているHの姿もある。彼はぼくの学生時代からの友人である。ぼくは彼のために大量の書類を持参しており、その書き方を尋ねようとするが、誤ってそれを床にぶちまけてしまう。
2010年03月22日
3月22日の夢(光るビー玉)
最近、新聞でしゃれた広告作りが流行している。広告と広告の間の空きスペースを利用して、広告も含め、コマ割り漫画のようにストーリーが展開するというやり方だ。たとえばこんなストーリーだ。ぼくがある店に入ると、光るビー玉が床にいくつも転がっている。店の床は外の地面に向かって下る坂になっているので、そのビー玉を転がすと、美しく光りながら外の道路に転がっていく。そして車やオートバイの周りにころころとまつわりつきながら輝くのだが、運転手たちは皆無視している。店の中には知らない男が一人いて、ビー玉を床に転がしておいたのは、彼のしわざらしい。ぼくと彼は「やつらが気づかないはずはないのにね」と話しあう。
2010年03月21日
3月21日の夢(唐揚げ屋)
ビルの廊下の一番奥の右側に唐揚げ屋があり、ここで夕方から社内の懇親会が開かれる予定だ。ぼくはその唐揚げ屋の作ったランチの折詰弁当を持っていたので、店内で食べさせてもらおうと店に入る。店内には若い男が店番をしている。「夕方から会社で予約している者です」と声をかけるが、「私はわかりません」と言う。単なる店番なのだろう。「それは残念だなあ」と言いつつ、店内を見回す。豪華なソファーが真中にいくつか固まって置いてある。その一つにぼくは持参した沢山の荷物を置く。ところが、後から入ってきた若い男たちがすぐそばに席をとったので、ぼくはソファーを一つ右前に出し、そこに座る。すると、さらに若い男女が沢山入ってきて、テーブルと椅子を教室のように並べ、店番をしていた男にあたかも教師に対するように話しかける。まるで予備校のようだ。ここは唐揚げ屋ではなかったのか?
3月21日の夢(社長の訓示)
社長の訓示があるという。大きなフロアの真中でオフィスを二分していた仕切り壁がするすると上がり、社員たちが合流する。なんて気持ちがいいのだろう。
2010年03月20日
3月17日の夢(飛行機改造列車)
今は戦争中だ。いや、これは映画で、ぼくと妻は日本が戦争をしている時代をCGで表現した映画に出演しているらしい。
ともかく、ぼくと妻とは最新式の特急列車に乗ったのだが、流線型のかっこいいデザインのその列車はとても短い車両しか連結していない。女性の声で「この列車は飛行機を改造しましたので、車両が少なく、席には皆さま折り重なってお乗りください」というアナウンスが流れる。ぼくらは幸い座れたものの、このぼくらの上に何人も乗客が折り重なって、目的地まで身動きもできなくなるのだろう。ぼくは「サンドイッチを少し持っているから、お腹が減っても大丈夫だ」と妻を安心させる。しかし、トイレに行きたくなったら困るなと、少し不安だ。隣の線路を長い貨物列車が通過するが、どの無蓋貨車も荷物は一つも積んでいない。窓の向こうを新宿駅が通過する。床に大きな爆弾の穴があいているのが見える。
制服を着た偉そうな男がやってきて、「山手線のなんとかという駅から電話が入ったか」と言って、ぼくの携帯を取り上げる。もうこの携帯を取り返せないかもしれない。まずい通話先が登録してあって、非国民扱いされるかもしれないと心配になる。だが、男は「携帯の中にいい詩が入っていた」と言い、ぼくの詩をみんなの前で朗読する。乗客たちは総立ちでそれに拍手を送る。そして、男は携帯をぼくに返却してくれたが、その詩がぼくの詩であるとはだれも思ってくれなかったようだ。
2010年03月17日
3月15日の夢(人形)
今は亡きオーディオ評論家のI氏から原稿を受け取った。とても難しい内容なので、どんな写真や図版を組み合わせれば、いい誌面にできるのか迷う。 I氏自身に聞きにいくことにし、Hカメラマンの車に乗って、I氏の自宅に向かう。どうせHカメラマンは仕事がなくて暇なのだから、今日は運転手がわりだ。
I氏の家の前には、原稿取りの編集者が沢山群がっている。彼らの混雑が一段落してから家に近づき、インターホンを探す。どうI氏に話したものか、考えてこなかったので、しばらくインターホンの前で考え込む。ようやく考えがまとまり、家人の女性を呼び出す。
「こないだいただいた原稿、大変面白いけれど、どんな写真や図版をつければいいかわからないのです」とぼくは話す。I氏本人も出てきて、しばらく考えているが、やがて彼は女の子の人形を取り出して、ぼくに見せる。人形の髪はもじゃもじゃだ。放っておくと、こういう髪になるのが原稿の趣旨に合っているらしい。ぼくは納得し、「これは面白い。この人形をお借りしていきます」と、人形を抱いて家を出る。
向こうからHカメラマンがやってくるが、無視して通り過ぎる。彼はびっくりして、ぼくに向かってUターンする。
2010年03月11日
3月11日の夢(ウォータースケート)
外回りから会社に戻ってきて、もうこの会社を辞めようと思い、服を脱いで私服に着替え始める。制服を脱いでみると、緑のシャツとお揃いのズボン、さらにその下の肌着は紫色だ。制服を着ていて、気付かなかったけれど、自分がこんなにおしゃれをしていたことに驚く。
隣のデスクでは、知らない男性社員がやはり黙って、服を着替えている。ぼくとは反対に、彼はこの会社に入社しようとしているらしい。
海外の状況を調べる資料を探すために、銀座の数寄屋橋近くにある海外調査会の事務所に向かう。雨が降っていて、水たまりがあって、舗道は滑りやすい。ぼくはそれを利用して、スイースイーと革靴をスケートのように滑らせて、スピーディーに進んでいく。適当なところで手すりにつかまっては、また別の方向に直線で滑って行くから、とても安全だ。無事、調査会の事務所につき、総ガラス張りの内部を覗きこむが、急に気後れしてしまう。むしろ旭屋書店に行って、海外の本を気楽に探そうと思い、歩き出す。すると、背後から女性の声で「一色さーん」と呼びかけられた気がして、立ち止まる。振り向くと、海外調査会の隣の事務所で、事務服を着た女性がこちらを向いて口をあけているのが見えるが、見覚えのない女性だ。ぼくの聞き違いだろうと判断して、ぼくは旭屋書店へと歩き出す。
2010年03月08日
3月8日の夢(講師)
気づくと以前在籍した会社にぼくはまだ働いている。そこでやはり同じ雑誌を作っているらしい。しかし、社長は女性社長に代わり、彼女は社員を一新したばかりか、出入りの業者も変えてしまったので、コストが革命的に下がった。
会社の仕事の仕方が変わったことを示すために、証拠写真を社員一人一人ついて撮ることにする。ぼくは湯呑みを手にしてカメラに収まる。これはお酒を飲みながらではなく、お茶を飲みながら仕事をするようになった、という変化を、象徴的に表現するためだ。
夢中になってコピーをとっていると、もう夜の8時だ。また、こんなに夜遅くまで仕事をすることになってしまったのか、と我ながらちょっと驚く。コピー機の中に、紙といっしょに泥のような素材も突っ込んでしまったため、なかなかコピーが出てこない。
会社が終わってから、Iさんが新たに作ってくれた映画教室の講師をしに出掛ける。初回こそ生徒がいなくてガラガラだった教室も、2回目の今日は若い人たちで満員になっている。とても嬉しい。生徒たちの前で、偉そうにちょっと気取ってみる。しかし、映画のことでぼくに教えられることなんて、何もない。何を話せばよいのだろう? じきに生徒たちに軽蔑されてしまうに違いない。
2010年03月05日
3月5日の夢(目玉型の鬢)
シュワルツネッガーが技術者につかまって、壁に押し付けられ、バリカンで鬢の毛を剃られる。剃り終わってみると、そこが目玉の形に剃りあげられている。
3月4日の夢(途中下車)
浜松のクライアントへ原稿を持っていこうと新幹線に乗ったが、静岡にピアニストのTさんがいるので、途中下車してしまい、言葉を交わすわけでもないのに、1日彼女とともにだらだら過ごす。なんとなくそれだけで心が休まるのだ。しかし、気付くともう6時近い。これでは浜松のクライアントが退社してしまうではないか。
慌てて新幹線に乗ろうとするが、まず静岡駅を出るための切符が必要なのに、それが見当たらない。改札口にカウンターがあり、そこでお醤油を入れた小皿を渡される。ぼくは思わず、そのお醤油を腕に塗りつけるが、みんなに「それは食べるものだよ」と笑われてしまう。そうか。ここで何かを食べないと、浜松にたどりつけないのだ。
3月3日の夢(自家発電)
民主党の小沢幹事長の自宅の前に街灯が一つ建っている。この街灯はいろいろなことをすると、それによって自家発電して灯る仕組みだ。みんなでいろいろ試してみている。「これこれをしたから50ワット」「あれをしたから100ワット」と互いに言いあっている。ぼくは見ている子供たちに「間違えてもいいから、君たちもやってごらん」と勧める。
2010年02月26日
2月26日の夢(パーティ潜入)
どこかのマンションに女性といっしょに忍び込む。玄関には鍵がかかっているが、彼女の爪には何でも開く魔法の鍵が仕掛けてあって、なんなく開くことができた。広間にはいると、二人の男が現れる。ぼくらは慌てて床に伏せる。どうやら見つからずにすんだようだ。
そこでパーティが始まった。沢山の盛装した参加者たちの間に、ぼくらは身をひそめる。給仕たちもフロックコートにきっちりと身を包んでいる。会場の端まで行き、隣のフロアを覗くと、そこは普通の客たちが食事を楽しむレストランになっている。
パーティはどんどん盛り上がり、舞台にはこの家の娘や息子たちがいる。いかにも令嬢・令息という感じ。彼らは舞台後方の壁にはしごをかけてどんどん上に登っていく。姿が豆粒のようになり、誰が誰だか見分けにくい。その間に彼らは別の人間とすり替わってしまうのではないかと、ぼくらは目を凝らす。
パーティはさらに進み、給仕たちが何かを配り、ぼくもそれを受け取る。何度か危ない目には遭ったが、なんとか最後まで敵に見つかることはなかった。
2010年02月25日
2月25日の夢(美しいもの)
沖縄の民宿に滞在している。知能に障害のある男の子が遊んでいる。彼は美しい小さな小物を作るのが得意で、金魚鉢のような透明ケースの中に、主にブルー系の美しいものを沢山入れて、大事にしている。ぼくが「一つほしいな」と声をかけると、男の子の世話をしている女性が「おじさんが一つほしいんですって」と言ってくれる。男の子がはにかみながら選んでくれたのは、汚れたビニール袋だ。ぼくはちょっとがっかり。だが、よく見ると、袋の中に美しいものが沢山入っているのだった。ぼくが喜ぶと、女性も、「ねっ」と言うようにぼくにほほえむ。
民宿の外に停めてある車に戻る。何か男の子にお返しにあげられるものはないだろうか。ふと見ると、助手席の床にどこかで買ったらしい、美しいものがいっぱい詰まった四角い箱が転がっている。その中にけん玉があった。しかし、紐が長くて、とても複雑にからまっている。それをぼくは懸命にときほぐす。これを実演して見せたら、男の子はこのけん玉をほしいと思ってくれるだろうか。
いつのまにか夜になっていて、星が美しい。そこへ「Pの本」元編集長のK女史が現れる。「あらまあ、東京で会わなくて、こんなところで」と、お互いににこやかに挨拶をする。この民宿でこれからS社のOB・OGを集めて、不振を極めているピアノの仕事のてこいれのための会議が開かれるらしい。
2010年02月21日
2月20日の夢(バス映画館)
映画館に妻と行く。せっかく真中近くのいい席をとれたのに、その席の周囲は屋根や壁のないバスになっていて、突然走りだした。そして、駅のプラットホームをぐるりと一周。また映画館に戻ってきたものの、そこは隅に近く、スクリーンが見づらい。ところが、ぼくの手元にもミニサイズのスクリーンがあり、それで映画を見ることができた。
2010年02月18日
2月18日の夢(大阪取材)
大阪の動物園に珍しい動物がやってきた。仕掛け人は元Sグループの総帥で詩人のT氏である。早速T氏に取材申し込みをした。T氏のマスコミ取材は二日間の日程が用意されており、その最初の日の午後1時からインタビューと決まった。だが、旧知の大阪のカメラマンはスケジュールが空いておらず、彼の知人の女性写真家に同行を頼んだ。
当日、ホテルから待ち合わせの時間に取材会場へ出向いたが、彼女は来ていない。もしかしたら彼女との待ち合わせはホテルでだったのかもしれない。あいにく彼女の電話番号も聞いていない。結局、彼女は会場に現れず、ぼくは取材をすっぽかして旧知のカメラマン宅に帰ってきてしまった。
さて、カメラマンの家はとても広いスペースをふすまなどで区切った、大きな家である。女性写真家も加わって、カメラマン夫婦とぼくらは夜遅くまで会話が弾み、盛り上がる。そして明日、はたして取材を受けてもらえるかどうかわからないが、カメラマンとぼくとで一時にもう一度会場に行ってみることにする。
気付くと女性写真家が布団を二つ出してきて、その一つを敷いて寝てしまった。まさか彼女と同じ部屋では寝られない。別の部屋に布団を敷いて、ぼくも寝てしまう。
翌日、起きてから気付いた。あいにく雨だが、ぼくは自分の服も傘もホテルに置いてきてしまったのだ。カメラマンの服と傘を借りて、ぼくらは取材会場に出掛ける。たまたま会場の前でT氏と出会い、詩人どうしの気安さで雑談をするが、取材に来たことを伝えられないまま、彼は中に入ってしまった。さあ、受付の女性たちがぼくらを見ている。昨日すっぽかした取材をはたして彼女たちは許可してくれるだろうか。
2月17日の夢(面接)
会社が新宿から一駅のところへ引っ越した。四谷あたりから一駅ごとに会場を借りて筆記の入社試験をし、受かった人は電車で会社に来てもらって、面接をするのだ。会社は里山の前の原っぱのようなところに立っている。同僚の社員たちは移転とともに入れ替わってしまったらしい。皆ぼくの知らない人たちで、しかも皆松の木みたいに背の高い人たちばかりだ。
2010年02月13日
2月13日の夢(北海道へ)
北海道へ皆で旅行することになった。飛行機の時間が迫っているのに、ぼくだけスーツケースにまだ何も詰めていない。あわてて洋服ダンスを開け、日数を計算して下着を詰め込み、空港へと向かう。しかし、冬の北海道へ行くというのに、コートもマフラーも持っていないのに気付き、急いで引き返す。
再び駅へ向かう。まだこの時代、飛行機はできていない。だから、新宿から私鉄の特急で北海道へ出発する。先頭の展望車の一番前に座ったつもりだったが、気がつくと、そこは前から3列目で、左右に3列あるうちの真中の座席だった。おまけに、ぼくの左隣には若いカップルが座っている。ぼくは右端にお尻をちょこんと乗せた格好で、今にも落ちてしまいそうである。カップルに遠慮して別の席に座るべきではないだろうかと、様子をうかがう。だが、この座席は3人がけだ。それなら、ぼくがここにいても問題ないのだと安心する。
2月12日の夢(飛行機の中で鍋)
アメリカ出張がやっと終わり、日本への帰途、飛行機に乗っていると、地上が大嵐になっている。ともかく日本に帰れたと喜んだとたん、沖縄への出張命令が出た。今度のぼくの役目は会計で、会計は食事係を務めるべきだとして、飛行機の中で鍋料理を作らされる。でも数日の短期出張で、本土に戻ることができた。
2010年02月10日
2月7日の夢(下北沢と所沢)
ある男性と車で、何かの建物を探している。多分、この辺だと思うが見つからないので、彼は車を降りて、通りがかりの女性に道を尋ねる。その間、ぼくは近くの建物に入り、トイレを探すが、見つからない。
男性が帰ってきて、「ぼくらは間違えていた」と言う。そうだ。ぼくらは所沢へ行くつもりだったのに、下北沢へ来てしまったのだった。再び車に乗って、所沢に向かう。ところが車はカーブを曲がり切れず、ガーンと音をたてて、倉庫の壁にぶつかってしまう。
やっと所沢の目指す建物に着いた。なんだか不思議な感じの家である。もともとは何か別の目的で建てられたものを改造したかららしい。この家の主人から不思議な服をもらい、早速着てみる。帽子がすごく過激なデザインだ。その人の作った映画を見る。
映画が終わり、妻をその家に置いて、ぼくだけトイレを探しに行く。やっぱりどこにもない。しかたなく戻ってきて、みんなに別れの挨拶をし、車で戻ることにする。最後に止まったのはやっぱり下北沢だった。そこでぼくは「トイレに行く」と車を飛び出し、探し回るが、どこにもトイレはない。
2010年02月06日
2月3日の夢(会社を辞める日)
今日はぼくが会社を辞める日だ。引き継ぎ書を書かなくてはいけない。ぼくはデスクの上に登って、何かをしている。そこから床に降りようとする。ところがデスクに接して、社員たちがぎっしりと詰めかけているため、下に降りたくても空間がなくて苦労する。
トイレに行く。隣に体の大きな外国人が来た。便器がなくて、壁に向かって放尿するトイレだ。彼が壁に体がくっつかんばかりにして用を足すのにびっくりする。ぼくも用を足していると、後ろから誰かに呼びかけられ、後ろへ引き戻されてしまう。そんなことされても途中ではやめられないよと思うが、ちゃんとやめられた。不思議だ。
2010年01月20日
1月20日の夢(湯呑みを割る)
ぼくらの家の中に子供が3人勝手に入り込んでいる。3人の中でひときわ背の高い男の子がガキ大将らしい。一人女の子も混じっている。ぼくはつかつかと近寄って、ガキ大将を殴りつけ、勝手にひとの家に入ってはいけないと説教して帰す。
ぼくはもう朝の洗顔や歯磨きを終えたつもりだったが、考えてみるとまだだった。ちょうど洗顔に行こうとする妻を追い抜いて、なぜか流し台に行く。あわてていたので、妻の口ゆすぎ用の湯呑みを割ってしまった。
1月19日の夢(干上がった湖)
ぼくと妻が出掛けたところに、丸い小さな池が干上がって、泥の底が露出していた。そのほとりに上半身裸のメガネをかけた男が座っている。男はぼくらに「これは中禅寺湖なんですが、それがこんなになってしまっても、誰も注目しないのは、きっと世界がどうかなってしまったからに違いありません。ぼくの裸の体を見たいと思う人もいなくなってしまったんでしょうか」と言う。ぼくらが答えに窮していると、まだ幼い外国人の少女がやってきて、ぼくらの隣に座った。彼女も上半身裸である。
2010年01月15日
1月14日の夢(取材)
雑誌の記事広告の取材にカメラマンと出掛ける。港の岸壁のような場所を通って、マンションのロビーに入る。だが、取材相手はまだ帰宅していなかった。カメラマンが機材の準備をしているところに、玄関からふと見知った顔が覗く。てっきり取材相手だと思い、「こんにちは」と挨拶するが、それは同じ雑誌の別の取材クルーだった。そちらのクルーの取材相手はもう到着しているという。見ると、女性詩人の大御所Sさんだ。向こうに先を越されて、しかも同じ建物の中で取材されるのは、気分が悪い。目の前に相手クルーの書いた記事があるので、読み始めるが、こんなの読みたくないと、すぐ投げ出してしまう。ふと見ると、窓にクリスマスツリーの飾りが貼ってある。取材場所にこんな季節感のあるものがあってはまずいのではないか、と思う。
2010年01月08日
1月8日の夢(邸宅のトイレ)
ぼくと妻は新しい邸宅に引っ越した。居間に妻を残し、隣のトイレに入る。トイレは広く、真中に蓋のない巨大な便器が横向きに置かれている。しかし、便器は水がいっぱいで、用を足すとあふれ出してしまう。トイレの床には妻の化粧小物等が散乱しており、それらが水につかる。おまけに、財布は便器に落ちてしまう。急いで妻に訴えるが、妻は関心を示さないので、一人でトイレに戻る。トイレにはベッドや洗面台も完備されており、ベッドには見知らぬ女性が腰かけている。驚いて、女性に近づくと、彼女はぼくから本能的に身を遠ざけようとする。
1月7日の夢(チョコレート)
会社で二個のチョコレートをもらった。そのとき偶然左隣のOさんが立ち上がり、その拍子にぼくのデスクの上から何か大切なものが、後ろに落ちてしまった。なんとかしてデスクをどかして、取り戻さねばと思っているところへ、Oさんが戻ってきて、ぼくのデスクの左端に置いておいたチョコの箱から、チョコをつまんで食べ始めた。ぼくはチョコを二つとも一人で食べるつもりだったので、驚くが、自分のいじきたなさを反省し、二つのチョコの箱を二人のデスクの間に、蓋を開いてから置く。
2010年01月06日
1月6日の夢(縄梯子)
会社で出版企画を提出するように言われる。同僚たちはパソコンから上手に企画を出しているが、ぼくはどうしたら企画が出せるのかわからない。別の部屋に取りに行くことにする。階段の途中にトイレがあり、便器にどうしても体が触れてしまう。汚い。いくつもの蛇口で何度も手を洗う。企画を手にして、元の部屋に戻るには縄梯子を登らなければならない。もう一人男性社員がやってきて、二人で縄梯子を登る。ぼくのお尻に何かが触って、くすぐったい。意外にも2段縄梯子を登るだけで、簡単に元の部屋に戻ることができた。ぼくの取ってきた企画書は押し寿司のような形をしている。
1月5日の夢(映画館)
映画館で映画が始まるのを待っている。ぼくの席のすぐ右手に非常口ほどの大きさの舞台があり、そこに幾重にも張られたビロードのピンクのカーテンが、まるで生き物のように激しく揺れている。そこで映画が始まるのだと思って、見つめている。ふと気がつくと、前方に大きなステージがあり、そこではもっと大掛かりにピンクのカーテンが揺れている。こっちが本来のスクリーンだ。始まるのは宇宙ものの映画のはずだ。
2010年01月01日
1月1日の夢(初夢)
銀行で顧客サービスに籤を引かせてくれるというので、妻と二人で出掛けた。カウンターの上に何本も筒状の機械が置いてある。これが籤を引く機械だ。
妻と二人分、百円玉を機械に投げ込む。思いがけずガチャンガチャンと大きな音がして、コインが機械の中に落ちる。てっきり自動で籤が出てくるものと思ったら、四十歳くらいの女性行員が出てきて、手動で機械の中に二つの籤を入れる。それをぼくがこちら側へ引き出そうとしたが、機械が壊れているのか、うまく取り出すことができない。四苦八苦の末、ようやく三角形をしたバラ色の籤を一つだけ取り出して、妻に渡す。もう一つは女性行員が結局向こう側から取り出して、ぼくに渡してくれた。さあ、今年のぼくらの運勢は? にこにこしながら籤を開けようとしたら、目覚ましが鳴って目が覚めた。
2009年12月31日
12月31日の夢(マリリン・モンロー)
久しぶりに出社する。ずいぶん長く休んでいるが、夏休みみたいな長期の休暇で、その間にときどき出社日が設けられているらしい。
ぼくの所属している広告部門の社員たちは皆忙しく働いているが、出版部門の社員は皆やることがないらしく、年賀状か何かを書いているだけだ。ぼくは仕事の引き継ぎのため、Yさんの資料の入った黒い四角い棚を引き出して、整理している。なんだか、どろどろの汚い棚だ。
そこへK会長がやってきて、隣の会社にマリリン・モンローが来ているから、会いに行くと言う。社員たちは壁一枚隔てた隣の会社をわれがちに覗き、「あっ、今モンローと会った。もう見えなくなった」などと騒いでいるが、ぼくは無視して棚の整理を続ける。引き継ぎをするYさんも出てきて、棚の説明をしてくれるが、要領を得なくて、何を言っているのかわからない。そのうち、一番上に置いてある写真の切れ端について言っているのだと気がつく。彼女も「あっ、これについてだと言わないと、わけわかんないですよね。すみません」と言う。
やっと棚の整理を終えて、手を見ると、重油がついていたらしく、手が真黒だ。手を洗おうと、台所に行く。そこには大きなボイラーのようなものがあり、そこからいくつも蛇口が出て、みんな熱い蒸気を吐いている。しかし、どの蛇口もなかなか手が届かないでいると、一見して外国人とわかる男が入ってきて、「こっちのは熱いが、この辺のはちょうどいい温度だよ」と教えてくれる。ぼくはこの会社で一番古株なのだが、新入社員だと思ったのかもしれない。台所には大きな窓があり、道路をたくさんの社員たちがぞろぞろ歩いて行くのと目が合う。
2009年12月28日
12月28日の夢(バス停にて)
バス停に立っている。ここはぼくが生まれた名古屋の覚王山らしい。バスがやってきたが、ぼくが行こうとしているのは、ここからバス停で三つめだ。あえてバスに乗ることはないだろうと、やり過ごす。
ぼくはそのとき、バスのチケットともう一枚のカードを左手に持っていた。急に、あるカードを忘れずに持っていたかが気になり、ポケットからある限りのカードを出して、左手に持つ。一枚一枚カードを調べながら、あのカードが混じっていないかどうか確認していく。その間にバスのチケットを落としてしまうのではないかと、気になるが、大丈夫だ。それに、あのカードは持っていたとしても、いろいろトラブルの原因になるから、きっとすぐ捨ててしまうに違いないのだが。
12月28日の夢(バス停にて)
バス停に立っている。ここはぼくが生まれた名古屋の覚王山らしい。バスがやってきたが、ぼくが行こうとしているのは、ここからバス停で三つめだ。あえてバスに乗ることはないだろうと、やり過ごす。
ぼくはそのとき、バスのチケットともう一枚のカードを左手に持っていた。急に、あるカードを忘れずに持っていたかが気になり、ポケットからある限りのカードを出して、左手に持つ。一枚一枚カードを調べながら、あのカードが混じっていないかどうか確認していく。その間にバスのチケットを落としてしまうのではないかと、気になるが、大丈夫だ。それに、あのカードは持っていたとしても、いろいろトラブルの原因になるから、きっとすぐ捨ててしまうに違いないのだが。
2009年12月24日
12月24日の夢(吉増さんと三島)
妻が風邪をひいて寝ている。詩人の吉増さんが見舞いに来てくれた。手土産に分厚いチラシの束をくれる。コンサートの会場でもらうような束だ。詩人でこんな大きなチラシの束を持っている人は、そうはいないだろう。さすがは吉増さんだと思う。
しかし、そろそろ夕食の時間だと思っていると、吉増さんは辞去すると言う。ぼくの家にいる間はしゃれた洋服姿だったが、紺の地に点々がいっぱいついた和服に着替えて、外に出た。表通りに出たところで、しゃがんでしまったので、何をしているのかと見ていると、髪を鮮やかな金髪に染めていたのだった。それもビートルズのようなマッシュルームカットだ。
三島由紀夫の家を訪ねるためにバスに乗った。運転手が「次は後楽園前」とアナウンスする。あれ、この停留所だったか、それとも次の停留所だったかと、逡巡する。バスの左手には長い後楽園遊園地の塀が続いている。
2009年12月20日
12月20日の夢(変なタクシー)
何人かで劇場に行こうと交差点でタクシーを止める。運転席と助手席は普通のタクシーだが、後方の座席は床が低く、椅子もぐんと下のほうにある。これでは前が見えないので、ぼく以外の乗客は本来の椅子の部分に足を置き、背もたれのてっぺんに腰かけて乗った。しかし、ぼく一人だけは本来の椅子に腰を下ろしたので、車内で一人だけ穴の底にいるように、低い位置になってしまった。
2009年12月16日
12月16日の夢(賢治からの電話)
女性が「Iさんが宮沢賢治から電話をもらったんだって」と話している。Iさんはそんな有名詩人になったんだ、と感心する。彼女にすぐ電話してあげようと思うが、Iさんはいつのまにか目の前にいて、大判の図鑑のような本をぱらぱらめくっている。「あたし、この本、借りていこうかなあ」と盛んに悩んでいる。
12月16日の夢(病院)
職場のトイレに入る。トイレは和室で、真中にこたつのような便器がある。一人の女性が「あら、長居をしてしまって、ごめんなさい」と言って、出て行った後、用を足そうとするが、まだ二人女性が残っている。それに便器をこちらに向けてみると、それは便器とは似て非なる何かで、女性たちがそれを使って何かをしようとしているのだった。
しかたなく、外でトイレを借りようと、駅に向かう。気がつくと、ぼくは白いアンダーシャツを一枚着ているだけで、半裸の状態だ。恥ずかしい。男がピンクのボールを空高く垂直に投げ上げ、それを女友達に受け止めさせようとしている。だが、女は受け切れず、ボールがぼくのほうに飛んできた。ぼくはそのボールをキャッチすることはできなかったが、うまく跳ね返してあげることができた。女はぼくに「ありがとう」と言うが、男は女に何かぼくを嘲笑する言葉を言ったようだ。
信濃町の慶応病院に行く。患者たちでごったがえした一階にはトイレがなかったことを思い出す。そのまま通り抜けようとしたが、建物の向こう端には長距離用の電話機を沢山並べたコーナーがあり、そこから外に出ると、柵があって出口がない。乗り越えようと思うが、下の地面まではかなりの高さがある。「外へ出るには、柵を乗り越えるしかないのですか」とぼくは誰にともなく尋ねるが、誰も答えない。ぼくは柵を乗り越えて、向こう側へ飛び降りる。
やっと外に出た。
2009年12月11日
12月11日の夢(虎)
劇場へ行く。客席は空席が沢山ある。だが、座ろうとすると、荷物が置いてあったりして、なかなか席につけないでいる。そこへどやどやと新しい観客たちが到着し、たちまち空席が埋まり始め、慌ててやっと席を確保する。
いつのまにか、気づくと、ぼくは舞台の上にいて、そこで数人の観客とともに劇を見守っている。しばらくして、舞台の前方両側には柱があって、そこに立てば客席からぼくの姿が見えないですむことに気づき、左側の柱の裏に移動する。
道路にリュックサックを置いたら、それが邪魔になったらしく、車が停車した。慌ててどかすと、車は走り出したが、それはチョコレート色の服を頭から足まですっぽりとかぶった一頭の虎だった。恐怖に足がすくむが、虎はそのまま通り過ぎていった。やれやれと胸をなでおろしていると、なんだか足もとの感触が変だ。見ると、おとなの猫から子猫までさまざまな猫で足の踏み場もないほどだ。それがみんなぼくにまとわりついて、餌をねだっている。しかたなく持っていた生クリームのケーキをみんな猫たちにあげてしまいう。やっとリュックを持ち上げると、いやに重い。リュックの中にも猫が何匹も入っているのだ。リュックを道路に叩きつけながら、「おまえをこのまま伊勢湾に放り込んでもいいんだぞ」と凄む。さらにもう一回叩きつける。
2009年12月10日
12月10日の夢(大事な物)
ピアニストのTさんに頼まれ、2人でぼくが元勤めていたS社に行く。久しぶりに見る原宿の交差点はすっかり変わっている。ラフォーレのある場所にS社がある。ここだけはぽっかりと昔のままだ。同社は出版部門と、ぼくのいた広告部門が隣り合わせに建っている。今は就業時間の終わった夜なので、右側の出版部門の裏口から入らなければならない。裏口は横長の狭い窓で、止まっているオートバイの座席を乗り越えて、さらに狭い窓を潜り抜けなければならない。何度か失敗した後、やっと潜り抜けることができた。真っ暗な社内には一人の見知らぬ男性社員がいるが、ぼくらを手助けしようともしてくれない。
隣の広告部門は、うらぶれた出版部門とは対照的に明るくモダンなビルで、夜中の11時だというのに、まだ沢山の社員がいきいきと残業している。Tさんは大事なものを再生するために、オープンリールのテープデッキが要るという。社員の一人が「それなら地下2階にある」と言う。階段を降りていくと、見つかった。それは長い洗濯竿のようなものだった。地上に戻ろうと思う。普通なら階段を上るところだが、ここではさらに階段を下らないと地上に戻れない。長い竿を持ち運ぶのは大変なので、階段の下に向かって突き落としてしまえばいいと思うが、下に社員がいたら大けがをさせてしまう。やはり肩にかついで、ゆっくりと戻ることにする。
2009年12月06日
12月6日の夢(革命)
政府に対立する市民の革命軍が決起した。しかし、この革命軍は武器を持たない。丸腰の部隊だ。
今、市民軍は銀行を占拠し、中にいた人々を外に連れ出した。その部隊に交替して、外に残っていた部隊が中に入った。外に残ったのは、ぼくともう一人の男だけになる。
その男はぼくを「私たちの大統領です」と市民たちに紹介する。市民たちの中にAカメラマンがいて、にこにこしながら「お休みから帰ってきたのに、仕事をしないままになりましたね」と言う。ぼくも笑い返す。いずれぼくらの革命は鎮圧され、代表者のぼくは殺されることになるのだろうなと、ちらと思う。
トヨタの社長など、財閥の家系は近親婚を繰り返しているらしいことが明らかになった。彼らの血筋には特殊な能力を持つミュータントが代々現れる。それで、その血筋を絶やさないよう、近親婚をしているらしい。
四角いやぐらごたつのようなものを囲んで、男と商談をしている。男はとても背が高い。ぼくは突然、尿意を催し、立ってそのやぐらごたつの中に放尿する。慌てて男も立ち上がり、反対側にいた別の男は身をひるがえして外へ出ていく。一瞬、それは大人の男に見えたが、次の瞬間には子供に変わっていた。
それからまた商談相手とぼくは商談をするために座る。やぐらごたつの中にはなみなみとぼくの尿がたまってしまったため、男はそれに足を突っ込まないよう、無理な斜めの姿勢で、向こう側に足をかけていたが、足がすべって尿の中にどぼんと落ちてしまう。「これはぼくのおしっこですね」と言って、ぼくは苦笑する。
12月5日の夢
二階の窓から町を見下ろしている。別の建物の二階の窓から女の子が壁をするすると伝い降りて、道路を駈けていく。それを見て、ぼくも窓から伝い降りて、大きなレストランに走りこむ。
レストランでは会社の同僚たちが立ってコーラスをしていた。ぼくは歌ではなく、鍋のようなものを打楽器代わりに叩いて、リズムをとる。誰かが「これが三菱の歌だと思えば、よくわかるよね」と言う。確かに、歌は何かを鼓舞するようなマーチふうの四拍子だ。ぼくはそりに違和感を覚え、レストランを出て、街路を走り、別のお店に入る。
2009年12月04日
12月4日の夢(高空きゅうり)
テレビで刑事もののドラマをやっている。「七人の刑事」と「太陽に吠えろ」が合体したような内容で、画面には刑事が六人横一列に並んでいる。そこに七人目の刑事が車いすで登場した。車いす刑事を演じているのは石原裕次郎だ。彼はもう生きていないのだから、当然CGだろう。だが、動きもセリフも全く違和感がない。
会社が飛行機になって、空を飛んでいる。いいにおいが機内に立ち込める。見ると、前方の床にたくさんの木の実が落ちている。ぼくは「きゅうりだ」と言いながら、機首に向かう。左側の窓が開いていて、そこから樹木が機内に顔を出している。Oさんが窓際に立っていて、「高空きゅうりよ」と言う。ぼくは後ろを振り返り、Fさんたちに「きゅうりだよ」と声をかける。
2009年12月02日
12月2日の夢(学園祭)
学園祭のステージの準備が完了した。受付もスタンバイして、もういつでも開場できる。会場の入り口にも来場者の列がかなり長く伸びている。さあ開場だ。そう思って、実行委員会に行く。
実行委員会は喫茶店のようなところで開かれていて、テーブルの両側に実行委員がぎっしり並んでいる。委員長はその真ん中で暗い顔をして、「開場は3時20分でいい」と言う。ぼくは「プログラムには3時5分開場と書いてありますよ」と抗議するが、聞き入れてもらえない。委員長の隣には主演女優が座っている。とても女優とは思えない顔立ちだが、きちんと和服を着ている。胸を押さえながら「なんだか、気持ちが悪いの。でも大丈夫よ」と言う。いつのまにか3時20分になってしまった。窓の外を見る。人通りが少ない。ということは、まだ開場していないのだろう。
11月28日の夢(水練会)
ぼくはまだ高校生で、海辺の町に水泳訓練のために合宿している。宿は丘のてっぺんにあるため、麓の町との間を何度も往復しなければならない。
ぼくらが宿泊しているのは小さな和室で、そこに生徒が何人も押し込まれている。先生は「リーダーに指示された場所に、丸まって寝なさい」と言う。
生徒の一人が先生に「せっかく泊まりに来たのだから、夜遅くまで話していてもいいですよね」と尋ねる。先生は「うーん。別の部屋に行って、話すこともできるけどね」と口ごもる。ぼくはその会話を聞いて、「夜遅くまで話し込む人がいたら、うるさくて眠れないからいやだな」と思う。
2009年11月26日
11月26日の夢(立ち乗りタクシー)
仕事で出かけなければならないが、そこは電車をいくつも乗り継いでいかなければたどりつけない場所だ。
一つ目の電車に乗る。窓から雪をかぶった富士山が大きく見える。あれ、ここはもう山梨なのだろうかと思う。降りる駅が近づいたので、ドアの近くに移動すると、鞄がどこかに引っかかっているのに気づく。ドアにはさまれたのかと一瞬ひやっとするが、そうではなく座席と車体の一部に引っかかっていただけだった。
最初の乗り換え駅で、時間待ちのためレストランに入る。そこでは劇団が公演をしている。今日が初日らしい。そのステージには誰でも飛び入りで参加できるという。今日の公演に参加するという女性とぼくは知り合いになり、彼女に「ぼくもこれから毎日ここに仕事で寄るから、いつか必ずぼくも出演するね」と言う。
次の電車に乗り継ぐため、再び駅へ向かおうとして、またはっとする。目薬を冷蔵庫に入れたまま、持ってくるのを忘れてしまったのだ。そして、それとは別の目薬を持って来てしまった。
レストランは高いところにあるので、そこから地上に降りるのにはエレベーターに乗る必要がある。彼女と二人で乗ろうとしていると、見知らぬ男性がやってきて、三人でエレベーターに乗る。エレベーターは四方の壁も床も天井もガラスでできた透明エレベーターだ。
地上には客待ちしているタクシーがいる。三人で乗り込むと、中年の運転手はものもいわずに走り出した。ここから乗る客は駅にしか行かないと決めてかかっている様子だ。ふと気付くと、ぼくと女性は後部座席にいるのだが、そこには座席がなく、2人とも立ったままだ。小型のタクシーだからだろう。
2009年11月22日
11月21日の夢(取材)
取材のため、電車で中野に行く。取材相手の女性に、どうしても今日中に取材してほしいと言われたのだが、もう夜の十時だ。それでもすぐ帰れば、十時半には帰宅できるだろう。
駅を降り、雨の交差点で地図を見る。だが、取材先の相手の住所はおろか、名前さえよく読み取れない。空車のタクシーが何度も通りかかり、そんなぼくを見て、一台はわざわざ停車までしてくれたが、ぼくは乗る決心がつかない。でも、これでは取材が十時半に終わったとしても、帰宅できるのはもっと遅くなってしまう。ようやく心を決めて、タクシーに手を上げようとするが、もう通りかかるのは客を乗せたタクシーばかりだ。
2009年11月18日
11月17日の夢(再び駅)
駅のホームを歩いていると、「あっ、Tさんだ」という声が聞こえる。ふと見ると、ぼくのすぐ前をもっさりとしたワンピースを着て、帽子をかぶったピアニストのTさんが歩いている。手にしたバッグに名前が書いてあるから、確かに彼女に間違いない。横に並び、「あれっ、Tさんじゃないの?」と言うと、彼女は「えっ、ああ」と気のない返事をする。男女の連れが彼女にはいるので、ぼくは遠慮して、隣の乗降口の列に並ぶ。「これがアクセスには一番いいの」という彼女の声が聞こえる。
電車が到着した。買い出しのような大きな荷物を抱えて、降りてくる人たちが何人もいる。すごい混雑で、結局同じドアから彼女も乗り込んできて、ぼくと隣り合わせにギューギュー詰めになる。
11月16日の夢(駅)
地方へ大勢の社員とともに出張していて、午後に帰れることになった。団体で列車に乗ろうと、駅で待っている。ぼくらのほかにも大勢の乗客がいる。しばらくして気がつくと、周囲に知った顔が全くない。いつのまにか列車が来て、みんなぼくを置いて東京へ帰ってしまったのだろうか。
人ごみをかきわけてホームへ行ってみる。ホームはアメリカ映画に出てくるような地上すれすれの高さだ。そこへ貨物列車がやってきて、停車した。貨物列車なのに、人々があふれんばかりに乗っている。駅の場内案内が「もうこれが本日の最終列車です」と言う。まだ4時過ぎなのに。
お腹が減ったので、どこかに腰をおろして、お弁当を食べようと思うが、座る場所が見つからない。そうこうするうち、群衆の中に一人だけ見知った顔を発見する。あれはOさんではないだろうか。
11月13日の夢(二重螺旋の階段)
また会社が引っ越した。Iさんに車で連れて行ってもらう。「どこだったかなあ」と言いながらも、Iさんは車を降りて、ぼくの先に立ち、大きなファッション店の中にどんどん入っていく。新しい会社はこの店の奥にあるのだ。
出社一日目は引っ越し荷物を運ぶだけで終わってしまった。夕方帰宅しようとしていると、イチローが笑顔で話しかけてくる。「この原稿のコンセプトは・・・」。ぼくはそれに反論するが、彼はもうそれ以上、何も言わない。
時計を見ると七時だ。会社を出る。裏口から出ると、そこはすぐ街路で、意外に以前の会社の近くだったことが分かる。駅を探して、石段の道を登るが、そこに駅は見当たらず、戻る。
私鉄のローカルな駅に着いた。ぼくはなぜか車いすに乗っていて、そのまま螺旋階段を降りる。すごい人波だ。おまけに階段の幅がだんだん狭くなっていて、途中でつっかえてしまうのではないかと心配になるが、大丈夫のようだ。どんどんスピードがついて、ぐるぐる目の回る速さで降りていく。下から上って来る螺旋階段もあって、階段は二重になっている。
改札口に着いた。定期券を買おうか。いや、もうぼくは退職日が迫っているのだから、その必要はないだろう。スイカをかざして通り抜ける。
2009年11月12日
11月12日の夢(浜松へ)
取材に行こうと歩いていたら、駅で女性記者と男性カメラマンの取材クルーに声をかけられ、いっしょに浜松に行くことになった。
浜松に行く前に、東京で一件、撮影をすることになる。隣室で撮影が行われている間、ぼくはお腹が減り、テーブルの上に置かれた白い箱の中に手を突っ込み、おいしいケーキを一人で食べてしまう。こんなことをして、いいのだろうかと、良心の呵責を感じながら。
隣室に行くと、どうやら撮影は終わったらしい。カメラマンに「もう終わった?」と声をかけ、急いで駅に向かうことにする。浜松までは新幹線で二時間かかるので、急がないと約束の時間に間に合わないからだ。玄関にかけられたぼくの上着を着ようとすると、上着にピンクの紙がぺたぺたくっついている。Uくんがやったんだなと思う。それを剥がして駅へ急ぐ。
駅は丘の上にある。そこへ向かう道は人がいっぱいで、なかなか進まない。雨も降っている。いらいらしていると、前を歩く歩行者が「早くしてくれ。新幹線に乗り遅れるぞ」と、さらに前を行く人たちに声をかけている。ということは、ぼくの前を行く大勢の人たちも皆新幹線に乗るのだ。おまけに駅からは「列車が遅れていて、申し訳ありません」というアナウンスも聞こえる。これなら乗り遅れることはないだろう、と安心する。
ところが、ずっと後ろの方で、さらに後方に向かって「一色さーん」と、ぼくを探している声がする。ぼくがもっと後ろで遅れていると誤解して、探しているのだ。「ぼくはここだよ」と慌てて、彼らに手を振る。
追いついたM前編集長は「一色さん、降りるのはどの駅? どの工場へ行くの?」と尋ねる。しまった。工場の名前を度忘れしてしまった。「えーと、宮竹ではなくて・・」と、ぼくはへどもどする。しかし、とにかく行けばわかるだろう。
坂を登りながら、切符を取り出すと、往復の切符を買ったのに、片道分しかない。どこかで別のカードと切符を取り間違えてしまったようだ。
2009年11月07日
11月7日の夢(イベント)
イベントの休憩時間。桟敷席でぼくの前に立っていた青い浴衣の少女を後ろから抱き締めて、その場に座らせる。少女はぼくのされるがままに腰をおろす。ぼくは彼女に「お菓子を持ってきてあげるからね」と言い聞かせ、後ろの方にぼくが脱ぎ棄てておいた茶色の和服から、串にさした青い飴のようなお菓子を何本も取り出す。しかし、それらは皆途中から串が折れている。それを少女に渡すと、一本とってくれた。
隣に座っている女の子にも飴を渡そうとする。彼女が選ぶふりをしているうちに、飴はいつのまにか黄色いバラに変わっている。そして、その花の中に女の子は煙草のやにを注ぎ込む。周囲の他の男女の観客にも、ぼくは形だけ「お菓子いる?」と尋ねるが、皆に「いらない」と断られる。
11月6日の夢(会社の夢)
会社がまた引っ越しをすることになり、ぼくはもう殆ど出社しないのだから関係ないと思いつつ、引っ越しの手伝いに行く。エレベーターはすごい混雑だ。社員たちはみんな集まっているが、今度は都落ちして長野あたりの田舎に引っ越すため、午後遅くしかトラックが出ないらしい。皆手持無沙汰の様子。これでは帰宅できるのは深夜になってしまうな。ぼくはもう関係ないのだから、途中で帰ってしまおうか。しかし、お腹が減った。ぼくはケーキの生クリームを自分の服の左袖にすりこみ、それをなめるようにして食べようとする。すると、皆が立食パーティを始めた。ケーキよりパーティ食の方がいいので、慌ててスプーンを探して、何か食べる。
ようやく引越しが始まったらしいので、外へ出ようとすると、靴がなく、緑色のくたびれたスリッパが沢山置いてある。できるだけきれいなのを選んで、はく。
11月5日の夢(病気)
ぼくは重い病気にかかって、会社の小屋の中に布団を敷いて寝ている。すると、外で遊んでいた他社の若い男たちがわーっと中になだれこんできて、「この会社の中の一番中心にならなければならない人たちは皆寝ている」と騒ぎ立てる。そういえば、たまたまぼく以外にもう一人病気で寝ている社員がいたのだ。わが社の社員たちも社内に戻ってきて、「そうじゃないよ。一色さんは昔F組(某大手建設会社の昔の名前)にいて・・」と説明しだすので、ぼくは「そうじゃないよ。昔、ぼくはY社にいたんだ」と言う。それも何か事実ではない気がするのだが、みんなそれを聞いて「へえーっと」という顔をする。
2009年11月04日
11月4日の夢(英国のホテル)
英国のホテルでチェックインしようとする。ごったがえすフロントで、「チェックイン・プリーズ」と声をかける。そして代金を払うが、ぼくはなぜか大小二つの財布を持っている。ぼくは英語で話しているのに、どこから見ても生粋のイギリス人のフロントの男性は流暢な日本語を話していることに気づく。
チェックインが終わり、男が「こっちへ来い。おまえは一番前だ」と言う。後をついて廊下へ出たぼくはてっきり「一番前の部屋だ」と言われたと思ったのだが、混雑の中でぼくは男を見失ってしまった。それに廊下には行列ができており、この列の一番前に並べと言われたのかもしれないが、今となってはどこが一番前なのかもわからない。
2009年11月02日
11月2日の夢(小さな球)
小さな店構えのしゃれたお店で小物を買った。その店の前にテーブルと椅子を出して商売している女性がいる。これがこの店のオーナーなのだという。彼女のテーブルが隣の店の前まではみ出しているので、変だなと思ったら、このあたり一帯のお店はすべて彼女の経営するものだという。
ぼーっとしていたら、女性店員が「これ、お客様のボールペン」と言って、青いボールペンを渡してくれた。自分のものでない気がするが、受け取る。ぼくがまだぼーっとそこに立っているので、店員とオーナーはちょっと不審そうな顔。ぼくはすでに買った商品を受け取っていたのに、あまりにそれが小さすぎて気がつかなかったのだ。
急いで店を出ると、外は真っ暗な夜で、おまけにそこは足場の悪い山道だ。ぼくは買ったばかりの商品を落としてしまう。買ったのは二つの小さな球である。慌てて手探りでそれを拾い上げる。
帰宅して、球を台所にしまおうとして、また冷蔵庫の前で落としてしまった。それを拾い上げたところで、はっと気がつく。
明日は会社の演劇祭で、ぼくも端役をもらっていたのに、全く台本を読んでいない上、それを会社に忘れてきてしまったのだ。さっきのお店で、忘れないようにとノートの表紙に大きく「台本」と書いておいたのに、なんとしたことだ。明日は文化の日で休日なので、ぼくが当然休みだと思っていた妻は、ぼくが明日演劇祭で出社すると聞いて、「なにー?!」と言う。
2009年11月01日
11月1日の夢(切符を買う)
駅で切符を買おうとしている。テーブルがいくつも横に並べられ、その後ろに一人ずつ駅員がいる。乗客はそれぞれのテーブルの前に行列を作って、切符を売ってもらっている。ようやくぼくの順番になったと思ったら、駅員は「ちょっと待って」と言い、ぼくとテーブルの狭いすきまをすり抜けるようにして行ってしまった。そのすきまがあまりに狭い気がして、ぼくは少し後ろへ下がる。
やがて戻ってきた駅員は、ぼくに三枚の胸から上の自分の写真を要求する。それがそろえられないと、切符を売ってもらえないのだ。ぼくは三枚の写真を提出するが、それはいずれも濃度が薄くて、暗い。彼は一応それらの写真に丸をつけて、切符購入の許可をしてくれたものの、写真がうまく撮れないのはシャッターの押し方が悪いからだと言い、デジカメを取り出して自ら模範を示してくれる。カメラを左手で構えたら、左手の人差し指をシャッターに乗せ、その指を右手の人差し指で強く叩くと、素早くシャッターが切れるのだという。そんな裏技をいくつもぼくは教えてもらう。
2009年10月29日
10月29日の夢(社内パーティ)
会社で何かのパーティをやっているところへ、ぼくは遅れて参加する。立食パーティだ。ぼくもお皿に料理を盛って食べ始めるが、他の社員たちは食べ終わると、さっさと他の店へ二次会をやりに外出してしまった。それでも、2人の社員が会社に残った。ぼくはしばらく呆然としていたが、はっと気づいて後片付けをしようと流し台に向かう。
流し台の上は汚れた食器が山になっていて、とても手に負えない。あきらめて、ぼくは自分の皿の汚れものだけを落とす。気を取り直して、仕事をしようとすると、ドアをパタンと閉められてしまった。慌てて自分のスリッパを探す。ドアの下から三足のスリッパが顔を出している。真ん中のスリッパがぼくのものだと思うが、その瞬間それは女性用に変わってしまう。あれっと思うと、またそれは男性用に変わった。
ぼくも外出しようとする。傘を持っていない。雨は降っていないと思ったのに、やっぱり降っていた。それでもぼくは外へ歩き出す。
2009年10月27日
10月27日の夢(人肉食)
家に食べるものがなくなった。妻が「人の肉はいく日位で腐るものでしょうか」と言う。ぼくははっとして、「馬鹿なことを言うものではない」と答える。だが食事の時間になると,母だろうか、父だろうか、「誰か肉を取ってこい」と言う。誰も取りに行かない。けれど、母が取ってきたのだろうか。いつのまにか食事が用意されている。
今、我が家は改築中で、大工さんたちが何人か家の前の空き地でお昼休みをとっている。彼らにも食事を出さなければならない。ぼくはお椀に入った饂飩のようなものを一つ手にして、その内の一人に手渡す。一つずつ運んでいたのでは間に合わない。ぼくはお盆を探し、その上に人数分載せて、運ぼうとするが、つまずいて一個を落としてしまう。だが、これは饂飩のように見えても人肉なのだ。どうせ不浄のものだから、いいのだ。ぼくは床に落ちた饂飩を拾って、お椀に入れ、大工たちに手渡す。
みんなで食事を始めようとした瞬間、あたりは真っ暗になった。ごうごうと風が吹きわたる音がして、家の壁に火がついた。ぼくの服にも火がうつった。急いでもみ消す。機関銃の音が響き渡る。棒立ちしていたぼくは、気がついて、慌てて床に伏せる。ドアを蹴破って、銃を構えた人々がなだれ込んでくる。ぼくらが殺して食べていた被支配民族の人たちが蜂起したのだ。「生き残りを探せ」と男が言う。武装した人々は一斉に、死んだふりをしていたぼくをくすぐり始める。ぼくはこらえきれず、「やめてくれ。早く殺してくれ」と叫んで立ち上がる。人々の銃口が今まさに火を噴こうとしている。
2009年10月25日
10月25日の夢(ズボン)
会社で仕事をしている。ぼくの隣にいかにも仕事がバリバリできる感じの社外の女性が座り、ぼくの書いた雑誌の記事を読んでいる。どこかの女性記者だろうか。ぼくはその記事で、あるタレントのことを書いたのだが、実際にそのタレントをテレビ等で見たことがなかった。だから、そのタレントのことを何の形容詞もつけずに書いたのだが、スポンサーから「何か説明をしろ」と言われ、適当に「明るく、かわいい」という言葉を挿入したのだった。そこに目をとめた隣の女性は「ふん。明るくかわいいだって」とこれ見よがしに言う。どうやら、そのタレントは強情なことで有名で、およそ「明るくかわいい」女性ではなかったらしい。
雑誌を読み終わった女性は、ぼくの方を見て、「あら、いいわね」と言う。ぼくがたまたま持っていた紐のようなもののことか、それともぼくの服装のことだろうか。彼女に言われて、ちょっとドキドキする。ところが、よく見ると、ぼくがはいているズボンは泥だらけではないか。慌てて会社に置いてある別の替えズボンにはきかえようとするが、それもかなりドロドロだ。そういえば何かがあって、ズボンを汚してしまい、ズボンをはき替えたことを思い出す。しかし、会社に替えズボンまで置いてあるのでは、洗濯に出すこともできないのではないか。
トイレに行く。このビルにはもともとトイレがなかったので、ある部屋をトイレに決め、右側の棚の3段目に便器がわりのボウルを置いていた。しかし、そのボウルは見当たらず、部屋には子連れの女性がいる。子どもは男の子と女の子と一人ずつだ。
10月23日の夢(三つのこと)
いよいよ後数日で退職する。営業のMから取材先と取材内容を伝えられてはいたが、何か勘違いをして、取材に行かないままにしてしまった。だが、もうぼくがしなければならないのは、そんなことではない。むしろ、皆にアドバイスをすることなのだから、自分ではやらなくていいのだ。これから後、ぼくにできることといったら、三つのことしかないのだから。
10月22日の夢(降りられないバス)
会社が日光のあたりに引っ越して、店舗を構えた。だが、その店の中に自分の脱いだ私服を吊るす場所を探しても見当たらない。ようやく店舗の入り口に「ここなら」と思う場所を見つけるが、それはそのままつながっている隣の食品店の中だった。
店舗の中では白衣を着た男たちが何かを売っている。ぼくはこんな会社にもういるつもりはなかったので、このまま電車に乗って帰ってしまおうと思う。
バスに乗っていると、運転手が「その会社に行くなら、この停留所で降りるといい」と言う。思わず横のドアから降りようとするが、「前のドアの方がご便利です」と言って、前しか開けてくれないので、降りるのをやめる。何人かの乗客が降りて行き、空席ができたのに、そこには誰かの荷物が置いてあり、ぼくは座ることができない。
2009年10月21日
10月21日の夢(バスの中の父)
バスに乗っている。隣には父親が座っている。ぼくは服にゴミがついているのが気になる。股の間に四角い箱をはさみ、その中にゴミを払い落そうとするが、ゴミは見当たらない。
別の席でサラリーマンがマイクを持って歌っている。同じ歌を繰り返し歌ううち、歌詞が少しずつ変化して、自分の妻を自慢する歌になっていく。隣で父がそれを嘲る様子をする。ぼくも思わず、喉がくくっと鳴ってしまうが、すんでのところで笑うのは我慢する。
10月19日 ぼくの誕生日の夢
タイムマシンに乗っている。窓から外を覗くと、ガラスについた水滴が急激に乾いていく。
到着した時代、書かれている作品は殆どが三つの言葉や三つの要素からなっている。
2009年10月17日
10月17日の夢(お弁当)
クライアントの事務所に行くと、女性の担当者から分厚い雑誌の校正刷りを渡された。その校正をこの場でやるように指示される。ぼくらはそのとき立派なソファに座っていたが、一応遠慮して、「ここから別の席へ移動した方がいいですよね」と言うと、「ええ、じゃあここで」と指示されたのは、窓際の粗末なデスクだ。他の女性社員がデスクの下にカーペットを敷いてくれるが、それも継ぎの当たったおんぼろである。
お腹が減ったので、街でお弁当を買った。大きな球形のカキフライが沢山入った「カキフライ弁当」だ。自分でも驚いたことに、歩きながら蓋を開けて、食べ始めようとする。だが、箸がない。幸い、入っているのはカキフライとお寿司だけだから、手づかみでも食べられそうだ。
それでも、座って食べられるところを探して、駅の方へ曲がる。しかし、座れそうな場所には人々が座っていて、適当な場所が見つからない。
町の路地には、木製の粗末なベンチがあらゆるところに置いてある。どうやら、この路地全体がカフェになっているらしく、どのベンチにも汚いかっこうの若者たちが座って、飲食したり、煙草をふかしたりしている。空いた席を探しながら歩く。ちょうどうまくあいているなと思ったテーブルには、ぼくより一足早く向こうから来た若者たちのグループが座ってしまう。それでも、なんとかそのテーブルの側面の席を一つ確保できた。
2009年10月12日
10月12日の夢(大学)
駅を降り、鳴門海峡にかかる長い橋を渡りきったところに、ぼくの目指す大学がある。
ここへ来るまでに、別の大学を一つ見てきた。そこは二つの教室に学生があふれかえらんばかりで、どちらの部屋にぼくの席があるのかもわからない。トイレだって見つけられなかった。だから、ぼくは新しい大学に行くことにしたのだ。
橋には警備員のおじさんが何人もいて、子供に橋の下の海面を覗かせているが、そこに魚がいるのか、渦潮があるのかはわからない。だが、ぼくには誰も声をかけてくれない。
大学に着いた。ロビーに二人の年取った外人が腰かけていて、ぼくを見て、「いよいよ来たぞ」と笑う。なぜ、ぼくを見てそう言うのだろう? 思わず2人に会釈して、前を通り過ぎ、階段を昇る。この大学は教室も空いていて、トイレの表示もある。
トイレは真中にウェイトレスのいる空間のある四角形のカウンターになっていて、まるで食堂のようだ。とりあえず用を足そうとするが、どの便器も足置きが汚れているので、後にする。
いよいよ授業の開始時間が迫ってきたので、改めてトイレに向かう。カウンターの一番左が足置きが汚れていないようだ。すぐ前に制服のウェイトレスが来た。彼女におしっこをかけてしまいそうだ。
2009年10月11日
10月11日の夢(3人の社員)
いよいよ会社を辞めるときが来た。最後の仕事として萩原朔太郎特集を編集しようとしていると、3人の社員が自分たちも朔太郎のことを調べているので、ぜひ原稿を書かせてほしいというのでびっくりする。
駅のホームで、その社員たちと電車を待っている。いつか社員は一人しかいないように見える。ぼくは目の前に開いたドアから乗り込もうとするが、社員は隣の車両に乗ろうとする。ぼくは社員を呼んで、同じドアから満員の車両に一緒に乗る。
2009年10月05日
10月5日の夢(ゴーストライター)
ある社長のためのゴーストライターの仕事をしている。できた原稿を見せに行きたいと秘書に連絡し、訪ねてみると、社長室は穴倉のようにがらんとして何もなく、人っ子一人いない。しかし、どこかで話声がするので、「〇〇さん(秘書の名前)、ちょっとお願いします」と叫ぶと、秘書が「あっ、そうでしたね」と言いながらどこからか現れた。
自分の持ってきた原稿をよく見ると、横書きの一筆箋に手書きしたもので、かなりかっこ悪い。おまけに原稿の冒頭には社歌や取引先一覧表などが並んでいて、その下には名刺を差し込む特殊なスペースがあるが、社長の名前を聞いていなかったので、そこは空欄のままだ。
2009年10月03日
10月3日の夢(部屋が見つからない)
山里の町をバスで走っている。バスはちょうど四つ角に差し掛かった。車窓から見える直交する道路の並木に真っ白な桜が咲いている。このあたりは、秋になってやっと桜が咲くのだと思う。
ホテルで部屋の鍵を受け取った。しかし、このホテルは広い敷地の中に、いくつも低層の古い建物が点在し、いったいどの建物なのか、またその建物のどの部屋が自分の部屋なのかわからない。第一、鍵に書いてある部屋番号すら解読するのが困難なのだ。階段を小学生の修学旅行の一団がにぎやかに登っていく。あいつらが隣の部屋だったらいやだなー。もし騒いだら、境の壁をドンドンと叩いてやろうと思う。
自宅でトイレに入る。便器はまるでベッドのように大きい。妻が掃除をしようとしたためか、便器は隣の家との境の壁にあいた窓にいやにくっつき過ぎている。おまけに、その上にいろいろなものが置いてあるのをどかして、お尻を乗せる。窓をうかがうと、夏休みのためだろう。隣の小学生の女の子が勉強机に向かっているのが見える。カーテンを閉めようかと思うが、その音でかえって女の子の注意をひいてしまいそうで、躊躇する。
2009年10月02日
10月2日の夢(ゴキブリ料理)
ゴキブリ料理が皿に盛ってある。一匹食べてみるが、味はイマイチだったので、二匹目には手をつけずにおく。そこへ男と女がやってきた。「ゴキブリをもう食べたよ」と言うと、「どうだった?」と尋ねてくる。ぼくは「味はそれほどじゃないね」と答えて、皿を脇へ置く。すると、料理されたゴキブリを、それより少し小さめのゴキブリがむしゃむしゃ食べているところだった。
赤い郵便ポストに立ち小便をする。ぼくの隣には男が一人立っている。そこへ通りかかった男の学生が、ぼくのおしっこで濡らして切手を貼ろうと差し出すが、ぼくは誤って男のズボンを濡らしてしまう。男は「あっ、〇〇したな」と言って、ぼくに向かって自分も小便をする。それがぼくの踵にかかった。汚い。ぼくは建物の中に入って、ベッドにもぐりこみ、汚されたことに苦しむ。だが、意を決して、靴下を脱ぎ、「たいしたことじゃないんだ」と呟いてみる。それに靴下を脱いでみると、小便をかけられた感触はさして残っていない。ぼくは元気を回復して、再び外に出る。
2009年09月26日
9月26日の夢(コンサート取材)
カメラマンと二人で、ある特殊な会場で行われるコンサートを取材に行く。待機場所で椅子に座り、たくさんの記者やカメラマンたちと共に待つ。しばらくして係員の案内で会場に移動できることになる。カメラマンは機材をかつぎ、みんなでぞろぞろと移動する。だが、途中でぼくは、待機場所の椅子に荷物を置いてきてしまったことに気づいた。戻ろうとするぼくにカメラマンは「メモ帳を取りに行くの?」と尋ねる。ぼくは「メモ帳よりカバンが大事だよ」と答える。
待機場所で無事、メモ帳とカバンをピックアップし、会場に急ぐ。そこに誰かが電話を置き忘れたらしく、それがリンリンとうるさく鳴っている。
コンサート会場は緑の苔を思わせる絨毯で、床も壁も敷き詰めれた石造りの建物だ。ぼくはそこに窓から身を縮めて入りかけるが、奥にちゃんとした出入り口があるのに気づき、そこから入りなおす。取材陣が皆席をとって待機している中、ぼくの連れのカメラマンはどこに行ったのだろうと探すが、見つからない。だが、こんな小さな会場だから、すぐに見つかるだろうと思うのに、どうしても見つからないのだ。
9月25日の夢(村上春樹の新作)
村上春樹の新作が出たので、早速読む。「ぼくは幸福な時代を生きていた。幸福な時代、ぼくはテレビばかり見ていた。テレビでも見なければ、幸せな気分になど誰がなれるだろうか」と書いてある。
街角で父らしい人が、ぼくを含む四人に質問する。「常識がないと自分で思う人は手をあげなさい」。すると、四人全員が手を挙げた。だが、ぼくは右肩が痛いので、途中までしか手を挙げることができない。
2009年09月18日
9月18日の夢(引っ越し)
会社が東京から浜松に引っ越すことになり、元社長ともう一人の社員と三人で、荷物がすべて運び出された後の、がんとした室内を掃除している。元社長は部屋を二つに仕切る障子を閉めて、手前の部屋の床を箒で掃き始めた。ここにこんな間仕切りがあったとは知らなかった。手前の部屋より奥の部屋の方が少し広い。
ぼくは奥の部屋に大事な物を少しだけ置き忘れていたことに気づき、障子を開けて向こう側へ行く。障子は一面にカビが生えて、とても汚い。向こう側は真っ暗かと思ったけれど、少し薄明るい。ぼくは残った荷物を梱包する紙を探すが、こちら側には小さな紙しかない。元社長のいる側に大きな紙があったのを思い出し、取りに戻る。
引き返して、荷物を包むと、今度は大きすぎるほどだ。宛先は「〇〇美術宛」にするのだという。〇〇美術はきっと、引っ越し先の内装工事をしている会社なのだろう。しかし、それだけではどこかへまぎれて、ぼくの手元に届かないかもしれない。「〇〇美術内 一色宛」とすべきか、それともぼくの自宅に送り返すべきか迷う。
2009年09月14日
9月14日の夢(廃墟の街)
いつも出入りしているクライアント企業の本社のシャッターが昨日、降りたままだった。おかしいなと思いつつ、今日もう一度来てみると、その建物のあった場所が既に更地になってしまっている。
商店で自分の靴下やハンカチを何枚か選んでいると、まだ午後の二時だというのに、お店が閉店してしまった。何もなくなった床の上に坐りこんで、お金の計算を始めた女性に「まだ買えますか?」と尋ねると、大丈夫だという。値札をよく見ないで手にした商品だが、小物だからたいした値段ではあるまいと思い、千円札を1枚差し出すと、「4600円です」と言われてしまう。そんなに高い品物だったのか。
店からの帰り道、道路を車で走っている。両側はヨーロッパのどこかのような石造りの建物が続いているが、みんなシャッターを下ろしていて、死んだ街のようだ。
2009年09月12日
9月12日の夢(大波)
テレビか映画の画面で記録映像を見ている。海面上昇で街に大波が打ち寄せているシーンだ。てっきり右から波が来るものと身構えていると、大波は左側の民家の屋根を越えてやってきた。次々とやってくる波に呑まれながらも、人々はそれを楽しんでいるようでもある。傘をさして、波とともにジャンプし、屋根に飛び上がる人もある。画面にかぶせて、坂本九が歌う地球温暖化へのプロテストソングが流れる。白人男性が「彼が歌ってくれているが、彼の歌は無力だ」と言う。
地面が黒く肥沃に濡れている。中でひときわ真黒に湿って、底なしの泥沼のようにも見える場所があり、そのかたわらで人々が電車を待っている。ということは、ここは駅なのだろう。ぼくは黒い泥に足をのせてみる。ずるっと滑って足をとられそうだ。
詩人のKMさんが奥さんと散歩をしながら、「ここに引っ越してきて、よかったと思う。だって、風景がそっくりなんだもの」と言う。あれっ、彼が元住んでいたところは海辺ではなかったっけ、ここは山の中なのに? と、画面がぐーっと上からの視点になり、2人の歩く前方に大きな水面が現れる。だが、それは海ではなく、四角い溜め池だ。そのほとりから二人はぼくのいる方にゆっくりと戻ってくる。
2009年09月10日
9月10日の夢(からっぽのスーパー)
スーパーへ買い物に入ったが、カートを取りにもう一度外に出る。ぼくは紙包みを抱えていたので、万引きと見間違えられるのではないかと、ちょっと心配だ。なんだか店の男性店員が、ぼくのことを「あれは・・・」と言っている気がする。
ともかくカートを押して、店内に入ってびっくり。天井からビニールのカーテンが四方に降りていて、改装中なのだろうか、店内はからっぽなのだ。そして一角に店員が集まり、不審そうにぼくを見つめている。ぼくは恥ずかしさを感じつつ、カートを押して、そのまま店外へ出る。
詩集の原稿を見ている。注釈が膨大にあって、そのくせ本文はちょっとしかない。これで詩集になるのだろうか。
2009年09月08日
9月7日の夢(半島の医者)
医者に診てもらいたいと思って家を出るが、嵐にまきこまれて半島をずんずん先端の方まで、船で流されていってしまう。船で働かせてもらい、やっと着いたのはさびれた漁村。ぼくの働きに感謝して、村人たちはぼくを医者に連れていってくれる。嬉しくて並んで待っているが、年老いた医者は「今夜はもう遅いし、順番待ちの列も長くて、いつ診てあげられるかわかりませんよ」と言う。でも、なんとか診てもらえたらしい。
9月1日の古い夢(スイカの種売り)
妻とロシアを旅行している。街路で農婦たちが大きなスイカの種を売っている。ぼくらが見ていると、その種の質をめぐって、みんなが口論し始めた。まきこまれるのはいやなので、坂道を下がって、その場から後退する。
2009年09月06日
9月6日の夢(2人の女性)
2人の女性とビルのフロアに入る。一人の女性は現実の世界でよく知っている実在の女性。もう一人は実在しない女性だが、夢の中では二人ともぼくのよく知っている女性だ。
前者の女性とぼくはすっかり打ち解けて、彼女はぼくの膝枕でとても官能的な雰囲気。でも、すぐぼくらの目の前で、静かに仕事をしているもう一人の女性に気配をさとられたくない。
このフロアは今まで壁が全面ガラスだったのに、突然夜でもないのに、ガラスは真っ暗に変わる。まるで深海の底にいるかのようだ。
2人の女性は夕方、ぼくを一人残して外に出て行った。前者の女性は左側の出口から、もう一人は右の出口から地上に出ていくはずだ。ぼくはまず左側の窓を覗く。しかし、女性は出てこない。それならと、右側の窓を覗く。こちらも出てこない。もう一度左側の窓を覗く。やはり女性は現れず、閉館のためだろうか、建物の出口に戸がたてられ、覗くこともできなくなってしまった。
2009年09月05日
9月5日の夢(大部屋トイレ)
トイレで大便をしている。個室ではなく、大部屋で、しかも男女いっしょ。周りはほとんど若い女性たちで、皆自分の汚物にまみれた便器に腰かけている。ぼくがちょっと油断している間に、ぼくの便器を半分別の女性に占拠されてしまった。これではぼくは用を最後まで足しきることができない。
帰宅のため、浦和あたりの駅のホームの階段を昇る。気がつくと、ぼくはパンツしかはいていない。これではまずい。ホームのベンチで、確かズボンが入っていたはずと、鞄の中をかきまわすが、見つからない。
2009年08月29日
8月29日の夢(民宿)
田舎の民宿に泊まっている。それは古い民家で、他のもう一家族といっしょだ。起きている間は、ぼくと妻、そして小さな子供を連れた若い夫婦は、一つの居間でいっしょに過ごし、眠るときだけそれぞれに割り宛てられた寝室に引き上げる仕組みだ。ぼくと妻の寝室はトイレの隣なので、とても便利だ。
今は冬なのだが、今からガラス戸ごしに見える庭には大きな木があり、チューリップのようなバラ色の花が満開である。「何の木だろう」と、ぼくと妻は話し合う。壁にはたくさんの額がかかっている。もしかすると、額に描かれているのはこの庭から見える植物や動物なのかもしれないと、目を凝らすが、どうもそうではないらしい。単にこの部屋に泊まった客が描きのこした絵を記念に飾っているだけらしい。子連れの一家の父親が子供に、「ガラス戸に雨戸を閉めなさい。お母さんが怖がるからね」と声をかける。
2009年08月27日
8月26日の夢(パフォーマンス)
ぼくと妻ともう一人の男性と3人でパフォーマンスをするため、会場に車で乗り付ける。妻がなかなか降りてこないので、ぼく一人会場に近づく。なぜかぼくは裸足で、道路のじゃりじゃりした砂の感触が足の裏に感じられる。入口から階段を昇る。階段には一面に踏みつけられた糞が落ちていて、裸足で登るにはとても汚い。
会場ではすでに最初のプログラムが終わったところで、すぐにぼくらのパフォーマンスの本番だという。休憩中らしく観客は少ないが、中に新川和江さんらの顔が見える。会場内にいた男が「ぼくも出演するのだけれど、何をやれればいいのか、Оさん(ぼくの妻のこと)に聞かなくちゃ」と言う。「聞くも何も、もう本番が始まるんだよ」と、あきれてぼくは言う。
そこへ妻もやってきたので、みんなで主催者の説明を聞く。彼は「この建物は戦争のために建てられたものなんです」と言う。「えー、そんなあ。この台本はこの建物が反戦のためのものだと想定して書いたものなのに」と、ぼくは思う。ポケットからぼくは台本を取り出す。そして、リハーサルのときにはあんなに台詞が全部頭に入っていたのに、今は何も思い出せないことに愕然とする。
2009年08月26日
8月25日の夢(テレビドラマ)
会社のパーティーで未来のテレビを体験視聴している。テレビドラマの生放送だ。幸せな家族のシーン。停車していたタクシーに他の車が接触事故を起こす。さあ、ここで何かが起きるぞ、と画面に緊張がみなぎるが、一瞬間の抜けた沈黙におおわれる。何か手順が狂ったらしい。棒立ちになっていた俳優がスタジオの奥に「あれ? 半分開いたら・・・」と声をかけると、しばらくして馬が飛び出してくる。馬は寝ていた幸せな家族の上を飛び越え、逃走する。眠っていた姉妹のうち、一人は何事もなく目を覚ますが、もう一人は馬に蹴られたらしく、死んでいる。
ここでドラマのクライマックスシーンが終わったので、ぼくらはテレビを見るのをやめ、インド料理店に移動することになる。ぼくはその店を知らないので、どこにあるのかと皆に尋ねる。
2009年08月23日
8月22日の夢(スクーター)
元社長が奥の部屋に行っている間に見つけた青いカバンを開ける。カバンの一部が青く発光している。元社長が戻ってこない間に、うまくやらなければならない。奥のデスクに座っているKくんにそのカバンを預ける。かたわらには意識が変性してしゃべれなくなった若い女性が座っている。彼女をなんとか立ちあがらせ、3人でなんとかしてここから逃げ出そうとする。
スクーターの運転席に妻が座り、その前にぼくが座る。その態勢で高速道路に入り、いったん止まる。ぼくは安全ベルトをつけようとするが、見当たらない。後ろにいる妻に「あれっ、この車、安全ベルトはないんだっけ」と声をかけるが返事がない。そろそろと後ろに手を伸ばすが、妻からの返事は返ってこない。どうやら眠ってしまったようだ。ぼくが車を降りると、ようやく妻も目覚め、「野川はどっちだっけ」と言う。ぼくはびっくりして、「えっ、ここまで来たのに戻るの?」と妻に尋ねる。
2009年08月20日
8月20日の夢(公開放送)
NHKの公開放送のクラシック番組を見に行く。会場は公会堂のような場所で、1階にはさほど客は入っていない。その中で、幼児と母親が「二階席」の話をしていたので、「そうだ。二階席に行ってみよう」と思う。早速階段を上がってみるが、そこは中継機材でいっぱいなので、しかたなく引き返す。
その番組にぼくも出演することになったらしい。出演者全員が一枚ずつ番組の手書きポスターを持参し、それを見せるたびに他の出演者がその作者のフルネームをオペラ歌手ふうに歌い上げることになっている。最初こそ、みんなその通りにやっていて、ぼくの自分でほれぼれするような、でも番組の上層部に反逆している内容のポスターもみんなに見せることができた。しかし、だんだんみんな発声するのをさぼりだしたので、ぼくだけが最後まで作者の名前を歌いあげ続ける。
本番までお腹が減ったなあと思っていると、係のおばさんが大きな烏賊の足とスリッパをみんなに配った。巨大な烏賊の足は食べてみると、なかなかおいしい。スリッパはトイレに入るためのものだ。トイレの床は点々と汚れているが、それほどではない。しかし、半個室の仕切りはあるが、肝心の便器がなく、床の上に用を足さなくてはならない。
2009年08月15日
8月14日の夢(ビデオ録画)
テレビ番組を録画しようとする。中国で制作された番組を4本録画しようとする。最初の2本をせっかく録画できたのに、2本分しか録画出来ないテープだったため、さらに2本録画したら、前の2本が消えてしまった。がっかりしたが、とにかく再生してみると、録画されていたのは「国際のど自慢」という番組で、スイスのアマチュア歌手が歌っていた。
2009年08月14日
8月13日の夢(買い物)
スーパーで二つの籠を持って買い物をしている。一つにはぼくの真っ白なT歩シャツが、もう一つには野菜が入っている。他の買い物客がぼくに注意をするので、ふと見ると、野菜の籠は野菜から出てきた水がなみなみとあふれるばかり。これでシャツを濡らしたら大変なので、二つの籠を慌てて離す。
古いお寺の境内を妻と、小さな天才少女を連れて歩いている。ぼくは少女に「危険だから、ロケットが発射されるまで待っていてね」と言って、地面に座らせる。
8月9日の夢(トイレクエスト)
インドからピアニストが来日するのを、調律師のH氏とその夫人とで待っている。H氏が持ってきた広告をぼくが眺めていると、それについてH氏が長々と夫人に説明しだしたので、ぼくは席をはずし、トイレに行くことにする。今何時かなと腕時計を見ようとして、それをどこかへ忘れてきたことに気づく。
廊下に出ると、右には賓客用の立派なトイレがあり、ドアの前に立派なスリッパが置かれている。左側には「学生用」と書かれたトイレがある。そのドアをあけると、深い階段だ。下りたところは広いホールで沢山の芸大生たちが休憩している。トイレを探してもなかなか見つからず、あきらめかけた頃に、左に曲がった奥にトイレの表示をやっと見つけた。
2009年08月04日
8月4日の夢(荒野の渋谷)
自分の部屋で妻と寝ていると、新たに同じ部屋に住むことになった二人の男がはいって来た。そして、一人の男がぼくの耳元でガンガン音楽を鳴らしだした。「朝早くからうるさいじゃないか」と文句を言おうとして、時計を見ると、もう十一時だった。
バスで妻と渋谷に行く。渋谷は荒野のようだ。ここから地下鉄に乗り換えるのだが、そこへ電話がかかってきたので、ぼくが出る。まだ眠いので2人とも二度寝してしまう。次のパスがやってきた音で目を覚まし、「もう地下鉄に乗らなくちゃ」と妻を起こす。妻は「さっき電話がかかってきたみたいだわね」と言う。ぼくは「あれはどうも夢だったみたいだ。だって、言っていることが訳がわからず、夢みたいだったもの」と答える。
病院に若い看護婦見習たちと一緒に行く。これから看護師になるための試験を受ける彼女たちを「がんばってね」と送り出した後、ぼく一人だけ食事をすることにする。おいしそうなおかずの入ったトレイの蓋を取って、食べようとしたとたん、目覚ましが鳴って、目が覚めた。
2009年08月03日
8月3日の夢(政変)
東南アジアのある国に仕事で滞在している。知人の邸宅に、その家族と何人もの召使たちと一緒に宿泊する。突然、政変が起きたらしい。この国にとどまるのはもう危険だ。邸宅から主人の家族と召使たちと、それぞれ別の車で空港まで脱出することになる。ぼくはどちらのグループに合流すればいいのだろう? 考えているうちに、ぼく一人だけ置いていかれてしまった。慌てて裏口から道路へ脱出する。ちょうどそこへ召使たちの乗った車がさしかかった。みんな沈鬱な表情で、ぼくの顔を「乗らなくていいのか」という顔で見つめる。だが、何か言い難い感情で、ぼくは首を横に振る。もし、後ろから家族の車がやってきたら、それに乗ろう。だが、やはり主人たちの車はとっくに先へ行ってしまったらしい。
歩いて空港への道をたどる。途中、宿泊所らしい建物に立ち寄る。廊下で二人の男たちが争っている。片方の男が相手に二枚のビラを投げつける。すると、間髪をいれず、相手はそれを拾って、投げ返す。その動作が何度も繰り返される。ぼくはそのビラが手りゅう弾のように爆発するのではないかという恐怖にかられ、そこから逃げ去る。
子供たちが沢山の料理を作っている。向こうから葬列がやってくる。この料理は葬儀の常として、貧しい者たちに分け与えられるのだという。
外へ出る。もうこの国に取り残された日本人はぼくだけだという寂寥感にとらえられる。
2009年07月30日
7月29日の夢(歌舞伎町ツアー)
新宿歌舞伎町のツアーに観光バスで出かけた。窓から見ていると、道路に木箱が置いてあり、中には果物がいっぱい詰まっている。バスは正面からその箱を轢き、ガタンッと乗り上げる。これもツアーのサービスの一つなのだ。
和風のラブホテルにツアーのメンバー5人で入る。男3人、女2人なので、あとの4人はカップルとなったが、ぼくだけがあぶれる。奥の部屋に最初のカップルが連れ立って消える。その間にもう一方のカップルの女が服を脱ぎ始める。横を通りすぎながら、ちらっと横目で見ると、彼女は殆ど裸体で最後の1枚の布を取り去るところだった。
手前の部屋には二つ布団が並べて敷かれている。ぼくはしかたなくその一つに横たわる。すると、最初のカップルがことを終えたらしく、風呂から上がった様子で、浴衣姿で横を通りすぎる。女の顔には「満足した」という充足感が漂っている。2人の体からお湯が一滴ぼくの顔に飛び、唇にかかる。汚いと思うが、まあいいか。ぼく自身は全く性欲を感じず、二組のカップルを羨ましいとも思わない。
新宿に向かう道は次第に上り坂になっている。その道をUカメラマンが急ぎ足で登っていく。「待ってよー」と思うが、どんどん彼は先へ行ってしまい、追いつけない。
しかたなく、手近なバス停に並ぶ。パスモを取り出そうとするが、ポケットの中に入っていたさまざまなカードが落ちて、地面に散らばる。何度も拾い直すが、何度も落ちてしまう。
2009年07月29日
7月28日の夢(襖に写す映画)
映画を見ている。スクリーンは大広間の間仕切りの襖だ。一つだけ襖が開いているのを、客の一人が閉めに行く。映画ではCGで作られた昔の東京湾の浜辺をできたばかりの新幹線が疾走していく。画面には「イエスタデイ」のメロディーが流れている。あれっ、この時代にこの曲はもうあったんだっけ?と思う。上映が始まるまではスクリーンに向かって、最前列でこちらに背を向けて座っていた外国人たちが一斉にこちらを向いて、観客に話しかけ始める。彼らは生身で上映に参加する、映画の登場人物たちだったのだ。
上映が終わって、出口にある映画の関連本の売り場に行く。ぼくは脚立に上り、天井近くの棚にある本を物色する。そこから妻のいる地面に飛び降りようとするが、足が届かないので、とても不安を覚える。
ここは下町である。線路を走る列車にフロントスピーカーが積まれ、少し離れた道路を走るトラックにはリアスピーカーが積まれている。その間の町並みには立体音響が流れる仕組みだ。今流れているのは合掌コンクールの中継放送だ。
2009年07月28日
7月26日の夢(会社)
会社の自分のデスクの引き出しを開けてみると、けがれた布切れやローソン弁当を食べた後のけがれたプラスティック容器などが沢山入っている。こんなものを同僚に見られたら大変だ。慌てて黒いごみ袋を持って来て、詰め始める。だが、途中で用を思い出して、袋の口をあけっぱなしで、席を外してしまった。戻ってきてから、みんなに中身を見られなかったかと、とても不安になる。それに、この黒いごみ袋はもう使用禁止のはずだ。
電話がかかってきたので、出ると、二つの電話が混線している。そのうちの一つはB社宛てにかかってきたものらしい。B社というのは、ぼくの勤めている会社の親会社を買収した会社である。奥にB社の偉い人が座っているので、電話がかかっている旨を告げるのだが、「はい」と答えはするものの、「誰から?」と何度も聞き返される。しかたなく、その人の席へ行ってみると、年配のその人はなんとヘッドフォンをかけているのだ。これでは聞こえないわけだ。もし、この男に何か変なことを言われたら、彼のデスクに運搬車で突っ込んで、オフィスをめちゃくちゃにしてやろうと、怒りにかられる。
2009年07月27日
7月25日の夢(いたずらパーティ)
知らない人から招待されて、小さなカフェで開かれているパーティに出席する。司会者が出てきて、「最初に四十分の映像が上映されますが、これはご家族連れには面白くないと思います。でも、それからが面白いですよ」と言って、ひっこむ。上映が始まった。カメラが写しているのはぼくの目の前にある水槽の中身だ。それをカメラが水平に長く引き伸ばしたり、垂直に引き伸ばしたり変形して写すため、普通のものがにょろにょろしたうどんのように見えたりして、なんだか気味が悪い。そうした映像が店内のあちこちに置かれたモニター画面に映っている。
そのうち、参加者たちはだんだん興奮してきて、いろんないたずらを始める。店の外の交差点の向かいの店の二階に大きな石を放り込んで逃げる男がいる。ぼくは知らぬ顔を決め込んでいたが、怒って飛び出してきた店の男につかまってしまう。男はぼくに目の前でガラスのコップを二個割って脅しながら、いたずらしたのはお前たちだろうと口を割らせようとする。もちろん、ぼくは黙っている。
そこへ「大学へ入ろうとするなんて、馬鹿みたい」と大声で歌いながら、一台のおんぼろトラックが通りかかる。荷台に乗っているのは、いかれた若者たちだ。もうぼくを脅していた男も立ち去ったのでみんな店の中に戻っている。ぼくを一人の男が招いて、「そっと入れ」とドアを開けてくれる。そして「ここに座りなさい」と言う。とても座りにくい不安定な椅子だ。そこに置かれた食べ物はぼくのために用意されたものらしい。空腹なので、食べる。ホウレンソウみたいなものが入っている。誰かが「これは金平糖味だ。金平糖味は年寄りの体にいいんだ」と言う。
ぼくは十五日と十六日にアラビアに詩人として招待されることになった。家を空けるのは気が重いな。座りにくい椅子から立ち上がり、座りなおす。「気づかれないように、着替えなさい」と誰かに言われ、立ち上がって白いアンダーシャツを頭からかぶるが、それでは目立ってしまうので、座って着替えていると、コーヒーカップを倒してしまい、せっかく新調した白いスーツが台無しになってしまう。
2009年07月22日
7月22日の夢(森の中の会社)
森の中に会社がある。風通しのよい木造校舎のようなオフィスの中で、緑に包まれ、ぼくはのんびりと仕事をしている。周囲の森をたくさんの人たちが散策しているのは、ぼくらの企業グループの社員たちで、みんな研修旅行でここを訪れているのだ。
ぼくは折込広告の裏に企画書を書いて、とてもゆったりとした気分。だが、気がつくと、ぼくの背後に巨大な木のデスクがあって、そこに親会社から派遣された部長が座っている。そして、外にいた親会社の役員にも声をかけ、他の社員に「会議室を二日間おさえておくように」と指示を出す。さらに、散策している人たちを「研修旅行の人はちょっと席を外してください」と追い払うと、ぼくに「ついてこい」という合図をしながら、外に出る。
外には一段地面が高くなった場所があり、そこには親会社のやはり木造の古くて暗い社屋が建っている。2人はぼくに「無能な人は社外に去ってもらうからね」と言いながら、その中に消える。ぼくはちょっと考えた末に、デスクの上にあった小さな黒い手帳だけを持って、2人の後を追う。地面と建物の高い床の間にはかなりの落差があり、やっとの思いで社屋に入るが、中には暗い廊下が続いているばかりで、2人がどこに消えたのか定かでない。
家でゲームをしていると、ゲーム機から煙が上がった。水ですぐに消し止め、妻にそのことを話していると、くすぶっていたところからさらに大きな炎が上がった。それを消し止めてから、ゲーム機のコードがどこから伸びているのか2人でたどっていく。コードは隣の家との塀の破れ目から隣家へとつながっていた。ちょうど隣家の男が出てきたので、三人で立ち話をしていると、今度は足もとのコードから火柱が上がった。
2009年07月18日
7月18日の夢(詩人団体の総会)
ある詩人団体の理事長を再びやることになった。理事の誰かが総会を東京から遠く離れた場所で開催することにしたため、小人数しか集まっていない。それでも開会の挨拶をしなくてはいけないので、頭の中で考えをまとめようとするが、周りがうるさくてまとまらない。まあ、いいや。しゃべりながら適当に考えればいいやと思う。
出番を控え、控室で自分の姿を大きな鏡に映してみて、びっくり。スーツの上着を裏返しに着ているではないか。ショックを受け、慌てて着替える。
長老詩人のI氏がこの団体の会歌を歌おうとするが、思い出せないらしく、歌えないでいる。ぼくが代わりに歌い始めるが、やっぱり歌詞を忘れてしまい、若い詩人たちにカードで教えてもらいながら、なんとか歌い終える。
・・・という夢を見たので、忘れないうちに夢日記に書いていると、一人の男性詩人がうるさく話しかけてくる。頭にきたぼくは、怒って何かを振り回す。男は「じゃあ、いいよ」と言って、慌てて逃げていく。
2009年07月16日
7月16日の夢(結婚披露パーティ)
誰かの結婚披露宴に呼ばれる。会場は階段式の客席が連なるホール。一緒に行った会社の同僚のSとTは最上段の右端の席についた。ぼくもそこへ行こうとするが、他の客が邪魔になって、なかなかたどりつけない。やっとたどりついた時には2人は箸と皿を係員にもらって、バイキングの料理を取りに行ってしまった。ぼくは箸と皿をまず自分で探すことから始めなければならない。ようやく探し当てて、料理のテーブルに向ったときは、もう殆ど食べ物がない。一つだけ残っていた大きな蛸の切り身を皿に取るが、他の客が「ああ、ぼくもその蛸が欲しかった」と言うので、かわいそうになって箸で二つに切り分ける。しかし、相手に渡した方が大きく、ぼくは三分の一くらいの小さな切り身しか食べられない。
空腹のまま、建物の中を歩いていると、ドアのあいたままの会社があった。そこにも食べ物があり、誰もいないので、こっそりそれを失敬して出ようとすると、見つかってしまった。階段をどんどん逃げるが、追い詰められて高いところから飛び降りたとたん、せっかく失敬した食べ物を落としてしまった。でも、なんとか逃げ延びることができた。
それからバスに乗って、観光旅行に行き、戻ってくると、今度は個室でパーティだという。今度こそ食べ物にありつけられるだろうと嬉しくなる。会場のお店の人がぼくたちを見て、「おお、まだこんなに多くの人たちが残っていてくれたのか」と言う。お店のロビーに入っていくと、音楽教室の生徒募集の達成状況のグラフが掲示してある。どうやら、このレストランは楽器店兼業らしい。ロビーの窓の向こうは山を切り開いた崖になっているらしく、土の壁で視界がふさがれている。
2009年07月09日
7月8日の夢(パトカートイレ)
トイレに行く。高速道路の上にとまったパトカーの中がトイレになっている。ドアを開けると、運転席に一人の巡査が乗っている。ぼくは後部座席に仁王立ちになり、運転席の後ろに向けて用をたす。
途中で助手席にもう少し年上の巡査が乗り込み、パトカーは発車してしまった。運転席の巡査は同僚に、ぼくを指さしながら「トイレだからしょうがないよな」と言う。用をたしている間にパトカーは警察署に到着した。2人の巡査は降りてしまったが、ぼくのおしっこはまだ止まらない。警察署には番台があり、そこに座った警察官が署内の指揮をとっている。
2009年07月05日
7月5日の夢(変なクライアント)
長く会社を休んでいて、久しぶりに出社すると、通路にいろいろな物が置かれていて、二階の自席にたどつくのさえ容易ではない。ちょうど校正が出たところで、クライアントの〇〇さんに持っていこうと思い、電話をすると、電話の向こうで〇〇さんはカラオケを歌っているところだった。会社のみんながどっと笑う。ぼくは思わず、電話を切ってしまうが、思い直してもう一度かけなおす。すると、電話に出た女性は「〇〇さんは今散歩中です」と言う。
2009年07月04日
7月4日の夢(大きな川のアメリカ)
ぼくはまだ若者で、みんなとアメリカを旅行している。大きな川を二つ見た。最初の川は何事もなかったが、二つ目の川は堤防に大きな亀裂が走っていて、その先は深く陥没している。かなり危険な感じだ。みんなは堤防を走り下りて行ったが、途中まで後姿が見えていたのに、見失ってしまった。亀裂の右へ行ったのか左へ行ったのかはっきりしない。勘で左側へ下りていく。川岸まで着いても、そこにいるのはアメリカ人ばかりで、仲間の姿はない。それから二十年、ぼくはみんなに会えず、日本にも帰ることができないまま、異邦にひとりぼっちでいる。
2009年07月02日
7月2日の夢(天国へ向かう船)
船で天国へ向かっている。天国へ昇っていくのだから、既に死んでいるはずだが、おしっこはしたいし、船は規則ずくめで気分がよくない。トイレを覗いてみるが、上下二つのフロアにあるトイレはいずれも身体障害者優先トイレで、二列にわたって体の不自由な人がベンチに腰かけて順番を待っている。これではとても入れそうになく、あきらめる。
ぼくのかたわらには透明ガラスの向こうに部屋があって、そこには女性詩人のHさんがいて、きれいな声で歌いながら、占いの呼び込みをしている。
突然、船は目的地に到着したらしい。フロアの一角に箱に閉じ込めた噴水のような機械がある。これもやっと鍵が外された。もうトイレにも誰もいなくなった。トイレは和室で、そこに布団と枕がきれいに敷かれていて、清潔そのものだ。まだ誰も使ったことのないもののように見えて不安だが、この枕のところが便器のはず。ぼくは用を足しながら、Hさんと「もう死んだはずなのに、あいかわらず規則ばかりで、うるさいもんだね」と苦笑し会う。
2009年06月30日
6月30日の夢(東シナ海)
ぼくは最近、昼間の勤務を終えてから、夜になるとシンガーソングライターのTの所属するレコード会社に出入りするようになった。ぼくの作詞した詞の一つが彼女の楽曲に採用されたからだ。フローリングしたオフィスのそこここにテーブルと椅子が置かれ、沢山のスタッフが三々五々集まって打ち合わせをしている。ぼく一人が所在なげに立って、歩き回っている。部屋の一番奥に行くと、よく見知った顔の男が一人、椅子にかけている。会社でも一時同僚だったIである。彼はぼくの顔を見て、「おやおや一色さんもここで仕事するようになるとは」と冷ややかに言う。
別の男性スタッフが、カードをいっぱい四角いトレイに載せて持って来て、ぼくに「あなたは何のカードをお持ちですか? そのカードはこの中にありますか?」と尋ねる。ぼくはトレイの中のカードを調べるが、そこにぼくのカードはない。慌てて自分の周囲を探すが、見つからない。そのうち、「そうだ。ぼくのカードは定期券兼用だったのだ」と思いつき、ズボンのポケットを探って定期券を取り出す。
ぼくは作詞家としては「東シナ海」というペンネームを名乗っている。確か、以前は「櫂」という名前を名乗っていたこともあった。スタッフたちはぼくに、東シナ海というペンネーム以外一切の経歴を章かにしないようにと釘を刺し、ぼくも承知をする。
それから、ぼくは洋服のサイズを測られる。そのとき、ぼくはズボンのジッパーが外れて、閉まらないままであることに気づく。部屋中を歩き回りながら、何食わぬ顔をして、ジッパーを締めようとするが、どうしてもうまくいかない。
2009年06月29日
6月27日の夢(ガスレンジ)
以下の夢は支離滅裂で、全体として筋が通っていませんが、そのまま書きます。なお、このところ夢のアップが一日ずつ遅れています。実際にアップされた日付でなく、タイトルに書かれたものが正しい日付です。
(夢ここから)
会社にガスレンジが沢山あるが、これは一度も使ったことのないものだ。それには一台ずつ通し番号が打たれている。とっくに退職したK部長がぼくに「どうしてきみのはいつも火がつけっぱなしになっているの? みんないちいち消しているのに」と言う。ぼくは驚いて、「えっ、ぼくのはつけっぱなしなんですか」と答える。部長は「自分で点けてみればいいじゃない」と言うれけれど、沢山あるレンジの何番がぼくのものかわからない。 妻が横から「三番じゃない?」と言うが、ぼくは「いや、四番だと思う」と言って、四番のレンジのスイッチを押す。途端に、ぼっと火が点いた。「本当だ!」とぼくは言う。
2009年06月28日
6月27日の夢(ピアニスト)
日本を代表するピアニストのNHさんのお宅にもう一社の記者と、ピアノメーカーの担当者と共に伺った。今年五十周年を迎える彼女の共同インタビューを行うためだ。緑の森を眼下にした大きな窓のあるマンションは以前に伺った通りだが、以前高層階だった彼女の家がなぜか一階に変わっている。他社の記者が先に質問をする。五十周年のインタビューのはずなのに、なぜか生い立ちから今日までの話ばかりを質問して、「あとはそちらで」と言う。ちょっと戸惑う。もしかして、ぼくが途中で居眠りをしている間に五十周年関連の質問をしたのを聞き洩らしたのではないだろうか。ぼくは不安になり、ピアニストに「休憩しますか」と言う。彼女は「いや、いいです」と最初は言っていたが、なぜかやはり席を立って、休憩してしまう。「では再開は十九時から」と言われる。まだ十六時半なのに、とびっくりしていると、ほどなく彼女は戻ってきたので、「では」と質問しようとすると、ぼくの記録用のカセットテープが回ったままである。焦って、それを止め、裏返してセットしようとすると、はまらない。そこにいるみんなの力を借りて、なんとか押し込もうとするが、全くセットできない。ますます焦る。
2009年06月26日
6月25日の夢(事故)
見知らぬ女性と連れだって映画館へ行く。映画のあと、2人で食事に行くつもりで、トイレに行った彼女を待っていると、「お待たせ」と言って帰ってきたのは巨漢詩人のOくんだった。巨大な白い袋に入った荷物を持ち、上着を抱えている。それ対してぼくは軽装なので、外に出たら寒いのではないかと心配になる。
妻の運転で車に乗っている。前を走る車と追突しそうで、怖い。と、両者の間を走っていたバイクの青年が前車に接触し、べりっと服が破れる。その瞬間、前車はスピンして横転した。ぼくらの車は急停車し、幸い事故に巻き込まれるのはのがれたが、前車が爆発したりしたら大変なので、妻に「早くドアを開けて。脱出しなくては」と叫ぶ。無事外に出ると、前車を運転していた初老のおじさんも無事で、「やあ、怖かったですねー」と言う。
そこへ事故の当事者たちの心理カウンセラーをする女性がやってきて、「ここは場所が地理的に分かりにくいですね」と言う。確かにビルの谷間で、ぱっとしない場所である。彼女は電話をかけて、あちこち手配し、すぐそばのワンルームマンションの一室にぼくらを案内してくれた。ここで心を落ち着かせるようにと言う。しかし、マンションは壁が透明で、外が丸見えである。食事が用意された。ソファに窮屈に二人掛けしていたぼくら夫婦が遠慮しているうちに、他の人たちは床に置かれたテーブルについて既に食べ始めている。慌てて座ろうとすると、もう席がなく、少し離れた小さなテーブルでやっと食事にありついた。
2009年06月21日
6月21日の夢(親会社の横暴)
親会社のS社でファンタジー小説の本を出版するという。それも新人女性作家の書いた、何巻もある長編ファンタジーだ。「こんなにも身近なところに本格的なファンタジーがあった」というキャッチフレーズで売り出すらしいが、ファンタジーには一家言あるぼくのところには何の話もなく、出版発表の記者会見にも呼ばれなかった。
我がC社の社員たちは皆、この企画に懐疑的である。記者会見から戻ってきた女性社員二人が「あと一万六千円出せば、反対派の意見も発表していいと言われた」と、ぷりぷり怒っている。ひょっとして、ぼくにそのお金を払えということかと思うが、それは言い出さないでおく。何でもその本のテーマである薔薇に関連するさまざまなグッズもメーカーと提携して売り出す予定だという。
会議室でぼくともう一人の社員が仕事をしていると、記者会見を終えたS社のK会長たちが入ってはて、腰を下ろし、いきなり会長がぼくに「どうする?」と言う。ここから出て行けという意味だと判断し、「さっきからここで仕事をしていたものですから」と捨て台詞を残して、ぼくは部屋から出る。
オフィスに戻ると、ぼくが会議室にいたほんのわずかな時間の間に、部屋の配置がすっかり変わっている。今まで縦に並んでいたデスクが横に並んでいて、関連する書類棚もきちんと配置換えされている。びっくりする。でも、自分の席のところに一つだけ邪魔な荷物が置いてあったので、それを別の場所に移動させようとするが、置くところがない。しかたなく通路に置く。よく見ると、通路という通路に荷物が置いてあり、これではじゃまでしょうがないと思う。
営業のМくんに東北出張の命令が出たという。このファンタジーの舞台である東北各地を回り、もっといい筋書きのアイデアを探して、書き直せという命令だという。営業のМくんにそんなことができるわけがない。これは体のいい追放処分じゃないか。親会社の横暴に腹が立つ。
2009年06月20日
6月20日の夢(地球と戦争)
ぼくらは未来にいて、地球から遠く離れた星にいる。その星の学校の体育館のように広い場所で、小さな勉強机を夫婦に一つずつ与えられて暮らしている。ぎっしりと部屋いっぱいに並んだ机。その下にそれぞれの夫婦があちらからとこちらからと足を突っ込み、一人一個ずつの小さなクッションを敷いてごろ寝するのだ。
そのぼくらが戦争をすることになり、戦地に赴く。戦場はぼくらの故郷、地球の日本だ。ぼくは少将の肩書を持つ指揮官として、偵察隊を率いている。バスに乗ろうとすると、バス停は道路の向こうにあり、歩道橋を渡らねばならない。もう老人なので、這うようにして歩道橋を渡る。年をとるとはなんて大変なことだろう。しかも、やっと乗り込んだパスだが、それは目的のバスとは反対に向かうパスだった。
だが、結果的にそのバスは正しい方向へ向かっていたらしい。懐かしい名古屋のテレビ塔が見えてきた。そこはメコン川のような大河で、人々は船で行き交い、岸辺には貧しいバラックが立ち並んでいる。そのバラックに犬や猫が放尿している。その様子を外国人の観光客が物珍しそうにデジカメで撮影している。かつて繁栄した日本はなんと落ちぶれてしまったのだろうか。
ともかく偵察だ。ぼくはテレビ等の近くの高校に、転校生を装って宇宙からの斥候兵を送り込む。
2009年06月16日
6月16日の夢(アイスクリームの歌)
「アイスクリームの歌」の歌詞の意味についてのマンガを見ている。この歌は「早くアイスを食べないと、アイスがどんどん溶けてしまうよ」というだけの歌ではないという。アイス売りのおじさんはどんどん場所を移っていくし、三人しかいないアイス売りのおじさんはたえず一人ずつ交替している。だから、うかうかしていると、そのおじさんはもうアイス売りのおじさんではなくなってしまうかもしれないよ、ということを子供に教える歌なのだ。
公衆トイレに入る。空いている場所はびしょびしょで汚い。ほかの場所が空くのを待って、用を足そうとするが、そこもやっぱり濡れている。後ろの方で、小さな子を連れたお母さんが「これは水を打ったのよ」と言うのが聞こえる。そうか。それならいいが、でもやっぱり汚い。足場が悪いので、うっかりするとひっくり返ってしまいそうだ。便器の向こうに大きな自転車かバイクのような大きなメカが並んでいるので、それにつかまろうとするが、それにも水滴がいっぱいついている。しかたなく指の先で、こわごわつかまって用を足す。
2009年06月14日
6月14日の夢(編集部)
ライバル社であるS社の編集部に勤めている。ぼくは風邪をひいて具合が悪いので、ひとり床に布団を敷いて寝ながら仕事をしている。ふと見ると、見知らぬ有名詩人らしい年配の男性詩人が来ていて、みんな座ってその人の話を聞いている。奇妙なのは、聞き手の方が話し手の後ろにいて、話し手はぼくの方を向いて、話していることだ。だが、ぼくと彼らとの間には距離があり、ぼくはみんなから一人取り残されていると感じる。
ぼくは寝床から起き上がり、持っていた分厚い辞書を書棚に返す。ふと見ると、ここは名古屋のぼくの実家を改築して事務所にしたものらしい。子ども時代と同じ場所に見慣れたトイレがある。だが、入ると、トイレは古くてドアの鍵がかからない。明日から二泊で北海道出張をしなくてはいけないなと思う。
2009年06月13日
6月13日の夢(研究会)
ぼくがО氏と共に講師をしている研究会を、今日は初めての会場でやることになった。沢山参加者が着席しているが、なんと講師二人は隣の狭い部屋に押し込まれ、そこから狭い入口ごしに参加者と対話するようになっている。これでみんなに声が聞こえるかどうか心配だ。ぼくは境いの扉を取り払って、入口をもっと広げようとする。それを見た会場の係の女性が手伝ってくれ、いつものように密集した机を囲んで研究会ができるようになった。
しかし、ぼくは今回に限り、参加者の作品を一度も読んできていない。即興でいつものようにきちんとした批評をすることができるだろうか。ドキドキしながら作品集を開くと、それはぼくの勘違いで、ちゃんと読んできていた。ああ、よかったと胸をなでおろす。
2009年06月11日
6月11日の夢(病院)
病院のカウンターで診察の申込みをしようとしている。カウンターというより、絵本に出てくる牧場の柵のような感じだ。書類を書こうとすると、受付の女性に「スタート地点はあっちです」と、少し右の方を指さされる。
そこで再び書類を書こうとしていると、隣に並んだ中年の女性が「私の書類の字が間違っているので、書き直してくれませんか」と、ぼくに頼む。承知して書類を見ると、やまいだれの字画の多い文字である。部首はそのままで「つくり」の部分だけ別の字体に書き直すよう指示される。見たことのない不思議な文字なので苦労していると、その間に周りにすごい行列ができてしまったのに気づく。慌ててぼくは「みんなの邪魔になっているから、後で」と書類を女性に返そうとする。だが、彼女は「今、ここで」と譲らない。ぼくは周りの人々に「(邪魔)ですよね」と同意を求めようとする。みんなだまっている中で、一人の少女がこっくりとうなづいてくれた。ぼくはそれに力を得て、「そら見ろ」と言って、強引に書類を女性に返す。
2009年06月09日
6月9日の夢(箱根旅行)
知り合いの何家族かで箱根へ旅行した。洞窟のような場所に滞在していて、いよいよ帰ることになり、そみを閉めることになる。といっても、そこは何もない空間なので、まず床に柱を建て、そこに門と扉を作ることから始めなれりばならない。だが、せっかくできた扉を閉めようとしても、ものすごい突風が吹いて、結局どうしても閉めることができなかった。
もう帰りの電車の時間だと言われ、駅へ急ぐ。切符を取り出すが、大きな切符なのに、いくら目を凝らしても何時何分発の電車の何号車の何番座席なのか、わからない。とにかく電車に乗る。中は船のようで、肘掛も背もたれもない3人掛けのベンチがある。その真ん中の席がぼくだという。いやだなあと思う。
6月8日の夢(白と灰色の物差し)
ある人が話している。男か女かはっきりしない。「白とグレイの交互に出てくる物差を2センチ飲み込む。白い部分を口に入れると物語の世界へ行き、灰色の部分を口に入れると現実に戻ってくる。この物差は白と灰色が交互に出てくるから、どんなことがあっても最後は現実に戻ってこられると、安心した」と、その人は言う。
2009年06月06日
6月6日の夢(女友達の家)
四谷近くの総武線の線路沿いの高級住宅地に女友達の新居ができたという。約束なしに訪ねる。緑豊かな道を近づいていくと、生垣に閉ざされた大きな家がある。見覚えがある。ぼくが昔、この家の女性にストーカーしたか、取材に来たかしたことがあるのだろう。その家の通用口の扉が内部からぴくりと、今にも開きそうに動いた。
女友達の家はその隣に建つ二階家だ。2階のガラス張りの部屋に女友達が立っていて、ぼくを認めて「おっ」という顔をする。少しうれしそうだ。だが、玄関の前に眼鏡をかけた中年の女性が立っていて、今にも入ろうとしている。彼女の友達なのだろう。ぼくは反射的にそこから戻ろうとするが、思い返して様子をうかがう。
2009年05月31日
5月31日の夢(下宿屋)
下宿屋で生活している。ここでは生活の苦しい若い人たちのために寄付をするのが習慣になっている。しかし、ぼくはその習慣を断乎拒否することにする。部屋に寄付金集めのカートを押して入ってきた若者をぼくは外に追い出し、廊下で押し問答をする。いったん彼らは姿を消したが、またやってきて、ぼくから何かの分け前をせしめようとするだろう。どうせ何かとられるとしたら、大切なものは見えないところに隠し、どうでもいいものを外に出しておこうと思う。
お腹が減ったので、下の食堂に降りていく。まかないのおばさんと一人の美少女がぼくを迎えてくれる。テーブルの上には、皺のある紙でて゜きた大きな器があり、これは便器だ。朝食の前に用を足していると、背後で女性の声がする。別の住人が朝食を食べに来たのだ。
2009年05月30日
5月30日の夢(地下鉄でお弁当)
地下鉄の駅のホームの端に座り、お弁当を食べている。ハムが何枚か線路に落ちてしまう。罪の意識にかられるが、まあいいかと、そのまま食べ続ける。すると、さらにハムを落としてしまうが、それはホームの上に落ちた。でも、汚くてもう食べられないので、それも足で線路に落とす。
気づくと、お弁当を食べるのと同じうずくまった姿勢のまま、ぼくは本かノートに何かチェックをしている。腕時計を見ると、あと数分で列車が到着する予定だ。それなら、もういつもなら立って、列車の到着を待つ時間だと思い、立ち上がるが、ホームはしんとしてぼく一人しかいない。
5月27日の夢(地下鉄のトイレ)
地下鉄の駅の階段の途中にむきだしのトイレがある。ちょうどいいので用を足そうとして、肝心の便器がないのに気づき、慌ててやめて帰ろうとする。
すると、後ろに並んでいた人が「どうしたのですか?」と尋ねるので、「いや、しようにも便器がないのですよ」と答える。
2009年05月26日
5月26日の夢(お屋敷の住人)
ぼくの自宅は大きな和風のお屋敷だ。部屋と部屋の間は襖で仕切られている。ぼくは縁側に面した部屋に一人で暮らしており、妻は襖一つ隔てた部屋に別の男と暮らしている。襖一つだというのに、そこを開けるわけにはいかないのだ。あまりに家が広すぎて、うどん一つ作るのにも遠い台所へ行かなければならず、大変だ。
どこか自宅ではない大きな建物で、何かの料金を払うため、窓口に行列している。ぼくの番が近づいたところで、ポケットに財布がないことに気づく。これはまずい。行列から離れようとして、ここまで並んだのだからもったいないと思い直す。財布はないが、ポケットにはコインがいくつかある。ぼくはお屋敷に暮らしているので、これらのコインが一体いくらの価値を持つものなのか分からない。そこで、それらを両手に置いて、カウンターの向こうの男に「代金分取ってくれ」と頼む。男は卑しそうな笑いを浮かべ、ぼくの手から高価そうなコインを次々と取っていく。どうも、騙されてぼくの全財産に近いものを奪われてしまった気がする。
戦後の東大の学生寮に体験入学する。学生達が夜、大学祭の恒例行事として、大砲を撃つ。大砲の弾がミサイルのように炎の尾を曳いて、ジグザグに屋根の向こうへ飛んでいく。
2009年05月24日
5月23日の夢(サイダーの自販機)
ぼくと男性詩人、女性詩人の三人で自動販売機に飲み物を買いに行く。女性は誰かわからないが、男性は某研究会のHさんだ。
女性はなぜか別の自販機に行ってしまった。ぼくはまず自分の飲み物として「トマト」と書かれたボタンを押す。「Hさんはアップル?」と尋ねると、彼は「これは何の自販機ですか」と言う。言われてよくよく見ると、これはサイダーの自販機で、ボタンは三つしかない。トマトとアップルと普通味のサイダーだ。Hさんが一瞬黙ったので、いらないのかなと思ったが、彼は「アップルサイダーでいいです」と言いながら、自分で自販機のボタンを押した。
2009年05月22日
5月22日の夢(病院)
病院へ行き、待合室に入る。そこには歌手の女性(詩人のWが扮している)もいて、診察を待っている。ぼくと彼女は同じ怪我の証明書を持っているので、一緒に診察室に入ってよいか、ナースステーションに聞きにいく。てっきり「いいです」と言われるものと思っていたのだが、ナースと話しているうち、それではプライバシー上問題があると自分で気づき、「いや、いいです。別々に入ります」と言う。
2009年05月20日
5月20日の夢(大学の教室)
大学の小さな教室に入る。真中に大卓があり、周りにいくつかの椅子がある。既に屈強そうな外国人の男子学生二人が、スペースを大きくとって、ふんぞりかえって座っているため、教師が入ってきたのに、ぼくは椅子を持って、どこに置こうかとうろうろしている。小柄で風采の上がらない教師だ。
ぼくは二人の学生に怒り心頭。こいつら、なめやがってと、睨みつけ、顔を一発殴ってやろうと思うが、踏みとどまる。
いったん教室を出て、再び中を覗くと、もう誰もいない。さっきの教師が出てきたので、「今日はお休みですか」と尋ねると、「ああ・・・」と曖昧な返事をして、出て行ってしまう。みんな、いいかげんなやつだ。
2009年05月18日
5月18日の夢(満員バス)
女性作家RさんのおつれあいのM氏が何かの検定を受けるというので、ぼくもおつきあいすることにする。朝、彼らの家に検定に出すための答案を書きに行く。書いているうち、ぼくはお腹が減り、一人だけ部屋の外に出て、食事をする。ちゃんとしたダイニング・キッチンがあり、ゆったりとした間取りだ。部屋に戻り、さらに答案を書く。意外に簡単だ。途中、ぼくは何度か部屋の外に出るが、出るたびに新しい部屋が目に入る。立派な書斎や、Mの音楽室、夫婦の寝室・・・。不思議だ。見るたびに、この家は部屋が増えて、拡大していくようだ。なんて大きな家だろう。
夕方、書き終わった答案を持って、バスで検定会場に行くことにする。バス停のある通りまでは崖道を通る。崖と道の間に穴があいていて、足をすべらせたら落っこちてしまいそうだ。しかも、バス停まではすごい行列だ。どんどん走り下りて、ようやくバス停に着いた。
向こうからバスがやってきた。やれやれと、乗ろうとすると、運転手から「満員なので、もう乗れません」と宣告される。ええーっ、もうこの後のバスはない。最後の瞬間に、検定通過の途をぼくは断たれてしまった。
2009年05月17日
5月17日の夢(旧友)
中学高校を通じてクラスメートだった有名評論家のKと何年ぶりかで再会する約束をした。再会の場所として彼はある鍋物の料理店を指定してきた。大学時代の先輩で、マスコミ時代に彼と親交のあったH氏と指定の店に出向く。しばらくコーヒーを飲みながら彼を待つが現れない。Kの勤務先として教えられた番号に電話してみる。しかし、そこは勤務先ではなく、彼と取引のある企業で、おまけに日本ではなく韓国にある会社であることが分かる。これ以上待っていても仕方がない。H氏と二人で食べようと、店のおやじに鍋を注文する。もう9時半だ。10時半までに食べ終わることができるだろうか。
2009年05月14日
5月14日の夢(砂土間の店)
上野公園を歩いていると、砂の土間がいくつもある、奇妙な店がある。そこにP誌の元編集長のK女史がいて、ぼくを呼び止めた。「ねえ、会社はどうしてこんなふうになっちゃったの?」と、彼女は尋ねる。ぼくは「こういう優秀な人材が皆辞めちゃったからですよ」と答える。
そこへ「どうも」と言って、店主の男と、男女一人ずつの従業員が顔を出した。ぼくは男たちには見覚えがないが、向こうはぼくを知っているらしく、「朗読会の場所にここはどうですか」と言って、パンフレットを何枚も見せてくれる。確かにいいところだが、ここがどこなのか、いくらパンフを見ても場所の名前が書いてない。そもそも日本のどこにあるのかさえ分からないのだ。それに、そんなところまで出かけなくても、上野のこの店でやってもいいのではないだろうか。
ぼくはなにかをコピーしようとして、外へ走り出すが、どうやら方向を誤ったらしく、雨の中で道に迷ってしまう。後から店主が追いかけてきて、「どうしたのですか」と言うので、「コピー機を探してるんです。それに、ぼくは片足で走れるので大丈夫ですよ」と強がる。事実、ぼくは右足を左足の上に乗せて、片足で走っているのだ。
しかし、結局コピー機をみつけられず、ぼくは店に帰る。店では夕方の仕込みに大わらわだ。店の外に、食べ終わった食器を置く台があるので、ぼくもそこに空の食器を置く。そして、「また来るわ」と言って、リュックを背負う。その瞬間、白いスーツのお尻が真っ黒に汚れているのに気がつくが、まあいいやと思う。
2009年05月10日
5月10日の夢(雑誌セールスマン)
籠島から四国を回って東京へ帰ろうとして、間違えて福岡へ来てしまった。しょうがないので、乗り換えて戻ろうと思う。駅ではセーラー服の女子高生たちに囲まれて、一人の男子高校生が楽しそうにおしゃべりしている。
新幹線のホームを歩いていると、ふと後ろから誰かがぼくをつけてくる。ぼくは自動販売機の陰に隠れる。つけてくる者の影がホームを近づいてくる。ぼくはぱっとそこから飛び出し、つけてきた者の直前に立ちふさがる。「誰だ?!」 すると、それはさっきの男子高校生だった。「同人誌をいくつか紹介しますから、どうぞこの町でも雑誌を売ってください」とぼくに哀願する。
2009年05月09日
5月9日の夢(村上春樹の新作)
村上春樹の新作が発表され、すぐに映画化されたのを、映画館に見に行く。農夫の胸に横長の長方形の窓がつき、体の中を覗ける。いつのまにか、ぼくはその映画の中に入り込み、農夫のお腹を覗きこんでいるうち、さらにお腹の中の世界にも入り込んでしまった。
そこは疾走する電車の中で、ぼくはコピーされた何枚かの紙を貰う。読んでみると、それは欧米の作家の書いた小説のコピーだった。電車に別の男が乗り込んで来た。それはさっき別れたはずの男だ。ぼくは彼にそのコピーを渡す。
ぼくは罪を犯したらしく、裁判にかけられることになる。法廷となる場所がそのままぼくの住む場所になる。壁には久石譲の描いた大きな絵がかけられている。左から右へ目を動かすと、絵はアニメのように動く。しかも、近景は早く、遠景はゆっくり動く。おまけに次々とページがめくれるように絵が変わる。不思議に思って近づくと、絵には二枚のカンバスが張られて、二重になっているのだった。
裁判が始まることになり、法廷がセットされる。裁判長席をどちら側に置けばよいのかわからず、掃除のおばさんに尋ねると、「裁判長はステーキで裁判をやるから、こっちの方だよ」と教えてくれた。
見回すと、確かにそこはステーキハウスのようだ。妻がぼくのための証人として、犬を連れて来てくれる。犬は既に2人座っているソファーの真中に寝そべる。犬はぼくのために証言してくれるが、実は妻が腹話術を使っているのだ。ぼくは犬を法廷の最前列に座らせたいが、さて一体どこがそうなのだろう?
この頃にはぼくはもう被告ではなくなっているようだ。
2009年04月30日
4月30日の夢(聖なる山)
聖なる山に登る。山には石段があるようだが、聖地なので、一面白い布に覆われている。ぼくのほか、たくさんの人たちが登っていく。頂上を目指すためには、ある場所から右折しなくてはいけないのに、勢いあまって二度そこを通り過ぎてしまった。戻りたくても、後からたくさんの人が登って来るので、押されてぼくは進退きわまってしまう。布をめくってもらい、石段を二度飛び渡って、やっと正しい道に戻ることができた。
ホールを借りにいく。先に調整室のような所で待っていると、会場主が現れた。それは詩人のAY氏だった。2人とも挨拶を交わさず、互いに無視する。大きな窓があるので、さぞかしいい景色が見えるだろうと思い、覗き込むが、見えるのは客席ばかりだ。その窓の上に、というのはAY氏の上にということだが、写真か絵の額をかけようと思う。ぼくは持参した兄だか従兄だかの写真を掲げることにする。
2009年04月29日
4月29日の夢(夢殿)
夢殿のような建物で世界各国の若者が合宿してイベントをしている。ぼくも出演したかったが、出ることができなかった。
食堂で皆で食事をしている。ぼくは赤ちゃんのように、首からよだれかけをしているのに、胸から膝にかけて食べ物の粉で真白。手で払うがきれいにならないので、ハンカチで払うがまだきれいにならない。
食事を終えて廊下に出る。廊下は夢殿の外側をぐるりと取り巻いている。隣接する小学校の様子がよく見える。先生と児童がアンサンブルの練習を楽しそうにしているので、思わず足を止めて聞き入る。
イベントが終わり、各部屋を回って掃除を手伝う。韓国人たちの部屋に行くと、彼らも掃除をしている。ぼくは落ちているゴミを拾い集め、ゴミ箱に入れようとするが、多すぎて入らない。すると、一人の男が「あちらにゴミ袋があるよ」と教えてくれる。振り向くと、別の男が半透明なゴミ袋を渡してくれた。ぼくは韓国の若者たちの友好的な態度に嬉しさを覚える。
日本人の部屋に行くと、そこには誰もいず、服だけが一面に散らかっていて、なぜかはっとする。壁の上で動くものの気配がする。小熊のような動物がいる。どうやら魔法の使える動物らしい。
2009年04月26日
4月26日の夢(飛行夢)
ぼくは青年海外協力隊のようなものに入って、海外に赴任している。いや、ここは宇宙の別の星かもしれない。ぼくは靴をはかず、靴下で地面を歩いている。地面のうえは回虫やサナダムシの死骸で、足の踏み場もないほど。
ただ、ここではぼくは空を跳ねるようにして、飛ぶことができる。ぼくは一人の女性と手をつなぎ、空を飛んで病院に行く。
待合室は様々な人種の人たちであふれている。その一人がぼくの持っている本の題名を見て、「ここは断り医者なのか」と尋ねる。本の題名に「断り」という文字が入っているからだ。ぼくは「いや、そうじゃない」と否定する。
そこから、今度は機械につかまって何人かの人たちと飛行する。飛び上ったとたん、片足の白いスリッパが脱げ、あっという間に見えないところへ飛んでいってしまう。ぼくはそれを見て、永遠にそのスリッパとはさよならだなと思う。
ぼくらは飛行して、海の上に出る。機械には腕でつかまっているだけなので、落ちないように気をつけなければ。ぼくが一番前につかまっているので、後ろに本当に皆がいるのか心配だ。いやに後ろが静かだ。もしかしてぼくはひとりぼっちなのではないだろうか。だが、声をかけると、ちゃんと後ろから答えが聞こえた。ぼくはほっと安心する。
2009年04月24日
4月24日の夢(犬の切り分け)
2人の女性が犬を転売した話を料理屋の座敷でしている。「でも、この犬は切り分けできなかったみたいで」と言って、ぼくはトイレに立つ。女性たちは「えー、犬の切り分けってどうするの」と驚く。ぼくは「多分、犬の時間を切り分けて、何時間かはこの家、何時間かはこの家にいるというやりかたではないかな」と振り返って答える。「えー、そうならいいけど」と、2人は安心する。
2009年04月21日
4月21日の夢(三賞)
相撲の三賞が四賞に増えたらしい。テレビをつけると、その発表を男性アナウンサーがやっている。最初の賞の候補には、舌をかみそうな長い名前の外国人が候補になったが、結局選ばれなかったという。敢闘賞も該当者なしで、唯一受賞者が出たのは一番下の賞で、受賞者は遊牧亭さんだという。
2009年04月20日
4月19日の夢(コンサート)
ピアニストの写真を使いたいが、まだ現像できていない。その写真を三点セットで撮影
しようと思う。
コンサート会場へ行く。入り口まで長い列ができていて、その写真を持った男性ピアニ
ストはぼくよりかなり前方に並んでいる。「もうすぐ入場します」とアナウンスがあり
、ドアが開いて一列になって、みんな会場に入っていく。ところが、丁度ピアニストの
前でぴしゃりとドアが閉ざされてしまった。もう定員いっぱいなのだろうか。ピアニス
トは振り返って、「あれ、こんなに大勢の人が・・・」と言いかけるが、再び「もうす
ぐ入場します」というアナウンスがあって、ドアが開き、再び入場が始まった。ああ良
かったと、ぼくも胸を撫で下ろす。
2009年04月17日
4月17日の夢(結婚相手)
女性の結婚相手を決める儀式が行われている。昔の喫茶店のイスのようなものの背に白いドレスを着た女性が上がる。だが、すぐにバランスを崩して、落ちてしまう。結婚相手にふさわしい愛する男といっしょのときは、落ちないのだ。ぼくがかたわらに立つと、彼女はバランスを崩すことなく、イスの背の上にぴんと立つ。ぼくと彼女は喜び合い、嬉しさに抱き合う。
2009年04月14日
4月14日の夢(町民運動会で大泣き)
ぼくは小さな町に住んでいる。この町では住民主催の住民参加の「町民運動会」が毎年行われている。そして、この夢はその運動会をめぐる物語の映画でもあった。
最初は去年の運動会のシーン。そごは、ぼくが野球のピッチャーをしている。映画の最後のシーンも運動会だが、今度は今年の運動会である。そこでは、ぼくはピッチャーをしておらず、下働きに徹している。かわりにマウンドに立っているのはタモリだ。
おばあさんが毎年の運動会の参加者数のグラフを示しながら、にこやかに「町民の四分の三の参加を目指していますが、まだまだですね」とカメラに語りかける。だが、グラフは「まだまだ」どころか、今年の参加者は四分の一と一段と減っていることを示している。おばあさんはあえて事実を隠して、ぼくらを慰めてくれたのだ。そのことに気づいたとたん、ぼくの感情の堰が切れた。ぼくは大泣きする。目が覚めても、寝返りを打ちながら泣き続ける。
2009年04月08日
二日分の夢
4月7日の夢(敢闘賞)
学校の相撲部の若者たちが朝青龍に挑戦した。これまでのところ二勝三敗。立派なものだ。敢闘賞をあげる。
4月8日の夢(ミュージカル)
夜、取材を兼ねて、妻とミュージカルを見に行く。なんと本番は夜の10時過ぎに始まり、11時過ぎに終わるのだという。それまで会場でリハーサルを見物していると、誰かが「リハーサルを撮影させてもらえば、全部撮らせてもらえるのに」と言う。確かにそうだと、はっとするが、本番だけでいいやと、無視をする。
2009年04月06日
4月6日の夢(中国映画)
中国で製作された、少年を主人公にした映画を見る。親が貧乏で食べ物がなくて苦労していると、隣人が粉をくれた。それを練って作った食事で、ようやくお腹を満たすことができた。これは実話だという。
その少年が大人になってからの映画も見るが、こちらは創作された話だという。
その少年が成長して大人になり、来日して、今上野駅に着いたところで、これから神戸に行くところだと妻が言う。ぼくは、すぐに彼に会いに行かなくてはと思い、上着を羽織って「行ってくる」と言うが、妻に「行く必要はないわよ。私たちに来てくれと言われた話じゃないんだから」と言われ、拍子抜けする。
2009年04月05日
4月5日の夢(校正を届ける)
PR誌の最終校正をクライアントに届けようと、営業のKくんを連れて小田急線に飛び乗る。クライアントのオフィスはぼくの自宅のある駅を過ぎて少し行った駅にあるので、この時間に届けてそのまま直帰すれば早めに帰宅できると思う。吊革につかまって窓外を眺めているが、目の前を通り過ぎるのは知らない名前の駅ばかりだ。おまけに外は原野ばかりで、とても企業のオフィスなんかありそうにない。いや、考えてみると、校正を届けるのは都心にある本社の女性担当者のところだったのではなかったか。困った。焦る。
2009年04月04日
4月3日の夢(工場長)
ぼくが講師をしているS研究会に通っているK氏は、みんなから人格者として尊敬されている。そのK氏がぼくの会社で募集した新しい電子楽器のモニター体験記募集に応募してきた。その体験記を読むと、なかなかいい出来だ。それを読んでいるところへK氏から2作目の体験記が届いた。その2作目の体験記で、K氏は自分がその電子楽器を作っているメーカーの社員であることを明かしていて、びっくりする。てっきり定年でリタイアした人だと思っていたのに。営業の担当者はこの2作目を載せたらどうかと言うが、ぼくは1作目の文章の方が自然でいいと思う。そのメーカーの会議に呼び出されたので、出席する。司会をしていた女性社員が「工場長のこちらの文章の方がより実感がこもっているので、こちらを掲載したいと思いますがどうでしょうか?」と発言する。えっ、K氏はこの大企業の工場長だったのか。ぼくはぴっくりし、早速メンバーに知らせなくては、と思う。
2009年04月02日
4月2日の夢(空港に向かう)
飛行機に乗って、どこか海外へ出発しようとしている。荷物をゴロゴロ引っ張って、空港に向かう途中、何かの取材に協力してほしいと言われ、カメラの周りにみんなと一緒に集まって、写真を撮られることになる。妻も一緒にいたのだが、なぜか彼女はその輪には加わらず、近くから傍観している。気づかないうちにシャッターが切られたらしく、いつのまにか輪は解散していた。ぼく一人だけが取り残されてしまい、慌てて必死にみんなに追いつこうとするが、はぐれてしまった。
みんなは多分、こちらの方に行ったはずだと思う。そこは学校の運動場のような場所で、地面に段差ができている。その段差は崩れやすい砂でできていて、降り口をやっと探して、向こう側へ降りる。そこには立ちふさがるように、左右に長い建物が建っている。幼稚園のようだ。みんなはこの建物を通り抜けたのだと思い、開いていた入り口から覗き込むが、見えるのは行き止まりの壁で、通り抜けることはできそうにない。
当惑していると、遠くから「一色さん」と呼ぶ男の声がする。振り向くとバスの前で手を振っている男がいる。やれやれ、このバスで空港に行けると思い、乗り込む。しかし、車内に妻の姿はない。どうやら前のバスで、先に行ってしまったらしい。二人がけの座席で、窓際に荷物が置いてあるものの誰も座っていないシートの通路側に腰を下ろす。バスが走り出した。ふと見ると、ぼくの隣の窓際に見知らぬ奥さんが座っている。一体、どうやって、いつのまに座ったのだろうか?
2009年03月31日
3月31日の夢(大学職員)
ぼくは大学の職員をしている。ぼくの大学の学生が他の大学の学生に侮辱的発言をしたというので、その大学に謝罪に行く。その大学の事務室のドアにはなぜか「ロビー」という看板がぶら下がっている。この大学の終業は6時半で、もうその時間ぎりぎりである。焦って事務室に入ろうとするが、ドアの前でのんびり掃除をしている男の職員がいて、入れない。その男に声をかけ、用向きを伝える。応接セットのところに行き、名刺を出そうとするが、ポケットから出てくるのは他の紙片ばかり。それにマフラーを首に巻いたままなのに気づき、焦って脱ごうとするが、かえって首がしまる形になってしまう。やっと床にマフラーを落としそうになりながら、脱ぐことができた。こんなことをしているぼくは、ちゃんと大学職員としての威厳を保ち、周りからかっこよく見えているだろうかと気になる。
2009年03月29日
3月29日の夢(屋台でパンを焼く)
広場に屋台が出ている。好きなものをトッピングして、パンに塗り、それを店主に渡せばその場で焼いてくれるという。ぼくは卵や肉をパンの上に添えるが、傾けるとすぐ流れ落ちてしまうので、苦労する。ようやくそうしたパンを2枚作って、「すみません、これ」と言いながら、地面にしゃがみこんで焼いている男に、わくわくしながら渡す。
2009年03月27日
3月27日の夢(クライアントから電話)
会社で残業していると、クライアントのTさんから電話がかかってきた。社名を告げると、「丁寧な受け答えをしてくださるのは一色さんだとすぐ分かります」と打ち解けた声で挨拶をしてくれる。だが、突然、「お願いしているあのチラシ、まだストップできますか?」と言う。驚いて、「もしかして完全にゆらない可能性もあるのですか」と尋ねると、「ええ、その可能性もあるということで、すみませんが・・・」と、そそくさと電話を切られてしまった。
(これは半分正夢で、実際に別のスタッフのところにTさんからメールが来ました。幸い、チラシは取りやめになどなりませんでしたが)
2009年03月24日
3月24日の夢(気持ち悪い夢)
引っ越しをして、大きな家で暮らしているが、全然荷物が片づかず、まるで倉庫で暮らしているようだ。おまけに家の中に、ぼくの家族ではない人たちが大勢いっしょに暮らしている。ある部屋には若い男性、別の部屋には外国人の女性、縁側のような場所には真っ黒なホームレスのような男までいる。
家の中では走らないようにと注意される。だが、誰も見ていないとき、ドタドタと床を踏みならして走ってみると、どうも感触がおかしい。床板をめくってみて驚いた。床板を張ってある土台の枠に、若い女の子ら人間が、生きた人柱のようにして入っているのだ。
家の中には食べ物があちこちにいっぱい置かれている。中には腐って真っ黒になったものもある。
家の外に出てみる。そこは丘のてっぺんで、斜面を下から大小さまざまな動物が登ってくるのが見える。亀やシロクマ、原人のようなものもいる。そして彼らは互いに闘い合っている。
ある晩、若い男がぼくに「外へ出てみろよ」と言う。昨日まで黒かった世界が洗われて、今日は真っ白な霧に包まれ、純白の世界になっている。「酒を飲んだかららしい」と彼は言う。だが、一歩二歩と踏み出して、ぼくは変なものを踏みつけたことに気づく。地面を見て、ぎょっとする。あらゆる場所に大小さまざまな蛇がとぐろを巻いている。慌てて戻るが、どうしてもどれかの蛇を踏んでしまう。
2009年03月22日
3月22日の夢(バス乗り違え)
Iカメラマンを含め、三人で海外取材のため、成田から旅立とうとバスターミナルに向かう。ところが、ぼくはぼーっとしていて、成田行きの高速バスのつもりで別のバスに乗ってしまった。車中で気がついたけれど、あとの祭り。バスから降りたら、そこは熊本だった。Iカメラマンの携帯に電話してみるが通じない。ぼくは重い荷物を抱えたまま、熊本で途方に暮れる。
2009年03月19日
3月19日の夢(昔の恋人)
今日は出張明けのお疲れ休みの日だ。会社に行かなくてよいので、一日外をぶらぶらする計画を立てる。午前中新宿の街をぶらぶらし、お昼頃から映画を見ようと思う。
公園の片隅にいくつかテーブルと椅子が置かれている場所がある。そこにおかっぱ頭の女性が座っている。若いとき恋仲だったTだ。しばらく同じテーブルに向き合って座るが、二人とも相手に話しかけようとはしない。
そこを離れてまた街をぶらつく。それから同じ公園に戻ると、まだTが座っている。彼女がバスに乗ったので、ぼくも乗り込む。窓から新宿の街を眺める。映画館のビルの一階にファストフードの店があり、そこで小学生の少年がサラダのようなものを載せた小皿を、メイド服姿の女店員に差し出す。すると、女店員は黙って、皿の上にビーフステーキを載せて返す。
そんな風景を見ていて、ふとバスの車内に目を戻すと、Tがいない。降りてしまったのだ。慌てて窓からブルーのワンピースを着た彼女の姿を探すが、歩いているのは青い浴衣を着た少女たちばかりだ。
ぼくもバスを降りる。もう映画を見てもしかたがないので、早く帰宅しようと思う。ぼくは電動車椅子に乗る。小学校の教室にある木造の椅子のような車椅子だ。駅に近づいた。駅前広場に行くには急な坂道を登らなければならないので、車椅子を降り、押して歩く。駅前広場には車椅子の駐車スペースがあるはずだ。
だが、駅前広場は開架式の図書館のように書棚がいくつも並んでいるばかりで、車椅子の駐車場はない。さらに奥まで車椅子を押していくと、広場の壁際に傘置き場があった。車椅子を折り畳むと、ちょうど蝙蝠傘のような形になるので、そこへ折り畳んだ車椅子を立てかける。これなら目立たないから、誰かから文句を言われる心配もないだろう。
2009年03月18日
3月18日の夢(道場にて)
仕事で、ある武道家を取材に行く。そこは彼の道場のような所で、床は板の間。そこに大勢の男女が座り込み、武道家の講話を聞くことになる。ぼくが仕事の資料として気になっていた絵本を取りだして読んでいると、彼はいきなりそれを取り上げて、怒り出す。ぼくは「何度もこちらには伺っています」とおべんちゃらを言うが、武道家はいきなりぼくの頭を両手で締め上げてくる。ぼくは下手に抵抗して怪我をしたり、恥をかきたくないので、彼にされるがままになり、気を失ったような演技をする。すると、武道家は突然ぼくのことを思い出したらしく、「この人は静岡の方の詩人で・・・」と皆に話し出したので、ぼくは演技をやめて起き上がり、「違いますよ」と言って、座り直す。その絵本は図書館から借りたものなので、取られてしまっては大変と見回すと、隣に座っている妻が持っているので、安心する。
武道家は「今日は格闘技の実技を見せる」と言い、全員を道場の壁際に下がって座らせる。一人の格闘家が自分の登場テーマ曲を自分で歌いながら登場する。いかにも格闘家らしく「バッカヤロー!」というような乱暴な歌詞だ。パンツ一丁なのだが、キックを繰り出すからだろう。手だけでなく、足にも白いグローブをはめていて、なんだか着ぐるみの人形みたいだ。格闘家は会場を見回し、いろいろなものが置かれているのを見とがめて、「ここは足場が悪いな」と言う。一艘の木造の舟が置かれているので、皆でその舟を抱えて運び出す。
2009年03月14日
3月14日の夢(工事と夏みかん)
会社が改装工事をするため、夜になって作業員が入った。みんな仮装をしているのか、不思議な格好をしている。いや、そうではない。彼らは映画の撮影隊のようでもある。いずれにせよ、社員達はそのためになかなか帰ることができない。
ぼくの席は二階のオフィスの一番奥の窓際で、ぼくだけが椅子のかわりに大きなベッドを使っている。工事が始まったため、一度席を離れると、そこに戻るのが大変だ。ぼくは大きな夏みかんが何個も入った包みを持って、二階へと足場をよじのぼる。そのためには荷物を持っているわけにはいかないので、まず果物の包みを足場の上に投げ上げるが、うまく行かず落ちてしまった。そこにいた男が包みを拾って、ぼくに投げてよこす。それを受け取ったものの、もう包みは破れ、夏みかんの皮も破れて、ぼくの全身に血しぶきを浴びたように紫の果汁がかかってしまった。その格好でしかたなく、一階に降りようとするが、工事のため、地上まではかなりの段差ができてしまっている。ようやく飛び降りたときには、ぼくのはいているズボンは果汁の汁だらけである。みんなは「その果汁はすぐに落ちるから大丈夫だよ」と言ってくれるし、「ぼくも、うんこれは大丈夫」と答えるが、きっとクリーニングに出してももう元の白さは戻らないと思う。
夏みかんの包みを持って歩いていくと、生意気そうな男の子が半透明な糸をあやつって遊んでいる。ぼくはわざと、その糸に引っかかったふりをする。ぼくがずんずん前進すると、男の子は糸に引っ張られて、引きずられる。糸が首に絡んで、とても苦しそうだ。だが、そんなことより、ぼくはどこかで汚れた手を洗いたいと思う。
そこへ、ちょうど妻が帰ってきた。妻は「どうしたの?」と言って、男の子の顔に手を触れる。すると、男の子の息がとても酒臭いので、妻はびっくりする。
インスタントコーヒーの瓶からコーヒーの粉をコップに入れて熱湯をかけてかき回す。しかし、粉は全く水に溶けない。どうやらこれはコーヒーの粉ではないらしい。
2009年03月08日
3月8日の夢(トイレと水とコンサート)
夜中にトイレに起きる。妻は隣ですやすや眠っている。妻を起こさないよう、押し入れでトイレをすまそうとするが、やっぱり本格的にトイレでした方がいいと思い、廊下に出る。すると廊下は一面、水深1センチくらいの水で覆われている。どこから水がもれて、こんなことになったのだろう? 天井には洗濯物のTシャツが吊り下げられているが、まさかそこから水が落ちたわけでもあるまい。
水はトイレの中まで続いている。トイレには壁際に大中小3個の白い陶器製便器が並んでいる。寝ぼけていて、よく分からないがこのうち一つは、手を洗うためのものだろう。真ん中のものが小便器だと思うが、自信がない。一番奥にある大きなものなら間違いなく便器だろうと、そちらに向かう。
女性詩人Wさんのコンサートを取材に行く。地下鉄の駅がそのまま階段状の座席のあるホールになっている。客席はがらがらだ。Mカメラマンが「一体これはどういうコンサートなんですか? ちゃんと教えてください」と、ぼくを詰問する。ぼくは自分の編集する雑誌「Pの本」の前号を見せ、「このときと全く同じですよ。でもピアノは電子グランドピアノなので、それだけ注意してくださいね」と言う。なかなか始まらないので席を外し、戻ってみると、今度は満席になっているので、無理矢理席を詰めてもらって座る。だが、ちょうどアンコールが終わったところで、Wさんが舞台のピアノの前に座っているのが見える。
2009年03月07日
3月7日の夢(コンサート)
ピアニストのM・Rさんの自宅に遊びに行った。庭に木製のベランダがあり、そこで即席の音楽会が始まる。来客の一人の若い男がテープに合わせてヴァイオリンを弾く。それをMさんと彼女の母親らしい年上の女性とぼくと三人で聞く。
四国へ何人かで出張し、どこかのホールの楽屋口で待機をしている。電気系統の点検をするのがぼくらの役目だ。これからコンサートが始まろうとしている。シンガーソングライターのT・Hさんのコンサートらしい。びっくりする。
翌日も別のホールへ行き、楽屋近いロビーのソファーにスタッフみんなで牛詰めになって座っていると、やはりこれもTさんのコンサートだと分かる。そのことに気をとられていたら、いつのまにかぼく以外のスタッフはみんなどこかに行ってしまい、ぼく一人だけ取り残されてしまった。ロビーをうろうろするが、眠くてたまらない。立ったまま眠ってしまいそうだ。
2009年03月02日
3月2日の夢(包丁とバス)
(もう一つ夢を見ていたのを忘れていました)
「関の孫六」という有名な包丁など三本の包丁を持って、バスに乗る。途中のバス停から巨大な包丁を持った乗客が乗ってきた。とても危険な感じだが、バスはそのまま安全に走行している。
突然、同乗していた詩人のOくんの力で、ぼくは金縛りになってしまい、車内が危険な状況になる。ぼくは「Oさん、やめてよー!」と叫ぶ。
3月2日の夢(マイナスイオン・バス)
今は夕方五時。家にいるのだが、まだ会社の終業時間まで一時間あるので、いったん出社し、それからまた帰宅しようと思い、近くのバス停からバスに乗る。
久しぶりに乗ったバスの中はすっかり様変わりしている。今はバスに乗る人が少ないので、座席数を思い切り少なくするかわり、白い繭のような座席にすわると、全身にマイナスイオンを浴びられる仕組みになっている。その分、料金も高めだが、バスが交通機関として生き残るにはこれしか方法がないのだろう。
会社に着いた。みんな出張準備の荷造りに忙しく、階段も通路も足の踏み場がないほど、荷物が散らかっている。
2009年03月01日
3月1日の夢(会社と蒲団)
会社の和室に二つ蒲団を敷いて寝ている。隣の蒲団に寝ているのは女性だ。
起きて、また戻ると、ぼくの蒲団の上に別の女性が自分の掛け布団をかけて、寝ようとしている。色がやや濃いが、柄が同じなので、間違えたのだと思し、注意をする。
しばらくしてまた見ると、今度は三つ蒲団が敷いてあって、真ん中がぼくで右隣にその女性の蒲団が敷かれている。いくらなんでも一つの部屋で、男女混合でこんなにくっつけて蒲団を敷くのはまずいだろうと思う。
今日は左隣の蒲団の女性と、東京の会社に同行セールスすることになっている。しかし、よく考えると、彼女は今日は京都の会社にセールスに行く予定だったのではないか。これではダブルブッキングになり、まずいと思うが、ぼくといっしょに同行してくれた方が嬉しいので、まあいいかと思う。
2009年02月22日
2月22日の夢(機械の馬に乗る青年)
会社から文部科学省のようなお役所に出向している。ぼくのほかにも出向者がいて、彼は忙しそうに働いているが、ぼくは仕事がないので、机につっぷして昼寝している。そこへ元社長のSがやってきて、「あの仕事はできたか」と尋ねる。ぼくは「できていますよ」と答え、パソコンから出力しようとプリンターのところへ行く。そこで、気が付いた。あの仕事はまだやっていなかった。
その元社長は放っておいて、社員全員でさぼって映画を見に行くことにする。
映画の主人公は若い青年である。死んだ兄から譲り受けた馬で、深夜の首都高速を疾走する。青年が止まる、馬に乗っていたはずなのに、オートバイと椅子のあいのこのようにものに、彼はまたがっている。そのサドルの部分に青年は手にしていたオレンジ色のアメーバのようなものをはめこむ。すると、単なる機械だった椅子から、にょきにょきと四本の足が生え、それはたちまち馬となって、再び疾走していく。青年の後ろ姿を見送りながら、ぼくはこの場所に見覚えがある気がする。右手の岡の上には高々と溶鉱炉のようなものがそびえている。
映画は終わった。ぼくらはみんなで階段を登って、再びそしらぬ顔で職場に戻る。
2009年02月17日
2月17日の夢(旅の仲間)
沢山の人たちと観光バスに乗って旅をしている。なんだか家族のように感じる親しい人たちだ。なぜなら乗っていると、そのままバスは家になり、家はまたバスになって旅を続けるからだ。ぼくは絵描きなのだろう。絵筆と絵の具を混ぜる小皿を手にしていて、旅の間いつも世界のあらゆるものに色を塗っている。
久しぶりに故郷へバスは戻ってきた。故郷の町は海に面した小さな田舎町だ。故郷の町には鉄道が走っていて、踏切をぼくらは渡る。踏切は工事中で、レールの上を工事の人たちがトロッコを押している。トロッコには何かの薬が積んであり、ぼくらはそれを奪い取った。その瞬間、踏切を特急列車が通過していく。と思った瞬間、ぼくらはその特急に乗っていた。また旅が始まったのだ。
着いたところは大阪の難波だった。古い歴史的な蔵が両側に続く街並みを少年のぼくは遊びの道具を探して歩いている。ある建物の外周に沿って表へ回ると、そこにはいつもの旅の仲間たちがいて、代わる代わる写真を撮り合っている。ぼくもその仲間に入れてもらう。
2009年02月14日
2月14日の夢(社員パーティー)
ぼくが以前勤めていたS社グループ全社を挙げての社員旅行に参加した。大きな旅館にいくつもの会社がそれぞれに分かれて泊まり込んでいる。ぼくは自分の所属するC社の社員が泊まっている部屋から、沢山の料理を両手いっぱいに抱えてパーティー会場に赴く。グループの全社員が参加しているので、とても大きなパーティーだ。ぼくも会場でぱくぱく料理を食べているが、ふと気づくと、いつのまにかC社の社員は一人もいなくなっている。不安になり、会場を出て、C社社員の部屋に戻ろうとするが、館内で迷ってしまい、戻ることができない。
2月13日の夢(二匹の蛇)
空港のレストランで毎回S誌の懇親会が開かれている。ぼくはいつも丁度出張帰りに寄れるので、有り難いが、みんなはそうではないはず。なぜこんなところでわざわざやるのだろうと思うが、どうも安く会場が借りられるためらしい。参加者は殆ど詩人たちだが、二匹の蛇も毎回参加している。今日も帰りがけに、忘れ物がないかと、もう一度会場の部屋を覗き込むと、床を大小二匹の蛇が這って立ち去るのが見えた。あの二匹はああして巣に帰り、次回の懇親会にまた出てくるらしい。
さて、空港エリアからの帰り道は、まず迷路のようなトンネルを抜けることから始まる。抜けると、広いロビーのような場所に出る。一般の客はそのままエレベーターに乗り込むのだが、ぼくたちセレブは白い椅子に座るよう誘導される。どうするのだろうと思っていると、椅子はぼくを載せたままゴーッと動いて、そのままエレベーターに合体して、下降を始めた。
そこからはバスに乗る。バスは海岸地帯のヒースの丘のような中をどんどん降りていく。周囲の丘は草しか生えず、一本の樹木も見当たらない。おまけに頂上の部分が全部開発されて更地になっているが、まだ建物は一軒も建っていない。いずれはここに全部高層住宅が建てられるらしい。
バスは道を直角に曲がる。そこからはものすごい急角度で道を下っていく。振り返ると、丘の上に大きな山門がある。この道はかつては大きなお寺の参道だったのだらしい。
2009年02月10日
2月10日の夢(夢日記をつけるのを邪魔される)
目が覚めた。面白い夢を見ていたので、蒲団の上で夢日記を書き始める。その夢では、自宅に何組もの家族が一緒に暮らしている。そのため朝の出かける時間は全員が一斉に洋服ダンスに群がる。おまけに部屋を模様替えしたばかりなので、どこに誰の靴下やハンカチが入っているか分からず、大混乱だ。時間ばかりかかって、なかなか着替えられないが、それでも上手く緑色で服装を全部統一できた。自分のファッション・コーディネート力に満足して、外へ出る。途中、ショーウィンドーに映った自分を見ると、シャツだけが茶褐色だった。これではみっともない。緑色のシャツに着替えに帰ろうとすると、長くて重そうな鉄の棒(レール?)を抱えた若い男達が、マンションの重たいガラスドアを次々通って外へ出てくる。男達は一人通り抜けるごとにそのドアを閉めてしまい、後から来る男がまた開けるという無駄な動作を繰り返している。最後の男が通り抜けた後、ぼくが外から中へ通り抜け、ドアを閉めると、そのドアが最後の男にドシンとぶつかって、男は「いてっ!」と叫び声を上げる。しまった。殴られるかもと身構えるが、男は戻って来なかった。ああ、よかった。
というところまで夢日記を書いたところへ、ガラッと突然障子を開けて、早川さん(実在しない)の奥さんと子どもが顔を出し、「何やってるの? 早く出かけなければ」と言う。なぜ、ぼくの家に早川さんなどという他人がいるのだろう? 「早川さんて誰?」と遠くにいる妻に叫ぶが、答はない。ぼくは障子を強引に閉め、「今、夢日記を書いているところだから駄目!」と二人を怒鳴りつける。
2009年02月08日
2月8日の夢(ピアノにも出せない超低音)
以前ぼくの編集するピアノ音楽誌で取材したアマチュアピアニストの家が高崎市にある。その熟年男性の家をぼくは訪ね、勝手知った家なので、そのまま彼の部屋に上がり込む。ピアノの横に手すりがある。その手すりを叩くと、ピアノでは出せない超低音の響きが出せるのだ。ぼくは男性がまだ帰宅していないのを幸い、その手すりを叩いて、ベートーヴェンのソナタを演奏してみる。まるで運命の響きのような、お腹の底に響く音がする。
そこへちょうど男性が帰ってきて、その演奏を聴かれてしまった。ちょっとカッコワルイ。挨拶していると、足下がこそばゆい。見ると、男性の飼っている子猫がぼくにじゃれついているのだ。「ぼくの手を狙っているんですね」と、ぼくは言う。男性の奥さんもやってきた。窓から見える景色を指さして、彼女に「高崎って大都会ですね」と言ってみるが、彼女はぼくを無視する。
2009年02月05日
2月5日の夢(オホーツクの夜空の下)
料理屋の幾部屋も借り切って、大きな宴会が開かれている。途中でぼくは中座し、何かの用を伝えに役員を探しに行くが、会場が広すぎて見つからない。ぼくはプリプリしながら戻ってきて、「ちゃんと役員用の部屋を作っておくべきだ。どこにいるか分からないじゃないか」と文句を言う。
お開きになって、みんな後かたづけを始める。外に出ると、そこは木製の広いデッキになっていて、すぐそばにオホーツクの海が広がっている気配がある。夜空は満天の星だが、かなりの部分が雲に隠されているのが残念だ。じいっと星空を見ているうち、めまいがして海に墜落しそうだ。
デッキの一カ所に、井戸のような四角い穴があって、そこに水が溜まっている。前社長のSが「ここに溜まっている水を抜くために、誰かおしっこをしろ」と命令する。と、ざあっと水が抜けていった。誰かがおしっこをしたのだろうか。
みんなを運ぶために、会場前にバスが横付けされた。入り口の売り場でおばさんが「風邪薬と甘いものはいかが?」と声を張り上げている。両方とも買いたいと思う。ルルエースを買おうとするが、天津感冒片もあるので、手にとってみると、よく似たニセモノだった。甘いジュースを買おうと思うが、欲しいものが探し出せない。
食べ物をトレイにとって、四角いカウンターの空いたところに載せ、食べようと思うと、後から来た二人組にそこを占領されてしまった。やむなく隣の端の席に移る。いやなやつらだ。
2009年02月01日
2月1日の夢(映画館とゲームセンター)
映画館へ行く。指定席なので、席を探して、スクリーンに向かい右側のわりといい席に座る。だが、すぐにその席ではないことに気づき、再び館内をうろうろする。左側のわりと後ろの奥まった席が指定された席だ。通路の側に男子学生が着席しており、奥には何人か子どもを連れた奥さんがいる。そこになんとか、ぼく一人分の席があるようだ。奥さんに「そこ、いいですか」と声をかけると、「あっ、どうぞどうぞ」という返事で、無事座ることができた。
夜、帰宅して食事をする。実は朝6時に出社しなくてはいけない用があるので、今日は深夜12時前にまた出勤をしなくてはいけないのだが、なかなか妻にそう言い出せない。
ゲームセンターの店先が、新しいゲームのデモンストレーションコーナーになっている。そのゲームでは敵がいろいろなものに憑依するので、憑依したものを見つけては、攻撃される前に二回以上棒で叩かないといけない。小学生の少年がゲームを始める。「二回以上」というが、叩き出したら何度でも叩き続けるのがコツらしい。ゲームのコーナーには薪のようなものがいっぱい散らばっている。そのどれかがブルブルと震えたりするのかと思うが、そんな様子もないのに、少年は確信を持った様子で、それらのものを片っ端から叩いている。と、突然、少年はガバッと床に伏せて耳を地面に付け、それから驚いた様子でぼくの斜め後ろの空を見る。敵がやってくるのだろうか。ふりかえると、その方向の空に雲がかかっていて、雲をスクリーンがわりに投影されているのだろう。ロボット怪獣がゆっくりと、こちらに近づいてくる。すごい仕掛けだ! と、ぼくは感歎する。
2009年01月29日
1月29日の夢(青森で現代詩講演会)
青森で現代詩の講演会があるというので出かける。学校の運動場のような長方形の敷地の、左端と右端に建物がある。ぼくは右側の建物が会場だと思い、そちらへ向かうが、そちらから他の人たちが何人も歩いてくるので、反対側の建物が会場だとわかり、回れ右をする。
ぼくのすぐ目の前を、ぼくに気づかず足早にエレベーターに乗り込んだのは女性詩人のHさんだ。ロビーにいたWさんとも目が合い、挨拶を交わす。エレベーターにはS誌編集委員会のN氏とIさんが既に乗り込んでいる。エレベーターが上昇を始めると、揺れたために、ぼくはIさんの足を踏んでしまった。Iさんに「東京の人はすぐ足を踏む!」と怒られる。エレベーターは狭い縦長の空間だ。揺れる度にぼくはよろけて、壁に頭をぶつけ、「あいて!」「あいて!」と言う。それを見て、Iさんは笑っている。
乗り合わせた農協ふうのおじさんおばさんたちが八階のボタンを押したので、ぼくは会場は八階だと思い込んでいたものの、念のためポケットから案内状を取りだして見る。すると、会場は七階だった! だが、そのときにはエレベーターは既に八階に到着し、農協ふうの人々が続々降りていく。しまった、通り過ぎてしまった! と後悔するが、「エレベーターに乗ったまま、一階下へ降りるだけだから簡単だ」とも思う。ところがエレベーターには「もっと上へ、もっと上へ」という電光表示が点滅し、十一階、十二階とさらに上昇していく。これではなかなか会場にたどりつけないな。
すると、N氏がぼくに尋ねる。「最近カワキタノリコ(実在しない)は研究会に来ているの?」 ああ、あのおばあさんか。ぼくは「カワキタさんは来ていない」と答える。
2009年01月28日
1月28日の夢(しゃべる紙片とみみず)
三角形に近い紙切れが一枚ひらひらと目の前を飛んでいく。見えなくなったと思ったら、赤い郵便ポストのお腹が開いていて、その中から紙切れの一部が見えた。こんなところに隠れていたのだ。紙切れは突然女の子の声でぼくに注意をする。
見ると、ぼくの靴の片方にヒモが絡まっていて、そのヒモの先端に黒いみみずのような虫がくっついている。慌ててヒモをもう一方の靴で踏みつけ、ヒモを取ろうとするが、なかなか取れない。やっと取ることができて、ほっとするが、紙切れの女の子の声がさらにぼくを呼ぶ。どうやら〆切についての質問らしい。
2009年01月27日
1月27日の夢(電車で暴動)
息子が帰宅するというので、成城学園の駅まで迎えに行く。成城学園の駅は山のてっぺんにある。電車が着いたと思ったら、突然電車の中で喧嘩が始まり、電車中が暴動になる。暴徒はホームにも押し出してきた。中に学習院初等科ふうの制服を着た女生徒三人がいて、電車の前に来て、「せーの!」とかけ声をかけ、三人の力で電車を後ろに押し戻そうとするが、さすがにぴくりとも動かない。
2009年01月20日
1月20日の夢(また新居)
札幌の街角にいる。妻に使いを頼まれ、そこからの帰途、道路工事に遭遇する。ちょうど頭のあたりの高さにガスバーナーのようなものが半円形に立ち並んでいる。そこを頭を下げて潜り抜けるのだが、頭を下げているために方向を見失ってしまった。うろうろしていると、工事現場の交通整理をしていたガードマンのおじさんが、ぼくに向こうを指さしている。見ると、一人の女性がぼくにおいでおいでをしている。その女性の誘導で、無事に妻のいるところに戻ることができた。
ぼくの自宅は大きな木造の一軒家だ。朝、玄関の土間で身支度をしているのだが、なかなかパンツがはけず、足にからまって立ち上がれずにいる。同居人の男性詩人Hくんが、裸のままこっちを伺っている。と思ったら、すぐに彼はネクタイ・スーツ姿で玄関に現れた。これから出勤するらしい。そこに倒れたままのぼくに遠慮しているふうなので、「ぼくに構わず、踏み越えていけ」と言う。
やっと立ち上がり、裏庭を回って、自分の部屋の方へ行こうとする。途中にご用聞きのお兄ちゃんがいて、あまりに家が片づいていないことに同情し、ぼくに手を貸して、何かを運んでくれる。家へ上がり、妻の寝室へ行く。掃除をしてやろうと思ったのに、逆に棚の上に載っていた汚い土の塊を彼女のベッドの上に落としてしまう。それを片付けるのに、また時間をとられてしまった。
2009年01月19日
1月19日の夢(広い新居)
大きな邸宅に引っ越した。自室で長い時間、ひとりで本を読んでいる。もう夜遅い時間ではないかと思うのだが、窓のカーテンの僅かな隙間から陽光がもれているところを見ると、昼間なのかもしれない。ずっとこんなことをしていていいのだろうか。妻の家事を手伝わなくてはいけないのではないかと気になる。
廊下に出てみると、廊下の反対側に、屋外へ張り出したガラス張りの小さな長方形の部屋がある。ぼくの子ども時代から実家で使われていた黒塗りのタンスが置かれている。ガラス越しに隣家が見え、そこでご主人がデッキチェアでくつろいでおられる姿も見える。とてもいい感じだ。この部屋を小書斎として使ってもいいなと思う。
トイレを覗いてみる。まるでイスラム教のモスクのような豪華なインテリアのトイレだ。
廊下の反対側のドアを開けると、広いリビングで、妻ではなく母がアイロンがけなどの家事をしている。いつのまにか後ろに姉(女性詩人のAさん)がいて、「お母さん、あたしがやるからいいわよ。まだご飯食べてないんでしょ」と言う。母は「父は何かで遅くなっているらしいわね。でも、父を待っているわけじゃないの。これを片付けたら食べるから大丈夫よ」と答える。なんだかよぼよぼした感じだ。母も年とってしまったなあと思う。
2009年01月17日
1月17日の夢(たどり着けない)
駅を出て、街の向こう側へ出ようとする。街の向こう側では巨大な宇宙怪獣がウルトラマンのような正義の味方と死闘を繰り広げているのが街並みの上に見えている。早く、ぼくもそこへ行きたいと思うがたどり着けず、駅へ戻った。
別の日、もう一度街の「裏」へ出ようとして歩いていくが、道を間違えたと思い、駅の方へ戻る。途中、やはり街の裏へ出ようとしている人といっしょになり、二人で歩いていくが、どうにも向こう側へ出る道が見つからない。途中、道がカーブしているところに学校がある。その人ともう一人の人は学校の建物に上がっていく。窓から向こうを見渡して、道を発見しようとするのだ。ぼくが彼らと別れて、その道をずんずん進んでいくと、後から二人も追いついてきた。やっぱり学校からは道を発見できなかったという。三人で歩いていくが、結局街の裏に出る道は見つからない。
2009年01月12日
1月12日の夢(昭和天皇の息子)
遊覧船に乗せてやるといって、父がぼくを港に連れてきてくれて、乗船券売り場でチケットまで買ってくれた。ぼくはすっかり大人で、父は死んでから30年以上も経っているというのに、父の前に出ると、ぼくはやっぱり子供のようになすがままになってしまう。
遊覧船が出るまでの間、ここで待っていなさい・・・と言って、父はぼくをレストランに置き去りにして、どこかへ行ってしまった。ぼくの座っているのは、レストランの屋外に置かれたテーブル。屋内のテーブルには次々と料理が運ばれてくるのに、屋外のテーブルにはちっとも料理が来ない。ほかの客が女性従業員に文句を言うと、彼女は喧嘩腰で「ここは中の店とは全く別で、自転車で料理を運んで来るのよ」と言われる。やっと料理が来たが、それは冷たい駅弁だった。
それにしても出航時間が迫っているのに、父は遅いなあ。やっと父が戻ってきた。戻ってきた父を見ると、ぼくの父は昭和天皇その人だった。
2009年01月11日
1月11日の夢(168万光年の出張)
168万光年の彼方へ出張に行った。すごく遠いが、あっという間に帰ってくることができた。だが、向こうでは自分の荷物を度々奪われたり、自分の居場所さえなかったり、大変な苦労をした。
無事、会社に帰り着き、デスクにつく。壁に向かって並んでいるいくつかのデスクの、左から二番目に座る。一番左端に座っているKくんが足下の荷物を別の場所に移動したりして、なんだか窮屈そうだ。そういえば、出張に行く前は、ぼくはこの室内ではなく、左側にある広いオープンスペースに置かれたデスクで仕事をしていたのだったと気づく。ぼくの右のデスクは空席だが、そこに外注先の業者が二人やってきた。一人は空席のデスクにつくが、一人は立ったままだ。きっと出張中はぼくの今座っている席についていたのだろう。ここにぼくが座ってしまって、気の毒なことをしたなと思う。
そこへ、部屋の反対側の壁に向かうデスクにMさんがついた。Mさんは今から20年も前、ぼくと同僚だった女性だ。彼女もぼくが168万光年の彼方からの帰還者であることを知っていて、ぼくににこやかに挨拶をする。ぼくも挨拶を返しながら、相手の名前を呼んであげようとするが、一瞬その名前をど忘れしてしまい、不自然な沈黙をしてしまう。だが、すぐ思い出して、名前を呼ぶことができた。
2009年01月10日
1月10日の夢(とつみえたすいこからの手紙)
会社が休みになったので、一人でふらっとどこかに出かけようと思う。住んでいる町の市役所の出している広報誌に、ある海岸の名前が載っている。まだ行ったことがないから、ここにしよう。タクシーを止めて、行き先を告げると、運転手はものもいわずに走り出した。どんどん走っていく。どうもかなり遠い場所らしい。これは夢だと分かっていたので、夢を巻き戻すことにする。出かける前に、まず図書館で地図を見て、場所の確認をしよう。暖かい日和なので、図書館の庭にデスクが出ていて、そこが地図の閲覧席になっている。左端の席に老人がうつらうつらしている。ぼくはその老人を追い立てて、そこに座り、畳まれていた大きな地図を広げる。なんと、その海岸は房総半島の突端にあるのだった。行かなくてよかったと思う。
名古屋城の入り口で友達と待ち合わせた。そこに行くには地下の洞窟を通らなければいけない。まず腰をかがめないと通り抜けられない天井の低い場所を通り、見通しのきかない突き当たりを直角に左に曲がると、急に広い洞窟になる。その奥が名古屋城の入り口で、入場券の売り場に一人の女性がいる。そこで友達を待つことにする。
家に帰り、郵便受けを覗くと、一通の封書が来ていた。差出人の名前は女文字で「とつみえたすいこ」と書いてある。
2009年01月09日
1月9日の夢・サービスの悪いレストラン
屋外レストランでオーナーから巨大な凧のようなものを見せてもらう。その大凧が次々と風にあおられて、空に飛んでいってしまう。
メニューを見て、ランチを注文する。周囲のみんなにはさっと料理が出てきたのに、とてもお腹の減っているぼくのところへは一番最後に出てきた。しかも、器に入っているのは菜っぱのサラダばかりで、いかにもまずそう。量もちょっぴりしかない。
食べ終わるのもぼくが一番遅れてしまった。慌ててレジに行く。財布の中には見慣れぬお札が入っている。千円札と思うものを一枚抜き取って渡すが、オーナーは無言のままだ。どうもそれでは足りないらしい。一万円札のようなものを一枚渡す。すると、オーナーは黙っておつりをくれた。
椅子の上に最後に残った鞄を取って、店を出ようとする。しかし、その鞄はぼくのじゃない。カラフルな柄のついた女物の鞄だ。
2009年01月06日
1月7日の夢(久しぶりのトイレ夢)
会社に「モーツァルトの写真を貸してほしい」というおばあさんがやってきた。あ
りあわせの写真をおばあさんに見せていると、「もっといい写真があった」と言って
、元社長のSと共に隣室へ行ってしまった。なんだか面倒なことになりそうな気がす
るが、そっと覗くと、おばいさんは機嫌良く隣室で自分で写真を探している。ほっと
する。
いつのまにかそこは千駄ヶ谷にある画廊になっている。老人と展覧会の企画につい
て話しているうち、尿意を覚え、トイレに立つ。トイレ前の床は僅かな斜面になって
いて、そこを汚水が流れている。いやな予感がする。
案の定、中に入ると、トイレはとても汚くて、床がずぶ濡れだ。中で二人の男が用を足している。便器はなく四方の壁の窓の下が、雲形定規のように、あるいは山の稜線のように不定形に盛り上がっていて、そこに溝が掘られている。そのどこで用を足してもいいらしい。
できるだけきれいな場所を見つけて用を足し始めるが、ふと見ると、窓の向こうは何かの役所で、窓に向かってすぐ間近で公務員がこちらを向いて忙しく働いている。いくら窓ガラスごしとはいえ、公務員の顔におしっこをかけるのはまずいだろう。気がひけるので、用を足しながらそっと場所を移動する。
2009年01月05日
1月5日の夢(日本語をしゃべるバッタ)
金持ちのお屋敷に遊びに行った。水辺に張り出した木のテラスで、主人から沢山の数の絵ハガキを見て欲しいと言われる。世界のさまざまな観光名所を撮った写真を使い、その名所の建物や事物の形に切り抜かれた絵はがきだ。一枚一枚撮った写真が違うから、絵葉書の形もばらばらだ。そのハガキに書かれたメッセージを主人はぼくに見せたいのだが、ぼくはつい絵葉書自体が珍しいので、ぱらぱらと形だけ眺め、「すごいですね。一枚一枚違う」と言って、主人に返す。主人は不満そうに、「よくそんなに早く読めますね」と言うが、ぼくは取り合わない。
その主人には四人の子どもたちがいる。女、男、女、女の順番である。その娘の一人が飼っている小さな犬が、夜の庭にいた大きなバッタに飛びかかって、馬乗りになった。緑色のバッタはものすごくでかく、日本語をしゃべる。犬はバッタの体を押し開き、体の一部を食いちぎろうとする。バッタは悲鳴を上げるでもなく、落ち着いた男の声で「やめなさい」と言うが、犬は食いちぎってしまう。さらに犬は棒のようなものを銜えてきて、それを道具にして、バッタの体から柱のようなものを抜き取ろうとする。またバッタは日本語でやめるように言うが、あっという間にバッタの体は壊され、バッタは「あーあ、とうとうやっちゃった」と、ひとごとのように言う。
部屋にいた長女が、犬の飼い主の妹を呼び入れる。妹は一人は色が黒くて、顔にぶつぶつ吹き出物ができている。もう一人の妹は白い顔をしている。室内に最初からいた長女と長男は海外旅行から帰ってきたばかりなので、今度は妹二人が海外旅行に行く相談をしている。
2009年01月04日
1月4日の夢(展覧会)
会社で展覧会をやることになった。会場になったのは、薄暗くてだだっ広い喫茶店。始めたときには一つも作品がなかったので、ぼくが第一号の作品を作る。人の形に切り抜いた紙をくしゃくしゃに丸めてから、それを台の上に飾ると、紙が元に戻る勢いで自動人形のように動いて、ドラマを演じる。そのアイデアにみんな大喝采だ。その後も、さまざまなありあわせの材料を利用して、次々と作品を作っては飾り付けていく。夕方には家から作品を持って駆けつけた女性社員も加わり、どんどん展覧会が充実していく。飾り付けが終わるのを見届けて帰りたいが、もう夜の八時だ。明日の朝来て、見ればいいかと思う。
2009年01月03日
1月3日の幽霊夢
居間のソファーで蒲団をかぶって昼寝をしていた。夢の中で、ぼくの右手には壁があって、そこにがっしりした体格の男の影だけが映っている。別の男がそれを指さして、「これはAさんだ」と言う。Aさんとは昨年11月に急逝した長老詩人である。確かに、それはA氏の影のようだ。影は壁に立ち姿で映ったまま、微動もしない。ぼくはこれが昼寝の夢であることが分かっていて、それがA氏の幽霊であると感じている。でも、A氏とは若い頃からの長いつきあいだし、親しい人なんだから怖くないと思う。外出していた妻が玄関から帰ってきた。隣の部屋に皎々と電気をつけて、仕事をしだした。ぼくは安心して、再び眠りにつこうとする。足下の方で、ざーっ、ざーっという音がしている。はっと目を開けると、家の中は薄暗いままで、妻はまだ帰っていない。やっと妻が帰ってきた。本当に隣の部屋に電気をつけて、仕事をしだす。ざーっ、ざーっという音は、ぼくのかぶっている蒲団が床にこすれて、立てている音ではないかと思う。また、はっとする。家の中は薄暗い。妻は帰っていない。
(というのを何度も繰り返しているうちに、金縛りがとけて本当に眼を覚ましました。そして本当に妻が帰ってきました。ソファーの右側には実際に壁があります。でも、蒲団は床にはついておらず、ざーっ、ざーっという音の由来は不明です)
2009年01月02日
1月2日の初夢
会社で創業者のK氏をリーダーとして何かのプロジェクトを進めている。だが、ぼくはそれを途中で抜け出して、総武線の電車に乗る。本に夢中になっていて、目指す下町の駅(蔵前?)で降りるのを忘れそうになる。電車には妻と母も乗っている。ぼくは二人に「この駅で医者に行くんだ」と言い訳をし、ぼく自身も半分その気になって、ちゃんとその駅で降りる。二人も同じ駅で降り、ぼくと別れる。ぼくはしばらく医者を探して、街を歩き回るが、知らない街で新しい医者を見つけて、薬を貰うのは大変だ。そんな手間をかけるより、山の手のいつもの医者に行こうと思う。二人に出会わないよう、そっと駅に戻り、再び電車に乗る。さっきとは反対向きの電車で山の手に戻り、高円寺あたりの駅で降りる。まだまだ夕方まで時間があるから、ここで医者にかかろうと思う。
2008年12月27日
12月27日の夢(テレビクルー)
社長に買い物を任され、お買い得と思われる商品を紙袋いっぱいに詰め込む。それから数日経ってみると、一番上にあった数種の食パンはすべて白カビにおおわれていた。失敗した。慌ててパンを隠す。他の買い物を得意そうに取り出すが、同僚たちは「これはあそこでいくらで買えたよ」と口々に言う。ぼくは高いものを買わされていたのだ。
女性姉妹の家で制作をしている。校正を二カ所姉妹から指摘される。同僚達が一斉にそれをメモする。ぼくはそのまま聞き逃してしまうが、これではまずいと、後から校正紙を広げ、指摘された箇所を探すが、見つからない。
そこから移動することになり、バスに乗る。停留所で降りるとき、沢山の撮影機材を全部下ろせたかどうか不安でしかたがない。おまけに降り口のステップにあった機材の袋をうっかり踏みつけてしまった。乗客の一人の男性が友人にぼくらのことを話している。「○○の収録に似ているけど、誰と誰が競走しているのか、どうしても分からないね」。そういうタレントが競走する番組がきっとあるのだろう。ぼくは二本の集音マイクを両手にかついでいる。
2008年12月26日
二日分の夢
昨日はコンサートへ行っていたので、夢がアップできず、二日分です。
(12月25日の夢)
詩人のM氏は実は会社では有能なコピーライターで、ばりばり働いており、座談会などにも出席している。驚いたことに、ぼくの敬愛する詩人のT氏も同じ職場で働いているのだ。彼らが忙しく働いている隣の会社にいるぼくは毎日ほとんど仕事がなく、蒲団を敷いて寝てばかりいる。
「今日は展覧会をやる日だ」と言って、六時半頃M氏は会社を出ていった。だが、誰もその展覧会に行ってやろうとはしない。それを見て、同僚の営業女性社員のIさんが「こうしてみると、やっぱりMさんの展覧会は面白くないから、みんな行ってあげないのよね」と笑いながら言う。確かに、彼に人望があれば、義理でも出席してあげるだろうと思う。
そんなIさんは「あたしは今度ジーンズメーカーに入ることにした。ここではいずれ1万円になるのよね」と得意げに話している。1万円というのは、時給のことだろうか。一人だけこの会社を出て、いいところへ就職してしまうのはずるいなと思う。しかし、彼女がいなくなったら、他社にいる腕利き営業ウーマンのOさんに入社してもらえばいいやとも思う。
(12月26日の夢)
妻と外国旅行のツアーに出かけた。ガイド役を務めるのは日本人の音楽家で、ある国の地下に眠る音楽遺跡を探訪する旅だ。
ツアーのゲストとしてソニー・ロリンズが登場する。若い白人である。あれ、ロリンズってこんな人だったっけ? そのロリンズに妻は日本語で「これは○○ですか」と質問する。ロリンズは日本語がわからず、何度も妻に聞き返す。見かねて、別の参加者の女性がロリンズに「○○ってことよ」と説明する。質問ではなく、ただの感想だから、聞き流せばいいという意味らしい。
そばに透明なパイプがあり、水が流れている。その水に乗って、おみやげが流れてきた。ボールだ。そのボールが割れると卵が現れ、卵が割れると中から猫が現れた。かわいい。ツアーのおみやげに、この猫を一匹ずつ連れて帰っていいらしい。
妻と空港の通路を急ぎ足で歩く。参加者の男性が押しているカートの中から、ぼくはこっそりおみやげの食品の一つを盗み取る。どうやら気づかれなかったようだ。
2008年12月24日
12月24日の夢(タクシー)
銀座から帰ろうとしている。電車に乗る。都電のようにクラシックな車両で、内部には労働者がいっぱい。年の瀬の労働争議のため、昔の電車を記念に走らせているのだという。タイミングよく記念すべき電車に乗れたな、と思う。
この電車に乗れたおかげで、新宿まで意外に早く戻れた。ここからあと10分ほどで家まで帰りたいが、ここからは電車はない。タクシーを拾おうと道路へ出る。ちょうど目の前でタクシーが一台、舗道に乗り上げて苦労してUターンしていく。それをやり過ごし、右の方から「空車」のサインを出して走ってきたタクシーに手を上げる。運転手は「わかったむという印しに手を上げるが、視線の方向がぼくとは違う。見ると、道路中央でやはり手を上げていた男がいて、その男にタクシーに乗られてしまう
。
ここまで来たのに、なかなかタクシーはつかまらない。
2008年12月22日
12月22日の夢(未知の敵の襲撃)
ゆうべは風がゴーゴーうなってすごかったですね。おかげでこんな夢を見ました。
(夢ここから)
新幹線の線路を見下ろすビルのレストランで食事をしている。すると、ゴーッという音と共に新幹線の架線を火花を散らして、巨大な火の玉のようなものが何度も往き来するのが見える。みんなで驚いて目を凝らして、線路を見つめる。すると、しばらく架線がバチバチと火花を散らし、数秒後にゴーッと火の玉が通り過ぎる規則性が分かった。
しかも、その火花を浴びた人はみんな魂が抜けたように、うつろな目をした知能のない人形のようになってしまう。ぼくは幸いにして、そうならなかった。ほんの僅かな男女が火花の影響を受けず、ぼくらはすぐにお互いの存在を確認して、団結して対処することにする。
とりあえず安全なところに避難しよう。だが、ぼくらの周囲は赤白のだんだらもようの毒蜘蛛の巣に囲まれてしまい、腰を思い切りかがめないと、蜘蛛の巣の下をくぐり抜けられない。気味悪がる女性たちを促して、ぼくらはようやく安全なところへ避難する。
そこではビールやウーロン茶など、コップ一杯ずつの飲み物が街頭で避難民たちに配られており、みんなてんでにコップを受け取ってのどを潤す。見ると、駅前広場の一段高い建物の屋上に駅員の制服を着た男達が集結している。不気味だ。駅員たちはこの攻撃をしかけてきた敵に魂を操られているのかもしれない。
敵の攻撃のために、人々の知能はすっかり先祖帰りしてしまい、文明は後退して、駅前広場には馬車が往き来している。それなのに、新幹線だけは以前通り走り続けているのが見える。
2008年12月20日
12月20日の夢(愛のメッセージ)
俎板に愛のメッセージを包丁で刻み込んでいる。下の方に「DREAM OF THE」とかっこいい英文字も刻み込んだが、でもこれは何の意味もないじゃないか。思わず文字をぐじゃぐじゃと消してしまう。消しているうちに、面倒くさくなって、結局全部の文字を消してしまう。大体、俎板をラブレターがわりに送るなんて、変じゃないか。これは我が家に一枚しかない俎板なのだ。それなら、これを版木のようにして、ここから文字を写し取った紙を送ればいいと思いつく。でも、もう消してしまって、目には見えない愛のメッセージは、ちゃんと紙に写せるんだろうか?
2008年12月19日
12月19日の夢(バイク)
ジュエリーのアクセサリーを卸しているお店の取材に行く。お客が商品を見ているので、目指すカタログをカメラで撮るのに苦労する。特に明るく日の光がライトのように射し込んでいるところに、うまくそれを置いて撮らないと、何にスポットを当てようとしているのかが分からなくなってしまう。
一つのお店を撮り終わり、スタッフの運転するバイクの後ろに乗る。後ろの座席は左右に二つあるが、一方は空席だ。カーブの度にぼくは振り落とされそうになるが、なんとかしがみついている。
これから北海道までバイクで走っていくのだという。えっ? もう午後なのに、間に合うのか?
2008年12月18日
12月18日の夢(顔が変になる)
ある女優のインタビューをそつなく終えて、戻ってきた。女優も丁寧な口調で、気持ちよく答えてくれ、気持ちのいい取材だった。しかし、どうも目が痛い。鏡に顔を映してみて、驚く。左右の目の大きさも形も違っていて、全くアンバランスになっている。しかも、右目は目玉が隅の方に寄り目になっている上、鼻寄りの部分に楕円形の茶色をした大きな腫瘍ができている。自分で見ても、とても気持ちの悪い、みっともない顔だ。あの女優はぼくがこんな顔になっていたにもかかわらず、不快な表情一つせずつきあってくれたのだ。
2008年12月17日
12月17日の夢(少女をかくまう)
原宿にある会社の中で、ぼくらは一人の小さな女の子をかくまっている。既にそのことを察知したマスコミもあるようで、外の道路に望遠カメラを据えて、一人の中年カメラマンがすきあれば女の子の姿をとらえようと、狙っている。だが、室内は暗いので、外からこちらはけっして見えないはずだ。
隣にある建物から象やキリンなどの動物に扮した人々が沢山出てきた。それにみんなが目を奪われている間に、ぼくは女の子を抱きかかえ、裏口からこっそり外に出て、郊外の別荘のような家に移る。
その家では、ぼくはデザイナーのFくんと一緒だ。Fくんはご飯を腹一杯食べて、寝ている。ぼくも空腹なので、ご飯を食べたいと思うが、探しても箸が見つからない。こんなにご馳走があるのに、箸がなくては食べられないじゃないか。時計を見ると、もう夜の10時だ。「家に帰りたい」と、ぼくはFくんに言い、玄関で靴をはく。空腹のままだがしかたがない。
ぼくは何かの液体を思いきり、自分にぶちまけてしまった。何色だったか忘れたが、その液体の色で衣服がすっかり染まってしまった。それを懸命に拭き取ろうとする。
2008年12月14日
12月14日の夢(部室のトイレ穴)
サークルの部室にはいる。板張りのわりと広い室内。二人ほど男性メンバーが座って、静かに読書などしている様子。ここには窓際の床に穴があいていて、そこはトイレとして使用していいことになっている。その穴の横には若い後輩の部員が座っている。
そういえば、この穴を自分の荷物置き場として利用している先輩がいたっけ。穴の中を覗き込んでみると、スリッパなどが見える。きっと、その先輩の私物だろう。しかし、伝統的にこの穴はトイレなのだ。構うものかと思い、穴に向けてぼくは用を足し始める。
この穴から、小さな穴が外に通じているらしく、ちょうど後輩部員の目の前の窓の外に、水のアーチがかかる。部員はそれを見つめているが、それがぼくのおしっこだとは全く気づいていない。彼がこっちを振り向かないかと気になるが、幸い最後まで気づかれることなく、用を足し終えることができた。
2008年12月10日
名まえのない土地
洪水が引いた後、海のそばの会社で後片付けをしている。もう夜遅い。このまま今日は帰れないだろう。いや、明日も明後日も帰れないだろう。女性詩人Iから手紙が届いた。手紙には恨みの思いが書き綴られている。だが怨んでいるのは、Iだけではない。ここは昔、ちゃんとした名前を持つ土地だったのだが、今会社のある建物を造るために、その土地もろとも名前も奪われたのだ。洪水の後、あちこちにサインのような落書きのあとが露出している。これは、名前を奪われた人たちが、その名を記念するために書き残していったのだ。だが、その大事な土地もこの洪水で永遠に消え失せてしまったのだ。Iの悲しみ、人々の悲しみがぼくには分かる。(そのまま夢の中で大泣きしました)
2008年12月07日
12月7日の夢(受賞パーティー)
大阪に住む詩人のT氏がH氏賞を受賞したという(実際は十数年前に受賞している)。今日はその祝賀会があり、ぼくも新幹線に乗って駆けつけた。会場は畳敷きの座敷だ。そこで宴会をする。ぼくの前には女性詩人のIさんやNさんがいる。みんな東京からやってきたのだ。
授賞式がやっと終わったらしく、主賓のT氏がやってきたのは、10時半を回ったあたりだ。彼が席にさいたところを見計らい、ぼくは東京に帰らなければと席を立つ。IさんやNさんも帰るのだと思っていたが、二人は大阪に泊まるという。帰るのはなんと、ぼく一人なのだ。びっくり。
一人で会場のホテルを出る。表は夜の大通りで、車がひっきりなしに走っている。駅に行くには、どこでタクシーを拾えばいいだろうと考える。
そこへ携帯が鳴った。出ると、電話をかけてきたのは、ホテルの係の女性で、「携帯のメールアドレスを教えてください。そうしたら、駅への道順を記した地図を送ります」と言う。しかし、ぼくは「道は分かりますから、いいです。大阪は何度も来ていますから」と、強がりを言って、電話を切ってしまう。
案の定、駅のある方向も道も全く分からない。タクシーがたまり場にしている広場があった。ぼくはたむろしている運転手たちに向かい、「新大阪の駅まで行ってください」と大声で言う。運転手たちは意外にも殆ど反応せず、のろのろと車に戻ろうとするふりをするばかりだ。そんな中で、後ろの方に駐車していた一台の運転手が猛然と仲間の車を押し分けて、さっとぼくのところへ近寄ってきた。もちろん、ぼくはそのタクシーに乗り込んだ。
走りながら、ぼくは運転手に「東京行きの新幹線の最終は何時?」と尋ねる。「多分11時過ぎでしょう」と運転手は答える。「間に合うかな?」というぼくの問いに、運転手は「いや、ぎりぎりでしょう」と言う。ええー、ここはそんなに駅から遠いのか。たとえ終電に間に合ったとしても、家に着くのは1時過ぎだなあと、がっかりする。
2008年12月05日
12月5日の夢(フラミンゴと女性)
JR総武線の快速電車に乗った。「快速」といっても、錦糸町あたりで停車するだろうと思っていたのだが、千葉の方まで行ってしまう。降りて、しゃれたホテルのロビーのようなところに入る。ぼくのいる部屋の隣室(といっても特に仕切はない)に、ピンクかバラ色のドレスを着た美しい女性がいて、その脇に同じ色をしたフラミンゴが3羽いる。絵のように美しい光景なので、携帯のカメラで撮影しようとする。今まで携帯のカメラではどうしてもピントが合わなかったのに、携帯をカメラのファインダーのように目に当てると、きちんとピントが合った。しかし、女性かフラミンゴかどちらかが画面からはみ出てしまい、なかなかシャッターを押すことができない。
そこを出て、駅に戻る。駅といっても、真っ暗闇の中に明かりもなく建っている木造の掘っ建て小屋に過ぎない。地面は舗装されておらず、ドロドロにぬかるんでいる。駅舎と建物の間から、地平線のあたりはまだ夕陽があって、青空の中に富士山が遠望される。随分遠く、辺鄙なところに来てしまったものだと思う。
2008年12月04日
12月4日の夢(夢で大笑い)
ぼくと息子と、その知人らしい若い女性と三人で部屋にいて、クリスマスの準備をしている。女性が手作りしたクラッカーのヒモを引いてみるが、一向に破裂しない。そこで、息子が試しに別のを手にとって、ヒモを引いてみると、今度は「パンッ!」と言って、息子の顔に中身が当たり、「いてーっ!」と言う。ぼくはおかしくて笑いが止まらない。
(笑い過ぎて目が覚めてしまい、真夜中に一人寝床で笑い続けていました)
2008年12月02日
12月2日の夢(110番)
自宅の窓の外の路上で、何事か中継をしていたテレビクルーの女性キャスターが、突然、窓を乗り越えて部屋の中に入ってきた。ぼくは怒り狂い、彼女の両足を抱え込んで、「住居侵入罪だ。110番して!」と奥に向かって叫ぶ。しかし、なかなか警官が到着しない。ちゃんと誰か110番してくれたのだろうか? ぼくは業を煮やして、女を押さえつけたまま、片手で携帯を受け取り、自分で改めて110番をする。
いつのまにか、ぼくの押さえていた女はナイフを持った凶暴な男になつていた。ぼくはナイフを奪おうとし、小競り合いになって二人とも血を流す。
2008年11月30日
見知らぬ駅
夜、仕事仲間のOさんと何かのイベントに行ったのだか、食事に行ったのだったか。とにかく、何か不都合があったらしく、そのまま帰ることになってしまった。Oさんは「かえってごめんなさいね」とぼくに謝罪し、先に立って、どんどん駅へ歩いていく。当然二人でいっしょに帰ると思ったのだが、改札口で姿が見えなくなってしまった。
見回すと、全く知らない路線の駅だ。車道の左と右に上りと下りのホームが分かれている。路面電車の停留所という感じだ。一体、ここは何という駅だろう? おまけに路線図も掲出されていない。そのかわりに、ファイルがあって、一人の男の乗客がそれをぱらぱらめくっている。それを「見せてくれ」というわけにもいかないので、改札の駅員に「小田急の成城学園に行くには、どこで乗り換えるのがいいですか」と尋ねる。駅員は「うーん、個別の話か。難しいなあ」と言ってから、「○○と××で乗り換えかなあ」といかにも自信がなさそう。ぼくはあきらめて「では、タクシーでどこかの山手線の駅に行って、そこから新宿へ出た方がいいでしょうか」と、質問を変えてみる。すると、駅員は急に自信のある声で「いや、それはないでしょう、絵を見てください」と答える。絵? そんなもの、どこにも掲示してないじゃないか。ぼくは「じゃあ、いいです」と言って、腕時計を見る。まだ9時前だから、どんなに時間がかかっても10時半までには家に十分帰れるだろう。
駅を出て、庭園のようなところを歩いていく。ここは見覚えがある。確か以前、先輩のK編集長とここを通ったことがあったと思い出す。
2008年11月29日
11月28日の夢(フレンチレストラン)
(またまた一日遅れのアップです)
フランスに旅行し、U社長と美味しいと評判のレストランへ行く。入ろうとすると、「順番だから、ここで待て」と言われる。なるほど、順番待ちの長い列ができている。だが、その殆どは団体客で、一度にどっと中に入っていき、ぼくたちもすぐに名前を呼ばれた。名前を呼んだ受付の女性は日本人ではなく、ぼくたちに向かって「早く出たいなら・・・」と言いかける。「早く入りたいなら」の言い違いかもしれないと思いつつ、「『出たい』とはどういうことだ?」と言うと、女性は「出たくないなら、いい」と答える。周りにいる客たちも「それなら、オレ達が先に入るぞ」と殺気立った様子なので、慌てて二人で玄関を入る。
と、向こうは日本の伝統的な築地塀が両側に続く、細く長い道だ。その道を必死で歩いていくと、ようやく古い日本建築のようなレストランの本館が見えてくる。
店に入ると、ロビーはおそろしく天井が低い。頭を下げて、お辞儀をしないと通れないよう、天井を低くしてあるのだという。歩いていくにつれて、天井はどんどん低くなり、ついには寝転がっても頭がつかえてしまうほどになる。進退窮まっていると、初老の男がバスケットボールくらいの玉を持って、にこやかに現れた。「これをごろごろ転がしていくと、天井がボールの高さの分、上がるんですよ」。本当だ。これなら楽に入れる。途中で道草を食おうとするU社長を急かして、ぼくらはやっとレジのところまでたどり着く。二人分7000円のメニューを選ぶ。なんと、前金で払えと言われる。
2008年11月27日
11月27日の夢(心理学の催し)
心理学の催しがあり、出番を待っている。いよいよぼくの順番になり、前に出て、女性心理学者の質問を受ける。ぼくは彼女に、いかに自分の父親がいやなやつだったかを、切々と語る。興奮のあまり、舌がもつれてくる。観客席の後ろの方ではその父も見ているはずなのだ。そこへ、傍らの楽屋の方から、父の従兄の画家Sが現れた。ぼくは彼に「ごぶさたしています」と挨拶をする。
2008年11月26日
11月25日の夢(社員旅行)
(忙しくしていたので、一日遅れになってしまいました)
中国への社員旅行に出かけた。会社の全部の荷物を持っての社員旅行である。次の目的地に出発する間際になって、ふと見ると、地下室の本棚に書籍がぎっしり詰まっているのに気づく。すべて日本から運んできて、昨日ここに収めた資料だ。おまけに部屋には食べ散らかした食器類がそのまま放りだしてある。幹部は全員どこかへ行ってしまって、見当たらないが、この膨大な書物を運ばなければ、次の目的地に移動できないことは明らかだ。しかし、梱包用の段ボールもない。とりあえず周囲にいた仲間と手で運び出し始めるが、らちがあかない。そこへ、新社長のUくんがおんぼろの軽トラックを運転して、無言のまま現れた。さすがは新社長だ。これで一度では無理でも何度かピストン輸送すれば、何時間かかけて運び出せるだろう。しかし、軽トラは煙突が立っている木炭トラックで、荷台の半分以上には別の荷物が積んである。しかも、親会社の連中はちょっと運んだかと思うと、すぐ雑談を始めてしまい、全く役に立たない。あーあ、これから毎日こんなことをしなければならないのだろうか。全く気が遠くなる。気づくと、若い男性と二人だけで、ぼくは孤独な運び出し作業をやっている。
2008年11月23日
11月23日の夜と昼の夢
(夜見た夢)
トイレを探して、よその会社の中へ入っていく。迷路のようなオフィスの奥に、人けのない部課長らしい人のデスクが左右に二つ並んでいる。ここはいつも無人だったから、この左側のデスクをぼくはいつもトイレがわりにしていたのだった。今日もそうしようと思ったとたん、何かオレンジ色のものがさっと右側のデスクのかげに隠れた気がした。誰かがいるのかもしれない。ぼくは逡巡した後、そこを立ち去り、ビルの外周に沿って、トイレがないか探し始める。
(昼寝で見た夢)
自分の顔のを四角くナイフで仮面のように切り取ることを、ある人に約束した。まず、とりあえず四角い輪郭線を顔に引こうとして、ナイフで顔を撫でる。だが、さすがにナイフだ。皮が深く裂け、あちこちから出血し、見事に四角い傷がついてしまった。しまった! と思う。
2008年11月18日
11月18日の夢(戦争と洪水)
今は戦争中だ。展覧会の会場で、駅名掲示板の作品展を見ている。駅の名前を絵のように書いた看板をコレクションしている女性の所蔵物を展示しているらしい。なぜか作者名を見ると在日の人が多い。不気味に空襲警報が鳴り響く。戦争ももう終わりに近い。会場の隣に崩れかけた鉄筋コンクリートのアパートがあり、そこに敵国に内通した工作員の男が陣取り、僕たちに降伏を迫ってくる。コンクリートの塊をどんどんぶつけ、危機一髪でぼくはそれを逃れるが、仲間の一人が地上に落とされた。落下そのものはたいした衝撃ではなく、彼は立っていたが、そこに塊がぶつけられる。最初は軽い衝撃しか感じられないようだったが、やがて重い塊がぶつかり、頭から鮮血が飛び散る。「あいた!」と叫んで倒れたところへ、誰かが重量のある塊を載せる。たちまち風船の空気が抜けるように、彼の体はしぼみ、その分周囲に地だまりが広がっていく。
洪水がやってきた。会社の同僚達が水中に沈んだテーブルの周りに座って、仕事をしている。ぼく一人テーブルの上に仁王立ちしており、同僚達にびっくりされる。ぼくも水中に降りてみると、ちょうど首までの水深だ。地上の一段高いところに登ると、そこにはもう水がない。洪水のために破壊された堤防の杭には、「あなたの声が聞こえたよ。声を限りに叫んでいたね」と書いてある。洪水になって堤防が破壊されたら、被災した人たちに励ましの声が届けられるよう、堤防が壊れるまでは見えない場所に、この文字は書かれていたのだ。
2008年11月13日
11月13日の夢(高級会議室トイレ)
映画のロケのため、ホテルのレストランで時間待ちをしている。女優が一人と、スタッフが数人。
撮影開始までまだ何時間もあるので、女優とスタッフのエライ人たちはどこかに休憩に行ってしまい、アシスタントスタッフの男の子とぼくの二人だけが残った。アシの男の子は映画「はちみつとクローバー」で、最後にはぐみの愛をかちえる男子学生の役を演じた男の子だ。彼はもともとは制作アシスタントに過ぎなかったのだが、あの映画でたまたま適役だからと出演することになり、人気も出たのだが、自分はもともと裏方が似合っているからと俳優業には進まず、またアシに戻っているのだ。今ど
き珍しい若者だなと思う。
彼と話していると、突然床に水が流れてきた。ホテルの従業員の男たちが流したのだ。気づくと、床に置いたぼくのテレコがその水につかって濡れているので、文句を言う。すると、二人の従業員がやってきて、一人は聴診器のようなものをテレコに当て、「あっ、これはもう少し乾かせば大丈夫です」と言う。
そのホテルのトイレに入る。ここは高級ホテルだから、トイレも高級会議室仕様だ。ドアに鍵をかけたが、難解な鍵で、このままここから出られないかもしれないと不安が過ぎる。トイレは真ん中に会議用の四角いテーブルがあり、周りに茶色の革張りの椅子が並んでいる。そのどれに座って用を足してもいいはずだが、椅子のクッションを取り外しても下に穴がない。穴がなければ、トイレにはならないはずだ。あれっ、ここはトイレではないのかな? と思う。
2008年11月12日
11月12日の夢(喧嘩とパーティー)
とてもモダンな新居ができた。多角形をしていて、部屋と部屋の間に間仕切りがないにもかかわらず、ぼくの立っているところが一番高くて、そこから段階的に床が低くなっていき、一番下で、これまた仕切なしに隣家とつながっている。
仕切がないため、隣家の関係の男達が勝手にぼくの家に何人も上がり込んできた。ぼくはものすごく立腹して、男達に激しく暴力をふるい、一人ずつ家の外に追い出す。
それに怒った男達が今度は何人か束になって、ぼくに襲いかかってきた。今度こそこてんぱんにやっつけられると覚悟したところへ、エスカレーターで旧知の詩人N・A氏が上がってきた。ぼくは「助けて!」と叫び、彼の助力で窮地を脱した。
会社の同僚の結婚パーティーをやることになる。一回始めたがやり直しになる。(この時点で上の夢に逸脱したが、また元に戻って・・・) やり直しのパーティー。ぼくはケチだから、新郎新婦のために何も贈らなかったが、他の社員たちはお金を出し合ってサプライズの贈り物をしたらしい。みんなでサプライズの大きな仕掛けをステージへ押していく。中にK元会長の姿もある。「Kさんは押してるふりしてるだけで、ちっともやってないね」という陰口が聞こえる。一度失敗して仕掛けが倒れかかるが、なんとか持ち直して、ステージの上にセットできた。青色ダイオードを使った電飾が夢のように輝き、しかも次々とキノコのような電飾がにょきにょき床から生えてきて、素晴らしい美しさだ。みんな光のページェントに歓声を上げて喜ぶ。
それが終わり、みんなは立食パーティーに移っているが、ぼくだけ何も食べていないことに気づく。おいしいものが沢山あるので、まず箸を探そう。だが、割り箸の袋だと思って籔ってみると、中に入っていたのは麩菓子のようなものだった。これじゃ、なかなかご馳走にありつけないよ。
2008年11月11日
二日分の夢
(11月10日の夢)
どこかからの帰りに、車に乗せてもらい、降ろされたのは交差点だった。交差点名を示す看板には「P」というアルファベットが書かれている。ここはどこだろう? 全然知らないところだ。地下に降りると、地下道があって、車やバスがぎっしり渋滞している。その横の隙間をトンネルの壁に沿って歩いていく。
(11月11日の夢)
道路をはさんで向かい合わせにクリニックと薬局がある。薬屋には2匹の犬がいて、ぼくはその犬をかわいがっている。
薬局で薬を頼んだあと、道路を渡ってクリニックの待合室に入り、順番を待つ。看護婦が「一色さんは後で二階から降りてきます」と言っている。何を言っているのだ。ぼくはここでちゃんと待っているのに。向かいの薬局から白い制服を着た薬剤師の女性がやってきて、診察室にぼくの薬の袋を届けに行った。あの袋を見れば、医者も看護婦の間違いに気づいて、ぼくを診察室に呼び入れてくれるだろう。
2008年11月05日
11月5日の夢(屋根の上で寝る)
ぼくはむさくるしい中年の男といっしょにビルの屋上で寝ている。真夏で、寝苦しい。ぼくは男に「クーラーはついているの?」と声をかける。男は「ついているよ」と答える。体を布団から起こしてみると、ぼくのすぐ傍らに大きなクーラーがあって、試しに手を当ててみると、僅かながら涼しい風が吹き出している。男は上半身を起こした、かなり無理な姿勢で眠っている。
妻と富士山へ行く。ゲートがあって、女性係員が受付をしている。ぼくは彼女になぜか定期券を差し出す。それを見て、女性は「一色さんですね?」と言い、「申込書をいただけますか?」と声をかけてきた。ぼくは慌てて鞄の中をがさごそ探し、切れ端をつなぎ合わせた不格好な一枚の紙を彼女に手渡す。そして、後から来た妻にも「申込書だって」と、提出を促す。
2008年11月02日
11月2日の夢(飲みに行って道に迷う)
出張帰りの駅で詩人のM(男性)とW(女性)にばったり会い、飲みに行かないかと誘われる。「ちょっとだけなら」と言って、二人について飲み屋に入る。
二人はすぐさま、それぞれのお酒を注文し、発泡酒のようなものがすぐ運ばれてきた。ぼくは飲めないので、「ウーロン茶でいい」と言うが、急にほかの客が立て込んできたため、お店の人には聞こえなかったようだ。三人の間でしばらく気まずい沈黙が続くが、ぼくが「まあいいや、やっちゃおう」と言い、手元にあった番茶の湯飲みをとり、乾杯の音頭をとる。三人のグラスが合わさった瞬間、Mはさっと自分のグラスを傾けて、自分の酒をぼくの湯飲みに流し込む。ぼくはそのままお茶で薄まったお酒を飲み、少しだけ酔いを感じる。
二人と別れ、駅に帰ろうと歩き出すが、道に迷ってしまう。なんだかタイムスリップしたような街並みに入ってしまい、車など走っていない細いこの路地は本当に過去の時代なのかもしれないと思う。でも地元の人に「タクシーを拾えますか」と尋ねると、「裏に大きなお寺があるから、そっちへ行ってみたら?」と言われる。どうやら過去に戻ったわけではないらしい。
確かに一本裏へ抜けると、そこには車がどんどん通る広い道があり、その向こうに寺院がある。MとWも加わり、タクシーを探すが、都会から離れた場所なので、流しのタクシーなど一台もいない。ひっきりなしに通る車に混じり、バスも何台か通り過ぎるが、みんな昔懐かしいボンネットバスで、満員のため、乗ることができない。どんどん時間が過ぎていく。
2008年10月31日
10月31日の夢(分裂バス)
車に乗せてくれるという。車といっても、これはバスだな。しかし、バスの車体は前と後ろと真っ二つに分裂している。前の車体の部分は、床がなくて、座席は直接地面に置かれている。椅子には沢山の乗客が座っている。でも、これで走れるのか? 一方、後ろの方は地面からかなり高いところに床があって、沢山椅子が置かれているが、乗っているのはカップルの男女一組だけだ。なんだか堂々とした態度で乗っている。ぼくは「よっこらしょ」という感じで、後ろの車体によじのぼり、床に座って足を外にぶらぶら垂らす。
運転手が「本当に走れることをこれから示します」とアナウンスして、発車する。すると二つに分かれていた前の車体と後ろの車体が接近して合体した。ぼくは間にぶらぶらさせていた足をはさまれそうになり、慌てて「ちょっと待って!」と叫ぶ。無事、足を引っ込め、車体も一つになって、バスは走り出す。ぼくは自分の鞄とハンカチと財布を、合体した前の車体の椅子の上に放り投げる。
2008年10月30日
10月30日の夢(二人は主役?)
ぼくと女性と二人であるテストを受けに行く途中で、女性長老詩人のSがぼくら二人を映画の主役に抜擢してくれた。テストは終わったが、前方の部屋で映画の撮影準備が進行中で、忙しくスタッフが機器を持って出入りしており、とてもそちらからは出られない。仕方なく回れ右して、テストを受けている人たちの机の脇を通り抜けて、後ろから外に出た。
いつの間にか12時を過ぎていて、お腹が減った。
女性と展覧会を見に行くことになる。ある小さな国の本の展覧会だ。最初のうちこそ、確かに本が展示されているが、途中から単なるパンフレットや写真ばかりが展示されている。中に一冊、火山の写真集があった。小さな国なので、火山も玩具のように小さい。
女性は何冊かの本を買い、レジの行列に並ぶ。ぼくもすぐ隣の行列に並び、手にお札をいっぱい持っているが、何も買う本がない。彼女が「お金が足りないので、貸してほしい」と言うので、ぼくのお札をレジに出す。お釣りが返ってきたので、それも彼女に渡さなくてはと思う。
本を買ったつもりだったが、それはバスの切符だったらしい。「あれ、バスは?」とぼくは彼女に尋ねる。彼女は黙って、今来た道の方を指さす。あそこからバスに乗るのだ。ぼくらはバス停に向かって歩いていく。
2008年10月28日
10月28日(オートバイの飛行)
巨漢詩人のO氏たちといっしょに、どこかの店の座敷のようなところで会合をしている。O氏がバイクに乗って、空中に飛び上がる。飛行するバイクなのだ。だが、暴走気味で、墜落するように着陸して、ぼくの隣の男性に間一髪で倒れかかる。もう一度飛び上がるが、今度は着陸したとき、前輪が寝ているぼくの喉元にかかり、ぼくは素手で前輪を受け止め、難を逃れる。彼は「ごめんごめん」と言う。
会が終わり 、机や椅子を片付けていると、係の女性が「あっ、○○が発生している!」と大声を上げる。「皆さん、ヨーグルトか何か食べませんでしたか? それに溶けかかった砂糖のようなものが入っていたら、それは○○という虫ですから、食べちゃダメです!」 皆、そんなものは食べなかったと否定するが、たちまち大混乱になる。会場の床にも壁にも気づくと、さまざまな不気味な虫が発生していて、うわーっ気持ち悪い!
2008年10月27日
10月27日の夢(交差点を渡る)
女性のアーティストと二人、撮影のため、交差点の横断歩道を渡る。彼女はさっさと渡ったが、ぼくは体調が悪くて、体が動かない。一呼吸遅れて、しかも足が動かないまま、平行移動するように向こう側へやっと渡った。彼女はぼくを振り返り、「渡りっぷりが良くない。もう一回やり直してちょうだい!」と叫ぶ。ぼくはびっくりして、「体調が良くないんだ」と彼女に抗議する。
2008年10月24日
10月24日の夢(寝顔におしっこ)
コンポーザーピアニストの女性とそのマネージャーらしい男と三人で、地方の施設に滞在している。二人は普通の服装だが、ぼくだけが新品のパジャマを着ている。三人でドライブに行こうということになり、女性がコース地図を見せる。普通はまっすぐに行けば短距離なのに、彼女はわざわざ地図の上方にふくらんだコースをとろうと言う。
「それなら、これはあまりにパジャマっぽいパジャマだから服を替えてきます」とぼくは言って部屋を出る。ついでにトイレに行くことにする。トイレのドアを開けると、大きな部屋で真ん中に丸い穴があいている。ぼくはその穴に向けておしっこを始める。トイレの奥に二人の男がぐっすり寝入っている。「トイレで寝ているやつがいたよ」と後で話そうと思う。よく見ると、穴のある真ん中の四角い窪みの中にも二人の男が寝ていて、その顔にぼくのおしっこがかかるため、一人が目覚めそうになっている。これはまずい。慌ててそこを離れ、バスルームに入り込む。ここなら元々濡れているから、おしっこをしてもばれないだろうと、おしっこを続ける。
2008年10月23日
10月23日の夢(レストランとH氏賞)
なじみの和食レストランでおいしく食事をしているが、食べ物を沢山こぼして、服をすっかり汚してしまった。そばで男達が「おかみが替わって、すごく店がよくなった」と言っている。そういえば、この店の前のオーナーはぼくの古い友人だった。今度のおかみはまだ若い女性だが、店を出ようとするぼくに慇懃無礼な態度をとる、いやな女だ。ぼくにはどうしても前のオーナーの方がよかったと思えてならない。
H氏賞の選考委員として、選考委員会に出席する。受賞者として決まったのはA・S氏だ。本人も同席していて、とても嬉しそう。しかし、選考が終わってから、不審に思う。「あれっ、彼は以前にもH氏賞を貰ったんじゃないの?」と妻に尋ねるが、彼女も他のメンバーも意味の分からないことを言って、ぼくに取り合わない。しかし、彼が以前にも受賞したのは間違いのない事実だ。大変だ。早くみんなを呼び戻して、決め直さなければと焦る。
2008年10月22日
10月22日の夢(バターつきパン)
旅行をして、宿に泊まっている。社長もいっしょだ。社長は今後の予定を説明するからと言って、「2枚の地図や資料を持っているか」とぼくに尋ねる。ぼくはそんなものは2枚とも渡された記憶がない。
そうこうしているうちに、宿のおばさんが食事を運んできた。大きな丸いテーブルにぼくらはついていて、隣に頭のおかしいらしい男が座っている。男はいじきたなくパンにバターを塗って食べ始めるが、パンは以前から置いてあった古いパンだし、バターは前回の食事でぼくが使い残したものだ。おばさんはぼくの前に、新しいパンを一個とバターを置いていった。ぼくはそれを一人で食べてしまおうかと思うが、他の人のところには何も運ばれてきていないので、食べ始めるのをためらう。
2008年10月21日
10月21日の夢(日本語をしゃべる犬)
昼休みになった。ランチをいつもの店で食べようと原宿の街に出た。キディランドの並びにレストラン街がある。どの店も、店の前にワゴンを出して、ランチの見本を並べ、店員が呼び込みをしている。いくつかの店のワゴンを覗き込んで歩くうち、行きつけの店がつぶれたらしく、シャッターを下ろしているのに気づき、ショックを受ける。結局、どの店にも入りづらく、うろうろするうちもう午後2時になった。腹ぺこだ。
あるレストランに入る。廊下で男女二人組が手にしたパンフレットを見せながら、ぼくにしきりに何かをセールスしてくる。その口上を聞いているうち、会社の同僚たちが何人も入店してきて、別室に行くのが見える。セールスの男は壁に貼られた沢山の布を、カーテンのように上げ下げして見せながら、「原宿のこの店はおしゃれで素晴らしい」と言う。そこへ、ヨークシャーテリアふうの犬が一匹やってくる。ぼくは犬の口のところに、四角な紙のメガホンを当ててやる。すると、犬の声が日本語になって聞こえる。メガホンを外してみる。と、その犬はメガホンなしでも日本語をしゃべれるのだ! そばにいる小さな女の子の飼い犬らしい。
2008年10月20日
10月20日の夢(2つの短夢)
田舎の小さな小学校にぼくは通っている。担任の女の先生はどうやら癌らしい。生徒たちが校舎に手作りの通路を造った。ジャングルジムのような階段をみんなするすると猿のように昇ったり降りたりしている。
路上でデモ隊と機動隊の衝突の模様が再現されている。警察車両が沢山、路上を津波に押し流されるようにしてやってくる。車両だけでなく、ガードレールもばらばらになって、いっしょに流れてくる。
2008年10月19日
10月19日の夢(新社屋)
会社が新社屋に引っ越した。海の中に半島のように張り出した場所にある二階建ての建物で、元は大きな和風レストランだったらしい。どの部屋も畳敷きだが、その上にカーペットを敷いてみると、床が大きく波打っているのが見える。だが、窓からは海と東京タワーが見えて、素晴らしいロケーションだ。
荷物が少ないので、あっという間に引っ越しも済んでしまった。とっくに別の場所に引っ越したはずだった元グループ企業のE社も、同じ建物の壁の向こうにいるらしいし、二階には元親会社も入ったようだ。
その二階に上がってみると、下からぼく宛の荷物が届いたとの声がする。下へ降りようとして、女子社員たちが沸かしたばかりのコーヒーの鍋の中に足を突っ込む。この鍋の底からそのまま下へ降りられる気がしたのだ。しかし、女子社員たちがそんなことは無理だと言うので、足を抜き、隣の階段を使って、階下へ降りる。せっかく沸かしたばかりのコーヒーを汚して、悪かったなあと思う。
今日は仕事もないし、早く帰りたい。と思っているうちに翌日になった。今日も会社で蒲団に入ったまま、本ばかり読んでいる。
2008年10月18日
10月18日の夢(タバコ男)
行きつけのレストランに皆で入っていく。全員知った仲間たちだ。レストランはテーブルが各五卓ぐらいが左右二列に並び、それぞれのテーブルの両側にある椅子は、病院の待合室にあるような長いソファーだ。ぼくはいつも左の列の入り口から二番目のテーブルを定席にしているのだが、今日はタバコをすぱすぱ吸って、もうもうと煙を上げている男が「ぼくはここへ座る」と言って、陣取ってしまった。しかたなく、ぼくはタバコ男から遠そうで、しかも既に席が埋まっていない、右の列の一番出入り口に近いテーブルに向かう。そこはウェイターがテーブルを片づけている最中だったが、ぼくは「そこ空いています?」と聞いて、手にしていたくしゃくしゃの布ナプキンをテーブルに置き、自分の席を確保した。ぼくの前任編集長だったK女史が急いで窓を開けて換気している。みんなあのタバコ男が大嫌いなのだ。
2008年10月16日
10月16日の夢(死ぬのなんて怖くない!)
部屋の真ん中に、病院をかたどった生クリームのケーキが置いてある。そのケーキに画面がズームアップすると、そこは病院の中の広間。その真ん中にも病院をかたどったケーキが置いてあり、それを囲み、患者たちが「死ぬのなんて怖くない!」と歌い踊っている。
ジェリー藤尾(かつてのロカビリー歌手)が黄色い軍服を着て現れる。「こんなの着ているってことが問題だけど」と苦笑しながら・・・。そして、仲間たちとこの雨の中、このホテルを出て、どこへ行くべきか議論している。「ここからどこかへ行って、最後はこのホテルへまた戻るべきだ」と主張する者がいる。ある女性は「本当は海を渡って、故郷へ帰りたいけどね」と自嘲気味に語る。外はすっかり洪水になっている。ジェリーは車の運転をする男性に「岬もみんな水没しているのに、運転して行けるのか」と尋ねる。運転手は「行ける」と答える。
夜道を歩いている。戦後のような真っ暗な夜道。そこで、一人の男がマイクを持って、光の中で歌っている。振り返って見ると、それは美輪明宏だ。彼は「こんばんは! 光(ひかり)明宏です。光、光・・」とコマーシャルソングのようなものを歌っている。新興宗教の宣伝らしい。
2008年10月14日
10月14日の夢(鳥と家と総入れ歯)
昔懐かしい物干し場のような場所に、どこからか鳥たちが沢山集まってきて、すごくうるさい。極彩色ではないものの、色とりどりの鳥たちの中には親子らしいものもいて、きょとんとしたかわいい目をしている。みんなぼくに何かを口々に訴えているようだが、それが何なのか分からないうちに、彼らは左の方へ飛び去ってしまった。
ぼくの家の右側の土地がすごいスピードで移動しており、家は動かないのに、右側が全く違う景色になってしまった。一方、動かない左側は水路になっている。
ぼくは総入れ歯になっていて、その入れ歯を息子に貸し出していたらしい。それを改めて装着しようとするが、半透明な紙が入れ歯の上にかぶせてあり、そこには食べ物の滓などが汚水と共にたまっていて、とても不潔な感じだ。ばりばりと紙を引き剥がすが、とてもこんなもの装着する気になれない。どこかに新しい紙はあるのだろうか?
2008年10月12日
10月12日の夢(強制終了)
パソコンの画面をちょっと変えてみた。終了しようとすると、「終了の」アイコンの周りに小さな楕円形の図形がごちゃごちゃと集まってきたため、アイコンにカーソル(ポインター)を合わせようとしても、それらに邪魔されて終了することができない。しかたなく、強制終了をしたとたん、オフィスの壁にかかっていた二枚の絵のパネルが合体して、一枚のつまらない絵のパネルになってしまった。同僚にそうした事情を説明し、絵を指さして「取り外しますか?」と聞くが、同僚は「いや、そのままでいい」と言う。
2008年10月10日
10月10日の夢(枕を真っ二つ)
医者へ行き、診察室のベッドの上で、振り返るように体をねじった体勢で、自分の使っている白い枕を真ん中からノコギリで真っ二つに切り裂く。裂け目からちょっとだけ中身がはみだす。ベッドには玩具のようにミニチュアサイズの枕も沢山散らばっている。ぼくはそれらを拾い集め、「これは要らないね」と医者(あるいは看護婦)に言って、持ち帰る。
2008年10月09日
10月9日の夢(小野十三郎さん)
詩人の小野十三郎さん(故人)がバルコニーで講演をしている。だが、遠慮っぽいのか、かなり奥の方でしゃべっている。と、奥の窓から、二人の男がバルコニーに出てきた。そして、バルコニーの左前方に出てくると、小野さんを無視して、傍若無人に二人で記念撮影を始める。その頃には、小野さんもようやくバルコニーの前面に出てきたが、今度はその小野さんの顔の下に、自分の顔をくっつけて、バルコニーの下にいる公式カメラマンに自分と小野さんとのツーショットを撮ってもらおうとする。あまりの無礼さに、ぼくは心の中で「ぶっ殺してやる! あいつを抹殺せよ!」と叫ぶ。
2008年10月08日
10月8日の夢(拳銃とのこぎり楽器)
何かのお店の中に入ると、中に乗用車が一台いて、車内で拳銃を持った男どうしが険悪な表情でにらみあっている。先に入っていった妻がちょうど車のそばにさしかかったとき、その車が後方に急発進してバックする。危うく難を逃れた妻は、店内の事務室に通じるドアを咄嗟に開けて、中に飛び込む。中には女主人らしい女性がいて、急に飛び込んできた妻に驚くが、「あら、逃げるのね」と言って、妻を中に入れてくれる。一方、店内にはどこからか、手に手に拳銃を構えた男達が多数現れ、車の男を追いつめる。男は急いで車を捨てて、店外に逃げ出す。大勢の野次馬が店の周りを囲んで、「つかまった?」と興味津々だ。
駅のホームで電車を待っている。発車まであと三分だ。すると、若い男性のミュージシャンが「三分間あるのなら、弾いてみる?」と言って、ホームにのこぎり楽器を取りだして、ひょおうひょおう・・・と弾き出す。鋸の上に分銅のような金属の塊を置き、それをあちこちに移動させて調律する。そして、弾き出したのは「宇宙戦艦ヤマト」のテーマソングだ。ぼくは後ろにいる妻に、「もっと前に出て、見たら?」と言おうと振り返るが、妻は興味津々で、既にぼくより前の方で見物していた。
2008年10月07日
10月7日の夢(トイレ夢2つ)
イランに滞在している。ぼくのいる部屋の両側に、近代的なトイレが二つ、左右対称についている。右の方のトイレの入り口のドアには、男物のコートが吊してある。入ってはいけないという印だろう。覗いてみると、大の字になって床に男が寝ている。手前に小さな男の子がいて、床に立ち小便している。そして男は「貸し切り中だから駄目だ」と言う。反対側のトイレも全く同じ状況。床がおしっこだらけの、こんなところに入らなくてはいけないのか。でも、必要に迫られたらしかたないな、と思う。
新築マンションのトイレに入る。便器の前は開放された出窓で、その向こうの屋外に真っ青な水をたたえた半球状の石の貯水槽がある。これは飲料水らしい。だが、おしっこをすると、それはその飲料水の中に飛び込んでしまう。これはまずい。便器の中にちゃんとするようにする。すると、便器の中にしたおしっこは、貯水槽から流れ出た水と合流して下水へ流れ込んでいく。これでいいのだ。しかし、飲料水におしっこをしてしまったのは、まずかったなと思う。
2008年10月06日
10月6日の夢(岩山の新社屋)
会社が新しい社屋へ引っ越した。以前の社屋とはちょうど反対側の山の斜面を登っていくことになるので、つい反対の方向へ行ってしまいそうになる。
新社屋へたどり着くには、ロッククライミングのように岩の崖をよじ登っていかなくてはならない。一応、石段があるのだが、一個所、身長と同じくらいの高さの水平に張り出した岩があり、その上に這い上らなければたどり着けない。S社の元営業担当重役だったM氏と元経理担当重役だったSさんと共に、ぼくはそこを登ろうとする。二人にとっては何でもない道でも、運動能力の低いぼくにとっては大変な難関だ。その岩に両手で取り付き、反動をつけて思い切り体を引き上げる。もう少しでこのまま落っこちてしまいそうになるが、ぎりぎりのところで、ぼくは岩の上に這い上がることに成功する。
新社屋は木の香り立つような和風の一軒家だ。部屋は畳敷きで、その周囲を縁側のように廊下が取り巻いており、その外側の壁は床から天井まで全面ガラス窓。だが、ぼくのオフィスは地下にある。親会社の社員が一階の和室で、窓の向こうの雄大な風景を眺めているのを見て、ぼくもここに座らせてもらって地平線まで一望のパノラマを眺めつつ、ランチを食べたいなと思う。
2008年10月04日
10月4日の夢(沖縄合宿)
沖縄のある島で合宿をしている。合宿といっても、知らない人たちばかりで、それも老若男女さまざまな人たちといっしよだ。
その中の一人の女性から書類を渡される。書類には「本来この島に入ることの許されない息子の入島を( )の保証により許可する」と書かれていて、この( )の部分にぼくの署名がほしいという。もちろん、署名する。自分が誰かから必要とされ、信頼されているという事実に感動する。
それにしても、島の景色は素晴らしい。海面下に隠れた珊瑚礁が緑色に輝いている。激しく叩き付けるように水しぶきを上げて、スコールが大地を濡らす。ぼくは島一番の景色を眺めたいと、道路を歩いていく。ここから、その景色が見えるはずだという地点に到達するが、そこからはまだ見えない。もう少し先にその地点がある。そこへ到達すると、まだもう少し先だ。その繰り返し。
帰り道、嵐が接近しているらしく、海が荒れている。高潮が侵入してきて、家々の土台を洗って、どんどん内陸に川のように流れ込む。来たときは、水のない海岸だったのに、今は沖に高い波頭が砕け、海水が足下をすくいそうに押し寄せてくる。少し恐怖を感じる。見ると、海面そのものが上昇しているのだ。まるで「ポニョ」の映画みたいだ、と思う。だが、宿に戻る頃には、もう波はおさまり、海面は穏やかさを取り戻している。
宿の部屋のいくつかを通り過ぎようとするが、どの部屋でもいくつかのグループが記念撮影をするように並んでいるので、邪魔をしないよう、ぼくは結局どの部屋も足早に通り過ぎて、元の部屋に戻ることにする。それにしても、みんな記念撮影の格好をしているが、カメラが見当たらないのが奇妙だ。
2008年10月03日
二日分の夢(校正と賞の選考会)
(10月2日の夢)
パンフレットの校正をチェックしている。黒い建物の絵か写真が印刷されている。戦後の幼い頃に見た中日球場のスコアボードを連想させる建物だ。その建物の窓に、一字ずつ字が描かれているが、その文字が二つほど間違っている。校正しようと赤ペンでその文字に触ると、その文字の描かれた窓の板がくるりと回転し、裏側から正しい文字が現れた。なんだ。この板が反転してしまうから、いけないのだ。ぼくは「反転しないように」と赤で書く。その後で、「そんな校正を文字で書くより、ぼくがこの窓の上にセロテープを貼って、回転しないようにすればすむことではないか」と気づく。はたからそれを見ていた社長が「デザイナーのSくんに、反転しないよう留めてもらえばいい」と言う。
(10月3日の夢)
老詩人のK氏が選考委員をしている賞の選考会場に、車で行こうとしている。雨上がりの洗われたような地平線の山脈と、都市の景観の上に、美しく陰影のある雲がかかっている。ふと気づくと、会場への行き方を記した地図を置いてきてしまった。記憶を頼りにどうやらそれらしいホテルか料亭のような場所に行き着く。ロビーを華やかな和服に身を包んだ料亭の女性たちが忙しく往き来している。ぼくは階段を上がっていくが、はたして会場に行き着けたのか、K氏に会えたのかも分からないまま、いつのまにか外に出て、車で帰り道を走っている。道路は小さな湾をぐるりと迂回していて、湾のちょうど反対側にさっき後にしてきた都市が一望に展望できる。都市の真ん中でひときわ異彩を放っているのはスタジアムだ。そこではSF的なイベントが行われていて、スタジアムから翼をつけた人間が次々と周囲に飛び立つ。湾のこちら側から、その光景を望遠レンズで狙っているテレビカメラがある。だが、そのイベントは今終わったところらしい。車でぼくの隣に同乗している人が「静かでいいね」と言う。だが、外は喧噪な市街だし、車の窓は開放されているので、騒音がまともに車内に飛び込んでくる。なぜ、その人はそんなことを言うのだろうと思い、ぼくはその人の顔を覗き込む。
2008年10月01日
10月1日の夢(青森県の専門家)
会社にいると、初老の男から電話がかかってきた。「あなたは青森県の専門家ということなので、最近の選挙情勢について聞きたい」と言う。親会社の元会長K氏の知人らしい。確かに、ぼくは以前青森県についての制作物を担当したことがあるから、専門家といえないこともない。近くのデスクの棚に差してあった、そのときの資料のファイルを抜き出し、それをめくりながら相手の質問に答える。男は「○○という候補者がいるだろう?」と尋ねるが、よく知らないのでいいかげんに受け答えしていると、相手がキレた。「よく知りもしないで、青森県の専門家だなんて言うな!」と怒鳴られ、電話をガチャリと切られてしまった。
ぼくは受話器を電話機本体に戻そうとするが、電話機本体はかなり向こうで打ち合わせをしているK社長のそばにある。そこへ受話器を返しに行くと、社長は「ああ、いいですよ」と言って、体を寄せて、ぼくが受話器を置けるようにしてくれた。そして、ぼくに「どうしたの?」と尋ねるので、事情を話すと、「ああ、そういういやなやつがいるんだよねー」と言う。
2008年09月30日
9月30日の夢(マスクの愛と死)
宮崎の東国原知事が主演する映画のタイトルバックの撮影をしている。彼が田舎町の雑貨屋の前にいる。軒先からは長いロープで、マスクやコップが吊り下がっている。そのマスクに何度も手を触れながら、彼は吊り下げられたコップから水を飲む。
そのシーンの撮影の後、地元のおばさんが言う。「この映画の原作は『マスクの愛と死』だってね」。それを聞いていたあるおじさんは「以前、この映画がまだ企画書の段階だったとき、ある人が『これから息子の不始末の処理をしに行かなくてはいけないが、マスクをするととたんに自信が出てきた』と言ったけれど、本当にその通りだと思う」と言う。
2008年09月28日
9月28日の夢(半分の魚と血まみれライオン)
横浜の南の方の海を埋め立てて、新開地を作る工事をしている。工事現場には左ウィングと右ウィングの二つのエリアがあり、左ウィング担当の人は左に開くドア、右ウィングの人は右に開くドアの部屋に暮らしている。ぼくはそのどちらでもない宣伝担当のオフィスにいる。
左ウィングが先に完成したらしく、左ウィングのスタッフだけが招集がかかった。ぼくたち宣伝スタッフは集合しなくてもいいので、部屋でぶらぶらしている。しかし、デスクに座ってみて、何か変だと気づく。ぼくのデスクだけが幅が狭くなっている。おまけに、その上に載っていたはずのパソコンがない。両隣には見たことのない知らない女性スタッフが座っている。左の席の女性にそのことを言うが、彼女は「あらそう」とそっけない返事をかえす。どうやら、ぼくの知っているスタッフたちは隣の部屋で会議を開いているらしい様子が、開いているドアの向こうの気配で感じられるが、ぼくにはお呼びがかからない。
防波堤で囲まれた海岸へ行く。一人の男が釣り竿の先の糸に、魚の切り身をつけて遠くへ投げる。魚の切り身は、石で水切りをするように水面をすべる。よく見ると、かたわらにクジラのように巨大な魚の上半身だけが垂直に立っている。どうやら下半身は切り刻まれて、男の釣り糸の先に付けられては、海に投げ飛ばされているようだ。それを堤防の上で見物していた何人かの女性が、男によって魚のかわりに海の中に投げ飛ばされる。そばにいた女性たちが、恐れをなして逃げようとすると、男は彼女たちに「なぜ逃げるのだ? 海に投げ飛ばされるのは、もしかしたら気持ちいいことかもしれないよ」と言う。ぼくも投げ飛ばされては大変なので、そそくさとそこから逃げ去る。だが、走っているうちに駅を通り過ぎてしまったらしく、いつのまにか東京の近くまで来てしまった。慌ててUターンする。
蒲団に寝ていると、窓の向こうに雌ライオンがいる。ライオンは窓に向かって飛びかかるが、ガラスに跳ね返される。ガラスにはピンクの血しぶきがいっぱいに付く。見ると、ライオンは頭のあたりから大量に出血している。
そのライオンがいつのまにか窓を破って、ぼくの寝ている部屋に入ってきたらしい。蒲団に邪魔されて、ライオンの動きは見えないが、気配だけが感じられる。逃げるわけにもいかない。もうぼくは十分に生きたから、このままガブリとやられて死んでしまってもいいかなと思う。蒲団の中に潜り込んで、隠れた方が安全かもしれないが、身動きする方が危険かもしれないな。
9月27日の夢(花畑のような入道雲)
寝ていると、一人のはずなのに、部屋の中で足音がする。首筋に息までかかる。刺客がやってきたのかもしれない。このままナイフで殺されてしまうのだろうか。金縛りになった体をようやく起こして、部屋の隅を見ると、壁際に子猫がうずくまっているのが見える。なあんだ。猫だったのか。それにしても、どこから迷い込んだのだろう?
隣室は病院になっていて、境のドアがあいて、院長が顔を出した。このドアから子猫も入ってきたのだろう。ドアの向こうではみんな忙しそうに働いているのだから、ぼくも起きなくてはと思い、隣に行く。そちらには二つのオフィスがある。手前がぼくの在籍するSCという会社で、隣がSPという会社だ。どちらもとても狭く、ごたごたとしている。
SPのオフィスには一日一回清掃タイムがあり、全員で家具・什器の類を磨いている。足の踏み場もなく、散らかった室内で、ぼくは何か小さなものを水洗いしようとしている。そこには奥さんとその姑がいる。土間で犬のように姑は生活していて、用便も垂れ流しだ。それを奥さんは真空掃除機のようなもので、空気の圧力で吹き飛ばして掃除する。吹き飛ばしたのはいいが、汚物の撥ねが奥さんの顔に、まるでそばかすのように点々とくっついてしまう。奥さんは鏡で自分の顔を見て、泣き笑いをする。彼女は毎日、こんな辛い介護の生活をしているのだ。
SPの部屋を出て、SCの部屋に戻る。部屋の一番奥には経営者の若い専務のデスクがあったはずだが、専務もそのデスクも見当たらず、ぽっかりとスペースが空いている。おまけに、ぼくの隣にあった友人のデスクもなくなっている。会社の外に出てみる。友人にはアルツハイマーの父親がいて、その父親といっしょにこの会社で働いていたのだが、父親がとうとう亡くなったらしく、携帯電話でそのことを誰かと話している。ぼくはそれには気づかないふりをして、崖のような斜面の石段を降りていく。そこは学校の校庭のように広い。ここはつくば市だ。東京の方向の空には入道雲が拡がっているが、雲はお花畑のようにカラフルだ。そして雷鳴も轟いている。
2008年09月25日
9月25日の夢(輪投げ)
会社で休日出勤までして、長い間やっていた仕事がやっと終わった。K女史(ぼくの前任の編集長)らに祝福されて、会社を後にする。
と、ぼくはなぜか走っている。大柄な見知らぬ若い女性と輪のようなもので手を繋ぎ合い、パラリンピックの盲人マラソンの選手のように、引っ張られて走っているのだ。走っている道路は、ぼくが子ども時代を過ごした名古屋の山添町らしい。
突然、その女性がぼくを振り向いて、「遊んでいく?」と尋ねる。思わず「うん」と頷くと、彼女は「輪投げをしましょう」と言って、ぼくをさらに引っ張っていく。
そこで、ぼくは巨大な手袋をつけさせられる。これでは指に力が入らず、正確に輪投げをするなんて、不可能だ。そういう状態で、いくつ輪を屋根に投げ上げられるかを競うのだという。ぼくはその手袋をうまくはめられないで、ごそごそしているが、はっと気づいた。これは、その女性がぼくを捕らえるための罠に違いない。
周りに人がいないすきに、うまく隙をついて、ぼくは逃げ出すことに成功する。
2008年09月23日
9月23日、お彼岸の夢
先輩詩人のS氏から戦中体験を聞く。戦中は日本国内で放浪生活を送っていて、真っ黒な泥の地面に寝て、汚い虫を食べて生きたいたという。戦後の日本は復興したけれど、当時の真っ黒で汚い日本が海に近い銀座の街にはまだ残っている。真夜中の人通りの途絶えた銀座のビルの隙間には、まだあの真っ黒な泥の地面が残っている。そして、そこにはあの汚い虫たちが沢山生き残って、うごめいているのだ。でも、S氏には楽しい思い出もあった。放浪の途中、ギターを貰い、仲間二人とバンドを組んで歌っていたのだ。彼はその頃のままに、ギターの弾き語りで「誰か故郷を思わざる」をきれいなハーモニーで歌う。ぼくもコーラスの二人のうちの一人として、その演奏に参加する。
海へ行く。そこは映画館で、30年前に死んだ父がぼくに映画を見せようとしているのだ。しかし、ぼくはスクリーンの反対側を向いていたので、父はぼくを抱え上げ、スクリーンの方を向かせてくれる。
映画の主人公は、飛行機に乗りたくてたまらない少女と、その少女をだまして飛行機の中でいじめたいと思っている、年長と年少の少年二人。少女は「飛行機に乗せてあげる」という少年の申し出に、喜びのあまり、持っていた袋の中の穀物を全部こぼしてしまう。そして、実際に飛行機の中で少女は少年たちにいじめられるが、彼女の純真さに年少の少年は同情し、ひそかな恋心が芽生えて、最後には少女と心を通い合わせる。
ぼくはこの映画を前にも途中から観たなと思う。そのときはちょうど、このあたりから観たのではなかったっけ。障害物があって、スクリーンがよく見えないので、ぼくは箱の上に立ち上がって、スクリーンの右斜め後ろから映画を観ている。ふと見ると、父は反対の左側から映画を観ている。
最後に、主題歌が手書きの歌詞のテロップとともに画面に流れる。作詞者の名前として「平山」という名前が書かれている。ぼくは父に「平山さんって誰だろう?」と尋ねる。父はぼくに「この平山さんだよ」と言って、本を見せてくれる。この映画について書かれた本であるらしい。
2008年09月22日
9月19日の夢(パフォーマンス試験)
(アップの順番が前後しましたが、これは19日の朝に見た夢です)
作家のRさんから手紙が来ていた。よく読みもしないでいるうちに、電話で別荘へと誘われ、出かける。そこでは、RさんのNGOで新たに採用する職員の試験が行われていて、ぼくにもパフォーマンスの実技試験の審査員になるよう、依頼される。応募者たちはここへ来るまでに、パフォーマンスの台本や道具をしっかりと準備しているらしく、皆しっかりと演技をしている。Rさんはぼくにもそのパフォーマンス試験を受けてみるように勧める。ぼくに与えられたテーマは「青」だ。
ぼくは慌てて青い色の絵を何枚か集める。それらも参加者たちが描いたものらしい。ちょうどスカイブルーのインクで印刷された新聞があった。一面には第二次大戦を指揮する軍服姿の天皇と戦場の大きな写真が並んでいる。これらの絵と新聞を小道具にして、あとは即興で演じればいいだろうと、いろいろ作戦を考えるが、その間に他の応募者の実技審査をしなくてはいけないので、なかなか考えがまとまらない。気がつくと、いつの間にか実技のステージに、お尻を向けてぼくは座っていた。いかん、いかん。慌てて振り向くと、さっき一生懸命用意したぼくの小道具が、いつのまにか職員に片づけられてしまっていた。焦るが、結局、ぼくはテストを受けなくて、よいことになる。
2008年09月21日
9月20日の夢(ダンゴという動物)
ここはアフリカ。人によく似たダンゴという動物がいる。ちょうど黒人とゴリラのハーフのような感じの二足獣である。このダンゴと一人の黒人の男とが同じ獲物を取り合った。それに怒った黒人は、ねぐらに帰ろうと川を泳ぎだしたダンゴを、両手に持った日本の棒ではさみつけ、水中に沈ませようとした。しかし、ダンゴの方が力が強い。反対に男の右目を殴りつけた。男は右目にハンセン氏病を病んでいたが、その眼窩を殴られて骨折してしまい、危うく溺死するところだった。そこへおばばがやってきて、「いくら医者が接吻してくれたとはいえ、その前に胞子が閉じてしまっていたのだろうよ(意味不明だが、夢の原文通り)」と男に言う。それから、12歳くらいの息子を振り返り、「おまえも安全圏というには少し大きすぎるから、伝染しているかもしれないよ」と言い聞かせる。
2008年09月18日
呉智英くん
自宅の部屋に蒲団が敷いてある。先輩詩人がここで寝ていたらしい。だんだん、その蒲団が一つの問いに見えてきた。その問いに答えなくてはいけないと思う。
場面変わって、高校のクラス会に出席している。呉智英くん(中学・高校と実際にクラスメートだった。もちろん本名は別だけどね)も来ていて、教室で席から立ち上がってぼくに向かい何かを言う。ぼくは「うっせいなあ。俺は昔と人が変わったんだよお」と答える。
それから自宅に戻り、冷蔵庫を開けながら、「ぼくは何も変わっちゃいないさ」と、一人ほほえむ。
2008年09月15日
9月15日の夢(四次元投稿)
ぼくの編集する「SとS」誌に、作品を投稿してきた詩人が、自分の作品に「四次元」をセットしていることが分かった。四次元をかけると、どうなるのだろう? 四次元が「時間軸」だとすれば、作品の時制がずれてしまうのだろうか? いや、そうではなく、その作品が印刷されたときに、この世界にとても危険なことが起きる気がする。だが、皆、その危険性をよく分かっていないみたいなのだ。作者に「四次元」を削除してもらうことにした。
2008年09月14日
9月14日の夢(出張報告会)
夕方、会社にいると、浜松に出張に行っていた何チームかが新幹線でいっしょに帰ってきた。口々に「今回ほど、どのチームもこてんぱんにやられたのは初めてだ」と言う。二階の楕円形の大きなテーブルの周りに、全社員が集まり、報告会のようなことが始まった。
最初はぼくの関わっている仕事に対するクライアントの直しの報告だ。なるほど、これは根本的に仕事をやり直さなくてはいけない。でも、こんなふうに一つ一つの仕事の報告を、関係ない全社員が聞いていたら、夜中になっても終わらないだろう。
お腹の空いたぼくは、途中でふらりと退席し、階段を下りて、外に出る。ちょうど12時を過ぎたところで、外は真昼だ。まだこの時間ならレストランにも空席があるだろう。ぼくはいくつかのレストランを覗く。どの店も確かに空席があるのだが、ぼくは入店する勇気が出ずに、うろうろと歩き回るばかりだ。
2008年09月09日
9月9日の夢(環境会議)
ヨーロッパのお城風の広いお屋敷で、その屋敷の主人を交え、環境問題についての会議を開いている。非公開の会議なのだが、侵入者の女の子が二人あり、奥の部屋に押し込めてある。
会議のシナリオでは、このタイミングで屋敷中の捜査・点検をすることになっており、ぼくは主人と二人で各部屋を見回る。主人は屋敷からぼくを連れ出し、外へ出る。バスがやってきたので乗る。車内には環境問題の同志たちが乗っていて、そのまま会議になる。向かいの座席に座った男が、主人に向かい、「なぜ、あなたは環境切手を売るとき、環境切手だけでなく他の切手も売るのか」と詰め寄る。主人は「環境切手だけ売ろうとしても、売れないのは常識じゃないか」と反論する。
ぼくはバスがどんどん屋敷から離れていくのが、とても心配だ。こんなに遠くまで来てしまっていいのだろうか。
降りてから、乗客名簿が配られた。見ると、中に詩人の鈴木志郎康さんなど、有名人が混じっている。そんな有名人がいたのなら、ぜひとも記録にとどめておきたいと思う。
2008年09月07日
9月7日の夢(八方ふさがり)
会社で映像製作についての自分なりの指針を文章にしてデスクの上に置いておくと、それをうっかり制作部長のUに読まれてしまった。Uは「○○××なんですよねー」とぼくに言うが、何と言ったのか分からず、「えっ?」と聞き直すが、やっぱり「○○××」の部分が聞き取れず、意味不明なので、「ああ、そうなんですかあ」といいかげんな返事をする。
名古屋の実家のあった覚王山で銀行を探す。やっと見つけたが、ちょうど現金輸送車が到着して店内に入っていくところだったので、遠慮して外で待つ。輸送車がいなくなってから、店内に入り直そうとしたが、どうしても店内への入り口が見つからない。しかたなく、別の銀行を探しに行くが、場所が分からないまま、大雨に降られて、ずぶ濡れになってしまった。
2008年09月06日
9月6日の夢(吉原幸子さんの冷蔵庫)
詩人の吉原幸子さん(故人)のお宅に伺い、大きな冷蔵庫を開ける。冷蔵庫の中は溶鉱炉のよで、轟々と炎がいくつも上がっている。ぼくたちはそれぞれ持参した自分の肉を火の上に載せる。「うまく載せて、焼け焦がしてしまわないようにね」とお互いに言い合いながら。
2008年09月05日
9月5日の夢(高速道路を歩く)
妻と旅に出ることになり、高架の広い高速道路の上を徒歩で歩いている。高速道路なのに、そこは大木が生い茂り、花々がカラフルに咲き競う美しい公園道路だ。景色を見ると、どうやらここは名古屋の久屋大通らしい。随分歩いたのに、駅になかなか着かない。カーブを曲がると、このあたりはもう東京の秋葉原のあたりらしい。妻が「駅はまだ遠いの?」と聞くので、「もう近いよ」と慰める。それより旅先のことがぼくは気になる。「でも、ホテルをとってないんじゃない?」と尋ねるが、妻は「そのようね」と意に介さない。
2008年09月03日
9月3日の夢(また席がない)
(昨日の夢です)
詩集の出版記念パーティーに妻と出かける。受付で問題用紙が配られ、その解答用紙を提出した順に、会場で席が与えられる仕組みだ。ぼくと妻は1番と2番で解答用紙を提出。時間があるので、開会前にその詩人の提出した作品を鑑賞する。文学と美術が一体となったオブジェで、とても美しく、感動する。
パーティーが開会するというので、受付に戻る。床に受付をすませた人の名札が置かれている。しかし、一番にすませたはずのぼくと妻のものがない。「変だね」と二人で言い合い、体育会系の雰囲気の受付の男に苦情を言う。男は「ええ、聞こえてましたよ。困ったなあ」と言う。しかし、らちがあかないので、腹いせにぼく一人帰ってしまおうかと思う。
2008年09月01日
9月1日の夢(父への土産が見つからない)
父のおかげで、ぼくと祖母は何日間もの旅行を楽しみ、今戻ってきた。野球好きの父への何よりのみやげは、広島球場で見た中日・広島戦の試合経過だ。中日の2勝1敗で終わった3試合を、どの投手が何回まで投げたかの記録を、ぼくは確かに父のために清書しておいたのだ。ところが、父の前に出てみると、鞄の中にある土産や手帖、ノートを何度ひっくり返しても、その記録が見つからない。それでも、ぼくはあきらめきれず、道路にぺたりと座り込んで、何度も何度も探し続けている。(夢ここまで)
現実には、ぼくの30年近く前に亡くなった父は、特に野球好きだったわけではありません。また、ぼくは父親への憎悪がいまだに消えず、たとえぼくが死んでも父母と同じ墓にはけっして葬らないよう(できれば散骨してほしい)、家族に遺言しています。
2008年08月31日
8月31日の夢(海に行けない)
明日からいよいよ夏休みだ。今日は休暇前の最後の一日。しかし、休暇初日の明日だけはアーティストリレーション担当クライアントのHさんに頼まれた管楽器奏者の取材をしなくてはならない。ずっと会っていない女友達と、夏休みになったら海に行く約束をしていたけれど、明日は海には行けないなと思う。
そこへ携帯が鳴った。別の男性クライアントからだ。「明日から四日間仕事がある。しかも、とってもきついスケジュールだよー」と言う。その仕事の説明を聞いていると、電話が切れてしまった。そこへ、海に行く約束の女友達からメールが入った。画面に水墨画のようなタッチで、大きな魚の絵が躍っている。そして、やはり手書きタッチの文字で、「先に行くからねー。お魚いっぱい食べさせてねー」と書いてある。ぼくが海に行くのが遅くなることを、言わなくてはならないなと思う。そこに、何人ものクライアントが到着して、ぼくにてきばきと仕事の指図を始める。
2008年08月28日
8月28日の夢(床しかない電車)
年をとって、とうとう足が悪くなってしまった。駅の階段をやっとの思いで、昇っていく。特に左足がしびれたように、感覚がない。
ホームの先端の方で待っていると、ぼくの待つ電車と逆方向の電車が、ホームのずっと中ほどにしか停車しないのが見える。ぼくの待っている側の電車はさらに中ほどにしか停車しないはずだ。慌ててホームの反対側に向けて走る。ところが、勢い余って行き過ぎてしまい、今度は反対側の先端から駅の外に出てしまう。いつのまにか道路をガード下まで来てしまった。そこへちょうど乗るべき電車がホームに着いたのが見えたので、慌ててホームに戻り、電車に駆け込む。
電車は細長いカヌーのような形をしていて、壁も天井もない。一番先頭に乗ったので、流線型をした全く平面で手すりもない床に座ると、両端から足が外に出てしまう。そこに必死にしがみついているが、左足の感覚がないので踏ん張れず、振り落とされそうでとても怖い。ぼくのすぐ後ろには若いカップルがいて、「俺の乗りたいところに乗られてしまったので、おまえ場所を交替して」と女の子に頼んでいる。ぼくが乗らなければ、先頭に座るつもりだったのだろう。
突然、駅ではないところで、電車が急停車した。そこは沿線にある、乳製品を作る大きな工場だ。今日はここで特別のイベントがあり、電車が特別停車して、乳製品作りを実地に体験させてくれるらしい。敷地内でイベントに参加している子どもたちが一斉に声を合わせて歌をうたう。なんだかラジオのジングルのような歌だ。
その間に、頭に帽子をかぶり、制服に身を固めた女子工員が電車に近づいてきて、プラスチックのコップにヨーグルトみたいなものを乗客に渡し、製品づくりを体験するように勧める。ぼくの前で最初に受け取った男は、工員の説明をよく聞かずに、大きなスプーン(杓子のような感じ)でヨーグルトをすくいあげ、そのままばしゃっとコップに入れる。そうじゃなくて、ストローの中に入れてから、コップの中に入れなくちゃいけないのだ。自分の番になり、ぼくは注意深くストローの中にヨーグルトを注ぎ込もうとするが、ストローの口はあまりに細くて、殆どがやっぱり外へこぼれてしまった。そのセットを後ろにいたカップルの男に渡すと、男はうれしそうにそれを受け取る。
2008年08月27日
8月27日の夢(喫茶店での探索)
ニフティ及びミクシィのメールは当分の間、見られません。やれやれ。
(8月27日の夢)
まだ戦後の時代、ぼくは何者かによって、当時の松坂屋デパートの裏にあった大きな喫茶店に呼び出された。そこは有名な人気のある高級店で、混雑しているため、なかなか入店が許されない。入口で多くの裕福そうな身なりの男女が「きっと中に知っている人がいるはずだから」と、店長に入店許可を迫っているが、店長は頑として入店を認めないでいる。そんな騒ぎを後目に、ぼくはさっさと店内に入り、歩いていく。店は中二階の下に一階のフロアが広がり、外には戦後の東京の街並みが見える。
突然、店内放送が流れる。「お呼び出しを申し上げます。一色真理さん、二階にお越し下さい」。指定されたところへ行くと、まだ若き日のMカメラマンが(どうやら、ぼくらはタイムマシンで過去に戻っているようだ)「1番から61番まで歩いていってください」と伝言を伝えてくれた。了解して、裏のドアを開けて外に出る。だが、Mは「そっちじゃない」と、ぼくを呼び戻す。
ぼくは再び店内に戻り、二階の通路を別の男といっしょに歩く。最初に目に入ったのは、ごつごつした石碑のようなもの。そこにぼくにはよく読めない書体で、2行の詩が彫り込まれている。そのかたわらに、その2行を読みやすい書体で印刷したカードもある。きっと、これがぼくの今日の探索のヒントとなる文字なのだろう。
2008年08月25日
8月25日の夢(脚のないピアノ)
沖縄で古いヤマハピアノを使った映画の撮影をすることになった。撮影には時間がかかりそうだと思う。だが、出演者たちが演技を始めると、みんな驚くほど達者だ。これなら、スムーズに撮影が進みそうだ。
しかし、ヤマハだと言われたピアノにどうも違和感がある。よく見ると、違和感の原因が分かった。グランドピアノなのに脚がなく、畳の上で座って弾くピアノだったのだ。こんな変なピアノが本当にヤマハだろうか? 鍵盤蓋を開けてみる。ヤマハのマークはどこにもない。そのかわり、ピアノに添えられた取扱説明書の中に、関係企業の一つとして「日本楽器」の名称が記されている。
撮影のための最初の打ち合わせが終わり、いったん解散になる。早く次の打ち合わせを始めたいが、部屋の中に残っているのは詩人のO氏だけだ。ピアノの前にいくつか置かれた座布団の上に、ぼくは分厚い資料のファイルをどさりと投げる。反対側に座っていたO氏の巨体が「うっ!」というように一瞬ぴくりと動くが、言葉は発しない。もうすぐ夜の8時だ。次の打ち合わせは8時からだったのかもしれない、と思う。
2008年08月21日
8月21日の夢(カエル人形の撮影)
大きなビルの一階玄関口にいる。ここがぼくの会社らしい。フロアの真ん中に四角い大きなスペースが、その周囲が「ロ」の字型の通路になっている。ぼくは中央スペースの前に小さなカエルの人形をいくつか置いて、カメラで撮影している。ファインダーを覗くと、カメラの真ん前に西日があり、眩しくて撮影できない。そうこうしているうち、カメラの前を社員たちが歩いて横切り始め、それが邪魔になってまた撮影できない。しかたなく、ファインダーから顔を上げると、ぼくはカエルの人形を置いた場所とはいつのまにか90度移動していて、全然別の場所を撮ろうとしていたのだった。雨が降っているようで、社員たちは傘を持って往き来している。
2008年08月17日
8月17日の夢(社史を作る)
会社の昔のことをよく知っている古老に頼んで、話を聞き、社史を作ることになる。会社の敷地内に住んでいる犬などの動物にも頼んで、話をしてもらうことにした。
2008年08月16日
8月15日・富良野で見た夢(段差のあるホーム)
町田で某社のパーティに出る。ぼくが挨拶したおじさんの退職記念パーティらしい。カメラマンのI氏も出席していて、ぼくににこにこ顔で「今日はいいんですよね」と言う。仕事ではないから、撮影しなくていいということの確認だろう。だが、いつのまにか彼は撮影を始めている。カメラマンの業だろうか。
パーティが終わり、小田急線の町田駅に行き、ホームに出る。新宿駅に乗るつもりだったが、町田駅のホームには段差があって、新宿駅は隣の一段上のホームから出発していく。それが見えるのだが、このホームからは直接行けないため、乗り遅れてしまった。
新宿行きホームへ向かう途中、またちょっと違う高さのホームで、駅員たちがパーティをしていたのに、まぎれこむ。ぼくが挨拶した例のおじさんの話題が出る。ぼくが今、そのおじさんのパーティに出ていたことを話すと、その人は使い込みで逮捕されたのだということが分かる。
2008年08月11日
8月11日の夢(お屋敷に住む)
夢がかなって、成城の大きなお屋敷に引っ越した。おまけに元気な妹を一人、養女でもらった。ぼくと妻と妹と三人で、華麗な朝食の卓を囲む。おいしいので、いつも1枚にしている食パンをもう1枚食べそうになる。いかん、いかん。これではダイエットできない。
この屋敷には、奥にもう一家族が住んでいる。夫婦とつんとすました娘の三人家族だ。出てきたので、挨拶しようとする。三人は妻にはちゃんと挨拶して、おしゃべりするのに、ぼくには視線も送らない。全く無視され、しらけているうちに、また奥に引っ込んでしまった。
お屋敷の隣は空き地だが、そこには仮設の屋根があり、地面の上に純白の立派な丸い西洋風の食卓がでんと据えられている。テーブルにはいくつも凹みがあり、そこに陶磁器の皿やカップを置くと、ぴったり収まる仕組みだ。しかし、灰皿を置こうとしても、それの収まる凹みはない。ここなら雨に濡れないから、友達を呼んで野外でお茶をするのもいいなと思う。
2008年08月10日
8月10日の夢(中国製万年筆)
妻と車で息子の家を訪ねる。息子が今夜、劇に出るので、それを見に来たのだ。ふと気づくと、もう夜の9時過ぎだ。ぼくは妻に「こんなに遅くから始まるの?」と尋ねる。忘れていたのだ。慌てて会場に駆けつけると、とっくに息子は一人で劇への出演を終えていた。「あいつもおとなになったね」と妻と言い合う。
ロシアからピアニスト兼歌手が公演にやってきた。ここは会社なのだが、学校のようでもある。公演は大ホールでやるのかと思ったら、1時間目にぼくの席のある教室で行われることになった。彼女のトークに感激して、ぼくは万年筆を買う。使っているとインクがなくなったので、補充しようと解体する。補充して再び組み立てようとするが、壊れてしまってもう使えない。中国製万年筆だったのだ。失敗したなと思う。
そういえばこの時間、ぼくは受けていたピアノレッスンの発表会に出なければならなかったのを忘れていた。全く練習していない。ソロではなく、みんなで一緒に合奏するのだから、失敗してもそれほど目立たないとはいえ、やっぱりさぼることにする。
2008年08月06日
8月6日の夢(ジョーという名前の機関車と寝巻き)
明らかに8月3日に見た夢の続き。Iと東京に向けて、一両編成のローカル線の電車から新幹線まで、さまざまな列車に乗り換える。気がつくと、もう乗っているのはぼくたち二人だけだ。途中の駅で、ホームに駅の略図が掲示されているので、それをスケッチする。でも、そんなことをして、何の役に立つと言うのか? 乗り換えるたびに、ぼくは浴衣の寝巻きに着替える。その寝巻きと機関車は名前が同じだ。ジョーという名前なのだ。
8月5日の夢(ケーキのセルフサービス)
ケーキをセルフサービスで食べられるお店に入る。お腹が減っているので、早くトレーにケーキを取りたいが、そのトレーがどこにあるのか、分からない。探し回ったあげく、ほかの客のものよりかなり小ぶりの皿を見つける。急いで、欲しかった2種類のケーキのところへ行くと、あんなに山盛りされていたのに、どちらも1個も残っていない。とてもがっかりする。でも、とにかく手当たり次第に、目についたケーキを皿に盛りつける。みんな大きなケーキで皿からはみだすほどのでかさだ。それを早く食べたいと思うが、そばに一人のおばさんがいて、邪魔だ。思わず、「ばばあ、どけ!」と大声で怒鳴りつける。
2008年08月04日
8月4日の夢(横浜へ走る)
会社をぼくはしばらく休んでいて、久しぶりに出社した。女性詩人のH、男性詩人のTと共に、横浜へ出かけようとしていると、携帯が鳴った。出ると、最近知り合ったフィリッピーナの女性だ。用もないのに長話になる。この女性はきっと良からぬ商売をしていて、あわよくばぼくを誘おうとしているのだろうと思う。「じゃあね」と言って、話を終えるが、「切」のボタンを押し忘れていると、まだ相手も切っておらず、また話が続いてしまう。どうも、できれば切りたくないと思っているらしい。試しに、また「じゃあね」と言ってから、切らずにおくと、彼女はやっぱり自分からは切ろうとしない。
そんなことをしているうちに、横浜に早く出かけないと遅刻してしまうことに気づく。一足先にTに出かけさせる。ぼくは出かけることを上司に報告しようと、自分のオフィスに行く。オフィスは学校の教室になっていて、担任である数学の教師が授業の真っ最中だ。ぼくは前方窓際の行動予定表のところに行き、自分の行き先を書き込む。担任が「どこへ行くのか」と尋ねるので、「横浜へ」と答える。また「何があるのか」と言うので、「数学の催しがあって」と答えるが、担任が数学の専門家なので、これでは嘘がばれるなと思う。慌てて「数学的なものとピアノとのコラボレーションの催しがあるのですよ」とテキトーに言い直す。「そうか。それなら、行かなければしょうがないな」と納得してくれた。
あと30分しかない。さあ、急ごう。Hがぼくの前を走っていく。Tの姿は全く見えない。
いつのまにか、ぼくは子ども時代の名古屋の実家付近を走っている。道路の右側に沿って、細長く畑ができていて、そこに最近何かの種をまいたばかりらしい。子どもたちが盛んに畑仕事をしている。この上を走って、種をほじくり出してしまってはまずいな、と不安になる。ふと見ると、すぐ前を長ネギの束を持った女性が走っていく。あれはHだろうか。ぼくは女性の顔がみんな同じに見えてしまうたちなので、本当にHかどうか自信がない。勇気を出して話しかけてみると、やはりHだった。「Tは?」と尋ねると、「あの人はいつも速いのよ」と答える。それにしても、ここはぼくの自宅の近くだから、こんなところを二人で走っているところを家族に見つかってはまずい。そのことをHに注意しようと思うが、言い出せずにいるうち、突然世界が変わった。ぼくはいきなり全く見たこともない場所に放り出されていて、面食らう。見回してみても、Hも見失ってしまった。ぼくはひとりぼっちで、西も東も分からない。
2008年08月03日
8月3日の夢(うどんの自販機)
浜松に出張した。バスに乗っていると、目の前でスキー客の若いカップルの乗った車が、空中に跳ね上がった。そのまま空中を飛行し、旋回して降りてくる。ぼくは車が地上に激突するのではないかと、ぞっとするが、車は無事に地面に着地する。さぞかし乗っていたカップルは怖かったと思うのに、二人は平気な顔をして車から降りてきた。ぼくは他の人たちとどこかへ行こうとしていたが、歩みをとめてみんなに「戻って、二人の話を聞こう」と言う。
結局、浜松での仕事はキャンセルになり、新幹線で帰途につく。新幹線が町田の駅に着くと、女性詩人のIはここで乗り換えて、山梨に帰ると言う。ぼくもこのまま家に直帰したいが、まだ午後1時だ。会社に帰らなくてはいけないと思う。Iもそのまま東京まで行くことになるが、新幹線がなかなか発車しないのを見て、お腹が減っていたらしく、ホームに飛び降り、うどんの自動販売機に突進する。ボタンを押すと、どんぶりに入ったうどんが出てきた。それを持って発車ベルの鳴り出した列車に駆け込もうとするが、うどん屋ののれんが外れて、彼女の邪魔をする。必死に振り払うが、また邪魔をする。それでも、ようやくのれんを振りほどいて、無事、うどんを持って列車に戻ることができた。その間、ぼくは渾身の力で、閉まろうとするドアを押しとどめていた。
8月2日の夢(バス停)
駅前のバス停のベンチに遊覧バスに乗ろうと、家族連れが座っている。両親のほか子どもが何人もいる大家族だ。そこへ中年のおばさんがやってきて、「あたしは経験者だからね」と言い、座っていないで、ちゃんとバス停の前に立って並ぶように、アドバイスする。家族連れは一度はおばさんの言うことを聞き、立ってバス停の前に並ぶが、また間を詰めただけで、ベンチに座ってしまう。
ちょっと変わった形の遊覧バスがやってきた。家族は当然バスがドアを開けてくれるものと思い込んで、悠然と座っている。しかし、ほかの車が間に入ってしまったため、少し離れたところに停車したバスの運転手は、誰も立たないのを見て、乗る意志がないと判断し、そのまま発車してしまう。慌てて家族連れは走ってバスの後を追いかけ、後部の窓を叩いてわめき立てる。運転手はようやく気づいて、「なんだ、乗るのか」という態度で、ドアを開ける。経験者のおばさんの意見をちゃんと聞けばよかったのだ。
2008年08月01日
8月1日の夢(少年愛と火山)
ぼくは取材の仕事で、頭を丸刈りにした男の子に会っている。戦後によくいた男子小学生のような感じだが、年齢はよく分からない。尋ねても、けっして答えようとしないのだ。子どもだと思うが、もしかしたら既に青年に近い年齢なのかもしれない。というのは、彼は同性愛者なので、そのために少年ふうの格好をしているのかもしれないからだ。彼を見ているうちに、ぼくも同性愛の相手として、彼に欲望を感じ始めた。ぼくは彼をものかげに連れ込む。
次の朝、彼の家の玄関から、その兄弟たちが大勢出てきて、一列に並ぶ。ぼくと少年もものかげから出てきて、彼らに加わる。ぼくはこれで帰るので、お別れの挨拶のためだ。ぼくがここまで乗ってきた車を指さして、兄弟達は「S社(ぼくの勤めている会社)さんから、さわらんようにと言われたから」と、方言まじりで言う。
そのとたん、道路の向こうから激しい爆発音がして、たくさんの小さな噴火口が地面にでき、噴煙を吹き上げながら、まっすぐぼくらの方に噴火が迫って来る。一瞬逃げようかと思うが、まだ少し距離があるので、踏みとどまって眺める。すると、噴火は途中で止まり、これ以上こちらに新しい火口ができる様子はない。火口の周りにもぞもぞ動くものが見える。どうやら鹿の群だ。火山は鹿たちといっしょに向こうへ戻っていく。
雨が降ってきた。そこへ宮崎県のお国自慢のプラカードを掲げながら、宮崎のPRソングを賑やかに歌いつつ、大人と子どもの群れがやってきた。ここまではぼくの見ていた映画で、これは映画のラストシーンなのだ。
スクリーンの前のステージにマイクを持った一人の青年が立ち、「さあ、これからぼくの話を聞いてください」と、会場の子どもたちに話しかける。ぼくはもう出かけなければならないが、お腹がぺこぺこだ。大好きなうどんと卵焼きを食べ始めるが、もっと食べたいのに鍋が見当たらない。かたわらでうどんをつるつると啜っている妻に「鍋はどこ?」と声をかける。妻はうどんを啜りながら、あちこち見回すが、鍋は見当たらず、ぼくに「もっと早く聞いてくれればよかったのに」と文句を言う。
2008年07月31日
7月31日の夢(枕と共に渋谷をさまよう)
渋谷の街をさまよって、おいしいコーヒーを飲める喫茶店かレストランを探している。確か、このビルにいい店があったと思い、開きにくい黒いドアを無理に押し開けて中に入ると、内部は工事中だ。以前は白かったドアがそういえば黒くなっていたのは、閉館されていたためなのかと気づく。それにしても、ビルの床は工事に携わる人夫たちの吐いた唾でいっぱいで、あまりにも汚い。
外へ出て、大学街の方に行ってみる。すると、奥の校舎は解体工事中だ。この街ではもうおいしいコーヒーは飲めないのだなと思う。ふと気づくと、ぼくは手に紙コップを持っていて、中にはインスタントコーヒーが入っている。あきらめて、それを飲みながら駅の方に戻る。電車に乗って、原宿まで行けば、おいしいコーヒーが飲めるかもしれない。
ホームに出ようとしたのか、ぼくはエレベーターに乗り込んだ。家族連れがいっしょに乗り込んできて、男の子が突然、投げ縄でぼくの体をぐるぐる巻きにしてしまった。父親が子どもに「やめなさい」と窘め、ぼくも子どもを「やめろ!」と怒鳴りつける。
そんなことをしている間、エレベーターは止まったままで、全然動こうとしない。エレベーターの奥には、枕を持ったやせた青年がいたが、彼が不審に思ったらしく、前に出てきて、操作盤を眺める。すると、誰もボタンを押していなかったのだと分かる。彼が階数ボタンを押すと、ドアが閉まって、エレベーターは動き出した。
ぼくは彼から枕を受け取って、二階で降りた。そこは二階のはずなのに、地平線まで緑の草木がおいしげって、とても素晴らしい場所だ。空中公園なのだろうか。枕をくれた青年と目が合い、思わずにっこりとぼくらは目礼を交わす。そして、枕をどこに捨てようかと悩みながら、公園の中をさまよい歩く。
2008年07月28日
二日分の夢(郵便局・旅館・大使館)
また、夢のアップを溜め込んでしまっていました。
(7月25日の夢)
タクシーを郵便局に乗り付け、運転手に「運転手さん、待ってて」と言って、降りる。と、そこにいた中年の女性がちょっとためらった後、そのタクシーに図々しく乗り込んでしまった。ぼくは自分の荷物をタクシーのトランクに載せたままなので、用が済むまで運転手に待っていてもらわないと困るのだが。
とにかく郵便局の中に入る。カウンターがあり、左と右に窓口担当者が座っている。なぜか左側の窓口だけ列ができていて、女性客が担当者に盛んに何かを依頼している。一方、右側の中年の男のいる窓口には誰も客がおらず、男は手持ちぶさたな様子だ。ぼくはなぜか左右の二人の担当者を無視して、二人の間から奥に向けて「すみません」「お願いします」と声をかける。遠くで「はい」という女性の声がするが、なかなか出てきてくれない。ぼくはタクシーのトランクの中にある荷物をどうしても、その声の女性に受け付けてもらいたいのだ。
旅館にカメラマンらと三人で泊まっている。朝、起きて、朝食に行こうとして二人とはぐれてしまう。幸い、一人で朝食にはありつけたものの、旅館中一階も二階もあらゆる部屋を探したのに、はぐれた二人を見つけ出すことができない。
外へ出ようとすると、ちょうど宅配便がぼく宛に届いた。別のカメラマンからの仕上がりのCDだ。ぼく宛の手紙も付けられている。もしかして、今回の仕事をしたのはこのカメラマンで、ぼくがはぐれたと思っているカメラマンたちは最初から存在しなかったのではないかという気になる。
(7月28日の夢)
義弟がカンボジア大使館に就職したという。それで彼を頼って、カンボジアの殿下と、ぼくの義兄の対談をしてもらうことにし、夜、夕食も食べないまま、その大使館に出かける。
大使館には二間続きの待合室があって、ぼくのようなジャーナリストや地元の陳情者たちが大勢、殿下と面会できるのを待っている。しかし、いつまで待っても義兄が現れない。携帯で電話してみようと思うが、最近買い替えた携帯は使い方がわからず、「通話履歴」を表示させることができない。最初からそういう機能は付いていないのかもしれないと思う。もしかしたら義兄から知らないうちに電話連絡があったかもしれないのに、これではそれを確かめることさえできない。
やむなく義弟を探して、大使館の執務室の中に入ってみる。しかし、館員たちは全員食事中で、義弟の姿も見えない。第一、義弟とはもう何年も会っていないから、顔さえよく覚えていないのだ。
もう一時間半も待ったのだから、このまま帰ろうかと思ったとき、隣の部屋に立って、ぼくを見て笑っている男がいる。髪をポマードのようなもので、ぴったりと撫でつけ、面やつれしてカンボジア人と見違えるようだが、きっと義弟だろう。彼は「××です」と自分の名前を名乗る。やっぱりそうだった。ぼくは彼に「もう義兄は来ないかもしれないね」と言う。彼はにこにこしながら、「あっ、そう?」と言う。
2008年07月22日
7月21日の夢(狂犬病)
(福岡のホテルで昨日見た夢です)
日本で狂犬病が猛威をふるいだした。ある日、放送で突然、「今あなたの家にいない犬はもう帰ってこないかもしれません。海外へ行っている人も帰ってこないかもしれません」とアナウンスされたのだ。しかも、状況は日増しに悪化の一途をたどっていく。犬好きの姉妹のような女性二人と、ぼくは飼い犬を大きな保健施設へ連れて行く。ここで検査を受けるのだ。犬はそこへ着くまでの間に、何度もマーキングする。ぼくと犬が検査を受けている間、二人は離れたところにいる。施設の係員が、ぼくの提出した検査試料の、検査の終わったものを返してよこした。ぼくは大声で二人に「終わったぞ」と呼び掛ける。
2008年07月18日
7月18日の夢(団体旅行)
詩人の団体旅行で列車に乗っている。まだ降りる駅は先だと思っていたのに、ふと見ると、皆降り始めているではないか。ぼくは周囲に散らばった大きな荷物や上着、切符などを慌ててかき集め、両手にぶらさげてようやく降りることができた。
改札口の前に1両の貨車が停車していて、右半分を通せんぼしている。左半分はあいているのだから、通れるはずなのだが、そこは通ってはいけない規則らしく、皆おとなしく貨車が動くのを待っている。
やっと貨車が動いたので、改札を出る。その先の待合室はお店になっている。長老詩人のM氏が一つのテーブルにつき、「並んでいるテーブルを占領しておいたよ」と言う。ぼくは「じゃあ、ぼくも隣に」と彼と同じテーブルにつこうとするが、思い直して隣のテーブルにつく。
2008年07月17日
7月17日の夢(詩人がいっぱい)
国文学者で詩人のF氏の家へ、O、N両夫妻と共に、妻と遊びに行く。F氏宅の和室には大きな黒板があり、左右の半分は緑で、半分は青色に塗られている。どうやら、ここで塾も開いているらしい。みんなとの会話の中で、高見順賞が資金がなくなって終わってしまい、賞の名前だけをどこかのアマチュアが買い取ったという噂を聞く。ちょっと外に出て、妻とぼくが部屋に入っていくと、みんなは食事をしている。ぼくと妻だけ、食べ物がない。もう11時だ。早く家に帰りたい。
F氏宅を誰かの車に同乗させてもらって、出る。運転手は途中、大きな杉の木のある神社のような場所に車を乗り付け、真っ暗な闇の中の神社を覗き込む。すると、そこは神社ではなく、中南米現代詩の翻訳で知られるF氏の自宅であることが分かる。
2008年07月15日
7月15日の夢(バスに乗ったり降りたり)
ターミナルのバス停からバスに乗る。次のバス停で一人の乗客が降りると、乗客全員がつられて降りてしまった。しかたなくそのバス停で、全員が30分後か1時間後に来る後続のバスを待つことにする。
妻がバス停の地下に降りていき、トイレに入った。と、バスがやってくるのが見える。ぼくは階段を駆け下り、「バスが来たよーっ」と叫ぶ。地下の奥のドアがトイレだと思ったのに、思いがけず左側のドアから妻の返事が聞こえたので、びっくりする。
ぼくは地上へ走り出て、「乗りまーすっ」と運転手に向けて叫び、二人はやっと乗り込むことができた。
だが、乗った後、ぼくの腕がバスの中の何かにひっかかり、持っていたコップの中身をあらかたこぼしてしまうが、何とか全部はこぼさずにすんだ。
2008年07月14日
7月14日の夢(撃墜)
チリの国に留学して、妻と地下鉄に乗っている。妻がペットボトルを手に、「ここではいつお茶を飲んでもいいらしいけれど、コップがいまだに見つからないの」と言う。ぼくは「ボトルから直接飲めばいいじゃないか」と答える。
空を飛んで、哨戒飛行をしていると、敵が飛んできたので、撃墜する。墜落した敵は坂を悲鳴を上げながら転がり落ちる。ぼくが追撃して、なおも銃を向けると「撃つな!」と叫ぶ。坂を転がり落ちているときは一人に見えたが、坂の下で立ち上がったところを見ると、もう青年に近い少年と、小さな少女が絡み合って、一人に見えていたのだった。
2008年07月13日
7月13日の夢(今日で退職)
いよいよ今日は退職の日だ。今日で長年勤めた会社を辞めるのだ。ぼくは同僚たちに感謝のカードを送ろうと、皆の集合写真をスキャンしてパソコンに取り込み、それをバックに全員の名前を書き込んでいく。ところが出来上がったカードを画面でチェックしてみると、社員の名前の数が実際より多い。どうも重複して打ち込んでしまったようだ。何度も見直してみるが、どこが間違っているのか分からない。これでは、使えない。このカードを配るのはやめにしようと思う。
そのとたん窓にはめられていた長方形のサッシが、「ダーン!」という音と共に、外側へ吹き飛んだ。窓の外は荒れ狂う日本海だ。この会社はいつまでここで持ちこたえられるだろうか? それに明日からぼくの仕事を誰が引き継いでくれるというのだ? 引き継ぎもしていないし、会社に置いてある私物だって、家に送り返さなければならないだろう。とりあえず一週間に一度は出社しなくてはいけないかもしれないな、と思う。
2008年07月10日
7月10日の夢(豪華ホテルの怪)
豪華なホテルに宿泊した。チェックアウトするとき、若い制服を着たホテルマンに旅行保険への加入を勧められる。気軽な気持ちで契約書にサインをすると、何十万円もの保険金を請求される。断ると、ヤクザのように脅迫される。
ホテルの中のレストランで使える金券が数万円分あったので、それをレストランに持っていき、現金に交換してもらった。ところがせっかくの数万円の現金をホテルの床に置き忘れてきてしまった。青くなって取りに戻ると、現金が消えて、同じ場所に元の金券が置いてあった。通りがかりの女性に「変だな。お金に換えたのに、チケットに戻ってしまった」と言うと、「それはすごいですね。普通は金券をお金に換えてはくれないですよ」と言われる。それもそうだなと思う。
2008年07月08日
7月8日の夢(ズボンを脱いで会議)
ぼくの住む団地の運動会で、大人のリレー競技が行われることになった。ぼくも出場を依頼されたが、ぼくが出るとなると、「なぜ運動会などする必要があるのか」と自治会の理事達と喧嘩になることが目に見えているので、妻に代役で出てもらうことにした。
夜の6時半から上野でお弁当を食べながら友人と打ち合わせをする約束をした。その前に午後、マンションの事務室で会議をする。会議の前に、まずぼくはズボンを脱ぎ、部屋の片隅に投げ捨てる。打ち合わせが終わった後、取りに戻ると、なぜかズボンは部屋の反対側に移動していた。
会議の間は夢中だったので、気づかなかったが、どうも大幅に時間を超過したらしい。自分の腕時計を見るが、見る度に違う時刻を針が示している。かたわらの友人に「今何時?」と尋ねると、もう9時か10時だという。これではせっかく用意してもらっていた上野の弁当も無駄になってしまったなと思いながら、がっかりして家に帰ると、妻が「じゃあ、今夜はこれから上野でお弁当ね」と言う。びっくりして今何時かと尋ねると、まだ4時頃らしい。なーんだ!?
2008年07月06日
7月6日の昼寝の夢(詩人の宴会)
大きな蕎麦屋か料理屋の二階の座敷で、有名詩人たちの宴会が開かれているので、後からぼくも顔を出してみる。詩人の宴会の会場らしく、つましい畳敷きの古い座敷がいくつか並んでいて(旧神楽坂エミールのような感じ)、それらの部屋の間の真ん中に、畳二畳ほどの小さな間仕切りのない部屋があり、そこで幹事役らしい女性詩人二人が座卓に向かってひっそりと飲んでいた。座卓の上や二人の周りの畳の上には、沢山の伝票が散らばっている。周囲の部屋で飲んでいる沢山の大詩人たちの伝票を、二人がすべて預かっているのだろう。
ぼくは喉の乾きを覚え、自分も詩人の一人なのだから、この伝票のどれかに割り込んで、何か飲みたいと思い、何枚か伝票を手にとってぱらぱらめくってみるが、すぐにそんな必要のないことに気づき、座卓の上の飲みかけの瓶を探って、ちょうどコップ一杯分残っているウーロン茶を見つけた。「何かぼくにも飲ませてね」と彼女たちに声をかけた上で、ぼくはウーロン茶をコップに注いで飲み干す。
2008年07月05日
7月5日の夢(ピアニスト取材)
ピアニストのコンサート取材に、ベテランカメラマンのU氏、その助手、ライターのぼくの三人のチームで、車で出かける。途中、何かの建物に入って、休憩をする。時間が迫っているのに、他の二人がのんびりしていて、なかなか出発しようとしないので、不安になる。しかも、地図をなくしてしまって、どう行けばよいのか分からない。おまけに、ぼくの着ているスーツは、ズボンの股に穴があいてしまっているし、あちこちすり切れてビリビリだ。さらに、車もぼくら自身も乾いた泥にまみれて、さんざんの有様だ。これで、ピアニストの前に出られるのだろうかと、途方に暮れていると、いつのまにかぼくを残して、他の二人だけで取材に出発してしまった。
やがて帰ってきた二人はぼくに、コンサートで意地悪なことで知られる女性ライターに会ったと言う。「二日続きのコンサートで、昨日の方がいいプログラムだったのに、私は仕事で行けなかった。今日は私は自費で来ました。あなたたちは仕事でこられていいわね」と皮肉を言ったというのだ。おまけに、取材相手のピアニストは「今日は時間がないので、明日どこそこへ来るように」と言ったという。こんな惨めな格好で会わずにすんだのはいいが、明日は日曜日なのに仕事なのはうんざりだなと思う。
2008年07月02日
7月2日の夢(薬袋)
クリニックの薬局で大量の薬を受け取る。大学ノートほどの大きさの巨大な薬袋に入ったそれを、袋のまま宛名を書いてどこかへ郵送しようとする。待合室でごたごたしている間に、かんじんのその袋をどこかへ置き忘れてしまった。困って薬局の受付に行き、薬剤師の女性に「こんな袋をどこかに置き忘れていないでしょうか」と尋ねる。すると、「預かっていますよ。ただ、重いために、郵送すると切手代が3000円くらいかかるので、どういようかと思っていました」と言う。そんなに料金がかかるなら、中身を減らして軽くしようと、ぼくは薬をどんどん取り出す。手にする薬袋がどんどん軽くなる。
2008年07月01日
7月1日の夢(社屋改装)
原宿の旧社屋がリニューアルされ、いくつかの教室が造られた。そのうちの一番奥の部屋はぼくの担任の教室になるはずなので、懸命に生徒を指揮して、片づけをしている。ぼくが自分で重たいゴミを運び出すのだが、生徒たちはちっとも手伝ってくれない。運んでいる荷物に使い古しの絵の具が入っていたらしく、それがこぼれてズボンのあちこちに色彩豊かな染みが広がった。
やっとゴミを捨て終わって、部屋に戻ると、いつのまにか部屋は片づけられ、会議室になっていた。ぼくの教室ではなかったのだ。がっかりして、閉まりかけたドアをやっと開け、その部屋から出る。ふと見ると、教室として使われている部屋以外に、広い部屋があるのを見つける。ここは何に使われるのだろうと、興味津々で中を覗き込む。
2008年06月28日
6月28日の夢(女性の死体を食べる)
昼食をみんなと一緒に床に座り込んで食べる。ぼくのお弁当は透明ファイルブックに入っている女の子の死体の丸干しだ。一ページごさにさまざまな人種やキャラクターの若い女の子の死体が、小さく縮んで入っている。中にはもう少し変色しているものもある。ページをめくり、なるべくまだ変質していない新鮮そうな死体を選んで、口に入れる。とても甘い味がする。食べている途中で、こんなものを食べているところを見つかったら恥ずかしいと思い、慌てて隠し、さらに借りてきた某財団へ返しに行く。
2008年06月27日
二日分の夢(途方に暮れる)
(6月26日の夢)
社長の運転する車で秋葉原へ行き、ビルの駐車場に車を止めて、社長だけ降りる。車は普通の乗用車だが二階建てで、ぼくは二階の助手席に乗っている。
社長がブレーキをかけ忘れたらしく、車は勝手に動き出し、右に左に大きく動いては戻る動きを繰り返す。そして、振り子のようにその動きがどんどん大きくなる。ブレーキを自分で引こうにも、二階席にいるぼくからは手が届かず、外を歩いている人たちに大声で助けを求める。だが、ガラス越しなので聞こえないのか、誰もそ知らぬ顔をしている。ここは秋葉原だから、誰も助けてくれないのだと思う。
そこへやっと社長が戻ってきて、ブレーキを引き、また降りる。しかし、そのブレーキも効かず、車はまた左右にゆっくりと動き出す。また助けを呼ぶが、やっぱり誰も助けてくれないので、ぼくは車から飛び降りる。やっと、外に出て車を見てみると、少し動きが鈍ってきたようだ。
(6月27日の夢)
ぼくの所属する企業グループが買収に合って、崩壊に瀕している。S社の営業マンのKくんも退職する予定だった。ところが出社してみると、新たに子会社として自動車販売会社ができ、Kくんが社長に抜擢されて、戸外の中庭のような陽の当たる広場で記者会見が行われているのに、びっくりする。
それを横目に見ながら、ぼくはロビーに行き、なじみの印刷屋を探す。会って「ダイアリー」の校正を戻していると、偶然クライアントのF氏もそばにいて、黙ったままその校正を見ている。ぼくは1ページだけ抜けている校正紙があるのに気づく。そのページに赤字は入っていないはずだが、返却しないわけにはいかない。「きっとコピー機に置き忘れたんだ」とぼくは思い、慌てて取りに戻る。ビルは痛みが激しく、階段の踊り場の部分が大きく崩れて、そこは森や崖のようになっている。そこを通り過ぎて上階に行き、コピー機を見ると、なんとぼくは3ページも校正紙をそこに置き忘れているのだった。しかも、ないと思っていた赤字がいっぱい入っているし、引用されているデータはあまりにも古いものばかりだ。「急いで直さなくては!」と思い悩みながらロビーに戻ると、そこには印刷屋もクライアントもみんないなくなっていて、ぼくは途方に暮れる。
2008年06月24日
6月24日の夢(巨大トイレと飛ぶ男)
久しぶりに夢を覚えていたら、やっぱりトイレ夢でした。
(夢ここから)
トイレのドアを開けると、中にガリバーが使えそうな巨大な白い洋便器が一個あった。白い便器なのだが、後ろ半分の汚れがひどく、ちょっと触っただけで、指に黄色いものが付いてしまった。おまけに便器の後ろ半分には男たちが沢山腰掛けている。しばらく眺めていると、便器の汚れもそれほどではない気がしてきた。そこで、男たちにスペースを空けてもらい、便器の上に登る。普通の便器は壺のようになっていて、そこに水がたまっているものだが、この便器はてっぺんに鉄の蓋がついている。用を足すときは、それが開閉する仕組みになっていることを確認し、ちょっと安心する。
正義の味方か悪漢か分からないが、一人の男が変身する。頭の上に鬼のような二本の角が生える。そして、首全体がブオーンと轟音を立ててドリルのように高速回転し、それを推進力にして、スーパーマンのように道路の上を低空飛行していく。首全体が高速回転するので、よく目が回らないものだと感心するが、目に特殊な眼鏡が装着されていて、大丈夫らしい。プオーンという爆音を残して、男は右の方に飛んでいき、男を追って移動する画面からいったん外れるが、しばらくしてまた画面左から再登場する。
そして、男は右に90度カーブして、ある家の門に入っていく。しかし、ぼくの目は見逃さなかった。再登場したのは、さっきの空飛ぶ男ではなく、スクーターにまたがった詩人の長谷川龍生氏だった。
2008年06月18日
6月18日の夢(横に動くエレベーター)
久しぶりに横に動くエレベーターに乗りました!
(夢ここから)
ぼくと妻は10人くらいのバンドでプレイしていた。しかし、メンバーは一人去り二人去り、今はリーダーの男とぼくたち夫婦だけのトリオになってしまった。三人で駅の人けのないロビーで打ち上げをする。リーダーはぼくら夫婦がいる位置とは全然見当違いの誰もいない方向を向いてスピーチを始めた。とうとう彼は狂ってしまったのだろうか。ぼくとリーダーは取っ組み合いの喧嘩を始める。喧嘩が終わったときには、ぼくもリーダーも二人とも死んでいた。すべては終わったのだ、と思う。
リニューアル工事中のYビルに入る。ぼくの前に入った男は「工事中だから」とヘルメットを貰えたのに、ぼくは「三階へ行きます」と言ったのに、貰えない。Y社の女性社員がぼくに「予防注射に行くの?」と尋ねる。ぼくはむっとして「CDの打ち合わせです」と言う。
エレベーターで三階に昇り、用をすませてまた降りようとする。エレベーターホールは幼稚園児たちとそのお母さんたちでいっぱいだ。エレベーターのドアが開いたので、乗り込もうとするが、このエレベーターは彼ら親子たちの専用らしい。乗らなくてよかった。危うく恥をかくところだったと思う。次に来たエレベーターに乗る。気づくとエレベーターは途中から横に動き出す。窓から覗くと、さっきまでいたビルがどんどん遠ざかり、エレベーターが砂煙を上げて地面を疾走しているのが分かる。三階から降りて、別のビルの一階にこのエレベーターは何事もなく着くはずなのだ。
2008年06月17日
6月17日の夢(人でいっぱいの家)
妻が出かけ、家で一人で留守番をしていると、二人の女の子がピアノを習いにやってきた。さらに、その父親もやってきた。カメラマンのI氏もやってきて、小物を撮影しながらみんなに「どなたか、ぼくに声をかけていただけませんか」と言っている。しゃべりながらの方がリラックスして撮影できるのだろう。そんなこんなで家中が人であふれかえってしまった。ぼくはそこへ帰ってきた妻に「こんな大家族になってしまって・・・」とジョークを言う。
野外劇をしている。1970年頃の街頭デモのシーンだ。全員青い透明ビニールのような衣裳を着た人々が列になって、デモをしている。その列に交差するように、別の方角からもっと大勢の青い衣裳を着たデモ隊が歩いてくる。「あのデモ隊は大勢ね」という声が聞こえる。火のついた風船のようなものが、空中を飛び交っている。火炎瓶か何かの小道具だろうか。ぼくは怖がってそれを避けているが、小道具なのだから、そんな怖がらなくてもいいことに気づき、避けるのをやめる。
前方からやってきたたった一両の列車がすごい勢いで、ぼくの前を通り過ぎ、反対側へ急カーブを切る。ちょうどぼくを中心にUの字の形に元来た方向へ少し戻って急停止する。
それを見てから帰宅すると、障子か襖のようなものが全部閉められ、家族はその中にいる様子。なぜか、ぼくの分の食事だけが、外の部屋に置いてある。ぼくはそれを食べようと思うが、ふと、閉めた障子か襖の中で家族たちはもうみんな食事をしているのかどうか、開けて確認したい誘惑にかられる。そんなぼくの心を見透かしたように、妻の「めんどくさい人ね」という声が聞こえる。
2008年06月15日
6月15日の夢(アメリカのピラミッド)
アメリカへツアーで旅行に行き、列車に乗る。窓から線路脇にそびえる巨大なピラミッド型の山が見える。すぐそばに近づくと、それはほぼ正方形の巨岩を積み重ね、その石と石の間に苔や植物が生えたものだ。同行しているコピーライターのIくんが「これはなんとか(「なんとか」の部分は不明)ピラミッドだ。だけど、おかしいなあ、こんなものがアメリカにあれば、だれだれ(「だれだれ」の部分も不明)の本に書いてあるはずだけどなー」と首をひねる。そのピラミッドの山の隣にもっと小型のピラミッド型の山がある。そばで列車が信号待ちをしていると、いきなりパキッという音がして、岩の一部が崩れ、窓から車内に飛び込んできた。ぼくは驚いて、反射的にそれを窓から外へ投げ捨てる。すると、またバキッと大きな音がして、それの当たった反対側のレールの一部が欠けてしまう。しまった。事故が起きるかもしれない。下を歩いている通行人の頭にでも当たったら、自分が罪に問われるところだったと後悔するが、誰もぼくをとがめることはなく、列車はその場を離れた。
同行している女性ガイドが「皆さん、お昼はウナギですよ」と言い、みんなを連れてウナギ屋に入っていく。そのときにはガイドはいつのまにか中年の男性に変わっている。そして「まずトイレへ行きましょうか」と、みんなをトイレに案内する。トイレの入り口に順番待ちをしている男がいる。だが、それは男の勘違いで、トイレは便器が沢山あり、空いている。便器というのは、みんな普通の椅子だ。椅子が沢山曲線状に配置され、そこに詩人のK氏などが腰掛けて、まるでただ座っているだけという格好で世間話をしながら上手に用を足している。ぼくも早く空いている椅子に座りたいが、椅子の列と列の間に隙間がないため、なかなか割り込むことができない。
ふと見ると、左の衝立の向こうも同じようなトイレで、こちらには中学生と小学生の男女が座っている。その一番端にぼくも座るが、用の足しか方が分からない。「どうやってやるの?」と子どもたちに質問するが、実際に座ってみるとやり方が自然に分かった。ぼくの隣には10歳くらいの緑色のドレスを着た女の子が座っていて、そのスカートがぼくの椅子にはみだしている。しまった。彼女のスカートを汚してしまったかもしれないと思い、慌てて手でスカートを払いのける。だが、子どもたちはおしゃべりをしていて、何も気づかない。
用を足し終わり、ウナギ屋に戻ることにする。ちゃんと戻れるかどうか心配だ。だが、角を曲がると、見慣れたウナギ屋の建物があり、ほっとする。店の中ではもうみんな鰻重を食べ終わったところだ。アメリカの鰻重は小さな長方形で、とてもお腹がいっぱいになりそうにない。「ぼくのはまだ残っていますか」と尋ねると、みんなは一瞬しらけた顔をするが、「ハ」の字型に食べ終わった食器が並んでいる中に、一つだけまだ手のつけられていないものがあった。ああ、よかった。これでお昼にありつけると思ったとたんに、目が覚めた。
2008年06月14日
二日分の夢(やりたくない仕事)
(6月13日の夢)
飛行機に乗って、アラスカのような深い森林を抜けて、祖母の住む家に行く。祖母は「もう出かける」と言っていたが、有り難いことにここにまだいてくれた。
(6月14日の夢)
仕事で社長ともう一人の男性社員と、三人で出かけた。ただし、ぼくは社長に違和感があるので、単独行動をしており、二人の声は聞こえるが、姿の見えない場所にいる。ここは東中野の駅で、これから横浜行きの電車に乗り換えるため、乗り換え通路の階段の途中の踊り場にいる。ぼくは大きな書類封筒を持っている。ぼくはもう会社の仕事などしたくないのだが、社長が「この仕事はおまえがしなくてはいけない」と言うから、しかたなく書類を運んでいくのだ。
そこで、ぼくは封筒をスーツの内ポケットに突っ込もうとするが、引っかかってどうしても入らない。しかたなく上着を脱いで、まず内ポケットに書類を入れ、再び上着を着ようとする。すると、右手は上着の袖に通すことができたが、左手がどうしても袖を通らない、上着を半分着た状態でもがいていると、ホームに乗り換えの列車が滑り込んできた。ぼくはしかたなく、上着を半分つっかけた状態で乗り込む。
2008年06月12日
6月12日の夢(夜のピクニック)
「夜のピクニック」のようなハイキングを沢山の人たちとしている。メンバーには偉い有力者もいれば、ぼくが研究会で育てている最良のメンバーたちもいる。最後のゴールはぼくの家だ。ぼくは有力者と共に先頭集団で我が家へ入り、椅子のいっぱいある小ホールのような部屋で休む。「さあ、椅子だけは沢山ありますから」とぼくは皆に座るよう勧め、自らも着席して後の人たちの到着を待つ。
見ると、有力者の男は押し入れの上段に上がり、ぼくの蒲団の上にあぐらをかいている。なんだか自分の蒲団が汚されている気がする。ぼくは最初普通の椅子にかけているが、奥にあるもっと大きな椅子にかけたくなって、移動する。しかし、それらの椅子は大きすぎて、ぼくには座ることができない。
しかし、待てど暮らせど後続の人たちは到着しない。そのグループには最良のメンバーが属しているのに。そういえば、手前で誰かにどこかのお店に連れ込まれた様子だった。それから道に迷ったか、それともここへ来るのがいやになってしまったのかもしれないと思う。
2008年06月10日
6月10日の夢(去勢の夢だーっ)
友人の女性漫画家さんが1年間休業した後で、仕事を再開した。1年前に集まった助っ人さんたちを再結集して新作を書いたのだが、助っ人の一人の男性に影響されて、とても素直な作品を描いてしまった。そのため、作品が不評だという。(←実在する漫画家さんとは何の関係もありません。念のため)
猫を遊ばせようとして、ハリガネに人形(猫の首のミニチュアのようなもの)をぶらさげたもので、じゃらしてみる。棚の上で休息していた猫は、それに反応して飛び降りてきたが、いきなりぼくのペニスにぱくっと食いついた。慌てて猫を引き剥がすと、ちょうどペニスの形(円筒形)にスペルマの真っ白な塊が床に落ちた。しまった。これで、ぼくの体は大丈夫なのかと、不安にかられる。
大きなパーティを開くことになり、人手が足りない。2,3代前のご先祖様の幽霊に出てきてもらい、手伝ってもらう。
中国の貨物列車の中にいる。といって、走っているわけではなく、列車は停車している。ぼくはその中で、何度か「写るんです」のシャッターを押すが、何度やってもストロボが光らない。こんなことをしていたら、中国兵につかまるのではないかと不安だ。
案の定、どやどやとやってきた兵士たちにぼくは捕らえられ、靴が脱げる。靴がどこへ行ってしまったのかと懸命に探すが、見つからない。
なぜか別の車両に行って、貨車の扉のところから足を外にぶらぶらさせている。隣の車両で、盛んに中国兵たちの声が聞こえる。
2008年06月07日
6月7日の夢(居酒屋)
お酒はもともとは飲めない方ではないのに、ちょっと飲むだけで不整脈が出るようになったので、最近は殆ど飲みません。夕べは眠る前に缶ビールの一番小さい缶をあけたのですが、やっぱり寝ている間に心臓に負担がかかったのでしょう。一晩中、お酒を飲む夢や、急な坂を登る夢を見ていました。
(夢ここから)
出張から皆で帰ってきた。早く家に帰りたいが、とりあえず打ち上げをしようということになり、男性三人で居酒屋に入る。三人で飲むうち、真ん中に座っていた一人が外へ出ていった。彼を待つうち、ほかの客がどやどやと入ってきて、残ったぼくともう一人の間に座ってしまった。そのため、ぼくたち二人は引き離されて、孤独のうちに飲み続ける。首を伸ばして、見てみると、隣にももっと大きな部屋があって、そこにもどんどん客が入ってきて、店内はいっぱいになっていく。
2008年06月06日
6月6日の夢(原宿のバス停)
妻と原宿の表参道のバス停で待ち合わせている。妻は既にそこへ着いているはずで、ぼくは表参道が木立越しに見える一本裏通りの路地を急ぎ足で歩く。ところが、表参道にこないだまで通じていた場所にいつのまにか門ができ、そこをふさぐように怖いおじさんたちとアメ車が止まっていて、出るに出られない。引き返し、木立の間を通り抜けて表参道に出ようとするが、間には細い水路と鉄条網があって、通り抜けることができない。
いつのまにか妻とバスに乗っている。表参道からバスは青山通りに曲がり、外苑前方向に進んでいる。停留所に止まったので、はっとして妻に「どこ?」と尋ねる。乗り過ごしてしまったのではないかと、不安になったのだ。妻も「そういえば見慣れない場所ね」と言う。窓から見えるビルの壁に、走りすぎる電車の影が映る。ということは、ここで降りてちょうどいいのだ。
そこは見慣れた場所のはずなのだが、右手と左手にちょうど90度の角度をなして、赤い稲荷神社が見えて、ぼくは一瞬方角を失う。でも、「多分、こっちだ」とぼくは言って、妻を誘導していく。
2008年06月04日
6月4日の夢(仲間はずれ)
フランスへ男女数人で遊びにきている。ぼく以外はわりと若い人たちだ。何部屋かつながった場所を借りて、ぼくはその一室にひとり離れ、殆ど眠ってくらしている。仲間たちはぼくを相手にもしてくれないから、気が滅入って、やる気が出ないのだ。
それでも、今日は船に乗って、海の向こう側へ遊びに行こうと皆が言うので、ぼくもわくわくして、起きあがる。ちょっとホテルから外出して、ピクニックの出発前にホテルに帰ろうと歩いていると、ホテルから出てきた仲間たちと遭遇する。皆、荷物を持っている。問いただすと、皆もう日本へ帰国するという。これでは、ぼく一人フランスに置き去りにされてしまう。
慌ててホテルに戻り、食堂で働いているおかみさんに宿泊費の精算を頼む。お札を出すと、まずいろいろなおみやげが貰えた。ハンディな蛍光灯スタンドのようなもの。それからお釣りがきた。コインではなく、一升枡くらいの大きさの錫の塊の側面を切り取ったような不定形の立方体がお釣りだという。珍しいので、ぼくはその錫の塊をしげしげと触って眺める。その間におみやげが消えてしまったが、この錫の塊を貰えたのなら、それでいいと思える。とにかく、これで日本に帰れるのだ。
2008年06月02日
6月2日の夢(地上を飛ぶジェット機)
厳しいことで知られる演出家が、ぼくが書いたシナリオのドラマの演出を引き受けてくれ、今日がその稽古の初日だ。リハーサルが始まるまで、ぼくらは大勢の役者たちと共にロビーで待つ。定時の5時になったので、ぼくは役者たちに「では202号室に移動してください」と号令をかける。
廊下で演出家は役者たちに「では、胸にこのモニターを二人一組になって付けてください」と呼びかける。木のトレイに入った名札型のモニターを役者たちは、皆胸にとりつける。ぼくも付けるべきかなと一瞬迷うが、役者ではないのだから、付けなくてもよいだろう。
しかし、202号室ではまだ前の稽古が終わらず、少女たちがダンスのリハーサルに余念がない。曲が終わるまで待つしかない。
ビートルズの珍しいフィルムの映写会のため、金沢に出張することになった。急がなければならないが、移動手段がないので、あるジェット旅客機のパイロットにお金をつかませ、そのジェット機に乗せてもらうことにする。だが、ジェット機は殆ど地上すれすれの高度で道路の上をゆっくり飛んでいる。これでは自動車と変わりないではないか。隣にいた同僚が「うわあ、椅子がひっくり返った。待ってくれえ!」と叫んで、道路に転がったので、その理由が分かった。ぼくと同僚だけが、飛行機の外部に椅子をくくりつけられていて、外をいっしょに飛んでいたのだ。だから、空気の薄い高空を飛ぶことができず、ジェット機は地上すれすれを低空飛行していたのだ。なんとか同僚も椅子にかけ直すことができたので、ジェット機は再び離陸し、福井を経由して、ぼくらは金沢に着くことができた。
ホテルで上映会が始まった。このホテルはこの映画を撮るときにビートルズが泊まったホテルでもある。ぼくは一度その映画を見ているので、また見る必要はないと思い、終わり頃に会場に行く。すると、最後にぼくの知らないシーンが付け加わっていた。制作スタッフたちが自ら出演し、かっこよく歌ったり演技したりしている。なんだ、それだったらぼくも参加すればよかったなと思う。
同僚が「このホテルには飲酒制限があってね。ビールも何本までと決まっているんだ。ジョージなんか、冗談じゃねえよと怒っていたよ」と言う。
上映会が終わり、帰宅しようと思う。もう夜の9時だ。10時までには帰れないと、妻に言ってこなかったなと思う。「これから飛行機で帰る」と、ぼくが言うと、みんなびっくりする。女性が「私とこれで帰りませんか」と言うので、見ると、真っ白な円盤形の乗り物が駐車している。すごいスピードで走る乗り物らしい。「それは有り難いですが、料金はおいくらですか」と、ぼくはタクシー代の心配をする。
2008年06月01日
5月29日の夢(社員食堂)
(3日前の夢です。社員7名の会社に社員食堂はありませんが)
土曜出勤で会社にいる。お昼の弁当を食べ終わった後で、一階に降りてみる。すると、そこは社員食堂で、立食パーティのテーブルのようにさまざまな料理が用意されている。料理の下では食材を温める炎がちろちろと燃え、同僚たちは楽しそうに、賑やかに食事をしている。お腹はいっぱいだけれど、こんなおいしそうなものを目にしては、食欲を抑えられない。ぼくはそっと食堂の中にすべりこむと、爪楊枝を一本取り、大好物の蒲鉾と卵焼きをそれに刺して、口に運ぶ。ぼくは潔癖性なので、誰かの唾がついていないか心配だ。できるだけ、清潔そうな食材を選ぶ。
2008年05月31日
5月31日の夢(ラブホで暮らす)
ラブホテルをしている旅館が下宿屋に転業したので、ぼくら夫婦もここに住むことにした。一つの畳敷きの部屋を見知らぬ何人かでシェアするのだ。先客は若い無口の、愛想のない男。この男は突然、ガラッと戸を開けて中に入ってくるので、妻が「きゃっ」と悲鳴を上げる。こんなやつと、はたしてうまくやっていけるのか、不安だ。あとからもう一人、若い女の子も同室者に加わった。
それにしても、ぼくは一枚のシャツをずうっと着たままだ。たまにはもう一着のシャツに着替えようと思う。
電車の停留所にいる。道に迷ってしまって、帰るに帰れない。
2008年05月30日
5月30日の夢(歌うことが闘いだ)
外では闘いが起こっている。外から帰ってきた中年の男が「外は人が多すぎる。40人ほどもいる。こんなにいなくてもいいのに」と言う。外でこの建物を守っているぼくらの守備隊の人数の話だ。銃撃の音が聞こえる。だが、それに混じって、高くギターをかき鳴らして歌う声も聞こえる。彼にとって、歌うこと、ギターをかき鳴らすことは、銃撃と同じく闘いなのだ。もうすぐ彼は敵の銃弾に倒れるだろう。だが、それでもなお、彼は苦しい息のもと切れ切れに歌い続けるだろう。
というストーリーのアニメを見終わったクライアントのM氏が「これよりもう一つの作品の方がいいのでは?」と言う。それに対して、ぼくは立ち上がって、次のように演説する。「いいえ、ぼくはそう思いません。なぜなら、この作品は歌うことと銃を撃つこととは同じだ。そういう作者の思いを伝える作品なのだから」。
デパートの中を歩いている。ぼくは別のフロアの「中央通路」に出たいのだが、そこまでの行き方が分からない。うろうろしているうち、一つのドアに手をかけると、制服のデパートガールが「それは外へ出るドアですよ」と注意してくれる。だが、ぼくは「それでいいのだ」と思って、ドアをくぐる。
確かにそこはデパートの外だ。上階だと思っていたのに、もう地上階だったのだ。ここをデパートの外壁に沿ってどんどん歩いていけば、センター通路への入口に行き着くだろう。だが、ちょうどデパートの中央部は工事中のシートがかけられていて、そこから中に入ることができないで、ぼくはそのままデパートの右端まで出てしまった。
そこには大きな通りがあって、夜店の出店準備が着々と進んでいる。
会社のトイレに入る。右奥の床に深い穴があいていて、そのはるか底の方に禿頭が見える。S印刷のK氏の頭だ。この穴の底の個室で、用を足しているらしい。ぼくは左手のデスクに座り、スーツを着たままでおしっこをする。誰かがぼくを呼びに来て、「もう行こう!」と言うが、用を足している最中だから、まだ立ち上がれないよ。
2008年05月27日
5月27日の夢(ゴボウの絵)
ぼくが講師をしている詩の研究会に、既に絵本として印刷された作品が提出された。その一頁一頁の絵が作品なのだという。ただでさえ提出作品が多いのに、一人で何枚もの絵を提出するのはやめてほしい。これは断ろうと思う。念のために一番最後の頁を見ると、それはゴボウの絵だった。
2008年05月25日
5月24日の夢(パソコントラブル)
昨日忙しくてアップできなかった夢です・
(5月24日の夢)
紙に印刷されたある企業のURLスキャンして読み込み、ネットで検索しようとする。しかし、カーソルがぐるぐる動作中を示す円を描くばかりで、一向に検索結果が表示されない。そこへ、背の低いもっさりした中年男がやってきて、「これは深刻なトラブルだ。このマシンを借りていかないと、原因は分からないよ」と言う。そんな大げさな話にするつもりはなかったので、びっくりする。第一、そのURLはその企業が自分で制作したパンフレットに載っているのだから、間違っているはずがないのに。だが、中年男は感電防止用らしい布を広げて、パソコンを包み込んだ。そのとたん、パソコン全体がパーッと真っ青な光に包まれる。すごいことになってきた!
2008年05月21日
5月21日の夢(感熱紙)
ドンキホーテのような安売り量販店に行く。パソコンのプリント用紙の束の安売りをしている。見本を見ると、なんと感熱紙で、しかも一枚ごとに台紙がついていて、それを剥がして使うようになっている。こんなの古いや、と思う。見本の下に、山と積まれた用紙の束から一つを取り上げて値札を見る。50枚入りでいくら(値段は忘れた)と書いてある。古いし、高いし、こんなもの買えるか!と思う。
2008年05月20日
5月20日の夢(指揮の練習と現代オペラ)
息子が指揮者になる訓練をしている。プロの指揮者の指導を受けながら、存在しないオーケストラに向かって、指揮の練習をする。二人のちょうど真ん中あたりのステージ奥に、第三の男がいる。彼がオーケストラのかわりらしく、息子はまず男に向けて指揮棒を上げて、演奏をスタートさせる。そして、指導者の指揮者と二人で、存在しないオケを指揮する。ぼくの耳にはうっすらと、その存在しないはずのオケの音が聞こえる。演奏しているのは現代音楽だ。
別の現代オペラのシーンになる。金網を張り巡らした鶏小屋の中に、沢山の男女の歌手が寝ころび、一人ずつソロをとっていく。寝たままで歌う歌手と、少しだけ上半身を起こして歌う歌手がいる。寝たままで発声をするのは難しいらしく、口をものすごく縦長に開け、口の中に長い舌が見える。その様子はなんだか不気味だ。歌っているアリアの一節には「お母さんはもう一度床屋へ行くわ」という歌詞がある。
2008年05月18日
5月18日の夢(題名のない映画)
会社のデスクの上に、これから作る映画の企画案の資料が塔のように山積みになっている。これを読んで、映画の題名を考えるよう、社長から指示されている。資料をぱらぱらとめくると、そのまま映像が出てくる。なかなかよくできていて、殆どもう完成していると言っていいくらいだ。これなら、ぼくが手を下す必要もないくらいだと思うが、よく見ると冒頭のタイトル画面だけが白く抜けている。やはり自分で題名を考えなければいけないらしい。向こうで老眼鏡をかけて書類を見ている社長が見える。なんとなくプレッシャーを感じる。しかし、これだけよく出来ている企画案なのだから、題名をつけるのは簡単だろうと思う。
食堂のテーブルでのんびり食事をしようとすると、印刷所の営業マン二人が入ってきたので、慌てて挨拶をする。そのうちの後から入ってきた方が、この映画の企画を持ち込んだ人だらしい。当人が現れたので、思わず身構えてしまうが、どうやら本人は映画の制作をあまり急いでいるふうでもないので、ほっとする。
これから三日間ほどどこかへ出張しなければいけないのだが、どうしてももう一人見知らぬ相手と同室に宿泊しなくてはいけないと、母がぼくに命令する。最初の日は、ぼく自身の部屋で泊まればよいというが、ぼくの蒲団のほかにもう一つの蒲団がぼくの足下に並べて敷かれている(つまり、二つの蒲団が並列にではなく、縦一列に並んでいる)。知らない相手だから、できれば互いに足を向けて寝たいと思うが、礼儀上そうもいかないだろう。明日からは一つのベッドを共有しなくてはいけないのだという。ますますいやだ。
2008年05月16日
5月16日の夢(バスツアー)
バスツアーに出たが、途中でバスから降ろされてしまった。待合室のようなところのベンチで待っている。ぼくは前の方のベンチに一人座っていて、ふと振り返るとみんながいない。ぼくひとりだけ置き去りにされたらしい。淋しい。けれど、我慢して、何事もなかったように待ち続ける。
と、またツアーの仲間たちが三々五々帰ってきた。そしてバスが何台も横付けされて、ぼくらはみんな出発地に送り返されることになった。添乗員の予想もしなかった何かの理由で、ツアーは中止になったらしい。
乗り込んだバスの中は、とても広い。飛行機の中なのかもしれないと思う。天井から床までつなぎ目のない総ガラスの窓は半透明だ。その窓に向かって、ぐるっと並んでいる席のほか、全く外の見えない席もある。ぼくはもちろん、外の景色のよく見える席を探す。
窓の向こうに、地面よりぐんと高いところに水面のある湖が見える。火山の爆発で、噴き出した水を、吹き飛ばされた土砂が堰き止めて、こんな湖を作ったらしい。
(最後のシーンは土砂ダムですが、中国の地震でできた土砂ダムの衛星写真が今日報道されました。この夢はそれ以前に見たものなので、予知夢というか、なんというのか・・・)
2008年05月15日
5月15日の夢(スターウォーズと人魚と靴)
映画「スター・ウォーズ」の新作を見に行こうと一人映画館に向かっている。交差点を映画館に走っていく人がいる。時計を見ると、もう開映10分前だ。ぼくも慌てて走り出す。
映画館のあるビルのエレベーターは工事中で一基しか動いていない。しかも目の前で工事の人たちを乗せて、上がっていってしまった。焦るが、待つしかない。
やっと映画館のロビーに着く。そこには某研究会のメンバーたちが集まっており、皆でテーブルを囲んで腰掛ける。と、奥のワイドなスクリーンですごいスペクタクルシーンが始まった。ぼくは何だかわけのわからない奇声を上げて、スクリーンの前に突っ走る。映画館の客席は和風の座敷になっていて、靴を脱いで上がり、最前列から二番目の紫色の座布団に滑り込むような形で座る。最前列には男性が座っている。座布団がうまくお尻の真下に敷けないので、何度か座り直すが、どうしてもお尻と座布団とがうまくなじまない。
川を堤防の上から見下ろしている。岸辺に近い水面にネコくらいの水生動物が見える。人魚なのだろうか。小さな女の子の格好をしている。その女の子に向けて、何かを転がして落としてやる。彼女(?)に与えるつもりだったのに、見えないところにもう一匹いた人魚がつつつ・・・と泳ぎ寄って、それを取ってしまった。そして、それをカメラのように構えて、上にいるぼくを撮影し始める。
田舎の屋敷のようなところから帰宅しようとして、タクシーに乗る順番を待っている。ぼくの順番が来て、靴を履こうとすると、ぼくの靴が見あたらない。その屋敷のおばさんが「前の人が間違えて履いて行ってしまったみたい。そこにかかっていませんか?」と言って、かたわらの戸棚を指さす。見ると、その戸棚には随分昔にぼくがどこかでなくした古いほこりだらけの靴が吊してあった。どういう理由でか分からないが、めぐりめぐってこんなところで古い靴に出会うとは、驚きだ。ともかく、それを履いて帰ろうと思うが、タクシーに乗ったとして、ここから狛江までの道順をどうやって運転手に教えればよいか、不安になる。
2008年05月14日
5月14日の夢(会社の模様替え)
会社が模様替えになり、ぼくの席はぐっと入り口の方になった。それは公園の芝生と道路との境目で、一段、段差ができている。その傾いた地面に四角の座卓が置かれている。これが新しいぼくのデスクだ。同僚の女性社員の席も隣に移動したので、ぼくはデスクの上にさまざまな仕事の書類や私物を配置して、彼女との適度な距離感が保てるよう工夫する。
新入社員の女性(女性詩人のNさん)が、同僚たちと出かける準備をしながら、「一色さんに見て貰いたい校正を持ってきますが、何時頃まで会社にいますか」と尋ねる。ぼくは定時退社したいけれど、「何時頃? いるよ」と答える。
もう6時40分になってしまったが、Nさんは戻ってこない。早く帰宅したい。彼女はちゃんと校正を貰いに行ったのだろうかと思い、彼女の執務している部屋に、離席表を見に行く。奥には二つ部屋が左右に並んでいて、右は広く、左は間口がとても狭い。Nさんはその狭い縦長の部屋に席があるはずだ。
部屋は床に書類などが散らかっていて、足の踏み場もない。離席表も床のゴミの山の中に埋もれている。手前にあった離席表には三人分名前があるが、Nさんの名前はない。さらに奥に進むと、もう一枚離席表がゴミの中にあり、こちらに彼女の名前があった。こんな狭い部屋に6人も働いているのだ。
そこに、玄関から賑やかな女性たちの声が聞こえ、Nさんが帰ってきたことがわかった。
2008年05月12日
5月12日の夢(不思議なキーボード)
小さなトイピアノのようなキーボードを弾いている。高音域へ右手が移っても、ちゃんとピアノの一番上の音まで出せるのがすごい。思わずキーボードを見下ろすが、鍵盤の数は驚くほど少ない。これで88鍵分の音が出せるのは、一つの鍵盤の真ん中を押さえた場合、左を押さえた場合、右を押さえた場合で、三つの高さの音が出る工夫がされているからだ。しかも、普通のピアノの弾き方で、ちゃんと弾けてしまうのが不思議だ。ぼくはこのキーボードでみんなの演奏を巧みにリードしていく。(と夢の中で思っているが、にもかかわらず聞こえるのは自分のソロ演奏だけだ)
2008年05月11日
5月11日の夢(スーツケース)
老詩人のM氏と中東の国に仕事の旅に出た。ホテルに投宿し、M氏の大きなスーツケースを開けて、書類を取りだし、二人で静かに仕事を始めた。そのとき、ぼくはぼく自身のスーツケースをホテルの外に置き忘れてきたことに気がついた。これはやばい。
外に出てみると、置いた場所には案の定、スーツケースは影も形もない。けれど、「なくした」という不安感のようなものはない。ホテルのフロントにはアラビア風の白い民族衣装を着た男が座っている。ぼくは落ち着いた声で彼に「Where is my baggage?」と尋ねる。男は「知らない」と答える。
だが、しばらくするとぼくのスーツケースは自然に見つかった。それを開けて仕事をする。中からは新しいアイデアや仕事につながる資料が次々に出てきて、仕事はどんどんはかどる。
2008年05月10日
5月10日の夢(モトカノ)
会社が模様替えになった。会社は宿泊制で、デスクではなく、一人に一つベッドが割り当てられる。ぼくは今までより奥というか、一番前の方の部屋に配置換えになった。部屋には四つのベッドが固めて置かれ、ここにはぼくを含めて男性四人が寝泊まりする。少し離れて前方右に一つだけベッドがあり、ここを使うのは有名ピアニストのT・Kさんだ。こんな有名ピアニストと同じ部屋になるなんて、すごく嬉しいと思う。
会社の女性社員(現実にはクライアントの会社の女性社員)がやってきて、「今度、年金のシステムが変わったので、二回行われる講演会のどちらかに出席してください」と言う。日程が詰まっていて、行きたくないと思い、無視していると、またやってきて「どうしても行きなさい」と説得する。自分のスケジュールを書いた手帖を見る。日程はいっぱいだが、モトカノのコンサートに行く予定が一つ入っている。ちょうどそこが講演会の一つと重なっていた。今さら彼女のコンサートに行ってもしかたがないと思い、この時間に年金の講演会に出席することにする。
その講演会に行く。会場は原宿のラフォーレのような場所だが、行ってみると中は古い和風の建物で、しかも迷路のようで、なかなか会場に行き着けない。やっと探し当てて、入場のために並ぶ。確か「参加する人は椅子を持参のこと」と書いてあった気がするので、ぼくは椅子を持って並んでいるが、他の人は誰も椅子なんか持っていない。会場を覗き込んでみると、畳に座布団敷きで、座椅子がいくつか並んでいる。椅子というのは座椅子のことかもしれない。カッコワルイので、入り口に椅子はそっと置いて、知らん顔をする。講師がやってきた。頭のはげたおっさんで、お笑い芸人のような感じ。年金の講演会ではなく、何かの習い事の教室のようだ。戸惑っていると、ぼくのすぐ後ろにモトカノがやってきて、女友達とおしゃべりしている。こんなところで彼女に会えるのはびっくりだなあと思うが、始まる前に彼女はどこかへ姿を消してしまった。
ぼくは禿頭の講師をつかまえ、「年金の講演会があるというから来たのに、話が違うじゃないか」と文句を言う。講師は「私はそんな話は聞いていない。だけど、あなたがそう聞いたなら、もしかしたら自分の話が終わった後に担当者からそういう話があるのではないか」と答える。
もう夜の8時を過ぎてしまった。こんなところですっかり時間の無駄をしてしまった。早く帰宅をしようと外に出る。そこは原宿のはずだが、森の公園で、まるで迷路のようだ。歩いても歩いても駅に出られない。
(夢ここまで)
「モトカノ」と書いたのは四半世紀以上前の女友達です。何年も夢に出てこなかったので、もうすっかり忘れたと自分では思っていました。ピアニストのT・Kさんは、個人的にはつきあいがありませんが、音大生時代からの仕事上の知人で、ヨーロッパの超有名コンクール入賞の実力者。たまたま寝る前にどのCDを聞こうかとCDの山をひっくり返していたとき、彼女のCDをちらっと見たのが夢に出たようです。実際には別のピアニストのCDを聞きました。
2008年05月09日
5月9日の夢(青と白のカード)
短冊形のカードを使い、誰かにこれから演じる劇の内容を伝えようとして、順番に揃えている。カードには青と白の2種類がある。白いカードは最初から決まっている内容を書いたもので、青いのはぼく独自のアイデアを書き表したものだ。
2008年05月06日
5月6日の夢(トイレ食堂)
トイレに行きたいと思うが、トイレは満員で入れない。トイレの前に社員食堂があり、みんなが昼食を食べている。ぼくはUくんとSさんの間に座る。ここはトイレでもあるので、ここで座ったまま用を足そうと思うが、いくらなんでも大きなものを出せば、隣にいる二人は臭くて、食事ができないだろう。あきらめて席を立つ。
クライアントの事務所にOさんと一緒に打ち合わせに行く。クライアントは「ピアノの上に新しい取材先を書いたメモがあるから、見なさい」と言う。何枚もカードがあり、これらを全部掲載したらページが足りない。「取材を引き受けたコンサートでも、ピアノ以外の楽器のものはこれを機会に掲載するのをやめよう」と、ぼくはOさんに言う。
帰るため、港に行って、船に乗る。船といっても、それは水面からわずかに顔を出した桟橋のようなもので、それも片仮名の「ヨ」をもっと複雑にしたような不定形をしている。出航を待つうち、自分が靴をはいていないことに気がつく。どうやらクライアントの事務所に忘れてきたらしい。ぼくの生家のあったあたりの坂のような場所を上り下りして、そこへ戻る。
2008年05月05日
5月5日の夢(ゴミの山)
会社中、誰も掃除をしなくなったので、どこもかしこもゴミの山になっている。その中で、ピアノ関係の印刷物の表紙にミスがあり、ある限りの印刷物の表紙を手書きで訂正していく作業をしている。室内の印刷物の山の処理が終わり、床から天井まで一枚の巨大なガラスで仕切られた壁の向こうの廊下を見る。そこにも沢山の印刷物の山が積み上げられているように見えるが、それはガラスに映った室内の光景かもしれない。確かめようと廊下に出てみる。すると、あると思った印刷物の山はそこにはなく、あるのは果てしのない紙ゴミの山だ。そして、沢山の人々
2008年05月04日
5月4日の夢(アニメ「水没都市と少年」)
ぼくは子どもの頃から時々、アニメ映像になった夢を見ます。皆さんはどうでしょうか?
(夢ここから)
福井の海で暮らす少年を主人公にしたアニメ映画。少年は海中深く潜っている。「今年はクラゲが大発生をして、少年の邪魔をします」というナレーションが男性の声で入る。少年が浮かび上がろうとする水中画面の背景には、海底に沈んだ都市の廃墟がある。日本沈没のような大惨事があり、都市が丸ごと水没したものらしい。建物の壁にはまるで蔦のように、びっしりとクラゲが張り付いており、少年はそれを引き剥がし引き剥がし、海面に向けて上昇していく。「よし、もう少し」と少年はつぶやくが、今にも息が切れそうではらはらする。ようやく少年の頭上に海面が見えてくる。
海面に浮かび上がり、少年は水の上に顔を出す。その少年の首の周りに、同心円状に波紋が広がっていく。ここでアニメを描いている作者自身の声が聞こえる。「私は苦しいこともすべて美しく描きたい」。そして、同心円の原画を一枚一枚丁寧に描いていく作業が映し出される。
2008年05月01日
4月30日の夢(水中生活者)
(昨日アップしそこなった夢です)
会社の元社員だったUカメラマンとKライターの二人が今はリタイアして、水中生活者になっている。二人は水中を泳ぎ回って、住所不定の自由な生活をしているが、そんな水中生活者にもちゃんと郵便は届くのだ。手に手に水中マスクを持った二人が今日は陸に上がってきて、ぼくに一通の手紙を指し示す。「この差出人の横田京子というのはあの横田さんか?」とUカメラマンがぼくに尋ねる。ぼくは「横田? 横井ならそうだが、横田なら違うでしょう」と答えるが、かたわらにいた詩壇の重鎮・K氏(Kライターとは別人)が「いや、あの横田さんだよ」と、にべもなく言う。UカメラマンとKライターは水中で生きていても意気軒昂で、ぼくに「一色さんも退社したら水中に入らないか」と誘う。しかし、ぼくは「自分はもっと個性的になりたいので」と、その誘いを断る。そうしている間、ぼくの水で濡れたズボンの裾に火が点き、じりじりと燃え始める。
2008年04月25日
4月25日の夢(水売りのおばあさん)
(今日は短い断片しか覚えていません)
石畳の広場。その真ん中に蛇口のついた水飲み台のようなものがあるが、蛇口が地面と殆ど接した高さに、地面に向けてついているため、誰もそのままでは水を飲んだり、そこから水を容器に汲むことができない。一日に一回、そこに水売りのおばあさんがやってくる。おばあさんはモーターポンプを持っていて、その蛇口からホースで水を吸い上げ、人々のバケツに水を売るのだ。ぼくの祖母もそのおばあさんから水を買って、それで何かの商売をしている。
ぼくはその水売りのおばあさんから水を買わなくてはならないのがなんとなく釈然としない。ぼくの祖母がおばあさんから水を買おうとするより早く、その場にあった二つのバケツを急いで持って帰る。だが、気づくと、そのバケツの少なくとも一方には水が半分ほどしか入っていない。
2008年04月24日
4月24日の夢(女社長)
知人夫妻が経営する画廊で、週明けの月曜日から賭博場を開くことになり、その準備がすべて整った。もう帰ろうと思い、ダンナの方に「月曜は何時から営業ですか?」と聞くと、「10時からです。その方が事務的に都合がいいんですわ」と言う。賭博場だから、当然夜に営業するものと思っていたので、意外だった。
早く家に帰りたいのに、なぜか女社長がぼくを外に連れ出した。もう夜で、細かい雨が降っていて、少し肌寒い。そういえばコートを画廊に忘れてきてしまった。これではそのまま直帰できないなと思う。女社長はぼくに「フランスへ留学するお客さんに本を書いてもらいたいの。フランスに渡る前にパリへ留学した気分を味わってもらえたら、とっても喜ぶと思う。SMAPの中居くんにデートしてもらったらいいと思うのよ」と言う。ぼくは「中居くんのギャラはとても高いし、タレントは不特定多数のために仕事はしても、個人のために仕事を頼むことはできません。そんなことは不可能ですよ」と社長を説得する。
そのとき、ぼくがちょっと目を離して、もう一度社長の方を見ると、彼女は道路に転がっている。しまった! 目を離しているすきに、車にひき逃げされたのかもしれないと思い、慌てて屈み込んで「車に轢かれたの?」と尋ねる。すると、彼女は倒れたまま、ぼくの手を握り、ぼくの指先を愛撫し始める。どうやら、道に倒れたのは演技だったらしい。こんな女にそんなことされてもちっとも嬉しくない。やめてくれ。早く帰りたいと思う。
2008年04月23日
4月23日の夢(大邸宅)
どこか田舎にある三階建ての大邸宅に滞在している。ぼくは三階にいたのだが、そこから二階に降りてきて、なぜかトイレを探し始める。邸宅は地形を上手に利用したためか、両端の切れた三日月型をしており、したがって廊下も曲線を描いている。廊下は片側だけ、ドアがいくつも並んでいる。そのドアの一つをぼくが開けようとする前に、邸宅の主人である老人がバスタオルを巻いただけの半裸の姿で、ちょっとだけ廊下に出てきた。両目がロボットのように赤く光っているのが印象的だ。廊下には執事の男達が何人かいて、ぼくに「この館では主がバスルームに入っている間は主優先になり、誰も入ってはいけないんだ」と注意する。だから、二階では今ぼくはトイレに行くことが許されないのだ。ぼくはその間に真ん中のドアを開けたり、端のドアを開けたりしてみるが、どのドアを開けても同じ廊下に出てしまい、その廊下に面したドアはすべてバスルームに通じているので、開けることができない。
廊下には天井から床まで全面ガラスになった大きな窓がある。そこから山が見える。野原も山も火山灰のようなものにおおわれていて、山の斜面は木ではなく、もしゃもしゃに絡まった土色の紐のようなもので覆われている。それを見ながら執事の一人が「本当は主を外に連れ出すべきだよなあ。私も名前を変えますから、と言って・・・」と言う。そのとき、山の斜面を上から下に向けて、土煙が矢のように降りてくる。誰かがスキーのようにして滑り降りてきたとも、雪崩のような現象にも思える。
ぼくらは既に外に出ていて、そばに女性詩人がいる。彼女は「中島みゆきって、まだお若いんですか?」と尋ねる。執事は「いや、今年もう59ですよ」、ぼくは「もう60近いですよ」と、同時に答える。
(現実には中島みゆきさんはまだそんな年齢ではないと思いますが・・・)
2008年04月22日
4月21日の夢(荒涼とした街)
昨日夢をアップするのを忘れていました。
(4月21日の夢)
6時半から、ぼくの編集する「P」誌のリニューアルの打ち合わせをライターのSさんとする約束をしている。ところが5時半に「ある仕事がうまく行かない件でクライアントからクレームが来ているので、こちらに出て来てほしい」と社長(現在の社長ではなく、別の人だった)から電話で呼び出された。
呼び出されたのは洞窟のような感じの古い建物。そこでしばらく待っているが、ちっとも仕事が始まる様子がない。クライアントから使者が戻って来たら、すぐにここで制作を始められるよう待機中なのだというが、もう6時半になってしまった。「P誌の打ち合わせがあるから、会社に戻ります」と言って、ぼくは外に出る。だが、気づくと上着と携帯を中に忘れてきた。しかたなく建物に戻ると、Sさんからぼく宛の電話が会社宛にかかってきたのが、ちょうど傍受されたところで、スピーカーから大きな音量で流れている。Sさんは「あんなリニューアルに私は必要ないはず。私にはやる気がありません」と言っている。みんなもそれを聞いている。ぼくはがっくりする。
それでも、ぼくは構わず会社に戻ろうと外に出る。外は街のはずなのに、岩山のように荒涼とした風景。どうしたら会社に戻れるのか、見当もつかない。
2008年04月20日
4月20日の夢(天皇になる)
ぼくは天皇だ。朝食を食べる。天皇なので、テーブルには毎朝、和食から洋食まであらゆるメニューが並び、よりどりみどりだ。いつもはパンを食べるのだが、今朝はいたずら心を出して、おかゆを食べることにする。若いシェフが「天皇はいつも何を食べるか分からない」とぶつぶつ言っているのが聞こえるが、無視する。そのまま和食を食べ続けようとするが、目の前にケーキの山があるのでつい一個食べる。おいしい。イチゴのショートケーキやチョコレートケーキなど、いろいろなケーキがあるのでついつい手を伸ばして食べてしまう。
団体旅行のツアーに来て、旅館の部屋にいる。制服を着た女性の係員がやってきて、みんなに心理テストの紙を配る。大きな紙を八つ折りにしてあり、開いてみると、表側は「試験勉強は早めにやってしまう方ですか?」といった一般的な質問だが、どの質問もぼくの答はオール・ノーだ。裏面は女性向けの質問ばかりで、答えようがない。係員に「これは間違いじゃないか? 女性向けだよ」と言うが、少し離れたところから妻が「それしかないらしい」と代わりに答える。みんなおとなしくその心理テストをやっている。ぼくは一つも「イエス」と答える問いがない。「イエスが一つもない人」と言われて、真っ先にぼくが手を上げたらみんなびっくりするだろうなと思う。しかし、こんな心理テストに興味はないので、畳の上に放りだして庭を見ていると、係員が近づいてきて、「あなたは神経質そうなのに、プライバシーを放りだしておいてよいの?」と言う。ぼくは「一つも答えないからいいよ」と答える。
部屋に戻ると、誰もぼくには集合の声をかけなかったのに、みんな整列して出発を待っている。ぼくが現れると、添乗員がちょうど人数を数え終わり、みんなに「一列20人でデモの隊形を作りなさい」と言う。観光の一環としてデモに参加するらしい。しかし、全員スクラムを組んで、ぼくは一人だけ取り残されてしまった。ぼくは無理矢理左端の男の手の下に自分の手を滑り込ませ、スクラムに加わる。「久しぶりだなあ」と、デモへの期待に胸がうずく。
いつのまにか部屋の浴室に戻っている。古い金ダライの中に、古いオキシフルの溶液が満たされている。そこに別の薬品をぼくが加えると、もくもくとガスが発生した。しまった。これは硫化水素ではないか。ぼくは慌ててドアを開け、息を詰めて通路に逃げるが、まるで迷路のようだ。
2008年04月18日
4月18日の夢(ゲテモノ商店街)
十字路にいる。通りを隔てた向こう側は商店街だ。街全体がまだ開店していないため、通りの入口にある両開きの扉は固く閉ざされている。買い物にきた女性たちは十字路のこちら側で扉が開くのを待っているが、ぼく一人だけが十字路を渡って、扉の前に行く。
しばらく待っていると、やっと扉が開き、その開いた扉と壁の間に、あやうくぼくの体ははさまれかかる。妻といっしょに商店街へ入る。中はモダンな地下街かデパートのような感じ。子ども用のきれいなものを沢山売っている。最初のフロアにあるのは貝や珊瑚のような海産物の小物。売場を見ていくにつれて、商品はだんだんゲテモノに変わっていく。透明なビンの中に入った真っ白なうどんのようなものは、あれはカイチュウだ。さらに進むと、象の首をいくつも売っている。子象の首だが、なぜか緑色の首だ。それを見て、妻は「思った通りのものになった」と苦笑する。ぼくは何か買って帰ろうと物色するが、一体何を買えばいいだろうか?
2008年04月16日
4月16日の夢(式典の主役)
日本が国家主義的な社会になっていて、建国記念日のような式典に、それと関連した演劇が上演されることになっている。毎年、それに出演したいなあと思いながら、ぼくは指をくわえて見ていたのだが、今年はなんとぼくが主役に抜擢された。自宅で前の晩にはもうすっかり台本を頭に入れ、ぼくはゆったりと本番の時を待ちかまえている。
早朝、夜明けとともに、ぼくは満を持して会社に行く。社長ら幹部社員も次々とやってきて、ぼくを祝福してくれ、晴れがましい気持ちだ。いよいよ劇場へ行くことになる。控え室からちらりと見た舞台は、朱塗りの洞窟のような感じ。いかにも日本の古代からの伝統行事が行われるのにふさわしい。だが、式典会場から大声でがなるマイクの声は聞こえるものの、会場に人っ子一人姿が見えないのが奇妙だ。
出演時間が近づき、ぼくは楽屋に移る。岩の洞窟のようなところだ。洞窟の先の開けたところが舞台だ。だが、やはりマイクの声が響くだけで、誰の姿も見えない。
いつの間にか、ぼくの出番は無事終わったらしい。前前任の「Pの本」編集長のK女史はぼくと仲が悪いのだが、その彼女も一応祝福に来てくれている。ぼくは彼女にテーブルの上の厚いコピーの束を示し、「この三冊を全部頭に入れてやったから、安心だった」と自慢する。だが、「三冊」と言っているのに、二冊しか見当たらない。もう一冊はどこへ行
2008年04月15日
二日分の夢
断片的な薄い夢しか見ていませんが、とりあえず二日分をアップします。
(4月13日の夢)
会社が新しい場所に引っ越した。ぼくらの部署は細長いスペースだ。今までぼくは社長のすぐ目と鼻の先にデスクがあったのだが、ぼくは社長から一番遠い端から二番目の席になった。一番社長から遠い席は、社長からのパワハラで悩んでいたOさんのデスクだ。これで二人とも精神的に随分楽になった。
ぼくは妻の書いたグランドピアノについての原稿をさっきから探しているのだが、どうしても見つからない。探しながら二階に上がる。そこもまた、ぼくの新しい職場である。ここには社長もいない。社員はとうとう二人だけになってしまったのだ。うちの会社も落ちぶれたものだ。おかげでここへ通うバスも2系統だけになってしまった。どちらのバスもいつもがらがらだ。
(4月15日の夢)
若いピアニストが演奏する機会がなくなったのを悲観して自殺してしまった。そういえば、その自殺した部屋に、知人のピアニストMさんもいっしょに入ったはずだが、彼女も入ったまま出てこない。もしかしたら、二人で自殺したか、無理心中をはかったのではないかと、とても心配だ。
そうしているうちにMさんの原稿が見つかった。それをデザイナーのSくんがレイアウトしてくれた。2ページ見開きの誌面にさまざまな小見出しが踊っているが、これではあまりに総花的なレイアウトで、彼女の自殺に至る要因が読みとれない。もっとちゃんと順を追って分かるよう、レイアウトすべきだと思う。
2008年04月11日
4月11日の夢(つれあいの詩集)
つれあいのOが新しい詩集を作ることになり、表紙を有名なカメラマンに依頼した。沢山の撮影スタッフを従えて、撮影地に向かって出発したが、前を走っていた車が突然火を噴いて燃えだした。そのため、足止めされて、道路脇の建物の中で休むことにする。
アメリカの家庭によくあるような、裏側に中庭をそなえた建物。車座になって話しているうち、カメラマンが「運転を交替してくれないか」と、ぼくに声をかける。つれあいは「この人は運転免許を持ってないんですよ」と言う。カメラマンは「免許を持ってないなら、取ってもらいましょう」と言いつのる。ぼくは不快な気分を押し隠して、「いや、自転車にも乗れないぼくが免許を取ったら、あまりに危険過ぎます。何人も人を殺してしまいますよ」と、冗談にして笑い飛ばすが、カメラマンとの間は険悪なムードになる。おまけにお腹も減ってきた。「もっと何食分も買い込んでおくべきだったな」と、カメラマンはスタッフたちに言う。
夜になって、やっと出発できることになった。ぼくはそのとき中庭に出ていて、中庭の隣家との境の印しに置いてあった、三日月型のコンクリートに電球が沢山ついている不思議なものを手にとって見ていたが、慌ててそれを放り出したので位置が変わってしまったが、まあいいやと思い、そのままにして出発する。なんだか罪の意識にかられる。それにしても、いつもは夜になると眠れないからいやだと言っているのに、つれあいが自分の詩集のことだといやに元気だなと不満に思う。
そのつれあいが借りた分厚い本をぼくは持たされている。一階から階段を上がって、四階くらいまで来た。この階が地表とちょうど同じ高さなので、やれやれやっと外に出られると思う。しかし、本が重いため、本は歩くたびにビリビリと破れてちぎれ、ついにぼくの手から床に落ちてしまった。そこで、つれあいはようやくその本を外に持ち出すことをあきらめた。
ところが、ちょうどそこにこの建物の女性職員が通りかかり、ビリビリになった本を見て、「その本はここのものだから、所長に報告しなくては」と言って、階段を降りていく。もう少しで外へ出られるところだったのに、残念だな。それにしても、こんな夜だから、もう所長は帰宅してしまって、いないのじゃないだろうか。
2008年04月10日
4月11日の3つの夢
オフィスで仕事をしていると、中年の男の来客があった。頭のはげかかった貧相な男だ。用件は「詩のボクシング」の件だという。そういえば、ぼくのデスクの上に、それについての原稿が載っていたな。女性詩人のIが書いたものだ。同僚たちは男を追い返そうとするが、ぼくはその原稿を持って、打ち合わせスペースへ行き、男と話し合う。
今日はこれから映画の試写と打ち合わせをする予定だが、スタッフは別の打ち合わせが長引いているらしく、延々と待たされてしまう。そのうち、突然、白髪の男が一人、椅子を一つ持ってぼくらのテーブルにやってきて、「さあ、打ち合わせをしよう」と言う。こうして唐突に打ち合わせが始まったが、あっという間に終わってしまう。
もう夜なので、みんな帰宅の足の心配をしている。ぼくもいつも乗る電車はもう終電が出てしまっている。駅の券売機の前に行き、町田経由で小田急線に出ようと思うが、その電車は9時半にしか出ず、しかも小田急線には接続しないと分かる。こんなことなら、オフィスのパソコンで駅スパートで調べてきた方が早かったと後悔する。
打ち合わせの終わった会議室で、一人ね誰かが戸締まりに来てくれるのを待っている。だが、待つ必要などないのだと気がつく。なぜなら会議室の鍵はぼく自身が持っていたのだ。鍵をかけていると、ガラスの壁と下にわずかな隙間があって、そこに小学生の女の子たちが沢山押し掛け、てんでに自分の服を外から内に押し込もうとしている。ぼくはそれらの服を次々と引っ張って、中に入れる。そうしているうちに少女の母親たちがやってきて、彼らをそこから立ち退かせる。やれやれ、これでやっと帰れると思う。
2008年04月08日
4月8日の夢(そっこへん)
「そっこへん」という名前の少し小太りの女性がいる。彼女の作った三通りの言葉を第二候補とし、別の男性の言葉を第一候補として表紙に使っている。しかし、そっこへんの言葉のカードもすぐ取り出せるよう、ぼくは定期入れか何かに入れて持っている。目覚まし時計が鳴ると、パッとそっこへんの言葉のカードが目の前に現れて、目が覚めた。
2008年04月05日
4月5日の夢(タルコフスキーの家)
若い女性教師のところへ、出来の悪い女生徒が相談に行った。教師はマル秘であるはずの落第基準を生徒に教えてしまう。女生徒はその落第基準に自分が当てはまるので、「ああ、どうしよう?!」と教師に泣きつく。すると、教師は「ちょっと待っていて」と言って、奥の部屋に入ってしまった。その一部始終を見ていたぼくは、「この先生は駄目だな」と思う。かたわらから教師の母親が出てきて、「大丈夫よ、大丈夫よ」と言って、生徒を慰める。
新しく大きな家に引っ越した。父と母とぼくの三人家族である。家には部屋がいっぱいあり、一室にはその半分を占める大きな浴槽がある。浴槽の縁は曲線を描き、面積こそやけに広いが、水深はとても浅い。浴槽が広すぎるので、有効利用しようとしてだろう。両親はその中に立派な書棚をいくつも置いている。樫か何かで作られた扉のあるデザイン家具調の書棚で、中の本は外からは見えない。
その浴槽にお湯を張ると、当たり前だが書棚に水が入り、本が濡れてしまう。ぼくは慌てて寝室にいる両親を呼びに行くが、お湯は浴槽からあふれてすべての室内に侵入してくる。よく見ると、部屋の仕切部分には穴があけられていて、そこからお湯が次々と流れ込むようになっているのだ。あっという間に、家中に湯気の立つお湯があふれ、タルコフスキーの映画の一場面のようになってしまう。両親が寝ようとして、女性のお手伝いさんに蒲団を敷かせているが、その蒲団もお湯につかり、両親もお手伝いさんも困惑顔だ。ふと見ると、窓の外の屋上のようなところに一段高い部屋があり、そこにはお湯は侵入していない。しかも、三つのベッドが並んでいる。ベッドだから、ここなら濡れずに眠ることができる。ちょっと安心するものの、両親といっしょに寝るのではプライバシーがなくなるからいやだなあと思う。
2008年04月02日
4月2日の夢(L字ストック)
詩人のH氏にメールで詩のファイルを送った。H氏は「谷川俊太郎の詩を読まなくてはいけないので大変だ」と言う。ぼくは「真実のことをそのまま書いたって、それは詩じゃないのにな」と思う。H氏は海外遠征にこれから行くところらしく、スキーのストックのようなL字型の金属の物体を2本、部屋の外に持ち出す。ぼくはそれを持ってみる。どっしりと重い。それが地面に突き刺さるかどうか試してみるが、地面が固いので全く突き刺さらない。
2008年03月29日
3月29日の夢(解体されたテレビ塔)
「詩と思想」編集部の建物に泊まり込んでいる。T社長のご主人と、ぼくと、もう一人見知らぬ男性がいて、三人で蒲団を並べ、ごろごろしている。ここでは夕食の時間がやけに早い。そのため夜になってお腹が減るが、買い食いに出かけるわけにもいかない。
あるホテルに入る。ロビーへの自動扉を通り抜けたとたん、上から頭に液体がかかった。なんだか、おしっこをかけられたような気がして、気持ちが悪い。そのままロビーを歩いていくと、従業員の女性が「入り口で水をかけられませんでしたか」と言いながら、おしぼりを持って、近づいてくる。よかった。水をかけられるのは、ぼくだけじゃなかったのだと、ほっとする。
もう帰ることにして、車で走っていると、役割を終えた名古屋のテレビ塔が解体されて、いつのまにか根本だけしか残っていない現場を通りかかる。ヘルメットをかぶったとび職人が次々と鉄骨を解体していく。周りは住宅街で、そこにぽつんと土台だけになったテレビ塔が、こんなに小さかったのかと驚く。
2008年03月28日
3月27日の夢(クビになった女性)
これもアップする暇がなかった3月27日の夢日記。
小学校の講堂のような広い場所。前の方にK会長はじめ、会社の幹部が横一列に座っている。会長がぼくを呼び、分厚い書類の束を寄越した。以前クビになったSさんが書いたものらしく、ぼくに読むように促す。そのクビ事件にぼくがかかわった証拠が、そこに書かれているのだという。ぼくが読んだのを見て、会長は「ニューヨークへ行ってもらうかもしれません」と言う。英語もできないぼくをニューヨークに左遷するということらしい。
都電に乗っている。銀座で降りるつもりだったが、ふと気づくと知らない場所を電車は走っている。運転席の窓越しにお寺の名前がついた停留所の駅名が見える。どうやら気づかずに、乗り越してしまったらしい。電車を降りて、反対路線に乗り換えようとする。するとそこにもっと以前、会社にいて、やはりクビになったIさんが立っている。ぼくは彼女を見て、「あ、あなたはうちの会社にいた・・・」と言うが、名前が出てこない。彼女は「そうよ。でも、名前を思い出せないなんて、ひどい」と言う。懸命に思い出そうとするが、どうしても名前が出てこない。
2008年03月23日
3月21日の夢(屋根)
以下はアップする暇がなかった3月21日の夢日記。
経理部長のITさんが会社破綻の責任をとって、会社の中枢のある4階から3階へ降格になった。そういう場合、普通は「主事」という肩書きになるはずだが、ITさんだけの特別の肩書きが用意されたという。
癌の手術をして仕事を休んでいたIMカメラマンが回復したらしく、会社に顔を出しに来ている。ぼくは古い書類の束を手にしていて、その上に積もった綿埃をふーっふーっと息をかけて吹き払っている。
K会長が雑誌を見ながら、「この記事はわりとよく書けているな」と同僚と話している。その記事はぼくが以前書いたものなのだが、彼はそのことを忘れてしまっているらしい。
オフィスの窓を乗り越えて、2階の屋根の上に出てみる。屋根は東南アジアの寺院のような形にカーブしていて、大変広い。その屋根をたどっていけば、そのまま地上まで降りられるかと思ったのだが、屋根は複雑な構造になっていて、下までは降りられそうになく、ぼくは引き返すことにする。
2008年03月22日
3月22日の夢(電車型の船)
ぼくは高校生で、東京の社会見学をしている。「東京だけというのでは不公平だから」という人があり、高知の船に乗ることになった。桟橋の両側に早速2隻の船がやってきた。船といっても、どう見ても、これは電車だ。右岸に2両連結、左岸に3両連結の電車型船が接岸し、巧みに片側の車輪だけを浮かせて、停泊した。
ぼくは左岸の3両連結の船に心を引かれるが、手近にいた右岸の2両連結の方に乗り込む。後ろの方でイタリア人の女の子二人がぼくのことを話しているのが聞こえる。船室は二人がけシートで、窓側にその女の子の一人が座り、ぼくはその隣に席をとることができた。
女の子が話しかけてきた。「あなたは以前イタリアにいたでしょ?」 ぼくは「いいえ、ぼくはいたことがありません」と答える。
船はパリのエッフェル塔に着いた。ぼくはここで、ガイドとして観光案内をしなければならない。ドアがあり、鍵を開けて中に入ると、二つの荷物が「着払い」で到着していた。一行の外国人の男の子たちがその伝票を見つけ、外にいたぼくの会社の元取締役だったM氏に手渡す。M氏は男の子たちに外国語でお礼を言って、受け取った。
すると、一行の中の別の男が「マル・・・(外国の人名だったが忘れた)が来るよ。役に立たないこともないかもしれない男だ」と言う。見ると、向こうからあまり風采の上がらない男が駆け足で近づいてきて、そのまま通り過ぎていってしまった。M氏は「いや、いい」と言って、マル・・・のことを無視し、伝票の件は自分で解決しようとする。
2008年03月20日
3月20日の夢(携帯電話)
クライアントのY社から、数日後に開催されるオリンピックの展覧会に、短歌同人誌「K」の歌人たちのアンソロジーを制作することが決定したと、急に発注があった。随分前にぼくが原稿を作成し、原案をY社に預けておいたものだ。なにげなく承諾して帰宅したものの、ぼくの原案にはない歌人たちの作品も付け加えて、二倍ぐらいの厚さに仕上げなくてはならないという。そのため、「K」誌を家の中で妻といっしょに探し回るが、見つからない。もう原稿を作成した時点で用済みと判断し、ほかの同人誌といっしょに捨ててしまったらしい。
とりあえず死んだはずの父や、既に退職したはずのM氏らと共に電車で秋葉原にある代理店を目指す。代々木で急行に乗り換えた方がいいだろうかと躊躇し、吊革につかまったまま連れの姿を探すが、同じ車両にも前後の車両にも見あたらない。そのまま乗っていると、どこからともなく彼らが現れて、四谷で降りてしまった。「会社で待っているから」と言う。
結局、ぼくだけが秋葉原へ行った。代理店の入っているビルは、とてもモダンな立派な建物だ。ロビーにはコンパニオンの制服を着た女性たちが大勢いて、華やかな展示会の真っ最中である。しかし、代理店の部屋はどこなのか。携帯で電話しようと思う。番号登録はしてないが、昨日かかってきた番号が記憶されているから、それに逆電すればいいだろう。だが、携帯の画面はワンセグになっていて、この展示会の案内ビデオが映っている。どうすれば電話に切り替えられるのかわからない。おまけに、展示会の音がうるさくて、たまらない。ドアの向こうに小部屋があったので、そこに入ってみる。中は無人だったが、散らかったテーブルや椅子の上にコンパニオンたちの服や持ち物が置いてある。彼らの楽屋らしい。ここにいてはまずいと思い、再び外に出る。
2008年03月19日
3月19日の夢(耳の後ろに生えたてのひら)
髭を剃ろうと鏡を見ると、右耳の後ろに皮膚の出っ張りがある。引っ張ってみると、鳥が翼を開くようにそれが広がった。なんと、ちゃんと5本の指のある右のてのひらそっくりのものが、生えているのだった。左耳も調べてみると、右耳ほどではないが、やはり耳の後ろから小さな左のてのひらが生えていた。
2008年03月18日
3月18日の夢(悪夢)
ぼくはベトナムに部屋を借りて寝ていた。真夜中に隣の部屋でエレキギターをかき鳴らす音がして、うるさくて目が覚めた。室内は真っ暗だが、薄明の中で、枕元の壁に今まで知らなかったドアが開いているのが見える。ドアの向こうはどこへとも知れず、続いている通路。
怖くて、手の届くところにあるスタンドのスイッチを手探る。しかし、電気が点かない。半身を起こして、天井からぶらさがっている蛍光灯のスイッチの紐を引く。でも、やはり反応はない。怖くなって、せめて窓を開けようとするが、開かない。
怖いから、眠ってしまい、目が覚めれば夜が明けているのではないかと思う。強引に眠る。また目が覚める。やっぱり同じ部屋にいる。
2008年03月17日
3月17日の夢(船の旅と玩具の犬)
女友達といっしょに旅に出た。彼女はどうしても船で旅をしたいという。乗った船は超満員で、満員電車のように混み合った船内にみんな立って乗っている。彼女とぼくはぴったりと体を密着させて立っていたが、ぼくはそのまま眠ってしまった。ふと目覚めると、船内はがらがらで、もうぽつぽつとしか乗客がいない。そんな中で、周囲の目を気にせず、立って抱き合ったままでいてくれた彼女にぼくは感動する。
別の船室に移動する。そこで彼女は一匹の子犬を飼っている。かわいい子犬だ。だが、ちょっと目を離して、また見てみると、犬は大きな成犬になっている。スコッチテリアのような犬だ。そばにもう一匹犬がいる。二匹の犬はそっくりだ。それで、それらの犬たちが本物ではなく、玩具の犬だったことに気づいた。
2008年03月14日
3月14日の夢(動物化粧と面接)
会社で著者の到着を待っているが、なかなか現れない。やっと女性秘書を連れて現れた。秘書は人間の顔をしているが、著者はネコかイヌのような動物の顔にお化粧をしている。もちろん女性である。今はこういう化粧が流行っているのか?
会社で面接の試験官をしている。男性と女性、二人の受験者を面接するが、ぼくは筆記用具を忘れたため、男性からメモとペンを借りた。面接の結果は圧倒的に女性の方が優秀だった。しかし、筆記用具を男性が持ち帰ってしまったため、記録まで持ち去られてしまった。「圧倒的に女性の方が良かったのに」と、ぼくはみんなに口頭で伝える。
2008年03月13日
3月13日の夢(6円札)
自分が編集して出した本の宣伝イベントのため、和風旅館を借りて、一晩泊まった。翌日、チェックアウトしようとすると、日本ではないその国のお札で100円(貨幣単位は何だったか忘れた)支払うよう言われる。財布からお札を出してみると、6円札とか半端な額面のお札ばかりで、どう組み合わせても100円にならない。日本のお札でいいのなら、100円札1枚があるから、それで払えるのだけれど。
困っていると、ライバル出版社の光文社の編集者が来て、「私はここをずっと借りていますから、かわりに払ってあげましょうか」と言う。いやなやつだ。
2008年03月12日
3月12日の夢(もろい地盤と擬装機械)
ふとある風景を写真に撮りたくなって、知らない土地に入り込んだ。夢中になってシャッターを押した後で、気がつくと、地面が変だ。真っ黒な土が雨で浸食されたためだろうか、一面にタケノコを突き立てたように、円錐形の土の塔が並び、その尖端にぼくは乗っているのだ。この土の塔が崩れたら落ちてしまう。なんて、もろい地盤の上にぼくは立っていたのかと、びっくりする。
工場の中にいる。ここは擬装された工場だ。図面で見る限り、ここに置いてある機械は、その人の掌の形に金属を打ち抜くために作られたもののはずだが、その向こうに置かれているのは原子力発電所用の金型を打ち抜く用途に作られた擬装機械だ。それを社長と営業部長が熱心に見ている。
2008年03月09日
3月9日の夢(旅の途上)
田舎を旅している。路上にテーブルを出した店で、見知らぬ人たちと食卓を囲む。お皿に山盛りの食べ物を貰ったが、食べてみると、とてもまずい。おまけに、口から落ちた食物がぼくのズボンに付いて、色鮮やかな染みを沢山作ってしまった。
彼らと別れ、再び道路を歩いていくと、大きなビルの工事現場に出た。工事中の足場が組まれたビルは既にコンクリートが打ち終わっているが、内部は真っ暗だ。その中に、白いヘルメットをかぶった工事の男達が、突入する準備をしている。彼らはぼくと同じ側に立つ人々で、攻撃の準備をしているのだ。工事現場の地面にはいろいろなものが散乱し、足の踏み場もないほど。歩くのも大変だ。ぼく自身はその攻撃には参加せず、また旅に出る。
一つの建物に入る。トイレを探して、あらゆるドアを開けてみるが、トイレは見あたらない。ぼくの後から来た男がぼくを追い抜いて、一つのドアの前に立った。どうやら、そこがトイレで、中に誰かが入っているので、順番を待っているらしい。並ぶのも大儀なので、トイレをあきらめ、外に出る。その家の中も外も人々でいっぱいだ。
2008年03月07日
3月7日の夢(教室のようなオフィス)
会社というより、教室という感じだが、やはり会社のオフィスなのだ。模様替えがあったばかりらしい。一番前の黒板のあるべきところは書棚になっていて、沢山の資料本が並んでいる。その右側にトイレがある。空室だと思って、ぼくはノックもせずにドアノブに手をかけ、ガチャガチャと開けようとするが、開かない。よく見ると、ドアの隙間から中に電気が点いているのが見える。人が入っているのだ。慌てたぼくは、ドアから手を離したものの、ついでに中の電気をオンオフするスイッチをパチンと消してしまうが、また急いで、何食わぬ顔をして点ける。そして、一番後ろの方の自分のデスクに戻る。
といって、本当の一番後ろの列にあるのは社長の席で、その一列前がぼくと同僚のOさんの席だ。一番後ろと横の壁にも棚があるが、そこには並べる資料がないので、Oさんが食器や壺などをきれいに並べて飾っている。ぼくは社長とぼくが共同で使う「ピアノの部品に使う木」についての資料本を手にしていて、その棚のどこかに並べられないものかとうろうろするが、どこにもスペースがない。これも一番前の書棚に置くしかないのだろうか。
2008年03月04日
3月4日の夢(医務室の社長)
温泉宿の従業員は、よくお湯の中に何かを入れて、お互いの通信に使っている。今日はお湯の中から、ザバッという音を立てて、ふいごのようなものが浮かび上がってきた。それのお尻の部分を押してみると、ふいごから出てくる風が何かの言葉になった。これがメッセージであるらしい。それをKくんに聞かせると、彼は書類の束をさらさらとトランプのようにさばいてみせた。なんと、その音にもメッセージが含まれているらしい。早速そのことをP社のM社長に報告しようとして、ぼくは間違えて医務室を開けてしまった。医務室の簡易ベッドの向こうに、ぼくの会社のS社長が座っている。びっくりしたぼくは、みんなに「社長が医務室を社長室がわりに使っているよ」と触れ回る。
2008年03月02日
3月2日の夢(タップダンスの本と地図)
女性がぼくに、図書館でタップダンスの本を借りるようにアドバイスしてくれる。ぼくは自分の借りたい本を何冊か貸し出しカードに書く。それにはタップダンスの本は書いてないのだが、「あの本は、貸し出し係のところへ行ってから、もしそういう本が借りられる状況なら借りるつもりだ」と言って、女性に納得してもらう。
自分の会社の所在地をデザインされた地図を見る。ぼくの会社は交差点に面している(うそです)のに、その交差点は表示されてなく、一本手前の交差点が描いてあ、その少し先に会社のマーク(そんなものも現実にはない)が表示されているだけだ。これでは地図を見る人に分かりにくいと思うが、そちらの交差点の方が有名なので、そうしてあるのだろうか。
2008年02月29日
2月29日の夢(汚物)
出社したら、会社が、ではなく会社のぼくのパソコンが壊れていました。早速入院させました。愛しているパソコンだからね。
(ここから夢)
会社の中なのだが、そこは路地が縦横に走る、住宅地。まさに「町内」という感じ。その町内の一番右端にあるソファに二人の人が座っている。その人には宇宙の果てのことが分かるのだ。その人と宇宙の果てについて語りたいと思う。
社長がお尻から出した黄色い汚物を沢山ためている。元女性社員のIさんのものも、彼女が「切れた方がいいから」(意味不明)と言うので、一緒に入っているという。そういえば、ぼくのものもためてあったのだ。ソファの下から、タオルや新聞紙にくるまれた黄色い汚物を、ぼくは大量に引っ張り出す。手についてしまうが、しかたがない。ゴミ袋にまとめて入れようと思うが、ゴミ袋は町内の反対の端、つまり一番左端にある和尚さんの家にある。その家までぼくは両手に汚物をあふれるほど、持っていくが、途中にピンクのテーブルクロスをかけた食卓がある。これはぼくが食事をするテーブルだ。それが道路の幅いっぱいに置かれているため、どうしても汚物がテーブルに触れそうになる。自分が座るのとは反対の端を通って、和尚さんの家を探すが、なぜか見つからないので、また汚物を持って戻る。今度は自分の座る側を通る。
2008年02月28日
2月28日の夢(飛行機で出張)
外国人のカメラマンとロケに行き、帰りの飛行機に乗り込もうとしている。だが、ぼくは荷物を忘れてきたのを思い出し、彼だけ先に乗せて、取りに戻る。
出発時刻に遅れたのではないかと、慌てて走って戻るが、まだ搭乗の長い行列が続いていた。
機内には空席がかなりあるが、広いため、ひとわたり見回しただけでは、カメラマンがどこにいるか分からない。二回目に、前方で手を挙げて合図している彼を見つけたが、ぼくはとりあえず片づけなければならない仕事があるので、一人別の空席に座る。そんなぼくに、しびれを切らしたらしく、彼が歩いてきて、「帰りの旅費は自前になるんですか?」と質問する。ぼくは「いや。羽田から出発して羽田に帰り着くまでが出張なので、帰りの飛行機代も払いますよ」と答える。しかし、彼はなにか納得がいかないようだ。
車でギリシャの海岸を走っている。窓ガラスが白く曇ってきたので、手の甲でぬぐう。ぼくは旅行ガイドなので、車内の観光客に、「この辺は景色がどこも同じなので、自分がどこにいるのか分からなくなる人がたくさんいます。そういう人に、ここがどこだか教えるバイトをする人もいるくらいです」と説明する。
2008年02月24日
2月24日の夢(「帰る」主題の3つの夢)
一人の女性と二人の男性とタクシーに分乗して、地方都市から新宿の南口までタクシーでやってきた。男性の一人は松岡正剛氏だ。ぼく以外が割り勘でタクシー代を払い、男性二人は車を降りて街頭に消えていった。すると、女性は「このまままっすぐ帰れることが分かったから、これで帰ります」と言う。今出発してきたばかりの地方都市の自宅にこのまま帰ると言うのだ。彼女はぼくの右側に乗っていたが、そちら側のドアを開けて、左側から乗り込み、無理矢理ぼくと席を交替する。それを見た運転手は、タクシー代がさらに追加されるのだからと、慌てて車を降りて、松岡氏らを追いかけ、割り勘でさらにお金を払ってもらおうとする。ぼくは運転手を制して、「女性の運賃はぼくが払う」と言う。そしてズボンのポケットに手を入れるが、そこにあるはずの財布がない。少し不安になるが、かわりに四つ折りに畳まれたお札二枚が手に触れたので、それを引っ張り出して運転手に払う。一万円札のつもりだったのに、最初のお札は開くと千円札で、これではとても足りない。もう一枚を開けると、それは五千円札だったので、それを運転手に渡す。
いつのまにか、ぼくは地方都市にいる。そして、「ここから新宿まで走って帰れそうだ」と言い、実際に町の中を走り出す。
またもや地方都市の、今度は電車の駅にいて、ぼくは帰宅するために「新宿」と言って、切符を買う。ホームには昔の箱型をした古い三両連結くらいの電車がいて、それは急行電車だ。電車は出発間近で、ぼくの前を走っていく中年女性に駅員が「指定券は中で買えるから」と言い、女性はそのまま走って電車に乗り込む。ぼくだって走れば十分乗れるだろう。だが、ぼくは指定券を買っていないのに、無理して乗り込むことにためらいを覚える。そうしているうちに列車はぼくを置いて、出発してしまった。
2008年02月22日
2月22日の夢(怒りで目覚める)
東南アジアのどこかの国に旅行して、小さなホテルに泊まっていた。出立しようとして、女主人に宿泊代を払おうとする。単位は忘れてしまったが、その国の通貨で4〜5千円と言われた。少額紙幣がないので1万札で支払う。すると、女主人は男の通訳を通じて「ここではお釣りを払うことができないので、今度泊まるときに精算させてもらう」と言う。この国のこのホテルにもう一度泊まるなどありえないから、明らかにぶったくりだ。だけど、波風立てるのもいやだし、たいした額ではないから、おとなしく引き下がろうかと、一瞬思う。女主人はお盆に入れた赤・黄・緑の丸いもちもちしたお菓子を差しだし、それを食べるように言う。手を出しかけたぼくは、さっと手を引っ込め、「そんなことは許されない!」と激しく抗議する。
(そのまま目が覚めてしまい、朝まで怒って起きていました。もっとも、怒りは現実には別のものに向けての怒りだったのですが)
2008年02月17日
2月17日の夢(話が通じない)
夕方、会社に撮影用の小物が届いた。夜、それを持って、原宿スタジオに撮影に行く。だが、気がつくと、なんと、肝心のその小物を会社に忘れてきてしまったのだった。
誰かに持ってきて貰おうと、原宿ラフォーレの前で携帯電話をかけようとする。だが、携帯の押しボタンは数字がなぜか飛び飛びに並んでいる上、サンタの顔のようなアイコンが数字のかわりに並んでいる。そのため、何度やっても押し間違える。ふと気がつくと、携帯ではなく、ラフォーレのウィンドウに貼ってある同じようなアイコンを押していたりする。やっと正しい番号を押すことができたが、これだけでは発信しない。耳に当てた携帯から女声のコンピューターボイスが聞こえる。どうやら発信ボタンを押す必要があるらしいが、それがどこにあるのか分からない。ようやく発信ボタンが右下にあるのに気づき、押してみると、またコンピューターボイスが「お客様の押された番号で沢山のメッセージが入っていますので、正しいものを選んでください」と言う。それらのメッセージを聞いてみると、全く関係のないものばかりだ。
何度目かの挑戦の末、ようやく電話がかかった。ところが、かかった先は会社ではないらしく、「間違い電話だと思います」と、がちゃりと切られてしまった。もう一度、かけ直す。今度は男の声で「Yですが、今遠くにいるので・・・」と言う。そんな相手にかけた覚えはないので、慌ててこちらから「間違い電話だと思います」と言って、電話を切る。
ついに携帯を使うのをあきらめ、原宿で公衆電話を探す。しかし、そんなものは原宿にはない。
いつのまにか会社に戻っている。印刷所のKさんがちょうど小物を持ってきたところで、「スタジオの住所を教えてくれれば、車で届けますよ」と同僚に言っている。喜んで、Kさんに話しかけるが、別の同僚が別の用で同時にぼくに話しかけたため、Kさんにぼくの声は届かなかった。
2008年02月16日
2月16日の夢(座りにくい椅子と小熊人形セット)
ぼくに与えられた原稿のテーマは「喫茶店の座りづらい椅子」。ぼくはその原稿を喫茶店で書いている。店の入り口の自動ドアのところに、ドアを開け閉めするたびにじゃまにされる椅子がある。あれこそ、テーマにぴったりの椅子だから、実際に座ってみようとするが、たえず人の出入りがあるため、なかなか座ることができない。
ぼくは今こそ、自分の大切にしている小熊ちゃんの人形セットを出して並べる時だと思う。戸棚の前の床にそれを並べてみると、昨日退社することが明らかになった営業部長がやってきて、戸棚の荷物を取ろうとして、「あっ、ちょっとすみません」と言う。ぼくは慌てて「あっ、今すぐ片づけます」と言うが、彼は「でも、いいですよ」と答える。そして、ぼくが撮影用の小物を準備しているのだと思ったらしく、「大変ですね」と声をかけてくれる。ぼくは小熊の人形を拾い集めて、両手で抱えながら、本当に全部集められただろうか? ときょろきょろする。そして、手の中の小熊たちを愛しそうに確かめる。
2008年02月15日
2月14日の夢(5号車)
またアップが一日遅れてしまいました。
(2月14日の夢)
どこかへ取材に出張することになる。出張に出発する前の夜を過ごすための専用のホテルや旅館が集まっている地域がある。バスに乗って、ぼくの定宿としている聴濤館という旅館を目指す。うっかりして降りるバス停の車内アナウンスを聞き逃してしまったのではないかと、不安になってきょろきょろする。その時点になって、ぼくは出張のための荷物を会社に置き忘れてきたことに気づく。まあ、いいや。旅館にチェックインしてから、タクシーで取りに戻ればいいか。
翌朝、出張に出発するため、列車の乗車券を出して、駅の改札を通る。改札をしているのは、おばさんだ。おばさんはぼくに「○号車に乗車しなさい」と言う。5号車と言ったのか6号車と言ったのか聴き取れず、「何号車?」と聞き返すと、「どっちでもいい」と言う。それなら5号車に乗ろうと思う。いっしょに乗り場に向かって歩いている乗客の中から「奇数号車の方が椅子がいい」という声も聞こえる。
歩いていると浜辺に出た。波打ち際に1台のバスが待っている。あれが「5号車」だ。ほかの号車はまだ見えない。その5号車も運転手はいるが、まだ乗客は一人も乗っていない。そのとき突然、体育教師から「号車別に整列!」という号令がかかった。うろうろしているうちに、せっかく早く着いたのに、ぼくは随分列の後ろになってしまった。
2008年02月13日
二日分の夢(空飛ぶリアカーとビートルズの写真)
(2月12日の夢)
現実とは違う別の世界にぼくのもう一軒の自宅がある。そこに夜、帰宅した。昔の日本家屋のように、玄関には板敷きの上がり框がある。部屋が真の闇なので、そこにあるいくつかのスイッチを押してみるが、全く電気が点かない。ぼくは暗闇が怖ろしく、お化けがひそんでいるようで、怖くて怖くてたまらない。
気がつくと、突然、朝になっている。同じ部屋の中だが、明るいので少しも怖くない。ここにある荷物をいくつか持って、現実の世界へ死んだ母といっしょに帰ろうと思う。黒いカバンを手にとるが、いつの間に破れたのか、布が裂けて穴があいている。部屋には分厚い札束が無造作に投げ出してある。ぼくはそこから少しだけお金を抜き、あとの札束はそのままそこに残す。
リアカーのような乗り物に乗って、ぼくらは空を飛んでいく。ほかに少年や男が同乗している。みんな黒いリュックサックを背負っていて、その中に飛行装置が入っている。この空飛ぶリアカーを操縦していた人が、途中で降りることになり、別の乗客が操縦法を習う。そんな俄か操縦士で大丈夫だろうか。
再び、空飛ぶリアカーは舞い上がり、壮麗な観光地のような風景の上空を飛ぶ。観光地の坂を登っていく車の上に、顔見知りの店長がいるのが見える。
空飛ぶリアカーは銀座に到着した。低空飛行で銀座の店の壁を次々と突き倒しながら、その店内を飛行する。一人の女性詩人が出てきて、そんなぼくらに文句を言う。ぼくは「どうせいいじゃないか。ぼくらはもう既に死んでいるのだから」と答える。
(2月13日の夢)
女友達と共にビートルズを訪ねて、いっしょに撮った写真を、ぼくのブログに掲載していいという許可が、ポール・マッカートニーから届いた。なんでもないことのようだが、これは凄いことだと思う。しかし、あの写真を撮ったのは、もう30年以上も昔のことだ。
2008年02月11日
2月11日の夢(社長を演じる猿)
浜松に出張に行くため、社長以下、東京駅に集合する。もう午後1時になるのに、誰も弁当を買おうとしない。ぼくだけ、買うわけにもいかない。お腹が減った。
浜松に着き、クライアントのところに行く。なんと、打ち合わせのアポさえ取っていなかった。おかげで、待ち続けるはめになる。もう3時半だ。やれやれ今日はお昼抜きか。
撮影が始まった。バーのカウンターのようなところでカメラが回り始める。これはポルノ映画のはずだが、主演しているのは一匹の猿だ。猿が社長のように書類を次々と決済していく場面を、カウンターの向こう側からカメラが追う。こちら側にいるぼくはカメラに写ってしまいかねないので、慌てて場所を移動する。
どこに行くべきか迷った末、カメラの後ろのカウンターの席に座る。そこにはパーティー用のオードブルがたくさん皿に並べられている。とにかく空腹なので、爪楊枝に刺した高級そうなオードブルを一つバクッと口に入れるが、あまり腹の足しにはならない。
2008年02月10日
2月10日の夢(プライバシーのない夫婦生活)
病院の大部屋のような広い部屋にいくつも同じ大きさの固いベッドが置かれている。これは共同住宅なのだ。ぼくは見知らぬ若い女性と夫婦でここで暮らしているのだが、ベッドを一つ持っているだけで、部屋の中の他の人たちのベッドとの間にはカーテン一つない。ぼくたち夫婦がちょっと二人だけになっただけでも、キリンのように首を伸ばして、ぼくらを覗く男がいる。プライバシーも何もあったもんじゃない。
2008年02月09日
悪戯小僧と月光とおしっこ
昨日はモデルクラブの小一の子役さんたちを使って撮影でした。一人だけ、プロのくせに言うことをきかない男の子がいて、大苦戦。早速その子が夢に出てきました。
(2月9日の夢)
電車の中で席に座ったまま、眠ってしまい、夢を見ている。夢の中で、ぼくは道路にいて、おしっこをしている。最初は道路の向こう側まで勢いよくアーチをかける。月夜で、おしっこが月の光にきらきら輝く。見上げると、月そのものは眩しくて見つめられない。「一番星だ」と誰かが言っている。違う。あれは明るすぎる月の光が瞳の中で屈折して見える幻像に過ぎない、と思う。しかし、こんな派手におしっこをしていたのでは、誰かに見つかってしまう。あとは、ちょぼちょぼとする。
そこで、目が覚めた。夢の中でおしっこをするのはよくあることだ。でも、実際にはおしっこなんかしていないのだ。そう思って、起きてみんなのところに出てみると、はいていた黄色いズボンに二重に黄色い染みの輪がついている。電車の自分の座っていた席を見ると、床に小さな水たまりができている。しまった。本当におしっこをしてしまったのだ。もう、惚けてしまったのだろうか・・・と、自分に不安を感じる。(もちろん、これは全部夢です)
会社の中にいる。左の小さめの部屋にぼくはいて、隣にもっと大きい部屋がある。小さい部屋には、どうしても言うことをきかずに悪戯ばかりする一年生くらいの男の子がいる。その子は、ぼくの食べようとしている食器をひっくり返したりするのだ。ぼくはその子をつかまえて、隣の大きな部屋に続くドアのところまで言って、「さあ、悪戯をすると、社長のいるこの部屋の中に入れちゃうぞ」と言い渡す。そこにはモデルの世話をする係の同僚のIさんがいて、その子のためにとりなしをしてくれる。
若い男性の総務の社員が走ってきて、「ビルの改築をすることになったから、このフロアに仕事と無関係の人がいたら、一つ上のフロアに移ってもらう」と言い渡す。ビルの室内だというのに、そこは成城の高級住宅街のような感じ。デザイナーのOくんが言う。「××がグランドピアノを置くところがないと言うので、このフロアに一つ部屋を持っていますが、殆ど仕事とは関係がありません。今のところ該当するのは、その人だけですね」。
2008年02月03日
セロリ先生とSさんのデザート
ぼくは車に乗っている。すると、作曲家のセロリ先生がドアから車内に首を突っ込み、「デザートを買ってね」と言う。そこでデザートを買っていると、ちょうど車の停まった左手に以前S誌の編集をしていて、今はエジプトにいるSさんがデザートのお店をやっているのが目に入る。ぼくはセロリ先生に「この店もすごいね」と言って、目配せをすると、セロリ先生も目配せを返してきた。しかし、Sさんを知らないはずのセロリ先生は、ぼくの目配せの意味が分かったのだろうか?
Sさんの手にしたトレイにはとても沢山のデザートが載っている。ぼくが注文すると、大さじでかなりの量のデザートを取り分けて、ぼくの皿に載せてくれた。そのため、Sさんのトレイの上のデザートはもう「すごく沢山」というほどではなくなった。(夢ここまで)
一体、目配せにどういう意味があったのか、ぼく自身も不明です。
2008年02月02日
J.レノンのマイクと研究会の夢
忙しくて、また二日分の夢をまとめて更新です。
(2月1日の夢)
一つ目の取材を終えて、二つ目の取材先へこれから向かう。駅の案内板の地図を見て、取材先がどこにあるか確認する。遠方だと思ったのに、なんと幸運なことに自分が今いる場所がそこだった。見回すと、駅の信号所と線路のそばに建物がある。この六階にスタジオがあり、そこにジョン・レノンが使ったマイクがあるのだ。
早速取材をするために、駅の受付係のおじさんに名刺を渡そうとする。ポケットからは名刺とえびせんクラッカーが出てきた。名刺の印象度を増すために、普段はえびせんに名刺を印刷して渡しているのだが、今日持ってきたえびせんは白紙である。しゃれのつもりで、えびせんと名刺とをいっしょに渡す。そばの柵のところにカメラマンの奥さんがいて、ぼくに「この仕事はいつ納品すればいいのですか」と心配そうに尋ねる。もうすぐ夏休みが終わるので、休み明けの17日にすぐにでも欲しいのだが、遠慮して思わず「20日でいいですよ」と言ってしまう。
(2月2日の夢)
遊園地のある公園の一角に、お寺の庫裏のような場所があり、今月はそこで「詩と思想研究会」をすることになった。しかし、開始時間が過ぎたのに、いつになく集まりが悪い。不思議に思いながら、合評を進めていると、誰かが教えてくれた。みんな始まる前の時間を利用して、遊園地の空中遊具に乗りに行ったのだが、開始時間までに遊具が地上に降りてこず、みんなまだ空中にいるのだという。しかし、研究会の規則で、遅刻した人の作品は合評にはかけられないことになっている(夢の創作です。そんな規則はありません)、今日はIさんをはじめ、いっぱい良い作品が出ているのに、残念だなあと思う。そこへ空中遊具からやっと降りられたメンバーがどやどやと途中参加してきたものの、規則は守らなければならない。合評作品が少ないため、研究会はあっという間に終わってしまった。規則はちゃんと守ったものの、これではみんなやる気がなくなって、次回は参加者が大幅に減るのではないかと心配になる。
2008年01月28日
1月28日の夢(黒い男女)
男性と女性、ぼくと三人で、その女性の自宅へ行く。すると、目の前の道路で交通事故が起きた。上半分がはぎとられて破壊された事故車を見る。楽器や音楽記号が車体一面に描かれた車だ。ぴんと来た。これは手元の資料に描かれていた怪しい車だ。そのことを他の二人に話していると、道路に怪しい黒づくめの男女がいるのに気づく。彼らの話を聞き取ろうと耳をすます。
マンションの自宅へ戻る。妻はいるが、同居している父がいない。おかしい。どこへ行ったのだろう? ベランダに出て、下の駐車場を見ると、遠くの車のかげにさっきの黒い女がいるのが見える。さらに、すぐ近くの車には黒い男が隠れているのに気づく。そこへ妻が出てきたので、「シーッ」と唇に人差し指を立てて制止する。玄関に回ると、いきなり窓から中へ身を乗り出すようにして、さっきの黒い女が妻に何かを尋ね始めた。ふと見ると、それに気をとられているすきに、黒い男がナイフで玄関ドアの鍵をこじあけようとしているのが見えた。慌てて非常ベルを鳴らそうと、右手を伸ばしたところで、本当に右手を伸ばした衝撃で目が覚めた。
2008年01月27日
1月27日の夢(田舎暮らし)
山の中の田舎町に妻と二人で引っ越してきた。ぼくは煙を吐かない蒸気機関車に引かれた列車で一人その町に帰るところだ。列車の座席は椅子ではなく、布団だ。それにくるまって寝て行けるのはらくちんだが、誰が使ったかわからない布団に寝るのはちょっと不衛生な気がする。
列車がお寺のそばを通るとき、車内アナウンスがあった。「お寺のそばを通るとき、機関車の周りの空中にオレンジ色の光がついたり、花がまかれます」。窓から見ていると、列車は空を飛んでいるような感じで、お寺の塀に沿って進む。光や花は見えないが、機関車から蔦の蔓がするすると後方に二本伸び、蔦の葉が風になびいた。
駅に着くと、大きな犬がぼくにじゃれてきた。妻が大きめの缶詰を拾って、手渡してくれた。ぼくはその缶詰をうっかり下水口のような暗い縦穴の中に蹴り込んでしまった。犬はその穴に鼻を突っ込んで残念そうな様子だ。
自宅のある共同住宅に着いた。木造の古い建物で、一階は医者の待合室になっている。広い待合室は沢山の患者たちでいっぱいだ。そこにも大きな犬がいて、ぼくに体を寄せてくる。最初ぼくは少し怖くて、足で犬をあしらっているが、やがて波打つその毛並みを手で愛撫してあげる。どうやら、待合室にいるおばあさんが飼っている犬らしい。患者たちをかきわけ、二階にある自宅に帰ろうとするが、フロントのようなところで自宅の鍵を貰わなくてはいけないらしい。
2008年01月24日
二日分の夢
またもや、さぼっていて二日分まとめてアップ。
(1月23日の夢)
ある企業の中に入ろうとすると、身分を証明するものがないと入れなくなったと、受付の女性に言われる。自分が作成したばかりの「創」というタイトルの縦長の小冊子を出し、「これが身分証になるはず」と言うが、女性はダメだと言う。それなら、これは? この前はこれで通れましたよ」と言って、もっと大判の雑誌を出してみせるが、それもダメだと言う。
東京の街の中をバスに乗って走っている。地面が白い砂でできていて、樹木は生えているのだが、まるで砂漠のオアシス都市のような場所がある。そういえば、こういう砂漠のような場所が、故郷の名古屋にもあったなあと思いながら、通り過ぎる。
放送局のスタジオで音楽番組の収録があり、ぼくは観客として参加している。途中で、「何か外の音が入ってしまった」とスタッフが言って、かたわらの窓を開けると、なんとそこは駅である。こんな場所にスタジオがあれば、ノイズの入らない方がおかしい。なかなか収録が再開されないので、外へ出る。
すると、そこは寮の中だ。ぼくは新入生なので、先輩に会うたびに誰何される。電話がかかってきたので出ると、男の声で「あの雑誌はいつ出るのか?」と言う。ぼくは「もうそれはやめて、ほかのを作っている」と答える。そして、ふと気づいて、「ぼくはあなたに借金があるのですか?」と尋ねると、「3万円ある」と言う。そんな大金を返済するのは大変で、答えに窮する。目を落とすと、床に鮭の刺身が落ちている。そこから這い出して、誰かに踏みつぶされたらしい寄生虫の死骸もある。ぼくはあの鮭をさっき食べたんだなあと、ぼんやり思う。
(1月24日の夢)
トイレに行きたくなった。以前にも使ったことのあるトイレに入る。畳敷きで布団が敷いてあるが、この布団をめくれば下に便器があるはずだ。そう思って、布団をめくろうとして、はっとする。布団には老婆が寝ていて、もぞもぞと動き出したのだ。慌てて退室しようとすると、向こうから中年の女性がやってきて、鉢合わせしてしまい、老婆の部屋に入った理由をしどろもどろで言い訳する。そこには老婆の夫らしい老人もいて、起きてきた老婆とぼくは三人で、さっきの中年の女性のことを話題にしておしゃべりする。
2008年01月21日
日付の夢と電車の夢
2月19日という日付がしきりに出てきます。これって何の日かなあ?
(1月20日の夢)
会社にイラストレーターが彼の作品の載った校正刷りを持ってきた。その表紙に彼の略歴が印刷されている。誕生日が2月19日で、それ以来、何か節目の事件はすべて2月19日に起きている。それなら、せっかくだから「みんな同じ2月19日」と目立つように書けばいいのにと思う。デザイナーもぼくと同じ意見で、「じゃあ、矢印をつけて、『みんな同じ』と入れましょうか」と言って、校正刷りに書き込む。意見が一致したので嬉しい。
ぼくは「ちょっと失礼」と言って、一人だけ席を離れ、マイカップに飲みかけのコーヒーを探す。ぼくのマイカップは自分の席ではない、同僚の席の後ろの棚にあった。しかし、もうコーヒーは殆ど残っていない。イラストレーターにはお茶一つ出していないので、ぼくはコーヒーをこっそりと飲み干し、またイラストレーターの略歴について考える。みんな同じ2月19日といっても、書いてある内容は「2月19日に髪を切った」というようなものばかりだ。それなら自分で日付を調節できるのだから、全部2月19日になるのも当たり前じゃないかと思う。
(1月21日の夢)
電車に乗っていると、隣にいた酔っぱらいのような小男がぼくの荷物を開けて、中を覗き込んだ。ぼくは怒って、「鉄道公安員に言いつけるぞ!」と怒鳴る。そして次の駅でホームに降り、「すみませーん! すみませーん!」と大声を出す。鉄道公安員が駆け付けてくれたが、公安員は女性だった。ぼくは彼女に大げさに「泥棒行為をしている!」と男のことを告発する。
また、電車の中。ギュウギュウ詰めの大混雑。足が前を向かず、横向きになったままだ。すぐ前の席に座っていた人が降りた。ぼくが座ろうとする間もなく、その隣に座っていた女性が自分のバッグと本を置いてしまった。むっとしていると、荷物をはさんで反対側の隣に座っていた男性が、その本をひょいと持ち上げた。ぼくのために荷物をどけてくれるのかと思ったら、そのまま本を読み出した。ただ、その本を見たかっただけらしい。
2008年01月19日
1月18日の夢(ちんどん屋ロック)
今日は日本現代詩人会の60周年記念事業の打ち合わせに行ってきました。行くまで「40周年」だとばかり思っていた。でも考えてみると、ぼくがH氏賞をいただいたのが30周年だったんだから、40周年のわけがない。そのときも今と同じ大岡信さんが会長で、ぼくは大岡さんから自筆の賞状をいただいたのでした。以下は昨日の夢です。下品でごめんなさい。
(昨日の夢)
港のそばの屋外でみんなで食事をしている。屋外ステージでロックバンドの演奏が始まった。見ると、二人のボーカリストは熟年の男性。その二人は胸にちんどん屋の道具を抱えて、ロックを歌いながらちんどんちんどんと打ち鳴らしている。これはちょっとやりすぎじゃないか。さらに、演奏しながらバンドの二人が立ち小便の真似をする。てのひらにホースの蛇口のようなものを持っていて、そこから勢いよく放水しているのだ。メンバーの中には女子高生もいて、それを見て、恥ずかしそうに顔をそむける。
ある音楽財団へ行く。一階に同僚のOさんがいたと思うが、気がつくともう見あたらない。財団の中は模様替えの最中で、スタッフの顔ぶれもすっかり変化している。こないだ模様替えしたばかりだったのに・・・と思う。Oさんを探して階段を昇ると、階段のステップにぎっしりスタッフが座って、パーティーをしている。誰かが亡くなって、その追悼会をしているらしい。人がいっばいで、これ以上階段を昇れないため、あきらめて降りる。ところが、ぼくの背負っていたリュックが、ご飯の入った鍋にひっかかり、鍋をひっくり返してしまった。慌ててあやまる。
下へ降りると、そこに見知らぬ若い男がいて、ぼくを招き寄せる。「ここなら、もう遠慮いりません。ぼくは調布交響楽団のメンバーなんです。ここで一緒に食べませんか」と言ってくれるので、隣に座る。ステージでは男がピアノを弾き、女が詩の朗読をしている。二人は夫婦らしい。調布交響団員は「妻の方がずっとうまい」と言うが、ぼくには両方とも下手くそとしか思えない。
2008年01月17日
1月17日の夢(トイレ・クエスト)
しばらく夢を見なくて、更新できませんでした。
(夢ここから)
これから海外へ旅立つ。空港に早めについて、飛行機に乗り込んだ。機内はバスそっくりだ。運転手のかたわらの、最前列の二人がけの席をとる。だが、どうやら機内にはトイレがないらしい。既にかなり尿意を催しているので、3時間ほどかかるドイツへの空の旅の間持たないかもしれない。座席に書類を置いて、空港に戻り、トイレを探す。ない。これだから、地方空港は困る。しかたなく市内に出てみる。空港から次第に遠ざかりながら、これでは道に迷って空港に戻れなくなるのではないかと、心配になり、後ろを振り返る。一度だけトイレのマークを視野の片すみに見た気がした。それは、ぼくだけではなかったらしい。小学生の男の子が母親といっしょにトイレを探しながら、「トイレ、あっちらしいね」と言うのを聞いたからだ。しかし、結局トイレは見つからない。もう飛行機の出発まで10分もない。慌てて空港に戻る。
2008年01月13日
1月13日の夢(二人用便器)
出かける前にトイレへ行こうと思う。新しい会社のトイレは広くてきれいだが、ドアに鍵がかけられない。部屋の床の中央に、大きな自然木の切り株にニスを塗って、磨き上げたようなもの(とても背が低くて、床すれすれの高さ)が置いてある。よく見ると、中央後方に僅かな凹みと、穴が見える。左側にテーブルのようなものがあるが、これが便器のはずはないので、この切り株のようなものに向かって、用を足そうと思う。しかし、立ったまま穴に向けて命中させるのは難しいので、座って用を足していると、鍵のないドアを開けて、営業部長のKくんが入ってきた。彼はぼくを見て、「あっ、私はどこかほかでしてきますので」と言う。ぼくは「いや、いいよ」と答えながら、用を足し続ける。彼は「これは本当は横に二人並んでやれるんですよね」と言う。そうか。これは二人用便器だったんだ。
2008年01月12日
大変なこと続報夢二日分
ちょっと大変なことが、即日、夢に反映しています。
(1月11日の夢)
どこか田舎の地下鉄の駅。ぼくを中心とするグループのほかに、元社員のIさんら女性のグループ、Aくんらの男性のグループが合流して遊んでいる。みんなホームから線路内に降り、ぼくのグループは右側の線路上にバッグなどを置く。ほかの二人のグループは左側の線路をまたぐように、机やソファーなどをバリケードのように置いたまま、忘れて次の駅へ線路内を歩いていってしまった。
気がついたときは遅かった。一つ二つとバッグをぼくらがホームの上に戻しているとき、右のトンネルの奥からぐんぐん列車のヘッドライトが迫ってくる。あっという間に、列車はぼくらのバッグの上に乗り上げて、脱線してしまった。そして、左側のバリケードにはなんと特急列車が突っ込んで、乗り上げてしまった。慌てふためく駅員。直ちにぼくらは拘束され、警察のバスに乗り込まされた。だが、そのバスに間違えて一般の乗客たちも乗り込んでしまい、車内は大混乱。
やっと騒ぎがおさまり、バスは郊外のあばら屋に到着した。そこでぼくらは降ろされ、50歳くらいの鬼刑事による取り調べが始まった。鬼刑事は高血圧らしく、顔には血管が浮き上がり、全身がぶるぶるとふるえている。みんな椅子にかけているが、ぼくだけ座る椅子がない。そのことを刑事に訴えると、「おまえは普通の椅子でいいよ」と言われてしまう。あたりを見回して、小さな背もたれのない椅子を見つけて、しかたなくそれに座る。
ぼくは刑事に「ぼくらのほかにも犯人たちがいるんだ。いいか、これから名前を言うから、それをメモしろ」と言う。額に青筋を立てながらメモする鬼刑事。
やがて、あばら屋にまたバスが到着した。中に三人の女性が乗っているのが見える。降りてきた一人はぼくが密告したIさんだ。そこへテレビの現場中継レポーターの女子アナがマイクを持って走り寄る。彼女を見て、Iさんは悔しそうに「あんたは高校のクラスメートだったサンベね。畜生、あんたに取材されるとはね」と叫ぶ。ぼくはIさんのそばに寄り、頭を撫でながら「Iさん、ぼくらはまだ終わったわけじゃないんだ。まだ終わったわけじゃないんだ」と繰り返す。
(1月12日の夢)
社長命令で浜松へ何かのチケットを取るために、多くの社員たちと共に出張する。しかし、やる気がないので、ぼくは遅刻して行き、しかもお弁当持参で、一人でさっさと食べてしまう。他の社員たちは食事もできずに、二階でチケットを取るための行列に並んでいる。彼らのために一階の食堂で、食事を注文してこいと命令が出る。もう3時40分だから、みんな相当お腹が空いているだろう。
二階から一階へ通じる階段は、食事をするOLたちで足の踏み場もない。そこをそろそろと降りていくが、OLの一人のスープ皿の中に、ぼくは足を突っ込んでしまう。「ああっ、足を入れられちゃったー!」と彼女はかたわらの友達に叫ぶが、ぼくは頓着しないで下へ進む。
一階の食堂に入り、テーブルにつく。だが、給仕たちがぼくを取り囲み、「食事をしないあなたがそこへ座ると、ほかのお客さんが座れないから、どいてくれませんか」と言う。ぼくは「食事を60人分」と言って、注文する。給仕たちは「そんなにもう食事は作れない」と答える。「じゃあ、とりあえず20人分」と、ぼくは粘る。初老の給仕の一人が「わかりました。私がここの社長です」と言う。ぼくはびっくりする。社長自身が給仕に身をやつして、現場に出ているのだ。
再び、客で足の踏み場もない階段を登る。後から、若い男が一人ぼくの後をついてくるので、止まるわけにはいかない。やっと二階に着く。そこには、ぼくら社員の荷物がいっぱいに置かれている。ぼくのリュックが置かれているのは、最後列だ。どれが自分の荷物か分からず、迷うがやっと見つけだす。ぼくはリュックの中身をいっぱい周囲に取り散らかしていたらしい。ぼくはそれを拾い集め、一人でここから立ち去ろうと思う。
2008年01月10日
予知夢
ちょっと大変なことがあって、(新聞やテレビのニュース、2チャンネルで派手に取り上げられておりますが)昨日は更新できませんでした。明らかにこれは予知夢だった。現実にあれが社員に発表されたのは午後1時ジャストだったけれど。
(1月9日の夢)
会社の大掃除をしている。ぼくがちょっと汚いものを見つけて片づけだしたのを見て、専務が「不要なものがいっぱいある」と言い出したのがきっかけだった。全員で、燃えるゴミと不燃ゴミを分別しながら、大掃除をする。本当に無駄なものがいっぱいある。ちょうどお昼を食べようとしていたときだったので、途中で片づけをやめて食事を始めたとき、時計を見ると12時35分だった。気がつくと、ぼくの胸ポケットに茶色の汚い油のようなものが付着している。食事後もまだまだ汚いものが目につき、どんどん掃除をしていく。
(1月10日の夢)
変な外国人が勝手に店の中に入ってきて、自分の詩を読んでくれと言う。失礼なやつだ。ぼくは腹を立て、周囲にいる日本人に当たるかもしれないのに、外国人に向かって、水がたくさん入っているのや、殆ど入っていないのや、手当たり次第にコップを投げつける。やっと最後に投げたコップの一滴だけが外国人にかかった。ぼくはちょっとだけ満足する。それを機に、彼は混み合った店内を引き返して、外へ出ていく。ぼくはそれを黙って見送る。
2008年01月07日
1月7日の夢(大阪支店)
仕事が始まり、夢も日常的なものに。ただし、この夢の中の支店や役職は、ぼくの関係している二つの職場、どちらにもありません(笑)。
(夢ここから)
大阪に出張し、支店で荷物を片付けている。大阪支店にもぼくのデスクがあつて、その棚にもいろいろな本や書類が置いてある。中にはぼくが東京で持っていた方がいいと思われるものもある。それらをまとめて東京へ送ってしまおうと思い、梱包用の封筒か包装紙を探してきょろきょろすると、課長が大きな包装紙を広げて荷造りをしている。「それ、どこへ送るんですか?」と尋ねると、「パリだ」という答え。「へー、パリへの国際郵便か。かっこいいな」と、ぼくは感心して見せる。さて、これからぼくは四国へ出張するのだ。
2008年01月06日
1月1日の夢(元首相の独白)
明けましておめでとうございます。バリ島ではうとうとすると、すぐ考えていることが夢になって出てくる不思議な体験をしましたが、記録できるようなまとまったストーリーにはなりませんでした。
とりあえずバリに出発する前、1月1日の朝に日本で見た夢を書きます。なぜか、ぼくは「元首相」で、その人物の一人称によるナレーション付きの夢でした。ナレーションをそのまま記録します。
(夢ここから)
「元首相である私がここ、最上川のほとりにやつてきたのは、50年ぶりくらいのような気がする。あれからもう50年も経ったということは、私は既に死んで、魂になってここへ戻ってきたのだろうか。」
(ここからは客観的な夢の記述)
ぼくは水彩で、紙にさらさらと自分の思い出を絵に描く。と、その絵はまるで写真のように見える。画面の手前に見える女の子が妹で、その後ろに小さく見えている男の子がぼくだ。絵は見ているうちにますますくっきりとして、鮮明になってくる。
2007年12月31日
12月31日の夢(今年最後の夢)
会社で仕事をしていて、ふと気づくと、ズボンをはいていない。トイレの個室で用を足したのに、まだ紙を使っていなかったことを思い出す。誰も見ていないのを幸い、もう一度トイレに入り直す。トイレには台の上と、台の下に一つずつ便器がある。台の上の方がきれいそうだったので、台に上がり、ズボンをかたわらに置く。と、それまでは見えなかった、誰かのおしっこの水たまりがそこにあり、あっと思ったときにはズボンのベルトのバックルが、水たまりに入ってしまった。しかたなくズボンを持って洗面台に行き、水を出してベルトを洗う。(夢ここまで)
明日から、夢と癒しの島、バリへしばらく行ってきます。初夢がバリで見られるかどうか・・・
2007年12月29日
12月28日の夢(なぜか大泣き)
(昨日の夢です)
社長を含む四人でタクシーに乗り、陳情に行くことになる。集合場所はぼくの母校・東海高校の北門だ。朝から出かけるつもりなので、集合したのは深夜である。午前2時頃には周りに、日雇いの仕事を求める男たちが三々五々集まってきて、早朝に人集めにやってくるバスやトラックを待っている。ぼくらの乗ったタクシーを彼らの集まっている真ん中で止まる。ぼくら四人が降りてしまうと、荒くれた男達の間に運転手は車の中で一人残ることになってしまうので、心配したぼくは「大丈夫か?」と尋ねるが、運転手は大丈夫だと答える。タクシーを降りたぼくら四人は教室で仮眠をとる。
朝、そろそろ出発しようということになる。車には二つの長いソファと、窓脇の一人がけの座席がある。社長がどこからか大きな板を二枚持ってきて、窓際の席と席の間に渡してくれる。これで、ぼくも車中、板の上に寝て行けることになった。
急いで出発しようとして、うっかり荷物の山をどどっと崩してしまう。自分のスーツケースを一個だけ引っ張って出かけるが、はたしてこんな身軽な荷物でよかったのか、不安になる。
再び、北門に行く。朝が明けてきた。この仕事で映画監督を務めるカメラマンが、世界地図を開いて、「大陸は呼応する・・・」という自説の演説を始める。それを聞いて、タクシーの運転手は感激し、「これから自分も地図を見たら・・・」という話をする。ぼくも感激して、大泣きしてしまう。
朝、歯を磨き、シェーバーで髭を剃ろうとしたとたん、シェーバーがばらばらに壊れてしまった。組み立てようとするが、透明な電池から液がもれて手につく。これは毒だからと、慌てて手を洗う。今日はクライアントのところに行くのだから、ひげを剃らなければいけないのに、どうしよう? と、ばらばらに分解したシェーバーを前に、途方に暮れる。
2007年12月27日
爆発物と帽子
どこかの惑星にいる。ぼくは手に何かを持って歩いている。何であるかは忘れてしまったが、大切なものだと言われて、大事に持っていたのだ。ところが、それが煙を上げ、やがて炎まで吹き上げだした。びっくりしたぼくは、息子に修理してもらおうと、息子のところへ持っていく。中学生くらいに見える息子は、床に腹這いになって、別のものの修理に夢中だ。あまりに危険だと思ったぼくは、その大切にしていたものを投げ捨てた。そのとたん、大爆発。ぼくはだまされて、危険なものを持たされていたらしい。
会社に妻の中学時代の友人夫婦が挨拶に来た。抽選で当たって、ただで海外旅行に行けることになったという。彼らを迎えた妻とぼくはびっくりする。しかし、どうも二人のぼくを見る目がおかしい。気がついて、ぼくはかぶったままにしていた帽子を脱ぐ。しかし、まだ帽子をかぶっている。もうひとつ帽子を脱ぐ。ぼくは二つも帽子をかぶっていたのだ。帽子を脱いだので、二人ともぼくが誰だかやっと分かったらしい。
2007年12月24日
クリスマスイヴの夢(トイレが詰まった)
大きな家に引っ越し、二階に大きなトイレができた。便器はベッドのように大きく、形もベッドみたいだ。だが、トイレットペーパーをぼくが使いすぎたため、トイレの水を流したら詰まってしまった。大きな便器なので、詰まった水の量もすさまじい。轟々とした濁流に、ベッド型便器の蓋が大きく上にふくれて、たわみ、破裂してしまいそうだ。と思っている間もなく、黄色い濁流が便器からあふれ、部屋中が足首くらいの高さまで汚水につかってしまった。家具など、部屋中のものが水浸しだ。慌てて妻を呼んだが、妻は意外に平静だ。ぼくは一階に水漏れしてしまうのではないかと、心配でたまらない。
2007年12月22日
12月22日の夢(ヒデの絆創膏)
ユリカモメがどんどん野川の下流から飛んできて、まるで港町のようです。ぼくの住む街は「狛江」という名前からすると、きっと昔は多摩川の水運による港町だったのでしょう。だから、カモメは当時からの習性で、今もここへ上ってくるのかも。家の前のグラウンドのポールのてっぺんにはなぜかカワウが毎日4羽とまります。あたりを睥睨しながら、羽を乾かすのにちょうどいいからでしょうか。
(ここから今朝の夢)
ヒデがスチュワーデスにヘディングのしかたを実演しながら教えている。ヒデの頭の左側にはキズができているらしく、大きな絆創膏が貼られている。ヘディングの実演をするたび、彼はそのキズを気にして、タオルのようなものでキズを押さえる。
横浜の楽器店のPR誌でお店のスタッフ紹介を連載しているが、全員のスタッフ紹介を終えるまでに、雑誌の方が終刊することになってしまった。話しているうちに、上原彩子さんのスタッフの取材の話題が出る。男女のボランティアスタッフが泊まり込んで手伝っているのだが、社長は夜も互いの部屋の行き来を認めているのだという。なぜなら、みんなとても真面目で不祥事を起こしたことがなく、部屋の中も整然としているからだという。ぼくはその話をお店の社員から聞き、早速記事にするが、記事を書くにはパソコンのキーボードを打つのではなく、自分の髪の毛を鋏でバサバサと切るのだ。(夢ここまで)
夢のことは忘れていましたが、無意識に今朝、自分の髪の毛を鋏でジョキジョキ切って、整えました。もう30年以上、床屋へは行っていないんです。
2007年12月21日
12月21日の夢(熱気球型落下傘と水平エレベーター)
風邪がなかなか抜けません。痰のからんだ咳が出るような出ないような・・・。今日も医者へ行ってきましたが。
(ここから今朝の夢)
医者へ行き、老医師に健診表か何かのデータを渡す。医者はそれをカルテに書き写しながら、しばらく待合室で待つように言う。待合室に着き、ベンチに腰をおろそうとしたとたん、受付の女性たちが「一色さんを呼んでいいの?」と話し合っているのが聞こえ、すぐに「一色さん」と再び診察に呼び出された。
「熱気球型落下傘」の玩具を三個貰った。それはぼくのものではなく、政府に渡すようにということで、受け取ったのだが、なんだか自分のもののように錯覚し、小さな息子に鋏を持ってこさせて、その一個を開けてしまう。しかし、すぐにこれは「罪」になると気づき、息子に「鋏を向こうへ持って行きなさい」と言うが、息子は応じようとしない。
会社のエレベーターで一階へ降りようとして、「下」のボタンを押す。ところが、ぼくの前に並んでいた同僚たちは、ぼくが「一階へ行く」と言っているのにもかかわらず、「二階というボタン押すとどこへ行くんだろうね」などとしゃべりながら、自分たちだけで乗ってしまい、ぼくを置いてきぼりにする。ここが二階なのに、あいつらは何を言っているんだろう?と思う。またエレベーターが来たので、ほかの同僚たちと乗り込む。すると、そのエレベーターは下へは降りず、すーっと水平移動していく。窓から外の景色が左右に流れていくのが見える。このままどこかの駅まで行くらしい。
2007年12月20日
12月20日の夢(おじさんとランチ)
上原さんに会いました。ちょっと会わない間に電撃結婚をして、子供までできてしまった彼女。見るからに幸せそうに輝いていました。「子供ができて、あたしも愛するってことを知りました」なんてコメントも、上原さんなら許せる!
(ここから今朝の夢)
中年のおじさんにランチをいっしょに食べよう、と声をかける。おじさんは急に慌てだし、「早く行かないと、席がとれなくなる」と言う。レストランに着き、ぼくがメニューを広げると、おじさんはもうパスタの大皿を手に持って、今にも食べ終わろうとしている。しかし、その食べ残しの皿を慌てて壁の棚に隠し、さらにメニューを開いて、ぼくといっしょに食べるランチの品定めを始める。
2007年12月19日
12月19日の夢(北海道の富士山)
取材でカメラマンと北海道へ行く。インタビューの相手をまず撮影。すると、カメラマンが「せっかく北海道へ来たのだから、北海道らしいものをぜひ撮影しておきたい」と言う。カメラマンが指さしたのは、高窓から見える富士山のような山。富士山みたいだけれど、山肌がカボチャのようだ。富士山が北海道にあったっけ? とにかくインタビューをしようと思うが、質問表を忘れてきたことに気づく。しかたなく、時間をかけて一問ずつ思い出し、なんとかすべての質問を終えることができた。(夢ここまで)
明日はピアニストの上原彩子さんのインタビュー。上原さんをインタビューするのはもう五度目で、多分ぼくが長い音楽ライター生活の中で一番多くインタビューした相手は彼女でしょう。そして、多分、彼女をぼくがインタビューできるのも明日が最後になるだろうと思うと、ちょっと感無量です。
2007年12月17日
12月17日の夢(ピアノと新幹線)
仕事で浜松へ出張することも滅多になくなって久しいのに、いまだに浜松の夢を見ます。
(夢ここから)
浜松のピアノ工場の試弾室に行き、初めて仕事をするカメラマンのクルーに、コンサートグランドピアノを撮影してもらう。撮影が終わり、重いピアノを二階に運び上げて、やれやれと思う。だが、その瞬間、このピアノはコンサートグランドではなかったことに気づく。変だ。見回しても広い試弾室にあるのは、このピアノだけなのに。そういえば、今日、有名な外国人ピアニストが浜松に来ると言っていた。コンサートグランドピアノはそのピアニストの練習用に回してしまったのかもしれない。とにかくクライアントに電話をしようと携帯を取り出すが、何度やっても画面に相手の電話番号を表示することができず、かけられない。しかたなく、紙切れにえんびつで電話番号を書き付け、それを見ながら電話しようとするが、長い電話番号を記憶することができず、どうしても押し間違えてしまう。結局、いつまでたっても電話はかけられないのだった。
帰りの新幹線に乗る。一列に窓際にいつもは前を向いて並んでいる座席を、一人の乗客が90度回転して、横向きにした。それがかっこいいので、窓際の乗客はみんな椅子を横向きにした。ぼくは真ん中の方の座席に座っていたのだが、自分もやってみたくなり、コートと鞄を席に置いたまま窓際の空席に移り、やはり横向きにして座る。やがて列車が東京駅に着いたので、真ん中の座席に置いてきたコートと鞄を取りに戻るが、見あたらない。どうやら盗まれてしまったらしい。
2007年12月15日
12月19日の夢(写真週刊誌)
昨日、千駄ヶ谷にあったぼくの会社が現実に移転しました。17日から今度は江戸川橋で営業開始です。いまだに夢では千駄ヶ谷ではなく、それ以前に会社があった原宿が現れることが多いのですが、はたして江戸川橋が夢に現れることはあるのでしょうか?
(ここから今朝の夢)
写真週刊誌のカメラマンたちが張り込みの末、ついに有名スターの男性の邸宅に、有名人の恋人が逢い引きにきている現場をおさえることに成功した。男性スターとの交渉がまとまり、二人が揃って門のところに出てくるところを撮影することになる。
まず家から続くゆるやかな長い石段を降りて、門のところに有名スター一人が立った。それだけで待ちかまえたマスコミからフラッシュが何度も焚かれる。次いで、女性スターが現れるはずだったが、靴音高く駆け下りてきたのはぼくの友達の少女である。スターの隣におさまり、得意げな笑顔の少女。さらに遅れて現れたぜくも、その隣に少女と手をつないで並び、ポーズをとる。だまされたことに気づき、マスコミの記者らは唖然とした表情だ。
2007年12月11日
12月11日の夢(虫)
自分でお魚をさばいて3枚にする。刺身に切り分けて、盛りつける。ふと見ると、野菜を入れた皿に大きな太い虫がのたくっている。お魚の中にいた寄生虫だろうか。大声で妻を呼び、食べるのを待つように言う。しかし、どうやらこの大きさは魚類の寄生虫とは思えない。外からお花といっしょに室内に入ってきた虫かもしれない。やっつけようとすると、妻が気持ち悪がって、やめるように言う。そうしているうちに、虫はテーブルクロスの下に逃げ込んでしまった。もう見つけられそうにない。
2007年12月10日
12月10日の夢(目黒駅で迷子)
目黒駅で電車に乗った。座席がいっぱいなので、真ん中の通路にぼくは寝ころんで発車を待っている。ぼくのほかにも、寝ころんだり座り込んだりしているおばさんたちがいるから、こんな格好をしていても大丈夫だろう。そのうち、「13番線の方が早く発車します」というアナウンスが聞こえた。きっとホームの反対側の列車の方が早く出るのだろう。そちらの列車は空いていて、ぼくは最前列の座席にゆったり座ることができた。しかし、いくら待っても発車しない。よく考えると、13番線はここではないはずだ。ホームに降りる。と、せっかく今まで乗っていた列車がぼくを置いて発車してしまった。さて、13番線はどこなのだろう? 山手線はどこなのだろう?と、ぼくは跨線橋に上って、うろうろする。
2007年12月07日
12月7日の夢(倒れた老人)
電車に乗ったが、発車しない。見ると、降りようとした和服姿の老人が、ドアのところで転んでしまい、起きあがれないのだ。大きな荷物をかたわらに放りだし、片足のかかとには包帯がまかれている。隣にいた乗客のおばさんがおろおろしている。ぼくは勇を鼓して、おばさんや他の乗客と共に老人に手を貸し、ホームに連れ出してあげる。その間、老人は無言。ホームを走ってきた駅員が、その様子を見て、「ああ、これはもう出さないからね」と言う。
2007年12月06日
12月6日の夢(バスの中)
会社が移転したのだが、移転先の住所を書いたメモをなくしてしまった。確かこのあたりのはず・・・と、原宿の裏町をあちこちさまようが、どこにも会社は見あたらない。
バスがやってきた。だが、バス停の前の路上には、「工事中」を示すバリケードが置かれている。中国人たちが工事をしているのだ。彼らは近づいてきたバスを見て、あわててバリケードを別の場所に移す。
バスに乗ろうとすると、係員が「バス停の前に置いてある電光掲示板を見るように」と促す。「そこに座席が指定されている」という。なるほど、バスの座席表がちかちか動く豆電球の光で浮かび上がっている。だが、そこには今朝会った三人の乗客の席が指定されているだけで、ぼくの名前の書かれた席は見あたらない。係員は「名前の書かれていない人は、EX(エックスと発音する)といい、一番奥の空席に乗って欲しい。一番奥だから、一番先に乗ってほしい」と言う。ぼくは電光看板に描かれた座席表をよく頭にたたき込んでから、バスに乗り込む。車内にはシャッターが降りている。それを押し上げると、ガラガラと音楽的な音を立てる。中は、ぼくに好奇の眼差しをそそぐ中国服を着た弁髪の少女たちでいっぱいだった。
2007年12月03日
12月3日の夢(終わりなき闘い)
どこかの国へ行き、そこで一つ一つ場所を変えながら、ぼくらは敵と闘う。バレーボールやバスケットボールで闘うのだが、勝負をするのは常に狭い部屋の中だ。闘う相手は常に同じ人物たち。ぼくらは敵にとらわれているお姫様を救うために闘っているのだ。勝っても勝ってもまだ次の部屋、次の闘いがある。だが、とりあえず休憩だ。ホテルの部屋に入って休む。
誰かが「最初の方の闘いで、お姫様から勝利の印のカードをもらったはずだ」と言う。仲間の一人(ぼくの職場の元社長で癌で亡くなった)が「えっ、一つ一つそんなもの覚えてないよ」と答える。だが、ぼくは「いや。それは確かにぼくがお姫様から貰ったはずだ」と言って、自分の鞄から箱を取り出す。カードはすべてこの箱に入れておいたはずだ。だが、見つからない。しかたなく、ぼくは鞄からすべての荷物を出してみる。しかし、やっぱり見つからない。確かに貰ったはずなのに!
2007年12月02日
12月2日の夢(研修会)
研修を受けに行く。仲間に若い女性がいて、仲良くなる。研修会では、メガネをかけた真面目そうな女性講師が黒板に向かい、講義をしてくれる。そこは畳の部屋で、最前列の一番右端にぼくと女性は座っている。講義の途中、彼女がぼくに猫のようにすり寄ってくる。ぼくはそれを適当に受け流しているが、講師が一瞬言葉を止めて、ぼくらに何か言い足そうにするものの、そのまま何気ないふりをして講義を続ける。しかし、ぼくはそれを見逃さない。
講義のあと、資格試験をみんなで受けることになる。しかし、ぼくはそれは後日のことと思い込んで、会場の外に出てしまう。慌てて階段を逆走したり、逆からは入れないドアを無理矢理突破したりして、また会場に戻る。そこにはたくさんのテーブルが置かれていて、各テーブルで学生たちがカードゲームのようなことをしている。奥に二人の審査員が地獄の魔王のような感じで、怖い顔をして座っている。その一人は大女性詩人として有名なSさんだ。
仲良くなった女性はその後、彼女が出張する日を教えてくれるので、インターチェンジで待ち合わせ、ぼくもいっしょについて行ったりする。
さて今日、ぼくは会社にいる。会社で、ぼくと彼女とは隣同士だ。デスクの下に布団が敷いてあり、社員はデスクで仕事をしたり、疲れて布団で寝たりしている。気づくと、ぼくは布団で熟睡してしまっていた。眼を覚ましたのは退社時間の6時少し前だ。遠くの方からラジオのような音が聞こえてくる。音のするところへ行ってみると、これからテープ起こしをしようとしていたカセットテープが勝手に回りだしているのだ。しかも、触ると機械が熱くなっている。モーターが焼き切れて、テープが消えてしまっては大変だと慌てるが、なんとか大丈夫らしい。明日からは真面目にテープ起こしをして、仕事をしようと思う。
2007年12月01日
12月1日の夢(ゴミ)
妻とテレビ出演する。詩の教室の番組だ。どこか料理番組のノリである。今日は格好の教材になる作品を選んであり、言いたいことがうまく言えると、張り切っている。ところが、本番が始まったところで、その作品に放送禁止用語が使われていることに気がつく。慌ててその作品の使用をやめ、他の作品に差し替えて、同じ内容のことをしゃべり、うまく講義を終えることができた。
帰宅し、居間の炬燵に入って、妻とお茶を飲もうと思う。先に炬燵に入ろうとすると、妻の座るべきところにゴミがいっぱい落ちている。紙ゴミはもちろんだが、ケーキの食べ残しのようなものまである。慌てて捨てようと、ゴミを抱え込むが、とても抱えきれない。ゴミ箱に捨てにいこうとしているところへ、妻がやってきて、ぼくをいぶかしげに見る。ぼくはなぜか罪の意識を覚えつつ、ゴミを抱えてうろうろする。
2007年11月29日
二日分の夢
短い夢ばかりですが。
(11月27日の夢)
弟子のところへ師匠として訪ねていけることになった。すごく嬉しい。行ってみると、弟子のために問題を解くように言われる。料理の問題である。これはテレビの番組らしく、ほかにもいろいろな人がいて、料理を作っている。ぼくは弟子のために鍋料理を作り始めるが、放送時間の関係で、手順を省略して作らなければならない。でもでも、すごく嬉しい。
(11月28日の夢)
会社に出入りする印刷屋の担当者の在・不在が一目で分かる一覧ボードができた。会社に来ているときは、名前が茶色になって発光するので、どの業者が来ているかすぐに分かって便利だ。後輩に「○○さんは来ているか」と尋ねる。ボードを見ると、色がついていないので、来ていないらしい。別の太った業者が来ていることが分かる。隣室に行ってみると、その太った業者がテストを配っていた。ぼくもそのテストを受けてみたいと思うが、ぼくは条件を満たしていないので駄目だと断られる。
2007年11月27日
11月27日の夢(マンション住民祭)
マンションの「住民祭」が、マンションから少し離れた場所で開催されている。パーティー会場があり、ゲームも行われている、少し離れた場所にある穴に、何かの仕掛けでパチンコ玉を飛び込ませると大当たりになるゲームだ。手前の方にヒモだかハリガネだかが複雑に絡まり合ったものが置かれている。これがきっと、玉を飛ばせる仕掛けなのだろう。こんな仕掛けではとても玉を穴に入れるのは難しそうだと思い、そのこんぐらかったヒモをぼくはほどいてしまう。そのとき、ぼくは手に箱を持っていたのだが、その箱から肉片のようなものがぼろぼろこぼれ出す。ぼくは周囲の人たちに謝り、肉を箱に押し込もうとするが、どうしても入りきらず、はみだしてしまう。汚いが、このはみだした肉は自分で食べてしまえばいいやと思う。
こんなパーティーに長居していてもしかたがないので、もう帰ることにする。自分の持ち物は、ちゃんと持ち帰らなければならない。緑の椅子1個とと茶碗四個を手に持って、表に出るが、出たとたん、茶碗のうち2個を地面に落としてしまい、茶碗はがちゃんと音を立てて割れる。しかたなく残りの荷物を持って、少し歩く。
そういえば、ぼくのマンションは最近建て替えられたのだ。目の前にそびえるこの高層マンションがそうらしい。エレベーターを沢山の人が待っているので、ぼくもそこに並ぶが、見ると、そのエレベーターは階数表示が8階までしかない。ぼくは9階の人間なので、別のエレベーターに乗らなければいけないらしい。少し離れたところに、2階へ行くエレベーターがある。このマンションは8進法で階数が数えられているので、この2階というのが、ぼくの住む9階のことらしい。
すぐ近くにあるのに、ぼくが遠回りしてしまったために、そのエレベーターの前にも行列が出来てしまった。みんな、すごい量の荷物を持っている。最初のエレベーターが満員で出発してしまった後、2台目の出発を待っていると、管理人がやってきて、「荷物を机の上に置きなさい」と命じる。しかたなく、その机の上にぼくの荷物を置こうとするが、机の上は既に小さな黒い機械のようなものでいっぱいになっている。
2007年11月25日
11月25日の夢(生まれ変わり)
「夢の解放区」がなくなって、孤独に夢日記を書いていると、夢をあまり見なくなりました。水野るり子さんの命名された「夢送り」がないためでしょうね。
(朝の夢)
三人の女の子が並んでいる。三人ともカエサルのような昔の有名人の生まれ変わりだと主張している。それも同じ時代の、関連した三人の生まれ変わりだという。その真ん中の女の子を取材することにする。とても太った女の子だ。インタビューすると、なるほど、その有名人がいかにも言いそうな言葉を語りだした。
(昼寝の夢)
妻の運転する車の助手席に乗って、「次の信号を右折だよ」とナビゲートしている。道路の脇に桜並木があって、その突き出た桜の枝がちょうどぼくの腕に引っかかり、桜に腕を取られたような形で、車外に放り出される。慌てて車を追いかけようとするが、まるで桜と腕を組んでいるみたいで、身をもぎはなせない。前から馬車でやってきた二人の貴婦人が「あらあら、木に引っかかっちゃうんじゃ、大変だわね」と笑う。ぼくも苦笑しながら、走って妻の車にまた乗り込む。
2007年11月21日
札幌で見た夢など
忙しくて、ずっと夢をアップできないでいました。19日のは札幌に取材に行って、中島公園のホテルで見た夢。
(11月19日の夢)
研修旅行でどこかに宿泊している。詩の賞の候補を出さなくてはいけないという。ぼくらの机の上にもしいい作品があるのが見つかれば、それを強制的に候補として提出させられ、賞が与えられるのだという。そんなの横暴ではないかと思う。部屋には同室の女性がいて、彼女の鞄の中には沢山の詩が入っている。上の方にはたいしたことのない作品ばかりがあるが、一番底には素晴らしい作品が入っていた。
途中から、その女性はIという中年のカメラマンに変わっていて、I氏とぼくはベッドに入っている。起きようと思うと、部屋の中はブルーの仕事着を着た人たちが忙しく働いていて、どうもここは郵便局のようだ。これはきっと幻覚で、この部屋にいるのはぼくたち二人だけなのに違いないのにと思う。
(11月20日の夢)
まだ冬至に近いというのに、夜の8時半を過ぎても窓の外が随分と明るい。家の中で、妻と外国人の男が二人で占いをしている。妻は「占いをする間、ちょっと待ってね」と言うので、その間に、ぼくは妻のためにサイコロのような箱を5,6個作る。その箱は一つだけが、ほかよりちょっとだけ大きい。
2007年11月17日
11月17日の夢(寺西さん有り難う)
「詩学」の寺西編集長にぼくのワンマン朗読会を企画してもらい、大成功だった。感謝の念でいっぱいになる。ぼくも寺西さんについてのデータベースの原稿の執筆を彼に依頼する。しかし、彼から送られてきた原稿には本来、彼が力を入れているはずの「朗読」の文字はなかった。これでは片手落ちだと思うが、今さらしょうがないと思う。
(「詩学」は今月で廃刊です。寺西さん、本当にご苦労様でした! でも、詩人たちはぼくを初めとして、どうして「詩学」を救えなかったんだろうか・・・)
2007年11月15日
11月15日の夢(電車で立ち小便)
走っている電車の中にいる。右側が窓に背中を向けた長いベンチ式の座席で、左側が通路だ。ぼくはこの通路で、立ち小便をしている。電車が大きく揺れた拍子に、おしっこが座席の前の方に座っている乗客にかかってしまう。抗議の声が上がるが、ぼくはうつむいて素知らぬ顔を決め込む。
2007年11月12日
11月12日の夢(掘り炬燵トイレ)
田舎にD社の大きなお屋敷があり、そこで新年会のパーティーがあった。終わったあと、専務に「二次会に残ってください」と言われたが、「明日仕事なので」と帰ることにする。
専務たちは「用心悪いですけど」と、屋敷の鍵を全部開けたまま、出ていってしまった。ぼくも一旦外へ出たが、みんながいなくなってから一人だけ戻ってきて、トイレを借りることにする。トイレというより、大きな掘り炬燵のような感じだ。どうせ誰もいないからと、ドアを開けっ放しにして用を足し始める。すると、玄関ががらっと開いて、専務の息子さんが帰宅した様子だ。これはまずいな、と思う。
2007年11月11日
11月11日の夢(修学旅行)
ぼくは高校生。修学旅行に京都あたりに行き、旅館でお風呂に入る。まだ真っ裸なのに旅館のおばさんに追い立てられ、博物館の見学に行かされる。手で股間を隠しながら、展示を見て回る。特に不審の目で見られたりはしないが、裸なのはぼくひとりだ。それに、ぼくはおとなだったはずなのに、修学旅行などに来ていいのか、という疑問が一瞬かすめる。数ブロック見ていくと、もう博物館ではなく、賑やかな土産物売り場だ。周囲に見知ったクラスメートの姿はなく、ぼくは迷子になってしまったようだ。
ともかく旅館に帰らなくてはと、外に出る。岡に二つ鼻の穴のように見えるトンネルがあいている。そのトンネルを潜れば、元の旅館へ帰れそうだと思い、歩き出す。その瞬間、二つの穴からものすごい勢いで濁流が噴き出す。必死で、元いた左手の坂道を走って駆け戻る。幸い、水はぼくのところまではやってこなかった。
次の瞬間、夢の画面が切り替わり、ヘリコプターから地上を見下ろしている。今マラソンレースの中継をしていて、アナウンサーが「では、ここから出発点の方へさかのぼってみましょう」と言う。地上はもう水はなく、一面の草原を風が激しく波立たせている。だが、目には見えなかったが、やはり洪水が続いていたらしい。その地上の水流の中を、二人の女子選手が手を取り合ったまま、すごいスピードで下流のゴールへと押し流されていく。アナウンサーが二人に声をかけると、一人は沈黙したままだが、もう一人は興奮した声で「すごい! あたしは今までで一番いい40位なのよ!」と言う。そして、黙っている相棒に「あんた、目が赤いよ」と言う。よく見ると、彼女は泣いているのだ。嬉しがる選手と、悲しがる選手の二人は、そのまま下流へと押し流されていった。
その間に、ぼくは高校生たちでいっぱいの旅館街へ着いた。学生服の男達があちこちで歌を歌っている。見回すが、やはり知った顔は一つもない。「かーらーす、なぜ泣くの・・・」という歌が一カ所で歌い終わると、遠くの別の場所でもっと現代的な歌が始まった。近づいていくと、旅館の部屋の押し入れの襖を開けた中で、小学生くらいの女の子たちが過激に肌をむきだした衣裳で、歌って、踊っているのだ。それを見に、男の子たちが部屋に入ってきた。彼らは首から上が、動物のぬいぐるみのようだ。それを見て、女の子達は「それってアメリカふうなの? 目が違うわ」と尋ねる。振り返ってよく見ると、ぬいぐるみの目が縦長なのだ。日本なら確かに横長の目のはずなのに、と思う。
2007年11月09日
11月9日の夢(トイレの中は蕎麦屋だった)
尿意を催し、男子トイレと表示のある部屋に入る。すると、そこはお蕎麦屋さんの厨房で、便器のかわりに火の点いた背の高いコンロが沢山並んでいて、煮え立つ鍋の中で蕎麦がゆだっている。周囲では男達が忙しく立ち働いている。だが、ここはトイレなのだからと、そうしたコンロの一つに向かって用を足していると、たちまち男達に見とがめられ、ぼくは二階に連れていかれる。「ここでやったら、どんなことになるか、分かっているんだろうな!」と、取り囲んだ男達に凄まれるが、ぼくは「店長を呼んでこい!」と怒鳴り返す。すっかり逆ギレして、相手を殴り倒さんばかりの勢いだ。
店長が現れたので、「ぼくはこういう者だ」と財布から名刺を出そうとするが、財布には肩書き別にさまざまな名刺があって、どれを出すべきか迷う。そのうち1枚を選んで差し出すが、考えてみると、この名刺はこれ1枚しか財布に入っていない。これでは本当にぼくがこの名刺の人物だと納得させられないのではないかと、不安になる。
2007年11月07日
11月7日の悪夢
Nという女性(現実には会ったことがない)を撮影することになった。Nは会社の中にも外にもいて、二人は全く違う女性なのだが、どちらも「自分が本物のNだ」と言って譲らない。とりあえず外のNをモデルにして、中国風・ヨーロッパ風・和風の3種の衣裳を着せ、カメラマンに撮影してもらう。かなり過激なヌードに近いカットもある。
その写真を二人に見せ、3種の服の内、どれがいいと思うか、尋ねる。その内一人は撮られたのは自分ではないはずなのに、何の抵抗もなく写真を見ているが、なかなかどれがいいとも決められない。そばに太った西洋人のおじいさんがいて、「Nちゃんと一緒に夕食を食べたいが、彼女はどこにいるのか?」と言う。気づくと、Nは会社の外に出て行ってしまったらしい。
病院に入院しているが、そこはオフィスでもある。左隣のベッドには若い女性が、右隣には若い男性が寝ている。いつのまにか左の女性と手をつないでいるが、気づくと右の男性とも手をつないでいる。
何かを取りに、高い鴨居のような場所に登る。いつも上手に登っているのに、今日に限り、うまくいかなくて、鴨居の上に置かれていたさまざまな小物を落としてしまい、ガシャンガシャンとそれらが床で壊れる音がする。下から男に「何をしているのだ?」と見とがめられてしまう。
外に出る。庭に土が小山のようになっている部分がある。その中で冬眠している芋虫を殺すように指示される。なるほど、小山の表面が芋虫の形に盛り上がっている。ぼくが芋虫を殺すのを怖がっていると、同僚の男性たちがかわりに鍬や鍬をふるってくれる。土の中から大量の太った芋虫が転がり出てきて、湯気を立てながらぶつ切りにされる。一人の男は切り刻んだ芋虫をぽいぽいと口に放り込んで、おいしそうに食べている。うえーっ、気持ちが悪い。
2007年11月04日
11月4日の夢(昼休み)
何年ぶりかで携帯を買い換えました。また機能を覚えるのが大変。
(11月4日の夢)
いつも12時になると、すぐに昼食にするぼくなのに、今日は急ぎの仕事を片づけている。すると、若い後輩の男性社員が、ぼくのデスクにそっと茶碗や箸を並べてくれた。この会社では社内でこうして食事を頼むことができるのだ。それにしても、男性社員の行為はぼくへの好意以外の何物でもないだろう。意外にぼくは社員たちから慕われているのだと、嬉しく感じる。
階下へ降りる。尿意を催して、トイレへ入る。ところが、昨日までトイレだった場所には壁も何もなく、床に四角い区切りが記してあるだけだ。でも、トイレなんだから、ここでしていいだろう。それにしても、目の前で若い女性社員が大声でしゃべっているのが気になる。おまけにトイレの左脇にテーブルがあって、誰かが皿の上にサンドイッチを置いたままだ。これにおしっこがかかってしまったら困るなと思うが、もう止まらない。すると、誰かが目の前にカーテンをさっと引いてくれた。これでぼくは女性社員らの目から隠された。よかった。やっぱり、ここはトイレだったんだ、と安心する。
用を足した後、手を洗いに行くと、バスタブのようなものの中に女性社員たちが牛詰めになって、昼食をとっている。彼女たちの背後に水道の蛇口がある。手を洗い始めるときは、そこに手が届いたのだが、水を止めようとすると、手が届かない。「すみませんが、止めてください」と言うと、ぼくと蛇口の間にいた女性が「あっ、ごめんなさいね」と言う。
トイレから自分のオフィスに戻ることにする。オフィスは岡の上にあり、そこまで75度ほどもある急斜面を登らなければならない。立木につかまらないと、とても登れない。若い頃はそんなことしなくても登れたのになあと思う。背後で少年たちがボール遊びをしている声がする。坂の途中にラグビーボールのようなものが落ちている。拾おうとすると、少年たちが遠くから「あーっ、触っちゃだめ!」と口々に叫ぶので、辛くも触りたいという欲望を抑える。
岡の上に着き、腕時計を見る。もう1時を過ぎている。さっきの男性社員はお茶碗を置いてくれたが、ご飯まではよそってくれなかった。こんな時間でもご飯が残っているかなあと、不安になる。
2007年11月03日
11月3日の夢(巨人軍の選手になった)
ここはブラジル。一軒の酒場に入っていく。日系人のためのものらしく、お寿司なども出す店らしい。カウンターがあるのだが、殆どカーテンが降りていて、入り口近くの左端だけが開いており、そこから日系インディオの女性の浅黒い顔が見える。彼女はぼくに「この店にはいろんな犯人を捜しに、刑事さんも来るわ。あたしは『乾杯ーっ!』と言ってあげるの。だって、そう言ってあげないと、そういう人たちはお酒を召し上がれないでしょ?」と言う。
酒場の入り口には1メートル四方くらいの地面を四角く区切った場所があり、まるで犬の寝場所のように見えるが、そこで夫婦者などが夜を過ごすのもオーケーだという。だが、普通は酒場に働く女の子がそこで仮眠をとるらしい。眠れなくて大変だろうな、とかわいそうに思う。
満員の地下鉄に乗っている。突然、ぼくのもたれていた左側のドアがあく。あまりに牛詰めなので、ぼくの肩に押されて途中までしか開かないが、こんなふうに走行中に開く危険なことが実際にあるのだなと思う。ぼくは読書に夢中になっていたのだが、よく見ると、実際は電車は駅に停車しており、ドアが開くのは当然なのだった。やばい、やばい。これでは降りるべき駅を乗り過ごしてしまうかもしれないなと思う。ぼくの隣に立っていた、何かの制服らしい緑のジャンパーを着た男がぼくを避けるように、少し場所を変える。いやなやつだな。しかし、とにかく降りるべき駅を間違えないようにしなくては。ぼくたち読売巨人軍は今こうして地下鉄で日本シリーズを闘う球場目指して移動しているところなのだから。
(現実には、ぼくはドラゴンズファンで、アンチ巨人です)
2007年11月02日
11月2日の夢(娘と新しい家)
ぼくには娘はいないんですが、娘のいる夢を見ました。
(夢ここから)
家に娘がいる。寝ているのは、身体障害児なのかもしれない。ぼくは彼女に「今日中に新しい家に引っ越すんだよ」と語りかける。しかし、そのためには家主でもあるクライアントのところへ、企画書を提出する必要がある。女の子っぽいかわいい絵柄のついた小さめの便せんに、何枚も手書きで企画書を書く。書き終わりかけたところで、手書きではなく、パソコンで打ち直すべきではないかと気がつく。しかし、それでは出来上がるのが明日になってしまい、娘との約束を守れなくなるのではないかと、思い悩む。
2007年11月01日
11月1日の夢(真っ黒なもの)
朝、明るい光が窓から射し込む納屋のようなところに布団を敷いて寝ている。と、突然、窓から真っ黒な石炭のようなものが降ってきて、一瞬のうちにぼくの足から胸にかけて、山のように積もってしまう。しかし、石炭のような重さはない。「うわーっ、これは一体何だ?!」と叫ぶ。次の瞬間、これは夢だから大丈夫と思ったとたん、また唐突にその真っ黒な山は胸の上から消え失せる。
2007年10月28日
10月28日の夢(走るお屋敷)
深夜に駅でライターのMさんと待ち合わせるが、会えないまま、超大金持ちのクリエイターの屋敷に泊まることになる。雑魚寝で、眠れない。その上、夜中の3時頃主人のクリエイターに起こされ、ポジ選びをさせられる。老眼でコンタクト(フィルムに写った写真を一覧できるようプリントしたもの)がよく見えないため、適当にあしらい、「もうカットはこれ以上ないの?」と尋ねる。相手が困っている間に、尿意を催したのでトイレに行く。トイレは真四角で、便器も何もない部屋。一角で、壁にむかっておしっこを始める。と、突然部屋が揺れだした。この家は実は列車で、それが走り出したのだ。揺れにまかせて、部屋中におしっこをまき散らす。でも、誰もいないのだから構わないと思う。
日比谷の地下鉄の駅から地上に出る。たまには都電に乗って帰ろうと思う。車道を横切って、真ん中の安全地帯に行き、ちょうどやってきた電車に乗ろうとする。もしかして、行き先と反対に行く電車かもしれない。それに、どうやって乗ればよいのだろう。「一番混む乗り物だ」という誰かの声も聞こえる。サラリーマンたちが走ってきて、駅の壁にある路線図のようなものに、パスネットのカードを投げつけている。そうすれば改札したことになるらしい。会社のM氏とI氏も都電に乗って、どこかへ行くようだ。
乗るのをやめて、道路の反対側に渡り、安いことで有名な中華料理屋に入る。屋外のテーブルに座り、2品をオーダーする。すぐ出てきたのは皿からはみだす長さのゴボウの料理だ。サービスらしいサラダの皿も出て、3品が前に置かれる。箸やフォークが見あたらない。他のテーブルを観察すると、やはりテーブルに箸が置いてあるようだ。よく探すと、確かに袋に入った割り箸がいくつかあるが、みんな袋が破れて、外に箸が突きだしている。衛生的ではないが、お腹も減っていたので、突き出し方の少ない箸を取って食べる。いつのまにかゴボウが消えている。でも2皿でもうお腹がいっぱいだ。あと1皿食べたら、家で夕食が入らなくなりそうだ。いつのまにか、同じテーブルに見知らぬ女性が座り、食事をしている。なんだ、こいつは・・・と違和感を覚える。と、すぐ前のテーブルにいた女性二人が突然立ち上がって、「まあ、一色さん!」と叫ぶ。向こうはぼくをよく知っているようだが、全然誰だか思い出せない。彼女たちは「以前は途中でやめてしまって、ごめんなさい」と、しきりに恐縮するが、ぼくには何のことやら見当がつかない。
2007年10月27日
10月27日の夢(お楽しみ会)
ぼくのマンションを会場に、子供とそのお母さんたちを招いて、定期的に開催しているお楽しみ会(現実ではありません)が、今日開かれているところだ。どうやら主宰者はぼくで、S研究会の人たちがボランティアで参加しているらしい。催し物の会場はマンションの左側にある大きなゴミ捨て場で、ここが母子に解放され、そこにシートを敷いて母子がお弁当を食べている。ぼくは通りかかったタクシーを拾い、その助手席に乗って運転手に指示し、その会場に乗り入れてもらう。狭い通路をタクシーがゆっくり進み、そんな大きな車が座っているすぐ近くまでやってくるスリルを、子供たちに楽しんでもらうのだ。運転手は突然の依頼なのに、のみこみが早く、見事に会場内の狭路をゆっくり運転してくれる。子供たちが通路に出て、進路をふさぐので、「ちょっとどいてくれる?」と、ぼくがいちいち追い払いながらの前進だ。しかし、母子たちの反応は鈍く、あまり楽しそうではない。
ぼくの出番が終わり、マンションの右側にある小さなゴミ捨て場に戻る。ここがスタッフの拠点になっているのだ。ぼくに交替してSくんが今度は出発していった。ぼくはこの催しをするのが楽しくてたまらないのだが、主宰者であるぼくの閉会の挨拶もないまま、あっという間に会はお開きになってしまった。なんだか拍子抜けだ。こんな調子では次回はもう開催できないのかなと思う。
スタッフの拠点となった小さなゴミ捨て場の前のテーブルには、ぼくが食べ残したり落としたりしたお菓子や肉などが載っている。こんなに沢山あるのかと、ぼくはびっくりし、みんなに見つからないうちにと、紙切れですくって捨てる。
ラジオが流れている。J-WAVEの「グッドモーニング東京」だ。以前はジョン・カビラさんのナビゲートで人気だった番組だが、今度、弟のカビラ・ジェイさんが新しいナビゲーターになった(これも現実ではありません)。ジェイさんは比較的高い声の人だったが、いつのまにか声が低くなり、お兄さんそっくりになったなと思う。
2007年10月26日
10月26日の夢(武装警備会社)
(イラクでアメリカの警備会社が市民を撃ち殺したニュースを見たショックで、こんな夢を見ました)
ぼくは武装警備会社のスタッフとして雇われている。車列を作って、クライアントの警護に向かう。
着いたところは和風のしもたやで、お葬式をやっていた。いや違う。誰かが生きたまま、死体として棺に入れられようとしているのだ。これは何かの実験らしい。やがて、ぼく一人を残して、他の警備スタッフはみんないなくなってしまった。今襲撃を受けたら大変だと思う。内ポケットのピストルを確かめながら玄関を覗き込むと、もう一人のスタッフが油断して寝込んでいるのが見える。
また車列を作って、帰る。途中、なぜか道路が渋滞して、止められる。前を見ると、順番に車が発進しており、その向こうはもう渋滞はなく、スムーズに車が流れている。だが、その瞬間、止まっていたぼくらの車の前に男が一人近寄ってきた。ぼくは反射的にピストルを構えると、男を撃ち殺した。
後で、その殺害シーンを映像で確認した。自分が人を撃ち殺す場面を見るのは、いやなものだ。
2007年10月25日
10月25日の夢(検札)
列車に乗っている。中年男性の車掌が検札に回ってきたが、もう駅に着いてしまい、乗客が降り始めたところだ。今さら検札の必要もないだろうと思うが、これもせっかくの記念ではないか。あえて、「最後の一人」の乗客として、ぼくは彼から検札のハサミを入れてもらう。車掌は向こう向きで立っていたのだが、ぼくのためにわざわざ振り向いて検札をしてくれた。
妻は検札など受けずに、さっさと列車を降りてしまった。さあ、ぼくも降りなくては。しかし、ぼくは逆に列車の中の階段を二階に駆け上がる。二階にはぼくの部屋があり、せっかく検札してもらった記念の切符よりもっと大切なものが、その部屋にあるのだ。ぼくは切符ではなく、その大事なものの方を抱えて再び階段を降りる。
2007年10月24日
10月24日の夢(名刺と漫画家)
クライアントの女性に連れられて、ロビーにある来客用の打ち合わせスペースに、自分が先頭で入ろうとする。スペースの入り口から顔を出して、ぼくに挨拶したのは今をときめく女性漫画家だ。ぼくは財布を取りだし、中から名刺を一掴み取り出す。ぼくは名刺を財布に入れていて、しかもその名刺は4種類もあるのだ(これは事実。肩書きや職名がいろいろあるので。もちろん「詩人」なんてのはありません)。しかし、一枚も人に渡せるような、きれいな名刺がない。名刺といっしょに年賀状のために描いた漫画も何年分か入っている(我が家の年賀状ならぬ「漫画状」もすっかり有名)。それらをテーブルの上に思い切り広げたので、クライアントの女性に「あらあら、これは何ですか」と言われてしまう。「漫画も書いております」とジョークを言ってみるが、漫画家はそれらを見てもニコリともせず、一言も発しない。「ようし。一番きれいな名刺はこれだ!」と陽気に叫んでみるが、まともな名刺は一枚も見つからず、結局名刺を最後まで渡せないまま、会見が終わってしまう。
2007年10月23日
10月23日の夢(列車の中の教室)
ぼくはまだ子供のようで、クラスの仲間たちとアメリカ大陸を走る横断鉄道の列車に乗っている。列車はちゃんと連結した客車の格好をしているが、一両ごとが教室で、片側が廊下になっている。
圧制的な政権ができ、ぼくらの学校にも彼らの干渉が及んでいる。ぼくらは自由のために立ち上がらなくてはいけない。その使命を果たすために、ぼくは教室からこっそり廊下に抜け出し、椅子を一個、バリケードがわりにして、その背後に身を隠す。教室の中の子供たちもぼくの意図が分かって、みんな目で合図してくれる。だが、教室の中にいた犬がやってきて、ぼくを眺めている。ぼくに甘えたいようだ。そんなことしたら、ぼくが隠れているのがばれちゃうじゃないか、と思う。
それから、敵の側の教師が来たり、いろいろあったものの、仲間の協力もあって、無事、目的地の駅に着くことができた。さあ、この町で闘わなければ・・・と勇んで列車を降りると、ラジオから「自由な市民の権利を守る政党が国家を掌握した」という発表が流れ出す。これで、ぼくらも解放されたのだ・・・と、ほっとする。
駅から出ようとすると、ぼくの手にたくさんのミミズやヒルが這っている。一匹の小さな黒いヘビさえいる。慌てて、振り払ってもらう。
2007年10月21日
10月21日の夢(水棲猫)
見知らぬ女性に連れられて、何人かでクライアントのところを訪ねる。あまりぼくはこの仕事にやる気を感じず、ぐずぐずしているうちに一人だけビルの入り口で遅れ、はぐれてしまう。そのままみんなと別れてもいいやと思いながら、ビルの中に入っていくと、みんなはロビーのテーブルの向こうにきちんと着席して、ぼくを待っていた。ぼくの姿を見ると、みんな黙って立ち上がり、みんなでビルの別館に入っていく。だが、打ち合わせの約束をしたクライアントの担当者がいない。リーダーの女性は「私一人が残って、打ち合わせしましょうか。約束したのにいないみたいだから」と、ぼくらに言う。それは有り難いなと、ぼくは内心思うが言わない。
改めてオフィスの中を見渡す。壁は全面ガラス窓で、その窓沿いに一本の横に長いテーブルが部屋の端から端まで伸びていて、社員たちは椅子1脚分のスペースだけ確保し、向こう向きに並んで座っている。テーブルの上にあるのは一台ずつのノートパソコンと電話機だけだ。そして、窓の外にテラスがあり、そこで話し合っている人たちの中に、当の担当者がいるのが見えた。「あの人はあそこにいますよ」と誰かが指さす。
そのとき、並んでいた社員の一人の女性が振り向き、「あの人は『どうして6時になんか来るんだ。自分は朝の9時からここにいるのに』と言ってましたよ」と、ぼくらに言う。重要な仕事なんだから、朝から来なくては駄目だ、ということらしい。
ふと、足下を見る。そこにはどぶ川が流れていて、水中にぼろきれのようなものが見える。どう見ても猫だ。しかも生きている。ぼくは「猫の中には水の中で生きる適性を身につけた者もいるみたいです。ぼくは前にも見たことがあります」と、みんなに言う。
いつのまにか、時間が経ったらしい。ぼくらはクライアントと共に大きな仕事を成し遂げたところだ。映画のエンディングのタイトルロールのように、次々とバリなで世界中の風景が映し出される。それらの風景は雨上がりのようにうるんで最高に美しい。ぼくらは世界を救済したのだ。
2007年10月20日
10月20日の夢(ゲーム)
ゲームに参加することになった。ぼく以外の参加者は全員おばさんだ。一人ずつ順番に呼び出されて、ゲームをやる。どういうものかというと、輪投げのようなものだ。だが、ぼくの前には大きな机があって、ゲームの様子がよく分からない。ルールとかよくのみこめないうちに、順番が来て名前を呼ばれてしまった。
ゲームを取り仕切る二人のおばさんが、ぼくにルールをしきりに説明するが、殆どちんぷんかんぷん。「はあ? はあ?」と言いながら聞き直し、「ちっとも話がわかりません」と二人に文句を言うと、「わたしらは方言がわからんもんだで」と苦笑する。自分たちの方がよっぽど方言じゃないか。
ぼくの前には火鉢のようなものがあり、その中に石がいくつもある。自分でそのうちの何個かの石を選び、輪を投げて、その石にはまれば点がもらえる。しかし、選んだ石の周りに印の円を描こうとしても、ペンからインクが出ないので、描くことができない。おまけに、石は方解石か寒天みたいに、みんなぼろぼろに割れてしまう。これでは、どれが自分の狙った石なのか分からない。
2007年10月19日
10月19日の夢(飛ぶ列車)
裏日本のどこかの町に出張に行き、帰るための切符を駅の窓口で「東京」と言って買う。ここから東京へ帰るのには西回り・東回りなどさまざまなルートがあるのだが、それを聞かずに買ってしまったことに気づく。どこで乗り換えればいいのだろう? とりあえず西回りのルートをとり、浜松で乗り換えようとすると、改札口で駅員に制止されてしまった。この切符は最短ルートで帰るようになっているので、東回りでなければいけないのだという。素直に引き下がり、反対のルートの列車に乗ろうとするが、持っていったリュックをどこかへ置き忘れたことに気づいた。だが、どうせたいしたものは入ってないのだからと、ほかの荷物だけ持ってそのまま列車に乗り込む。
走り出した列車の座席はベッドのようで、そこに寝ている。ある駅で乗り込んできた女性は一度会ったことのある売れない歌手だ。列車の乗客は皆顔見知りらしく、女性とともに再会を喜び合っている。ぼくはひとり一番前の席に行く。そこからはパノラマのように、目の覚めるような景色が眼下を走り去っていくのが見渡せる。そこは景色の美しい渓谷で、列車はその水面に沿って飛ぶように疾走していく。だが、いくら目をこらしてもレールが見えない。空中を飛行しているかのようだ。もうすぐ東回りの乗換駅である日光だ。ここでぼくらはそこにある有名な寺社に参詣するため、バスに乗り移らなくてはいけないらしい。ふと気がつくと、なくしたと思っていたリュックがまた戻ってきている。
2007年10月16日
10月16日の夢(受験)
どこかの大学で入試のための共通テストを受けることになった。試験場の教室に入ると、携帯に続々と友人から激励メールが入ってくる。一つ一つ読んでいくうち、最後のメールだけ誤操作で、読むのを失敗してしまった。慌てて操作すればするほど、メール画面から遠ざかってしまう。
試験場での席順は、受験者の希望で自由に変えられるらしい。最初に、木札で受験番号が各机に配られたが、受験者たちのリクエストにより、どんどん試験官がそれを入れ替えていく。へーっ、そんなこともできるんだと感心する。
2007年10月14日
二日分の夢
中日・阪神戦をテレビで観戦していたら、昨日は夢のアップを忘れてしまいました。
(10月13日の夢)
ピッチヤーとバッターが対決している。まさに真剣勝負という感じ。ピッチャーが足を上げて投球フォームに入りかけた瞬間、バッターが「タイム」と言って、すたすたとバッターボックスを外した。
Iカメラマンとロケに来ている。代々木上原のあたりでホテルに泊まることになり、エレベーターで三階に登ろうとする。ところがエレベーターは二階でドアが開き、乗客が一人降りた。Iカメラマンが「あっ、まだ二階ですよ」と言う。ぼくは急に便意を催し、そこからトイレへ行く。用を足して、またエレベーターに戻り、さっき降りた客が戻るのを待って、再び上昇する。
三階でドアが開くと、そこは代々木上原の岡の上だった。てっきり左へ行って、いつものホテルに投宿すると思ったのに、Iカメラマンは「今日はこっちなんです」とすたすた右に行く。そっちはまだ新開地らしく、工事中の場所が多い。変電所のような施設も作られている。「あれっ、本当にこっちなのかな」と首をかしげながらも、Iカメラマンは歩いていく。確かにこちら側の方が高級住宅地という感じはする。
(10月14日の夢)
朝早くに電話がかかってきた。ピアノの先生の弟子の子のお母さんからだ。なぜ、ぼくのところへかけてきたのだろう? 電話を先生のところへ転送しようとするが、電話番号が分からず一旦切る。その後で改めて電話してみるが、先生のところへ電話するつもりで、さっきの母親のところにかけてしまい、慌てて電話を切る。もう一度先生に電話するが、朝早いためか誰も出ない。ぼくの隣に誰かがいて、「そんなことをしてはまずいよ」と、ぼくに言う。
そうこうしているうちに、ぼくはその先生のピアノ教室にいた。トイレへ行く。小用をしている間に、どやどやと子供たちが入ってきて、中で一番小さい男の子がぼくの股の下にもぐりこむ。必死でおしっこを止めようと思うが無理で、男の子の裸の背中におしっこをかけてしまった。その子の方が悪いのに、と思うが、子供たちはぼくのことをはやし立てる。ぼくは罪の意識にかられながら手を洗う。
2007年10月11日
10月11日の夢(死球)
気がつくと、ぼくの隣にSくんが座った。Sくんはこないだいざこざがあって、精神的にバランスを崩して職場を辞めた同僚だ。イアホンでラジオの高校野球中継を聴いている。今まで負けていたチームが逆転したらしく、「逆転だ!」と叫ぶ。
「○高校のピッチャーはボールをすぐに返球するが、相手高校の投手はなかなか返さない」と言う。どうやら、ボールが当たって死んでしまった選手がグラウンドに放置されているらしい。「そのため、ボールがその死体に当たると、ボールも死んでしまうんだ」と、ぼくに解説してくれる。
2007年10月10日
10月10日の夢(試写室)
映画の試写会の取材に行く。夏なのでTシャツ一枚で行ったが、「中は冷房が効いているので、コートを着ていった方がいいですよ」とMカメラマンが忠告してくれる。そういう彼も黒のオーバーコートを着ている。ぼくも道ばたに放り出してあった秋用のコートを羽織ることにした。
試写が始まるまで、ぼくらは街角のケーキ屋さんの喫茶室にいたのだが、試写室はそこから道路を何本も隔てたところにあり、かなり遠い。歩き出したところで、ぼくはMカメラマンから受け取った、上がりのCD-Rを入れた封筒をケーキ屋さんに忘れてきたことに気づいた。慌てて二人で取りに戻るが、Mは途中で引き返して試写室に向かい、ぼくだけが戻ることにした。
戻ってみると、既にドアは半分閉ざされ、閉店している様子なのに、内部は人でいっぱいだった。そこへのこのこ入ったぼくは侵入者と勘違いされ、女店員に「何ですか」と厳しく問いつめられてしまった。事情を話して店内を捜索するが見つからない。
しかたなく、試写室に戻って試写を見るが、途中の休憩で抜け出して、街へ出る。ここはどこかの観光地で田舎町という感じがぴったりだ。お店に入って、この街のタウン情報誌を手にとって眺める。ちょうど街の情報記事のページがあったので、びりびり破り取って資料にする。仲間の記者から、そういう取材の方法があると教えてもらったのだ。
さて、お店を出たものの、知らない街を歩いて、先ほどの試写室にちゃんと戻れるかどうか不安になる。おまけに大雪が降ったあと、それが溶けたところなのだろうか。舗装されていない砂利道は真ん中が深く陥没していて、とても歩きにくい。
無事、試写室に戻ることができた。まだ休憩時間だが、ぼくの出ていた間にいい席は各社のカメラマンたちにすっかり占拠されてしまい、ぼくの座る場所がない。観客席は外・中・内と3つのエリアに分かれている。「中」は普通の試写室にある観客席。「外」はそこから壁一つ隔てた外側の部屋。「内」はスクリーンよりさらに内側である。そんなところに座っている人もあるが、はたしてスクリーンの内側で映画が見られるものだろうか。ぼくは「外」のエリアの一番外側の壁際に荷物を置き、そこに席をとる。「外」のエリアには詩人の吉増剛造さんもいて、ぼくとちらっと目が合った。
2007年10月09日
10月9日の夢(仕切のない家)
30年以上も前に死んだ祖母がぼくの自宅に同居している。転居した記憶はないのに、ぼくの自宅はとても大きなしゃれた一軒家になっている。どことなく間取りが昔住んでいた名古屋の実家と似ているが、大きく異なるのは部屋と部屋の間にドアや固定した仕切がなく、すべて空間がつながっていることだ。また、どの部屋にも天井まで届く沢山の背の高い棚が置かれている。その棚にぼくと祖母は古い壺や、古くて干からびたパンを、いくつも飾りに置いていく。こうした飾りがあるだけで、来客があったとき我が家がとても格好良く見えると思う。ぼくの部屋とキッチンの間は白いレースのカーテンで仕切られているが、そのカーテンが全開で、ぼくの部屋は丸見えになっている。これでは格好悪い。カーテンを閉めると、とても格好良くなった。
2007年10月08日
10月8日の夢(机を緑に塗る)
会社で夜、残業をしている。3列に机が並べられていて、ぼくは2列目だ。2列目には2つしか机がなく、左側はOさんの席。右側がぼくだ。ぼくは自分の木製の机の表面に緑色のクレパスを塗っている。さらにOさんの机もクレパスで緑色に塗り始めるが、ふと気がつくとOさんの机は緑色のほかに黒など別の色が混じってしまっている。びっくりして、クレパスをよくよく見ると、それは自分の机を塗った緑のクレパスより幾分太い、別のクレパスだった。これは4色クレパスというもので、最初は緑色だが、使うにしたがって中から別の色が出てくる仕組みになっているのだ。机を緑色に塗るだけでも問題なのに、4色にしてしまうなんて・・・と後悔するが、今さら後戻りはできない。ぼくは自信を持っているふりをして、どんどんクレパスを塗り続ける。それを見て、Oさんが「いやだなあ」と感想をもらす。ぼくはとてもショックを受けるが、そのまま塗るのをやめない。
ところが、Oさんの机にかまけている間に、ふと気づくと自分の机がなくなっている。会社中を探し回るが、見つからない。その内、Oさんの机もなくなってしまった。どやどやと外注のクリエイターたちがやってきた。皆、貧乏そうな服装で、暗い顔をして、ぼくを見る。彼らといっしょに他の社員たちもみんなどこかへ行ってしまった。ぼくは社長に窮状を訴えようと、玄関にある仕切のドアをトントンと叩くが、中には誰もいない。そこへMくんがやってきて、「これからクライアントにプレゼンをするので、その素材を載せるために机をお借りしたんですが、まずいですか?」と言う。明日までに仕上げなければならない仕事が机の引き出しに入っている。まずいに決まっているじゃないか。
そこで改めて机を取り戻しに、みんなで外へ出て、山道を下っていく。道なき道という感じで、藪を踏み分けていくのだが、地面にはムカデをはじめとして沢山の大型の毒虫が這いずっている。みんなは靴をはいているが、ぼくだけは裸足なので、刺されないかと心配だが、どんどん進んでいく。「靴も机の中に入れておいたので、ぼくだけ靴がないんだ」と、ぼくは恨めしそうにみんなに言う。やがて、みんなは一軒の荒れ果てた田舎家にたどりつく。そこは食堂である。「ここでしっかり食べていきますか?」とMくんが言う。そう言われると、急に空腹を覚え、思わず「うん」と言いそうになる。しかし、腕時計を見ると、もう9時10分だ。早く帰らないと、家に着くのが10時を過ぎてしまう。とても、こんなところでぐずぐずしていられないと思う。
2007年10月06日
10月6日の夢(左のドア)
渡してあった原稿を急に変更しなくてはならなくなり、ぼくはどこかの町へ、その変更した原稿を届けに出かける。町の入り口には左右両側に二つのドアがあり、いつもは開かれているのに、今日は左のドアは閉ざされている。そして、右のドアからはぼくの詩集「純粋病」を作ってくれた編集者のO氏が顔を覗かせている。だが、O氏はそのまま引っ込んでドアを閉ざしてしまった。どちらにせよ、ぼくが向かうのは左のドアの方だ。
閉ざされた左のドアを開けると、中は細い廊下で、何かお祝い事があるのか、老若男女がぎっしりとお出かけ用の服に着飾って、忙しそうに各部屋を出たり入ったりしている。住人たちは全員外国人だ。というより、ここはきっと外国で、ぼくの方が異国から来たよそ者なのだろう。町の住人たちにとって特別な日らしいこんな日に、よそ者のぼくがのこのこ入っていくのは気がひけるが、構わず前進していく。一番奥にあるお店にぼくは原稿を届けに入るが、てっきりいるものと思っていた女主人は不在で、留守番の別の女性にぼくはそれを預ける。
2007年10月05日
10月5日の夢(消えた死体と三匹の黒猫)
岡の上に中年の女性ガイドと何かのツアーで来ている。ぼくの生家のあった名古屋の覚王山の岡を思わせる風景だ。岡の上は雑木林になっているが、ここは広いお屋敷の敷地内らしい。ガイドは以前、目の前にあるお屋敷の池に死体が浮いているのを確かに見たという。でも、彼女が驚いて人を呼びに行き、戻ってきたときには死体は消え失せていたのだという。みんなは「おまえは幻を見たのだ」と言ったが、どうしてもそうは思えないと彼女は言う。
そんな話をしている間に、屋敷の主人であるこの町にある二軒の大きな薬屋の一つ、ファースト堂の社長が帰ってきて、若い男性の使用人たちの出迎えを受けるのが見える。彼は「ビタミン剤は私の店で扱っているものを飲むべきだ。ライバルであるスピード堂のビタミン剤には毒性のある成分が入っているからね」と、ぼくらに話しかける。使用人たちも口々に主人の意見を支持する。
皆が去ってしまった後、岡の上にはぼくと妻だけが残る。そのとき、地面に蓋が開いて、隣り合った三つの穴からそっくりの三匹の黒猫が同時に顔を出し、ぼくの顔を見て「みゃあー」と鳴く。その三匹の猫の写真をぼくはある印刷物で見たばかりだったので、思わずギクリとする。三匹はするすると地上に出てくると、ぼくに一通の手紙を渡した。手紙は厚紙でできた台紙に数枚のカーボン紙をはめこんだもので、昔の満州鉄道を舞台にした犯罪にまつわる脅迫状だ。ぼくはそれを妻に読み聴かせるが、読んでいるうちにカーボン紙は消えて、台紙だけが残る。ぼくは、これではぼくが証拠隠滅をしたことになり、ぼく自身が疑われるのではないかと不安になる。だが、気がつくと、カーボン紙は単に台紙から剥がれただけで、ぼくの掌の中に束になって握られていた。
2007年10月04日
3つの短い夢
二日間、夜のコンサートを聴きに仕事で出かけたので、疲れて今日は演奏の途中で寝てしまいました。ちょっと睡眠不足で、夢をよく覚えていないのですが、そんな中で見た短編夢をいくつか書きます。
(9月22日の古い夢)
デザイナーのFくんと電車に乗る。座席の端に座っている女性がFくんに問答をしかける。Fくんがうまく答えられないようなので、ぼくは電車の床に座り込み、Fくんにそっと答を教える。ばれないかとひやひやして、顔を上げると、Fくんは男性なのにひらひらした白いレースのスカートをはいていて、それがカーテンのように、ぼくの姿を彼女から隠しているのだ。
(10月3日の夢)
トイレへ入ろうとして、行列に並ぶ。便器は3つあるらしく、なんとなく3列に男性たちが並んでいる。混んでいるので、一度よそへ行き、出直して来ると、一番手前の列は誰も並んでいない。「しめた! ここに並べば次はぼくだ」と思うが、ドアが開くと、その列はトイレではなく、エレベーターに乗る行列だった。
しかたなくトイレをあきらめて帰ろうとすると、もう夕方でこのビルは閉館になるという。沢山の係員が一列に並び、片手を挙げて出口の方を指し示している。みんな大急ぎで走って、外へ出る。出たところは公園のような場所だ。
(10月4日の夢)
妻と食事をしていると、前方左の高い空間に神棚のような所があって、そこに少女がいるのが見える。
2007年09月29日
9月29日の夢(空港など)
仕事をいろいろ済ませなければならなかったので、ドイツ行きの空港に着いたときはかなり遅れてしまっていた。もう既に「13番」というぼくの受付番号は一度呼ばれてしまったのだが、受付の人はぼくたち夫婦を待っていてくれたらしい。だが、妻の番号が呼ばれた気配がないのはどうしてだろう? 搭乗手続きには保険証が必要だ。カウンターにはアジア系だが、日本人ではない女性の代書屋が座っていて、妻が声をかけると、すぐにぼくの申請カードを作ってくれた。だが、彼女はぼくの書類を最後に仕事場を畳んで、どこかへ行ってしまった。それに、ポケットをいくら探しても妻の保険証が出てこない。「やっぱりぼくは持っていないよ」と言うと、妻は「じゃあ、取ってくる」と言い残して、姿を消した。そのままいつまで経っても帰ってこない。家まで取りに戻ったのだろうか。
もうこんな会社で仕事をしたくないと思い、ふてくされてぼくは椅子に座っている。部屋に何列も並べられた椅子の最前列の左から二番目の椅子だ。すると、ぼくの目の前の左の壁際に机が持ち出され、頭のはげかかった男が現れて、いきなり講演を始めたので、ぼくは一応態度を改めて、おとなしく講演を聴くことにした。
その男のアシスタントらしいバニーガールのような若い女性達が、いつのまにか目の前にできたステージの上に出てきて、書類の分厚い束のようなものを、どさりとぼくの前に落とした。ぼくはまた反抗心がわき起こり、椅子を前に動かし、足でその束をポンと蹴る。椅子にはどうやらキャスターがついているらしく、その反動で後ろに戻る。また、椅子を前に出して、束を蹴ると、反動で戻る。繰り返しているうちに、どんどん心が高揚して面白くなる。そのうち、山のようにオフィスに積まれていた書類が、どさどさと崩れてきた。すると、ぼくの隣の一番左端に座っていた若い男が前に出て、書類の山を積み直したりするが、ぼくは書類の束を蹴る動作を繰り返し続ける。
2007年09月27日
9月27日の夢(王女の結婚と闘犬)
王女様が結婚することになり、そのお祝いに続々と人々が集まっている。ぼくもそのお祝いを見物に出かけたが、なぜか電話ボックスの中でうたた寝をしてしまった。ふと目を覚ますと、ちょうど「20人までが王宮に直接お祝いに行ける」と放送されているところだった。てっきり長い行列ができていると思ったのに、行列はなく、ぼくが出ていくと、「ちょうどあなたで20人目です」と言われた。
地下鉄のホームで、王宮へ行く電車を待つ間に身体検査をされる。19人目までは何も問題なかったが、ぼくは携帯などをポケットにいろいろ持っていたため、怪しまれて荷物を全部没収されてしまった。呆然としているうちに、電車が来た。没収された荷物は多分この駅にあるのだから、乗らない方がいいのではないかと迷いながらも、電車に乗ってしまう。荷物の中には急ぎの大切な仕事の材料が入っていたのに、これで全部駄目になるなと思う。そこへ知人がほかの人々と一緒に乗り込んできた。結局、21人目以降の人たちもお祝いに行っていいことになったのだという。ぼくは彼に、荷物がどこに行ったのか分からなくなった窮状を訴える。
そこへデパートの大きな買い物袋をいっぱいぶらさげた女性が、乗車ドアでなく降車ドアから乗り込んだのに、運転手が腹を立てて文句を言う。だが、女性客は無視する。ぼくは発車に備えて、運転席の近くのつり革につかまる。窓ガラスに汚れがあると思って見ていると、それは天井から吊り下がった何かの虫なのだった。電車が走っていく前方に、犬が三匹現れ、三匹は一斉に後足で立ち上がって見せる。車内の人々はみんな「かわいい!」と叫ぶ。
次の瞬間、犬たちは向かい合って、互いに相手の顔を噛み合う。これは闘犬なのだ。一匹のやさしい顔をした犬の顔には、相手の犬の牙のあとの深い穴が三つもあき、その穴の底には血がにじんでいるのが見える。この犬は負けたのだ。
2007年09月26日
9月25日の夢(職場)
これは昨日の夢です。
(夢ここから)
「詩の大学」で2時間講義をした。
会社で、ぼくの仕事場が2階に変わった。だが、デスクの方はあいかわらず1階にあり、そのデスクにぼくは座っている。背後にはスチールの大きな棚がある。そこに何かのチケットの束を両手で抱えて置く。デスクの上にはデジカメがある。ぼくはまだデジカメを使ったことがないが、これならぼくにも使えるかもしれないと思う。手帖に今日やったことをメモする。ページの左端には時刻が印刷されているので、左右に線を何本か引いて、この間の時間は何をしたと書き込みたいのだが、その線が思ったように引けず、時間がずれてしまい、うまく書き込めない。今日はもう仕事がないので、帰ろうかと思うが、やはりこのまま終業までいた方がよいと思い直す。
2007年09月24日
9月24日の夢(思い出の大河を下る)
会社で、そこに勤めていたいろいろな人の思い出話をもとに、ある老舗の年代記の本を作っている。ところが、年老いたT氏の証言をもとに書いた部分が、校正の途中で他の人たちから誤りだと指摘された。どうも同氏の記憶自体が間違っているらしい。急いで書き改めなくてはと焦るが、会社にはいろんな人たちがやってきて、周りでがやがやするので、集中できず、どうしてもうまく書き直すことができない。
目が覚めると、ぼくはどこか地方の原野に、布団を敷いて寝ていた。細かい雨が時折落ちてきて、少し寒い。曇り空を黒いものがいくつも旋回している。あれは鳥だろうか。
死んだはずの母がまだ生きていて、でも高齢でよぼよぼしている。ぼくに「円盤(UFOのこと)におまえはどこで遭うか?」と尋ねる。ぼくは驚いて、「おとなになってからは遭ったことがない」と答える。母は「わたしは最近見るようになった」と言う。ぼくは母のお迎えが近づいているのかもしれない、と思う。
パーティーか何かの会場で、トレイに入った食事の残りを、出口で二人の男が管理しているゴミ箱に半分捨てるが、半分はそのまま持って、外に出る。二人もちょっと不審そうな表情だったが、ぼく自身、なぜそうしたのか分からない。とにかく、残飯をどこかに捨てなければいけないが、そこは明るく賑やかな原宿の裏町で、たくさんの若者たちがいて、こっそりどこかに捨てるのは難しく、ずっと持って歩く。
そのうち、道の左側に木製のベンチがずっとつながっているようになる。これはこの場所が湿原につながっているからで、このベンチの上を木道がわりに歩くのだ。そういえば、右手には高速道路のようなものが二段になって続いている。その上を流れているのは車ではなく、濁流だ。その濁流が波を打って流れる勢いで、高架そのものが波を打っている。周りの人たちはみんな怖がって、キャーキャーと叫ぶ。
いつのまにかぼくたちはその濁流の流れの上に乗って、ジェットコースターのように進んでいる。この流れは思い出の流れなのだ。それもぼくらの家族の幸せな思い出だけが、流れているのだ。今はぼくがまだ子供だった頃のお正月あたりだ。隣にいた母が「この頃はおまえは漫画を描いていたんじゃなかったかい?」と言う。そうだ。幸せな思い出に乗り続けるためには、その思い出を演じ続けなければいけないのだ。ぼくは慌てて紙を取り出すが、筆記具がない。母がボールペンを貸してくれた。ぼくは必死で、適当な紙の上に漫画を描くまねをする。濁流にどんどん流されていきながら。(夢ここまで)
以上は、今朝見ていた長い夢の断片的に覚えていた部分です。夢日記は30年ほど書き続けているのですが、数年に一回、ちょっと創作を入れればそのまま詩にしてもいいなと思う夢を見ます。上記もそんな感じでしたが、現時点では一切の創作は入れていません。見たままの夢の記述です。
2007年09月21日
9月22日の夢(みみずの部屋)
妻と東京近くの海岸へ観光ツアーに出かける。着いたら、なんと雪景色だ。道路に積もった雪をおじさんたちがせっせと除去している。その作業を見ているうち、バスで旅館に移動することになる。
バスから降りたところは、石膏のように白い粗壁でできた四角い洞窟のような部屋。おまけに赤いイトミミズのような虫が床一面に散らばっている。殆どはイトミミズだが、ほかにさまざまな虫がいて、中には黒い大型のカブトムシもいる。裸足のぼくは足をおろすのもいやだ。
おまけにどこではぐれてしまったのか、妻がいない。呼び出そうと携帯を開くと、ガイドが「ここは圏外だ」と言う。なるほど。待ち受け画面には、見慣れぬ観光情報のような文字が流れるばかりだ。
突然、ぼくらは自分が乗るべきではない、別のバスに乗ってきてしまったことに気づく。似たバスだったので、間違えてしまったのだ。元いた海岸にもう一度戻ることになる。やれやれ、これでこんな虫だらけの場所ともおさらばだ。妻とも再会できるだろう。
2007年09月20日
9月20日の夢(子犬殺害)
大きな川の堤を歩いていると、岸辺の土の中からちょうど蝉が羽化しかけたところだった。ぼくは自分の強さを誇示したくて、そのか弱い蝉をぶんなぐる。穴から出てきた蝉はいつのまにか子犬に変わっていて、ぼくに殴られたために鼻から粘液を出している。今にも死にそうな重傷であるにもかかわらず、無垢な子犬はぼくに向かって、「ぼくは四番目に生まれたから幸せだった」と日本語で話しかける。ぼくは子犬にそんな知性があることに驚くと共に、そんな知性あるものを殺そうとしたことに恐怖にかられ、右手で子犬を払いのける。子犬は土手を転げ落ちて、視界から消えた。ぼくは茫然として立ちすくむ。
2007年09月19日
9月19日の夢(虫と蛇)
妻が海外旅行に行っておみやげを買ってきた。それは腕輪だというが、一抱えもある大きさで、しかも不定形でゴツゴツしている。表面には穴がいっぱいあいていて、中に現地の虫が沢山入っているという。
そこはお風呂場で、そのおみやげから蟻やヤドカリやいろんな虫たちが大量に這い出してきて、天井でひとかたまりになっている。「小さな蛇もまじっているね」と、ぼくが言っているそばから、蛇はかたまりになってぼくの右肩をかすめて落下し、ぼくは「きゃっ」と悲鳴を上げる。
2007年09月16日
9月16日の夢(我が家で総会)
我が家で某詩人会の総会を開催することになった。我が家は田舎のくたびれた一軒家で、ぼくと年老いた母との二人暮らしだ。
最初、数人の詩人の会合だったのが、いきなり詩人会の総会に切り替えられる。家の奥で、老母が掃除機をかけている音が聞こえる。座敷の途中に田舎家らしくトイレがあって、そこが開けっ放しになっている。あまりにみっともないので、扉を閉める。
集落の中の別の家に行っている役員たちに、我が家の三つある座敷の間の障子や襖を取り外すべきかどうか尋ねる。それにしても総会は百数十人の会員が参加する予定だ。とても三つの座敷だけに入りきれるわけがないと思う。
夜、丘へ登る。丘の上にはたくさんの家が建っていたはずなのに、いつのまにかみんな取り壊されて更地になっている。月の光に照らされて、頂上から360度見晴らせるパノラマの眺望は素晴らしい。ただ、頂上には柵がないので、崖からずるずると滑り落ちてしまいそうで、おっかなびっくり下を覗く。頂上は黒土の広場になっていて、結構広い。ここで詩人会の総会をやったらいいんじゃないかと思う。
2007年09月15日
二日分の夢(アンパンマン電車ほか)
(9月14日の夢)
映画のチケットを貰ったので、見に行った。指定席だが、漠然と座るエリアを指定してあるだけだ。ぼくの座るエリアは「うらのおもて」だという。壁に貼られた座席表を見ると、青く塗られた部分で、上向きの矢印の先がぐるりと円を描いて下向きになっている。その矢印の通りに進んでいく。スクリーンの裏側がそうなのかと思ったが、ここは地下室なので、スクリーンの裏に空間はなく、すぐに壁だった。スクリーンを掲げる準備をしている男性の前でぐるりと矢印の通りに曲がる。そこには水平の棒が渡されていて、女性が一人座っている。本来、ここは通ってはいけないのだと思うが、構わず棒をまたいで乗り越え、客席に戻る。そこに「うらのおもて」というエリアがあるのではないかと思ったが、やはりぼくの席は見つからない。
(9月15日の夢)
新しく建て替えられたデパートがある。そのデパートは1時間ごとに時報を鳴らす。ブラスのオーケストラの音に合わせて、デパートのビル全体がディズニーの漫画映画みたいに四方八方に伸び縮みするのがとても楽しい。みんな集まって、それを眺めている。
映画の撮影をしている。女の子がデジタルビデオで、モノレールのように高架を走る電車を撮影するシーンだ。映画カメラは3台あって、それぞれ違う角度から彼女を狙っている。電車は駅からちょつとだけ頭を外に突きだして止まるが、その頭の部分はアンパンマンの顔のようになっていて、まるでアンパンマンが顔を突きだしているようで、とても面白い。
撮影が終わり、スタッフはみんなその電車に乗って帰る。ぼくはみんなの一番端に座っていて、隣にはピアニストのコブリンがいる。彼が降りる駅で、大荷物を両手に抱えた彼が降りきらないうちに車掌がドアを閉めてしまった。コブリンは「ちぇっ、おかげで1駅先まで乗れて得をしたよ」とジョークを飛ばして、毒づく。彼は荷物を持ったまま、床に座り込んでしまった。ぼくは彼の席があいたので、その分みんなの方に近づくが、リーダー役らしい男は「詰めちゃっていいのかなあ」と言う。不意にもう一度ドアが開くが、コブリンはなぜか降りようとしない。
クライアントの女性と打ち合わせのため、社長らと共にぼくはレストランにいる。ぼくのオーダーした料理は、煮立った鍋のお湯の上に浮かべた小さな鍋の中にある。それを食べようとして、うっかり小さな鍋をお湯の中に沈めてしまった。でも、ぼくはその料理を食べたいので、お湯の中に手を突っ込んで、小さな鍋を取り出したい。もしかしたらお湯が煮え立っていて、火傷するかもしれないと、怖々手を突っ込むと、お湯はそんなに熱くなく、無事に鍋を取り出すことができた。
2007年09月13日
9月13日の夢(湿疹の出力)
ある女性(女生徒?)の授業参観に、彼女の保護者として来ている。教室の黒板には一つの数式が書かれていて、その答は「-3A」だ。これはぼくの体にできている湿疹の出力が3アンペアということを意味している。普段は人から見えない胸のあたりに湿疹ができているからよいのだが、今日に限ってはそれが顔にできているからヤバイ。
2007年09月12日
9月12日の夢(サークル部室トイレ)
公衆トイレに行く。中は広いが、便器のかわりに周囲2列に木製の机が沢山並べられている。床の足元をはじめ、机の上も黄金色の汚れが一面についていて、汚いことこのうえない。しかも、そのトイレの中では、沢山の若い男女がまるで大学のサークル部室のように、みんなで談笑中だ。トイレなんだからここでしていいんだと思うが、抵抗があってどうしてもできない。
2007年09月11日
9月11日の夢(患者天国)
小さな息子を旅行に連れて行く。「最終目的地としてどこへ行きたいか」と言うと、「○○ランド」と答える。そこは富士山のそばにある地下に造られた街で、住んでいるのは殆どお医者さんだ。好きなお医者さんに自由に診てもらえる、という患者天国が富士のそばにあるのだ。(あったらいいな!)
大したことはないのだが、ちょっとお腹をこわした。一日目はそのまま家にいて、二日目にはもうすっかり治ったのだが、「医者に診てもらいなさい」と妻に言われる。公民館のようなところに診療所ができている。12時頃行くと、男性の公務員が「あと43分だけ夫婦者の内科医がいるから、診てもらいなさい」と言う。その時間を過ぎると、昼食のため帰ってしまうらしい。見渡したところ随分患者が立て込んでいる。そんな短い時間に本当にこれだけの患者を診られるのかと思ったが、おとなしく待っていると、ちゃんと43分後に「一色さん」と名前を呼ばれた。診察室に入っていくと、なんだか薄暗い。
2007年09月09日
9月9日の夢(撮影と敵をやり過ごす夢)
浜松にスチールの撮影に行く。駅前のウナギ屋の個室の座敷で鰻重を食べた後、そこで撮影を始める。1時から午後の撮影を再開することにして、お昼休みのためいったん解散し、ぼくだけ部屋に残っていると、電話が鳴った。受話器をとると、この店の主人で、「仙川の方には学生向けの店がいっぱいあるのに、なぜこの店で撮影をするのか」と、非難する口振り。頭にきたぼくはすっかり切れてしまい、「そんなことを言われたのは、この店だけだ!」と怒鳴り、すごい勢いでガチャン!と電話を切る。そばの廊下で聞いていた女性の従業員たちが、ぼくの剣幕におそれをなして、立ちすくんでいる。また、電話が鳴るが、怒ったぼくはもう受話器をとらないでいる。
いつのまにか、その個室から通路一本を隔てた別の部屋にいる。そこは床屋の待合室のような場所。1時になって、さっきの部屋からみんなが撮影に出かけようとするのを見て、慌てて合流する。若い男性スタッフが高価な撮影用のギターを二本、乱暴に床にドン!と置くので、「高いギターだから慎重に扱いなさい。一本6万円もするんだよ」と注意すると、彼は「45万円と書いてありますよ」と訂正する。ぼくは鼻白んで、「じゃあ、高いギターを貸してくれたんだね」と答える。
(ここから、その前に見ていた別の夢。細部は覚えていない)
電車の駅からたいした高さではない山を仲間たちと登って、山頂にあるレストランに行く。そこへ敵がやってくるが、マスターの協力もあり、全員他の客にうまく紛れて、やり過ごす。ほっとして帰ろうとしているところへ、マスターがポテトの料理を人数分の皿に盛って運んできて、陽気に「食べていきなさい」と言ってくれる。さすがに空腹を覚えていたところだ。喜んでご馳走になる。また、みんなで敵に見つからないよう、山を下りる。山は長年の雨風の浸食作用で、斜面にいくつもの亀裂が入っており、そこに灌木が茂っている。それに身を隠しつつ、出発点だった麓の駅にたどりつく。待合室に再び敵がやってくるが、これもうまくやり過ごすことができた。
2007年09月07日
9月7日の夢(ダガルディン)
「ダガルディン(Dagaldin)」という名前の素敵なファンタジー小説が発表され、人気を呼んでいる。よく考えてみると、この変なタイトルの中には「ガルド(gald)」という文字が入っている。「ガルド」というのは、この小説を出版した会社が作ったディズニーランドのような遊園地の名前である。その施設へ行く楽しさを、この物語は暗示したものなのだと分かる。
2007年09月06日
9月6日の夢(FAX)
FAXから出力された用紙が大量に、機械の周りの床に散らばっている。一番上にある数枚は、女の子っぽいかわいい便せんにぎっしりと文字が書かれたもので、これは絶対ぼく宛のものだと思い、それを拾い上げる。
次の用紙も同様な便せんに書かれたものだが、文字がすべて赤いインクでプリントアウトされている。これもぼく宛のものだと思う。
最後に残ったのは、やはりかわいい女の子向けの便せんに書かれたものだ。元プロのミュージシャンで今はフリーのライターをしているIくんが、「それはぼくのでしょう。いつもこういう用紙で、小林という人が送ってくるんです」と言いながら、周りの女性社員たちの笑いの中で、それを拾い集めて、持っていく。
レストランで会社のパーティーに出席している。妻には夜10時までに帰ると言っておいたのだが、カウンターの背後の壁にかけられた時計を見ると、もう10時10分だ。でも今から帰れば10時40分までには戻れるかもしれない。そんなことを考えているところへ、ボーイが日本茶をいれた湯飲みを一つだけ、ぼくのテーブルに持ってきた。ぼくだけに持ってきてくれたのだろうか、それとも隣の人に持ってきたものなのだろうか?
2007年09月05日
8月5日の夢(夢日記を書く夢)
女性と女性が激しく争っている。いつのまにか二人は男性どうしになっており、一方はレスラーのような筋肉質である。二人は車の上で争っているが、それはゴミ収集車のような車だ。なぜか弱そうな男の方が強くて、レスラーのような男の手をとり、それを機械の中に巻き込んでしまう。腕は切断され、レスラーの男は「腕が切れちゃったよー」と野太い声で泣き叫ぶ。
夢の中で夢をしきりに記述している。今日はちゃんと書いたぞ、と思うが、それは夢の中だということに気がつく。目覚めて、今度こそその夢を書き付けたと思うが、やっぱりそれも夢だった。何度も繰り返すうち、書き付ける紙が手近になくなり、そこにあった人間の背丈ほどの大きさの長方形の箱の包装紙にメモをする。それは誰かが誰かにプレゼントするための贈り物で、十字にリボンが巻かれている。こんなものに書いてはまずいと思うが、書き始めた以上やめることができない。
2007年09月01日
9月1日の夢(片道切符)
暑さも忙しさも一段落して、野川の岸辺を散歩したら、川州にちょこんととまっているカワセミと目が合いました。多分、雛鳥なのでしょう。しばらく歩くと、上流から二羽のカワセミが並んで猛スピードで飛んできました。川の真ん中で餌を狙うアオサギの首のあたりを通過して、雛の待つ場所へまっしぐら。両親が餌をくわえてきたのでしょうか。
(以上は現実。夢はここから)
夏休みに妻と小さな息子と三人で温泉旅行に出かけた。ところが途中でいくら探しても、帰りの切符がない。どうやら片道切符だけで出てきてしまったようだ。取引先の一つに旅行代理店があって、そこに予約をしたはずなのに、切符を受け取り忘れたに違いないと思い、旅の途中からぼくだけ一人、東京に戻る。
代理店に行き、受付で「一色ですが」と名乗ると、やはり預かってもらっていたチケットがあるらしく、「一色さん・・・」とマイクで呼び出しがあった。切符を受け取り、意気揚々と列車で家族のもとへ戻ろうとする。
ところがターミナルのホームで、ふと気づいた。切符を受け取って、どこへしまったのか、全く記憶が抜け落ちているのだ。慌ててポケットやら手帖の中やらを改めるが、見つからない。もう向こうからぼくの乗る列車がやってくるのに・・・。
だが、幸いなことに切符はあった。そして、その切符を見て、ぼくの旅先は東北地方の日本海側にある温泉であることが分かる。
2007年08月31日
8月31日の夢(プレゼン)
クライアントのところにみんなでプレゼンに行く。新しい楽器のカタログだ。ぼくは今回何もしなかったのだが、みんながちゃんと考えてくれたらしい。なんと紙のカタログではなく、小さなバスケットの中にパウンドケーキのようにカタログが詰め合わされたセットだ。これはユニーク。だが、その蓋を開けて説明しているうち、デザイナーのOくんが突然「しまった!」と言う。何か失敗があったらしい。
そのプレゼンで浜松へ行く途中、メンバーの一人が間違えて焼津で新幹線を降りて、食事に行ってしまった。ぼくはびっくりするが、社長は「後から追いついてくるさ」と悠然としている。「ちゃんと引っ張ってでも、連れてくればよかったのに」と、ぼくは社長に文句を言う。
2007年08月30日
8月30日の夢(川のような道路)
ジャズピアニストのO氏の学校コンサートの取材に行く。会場になった教室は机も椅子も少ししかない上、机と椅子の間が狭いので、空席があるのに、気の弱いぼくは座ることができずにいる。まだ開演まで間がある。O氏がついっと外に出たので、ぼくも後を追う。彼は道路をどんどん進んでいく。そこには別の学校の校舎があり、その前に看板がある。描かれているのは楽器かレコードプレーヤーのようなものだ。彼はぼくに「これはドイツの会社と共同開発されたものだ」と説明し、ぼくは必死で彼の言葉のメモをとる。そこへ追いかけてきた学校コンサートのスタッフたちが、「もう始まります。ここは会場から遠いので、タクシーで行きましょう」と、彼をタクシーに押し込んで走り去る。しかたなく、ぼくだけ徒歩で帰ることにする。この道をまっすぐ帰るだけだから、どんどん戻ればいいと思うが、行けども行けども元の学校にたどりつけない。おまけに降っていた雨がたまり、交差する道は川のようになっている。一瞬、この川は渡れないと思うが、「いや、これは道路なのだ」と思い直し、不安を押さえて川のような道路を渡りきる。
2007年08月29日
8月29日の夢(地下街閉鎖)
ぼくの夢には十数年前から度々出てくる地下街がありました。それは全く同じ地下街なのですが、最初の夢ではすごく賑やかだったのに、年が経つにつれて商店がシャッターを下ろし、少しずつ廃墟になっていったんです。今年、夢で久しぶりに入ろうとしたら、出入り口がアスファルトで閉鎖されていました。すごいショック!
(夢ここから)
表参道を食事を買おうとしてぐるぐる歩き回る。いつもの地下街に入ろうとすると、そこに通じる出入り口はアスファルトで埋められ、閉鎖されていた。
同僚のSさんがコピーを書いた冊子を校正するよう、社長に指示される。しかし、原稿が見あたらない。彼女のデスクの上にもないし、引き出しを開けてファイルを取りだし、中身を一つ一つチェックしてみるが、やはりない。会社を出て、表参道の街を探して回るが成果がない。
会社に戻り、そう社長に報告していると、ピエロの格好をした男が現れて、身振りで「ついてこい」と言う。ついて行くと、キャットストリートの一角で踊り出した。急速なスピンを踊る彼の姿は一匹のペンギンにしか見えない。しかし、ぼくが探しているのはペンギンではなく、原稿なのだ。頭に来る。おまけに空から何かが降ってきたので、掌に受けてみると、何匹もの太った蛭だ。これではたまらない。
2007年08月28日
8月28日の夢(二十郎とエノケン)
夢に出てくるエノケンって、昔のコメディアンの榎本健一のことだけど、そういう自分も「健一」の「健」の字が分からなくて、検索してしまいました。ぼくの枕元のピアノの上に、実はエノケン直筆のサイン入り扇子が飾ってあります。うちが昔、芸人宿だった頃、本人から貰ったのだとか。
(夢ここから)
ギターの弾き語りで歌っている。歌詞は「太郎がこんなに悲しい。二郎がこんなに悲しい。三郎も四郎も悲しい。ぼくらがこんなに悲しいなら、二十郎はどんなにもっと悲しいだろう」という歌。
日比谷公園のあたりを観光バスに乗って走っている。ガイドを務めているのはエノケンのようだ。ふと振り返ると、窓の外の通り過ぎてきた風景がモノクロになって、昔の日比谷の風景が見える。蓮池の向こうにごつごつした山脈がある。かつてここにはこんな山があったのかと驚く。
2007年08月26日
8月26日の夢(現物支給)
ぼくの会社では従業員全員に制服代として65000円、食費として150000円が支給される。しかし、現物支給されることも多く、制服代の一部としてグランドピアノ型のトイピアノをデスクに一台ずつ支給されて、置いている人が多い。また、食費は朝食と夕食はバター付きパン、昼はお弁当で支給されることが多い。
2007年08月25日
8月25日の夢(研究会は大騒動)
今日は恒例の「S研究会」でした。夢でも研究会をやっていました。
(夢ここから)
今日は研究会の日だ。初めて使う会場はどこかのレストランの二階。なんだか勝手が違う。メンバーは19人と聞いていたのに、部屋にはメンバーがぎっしり。おまけに知らない顔ばかりだ。ぼくの座るスペースすらないくらい。やっと講師席のスペースを見つけて座ると、そのぼくの後ろにもメンバーが座布団を敷いて座ってしまう。これでは困る。さらに壁際まで後退すると、そこは狭いが一段舞台のように床が高くなっている。ここなら安心だ。
改めて会場を見渡すと、亡くなったはずの大先輩の詩人、斉藤まもるさんがにこにこして座っている。「なぜか思潮社がいっしょに行くというので、今度中国へ行くんだよ」と上機嫌だ。しかし、講師のN氏が現れない。時間が来たので、とりあえず開会し、そのことを話すと、会場から二本手が上がり、「今Nさんは虫歯の治療中です。携帯電話の向こうから治療器具のガーガー言う音が聞こえました」と言う。そんなことをやっているうち、別の講師のO氏の巨体が目の前を通り過ぎた。ええっ、なんで彼がここに?と思う。
さあ、作品合評の開始だ。「では最初の人」と言おうとして、自分の手元の作品集を見ると、あまりに読み過ぎてページがくしゃくしゃになっていて、どこが一ページ目か分からない。慌てて一ページ目を探し当てるが、それはエッセーだ。エッセーなんか詩の研究会では取り上げられないから、飛ばすことにする。ところが次のページをめくると、そこは19ページだ。泡を食って隣の人に確認すると、どうやら全員の作品集が1ページの次に19ページが来ているらしい。そこで、その作品を書いた人に最初に自作朗読をしてもらうことにする。
作者は若い男性である。朗読の途中で突然、ギイーンとエレキギターの音が入る。どうやらエアギターらしい。しゃれたことをするな、と思う。続いて彼はぎりぎりっ、ぎりぎりっと歯ぎしりをする。そしてまた朗読に戻る。しかも、なぜか作品集に印刷してあるのとは全く違うテキストを読んで、さっさと着席してしまう。あっけにとられるが、習慣的に「はい。この作品はいかがでしょうか」と言ってしまう。前列とそのすぐ後ろの二人のメンバーが手を挙げる。一人は1歳か2歳の子供をだっこした若い母親だ。「では、赤ちゃん、いや、お子さんをだっこした方」と彼女を指名する。彼女ははきはきとこの作品を支持する発言をするが、肝心の作者はぼくの隣に座り込んで友人と私語をしている。うるさいから注意しようか、と思い、立ち上がる。一度立ち上がってしまうと、もうぼくの座るスペースがなくなっている。
(ここから別の夢)
会社にチョコレートケーキが送られてきた。社員みんなで分けて食べるのだが、手づかみで自分の分を取ると、皿に沢山取れてしまう。取ってしまったものはしかたがない。いざ食べようとすると、小さな羽虫がいっぱい飛んできて、ケーキにとまる。振り払っても、振り払っても虫がとまる。これでは生きた虫もいっしょに食べてしまいそうだ。
2007年08月23日
8月23日の夢(靴下をはき直す)
家を出て、バスに乗り、つくばに建設中の実験施設に出かける。施設についてみると、社長が椅子にどっしりと腰を下ろして、建設を指揮しており、殆ど工事は完了しようとしている。施設は大小二つの部屋からなり、広い方が実験室。小さい方は書庫で、左右の壁面と中央の三カ所に天井まで届く巨大な書架があって、ぎっしりと本が詰まっている。
施設がもう出来上がってしまったので、ぼく自身は何もしないまま、みんなと帰ることにするが、なぜか途中ではぐれてしまった。おまけに、靴下をはかないまま、靴をはいていたことに気づき、途中、道路に卓球台のような大きさのテーブルを出して営業している食堂のところで、しゃがみ込み、靴下をはき直そうとする。そのテーブルの周りは若い学生達でいっぱいだ。若い男性の店主が注文を取りに出てきて、ぼくに「お前はただ靴下をはくために、ここにいるだけか」と文句を言う。ぼくが「これから会社へ帰るところだ」と答えると、「サラリーマンは大変だね」と同情してくれた。
2007年08月22日
8月22日の夢(レストラン)
昼食のため、外に出る。普段はローソンでお弁当を買うのだが、珍しくレストランに行き、カフェテラスのように外に並んでいる椅子に座る。斜め後ろにはテーブルがあり、そこにプラ・ケースに入ったさまざまな料理の見本が並んでいる。ぼくは身をよじるようにして振り返り、ご飯とサンマかサバのあんかけらしい料理を指さして、「下さい」と声に出して注文する。そのとき、人差し指がうっかり料理に触れてしまい、「しまった」と思うが、料理そのものではなくプラ・ケースに触っただけだから大丈夫だと思い直す。しかし、店主はぼくに対して、「もうこの料理は売り切れです」と無情に言い放つ。意外だ。ぼくは「他の何でもいいから」と、店主に食い下がる。
2007年08月21日
二日分の夢
(8月20日の夢)
打ち合わせのため、みんなで駅へと向かう。「携帯があるから、それで連絡をとりあえばいいよね」と言って、ぼく一人だけ、みんなとは別の改札口から入ることにする。途中で、階段を降りるが、そこで上着が脱げかけていることに気づく。一度脱いで、着直したつもりだったが、実際はそこに上着を置き忘れ、別の緑のシャツをかわりに着てしまったらしい。歩きながら、みんなに連絡をとろうと、ポケットを探ってみるが、携帯はどこにも見当たらない。
タクシーに乗って、駅へと向かう。途中で、どこかの家というより部屋の前でタクシーが止まったので、ぼくは「ここでいいです」と運転手に言う。しかし、運転手は「えっ、ここでいいの? 駅はもっと向こうだよ」と答える。その部屋で、ぼくは何か景品のようなものを受け取り、再びタクシーは走り出した。駅はなかなか見えてこない。変だな。もう一つ向こうの駅に行くのだろうか・・・と戸惑いを覚える。
(8月21日の夢)
会社で仕事をしている。部屋の壁はいずれも天井から床まで届く白いカーテンか、障子で覆われており、真っ白である。いくつか部屋がある中で、ぼくは一番奥の部屋で、何人かの同僚と仕事をしている。突然、サティのジムノペディのメロディーが流れる。ぼくの携帯の着信音だ。慌ててポケットを探るが、ぼくのではなかった。同僚のMくんが「ぼくのだよ」と言う。
みんなが食事に行ってしまい、中に残っているのはぼく一人になった。ぼくは一匹の白い猫を首縄をつけて連れており、猫といっしょに出演するパフォーマンスの練習を始める。部屋中を猫といっしょに走り回っていると、二階から看護士の女の子が白衣を着て降りてきた。彼女の後をついて、ぼくと猫は走る。追いついた猫が彼女に前足をかけて、甘える。看護士は猫に「わあ、エッチね」とジョークを飛ばすが、上機嫌で嬉しそうだ。
2007年08月12日
8月12日の夢(頑固な床屋)
(明日から中国です。出発前に久しぶりに夢を見ました)
「仕事の前に、床屋へ行って来い」と上司に言われ、ぼくは街に飛び出した。今は表通りには殆ど床屋なんてない。裏通りに入っていくと、予想通り床屋があった。
頑固そうな短髪のおやじとおかみさん、それに娘らしい姉妹がいる床屋だ。おやじに髪を切って貰うが、どうも彼の態度がおかしい。カットだけしてもらったところで、「どうしたのか」と尋ねると、「おまえはどうも気に入らないから、やりたくない」と言う。それならぼくも返金してもらって、これで店を出ても悪くないと思う。でも、姉娘にだけはぼくのことを理解してもらいたい。といって、ぼくの正体を完全に明かすわけにもいかないから、「ぼくのことは紳士録でも何でも見てもらえば分かる。けっして怪しい者ではない」と、おかみさんと姉娘に話す。しかし、もうこの店には入れてもらえないだろうなと思いつつ、店を後にする。
別の日、また上司に「仕事の前に床屋へ行って来い」と言われる。別の店を探すつもりだったが、裏町や住宅街をさまよっても床屋は見つからない。しかたなく、こないだの床屋に入る。追い返されるかと思ったが、どうやら受け容れてもらえそうだ。(夢ここまで)
では、行って来ます。
2007年08月09日
8月9日の夢(ロケ撤収)
(ほとんど毎日同じ設定の夢を見ています)
ロケに来ていて、撮影が終わり、撤収をするところ。おみやげ屋さんがカタログをぼくに手渡し、「この品物の発注を受けているので、代金を支払え」と言う。ぼくは支払うべきかどうか判断できないので、誰かこの撮影を指揮する中心スタッフがいないかと、メンバーの集まっているところへ行き、一人一人顔を覗き込むようにするが、幹部級の人は見つからない。
困って、上階へ登ると、そこでは旅行会社のスタッフたちが、忙しくロケの撤収作業の指揮をしている。一人の制服姿の男をつかまえ、代金を払えと言われていることを説明する。制服の男は、「ああ、これは発注はかけたけれど、忙しいからもういいや」と言う。「最後に、みんなにおいしいお弁当を食べてもらおうと思ったんだけどね」とも言う。おいしそうなステーキ弁当と、おみやげのネクタイの箱が目に入る。どうやら予算がないので、発注をキャンセルするということらしい。とっても残念で、後ろ髪を引かれる。でも、「じゃあ、おみやげ屋さんが来ても、知らん顔して忘れたふりをしていればいいんですね」と、ぼくは答える。
ぼくとそりのあわないライターのMさんと自宅近くの通称ビール坂を早足に下っていく。坂の左斜面は一面もぐらが地面に盛り上げた土の山のようなものが無数にできている。突然、Mさんは坂道から逸れて、その土饅頭の地帯を越えて、坂の左下にある建物の中に入ってしまう。そこで服を着替えているらしい。彼女の戻ってくるのを待っているが、なかなか姿を見せないので、いったん坂を降りてから、左へ戻る感じでその建物の中にぼくも入る。その瞬間、彼女はもう一人の女性と共に建物から現れ、ぼくを無視して急ぎ足で坂の下の方へどんどん行ってしまう。慌てて二人を追いかけるが、追いつけない。ぼくは後ろから「追い越されちゃったねー」と冗談めかして呼び掛けるが、二人は全くぼくを無視して行ってしまう。
2007年08月08日
8月8日の夢(出口は入り口)
京都に撮影に行き、旅館に泊まる。次の日、社長たちは午前中から撮影。ぼくは一人、東北で撮影があるので、そちらへ出発しようとする。旅館の地下にいたので、出口を探して階段で一階へ上ってみたが、そこにはまた旅館の内部へ戻る出口(入り口?)しかない。結局、旅館の外へは出ることができない。
社長が新しいロケ地の予約をしたと言う。聞いてみると、それはぼくがこないだ撮影をしたのと同じ場所だ。珍しく社長と気が合ったなと思う。ぼくの撮影したカットと、社長の撮影したカットを一画面の左右に並べて、1カットに合成することにする。
2007年08月07日
8月6日の夢(郵便ロケット)
昨日、更新できなかったので、これは一日前の夢です。
ロケットで郵便物を運ぶ郵便ロケットが開発された。途中まで長い発射台というか、ロケットの通るパイプ状のコースが空高く飛行機雲のような感じでずっと続いているのを見上げる。途中からそのコースはなくなり、ロケットは大空へ飛びだしていく。ロケットがコースを通っている間は、目をつむっていても見ることができるが、空へ飛び出してからは目を開けないと見えないので、眠るのをやめて目を開ける(という夢)。
そのコースの途中にも100メートルおきくらいに、大きな袋に入った郵便物が届き、女性職員が大騒ぎをして、それを取り出す。コースにはあちこちロケットから吹き出す煙を排出するための穴があけられており、そこに巣をかけるカラスたちにとっては、その煙が大敵らしい。
2007年08月05日
8月5日の夢(地方ロケ)
地方へロケに行き、旅館に泊まっている。他の撮影に参加する親子連れも沢山宿泊しており、朝は階段の上り下りもできないほどごったがえしている。ぼくは一階まで降りて、「朝食は何時から?」とS誌編集委員のN氏に尋ねる。彼は「一色さんが一番早いんですよね」と答える。ということは、急いでぼくが食堂に行って、みんなを指揮して、一番に食べ始めないといけないということだろう。慌てて食堂のある四階に昇ろうとするが、階段はあいかわらず親子連れでごったがえしていて、なかなかたどり着けない。ようやく四階までたどり着くと、右側は動物園になっていて、そこに子ども達が入場していく。
今日は休日だが、9時半近くに東京のクライアントの事務所に行く。何かトラブルがあったのだろうか。難しい顔をしたH重役が、入り口のドアの鍵がまだ開いてないことに、ますます苛立った様子で入っていく。それを外から見ていて、ぼくは「しまった! 今日は地方で撮影だったのに、習慣でついクライアントの本社へ来てしまった。今から現場に行っても、間に合わないなあ」と慌てる。回れ右すると、そこには別の重役がいて、やはり苦虫をかみつぶしたような顔で、会社の入り口をにらんでいる。
外に出る。空に黒煙が一筋立ち上っている。火事だ。シンガーの中島美嘉の事務所から火の手が上がっている。
2007年08月04日
8月4日の夢(会社の新体制)
会社に新しい社員が入ってきた。意外なことに中年のおばさんだった。一方、ぼくは仕事がなく、デスクで暇をもてあましている。
クライアントに何冊分もPR誌の企画案を、手書きで、まるで印刷したみたいにきちんとすべての原稿を書き、レイアウトした上で提出したのに、ちっとも発注のゴーが出ない。「あまりに完成されたものを提出し過ぎたので、きっともう出来上がったような気にクライアントがなってしまったためでしょう」と、ぼくはM重役に釈明する。どうやらMが新社長に昇格したらしい。
2007年08月03日
8月3日の夢(あたしはだれ?)
女性社員が会社の片隅を片づけ、そこに別の女性社員を座らせて、ポートレートを撮っている。この仕事はクライアントがお菓子屋さんなので、そのメーカーのお菓子の包みを破り、モデルの女の子はわざわざその中が見えるようにして、手に持っている。そこへ吉田拓郎扮するUくんが外から帰ってきて、彼女の背景になっていたテーブルと長椅子のセットの左半分に腰掛けてしまった。しかたなく、カメラマン役の女の子は長椅子の右半分を片づけて、そちらを背景にしようとする。Uくんなんか、退かせばいいのにと思う。左の方から今度はお菓子ではなく、ワインのボトルを持ってきて、モデルの女の子に持たせる。
突然、女性がぼくに向かってアップで迫ってきて、「あたしは、だれだあ〜!」と叫ぶ。
2007年08月02日
8月2日の夢(目覚まし)
枕元で目覚ましが「リリリリ・・・リリリリ」と鳴った。すると、夢の画面に「!!!!・・・!!!!」という数字が表示された。
2007年08月01日
8月1日の夢(船と銃撃)
家の前を流れる野川のような川に、大型船が入り込んでいて、ぼくはなぜかその船の甲板にいる。そこから岸辺を見ると、川の水面が壁のように垂直に立ち上がって見えるが、岸辺の家はふつうに見える。目の錯覚だろう。しばらく見ていると、その錯覚は消えて、水面もふつうに水平に見えるようになった。
船内を塗り替えることになったらしい。同僚が大きなパレットのようなもので、いろいろな色の絵の具を混ぜ合わせている。絵の具には粘りがあるため、大変な力仕事らしい。ぼくは急いでそばに行き、手を添えてパレットを支えてやる。ぼくの隣で若者が食い入るように彼の手元を見つめている。これから仕事を覚えるために、そうやって先輩の仕事ぶりを眺めているのだろう。ぼくはもう退職する身なので、今さら若者といっしょに彼の手元を眺めていてもしかたがないなと、気づく。
その場を離れ、船首に行く。船の前の河原に沢山の子どもたちがいて、船を見上げている。船首には象の鼻のような送風管があり、そこからぶわーっと風が出て、子どもたちを追い払う。かたわらにいた中高年のおじさんは船を警護するガードマンらしいが、突然子どもたちに向けてバンバンと銃を撃ち始める。威嚇射撃だろうか。子どもたちは蜘蛛の子を散らすように逃げていくが、何人かの子どもたちは河原に倒れてしまう。
2007年07月30日
7月30日の夢(バッチギ)
どうも「パッチギ」のような映画に、ぼくは出演しているらしい。「暴動だ!」という叫びと共に、右手の路地の見えない奥から、バンバン!という激しい破裂音がして、左の方に何かが次々と投げつけられる。四つ角のところに、縁台のようなものがあって、日本人の薄汚い男たちが何人か寝転がっていたが、みんな呆然と身をすくめている。怖ろしくて動くことができないのだ。
朝鮮人街の安ホテルの中。入り口はガラスの引き戸だが、なぜかテーブルを並べてバリケードのようにしている。ぼくはホテルの内部のベッドに寝転がっている。男性詩人のHくんがいて、ぼくに「今日もホテルのご研究ですね」と声をかけてくる。そう。ぼくはホテルの研究と称して、ここに入り浸っているのだ。ホテルの中にはBGMとしてベートーヴェンのピアノ協奏曲が流れている。
突如、ホテルの中に緊張感が走る。ガラス戸から見える表通りを松井秀喜が歩いている。しかも、ホテルの中に入ろうとしている。みんな慌ててバリケードを撤去して、彼を通す。だが、入ってきたのは、松井に似てはいるがぐっと無骨な「松井のニセモノ」だった。こわいヤーさん系のおじさんや、やさぐれたおばさんも一緒だ。そのおばさんがぼくに名刺を渡す。名刺は半透明のトレーシングペーパーのようなものを、病院の薬局で出される薬のように縦に長くつないだもので、その端をぼくに握らせ、引っ張ると長い帯のようなものになる。歯科医と称する軽薄そうな男もいて、彼はお盆の上にたくさん盛られた粉薬をセロテープでくっつけ、それをぼくの歯に当てる。ぼくにももう一枚セロテープを取って、同じようにもう一度真似をさせる。そうすることで虫歯の検査ができるのだという。どうやら、虫歯があったらしい。彼は「はい。ありますね」と言って、今度は治療薬の粉を同じようにセロテープで取って、歯に当てるように指示する。そして、歯の治療をするつもりなのか、部屋の奥の様子を伺う。その方向は暗闇で、よく見えないが、きっと虫歯の治療台があるのだろう。
パーティが終わったあと、ぼくは長くて使いにくいホースの電気掃除機で床の上にたまったゴミを次々と吸引していく。みんなは他の部屋の掃除をしていて、この部屋の掃除をしているのはぼくだけだ。
2007年07月28日
過去夢一挙公開!
やっと一つ忙しい仕事の区切りがついたので、過去夢を一気アップします。
(7月22日の夢)
会社の席替えがあった。今度のぼくの席は社長の席の隣だ。隣というよりも、ぼくのデスクから直角に板が出ていて、その板が社長のデスクと接続している。なんだ、これは。しかも、別の社員のデスクが半分ぼくのデスクとぼくの椅子の間に食い込んでいるため、ぼくの座るスペースは通常の半分しかない。一応ぼく自身は新しい席についたものの、パソコンも到着していないし、ぼくの前任でここに座っていた女性もまだ同じデスクで仕事をしているため、ぼくの席はますます狭苦しい。
(7月25日の夢)
出社すると、いつのまにか「Pの本」の校正が出ている。めくってみると、新商品に関連して、ぼくの知らないうちに特集が組まれている。ピアノの先生方に「今、世界の平和と子供たちのために何ができるか」というアンケートをし、その回答を何ページにもわたって掲載したものだ。ぼくの天敵だった元女性編集長がもう退職したにもかかわらず、勝手に編集したらしい。とはいえ、この企画はぼくの思いもつかなかった素晴らしいもので、悔しいが負けたと思う一方、はらわたが煮えくりかえる気がする。「編集長に黙ってこんなことをしたのか」と問いつめてやりたいが、ぐっとこらえる。そんなぼくを見かねて、妻が「ほら、このおかげでこんなに新しいスポンサーがついたのよ」と、沢山の手紙の束をぼくに渡してくれる。「新聞は?」と言うと、新聞もテーブルに置いてくれる。
新聞はいつのまにか、全ページ完全カラー印刷になっている。特集は「こちらから出向かなくても、希望の家を不動産屋が探してくれ、若い女性担当者がとことんケアしてくれる」という新しいサービスについてで、有名人がそのサービスを利用してどんな家を借りたいと考えているかについてのアンケートだ。
(7月26日の夢)
朝なかなか目が覚めず、気がつくともう9時近い。しまった。いつもの北の部屋でなく、南の部屋で寝たため、目覚ましの音が聞こえなかったのだ。
外国であるカリスマ的な女性ドライバーを20年近くも監禁して、外さえ見られなくしているメーカーがあるらしい。それに対抗して、別のメーカーでは男性ドライバーを監禁しているらしい。そんなことをしているのは、その企業の広報部のなんとかという男だと、どこかのお父さんが娘に教えている。
(7月28日の夢)
女性編集長の飼い犬が行方不明になった。ぼくが探しに行くと、犬は飛行機でロンドンへ出国したということが分かった。探し出して連れ戻すと、彼女からお礼の品物が送られてきた。
2007年07月26日
7月26日の悪夢(青い蚊帳)
殺人的に忙しくて、ずっとブログを更新できませんでした。でも夢日記はつけていますから、いずれどっと発表しますね。これは今朝、浜松のホテルのベッドで見た悪夢。
(夢ここから)
マンションの五階の今は亡き両親の部屋にいる。誰かと一緒に来たと思ったのに、いつのまにか一人になっている。部屋中に真っ青な蚊帳のような布がかぶさっている。とてもきれいなのに、とても怖い。恐ろしさのあまり外へ出ようとするが、その布をめくることができない。閉じこめられてしまった! これは悪夢だ。それなら、目を覚ませばいい。そう思って、目を開けると、ホテルの天井の真ん中に穴があき、壊れた部分が下に垂れ下がっている。(もちろん、これも夢でした)
2007年07月20日
7月20日の夢(中野八丁目)
中野は学生時代、初めて東京で下宿した街。そして結婚生活をスタートしたのもこの街でした。
(夢ここから)
会社で「夢日記」のノートを開くと、キャベツやセロリなど、古い生野菜が沢山栞のようにはさんである。食べようと思って、買ったのに、忘れていたのだ。恥ずかしいので、みんなに見つからないように、しおれた野菜をゴミ箱に捨てる。
会社を退出した後、中野駅で降りる。雨が降り続いているが、傘は差さない。この駅に降りたのは、ぼくが終戦直後の投稿雑誌について調べていて、当時のことを知っている人が「中野八丁目」に住んでいると聞いたからだ。中野八丁目は多分この方向だろうと、適当に歩き出すが、やはりそれでは迷ってしまうだろう。もう一度駅前まで戻って、ぼくは駅付近の地図の看板に見入る。しかし、地図を見ても中野八丁目の位置はよく分からない。きっと中野駅の南側に、右から一丁目、二丁目・・・と続いて、一番左側に位置するのが八丁目だと思い、その方向へ歩き出す。
一人だけ傘を差さずに歩いてきたが、雨がひどくなってきたので、ついにぼくも傘を拡げる。このあたりまで来ると、風景は戦後そのものだ。道路には近くの農村から出てきたらしいおばさんが農産物を露天で売っている。向こうには、積んだ荷車を停めて、一休みしている女の子が見える。ぼくはごったがえす道路を占領する屋台や荷車をよけながら、前進する。
かなり歩いてから、ぼくは傘をすぼめ、また地図を見る。どうもこのあたりは中野七丁目らしい。しかし、地図には「八丁目」の表示は見あたらない。そんな場所はないのだろうか。おまけに傘をもう一度差そうとすると、壊れてしまっていて開かない。コンビニでまたジャンプ式の折り畳み傘を買おうか。でも、また余計な出費をしたと、妻に怒られるかもしれない。
鞄を見ると、当時の投稿雑誌事情を書いた資料の本が、いつのまにか数冊入っている。どこでこんなものを買ったのだろうか。10時過ぎに家に帰り、「中野八丁目で戦後のことを調べていて、遅くなった」と妻に言うと、妻はぼくのことを理解してくれて、ねぎらいの言葉をかけてくれる。家の右手奥の暗い部屋には経理部の部屋がある。あそこで資料代を請求しようか、と考えるが、やめる。
2007年07月19日
7月19日の夢(病院で免許更新)
車の免許証を更新に行く(ぼくは車の免許は持っていません)。行ったのは病院。入り口のテーブルに、大小の血圧計が沢山置かれている。それを持っていこうかどうしようかと迷うが、結局置いていく。入り口で、検査着がわりのTシャツを着る。受付番号を書く黒板がある。ぼくはそこに「Tシャツ1番」とチョークで記入する。室内に入ると、あちこちにエキストラベッドが置かれ、患者の数が随分増えている気がする。
2007年07月18日
7月18日の夢(新幹線で焼き肉)
我が家がものすごく大きなお屋敷になっている。部屋も沢山あるが、朝のひげ剃りに使う電動シェーバーもいっぱいある。どれを使おうかと迷っていると、兄(現実にはぼくは一人っ子)が手動の剃刀を使えと言う。しかたなく顔に当ててみると、実はこれも精巧な電池式なのだった。
新幹線に乗ることになった。Uくんが駅まで送っていってくれると言う。別の用で行くSさんもいっしょだ。ぼくは大きな本のようなものを携えているが、何度チェックしても落丁のページがある気がする。とても不安だが、時間がないので構わず出発する。
新幹線の中では飛行機と同じように食事のサービスがある。ぼくは東京から小田原まで乗るだけなので、乗車と同時にすぐにテーブルに食事の用意がされる。今日は炭火の焼き肉らしい。だが、肉はぼくの隣の客まで配られただけで、ぼくのところには来ない。早くしないと駅に着いてしまうと、焦る。
2007年07月17日
7月17日の夢(危機一髪)
女友達に車で狛江のマンションに送ってもらう。車のシートは三列になっていて、ぼくは最前列の右側に一人で座っている。なぜなら運転席は二列目にあり、そこで女友達は運転しているからだ。孤独感を感じ、「なんか変な感じ」と、ぼくは女友達に話しかけるが、彼女は「これが普通よ」と取り合わない。三列目にはひょうきんな感じのメガネをかけた男性が座っている。やがて彼の姿はぼくの席からは目に入らなくなる。席で寝込んでしまったのだろうか。
途中の道路で、前を走っていたトラックが突然、左側の事務所の木製の門に突っ込んでいき、門はめりめりと音を立てて、破壊される。事務所の窓から中年の女性が顔を出しており、どうやらトラックの運転手は彼女の夫で、保険金詐欺か何かで彼は自分の事務所に突っ込んだらしい。同乗者達はそんなもの放っておけばいいと言うが、ぼくは正義感に燃えて、後ろを振り返り、トラックのナンバーを確認する。残念ながら物陰に一部が隠れてはいるものの、大体のナンバーが読みとれたので、後で通報しようと、それをメモする。
マンションの手前の野川にかかる谷戸橋に車がさしかかる。ところが橋は工事中で、車は工事現場の右側の川との間の細い隙間に入っていく。その通路は黄色い危険を知らせる色で塗られており、通路は急角度で川の中に突っ込んでいる。気かついたときには、もう遅い。車はずるずると急斜面を水面に向かって滑り落ちていく。女友達は悲鳴を上げ、ぼくも死を覚悟する。しかし、ぼくは左側の窓を開けて、手を伸ばし、コンクリートの出っ張りをつかむ。そして、腕に力をこめると、車は落下をやめ、ぼくの腕の動きに従って、ずるずると上へ戻り始めた。
それを見て、工事現場にいた労務者たちがわらわらと飛び出してきて、生還したぼくたちにお菓子をいっぱいプレゼントしてくれる。
2007年07月16日
7月16日の夢(見失う)
狛江の我が家では全く地震を感じませんでした。買い物から帰ってきて、テレビを点けて、惨状に息を呑みました。
(夢ここから)
Mカメラマンといっしょに浜松へ撮影に行く。終わって、Mは「今日の上がり(撮影した写真の納品)は31日にまとめてでいいですか」と尋ねる。ぼくは「駄目。28日に欲しい」と答える。
駅から離れ、岡を切り開いた道を彼は駆け上っていく。どうやら岡の向こうの駐車場に車を置いているらしい。ぼくと妻も駆け出す。しかし、彼の姿を見失ってしまう。
追うのをあきらめ、駅に戻ることにする。しかし、そこにも彼の姿はない。
2007年07月15日
7月15日の夢(トイレ・クエスト)
夜、残業していると、会社の前をクライアントの某社の宣伝カーが通るという。社長以下、社員全員が社屋の前の道路に椅子を持ち出して座り、通りかかった宣伝カーに向かって拍手をする。
すると、宣伝カーが停車し、セミナーを開催するという。駅前のビルの一室を借りて、セミナーが始まった。会場でぼくが選んで座った椅子は、一つだけみんなと違っていて、背もたれに体重をかけると、そのまま後ろに倒れてしまいそう。とても不安定だ。
もともと夜に始まったセミナーは、深夜の2時を過ぎても続いている。同僚達は平気だが、ぼくは眠いし、おまけにトイレに行きたくてたまらない。
やっとセミナーが終わった。早速、ビルの中をトイレを探し回るが見あたらない。なんだかビルは廃墟のよう。最近、戦争でもあったのだろうか。空いている部屋に勝手に入り込んで、みんな寝支度を始める。ぼくはその間もトイレを探し続ける。泊まらないで、始発で家に帰りたいという女性社員もいる。しかし、ぼくはとにかく眠りたい。眠れる部屋とトイレを探して、ビルの中をさまよい続ける。
ビルの中にトイレがないなら、立ち小便にしようと外に出る。しかし、犬を連れた子ども達が歩いてくるので、それさえもままならず、ぼくはまたビルの中に戻る。
2007年07月13日
7月13日の夢(埋もれたピアノ)
取材を急いでやらないと〆切に間に合わないのに、ちっとも取材先が決まらず、焦っています。それで、取材の夢ばかり見ています。
休日なのに、今日は取材だ。東京郊外の基地のある町である。団地の建物の中に、ぼくをはじめ各マスコミの記者が沢山入っていく。いろいろな部屋に、いろいろな目的で取材をかけているらしい。廊下を進む。ドアが三分開きになっているのが、ぼくの取材先の家だ。
中に入ると、黒板にチョークで何か書きながら、男の先生が一人の女の子に授業をしている。同行したカメラマンがそれを撮影するが、どうもぼくらに協力的な雰囲気ではない。第一、「ピアノの本」の取材なのに、ピアノが見当たらないのはどういうわけだ? 聞いてみると、ピアノは二台あるが、一台は殆ど使っていないという。使っている方のピアノも、部屋の家具の山の中に埋もれている。ぼくはそのピアノを一生懸命掘り出す。背の低いコンソール型のピアノだった。
2007年07月11日
7月11日の夢(ミイラ覚醒)
何か天才的な才能を持つ少年の自宅へライターと共に取材に行った。どういう才能なのかは定かではないが、彼の兄弟の中にはこのジャンルでプロになっている者もいて、その子はインタビューにもきちんと受け答えができる。だが、その少年はアマチュアなので、答え方も訥々としている。しかも、家の中が満員になるほど、マスコミの記者が詰めかけているため、ちっとも取材が進まない。しかたなく、泊まり込むことにする。
いつのまにか朝になった。時計を見ると、2時だ。もう午後2時になったのかと、窓の外を見ると、石畳に月光が銀色に反射している。まだ真夜中だったのだ。
やっと原稿が出来た。明日も会社に出るのはいやだから、今日中に上司に原稿を読んでもらおうと思う。そこは列車の中で、上司というのは軍隊の将校だ。ライターとそう相談していると、社長が出てきて、反対して、明日にしろと言う。
警察署に駆け込む。警官とぼくとは顔なじみのはずだが、なぜか警官はぼくのことを忘れている。ぼくは手に三つの断片を持っている。それはぼくがずうっと選挙に立候補して、保全を主張しているある建物の鍵や錠前の破壊された断片である。こんなふうに壊されてしまったのは、ずうっと落選しながら立候補を続けているぼくへの、何者かのいやがらせであるに違いない。
朝、海辺へ男がぼくを連れて行く。コンクリートの溝の蓋を開けると、そこには棺桶があり、それを開けるとミイラのような白い布きれをつけた女性が寝ている。ぼくが彼女を起こすと、彼女は「まだ早いんじゃないの?」と抗議する。だが、「ぼくが来たのだから」と、ぼくは彼女を無理矢理目覚めさせる。女性もしぶしぶミイラの衣裳をはぎ取って、起きあがる。
2007年07月05日
7月5日の夢(鼻くそ)
学校らしい場所。でも、職場のような感じだ。ちょっと用を足しに教室を出る。廊下の窓のところまで来たところで、鼻くそが出てきたと感じたので、ふいっと鼻息でそれを吹き飛ばすと、正露丸のようなやつが地面に落ちた。教室の前に戻ると、廊下にトイレの洗面台によくある感じでペーパートイレがセットしてある。便利になったものだ・・・と思いつつ、それを一枚取って、鼻を拭う。
2007年07月04日
7月4日の悪夢
ひどい悪夢を見ました。
クライアントである某大企業の宣伝部に、詩人のN氏と二人で出かけて仕事をしている。窓から海辺で、カメラマンで芥川賞作家のS氏と、会社の同僚のM氏とが表紙用のモデル撮影をしている情景が見下ろせる。ところが、表紙のほかに裏表紙用の写真も撮らなくてはならないのに、二人は忘れて、帰ってしまった。それを見ていたぼくは慌てて、宣伝部の人たちにそのミスを告げ、急いで携帯で撮影隊を呼び戻そうとする。ところが、携帯は故障してしまったのか、二つある電話帳画面のうち、一方はどこかの結婚式場のリストになっている。また、もう一方は普通の五十音順リストだが、何度検索してもM氏の名前が出てこない。そこへ宣伝部の若いクライアントがやってきて、「まだ連絡がとれないのか。おまえの会社にはほとほと呆れた。今までは上には言わず、こっそり穏便にすましてきたが、もう二度とおまえの会社には行かない」と、ぼくに宣告する。「申し訳ありません」と、ひたすら謝罪する。連絡がとれないまま、同社から出るわけにいかず、昼食もとることができない。携帯は何度やってもつながらず、N氏は逃げてしまったのか、姿がない。さっき、あそこでお弁当を食べようと思っていた大きな椅子に、この会社の社長が悠然と座って、女性社員たちといっしょに食事をしている。ぼくはそれを指をくわえて、眺めている。
2007年07月03日
7月3日の夢(母屋と離れ)
某大同人誌主催の詩人会議出席のため、山へ行く。ぼくは一人で列車に乗り、駅弁を食べる。次の瞬間にはぼくはワゴン車に乗っており、後ろのトランク部分に大きなスーツケースを持ち込んでいる。運転している男はほかの同乗者と打ち合わせしている話から、どうやら某有名漫画家らしいと分かる。道路の向こうからバスがやってきた。ツアーの本隊の乗ったバスだ。バスの窓から沢山のおばさん詩人が手を振っている。
会議の会場に着いた。庭を隔てて、母屋と離れがあり、ぼくは本隊の人たちと別れて、離れの方に滞在する。そこには組み立て式のキーボードが置かれているので、組み立てて弾いてみたいと思う。ところが、部品は金属なのに、なにやら生き物めいたぞよぞよした感じである。マニュアルがあったので、読もうとする。ところが、その本はどっちが表紙でどっちが裏表紙かさえ分からない。テレビで野球中継をやっている。見ていると、いつのまにか剣道の試合の中継になっている。
カメラマンのI氏が窓からぼーっと空を見上げている。白い雲が層となって、右の方の山から空半分を覆おうとしている。それを指さして、I氏に「大きな雲だね」と言う。どこからか、妻の「ご飯よーっ!」という声が聞こえる。思わず「はーいっ!」と答える。目を上げると、川の向こうで妻が呼んでいる。どうやら母屋で食事が始まるらしい。
2007年07月02日
7月2日の夢(宇宙旅行)
強い薬を貰って下痢を止めたら、薬をやめるタイミングを逃して、便秘に(笑)。
初めてロケットで宇宙旅行することになる。初めての搭乗待合室で、連れの女性と待ち合わせることになっている。ところが、いざ搭乗するとなって、途中に彼女を置き去りにしてきてしまったことに気づく。慌てて携帯で連絡しようとするが、携帯も彼女に預けたままだった。既に搭乗チケットを係員に渡してしまっていたが、なんとか彼女に連絡をとろうと、後戻りして探しに行く。そこへ、運良く彼女の方からもぼくを探しに来てくれて、すぐに落ち合うことができた。さあ、これで二人、宇宙へ出発だ!
2007年06月30日
6月26日の過去夢
以下は病気になる直前、火曜日に見た夢です。この日は某詩誌の編集会議が紛糾したので、正夢だったのかも。チャイコフスキーコンクール、ピアノ部門は優勝者なし。残念だけど、ぼくは忙しくならずにすみました(笑)
タクシーに乗っていたら、濁流が四方八方から押し寄せてきた。しかし、運転手は勇気ある態度で、濁流に向けて車を進めていく。
ロシアを電車に乗って旅行している。ぼくは先頭の席に座っている。窓から、男達が濁流の川を泥まみれになって泳いでいるのが見える。変な女がぼくを誘惑しようと乗り込んできたので、追い返す。
自宅に帰ると、ぼく宛の郵便物が来ている。開けてみると1月にすることになっている北村透谷についての講演(夢のフィクションです)への激励の手紙だ。だが、よく見ると、「一瀉千里様」と宛名を間違っている。失礼なやつだと思う。(一瀉千里さんという詩人の方は確か実在すると思います。その方とこの夢は何の関係もありません)
2007年06月29日
6月29日の病気中の夢
一昨日から昨日にかけて、流行性胃腸炎で寝込んでいました。またスリムになっちゃうな。そんな病気中に見た、ちょっと気持ちの悪い夢。
(夢ここから)
我が家に広い部屋があり、家族でそこで食事を始める。ぼくと妻は現在の家族だが、子どもとして小さな娘がいるなど、細部が違っている。この家は最近引っ越してきたばかりで、まだあちこち探検していない。窓から意外に広い海の岩場や、台形の奇岩が見える。相当、景色のいいところに建っているらしい。
さて、横長のテーブルにぼくと妻と子どもが座り、パンにチーズに僅かな生野菜という、粗食を食べ始めると、随分昔の仕事仲間たちが出現し、「お久しぶり」とか挨拶しながら、その食卓に加わる。中に、ミュージシャンの男性がいて、かたわらので大きな風呂敷の中からキーボードのような機械を取り出す。鍵盤のかわりに一面、ウニの針のようなものが生えていて、それに触って音を出す仕組みだ。だが、ぼくの小さな娘(現実には30代の息子しかいない)が触っても、小さな音しか出ない。ちゃんとした音を出すには二カ月くらいかかるらしい。
どこかの音響機器メーカーの若社長が何人かの取り巻きたちを引きつれて、我が家にやってきた。ぼくの家にはヤマハのステレオが置いてある。彼らはそれを勝手に鳴らして、「いい音だな」と感心している。対応に出たぼくに社長はいかにも偉そうな口調で「いい音響機器はどこの国の製品か?」などと専門的なことを次々尋ねる。ぼくは「いろいろな国のものがある」などと、ごまかすが、とりまきたちは「そうだな、イギリスにもフランスにもあるし・・・」などと、適当に調子を合わせる。
ぼくとの会話を終えた彼らは、「ゆっくり食事をしたいから」と言って、列車に乗り込む。列車は空中に敷かれたレールの上を走る、銀河鉄道のようなものだが、車体は新幹線のような最新型だ。そして、終点の駅を突き抜けて、もうレールのない空中へ飛び出してしまう。そこから一人の男が出てきて、空中に浮かぶ岩の上に足跡を印しながら次々飛び移って、空中のレストランへと向かう。そこで男達は食事をするつもりらしい。
ウルトラマンとして出張から帰ってきたぼくは、名古屋のテレビ等にすとんと降り立った。これから日常の姿に戻って、自宅に戻るため、展望台への階段を駆け登っていく。しかし、なにも展望台へ登る理由はないのだと気がつき、逆に階段を駆け下りる。下の街路との間には溝があり、その上に金網が張られている。おそらく、その金網の上に足を乗せたら、破れて落ちてしまうだろう。だが、周りには女子高生のようなグループなどがぎっしり立っていて、どううまく飛んでも、向こう側に降り立てそうにない。そこへバスがやってきた。バスといっても、車体のないバスで、ハンドルを持った運転手もバスガールも乗客もみんな歩いている。
昔に在籍していた会社に一人、忍び込み、夕闇の中で休んでいる。一人だと思っていたのだが、シャワー室に入ろうとしているのはどうも社長のようだ。彼がシャワー室に入っている間に、これまでの夢を「夢日記」に書いてしまおうと思い、2センチ四方くらいの小さな正方形のノートに書き込む。終わって、ノートを置こうとすると、指に貼り付いてしまったようで、外れない。しかも、ブーンという小さな羽音のようなものが聞こえる。どうやらこのノートは古くて、虫が発生してしまったらしい。気味が悪いので、ますます体から離そうと思うが、全然離れない。そうこうしているうちに、さまざまな人たちが誰もいないはずの空間に現れてくる。グループサウンズのザ・タイガースのメンバーたちもいる。中に一人女性メンバーがいるが、タイガースに女性メンバーなんていたっけ? 彼女はぼくに「どうしたの?」という顔をして見せる。ぼくは口に指を立てて「シーッ!」と言う。
2007年06月24日
6月24日の夢(朗読会)
円形の建物の半円の部分が屋外ステージになっている。そこでオーケストラをバックに、4人の詩人が自作詩を朗読することになっており、ぼくはその3番目に出演する予定だ。しかし、事前に何の準備もしておらず、ただ段ボールに自分の詩集などを入れて持ってきただけである。
既にプログラムが始まっており、ぼくはようやく建物の裏の半円の側にある楽屋に、自分の段ボールを開けに出向く。ところが、開けてみると、入っているのは殆どがぼくの詩集でも掲載誌でもない、知らない書物だ。探しても探しても自作が見つからない。楽屋で困惑していると、係の人が「出演しなくてもいいのか?」と、ぼくを呼びに来た。しかたがない。適当に段ボールの中から小さめの本を取りだして、ステージに向けて走る。
服を着る暇もなかったので、黒いズボンをはいているものの、上半身は全くの裸だ。そのまま犬かオオカミのように背中を丸め、狼男のような感じでステージに駆け上がる。雨が降ってきたせいか、聴衆は意外にまばらだ。皆、ぼくの半裸で獣のような姿に驚きの声を上げる。手にした本の適当なページを開けて、朗読を始めるが、どうもそれはぼく自身の作品ではないようだ。でも、どうせ聴衆にはそんなことは分からないだろう。風邪をひいたのか、いつもの自分とは似ても似つかぬ声だが、ハスキーながら高い声もちゃんと出る。上々の朗読を終え、再び獣のように背中を丸めて、一目散に楽屋に駆け戻る。
2007年06月23日
6月23日の夢(四国旅行)
今日は「詩と思想研究会」でした。16人とぐっと人数は減ったのですが、少数精鋭の緊張感ある会で、本当によかった。
(夢ここから)
船で四国へ修学旅行に行った。さまざまな船を乗り換えて、各地を回る。ある町の海辺で、ひとりぽつんと取り残され、孤独になってしまった。透明な海の浅い底には、緑の海草がスポンジのような感じでたくさん生えている。ぼくは水の中に足を入れてみる。温かい。手も入れてみる。
最後の寄港地は高知だ。高知の海岸には見上げるような大きな波が動かずに続いている。これを超えて上陸するのだ。
ある街でコーヒー店に入る。どの席に座って本を読んでもいいと言われる。小さな椅子、大きな椅子、カウンター席といろいろあって、迷うが、実直そうな店主のいるカウンターのところに座って、読書することにする。
2007年06月22日
6月22日の夢(仕掛け時計)
歩いていると、黒ネコヤマトのドライバーから「2万2千円の時計が1万5千円に値引きされているので、ぜひそれを買って、お客さんにプレゼントするといいよ」と勧められる。彼に教えられて地下道を進んでいくと、地面にその時計が並べられていた。鳩時計のような仕掛けで、正時になると4つの窓から4人の怪人が飛び出す仕組みになっている。こんな時計を顧客プレゼントに使っていいのかどうか心配だ。見本を同僚のOさんに見せる。他の社員たちも出てきて、口々に「これはいい」「安い!」とほめそやす。そこで、「そんなに評判がいいなら、ぼく自身が社長のところへ届けに行くよ」と言って、(多分、時計を持って)歩き出す。途中、背後から「一色さん」と声をかけられてきょろきょろする。すぐ後ろに経理の若い女の子がいて、ぼくに(多分時計の)代金を渡してくれたので、てっきり彼女に呼び止められたとばかり思ったのだが、ぼくを呼んだのは経理部長のIさんだった。
2007年06月20日
6月20日の夢(巨大オープンセット)
アメリカに移住したぼくたち日本人の集団居住地を、次々と謎の殺人事件が襲う。青い布のカーテンでおおわれた縦長の箱の中に首を突っ込んだ女性が、中に青年の死体を発見して「ぎゃーっ!」と悲鳴を上げる。だが、中からその当の青年が出てきた。ただ眠っていたのを、女性は見間違えたのだろうか。それとも、彼は生き返ったのか?
ともかく、これが最後のクライマックスシーンで、ぼくらが出演していた映画は終わった。スタッフたちとぼくら出演者は和やかに言葉を交わし合う。セットの天井を指さして、大道具の担当者が言う。経費を節約するため、結構安物の材料を使っているのだと。なるほど。よく見ると、天井の大きな梁と見えたのは、プラスチックのようなぺかぺかの素材で作られたまがい物だ。セットは居住地全体が壁一面にパノラマ状に開いた窓から見渡せる、巨大なドーム状の建物である。居住地は同じ形をした一軒家が、無数に建ち並ぶスケールの大きなオープンセットとして造られている。さすがはハリウッドの大作映画だ。この居住地は狛江(アメリカのはずなのに、なぜかぼくの住んでいる町)という想定だが、窓から見える景色はあまりにも壮大で、かえってうそっぽい。きっとアメリカの砂漠地帯に建てられたセットなのだろう。
そこでまた一騒動が持ち上がった。海賊が襲撃を予定している場所の一覧表が入手されたのだ。そこにいた老人の一人の顔がみるみる青ざめていく。彼の経営するここから遠く離れた場所にある会社が、襲撃場所に含まれているからだ。
2007年06月19日
6月17日の夢(旅館)
昨日は、同姓同名の漫画家・一色まことさんのアニメ「ピアノの森」のコンサートに行ってきました。そんなわけで、アップする時間がなく、少し古い夢になってしまいました。
(夢ここから)
昼食に旅館のようなところに行く。途中で外に出ると、斜面に大きな木の切り株のようなものがある。木製の輪のようなものと言ってもいいかも。それを男たちが切ろうとしている。ぼくはその切り株の根というか、枝のようなものの上を、ひょいひょいと伝い歩いて、なんとか落下せずに通り過ぎる。それから元の旅館に戻るが、ぼくは果たして昼食を食べたのかどうか思い出せない。だが、「お勘定」と言ってみると、ちゃんと請求されたので、食べたのだろう。きちんとお釣りなしに払ったはずなのに、5円玉や1円玉を返されたところを見ると、うっかりお札といっしょに小銭を渡してしまったらしい。自分の宿泊する部屋に行ってみると、まだ前の客の泊まったまま、掃除も片づけもすんでなく、ベッドが乱れたままだ。窓を開けることさえできない。人の気配にはっと振り返ると、入り口の近くに従業員らしい男が一人入り込んでいる。
2007年06月15日
6月15日の夢(豪華客船)
南の海を行く豪華客船に妻と乗って、いろいろなアトラクションを見物している。映画のさまざまなシーンを順を追って、ジオラマで再現しているものがある。登場人物が奇怪な水棲生物に変身するホラー映画だ。鏡が激しい音を立てて割れるシーンでは、ぼくら夫婦はジオラマのすぐ前で立って見ていたのだが、背後の客席で座っていた人々のところには、バーン!という大きな音と共に頭上から鏡の破片に見立てた金属片が降り注ぎ、観客から「おおーっ!」と嘆声が上がる。これは面白い。この映画の関連グッズを沢山買い込んでしまいそうだなと思う。
アトラクションが終わり、一人トイレへ行く。なぜか裸足だ。ぼくの前に身体障害者の女性が車椅子のまま介助されながら便器のところへ行く。ぼくもその後からあいている便器のところへ行くが、便器の周りがひどく汚れて水たまりになっていて、とても裸足では近づけず、トイレをあきらめて外に出る。
そこは乗客が立ち入りを禁止されている前部甲板だ。船体の縁はごつごつした丸石のつらなりでできていて、それが少しずつ下がりながら、無限の階層となって沖まで続き、沖へ行くほど少しずつスピードが速くなっている。これでは一体どこからが船で、どこからが海で、さらにどこからが空なのかも分からない。怖いので、足早にそこを立ち去る。
2007年06月14日
6月14日の夢(オレンジの雪)
ある女性に雪を降らせてくれるように頼む。夜になると、ちゃんと窓の外に雪が降ってきた。家の裏に面した窓から見る外は、雪にけぶる空全体がまるでオレンジシャーベットのようにぼおっと温かく発光している。妻を呼び、庭の側のサッシを開けて外に出る。空には赤や緑の光も輝いていて、信号の三原色が幾何学模様を描いているようで、とても美しい。雪を降らせてくれた女性にはいずれお金がしかるべきところから支払われるのだが、とりあえずぼくが立て替えて報酬を支払ってあげる。
2007年06月13日
6月13日の夢(2つの旅の夢)
仕事で一週間以上自宅を離れて取材をしている。お寺のような場所で、同行者と別れ、夕方これでどうやら東京に戻れそうだ。これなら一日予定より早く家に帰れる。だが、今日帰宅したら夕ご飯は用意してくれているだろうか。それが心配だ。
妻と小笠原へ旅行した。意外に寒い。ターミナル駅の五階がホテルになっている。これなら、ここに投宿して、荷物を部屋に置いてから観光に出かけられるので、楽だなと思う。
2007年06月12日
6月12日の夢(新学期)
ぼくは学校の先生で、明日から新学期が始まろうとしている。担任する教室も明日から変わるのだ。まず以前の教室を、次に明日からの新しい教室の掃除をする。どちらも泥やほこりがいっぱいで、掃除機がそれを吸い込んで止まってしまうくらい汚い。大変な苦労をした後、やっときれいにすることができた。上司の学年主任に「明日は何時にここへ来ればいいですか」と尋ねると、「必ずしもこの教室がきみのクラスの部屋になるとは限らないんだよ」と言われる。がっくり。
2007年06月10日
6月10日の夢(リヒテルの家)
昔、ロシアの巨匠ピアニスト、リヒテルが日本に住んでいた大きな家(もちろん、そんな家は現実にはない。リヒテルは既に故人)が今はぼくの職場になっていて、その二階で仕事をしている。今日はその当のリヒテルがこの家に戻ってくる日だ。一階に降りていくと、玄関先に「Pの本」元編集長のK女史の姿がある。二人は個人的には険悪な仲だったが、そんなことはそしらぬ顔で、二人ガラス越しに手を振り合って挨拶する。気づくと、この家の周りはリヒテルを迎えようというマスコミやファンらが何重にも取り巻き、大変な騒ぎだ。
ついにリヒテルが到着した。彼が車から降りて手を上げてみんなに挨拶すると、テレビ中継が一斉に始まり、ものすごい喧噪になる。
ぼくは二階の小部屋で、同僚の女性とテーブルを囲んで座っている。そこへ女性のお手伝いさんがワゴンで料理を運んでくる。この特別席で、ぼくらは料理を食べながら歓迎行事を見物するのだ。その歓迎イベントの一環として、小学生くらいの少女たちがモダンダンスを始めた。
そうやって悦に入っていると、沢山の招待客たちがこの部屋に招き入れられ、どっとテーブルを囲んでしまう。あっという間に、ぼくは彼らに押し出され、テーブルにはもう手が届かなくなる。所詮、ぼくは余計者だったのかと思う。
リヒテルの歓迎行事が終わり、そこに一泊して帰ろうとすると、靴が見つからない。うろうろして、ぼくはしかたなく一階に降り、「あのー、ぼくの靴はどこでしょうか」と尋ねる。でも、みんなもうぼくの顔さえ覚えていない。「誰に入れてもらったの?」「鍵は持っているの?」などと聞かれる。ぼくが「最初からぼくはここにいたんです。二階で働いていたんです」と言うと、そこにいた女性や若い外国人の男性が「じゃあ、二階の客間からじゃないの?」と答える。
彼らに教えてもらったルートで外へ出ると、ちゃんとぼくの靴もあり、やっと戸外へ出ることができた。地平線に雪を真っ白にかぶった連山が見え、とてもいい景色だ。このリヒテルの家には確か東京のある駅を降りて来たはずだったのに、まだ東京にこんな素晴らしいところがあったのだろうか。いつのまにかその家は以前よく一緒にステージに立っていたピアニストのSさんの家に変わっている。Sさんは「なかなか銀行がお金を貸してくれなかったけど、ゆっと手頃な物件が見つかって」と言っていたが、この家にはきっと大変なお金がかかったのだろう。ぼくも退職して引退したら、もっと自然の豊かなところに住みたいなと思う。
2007年06月08日
6月8日の夢(洋服選び)
洋服売り場で服を買おうとする。円形のハンガーに何着もの上着が吊されている。薄いグレーから濃いグレー、さらに真っ黒なものまで、全部モノトーンの色調だ。ぼくはその中から黒を選び、レジの女性に渡すが、間違えてグレーの服を渡してしまう。しまった。でもまあ、これでもよいかと一瞬思うが、やはり「この黒の方がいいな」と言って、黒い服を選び直す。ところが、よく見ると、黒い服は生地が薄くて、よれよれで、しかも綿埃が一面に付着している。「あっ、だけど、これはほこりっぽいね」と、ぼくはレジの女性に言い、その隣に吊られている服を見る。その服はさらにほこりで汚れていて、なんと鳥の羽までが付着している。ぼくはそれを指さし、彼女に「ここに鳥が来たの?」と尋ねる。女性は言いよどみ、「・・・」と黙ってしまう。
2007年06月07日
6月7日の夢(打ち上げ)
京都で何か朗読パフォーマンスのような公演を終え、楽屋で片づけを始めている。そこには死んだ母がいて、他のスタッフに「受付に置いてあったおつり用の大量の小銭はきっと息子(ぼく)が用意したものだろうから、返してやってくれ」と言う。ぼくは「いや。ぼくは1円も出していない。スタッフが銀行から持ってきたものだよ」と否定する。
楽屋には天丼やサンドイッチなど、いろいろな種類のおいしそうな弁当が残されている。でも、きっと古いものだから、食べたら食あたりするだろう。
ふと見ると、天井近くの壁に2本、縦の金属棒が立っていて、そこにぼくの息子が蝉のように取りついているのが見える。ぼくが声をかけると、「おーっ」と声を返してくる。首吊りの真似をしてぼくを脅かすつもりだったのが、そうする前にぼくに見つけられてしまったのかもしれないと思う。
出演者たちはなかなか楽屋に引き上げてこない。打ち上げには出ずに、帰ってしまう人たちもいるようだ。
楽屋には黒い布のようにも、板のようにも見えるものが置いてある。何かの法律の関係で、これはもう使ってはならないことになった道具らしい。それを何となくぼくは受け取ってしまうが、さて、これをどうしたものだろう?と考え込む。
2007年06月04日
6月4日の夢(手みやげ)
取材先に持っていく手みやげのセットを和菓子屋で注文する。しかし、もう昼休みが終わりそうなのに、なかなか手元に出来上がってこない。イライラしていると、女店員が器に入ったうどんを持ってきた。半分くらいが器からお盆にこぼれてしまっているが、お店の支配人はぼくに「おいしいから拾って食べなさい」と言う。お腹が減っていたので、ぼくは言われたままに拾って、うどんを食べる。気がつくと、ぼくの要求した手みやげのセットが紙袋に入って、ぼくの手にぶらさがっている。
2007年06月03日
6月3日(両手に荷物)
出張から帰宅するため、急行電車を乗換駅で降りる。ぼくのほかにも何人かがホームで降り立ち、そのままその場所で立って待つ。こうしていればそのまま歩く舗道のようにホームが動いて、ぼくらを各駅に運んでくれるような気がした。でも、そんなことは起こらず、ここで各駅停車の電車に乗り換えないといけないのだ。
今度は妻といっしょに、両手に沢山の紙袋を提げて電車を降りる。急ぎ足に歩きながら、左手に持った小さな紙袋を、右手に持った大きな紙袋の中に入れる。これで少し荷物が減った。
出口に向かうところで、まるで鍾乳洞の洞窟のように、天井が床近くまでぐっと曲線を描いて下がっているところがある。妻は「ここはとても・・・」と言う。「通り抜けられない」と言うつもりだったらしいが、二人は無事そこを通り抜ける。そこは小さな子供のための遊戯室になっていて、一人の若いお母さんが自分の子供を遊ばせている。部屋の真ん中に小さな滑り台のようなものがあり、ぼくと妻はそれを登って降りる。子供がオムツにうんちをしたのだろうか。とても臭い。そこを通り抜けたら、駅の外に出ることができた。両手が荷物でふさがっているのに、雨が降っている。
2007年06月02日
6月2日の夢(取材パニック)
東京郊外のある楽器店でレスなーさんためのイベントを開くというので、取材に行く。まず楽器店の事務所に行き、手帖を出して何人かの担当者に取材をする。手帖を出すのが間に合わないときは、そのあたりにあった四角い板に指で文字を書いてメモする。板についたほこりがこすれてかすかに文字が浮かび上がるが、殆どメモの役には立たない。「それでよく覚えられるね」と、みんなに感心される。
会場に出かける前に事務所でトイレをすまそうとする。事務所の中は黒いスーツを着た若い楽器のセールスマンたちでいっぱいで、トイレは見つからない。廊下へ出ると、そこは普通のマンションで、住人の奥さんたちが歩いている。そこにもトイレは見つからない。
外の広場に出て、そこから車に乗る。黒くてくたびれた車だが、とても大きな車。三列座席があるが、三列ともセールスマンたちで埋まってしまい、ぼくの乗るところがない。と思っていると、三列目の座席のうしろに、さらにスペースがあって、そこに地味な洋服を着た若い女性が乗っている。ほっとして、そこへ乗る。座席とはいえず、殆ど床に寝ている感じで、体を起こさないと、窓から景色を見ることさえできない。走り出してから、「しまった。この広場には公衆トイレがあったのに」と思うが、もう後の祭りだ。
会場前に着いた。そこには風情のある歴史的街並みが広がっている。東京郊外にこんな街並みがあったのかと感激する。うっすらと雪化粧さえしていて、とても美しい。車から降りると、そこは荒れ果てた空き地で、ごみでいっぱいだ。イベントの責任者に話を聞こうとする。イベントが終わってからでもいいのだが、それでは帰宅が遅くなってしまう。相手も時間を作ってくれたが、話すには紙に書いて説明した方が早いらしい。空き地の地面に半分泥に埋もれていた白紙を何枚か拾い上げ、そこに何か書き始める。ぼくもメモ用紙のために、残りの紙を地面から拾い上げる。と、突然地元のおばさんたちが飛び出してきて、ぼくを取り囲む。「ここを掘って、大事なものを持っていくのはあんただったのね」と、すごい剣幕だ。「違います。ぼくは***という雑誌を編集している者で・・・」と胸ポケットから自分の名刺を出そうとするが、見つかるのは他人の名刺ばかり。ぼくが自分自身を証明するのに焦っている間に、別の人がぼくのことを説明してくれ、おばさんはあっさり引き上げて行った。
6月1日の夢(イチローと電話)
イチロー選手に電話する。「**から電話しています」と言うと、「早くからそうしてくれと言っていたのに」と冷たく言われる。もう一度電話するが、彼はにこりともしないで、一方的に自分のしゃべりたいことをまくしたてる。
2007年05月31日
5月31日の夢(スターウォーズ最新作)
ぼくは家で、小学生くらいの少女とおばあさんと一緒に暮らしている。二人は北側の部屋に二つ机を置いて、そこで生活しているのだ。もう一つ空き部屋があるのだから、少女は独立した部屋を持った方がよいのにと思うが、本人にはその気がないようだ。
その部屋から大きな音がした。驚いて覗きに行くと、少女が転倒して、障子が破れたり、家具がひっくりかえったり、食事も散乱して大変なことになっている。それをぼく一人が黙々と片づける。
家にはもう一人、見知らぬおじさんが来ている。二人と関係がありそうだが、肉親ではないらしい。家にあるテレビで、「スター・ウォーズ最新作」のVTRの再生が始まった。同シリーズはもう完結したと思っていたが、さらに最新作が出来上がったのだ。意外に宇宙が明るく、よく見ないと星が見えない。ぼくはみんなの最前列で、目を皿のようにしてテレビを見ている。皆が後ろで食事を始めたのが分かるが、ぼくは一人食事する気にもなれず、夢中で画面を見つめている。そうしながら、何度も椅子に座ったまま後ろのテーブルにもたれかかって、ひっくり返りそうになるが、倒れはしない。
テレビの後ろに置かれていた銀のフォークとナイフを、おじさんが手に取った。そのとたん、その影響でVTRの再生が停まってしまい、ぼくはもうこのまま「スターウォーズ最新作」の続きを二度と見られないのではないかとショックを受けるが、幸い他の人が直してくれた。画面の中では、家にいる少女がロボットになってこちらへ歩いてくるシーンが映し出される。だが、なぜかぼくはあんなに夢中になっていたテレビを見るのをやめて、食事のために外に出てしまう。
2007年05月29日
5月29日の夢(交通事故)
ぼくは名古屋に住んでいて、東京の医者にかかりに行く。医者は和服を着た老人で、ぼくが小学生のとき通っていた算盤塾の先生に似ている。その医者に運動のしかたを教えてもらう。気がつくと、ぼくはTシャツを着ていない。なぜか目を閉じて、手探りでその家の玄関先を探し回るが、見つからない。
高速バスに乗って、名古屋へ帰ろうとしている。女性詩人のAさんも乗っている。港の近くで、桟橋へ進入しようとする車列と交錯し、衝突しないか心配だが、うまく運転手はそれらの車を避けて疾走していく。ところが、後ろに薬品の袋をたくさんつなげて筏のように引きずって走っている車があり、その袋についにぶつかってしまう。制服を着たガードマンのような男がその袋に飛びつくが、バスはそのガードマンも引きずったまま暫く走る。やっと止まったときには、破れた袋からあふれた液体で、バスの中はくるぶしあたりまで浸水している。ぼくは乗客の一人に「体に害はないのでしょうか」と尋ねる。男が「いや、刺激があるらしい」と答えるので、ぼくは慌てて座席の上に跳び上がる。ぼくの一つ後ろには椅子ではなく、ベッドがある。そこへ上がりたいと思うが、うまく体が持ち上がらない。逆に、着ている服の一部を薬品につけて、濡らしてしまう。Aさんは窓から外を眺めながら、「早く帰りたい。バスを乗り換えさせてほしい!」と呟く。
ふと気づくと、ぼくはもう名古屋の会社に戻っている。同僚に「知ってる? Aさんと事故にあったんだ」と話しかけるが、誰もぼくの話に関心を示さない。
2007年05月28日
5月28日の夢(アメニティセンター)
市電に乗って、沢山の子どもたちと、巨大なアメニティ・センターのような場所へ遊びに行く。野球ゲームをするスポットがある。そこではプロの若い女性投手が投げるボールを、子どもたちや大人たちがまな板のようなもので打ち返す。しかし女投手の投げるボールが剛速球なので、ボールを打てずに、顔に当たったりして大変だ。センターの中に洋服売場がある。殆ど品物が売り切れた中で、一つだけ残っているウールのセーターをぼくは買いたくてしかたがない。頭からかぶって試着してみるが、大きすぎて手が出ないので、買うのをあきらめる。ガラス張りの部屋に詩人のM氏のような老人が入っていく。そこからはガラス越しに隣のホールでの講演を寝たまま聴くことができるのだ。
そうこうしているうちに、帰りの市電に乗り遅れるのではないかと心配になる。「大人の方で16番の電車で来た方はお乗り下さい」という女声アナウンスがあり、見ると、ディズニーアニメの白雪姫か何かをかたどった市電がやってきたので、それに乗る。ぼくらを乗せて、市電は幼年時代の名古屋の街のような通りを疾走する。レールの両側に殆ど車道がないことに、違和感を覚える。
2007年05月26日
5月26日の夢(お菓子と動画)
会社のデスクの上に、貰ったお菓子がうはうはするくらい、沢山ある。京菓子のように赤、黄、緑などいろどり豊かなお菓子だ。そのデスクの上には周囲の社員たちの分のお菓子も、半紙の上に置かれており、それらに自分の分がまぎれないよう、また他の人の領分をぼくが侵さないよう、慎重に自分のお菓子を置き、一部は机の下にそっと隠す。
同僚達は懸案の仕事の打ち合わせをすると言って集まっているが、ぼく一人無視して行かないでいる。伊豆地方の鉄道会社から動画データが送られてきた。これも無視しようかと思うが、ダイヤの一部改正をするとあるので、その分だけでも見なくてはならない。巻き戻しをして、最初から早送りで見る。パソコンから動画の音声が周囲に出てしまい、みんなに迷惑をかけているのに気づき、自分で「うるさいなあ」と言う。幸い、もっと早送りにすると出なくなった。鉄道が開業したときからの歴史から始まって、ダイヤ変更の式典まで、余計な場面が沢山あって、なかなか必要な画面が見つからない。
2007年05月25日
5月25日の夢(会社を独立)
女性詩人の水野さんと環境省から仕事の注文が入ったのを機会に、ぼくはMくんといっしょに会社から独立して、オーストラリアに事務所を構えることにした。そこで一軒家を借り、暮らし始めたが、Mくんは奥さんと子供連れなので、いくつも寝室があるとはいえ、果たして彼らのほかにぼくの寝るベッドがあるのかどうか
心配だ。時差もあって、とても眠い。
あるデパートから、宣伝がうまくいかないので、なんとかしてほしいという依頼の電話が入った。Mくんは「ぼくらが来たからには、すぐ正常な状態に戻りますから」と、自信たっぷりに応対している。ぼくはそのデパートのためのキャッチコピーとして、「タバコを飲もうとしてタバコを忘れる」というのを考え、Mくんに見せる。彼はそのキャッチが気に入り、「これは実際に作ってみたいな」と言って、1メートル四方くらいの箱の中にミニ本などさまざまな物を詰め込み、オブジェを作る。「日曜日のことは何で象徴させればいい? おまえが選んでいいよ」と息子に話しかけるのを見て、ぼくはさらに「日曜日に日曜日を忘れる」というキャッチコピーを考える。
妻と小さな駅から新宿へ電車で行こうとする。新宿は一駅先だ。一本しかないホームの両側に相次いで電車が入ってきた。先に発車する方の行き先を見ると「新宿行き」ではない。だが、もう一方の電車も全く別の行き先が書いてある。「これは路線そのものを間違えたらしい」とぼくは言い、その駅を離れる。
カメラマンのM氏と電車の中で撮影をしようと機材をいっぱい広げたところで、撮影中止になってしまった。次の駅までに急いで機材を片づけなければならない。乗り合わせた若い乗客たちが片づけを手伝ってくれるが、ぼくはカメラ機材のことがよく分からないので、何も手助けすることができない。もうすぐ終着駅だ。
2007年05月23日
5月23日の夢(ゴミ箱と弁当)
会社のお昼休みにお弁当を買おうと、ビルの二階を連れの男といっしょに歩いている。ぼくは手に紙ゴミを持っていて、それを丸めて捨てようと、ゴミ箱のありそうな左手奥の方に歩いていく。しかし、それらしいものはあるのに、それはゴミ箱ではなかった。「あれえ、ゴミ箱がない」と言って、引き返し、弁当売り場のある右手に歩いていく。だが、そこには弁当売り場はなく、一人のおばさんがいる。おばさんに「ゴミ箱はどこ?」と聞く。「一つありますよ」と、おばさんは段ボール箱を開けてくれる。中には確かに何かが入っているが、それはゴミ箱にはとても見えない。「ここへ捨てていいですか」と確認してから、ぼくはその中にゴミを捨てる。それから「弁当売り場は?」と聞くと、「三階へ移りました」と言う。ぼくは階段を登っていくが、ふと気づくと手に色鮮やかなTシャツを持っている。別の色のTシャツをぼくは着ていて、手にしているのは脱いだものらしい。
2007年05月22日
5月22日の夢(新米刑事)
どこか地方の都市へロケに行った。学校のような広大な建物を住宅として使っている男がいて、その建物の一部をテナントとして借り受け、老夫婦が喫茶店を営んでいる。ぼくは実は警察学校を出たばかりの新米刑事で、この家のどこかに偽札が大量に隠されているとの情報を得て、その内偵のため、もう一人の婦人警察官と共にロケ隊のメンバーを装って、ここを訪れたのだ。だが、気がつくと、ぼく一人を残してロケ隊は全員姿を消してしまっている。もうぼくも帰ってよいのだろうか。しかし、帰ろうとすると靴がない。この家の少年がいくつも段ボール箱を開けて、その中にぼくの靴がないかどうか見てくれている。いよいよ最後の箱だ。ぼくはこの箱の中にこそ偽札が隠されているに違いないとにらむ。そのとき、それまで寝ていた家主の男が起き出してきて、黙ってどこかへ行ってしまった。チャンスだ!と思う。
2007年05月20日
5月20日の夢(会社の改築)
会社のビルを改築して、もっと大きくすることになった。改築工事をしながら、その中で仕事もしているため、どの部門がどのフロアにいるのかがよく分からない。
デスクの内線電話が鳴り、デザイナーのSくんから仕事のことで質問をしてきた。実際に彼の席に行って、話をした方がいいだろうと思い、エレベーターに乗り込む。そのエレベーターは動き出したが、ドアが閉まらない。外の緑豊かな初夏の景色がよく見える。このビルはとても見晴らしがいいところにあるのだと再発見する。
Sくんのいるはずの三階へ行ってみるが、彼のデスクは見あたらない。工事のため、四階あたりへ引っ越したのだろうか。もう一つ上の階に上ってみる。その廊下にはマッキントッシュ・コンピューターの高級機種が据えられている。外国へ行った人から、預かってここに置かれているのだ。もう定年退職したはずのM重役とK会長とがコンピューターのスイッチを入れる。コンピューターには昔のSF映画に出てくるマシンのように、曲がりくねった長いガラスの円筒が付いていて、その中を煙と火花のようなものがかっこよく走っていく。なんて、美しいんだろう。
しかし、見とれているわけにはいかない。腕時計を見ると、もう夜の7時過ぎだ。遅くとも8時には会社を出たいので、その前にSくんを見つけなくてはいけない。もしかしたらデザインセクションは改築中のビルから、外のマンションに別室を借りて移ったのかもしれないと思う。
ぼくはそばにいる人をつかまえて、「Iカメラマンは見つかった?」と尋ねる。すると、ぼくの目の前に背が高くてやせた男がいて、なぜかセーターのようなもので顔を隠して立っている。みんなはその人を指さして、「これがIさんだよ」と言う。その人も顔を隠したまま、「Iです」とにこやかに言う。確かにその声はIさんだ。だが、なぜ顔を隠したままなのだろう。ぼくは途方に暮れる。
2007年05月18日
5月18日の夢(エレベーターの故障)
エレベーターに乗って、一階へ降りようと思う。普段は階段を利用するのだが、今日は急いでいたのだ。ところが、運転スイッチに白くて小さな紙片がはさまってしまい、エレベーターは逆に上昇を始めた。しかもブレーキが利かず、このビルは四階までしかないはずなのに、4階表示を超えてさらに上昇していく。ドアの向こうをフロアが通り過ぎるたびに、エレベーターの異常に騒いでいる人々の声が聞こえる。しかし、エレベーターはそこで止まった。やがてエレベーターは今度は下降に転じ、ぼくは無事一階に降り立つことができた。なぜか、ぼくは他の人々の視線を避けて、逃げるようにそこを立ち去る。時計を見ると、結局ぼくは45分もの間、エレベーターに乗っていたのだと分かる。
2007年05月17日
5月17日の夢(パーティで空腹)
ぼくが編集を手伝っているS誌の編集部がファッション・ブティックを開店することになった。広い店舗で、ガラスのショーケースの中は畳んだシャツなどの商品でいっぱいだ。だが、もともと出版社なので、一番下の段のケースだけ、本を並べることにする。ぼくは「上の段の服と、下の段の本がジャンル的に対応するように、でも本の棚の上は少し空間をあけて並べた方がいいよ」とアドバイスする。
店の奥で、開店記念パーティをやるという。入口のところで「パーティに出るなら石鹸を持って行きなさい」と言われるが、無視して手ぶらで行くと、その分、ぼくは紙皿で渡して貰える料理が少ないのだった。でも、ぼくのために口をきいてくれる人がいて、大体みんなと同じ量の料理を受け取ったが、それにしてもこれでは少ない。ちょうど目の前に誰かが食べ残した紙皿があり、そこには大量に料理が残っている。ぼくはそこから箸ではさんで、素早く料理を自分の皿に取る。誰かの食べ残しだから唾がついているかもしれず、いつもならとても汚くて食べられないのだが、空腹にはかえられない。急いでむしゃむしゃ頬張る。
2007年05月16日
5月16日の夢(地下鉄駅の資生堂)
地下鉄のターミナル駅の中を歩いている。ここは乗り換え切符の買い方や、乗り換え通路の道順が難しいなどとまごまごしていると、突然ホテルのように豪華なロビーに出た。ここは資生堂本社だ。さすがに天下の資生堂。地下鉄の駅の中に本社があるのはすごい!と驚く。そこへうちの会社の社長も現れた。「一色さんも早いね。でも、あの時間に出ればこの時間になっちゃうからな」と、ぶつぶつ言う。ぼくは「資生堂の偉い人の挨拶にはおまえじゃなくて、ぼくが行くからな」と、心の中で思う。
2007年05月15日
5月15日の夢(また透明トイレ)
マンションの隣家との間には壁がある。ぼくはその部屋で寝ていたが、起きてトイレで用を足しているとき、突然その壁が半透明になってしまい、向こうから丸見えになってしまった。早速大家の女性に隣家からクレームが来て、女性が飛んできた。すると、その場所は緑豊かな岡になっていて、ただその岡の崖の部分は何階建てかのマンションの断面ででもあるように、何層かに分かれている。鶏も何羽か遊んでいて、とてものどかな風景。もう壁などはどこにもない。
完成されたばかりの新しいゴジラ映画の試写会に出かけた。映画の途中で休憩になり、ロビーに休憩に出る。そこは人々がスパスパ煙草を吸っている。中でも一人の男はぼくの膝の上にぴったり密着して腰掛けており、腰や髪の毛が顔に押しつけられて、とても気持ちが悪い。第二部がそろそろ始まるので、中に入らなくてはと思う。と、いきなりみんないなくなり、ぼくだけが椅子に座ったまま、一人ロビーに取り残されてしまう。ここから映画が果たして見られるだろうか、とても心配だ。
2007年05月14日
5月14日の夢(トイレの水に流す)
今年、某詩祭で先達詩人として顕彰される長老詩人のお祝いの会に谷川俊太郎氏がゲストとして出演し、即興詩を読むらしい。それなら、それにさらにぼくが即興で詩をつければもっと面白い趣向になるが、そんなこと今から考えてもしかたがないだろう。もう寝ようと思い、用を足すためトイレに入る。そこに電話が鳴る。例の長老詩人からだ。と思っているうち、自宅のはずがぼくはホテルの豪華なロビーに面したトイレに、個室のドアを開けっ放しで入っていた。しかも、その長老詩人がどんどん近寄ってきて、ぼくが用を足している便器の中に何かを投げ込んだ上で、ロビーに戻り、谷川氏の即興詩の後に続ける予定だという詩を朗読し始める。ぼくはその間に用を足してしまったので、さて、長老詩人が便器に投げ込んだ紙切れのようなものを一緒に水に流してしまっていいものかどうか一瞬迷うが、思い切って流してしまう。
2007年05月13日
5月13日の夢(裂けたシャツと靴)
出張先から帰ろうとして、駅にやってきた。新幹線の駅のはずだが、ローカルな小さな駅。突然、上半身のシャツが破れてしまった。みっともないが、破れ目を風呂敷のように結んで、上半身をなんとか隠す。さらに両足とも靴が縦に真ん中からぱっくり裂けてしまう。あまりにみっともないので、裂けて足の両側に垂れ下がった革をハサミでジョキジョキ切り取り、なんとか取り繕う。新幹線がホームに入ってきたので、その格好で改札を通ろうとするが、駅員に上半身を見とがめられる。しかし、靴のことは気づかれなかった。半分ほっとして、「この格好で乗っていけない規則があるのか」と駅員に食ってかかり、強引に押し通る。しかし、東京に着いたらこの格好で会社に直行しなければいけないが、靴の有様が気になる。妻に電話して、新しい靴を買って貰おうかなどと、思いまどう。
会社に帰り着くと、会社は小さな四畳半くらいの一室に縮小していた。新しく権力を握った役員が社長になって畳の上に座っている。ともかく、こんなに狭いのだから、早く自分の場所を確保しなければならない。パソコンなども自分が専用で使えるものを確保しなくてはいけない。気がつくと、ぼくは部屋の真ん中に真っ赤なパソコンを自分用にセットして、それに電源を入れている。こんないいパソコンを、いい場所に確保して、ほっと安心すると共にちょっと目立ち過ぎかなとも思う。ともかく、同僚たちと一緒に部屋を片づけ、窓を開け、これでなんとか仕事を始められそうだと思う。
2007年05月12日
5月12日の夢(恐怖の部屋)
同じマンションの五階にある死んだ両親の部屋に一人で行くよう、妻に用を頼まれる。この部屋には非常な恐怖を覚える。部屋には入らず、廊下から窓を開け、カーテンをバッとあけてみる。中に父親の背広がさがっているのが見えた。それだけで怖くて、とてもドアを開けて中に入る気がしない。
そのまま家に戻ると、五階の部屋に谷川俊太郎らの有名詩人がやってくるというチラシを、数人のおばさんたちが読んで、「行ってみようかしら」と騒いでいる。ぼくはそのチラシに、さらに情報を自分で書き加え、「ぜひ行くように」と、おばさんたちを焚きつける。
2007年05月11日
5月11日の夢(飛べない円盤)
某社の新商品が出たので、そのオリエンテーションを受けに、巨大な円盤形UFOに乗って出かけることにする。だが、空港に行くと、円盤は円形の部屋にまだ留め金でロックされたままだ。旅先で、某社のスタッフと2名のアーティストが座談会の形で新商品について語ってくれることになっているのだが、アーティストの内一人はまだ現れないし、第一、この嵐では飛び立つことさえできないかもしれない。この場でぼくが質問をして話を聞き、いかにも座談会をやったようにまとめればいいかもしれないと思う。某社の人に「掲載誌はどんな大きさ?」と問われ、そばにあった同じ大きさの紙を広げるが、相手にうまく通じない。ぼくは直接の編集担当者でないため、うまく説明できないのだ。困っていると、「なぜ分からない?」と相手はかさにかかって問いつめてくる。それにオリエンを記録するテレコを持ってくるのを忘れてしまった。メモだけで大丈夫だろうかと心配になる。
2007年05月10日
4月10日の夢(ミュージカル取材)
ミュージカルの公演の取材に行く。既にステージは開幕している。観客がぱらぱらとしかいない席の一角に座る。公演が進むと、その一角に座っている観客達は、次々と花束を持って舞台に上がっていく。そういうための席だったのか。
第一幕が終わり、次の幕が開くまでの間、外に出て河原に腰を下ろしている。すると、急に波音が高くなったと思うと、あっという間に川の水位が上がり、ぼくはずぶ濡れになってしまった。
公演が終わった後、バックステージでミュージカルの制作スタッフ達の記者会見が開かれた。ぼくはコンクリートの床に寝ころんだ状態で取材している。そこへ出演を終えた役者達が次々と引き上げてきて、まるで出演者控え室みたいになってしまい、記者会見どころではなくなってしまう。
2007年05月09日
5月9日の夢(エレベーターで暴れる)
マンションのエレベーターに乗る。中はたくさんの女性達でいっぱいだ。ゴミ捨て場の片づけをする当番階の主婦達らしい。
エレベーターは9階に停まった。そこは展覧会場になっていて、ぼくは自分の描いた絵を出品した。普通の展覧会は絵を壁にかけるのだが、ここでは絵を床に水平に並べて鑑賞するようになっている。
帰りにまたエレベーターに乗り、3階の自宅で降りようとするが、エレベーターは素通りしてしまう。ぼくは怒りにかられ、持っていた棒を振り回しながら、「なぜ停まらない? 停めろ!」と叫んで、同乗した主婦達を殴りつける。しかし、その甲斐もなくエレベーターは1階までノンストップで下降してしまった。ぼくは1階に降りてもまだ怒りまくり、手当たり次第に棒を振り回して暴れまくる。
2007年05月07日
5月7日の夢(Sさんの生首)
今は権力の移行期間。次代の会社を担うぼくらは、今まで会社が重用していなかった人たちにスポットを当てることにした。その一人、Sさんという女性の生首が軒端につり下がっている。生きたまま首だけになったSさん。その首に向かって、ぼくは竹刀をふるい、打ち込みの真似事をする。彼女の顔の寸前で、ぴたりと竹刀を止めてみせたりする。そのたびに彼女は陽気な笑い声を立てて、ぼくらに応えてくれる。今まで注目されなかったSさんたちと、うまくやっていけるかどうかが、ぼくらが新しく権力を握るための鍵になると思う。
2007年05月03日
5月3日の夢(北欧旅行)
浜松に久しぶりに出張で出かけた。雨が降っている。料理屋で夕食を同僚達と食べ、駅に行くタクシーを呼んでもらう。沢山の客が行列を作ってタクシーを待っている。ところが、ちょうど携帯に電話がかかってきて、それに出ているうちにタクシーの順番を飛ばされてしまう。仕方なくもう一度呼んでもらうが、何の理由でだか、また順番を飛ばされてしまう。これではなかなか東京へ戻れない。
同僚が創業者のK会長に呼び出されて、お説教をされた話をしてくれる。会長室にはそうめんか冷や麦を入れた器が置いてあり、それにウジ虫をつまんで投げ込むよう指示されたという。やってみると、なかなか難しい。仕事の難しさを伝えたかったらしい。
会社に帰ると、案の定会長室に呼ばれた。入ってみると、会長は長嶋茂雄だった。中には本当に大きな器があり、そうめんがいっぱい入っている。ウジ虫も何匹か入っている。長嶋は脳梗塞の後遺症で、言葉が出ないらしい。ぼくにエレクトーンの最高機種のカタログを見せ、その中に書いてある言葉をいくつか指さして見せる。何かぼくにその言葉で、文句を伝えたいらしい。しかし、ぼくはエレクトーンの仕事は殆どやった経験がない。むらむらと怒りが起こり、ぼくは会長に「あなたはぼくが十数年ピアノの仕事をしていたのを知らないのか。そんなふうに社員の仕事を理解していないとは、失望した」と怒りをぶつける。ふと天井を見る。水がひたひたと部屋の中に寄せてきている。水は横にたまるものだが、この部屋では縦にたまるらしい。水平線がひたひたと縦になって、部屋の中央に迫ってくる。
みんなで北欧に旅行した。港の水面にうなぎが泳いでいて、白いものを噴き出す。「43歳を過ぎてから結婚すると、人間もあんなふうに脂肪酸が噴き出すのだよ」と、誰か男性が自分の妹に説教し、みんな爆笑する。海辺に老女性詩人のKさんの家がある。「ここ数日、Kさんの姿が見えない。もしかして、亡くなったのでは?」とガイドが言うが、特に中に入ってみようとはしない。彼女の家の玄関の壁には陶器が沢山吊して飾ってあり、日本の詩人達の詩が一つずつ焼き込まれている。もしかして、ぼくの詩もあるかもしれないと思うが、見あたらない。
そばのステージで日本人のおぱさんたちがショーをしている。ちょっとサーカス芸みたいな要素を含むお笑いショーで、現地の若者たちに人気が高い。これは十数年前に日本で中年のおばさんたちがやってブームになった芸を、別のおばさんたちが再現しているのだというが、とても上手で、よく訓練されていると思う。
街には建て売りの住宅が50軒ほど売り出されていると聞き、階段を登って見学する。なんだか、間取りが狭い気がするが、実は家の真ん中で二つに床が分かれていて、その裂け目を飛び越えれば、その向こうも家の一部なのだと分かる。さらに階段を下りた一階には、中央の部屋のほか両側に広い居間もついていて、意外に広くて良い家だということが分かった。
2007年05月02日
5月2日の夢(ぼくが燃え上がる)
明日、羽田に前泊して、広島と山口に観光旅行に行ってきます。
(夢ここから)
田舎の大きな家に引っ越した。壁も粗塗りされただけの、野趣に飛んだ家。道路で少年達と遊ぶ。なぜかぼくだけが大人の若い男性。ぼくはそれらの少年達の一人を泥の穴に沈めてしまったことで、警察の指名手配を受ける。ぼくには妻か婚約者のような女性がいる。彼女は手に炭火を持っている。家の中でその炭火をぼくに押しつけると、ぼくの全身は燃え上がる。そして、その炎に焼かれて、ぼくは浄化された。今度は燃えるぼくが妻を抱きしめる。すると、妻にも炎が燃え移った。
2007年04月29日
4月29日の夢(丸見えトイレ)
会社が新しい全面ガラスのビルに建て変わった。ぼく以外の社員は全員忙しく働いており、K会長は「それじゃあ、企画書は一つぼくが書かなきゃいけないな」と上機嫌で言う。しかし、ぼく一人は全く暇でやることがない。今、何時だろうかと思う。目の前のガラス越しに、通りの向かいにあるビルの壁面の時計が見えるが、逆光のせいかよく見えないし、どうも狂っているような気がする。自分の腕時計を見ると、まだ午前中だ。そんなはずはない。時計が狂ってしまったのかと、ぎくりとする。しかし、それは時針と秒針を見誤ったせいらしい。秒針といっしょに時針の中心も回転してしまうので、正確な時間が読みとりにくいのだ。多分、3時か4時くらいらしい。
トイレへ行く。窓際の便器に近寄って、驚いた。全面ガラス張りなので、自分のすぐ足の下を街路を歩く人々の頭が横切っていく。彼らが上を見上げれば、自分の用を足す姿が丸見えに違いない。おまけに、窓の下にパイプが外に向かって突きだしていて、ぼくのおしっこはそこから外へこぼれているのだ。よくビルの下を通ると、上から水滴が降ってくることがあるが、あれはクーラーの水だとぱかり思っていた。あれはおしっこだったのだ!
確かめようと外へ出て、街路からビルのトイレを見上げる。さすがに外からはガラスは半透明になっていて、見えにくいが、ちょうどOくんがトイレに入り、便器に向かう姿がぼんやり見える。今会社に戻ると、彼のおしっこを頭からかぶってしまうだろう。ビルを反対回りに一周して会社に戻ろうと思う。
2007年04月28日
4月28日の夢(再軍備を主張する男)
戦争から生きて帰ってきた男が、事業をしながら選挙に出馬した。その主張は「日本に軍隊をつくる」こと。その男の経営する店の従業員が車で選挙運動に出発したが、その車は装甲車のような造りだ。男は別の場所で一人で選挙演説をしている。駅ではたくさんのテレビの画面に、さまざまな番組が流れているが、それらはみんな男が金で買収して、自分の主張を盛り込んで作らせたドラマや歌謡曲だ。そこへ数人の男達がこっそりと後ろから忍び寄り、男を逮捕してしまった。彼らは男を好ましく思わない政府の官憲だ。すると、車に乗った男の従業員たちはそのまま寝返って、今度は政府の主張に沿った選挙運動を続ける。
2007年04月25日
4月25日の夢(トイレ夢)
いつもながらのトイレ夢です。
(夢ここから)
起きて、トイレに入る。トイレには左隅に普通の便器が、中央にでんと横長の茣蓙のような形の大きな便器(?)がある。ぼくはその真ん中の便器におしっこをしていたのだが、気がつくと我が家で息子同然に居候させている十代の若者たちのうちの一人が、ぼくの前に仁王立ちになり、別の居候の少年と大きな声でしゃべりながら、その便器で我が物顔におしっこを始めた。ぼくはその後ろから、彼にかからないよう、遠慮しながらおしっこをする形になる。二人ともおしっこをし終わって、見ると、便器の位置にはきれいな布団が敷いてあり、それが彼のおしっこでびしょびしょになっている。ぼくはたちまち頭にきた。恩を仇で返すとはこういうことではないかと、完全にキレてしまう。さっきおしっこをしていた少年を呼びつけ、「これを見ろ! 自分で洗って、干して、乾かせ!」と怒鳴りつける。しかし、眠いので呂律がうまく回らない。
2007年04月23日
4月23日の夢(研究会)
ぼくが講師をしている某研究会が、今月から会場を変えるは、相棒の講師も変わるはで気になっていて、こんな夢になりました。
(夢ここから)
今日が従来の研究会としては最後の回だ。それなのに開会時間の午後4時の3分前になっても、殆どメンバーが姿を現さない。会場は古びた民家の和室で、詩の研究会ではなく、昔の算盤塾のような雰囲気。誰も来ないので、部屋には子どもの勉強机のようなものが三つ並べられているだけで、全然会場設営もできていない。相棒の講師も別の部屋にぷいと出ていったまま、戻ってこない。いつも来るIもUも今日のことを忘れてしまったのだろうか。
そこへ今まで来たことのない女性一人、男性二人のグループが「この講座は私たち、初めてだわね」と言いながら突然入ってきて、なれなれしく畳敷きの会場に座る。この会場で別の講座を受けていた常連なのだろうか。
さらに、新しいういういしい感じの若い女性が一人、飛び込んできた。「小林と言いますが、私、初めてなんです。前から始めたいと思っていたんですが」と、期待に顔を輝かせながら言う。そして会費の千円札を手に持ち、そこに置かれた封筒か箱のようなものに「入れる?」と、ぼくに尋ねる。ぼくは慌てて、「いえ、ぼくが貰います」と言って、千円札を受け取る。そして、何かに受け取ったことをメモしておかなくてはと思い、手帖の住所録を開いて、ページの余白に「井上」(なぜか「小林」のはずなのに、「井上」にかわっている)と記入するが、これでは忘れてしまいそうだ。そこで、会場でこれから合評するはずの作品集をカバンから取り出し、「作品を出しておられますか」と尋ねる。彼女は目次を指さして、「この『暖』という作品を書いている『ほうきがやつ』というペンネームが私です」と、目を輝かせて言う。
2007年04月22日
4月22日の夢(統計データ集)
妻と食事をしながら、分厚い本をめくっている。それは日本の統計資料集。その中に、日本人の身長が確実に高くなってきたというデータのページがあるはずなのだが、めくってもめくっても沖縄や鹿児島あたりの地図があるばかりで、目指すデータは見つからない。
ぼくは赤鉛筆で、明日持参する持ち物のメモをとる。まずアラーキーの写真集が必要だ。
2007年04月21日
4月21日の夢(カレーライス)
土曜日だというのに、みんなでクライアントの事務所に行き、仕事の打ち合わせをしている。事務所は銀行みたいな雰囲気だと、夢の中の自分は思っているが、実際はホテルのロビーに近い。クライアントの方もほぼ全員出勤しており、普段の営業日と変わらない。
仕事が終わり、バスで移動する。みんな、とても空腹だ。途中で、ぼくらを支援している人の家に寄る。大きな部屋にロの字型にテーブルが置いてあり、思いがけずカレーライスを出してくれる。嬉しい。興奮して、テーブルに我がちに座る。もしかして、ぼくの席がないのではないかと心配するが、ちゃんと入り口近くの末席に座ることができ、カレーライスにもありつけた。ぼくの隣は外国人の男性である。大きな楕円形の皿の中央に炒めたライスが盛られ、一見量が少なそうだが、食べてみるとご飯がこてこてに固めてあって、結構量が多い。そしてカレーは皿の片側に寄せられてあるのだが、手狭で腕がつかえて使いずらい上、スプーンも置いてあるのに、なぜかぼくはフォークを手にしているので、うまくカレーとライスを混ぜにくく、ぼくはライスばかり食べている。でもとても美味しい。気がつくと、ライスのかたわらに透明な袋がついている。袋を破り、中身をライスにかけてみると、それはビール味の調味料でさらに味に深みが増し、ますます美味しくなる。こんな歓待を受けてよいのだろうかと、みんな感謝の気持ちでいっぱいだ。実は、ぼくらがどこかへ預けたお金の利子がふくらんで、二倍以上になっているから、そのお金があるから大丈夫なのだという。その証拠としてレシートのようなものを見せてもらう。なるほど、ドルで記されたお金が既に三倍近い額にまで増えているのだった。みんな安心して、もりもり食べる。
2007年04月19日
4月19日の夢(学生に戻る)
ぼくは学生で、レストランのカウンター席で、友人の母親(母親だけで、友人の姿はない)のご馳走になっている。ご馳走を食べながら英語の予習をしている。ぼくはこのレストランにいる間しか、勉強をしない学生なのだ。テキストの中の知らない単語を一つ一つ辞書を引き、その意味をテキストに鉛筆で書き込んでは、訳文を作っていく。幸い、すらすらと訳文はできていく。どのあたりまでやれば次の授業の予習として十分だろうか? ところが気がつくと、まだ辞書を引いてない部分のテキストの本文の、難しい単語に既に訳が書かれている。ぼくの前に誰か女子学生がこのテキストを使っていて、やはり予習のために意味を書き込んでいたのだろうか? 突然、隣に座っていた友人の母親が「デザートは何にする?」と声をかける。「デザートは何でもいいです」と答えるぼくに、彼女は「そうよね。一色さんはいつも何でもよかったのよね」と言う。そして、ふとカウンターのかたわらを見ると、既にガラスの器に入ったデザートの盛り合わせが来ていた。
2007年04月17日
4月16日の夢(頭突き)
アメリカでは銃乱射。長崎では市長が撃たれる。暗い一日でした。
(夢ここから)
目覚めると、美術館の一室。誰かの個展が開かれている様子だ。見回すと、壁に飾られた小さな古い何枚もの写真が目にとまった。野外のセールスマン大会で、成績の悪いセールスマンが首をうなだれて叱責されている様子を撮影した写真だ。寝そべった姿勢のまま、さらに天井に目をやると、天井には藁がいっぱい敷き詰められていて、まるで野原のよう。天地が逆転したような錯覚におちいる。
かたわらにM編集長がいて、ぼくに「このひとつひとつ手作りされた椅子が素晴らしい」と言う。首を持ち上げてみると、壁際に何列にもわたり木製の椅子が並べられているが、その一脚一脚のデザインが違う。確かに、これらは手作りの椅子だ。
室内には美術館のキュレーターもいて、「そして、この壁を壊す役割の人がいる」と言う。椅子の前にはいくつかの縦長の箱があり、そこには壁の絵が描かれている。一人の男がむっくり床から起きあがると、絵の中の壁にうめき声と共に頭を突っ込む。めりめりと音を立てて、裂ける壁。男はその頭突き行為をすべての箱に対して次々と行う。破られた箱の内側には別の壁の絵が描かれていて、この行為は繰り返し行える工夫がされているらしい。なるほど。これは凄い作品だ!と、ぼくは感嘆する。
2007年04月15日
4月15日の夢(地下の会社)
出前授業専門の高校に勤めている。いろいろなところへ講師を派遣しており、犬たちのところに授業をしに行ったこともある。今度は水商売の花街の女性たちから、授業を頼まれた。花街の座敷の真ん中に通路がまっすぐ延びていて、その向こうに彼女たちの教室がある。花街の女性達は方言がきついので、ぼくはそこへは行きたくないと思う。しかし、生徒達の評価で教師の査定が決まるので、断るわけにいかないのが実情だ。
外から会社に帰ってきた。二人の男性が「S社は知的な変態みたいなところがあって、そこがぼくは好きなんだ。もっとそういうところを見せてくれればいいんだけど、なかなかそういうところを見せてくれないんだよな」と、うちの会社に対する批評を立ち話している。
ぼくはそれを冷ややかに聞き流して、S社への入り口の階段を下りる。S社は地下にあって、地上の岩にあいた四角い穴から入るのだ。地下は四角い広い空間になっていて、その周囲は回廊のようになっている。回廊はところどころ高低差があり、そこに登ったり降りたりしながら進む。メンバーの一人が回廊の一角で祈祷を始めるが、ぼくをはじめ他の社員は靴を脱いで両手にぶら下げ、その社員のかたわらをさっさと通過して会社の中に入っていく。
2007年04月14日
4月14日の夢(道に迷う)
大阪で開かれる詩の会合に出席するため、道路を歩いている。終戦後の名古屋の自宅近くを思わせる緑豊かな道だ。前方を若い女性詩人のNさんが通りがかりの人に道を尋ねながら歩いている。彼女と連れだって行こうかと一瞬思うが、話しながら歩くのがわずらわしいので、声をかけるのをやめる。彼女はすたすたと前方に早足で歩いていき、あっという間に視界から消えてしまった。今度は長老詩人のK氏がよろよろと歩いているのに出会う。これまた一瞬、声をかけようと思うが、足の悪い彼と歩いたのではいつ会場に着けるか分からない。知らないふりをして、追い抜いてしまう。
地図を見ると、会場は山の上にある温泉町のホテルだ。電車の駅を降りて、多分このあたりだと思うところへ行く。まっすぐにメインストリートが延びていて、その両側に横に長い大きな建物がいくつも並んでいる。この建物だと思って近づいた建物は、会場ではなかった。メインストリートの向こう側の斜め向かいにある建物がそうらしい。
通りを渡って、その建物に入るが、ここも違っていた。さらにその隣の建物を訪ねるが、ここも会場のホテルではない。道に迷っているうちに、もう30分は遅刻してしまったと思い、腕時計を見ると、幸い20分しか経っていない。携帯を右手に持ち、左手に案内状を持って、そこに書いてある会場の電話番号にかけようと思うが、強い風に案内状があおられ、片手で電話番号を押すのは難しい。
やっと電話が通じた。もう会場には全員到着していて、まだなのはぼくだけだという。なんだ。それなら、NさんかK氏についていくんだったと後悔する。
2007年04月13日
4月13日の夢(靴がない)
客船に乗って、日本の沿岸を旅している。船室に靴を脱いで上がり、床に座っている。だが、初めての船旅に緊張して、どこに靴を脱いだのか忘れてしまった。いくつかの靴箱を探してみるがない。何度も探し回り、船首にある一等船室まで探しに行くが、やっぱり見つからない。
しかたなく船室に戻り、ふと自分の足下を見ると、誰のものとも分からない片足ずつ別の靴をつっかけている。いつのまにか、誰かの靴を失敬したらしい。とにかく、誰か船員か乗客に自分の靴が紛失したことを言おうと思うのだが、なかなか声をかけるチャンスがない。妻に靴を買ってもらい、これから着く港まで列車に乗って届けてもらおうかと思う。
2007年04月12日
4月12日の夢(少年ギャング)
浜松に出張しての仕事が終わり、帰る前にトイレに寄ることにする。旅館の和室の奥がトイレになっていて、畳にいくつも水たまりができている。中年のサラリーマンふうの男たちが何人もそこで立ち小便をしていて、いっぱいなので、ぼくはあきらめて我慢することにする。
駅に向かう途中で、クライアントのM氏に会う。なんだか少し太った感じだ。仕事がうまく行ったことで、彼は機嫌が良く、二人連れだって新幹線の浜松駅に行く。
浜松駅は小さくて、昔の田舎の駅のようだ。
いつのまにか新幹線ではなく、バスに乗っている。ぼくは二人がけの座席の窓際に座っていたが、隣の乗客が席に傘を置いてどこかへ行った。ちょうど停留所で、小学生の子どもたちがどやどやと乗り込んできた。子どもの一人がその座席を指さし、「空いてる?」と尋ねるので、「います」と答える。
通路の向こう側の二人がけの座席は、そこにいた乗客が二人とも荷物を置いて、どこかへ行ってしまった。子どもたちはそれをよいことに、二人の荷物を窓から外に放り出し、勝手にそこへ座る。そこへ二人の乗客が戻ってきた。「あれれ、荷物が・・・」と彼らが口ごもっているのを見て、ぼくは運転手に「ストップ! 子どもが荷物を窓から投げた!」と叫ぶ。運転手は急ブレーキをかけて、バスを停車させ、荷物は無事に乗客の手に戻った。それを見て、M氏はまたぼくを「一色さんはすごいねえ!」と褒めてくれる。
2007年04月11日
4月11日の夢(切れないハサミ)
古いお札や、昔の貴重なノートブックが出てきた。縁が傷んで汚く見えるので、鼻毛切りのハサミで縁を少し切り取ればきれいになると思う。しかし、そのハサミは切れ味が鈍っていて、切れば切るほど縁がギザギザになってしまい、「失敗した!」と後悔する。
2007年04月10日
4月7日のアップしそこなった夢(臨検)
4月7日にも夢をアップしたつもりだったのですが、再構築を忘れたみたいで、アップできませんでした。
(4月7日のメインの夢)
四国で行われたマラソン大会に参加した。マラソンを終えて、宿舎の温泉宿に帰るため、列車に乗った。腕に黄色の社封筒を抱えており、中には自分や他の人の原稿が入っている。なぜか、その封筒を最初に座っていた車両の座席に置いたまま、隣の車両にぼくは移る。そこへ突然、軍隊か警察か分からないが、列車は停止させられ、制服の人々による臨検があった。突然のために、ぼくは元の車両に戻ることができない。臨検が終わった後、戻ったときには封筒は跡形もなかった。臨検部隊の制服の若い女性たちに「ここに黄色い封筒があったでしょう?」と尋ねる。「ああ、ありましたね」と彼女たちは答えるが、臨検で車両の入口に積み上げられた荷物の山の中にも、車両の中にも見当たらない。大事な原稿が中には入っていたのだが、「まあ、いいや」と諦めることにする。
いつのまにか列車は船に変わっていて、港に入ろうとするところだ。雪が降っていて、港は雪と氷で幻想的に美しい。ぼくは船首に一人立って、その光景に感動しているのだが、そこは危険なので、一般の乗客は立入禁止らしい。船首の一番前で船を操っている中年の女性操舵手が、ぼくに「大丈夫?」と声をかける。入港時には船は急な坂を登っていくので、船首は急角度に傾斜し、立っていられないほどだ。
ホテルに戻り、自室の窓から港を見る。今度は船は飛行機に変わっており、その飛行機が滑走を始めたとき、一人の若い女性が飛行機の前に走り出てきた。飛行機は急ブレーキをかけ、驚いた女性は逃げまどって、池の中に飛び込んだ。ずぶ濡れにはなったものの、女性が安全に助け出されたのを見て、ぼくはほっとして窓から離れる。
(同日、別の夢の断片)
夜、お腹が減ったので、外へ食べ物を買いに出る。妙に暗いなと思ったら、この地域一帯が停電している。足元も真っ暗で危険なので、家に戻ろうと思う。交差点にやってきた。そこは少し明るく、若者たちがたむろしている。その交差点を渡った向こうには、何か食べ物を売る店がありそうな気がして、渡ってみるが、そうした店は見つからず、空腹のまま引き返す。
4月10日の夢(エレベーター)
どこかのビルで一階から二階に行くため、エレベーターに乗る。ぼくといっしょに若いカップルも一緒に乗る。エレベーターは横幅は普通のエレベーターと同じだが、奥行きは人一人の体分くらいしかない。おまけに、エレベーターの中はものすごい風が吹いていて、「二階」のボタンを押すのも大変。若いカップルも、ぼくを「大丈夫ですか?」と気をつかってくれながら、「きゃーきゃー!」と叫ぶ。
エレベーターには窓があり、見ているとエレベーターはモノレールのような一本レールの上を横に走りだした。ジェットコースターのようにアップダウンを繰り返しながら、空中を走り、全然別の場所に走っていく。このビルの二階は随分離れた場所にあるのだ。
エレベーターはさらに走り続け、線路も何もないコンクリートの上を進んでいく。その向こうに、普通の鉄道用の二本のレールがあり、エレベーターはそれに乗って、駅のプラットホームに走り込む。ホームではなく、レールの上に若い小太りの男の駅員がいて、エレベーターを誘導し、今にも轢かれるという寸前にぱっとホームに跳び上がって、手動でドアを開けてくれた。
やっと「二階」に着いた。カップルは入場券の半券を駅員に出して、中に入っていった。ところが、ぼくはそんなものが必要だとは思ってもみなかったのだ。コートや上着、ズボンのポケット等を探し回るが、出てくるのは関係のないゴミばかりだ。
2007年04月08日
4月8日の夢(最後の研究会)
3月で神楽坂エミールという東京都の施設が閉館し、そこで毎月開いていた某研究会を4月から別の会場に移すことになりました。それが今頃こんな夢に。
(夢ここから)
今日はエミールでの最後の研究会だ。なぜか会場の部屋がいつもと違う。和室だが、いつもより狭く、しかもL字型をしている。奥はエレベーターホールに、手前はそのまま事務室のある廊下につながっている。変な部屋だと思う。
メンバーの一人が柔道漫画を持ってきたので、読み始めたら面白くて、やめられなくなってしまった。開会寸前になって、そういえばこれから合評をする作品集を今回は全く読み込んでこなかったことに思い当たる。まあ、なんとかなるだろうと思う。
会場を見渡す。案内も出していないのに、最後の会だからだろう。WさんやAさんの顔も見える。さあ開会だ。最初の作品は久しぶりにHさんの作品だ。ところがHさんの姿がない。「手洗いに行った」とみんなが言う。やっと戻ってきたが、「私は信念として朗読しない」と言う。困った。「それなら他の人にあなたの作品を朗読してもらおうか」と言い、他の人に朗読を依頼するが、その人はさっさと自分の作品の朗読を始めてしまい、Hさんの作品はとばされてしまう。朗読の間も、カウンターに座った頭のはげかかった眼鏡の初老の男と、隣に座った若者が私語を続ける。うるさい。注意をしても、やめないので、「出て行け!」と二人を退場させる。
次の作品発表者は初めて参加したファミリーで、手書きで2ページに家族5人が共作した作品が書かれている。子どもとその両親、さらに祖父母の5人だ。彼らはおばあさんの三味線を中心に、手に手に楽器を持ち、賑やかに自作の詩を伴奏入りで朗読する。やれやれ。「家族みんなでほほえましい作品になっていますね」とか、適当な批評をしようと思う。ちょっと朗読が途切れたので「終わった?」と聞くが、まだまだ延々と続く。次のページをふと見ると、「大人のためのピアノ教室」で有名なC先生が、弟子の子どもたちの作品を何編も提出している。げげっ、と思う。
時計を見ると、開会からもう30分も経ってしまった。これでは本来のメンバーのちゃんとした作品合評の時間が足りなくなってしまいそうだ。うーん、頭が痛い。
2007年04月06日
4月6日の夢(トリック)
路上で新興宗教のキャッチセールス(?)に意図的にひっかかって、携帯で誰かと連絡をとりながら、その宗教団体の催しの場に車で行く。会場は厚生年金会館のような巨大なホール。ぼくはなぜかホールの中ではなく、扉の外のロビーで待っている。催しが始まると、ホールいっぱいの参加者たちは皆喜々としてお祈りを始める。ぼくのようにキャッチセールスしてきた人がもっといると思ったのに、どうやら信者でないのはぼくだけらしい。
大きなトラックがお湯をいっぱい運んできて、たらいの中にお湯を張る。そこへぼくは足を突っ込む。足の親指から黒い大きな斑点が剥がれて、お湯に浮かぶ。それを見て、信者のおばさんが「ほら、これはきっと出生斑だと思うけど、でもお祈りのせいで離れていったね」と言う。でも、ぼくの足の親指にそんな斑点は最初からなかったはず。これはトリックだと思う。それに、お湯にはたくさんの魚の頭や、刻んだホーレンソウのようなものが浮かんでいる。「出生斑」なるものも、きっとこういう材料から作りだしたものに違いない。
2007年04月05日
4月5日の夢(カメラマンの行方)
撮影をしている。絨毯のようなものを掲げて撮影するのだが、強い風にあおられる。地元の学生たちが手を貸してくれるが、とても大変だ。最後に2カット分の撮影が残った。カメラマンはまだ2カット残っていることを忘れてしまったのではないか。心配になり、「まだ2つ残っているよ」と叫ぶ。しかし、聞こえなかったかもしれない。カーテンのように視界をふさいでいる絨毯の向こうへ行って、カメラマンにそのことを伝える。彼は撮影の準備に大忙しの様子。
準備が整うのを待っているが、カメラマンはどこかへ出かけてしまい、何時間経っても戻ってこない。どうしようか迷っていると、某研究会のK氏がやってきて、一緒に探しに行ってくれる。本当にK氏は頼りになる人だ。
やっとカメラマンが帰ってきたらしい。ぼくの目の前の視野をさえぎっている絨毯が突然倒れてくる。それも1枚倒れたと思ったら、さらに次の絨毯があり、それが倒れたと思ったら、また次の絨毯が・・・というように、際限なく倒れてくる。この絨毯のカーテンの向こうに、はたしてカメラマンはいるのだろうか?
2007年04月03日
4月3日の夢(研究会)
土曜日の午前中、自宅とは別のアパートのような仕事場で原稿を書いていて、ふと今日は某研究会の日だったと思い出す。ぼくは講師として、提出された作品集の批評をしなくてはいけない。慌てて作品集を開けてみるが、作品を読んではおいたものの、批評のためのメモは全くとってない。最初に載っているのはYKさんで、次がKHさんだ(昨日、寝る前に「つれあいが某誌で対談する相手」としてこの二人のどちらかがいいのではないかと、言い合っていたのがそのまま夢に出ました)。今回は講師より有名詩人が作品を提出しているのが、一番の特長だなあと思う。部屋には時計がないので、外に出てみる。街頭にある時計が12時過ぎをさしているのに驚く。研究会は2時開会なのだ。1時頃自宅に帰り着き、昼食もとらずに出発することにする。もう一度作品集に目を通す。今回の作品は皆が皆、ハードボイルド小説のような作風になっているのが不思議だ。
2007年04月01日
4月1日の夢(吉沢京子さん)
親戚の家で泊まりがけで会議をしている。メンバーには社長や、元「夢の解放区」メンバーのKさんなどの顔がある。ぼくはみんなの発言をまとめて一つの論旨としてノートに記録しようとするが、持っているのはペンではなく、曲がった太い針金だった。それでいくらノートを引っ掻いても、やっぱり文字は書けない。ふと見ると、足下にたくさん鉛筆やペンなどの筆記具が散らかっている。その中からちびた鉛筆を取り上げ、ようやくぼくはノートに文字を書くことができた。これで一つのロジックが完成した、と達成感が湧く。
翌朝、ゆっくり寝ていると、妻が「こんなときに吉沢京子さん(もしかして昔のアイドルタレントの名前?)が来ちゃったわ」と言って、起こしに来た。ぼくは寝床の中で寝ぼけたまま、かたわらのKさんに「吉沢京子さんって誰?」と尋ねる。Kさんはぼそぼそと、ぼくに答えるが聞き取れない。二度聞き返しても、声は聞こえるのだが、意味がとれない。ぼくはしかたなくKさんに「どうしてだろ? ぼくには全然あなたの言うことが分からないよ」と言う。Kさんがもう一度説明してくれる。すると、「この家にとって・・・お嫁さん」という二つの単語だけが、意味のある言葉として聞き取れた。それで、吉沢さんというのは「ぼくらが逗留しているこの家が経営する会社の許認可権を一手に握っている人物のお嫁さん」なのだということが分かった。そこで「急いでぼくも別室で着替えるから」と言おうと思うが、それをためらったところで目が覚めた。
2007年03月31日
3月31日の夢(川のある豪邸)
どこかの豪邸を訪問している。社長と一緒に来たらしいが、彼の姿はすぐに消えてしまう。部屋には布団が敷かれていて、気むずかしいカメラマンが寝そべっている。この男がこの家の主人だろうか。家の中には自然の小川が流れ込んできていて、家をくねくねと横切ったあと、また外に出ていくようになっている。その川が室内に流れ込むところには、水面の上の空間を仕切るドアが付いているが、突然嵐が来て、すごい風と増水した川の水圧で、ドアはたちまち消し飛んでしまい、川の水がどっと室内に流れ込んできた。家には美しい夫人がいて、ぼくと彼女は「あらあら」という感じで、平然と笑って見ている。
その夫人とぼくは別室に行く。そこは広い図書室になっている。ぼくは彼女に「家の中で図書室はここだけですか」と聞こうとするが、なぜかやめて、トイレへ行く。
トイレは文字通りバスルームという感じで、便器はなく、奥に大きな浴槽が、その手前には足洗い用の水槽があって、その水槽が便器を兼ねている。そこにぼくはおしっこをする。お風呂に入るときは、これにお湯を足して薄めてから足を洗うらしいが、それで汚くないのだろうか。
帰ることになり、その家の若主人と彼の自家用車に乗る。自家用車といっても大きな家のように巨大で、窓は運転席らしい彼の座った左側にあるだけ。あとは高い壁と広い天井。内部は普通の部屋のようで、ソファのような長椅子があつこちにある。ぼくは運転席とはかなり離れた後方のソファに座るが、そこからは景色も見えないし、若主人と話しもできないので、彼の隣のソファに移動する。隣といってもかなり離れている。車は走っているはずだが、床は全く振動すらしない。
2007年03月30日
3月30日の夢(虫が発生)
会社で撮影の小道具を準備している。それは四角いガラスの金魚鉢で、その中に買った土がぎっしり詰まっている。それを一階から二階の自分のデスクに運ぶ。そこで初めて、土の中に大量の蟻が発生しており、ゴキブリのような黒い大きな虫も穴から出たり入ったりしているのに気づいた。社長にそう報告すると、社長は「会社には殺虫剤がない」と言う。
金魚鉢の隣にクライアントの所有するビルが建っている(なぜか同じ大きさ)。クライアントに「金魚鉢から虫がビルにうつった」と言われたら大変だ。会社を出て、殺虫剤を売っている店を探しに行くが、見つからない。かわりに、肉体労働者がよく利用する店を見つける。その店の棚には、巨大なパンが沢山陳列してある。労働者はこんな大きなパンを食べるのだと、びっくりする。
2007年03月29日
3月28日の夢(空飛ぶバス)
昨日アップできなかった二つの夢を書きます。
(3月28日の夢)
博物館の空っぽの展示室にいると、3人の女性が入ってきた。これから展示をする人たちらしいが、みんなで記念撮影に興じ始める。ぼくは慌てて「ぼくはもう帰りますから」と3人に言い、その部屋にぼくが持ち込んでいたただ一つの貴重な展示物を持ち帰ろうと、手にする。「忘れ物はないかな」と声に出して、周囲を見回す。女性たちはまるでぼくを追い立てるように傍若無人のふるまいをしている。Mカメラマンに電話をして、「追い立てられた」ことを報告する。すると、電話の向こうで彼は「あれれ。撮影中だったのに、途中で遅れちゃうな」と見当外れの受け答えをする。
北朝鮮が運行しているバスに乗る妻を見送りに待合室にいる。バスが来たらしく、妻はドアの向こうに消えた。彼女を見送ろうと、ぼくもドアの向こうに行く。すると、今日は新型のバスが停車している。それは空飛ぶバスで、女性の車掌が乗り込んでいる。ぼくも一緒に乗って飛び立ったが、目的地でないところに着陸した。突然、外にいた男が乗り込んできて、バスを乗っ取り、運転手を追い出した。みんなで車掌に急を知らせる。その間に乗っ取り犯の運転でバスは空中に飛び上がり、それを後からさっきの運転手が空中を飛んで追ってくる。どうやらその運転手と車掌は恋人どうしらしい。バスは大きな川の上を飛んでいる。このまま不時着したら、水に呑まれてしまうのではないかと、ぼくは不安になる。そのとき車掌が悲鳴のように、謎の言葉を叫んだ。「ダイヤモンドは水に沈んでしまうかもしれないわ!」
2007年03月27日
3月27日の夢(お弁当屋さんのリスト)
皆でお弁当屋さんからお弁当を買い、地面に座って食べている。お弁当を買うには、お弁当屋さんの申し込みリストに順番に、買いたいお弁当の名前とその値段を書き込むことになっている。ぼくは既に800円の「和定食弁当」を買って食べているのだが、書き込む順番が一番後になってしまう。食べながらタイミングを見て、立ち上がり、リストに書き込みに行く。お弁当屋さんがぼくにリストとペンを手渡してくれるが、ぼくはそれを断り、自分のペンで書き込む。お弁当屋さんはぼくに「こないだの検査では、一色さんだけが〈問題あり〉だったんですよね」と言う。このリストは検査の申込用紙を兼ねているらしい。そのとき、ハムスターかネズミのような動物がぼくの方に駈けてくるイメージが浮かぶ。「問題あり」となったのは、この小動物のせいらしい。「だったとしても問題ないでしょう?」と、ぼくは強がりを言う。
2007年03月26日
3月26日の夢(曲がり角)
妻と二人で東京の住宅街を歩いている。ある詩人の家を探して、詩集の注文(多分、自費出版の注文という意味だと思うが、覚えていない)を取ろうとしているのだが、なかなか道が分からない。「多分こっちの方だ」と、ぼくが妻の道案内をして、やっと目指す家にたどり着く。
そこは安下宿のような貧しいアパートで、ベッドに若い男が寝ている。彼に話をして、妻が詩集の注文を取る。
帰りも道に迷いながら帰る。途中、私鉄の線路に突き当たって、道が直角に曲がっているところへ来る。ぼくは妻に「ここが有名な、線路が直角に曲がっているところだよ」と言う。道は曲がっているだけでなく、上り坂になっている。それは木や草の生えていないつるつるの丘で、道と言えるものもなく、大変登りにくい。だが、そこを登り切ったところに駅があるはずなのだ。
2007年03月25日
3月25日の夢(血肉化した沖縄)
ぼくは沖縄の新聞社へ記者として派遣された。そこには本土からもう一人、女性詩人が先に派遣されていて、ぼくは彼女の隣にデスクを構える。彼女はぼくに新聞社の資料室から借り出した資料を大量に渡し、それで記事を書くように言う。
新聞社の先輩記者たちは、皆本土から来たぼくたちをうさんくさく見ている。ぼくらが資料室から大量の資料を持ち出したことに対し、貸し出し書を書くようにと、ぼくに書類を渡してくる。それを持って彼女のところに行き、そのことを話すが、彼女はほかのことに夢中で、ぼくに耳を貸さない。
沖縄の先輩記者たちは、ぼくが沖縄のことを何も知らないと思っているらしく、ビル内にある映像を使って沖縄の実情を紹介する施設へ、ぼくを連れて行く。ぼくは既に何度も沖縄を訪れて、その実態を知っているつもりだが、黙っている。施設では沖縄の置かれている現実が映像と共に体験できるようになっている。
その体験を終えて、デスクへ戻ると、ぼくの左腕に沖縄の土と石がこぶのようにくっついている。肉に食い込んでなかなか剥がせないが、しばらくしてその半分を剥がすことができたので、それを記者たちに見せに行く。それを見た記者たちはそれまでの態度を改め、ぼくを好意的に評価してくれる。それでもまだ、ぼくの左腕には沖縄の石と土が肉体の一部となって、食い込んでおり、もうそれは二度と剥がすことができないようだ。
2007年03月24日
3月24日の夢(会社の溝と空気の抜けた風船)
今の会社の状況がそのままに夢に出ました。
(3月24日の夢)
会社で仕事をしている。社長の立っている場所と、ぼくとの間の床には細い溝が走っており、その溝に自分で蓋をしてから、社長の側に渡る。そこへ印刷所から電話がかかり、「これから校正をIさんのところへ持っていこうかと思っています」と言う。社長は「徹夜で校正をやらせるつもりかな」と言う。しかし、Iさんはちっとも帰ってこないし、社長も3日間の予定で名古屋への出張に出てしまった。印刷所からはまた「校正をこれから持っていく」という電話があった。社長はいないことが分かっているのに、ぼくは別室へ内線電話をかけて社長がいるかどうか確認する。すると、内線に病欠しているはずのOさんが出て、「社長は出てしまったかもしれません」と言う。ぼくもそれに応えて、「うん。出てしまったね」と言う。やれやれ、これではぼくがかわりに徹夜の校正をしなくてはならないかもしれないと思う。
名古屋の実家の裏庭にいる。空気の抜けかけた風船のようなものが地面に置かれている。ただ、風船にしては表面のゴムの厚みが分厚く、平べったい。その風船を蹴って遊ぶ。蹴り続けるとどんどん空気が抜けていく。だが、抜ければ抜けるほど風船はふくらんでくるみたいで、扱いにくくなる。
2007年03月21日
夢二日分
昨日は忙しくしていて、夢をアップできなかったので、二日分。今日は珍しく空を飛びました。
(3月20日の夢)
死んだ祖母をはじめとして大家族で暮らしている。勝手口に出前がやってきた。母が外出していて、家中でほかに財布を持っているのはぼくだけなので、ぼくが対応することにする。ぼくの部屋は家の一番奥にあるので、勝手口までがとても遠い。出前の人に「いくら?」と聞くと、「200円です」と言う。「なぜそんなに安いのか」と尋ねると、「正確には202円です」と答える。おまけしてくれたつもりかもしれないが、ぼくは正確に小銭まで払いたいと思う。しかし、小銭を探すのが面倒くさいので、ぼくは財布の中身を畳の上にぶちまける。コインを拾い集めて200円分を手渡そうとするが、よく見ると、見たことのない55円玉硬貨が混じっていて、これでは計算が合わない。慌てて畳の上をもう一度探し、100円玉硬貨を二つつまみ上げるが、今度は1円玉が見つからない。大騒ぎしながら祖母らと畳の上を探す。あんなに沢山あった一円玉なのに、どこへ行ってしまったんだろう?
(3月21日の夢)
マンションの南側から中庭の公園を抜けて、自分の住んでいる2号棟へ行こうとする。長い距離があるものの、あっという間に公園を横切ったと思うが、一つ横切るとさらに向こうにまた一つ公園があった。それを横切ると、さらに公園があった。あれ、こんなに公園があったんだっけと思う。でも、そこをぼくは大股に飛ぶように歩いていく。女性の声で「本当に空を飛んでいるんじゃないの?」という言葉が聞こえる。本当だ。ぼくは空を飛んでいたのだ。あっという間に、向こう側へ着くことができた。
2007年03月19日
3月19日の夢(トゲのある傘)
会社で音楽教室の冊子を作ることになり、自分のオフィスの隣にある社長室(? 実際にはオフィスの方と同じ大きさで、対称形の部屋のよう)で、必要なポジフィルムを探す。カット一覧表の番号にしたがって、必要なフィルムは殆ど見つかったが、一部どうしても見つけきれないものがある。
探すのをあきらめて自席に戻ると、隣席の女性が「あれもこれも仕事はゆっくりでいいと言われた。あんなに急いでいたのに」と、ぶうぶう文句を言っている。ぼくはそれを適当に聞き流し、デスクの引き出しを開けると、二つ折りの財布が入っている。これはN氏が海外へ旅行する度に、何故か一つずつ買ってきてくれるものだ。本当は迷惑なのだが。そこへM氏がやってきて、取っ手に大きなトゲが一つついた傘をくれるという。断るが、押しつけられてしまう。しかたなく貰って、壁のロープにかける。
再び隣の社長室に行くと、部屋のレイアウトがすっかり変わっている。せっかくさっき見つけたフィルムも、みんなどこかへ行ってしまった。もうどうでもいいやと、投げやりな気分になる。
2007年03月18日
3月18日の夢(トラブル)
このところ、ぼくの勤務する会社の中がちょっとごたごたしています。ぼくも巻き込まれてしまったため、それが夢に出ました。ただし、この夢に出演している当事者のキャラクターは、実在の人物とは著しく違います(笑)。
(夢ここから)
会社に見知らぬ、背が高くて恰幅のよい眼鏡をかけた紳士がやってきた。Fカメラマンだ。入り口でぼくに「できれば、これからのことについて、外でお話がしたい」と言う。ぼくが「未来なんて、ないと思いますよ」と言うと、彼はぼくの答を誤解して、「あなたはいつも未来のことは考えないのですか?」と聞き返す。まあ、そういう解釈をしたなら、それでもいいやと思い、「ええ。ぼくはいつも未来のことは考えないようにしているんです」と答える。
そんな問答をしているうちに、一方の当事者であるS社長が帰ってきた。ぼくはFをSに任せて、いったん自席に戻る。いつのまにか、デスクの下のぼくの荷物の山が崩れ、床に散らかってしまっている。外国旅行から帰ったばかりなので、洗濯していない汚れ物や、ドル紙幣やらおみやげなどだ。これらをなかなか家に持ち帰れないなと思う。
Fは?と思って、オフィスの入り口を振り返ると、ドアがぴたりと閉め切られて、その向こうでSと話し合っているらしい。Fはぼくを訪ねてきたのだが、出ていくべきかどうしようかと迷う。
2007年03月17日
3月17日の夢(隕石とドミノ倒し)
昨日は高見順賞の授賞式とパーティーでした。帰りにタクシーに乗ったら、タクシーに財布を忘れてしまいましたが、親切な運転手が届けてくれて、無事回収。よかった! タクシーは成城のモンキータクシーです。皆さん、ぜひ乗ってあげてください。でもカード類を一旦すべて止めてしまったので、プロバイダーの支払い等も引き落としできなくなるかも。再発行カードが届くまで不安です。
(夢ここから)
学生時代からの詩友である松山のHの自宅の庭に停車している彼の車の中で話をしている。彼の自宅の敷地は学校の運動場のように広い。「広いねえ」と言うと、彼は「いや。一角に家が建っちゃってね」と言う。見ると確かに、右手に敷地にはみだすような形で、何軒かの住宅が建っている。土地を貸したか売ったのか、それともHが自分で建てて、人に貸したのだろうか。左手の方はバス会社の車庫と境目なしにつながっていて、何台ものバスが彼の敷地にも入り込んできている。「それも困るんだよね」と彼は言う。
ぼくらの乗った車を含め、敷地内には二列に車が駐車している。殆どはトラックか大型の4輪駆動車だ。突然、隣の列の先頭のトラックが倒れ、隣の車にぶつかる。その車は倒れて、さらに隣の車にぶつかる。そうやって、ドミノ倒しのようにどんどん車が倒れていく。ぼくは「この車も危ないかも!」と叫んで、瞬時にドアのノブを回し、外に飛び出す。その瞬間、ドミノ倒しがこちらの列を逆向きに戻ってきて、ぼくらの車も倒れた。危機一髪! と思った瞬間、空から隕石が降ってきて、ぼくの体をかすめて、地面に突き刺さる。どうやら、最初にトラックが倒れたのも隕石が落ちてきたためらしい。
2007年03月15日
18禁の夢など
昨日は18禁の夢を見ました。今日の夢と二本立てで書きます。
(3月14日の夢)
今日は休日だが、浜松へ出張しなくてはいけない。その前に、風邪気味なので診療所に寄る。クリニックは丘の上の白亜の館だ。入口に外国人の中年の女性が座っている。どうも今までの医者がいなくなって、彼女と交替したらしい。名前を呼ばれ、診察室に入っていくと、その女性が入ってきた。診察室はフローリングの床で、ひんやりとした感覚。ぼくはその床に直接横たわっている。彼女は新しい学派の医学者で、西洋医学の薬剤で治療するのではなく、患者といっしょに横たわることで、病を癒すことを目指しているという。そして、ぼくのかたわらに横たわると、静かにぼくのペニスを衣服の上からつかんだ。
そうされたまま目を閉じていると、心がやすらいできた。そして、診察室にどやどやと何人もの若者たちが入ってきた。だが、これは3D映像で、彼らは現実の人間ではない。そのうちの太った男性がぼくの上におおいかぶさって、腰を動かす。ぼくと彼の肉体との間にはわずかな距離があるが、それでも互いの衣服ごしに彼のペニスが当たるのが感じられて、くすぐったい。
ふと気づくとデスクの上に、ピアニストのNHさんの見た夢を印刷した紙切れが置いてある。それをそっくりコピーして、持ち帰りたいなと思う。そして、もう出張なんかやめだ、と思う。妻が「今日行かないと間に合わないのではないか」と言うが、「来週でいいんだ。そんなものは」と、ぼくは答える。
(3月15日の夢)
ぼくのデスクは廊下の真ん中にあって、そこで一人ぽつんとパソコンに向かい、企画書の打ち込みをしている。途中で、営業部長のKくんが同じ内容の企画書を作っていることが分かるが、彼の参考にしてもらえばいいと思い、クライアントから来た参考書類を見ながら、打ち込みを続ける。
2007年03月13日
3月13日の夢(見えないAV)
妻が珍しく、映画を見に行こうと言う。しかし、外は雨が降っている。それも、ざあざあと窓ガラスを滝のように雨水が流れ落ちるほどの豪雨だ。それでも、妻はタクシー嫌いのはずなのに、「タクシーで行かなくちゃね」と行く気満々だ。
妻の着替えがすむ間、ぼくは50インチくらいある大型のワイドテレビでAVを見ている。だが、画面には何も映っていない。そのうち、自分も身支度をしなくてはと気づき、服を着替え始める。そして画面のスイッチを切ろうとするが、電源は切れずに、モニターとDVDプレーヤーとの間で、心を奪うような魅惑的な光がぴかりぴかりと、ぼくを誘うように呼応して点滅を始める。とっても美しくて、ぼくはそれに見とれてしまう。
2007年03月12日
3月12日の夢(撮影)
今朝はよく目が覚めないうちに夢日記を書いたので、文字が一部判読できません(笑)。
(夢ここから)
エレクトーンを愛用する家族のルポ記事を書くので、その撮影をIという有名なカメラマンに依頼する。取材の約束時間は午前11時だったが、その時刻に訪ねて行っても、家には誰もいない。ぼく一人が女性の手を引いて案内する。(このあたり夢を覚えていないため、意味不明) カメラマンが撮影した画像を見せてくれた。予想以上にシュールな画面になっているので、びっくりする。これではクライアントの許可が下りず、ボツになるのではないだろうか。そう考え込んでいると、背後から声をかけられ、驚いて振り向く。そこにいたのは一人の黒人。だが、それは黒い色を顔に塗っているだけで、化粧の下から現れたのは元「夢の解放区」の大豚さん(大豚というのはハンドル名で、普通の男性)だった。カメラマンたちは打ち上げパーティーに興じている。会場になっているのはとんでもないボロ家だ。ぼくは彼(大豚さんかカメラマンか不明)に名刺を差し出そうとして躊躇する。
3月11日の夢(携帯電話)
昨日はエラーになってしまって、更新できませんでした。以下は昨日見た夢です。
(夢ここから)
今夜は勤務の後、詩人の出版記念パーティーに出席する予定になっている。パーティーには妻も先に行っている予定だ。6時に新宿駅に出た。雨が降っている。そこで初めて、今夜のパーティーは西武新宿線沿線が会場なので、高田馬場で降りなければいけなかったことに気づく。もう時間がない。タクシーに乗ろう。しかし、会場の場所が分からないので、携帯で電話をかけようと思う。スーツの内ポケットに手を突っ込んで、携帯を取り出す。朝にも一度、会場へ電話しているので、リダイアルのボタンを押せばいいはずだ。画面をよく確かめもしないで、リダイアルすると呼び出し音の後で、電話が
通じ、中年女性が電話に出た。どこかの飲食店らしい。「そこで出版記念会をやっていませんか?」と尋ねると、「ああ。そうかもしれません」と言う。誰かに尋ねている様子だが、よく分からないらしい。そこで、もう一度電話を改めようと思い、電話番号を尋ねる。彼女が電話番号を言うので、ぼくは「あっ、待ってください」と言って、万年筆(現実にはぼくは万年筆嫌いで、持っていない)を取り出す。が、メモする紙がない。ちょうど路傍にチラシか何かの紙類が何枚かあるので、それにメモをする。雨で濡れて、文字が流れるが、なんとかメモをするうち、相手の声が聞こえなくなる。しばらく耳をすませた後、これはどうも電話が切れたらしいと思って、改めて携帯をよく見ると、これはぼくの携帯ではない。どうやら妻のPHSを持ってきてしまったらしい。ということは、さっき電話したのはパーティーの会場ではなかったのだ。改めてポケットを探すと、ぼくの携帯があった。妻のものより大きく、黒と赤のツートンカラーの派手な携帯だ。これには妻の携帯番号が登録してあるから、先に会場へ着いている妻に電話しようと思う。ところが、携帯をパカッと開いてメニュー画面を見るが、登録番号のメニューがない。何度見直しても、見たことのないメニューばかりだ。途方に暮れて、携帯の画面を見つめているぼくの周りに、突然沢山のサラリーマンの男達の集団が通りかかり、ぼくは彼らにもみくちゃにされる。彼らが通り過ぎた後、どうもぼくの携帯は何かの加減で、動画の撮影モードになっていて、そのために見慣れたメニューが見あたらないのだと気づく。そうこうしているうちに、もう8時に近くなった。今から会場へ赴いてもきっとパーティーの終わり頃に着くだけだろう。それでも、一応会場へ行って、主賓の詩人に挨拶して帰りたいと思う。(夢ここまで)
最近、詩集の出版記念パーティーなんて、殆ど開かれませんね。バブルの頃まではしょっちゅうパーティーがあって、現代詩の世界も華やかだったのに。ちなみに、ぼくの携帯にもちろん動画モードなんてありません(笑)。
2007年03月10日
3月10日の夢(玩具屋)
妻とまだ小さな息子と三人で、大きな玩具屋さんに行く。店の入り口で何か景品のようなものを渡していて、それが子どもたちの人気を集めている。ぼくは入店して、すぐに欲しいものがあり、それを手に取る。縦長の直方体の箱で、きれいにラッピングされた品物だ。ほかにも買いたいものがあるので、ぼくはそれを手にしたまま、店内を歩き回る。だが、店員にそれを万引きしようとしていると見とがめられるのではないかと、心配になったぼくは、その箱をわざとよく見えるようにしながら歩く。そのことに気をとられるあまり、男性店員のいるコーナーのカウンターにもう少しでぶつかりそうになる。
2007年03月07日
3月7日の夢(犯人はあいつだ!)
カンボジアから帰ってきました。アンコールワットには叙事詩ラーマーヤナとマハーバーラタがヴィジュアル化された壁画があるので、ぜひ見てみたいと思っていたのですが、夢がかないました。なんだか魂のふるさとへ帰り着いたような気がしたくらい。ラーマーヤナを美少年・美少女が演じる舞踏でも見ることができたのは収穫でした。クメールの人たちはみんな誇り高く、美しいです。アジアの街の中では、ぼくは断然カンボジアのシェムリアップは最高だと思います。ちなみにヨーロッパまで含めると、ロシアのサンクトペテルブルグが街の美しさ、市民のおしゃれのセンスや文化度で群を抜くと思いますが。
カンボジアでは沢山の日本人がNGOや遺跡復興、ビジネスの世界で活躍しているのを見かけました。そのため、市民の日本人に対する好感度も高いです。街にはホテルやフランス料理、中華料理、日本料理等のレストランが建ち並び(軽井沢のようだという声も聞きます)、まずいことで有名だったカンボジア料理もバジルを使った味付けで、随分改善されています。まあ、食のおいしさという点ではベトナムに負けますが、フルーツは豊富です。オールドマーケットに行くと、驚くほど面白い小物や、アクセサリーなども安価に手に入れられます。シェムリアップに関する限り、地雷はもう一発も残っていないそうですし、治安もよいです。空港も近代的で、直行便はないと思いますが、バンコクやホーチミン等との間で、夜間など30分に1本くらいの割で空の便があり、遅れも30分を越えることはないみたいです。飛行機には必ず日本人スチュワーデスが乗務していて、日本語でアナウンスしてくれるのにもびっくり。とにかく、ぜひ皆さんに訪れてほしい国だと思いました。
しかし、カンボジアでは夢は見られませんでした。これは帰国してから、今朝見た夢。
(3月7日の夢)
ぼくは警察に勤めている。刑事らしい。残業していて、そろそろ帰ろうと思っているところに、事件発生。ぼくは深夜まで、その捜査に追われることになる。
謎のような事件で、犯人の像がつかめない。鍵になるのは、現場に残された箱に入った繭玉だ。ぼくは捜査チームの仲間と共に犯人を追って、故郷である名古屋の山添町の丘に立つ。夜明け前の山添町が眼下に見渡せる。それから岩のごろごろした危険な川を渡る。砂丘を走る電車に乗ろうとするが、駅は左と右にほぼ等距離にあって、どちらの駅に向かうべきか迷う。
だが、突如真犯人の正体がぼくの頭の中で閃いた。ぼくの勤め先ではコックを募集していたのだが、先ほど元々は教師なのにその求人に応募してきた若い男がいた。犯人はあいつだ!
2007年03月01日
3月1日の夢(クレーの専門店)
明日からカンボジアのアンコールワットへ行って来ます。6日の午後には戻ってくる予定です。
(夢ここから)
会社で残業をして、クライアントと販促物について打ち合わせをしている。ぼくのほかに社長と、見知らぬ若い女性社員が一緒だ。ぼくは途中から参加したので、話の筋道が見えないが、クライアントはその販促物のタイトルには「ひらく」という言葉を使うしかないね・・・と主張しているようだ。ぼくがあらかじめ提出したタイトル案に、「ひらく」という言葉を使ったものがあるにはあったが、それはあまりよくないと自分でも思う。クライアントの意図がわからないが、ぼくはわかった顔をして「ふんふん」と肯いている。
打ち合わせが終わり、階段を上がって一つ上のフロアへ行く。そこには駅のキオスクのような売店があり、クレーの専門店になっている。クレーの画集や、クレーのデザインしたもの、クレーのチョコなど、さまざまな土産物をおばさんたちが売っている。どれかを販促物の表紙のデザインに使ったら面白いな、と思うが、あまりにも沢山あるので選びきれず、あきらめる。もう9時過ぎだから、帰って、明日また寄ろうと思う。
階段を降りると、そこは波の打ち寄せる礒だった。ちょうど満ち潮の時間で、海岸線いっぱいに沢山の人が出て、礒遊びをしている。とても暑い。
2007年02月27日
2月27日の夢(再チャレンジ)
飛行機に乗るために、空港ビルの階段を登っていく。二階に行くと、同行するIカメラマンが服を脱いで、運動着に着替えている真っ最中。これからさらに階段を沢山上らなくてはいけないので、それに備えて、やる気満々の様子だ。しかし、それはちょっとやりすぎではないだろうか。ぼくはちらっと横目で彼を見て、そのまま先に階段を上っていく。ところが三階に行って、驚いた。階段の床はスキーの滑降コースになっている。しかも、その両サイドの壁際はカウンター式のおしゃれなお店になっていて、おしゃれな男女が何人もお酒を飲みながら談笑している。で、肝心の階段はというと、金属製の梯子が天井に逆さに取り付けられていて、それをよじ登るのだ。若者たちの優雅な生活を見下ろしながら、ぼくは蜘蛛男のように天井に逆さにぶら下がって苦闘するが、どうしても最後のところで逆上がりをして、四階に上ることができず、進退窮まってしまう。だが、試しに足を伸ばしてみると、下のスキーコースに足がつくことが分かった。上着が梯子に巻き付いて脱げてしまったが、なんとか地上に降りたつことができた。改めて自分の服装を点検すると、一応シャツとズボンを身につけており、まあまあかっこいい。よおし、もう一度ここから上の階へ挑戦だ!と思う。
2007年02月26日
2月26日の夢(石焼き鍋の店)
鍋の中に石を敷き、あつあつになった石の上にいろいろな食材を置いて焼くお店にいる。以前に脳梗塞で倒れた女性詩人のHさんがもうすっかり回復したのか、その場ですらすらと原稿を書き、年間12回分の連載原稿をぼくに渡してくれる。ところが気がつくと、ぼくのテーブルの上にあるのは、ほんの2,3回分の原稿だけで、残りはどこかへ消えてしまった。ぼくが無くしたのか、それとも最初からそれだけしかなかったのか。
新幹線が駅に着いた。ホームでみんな待っていたが、それは特別の臨時列車で、駅裏の小屋の向こうに隠れるように停車した。普通の新幹線より車両も短い。みんな慌てて、駆けだして乗り込む。入ってみると、中はそれほど広いわけではないが、教室のような雰囲気。窓際に座りたいと思うが、そんなに混んでいるわけではないのに、窓際は次々と埋まっていき、ぼくは通路際の席に座る。
(その後、大阪に行って、また鍋の中の石で焼く店に入っていろいろあったのですが、思い出せません)
2007年02月25日
2月25日の夢(天皇の夢)
(こんな夢を見ました)
天皇の見た夢を引用して発表することが許されるという。なんて、天皇は寛大なんだ。しかし、天皇の夢の引用を含む夢の記録が15分をオーバーすると、自動的にその夢の記録そのものが消去されてしまうのだという。夢の記録を書くときにはうまくアレンジして省略し、15分以内に収めることが必要だ。
2007年02月23日
2月23日の夢(慶応線の電車)
体調がいまいち回復しないため、沢山夢を見ているのに、記録に残せるほどしっかり覚えている夢はごく僅か。夢日記には体力が要ると痛感。
(夢ここから)
浜松から電車に乗る。昔のちんちん電車のように、運転席と客車がつながった懐かしい車両だ。東京の方へ帰るつもりだったが、どうもこの電車は大阪の方に向かっているようだ。恥を忍んで、運転手に行き先を尋ねる。すると制服制帽の運転手は憎々しげな顔で振り向き、「そういえばきみの早稲田とは反対方向だね」と言う。彼は慶応ボーイだったのだ。くやしいが、次の駅で、反対方向へ向かう電車に乗り換える。(夢ここまで)
ちなみに早稲田出身のぼくが通勤に利用しているのは京王線であって、慶応線ではありません。
2007年02月20日
二日分の夢
18日の朝から突然、激しい吐き気と下痢に襲われ、起き上がることもできなくなり、一日ほぼ絶食していました。熱は出なかったので、ノロウィルスではありません。
(2月19日の夢)
京王線のつつじヶ丘の駅に、詩の専門誌S誌のM編集長が、ぼくの働いている会社の女性社員Sさんと、Oさんといっしょにやってきた。SさんはM編集長のアシスタントで、Oさんはぼくのアシスタントのような位置づけらしい。いっしょに歩いていて、気がつくと、Oさんはぼくのコートと上着を両手に広げるようにして持ち、にこにこしている。ぼくは「あっ、ごめん。コートを着るつもりで、逆に上着まで持たせちゃった」と彼女に謝り、上着とコートを着る。M編集長はもうぼくに対する用件がすんだらしく、「じゃあ、すみません」と手を振る。改札口から入るのかと思ったら、そのかたわらにある次元の隙間のようなところから、M編集長とSさんは一瞬、厚みのない二次元の存在になって、ひゅうっと吸い込まれるように消えてしまった。Oさんはまだいるだろうと思ったのに、彼女の姿もない。
(2月20日の夢)
オフ会か何かで、山の上に来た。集まったのはわずか4名で、これでは会にならないからと、すぐ散会する。ぼくはカメラマンのU氏の運転する車に、もう一人のメンバーの女性と乗る。山頂には月の噴火口のような穴がたくさんあいている。車を降りて、ウサギ跳びをするとぴょんぴょん飛んで向こう側まで渡れる。面白いので、だんだん大きな穴に挑戦なする。中には水がたまっているのもあるが、全然平気だ。だが、最後に挑戦したのが、とても大きな穴で、ウサギ跳びで飛び上がっても、対岸に上れない。やっと這い上がってみると、もう車も二人の姿も見当たらない。そこへ、もう一人のメンバーの背の高い男がやってきた。彼は「誰と誰が来たのか」とぼくに尋ねる。
2007年02月17日
2月16・17日の夢(駅の夢)
今日は、駅の自動改札の夢を見ました。連れが分厚いパスネットのカードを貰ったのはいいけれど、分厚すぎて改札を通れない。そこで、ぼくが手持ちの薄いカードを貸してあげ、ぼく自身は切符で通るという夢でした。以下は昨日の夢。
(昨日の夢・ここから)
電車通りの縁石に会社の同僚が横一列に並んでいる。ぼくの携帯に電話がかかってきた。誰だろうと思って、出てみると、昔一度だけ会ったことのあるアフリカ系の男性だった。よく思い出せない相手だが、「元気か? 最近どうしている?」などと話す。さらに携帯に着信があった。第二の相手も外人の男だった。
その電話を切って、電車に乗ろうと待合室に入ると、また第一の男からの着信だ。ところが、電話をとると、それは第二の男の方で、(向こうからかけてきたはずなのに)迷惑そうな声で、「私に直接かけるのか? Yさんを通してではなく・・・」と言う。Yさんは以前ぼくの部下だった女性で、退職後パリに渡って老人と結婚したが、死別してまた帰国したといわれる女性だ。この男はそのYさんと結婚しているのか・・・と驚く。
そこへ電車が来た。制服を着た沢山の幼稚園児が乗り込もうとしている。他の乗客たちは乗り遅れるのではないかと焦って、窓からも我がちに乗車しようとしている。ぼくも真似をして、車体中央の屋根に登ってしまう。するとホームに乗務員からのアナウンスが流れた。「サラリーマンの方が危険なことをされているので発車できません」。それはきっとぼくのことだ。ぼくを悪者にする気か。ぼくはサラリーマンじゃなくて、詩人だ。ネクタイを締めているからといって、なぜサラリーマンだなどと言うのか、抗議しようと憤慨する。
2007年02月15日
2月15日の夢(ぼく行きのバス)
バスターミナルでバスを待っている。そのバスに乗れば、1時までに市内に住む著者の家に着けるはずだ。だが、ぼくはどうやら乗るべきバスの発車案内を聞き逃したらしい。ターミナルの奥の待合室にいたぼくは、慌てて入り口まで走っていってみたが、乗りたかったバスの姿はない。タクシーに乗らなくては、と思う。
見ていると、いろいろな行き先表示のバスが発車していく。最後に、ぼくの名前を行き先表示にしたバスがやってきた。このバスは一番遠くまで行くらしい。
2007年02月13日
2月13日の夢(道路が水浸し)
またもや道路が冠水していて、そこを足を濡らして歩くという夢を見ました。同じテーマを二度見る、ということは、夢がぼくに伝えたいメッセージがあるのでしょうね。
(夢ここから)
異常気象で海面が上昇したのだろうか。東京は至る所水浸しで、街中が冠水している。その水の中へ、ぼくは靴と靴下をびしょびしょにして入っていく。
会社に着いた。なぜか社長も社員達も、みんな浮かぬ顔をしている。ぼくが働いているオフィスは会社の十階にある。しかし、エレベーターがないので、息を切らして階段を上がっていく。しかし、最後のあと二段か三段というところで力つきてしまい、十階の床まで体を持ち上げることができない。何度も試みた結果、ようやく成功する。
妻がそこへ訪ねてきて、二人で旅行に行くことにし、とりあえずホテルに入る。部屋の中で、見るわけでもないのにテレビをつけ、テレビとは関係なく、二人のこれまでの道のりを振り返る。家から会社まで、それからクライアントの会社まで、ここまでの道のりには問題がなかったことを確認する。
2007年02月12日
2月12日の夢(硫酸亜鉛)
「薬としては硫酸亜鉛だけですね」という男の声がしたので、執務中の机から顔を上げると、白衣を着た薬剤師らしい男が立っている。ぼくと同僚の男のデスクの上の壁に丸い皿が飾ってあって、そこに「硫酸亜鉛」というラベルが貼ってあるのをさっき上司に怒られ、取り外したばかりだった。硫酸亜鉛は劇薬だからだ。「いや、そんなはずはない。硫酸亜鉛なんて要らないよ」と、ぼくは否定する。男は残念そうな様子で、「何か薬は要りませんかね? 私は○○から来たんですよ」と言う。女性社員が「○○って、どこ?」と尋ねると、「砂田橋のそばですよ」と言う。そういう地名は知らないが、すごく遠いということだけは分かる。「えっ、そんな遠いところから来たの?」と、ぼくはびっくりする。
家で妻と「現代詩ゼミ」の録音テープを聴いている。第一部が終わって、第二部が始まる。第二部の司会をしているのはM氏だ。なぜかゼミナールなのに、歌ばかりが録音されている。そのテープを再生しながら、妻が玄関の方に行くので、なぜだろうといぶかしみながら、ぼくも玄関に出る。すると、ゼミから流れてきた詩人たちが大勢我が家にやってきたところだった。我が家の隣には成城の広大な敷地を持つお屋敷があって、彼らは勝手にそのお屋敷に上がり込み、客間に座ってくつろいでいる。これでは無断侵入ではないか。ぼくも慌てて後から入り、玄関から「ほらほら、この家の主人が来るよ。なんといって、弁明するの? その席に座っていると、あんたが一番偉そうに見える。あんたが追求されるよ」と、一番上座に座った男に呼び掛ける。実際、窓越しにこの家の主人がやってくるのが見える。男は焦って、玄関に降りてきて、主人にああだこうだと弁明を始める。
2007年02月11日
2月11日の夢(死んだ男)
今朝、一人で寝ているのに、左肩を指先で2回とんとんと叩かれ、寝返りを打ちましたが、眠かったのでそのまま寝ていました。同じ頃、妻は玄関のチャイムが鳴るのを聞いたそうです。ちなみに、ぼくの夢には十年以上前に死んだ人が現れました。暖冬だけど、まだ彼岸には早すぎ。
(夢ここから)会社に行くと、死んだはずの元社長Nが社長の席に座って、仕事をしている。席にいるのは、ぼくとNだけだ。
北の窓を開けて、通行人の男が顔を出し、「○○のコンサートへ行くところなのだが、○○はどこにあるのでしょうか?」と尋ねる。そういえば、ぼくはそのコンサートのチラシをたった今、宅配便の中に封入したところだった。だが、記憶している限りでは、○○のコンサートは今日ではなかったはずだ。「えっ? ○○は今日ではないのでは?」と、ぼくは男に言い、チラシで確かめようとする。でも、せっかく封をしたばかりの宅配便をまた開封したくはない。「すみません。見つかりませんでした」と、ぼくは男に謝る。
今度は窓から十代の女の子が顔を出して、やはり道を尋ねる。ぼくが答えようとすると、突然Nが居丈高に「窓を閉めろ!」と命令する。社長命令なので、聞かないわけにはいかない。女の子に「時間がないので」と謝り、窓を閉める。外で女の子が友達に「教えてくれないんだって。ケチ!」と言っているのが聞こえる。
Nの命令なんか聞きたくもないが、この男はすぐに癌で死ぬ自分の運命を知らないのだ。それを思うと、腹も立たないや、と思う。
2007年02月10日
2月10日の夢(鳥に飛び方を教える)
美術家のH氏と共に見晴らしのよい手すりから、眼下に広がる凍り付いた池を見下ろしている。池の上にはたくさんの人々と、鳥たちがいっしょになって遊んでいる。鳥たちはみんな氷の上を歩いている。若い男が翼の模型を使ってバタバタと羽ばたいて見せ、飛ぶことをまだ知らない鳥たちに飛び方を教えようとしているらしい。下にいる若い男の一人がぼくたちのすぐ下までやってきて、大きなクラゲをくれた。それは透明なジェリーでできているみたいに見える。「おいしいですよ」と言うので、H氏はスプーンでそれを小さく割って、今にも食べようとしている。ぼくはそんなもの食べたくないので、逃げ出したいという気持ちにかられる。いつのまにかH氏は女性に変身している。
2007年02月09日
2月9日の夢(改装のため、さようなら)
詩の出版社のD社が新しい社屋を建てて奈良に引っ越した。一軒家のような感じだが、周囲はどことなく我が家のあるマンションの風景に似ている。
その社屋を訪ねてみたが、鍵はあいているのに、誰の姿もない。しかたなく帰ろうとすると、さっき脱いだ靴がなくなっている。しかたなく靴下のままで外へ出るが、雨が降っていて、地面は水浸しだ。とても、これでは歩けないので、玄関の外の靴箱にあったスリッパを借りて、外へ出る。
そこへ、大勢の詩人たちが団体で、どやどやと到着した。D社の編集スタッフでもあるぼくは、彼らの応対をせざるをえず、社内に戻る。とりあえず彼らを客間に通したものの、冷蔵庫から勝手にビールを出してふるまってもいいものかどうか迷う。社長のT夫妻に携帯で連絡してみるが、通じない。
そうこうするうち、社長夫妻が帰ってきた。ぼくは会社が移転したことを知らせる「改装のため、さようなら」という、ちょっと気の利いた文面だと思う挨拶状を出そうと思っていたが、社長(女性)のダンナであるT氏に廊下の暗がりに連れ込まれ、「勝手にそんなものを出すな」と凄まれる。
2007年02月07日
2月7日の夢(ぼくは泥棒)
ぼくは4人の盗賊団のメンバーで、奈良のあたりからのんびり東京へ、次の仕事の打ち合わせのため他のメンバーと落ち合うため、高速バスでやってきた。今は交通が発達しているから、夜の6時の待ち合わせの時間まで、1時間ほど休憩してから、空が赤く染まる頃、アジトの家に入るのに十分な余裕がある。他のメンバーものんびりと集まってきた。こんなぼくらの様子を見て、誰もぼくらが泥棒集団だとは思わないだろう。
さっきまで乗っていた高速バスの中は、小学校の講堂ほどの広さがあり、床いっぱいに移動椅子が並べられていた。空席もあるが、ほぼ乗客で満員だった。バスには髭を生やした名物おじいさんのサービス係が乗り組んでいる。彼が後ろの方へ歩いてきたとき、女性の車掌の間の抜けた車内放送があり、乗客たちがどっと笑った。その後、車内放送はそのサービス係を前方へ呼び戻す内容に変わる。最後尾まで行っていた彼は慌てて、前方へ戻っていった。
2007年02月06日
2月6日の夢(自己顕示器具)
図書館をテーマにした展覧会をやることになった。それをどこからか伝え聞いたらしく、詩人のHから頼みもしないのに、「便利だから使ってくれ」と、展示用の器具を送ってきた。自分がやはり図書館をテーマに展示するのに、使っているものだという。それは昔の物干し用の真鍮でできた洗濯ばさみみたいなもので、H自身の詩の原稿やら何やらが吊り下げられている。本当はこの自分の原稿などを展示してほしいのだろう。自己顕示欲の強いやつだと、ほとほと呆れる。
2007年02月05日
2月5日の夢(トイレクエスト)
川に向かって歩いている。雨が降っている。川のそばには病院があって、いつもそこから看護婦がこちらへ向かって歩いてくるのを途中でつかまえ、診察カードを渡して「薬だけお願いします」と言うと、看護婦は病院に引き返して、薬を持ってきてくれるのだ。しかし、今日は看護婦が誰も外へ出てこないので、自分で病院まで行った。「まずトイレを貸してください」と言うと、看護婦が「トイレは上にあります」と言って、螺旋階段を登っていく。しかし、病院の建物は細い円筒形で、看護婦一人しか内部の階段を登ることができない。ぼくは外側に取り付けられた階段を登るのだが、それは階段というより、穴の中に垂直に立てられた梯子に過ぎない。ぼくの下から、小さな少年とその父親も昇ってくる。ぼくは「ここが難しいんだよな」と言いながら、親子に励まされて、てっぺんで自分の体を上の床にようやく引き上げる。
昇ってみると、そこは地下街のようなところで、大きな白っぽいトンネルの中に地下商店街が広がり、黙々と主婦らが買い物に行き交っている。右手に少し小さなトンネルの入口があり、そこには下水のような川が流れている。きっとトイレはこっちだろうと思い、そのトンネルへ行きかけるが、上方からさっきの父親が「左だよ」と注意してくれる。よく見ると、商店街の方に「トイレ」と書いた矢印の看板がぶら下がっていた。
2007年02月02日
2月2日の夢(旅から帰る)
詩人たちと団体の国内旅行に参加し、新幹線で帰途についた。新幹線の床に車座になって座り、編集会議か理事会のようなものを詩人たちが開いている。ぼくもその一員に加わる。もう夜の11時半だ。車窓の景色を見て、ぼくは小田急線の下北沢あたりの風景を認め、「もうすぐ着くよ」と、みんなに言う。だが、女性の幹事は「まだ1時間はかかる」と言う。実際、彼女の言う通りで、なかなか列車は駅に着かない。
その列車の座席の間の通路を、貨物のカートが通っていく。箱の中に大きなウミガメが沢山並んでいる。ぼくは驚いて、隣の乗客にそのことを話すが、彼は「えっ、そんなもの見なかった」と答える。
やっと自宅に着いた。自宅は田圃の中にあり、横に一直線に並んでいる数軒の家屋の真ん中あたりにある。ぼくは大喜びで自宅に走っていくが、ふと見ると、田圃の中に葬式の行列ができている。その行列は自宅の一軒置いた左の家の玄関に続いている。そういえば、我が家も、我が家の何軒か右の家も最近葬式を出したばかりだったと思い出す。
2007年02月01日
2月1日の夢(寝室トイレ)
裕福な家庭に滞在している。トイレを借りたいと思う。廊下を歩いていくと、高校生くらいの兄弟二人と出会った。トイレの場所を尋ねると、「真ん中の部屋」だと言う。さらに歩いていくと、廊下の左側にドアが二つ。その二つのドアのちょうど中間くらいの右側にドアが一つある。左側の二つのドアは、多分今の兄弟のそれぞれの部屋だろう。右側の部屋がトイレだろうと思って、そのドアを開けてみる。
そこは広い部屋で、中には二つのベッドが並んでおり、その周辺に青と白のストライプのシーツや毛布のようなものがいくつもまるめられて置いてある。つくりは明らかに寝室だが、この家庭は裕福なので、きっと空いた寝室をトイレにしているのだろう。床に置いてあった毛布を踏むと、バランスが崩れて、ぼくは床に倒れてしまったが、こうして寝ころんでおしっこをするのも、なかなか気持ちのよいものだ。ふと見ると、左手の方にさっきの二人とは別の少年の上半身が見える。隣の部屋との間に窓か何かあるのだろうか。この家には兄弟が三人いるのかなと思う。
2007年01月31日
1月31日の夢(侵入者)
ぼくは誰かが下宿している部屋へ一人で侵入する。相手は不在だった。しかし、うろうろして、ここにぼくがいることを誰かに気取られてはいけない。幸い、誰にも知られることなく、脱出することができた。
また、その部屋へ侵入する。やっぱり相手は不在だった。玄関へ出てくると、入れ替わりに入ろうとしている警官と鉢合わせしてしまった。ぼくは怪しまれないよう、ある雑誌の記者を名乗り、ポケットから英語の名刺を出そうとする。しかし、そんな名刺があるはずはなく、「うっかり名刺を切らしてしまって」と、ぼくは警官に弁解する。
2007年01月30日
1月30日の夢(ループする夢)
カメラマンといっしょに会社に向かう。カメラマンは髭を生やした偉そうなおじさんだ。これからいっしょに撮影があるのだ。ところが、会社に着くと、会社は大きなお寺のような建物になっていて、しかも全体が火事にでもあったように木炭化している。そこに靴を脱いでぞろぞろ人々が上がっていく。映画会があるらしい。ぼくも上がって、スクリーンの前に座る。映画は古いモノクロの映画で、どうやら「二人のロッテ」らしい。雷雨のシーンだ。後ろを振り返ると、カメラマンも腰を落ち着けて、映画を観ている。どうやら撮影はあきらめたらしい。
映画会から観客は隣の部屋に移動するよう求められる。今度はお芝居があるらしい。いくつかバーにあるような背の高い丸椅子が置いてあり、ぼくもその一つに座る。やれやれとほっとするが、安定が悪く、ぐらぐらする。よく見ると、円形のはずの座席も半分欠け落ちたようになっている。劇団の人らしいバニーガールのような衣裳を着た若い女性がやってきて、ぼくと隣の男に手の中の三つくらいの小物を見せ、「どれでも好きな物を取って、靴の間の地面に置きなさい」と言う。その通りにして、ふと見ると、ぼくの靴は片方の靴底が壊れていて、恥ずかしい。女性はぼくに「ものを頼むと、たいていはそばに来てくれるものだけれど、あなたは来てくれないのね」と言う。とてもそこまでする余裕がないのだが、うまく言い返せずに、口ごもる。
雷雨が上がったので、カメラマンと助手と共に会社に向かう。「ちょうど雨の上がったところで、穴を掘ってみみずの撮影をするにはもってこいだよ」とカメラマンは言う。でも、みみずの撮影というテーマはもう前の前の話で、テーマは変わっているのだけど、困ったなと思う。
会社に着いてみると、会社は大きなお寺で、木炭化していて・・・ あれっ、夢がループしてしまった!と思う。
2007年01月29日
1月29日の夢(職場で散々)
職場で暇を持て余していると、配置替えになった。新しいぼくのデスクは道路の上だ。ぼくの隣にもう一人女性社員のデスクも置かれ、二人並んで仕事をすることになる。それにしても椅子は丸椅子で、背もたれもない。椅子の下は一度穴を掘ってから埋め戻されたようで、椅子をギシギシやると、地面が陥没してしまう。「何をやってるのだ」と社長に叱責されるが、「もともと穴があいてたんだから、しょうがないです」と説明する。この道路の下にはどぶ川が流れていて、ところどころ地面に開けられた隙間から、汚い水面が見える。道路を大きなトラックがやってきて、ぼくらのデスクの間を通り抜けられず、立ち往生してしまった。
職場で一人、自分の席でないところに座っていると、男が一人やってきて、「さあ、これからトイレの水をかけてやるぞ」と叫び、柄杓で汚物をばらまき始めた。だんだんぼくの方にも飛んでくるようになった。それを逃れて、本来のぼくの席に戻ると、男は追いかけてきて、本格的にぼくに汚水をかけ始めた。怒ったぼくは男と取っ組み合いになり、「こいつをつかまえろ」とみんなに叫ぶが、同僚たちはかかわりあいになりたくないらしく、誰もぼくを助けてくれない。
2007年01月28日
1月28日の夢(3つの断片)
机の引き出しに、自分のサインした沢山のカードと沢山のサインペンが入っている。一つのサインごとにサインペンを替えたので、こんなに沢山のサインペンが必要だったのだ。
地中を調べるための潜航艇が潜航する準備のため、突き出ているバックミラーや尾灯などを折り畳んでいるのを、乗っていたバスの窓越しに見る。ホバークラフトのような形をしたやつだ。
二人の人に、緑色の巻物のような物を渡そうとしている。「これはお手紙のように見えますが、お菓子ですので、召し上がってください」と、ぼくは言う。
2007年01月26日
1月26日の夢(事故の噂)
会社で印刷会社の老営業マンを交えて、みんなで談笑している。階下から「40万円もする車が衝突している」という知らせが入る。みんな「ええーっ!」と驚く。(なぜか40万円の車は高級車だと思っている) ぼくの車でなくて、よかったと思う。誰もここに関係者はいないと思い、陽気にその噂をしていると、一人、背のずば抜けて高い若い男が青い顔をして、出口へ急ぎ足で向かった。彼もどこかの印刷所の営業マンらしい。きっと、ぶつかったのは彼の車だろう。みんな、しーんとなって、彼の後ろ姿を見送る。そういえば、彼はこないだボストンマラソンを走る権利を13万円で買ったと言っていた。
2007年01月23日
1月23日の夢(プーケット島)
タイのプーケット島に一人で旅行にやってきた。「危ないから一人では行くな。後でみんなで行くから」と注意されたが、ぼくは好奇心を抑えられない。コンクリートの低い壁から外を見ると、極彩色の不思議な風景が広がっている。南洋の海はこんなにもカラフルなのだろうか。ぼくはトイレに行きたくなり、三階建ての建物を登ったり降りたりして、トイレを探す。しかし、現地人ばかりで、なんだか危険そうなので、用を足すのはあきらめる。
戻ってみると、中高年の男達が部屋にテーブルを二つ苦労して並べている。それは折り畳まれたパネルを引き出すことで、二倍の幅にすることができるテーブルだったが、うまくパネルを引き出すことができずに、苦労している。やっと出来上がったテーブルに料理を並べていく。ぼくが戻る前に、みんなは既に食べ始めていたようだが、ぼくは何一つ口に入れていないので、早く食べたくてたまらない。
ふと気がつくと、部屋の床やテーブルに、蚊が一面にとまっている。その数は半端でなく、蚊でじゆうたんができたみたいだ。それを追い払いながら外に出る。
また部屋に戻ると、今度は小さなカエルやゲジゲジが這っている。しかも、すばしこく動き回っていて、ぼくは気味が悪くて、もう階段の手すりにも触れることができない。
2007年01月22日
1月22日の夢(徳島取材)
ロシアの新進ピアニスト、コブリンが徳島でコンサートをするという。ついでに買い物をしたり、映画を観たりするので、そうした日常を取材に来ないかと、楽器店の人から誘われる。「安く泊まれるところも紹介するよ」と言うから、現地のお店にいる人なのだろう。誘いにのって、一泊で行くことにする。
ところが、後になって、コブリンの徳島滞在は二日間だということが分かる。といって、二日とも取材をすることはないだろう。後半の一日だけ取材することにし、相手に日程の変更を電話しようとするが、携帯がなかなか通じない。そうこうするうちに、向こうから電話がかかり、目の前に本人が現れた。現地の人ではなく、東京にいる人だった。彼は「一日目の方がメインだったのに」と言う。今さら言われてもしょうがない。彼は若手の後輩社員を連れていて、その男に「おまえもいっしょに行ったらどうだ?」と声をかける。そして、お店に入っていき、「ここで切符を売ってくれる」と言う。一瞬、ぼくが三人分お金を払って、切符を買うべきかなと思うが、ここは男に買ってもらうことにする。
二台のピアノの置かれた練習室で若い女性ピアニストとリハーサルをする。一曲はなんとか弾いたものの、本当はぼくは楽譜も読めないし、ピアノもまともには弾けないのだ。ぼくを信じて待っている女性ピアニストに、「楽譜を忘れてきた」と苦しい言い訳をする。
2007年01月21日
1月21日の夢(恐怖の食卓)
妻とまだ小さな息子(現在はもう30代半ば)と三人で夕食をとる。いつも仕事が忙しくて帰りが遅いので、ぼくが早く帰宅して三人で食卓を囲むのは久しぶりだ。息子が食卓のどこにそれぞれが座るかを決める。ぼくの真向かいが息子で、その隣が妻だ。
途中で来客があり、妻がどこかへ行ってしまった。とたんに部屋は薄暗くなり、不気味な雰囲気になる。ぼくがかじっているのは、黒い竹で編んだ笊のようなもので、よく見るとその笊には竹そっくりの黒い真田紐のような虫が何匹かとりついて、鎌首をもたげている。妻に助けを求めるが、妻は戻ってこない。「助けてーっ!」 ぼくの声はどんどん高くなり、悲鳴に変わる。食卓には息子の姿もなく、変わって見知らぬ男が座っている。
「詩と思想」誌の昔の経営者F氏と、同誌の仲間が作った映画を見ている。ぼくは会場を出たり入ったりして、その全部を見ているわけではないが、映画にはとても象徴的な映像が多く、思った以上に面白くて引き込まれる。特に交差点で、ゴジラの縫いぐるみがもだえて転げ回るシーンは秀逸だ。映画は殆どその交差点に面したお店の中が舞台だったのだが、映画の終わりでは、その交差点の俯瞰のシーンから、そのお店だけが夢のようにふわーっと消滅してしまう。これは意外な終わり方だ。この物語は実は現実ではなかったという暗示だろうか。
2007年01月20日
1月20日の夢(自宅映画会)
新潟へ取材に行ってきました。上越新幹線から見えるスキー場に、スキーヤーの姿は見あたりません。新潟は雪が全くなくて、ポカポカ陽気だったので拍子抜け。長靴はいていったのに。
(夢ここから)
家の中に広い部屋があって、そこで映画会が行われる。大画面の薄型テレビのようなものが床の右側に置いてあるが、左側から画面に映写機の光線が当たっているので、テレビではなく光学的に映写されているのだと分かる。そこにぼく自身の映像が映写されるはずなのだが、それはぼく自身が撮影したものだ。というのは、ぼくは自分を他人に映されるのがいやだからだ。ぼくはこれから始まる映写に向けて、とても張り切っている。
2007年01月17日
二日分の夢
書かなければならない仕事の原稿がたまってしまって、今日は自宅に缶詰になっていました。
(1月16日の夢)
詩人の吉増剛造さんが週刊誌に重大な記事を書いたらしいという。印刷所から送られてきたばかりの、まだ製本前の雑誌を、ぼくと妻ともう一人の男と三人でぱらぱら見る。大きな記事だとばかり思っていたぼくは、見出しをひとわたり見て、「そんな記事はない」と言うが、実は小さな記事なのだと聞き、もう一度探し始める。
(17日の夢)
長方形の大きな教室のような場所に、沢山の椅子が整然と並び、すべての椅子に人が座っている。ぼくはその真ん真ん中の席に、女性と二人並んで座っている。座っているのはそこなのだが、ぼくら二人のやっている港の管理会社の受付机は、この長方形の部屋の短辺の両端にある出入り口に置かれているので、仕事のたびにそこへ出向かなければならない。おまけに、女性と反対側の席に、スキー板か琴のようなものが倒れてきて、そちら側には出ていけなくなってしまった。
2007年01月15日
1月15日の夢(御岳山のお客)
社長に御岳山の山頂に本を届けるよう、命じられる。午前中に会社を出発し、これなら夕方までに悠々帰れるなと思ったのだが、駅近くまで来てから、肝心の本を忘れてきたことに気づいて、会社に戻る。本を手にして、改めて出発しようとするが、この本を届けても、御岳山山頂のお客から貰えるのは郵送料分の150円だけだと言われる。拍子抜けするが、それでも150円分の領収書を持っていかなければならないだろう。会社中の引き出しという引き出しを開けてみるが、領収書がない。同僚の女性社員があり場所を知っているかもしれないと思い、彼女を探す。ようやく、奥の部屋で割烹着を着てアイロンをかけている女性社員を見つけ、尋ねると、手の離せない彼女は言葉だけで、領収書の入っている引き出しのありかを指示する。その言葉に従って、このあたりかなと思う場所の引き出しを探すが、やっぱり見つからない。もう午後3時近い。この分では御岳山から帰れるのは、深夜になるなと思う。(夢ここまで)
御岳山は「おんたけさん」です。名古屋にいた子どもの頃、よく名前を聞きましたが、どこにあるどんな山なのか分かりません。
2007年01月14日
1月14日の四つの断片夢
ツアーの旅行に一人で出かけ、東京へ帰る列車に乗っている。どこかで乗り換えなければならないのだが、どこで乗り換えればよいのか分からない。座席は船の二等船室のような感じで、床にみんな座っている。たまたま隣に座っていた同じツアーメンバーの女性に乗換駅を尋ねて、教えてもらい、それがきっかけで仲良くなる。それから間仕切りをまたいで、隣の区画に行き、そこにいた男性とも仲良くなる。
東京に着いて、ぼくはさっきの女性の家に行く。彼女と夫とがちょうど帰宅したところを、門の外から「お帰り!」と声をかける。ぼくは彼女は自分と同じ旅行から帰ってきたところだとばかり思っていたのだが、彼女は「あれからダンナと別の旅行に行って、今帰ってきたところなの」と言う。ぼくはとまどいを感じて、そこを離れる。
パスネットのカードを沢山貰い、無造作にポケットに突っ込む。そのまま駅に行き、改札を通ろうとするが、それらのカードに自分の定期券が紛れてしまい、見つからない。通行する人々が見ているところで、みっともないと思いながら、ぼくはポケットの中からカードを全部出し、床に分類しながら積み重ねて、定期券を探すが、見つからない。
布団の中に男の死体がある。ぼくが殺したのかどうかは分からない。死体の男から荷物を奪って、こっそり玄関から逃げようとする。玄関は暗いので、沢山置いてある中で、どれが自分の靴か分からない。とにかく男物の靴を探して逃げようとするが、足先に触るのは先端がとがった女物の靴ばかりで、なかなか逃げることができない。
2007年01月13日
1月13日の夢(ヘッブバーンの車に乗る)
オードリー・ヘッブバーンの運転する車の後部座席に乗っている。車が角を曲がったはずみで、ぼくは座席ごと外へ投げ出された。座席は縦長の長方形をしている。放り出されて座席はバウンドして倒れそうになったが、なんとかバランスを保ち、ぼくを載せたまま、道に立っている。居合わせた少年が走っていって、運転するヘッブバーンに知らせてくれたらしく、彼女はUターンして戻ってきて、またぼくを乗せてくれた。
会社のビルの改装工事が始まった。自分たちの働いているオフィスの部屋は何の変わりもないが、ドアを開けると、そこから先は工事の人たちが忙しく動き回っていて、足の踏み場もない。
2007年01月12日
1月12日の夢(魔法の床と目覚まし手袋)
会社にいて、休憩時間になる。同僚達と野外で大きなテーブルを囲んで、お茶を飲むことになるが、ぼくだけ席がない。まごまごしていると、同僚の一人が椅子を貸してくれたが、その椅子は座高が低くて、とても座りにくい。Mくんがみんなに「休憩時間は1時間半あるので、見たかったお芝居を渋谷に見に行ってもいいですよ」と言う。
また、会社が改装になった。今度は魔法の床になっている。床板に黒茶色のアメーバ状の染みのようなものが見えるが、近づくとそれは秘密の引き出しで、それを開けると中にロッカーがある。だが、どれがぼくのロッカーだか分からず、迷っていると、同僚が「二つのガラスコップを一階の食堂に片づけてもいいか」と尋ねる。ぼくは「それは一階ではなく、二階のものだ」と言って、自分で二階に返しにいく。そこはレストランのようになっていて、働いているおばさんたちは「このコップはここのものではない」と言って、受け取りを拒絶する。コップは三階のぼくのオフィスのものだったのだ。だが、三階に持っていっても、やはり置き場所がない。
金色に輝く目覚まし時計があり、それをぼくは左手の手袋としてはめている。目覚ましには、目や耳のような出っ張りがあり、そこをボタンのように押すと、出たり引っ込んだりする。その手袋を指人形のようにして遊ぶ。
2007年01月10日
1月10日の夢(混雑したバス)
また、バスの夢です。いつも通勤で利用しているからでしょうか。
(夢ここから)
妻とバス停に並ぶ。振り返ると、ぼくらの後ろにすごく沢山の人が並んで待っている。ぼくらのかたわらに若い貧相な男がいっしょにいる。
バスが来たので、乗り込む。すごい混雑で、ぼくらはバスの一番後部まで押され、妻は最後部の座席に座った乗客の膝に乗ってしまう。その手前の窓際に、横向きのシートがあって、そこはなんとか二人分空いているので、妻にこっちに座るように言う。
妻は手に持っていた一握りのコインと何かの雑貨をぼくに手渡す。片手からあふれんばかりの量なので、一度床に置いてから握り直そうとするが、片手で全部はとても持ちきれない。一度床に置いてしまったことを悔やみ、妻にそのことを話すと、妻は「○○(不明)を学士家さんに渡した?」と尋ねる。貧相な男のことを言っているらしい。学士家さんなんて言い方は初めて聞くなと思う。男はぼくらに「まだ貰っていない」と言う。
2007年01月08日
1月8日の夢(レールを走る車)
今日は「詩と思想」誌の新年会兼「詩と思想新人賞」授賞式でした。受賞者紹介をスピーチしたので、もうぐったり。
昨日、東フィルと書いたのは東京交響楽団のことですが、この楽団はトウキョウ・シンフォニーという英語名だから、東フィルと略すのは間違いかも。
(夢ここから)
カメラマンに頼んで車を運転してもらう。街の中から少し外れたところに出る。ここは墓場だと思う。もうこの辺で停めてもらおうと思っているうちに、道路はいつのまにかレールに変わり、しかもそのレールはジェットコースターの軌道のように空中に持ち上がっていく。そのまま進み続けると、保線工事に行く手をさえぎられてしまう。しかたがないので、工事の人にも手伝ってもらい、バックすることにする。幸い、うまくタイヤとレールがかみ合って、地面の上までバックすることができた。
地面に降り立ったところで、車を降り、カメラマンに運転のお礼を渡す。漢方薬の箱に25000円ほどの現金を詰め込んだものをまずポケットから取り出す。それからまたポケットをごそごそして、透明な液体の詰まった小瓶を2個取り出すが、その間に現金の入った箱を見失いかける。探すと、地面に落っこちていた。これだけのお礼では少ないかなと思い、「これでいいですか」と渡すと、カメラマンはとても喜んでくれ、「ちょっといいですか」と言いながら、地面の上に小さなテーブルを置いて、ぼくを酒盛りに誘う。(夢ここまで)
現実に道路とレールの上を両方走るバスというのは開発されているみたいですね。
2007年01月07日
1月7日の夢(相部屋ホテル)
今日は東フィルのニューイヤーコンサートで中村紘子先生がチャイコの一番を弾くというので、サントリーホールに取材に行ってきました。後半ではドボルザークの「新世界より」もやるという人気プロのため、席は完売。補助椅子で聴いたのですが、これは聴き応えがありましたねー。紘子先生には昨年、ぼくの夢にも出演していただいたのですが、その紘子先生と楽屋で二人きりでお話しをちゃうという、まさに夢のような取材でした。
(夢ここから)
明日の朝9時から都内で取材があるので、相棒と共に急遽都内のホテルに泊まり込むことになる。相棒というのは、豊かな顎髭を生やした外国人の男である。ホテルのバーで二人で飲んでいると、テレビでニュースをやっている。強盗に襲われて無一文になった男の話だ。「あっ、あれはうちの社長だ。また、無一文になっちゃったのかー」と、ぼくはみんなに言う。それから、ぼくは相棒に言葉をかけることなく、荷物をまとめてバーを出ようとする。そんな二人の様子にホテルのバーマンは当惑しながらも、丁寧な物腰でぼくに「足下に荷物をお忘れですよ」と注意をしてくれる。
予約した部屋を探す。エレベーターに乗り込もうとすると、ぼくの鼻先でドアが閉まってしまう。最後にドアの隙間からぼくを鋭く見ていた誰かの眼差しが妙に気になる。結局エレベーターには乗らず、歩いて部屋に向かう。部屋に入って、気がついた。このホテルは妙に値段が安いと思ったら、5人による相部屋なのだ。既に4つのベッドは男達でふさがっており、一番奥にある一番大型だが円形をした赤いベッドだけが空いている。同室の男達は「このお部屋がお気に召すかな?」と嘲笑的に言う。「なんでですか?」と、ぼくは平静を装う。男達はみんなタバコをもくもく吸っており、心臓の良くないぼくは煙が気になる。「ぼくは夜中に歯ぎしりをするんですよ」と、ぼくが言うと、男達は「この中の二人はいびきがすごいんだ」と応じる。こんな地獄のような場所で果たして眠れるだろうかと、ぼくはとても不安になる。
そういえば、今日ホテルに泊まることを妻にまだ知らせてなかったと気がつき、男達が全員いなくなった時間を見計らって携帯をかけるが、自宅と電話がつながったときにはまたみんな戻ってきていて、周囲がうるさい。自宅にはぼくら夫婦のほかに、もう一人の女性が娘といっしょに住んでいる。たまたま電話に出たのはその女性で、ぼくを娘と間違え、「あら、マーガレット(娘の名前)?」と言う。女の子と間違えるやつがあるかと、ぼくはぶすっとなって「違います」と答える。彼女は慌てて妻に電話を替わる。ぼくは妻に宿泊の事情を話すが、妻は「約束が違うじゃない!」と言って、怒り出す。ぼくは「だって、しょうがないじゃん」と言うが、夢の設定のあまりの馬鹿馬鹿しさに呆れて、目を覚ましてしまう。
(それから再び眠って見た夢)
ホテルの一階に銃砲店がある。そこへ何度も入ろうとして、思い直す。
2007年01月06日
1月6日の夢(水のない水槽に絵を描く)
年末に奄美へ行ったことが、今頃夢にあらわれたのか、島へ行く設定になっていますが、特に島らしい場面はありませんでした。M氏は以前会社の同僚として20年以上コンビを組んでいたにもかかわらず、ものすごくウマの合わなかった男性。彼は何年も前にリストラされてしまい、もう会うこともないのですが。
(夢ここから)
島へ行った。島でぼくが最初にしたのは、持っていた毛皮のコートを壁にかけること。それから水の入っていないガラス製の四角い水槽に、絵筆を持って向き合った。ぼくには手本とする一枚の絵があり、それは油絵なので平面の作品だが、その絵を四つの透明な面を持つ水槽に描かなければならないのだ。ぼくはまず手前側の面の一番下に、地面のようなものを描く。きれいな単色の絵の具を塗ったのだが、そこにはもともとさまざまな絵の具が既に塗られていたため、混じり合って部分ごとに微妙に色が変わり、不思議な模様になった。
次にその上の全面に水色を塗ろうと思ったが、正面のガラスではなく、残り三方のガラスに水色を塗れば、正面から見るとすべて水色に見えることに気がついた。そこで、場所を移動し、左の面の外側に色を塗ろうとする。
ところが、そこには木のデスクと椅子がごちゃごちゃとあって、会社のような雰囲気で、犬のような顔をしたサラリーマン風の男とM氏とが座っている。特にM氏は邪魔だが、なんとか左に回り込んで、水色の絵の具を塗り始める。
そのとき、ふと目を上げると、犬のような顔の男の向こうの床に、ぼくが最初にかけておいた毛皮が落ちているのに気がつくが、それは気にしないことにして、作業を続ける。
2007年01月03日
12月29日に沖永良部で見た夢
12月29日に沖永良部島で見た夢。でも、なぜか狛江の夢。登場するダブルのタカコさんは、以前J-WAVEでDJをしていました。なぜ「ダブル」なのに一人でやっているのだろう?と疑問を持ったのが、この夢につながっているようです。(実は今も疑問)
なお、初夢に楠田枝里子さんが登場したのは、奄美で偶然つけたNHK教育テレビに詩人の正津勉氏が出てきたためです(なんのこっちゃ!)。楠田さんには若い頃、編集者として童話を書いていただいたことがありました。
(夢ここから)
会社を出て、狛江近くのバス停でバスから降りる。そこで誰かが「京王線の特急が止まる駅で、狛江に一番近い駅はどこか?」と尋ねる。「それは枚(ひら)…」と答えようとして、下の一字をど忘れしてしまう(現実にはそんな駅はない。狛江は小田急線しか通っていないが、その質問の答として当てはまる京王線の駅は調布)。隣にかつて同僚だったM氏がいて、いっしょに考えてくれている。そこにバスが着いて、双子のデュオシンガー「ダブル」のタカコさん(ただし、夢の中では「タカコ」という名前をど忘れしている)の弟だという少年が降りてきた。タカコさんも弟もそういう駅名についての雑学に詳しいと有名(弟さんは実在しないし、もちろんすべて夢のでたらめ)だが、尋ねてみると、そんな駅名は知らないと言う。タカコさん自身もやってきたので尋ねてみるが、彼女も知らないと言う。
バスが来たので、M氏と共に乗る。ぼくは乗客達に「この中で今パソコンを持っている人は?」と尋ねる。4人ほどの若い男性が手を挙げた。さらに「今、検索できる人は?」と尋ねると、3人くらいが手を挙げた。「では、狛江の近くの京王線の駅で、特急が停まる駅を検索してください」と言う。男達の一人から「なぜそんなことを知りたいのか」と質問が出る。ぼくは「ある有名な女性歌手が知りたがっているからだよ」と、タカコさんの有名さを暗示する口調で言うが、実は彼女の名前をど忘れしているから、名前を言えないのだ。それに、彼女が知りたがっているというのは、口から出任せだ。それで、みんな検索を始めるが、時間が経っても誰も検索に成功しない。そのうち、バスは停留所に止まり、運転手が後ろを振り向いて、「皆さんは特急の停まる京王線の駅を探していらっしゃるが、ここがその駅、枚方(ひらかた。実際にはこの地名は関西にあり、京王線には存在しない)です」と言う。なーんだ。一挙に問題解決となる。
ぼくはM氏と別れ、タクシーを拾って家に帰ろうと思うが、もう夜の8時過ぎで、しかもここは裏道なので、タクシーも通りかからない。以前にも、夢でここにやってきたなあ。そのときは父親といっしょで、タクシーを探しに父親が駅の方へ一人で歩いていってしまったのだったなあと、思い返す(以前そういう夢を見たことが現実にあった)。そのとき父親が消えていった駅の方向とおぼしきあたりへ、ぼくも歩き出す。
途中、路傍にホームレスの男が座り込んでいて、子犬と向き合っている。子犬がぼくの進路をふさいでいるため、よけようとするがぶつかりそうになる。通り過ぎた後、ホームレスが子犬に「○○へ行け」と命令するのが聞こえる。子犬は日本語で「なぜ、そんなところへ行けというのだ?」と口答えする。ぼくは子犬が日本語を話すのは不思議とは思わないのに、なぜ犬に日本語がわかるのだろうということを疑問に思う。
2007年01月02日
初夢
年末は奄美諸島を巡って過ごし、元日の夜に帰還しました。でも、向こうで不整脈が出ちゃって、ちょっと体調が万全ではありません。
(夢ここから)
今日は全国的にケーキを食べる日だ。だが、つましく暮らしている我が家ではちゃんとしたケーキを食べるなんて、とても無理だ。ケーキをあきらめている顔の妻に、ぼくは「ケーキはあるよ」と伝える。妻は驚いて、顔を輝かせる。もっとも、そのケーキはまだデパートの売り場にあって、まだ買っていない。それに、ケーキといってもただのスポンジケーキに過ぎないのだ。
ぼくはデパートのある売り場に一種類だけ売っているケーキか、その一階下のフロアに何種類か売っているケーキのどちらかを買うつもりで、妻に「どちらがいい?」と尋ねる。妻は早速見に行くが、戻ってきて、「ねえ。どうしてもどれを買えばいいのか決められないの」と言う。
どうも話の具合から、彼女は別のものと勘違いしている様子なので、改めて売り場に行ってみる。すると、最初の売り場に一つだけあったケーキは既に売れてしまったのか、影も形もない。一階下の売り場に行くと、楠田枝里子さんが店員をしていて、3種類くらいのスポンジケーキがあった。そのうち、ケーキの上に赤いジャムの帯が載ったものを指して、妻は「これだといいな」と言う。それはまさに、ぼくの買うつもりのものだった。
久しぶりに詩のジャーナリストとしての仕事をすることになり、明日から始まるある展覧会の会場に取材に行く、同業の郷原さんと会場でいっしょになる。二人が取材に来るのを全く予想していなかった主催者たちは大喜びだ。小柳さんが郷原さんと挨拶している間に、ぼくは大西さんに「ごぶさたしています」と挨拶するが、なんとなく彼はぎこちない様子をする。とりあえずみんなに並んでもらい、写真を撮影する。
会社で何かの仕事をするために、二つの別々の場所にあるデスクを与えられるが、それらは本来は別の人のデスクをぼくがその仕事をするために借りる形になった。そのうち、一つのデスクの左隣は《ぬえ》さんのデスクだ。ぼくは3本の蛇柄のマフラーを持っていて、それを彼がいない間に左のデスクの上に置く。それはまるで本物の蛇のように不気味だ。やがて《ぬえ》さんが戻ってきて、じろりとぼくを一瞥し、無言のままそれを退かした。ぼくは「これを片づけなきゃいけないと思っていたんだ」と言い訳をして、それを自分の机の上に戻すが、《ぬえ》さんは無言のままだ。
2006年12月27日
12月27日の夢(道に迷う)
出発前に執念で最後の夢を書きます。
(夢ここから)
「詩と__」のM編集長が著者に貸すのだといって、古い小型のカメラを持ってきた。ドイツ製だろうか。ファインダーを覗き、焦点を合わせるボタンを押す。ジーッといい音がして、ズームになる。とってもいい感じ。
まだ行ったことのない詩書出版社S社へ行こうとしている。アポなしだが、「一色です」と言えば、なんとかなるだろうと思っている。場所は御茶ノ水のはずだが、正確な場所は知らない。でも、これまたなんとかなるだろうと思っている。ホームでどの出口から出るべきか、まごまごする。改札を出たが、道がわからない。道しるべになる地図もどこにも掲示してない。「ここは南口」という声が聞こえる。ぼくは北口へ行くはずだったので、方向を180度間違えていたことに気づく。こっちの方角かなと思うが、そこは道はすぐ行き止まりで、水を満々とたたえた水路が一直線に遠くまで続いている。途方に暮れる。
2006年12月26日
12月26日の夢(待機)
明日から年末旅行に出発してしまうので、これが今年最後の夢です。皆さん、よいお年を!
(夢ここから)
ホテルのロビーのような場所で、座談会か対談の司会をすることになっていて、ひとり待機している。左方にドアのない出入り口があり、そこを左へ曲がった隣の部屋が座談会の会場だ。メンバーのひとりは既にそこで待機している気配だ。もうひとりのメンバーの男が間違えてこっちへ来て、ぼくのすぐ前でコートを脱ぎだした。挨拶した方がいいのかなと一瞬思うが、ぼくはまだ休憩中だし、ここは会場ではないので、気がつかないふりをすることにする。そのうち、彼も隣の部屋へ行ってしまい、ぼくは再び一人になった。
2006年12月25日
12月25日の夢(背中の痒みで世界を感じる)
定年過ぎたというのに、土曜日は深夜残業でイブの日に朝帰りでした。全くいい年をして、何やってんだか。さて、今朝の夢です。背中が痒かったので、こんな夢を見ました。
(夢ここから)
何かの会である女性を紹介するスピーチをすることになっている。「彼女は背中の痒みで、世界を感受している」と言いたいのだが、そんなことをいえば「ふん。田舎者」と笑われてしまうかもしれない。それより、ぼくの部屋に彼女がエッセーを書いた「文芸春秋」があったはずだ。あれからネタを拾おうと思いつく。本棚の一番上に、何冊も「文芸春秋」が山積みされている。一番上の号をとると、それは芥川賞の発表号だった。その下に、彼女のエッセーの掲載された号があった。
自宅のマンション前の道路を歩いている。からりと晴れたいい陽気だ。道路を何人か、上半身裸の若い男達が歩いていく。ホームレスだろうか。それにしては、みんな労働した後の雰囲気を漂わせている。ふと見ると、川向こうの空き地がいつになくきれいに整理整頓されている。空き地の周囲は野球場のバックネットのようなもので区切られていて、そのネットに2,3人の男がよじ登っているが、彼らはこの清掃作業を指揮した男達らしい。マンション前にも、彼らの作業用資材を運んできたらしいワゴン車が、後ろのハッチを開けて待機している。あの空き地を彼らが毎月一回、定期的に清掃しているのだと理解できた。
2006年12月23日
二日分の夢
二日間続けて夜のコンサートへ行きました。コンサートを聴くだけと言っても、それも仕事だったりするのでちょっとぐったり。今日も土曜日ですが、これから出勤して、深夜まで仕事です。定年過ぎたのにい?!
(12月22日の夢)
観光バスに乗って、これから社員旅行に出かけるところ。社屋の一部は部屋の中が何もなくなるほど破壊されている。女性社員の中に定期的に精神に異常をきたす人がいて、定期的に室内を破壊するのだが、辞めさせるわけにもいかないのだ。
「バスは環城壁のところに停めてあるからね」と誰かに言われる。「環城壁」ってどこのことか、ぼくには分からないが、みんなは知っているらしい。とりあえずこっちだろうと思う方向に歩いていってみるが、行けども行けどもバスはいないし、社員達の姿もない。
もう随分遠くへ来てしまい、時間も経ってしまったから、みんなは出発してしまったろうと思うが、まだあきらめきれずにその辺の建物をうろうろ探し回ったり、少し元に戻ったりしている。
(12月23日の夢)
詩人のMくんとKさんらがぼくを呼び出して、池袋のホテルの部屋にベッドを並べて、みんなでごろごろしている。大画面でゲームをしたり、テレビを見たり楽しくしていたのだが、どうしてここが分かったのか、ぼくの父親が面会にやってきて、そのまま部屋の中に居ついてしまった。追い出すわけにもいかず、みんな居心地が悪い思いでいる。おまけに父親はみんなの演説が下手だというようなことを言い出し、ぼくを困惑させる。
部屋には窓が二つあり、こちら側の窓から見える風景はごく当たり前の都会の風景だが、反対側の窓を覗くと、そこはイラクあたりの中東の都市である。しかも、真下のロータリーの真ん中で超大型のクレーン車が横転して、自転車が下敷きになっている。クレーンの台座あたりに見える赤黒いものは血かもしれない。クレーン車には沢山の箱が積まれていて、そこから赤茶色の顔料のようなものが一面に流れ出している。いつのまにか社長がそこにいて、「それは天馬の色だと言われているが、本当にそうだろうか」と偉そうに演説する。
2006年12月19日
12月19日の夢(犬山行き)
撮影したフィルムの現像に犬山まで行かなければならない。朝、電車に乗って、木曽川の鉄橋を渡り、犬山駅に着いた。降りると、駅員が「Oさん(ぼくの会社の同僚で、カメラマン夫人)が待っているよ」と声をかけてくれた。さらに進むと、沢山の他社のスタッフがいて、みんなフィルムの到着を待っている。その人波をかきわけて、Oさんの姿を探すが、彼女の姿はない。ぼくのそんな様子を見て、他社のスタッフたちが奥の方に声をかけてくれる。その声に気がついて、ずっと離れたところで話し込んでいた彼女が現れ、無事にフィルムを引き渡すことができた。(夢ここまで)
夢ではぼくは東京ではなく、名古屋にいました。子どもの頃、いつも父親に連れられて、犬山に遊びに行っていた思い出が重なっているようです。
2006年12月18日
12月18日の夢(坂本龍一のオペラ)
今日は自動人形師のムットーニ氏の国立のアトリエに行き、インタビューをしました。夢はまた坂本龍一氏関連です。顔のある現代彫刻は以前に見た、中村紘子先生の夢に出てきた坂本氏の顔つき弾丸とピアノ線のオブジェにそっくりでした。
(夢ここから)
坂本龍一氏らが東京で大がかりなオペラを上演するというので、大金をはたいて一人で見に行く。入り口で三列に並ばせられる。ぼくは真ん中の列の先頭に並ぶ。でも、この列は「フェメール」だと係りの男に言われる。ぼくは男性だが、いいのだろうか。入り口で靴を脱ぎ、かわりに下駄の形をした小さなオブジェを渡される。そしてその小さな下駄に、自分の名前を糊で貼り付ける。本名を書いてよいものかどうか迷うが、結局「まこと」と書く。そして、それを床に置くのだが、置くスペースを探すのが大変だ。
まごまごしているうちに出遅れた。指定された右の方向へ一目散に走る。だが、会場はどこにあるのだろう? 暗くて静かな博物館のようなところに迷い込む。金属でできた現代彫刻のようなものが、いくつも暗い中に並んでいる。ぼくのほかに中年の男が一人、それを見ている。彫刻には顔があるので、もしかして生きているのかと叩いてみるが、やはりそれは彫刻だった。
博物館を出て、さらにオペラの会場を探す。電車の線路を渡る。少し賑やかになって、道ばたに子どもたちが座っている沢山のベンチがある。ここもオペラの観客席なのだろうか。上方には大きなモニター画面があって、そこでは子どもたちが「今日のオペラのチケットを盗まれた」と悲しい歌をうたっている。
2006年12月15日
12月15日の夢(芋焼酎と紫の血)
沢山の家族と広い家の中にいる。家族たちは引き出しの中などから、古いものを沢山見つけた。ぼくは濃厚な芋焼酎を見つけ、それをコップに注ぎ入れる。そして、その隣には水を入れたコップを置く。
家族たちが立ち去ると、ぼくはコップの芋焼酎をひとりでぐびっと飲む。しかし、これでは胃に負担がかかりそうなので、隣のコップの水を一口飲む。さらに二口、三口と飲む。それでも酔っぱらってしまったが、それを隠して隣の部屋に行く。
途中で一人の女性とすれ違う。彼女はリストカットをしたのか、腕に内側に紫の糸くずのように血が盛り上がっている。そして、部屋の向こう側にいる別の女性に「ねえ、血、盛り上がってる?」と尋ねる。ぼくは一瞬足を止めて、それを見つめ、「確かに盛り上がっているよ」と女性に教えてあげようかと思う。しかし、彼女はぼくに尋ねたわけではないのだから、余計なお世話はよそうと、そのままそこを立ち去る。(夢ここまで)
現実にはぼくはお酒は殆ど飲めません。うっかり飲むと不整脈が出ちゃうんです。多分、寝ていて、不整脈気味になったため、こんな夢を見たのでしょう。また、現在は妻と二人暮らしという、全くの核家族です。
2006年12月14日
12月13日の夢(宇宙へのバス旅行)
東京は夕方から冷たい雨になりました。なぜか宇宙にもバスで行ってしまう、バス大好きのぼくです。
(夢ここから)
宇宙にバス旅行し、もう帰途につこうとしている。建物の廊下のようなところに、一人の女性が座っていて、人だかりがしている。見ると。その全身から湯気のようなものが上がっている。近くに行き、湯気に手を伸ばすと、温かい。ドライアイスを使ったトリックではないかと疑っていたが、どうやら本物の湯気らしい。
外へ出ると、激しく雨が降っている。折り畳み式の傘を持ってきていたものの、それを建物の玄関に置いておいたので、案の定盗まれてしまった。しかたがないので帽子をかぶり、地球へ帰るためのバスに向かって駆け出す。雨は帽子にさえぎられて、ほとんど濡れた気がしない。これなら風邪をひく心配もなさそうだ。
2006年12月12日
12月12日の夢(朗読会)
今日は会津若松へ仕事で行ってきました。
(夢ここから)
妻と詩の朗読会を始めようとしている。ステージから客席を覗くと、黒い服の年輩の男女がつめかけていて、お葬式みたい。妻はこれから演じる自分の作品に余裕綽々だが、ぼくは全くテキストを読み込んでおらず、ぶっつけ本番なので、とても不安だ。しかし、主催者の女性が線路の向こうに出かけてしまって、戻って来ないため、朗読会はなかなか始まらない。
2006年12月11日
12月11日の夢(中村先生危機一髪)
先日、浜松国際ピアノコンクールを見に行ってきました。それで、こんな夢に。中村先生、ごめんなさい!
(夢ここから)
中村紘子先生が屋外のレストランに入って、オーダーをしているのが見える。とても若々しくて、美しい。すると、そこへ男がやってきて、巨大な銃を先生の背中に突きつけた。すると、もうひとりの男がやってきて、最初の男の背中に同じような巨大な銃を突きつけ、引き金をひいた。たちまち、最初の男の体は痙攣して、たくさんの弾丸とピアノ線の塊になってしまった。そして、その一個一個の弾丸はみんな、坂本龍一の顔をしていた。
2006年12月10日
12月10日の夢(喫茶店の夢ふたつ)
11月をもって12年間続いた共同夢日記「夢の解放区」の幕を下ろしたのは以前に書いた通りですが、その管理人をお願いしていたのが今日の夢に出てきた《ぬえ》さんです。本当に長い間、お世話になり、有り難うございました。
(夢ここから)
さんざん苦労をした末にようやく座談会が終わった。でも、ちょっと不具合があったので、それを直すために《ぬえ》さんが席を立ったので、本当はまだ完全に終わったわけではない。だが、会場のレストランのウェイターは「皆さん、自己紹介のために二階の席へ移動してください」と言う。見ると、このフロアからつながった中二階のようなところがあり、そこへ移動してほしいようだ。座談会用に四角くテーブルをセットしたフロアから、普通の喫茶店風のテーブル席になっている二階へ、みんなぞろぞろ移動する。ぼくはこのまま荷物を置いていこうかどうしようか迷うが、やはり不用心なので、全部持っていくことにする。
(ここから別の夢)
妻が喫茶店のウェイトレスとしてアルバイトを始めたので、その店を訪ねる。店の女性たちがぼくに気をつかって、飲み物を出してくれた。妻は初老の化粧の濃い女性からオーダーを受けたところだったが、ぼくが行くと、そのまま女性の席と通路を隔てて隣り合った一人用の席に座った。ぼくは通路に立ったまま妻と話し出す。背中にはリュックを背負ったままなので、初老の女性の顔のあたりにリュックが来て、通路をふさいでしまう。話を終えて、ぼくは外に出ることにするが、手に持った飲み物の代金を形だけでも「払う」と言った方がいいだろうと、店内を見回す。しかし、ほかのウェイトレスたちはみんな店の奥に入ってしまっている。伝票もないし、レジの人もいないので、「まあいいか」と、そのまま外に出ることにする。
2006年12月09日
12月9日の夢(体を買い換える)
乗っている船が沈みかけている。既にだいぶ沈んでしまったのか、息苦しい。水中でも大丈夫な立派な体が1000円くらいで売られているので、お金を払って、急いでその体に買い換える。(夢終)
疲労困憊していて、寝ていて、不整脈があったため、こんな夢を見たようです。
2006年12月06日
12月6日の夢(詩の先生)
ぼくは「詩と思想研究会」というワークショップで詩の実作指導の講師をしているのですが、そのぼく自身が詩の先生につく夢を見ました。
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ぼくの家に、詩を教えてくれる先生がやってきた。ぼくより年上で偉そうだ。その先生がごそごそぼくの原稿のチェックをしている間、ぼくはふてくされてソファに横たわり、本を読んでいる。「おい、きみ!」と先生がぼくを呼ぶ。ぼくは挑戦的な目をして、でも一応にこやかに彼と視線を合わせながら起き上がる。「そろそろ研究会で、きみの詩を出そうか」と彼は言う。そういえば、以前も彼に言われて、研究会でぼくの詩を披露し、みんなから逆に批評をもらったことがあったっけ。だが、ぼくは「ぼくは講師ですから、みんなが混乱するといけませんから」と、先生の申し出を断る。
2006年12月05日
12月5日の夢(見つからない場所)
タクシーに乗って、「ある場所」を探しに行く。運転手のほかに同行者は男女一人ずつ、ぼくを含めて三人で出かける。車窓から見える街はグレイに古ぼけていて、今はない昔の街のような気がする。ぼくたちは「ある場所」を探し回るが、結局見つからず、帰ることにする。道中、運転手はこの仕事を25,6歳からはじめ、今30歳だという。ぼくは「出発した場所」も見つからず、帰り着けないのではないかと不安になるが、出発した場所は無事に見つかった。そこは、ガードレールか柵のようなものが内側に切れ込んでおり、バス停であるらしい。ぼくが運転手に「ここで降ります」と言うと、ほかの二人の乗客もいっしょに降りた。運賃は一人1000円ずつだった。
家に帰り、妻に「見つからなかったので、行かなかった」と言う。妻は「行ってみればよかったのに」と言う。
2006年12月03日
12月3日の夢(富士山の噴火)
会社の同僚たちと富士山に登る。富士山には中腹までエレベーターで登ることができる。エレベーターを出たところの右側はガレ場というのだろうか、岩の砕片がごろごろしていて、とても足場が不安定だ。左側には既に登山した社員たちの鞄がうずたかく積まれていて、中には谷底の方まで転落している鞄もある。そしてガレ場の向こうには広い草原があり、そこで社員たちが楽しく遊んでいるのが見える。
不安定な瓦礫の上を乗りこえて、ぼくも草原に降り立ち、みんなと楽しく遊ぶ。ふと富士山を見上げると、休火山のはずなのに、山頂から黒い煙がもくもくと立ち上っている。ときには、ぼっと紅蓮の炎も混じる。あれっと思っているうちに、火山弾が次々と降ってくるようになった。慌てて売店の中に逃げ込むが、そこも危険になる。二台の車に分乗して、エレベーターの入り口まで逃げることにする。ぼくは助手席に乗っているが、火を噴く山頂に向かって(エレベーターの入り口は山腹にあるので、逃げるには山に向かっていかざるをえない)疾走する車の正面から、サッカーボールくらいの煙を吐く火山弾が次々と飛んできて、地面にバウンドしては車をかすめていく。今度こそ直撃されると覚悟するが、危機一髪でエレベーターの中に逃げ込むことができた。
2006年12月01日
12月1日の夢(小狸)
夜、自宅の台所とも道路ともつかぬところを歩いていると、小さなぬいぐるみのような動物が歩いてきた。小狸だと思った。かわいいなあ。でも自動車に轢かれてしまわないだろうか、と心配だ。いっしょに歩いている仲間に、狸を踏んづけたりしないよう、気をつけようと声をかける。
さらに進むと、もっとかわいい小狸が何匹も歩いてくる。ぬいぐるみのような体に柄があって、本当に愛くるしい。さらに進むと、案の定、小狸が車に轢かれてぺしゃんこになっていた。かわいそうに。(夢終)
11月まで12年にわたって仲間たちと書いてきた共同夢日記「夢の解放区」を閉鎖したため、これからはこの「ころころ夢日記」で毎日の夢を書いていきます。どうぞよろしく。
投稿者 isshiki : 22:36
2006年11月25日
11月25日の夢(老人になる)
ぼくは老人で、ホテルに一人で泊まっている。これからほかの老人客と混じって、団体でどこかへ行くことになっている。身繕いを一人でする自信がないので、部屋付きの中年のメイドに手伝ってもらう。そのため、ドアを開けておいたら、ほかの部屋の老人が入り込んで、身繕いを始めた。「ここはぼくの部屋だから出ていってくれ」と言おうと思うが、思いとどまる。部屋の中は暗くて、散らかっている。腕時計を探す。メイドが慌てて「なんですか」と聞いてくるが、自分で見つけて腕にはめる。ポケットを探ると、汚れたちり紙が何枚も入っている。捨てたいが、どこに捨てればよいだろう? 小さな鍵も指先に触れた。きっとこの部屋の鍵だろう。
身繕いを終えて、部屋の外に出る。どこかで子犬がメロディーのある歌をうたっている。既に引退した元編集長のKの声が背後から聞こえる。「今日もワワワン、ワワワン、ワワワン、ワッワワワワワワンという声が聞こえるわ」。それに対して、もっと若い女性の声が「あれはそう聞こえるだけで、そう鳴いているわけではないのよ」と答える。
カメラマンのIに現代美術館に連れていってもらう。若い人たちで館内はいっぱいだ。入り口には確かナムジュン・パイクのインスタレーションがあったはずだが、そうではなく一面に落書きされた学童用の机がいくつも二段に積まれている。内部も美術館というより古道具屋のようで、がらくたがいっぱいだ。うろうろしていると、カメラを構えて記念写真をしているグループの中に紛れ込んでしまい、慌てて場所を移る。この中は不案内で、Iだけが頼りなのだが、Iだと思った男はもっと背の高い女性に抱きしめられている。ということは、あれはIではないのだろう。迷子になりそうな不安に襲われる。だが、Iはすぐそばにいて、「このへんを適当に見て回りましょう」と、ぼくににこにこ声をかけてくれる。
投稿者 isshiki : 11:37
2006年11月23日
11月23日の夢(逃げる)
誰かに追われている。もう一人の男といっしょに関西へ逃げていき、肉体労働をする会社に行って、面接を受け、採用される。だが、すぐ追っ手が迫っている気がして、そのままそこを飛び出し、別の町に移る。そこでもある会社に就職しようとするが、面接が終わったとたんにいたたまれなくなり、あたりを伺うと、すぐに逃げ出す。
投稿者 isshiki : 20:52
2006年11月22日
11月22日の夢(ぼろぼろ千円札)
今日は詩の研究会の講師をする日だ。しかし、主催者はぼくの知らない、初めての人たち。おまけに会場は道路。そして、ぼくとコンビを組むもう一人の講師は「折々の*」で有名なO氏なのだが、なかなか現れず、やきもきする。しかも、ぼくの腕時計は突然逆回転を始め、時刻が分からない。見上げると、ちょうどそばに時計塔があった。あれで時刻を見ればいいなと思う。
やっとO氏がやってきた。O氏の席はぼくの左側で、彼の席だけぼくよりずうっと前方に突きだしている。ぼくの席は後方に下がっているうえ、O氏との間には金網のフェンスが張られている。これでは研究会などできない。道路の向こう側のメンバーに大声でとりあえず開会の挨拶をしたうえで、主催者に会場の作り直しを依頼する。
やっと再設営ができたた。だが、今度は作品についてメモしたぼくのノートがない。あれがなくちゃ、批評ができない。大いに慌てる。
いつのまにか研究会は終わったようだ。終わったのに、O氏は帰ろうとせず、ぼくに向かってにこにこしている。どうやらお礼の支払いを待っているようだ。しまった。用意するのを忘れた。財布をあけると、よれよれの千円札が入っていた。これをお礼にしよう。封筒がないが、灰色のビニール袋があったので、それに千円札を一枚入れようとする。しかし、なかなか入らず、押し込んでいるうちに、札がぼろぼろになってしまった。しかたがない。二枚目の千円札を出す。
新興宗教の人たちの素人芝居を見ている。終わったあと、会場の外から「高い所に登ったから、外を見て!」という声がする。窓の外を見ると、あらゆる建物の屋上や最上階に新興宗教の信者たちが鈴なりになって、手を振っている。観客はみんな感動して拍手する。
投稿者 isshiki : 22:32
2006年11月19日
11月19日の夢(人生の駅)
隣の駅まで電車で行き、戻ることにする。自販機で130円の切符を買おうとするが、コインが入らない。自販機にはいろいろな種類があって、ぼくの買おうとしていた機械の下には「その他」と書かれた自販機がある。この自販機でもいいかもしれないと思い、コインを入れると、機械ではなく、隣の窓口から男の駅員が、回数券のように何枚か綴りになった切符を手渡してくれた。だが、よく見ると、それは電車の切符ではなく、「愛のなんとか」という名前の喫茶店かバーの回数券だった。
ぼくはその回数券を持って、ずんずん駅の中に入っていく。幸い、改札がないので、そのまま線路を渡って、ホームへ上がろうとする。今渡った線路を貨物列車がやってきた。これから渡ろうとする線路を、客車が反対方向からやってきた。その客車の運転手がぼくに「その貨物列車は長いぞ。さあ、人生の意味をよく見ておくように」と叫び、ある一点を指さした。指さしたところには、石碑のようなものが建っている。たまたまぼくの後から線路を渡ろうとした老人と共に、その石碑を眺める。
電車に乗って、元の駅に戻ってきた。さっきの駅で切符なしに入ったから、この駅から出られるかどうか心配だ。案の定、あちら側もこちら側も踏切棒が降りていて、ぼくは駅から出ることができない。この駅から出ることができない。
投稿者 isshiki : 21:11
2006年11月17日
11月17日の夢(祖母と女性運転手)
喉が痛くなった。女性が風邪薬を手渡してくれたので、飲んだ。
朝、死んだ祖母がぼくの部屋にいるので、何をしているのかと見に行く。祖母はピアノの前で歯を磨いている。ぼくを見て、慌てて「あっ、こっちでやるから」と言い、北の窓を開けて、がらがらぺっと口をゆすいだ水を、窓の外に吐く。死んだ母も出てきて、祖母を眺め、「困ったねえ。ぼけちゃったのか」と言う。
その祖母とバスに乗る。とても混んでいる。運転席のすぐ後ろに立っていた客が急に体調が悪くなったようだ。運転手の女性はすぐに席を立って、着ていた白いセーターを脱ぎ、豊かな胸をあらわにして、その客の背中におしつける。「こうすると、痛みが緩和するんだよ」と、ぼくは連れの女性(いつのまにか祖母ではなくなったらしい)に教える。
投稿者 isshiki : 22:05
2006年11月16日
11月16日の夢(電話型切符自販機)
妻とある有名作家を訪ねて、旅行に出ている。駅にやってきた。ここから一駅向こうに作家は住んでいるはずだ。なんだか、動物園の入場券売場のような切符売り場。並んでいる自動販売機は緑の公衆電話みたいだ。
妻は普通の切符自販機の行列に並んだが、ぼくはその右端にある特別の自販機の行列に並ぶ。この路線には有名な「全線共通切符」というのがあり、これはその切符だけを売る専用機で、並んでいる人数も少ない。
その電話機のような自販機にコインを入れるが、入れる前から機械の下にはレシートのような形の紙片が沢山あった。誰かがそこへ置いていったものらしい。これが「全線共通切符」だろうか。だが、よく見ると日付が違う。一枚だけ今日の日付のものもある。これは今ぼくの入れたコインに応じて出てきた切符だろうか。だが、よく見るとコピーのように見える。こんなものを改札口に持っていって、駅員に捕まってしまったら大変だ。
こんな自販機では危険だと、ぼくは妻の並ぶ行列の後ろにもう一度並び直す。妻は行列のすぐ前に並んでいる女性に「湯布院の○○先生のところに行くのですが・・・」と尋ねる。すると、その女性は一番左端の窓口にすっ飛んで行き、駅員に尋ねてくれる。その駅員も女性で、「それなら、今夜の6時に送り届けてあげますよ」と言う。ぼくは慌てて「いや、2時に会う約束をしているのですよ」と口を出す。時計を見ると、もう1時40分だ。あと一駅だから、この時間で間に合うと思ったのに。
それを聞いて、女性駅員は慌てて「早く早く」と、ぼくを促しながら、別の場所に走っていく。それを見て、妻は「駄目じゃない!」と、ぼくを叱責する。車で送ってくれるのだろうか。ぼくは思わぬ展開に、ぽかんと口を開け、言葉もなく妻の後をついて走り出す。
投稿者 isshiki : 20:49
2006年11月14日
11月14日の夢(タンスでおしっこ)
何かのお芝居を見るために、リュックをかついで家を出た。途中の建物に人々が集まっている。ここでエレベーターに乗り換えるのを待っているのだ。ぼくはリュックのほかに二つの重たい袋を持っている。いつもはこの建物の棚にその荷物を置いて、身軽になって劇場へ行くのだが、今日に限ってそれでは荷物を盗まれるのではないかと不安になる。そのまま三つの荷物を持って、出発する。
ところが、外に出ると真の闇だ。闇の中で、若い女性一人を含む四人の声がしている。手探りで進むうち、やっと誰かが建物のドアを開けてくれ、その建物の内部からの淡い光で、互いの姿が見分けられるようになる。
白昼の緑豊かな住宅街を歩いていて、おしっこがしたくなった。ぼくは知らない家に上がり込んで、一番奥の部屋まで行き、タンスの一番下の引き出しを開ける。引き出しの中は青いソファーのような布張りだ。トイレ以外で、大人がおしっこをしていいのは、タンスか机の一番下の引き出しの中だけと決まっている。だから、ぼくはその引き出しにおしっこをする。脇にはガラス戸があって、外の道路が見える。そこに眼鏡をかけた小学生の女の子が自転車に乗ってやってきて、ガラス戸の向こうで止まり、道路に寝そべる。ぼくを見ているわけではないが、悪いところを見られたようで、急にぼくは不安になる。やっと用を足して、その家の家族や近所の人がおしゃべりをしている縁側から、外に出る。誰もぼくのことは気にとめない。だが、地平線あたりのはるか遠くにいる男性がぼくの行為を見ていたような気がして、ぼくはとても恥ずかしくなる。
投稿者 isshiki : 22:14
2006年11月13日
11月13日の夢(今浦島?)
誰かと電車に乗り、駅で降りる。ホームから階段を上がる人混みの中で、その人とはぐれてしまう。しばらくして、一人で改札を出ると、そこにその人が腰掛けて待っていた。いっしょに乗り込んだタクシーの中で、ぼくは言う。「国によって、年の数え方が違う。だから、日本人には一瞬でも、外国人にはそれが一年にもなるんだ」。だから、その人はここでぼくを一年待っていたことになる。
投稿者 isshiki : 21:47
2006年11月12日
11月12日の夢(原宿の畑)
以前ぼくの会社にいたMさんという女性が再びぼくの会社に入社したらしい。ぼくの会社は社屋がいくつかに分かれていて、同じ原宿でも彼女は別の事務所に配属されている。他の同僚が彼女に「この会社にいてもお給料はなかなか上がらないですよ。3年くらいは」と言う。彼女は自分の給料明細書を指して、「あら。でも、こちらの給料はなかなかいいですよ」と答える。見ると、明細書では給料が二つの部分に分かれていて、その一方が妙に高いなとぼくも思う。同僚は「それは今回だけですよ。鏡なんかは二枚あった方がいいでしょうからね」と言う。どうやらそれは入社支度金のようなものらしく、鏡を買える金額が補助されているのだろう。
その事務所を出て、原宿を歩き、自分の事務所に戻ろうとする。原宿には畑があり、肥沃な黒っぽい土が広がっている。ぼくの前を車椅子の男性とその介護ボランティアの人が進んでいく。じゃまな二人をすり抜けて、ぼくは畑の中に踏み込む。その畑の中を通り抜けると近道なのだ。しかし、畑の中には金網が置かれていて、通り抜けられないようになっている。後から車椅子の人もついてきて、「じゃまですね」と言う。その金網を片づけるが、前方にはさらに目の細かいカスミ網のようなネットが張ってある。ぼくは「これは意図的に通させないつもりですよ。バリケードが張ってありますから」と言って、引き返す。車椅子の人は「誰だろうな。j**と書いてある」と、ネットに書かれた名前を見て呟く。「その男の顔を見てみたいね」と、ぼくも言う。
初めてのレストランで昼食をとろうとする。席は空いているようなのだが、店の奥の方で並んで案内を待つ仕組みらしい。列に並ぶ。だが、なかなか順番が来ない。ようやく呼ばれて、案内された先は、テーブルの一番右端の席。座ると足が床につかないような、背の高い丸椅子に腰を下ろす。ランチメニューは決まっているらしく、オーダーしないのに、すぐランチが運ばれてきた。だが、左隣の人には別のものが運ばれてきた。その人は女性だとばかり思っていたが、よく見ると男性だった。
投稿者 isshiki : 21:10
2006年11月11日
11月11日の夢(カメラ付き缶ビール)
会社の同僚の女性は長年同棲生活をしていたが、いよいよ正式に結婚するらしい。結婚後の運命が分かる機械がある。秤の皿のようなところに自分の首を載せると、口が自動的に動いて、結婚後の未来を予言するのだが、そのとき頭の上から一筋煙が立ち上る。
大掃除で、掃除機をかけている。ふと虫を吸い込んだのに気づき、よくよく見てみると、今までぼくの寝ていた万年床の端のところに、びっしりとさまざまな虫が何列にも並んでたかっているのだ。中には小型のネズミまでいて、みんなじっとしている。汚いので、掃除機で次々と吸い込むが、すぐに詰まってしまって、吸い込めなくなる。
ホテルで浴槽にお湯を張る。そろそろいっぱいになったかなと思って、見に行くと、もうお湯はあふれてしまって、部屋の敷居を越え、廊下まであふれ出している。慌ててお風呂の栓を抜き、カーテンを引いて、人々の目から浴槽を隠す。
某社のリゾート施設に取材で滞在している。某社はカメラ付きの缶ビールを開発して、大人気だ。ぼくは取材のプロとして、その缶ビールカメラでみんなを撮影しなくてはならないが、使い方がよく分からず、きちんと撮れるかどうか不安だ。
投稿者 isshiki : 21:04
2006年11月10日
2006年11月07日
11月7日の夢(昼食が食べられない)
昼食を食べようと、会社から外に出る。街一帯が灰色で、看板もネオンもなく、人気もない。デパートも商店もこの曜日はすべてのお店が休業してしまうようだ。交差点を右に曲がると、一つだけ開いたガラス張りのお店があるが、なんとなく入りにくく、そのまま通り過ぎる。中から女性客の問いに、店主の男性が「なんでも出来ますよ」と答えている声が聞こえる。結局、何も食べず、買わず、一周して会社へ戻る。
投稿者 isshiki : 21:11
2006年11月05日
11月5日の夢(合宿)
目覚めると、何かの合宿で、何人かが並んで雑魚寝している。この何人かが今回のメインゲストで、ぼくもその一人だ。右隣は先輩詩人のA氏で、すぐに挨拶をする。左隣は初対面の関西の詩人T氏。挨拶しようとしたが、気後れしてしまい、しそこねてしまった。その隣は唯一の女性詩人Mさんだ。みんなは彼女と親しいらしく、気軽に呼び捨てにしている。右手から自動人形師のムットーニ氏が現れたので、「対談の日を決めてよ」と言う(「詩と思想」誌で実際に対談の約束をしている)。彼が12月下旬のある日を指定したので、喜んで自分の手帖に書き込もうとするが、ぼくの手帖は赤のボールペンで真っ赤にスケジュールが書き込んであり、そこに新たに対談の日時を書き込んでも全く目立たない。
合宿しているみんなと船に乗る。丸木舟をただ大きくしたような船で、前向きに沢山の椅子が並んでいる。こないだ亡くなった長老詩人のS氏が船首に立って演説を始めた。いつのまにかほぼ全員が着席して、彼の話を傾聴している。ぼくは座る席がないので、しかたなく立ったまま聞いている。船は川を素晴らしいスピードで進んでいく。
投稿者 isshiki : 11:54
2006年11月04日
11月4日の夢(順番待ちトイレ)
駅でトイレに入ろうと並ぶ。並んでいるのに、割り込む人がいる。みんなで「並んでいるんだよ」とたしなめる。それでも二人ほど、ぼくの前に割り込んでしまう。まあいいか、と思う。
並んでいると、ぼくの後ろに沢山の人垣ができた。トイレの横に駅ビルの入り口があり、今日はそのオープンらしい。テープカットと共に、開店セールへどっと人々が押し掛け、また行列はトイレの順番待ちの人たちだけになる。
ようやくぼくが一番前になった。磨りガラスの向こうに、先に入っていた女性が手を洗っている姿が見える。彼女はわざわざ中の電気を消して出てくる。さらに扉の鍵もかけようとするので、彼女を制して中に入る。
中に入ってみると、そこは普通の家族が生活している住宅の居間で、家族が食事をしているところだった。でも、公衆トイレなのだから構わずどんどん進むが、トイレは見あたらない。気がつくと、右手に通路がある。家族の一人の若い男がちょうどやってきたので、「トイレはこっちですか」と尋ねる。「そうです。このへんにある箱をどかすと、下にカメのようなものが埋まっていますから」と言う。なるほどそこには沢山の箱が積んであり、それを退かすのは大変そうだ。その男の兄も出てきて、手伝ってくれる。すぐにカメのようなものが見つかった。カメの上には圧力計の付いた蓋がある。その蓋を裏返すと、そこに少量の汚物がこびりついている。しかし、今まであんなに沢山の人たちが利用したにしては、量が少ない。「やっぱり蓋ではなく、カメの方にすべきだろうか」と、兄弟に尋ねる。妹らしい女性もやってきて首をひねりながら、蓋を取ってくれた。すると、その下には料理の並んだ食膳があった。さらにそれを退かすと、下にはもう何もない。じゃあ、やっぱり蓋にしていいんだ、と思う。ぼくが早速、ズボンを下げてお尻を出すと、女性は「まあ、もう?」と顔を赤らめる。兄弟は「この人はもう随分待っていたんだ」とフォローしてくれる。
投稿者 isshiki : 22:00
2006年11月03日
11月3日の夢(ギャングと大画面)
家に帰ろうとバスに乗った。ところが、はっと気づいて窓の外を見ると、全然知らない停留所の名前だ。しまった。随分乗り越したらしい。バスが電車の駅に停車したので、そこで降りる。電車で家の方へ戻ろうと、ホームに出る。ホームには若い男達がたくさん待っている。駅員がハンドマイクで、変な人たちが沢山いるので気をつけてください」と放送する。男たちは「変なやつとは何だ!」と駅員をつるし上げる。ぼくはホームの一番端にいて、そこから電車に乗ろうとするが、男達の一人がぼくの背中のリュックに飛びついてきた。こいつらギャングだったのだ。だが、気づいてももう遅い。
ホテルかレストランのような建物の廊下を歩いている。部屋の中で狛江四中(こないだ全国合唱コンクールで銀賞をとった)の生徒たちが美しい声で合唱をしているのが聞こえる。そこを通り過ぎて、ぼくの仲間が待っている部屋に戻る。仲間の男の一人が「どこか上か下の階で合唱をしていて、うるさい。やめさせろ」とフロントに電話する。ぼくは男に「上下の階じゃない。一つ二つ隣の部屋だったよ」と言う。
窓を開けると、この建物はL字型になっているらしく、生徒たちが合唱している姿の見える窓がすぐ近くに見える。「ほら」と、ぼくはその窓を指さすが、それは窓ではなく壁にはめこまれたテレビの大画面だった。そして、窓の外は庭ではなく、室内になり、コンビニの売り場のような棚の間を若者たちが徘徊している。ぼくもそこへ行き、食べ物を買う。窓に向かったカウンターに腰掛けて食べようとするが、そこには椅子がない。しかたなく、大画面に向かって置かれているテーブルに2,3個用意された椅子に腰掛けて、食べ始める。
投稿者 isshiki : 21:07
2006年11月02日
11月2日の夢(新しい会社)
知らない楽器メーカーのピアノの販促物を作る仕事が舞い込んできた。その会社が社内で制作したパンフレットを見る。社内で作ったとは思えない、なかなかかっこいい小冊子だ。とてもイケメンの男性技術者の1ページ大の写真が掲載されている。彼はもといたセクションから三段跳びで最新の情報が集まるセクションに異動し、そこですごいピアノを開発したのだという。ぼくはこれから作る販促物のためのラフスケッチを作るため、その写真をコピーして切り貼りをする。困難な仕事になりそうだ。徹夜もしなければならないだろう。「ヘリコプターで撃ち落とす写真も入れるんですか」と、誰かが質問する。「当然そうだろう」と、ぼくは答える。
投稿者 isshiki : 21:31
2006年11月01日
11月1日の夢(3つの布団)
ぼくを含め三人の男で和室に泊まっている。部屋には三つ布団が並べて敷いてある。まだ夜の9時半で、早い時間だが、もうみんな寝るらしい。ぼくは後の二人が両端の布団で寝て、ぼくは真ん中の布団だと思っている。ところが、若い男が真ん中に寝て、左端の布団をぼくに譲ってくれるらしい。それなら嬉しいと思うが、いざ寝ようとすると、その男は真ん中と左端の二つの布団両方に体がかかるようにして、斜めに横たわり、もう一人の男と話し始める。これでは、ぼくはどちらの布団にも眠れやしない。
投稿者 isshiki : 20:41
2006年10月30日
10月30日の夢(人工皮革)
妻と駅で待ち合わせをした。妻はKという詩人の出版記念会の帰りで、別の男性詩人と連れだってやってきた。Kの記念会のプログラムを見ると、一番最後に「人工皮革」と書いてある。これは先頃都庁の職員と結婚して皇族をやめた女性のことを暗に指した言葉らしい。この言葉に対して、その元宮様は「これでは差別じゃないか。せめてアンドロイドと書いてもらった方がよかった」と抗議したそうだ。連れの男性詩人は「それより、このKの文章の一行目はひどいよね。私は既に書き直してしまいましたが」と言う。ぼくは彼を「ひとの文章を勝手に直すのは著作権法違反ですよ。確かにぼくもこの一行目は駄目だと思いましたけどね」とたしなめる。いつのまにかぼくと妻は二人だけになって帰り道を急いでいる。どうやらうまく連れの男をまいてしまったらしい。
投稿者 isshiki : 22:21
2006年10月27日
10月27日の夢(夜の観光バス)
夜の観光バスに得意客を接待で乗せることになっている。バス会社の事務所に行くと、狭い部屋はカーテンを閉め切られた状態。その中でぼくが黙々と紙の切り貼りをしていると、カーテンを開けて中を覗く男がいる。しばらく逡巡した後、男はドアを開けて入ってくる。バス会社の社員だった。いよいよ夜の観光バスが出発するらしい。ぼくは服を着替えて、準備をする。セーターを頭からかぶる。
たくさんの荷物を両手にぶらさげ、ぼくは男の後をついて原宿の表参道を駅の方に歩く。そういえばぼくの会社はここに新しくビルを買って転居したのだが、どこだったろう? 懸命に頭をめぐらすが思い出せない。もうアルツハイマー病になったのかと不安になる。そのうち、会社が引っ越したのは千駄ヶ谷だったと思い出す。原宿にビルがないわけだ。ほっと安心する。
バスの発着場に着いた。夜の観光バスなんて、乗る人も少ないと思っていたのに、意外に沢山の男達が路上で待っているのに驚く。中で、背の高い男がぼくを見て、僅かに会釈をする。あれがきっとぼくの顧客なのだろうと思う。
実は当初、夜の観光バスで顧客のお供をする役目を与えられたのは、入社したばかりの若い女性社員のはずだった。だが、彼女はそれをいいことに、さまざまな業者から賄賂をたくさん取ったことが発覚したので、直ちにクビにした。おかげでぼくが顧客のおつきあいをしなくてはいけなくなったのだ。
バスに乗って、動物園のような場所に着いた。室内で、金網の組み込まれた全面ガラスの向こうに、動物のような植物のようなものがうごめいているのを見学する。そこから移動することになる。ぼくは3個も荷物を持たなければならないので大変だ。そう思って、荷物を持とうとすると、ない。気を利かして、誰かが持ってくれたようだ。
投稿者 isshiki : 21:35
2006年10月26日
10月26日の夢(3つの断片)
夜、ゴミ袋をマンションのゴミ捨て場に捨てに行くと、外には大勢の刑事が張り込んでいて、袋の中身を調べられた。
会社から外国の地震のことを扱った本が出版されることになり、その最終校正が上がってきた。表紙を見ると、三人ほどの共著者の名前が印刷されている。一番上に大きく書かれているのはぼくの名前だ。こんなビッグな本の著者になれるなんて嬉しい。けれども、この本の内容のことは何も知らないので、記者会見やサイン会のときに困るだろうと思う。
飛行機に乗っている。正面の窓には飛行している外の風景が写っているが、現実ではなく、ヴァーチャルの野山の上を飛んでいるようだ。
投稿者 isshiki : 22:02
2006年10月25日
10月25日の夢(カワセミ怪獣)
ぼくらは山の上で平和な暮らしをしていた。森の中をかわいいカワセミが翡翠色をきらめかせて飛び交っている。
一人の男がある日、山頂に張られた柵か鉄条網のようなものごしに森の中を見つめていると、向こう側に半透明の幽霊のような巨大なカワセミが現れた。高さが3メートル、全長は10メートルはあるだろうか。胴体は蛇腹のような感じで、どことなく中国の旧正月に登場する龍を連想させる。男はそれを見て、不吉な予感にかられ、走って山を駈け降りた。後から、あまり頭の良さそうでない男二人が「あの男の後をついていけば安心だ」と言い、後を追って同様に駈け降りてくる。三人の背後で、カワセミ怪獣が攻撃を始めたらしく、爆発音が聞こえる。平和だった山の上は甚大な被害が発生しているらしい。
男はコンクリートで四方を固められた狭い地下道の四つ角で立ち止まり、「ここなら安心だ」と、そこに身を隠すことにする。追ってきた男たち二人もそこに身を落ち着ける。後から避難民がどんどん山を下りてくるが、三人は身を隠して、彼らをやり過ごす。
しばらくはそうして安全な隠れ家生活をしていたが、やがてあたりが避難民であふれるようになり、コンクリートの通路の中もぎっしり避難民が立っている状況になると、たちまち生活は逼迫した。そこへ杖をついた髭の老人が現れ、「私は徳川夢声じゃが、あの名伯楽だった男が今は一介の馬引きに身を落としておるそうな。彼は良き政治家を育てる男にならなければならないのじゃが」と言う。
この頃、男は今は以前とは別の山の上に、女と共にあばら屋ながらも一つの家庭を築いていた。だが、女は苦しい避難生活の中で精神が不安定になり、男も周囲の人たちも彼女が自殺を図るのではないかと恐れている。男が先に家に入り、女を呼ぶ。周囲の人たちも女の名を呼ぶ。吊り橋などがある不安定な山道をあてどなくさまよっていた女はなんとか家に帰ってきた。だが、まだまだ安心することはできないと男は思う。
投稿者 isshiki : 22:09
2006年10月24日
お茶とタクシー
新しい仕事が入ったので、地方都市にある某社に打ち合わせに行く。妻と、某詩の研究会のH氏、会社の同僚のIさんとぼくの四人で出かける。
打ち合わせは某社の12号館でということだ。そこに行くため、駅でタクシー乗り場に並ぶ。タクシーを待つ間に、ぼくはお茶を買おうと、一人で列を離れる。ところが駅の中にも、外にもあったはずの自動販売機はすべて撤去されている。なぜかぼくは裸足で、駅の周辺の土の露出した地面を一周するが、自販機は一台もない。駅の中に戻ると、湯飲みで熱々のお茶の無料サービスをしている。それを飲めばいいのにと自分でも思うが、飲もうとはしない。某社に着いてから自販機で買えばいいと思う。
タクシー待ちの列に戻ると、いつのまにか列は長くなっていて、駅をぐるりと一周している。ぼくの前に並んだ見知らぬ女性が列に並ぶ人々を見渡し、「みんな三井生命の営業の人ばかりだ。一人が○○人顧客を持っているとして、某社には3600人の顧客がいることになる」とぼくに言って、列を離れる。
やっとぼくらの番が来て、タクシーに乗る。そこへ大型バスが後ろから突進してくる。ぼくらのタクシーは衝突を避けるために急いで発進するが、その間にさらに別のタクシーが後ろから割り込んではさまれる。三台は互いに接触しながら、ガガガガ・・・と街頭のさまざまなものをなぎ倒す。降りてみると、あたりはまるで竜巻が通ったあとのような惨状だ。
再び駅に戻る。タクシー乗り場も大変な惨状で、ビニールシートで覆われており、タクシーではない車がそこをびゅんびゅん走っている。これでタクシーに乗れるのだろうかと不安だが、「タクシー乗り場が再開されましたよ」と、係のおじさんが叫んでいる。どうやら、今度こそタクシーに乗れそうだ。
投稿者 isshiki : 22:03
2006年10月17日
10月17日の夢(小3の子どもになる)
主人公は小学校三年生の少年。夢では外側から見ているけれど、明らかにぼく自身でもある。戦争で手柄を立てて父親に褒められたのに、その後大失敗をしてしまった。トイレと間違えて、台所の手前の部屋でおしっこをしてしまったのだ。気がついて、途中で止めたのだけれど、床に脱ぎ捨てた自分のパンツを濡らしてしまった。さらに、台所との境までおしっこの流れを作ってしまった。それを懸命にさっきのパンツで拭き取るが、拭ききれない。ああ、どうしよう。母に怒られると思う。
廊下で少年が暴れている。それで、妻が幼稚園くらいの女の子をぼくのいる台所にかくまってやる。ぼく(現在のぼくらしい)は彼女を見て、あんまり垢抜けない子だなと思う。
投稿者 isshiki : 22:13
2006年10月16日
10月16日の夢(応援の円板)
イワクラという投手に応援の手紙を書いた。テレビ中継を見ていると、その応援が満月のような黄色い円板となって、マウンドの空中に浮かんでいる。そこへ男の声がした。男の声と共に円板はくるりと回転していく。それは球体ではなく、一枚の厚みのない円形の板だったのだ。90度円板が空中で回転すると、円はいちのまにか一本の直線に変わっていた。それを見て、ぼくは「うわあ、イワクラを応援するのは大変なんだな」と思う。
投稿者 isshiki : 21:57
2006年10月15日
10月15日の夢(校了)
会社に行き、自分の編集しているタブロイド判の新聞の校正を見る。会社に来るまでの間も、「ここが違う」「あそこが違う」と校正のことで頭がいっぱいだった。早速校正を始めるが、なぜか赤ペンではなく、黒の鉛筆で校正をしている。右のページには猿の写真が印刷されている。ぼくは無意識にその写真のキャプションを消して、今まで頭の中で鳴り響いていた言葉(どんな言葉だったか覚えていない)をその鉛筆で書き込んでしまう。このキャプションが間違っているはずはないのだ。間違っているのは右ページの写真だ。しかし、よく見ると、そこも間違っていない。それどころか、さっきぼくが赤ペンで訂正したところも、間違ってはいなかった。なあんだ。間違いは一つもないじゃないか。早速発行元の社長に電話しよう。いや、そうでなく、代理店の担当者に電話しよう、と思う。そこへ社長が通りかかって、「一色さんはすごいんだね。そんなところまで知っているんだね」と、なんだか分からないが誉めてくれる。しかし、代理店の担当者の電話番号が分からない。ぼくは書類棚から名刺ケースを取りだして、急いで「校了」と伝えるべき相手の名刺を探し始める。
投稿者 isshiki : 20:31
2006年10月12日
10月12日の夢(3つの断片夢)
何かの団体旅行で、和風の旅館に滞在している。既に昼食が始まっているが、ぼくはまずトイレをすまそうと、トイレのはずの部屋に行く。しかし、そこもみんなの昼食場所になっていて、とても用を足す余地がない。あきらめて、昼食の席に戻るが、自分の座る席がどこだったか自信がない。多分、ここだったと思うところに座り、その左隣で談笑している二人の男に「ここがぼくの席でしたか?」と尋ねると、「そうだ」というので、安心してテーブルに置いてあるかき揚げにかぶりつく。
名古屋の街をタクシーで走っている。車窓から見る名古屋の街は随分変貌していて、街並みの広大な範囲が沢山の蝶が羽を広げたような形の大小の建物で覆われている。最近建造された寺院群だという。違和感を覚える。
若い女性の額に、銃で撃たれたらしい穴があいていて、彼女の顔は血で真っ赤に染まっているが、普通に生きている。
投稿者 isshiki : 21:44
2006年10月09日
10月9日の夢(秋葉原大学のみそ汁)
駅の待合室にいる。男子学生が売店のおばさんから紙コップに入ったみそ汁を買った。おばさんは「それは秋葉原大学のみそ汁ですよ」と陽気に声をかける。学生が紙コップをテーブルに置いて、ポケットを探るのを見て、おばさんはさらに「150円ですよ」と言う。最近は駅で大学の学食の味が簡単に味わえるらしい。また別の学生がみそ汁を買った。今度は「秋葉原学院大学ですよ」と言う。とても面白い話なので、ぼくはそれを雑誌の記事として原稿に書くことにする。なぜかパソコンではなく、鉛筆で細かい字をぎっしりと書いていく。「落語会もOUTで聞ける」と、ぼくは書く。参照している資料に、「500円の定期券を買えば、何度でもOUTで聞ける」と書いてあるからだが、一体これはどういう意味だろう? 分かりもしないのに、原稿に書くのはまずいなあと思う。
投稿者 isshiki : 20:20
2006年10月08日
10月8日の夢(松田聖子の講演テープ)
会社の新しい部署に配属された。すると、そこにはクライアントである某楽器会社の販売業界各社の重役クラスの人たちがたくさん送り込まれてきて、たちまち最重要部署になってしまった。そういうVIPたちと一緒に仕事をするのは、かったるくていやだと思う。
とりあえず、よく聞こえない一本の録音テープをもとに、原稿を書かなければならない。テープには今をときめくアイドルや有名人のインタビューが断片的に収録されているが、それぞれの境目がはっきりせず、一体何人分のテープなのかもはっきりしない。
その仕事をするために、夜遅く部署に戻ると、ほかのスタッフたちは殆ど、もうオフィスの床に布団を敷いて寝ている。しかし、ぼくはとにかくその仕事をやり終えたいと、ただ一人大きなテープレコーダーと格闘する。だが、テープで聞いた言葉を記録する紙がなく、しかたがないので、床に敷かれた上等そうな絨毯に大きな文字で記録していく。この絨毯にいたずら書きをしたことで、こないだも誰かが怒られたばかりだが、しかたがない。それに、起きているスタッフが時々ぼくの方を見るが、誰もとがめるふうではない。
おおよそ、テープすべての記録が終わったと思う。だが、本当に全員分できたのだろうか。どうも自信がない。特にメインの講演をしている松田聖子の話はとんちんかんで、これを原稿にするにはうまくぼくが創作してやらないと駄目だろう。
投稿者 isshiki : 21:03
2006年10月07日
10月7日の夢(列車に乗り損なう)
ホームで列車の発車を待っていたら、発車ベルのないまま列車が出発してしまい、ぼくは取り残されてしまった。ぼく以外にも、中年のおばさんなど、沢山取り残された乗客がいる。みんな慌てて、次の列車に乗り込んだ。しかし、その列車は各駅停車で、次の駅に着く前に、早くも後から来た列車に追い越されてしまった。
トイレが改良されたので、早速入ってみた。しかし、便器はなく、テーブルの下に向かって、おしっこをするのだ。しかも、改良されたトイレの見学者の男女が隣でぼくの放尿をじっと見ているのが気になる。ぼくのおしっこはとても勢いがいいが、すぐにテーブルの下から流れ出て、ぼくの足下までおしっこの水たまりができてしまう。テーブルの向こうにある何かも、濡らしてしまったようだ。
投稿者 isshiki : 20:19
2006年10月05日
10月5日の夢(幼稚園/病院/路地)
幼稚園にいる。教室で何かのセールスの説明会がある。椅子に座ると椅子の下に水たまりがあって、そこに足を突っ込んでしまった。足が濡れて、とても気持ちが悪い。説明をしていた男性セールスマンがそんなぼくを見て、「誰かがおもらししたかもしれなくて、いやですよね」と愛想笑いをする。周りには幼児連れの若い母親達がいるので、ぼくは一瞬それらの母親のうちの誰かがおもらししたのかと想像するが、そうではなく子どもがもらしたのに違いないと思う。
気持ちが悪いので、バスルームに行き、湯船に足をひたして洗う。そのとき、バスルームのドアを開けたままにしておいたのだが、通りがかりの誰かが閉めてくれたのを、また開けて外へ出る。
すると、そこは病院の大部屋になっている。医師が入ってきたので、患者たちにさっと緊張が走る。教卓のような机に陣取って、医師は患者の点呼を始める。ぼくは2番目くらいに呼ばれ、「はいっ」と返事をする。
この病室で、医師による患者のための講演会がこれから始まる予定だ。患者仲間であるちょっと怖そうな男が「あんたはなんで、ここに入っているのか」と、ぼくに尋ねる。そうだ。ぼくは何のために入院したんだっけ? 確か、使った化粧品か薬品のために、顔の皮膚に異常が生じたためだと思うが、しどろもどろになってうまく説明できない。すると、別の男が「それなら損害賠償を請求した方が有利ですよ」と言って、封筒に入った分厚い書類をくれる。封筒の中には証拠物件も手際よく揃っている。しかし、訴訟沙汰にするには、時間も手間も惜しいと思う。
また場面が変わって、ぼくは路地の道ばたで布団をかぶって寝ている。子どもたちがキャッチボールをしていたゴムボールが逸れて飛んできた。片手を伸ばすと、うまくキャッチできた。しかし、その子に返球しようと投げるが、届かない。またボールが飛んできて、うまく片手キャッチする。そのうち、子どもはわざとぼくにボールを投げて、ぼくにキャッチさせ、寝ているぼくと遊んでくれる。
投稿者 isshiki : 22:48
2006年10月03日
10月3日の夢(いやな言葉)
床屋のようなところで、自分の順番を待っている。そこにいた一人の女性がぼくの嫌いな言葉を口にしたので、思わず手を出して頬を張る(瞬間的に半覚醒状態になり、実際に右手を布団から出して、宙を打つ動作をする)が、ぼくの右手は彼女の顔の中を通り抜けてしまう。彼女は幻影で、実在しない女性らしい。ぼくは訳もなく興奮して怒りを爆発させたことを反省し、気持ちを静める。
いよいよぼくの番だと思ったが、おじいさんの番だという。では、おじいさんを呼んで来なくてはと駆け出す。
バス停に行くと、ちょうどバスが右からやってきた。そこへ初老の夫婦がやってきたので、乗るのかと思って順番を譲ろうとすると、二人はそのまま通り過ぎてしまう。乗るつもりはなかったらしい。ぼくが乗り込もうとすると、乗務員がぼくにあのいやな言葉を言う。ぼくはショックのあまりフリーズしてしまう。(「いやな言葉」がどういう言葉だったのかは、思い出せません)
投稿者 isshiki : 21:49
2006年10月02日
10月2日の夢(バスを乗り間違える)
会社を出て、家に帰ろうと、タイムレコーダーのところへ行く。タイムレコーダーは最新式のものになっていて、自分のホルダーにいくつもMO(光学ディスク)のようなものが入っている。朝、出社時にうっかり間違ったカードを押したことに今さらながら気づく。若い見知らぬ社員が後ろに沢山順番待ちをしているので焦るが、なんとか正しいカードを選び出して、退出時間を記録することができた。
道路を歩いていると、ちょうどバス停に白い大型バスがすっと停まった。「しめた!」と早速乗り込む。ぼくのほかに二人のスーツ姿の男性が待っていたが、二人は後部ドアから乗り込み、ぼくだけ車体の中央部にあるドアから乗車した。
車内を空席を探しながら、後部へ歩く。最後部から二列目が空いていたので、左側の席に座る。そのうち、このバスは市内バスではなく、どうやら高速バスらしいと気づく。どうやら駅へではなく、市外へ向かっているようだ。乗り間違えたことに気づき、ぼくはドキドキする。
が、市内の見知った場所でバスが停まったので、ぼくは慌てて「降ります」と言う。
気がつくと、いつのまにかぼくは最前列の左側の席に座っていて、すぐ右側の運転席には女性運転手が座っている。彼女は「料金は115円ですが、こういう10円玉をお持ちですか」と、ちょっと厚めの10円玉をぼくに見せる。財布を開けて探すと、その10円玉があった。これで、どうにか彼女の願いをかなえられそうだ。
投稿者 isshiki : 22:15
2006年10月01日
10月1日の夢(電車で用足し)
京王線の電車が新宿を発車したところで、ズボンをぱっとずり下げて、車両の連結部に腰を落とし、大便をしようとする。連結部のすきまからできると思ったのだが、ふと見ると、隙間はほとんどない。これでは大便が床にたまってしまうから無理だが、小便なら細い隙間を通って外に出てくれるだろう・・・と思うが、恥ずかしくてできない。思い切ってやってしまえ。そうじゃないと、もうすぐ電車は笹塚の駅に着いてしまうぞと思うが、なかなか決心がつかない。
投稿者 isshiki : 19:23
2006年09月29日
タドンコーヒー
窓際にある大きな容器のお湯の中にコーヒーを入れる。瓶からインスタントコーヒーの粉を入れたつもりだったのだが、瓶に入っていたのは粉ではなくて、タドンのように丸い、真っ黒でドロドロの玉だった。それをお湯に溶かすと、コーヒーというより、コーヒー色の泥になってしまう。おまけに、それをドボンと入れたときのしぶきが上がって、隣にあった白い砂糖壺にかかってしまい、砂糖もコーヒー色になってしまった。その黒い砂糖もドロドロのコーヒーの中に入れる。
投稿者 isshiki : 21:41
2006年09月28日
コーヒーと食虫植物
何かの帰り道、誰かに左の肩に注射をされる。まあいいや、と思う。
男がぼくにコーヒーをおごってくれるという。もう乗っている列車があと5分で駅に着くのに、飲む暇
があるだろうか。列車の中でコーヒーを売っている男は、「もう濃いのしか出せません」と言いながら、カウンターに置いた四角い容器の中で、泥のようなコーヒーをかき回す。結局、「あまりに濃すぎて出せません」と言う。
駅に着き、ほかの人より早く、一人だけバス停に行って並ぶ。外国のような感じ。突然、左肩に違和感を覚える。見ると、食虫植物のようなものがぼくの肩にはりついている。もぎとってももぎとっても、肌に張り付いた部分がはがれず、まあ、後で取ればいいや、と思う。
投稿者 isshiki : 22:36
2006年09月25日
9月25日の夢(カレンダー)
クライアントから書類を提出するように言われる。それはカレンダーなのだが、以前に提出したもの(いや。クライアントから貰ったものだったような気もする)の欄外にある赤インクの書き込みをホワイトで消せば、そのまま提出できそうだ。隣の女性社員にそうするよう指示する。
投稿者 isshiki : 22:27
2006年09月24日
9月24日の夢(空飛ぶバスの救援)
バスが岩山の斜面に不時着した。どうやら空飛ぶバスらしい。バスには女の子が一人乗っている。岩の斜面の中腹に小型のバスが見える。ぼくは崖の左側から岩棚をまるで石段のように、飛ぶように駆け下りて、救助に向かう。右の方から別の男がやはり飛ぶように岩棚を駆け下りてくる。男に負けたくない。どうやら、ぼくの方が先にバスに到着しそうだ。
2006年09月18日
9月18日の夢(ボールと魚を干す)
名古屋の実家の手前の道路の真ん中に物干しが立っている。そこに拾った泥だらけのボールと魚とを吊す。物干しにはガスバーナーが二つついている。凍結防止用らしい。そのバーナーが炎を上げているところに、洗濯ばさみでボールと魚を留めていったん離れるが、これでは炎で洗濯ばさみが熔けてしまうだろうと思い直して、戻ってみる。案の定、洗濯ばさみは熔けてボールも魚も路上に落ちている。
どうせなら、ちゃんと洗ってきれいにしてやろうと、ドロドロのボールを水道の水で洗う。真っ黒な泥といっしょに太いミミズも出てくる。魚を洗うと、生きたサンマが出てくる。どうしてこんなところにサンマがいるのかと驚く。
再び物干しにボールと魚と笹の枝を干す。しかし、これでは道路をふさいで邪魔になる。実際、自転車の男が脇を通り過ぎようとして、笹に頭が引っかかって迷惑そうな顔をする。そうだ。物干しを90度回転させて、道路脇に片づければよいのだ。早速、そうする。その様子を、近くの住人らしい男と小学校低学年の女の子が見ている。男は女の子に「これで迷惑じゃないかい? 自分の権利もちゃんと主張しなくちゃ駄目だよ」と言うが、女の子は黙って首を横に振る。
もう夕方だ。家に戻ることにする。こんなに遅くなったことを、妻に弁解しなくてはと思う。見ると、家の前に広い空き地が広がっている。どうやらここに新しいマンションが建つらしい。ぼくは「らーら。らららら。らーららー・・・」と鼻歌を歌いながら、自宅の玄関を開ける。(目覚めて、その歌は「LOVEは世界の言葉・・・」という古いポップスだということが分かりました)
2006年09月17日
9月17日の夢(海外ツアーのクレーム)
会社で海外パックツアーを企画した。ある旅行会社に下請けさせて、その添乗員がすべて手配するという約束で、ぼくの会社からはぼくと元「ピアノの本」編集長のK女史を含む3人がやはり添乗員として参加し、海外へ出発した。ところが、下請けの添乗員は約束に反して、手配を怠り、ぼくらが自分で手配しなければならないことが続発。「手配はそっちでやってくれる約束だったと言っても、『そうでしたっけ』というだけなのよ」とK女史は切れてしまう。(その後、爆発事故だかテロだかに巻き込まれたりしたらしいが、記憶が曖昧)
帰国後、K女史が退職し、ぼくが後処理を受け持つことになった。会社は新しいビルに引っ越したばかりで、ぼくは別の仕事に忙殺されてしまっている。そんなある日の夕方、下請けの旅行会社の男が海外ツアーでの不手際をわびにぼくの会社を訪れた。ぼくは二階にあったオフィスから階段を下りて、一階の小部屋で棚にある別の仕事の資料を懸命に探しているところだったが、その部屋は玄関のすぐ前にあり、男の「一色さんはいますか」という声に、応対に出た社員が「はい。いますよ。ここにいるのが一色さんです」と言うので、しかたなくぼくも「はい。私ですよ」と冗談っぽく言って、斜め前にある広い応接ロビーに男を案内する。そこには簡単な応接セットがたくさん並べられ、何人もの客と社員が商談中だ。ぼくは男を一番奥の壁際にある応接セットに座らせ、「ちょっと待っててくださいね」と言って、二階へ戻る。海外ツアーの資料を探そうとしたのだが、引っ越したばかりで自分の席さえどこにあるのかよく分からない状態。まして、自分の資料類がどこに片づけられてしまったのか、分からない。探し回るうちに、時間がどんどん過ぎてしまう。焦って一階に戻ろうとするが、ほかの仕事の客や、子ども連れの母親などが階段に殺到し、まるでターミナル駅のような混み具合。やっと応接ロビーに戻ると、待ちくたびれた男は応接セットで目を閉じていた。しかたなく居眠りをして時間をつぶしていたらしい。ぼくは「すみません。引っ越したばかりで、資料がどこにあるか分からなくて」と言い訳をし、男は「いえいえ」と言う。ぼくはともかく海外旅行で生じたクレームについて、男に説明をして、対処を求める。
2006年09月15日
9月15日の夢(流れるプール)
駅のホームとホームの間が線路でなく、水路のような流れるプールになっている。そこをサーフボードに腹這いになって、小学生の女の子二人がやってくる。水路は途中で直角に曲がっており、そのあたりで二人のボードは転覆してしまい、二人はしたたかに水を飲み、悲鳴を上げる。しかし、本人は泳いだり、手でボードをコントロールしてはいけないルールらしい。そのかわり、ホームを二人について走る母親二人が、二本の長い棒でボードをつついて懸命に元に戻す。しかし、安定の悪いボードはすぐにひっくりかえり、女の子たちは母親を叱咤する。母親たちは必死の形相だ。
2006年09月14日
パーティーの流血
何かのパーティーに昔からの知人であるイラストレーターのMと出席している。かたわらには編集者のHがいるが、現在のHではなく若き日のHである。Mは最初はぼくと話していたのだが、別の男に「Hさんは何を贈っています?」と尋ねる。男は笑って答えない。ぼくもMも無言になる。ぼくは、どうせMはほかの出席者と話しているのだから、自分も誰かほかの人と話せばよいのに、なんて自分は社交下手なんだろうと、自己嫌悪におちいる。
Mがまた徐々にぼくの方に顔を向けかけたとき、壁づたいに一人の警備員が何かを探すようにしながら、右へ歩いていくのが見える。さらにその上の天井近くの壁を、ネズミのような小男がするするとつたって、コーナーの壁にかかったカーテンの向こうに消えた。ぼくは一瞬、それは警備員の影かと思ったが、そうではなかった。そのことをMに話しかけるうち、警備員は4人に増え、彼らは一斉にカーテンの向こうに踏み込んだ。そこは、壁の途中に隠された小部屋になっていて、開いた入り口の向こうに怪しい男の背中だけが見えた。男は身をひるがえして逃げようとするが、警備員はピストルを発砲し、男は撃たれて血が流れ出す。だが、男は軽傷だったらしく、警備員に引き立てられてフロアに降り、悠然とにこやかにパーティー会場の人々を見回す。出席者たちから「あれは○○大将だ」「演じているのは中曽根○○だ」という声が上がる。そんな中を、男は警備員に引き立てられて、行ってしまう。
投稿者 isshiki : 22:04
2006年09月12日
9月12日の夢(岩だらけ)
原宿を歩いているが、原宿の街は岩だらけでごつごつしていて、とても歩きにくい。女性のテレビタレントがやってきて、ぼくにテレビのクイズ番組の素人出演者として出るよう勧める。「いいですよね」と出演を促す彼女に、ぼくは「いやです。ぼくは実はプロですから」と断る。
そのまま歩いていくうち、うっかり通り過ぎてしまったが、この路地の奥に知人の通っていた歌謡スクールがあったなあと思い出し、引き返してみるが、なくなってしまっている。
海岸らしい岩場にいる。向こうから熔岩が流れてくる。あまりにも近い。みんな平気だが、大丈夫だろうかと不安になる。熔岩に脇から触ってみて、「あちっ」と言う人がいる。それで用心して、金魚鉢のようなものに水を満たして熔岩の上に置き、その水に手を入れて熔岩の熱さを確かめる人もいる。どうやら金魚鉢ごしでも、相当熱そうだ。この熔岩は富山のあたりからはるばる流れてきたものらしい。
2006年09月09日
9月9日の夢(団地の中の仮設舞台)
妻といっしょに講演会に出かける。会場まで果てしなく思われるほど長い、白いきれいな階段を早足で登っていく。登りきったところは、鉄パイプを組み合わせてつくられた大がかりな仮設の観覧席になっていて、既に大勢の観客でいっぱいだ。「まるでサーカス小屋のようだね」という客の声も聞こえる。そこは屋外で、周りに壁のように建ち並んでいるのは、団地群だ。どこかの団地の中庭にこの仮設舞台は作られているのだろう。団地のベランダには洗濯物がひるがえり、夜なので電灯がついている部屋も、真っ暗な部屋もある。風呂上がりだろうか。暗いベランダに素っ裸のまま、出てきた男性もいる。ぼくはこの情景を眺めるうち、これらの団地が罪人の収容施設であると直観する。そして、その中で仮設舞台を見守るぼくたちもまた、なんらかの罪のある者たちなのだと考える。
渋谷の裏町を歩いている。手に最新式の携帯を持っているが、使い方が分からない。めくらめっぽうボタンを押してみると、歩いている街と全く同じ風景が画面に現れた。そして、画面にはその街の建物の名前がみんな表示されている。これは目指す建物を探すのに便利な機能だ。ぼくは携帯を前にかざしながら、画面に導かれて前進していく。
2006年09月07日
9月7日の夢(床の落ちる喫茶店)
京都に住む詩人からS誌の新人賞の作品を替わりに投函してくれるよう依頼された。依頼通りに昨日投函したつもりだったが、S誌をもう一度見直してみると、間違えて去年の応募用紙と応募封筒に書き込んで送ってしまったことに気がついた。
新しい応募用紙と封筒の付いたS誌を書店で探すが、見つからない。図書館でも探してみようと思う。すると市の広報車が道路を走ってきて、「○○の本を図書館で探してください」というお願いが妻の声で車のスピーカーから流れ出した。
図書館に行くと、S誌の最新号があった。人目を忍んで新しい応募用紙を破りとって、喫茶店に入る。そこに、ぼくに投函を依頼した詩人がいるのではないかと思ったからだが、三階まで探したが見当たらない。ともかく坐って応募用紙を書き直そうと、自分の座る席を探すが、どのテーブルにも客が座っていて空席がない。 しかたなく、水のコップとコーヒーカップを手にしたまま、席を探してうろうろする。
あきらめて店を出ようと階段を降りかけたとき、ズボンのポケットに入れたはずの財布がないことに気づく。これはまずい。お金を払わずに何食わぬ顔でレジを通り抜けようと思う。コップ等を踊り場にこっそり置き、階段を降りようとする。喫茶店は螺旋状の吹き抜け構造になっていて、螺旋階段の外側に各階のフロアが広がっている。そのとき、一つ下の階の床が突然抜けて、ウェイトレスもろともどしんと下に落ちてしまった。ぼくはびっくりするが、そのまま螺旋階段を降りていく。すると、もう一つ下の階でも同じように、ウェイトレスを乗せたまま、床がどしんと下に落ちる。それも横目に何食わぬ顔で通り抜け、ついに一階のレジが階段の下に見えてくる。しかし、出口には天井からシャッターのように厚い白壁が降りてきていて、床との間の隙間はほんの僅かしかない。その僅かな隙間をリンボーダンスのようにして通り抜け、無事に外へ出ることができた。
2006年09月05日
9月5日の夢(医者へ行く)
風邪をひいたのでクリニックに行く。待合室は患者でいっぱいだ。本を読みながら待つことにする。薬だけ貰えればいいのだが、しばらく来ていないし、風邪となれば診察を受けないわけにもいかないだろう。と思っているうちに、診察室に呼ばれてしまった。
診察室は乱雑を極めていて、どこに腰掛けたらよいのか分からない。椅子はなく、形の崩れたクッションのようなものが、散らかっているだけだ。ぼくは医者の右に座ろうか、左に座ろうかと迷って、うろうろする。
2006年09月02日
9月2日の夢(日米高校野球)
ぼくは日本の高校球児で、アメリカの高校生チームと対戦することになっている。両チームはそれぞれ島を借り切って、キャンプを張っている。テレビでまずぼくらのチームの島での生活が伝えられる。次に画面が切り替わって、アメリカチームだ。島自体がなんだかセンスがいいし、そこでキャンプしているアメリカの高校生達は、みんなミュージカル仕立てで歌って踊っている。ぼくは「アメリカの人たちはみんなミュージカルをやっていると思っちゃうね」と感想を述べる。
投稿者 isshiki : 22:08
2006年08月29日
8月29日の夢(モンゴルへの喪の旅)
作家の寮美千子さんとモンゴルのような国へ、知人のお葬式に出かける。目指す家の前に着いて、携帯で電話するが、電話に出た女性は「ちょうど出棺で、これから墓地に行くので、今はあなたたちは私たちの姿を見てはいけない習慣になっている。立ち去りなさい」と告げる。ぼくと寮さんはくるりと背中を向け、おとなしく立ち去る。後ろから日本の知人たちの「あっ、寮さんだ」という声がするが、二人は決して振り返らない。
街は区画ごとに扉があって、街全体が一つの大きな家ででもあるかのようだ。それぞれの部屋で職人たちが黙々と自分の仕事をしているのを見学しながら歩くうち、二人はばらばらになってしまう。すると、空から雪とも小糠雨ともしれぬものが降ってきた。そろそろあの家に戻る時間だと思い、寮さんを探しに行く。彼女はある部屋で、紙ゴミにまみれてすやすや眠っていた。彼女の肩に手をかけて、揺り起こす。
2006年08月28日
8月28日の夢(心臓をなくす夢)
クライアントのW氏と取材のため、地方のホテルに宿泊している。いざ出発しようとして、W氏と出かけようとしたとたん、自分がスリッパのままだということに気づく。しまった。もうチェックアウトしてしまった。W氏に理由を説明して、フロントに急ぐ。フロントは行列ができていて、並ばなければいけない。やっと自分の番が来て、「○○号室の一色ですが、部屋に靴を置いてきてしまって・・・」と言うと、フロントの男は落ち着いて、奥の棚からぼくの靴を出してくる。ぼくは大喜びで「それです、それです」と叫ぶが、男はすぐには返せないと言う。ぼくは怒って、「では、靴屋へ行けというのか」と怒鳴るが、男はぼくの耳に口を近づけ、声をひそめて「あと10分待て。女房が帰ってくるから」と言う。
しかたなく、ぼくはスリッパのまま駅に行く。駅ではホームの前で、W氏が椅子に座って待っている。ぼくも坐ろうと、別の椅子に腰掛けるが、その椅子はひっくり返り、ぼくは泥まみれになる。そのとたん、そこにはベッドが出現し、ぼくはベッドと壁との間に押しつけられる。ベッドには病気の男が寝ている。ぼくはそんな窮屈な中で、緑色のネクタイを締める。ベッドの男は寝床の中から、もう一本緑色のネクタイを取り出す。W氏が「それはぼくのです」と言って、彼も緑のネクタイを締める。
そこへホテルのおかみさんが帰ってきた。おかみさんといっしょに、ぼくはいよいよ自分の靴を取り返しに行くのだが、実はそれは靴ではなく、ぼくの心臓なのだ。そして、ぼくの心臓は長老詩人のI氏の体の中に入ってしまっている。それを取り戻すにはある儀式が必要だ。大きな川が流れており、その向こう岸に足を水につけて、白髪を振り乱した長身のI氏の姿が幽鬼のように見える。二人の女と一人の男によるロックバンドが儀式をやってくれるらしい。彼らはヤクを飲み、裸体になって踊りながら、幻想の世界に入り込む。まるで降霊術だ。こんなことで、ぼくの心臓は無事に取り戻せるのだろうか。
2006年08月27日
8月27日の夢(燃え移る火とゴキブリ)
Uカメラマンの前に鍋を置き、コンロに火を点ける。ところが、Uカメラマンが首をひねって後ろを見ている間に、彼の着ていた白いTシャツに火が燃え移ってしまった。「火がついちゃった」と、ぼくは言い、彼に前に出てきてもらって、お風呂の残り湯をかけてTシャツの火を消した。
床が見えないほど、紙ゴミで埋め尽くされた汚い部屋で生活している。ゴキブリが一匹出てきた。叩いて殺すのは面倒くさいので、おどかして逃がしてやる。すると、今度は3匹出てきた。ぼくの体に這い登りそう。またおどかすと、いったん逃げるが、さらに群をなして出てきた。
2006年08月26日
8月26日の夢(アンティークな列車)
ぼくは古い懐かしい感じのするアンティークな列車に乗っている。窓の外の線路を、やはりアンティークな古い列車や貨物列車が通り過ぎていく。車内に貼られている広告も、みな奇妙で時代を感じさせるものばかりだ。
駅に列車が停車する。駅舎もアンティークな建物だが、ゆくてに現代的な高速道路の高架が見える。それがゆっくりと、スローモーションのように倒壊する。列車はまた動き出した。高架を走っているというより、殆ど空を飛んでいる感じだ。川が見える。川の水面の途中に古い時代と現代との境目があるらしく、そこで空間に段差ができていて、水が白く泡立ちながら流れ落ちていく。
海岸に列車は出た。たくさんの白い海鳥が空を飛んでいる。「ここはどこだったろう?」「こんな景色はたくさんあったからね」と、ぼくは隣の席の同乗者と会話する。
いつのまにかぼくらは列車を降りて、街を歩いている。ぼくは十代の若い少女で、小さな少年を肩車している。その少年もまたぼく自身であるような気がする。ぼくらの後を遅れてついて歩いていた若い男(ぼくらよりは年上)が突然、ぼくらを追い抜き、行く手をふさぐ壁に手を突っ込む。すると、壁は壊れて入り口が現れる。さらに男はまっすぐ手を差し出すが、壁はそれ以上開かない。後ろから覗き込んだぼくである少女が「こっちよ」と左手を指示する。男が言われるとおりにそちらに手を突っ込むと、入り口が現れて、ぼくらは小さな酒場に入ることができた。
酒場にはママさんがひとりで客の相手をしている。そこへ入ると、男の体を学生服が包み込む。不思議な白い点々とした染みが学生服にはついている。そして男はギターを持ち、「丘をこえて行こうよ」と歌い出す。店内は若い男女でいっぱいで、みんなもぼくである少女も手拍子で男に合わせる。
歌い終わるとママが言う。「どこへ行くの?」 男もみんなも口々に答える。「フィリピン」「南シナ」・・・、みんなこれから出征して死んでいくのだ。ぼくである少女の目から大粒の涙があふれ出す。
2006年08月24日
8月24日の夢(地下クラブ)
荒れ果てた埋め立て地のようなところ。岩穴があいていて、それに向かって何か叫ぶと、入り口をふさいでいた岩がくしゃっと紙風船のようにしぼんで、隙間ができた。とはいえ、服を着たまま入るには狭すぎるので、パンツ一枚になってやっとくぐり抜ける。と、足を載せたところがソファーのような形のエレベーターになって、地下に降りることができた。
そこは秘密の会員制クラブのようなところらしい。そこへ入った者はみんな、「ただいま!」と言うのが決まりだ。ぼくも「ただいま」と言って入っていくと、Mカメラマンともう一人の男が「行くぞ!」と気合いを入れて、どこかへ出かけていく。ぼくも二人についていくつもりだったのに、取り残されてしまった。それに、ほかの男達は服を着ているのに、ぼくだけがパンツ一枚で、なんだか恥ずかしい。見回すと、元西武ライオンズの秋山の顔も見える。
地下なのに、窓からさわやかな風が入ってきて、気持ちがいい。覗くと、真っ青な空と、地面の白い砂がまぶしい。そこへアナウンスが聞こえてきた。アナウンサーとは思えない口べたなしゃべり方で、「今日からバスは明大の前で降ります」と言う。変な日本語に、居合わせた男達はどっと笑う。バスの乗客たちはそこで強制的に船に乗り換えさせられ、奴隷としてここに連れて来られるのだ。男の一人が別の窓から外を覗いている。乗客たちの拉致の様子が見えるのだろうか。ぼくも急いでその窓を覗きに行く。
2006年08月22日
8月22日の夢(迎撃ミサイル)
社長と、女性社員のIさん、男性のK営業部長、ぼくの四人がいる。Iさんが面白い発言をして、K部長と手をとりあって、笑い転げる。しかし、計器を見ると、今の発言でぼくらが攻撃される確率は70数%に急上昇した。彼女の発言があまりに正鵠を射ているからだ。これはやばい。ぼくは迎撃ミサイルを肩に担いで、迎撃の準備をする。
投稿者 isshiki : 21:49
2006年08月21日
8月21日の夢(ミニチュア家族)
ぼくはある家の中で仕事をしている。上から見ると、それは家というより小さな細胞のようで、中にはミニチュア化した家族が住んでいる。ほかにもミニチュア化した家族がいて、彼らはそれぞれにオリジナルの大きな家族の権威をかさにきて威張っている。なんて、ちっぽけなやつらだろうと哀れに思う。彼らの中でぼくだけは唯一、元の大きさの人間なので、早くほかにも元の大きさの人たちが戻ってきてくれるといいと思う。
投稿者 isshiki : 22:44
2006年08月20日
8月20日の夢(隠し芸大会)
隠し芸大会に出るよう、勧められたが、ぼくは出場を断る。だが終わってから、S誌のM編集長は「一色さんの隠し芸は面白かったよなあ。舞台中を走り回る感じだったもん。なあ?」と、同僚の編集委員のN氏に同意を求める。N氏は無言のまま、うなずいて見せる。ええっ? ぼくは舞台になんか出ていないよ。でも、舞台を走り回る自分はいかにも自分らしいと納得がいく。
2006年08月18日
8月18日の夢(出刃包丁で闘う)
男二人で旅をしている。旅館の部屋で休んでいると、9人の敵の男達が現れる。ぼくたち二人は各々出刃包丁を取りだして身構える。「そんなもので、これから先ずっとやっていくつもりか」と嘲笑う男達。その男の足がなれなれしくぼくの足の指にからみついてくる。「足がなれなれしいんだよ」と、ぼくは言い、男の足を包丁で払う。そして、邪魔な男達を次々と包丁で斬りつけて、血路を開いて逃走する。しかし、これはもしかしたらお芝居なのか、血は流れないし、ぼくもそれなりに手加減している。廊下に明らかに人形の腕だとわかるものが落ちている。ぼくはそれを部屋にいる男達の真ん中に投げ込む。男達の真ん中にIカメラマンがいて、彼は自分の膝の上に落下したものが人間の片腕だと気がつき、目をむくのが見える。
2006年08月17日
8月17日の夢(素朴な売り子)
会社のデスクが学校の机のような木製のものにかわっている。その引き出しはもちろん、周囲が寄贈された詩集や詩の雑誌でいっぱいになって、あふれんばかりだ。何冊かを捨てなければとてももたないと思う。
有名作家の代表作をリストにして、社長のところに持っていく。すると、社長はそれらの作家の名前を一瞥して、「みんな慶応出ばかりだな」と言う。そういえば社長も慶応出身なのだ。そして、それらの小説の原稿枚数と、作家の出身大学(ということは慶応以外の出身の作家もリストに入っているらしい)をペンで書き込んでいく。社長は有名な文学作品はみんな読破しているのだなと驚く。
会社に赤いTシャツを着た素朴な女性がセールスにやってきた。首から駅弁の売り子のようなお盆を吊り下げ、お盆の胸当ての部分には三面鏡のような形の透明プラスティックの板がついている。彼女は訥々とした口振りでお盆に載せた商品のセールスをし始める。すると、社内にいた女性社員たちは一斉に彼女に、その三面鏡のような透明プラスティックの左側の部分に「フケがついているわよ」と、指さして非難する。言われた女性は一瞬驚いて、無言のままその「フケ」といわれた汚れを拭き取り、また何事もなかったかのように、訥々とセールスの言葉を語り始める。すると、彼女の吊り下げている胸のお盆が急に立派になったように見える。
2006年08月12日
8月12日の夢(原宿の洪水)
会社の一部屋に布団が敷き詰められ、布団部屋になっている。四方の壁も全面青緑の布でおおわれている。ぼくは会社で徹夜明けで、午後4時に帰宅することにする。会社を出てタクシーに乗る。そこは以前会社のあった原宿の街。街は洪水になっており、路面には一面泥水があふれている。どこから水が来たのだろうと眺めると、通りの反対側のビルのてっぺんあたりから、水がどんどん流れ落ちてくるのだ。
乗ったタクシーは運転席が後部座席にあり、ぼくの前はフロントグラスだ。とても景色がよく見えるかわり、ほかの車に衝突しそうでちょっと怖い。道路には洪水対策の作業車がたくさん出動しており、両側にそれらが並ぶ真ん中をタクシーは走る。作業車がドアを開けたり、作業員が降りて作業を始めようとするので、今にもタクシーはその間で動けなくなってしまうのではないかと気が気でない。だが、うまい具合にタクシーはそれらをすり抜け、ゆっくりではあるものの着実に前進していく。こんな状況の中でこの道を進めるのは、きっとぼくの乗ったタクシーが最後になるだろうと思う。
2006年08月11日
8月11日の夢(田舎の駅)
一色真理です。やれやれ、やっと明日から夏休みです。
*8月11日の夢
妻と田舎の駅で電車に乗ろうとしている。13番線から電車が発車するというので、急いでホームへの階段を登りかけるが、妻は「ちょっと待って」と言って、駅の外のトイレに駆け込む。見ていると、彼女はトイレの入り口にあった洗面台を両手に抱えて、トイレの奥に入っていった。
出てきた妻と、ホームへ登ると、遠ざかっていく電車が二つ見える。一つは二両編成くらいの小さなローカル電車。もうひとつは沢山の車両がつながった特急か急行で、複々線の別の線路を同じ方向に走っていく。
「行っちゃったよ。次は1・2番線だ」と、ぼくは妻に言い、二人で階段を下りる。13番線とはかなり離れている。1・2番線のホームに着き、階段を見ると、熔岩にふさがれていて登れない。火山の爆発で最近こうなったらしい。その隣に新しい1・2番線のホームがあった。その階段も登りにくく、特に左側はふさがれていて、登れない。「右側から登るように」と妻に伝える。既にホームには何人もの乗客が電車を待っている。
2006年08月10日
8月10日の夢(海外ツアー)
海外ツアーの企画をする。ツアーのPRビデオが出来てきたので、見てみると、殿山泰司が実にいい味の演技をしている。
実際に添乗員として同行する。前回のツアーと殆ど同じメンバーが参加しており、意外なほど沢山の人が参加している。別室から長老詩人Y氏の声が聞こえてくるので、姿は見えないものの、彼も参加しているのだと分かる。しかし、ホテルに到着したのに、ちっとも食事が出てこない。
参加者たちがぼくに「ここへ来る途中、三人だけで電話会議をしただろう」と、ぼくを詰問する。そういえば、さっき一つの部屋で三台の電話機を囲み、二人の男と電話で会談をしたのだった。「いやいや、三人というのはたまたまで、偶然ですよ」と、ぼくは弁明する。
トイレに行きたくなる。ぼくらはいくつかのホテルの部屋を借り切っているが、みんなのいる部屋と部屋の間に、誰もいない暗い部屋があって、そこが確かトイレのはずだったと思い、ドアを開ける。そこは可動式の壁で囲まれた、四角ではないちょっと変な形の部屋。可動式の壁の向こうは明るい部屋で、みんなのいる気配がするが、その部屋だけは薄暗く、誰もいない。角のところの床に、小さな四角い窪みがあって、そこにおしっこをしていいのだ。
投稿者 isshiki : 22:26
2006年08月09日
8月9日の夢(新しい父親)
母親に新しい夫ができた。小男で不細工で、タバコをのみ、暴力的な感じ。だが、そんな夫に、食事のとき母親は贈り物をする(何だったかは忘れてしまった)。そして、ついでのように、ぼくにも贈り物をくれる。開けてみると、それは喫煙セットだった。ぼくはタバコをのまないので、そんなものを貰っても役に立たない。ぼくは母親の夫に「お父さん。一つどう?」と言って、タバコを勧める。彼は「ふん。俺はこういうものはあまり好きじゃないんだが」と言いながら、一つ抜き取り、さらにパイプとか、セットの中の重要な物は全部自分のものにしてしまう。これではこのセットはもう使えなくなったも同然だ。
カレーライスのテイクアウトを頼む。イギリス人のハンサムな青年が届けてくれた。食べようとすると、彼は大量の唾をとばして、ぼくに食べ方のマナーを教える。とても礼儀正しい青年なのに、その男の唾がぼくのカレーに沢山かかってしまった。ぼくはしかたなく、一口だけカレーを食べるが、あとは全部残してしまう。すると、かたわらにいた妻と青年は一緒に食卓を片付け出した。ぼくは急に惜しくなって、慌ててデザートに沢山盛られた甘いケーキのうち、一つをとって食べる。
2006年08月08日
8月8日の夢(真っ暗闇)
夜、名古屋の生家に帰ろうとして、覚王山の岡の上まで帰ってきた。ここから坂を下れば、もう生家はすぐそこだ。そのとたん、世界が停電になったように、真の闇になり、何も見分けられなくなった。でも、ここから生家までの道は手に取るように分かっているので、這ってでも帰ろうかと思う。
2006年07月31日
7月31日の夢(分科会と危ないバス)
妻の希望で何かのシンポジウムの会場に行く。分科会になり、ぼくらはあまり人気のない分科会の部屋を選ぶ。それでも座れないといやなので、ぼくは人をかきわけて部屋に入り、すばやく奥の中央の席を妻と二人分確保する。なんだかサイズの小さな椅子と机で、この会場は幼稚園らしい。予想通り分科会の参加者は少ない。「これでは、主催の役員席の方が客席より人数が多いわねえ」と、役員席に座ったおばさんが、苦笑している。
いつのまにか夜になり、ぼくらはこの部屋で寝ている。トイレに行きたくなったぼくが起きてみると、妻は部屋の出入り口のところに布団を敷いて、廊下にはみだしてぐっすり眠っている。妻を起こさないよう、またいで廊下に出る。廊下には大きな椅子を2脚持ち出して、椅子に腰掛けた姿勢で寝ている老夫婦がいる。邪魔だが、なんとか脇を通り抜ける。すると、そこはロビーのように広々とした空間。ぼくの前を若い男が歩いている。彼もトイレに行くのだろう。彼の後を追うようにして、トイレに急ぐ。
観光バスに乗る。ぼくの席は運転手の隣の助手席のようなところ。前は全面がフロントグラスで、景色は素晴らしいが、事故が起きたらやばいなあとちょっと心配になる。バスは出発して、まず坂を駆け下りる。勢いがついているので、麓の建物に衝突しそうになる。寸前で止まり、カーブを切る。そこから川の堤防の上をバスは走る。雨の後で堤防道路は黄色い水たまりになっている。その水たまりをあえてバスはスピードを上げ、水をばしゃばしゃ跳ねとばしながら疾走する。本当に水の下に道路はあるのだろうか。とても不安だ。
2006年07月30日
双子の犬
ぼくの知り合いの女性がシンガーソングライターの谷山浩子さんを取材に行った。女性が谷山さんを訪ねてみると、谷山さんは双子のようにそっくりな白い犬を二匹飼っていた。女性は二匹を「全く同一の行動をする一組の犬」として扱うべきか、一匹ずつの別の犬として扱うべきか悩む。
2006年07月28日
7月28日の夢(佐川急便)
会社の窓の下に佐川急便のトラックが止まっているが、もう出発してしまいそう。女性社員のSさんが荷物を作ったところで、「佐川、待って!」と叫んでいる。ぼくは窓から下を通りかかった女性に「佐川のトラックを止めておいて」と叫んでから、Sさんから荷物を受け取り、階段を駆け下りる。
だが、地上に降りてみると、既に佐川のトラックは走り去っていた。そして、外苑西通の舗道の向こうから、脱いだ佐川の制服のTシャツを手にした男たちが二人、さっぱりとした私服に着替えて、こちらに歩いてくる。今、交替した佐川のドライバーたちだろう。道にはぼくのほかにも手に手に荷物を持った人々があふれていて、佐川のトラックを探している。私服のドライバーは「ここで待つんじゃなくて、路地でトラックを探した方がいい」とアドバイスしてくれる。ぼくも荷物を持って裏の路地へ駆け込む。その路地はそのまま地下に潜っていき、地下には神社がある。こんなところへも佐川のトラックは来るのだろうかと思う。やがて神社を抜けると、気持ちのいいロビーのようなところに出た。そこへ後から、ぼくに荷物を託したSさんが同僚と談笑しながらやってきた。ぼくは荷物を彼女に返すが、それが佐川の便に載せられなかったことに、彼女は落胆したふうには見えない。
2006年07月27日
7月27日の夢(円形のお屋敷)
ぼくが滞在しているのは、巨大な円形のお屋敷だ。どこかにぼくは靴を置いてきてしまったので、はだしで歩き回っている。テレビに夕立が映っている。見ると、窓の外も現実の夕立で、雷雨が荒れ狂っている。お屋敷にはかわいい少女が一人いる。彼女について隣の部屋に行くと、そこには彼女の兄とその他の家族、それに一匹の犬がいた。犬はとてもおとなしくて、人なつこくぼくの顔をぺろぺろとなめてくれる。テレビ局が少女の生活を三夜連続で生中継することになり、ある部屋を撮影するために二人の男性カメラマンが、それぞれテレビカメラをかついで集まっている。三人のカメラマンでこの部屋を撮影しようと打ち合わせていたのに、なぜかもう一人のカメラマンが現れない。突然別の部屋に明かりがつくのが窓から見える。第三のカメラマンが間違えて、その部屋で撮影を始めてしまったのではないか。二人のカメラマンは慌てて、その部屋に向かって走っていく。
2006年07月26日
7月26日の夢(女魔法使い)
会社から帰宅しようとして、電車を乗り間違え、降りてみたら、そこは中野駅だった。もう一度、電車で新宿に戻ろうかと思ったが、もう8時10分前で、帰宅が遅くなってしまう。駅前でタクシーをひろおうと思う。
道路のこちら側では空車がつかまらないので、反対側へ渡り、ちょうど走ってきたタクシーをつかまえる。だが、タクシーだと思ったのは女魔法使いだった。魔法使いはぼくを抱いて、魔法の力で家までひとっ飛びしてくれるという。喜んで魔法使いに抱かれると、ぼくの体が空中にふわりと浮かんだ。目をつむって心地よい飛行の揺れに身を任せる。そろそろ着いたかなと思って、目をあけてみる。魔法使いは泣きそうな声で「全然飛べてない。まだ私たちは世田谷区にいるの」と言う。
2006年07月24日
7月24日の夢(アルゲリッチと共演)
世界的女流ピアニストのマルタ・アルゲリッチさんと共演することになった。ぼくら(具体的には誰と誰なのか不明)が詩を朗読し、ぼくらが言葉では語り得ない部分を彼女がピアノソロと協奏曲で半分ずつ演奏してくれる。ぼくはそのステージで使う自分の原稿をスクラップブックに貼っている。既に活字になっているものを切り抜いて貼り付けているのだ。だが、ぼくは途中で切り抜きを貼り付けるのをやめてしまい、同僚の“豚のような男”と相談しながら、切り抜きでは不足している原稿を手書きで書き加えていく。
2006年07月18日
7月18日の夢(機織りの女性)
若くて豊満な女性がドレスを着て、糸巻きのかわりに自分の手に糸を巻き付けて、機織り機で布を織っている。女性の母親はそうやって、彼女に機織りをさせたいのだが、女性は「こんなふうに手に糸を巻き付けると、手に傷がいっぱい出来てしまう。夜になってそれに水がしみるのを我慢しながら、何でもないような顔をして生きていくのはいやだわ」と母親に反抗する。
作家で詩人のM・Tさんが病気で入院したので、お見舞い状を書いて、手書きの本にする。それを原稿として出版社に渡し、雑誌に載せてもらおうと思うが、手書きの文字が下手なので、恥ずかしいなあと思う。
2006年07月17日
7月17日の夢(北口と南口)
中央線の中野から二つ目くらいの駅の、北口にある喫茶店に入り、窓際の席につく。ところが一団のサラリーマンふうの男達がどやどやと入ってきて、店内を占領する。ぼくとテーブルの間にも男の一人が勝手に座ってしまい、向こうを向いて打ち合わせを始める。これでは全く落ち着かない。
ぼくはその店を出て、今度は南口の喫茶店に入る。こちらの店はとても明るくて、ゆったりできる。ぼくは店の女主人に「北口の喫茶店は昔の文士たちが来た店だから暗いが、南口はそうじゃないから明るくていいね」と話しかける。
2006年07月14日
7月14日の夢(講演会)
ある女性詩人が前日、詩の講演会で講師をした村に、ぼくも講師として呼ばれることになった。しかし、遠方の上、夜の7時からというので、ちょっと躊躇する。でも、せっかく声をかけてもらえたのだから行くことにする。
その講演会の後、ぼくだけ会場に泊まることになった。案内係は有名詩人のA氏だ。彼が先に立って、ぼくの泊まる部屋に案内してくれる。まるで怪人二十面相のように、彼は垂直な壁に縄ばしごをかけ、するすると天井に登っていく。そこから今度は水平に梯子がかけてあり、それを猿のようにぶらさがって渡り、A氏は天井裏に消える。ぼくもその後を追おうとするが、縄ばしごは何とか登ったものの、とても水平の梯子を渡るのは無理だ。困っていると、下の方でみんなが「ほかの登り口がある」と教えてくれる。それはテーブルのようなものを長く並べて、そこへひょいと飛び乗るだけでオーケー
なのだ。ぼくが簡単にそこへ飛び乗ると、みんな喜んで拍手してくれる。
講演会から帰り、妻とまだ小さな息子と三人で食事をする。妻は今45度の高熱があるという。びっくりするが、元気そうで、とてもそんなふうには見えない。
2006年07月13日
7月13日の夢(バス・トイレほか)
有名な先生(社会運動家のような人)のところへアポなしで会いに行った。ぼくも先生に認められて、その運動に参加したいと思っている。しかし、先生本人は忙しいので、先生の娘さんが面接してくれることになった。ぼくは自分の主張や、自分の作った歌詞などをきちんと清書して見せようと思っていた。そうしないと、ぼくもそのへんによくいる夢見がちなだけで、あまり役に立たない男たちと似たり寄ったりとしか見てもらえないだろう。ところが、その清書ができあがらないうちに娘さんの前に呼び出されてしまい、しかも名刺さえ持ってこなかったことに気付く。焦りながらも、ぼくは下書きのノートを娘さんに見せ、なんとか自分の考えや夢を説明しようとする。面接時間はあっという間に終わってしまい、幸いたいしたボロを出さずにすんだことに、ぼくはほっとする。
バスに乗り、一番後部の窓際の二人がけの座席に座っている。この席では座ったまま、おしっこをしていいのだ。隣に黒い革靴をはいた男が来て、座った。ぼくは既におしっこを始めており、このままでは彼の靴を濡らしてしまうと思う。そのことを知ってか知らずか、彼は席を立って、バスの後ろに降りて(バスは走っているのに)うろうろ歩き回っている。
2006年07月10日
7月10日の夢(鉛筆を集める夢など)
会社である試験を受けることになった。乱雑な自分の引き出しを開けて、中から鉛筆を拾い集める。できればHBだけを集めて、鉛筆削りで尖らせたいと思うが、なかなか揃わない。
エレクトーンの女性プレーヤーを取材することになり、挨拶のため彼女の自宅を訪ねて、手土産を置いてこようとする。ところが、訪ね当てた住所は彼女の自宅ではなくて、マネジメント事務所だった。アーケード街のような商店街の狭い店先に、オーディションかレッスンのために集まったらしい人たちがいっぱい溢れていて、とても中に入れる雰囲気ではない。そのまま通り過ぎる。
その女性プレーヤーといっしょに仕事を始めた。まず、彼女に自分の夢を報告させ、何かあったときは常にこの夢に立ち戻るよう指示する。
今までぼくのクライアントだった会社の部長や課長が草思社に入社してきた。早速、新商品のカタログを中心になって企画してくれるという。また、ぼくも残業で忙しくなるなと覚悟するが、二人は定時になるとさっさと退社してしまう。
2006年07月08日
7月8日の夢(食事の支度)
家で食事の支度をしている。妻が料理を作り、その料理をちゃぶ台に座って待っている妻のところまで運ぶのは、ぼくの役目だ。配膳台の左側の一番高いところに、まるで精巧に作られた箱庭か盆栽のような料理がある。ちょっと持ち上げてみるが、これは盛りつけが複雑で難しそうなので、妻に任せようと、元に戻す。その右側の一段低いところには、小粒の野菜の盛り合わせのようなものがあったので、それを小鉢に入れてちゃぶ台まで運んでいく。すると、高いところにあった料理のないままで、妻が食べ出そうとするので、そのことを妻に尋ねると、「じゃあ、あなたは・・・・(この部分記憶が欠落)なのね」と、逆に問い返されてしまう。そのとき、裏の家で男の子たちが大きな声で遊んでいるのが聞こえてくる。男の子が大声で友達に「小さな声で!」と言う。それをからかって、妻が「大きな声で!」と言う。
2006年07月07日
7月7日の夢(宇宙人侵略)
宇宙人が地球を侵略してきた。防衛作戦のため、新幹線で焼津方面へ仲間たちと出向く。当然今日中には戻れないと覚悟して出かけたのだが、うまく最終の新幹線に乗って、帰ることができた。だが、東京に着いたのは明け方なので、もう明るい町をタクシーに乗って、狛江のマンションに向かう。途中、待ち伏せている敵がいたが、うまく身を隠して、タクシーを降りる。マンションの出入り口は敵に襲われないよう、コンクリートの移動式の壁で隠されていた。それを押し開けて通り抜けると、エレベーターの昇降口も同様にカモフラージュされていた。これなら内部は安全に保たれているようだ。エレベーターに乗って、自宅のある階に着く。ドアがあくと、住人の甲高い子供の声が聞こえてきた。そんな声が宇宙人の耳に入ったら、この隠れ家も見つかってしまうのではないかと、ちょっと心配だ。
2006年07月03日
7月3日の夢(柿の木の下の会社)
夜、会社で残業している。会社といっても、そこは名古屋の昔の実家の庭だ。ぼくは大きな柿の木の枝に書類を吊したりしている。もう夜の9時で、ぼくのほかに庭のデスクに残っているのは社長と営業部長ぐらいだ。もう帰ろうと思い、タイムカードを押そうと屋内、つまり実家の中に入ろうとする。すると、屋内から親会社の社員たちがどどどっと入れ違いに庭に降りてくる。誰もぼくの知っている人はいない(世代が変わったんだなあと思う)。部屋の中にはタイムカードに似た機械が3つあるが、いずれも似て非なるものなので、結局タイムカードを押すのはあきらめる。
次に企画している展覧会のための資料の本を沢山抱えて、隣の展覧会場に入る。そこは巨大な地下洞窟のようなところで、洞窟の地面にも壁にもベンチがあって、沢山の人がワークショップに詰めかけている。ぼくは入口近くのベンチに腰を下ろし、資料の探索に熱中する。人々はリーダーの掛け声のもと、一斉に動物のような身振りをして地面に絵かメッセージのようなものを描いている。突然、隣にいた若い男がぼくに「おい。やれよ!」と声をかける。会場にいながらワークショップに参加していないのは、ぼくだけだったからだ。ぼくはびっくりして、「あっ、ああ」と曖昧な返事をする。昔はもっと自由な雰囲気だったのになあと思う。しかたがないので、ぼくはベンチで目をつむり、寝たふりをする。結局、展覧会を開くのに十分な資料は見つからなかった。困ったなあと思いながら、隣の会社へと戻る。
2006年07月02日
7月2日の夢(殺人予告と女子高生)
メンバー(なんのメンバーか不明)から殺人を予告する長いメールが届いた。でも、これをみんなに転送したくない。悩んだ末に、先輩詩人の三木卓さんに相談に行く。彼の部屋の壁にカレンダーかポスターのようなものが貼られている。それを見たとたん、「そんなに悩むことはない。普通に添付メールとして送ってしまえばいいのだ」と納得する。
自分の家に女子高生がいる。家には父親(多分ぼくの)がいるが、父親の目を盗んで二人は恋仲になる。父親がお風呂に入っている間に、ぼくはこっそり彼女の部屋のドアを開ける。部屋の中は暗くて、彼女はいないかと思ったが、椅子にかけたまま洋服を頭からかぶってうたた寝をしていたようだ。そっと肩を叩くと、彼女は寝ていたふりをしていただけらしい。ぼくらはやさしくキスをする。
2006年07月01日
7月1日の夢(海外取材と円周率)
Mカメラマンとフランスあたりのヨーロッパの街を取材している。もう少しで取材先のおばあさんの家にたどりつくところまで来て、うっかり通訳を連れてこなかったことに気づいた。ぼくは英語もフランス語もしゃべれない。Mカメラマンがぼくの質問くらいは英語で通訳してくれるだろうか。でも、ここまで来たらもう後戻りできない。ただ進むのみだ。
妻が円周率の暗誦に挑戦している。3.1415926524360679.....三医師異国にむこう、富士山麓鸚鵡鳴く・・・さらに、あと10桁か20桁くらい暗誦してみせて、妻は「できた!」と大喜びする。ぼくは最後の二桁だけが間違っていると思い、「そこは27だろ?」(数字は曖昧)と訂正する。
2006年06月30日
6月30日の夢(ゴーカート)
尿意を催して、トイレに入る。ところが尿意と思っていたのは、出血だった。鮮血が大量にどはどばと出る。どうしようと思いながら、負けるものかと開き直ってもいる。
一人乗りのゴーカート(殆ど床に寝るような体勢で運転する)を運転して、東海道を下る。途中、休憩でいったん降りる。そこでは大学時代の早稲田詩人会で一年先輩だったO氏らしき人が友人らしい男と話している。よほど声をかけようかと思うが、かけそびれてしまう。土地の少年がいろいろとぼくの世話をやいてくれて、仲良くなる。小屋のようなところから両開きの木の扉を彼が開き、そこからぼくのゴーカートは再び道路に戻る。「きみのことは忘れないよ」と、ぼくは少年に声をかける。
交差点を渡る。交通整理のガードマンの指示に従う。あちらからもこちらからも、暴走族の改造車のような車が列をなしてやってきて、恐ろしいが、彼らも交通整理に従って、ぼくのゴーカートとすれすれにすれ違っていく。
最後は急坂を登る。傾斜はどんどん急になり、直角に近づく。「これではいつか車が裏返って、頭から落ちてしまうんじゃないか」。ぼくは道路のわきにいる人と、そんな冗談を交わし合い、大笑いをしながら楽しく危険な坂を登っていく。
新幹線にみんなで乗る。何か危険な相手が迫っており、それから逃れるために、男も女も全員ピンクの靴下をはいている。危険からのお守りアイテムらしい。ぼくもそうだが、慌ててはいたので、半分くらいつっかけただけだ。しかし、危険な相手は駅の売店の方に逸れたので、急いで声をかけあい、みんなでちょうど入線してきた新幹線に乗り込む。
新幹線の中は、通常の前向きのシートではなく、三人掛けのソファーが横向きに3,4列並んでいる。種類も3種類くらいあり、ぼくは窓際のピンクのソファーに座りたいが、あまりにもギャル向きでぼくには似つかわしくないかなと思う。ふと気がつくと、ぼくは反対側の茶色のちょっとこじゃれたソファーに腰掛けている。この席でもいいじゃないかと、ほっとする。だが、そのとたん自分が荷物をどこかへ置き忘れたことに気付く。急いで降りて、ホームの階段のかげに手を伸ばすと、まるであつらえたように、そこに黒い自分のスーツケースがあった。ほっとして、それを持って、新幹線に無事乗り込むことができた。
2006年06月27日
6月27日の夢(ゲートの向こう)
どこかへ入国もしくは入境するためのゲートの待合所。ぼくは部下二人と共に待っているが、ぼくだけ一人、他の二人とは離れて、ゆっくり飲み物を飲んでいる。そろそろゲートをくぐる時間だ、と思ったところへ、二人がやってきて、「自分たちも飲み物をとりたい」と言う。あと1分くらいしかないのに。でも、彼らがどうしてもというならしかたがない。ぼくはその間にトイレをすませ、再びゲートに戻ると、結局二人は飲み物をあきらめたらしく、既にゲートの係官に審査書類を提出して、ゲートの向こう側にいて、ぼくを探している。ぼくも慌てて審査書類をバッグから出すが、急にゲートの上
から灰色のカーテンが降りてきて、ぼくには向こう側が見えなくなってしまう。
2006年06月22日
6月22日の夢(I氏の家)
デザイナーのF氏の紹介で、老詩人のI氏の家に行く。I氏の家は壁が水色で、ぶつぶつの肌触りになっているなど、かなりパブリーな感じの邸宅。本棚にはぎっしりの本のほか、さまざまなものが詰め込まれている。知らない男女が多数、パーティーの雰囲気で邸内にいて、談笑している。ぼくは誰も知り合いがいないので、もう帰ろうと思うが、そこへ当のI氏がやってきて、ぼくのそばに座って、親しげに話しかけてきたのに驚く。白髪をきれいに撫でつけたI氏はとても品が良く、感じがいい。彼はぼくに新横浜からの新幹線の切符の買い方を尋ねる。今まで新幹線の切符を買ったことがないというのだ。ぼくは「駅まで行かなくても、パソコンで買えますよ」と教えるが、I氏は多分パソコンなど扱わないのだと気がつき、「あっ、そういうことだけはIさんはやりたくなかったのですよね」と、フォローすると、彼も苦笑する。
帰りに、パーティー参加者全員で、近くの蕎麦屋に入る。ここもパブリーなかっこいいモダンな蕎麦屋さん。ぼくは蕎麦を食べ終わって帰ろうとして、うっかりレジを通らないで、街路に出てしまう。これでは食い逃げになってしまうので、慌てて店内に戻ると、レジには長い行列ができていて、どこが尻尾かわからないくらい。途中で並び替えさせられたりして、なかなか支払いまで進めない。
2006年06月19日
6月19日の夢(プロフィル)
ある女性がテレビに出ることになり、そのプロフィル原稿を妻に助言を受けながら書き直している。以前ぼくが書いた彼女のプロフィルはぼくがアレンジしすぎて、彼女が書いたオリジナルの文章とあまりに違いすぎていたからだ。しかし、実際に書き直そうとしてみると、変に回りくどくなったりして、とても難しい。
2006年06月18日
6月18日の夢(夢ふたつ)
ぼくは放送局のスタッフで、ある有力なタレントのところへ仕事を頼みに行く。彼は無名の協力者によって、現在の活動を支えられているのだと分かる。そうした協力者たちの連絡先も教えてもらった。しかし、彼らのような無名の人たちをテレビに登場させてよいものか悩む。
現代詩人会で日光のようなところへ旅行に行く。ぼくはまた同会の理事長になったらしい。部屋が空いていなくて、メンバーは別々の部屋に分かれて入り、それぞれの部屋はガラスで仕切られている。廊下で司会の男性がマイクで各室のメンバーに何かを話すが、ガラスの内側にいるぼくらにはちっとも聞こえない。
2006年06月17日
6月17日の夢(魂の抜けた体)
先日G賞を受賞した詩人のF・S氏の自宅に妻と遊びに行く。そこには同氏と親しい詩人のS・S氏が先にいて、「今日は東中野を二人でいっぱい歩くんだ」と、アルバムを繰りながら快活にぼくらに話しかける。S・S氏はぼくとは相性のよくない詩人なのだが、そんなふうに話しかけられ、ちょっと気分が楽になる。ぼくと妻はF・S氏の話をテープに収めようと思っていたので、ぼくは鞄の中からカセットを取り出す。ところがテープがカセットからはみだして、糸巻きのようなものに巻き付いてしまっている。懸命にカセットの中に巻き戻そうとするのだが、難しそうだ。
自宅のマンションの前の舗道にたくさんの人が出ている。ぼくの目の前にぼくそっくりの裸の男の体がごろんと横たわっている。魂の抜けた体だ。あれっ、これはぼくの体かなと一瞬思うが、ぼくはちゃんと自分の体の中に入っているし、そのごろんとした体のお尻にはゴムの人工肛門のようなものがくっついている。明らかにぼくのではない。「これ、誰の体?」と、みんなに尋ねているところへ、K氏(の魂?)がやってきた。みんなは「K氏の体だよ」と言う。いつも調子のいいK氏は「どうもどうも」と言って、その体に戻ると、さっさと行ってしまう。しばらく仮死状態にあった体なのに、脳などに全然ダメージがなかったことに、ぼくはびっくりする。
そこから自宅に戻り、キッチンに立つ。どうもこの部屋は風通しが悪い。キッチンには横開きの磨りガラスの窓がついているので、ぼくはそれを開けはなって、さわやかな風を入れる。
2006年06月16日
6月16日の夢(女性詩人の不調)
2週間後に迫ったイベントの映像素材の発注を受けているのに、クライアントから何も連絡がないので、こちらから出向いてみる。クライアントの個人オフィスはものすごくOA化されていて、壁の薄型モニターにイベント当日のプログラムが表示されている。他の業者が打ち合わせに来ているので、順番を待ちながらそのプログラムを見ると、うちの会社に発注されたはずの映像の項目はない。ということは仕事はなくなったのだろうか。それなら楽でいいが、でもよいような、よくないような・・・。
詩壇の大御所女性詩人のSさんが寝ている。どうも調子が悪いらしい。彼女の命令で、若い女の子が使い走りされられている。彼女の動きがおかしいと思ったら、Sさんの投げたらしい黒い布が頭からすっぽりかぶさり、前が見えなくなってしまったためだ。彼女の手をとって、導いてあげることにする。密着した体がなんだかなまめかしい。
2006年06月11日
6月11日の夢(雨漏りとサウナ)
新しいマンションに引っ越したらしい。ぼくの部屋は四方の壁が立派な書棚で、柱は黒い漆塗りという豪勢な六畳間だ。ところが、一番奥の書棚の真ん中の部分に少し雨漏りしている気配がある。近づくと、黒い漆塗りの木の肌が確かに濡れている。それを知らせに妻を呼ぶ。そこへ妻を連れて行く間にも、何カ所か天井に雨の染みが広がり、床も濡れているところを発見。さらに天井や壁のあらゆるところに、染みが広がりだして、まるでホラー映画のようになる。ドサッと音がした。振り返ると、入り口の左側にカーテンで隠した狭いスペースがあって、そこにぼくの服や小物が積み上げてあったのだが、それがどさどさと崩れ落ちてしまったのだった。
会社の営業部長に頼まれて、A社のぼくは直接かかわっていない仕事のアフターサービスで、彼の顧客のところに立ち寄ることにする。予め電話をして、「何時がよいですか」と尋ねると、逆に「そちらは何時がよいのか」と言うので、早めの時間帯でアポをとる。
少し早めに約束の場所へ着いた。それはサウナの休憩室のようなところで、ぼくは和室のちゃぶ台に向かい、なぜかパンツ一枚の半裸で座っている。しかし、これで顧客に会うのはあんまりだと思い、慌ててTシャツとズボンをはくが、ズボンのボタンを留めるいとまもなく、チャックをずりあげたところへ顧客が来てしまう。
若いチームリーダーと部下たちからなるA社の顧客たちは、ぼくが新しい提案を持ってやってきたと思い込んでいた。しかし、ぼくは何の商品知識もなく、もちろん提案も持っておらず、単なる挨拶訪問のつもりだったので、彼らは怒り出す。彼らの部署はここからいくつもの駅を電車で行った、遠い場所にあり、そこからわざわざ早い時間に間に合うよう、駆けつけてくれたのだった。ぼくは平謝りし、彼らといっしょに電車に乗る。途中、カモの集まっている公園のある駅がある。
最後はなぜかまたサウナの内部になる。そこでY社の顧客は下半身にバスタオルをまいただけの、半裸のままでぼくと別れ、ドアを開けて出ていく。すると、それを待っていたかのように、フルチンの男たちが「すみません」「失礼」といいながら、ぼくのかたわらをすり抜けて出口から出ていく。
2006年06月07日
6月7日の夢(旗立て荷馬車)
荷馬車のようなものが橋の下の道路をやってくる。「○○」と地名を書いた旗がいっぱい立ててあるが、よく見ると、4枚に1枚の割で「○○へ」と書いた紙が1枚ずつはさまっている。
2006年06月06日
6月6日の夢(カメラの会)
趣味でカメラをやっている人の会合に出る。1回目は問題なかった。2回目のとき、ぼく自身は弁当を持っているのに、ほかの人たちが弁当を持ってこなかった。そのため、お昼を過ぎても、みんな会合を続けており、ぼくは空腹を我慢するはめに。一人だけ女性会員がいて、彼女が会合を離れ、料理をしに行く。その間、男たちは会合を続けた。ようやく料理ができて、食事にありつけたと思った瞬間、目覚ましが鳴って、起きてしまった。
2006年06月05日
6月5日の夢(悪霊)
夜、一つの部屋にみんなで泊まり込んでいる。中に清原選手がいる。ぼくは清原に何か大事なものをあげることになっているが、さっきまであったのに見当たらない。隣の部屋にあるのかもしれない。行ってみると、右の方に、それまで気がつかなかったのだが、もっと広い部屋がある。ぼくはそこにいた小さなかわいい男の子二人に「清原選手を呼んできて」と頼むが、なかなか彼は現れない。何度目かに現れた彼は明らかにへべれけに酔っぱらっている。
みんなで四方に、3人ずつグループになって並んで肩を組み合う。これで魔法陣ができ、大切なものを取り出すことができるのだ。各グループから次々といろいろなものが出てくる。一つのグループからは金属製のペーパーナイフが出てきた。ぼくはそのナイフを別のグループの中年の女性の肌に当て、金属の冷たさで相手をびっくりさせようとするが、相手は思うような反応をしてくれず、期待はずれに終わる。そこへ蛇とも猫ともつかない不気味なものが二匹現れる。これは明らかにぼくらの敵だ。ぼくが二匹にペーパーナイフを投げつけると、さすがに魔法のナイフだ。一度に二匹を切り裂き、切り裂かれた二匹はその場で金属化してしまう。そこへ銀色の猫が一匹現れた。ぼくは猫にもそのナイフを投げつける。ナイフは猫を切り裂き、猫は銀色に近い透明な血を流して苦しむ。ぼくはさらにナイフを振り上げ、猫にとどめを刺そうとするが、猫はふっと消えてしまった。見ると、玄関の木戸が開けっ放しで、夜にもかかわらず賑やかに道行く人々の姿が丸見えだ。通行人のおばさんの一人がそれに気づき、親切にもにっこりと笑って、外から戸を閉めてくれる。だが、その木戸を押し開けて、中に侵入しようとする者がある。隣の家が遊女屋なので、そこと間違えて入ろうとしているのかと思うが、そうではない。必死でぼくは戸を閉じようとするが、ものすごい怪力で推し入ってくる。さっきの猫が怨霊となって、入ろうとしているのだ。恐怖のあまり目が覚めてしまう。
2006年06月04日
6月4日の夢(ズボンとマント)
ブリキの彫刻家でパフォーマーのAさんと一緒に店で飲んでいると、彼がズボンをはいたままおしっこをしてしまった。そういうのが趣味らしい。ぼくは彼とお尻をぴったり密着させて座っていたため、ぼくのズボンにもおしっこが少ししみてしまい、気持ちが悪い。そのことで、Aさんに文句を言うと、彼も気にして、「あんたとぼくは同年齢だっけ?」(実際は10歳以上、向こうが年上)と尋ねてくる。そして、洗濯した自分のズボンをぼくにはかせるつもりらしく、家に戻っていく。
また別の店で飲んでいると、彼が戻ってきて、ズボンではなく、頭からすっぽりかぶる黒いマントのようなものをくれる。なるほど、これを着ればズボンを脱いでしまっても問題ないわけだ。でも、ぼくが「そんなのいいよ」と遠慮すると、「それじゃあ、悪いけど、いいか」と、慌ててマントをひっこめる。本当はぼくに与えるのが惜しかったらしい。
その店にいた中年の男や女が、ぼくに和音についてのテスト用紙をくれる。音楽に詳しいぼくなら簡単だろう、というそぶりだ。それは音階を図解したものだが、五線譜ではなく、縦軸と横軸の間にグラフのように音階が表示されている。しかも、縦軸が何で横軸が何なのか、よく分からなくて、焦る。多分縦軸は音の高さで、横軸は・・・と見当をつけ、今マルがついているのは上のドだから、下のソとミだと思われる音符にマルをつけて、心配そうに見守る二人に渡す。どうやら正解だったらしい。二人は「さすが」と、ぼくをほめてくれる。ああ、よかった。
外に出ると、学校の校庭のようなところに、ややオレンジっぽい色のついた塩か砂のようなものが山のように積まれている。ぼくは思わず、それに登り、靴でつついてみると、思いがけず大きく山肌が崩れて、ぼくは下まで押し流されてしまった。大丈夫ではあったが、びっくりだ。みんな、ぼくの子どもっぽい行為を非難しているような雰囲気だ。
2006年06月03日
2006年06月02日
6月2日の夢(仕事一覧絵図)
編集部の仕事のすべての流れが、壁一枚分くらいの大きさのパネルに絵解きされている。各部門ごとに各担当者の動きがマンガ風のイラストで描かれており、コマとコマの間は矢印で、流れが分かるようになっている。それを見ながら、ぼくは「ぼくが京都大学に入ったのが1970年だから(真っ赤なうそ。ぼくが私立のW大に入ったのは1969年です)、その年から“北朝鮮の強制労働開始”と書き加えて」と、指示をする。
2006年05月31日
5月31日の夢(電車が会社)
電車に乗っている。電車の中が職場で、ちょうど就業時間が終わったところ。帰ろうと思い、座席にあった自分の荷物を網棚に載せようと思うが、同僚の女の子が沢山の荷物を先に網棚に載せてしまったため、載せるスペースがない。それに皆一向に帰ろうとしないので、ぼくも帰るわけにいかない。
朝、お湯を沸かそうとするが、薬缶という薬缶、鍋という鍋にいろんな料理が入っていて、沸かす薬缶がない。
2006年05月28日
5月28日の夢(コンピューターの内部)
19世紀。ショパンとAさん、そしてもう一人誰だか覚えていないアーティストの三人が仲良しだったというのは、歴史上有名な話だ。会社の同僚の女の子に、ショパン全集とAさんの全集のそれぞれ第一巻を読ませていたのだが、それを読んでしまったので、両方とも第二巻を貸してほしいと言われる。それらの本は会社のコンピューターの中に入っているので、一人でコンピューターのところに行く。実はコンピューターの中を開けるのは初めてだ。記憶をたどりながら、上部にあるボタンを押すと、ボタンに赤い光が点灯し、パカッとコンピューターの扉を開くことができた。
コンピューターの中は何段もの書類棚のようになっている。そこに二人の本があるはずなのだが、なぜか見あたらず、かわりにおびただしい写真のスライドがいっぱいに詰まっている。おまけに一番下の段が外にはみだして閉まらなくなってしまったので、押し込んでガムテープを貼り、無理矢理コンピューターを元のように閉じる。そして、またボタンを押すと、コンピューターは元通りになった。女の子に本を見つけられなかったことをどう言い訳しようかと悩む。
窓の外をパレードが通っていく。みんなはそのパレードに夢中のようだが、ぼくはそのパレードにものすごく反感を抱いていて、無視して中に閉じこもっている。すると、またその嫌いなパレードが戻ってきたと、誰かがぼくに告げる。ぼくはもう我慢できなくなり、怒りのあまり外に飛び出していく。ところが、もうパレードは道の曲がった先の、ぼくからは見えないところへ通り過ぎてしまっていて、あたりはがらんと寂しくなっている。ぼくは気勢をそがれ、「パレードはもう通り過ぎたあとだったよ」と、さっきの誰かに告げる。道ばたには材木がたくさん置かれており、その上には木くずがまるで雪のように深く積もっている。
2006年05月27日
5月27日の夢(沖縄)
沖縄に取材に来た。ある大家族の息子を取材しに来たのだが、その母親が出てきて、ずるがしこそうな様子で「取材するなら、私の要求を受け容れてくれ」と言う。ぼくは熟考するが、きっぱり「駄目です」と母親の要求を拒絶する。母親は当然ぼくが要求を受け容れると思っていたらしく、口をあんぐりと開けてびっくりした様子だが、ぼくは構わずカメラマンと共に隣の部屋に取材に入る。
隣の部屋は小さな体育館ほどもある広さで、中二階が周囲を取り巻き、一階と吹き抜けになっている。そこに子ども達をはじめ、祖父母などすべての家族が生活しているのだ。中二階は一階を取り巻くように、内側がひとつながりのデスクになっている。子どもたちはその好きなところに座って勉強をするらしい。いいなあ。ぼくもこんなデスクが欲しいと思う。撮影があると聞いて、大家族の人たちは一斉に着替えに表に出ていく。
ぼく自身、沖縄の離島に引っ越してきてしまった。夜の8時過ぎに帰ろうとして渡し船に乗ろうとするが、もう海岸のお店はすべて戸を閉めてしまっている。ということは、もう渡し船も最終便が出てしまったのだ。今夜はこちらで夜を過ごすほかないのだと思う。
ぼくは沖縄のテロリストで、もう一人の仲間と港を歩いている。敵が二人、物売りのワゴンを港に出している。一人で一人ずつやっつければいいと思うが、武器は仲間が持っていて、ぼくは丸腰だ。それでも、敵の武器を奪えばいいと思い、ワゴンに近づいていく。と、突然、横から別の男に「ちょうどよかった。ロケの撮影のエキストラになってくれない?」と声をかけられる。お坊さんがガスバーナーのようなものを手にしていて、そこから炎が噴き出し、空中に浮いている蓮の花のようなものとの間に、何枚もの花弁が炎の熱にあおられて飛び回っている。南の島の独特の宗教儀式らしい。ぼくは怪しげなそうした装置の一つを持たされ、居合わせた数人の男たちと共に撮影に参加させられて、終わって「ご苦労さん」と言われる。
浅草のようなところで、街角でオペラをやっている。いろいろなお店で歌手が歌い、それで客寄せをしているようだ。通りがかったぼくは、それを聞くともなしに聞いている。ちょうど歌い終わったところで、外国人の女性歌手が店から出てきた。手にその店の商品を一つ恥ずかしそうにして持っている。店には商店主も店員も誰もいないが、出演料がわりに好きなものを一つ持っていっていいと言われたらしい。
2006年05月25日
5月25日の夢(財布と靴をなくす)
女の子がぼくのために両開きの立派な金属製の扉を作ってくれた。その扉に計算用紙がわりに数字を書き込んで、ぼくは何かの計算をする。そんな立派な扉をぼくに提供してくれながら、女の子自身は綿埃のいっぱいついたぼろぼろの紙しか使わず、それで計算して間違えてしまったと泣いている。
旅館に仲間の男女二人と泊まる。二人は先に座敷に上がってしまったが、ぼくは玄関で靴をどうしようかと、もたもたする。どっちを実際に履いてきたのか分からないが、ぼくは黒い革靴と白いスニーカーと2足の靴を持っている。結局、スニーカーはビニール袋に詰めて、部屋へ持って上がることにし、革靴の方は旅館の女性に預ける。ところが、部屋に上がろうとして、自分が財布を落としたことに気がついた。一文無しでは旅館に泊まれない。慌てて玄関に戻るが、ぼくの革靴が見つからない。自分で床下を覗き込んでみるが、そこにはぼくのではない靴が1,2足あるだけだ。
2006年05月24日
5月24日の夢(噴き出す夢)
詩人のM氏が店長になって、渓谷の崖の上に観光客用のカフェを営業している。ぼくはそのスタッフの一人。そこは見渡す限りの岩だらけで、木や草は一本もない。川の両側の崖の上に幅の狭い平坦な岩場が続いており、その上に椅子とテーブルを置いただけのオープンカフェである。川は増水しており、突然、対岸の崖を突き破るようにして、大量の水が噴き出してきた。水と、水圧で跳ねとばされた岩がこちら岸にぶつかる衝撃を感じる。「あぶない! 崖が崩れる!」と、ぼくはとっさに判断し、店長に「逃げましょう」と言うが、スタッフたちは誰もぼくの意見を聞かない。その間にも、あっという間に濁流が押し寄せ、腰のあたりまで水につかってしまう。もうカフェなどあとかたもない。ぼくは逃げようと、手探りで水中に自分のリュックを探すが見つからない。「店長! 店長!」と叫ぶが、ぼく以外誰の姿もない。必死で水をかきわけ、逃げる途中、ふと手に触れるものがある。引き上げてみると、ぼくの探していたリュックだった。命からがら逃げ延びたぼくは、ようやく安全な高台に息もたえだえでたどり着く。何かの建物の入口にへたりこんだまま、ぼくは紙を広げ、九死に一生を得た思いを詩に書いていく。かたわらに男性がいて、ぼくに「生還したんだね」と声をかけてくれる。ぼくは「うんうん」とうなずくばかりで、声にならない。
2006年05月23日
5月23日の夢(作家にサインを貰う)
60歳前後の和服を着た男性作家(実在の作家ではない)に著書を差し出してサインを貰う。ぼくはその本を市場のようなところに持っていき、そのむきだしの床の上に腰を下ろして、最後まで一気に読み切る。あとがきに作家は「私は丹下監督(映画監督らしいが実在しない)の第六助監督だった」と書いている。なんだかとても感動したぼくは市場を出て、住宅街を歩いていく。家々の屋根や木々の梢など、見るものすべてがいつもと違って見える。作家から勇気をもらった気がする。
2006年05月22日
5月22日の夢(選挙管理委員)
気がつくと某詩人団体の選挙管理委員になっていた。専用の大きな手提げ紙バッグが支給されており、中には既に郵送されてきた投票用紙が何通も入っている。毎日の投票状況をレポートする用紙もある。一日ごとに何通来たかを書き込めばいいのだろうと思い、出勤前にやってしまおうと、投票用紙を開封する。しかし、目が痛くて、投票用紙に何が書いてあるか、皆目見えない。おまけにレポート用紙には、小学生の夏休み日記みたいに、毎日の気圧が何ヘクトパスカルかを新聞のお天気欄で調べ、棒グラフで書き込む欄まである。ぼくはもう10日間もほったらかしにしていたので、妻がぼくのかわりに何日分かつけてくれていたようだ。一体、投票と気圧とどういう関係があるのだ。ばかばかしい。忙しいのに、こんなものやってられるかい! と、ものすごく腹を立てたあげくに眼を覚ます。(起きて、夢だとわかってからも、ものすごくプリプリ怒っていました)
2006年05月21日
5月21日の夢(料理の夢2つ)
友人の漫画家Nさんは料理も得意で、彼女のフライパンの中にはカレーかおじやのような料理が三等分されて入っている。神田味とカリブ味と、もう一つは分からない。カリブ味の部分が神田味をじりじりと圧倒して広くなっていく。
そのNさんと、ぼくとNさんの友人であるファンタジー作家のIさんがメインゲストでお呼ばれをするというので、ぼくはお相伴するつもりで一緒についていく。ところが行ってみると、二人は欠席でお呼ばれはぼく一人だった。一段高くなっところに、床屋の椅子のようなものがあり、そこがぼくの席で、そこに鍋のような容器に入った料理が一品置かれている。招待役のY社のN氏は一段低いところに、へりくだって座っている。ぼく自身はおまけでついてきたつもりだっので、椅子にも座らず、料理にも手をつけていなかったが、ぼく一人しかいないのなら、やっぱりぼくが食べてあげないとまずいかなと思う。
2006年05月17日
5月17日の夢(入れない部屋)
会社の建物が新しくなった。ぼくの在籍する会社の部屋は、今自分がいるオフィスのほかに、道具をいろいろ置いた部屋があったはずなのに、いくら建物の中を歩き回っても、あるのは親会社の部屋ばかりで、探している部屋を見つけることができない。存在しないのでなく、なぜかそこへ行けないというふうなのだ。そこで、一度建物の外に出て、玄関から入り直したら、その部屋へ行けるかもしれないと考える。ところが、いったん外へ出たら、もうその建物へ入る入り口が見つからない。入ろうとしても、それはほかの何でもない商店だったり、戦後のナイトクラブだったりする。世界はカラーで色彩豊かに見えているのに、そのナイトクラブの中だけはモノクロの世界だ。そこだけが過去のためだろうか。ナイトクラブの中には津川雅彦など有名人の客の顔も見える。ここからビルの中へ入れそうな通路があるが、歩いていくうちにどんどん天井が低くなり、頭がつっかえてしまって、進むことができなくなる。
2006年05月16日
5月16日の夢(ミニ小田急とミニ新宿駅)
海を埋め立ててレジャーランドができた。その中をミニ小田急が走っており、駅はすべてミニ新宿駅の形をしている。Uカメラマンがもう一人の知らないカメラマンと一緒にやってきた。彼といっしょにレジャーランドの真ん中にある建物に入る。建物は四方が大きな窓になっていて、そこから360度パノラマで美しい海と山の景色が見える。外では何も風景が見えなかったのに、ここは本当はこんな景色のいいところだったのかと、びっくりする。外へ出て、三人でお互いを写真に撮り合おうとする。ところがファインダーを覗くと、お互いの間に黄色い貨車のようなものが入っていて、じゃまだ(三人の間を一人ずつ分断するように二台の貨車がある)。これでは撮影できないと思い、カメラを覗くのをやめると、知らないカメラマンの姿が消えている。
ミニ新宿駅の一つに列車で着く。改札口から外へ出ようとすると、1メートルくらいの段差がある。みんなはさっさと降りてしまったが、ぼくだけ段差にちゅうちょしていると、下の地面にヤギのような動物がやってきて、にゃーにゃーとぼくに甘える。その動物のおかげでぼくは外へ出ることができた。すると、降りた乗客たちは、そこでいろんな動物たちとてんでに遊んでいる。それらは動物というより、形が崩れたヒルのような不気味な生き物で、納豆のようなネバネバした液体で地面と体がくつついているのもいる。みんな、そいつらに夢中になっているが、ぼくはそいつらのことはみんなに任せて、一人歩み去る。
突然、戦争になる。空にぼろぼろになった大きな軍旗がなびいている。ぼくは戦争をゲームに変えてしまう。一人一人が洗面器かフライパンのようなものを手に持って、そのフライパンどうしで玩具の弾丸を羽根突きのように打ち合い、勝ち負けを決めるのだ。
2006年05月15日
5月15日の夢(警察)
大きな建物にエレベーターで上がっていく。この建物は警察署で、ぼくもそこに勤務しているらしい。エレベーターから何人か警官が降りるのとすれちがうようにして乗り込む。しかし、上がっていったフロアの自分の鍵をなくしてしまい、自分の部屋に入れなくて一苦労。それからみんなとどこかへ出発することになり、建物の外で馬車みたいなものに乗ろうと待っている。しかし、誰もやってこない。不審に思って、部屋に戻ると、やはり何か事件があったようで、部屋の中でみんなが鑑識作業をしている。
投稿作品を集めて、作品集を作ることになった。だが、なぜか原稿ではなく、その原稿を書いたボールペンを沢山集めて束にする。色も大きさも太さも不揃いの、さまざまなペンが集まった。ぼくはそれらのペンの束を、なくさないようにち自分の机の下の床に白い紙を敷いて、その上に置く。そうしているうちに、それは「隠した」というふうに夢の中で位置づけが変わり、一つ隠したのなら、必ず何かほかのものもこうしてどこかへ隠されたはずだと思う。
2006年05月14日
5月14日の夢(二つの菓子折)
取材先を2軒訪ねるので、菓子折を二つ用意して持っていく。うっかりして、最初の取材先で二つとも重ねて出してしまい、慌てて下の方を引っ込める。下の菓子折は上等なカステラだ。いつのまにかその菓子折の紐を解いてしまったらしく、これでは蓋が開いてしまう。何か紐のかわりになるものを探す。そこはいつのまにか駅のロビーのようながらんとした空間になっていて、はるか向こうの壁際に、誰かが捨てたズボンのベルトが、隠すように捨ててある。まさかあれを紐のかわりにするのはまずいと思う。
そこは駅の待合室なのか、ぼくはベンチに腰掛けている。そこへまだオムツがとれないような女の子を抱いた男がやってきて、ぼくの会社が従業員が増えた分、作業場が過密になり、ミスが出て、迷惑を受けたという。そのことについて、会社側の責任を証言するよう、ぼくに迫る。ぼくは会社側につくべきか、男の側につくべきかと迷う。
2006年05月07日
5月7日の夢(校長の定年)
ぼくは学校の校長先生で、今日はその定年の日だ。考えてみると、ぼくは生徒という客車を引っ張る蒸気機関車として、これまで頑張ってきたのだ。そんなぼくの最後の一日を取材しようとして、テレビの取材クルーがやってきた。彼らに機関車としての校長について話そうと思って歩き出すと、本当にレールの上を蒸気機関車がやってきて、手前の広場で停車した。ぼくの生徒たちがてんでに列車の下に潜り込んで、車輪の格好をしてみせている。
2006年05月02日
5月2日の夢(裸になれない)
学校の何かの合宿に来ている。みんなで一斉に入浴することになる。ところが手前にあるコインロッカーは小さすぎて、財布しか入れられない。脱いだものを置くところがない。ぼくは脱いだ服をフライパンの上に置くが、ガードマンのおじさんがやってきて、それを見て「ちっ」と舌を鳴らすので、慌ててどかす。若い女性の横顔だけが見える何かの窓口がある。彼女がこちらを見ていないので、その窓口の前にも脱ぎ散らかす。しかし、気がつくと、脱いだのは下半身ばかりで、上半身はセーターを着て、リュックを背負い、おまけに帽子までかぶっている。焦る。そのうえ、前を隠すタオルを忘れた。テーブルの上にぼろぼろの穴のあいたタオルが乱雑に置かれている。どうやら、あれを借りてもいいらしい。しかし、みんながとっくにお風呂に入っているのに、ぼく一人なかなか裸になれない。
2006年04月29日
4月29日の夢(人工海岸)
ある友人(実在しない中年の男性でした)のところへ、原稿の執筆を頼みに行った。原稿を受け取り、帰るためにぼくは新幹線に乗る。友人もいっしょに来て、さらに執筆意欲を示すので、新幹線が止まる各駅ごとに一つのテーマで、毎回連載してもらったらいいと思う。新幹線の中でぼくは窓際の席に座っていたのだが、その話を友人と立ち話して席に帰ろうとすると、その席は可動席だったらしく、片づけられてしまい、席がなくなっている。このまま立っていくのは辛いので、真ん中の方に席を探す。新幹線の車両はまるで動く体育館のように幅が広い。こんな大きな車体が狭いレールの上に乗っているなんて、信じられないなあと思う。一応、真ん中の方に空いている席が見つかった。
エレベーターに乗る。数人の知らない女性が乗り合わせる。床に黄色い尿が流れている。汚いなあ。足で踏まないようにしようと思う。ほかの階で乗ってきた人がいるので、奥の方に移動すると、尿はぼくの靴の裏から流れ出ていることが分かる。どこかで、知らないうちにおしっこの痕を踏んでしまったのだろう。
家のそばをちょっと南の方に歩くと、そこに海岸ができていた。そういえば都市改良で、都心にまで海岸線を引き込む工事が進んでいたのだ。喜んで海岸線に近づくと、まだ出来たばかりの海岸は人工の砂利が固まっておらず、ずぶずぶと体が沈んで、身動きがとれなくなる。やばい。そういえば、そんな注意の立て札があったのに、見落としていたのだ。このまま潮が満ちてきたら、水死してしまうと焦る。必死で脱出しようと焦るがうまくいかないので、念力で海岸線にコンクリートの細い通路と、内陸へ通じるトンネルの入り口を作り、そこを通って脱出した。
2006年04月28日
4月28日の夢(宇宙人の侵略)
ぼくは父親と街の賑やかな交差点にいて、信号の変わるのを待っている。ビルの上の西の青空に飛行機雲が見える。それが妙にひんぱんに飛び交い、なんだか様子がおかしい。「あれはなんとか流星群のせいだ」と父が言う。父はなんでも知っているんだなあと感心して、さらに見ている。と、西の地平線からいろとりどりの色彩のパッチワークみたいな、色彩の氾濫が空に沸き上がった。空全体が極彩色の抽象絵画のようなものにおおわれてしまう。これは宇宙人が侵略してきたのだとわかる。
家に帰ると、横長の不揃いの紙を乱雑に製本した分厚い冊子が届いている。一家に一冊、宇宙人が急いで配ったPR誌らしい。高度な宇宙人のはずなのに、こんなものしか作れないのかと思う。
父の部屋に入る。とても立派な部屋で、大型テレビが左の出入り口付近と部屋の中央にある。そのほか第三の小型テレビもどこかにある。二つの大型テレビは宇宙人が入り込んだ火山の火口の様子を映している。ぼくは真ん中のテレビの前に、父用と思われる大型の一人がけソファを置いて、そこに座ってテレビを見つめる。正面に座ったつもりなのに、ソファは少し右にかたより、しかも上の方から見下ろす形になるので、画面を正面から見つめられないことに苛立ち、ソファの位置を調節する。なんとか正面から見られるようになったが、上から見下ろすのだけは修正することができない。
そのうち、宇宙人の侵略は現実ではなく、「宇宙戦争」の映画を観ているのだと分かる。なぜか真ん中のテレビは左のテレビより数秒画面が先に進んでいる。この映画は、中国古代の「胡」という民族は実は宇宙人だったという仮説に立ち、胡による中国侵略を宇宙人侵略としてSFに仕立てた映画である。父は「胡は魚偏ではないか?」と、ぼくに尋ねる。ぼくはテレビ画面をルーペで見て、「いや、魚偏ではない」と答える。すると、父は右手奥にあった、今まで気づかなかった部屋のドアを開け、ぼくを一人残して別室に去って行く。
2006年04月27日
4月27日の夢(寅さん)
柴又の寅さんといっしょに、子供たちといっしょに博物館に行く。ぼく自身も子供かもしれない。入口で一人の女の子が「こういう博物館には、いろいろなものがごちゃごちゃに展示してあるところが必ずあるでしょ? あれはどうしてなの?」と、寅さんに質問する。すると、寅さんは壁いっぱいに展示してあるパネルに、野菜やらバケツやら野球のグローブなど、いろんなものの絵を次々と、多分磁石でくっつけていきながら、「それはな。・・・」と説明する。ぼくにはそれは全然説明になっていないと思われるが、女の子は「ありがとうございました」と納得し、ぼくだけが取り残されてしまう。
みんな帰ることにする。小田急線と、もう一つ別の線で帰る組と、二手に分かれる。ぼくはポケットの中の切符を確かめる。切符は丸いあめ玉で、最初は二つあったと思ったのに、今は左ポケットに一つしかない。しかも、ねばねばしてポケットの中でべたべたくっつく。いつ、それを渡せばいいのかと迷っているうちに、二つの電車がやってきた。どっちがどっちの線だかわからないが、みんな遊園地にある乙女チックな馬車のような感じ。みんなどっと乗り込むと満員になってしまい、ぼくだけが取り残される。孤独感をかみしめるが、ふと気がつくと、ぼくの周囲に誰も気づいていない座席が2列あった。ぼくはそこにほっとして、ゆったりと腰をかける。車両は出発した。前の席にいた女の子の一人だけが気づいて、後ろを振り返り、抱えていた人形をぼくの方に差し出す。ぼくはそれを受け取って、自分の席の隣に置く。
2006年04月21日
4月21日の夢(眼鏡屋)
高崎へ会社の仕事で出張しようとしている。すると、社長が「それなら、ここも寄ってきて」と言ったのは、最近出来た大手のメガネ屋だ。店舗プランニングの仕事の参考にしたいらしい。おやすいご用だ、と「いいですよ」と二つ返事をする。すると、かさにかかって「横浜のメガネ屋にも寄ってきて」と言う。「それは無理ですよ」と抗議するが、社長は退かない。
2006年04月20日
4月20日の夢(精神科医)
社長といっしょに精神科のクリニックに仕事で行く。ここは「何かあってかかりつけのクリニックより上級の診断が求められるときのための専門クリニック」だ。社長が「こんなに流行っているクリニックは珍しいね」と言う。受付で支払いを待つ間、社長は携帯でどこかに電話をかけている。ぼくがふっと右を見ると、そこには広い投薬窓口のカウンターと、ゆったりと長いソファーがあるが、誰も患者はいない。ぼくはそのソファーの端にちょこんと腰掛けて、待つことにする。
詩人で精神科医のS先生の新しい著書をぼくの編集で出すことになった。既にその本は原稿が揃い、レイアウトした校正も出来上がっている。ぼくは上司の編集者といっしょに、それをS先生に届けに行く。そこにはS先生の先輩学者による「まえがき」と、S先生自身によるその本のテーマについての短い解説コラムはあるが、「著者あとがき」がない。なくてもいいのだろうか? と疑問に思う。ぼくはこの本をこれからのんびり作ればいいやと思っているのだが、上司の編集者はS先生に「ぼくらは徹夜して一生懸命やればすむことだけれど、問題はそちらの方ですね。今、表紙のデザインのために、先生の顔写真が要るとか言って、みんな大騒ぎしてますよ。問題は昼間の時間だな」と言う。S先生は「じゃあ、明日の朝までにやっちゃおうか」と軽く言う。のんびりしていたぼくは、そんな短期決戦なのかと、びっくりする。
2006年04月19日
2つの銀行・2本の電話
銀行が向かい合って二つ並んでいる。一方からぼくが出てきたところで、外に腰を下ろして待ちかまえていた、もう一方の銀行の社員が立ち上がって、ぼくに「ほかの銀行に口座をお持ちの方は、うちにも作っていただきやすいですから」と、こちらの銀行にも口座を開くよう勧誘する。結局、ぼくはこっちの銀行にも口座を作ることになった。
部屋にいると、電話が2本同時に鳴りだした。一方をとると、通話先の相手のおばさんは既に部屋の中にいて、ぼくに「インタビューをさせてください」と言う。しかし、彼女が「この日なら」という日時はぼくがふさがっている。ほかの日時は彼女が空いていないとのことなので、この話は流れてしまい、長時間話したのに全く無駄になってしまった。その間、もう一つの電話は鳴り続けていて、何度も取ろうと思ったのに、結局こちらもとらないうちに切れてしまった。
2006年04月17日
4月17日の夢(楽器店に就職)
東京の街を妻と歩いている。もう午後1時半に近い。ぼくはスター楽器という楽器店で講座を持っているのだが、今日もそのどこかのお店で講座をする予定があるのではないかと思うのに、その予定が皆目わからない。スター楽器に電話して確かめようと思うが、電話番号も分からない。
京都の町へ行き、大手の楽器店に就職した。男性社員について、大きな店の中に入っていく。店というより、お城のような感じだ。内部は迷路のようで、幕のようなものに仕切られ、すぐに男性を見失い、ぼくは道に迷ってしまう。しかたなく外へ戻ると、そこでは屋外に何人もの医者が座り、その後ろに行列ができて、集団検診をしている。その列を抜けていこうとすると、医者の一人に「入ったばかりなのに、もう帰るのか」と声をかけられる。それがこの楽器店の社長らしい。そこで、ぼくは社長に「東京では講師をしていたので、ここでも講師をしたい」と言うが、社長は「営業をやってみろ」と言う。確かにぼくには音楽知識があるから、ピアノの先生のところを回ってセールスするぐいはできるだろう。そこで、「できるとは思いますが、ぼくは自転車にも乗れないくらいで、車の運転ができません。電車で回りますよ」と言って、不敵ににやりと笑う。社長もぼくの顔を見返して、むふふふ・・と笑い返す。そうして、ぼくはその店に入社し、営業社員として働くことになった。音感があるので、聴いた曲を耳コピーして楽譜にしてやったりして、女子社員たちにも喜ばれ、ぼくは店内で人気者になった。
2006年04月13日
輝く雲と樹木
誰かの家に妻と遊びに行った。襖を開けたままの隣の部屋に、Yさんが入っていき、そこに足を投げ出すようにして座っている。そこへはさらに二人ほどの女の子が入っていったが、Yさんとは話もせず、彼女は一人でいる様子。そのうち、その部屋で一人の女性が服を着替え始めたので、驚いて目を向ける。だが、それはYさんではないし、また単に上着を着替えただけで、何もエロチックな着替えではなかった。
また玄関に新しい客が現れた。初老の男性だ。妙ににこやかなので、思わず挨拶しそうになるが、全然知らない男だ。
妻とぼくは第三の部屋に行く。そこには大きな窓があり、窓の向こうに猫じゃらしの穂のような形の縦に長い真っ白に輝く雲が、地上から生えている小ぶりなヒマラヤスギのような木の上にあるのが見える。もっと窓に近づくと、雲の下部と樹木だけがアップで見える。発光する純白の雲の底と樹木の間には、にょろにょろした触手とも、樹木のつるとも見えるものが何本も絡まり合っている。妻は「あれは雲が新しい若芽を食べているのね」と言う。
外が騒がしくなった。出てみると、混雑した道路に、車にまじって結構大きな船が止まっている。それが潜水艦のように一度地中に潜り出すが、また地上に戻ってきた。それは北海道へ行く新興宗教の団体の乗り物らしい。船の上で歌が始まり、船を囲んで飛び降りた信者たちが手拍子を打っている。ぼくも野次馬になって見守りながら、手拍子を打つ。だが、ふと気がつくと、周りにいるのは信者たちばかりだ。慌てて逃げようとするが、すぐに屈強なおばさんにつかまってしまい、ぼくは彼女に殴る蹴るの暴行を加えて、脱出を図る。たちまちほかの信者たちもぼくを取り囲み、乱闘になった。ぼくは実は刑事で、格闘技の腕には自信がある。同僚の刑事が「一色さん。素手ではあまりに危ないですよ。これを使ってください」と渡してくれた武器は、プラスチックのちり取りだ。こんなふにゃふにゃなもので相手をこずいても、大したダメージを与えられそうにない。
2006年04月06日
4月6日の夢(愛のあるML)
ぼくはなぜか一人の男に石を投げつけている。当たらない。見物人が大勢集まってくる。その見物人にまぎれて男に近づき、さらに石を投げる。大きな石もどんどん投げる。しかし、当たらない。そのうち、見物人もぼくに協力してくれるようになり、一人の車に乗り込んで、決戦場へ赴く。相手の男も仲間を連れてきている。ぼくは大きな石をどんどんぶつけるが、やはり当たらない。勝ち誇った相手は、何かものすごい兵器を持っている様子だ。それを作動させようとするより一瞬早く、ぼくの陣営は水爆を爆発させる。一瞬にして、世界が破壊される。だが、灰燼の向こうに空高く「ML」の旗がひるがえる。そして、ぼくと仲間だけが生き残った。「愛のあるMLは水爆にも生き残る」と水爆の取り説に書いてあった通りだ。
2006年04月05日
4月5日の夢(処刑される)
木造の古くて薄暗い感じの部屋。何かの研究所らしい。もうかなり夜遅くで、ぼくはその床に布団を敷こうとしている。すると偉い人が部下に案内されてやってきて、椅子に座り、ぼくに「もうじきイナミチが来て、エレクトーンを弾きますから」と言う。ぼくは「イナミチ」という女性がやってくるのだと思い、心がときめく。
廊下に出る。ここにも布団を敷かなければならない。しかし、暗いので電気をつけようとスイッチを押すが、電気はつかない。電球がゆるんでいるのではないかと確かめるが、そんな様子もない。「廊下の電気はどうしたんだ?!」と大声で叫ぶが、あたりはしんとして誰も答えない。何度も何度も「電気はどうしたんだ」と叫ぶが、声がかすれて、うまく叫べない。廊下に母の亡霊のようなものが、ぼーっと立っているのが見える。
夜の舗道。ぼくと少年(といっても、若い男という感じ)が大きな体格の男にこれから処刑されようとしていて、命乞いをしている。しかし、聞き入れてもらえそうにないので、少年は諦めて、ぼくに「じゃあ、こいつの家へ行こう」と言う。そこで処刑されるのだろうか。特に恐怖感はない。ぼくは頭から赤い毛布をすっぽりとかぶる。「その方が(処刑される人間)らしいよ」と、少年がぼくに言う。
2006年04月04日
4月4日の夢(高速回転する時計の針)
妻が「旅行券があるので、これを駅に持っていって切符を買い、お釣りを貰ってきなさい」と言う。今日は仕事で一日外に出ていて、これから新宿経由で八王子へ行き、そこで夜の11時まで仕事をする予定だ。八王子に7時に着いていなければならないのだが、もう7時を回っているのにまだ新宿に向かう電車の中だ。電車が新宿に近づいた。すると時計の針が急にすごいスピードで動き出した(長針がほんの1〜2秒の間に、7時15分から30分近くまで動いた)。
2006年04月02日
4月2日の夢(会社が行方不明)
自分の勤め先の会社は確かここにあったはずだと、会社の場所を探している。大通りを渡ったり戻ったりしていると、親子連れの団体がやってきた。子供に大通りを横断する練習をさせている。実際、車の通行量は多くないものの、車は猛スピードで、速度をゆるめようともしないし、信号機などもない。とても危険だ。ぼくも彼らにまじって、また大通りを渡る。街はどこか廃墟のような匂いがある。
大判四つ折りのリーフレットのデザインの訂正要求がヤマハからあったので、デザインのTくんに頼むようにと社長が言う。Tくんはぼくと仲の悪かった元「ピアノの本」編集長のK女史と会話していて、ぼくはその話が終わるのを待っている。K女史の後を追って出ていこうとするTくんを引き留め、ぼくは仕事の依頼をするが、彼は「ぼくはもう時間がない。かわりに○○というフリーのデザイナーに頼んでほしい」と言う。○○なら、ぼくも聞いたことのある名前だ。今日は夏休みの最終日だったことを思い出し、きっとTくんはこれから旅行に行くのだろうと思ったぼくは、「わかった。じゃあ、気をつけて行って来てね」と言う。だが、Tくんは「いや、試写会に行くだけなんだけどね」と苦笑する。
それで○○デザイナーの事務所を訪ねていくが、それはさっきぼくが会社を探していたのと同じ場所で、やっぱり見つからない。困ったなあ、社長に連絡して、指示を貰おうと思い。外出先を書いた白板を見る。社長の外出先は4件もあり、これではなかなか帰社しそうにない。自分の携帯を開き、社長に電話しようとするが、ニュータイプの携帯は無用のメニュー画面ばかりが沢山出てきて、ちっとも電話帳の画面にならず、電話することもできない。
画廊のような場所にいる。床の上を、小さな猫のような女の子のような曖昧なものがやってきて、ぼくの足にまつわりつくので、蹴りつける。それでもまたやってくるので蹴る。そんな様子を母のような様子の女が見ていて、ぼくと楽しそうに会話している。
2006年04月01日
4月1日の3つの夢
オーストラリアに行く船に乗っている。乗客はぼくだけで、あとの男女はみんな船員らしい。船室の四方にぐるりと取り付けられたベッドに横になり、みんなぼくのことなど忘れてしまって、てんでに自分たちの話に夢中になったり、食事をしたりしている。
少年のぼくは両親たちと港に行き、港をめぐる船に乗った。乗ったときには確かに祖父母がいっしょだったのに、降りると祖父母の姿がない。「どうしていなくなってしまったのか」と、ぼくは両親に抗議をする。
スーパーかセルフサービスのレストランのようなところ。レジの行列に並ぼうとすると、すぐ前に若い女性が飛び出してきたので、順番を譲ってあげる。彼女は恐縮して辞退しようとするが、ぼくは無言で「どうぞ」という仕草をする。
レジでぼくの番になった。レジに、ぼくは持ってきたものを置く。それは、透明プラスティックの円筒形の容器に入ったパスタのようなもの。それを受け取ったレジ係の女の子は「これには○○(不明)がないけど、ついていませんでしたか」と、ぼくに尋ねる。ぼくは慌てて走って売り場の棚に戻り、それが落ちていないか探すが見つからない。しかたがないので、その棚にあった別の円筒形の容器を持ってレジに戻る。さっきの商品とよく似ているが、中にはパスタではなくスプーンのようなものがいっぱい詰まっている。レジの女の子はそれを見て、「私がここで新しい○○を出してあげるというのではどうですか」と言う。ぼくは喜んで、「あっ、それが一番いいです」と答えるが、彼女はぼくの顔をじっと見つめるばかりで、何もしてくれない。
2006年03月30日
3月30日の夢(映画と病院)
PR映画の制作をしている。撮影は隣の部屋(スタジオ?)で行われていて、そこではハスキーな声の女優と、おじさんふうの男優がタイムマシンのようなものに乗り込む演技をしている。二人とも3〜40代のおとなという感じ。一方、ぼくのいる部屋は隣のスタジオとの間の壁一面を、さまざまなモニター画面が埋め尽くし、ミキシングルームもしくは編集スタジオという雰囲気だ。ぼくのほかに、奥にはかわいい感じの若い女性がモニター画面を見つめている。だが、彼女はモニターを見ているふりをしているだけで、ちゃんと状況を把握しておらず、スタジオへの指示は的確さに欠けている。ぼくの方はきちんとモニターを見つめているので、ちゃんとした指示が出せる。この映画の宣伝用映像として、隣の部屋にいる女優がうつむきながら歩いている上半身の映像を使いたいと思う。
急に体調が悪くなったので、近くの病院に検査を申し込み、検便を持って、その病院へ歩き出す。歩きながら、遠くのもっといい病院にも診察の予約をしたことを思い出す。それなら、最初からその病院に検便を提出した方がいいと気がつき、Uターンして元来た道を戻り始める。だが、両手で抱えた検便の容器は金魚鉢ほどの大きさで、しかも蓋がないので、歩くたびに、ぴちゃぴちゃと中のものが飛び散って、自分にかかってしまう。
2006年03月27日
月27日の夢(戦争映画)
ここは京都の撮影所で、スタジオの中では大作の戦争映画が撮影されている。上陸作戦をしている艦船の内部のセットなのだろう。大きな横長の窓があり、そこから海岸線のパノラマのような風景が見える。トーチカのようなものがあり、海岸一帯が戦場と化している。ミニチュアセットとCGが組み合わされているのだろうか。弾丸もビュンビュン飛んできて、窓ガラスにピシパシと当たる。
次のシーンでは巨大な建物の中で、小隊が休息している。木造のようだが、横幅も奥行きも広く、左右は道路に接している。撮影所の敷地いっぱいに建てられたオープンセットかもしれない。小隊には女性もいて、森山良子の姿もある。将校もいるのだが、指揮は軍曹あたりらしいぼくが執ることになっていて、ぼくはみんなに「出発!」と号令をかける。しかし、どうもぼくは適任ではないので、ぼくの会社の同僚であるUくんに指揮官を替わってもらうことにした。
2006年03月26日
3月26日の昼寝の夢(高見沢さん)
日曜日に自宅で仕事をしていて、ある会社の高見沢さんという女性(実在しない)に、自宅からメールを打つ。そして、パソコンを切ってから、そのメールの件でその女性に電話をかける。だが、メールの件で電話したのだから、パソコンの画面を立ち上げたままにしておくべきだったなあと後悔する。相手の会社の男性社員が電話に出たので、「S社の一色ですが、高見沢さんはいらっしゃいますか」と言う。相手が「えーと・・・」と言って、高見沢さんを探している様子。「いなければかけ直そう」と心の中で思うが、「あっ、高見沢さん」という声がして、当の女性が「高見沢です」と言って、電話口に出てきてしまった。ぼくは「今メールした本のことですが、えーと・・・」と口ごもる。その本の名前をはっきり覚えていないのだ。「えーと、確か『新しい交通ルール』だったかな」と言うが、自分の作っている本の題名をはっきり覚えていないのは、格好悪いなあと焦る。
と、いつかそこは会社のオフィスになっていて、電話しているぼくに社長が手を伸ばし、無言で封筒を手渡して、向こうへ行ってしまった。どうやら、ぼくに内容をチェックしろということらしい。中には3枚の書類が入っていて、それは「詩と思想」誌からの原稿依頼に対する返信書類だった。ぼくは記入事項や捺印などを確かめた上で、何も問題がないので、戻ってきた社長にこちらも無言で封筒を返す。
2006年03月24日
3月24日の夢(本の企画案)
会社で、あるテーマで本を作る企画案を、ぼくは温めている。そのための資料が沢山あり、邪魔なので整理することにする。ぼくのデスクと壁の間にちょうどスペースがあり、そのスペースの床に資料を並べていく。これでぼくのデスクはすっきりして、ああよかったと思うが、そこはほかの同僚たちが外へ出るための通路にしているので、みんなが邪魔にして跨いで歩いている。慌てて「退けますから」と言って、取りのける。
M氏がその本を書いてもらう著者の候補だと言って、一人の武道家を推薦し、その著書を三冊手渡してくれる。二冊は毛筆で書かれた和綴じの本で、もう一冊は「アメリカ弓道日記」という写真入りの本。見ているうちに、その写真が動画となって動き出す。なぜかすぐ近くの的に向かって、沢山の弓道家がまっすぐではなく、斜めに並んで和弓や洋弓を引いている。その列を縫うようにして、何人かの先生が指導をしているが、みんなが弓を引いているところをうろちょろして、矢に当たってしまわないかと心配になる。
この本の著者として、ほかに、ぼくの知り合いの詩人N氏と、その二人の仲間も名乗りを挙げている。そのテーマで三巻の本を一人が一巻ずつ担当して書く予定だという。そのとき、三分冊ではなく、全部一冊にまとめた方がよいのではないかというアイデアがひらめく。それにしても、N氏は酒癖の悪さで知られる詩人だ。彼とは打ち合わせの際に、絶対に飲まないようにと社長に進言しようと思う。
2006年03月22日
3月22日の夢(出っ歯のジューサー人形)
くるみ割り人形のような出っ歯の男のかっこうをした機械がある。その出っ歯の部分をバカッと開けて、中に野菜と卵と大きな豆のようなものを詰め込み、頭を押さえるとガーッと音がして、出っ歯が回転し、朝食用のジュースが出来上がるはず。ところが、沢山中身を詰め込みすぎたため、開けても殆どが元のままの形をしたままで、しかもあふれてこぼれてしまう。しかたなく、また頭を押さえてガーッとやる。そうすると、中身が回転している間、男の大きな目玉が回って白黒するのが面白い。これは機械だと分かってはいるのだが、男の口の中で唾がいっぱい出て、それがジュースになるような気がして、どうも気持ちが悪い。
朝食を終わり、出勤のため駅に行く。なぜかまだ夜が全く明けておらず、真っ暗だ。その夜空をたくさんの光の点が移動していく。中にはかなり大きな光もある。UFOだろうか。それが見えなくなると、突然いつもの朝の空になった。
会社に新入社員の男がいる。その男が変な企画書を書いた。こんなもの捨ててしまおうと思うが、とりあえず先輩にも見せようかと、男の書類棚をごそごそ探すが、どうしても見つからない。
夕方、誰か女性と二人、並べた椅子を納屋の壁にもたせかけて、夕日の沈むのを見ている。地平線には二つの夕日が沈んでいくのが見え、その夕日にはぼくと女性のシルエットが映りこんでいる。納屋の壁は振動しているのか、定期的にぼくの背中を押すようにするのが感じられる。
2006年03月21日
3月21日の夢(目覚まし男)
一人の男がぼくの寝床のかたわらに立っている。なんだか四角張ったロボットのような男。その男が突然、大声を上げて、ぼくを起こそうとする。びっくりするが、ぼくが起きる合図は目覚まし時計のはずだ。男の合図を無視して、眠り続ける。
その男の頭からコンピューターグラフィックのイメージが飛び出してくる。溶鉱炉か原発の炉の稼働する様子や、そこにいる女性の心の中もすっかり、ぼくに見せてくれる。ぼくはそれに従ってシステムをコントロールし、必要な措置をとることができるのだ。ぼくは男をとても信頼している。
2006年03月19日
3月19日の夢(音楽バス)
ぼくは夕方から出張なのだが、妻と何かのパーティーに出席していて、なかなかその場を離れがたい。それでも、もう5時を過ぎてしまい、妻が「一体何の出張で、どこへ行くの?」と言うのを振り切って、出発することにする。そこで自分の鞄を開けてみると、野球帽が入っているのに気づく。かぶっていると何だかかっこいい気がする。トイレに入って、鏡を見る。なんと、普通の帽子に比べて三分の一ほどの小ささで、とても格好悪い。慌てて帽子をとる。おまけに、トイレの中は黄金色に汚れている。
トイレを出て、街路を歩いていく。ベンチがいくつもあって、人々が座っている。そこを抜けようとするが、ベンチは円形に置かれていて、しかもベンチとベンチの間は鎖でつながれていて、出口がない。懸命に鎖をまたいで脱出する。
さらに歩いていくと、会社の役員が突然立ちはだかる。高校時代の方言丸出しのいじめっ子だ。「春休みに出張するのはいいが、後に残ったみんなが分かるように、仕事の現状のデータをパソコンに残しておかないと駄目じゃないか」と、ぼくをなじる。「おまえは知らないだろうが、Y社では出張先の部屋の布団の配置図をちゃんと用意しているのだ。そんな下調べもできていないだろう」と、その配置図を何枚もぼくに見せる。ぼくは彼の話を聞き、ぼくのパソコンは会社側に覗かれているのかと、一瞬ドキリとする。思わずキレそうになり、彼に言い返そうとするが、そうなればこのまま退職をする羽目になるかもしれない。それとも謝罪して、事態を収めるべきかと、ぼくは葛藤する。そのまま帰ろうとする役員を、ぼくは後ろから腕でとどめるようにして、「教えてください。あなたは何のために、ぼくにこういうことを言うのですか」と必死に尋ねるが、彼はぼくの味方とも敵ともわからないまま、立ち去ってしまう。
動揺しながら、たまたまバス停に止まったバスに乗ろうとする。中には教室のように机が並び、人々がきちんと椅子に座っているのを見て、これは団体の貸し切りバスであることに気づく。そして、ぼくはバスではなく、地下鉄で東京駅へ行くつもりだったのだと思い出す。道に迷いながらも、田舎道にあかあかと地下鉄の駅が灯をともしているのを見つける。ところが、乗ったのはまたまたバスだった。このバスは本当にぼくを東京駅に運んでくれるのだろうか。とても不安だ。おまけに、運転手が運転しながらピアノを演奏する音楽バスだ。Y社の新商売らしい。だが、よく見ると、運転手はピアノを弾いているわけではなく、スピーカーで音楽を流しているらしい。そろそろ終着駅で、みんな降りる準備を始める。出口の壁の背後で、誰かが不思議な仕掛けをしている。どういう仕組みなのだろうか、壁のこちら側に折り紙か切り絵細工のようなものが、まるで植物が繁殖するようにひとりでに図形を作っていく。それを見て、乗客の親子連れが大喜びをしている。
2006年03月18日
3月18日の夢(豚が作ったマヨネーズ)
幼児音楽研究家のI先生の研究室では実験用に何匹も豚を飼っている。その豚をあるとき、檻に入れるのを忘れて部屋に放し飼いにしておいたら、豚たちが壁に何かを泥で塗り込めているのが見つかった。豚たちは一体何を壁の中でしようとしているのか。試しにいろいろな材料を与えて、観察してみることにした。暫くして、豚たちが壁の中に塗り込めた壺を取りだしてみると、壺の中から発酵してできたマヨネーズが出てきた。試食してみると、おいしい。こうして出来上がったのオリジナルのマヨネーズを新商品として売り出すことに決定した。
2006年03月14日
3月14日の夢(お屋敷)
大きなお屋敷に三人でおよばれに行った。三人というのは、ぼくのほかに父と母のようでもあり、妻と息子のようでもある。百人一首をして遊ぶ。といって、畳の上でカルタ取りをするのではなく、百人一首の札が十枚ぐらいずつ上等な透明パックに包まれているものが、燕尾服を着た召使いたちの手でテーブルに持ってこられ、椅子に座って、カード遊びをするのだ。ぼくは教養がないので百人一首なんか本当は全然知らないので、すごく恥ずかしいが、なんとかごまかしている。
昼間からおじゃましているのに、楽しく過ごして、ふと壁の時計を見ると、もう夜の11時だ。もう急いで帰らなくてはいけない。クロークでコートを取ろうと思うと、そこは帰ろうとする客達で押し合いへし合いになっている。女主人が「私が取ってきてあげる」と言ってくれる。そして彼女の命令を受けて、大男の外人が突進し、人々をかき分けてあっという間にクロークへ到達する。だが、彼はぼくのコートを取ってきてくれない。そのため、ぼくは帰ることができない。自分の家族たちを探すが、姿が見えない。この部屋にいないだけなのか、それともとっくに帰ってしまったのか。心配になったぼくは携帯で家に電話するが、携帯には変な数字が表示されるだけで、かけることができない。そこへ変なパトカーがやってきた。パトカーがぼくを見かねて電話してくれるのかと思ったら、さにあらず。変な男とその父親が現れて、男はパトカーにあった星のマークを胸につけて、ポーズをとる。それを男の父親がカメラで撮影している。
2006年03月12日
3月12日の夢(贋物の世界)
クライアントに仕事で深夜にぼくは同僚たちと呼び出され、ガラスとプラスティックでできているような、やけに清潔な宇宙ステーション風の場所(でも地上)に押し込まれた。彼らは人間のかっこうをしているが、どうも人類を抹殺しようとしている宇宙人か何からしい。そして、彼らはぼくらをだましたつもりでいるが、この建物の外側はすべて贋物のつくりものの世界だと、ぼくらは知っている。
人類の最後の抵抗の砦であるここに立てこもるぼくらを、彼らは外から銃で撃ってきた。銃が正確にぼくに狙いをつけている。一瞬撃たれた!と思ったが、どうやら大丈夫だった。
2006年03月10日
3月10日の夢(ハサミを持つ女性)
片手にハサミを持って、女性が立っている。ぼくは女性に「これは象徴的だね」と話
しかける。
2006年03月06日
3月6日の夢(渡り鳥というお店)
会社で新人の女の子に発送用のリストを10人分作ってもらうことになり、そのリストを書き写そうと、ぼくは肩に大きなペンをかついで待っている。とても太くて重いペンだ。だが、彼女は席を離れたと思ったら、ペンではなく、パソコンでリストを打つ準備をしている。ぼくは拍子抜けして、ペンを肩から下ろす。
新人歓迎会を「渡り鳥」という名前の店でやることになった。社長が「渡り鳥はあそこの道を90度曲がって、それから・・・」と説明してくれるが、ぼくにはちんぷんかんぷん。Uくんが「大丈夫ですよ。一色さん以外は皆わかるから」と言う。社長はいつかUカメラマン(Uくんとは別人)に替わっていて、窓ガラスに指で地図を描いて、別の新人の男の子に「わかったか。わかったら言ってみろ」と言う。男の子のかわりに、ぼくが「わかんないよ」と答える。
2006年03月05日
3月5日の夢(1円玉が3枚)
オーロラのような極彩色の美しい光が空に輝く現象がある。その美しい輝きについてブログで書いている女性がある。ぼくの会社の経理担当重役のKさん(既に定年退職)も、同じテーマで書いているのを発見し、ぼくは「彼女は今まで孤独だったと思う。同じ会社に同じことに興味を持ってくれる人がいて、うれしいです」と感謝の言葉を述べる。
妻との間で何かのやりとりがあったらしく、妻に3円、ぼくの口座に振り込んでくれるよう、求める。妻は「明日、郵便局に行って、振り込むわ」と答える。だが、考えてみると、こうして向き合って話しているのだから、今現金で貰ってもよいのではないか。そこで、ぼくは妻から1円玉を3枚受け取った。
2006年03月04日
3月4日の夢(人間爆弾)
ぼくらは皆、敵によって人間爆弾にされている可能性がある。誰が敵で、誰が味方かもはっきりしない。最初はぼくらの言葉を信じなかった警察も協力して、しらみつぶしの警戒網が張られている。金属ネットの前で警戒していると、何かがぼくらの背後で起きた。一斉に仲間たちが、そちらへ走り出す。だが、全員がそちらへ走ると見せかけて、半分はすぐにネットに戻る。すると案の定、ネットの向こうにいた親子連れなどが一斉にこちらに向けて走り出すところだった。やはり彼らは敵だったのだ。
先ほど何かが起きた現場へ行ってみる。海岸でやはり人間爆弾が爆発したのだった。「長崎」という言葉に反応して爆発が起きたと、みんなが言っている。だが、事実は「若い」という言葉だったという。
Mカメラマンがおびえながらインスタレーションの作品を制作している。彼は「若い」という言葉を自分が言ってしまうのではないかと不安なのだ。だが、そばにいる女性がキーワードは「コラボ」という言葉に替わったと語って、彼を安心させる。Mカメラマンの作品はついに完成した。スクリーンの美しい光の点描が輝いている。本当によかったと思う。
これからぼくは奈良へ旅行に行くことになっているが、今は豪華な座敷で開かれている詩の集まりに出席している。ぼくはなぜか一度外に出て、それからまた豪華な襖のような和風の横開きの扉を開けて、中に入るとゲストの舞踏家・村田氏がもうそこにいて、練習を始めていた。と、思うと、それは村田氏ではなく、ゲイの男だった。彼は日本酒の一升紙パックをこぼしながら、ごくごくと飲んでいる。その紙パックを投げてよこすので、受け取るが、まるで雲のようにふわふわと軽い。「軽いね」と、ぼくは驚いて言い、ゲイの男に投げ返す。すると、いつのまにか座敷は市街電車になって、疾走している。「えっ、この座敷は電車になるの?」と驚きの声を上げると、ゲイの男もびっくりした様子。外を見ると、ほかにも二台の電車が走っているので、それらの運転手に「これは何行き?」と、ぼくは尋ねる。彼らは知っているのか知らないのか、「さあ、どこ行きだろ?」と言う。ぼくとゲイの男は「駅行きにしないと承知しないからな」と運転手をおどす。
2006年03月03日
3月3日の夢(トロッコ列車)
海辺の町へ団体旅行で行った。修学旅行のようだ。夕方トロッコ列車に全員で乗る。トロッコは二列に座るのがやっとで、両側に柵も手すりもない。とても危険な感じ。別の列車に外国人のロックギタリストがギターを抱えて乗り込み、先行して出発した。彼とその仲間のミュージシャンは広い砂場のような、何もない場所で待っていた。ぼくらも列車を降りて観客になるのかと思ったら、列車はぼくらを乗せたまま、砂の広場へ入っていく。乗ったままコンサートを鑑賞するらしい。
トロッコ列車の線路が下に向かう。トンネルのようになった最深部で、突然ぼくの前に小学生くらいの男の子がにやけた顔をにゅーっと突きだした。どうも、それは子供の頃ぼくをいじめたいじめっ子のようだ。ぼくはその子の顔の真ん中に、スローモーションでパンチを一発お見舞いする。男の子の歯にこぶしが当たる感触がして痛い。見ると、ぼくの手が裂けて、血が流れている。男の子は不適な顔つきのまま、消えてしまった。
2006年02月28日
2月28日の夢(乗り物の中の孤独)
浜松へ行き、誰かのファンクラブの集いに参加する。会が終わったあと、砂場で行われた二次会には数人だけが残った。ぼくも心惹かれて、残ろうかと思ったものの、やはりそのまま帰ることにする。浜松から帰る列車のデッキに乗り込む。そこは車両と車両をつなぐ連結部だが、かなりの広さがある。すぐに客室へ入るつもりだったが、そこでうろうろしているうちに、アルバイトらしい女性乗務員たちが客室との間のドアを閉ざしてしまい、ぼくはそこに一人取り残されてしまう。
アメリカで何かの乗り物に乗る。バスだか電車だか、あるいはほかの乗り物なのか、よく分からないが、窓際に沿って座席が横一列に並び、窓はロープーウェイのように広々している。発車したとたん、その乗り物は高々とアメリカの空に舞い上がる。座席にはアメリカ人たちが腰掛け、ぼく一人だけが立っていたが、ぼくはすぐに窓の外の素晴らしい景色に目を奪われる。広大な畑や草原があり、山岳地帯がある。そのうち、いつのまにか景色は日本の風景に変わる。ぼくは国境を越えて、帰国したらしい。
2006年02月27日
2月27日の夢(携帯電話)
詩人のYGさんと、これから出す彼の本のことで、まだ決まっていないことを打ち合わせたくて、アポもとらずにいきなり彼の住まいの近くまで行く。そこから電話しようと携帯を取り出すが、どうしても彼の電話番号を検索できない。いろいろ操作しているうちに、「この住所の近くの人たち」というタイトルの一覧表が画面に表示される。カラーの顔写真付きだ。すごい。こんな機能が今の携帯には備わっているのかと驚く。しかし、その顔を一人一人眺めても、彼の顔はない。また、いきなり彼の住所だけが「2-9-17」というように、画面に表示される。ここに住んでいるのか。この住所への行き方を調べようと地図をめくる。今ぼくのいる地下鉄の駅のそばのようだが、地図帳には「この近くで起きたピストルの発砲事件で、流れ弾が達した住宅」という矢印付きの精密な地図があるだけで、かんじんの「2-9-17」を表示した地図は全くない。
2006年02月26日
2月26日の夢(汚れた銭湯)
夜の10時ぐらいに町田の銭湯に出かける。以前に来たときはぼく以外に誰も客がなく、貸し切り状態だったので、今回もそのつもりで来たのだが、驚いたことに広い風呂場内にいくつもある浴槽には、大人か子供が必ず一人二人入っている。しかもお湯は浴槽の底の方に少しあるだけで、それも汚れていて、子供が食べ残したお菓子のかすのようなものまで底にたまっている。といって、ここまで来て、お湯に入らないというわけにはいかない。手近にあったタオルをつかむが、ふとここは銭湯なのだから、ここにあるタオルはすべて客の個人持ちのタオルではないかと、不安になる。タオルをつかんだまま、おそるおそる他の客を見回すが、全員自分のタオルを持っているから、このタオルはぼくが使っても大丈夫のようだ。そのタオルで股間を隠しながら、浴槽の一つに入る。
さて入浴を終えて、帰ろうとする。玄関で靴をはいて帰ろうとするが、下駄箱にぼくの靴が見あたらない。そこへちょうど見回りの警察官たちが3人顔を出した。ぼくは彼らと番台のおばさんに「靴がない」と訴えるが、「自己責任」だと言って、誰も相手にしてくれない。
2006年02月25日
2月25日の夢(世界一の貨物列車)
デジタルカメラが壊れてしまった(現実にはデジタルカメラは持っていない)ので、新しいフィルムカメラを妻といっしょに買いに行った。
その途中、雑誌の座談会で使う個室を借りようとホテルに行く。妻をロビーに待たせたまま、ぼくは外に出る。すると目の前に踏切があって、バスでやってきた観光客でみるみるそこがいっぱいになり、通り抜けられなくなってしまう。踏切を貨物列車が通過する。それは世界一の貨物列車で、観光客たちはそれを見物に来たのだ。観光客たちが写真を撮りやすいように、貨物列車はいったん踏切で停止する。なるほど、貨車には半円形の翼のようなものが付いていて、いかにも世界最高の貨物列車だ。ぼくも観光客たちに混じって、買ったばかりのカメラを向けるが、観光客の一人に突き飛ばされたはずみに、カメラの裏蓋が壊れて、開いてしまった。一度も使わないうちに壊れてしまうなんて、悲劇だ。
さてホテルの広大なエントランスには新旧二つの出入り口があって、そのどちらにも個室があるというので、ぼくはホテルの初老の主人に「日曜日に使わせてください」と予約する(新旧どちらのものだったかは忘れた)。ところが実際に個室を見に行ってみると、そこは海水浴場で、個室というのは砂浜に蚊帳を吊っただけの「海の家」だった。おまけに、そんな蚊帳の個室がいくつも並んでいて、これでは隣の部屋がうるさくて、座談会には使えそうにない。
妻を呼んで帰ろうと思う。ずーっと遠くのロビーに妻が座っているのが見える。ぼくが手を振って合図すると、彼女は気が付いたようで立ち上がって、こちらへやってくる様子。ところが、今日はお正月なのでたくさんの人が歩いていて、妻はその人波の中に隠れてしまう。そして、いつまでたっても現れない。
(それと前後するエピソード)妻と誰か有名人のお葬式に出る。超有名人なので、お葬式は沢山の人が出席できるよう、街頭で行われる。参列者の名をマイクで紹介することになる。司会者によってその役に指名された男性は「えー、この漢字は何と読むのでしょうか」と、最初からつまずいている。どうも韓国人の名前の発音に悩んでいるらしい。その名前が呼ばれても、誰も返事をしたり、お辞儀をする者はいない。そもそも広大な街の中に、参列者はたいしていないように見える。退屈だからもう帰ろうと、妻を促す。
(さらに、それと関連したエピソード)詩人で有名な実業家のT氏となぜか家族になった。成城の駅前で彼とばったり会い、ぼくは「今日の出版記念会は何時からでしたっけ」と、鞄をごそごそ探しながら尋ねる。T氏は「ぼくはちょっと出れないので」と言う。出られないということは、ぼくらの家に帰るのかなあ。でも、いくら家族になったとはいえ、偉い人だから、我が家には帰らずどこかで過ごすのだろうなと思う。
2006年02月24日
2月24日の夢(首縄)
会社の同僚達と大きな旅館かお寺のようなところで合宿している。ぼく以外は全員二階で寝ているが、ぼくだけが一人、一階でぽつんと寝ている。
食事中、女性社員の0さんが笑いながら、8の字を描いて(むしろ無限大マークといった方がいい)みんなが囲む二つの食卓の周りをスキップしている。「今日は食卓が小さいので、楽だね」とみんなが笑う。0さんも「あはは」と笑いが止まらず、とても楽しそう。だが、食卓の周りが一カ所狭くなっていて、彼女はそこを通り抜けるのに苦労する。
原宿に撮影に出た。なぜかぼくは道路を這って歩いている。途中、10代の金持ちのどら息子や娘たちが行列をしている店がある。彼らの一人の使用人である中年の「ばあや」が、その命令でどこかへ用足しにやらされる。彼女は和装である。
ぼくは相変わらず道路を這っていて、そのぼくの首に縄をつけて、女性詩人のW・Mちゃんが自転車に乗ってひっぱっていく。道の途中に岩がでんとあって、ぼくはそれに引っかかってしまうが、彼女は後ろを振り向こうともしない。ぼくは自力でなんとか岩を避けて前進する。
2006年02月23日
2月23日の夢(拉致された女性)
山へ行き、急坂を登っていく。最後は垂直のはしごをよじ登って、向こう側へ降りようとするのだが、向こう側に人がいてじゃまだ。「この野郎」と思いながら、向こう側へ降りてみると、そこは観光バスの中。乗客達からぼくの方が白い目で見られてしまう。
川の中に木製の杭が沢山打たれ、その杭にぼろぎれが幾つもひっかかっている。実はここは25年前にヨーロッパの観光地で、甘い言葉で宗教団体に引き込まれ、拉致された女性の“家”なのだ。ここは関西で、彼女は今は関西各地のさまざまな場所で講演をして、結構な有名人になっている。ぼく自身も彼女の講演を聴いたことがある。しかし、いまだにこんな水上の巣のような生活をしているのだ。そんなことを連れと話しながら歩いていると、ちょうどその女性とすれちがった。彼女は今は中年で結構太ってしまっている。
突然、足の痛みを覚える。見ると、足の甲を毒虫が這っている。痛いのに、ぼくは自分でとろうとせず、連れの女性(男性かもしれない)に取ってもらおうとする。
2006年02月18日
2月18日の夢(消えた羽田空港)
フランスにようやく留学できることになり、出国審査の行列に並んでいるが、審査官がいなくなって、なかなか列が進まない。やっと帰ってきたと思ったら、その風采の上がらない中年の審査官は「鉛筆を貸してくれ」と言う。しかし、審査官の目の前の籐で編んだ籠には、よく削られた新品の鉛筆が沢山ある。「ここにあるじゃないか」と、その一本を手にとって渡そうとすると、「削り立ての鉛筆をおろすのはもったいない」と言う。審査官の前に使い古しの鉛筆が一本落ちていた。「ここにあるじゃないか」と、もう一度言い、ぼくはその鉛筆を拾って渡す。審査官はその鉛筆で書類をチェックして、「はいどうぞ」とぼくを通してくれる。しかし、チケットを渡してくれないので、要求してやっと貰うことができた。この男は本当に審査官なのだろうか。
これで、本当にフランスへ旅立つことができるのだ。ぼくはフランス行きの飛行機で大空へ舞い上がる喜びを想像しながら、勇んで羽田空港への道を歩いていく。途中、舗道が仕切られて、一団の婦人警官たちが訓練を行っている。片側に細い通路があるので、そこを通ろうとすると、向こうから教官らしい婦人警官がその通路を歩いてくる。一人分の幅しかなく、すれ違うのは難しいが、ぼくは急いでいるので、無理矢理彼女の脇をすり抜ける。そこを通り抜けたところで、はっとする。行けども行けども羽田空港がないのだ。しまった。道を間違えたのか。いや、そうではない。あの羽田空港は消え失せてしまったのだ。悲しくて泣きそうになる。
2006年02月15日
2月15日の夢(水色の手紙)
取材の仕事で、ステレオ・カートリッジ(レコードプレーヤーの部品)の新製品の説明を受けに行く。担当技術者の男はこのカートリッジの特許について、早口でまくしたてる。それを聞いて、ぼくは「えっ、マイクロのカートリッジ(意味不明、このあたり夢のメモがよく読みとれない)の特許はないのですか」と質問する。男はゆっくりともったいぶって立ち上がると、台所へ行き、フライパンで何かを炒めながら、「ない、と思いますよ」と、ゆっくり言葉を区切りながら答える。それを聞いて、ぼくは「これは特ダネものだ!」と思う。そこへ少年がやってきて、男にインタビューを始める。普通、インタビューは白い紙に質問を書いてするのだが、彼が用意した紙の中には数枚ごとに水色の紙がある。その水色の紙に書かれた質問は、オーディオ特有の難解な言葉ではなく、普通の言葉で分かりやすく書かれており、耳で聞いてもとてもやわらかく感じる。ぼくは少年の水色の質問を、とてもいいなあと感心する。
2006年02月13日
2月13日の夢(美しい街)
D美術社のT社長から、ある近代詩人の詩集の校正刷りを見せられ、アドバイスを頼まれる。校正刷りには、その詩人の「会議は踊る」という作品の舞台となった当時のモダンな温泉町のカラー写真が組み写真として使われており、「写真 編集部・****商店街」というクレジットが入っている。それを見ているうちに、ぼくはその本の中に入ってしまったらしい。カラフルな写真の街並みの中を歩いていく。商店ごとにキラキラと光る不思議な文字で書かれた店の名前が空中に浮かんでいる。D美術社でもこんなきれいな印刷ができるのだなと感心する。ある商店の入口に、黒い椅子のような見慣れない物体が置かれている。あれは何だろうと目を凝らしているうちに、目覚ましが鳴って目が覚めた。
2006年02月12日
2月12日の夢(耳の立つ少年)
ぼくの編集する雑誌のレイアウトを新しく頼むことにしたのは、まだ小学生の少年だった。もう今日は8日だから、早く頼まないと入稿が遅くなってしまうかもしれない。なぜか会社を出て、外の公衆電話から電話する。電話に出た少年は「明日の朝7時に会いましょう」と言う。早起きの苦手のぼくは「それはいくらなんでも早すぎる。全部の原稿をまとめて渡すから、明後日の11時では?」と返す。いつのまにか少年はぼくの前に立っている。長い耳をしていて、その上端が折れ曲がっていたのが突然ぴんと立つ。「**(覚えていない)すると、耳が立つんですよね」と言う。「知ってますか? Nさんの耳も立つんですよ」と少年はほほえむ。「ふうん? Nさんの耳が立ったら、面白いね」と、ぼくも笑う。
2006年02月11日
2月11日の夢(ドアを開けると)
ぼくはコンサートに出演することになっていて、その出番の時間が迫っている。慌てて指定された会場へ駆けつけると、楽屋のホールはがらんとしていて、ただ一人片岡鶴太郎が立っていて、ぼくに生意気な口調で何か言う(何を言われたかは忘れた)。ともかく、ぼくはステージに通じるはずのドアを開ける。と、そこには懐かしい昭和30年頃の住宅街の手狭な裏庭が広がっている。青空には点々と雲が浮かび、周囲には日本家屋の家並みがしんと静まっている。これはいくら何でもぼくの出るステージではなさそうだ。もう一度楽屋ホールに戻って、もう一つのドアを開ける。そこはもう少し時代が新しくなった住宅街の裏庭で、さっきより少し面積が広い。気がつくと、そこには男が一人立っていて、裏庭を区切る家屋の一つの向こう側を指さす。すると、そちらから女の子たちの嬌声が聞こえてくる。この家並みの向こう側でコンサートが始まっているのだ。見ると、裏庭には二匹の大型犬がいる。一匹は普通に歩いているが、一匹は立ち上がって、ぼくにチンチンをして見せる。
会社(とは全く違う空間だが)にいて、まだ就業時間中なのに社長が「これから飲み会をする」と言う。社長がぼくに「いいか?」と尋ねるので、「もちろん」と返事はしたものの、仕事をすぐに放り出せるわけではない。後かたづけをしているうちに、社長は詩人の野村喜和夫氏といっしょに飲み会に行ってしまった。飲み会の場所を聞いていないので、あわてて二人の後を追う。隣の部屋との仕切の襖を開けると、知らない男が電話をしている声がする。慌てて閉めて、別のドアから出る。出たところに、別の知らない男がいる。慌てていたので、スリッパの片方が脱げてしまう。そのまま玄関に行くと、自分の靴が見あたらない。慌てて、片足スリッパ、片足はだしのまま外へ出ようとする。玄関は段差になっている。高さ2メートルくらいだ。こんなの降りられないと一瞬ひるむが、周囲で老人たちが平気でそこを降りていくのを見て、ぼくも勇気を出して降りる。左手に長いタクシー待ちの行列がある。しかし、いくら探しても、社長たちの姿はない。
ぼくのすぐ前に、巨大な木の幹がある。灰色に変色していて、うっかり触るただけで、その木肌に傷がついてしまう。樹木に傷をつけてはいけないと思うが、なんとなく面白くて、今度は意図的に触って傷をつける。そこは洞窟の中で、周囲の壁は木肌とそっくりの灰色の岩でできている。突然、ざざっと音がして、壁の一部が崩れ始める。ぼくが木肌に付けた傷が、洞窟全体に波及したらしい。今度は天井が崩れだした。大慌てで洞窟の外へ脱出する。すると、外には青空が広がっていて、のんびりとした山間の観光地の風景があるだけだ。人々も何事もなかったように、普段通りの生活をしている。これは一体どうしたわけだろう? ぼくは慌てた自分を恥じて、もう一度、洞窟の中に引き返す。
2006年02月09日
2月9日の夢(Yさんと船に乗る)
70代の老詩人であるYさん(男性)と舟に乗っている。ポートをちょっと大きくしたくらいの舟。渡し舟なのだろうか、ほかにも沢山の乗客が乗っている。ぼくは乗船口のところに席をとっていて、Yさんはもう少し中の方に座っている。舟はもっと大きな船(外国航路にも就航するような本格的な汽船)に横付けされていて、その大きな船には料理が用意されている。ぼくはその料理を取りに行くが、料理といっても食パンと、それに塗るための花の形をしたバターだけだ。Yさんが何の脈絡もなく、「最近のホールは残響は何秒くらいが多いですか」と、ぼくに質問する。ぼくは「2.1秒くらいが殆どです」(現実にもクラシックの演奏に最適な残響時間は、2.1秒くらいと言われている)と答える。話しながら、バターをもう一個取りに行こうとするが、バターはあと一個しか残っていない。これはYさんの分だなあと、ぼくは思い直し、取る真似だけをして、実際には何もとらず席に戻ろうとする。するとYさんが再び「最近のホールの残響は何秒が多いですか」と質問する。ぼくがまた「国内では2.1秒が殆どですよ」と答えると、Yさんも「多いですな」と言う。「ピアノの演奏にはそれくらいないと」と、ぼく。Yさんも「そうでしょうな」と応じる。そんな問答をしながら席に戻ると、あらら、ぼくの座っていたあたりは、パンの皿を持った他の乗客たちがぎっしり立っている。それを何とかかきわけて元の席
に戻り、ぼくはYさんと食事を続ける。
2006年02月08日
2月8日の夢(白板)
便利な白板が発明された。そこに書くと、パソコンのネットワークみたいな仕組みになっているらしく、上司に文章をチェックしてもらえる。書いたら、くるっと裏返すだけで、その文章が記憶され、いつでも呼び出すことができるのだ。
2006年02月06日
2月6日の夢(蜘蛛女との戦い)
会社ではぼくは窓際族だ。ところが、ちょっと席を外している間に席替えされ、ぼくはフロアの真ん中で、会社で一番多忙な制作部長と机を並べることになった。しかも、まるで幼稚園の机のように小さなデスク。これでは、おちおちさぼっていられない。
それならもう帰ろうと、荷物をまとめ始めると、カバンの中に見知らぬ袋がある。中を覗くと、鋭いキリのようなものが何本も入っている。どうも、この袋は会社の建物を貸している家主のものらしいと見当をつける。
そういえばさっき、会社の外へ出てみた。そこは家主の自宅で、絨毯を敷いた廊下があり、両側は家族の居間だ。若い夫婦と赤ちゃんの3人が暮らす、絵に描いたような幸せな家庭。
会社から退出しようとして、ふと出入り口の上を見ると、天井からするすると糸を引いて、クモのような小さな女が降りてきた。手にはクサリガマ(左手で鎌を、右手で鎖をブンブン振り回して、相手を倒す武器)を持っている。
ぼくはクモ女に近づき、クサリガマの攻撃をかわしながら、「お前は誰だ? 何をしている?」といった質問をする。そして、少しずつ後退して女を会社の奥へとおびき寄せる。女がハッと気づいたときには、女は会社の一番奥の壁際に追い詰められ、社員たちに取り囲まれていた。驚いたはずみに、女はクサリガマを床に落としてしまう。その瞬間、ぼくは女に飛びかかって、取り押さえた。
それから、ぼくはもう一度退出しようと、出入り口へ行く。気がつくと、マフラー、コート、手袋等々、ぼくはこれから沢山のものを身につけなければ、外へ出ていけないのだった。
2006年02月05日
2月5日の夢(妻がぼくになる)
ぼくの妻は大阪大学の学生で、「一色真理」という名前になっている。だから、ぼくはもう「一色真理」という名前が使えない。その妻にNHKの「週間子供ニュース」のちびっ子キャスターたちがインタビューすることになった。キャスターの子供たち3人が並んでいる。男の子ばかりだ。あれっ、一人いた女の子はどうしたのだろう? 男の子たちがいなくなると、一人だけ女の子がその背後にいたことが分かる。あまりかわいくない女の子だ。「週間子供ニュース」はもともと、この女の子とその前に並んでいた弟の二人で始めたものなので、今日はこの女の子が妻をインタビューするのだという。妻は速足でどんどん歩いていってしまうので、女の子は必死に走って彼女に追いつく。すると、妻の名前は「中野孝之助」に替わっている。
京浜東北線の電車に乗る。空いている席に座ると、周りにいた乗客たちが「その席は駄目だ」と言う。席の上に花の形をしたバラ色のランプが点っている席は、新婚者用の席なのだという。なるほど、見回してみると、いくつかの席の上にそうしたランプが点り、二つずつ席が向かい合わせになっている。ぼくはムッとする。なぜ新婚のカップルだけが特別扱いされる理由があるんだ! ぼくは差別に抗議して、その席に座り続ける。中年のおじさんもぼくに同調して抗議の座り込みだ。そこへ実際にウェディングドレスを着た花嫁と花婿が乗り込んできた。大騒ぎになる。(その後は混沌として訳が分からなくなりました)
2006年02月04日
海辺の楽器店
海辺の楽器店の仕事を手伝いに行っている。同僚といっしょにある部屋に入ろうとすると、女性社員二人がレオタード姿で体操をしている。驚いてこっそり出ていこうとすると、女性の一人に「見られたって平気だよ!」と野太い声をかけられる。
そこは二階だったので、一階に降りる。店内は総ガラス張りで、海岸が見渡せる。砂浜で小学校高学年か中学生くらいの男女の生徒が団体で準備体操をしているのが見える。ビキニの水着を着た女の子もいる。
それを見た男性の同僚が言う。「あの体操を店の中でやろうぜ。絶対お客がいっぱい入る!」と、ぼくに向かって、力説する。
2006年01月30日
1月30日の夢(ジェム・モード・コピー)
コピーに「ジェム」モードというのがあり、それに設定すると、宝石のような質感のカラーコピーをとることができる。ところが、そのモードを通常モードに戻そうとして、はたと困惑。「ジェム」モードにもいろいろな種類があって、現在そのどのモードになっているかが分からないと、元に戻せないのだ。自分のデスクの一番下の引き出しの側面に、その種類を書いたリストが貼ってあったのを思い出し、デスクの下に潜り込んでリストを読もうとする。しかし、そこは暗くて、老眼鏡をかけていなかったぼくには全く読みとれない。
2006年01月29日
1月29日の夢(ホテルの映画会)
浜松のホテルに妻と泊まっている。夜、サロンで映画会があるので、妻と見に行く。映写されるのは北野武監督の処女作だという。会場は子ども連れのファミリーなど、大勢の泊まり客でいっぱいである。画面は昭和30年代の日本の都市らしく、画面を懐かしい路面電車が1台走り過ぎる。次に川の上のシーンになる。暗い夜の川に電飾をいっぱいつけた船がたくさん航行しており、それらの船と逆行する形でカメラも水上を進んでいく。船とすれ違うたび、船上に美しく着飾った男女や子どもたちの姿が見える。カメラがすれ違う瞬間、ものうくこちらを振り返る子どものシーンにはっとさせられる。フェリーニか寺山修司の映画のような手法だと、ぼくは感じる。映画の最後は画面の中にたくさんの路面電車や貨物列車が走り込んでくる。すごい数だ。これらはとても全部が本物とは思えない。書き割りのようなものをレールの上に滑らせているだけではないのかと、疑問に思う。だが、時計が真夜中の2時になったところで、唐突に映写が打ち切られる。会場を出ながら、妻が「いかにもタケシらしいわね」と言う。ぼくは「いや、処女作だから、これでも随分わかりやすく作っているんだよ」と答える。こんなに夜遅くまで、妻が起きているのは珍しいなと思う。そのとき、ぼくが妻になにげなく渡したコンビニの袋を見て、妻は不審を感じたらしく、「なぜ、こんな袋を持っているの?」と尋ねる。見ると、その袋には「仙川」というマークが付いている。ぼくは「実はいろいろな所を回って、昼食を仙川(調布市内の地名)で食べ、それから浜松に来たんだ。でも、それは夢の中のことなんだけどね」と答える。
2006年01月28日
映画作りと鉄板焼き
仕事でPR映画を制作している。他社の作った映画から一部のシーンを借用することになった。その台本を入手して、ぼくが問題の場面を書き写して、台本を作る。ところが、実際に編集したフィルムを試写してみると、ぼくが書いた台本とは随分違い、時間も短くカットされている。しかも、出演している俳優は3人だけで、その3人がとっかえひっかえいろんな役を演じているので、なんだか変な感じだ。
会議が長引くので、食事になる。バーベキューのような鉄板焼きが室内で始まった。そんな食事はどうでもいいから、早く会議が終わってほしい。でも、映画のスタッフは、こうやって長い打ち合わせを延々とするのが好きなんだよな、と思う。リーダー格の男性はぼくより若いが、びしびしとさまざまな指示を出す。ぼくより才能があるんだから、命令されてもしょうがないよなと思う。彼は自分の箸をひっくり返して、握り側で鉄板焼きの具をつまんで食べる。ぼくは手を伸ばして、そのまま箸のとがった側で具をつまんで食べる。ふと気がつくと、もっとぼくの位置から近いところに別の鉄板焼きがある。そちらをつまんだ方がよかったなと後悔するが、そっちは既に女性スタッフたちがあらかた平らげてしまっていて、殆ど残っていない。
2006年01月27日
ズボンをなくす
追われている。ナチかアメリカか、侵略者か。大きな建物の中の、水たまりか池のようなところを、初老の男女数人といっしょに、向こう岸へ渡ろうとする。みんな疲れて、難民のような感じ。飛び石のように、石が水面から突き出ているのを、つたっていくが、ぐらぐらしていて、とても不安定だ。今にも水面に落ちてしまいそうな不安に襲われる。なんとか渡りきり、ほっとして足元を見ると、なんとぼくはズボンをはいていない。武装した女性兵士に「ズボンを向こうに置いてきてしまいました。取りに戻ってもよいでしょうか」と訴える。彼女は意外にやさしく、ぼくと同行してくれるという。今度は兵士といっしょなので、池を渡らず、大回りして元いた場所に戻る。しかし、ぼくのズボンは見当たらない。
2006年01月26日
海生生物の標本
高層ビルのベランダで妻に、ぼくが採集した海の生き物のコレクションをいくつも見せている。みんな細かく仕切られた大きな標本箱の中に整理されているが、まだ生きている。中には箱に入れて、その箱を紐でぐるぐる巻きにしてあるのに、箱ごとぴょんぴょん跳ねている元気なやつもいる。ぼくもさすがにその箱をあける気にならず、「これは怖いから、あけないことにしようね」と言う。妻は「私は女の子だから、こういうのはあんまり見たくないわ」と答える。ぼくは「そうだ。もう一個あるから取ってくる」と言って、室内に戻る。だが、見つからないので、エレベーターで一階まで戻る。そこはごったがえしたデパートの売場だった。その最後の一個をぼくはどうしても見つけることができない。
2006年01月21日
1月21日の夢(フィリピン旅行記)
妻とフィリピンに旅行する。温泉があるというので、行ってみる。温泉といっても田圃のようなところで、外人の夫婦などが泥の中に腹這いになっている。胸を泥に沈めているのは、乳ガンに効く温泉だからだという。勇気を出して、泥の中を泳ぐ人もあると聞く。
帰国することになり、出国口に行列する。ポケットからパスネット(私鉄の共通カード)を出して持つ。いや、電車ではなく、飛行機に乗るのだと、間違いに気づく。そこへツアーコンダクターがやってきた。コンダクターはS病院泌尿器科のぼくの主治医だ。精算の必要があるという。ぼくは55000円だ。「多いねー!」とコンダクター。温泉などへ行ったからだろうか。財布から現地の紙幣で払おうとすると、日本円でなければ駄目だと言う。ぼくの財布には分厚い札束が入っているので、それを取り出す。だが、その大部分は以前に交換しそこなったドル紙幣で、なかなか日本円が見つからない。ようやく55000円を渡すと、コンダクターはそれを持って、どこかへ行ったまま戻ってこない。一緒に行列に並んでいた妻も、その間にトイレに行ってしまい、戻ってこない。
一人になったぼくに、群衆の中から二人の怪しげな男が現れ、「そのお腹にくっついているものは何だい?」と指さす。自分のお腹を見下ろすと、ジーンズのズボンのお腹のところに変な金属の塊がブローチか何かのようにくっついている。「ああ、これはベルトのバックルが外れてしまったみたいたね。なんなら、あげるよ」と、ぼくは精一杯の愛想笑いをつくって答える。抵抗したら生命が危ないかもしれないからだ。でも、ただでくれてやるのも、ちょっと悔しい。「なんならお金をくれてもいいし、何かと交換してあげてもいいよ」。そう言うと、相手の男は自分がベルトにつけていた、薄汚い金属の塊を替わりにくれた。受け取ってみると、ずしりと重く、しかも金色に輝いている。しかし、お腹の金属を男に取られてしまったので、ズボンのデザインが変に間が抜けてしまってかっこわるい。ぼくはジーンズにデザインとしてくっついていた金属製の紐のようなものの位置を直して、なんとかズボンの体裁を整える。
2006年01月20日
1月20日の夢(コンクール養成講座)
フランスへ旅行に行き、バスで帰国した。
コンクール養成講座というのに通ったら、あるコンクールの5位に入賞して、20万円の賞金をもらった。新聞記者に感想を求められて、「現代詩も実験的段階では教えてもらって習うということができなかったが、ようやくノーハウが確立して、教えられるようになったのでしょう」と話す。
2006年01月18日
1月18日の夢(裏庭のテント族)
夜、ゴミを捨てに行こうとすると、妻が「庭に暴走族が入り込んでいるようだから、追い出して」と言う。ゴミ袋を提げたまま裏庭(40年前の名古屋の実家の裏庭)に行くと、そこにはいくつも白いテントが張られていた。「リーダーは誰だ」とぼくが叫ぶと、右の方から若い男が現れ、左からは少し老けたおばさんが出てきた。「ぼくはリーダーと話したいんだ」と再び叫ぶと、男の方がぼくと向き合った。彼はぼくに地図を示しながら「この地点は昔JRの○○線の分岐点だった。だから、ここは祭りの広場なのだ」と言う。その話なら、ぼくも聞いたことがある。「だが、それは地図の読み違いで、この場所ではない。ここは小田急線の支線の分岐点だったのだ。その線が廃線になったとき一緒に地中に埋められた者たちがやがて出てくる。そしたら、ここにいると怖ろしいことになるぞ」と、ぼくは脅かす。
2006年01月13日
1月13日の夢(海霧の妖精)
北海道の海岸。波打ち際をぼくは何かの乗り物に乗って、左から右に動いてきた。そして陸に向かって今度は少し波打ち際から離れるように動き、そこで静止する。遠浅なのに、砂浜は40度くらいの急斜面になっている。もし自動車だったらハンドブレーキが利かずに滑り落ちてしまうのではないだろうか。ぼくは急に不安を覚えて、振り返って足下を見る。すると、ぼくは車に乗っているわけではなく、折り畳み式の座椅子のようなものに乗っているのだと分かる。一体誰がぼくをここまで運んできてくれたのだろう?
波間からはもくもくと白い霧のようなものが盛んに立ち上っている。その霧が凝結して、真っ白なヤギが波間に現れる。つぶらな瞳がかわいらしく、ぼくはヤギとすぐ仲良しになる。いつのまにかヤギのかわりに、そこには白い妖精のような少女がいて、ぼくに「どこまでも付いていくわ」と言う。
2006年01月12日
1月12日の夢(超内股から超ガニ股へ)
会社が原宿のモダンなカフェバーの中に移転した。とてもかっこいい。隣の建物は日本語学校で、その隣はインターナショナルスクール。この二つの学校は経営者が同じらしい。日本語学校にはなぜか日本人の中年のおじさんたちも通っていて、彼らがインターナショナルスクールの屋上に上がっている。経営者が「学校のイメージが悪くなるから、降りるように」と説得している。
会社から出て、原宿の街を歩く。なぜか右足がつってしまって、一歩踏み出すごとに右足が左足より左側に着地する。超内股で歩いている感じ。手で右足をつかんで持ち上げ、左足より右に着地しようとするが、どうしてもうまくいかない。試しに両足先を両手でつかみ、膝を地面につけて歩いてみると、これは問題なくできる。
表参道からキャットストリートへ降りる石段で何人もの若い男性が着替えをしている。ぼくはうっかり彼らの脱ぎ捨てたカラフルな上着を踏んでしまう。彼らのガールフレンドが見ている前だったので、かわいそうなことをしたと後悔する。さらに行くと、道いっぱいに青い防水テントの布が敷き詰められていて、その下にも彼らの上着が埋もれているのをまた踏んでしまった。すると、ぼくの超内股だった歩き方は元に戻るが、戻りすぎて今度は超ガニ股になってしまう。
2006年01月10日
1月10日の夢(携帯が鳴る)
携帯が鳴った。ぼくのだけではなく、周りであらゆる人の携帯が鳴っている。とりあえず自分の携帯を取る。「吉田ですが」と女性の声が言う。「こないだ、二人でXXの店で忘れ物をしましたよね」と言う。吉田という女性にも、忘れ物にも心当たりがない。いや、アルツハイマーになって、みんな忘れてしまったのかもしれないと恐怖にかられる。「な、何を忘れたんでしたっけ?」「プレゼント用の包み紙ですよ」「えーと、ぼくは別にそんなもの、忘れたままで構わないんですが・・・」と答える。
2006年01月09日
1月9日の夢(タクシーの隠し子)
久しぶりに詩の賞を受賞した(現実ではありません)。今、夜の7時半だ。そのことを学生時代の詩のサークルの先輩である大谷氏にこれから報告に行こうと思う。ここは名古屋で、大谷氏は多治見に住んでいる(実際の大谷氏は前橋の住人)ので、今からタクシーに乗れば8時には彼の家に着くだろう。玄関で5分間ほど立ち話をして、それから家に戻ればいい。
しかし、タクシーはいつまで経っても名古屋市内を走っている。運転手は「疲れたので一休みしたい」と言うと、いきなりスピードを落とし、ぼくを助手席に乗せたまま、ドアを開けて道路に飛び降りてしまう。うわっ。ぼくはハンドルを握って、完全にタクシーが停車するまでブレーキを踏むが、タクシーは路肩を踏み越して、脱輪してしまった。だが、幸いすぐに道路に戻れた。
はっと気がつくと、いつのまにか知らない男の子が後部座席に乗り込んでいる。「降りなさい」と声をかけると、素直に降りていった。だが、タクシーが走り出すと、車内のあちこちに隠れていた子どもたちが次々に現れる。赤ん坊をおぶった子どもを含め、女の子ばかり6人だ。しかたなくぎゅうぎゅう詰めで多治見を目指す。しかし、8時を回っても、まだ多治見は遠そうだ。
また、気がつくと、ぼくはいつのまにかタクシーを降りて、道路で子どもの一人と話し込んでいたらしい。そんなぼくにしびれをきらして、タクシーは勝手に走り出す。窓から顔を出した運転手は、今までは男の運転手だったのに、若い女性に変わっている。ぼくはなぜか彼女の名前を知っていて、その名前を叫んで呼び止めようとするが、タクシーはどんどん先へ行ってしまい、姿が見えなくなる。ぼくと子どもは電動車椅子のようなものに乗って、後を追いかける。だが、大きな交差点で四方を見渡しても、タクシーの姿はない。
ぼくと子どもはしかたなく、テーマパークのようなところへ入る。洞窟があり、洞窟にあいた穴から、ウォーターシュートが見える。若いカップルが別れ話からケンカを始め、女性の方がウォーターシュートのスイッチを入れてしまう。彼女自身を含め、周囲にいた女性たち10人くらいが綱引きのようにロープにつかまったまま、「きゃーっ!」という悲鳴を上げながら、あっという間に坂を滑り落ちて湖の中に引きずり込まれる。彼女たちの消え去ったあとに大きな波が立ち、ざぶんとその波がぼくの足下を濡らす。
ぼくは連れの子どもを振り返る。それは11,2歳の少女だった。ぼくは彼女の肩を抱き、「本当に愛していたのは、きみだったんだよ。でも、親子としての愛だけどね」と言う。
2006年01月08日
1月8日の夢(テレコの暴走)
しばらく使っていなかったカセットテレコを持ち出して使ってみた。テーブルの上に立てておくと、ちょっと目を離したすきに倒れて、勝手に動き出した。しかも、テレコの上部にAとBの二つのランプがついているのだが、それがめまぐるしくABABABAB・・・と点滅を繰り返している。AとBの二つのステータスの間を往き来しながら暴走しているらしい。いったん電源をオフにして再起動すれば直るかと思い、何度も主電源を切ったり点けたりしてみるが同じだ。でも、実際の取材にはもっと小型のぼくの私用のカセットを持っていくから、こいつは壊れてもいいやと思い直す。
2006年01月07日
1月7日の夢(大学と毒ガス)
大学の教室のような部屋の窓から地上を見下ろしている。三階くらいの高さのようだ。地上にクライアント企業の担当者がいて、ハンドマイクで仕事の指示を出している。以前クライアントの指示を勘違いした失敗があったので、今度はしっかりとメモをとらなくてはと思う。窓からはぼくのほかに何人か若い学生たちが首を出して、クライアントの言葉を聞いている。クライアントはある質問を出し、学生たちに答えさせようとする。ぼくは当てられたらいやだなと思う。幸い「左から何番目のきみ」と指名されたのは女子学生だ。すると、隣にいた男子学生が彼女を抱き上げて、窓の外に出す。そして、そのまま手を放す。彼女は「わーっ」と悲鳴を上げながら落ちていくが、地上に待ちかまえた別の男子学生がするすると敷き布団を広げ、彼女は無事そこに着地した。
一階に降りる。校庭には何かの塔のようなものが建てられている。そこから曲がりくねった廊下を歩いていくと、ガラスのドアに出る。その向こうに白いガスを吐き出すテーブルのようなものがあって、その周囲でばたばたと男たちが倒れていく。テーブルには大切なものが置かれていて、ぼくもそれを取りにきたのだ。しかし、このままでは自分もガスにやられてしまうので、何か防御器具のようなものを取りに戻り、それから走ってガラスドアのところに戻る。ぼくは早く走れないので、一人の女性が手を引いて走ってくれる。しかし、彼女があまりのスピードで突っ走るので、ぼくは苦しくてとてもついていけない。
2006年01月05日
1月5日の夢(試験)
教室に座っている。突然、試験をやるという。「簡単だから」と先生が言うので、受けてみることにする。ぼくは自信満々で答案用紙を埋めていく。全部解答してのんびり周りを見回している。だが、答案用紙を裏返してみると、なんと裏にも問題があった。しかも難問ばかりだ。あと10分しかない。大いに慌てる。「役者にとって必要条件として正しいものに丸をつけよ」という問題があり、三項目が記されている。「皆が同じ考え方で、同じ能力を持っていること」というのがある。これは一見丸のようだが、芸術は多様な考え方と異能のぶつかりあいだ。ペケが正しいだろう。次の問題は変にくだけた口調で、「帝劇がお好きなようですね。どうしてそんなに好きなのですか?」とある。その次も帝劇に関する問題だ。もしかしてこの試験を作ったのは菊田一夫先生だろうか? ぼくは帝劇には行ったことがないので、正直にそう解答する。これで、走り書きではあるが、なんとか全問に時間内に答えられたようだ。
2006年01月04日
1月4日の夢(上原さんのレコーディング)
夕方、原宿の表参道にあるソニーレコードのスタジオ(実際には原宿にソニーはありません。また上原さんはEMIのアーティスト)に入る。これからここで上原彩子ちゃんとボブ・ジェームス(ジャズピアニスト)の世界初の共演レコーディングが行われるのだ。夕食を食べてないので、お腹が減った。一人で待っている彩子ちゃんも空腹だという。ボブはまだ到着しない。「ぼくが何か買ってきてあげるよ」と言って、スタジオを出る。スタッフが「ボブは10時半から入院しなくちゃいけないんだ」と声をかけてくる。だからレコーディングの時間が限られ、大変だというわけだが、それなら10時半には必ず終わって帰れるわけだから、ぼくは嬉しい。二階にあるスタジオフロアの出口には検問スポットがあり、2,3人の女性社員がたむろしておしゃべりに夢中だ。ここで彼女たちにぼくがいったん出て、また戻ることを認識してもらわないと、食糧を調達して戻ったときに再入場させてもらえない可能性がある。「一人出ます」とぼくが声をかけると、彼女たちもおしゃべりをやめて「一人出ます」と復唱する。これなら大丈夫だ。
ぼくはケータリングできる食べ物を求めて原宿の街を歩き回るが、ブティックばかりで食べ物を売っている店が見つからない。やっと見つけた洋菓子店で、ケーキを3種類、6個ずつ注文する。大量注文に店の主人もボーイも大喜びだ。だが、ケーキは予想以上に小さく、注文したケーキは全部集めてもぼくの片手に収まってしまう。しかも、スタッフはボブがやってきたら、6人より多くなるのではないか。ケーキが人数分より少ないとしたら、みんな遠慮し合って、なかなかケーキを手にとれないだろう。特にぼくの立場ではそうだ。スタジオの階段を登りながら、ぼくはケーキを一個取って、こっそり食べてしまう。だが、それはまるで食パンの耳のようなもので、全然おいしくない。
2006年01月03日
1月3日の夢(電話番号が見つからない)
夕方に校正が届いた。忙しさにまぎれてそのままにしておいたが、それは土日をはさんで月曜に納品しなくてはいけないものだったと思い出す。急いで校正をクライアントに見せに行って、OKを貰わなくてはいけない。クライアントに電話しようと思うが、電話番号が見つからない。社長に尋ね、電話番号を書いたメモを貰う。そのメモをコピーしようとすると、コピー機の上に撮影用にセットされた小道具が置かれていて、使えない。もう一台のコピー機に向かうと、そちらも同じだ。だが、慌てていたので、その一部を動かしてしまったが、知らん顔をすることにする。同僚のSさんやTくんがコピーを取ってきてくれるというので、メモを渡す。だが、コピーしてくれたものを見ると、全然別の内容である。二人はぼくからきちんと何かを印刷した紙と、紙片の一部をびりっと破り取ったメモとを受け取り、前者をコピーして、後者はごみと思って捨ててしまったという。電話番号が書いてあったのは後者の方だったのに。
まあいいや。電話番号はきっと自分のコンピューターのどこかに記録してあるはずだ。パソコンのキーボードはデスクの上にあるが、モニターは壁いっぱいの大きさの大画面である。その大画面の前にはいろいろな荷物が置いてあって、画面の下や左右がよく見えない。下の方にツールバーがあって、そこをクリックすれば電話番号も出てくるはずだと、壁のところまで見に行く。だが、画面の下にも左右にも何もない。当惑していると、大画面の裏側に部屋があるのに気づいた。入ってみると、女性社員のIさんが忙しそうに何か仕事をしている。
気がつくと、もう夜の10時近い。外に出ると、業界の何かの会合があるらしく、去年クライアントを定年退社したNI氏が立ち話をしている。ぼくが探しているのは、NI氏ではなく、後任のNA氏なのに。また会社に戻る。もう万事休すだろうか。
2006年01月02日
1月1日の夢(進退窮まる)
会社の昼休みに食堂へ行き、いつもの仕出し弁当(現実の会社には食堂も弁当もありません)を食べようと手を伸ばす。だが、食堂では妻の参加する読書会が開かれていて、彼らもちょうど弁当を食べるところだ。そこにあるのは彼らのための弁当で、ぼくの分はないと分かり、しかたなく外に出て、レストランに行く。
そのレストランで食事をすませ、お勘定をしようと思うが、レジ係がいない。そばにいた若い男に声をかけるが、要領を得ない。彼はこの食堂の単なる事務員らしい。レジ係の女性が戻ってきて、ようやくお金を払うことができた。
その店で知らない美少女と知り合う。その店はぼくの生家のあった名古屋の覚王山にあり、ぼくは彼女に「この街の南の方にぼくの家があるんだよ」と話をする。ところが気がつくと、美少女はいつのまにか野豚のような男性詩人に変身している。「詩と思想」の同僚編集委員のO氏ではないか。びっくりしていると、しばらく時間が経つとO氏はまた美少女に戻る。そして、またしばらく経つとO氏に戻る。そんなことを繰り返す相手とぼくは今度は原宿の裏通りにいて、仲間たちと前衛劇について議論をしている。誰かがぼくにあるシンポジウムに出てくれないかと言う。そのためには40分くらいの映像を制作する必要がある。ぼくにはとても自信がない。
ともかく家に帰ろうと思う。連れが今度は眼鏡をかけた小太りの女性になっている。瓦礫の山を登らなければ、家には帰れない。女性はするすると登り、ぼくは一人麓に取り残されてしまった。恥も外聞もなく「助けてーっ」と叫ぶと、彼女は戻ってきて、ぼくの手を取っててっぺんまで引っ張り上げてくれたが、そのままどこかへ行ってしまう。だが、瓦礫の山の右側は京王線の線路で、電車が激しく行き交っている。左側は小田急線の線路だ。どちら側にも降りることができず、ぼくは進退窮まってしまう。
2005年12月29日
12月29日の夢(忘年会の化け猫)
会社の忘年会の会場は、日本橋の上だ。下に運河の水面があり、その上にかかった2本の高速道路がそのまま豪華なクラブになっている。ここは「サージェント・ペパーズ・ロンリーハート・クラブ」だと思い出す。二階のフロアにぼくらは席をとって、おいしい料理をぱくぱく食べる。だが、風邪をひいた同僚が、ぼくのかたわらに立って盛んに咳き込むので、料理を抱え込むようにして食べているうち、そのまま眠ってしまったらしい。気がつくと、ぼくの周囲は見知らぬ客たちばかりだ。そこから見下ろせる一階にも同僚たちの姿はない。みんな、眠っているぼくを置いて、どこかへ移動してしまったらしい。突然、一人の若い男がぼくの背後に立つ。男は化け猫だった。ぼくに呪文をかけようとするが、ぼくの心を透視すると、ぼくが猫をいじめるような人ではなく、「猫を超えた存在」だと分かったので、そのまま立ち去った。今度はウェイターがやってきて、ぼくに「精算をしてください。120円いただきます」と言う。
2005年12月27日
12月27日の夢(会社の改装)
仕事から戻ってみると、会社が改装中だ。社員全員が工事を手伝っており、階段も張り替え中で、とても昇降できない状態。でも、なんとか二階に上ると、10人くらいの男たちが車座になって座っている。一人10冊の本を提出して、互いにその本をいくらで買うか声を掛け合い、競り落としていくという遊びをしている。中心になつているのは、最近売り出し中の評論家らしい。ぼくも明日からそのゲームの仲間に加わることにする。しかし、毎回10冊も本を買ってこなくてはならないのは大変だなあと思う。
2005年12月25日
12月25日の夢(リンチから脱出)
女子高生が突然制服を脱いで、ぼくを誘惑する。彼女はぼくを大きな喫茶店に誘った。階段を三階まで上り、奥のフロアのテーブルにぼくたちは座る。ウエイターがオーダーを取りに来たあと、はっと気がつくと、そのフロアに座っているのは不良じみた男子高校生ばかり。そして、このフロアは喫茶店のほかのフロアから全く死角になつている。リンチされる! とっさにぼくは立ち上がって、逃げ出す。階下のフロアに降りて、そこの客たちに「助けてください」と叫ぶが、誰も取り合ってくれない。後ろからは高校生たちがどんどん追いかけてくる。ぼくはエスカレーターやエレベーターを乗り継ぎ、必死でこの店から逃げ出そうとする。どうやら、ぼくが歯医者に逃げ込んだという情報が流れたらしく、高校生たちはビルの中にある歯医者に意気揚々と入っていく。ぼくは物陰に隠れてそれを見ていたが、見つかってしまった。慌てて逃げ出し、ビルの外に脱出する。道行く沢山の人々がいるが、誰も信用できないと思う。必死で駈けていくと、客を乗せて出発しようとするタクシーがいる。「待って!」と声をかけて、乗り込む。タクシーの中はホバークラフトのように広いが、天井はぶ厚い氷だ。ぼくは乗客の女子中学生たちと一緒に氷の下に冷凍されて、安全なところへ逃げ延びる。
現代詩人会のイベントに出席する。今日の講師は詩人で精神科医のS先生だ。会場はガラス張りで、そのガラスの自動ドアが開いて、フロックコートにスーツケースを提げたS先生がかっこよく登場。だが、先生はステージをそのまま通り過ぎて、客席に入ってしまう。かわりにステージでは先生の患者らしい少年たちが、ギリシャ悲劇のコロスのように集団で演技をしており、ぼくはそれに引きつけられて、身を乗り出し、食い入るように舞台を見つめる。誰かが「一色マグルの目がまんまるだぞ」と、ぼくをからかう(「マグル」はハリー・ポッターの物語で「魔法使いでない普通の人」を指す言葉)。だが、面白がっているのはぼくだけらしく、観客はどんどん帰ってしまい、客席はがらがらになる。こんなに面白いのに、どうしてだろう?
女性詩人のAさんとピアニストの宮谷さんがテレビの特番に出演するという。その予告の番組で、二人が一段ずつがひどく高くて段差のある階段を、自信たっぷりの笑顔で降りてくる。二人とも随分バッシングを受けた人たちだけど、成功してよかったなあと思う。Aさんは番組の水泳大会出演のため、大阪に滞在中らしい。チラシの電話番号を見て、彼女に電話をかける。ダイアルしながら、これは大阪の電話番号にしては桁数が少ないと思い、勝手に数字を足しながらかける。こんなことで、彼女につながるのだろうかと心配だ。
2005年12月24日
クリスマスイブの夢(プロパンガス)
大きな新しい家にいる。なぜか家の中にたくさんの女性(殆どがおばさん)がいる。その親玉格のうるさいおばさんが「この家のガスは大阪ガスなの?」と聞く。ぼくはよく確かめもせずに、「そうだよ」と答える。だが、台所にいた妻が「プロパンよ」と言うので、慌てて訂正する。
2005年12月23日
12月23日の夢(偽の自分とトイレで死闘)
トイレに入り、便器に腰掛けようとすると、お尻が何かにつかえる。振り返ると、便
器には既にぼくが腰掛けていた。しかも、汚物にまみれたきたない姿で、ぼろぞうきん
になったようなぼくだ。驚いて、ぼくはその自分を流してしまおうと、水洗のハンドル
を回す。どどっと水があふれるが、汚いぼくは流れない。さらにどこからか、三人目の
ぼくが現れる。そいつはぼく自身にはちっとも似ていないが、胸に「ラベル」と書いた
ラベルを貼った偽物だ。二人の偽のぼくは、ぼくを捕まえて窓から外へ放り出そうとす
る。窓の外にはラプラタ川が流れている。ラプラタ川へなんか流されてなるものかと、
ぼくは二人の自分の抵抗し、死闘が始まる。
2005年12月18日
12月18日の夢(ゴキブリと女スリ)
おいしいプリンのデザートを食べようと、皿をテーブルに置いたところへ二匹の大きなゴキブリが現れた。ぼくは慌てて体に巻き付けた毛布の中にプリンを入れた皿を隠す。一匹のゴキブリはそのまま逃げたが、もう一匹はブーンと飛んで、ぼくの体に巻いた毛布の中に入ってしまう。もぞもぞとゴキブリが動くのが皮膚の感覚で分かる。もしかしたらゴキブリはプリンを食べているのかもしれない。それでも、ぼくはこのプリンを絶対食べてやるぞと、固く決意をする。
自宅マンションの近くの安売り家電店にいる。突然、和服を着たおばさんがぼくに、どしんとぶつかる。はっとしてポケットを探ると、財布がない。女スリだ。ぼくは一瞬躊躇するが、すぐに振り返って追いかけると、女は逃げ出した。いつのまにか若い女に変身している。「どろぼう! どろぼう!」と叫ぶが、誰もつかまえてくれない。どんどん追いかけていく。「どろぼう」と言ったのでは怖がって捕まえてくれないかもしれないと、「スリだ! 捕まえて!」と叫び方を変えてみる。それでも誰も女を止めようとしない。ぼくらは店外に走り出て、信号を渡る。ぼくは女の足をなんとか止めようと、口から出任せに「おまわりさーん!」と叫ぶが効果がない。そのとき信号の向こうに青い制服を着た、がっしりとした警備員の姿が見える。「警備員さん! 捕まえて!」と叫ぶと、やっとその男のおかげで女スリは逃げるのをあきらめる。だが警備員は「ちゃんと説明してくれないと、捕まえられないじゃないか」と、ぼくにブツブツ文句を言う。そんなの、捕まえる方が先だろう。
夜中に下宿に帰り、サッシから入ろうとすると、サッシは開け放されていて、カーテンが揺れている。変だなと思い、玄関から入り直す。中は真っ暗だが、どうやら(亡くなった)母が来ているらしい。「ぼくだよ」と言って部屋に入ると、やっぱり母だった。でも、すぐ次の新幹線で帰らなければならないと言う。ひとこと言ってから来てくれればよかったのにと思う。
2005年12月16日
12月16日の夢(床屋の下宿人)
床屋に下宿している。散髪場の片隅で洗顔をしていると、椅子に座って髪をカットしてもらっていた中年の男の客(詩と思想研究会で問題を起こしたHに似ている)が、散髪をしている助手の女性にセクハラ的な暴言を吐いている。だが、彼女も床屋の女主人も毅然とした態度をとりつつ、仕事の手をやすめずに、男をなだめる。ぼくは顔を洗いながら、ちらちらとそちらをうかがう。もし、これ以上トラブルになったら、男であるぼくが仲裁をしなくてはいけない。とはいえ、男がもしピストルを持っていたりしたら、その場でぼくは撃ち殺されてしまうかもしれないと、恐怖も覚える。
やっと顔を洗い終わって、向き直ると、いつのまにか男は姿を消していた。ぼくは自分の濡れタオルを手にして、「これは二階の物干しに干せばいいの?」と尋ねる。だが、女主人に「そんなものはそこに干せばいいよ」と、散髪場の片隅を簡単に指さされ、拍子抜けをする。
2005年12月15日
金網エレベーター
横浜で仕事を終えて、デザイナーのWくん(20代の頃同僚だった人)と建物の出口まで来たところで、ぼくだけ靴をはいていないことに気づく。Wくんには外で待っていてもらい、ぼくだけ靴を取りに戻る。エレベーターに乗るが、天井もなければ壁もなく、ただ床に金網が張ってあるだけ。その金網がぼくの体重でたわむので安定をとるのが難しい上、壁もないので手で体を支えることもできない。やっとの思いで二階に着いた。そこから今度は金網だけの動く歩道に乗る。これまた手すりがない上、極端に細い。しかも反対方向に進む歩道が片側を動いていて、向こうから小学生の男の子たちの一団がわいわいやってきた。すれ違うのが大変だ。
2005年12月14日
12月14日の夢(老教授に電話)
ちょっと調子の外れていることで知られる老大学教授に5時半頃電話をかける。彼は山にこもって研究をしているらしい。受話器からまず女性の声で「本日の宅配便業務は終了しました」というメッセージが流れる。「しまった」と思うが、すぐに教授自身が電話に出てきた。こちらの言いたいことをくどくどと伝えているうち、いつからか相手が返事をしなくなる。「もしもし、もしもし・・・」と何度も呼びかけるが、全く反応がない。しかし、電話が切れたのか、相手がちょっと外しただけか分からないので(ツーツーという音が聞こえず、全くの無音)、「もしもし」という呼びかけをやめるわけにはいかない。
2005年12月13日
12月13日の夢(猛煙)
どこか地方の都市へ旅行している。京都かもしれない。突如、大事件が勃発する。遠くの山の斜面に立っていたビルの窓から煙が噴き出し、あっという間にビル全体から猛煙が立ち上り始める。さらに、煙の尾を引いて、そこから四方へ飛び出していくものがある。ミサイルだろうか。こちらへ飛んできたらアウトだなと覚悟するが、幸いそんなことは起こらない。
逃げようとして、ぼくは塔のようなものによじ登ったり、墓地をさまよったりする。墓石の上を歩いていたら、お寺の住職と鉢合わせした。こりゃ、まずい。でも、こんな大事件が起きている中だから、勘弁してもらおうと思う。それにこんな状況の中で、ぼくが指導者としてみんなから期待されているという気がする。その一方で、この事件を起こした張本人はぼく自身であるような気もする。
場面が変わって、ここは中国だろうか。大きな硯が置いてある部屋。そこで黒い男と白い男が組み合って、くるくると巴のように回転しながら闘っている。白い方の男はどうやらぼくらしい。
2005年12月11日
12月11日の夢(畳まれた階段)
いつもはJRで出勤するのだが、今日は地下鉄に乗った。会社のすぐそばには駅がないので、一番近い駅で降りようと思う。まだこの駅では遠いなと思い、そのまま乗っていくと、さっきの駅より逆に会社から遠ざかってしまった。まずいなと思ううちに、どんどん会社から離れていく。だが、車内は満員なので、今度ぼくの立っている側のドアが開いたら、その駅で降りようと思う。と、次の駅も反対側のドアが開いたけれど、周囲の乗客がどどっと全員降りていく。「しめた」と思い、ぼくも出口へ向かうが、なぜか自分だけが靴をはいておらず、はだしであることに気づく。
ともかく、首尾良くホームに降りることができたので、階段を降りていく(なぜか地下鉄の駅なのに、さらに下降する)。と、階段がところどころ折り畳まれていて、降りるためには自分で階段を引き出さないといけない。しかし、面倒くさいので、一段だけ引き出して、あとの二段は飛び降りる。
階段を降りきるあたりに、大きな機械が据えられている。使われていない機械だと思い、なにげなく機械の一部を引っ張ろうとすると、怖いおじさんが作業中であることに気づき、慌てて手を引っ込める。さらに通路を行くと、左右にその機械が置かれている。これはガラス細工をする機械だと分かる。二つの機械が通路をふさいでいるので、右側の機械の下を強引にくぐろうとすると、作業をしているおじさんが「どこを通ればいいと思っているんだ?」と凄む。無理矢理通り抜けようとすると、上から熔けたガラスの火の粉が降ってくる。しかたなく、二つの機械の真ん中を通り抜けようとするが、狭すぎて通れない。進退窮まってしまう。
2005年12月10日
12月10日の夢(野外映画鑑賞会)
どこかの集会室で、数人と会合している。ぼくのほかに水野るり子さんや、初老の男性が加わっている。その男性が監督した動物を主人公とする映画が今日のテーマだ。男性は「出演した動物たちを人間の命令で動かすのでなく、自発的に演技させることが難しかった」と言う。
その映画が屋外で上映されることになったので、ぼくと妻はそれを見に行く。入り組んだ商店街の建物の壁をスクリーンがわりにし、舗道の縁石に腰掛けて鑑賞するのだという。ぼくは妻を「あっちへ行った方が見やすそう」と行って、連れて行くが、座ってみると、ぼくらの前にほかの客がたくさん座ってしまって、かえって見にくい場所になってしまった。
上映が終わり、水野さんたちと、この映画の感想を語り合う座談会をやる予定になっている。ぼくは、この映画が動物たちへの愛をテーマにしていながら、結局は動物を人間の思い通りに動かしているのは矛盾じゃないか、と言おうと決めて、やる気満々である。だが、妻はもう夕食まで時間がないから、さっさと帰ろうと言う。ぼくはとても残念だ。
2005年12月09日
12月9日の夢(夢から覚めた夢)
会社か学校の旅行で小田急線に乗り、伊豆に向かっている。だが、伊豆にはどうせ6時くらいにしか着かないので、途中でワープして自宅のあるマンションに戻る。だが、自宅には寄らず、マンションから道路を隔てたところにある集会所に直行し、そこのトイレに入ろうとする。ちょうど婦人会の奥さんたちの会合が終わったところで、トイレには奥さんたちが何人も行列している。ぼくも列に並んで、何番目かにトイレに入ると、中は畳敷きのかなり広い和室で、あちこちにガラス製の壺がいくつも置かれている。それが便器らしいが、既にあまりに沢山の人たちが利用したので、みんな黄色い液体がなみなみと溢れんばかりで、中には畳に大量にこぼれて水たまりになっているものもある。そのできるだけ少な目の壺におしっこをし、さらにうんちもして、「ああ、すっきりした」と思って、外に出る。すると、集会所の係のおばさんが怖い顔でぼくをにらみ、「一人で7分もかけるなんて」と、ぼくをなじる。慌てて逃げるように外に出る。もう夕闇が立ちこめている。そろそろ列車が伊豆に着く頃だ。自宅には帰らず、このまま列車にワープしようとする。
そういう夢を見ながら眠っていたのだが、北の部屋のドアがあいて、人がその部屋に入ってきた音がして、目が覚める。変だな。ぼくの寝ている部屋の北側には部屋なんかなかったはずだが、と疑問に思い、起き上がって、障子の破れ目から覗いて見る。するとそこにはキッチンがあって、後ろ姿なので母だか妻だかわからない若い女性がエプロンにスカート姿で、たくさんの花を花瓶に活けている。昨日、ぼくが貰って、家に持ち込んだ花束らしい。そういえば昨日食べた弁当箱をまだカバンに入れたままで、ご飯がこびりついたままだ。早く起きて、それを洗ってもらわないと怒られるなと思う。それにもう7時半だから起きなければ・・・と思って起き上がって、時計を見ると、まだ6時だった。
2005年12月08日
12月8日の夢(トイレクエスト)
映画館に二本立ての映画を見に行く。お目当ては二本目の方なので、一本目の上映中にトイレに行っておいた方がよいだろうと、ロビーへ出る。しかし、映画館の中にはトイレが見つからないので、館外へ出る。まだ整地されていない公園らしい広い土地が広がっていて、大人の背丈ほどの土砂の山があり、周囲で何人かの子どもたちが遊んでいる。この土砂の山は立ち小便にぴったりだと思う。近づいていざおしっこをしようと思うと、いつのまにか若い男がぼくの後ろにぴったりと背後霊のようにくっついている。立ち小便の順番待ちのつもりだろうか。落ち着かないので、そこを離れ、また映画館の中に戻る。館内には社長が大声で電話をかけている声が鳴り響いている。うるさいなあ。でも、なぜか今度はちゃんとトイレが見つかった。だが、おしっこをしようとしても、無意識に抑圧がかかっていて、おしっこが出ない。ちゃんとトイレに来たのに、おしっこができないなんて、これはちゃんと目が覚めていないからだと、自分で何発か頬を殴る。そこで目が覚めて、そうだ、本当に起きてトイレに行けばいいんだと気がつき、トイレに立つ。
2005年12月07日
ベッドの並ぶオフィス
女性ライターのFさんと待ち合わせをした。彼女がとんでもなく早い時刻に待ち合わせようというので、早起きの苦手なぼくは、それより30分遅い時間を指定し直す。しかし、当日になると、ぼくも心配になって30分前に待ち合わせ場所に着いてしまい、ぼくの指定した時間に出かけたFさんファミリーとは結局会えなかった。
しかたなくぼくは会社に戻った。会社はデスクのかわりに、ホテルの一室のように三台のベッドが並んでいる。空いていれば誰でもそのベッドを使っていいのだ。ぼくもベッドに潜り込んで、そこからFさんに電話をかけ、会えなかったことを詫びる。すると、Fさんのお母さんが「私には一色さんの後ろ姿が見えたよ」と言う。それをきっかけに電話の向こうで、Fさんとその妹、お母さんとの間で「じゃあ、なぜ教えなかったんだ」と三つ巴の大喧嘩が始まる。ぼくが「随分賑やかですね」と話しかけてみても、誰も受話器に注意を払っていないらしく、誰も答えようとせずに、喧嘩が続く。
しかし、Fさんの指揮者デビューは成功だったらしい。「すぐリズムパターンを描くだけの指揮になっちゃうんですけどね」という話ではあるが。
2005年12月06日
女友達とジャケット
女友達のAさんと連れだって、横浜の港の見えるビルにあるエステに行く。大きな窓越しに港を眺望しながら、一人浴槽につかっていると、変な宗教的秘儀のようなものに無理矢理参加させられる。どうも新興宗教っぽい。Aさんが現れて、ぼくの手を引いて、そこから連れ出してくれる。
Aさんはぼくにジャケットを買ってくれた。その上着を手に持って、有名な短歌の師匠のところへ二人で行く。中年男の師匠が現れると、部屋にいた弟子たちは一斉に畳の部分からさがって、壁際の板敷きに降りる。短歌の世界では師と同じ畳を踏むことは許されないらしい。師匠はとても機嫌が悪そうだ。弟子の中にタバコを吸っている男がいる。師匠は他の弟子に命じて、その男を叩きのめす。ぼくらはそのリンチを黙って見ている。気がつくと、Aさんに買ってもらったジャケットがない。探すと、それは大きな灰皿の中にあった。さっきリンチにあった男が、何十本という吸い殻をぼくの上着の上に捨てていた。ぼくは灰まみれのジャケットを救い出す。
またAさんとバスに乗る。終点まで来て、降りることになる。バスを降りるときは、挨拶がわりに詩を一編朗読しなければいけない規則だ。それをとにかくやってから取りに戻ろうと、ぼくは上着を車内に置いたまま、慌てて前部ドアからバスを降りようとする。だが、運転手はぼくにこのバスではそんなことをする必要がないという。全員が降りたのを確かめてから、ぼくは後部ドアから慌てて車内に戻り、ジャケットを取り戻す。ふと、乗降口を見ると、そこにはAさんがいて、泣き顔でぼくを見ている。ぼくは驚いて「どうしたの?」と言うが、彼女は涙をぽろぽろこぼしながら「なんでもないの」と答える。
2005年12月03日
12月3日の夢(ロボットと夢日記)
ぼくは何かのクラブの会員で、その会合に行く。表参道のハナエモリビルに中二階のようなフロアができていて、そこに通りから直接階段を上がっていった所が会場である。「今日は会員の皆様にロボットをご覧に入れます」というアナウンスがあって、階段を登ってきたのは鉄人28号くらいの大きさのロボットだ。異常に上半身がでかくて、頑丈で、力がありそう。しかも頭の上に重そうな金属の塊をかついでいる。それが円形のステージに上がって一周する。そのデモンストレーションに会員たちから一斉に賛嘆の声が挙がる。しかし、重心を失って、ぼくの方に倒れてきたら一瞬に圧死してしまうなあと、ぼくは不安に思う。
ロボットはいったん退場して、車に乗るという。ぼくらも下へ降りて、舗道で待っていると、トレーラーに乗ってロボットが表参道を下ってきた。しかし、ハナエモリビルの前の歩道橋につかえてしまって、頭だけがこっちに無様に突き出る形になってしまった。しかたなくトレーラーはまた後退して、改めて姿を現したのを見ると、トレーラーの車体はロボットが横たわった輪郭そのままにデザインされた特製のものだった。
そこまで見た夢を早速夢日記に書いておこう。ぼくは夢中になって夢日記を書きながら、電車に乗る。ホームから電車に飛び乗り、夢日記を書きつつ座席に座ると、ホームで駅員がマイクで何かを怒鳴っている。あれっ、もしかしてぼくが怒鳴られたのかなと気がつき、改めて電車を降りてみる。さっき飛び乗ったとき、ぼくがホームと電車の間の隙間からパスネットなどのカードを線路に落としてしまい、駅員はそれをぼくに注意しようとしたのだった。「ぼくを呼びました?」と言うと、駅員も乗客たちも「おまえのことに決まっているじゃないか」と、ぷりぷり怒っている。平謝りで落としたカード類を拾い集め、電車に戻り、座席でまた夢日記を書き続ける。いつのまにか夢日記は水彩絵の具を溶く小さなバケツの中にあって、水中でぼくは文字を書いている。だが、書いても書いても文字は水中に溶けて、イトミミズのような赤茶けた小魚になってしまう。これじゃあ、夢をみんな忘れてしまうよ・・・と焦る。
2005年12月01日
12月1日の夢(水を求めて)
九州あたりの田舎を旅行していて、古いあばら屋を借りている。ここには水道がないので、ペットボトルを買いだめしておいたのだが、気がつくと、もう一本もない。これでは朝まで待てないと思い、夜遅くなのに、外へ買いに出る。
道に迷ったら大変と思い、道をよく記憶にとどめながら、まずまっすぐ歩いていく。それから直角に道を曲がる。その間、道の脇には貧相な商店がずっと軒を並べてはいるものの、土産物屋や酒屋などしかない。酒屋に水のボトルがあるかと思い、入ってみるが、残念ながら置いてない。自販機もない。水を探して、いつのまにか随分遠くまで来てしまった。
会社の食堂のようなところ。大きな皿に盛られた昼食の料理を二つ運んできて、テーブルに置くが、予約をしてないのに、持ってきてしまったことに気が付き、慌てる。皿の一つには卵料理が沢山乗っていて、これはぼくの大好物である。
2005年11月30日
11月30日の夢(少年と女と銭形警部)
日本からハワイにやってきた少年が、さらにフランスへ渡航しようとしている。そこへ銭形警部そっくりの人物が現れ、「きみには何故かいい女がいつもつきまとっているな。おかしい。信用させておいて、実はきみから大金を巻き上げようとしている組織の女に違いない」と忠告する。少年自身も「そうかもしれない」と思う。しかし、少年には別に気になることがあった。「ねえ、○○って、何のこと?」と銭形警部に尋ねる。「きみが知らないということは、難しい言葉だな。うむ。それは『時間』という言葉ではないかな? きみが着く『時間』に迎えにいくと、きみのおじさんは言いたかったのじゃないかな」と警部は言う。
少年は電車に乗っている。隣に官能的な女が座っていて、いろいろ話しかけてくる。少年の読んでいた文庫本を「見せて」と言い、「よくこんな古い本を持っているわね」と感心する。それはヤンキースの松井選手の2冊目の自伝だ。でも、松井の本なのだから、そんなに古いはずはないと、少年は思う。窓の外のビルの上に、大画面が取り付けられていて、そこでその本の宣伝をしているところだ。松井は画面の中で、自分がジャイアンツに入るまでの苦労話を語り、「ここから後のことは、皆さん、東京ドームで既にご存じでしょう」と、話をしめくくる。いつか、少年はぼく自身になっている。座席のテーブルにはお菓子がいっぱい並んでおり、それを見て女は「まるで遠足のバスみたいだねー」と楽しそうだ。
2005年11月27日
11月27日の夢(蝉の死骸)
会社にいて、これから浜松に出張しようとしている。出発前にトイレへ行こうとするが、自分のオフィスのあるフロアにはいくら探してもトイレがない。別のフロアに行くと、昔の和風のトイレがある。横開きの扉を開けると、そこはトイレではなく、奥に昔ながらのお風呂があって、男性二人が湯につかっている。それなら、トイレに行かずに、とにかく出発しようと、もう一度自分のオフィスに戻ると、ピアニストのN・H先生が椅子に座っている。彼女の後ろを通り抜けて、奥で出発の準備を始める。すると、先生は立ち上がって、オフィスを見渡し、いつものようにちょっとシナをつくって、「ここはなかなかカッコイイわねえ」と言う。みんなが「そこは一色さんの席なんですよ」と言っているので、ぼく自身おほめにあずかりたいと思うが、準備に手間取り、出て行くことができない。やっと出ていったときには、もう先生はいない。ぼくはあたふたと玄関に行き、靴をはきながら「しまった。黒板に書き忘れたので、浜松に行くと書いておいてね」と女性社員に頼む。そういえば浜松に行くためには、割安の回数券を使うんだったと思うが、改めて引き返すのも面倒なので、そのまま駅に向かう。
外に出ると、子供たちが「○○蝉をいっぱい殺した」と話している。地面が茶色に変わっているところは、みんなその蝉の死骸なのだ。どこもかしこもいっぱい山のように蝉の死骸が落ちていて、中には丘の半分が下まで蝉の死体でできているところもある。○○蝉は小型で、ゴキブリくらいの大きさしかない。
2005年11月26日
11月26日の夢(赤ん坊を奪う女)
赤ん坊を抱いてエレベーターに乗る。数人がぼくのほかに乗ったところへ、後から小さな女の子の手を引いた黒い服の女が乗り込んできた。ドアが閉まると、いきなり女はぼくから抱いていた赤ん坊を奪い取る。しかし、ぼくは再び女から赤ん坊を奪い返す。女は子供に「このことは知らん顔をしていれば大丈夫だからね」と言い聞かせる。そして、エレベーターのドアが開くと、女は何食わぬ顔をして、子供の手を引いて去っていく。
2005年11月25日
11月25日の夢(パンツの中の詩集)
家の近くの野川大橋の交差点の向こうの道路に長い行列ができている。大詩人の飯島耕一さんが来ているのだ。みんなの詩を見たり、サインをしてくれるというので、大変な人気だ。ぼくも少年たちにまじって列に並び、自分のパンツを差し出す。というのは、今回のぼくの詩集はパンツの中に入っている奇抜な装丁になっているからだ。飯島さんはぼくの名前を見て、「ああ、きみか!」と思い出してくれるだろうか? どきどきする。しかし、彼はぼくのパンツの中の詩の作者名を見ても、何も言わずに、ただ詩を読んで、サインをして返してくれただけだ。ちょっとがっかりだが、それでもサインを貰えただけで嬉しい。我慢できずに、家に向かって歩きながら、開けてみる。飯島さんがくれた包みには江戸前のにぎり寿司が入っていて、その中に何枚か手書きのカードがはさまれている。このカードを飯島さんが書いてくれたものらしいが、あまり面白いものではなかった。野川大橋を渡りながら、ふと川面を見る。水面に点々と白い波が立つ。あれは石か何かが投げ込まれているのか、それとも魚が跳ねているのか、どうしたんだろうと不審に思う。
2005年11月24日
11月24日の夢(魔女の背骨)
海外から帰ってきた友人のことで、ある医者のオフィスを訪れる。待合室で待っていると、既にその友人の女友達がオフィスで医者と交渉を始めているのが見える。女性詩人のHさんだ。ぼくも彼女と同じ交渉のために、ここにやってきたのだ。急いで二人に近づいて挨拶し、医者に名刺を渡そうとする。しかし、どのポケットを探ってみても、出てくるのは他人の名刺で、自分のものは一枚もない。そこで、このオフィスの会議室の書棚のところへ、二人を連れて行く。書棚にはぼくの会社の出版物がいっぱい並んでいるはずで、この本を出した出版社の者だと自己紹介するつもりだ。ところが、その書棚にはぼくの会社の出した本は一冊もない。呆然とするが、しかたがないので、とにかく自己紹介をしてから、ぼくは一歩下がり、Hさんの交渉を見守る。
だが、医者は老かいでなかなかこちらの言いなりにならない。そこでHさんは医者を脅かそうと、突如床に横たわって、呪文を唱えた。彼女は魔女だったのだ。そして、まるでベルトを取り外すようにして、自分の背骨を取り外し、ぼくに手渡す。大きな鰺の背骨のようなそれは、彼女の体温で焼けるほどに熱い。ぼくの隣で、医者は恐怖にぶるぶると身をふるわせている。しかし、ぼくがそれを彼に手渡したときには、気をとりなおして「ぼくも医者で、慣れてますから」と、平然とした風を装う。次にHさんは何かの内臓を手渡してくれる。それはココアの粉末をかけたケーキのようで、ぼくの手の中でぽろっと崩れてしまう。ぼくは「ぎゃっ」と慌てるが、Hさんは平然としている。
2005年11月23日
11月23日の夢(ラッパを吹く3人の黒人)
マンションの自宅にいる。妻は本の山に凭れて読書中。ベランダには民族衣装に身を包んだ黒人3人がこちら向きに並んでいて、アルペンホルンのようなものを練習している。ハーモニーをつけて「プップクプップップー! プップクプップップー! プップクプップップー!」と1オクターブずつ上げて3回吹くのだが、一人詰まったような音になったなと思うと、それが三人に次々伝染して、最後はひどい騒音になる。三人とも部屋にラッパの開口部を向けているので、そこから彼らの唾が飛んでくるのではないかと気になる。よく見ると、彼らもそれを考えているらしく、ラッパにはガーゼでマスクのようなものがしてあるのだが、それが「プップクプップップー」とやるたびに息でふくらみ、しゅーっと白い湯気が噴き上がる。そして部屋の中がしだいに彼らの口臭でいっぱいになる。これでは臭くて、昼寝もできないなと思う。
美術館から出てきたところで、中に脱いだ上着を忘れてきたことに気づく。入り口で切符もぎりをしている係員にその旨を告げて、もう一度入場し、前庭を走って横切ろうとする。途中にポスター大の3枚のイラストのコピーが並べて置いてある。これもぼくが置き忘れたものだ。美術館の建物に入ると、確かに玄関のテーブルの上に上着が置かれていた。やれやれと思い、それを手に取ると、裏地はほつれているし、変な緑色の布がえりに縫いつけてあるし、かなりくたびれている。こんなひどい上着を身につけていたのかと、びっくりする。
2005年11月19日
11月19日の夢(危険がいっぱい)
サッカー場へ行く。グラウンドの前に三人の選手が並んでいる。右二人は日本人。一番左は外人のストライカーだ。ぼくは三人にぜひ点を取って欲しいと頼み、三人は承知する。試合が始まると、右に並んでいた選手から一番左のストライカーへと順番にボールがパスされていき、いとも簡単にゴールが決まる。今までどうしても点が取れなかったのに。それからは中山ゴンをはじめ、ほかの日本人選手も次々とゴールを決め、当たり前のように仕事をして、順調に点が入る。ぼくは彼らが当たり前に仕事をすることに感動し、もう涙が止まらない。(現実に涙をぼろぼろこぼしながら眼を覚ます)
おしっこがしたい。部屋の中に池のように水がたまっている場所がある。ここならおしっこをしていいだろうと、用を足し始めるが、何度もつるりと足がすべって水の中に落ちそうになる。でも、なんとか用を足し終える。
夜遅くまでみんなと残業をしている。あんまり深夜まで残業していたので、電気を消されて、部屋が真っ暗になってしまう。みんながぼくに「気をつけて」と注意してくれる。ぼくは仕事が終わり、もう帰るだけだ。ところが、帰ろうとしてガラスの自動ドアにぶつかりかけたり、暗闇の中は危険がいっぱいだ。
2005年11月18日
11月18日の夢(自殺するほど素晴らしい詩)
三人の詩を読んで、その批評文を書いている。男性二人と女性一人の詩だ。字数に限りがあるので、二人分の批評しか書くことができない。女性の詩は読まずに、男性二人の詩について書いていく。ところが女性はぼくに「素晴らしい詩が書けたから、私はこれで自殺する」と言う。驚いて彼女の詩を読んでみると、本当に素晴らしい。男性二人の詩の批評を消して、彼女の批評を書くことにする。この詩を書いたら、本当に自殺してもいいくらい素晴らしい詩だと思う。
2005年11月15日
11月15日の夢(富士山に出店)
富士山の登山道にいくつかお店を出すことになり、その商店を選定する役を引き受ける。なにしろ富士山に出すのだから、商売を度外視するような気っぷのいい主人のいる店でなければいけない。例えば遭難者が出たら、無償で花を手向けてくれる花屋さんとかだ。
その花束が我が家の流し台に置いてある。花束の中に大きな芋虫が殻から脱皮して現れた。ものすごく巨大。驚いて妻を呼ぶが、つかまえるのはやめる。
円形の石組みの中は泉なのだろうか。渦を巻いて水が噴き出しており、水深も相当深そうだ。そこへ一人の男が飛び込んだ。あっという間に水中に引き込まれるかと思ったが、意外にも無事向こう岸へ渡った。よく見ると、泉のこちら半分は岩場が水面近くまで突きだしていて、水深が浅くなっているのだった。
2005年11月11日
11月11日の夢(お風呂オフィス)
職場がお風呂屋になっていて、お湯につかりながら仕事をしている。社長からお正月の仕事のスケジュールが発表された。東京に残ってパレードに出る者と、大阪で取材する者と、それぞれ仕事を分担することになる。ぼくは大阪行きを志願する。だが、スケジュール表を見ると「朝7時から取材」とあるので驚き、女性社員のSさんに「これは前日入りになるのだろうか?」と問いかける。しかし、彼女も新人なのでよく分からず、「先輩に聞いて調べておきます」と言う。また、お湯につかっていると、妻がやってきて、「東京にいた方が楽なのに」と文句を言う。ぼくは「そんなことないよ」と言い返す。
2005年11月09日
11月9日の夢(脱出行)
何があったのか分からないが、文明社会が至るところで破滅に瀕しているらしい。行方不明で、連絡のとれなくなった会社の同僚たちも多い。デザイナーのSくんの携帯番号にかけても、出てくるのは全く関係のない女性だ。
社員みんなでここから脱出することになり、列車に乗ったつもりだったが、それは船だった。大きな入り江か川のような水面を航行していくと、大波が立ち、船はゆさゆさと揺れる。上空を米軍のヘリコプターの編隊が轟音を立てて海の彼方へ飛んでいく。
駅に着いて(やっぱり列車だったらしい)、みんな小休止する。ぼくはその間に何か腹の足しになるものを買っておこうと、駅の近くの魚屋を覗く。開店しているお店も今では少ないので、魚屋も殆ど雑貨屋のようになっていて、パンも売っている。どのパンを買おうかと迷っているうちに「出発!」という声がかかる。みんな一つだけ開いているレストランに入っていく。そこは人々でいっぱいで満席だ。所狭しと並べられた椅子の脚に蹴躓きそうになりながら、苦労して店内を進み、空席を探していると、誰かが「外だ」と言う。意味がわからないでぼうっとしていると、みんなは店の外の地面に座って、食事のできるのを待っている。店内に入ったのはトイレを借りるためで、もともと席はなく、外で食べるしかないのだという。
2005年11月08日
11月8日の夢(低空飛行)
妻と旅行帰りで、飛行機に乗っている。窓の外を赤い灯火を先端につけた二本の柱が過ぎていく。先端は既にぼくらの乗っている飛行機よりも高い。もう飛行機は着陸態勢に入っているのだ。あの二本の柱は往きの飛行機でも見たなと思い出す。さらに窓外を京浜工業地帯のコンビナートが過ぎていくが、飛行機の高度はそれらの工業施設よりも低い。いつのまにかこんなに高度を下げたのだ。今度は窓の外にタンクローリーが見える。飛行機と同じ方向に、競争するような形で走っている。こんなに低く降りて大丈夫かと不安になる。やがて駐機している飛行機の頭が次々と窓の外に見え、無事飛行場に着陸したことがわかり、ほっとする。
2005年11月06日
11月6日の夢(障子の密室)
出張から東京に帰ってきたのは夜の11時頃だった。ぼくがいるのは車がどんどん走っている道路だが、街の中心からはずっと外れた寂しい場所。いつもはここからタクシーで帰るので、かたわらの父(実際には25年前に死んでいる)に「タクシーで帰ろうか」と言う。父は「そうだな」と答えると、いきなり角を曲がって遠くに見える地下鉄の駅の方へ駆け出し、姿が見えなくなる。タクシーを捕まえに行ったのだろうか? タクシー乗り場があそこにあったとしても、こんな深夜だから大変な行列なのではないか。ぼくといっしょに出張から帰ってきたM氏らがバス停にいるのが見える。「○○行きのバス」という声も聞こえる。見ていると、そのバスが路地からひょいと出てきて、彼らを乗せて行ってしまった。ぼくの帰るのとは反対の方に向かって。
ぼくの周りにはまだ帰る手段がなくて、立ち往生している人たちが何人かいる。いつまで待っても父は帰ってこない。なんとかしようとぼくは歩き出す。一人の人が二匹の犬をひもにつないで立っている。一匹はブルドッグだ。二匹の間を抜けようとして、ぼくは咬まれるのではないかと、ちょっと不安になる。だが、犬はおとなしい。その瞬間、近くにいたおばあさんが「地震だ! ほら、崩れる!」と叫んで、交差点を対角線に走り出す。確かに道路に面したボロ家が崩れそうに傾いているが、これはもともとこうなっているのではないだろうか、とも思う。
腕時計を見る。11時半だ。家に帰れるかどうか、ますます心配になり、心細さが増す。妻が車でここまで迎えに来てくれないだろうか。
突然、場面が変わり、ぼくは布団の中にいて、妻の名前を叫んでいる。布団がじゃまで、見えないのだが、妻が部屋に入ってきた気がするのだが、妻はぼくに気づかないらしい。ぼくは必死で妻を呼び続けるが、その声はかぼそく、妻は出ていってしまった。
やっと布団をはいでみると、ぼくがいるのは上下左右を障子の桟が双曲線を描いて取り囲んでいる四次元的な空間である。ぼくはもうここから脱出できないかもしれない。天井に、白いカーテンをまるめたようなものがぶらさがっている。ぼくは「そうだ! 音楽がいた!」と叫んで、そのカーテンのようなものを引っ張る。すると、それは床に落ちて、若い男に変身する。男はぼくに「ぼくは音楽だ。さあ、ぼくが来たから、音でみんなを呼ぼう!」と言う。そして、ぼくと音楽とは二人でリズムをつけて、障子の壁を叩いて回る。この音を外にいる誰かが聴き取ってくれますように……。
2005年11月03日
11月3日の夢(ズボンが見つからない)
一人の女性が主人のガードマンとして指名された。しかし、お米が不足しているからと、稗飯しか食べさせてもらえない。
長い螺旋階段を降りて、一番下の床に着く。と、螺旋階段は消えて、階段のあったところに、物資がうずたかく積み上げられている。子供たちのために用意された駄菓子の山だ。思わず「懐かしいなあ」と言う。
詩人の新川和江さんがぼくの新作について「この詩は頭で書いたわね。以前の詩に比べて、実感がこもってないわ」と批評する。ぼくは「いえ。以前の詩の方が頭で書いたんです。以前の詩で頭で書いてしまった部分を、ありのままの本当のことに書き直したのがこの詩なんです」と反論する。新川さんは「あら、そう」と言う。
若い女性クライアントとバスに乗ってロケに出かける。終わって、またバスで駅に戻ったが、階段の人混みで彼女を見失ってしまった。挨拶しないでこのまま帰るのはまずいと、必死で彼女を捜し回るが、見つからない。ふと気づくと、ぼくはズボンをはいておらず、パンツ姿になっている。そういえばバスに乗るとき、服を替えたのだった。ズボンは駅のクリーニング店に預けたはずと思い出し、今度はそのクリーニング屋を探し回るが、駅は迷路のようで、やっぱり見つからない。
2005年11月02日
11月2日の夢(3匹の犬)
ぼくは三匹の大きな犬を飼っている。ぼくは三匹のうち、順番に一匹ずつを連れてコンサートに出かける。そして、ピアニストにその犬に合わせた演奏をしてほしいと頼む。
2005年10月31日
宇宙ロケットのおしっこ
ずっと以前に会社を退職した元「P」誌編集長のKさんがいよいよ「本当にいなくなる」ことになったらしい。現編集長のぼくの席の左隣に、一日だけ彼女の席が設けられ、本当に彼女がやってきた。
印刷所の人が二人挨拶に来社した。慌てて名刺を探すが、ぼくのデスクの引き出しに入っている名刺箱の中の名刺はみんな他人のもので、一枚も自分の名刺が残っていない。「不思議だなあ」と思い、右隣のOさんに名刺を注文してくれるよう頼む。その後で、今まで気づかなかった右の引き出しを開けると、そこにぼくの名刺があった。なあんだ。
夜の道を歩いている。と、夜空を弧を描いて、黄金に輝くライオンが飛んでいく。ぼくの歩いている道を飛び越えて、塀の向こうに降りた。続いてウルトラマンが同じコースで飛んでいくが、道路を飛び越える寸前で落ちてしまい、慌てて塀を乗り越える。カッコワルイ。気がつくと、ぼくの服に草の実のようなトゲがいっぱい刺さっている。濡れたような帯状の痕もある。宇宙技術者がやってきて、ぼくに、それは「宇宙ロケットのおしっこ」といわれるものだと教えてくれる。
2005年10月30日
10月30日の夢(お弁当付き地下鉄)
お店の入り口に四角い流し台のようなものが置いてある。ぼくはその蛇口をひねって、コップを洗っている。だが、洗っても洗ってもコップはきれいにならず、泡立ったままだ。変だなと思って、周りを見回すと、ほかの人たちも蛇口をひねって、コップを泡で満たしている。それは水道ではなく、ビールの注ぎ口だったのだ。赤面して店の奥に引っ込む。だが、みんなの視線がぼくに突き刺さるように感じる。そういえば前にも同じ失敗をしたことがあった。ああ恥ずかしい。
名古屋の東山公園の奥の地下鉄の駅のホームにいる。地下鉄と言ってもここは電車が地上を走っているので、駅も地上にある。それにまだ都市開発が進んでいないので、周囲はススキが生い茂り、山また山の地形だ。地下鉄はこの駅が終点なので、入れ替えて別のホームに入線するというので、かなり無理をして高さの違うホームへ乗り移る。見ていると山の間を円を描いているレールを、入れ替えのため地下鉄が走っていく。鼻が超音速ジェット機のように長い超モダンなスタイルをした地下鉄だ。その長い鼻の部分がカクッカクッと上下して、複雑な動きをしながらトンネルに潜ったり、また地上に現れたりする。
ついにその地下鉄がホームに入ってきた。この地下鉄はお弁当付きで、座席の一つ一つにお弁当が置いてある。既に乗り込んだ乗客もいて、蓋のあいている弁当箱もある。ぼくは入り口近くの席に慌てて座ろうとするが、怖いおじさんに「おれの席だ!」と凄まれる。さらに進むと、小さな男の子と若い母親の向こうの一番奥の席が空いている。「そこ、空いていますか」と尋ねると、二人はにこにこと「空いていますよ」と答える。喜んで腰を下ろしてみたものの、お弁当は男の子が食べてしまったらしく、既になかった。
気がつくと、ぼくの座席だと思ったのは、四人の人間が折り重なって人間椅子になっているのだった。そのうちの一人の男はもう一人の女に執拗に復縁を迫っている。そして、ほかの二人はぼくに「お恥ずかしいところをお見せして・・・」と詫びる。ぼくは「いいですよ。ぼくは慣れてますから」と答える。
外は早朝らしく、窓から見える山やススキの原には深い霧が降りている。車内アナウンスが「このあたりは海から○○キロと遠いのに、海の影響で朝には霧がでます」と放送している。と、電車は直角に近いカーブを切って、山の方に進む。そこは砂漠に近い岩山で、風景ががらりと変わってしまう。窓の向こうを趣味の悪い巨大なモニュメントが過ぎる。そして、その隣に「劇団ラブ 詩劇上演記念」という小さな石碑のようなものが置かれているのが、ちらりと目に入る。ぼくは驚愕する。あれはぼくが40年前に、「劇団ラブ」という学生劇団を作って詩劇を上演したとき、確かにその記念にとそこに置いたまま、忘れていたものだ。
(劇団ラブを19歳のときに組織して詩劇を上演したのは事実です。最近、ラジオ詩劇についてのエッセーを書いていて、急にそのことを思い出したのが、夢に現れました)
2005年10月28日
10月28日の夢(ゴールドに輝くお弁当)
夜、会社で残業をするうち、外へふらふらと出てしまう。歩いていくと、歌舞伎座の前に出た。ふらりと入ってしまう。一幕を見た後、休憩になった。たっぷり休憩の時間があると思い、外に夕食を食べに出る。ところが戻ってみると、既に次の幕が始まっており、通常の出入り口からは入場できないので、ここから入るようにと、別のところへ案内される。それは地面にあいたマンホールのような穴。そこから垂直の鉄棒をつたって、降りろという。かなりの高さがあるので、怖い。でも、下で係員が受け止めてくれたので、なんとか無事着地できた。しかも、そこからぼくの席は意外に近く、女性係員の案内ですぐに着席することができた。しかも、歌舞伎座では必ずサービスのお弁当が付くのだそうで、ぼくのお弁当も既に届いていた。大小いくつかの弁当があるので、その大きいのを指して、「これがぼくの?」と尋ねる。だが、係員は一番小さい箱を指して、ぼくの間違いを正してくれた。でも、小さいとはいえ、その弁当箱はゴールドに輝いている! 早速、開けてみると、中身はぼくの大好物のマカロニグラタンだった。早速一口食べてみる。とろけるように美味しい。
2005年10月27日
10月27日(オペラ座トイレの夢)
トイレに行きたくなった。誰もいないがらんとした建物に入り、階段を上がった二階のロビーにうずくまって、大きい方の用を足し始める。和式の便器なので、足を踏ん張ると、どうしてもバランスを崩して、倒れてしまいそうになる。そこですぐ目の前にある壊れかけた雨樋のようなものに額を押し当てて、倒れない工夫をしていると、目の前に若い母親に連れられた幼児の兄妹が現れた。兄の方がぼくを指さし、「こんなところに頭をつけるの、危ないんだよねー」と母親に言う。よけいなお世話だ。無視して用を足し続けると、以前会社でお世話になった人や、一流の音楽ライターの人たちがどやどやと周囲につめかける。どうやら、ここは外国の有名オペラ劇場のロビーらしい。用を足すぼくをはさんで、先輩の女性ライター二人が会話を始めた。これは大変だ。二人に挨拶しなくちゃと、用を足しつつ懸命に顔を二人に振り向け、目線を合わせようとするのだが、どうしてもタイミングが合わず、とても気まずい思いをする。
2005年10月26日
10月26日の夢(電動鋸付き二丁刀)
博物館の床に発掘された古代の武器がいくつも並べられている。一番左にあるのは、左右に二丁の刀身が並んで、柄の部分で一つにつながった“二丁刀”だ。持ち上げてみると、ズシリと重い。妻に「こんな重い刀が扱えるなんて、昔の人は力があったんだね」と感心して、話しかける。しかし、その刀から手に振動が伝わってくるのは何故だろう? よく見ると、床に置かれた武器はすべて現代の電動工具として使えるよう、改良が施されている。この“二丁刀”にも電動ノコギリが仕込まれているのだった。
会社で同僚たちにケーキを配っている。一個ずつ配り終えてから、箱を覗くと、まだ幾つかのケーキがある。「ここにいる人にはもう一個ずつありますよ」と言う。Kくんがさっと箱の中に手を突っ込み、ぼくが一番食べたかったケーキをかっさらっていった。しまった。でも、ほかにもおいしそうなケーキがあるぞ。(と舌なめずりしたとたんに目覚ましが鳴って、夢から覚めました)
2005年10月23日
10月23日の夢(暗い時代)
自宅にいると、表をざくざくと行進していく若者たちがいる。そのうちの何人かがぼくの家に勝手に上がり込み、「すぐに家を明け渡せ」と言う。形だけの抗議をするが冷然と無視される。暗い時代がまたやってきたのだ。家の外に追い出されたぼくは、群衆に混じって、やけくそになって叫ぶ。「こうやって叫んでも、やっぱり出ていかなきゃいけないのか? テンノウヘイカバンザーイ!」
ぼくは傘一つを持ってあてもなく歩いていく。傘一つがあるだけでも幸せだ。途中、木組みの櫓のてっぺんのような場所に出てしまった。前に若者たちがたむろしていて、進めない。飛び降りようかと思って、下を見るがちょっとそれには高すぎるようだ。必死で木組みを手でつかみながら、降りてみる。すると思ったほどの高さではなく、危険もなく簡単に降りることができた。また地上を前進していく。豪雨が降っている。いつのまにかあの傘はどこかへ置き忘れてきてしまった。ポケットからタオルを取りだし、頭にのせる。これだけでも雨を防ぐことができる。タオル一枚の有り難みをしみじみ感じる。
2005年10月22日
10月22日の夢(殺意)
忌野清志郎が井上陽水の「私の心は夏もよう」という歌(そんな歌ありましたっけ?)をピアノの弾き語りで歌っているのをラジオで聴いている。あるところはシャウトし、あるところは感情をたっぷりこめて、聴かせる。とても素晴らしいボーカルで、これはきっと何度かテイク録ったものを編集したのに違いないと思う。聴いているうちに、ぼくは感極まって泣き始める。しかし、涙は流れない。
部屋で妻と二人で書き物をしていると、ドアが突然開き、吹いてきた風で書類が飛ばされる。外を通りがかった男がそれを拾ってくれる。しかし、それを無視してぼくらが仕事を続けたため、怒った男はいきなり包丁を取りだして、ぼくに襲いかかり、殺意をあらわにする。ぼくはその包丁を取り上げ、何回か彼に対して突き刺す真似をするうち、本当に彼を刺してしまう。そうなると、もう止まらない。ぼくは「こうしてやった方が楽だろう」とうそぶきながら、男の頸動脈に包丁をぶすぶすと突き立て、切り裂く。彼が断末魔のあえぎをもらすのが、手に感じられる。だが、傷口から血は一滴も流れない。
2005年10月19日
10月19日の夢(ヤクザな会社)
ぼくはまだ若い新入社員である。夜の仕事に出かける前、小腹を満たそうと駅前に止まっているバスを改造したバーに寄る。運転席に座っているバーテンに「チーズとかのつまみがあったら、譲ってください」と声をかける。バスの座席そのままの客席には、若い女性客二人が座り、それぞれ孤独に晩酌をしている。バーテンは運転手そっくりの制服を着て、ハンドルを握ったまま、にこりともしないで「セブンイレブンででも買いな」と言う。なるほどそれもそうだなと、あっさり引き下がる。
仕事場は駅前のプレハブだ。そこでこれからオークションを行うのだ。これから始めようというところで、社長が突然ヤクザのような口調でヨタり始める。今まで紳士的な社長だったのに、本当はこんなキャラだったのかと、ぼくはおびえる。しかし、それは会場にたまたま前から居座っていた無関係の人々を追い払うための演技だったらしい。ほっとして見守るうちに、いよいよオークションが始まった。しかし、意外に客が少ない。オークションの音頭をとっていた若い先輩社員が、ぼくに「会社へ行って、××(何だったか忘れた)を持ってこい」と、ぼくに命令する。「会社へ戻ったら、一色さん
が『社員に給料を払うとすぐ辞めてしまうから、払うな』と言っていたと言え」と、凄みをきかせて言う。ぼくは思わずドギマギして、「えっ、ぼくが?」と問い返す。すると、彼はそれまでのコワモテの表情をやわらげ、「ああ、俺は何を言ってるんだ」と取り繕うが、ぼくは彼はわざと言い間違えたに違いないと思う。この会社はもともと社員に給料を払うつもりなどなく、ただ働きをさせて、お払い箱にするつもりだったのだ。
2005年10月18日
10月18日の夢(旧社屋)
会社の新社屋で仕事を始めたのに、原宿にある旧社屋もそのまま取り壊されずに残っている。中はがらくたで足の踏み場もないのだが、入口近くに椅子を並べて、社員達がお茶を飲んだりしている。だが入口というのは窓しかなくて、そこから入ろうとしても、後ろからお尻を押し上げてもらわないと、ぼくは中に入ることもできやしない。ようやく入ることができたら、今度は出る気がなくなってしまった。結局ぼくはお正月の三が日をここに泊まり込んで飲んだり食べたりしてしまい、ほろ酔い加減のまま3日の夜に家に帰ろうとしている。明日は出張しなくてはいけないのに、こんなんで大丈夫かなあと心配だ。
2005年10月17日
10月17日の夢(カビだ!)
劇場で誰かの追悼のための公演の準備をしている。客席にいたぼくは前の公演が終わったのを見届け楽屋にいるみんなに「本番が始まるぞ!」と告げに走る。だが、みんなが統一して着ることになっている白い衣裳は、楽屋と舞台との間のちょっと離れた場所にまとめて置いてある。ぼくはみんなにその位置を指さし、みんなは一斉に楽屋から「わーっ」と走り出す。ところが、ぼく自身が目測を誤って、その衣裳置き場から一段低いところへ来てしまった。でも、そこから衣裳置き場とはちょっと高低差があるだけなので、なんとか乗り移れそうだ。一生懸命身を乗り出して飛び移ろうとするぼくを、そのフロアにいる小学生くらいの女の子が「頑張れ頑張れ」というように応援してくれる。
いつのまにかぼくはどこかの博物館にいる。石組みのあるモダンな中庭を、豊かな水が流れ落ちている。その流れを渡った足で、書道の展示室の中に入る。誰かがぼくを指さして「カビだ!」と言う。言われて、足元に目を落とすと、ぼくの靴痕が床に真っ黒に記されている。確かにこれは黒カビだ。慌てて拭き取ろうとするが、なかなかきれいにはならない。慌てて逃げるように、そこを立ち去る。
2005年10月16日
10月16日の夢(ガラス張りの家)
新しく引っ越した家は人里離れた丘の上にある全面ガラス張りの家だ。壁は透明だが、その向こうに今までのような隣人たちの暮らしはない。気がつかなかったが、それがぼくたちの暮らしをいかに元気づけていたかを、今になって思う。
二つある部屋は天井も床もすべて純粋な白。一切の家具はなく、ただ床からキノコのようにつくりつけの大小のテーブルが生えているだけだ。ぼくは顔を洗おうと思うが、洗面台があるわけでもない。ボウルの中に入れたお湯をそうした小型のテーブルの上に運び、顔を洗い始めるが、お湯をはねちらかすのもきれいな床を汚すようで、はばかられる気がする。
でも、夢ではまだ古い家の夢を見る。覚王山の自宅まで行ってくれると思って乗っていたのに、バスは一つ手前の池下から動こうとしない。ここでこのバスは終点になったらしい。運転手や車掌に気づかれないよう、ぼくはバスからそっと降りる。
2005年10月15日
10月15日の夢(尋問)
なぜだか分からないが、大富豪の屋敷に連れてこられ、そこで生活するようになった。ぼくの血縁がかすかにこの家の主人夫婦のどちらかにつながっているらしい。ぼくのほか、もう成人した男や、まだ幼児の二人の男の子もいて、彼らはこの家ではぼくの弟ということになるらしい。
ぼくらはガラス張りの大広間で召使いたちにかしづかれて、食事をとろうとしている。だが、食事がまさに始まろうとした瞬間、一斉に刑事たちが踏み込んで、ぼくらのテーブルを囲んでしまう。白人も黒人もいればラテン系の男女もいて、国際色豊かな刑事たちだ。ぼくは弟たちに「どうやら早く食事をすませた方がいいみたいだよ」と言うが、どうやらその暇もないらしい。近くにいた黒人の若い女性刑事がぼくを制して、尋問が始まることを告げる。真っ先に尋問を受けるのはぼくだ。中年の男の刑事がぼくのかたわらに腰を下ろす。ぼくはせめて何か飲み物をとりたいと思い、窓際のテーブルまで探しに行くが、手頃なものが見あたらない。
ところがそのとき、12時のチャイムが鳴った。なぜか刑事たちは尋問を中断し、包囲を解いて食事に行ってしまった。ぼくはそのすきにトイレに立つ。ところが食堂の両側にあるトイレはどちらも行列ができていて、とても入れそうにない。しかし、刑事たちはぼくが逃亡するとか、トイレに入ったすきに自殺してしまうとか考えてもいないのだろうか。いずれにしても、過去の記憶も何もかも捨てて、この家に来てしまったぼくには今さら自殺する動機も何もないのだが。
食堂に戻る通路には、すきまなく男や女が寝ている。なぜかみんな白人たちだ。中には二重に積み重なって寝ているところもあり、慎重に歩いていってもどうしても彼らを踏みつけてしまう。しかも、後ろからついてきた小さな男の子がぼくを手で押すので、ぼくはよろけてますますみんなを踏みつけてしまう。男の子が言う。「通路でなく、席の方を歩いた方がいいんじゃないの?」 見回すと確かにその通りだ。通路には人が寝ているが、椅子のいっぱい置いてあるところには誰もいない。
2005年10月14日
10月14日の夢(ぼくは悪人)
夜中にトイレに起きる。家の一番奥にあるトイレはリフォームで今工事中のため、入れない。手前の部屋は庭に面していて、サッシ越しに台風の影響か風雨が強まっているのが見える。そこにも工事用の資材がいっぱい積まれているが、自分の家の庭なのだからここで用を足してもいいだろう。そう思って実際に用を足したところで、ふと気がつくと、ぼくのすぐ左側に外国人の男が立っている。先ほどからそこにいたらしいが、こそりとも動かなかったので気づかなかったのだ。驚いて、「あんた、外人?」と言う。さらに、男のかたわらに日本人女性も発見。男とぴったり密着して抱き合っていたため、これまた気づかなかったのだ。二人は逆に「あんたは?」と、ぼくに問いかけてきた。ぼくは「悪人」と答える。
2005年10月12日
10月12日の夢(夢を見た夢)
ぼくは反市長派の市議会議員。市長選の当選お祝いの会で、市長自身の挨拶の後、みんなで歌をうたってお開き。のはずだったが、そのままみんな舞台に残り、さらに市民も加わって、突然「市長反対」の歌をうたう。会場は大混乱。作戦がうまくいった・・・と思ったら、それは夢だった。こんなにうまく行くんなら、現実にこの作戦を実行に移そうと思う。ステージで歌をうたい、さあ、市長反対の歌をうたおうとするが、歌詞カードを印刷し忘れたり、ぼくが市長反対の演説をぶたないといけなかったりして、結局作戦は不発に終わる。
家で妻と猫とぼくの三人でテレビを見ている。猫はときどき女の子に変身する。つまらない番組なので、チャンネルを変えようと席を立つが、そのままぼくは家を出て、パーティに出席する。パーティはもっと大きな部屋でやるのかと思ったのに、小さな和室で囲炉裏を囲み、車座になっての、誰かの追悼パーティだ。奥の方に誰もいない大きな和室があるのが見える。出席者はぼくの知らない人ばかり。やっぱりつまらない。帰ろうと思って、外に出たが、荷物を置いてきてしまったのに気づき、再び会場に戻る。と、何か動きがあったらしく、さっきとは様相が違っている(具体的なことは覚えていない)。ぼくは見ていたテレビ番組が終わらないうちにさっさと家に帰ろうと思う。
2005年10月10日
10月10日の夢(原宿の巨大名産品)
原宿に妻と遊びに来て、喫茶店で二人とも本を読んで時間をつぶしている。「そろそろ帰ろうか」と言うと、妻は「いいわよ」と言うものの、なんだか物足りなそうだ。「じゃあ、原宿の名産品を買って帰るとするか。巨大グレープフルーツとか・・・」と、ぼくは言う。「巨大天津感冒片(中国から輸入されている漢方の風邪薬で、我が家の常備薬。原宿のイスクラ薬局や銀座のペンギン薬局で現実に売っている)というのもあるよ。家のように巨大な薬で、効能は同じだけれど、ゆっくり時間をかけて楽しみながら飲むことができるんだ」と、妻に説明する。
妻がレジをすます間、ふと上を見る。喫茶店は二階まで吹き抜けの空間で、しかも隣家との境がなく、隣家の二階家の壁がそのまま見える。二階の部屋は黒い雨戸のようなものが閉まっていて、そこに手書きで白く、女友達の名前がローマ字で書いてある。あれえ、彼女はいつのまにこんなところへ引っ越してきたのだろうか・・・と不審に思うが、そのまま帰る。
2005年10月09日
10月9日の夢(巨大屋外スタジオ)
Mカメラマンといっしょにアーティストの撮影に出かける。今日撮影するのは海外から来たアーティストなのだが、一体どんな人物なのだろう? エイベックスとおぼしきなじみのレコード会社の廊下で、そんなことを話しながら待っていると、身長が2メートル以上ある見上げるような大きさで、容貌魁偉、しかも肌が真っ白という男が出現した。この大男が今日撮影する相手らしい。
スタッフらとともに、スタジオへ移動することになる。ふと気がつくと、みんな先にスタジオに入ってしまったらしく、ぼくは独りぼっちだ。しかも、周囲にはスタッフたちの残した荷物がいくつも散らばっている。ここに放置しておいてはまずいだろう。ぼくは持てるだけの荷物を持って、スタジオに向かう。
スタジオに着いてみると、それは巨大な屋外競技場のような石造りの施設。映画「ベン・ハー」に出てきた戦車競走のスタジアム(「スター・ウォーズ」エピソード1にも再現されている)よりもっと規模が大きい。なんだか遺跡のようにも見える。入り口は石の壁で、確かにあちこちに穴はあいているのだが、とても人が通り抜けられそうには見えない。みんなどうやって中に入ったのだろうと、うろうろする。と、今まで気がつかなかったが、一つだけ縦長の四角い穴があいていて、そこから中に入れそうだ。ようやくぼくも中に入ることができた。
2005年10月07日
10月7日の夢(もらい泣き)
会社にいるはずだが、ここは普通の民家のようだ。どうも京都の古い家らしい。住人たちはいかにも「おばさん」という感じの女性たちだ。二階に上がり、部屋にあったものを片づけたり、自分の持ってきたものを置いたりするうち、そこにあった洗濯物と、ぼくの持ってきた服がごっちゃになってしまう。まだ朝早いため、同僚たちの姿は見えない。
やがて出勤してきた同僚たちと会議をするため、別の部屋に移る。その部屋にはたくさんの若い大工たちがいて、昔ながらの鉋がけなどをして、せっせと働いている。
いつのまにか街路を歩いている。若い女性社員が歩きながら、「忙しくて忙しくて、休日出勤しなくちゃいけないわ」と泣き出す。それを見て、街中の人たちがもらい泣きをする。ぼくももらい泣きするうち、わーわーと大泣きしてしまう。
2005年10月05日
10月5日の夢(1曲多い全曲演奏会)
ぼくは作曲家である。ぼくの室内楽作品をある室内楽のグループが、この町のさまざまな家を会場に、一日がかりで全部演奏してくれるという。しかも、ぼくが作曲したより、1曲多く演奏してくれるというから、すごい。最初の演奏会を開く家で、ぜひとも彼らをキャッチし、その話を聞きたいと、ぼくは思う。
2005年10月04日
10月4日の夢(夢日記を書く夢)
定年退社したUカメラマンがまた働きたいというので、高給で再雇用することになる。戻ってきた彼はお風呂をわかし、そのお風呂のお湯をガブガブと飲み干してしまう。すごい豪傑! という夢を見ている。
大きな音で目を覚ます(それも全部夢の中での話)。まだ朝の6時だというのに、同僚の若い男性社員(現実にはいない)がドアを開けて入ってきて、うるさい音をたてる。女子社員と話をする。あげくのはてに、布団をかぶって寝てしまう。起床の具合は、ぼくにとって健康のバロメーターなので、ちゃんと毎日同じ条件でないとまずいのに…と頭に来る。
ついに目覚ましが鳴った(現実ではない)。がばっと起き上がって、夢日記を書こうとする。しかし、もう最後のページまで書ききってしまい、余白がない。引き出しから新しいノートを取り出したが、それももう余白がない。さらに別のノートを取り出す。なぜかノートの上段は色がついていて、その部分はインクをはじいてしまうので、いつものボールペンが使えず、色鉛筆で夢を書き込もうとするが、全く判読不能だ。普通の白い紙の部分にもう一度書き直す。ほかの人たちはどんどん出勤の支度をしているが、ぼくはさらに夢日記を書き続ける。気がつくと、ぼくが書き込んでいたのは、朝食のみそ汁の豆腐の上だった。書いても書いても豆腐はぼろぼろ崩れてしまう。やっと書き終わり、大慌てで布団を片付け、出勤準備をする。夢日記を書くだけで30分もかかってしまった。
2005年10月02日
10月2日の朝と昼寝の夢
会社が新社屋として中古の住宅を買った。部屋には壁一面の本棚があり、そこに古書がぎっしりと詰まっている。社長があるテーマについて調べたいと言っていたので、建物の売り主が家といっしょにそのテーマについての古書を全部揃えて、売ってくれたのだ。部屋からあふれんばかりの古書を、社長とぼくと女子社員の三人で、大喜びで調べ始める。
*同日昼寝の夢
地下鉄に乗ろうとして、ホームに降りようとするが、階段はなく、通路はがれきの山で、とても足場の悪い坂になっている。地下鉄職員の白いヘルメットが置いてある。これは塗り直せばデモで使えると思い、こっそり失敬する。隣にFAXつき電話機のような機械が置いてあった。その機械からいつものように情報を取り出そうとして、二つのボタンをピッピッと押すが、間違えて「駅員呼び出し」のボタンを押してしまい、呼び出しのベルが鳴り渡り始める。やばい。急いで坂を降りて、ホームのベンチに座る。しかし、失敬したヘルメットを持っているのに気づき、慌ててどこかに隠そうと右往左往する。早く電車に乗って逃げてしまえばいいと思うのだが、電車はちっともやってこない。今にも駅員が現れるのではないか、一部始終を監視カメラで見張られているのじゃないかと気が気でない。
2005年09月24日
9月24日の夢(三角の玉子寿司)
妻がこしらえた厚切り玉子のお寿司をぼくが包丁で三角に切り分け、四つのお寿司にして食堂のテーブルの端の皿に載せる。それだけすませたところで、妻は別室に下がって本を読み始める。と、中年の婦人がいかにも食べたそうにそのお寿司のそばに腰を下ろし、「早く帰らなければいけないので・・・」と言う。そうか。それで早く食事をすませたいのだと気がついたぼくは、妻を呼びに行く。妻は「今日は煮込みを作るつもりなんだけれど、どうする?」と聞く。ぼくは「それは、後でいいんじゃないの?」と答え、とにかく彼女に食べさせるお寿司だけ作ろうと、食堂に戻る。
2005年09月23日
9月23日の夢(犬の付録付きの本)
D美術社のT氏が新刊本に、見本で刷り上がったばかりの帯をつけようとしている。本は旅行用のスーツケースぐらい大きい。初の試みとして、おまけのビデオテープを帯で本に付属させることにしたという。しかし、どうしてもビデオテープがじゃまでうまく帯を本に巻くことができず、T氏は苦闘している。さらに帯には一匹の生きた犬もおまけで付けるのだという。このすべてをどうやつて、読者に送り届ければいいのだろう?
2005年09月21日
9月21日の夢(選抜学生)
ぼくは大学の学生で、先生たちから「選抜学生」の候補に推薦された。だが、その後何の連絡もないところを見ると、やはり選ばれなかったのだろう。
選抜学生たちはみんな湖沼地帯に住まいをあてがわれている。ちょっと辺鄙ではあるものの、景色が抜群にいい。そこで先生たちの原稿を整理してバイト代をかせげるので、安心して勉強できるというものだ。おまけに彼らの話すことといえば、「パーティーに民主党の岡田さんが来た」というような社交の話題ばかり。羨ましい。
2005年09月20日
9月20日の夢(トイレで眠る父)
ぼくの家は借家で、今度家主が変わった。新しい家主は詩人のA・M氏だ。ぼくの父がまだ生きていて、病気でずっと寝ている。庭に張り出した部屋がトイレになっているのだが、その中に布団を敷いて、「これからここで寝るからね」と言う。ぼくら家族の見ているテレビの音がうるさいらしい。ぼくはちょうどトイレに行こうと思っていたところなのだが、おかげで入れなくなってしまった。
2005年09月19日
9月19日の夢(突破する地下鉄)
いつもは赤坂見附にある山本有三の記念像(現実にはそんなものはない)へ行くには、地下鉄を乗り継がねばならない。だが、今日乗った地下鉄は女声の車内アナウンスで「この列車は赤坂見附まで直行します」と何度も言い、ぐんぐんスピードを上げる。いつもは通れない地下の壁を突破するつもりらしい。「そうなんだねえ」と乗り合わせたおばあさんたちもにこにこして、ぼくと妻に嬉しそうに話しかけてくる。
2005年09月18日
9月18日の夢(紙を食べる)
和室に大きな長方形の座卓があり、ここでいつも妻を中心に開かれている会合が今日も始まろうとしている。いつもは長方形の長辺の一番短辺に近い席に妻が座り、ぼくがその隣に座るのだが、今日はいつも妻が座る席に国民新党の亀井さんが座ってしまったため、妻とぼくと亀井さんの三人がせせこましくスペースを取り合う形になる。ぼくはしかたなく短辺のほうに移動するが、こここそ議長の席にふさわしいと思い、「あなたがここに座ったら?」と妻を呼ぶ。その声に初めて亀井さんは自分が座るべきでないところに座っていることに気づき、自発的に席を譲り、ぼくらはいつもの席に座ることができた。
そこで改めて見直すと、テーブルにも畳の上にもたくさんの甘いお菓子が落ちている。ぼくはそれらを一つずつ拾い集めて、自分の席に持っていく。ヒーリングについて書かれたパンフレットがあったが、それも山羊のようにむしゃむしゃ食べてしまう。
2005年09月17日
9月17日の夢(鼻の穴からスパゲティ)
ここはロシアらしい。レストランの窓から覗くと、外は青い夜。雪が積もった斜面が眼下に伸びていて、その斜面を小さな白い猿のような動物の群が降りていくが、途中でみんな転んで、下の道路まで滑り落ちてしまう。
店内のぼくの席の左側には、ちょうど身長ぐらいの高さの滑り台のようなものがあって、そこを顔や手、胴体、足といったふうに分解された人形のパーツのようなものが滑り落ちていく。顔のパーツはまん丸で、デフォルメされた仮面のような感じ。それを作ったのはこの店の主人の髭の男とその娘である。ぼくは最初、それらが滑り落ちるのを見ているが、つい手を伸ばしてさわってみる。すると、硬いと思われた仮面は意外にやわらかく、顔が崩れてしまう。ぼくは「しまった」と思うが、親子は逆に喜んで、「先生(なぜかぼくはそう呼ばれている)が以前それを持っていらっしゃるのを見て、お好きかと思ったんです」と笑顔で言う。確かにぼくはそれとそっくりの仮面を自分の部屋に持っている(それは事実)。「変だな。この親子はどこであれを見たのだろう」と不思議に思う。店では地元の人々の不思議な風習がいろいろと演じられる。民族衣装を着た老婆や少女が、鼻の穴からスパゲティのようなものを何十本もぶわーっと出す芸をしてみせる。見ていてとても気持ちが悪いが、彼らはそれが自慢らしい。
ぼくは数学の教師をしていて、一つの教室からYWCAにあるもう一つの教室へ歩いて移動中。ぼくの生徒らしい太った西洋人の女性や子供たちが一緒だ。教室の入り口に到着して、その女性はぼくに「ここは女の人だけ?」と尋ねる。ぼくは「違うよ」と言って、身振りでみんなに入るよう促す。そこへノートをいっぱい積んだ2台のカートが老執事のような二人の男に押されて到着。それは生徒たちが使っているノートだ。みんな一斉に歓声を上げて、自分のノートを探し始める。
2005年09月16日
9月16日の夢(三角形の池)
会社のすぐそばの通りにクマンバチが巣を作っている。刺されないよう気をつけて歩かないといけないと思う。
その会社の窓から、隣にある大きな池が見える。池は普通丸いか四角いものだが、全部が見えるわけではないものの、この池は縦に長い三角形をしているようだ。そして、水底にはたくさんのカエルの卵が産み付けられている。この池のほとりの土地をうちの会社に譲ってもいいという話が来ている。池の水際まで張り出したテラスを作ったら、仕事をしていてもとても気持ちがいいだろうと思う。
部屋を横切って、反対側の窓から外を眺める。すると、そこにも同じような三角形の池があり、ここでは子供たちが遊んでいる。
2005年09月13日
9月13日の夢(女子校チームの補強選手)
桐朋女子高校の野球部が対外試合をすることになった。部員は全員女生徒ばかりなので、二人の別の高校の男子生徒が補強選手として参加することになり、その一人がぼくである。
また、どこかに旅行している。ぼくの方が何かの関係で先につき、後から団体のバスで到着するはずの妻を待っている。何時に来るはずだつたっけ?と思って、手帖を見る。手帖の今日の日付のところに短い二本線があり、そこに到着時間が書かれているのだが、暗すぎて老眼のぼくには読めない。外へ出て明るい光の中で見直すと、朝の7時に到着する予定だという。腕時計を見ると、もう8時だ。もしかすると、さっき到着した観光バスの団体客の中に混じっているのかもしれない。さっきぼくは物産館の見学を終えて出てきたばかりだが、妻の団体が入っているかもしれないので、もう一度入館してみようと思う。
2005年09月12日
9月12日の夢(蛇口)
南の島へ旅行に来ている。夜お腹が減ったので、ホテルの外にラーメンを食べに出ようと思う。外へ出ると、そこは沖縄の海岸に近い場所のようだ。なんだか学校の校庭のような広い空き地が目の前にあって、門の外に家並みが見えるが、海は見えない。ラーメン屋くらいここにもあるだろうと思って探すが、見当たらないので部屋に戻る。
部屋には「**と思想」誌の編集委員のOくんとM編集長とがいる。ぼくはやっぱりラーメンを食べたいという気持ちを抑えることができず、彼らに「ぼくはラーメンを食べてくる」と言って、再び部屋を出ようとする。すると、部屋に書類などの荷物がたくさん散らかっているのが目にとまる。ぼくはそれらを「これはOくんのだよね」「これはMさんのだよね」と言い、自分のものではないことを確認して、なぜだかほっとする。
外に出ると、そこは長い廊下だ。いつのまにか自分の住んでいるマンションにシーンが変わっている。左側に地上へ降りる階段に続くドアがたくさんある。ぼくは長い廊下を一番奥まで行き、一番奥のドアを開けようとするが、そのドアは釘付けにされている。このマンションはもう閉鎖されており、ぼくらは移転しなければいけないのだと思う。廊下を少し戻り、奥から二番目の階段を降りる。
すると、そこは今はない名古屋の実家の裏庭だった。黒く湿った土から、Jの字を逆立ちさせたような形の水道の蛇口が何本も無秩序に突き出している。ぼくはその一本の蛇口をひねって、水で手を洗う。
2005年09月10日
9月10日の夢(新入社員)
会社に数人の新入社員が入った。履歴書の最後の欄に記入された二字熟語が素晴らしいという理由で、採用した女性社員がいる。彼女はキャリアのあるベテランなので、クライアントとの電話も安心して任せておける。今もその二字熟語を使って、クライアントを巧みに説き伏せるのを、皆感心して聞いている。と、まだ若い別の新人女子社員が「わたし、そんな言葉知らないわ」と大きな声を出す。それをクライアントに聞かれてはまずいので、「人が電話しているときは黙っているように」と注意をする。
2005年09月09日
9月9日の夢(黒板)
教室ではないが、長方形の部屋の短辺の壁に大きな黒板がかかっている。ぼくをはじめ何人かが黒板に向かって座っているが、部屋には何本も大きな柱があり、ぼくの席の前にも一本の柱があるため、黒板を全く見ることができない。黒板に書いたことを説明しようとしている講師は、そのために困っている。だが、黒板を部屋の長辺の壁に移して、みんなの椅子の向きを90度変えれば、全員何の問題もなく黒板が見えることがわかった。
2005年09月07日
9月7日の夢(短夢)
某詩人団体の総会がある。下のレストランで食事をして登録すると、資料がもらえて「どうぞ」ということになり、エスカレーターで上がっていく仕組みだ。でも、このシステムを知らずに直接会場へ行こうとして、迷う人もいるのではないだろうか? ふと脇を見ると、あれれ? 黒い表紙のぼくの会員証を兼ねた資料が床に放り出されている。
2005年09月06日
9月6日の夢(ゴムまりサッカー)
妻とともに出かけたが、「女しかお参りできないものがあるから、ここで待っていてね」と言われる。昔の駄菓子屋のような横開きのガラス戸の外に、真っ赤な細い塔が天高くそびえ立っているのが見える。あれが女でなければお参りできないというものらしい。
女達がお参りしている間、男達は室内でサッカーに興じている。サッカーといっても、待合所のコンクリートの床にチョークでコートを描いただけで、ボールも子ども用のゴムマリだ。ぼくは運動神経ゼロだし、積極的に参加する気もないので床に腰を下ろしていたが、たまたまボールが近くに来たとき、とっさにボールを手で打ってしまい、ほかの男達の失笑を買う。その次にボールが来たときは足で蹴ってみるが、ちっとも狙った通りには打つことができない。だが、最後に思いきりボールを蹴ると、力のあるスピードボールが相手チームのボスの足元に転がった。男達は「おおっ」という声を上げ、ぼくはちょっぴりプライドをくすぐられる。
「そろそろ時間かな」と腰を上げると、ちょうど参拝をすませた妻も戻ってきた。
2005年09月05日
9月5日の夢(殺人マニュアル?)
ある女性(少女という感じ)と初めて一緒に仕事をすることになった。彼女がぼくに小冊子をくれる。それは一緒に仕事をしていくためのマニュアルのようなものだ。なぜか本文は2〜3ページしかないのに、前書きがものすごく長い。人を殺す方法について詳しく記述してある本格的なものだからだ。
2005年09月03日
9月3日の夢(明るいお風呂)
我が家のバスルームの中にいる。壁が全面、大小さまざまな正方形の白いタイルの組み合わせになっている(うそです)のは知っていたが、こないだ入ったときは薄暗かったのに、今日入ってみるとものすごく明るい。天井に何本も下がっている蛍光灯の本数を増やしたのだろうか? それとも妻がタイルをピカピカに磨いたためだろうか? 左手の壁にはタイルと共に、清掃用の軍手もまるでタイルの一部のように、きれいにセットされている。しかし、よく見ると、浴槽がない。
2005年09月02日
9月2日の夢(河童の曲)
何かのコンサートかコンクールのような場所。そこで河童の曲(具体的にどんな曲だか不明)が演奏されようとしている。若いピアニストもベテランのピアニストもいろいろな理由をつけて弾いてくれない。結局、楽しみにしていた河童の曲は自分で弾くしかないのか。
クライアントであるY社の社員がヨーロッパのある町の市長になったので、挨拶に行く。市長室の彼のデスクのすぐ前に、横向きに三つの椅子が並べられ、そこには彼の旧友三人が座っている。その椅子から少し離れて、やはり横向きに椅子が一つあり、そこにぼくが座って市長と謁見をする。
うっかり髭を剃らないまま、街へ出てきてしまった。でも、なぜか手に電気シェーバーを持ったまま、交差点を渡っている。
2005年08月30日
8月30日の夢(おじさんの顔をさばく)
おじさんの顔を包丁で魚のようにさばいていく。そのおじさんの顔がテレビの画面に「どうもありがとう」という感謝のメッセージと共に映っている。
2005年08月29日
8月29日の夢(四谷の牛舎)
雑誌の編集室にいる。校正を見ると、若い男性編集者が編集後記を間違えたページに書いている。怒って、注意をする。日頃口うるさくてプライドの高いベテラン女性ライターのMさんも、彼のミスにいらいらした顔をしている。
編集室を出て、取材に出かける。ところが約束していた相手が現れない。中央線の電車で四ツ谷あたりの駅に降りる。駅の近くに牧場がある。四ツ谷にこんなところがあったっけ? 牛舎の中から、両脇を二人の男に抱えられて、びっこを引きながら警官が出てくる。牛に蹴られたらしい。情けない警官だ。これから牛の品評会だ。牛を鑑定するのはぼくと一緒に電車を降りた少年だという。牛舎からその牛を連れて、牧場の主人が出てきた。さっきのケガをした警官を思い出し、蹴られると怖いなあと、ちょっとおびえる。ぼくも牛について外へ出るが、牧場で飼われている猫たちがぼくの後についてき
て、盛んにぼくの気を引こうと、ころころ地面に転がったり、かわいい仕草をしてみせる。
2005年08月28日
8月28日の夢(手のひら型食虫植物)
電車でふと降り立った駅は、東京郊外のまだ開発の手の届いていない町。駅から出て、市内を巡る市電に乗り換える。山間の町なので、これは市電というよりもケーブルカーだ。傾斜のきつい路面を進む市電の内部はまるで観光バスのように豪華。乗客は小学生くらいの少年を含め、2,3人しかいない。窓には分厚い大きなカーテンが激しい風にあおられている。景色を見るのにじゃまなので、外そうとするがうまくいかない。窓の向こうには雪をいただいたスイスアルプスのような高峰がそびえ立っている。だが、なぜか景色全体が映画のスクリーンのように薄暗いのが不思議だ。
歩くようなスピードで市電は渓谷に似た市街を走っていく。ぼくは「写るんです」を取りだして、美しい景色を撮りまくる。「写るんです」は進化していて、超薄型でとてもカッコイイ。停車した駅のホームでは、この町の特産のゴボウの宣伝販売をやっている。空からヘリコプターが降りてきたと思ったら、それは無線操縦のミニチュアヘリコプターだった。ホームのかたわらには水槽が置かれ、中には食虫植物とその餌が入っている。植物は人間の手のひらそっくり。お腹がいっぱいのときは緑色の握り拳のように見えるが、空腹になるとぱっと指を開いて、餌をつかまえる。そして、餌がいくら暴れてもぎゅっとつかんだまま、けっしてもう放そうとしないのだ。
2005年08月27日
8月27日の夢(会社に入る二つの方法)
自分の会社に入っていくとき、二つの方法がある。ふつうに入る方法と、魔術師として入る方法とがあるのだ。せっかく魔術を使って入れる方法があるのに、もったいないなと思うが、やはり普通に入ることにする。でも、玄関をくぐるとき、魔術の印が書いてあるのを見ると、つい魔術を使ってみたい誘惑にかられる。でも、やめておく。
2005年08月25日
8月25日の夢(動物の引く新幹線)
東北地方を旅行して、新幹線に乗っている。素晴らしいスピードで疾走する新幹線だが、レールの上ではなく道路を走っている。窓から見ると、この新幹線は大型犬のような二匹の動物が犬橇のように引っ張っているのだ。道路は左側通行だが、動物が右側に移ったので、対向車線ですれ違いを待っていたバスや車が慌てて反対須川へ移動するのが見える。そのうち動物たちはスピードを急に落としてしまった。しかし、新幹線そのものは慣性がついているので、運転士が左にハンドルを切って動物を轢かないように避けて、追い抜く形になった。ぼくらの席の窓の下で、二匹の動物はすっかり止まってし
まったのが見える。
2005年08月24日
8月24日の夢(都市建設とトイレクエスト)
東北で新しい都市を計画的に建設している。都市は二重構造になっていて、城壁のようなもので内側と外側の二つの市街に分けられている。その内側の市街だけで、もうすぐ2万5千の人口に達する予定だ。
トイレに入る。トイレだという部屋は、ベッドやインテリアがきれいに整えられた普通の部屋で、ベッドカバーの上に弁当箱大の白い箱が置かれている。これが便器だ。しかし、この箱に命中させるのも至難の技だし、やっているうちに溢れてしまいそうに思われる。それなら通りを隔てて向かい合っているビルのトイレを貸してもらった方がいいと思いつく。早速通りをわたって向かいのビルに入ると、そこは一階・二階ともファストフード系のお店が並んでいる。隅々まで歩き回るが、トイレは見つからない。
2005年08月23日
8月23日の夢(お葬式とゴキブリ)
妻とお葬式に行く。舞台の上にうずたかくお供え物が積み上げられている。司会者が参会者の名前を一人ずつ呼んでいく。まるで国会の記名投票のよう。呼ばれた人はそのお供えの山の中から、自分のお供えを取り出して、祭壇に捧げる。ぼくは「テレビ関係者」というグループの最後の列にいて、ぼおーっとしていると、司会者に「一色さんはまだですか?」と促される。慌ててお供えの山から、自分が持ってきたものを取り出す。それは夢の解放区のメンバーとかつて発行していた同人誌「黄金時代」だ。大判のその雑誌はかなり古びて、表紙には大きな黒い穴もあいている。ぼくは妻とそれを見て、「だいぶ年季が入っているね」と苦笑し、丁寧に祭壇に捧げる。
台所に大きなゴキブリが出た。必死でソファーの下をごそごそと逃げ回るそいつを、ぼくははえ叩きを持って追いかける。
2005年08月21日
8月21日の夢(封印された津軽弁)
自分たちが主宰する朗読ライブに、青森からただ一人出場する少女がいる。彼女は朗読用の作品を収めた大判のファイルを持っているが、そのファイルの中に一回り小さい縦長のノートが入っている。そこには津軽弁で書かれた作品が収められており、それだけはけっして朗読しないことにしているという。
2005年08月19日
8月19日の夢(無駄の摘発)
野外の競技場。といっても地面はでこぼこで整地もされず、草野球場のような感じ。ぼくは警備担当で「無駄なもの」がどこかに置いてないか、チェックするためグラウンドの観客席(といって固定した椅子があるわけではなく、草原の上に腰をおろす感じ)を一周して見回る。無駄なものはとても危険な存在なのだ。ちょうど4分の3ぐらい回ったところに、アメリカのブッシュ大統領が座っている。そのすぐ後ろを通過する。もうすぐ一周地点に戻るというあたりで、物置の棚におばさんが韓国製の食品をたくさん積み上げているのを発見する。これは無駄なものだ。直ちに摘発する。
道ばたに辛い生活をしている犬たちが何匹もいると聞き、出かけていく。そのうちの一匹の黒犬が寝ころんでいるところへ行き、ぼくは棒を黒犬の鼻先に突き出し、遊んであげる。犬は生まれてから一度も人間に遊んでもらったことがないので、感激して大喜びでぼくの棒の後を追いかけてはしゃぎ回る。そして生涯で初めての満足を覚え、満ち足りた様子で家の中に入ると、そのままやすらかな眠りにつき、天に召されていく。(その後、目は覚めないまま大泣きをしました)
2005年08月14日
8月14日の夢(二重の二重の橋)
橋の上にもう一つ、透明なガラス張りの橋がかかり、そこに二人の警官が常駐するようになった。昼夜を分かたず、そこで何かの監視をしているらしい。ぼくはもう一人の男とともに、そのガラス張りの橋に入れてもらう。中はまるで温室のようで、耐えきれない暑さだ。「これは防弾ガラスなのですか? それにしても暑くて大変ですね」と、ぼく。警官は「さっきまではここにこれが張ってあったんですよ」と、片隅に寄せた青い葦簀(よしず)を見せてくれる。そして無線で別の場所にいる上司に「やっぱり市民に入ってもらうと、わかってもらえますよ」と、嬉しそうに報告している。ぼくらも警官に声をかけられて、ご馳走してもらったばかりだが、おばさんたちのグループ数人にも声をかけてご馳走し、うまく懐柔に成功したらしい。「声をかけるタイミングも難しいんですよ。普通はFM橋か跨線橋の上にいらっしゃるわけでしょ?」と警官は自画自賛する。そう言われて足下の橋を見直す。一本の橋だとばかり思っていたが、こちら半分は列車の線路をまたぐ橋で、向こう半分は川の上にかかる橋だったのだ。向こう半分の橋の傍らにはJ-WAVEの放送局のビルがあるので、通称FM橋と呼ばれているらしい。この二重の橋の上に、さらに警察の監視用のガラスの橋がかかっているというわけだ。
2005年08月07日
8月7日の夢(大教室トイレ)
Y音楽教育財団で記者発表があるというので、その本部ビルに行く。会場がわからず、うろうろしていると、どうやら二階の教室で模擬レッスンがあるらしいと見当がついた。でも、まずその前にトイレに行こう。二階のトイレは使用中だったので、いったん階段を降りて、確かここらあたりにトイレがあったと思う場所へ行く。予想通り、そこに男女の人型のマークがある。もちろん男のマークのある方へ入ったのだが、ドアを開けるとそこは大学の階段教室のような広い部屋で、たくさんある椅子のうちの幾つかが便器になっている。しかし、それ以外の椅子にはまじめそうなご婦人たちが座って、講義を聴く態勢をとっている。間違いなくトイレなのだからと自分に言い聞かせ、持っていた大きな荷物を別の椅子の上に置いて、便器の上に登る。便器の上に立たないと用を足せない構造になっているからだが、便器の上に立てばひときわ目立ってしまって、とても恥ずかしくて用を足すどころではない。もっと目立たない便器はないものかと探し回るが、あいにくどれも使用中だ。しかたなく、最初の便器に戻るが、そこにはもう別の婦人が座って、講義を聴いている。しかたなく、いかにも用を足したようなふりをして、荷物を持つとがっかりしてトイレから出る。
体が不調なので、妻と一緒に医者に行く。待合室で二人で待っていると、カウンターの奥から男の医者がわざわざ出てきて、「心臓とか調べましたが、何一つ悪いところはありませんよ」と言う。
社長の自宅を訪ねる。緩やかな傾斜の丘一つがまるごと邸宅になっている。もう夕方だが、社長の娘の姿が見えない。それはぼくのせいのような気がして、責任を感じたぼくは庭中を探し回る。行方をつかめないまま戻ると、いつのまにか娘は戻っていて、手負いの獣のようにじっと床にうずくまっている。社長はぼくに「山の向こうはこの時間になると、もう暗くて寒いぞ。わかっているだろうが」と言う。ぼくはむっとして、「庭の掃除をしていただけですよ」と答える。
会社のぼくの席の横に、大きなゴミ袋が置かれていて、中にはがらくたがいっぱいだ。何一つぼくのものは混じっていないのだが、会社のみんなはこういうがらくたはみんなぼくのものだと決めつけて、ここに置いたようだ。腹が立ったぼくはそれをみんなオフィスのフロアにぶちまけてしまう。
2005年08月04日
8月4日の夢(尖塔のある銭湯)
前から見ると昔ながらの銭湯だが、屋根の上にモスクワのクレムリンのような、にょきにょきした塔がいくつも突き出ている。そのポストモダンな感じが女性に大人気の銭湯だという。
2005年08月03日
8月3日の夢(船の中の水)
港で船に乗ろうとして、列の一番先頭に並んでいる。もう一人の男と最初に乗船するが、船の中はプールのようになっていて水がいっぱい。これでは乗り込めない。ぼくは水の中に片手を突っ込み、かきまぜるようにして、水の感触を確かめる。いったん下船して、係員にそのことを告げると、係員は「すみません。前に乗っていた乗客のおしっこを貯めたまま、捨て忘れていました」と言う。
2005年08月02日
8月2日の夢(絵の中の少年)
ある学校のクラスで、生徒が荒れる事態が続いた。そこで担任とクラスの仲間たちは、一人の画家に頼んでたくさん絵を描いてもらうことにした。出来上がった絵の中には必ず一人の少年がいた。みんなはこの少年はきっと素晴らしい人なのだろう、作者の理想が投影されているのだろうとさまざまに推測したが、画家に聞いてみると「単にフツーの少年」に過ぎないのだという。
2005年07月31日
7月31日の夢(お茶の車内販売)
妻と列車に乗っている。車内販売のお茶を買う。一抱えもある大きな円筒形の火鉢のようなものの上に、蓋をひっくり返したような形で、大きな盃型の器が載っている。その器に満たされたお茶を、下の火鉢で温めて、ごくごく美味しそうに飲み干した。
2005年07月30日
7月30日の夢(席がない)
会社の建物はちょっと小学校のような造りで、一本の廊下の片側に三つの部屋が並んでいる。でも教室のように大きな部屋ではなく、小さな飲み屋のような感じ。いずれの部屋も中央に大きなテーブルがあり、その片側に椅子が三つずつ並んでいる。ぼくがトイレに立って、再び戻るとお菓子売りの男の子がセールスに来ていて、女子社員たちは全員廊下に出て、そのお菓子に群がっている。注文によっていろいろ好物をトッピングできるということだ。みんながああでもないこうでもないと商品を選ぶのに時間をかけている間に、男の子は女子社員の一人と片隅に行き、なにかいちゃいちゃと話し始める。ぼくは「これでは営業妨害じゃないか。帰ってくれ」と強く男の子を叱りつける。それでようやく秩序が戻り、社員たちも席に戻ったが、いつのまにか椅子はベンチに変わっていて、ぼくの座る席がなくなっている。おまけに、ぼくのやるべき仕事ももう何もないようなのだ。
2005年07月28日
7月28日の夢(円環する夢)
ぼくの家へ四国から女友達がやってきた。女友達はぼくの妻だ。家は畳敷きの一軒家で、ぼくは家族と女友達と一緒に談笑する。それから彼女とぼくは仲むつまじくする。壁一つ隔てたキッチンには妻(女友達と同一人物)がいるはずだが、気付かれないだろうと思う。時計を見て、女友達は「そろそろ行かないといけないのでは?」と言う。彼女の持つ航空券を見ると、あと40分後に飛行機が出ることになっている。急がないといけないと、タクシーを呼んで、彼女を空港に送り出す。そうすれば彼女は一時間半の飛行の後に、東京(つまり、ここ)に帰り着けるだろう。
2005年07月27日
7月27日の夢(お屋敷の住人は列車強盗)
ぼくは高校生で、鉄筋コンクリート地上五階建てくらいのものすごく大きなお屋敷に、部屋を与えられて逗留している。広すぎて勝手が分からず、エレベーターに乗る度に思わぬ場所に出てしまい、他の人のいる部屋を横切ったりして、きまりの悪い思いをする。中には人間でなく、犬が暮らしている豪華な部屋もある。
なぜこのお屋敷の主人がぼくにこんな待遇を与えてくれたのかは分からない。だが、ここでの生活費は自分で稼ぐように言われる。その手段は列車強盗で、そのノーハウをお屋敷の人から伝授される。
また、ぼくがこの土地の高校に入学できるよう、地元の学校を紹介してもらったが、お屋敷の主人や主婦の話す言葉がぼくにはよく理解できず、彼らの親切はありがたいが、それが何という駅にある何という学校なのか分からない。
ともかく電車に乗って、通学することにする。一つ隣のいつもの乗り換え駅で降りたつもりで連絡通路をどんどん行くが、どうも勝手が違う。ぼくは方向音痴なので、間違えて反対方向の電車に乗ってしまい、目的地より逆に一つ遠い駅で降りてしまったらしい。
2005年07月26日
7月26日の夢(砂漠の国で迷子になる)
砂漠の国へ旅行に出かける。駅の前のロータリーも砂の色だ。ほかに連れがいたのだが、信号が赤に変わる前に彼らは渡ってしまい、ぼく一人だけが取り残されてしまった。信号を渡ってみても、もう連れの姿はどこにもない。困っていると、一人の女性が群集の中からそっと現れ、「皆はパイ・・・ホテル(よく覚えていない)にいますよ」と教えてくれる。でも、ぼくはこの国の字が読めないし、言葉もできないから、どれがそのホテルなのか分からない。近くにここがそのホテルかもしれないと思われる建物があったが、そのまま通り過ぎてしまう。町はずれにホテル(といっても小さな裏寂れたものばかり)が建ち並ぶ一角を見つけるが、そのどれも目指すホテルではなかった。途方に暮れているところに、バスがやってきた。みんなが迎えに来てくれたのだ。おかげでやっとホテルにたどり着くことができた。
2005年07月25日
7月25日の夢(放送局潜入)
夕方、放送局の前を通りかかると、誰にも制止されず、ふらふらと中に入れてしまった。報道局のようなデスクの上に黒電話が沢山置かれた大きなオフィスがあり、人がぱらぱらとしかいない。廊下から覗き込むと、そのデスクの一角で、グレープバインの3人がDJ番組を生放送中だ。予算の少ない番組はスタジオを使わず、こんなところで放送しているのか。しかし、この番組は夜の時間帯のはずだ。こんな時間に放送しているのは変だなと思う。「生放送」と言っているが「看板に偽りあり」なのかもしれない。彼らは聴取者から送られてきたメールやFAXをテーマ別に青いファイルに分類してそれを読んでいる。しかし、そのファイルがこんぐらかってしまったらしく、読むべきメールを大慌てで探し回っている様子だが、そんなことはそぶりにも出さず、平静な声の調子でしゃべり続ける。それを覗いていると、共演の若い女子アナが冷たい目線でぼくをにらみつけ、目が合ってしまった。
2005年07月24日
7月24日の夢(映画の主役をあきらめる)
「指輪物語」級の名作ファンタジーの映画化に参加し、ぼくもその映画に出演している。物語の舞台は大河を航行する大きな船で、川の上で物語が進行していくのだ。ぼくは手に何枚かのカードを持っている。その中には原作者からの招待状がある。その手紙を持っていれば、ぼくはこの物語で主人公を演じることができるのだ。ぼくはそのことに大きな喜びを感じる。しかし、もう一度その手紙を見ようと、手の中のカードを何度も改めてみるが、どうしても見つからない。それに今日の3時からは東京で別の仕事の約束があった。それをすっぽかすわけにはいかないだろう。今から東京に戻ればなんとか3時に東京に戻れるはずだ。ぼくは後ろ髪を引かれる思いで、撮影現場を離れる。
2005年07月23日
7月23日の夢(地震の予知夢かも)
我が家の書物庫のような部屋(実際にはない)に四人の若者たちが遊びに来ている。そのうち四人は暴れだし、部屋に置いてあった本棚を二つとも倒してしまった。ゴーンというものすごい音が響き渡った。一人の後頭部に本棚の角がまともに当たったらしい。もう一人の若者もどこかをぶつけたようだ。ぼくは急いで駆けつけ、「やったのは誰だ?」と怒鳴る。やったとおぼしき男は口を開かない。ぼくは妻を呼んで布団を敷いてもらい、二人の負傷者をとりあえず寝かせる。そして、ぼくは「車で病院に連れていく」と宣言する。軽傷者の方の男は「俺はいい」と言う。そこで犯人の男に運転をさせて、とにかく皆で病院に向かう。
2005年07月21日
7月21日の夢(4番で監督)
大リーグの2チームの対戦を紙上で再現する記事を書くことになった。街の中の公園のようなところに、両チームの選手が3人の女性をはさんで向かい合って座っている。片方のチームの監督(といっても長髪で、30代か40代の若いハンサムな男)が立って、1番から9番までのラインナップを発表する。ぼくはそれを聞き逃すまいと必死でノートに筆記する。1番から3番までを読み上げたところで、監督はにこりとして「そして4番はぼくだ」と言う。えっ、4番が監督兼任なのかとびっくりする。9番バッターはピッチャーではなくOH(DHではなく)で、幅公一という日本選手だという。
2005年07月20日
昨日(7月19日)のバスの夢
バスにのって妻といっしょに出かける。バスの中は小さな劇場か映画館のような感じで、舞台に向かって最前列の椅子には女性詩人のAさんやSさんらが全員、白地に赤い小さな模様を散らせた金魚のような浴衣を着て座っている。ぼくもその列に座る。ぼく以外は全員女性だ。そして気付くとぼくも金魚みたいな柄の浴衣を着ている。みんなで「お揃いだね!」と言い合う。
2005年07月18日
7月18日の夢(泣き虫カメラマン)
カメラマンと一緒に坂道を上ってY社のビルに行く。実際の場所とは全く違う、うらぶれた一角にクライアントのビルがある。そこで商品撮影をした後、坂道を下って二人で帰る。
別の日、カメラマンが納品にやってきた。35ミリのポジフィルムに、坂道をとぼとぼと歩いているぼくら二人が水彩で描かれたイラストが複写されている。両側に緑の山が描かれ、真ん中を市電が走り、犬や猫の姿もある。そして、黒いリュックを背負ったぼくの姿もちゃんと描かれているカットを気に入り、ぼくは満足して「このカットにしよう」と言う。
だが、カメラマンが帰りかけたところで、ふとぼくは気づいて言う。「待って。このイラストでは両側に山しか描かれてないよね。でも、あそこは街の中だから、これではおかしいとクライアントに言われかねないよ。この担当者はクライアントの中でも一番厳しいと言われる有名な女性だから」。すると、カメラマンはひげ面に大粒の涙をこぼして、いきなり泣き出す。「最近、ぼくが撮影すると、もう一度こういう角度から撮影してとやり直しばかりさせられて、フィルムがなくなってしまうこともあるんだ」と訴える。ぼくはあっけにとられるが、ここで折れてもクライアントにどうせやり直させられるのだから、また同じ説明をカメラマンに繰り返す。彼は気を取り直して、笑顔をつくり、「わかりました。じゃ、今度までにやり直してきます」と明るく言う。
彼が立ち去った後、急にぼくは不審な気持ちになる。彼はカメラマンなのだから、このイラストの責任は彼ではなく、ぼく自身にあるのではなかったか? しかし、ぼくはそんなことを考え込むのをやめ、大量の書類を大封筒の中にばさばさとしまい込む。書類は封筒からあふれ、なかなか入りきらない。ぼくはドアをバタンと閉めて、遅い昼食をとりに出かける。
2005年07月17日
サバイバルする二つの夢
大きな別荘のような建物に会社の同僚たちと泊まっている。花火を見てみんなで喜んで騒いでいると、反対側の空がにわかに怪しくなり、大嵐が押し寄せてくる。床に伏せたり、壁に隠れたり、みんな精一杯身を隠したのだが、あっという間に壊滅的な被害に遭い、ほとんどの人が死んでしまった。ぼくは辛うじて生き残り、呆然としていると、玄関に黒塗りの乗用車が横付けし、目つきの悪い男たちが降りてきて、ぼくに「車に乗れ」と言う。「生き残った人に証言してもらい、記録に残さなければいけないから」と言う。
車は坂を下りていき、街の中に入る。そこには露天に横に長いテーブルがしつらえられてあり、すべての席に役場にあるような三角の名札が立てられている。ぼくの名札もある。既に多くの男女が席についていて、談笑している。この名札のある人は生き残った人たちなのだと思い、ぼくは自分の知人がいないかと必死で名札を見ていく。しかし、ぼくが知っている名前はたった一つだけだった。それは長老詩人のA氏の名前だったが、本人はまだ到着していない。ほかに知人の生存者はいないらしい。
親指ぐらいの小型のワニを畳の上で飼っている。いたずらにワニの口に耳掻きを突っ込むと、怒ってワニは耳掻きに食いつき、竹製の頭の部分がパリンという音と共に砕け散った。小さなワニだからと多寡をくくっていたが、怒ってぼくに食いつこうとするので、大判の写真集(ロシアのピアノの巨匠リヒテルの写真集)をワニに何度も叩き付ける。さすがのワニも白い体液を腹から出してぐったりしてしまった。しかし、高価な写真集がワニのはらわたで汚れてしまったなあとがっかりして、それに気をとられているうちに、ワニはまた元気を取り戻し、ぼくに食いつこうとする。不意をくらったぼくは何かにすがりついて、床から両足を離し、空中に逃れようとするが、ワニは執拗に30センチも空中に跳び上がっては、ぼくに食いつこうとする。写真集も手放してしまったし、ぼくはワニと闘うすべがなくなってしまった。
2005年07月16日
7月16日の夢(鼻の穴地下道)
駅の地下道から地上に出た後、また駅に戻る。地下道への入り口は、さっき出たときは普通の階段だったのに、今度はチューブ状の穴になっている。人一人がやっと通れるような太さのトンネルが二つ、ちょうど鼻の穴のように左右に並んでおり、しかも真ん中の壁がなく、くっついているのだ。そこに体をねじ込むようにして入れ、左側の穴を滑り台のようにしてなんとか滑り降りていく。
講演会のような場所で、チームを代表してぼくは研究発表をしている。もう何度もいろいろな場所で発表してきたので、すっかり慣れて度胸もつき、今度も絶対成功すると思っている。ところが、いざ立ち上がって発表しようとしたところで、原稿を忘れてきたことに気づいた。えーっ・・・と言ったまま、言葉が出ない。不自然に長い沈黙の後、口からでまかせで「私たちは夢というものについて、長い間研究してまいりました・・・」というようなことを、いかにも落ち着き払ってしゃべる。しかし、その後が全く続かないので、立ち往生してしまう。
2005年07月15日
7月15日の夢(垂直の階段)
デパートの階段を下りていく。一階から外へ出ようと思ったのだが、一階には出口が見あたらず、そのまま地下まで下りる。ここは地下二階なのだろうか。最後の階段は完全に垂直で、そのかわり真ん中より少し右のところに金属棒が設置してある。この棒を握りしめて、垂直の階段を下りろということらしい。
下りたところは、広大なバイキングレストランだ。ハムとスクランブルエッグを混ぜた大皿など、おいしそうな料理がいっぱい並んでいるが、既に席は客でいっぱいである。ぼくは外へ出たいだけで、食事をしに来たわけではないので、そのまま足早にレストランを通り抜けようとする。と、突然変なじいさんがやってきて、ぼくの手に自分の手をそっと重ねるので、ぎょっとする。どうもホモのじいさんらしい。不快なので振り払うと、「あっ、失礼」と言う。さらに進むと、待望の出口だ。地下のはずなのに、ちゃんと地上に出ることができた。
2005年07月13日
7月13日の夢(映画プロデューサー)
ぼくは映画プロデューサーで、「ポケモン」の新作を実写映画として制作中だ。もう撮影もほぼ終わりかけているのだが、宣伝の話題づくりのため、今から出演者の公募オーディションを行うことになる。部屋にこの作品の監督二人(なぜか二人)を呼んで、意見を聞く。監督のもとに、既に250人ほどの応募者のリストがあるという。「じゃあ、一人二分半の面接をするとして、全体で二時間半ですね」
(どういう計算だ?)と、ぼくは言う。それならさらに公募で400人くらいまで増やせばいいと思う。
監督二人との面会が終わり、次の予定はイラストレーターのSさんとの打ち合わせだ。こないだは社内の打ち合わせ室がすべていっぱいだったので、外で会わなければならなかったが、今日はクーラーのよく効いた社内で会えるので有り難い。……と、ロビーで彼女の到着を今か今かと待っているが、全然現れる気配がないので、しかたなく自分の部屋に戻る。
2005年07月12日
7月12日の夢(電車と写真館)
どこか沖縄のような亜熱帯の気候の街で電車に乗っている。もうすぐ駅だというのに、電車は停車してしまい、なかなか動かず、車掌からの車内放送も全くない。窓から見える目の前の信号が赤から緑に変わり、電車はようやく動き出した。左にカーブしていくと、右側にすぐ目指す駅が現れた。ものすごく時代物の黒塗りの商店建築で、ほとんど国宝級の感じの駅舎だ。
ぼくはこの街の学校の講堂で行われるお芝居を見に行くつもりで、1時間前に電車に乗ったのだが、途中で電車が遅れたため、開演まであと15分しかない。おまけに駅から出ているとばかり思ったバスもなく、会場まで歩いていかなければならない。
どうやら徒歩で、なんとか時間前に会場に着けた。大広間のようなところに荷物を置いて、腰を落ち着ける間もなく、急いで講堂に向かう。と、ここで夢の筋書きが変わってしまい、会場は古い写真館になっている。やはり年代物のなんだかごちゃごちゃした玄関は無人だが、ここでは写真館の老主人が撮影した古い写真が展示されていて、入口でその写真を絵葉書にしたものを土産物として、セットで持ち帰ることができる。セットは二種類あり、ぼくをはじめとする殆どの入場者は左側のたくさんプリントの置いてあるセットを集めるが、一人だけ右側のセットを集め始めた男がいた。しかし、彼の選んだセットには在庫の切れているものもあり、完全には揃わない。困ったなとみんなで騒いでいるところに、老主人とその夫人ら家族の人たちが二階から階段を降りてきた。彼らは一階の別の部屋へ向かおうとするが、ぼくらは「ちょうどよかった」と彼らを呼び止め、こちらのセットの在庫を尋ねようとする。
2005年07月09日
昨日(7月8日)の夢(循環する水)
田舎の今は空き家になっている親戚の家に上がり込み、勝手に寝てしまう。朝になると、誰にも知らせなかったのに、親戚の子供たちがちゃんとやってきて、歓待してくれた。居心地がいいので、そのままこの家に住みつくことにする。
妻といっしょに、その家の二階の窓から集落を見下ろしている。家並みをめぐる道路には水が流れている。一段高い道路は左から右に、それと隣り合って一段低い道路は右から左へと水が流れているが、二つの水流はけっしてお互いの流れを乱すことがない。こうして、村の道路を水は循環し、不要なものは村の外へ流し出し、必要なものは中へ運び入れるのだ。なんて精妙な水の循環なのだろう。「水が豊富だね」と、ぼくは感心して妻に話しかける。
窓から見下ろせる向かいの家は村の寄り合い所になっているらしい。道路を村人たちが何人かやってきて、ぼくらのすぐそばを通って、その家に入っていく。ぼくらは彼らに見つからないよう、その場で石のように体を固くして、気配を消そうとする。しかし、ぼくのすぐ脇を通り過ぎたおばさんがいて、さすがに彼女はぼくの気配に気づいたらしい。しゃべっていた会話をふと止めて、じろりとぼくの方をにらむ。
2005年07月07日
7月7日の夢(水力式自動券売機)
ある私鉄の駅にやってきた。自動券売機は巨大なガラスケースに入った路線地図。コインを入れて、目指す駅のボタンを押すと、切符が買えるらしい。地図の大きさの割に、駅の数は少なく、値段も80円、90円、100円と、かなり手頃だ。ぼくはうっかり買いたいのと違う駅のボタンを押してしまい、周りにいた中学生の少年達のグループに「違う、違う」と注意される。
今度こそ正しいボタンを押せた。するとその駅名のところから切符がポンッと出てきて、コンベアのようなものに乗って運ばれてくる。いやにゆっくりとした動きで、時間がかかると思ってよく見ると、切符を運んでいるのはベルトではなくて、ちょろちょろとした細い水の流れだ。自然の力で、この機械は動いているのだと分かる。
ようやく出てきた切符を持って、カメラマンのM氏や同僚の女性社員Oさんらと改札口に向かう。しかし、何か切符の感触が変だ。四つ折りにされた切符を開けてみると、それは大きな切手シートのような感じ。ミシン目によって4枚ほどの切手のような切符がつながっているが、周囲がびりびりと破損していて、これでは自動改札が通れそうにない。改札口にいたニキビ面の少年のような駅員にそれを見せると、彼は威張り腐った調子で「こんな切符をうちの駅で売るわけがない」と、いかにも馬鹿にした様子で言う。ぼくは慌てて、先に行ったOさんを呼び戻し、この切符をまさしくこの駅の自動券売機で買ったことを証言してもらう。周りにいた中学生たちも口々にぼくの言葉の正しさを裏書きしてくれる。(Mカメラマンは知らぬ顔をして、さっさと行ってしまった) それで、駅員もようやく納得してくれた。
なんとか電車に乗り、目指す駅で降りて、いつも薬を貰っている医院の入口を入ろうとするが、なんとシャッターが降りている。せっかく来たのに、休みだとは! いや、この様子ではどこかへ引っ越したか、廃業したのかもしれない。ひどい。ぼくに知らせずにやめてしまうなんて! ものすごいショックに打ちのめされたとたん、目覚ましが鳴り渡る。
2005年07月06日
7月6日の夢(取材旅行)
妻と地方へ車で取材旅行に行く。快適な道路を走りながら、妻が携帯電話で取材先と話している。「○○橋へ行くにはどうすればいいの?」 その瞬間、行く手の道が二手に分かれ、レインボーブリッジのような大きな吊り橋が現れるが、ぼくらの車はあっいう間に分岐点を通り抜け、○○橋には通じない方の道路へ走り込んでしまう。
現地に着き、鄙びた街並みのいろいろな店を妻といっしょに撮影して回るが、ぼくは自分の持つデジカメの使い方がよく分からず、うまく写せない。
妻がある店に行って、「スーツを注文しよう」と言う。ぼくはてっきりそろそろ子供から大人になりつつある息子のために、初めてのスーツを造ってやろうという意味だと思っていたが、妻の意図はぼくのためのスーツということだったらしく、店の中からぼくを呼ぶ。いかにも田舎の雑貨店という感じの暗い木造の店内には、ほかに何人か地元の客がいて、小さな幼児も混じっている。その子供が我慢しきれず、そこでおしっこを始めた。ものすごい勢いのおしっこだ。慌てて店外に飛び出すが、足に少しかかってしまった。
2005年07月05日
7月5日の夢(かくも長き不快)
京都駅で新幹線を降りようとして、デッキに出る。ドアが開いたところで、自分が何の荷物も持っていないことに気づく。しまった。大きなスーツケースをデッキ脇の棚(成田エキスプレスと新幹線の構造がごっちゃになっている)に置いたままだったのではないか、と思い出す。今から取りに戻ろうか、それともセレブらしく、自分は空手のまま赤帽さん(そんなのもういないと思うが)を呼んで、運んでもらおうかと一瞬迷うが、とりあえずデッキに戻ってみる。しかし、スーツケース置き場の棚にぼくの荷物は見当たらず、掃除のおばさんたちが忙しく立ち働いているばかりだ。ホームに連れの女性がいるのを見つけ、ぼくの荷物のことを尋ねてみるが、要領を得ない。そうだ。あのスーツケースには「かくも長き不快」というものが入っていたはずだと思いつく。
田舎にヴァカンスを過ごしに来て、鄙びた郷土料理屋の奥座敷のようなところで、誰もいないのを幸い、木製の大きな座卓の上に手足を伸ばして寝転がる。天井を仰いで、ぎょっとする。天井に、まるで重力が反対になったみたいに、この店の若夫婦が頭を下に足を上に、逆さに座ってぶら下がっているではないか。しかも、その姿が妙に小さい。ということは天井が驚くほど高いということだろう。「うわあ。この部屋って天井が高いんですね」と、ぼくは間抜けな声を出すが、彼らを見ているうちにまるで自分が遙かに高い天井にへばりついて、彼らを見下ろしているような錯覚におちいり、とても気分が悪くなる。「そうなんですよ」と二人は言いながら、ぼくのそばに降りてきて、「少し風に当たりましょうね」と言ってくれる。しかし、窓を開けてくれるのではなく、大きな送風機にスイッチを入れて、ぼくの顔に風を当ててくれる。自然の風でないことがちょっと不満だが、少しは気分が良くなった。
2005年07月04日
7月4日の夢(不機嫌な印刷屋)
朝、会社に出勤する前に、ぼくが編集委員をしている「S誌」の編集部に立ち寄り、同誌の割付原稿を印刷所に入稿しようとしている。印刷屋の営業担当者は中年の男で、ぼくの写真のキャプションの入れ方が気にくわないらしい。ぼくは横組みで、キャプションの左右に余白を作るようにしているのだが、それは旧式なやり方で、今は縦組みで、しかも一切余白を作らないのが主流になっているという。「なぜかというとですね」と、彼は不機嫌な声で言い、デスクの上に自説を立証するための資料を無言で並べ始める。編集部の人たちはみんな、しーんとしてしまい、あたりに冷ややかな空気が流れる。壁の掛け時計の針がどんどん8時へと近づいていき、ぼくは焦り出す。書棚から適当に2,3冊本を抜き取って、横組みのキャプションの例をみんなに見せようとするが、なぜか手にした本のキャプションは全部縦組みだ。しかたなく、ぼくは自分の感情を精一杯抑えて、「あなたの思うようにやっていいよ。でも、できる限りぼくの希望も入れてくれないかな」と、声を絞り出すようにして言う。そして、相手の返事を待たずに、隣の部屋へのドアを開ける。
隣の部屋は「S誌」編集委員会の部屋で、真ん中に大きなデスクがあり、それに向かって数人の編集委員がやはり黙々と仕事をしている。一番奥に座っているのは編集長のM氏だ。ぼくは自分の椅子にどっかりと腰を下ろす。この部屋はトイレでもあるので、この椅子に座ったまま、用を足してもよいのだ。ごそごそと用を足すぼくを編集委員のみんなは、見て見ぬふりをしてくれる。
2005年07月03日
7月3日の夢(海の幸弁当)
今日はお正月休み明け、最初の出勤日だ。町田の玉川学園(この場合は地名)に住む英語の先生に原稿依頼をしようと、電話に手を伸ばすが、電話帳には同じ名前の人物が二人いて、どちらが目指す相手なのかはっきりしない。引き出しから自分の手帖の住所録を取りだし、確認しようとするが、そこにはその名前は載っていなかった。当惑するが、時計を見ると、もう12時15分過ぎだ。とにかくお弁当を食べてしまおうと思う。
お弁当は年末の休み前に買い込んでおいたもので、新鮮な海の幸だ。ナマコのような海底に棲む生き物が、生きたままパックに入っている。10センチから15センチくらいの大きさのものを2匹取り出し、小皿に入れてお醤油をかける。長い休みがあったのに、よく生きていたものだ。それにしても、いくら新鮮とはいえ、よくこんな食材を買い込んだものだと、自分に呆れる。一匹は上半身を振り回して、盛んに暴れる。包丁かナイフがあれば、小さく切って食べられるのだが、こんなに暴れるものをデスクの上で食いちぎるのは無謀だ。そちらを食べるのはあきらめて、おとなしい方を口に入れ、なんとか噛みちぎろうとするが、そいつはお餅のように長く伸びて、とても噛み切れそうにない。
2005年07月02日
7月2日の夢(コウモリ男)
バットマンのようにコウモリの翼をつけて、大空を飛行している。だが、これは未来の自分の姿で、ぼくはそれにチャネリングしているだけだ。同じような翼をつけたコウモリ男が、空を滑走してきて、ぴたりとぼくの傍らに並んで飛ぶ。やつは男のくせに、ぼくに懸想しているらしく、ぼくが空を飛ぶといつも現れて、一緒に飛ぶのだ。体を寄せてくる男がぼくはとても気持ち悪いので、チャネリングを切って、現在の自分に戻る。現在の自分は部屋のベッドの上だ。だが、うっかり掛け布団の中に腕を突っ込むと、見えなくなった腕の先だけが未来にチャネリングして、すっぽりコウモリ男の唇におおわれてしまったのを感じる。うえーっ、気持ちが悪い! ぼくはオカマ・コウモリ男の口から腕をもぎはなそうと振り回すが、タコに吸い付かれたみたいで、ぼくの腕を男の口から抜くことができない。
2005年06月29日
6月29日の夢(宙に浮く洋服)
街で洋服屋を開業した。見渡す限りの空間に、商品のジャケットが無数に浮かんでいる。吊り下げられているのではなく、文字通り空中に浮いているのだ。
2005年06月27日
6月27日の夢(南米のタクシードライバー)
ぼくは南米のようなどこかの国の街で、タクシーを運転している。無線で仲間の運転手と交信する。「俺のクライアントはこの道をバックで逆送しろと言うんだよ」。ぼくは正体不明のクライアントに操られているのだ。とりあえず命じられた通りバックで進み、それから前進して、ほかの車の反応を探る。無関係の車ならぼくがバックをやめたことで、安心して走り出すはずだ。それとかかわりなく猛スピードで直進してくる車があれば、それがクライアントの乗った車に違いないと、ぼくは考える。
気がつくと、ぼくの前をカップルが手を取り合って歩いている。それを危うくかわして前進したが、ぼくの車のタイヤが女性のスカートを踏んでしまった。その女性があげた叫び声を、ぼくの車の後部座席に乗った女が聞きとがめる。彼女の言葉が、クライアントの言葉とそっくりだと言うのだ。それを聞いたぼくは、車を反転させ、さっきの女を猛然と跳ねとばす。その衝撃で、ぼくの車は道路脇の店の中に突っ込み、後部座席の女は衝撃で車から放り出されてしまった。ぼくは動かなくなった女を夢中で抱きしめる。その女は実はぼくの母だったのだ。
2005年06月26日
6月26日の夢(四谷の米軍基地)
ぼくの所属する草野球のチームに、元ジャイアンツのクロマティ選手に加わってもらおうと思い、勧誘に出かける。彼が住んでするのは四谷にあるアメリカ軍の広大な基地の中だ。基地に入ると、丸太でできた小さな小屋がちくさんある。窓ガラスさえない、原始的な小屋だが、これはみんな独身のアメリカ兵のものだ。原始的でも、全員が個人の家を持っているのは、さすが個人主義のアメリカだと感心する。クロマティ選手は快くぼくの誘いに応じて、草野球チームに入ってくれるという。
ビルのワンフロアが仕切られて、急ごしらえの舞台のようになっている。明日から劇団の地方公演が始まるので、そのリハーサルをやっているのだ。ぼくはその裏方なので、舞台の裏で俳優たちの科白に耳を傾けていると、総務のS氏がやってきて、「明日の航空券は大丈夫でしょうか?」と尋ねる。そういえば明日の飛行機は朝8時半の早朝便なのだ。地方公演を取り仕切っている中年の女性が、いつものように航空券の手配をぬかりなくやってくれているとは思うが、今日は彼女が病欠なので、ぼくにもはっきり分からないと、S氏に答える。
そこへぼくが講師をしている某詩の研究会メンバーのH氏がモバイルのコンピューターを携えてやってきた。研究会では超問題児だったH氏だが、その後コンピューターを使ったデザインの世界で才能を発揮し、うちの会社でも彼にいろいろ仕事を依頼しているのだ。コンピューターを立ち上げて、彼の作品を見せてもらう。H氏もつくずく変わったものだと思う。
2005年06月24日
6月24日の夢(大雪)
ぼくは船で海に出ていた。夜、「これから帰宅する」と家にカエルコールをする。ぼくも、電話に出た妻も簡単に帰宅できると信じていたのだが、突然大雪になってしまった。浜に着いたものの、交通機関は止まってしまうし、歩き出してもものすごい積雪で這うようにしか進めない。それでも、ぼくがこんなところで雪に埋もれていることは、妻も誰も気づいていないのだ。ぼくは死にものぐるいで、もがきながらなんとか家に向かおうとする。
真夜中、家にいると、外から女が呼ぶ声がする。好色家として知られていた、ぼくの叔父(実在しない)を呼んでいるのだ。しかし、叔父はもうとっくに死んで、この世にはいない。
2005年06月21日
6月20日の夢(人類絶滅間近)
未来の地球。人類は既に絶滅しかかっており、テレビ局は残り少なくなった家庭一軒一軒を顧客として大切にしている。ある家庭でお手伝いさんをしている少女は、毎年のように勤め先の家を替わり、家から家へと渡り歩いている。テレビ局では、この少女が働く家庭を主人公とするテレビドラマを制作した。それはその家族が一家全滅してしまう物語だ。番組が放映されたとき、彼女の姿が見えない。また家を替わったのかと思ったが、ひょっと顔を出した。まだいたのだ。
2005年06月19日
6月19日の夢(自動改札)
何かのパーティーに出席するため、新宿駅まで来た。改札を抜けようとして、胸ポケットにあるカードを次々と取りだしてみるが、どれで出発駅の改札をくぐったのか、分からなくなってしまった。カードの裏の印字を見れば、出発駅が刻印されているので分かるはずだと思い、1枚1枚丁寧にチェックしてみるが、該当するものがない。改札口の向こうには同じパーティーに出るらしい和服の女性たちがもう集まっている。でも、まだ始まるまで時間があるはずだから、落ち着いてゆっくり調べようと自分に言い聞かせ、もう一度1枚1枚見ていくが、やはり見あたらない。
たまたまポケットに1枚の乗車券が入っていた。いつどこで買ったものか分からないが、これを精算機にかけて不足額を精算すればよいと思いつく。しかし、精算機が見あたらない。改札の駅員に「精算機はどこですか」と尋ねると、駅員はあいまいに駅の外を指さして、「あそこにあることはあるんですが、実はあまり正確じゃないんですよ」と苦笑いをする。それなら、この駅員に精算してもらおうと思い、ポケットから適当に1枚のカードを渡すと、駅員は不審そうに顔をしかめる。なんと、そのカードは1997年に使って以来、一度も使用されていないというのだ。ぼくは駅員にすっかり不審者扱いされてしまい、容易には改札を抜けられそうにない。
2005年06月18日
6月18日の夢(テロップ係)
ぼくはテレビ局に勤めていて、番組の画面にテロップを入れる役目をしている。次々といろいろな場面が出てくる度に、それに合わせて画面の下に、数行でいかに気の利いた字幕を流すかが腕の見せ所だ。
それは音楽番組で、画面では新人の女性クラシックピアニストが演奏を始めた。あれは音楽ライターとして、ぼくと一緒に苦労していたIではないか。成功したのだ。良かったなあと思う。彼女の名前をテロップで流そうとして、手元の資料を見ると、彼女の本名が書いてある。あれっ、彼女の芸名は別の名前ではなかったっけ? 思わず声に出してしまったらしく、番組の出演者としてぼくの傍で待機していたベテランの女性ピアニスト(小川典子さんだった)が「そうよ。クラシックのピアニストが芸名を使うときは、本名とは全く違う名前にするのが普通よ。よーし、あたし絶対言ってやるからねー」と言う。名前を間違えたアシスタントディレクターのことを、番組のプロデューサーに訴えてやると息巻いているのだ。
場面が変わって、この番組の女性司会者が画面に登場した。彼女の前のテーブルには緑色をしたミニチュアの小山のようなセットが置かれている。彼女は緊張してあがっているらしく、「坂本龍一さんから7月になったら、きっと貰えると思ったら、やっぱり送られてきました」と、なんだか意味の分からないことを言うと、緑色の半球形に先のとがった長い柄の突いたもの(柄の長い蝙蝠傘のようなもの)を何本も持ってきて、それを小山にブスリブスリと刺していく(ミニチュアの小山に樹木の模型をいくつも植えたような感じ)。すると、かたわらにいた何人かの女性がそれを小山からまた引き抜く。それで、その緑色をした半球形のものは針山であることが分かる。彼女たちはそこから糸のついた針を抜いて、一斉に縫い物を始める。
この場面は女性司会者があがって、しどろもどろになり、あまりにも意味不明になってしまったので、司会者グループの一人である若い男性が彼女に、「ぼくは頭が熱くなり過ぎて、よく分からなかったんですけど、今の場面はこういうことだったんですかねー」と助け船を出して、懸命のフォローをする。
2005年06月17日
6月17日の夢(巡礼)
某現代詩人会主催の大がかりな詩祭が今年はとてつもなく変わった場所で開催された。ローマかギリシャの古代遺跡を思わせる、古い石造りの野外劇場で行われたのだ。ぼくは最初、左側前方のステージに近い席に見知らぬ女性といっしょに座っていたが、「あなたはここにいるべきではないのでは?」と彼女に言われ、立ち上がってほかの席を探しに行く。しかし、4〜5人ずつ単位に仕切られた席は満席ではないとしても、どの仕切にも必ず何人かが座っていて、空席も帽子が置いてあるなど誰かがいる気配である。これではどこにも自分の居場所がないと感じて、会場の外に出ると、会場の外壁を登っていく石の階段を見つけた。それを登ってみると、二階席・三階席の背後からステージを見下ろせる、会場の一番奥の一番高い場所に偶然出ることができた。
会場を出たところで、学生時代の詩のサークルで先輩だったO氏をはじめ、何人かの仲間と出会い、この少し先にパゴダのようなものがあるから、そこまで行こうということになる。地図を頼りに出発するが、道は迷路のようだし、異様な生き物や盗賊に襲われたりして、冒険を重ねるうち、メンバーはだんだんバラバラになる。どうやらここはイスラエルとパレスチナのせめぎあうあたりらしい。ひとまず路傍の小屋に入り込み、一息つこうとする。ふと気がつくと、手に黒い大きなバッグを持っているが、一番大切なものを入れてあるリュックを持っていない。ドキッとする。だが、よく考えると、リュックはちゃんと背中に背負っていたのだった。
夕方になり、ぼくらは宿に泊まることにする。バラバラだったメンバーが再びここに集結する。宿はフローリングの部分もあるが、部屋の部分は畳敷きだ。ここはシモンという都市だと聞いているが、こんなところにも日本人旅行者のための宿があるのだろうか? ぼくらのリーダーはもうかなりの年だと思われる関西弁をしゃべるおばあさん。夕食前に彼女の日本での苦労話を聞いたり、お互いに身の上話をしたりする。部屋の一方は池に面している。というより、この宿は池の上に建てられているらしい。反対側は中二階のように高くなっていて、その窓からは大きな広場とそこから伸びる車の走る街路が眼下に見下ろせる。どうも建物のこちら側は、この広場の上に建てられているらしい。もうすぐ夕日が沈む。さあ、食事をして、眠ろう。明日はようやく最終目的地のパゴダに巡礼することができるだろう
2005年06月15日
6月15日の夢(自殺常習者)
自殺衝動を抑えられずに神経病棟に入院している若い男性と向き合い、その話を詩人のN・F氏とぼくとで聞いてやっている。その若者の主治医をしている若手医師自身も実は自傷行為の常習者だという。この自殺常習者の男の話は長いのが欠点だが、「ぼくにとってそれを聞いてあげるのは少しも苦痛ではないよ」と、男に言ってやる。
すると、男はいろいろな植物の名前を沢山挙げた上で、自分が好きな順番にその植物のリストに番号を振っていく。N・F氏はそれが我慢ならないらしく、「ほら、そうやって好きな順番をつけるところが、あなたのいけないところだ。植物に順番なんて要らないんだ。人間に順番がつけられないのと同じように」と批判する。ぼくは彼の言い方に反発を覚えながらも、「なるほど、その通りだなあ」と思う。
そのN・F氏の書いた教科書に、一個所空欄になっているところがある。そこに当てはまる単語をぼくは当てなくてはいけない。みんなは分かっているみたいなのだが、ぼくはどうしてもそれが分からない。「待って! 待って!」と言いつつ、ぼくは焦って「遺伝?」「心?」「性格?」と、いろんな言葉を当てはめてみるが、それらは皆間違っているらしい。
2005年06月14日
6月14日の夢(バスの中の座敷)
観光バスが何台も道路に停まっている。劇場へ連れて行ってくれるバスだ。ぼくらは数人のグループで、これから観劇に行くところ。人数を運転手に告げて、乗り込む。車内には畳敷きで床の間もある座敷が三つ並んでおり、どの部屋もたくさんの座布団が置かれている。既に何人かの乗客が座布団に座っており、ぼくらは真ん中の部屋に座ることにする。
劇場に着いた。客席にはテーブルが置かれ、そこにはおいしいものが並べられて、食べ放題だ。ところが、食べ終わらないうちに捜査官たちがどやどやと踏み込んできて、ぼくらは何も分からないままに尋問を受ける。何か事件があったのだろうか。ともかくいったん外に出て、次の幕で入って、また食べればいいやと思う。
2005年06月13日
6月13日の夢(ホテルと教会付きの家)
息子とその嫁と、彼女の友人らしいもう一人の女性が、ぼくらの家に向かうため、満員の地下鉄に乗り込もうとしている。嫁は息子に「お腹が減った」と訴える。息子は「じゃあ、俺が何か買ってくる」と言って、電車を降り、女性たちには「乗ってて」と言う。
ぼくは自宅の玄関のドアをそっと開ける。自宅といっても、今の自宅とも、昔の実家とも全く違う。家の隣は我が家に付属するホテルになっていて、その前に嫁と連れの女性が立っているのが見える。二人は息子を待っているのだが、なかなか現れないので、二人はホテルに入る。
ぼくの部屋とホテルの彼女たちの部屋とは隣り合わせで、カーテンをかけたガラスの壁一枚で隔てられているので、二人の影がカーテンに写る。ぼくはその影に向かって、「よかったら今、校正を持っていくよ」と声をかける。しかし、彼女たちは今着替え中らしい。「じゃあ、後でロビーに持っていくから、声をかけて」と、もう一度呼びかける。
息子が嫁たちに「うちが教会を経営してたなんてなー。裏にあった建物が教会だったとは知らなかった」と言っている。そうなのだ。我が家はおんぼろホテルとおんぼろ教会を敷地の中に持っているのだ。トイレに入ると、窓から隣接する教会が見える。今にも倒れそうな、なんともみすぼらしい、木造の建物だ。その縁の下から、先端に水色の光が灯った細いチューブのようなものが出てきて、くねくねと動きながら、こちらを偵察している感じだ。
2005年06月12日
6月12日の夢(核戦争後の世界)
新潟に午後から出張することになった。3時半発の飛行機に乗ればよいので、会社でゆっくり旅支度をする。社内には大きなタンスがあって、その引き出しにワイシャツとネクタイが入っているはず。引き出しを開けてみると、ネクタイはあるにはあったが、白地に菜の花のような色彩の黄色いチェックの縞が入っているものしかない。これではあんまりだと思う。とにかくワイシャツに着替えて、鏡を覗く。びっくりだ。首の周りに鎖国時代の長崎出島の絵に出てくるオランダ人のような大きな襟飾りがついており、さりにその上の首にもばかでかい飾りがついていて、まるでエリマキトカゲのようだ。慌ててそれらの飾りをハサミで切り取る。ズボンをはく。ウエストが急に細くなったようだ。何度もベルトをぎゅっと締め上げたつもりでも、ズボンがゆるゆるになってしまう。周りに若い女の子たちがたくさんいるので、とても恥ずかしい。
そんな大騒ぎのあげくに、とにかく電車に乗る。核戦争があって以来、外の景色は一変してしまった。荒れ果てた砂丘の風景が広がるここが東京だなんて信じられない。汚れた長細い黒ずんだ水たまりがあり、そこに見たこともない水棲生物がうごめいている。放射能で突然変異してしまったのだろう。ぼくはほかの乗客たちにそれを指さして、「見て見て! 懐かしい! 昔の川のようだ!」と叫ぶ。
ある駅で、暗い顔をした一人の男が乗車してくる。彼は放射能の突然変異で生まれたミュータントの一種で、うっかり何か頼み事をすると、それを成し遂げるために命まで捧げ尽くしてしまう性質があるから、気をつけなくてはいけない。それなのに同僚のWくんが彼に何かを依頼してしまったという。これは大変なことになる、と直観したぼくは、ワタナベくんをタクシーに乗せて逃がそうとする。だが、それは確かにタクシーの形をしているものの、ただの鉄の箱(なんだか棺桶のようだと、夢の中で思う)で、自力で走行することができない。電車は地下を走っているので、ほかの乗客たちといっしょにぼくはその鉄の箱に入ったWくんを地上まで懸命に運び上げなくてはいけなくなる。こんなことをしているうちに、時間がどんどん過ぎてしまう。とても新潟行きの飛行機には間に合わないかもしれないと思う。
2005年06月11日
6月11日の夢(庭師)
家に帰ると、そこは名古屋の今はない実家だった。庭に小さな焚き火がされていて、そのそばで二人の庭師が地面に足を投げ出し座り込んで休憩している。そのかたわらで家の番犬も寝ている。いったん家に入ってからもう一度庭を見てみると、番犬はさらに図々しくなったようで、庭師の伸ばした足の上に枕がわりに顎を置いて寝ている。
母に「あの庭師はどうしたの?」と尋ねると、「6時には帰ると言っていたんだけどねー。でも、庭師賃はただなのよ。どうせ家には持って行かれて、困るような高価な薔薇も植えてないし、大丈夫よ」と言う。それじゃ、おやじの仕事の関係(ぼくの子供時代、父はゴルフ場の支配人をしていた)の庭師さんなんだね」と、ぼく。「そりゃそうさ。家で雇うわけがないよ」と母は言いつつ、「そういえば」と言って、写真を取り出す。「さっきこの子が遊びに来たんだよ」と、ぼくにいろいろな写真が細かくコラージュされたノート大のプリントを見せる。そこには若い女性の顔が二カ所くらいに印刷されている。それは「夢の解放区」創設当時のメンバーの景さんだ。ぼくはそれを見て、「研ナオコに似てるな」と思う(夢ではそう思ったけれど、目覚めて覚えていた顔は木村カエラに似ていた。現実の景さんは工藤静にそっくりだったけれど)。ぼくは「この子は昔は素朴な娘だったのに、結婚してからだんだん垢抜けてきたんだね」と、感想を述べる。
それから、ぼくが両腕にいっぱいの本を、まるで剪定した枝のように抱えて庭の方に行くと、ちょうど庭師たちが帰るところだった。ぼくは慌てて両手に抱えていた本を畳の上にどすんと落とし、彼らを見送りに出る。
2005年06月10日
6月10日の夢(天然米)
デパートへ行くと、珍しいお米を売っている。このお米は南洋原産らしく、サトウキビかトウモロコシのような太い茎に、葉っぱの殻に包まれて実るらしい。その殻もいっしょについたままのお米(「天然米」というらしい)が三段重ねのダンボール箱の一番上の箱に入っているのを、自分でカップに入れて買うことができる。健康にもよいらしいので、自分も買っていこうと思う。しかし、もう多くの客が買ってしまった後で、お米は底の方に僅かに残っているだけ。しかも、葉っぱや殻が多くて、カップですくおうとしてもなかなかカップがいっぱいにならない。二段目の箱にはまだいっぱい入っているのではないかと、その箱を覗いてみるが、そこに入っているのはトウモロコシかヒエのような実で、お米ではなかった。再び、一段目の箱を覗くが、そこにはお米ではなく、キャベツの葉っぱがいっぱい詰まっている。お米だと思ったのは見間違いだったのだろうか。お米なら、どうせ熊本にいる息子が送ってくれたのが家に沢山残っているから、買わなくてもいいや、と思い直す。
2005年06月09日
6月9日の夢(大津波)
どこかの高級マンションの見晴らしのよい部屋にいる。窓の外にはパノラマのように湾の風景が広がり、対岸にはニューヨークのような高層ビルの建ち並ぶ都市の風景が眺められる。気がつくと湾の入口に当たる左手から大津波が対岸に押し寄せ、超高層ビルのてっぺんまでが激しく白い大波濤に襲われるのが見える。「津波だ!」と驚いて、みんなに知らせるが、津波はあっという間に湾を渡って、こちらへ押し寄せてくる。目の高さより上に膨れ上がった海面がみるみる迫ってくる。これでは助からないだろうと観念する。だが、なんとか第一波はやり過ごした。第二波が来るまでに急いでさらに高いところへ逃げようとする。
2005年06月08日
6月8日の夢(第三の乳房)
船に乗り込む。遊覧船のような感じ。乗り込んだ全員にお酒が配られる。ぼくは飲めないので、気が進まないが、赤ワインのグラスを貰い、ちょっと口をつけただけで傍らに置く。司会者がみんなに「何を飲んでいるか」を質問し、お酒の種類を挙げて、挙手をさせる。ぼくは眠くなってしまい、目を閉じて寝ていたが、「赤ワインを飲んでいる人」と言われたところで、手を上げる。挙手をしながら目をあけると、ぼくのいる船室の奥は、司会者のいる前方より一段横幅が広がっている。これでは、ぼくの挙手がちゃんと司会者に見えたかどうか心配だ。次に司会者は「一カ月以上飲み続けた人」と言って、また挙手を求める。驚いたことに、女性を含め乗船者のほぼ全員が手を上げる。「おかしいですねえ。ワインはラッパ飲みできないし、1リットル以上飲むのは難しいはずですけどねえ」と司会者は苦笑する。船室の正面に大型スクリーンがあり、そこに柵原良平のようなタッチのアニメが映る。最初に、ワイングラスでワインをちょっとだけ飲む、上層階級の人たちのイラスト。それから、大きなワイングラスになみなみとついだワインをがぶ飲みしたり、ボトルからラッパ飲みする下層階級の人たちの戯画。
司会者はその画面に対して「この船の人たちは一日に平均してワインを7/5本くらい飲んでいるらしいです」と解説を加える。乗客の中にべろんべろんに酔っぱらった女性がいて、ぼくは上半身裸の彼女を抱きしめている。司会者が傍らで彼女にインタビューしているが、彼女の右の乳房は随分右にかたよってついている。左の乳房は胸の真ん中に近くついていて、左胸には小さいけれどもう一つ、第三の乳房がついている。
2005年06月07日
6月7日の夢(宇宙入植者の孤独)
遠く宇宙の果てまで人類は植民した。ぼくも宇宙入植者の一人だ。ぼくは小さな星に一人で住んでおり、隣人との間は、遙かな宇宙空間に隔てられている。もうすぐ祭の日が来る。ぼくは自分の星で行う祭りの計画書を書いて、宇宙に発信する。その計画書に関心を持ってくれる人がいたら、祭の日にぼくの星にやってきてくれるだろう。もしそうでなければ多分、ぼくは一年のうち一度もほかの誰かに会うことがない。祭の計画書を何度宇宙に発信しても、一生に一度も祭に隣人がやってきてくれない人だってあるのだ。
2005年06月06日
6月6日の夢(会社崩壊)
ぼくの会社で造反が起きた。元の会社はあっという間に崩壊してしまい、新たに若手の編集者が社長になって、別の会社に生まれ変わった。新しい社屋にできたオフィスにぼくも引っ越しをすることにする。ぼくはとりあえず奥から二番目の部屋に自分のデスクを置いて、仕事を始めたが、ふと気がつくと、新社長以下ぼく以外の全員は一番奥の部屋にデスクを置いており、ぼくだけがその部屋にひとりぼっちになってしまった。
いったん夕方退社して帰宅したものの、仕事が終わっていないので、夜もう一度出社し直す。だが、会社の入口は工事中になっている。玄関はうさぎの穴のように、すごく小さくなってしまっている。地面近くのその入口から身を屈めるようにして、ようやく中に入る。そして、自分の仕事について上司に確認をしてもらおうと、上司を捜すが、早めにみんな退社してしまったのか、誰も見当たらない。ところが、もう一度奥の部屋を見渡してみると、ほかに入口がないはずなのに、社長以下上司が全員戻ってきている。変だなあ。しかも、みんな忙しそうで、誰もぼくに注意を払ってくれない。困ったなあ。これでは8時を過ぎても退社できないや。
医者へ行く。入口は「男」「女」ともう一つよくわからない三つに分かれていて、入口を入ると滑り台のような感じで、地下にある待合室に降りることができる。待合室にあるベッドに寝て、順番を待ちながら、受付の人に、「よく目が見えなくなってしまった」と、自分の病状を説明する。受付の人はその症状を聞いて、「じゃあ、あの先生に診ていただけるか聞いてきてあげますね」と言ってくれるが、その先生というのは、90歳ぐらいのおばあさん先生なのだという。
2005年06月05日
6月5日の夢(オバサン化コースター)
大きなショッピングセンターへ出かける。初めての場所なので、地下鉄を出てから迷ってしまった。食事に来たのだが、店内に今若者たちに人気の遊具があるのを見て、つい自分も若いところを見せたくなり、それに乗ってしまう。それは一人乗りのジェットコースターのようなもので、乗っている間オバサンに変身できるというのが、受けているのだ。乗る前に、変身用に服と靴を取り替える。座席に乗り込むと、ちょうど目の高さに小さなパソコンモニターが降りてくる。その画面にオバサンの顔が映っていて、それとにらめっこをしているうちに自分もオバサン化していくのだという。それに乗ってコースを一周し、出発点に戻る。係員がもう若くはないぼくを労って「大丈夫ですか」と、心配そうに声をかけてくれる。
そのとき、ぼくはここで女友達のAに会う約束をしていたのだと思い出す。しかし、待ち合わせに指定された場所がわからず、ぼくは迷路のような巨大ショッピングセンターの中をぐるぐる歩き回る。そうだ。携帯で連絡をすればいいのだと思いつく。ようやくAと電話が通じた。だが、彼女は一週間後にどこかへ引っ越してしまい、もう永遠に会えなくなる……とぼくに告げる。
センターを出て、駅に戻ろうとする。方向がわからない。これでは家に帰れない。迷子になってしまった。
2005年06月03日
6月3日の夢(社長と昼食)
社長と一緒に一つの仕事をすませた後、次の訪問先を目指して、ぼくの実家のあった名古屋の覚王山(地名)へ来た。そのまま直行しようと歩き出すと、社長はぼくを呼び止め、駅ビルに上って食事をしようと誘った。「6階の店へ行くと、天麩羅が2枚食べられるそうだよ」。社長が食事に誘うなんて、珍しいなあ。しかし、天麩羅2枚の昼食かあ・・・。
2005年06月02日
6月2日の夢(地震)
地震の揺れで目が覚めた。大きくはないが長く揺れる。危ないから起きようと思うが、金縛りにあったようで、体が動かせない。やっと目が覚めると、部屋の中に二人の女性がいる。一人は若く、一人は年寄りだ。年寄りの女性は真っ白に顔をメークしているが、横から見ると、素肌とメークの部分の境目がお面をかぶっているように、くっきりしている。彼女はぼくの勤め先の出版社であるS社に「電話相談の者ですが」と言って、電話をする。S社には「電話相談係」というのが出来たらしい。以前から何度か彼女は電話相談をしているらしく、今回もその話の続きを始めるが、それは形だけで、本当は今の地震のニュースを聞きたいらしい。そこで、電話相談の担当者が受話器をテレビに近づけたらしく、テレビの音声が彼女の受話器から流れてくるが、ニュースはやっていず、吉本か何かのお笑い芸人の場違いな声が聞こえてくるだけだ。
いつのまにか二人の女性は、夫婦者に変わっている。ぼくが講師をしている詩の研究会のメンバーとして出会い、結婚したN夫妻にそっくりだ。そして、場所もどこかの医院の待合室に変わっている。
さらに場所は、安アパートの一室になり、二人は売れない若い男性漫画家コンビに変わっている。一人が相棒に「おまえ、最近うまくなったよな」と言う。コピーを取りに外出しようとする相棒に、さらに彼は声を掛ける。「だけど、ここのパースが狂っているぞ。本当はこういうふうになるんだ」と、自分で手本を描いて見せる。
投稿者 isshiki : 21:22
2005年05月30日
5月30日の夢(手のひらパソコン)
ぼくの職場(現実の職場ではない)に何人かの見学者がやってきた。ぼくには部下がいて、それは大学時代の詩のサークルで後輩だったTくんだ。ぼくは手のひらサイズの電卓のようなパソコンで文章を書いている。ふと見ると、見学者の女性がうるさくNくんに話しかけるので、彼は迷惑そうだ。ぼくはNくんに同情し、「疲れちゃうから、早く帰ったら」と退社を促す。彼は一瞬その言葉に驚いたようだが、「あっ? はあー」と言葉にならない言葉を残して、退社する。さて、ぼくの手のひらサイズのパソコンの画面には3字×3行だけ文字が表示できる。最初、画面は9字の平仮名でいっぱいになっているが、ぼくが「漢字変換」のキーを押したので、平仮名が漢字になった分、1行目と3行目の頭に1字ずつ空白ができる。
2005年05月29日
5月29日の夢(マンモス型戦闘機械など)
石原都知事と面談している。ぼくが「雨が好きなんです」と言うと、彼は驚いて「申請書は何時に出した?」と聞く。ぼくは改めてオフィスの窓のところに置いたカラー印刷の申請書を見に行ってから、席に戻る。「朝早く出したんですが・・・」 しかし、都知事はぼくの申請を一向に認可しようとしない。
ビルを反体制の活動家たちが占拠している。国際的な組織らしく、アメリカ人の男女が多い。彼らは二階の窓のベランダでギターをかき鳴らしながら歌をうたって、自らの主張をアピールしている。と、ビル街から不気味な長い2本の牙を持つ、巨大なマンモスのような戦闘機械が無数に現れ、ビルに向かって一列横隊に整列する。活動家たちは一斉に窓から逃げ散る。恐ろしいことが起こりそうな気配だが、ぼくはまだ逃げ出さずに歩道からその様子を眺めている。しかし、ついに恐怖に耐えきれず、走って逃げ出したとたん、大きな悲鳴がわき起こった。戦闘機械たちが一斉攻撃を始めたのだ。だが、ビルの壁を突き破って内部へ放たれたのは、殺人光線ではなく、単なる高圧放水だった。
映画の撮影をするため、夜、正方形の屋外ステージのような場所に登る。そこは道路から一段高くなった庭園のような場所だ。下に社長がやってきて、「見えないので、背の高い椅子をとって」と、ぼくに声をかける。そこで、ぼくはステージにある沢山の椅子の中から、背の高いものだけを選んで、いくつか下におろす。だが、思ったほど数がなく、残っているのは背が低かったり、子供用の小さな椅子ばかりだ。「困ったな」と思って、下を見下ろすと、社長は椅子に座って、もう別のことをしている。
はっと目が覚めると、タクシーの中だ。ぼくは座席で眠ってしまって、体が斜めになってしまっている。慌てて体を起こすと、若い運伝主は目的地についてもぼくが起きないので、困ってそのへんをぐるぐる回っていたらしい。車を止めて、ポケットからコインを出して、支払いをする。てのひらから溢れんばかりのコイン。その中から500円玉を二つと、その他のいくつかを運転手に手渡す。
そこはユースホステルで、中に入ると、まだ早い時間なので、がらんとした館内は受付のカウンターのところに、数人の外国人の女性がいるだけだ。受付の男性の顔を見ると、それはうちの社長だ。彼はぼくに申込書を渡し、そこに必要事項を書き込むように言う。申込書には「フォーク 要 不要」という欄がある。ユースホステルなので、箸やフォークなどはできるだけ持参するのがいいらしい。ぼくは「要」の方に丸をつける。宿泊者には一人に一個ずつ10センチ四方ぐらいの立方体の箱が渡される。中を覗くと、食器や裁縫道具など、ユースホステルで生活するのに必要なものが一式入っている。ぼくは申込用紙を箱の中に入れて、受付の社長に「泊まるのはぼくではなくて、女性です」と言う。社長は「じゃあ、調べなくてはいけないので、預かっておきます」と言って、ぼくから箱を取り返して、カウンターの中にしまい込む。
2005年05月28日
5月28日の夢(中国で虜囚に)
ぼくは中国の収容所で、カメラマンのU氏と共に、中国兵の監視下に置かれている。朝、起床時間が来ても、ぼくはなかなか起きられず、ぐずぐずしている。U氏はとっくに着替えをして、共同食堂に行ってしまった。中国兵がぼくを起こしに来て、宣言する。「これから咳をすると、あなた方の責任になりますから、気をつけなさい」。咳の音が銃の発射音にも聞こえるので、咳をすると即射殺されるおそれがあるぞという脅しらしい。これは心しなくてはいけない。
着替えをしに、部屋のすみの服置き場にいく。そこに同房者の服がひとまとめに全部乱雑に積み重ねられている。その中から自分のズボンを探すが見つからない。U氏が間違えて、穿いていってしまったのだと思う。ぼくは半裸のまま、そのことを監視兵に訴えようとするが、ふと気づくと、自分は既にズボンを穿いていた。間違えた。ないのはズボンでなく、上着の方だった。
2005年05月22日
5月22日の夢(沈没する部屋と犬)
目が覚めると、隣に犬が寝ていた。その犬が口からもどしたのではないかと思われる吐瀉物が、部屋中にばらまかれている。といって、それはどろどろの汚物という感じではなく、黒いインクの染みがまだらについたような汚れ方だ。ぼくが着ている白いTシャツも、まるで印刷したての活字の上に置いてあったみたいに、前後左右に規則正しく行列した黒い汚れの点々で一面におおわれている。
ぼくは慌ててそのTシャツを脱ぎ、上半身裸になる。そのとき部屋の半分は、まるで傾いて沈没しかかった船内のように水につかっていて、犬はその水におぼれかかる。ぼくは自分も水に落ちてしまわないよう、気をつけながら犬をなんとか救い出す。隣の部屋からは、妻の規則正しい寝息が聞こえてくる。ぼくはその犬が、ぼくの小さな息子であるような気がしている。
2005年05月21日
5月21日の夢(泣く夢)
パフォーマンスの出番を待っている。ぼくは唐突に、共演する女性に向かい、「ぼくの人生は間違いと、後悔ばっかり」と言う。そのとたん、夢の中のぼくではなく、夢を見ているぼくが涙を流し始める。
2005年05月16日
5月16日の夢(引き継ぎ)
二人の前任者から仕事を引き継ぐことになった。前任者は初老の男性と、若い女性だ。二人とも仕事に付加価値をつけて、他のライバルたちから差をつけている。男性はおまけとして、男の子が喜ぶようなミニチュアの建築用鉄骨の模型をつけている。また、女性は文章に独自の工夫を凝らしている。ぼくは二人の仕事の長所を踏襲しようと思う。だが、言葉での引継はしないまま、交替の時間が来てしまい、見よう見まねで二人のやり方を引き継げば多分大丈夫だろうと考える。
仕事を終えて、駅に行く。駅の構内には中二階のようなところに一軒だけ、レストランがある。そこに勤め帰りの人たちが一斉に詰めかけ、たちまち長蛇の列ができた。ぼくは幸い、比較的前の方に並ぶことができた。店内を覗くと、本当に超満員だが、それでも少しずつ列は進んでいるし、レジで支払いをすませて帰っていく人もいるので、このままここに並んで食べていこうと思う。
2005年05月14日
5月14日の夢(かわいい子猫ちゃん)
猫とデートすることになった。喫茶店で仲間と待っているが、なかなか現れない。外に見に行ってみると、路上で3匹の猫が遊んでいる。そのうちの一匹の子猫の名を呼ぶと、一目散にぼくの方に駈けてきた。子猫を胸に抱いて、店に戻る。
ほかのカップルたちと合同デートで楽しくおしゃべりをし、車で駅まで送っていくことになる。子猫は車を追って、道路を走る。途中、怖い犬がいる。犬を子猫から遠ざけようと、缶詰から餌を出し、犬の前に山のように盛る。犬が餌に気をとられている間に、子猫にも餌を少しだけ与える。子猫は犬をからかい、「こうしておしっこするんだよ」と言って、食べながらおしっこをして見せる。
子猫と別れた後、ぼくは別の飲み会に出席し、そこで日記をつける。日記帳はアリスのイラストが描かれていて、その余白に日記を書き込むようになっている。そこにぼくは子猫との交際を書き記す。その様子を見ていた一人の男が、ぼくに「最近、○○という男が近くに越してきた。きみの子猫はやつだろう?」と言う。それを聞いて、「えっ、そうだったのか。知らなかったあ!」と驚く人もいて、座は大きな笑いに包まれる。あはは・・・。見破られたか。そう、子猫は猫でないときは男の子をしてるんだ。
2005年05月13日
5月13日の夢(松井選手の三種の神器)
何かのイベントが行われる会場を電気掃除機で掃除している。誰かがやってきたので、ぼくは掃除機を放り出してその人についていってしまう。(この後、夢の本編があったんだけれど、そこの部分は忘れた)
戻ってきたぼくは、掃除機だけでなく、大事なものを放りっぱなしにしておいたのに気がつき、しまったと思う。そこには、ヤンキースの松井選手の残していったトンカチとノコギリ、それにもう一つ(何だか忘れた)の“三種の神器”も置いたままだったからだ。見つかったら、パクられる! ぼくは慌ててその三つがくっついているのを、一つ一つ切り離し、天井近くにある神棚のような場所に収納しようとする。しかし、そこには既にたくさんのものが置いてあるため、無理に押し込んだら落っこちてきてしまった。もう一度押し込もうとすると、今度は別のものが落ちてきてしまう。でも、最後にはなんとか無事に収めることができた。
2005年05月08日
5月8日の夢(小林亜星と便器付きデスク)
仙台駅の新幹線ホームに座っている。次々と目の前に列車が到着するが、ぼくの乗る列車はずっと夜遅くの発車なので、見送り続ける。そのうちの一つの列車から、見上げるような大男が降りてきた。作曲家の小林亜星氏だ。ホームに降りたとたん、ぼくの目の前で何かに頭をぶつけて、「いてーっ!」と叫ぶ。思わず目が合って、会釈すると、向こうもぼくに会釈を返して立ち去る。
ビルの中で便意を催す。ドアを開けて、よその会社のオフィスに入る。大学の階段教室のように、床は前方に向かってなだらかなスロープになっており、そこに点々とデスクが置かれている。社員が在席するデスクもあれば、無人のデスクもある。これらのデスクはそのまま便器にもなっているので、空席のどれかに腰掛けて用を足そうと思って入ったのだが、さすがにスロープの上からみんなに覗かれるのは恥ずかしい。あきらめて回れ右をし、ドアから外に出る。
2005年05月07日
4日分の夢
*5月4日、奈良で見た夢
回廊のような場所で、緑色の服を着たおばさんに、殴る蹴るの暴力をふるう少女がいる。少女はなぜか緑色の服を着た人にいつも暴力をふるうのだ。ぼくが緑色の服を着てその場所に行くと、やはりその少女が現れて、「やっつけてやるぞ」とぼくを脅す。ぼくはおばさんと一緒に少女をつかまえ、「名前は何というのか」
と尋ねる。少女は「水田……」と言う。「下の名前は?」と、さらに訊くが少女は無言。ぼくはさらに「今日はちゃんと証人がいるからね。きみがぼくに暴力をふるったことを、おばさんが証言してくれれば、きみはつかまってしまうんだからね」と言うが、少女は「おまえなんか、やっつけてやる」としか言わない。
*5月5日 奈良で見た夢
仲間たちと車を運転してきて、降りようとすると、道路で警官が黒い犬と格闘している。ぼくは本当は車から降りたくないので、みんなに「今降りると、あの犬にかみつかれそうだから」と言って、ぐずぐずしている。しかし、警官はなかなか犬を始末できずに、手こずっている。
*5月6日、東京に戻ってからの夢
東北地方の常連の多い喫茶店。客の中に、列車の中でジャムセッションをしながらやってきたというミュージシャンの男がいる。もう一人遠くからやってきた少女は日記をつけているが、その日記を男に読まれてしまう。男は少女が無意識に身につけている仕草から、それが尾鰭を振るしぐさだと見破る。実は男も少女も人魚だったのだ。ぼくもこの店の常連なのだが、残念ながら人間なのだ。
*5月7日の夢
女性二人と一緒に取材旅行に出かける。途中、休憩に入ったお店の中で、二人は恋人の膝に乗って甘えている。ぼくは彼女たちの行動に不安を覚え、「こんなふうで取材ができるの?」と言う。
そこへ津波が襲ってきた。走って高台に避難する。眼下の街が壊滅していく。「助かった」と思うが、再び津波が襲来する。スマトラ島沖地震の津波の映像そっくりに、高台の崖にぶつかって上がる水しぶきが向こうから近づいてくる。二波までは大丈夫だったが、第三波は異常に高い。悲鳴が上がる。ぼくはさらに高台へと必死で石段を駆け上がる。悲鳴はぼくが駆け上がるすぐ足下まで迫ってくる。なんとかぼくは逃げおおせたようだ。自分の無事が信じられない。先導していた女性のうちの一人は無事であることが分かる。だが、ほかのメンバーは殆ど津波にさらわれてしまったようだ。ぼくは悲嘆にくれて、大泣きする。
2005年05月03日
5月3日の夢(矢で狙われる)
公園を歩いていると、公園の向こうの端から反対の端に向かって、高く弧を描いて矢を打ち上げた者がいる。矢は先端がとがっておらず、長い棒のような感じ。公園を歩いていた少女のそばに落下した。とても危険な行為だが、男は矢の発射をやめようとしない。あの少女を狙っているのかと思ったが、そうではなかった。実はぼくを狙っているのだと気が付き、公園の出口に灰色の布団を敷いてバリケードをつくって、立てこもる。しかし、すぐに布団はめくられ、至近距離から矢がぼくを狙う。絶体絶命だ。
2005年05月01日
5月1日の夢(水陸両用列車)
新しいマンションに引っ越したらしい。帰宅したぼくはエレベーターで、自分と同年輩の会社重役風(要するにぼくと正反対)の男と乗り合わせる。彼は同じ階で降り、ぼくの自宅の隣室に入っていった。隣家の主人だったのだ。ぼくの家のドアを開けたいが、隣家の大きく開いたドアがじゃまだ(我が家と隣家は左右対称の造りになっているらしく、我が家と隣家の玄関は壁一枚を隔てて隣り合わせになっていた)。彼が完全に家の中に入るのを待って、我が家のドアを開けると、ぼくの家は玄関先までいろんな荷物がいっぱいに詰まっていて、中に一歩も入れない。一体、どうやってこれを整理すればいいのだろう?
妻と新宿へでも遊びに行こうと、列車に乗る。ぼくらの新居は成田にあるらしく、列車は成田エクスプレスだ。気がつくと、窓外に海が広がっている。どうやら新宿行きではなかったらしい。列車はあっという間に岸壁から海の中へ入り、水面をぷかぷかと浮かんで、揺れながら進んでいく。ぼくは「間違って横浜へ来ちゃったみたいだねえ」と妻に言う。妻は「新宿へ行くはずじゃなかったの?」と怪訝そうだ。
友人から別の草野球チームと試合をしようと誘われる。野球なんていやだなと思う。ふと見ると、テーブルに相手チームの使うボールが載っている。ボールは空気が抜けて、ぐにゃぐにゃだ。それを見たとたん、友人は「こんなボールを使うやつらと、野球をするなんていやだ」と、別の友人に言う。だが、ぼくはそのボールを見て、逆に「こういうボールを使うやつらと試合をしてみたい」と急に思い始める。
2005年04月30日
4月30日の夢(かゆみ止めは要らない?)
どこかのターミナル駅。新宿駅南口がうんと田舎の駅になった感じ。これからぼくは千葉の方へ出張するので、東武電車に乗り換えようと思ってバスネット(東京地区の私鉄用)カードを探す。胸のポケットにいつも一揃い入れているさまざまなカードの中からパスネットを探しだし、右手に持って改札口に進むが、気がつくといつのまにか手からカードが消えている。どうしたのだろう? と、慌てて胸ポケットをもう一度探すが、見つからない。次に鞄をおろして、道路に置き、座ってごそごそ探す。すると、ぼくの後ろにすっと一人の若い女性が立ち止まった。振り返ると、彼女は「あの、これ、かゆみ止めがありますが」と言って、ぼくに塗り薬を差し出す。驚いて「いりません!」と答えると、彼女は黙って立ち去る。ぼくは自分がもう一つ鞄を持っていたことに気づき、そちらの鞄もごそごそ探すが、やはりパスネットは見つからない。考えてみると、鞄を二つも持って出張に行くのはいやだ。「こんな鞄要らないや!」と言って、一つの鞄を路肩に放置されているソファーの上に捨てて出かけようとするが、本当に大切な書類が入っていたのはそちらの鞄の方だったと思い出す。
2005年04月28日
4月28日の夢
屋根裏部屋のある家の側面を見ている。その屋根裏部屋の窓が外に開くと、少女が顔を出し、ご飯を炊くお釜のようなものを手に持って、振ってみせる。「これを投げると、空飛ぶ円盤みたいに飛ぶわ。二人でこれを飛ばす会を作りましょうよ。それはきっと意味があるわ」と、彼女はぼくに言う。そういえば以前ぼくも洗面器のようなものを空に飛ばすのに、夢中になったことがあったなと思う。「ぜひ、やろう! でも、意味があるからいいというものじゃないんだ。こういう時代だからこそ、意味のないことをするのが楽しいし、素晴らしいことなんだよ!」と、ぼくは少女に答える。