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2005年09月29日
北窓より(3)
中国の唐時代の詩人白居易の詩に「北窓の三友」があると、菅原道真が『菅家後集』に書いており、その詩を読んで、彼も同じく漢詩を作っています。もちろん大宰府に流されてからのものです。
白居易が北窓、すなわち書斎における三友を <弾琴>、<詩>、<酒>、としているのに倣って作ったものですが、琴と酒は「交情浅し」、すなわち友とするほどの交わりはない。当然流謫の身であればそれらは叶えられなかったわけですが、それにかこつけて友人や息子たちとの別れなど悲しみをいろいろ述べた後、自分に残った友はただ詩のみであるとし、琴や酒の代わりは、軒端に来る「紫燕の雛」、「黄雀の児」位のものだと観じるのです。
悲劇の学者であり政治家でもあり、文筆にすぐれた天才でもあった人を引き合いに出すのは気が引けますが、「北窓」について調べていたら判ったので、気分だけでも壮大であったほうがいいだろうと、それにあやかる事にしました。
凡才で、最初から流謫 のような身の私ですが、詩のようなものを友としているわけですし、また西洋の琴、ピアノを片言めいた弾き方ですが独り楽しんでいますし、酒は大好きで毎晩のようにワインか缶ビールを少しばかり飲んでいるので、道真よりも境遇としては恵まれているといってよいでしょう。
そんなわけで、このブログのカテゴリーを「北窓だより」としたのでした。
2005年09月25日
北窓より(2)
台風17号が伊豆半島沖を通過しているため、上空を灰色の雲がゆっくりと南西へ流れています。
その下には、眼下の谷戸を隔てて雑木林が横たわり、この場所が気にいったのもそれがあるからでした。
右手の家並みは駅へと続き、その甍の波に泳ぎだそうとする大きなクジラのようにそれは横たわっています。頭に当たるところには立派な長屋門があり、それをくぐった屋敷の中には母屋と竹林を含んだ広い庭があり、その背後が雑木の小山になっているのです。それが目の前に広がる林で、このあたり次々と山地が切り崩され宅地造成され緑が少なくなっていく中で、貴重な一画です。このあたりの名主だった家で、今でも甘糟屋敷と呼ばれ、敷地面積は約3600平米とのことですから1000坪ぐらいですかね。甘糟家は室町時代からこの地の郷士であったといわれる古い家柄のようです。私たちがここにやってきた頃、老朽化していた長屋門がほぼ原型を残した形で再生され今日に至っていますが、その中の竹林や梅林も外から窺がい見るだけですが大いに憩いを与えられています。手入れもちゃんと行われているのでまだ財政的基盤は大丈夫のようですが、いつまでもこのままであり続けて欲しいなあ・・・と借景を満喫させてもらっている側からすればただ祈るだけなのです。
その緑(今はまだ紅葉していない)のクジラの尻尾の辺りからの尾根伝いの道は、この家の背後に当たる六国見山へと続いています。
夜になると左手の家々や駅近くのビル、信号機の点滅などの灯がきらきらとして、ここは山の中でもなく街中でもなく、まさに里なのだな、と思っています。
2005年09月24日
北窓より(1)
この小家には北側に大きな窓があります。丘の中腹にあるので眺めはいいのです。
この眺望に魅かれて、ここに案内された時に即決したのでした。生活の便不便とかその他、ほとんど考えませんでした。あとで分ったことですが(何とかの後知恵といいますが)北斜面というのは、地所が広ければ問題ありませんが、狭いと南側に隣家が迫ると、日当たりがいっそう悪くなるわけで、だから南側にある庭も日陰がちになるわけでした。冬になるとそれがいっそう身にしみます。眺めがいいだけに暖かそうな眼下の家々を眺めながら、恨めしく暖房を早くから入れているわけです。
「日の当たる坂道」でしたかしら、日の当たる裕福な階級を羨望する、日陰に住む貧しい人たち。日当たり、太陽の恵み、に対する人類の本能的な憧れがあるのでしょうね。
でも日陰の花の言葉があるように、日陰の方が育つ花があります。陽が少なくても育つように花自身が自分を変えていったのだと言うことです。水のない砂漠にもそれに適応した植物があると同様に。そしてそれぞれに趣のある花を咲かせます。これら花々を見習わなければなりません。
人類は戦争ばかりやっています。日本もこれから巻き込まれるかもしれません。そのようにして人類は滅び、しかし植物の方は生き残るでしょう。
実はこういうことを書くつもりではなく、北窓からの眺望について先ずお知らせしようと思っていたのでした。それはこの次にしましょう。
2005年09月23日
初秋の庭
わたしの家の小さな庭、二枚組になっている三角定規の90度角ではない方の形に近い狭い庭ですが、いま秋の野っぱらのようになっています。露草、水引草、犬蓼(=赤まんま)、やっと杜鵑(ほととぎす)が咲き始めました。
あまり日当たりがよくないことから、日陰や湿り気につよい草花しか育たないことと、少々怠け者であることから、これら雑草がはびこりやすいのですが、この趣が気に入り、少しばかり手を入れながらむしろ楽しむことにしました。
とくに露草は、普通見られる瑠璃一色ではなく、周囲が白いグラデーションとなり、仄かで可愛らしいのです。露草は最初はどんどんランナーを出して這い回るので、手に負えない感じでつい抜き取りたくなりますが、それを何とかうまく管理しつつ残しておくと、夏の終わり頃から次々に咲き始めます。この変わった露草はなぜかこの庭内だけしか私の目につきません。満天星の垣根の外にあるのは普通の色なのです。そのことに気がついたのは亡くなった人であり、だからそれを見ると彼のことを思い出します。
彼の魂が、そんな仄かな形でこの庭を訪れているのかも・・・と思って、少し毎朝の花の数が減り始めたその露草を眺めながら、秋の訪れを感じています。