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2005年10月31日
歴史について(はじめに)
何年か前から月一回、朝日カルチャーの「漱石を読みなおす」を受講している。講師は小森陽一氏。
誘われて行ったのだが、面白くなってずるずると今に続いている。博覧強記で、氏の頭脳の襞には政治から文学に至るまでの年表がびっしりと書き込まれている感じで、それを縦横に使っての独自な展開、文学の枠にとどまらない新しい視点からの読み解きは、いつも眼から鱗の思いをさせられる。それが面白く、また刺激的でもあるのでついつい跡をひいてしまっている。
漱石は明治元年の前年、慶応3年に生まれた。またロンドンに留学したのは1900年、ちょうど20世紀が始まろうとしていた年である。日本はもちろんだが、世界(といってもいわゆるヨーロッパだが)も大きな転換期を迎えていた。近代化の途ではまだほやほやの赤ん坊の日本から、没落期とはいえ産業革命の中心地、大英帝国のど真ん中に、国家の使命を帯びて投げ込まれた漱石が、どんなに大きなカルチャーショックを受けたかと考えると、神経衰弱になるのも無理はない。深く感じ、深く考える人であるからなおさらである。
だがその落差が大きいだけに、そして漱石がすぐれた感性と知性を持っていただけに、近代化の過程と行く末を、その時点ですでに見通していたことが、小説を読んでいくうちに分ってきた。やはり漱石は偉大な文学者である。文豪といっていい人だろう。(もちろんこれは私の独自の見解ではないのだけれど)。
というのもその時代に漱石が感じ、考え、憂慮した事柄が決して古びていない、というより今こそそれが展開している、ということが分るからである。漱石が感じていた不安や危惧、それがいま具体的に姿を現してきたような気さえする。その時から100年が経って21世紀を迎えた。今年は戦後60年ということでその推移や変貌の検証を、マスコミはしばしば取り上げている。これは私が生きてきた時代と、ほぼ重なる。自分の生きてきた道のりと同時に、生まれ育った国についてもやはり考えてしまう。
こういうことを書くつもりではなかったのに、ついこうなってしまった。それでこれを「はじめに」ということにし、次に書こうと思っていたことを書くことにします。
2005年10月30日
コンサートに行く
伊佐地那冶 合唱指導40周年記念コンサート(大田区民ホール アプリコ大ホール)を聴きに行く。氏が指揮・指導している合唱団東京コール・フリーデに友人のTさんが所属しているからである。Tさんは都の職員で図書館勤務、ベテランであるが、仕事が終わった後、宗教曲をメインにしているこの合唱団で練習を重ねること数年、だんだん深みに入っていくようである。今回はそこだけでなく、皆で六つのグループの150人以上、プロのソリストも加えた大合唱であった。
演目は、ベートーベンの「ミサ ハ長調」作品86番とモーツアルトの「レクイエム ニ短調」K626という、記念コンサートにふさわしい二大宗教曲であった(オーケストラは東京ユニヴァーサルフイル管弦楽団)。
ベートーベンのは、いかにも彼らしい堂々とした曲であるが、心が引き絞られるように出だしから感じられたのはモーツアルトの方である。映画「アマデウス」の影響で、天才の彼がそくそくと迫る自分自身の死期を感じて書いたと思うからかもしれない。事実はそうではなく、また最後の方は後の人が書いて完成させたらしいけれど、やはり予感というのはあったにちがいない。
氏の経歴を見るとプロの合唱団を率いているが、職場や地域や学校などの多くの合唱団の指揮と指導を手がけてきた人のようだ。Tさんの合唱団には、80歳をすぎた高齢者で、それ程ではない年金暮らしの中で他の支出は極力切り詰めて、合唱活動にだけ全力を注いでいる女性がいるといい、その気迫に感心させられると同時に励まされるという。
キリスト教の神髄である宗教曲を日本人が歌い、それに感動するということについて、いまや西洋音楽の名手に東洋人も多く出現していると同様、文化はすでに国境を越え、宗教を超えているのだと思った。
そして、仕事を持つ傍らそれらに熱中したり、またそれを鑑賞したりできるのも、それだけ音楽の裾野が広がっていることであり(私もまたその裾野にいる一人であるが)、そのような事柄にも貢献した伊佐地氏の40年でもあろうと思った。
また、終演後に何人かで店に入り語りあいながら、こういう美味しいものを食べたり飲んだり、音楽を楽しんだりできるのも、日本が豊かで平和であるからだと言い、でももしかしてこれがたちまち幻となってしまうのではないかという恐れを特に最近は感じると言ったのは、私を含めた戦争や欠乏を知っている世代だった。
このブログにコメントが出来なくなっているといわれました。どうしてなのか分りません。何とかしたいと思っているのですが・・・
2005年10月26日
『かはたれ』朽木祥作(福音館書店刊)を読む
朽木さんは、近所に住むファンタジー作家で、これが第一作です。頂戴して読みましたが、自然や人に対する細やかな感受性があって、詩情も豊かで快い空気に包まれる感じがしましたので紹介します。
このファンタジーは、−散在ガ池の河童猫ーという副題が付いているように、河童族の大騒動の中で一人ぽっちになってしまった子河童が、子猫に姿を変えて人の世界に紛れ込み、同じように母を無くして父親とラプラドール犬と暮らしている女の子とひと夏をすごす、出会いと別れの物語です。その中で女の子はその悲しみを自分で少しずつ乗り越え、また子河童(猫)も長老の教えを時々思い出しながら(霊力が衰えて時々河童の姿に戻ったり・・)人間世界での修行を積んで成長していきます。
「かはたれ」時とは、「いろいろな魔法がいちばん美しくなって解ける、儚い、はかない時間ね」と亡くなった母親の言葉として解説していますが、そういうあわいを美しく大切なものとみなし、イギリスの詩人キーツの詩の「耳に聞こえる音楽は美しい、でも耳に聞こえない音楽はもっと美しい」のように、耳に聞こえない、眼に見えないものに耳を澄ませ眼を凝らそうとする作家の意図が作品の底に流れているのも、朽木さんが妖精の国アイルランド文学の研究者であるからでしょうか。
物語の舞台になる散在ガ池周辺には5つの沼があり、その周辺の地図が表紙裏に描かれていて、もちろんこれはフイクションですが、散在ガ池という名は、この近くに実在の池に名を借りています。というよりこの現実の地に幻視したものではないかと私には思えるのです。というのもこのあたりは私が住み始めた頃から急激に開発が進みました。そういうことへの愛惜と嘆きの気持ちがもう一方にはあるのではないかと、同じ気持ちである私には思えるのです。最初の大きな開発から辛うじて残った近くの切り通しも、ここでは「落ち武者の道」と名づけられ登場させられているので、嬉しくなってしまいました。けれどもこの幻視された河童の国にも開発の波が押し寄せている現実もちゃんと描かれています。また残された自然の身近な動植物への眼差しと描写にも楽しませられます。
どうかこれを読んで興味や関心をもたれた方は、図書館でリクエストなどして読んであげて下さい。大人でも(というより大人の方がと言いたいほどレベルが高いです)十分に楽しめます。
2005年10月25日
ピアノの練習(3)
水野さんの24日のブログを読んで少なからぬショックを受けた。
それは高橋たか子の「日記」からの言葉を紹介したもので、日本文化への批判だが、まさに私自身に向けられている感じさえしたからだった。
存在的エネルギーの量や強さが西洋人に比べて少ないのではないかというが、そんな日本人の中でも少ないと常々思っている上、それを少ないなりに一つにまとめ、自分の存在をはっきり打ちたて、強力にした上で他人と向き合うべきなのに(それがまた他人への礼節につながる、また他人への深い眼差しにもなる)、そういう内在の力を養うことをしていない、という批判は、まさにその通りだと思った。その強力な内在の力で、とことん学問をしたり政治を行ったり(もちろん芸術することも)、することがない。「一方向への徹底性がない」・・・・ああ、ほんとうに自分を眺めてもそうだなあと思うのだった。
ピアノは独習だといったが、いまさら上達にかける年齢でもないけれど、わたしにとってこれは「ひとりあそび」の一つだと書こうとしたところだった。「世の中にまじらぬにはあらねども ひとりあそびぞわれはまされる」という良寛の和歌をひいて・・・。
良寛にとって、和歌も漢詩も書も「ひとりあそび」に過ぎなかった。その世界を追究したり、新しく切り開いたり(または何らかの名誉や栄達のためにでも)するのではなく、存在する上の「すさび」だったのである。ここには存在する自己の確立もないかわり他者もいない。
良寛の漢詩に次のようなのがある。「花 心無くして蝶を招き/蝶 心無くして花を尋ぬ/花開く時 蝶来たり/蝶来る時 花開く/吾れも亦人知らず/人亦吾れを知らず/知らず 帝の則(=自然の道)に従う」
花も蝶も人間も、すべて自然の則の中でただ存在しているだけである。この世での束の間の存在、命の中で、花が開き蝶が舞うように「すさび」をして生きているだけである・・・という内容。
考えてみるとこの「北窓だより」の題をもらった菅原道真も,政権争いに敗れて流されたのに、恨みに恨むという激しさ、「岩窟王」になることもなく(もちろん怨霊となって後に恨みを晴らすのだけれど)、現実的には北窓からささやかな3つの楽しみに甘んじるという悟りに似た心境で過ごすわけである。
こういう日本的な無常観に満ちた文化的土壌がいやだなあという気持ちも一方には強くあって、それが西欧の思想や文化に向かうのだけれど、この落差を自分の中でどうするか、それが大きな課題です。
西欧文化の一つであるクラシック、そしてピアノに私が惹かれるのもそれであろうと思われ、そのことを強く感じさせられた水野さんのブログでした。
2005年10月23日
小ホールでの寄席
昨日、近くにある芸術館の小ホールに落語「柳家小三治独演会」を聞きに行った。舞台だけを見ているとちょっとした寄席気分が味わえる。寄席などは構えて遠くまで出かけるものではないような気がする。小三治さんも、何の役にも立たないことに、無駄に時間を過ごしにやってくるようなもの・・・、しかし会場でメモを取る人も最近はいて・・・、と言って笑っていたが。このホール寄席に、私も時々ふらりと行くようになった。
前座は柳家三三の「お菊皿」で、小三治は「付き馬」と仲入りの後「一眼国」。
古典落語だが、語りに入るまでの枕の部分に今の世情の機微なり政治や社会への風刺のようなものが織り込まれることが多い。最初の枕は、古いカメラのことから最近の事件ATMに取り付けられた盗聴カメラのことになって、それが文明批判じみたものになっていき、次のには一昨日中国から帰ったばかり(小沢昭一、永六輔らと)と言い、ちょうど小泉首相の靖国神社参拝の日であったことからそれに影響されたことや国民性の違いなどの話を面白おかしく・・。
小三治の落語を聴いていると間のうまさを感じる。息もつかさず面白いことを言ういう人もいるが、全体に語り口はゆったりして、それでいてふいについて出る話に思わず笑ってしまう。つい枕が長くなって・・・と言う。枕だけでなく中途にも枕が入って・・・と言ったが、確かに時々横道にそれて、本題は何だったかな、ととぼける。それもまた面白い。
落語はまさに言葉の芸、話芸であるが、それに加えて「間の芸」でもあると思う。そこに人柄がにじみ出る。それは文体に似ている。同じような内容を語り、描いても、その語り口によって面白くもあり、快くもなる。詩もそうなのだろうなあ・・・。
行く時は小雨が降っていたが帰りは上がっていて、夕焼け雲が西空に広がっていた。そして今日は気持ちのいい秋空になった。
2005年10月21日
ピアノの練習(2)
ピアノはまったくの独習です。先生について習ったほうがいいですよ、と言われます。
上手になるには、また早道のためには、もっともなことなのです。変な癖がつかないためにも・・・。けれども習うとなると、時間に縛られます。そして先生からの課題に努力しなければなりません。しかしピアノに関して言えばそれがいやなのです。どうしてかなあ・・・。
両手で何とか弾けるようになったのは中学校の音楽の時間,オルガンで「結んで開いて」と「子狐こんこん」(題は間違っているかも)を弾かされた時で、そのときコツのようなものが掴めた気がしました。
その後はずっと遠ざかっていて、この家に来た頃、20年ぐらい前でしょうか、家を建て替える人からピアノを一時預かったことがあり、そのときバイエルや楽譜も預かって、それを見て練習したのでした。そのときはフォスターのものを何曲か,また「ドナウ川の漣」に挑戦したりした記憶があります。
そもそも私はピアノなどに親しむ環境にはありませんでした。地方にいて、貧しい(その頃は皆そうだったのかもしれませんが)母子家庭で、しかも邦楽のほうに縁があったからです。母は三味線がうまく、私は祖母の道楽から日本舞踊を習わされていました。だからクラシックのことを洋楽なんていっていました。
その洋楽なるものを初めて聴いたのは、小学上級くらいで、それを聴いてもよく分りませんでした。中学になって初めて聴いたのが「アヴェ・マリア」で、そのとき初めて「なんて快いのだろう」と思ったのです。
そのくらい文化果つる(?)境遇でした。
それら西洋音楽に急速に馴染むようになったのは、東京に来てからです。
これは私の中の明治維新のようなもので、私の近代化でした。
2005年10月20日
ピアノの練習(1)
私の家の宝物でもあり友達でもあるピアノは、黒く光るアップライト式で、4年半ぐらい前にここにやって来ました。友人Mさんの友人、Hさんから幸運にも頂戴したものです。白い鍵盤は象牙で、音色がいいことは素人の耳にもわかります。前にも書きましたが、それからというもの私は家にいるときはたいてい一時間ぐらい彼女と遊んでいます。
彼女が来てから、早速「おとなのためのピアノ教本」の一つ、有名な曲のサワリだけを集めた「ピアノで弾くクラシック名曲集」を買ってきて練習し始めました。その後「弾けますピアノ わたしのポピュラー」というのも買って・・・。
今では何とか40曲くらい楽譜を見ながら弾けるようになりました。暗譜をしようと心がけているのですが、それを一応果たしたのはその半分くらいでしょうか。でも覚えたつもりが、暫くすると忘れているので、何度も復習し直さなければなりません。というわけで今のところ、新しい曲にはなかなか進めず、このくらいがもう限度なのかなあ・・と思っています。でもこれだけのレパートリーがあれば、結構楽しめます。
言葉とは違って、音や色はそのものだけで美しいというところがありますから、たとえ下手でも、その音を耳に(色ならば眼に)するだけでも快感を覚えることが出来るのは、いいなあ・・と思います。
「ラ・カンパネラ」や「魅惑のワルツ」などを自分でうっとりしながら弾きつつ・・・という、あまり人には見せられない姿で彼女と戯れているのです。
2005年10月10日
民芸公演「ドライビング ミス・デイジー」
しょぼしょぼと秋雨の降る中、池袋の「芸術劇場」の民芸公演を観に行ってきました。
舞台はアメリカのまだ人種差別意識が色濃く残っているアトランタ、72歳のユダヤ人の未亡人とその雇われ黒人運転手との間に、次第に友情が育っていく過程を描いたものですが、時の推移が25年ということですので、少々駆け足の感がありました。民芸の奈良岡朋子と無名塾の仲代達矢という豪華さ。最後は認知症になって病院で車椅子生活をしているデイジーを運転手のホークが見舞うというところで終わっているので、シビアであり身につまされます。同じようにそう言って帰る人が多かったと、製作部で受付をしていた友人が、芝居がはねた後、話していました。
「女の一生」などで一人の女優が娘時代から老年までを演じ分けることがよくありますが、ここでは老年期の次第に衰えていく過程を、細かく演じ分けているといっていいでしょう。
晩年を、老年という地図のない冒険・・・ととらえ、詩集「一日一日が旅だから」を出したメイ・サートンを思い出します。
2005年10月09日
「日曜喫茶室」をよく聴いています
朝から雨になってしまいました。
道路に張り出すので大きく剪定せざるを得なかった金木犀、それでも少しだけ花をつけて香っていたのですが、もう散っていきます。
私は「日曜喫茶室」をいつも楽しみにしています。今旬の人、話題になったり著書を出したりした人が登場して話をするからです。先日も、ある漫才師が自分の祖母のことを書いた「がばい(凄いという意味)ばあちゃん」と言う本のシリーズが大変反響を呼んでいるということを知り、早速文庫本を手に入れ読んでみて、なるほどと思って、そのことを書こうと思ううちに日が経ってしまい、今日は「日本語で数えナイト!」のテーマで、TV「英語でしゃべらナイト」の司会者パッククンと、日本語の数の数え方辞典を研究出版した飯田朝子さんがゲスト。
TV番組は最初、語学はさっぱりダメ人間、の私は興味がなかったのですが。最近ふと覗いてみたとき面白く思って、このところ3回ほど見ていたので、ああ、あの人だと、その点も興味を覚えたのでした。
在日12年だと言うのに日本人と変わらないほどの会話力、語彙力、そして文化についての知識もあるようで驚きます。詩人でエッセイストのアーサー・ビナードさんもそうですが、その日本語力(短期間でそこまでいくなんて、私には驚異的です)はもちろんですが、言葉に対する敏感さが素晴らしいと思います。
パッククンさんも、言葉が大好き、言葉を知ることでその国の文化が判る、と好奇心にあふれていて、刺激されます。TV番組も彼のキャラクターによるところも大きい気がします。飯田さんも、複雑極まりない日本の数詞を探っているうちに、日本人の物にたいする繊細さに触れ感動を覚えるようになったと語っています。どちらも言葉に対する興味、関心、愛情があるのですね。
文化の根っこには言葉がある。詩を書く者としてそれをもっと大切に慈しまなければ、と思わされました。
2005年10月04日
私の散歩道
最近医者から骨ソショウ症だと言われ薬を飲んでいて、出来るだけ運動をするようにとも言われるので、家にいるときはなるべく散歩をすることにしました。
今は夕方日が暮れる前の2〜30分、裏山の六国見山に登ってきます。ちょうどその時間は犬の散歩の時間でもあるようで、犬たちに会えるのも楽しみです。今日は5,6頭グループとなって歩いていくのにぶつかりました。縫ぐるみのように可愛らしいプードルや小型のコリーや、柴犬や、目だったのは耳がぴんと立ったドーベルマンなど。最近はいろいろな小型で珍しい種類の犬なども見かけるようになって、まさにペット大国になったなーと思います。私の目には先ず犬が見えて、人間の姿はあまり見えてこないのです。だから、あ、あの時の犬だな、と思っても綱の先にいる人間がどうだったか覚えていません。「こんにちは」と犬に言い、触らせてもらえると嬉しくなります。
さて犬とは別れて、六国見の細い坂道にかかります。なぜか最近ススキが多くなった感じがします。小暗い杉林や藪の道を登るとすぐ頂上。遠くの海も空も灰白色に曇って、大島の影も見えません。下りは貯水所に至る別の道をたどって、階段を下ります。その途中に一本だけすっかり紅葉した樹がありました。ハゼの樹です。桜はまだところどころが黄色という段階です。
住宅地を歩いていると、金木犀の香が漂ってきます。我が家の金木犀は、2年前に大きく切り詰められてしまったので、今年もまた花は望めません。
遠くにちらちらと灯火が点りはじめました。これからはだんだん日が短くなっていくでしょう。
2005年10月01日
モンゴルの馬頭琴を聴く
さわやかな秋の一日となった今日(日中は少し暑くなりましたが)、モンゴルの草原の空気を味わいに行ってきました。「子どものためのコンサート」とありましたが、それは子どもへのサービスがあるからで、内容はレベルの 高いものでした。演奏者は馬頭琴第一人者のチ・ボラグさんとその息子さんのチ・ブルグットさん、ピアノは西村和彦さん、パーカッションの人、最初の童話「スーホーの白い馬」の朗読(民芸の稲垣隆志さん、子どもへの導入部だと思いますが、これもよかった)も含めて独奏と合奏、2時間たっぷり楽しませられました。
途中20分の休憩時に、馬頭琴に触り弾くこともできる体験コーナーもあり、民族服姿のお姉さんが手をとって教えてくれます。子どもたちに混じり、勇を奮って私もちょっと弾かせてもらいました。音はちゃんと出ます。でもこの楽器はとても力が要るのだそうです。一曲終わるごとに汗を拭いているほどでしたから。
馬頭琴は草原のチェロと言われるそうですが、繊細さと野太さの両方を持っているような、l日本の尺八、馬子唄や木こりの唄といった朗々とした民謡にもどこか通じるような、やはり東洋的な音調があり、それが広々とした草原と青い空にどこまでも広がっていくような感じがしました。
チェロの名曲カザルスの「鳥の歌」も、レパートリーにはありました。「万馬のとどろき」の、何万頭もの馬が疾走する様子を描いた勇壮で華麗な演奏は圧巻でした。アンコールの曲は優しく艶めかしく、弾く方もうっとりと弓を動かしている感じにさえ思えました。
心の中を草原の秋風が吹き抜けた一日でした。