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2005年11月03日
「嘔吐」を思い出す
今このブログに向かっているが、あまり良い気分ではない。16歳の少女がタリウムという毒薬を使って母親を毒殺しようとしたらしく、しかもその経過や写真までブログに出していたという報道に接したからである。おぞましいというか、いやな気分というか、生じた気持ちを表現しようがない。ブログを書く気持ちにもなれなかった。ブログそのものを閉めてしまおうかと思う気持ちにもなった。
そのうちこの「嘔吐」を思い出した。サルトルの実存主義を言う時によく持ち出される有名な作品である。うろ覚えであるが、図書館の本を順番にすべて読んでしまったというような男が(これは記憶違いかもしれない)、なんとも表現しがたい木の根っこを見たとき、嘔吐しそうになる。名づけようもない、奇怪で、混沌とした状態に耐えられなくなるからである。神は死に、ブルジョア的秩序も破られた時、そこに出現するもの、それが実存だという風に理解したりしたものだったが、西洋人でもなくまたキリスト教の信仰もない私にとっては、ただ言葉上の理解に過ぎなかったと思う。
もしかしてこういう感情、不愉快さかもしれないなと思った。同級生をナイフで殺害した少女も、パソコン上で自尊心を傷つけられたのが動機だという。今子どもたちの犯罪は多かれ少なかれパソコンが絡んでいる。
そういう犯罪に限らず、ここ数年世の中の経済という実業の世界をはじめとして世の中が大きく変わっている。教育、政治の世界までもそれによって変貌しているのではないだろうか。通信システムの変化にとどまらず、それらが世の中を根元から変えつつあり、産業革命が世界を大きく変えたように、いやそれ以上の見えない力でもって変えつつあるのではないだろうか。だからこの嫌悪感、嘔吐感は少女やブログに対するというより、自分には理解できない、得体の知れない事柄が生じているのではないかという思いに対したものではないかーと、言葉を使って、気取って言えばそういうことになる。でも確かにこのニュースは私に、ブログに対するおぞましさを感じさせたということだけは事実である。
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投稿者 kinu : 2005年11月03日 21:01
コメント
あなたのブログが始まって以来、あなたのブログのファンになりました。最初の「ほのかなもの」がとても好きでした。なぜなら、こういうことはおしゃべりのなかではあまり語ることができないものだからです。それから、いつも軽いとか重い憂鬱とか悩みがわたしにもあって、それをなんとか人に伝えようと思ううちに事態は次の悩みにうつっていってしまい、もはや遅しということがあまりに
多いからです。でも、あなたと違って反省はめったにしません。どうしてか、反省する前になにか違う悩みがはっせいするからです。でも、悩みがあるひとのブログをみるとすこしほっとすることがあります。だって、わたしだけではないんですもの。サルトルの
「嘔吐」のいいところは、「実存は本質に先行する」といわれ、
つまり、いままで本を開くと聖書でもなんでも、この世のはじめから、神などとこの世にあるかなきかのことではなく、もっと末端の
マロニエの木の根っこのように現実に存在するものの方から
話を始めようよ。その方がずっとみんなにわかるし、つたわるから。というふうにサルトルは言い出したのだとおもいます。それを実存主義というのだと思います。すこし短略てきですけれど。
投稿者 aoi : 2005年11月06日 19:40
聖書のこともういちど。あなたがいつも歴史の本ははじめから
始まり、肝心の現代になると授業時間が終わってしまうとか、
日本の場合、history は story になってしまうけれど、もっと事実にもとづいて語ることだって必要だといっているのに賛成です。
たとえば、奈良時代は人工は何人で、奈良はどんな都で市場は
どうなっていたかとか、庶民は何を食べていたかとか、家族構成はどうなっていたかとか、輸入はどうなっていたかとか、そういうことも大事ですよね。歴史は文学ではないんだから。平安時代の白楽天は紫式部たちにやたらもてはやされたけれど、そのちょっと前の杜甫は芭蕉の頃になってようやくでてくるのは愉快ですね。つまり、いつも神の時代から話しをするより、この根っこから
話をした方がずっといいといったサルトルのことを話したかったのです。
投稿者 aoi : 2005年11月06日 20:04
サルトルについて、今も決して古びていないと思います。いやむしろいっそう大切になっています。戦争も大体、正義とか原理だとか、本質といったことから始まります。はじめ言葉ありき、ではありません。始めには事実が、木の根っこがあったのです。言葉という抽象ではなく,ア・・といった叫ぶ声があったのですよね。
コメントもこれからは読まなくちゃあと思いました。
投稿者 木苺 : 2005年11月14日 11:59