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2006年02月24日

日本が金メダルをとった日、お葬式に行く

朝、ラジオでニュースを聴いていて荒川静香選手が金をとったらしいと分り、いつも朝はテレビを見ないのだが、急いで切り替えてみるとちょうどその演技の最中であった。見事な演技で、惚れ惚れと眺めたのだった。それから私は身支度をして葬儀場へと足を運んだ。

水橋晋さんのお葬式の日である。通夜とは違って午前中なので粛々とした感じで式は始まった。突然の訃報でまだその事実を受け止められないでいるということから始まる横浜詩人会会長の禿慶子さんの弔辞を聞きながら、涙がにじんで来るのを抑えきれなくなった。あちこちでそういう気配がする。
奥様の話では、朝7時ごろいったん起き、もう一度寝ようとしたとき激しい頭痛と同時に嘔吐が来て、救急車を呼んだが、その車中ですでに意識がなくなり、病院でその後手を尽くしたものの夜10時頃、帰らぬ人となったそうである。その前の晩まで気分よくお酒を飲んでいられたそうである。訳詩誌「quel」次号の発刊準備も着々としており、元気な(といっても目まいや心臓不調などで病院とは縁の切れないお体ではあったが)様子を電話や手紙で、何人かが確認しており、本当に誰もこのように急に逝ってしまわれるとは思っていなかった。
本人でさえ、自分が死んだとは思っていないのではあるまいか、と水橋さんの写真を遠くから眺めながら思った。

日本の金メダル獲得と、うっとりさせられる美しい演技に国中が沸いている。もちろん私もその快挙に心が躍った。何度見ても美しく見事だと見ほれるような演技が出現したということが、素晴らしいと思った。
この映像を水橋さんは、もう見られないのだなあと思うのだった。見たいと思うかどうかは別にして、もう見られないのだなあ・・と思うと、この世での水橋さんの不在を感じる。ああ、もう遠くへ行ってしまわれたのだ・・・・。

ニュースで沸き立っている世の中と、水橋さんの棺に付き添って霊柩車に乗っていく親族とそれを見送っている私たちと、そこに見られる大きな落差。世の中と個人の関係を見る思いがした。「方丈記」で言う、川の流れとそこに浮かぶ泡(うたかた)・・・。私たちは皆そんな風に生まれては消えていくのだろうなあ・・・。水橋さん、とりあえずさようなら、私もそのうちに行きますからね。

投稿者 kinu : 20:54 | コメント (0)

2006年02月16日

読書会(ル・クレジオ「はじまりの時」村野美優訳)を読む

昨日、長々と書きすぎて読書会まで書けなかったが、それが幸いであった。
今日の朝日の夕刊の文化欄に「文化の同等性希求の時」のタイトルで、39年ぶりに来日したル・クレジオ氏の様子が大きく取り上げているからである。

実は、邦訳としては最新刊の、自伝的な要素の濃い「はじまりの時」(上下2巻)を、読者会のメンバーの一人村野さんが出版されたので、それを今回は取り上げて読んだのであった。
読書会については、水野さんがブログに書かれると思うので、その新聞記事と村野さんの訳書について簡単に紹介しようと思う。

ル・クレジオは、一時期日本でもフランスのヌーボーロマンの旗手のような感じでもてはやされたことがある。しかしそういうイメージとはまったく異なる姿でここに再登場してきたといっていいだろう。現代文明の欧米中心の文化から外れた、インディオの文化に深く関わり、そこでの体験から生みだされた著作も多く、日本で言えばアイヌや奄美大島など辺境の、マージナルな文化の豊かさがこれに当る。そういう方向付けを持つシンポジウムに招かれようで、これは氏の出自にもよるが、その文学は国境時空を超えたこれからの文化の在り方を示唆するものでもあるといえよう。

その来日は地味なものだったらしく、村野さんがそのことを聞いたのはシンポジウム間際であったそうで、しかし本人にも会え、言葉も交わし、質問もさせてもらい、いい励ましの言葉ももらい、まさに彼女にとって「はじまりの時」となったようで、その場の様子を聞いた読書会のメンバーは皆喜びと祝福の声を上げた。

上下2巻と読むのは少々大変だが、とても読みやすく、惹きこまれる。よくもこれだけ大部なものを(歴史的なもの、地理的にも広範囲)よく訳したものと、感心し感嘆する。若いエネルギーがなければ出来ない仕事である。ル・クレジオの文学を理解するにはこれを読まないでは通れないであろう。
題は直訳すれば「革命=回転」であるが、何とか別のものにしたくて、「はじまりの時」という訳語を考えるのに苦労したという。その良否はいろいろ意見はあるだろうが、それはもう訳者の権利であり、自己責任である。そのような象徴的な訳をつけた時から、彼女の運命もまた開けてきたような感じもするのである。
関心のある方は、どうかお読みになってください。

投稿者 kinu : 17:25 | コメント (0)

2006年02月15日

「書の至宝展」と「読書会」と。

「書の至宝(日本と中国)展」はぜひ御覧なさいと聞かされ、しかし混雑は大変なもので入るのに40分かかったとのことなので諦めかかっていたが、開場間際に行けば入れるのは入れるだろうと、思い切って早起きをして出かけていった。それは当っていたが、入るともう人はいっぱいだった。

流れに入っては少しも進まないので、隙間を見つけてはもぐりこみ、要所要所をじっくり目に入れるしか方法はないのだが、それでも十分に満足した。何しろ中国を源とする漢字の、紀元前の甲骨文から始まる書の歴史が、文字通り宝物である実物によって辿られているからである。王羲之から始まる中国の書、それが日本に渡ってきて経文や仮名文字として発展していくさまが、次々に展開する。

書の美しさなどよく分らなかったのだが、これら昔の人の名筆を眺めていくうちに、それが次第に感じられるようになってくる。描かれた紙や巻物などの姿もそのままに眼前に出来る、その迫力もあるのだろう。墨色の線だけで描かれているのに、そこには色彩のある絵よりももっと美しいものが感じられるのはなぜだろう。

中国の力強い漢字も素晴らしいが、日本の仮名のたおやかさも素敵だ。昔のお坊様が膨大なお経を一字一字活字よりも細く美しく紺地の紙に金泥の筆で書いた努力も感嘆する。日本の歴史で習った三蹟とか三筆という書の名人の筆跡も見ることが出来、一本しか現存しない、豪華な「古今和歌集」も見ることが出来た。

私が見たかったものがある。良寛の書である。それは時代的にも最後にあった。
4面の大屏風2枚(数え方が間違っているかも)。漱石も欲しがっていたという良寛の書は、とても人気があるようだが、字は細いが伸びやかでおおらか、風になびいているような風情があり、それを眺めているだけで心が安らいでくる。幸いそこが直ぐ出口になるので初めはほとんど人がいなかった。ゆっくりとその吹いてくる風に当ることが出来たのであった。その反対側には、良寛と通じるところのある、悠々自適と自己の自由の尊重を唱え、脱俗の書風を作り上げたという中国の漢詩人の、同じ大きさの屏風が展示されていた。そちらもなかながすがすがしい書であったが、こちらは漢字ばかりということもあるが個をはっきりと前面に出した力強さがあった。どちらも自作の詩を書いたものであり、好対照で、この書展の締めくくりとしてよく考えられたものだなあーと、勝手に考えて頷いたのであった。

12時少し前に、会場を出ると、4列の長い行列が出来ていて、入るのに一時間かかりますと案内の人が叫んでいた。
それから読書会に行ったのだが、それはまた後日にします。

投稿者 kinu : 17:24 | コメント (0)

2006年02月09日

「日詰明男展」と「宮崎次郎展」を見に行く

「ヒポカンパスの詩画展」を開いた「ASK?」の次の企画が面白そうだからと、水野さんに誘われて一緒に見に行った。水野さんの詩の世界にも通じるような宮崎さんの方が本命で、ついでにこちらも見ようということになったのだが、こちらも素晴らしかった。その素晴らしさを文字で描写するのはとても難しい。なんといっても高等な数学の世界と建築、音楽が結合した美を表現したコラボレーションだからである。
フィボナッチ・ドラゴンと名づけられたそれは、フィボナッチ数という私には理解できない数値を基にしてコンピュータによって描いた図形であり、構造物であるという。会場には、螺旋状に限りなく成長するドラゴン(龍)を意味するらしい、壁のパネル群と木とプラスチック片で形作られた塔のようなものが2つ、青い光の漂う暗い会場に置かれているだけである。
しかしその中に佇んでいると、宇宙から流れてくるような静かな音楽に包まれ、まさに夜に宇宙を眺めているような気持ちになる。
クリスマスツリーのような2つの塔、螺旋の組み合わせで作られ無限に成長変化する龍を表すというそれと、またあちこちに下がっているこれも数学によって計算された立体、蛍のように呼吸し明滅する星籠のいくつかは、時間につれゆっくりと光り方を変え、明滅し、そして会場全体もまたそれに呼応して明るさを変えていくのである。
数学は美であるというのは、読書会でも読んだ小川洋子の「博士の愛した数式」にも出てくるが、これはそれを目に見える形の美として表現しようとしたものである。
巻貝のような自然の驚異的な美しさも、数値として計算できるといい、その逆の狙い方で、その美を表現しているということだが、あまりに深遠すぎて理解が及ばない。とにかく青白く発光するドラゴンや幾何学的な蛍の姿、そして無限の螺旋に埋め尽くされた、目がくらくらするパネルなどが、今でも目に浮かんでくるようだ。
宮崎次郎さんのは、またまったく違った世界と雰囲気を持ったものだったが、これも愉しく、心豊かになるものだった。アトモスフェールと名づけられた作品群で、そのかなりの作品が日本丸の船内を会場として展示されたというが、豪華船内で美味しい料理やワインを飲みながら眺め、陶然としながらこのファンタジックな世界に入っていくにちがいないと思わせられるからである。ここにはパリの匂いが濃厚である。男も女も道化師も笛吹きもヴァイオリン弾きも曲芸師もまた馬も鶏も花までも魅力的な顔をして目を見開いている感じがする。
少々書くのに疲れたのでこのくらいにします。私が拙く紹介するより、それぞれ画家のホームページを検索すると出てきますので、こういう書き込みは無用の長物かもしれませんね。

投稿者 kinu : 21:00 | コメント (0)

2006年02月06日

「ゾリステン コンサート」

このところ厳しい冷え込みである。
今朝は鳥の水場には厚い氷(1センチ近く)が張った。昨日も同じくらいで、起きた時窓の外を見ると屋根が真っ白。霜にしては厚いと思ったら一昨日の夜、雪が降ったようだった。

きのう、コンサートに行った。日本を代表するソリスト、主要オーケストラのコンサートマスター、首席奏者が集まったゾリステン・メンバー(20人ほど)による23回目の公演。私2回目である。
演奏曲目は、今年はモーツアルト生誕250年、武満徹没後10年ということで二人の作品で。大ホールは1,2階とも空席がまったくないほどの(私は2階席なので3階は分らなかった)満員だった。

曲目は モーツアルト:アイネ・クライネ・ナハトムジーク
     モーツアルト:ヴァイオリン協奏曲 第3番(ソロ:漆原啓子)
          休憩
     武 満 徹:3つの映画音楽
     モーツアルト:ヴァイオリン協奏曲 第5番「トルコ風」(ソロ:徳永二男)

          アンコール
     モーツアルト: ヴァイオリンとヴィオラのための協奏合奏曲 第2楽章
                                (徳永二男:川崎和憲) 
  
やはりライヴで聴く音楽は、素晴らしいと思う。音が足の裏からも這い登ってくる感じで、身体全体で聞いている思いがする。CDで聴くのもいいけれど、何となくそれは頭の方から降って来るようで、それにひたるような気がする。特にモーツアルトの曲は、光か水かが身体の中にしみこんできて、全身を経巡り、それがまたスーッと出て行ってしまう感じだ。私などそれほど詳しくないので、何番といわれてもとっさに曲を思い浮かべることは出来ないのだけれど、今回のはいずれも有名なよく耳にするもので、その時はああそれかと頷きながら、ときには口の中でメロデーをなぞったりしながら聴くのだけれど、終わったらそれがどういう曲だったか忘れてしまう感じなのである。特にモーツアルトはそういう感じだ。その代わり身体がふわりと軽くなった感じ、浄化されるといったらいいだろうか。

癒しということで、モーツアルトがよく取り上げられているようですが、と徳永さんは最初のスピーチで話された。しかし、演奏家にとっては、モーツアルトの演奏ほどストレスになるものはないのです(笑い)・・。
何しろ天才が作曲したものですから大変難しく、また繊細微妙なので、その演奏には大変緊張するものです・・・と。

武満徹は100本以上の映画音楽を担当したといい、そしてその作曲は、一種の休息であったのかもしれないとのこと。それでこの3つの映画音楽もブルース風、レクイエム風、シャンソン風のスタイルで、とても分りやすい楽しいものであった。
アンコールのメロデイアスな曲にうっとりしながら、私も含めて満員の聴衆はご馳走にあずかった後のような満足そうな雰囲気だった。

投稿者 kinu : 10:47 | コメント (2)

2006年02月02日

懐かしい映画『流れる』と『浮雲』を観にいく

近くの芸術館でこの二本立ての映画を見た。
どちらも女性映画の名手といわれる成瀬巳喜男監督。『流れる』は幸田文原作、『浮雲』は林芙美子のそれぞれ名作である。
どちらも内容は有名なので省略するが、出演者は、前者は田中絹代、山田五十鈴、高峰秀子、杉村春子、岡田茉莉子、栗島すみ子・・・といった、今考えれば豪華極まりない顔ぶれで、後者も高峰秀子と森雅之の組み合わせのほか岡田茉莉子、加藤大介、山形勲など。彼らの若い頃が見られるというのも、映像の不思議な面白さ。どちらも白黒である。
最近こういうリバイバルものに対して、私は内容の芸術性云々よりも(もちろんそれは大切で、それが前提だが)そこに映し出された映像そのもののほうに興味が行くようになった。即ち、その時代の風景、人々の日々の暮らしぶりや習慣、今では見られなくなってしまった家具や道具、日常の細々したものまで、それが背景として映し出されているので、あたかもタイムスリップしたように感じられて懐かしいのである。
前者は(1955年製作)、舞台が大川端に近い花街の芸者の置屋で、そこの女中(文自身の体験)の目から見た芸者たちの姿なので、華やかな表に対しての裏側の暮らし(同じ花街を彷徨した荷風には決して書けない)が描かれており、暮らしのディテールは映像ならではのものがある。
しかもどぶ板を踏んでと形容されるような路地で一見だらしなく暮らしている女が、さてお座敷という職場に向かうときに蛹が蝶に変わるように、たちまち美しくなっていく姿を見るとき、女でもうっとりしてしまう。
特に最後で山田五十鈴の女将が潰れそうになった置屋を何とか建て直そうと、決死の覚悟で恥を忍んで、昔の旦那に会いに行く時の芸者姿には、恐ろしいほどの美しさを感じた。
後者(1956年)は、戦時中の安南(ベトナム)が男女の出会いなのでそこから始まるが、後は戦後で、闇市の賑わいやパンパンといわれた女の暮らし、戦後の庶民たちの暮らし。そして浮雲のごとく転々としていく、代々木、千駄ヶ谷、渋谷などから二人で行く以伊香保温泉のその頃の様子など、バックに写し出され、その頃の暮らしや貧しさが偲ばれる。
そして最後に高峰秀子の雪子が寂しく死んでいく屋久島も、今でこそ縄文杉などでもてはやされ観光地になっているものの、その頃は電気も何もない流人の島のように雨ばかり降る遠い僻地で、農林省の技師(森雅之)や工事関係のような人しか行かなかったのであろうと思われる。

この映画の中にある道具やそれが置かれてあった家、それらが作っていた町並み全てが、今の日本ではほとんど無くなってしまっているなあ、と思うのであった。折りしも今日のニュースでは、青山の同潤会アパートの敷地跡が新しく「表参道ヒルズ」となって様変わりした様子が映されていた。その面影は残しながらだと紹介されていたが、しかしそれはもうまったく別物であろう。

投稿者 kinu : 20:55 | コメント (0)