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2006年06月27日
ホトトギスとウグイスとムクドリ
先日26日のTVの『毎日モーツアルト』で、モーツアルトがムクドリを飼っていたことを知った。父の反対を押し切って結婚した後、その許しを得たいと初めて新婦コンスタンツエを連れて里帰りをしたその留守中、長男を無くして悲嘆にくれるが、その悲しみを癒そうとして飼いはじめたらしい。ところが嬉しいことにコンスタンツエが2度目の妊娠をしていることを知り、その喜びの気持ちを表現したのが「ピアノ協奏曲 第17番 ト長調」であると言う。それは生命感のあふれる曲となり、3楽章のはじめにムクドリの囀りを表した部分があるというので、興味津々で聴き入った。
確かに鳥の鳴き声を模した、弾むような旋律がある。しかし日本のムクドリはそんな鳴き声なのかなあと、思うのだった。実を言えば、差別するようだが姿も色もあまり綺麗ではなく、ムクムク ボサボサした印象で、鳴き声だってしゃがれていたような気がする。どなたかご存知だったら教えてください。だからムクドリを飼いたいと言う気にはならないのである。モーツアルトも綺麗な鳥というふうには言っていないようで、おどけたお喋り、時にはふざけたいたずら者・・・憎めないやつ、いとしの道化、などというのだからやはりあまり綺麗ではなかったのだろう。しかし曲で表現された囀りの旋律は活き活きとして心が明るくなる。それは鳥の声そのものではなく彼のピアノの作曲に拠るものなのだろうか。
ところで今この辺りではしきりにホトトギスが鳴いている。昔から夏を代表する典型的な鳥で、その鳴き声も特徴のある馴染みのものだが、なぜか今年はその鳴き声が目立つような気がする。ウグイスもこの辺ではずっと夏まで鳴き続けるのだが、反対にその声があまりしない感じなのである。なぜだろうとふっと思う。ホトトギスはウグイスに託卵する。とすると、もしかしてウグイスの卵の方が少なくなってホトトギスのほうが増えすぎたのでは・・・など、要らぬ心配をしたりする。
2006年06月22日
『坂本繁二郎展』を見る
昨日用事もあって出かけたが、そのついでにブリヂストン美術館に行く。
坂本繁二郎は生まれが久留米、そして後年もその近郊(八女)に住んで制作活動をしたのでブリジストン(石橋家)とは深い関係があり、これは美術館開館50周年を記念して開かれたものである。そんなこともあってその生涯(89歳で没)が一望できるようになっていて見ごたえがあった。
私も久留米に子どもの頃住んでいたことがあるので、ちょっとした縁も感じた。八女はお茶の産地である。
TVでの紹介で見たいと思ったのは、日本の洋画の創成期に活躍、パリへも留学しながら青木繁、梅原龍三郎、佐伯祐三といった人たちのように日本の風土を超え、強烈で新鮮な色彩感覚で独特な画風を造ったのとは違って、それらを取り込みながらも日本の風景や馬や牛や人物を、模索しながら日本画や版画の技法にも近づくような形で独自の世界を造っていったような人であることに魅かれるところがあった。名前は知っていたがこれまでしみじみと見たことはなかった。
全体的に油絵でありながら、どこかパステル画を思わせるような色彩、マチエールである。一見単調で淡く地味な色調でありながら、じっと見ていると深い質感があり、確かな存在感がある。東京やパリにいた時期には人物画も多いが、八女に居を構えてからは風景や牛や馬、特に後年はさまざまな馬の画がある。馬の躍動する姿、親仔の情愛をも感じさせる姿、そしてその毛並みにすらまじる独特のエメラルドグリーン。そしてそれは馬自身を描くと共に、その肌につやを与える陽の光や風をも感じさせる印象派的な画風をも思わせられるのである。
高年になると能面や静物画が多くなり、晩年は月(それも満月)を書くことが多く、雲と月、馬と月などの取り合わせなど、風景と言うより一種の幽玄の世界、抽象画、心境画的なものへとたどり着く。
詩人との付き合いもあり、前田夕暮、蒲原有明、三木露風、丸山薫などの詩集の装丁や挿画も手がけているので、どこかそのポエジーに近いものもある。
西洋画に迫る油絵と言うより、西洋画をとりこみ日本的な油絵を創出したと解説にあったが、まさにそういう感じがした画群であった。
はっきりしない曇天で小雨も降り始めていたけれど、会場の中に漂う梅雨の晴れ間のような気持ちの良い空気を味わい外に出ると、雨は止んでいた。こういう日本特有の季節にむしろぴったりの画家かもしれないと思いながら会場を後にする。
2006年06月18日
オペラ『魔笛』を観る
今年はモーツアルト生誕250周年、色々特集が組まれていて、わたしもこれが機会とばかり、かなりモーツアルトにはまっている。これもその記念特別企画ということで、近くに『魔笛』がやってきたので観に行った。
恥かしながらオペラを実際に観るのははじめてである。TVやFMで聞くことがあっても劇場に出かけたことがない。それで、ちょっとワクワクした感じだった。しかも私のような者にも馴染みのある『魔笛』で、2幕全曲である。出かけるときは梅雨空ながら薄日の射すお天気だったが、帰りには雨となった。じめじめした日本とは対照的なヨーロッパ文化の粋を思わせる、豪華な異次元体験を味わった思いで雨の中を帰ってきた。耳の中にはパパゲーノの笛の音、夜の女王のアリア、パ・パ・パの二重唱などがいつまでも鳴っているような気がした。
演じるのは「プラハ室内歌劇場」(プラハ国立歌劇場、プラハ・ナショナル・シアター、チェコ・フイルのトップソリスが集結とある)という。
ライヴというのはやはり映像とは違う。しかも初めてなので何もかも新鮮で、楽しみながらも色々考えてしまったが、それを少しばかり書いておくことにする。なんといっても初心者、滑稽な感想もあるかと思うけれどそれも許していただくことにしよう。
舞台には歌舞伎などとはまた違った重たい深紅の緞帳が下がっている。その前がオーケストラのボックスである。それはちゃんと分っていたのだが、いつもは舞台の上で見るオケが、狭い穴のようなところに入っているのは気の毒な感じもする。その中は、私は3階席であったので覗ける(オペラグラスというより双眼鏡を持って行っていた)が、1階の最前列は前の仕切りの壁が立ちふさがっていて、面白くないなあと思ってしまった。
しかし考えてみれば歌舞伎の場合も同じことで、長唄連が舞台の奥にずらりと並ぶ場合もあるが、多くは舞台の袖の御簾の中にいて演奏している。やはりどちらも音楽と劇とが合体した総合芸術なのだなあと当たり前のことだが思った。音楽だけを聴いているとそのことを余り考えていなかったのである。
序曲が終わるまで、深紅の緞帳に大きくハート型のライトが当たったままで、幕は開かない。どんな舞台が出てくるだろう、どんな劇が展開するのだろうと、その間に期待が高まってくる。そんな気持ちを高めるように、またその内容をも何となく予感させるように、序曲は作られているのだということが実感できる。確かにだんだん心が高まってくるのが感じられる。それが終わると、サッと幕が開くのである。
王子タミーノが、怪物に追われて夜の女王の棲む森の中に逃げ込み女王の3人の侍女たちに救われる場面から始まるが、夜の森にすむ者たちの豪華というかおどろおどろしい衣装は、歌舞伎の誇張されて派手なデザインの衣装とも通じる感じがしたし、どんな場面も観客をあきさせない趣向が凝らされていることも、舞台芸術のあり方の共通性を見る思いがした。大ホールは隅々まで満員で、拍手もなかなか鳴り止まなかった。
オペラそのものや演出についてあれこれ言う能力はまったく持っていないが、とにかく面白く素晴らしく、モーツアルトのオペラの中でも内容面でも構成面でも完成度の高いものではないだろうか、と直感的に思った。
パパゲーノたちカップルを登場させたことが、いかにも天才モーツアルトの軽々と天空を行く才能を感じさせる。それは重々しいイシス、オリシスの神を讃える清らかな正義の世界の中に、人間味あふれる軽やかな風を吹き込み、主題である愛を身近なものにさせてくれるからである。
歌舞伎を比較に出したのでついでに、これも独断と偏見で物をいうと、そこに見られる主題の違いということも考えさせられた。ここでの大きな主題は愛だろうと思うのだが、そこには必ず神の存在がある。これに限らず西欧のオペラには、人間の情欲を含めた愛、究極の愛、神との愛など、愛が問題になることが多いと思うのだが、そしてそれは日本の歌舞伎や人形浄瑠璃なども同様だが、日本の場合は義理と人情と言われるように、主君や親への忠孝といった義理と、人間の自然な心である情愛であり、地上的・横軸的な関係であるのに対し、あちらは天上的・垂直的、なんとなく東西の違いがあるような気がする。
こんなことをくどくどと考えさせられたオペラ初体験。それを祝し帰ってから、ビールで乾杯した。
蛇足一つ。これはまったく初歩的なことで、笑われるかもしれないが、劇が始まると舞台の両袖に字幕が出て、台詞や歌の和訳が電光掲示されたことは私のようなものにはとても助かった。それによって笑い声の生じる場面もいくつか出たのだった。多分歌舞伎の海外公演などもこういうことが行われているのであろう。
2006年06月12日
ムクドリ無事に巣立ったようです
巣がシーンとしているのでもう巣立ったのだろうと思っていたが、確認できたので報告します。
巣のあるお隣さんと出会ったので聞いてみると、やはり鳴き声が全然しなくなったとのこと。
今日ゴミ出しに行った時、それらしい場面を目撃した人がいて話をしてくれました。先の月曜日、その家のエアコンの屋外機の陰に雛が落ちて蹲っているのを若奥さんが発見、人間が触って匂いがつくといけないからと、そっと一緒に見ていると、親鳥らしいのが来てしきりに鳴き、その声に励まされて雛は立ち上がり、それから親に付き添われるように何とか飛んでいったとのこと。しかしその後からカラスも飛んで行ったので、カラスに追われてそこに逃げ込んだか・・・、後は分らないが親が付いているので何とか生き延びれたかも・・と。後にはまだ雛が残っていたけれど、それもきっと巣立って行っただろうと。
まあこれは人間が傍から眺めて勝手に想像した一つの物語だけれども、人間世界とは別に鳥の世界が同じように独自に存在して(植物も昆虫も)、それらが層のように重なり合い、それぞれ独立しながら関係しあって地球上の世界を作っているのだなあ、と思ったものだった。
こんなことを考えたのもこれもまたTVだが、先日渡り鳥の生態を素晴らしいアングルで追いかけたドキュメンタリー映画『WATARIDORI』を見たせいかもしれない。地球上を何千、何万キロの旅をして暮らす渡り鳥などは、人間世界の範疇を超えたところで生きている存在のように思えてくる。それでいて人間の文明の毒をもろに浴びもするのであるけれど。渡り鳥の種類も多く、それぞれが毎年何千キロもすることに感嘆しながら、ついメモを取ってしまったので、すこしここに書いておくことにしよう。
ハクガン 4、000キロ / カナダヅル 3、500キロ / キャクアジサシ 20、000キロ /
シギ、チドリ 10,000キロ /ハイイロガン 3,000キロ / クロヅル 4,000キロ /
カオジロガン 2、500キロ / オオハクチョウ 3,000キロ / インドガン 2、500キロ /
ハクトウワシ 3000 / カナダガン 3500キロ / モモイロペリカン アメリカ大陸横断 など・・・.
とにかくすごい距離である。
2006年06月06日
「割り箸」と『山の郵便配達』
「割り箸」は、自然破壊につながるものか否かと言う議論は前からあって分らなかったが、今晩TVで初めてその実態を知った。
これまでも使い捨てすること自体が、資源の無駄遣いという議論は分りやすいが、実はそうではなく、山林を育てるためには間伐が必要で、それを利用することが出来、またそれが利益をもたらすという点で、結局は山林と林業を育てることになるという、廃物利用という意味でエコロジカルなシステムだと言う意見があり、なるほどと納得してきた。
ところが昔の日本はそうであったが、今はそうではないと言う。今はその90パーセントが中国からの安い材木を輸入しているのだという。中国でも建築材料としては役に立たない白樺だそうだが、今日それも建材として使えるようになり、また割り箸も日本に真似て使うようになり、山林破壊も進んできたため材木の値上げが持ち出されてきて、割箸業界やそれを使用する外食産業、コンビニは大慌てらしい。
そこで国内の割箸産業の復活をと方向転換しようとしたところ、中国からの安い輸入に押されて、ほんのわずかな家内工業をのぞいて多くが廃業してしまっているのだそうだ。そして資材を提供してきた山林自体も荒廃してしまっているそうなのである。(その地は吉野という)
安価とスピード、利便性を追い求めてきた私たちが辿ってきた道である。中国だって同じことで、それに気がついて引き返そうとしているだけであるが。
そしてその後やはりTVで映画『山の郵便配達』を見てしまった。というのもこれは岩波ホールですでに見ているのだが、また見てしまったのだった。ご覧になった方も多いと思うがとてもいい映画である。
物語は単純で、中国の山岳地帯(湖南省)に転々と散らばる小さな集落に、手紙や新聞を一往復2泊3日がかりで険しい山道や川、崖をよじ上ったりして歩いて届けて回る郵便配達員の物語である。引退する父が息子とともに歩く(共に行くシェパードの犬がまた利口で可愛くて見ているだけで飽きない)たった一回の行程の話なのだが、そこには回想が重ねられ、山の集落の生活があり、村人と配達員との絆があり、そこにも発展していく近代国家の影も落ちることもあるものの、まだここには貧しいながらも自然と人間の豊かな結びつき、そして親子をはじめとする人と人との絆の輝きがあって、心が深々としてくるのである。
急速に経済発展を遂げる中国の、これはもう一種の郷愁のようなものになっているのかもしれないけれど。
折りしもこのところ村上ファンドの社長が逮捕されて、世は大騒ぎ。これもただ金 金 金 と経済効率の世界。安ければ売れる、安いのが勝ちの世界。金儲けをしたものが勝ちの世界。私たち消費者もつられて、安いものを、便利なものをと追い求めてきた付け、すなわちその崩壊が今来ているのだろう。
割箸産業で生活していた吉野も山の村である。その村と山林を荒廃させたのも、私たち消費者にちがいないのである、とつくづく思いながら『山の郵便配達』を見ていたのであった。
2006年06月02日
ムクドリの雛は無事。
台所や庭に出て耳を澄ますと、しきりにジャジャジャ(ピヨピヨなどと可愛らしくはない)という雛らしい声がきこえてくる。
雛は無事に育っているらしく安心する。
餌を運んでくるのは朝方や夕方が多いようで、日中はシンとしている時もある。だがやたら騒がしい時があって、そんなときは他の鳥の鳴き声もして、カラスがいることが多い。騒がしいのは親が辺りを警戒して、威嚇の叫びを上げているのか。だが考えてみれば、戸袋というのはなかなかいい場所だな、と思う。雨風は防げて、人の手が入れるようにえぐられた部分を持っているので、そこを出入り口にすると住処となる。穴はカラスが入り込むには小さいのである。ただ最大の障害は人間であろう。だからそこがほとんど使われていないところだと、ちゃんと観察した結果でもあったのだろう。しかもそこの真向かいの、かなり離れた場所にテレビアンテナが立っている。そこからは辺り全体が見下ろせ、また戸袋には一直線だ。うまく選んだものだ。
しかし巣に餌を運び入れる瞬間を見ようとするのだが、それを見るためにはかなり不自然な格好をして待たねばならないのでなかなか果たせない。
昨日は真夏日になったところもあって蒸し暑かった。日が大きく傾いた夕方、六国見まで散歩した。ウグイスもまだしきりに鳴いているが、ホトトギスの声があちこちする。「目に青葉 山ほととぎす・・」である。ホトトギスが生きられるのも、托卵するウグイスがいるからであろう。だが卵を預けるウグイスがいない場合、本当にホトトギスは自分で卵を育てられないのかしら。それともただ子育てがうまいウグイスに頼って怠けているだけかしら、などと思う。
電線の上で盛んに囀っているホオジロが一羽いた。囀りは縄張り宣言や雌を呼ぶときなどとよく言われるが、胸毛をふくらませ、嘴を天に向けて胸を張り、声高らかにしきりに囀り続けるその姿を見上げながら、本当にそういう限られた目的だけだろうか、という気持ちがする。雨がちだった日の貴重な晴天、涼しくなった夕方の空気の中で、快く嬉しくなって、心から楽しい気持ちで美声を張り上げているのではないか、自ら楽しんでいるのではないかと思わせるものがあった。