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2006年06月06日
「割り箸」と『山の郵便配達』
「割り箸」は、自然破壊につながるものか否かと言う議論は前からあって分らなかったが、今晩TVで初めてその実態を知った。
これまでも使い捨てすること自体が、資源の無駄遣いという議論は分りやすいが、実はそうではなく、山林を育てるためには間伐が必要で、それを利用することが出来、またそれが利益をもたらすという点で、結局は山林と林業を育てることになるという、廃物利用という意味でエコロジカルなシステムだと言う意見があり、なるほどと納得してきた。
ところが昔の日本はそうであったが、今はそうではないと言う。今はその90パーセントが中国からの安い材木を輸入しているのだという。中国でも建築材料としては役に立たない白樺だそうだが、今日それも建材として使えるようになり、また割り箸も日本に真似て使うようになり、山林破壊も進んできたため材木の値上げが持ち出されてきて、割箸業界やそれを使用する外食産業、コンビニは大慌てらしい。
そこで国内の割箸産業の復活をと方向転換しようとしたところ、中国からの安い輸入に押されて、ほんのわずかな家内工業をのぞいて多くが廃業してしまっているのだそうだ。そして資材を提供してきた山林自体も荒廃してしまっているそうなのである。(その地は吉野という)
安価とスピード、利便性を追い求めてきた私たちが辿ってきた道である。中国だって同じことで、それに気がついて引き返そうとしているだけであるが。
そしてその後やはりTVで映画『山の郵便配達』を見てしまった。というのもこれは岩波ホールですでに見ているのだが、また見てしまったのだった。ご覧になった方も多いと思うがとてもいい映画である。
物語は単純で、中国の山岳地帯(湖南省)に転々と散らばる小さな集落に、手紙や新聞を一往復2泊3日がかりで険しい山道や川、崖をよじ上ったりして歩いて届けて回る郵便配達員の物語である。引退する父が息子とともに歩く(共に行くシェパードの犬がまた利口で可愛くて見ているだけで飽きない)たった一回の行程の話なのだが、そこには回想が重ねられ、山の集落の生活があり、村人と配達員との絆があり、そこにも発展していく近代国家の影も落ちることもあるものの、まだここには貧しいながらも自然と人間の豊かな結びつき、そして親子をはじめとする人と人との絆の輝きがあって、心が深々としてくるのである。
急速に経済発展を遂げる中国の、これはもう一種の郷愁のようなものになっているのかもしれないけれど。
折りしもこのところ村上ファンドの社長が逮捕されて、世は大騒ぎ。これもただ金 金 金 と経済効率の世界。安ければ売れる、安いのが勝ちの世界。金儲けをしたものが勝ちの世界。私たち消費者もつられて、安いものを、便利なものをと追い求めてきた付け、すなわちその崩壊が今来ているのだろう。
割箸産業で生活していた吉野も山の村である。その村と山林を荒廃させたのも、私たち消費者にちがいないのである、とつくづく思いながら『山の郵便配達』を見ていたのであった。
投稿者 kinu : 2006年06月06日 21:52