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2006年07月04日
「ヨコハマメリー」を観る
まだ横浜で上映している、良かったですよ、と水野さんに教えられて見に行った。
一時は行列ができるほどの混雑だったようだが、館も変わり平日なのでゆったり観られた。
横浜の街に戦後から最近までずっと一人で立ち続けた米軍相手の娼婦の半生の物語で、戦後の街の映像やインタビューなどで構成したドキュメンタリー。
顔を真っ白に塗り、白いドレスを着ていたことから、人々から奇異の目で見られ、注目されていた。私は見かけたことはなかった。しかし関心はあって、新聞記事を切り取ったこともあり、それはこの映画の前に女優の五大路子さんが、彼女をモデルにした一人芝居「横浜ローザ」を公演していた頃の話で、メリーさんを知る人を訪ねてインタビューをするTVのドキュメンタリー番組の紹介であった(98.8,9)。もちろんこの話も映画には取り入れられている。その当時も、すでに街からは離れ、老人ホームで暮らしているとのことであったが、今度の映画では、そのホームまでカメラは追いかけており、と言うより彼女に親友のように接し交流もしたシャンソン歌手の永登元次郎さんが訪ねるという結末があり、それが或る感動をもたらす。
五大さんのお芝居のフィナーレで、感動した観客は「五大さーん!」でなく、「メリーさーん!」と言って触ろうとするのだと、五大さんが熱っぽく喋っていたのも印象的だった。それは新聞のリードに「『ハマのメリーさん』軸に横浜の戦後裏面史たどる」とあったように、その背景には横浜の戦後の庶民史と復興によって変わっていく街の姿かあり、それへの人々の愛惜と共感があるからであろう。
私は見かけたことがないが、ハマっ子の徳弘康代さんはよく見かけたらしく、「ペッパーランド」の今号にそのことを取り入れた詩を書いている(メリーさんその人をではなく、一つの点景としてである)。
しあわせおばあさん
−略ー
むかしこの街に
まっ白く化粧した白いドレスの
しあわせおばあさんがいた
メリーさんと呼ぶ人や
シンデレラおばあさんと
呼ぶ人がいた
街角にすっと立っていて
ほとんど動かなかった
もうシンデレラおばあさんは
いないけれど
高島屋あたりに立っていたことを
覚えている人は少なくない
あのおばあさん
どうやって暮らしていたんだろう
-略ー
その立ち姿には、不幸だとか惨めだとか哀れなどという言葉をはね返すほどの毅然としたものがあったのである。横浜という地は、大空襲にさらされ、敗戦になったときは厚木基地に降り立ったマッカーサーが宿泊したのが横浜のホテル、それに象徴されるようにその後米軍の町になっていく。いわば戦後の日本を象徴する町の一つ、そこで娼婦とはいえ一人、気位高く生き続けた生涯であった。
どうやって暮らしたかも映画を見るとすこしは分り、又どこで寝泊りしたかも分ります。
戦後という混乱期の舞台で十分に自分の役を演じきったメリーさんが、実は故郷に帰ったということも初めて知った。その引退先の老人ホームで、真っ白い仮面を脱いだその素顔の美しさには感動すら覚えた。
元次郎さんの歌う「マイウエイ」、まさにメリーさんの生涯そのものを歌ったようなその歌詞(それは元次郎さん自身にも重なる)に頷きながら聞き入るその顔は、周りのお年寄りたちの中でも際立っており、輝きを帯びているようにさえ感じられたのである。
まさに「しあわせおばあさん」の顔であった。
投稿者 kinu : 2006年07月04日 17:02