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2006年09月23日
「ハンノキのコンサート」(2)
自然の中のコンサートは楽しかったが、第一部がこの催しの趣旨なのであった。
「南米パタゴニア原生地区の自然と身近な保全について」という題で、スライドによる現地の説明と、同じく保全に携わっている人を交えた3人のトーク。その中の一人が、いつも案内をしてくださる野鳥の会の加藤さんである。
パタゴニアは、南米のチリとアルゼンチンにまたがる広大な地域だという。
タイトルには「原生」とあるが、実は家畜の過剰放牧、森林伐採、石油採掘などさまざまな環境破壊に直面している地域でもあるとのこと。そこをある企業が、環境保護グループに協力して、土地をトラストして、それを原生に近いまで回復させた末、政府に土地を寄贈し、国立公園として永久に保存する活動を始めたのだという話である。その会社名がパタゴニア社(アウトドア・スポーツウエアなどの販売)。それで私は最初は土地の名前と混同して戸惑ったのであったが。
その会社は、世界各国にある支社の従業員をボランティアとして派遣し、日本からも今回7名ほどが派遣され、その一人がこの日のパネラー(赤星明彦氏)であった。ボランティアといってもこれまでどおり会社からは給料の出る仕組みで、「パタゴニア・ナショナル・パーク」プロジェクトという。
自然に戻すといってもその広さといい規模といい、台峯と比べたらアリとゾウくらいの違い、いやもっとかもしれない。今牧場を無くし、原生に返すところだそうだが、その牧場の広さは神奈川県ほどなのだという。しかしそこには羊と共に生きてきたガウチョと称す牧童たちの生活がある。その生活権を考えた上での計画なのだそうだ。実際今化学繊維などの発達から、羊毛は生産過剰になって値段も下落してきているともいう。
また実際、牧場を廃すといっても、ただそのまま放置するわけにはいかない。牧場を囲っていた金網の撤収だけでも大変である。総延長800キロに及ぶそれを巻き取り(そのままにしておくとそれに引っかかって死ぬ動物が出てくる)、杭を一本一本手で引き抜き、またその穴を埋めねばならないのである。
いったん壊した自然であるから、その地にあった生態系が取り戻せるまでの草刈などの管理も必要になる。そのためガウチョたちの生活もあるので、エコツアーの誘致などでも経費も得られるような計画など、考えれば気の遠くなるような計画ではあが、着々と進んでいるようであった。
この会社の設立者が、そういう環境保護活動を進めていた女性経営者(夫と協力)であると聞いて、嬉しかった。
自然を壊している最大の原因は人間の生活そのものである。特にそのための利益を優先させるのが企業であろう。しかし「死んだ地球からはビジネスは生まれない」といい、それゆえ会社を使って環境にいいことをせよ、というのがその社の方針であると、そのパネラーはこの会社をよろしくと宣伝をもかねて話を結んでいたが、企業のあり方もこれからは変わらなければならないだろう。この会社は、ボランティアだけでなく総売り上げ(利益ではなく)の1パーセントを環境に返しているそうである。
パタゴニア社という会社があったのかなあ、これから気をつけてみようと思ったのだった。
2006年09月20日
第7回 ハンノキのコンサート(1)
台峯の自然保護運動を進めるにあたり、その感性を通したものにしようとコンサートもしばしば催され、それにはこの地のシンボル的なハンノキが冠されている(利益は環境保護に使われる)。それを先日の台峯歩きの後、聴きに行った。
会場はお寺の本堂である。広々として天井の高いお堂のご本尊の前で、開け放たれた庭から風や虫の音など自然の空気が流れ込んでくる中での演奏は、音楽堂とはまた違った趣がある。最近、この辺りではこのようにお寺で開かれることも多くなった。
内容はやはりクラシックが多いのだが、今回は二十五弦筝と薩摩琵琶である。
午前中歩いて、快い疲れをしているので、琵琶など聴いていると、途中で眠くなるのかもしれないと思ったが、確かにふうっと夢うつつになりそうなところもあったけれど、日本の古典楽器が今の息吹を吸って若々しく甦った演奏には目が覚め、感動した。
演奏は、薩摩琵琶は荒井靖水、二十五弦筝は荒井美帆の若いご夫妻であるが、ジャンルを超えた演奏で国内海外を問わず大いに活躍している実力者であるようだ。普通の琴より弦数の多い琴は、いっそうハープに似て、いかにも日本的と思われる琵琶も、時には猛々しくまた嫋々として、素晴らしく息が合っていた。
演奏題目は、
『忘れ水』 演奏も作曲もお二人で。
『巌流島』 伝統的な勇壮な琵琶の曲、琵琶のみ。
『糸の道』 演奏はお二人で。作曲は武智由香(西洋音楽を勉強後伝統楽器の作曲も多く手がけ、国内外で活躍高い評価をえている作曲家)これはフランス、ニース国立美術館委嘱作品。
折りしも次の日だったか、TVで関口知宏さんが、NHK伝統和楽団の若い女性演奏家たちを引き連れて、カナダのメープル街道を演奏して歩く番組が放映されていたが、そのメンバーも琴、三味線、琵琶、尺八の演奏家たちで、彼女らが森の中や街頭、教会などで演奏していき、人々と交流していく。前の日の演奏を思い出し、音楽も人もそして自然も国境を越えたものだ、としみじみ感じた。
実はこの演奏は、コンサートの第2部である。1部については回を改めて書くことにします。
2006年09月18日
初秋の台峯歩き
台風13号が、九州地方などに突発的に大きな被害を残しながら去っていこうとしているが、日曜日の昨日、台峯歩きに参加した。台風の予報もあって曇り空、雨にならなかったのが幸いであった。10人ほどだったのでゆっくりと、花や昆虫にルーペを当てて観察したりしながら歩いた。
萩の花があちこちに群れ咲いていて、特に白萩には秋のすがすがしさを感じ
る。彼岸花も咲き始めており、園芸種が野生化したものだが秋海棠の群落、ヤブミョウガの実。
この回の目玉は、なんといっても実りの稲田。2箇所とも黄金色に広がり(1つはもう消失)、その上を蝶、そしてトンボも飛んでいた。まだアキアカネは山から下りてこない。アキアカネは、後10日ぐらいしたある朝、突然群れをなして平地に降りてくるのだと言う。田の面一面に薄い網が張られていて、この作業も大変だろうなあと思わせられる。田植えをした頃から見ているので、感動的である。今年はまだ台風がこの地には訪れていないのでいいけれど、このまま無事であって欲しいと思う。田んぼ自体もまた。
今日の学習項目は昆虫であった。前回は旅行していたので休んだが、実は「マツムシを聴く会」をもったのだという。まだこの辺はミンミンもツクツクも鳴いていたが、これからは虫の季節である。この辺りには4〜50種ぐらいはいるだろうという、そしてその中から30種ほどのキリギリス科、コオロギ科の名前と鳴き声が挙げられていたが、種類の多さに驚いた。そんなにいるものだろうか・・・。最初は5種類ぐらい聞き分けられる事を目標に、慣れれば誰でも10〜20種は聞き分けれます、と書いてあったが・・・・。
道端の小さな葉っぱのウラに2ミリほどの虫がいて、それがクサヒバリだと教えられた。ブイりりり・・・・と細い連続音で鳴くというが、こんな小さな虫まで鳴くのですね。
鳴き声の王は、エンマコオロギ、女王は、カンタンだとのこと。
最近は外来種で急激に増えているアオマツムシの高い声に、秋の夜が独占されている感があるが、細い声にも耳をすませることで、次第にムシ耳になっていくのだということでした。時間にもよるが、まだ虫の声は少なく、また指摘されても耳に入らない事もあって、私はまだままだムシ耳からは遠いところにあると実感。外来植物としてセイタカアワダチソウは有名になりましたが、これも同じく外来で、荒地に必ずやってきて背が高くなる、アレチノギクの別名を何というかご存知でしょうか。鉄道草、または西郷草とも言うそうです。これが日本に入ってきたのは明治の鉄道が敷設し始めた頃、その車輪などで運ばれて広まったことから、また西南戦争の折、薩摩軍の西郷さんが、背の高いこの植物に身を隠しながら逃げたといういわれから来ているとも。
どんな植物にもそれぞれ歴史があって、それを知るだけでも面白いようです。
2006年09月10日
もうひとつの「9・11」を思う初秋の夕べ
今日は、アメリカの9・11同時多発テロ5周年。しかし昨日わたしは、それとは別の9・11を思う会に出席した。ラテンアメリカのチリにおける「9・11」事件である。これまで私はこれについて全く無知であった。多分日本人の多くが同じようなものなのではないだろうかと思う。
チリの詩人ビオレッタ・パラの『人生よ、ありがとう』の翻訳者である水野さんが朗読をするというので、参加したのである。プログラムはそのほか、「世界は、たくさんの『9・11』に満ちている」(太田昌国)、「チリへの思い」(画家、富山妙子)、9・11事件(軍事クーデター)の首謀者「ピノチェット将軍」を描いた著書の翻訳者(宮下嶺夫)の話などがあり、富山さんの絵が並び、パラをはじめとする歌が流れ、チリのワインや手作りのつまみまで振舞われる、楽しくも充実した、だが刺激的で深く考えさせられる会であった。
確かにアメリカでのテロは許しがたい、悲劇的な大事件である。しかしここでは、その悲劇を自分たちだけが蒙った特別な独占物とするな、という。それを争いや憎しみを克服する原点としてこれまでの事を考え直そうと言うのであればいいが(もちろんそういうことは市民レヴェルではやられている)、それを口実にテロへの戦いと称して、武力で世界へ自らの優位だけを誇示していこうとする国家の姿勢が変わらなければ、テロは決して収まらないだろうからだ。
チリの1973年9月11日は、南米チリで軍事クーデターが起こった日という。これは社会主義政権(稚拙で不満も多い政治であったにせよ植民地から開放された民衆によって作られた)が、軍部によって倒され、その後、凶暴な軍政によって民衆は苦しむ。その背後にはアメリカがいた。同じ構造が、植民地時代の宗主国が引き上げた後のラテンアメリカでは起こっているのである。これを聞きながら、私はベトナムでも同じだったではないかと思った。それはアフガニスタン、イラクにも通じる。
大々的に報じられるマスコミの、大きなニュース、そして次々に現われては直ぐ消えていく現象のみに振り回されずに、その裏にあるものや地味であっても大切な事柄をしっかり見ていく事が必要だなあと思った。
80歳という富山さんの情熱的で意志的な、姿勢正しい美しさに圧倒されながら、日本は今堕落している、自分は今その堕落を噛みしめていると言う言葉に、つくづくわたしもそれを噛みしめねば・・・と思ったのだった。思うだけなら易しいけれど・・・・・
帰りの夜空に中秋の名月をやや過ぎた月が、くっきりと眺められた。