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2007年06月26日
生粋の地元生まれの「蛍」を見に行く
6月25日の新聞に「ホタルの放流やめて」の記事があった。最近、蛍に人気がでて、あちこちで飼育や放流をするようになったが、別の場所で捕らえて放流すると、遺伝子汚染が起き(地域によって異なるという)、習性も違う事から生態系を乱す恐れがあると、研究者たちが声を上げているという。
しかしここの蛍は、生粋の地元生まれである。案内者のKさんも、それらのことに深く憂えている一人である。そのKさんに連れられて、先の土曜日の夜、蛍を見に行った。街灯などからは遠く離れた真っ暗な谷戸であるから、一人ではとうてい怖くて入れない。総勢20人足らず、幼い子どもも2人参加した。
昨年は7月9日であったから、今年は少し早い。もうたくさん出ているという。
昨年は小雨の中だったが、今年は梅雨が明けたような夏空で、半月がくっきりと空にあり、まさに月影といわれる木々の影が足元にみられた。月の光がいかに明るいかを実感しながらも、亭々とそびえる木の下闇の道はおぼつかない。
入る前にいつものように心得を聞く。足元を照らす懐中電灯はやむを得ないにしても、決して宙を照らしたり、いわんや蛍などに決して向けてはならない。直接当てると目がくらんでしまうからだ。また蛍は体が柔らかいから決してつまんではいけない。衣服や腕になど止まったときは、そっと手のひらに移して移動させる事など・・・。またどうしても近くにいる蛍を観察したかったら、電灯のレンズの先に赤いセロファンをかぶせて光を弱めてでなければいけない。
やっと暗くなり始めた7時過ぎから歩き出し、谷戸にはいるときに手を合わせる。「入らせてもらいます」と、そして「事故が無いように」と。Kさんに倣って皆そうする。
体調の悪い人はいませんか、とKさん。また霊感が強い人もちょっと恐いですよ、今日はずっと池の奥まで行きますから・・と。足の裏の土のでこぼこをしっかりと意識しながら、盲目の人が歩く感じになりながら前の人に遅れないように従いていく。
今年はとてもたくさん蛍が飛びました。
光の強い(体も大きい)源氏蛍ばかりで、平家は遅れているという(去年は同時に見られた)。200匹ぐらいは光っているでしょうと。あちらでもこちらでも、光の明滅があり、それが左右に上下(10メートルぐらいは上がる)に移動するのは、雌へのアッピール、またはそこへと近づこうとしているのか、この光の饗宴も9時になるともう収まるとの事。夜に入っての一時間が、彼らの生死をかけた婚姻の勝負なのです。飼育すれば一週間くらいは生きるかもしれないが、普通は2,3日で死んでしまうのだそうです。そういう真剣な営みの場に、ニンゲンが入り込んでいるのですから、出来るだけ邪魔をしないのが礼儀でしょう。
実は200匹は、少し多すぎるということです。ここでは100匹ぐらいが適当で、多ければよいということではないとのこと。必ず反動があるし、また環境の変化を物語るものかもしれない。特に最近は蛍の養殖業者も出てきて、餌になるカワニナの代わりに、オーストラリアからそれより大型の貝を輸入して育てるという方法も行われていて、それを川に捨てるとそれが繁殖してカワニナを駆逐するという現象も出ているとか。すなわち生態系が狂ってくる。多少の上下はあってもその地に合った常態であることが望ましいのです。
一時間あまり、前日の雨でぬかるんでいるところもあったりで足元を気にしつつ、緊張しつつ感嘆しつつ暗い森をさまよった後、出てくると彼方の里の灯が懐かしく感じられた。
2007年06月24日
「グレゴリー・コルベール展」に行く
「ashes and snow」展が終わりに近づいていると言われ、駆け込みの感じで出かけた。どうしても見たかったからである。その後コンサートに出かける日となっていたので、連チャンとなった。
お台場に設えられたコンテナを積み上げて造られたような巨きな会場の内部は薄暗く、内部には砂一粒さえも浮き上がって見えるような臨場感のある、しかしセピア色のスクリーン状の写真パネル群、その元となった動きのある映像が、3箇所に映し出されており、全体に流れる宇宙的な音楽によって、しばし見るものは神秘的な世界に漂わせられる。
地球上で一番大きなゾウ、クジラをはじめヒョウやタカ、その他マナティ、チーター、もっと小さな動物・鳥たち、それらとニンゲンとの共生というより、静かに寄りそい、時には共に踊り、愛撫するほどに接しあい、またはクールに存在しあい、そして祈り、瞑想する、奇跡的な調和の世界が繰り広げられているのであった。すべて合成写真ではなく、そのままの写真・撮影である。どうしてこれが可能であったかということの方が奇跡のように思える。15年かかったというのも当然だろう。
それにしてもこのようにニンゲンに優しく、静かな動物たちを実際触ってみたいものだなあ・・・
この世界を要約したようなメッセージを次に掲げてみます。
この世のはじめには、大空いっぱいに空飛ぶゾウがいた。重い体を翼で支えきれず、木のあいだから墜落しては、ほかの動物たちをあわてふためかせることもあった。
灰色の空飛ぶゾウたちは皆、ガンジス川のみなもとに移り住んだ。そして、翼を捨てて地上で暮すことにした。ゾウたちが翼を脱ぐと、無数の翼は地上に落ち、雪がその上をおおってヒマラヤ山脈が生まれた。
青いゾウは海に降り、翼はヒレになった。ゾウたちはクジラになったのだ、大海原に棲む鼻のないゾウに。その親戚にあたるのがマナティ、川に棲む鼻のないゾウだ。
カメレオンゾウは、翼を捨てなかったが、もう地上には降り立たないことにした。眠るときには、カメレオンゾウたちはいつも空のおなじ場所で横になって、片目を開けて夢を見る。
夜空に見える星は、眠っているゾウたちの瞬きをしない目。ぼくたちのことをできるだけ見守ってやろうと、片目を開けて眠っているゾウたちの。
これを読んだ時ふっと、これはまさに水野るり子さんの詩の世界だなあ、そこに通じているなあ・・・と思ったものでしたが、いかがでしょうか?
そこから帰って一休みして、コンサートに行きました。安くて割引のある席でしたが。
ベルリン交響楽団。 シューベルト:「未完成」 ベートーベン:ピアノ協奏曲第5番「皇帝」 同じく:交響曲第5番「運命」。 指揮者は、テル・アヴィヴ生まれのオール・シャンバダールという、ちょっとビール腹(今ではメタボが心配ではないだろうかと思ってしまう)の貫禄ある人、ピアノはタシケント生まれのエフゲニァ・ルビノヴァという「恐るべきパワーと想像力を持っている」と評判になったという国際コンクール2位の美しい女性。アンコールも全部で4曲もサーヴィス。
その日、私の方がメタボリック症候群になりそうなご馳走ずくめの一日で、楽しかったですがほとほと疲れました。贅沢ですね。
2007年06月11日
「パタゴニア」社について
最近、新聞が大きく様変わりしたように感じられる。ニュース性や物事の真実に迫ろうとする真摯さや意気込みが薄れ、情報の多彩さや読み物的なものが多くなり、読者の関心には敏感で、その参加やサービスにあれこれ努める姿勢になった気がする。もちろんこれはインターネットなどの急速な発展で、新聞も生き残り作戦で大変なのだと思うけれど、情報があふれる割には私にとっては読みたい部分が少なくなり、資源ごみばかりをやたら増やしている有様である。
その読み物的な附録版の「be」のBusiness版(土)の一面は、創業者や起業家が紹介されていて、関心のない私は大抵素通りしてしまうのだが、この日(’07,6.9 朝日)は「おや?」と思った。
パタゴニア創業者、イヴォン・シュイナード(68歳)さんが、サーフィンしている姿が出ていた。
「パタゴニア社」
この会社について、私は’07,9,23のブログ「ハンノキのコンサート(2)」に書いているので、関心のある方は見てくださってもいいのですが、これは古いお寺のお堂という自然に囲まれた中で開かれるコンサートであるが、この日は自然保護、地球の環境を考えるをテーマにした体験談や講演も行われたときで、そこでこの社の話を、初めて聞いたからである。
今日、地球の環境破壊の元凶は、近代化でありそのための経済活動であるが、私たちはそのなかに現実として生きているのであり、それを止めるわけにはいかない。(消費もその一端を担う大きな経済活動)そして経済活動自体が、つねに成長と効率と利益を上げねばならないという宿命を持っているともいえる。しかしその観念を大きく変えて、しかも会社として存続し続けているこの社は、これからの産業や経営の在りかたを示唆していると思え、とても関心を覚えたのだった。
その社の在りかたは、新聞を読んでくだされば分りますが、ちょっと簡単に紹介だけしておきます。
先ずその企業理念は、「私たちの地球を守る事を優先する」ということで、そのため「成長のための成長、利益のために利益は追わない」、「最高の製品を作り、環境に与える悪影響を最小限に抑える」、「ビジネスを手段として環境危機に警鐘を鳴らし、解決に向けて実行する」というのである。実際の売り上げの1パーセントは自主的な「地球税」として寄付し、またクラフトマンシップ(職人気質)を追究し、個人的な利益も多く地球環境保護のために醵出しているようである。
もちろん社員も理念に沿った生き方をさせ、フレックスタイムであり、品質の高さと自主性による責任感、協調性で効率を上げるというやり方で、「ハンノキのコンサート」で話したのも、その日本社員であった。
最初この社の名前を聞いた時、会社の名前だとは思わず混乱したのだが、確かに南米のこの地方に起こった、大きな自然環境危機に直面した事から、この会社〈この地域を自然公園にしようというプロジェクトから発する〉の名前も付けられたようである。
社長は昔はクライマー、ヨセミテ渓谷の大岩壁にルートを切り開いた一人で、自ら磨きだしたハーケンを売り出すことからビジネスを始めたようだが、(その後それが岩を傷つけることを悟ってその製造をやめる)、新聞の画面でサーフインをしていることからも分るように、アウトドアスポーツ用品製造・販売などのようである。
私はそういうスポーツはダメだけれど、こういう企業が増えることを願います。
社長の言葉、「地球の将来について私はとても悲観的ですが、何もしないことが一番の悪です。私には、会社というパワーがあります。私にできる最善のことは、この会社を世界を変えるツール(道具)として使うことです」。
ブログにも書いたが、この社について知りたいと思っていたそれが果たせた。こういうことがあるので、やはり新聞を読むのはやめられない。
2007年06月07日
初夏の「ゾリステン コンサート」。
みるみる緑がふくらんできました。
あまりに伸び放題にしていた庭木を、思い切って切り詰めてもらったのですが、またぐんぐんと枝葉をのばしているのを見て、植物の生命力のたくましさを今さらのように感じています。しかしその伸び方の違いがとてもはっきりしていて、ここにも生存競争のきびしさが窺われえます。すなわち邪魔だと思っている木の方がすぐさまぐんぐん伸び、伸びて欲しいものはなかなか新芽すら出さない。人間の勝手などに左右されない、彼らの掟があるわけです。雑草と名づけられるものが、いかに逞しいかというのも、この時期よく分ります。
こんな日の先日、コンサートに出かけてきました。実はこの会が結成されて15年を迎えるとかで、弦楽奏者16人ほどからなるこの演奏会は最初から最後まで和やかな雰囲気に包まれていました。
曲目は
E.H.グリーク 組曲「ボルベアの時代より」 作品40
F.シューベルト ヴァイオリンと弦楽合奏のための
ロンド イ長調 D.438
F.シューベルト(マーラー編曲)
弦楽四重奏曲 第14番 ニ短調 「死と乙女」 D.810
グリークの曲はリズムカルで、舞曲の楽しさがあり、チェロのソロが気持ちよくひびきます。またシューベルトの四重奏曲はアダージョのゆったりしたところや軽快なところで愉しく、独奏者は漆原朝子さんで、素晴らしい音色にうっとりさせられました。これはシューベルトの唯一のヴァイオリン独奏と弦楽合奏の曲だそうです。
「死と乙女」は、身体的衰えを感じ始めた頃の作品だそうで、シューベルトの絶望感や悲しみが美しい音色の中からほとばしり出てくるような曲ですが、それゆえに泣いた後の安らぎのような快さを感じます。
今、一番昼が長い季節。まだそれほど暑くない、初夏の宵(この言葉を気象庁はあいまいだとして使わないことにしたとか・・)はゆったりとしていて、好きな時間です。でも少しだけ悲しみを底にたたえた・・・。