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2008年06月30日
蛍がたくさん飛びました
梅雨も本番、雨つづきで最初の蛍観察会は大雨で流れてしまいましたが、この日はやっと雨が切れての曇天でした。
それで参加者もふくれあがって27人になってしまいました(本来20人以内とされているのですが)。
今回は雨靴を持って出かけましたが、正解。ところどころ餡子のようなぬかるみになっていたからです。
6時半集合。まだ明るさが残っていますが、そろそろと入って、蛍の出る沼地で待ち構えるのです。明るいうちに入ると眼も闇に慣れて懐中電灯もあまり必要なくなるだろうからとのこと。
蛍に会えるかどうか・・・・。
昨日、入ったときは100匹ほど飛んだ、とMさん。でも今日はどうか分りませんよ。
この谷戸の保存が決まった今回は安心して眺められる、とKさん。これまで、もうこれが見納めかといつも思いながら見ていたから・・・と。
いつものように簡単な注意を受けて入ります。
懐中電灯を蛍に直接向けないこと。なるべくなら灯を使わないで、危ないところでは足元だけを照らすように。また蛍は甲虫だが体が柔らかいので指で摘まむと傷めてしまう。そっと掌に載せる位する事ならよろしい。まだ鶯の声がする。それは直ぐ止んだが、ホトトギスはまだ鳴き続ける中を、足元に気をつけながら前の人につづき、だんだん暗くなっていく中を進んだ。
沼の奥に来て、蛍を待ちます。昨年は晴れていてお月様も同時にながめられましたが、この日はどんよりした空で、最前から雨もポツポツ頬に当ったりしていました。風もなく、蛍が出るにはいい日和なのに・・・と。
一番蛍を見つけたのは、やはりKさんでした。7時半でした。
それから一つ、ふたつと、あちこちで光り始め、あちこちから声が上がるようになりました。
沼の対岸は山で、そこが舞台で、沼を隔てたこちら側の細道に一列に並んでの見物です。
だんだん数を増した光は、明滅しながら飛び始めました。そしてだんだん私たちの方に飛んできます。女の子が蛍を掌にしました。やはり蛍も少女の肌の方が好ましいのでしょうか。雌を求めて飛び交っているのです。暫くのクライマックス。これも8時過ぎると又少しづつ少なくなってきます。ほんの1時間ぐらいが勝負です。蛍にとっては年に一度の婚姻の宴です。
少しづつ場所を移動させながら蛍の乱舞を堪能します。光の様子から源氏ホタル(光る息が長い)です。平家(息が短い)の方が時期的に遅く、今年もまだほんの少ししか見られませんでした。 来週ぐらいに見られるだろうとKさん、でも数が減っているようだったら問題だな。
沼にはハンゲショウが夜目にも白く眺められました。前回でハンゲショウ(半夏生)のこと書きましたがこれは半化粧とも書くようなので、ちょっと訂正しておきます。でも別の群生地のほうはまだ葉は青いまま、
日当たりがあまり良くないからでしょうか。8時過ぎた頃、引き返します。ヒキガエルの鳴き声がします。昨年はウシガエルの声も聞こえたのになあ。
8時半に解散です。Kさんによればここには200匹ぐらいは生息しているとのこと。
今日は市役所の人も2人仕事として参加されたようでした。
2008年06月19日
台峯は田植えの時期
今回は30人くらいの参加者のうち、珍しい事に三分の一ぐらいが初参加の人で、案内のKさんもちょっと張り切っていました。やはりこの会も常連の高齢化がみられ、後に続く人たちが望まれていたからです。
それで、最初にこの会の成り立ちや経過をさっと説明されたのですが、21世紀に入ってからのこの5〜6年、行政の対応が変わってきたとのこと、むしろ行政の方が意識が進んでいる場合があり、むしろ単純で保守的な住民の方が問題になってきた有様だとのこと。里山の保全についても、100年のスパンのモニタリングが計画されたりして、この会に対しても向こうから意見を聞いてくれたりもするとのことです。
世の中が少しずつ動いていくのを感じます。
今回は田んぼが活き活きしてました。
第一の田んぼでは、田植えの最中。と言っても白い髭を蓄えた人が独りで苗床から苗を運び、植えているのです。大掛かりな田んぼと違って、収穫はその半分、労力は3,4倍も掛かるこの米つくりは、その人の代で多分なくなるでしょう。この田んぼは水源を持っていず、すべて谷戸から出てくる絞り水に拠ります。ですから冬は乾いてしまう普通の田んぼとは違って、常に湿っている。それでそこには貴重な生き物はたくさん生息できるのだそうです。たとえばシオカラトンボ、冬場に湿っているので幼虫が生きられるとのこと。ここがすべて宅地になって家が建ち並んだ光景を想像すると哀しくなります。
そこに至る少し手前でコジュケイの親子を目撃しました。この鳥の大きな鳴き声は、特徴がありよく耳にしますが、姿はなかなか見られません。それがなぜか草むらで堂々と姿を見せて歩いているのです。
その姿が見られただけで、今日出てきた甲斐があったと、言う人もいます。
第二の田んぼはまだ畦=くろ、つくりの段階でした。しかしここでは周囲に宅地開発がすでに迫り、売り出しの幟がはためいています。来年はどうでしょうか。
ホトトギスが盛んに鳴く声を聞きながら谷戸への道に入っていくその時、Kさんが小さな蛇の死骸を見つけました。30センチほどの灰色の紐のようにしか見えないそれは、ヒバカリというおたまじゃくしを餌にしている蛇だそうです。独りで歩いていたらぜんぜん気がつかないものです。Kさんは言います。毎日歩いていても、自然は常に形を変え、その度に何か発見していろいろ教えられると。
その死骸を使って蛇のつかみ方を教わりました。おそるおそるちょっと触ってみました。
さて、蛇に尻尾があると思いますか? 全体が尻尾であるわけはなく、尻尾はちゃんとあるのです! ということも教わりました。
さて、いよいよ谷戸に入ります。ニホンミツバチは健在でした。少し前、その姿が見えないので心配していたのだそうです。TVでアメリカ農場では大量に蜜蜂が死滅して農業に大きな被害が出ているというのを見たばかりでした。けなげなニホンミツバチよ、いつまでもこの木の洞で子孫繁栄させてくれるようにと願いながら、そっとそのそばを通り過ぎました。
湿地のハンゲショウはまだ、白くなっていませんでした。舞台に出るお化粧(漢字は違いますが)はまだのようです。蛍が出てくる頃も間もなくです。今年は2回に分けて蛍観察が行われます。私も参加したいと思っているのですが・・・・。
2008年06月16日
一寸先は闇
先々月の台峯歩きの後頃から、少々健康を損ない外出も控えていましたのでブログもすっかりサボっていました。そして梅雨の晴れ間の今日、散歩程度の運動ですし気晴らしにと台峯歩きに参加してきました。
しかし最近は新聞一面に大文字タイトルで報道される大きな事件ばかりが生じ、平穏でのんびりした山歩きの前に、それについて一言だけでも触れないではいられなくなって、ちょっとだけ書きます。岩手・宮城地震発生時、ちょうどBSを見ていたのですが、単に発生の場所や数字のテロップが流れただけだったそれが急に切り替わり、いつもながら日を追うに従って、次第に深刻な事態の報告となって行きました。
それに温泉宿全体が土砂に流され生き埋めになった駒の湯温泉が、昔々の旅行中、その山奥の鄙びた温泉に泊まろうとしたことがあったことを思い出し、人事ならぬ気もしたからでした。
もし私がそこに泊まった時に、今度のような地震があったらば、私も巻き込まれていたでしょう。まさにそれは運命であって、一寸先は闇です。
それは偶然ですが、とすると今生きていることもまた偶然だと言っていいでしょう。秋葉原も私は歩いたことはないのですが、何かの都合で、たった一回であっても歩いていたとして、刺されたかも知れません。
とすれば今このように生きていることもまた偶然で、それはまさに生きさせられているということで、大げさに言えばそれを感謝して生きるほかはないようです。
折も折、宇宙に飛び立った星出さんが無事に帰還しました。科学の先端を行く宇宙旅行、しかしその足元にある地面の動きはいまだ正確につかむことも出来ず予測も出来ないという皮肉を、まざまざと見せ付けられる思いがします。
とにかく偶然の存在である、はかない生のその日その日を、しっかり生きていくしかない(といつも思っているわけにはいかないけれど)・・と、緑あふれる山道をたどりながら考えました。
台峯歩きについては、稿を改めます。