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2009年08月31日

『源氏物語』宇治十帖 その2

予想を上回るような劇的な政権交代で民主党が大勝した。オバマ大統領のチェンジの呼びかけが、この国の人々をも鼓舞したのかもしれない。どんな風になるかわからないが喜ばしい事である。

さて「源氏」が書かれた一条天皇の時代も、大きく時代が変ろうとしていた(女性にとっては厳しい時代へと入るのであったが)。それは書きはじめにも少し触れたが(父系制度になっていくこと)、じわじわと台頭していた藤原一族の力が、道長の時代になり一気に高まり、その全盛時代へと入っていくからである。いわゆる摂関政治の確立である。

摂関政治とは自分の娘を次々に内裏に入れて外戚関係を結び、皇子が生まれれば祖父として、また次期の天皇の父親として政権を握るというやり方である。
先に入内した中宮(後に皇后)定子は藤原道隆の娘で、仕えたのが清少納言であり、後にまだ若いうちに道長によって送り込まれたのが、女御(後に中宮)彰子で、これに仕えたのが紫式部である。この道隆と道長は歳の離れた兄弟であるけれど、万葉時代もそうであった様に、両家の政権を巡る争いに、最初はそれほど期待されていなかった道長が成り行きや偶然や運によって頭角を現し、中関白家といわれる道隆の家系が瓦解の道をたどり、道長の一族による独裁政権となっていく。いわゆる「望月の欠けたるところなし」という栄華を極めるようになる。勝者となる彰子側に紫式部はいたのだが、この有様を作家としての眼でしっかりと見ていたのである。

敗者側の定子と一条天皇は、稀に見る純愛で結ばれていた同士で、道長側による露骨な苛めからも懸命に守るのであるが、天皇の力でさへ守りきれず、また家臣たち、いわゆる知識人にあたる学者たちでさえ、権力には無力となり定子は悲運のなか(とはいえ一条からは心から愛された幸運も又のちの悲嘆も、とにかく浮沈にみちた)24歳の若さで世を去るのである。後に一条天皇も32歳で没する。
この没落していく後見ゆえに露骨にいじめにあっていく定子を、持ち前の明るさと才気で支えたのが清少納言であった。

少々前置きが長くなったが、「源氏」は、これらの生々しい政治の現実の中で描かれたということ、その人間模様の実像が、この物語のなかには鏡に映る像のように、虚構としての姿であるが映し出されているのだということが、いまやっと読みとれるようになった。「日本紀などは片そばぞかし」といった式部の真意はここにあるのだろう。その事を分らせてくれたのは、『源氏物語の時代いー一条天皇と后たちのものがたり』(山本淳子)である。これはとても読みやすく、歴史の詳細な記載は苦手な私でも、すっと入り込めて物語を読むように歴史を辿る事ができた。
閑話休題。

さて宇治十帖に入ることにしますが、又長くなってしまいましたので、とっつきだけを述べて次回まわしにします。
宇治十帖は「橋姫」からで、源氏と正妻である女三宮の息子である薫は、自分の出自に何となく疑問を感じているせいか若くして出家心が強く、この世をはかなく思っているのだが、かれが山深い宇治の八宮を訪ねるところから物語りは始まる。
前に「六宮の姫君」について述べたが、これからも分るように、「宮」と付いているので生まれは帝の血筋であるわけだが、六番目ということは、恩恵がまわってこない可能性がある。しかもこれは八番目である。それゆえ正統な流れからそれて、政治からも取り残されてしまい、それゆえ出家の気持が深く宇治へ引きこもってしまっている境遇なのである。そこに同じ出家の気持をもつ薫が尋ねていき、思いがけず二人の姫君、大君と中君を垣間見るところから物語は展開するのです。
では続きはまた。

投稿者 kinu : 13:22 | コメント (0)

2009年08月24日

『源氏物語』 宇治十帖 その1

源氏物語は恋に充ちていても、恋の喜びというものはほとんどなく、恋の無常の物語ではないかと思え、心わくわくするところがない。とくに光源氏が亡くなり、その子や孫の時代となる「宇治十帖」になるとその感が強い。ただただ恋の、この世の、無常観だけが漂っていて、姫君たちが哀れなのである。それにわが身を重ねたり、又その情緒に美を、すなわち「もののあはれ」を感じたのかもしれないけれど。
一つに、光源氏という大きな主人公が去ってしまった後を引き継ぐ者たちが小ぶりになったからでもあろう。源氏の分身のような二人の主人公、薫(源氏の晩年の息子となっているが、実は密通によるものであり、直接の血の繋がりはない)と匂(源氏の娘と今上天皇の子、すなわち血のつながりのある孫)が、源氏のそれぞれをまさに受け持った形になっている。すなわち匂が源氏の色好み、浮気な部分、そして薫が源氏の誠実でまめな部分。その二人が互いに同じ姫君またはそれぞれの姫君を巡っての物語を紡ぎだしていく訳であるが、その過程は、今を生きている私にとって、相手の、すなわち女の気持などを微塵も感じず、考えない貴公子たちの身勝手さというか、エゴイスチックな恋心に、いまいましささえ感じる。
それこそ、作者紫式部が感じたものではないだろうか。その男の身勝手さ、エゴイズム、それに翻弄される姫君たちを、女房の立場から見続けていたのである。しかもそこに置かれた姫君はそれらにほとんど抵抗ができない。それは姫君個人の問題、強さの問題ではない。置かれた場と慣習、制度の問題である。
これは前々回にも書いたけれど、すなわち「法制的に父系社会になっていく」、そしてこういう社会では女性は全く財産権も相続権もなく、男に頼るしか生きていく道はない。結婚する前は、父かまたはそれに代わる有力な後見者がいてはじめてひとり立ちできるのであり、それがなければほとんど生きることができない。

宇治十帖の最初のヒロイン、大君と中君は、そういうぎりぎりの境遇に置かれた姫君であった。この詳細については長くなるので、次回にまわします。

投稿者 kinu : 14:57 | コメント (0)

2009年08月17日

台峯歩き(青田とバッタ)

梅雨が明けてから梅雨空が続き、ときどき猛暑になるかと思えばもう、秋の気配がするようになりました。
今日も日本海側の高気圧におおわれて、真夏の太陽の下に秋風が吹いていますが、日曜日も同じような天気になり、台峯を歩いてきました。

お盆である事からも参加者は少数で10名ほど、ゆっくりのんびり観察しながらの歩きとなりました。実はこのくらいが一番いいのだと、Kさん。Kさんの動植物の薀蓄を間近に聞く事ができました(もちろんその多くは素通りしていくのですが)。

今日の目玉は穂をつけた青い稲田と昆虫(バッタ類)です。
第一の田んぼは、すくすくと伸びた青い稲が穂をつけ、花を咲かせていました。広々とした青い絨毯の上には爽やかな風が吹き渡り、トンボが飛び交っていました。稲の花をご覧になったことがありますか。つくづく眺めたのは初めてで、目に付くのは多くはオシベで、メシベはほとんどなく、花びらもないとの事。この時期、花が落ちないようにするため、田んぼにはなるべく入らないようにするのだそうです。
飛び交っているトンボは、ウスバチトンボ(ショウリョウトンボ)、これは竿の先に止まらないのだそうです。よく見られるシオカラトンボ、またシオヤトンボ(このあたりに多いとか)。オオシオカラトンボ、これは第2の田んぼのところで見られました。名前だけあって、目玉は黒々して厳つい感じです。
夏の日差しの下でも青田を渡る風はすがすがしく、心も広やかになります。昔はこういう風景が至るところに見られたことでしょう。その青い葉っぱの上に、Kさんが早速、小さなイナゴを見つけました。保護色なので、それを何気なく見つけてしまう眼には驚いてしまうのですが、その青い色をしたコバネイナゴについての講釈が始まりました。
今日は、そのような稲や草原に棲んでいる昆虫の観察がメインになりました。

第2の田んぼは日当たりがよくないため、まだ穂が出ていません。でも何とか無事に育っているようです。さてさて昆虫ではありませんが、蜘蛛についても今回は観察の対象になりました。蜘蛛もまた彼らが作る巣も、実にさまざまで、精巧を極め、面白いことにも眼を少しだけ開かされました。とにかく蜘蛛が居るということが昆虫が居る、すなわち自然が残っているということだそうです。今、都心では蜘蛛が居なくなっているとのことですが、どうでしょうか。
女郎蜘蛛はよく見られるもので、この家にもいますが、蜘蛛の巣にも注意をして歩いている時、誰かが面白い巣を見つけました。それはナガコガネグモという小さな蜘蛛で、細かな網の真ん中、自分の身体ぐらいの部分だけ、すりガラス状に厚く作っていて、何となく仏像の光背のように見えるのでした。それは自分の身を隠すためだということで、確かに後ろから見れば隠れるようです。
かくのごとく、自然の仕組みの不思議さ巧妙さ、美しさなど知れば知るほど感嘆するばかりで、その道に入れば奥は限りないものに思えますね。

いわゆるこのコースの展望台、老人の畑では、木陰で休憩しながら眺望を楽しみまた群刈りした草むらでのバッタやイナゴの観察。これら昆虫についても、Kさんの説明を聞きながら歩くと、時間を忘れるほどですが、あまりに煩雑になるので省きます。

いよいよ台峯の谷戸に下ります。ところが沼に人がいて、どうも釣りをしているようです。「釣りは禁止」の立て札があるにかかわらずです。Kさんに続く私たちは、行程から少し逸れて近づいていき、Kさんが「何か連れますか」と訊ねました。最初の青年は何も釣れていないようしたが、次の青年は、フナが釣れたといっていたようです。Kさんは静かに、ここは釣りが禁止なのですが、と言っていました。青年がどう答えたのか聞こえませんでしたが、私たちはまたいつもの行程に戻りました。
今日は相手がおとなしい人だった、と言ってましたが、反対に怒ってくる人もあるようです。こんな沼で魚釣をしてもあまり楽しくないような気がしますが、釣りであればどこでもいいのかなあ。

今回は目立つ花は少なく、キンミズヒキ、ダイコンソウ、Kさんが好きだという水玉草、葉っぱが面白い切れ方をする矢筈草、センニンソウ、タカサゴユリなど。
今日はこれまでにします。

投稿者 kinu : 14:01 | コメント (0)