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2009年10月14日

『源氏物語』宇治十帖 大君と中君

薫が宇治の八宮の許に通いだしてから3年が経っている。目的は若くして出家心の強い薫が、仏典への造詣が深い宮に教えを乞うためだったのに、はからずも姫君姉妹の姿を直接見てしまったため、心が動かされてしまう。もちろん姫君たちの事は知らされていたし、間接的にはお互いのことを知っていたのだが、一気に薫の心が高まったのである。これが匂宮であれば、姫君たちがいるということだけで、積極的にアタックするところであろうが、これまでの薫はそうではなかった。このとき薫は20歳、匂宮は21歳、大君21歳、中君は20歳。

折りしも八宮は、近くの師と仰ぐ阿闍梨の寺に7日ほどこもっている最中で、薫はお忍びの単独で馬を使ってであった。さすがにこの時は接近する。そして、この時は、侍女たちによって慌てておろされた簾近くに寄って、消息の和歌を差し上げるのである。しかし姫君たちは容易には返事をしない。こういうとき気の利いた若い侍女でもいれば代わりに返歌をするであろうが、残念ながらやはり世離れした田舎住まいである。
(この返歌もまたそのタイミングも難しい事柄である。あくまでも姫君はつつましく上品でなければならない。それら機微をよく心得た女房、侍女たちを侍らせているかどうかによって、その姫君の格も上がる。そしてたとえ返歌をしたとしても、その文字の良し悪しや散らし書きをするデザインセンス、また紙の種類やその色など、全てひっくるめて評価の対象となる。すなわち単に容貌だけではなく、教養や美的・デザインセンスなどあらゆるものを兼ね備えていなければ、理想的な姫君とはなれない。洋の東西を問わず王朝文化、貴族文化というのは結局そういうものであろう。)
さて、思わぬ訪問を受けた姫たちはというと、宇治という都から離れた山里ではあるが、帝とつながる八宮の姫君たちはその片鱗を備えている。薫のような輝かしい身分の人から真面目に消息をされたら何とかしなければならない。といって対等に堂々と応えて恥を掻くということだってあるわけで、驚いて即答できないままに、大君は「何もわきまえない私どもの状態で、物知り顔でどんなことが申し上げられるでしょう」と、謙遜しながら奥へ退いていくのである。その姿は「よしあり、あてなる声して、引き入りながら、(声を)ほのかにきこゆべく」、すなわち、いかにも由緒ありげで、上品な声をしていて、しかも小さな消え入るような声であり、それがいっそう心を誘うようである。それでもなお薫は引き下がらず、あれこれ細々と話をして、何とか大君から返事をもらおうと思う。と言ってもかえって返事がしにくくなり、そこで老い人の女房にその応対を譲るのであるが、その人こそ薫の実の父親である柏木の乳母であった事がわかり、秘せられていた薫の出自も明かされ、しかもその臨終の様もわかり、遺言も聞かされ遺品も手渡されるという展開になる。すなわち運命の糸に導かれるように、薫はこの宇治と深い縁が出来てしまう。

胸底に鬱積した憂いの種の一つ、出自が判明した事で、いろいろまだ聞きたいことはあるが満足するが、大君の心の声を聞くことはできず、明け方になり、霧も晴れてきて迎えの車まで差し向けられたので、今度は八宮がいらっしゃる時に参りますといって帰って行く。やっとその時薫がしたため差し上げた歌に対して大君から返事がかえってくるのだった。
だがこの話を、つい匂宮に話してしまう。これまで秘し続けていた、隠れ里のような処にひっそりと棲んでいる姫君という夢のようなロマンに、匂が憧れていたということを知りながらである。まめであることで通っていた薫であるから、つい匂宮に自慢したくなったのであろうか。このことが、物語の大きな展開、そして悲劇へと突き進ませる事になるのである。
では、今日はここまで。

投稿者 kinu : 2009年10月14日 15:21

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