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2010年10月25日
女郎蜘蛛たち
急に秋冷、秋雨という日々になって、夏の猛暑の記憶はどこへやら。
小さなわが家の庭には秋の草花でいっぱいです。
ここには女郎蜘蛛たちが大きな巣をかけています。
蜘蛛がいるのは自然が残っている証拠だと、台峯歩きのときのKさんの言葉。
なるほど、廃屋や荒れた庭などにすぐ蜘蛛たちが巣を作るのは、それが自然に帰りつつあるからなんだ!
わが庭もほとんどガーデニングめいたことはやらず剪定も最低限、草ぼうぼうにしているので、特に秋の今はまさに野原の風情。しかし野の草が皆可愛い花をつけ、なかなかです。桜色の花弁と黄色い花蘂の秋海棠、ホトトギス、紅白のミズヒキソウ、タデなど。金木犀の束の間の香りと色が終ったあと、目を楽しませてくれます。
その南庭の上空に、それぞれ1メートルくらいの巣を張っている女郎蜘蛛が、4匹はいます。それぞれ風や虫などの通り道をうまく捉えて、大きな見事な巣をひろげています。それで人間の通り道だけは遠慮してもらって彼女らの様子を眺めています。
家の中でもよく見かけますが(女郎蜘蛛ではない)、蜘蛛は虫を食べてくれるというので殺しません。ゴキブリも食べて欲しいのですが、それは無理のようです。
さてその女郎蜘蛛ですが、黒い脚には黄色い縞模様、太った胴体は黄色の地にラメを帯びた緑青色の縞帯、尻のほうに紅斑があり、いかにも名に相応しい装いで、広げた巣の真ん中に堂々とかまえています(大きいのは25センチほどにもなるという)。そしてそのすぐ近くにもう一匹小さな蜘蛛(全体で1センチにも満たない)がいることにある時気がつき、子どもかななどと思っていましたら、それが雄なのだとやっと知りました。なんという無知であることか!
そしてその雄は、秋も終りになり産卵近くになると、雌に食べられてしまうのだそうです。まさに身を捧げての愛です、とKさんは言います。雄というのはそういう存在なのですね、哀れなものです、と。カマキリもそうですが、産卵のための蛋白源として身を挺すわけですね。
この何日かの雨や風にも巣は耐えていました。しかし幾何学的に素晴らしい網目をみせていた巣もあちこち破れ、繕われ、二重三重になり哀れな姿になっていましたが、蜘蛛自体は丸々と太っていました。そしてどの巣にも、小さな雄の姿はありませんでした。
産卵も間近なのでしょう。そのうち雌の蜘蛛の姿は消え、空き巣となったぼろぼろの網が残されることでしょう。季節は足早に過ぎていくようです。
2010年10月20日
秋の台峯 サシバの渡り
稲穂が黄金に輝く秋です。異常ながらも急に訪れたという感じの日々、台峯歩きは17日でした。やっと残っている2つの田圃は無事実りを迎えているようでした。最初の田圃は稲刈りの最中、次のは少し山間にあるのでまだでしたが。
秋の花たちは暑かったため少し遅れているようです。それでもミズヒキソウとキンミズヒキソウ、菊類のヨメナとシラヤマギク(ヨメナに対してムコナとも呼ばれる。花びらが少なく地味)やノコンギク(ヨメナに似ているが、一本の茎に花をつけるのでなく数本の枝を出して花をつける)、またホトトギス、ツリフネソウ、ミゾソバなど。
ススキ、谷戸の出口あたり銀色に広がるオギ原が秋風をなびかせていました。
セミが終ると同時に鳥の季節が始まるのだそうです。すなわち南に渡っていく鳥たちの季節だからです。今日も目撃できたのはホホジロ、キビタキ、数羽の群をなすヒヨドリ、モズ。エゾビタキは珍しいと、Kさんは大いに感動。しかしこれらを私は自分の目で見たわけではなく、教えられてやっと見つけても姿も色も黒い影絵に見えるだけですし、鳴き声も耳を澄ませてやっとなのですから。
そして、これから11月上旬にかけてサシバの渡りが、通称「老人の畑」といわれる見晴らしのいい場所で見られるということなのです。
そして この日の夜のことですがTVの「ダーウインが来た!」という番組で、図らずも山里で暮らすサシバの生態が放映されていました。
場所は、栃木県の山深くの喜連川の棚田が連なる集落です。
サシバはタカ類ですが、カラスくらいの大きさで、オオタカやハヤブサのように大きくも敏捷でもなく、むしろ彼らに狙われる弱い鳥のようです。それゆえに、獲物は田圃のカエルやトカゲ、畦や雑木林の昆虫など。南から3月ごろ渡ってきて、ちょうど田圃が田起しから田植えが始まる夏に田圃のほとりの雑木林で子育てして、10~12月に子どもと一緒に南の島に帰っていくのだそうです。
すなわちサシバは、人間(の耕す田圃と一緒に)暮らしている。すなわちサシバの環境としてはきれいな川と、雑木林と田圃(畦のある)が必要ということです。
これからこの上空を群れて飛んでいくサシバは、その喜連川で子育てをしたそれらサシバではないかと思いあたり、地図をながめ、地球儀をながめたのですが、まさにそうであるに違いないと思いました。日本で子育てをしたサシバは南方、マレー半島の方に行くらしい。
大海原をまたは山岳地帯を越えていく渡り鳥を眺めるとき、その姿、能力の素晴らしさに感嘆せずにはいられません。
天高く、私の目には黒い点にしか見えないあのサシバが、喜連川の棚田を飛び立って、これから海をわたる長い旅をしようとしているのだと思うと、(今年生まれの子サシバも混じっているでしょう)胸が熱くなる感じがしました。
2010年10月13日
音楽劇『銀河鉄道幻想』(作・のまさとる 原作(宮沢賢治の作品など)
昨夜来の雨が上がった「体育の日」の夕べ、星空を眺めながら野外劇を楽しんだ。
以前にもブログで紹介したが、近くの高校生による演劇である。これまで何度も県大会や関東地区の大会に優勝、全国大会で2位を取った伝統のある演劇部である。
今回は、賢治の作品「銀河鉄道」に、賢治の子供時代や家族関係、その暮らしぶりや人生思想を重ね合わせながら、音楽あり踊りありのオリジナル作品で、樹木に囲まれた丘の上で虫の音を聞きつつ星空を見上げながらの舞台(演出から舞台装置、大道具・小道具、衣装やメイク、音響や照明などすべて手作り)は、若者たちの熱気と鍛錬された演技は素晴らしかった。
特に今回は、舞台の両脇に小さな回り舞台までが作られているのには感心した。それが賢治の家の中になったり、妹のトシのベッドになったり、銀河鉄道の車内になったり、賢治が農民たちに教える教室になったりして、場面をスピーディに展開させるのに効果的だった。
小道具や衣装もあの当時のしつらえで、着こなしもなかなか、着物姿で飛んだり跳ねたりも様になっていた。賢治は音楽好きだったがチェロを初めとした合奏も舞台上での生演奏もあって、楽しい音楽劇ともなっていた。
作家となった賢治が舞台裾に出てきて筋の展開を語るという形式で進んでいく。また、「どつどどう どどう…」の音楽と共に現れる風の又三郎や、最初と最後に賢治の家族写真を出演者で演じさせるという枠組みがあり、子供時代の賢治やその後の活動、トシの死を絡めながら、ストーリーとしては「銀河鉄道」に沿っていく。ジョバンニに賢治を投影させながら、カンパネルラをはじめとして、車掌や鳥捕りや燈台守、死神やカラスや、また火に体を燃やすサソリなど…、衣装も役作りもよく出来ていて楽しめた。そしてそのストーリーの中で、風土も気象も厳しく、そこでの貧しい農民の生活、それをどのようにしたら皆が幸せになれるかと自問し行動していく賢治の生涯を描いていく。脚本もしっかりしていたし、演技も大勢であるにもかかわらず、皆きりっとした動きと振り、しかもエネルギッシュで、若者の意気と努力を頼もしく思い、劇のクライマックスは感動させられた。これは今日でも、いや今日であるからこそ伝わってくる賢治のメッセージがあるからかもしれない。
劇の終り頃、斜め前にふっと落ちてくる小さな光があった。ホタル? と思ったが、もうその季節ではない。何だったのだろうか? 私の目の錯覚か? 分からないでいる。