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2011年04月11日
「憲法の集い 2011鎌倉」‐井上ひさしの言葉を心にきざんで‐に大勢が参集!
4月11日の今日、震災から1か月です。
冬のような寒さのため遅れていた桜も、このところの暖かさと一昨日の雨で急にいっせいに開花し始め、この辺りもほぼ満開、そのほかの花たちの開花、木々の芽生えとともに柔らかな美しい春景色を描きはじめました。被災地の人の目からみればこれは、まさに夢の世界のように思えるのではないでしょうか。(しかしこののどかな春の景色も、その上には放射能が浮遊していることを思えば、不安の靄が晴れませんが)。そして今報道などによる被災地の悲惨で無残な光景は、まさに私にとっては悪夢ではないかと思えてきます。しかしそこでの悲しみや苦しみ辛さは、ただ思いやることしかできず、何もできないのです。ただ自分の無力と言葉のむなしさを感じるばかりです。
そういう中で昨日に続き今日がまた始まるといった日常が続きます。そんな日常でさえ失い、それを取り戻そうと必死になっている人のことを、せめて考えながら、これを今書いています。
4月9日は井上ひさしさんが亡くなってからちょうど1年目、この鎌倉・九条の会の発起人の一人である氏をしのんでこの会が持たれました。
「むずかしいことを普段のやさしい言葉に的確におきかえ」憲法や平和について語りかけてくださっていた井上さんにとって「平和」とは、「日々の暮らしがおだやかに続くこと」でありました。まさにそれが根底から脅かされようとしている今、この会は「井上ひさしの言葉を心にきざんで」をテーマにして開催されたのでした。
これも非常に奇しき偶然というか、少し前に書いた「遠野講座」と同様不思議にも3・11の大災害に出会ってしまったのでした。この案内は2月初めにもらい、さっそく予約をしていたのですが、はたして開かれるかどうかと危ぶんでいたものです。
その日は運悪く前日から雨になってしまいました。夕方はもう上がっていましたが一日中どんよりした雲が空一面広がっていました。
この集まりはいつも参加者は多く、大ホールにもかかわらず前回も満員で、当日売りはキャンセル待ちだったことを思い出し、お天気も悪いことだしとは思いつつ開場(開演前30分)より30分近く早く行ったのですが、すでに長蛇というよりエントランスいっぱいに行列がとぐろを巻いていました。プラカードで示された最後尾に付いたのですが、そこには2列と書かれた文字が4列と訂正されていたことかも分かるように、次々に人波は押し寄せていたのです。やはり戦争を知っている年配者、中高年が多いですが、中には杖を突いた白髪の高齢者もあちこちみられ、皆「粛々と」指示に従い待っている様子でした。もちろんすでに満席でしたし、入場してからも1・2階はすぐに満席、3階はまだ残っているといわれている時、舞台の両袖にも椅子が並べられ、舞台にもどうぞとアナウンスがあり、最初は尻込みしていた人もだんだん上がっていき、最終的に50人近くにもなりました。
説明によればこの会を支えた人の数は150人、実際に駆け回ったスタッフは50人だそうで、大変手際よく運ばれました。「福島・九条の会」の人も駆けつけたとのことです。
(このことからも分かるように、この盛会ぶりは、ただ大津波といった天災だけではなく、それに重なる原発事故という、明らかに人災といえる災厄故であったと思われます。それが戦争や憲法問題と結びつきます。チェルノブイリに近づきつつあるかもしれない今)
さて肝心の講師の顔ぶれは次の通りでした。
(一応パンフレット通りに書きます)
大江健三郎(作家 九条の会呼びかけ人)
・九条を文学の言葉として
内橋克人(経済評論家 鎌倉・九条の会呼びかけ人)
・不安社会を生きる
なだ いなだ(作家 医学博士 鎌倉・九条の会呼びかけ人)
・靖国合祀と憲法
3・11があったから思われますが、最後に
小森陽一(東大教授ー日本近代文学 九条の会事務局長)さんが駆けつけて閉会の辞とともにメッセージを話されました。
当日は、ちょうど井上さんの最新刊「グロウブ号の冒険」(岩波書店)の校正をやっている最中で、帰れなくて泊まり込むことになったとのこと。これも奇遇ですね。そしてこれは会場でも販売していましたが文芸誌『すばる』の最新号(5月)に「井上ひさしの文学」の座談会が連載として始まり、それに小森さんも加わっています。
内容についての概略(今回の大災害にもかかわる内容なので)を少し紹介ながら考えたかったのですがあまり長くなるので次回にします。
東北を何よりも愛され、そこを舞台に次々と小説、戯曲などを書かれた井上さん(「新釈遠野物語」もありますし)。テレビの人形劇で人気のあった「ひょっこりひょうたん島」のモデルになったといわれるのは岩手の大槌町沖の「蓬莱島」、そこも津波に襲われている。
そこでのテーマソングの歌詞を引いて被災者の人を励ましている若い人の新聞投稿者の声を、この講演会で紹介していましたが、それをここに書くことで次につなげたいと思います。
「井上さんの作品には、世の中の不条理が克明に描かれると同時に、『希望』がある。日本人の弱さが垣間見えたかと思うと、信じてやまなかった日本人の強さも描かれていた。」と書きそれがこの歌詞に凝縮されている思い、苦難の生活を強いられている東北の人たちに、いまは笑う余裕などないかもしれないが、この先この遺志が人々の支えになると信じている、井上さんも天国から願っているに違いないと結ぶ。22歳の大学生である。
その歌詞=「苦しいこともあるだろうさ 悲しいこともあるだろうさ だけどぼくらはくじけない 泣くのはいやだ 笑っちゃおう 進め」。 以下次回
投稿者 kinu : 2011年04月11日 10:01