« 2011年08月 | メイン | 2011年10月 »
2011年09月22日
「台峯歩き」の続きと台風通過。
台風は上陸後足早に、列島を縦断していきました。
激しい突風や雨に驚かされながらも、ここは特に何事もありませんでしたが、被災地ではまた何重苦になることやらと、そして各地でも様々な被害が出ていることなど見聞きするにつれ、胸が詰まり言葉になりません。
それでも今朝は向かいの空き家の大きな庭木が、道路に枝や葉っぱを大量に落としたのを片づけたりで、野分の後始末に追われました。
まだまだ長閑な台峯、それゆえここでは書く気持ちがなくなりますが、とりあえず簡単に記すことにします。
嬉しかったのは、田んぼがまだ健在で、稲穂を垂らしていたことです。
稲穂が掌に重たく
ここだけはもう黄金色の秋です
鈍重な夏がなかなか腰をあげないことも
籾を肥らせることになったのでしょうか
大気の猛烈な渦が大きな足跡をつけていかない限り
今年は豊作のようです
シオカラトンボが飛び交っています
やがて渡ってくるアキアカネに
その場をゆずるころ
爽やかな顔をした秋が
顔をみせることでしょう
そんな風に眺めながら思ったのですが、さっそくの台風15号の来襲です。
そして台風一過の後の爽やかな秋空というわけにはいかず、今日も30度を超す残暑です。
田圃の稲穂は、どうなったことでしょう?
あと少しだけ。
釣舟草が咲きはじめた茂みの奥のほうで
古い幻燈写真のように
南蛮人が ナンバンギセルをくゆらせています
丈高くなったヨモギは
キク科の小さな白い花をむらがらせ
つる草の仙人草も 白い花を目立たせています
アンテナ状に枝をはる秋分草
白花さくら蓼
小さな白い花の多いこの辺りの初秋
南蛮からおとずれ棲みついてしまった
アカボシゴマダラ蝶が おおらかに羽を休めています
2011年09月19日
いまだ残暑の台峯を歩く(緑地伐採のその後)
台風が二つも接近中で大雨・土砂災害が多発しているのに、この辺りはまだ残暑で、雨もほとんど降りません。
昨日は台峯歩きの日、朝から30度を超えそうな日でしたが参加してきました。
歩くといっても日陰が多く、高い樹木の谷戸の道中なので、家に閉じこもっているよりも気持ちが良いからです。それだけでなく前回のブログで、台峯付近の緑の傾斜地がまた大きく開発されそうだと述べ、陳情の署名を集めていると、ここでもお知らせしましたが、その後のことを知りたいと思うところがありました。
結果を先ず言いますとかなりいい方向に進んでいるとのことです。
というのも先日建設常任委員会があり(それで陳情の署名を急いでいたのです)それに間に合い、数日後の市議会でそれを審議してもらえる運びになったそうで、その席でこれまで案件が大規模伐採で、また緑を守る法案の1つ保存地区に隣接する「特別保全地区」になる予定の地であるのに関わらず4,000㎡の広さであること(1,000以下でないと認められなくなる)、それゆえそれは法案が成立する前の(この10月予定)駆け込み開発であることは見え見えで、委員たちはそれを認識していなかったそうで、地元や会の人たちが声を上げてやっと明らかになったのだそうです。それで市議会では建設許可は継続審議となりそう、また「特別保全地区」の法案も一か月早く9月に発効させる方向になったとのことです。
私も近隣の人だけでなく丁度読書会の分科会であるF会の集まりがあったりして署名を頼んだりしましたので、その甲斐があり喜んでいます。ご協力ありがとうございました。
その場所は、ブログでもよく登場させている、コースの目玉である休憩場所、通称「老人の畑」と呼ばれている見晴らしの良い丘の上の目の前に見える所でした。昔はその辺は段々畑であったらしく、その後樹木(桜の大樹も何本かあったそうです)が生い茂り林になっていますが、登記上は農地でありそれが何度か転売されて開発業者の手に渡ったらしい。
帰りにその入り口になるところも見てきましたが、うねうねした急な坂で(この両側は住宅地)頂上に近い辺りの広い一画、平坦なところに(段々畑があったところ)住宅が建つのはもう仕方ないにしても、崖地を大きく壊したり手を入れたりすることがないよう、市の管轄指導を願うということらしいです。今は技術が発達して自然に逆らって何でもできる時代ですから。
実はこういう問題は、ここだけではなくあちこちで起こっています。
こんなことを書いていると長くなり肝心の今日の歩きが書けなくなってしまいましたので次回に回します。実はこの日はマツムシの声を聴く夕べも同時にあったで、それも書く予定でしたが…。
ただ一言、今日TVでたまたま見た93歳の現役画家の堀文子さんのインタビュウーの中で、こういういう言葉があり心に残りました。晩年になってあちこちを旅した堀さんは「風景は思想である」とつくづく感じたそうです。その土地の風景はそこに生きる人々が自然を取捨選択し、その国の人々がつくった一つの思想であり、日本にもそれが大正時代まではあった…と。外国でも日本と同じような近代化の波はあるけれど国土が広いので、まだそういう思想のある場所が残っている…と。
「世界遺産」にしたいという市自体に、またそれを推進しようという人たちにそういう思想があるだろうか、またそれがこの国にできるだろうか。
2011年09月03日
「洞門山緑地」その後(報告)。
台風12号の直撃はそれましたが、四国などでまたもや災害。気持ちの落ち着かない日々が続きます。本当にこの国はなんと災害の多い国でしょう! 特に今は、そういう時期にあたっているのでしょうか?
さて「洞門山」の事を覚えていらっしゃいますか?
2008年のちょうど今頃から、盛んにブログに書きました。JR横須賀線が北鎌倉駅に滑り込む頃の左手の線路沿いの緑地、裏の道に通じるトンネルの赤い石門からそう名付けられているここに、開発の手が伸びてきたので住民の反対運動がおこり、「台峯」歩きに参加している私もそれに加わって、署名やら業者による説明会への出席などもしたのですが、その経過をここにも集中的に書いたことがあります。
鎌倉に入る玄関口のような緑地、それへの保存を願う署名には近辺の人たちだけでない広がりを見せ、私も読書会の方たちだけでなくこのブログを読んでくださった方からも協力していただいたりしました。
その後いろいろ経過がありましたが、やっと保全する形で守られることが決まったようです。
それは新聞に報じられ(地方版やタウンニュース紙)ましたが、本当に大丈夫なのかを台峯歩きの時に確かめてからと思っていましたが、先月は雨で歩きませんでしたので延び延びになっていました。実際どのような形で保存されるのか、これまですでに崩されたところもあるので、どうなっているのかわかりませんが、実際の様子は又にして、報告することにします。
なぜ今書くことにしたのかというのは、実は台峯歩きの理事の方から電話があって、台峯に続く「都市緑地候補地」と言われるところがまた、急に大きく伐採されて、そのあたりが開発されそうだとのこと、それで急きょ署名を集めてほしいということ、それで昨日今日と近隣のお宅を回って、少しばかり書いてもらったからです。
ここだけではありません、そういうことがあちこちにあり、もちろん私有地なので強制力はなく、個人の事情もあり、古い姿を守るなど自体難しいことですが、「遺産」に登録してもらいたいという足元にはこういう問題が山積していることも事実です。
洞門山が保存されることになりそうなその理由は、業者が心を入れかえたというよりも、その地に至る経路、狭くて本数も多い踏切と交通量が多い幹線道路と同時に通学路でもある狭い路地を使っての土砂や重機の搬入や運搬が大変だということにやっと納得したというのが実情のようです。
ではここでは洞門山のその後のご報告とご協力のお礼まで。