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2012年03月11日
ウグイスが鳴き始めました(震災1年目)
2、3日前から、今年初めてウグイスの声を聞く。
沈みがちだった心がやはり弾む感じになる。まだ拙いのも可愛らしく、励ましてやりたくなる。
今日で東日本大震災から一年がたちます。昨日、「原発最前線の町で生きる」南相馬市の日常を一年間、住民の生の言葉だけを拾って淡々と綴ったNHKのTV番組を見ました。ほとんど解説をせず、放射能に汚染された地域での、日々の生活とそこで洩らす人の短い言葉、その背景にモリアオガエルの産卵から桜の開花、鮭の遡上など四季の風景を映し出しながらのドキュメンタリーは、ただ息をのみ見つめるしかありませんでした。
今日は時々陽が漏れてくるものの一面に雲が広がっていて、被災地は雪のところもある様子、あの日、この辺りは朝は冷え込んだものの日中は良く晴れていたのでした。とても穏やかなので、私は急に思い立って海辺に立つ美術館に出かけたのです。見終ったのち、館の外に出ると海を眺めながらサンドイッチを食べ、そして帰途についたのですが、帰り着いて間もなく、大きな揺れを感じたのでした……。
このような帰宅難民にもならなかった幸運な私でしたが、それでもその後いろいろと考えさせられ、反省させられ、学ばされる日々を過ごしました。この国の人たちのほとんどが同じだったろうと思います。
TV番組での放射能地区の人たちの短い言葉は、皆胸を刺してくるものでしたが、アナウンサーに「士農工商」という言葉を知っているかといい、今はその逆だなと泣きそうになる顔を歪めながら絞り出すように吐き出す言葉、「東電は世の中を動かせるが、俺たちにはそれができない」今の世の中なんだ…、というのもその一つでした。
確かに「商」という企業という経済力・資本、お金、損得が世の中を動かすわけで、農・工、漁のように生活の糧をもたらすものはその下にある時代。この言葉が作られた江戸は平和な時代でしたから、「士」は武力ではなく、為政者やいわゆる知識人を指すといってよく、そうすると…という思いもしたのでした。
しかしまた、為政者の混乱の中でも立ち上がるこの国の民の力の強さをも感じながら、第二の敗戦のようなこの国は、「過ちは繰り返さない」という風に変わることができるだろうか、という思いも、自分をも含めて考えたりもしたのだった。
しかし四季はその循環を変わらず続けていきます。早咲きの河津桜が、やっと満開になったと報じられましたが、この辺りに最近植えられた河津桜の並木は、蕾は膨らんでいますがまだ咲きません(1,2輪程度)。
それでも春は、確実にやってくるようです。まだ日々余震も続いていますけれど。
大震災一年目に当たり、被災された方々、犠牲者に、黙祷を捧げつつ…。
投稿者 kinu : 2012年03月11日 16:16