メイン

2017年02月20日

「最後の台峯歩き」の続き

市の整備工事が始まったので、いつも通りの台峯歩きは最後であると書いたのは昨年の11月でした。その後参加していませんでしたが、これまでと同様毎月歩ける部分を歩いているとの事なので、暫くぶりに出かけることにしました。
このところ冬と夏が混在したような不安定なお天気ですが、昨日は冬晴れの晴天で冷え込みました。
入り口にはネットに工事中の看板、そして今は沼の水抜き中との事、特に通行を禁じているわけではなく工事現場に近づかないようにということなので、それを避けながら歩くのである。
いつも通りに入ると、すぐ右側の林の中一行は入っていき、しばらく行くと少し開けた部分に出ました。山坂の多い台峯、ここは珍しく平坦な部分が多いので広場として活用してはどうかと市に要請したいのだとの事、この辺りは昔畑だったようで、地面も柔らかいようでした。昨日ボランティアの人たちが藪などを刈り取ったらしく、工事が始まっても歩くというのは、ただ工事の進行を見張るというだけではなく、このようにプラスになるように進言する意味でも有効なのだと納得したものです。
引き返して元の道に出て、見晴らしの良い「老人の畑」でいつも通り休憩すると、そのまま尾根筋をずっと歩き、左手に北鎌倉女学院のテニスコートの2辺に沿うように歩み、そのままだらだらと坂を下っていくと、やがて山崎小学校のグラウンド脇に出てきて、今日はここが解散の場所となりました。
いつもの場所よりは、私にとっても少し帰路が近くなりました。
工事のせいとはいえ、これまでとは別のコースを辿るのも、まんざらではないと言い合いました。

投稿者 kinu : 15:04 | コメント (0)

2016年11月23日

最後の台峯歩き

長らくご無沙汰していました。
昨日はまた福島沖で大きな地震があり、大震災の余震だとか、まだまだ油断はならず、日本中あちこちが揺れ動いているようで、世界もまたトランプ旋風をはじめ大きく変わっていきつつある人間社会ですが、ただ自然だけは変わらぬ歩みを見せ、紅葉が美しい季節になりました。
そんな紅葉(黄葉)を眺めながら、今回が最後になるだろうという台峯を歩いてきました。

しかし最後というのは、これまでのコース通りに歩くことは最後ということで、これまで通り、歩けるところだけは歩くという方針であり、この「台峯を歩く会」は存続するということです。
というのも来月から市による公園整備の工事がはじまるからです。
工事が始まり重機などが入ってきても、日曜日は休むでしょうから、それら工事現場を避けながら歩けるところを歩くわけで、その工事が適切であるかどうかを見守っていく意味からでも必要だということなのでした。
それで今回以降は、台峯の自然が守られるようにうまく整備がなされているか、モニタリングの意味も込めて歩くことになります。

さて今回の参加者は11名の少数でした。この辺りの紅葉(黄葉)はこれからというところでしたが、ケヤキの紅葉と黄葉、エノキやアカメガしワの黄葉、またカエデやハゼの紅葉などが見られましたが、この日(20日)は、小春日和で青空が広がったので、とても気持ちのいい歩きとなりました。
でも今でこそ鎌倉の紅葉と冠された言い方をされるけれど、実は昔の林は常緑樹が多く、広葉樹もケヤキやエノキなどで、鮮やかな黄や紅に色づく樹々は少なかったのでという。だんだん林も観賞用にになっていき昔のように暮らしに密着したものでなくなったからだろう。
樹々だけでなく、草紅葉があちこちで見られ、ヤマイモの黄色が鮮やかでミゾソバの茎も赤く染まっていました。


投稿者 kinu : 10:36 | コメント (0)

最後の台峯歩き

長らくご無沙汰していました。
昨日はまた福島沖で大きな地震があり、大震災の余震だとか、まだまだ油断はならず、日本中あちこちが揺れ動いているようで、世界もまたトランプ旋風をはじめ大きく変わっていきつつある人間社会ですが、ただ自然だけは変わらぬ歩みを見せ、紅葉が美しい季節になりました。
そんな紅葉(黄葉)を眺めながら、今回が最後になるだろうという台峯を歩いてきました。

しかし最後というのは、これまでのコース通りに歩くことは最後ということで、これまで通り、歩けるところだけは歩くという方針であり、この「台峯を歩く会」は存続するということです。
というのも来月から市による公園整備の工事がはじまるからです。
工事が始まり重機などが入ってきても、日曜日は休むでしょうから、それら工事現場を避けながら歩けるところを歩くわけで、その工事が適切であるかどうかを見守っていく意味からでも必要だということなのでした。
それで今回以降は、台峯の自然が守られるようにうまく整備がなされているか、モニタリングの意味も込めて歩くことになります。

さて今回の参加者は11名の少数でした。この辺りの紅葉(黄葉)はこれからというところでしたが、ケヤキの紅葉と黄葉、エノキやアカメガしワの黄葉、またカエデやハゼの紅葉などが見られましたが、この日(20日)は、小春日和で青空が広がったので、とても気持ちのいい歩きとなりました。
でも今でこそ鎌倉の紅葉と冠された言い方をされるけれど、実は昔の林は常緑樹が多く、広葉樹もケヤキやエノキなどで、鮮やかな黄や紅に色づく樹々は少なかったのでという。だんだん林も観賞用にになっていき昔のように暮らしに密着したものでなくなったからだろう。
樹々だけでなく、草紅葉があちこちで見られ、ヤマイモの黄色が鮮やかでミゾソバの茎も赤く染まっていました。


投稿者 kinu : 10:36 | コメント (0)

2016年07月18日

梅雨の晴れ間の台峯歩き

今年は少雨の梅雨のようで、水瓶が心配されます。
台峯歩きの昨日も、曇り空ながらときどき日も射す蒸し暑い一日でした。
私はさぼりたい気持ちを励ますようにして参加してきました。
やはり集まりは悪く、11人でした。
この季節の花は、ねむの木の花、カラスザンショウの木の花、また花が咲くと葉が白くなるハンゲショウ(半夏生・半化粧)。道端や木陰にはダイコン草やミツバ、ウマノミツバ、ミズヒキソウ、セリの花、ヤブラン、ヤブミョウガなど。我が家にもみられるものも多いのですが、皆でお喋りしながらが楽しみです。
今年も3回ほど蛍を見る夕べもありましたが、さぼってしまいました。
毎月同じところを、草や花の名を教わりながら歩くのに、なかなか覚えられないのは嘆かわしいことです。今回も花が咲いていないので、葉っぱだけを見てもなかなか名前がわかりません。
ニガナも前にネットで検索したりしたのに、忘れていました。今回はムラサキニガナの花が咲いていたので、これはちゃんと覚えよう!  
また独特の姿をしたガマの花(実はちくわ型をしたところが雌花で、その先の細く針のように突き出したものが雄花とのこと)は、残念なことにまだ穂が出ていませんでした。ただ、この辺では珍しいというトンボ草というのが木陰にありました。これも教えられなければまったく気が付かないものです。
また案内者のKさんが大好きだというクマヤナギという蔓草、それに似ているけれど新芽が独特の形をしているエビ蔓など、普通だったら見向きもしないような草むらの蔓にも面白さを教えられます。
さて今回、大変珍しい光景に出会いました。出口辺りにカラスザンショウの大木があるのですが、その太い幹を歩き回っている2匹のおタマムシがいたのです。タマムシ自体も最近はなかなか見られなくなっているのに、またその辺りに這い回っていることも変だと眺めているうちに、それが産卵をしようとしているのだと分かりました。そしてお尻を上げそこから針のようなものを出し(産卵管)、幹に突き刺しているのが、目視でも観察できたのです。一回だけではなく、何度か繰り返されました。
象の足のように固い幹によく刺さるものだと思えるのすが、不思議です。これはめったにお目にかかれないもので、皆大いに満足して今日は別れを告げました。

投稿者 kinu : 10:43 | コメント (0)

2016年05月16日

初夏の台峯(様々な問題をかかえながら・・・)を歩く

熊本 本震から1カ月の今日、雨は九州から降り始めこちらも今晩から雨になりそうですが、
昨日の日曜日は爽やかな晴れの1日でした。
まだ暫くは強い振動が続くという 被災地を思いやりつつも台峯歩きを楽しんできました。

実はこの辺りもまた、違った問題で揺れています。
例の北鎌倉「緑の洞門」開削問題です。歩く前にその件での報告があったので報告しておきます。
先日の4月7日の神奈川新聞の論説・特報にも大きく取り上げられたということですが、落石の危険があるということで山ごと切り崩す工事を決定したことに対して(これへの反対運動は以前から行われていて署名も集めていたのですが)、専門家や隣接する円覚寺も声を上げているということでした。

さてこの時期は、華やかな花ではなく地味なスゲやイネ科の植物観察が中心になります。また花も樹木の花でスダジイ(椎の木)の花が盛りで、強烈な匂いを放っています。この木とタブの木が鎌倉を代表する大木・老木との事です。
またスゲやイネ科の花や実も地味そのものですが、Kさんはこれらの植物が大好きなのですから少し変わりものですが、説明を聞くとなるほどと思ったりもします。
スゲの仲間には、シラスゲ、ジュズスゲ、ヤワラスゲ、そしてKさんが大好きだというマスクサ、確かにこの草は髪の毛のようなしっかりとして柔らかな感触と艶があり、茎の部分はプクッとした実が間隔をおいて付いていて、この一株を鉢にでも移植して飾るとなかなか風情がありそうなのです。
イネ科では、イヌムギ、トボシガラ、昔の髪結いを思わせるカモシグサ、また昔の野遊びを偲ばせるカニツリグサ、ドジョウツナギ、そしてスズメノカタビラなど。
きれいな花がなかったわけではなく、卯の花や匂いのいいスイカズラ、5弁の小さな黄色い花びらを持つニガナなど、そして最後の行程で菅原の真ん中にあるノイバラの大きな株に、スゲをかき分けながら近づいてみるとちょうど花が満開で、バラの原種と言われるこの花の香りに皆感動、その近くにはヤブデマリ(白いガクアジサイに似ている)の群生もあり、花も堪能できたことになりました。

さて最後になりましたが、この台峯に隣接する緑地(テニスコートになる計画があった)が、緑ショップなどの努力で買い取ることができ、残されることになったということです。このように鎌倉のあちこちでは様々な問題が起こり続いています。


投稿者 kinu : 16:14 | コメント (0)

2015年12月20日

台峯のモミジを愛でながら歩く

快晴になった今朝は、一番の冷え込みとのことでここも外は4度でした。
年末なので参加者は12,3人ぐらいでしたが、歩くのにはちょうどいい人数です。
ここも来年になるといよいよ一般公開するための整備にかかるので、このままの姿の見納めになります。そのために今日は市の公園課の人が一人参加、Kさんからいろいろ説明を聞きながら一緒に歩いてくれました。これまでもKさんをはじめ理事の方々は市と話し合いを続けていたので、なるべく今の状態を残しつついい形で整備が行われるのではないかと期待しています。

さて今日はやはりモミジが眼玉です。もう終わったところもありますが、この辺はまだ十分残っていて今年は特に色合いがいいとのことです。イロハカエデ(最近ここでは増え始めている)などは、一本の木の葉が青、黄色、赤、それぞれに染まるグラデーションを見せ、コナラやクヌギの褐色もというより黄色がかった鮮やかさになったりして、例年になく美しく特にそれらが青空を背景に映えています。
赤い実のマユミやアオキなども例年になく実が多いそうです。それらを愛でながら見晴らしの良い「老人の畑」に近づくころ、カラスザンショウの大木に出会います。この木は人間にとっては厄介者で、役には立たないのに伸びるのが早いので一番先に切られてしまう、それでなくても斜面などでは頭でっかちになり倒れてしまう代物ですが、幸いそこは広い平坦地なので、のうのうと枝を伸ばし大木になってしまっているのです。
今、その木にたくさんの実がついています。名の通りサンショウに似ていますが、あまり匂いはしません。実はその黒い実が鳥の好物で、ここにたくさんの野鳥がやってくるのです。今日もお天気が良いせいかたくさんの小鳥たちの姿が見られました。メジロ、ルリビタキ、カシラダカ、エナガなどが飛び交っていました。人間には嫌われ者でも鳥たちには大きなご馳走のテーブル! なのです。
「老人の畑」から横須賀線線を挟む六国見山から円覚寺、東慶寺を望む紅(黄)葉の丘陵を眺めて休憩、その後谷に降りて、ハンノキのある湿地帯と池、せせらぎの音を聞きながら出口に向かいました。
この辺りが整備されるとそれほど高くはないものの堤防を造らざるを得なくなるようでした。


投稿者 kinu : 17:21 | コメント (0)

2015年09月21日

秋の台峯歩き(日本ミツバチの運命は?)

秋晴れが暫らくは続きそうな連休の初日、台峯歩きに参加してきました。
今回のカラーコピーの資料は、秋の昆虫:バッタ、コオロギ、キリギリス類です。
これらは里山の草地の環境指標となる昆虫だと言われています。この中でもバッタとキリギリスはどちらも草地にいて姿も色も似ているので、どちらがどちら?と私はよく分かっていませんでしたが、バッタは草食で、飛び跳ねることが多く、キリギリスはコオロギと同様雑食で、バッタのようには飛び跳ねないそうです。触角が短かいのがバッタで、長いのがキリギリスやコオロギ。またコオロギやキリギリスと違ってほとんどのバッタは鳴かない。目撃できたのは、オンブバッタ(雌)、ショウリョウバッタぐらいでしたが、そのほかにもフキバッタ、クルマバッタ、ツチイナゴ(イナゴもバッタなんですね)など。
キリギリス類は、クサキリ、オナガササキリ、ウマオイ、クビキリギリスなど。
コオロギは、我が家にも入ってきて、鳴き声も耳にしましたが、これは多分ツヅレサセコオロギでしょう。その他エンマコオロギ、オカメコオロギ、そしてマツムシやカネタタキ、クサヒバリもこの仲間らしく、また一時大変な勢いで増えていたアオマツムシもこの中に入るらしいのですが、最近は声を潜めた感じです。あまりの早く秋が来てしまったからでしょうか。
野の花はあまり多くはありませんが、ツルボ、ヤブラン、ヤブミョウガの花、あちこちに蔓延っているミズヒキソウの類(紅白だけでなく金も銀もそろっていました)、また色々なタデ類、黄色い小花のダイコンソウ、そして白くて細長い花びらが清楚なセンニンソウ(蔓)などが目立ちます。

さて、7月に日本ミツバチの巣が乗っ取られようとしていると書きましたが、やはり小さな蜂の必死の抵抗も無残な結果で終わったようでした。その巣穴を覗き込もうとした人が、急に穴から飛び出してきた大きな蜂に、もう少しで刺されそうになってしまいました。その大きさから言ってどうもスズメバチのようでした。
出口近くにほぼ鈴なりになっていた、蔓状のスズメウリという小豆くらいの白くて小さな瓜が鈴なりになっているのに(白くて小さな花も咲いている)慰めながら今日の行程を終えました。

投稿者 kinu : 14:30 | コメント (0)

2015年07月20日

台峯歩き(日本ミツバチ・西洋ミツバチのバトル)

梅雨明け早々猛暑になった昨日、日陰の山道を歩く方が部屋にいるよりも却って涼しいのではと台峯歩きに行ってきました。
ゲンジボタルやヘイケボタルを観る機会もさぼっていたからでもありました。
熱中症にならないように水分を時々補給しながらゆっくり歩きます。今田んぼは青々した稲をそよがせていて、その上をシオヤトンボが飛び交い、ハルゼミも鳴き始めていました。

今はネムやカラスザンショウの花が咲いています。ハンゲショウ(半夏生)はもう終わっていました。
今回のプリントには、蝶がいろい紹介されていて、主としてそれらに目を留めながら歩きました。また夜に飛ぶことの多い蛾との区別は外国にはないらしいです。でも私たちの区別も、綺麗な方が蝶で、蛾のほうが地味で劣っていて、また触角の違い、止まるときに羽根を閉じるのが蝶、蛾は広げたままなど確かに区別の基準はあるものの、厳密に言えば当てはまらないものもあって、確かな線引きは難しいのだそうです。
時々草むらに立ち止まって蝶を探したりします。一番鎌倉らしい蝶だという ジャ香アゲハ(羽根が黒ぽく尾に黄斑、腹が赤く、低いところをゆっくり飛ぶ)や江戸時代までは九州にしかいなかったのに明治になって関東にも生息するようになったというナガサキ(長崎)アゲハ、7月上旬の多いという並アゲハ、黒い羽に白い紋をつけたモンキアゲハ、羽根を広げると綺麗な瑠璃色になるのに閉じた裏側は地味な褐色をしているルリタテハなどアゲハ蝶の仲間や、数週のジャノメチョウを目撃しました。ヒメウラナミジャノメ(姫 裏波 蛇の目)など、成程よく名付けたものだと思えるような長い名を持つものも、教えられなければ区別できません。

見晴らしの良い「老人の畑」の、風通しの良い高い木々の日陰でいつものように休憩を取った後、
今はハスの花が咲いている沼への道をたどったのですが、その途中、日本ミツバチの巣のある木の洞近くに来た時、タイトルに書いたようなバトルに遭遇したのでした。
その巣を狙って西洋ミツバチが乗っ取ろうとしているようなのです。
2匹ほど、黄色い大きなミツバチがその樹の周りを飛び回っていて、その侵入を防ごうと巣穴の周りに小さな日本ミツバチ(蠅くらいの大きさで、色も地味な灰色っぽい)が何十匹も集まり固まって一斉羽根をばたつかせているのでした。その羽根のばたつかせ方はリズミカルで一斉で、しばらく見とれていました。大きな強い西洋ミツバチを一匹でも巣に入れたらひとたまりもないでしょう。それを必死に防ごうとしているのです。その賢明な努力に思わず、その周りを飛び回っている西洋ミツバチを追い払ってやりたくなりましたが、そういう事も出来ないまま、日本ミツバチの巣の無事を祈りながらそこを通り過ぎるしかありませんでした。その戦闘の結果はこの次にここを通った時に確かめられるでしょう。
日本ミツバチがんばれ! 

投稿者 kinu : 13:57 | コメント (0)

2015年03月16日

出会いと別れの季節(台峯を歩く)

春と冬が入りまじり、変転さだまらない日が続きます。
昨日も、時々薄日のさす曇り空だと言われていたのに細い雨がちらついたりした一日でしたが、いつもの台峯歩きに出かけてきました。
北陸新幹線が開業し、トワイライトが姿を消すなどと、この季節は出会いと別れのある時期ですが、植物たちにもそれを実感させられながら歩いた一日でした。

草花の芽吹きの時期です。冬枯れした草の脇から生まれてきた新しい芽や葉を、まだ去りやらぬ冬の寒さから身を守りながらも、しっかり生きようとしている姿が見られるからです。
ハルジオン、オニタビラコ、ムラサキケマン、ノゲシ、などなど・・・、でもこれらが小さなわが庭に出てくれば、みな抜き取らねばならないものたちばかり・・・ですが。でも見落としそうな、また見分けのつかないそういう小さくて地味な草を見ながら歩く姿はあまり良いものではないし、また身体にもよくないので、そういう時は空を見上げて鳥の姿を探しましょうとKさんが言います。
見上げた空には木のてっぺんに止っているモズ、空を舞うトビ、木間を飛び交うアオジやゴジュウカラ。そしてカシラダカやベニマシコもですが、私はその姿をとらえるのがへたで、全部を見ることはできませんでした。それでもウグイスの声が聞けた(少し前から鳴いていたそうですが、私にとっては初音)のは嬉しかったです。鳥たちはもうちゃんと春を感じているのでした。

さて、そういう訳で花はこれからなのでほとんどありませんが、でも小さい、また地味なものはちゃんとあります。筒状の先端を5弁に開く紅色のウグイスカグラ、匂いのいい黄色の小花を沢山咲かせるヒサカキ、同じようなオニシバリ、また葉も花もとても小さいヒメウズ(花はオダマキに似る)、簪のようなキブシの花など。またそろそろスミレ類も。また地味の極限のようなヒメカンスゲ(姫寒菅)は、スゲの中でも早春に咲くのですが、葉が細く、黄色いブラシのような穂は触るととても柔らかく気持ちが良いのでした。
どんな草でも大切にするKさんですが、生態系を乱す外来種、特に最近はヒメオドリコソウ(姫踊子草)は在来種の春の七草にあるホトケノザを滅ぼしかねない勢いであることを懸念して、それを見ると退治せずにはいられないようです。確かにこのコースでも路傍のちょっとした土があればすぐさまはびこってしまう勢いで、出口辺りではそれに協力して草取りとなったりしました。

投稿者 kinu : 15:05 | コメント (0)

2014年11月17日

憂い深き台峯を歩く。

秋が深くなったというより、朝夕は冬の寒さにもなるこの頃です。
昨日は台峯歩きの日でしたが、ここも憂いが深くなってきました。

以前、北鎌倉駅ホーム脇の、洞門山と呼ばれている緑地が壊され開発されようとしていて、それが市民たちの反対運動の結果中止されたことは報告しましたが、今またそこも問題が生じています。これは台峯ではありませんが、この事も枕として報告します。
洞門山緑地の外れと駅のホームの間は、岩塊のトンネルになってつながっているのですが、それを壊して道も広げ、アスファルトの道路にしようという計画がまた持ち上がったのです。確かにトンネルの高さも低く、下の道路も土なので雨の時は歩きにくい事もありますが、それでも円覚寺の結界内であり鎌倉の西の境界として風情のある景観を見せています。それを壊して斜面はコンクリートで固め、ノッペラボウの道路にしてしまえば安全で歩きやすくはなるにしても、鎌倉の入り口としての趣は全くなくなってしまい、又その道の続きは住宅に面した細い道なのでそれらを拡幅するわけにはいかないでしょう。とにかくそのような問題が今だあちこちに出ています。

それで台峯の話に移りますが、ここも長い市民運動の結果残されることが決まった後も歩き続けているのは、そんな問題が起こらないようにと監視を続けるためです。しかしそれらの土地の所有者でもなくなんら権限を持っているものでもない者たちですから、行政と掛け合ってもその声はなかなか届きません。
とにかく今、市の緑の行政が後退しているとのことです。先ず財政上のしわ寄せがきており、また人事面でも緑の事が分かる人材がいないことなどもあって、これからの台峯には暗雲が漂い始めているようです。緑を守ることはやはりそれなりに知識が要り、お金もかけねばならないからです。
竹内市長の時は良かったけれどと或る理事が呟いていましたが、折しも今朝の新聞にその竹内謙氏を偲ぶ会の通知が出ていました。

何が問題かという事はなかなか一口には言えませんが、とにかく今回で193回目となり、参加者も述べ2000人を超えるまでになったこの会は、はじめ「なだ いなだ」さんを中心にして発足したもので、素晴らしい景観や珍しい景色もそれはそれとして良いが、「何気ない所にある身の回りの自然こそが、貴重な自然だ」と、この台峯を愛されそれをいつまでも残したいという気持ちから歩き始めたことを発祥としています。それが効率性や利便性で次々に壊され開発されている今日、それが何とか残されいるこの台峯とその周辺がだんだん貴重なものになっていったのです。これからも歩く会の人たちは、ここがどのようになっていくか監視しながら歩いていくでしょう。土地生え抜きの人もいますが、近郊の人、千葉や東京の池袋辺りの人も参加しているグループなのです。
暗雲の正体は私が参加して知りえた範囲で追い追い報告していくつもりですので、今日はここまで。

投稿者 kinu : 15:26 | コメント (0)

2014年10月20日

秋晴れの台峯

天候が定まらないこの頃、しかし昨日は貴重な秋晴れの一日となりました。
定例の台峯歩き、あまりの天気の良さに却って参加者は少なくて15,6人ほど。
秋は実りの季節、と言ってもここではドングリに注意を向けながら歩くという事で、カラーコピーにはいろいろなドングリ(コナラ、アラカシ、スダジイ、クヌギ)が紹介されていました。
今年はとてもドングリが多いようです。いたるところにドングリが落ちていました。
またよく似ているも同士の見分け方も・・・。ミゾソバとアキノウナギツカミ、ノコンギクとヨメナ(でもこの二つはどちらも一般的には野菊と呼ばれているもので、そんな差など気にしなくていいようなものですが、何事も踏み込んでみればちゃんとした違いがあるのですね)
さて秋と言えばススキですが、そのススキとオギの違い(これはちょっと知っておおきたい感じ、オギはあまり水分は必要としないそうで乾燥地に多く、またノギという穂の中心に一本だけ長い穂ー冠毛ーが出ているのがススキ)、そのオギを確かめたりしながら歩きました。
しかし老人の畑(見晴らし台)に来た時、いくつかあったススキの群れの一つがゴッソリと刈り取られていました。まだ穂が出たばかりの時に誰かが盗んで行ったに違いありません!

先月もKさんが、ちょっと心配なことがあると言っていたことですが、なぜか今年はクモが痩せている(卵が産めないと子孫が残せない)とのこと。クモはこの辺りの昆虫の生態系の頂点にいるので、それが痩せているのが心配、確かに今日はいつも見られた赤とんぼの姿が見られませんでした。1年ぐらいの異変はいいけどこれが続くようになると心配だとのこと、またこれはKさん自身の観察にすぎないのでこの地だけの事かもしれないけれど・・・という事、あの東日本大震災の津波が襲ってきた際、シカやイノシシの死骸は見つからなかった。彼らはそれを予知して逃げた可能性があるそうです。なにか自然に異常がなければいいのだが・・・。

貴重な日本ミツバチのいる木の洞を眺め、二つの田んぼでは刈り終えた稲が干されているのに安心し(稲架にではなく直接畔に稲束が並べられて)、エナガやアカゲラ、ヒヨドリ、ホホジロなどの姿を目撃しながら爽やかな秋を味わってきました。

投稿者 kinu : 14:13 | コメント (0)

2014年09月22日

暫らくぶりの台峯歩き

昨日は予想外に秋晴れのお天気になりましたので、このところ休んでいた台峯歩きに行ってみました。参加者は15、6人で歩くにはちょうどいい人数でした。
渡されたプリントは、表も裏も蝶ばかりで、今日はその秋の蝶に特に目をやりながらという事になりました。そこにはルリタテハやキタテハ、キチョウなど彩りの綺麗なものもありますが、この季節蛾と間違いそうなセセリチョウや爪くらいの小さなしじみちょうの仲間のほうが多いのです。
わが庭でも確かに飛んでいるようですが、小さくて地味なそんな蝶などにあまり目がいかなかったことに気が付きます。また蛇の目玉のような模様を持ったジャノメチョウの仲間なども…。

また実りの秋なので、田んぼの稲も気になりましたが、二カ所の田んぼはそれぞれ黄金の稲穂を垂れていました。今年は暑かったせいか少し生育も早いようだとのこと。でもイヌビエなどの雑草もあちこちに交じり、それは草取りをあまりしなかったせいで、いかに田んぼと言うものが人手を要するかが分かります。

さて例の見晴らし台である老人の畑では、サシバの渡りが見られるとのこと(上空が渡りのルートになっている)、この時もそれが見えたそうですが、あまりに高いところに飛んでいるため肉眼では無理のようで、倍率の低い双眼鏡しか持っていない私には到底無理でした。

この季節山の木の花は少なく、タラ(若芽の時に食べる)の花とヌルデの花ぐらいで、どちらも地味で花とは見えないもの、草の花は結構よく目にするミズヒキソウ、キンミズヒキ、白い花のヨメナやセンニンソウ、藤色のツルボやヤブラン、タデの類、萩類のほか老人の畑には南蛮萩の一群れが派手な色彩を見せていました。

さて気になることを一つと、これもKさん。今年は草むらによく見られる女郎蜘蛛がとても痩せているので心配だとのこと。蜘蛛は昆虫を食べるので、それらが痩せているのは、餌となる昆虫が少ないせいだと。確かにデング熱などの元凶と騒がれたいるものの、例えば蚊が今年は少ないな、と感じていたからです。
ゴキブリも食べてくれるとのことなどで、私は家の中の蜘蛛は殺さないようにしていますが、今年はあまり見かけず、小さいのがいてもいつの間しかいなくなってしまっています。庭にいる女郎蜘蛛も確かにあの派手な色を見せるものは少なく、細々とした感じです。
変な蚊が出てくるのも生態系を崩す方向にばかり進んでいく人間への警告でしょうか。
それでも虫たちも懸命に生きているようで、草むらで昼寝しているのかマツムシをつくづく眺め、また草むらでお腹に卵をいっぱい抱えたショウリョウバッタと捕まえました。(もちろんすぐ解放しました)

トンボもオオイトトンボ、ウスアカネなどを見かけ、秋を感じてきました。

投稿者 kinu : 14:53 | コメント (0)

2014年04月21日

萌える緑の台峯歩き

 今日は小雨が降ったり止んだりの一日となりましたが、昨日は風の冷たい曇り空ながら時には陽も射してくる歩くにはいいお天気でした。
天候も不順、社会的にも様々な不安悲惨なニュースもあるせいか、参加者も少なく12、3人だったので、それぞれのんびりと気ままな散策となりました。と言ってもコースはいつも通り、これが188回目になったと聞かされます。もうホタル観察会も近づいてきていて、その日取りも告げられました。
しかしここを来年4月に開園するための市による整備がいよいよ始まったらしく、それがこれからの懸念材料となりそうです。というのも安全とか法律などうを基準とした市の整備は、ここのような微妙な自然と地形をかえって壊してしまうことが多々生じてしまいそうだからです。まさにその気配は入り口辺りの仰々しいばかりの杭やロープの張り方にも示されていて、谷戸に下りる細い坂道や沼のほとりを歩く細道も拡幅されてしまうのは目に見えていて、そうなると蛍の生息も危ういものになりかねず、もしかして蛍観察会も今年で終わりになるかもしれないなあと思いつつ歩きました。
木々の多くが今一斉に芽吹きをして、雑木林はみずみずしい緑のグラデーションです。その緑の違いで樹木の種類を推測しようと試みるのですが、毎年のことながらなかなか覚えられず難しいです。
濃い緑はシイ・カシなどの常緑樹、鮮やか緑はシテやミズキ、黄色っぽい緑はクヌギやエノキ、白っぽい緑はコナラなどですが…。

葉の芽吹きだけでなく、同時にそれら樹木の普段は目につかない花の観察でした。そこにもちゃんと雄花と雌花があり、それぞれ簪のように垂れ下がっているのが雄花で、その近くに小さな雌花、それをコナラ、クヌギ、イヌシデなど手に取って観察、またヒメコウゾの不思議な形のそれらは、教えられなければ気が付きません。アケビの花もアズキ色の雌花雄花があり、それも初めて手元で眺めました。
また道端には地味で小さな野の花たち、カシオドシ、ウラシマソウ、ムラサキケマン、タネツケバナ、ツルカノコソウ、キランソウ、ヤブニンジンなど。ヒメオドリコソウは外来で繁殖力が強く、在来種のホトケノザを侵食してしまいそうだとのことなので、それを少しばかり退治することにするが手にあまります。

鳥は、昨日はヤブサメが見られたという事で、今日はその声らしいものを聞いたという人もありましたが、私には難しいです。またウグイスやシジュウガラの姿、また珍しいオオルリをカメラにばっちり収めた人もいました。
今日はゆっくり観察しながら歩いたので、少し時間を超過して解散場所に到着。      以上

投稿者 kinu : 10:48 | コメント (0)

2013年11月18日

「なだ いなださんを偲ぶ」台峯歩き

 昨日の小春日和の穏やかな日曜日は、今年6月に亡くなられた「なだ いなだ」さんを偲ぶ台峯歩きの日でした。いつもは20名前後なのに45名ほどにもなり、歩くには少々大勢すぎましたが止むを得ないことでしょう。この台峯歩きは、なださんが立ち上げたものです。最初の名称は、「なだ いなだ と台峯を…」と付いていたはずです。
 この辺りが開発されるという話を聞いて、近くに住むようになっていたなださんがそれは大変だと、声を上げられ、その許に有志や土地の人たちが駆けつけたのが15年前、開発をストップさせようと、台峯トラスト運動の一環として、その年の11月から、毎月一回皆で歩こうという事になったのが始まり、今回で181回、延べ4000人ぐらいが参加したとのこと、これら数字は昨日の偲ぶ会でM理事の話からの紹介。(私は、なださんがほとんど出てこられなくなってから参加しました)
 ひところはもうダメかと思われた時もありましたが、世の趨勢もあって2004年12月にここの保全が決定。これで願いは叶ったのですが、現状のチェックのためにもとこれまで通り続けられているのです。
 「偲ぶ会」を兼ねた山歩きですから、はじめの1時間は、会長や理事や案内者の話や参加者の思い出話などに当てられました。そこでの話、裏話をちょっとしますと、実はなださんは、あまり山歩きが好きでも得意でもなかったのではないかとのこと、というのも、かなりの年齢になっていたこともあるが山歩きは下手だったとのこと、倒木がくぐれなかったり、木道では滑ることが多く、でもそういう事を見ればかえってどういう風に山道を整備すれば良いかの参考にはなった(笑い)など、しかしそういう不慣れな苦手なことに年を重ねても飛び込もうという、その勇気にかえって感銘を受けたとも。
 また なださんが立ち上がってくださったことで、この台峯が世に知られるようになり、保存への道筋もつくようになったのは事実でその功績は大きいと。というのもここは名所旧跡があるところではなく、ただ昔ながらの尾根や谷や沼があるというだけの土地、(しかしその何でもない風景こそが今になっては大切なものという事が私たちにも分かる時代になった)、それになださんの名前が冠せられたことでスポットライトが当てられ、いろいろな人や知恵も集めることができたのでした。
 またこの会は、よくあるような山歩きの好きな人だけが集まるというような、同好の士の会ではなく、また会員としての義務も制約もない、ただ月の第3日曜日に、歩きたい人がただ集まって(会員でなくてもいい)歩くだけの、非常に自由な今の言葉でいえば「ゆるーい」関係の集まりで、これもなださんの姿勢に通じる所があるかもしれません(なださんは陸軍幼年学校で学ばされた反動としてフランス文学へ傾倒した)。 また開発反対と言ってもプラカードを掲げて闘争するのではなく、ただその地を歩くだけの地道な抵抗、これもなださんが最も嫌った権威や権力(『権威と権力』岩波新書)への反抗の一つの姿でもあるでしょう。とにかく医者としても、常に患者という弱い立場に立ってものを観ようという姿勢が人をひきつけると同時に鋭い文明批評ともなり、共感を呼ぶのだと思います。
 なださんは、晩年「老人党」を立ち上げ、弱者が暮らしやすい社会づくりや平和を訴えたが、面白いことに台峯歩きのコースで尾根筋で一番見晴らしの良い場所(皆で一休みするところ)を通称「老人の畑」というが、これも何だか両者通じているのであった。
 その上に、最初にこの台峯は、名所旧跡があるわけでもなく、何でもない風景だと言ったが、これもなださんのペンネームに通じているようで、今では不思議な感じがしてくる。「なだ いなだ」というのはスペイン語で、「何もなくて何もない」のだそうですから。
 10時ごろから大勢でぞろぞろ台峯に向かった。今日はほとんど見るような花はなく、ノイバラ、ムラサキシキブ、ノブドウ、スズメウリ、ガマズミ、などの小さな草や木の実が見られるだけであったし、蝶も越冬するキチョウやルリタテハなど。少々急いで正午過ぎ出口に至るが、その挨拶にこれからもどうぞ台峯歩きに参加をと言いながら、実は観察しながら歩くには4、5人が一番いいし、せいぜい20人まででないと…いう言葉に皆は苦笑。矛盾しているがどちらも本音ではある。

 なださんは、がん宣告後もいっそう精力的に仕事をし、あと33冊は本を書きたいと述べている。これは遺稿集となった最後のエッセイ集の「まえがき」にあり、その著書の題は『とりあえずきょうを生き、明日もまた 今日を生きよう』で、ラテン語のCarpe diem (その日を摘み取れ: ラテン語)を具体的に表現したものである。ご自分でもこれは、まさにハイ状態だと仰っているが、このメッセージを私もしっかり受け止めねばと思った。


 

 

投稿者 kinu : 13:59 | コメント (0)

2013年10月20日

台峯歩き、又もや雨。

 先月に続いて今月もまた雨になってしまいましたが、「台峯歩き」の理事の方たちはこういう日も集まって、いろいろ話し合っておられることでしょう。でもこんな風に続いてダメになる事はこれまではなかったようで、偶然とは言え最近の異常気象についてつい思いを馳せてしまいます。台風26号の伊豆大島に与えた甚大な被害、またもや同じコースで近づいている27号など、自然というものの非情さや理不尽さを思わずにはいられません。
 特に今年は災害が次々に押しかけてくる感じで不気味ですが、今日の朝刊に「デザイナーベビー?」という見出しで、これがアメリカで特許が認められたと報じられていて、これも言いようもない不気味さを感じました。
 これは親が好む遺伝子で望みどおりの子どもを造る技術で、これができれば日本人でも「青い目の金髪」の子どもを産むことができるという事。もちろんこれは癌のリスクが低いような…などの利点を考えたからだとしても、まさに遺伝子という生命の究極にまで人は手を付け始めたという現実です。当然「生命への冒涜」と科学者からも批判が出ているのしても、「進歩」を目的とするのが科学である限りこれを止める力はないでしょう。
 理想的なクーロン人間ばかりが住む世界など私は暮らしたくありませんが、自分の欲望によって「自然」に手を付け始めた人間の行き着く果ては結局そういうものにならざるを得ないものか…、災害が次々に起こるのも、自然からの報復かもしれないと思うと暗澹とした気持ちになります。
 とにかく伊豆大島が27号の被害からどうか免れますようにと、ただ祈るだけしか私にはできませんけれど…。
 

投稿者 kinu : 16:53 | コメント (0)

2013年08月18日

猛暑の台峯歩き

日中の猛暑だけではなく熱帯夜も続き、少々音を上げそうな日々です。
檻の中の動物のようにクーラーの中に閉じこもっているよりは、谷戸の小道を歩いたほうが涼しくて気も晴れると思い、行き帰りの暑さを我慢して参加しました。
皆そんな思いのようで、参加者は15~6人。今日は暑くても風が少しあるので木陰にはいると気持ちが良い。

今日は蝶の観察が主だとのこと。この辺りに棲んでいる蝶の一覧のプリントで説明を受けました。
鎌倉は昔から黒いアゲハチョウの仲間が多くみられることで有名だそうです。しかし最近はやはり蝶の数は減っているとのこと。また九州で見られていたナガサキアゲハがよく見られるようにもなったのは温暖化のせいでしょう。大きな違いは、アゲハに見られる尾状突起(後ろ羽根の先に突起がある)が無いことです。またジャノメの仲間、これは名のとおり蛇の目のような紋が羽にある。羽根に白い筋が見られるイチモンジ蝶とかイチモンジセセリとか。
黒い羽に白い斑点が散らばっているゴマダラチョウ、また後ろ羽根にオレンジ色の斑点があってよく目立つ綺麗な蝶はアカボシゴマダラで今日も目撃されました。これは中国からやってきたもので地の蝶ではありません。たぶん人が持ち帰って飼っていたのが放たれて棲みついたのだという事。
ルリタテハは出会うと感動しますが、今日は出会えませんでした。ただキチョウが盛んに飛び回って産卵の最中で、葉(クマヤナギの葉。大体マメ科の葉が多いというが)に止り卵を産み付けている現場を何度も見られました。またツマグロヒョウモンという、まさに豹紋模様の蝶も見られましたし、またカラスアゲハは、墨色の羽をしていますが、羽根を広げたとき、陽の光で青いメタリックな輝きを見せるその現場も見られた時は声を上げてしまいました。

その他、田んぼでは暑い夏のせいか青い田圃はたっぷりと穂をつけていました。風に乗って漂ってくる稲穂の香りはどこか香ばしく甘く心が深々とした感じになりました。これら稲穂が台風などを無事切り抜け豊作の秋を迎えればいいのですが…。

投稿者 kinu : 17:31 | コメント (0)

2013年07月14日

平家蛍を見に行く

先のブログに蛍観察会について書きましたが、その時はゲンジボタルで今回はヘイケボタルです。
この2種は時期をずらして現われてくるのですね。昆虫の世界では、源氏と平家は争わずに共生を図っているのです。ゲンジのほうが体は大きく、光も強く、ヘイケは小さく、光も弱いのですが…。
それで大抵はゲンジホタルを見てもう満足して、次のヘイケを見に行かないことが多いのですが、今年は出かけました。
参加者はやはり前回と比べて少なく、15、、6人ほど、小さい子どもも2人加わっていました。そして暗くて滑りやすい森の細道をぐずりもしないで最後まで歩き通したのは、いつもながら感心させられます。

さて肝心の蛍ですが、このところ梅雨が消滅したような晴天続きのためか、その数は少なかったようです。それでも120~130はいるようだとのことでした。これは雨がほとんど降らなかったので湿地が乾いてしまったせいのようで、そのため谷戸の全体にではなく、3カ所ぐらいにまとまった感じで、結局谷戸の奥まではいかず、途中で引き返して入口に近い場所で観察しました。
それでも数が少ないのを自覚したように、ただじっとして光るだけではなく動きが活発で、ふわふわと宙に舞い上がったり、すーと飛行したり、こちらにも飛んで近づいてきて、手を差し伸べた私の掌や袖口に3匹(頭)も止まってくれたのには感動です。小さいせいもありますが、全く虫が止まった言う感じが少しもなく、全く光る露を手にしたようで、それもまたすうーと離れていってしまうのでした。
ほんの1時間足らずの蛍の宴、先のゲンジボタルの時ほどの数ではありませんでしたが、私と同様皆も満足したようでした。
出る数は気象状況によって変わるわけで、まだまだここの蛍は健在のようです。

この蛍をめでる感性は、日本独特のようで、西欧世界では、この光る虫はどこか不気味な、不吉なものとして受け止められていたようです。この記事は新聞の上村松園の「蛍」という画についての解説部分にあったもので、日本では、有名な「枕草子」にも夏の美しさを語る部分にまず出てくるし、松園の画も蚊帳を吊ろうとしている美人と蛍の組み合わせである。昨夜参加した幼い子どもたちも、その蛍を見たさに怖いのも我慢してついてきたのだろう。日本人の自然を友とする感性は子どもの頃から受け継がれているようだ。
光る虫、蛍は、成虫になってからの寿命は3,4日から一週間。その短い間にその生を精一杯生きる。この命のはかなさに共感するのも、やはりこの国独自の感性だろう。
ヘイケボタルもなかなかいいものだ。来年もまた参加してみようという気持ちになっている。

投稿者 kinu : 15:12 | コメント (0)

2013年06月23日

蛍がたくさん見られました。

梅雨の晴れ間で、昨日も心配されたにわか雨もなく、蛍観察には絶好の夕べとなりました。
雲もほとんどない空には山の端から出たばかりの満月が、白々と大きく見上げられます。6時半集合、参加者は20人余り、小学生くらい、まだ幼い子どももいましたが、暗くて細い山道、ぬかるみや崖っ淵もある道を最後まで歩き通しました。案内のKさんは子ども好きらしくまた子どもたちにも親しまれていることもあり、今日も彼らを先立てる感じで7時10分前ぐらいから歩きだしました。
いつもの「歩く会」のコースとは反対側の出口から入り、沼や湿地帯を抜けて尾根にかかる谷戸の一番奥までゆっくりと歩き(この間蛍を眺める)、U ターンして帰って来るのです。始めの頃はまだ薄闇で雨蛙の声、鶯、杜鵑の声も聞かれましたが、だんだん暗くなり泥濘で滑りやすい足元は懐中電灯が必要になってきます。せせらぎの淀みのところでまず足を止め、Kさんは子どもたちの緊張を解くため冗談交じりの話をしたりしてから、蜘蛛の巣よけの笹竹を掲げたKさんを先払いのようにしながら一列になって進みます。

暫らく歩いてから立ち止まり、蛍の出現を待ちます。ここからは蛍を驚かさないように懐中電灯は出来るだけ消しておきます。月は光を増しくっきりと、また夜空も明るくなっていく中、谷戸がいっそう黒々と迫り、聞こえるのはせせらぎの音だけ、牛蛙の声が聞こえたこともありましたが、今回は静かです。その闇にじっと目を凝らすうちに、ある所でピカッと光るものが見えました。それを合図のようにして次々とあちこちに光るものが見えはじめ、あちこちから感嘆の声も上がり始めました。これが7時40分ごろです。いよいよこれから1時間ほど、年に一度の蛍の恋の季節が始まるのです。

今年は例年にないほどたくさんの蛍が眺められました。コースの最初から谷戸の奥まで、どこにいても、また湿地帯や草むらや木立のどこにでも光っていて、ちょうどこの谷戸全体をひととき、蛍のイルミネーションで飾ったという感じになりました。150匹(頭という)以上、160~70ぐらいは出ているとKさんたちは言います。今は源氏蛍ですから光も強く、しばらくするとスーッと飛んで時には空に舞い上がったりもして、子どもたちも大喜びでした。
少しずつ移動しながら谷戸の奥まで移動し、堪能した気持ちでUターンします。これが8時すぎ、帰り道ではもうそれほどの数ではなくなっています。ほんの一時間ほどの蛍の饗宴です。
実は西日本など、例えば熊本などでは蛍は大体大きな川の河畔に出て、光るのも一晩中だそうです。それに比べてここでは小さな川とも見えない湿地や流れに生息する。そして出没するのもせいぜい一時間あまり、でもこれが大体東北の蛍の在り方らしいです。
Kさんに言わせると西国の蛍は一晩中恋の宴をやっているようなものでだらしなく節制がない。それに比べて東国のは、短時間で終える。いかにも武家社会らしく質実剛健で好ましい、と冗談交じりに自画自賛をして皆を笑わせる。

帰りの道筋には足元の笹の間に弱く光るものがあり、これは平家蛍の先駆けという。また葉の上に光るものを見つけ、Kさんは成虫はほとんど光らないが幼虫は光るクロマド蛍の幼虫だと指摘する。

さて元の入り口に戻ってきたのは9時過ぎ。全員事故もなく、また妙な人間が混じることなく、戻ってこられたことを感謝して、Kさんをはじめとして全員で谷戸に対して深くお辞儀をしてから別れる。(入山するときも同じく頭を下げてから入る。これはいつもの礼儀)。
平家蛍の鑑賞会は7月13日。これにも参加してみようかなという気持ちになっています。

投稿者 kinu : 14:09 | コメント (0)

2013年05月20日

「台峯歩き」前回のつづき

 さて、先ず鳥の事。
問題になっている中国から渡ってきたガビチョウ(蛾眉鳥)ですが、最近盛んに声が聞かれるようになりました。鳴き声は高く鋭く、ウグイスの声を圧するくらいです。また温暖化の現象でしょうか、この辺りでは珍しかったキビタキの鳴き声もよく聞かれるようになりましたが、これも台峯で繁殖するようになったようです。この鳥も、日本では昔飼い鳥としても珍重された(今は飼ってはいけない)南方からの渡り鳥で、実は昔私も飼ったことがあります。この鳥は、全体が黒色で、眼の上とノドから腹にかけてと、背中にも黄色い部分があり、それらがとても映えて綺麗なのです。大きさはウグイスと同じくらい。しかしガビチョウはもっと大きいのです。プリントの写真を見ると全体はウグイスの色に似て渋い色ですが、頭と腹は橙色、目の周りはメジロのように白く縁どられ、その白色がぐいと眉のように伸びている。この大きさと鳴き声の鋭さは在来種を圧倒してしまうようです。
この時も、両方の声が同時に聞かれましたが、キビタキの声はじっと耳を澄ませなければ聞きとれないほどです。しかし声は高くてとてもきれいなのです。どちらももう、この辺を故郷とする種になってしまったようですが、やはり外来種は強く、臆面もなくのさばる感じなので、Kさんは控えめで慎ましやかなキビタキ、を即興詩人のようだなどと言って、しきりに肩を持つのでした。
田んぼでは苗代を作っている段階、ツバメが飛んで、そこの泥を巣作りのために持って行っているようですが、こういう泥が街中では少なってきた今、ツバメの数も減った感じがします。
またカワトンボも今の季節ですが、これも水辺がなければ出てきません。そしてそういう川に蛍が出ます。今年ももう蛍の季節が近くなり、その観察会の日程も発表されました。

 次に、ハルジョオン(春女苑)とヒメジョオン(姫女苑)は、雑草といわれる類で、道端に白い(時に薄い紅も混じった)小さな菊に似た花を咲かせる野草。最初にハルが咲き、それが終わるころヒメが咲き始めます。その判別方法を、この日教わりました。こんなことを覚えたからと言って何の役にも立たないかもしれませんが、こんな風に丹念に周りを眺めているだけでも、自分もその一部である自然がいかに巧妙に成り立っているか、またそれを探索するだけで生きている人生は面白く楽しく過ごせそうな気がします。たとえお金がなくても。
判別方法 ①咲く時期は今書いたように、ハルが先(4~5月)、ヒメ(6~7月)。 ②つぼみの姿、ハルは最初うなだれる。ヒメはまっすぐに伸びて、逆三角形型に花が咲いていく。 ③葉の付き方。ハルは葉が茎を抱くようにして付いている。ヒメは、葉には柄がある。 ④茎。ハルは空洞。ヒメは空洞ではない。

一番よくわかるのは、葉の付き方です。それを見ればすぐどちらかが分かります。
こんな風に微妙な違いを持つものも、それぞれに棲み分けをして、それぞれが生きているものだと感心させられます。今日は菜種梅雨のような、1日しとしと霧雨のような雨が降り続いています。昨日の晴天は貴重でした。今回の台峯報告はこれまでとします。
      

投稿者 kinu : 14:11 | コメント (0)

2013年05月19日

「台峯歩き」 白い花の季節。

予報が少しずれて、今日はまだ晴れのお天気。山歩きには暑くもなくいい日和になりました。
小さな白い花が目立つ季節です。歩き出すと細い山道では一列になってしまい、Kさんの説明が後ろに伝わらないことが多いので、プリントが配られたとき少し細かな説明がありました。その一つに有名な「夏は来ぬ」の歌の内容です。

”卯の花の 匂う垣根に”ですが、卯の花はあまり匂いません。同じ白い樹の花で、エゴノキは良い香りがします。しかもこの花は俯いて咲いているので、高木になるけれど、見上げて鑑賞することができっます。というわけで、ここの匂うは盛んに咲いているの意、また卯の花だけの垣根は少なく、それを他の木の間に混ぜながら垣根にすることが多く、それはこの辺りでも見ることができました。
しかしこの卯の花の垣根にホトトギスがやってきて鳴く、というのは現実には考えられなくて、これは卯の花を眺めながら過ぎっていったホトトギスの声を聞くということなのだろう、という事。ホトトギスは他の鳥のように止まって鳴くのではなく、飛びながら鳴くのだそうです。鳴くときは、普通の滑空ではなく、羽根をばたばたさせながら鳴くのだそうです。又“忍び音”というのも、ちょっと分からない言葉で、「忍ぶ」、こっそりとというような意味ではなく、詰まったような鳴き方を言うのだそうです。トッキョ トカキョク という音は、確かにのびやかではなく、確かに喉を詰めて鳴く感じです。この鳥はこの頃南方から渡ってきて、ここで繁殖します。有名な托卵、ウグイスの巣に卵を産んで、ウグイスに育てさせるのですが、ずうずうしとは言えない事情があるのだそうです。すなわちこの鳥は体温調節ができない、分かれてきた元の爬虫類の痕跡をまだ残しているからだそうです。だから体温を上げて卵を孵化させることができないらしい、必死の選択をしているのだ…と。
自然は不思議なことだらけ、また、ここでも述べましたガビチョウについて、またほとんど見分けがつかない、ハルジオンとヒメジョオンについても回を改めて書くことにしますが、今日はここまで。

投稿者 kinu : 17:38 | コメント (0)

2013年03月17日

春の台峯歩き

明日から崩れるということだが、彼岸の入りの今日はいいお天気である。台峯歩きに出かけた。
春のせいか参加者が多く30人近く、新しい人も多く、そういう人たちはなるべくKさんの近くで説明を聞いてくださいということで、歩き出す。
報道では遅れていた桜も、このところの急な暖かさで咲きはじめ、記録を取り始めて最も早くなったとか、ここでも桜の開花を目撃する。普通ならばイヌシデの雄花(地味な、白っぽい緑色の、小さな房状)が咲いてから桜が咲くそうだが…、同時に咲いているのである。暖かくなる前は冬の寒さで、今年は春と初夏が団子状になった状態だとのこと。

早春の木の花は、皆小さくて余程よく見ないと分からない。黄色い花簪のようなキブシは目立つが、オニシバリ(沈丁花の親戚、花もそれに似ている)、ヒサカキ(姫榊であり、榊よりも葉が小さい)、などは小さく葉の下に密集しているのて、指摘されなければ見落としてしまう。その中でもウグイスカグラの紅色の小さな花は可愛い。これも本当は2月に咲くのだそうだが、ここでは今も咲いていた。
後は道端の野草の新葉や小さな花に注意しながら歩く。
ヒメウズ(とても小さいオダマキ)、タチツボスミレ、ヤエムグラ、オオイヌノフグリ、オランダミミナグサ、キズタ、サネカズラ(ビナンカズラ)、スズメのカタビラ,ヨモギ、スイバなどいろいろ、いわゆる雑草といわれる類だが、これら野草は斜面に生えるものと平地に生えるのは違っていて、平地に生えるのは(ここは人間が耕した畑などの跡地)抜いてもいいが、斜面(昔の地形に残っている在来種が多い)に生えるのは生態系から見ると大切なものがあるので、残してほしいという。
たとえばこれから多く見られ、るヒメオドリコソウ(姫踊子草)は外来種だが、よく似た在来種のホトケノザを圧倒している。

鳥は、ヒヨドリの騒ぐ声、これはヒヨドリの中には渡りをする鳥がいて(と言っても東北や北海道くらい)それらが集まっているという。カシラダカ、モズ、それからもちろんウグイスは、まだちょっと下手だがその声を聞く。この辺りのウグイスは、20組くらいいて、少々過密らしいという。
またこれも珍しいという小さな野鳥のキクイタダキが見られたとのこと。(実は私はその鳥を確認できなかった。鳥の姿を見るのは苦手である)

田んぼには、タネツケバナ(ナズナの親戚で、白い小さな花が咲いているが、水面の一部が赤くなっているのはアカウキクサだそうで、これまで見られなかった。これが蔓延るようになって来て田んぼに悪い影響を与えているそうである。陽射しを遮ってしまい、田んぼの水面の温度を下げてしまうからだという。

今日は、この会でも初めてだという出来事に幸運にも遭遇した。、湿地帯の水たまりで蛙が産卵する現場を目撃出来たことである。この水たまりは、昨日の山の手入れの時に、蛙の産卵場として作っていたとのことで、それをちゃんと蛙は見つけてそこに来たのである。ガマガエルらしい。
また、すでに産卵の終わった、その卵(ビニール紐のように連なっている)も流れの淀みで、Kさんが見つけ、それをちょっと取り上げ、皆に触らせる。
出口辺りにモミジイチゴの小さな白い花。

今日は人数が多いので、時々バラバラになったりで歩き終わるのに少し時間がかかったが、12時半ごろ皆無事に歩き終え、来月の春の盛りの時期を楽しみに散会。

投稿者 kinu : 16:53 | コメント (0)

2013年01月22日

台峯の初歩き

この冬は特別に寒く、大雪になりましたが、それがまだ解けやらぬ日曜日の台峯歩きに参加しました。雪で浄化されたような冬晴れで、その陽射しに心は誘われます。メンバーは14、5人程度、幼い子供たち3人も最後までちゃんと歩き、むしろ大人たちより溌剌としているほど。
寒いとはいえ、Kさんによれば1月にこのような雪、大雪になるのはむしろ温暖化しているせいだとのこと。なぜなら、これは通常の冬型ではなく、春先の気圧配置になっている証拠だというのです。
このように自然も異常なことが多いですが、しかしどこまでが異常と言えるのかどうか、それも難しく自然というのはどう仕様もないものであり、それをいちいち気にしても仕方なく、仕様があることだけを何とかするしかないですね…とも。

まだ雪があちこちに残っているので、その上を歩いた足跡についての話が出て、昔はこの辺りにいた野兎が、最近は全く見られなくなったという話も出ました。野兎の姿などはなかなか見られないがこの雪の季節はその足跡で追跡し、見ることができたのだとか…。
理事の一人が何年か前に見た一匹が絶滅寸前の最後の姿かも―という話になりました。

花はほとんどなく、わずかに蠟梅の黄色、それが真っ青の空をバックに陽射しを浴びてまさに蝋細工のように映えて美しい。そのことと冬場には鳥の姿が捉えやすいということですが、その中でも出会うことが稀なウソを目撃したことだけでも歩いた甲斐がありました。一列に並んで歩いている私たちの全員が皆見られるほどの時間(驚かさないように静かにゆっくり歩いたのですが)、ゆっくり雪かその下にあるものを啄んでいました。

今日は常緑樹の、葉っぱの識別をすることを主として観察しましたが、これがなかなか難しい。この地の多いタブを始めシロダモ、ヤブニッケイ、タブと似ているアカガシ、アラカシ、シラカシ、そしてスダジイ、本来はここにはなかった南の国からやってきたクスなどの葉っぱの写真と解説を手にしながら歩いたのですが、実物はその通りではないのですから。見分け方はその形だけではなく葉のふち(ぎざぎざがあるかどうか)、葉脈がどう走っているか、葉の色や艶、葉柄はどうかなど手にしたものをKさんに見てもらい教わりながらですが、なかなか覚えられません。これはもう場数を踏むしかないのです。

稲田でちょっと珍しいものを見ました。収穫はとっくに終わった田んぼに建築現場のような稲架が丸木でしっかり組み立てられているのが残っていました。それはここの田んぼ(第2と呼んでいる)の一部が手放され、干す場所が狭くなったので作らざるを得なくなったのだとか。ここには間際まで宅地開発が迫っているのでした。

大雪で倒木があり又雪の重みで頭を垂れて通路を塞いでしまった笹薮を刈り取ったりして、前日理事をはじめボランティアの人たちが整備をしてくださったことに感謝しながら、まだ雪が残ったりしているので用心しながら、何とか最後まで無事に歩き通しました。

投稿者 kinu : 15:43 | コメント (0)

2012年12月16日

もみじが美しい台峯歩き

16日の今日は投票日と重なってしまいました。帰りに投票しようと投票用紙を持って出かける。ところがいつもの集合場所の公会堂に来てみると、その前に理事の一人が立っていて、今日の集合場所は駅前ですという。公会堂が投票所になるからである。当然そうなることを、考えていなかった。慌ててそこから引き返して駅前に行く。そこを通る時、今日は又どこかのグループが集まっているなあ…と眺めていたのにと、苦笑してしまった。

台峯の人たちと思わなかったのも、今日は初めての参加者も多く、また子連れが3組もいたせいかもしれない。あとひと月で3歳になるという子どもから小学前の子どもたちが5,6人もいて全体で30人近くになっていたからである。
しかし昨日の雨はすっかり上がって雲ひとつない秋空、空気は澄んで陽射しが温かい。
例年のようにこの時期の歩きは、紅葉や落ち葉の観察や葉を落とした木の梢や幹の識別をしながら鳥の声に耳を澄ませる。子どもたちもちゃんと歩き、またKさんは、水辺では蛍の餌になるカワニナ(ここのはよく見られる縞がなく全体が真っ黒というのが特徴という)を水に手を入れて採らせたりしている。子供たちにとって良い体験になることだろう。しかし出口のところで、皆から感心感心と褒められていたのに、ぬれた落ち葉に滑ったか転んで、泣き出してしまった。でもこれも大したことではなく間もなく泣き止む。

落ち葉ひとつとっても、葉の形は言うまでもなく、葉脈の走り方、ギザギザ(鋸歯)の付き方、葉の形や厚さ、薄さ、どれ一つ同じものはなくそれぞれにユニークで、究めようとすれば奥が深い。それは自然というものの奥深さでもある。この辺りの黄葉は大体遅いのでが、今年は特にいつまでも暑かったので木々はくすんで黒ずんでいたが、やっと美しくなってきた。わが家の満天星やハゼも散る寸前の鮮やかさである。
見晴らしのいい老人の畑から見るなだらかな丘陵も、春とはまた違った落ち着いた色合いに染まって美しかった。雨上がりで風もないので、降り注ぐ暖かい陽射しの中で友禅か何かの着物色合いを思わせる眼前の情景である。ここで一休みして、いよいよ谷戸に入っていく。
雨が降った後だしすべりやすく、ぬかるみもあるので用心しながら歩き、ここからはかえって歩調ははかどり湿地帯を見下ろし、背高いハンノキたちを眺め、沼に至り、その先の水たまりでカワニナやその歩いた跡などを教わりながら出口に向かう。
誰も迷うことなく、全員無事であることを確かめ合ったのち解散した。


投稿者 kinu : 16:03 | コメント (0)

2012年10月21日

秋晴れの「台峯歩き」

上空には一片の雲すらない、秋晴れの絶好の行楽日和となった。
山頂にわずかに白雲をたなびかせた富士山が、少しかすみながら遠望できる。

今日は20人ほどの参加者の中に5人ほども初参加の人がいたので、Kさんも説明などに張り切っていた。そこで最初は、駅前のバスの停留所の向かいにある海軍の石碑のところに足を止めた。海軍省が昭和16年に建てたと刻まれているこの碑は、この辺り一帯がその頃要塞の一つとして重要な地であったことを示したものである。北鎌倉は海軍の町だったそうだ。そのため高台にあたる台峯は、主として海軍の将校たちの住宅があったのだという。歩く会の休憩地である「老人の畑」からは横須賀線のプラットホームが遠望できるが、そこから軍港のある横須賀まで電車に乗っていく軍人さんがこれが最後かもしれないと台峯を眺めながら乗り込んで行ったこともあるかもしれない…とも。

今年は暑かったせいで夏の花がまだ残っている。しかしそれに反して冬鳥の飛来が早いという。
アオジ、シメなどがもう来ている。モズもそうだがキビタキは今までにないほど数が多いそうである。それゆえ紅葉もかえって早いかもしれないとのこと。
今回は主にイネ科の植物に注目しながら歩く。皆地味な草だが、鳥たちの食糧である。猫ジャラシに似ているがもっと猛々しいチカラシバ、線香花火に似た穂を出すオ(雄)ヒシバ と メ(雌)ヒシバ。大きな穂を出すノガリヤス、それを繊細にしたようなカゼグサ(群生すると石鹸の匂いがするというけれど…)。葉っぱがフナに似ているからというコブナグサ。
花は、この季節にふさわしいヨメナ(いわゆる野菊といわれるもの)。夏の花だがまだツリフネソウ(蜜が美味しいので吸ってみてくださいと言われたので試してみたが、もう昆虫に吸われた後のようで蜜はなかった)やミゾソバも多く見られた。面白いのにアキノウナギツカミというのがある。花は小さく黄色っぽいが、茎にギザギザがあって、昔はこれを束ねてウナギを取ったからではないか…と。

田んぼではもう稲刈りが済んでいて稲が干されていたが、このところの雨でぬれていた。暑い夏で台風の被害もなかったので豊作なのだろうか。トンビが上空を悠々と何度も旋回していた。風もなくいい日和である。モズの声が時々する。I さんが、このモズは声が悪い! とけなす。モズは賢くて他の鳥の真似もできるとのことだから、もしかしてカラスの声をまねたのかも?
「老人の畑」では、横浜から来たらしい小学生たちがお昼を食べていた。周りのススキ原が美しい。
そしてコースの出口辺りのオギ原(まだ白くなってなくて赤みを帯びているが)が、外来種で繁殖力の強さから嫌われ者であるセイタカアワダチソウもこれほど群生すると見事で、両者のコントラストが目を楽しませてくれた。

投稿者 kinu : 15:55 | コメント (0)

2012年09月16日

お天気定まらぬ日の台峯歩き

居座る太平洋高気圧、沖縄には大型台風接近、不穏な世界を反映したかのようにお天気も不安定で過激、そんな切れ端を少しだけ浴びたような台峯歩きでした。

予報では処によってにわか雨も、と言っていましたが、朝は薄い雲はありながら晴天でほっとしていましたら、集合場所に着く前にもう雨が降り始めました。まさににわか雨、着くころはもう上がっていたのです。
K さんは鎌倉に住んでいるのですが、トンネルを抜けると…、こちらは雨なので驚きました、とのこと。こちらの北とはそれほどの違いがあるとのことです。トンネル(鎌倉山)を境にして海沿いと山沿い、植物にも昆虫にも違いがあり、そして人の気質にも違いがみられるようだという話を面白く聴く。今日は初参加者も4~5人いて、20数人。薄日も射す中歩き出しました。
第一の田んぼはまだ青い葉ながら黄金色の穂を垂れ、第2の田んぼは陰のため少し遅れていたのですがやはり実りの穂をつけていました。まだ赤トンボは山から下りて来ずシオカラトンボ、オオシオカラトンボが数匹残っている。昔皮から繊維をとったカラムシ、小さなイチジクの実に似ていてもイヌビワ、これは黒く熟すと食べられるという、白萩、撫でると葉が猫の毛のような感触のネコ萩、南天萩。また昆虫では一文字蝶、セセリ蝶(蝶ではないような羽をもつ)、ハラナガ蜂(土の中に巣を作る)などを目撃。また何とか残された崖では特徴的な3種のシダ゙、子持ちシダ、穂シダ、ホラ(洞)シノブ(これは紅葉する)などを初参加の人に教えながらいわゆる「老人の畑」といういつもの見晴らしの良い休憩場所に着きました。今日はいろいろ話も弾んで(これがこの会の良いところで、あることに関連していろいろな薀蓄がKさんの中から引き出されてくるからでしょう)ここに来るまでに11時過ぎになっていました。空には薄い雲が広がり風も吹いてきて、これまでの蒸し暑さが和らぐ感じでした。ところがこれが前兆でした。間もなくぽつぽつと雨粒です。実はこれからが本番の谷戸歩きなのです。
各自持参の傘を開いての谷歩きとなりました。最初はそれほどではなかったのですが、途中から激しくなりました。木の多いところで暫らく雨宿りをしてという考えも出ましたが、そのまま歩き続けることになりました。ここからの道中では観察は出来ず、ただ滑らないように、足元を気遣いながら歩いていきました。それでもキンミズヒキ草の美しさなどを道端に感じとりながら…。
解散場所にたどり着いたころ、雨はほとんど止んでいました。もう少し早く老人の畑を出ていれば、谷戸歩きの時激しい雨に合わなかったかもしれませんが、その前にのんびりといろいろな説明を聞きながら歩いたことで、初参加の人がとても面白かったと言っていたので却ってよかったのかもしれず、何とも言えませんが、とにかく予測が難しい山歩きの例を教えてくれた今日の歩く会でした。

家に帰り着くころにはもう陽がさしていました。窓から見ると遠い北の空には雄大な入道雲…。ここから眺めていると白く輝く美しい雲も、その下ではきっと急に暗くなって雨になっているのだろう…などと思うのでした。

投稿者 kinu : 16:37 | コメント (0)

2012年08月20日

残暑の台峯歩き

この季節、台峯歩きもさぼることが多いのですが、集合場所までのアスファルト道路は暑いものの、谷戸歩きのほうが家にいるよりも却って涼しいと思って出かけました。お盆明けの事もあり、やはり参加者は少なく、理事のほかは常連だけの10人余り、案内役のKさんもリラックスした感じで、いろいろ自分の体験(蜂に刺され死にそうになったことなど)や好み(人間ではなく植物の)なども語り、全体としてくだけた、のんびりした歩きになりました。
蝉もツクツクボウシが加わります。でもこの法師蝉が今年は少ないようですが…?

この季節は目を引く花、昆虫のくる花は少ないのですが、それでも草原や道端、木陰に生える目立たない花、つる草などがやっと昆虫たちに食糧を供給しているようです。
山の手入れなどでは厄介者とされるヤブガラシ(わが家でも見つけ次第退治します)は、蝶や蜂をたくさん集めるそうで、彼らにとってはありがたい。ヘクソカズラ(小さいながら可愛い花なのに、こんな名前では可哀そう。名前を変えてやる運動をしよう!などと冗談交じりにDさん、でもいったん名前が決まったら、それを変更することは、植物学会ではできないのだそうです。だから日本では別名でヤイトバナと言われているので、そう読んであげましょう、などとも)。馴染みの烏瓜の花(これは昼間は萎んでますが)、樹木としてはクサギ、道端にはミズヒキソウ(普通は赤いのですが、黄色のキンミズヒキ、白い花のギンミズヒキもあり、それぞれ見られました)、ダイコンソウ(キツネノボタンに似た小さな黄色い5弁の花)。ムラサキニガナという、キク科で花弁を閉じた形で俯いて咲く小さな花ですが、それがタンポポのように綿毛になる雑草など。
樹の下には、薄紫色のヤブランや白い小さな花をつけるヤブミョウガ(これらは日当たりがあまり良くないわが家の庭にもたくさんある)。そしてコヒルガオ(普通のヒルガオより小さい)、またちょっと珍しいタマアジサイ(この季節に咲く)など。

さてあまりに細かいことばかり書きましたので、ここで田んぼの事を書きましょう。
第一の田んぼは青々とした葉の間にたっぷりと実った稲穂が首を垂れ、その上をシオカラトンボが飛び交っていました。第2の田んぼは谷間なのでやはり遅く、まだ稲穂の生育も遅れていましたがこの厳しい残暑は、実りにを促すことでしょう。

見晴らしのいい「老人の畑」の木陰で休憩、ここでKさんのはちに刺されて死にそうになった時の体験談なども出て、蜂に刺された時はどうしたらよいか、教えられたのでした。とにかく手で払ってはなりません。蜂を怒らせてしまったのですから、ただひたすら平謝りの態で(姿勢を低くして)逃げ出すこと。一匹くらいから刺されてもそれを良しとして、それ以上刺されないように(その他の蜂も狙っているのだそう)こちらが暴れると何匹も襲ってくる、走って逃げてもあちらのほうが早いのですから、などと。

さてKさんの好きな植物に、今日も出会いました。ミズタマソウ。花はルーペを使ってみないと分からないくらい小さい白菊に似ていて実が水玉のようになる。そのほか葉っぱがヤマイモに似ているオニドコロというつる草です。これも花は花穂で、それも花であるかどうか分からない地味なもの。
「とにかく目立たない、ひっそりとした地味なものが好きなんですね」と皆は言い、「この長い花穂は繊細で、少しの風に揺れているところなど、素敵でしょう」などというのにも、「ふーん、そうですかね」などと、いつものことながら誰も聞き流しているだけです。でもそういうちょっと変わり者でオタクのKさんを尊敬し、その熱意と知識に感服しているのでした。

出口近く、これもKさんの指摘で分かりましたが、カラスザンショウの葉に、カラスアゲハが卵を産み付けているところを目撃しました。この蝶の幼虫は、この木の葉を食べてさなぎになるのだそうです。

さて今回の歩きも、誰も熱中症にもならず無事に終わり、来月のマツムシの声を聴く日の予告を知らされ解散しました。

投稿者 kinu : 15:12 | コメント (0)

2012年07月15日

お盆(新暦)の台峯歩き

九州北部で未曾有の被害をもたらしている梅雨末期の前線が北上しつつあるようですが、この辺は曇り空で、湿気はひどいものの風があるため歩くのには幸いしました。

お盆で連休のためか参加者は少なく、ゆっくりとモニタリングもしながら歩きましょうとKさん。昨夜はホタル観察会もあり、その前は山の手入れもあり、人数が少なかったのはそのためもあるでしょう。私はそれらをさぼっていたので、これに出ることができました。蛍は、この時期は平家ホタルで、源氏が少し残っているという状態。平家は光も弱く低い場所にいるので、源氏のような華やかさはなく、数はまあまあだったようですが、私も参加した前回が一番良かったようです。

この時期の見どころは、半夏生(半化粧)です。この辺りの湿地ではここが一番広範囲で見られるそうです。鮮やかな白でお化粧した姿が見られる時期が歩く会の日程にぴったりと合う日は年により違ってきますが、今回はそれがぴったりでした。ある場所では(半)ではなく(八分)くらいが真っ白ということもありました。その他セリやヤブミョウガの白い花。
それらの中で黄色のダイコンソウが目立ちます。ヤブカンゾウやネジバナは終わりごろ。ムラサキニガナというのも赤紫ですが小さく俯いているので地味で目立ちません。ところがこれが1メートル近くにまでなり、タンポポのように綿毛になって飛び立っていく、その寸前の姿が見られました。ジャノヒゲも薄紫の花穂をつけますが地味です。
その他可哀そうな名前を付けられたハエドクソウ(昔はこの葉っぱを蠅取り紙に使ったとか)、ヤブジラミなど。また馬を冠したウマノ・ミツバ(葉っぱが3枚ずつつく)、オオバ・ウマノ・スズクサなど。
ヤマイモに似ているけれどそれとは違う、オニドコロという厳つい名前の付いたものも、同じ種類でもヒメドコロという名前がついているのは面白い。姫のほうは葉っぱも少し細身で、地味な房のような花も鬼よりも長く全体として繊細なのである。


樹の花としては合歓の木ですが、なぜか今年は花が少ない感じもしました。実はこの近くの六国見山では、いつもはあちこちに見られるのに今年はまだ目にしないからです。その他カラスザンショウやアカメガシワの花(これらは黄色っぽく花という感じに見えない)。

この梅雨の時期、どんなに小さい庭でも草木はどんどんのびる。切っても切っても新しく伸びるのだが、それに白い小麦粉のような物がつき、それを枯らすようなのである。嫌なカビとも虫ともつかぬその正体を今日初めて教えられた。アオバ・ハゴロモだという。ずいぶん綺麗な名前だなあ…。幼虫は白いだけだが、成虫になると青みを帯びた体に白い羽をつけ、手で触ると跳ねて飛び去る。これが羽衣だなんて…、あまりにも良い名前を付けたものだと、あきれる感じ。

参加者の中には、初めてではありませんが板橋から来た人、また都内在住の高校3年という学生で大学では環境問題に係わる学部に行きたいという初参加の若者がいました。老齢化の進んできた歩く会の皆、特にKさんは期待する感じで、何をやるにも植物が基本だといろいろ話しかけ自分の考えを伝えていました。昆虫に詳しいようでした。

投稿者 kinu : 17:36 | コメント (0)

2012年06月24日

蛍の宴、今年はよく飛びました。

昨夕はホタル観察会でした。昨年は数が少なかったのですが、今年は沢山出ているとのこと、いつものように「歩く会」の出口に6時半に集合、暗くなり始める7時頃から谷戸に入りました。奥までゆっくり歩き、また帰ってくるといういつものやり方です。

Kさんは来られないとの事で、このところ毎日のように様子を見に来ているMさんが案内役です。でも参加者は少なく全部で6人でした。今年2回目だということもあります。
たくさん見られるということで期待しながら歩き出しました。少しずつ暗くなりはじめますがまだ蛍の姿は見えません。でも帰るときにはこの辺でも見られるようになるとMさん。湿地帯の淀みになるところで向こうからやってきたのは若い夫婦と子供の4人。やはり蛍を見に来たと言いますが、蛍が出るのはこれからだと言われ私たちに合流。
条件は上々とのこと。雨がよく降り風がなく蒸し暑い夜だからです。それゆえ足元だけを照らせる懐中電灯、出来れば長靴が最適です。今年は雨がよく降ったので、細い道はドロドロです。足元に気を配りながらゆっくり目を凝らしているうち、誰かの「アッ、見えた」という声。これが幕開けです。ピカッと、茂みの中に青白い小さな光りが見えました。「あ、見えました」と、つい声をあげてしまいます。その後あちこちで、明滅がはじまり、次第に数も増してきます。そのうちふうわりと飛び立つものもあり、ゆらゆらとこちらに近づいてきたりします。低い茂みから高い樹の梢、洞穴のようなところ、湿地帯の上など、目を凝らします。皆光りの強い源氏蛍のようです。Mさんによれば、100頭(蛍は匹ではない)ぐらいとのこと。昨年は40頭ぐらいと言ってましたからよく見られた方ではないでしょうか。一緒になった子どもたちは初めての経験だとのこと。よかったですね。でも前にも書きましたが、これらの蛍は全くここで生まれ育った地元蛍です。今はあちこちで養殖が盛んで、ホテルなどでは一斉に沢山の蛍を放つ催しなども行われ、それらはもっと派手な演出になるでしょうが、ここの蛍は生粋の地元蛍であることが貴重なのです。そんなことも子どもに誰かが伝えていたようです。昨年は数は少なかったかわりに、時期的にずれ込んだせいか同時に平家(光りがよわよわしい)も見られましたが、平家の観察会は第3回目7月14日だとのことです。
谷戸の奥まで行き着き、さてUターンしている時に思わぬことに遭遇しました。私たちの後からやってきたグループの、ルナールの蛇の「長すぎる」ではありませんが、長い長い列とすれ違うことになったです。「長いのでゴメンナサイ」とは言ってましたが、延々と続く列、保育園の児童たちとのことですが、一人の児童に保護者は1人以上はついているわけで、その騒がしく延々と続く列をやり過ごさなければなりませんでした。
私たちも自然の侵入者の一人なので咎めることはできませんが、静かで真剣な蛍の宴には、あまりにも大勢で騒々しい観客です。しかしここが公園として正式に発足すればこのようなこともしばしばとなることでしょう。Kさんだったらもっと静かに!というでしょうが、とMさん。

今年は、Mさんたちが多いと思っていた場所にはほとんどいなくて、違った場所に多く見られたりして、蛍たちの居場所がかなり変わっていたようです。たぶん台風がきたので、それに吹かれて山側に移動させられたか、自分たちで場所を変えたかしたのかもしれないとか。いろいろ自然の試練に適応して蛍たちも生き延びるために総力を尽くしているのでしょう。
最近、自然が荒々しくjなった、というのが誰もが抱いている感想でしょう。これは人類が自ら招いた結果なのか、はたまた自然からの人類への警告なのか? そんなことも考えさせられる夕べでした。

投稿者 kinu : 14:10 | コメント (0)

2012年05月20日

初夏の台峯歩き・ノイバラ(野生のバラ)の宴

今日は台峯歩きの日。少し朝は肌寒く、曇りがちですが陽も射してくる、歩くには良い日和でした。
集まった人12人ほどの少人数でしたから、ゆっくり観察し、Kさんの薀蓄にも耳を傾けながらのんびりと歩いたので、時間も1時間ほどオーバーしてしまいました。

やはり季節は1週間から10日、遅れ気味。今は春と夏の野草が入れ替わる端境期で、観察はイネ科やスゲ類、またシダなどの地味なものになってしまいます。でもよく見れば、それはそれで面白さがあります。
5月の花には白いものが多く、ハルジオン、卯の花と言われるウツギ、マルバウツギ、箱根ウツギ(これは紅白)など。樹木としてはエゴノキ、その葉っぱには「落とし文」も葉を丸くして下がっていました。紫の諸葛菜や小さい野草ですがコバノタツナミソウ(小葉の立浪草)なども。
そして今日は、オギハラに刈り残しておいたノイバラの群落がちょうど花の盛りで、匂い立っているからそれを見に行きましょうと、それを楽しみにあるきだしました。
駅に降り立つ人は、この時期青臭い匂いが辺りに満ちていることに気づくかもしれませんが、それは椎の大木から放たれる椎の雄花の匂いです。それが昆虫を誘い、受粉をさせるのです。

第一の田圃は、今畔作りの最中でした。畔は毎年古いのを少し壊して、新しく作り直すのだそうです。今ではそれをコンクリートで固めたり、板囲いにしたりしますが、それでは田圃の生態系を保存することにはならないことを、説明を受けて教えられました。これは手間・暇がかかります。今では成算の合わぬ行為です。でもそれによって日本の里山の生態系は保たれてきたのです。そういう一見無駄な行為によって、人間の農業と自然の生物たちとは、共存できたのです。経済的合理化は、そういう農業の敵ですね、とKさん。皆で宝くじでも買って一発当てたらここが買えるのですけどね…と。
その半分だけやっと畔が作り変えられた田んぼの水たまりでは盛んにシュレーゲル・アオガエルが鳴き、まだ卵もオタマジャクシも泳いでいて、その上をここだけに多いシオヤトンボ(シオカラより少し小さく、尾の全体が白い)がすいすい飛んでいます。
この時期、渓流ではカワトンボが見られます。それもオスの羽が透明なのと、オレンジ色なのとがいて、メスはすべて透明。その縄張り争いの様や、そこでメスがやってくるのを忍耐強く待ち続けるオスの様子まで、Kさんにかかると昆虫のドキュメンタリーとなってしまい面白いこと限りありません。そういう事もあって道中は時間がかかってしまったのです。
その他、ヤマサナエというトンボ、また大変貴重で、この谷戸にしか見られないというヒゲナガハナノミという蛍くらいの大きさの昆虫も見ることができました。
昆虫は、生態系を考えるうえで大変重要なのだが、植物より実態がつかめず、またその変化も説明できないことが多いということです。蝶もそろそろ姿を見せています。

さて、鳥ですが、今数が減っているというツバメの姿はこの辺ではまだ見られますが、ホトトギスの声を私はまだ聞いていません。台峯では鳴いているとのことでしたが、今日は耳にできませんでした。
キビタキが鳴いているとのことですが、私はよく聞き取れませんでした。エガラの幼鳥もいたとのこと。中国から渡来したガビチョウも六国見山にもいるようです。ちょっと話が混乱しましたが…。

最後に、出口に近いオギハラの中にあるノイバラの茂みのことを述べて終わりにします。
園芸種のバラよりも強い匂いで小さな白い花が乱れ咲いていて、皆で取り囲んで声をあげました。
小さな昆虫たちがいろいろ飛び回っています。熊蜂も来ていました。この花は沢山の昆虫を呼ぶのだそうです。シューベルトの野ばらもこのようなものだろうか、などと言ったりしました。これも花期が終われば刈り取られてしまうでしょう。ひと時の、台峯のバラの宴でした。

来月はもう蛍の季節になりました。早いものです。


投稿者 kinu : 16:56 | コメント (0)

2012年04月15日

「台峯歩き」、珍しく桜に出会う。

歩く会は、毎月第3日曜日と決まっているので、4月に桜と出会うことはほとんどない。例年ならば若葉になっているからだ。ところが今年は開花が遅れ、しかも1日が日曜日だったこともあって、花の盛りに出会ってしまった。昨日は冷たい雨が終日降って、これで散ってしまうのではと思っていたのに、はかなく見えるその花の命は思ったよりはたくましく、ほとんど満開のまま残っていたのである。勢いのあるもののエネルギーだろうか。
空気は雨に洗われてすがすがしく、午前中は陽射しもあって(午後遅くから曇ってきたが)、山際は薄霞におおわれながらも、急な暖かさに一斉に芽吹き始めた様々な色合いの緑の中に紅の彩をそえて、歩く会としてはたぶん初めての花見の会ともなったのではないだろうか。
この辺りで春の初めにまず目に付くのはキブシの花だが、それがまだ残っていて、桜と同居しているのなど、これも例年にない光景である。


桜だけではなくその他の花や昆虫も春と初夏のが一緒に今見られる、まさに「北国の春」の様相だと、Kさんも顔をほころばせながら言う。道端には小さな花をつけた野草がいっぱい。立ち壺スミレは我が家の庭もそうでしたが、ここでも例年になく多く、ムラサキケマン、ホトケノザ、オドリコソウ、カキドオシ、ホウチャクソウ、ヤブニンジン。
田んぼにはタネツケソウ、タガラシ、そしてもうシュレーゲル・蛙が鳴きしきってうるさいほどでした。

鳥たちも帰っていく冬鳥とやって来る夏鳥がともに見られるとのこと。桜の咲くころはその蜜を吸いにメジロやヒヨドリがやってきますが、そのヒヨドリは実は渡り鳥で、その群れを先日見たという言う。(10月から11月、北に帰っていくが全部ではなく一部はとどまっているという)。
この辺りの地形は縄文時代からの地層が残っていて、その断層が見られる崖もある。また海に近い旧鎌倉方面は、水質が悪く古くは水を買っていたという。それに反して北斜面が多い北鎌倉辺りの水質はよいというのを初めて聞いた。そういえばわが家の辺りはあちこちに湧水があるのも、山の水を集める川がないので、それが地層を通って湧き出ているのであろうか。

見晴らし台に当たる通称老人の畑からの眺めは素晴らしかった。すなわちここは、前回ブログに入れた六国見山が、線路のある谷間を挟んでちょうど真向かいにみえる丘陵であるからだ。「花と柳を扱き交ぜて」というなだらかな山の風情と色合い、また鶯があちこちで啼き「処処啼鳥を聴く」という一節が思い浮かぶ。

歩きの終わりごろに寄る水辺では、トビゲラ、カワニナ。そしてまだ少しだがアメンボウがすいすいと、またホトケドジョウも泥の中からちょっと姿を見せたりした。

今日の歩きは異常気象もあっての幸運な一日となったが、これを幸いとするかはたまた心配の種とするかは微妙だが、とにかく自然というのはいくら観察を続け研究してもいつまでも分からないことばかりである、というのがKさんの持論である。ということで、この今を十分に楽しむことしかない。

投稿者 kinu : 16:00 | コメント (0)

2012年03月20日

遅れている春の野を歩く(台峯)

先日の日曜日は台峯歩き。春は名のみの寒さ…の日が多く、花も10日から3週間も遅れているそうです。
我が家の周りも、やっと梅が咲くそろっていく感じでしかし寒いのでなかなか散らず、ながく鑑賞できます。本場の河津桜は満開だそうですが、ここはやっと咲き始めたくらいです。

さて台峯ですが、参加者は14、5人でちょうどいい人数、この時期、野の花自体少なく、それでも豆粒ほどの小さな花たちが咲いていますから、ゆっくり観察しながら歩くわけです。野の花も当然遅れており、野鳥も少ないそうです。それでもウグイスはちゃんと鳴いてくれているしその姿も見せてくたのは頼もしい限りです。アオジも見られました。
この月に一番目につく、小さいながら紅色の美しい花ウグイスカグラも、蕾のままが多く、キブシも遅れています。庭では勢いが良すぎて嫌われ者になるアオキは、雄蕊と雌蘂がもう膨らんでいました。
ここでも植物や鳥たちの名はおおくカナ書きにして、というのも今は皆それが標準ですが、漢字にするとその名付けの訳やその植物の姿までが彷彿とすることが多く、とても面白いということは誰もが感じていると思いますが、今日観察できた花たちの一部をその漢字で書いておくことにします。
ウグイスカグラ(鶯神楽)ホトケノザ(仏の座)、タチツボスミレ(立壺菫)、ツルカノコソウ(蔓鹿の子草)、ヒメウズ(姫烏頭)、ヒサカキ(姫榊)―黄色の小さい粒状だが香りがいい。ヤマネコノメソウ(山猫の目草)―山猫ではなく、山の猫の目の意味という。よく知られたオオイヌノフグリは書くまでもないでしょう。しかしなぜ「オオ」(大)なのかというと分からないそうです。「コ」(小)はないそうです。

蛙のために湿地の中にこしらえていた池に、ちゃんと卵がうみつけられているのを発見し、皆で喜び合います。蛙たちは時期を少しずつずらしながら次々に生んでいくそうで、今は蝦蟇の卵。また、その卵(透明なホースのようなのが少し濁った水たまりにあるのを教えられ、そのような長い卵の紐を初めて見た)が流れのある渓流にあったのを(流されてしまうかも知れないので)湿地の池へと理事さんたちが引越しさせたのは見ものでした。そんな風に地味な草花たちですが、今日も面白く歩き終えました。

投稿者 kinu : 17:50 | コメント (0)

2012年01月15日

寒中の「台峯歩き」

この台峯を歩く会は、今日で151回目を歩みだします。自然を守る基本は、そこにどういう植物が生きているかということだということ、そこから自然の営みが見えてくるのだというのです。その姿を見続けるために毎月歩き、手入れをしていくのです。

さてこのところカラカラ天気の寒い日が続きます。
2、3日前が底の日で、その日はこの家でも氷が張りましたが、今日は張ってはいないものの寒さが累積した感じで、集まった人たちも口々に寒いと言い合います
それでも参加者は、16,7人、新しい人も2,3人いました。しかし目にする花はロウバイぐらいなので、今日は冬樹の幹の識別を専らに、ということになります。

これが大変難しい。例年やっているのに少しも覚えられず、また若木や老木によっても変わってくるのですから…。幹だけではなく、枝振りや枝の付き方(伸び方)がそれぞれ特徴があり、観察すれば識別できるのですが…。
これがなんの役に立つか…と言われれば、とKさんが笑いながら言います。何の役にも立ちません、単なるオタク的な楽しみにすぎませんが…と。でもそういう種類のそんな樹がそこに在ると、確かに認識することで、その樹と親しくなることなのでしょう。
暮らしの中で里山と深い関係であった昔の人は、そういう識別は普通の事だったに違いありません。
薪にするクヌギ、コナラは、ここにも多いのですが、ヤマグワ、カラスザンショウ、ムクノキは後に増えてきたものたちです。これらは生長が早く、昔だったらまた里山の所有者であればなるべく伐採したい樹だが、鳥には好まれる樹なので(その実を食べに寄ってくる)個人的には好意を持っているとKさん。

今日のもう一つのメインは、野鳥を見ることでした。
葉を落とした林の中では鳥の姿が捉えやすいからです。しかし今年は冬鳥が少ない、とのこと。
確かにこの家でも以前はうるさいほどやってきていたヒヨドリの声があまりしません。鳥の姿がめっきり少なくなりました。スズメも(今絶滅危惧種になってしまったようですが)来ません。

さて目撃した(ほんの瞬間の鳥の影も含め)鳥は、メジロ、ホオジロ、カワラヒワ、ヒヨドリ、トンビ、コゲラ、ルリビタキ、アオジなど。
この地に昔沢山いたのはホオジロで、スズメと同じくらいの数だったということです。
しかし今はその数を減らしている。それに対してコゲラは、今一番増えている鳥だそうです。
それはホオジロは草の実を食べていたからです。それら食料とする雑草が宅地開発によって無くなったからで、コゲラは立木があればよいからでしょう。
これらの事からも、植物が生き物たちの底辺を支えていることが分かってくるようです。
では今日はこれまで。


投稿者 kinu : 17:05 | コメント (0)

2011年12月19日

台峯歩き「下を向いて歩こう」の日。

昨日の日曜日、関東地方は冬晴れで富士をはじめ箱根から丹沢までの山並みもくっきりと見え、冷え込んだものの歩くには気持ちのいい日和でした。
今年最後の歩く会です。月に一回同じところを歩くこの会も、今日で150回(13年目)を迎えたのだそうです。
台峯を残そうと活動をする会はいくつかありそれぞれに意見はあるものの、お互い話し合いながら、出来るだけ今の姿が保全できるように手入れをし見守っていくということ。

絶好の日和ですが、「今日は下を向いて歩きましょう」とK さんは言います。
もちろん、下ばかり見ていては首に悪いから、時には空を仰ぎ美しくなった黄葉(紅葉)を眺めたり、耳を澄ませて鳥の声を聞きながらですが…と。
今年は本当に大変な年でした。
Kさんも親戚が被災して、何とか今は落ち着いているとか…。誰もがそれぞれに直接被害は受けなくても、心身ともに大きなものを抱え込んでしまった今、どうしても下を向いて歩いてしまうでしょうけれども…。

いえ、それだからではないのです。「今日は落ち葉や木の実をじっくりと観察しながらというのをメインにして歩きましょう」と言うことでした。この辺りはやっと黄葉(紅葉)が美しくなりました。やはり1週間ほど遅れているそうです。しかも台風による塩害で枯れたり色が悪いところも多いと。確かにこの家の前方の雑木林も白っぽくくすんだ色で、いつもとはちがう感じで海風は当たらないはずなのに…思っていたのですが、何とか見られるようになり、我が家のカエデも今が盛り、落ち葉掻きに追われるようになりました。でも今年はそれらを堆肥にしないで燃えるゴミに出すことにします。微量であっても放射能が累積するかもしれないと思って。
さていろいろな落ち葉のサンプルがコピーされた資料を持って歩くことになりますが、去年もまた一昨年も同じことをやっているのになかなか覚えられません。
ケヤキ、コナラ、クヌギの落ち葉は12月まで地面に残り、堆肥になります。
ミズキ、アカメガシワは、昔はなかったもので、新しく入ってきた種族、イヌシデ、エノキなどこれらの落ち葉を手に取って揉むと、粉になってしまうが、それは堆肥にはならない。すなわち葉肉が厚くすぐ分解しないものが腐葉土となって土の栄養になるとのこと。
それらの見分け方は、葉の形、ギザギザの付き方、葉柄の長さや色や付き方、葉脈の走り方などよく見れば同じようでいて違いがあって、人間と同様に微妙な違いで個性を発揮しているのに感嘆させられます。今は葉っぱで見分ける樹木図鑑のようなものもあるので、ここには書きませんが、Kさんのように何を見せてもすぐ答えてくれる、その識別方法を指導してくれる人と一緒に歩くのが一番です。でもそれを毎年忘れてしまう私なので、自分でもがっかりです。

この辺りは紅葉は少なく、寺院に植えられている園芸種のカエデ以外は、野生のイロハカエデとハゼ、カマツカというサーモンピンク色のものくらいです。でもエノキなどの黄葉も、青空の下太陽の光を透かして眺めると黄金に輝いて素晴らしい美しさです。

木の実としては、カラスザンショウ、スギ、ハゼ、エノキ、シデなどの実、それらの姿もまた落ち方もそれぞれで、皆種族の繁栄に術を凝らしているわけです。
2つの田んぼに先月、暖かさで青い葉をつけていると述べましたが、それに穂がついているのでした。しかも陰になっているところには霜がびっしり、可哀そうにも稲は無駄な努力をさせられているのでした。
野鳥は少なくなっているようです。それでも池には子連れのカルガモ、ヒヨドリやシジュウカラ
、コジュケイなど。

16日、政府は「原発事故収束」を宣言しました。もちろんこれからが困難だとは言っていますが。台峯から帰った夜、「NHKスペシャルシリーズ 原発危機」で初めて原発事故の現場の綿密で詳細な真相が放映され、それを見て愕然としました。やはり原発はメルトダウンしただけでなく、(3月12日午後1時に)メルトスルー(格納器が壊れて下に落ちる)までしていたのです。しかも事故の拡大を防ぐチャンスはありながら、それが分からなかった、スリーマイルではその危機管理がなされるようになっていたのに、それを学んでいなかった。日本の原発が危機に陥ることはないと、管理委員会は信じていた。「原発安全神話」を信じていたのは、彼らなのでした。そしてそれを政府は隠し続けた。私たちは真実を知らされないままでした。
そこでの現場関係者の実名インタビューで、そのことを認め、しかもまだ事故は収束に至ってはいないと言っています。

同じ日のお昼の「日曜喫茶室」は、今年最後でもあり、3・11の事もあって、いつもは常連客として登場する4人(安野光雅・池内紀・轡田隆史、荻野アンナ)にそれぞれ、そのことについて語り合う特別番組になっていて、そこで安野さんが、先の大戦の終戦間際、敗戦に敗戦を重ねているにも関わらず、大本営発表では、「転進」していかにも勝利しているように報じた方法と同じで、国民に真実を語らない政府の隠蔽態度は、その時と全く同様ではないかと憤慨していましたが、まさに3・11の後、天皇が姿を見せ、原発事故が知らされたとき、終戦(敗戦)時と同じことが繰り返された、同じアヤマチを私たちはまた繰り返してしまったと感じた人も多いに違いないのでした。今回は「原発安全神話」を、その時は「日本は神国だから負けることはない」という神話を信じていたのです。その他はすべて「想定外」だったのでしょう。
これからどうなるか、どうするか、多くの課題を残し、それを抱きながら今年も暮れていきます。
明日滅んでしまうかもしれないかもしれないけれど木を植えると言います。パンドラの箱に底に残った希望という命を来年につなぎ、少しは良い年になりますように、皆様もどうかよいお年をお迎えくださいますように祈りながら、今年最後のブログといたします。

投稿者 kinu : 14:20 | コメント (0)

2011年11月21日

秋の「台峯歩き」(異常気象)

土曜日は前線通過のため台風並みの風雨が吹き荒れましたが、日曜日は晴れて南風が吹き込み20度を越す暖かさとなりました。そのためか「台峯歩き」の参加者も総勢で9人という少なさ、でもこのくらいがちょうどいい人数だ、とKさんは言います。あまり多いと声の通りが悪く、Kさんの説明も聞き取れなくなるので、出てきてよかったと思いました。

というわけで今日はゆっくりのんびりと、皆で気ままに道中を楽しみます。
でも誰もが心の底では、不安の霧が辺り一面に漂っているのを感じているに違いありません。昨日のような気象は11月としては珍しいと、Kさんは言います。この台峯の生態系にも色々な異常が生じていると。たとえば今年は蜘蛛の数が少なかった。それは餌がすくなかったに違いないし、また今丸々太っていなければならないものが痩せている。気象が荒々しく変動するのもその異常の一つだし、また夏に逆戻りしたような日もあったためか、新緑があちこちに見られる。新聞にも桜が一輪咲いた写真が載せられていましたが、ここでも桜が数輪咲いているのを目撃。
ここにある2か所の田んぼでは、刈り取られた後の株からまた稲が伸びていて、一面の青田になっていました。二期作の土地ではないので、それは枯れてしまいますし、木々の新緑も冬の寒さで、春芽を無駄にしてしまうことになります。あちこちで様々な天災が起こっていますが、こういう身近な自然にも異常が生じているようです。
しかも第2の田んぼに来たとき、手書きの立て看板がいくつも立っているのに出くわしました。崖(最近この辺りに宅地が建つにあたってコンクリの壁になってしまった)になっている上部に
どうもまた宅地開発されるらしく、それへの反対抗議の文面です。そこに家が建つと深い谷になっているこの辺りの日照はいっそう遮られます。「蛍も棲む、有機栽培の田んぼの稲も育たなくなる、開発反対」というのをはじめとする数枚のタテカンです。
とうとうここもまた…という思いです。ここだけではなく、先日も取り上げましたがこういう事態はいたるところで繰り広げられているというのが現状です。この地の緑はまさに屏風かカーテンの緑の壁です。ひと並びだけ樹木があって、その両側が宅地であるところが大部分です。
市の行政や保存の現状について詳しい人の話では、世界遺産への登録は、観光客を呼び込もうという商業的な計算であって、本当にこの地の自然や文化を守ろうという姿勢はほとんどない、今では地方に行けばどこでもあるその地の資料館(寺院による宝物館は別にして)のようなものもここにはなく、発掘による様々なものは記録も分類もされないままトロ箱のようなものに入れられ放りっぱなし、そしてじわじわと法の網をくぐる違法開発は後を絶たず、それを防ぐ方策も立てられない。これではその資格はないだろうと。

暗い話ばかりになりましたのでちょっと話題を変えます。
この辺りの紅葉(黄葉)は今月末から来月にかけてゆっくりしたものですから、今回もそれほどの彩は見られませんでした。そもそも楓のような木は少ないので、あまり綺麗な彩りはなく地味なものですが、それでも最近は紅色も見られるのはハゼ類が多くなったからだろうとのこと。今黄色に色づいているのは、エノキ、アカメガシワ、クワなどで、ヌルデやどこにでも巻きつくヤマイモの葉の黄色も緑の常緑樹の中で目立ちます。紅色ではコマユミとかカマツカとか、教えられてプリントの図を見てわかりましたが、一人では見つけられないでしょう。高山の鮮やかな紅葉の一つ、ナナカマドも出口辺りにあるのを教えられました。
鳥類では、アオジやクロジやウグイス(地声)、ヤマガラが鳴いていると言いますが私にはなかなか聞きとれません。
秋の青田の上を蝶が舞っているのも見られ、またヤマトシジミかウラナミシジミかという、小さな蝶が羽を休めているの、アカスジという昆虫の幼虫(この時期は赤い筋ではなく黒に白い筋を持っている)という不思議な虫も教えられました。このようにゆっくり観察していくと、人間には想定できない自然の不思議さ美しさ、巧みさにただただ感心するばかりで、その奥の深さを思い知るばかりです。そして私たちも、その中の砂粒のような一員として、ただ今を生きていく外ないのでしょう。

投稿者 kinu : 15:23 | コメント (0)

2011年09月22日

「台峯歩き」の続きと台風通過。

台風は上陸後足早に、列島を縦断していきました。
激しい突風や雨に驚かされながらも、ここは特に何事もありませんでしたが、被災地ではまた何重苦になることやらと、そして各地でも様々な被害が出ていることなど見聞きするにつれ、胸が詰まり言葉になりません。
それでも今朝は向かいの空き家の大きな庭木が、道路に枝や葉っぱを大量に落としたのを片づけたりで、野分の後始末に追われました。

まだまだ長閑な台峯、それゆえここでは書く気持ちがなくなりますが、とりあえず簡単に記すことにします。
嬉しかったのは、田んぼがまだ健在で、稲穂を垂らしていたことです。

 稲穂が掌に重たく
 ここだけはもう黄金色の秋です
 鈍重な夏がなかなか腰をあげないことも
 籾を肥らせることになったのでしょうか
 大気の猛烈な渦が大きな足跡をつけていかない限り
 今年は豊作のようです

 シオカラトンボが飛び交っています
 やがて渡ってくるアキアカネに
 その場をゆずるころ
 爽やかな顔をした秋が
 顔をみせることでしょう

そんな風に眺めながら思ったのですが、さっそくの台風15号の来襲です。
そして台風一過の後の爽やかな秋空というわけにはいかず、今日も30度を超す残暑です。
田圃の稲穂は、どうなったことでしょう?

あと少しだけ。

 釣舟草が咲きはじめた茂みの奥のほうで
 古い幻燈写真のように
 南蛮人が ナンバンギセルをくゆらせています 
 丈高くなったヨモギは
 キク科の小さな白い花をむらがらせ
 つる草の仙人草も 白い花を目立たせています
 アンテナ状に枝をはる秋分草
 白花さくら蓼
 
 小さな白い花の多いこの辺りの初秋
 南蛮からおとずれ棲みついてしまった
 アカボシゴマダラ蝶が おおらかに羽を休めています 
 

投稿者 kinu : 14:28 | コメント (0)

2011年09月19日

いまだ残暑の台峯を歩く(緑地伐採のその後)

台風が二つも接近中で大雨・土砂災害が多発しているのに、この辺りはまだ残暑で、雨もほとんど降りません。
昨日は台峯歩きの日、朝から30度を超えそうな日でしたが参加してきました。
歩くといっても日陰が多く、高い樹木の谷戸の道中なので、家に閉じこもっているよりも気持ちが良いからです。それだけでなく前回のブログで、台峯付近の緑の傾斜地がまた大きく開発されそうだと述べ、陳情の署名を集めていると、ここでもお知らせしましたが、その後のことを知りたいと思うところがありました。

結果を先ず言いますとかなりいい方向に進んでいるとのことです。
というのも先日建設常任委員会があり(それで陳情の署名を急いでいたのです)それに間に合い、数日後の市議会でそれを審議してもらえる運びになったそうで、その席でこれまで案件が大規模伐採で、また緑を守る法案の1つ保存地区に隣接する「特別保全地区」になる予定の地であるのに関わらず4,000㎡の広さであること(1,000以下でないと認められなくなる)、それゆえそれは法案が成立する前の(この10月予定)駆け込み開発であることは見え見えで、委員たちはそれを認識していなかったそうで、地元や会の人たちが声を上げてやっと明らかになったのだそうです。それで市議会では建設許可は継続審議となりそう、また「特別保全地区」の法案も一か月早く9月に発効させる方向になったとのことです。
私も近隣の人だけでなく丁度読書会の分科会であるF会の集まりがあったりして署名を頼んだりしましたので、その甲斐があり喜んでいます。ご協力ありがとうございました。
その場所は、ブログでもよく登場させている、コースの目玉である休憩場所、通称「老人の畑」と呼ばれている見晴らしの良い丘の上の目の前に見える所でした。昔はその辺は段々畑であったらしく、その後樹木(桜の大樹も何本かあったそうです)が生い茂り林になっていますが、登記上は農地でありそれが何度か転売されて開発業者の手に渡ったらしい。
帰りにその入り口になるところも見てきましたが、うねうねした急な坂で(この両側は住宅地)頂上に近い辺りの広い一画、平坦なところに(段々畑があったところ)住宅が建つのはもう仕方ないにしても、崖地を大きく壊したり手を入れたりすることがないよう、市の管轄指導を願うということらしいです。今は技術が発達して自然に逆らって何でもできる時代ですから。
実はこういう問題は、ここだけではなくあちこちで起こっています。

こんなことを書いていると長くなり肝心の今日の歩きが書けなくなってしまいましたので次回に回します。実はこの日はマツムシの声を聴く夕べも同時にあったで、それも書く予定でしたが…。

ただ一言、今日TVでたまたま見た93歳の現役画家の堀文子さんのインタビュウーの中で、こういういう言葉があり心に残りました。晩年になってあちこちを旅した堀さんは「風景は思想である」とつくづく感じたそうです。その土地の風景はそこに生きる人々が自然を取捨選択し、その国の人々がつくった一つの思想であり、日本にもそれが大正時代まではあった…と。外国でも日本と同じような近代化の波はあるけれど国土が広いので、まだそういう思想のある場所が残っている…と。
「世界遺産」にしたいという市自体に、またそれを推進しようという人たちにそういう思想があるだろうか、またそれがこの国にできるだろうか。

投稿者 kinu : 09:43 | コメント (0)

2011年09月03日

「洞門山緑地」その後(報告)。

台風12号の直撃はそれましたが、四国などでまたもや災害。気持ちの落ち着かない日々が続きます。本当にこの国はなんと災害の多い国でしょう! 特に今は、そういう時期にあたっているのでしょうか?

さて「洞門山」の事を覚えていらっしゃいますか?
2008年のちょうど今頃から、盛んにブログに書きました。JR横須賀線が北鎌倉駅に滑り込む頃の左手の線路沿いの緑地、裏の道に通じるトンネルの赤い石門からそう名付けられているここに、開発の手が伸びてきたので住民の反対運動がおこり、「台峯」歩きに参加している私もそれに加わって、署名やら業者による説明会への出席などもしたのですが、その経過をここにも集中的に書いたことがあります。
鎌倉に入る玄関口のような緑地、それへの保存を願う署名には近辺の人たちだけでない広がりを見せ、私も読書会の方たちだけでなくこのブログを読んでくださった方からも協力していただいたりしました。

その後いろいろ経過がありましたが、やっと保全する形で守られることが決まったようです。
それは新聞に報じられ(地方版やタウンニュース紙)ましたが、本当に大丈夫なのかを台峯歩きの時に確かめてからと思っていましたが、先月は雨で歩きませんでしたので延び延びになっていました。実際どのような形で保存されるのか、これまですでに崩されたところもあるので、どうなっているのかわかりませんが、実際の様子は又にして、報告することにします。
なぜ今書くことにしたのかというのは、実は台峯歩きの理事の方から電話があって、台峯に続く「都市緑地候補地」と言われるところがまた、急に大きく伐採されて、そのあたりが開発されそうだとのこと、それで急きょ署名を集めてほしいということ、それで昨日今日と近隣のお宅を回って、少しばかり書いてもらったからです。
ここだけではありません、そういうことがあちこちにあり、もちろん私有地なので強制力はなく、個人の事情もあり、古い姿を守るなど自体難しいことですが、「遺産」に登録してもらいたいという足元にはこういう問題が山積していることも事実です。

洞門山が保存されることになりそうなその理由は、業者が心を入れかえたというよりも、その地に至る経路、狭くて本数も多い踏切と交通量が多い幹線道路と同時に通学路でもある狭い路地を使っての土砂や重機の搬入や運搬が大変だということにやっと納得したというのが実情のようです。

ではここでは洞門山のその後のご報告とご協力のお礼まで。

投稿者 kinu : 13:55 | コメント (0)

2011年07月18日

猛暑の台峯歩き

なでしこジャパンがワールドカップで優勝!
日本女子の素晴らしさに、サッカーをあまり見ない私でもやはり興奮した。
この場面だけしか知らない私だが、そこに至るまでの並々ならぬ過程、精進があることを知らされ、感嘆する。
底力というのは、文字通り深い底がなければ成り立たないのだなあ…。
日本の底力も試されるときに違いない。

それらに刺激されたわけでもないけれど、猛暑のピークと言われた昨日、台峯歩きに参加した。空は雲一つない快晴。
台峯というけれど、峯歩きというよりそれに囲まれた谷戸歩きなので、山間の日陰が多く、集合場所までの往復(舗装道路)が暑いだけで、室内にいるよりはよほど涼しいのです。
参加者も馴染みの人ばかりの小人数なので、のんびりゆっくりと熱中症にならないように歩きました。
2か所の田圃も健在、そこで青田を渡る風やシオカラトンボたちを眺め、また通称老人の畑という見晴らしの良い高台では、林間の丸太の切り株に腰を下ろし、快い風を感じながらいつまでもそこに留まりたい気持ち、ここで午睡をしていたい感じで小休憩し、それから谷戸に入って絞り水の流れや湿地や沼、半夏生の(今年は遅れていて、この時期でもまだ半分白い葉っぱと華穂が見られました)群落などを眺めながら歩きました。
今回は特にチョウに着目して歩くということで、資料のカラーコピーには特にアゲハの絵が沢山。
この辺りは6,7種類い覚えておけばいいそうですが、何しろ相手は飛んでいるので、動体視力のない私は指摘されそれを追いかけるだけでも大変!
去年は沢山咲いていた合歓の花は、今年は少なく、またカラスザンショウの花もまだ蕾。一体に季節としては遅れているようです。

けれどもここにも今の日本が抱えている憂いごとと同様、ここ自身の憂いがあり、今恵みとして感じている田圃もまた老人の畑で見ている景観も、今後大きく変わるかもしれない、その気配が着々と伝わって来ていることを聞かされました。
ここに通いつめ、手入れをし、観察を続け、役所とも交渉し、この自然を守ろうとしている人たちでさえ、無力を感じさせている現状というものを知らされます。
そんな悲しい日が来るにしても、今のこの姿を見ることができるだけでも恵まれていると感謝しつつ、こうやって歩くしかない…と。

これら憂いはどうやったら晴れるでしょう。


投稿者 kinu : 18:04 | コメント (1)

2011年06月24日

やっと「蛍」の続き。

身辺も心も落ち着かず、続きのブログをやっと書きます。

今日は早くも猛暑、また大雨や土砂災害、ここでは感じませんが余震も頻繁に報じられます。台風5号も北上中、なんとこの国は災害の多い国だろうと改めて感じ、そういう国にどうして原発を沢山作ったのだろうと、それを見過ごしてきた自分へのやり場のない苛立ち(こんなことを感じても何の役にも立ちませんが)も含めて、思います。
今のところ読書もほとんどしていませんが、少し前に読んだ故・米原万里のエッセイ集中「最良の教師」という項目があり、昔から青少年の教育についていろいろな哲学者がその方法について考察し論じているその中で、彼らが一致して認めていたことを要約すれば、「欠乏と必要性、要するに満ち足りていないことこそが人を懸命に努力させ頭と肉体をフル回転させる最良の教師なのではないか」ということであるそうだ。そして哲学者・教育者ルソーは反語法を用いて「子供をスポイルするのは簡単だ。彼が欲しがる玩具を全部買い与えてやるがいい」と言っていると。そして震災を知らずに逝った彼女はこう結んでいる。「何だか、モノに溢れる二十一世紀初頭の日本に住むわたしたちのことを言われているようで、ゾーッとしないのだけれど」。(『心臓に毛が生えている理由』)
被災地の大人たちの立派さは勿論ですが、それ以上に子供たちの姿が印象的なのも、この悲惨な現実に胸が痛くなるにもかかわらずそれが子どもたちの潜在能力を引き出しているような気がして、明るいものを感じます。この災厄が良い方向へと転じる機縁となりますようにと祈りつつ。

閑話休題。さてホタル観察会ですが、今年はやはり蛍は少ないようでした。遅れているのかもしれませんが。6時半に集合、暗くなるのを待って谷戸に入ります。大体7時ごろからです。それから1時間ちょっとぐらいが蛍が光り飛び交う時で、9時になるともう見られなくなります。たったの2時間弱、それが彼らの命を懸けた生涯での一大イベントなのです。この日朝は雨がぱらつき、前日まで雨でした。この日も取りやめになるかもしれないと、毎日のように通って蛍の出方を観察しているMさんは言っていましたが、Kさんは、少ないけれど見られますよとということで、出かけることになったのです。

雲が多いのでかえって辺りは真っ暗というより薄暗い感じ。しばらく歩いているうちに一つ二つと見つける人が出てきました。そしてある所の草むらにキラキラ光るところが出てきました。これは平家ボタルです。
源氏ボタルのほうが早く、平家はもう少し遅いはずなのに、今年は一緒に見られたのです。この二つは大きさが違い光り方が違います。源氏のほうが大きくまた点滅も間隔が長く、平家は姿も小さく点滅も小刻みです。そして源氏は樹間にいて上空を飛びますが平家は低い草むらにいることが多く、それで踏みつけないように気を使います。
今回はまず平家が現れて、そのうちに源氏が姿を見せました。その頃になるとあちこちで光りはじめ飛ぶ姿も見られ、歓声が起こります。
せせらぎや沼沿いに谷戸の奥まで歩き、またそこから引き返します。でももう帰りの時は数が少なくなっていました。数としてはせいぜい37~8頭ぐらいだとKさん。多いときは200くらいも出るのにやはり少なかったようです。
しかし蛍に出会えただけで満足です。皆そういう気持ちのようです。
なぜ蛍を数えるのに「頭」を使うのでしょう。昔の人は昆虫の中でもやはり特別なものとみて、馬や牛など同じ扱いをしたのでしょうか。
「今年も蛍に会えて満足しました」というと「本当に、桜と同じで蛍も短い期間に年に一度しか会えないものだから、日本人にとってはやはり特別なものに感じますね」と同意されました。
蛍は外国ではあまり良い印象を持たれず不吉なものにされることが多いと聞きます。でも日本では平安の昔から風情あるものと好まれています。虫を賞で、虫の声を雑音としてでなく音楽として愛するのも、やはり日本文化独特のものかもしれない。

投稿者 kinu : 20:55 | コメント (0)

2011年06月22日

今年も蛍に出会えました。

先日の日曜日は台峯歩きで、続いてその夕べはホタル観察会となっていて、少々強行軍でしたがどちらも参加してきました。

朝の台峯歩きでは、ホタルブクロも今年は特に沢山咲いていて、田植えが終わった青田の上ではシオカラトンボが飛び交い、カルガモが子ガモをつれて若い苗の間を泳いでいるのが眺められました。花ではヒメジオン、コヒルガオ、そして可哀そうな名前を付けられているけれど小さな可愛い花を咲かせているヤブジラミなど。
雨の季節、白っぽい樹の花が多く、特に椎の木の花は強烈な匂いで存在を示すようです。その他、緑一色に見える山並みの中に白っぽくなっているところはクマノミズキやアカメガシワだということでした。
しかし一体に今年は草木の季節は遅れているようだとのことです。蛍の季節には見られる半夏生(半化粧)も、まだ青いままでした。春の終わりに寒い日が続いたせいのようです。その頃私たち人間も大震災とそれに伴う原発事故のショックで落ち込んだり右往左往していたのでした(まだそれは続いてはいますが)。それでも季節はちゃんと巡っている、それに私たちは励まされ慰められています。この台峯歩きも私にとってはそんな効果があるような気が、今回特に感じました。それで、朝と夕べの両方ともに出ることにしたのでした。

そんな朝の歩きで、私たちは容易くは見られない光景に出会うことができました。まず田んぼにカルガモの訪れがあり、しかも子連れであったこと。それを眺めている時、フェンスの上でカマキリの子が孵化して、アリくらいの大きさのそれでも立派な鎌を振り上げた子どもたちを見たこと。そしてガビチョウ(蛾眉鳥:もともと中国で鑑賞用に飼われていもので、この辺りに棲むようになった)の番が枯葉を咥えて巣作りをしているのを間近に見られたという事。
まさに春は、そういう世代の引き継ぎのとき、新しい時代の始まりのとき、新しい何かが生まれる時でもあるでしょう。
「初夏」というのはあるけれど…とKさんが言いました。「若夏」というのがまさにこの季節だ、と。
また長くなりましたので、蛍については稿を改めます。

投稿者 kinu : 22:48 | コメント (0)

2011年05月16日

台峯歩きをしながら、フクシマを思う。

大震災後から初めての台峯歩きです。この時期、田んぼではカエルが鳴いているだろうと思いながら参加しました。
思った通りで第一の田んぼでは盛んに鳴いていました。今の季節鳴いているのはシュレーゲル・アオ蛙です。コロコロッと澄んだ声でなく可愛らしいアオガエル。そして思いました、福島県川内村のモリアオガエルは、どうしているだろう…と。

川内村は、福島原発20キロ圏内に入っている村です。
この村に、30年ほども前になりますが、私は友人に誘われて訪れたことがあります。
何もないけれど豊かな自然だけはたっぷりあると言われた通り、広々とした阿武隈高原に降り注ぐ爽やかな光と清らかな渓流や豊かな海をわたる風、そこでの自然の恵みに満ちた村でした。
その村の沼(平伏沼)には、国の天然記念物に指定されている、モリアオガエルが生息しています。
その生息地としてはもう一つだけあって、それは岩手県の八幡平大場沼だということです。

その時、その沼には時期ではないこともあって行きませんでしたが、村にある「天山文庫」には訪れました。ご存知のようにこれは蛙の詩人(と名付けられるのはお嫌かもしれませんが)草野心平さんの文庫を中心に村人たちの協力で建てられた記念館風の文化施設です。
しかし今、そこには放射能が降り注ぎ、警戒区域になってしまいました。天山文庫も無人です。
その自然に恵まれた故郷に、村人たちは何時帰ることができるでのしょうか?

モリアオガエルは、どうしているだろう、とジュレーゲル蛙の盛んな鳴き声を聞きながら思いました。何とかこの田んぼは、田植えはまだのようですが今年も生き残れそうです。
でも米どころである東北地方は大津波に襲われ塩害で、多くの田んぼが耕せなくなってしまいました。そうでない場合でも、フクシマのように放射能汚染によって稲を植えることができず(稲だけでなくすべての農作物を)むざむざと放棄して立ち去るしかない事態の無念さを思うと、見ているだけの私でさえ胸がかきむしられる思いがします。

この日の夜、ETV特集で「放射能汚染地図」という番組を見ました。
またこの日、一号機が実は最初からメルトダウンしていたということが初めて公開されました。
そして他の号機でも、油断がならないというような、深刻な状態になっていることも、初めて私たちは知らされました。
TVの番組は、チェルノブイリや東海事故などこれまでの原発事故の調査団として携わってきた科学者二人を中心に、NHKの記者やカメラマンとともに事故発生当日から計数器を持って(これも独自に開発された測定器なども持って)車で各地を走りながら数値を観測したものを中心に構成されたものです。しかし現役の科学者は、属している機関から「自主的な動きはしないように」と釘を刺されているとのことだが、若い方の科学者はまだ幼い子供がいて、そんな子供たちのためにも正確な数値、記録をきちんと残しておいてやりたいという、それが動機でそのため辞職して、独自に調査を始めたのだということである。その分析は、広島・長崎その他の科学者のネットワークによる協力によってなされ、そのこれまでの2か月の経過を追いかけていると、時にはチェルノブイリを上回るホットスポットがあったり、予想を上回る数値であったりで深刻、政府の公式発表がいかに事態に追い付かず片手落ちで住民たちを苦しめているかが察せられ早い収束などありえない気がして気が滅入ります。

シベリヤから帰ってから50年、数羽から始めて3万羽にまで増やした鶏をすべて餓死させねばならくなった養鶏場主、射能汚染下に留まりながら母馬を無事出産させてやりながら仔馬を含めた競走馬をすべて手放さねばならない牧場主、また受け継ぐことになる広い田圃でコメを作ることと将来の夢としていたが今や農業を続けることさえできなくなった若者など、これまでの成果やこれからの夢をすべて根こそぎ崩壊させてしまう原発事故。これは氷山の一角で、一人一人それぞれがこれに似た運命に遭遇しているということ。これが天災ではなく人災だということに悲しみと怒りがこみあげてきて、台峯歩きで疲れていたのになかなか寝付かれませんでした。
というわけで肝心の台峯歩きの話が脇道にそれてしまいました。続きを書くかもしれません。

投稿者 kinu : 15:17 | コメント (0)

2011年02月20日

台峯の手入れ、初参加。

今日が台峯歩きの日です。その前日に毎回、理事をはじめボランティアの人々で道筋を中心にした手入れをします。でも性軟弱なわたしはこれまで1度も行ったことがありませんでした。自分の小さな庭でさえほったらかし、山仕事は大変だし、連日出ることは無理だとただ観察会にだけ出かけていました。今日里山を守るにはいかに地道な努力と作業が必要であるかを実感できましたので、こんな風に良い所どりだけしていたことにいつも内心忸怩たるものがありました。
そしてやっと昨日、ちょっとしたきっかけがあったのですが、やっと初めて出かけてみたのでした。こんな自分でも少しぐらいは役に立てるかな?と思いつつ…。でもやはり今日の観察会のほうは休みました。

山の手入れのほうが面白いですよ、と言っている人がいましたが、成程と思いました。
確かに作業なので疲れ方が違いますが(それぞれ出来ることしかやりませんし、短時間なので私でもつとめられました)、新しい風景、展開が見られ、楽しかったです。
観るだけでは分からないことが、体験で分かるといううこと、またこれまで舞台のほうしか知らなかったのに、楽屋がまた演劇ならば舞台づくりが垣間見られるということでしょうか。歩いていては分からないことを学習させられます。
朝10時20数人が集まり、作業の種類によって班に分かれ、いよいよ作業。わたしは荻原の刈り取りのグループに入りました。秋の終わりに一面銀色の海原のようになる荻原もただ自然に任せていたのではその美しさは保たれなかったのです。
ここで大切なことは、ただ刈るだけではないのです。刈り取った荻はそのまま肥料となるのですが、同時に笹竹(肥料にもならない)を退治することでした。放っておくと笹原になってしまうからです。笹は水分を沢山吸い上げます。すなわちこの地を乾燥させてしまうのです。荻は湿地帯にしか生えません。この台峯の谷戸は湿地帯であることが、それ故にカエルやホタルなどをはじめ生物の多様性が見られる生態系を維持できる地としてj貴重であるわけですから、荻原の存在は大切なのです。
鎌や剪定鋏などで荒刈りしたところに入って、私たちは小さな鋏を使って笹をなるべく根元近くまで、切り取るという仕事、その時膝をつくので、そのためのサポーターのようなものがあるのも知りました。(すべて用具は会または有志によって揃えられている)葉っぱがないと荻と笹の見分けがつきません。どちらも中空ですが、荻は中が赤っぽく、笹はそうではないなど、その見分け方もKさんから指南を受けます。こんなことも作業をして初めて知ることです。そして考えてみると、自分の家の庭の雑草とりも笹退治もやっていないのに、ここに来てせっせとやり、しかも結構楽しくやっている…とまったく可笑しくなりますね。でも作業はなかなか進みません。12時近くまでやっても身の回りの部分だけです。グループはここだけではなく、作業はまだ引き継がれて続くわけで、私などはほんの少し体験させてもらえたにすぎないのですが…。
とにかく一応今日の作業は終わりということで、老人の畑にみんな集合して、お茶とお菓子で労われ、解散ということになりました。
ということで、これからは少しこの楽屋の方に参加してみようと思います。

投稿者 kinu : 14:06 | コメント (0)

2011年01月20日

寒中の台峯歩き

今日は大寒、暦通り冷え込んでいますが、相変わらず関東は晴れ続き、暮れから一滴も雨は無いようでカラカラ。湿度は30パーセント以下との事。
先の日曜日の台峯歩きも、同じようなお天気でした。
参加者も20数人いて、そのなかには小さな子どもも四人、小さいながらエネルギーの塊なので元気です。

冬枯れのこの季節、樹木の幹や枝ぶりの観察がメインになりますが、これはとても難しい。木の肌と枝ぶりと全体の樹形によるわけですが、似たようなものがあり、若い時と古いものとは又違ってくるので、なかなか識別できません。
葉も花もない落葉樹の姿は、それらをまとった時とは違った、樹木の本質のようなものを表しているのかもしれません。幹の肌色や地模様や割れ目、枝の伸ばし方や張り具合、配られたコピー資料をみて眺めると、それぞれ特徴があり違います。人間の裸体の美しさに似た裸樹の美しさを感じさせられます。
でもこれは大変難しいです。今月はこの地に多いカラスザンショウ、ミズキ、ハゼの木、ネムノキ、アカメガシワ、ヤマグワ(これは大木になるのですね)など。クヌギ、コナラ、イヌシデ、ケヤキ、エノキ、ムクノキなどは、去年の観察会でやりましたが、もうすっかり忘れています。でも忘れる事は、常にその度に学ぶことへの新鮮な驚き、納得をするということで、案外楽しみのためにはいいのかもしれないなどと慰めています。
この時期、野鳥の姿もよく見えるので、観察時です。台峯のカレンダーで一月の鳥として選ばれているアオジの群れが第二の田んぼで見られました。同じように近くにスズメのグループもいて、お互い喧嘩をすることもなく、日向ぼっこをしていました。あとはヒヨドリやシジュウカラ、今回は子どもたちもいて少しばかり賑やかだったので、鳥たちもあまり姿を見せませんでしたが、少人数で静かに留まっていると、鳥たちが近くにやってくるとの事。
出口のオギ原はもう黄色く冬枯れでいましたが、それはそれなりに美しい色合いを見せていました。

投稿者 kinu : 10:46 | コメント (0)

2010年12月20日

台峯の「ゲゲゲ…」は・・・

いまこの辺りは最後の紅葉(黄葉)です。
わが家でも遅かったドウダンやモミジが、蜜柑色、紅色の混じった葉をまだ散り残し、陽射しをあびて秋の終わりを彩っています。
昨日、朝はかなり冷え込みましたが、穏やかな晴れ。台峯歩きの日でした。
本格的な開園に向けてあと5年、今の所うまく行っているそうです。幾つかの団体、またいろいろな人が関わっていますが、意見が違うこともあってもそれぞれ出し合い話し合って、できるだけ今の自然を壊さないように、いい形で残そうという共通の目的に向って、役所と協力して保存の努力整備をしているとのことでした。

今日は20人ほどの参加者の中にまだ学齢期に満たない女の子が3人いました。とても元気で、大人たちの間を潜り抜けたりしながら、遅れずに最後まで歩き通しました。初参加の家族でしたから、なるべく先導者のKさん近くにいて、迷子にならないように、この谷戸には幽霊が出るかもしれないからと言うと、「ゲゲゲ」の影響でしょうかそんな妖怪にあって見たいなどと朗らかです。
実際そういう話は、この谷戸にもあるそうです。ここはまだ外れですが中心部はなおさら、この地は鎌倉時代から戦国時代にかけて歴史的に多くの合戦があり血塗られた地域です。多くの谷戸は尾根で戦った負傷者や死者が転げ落ちていく先でもあります。霊が漂っていても不思議ではありません。だからここに入るときは、ちゃんと手を合わせて礼をし、許しを請うて入り、出るときは無事に出られてありがとうと手をあわせてというのが、このグループの基本的な姿勢です。
そういう現象が起こるところを、忌み地というそうで、ひそかに人伝えに語られるようです。大体において高級住宅地に多いとか、たとえば鎌倉芸術館などもその一つで、バラ園のあるほうはいいのですが、裏手の物陰などは霊気が感じられるそうです。

話が陰気になりましたので話を変えます。この辺りで、今紅葉しているのは、先に述べたモミジ(山モミジで、イロハモミジが多い)、次に黄褐色のコナラです。それらが緑葉樹の濃緑にまじって落ち着いた山並みを見せています。田んぼはもう刈り取られた姿ですが、水が残っているのでまた青い稲が生えてきているのでした。
今日は落ち葉の観察でした。それぞれ何の葉かというのですが、見分け方はとても難しく、そのポイントを教わります。形だけでなく葉の筋(葉脈)、葉のギザギザ(鋸歯)、葉脈ののつき方などで判別しますが、似たようでいてもそれぞれに違った形をしていて、自然の微妙さ、巧妙さに驚くばかりです。堆肥にいいのはケヤキとコナラで、肉厚のものがいい葉で、イヌシデなどうすくてペラペラなものは良い堆肥にならない。武蔵野のケヤキ林も、あれは幕府が植林させたもので、それ故にいい畑地が生まれたのだそう。
葉を落とした林に集まる野鳥たちの姿がよく見える時期でもあり、シジュウカラ、ヤマガラ、メジロ、アオジなど、でも私はそれらを見つけるのは下手で、追いかけるのもダメ、野鳥の会の会員には向いてません。しかしこの日、この辺では珍しいルリビタキがいると、Kさんの三脚のついた大きな望遠鏡を覗かせてもらって見たことだけでも十分満足しました。

ハンゲショウの自生する湿地の先のほうの湿地で、ツリフネソウの枯れたのがすっかり刈り取られていたのが目立ちましたが、どうやらその周りにある芹を採りにくる人が、芹を増やそうとしての行為であるらしい。例年ごっそり摘んでいく人あるらしく、商品にしているらしい。自分の土地でもなく、また自家のためだけではないその行為に、ただ憤慨するしかないのですが。
道の傍にみられる小さな赤い実は、ヒヨドリジョウゴ、ハダカホオズキなど面白い名前。私のうちでも今、ヤブコウジやマンリョウ、南天の赤い実があります。
小さい身体で歩きにくい山道を無事に歩き終えた3人の女の子たち、最後のアスファルトで一番末が転んでしまいました。でも泣きませんでした。めでたしめでたし。
これで今年の台峯歩きはおわり、私のブログも書き納めです。では皆様良いお年を!

投稿者 kinu : 11:49 | コメント (0)

2010年11月22日

紅葉し始めた台峯ほか

少し遅れていましたが、このあたりもやっと紅葉し始めました。
穏やかな小春日和の昨日は、恒例の台峯歩きでした。
今回は、K高校の生徒が男女合わせて7名、郷土を知るというような課外活動の一環らしく先生1人と一緒に加わりました。ここでも高齢化が進んでいる現実があり、若い力は頼もしく、Kさんはじめ理事の人たちは彼、彼女たちに関心をもってもらおうと面白く分かりやすい説明をと努める様子。かれらを先立てて一行は歩き始めました。

この季節はやはり紅葉(黄葉)とはいえ、少しずつ色は違い、また落ちた葉っぱを観察する機会でもあり、カラーコピーの写真はいろいろな紅葉が並んでいます。野の花は少なく、又地味なものばかり、その中でも飛び切り地味なヤブタバコとシュウブンソウは、Kさんが昔から好きだった花で、若い時にそう言ったら、ずいぶん渋い好みですねと妙な顔をされたとのこと。確かに花とは見えない花なのです。その他シラヤマギク、リュウノウギク、これらは区別が分からなければ単にノギクとしてひとくくりにして目に入ってきたものです。成る程教えられれば確かに別種なのです。

あちこちで色鮮やかな紅葉便りが報じられていますが、この辺はこれからで、しかもゆっくりと地味な変化で、でもそれなりに味のある変化をするということは前にも書いた覚えがありますが、今回はその紅葉の遅速を簡単に覚えることにしました。
一番早いのは桜ということは、私にも分かりますが、遠目に見て、あの紅・黄葉の木は?となると分かりません。
桜の次に早いのはケヤキ、これは褐色です。クヌギは今半分ほどが黄葉、アカメガシワ、エノキも黄色い。でもコナラは12月に入らなければ色づかないのだそうです。カエデはもう紅・黄葉していますが遅速があり、時期も長い。紅の色鮮やかなのはハゼ。(雑木林のことを言っているので、銀杏はここでは言わない)
この辺のもみじの原種は一番シンプルなイロハカエデだそうで、それはやっと紅葉し始めていました。

秋は心淋しくなる季節ですが、紅葉した風景の中に包まれると、その反射を受けて自然に明るさがしみこんでくる気持がします。我が家でもやっとドウダンやカエデに赤みがさし、またブナも日々黄色い部分が増え今はすっかり黄葉。ハゼの木も(真上なので見あげねば見られませんが赤くなっている)。いつの間にか木をよじ登っている山芋の葉っぱが、真っ黄色なアクセントをつけています。それらの下で、ツワブキが黄色い花を咲かせ、南天の赤い実が鳥を呼んでます。草木はすべてこの季節、厳しい冬を前に賑やかに命を燃えあがらせている感じ。華やかではないけれども明朗で鮮やか、穏やかなこの季節の、この庭が私は好きです。

投稿者 kinu : 16:01 | コメント (0)

2010年10月20日

秋の台峯 サシバの渡り

稲穂が黄金に輝く秋です。異常ながらも急に訪れたという感じの日々、台峯歩きは17日でした。やっと残っている2つの田圃は無事実りを迎えているようでした。最初の田圃は稲刈りの最中、次のは少し山間にあるのでまだでしたが。

秋の花たちは暑かったため少し遅れているようです。それでもミズヒキソウとキンミズヒキソウ、菊類のヨメナとシラヤマギク(ヨメナに対してムコナとも呼ばれる。花びらが少なく地味)やノコンギク(ヨメナに似ているが、一本の茎に花をつけるのでなく数本の枝を出して花をつける)、またホトトギス、ツリフネソウ、ミゾソバなど。
ススキ、谷戸の出口あたり銀色に広がるオギ原が秋風をなびかせていました。

セミが終ると同時に鳥の季節が始まるのだそうです。すなわち南に渡っていく鳥たちの季節だからです。今日も目撃できたのはホホジロ、キビタキ、数羽の群をなすヒヨドリ、モズ。エゾビタキは珍しいと、Kさんは大いに感動。しかしこれらを私は自分の目で見たわけではなく、教えられてやっと見つけても姿も色も黒い影絵に見えるだけですし、鳴き声も耳を澄ませてやっとなのですから。
そして、これから11月上旬にかけてサシバの渡りが、通称「老人の畑」といわれる見晴らしのいい場所で見られるということなのです。

そして この日の夜のことですがTVの「ダーウインが来た!」という番組で、図らずも山里で暮らすサシバの生態が放映されていました。
場所は、栃木県の山深くの喜連川の棚田が連なる集落です。
サシバはタカ類ですが、カラスくらいの大きさで、オオタカやハヤブサのように大きくも敏捷でもなく、むしろ彼らに狙われる弱い鳥のようです。それゆえに、獲物は田圃のカエルやトカゲ、畦や雑木林の昆虫など。南から3月ごろ渡ってきて、ちょうど田圃が田起しから田植えが始まる夏に田圃のほとりの雑木林で子育てして、10~12月に子どもと一緒に南の島に帰っていくのだそうです。
すなわちサシバは、人間(の耕す田圃と一緒に)暮らしている。すなわちサシバの環境としてはきれいな川と、雑木林と田圃(畦のある)が必要ということです。

これからこの上空を群れて飛んでいくサシバは、その喜連川で子育てをしたそれらサシバではないかと思いあたり、地図をながめ、地球儀をながめたのですが、まさにそうであるに違いないと思いました。日本で子育てをしたサシバは南方、マレー半島の方に行くらしい。
大海原をまたは山岳地帯を越えていく渡り鳥を眺めるとき、その姿、能力の素晴らしさに感嘆せずにはいられません。
天高く、私の目には黒い点にしか見えないあのサシバが、喜連川の棚田を飛び立って、これから海をわたる長い旅をしようとしているのだと思うと、(今年生まれの子サシバも混じっているでしょう)胸が熱くなる感じがしました。

投稿者 kinu : 09:43 | コメント (0)

2010年09月20日

残暑の秋の台峯歩き

朝夕は秋の気配ですがまだ残暑の日々です。昨日も30度近くになるとのことですが、秋を探しに出かけることにしました。
集まったのは、初参加4人(1人は背の高い外国人で大きなカメラをぶら下げて熱心にレンズを向けていました)を加えて20人くらいでした。
皆出会えば今年の暑さを挨拶代わりにしますが、この辺は湿気が多いので、同じ暑さでも蒸し暑く、都心の方が乾燥していて過ごしよいということ。確かに谷戸の多い地形はそうだろうと思います。

さてこれからは秋の虫の季節、実は松虫を聴く夕べが早速、明日(ブログを書いている今日)だということですが、少々夏バテ気味なので残念ですが見送ることにしました。
その虫ですが、今年は暑さが続いているのに数が少ないとのことです。これは異常な暑さというよりも、5月~6月初めに寒かった(珍しく遅霜があったりして)せいで、ちょうどその頃は卵から幼虫になる季節だった、ということが原因のようだとのこと。果物にも被害が出ているのもそれではないか…ということでした。
それでも虫の声はこの辺りでも聞かれる様になりました。やはり声の大きいアオマツムシ、そしてコオロギのようですが、やはりその声の判別は難しいです。それで今回も虫の姿とその説明をしたカラーコピーが配られましたが、新しい人も多いということだからともう一枚草花の資料も作成され、今回は2枚という大判振る舞いに与りました。

歩き始めて先ず第1の田んぼです。もう稲穂が黄金色に実っていました。後1,2週間で稲刈りが始まるだろうとのこと、何日か前の激しい降雨のせいでしょうか、倒れているところもありましたが、これは大丈夫ということ。
第2の田んぼも、少し遅れてはいますが、無事に実りのときを迎えていました。しかし宅地はもう隣にまで迫っています。
シオカラトンボが飛んでいます。これが姿を見せなくなってから赤トンボアが出てきます。
稲に混じってつんつんと穂を出しているのは、ムギヒエといい、田んぼにとっては雑草です。しかし縄文時代にはこれも食べていたのだそうです。という話から、縄文時代の脱穀の仕方、またこの辺りは山の上にしか縄文時代の遺跡は見られないので、その時代ここらの平地の多くが海中で入り江になっており、この一帯はリアス式海岸のようだったのかもしれないとか。確かに大船は淡船ともいわれており、船が出入りしていたわけです。このようにKさんの博学につられて、いろいろ想像を膨らませていくと日が暮れるので、先へと歩を進めます。

今は萩が盛りで、白萩ばかりを繁らせた風情のある家などを横目に、野の花としてはツルボ、ヤブラン(どちらも紫色)、白いヤブミョウガ、センニンソウ、また赤と白のミズヒキソウと黄色のキンミズヒキ、ヒメキンミズホキ、同じ金色のダイコンソウなど。
またヌスビトハギ(実はよくくっ付くので知っているが、ちゃんと花も咲くのです)、そしてヨモギ(これも花が咲くわけで、これまで注意したことがありませんでした)。
皆花の一つ一つはとても小さいことにも気がつきました。小さいけれどもそれぞれが可愛い姿をしているんですね。

老人の畑で休憩した後に谷戸に降りていきます。絞り水が流れとなっているのを見下ろしながら山際を歩いていると彼岸花が一輪。本当にこの花は、季節に律儀なのには驚きます。そしてそのことはここが昔は田んぼが作られていたことを物語ってもいます。その畦道にあった名残りです。池にはカルガモが泳いでいました。2羽だったので、カップルかもしれません。マガモもやってくるそうで、カワセミを見たことが思い出されます。湿地で注目されていたハンゲショウは実をつけていますが、そのことは指摘されなければ気がつきません。ムコナの白い花(ヨメナに対してこういう)、これからが見頃のツリフネソウ。そしてカラスウリに対してスズメウリ、というのもあるのも面白い。これも小さな白い花で、すでに真ん丸い小さな実をつけているのもありました。このあたりキンミズヒキソウとヒメ……が列を作って咲いています。
水辺を観察する簡単な堰に至ります。ここにヨシノボリがいることが期待されますが、それはなかなか見つからず、今日はホトケドジョウが泳いでいる(10匹ほど)のが見られました。長さ5センチほどの細い姿。Kさんがヤマアカガエルを手にとって見せてくれました。掌に仰向きにするとじっとしているのです。赤っぽい黄土色に黒い縞のような模様。またひっくり返すと飛び上がり、キャット声を上げる蛙の苦手な女性たちの間をくぐって草むらへ・・・。

最後にタデいろいろ。蓼食う虫、という言葉がありますが、タデにも実はいろいろなタデがあること、前回にも教わりましたがやはり忘れていました。オオイヌタデ、ボントクタデ、シロバナサクラタデなど、これらは野草図鑑のようなものを見れば分かりますから書きませんが、とにかく何でもそこに踏み込めば奥が深く、自然はいかに多彩で繊細であるかと感嘆させられます。それらを肌で感じられる喜びを感じます。

休憩をする老人の畑と称している見晴らしの良い場所は虫の天国です。松虫はここを中心にして生息しており、他の虫もたくさん見られます。虫はただ草むらがあるだけではダメで、畑がある周りの背の低い草地、そしてむき出しの地面もまた必要、それらの条件があって生き続けることができる。ここはもう畑ではないのですが、松虫がすめるような虫の天国にするにはどういう環境がいいのかというような試みの場所であるとのこと。その草むらを一緒に歩き回り、ツチイナゴ、キサキリ、バッタ、クサキリ、コオロギ類、マツムシも確かに見ました。しかしほとんど自分では見つけられず、教えられてやっと見つけるという有様です。
長くなるのでこれくらい終りますが、最後に悲しい出来事。ニホンミツバチがスズメバチの襲われたらしく、姿を消してしまいました。そこに棲むというのでなく、幼虫などを食べてしまったらしいということ。
悲しいことではないのですが、今日も美しいアカボシゴマダラ、外来種の蝶を目撃。
ではまた。

投稿者 kinu : 10:20 | コメント (0)

2010年08月15日

猛暑日の台峯

お盆の15日、35度の猛暑になるという。でも木陰が多く谷戸に入れば涼しいと思うので出かけた。参加者は13人。少人数なのでゆっくりと、まさに道草を食いながら歩く。貴重なるカラーコピーのプリントは、先ずこの地で見られる蝉の種類、ニイニイゼミ、ヒグラシ、ツクツクボウシ、アブラゼミ、ミンミンゼミ、クマゼミの姿。その抜け殻それぞれ。これまでこの殻を見つけてもその本体は何かなど考えたことがなかった。大きさや姿が少しずつ違う。
今ここで鳴いているのはヒグラシとアブラゼミとミンミン、ツクツクも少し前から鳴き始めた。西日本に多いクマゼミは少ない。いないことはないらしいが、抜け殻はないので、江ノ島から飛んできたものであろうとのこと。ハルゼミは赤松が枯れてしまったので、今では絶えたのではということです。
花類は少ない。だから花の名前を覚えようという人には、種類の少ないこの季節から始めるのがいいとのこと。全部覚えられ、記憶に止めやすいからです。春など花いっぱいのときからでは、頭が混乱してしまう。ヤブラン、ヤブミョウガ、それに実が水玉に似ているミズタマソウ、この花は小さくピンク色できれい(プリントの作成者Kさんが大好き)、その他大変地味なイノコズチの花、名前が悪くて可哀そうなへクソカズラ、クサギ(これも名前が可哀そう、花自身は芳香がある)。
今日の目玉はタマアジサイです。これはガクアジサイのように中心部は蕾状の花になっているものと思っていましたらそうではありませんでした。またヤブアジサイでもなくそれら現在の華やかな園芸種とは別系統の、ひっそりと孤高を保っている野種だという。しかも花の時期はこれからです。プリントの花の写真によると、中心部の蕾のような部分はブルーではなく薄紫です。蕾はまだ可愛らしい、大きいのでピンポン玉くらいでした。これから咲くのだそうです。葉も少し違います。このあたりの切り通しに多いのです。群生したところで皆で立ちどまり、咲く頃にこれを見にきたいものだと言い合いました。
またカラスウリの花もこの季節ですが、花は夜なのでもう萎んでいます。しかしこれは蜜が美味しいとのことで、それと摘んで口にすると、甘い味がしました。
そのほかに蝶類、一文字セセリ、これは秋の先触れだそうです。やはり暑いと言っても季節は秋に差し掛かっているのですね。コミスジ(羽根に白い筋が横に入っている)蝶、ムラサキシジミ、大名セセリ(羽根に紋のような白が入っている)、またこの地になかった外来種のアカボシゴマダラ(黒い地色に薄緑の模様、後羽の外側に赤いリングが並んでいる)、とても綺麗だが中国産で藤沢の愛好家が放したのが元で、温暖化もあって繁殖したということ、でも生態系から言えば困ったものだということです。
その他珍しいというマルタンヤンマ。また、オサムシも草むらに。

2つの田んぼの稲は最初の田んぼはもうしっかり実をつけて、青々と育っていましたし、次の田んぼは少し成長が遅れていますが順調に育っていました。今年は暑さが厳しいので、実りはいいのかも知れません。では今日はこれまで。

投稿者 kinu : 17:35 | コメント (0)

2010年07月19日

梅雨明けの台峯

気象庁の梅雨明け宣言の出た翌日の昨日、台峯歩きだった。
真夏の陽射しが照りつける朝、日中も30度を越す暑さとなるという予報で出足が鈍ったが、思い切って、熱中症対策も一応して出かける。

でもアスファルトは照り返しがあってうんざりするが、コースは崖に挟まれた道や山陰が多く、谷戸に入ればほとんどが日陰、風も程よくあって、快適な歩きとなった。熱中症にならないように、ゆっくりと出来るだけ日陰を歩くようにしましょう、という先導者の計らいもあって、日向は急ぎ足で、日陰はのんびりゆっくりと、適当に観察しながらの休みをとり歩いたのだった。参加者はやはり少なく、15,6人でちょうどいい人数。

この時期、木や蔓の地味な花たちが見られる。カラスザンショウ、アカメガシワ、蔓はオニドコロ、ヒメドコロ(山芋の葉ににている)、ヤブカラシ(庭では嫌われ者、私も見ればたちどころに抜く。いつのまにが太い蔓になり蔓延って屋根まで這い上がる厄介者。しかしこれには蜂などの昆虫がよく集まるのだとKさんはいう)。
そして今花盛りなのはネムノキ、眉刷毛のような紅色の花を樹冠に一斉に咲かせていた。ネムは合歓、夜は葉が閉じるから名づけられたが、風情のある花だが、桜のようには注目されない。この辺にはあちこちにあって、紅の色には木によって淡い、濃いの違いがあることを初めて知らされる。
草の花としては有名なハンゲショウ(半夏生・半化粧)だが、例年ならもう終っているはずであるが今年は十分に見ることが出来た。半分白いのは葉で、その傍らに白い房のように出ているのが花。粉化粧のような香りがする。その他ヤブカンゾウ、コヒルガオ、ダイコンソウ(黄色の5弁の花)、日陰にはヤブミョウガの白い小花、ハエドクソウ(蝿毒草)という可哀そうな名前を持った花が、谷戸のは入口の道端にあるのを教えてもらう。花は可憐で、ランに似た小さピンク色の花々をつけていた。
又葉のなかに沈み込むように咲いているジャノヒゲ(蛇の髭)の花。この花はほとんど人目につかず咲きます。葉も地味だが花も葉に隠れるように咲く。でもよく見ると可愛いでしょう、とKさん。人間もそういう存在の人がいるのです。そしてこの台峯の谷戸も…、などとまたKさんのお決まりの人生哲学話へとなって、皆が笑います。


第一の田んぼは、青い稲が涼しげに波打っている。60センチほどか。
塩辛トンボが飛んでいます。向かいの林に新緑のような色をしたところは、コナラやクリが夏になって出す新しい枝葉で、土用芽というのだそうです。すなわち春と夏の2回、新芽を出しその色合いが楽しめるということです。

第2の田んぼも少し生長は遅いようでしたが青い稲田でした。
その畦の草に網を張っていた、体長10センチくらいの大きな派手な(黒に黄の3本の横縞)を見つけてカメラを向ける人があります。コガネグモ(兵隊蜘蛛とも土地の人は言うとか)という。この蜘蛛の足の置き方も特徴があり、両方の前足2本ずつを前に揃えて置くのだそうです。ちょうど女の人が三つ指をついてお辞儀をするように…、とてもお行儀がよく綺麗でしょう、今はもうそういう人はいなくなったけれど…と。これには女性軍から大きな笑い声。その他にも女郎蜘蛛の子ども、ゴミグモやら、蜘蛛もいろいろありその網の形もさまざまで、これも深みに入ればきりがないようです。

さて今回の心配事は、見晴らしのいい老人の畑の入口の蜂や甲虫が沢山集まっていた古い樹の樹液がほとんど無くなっているようだとのこと。何とか手を打たなければということ、そう言われてみるとこの並びの木々が何となく乾いて精気がない感じもします。

梅雨末期、各地で大雨、土砂災害で痛ましい事件が生じた。異常気象ということもあるが、やはり山が今荒廃していることも一つの原因だ、とここでも話題として出ました。
いろいろまだ教えられたこともありますが、今日はこの辺で。

投稿者 kinu : 10:21 | コメント (0)

2010年06月22日

台峯歩きと蛍の宴 2

蛍の宴。
いつものように6時半集合。いったん家に帰り、また夕方出かけていく。出かける少し前に雨がザーと降ったけれど、すぐ止んでそのまま解散時まで曇り空であった。
今回は参加者が多く、子ども2人を入れて25人。入山(?)の準備(蚊よけや長靴に履き替え)をしたり、Kさんから注意を聞いたりしながら暗くなるのを待って7時から歩き出す。
入る前に「入らせてもらいます」と必ず手を合わせて拝むのが仕来りである。人数もちゃんと確かめておく。一人足りなかったり、増えたりしたら恐いからである。ここは市内でも恐い谷戸であるという。「気を引き締めて、十分注意して歩いてください」とKさん。「甘く見て油断しないでください」とも。実際ここでは死者も出ていて、また怪談話もあるという。
怪談1、真昼間である。ある人が歩いていたら、後から肩をポンと叩かれ「よお」と声を掛けられたので振り向いてみると、後には誰もいなかったそうである。確かに肩に手ごたえを感じ、声も聞こえたのだという。
怪談2、これはKさん自身の経験である。いつものことであるが、一人でこの谷戸を歩いていたら、向こうからグループらしい人たちの話し声が聞こえてきて、だんだん近づいてくるようだった。しかしどこまで行ってもそんなグループは見当たらなかったという。

しかしこういう谷戸であるから蛍も出る。ホタルにとって快適な生息地は、水は綺麗でなければならないが、一見してじめじめして汚らしい、陰気な場所である。コケの生えた枯れ木や倒木が川の中に浮かんでいたり、枯葉が溜まっていたりする水辺である。それを公園のように快適に小奇麗に、人間の眼に美しく整備してしまってはダメなのである。そういう陰の場所も残しておかねばならないので、Kさんたちはここが残され市に移管されたと言っても目を光らせているのである。(それで明日は、今度担当が替わった市の職員の人たちを案内してのホタル観察を行うとのこと)

さて、私たちはKさんを先頭にして一列になって谷戸に入っていった。ホトトギスが鳴いている。「なるべく懐中電灯は使わないで」と言われる。「だんだん眼が暗さに慣れてきますから」夏草は道を覆うくらい伸びている。また所々測量跡の杭が飛び出ているし、太い木の根も浮き出している。中に行くほどどろどろ、ぐちゃぐちゃの道になる。先頭からそれらを伝える指示を後に伝えながら前の人に遅れないようにして歩いていく。だんだん「トラの眼になります」と。
私たちは明るさに慣れていて、全くの暗闇などほとんど経験しない。それに慣れる体験も時にはいいことだと。それに慣れるとだんだん暗くても物が見えてくるものです。そうすると夜行性のトラの眼のようになるのだと。

この時間、空を見るとコウモリが餌を求めてやってくるのが見えますといわれ、立ちどまって空を見上げていると、確かにヒラヒラと黒い蝶のような影が空を横切っていく。
これらのコウモリは、だいたい大船駅前の商店街に住んでいて(中華屋の軒、換気扇の中など)、夕方になるとここに餌を求めてくるというのだ。初めて知りました。

谷戸の突き当りまでとにかく進んで7時半ごろ、そこからゆっくりとUターンしながらホタルの出現を待つのです。誰が一番先に声を上げるか・・・。ちょうど、一番星見いーつけた!という感じです。そしてその一つの光が見えてくると次々にホタルたちはあちこちに光りだします。舞い上がり、ふわふわと飛び立ち移動しながら、こちらにやってくるものもいます。少しずつ移動しながら高い木々の間を、また湿地帯と潅木の間などのホタルの雄たちの乱舞を声を上げながら眺めやります。この時期、そしてこのあたりはは皆源氏ボタルです。この間ほぼ3~40分。まさに宴です。
足元の草むらに、地面に近いところにも光るものが見られました。それは多分、これから出る平家ホタルのサナギでしょう、とのこと。その光るものを手にとって見ると確かにサナギのようです。これでは踏まれてしまうと避難させます。
平家はまだ時期が早いのですが、下流の池の方に見られるかもしれないと移動しましたがまだのようでした。今年は全体的に遅れているようで、平家は7月に入ってからだとのこと。もう一回観察会をやりましょうと。

実は今年は少し少なかったのです。ちゃんとホタルは飛び満足はしましたが、やはり昨年と比べて少ない感じでした。何日か前に様子を見に行ったMさんの話ではその時は今日の倍ぐらいはいたとのこと。今日は50頭(ホタルはこう数える)ぐらいだそうです。本当なら200ぐらいはいるはずなのです。理由は前前日から降り続いた雨のせい。これで死んだものも多くまた、今日は少し風もあったせい。タイミングも難しいようですが、でもこの季節この時間、毎年ちゃんとホタルが舞うという自然の営みの不思議、律儀さを思わずにはいられません。そして今年もそれが見られたことに感謝しながら、皆無事であることを確かめ合ったあと9時近く解散となりました。

投稿者 kinu : 10:29 | コメント (0)

2010年06月21日

台峯歩きと蛍の宴 1

やっと梅雨に入り雨の日が続きます。災害も起こり、うっとうしい雨空は気を滅入らせ暮らしにも気を使わせられますが、年々激しくなる真夏の日射を遮ってくれるということで助けられる気もします。それにやはり独特の文化も、これら雨の影響も大きいと思います。
さて昨日の台峯歩きの日は、幸いに朝夕ちょっと小雨があったものの曇り空で、歩くには良いお天気になりました。またそろそろ蛍の時期だと思っていましたら、同じ日の夕方が観察会とのことで、その両方に参加してきました。

台峯歩き。
今回は新しい人もかなりいて22~3人くらいになりました。
夕方から蛍の観察会があるので、今日のカラープリントは主として蛍についてです。
市内では最近、川が綺麗になりつつあることから、至るところで見られるようになったということ。山沿いの川には源氏ボタル、田んぼや湿地の周辺には平家ボタルが見られるのですが、谷戸ではその両方が見られるのです。だからここでも両方が見られます。その違いは、時期として源氏の方が早く、平家はその後(これは歴史の物語としては反対だなあ)、大きいのは源氏で、そのためか光り方も強くゆっくり光る。平家は姿も小さく、光も小さいが早く点滅する。
その他蛍の一生やその生息場所、保護をする際の注意や問題点。また観察する際の注意など、その他の種類のホタルなど細かで分かりやすい数々がかかれています。
最近ホタルを飼ったり見たりする事がはやり、又それは簡単ですが、大切な事は人間が自分の都合で自然な生息地をいじることが一番良くないということのようです。
ですからホタルを持ち帰ることはもちろんいけないが、そこに他所のホタルを放ってはいけない。また餌になるカワニナなどの貝類を他所から持ち込まないことです。
最近、コモチカワツボというカワニナとよく似た貝が市内でも広がっているという。(ホタルの餌としてカワニナの代用になるので、ホタルの養殖との関係が指摘されているという)。
しかもホタルは、先ず水際のコケに産卵するので、そういう自然環境が必要です。それがサナギになるのは、土手が必要です。サナギが孵化して幼虫になり、それが水に降りてきて川や湿地で貝を食べて育つ。そして水から出てきて成虫になり、交尾する相手を探すために光りながら飛びます。寿命は3~4日から1週間。その間何も食べないで、ひたすらメスを求めてオスは飛び回るのです。その必死の営みを私たちは、ああ綺麗だと鑑賞するわけです。(メスも光ってオスへの信号は出すそうですが、草むらや葉の陰にいるので私たちの眼には見えないらしい)

前置きが長くなったが、この梅雨の時期、白い小さな花が目立ちマテバシイの花の強い匂いに促されて歩き始めます。この古木のある駅前の円覚寺の取り残された石垣は鎌倉石で、この凝灰岩は水を含みやすくもろいので、地衣類コケ類、小さな植物たちの覆われやすく、そのため古都らしい落ち着いた風情をもたらすことになります。その石を使った、コース途中の家ではイワタバコが咲いているのが見られました。
第一の田んぼでは、青々とした若い稲が気持ちよく広がっていました。その畦道にカルガモが二羽、カップルでしょうか坐っていて、ときどきに田んぼの水のなかに入ったりしています。ここでは他にシオカラトンボ、それから珍しく人間が3人(男1、女2)、菅笠をビニールで被ってかぶり、苗代で苗を束ねる作業をしてました。
また第二の田んぼもまだ健在。

その後、谷戸に入り、今夕辿るであろうホタル観察会のコースの逆を歩いたのですが、二三日前に雨が続いたので足元は悪くどろどろべチャべチャの所も多く、長靴でなければダメだということが確かめられました。
しぼり水が少しばかり淀んだ水たまりでは、ホタルの餌になるカワニナも確かに確認でき、淡水にしかいないマシジミやホトケドジョウの稚魚なども泳いでいることを教えられましたが、その時Kさんが悲鳴に似た声を上げました。そこにいるはずもないカワニナに似た貝を幾つか発見したからです。先に述べた外来種コモチカワツボではないが、それに似ているモノアラガイではないだろうかと。
Kさんは、小さな変化も見逃しません。では出発ということで手にとって回されていたマシジミも本のところに帰して、と水中に放り込んだのですが、そこが流れの真ん中であることを知って理事であるMさんだったのに叱られてしまいました。貝は浅瀬の土砂の中に棲むのに、ふかい水のなかに放り込まれたら可哀そうではないかと。貝に足があるわけではなく、その浅瀬に帰っていく為にどれだけ苦労をしなければならないか・・・と。何年も通っているMさんが・・・と。Kさんはいつもは優しいのに、ここの動植物のことになると絶対的に厳しいのだから・・・とMさんが頭をかきます。
それほどまでに、この谷戸の生きものたちを偏愛しているKさんです。
長くなりましたので、今日はここまで。

投稿者 kinu : 10:54 | コメント (0)

2010年05月20日

台峯歩き そのニ

ミツバチが大量失踪した、または死んでしまった、などの話が少し前から取上げられていた。アメリカの大規模果樹園は、受粉にミツバチなしでは成り立たない。大被害だそうである。失踪またその死の理由は西洋ミツバチを、人工的な交配によって人間に都合の良い、効率の良いミツバチに作り上げた結果ではないかと推測されている。その証拠に、自然のままで育てた蜂養家の所ではその被害がなかったという。今朝、そのBS番組を見ながら、(前にも見たことがあり、それをアレンジしたもののようだ)今大変なことになっている口蹄疫の蔓延を思う。

実は今回、喜ばしい事があった。谷戸の洞に棲んでいたニホンミツバチが2年ほど姿が見えなくなっていたのだが、それが帰ってきたのである。Kさんの報告で、私たちは道すがらそれを確かめた。西洋ミツバチの半分くらいしかなく、色も黒っぽい。確かに洞に出入りする蜂を側まで近づき、通り道を邪魔しないようにして眺めた。ほんとに良かった、お帰りなさいという感じである。

その前に、第一の田んぼの様子を書こうと思っていた。今はまだ田植え前であるが、ここに沢山の生き物の姿が眺められたからである。先ずシュレーゲル蛙が盛んに鳴いていた〈私の家からでも近所の家の池に棲む蛙の声が特に夜聞こえてくるけれど)。田んぼにはタガラシやクレソンが繁り、その上をトンボとアゲハチョウが舞っている。ときどき水を飲むために泥の上に止まったりしながら。ムクドリが泥をつついて餌を探しているムクドリ、またハクセキレイ。
いま田植えをする為のいろいろな準備の時期で、それが大変だそうである。先ず①泥上げ。次に②クロキリ。③クロスケ(スキ?)。クロは田畑の畦のことで、最初に畦を壊してそれを作り変え、それを塗り替え固めなければいけないといい、それをこのようなところでは手作業なのだそうだ。この田んぼは一段ぐらい(300坪)だそうで、これで米が4~5俵ぐらいとれる。一人年1俵として一家が自分の家の主食だけが賄えるくらいの収穫だという。
この田んぼがほとんど昔ながらの手作業に近いやり方で耕されているからこそ、沢山の生き物が生息できるという事が、四季を通じて訪れことで目の当りに感じられる。しかしこの文化遺産のようなこの田んぼがいつまで残っていられるだろう。

ぎりぎりまで宅地化してしまった第二の田んぼも、何とか健在であった。ここには珍しくなったシオヤトンボがいる。シオカラトンボと似ているが少し違っている。この姿をKさんがいつも担いでいる素晴らしく性能のいい望遠鏡で眺めさせてもらった。
さてここで、事件が起こった。この辺をうろついているノラではなく首輪が付いているので飼い猫が、蛇を見つけたらしく襲ったのである。草が刈られていてむき出しになったところを横切っていた蛇。この猫は大きく太ったキジ(毛並みを私はこう言う)猫で、どうも仕留めたようであった。
あーあー、とKさんが声を上げた。実は蛇もこの辺りからは減っているという。そういえば、わが家の近くでも春になると見かけた蛇がいなくなった。
燕の巣を襲ったりした時は、蛇は敵役だけど、やはり以前からの住民である。人家が増え、猫も増えてきたので、蛇も減ってきたのである。
「やっと生まれ出たばかりだったかも知れないのに、可哀そうなことをした。猫にやられて」とKさんは蛇を悼む。

ところでいつもの見晴台である老人の畑からは新緑に波打つ丘陵の中に白っぽい黄色の部分が見えるが、それは椎(スダジイ)の花と若葉である。この花は強烈な匂いを放つ。それもまたKさんの望遠鏡で眺めさせてもらった。

さてもう一つ面白い報告。皆と別れての帰る道すがら、家の近くの坂道を上っていると目の前にばさりと落ちてきたものがあり飛びのいた。それは石垣から落ちてきた青大将で、眼前の道路をうねりながら横切っていった。踏まなくて良かったけれど、胸の動機がちょっと納まらなかった。やはり蛇は気持の良いものではない。しかしさっき話を聞いた後だけに、蛇よ、元気で生き抜きなさいと見送る気持もまた生じたのである。

投稿者 kinu : 10:49 | コメント (0)

2010年05月17日

初夏の台峯歩き その一

夏と冬が入り混じったような日の多いこの頃、この日は風は少し冷たいけれど陽射しが強くからりとした一日でした。
初参加の人がなぜか多く、24、5人のかなり大勢になりました。
今回は、道端の雑草といわれるものたちを主として観察していこうという事で、プリントも作成されていましたが、こういうマニアめいたものよりも、もっと木の花などの写真にすればよかった、夜遅くまでかかって作ったのに失敗したと、Kさんは苦笑していましたが、目立つ木の花は名前を知らされればすぐ分かるわけで、道端のいつも見慣れている雑草の方が、知らない事が多く、初心者にとっても興味深いものだったと思います。

特に今回はイネ科のもの、しかしこれが一番難しい。地味で種類もいろいろあり、区別も難しい。そして大体において厄介者。私も狭い庭にそのつんつん、ひゅるひゅる伸びるそれらを見たら、急いで抜いてしまいますから。
でもよく眺めるとちゃんと地味ながら花も実もあり(イネ科というだけあって稲に似ている)姿形もそれぞれに特徴あり、風情あり、とKさんに代わって言えばそういうことになります。
先ずどこにでもよく見られる、イヌムギ、カモジグサ、スズメノカタビラ(これだけは覚えました)。イチゴツナギ、カニツリグサ、ドジョウツナギ、などは、昔の人の暮らしが偲べます。その他オニウシノケグサ、トボシガラ、など。またカヤツリグサ科も似たようなもので、これにはカヤツリグサのほかマスクサ、アオスゲなど。これはイネ科と同様、線の美しさがある、とK氏は言います。彼は植物の中でも、地味でひっそりとして、庶民的でどこか淋しげなものが好みです。
花としては、ヤブイチゴ、キツネノボタン、ウシハコベ、ヤブジラミ(目に見えないほどに小さな菊に似た白い花は確かに虱のようでしょうが、ちょっと可哀そうですね)。トウバナというのも、オドリコソウのような花ですが言われて見なければ分からないように小さいのです。

でも名前など覚えなくていいのだ、とKさんは言います。それは単なる記号に過ぎない。そんなことより、よくよく眺め観察するだけでなく触ってみたり嗅いだり、時には、噛んだり齧ったりもしてその植物と馴染む事だ。そうするとそれへの愛着が出てくる。それがそのものを知るということだと。
こうなればもう、オタクですね。そう言ってKさんは笑います。だから変わり者になってしまったと。
さてそんな風に雑草たちを観察し、ハルジオン、マルバウツギ、ミズキ(ナハミズキではなく)などの花を見ながら、第一の田んぼにやって来ましたが、今日はこれまでにします。

投稿者 kinu : 10:54 | コメント (0)

2010年04月19日

春の台峯歩き

異常の春の気象である。都心にも41年ぶりに雪が降った翌日の日曜日、久しぶりに晴れて春の陽気になるという。わたしも先月は休んだ(お天気も良くなかった)ので、勇んで出かけた。
しかし着るものに迷ってしまった。前の日はストーブをつけて冬のセーターで過ごしたし、朝はまだその寒さが残っているのに、予報は日中気温は平年並みに上がるというのだ。集まった人たちともそんな事を言い合ったりした。

さて今回は、初めての人もかなりいて、20名くらいの大勢になった。
見所は、桜はもう終わりに近いので、次々に咲き出す足元の小さな野の花たちである。次にいのちが萌えあがるという感じの芽吹きと茂りはじめる新緑。その次は、クヌギ、コナラ、エノキなどの地味な花。これらは花と言ってもキブシににた簪のような小さな房でしかないが、それも雌花、雄花があって、それらを観察しながら歩いた。

何と言っても4月は、目が醒めるような鮮やかさと柔らかさをもった新緑の美しさである。これはこの月でなければ見られない。3月はまだ動きがなく、5月になると多くの葉は動きを止めるという。後はだ固くなるのを待つだけ。ちょうど赤ん坊の手も足も小さく柔らかく、マシュマロのように食べてしまいたくなるように可愛いのと同様、この新葉もすべてサラダにして食べられそうである。
しかし赤ん坊の皮膚も年経るにつれ固くなり、心も自我という鎧をつけるように、草木の葉も固くなって食べられないようになって行くのである。

緑と言ってもこの季節さまざまな色合いのヴァリエーションがあり、それが雑木林を美しいものにする。十二単重(じゅうにひとえ)などという色合わせの感覚、緑に対するだけではなくさまざまな言葉があるのは、それほど色彩が季節の推移によって微妙に変化する自然によるものかも知れない。とくにこの緑の変化はこの短い4月の間に生じる
目の前だけを見ても、鮮やかな緑はシデ、ミズキ、ある種のカエデ、黄色っぽい緑はクヌギ、エノキ、白っぽい緑はコナラ。
少しだけ色見本の表現を挙げると草色、萌黄、若草色、若葉色、若緑、浅緑、わさび色、柳色、薄緑、白緑、きりがないのでやめますが・・・・。

今年は寒さが何度もぶり返したためかまだ桜が残っていた。このあたりは染井吉野ではなく、山桜、大島桜が多いからであり、また八重桜もまだぼってりと。

野鳥は今渡りの時期なので、オオルリ、ルリビタキなどを期待したが見られず、ただ解散時間のとき、一人が上空を渡るサシバを発見して、声をあげる。いわゆる老人の畑という見晴らしの良い場所ではこのサシバの渡りを観察する人がいる。高いところなので、望遠鏡でなければ黒い点である。私はこういう観察はダメで、結局目撃は出来なかった。

案内者のKさんは博識だけでなく、いろいろ面白い事や為になることを言う人だが、今日も一つだけ書くと、「春は下から立ち上がる」のだそうです。春になると先ず地面に近い草が萌え始め、次に低い潅木・喬木のようなものが葉を出し、高い樹が葉を繁らすのはずっと遅くなる。それは先に高い樹が葉を繁らせると、太陽を遮ってしまうからであるという。自然はたくまずそういう風にあらゆるものに恵みが行き渡るように仕組んだというか、それをうまく使ってそれぞれが生き延びているというか、なるほどと思った。

投稿者 kinu : 10:15 | コメント (0)

2010年02月22日

如月の台峯歩き

春も間近の日曜日、快晴だったのにまさに「光りの春」、もう一枚衣を重ねばならないほどの寒さでした。そのせいか、又花の少ないこの季節なので参加者も12人ほど、そのため説明者の話の通りもよく、じっくりと観察して歩く事が出来ました。
今回は、樹木の幹や葉を落としてしまった枝や梢を見て木の種類を類推できるように、その手がかりを少しですが教わりました。これが観察として一番難しいことは実感しています。桜や梅や松ぐらいは分かるとしても、葉も花もない幹を見てその名前などほとんど分かりません。
でもこれが一番奥が深く又面白いのだそうです。なぜなら日本は森林の国、だからそこに生えている樹木のことが分かれば、そこの自然の情況が読みとれるということです。その地形や成り立ち、気象や人の暮らし、歴史まで・・・・。そしてたとえばそこに自然を守るという事はどういうことか、又どうしたらいいか、どんな木を切ったほうがいいのかまたは残すべきなのかetc・・。フムフム、しかし私としてはとりあえず身近な樹木だけでも、幹を見るだけで名前が分かるのならいいなあという気持です。
やはりこの識別は、なれた人でも難しい。すなわち図鑑や写真があっても個別の木は環境や樹齢などのよって違ってくるわけですから。だからこのように歩いて目で眺め触ったりしながらしか体験的には覚えられません。それがこのようにゆっくり歩く事によって、今日はほんの少しだけ(全く蟻の涙くらい)ですが分かった気がしました。

今日よく観察した樹木は、このあたりは雑木林ですから、その典型的な樹木、クヌギ、コナラ、これらは昔は薪などの燃料として利用されたわけで(ドングリが出来る)、この辺は半々くらいの数で、それゆえ両方の違いを比較するのに都合がいい。またイヌシデ、これは雑木林として利用する木ではないそうですが、また何故ここに生息するようになったかも分からず、しかもここが南限だそうです。
それから姿のいいケヤキ、これは太鼓や木材として良質なので、江戸幕府が政策として武蔵野などの植林させたので、それがいまその辺りに残っているのだそうです。その他エノキ、ムクノキも大木になるので、昔から注目されていますが、その識別も難しい。それも今回、事実物を目の前にしてよく観察しました。

また、今回は冬鳥を見るのに季節としては適しているとのことでしたが、あのきりっとして美しい鳥、モズの雌と雄の両方を、Kさんが持ち歩いている精度の良い重たい三脚つきの望遠鏡でしっかりと見られたことは感動でした。また枯れた田んぼで虫を啄ばんでいるムクドリの群れ、又カシラダカ(これも望遠鏡でじっくりと)も見られましたし、天空高く舞っているオオタカ(らしい)の姿も見ることが出来ました。これらは一人で歩いていては見逃してしまうのですが、それらをたちまち見つけてしまう鷹のように目のいいKさんがあってのことだと思います。しかし、この冬鳥も、最近は渡来が少なくなったという事です。
その他、湿地帯では赤蛙の卵。これは理事の方たちが水溜りをつくってくれたお蔭です。
そこで、もう終わりに近いというハンノキの雄花に注目させられたりしながら、充実した山歩きを楽しみました。

投稿者 kinu : 09:37 | コメント (0)

2009年12月23日

冬の台峯歩き

きりっと晴れた冬空が続きます。
冬型の気圧配置、日本海側は大雪というのに、この辺りは乾燥した快晴の日々、雪か雨が恋しくなるくらいです。
この季節、白い富士山が一番くっきりと眺められます。先日あの富士で無残な遭難事故があったのだなあ…とあくまでも清楚な姿をみせてすらりと佇んでいる富士を仰ぎ見るのでした。

そんな先日の日曜日、恒例の台峯歩きに参加しました。20人くらい、トラスト運動について卒業論文を書くためにという大学生も2人加わっていました。
この辺りはまだ紅(黄)葉が残っています。でもやはり温暖化のせいか時期が早まっていて、本来ならばクリスマスの時期に当る様子だとの事。
この冬の時期、森の構造を見るのには適しているそうです。高い木は大抵落葉樹です。でも温暖化によってだんだん常緑樹が増える傾向にあり、埼玉の方が落葉樹が多く、三浦、湘南地方は常緑樹化していく傾向にあるそうです。潮風に強いのも常緑樹だからです。確かに海岸線にあるのはたいてい松林ですね。でもこのあたり松や樅の木が最近は見られなくなった、昔は山の天辺には大抵松があったと。
里山の将来については、結局は判らないのだといいます。人間の生活とも深く関係しているからでしょう。

第1の田んぼ。第2の田んぼも同様ですが、これらは昔の山沿いにある田んぼの姿を残した数少ないものだといわれます。山奥の田んぼほど、歴史は古いのだそうです。先ず棚田のように規模が小さく自然の地形に沿った曲線をも残した畦、冬場も乾燥せずに(ここでは特有の絞り水によって)常に湿っている。有名な米の産地の田んぼは、広々とした四角い田んぼで、冬は乾燥していて、稲作の時期だけ水路を通して水を引き込みます。広くて四角いので大型の機械を使うことが出来、それだけ収穫量も多く安定しています。それに対してこういう所は、人の手が必要なところが多く、採算が取れない。しかも収穫は2分の一ぐらい、税金その他いろいろ考えれば結果として一般の米作農家の10分の一ぐらいの採算にしかならないそうです。これでは残してほしいと頼む事は難しい事です。これらが何時まで残っているか、ただただ毎年願いながら眺めさせてもらうだけです。

見晴らしのいい、「老人の畑」で、まだ紅・黄葉を残してしっとりした色合いに染まった向かいの林を眺めやりながら日向ぼこ。しかしこの時期、冬越しする野草たちが春に向けて青々と新葉を生やしているのが見られます。昔畑があった草原に(松虫などを観察した草地)それらを眺めに歩き回りました。ここだけではなく道すがらあらゆる道端の草の赤ん坊たちが柔らかな芽や葉を出しているのです。それらを見て歩くというのが、今回のテーマでもありました。
ハコベは有名ですが、同じようでもウシハコベもあり、ムラサキケマン、アレチノマツヨイグサ、オオアレチノギク、ハルジオン、ヤブタビラコ、カモジグサなど、また一人前(?)になったセイタカアワダチソウ、ヤエムグラ(あの厄介者)、アケビなどは知っていても、幼い時の姿は教えられなければ分かりません。

この季節鳥を目撃するにもいい時期、しかも日本海側が大雪の時、このあたりは鳥が多く見られる。たぶん避難してきたのであろうとのことですが、今日はあまり見られませんでした。サシバなどが見られるといいのですが、大空を旋回していたのはトビでした。しかし白い小さな点のように飛んでいるのはヒメアマツバメだというのですが、わたしの目にはあまりはっきりとは捉えられませんでした。同じとき、白い鳥のようなものがゆっくり飛んでいくのが見えたのは、実は高みを飛んでいる飛行機であり、ああ飛行機も人間の造った鋼鉄の鳥なんだなと思ったものです。暫くして、爆音が届きました。

この間の大風で落ち葉が沢山落ちたようです、と言われた通り山道には乾いた落ち葉が積もっていたので、それらをさくさくと踏みしめながら、新雪の中を歩くような心地よさを味わい、冬場の散策を楽しみました。

投稿者 kinu : 13:49 | コメント (0)

2009年11月16日

紅葉し始めた台峯。

このところ冬と夏が入り乱れた感じのお天気が続いていますが、昨日の日曜日は何とか秋らしい日和となりました。いつもの台峯歩きの日で、幸運でした。
その前日は南風が入って大雨になりましたが、こういう降り方は3月によくある現象でこの季節には珍しいとのこと、しかしまた12月並の寒さのときがあったりして、そのせいか今年は紅葉が早いとのことです。
前にも書きましたが、この辺りの紅葉はゆっくりしていて、また地味でもあります。11月末から年末にかけて変化していきます。見頃は12月に入ってからでしょうか。この時期紅く目立つのはハゼの木です。アカメガシワやエノキの黄葉、ケヤキの褐色、カエデは種類や木によってはまだ緑のままのものもあり、むしろ山芋の葉などに見られる草もみじの方に目が行きます。案内のKさんは、こういう微妙に変化していくもみじ、地味だが味のある推移をしていくこのあたりの秋もまた好きだというのです。そういうこともあって、今日は、木の実、草の実に特に注目して歩くということになりました。ドングリなどはすぐ頭に浮かんできますが、全ての木や草は実をつけるわけで、改めで眺めてみればその多くは秋にあり、特に草の実(種)がいかに独特の形をもち、子孫を増やすための戦略に長けているかが分かり、感心します。皆さんの衣服にどんな草の実がくっ付いて来るか、最後に皆で見てみましょう・・・とKさん。

上空にトンビが舞っています。その他、今日見られた鳥は、カシラダカ、アオジ、セキレイ、ヒヨドリでした。
第一の田んぼ、第二の田んぼとも稲刈りが終っていましたが、暖かさのためか青い稲が切り株から生えていました。最初の田んぼには稲を干している稲掛けも見られましたが、この光景も何時まで見られることでしょう。
台峯の入口から遠望する山並みも今日はよく見え、雪を頂いた富士も眺められましたが、何となく霞がかかっているようでやはり春の感じ、冬季のようなくっきりとはしていません。雪も少し前より少なくなったようで、やはり少し解けたのではないかーと。

このコースの展望台である老人の畑の手前の 大木となったカラスザンショウもたくさんの実をつけていましたが、ここには沢山の鳥がそれを食べにやってくるとのこと、(この実はかんでみるとどこかサンショウの香りがするが食べたくはない、害はありません)すなわちこれらの木や草の実は鳥たちの、また昆虫たちの冬に備える食料であるわけです。ですから雑草や下草を刈る場合もそのことを考えて、手をつけねばならないのです。
Kさん手製の実録資料図鑑による「くっつく実の植物」だけを列挙してみましょう。
イノコズチ、ヌスビトハギ、ミズヒキソウ、キンミズヒキ、チジニザサ、センダングサ、ミズタマソウ、チカラシバなどです。

最後にわたしの衣服にくっ付いてきた草の実は、センダングサ、ミズヒキソウ、イノコズチでした。それらは持ち帰らないで、なるべくここに落としていってください、そうすると、彼らも発芽する機会がもてますからと言われてそうしましたが、ナイロン製でほとんど付かないだろうと思っていたものにもちゃんと付いているのには感心しました。

投稿者 kinu : 14:26 | コメント (0)

2009年10月19日

台峯歩き・稲田と青鷺

このところ気持の良い秋日和が続きます。
昨日は台峯歩きでしたので出かけてきました。田んぼには黄金色の稲が実っている頃なので楽しみです。何日か前、電線に止まって声をあげるモズの姿を見かけ、秋が心の底にすっと入ってくる気がしました。
集まったのは15、6人、初めての人も半数ほどです。今日はイネ科の植物を中心に見て歩きましょう、とKさんがいつものようにカラー写真のプリントを渡してくれます。多くはKさんが最近、この辺りを歩いて実際撮ったものです。写真には撮りにくいものだといいます。それに駐車場とか道路とか、変哲もないところに生えているものですから見かけた人から咎められたり変に思われたりするそうです。きれいな花などは咲かせない雑草ですから。しかしいわゆる雑草ではないというのです。
外国でもハーブなどの、いわゆる野の花、雑草というのには分類されていないとのこと、すなわちれっきとしたイネ科の植物なのです。稲はその典型的なものだと言えるでしょう。
そのことからも判るように、イネ科の植物は、人間と深い関係があるのだそうです。人が畑を作ると、必ず生えてくるのがイネ科植物であり、いなくなると生えなくなり、深い山の中には無いそうで、人間に一番近い植物だとのことです。麦や稗、粟など五穀の多くがイネ科であり、わたしたちの生存には欠かせないもの。そう言われてみて、私も食料以外のイネ科の植物たちを、雑草の中でも強かに蔓延る厄介ものとばかり思っていたのに気づきました。スズメもまた他の鳥たちも、この穂を啄ばんで食料にするのです。またどんなイネ科のものが生えているかによって、その土地がどういう風に使われているか、そこの環境もわかるという。こう聞くとイネ科の者たちに親しみが湧いてきました。いわんやその名前が分かるとしたらいっそう・・・。
さて、それで資料を手に歩き出しました。観察したのは、代表的な雑草(もちろん他の雑草とは違うと知った上で)のオヒシバ、メヒシバ(3本ほどの線香花火のような穂を持ったどこにでもある、地面に広がるようにして生える。名前で分かるが前者は太く、後者は小さい)、これは誰でも知っている猫じゃらし(エノコログサ)、これもキンエノコロ、アキノエノコロなどある。煙突掃除のブラシのような強い穂を持つチカラシバ、カゼグサというのは、名前通り風にすぐ揺らぐような繊細な穂を持っている。チヂミザサ(葉っぱに縮み皺がある)、イヌビエ、ノガリヤス、サヤズカグサ、コブナグサなどいろいろ、これ以上足を踏み入れると何でもですが奥が深いので、入口のこの辺で終っておきます。

田んぼは、2箇所とも稲穂がそよいでいました。第一の、広い方は今稲刈りの最中らしく、半分ほどが刈り取られていました。その上をウスバキトンボが飛びかっています。
第二の田んぼも、少し日当たりが悪いので遅れていましたが、まもなく稲刈りのようです。でもここが何時まで持つかです。ぎりぎりまで宅地開発が迫っているからです。

実は、洞門山の問題も、まだ解決していません。開発業者もしぶとく、2区画だけは奥の方で住宅地に近い事もあって、こちらも妥協せざるをえないかと思っているようですが、後3区画、それはかなり切り崩さねばならない大きな工事になるようですが、その施工許可をシルバーウイーク前に、急遽取ったとか取らないとか、市長選挙も迫っているので、それからどうなるか、まだ未解決だという事です。

そのほか鳥としては、空を舞うノスリを見ることが出来ました。トビとどう違うか、それもKさんの解説と、3脚ごと抱えて持ち運んでくれる望遠鏡が無ければ私たちには分かりません。また谷戸の池では、青鷺を望遠鏡で、大きくありありと眺められ感動です。昔の人は鶴と間違えたというのも道理、ツルのように大きく、首をぐいと上げて、堂々としていました。

イネ科の植物だけではやはり彩が無くて淋しいのですが、いわゆる老人の畑では、紫色の小さな花を咲かせているヤマハッカ、またシオガマ、谷戸の湿地のツリフネソウ群落が目を楽しませてくれました。さて、先月のこの辺の松虫の声が、チンチロで終っていたということに対して、その後にまたここを訪れた時、確かにチンチロリンと鳴きましたという報告がありました。やはり虫も、鳴き始めよりだんだん上達していくのでしょう。

投稿者 kinu : 14:04 | コメント (0)

2009年10月05日

お月見をしながら虫の声を…

このところ台風も接近して秋の長雨のような日々、でも幸運にも昨日一日だけポッカリと晴れになりました。実は満月の日にもう一度松虫を聞こうと企てられていたからです。実は満月は4日なので、日曜日は一日遅れの十六夜です。
その日、朝はまだ多かった雲もだんだん去っていって、夕方になるとすっかり晴れてきて、6時集合、見晴台である老人の畑(通称、今はもう畑ではなく、立ち木と草むらになっている)に来たときは、一片の雲もない空で、満月がくっきりと仰ぎ見られました。Kさんが持ってきた天体望遠鏡で月面を見せてもらいました。クレイターもはっきりと見え、ただ眺めるのとは違う、またTVなどで見るのとも違う面白さです。ゆっくりと老人の畑に向いますが、ほんとうに照明の全くない夜の野道は足もとが覚束ないものです。(懐中電灯を持ってきてよかった。)
ブッシュの向こうから人声らしきものが洩れてきて先客がいました。その三人はお饅頭と里芋を供えて、缶ビールで月見の宴を開いているところで、でもこちらのグループとも知り合いらしく、昼間はサシバの渡りを目撃したと喜んでいます。(供えていたお饅頭は私達にも配ってくれた。ありがたく頂く)

月を眺めながら耳を澄ませます。そして鳴き声を手がかりに草を分けながら懐中電灯で姿を探します。見つけるのはやはりKさんです。最初はなかなか見つからないと言っていたのですが、それはまだ虫と同調しないからで、暫くすると次々に見つけてくれます。すなわち虫の気持というか、その世界が感覚全体で感じられるようになると、どの辺にいるか判るということでしょう。その代わり今度は人間の世界に帰ってくるのにはやはり時間がかかると、Kさんが笑いながら言う。ですから月見の宴をしている人たちとは、話はしてもその後はただ草むらを虫を探して歩くばかり。虫の方が好きなのです。それで松虫の姿を3匹も見せてもらいました。始めのは細身、次はどうも卵を抱えているらしい太ったメス、そして最後は鳴こうとして羽を広げた姿でした。やはり鈴虫と同じように羽を立て振わせながらのようです。
その後十六夜の月は、ときどき雲をまとわせながらもくっきりとした姿をずっと見せてくれました。北斜面にあるわが家からは、残念ながら隣家の屋根に遮られて見ることが出来ません。そして松虫も、暗闇に入ると慣れるまで何も見えないように、最初は声の高いアオマツムシと分離して聞き分ける事ができないでいたのに、だんだん耳が慣れてくると聞けるようになったのも嬉しく、満足させられた夕べでした。
でも松虫の声は、チンチロリンではなく、チンチロまでしか鳴かないようで、皆もそう言っていたのですが、リンは細くて聞こえないのかな? 

そこでも小学唱歌の「虫の声」が話題に出ましたが、前のブログで触れていた長唄でもこの虫の声が歌われているということも知っている人がいて、声の聞きなしは唱歌の方が長唄から影響されたのではないかという事になりましたが。
その長唄の題は「四季の山姥」(十一代目杵屋六左衛門作曲)です。そこでは松虫、鈴虫、轡虫、馬追虫が出てきます。

正味2時間ほど鑑賞してから帰途につきました。

投稿者 kinu : 14:53 | コメント (0)

2009年09月25日

『源氏物語』の「鈴虫」と わが庭

この家の狭い庭も秋の野花が美しくなった。夏場はいくら抜いても抜ききれない勢いにうんざりし、憎らしくも思っていたのに怠け者のせいでその多くが残り、今は小さく可愛らしい花を咲かせている。こうなるとお金と手間をかけて華やかな園芸種など植えなくても、自然のままの花を楽しむだけで十分だな…など勝手なことを考え満足するのだった。
何時までも花を咲かせ続けている秋海棠をはじめミズヒキソウ、ホトトギス。タデもいろんな種類を知ったせいか特別な感じで眺めている。まだ露草も咲いている。ヤブランはもうおわりだ。これは植えたものだが、朝顔も終わりに近いが団十郎と大輪の白がまだ咲いている。
いわゆる虫は、このような野原、原っぱ、田んぼや畑の畦など、それに付随した喬木に多く棲むわけで、深い森や林ではない。すなわち人間と共存した里であり、里山である。虫の音を鑑賞するのは日本人だけ(?)で、西欧人の耳には雑音としか聞こえないなどと聞いた事があるけれど、そうだとするとやはり古来から虫とのつながりは深いということだろう。そうは言ってもただゴキブリだけは嫌だなあ、見つけると反射的に殺したくなるのはやはり先祖からの遺伝子だろうか。

1千年前の宮廷でも、虫の音を賞でる宴が催され、その詳細が「鈴虫」の帖に描かれている。38帖目であるからこの長編も後半に入り、源氏50歳の晩年で、女三宮と柏木の密通事件が柏木の死という結末になり、それに続いて女三宮の出家という事件も一段落した頃の秋、その女三宮(入道宮)の持仏開眼供養が盛大に行われた後、静かになった8月15日、すなわち中秋の名月の日ということになっている。旧暦であるから今では9月終りである。ちなみに今年の8月15日は、10月3日であるが満月は4日である。
女三宮の住む六条院の西の渡殿(渡り廊下)の前を「おしなべて、野につくらせ給へり」とあるから、その辺り全体を野原のように整えて、そこに棲む虫たち(主として鈴虫)の声を聞くという趣なのである。その宴を源氏は主催する。女三宮の周囲には、女房たちの中から選りすぐりを十余人を選んで侍らせるが、その事を聞きつけて夕霧、蛍兵部卿その他殿上人たちが次々と、月見をしながら管弦の遊びをーと集まってくる。それら楽の音を洩れ聞いた冷泉院からも誘いがあって、そちらの方に流れていき、一晩中の管弦の演奏、また詩や歌をつくってそれを披講して、やっと明け方に退出という事になる。
これは女三宮邸で行われることから、女主人を慰める気持があると同時に、柔和で艶めかしく、笛の名手であった(遺愛の横笛を夕霧に残してもいる)柏木を、それぞれが偲ぶ巻ともなっている。

さてそこに源氏の虫の音の好みが描かれているので書き出してみる。秋の虫の中で、声は松虫が一番といわれているが、(とあるので、その頃から松虫は定評があったようだ)しかし、名前と違って命がはかなく、また「いと、へだて心ある虫になむ」とあり、それに対して鈴虫は「心やすく、今めいたるこそ、らうたげなり」と、女三宮に向かって感想を述べている。すなわち松虫はどことなくよそよそしい感じで、鈴虫の方が親しみがあると感じているようだ。確かに松虫を飼うのは難しいが、鈴虫はよく飼育される。私も団地に住んでいたときに飼っていたことがあるのだった。

それにしても宮中の中に野原を殊更に造ったというのが面白い。ヴェルサイユ宮殿にはないものだろう。貴族並に私もそれを良しとして楽しんでいることも考えれば面白い事である。この風流は、その頃は暮らしに余裕などなかった庶民には与えられなかったことだろう。しかしだんだん庶民もそれが楽しむことができるようになる。
長唄(三味線)の中にもそんな虫の声を表現したものを思い出したので、もう一回それについて書いてみることにします。

投稿者 kinu : 14:05 | コメント (0)

2009年09月23日

松虫の声を聞く

台峯歩きと同じ日の夕方、松虫の声を聞く会が開かれました。
6時集合。参加者は11人。蛍の時とは違ってまもなく日は暮れていきました。
はじめての参加です。果たして松虫はいるだろうか? またその声を私は聞けるだろうか? 一昨年は松虫の声は聞けず、皆で仰向けになって星を眺めて帰ってきただけだったとのこと、それで昼間歩いた時、Kさんは、いわゆる「老人の畑」で虫たちの様子を心配げに点検していたのでしょう。今年は先ず大丈夫だと言っていましたが・・・。

結論を先に言いますと、今年は当たり年だったそうです。幸運でした。私の耳も何とか松虫の声を捉えることが出来、その姿もちゃんと眺めることができました。蛍とは違い懐中電灯を向けても平気で逃げたりもしません。うるさいなあーというような顔をしているくらい。マツムシだけではなく、バッタ類、オンブバッタやショウリョウバッタ、それから眼の下に涙のような黒い斑点があるツチイナゴ(まだ若いのでバッタのように緑色で可愛らしい)、触覚が長いクサキリなど、こんな風に虫たちを眺めたことがなかったので、面白く楽しかったです。
マツムシも、この分では100匹くらいはいるだろうとのこと。これもこの辺りの草地の手入れがうまくいったからでしょう。松虫は、ススキや笹などイネ科植物、萩に多く棲んでいるそうです。しかし虫は松虫だけではなく、その他の生物たちとの兼ね合いも考えねばなりませんし、とにかく自然は一筋縄ではいきません。でもここは貴重な松虫の生息地として何時までも残しておきたいというのが会の方針なのです。葛の茂みには居ないようなので、これはもう少し刈った方がいいかな、などと言い合っています。

実は、集合場所から耳を傾けながらゆっくり歩き出したのですが、最初私の耳はうまく働きませんでした。「あ、〇〇が鳴いている!」と、もちろんKさんの耳や眼は特別ですが、そう言われても私の耳は、そうかしら、と思うばかり。そのうち、うるさいばかりのアオマツムシの、あの声が聞こえてきます。それらに混じって、ささやかな日本古来種の虫たちの声を聞きださねばならないのです。「あ、マツムシの声が聞こえた」という声、「でも、何だか弱々しいなあ・・」など言っている人がいます。「この辺で鳴いていますよ」。しかし最初はなかなか聞こえなかったのです。聞こえるのはアオマツムシだけ。またそのほかのを聞こうとしても、何だか自分の耳鳴りのようでもあり、そうではないような…。
人間の耳は機械と違って、周囲の音を全て収録しているのではないとよく言われます。だから難聴になったときに使う聴音器が、自分の耳に合わないといわれるのもそのせいでしょう。人は選択してものを聞いているようです。何かに集中している時は物を言いかけても聞こえないというふうに。聞き分けもやはり慣れがあり、訓練です。たぶん音楽の指揮者は、オーケストラの各パート全てを聞き分けているに違いありません。

耳を澄まして歩いていき、そして肝心の「老人の畑」に来て、草むらを歩きまわりながら聞いているうちにやっと、マツムシはあの声だと聞けるようになりました。一応マツムシはチンチロリンと鳴くといわれ美しい声とされています。これは文字により表記ですから、やはりそれぞれ人によって違いますから表記はし難いのですが、確かにそんな風にも聞こえ、実際はピッピリリ、といった少し高い声です。ここは草地ばかりで、アオマツムシがいなかったから私にも聞こえたのです。まだ多くの虫の声の中から識別するのは難しいでしょう。
とにかく松虫の声も聞け、その姿もしみじみと眺めることができ、大満足。星も夜が更けるにつれ、また眼が慣れるにつれ少しずつ星も見えるようになり、星に詳しい人の説明、また実際にUFOに遭い、写真も撮ったという(?)人の話なども聞きながら、正味一時間ほどの松虫を賞でる会はお開きになりました。
次回は、『源氏物語』にも、「鈴虫」という帖があり、虫の声を賞でる宴の情景が描かれています。そのことについて触れて見たいと思います。

投稿者 kinu : 14:02 | コメント (0)

2009年09月21日

初秋の台峯

昨日の日曜日。台風は太平洋沖を通過して逸れ、秋晴れの気持の良い日になりました。
恒例の台峯歩きの日、連休で遠出が多いせいか参加者は14人、程よい人数でした。
彼岸間近で秋の気配も色濃くなり、毎年感心するのですが、彼岸花もちゃんと姿をみせてくれていました。
森や林の緑も勢いを失って衰え始め、桜を手始めに少しずつ色づいていきます。TVで大雪山の見事な紅葉をみて思わず声をあげそうな見事さでしたが、しかしそれも僅かな期間、まもなく雪に閉ざされていくようです。それに比べてこの辺りの紅葉は地味で、しかもゆっくりと12月半ば頃にかけてじわじわとしか進みません。その分春も同様、ゆっくりと春の気配も顕わになります。東北のそれら急激な変化とは違うその微妙な変化もまた別の味わがあって自分は好きだ、と案内のKさんは言うのでした。

今回は秋の昆虫を中心にした観察となりました。しかも今日の夕方は「松虫の音を聞く夕べ」が催されることになっています。この虫は有名で、チンチロリン、と鳴くと言われますが、その声を聞いたことのある人は少ないでしょう。私もまだです。
通称「老人の畑」にたくさんいるそうです。松虫自身の生息地は少なく、ここと城ヶ島にしかいない貴重種になっているようです。
先ずコオロギ、これもたくさん種類があって、よく見られるのだけでもエンマコオロギ、ツズレサセコオロギ、オカメコオロギ、ミツカドコウロギ、クチキコオロギなど、姿や生息場所や声などいつもの資料で。
庭の低木で鳴く美声のコオロギに「クサヒバリ」というのがあり、名前も綺麗だし小型で羽根も透明で美しいのですが、きっとこれまで聞いていても、気がつかないままでいたのかもしれません。そのほか「マダラスズ」というコオロギは、畑や街中の駐車場(土の上に砕石をしきつめたような場所)には必ず多数いるそうです。これはジー、ジーと区切ってなくそうですが、小さな声なのでなかなか気がつかないのだということ。「シバスズ」というコオロギは、名前のように芝生や低い草地、畑の周辺に見られ、ジージーと連続して鳴く。
その他これも有名なカンタン。私も聞いたことのあるカネタタキ。また今や何処の街路樹にもいて大声で鳴きしきっている外来種のアオマツムシ。

もちろん皆見たわけではありませんが、それらを参考にしながら歩きました。
2箇所の田んぼは健在で、黄金色の穂を揺らしています。その上をトンボ…、実は普通赤トンボといっているのはウスバキトンボという種類であることが多く、これはあまり竿の先などには止まらない。竿の先に止まるのはアキアカネという、これが本当の赤トンボだとの事。この赤トンボはこれからがシーズン。胴の赤みも季節が進むにつれて次第に濃くなっていくといいます。今飛んでいるのは多くがウスバキトンボでした。(これは6月ごろ台湾から渡ってきて産卵し、8月ごろ生まれるが、越冬できないままで終る。ショウリョウトンボとも言う。学校のプールなどでも大量に生まれることがあるとも)のんびりと竿先のようなところに止まることなくひたすら飛び回っているのは、そういう命の短さを知っているからでしょうか。
シオカラトンボはそろそろ終わりごろ。
そのほか老人の畑では、バッタ類も、ショウリョウバッタ、オンブバッタ。ツチイナゴ、クサキリなど、そして松虫も確かにいることを確認。今夕の催しが期待されます。

草花は、同じタデでも、イヌタデ、ハナタデ、ボントクタデ、シロバナサクラタデなど、確かに姿の違うタデがあることに感心。また珍しいナンバンギセルにも逢えて満足しました。

投稿者 kinu : 14:41 | コメント (0)

2009年08月17日

台峯歩き(青田とバッタ)

梅雨が明けてから梅雨空が続き、ときどき猛暑になるかと思えばもう、秋の気配がするようになりました。
今日も日本海側の高気圧におおわれて、真夏の太陽の下に秋風が吹いていますが、日曜日も同じような天気になり、台峯を歩いてきました。

お盆である事からも参加者は少数で10名ほど、ゆっくりのんびり観察しながらの歩きとなりました。実はこのくらいが一番いいのだと、Kさん。Kさんの動植物の薀蓄を間近に聞く事ができました(もちろんその多くは素通りしていくのですが)。

今日の目玉は穂をつけた青い稲田と昆虫(バッタ類)です。
第一の田んぼは、すくすくと伸びた青い稲が穂をつけ、花を咲かせていました。広々とした青い絨毯の上には爽やかな風が吹き渡り、トンボが飛び交っていました。稲の花をご覧になったことがありますか。つくづく眺めたのは初めてで、目に付くのは多くはオシベで、メシベはほとんどなく、花びらもないとの事。この時期、花が落ちないようにするため、田んぼにはなるべく入らないようにするのだそうです。
飛び交っているトンボは、ウスバチトンボ(ショウリョウトンボ)、これは竿の先に止まらないのだそうです。よく見られるシオカラトンボ、またシオヤトンボ(このあたりに多いとか)。オオシオカラトンボ、これは第2の田んぼのところで見られました。名前だけあって、目玉は黒々して厳つい感じです。
夏の日差しの下でも青田を渡る風はすがすがしく、心も広やかになります。昔はこういう風景が至るところに見られたことでしょう。その青い葉っぱの上に、Kさんが早速、小さなイナゴを見つけました。保護色なので、それを何気なく見つけてしまう眼には驚いてしまうのですが、その青い色をしたコバネイナゴについての講釈が始まりました。
今日は、そのような稲や草原に棲んでいる昆虫の観察がメインになりました。

第2の田んぼは日当たりがよくないため、まだ穂が出ていません。でも何とか無事に育っているようです。さてさて昆虫ではありませんが、蜘蛛についても今回は観察の対象になりました。蜘蛛もまた彼らが作る巣も、実にさまざまで、精巧を極め、面白いことにも眼を少しだけ開かされました。とにかく蜘蛛が居るということが昆虫が居る、すなわち自然が残っているということだそうです。今、都心では蜘蛛が居なくなっているとのことですが、どうでしょうか。
女郎蜘蛛はよく見られるもので、この家にもいますが、蜘蛛の巣にも注意をして歩いている時、誰かが面白い巣を見つけました。それはナガコガネグモという小さな蜘蛛で、細かな網の真ん中、自分の身体ぐらいの部分だけ、すりガラス状に厚く作っていて、何となく仏像の光背のように見えるのでした。それは自分の身を隠すためだということで、確かに後ろから見れば隠れるようです。
かくのごとく、自然の仕組みの不思議さ巧妙さ、美しさなど知れば知るほど感嘆するばかりで、その道に入れば奥は限りないものに思えますね。

いわゆるこのコースの展望台、老人の畑では、木陰で休憩しながら眺望を楽しみまた群刈りした草むらでのバッタやイナゴの観察。これら昆虫についても、Kさんの説明を聞きながら歩くと、時間を忘れるほどですが、あまりに煩雑になるので省きます。

いよいよ台峯の谷戸に下ります。ところが沼に人がいて、どうも釣りをしているようです。「釣りは禁止」の立て札があるにかかわらずです。Kさんに続く私たちは、行程から少し逸れて近づいていき、Kさんが「何か連れますか」と訊ねました。最初の青年は何も釣れていないようしたが、次の青年は、フナが釣れたといっていたようです。Kさんは静かに、ここは釣りが禁止なのですが、と言っていました。青年がどう答えたのか聞こえませんでしたが、私たちはまたいつもの行程に戻りました。
今日は相手がおとなしい人だった、と言ってましたが、反対に怒ってくる人もあるようです。こんな沼で魚釣をしてもあまり楽しくないような気がしますが、釣りであればどこでもいいのかなあ。

今回は目立つ花は少なく、キンミズヒキ、ダイコンソウ、Kさんが好きだという水玉草、葉っぱが面白い切れ方をする矢筈草、センニンソウ、タカサゴユリなど。
今日はこれまでにします。

投稿者 kinu : 14:01 | コメント (0)

2009年07月19日

夏の台峯と洞門山その後 

先月は雨降りで行けなかったが、(それでも何人かが出てきたので決行したのだそうだが、老人の畑[と呼んでいる所]でひき返したとか。大雪山ではないので遭難はしないが、やはり本降りの中での谷戸歩きは難行である。)今月は出ることにした。

夏休みが始まったばかり、それでも15,6人が集まった。私もこの7,8月は暑いのでサボることが多く、一回ずつしか参加していない。花も少なく、まだ蝉には早く(ヒグラシはもう鳴いたけれど)、先ず最初に蜂への対策が話題にされた。実は案内役のKさんは、3日前にも蜂に刺されたばかりで、これまでも何度か刺され、死にそうになったこともあるという。実際新聞でもスズメバチで死んだという記事をよく見かけます。ちょっとコワイです。
とにかく蜂は自分から人間を攻撃はしないので、刺激しないことが必要で、大声をたてたり、手を振るなど急激な動作をしないこと、飛んできて衣服に止まる事があってもそっとしておいて、飛び去るのを待つこと。近づいてきたら身を低くしてやり過ごすと良いということです。
刺されたら抗ヒスタミン剤(ステロイド)を飲んでおくといいそうで、ステロイド入りのローションや軟膏を塗るのも良いとか。とにかく作業は中止してあまり動かず安静にしているのが良いそうとか。
さて、この台峯にも、老人の畑に上がる道筋にある樹の洞にそのスズメバチの巣があります。
谷戸に入ってからは日本ミツバチが棲んでいるはずですが、今回は見当たりませんでした。

この時期、あまり花は期待できませんし、みな地味なものですが、ヒルガオの類、同じ蔓草でオニドコロ、また黄色く小さな花を咲かせるダイコン草、ヤブミョウガ、ジャノヒゲ、芹の花、まだ残っているハンゲショウ(半化粧)の白。これも少し残っていたシモツケ草。樹木では合歓の木の花(もう終わりごろ)、そしてカラスザンショウですが、これはまだこの辺りは蕾でした。

田んぼは、いま一面青々としていて、青田買いといいますが、溌剌とした若者の時期です。二箇所の田んぼ、今の所健在です。その上をシオカラトンボが飛んでいました。また谷戸への道では、木の間を縫う蝶も見られました。モンキアゲハ、ジャコウアゲハ。

鳥はもちろん、鶯とホトトギス。それにガビチョウ(蛾眉鳥か、図鑑にもないので分らないが、これは中国から来た外来種だそうで、それがこの辺に増えたと言う)。アオゲラも姿を捉えた人がいたが、私は駄目でした。

そんなことより今回大切な事は洞門山の現在のことについてです。
あれから、いったんは工事を中止して、住民と市と地主(業者)と協議を続けていて、市も買取の方向で話し合っていましたが、結局値段の点での折り合いがつかないわけです。
住民側も、トラスト運動やら、また幟を製作して、あちこちの軒に立てて、「洞門山、夏の陣」としてアピールをしたりして、反対運動を継続しているのですが、この八月末が瀬戸際だそうです。その日が、開発許可の申請の期限で、もしその日に市が許可しなければ(市は許可しない方針である)、地主(業者)は裁判に持ち込む可能性があり、裁判になると長引くでしょうが、書面上は法律に引っかからないように巧まれているわけで、負ける可能性が大。そうならないようにしなければ、その業者はここだけでなくこの近辺に後2箇所の緑地を買い占めていて、その手で次々に、徐々に開発していく可能性があり、ここで食い止めねばならない将に「夏の陣」なのだそうです。

そのためには、それに反対する市民たちの声がいかに大きいかを示すしか手はなく(開発を諦めさせるために)、その一つとして、
  『宇崎竜童のチャリティーコンサート』が企画されました。
 9月3日(木) 鎌倉芸術館 小ホール 開場18時 開演18時30分 3500円(前売)4000(当日)

もちろんこれに出掛けられるのは近くの人に限られますが、こういうことが行なわれているということをここでお伝えして、その現況についてお知らせします。
ご関心のある方は、それぞれのホームページをご覧ください。
「洞門山を守る会」 http://kitakamakura.jimdo.com/
「フレンズ オブ カマクラ・台峯」 http://www.friends-of-daimine.org/

投稿者 kinu : 17:14 | コメント (0)

2009年04月22日

台峯歩き 2

前回、今は昆虫がたくさん出始める時期と書きましたが、一昨日の新聞のコラムに蜜蜂が大量にいなくなったという記事があり、受粉を頼っている果樹園などが被害を受けているという。これは以前にもTVでアメリカの例として見たことがあり、『ハチはなぜ大量死したか』という本が出ているくらいで、ハチをはじめ人間がいかに昆虫たちから恩恵を受けているかということである。もちろん恐怖も被害も受けるのであるが、とにかく人間などは、文明などと言ってみても地球の自然界の中ではちいさな存在であると思い当らねばならないだろう。私がゴキブリを見てつい声をあげてしまうのも、そんな人類の畏怖心の遺伝子によるのかもしれない。
このようなことを書くのも、今回の歩きでは、台峯に住んでいるニホンミツバチがいなかったのである。谷戸に下りる坂道の洞にすんでいたところにも、また老人の畑と呼ばれている見晴らしのいい場所にあがる道筋の木の洞にもまったくその気配がなかった。特に後者は覗き込むとクモの糸のようなものがただよっていた。まだ冬眠中なのか、それとも・・・・

しかし嬉しいこともあった。第一の田んぼはまだ健在で、そこでは蛙がたくさん鳴いていて(今はシュレーゲル蛙である)、水面にはシオヤトンボ(シオカラトンボとは別種、5月がピークとのこと)が何匹も飛んでいた。この辺りでここにしかいないとのこと。向かいの林の高い樹の天辺に鷺が一羽。チュウサギということであった。田んぼの蛙を狙っているのだろうか。いつまでも絵に描いたように動かない。田植えの前の田んぼの畦にはキツネノボタン,オニタビラコ。ハルジオン、水の中にはタガラシ(キツネノボタンに似ている)。
平安時代の十二単の重ねなどに見られるような、緑色でも微妙な違いが見られるのは、この芽吹きの若葉の頃で、その繊細さ、しかしうつろいやすい美の感受性は、これらの自然によっても育まれるのであろう。
白っぽい緑の新芽はコナラ、鮮やかな緑はシデやミズキ、黄色っぽい緑はクヌギやエノキなどと教わってもなかなか覚えられないのであった。新芽の色はもっと微妙で赤みがかったりして、誰もが覚えがあると思いますが、柔らかい毛に覆われビロードのようにすべすべした新芽を持つのはシロダモだとか、近くの木を手に取りながら観察などしているとなかなか先には進めません。
第二の田んぼは、悲観的な状況です。隣まで宅地j造成が押し寄せていて、米つくりをこれからも頑張っていくらしいと、この前に来たとき畦の工事をしていた作業員が言っていましたが。

ここから自動車道路に上がって歩いていきますが、途中にあった工事会社の看板はなくなっていました。テニスコートという名による開発が、食い止められたからです。さてこれからがいよいよ台峯に入り谷戸に下りていくわけです。これがどのような形で残っていくかが問題ですが。
池にも少し前までは小さな魚がいたらしいですが、ブラックバスが誰かが放ったらしく、いなくなったそうで、また今年は青い藻がたくさんはびこって水質が悪くなったといわれます。しかし湿地の中の水溜りにちょうどオタマジャクシが孵っているといわれ、靴を汚しながら(この谷戸に入るにはほんとうは長靴がいいのです)案内してもらいました。 いました!、いました! 尾の先まで1センチくらいの小さなお玉がたくさん泳いでいました。赤蛙が終って、今はヒキガエルだそうで、これからはシュレーゲル蛙だとのこと。その近くにもう一つ水溜まりがあり、それは理事をはじめ有志の人たちが作ったのです。そこにもまた卵を産み付けてくれるでしょう。
来月になると、もうすっかり新緑に染まっている事でしょう。では今回はこれまで。

投稿者 kinu : 10:30 | コメント (0)

2009年04月20日

台峯歩き(初夏へ向けて)1

昨日の日曜日は晴れて風もなく、気持の良い行楽日和だった。
弾む心で台峯歩きに参加した。初めての人も多く、全員で24~5人の賑やかさだった。
初参加が多いことから台峯の歴史について簡単な説明があった。私も改めて整理してみるためここに書き記してみることにする。

33年前にこの谷戸を切り崩して埋め立て、大々的に宅地化するという話が、その大部分を取得していた野村不動産からの申請の話が持ち上がり、住民の反対の声が上がる。
しかしその話はなかなか解決策が見つからず、11年前にやっと世の中の情勢もあってトラスト運動が起こり、それに付随した形でこの歩く会も始まったということ。
そして5年前、やっとそのトラスト運動の資金と行政側の出費金で、買い取るという形で保存という事に決まったのである。今会員は400人(全盛期は600人)、1500万円ぐらいの資金があるとのこと。しかし約9万坪ほどのこの谷戸を整備したり保存への体制作りには8年~10年、60億円ぐらいはかかるそうです。ということは理事の人たちもその行く末を見届けられるかどうか、ということであり会員の若返りや子どもたちへの期待というところだろう。
先日この公会堂では市長を囲んでのこの開発に関しての「ふれあいトーク」が開かれて、その席でここでも取り上げたテニスコート作りの開発は正式に取りやめて緑地として買い上げる事、洞門山については開発いったん取りやめ、前向きに考え中との市長の言葉が伝えられた。
この谷戸の基本計画もでき、行政側からの整備も少しずつ進んでいて、ここの自然の写真集も出版されたことからだんだん人々の耳目を集め訪れる人も多くなってきたが、同時に様々な問題が出てくるわけですが、長くなるのでここでは述べないことにします。

さて、桜が散り(八重桜や桃がきれい)、木々が一斉に芽吹く季節となりました。今年は気候が激変し、五月晴れの前倒しではないかと思われるような晴天が続いたりしましたが、昔から桜が散ると気候が安定する言われ、それを農作業の取り掛かりにしたのだそうです。すなわちそこからが初夏だそうです。
そしてこの時期に昆虫が出てくるのだそうで、虫の観察に適しているとのこと。前日に雨などがあるとダメだが、そうではない穏やかな今日は最適だと。しかしあまり虫には出会わなかったのでよかった。
植物では、つつじ類が咲き始めるこの時期、春の野の花のピークで連休になるとイネ科だそうで、新芽とともにクヌギやコナラやシデなど常緑樹の地味な花の季節です。まだ少し早いですがシイの花などはの精気と匂いは強烈であることを思い出しました。栗もそうですね。
新芽の柔らかな黄緑色や鮮やかな緑や白みがかった緑などの微妙な若葉の林を眺めながら歩き出しましたが、続きは次回回しにいたします。

投稿者 kinu : 10:44 | コメント (0)

2009年03月15日

初春の台峯歩き

昨日春の嵐が通りすぎ、今日は久しぶりに快晴の穏やかな日です。
このところ雨がち曇りがちの日が多く、菜種梅雨が一ヶ月ぐらい早く訪れたのではないかと言われているようですが、山歩きには恵まれた一日でした。
でも集まった人は少なく、年度替りで忙しいか、またはもっといいところへお出かけでしょうか、総勢でも15人ぐらいでした。少人数なので、のんびりゆっくりと、観察しようということになりました。

自然観察を始めるのには一番いい季節なのだそうです。まだ芽吹きの時期で、花も少なく、それゆえ自然はシンプルで覚えやすく印象にも残る。花も木も種類が多く目に付きやすい春の盛りは、目移りして覚え切れない。鳥にしても一番活発になるバードウイークの時期は、種類が多すぎて大変。この種類も数も少ない時期が、初心者にはいいのだということです。
樹木も早いものだけが芽吹きをし、咲く花も少ないこの時期、野鳥のさえずりと、越冬した蝶を楽しみましょうと言われ、皆で歩き出しました。

道すがら、垣根の下に生えている地味な草ですがヒメカンスゲの花なるものを教えられました。スゲの一種でしょうが、イヌジャラシのようなこげ茶色の穂のようなものに触ると黄色い花粉が飛びます。カヤツリグサと同様育てるのは難しいのだそうです。同じく垣根の下草のニオイヒバ、シダのようですが、葉を触るとヒバの樹のようないい香りが手に残ります。
花は、注意しなければ目に付かない、樹木の花、道端の草の小さな花たちです。
先ず高い木の枝が黄緑色に染まって見えるのがイヌシデの花。キブシの花と似ていますが、キブシはもっとカンザシ状に垂れ下がっています。これはあちこちに見られました。低木では、ヒサカキの花(これも地味で小さな黄色)、独特の匂いがある(ガス漏れの臭い、という芳しくない香り)。オニシバリの緑色の花など、教えられねば気が付きません。憎らしいほどあちこちに生えてくるアオキも雄花の蕾が目立ちます。それらの中でもピンク色で漏斗状の小さな花を下向きにつけるウグイスカグラは、名前と同様印象に残る可愛い花。
道端の花としては、お馴染みのオオイヌノフグリ、ヒメオドリコソウ。田んぼの中などにも生えているタネツケバナ(小さくて白い)、これには蝶がよくやって来るとか。ヒメウズの花も小さくて白い。少なくなったとされるハハコグサ。
樹木では白木蓮の蕾、桃の花、そして大島桜の蕾が大きくふくらみ、5輪ほど咲きだしていました。花は白く、緑の葉とともに咲き出すこの桜は、里桜の母種、成長も早く丈夫で台木となるそうで、葉は桜餅の葉に使うという。なるほど清楚でしっかりした感じで、早い春の陽光を思わせます。

期待された野鳥の囀りはあまり聴かれませんでした。ウグイスは少し前からまだ下手な声で鳴き始めていますが、その他メジロ、シジュウカラ、ヤマガラ(シジュウカラに似ているが、少しゆったりした囀り)。ケン、ケンというかピオ ピオというか、そういう鋭い声を立てたのはアオゲラだそうです。トンビはゆったりと青空を旋回し、2羽が連れ立つように舞っているのは、これから恋の季節になるからだとのことです。もう帰る頃のモズが見えたとのことですが、わたしは見ることが出来ませんでした。

越冬の蝶には少しだけですが遭えました。先ず枯葉色した天狗蝶、緑の草に止まっているので葉っぱに間違えそうですが、鮮やかな黄色をした黄蝶。またカワゲラの成虫とか言う小さな黒い体をした昆虫。

湿地帯の中の水溜りのオタマジャクシは、数が減っていたとか(昨日の雨で相当ぬかるんでいたので有志のみが行く)、盗まれたのではないでしょうか。

周囲の環境としては、先日来問題になっていたテニスコートの件は、市が理解を示して工事中止、会からも基金の中から醵出して買い取る事の交渉が始まったという事ですが、そのほかこの谷戸は至るところ開発の危険に直面しているようで、この地がどういう形で残って行くか思いやられます。

投稿者 kinu : 16:26 | コメント (0) | トラックバック

2009年01月18日

台峯歩き(洞門山のこと。テニスコートの件も)

今年初めての台峯歩きです。

集合場所への途中、例の洞門山破壊の立て札が黄色の紙になっていた。さては・・・・
と近づいてみると、反対の陳情が市議会で採択され、工事はいったん中断ということになったという経過報告。その噂は暫く前から流れていたのですが・・・まさに朗報です!

またこれは「歩く会」で聞いたことですが、ここでも書きました、台峯に隣接した地を宅地化にするに当って、鳥の渡りに重要な崖と谷を含む緑地を崩してテニスコートにする(更地にしてマンションか何かにするつもり)という計画も、いったん許可が下りましたが(これは明らかに当局のミスがあった)これも市が買い取るという形で保全が出来そうだという事です。これにも安堵。

洞門山については、工事は中止という事になりそうですが、それを全て市が買い取るのは費用上難しい。(とにかくこういう所はあちこちあるわけで)、協力したPTAの人たちを中心にしたトラスト運動を立ち上げ、市民から資金を集めるということになりそうだとのことです。

さて、今日の歩く会は参加者が少なく、14人でした。半数近くが初めての人。
今は見る花もなく、冬枯れで、しかしこういうときが鳥を見るのに一番適していて、しかも人数が少ないのが幸いと、案内をするKさんは満足そう。ほんとう探鳥は4〜5人がいいのだーと。このくらいだと鳥を警戒させたり驚かせたりしないからだそうです。
でもこの時期は、秋の名残もなく、春の兆しもない、一番冬らしい谷戸だそうです。それを十分味わってくださいとのこと。昨日の道の整備ではノスリ(ワシタカ科)やルリビタキが見られたと、期待させられます。

今回は、冬でも緑色をした元気なシダを集中的に観察して、その違いが分るようにということでした。
この地はシダが確かに多く、私の家の狭い庭にもいつの間にかたくさん生息しているのです。渡されたカラー写真の資料(実際ここで撮影されたもの)を見ながら、いろいろなシダを手で触ったり眺めたりして観察して歩きました。よく見られるベニシダとよく似たイタチシダの違い。ホシダとミゾシダの違い。まさに茎が猪のようなイノデ、紅い色をしたホラシダ、大型のコモチシダ、ヤブソテツの仲間など。また忘れるでしょうが、ここでは覚えました。

目撃できた鳥を挙げます。
先ず、コジュケイ。これは台峯への途中の住宅地で若鳥らしくて数羽が見られました。
梢を飛び交うシメやアカハラ、アオジなど、シベリアから渡ってきたというカシラダカも見えたのですが、私は鳥影をとらえるのが下手で、沼地に下りて餌をついばんでいる姿などのほかはあまり捉えることが出来ません。台峯のハンノキの沼でルリビタキも、これはやっと姿を捉えることが出来て満足。このルリビタキ、ルリ色があまり濃くないのはまだ2年くらいで若いからだとのこと。アオジは、ここの庭でも時々会えていたるのですが、いつも地面を跳んでいて、人をあまり恐れません。でも最近はやはり出くわす事はなくなったなあ。
昨年末から日本海側が大雪となったために、シベリアの方からやってきた冬鳥がそこからも押し出された形で、この辺に今やってきているのだそうで、鳥一羽でも大きく地球規模の気象と連動している事が分ります。このようにルリビタキやカシラダカがたくさん目撃できたのも、これまでにないとのことでした。
ノスリ゙は、さすがに見られませんでした。

投稿者 kinu : 17:44 | コメント (0) | トラックバック

2008年11月16日

小雨の台峯歩き(洞門山の件も)

生憎の雨模様になってしまった。
いつもならば参加しないところですが、洞門山の署名簿を届けるために、出かけることにしました。
署名は、皆様のお蔭でたくさん集まり、中には1ページ(10人)またそれ以上集めてくださる方もあって、私だけでも90人近くの署名が集まりました。
ご協力ありがとうございました!
署名は1万人を目標にしているとのこと、近くの幼稚園や小学校にも働きかけたりして大量に集まる様子だということです。訪れる観光客にも呼びかけて、駅前や寺院の前でも行なわれています。また、市は、保全の意向で土地取得も視野に入れている、との発言だそうで広告ばかりのタウン紙にもそう書かれていましたが、発言だけでは当てになりません。
その第三回説明会が今月末30日に開かれます。それにも出るつもりですので、またご報告します。

さて台峯歩きですが、幹部というか理事というのか、そういう方たちも思案顔で出てこられていました。
雨の場合も一応顔を出されて、いろいろな話し合いがなされるようです。
この日は全部で10名。椅子を車座のように並べて、主としてKさんの話を聞くことになりました。台峯をはじめとした自然の話になるといつも話したりない様子で、今日は少しゆっくり喋る機会があるという感じで、いいろいろと話されます。しかし今日は名古屋からの初参加の人がいたこともあって、途中まででもいいから歩きましょうということになりました。
この日は、色づき始めた木々(と言ってもこの辺りの黄葉は12月に入ってからなのでまだなのです)と、野草の種、春の野草の新芽の観察。花はヤツデやミソソバ、そしてオギ(ススキとどう違うかということを教わりました)皆地味なものばかり、でもそういう地味なものが、Kさんは好きなようです。
野草も花は知っていても新芽や葉を知らないと、草刈などのボランティアをしても貴重な種まで抜いてしまう。里山の手入れということも、それを労働と考えることが良くない。手入れをしたことに責任が取れるかを考えなければいけない。それがもたらす結果を常に考えなければいけない。それは付き合いである。即ちモニタリングが大切。それがないと、突き詰めれば効率ということになり、草刈機で刈ってしまう業者のやり方と同じになる。街路樹が大きく刈り込まれるのには、理由があり、そうすると2,3年は持つので、経費が節約できるからだが、ほんとうは毎年ゆっくりと刈り込む事が木にとってはいいのである。

またこの辺りは緑が多いように見えるが、森、森林といわれるものが多く、子どもが入って遊べる自然がない。そして水辺もいちばん少ない。神奈川県はそういう傾向が強く、これは大阪にも劣るということです。その点からでも沼と湿地が残る台峯は動植物にとっても大切なエリアなのでしょう。その点、トトロの森のある埼玉の方がずっと豊かなのだろう・・・と思いました。

さて少し出発は遅れて10時ごろから歩き出し、第一の田んぼ。もう稲刈りは済み、ただ少しばかり刈り取られない部分があり、それは黒米だそうです。稲穂が黒く、垂れ下がっています。
第二の田んぼも無事に稲刈り終了。その上の、テニスコート予定地はまだ無事。その開発に反対する看板が大きく立てられていました。これは何とか食い止められそうです。

見晴らしの良い「老人の畑」、にやってきました。昨日ボランティアの人たちでブッシュが刈り取られていましたが、その時カヤネズミの巣が見つかったということで、それを見に行きました。これも知らない人だったら気づかないで刈り取ってしまった事でしょう。細い枯れ葉を丸くした、掌に乗るほどの小さな巣がただ笹にぶら下がるように付いているだけです。カヤネズミはハツカネズミより小さいとか、昔はたくさん畑などにいたといいます。

ここで、いつものことですが、飴玉と紅茶をいただきながら休憩。今日はパウンドケーキまでご馳走になりました。(昨日のお余りだそうですが)
いったんは晴れそうな気配でいたが小雨は降り続きそうなので、ここから谷戸には入らないで帰ろうということになりましたが、名古屋からの人には残念でしょうということで、Kさんをはじめ有志だけが谷戸に入ることにして、私も帰るメンバーとなって帰途につきました。
小雨が途切れると、鳥たちが出てきて、梢にヤマガラ、コゲラ、ホホジロ、シジュウカラなど飛び交っているのが見られました。合歓の木の実(豆の鞘のようになった)などを啄ばんでいるのがやっと双眼鏡で捉えられましたが、Kさんは肉眼でも鳥の種類をすぐ識別し、鳴き声も姿もいち早く感じ取れるのには感服します。今日はこれまで。

投稿者 kinu : 15:29 | コメント (0) | トラックバック

2008年10月26日

秋の台峯歩き

洞門山問題を先に入れたので、先週の台峯歩きはそのままになってしまった。簡単に入れることにします。
今回の参加者は20人足らずである。この良い季節はかえってあちこちの行楽地に出かける人、また行事も多いこともあって、集まりが少ないのかもしれない。私も10月の参加ははじめてである。

この月の楽しみは田んぼであった。第一の田んぼは、黄金色をしていて、稲刈りも間もなくのようだったし、日照にはあまり恵まれていない第二のは、まだ少し緑が残っている感じ、とにかく実りの様子が眺められて嬉しかった。新聞によると、湿地帯を保護するラムサール条約では、「多様な生物を育む」として水田保全が提案されたという。水田が食料生産だけではなく、人びとの健康や野生動物の生態系を支えていると、その価値を改めて見直そうというものである。これはいつも案内のKさんが力説している事であった。
この田んぼがいつまで残っているだろうか・・・。
次の楽しみは秋の野の花たちである。
これは私のうちの小さな庭にも当てはまる事で、ほとんど手入れをしない庭などで草ぼうぼう、しかしそれらがちゃんとたくさんの花を咲かせて楽しませてくれるので、ついぼうぼうのまま、かれらが枯れるのを待つ事になる。(今は秋海棠、ホトトギス、イヌタデ、ミズヒキソウ、龍の髭、赤い実になりつつある南天など)。
さて台峯では、毎月この季節に見られる花や蝶や昆虫のプリントされたカラー写真を(この頂き物は大変貴重である)眺めながら歩く。一口に野菊と言ってもいろいろあって、ヨメナ(これがわたしたちは野菊と言っているようだ、またムコナと言うのもあると聞かされて、面白く納得)もあれば、ノコンギクもシロヨメナもある。前回も触ったネコハギ(葉っぱは猫の毛のような手触り)やキツネノマゴという小さな花が今は実をつけているものなど、細やかに観察しながら歩いていく。でもほとんどをすぐ忘れてしまう。センダン草というのも同じようなところにコセンダン草というのもあって、1つか2つ、覚えるだけでいいんですよ、と常連の人も苦笑します。
見晴らしの良い老人の畑と称しているところではススキが波打ち美しい。そこで、ボランティアの人たちがまだらに刈り取った草むらで今回も松虫やらオンブバッタ、コオロギ、イナゴなど昆虫の観察をしました。
今回は、ツルニンジン(キキョウ科)という面白い花、ちょうど花と実が一緒にある蔓状の植物を覚える事にしましょう。(でもまた忘れるかも)これは根が人参に似ているのかな?
沼にはコガモが3羽、泳いでいました。

投稿者 kinu : 16:35 | コメント (1) | トラックバック

2008年09月23日

秋の野草&松虫たち

お彼岸のせいもあって参加者が12〜3名だったので、かえってゆっくりと道端の野草の花を眺めながら歩きました。雑草として見過ごされてしまいそうな草も、精巧で見事な花をそれぞれに咲かせていることに感嘆しました。案内してくださる久保さんは、野鳥の会の会員だそうですが、台峯の生き物の種類だけでなくその生態や日々の暮らしまでを、つぶさに知っているような人なので、そんな観察が可能なのでしょう。(でも教えられても直ぐ忘れてしまう生徒のひとりの、私です)

先ず第一の田んぼでは、まだ葉は青いけれど稲穂が首を垂れていました。でもこのあいだの台風の影響による強風で、倒れ臥したところがあり、少し心配だと言うことです。かなりひどいので、これを人手を使って起き上がらせないと、籾から芽を出したりして自力では起き上がれないかもーと。

白萩があふれるように咲いている家の前を通って第二の田んぼへ。
ここは谷あいにあるためか、風の影響がなかったようで、倒れたものはありませんでした。しかしその隣接したところには宅地売り出しの幟が何本も立っていて、この田んぼもいつまでか、と言う思いです。
この周りで、たくさんの野草とその花を観察しました。
コセンダングサ、オオイヌタデ、オオケタデ(アカマンマといわれるイヌタデの他、タデ科は色々あって、とにかくそれぞれが違っていて、というふうに野草の奥もまた深いことを知らされます)。
蔓になって絡み付いていて、白いビニール紐が丸まったようなのは花ではなく(花は十字の白い花弁を持ってこれも美しい)花が終わった萼(ガク)で、それはしだいに白い髭のようなものに変化して(それらしきものが出掛かっているのを教えられる)それで、センニンソウ(仙人草)と言うのだそうです。なんと昔の人は、よく観察して、こういう名づけをしたものか・・・
こんな風に、一つのところに留まって、周りを丹念に眺めるだけでも、久保さんのような人と一緒だとそこで何時間でも費やす事が出来るというようなことを、感じます。そんな風ですから、今日の歩きは少数でのんびりと歩きました。なんでもない一本の草、触ってごらんといって触ると、なるほど猫の毛を撫でるような感触がある。だからこの小さな萩に似た葉を持つ草は、ネコハギ(猫萩)というのだそうです。
そんな風に時間をとりながら歩いたので、谷戸に入ったのは少し遅く、途中からは雨になり、だんだん強くなって、帰途はざんざん降りで、後に土砂降り、折りたたみは念のため(予報では夕方から雨)持っていたのですが、傘も役に立たないほどずぶ濡れになってしまいました。

しかし今回はもう一つ、松虫を眺められたことが記憶に残ります。「松虫を聞く会」があったことを私は知りませんでした(残念)。でも、今日は老人の畑といわれている見晴らしの良いところに、たくさん昆虫が見られ(ここも彼らが棲めるように、草刈をしたときにキンミズヒキの草むらなどをあちこちに残したりしたそうです)、バッタ、オンブバッタ、エンマコウロギ、そして松虫の雄と雌をじっと見ることが出来ました。でも残念ながら虫たちは夜にならないと鳴いてくれません。
松虫は、ここしかいないそうで、ここは貴重な場所と言う事。またセイタカアワダチソウは、はびこりすぎるので抜きますが、カンタン(邯鄲)は、ここに棲むらしく、それを残しておく必要もあるとか。自然の調和と言うものは早計な人間の判断を超えたものがあります。
ヒメジソと同じところに咲いていたキツネノマゴの違いは? 教えられて、成る程。キツネのムスコはあるのかなあなど、冗談。とにかく野草・雑草と言うものも、虫になって潜り込むと、まさにジャングルなんですね!

投稿者 kinu : 15:00 | コメント (0) | トラックバック

2008年09月21日

一難去ってまた一難

乾燥続きの夏が過ぎると、今度はもう長雨の気配です。
台峯歩きの今日は運良く曇りで、雨は夕方からだとの予報でしたので喜んで出かけたのですが、途中で激しい雨に遭ってしまいました。
そのことよりもまた別の悲しいニュースで、空よりも心が暗くなりました。

緑の丘が切り崩される事になっていたのが免れそうだと先日書きましたが、それはまだ建設委員会での決議で、本会議ではまだ決定されないことなど色々、今日出席してわかりましたが、また別の新たな問題が発生したことを、チラシで知りました。
大船から線路を曲がり、電車が横須賀線の北鎌倉駅にすべりこむすれすれの時、左手に(進行方向)見えてくる鬱蒼とした緑地、「好々亭の赤トンネル」と親しまれている「洞門山」」という〈この呼び方は知りませんでした)が、開発により中腹から上部8メートルあまり平に削り取られ、変化にとんだ軟質の崖も(いかにもこのあたりの地質が感じられて風情に富む)コンクリートの擁壁となり、赤トンネルもコンクリートで塞がれてしまうのだそうです。緑は跡形もなくなり、無機質でノッペラボーな台地が現れ、そこに3宅地が予定されると言いますが、2期工事を含めると10宅地となるそうで、土砂の搬出は小型ダンプ(このあたりは道が狭く大型は入れない。自転車ですれ違うのがやっと。車は一台がやっとのところ)1万5千台にもなるといいます。

この辺りは昔の風情がまだ残っていて、疲れて帰ってきても駅を降りてここを歩いていると、自然に生気が甦ってくる思いがします。柔らかな手触りで自然な曲線を描いた崖の岩肌とそれに被さるような緑の繁り、雨が降ってもここが雨宿りになる感じで、藤の花もきれいでした。またここにはお稲荷さんの鳥居と祠もあって、誰でしょうかちゃんとお供えもなされているのでした。これを崩しても罰が当らないのでしょうか。

ここはこれまでこの地を知る作家や映画人によっても愛されてきた風景です。
大仏次郎の御谷(おやつ)騒動(まだ保全の意識がなかった頃、緑地保全をお寺や文人たちをはじめ多くの人たちに呼びかけをした最初の運動として有名)の折、「鎌倉の玄関口」と表現した緑地、また小津安二郎の映画作品には、この辺りの風景が良く出てきます。
この近くに住んでいた高見順の随筆や日記にはよく登場してくるし、このトンネルを掘っている(確か赤トンネルは好々亭の主人が掘ったものと、私は読んだ記憶がある)場面もあった気がします。実はその高見順が自分が亡くなった後、残されたものが困らないようにと建てたアパートも、この地にあった風情のある木造建築で(私も住んでみたいと思ったくらい)、円荘(つぶらそう)と扁額が掲げられていて、自宅と同様見る価値のあるものでしたが、これは多分遺産相続の際やむを得ずでしょうが、売却され壊され、普通の住宅に分割されてしまいました。

赤トンネルを抜けると静かな八雲神社につづく細道に出て、それを渡った奥、裏山を背負ったところにあるのが好々亭という会席料理屋。3方を山に囲まれた広い庭を持った数寄屋造りの由緒ある店で、それだけ値も張るので私などはめったに利用しないけれど、庭を見るのは「どうぞ」と言う親切さで、梅の季節は見事で、別棟に円形の風変わりな凝った建物があってそこにはご主人の収集品らしい骨董や焼き物などもこれも無料で見せてもらうことが出来、わが家を訪ねてきた人には大抵そこに案内したりしながらも、経営も大変ではと心配してましたが、やはり懸念は事実になり、ごj主人も色々経営に努力されていたようですがとうとう廃業するらしく、それがひとつのきっかけかもと、思ったりもしました。
でもその廃業(そこを手放す)と、前面の緑地を切り崩すとは別だと言う事ですが。やはりどこか連動しているに違いありません。

その問題の緑地の地権者の名前を見て、あっと思ったのでした。そのK氏とは、この辺りの大地主の一人ですが、もう30年近く前、この地に始めてきた時、この居住区の上の山を大々的に開発して宅地化をする区画整理事業団と言うのがあり、それへの反対運動が行われていたのを知らなかったのですが、それに来たばかりの私達も巻き込まれ、近隣の人たちとともに2年ほどに渡って、集会から抗議活動、様々な行動をやった挙句、多少の譲歩(?)をさせたかもしれませんが、開発はなされました。それを思い出させられたのでした。その張本人の名がK氏だったからです。(もしかしてその息子かもしれません)
ですから、もうその運動の先は私には見えてしまうのです。

何度もいうようですが、それを反対する理由としては、狭い道路での工事は騒音や粉塵、また周りの住民の安全や行き来に迷惑だと言うことからしか、周りの住民は抗議できないわけです。
30年前の抗議活動も、開発事業団は、人の土地になぜ「いちゃもん」をつけるのか、それはけしからんという態度と意識でしかないわけですから、それが今もってつづいているのだと思わざるを得ません。

今日のラジオ放送を聴いていると、大林宣彦(映画作家)さんが、こういうことを言ってました。
映画を撮るとき、日本で少し前の風景が撮るのがとても難しいと。ヨーロッパでは、いやアメリカでも、携帯の宣伝などの看板を消すだけで撮れるのに、日本では少し前の風景が直ぐなくなり、すっかり変ってしまうと、むしろ江戸時代というように時代劇の方が撮りやすいと。
日本では直ぐ壊して新しくする、それが進歩という考えがまだ変らない。文化とは、遺す事ではないかと。

すこしこれについて喋り、肝心の台峯歩きのことは書けませんでした。これはまた改めて。

投稿者 kinu : 15:18 | コメント (0) | トラックバック

2008年09月11日

台峯に朗報

今朝の新聞を見て、あっと声を上げました。
先日、このブログで「台峯に危機」と書いた事柄、この緑地に接近した重要な緑地が広範囲にわたり崩されてテニスコートになるという出来事が、市の「手続きミス見逃し」ということで、見直されることになったと報じられていたからです。
その経過、詳しい内容については分らないものの〈今度台峯歩きに参加した時に、聞かせてもらえるでしょう)、いったん許可が出ていた届けが、ミスということで取り消された事は喜ばしいのでご報告します。

市のミスと言うよりも、法の目を潜ろうとする、それこそ鵜の目・鷹の目の業者によって、巧みに仕組まれたものであろうということが、素人の私にも見えてきますが・・・
ここが普通の緑地であればそうは行かなかったでしょうが、この土地(4450平方メートル)は「保全配慮地区」に定められているので(売買の6ヶ月前に市長に届けが必要、それがなかったらしい)、助かるかも知れないわけで、やはり法で動いている現代国家、法の大切さを感じさせられます。
市がミスと認めなかったら、このまま開発されていたその土地が救われそうなのも、それを指摘する住民たちの目があったからで、やはり民は目を光らせ声を上げねばならないのだと思いました。

6月に工事許可が出されていたのにも関わらず、業者も着工を18日(9月?)まで待っており、地元町内会などが「業者のねらいは宅地開発ではないか。緑を破壊して豪雨による災害も心配」と反対していたと言う状況の中、10日の建設委で、町内会から出されていた緑地保全の二つの陳情が全会一致で可決された。というのが、新聞記事による今の状況で、とりあえずはめでたい事です。

投稿者 kinu : 14:36 | コメント (2) | トラックバック

2008年08月21日

台峯の夏の花々

台峯に向かって歩き出した時、蝉のことを訊ねて見ました。やはり今年は蝉が少ないようだと皆言っている、というのがK さんの答えでした。そして解散時に口から出たのは、ツクツクボウシの声が全然聞こえませんでしたね、おかしな事です、という言葉でした。でも私の家の周りではよく鳴いているし、ミンミンが鳴くよりも前に鳴きだしたのでおかしいと思ったのでしたが・・・。所によっていろいろのようですが、何か異常な感じがあちこちにあるようです。でも自然というものは元来そんなもので、いつも同じではないのかも知れず、少し神経質になっているのかもしれませんが。今この辺りでは、ミンミンが良く鳴いています。

さて台峯で今回よく観察したのはいろいろな花たちです。
でもこれは目に付く大きな花ではなく、ほとんどが雑草と呼ばれる花たちなのでした。この時期、春のようにたくさん花が咲くことはないので、その小さな花たちが昆虫にはとても大切になるそうです。
そしてその小さな花をよく眺めると、大きな花に負けないくらいにいかに精巧で、繊細、美しいかということを、Kさんは強調します。ルーペを当てて眺めると、なるほどと感心させられます。先ず第一の田んぼの稲の花はもう終わっているのですが〈それが実って籾になっている)、その痕跡のようなものも、指摘されなければ見たりしないでしょう。
ヤブミョウガの白米を砕いたような白い花、キツネノマゴという小さなとんがり帽子のような花穂は、小さな花が順番に咲いていつまでも昆虫を引き止めるという。わが庭にもあるヤブランの紫の花。よく見かけるジュズダマ、イノコズチ、タマアジサイ。
第二の田んぼの宅地化された周辺には、早速、ベニバナボロギクという、帰化植物がたくさん背丈を伸ばし花を咲かせていました。ボロギクと言われるだけあって、花が終わるとタンポポの綿毛よりもっとモシャモシャとしたものをつけて、それが飛んで行って増えるのです。これは荒地に先ず増えるもので、増えてほしくない植物です。アレチマツヨイグサも同様。
つる植物では、どこにもよく見られるへクソカズラ(こんな名前でかわいそうですが、別名はヤイトバナ)、この花の蔓を備前焼きの花器に挿したら風情がありますね、という人あり。オニドコロは、花穂が立って咲くのが雄花、逆が雌花と教えられます。この山芋に似た葉をもったこの蔓草の、巻きつくコイル状の髭蔓の何という繊細なこと!黄色い花で、終わったあとも鞠状になって目に付くダイコンソウ。実が水玉に似ていて花もきれいなミズタマソウは、Kさんが大好きな花だと言う。こういう風情の女性が好きなのかな。
カラスウリの花がたくさん見られました。花と言ってももうしぼんだものですが、ご存知のようにこの花は真夜中に咲き、それは白いレースのようでとても美しいそうですが、残念ながら私は図鑑以外に実物を見たことがありません。
そのほか赤いミズヒキソウはよく見られますが、黄色いキンミズヒキソウ,またスズメウリ。ミゾソバの花はまだ。
これら雑草と言われるものや蔓は、狭い庭に生えてくるとどうしても引き抜いて取らざるを得ません。そういうものたちが生息できるこういう自然が残っている事が豊かさをもたらすのだと思います。
壊されようとしている例の緑地の崖には、ここらが北限と言われるコモチシダ(シダの葉の上に小さなシダが生える)など、シダだけでも8種類が生息しているとか、今ではそういうことを根拠にして、どれだけ緑地を残せるかにかかっているようです。

投稿者 kinu : 14:55 | コメント (0) | トラックバック

2008年08月20日

台峯に危機迫る

先の日曜日は、30日以上も続いた真夏日のなかでは奇跡的とも言える涼しい日でした。
これまでの台峯歩きで、8月はまだ一度も参加した事がありませんでした。盛夏の中ではどういう様子だろうとは思いながら、暑さにしり込みしてまだ出かけたことがなかったのでした。
ところが朝起きてみて、驚いたことに予報では晴れだとあったのに、一面の曇り空、そして空気はひんやりとしているのです。千載一遇とばかりに急に思い立って出かけたのでした。

参加者はやはり少ないほうで、全部で15、6人。初めての人が目立ちました。
真夏は真夏で植物はチャンと生活しているのですから、それなりに見るべきことはあり、楽しかったのですが、それよりも危惧すべきことが露わになってきました。それを取りあえず書くことにします。

曇り空で気温も低く、歩くのはちょうどよく、まわりには霧のようなものが立ち込め、それが間もなく霧雨のようにもなったりしました。何年か前、東北地方を襲った冷害、「やませ」のような現象だ、という人がいました。こんな天気が夏中続き、太陽は隠れて陽が射さず、稲が実らないというのがちょうどこんな現象だというのです。前日の最高気温は34、5度、この日は26度というのですから、涼しいはずです。

危機は第二の田んぼに来たときに生じていました。第一の田んぼはすくすくと伸びた稲が穂をつけていて、爽やかな青田が広がっていました。今年は暑かったことから実りは良いようでした。
第二の田んぼは山近い事もあって生育が遅れてまだ穂が出ていません。それでも青い稲の波が広がっていました。しかしこれに続くところは暫く前から開発の手が伸びて、無残にもコンクリートの高い崖と宅地化がいっそう進み、間もなく家も立ちそうな気配でした。ところがその坂を上がったところも今や開発されようとしていたのにこの間は驚いたのですが、地形状、生態系上、手をつけるべきでない緑地までとうとう切り崩されそうになっているということを知ったのです。
これは先に書いたことでもありますが、この緑地は鳥たちをはじめいろいろな生き物たちの通り道、グリーンベルトになっていて、ここを切り崩す事はその往来を切断、分断する事、またこの地は地質上いろいろな岩石が交じり合っているところで貴重でもあり、またその結果植物も多様で、様々な貴重なものが残っていることなど、学校の教科書にも貴重な切り通しの一つとして掲載されているところ、ということが研究者、識者によって指摘されているということです。もちろんこれへの反対の声は各団体からも上がっているのですが、どうにもならないようです。
途中の周辺住民の隣組の掲示板に、そのことについての警告があり、反対を表明するピラも張られていましたが、もう手遅れです。
立て看板には、20年6月6日に市の許可が下り、工事の着手は8月18日から、21年3月31日とペンキの色も鮮やかに書かれてあったのです。それでも、この緑地の重要性を楯にどこまで譲歩させるかしかない、と経過を知っている人は憤慨しながらも冷静にそういっています。
この地は、市が残すと決定した台峯の範囲ではなく、周囲に過ぎません。ですから法に触れなければ、市は許可するしかないのです。大きな開発は禁止されていても、少しずつ開発していけば許可しないわけには行きません。それをここはやっているようで、またその丘を削って谷を埋めるというその緑地も、そこにテニスコートを作るということで、許可されたのだそうです。こんなところにテニスをやりに来る人がいるでしょうか、それは更地にする口実で、暫く寝かせていて宅地にするでしょう。

ここは台峯に至る道の中でも自動車道であるにもかかわらず両側の緑が深く、風情もあって気持ちのいい場所です。源氏山に至る分岐点でもあります。その片側を切り払ってテニスコートですって!!
周辺の住民は、そんな事は嫌だと反対するでしょう。しかし他人の所有地をあれこれ言う正当な理由はありません、業者も儲けることが本業ですし、従業員たちは生活がかかっています。
ああ、いつものパターンだなと思います。企業は商業ベース、金儲けの論理でことを運びます。住民たちは自然・生活環境から反対します。それは大抵平行線を辿ります。その両方を踏まえ、もっと大きな視野の上に立った見解や政策が必要なのでしょう。それが本当の意味で行政であり政治であり、理念でしょう。それが欠けているのだと、憤慨している人もいうのですが。
私もちょっと憤慨して喋りすぎましたので、この辺にします。

投稿者 kinu : 14:16 | コメント (0) | トラックバック

2008年06月30日

蛍がたくさん飛びました

梅雨も本番、雨つづきで最初の蛍観察会は大雨で流れてしまいましたが、この日はやっと雨が切れての曇天でした。
それで参加者もふくれあがって27人になってしまいました(本来20人以内とされているのですが)。
今回は雨靴を持って出かけましたが、正解。ところどころ餡子のようなぬかるみになっていたからです。
6時半集合。まだ明るさが残っていますが、そろそろと入って、蛍の出る沼地で待ち構えるのです。明るいうちに入ると眼も闇に慣れて懐中電灯もあまり必要なくなるだろうからとのこと。

蛍に会えるかどうか・・・・。
昨日、入ったときは100匹ほど飛んだ、とMさん。でも今日はどうか分りませんよ。
この谷戸の保存が決まった今回は安心して眺められる、とKさん。これまで、もうこれが見納めかといつも思いながら見ていたから・・・と。

いつものように簡単な注意を受けて入ります。
懐中電灯を蛍に直接向けないこと。なるべくなら灯を使わないで、危ないところでは足元だけを照らすように。また蛍は甲虫だが体が柔らかいので指で摘まむと傷めてしまう。そっと掌に載せる位する事ならよろしい。まだ鶯の声がする。それは直ぐ止んだが、ホトトギスはまだ鳴き続ける中を、足元に気をつけながら前の人につづき、だんだん暗くなっていく中を進んだ。

沼の奥に来て、蛍を待ちます。昨年は晴れていてお月様も同時にながめられましたが、この日はどんよりした空で、最前から雨もポツポツ頬に当ったりしていました。風もなく、蛍が出るにはいい日和なのに・・・と。
一番蛍を見つけたのは、やはりKさんでした。7時半でした。
それから一つ、ふたつと、あちこちで光り始め、あちこちから声が上がるようになりました。
沼の対岸は山で、そこが舞台で、沼を隔てたこちら側の細道に一列に並んでの見物です。
だんだん数を増した光は、明滅しながら飛び始めました。そしてだんだん私たちの方に飛んできます。女の子が蛍を掌にしました。やはり蛍も少女の肌の方が好ましいのでしょうか。雌を求めて飛び交っているのです。暫くのクライマックス。これも8時過ぎると又少しづつ少なくなってきます。ほんの1時間ぐらいが勝負です。蛍にとっては年に一度の婚姻の宴です。
少しづつ場所を移動させながら蛍の乱舞を堪能します。光の様子から源氏ホタル(光る息が長い)です。平家(息が短い)の方が時期的に遅く、今年もまだほんの少ししか見られませんでした。 来週ぐらいに見られるだろうとKさん、でも数が減っているようだったら問題だな。

沼にはハンゲショウが夜目にも白く眺められました。前回でハンゲショウ(半夏生)のこと書きましたがこれは半化粧とも書くようなので、ちょっと訂正しておきます。でも別の群生地のほうはまだ葉は青いまま、
日当たりがあまり良くないからでしょうか。8時過ぎた頃、引き返します。ヒキガエルの鳴き声がします。昨年はウシガエルの声も聞こえたのになあ。
8時半に解散です。Kさんによればここには200匹ぐらいは生息しているとのこと。
今日は市役所の人も2人仕事として参加されたようでした。

投稿者 kinu : 16:03 | コメント (0) | トラックバック

2008年06月19日

台峯は田植えの時期

今回は30人くらいの参加者のうち、珍しい事に三分の一ぐらいが初参加の人で、案内のKさんもちょっと張り切っていました。やはりこの会も常連の高齢化がみられ、後に続く人たちが望まれていたからです。
それで、最初にこの会の成り立ちや経過をさっと説明されたのですが、21世紀に入ってからのこの5〜6年、行政の対応が変わってきたとのこと、むしろ行政の方が意識が進んでいる場合があり、むしろ単純で保守的な住民の方が問題になってきた有様だとのこと。里山の保全についても、100年のスパンのモニタリングが計画されたりして、この会に対しても向こうから意見を聞いてくれたりもするとのことです。
世の中が少しずつ動いていくのを感じます。

今回は田んぼが活き活きしてました。
第一の田んぼでは、田植えの最中。と言っても白い髭を蓄えた人が独りで苗床から苗を運び、植えているのです。大掛かりな田んぼと違って、収穫はその半分、労力は3,4倍も掛かるこの米つくりは、その人の代で多分なくなるでしょう。この田んぼは水源を持っていず、すべて谷戸から出てくる絞り水に拠ります。ですから冬は乾いてしまう普通の田んぼとは違って、常に湿っている。それでそこには貴重な生き物はたくさん生息できるのだそうです。たとえばシオカラトンボ、冬場に湿っているので幼虫が生きられるとのこと。ここがすべて宅地になって家が建ち並んだ光景を想像すると哀しくなります。
そこに至る少し手前でコジュケイの親子を目撃しました。この鳥の大きな鳴き声は、特徴がありよく耳にしますが、姿はなかなか見られません。それがなぜか草むらで堂々と姿を見せて歩いているのです。
その姿が見られただけで、今日出てきた甲斐があったと、言う人もいます。
第二の田んぼはまだ畦=くろ、つくりの段階でした。しかしここでは周囲に宅地開発がすでに迫り、売り出しの幟がはためいています。来年はどうでしょうか。
ホトトギスが盛んに鳴く声を聞きながら谷戸への道に入っていくその時、Kさんが小さな蛇の死骸を見つけました。30センチほどの灰色の紐のようにしか見えないそれは、ヒバカリというおたまじゃくしを餌にしている蛇だそうです。独りで歩いていたらぜんぜん気がつかないものです。Kさんは言います。毎日歩いていても、自然は常に形を変え、その度に何か発見していろいろ教えられると。
その死骸を使って蛇のつかみ方を教わりました。おそるおそるちょっと触ってみました。
さて、蛇に尻尾があると思いますか? 全体が尻尾であるわけはなく、尻尾はちゃんとあるのです! ということも教わりました。

さて、いよいよ谷戸に入ります。ニホンミツバチは健在でした。少し前、その姿が見えないので心配していたのだそうです。TVでアメリカ農場では大量に蜜蜂が死滅して農業に大きな被害が出ているというのを見たばかりでした。けなげなニホンミツバチよ、いつまでもこの木の洞で子孫繁栄させてくれるようにと願いながら、そっとそのそばを通り過ぎました。
湿地のハンゲショウはまだ、白くなっていませんでした。舞台に出るお化粧(漢字は違いますが)はまだのようです。蛍が出てくる頃も間もなくです。今年は2回に分けて蛍観察が行われます。私も参加したいと思っているのですが・・・・。

投稿者 kinu : 15:36 | コメント (0) | トラックバック

2008年06月16日

一寸先は闇

先々月の台峯歩きの後頃から、少々健康を損ない外出も控えていましたのでブログもすっかりサボっていました。そして梅雨の晴れ間の今日、散歩程度の運動ですし気晴らしにと台峯歩きに参加してきました。
しかし最近は新聞一面に大文字タイトルで報道される大きな事件ばかりが生じ、平穏でのんびりした山歩きの前に、それについて一言だけでも触れないではいられなくなって、ちょっとだけ書きます。岩手・宮城地震発生時、ちょうどBSを見ていたのですが、単に発生の場所や数字のテロップが流れただけだったそれが急に切り替わり、いつもながら日を追うに従って、次第に深刻な事態の報告となって行きました。
それに温泉宿全体が土砂に流され生き埋めになった駒の湯温泉が、昔々の旅行中、その山奥の鄙びた温泉に泊まろうとしたことがあったことを思い出し、人事ならぬ気もしたからでした。
もし私がそこに泊まった時に、今度のような地震があったらば、私も巻き込まれていたでしょう。まさにそれは運命であって、一寸先は闇です。
それは偶然ですが、とすると今生きていることもまた偶然だと言っていいでしょう。秋葉原も私は歩いたことはないのですが、何かの都合で、たった一回であっても歩いていたとして、刺されたかも知れません。
とすれば今このように生きていることもまた偶然で、それはまさに生きさせられているということで、大げさに言えばそれを感謝して生きるほかはないようです。

折も折、宇宙に飛び立った星出さんが無事に帰還しました。科学の先端を行く宇宙旅行、しかしその足元にある地面の動きはいまだ正確につかむことも出来ず予測も出来ないという皮肉を、まざまざと見せ付けられる思いがします。

とにかく偶然の存在である、はかない生のその日その日を、しっかり生きていくしかない(といつも思っているわけにはいかないけれど)・・と、緑あふれる山道をたどりながら考えました。
台峯歩きについては、稿を改めます。

投稿者 kinu : 13:52 | コメント (0) | トラックバック

2008年04月21日

春の台峯歩き

昨日の日曜日、前回は休んだ台峯歩きに参加してきました。
参加者は15、6人の少人数、初めての人はいませんでしたから、のんびりユックリと、まさに道草を食いながら歩きました。
なぜならいま芽生え、芽吹きの時で、何でもない道端でもたくさんの草の命が蕾や花をつけていて、それらを丹念に観察しているだけで何時間もたってしまうのだということを、実感させられました。
でもそれはやはり彼らのことをよく知っていなければ分らない事です。何事も深く知れば知るほど奥は深く、謎は深くなるということ、微細なものにも宇宙に匹敵するような世界があり、同様な調和があるということ、(少々大げさかもしれませんが)そんな事を感じた半日でした。そしてそれが分るのは、それらを深く知っている人の案内だからだと言うことも、身にしみました。
歩き出して間もなく第一の田んぼです。
まだ田植え前なので雑草に覆われていましたが、蛙が盛んに鳴いています。その蛙も先ず赤蛙が出現し、次にシュレーゲル蛙、次に雨蛙が出て来るのだそうです(蛙暦といわれるものもあるそう)。この後、谷戸に下ってから湿地帯に入って行き、ちょっと中に踏み込んでおたまじゃくしを見せてもらいました。小さな水溜りに彼らはひしめき合っていましたが、そのなかの一体何匹が蛙になることが出来るでしょう。また繁殖が出来るのは3年ぐらい経たねばということですが、それまで生き延びられるのは何匹でしょう。
さて雑草と一概に言ってしまいましたが、いえいえ、この雑草の世界こそ環境を敏感に感じ、多種多様で面白いものの宝庫のよう。
そこにはキツネのボタンといわれる、菊のような小さな黄色い花が咲いていましたが、それと良く似たタガラシとどう違うのか。また畦にはハルシオンが蕾をつけていましたが、その蕾のつけ方の特徴、そして良く似たヒメジオンはまだで、その違いはどこにあるのか(これは前に書いた)。「はこべらは敷くに由なし」(『千曲川旅情のうた』)と藤村がうたったハコベも、実は3種類あっていわゆるハコベ、そのほかコハコベ、ウシハコベがあり、それはどう違うか、実物を手にとって説明してくれたのですが、米粒ほどの花の中の構造がまさに違うわけで、そんなことを観察(といっても教えられながら)しながらですと全く日が暮れてしまうほど、世界は驚異に満ちていると感じさせられるというわけです。ノゲシとそれに花が似ているオニタビラコはどう違うか、これを実物を眺めると良く分ります。しかしこれら知識は付け焼き刃なので、直ぐ忘れてしまいます。
そのほか白い小さな花をつけた、葉っぱをこするとキュウリの匂いのするキュウリグサ、白い花のノミノフスマ(蚤の衾)、カラスノエンドウは知っていますが、カキドウシ(垣通し)、ツルカノコ(蔓鹿の子)、前回書いた「仏の座」を圧迫している「姫踊子草」(外来種)、「藪人参」、浦島草の花もありました(これはわが家でも今年は出現しました)。そのほかいろいろ、今回は地面の草の方を主として眺めながら歩いたのです。
「老人の畑」と呼ばれている一番見晴らしの良いところでは、ススキの種を植えました。
荒地に生えるというこのススキが今少なくなっているとのことです。それでここのある部分をススキ原にしようというわけです。

今回の憂慮すべき事柄、前にもいいましたが、鳥たちの渡りのルートである緑地が大きく宅地開発により切り払われ、断たれた箇所がいっそうはっきりとその姿の無残さを露わにしていましたが、帰り道を辿っていたときに、大きなゴムボートを抱え、何本も釣竿をもった青年とすれ違いました。私たちはびっくりして、ここでは釣りは出来ない事になってますよ、と声をかけましたが、無視をしてずんずん中に入り込んでいきました。何人かが大きな声を出して咎めたのですが、それ以上のことは出来ません。出口には何台かの車が止まっていて、どれだろうと覗いてみたのですが、それ以外は出来ません、皆横浜ナンバーのようでした。
ここはガイドブックにも紹介されるようになりだんだん名が知られるようになって来ました。悲しいことですが、心無い人の進入を防ぐのは難しくなります。あの青年はこんな湿地帯と沼地でしかない地味な場所で一体何をしようというのでしょう。
 

投稿者 kinu : 14:51 | コメント (0) | トラックバック

2008年02月18日

冬枯れの台峯歩き

冬型の気圧配置が崩れず、乾燥した快晴の日がつづきます。
でも寒気が強いので、鳥たちの水飲み場の鉢には厚い氷、取り出したのもなかなか解けません。
でも光は春、に誘われて「台峯歩き」に参加してきました。
こんな時期はまだ草木は眠ったままなので、主に常緑樹の葉を楽しむということになります。
いつものように手渡されたカラー・コピーのプリントを見ながら観察しながら歩きましたが、これは全く苦手です。どれも同じに見え、覚えても直ぐ忘れてしまいます。とにかくタブ、スダジイ、アカガシ、シラカシ、アラカシ(アカカシではないのです)、シロダモなどといったのを、ぎざぎざがあるとか、姿や大きさ、葉脈の目立ち方だとか、ちゃんと見分け方を書いてあるのを手にしながら、実物に当りながら歩いていきます。手触りも、又千切ってみての匂いなども識別の一つです。

今日はなぜか初めて参加の人が多かったので、その人たちを優先にして久保さんが引き連れて先を歩きます。参加するたびに少しずつ様子が変わっていき、整備のための金網が張られたり看板が立ったり、草刈がなされたりしていますが、ショックなことがありました。第二の田んぼの周辺が宅地造成されているのは前に書きましたが、その奥の谷戸が大きく切り払われているのを見たからです。かなり深い谷なのに、そこを埋め立てて宅地にしようとするのでしょうか。それほどの規模ではないので、多分届け出無しに出来るのでは、という人がいました。しかもこれは区域外にあるので、文句をつけることは出来ません。第二の田んぼでもそうで、この運命も旦夕の間でしょう。
ある所を残すと言っても、その周辺も大切であって、その変化はじわじわと区画内に影響を与え、極端に言えばその生死をも左右しかねません。何の変哲もない谷ですが、そこは「緑の回廊」であって、そんなところを伝わって鳥をはじめ生き物たちは行き来している、たとえば秩父に熊がいるのは丹沢があるからで、そこと緑でつながっているからと、その人は言いながら憂い顔をしました。でもすべてを手につけることはなさそうで、薄いながら深い谷のほうは残りそうなので、緑のラインはつながるのでしょうか。でもお父さんの髪の毛のように心もとないことです。

富士山は少し雲をまといながらくっきりと白い勇姿を見せ、丹沢連邦もどうどうと雪の峰々を際立たせています。それらを眺めてからいわゆる老人の畑と呼ばれる一番の見晴らし場へとたどります。そこで、カレンダーの写真をも作成してくださった、土地の人でこの地に非常に詳しい、カメラマンの川上さんの出迎えがありました。白い髭がいっそうの貫禄をつけていますが、今日はちょっとお話を聴きました。

最近常緑樹が増えたこと。すなわち雑木林が少なくなったのです。畑のためには日当たりが良くなる雑木林の方が良く、日を遮り、ぐんぐん伸びる常緑樹や針葉樹は良くない。昔だったら炭焼きや薪のためそれらも必要で、しかしそれらを切って使っていたので伸び放題にはならなかった。しかしそういう手入れをしない里山は雑木林から常緑樹の多い林になってしまう。ここから見える桜もだんだんなくなっていくでしょう・・・と。しかもこの地域は表土が2メートルくらいで浅いので、常緑樹は根が大きくなるから頭が重くなると根が耐え切れず、がけ崩れが起こりやすい、この地の崖崩れが年々多くなるのもそのせいもあるなどと・・・。ですから、一概に緑が多いのを見てそれがいいというのも間違っている、むしろ今の里山では獣の毛並みのような、枯れ草色の山並みがいいのだ・・・とも。そして整備をすると言っても公園ではない場合、枯れ木も生き物にとっては利用される有効な役割があるということ。
そうだそうだ、とわが家の放って置きの怠け者の小さな庭の弁護を心の内でしました。

それからいよいよ谷に下りていくわけですが、前置きが長くなったので、花のないこの時期、鳥の姿はよく見えるのでコゲラ(枯れ木をつついていた)、ヤマガラ、ウグイスなどを目撃したことを書き今回は終わりにします。

投稿者 kinu : 10:45 | コメント (0) | トラックバック

2007年11月19日

木の実の季節

先月は北海道行きのため休んだ台峯歩きに今月は参加、朝は冷え込んだが、日中は暖かく秋晴れの気持の良い一日だった。
紋別での黄葉に包まれた日々が夢のように思われるほど、ここではまだ微かで、やはり例年より遅れている模様。それで今回は、特に木の実に注目しながら、そしてそれに集ってくる野鳥の姿や声を・・・とい歩きになった。総勢は16人ほど。

先ず目に付いたのは赤い実がかたまって下がっているビナンカズラ、コマユミ(マユミの小型)などは、住宅の中にもある。クロガネモチの大木にも赤い実がたわわだったが、これはわが家にもあって伸びすぎて屋根にかぶさってもきたので切らざるを得なかったのだが。それでこれに集っていたヒヨドリが来なくなって寂しい思いをしている。タラノキ、ミズキ(赤い茎に黒い実が美しく、山珊瑚と言われる)、アカメガシワ、ハコネウツギ、いずれも鳥の好物だという。種は赤い実に包れていることが多いが、クサギのように赤い萼が花びらのように開いた中に黒い種があり、そのコントラストも鳥に目立たせるためらしい。ムラサキシキブの実も確かに目立って美しい。高木になった野生のそれは甘いというので口に入れてみた。成るほど薄甘い味がする。実はあまり大きくない。見事に園芸種に改良されたものは口にする気にもならないが。ノイバラはローズヒップとしてハーブの仲間になる。イヌビワの実、これは黒く熟せば食べられるそうな。そのほかカラス山椒、ハゼ、合歓、シデ、この時期は実りの季節である。

それでこの道筋の田んぼの実りはどうかというと、もう稲刈りは済んでいて、稲架が出来ていた。暖かかったせいか切り株からまた葉がつんつん伸びて、実も(二番穂)つけている。これは人は食べないが、鳥たちの餌になるという。それなのになぜまだ鳥よけの網を掛けているの? と訊ねると、いやまだ網を取り込んでいないのですよ・・・と。まさにこの辺りでの田んぼは趣味か物好きでやらねば採算は取れないのである。噂によるとこの田んぼの持ち主は、半分はアメリカで暮らしているとかで、その半分を日本にいて田んぼ作りをしているらしい。いまの時代、贅沢な暮らしだなあ。実際はどうであれ、この田んぼがいつまでも残って欲しいものである。

澄んだ秋空に耳を澄ませば鳥の声は聞こえるが、姿はなかなかつかまらない。声はメジロとシジュウカラ(これらはわが家の方が間近に見られる)、アオジ(これもこれからこの庭でお目にかかれる)、ウグイスの笹鳴き、ヒヨドリはどこでもよく聞かれ、ルリビタキ、クロジ、カシラダカを見たかったが私の眼にはとらえられない。

ニホン蜜蜂の木の洞の巣には、少数ながら越冬する蜂たちが健在で、すでに群れを解散したスズメバチの女王が、越冬地を探して飛び回っていた。この時期は危険ではないといい、またこれがいることが自然の豊かさを示すものでもあるとのことであった。

ところで朗報。この台峯ができるだけそのままの形で残ることが、これまでは口約束のようなものだったが今度はっきりと、都市計画の中に市の買取と保存の確約が文書として成立したということである。内容についてはこれからも話し合いや監視の必要はあるけれど、とにかくこれまでの活動が形として実ったのである。しかしここに至るまでの困難、その歳月、費用、労力、これを見届けないで亡くなった人たちも何人かいて、自然を守るということはやはり並々ならぬ努力が要るというようなことを代表者は述べておられた。
どこであっても、自然を含めて昔のよき姿が残り守られているのは、そこに住む人たちの並々ならぬ努力がその背後にあるからで、それは通りすがりの者の眼には見えないという言葉は胸に響く。

実はこの谷戸の自然を写したカレンダーが今年は作られた。ここで生まれ育ったカメラマンが毎日のように歩きまわって撮った中から選りすぐりの写真で、芭蕉、一茶、子規の俳句を添えながらここの自然の魅力を紹介するものある。僅かながらもその販売の利益は基金として利用するということだったので、ここでも宣伝しようと思っていたのだが、たった250部しか作らなかったそうで、関係者だけでも足りないくらいになっているとのことで、残念です。そこでルリビタキの可愛い姿をしみじみと見ています。

投稿者 kinu : 14:34 | コメント (0) | トラックバック

2007年09月17日

残暑の中の秋

暫く振りに「台峯を歩く会」に出かける。連休の真ん中、30度を越える暑さになると言われる残暑なので、参加者は14名だった。
でも少ないだけまとまりよく、ゆっくりと路傍の草花も観察しながら歩く事が出来た。今夏草がたちまち生い茂る季節なので、道を隠す草や藪を刈り取らねば歩けなくなってしまう小道である。

今回の目玉を先ず紹介すると、田んぼが黄金に染まっていたということ。第1の田んぼは、まだ葉は青いが実った穂を垂れていた。倒れ伏していた部分があるが、それは先日の台風9号のせい。しかしこのくらいならば大丈夫だろうという。山陰の第2の田んぼもさっきのより黄金色は薄いが、ちゃんと実っていた。実って重い稲穂を手に取りながら、無事な刈り取りを祈る。
「今年最後のシオカラだ」、と案内のKさんが言う。トンボが一匹よぎったから・・・。シオカラが見えなくなってから、赤とんぼ(アキアカネ)が姿を見せ始めるのである。その交替の時期が今頃である。

次は、危機に直面していたニホンミツバチのこと。いつものように谷戸に至る危なかしい斜面の中ほどにある木の洞に棲みつづけている彼らが、なぜか洞の周りに群れていた。大きなスズメバチが、巣を襲おうとしていたのである。大きさでいえば半分以下、黄色い部分もほとんどなくミツバチらしくもない地味なニホンミツバチ。黄色い縞々をもつ敵はその時は2匹のようであった。それを集団で追い払おうとしているようである。
実はほんの少し前にTVで、巣を乗っ取るスズメバチの様子を見たばかりだった。大きさで言えば敵わないが、集団であたれば排除できる。それは互いの体温に違いにより、スズメの方は40度になれば活動できなくなるが、ニホンの方はもっと高い温度を持つ。だから集団で取り囲み、その熱で蒸し殺しにするのだそうである。他にも見た人がいて、きっと彼らは無事に巣を守りきるだろうといいながら通り過ぎた。

もう一つはナンバンギセルが見られたこと。煙管の姿をした不思議な花、白と少し紅がかったもの8本ほど、藪の中に咲いていた。

絞り水(すなわち湧き水)が池となったここも暑かった夏に繁殖した藻のせいか濁っていたらしいが(私は参加しなかった)今はきれいになったとのこと。せせらぎの音が気持いい。
木の花はクサギやタラノキ、この季節は道端や土手の小さな草花が、それぞれに花や実をつける頃。幼い頃それで遊んだカヤツリグサ、メヒシバ(これを傘に作ったそうだがわたしは知らなかった)、お相撲さんの名ではないがコニシキソウ、またツルボ、ミズタマソウなど名を教わり、ミズヒキソウのほかキンミズヒキソウ、猫じゃらしといわれるエノコログサにもキンエノコログサがあるといわれればその通り、少し踏み込めば未知の無限が広がってます。

しかし、出口に広がるカナムグラの海には呆然としました。どんな草も決して摘み取らないKさんもこれだけは幼い芽を見つけても排除する天敵であるのは、このようにほかの全ての植物の上に這い回り毛布のように自分の種族だけ広げ蔓延らせる、絞め殺しではない這い殺しの蔓とも言うべきものであるようです。何度か刈り取ろうとはしたそうですが、手にあまったのだと。地引網のように引っ張ってといわれて退治したのだが・・・と。これが蔓延らない前はヨシの原で、ススキに似た白い穂をそよがせていたところでした。
最後に、私はそれほど興味は無いのですが、オオカブトムシが一匹見つかったと喜んでいましたが、もしかしたら誰かが飼っていたのを離したかも知れないと、Kさんはちょっと水を注していました。

投稿者 kinu : 15:21 | コメント (0) | トラックバック

2007年08月02日

小澤征爾音楽塾 歌劇「カルメン」

一日中、雲の上では雷鳴がとどろき、時には激しい雷雨にもなった先月30日のこと、これに出かけた翌日ブログを書いたのですが、なぜか不具合を生じて入れることが出来ませんでした。それでもう一度書くことにしましたが、大丈夫かな?
試してみると復旧したようなので安心して書くことにします。

これは若い音楽家たちがオペラ公演を通して深い音楽の表現力を体得するためにと、小澤征爾の提唱により2000年に発足したプロジェクトで、オーディションで選出された若い音楽家たちと約一ヶ月にわたり小澤氏をはじめ一流の音楽家たちの指導を集中的に受け、公演の運びになったものだという。

オペラといっても(演奏会形式)ということで、本来はボックスにいるはずのオーケストラが舞台の中央を占め、その背後や前面で合唱団やソリストが歌い演じる形式である。しかし音楽自体が変わるわけではないので、大掛かりな舞台装置や豪華な衣装などがないだけ音楽自体を純粋に味わえる感しで、これも簡素でいいものだなと思った。
最初に小澤氏が挨拶と紹介、いよいよ演奏が始まる。登場したのは鬼原良尚という若手の指揮者で、19歳と紹介され会場は一瞬どよめいた。黒ずくめのほっそりした姿は蟷螂を思わせ、全身をしならせて指揮棒を振る熱演はどことなく小澤さんに似ている感じがした。

内容はもちろん全曲ではなく有名な部分の抜粋である。オケと合唱団を合わせ総勢は100人を超える若いエネルギーと熱気が舞台にあふれ、スペインの闘牛とフラメンコの情熱を象徴する「カルメン」というオペラの演奏にはふさわしいようだ。合唱団は白黒の服装だが、カルメンやホセ、ミカエラやエスカミーリョのソリストたちはそれぞれに衣装をつけて堂々と演じ、楽しませられ、気分も高揚する。
大ホールはほぼ満席で、拍手鳴りやまず、客席にいた小澤さんを初め3人の指導者たちも舞台に導かれる形になり、才能を秘めた若い音楽家たちへの熱い拍手ともなった。

雷鳴は時々聞こえていたが、出かけるときもまた帰りもほとんど雨に遭うことなく、細く降りだしたのが夜になるとまた激しくなった。楽しかったけれど、やはり若いエネルギーに当てられたのか、帰り着くとぐったりしてしまい早々に寝に就いたのであった。

投稿者 kinu : 16:23 | コメント (0) | トラックバック

2007年06月26日

生粋の地元生まれの「蛍」を見に行く

6月25日の新聞に「ホタルの放流やめて」の記事があった。最近、蛍に人気がでて、あちこちで飼育や放流をするようになったが、別の場所で捕らえて放流すると、遺伝子汚染が起き(地域によって異なるという)、習性も違う事から生態系を乱す恐れがあると、研究者たちが声を上げているという。
しかしここの蛍は、生粋の地元生まれである。案内者のKさんも、それらのことに深く憂えている一人である。そのKさんに連れられて、先の土曜日の夜、蛍を見に行った。街灯などからは遠く離れた真っ暗な谷戸であるから、一人ではとうてい怖くて入れない。総勢20人足らず、幼い子どもも2人参加した。
昨年は7月9日であったから、今年は少し早い。もうたくさん出ているという。

昨年は小雨の中だったが、今年は梅雨が明けたような夏空で、半月がくっきりと空にあり、まさに月影といわれる木々の影が足元にみられた。月の光がいかに明るいかを実感しながらも、亭々とそびえる木の下闇の道はおぼつかない。
入る前にいつものように心得を聞く。足元を照らす懐中電灯はやむを得ないにしても、決して宙を照らしたり、いわんや蛍などに決して向けてはならない。直接当てると目がくらんでしまうからだ。また蛍は体が柔らかいから決してつまんではいけない。衣服や腕になど止まったときは、そっと手のひらに移して移動させる事など・・・。またどうしても近くにいる蛍を観察したかったら、電灯のレンズの先に赤いセロファンをかぶせて光を弱めてでなければいけない。

やっと暗くなり始めた7時過ぎから歩き出し、谷戸にはいるときに手を合わせる。「入らせてもらいます」と、そして「事故が無いように」と。Kさんに倣って皆そうする。
体調の悪い人はいませんか、とKさん。また霊感が強い人もちょっと恐いですよ、今日はずっと池の奥まで行きますから・・と。足の裏の土のでこぼこをしっかりと意識しながら、盲目の人が歩く感じになりながら前の人に遅れないように従いていく。

今年はとてもたくさん蛍が飛びました。
光の強い(体も大きい)源氏蛍ばかりで、平家は遅れているという(去年は同時に見られた)。200匹ぐらいは光っているでしょうと。あちらでもこちらでも、光の明滅があり、それが左右に上下(10メートルぐらいは上がる)に移動するのは、雌へのアッピール、またはそこへと近づこうとしているのか、この光の饗宴も9時になるともう収まるとの事。夜に入っての一時間が、彼らの生死をかけた婚姻の勝負なのです。飼育すれば一週間くらいは生きるかもしれないが、普通は2,3日で死んでしまうのだそうです。そういう真剣な営みの場に、ニンゲンが入り込んでいるのですから、出来るだけ邪魔をしないのが礼儀でしょう。
実は200匹は、少し多すぎるということです。ここでは100匹ぐらいが適当で、多ければよいということではないとのこと。必ず反動があるし、また環境の変化を物語るものかもしれない。特に最近は蛍の養殖業者も出てきて、餌になるカワニナの代わりに、オーストラリアからそれより大型の貝を輸入して育てるという方法も行われていて、それを川に捨てるとそれが繁殖してカワニナを駆逐するという現象も出ているとか。すなわち生態系が狂ってくる。多少の上下はあってもその地に合った常態であることが望ましいのです。

一時間あまり、前日の雨でぬかるんでいるところもあったりで足元を気にしつつ、緊張しつつ感嘆しつつ暗い森をさまよった後、出てくると彼方の里の灯が懐かしく感じられた。

投稿者 kinu : 16:36 | コメント (0) | トラックバック

2007年04月19日

野の花たち

気象はまた冬に逆戻りしたような寒さ、世の中も目や耳を塞ぎたくなるような出来事ばかりで、ブログを入れる気持にはなりませんが、でも先日の日曜日は午前中だけぽっかりと穴が開いたように春の気持の良い晴天で、台峯歩きがありましたのでそれを簡単に入れておくことにします。

集った人は15人ばかりでしたが、ひとまとまりになって歩くにはちょうど良い人数でした。
案内者の話では、やはりみな10日ばかり早いそうで、桜はもう終わりごろ、八重桜がぽったりと咲いています。歩き出して間もなくの土手には春の草花が顔をそろえ、そこで観察するだけでも話題は尽きないくらいでした。のどかに咲く野の草も生存競争はきびしく、最近はここでも異変が生じているとのことで、それを先ず少しばかり記します。
先ず最近道端に爆発的に増えてるのが「ヒメオドリコ草」、これが日本古来の「ホトケノザ」を圧迫しているそうです。エーデルワイスの親戚である「ハハコグサ」も、「ウスベニチチコグサ」に押されて減っているとか。ここではハハよりチチの方が強いのでしょうか。西洋タンポポと関東(日本)タンポポについてはよく言われますが、ここにはどちらも存在していました。それと良く似ているオニタビラコは鬼と付いているくらいですからとこか猛々しい感じです。勢力争いがあるのは主としてよく似たもの同士で、ライバル関係にあるもので、誰にもなじみの「オオイヌフグリ」は、「タチイヌノフグリ」とライパル関係にあり、今押されているようです。
スミレも良くある「タチツボスミレ」だけでなくたくさんの種類があるようで、ここでは「ノジスミレ」も観察でき、またあちこちに生えている「カラスノエンドウ」も、それと良く似た、しかし花が小さい「スズメノエンドウ」というのがあることも教えられました。
葉をちぎるとキュウリの匂いがする「キュウリ草」の花は、一ミリほどの小ささですが、良く見るとその美しさや清楚さは素晴らしく、小さくても蘭に似たような花もあって、それぞれ丹念に見れば見るほど雑草の世界も深いことを知らされます。こういう土手や野っ原が昔はどこにでもありました。しかし今では整備され整頓され、だんだん少なくなっていきます。

やっとそこから離れて、第一の田んぼにたどり着きました。蛙が盛んに鳴いているのに感動です。こういう田んぼが県内でも少なくなったそうです。田んぼだけがあってもこんなに蛙はいないとのこと。田んぼを緑地に中に残す事が大切なのだそうです。なぜかということは前に書きました。田んぼの中にもキュウリグサに似たハナイバナ、キツネノボタンににたタガラシなどの草花、ここは今年も稲田になりそうですが、とにかく田んぼ作りがいかに大変かということです。米作地の大規模耕作ではなく、いわば手作りの田んぼなのですから。しかし、第二の田んぼに来た時、みな声を呑んでしまいました。ここはもう耕作放棄だけでなく辺りはすっかり様相が変わっていました。崖にはコンクリートがべたりと塗られ、辺りの木々は切り払われ、奥の建物は取り壊しの最中、コンクリートに緑のペンキを塗るつもりかな・・・など冗談まじりの苦笑です。

老人の畑と呼ばれている見晴らしの良いところでちょっと休憩、いつものようにキャンディが配られます。ここに入る少し手前の実際にお年寄りが耕作している畑には今ブロッコリーやサヤエンドウの花が咲いて、モンシロチョウが飛びまわっていました。種を取るために残した葱坊主が堂々と突っ立ていました。でもその方の歳は94歳とのこと。いつまでこの畑は残っているでしょうか。

いよいよ谷に入ります。前座に時間をかけたので、少し急ぎ足です。でも道筋の大きな樹の洞に住む日本蜜蜂の健在を確かめました。花の時期なので盛んに蜂たちの出入りが見られます。この蜂はとても小さく人に害は与えません。行く手を遮らなければ近くによっても大丈夫だといわれて、間近に寄って眺めます。巣からは蜂たちのうなり声(羽ばたき?)が聞こえてきます。ヤブニンジン、ツリカノコソウなどに挨拶しながらせせらぎを左手に、ハンゲショウがこれから見られる湿地を過ぎます。ウラシマ草の花が咲いていました。これは私の庭にもあるのですが花が咲きません。気持ちのいい花ではありませんが、浦島太郎の釣り糸のようなものを出すので珍しいのです。
辺りをちいさな昆虫が飛んでいました。ホバリングして、どこに飛ぶか分らないようにボーとしていて、ふっとどこかに飛んでいく、ちょうど僕たちみたいだ・・・と案内者がいうそれはビロウドツリアブだということでした。簡単にといいながら長くなってしまいましたのでこの辺で止めますが、最後に一つ。
出口のところのヨシの原の上に枯れ草が毛布でもかぶせたように覆っているのが見られました。それはカナムグラといって、成長が早く蔓延り、そんな風に他の植物の上に覆いかぶさって絶やしてしまう。今その新芽が出てきているといって、どんな草もめったに採ろうとしない人ですが、それだけは植物の天敵だといって抜き取っていました。

投稿者 kinu : 16:00 | コメント (0)

2007年03月18日

春は下から訪れます

今日は「台峯歩きの日」でした。
素晴らしい冬晴れでしたが、朝は氷が張りそうな冷え込みとなりました。
今日の目玉は、池でカワセミを目撃した事と、蛙の卵(アカガエルとガマガエル)が湿地の水溜りに大量に生みつけられているのを見たことです。赤蛙のは直径1〜2センチぐらいのビニールの管のようなものがニョロニョロ、蝦蟇のほうは紫陽花のように丸いぬるっとしたコンニャクのような塊。ちょっと気持が悪い。


ここから先は長いので多分誰も読まないと思いますので、独り言に近いものです。
草木の芽吹きも例年より10日ほど早いそうですが、まだ木々はほとんどが眠ったまま、ただイヌシデの梢だけが芽を(キブシに似た小さな房)だして、遠くからだと煙ったように見えていました。
そんな状態ですから、この時期は芽や葉を出し始めた道端の小さな草たちをゆっくり観察しながら歩いていこうというのです。すなわちここに春が先ず来るからです。樹木も低いこの方が先に芽を出し、高い樹のほうが遅い事が多い、そうでなければ高い樹によって日差しが遮られてしまう、低木が生長できない。自然にはそんな配慮の規則性が働いているのだそうです。というわけでそれより低い草たちのほうがいち早く春を知らせるというわけになります。
でも草も背が高くなり花でも咲けばその名が分るのですが、まだ葉がやっと出たばかりだとほとんどが分りません。タンポポぐらいは分るけれど。その見分け方などを教えられながら歩いていきました。

空気が澄んでいるので真っ白い富士や箱根連山がくっきりと眺められる、それにしばらく見とれてから台峯にはいりました。
今日学んだ事は、名前を教えられてもなかなか覚えられず、また覚えたつもりでも直ぐ忘れるという声に、名前を覚えようとするからダメなのだというのです。名前などを覚えなくてもいい、ただ触って良く眺め他との違いを知る事だとのこと。たしかに図鑑を見ても花は別にしても実際の草木はなかなか判別できません。それはただ眼だけ、頭で見て覚えるからでしょう。もちろんそれも一つの区別ですが、実物を手にとって触ったり葉の裏側や棘や葉脈、また手触りや匂いなど、五感でその植物を感じることだ大切なのだというのです。そしてたとえば今小さな朱色の花を咲かせているウグイスカグラの葉を触らせられ、それが柔らかくしっとりした手触りである事を教えられました。
歩くうち、皆似たような雑草に見えていたもの一つ一つが、それぞれ幼い芽吹きである事、その幼い命が識別出来れば何がそこに有効であるか、またそこの環境がどう変化してきたかが分るということ。ですからただ雑草といえどもみだりに抜き取れない事が分りました。(でもほとんど忘れるでしょうが)


これを聞きながら私は昨日の「水橋晋さんを偲ぶ会」のことを思い浮かべていました。その会はとてもいい会で、改めて水橋さんの詩集、詩業の素晴らしさと未来性、その天才的な才能と予見性、詩にたいする厳しさと真剣さ、それを包み込んでいる優しさと包容力、飄々とした人柄などを再認識させられたことを後で水野さんとも話したりしたのですが、その時に奥様が漏らされたエピソードを思い出したのでした。
それほど広くはない庭なのに植木はもちろん雑草までもみだりに抜いてはいけないと言われて、奥さんが苦労したという話。留守中つい雑草を抜くと、せっかく芽を出してきたそれを楽しみにしていたのを抜いてしまったと叱られた事など。しかし道路や近所の手前、またあまりに伸びすぎるため切らざるをえないものは留守中に切っていた。それで奥さんが庭木を切っている時は水橋さんは留守だということが近所の人にはわかるようになってしまったとか・・・・
ああ、自然豊かな富山出身で、とうの昔からエコロジストであった水橋さんは、草木に対して(地球に住む魚や鳥や獣たち全体に)、そんな風に向かい合っていたのだろうと思ったのでした。あまりに素晴らしいお天気の時は会社をずる休みして海にもぐりにも行っていたという水橋さんは、まさに全身でそれらに向かい合っていたのであり、それであのように地球規模の官能的な詩が(水野さんが、それらの詩を読んで酩酊感を覚えたと言われたのはこれではないだろうか?)書けたのではないかと思ったのでした。
思わず横道にそれてしまいましたが、今日はこれまで。

投稿者 kinu : 21:10 | コメント (0)

2007年02月20日

「台峯を歩く会」100回記念

今日も冷たい雨になりましたが、先の日曜日もこれ以上に冷たい雨でした。
それでも「歩く会」の100回記念日ということで、参加しました。私はそのうちの一割余りしか参加していない新参者ですけど。雨にもかかわらずいつもよりも多くの人が集りました。元会長のなだいなださんも、一時はお身体の調子が良くないとのことでしたが元気な姿を見せられました。

Mさんが100回までの経歴をざっと話されましたが、それによると始まりは30年前の1976年、それはそこに開発の兆しが起こったがきっかけで、それを阻止し、ここを残さねばという動きから始まったのでした。その後この会が発足(名称は少しずつ変わったが)、それから8年4ヶ月ほど毎月歩いてきた事になるとのこと、そしてやっと今、それが実を結んだということなのです。これは毎月欠かすことのない歩く会を支えてきたMさんたち有志たちの働きと、Kさんのように専門的な知識を持ちこの土地に深い愛情の眼差しを注いできた人たちの地道な努力があったためだと改めて感じられました。最初は、強権的な態度の市役所も最近は世の流れも変わり、市民の意見もよく聞き担当者も勉強するようになって、ずいぶん対応が変わってきたそうです。

幸いにもこの緑地(湿地帯)は残される事になりました。この時点ではやっと「基本構想」から始まっで「基本計画」までたどり着いた(後は「基本設計」の決定で工事が始まる)のですが、まだまだ問題はあり、危ういこともいろいろあるようです。でもKさんたちの交渉の努力によって、湿地帯を縦走することになっていた幹線道路が、そこに入らずに尾根筋を通るように変更されました。そのほかいろいろ、出来るだけ現状の生態系を崩さないように、またその生態系がよく維持できるように人が手を貸す形で関わっていくような形にするにはどうしたらいいか、難しいこともあるようですが。

Kさんが力説するのは、この辺りは他の緑地と違う特異性を持っているということです。
単なる里山ではなく、湿地帯であることから、原生的な緑地に戻りつつある里山だということ。湿地帯が生命の源である事は当然ですが、そのため繊細微妙な性格を持っているということです。ですからすでに整備された隣接の中央公園と同じように手を入れられては台無しです。
そのためには人が立ち入れない、生き物の聖域の確保が大切だというのです。そのためにも道も歩きやすい木道などは作って欲しくない。(実はわたしの散歩道の六国見山も、最近整備されて林は伐採され、道は拡幅された木道となり、あっけらかんとした見晴らしも良くなって明るい公園風になってしまいました)
これらの事が、これからどのように実現されていくのか、見守るためにも歩く会はこれからも歩き続けていくようです。

投稿者 kinu : 14:04 | コメント (2)

2007年01月21日

春を待つ台峯を歩く

今年初めての「台峯を歩く会」でした。次回で100回記念とのことです。ということは、毎月一回同じコースを歩きそれが100回になるということです。そしてこれだけ続いたというのも、この付近の自然の貴重さを実感したK氏をはじめとする人たちの熱意と行動力があってのことだと思います。
この地道な活動が、この辺りを開発から守り、またなるべく現状をそのままの形で残すという形に行政に働きかけて進める事が出来たという成果につながったのです。私は最近参加し始めた新参者に過ぎず楽しませてもらうばかりのものですが、この記念すべき時期に加わることが出来た幸せを思いました。

昨日はやっとこの辺りも初雪がはらはらと降りました。その寒さと季節柄、参加者は15人ぐらいで少なかったのですが、それだけ話しの通りもよく、ゆっくりと和やかに観察、散策できました。
この季節、自然は春を待つ姿で目立つものはないのですが、今日は葉を落とした木々の幹を見て名前を判断する方法を教わりました。これはなかなか難しく、渡されたカラーコピーの写真だけではなかなか判別できないのですが、実際幹を触ったりして解説してもらったので、やっとほんの少しばかり判るようになりました。
この季節、野鳥の姿が良くみられるとのことですが、やはり数が減っているということで、今日はホオジロ、アオジ、コゲラ、ヤマガラ、ルリビタキ、カシラダカ、シジュウカラの鳴き声または姿が見られました。ハシブトガラスも出口辺りにいました。でもこれらをちゃんと見たわけではなく、あそこに飛んだといわれてそれをやっと捉えて見たつもりになる事も多いわけです。
刈られた藪(これもボランティアによる)の下からは緑が芽生え、またハンノキには花芽(雄花)が垂れ下がっていて、今年も春が早いとのことです。

投稿者 kinu : 18:07 | コメント (0)

2006年09月23日

「ハンノキのコンサート」(2)

自然の中のコンサートは楽しかったが、第一部がこの催しの趣旨なのであった。
「南米パタゴニア原生地区の自然と身近な保全について」という題で、スライドによる現地の説明と、同じく保全に携わっている人を交えた3人のトーク。その中の一人が、いつも案内をしてくださる野鳥の会の加藤さんである。

パタゴニアは、南米のチリとアルゼンチンにまたがる広大な地域だという。
タイトルには「原生」とあるが、実は家畜の過剰放牧、森林伐採、石油採掘などさまざまな環境破壊に直面している地域でもあるとのこと。そこをある企業が、環境保護グループに協力して、土地をトラストして、それを原生に近いまで回復させた末、政府に土地を寄贈し、国立公園として永久に保存する活動を始めたのだという話である。その会社名がパタゴニア社(アウトドア・スポーツウエアなどの販売)。それで私は最初は土地の名前と混同して戸惑ったのであったが。
その会社は、世界各国にある支社の従業員をボランティアとして派遣し、日本からも今回7名ほどが派遣され、その一人がこの日のパネラー(赤星明彦氏)であった。ボランティアといってもこれまでどおり会社からは給料の出る仕組みで、「パタゴニア・ナショナル・パーク」プロジェクトという。

自然に戻すといってもその広さといい規模といい、台峯と比べたらアリとゾウくらいの違い、いやもっとかもしれない。今牧場を無くし、原生に返すところだそうだが、その牧場の広さは神奈川県ほどなのだという。しかしそこには羊と共に生きてきたガウチョと称す牧童たちの生活がある。その生活権を考えた上での計画なのだそうだ。実際今化学繊維などの発達から、羊毛は生産過剰になって値段も下落してきているともいう。
また実際、牧場を廃すといっても、ただそのまま放置するわけにはいかない。牧場を囲っていた金網の撤収だけでも大変である。総延長800キロに及ぶそれを巻き取り(そのままにしておくとそれに引っかかって死ぬ動物が出てくる)、杭を一本一本手で引き抜き、またその穴を埋めねばならないのである。
いったん壊した自然であるから、その地にあった生態系が取り戻せるまでの草刈などの管理も必要になる。そのためガウチョたちの生活もあるので、エコツアーの誘致などでも経費も得られるような計画など、考えれば気の遠くなるような計画ではあが、着々と進んでいるようであった。
この会社の設立者が、そういう環境保護活動を進めていた女性経営者(夫と協力)であると聞いて、嬉しかった。
自然を壊している最大の原因は人間の生活そのものである。特にそのための利益を優先させるのが企業であろう。しかし「死んだ地球からはビジネスは生まれない」といい、それゆえ会社を使って環境にいいことをせよ、というのがその社の方針であると、そのパネラーはこの会社をよろしくと宣伝をもかねて話を結んでいたが、企業のあり方もこれからは変わらなければならないだろう。この会社は、ボランティアだけでなく総売り上げ(利益ではなく)の1パーセントを環境に返しているそうである。

パタゴニア社という会社があったのかなあ、これから気をつけてみようと思ったのだった。

投稿者 kinu : 15:18 | コメント (0)

2006年09月20日

第7回 ハンノキのコンサート(1)

台峯の自然保護運動を進めるにあたり、その感性を通したものにしようとコンサートもしばしば催され、それにはこの地のシンボル的なハンノキが冠されている(利益は環境保護に使われる)。それを先日の台峯歩きの後、聴きに行った。
会場はお寺の本堂である。広々として天井の高いお堂のご本尊の前で、開け放たれた庭から風や虫の音など自然の空気が流れ込んでくる中での演奏は、音楽堂とはまた違った趣がある。最近、この辺りではこのようにお寺で開かれることも多くなった。

内容はやはりクラシックが多いのだが、今回は二十五弦筝と薩摩琵琶である。
午前中歩いて、快い疲れをしているので、琵琶など聴いていると、途中で眠くなるのかもしれないと思ったが、確かにふうっと夢うつつになりそうなところもあったけれど、日本の古典楽器が今の息吹を吸って若々しく甦った演奏には目が覚め、感動した。
演奏は、薩摩琵琶は荒井靖水、二十五弦筝は荒井美帆の若いご夫妻であるが、ジャンルを超えた演奏で国内海外を問わず大いに活躍している実力者であるようだ。普通の琴より弦数の多い琴は、いっそうハープに似て、いかにも日本的と思われる琵琶も、時には猛々しくまた嫋々として、素晴らしく息が合っていた。
演奏題目は、
『忘れ水』 演奏も作曲もお二人で。
『巌流島』 伝統的な勇壮な琵琶の曲、琵琶のみ。
『糸の道』 演奏はお二人で。作曲は武智由香(西洋音楽を勉強後伝統楽器の作曲も多く手がけ、国内外で活躍高い評価をえている作曲家)これはフランス、ニース国立美術館委嘱作品。

折りしも次の日だったか、TVで関口知宏さんが、NHK伝統和楽団の若い女性演奏家たちを引き連れて、カナダのメープル街道を演奏して歩く番組が放映されていたが、そのメンバーも琴、三味線、琵琶、尺八の演奏家たちで、彼女らが森の中や街頭、教会などで演奏していき、人々と交流していく。前の日の演奏を思い出し、音楽も人もそして自然も国境を越えたものだ、としみじみ感じた。

実はこの演奏は、コンサートの第2部である。1部については回を改めて書くことにします。

投稿者 kinu : 15:10 | コメント (0)

2006年09月18日

初秋の台峯歩き

台風13号が、九州地方などに突発的に大きな被害を残しながら去っていこうとしているが、日曜日の昨日、台峯歩きに参加した。台風の予報もあって曇り空、雨にならなかったのが幸いであった。10人ほどだったのでゆっくりと、花や昆虫にルーペを当てて観察したりしながら歩いた。

萩の花があちこちに群れ咲いていて、特に白萩には秋のすがすがしさを感じ
る。彼岸花も咲き始めており、園芸種が野生化したものだが秋海棠の群落、ヤブミョウガの実。
この回の目玉は、なんといっても実りの稲田。2箇所とも黄金色に広がり(1つはもう消失)、その上を蝶、そしてトンボも飛んでいた。まだアキアカネは山から下りてこない。アキアカネは、後10日ぐらいしたある朝、突然群れをなして平地に降りてくるのだと言う。田の面一面に薄い網が張られていて、この作業も大変だろうなあと思わせられる。田植えをした頃から見ているので、感動的である。今年はまだ台風がこの地には訪れていないのでいいけれど、このまま無事であって欲しいと思う。田んぼ自体もまた。

今日の学習項目は昆虫であった。前回は旅行していたので休んだが、実は「マツムシを聴く会」をもったのだという。まだこの辺はミンミンもツクツクも鳴いていたが、これからは虫の季節である。この辺りには4〜50種ぐらいはいるだろうという、そしてその中から30種ほどのキリギリス科、コオロギ科の名前と鳴き声が挙げられていたが、種類の多さに驚いた。そんなにいるものだろうか・・・。最初は5種類ぐらい聞き分けられる事を目標に、慣れれば誰でも10〜20種は聞き分けれます、と書いてあったが・・・・。
道端の小さな葉っぱのウラに2ミリほどの虫がいて、それがクサヒバリだと教えられた。ブイりりり・・・・と細い連続音で鳴くというが、こんな小さな虫まで鳴くのですね。

鳴き声の王は、エンマコオロギ、女王は、カンタンだとのこと。
最近は外来種で急激に増えているアオマツムシの高い声に、秋の夜が独占されている感があるが、細い声にも耳をすませることで、次第にムシ耳になっていくのだということでした。時間にもよるが、まだ虫の声は少なく、また指摘されても耳に入らない事もあって、私はまだままだムシ耳からは遠いところにあると実感。外来植物としてセイタカアワダチソウは有名になりましたが、これも同じく外来で、荒地に必ずやってきて背が高くなる、アレチノギクの別名を何というかご存知でしょうか。鉄道草、または西郷草とも言うそうです。これが日本に入ってきたのは明治の鉄道が敷設し始めた頃、その車輪などで運ばれて広まったことから、また西南戦争の折、薩摩軍の西郷さんが、背の高いこの植物に身を隠しながら逃げたといういわれから来ているとも。
どんな植物にもそれぞれ歴史があって、それを知るだけでも面白いようです。

投稿者 kinu : 14:18 | コメント (0)

2006年07月16日

青田と半化粧 鳥・蝶・蝉たち

第3日曜日なので「歩く会」の日である。猛暑が続き、蛍を見たことで十分満足してサボろうと思ったのだが、曇り空で少し気温も下がったようなので、思い切って参加することにした。昨日の暑さの中、今日の日のために歩く道の草刈をして下さった方々(これも毎月前日に行われ、そういう人たちの地道な努力によってここが残ったのである)には誠に申し訳ない。良いとこ取りばかりしている会員なのだから。

最初は暑さのためか集まりが悪いようだったが、初めての人もかなりいて、30人近くになったようだ。その中にはNHKの趣味の園芸を担当していたマチダテルオさん(?)とその友人5人もいて、彼らは人間が造った美しい財産を見て歩くことを続けているそうで(例えば石垣の美しいさなど)、ここもその一つと思って早起きをして東京からやってきたのだという。近郊にこういう自然そのままな谷戸がまだ残っていたのかと感嘆して帰っていかれたようであった。

この日は八雲神社のお祭りの日で、歩いていく道すがら神輿に出会う。
2つの田圃はまだ健在で、80センチぐらいに育った青い稲がすがすがしかった。その上をオオシオカラトンボ(ここにはシオカラよりも少し大きいこれが多いと言う)がすいすいと飛ぶ。これは雄だとのこと。それぞれ縄張りを持っていて、それを守りながら雌がくるのを待つのだ・・・と。

鳥の声はウグイス、ホトトギス。ホトトギスはもう終わり頃だとか。どこへ帰っていくのかな・・・ウグイスはまだ残り続ける。今回はかなりの鳥がウォッチできました。見晴らしの良い尾根筋では、木のてっぺんでしきりに囀っているホホジロ、枝伝いに歩いていくコゲラ、蛍を鑑賞した池ではカワセミ(まだ羽が茶色に近いオレンジだから幼鳥だと教えられる)。声だけはコジュケイ(これは我が家でも聞こえます)。

花は白いヤブミョウガ、黄色いダイコンソウ、ヒヨドリ花、薄い紫色はヒダケサシ(?)、合歓の花はもう終わりごろだが、場所によってはまだ盛りで美しい木も・・・。真っ赤なカンナが群生しているのは老人の畑と呼んでいるところで、これは人が植えたものである。その向こうのカラスザンショウの花はブロッコリーみたい。
蛍の夜にも白く映えていたハンゲショウ(半化粧)に昼間にお目にかかる。誠に不思議は花である。白い蓼のような花が咲くころ、葉っぱが半分お化粧したように白くなる。これは花が地味なので昆虫を呼び寄せるための作戦ではないかとか・・・・。

それらの花の上を蝶も飛び交い、ここに多いモンキアゲハ、クロアゲハなど。蝉のニイニイゼミが鳴き始めていた。最近、昔はいなかったナガサキアゲハガよく見られるようになったのは、やはり温暖化のせいであろうと。

その他特筆すべきものは、樹液が出る大木が少なくなった中にまだそれを出して、クワガタもくるらしい洞にはカナブンが集まり、また同じような谷戸の薄暗いところの大木の洞にはこの間も見た野生の日本ミツバチも風の唸りのような羽音を全体で立てていた。

水中には蛍の餌になるカワニナやマシジミの姿もあり、道端ではシュレーゲル蛙という小さな青蛙も見ることが出来た。
灰色の空からは少し雨もぱらついたり、薄日が射したり、谷に入ると涼しい風も吹いてきて、歩くにはちょうど良い空模様となりました。

投稿者 kinu : 17:34 | コメント (0)

2006年07月11日

蛍が飛んだ!

9日(土)は、「台峯を歩く会」の今年二回目の蛍を見る会でした。これまで一度も参加したことがなかったので、今年こそはと思っていたのでした。雨天の場合は中止。でもこの日は梅雨雲に覆われてはいましたが、雨は時々ぱらつく程度、決行ということになりました。

いつもの出口に当たるところに6時集合。そこから谷戸に入り、蛍の発生しそうな水辺をゆっくり散策しながら眺めようというもの。6月下旬の前回はやはり雨もよい、蛍はまあまあだったという。
一昨年はたくさん出たが昨年は少なかったそうだ。参加者は子どもも入れて17,8人ぐらい、20人以内に抑えている。

皆が集まるのを待つ間、ホトトギスが鳴き、暮れはじめてくるとヒグラシが鳴きだした。
ああ! 今年初めて聞く声! と私は思い、誰もがそうだと頷く。家の近くではもう少し遅く、梅雨明けの頃である。この声を夕暮れに聞くと、ああ いよいよ本格的な夏だなあと思い、なぜか心の底に寂しさがにじんでくる。

6時半、いよいよ谷戸に入ろうという頃からポツポツ雨が降り始めた。しかし木立の間なので傘をさす必要はない。ただ雨だと蛍は飛ばないだろうと恐れるのであった。水辺に半化粧の花が咲き、葉も白く夜目にも浮き上がっている。この花がこれだけになるのにも10年かかった、と案内者のKさんが言った。今年は一体に花の時期が遅れ、これもそうだというが、見られた私たちには運がよかったことになる。
前回よく飛んだという最初の水辺、それから又歩いて次の水辺。ここでせっかく来たのだから少しお勉強しましょうと言われ、先ず、3つの注意、(1)蛍を抓まない事。(2)蛍に懐中電灯の光を当てない事。(3)煙草を吸わない事。次に、その生態について簡単に教えられる。

ここの蛍は、正真正銘ここ生まれの、ここ育ちである。養殖したり、他所から幼虫や蛹などを連れてきたりしたものではないということ。だからそれだけ自然環境に微妙に左右されるのである。
光る蛍が見られるというのは、繁殖期ということだが、ここで交尾した蛍が卵を産むのは、水辺の枯れ木などの生えたミズゴケだという。だからそういう類のものが水中になければならない。それらが見苦しいからと取り払ったりすると(役所や管理会社に任せると、ともするとそんな考えをする)産卵場所を失うことになります。さて孵化した幼虫はずっとこのジュクジュクした湿地で暮らします。それから岸辺の柔らかい土に潜り込んで蛹になるのだという。固い土では潜り込めない。だから多くの人で土手が踏み固められたり、木道を作ったり、コンクリートで補強されたりすると全滅である。今私たちも、きっと何匹かの蛹を踏み潰しているでしょうとKさんは言う。それが羽化して、今日のこのときを迎えるのである。

7時になった。もう一つ奥のポイントがあるが、今日はここで待って見ましょうと、亭々とそびえるハンノキが立ち並ぶ開けたところに私たちは佇んで待っていた。雨は降っているが、広がる木々の枝が大きな傘となってあまり感じられない。雨宿りする感じである。何かが飛び込む水の音。ウシガエルの声も聞こえてきた。そのとき、ア、光った!と誰かが叫んだ。どこどこ?と言っている内に、私にも見えてきた。はじめはほんのチラホラと、水滴がキラリと光るような小さな煌きが闇の中に見えた。それからあちこちで光り始め、最初は少しも飛ばないようだったが、次第にそれらが飛び始め、だんだん高く低く、こちらに向かっても飛んでくるようになって、あたかも暗黒の舞台上での蛍の舞踏を眺めている感じになりながら静かに興奮した。
今ここにいるのはヘイケボタルとのこと。ゲンジボタルの方が少し時期が早い。光はゲンジの方が強く、ヘイケは弱い。しかしこの日、ゲンジと思われるものも何頭(ホタルは匹ではなく、頭で数える)かいた。やはり少し季節は遅れているのだそうだ。だが私たちは両方が見られて、幸運である。

大体一時間ぐらいで光の饗宴は終わるという。30分ほどそこにいて私たちは又歩き出した。最初の水辺に来た時、幼い女の子が蛍を捕まえたという。柔らかい掌に飛び込んだらしい。その柔らかい掌で飛び立ちもせず光っている。では、ちょっと我慢してもらってと、Kさんが懐中電灯をそっと当てて皆に姿を見せてくれた。平たい西瓜の種を少しふくらませた位の大きさと色。ヘイケはゲンジの3分の2の体長。

それから私たちは各自蛍のように光で足元を照らしながら列を作って入口にまで引き返した。行く手に見える民家の灯火が、くぐもった中にぼんやりと幻想的に浮かび上がってくる。まるで別天地に行ったようなひと時であった。命の神秘とその美に感謝しつつ、来年もまた蛍と出会えますように、互いの出会いもまた期待しながら8時半過ぎに解散する。雨は上がっていた。
 

投稿者 kinu : 15:26 | コメント (2)

2006年05月24日

懸念される「台峯緑地」(2)

今回は、この地の動植物やその生態に詳しい野鳥の会の会員で、いつも先頭に立って案内してくださっていたKさんが、珍しく風邪でダウンとかで、他の理事の人たちもちょっと慌て気味だった。初参加の人も多かったので、持参したこれまでの資料をひろげたりして、案内、説明を買って出てそれぞれ懸命にカヴァーしてくださっていたが、やはり全体がバラけた感じになったのは仕方ないことであった。しかしそのためにこの地で生まれ育った人や幼少期を過ごしたりした人の、これまでの短い歩行の中ではなかなか耳に出来なかった昔の話や意見が聞けて、とても面白かった。

今でこそ私たちは軽い気持ちで山を歩き回っているが、明治以前はそうではなかった。
だから『日本奥地紀行』を書いたイザベラ・バード(英国女性の探検家)が、東北の山中を歩き回った時はまさに奇行そのものに見えたにちがいない。
昔の日本では高い山は、霊山として信仰の対象であり、普通の人間は立ち入ることが難しく、修業としてか、又山伏のような行者しか入らなかった。山岳登山が日本に普及し始めたのは、上高地を開いたウエストンから始まる。すなわち高い山という偉大な自然を征服したり、興味の対象とする気持ちがなかったからだろう。
それに対して身近な低い山、すなわち里山は、人の暮らしと密接に結びついたものだった。里山は人あって成り立ち、また人は里山があって成り立っていたのであろう。村人たちは、里山と生活を共にしていた。子どもたちもその中で遊んだ。田んぼも畑も、家でさえ、山の恩恵を受け、同時に山も人から世話をされ、豊かになっていったのである。人は山に包まれていた。

今回も自動車道路を歩いて台峯へ向かっていた時、一台の建設会社のトラックとすれ違った。藁のようなものを満載していた。藁ではなく、カヤ(茅)だとのこと。どこから刈り取ってきたものだろう。茅葺きの家などはもう高級なものになってしまった。しかしまだ収穫できるところがあるのだなあ・・と面白く思いつつ見送った。

先日、TV番組「ダーウインが来た! はばたけ!イヌワシ大五郎」(5.21放映)を見た。
大型猛禽類イヌワシの生態を追ったものだが、今絶滅の危機にさらされている種という。イヌワシは蒙古などの草原に多く棲息する鳥だが、日本では岩手県の北上高地に400羽ほどしかいない。それが絶滅しかかっているのは、実は原生林などがなくなったからではなく、岩手で盛んだった牧場が次々になくなっていったからであるという。すなわち人間が原生林を切り開き、牧草地にしたために、そこで生きることが出来るようになったのであるが、酪農不振のため牧場は封鎖され、放置された結果、草は丈高くなり、樹木は茂り、自然が一見甦っていくように見えるけれども、かえって王者の風格を持つイヌワシは、狩りが出来ずに絶滅の運命を辿ろうとしているのだという。これまでイヌワシは、まさに人と共に生きていたのであった。

人と緑、自然との関係は、非常に根が深く複雑で、難しい問題だとつくづく思う。
台峯についてもそれに似たことがいえる。ここではこの台峯についての具体的な話については、書ききれませんでした。それで、もう少しだけこの場所についてお喋りをさせてもらいます。

投稿者 kinu : 14:32 | コメント (0)

2006年05月22日

懸念される「台峯緑地」(1)

昨日の日曜日、気温は高いものの爽やかな晴天、月例の「台峯歩き」に参加した。
ここが残されることは朗報だが、思ったとおりいろいろな問題が起こってきたようだ。
今、市は「基本構想案」を出してきて、それを市民、市民団体、業者とで協議しているところだが、その様子を聞いていると、懸念事項があれこれ出てきたように私には思われた。

その中の2つを挙げてみたい。
1つは、市が緑地として指定したからにはそれを整備、管理、公開しなければならないから仕方ないにしても、出入り口には駐車場や整備・管理棟、又内部にはベンチや標識などいろいろが設置されるわけだが、なんと言っても小さな池(周りの崖からの絞り水で成り立つ)とそれに続く湿地帯とせせらぎ、それを囲む尾根筋だけの狭い中に、それらが設置されるだけでもこの微妙な地勢の中には負担であるような気がする。これまで出入り口は、自動車道路から直ぐだが、駐車場がないので徒歩でしかここには入って来れない。又バス停や電車の駅などからは離れているので、この地味な自然をわざわざ見に来るのは、主としてよほどここに興味と関心がある酔狂な人、すなわちこの会を立ち上げた人たちのような人とか近隣の人だけだったのである。しかし駐車場が出来れば、車でくれば直ぐ緑地に入れる。
残された貴重な緑地というだけでやってきて、ああそうかとサッと眺めて、サッと帰って行く人たちも来れるのである。しかしここには観光の目玉になるような面白い見ものはないのだ(実はそうではないが、それは後に言います)。それでも彼らはやってくるだろう。

2つ目は、1とも関連するが、ここと尾根続きに隣接する「中央公園」との関係である。
公園の一部として組み込むのが行政としては一番やり易い。しかしそれではまったく残す意味はなく、市民団体としては決して同意できないことだろう。それは説得できるとしても、今切実な問題は、その公園とつなぐ道路の設置場所であるという。
市と業者の案としては、今でも険阻ながら尾根を越えて公園へ辿る隠れた細道があり、それを拡幅整備して正式な通路としたいとのこと。しかしそれはここの心臓部にあたる池のど真ん中に降りてくることになる。体験学習も出来る相当に広い、しかし整備された公園から、ちょっと足を伸ばせば直ぐここに入ってこれることになる。それはどういうことを意味するか。
大勢の人が簡単に入ってこれるということだけでなく、そういう人たちの侵入が、「歩く会」の人たちも踏み込まない(案内の人が決して踏み込ませない)、それほどその周辺には気を使っているその場所に、大きな影響を与えることは確実だからである。そうするとこちら側に渡る橋も架かるだろう。
実はここはもう少しすると、ホタルが見られる。平家ホタルと源氏ホタル、2回にわたって発生するのである。去年は台風などがやってきたため少なかったが、例年ならたくさん身の回りに飛ぶのだそうだ。(私はまだ見ていない、今年こそ見ようと思っているのだが・・・)。八幡宮でも見られるがあちらはよそから連れてくるが、ここは自然発生・・・という。
又ここではカワセミも見られる。ということなどが知られるようになったら、そして池に下りる道路が整備されたら、そしてまた車で簡単にここに来れて、緑地に入れるようになったら、橋や岸からそれらを狙ってカメラの放列が・・・・とイメージさせられると、ボランティアの幹部の一人が呟いた。

今でもここの出口(反対からだと入り口)から中央公園には行かれるのである。ただ宅地造成された住宅地を大きく迂回しなければならない。少々遠いのである。しかし今でも、坂道だが昔からの道が残っている。そこにしてくれと言っているところだそうだ。それだと緑地の端っこだから影響は少ない。そうなることを祈るほかない。

ここに入ろうとしていたとき、私たちの後から団体がやってきた。100人ほどもいるだろうか、コンニチワと言いながら傍を通り過ぎていく。これまで出合ったこともない(私だけではないだろう。グループにもこれまで会ったことがなかった)大勢の団体に、唖然としながらも、自分たちも同じく立ち入っているのだから非難は出来ないので、ニコヤカに挨拶を返しながら見送ったのであったが。今でも、もうこうである。
この会は、池のある谷戸に入る前に、帽子は取って、(入らせてもらいますと)お辞儀をして、入ることになっている。しかしそういう習慣、礼儀もまもなく旧習となっていくことだろう。

投稿者 kinu : 16:23 | コメント (0)

2006年03月30日

台峯緑地保存の基本構想

今日も真冬並みの冷え込みとなったが、昨日も寒かった。
台峯歩きもこのところ予定があったりして休みがちであったが、その緑地をこれからどのように保存していくか、その基本構想を市民に提示する市の説明会が昨夜行われたので、出かけねばならないだろうなあと思ったのだった。市内の5ヶ所で行われ、近くのその会場が最後であった。
本当は、昼間も外出したし、夜で寒いし、行きたくなかった。しかし意を決して出席したのだった。
思い切って出かけてみて、よかった。
これまで役所のやり方をあまり信用していなかったし、緑地が残ったのは嬉しいが、きっとがっかりさせられることが多いにちがいないと思っていたのである。役所もずいぶん変わってきたものだなあというのが実感だった。

詳しいことは書けないが、保存の基本理念の方向としては台峯緑地のすぐれた自然環境をできるだけ壊さないように、そのままの形で残すようにすること。もちろんそこが、人の自然とのふれあいや自然教育の場ともなるように考えるが、自然体系を壊すような手の入れ方はしないこと。所によっては人間の方を檻に入れるような形で近づけないようにもすることがあってもよく、単純に緑を守るというのではなく、自然そのもの、また専門家や市民の意見にも耳を傾けながら試行錯誤して計画を進めて行きたい、というのが大まかな内容であった。
もちろんここに至るまでの地道な市民レベルの活動があったわけで(私は含まれていません)、前から登場してもらっているこの地を丹念に歩き回り生態系を観察研究しておられ、毎月案内をしてくださっている久保廣晃氏たちの熱心な働きかけもあったにちがいないが、今のところこのようないい形で市が進めようとしていることに安堵した。
実際そういう気持ちの発言をした若い男性もいた。彼は台に住んでいるとのことで、(この「台」にも「台峯」とは別の緑地があったのだが、こちらの方は最近全て開発され60余戸の宅地になってしまった)
そこの緑地が次々に切り払われていくのを間近に眺めていて、胸が痛くなったのだが、こちらの方のこのように貴重な谷戸が残ったことが嬉しく、市や担当者の尽力に感謝するという趣旨であった。それを聞いて市の担当者は、そんな風に市民の方から言われると非常に嬉しい、その声が何よりの励みになるという言葉には実感がこもっていた。所有権という問題があり、行政の担当者も大変苦労するのである。

そういう発言や説明を聞きながら、緑に対する人々の意識、そして行政の対応に時代の推移を感じていた。実は私たちがこの地にやってきた時、同じようにというよりももっと大々的な宅地開発の波が、押し寄せていたのである。六国見山の中腹を開発する、いわゆる「円覚寺裏山を守る」住民運動が行われており、来たばかりの私たちも、柄になくそれに巻き込まれ、矢面に立った経験がある。結果はもちろん多くのそれと同様、開発は推進された。
25年以上も前のことだが、そのときの行政側の対応を思い出したのである。人々の意識も、行政側の態度もずいぶん変わったなあと思ったのはそういう訳があった。そしてその運動に一緒に携わった、今ではあの世に行ってしまった人への報告をもこめて、このことを書いておきたかった。

説明会でも出たことだが、緑を守ろうといっても、そもそもその主体者もまた、かつては緑の侵入者であるという、矛盾を抱えている。常に被害者であると同時に加害者であるという人間の両面を考えておかなければならないだろう。

投稿者 kinu : 21:06 | コメント (0)

2006年01月15日

今年最初の台峯歩き

昨夜、久しぶりの雨で、しかも雷も伴った激しい雨だったが、今朝は気持ちよく晴れ上がって、気温も3月下旬の暖かさという。

「台峯を歩く」日だったので、出かけて参加する。
花や紅葉があるわけではないが、湿った落ち葉や枯れ草を踏んで、すがすがしく裸木になって空にそびえる林を歩くのは気持ちがいい。
やはり少しずつ様子が変わっている。開発工事が行われていた第二の田んぼ付近、先月は何とか金網を潜り抜けて突破したのだが、今度は通り抜けられないようにもっと頑丈に棘の針金が巻きつけられているという。一人二人なら無理すれば通り抜けられそうだが、集団だと目立つし何かと非難されるだろうということになって、車道の長い迂回路をたどる。

今年は鳥の姿、特に冬にわたってくる鳥が少ないとの事。しかしカシラダカが見られた。そのほか高い梢で群れているエナガ、コゲラ、シジュウカラ、メジロなど、昨日の雨で餌が取れなかったので、一斉に出てきたらしい。しかしそうだと言われるだけで、私の双眼鏡では彼らがなかなか識別できるものではない。
高いところを飛んでいるのはヒメアマツバメだと教えられる。カワラヒワは私の庭でおなじみだ。コジュケイの声が聞こえた。木々が葉を落としたこの時期のほうが鳥の姿を見るのには適しているようだ。

今年がこの台峯の存続についての正念場だ、という。
今朝の新聞に「緑より防犯を/変わる公園」として、各地の公園で樹木の伐採や間引きが行われていると報じられていた。樹木がほとんどなくなり殺伐とした公園の写真が載せられていた。確かに異常な犯罪が次から次に起こるこの頃、防犯は必要だろう。しかし安全でありさえすればいい、という考え方もおかしいのではないだろうか。
安全から言えば、この湿地帯の谷はかなり危険なところだろう。だから今でも、ここに足を踏み入れる時は谷に向かってお辞儀をし、入らせてもらいますと声を出して言うしきたりだと案内者に教えられた。
そういうことで気を引き締めなければ怪我をすることがあるからだという。
危険といっても足を滑らせそうなところが少しあるくらいだが、その傾斜の細い道を、蔓やブッシュや木の枝につかまりながら下りていくのもまた面白いわけで、それを人工のコンクリートのしっかりした、しかし単調な階段になってしまったとしたらまったく趣のないものになってしまうだろう。そんな小さなこと一つとっても、これをどのように残すかは、行政のセンスにかかっている。それに反映させる住民の意見、センスにもかかっている。しかし世の中は時として大きな声の方に靡いていくから、皆も声を出してくださいといわれるが、それはしんどいことだなあと思う。

今日の素晴らしい収穫を一つ。
それは谷底を歩いていた時、ムラサキシジミ蝶に出会ったことである。蝶は普通羽を閉じて止まるが、そしてまさにシジミほどの小さいこの蝶も初め教えられてみた時はそうだったが、ひとたび飛び立ってまた崖に止まった時、羽を広げその青紫の美しい色をしっかり見せてくれた。そっと出来るだけ静かに脇を通り過ぎる一行が皆見届けるまで、あたかも見て、見て・・・といわぬばかりにじっとしていたのである。
この蝶は,冬越しをするという。それで日の当たるところに出て、日向ぼっこをしていたのである。

投稿者 kinu : 20:47 | コメント (0)

2005年12月18日

師走の台峯

日曜日の今日は台峯を歩く日である。
日本海側は記録的な大雪で大変な様子なのに、ここ関東は雲一つない青空。しかし寒気はきびしく、シバレルような寒さ。それでも奮い立って防寒を十分にして出かけた。
太陽のありがたみを感じる。陽射しが暖かい。そして日陰に入ると急に寒くなる。

今年は一体にもみじが遅く、まだこのあたりは多く残って、冬枯れに彩を与えている。
花はなく、赤い実の季節である。ビナンカズラ、ツルウメモドキ、千両、万両、ヤブコウジなど。
なぜこの季節赤い実なのか、というと鳥は犬などと違って人間と同じ色彩感覚を持っているので、やはり赤という色は、枯れ草や雪などの中で目立つから(というのが有力な説)らしい。

富士が見えるところに来た時、箱根連山への山並みがくっきりと眺められた。東京都内からでも遠望できるこの季節が一番よく富士の勇姿が望めるのである。暫く立ち止まって山の名前を教わりながら眺める。雪もかなり裾野まで広がっていた。
都内からやってきた人がこの大きな富士を見ながら、やっぱり富士山はりっぱですね・・・と声を上げた。

一ヶ月ぶりだがやはりまた開発の手が伸びてきていることを知る。2番目の田んぼの隣の草地が整地され、土手が大きく削られ、行く手は工事の為通行禁止になっている。しかし日曜日で工事がないため、張られている鉄条網の端をくぐって前進することにした。このあたりも車が通るようにするのかもしれない。そうすると田んぼの命脈もあと少しということだろうか。
今のところ残されることになった台峯自体はまだ手がつけられていないけれど、その残し方がこれから大いに問題になってくる。それについても話が出たが、それはまた書くことにします。ただその区画の周辺が次々に動き出した感がある。出口に当る場所、先月美しい荻の原であったところがすっかり刈り取られ、駐車場のようになっているようであった。

今年はなぜか鳥の姿がほとんど見られないと言っていました。シベリアからまだ渡ってこないのだろうかと。それでも天空を行くノスリ、2羽が見えたのは嬉しかった。トビも一羽(これは江ノ島などではもう嫌われ者になっているようだが)、コゲラも見えたというが私の目には留まらなかった。

投稿者 kinu : 17:08 | コメント (0)

2005年11月24日

台峯(田んぼについてーつづき)

台峯が残ることになったのは嬉しいことですが、市の管理になるため、その残し方が問題になります。隣接地に中央公園があり、大きく緑地を残し市民の憩いや散策に供されることになった事はそれはそれでいいことですが、この地をそれと同じに、公園的に整備されては何もならないからです。
日曜日に歩いた時も、車道からそれて、細い道に入ろうとしたとき、様子が大きく変わっていたことに声を上げてしまいました。内部に手を入れるために車が入れるようにと4メートル道路を作ったり、駐車スペースを作ったりすることは仕方ないことでしょうが、その調子で機械力がぐんぐん入ってくるのではないかと、不安を覚えました。
いえ、そんな話よりここでは田んぼの続きを書くことでした。
ここの田んぼの水は、川から引くのではなく、山肌からじわじわとにじみ出てくる「絞り水」によってまかなわれています。谷戸には水場があり、それが流れになっていますが、それも同じように周辺の山肌から出てくる「絞り水」が集まったもので、ちゃんとした水源のある川ではないのです。ですから乾燥期の冬場でも田んぼは湿っています。棚田なので、水気も下の方に行くに従い少なくなり、乾いてきます。そういう微妙な上下の湿気の違いがまた多様な生き物を生息させているのだそうです。
さてその田んぼですが、ここの2箇所のほか中央公園にも1つあります(もう一つ笛田にもあるとのこと)。この公園の田んぼではボランティアの人や子どもたちの体験学習のようなもので田植えから収穫などをやるそうですが、その米つくりに米の本場の青森からわざわざやって来た人がいたといいます。それはあちらでは収穫本位の大規模農業であり、米つくりの本当の面白さがないからだと言うそうです。
「利活用」の時代だからと案内者は言います。「利」がないと物事はすすまず、また残すことができない・・・と。この田んぼを耕している人も、採算を考えたらやってこられなかったでしょう。米つくりもコンピュータで・・・という傾向がすでにあるそうです。
大金持ちがいて、この田んぼを買って、道楽として残させてくれないかなあ・・・など言い合ったものです。
でもホリエモンさんは、田んぼよりコンピュータ、インターネットでしょうね。
こんなことを書いているのが、まさにそのインターネットというのは、まったく自己矛盾!ですけれど。

投稿者 kinu : 17:49 | コメント (0)

2005年11月23日

台峯(田んぼについて)

台峯といっても、保存が決まったのは倉久保谷戸といわれる谷間の湿地帯とそれを囲む斜面だけであって、その周りの峯にあたる部分は皆開発の惧れに晒されています。
ここに残る二つの田んぼもその部分に属しています。
新聞に、横浜にある蛍の生息地で、沢山の卵が死んだと出ていました(その新聞を探したのですが、見つかりません。確か昨日か一昨日くらい)。吹きかける湿気が多すぎたのだそうです。すなわちそこでは蛍を管理しながら育てていたのです。いわゆる魚を大量に養殖するように、大量に生殖させていたのでしょう。
蛍は流れがあり、田んぼがあって初めて自然に発生するのだそうです。ここの田んぼには蛍がいます。夏に蛍を見る会(夕方から谷戸に入るので一人では怖い)ももたれましたが、残念ながら出席できませんでした。
蛙もそうですが、卵を産む水場(水のある田んぼ)があり、棲み家としての土手や森があるから生きていけるのです。自然の田んぼには畦があり(土があり、草があり、そこにはいろいろな昆虫がいる)、水があります。そういう環境があって、初めて蛍は自然に姿を現すのです。蛍をたくさん見たいために大量飼育するなんて、あまり意味がないように私には思えます。それは環境を守るというより、それらを見たいという人間の欲望の延長に過ぎないのではないか・・・と。
二つのうち最初の田んぼは、梶原の住宅地に至る車道のそばにあります。もう一つは車道からそれて山道に入ったところにあって、ここの半分ぐらいですが、どちらも段になっています。稲刈りは終わって、黄色の鳥よけの網がまだそのままになっていました。網が張れるのも狭いからで、また網を張らなければ皆鳥に食べられてしまうからです。田んぼだけではなく畦の手入れ(これが昆虫や植物の生息に、これまで意識されていなかったことですが、重要な役割を果たしていたのだそうです)その手間と労力は大変なもので、この二つの田んぼの持ち主は高齢者。二つとも風前の灯火です。
この田んぼについて、もう少し話したいのですが、それは次回にします。

投稿者 kinu : 10:46 | コメント (0)

2005年11月20日

台峯を歩く(もみじについて)

冬の寒さの秋空のした、台峯を歩いてきました。
「台峯」は、最近やっと緑地として保存が決まった湿地帯の谷戸で、貴重な生物体系を保存している県内でも残り少ない質の高い自然です。
月一回、歩く会がもたれていて、この保存運動の母体として活動してきていて、私も何年か前から時々参加、最近はなるべく歩くようにしています。
午前中2時間半ほど、全身を耳にしてのゆっくりした散策ですが、季節の推移が感じられると同時に地元に密着した案内者の説明にいろいろ教えられます。専門的というより、自然そのものに入り込んでの観察、自然と人間との係わり合いを考えた意見が聞かれるからです。
一回歩いただけでも沢山学んだこと、話したいことが出てきますが、それは追い追いすることにして、今日は前回裏山の紅葉について書いたので、そのことについて書きます。すべて学習したことにすぎませんが、この自然を守る活動に(私は享受するだけで何もしていないので、書いて知らせるだけでも)何かの役に立つのでは・・・と思い、書きます。
この辺りの紅葉は、あまり綺麗ではないなあ・・と思っていましたが、その理由が分りました。
特別な場所を除いて、山を赤く染める楓が少ないからです。赤いのはせいぜいハゼの木。草紅葉。しかし黄葉する木は沢山あります。ケヤキ、シデ、イヌシデ、コナラ、ミズナラ、その他いろいろ、広葉樹は皆色を変えます。そしてその黄葉する時期がそれぞれ違うので、黄葉、褐葉の期間が長いのです。
この辺り、大きく言えば鎌倉のもみじの一番良いのは12月はじめ(昔は終わり頃だったが、温暖化でとの事)だそうです。何となく感じていたのですが、そういわれてみて、初めてなるほどと思いました。
もみじの季節、地味だけれどもしっとりした色合いの低い山々を、長い期間楽しめるのがここの取りえのようです。
春の芽吹きから新緑の季節についても同じことが言えます。北国の短い春と秋とは対照的だと言うことでしょう。

投稿者 kinu : 17:02 | コメント (0)