2022年04月19日
水野るり子さん追悼
2022年1月10日に水野るり子さんが静かに旅立たれました。Fiddle-Faddle8号が届き、荒川みや子さんが以下の追悼詩をささげていらっしゃいます。私たち、皆に大きな影響を残された詩人でした。ご冥福をお祈りします。
窓 水野るり子へ
荒川みや子
まとっていたものを
そっと ぬぎ捨て
あなたは
逝ってしまった ひとりで
冬の
つめたい光の端を 髪に止め
香り草の束を
枕もとに置いたまま
開け放された 西の窓から
海が見える
今日と明日の境をこえて
一角獣が ひっそり
見えない虹を渡っていく
とぎれなくつづく 夢のかけら
書かれなかった 言葉のゆくえ
生きものに降りかかる 雪のような哀しみ
石畳の町に 靴音がひびいて
貝の化石は ふかい眠りにつく
波の帆が ゆっくりと上がる
残された私たちをうながしながら
はやく 次の朝を迎えるように と
2022年04月05日
HPの移転
公開していたWebcrow が3月31日で終了してしまったので、これを機にHPを移転しましたことをお知らせします。新しいURLは友人のサイトで
ウクライナの状況が精神的にも肉体的にもこたえていて、どうも調子がよくありません。1997年に描いた「25時のアリア」のことばかり思っていて、時々夢に出てきます。あの作品は、大作の方はどうも自信が持てなくて画集にも小品しか載せていないのですが、実は130号位の大作を2点描いています。現在の虚無的な状況があの作品を思い出させるのかと思うのですが、どうもショックを受けるとそれを絵のかたちで自分の外に出さない限り、この状態が続きそうで、しかもあの作品以上のものは今の自分にはできないと思っているんだろうなぁ、、、と自己分析しています。そうしたところで何の役にもたたないことは承知の上で、個展の後、取り掛かった今の作品を一応仕上げたら、昔の作品にもう一度向き合ってみようと思います。
2022年01月09日
2022年初頭のご挨拶
明けましておめでとうございます。暮れの個展には寒い中にもかかわらず沢山の方に作品を見ていただきましたことを有難く思っております。現在の感染再拡大を考えますと奇跡的に少ない時期でしたからこそお会いできた方も多く、改めて皆さまのご健康をお祈り申し上げます。
暮れから新年にかけて、新作をHPにupしたくて、苦手なHTMLと格闘致しました。根本的に分かっていないことと、機械であるPCの前で冷静さを保つことが難しく、すぐパニックになるのでうまくいきません。今回はPCに強い友人の助けを借りて何とかupまで漕ぎつけました。
個展にいらした方もいらっしゃれなかった方も、よかったら覗いてみて下さい。
やっと個展後の大事な後始末が終わったので、明日からまた新作に入ります。
辛い時代に入っていることは皆が何となく分かっているのです。
「、、、でも描く」のは何故だろう?刺激の強い「動画」が溢れています。ジェットコースターのごとく次々と場面が変わり、振り回されるように体験が続いていく、、、そこで私たちが失うものがきっとある、と私は思います。静かに出会う絵、頭を働かせない限り何も得られず、そう簡単には分からないけれど、いつまでも心に残ってしまう絵、そんなことを考えて新しい出発をしたいと思っております。
井上 直
2021年11月11日
「個展のお知らせ 2」
井上 直 展
12月6日(月)〜18日(土)11:30〜19:00(日、祝休廊)
「谷戸の蛍A」2020~2021 1620×1940
art space kimura ASK?
〒104-0031 東京都中央区京橋3-6-5 木邑ビル2F (東京メトロ銀座線「京橋駅」2番出口より徒歩1分。都営浅草線「宝町駅」4番出口より徒歩1分。)
TEL.03-5524-0771
E-mail: asku@oak.ocn.ne.jp
ASK? ホームページ http://asku.sakura.ne.jp/ask
4年ぶりに個展をさせていただきます。この4年間、特に後半は世界中がコロナウィルスに翻弄された2年間でした。450万人以上の方が感染症で亡くなり、それは今も続いています。
「わたしは知っている。なぜ人びとが死者を土に埋め、そのうえに考えうるかぎりいちばん重く永続的なものである石をのせるのかを。そうしないと大気のなかに死者がみちあふれてしまうからだ。」(「儚い光」黒原敏行訳・早川書房)とアン・マイクルズは言いました。数千年前のギリシャの遺跡は、そこに確かに存在した人々の痕跡を伝えてくれますが、死者の時間と現在の私たちの時間が交錯する風景があるのかもしれない、と思いました。そして「時間的継起を風景へと展開することで、それだけよりよく、時間を見ることが、経験することが、把握することが、それに働きかけることができる。」(「晩年のスタイル」大橋洋一訳・岩波書店)とエドワード・サイードは述べています。
ご覧になっていただければ幸いです。 井上 直
なお以下をクリックすると 個展のパンフレットがご覧いただけます。
個展紹介パンフレット
2021年06月13日
「個展のこと」
昨年12月の個展がこの6月に延期されていましたが、それも緊急事態宣言下になってしまいました。一応企画展なので画廊ASK とも相談しました結果、今年12月6日(月)〜18日(土)に決まりました。画廊のある京橋の通りも、美々卯が撤退し寂しくなったそうですが、年末には少し賑わいを取り戻しているのではないだろうか、という判断です。
コロナの状況下、皆さまはどのようにお過ごしでしょうか。 私は、川崎市、町田市、横浜市、と三つがぶつかる場所、つまりどの市の中心からも遠い辺鄙な場所で、静かにコンスタントに描いています。若い頃、大江健三郎氏の小説に多大な影響を受けながらも、彼の書くものによく出てきた「習慣」という言葉に軽い反発を感じていました。「惰性」に陥るまいと思っていたんだろうと思います。今、年老いて体力が落ちてくると、まさにその「習慣」をよすがに暮らしていると思います。以前と同じようにはできない。あれをしながら、これもする体力はない。他のことは出来なくても1日にこれだけの時間だけはアトリエに入る、それだけで必死です。
それでもこの時期、美容柳や紫陽花が華やかに咲き、一人ぼっちの生活を励ましてくれます。ヤモリの子供たちがもつれ合って日光浴をして気持ちよさそうです。オオルリが美声を響かせ長く長く鳴いて、そんなにアピールしたいの?恋をしたんだね、と微笑ましい限りです。
刻々と近づいてくる私の終わり、その予感を感じつつ、それを画面に定着できるか、できないか、私の絵の価値はそれで決まるだろうと自覚しています。12月近くになったらご案内差し上げます。どうぞお元気で。
井上 直
2021年02月27日
「ヒポカンパス詩画展」の動画
A Happy Blog 大杉利治さんのおかげで、2006年の「ヒポカンパス詩画展」の動画が再び見れるようになりました。初めての方も、久しぶりにご覧になる方も、共に楽しんでいただければ幸いです。
日本で初めての長編同人誌「ヒポカンパス」が出版されたのは、もう15年も前になります。その表紙を担当させていただいたおかげで、3人の素晴らしい詩人の方々とのコラボレーションが実現しました。コロナの時代の今、その幸せを改めて感じています。
http://www.shimirin.net/~nao/doujin.html
2020年12月08日
「『V字鉄塔のある惑星A』を歩いて」
詩人の岡島弘子さんが詩誌「つむぐ」に「『V字鉄塔のある惑星A』を歩いて」と題するエッセイを書いて下さいました。ご紹介させていただきます。
「V字鉄塔のある惑星A」を歩いて
岡島弘子
その日は快晴だった。北風が強く吹いて私の縮れ毛は迷路のようにもつれた。そう、方向音痴の私にとって岡本太郎美術館への道は迷路だった。私バスの終点で降りて、まず方向を決めることにする。地図を見ると生田緑地の中だ。通りがかった人に道を尋ね、曲がりくねった道をひたすら下りる。目立った道標がないので、再度家族連れに尋ねる。みな親切に教えてくれる。若いカップルが多いのは新興住宅地のせいなのだ、と思う。この地で新生活を始めたばかりなのだろう。希望にあふれた笑顔がすがすがしい。「閉まっているかもしれませんよ」と声をかけてくれる人も。そう、今日はコロナウイルス感染防止のための緊急事態宣言が発令されて二日目、4月10日なのだ。今日まで、ということなのであわててやってきたのだった。三つ目の坂を下りたところで木立の間に巨大なモニュメントを発見。なるほど。道標がなくとも、一目瞭然、とばかり立派な玄関に突進すると、そこは喫茶店だった。地味なトンネルのような入口をようやく見つける。常設展岡本太郎「聖家族」のまろやかな作品群の中を突っ切るとその奥に、ひときわ明るいスペースが。岡本太郎現代芸術賞展。その空間のほぼ中央に「V字塔のある惑星A」があった。井上直さんの、2006年の作品だ。壁の一面を全部使っての大作。荒涼とした画面には緑が欠片もない。白と灰色、そして黒と青。寒色系で占められている。鉄柵とV字塔と電線だけが地平線の奥まで連なっている。空も不気味な雲で覆われていて、カラスが二羽飛んでいる。そこでひときわ目を引くのが白衣。そうあの透明人間のような白衣だけが黒いボートに乗っている。ボートは三隻ほど。手前と中程と、そして奥。そのほかの白衣は、地面に横たわり、あるいはちぎれて電線に引っかかっている。裂け、横たわる白衣は残雪のようだ。V字塔はこの画面の中で、ひときわ不安定だ。そして気になるのが画面右奥の灰色の建物と丸みをおびた、ふたつの塔のようなもの。じっと眺めていると不安と危機感とに襲われる。これは、雷雲に覆われた荒野ではないか。今にも雷鳴がとどろき、稲光して驟雨に閉ざされる。その直前の原野。
この絵に初めて会ったのは2006年の井上直さん、の個展で、であった。その時ご主人は雷の研究をしている、と聞かされた。
2020年の今、こうしてふたたびこの絵に向き合うと、次々と、この絵の言葉が聞こえてくる。そう、謎の白衣。あれは研究者であるご主人だったのだ。そして荒野はご主人の心に広がる研究現場だった。右奥の建物。あれは原発。2011年の東日本大震災の原発事故を予知しての危機感だった。そして2020年の新型コロナウイルスの恐怖。千切れたり横たわったり、そして電線や鉄柵に引っかかっている白衣は医療従事者であり感染した犠牲者なのだ。そして、もうひとつ大切な声が聞こえてくる。白衣。それは井上さんの愛とかなしみ。それに他ならない。井上さんのご主人は亡くなられた、と聞いている。寒色系だけの画面の中、白衣だけがふくらみをおび柔らかい。愛とエロスだ。亡くなったご主人を絵の中に描くことによって、いつまでもいっしょに生きていくことを可能にしたのだ。そしてかなしみ。私も故あって、一人暮らしの達人となった今、そのことがひしひしと伝わってくる。
2006年に描かれた絵に今やっと時代が追いついた、と言うべきか。放射能汚染。コロナ禍の危機と恐怖。そして死。それらを「V字塔のある惑星A」は先取りしていたのだ。
生田緑地を彷徨ってやっとここまでやって来た。これは私自身の心の中の旅でもあった。
●おかじまひろこ
1943年東京生まれ。詩集『つゆ玉になる前のことについて』で地球賞受賞。詩集『野川』で小野十三郎賞特別奨励賞受賞。「ひょうたん」、「歴程」同人。最新詩集『洋裁師の恋』。山梨日日新聞月間詩壇の選者。2020年12月に「世田谷歌の広場」で私の詩が演奏される。