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2006年03月27日
「パルナッソスへの旅」
相澤正一郎さんから「パルナッソスへの旅」H氏賞受賞の知らせが届き、私も本当にうれしかった。 詩集の表紙に使っていただいた絵は、「かれらのなかに土があった」という題で、パウル・ツエランの詩から引用した。 4年前の冬、ポーランドのクラコフに行った時、樹木の高さに驚いた。 日本の樹の2〜3倍もあろうかという高さの樹が、枝をからめ、コケを纏い、ー10度の冷気の中に立っていた。 一時は地図上から消えたというポーランドの複雑な歴史と、我々人間の愚かな行いを、ずっと見つめてきたのか、と私は頭の下がるような気持ちで樹木の間を歩き、樹皮に触れてみた。 冬日は差してはいたが、とても遠く感じた。
詩集ができあがった時、「書肆山田」の印刷がすばらしく、ほぼ原画どおりの空気でありがたかった。 それ以上に、相澤さんの「言葉とご自身との間にある距離感」が好きだった。 私たちはもう事物に対し、触れてはいても、本当には触れていない。 「今朝もお鍋のスープをかきまわし、出がけにちょっとけつまづき、、、」 でも私はどこへ行こうとしているのか。
2006年03月04日
現代美術館ー転換期の作法
雨の日に、「現代美術館ー転換期の作法」を見にいった。 ポーランドの作家たちのビデオ作品がとても面白かった。ジミェフスキの 'Our Songbook' は、ポーランドを離れ、イスラエルに移住した人々を訪ねて、彼らの記憶に残る歌を歌ってもらう、という映像だ。 寝たっきりで、最初、ほとんど会話もできなかったおばあさんが、だんだん記憶の焦点が合ってきて、外国の侵略に対し戦おう、、という歌詞の国歌を歌い始める。 彼らの顔の皺、もどかしげな表情、故国を見つめる遠い目、哀しみの記憶、、、まさに映像ならではの手法だ。 昨年見る機会のあったパレスチナ・イスラエルを映像でたどるドキュメンタリー「ルート181」のことも重ねながら見た。 そして体験はなくても、私達現代に生きる人間にとっての「移民」の普遍性、ということを考えた。
もうひとつ、ポーランドの4人グループ、「アゾロ」の<全てやられてしまった>も現代美術の本質をついてなかなかだった。 4人は次回の作品について相談を始める。「何かまだ誰もやってないこと、あったかなあ、、、」と、思いつくものを次々に挙げるのだが、、、、みんな既にやられているのであり、見たことある、のである。 彼らの母国の巨匠、S. レムが「高い城」の中で鋭い批評をしているように、現代美術が苦しんでいるということは自明のことだが、アゾロはそれを「自分たちを笑い飛ばす」という戦略で差し出す。 「どこか、力のない笑い」だが、それは私たちが生きていくための、最後の、切ない手段なのかもしれない。