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2007年04月01日
拝啓 横山大観さま、
2月末日に、東京国立近代美術館で、あなたの「生々流転」を再び拝見しました。
筆と墨と水だけで表現された水墨画の世界は、遠い記憶のかなたから何か呼び覚まされるような経験でした。 けぶるような、かすかな大気と、くっきりと際立つ樹木たちは、あらゆるトーンと線の魅力にあふれ、大胆な構図と繊細な表現の対比が、見事でした。 そして何よりも、「生々流転」という自然の営みの中に含まれた「円環の思想」は、ちょうど春を迎えたこの時期に相応しく、祖先が感じたであろう「再生の力」が、私の中にも蘇るようでした。
「大観さま」と呼べば、あなたは歴史上の人物、ほど遠い存在。 でも「横山さま」と呼べば、あなたも同じ人間。 つい84年前、私の両親が生まれた頃に、独りで世界を受けとめた、その志しの高さに打たれます。 40mを描き終えて落款を押された時、あなたのお気持ちはどのようなものであったか、、、これを描くために自分は生まれてきた、とお思いになったのでしょうか。
「生々流転」の翌年にお描きになった「東山」にも私は魅せられます。 あれほどのお仕事の翌年に、まだやり残した世界として、「生々流転」の手法が凝縮されているように思います。 「見えないものを見えるように」ではなく、「見えないものは見えないままに残す」ことで生まれる「空気」と「品格」─それは、かつて私達の祖先が持っていた大切なものではなかったかと。
今は風景にも住居にも空いた空間が少なく、「空気」も「品格」も生まれにくい状況です。 あなたのご存じないラップという音楽は、埋め尽くされた世界─まさしく私達が日常感じている圧迫感に近いものです。 このような時代に、「人と生まれたからには、あなたのように世界を受けとめてみたい。」と願う私は、ただの愚か者でしょうか、力もないのに、、、。
横山大観さま、どうか、いつの日か、私のアトリエにおいで下さい。 そして力をお貸し下さい。 あなたの場所はいつも空けておきます。 「酔心」も用意しておきますから。
2007年4月1日
井上 直