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2010年07月29日
夕べの夢
ケータイ電話におなじメールが2通入っている。自宅に誰かが訪問して待っていると。急いで自宅へ向かうが、近くまで来たところで自宅がどこだったか思い出せない。ちょうど古い級友のSが通りがかり「ボケたんじゃないか?」と自宅まで送ってくれる。
自宅はあるにはあったが細い下り坂の途中のようなその場所も家の造作もまったく見覚えがない。若い女性が待っていてCMのキャッチフレーズの依頼に来たと言う。え"っ、ぼくはもう現役じゃないが?と戸惑いながらも後についていく。すると、自宅のすぐ裏手に見たこともない湖(南の島の海辺のように透明度が高く浅い)が広がっていて、そこで撮影が行なわれている。
数十人のスタッフやらなにやらが一斉にこちらを振り向く、が見たこともない顔ばかりだ。むこうもみなあからさまに不審の表情を浮かべている。そりゃあそうだ。ぼくはもう20年近く本来の広告づくりの現場から遠ざかっている。お呼びなわけがない。
なかに一人だけ向こう側をむいたままチェアに座っている影のような姿が見えた。この撮影現場のディレクターだろう。ともあれ事情を訊こうと近づくと、なんとかつて何度か仕事でご一緒したTさんだ。Tさん!と声を上げると間髪を入れず「人間関係じゃない!」と叱る。
どうやら自宅へ依頼に来た若い女性がコピーライターで、そのディレクションをやれってことのようだ。
それにしても何のCMなのか何がネラいかもわからない。見回したところパンフレットのようなものが目に入ったのでそれを手に取り女性のコピーライターに渡そうとすると、そんなもの見ちゃダメ!と別の女性スタッフが奪い返す。どうしたらいいのか、途方に暮れていると女性ライターがこんな感じでどうでしょうと、コピーのメモ書きをよこす。いいもワルいも判断のしようがない。それどころかなにが書いてあるのか意味がまるで読み取れない。途方がどんどん暮れていく
2010年07月20日
つづく!iPad
深夜にどっかのテレビチャンネルで「お願い!ランキング」という番組をやっていて、なぜか観るタイミングがよく合う。
通常、テレビはつけていても音を消し(たとえサッカーであっても卓球であっても)もっぱら音楽を聴き作業しながらたまに画面を観るのが習慣で、まともにテレビを視聴することはあまりない。なのに、この番組に限ってけっこう見届けることが多い。よほどお願いがあるからか?
きょうはiPadの歩き方?みたいなコーナーで、勝間某という女性が最新のお気に入りのiPadアプリケーションソフトの案内をやっていた。ある意味(あ"の意味)ショックを受けた。おいらはiPadを無意識のうちに完結したつまり閉じられたシステムとして見限っていた。インターネットを含めてのうえで。
iPadではiPad用にたくさんのアプリケーションソフトが用意され、提供され、開発されていることをなぜかそっくり見過ごしてたってわけだ。普通のPCだっておなじようなアプリケーションソフトはいくらもある。あたりまえのメニューのように。そのせいだろう。
が、iPadというテーブル(タブレット)のうえではそのあたりまえの料理がまったく違った料理になる。PCとおなじ料理のようにみえるが味がぜんぜん違う。ラーメンであれなんであれよくアリャ!ってなことになるのとおなじだ。これもあたりまえだけど。
コンピュータの心臓を持ちながらコンピュータではない。家電というのもちがう。オモチャ?というのもちょっとそぐわない。考えあぐねているうちに、ふと "空気さなぎ" に思い至った。村上春樹のあの1Q84というファンタジーが辿るひと筋の謎の通路、物体だ。Book 3も手に入れて読んだけど、これはまだまだ "つづく" しかないなあと思った。iPadの報告も "つづく" しかない。
2010年07月04日
揺らぐ!iPad、ブレない?カスゴミ
不思議な林檎ランプの詩(童話/尾崎まこと作)をruriさんが紹介しているのを読んで、もしかしたらiPadも芯に小さな炎が灯ってるのに、ぼくが気づいてないだけかもしれないとふと思ったりした。じつのところ先入観が先走って奇妙な果実(林檎)なんて、ちょっとハスな感想を書いたりしたけれど、あらためてちゃんと齧ってみなければと思う。
もっとも核芯を理解できた頃にはもう秋どころか冬だったりして ^^;) → jinbei殿) 宇宙の揺らぎを口にして余計に宇宙人呼ばわりされた前総理だが、偏微分とか多変数解析とか超むずかしい分野で博士号(正式にはPh.D.)までとったその思考の核芯がなかなか理解されないようにね。炎は揺らぐものだ。ま、ちょっとコジつけっぽいが。
それにしても、ネットというのは思いがけない知恵やイメージに満ちている。宇宙とまでいえなくても壮大な図書館であるには違いない。
ブレるとかブレないとか、表層だけを見てつまらない報道ばかりやっているどこぞのカスゴミなどよりよほど有益だ。
ヒトラーのように首尾一貫しろと、それならそれでいい。そう言え。だがこいつらが日々言っていることがブレブレなのは周知のとおり。
こんなキモい言い草が通用するようになったのは、コネズミとかいう駄法螺男が「わたしはブレない...」などと大ボラを吹き大手スカゴミどもがその流通(言)飛語に買って出たからだ。 都合のいい駄法螺や当局のリーク、デマにはすすんで乗っかり、言論の自由を声高に言い立てながら、裏では言論統制を平気でやってのける。公職選挙法改正の成立を阻み続けているのもこいつらだよ。報道ひとつしない。
公職選挙法が改正され、ネットでの選挙活動が解禁されていちばん困るのがこいつらだからだ。こいつらだけが選挙報道もできるという特権をなにがなんでも手放したくないわけだ。
ほんとうはこいつらにこそレッドカードを突きつけるべきなんだ、とブラジル萌え(炎)が揺らぐばかり。話は遠く飛ぶが映画も曲もよかったなあ、ブラジル1Q84(ちなみにこのO's Blogのタイトル画像はそれがルーツ)
そこでふっと舞い戻ったところ、iPadはやはり映画やビデオやYouTubeを美しい映像で堪能したり、好きな音楽を味わったりフォトアルバムを作って楽しんだりする初心がいちばんかなあと、そんなところだった。とりあえずだけど