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2010年10月24日
人を食った話(つづく、フォークロア)
またひとつ年を食ってしまった。
年は食いたくないものだけど食わされちゃうんだから仕方ない。食ったところでなんの足しにもならない。食わずにパスできないものかと。
そしたら人を食ったらいいらしいよ、と口元でウィンクされた。
ほんとうに人を食ったら洒落にならないが、開高健によれば、中国のフォークロアというかエピソードには喫人の話がやたらと多く効用もあるらしい。じつは原書がある。篠田統「中国食物史」(柴田書店刊)。そこからの引用でかなり怪しく人を食った伝聞だけど、いくらか御利益をいただいた、気がする。
トリスを飲んでハワイへいこう、って煽ったのはサン・アドの同僚だった山口瞳だけど、開高健は人を食らって世界へいこう、と励んでたんじゃないだろうか?
広告という生業と小説という本命を併せ食う器量。それは詩人の世界にもある、あった、というかけっこう多かった。このa Happy BlogのIさんやFさんもそうだ。
年を食ったおかげで、かつてサン・アドでデザイナーをやっていたkさんと詩人のFさんと飲んだ。喫煙をやめるつもりはないが禁煙のふたりを前にしてどうしたらいいか尋ねてみた。そしたら、食べちゃえ、って
トリスを飲んで菊花賞10-2-3か15
で、大敗を食らった。買わないでよかった。24日15時45分
2010年10月14日
、や 。
郷愁とか住処とか行方とか迷路とか着信とか兎年とか銀河とか、
いろんなことがらがサイトのあちらこちらで浮かび彷徨った。
たぶん月が指さしている方向なんだろう。
狂ってなくちゃ面白くない。笑えなくちゃつまらない。
スタンリー・キューブリックやテリー・ギリアム、北野武の映画
エリック・サティ、中島みゆき、村上春樹、稲垣足穂、ボリス・ヴィアン
大まじめを見せられながらどこかクスクス笑ってしまう。
そんな指向がいつからか穴のように居座ってしまった。
その穴には詩や句や広告文案といったものも沈んでいる。
詩や俳句で「、」や「。」を見たことがない。
ふつうそれは記号あるいは呼吸の印にしかすぎない、と思うけど、詩人や俳人はそこに深い井戸か穴を幻視し糸を垂らし辿り降りるものだろうか。だから( 、)も( 。)もいらない、のか。
音楽というか楽譜には( 、)や( 。)に相当する記号がたくさんある。
エリック・サティの曲だと思いこんでいた、ヤン・ティルセンの曲は何度も聴いたような記憶があるのに、どんな記憶だったか思いだせない。( 、)や( 。)みたいのがいっぱいある。
たぶん郷愁とか既視感のせいだろうと思うけど、フォークロアというのはどこに生まれ住んでいても地続きなんだと気がした。
ほんとうはどこかで跡形もなく聴いたのかもしれない、が
と、つづく
2010年10月09日
ものいえば
唇寒し検察審
唇寂しセブンスター
と、このところの唇攻撃連発でノックダウン寸前だったけど、かろうじてiPadのゴングで救われた。
iPadのアプリケーションソフトには気晴らしにうってつけのがたくさんあった。(無料のものも多い)
オセロ(PONOS REVERSi HD)、将棋(MURATA SOFTWARE)、ボウリング(10 Pin Shuffle)、金魚すくい...といったゲーム&対戦もの、「Magic Window」という風景推移や「Planets」という超プラネタリウム世界を映し出す癒し系...
なかでも目を見張らせたのが「Alice for the iPad」という電子ブックだった。
英文(横書き)だけどそれを初めて見たときには、ジョン・テニエルのイラスト(1865年当時)がそのまま使われ、それが高度な動画効果や指先タッチでいろいろな変化を起こすのを体感し身震いさえした。
これに似た試みはだいぶ前に水野るり子さんや淵上熊太郎のCD詩集 = ポエムービーで展開した経緯があるけれど、それはフラッシュ(Adobe Flash)というソフトウェアによって実現したもので、iPadではいろんな事情によって再現できない。
それゆえというか、余計にというか、iPad(あるいはKindle)上に再現したくて止まらない今日この頃、iPad上ではすでに「青空文庫」が「i文庫HD」として縦書きで電子ブック化されていた(これは文字テキストベース)。
予想を超えるスピードで電子ブック化がすすんでることをiPadを通して知ったのだった。
ものいえば 唇ビビる 電子ブック
ついでに面白いというか驚いたのが、「SoundHound」という、ある曲のメロディは覚えているけど、誰のなんて曲だったかわからないとき、ハミングすればピタリとその曲を当ててくれるって、唇うれしいアプリもとりあえずダウンロードしたりした。まだ試してないけど、