2010年02月08日
大毅、勝った。石川、負けるな
第一ラウンドは、「新政治問題研究会」とかいう政治団体からの小沢氏側への通常(おもて)の献金だった。
が、特捜は、予断というより計略的に、こ、これは西松建設が仕組んだダミーの政治団体による偽装献金にちがいない、よって政治資金規正法違反、と事件にした。
おまえのグローブは鉄筋入りの偽装もんだといいがかりをつけ、いきなり判定勝ちを狙ったようなものだ。いずれまぎれもない素手の"鉄拳"返しに打ちのめされるだろう。
第二ラウンド
第二ラウンドの核心は、第一ラウンドの特捜の暴走を諌めるどころか、マスメディアが司法権力と一体となってリーク、予断、誤報といった禁じ手を一方的にくり出したことだ。
亀田大毅vs.デンカオセーンは堂々たる闘いっぷりで見ごたえがあったし、判定結果も公正だったと思う。が、翻って、小沢vs.検察の戦いは、検察・マスコミ連合による反則パンチ(デマ、誤報、煽動)が目に余るばかりで、公正さのかけらもなかった。
それでも、小沢氏は不起訴になった。石川議員はじめ秘書のみなさんも感無量だろう。とうぜん全員無罪だ。
かくして旧勢力、マスメディアあげて小沢氏を格好の標的に新政権を貶めようとやっきになっている今日この頃、皆さま、いかがお過ごしですか?
‥‥ってことで、いよいよ米軍を巻き込んだ第三ラウンドへ、つづく
"きっこのブログ"風味にしたかったけどむずかしい ^^;) 本家を読んでね
2010年01月24日
名護市長選、新人当選!
ぼくはCDやCMを工作したりCHINAそばを楽しむのは大好きだが、CIAのような政治工作や情報操作をするのはあたりまえにノーサンキュである。
CIA(Central Intelligence Agency)というのは、知られるように地球上の民族、民衆、国や政府に対しさまざまな裏工作をするアメリカの地上最大最強の諜報(重宝?インテリジェンス)機関だ。
目的はもちろんアメリカの自己中保全(反米退治)である。
今日、沖縄県名護市の市長選挙がある。
ここでもCIAはすさまじく暗躍しているらしい。
昨年の政権交代直後は反現職、反基地の新人候補が優勢だったが現在は基地容認の現職と伯仲しているという。
民主党の小沢幹事長の問題がひびいていることもある。
が、これも工作のうちだろう。
24日、夜遅く新人の当選が決まった。
ネット上では早々と当確が出ていたが、テレビでは11時を過ぎていた。
期日前投票(40%)にいろいろ工作があったようだ。
ともあれ、this is it
投稿者 oqx1 : 03:08
2009年12月10日
サウスバウンド 3
7月半ばに沖縄へ3度目の旅行をして、ますます沖縄が好きになった。
食べ物だけはどうも慣れないが、実のところ移住したくなる誘惑にさからえない。そんな思いが募るなか、8月末、日本に新政権が誕生した。そして、いま基地の移設問題がクローズアップされている。
沖縄に基地があることそのものが野暮天としか思えない。そんなものがなければもっと魅力的な島々なのに。普天間や嘉手納から野暮天がいなくなったらどんなに清々しいことか。
が、アメリカという野暮天国、覇権国は意地でも居座るつもりのようだ。グアムどころか県外移転さえ受け入れそうにない。必死に圧力をかけてきている。じゃあ、どーする?
発想を転換してみる。
基地がキャンプ・シュワブに移転するのではなく、住民が、普天間あるいは嘉手納から島内の安全な他の地域へ移住する。
住民を迎えるニュータウン(リゾートタウン)をつくる。もちろん整備、移住コストはすべて日本政府が負担する。普天間、嘉手納を合わせた住民人口は10万強。そのうち数千人が基地の地主であったりするが、その人たちへの補償もすべてする。
基地はとりあえずなくならないが、基地の意味、価値は半減するだろう。
なにしろ沖縄の人々の生活にまで寄生してきた存在だ。
基地はいずれ撤退せざるをえなくなる。
一方、リゾートタウンにはみんなが住みたくなる。(オイラも ^^;)
つづく
つづきがなかなかつづかなかった。
直後に亀井という日本の大臣が沖縄カジノ・リゾート構想というのを打ち出してニュースになったからだ。
政治家というのはとことんリアリストだ。瞬時にマカオが注目された。中国もカジノは好きらしい。
夜、足の親指の爪を切っていたら、肉まで切ってしまった。
爪と肉の境がグラデーションになっている。
爪が肉に食い込んだのか、肉が爪を埋め込んだのか。
ああ痛っ、痛いじゃないか
2009年06月26日
真木準
ぼくは十数年来新聞をとっていない。
ので、いつものようにタブロイドの日刊紙を130円で買って全国紙の縮小版もどきを食事といっしょに摂ろうと、月島をぶらついていた。
晴海通りと清澄通りの交差点で信号待ちをしている間に新聞をところどころ見やっているそのとき、衝突した。「真木準さん死去」
真木準が死んだ。いや、真木準も死んだ。清志郎さえ死んだ。
ぼくが好きだった人。仕事上のお手本になった人。たった一度か二度しか会ったことはないが遠い記憶が一瞬甦った。
「ボーヤハント」という名コピーで売れたビデオカメラを持ってサイパンの離島の海辺で遊んだときに出会ったこと。フリーになってから乃木坂あたりで偶然出会って何か話しあったこと。
とくにつきあいがあったわけでもないが、かけがえのない人と時代を失ったような気がして、梅雨晴れが疎ましかった。
もっと書くべきことはあるのに、つづく、か
夜があけ今日になったら、マイケル・ジャクソンが死んだという話でもちきりだ。ファラ・フォーセットも死んだと。真木準さんの急死はその陰に隠れてしまったが、ぼくにとってはこちらのほうが重い。
それにしても同世代の訃報が続く(マイケルはずっと若いが)。
戦後のベビーブーマーの世代(団根世代ともいわれるらしい)がここにきて一挙に間引きされている気がしてならず穏やかでない。アラ還と揶揄される年代になって、たしかにひとつのぶ厚かった環が閉じられようとしている。気配がある。少なくない仲間が鬼籍に入ったし、そうでなくても病気や経済破綻に見舞われ、気がつけばあたりは死屍累々だ。
あかん、どんどん気が滅入ってくる。
平和にどっぷり浸かって育つと案外寿命が短くなるのかもしれない。いや反乱もあった。広告業界にこの世代が圧倒的に多い(多かった)のもそれが遠因になっている。そのなかで早くから頭角を現わし登りつめたのが真木準だった。
平和のなかであるいは十分生きたということもできる。
さよなら真木準 さらば広告
梅雨はいつあけるのかなあ
2009年01月25日
早とちり 2)
米軍の前線兵士には黒人やヒスパニック系の非白人が圧倒的に多いといわれる。
国家の守り手であり暴力装置の先っぽを、被差別者や貧者、失業者が担っているというムジュンした事実。軍というものが彼らを吸収し救済する安全弁になっているということでもある。
軍が国家の正規の守り手とすれば、わが方の町の八九三は裏の自警団だった。八九三もまた、はぐれ者や流れ者、異国人、兵隊くずれ、そして失業者たちの受け皿だった。住民たちがおもて向き厄介視しながらも内心頼りにしていたのは子どもにもわかった。子どもらや若いもんの度が過ぎる逸脱を許さなかったのも彼らだった。
子どもの頃の八九三のイメージはいまでいえばフーテンの寅さんに近いものだった。寅さんはテキヤだがまぎれもない八九三だ。
あの阪神大震災の救援活動でいちばん頼りになったのが警察でも自衛隊でもなく地元の八九三だったことはあまり知られていない事実である。
八九三はまがりなりにも住民の生活に根ざしていたし知恵でもあった。
が、軍は外に向けた意図的な暴力装置であり、うち向けには目くらましの安全弁だ。
平和憲法でもないアメリカ憲法をしきりに強調しながらアフガニスタンへの再侵攻を主張する背後に、来たるべき大失業時代を想定した隠れたネラいがあるのではないか。
それが気になって早とちりをやっちゃったわけだけれど、あとで気が重くなる条件反射だった。
2009年01月21日
早とちり
今日になってオバマ大統領就任演説の詳細に目を通したら、昨夜のリアルタイムの印象および中継の事実関係の把握にだいぶ勘違いがあった。
やはり急いてはアレだ。引っ込めて、ちゃんと整理し書き直そう、と再考。
オバマ大統領就任演説は翻訳記事をちゃんと読めばもっともで、文句のつけようのない全方位の世界回復宣言だった。ダイジョブ、マイフレンド
ファシズムと紙一重の熱狂にクールダウンを図ったのか、退路を断ったのか、開けたのか。
リアルタイムでセレモニーを見ていたときには単に八方美人のノーテンキ(ノーチェンジ)にしかみえず、なにを言いたいのかわからずガッカリしたが、じつは爪を隠しているなあと再認識した。ことに憲法のくだりでは。
憲法を守護するにも爪がいる。米は軍だろうが、おいらの町にはかつて八九三がいた。
つづく
2009年01月17日
有楽町と宝クジとK-20(2)
けっきょく入場料1,800円で、宝クジの臨時名目収入もサヨナラ、サヨナラ。
全席指定席です!と、もぎりのおねえさんが強調するからまあそんなお代かと素直に階上の館内に入ると、それにしては空席が多い。あの小行列はなんだったのか?
それでも白髪頭だけは予想どおりやたらと多い。
怪人20面相は往年のヒーローというかヒールだし、懐かしさで思わず子どものように吸い込まれちゃった白禿頭が多いんだろうなあ。わたしみたいに。ああサーカス小屋、と、感慨を深くしながら予告編などを見せられていた。すると不意にだった、思いがけないメッセージが目ん玉に飛び込んできた。
「毎月1日、映画の日は1,000円!シニア(60歳以上)はいつでも1,000円」
一瞬、目ん玉が¥になった。世界の本当をはじめて理解したのだった。
あのもぎりのおねえさんはなんでひとこと言ってくれなかったのだ。
イイほうに考えてもワルいほうに考えても身の程を知る出来事だった。
映画のほうはまさしくサーカスで、入ってよかったが。
2009年01月16日
有楽町と宝クジとK-20
歯医者に行ったついでに有楽町へ出て、数寄屋橋の宝クジ売り場で年末ジャンボの当たり券というかハズレ券の確認をした。
この売り場は大当たりが日本一多いというのが評判で、発売期間中はいつも数百人が列を成す。そこに並んだことはまだないが、クジの結果を確認しようなんてケチな列を見たこともない。通は自分で確認するだろう。
閑散としてはいたが有楽町のゲンをかついで希望を託すと「キャッホーやったぜ」カウンターに3200...と数字が並ぶ。それいけもう5桁と期待したが4桁で終わった。が、3,200円だ。上出来じゃないか。
しかし考えてみると投資が3,000円じゃんと気がついた、スカ喜び。まあ銀行に預けるよりはましだったか、と、気を取り直し有楽町マリオンをくぐって帰ろうとしたところ、マリオンのなかの映画館の入場券売り場あたりで閑散とはいえない人だかりに出会った。
並んでいる大半は見るからに高齢者だ。映画館の看板にはK-〇0とある。なんだなんだ、厚労省あたりの前期高齢者まやかし映画か?おれは高齢者じゃないぞと思いながらもよく見ると「K-20 怪人20面相伝」とある。なんだかヘンな気分になり抵抗しながらも"怪人20面相"のタイトルの誘惑に逆らえず宝クジの数字の余韻もあって行列の最後尾に並んでやった。
つづくや
2008年05月23日
あした5月24日(土)はなんの日?
井上直さんの個展の日程を失念というかカン違いをしていた。
今日になってふとしたことからいただいていた案内状が目に入り確認したところドッピャッピー、明日までじゃん。あわててとるものもとりあえず急行し、弁解がましい理由など並べたてたものの言ってて空しい。あとの祭り。
本来ならとっくにこの場で紹介、宣伝していたはずなのに、と思うと悔やまれる。そんなわけで遅まきながらのご報告です。
今回は大型の作品がずっしりと2点、中型が2点、小型が6点(勝手にへんな言い方のサイズですいません)で、壮観というか荘重な趣き。主旋律はこれはたぶん原発かなあ、「白衣」との対位法でさまざまな変奏がくり返されている。なにか伽藍のなかで中世(テーマは現在だと思うが)の音楽を聴いているような、すぐ隣りの未来へタイムスリップしたような気持ちになった。
客はわたしのあとにすぐ2〜3人がやってきてかなり盛況の様子。聞けば今回は300人以上が訪れているとのこと。前回の「ヒポカンパス」のときよりも多いと。はは。宣伝するまでもない。ややお疲れの様子だったが、手厚く ^^;)もてなしていただきありがたかった。
明日、24日(土)が最終日です。ぜひ時間がある方は訪れてみてください。(と、つみほろ星)
井上 直 展
5月12日(月)〜5 月24日(土)11:30〜19:00(最終日17:00 まで)
場所■ ASK? art space kimura/アスク・アートスペース キムラ
104-0031 東京都中央区京橋3-6-5 木邑ビル2F
Tel 03-5524-0771/ Fax 03-5524-0772
●営団地下鉄銀座線「京橋駅」2番出口より徒歩1分
●都営浅草線「宝町駅」4番出口より徒歩2分
●JR「東京駅」八重洲南口より徒歩10分(1階に南天子画廊あり)
2007年11月23日
沖縄・今帰仁村(なきじんそん)、写真レポート
2007年11月06日
サウスバウンド本編
前フリが長いのはこの映画館も同じで、コマーシャルやら予告編をだらだらと30分ぐらい流すので意気込みがすっかり萎えてしまう。
そのせいもあっただろう。映画がはじまってしばらくしてもなかなかその世界に入り込んでゆけない。饒舌なわりにはセリフがこわばっているし、間がわるいし、全体のテンポもぎくしゃく。主人公の豊川悦司は好きな俳優だけどなんかわざとらしいし。最初の「ナンセンス」のひとことには氷ってしまった。天海祐希はともかく、吉田日出子も加藤治子も平田満も出てくるのにちっともノレない。「家族ゲーム」のときのチョイ役だった太田光みたいなヘンな存在感もないのだ。
イライラ、ムズムズする居心地の悪さのなかで席を立つタイミングをはかっていた。ところがそのタイミングを未練がましくずるずる引き延ばしたのが幸いした。
一家が沖縄に移住したあたり、映画も半ばにさしかかっていたが、俄然精彩を放ちはじめたのだ。沖縄の島の生命感に満ちた背景もあるが、登場人物たちの個性、魅力が際立ってきて、セリフもテンポもストーリーも生き生きと輝きはじめた。それからはグングンと物語の世界に引き込まれ、笑いも涙も素直に湧きあがり「ナンセンス」という言葉も溌剌として聞こえてきた。イリオモテヤマネコのような珍種というか絶滅種の人物と夫婦、親子をめぐるお伽話の・ようなリアリズムではあったけれど面白かった。それにしても「みんな、お父さんを見習うな。お父さんは極端だからな。」には笑った。
うーむ、森田監督は移住前、移住後のギャップをわざとヘタとウマの映画表現で演出してみせたのかもしれない。もうひとつ気になった謎があるがそれは書かないでおこう。
2007年11月05日
サウスバウンド
久しぶりに映画館で映画を観た。森田芳光監督(奥田英朗・原作)の「サウスバウンド」。最後に映画館で観た映画はやはり同監督の「失楽園」だった(と思う)から、かれこれ10年近くご無沙汰だったことになる。
たぶんその頃だろう、うちの茶の間(四畳半)にWOWOWが居座るようになり、それ以来足が遠のいてしまったんだと思う。久しぶりの映画館はとてもお洒落で清潔で(新宿なのに)かつてのうらびれた猥雑な雰囲気は微塵もなく、おまけに全館禁煙ですっと。あっ、ラッキー、なはずがない。ナンセンス!
足を運ぶ気になったのは、ひとつは今月半ばに沖縄の今帰仁村(なきじんそん)というところへ出向くことになっていて、たまたまこの映画のロケがそのすぐ近くの「古宇利島(こうりじま)」や「本部町備瀬(もとぶちょうびせ)で行なわれたことを知ったからだった。
沖縄は2度目になるけれど、前回は1泊しただけでほとんど良さを味わえなかった。今回は3泊もできるというのでぜひともどんなところか下見しておきたかったというわけ。まして森田大好き監督の映画だ。もう期待をパンパンに漲らせてこの映画館に来てやったのだった。
と、また前フリが長くなってしまった。で、映画の感想は?というところであらためて映画館への御礼がぶつぶつと湧いてきた。明日にしよう。
2007年08月15日
やっと還った、8.15
このくそ暑いのに誰かに呼ばれたかのようにあっちのほうへ行ってしまった数日だった。きょうは8.15。早くまとめて還らなければと、昼間ブログを上げたものの、まとめ半ばで混乱してしまい引っ込めた。石原莞爾の毒がじわじわと回っているようだ。おまけにあっちーし。
いまこの時間も某NHKでは戦争をめぐる討論が盛りあがっている。簡単に結論のだせる話ではないし、理屈でどうにかなるものでもないが、考えるいい機会になった。
それにしても、なんでこんなに熱くなったのか。条件反射ということで、けして悪気はありません。墓参りにも行かなかった。
2007年08月14日
王道楽土
満州国は石原莞爾を首謀者とする関東軍の謀略(満州事変)がはじまりで建国されたことになっている。
石原は満州にアメリカのような人工国家を建設するという突拍子もないことを夢想していたらしい。そしてそこに「五族協和(日本人・漢人・朝鮮人・満州人・蒙古人)」「王道楽土」のユートピアを実現しようと。
実際には軍による中国侵略と対ソ防衛の拠点となるしかなかったが、石原自身はじぶんの妄想の実現をほんとうに願っていただろう。そしておそらくはこの満州国の王になることを。
石原は軍人育ちだったが気質としては文人であり宗教人のように思う。実際、預言者のようなところがあり、核兵器や超弾道兵器の出現を早くから予見し、それによる逆説としての「絶対平和」の到来も説いている(最終戦争論)。どこか宮沢賢治に通じるようでもあり、ヒットラーに似たところもある。ほんとうは石原の、石原による、石原のための王国をつくりかったのではないか。そういう意味でじつのところ"日本"が嫌いだったのではないか。というか"日本"という夜郎自大の物語からnowhereの物語へと無意識に逃亡しようとしたのではないか。
2007年08月13日
関東軍のこと
日中戦争がはじまったのは1937年。父親が復員したのは敗戦の翌年の1946年だった。そのとき彼は30歳。ということは日中戦争開始とほぼ同時期に成人し召集されたということだ。(国家総動員法が公布された翌1938年に召集されたのかもしれない)
戦地の話はあまりというか直接にはほとんど聞いた記憶がないが、満州の夕焼けがすこぶるきれいで、もう一度見たい、現地に中国人の友人もいると親族か誰かと話していたのを憶えている。たぶん関東軍のどこかの部隊に所属していたのだろう。
一度だけ敵の銃撃で危機一髪の目に遭ったということもそのときに聞いた。一度だけ?ずいぶんのんびりしたもんなんだなあ、戦争ってのは、と子供心にガッカリしたものだった。
後になって、関東軍の謀略と悲惨の歴史を知ったが、戦記小説などを読むと、戦地や時期にもよるが、ひたすら歩いているばかりで意外に退屈な面も多々あったようだ。そんなことから古参兵による新兵へのいじめというか憂さ晴らしも蔓延したのだろう。そのあたりのことは戦後、伴淳三郎・花菱アチャコのコンビにより大ヒットした喜劇映画「二等兵物語」で面白悲しく描かれ、わたしも親とよく観に行き笑い転げたものだ。
関東軍のことは、友人が石原莞爾(かんじ)と身内同然なこともあり、前々から強い関心を持ってきた。関東軍とは、満州国とは、何だったのか。石原莞爾とは何ものだったのか。
2007年08月12日
戦後生まれと8.15
「終戦記念日」というのは国家からみた歴史認識であり名称で、結婚記念日やサラダ記念日のようにはハッピーな団らんに似つかわしくない。ので、うちでは勝手に8.15と呼ぶことにしている。
歴史認識に、自然科学や情報科学のような厳密な客観性を求めるのは無理なことだ。そこで立場やイデオロギー、国策などによって、事実解釈の違いやいいとこどり(わい曲)が跋扈するわけだけれど、それゆえにそれらは絶えず批判と検証にさらされるほかはなく議論は果てしなくくり返されることになる。嗚呼、客観性
わたしには国家の論理が醸しだすにおいに過剰に反応してしまうところがある。そのことを前フリとして数日前に書いたけれど、この暑さもあって脳みその水分が蒸発してしまったらしく、どんどん内容が硬く抽象的でワケヤカンになってしまったのでいったん削除した。で、昨夜は東京湾の華火大会に出かけ頭も少し冷やせたので、もうすこし具体的にじぶんの歴史認識(戦争認識)を検証してみることにした。まあ生まれる前のことでアレだけど。おまけに色眼鏡もかけている。色はアカというよりややブルーでしかも薄いほう。近視と乱視も入っている。
と、本題に入ろうとしたところで、今夜はとびきりあち-じゃねーか。明日にしよう。8.15までにはまだ時間がある。
2007年04月09日
嗚呼、多数決
わかっちゃいるけどやめられない、というのがわたしと妻の投票行動で、今回もまたずばり死票を投ずる結果になってしまった。(それぞれ別人にだが)
まあアレです。ちびちび飲みながら開票速報を見やり、画面にあれこれ突っ込みを入れたりするのも選挙の楽しみといえば楽しみ。それなのに、開票がはじまるまえから当確がでちゃう選挙ってなんじゃらほい。一喜一憂もありゃしない。突っ込みようもないじゃん。まあ、これほど負けっぷりがみごとだと笑うしかないが。さて、引越しの準備でもするか、と妻に諮ると、多数決で決めましょう
2007年04月03日
リアルと表現
統一地方選(前半戦に訂正)も最終ラウンド。東京では案の定、石原多数派が後続にかなり水をあけているらしい。
この先まだ4年も石原都政下の空気を吸うのは辛抱たまらん、築地も月島もなくなっちゃいそうだし、そうなったら15回目の引越しを決行するしかないぜ。そんなところに現われたのが外山恒一だった。
しかしよく考えてみると、考えなくても「多数決なんだから多数派が勝つに決まってるじゃないか」と外山が言うとおりで、思えば、この十数年十数回の投票で勝率は0%(若い頃は投票すら行かなかったが)。みごとな少数派っぷりだ。
外山の演説は身も蓋もないようにみえるが、じつはそこにこそ計算された表現があるのだと気づいた。
少数派と多数派というのはふつうに考えれば相対的なもので、ケースバイケースでもある。そこをあえて固定させてメッセージを組み立てることでインパクトが生まれている。
これはレトリックだろうか?そうもみえる。が結論だけいえばじつは根源的なリアリズムじゃないか、かつ表現ではないか。そしてそれは案外この鉄板レースに大穴とはいかないまでもアリの一穴を穿つことになるかもしれないと思ったりしたのでした。
2007年03月31日
都知事選 イェーイ
東京都知事選がおもしろくなった。
とやまこういち
http://www.warewaredan.com/blog/
明け方に候補者の政見放送を見ていて
びっくりしちまった。
しゃれやギャグもありそうだが、おーたまげたぜって
下記p〜
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2006年03月07日
相沢さん、おめでとう。
相沢正一郎さんの第56回H氏賞受賞をこのブログのotonasiiさんやruriさんの記事で知った。ヒポカンパス詩画展を通じてご縁を持ったばかりの朗報で、びっくりするやら拍手喝采やら…本当におめでとうございます。
詩画展の「詩とWeb展」では、出展詩にご本人の要望で武満徹さんの曲をコラボレーション的に挿入した。それが相沢さんの詩がもつ空気と共振し、The daughter of Eveさんの画(受賞詩集の装丁もなさった)と重なり不思議な異化効果を生み出していた。(受賞した「パルナッソスへの旅」は送っていただいていたのにまだちゃんとこれからよみます(^^;)
相沢さんのブログはこのサイトの「最新エントリー」の下のほうでデビュー待機中です。この半年ほど。
「詩とWeb展」での相沢さんの作品は下記URLでご覧になれます。
http://www.a-happy.jp/hipo/6s.html
http://www.a-happy.jp/hipo/10s.html
2006年02月10日
熊帰る
しばらく留守にしていたフーテンの熊がとつぜん帰ってきた。どこでなにをしてたのやら…
冬眠していたわけではないのは確かで。それどころか旺盛な日々を過ごしていたらしい。証拠にこの間産み出した日々の泡(失礼;)を山ほど背負いこんできた。
写真、詩画像700点余り、ファイル数にして3000ばかし。そう、3000だぜ、この1年弱で。寅とは大違いだ。その一部始終がまもなく明かされるとの噂。お楽しみに(下はそのさわり)
2006年01月30日
ヒポカンパス詩画展スナップ
1月23日から28日まで開催された「ヒポカンパス詩画展」が好評のうちに終了した。
総入場者数は約200名を数え思いのほか(^^;)盛況だった。
わたしも「詩とWeb展」におまけで参加させていただき、おおいに楽しんだ。
こちらのピンボケ写真は最終日の「詩の朗読会」でのスナップ。
写真をクリックすると拡大されます。
表示は出演順。上から演奏の「ROSSA」「荒川みや子」「海埜今日子」「相沢正一郎」
「新井豊美」「徳弘康代」「水野るり子」「岡島弘子」「野村喜和夫」(敬称略)
主役の井上直さんの出展作品はこちらでご覧になれます。
また、ヒポカンパス第3号のWeb版はこちらでご覧になれます。
2005年08月07日
お祭りだ
ここ数日、近所は祭り一色だ。3年に一度の「住吉神社例大祭」のさ中なのだ。佃の住吉講を中心に月島、勝どき、晴海の町会連合で催されるけっこう名の知れた勇壮な祭りである。
その佃、月島、勝どき、晴海をまんま渡り住んで17年になるがいまだに異邦人のまま。このときだけはそれがちょっとさびしい。
はじめてこの地に来て佃小橋をわたったときはかるく眩暈を起こしたものだ。そこはこの世とは思えないほど不思議な空間だった。植木屋の目を洗うような柳の緑、ひっそりとした店先に並ぶ鮮やかな朱塗りの茶碗や箸や小物入れ、やたらと煙突がでかい風変わりな銭湯、大きな幕暖簾を張った佃煮屋、そして住吉神社 … 吉本隆明さんの生家もこの近所だったらしい …
後に「千と千尋の神隠し」の世界はこの空間をモデルにしたといわれるが、そのときの印象はそれ以上だった。それと、佃から月島にかけていくつかの家に「住吉連合」と表札がありヒエーとビビッたりもした。あとで町会連合のことだとわかったが。
17年経ってこの一帯は小ぎれいな超高層長屋が林立し、町の赴きもだいぶ変わったけれど、祭りのときだけはずっと前から時が止まっていたかのような幻覚を呼び起こす。
明日は佃から勝どきに渡り一泊した八角神輿という本社神輿が再び佃側に戻されるのだが、この引渡しの際に両者奪い合いで警官まで動員する騒動となり、そこへ地元の親分さんが颯爽とあらわれ仲に入って手打ちとなる、という大団円があるらしいがまだ見たことがない。
2005年07月24日
明るく恥ずかしい盆踊り
昨日は詩画展の会合があり地震があり、今日は近所で盆踊り大会があった。
わたしは盆踊りというのは名前からして恥ずかしくて無視したいのに、すぐそこから音はドンドコ響いてくるし家人はウズウズしているのでそれをいいわけに出向いてしまった。
いきなり恥ずかしかったのが「バハマ・ママ」というラテンのりの盆踊り。ア列のタイトルもさることながら、かの曲かのリズムで、和太鼓を打つギャルと櫓の中段でリードするそのスジのお師匠さんたち、その櫓のまわりで踊るわが家人や老若男女の昔ながらの手振り足運び。もはや恥ずかしいのを通り越して笑ってしまった。
ビートルズやローリングストーンズが日本の夏の盆踊りの主役になる日も近い、と
わたしとしては「炭坑節」とか「隅田川」とかが盆踊りだったような記憶があり、そうならまだいいのだが、現実は「あられちゃん音頭」とか「平成音頭」とか「ダンシングナイト」とか
それはそれでもう恥ずかしくなくなったが盆踊りとしてはどうもいまいちのような気がする。
「ちゃんちきおけさ」になったときはほっとした。つづいて「東京音頭」、あれ?じぶんはこういうのが恥ずかしかったんではなかったっけ、ともうめちゃくちゃ
日本の夏はhappyですた
2005年04月29日
銀座で事件Xに遭遇
連休初日だというのに予定もない。ので、jinbeiドノがおすすめするスティングのレコードというかCDなど買いに銀座に出かけた。
銀座一丁目の駅を降り地下から外にでたとたん、なんだなんだ、目の前を行列がたちふさがった。京橋のほうから銀座4丁目のほうまで延々続く様子。ま〜たブランドものの旗艦店でもできたか、それにしては人種がちがうなあ、だいいち男子が多いし、などと横目で観察しながらしばし行くと再び、な、なんと、先頭の前にあるのはなじみのアップルストア銀座店じゃないですか。
10数年来のMacユーザーなのに、事態が飲み込めない。聞けば「Tiger」つまりMac OS X v10.4の新発売なんだと。あっ、そうなんですか、といちおう納得。が、なにか腑に落ちない。
バージョンがアップしたくらいで?ましてMacで?なんで?1キロ近く(もっとかもしれない)の行列ができるのか。ドラクエとかプレステとかWinさまならわかるが。アレか。iPodの効果だろうか。などと思い巡らせているうちに行列はどんどん店の中に吸い込まれていく。なんだか置いてけぼりの気分になって。
撮った写真がコレ。