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2005年07月25日

花火

山下公園の夏の花火はこのマンションからもよく見えるので、毎年楽しみにみている。
あたりに高い建物がないので、ここからはいろんなところの遠い花火まで見えて、たのしい。
花火というと、私はいつもヘッセの「クヌルプ」を思い出す。15歳の遠い!むかしに、兄が教えて
くれた本だけれど、忘れた頃にまた読み返したりすることがある。そのころ読んだ訳の題は「漂泊の魂」
(相良守峯訳)となっていて、これも名訳だと思う。さすらいの魂を抱いて短い一生を生きたクヌルプが、
語ったのは、美とは何か…についてだった。

花火と少女のもつ美の儚さと魅力について話すとき、「…僕は夜、どこかで打ち上げられる花火ほ
どすばらしいものはないと思う。青い色や緑色に輝いている照明弾がある。それが真っ暗な空に上がっ
ていく。そうして丁度一番美しい光を発する所で、小さな弧を描くと、消えてしまう。そうした光景を眺めて
いると、喜びと同時に、これもまたすぐ消え去ってしまうのだという不安に襲われる。喜悦と不安と、この
二つは引き離すことが出来ないのだ。そうしてこれは、瞬間的であってこそ、いっそう美しいんじゃない
か。」
「あの幽かな魅惑的な多彩の火柱、暗闇の中を空に打ち上げられて、見る見るうちにその闇に溶け込ん
でしまう。それは美しければ美しいほど、あっけなく、そしてすばやく消え去ってしまう、あらゆる人間的な
喜びの象徴のように私には思えるのだった。…」

死後、何十年も経ているが、この本の読後に、若いまま逝った兄はこの物語をどんな気持ちで読んだの
かなあ…とときどき思うことがある。(訳は一部なおしてあります)

投稿者 ruri : 2005年07月25日 14:43

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コメント

花火は確かに(人間的な喜びの象徴)に思われます。

郊外の高台に住んでいますので、街の花火が遠くに見えます。

そんな花火も好きですが、手に持って楽しむ小さな花火、とくにせんこう花火が、大好きです。火の玉を落とさないようにそっと持っていると、やがて松葉の火花、そして最後の散り菊まで落ちずに見られたときは、とても心が満たされます。

投稿者 青リンゴ : 2005年07月27日 22:14

線香花火、いろんな思い出があります、私も。最近はなぜかやりませんが。いつか線香花火の詩を書きかけたまま、まだ書き終えていません。なんだかあのなつかしい匂いがしてきそう。ぽとりと落ちる火の玉の色とか。

投稿者 ruri : 2005年07月28日 23:09

また花火の頃になりましたね。昨年、花火見物に招待されたことを思い出しています。そしてその時、夏ならぬ「冬のソナタ」の曲を聴かされたことも・・・。眼前の花火もまた遠花火も線香花火も、それぞれ人を魅せるようですね。鎌倉の、海中で炸裂する水中花火も身体に響く豪快さで素晴らしいけど、行き帰りの混雑を思うと・・・。

投稿者 木苺 : 2005年07月31日 22:14

また花火の頃になりましたね。昨年、花火見物に招待されたことを思い出しています。そしてその時、夏ならぬ「冬のソナタ」の曲を聴かされたことも・・・。眼前の花火もまた遠花火も線香花火も、それぞれ人を魅せるようですね。鎌倉の、海中で炸裂する水中花火も身体に響く豪快さで素晴らしいけど、行き帰りの混雑を思うと・・・。

投稿者 木苺 : 2005年07月31日 22:15

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