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2005年09月27日

緑が重たくて

先日、詩誌「鹿」100号が送られてきた。これは浜松の埋田昇ニさん発行の詩誌。
巻頭に小川アンナさんの作品が載っている。アンナさんは私の日ごろ敬愛する先輩
詩人で、この詩誌が送られてくるたびに、私はいつも真っ先にアンナさんの頁をさがす。
そのいさぎよい生き方にしっかり裏打ちされた彼女の詩の魅力を味わうためだ。
小川さんは1919年生まれとのことだが、その作品に流れる一貫した強さ,美しさ、
生きることへの深い省察や憧れなど、詩にたたえられたエネルギーの深さははまぶしい
ほどだ。このように自然体で書かれていて、しかもこのように「詩」であること。それは
小川さんの今までの生き方の修練と結びついているに違いない。
92年にペッパーランドから「母系の女たちへ」という本を出したのだが、その巻頭にも
小川アンナさんの作品をいただいた。今日はそのうちの一篇をご紹介したい。


                 緑が重たくて


            卵の黄身のような月が地平に近く浮かんでいる
            二階の窓の青葉の向こうに
            生なまと月球の内にうごめく胎児の姿さながらの陰影を宿して
            緑が重たくて
            どこかで人が死のうとしているのではないか


            
            自然は豊饒の中に死を蔵しているものだから
            今宵
            バラやジャスミンの香にまじって一きわ匂うのはみかんの花だ
            火星の観察を了えてかえる子供らの声がする
            木立のなかでは巣立ったけれど餌の足りない雉鳩の子
            すすりなきのまま睡ってしまった


            
            私の死ぬ時もきっと地球は重たすぎる程美しいのだろう
            いや
            核の爆ぜる時でも地球は美しいのだ
            そのむごたらしさの想像に耐えぬもののみが声をあげる     

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2005年09月24日

風のほとりで

                 風のほとりで


                風が吹く 風が吹く
                木の葉そよがせて
                風が吹く 風が吹く
                はてしない時の谷間を
                ひとすじの風の流れのほとりに生まれ
                人は今 この星でヒトの時代を過ごす


                風が吹く 風が吹く
                海を波立たせ
                風が吹く 風が吹く
                今日一日の哀しみ
                ゆるやかな風の流れのほとりで出会い
                人は夜 この星の仲間たちと眠る


                風が吹く 風が吹く
                空をこだまして
                風が吹く 風が吹く
                何億年の彼方へ
                絶え間ない風の流れのほとりを歩き
                人はまだ この星に残す言葉を知らない 

                           曲、堤政雄  詞、水野るり子  

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2005年09月23日

サーカスのライオンとジャズ

                 サーカスのライオン


            空は美しく晴れていて 雲ひとつなかった
            ちょうどこんな昼過ぎだ
            サーカスのライオンが脱け出したのは
            だれかが檻のかぎをかけ忘れ
            だれかが九人のハンターを狩り集め
            逃げまどうライオンを追い詰めたのさ


            道は限りなくまっすぐで 隠れ場所さえなかった
            ちょうどこんな街角だ
            サーカスのライオンが撃たれたのは
            だれかがライオンを指さして
            そろって九人のハンターが銃を上げ
            逃げ場のないライオンを狙ったのさ


            空はいつまでも暮れないで 鳥一羽啼かなかった
            ちょうどこんな夕暮れだ
            サーカスのライオンが棄てられたのは
            みんなでライオンを始末して
            みんなで九人のハンターをほめたたえ
            流れ出た血の痕を拭き取ったのさ

                               曲:鶴田睦夫、詞:水野るり子


(今朝はシンシアのお土産のジャズのCDをかけながらの朝ごはん。
朝からのジャズはめずらしいのだけど、なんだかいつもの目玉焼きとパンと
ヨーグルトの味が違う。ジャズのフリーな気分が心地よい。このCDは、
BILL FRISELLの「EAST WEST]。一枚目はニューヨークで,もう一枚
はロスでのライブ。ギターとベースの掛け合いのリズムがなんともいえない。)

             
            
 

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2005年09月22日

シンシア

ニ年ぶりでアメリカからきた友人シンシアと会う。彼女は現在シアトル在住。東洋美術史
をワシントン大学で教えている。私が91年に夫と共にケンブリッジを訪れていたときは、
何から何まで親切に世話し、案内してくれた。おかげでとても愉しい三ヶ月を過ごすことが
できたのだった。
昨夜は、きらきらと点灯中のみなとみらいの大観覧車など眺めながら、新潟の銘酒
”〆張鶴”を飲み、延々とおしゃべりした。ラヴラヴの彼氏のことにはじまり、現在の
大学での仕事やアメリカでの暮らしぶり、身辺でのブッシュの不人気ぶりなどまで。
とにかくエネルギッシュ! 帰りぎわ、山のようなスーツケースの上にカメラとパソコ
ンのバッグ、さらに幾つもの荷物を盛り上げて駅の階段を駆け下りたそのバイタリティ
にはあきれっぱなし。仕事も万事その調子で、これは年齢の差だけではない!と実感す
るばかり。けれど明るい彼女と会うと私はいつも元気になることは確か。年末にまた会え
るのがたのしみだ。

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2005年09月20日

鯨売りの歌

                 鯨売りの歌


              クジラを探しに出かけたんだ
              岩ばかり続く荒れた海へ
              おれの船はもう役立たずで
              迷いクジラの一頭さえ見つからない
              海は汚れ 砂浜は靴跡と骨ばかりさ


              おれはやっと明けがた戻ってきた
              地獄の底から引き上げられたように
              おれの心はくたびれて
              なんだかもうあの空がからっぽに見える


              海は黙り 砂浜は靴跡と骨ばかりさ
              むかし仕留めたあの大クジラの声だけが
              あの世までおれの暗い海を騒がせるのだ


              せめておれは歌おう
              残されたクジラ売りの歌を
              おれは歌おう
              すばらしいあいつらのために
              消えてゆくあいつらへのはなむけの歌を


               ”クジラはいらないか
                とりたてのクジラはいらないか
                おいらの仕留めたこのクジラ
                うまいステーキ クジラのさしみ
                大きな骨で家が建つ
                小さな骨で傘を張る
                脂をしぼろう 火をつけよう
                石けんに 機械油に カーワックス
                ダイナマイトに ソーセージ
                肝油、靴べら、麻雀パイ
                ドッグフードから ボタンまで
                無駄ひとつないこのクジラ
                骨から すじから しっぽまで
                使い尽くそう このクジラ ”

              
              さあ、お立会い 
              まるごとのクジラ一頭買わないか
              お代はいらない 
              そのかわり 
              そこに立ってるあんたの魂と引きかえだ           
              それくらい 値打ちはあるよ このクジラ
              海とおんなじ 塩辛い
              血しぶき上げたクジラだよ
              悪魔のように赤い火燃やした クジラだよ
              声限り歌いつづけた クジラだよ
              夢全体と引きかえに
              おいらが仕留めたクジラだよ
                
              さあ、お立会い…お立会い  


 
(これは「滅びゆく動物たちへ」のコンサートで、遠藤トム也さんが朗唱した詩です。
 その朗誦が印象的で、今も耳に残っています。)
 

                     
                       

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2005年09月18日

キリンの星

ちょっとした買い物で横浜橋商店街まで夕方出かけたら、偶然お三の宮の大祭の日。
次々と御神輿が出てにぎやかだった。目の前でわっしょい、わっしょいやるのを、身をよ
けるようにして眺めるのは久しぶり。景気がよくて楽しい。今日は十五夜だ。ついでに
花屋さんでススキや吾亦紅やとリンドウなどを買ってきて、きぬかつぎ、枝豆、ゴマ豆
腐などならべ、バルコニーに出て中秋の名月に乾杯。

そういえばいつかこんな月の夜に、わたしは一頭のキリンと道行きしたような気がする
けれど…。

              
                        キリンの星

                   
                   キリンがある日やってきて
                   いっしょに歩いていこうといった
                   青いもやの立ちこめる
                   キリンの星のたそがれに

 
                   キリンはかなしい思い出を
                   心の底にかくしてた
                   二人で荒野を行くときは
                   月がランプをともしてた


                   キリンはとてもやさしくて
                   わたしに腕をかしてくれた
                   だれも人の見ていない
                   海辺のベンチで休むとき


                   キリンと旅をすることは
                   とてもたいへんなことだった
                   だけど二人は夢を見ながら
                   おんなじ背丈で歩いてた

 
                   キリンは何も話さなかった
                   わたしは何もたずねなかった
                   けれど二人は愛し合った
                   遠いはるかな星の上で
     
                            (作曲:淡海悟郎、 詞:水野るり子)
                     

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2005年09月17日

野良犬ピエール

            野良犬ピエール


      まるで厚いガラスの切り口みたいに青い
      まるで言葉をなくした心みたいに青い
      まるで空一面になびく花みたいに青い……
      

      …そんな青い夏の夜明けに
      まぬけな野良犬のピエールは
      声も立てずに死んでいった  
      風にそよぐ麦畑の片すみで


      空は 何にも言わずに 最後の星を消して
      風は白く 何にも言わずに 麦の穂をゆすり
      大地はめざめ 何にも言わずに けものたちをそっと抱く


      …そんな青い夏の夜明けに
      捨てられた野良犬のピエールは
      朝露にぬれたまま声も立てずに死んでいった
      すりきれた小さな首輪つけたまま

      
      ”そうしてその日空にゆれる向日葵の花の下で
      おまえは目をひらいたまま 
      初めてのみじかい夏と別れた”


(「一匹の犬よ。おまえがイヌでわたしがヒトだから おまえを殺したものを訴えることが
 できない。 おまえが輝く夏の夜明けにどのように無残に一つっきりの命を断ち切られ
 たかを。おまえの白い毛並みがどれほど農薬の吐しゃ物で汚れたかを。おまえのまだ
 幼い目がどんなに空しく明けそめた夏空の青さに向かってひらかれていたかを。
 おまえが犬でわたしがヒトだから、わたしはただ悲しむことしかできない。」……と前書き
 をつけて、この詞を発表してからどのくらいたったことだろう。でも忘れられない事件
 です。私と一匹の飼い犬(拾いイヌ)との間にほんとにあった今は悲しい思い出です。)


       

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2005年09月16日

カラスの河

                  カラスの河

              
               カラスが空を渡っていく
               こわれた古い歩道橋の上を
               カラスの河は鳴きながら
               たそがれの黒い七つの森をさがしている


               樹がたおれ 家がたおれ
               どこまでも空が焼けている
               でもだれも見るものがいない
               時間だけがのこされて
               大きなフラスコの底におちてゆく


               カラスが空を渡っていく
               こわれた黄色いガスタンクの上を
               カラスの河はうたいながら
               血のようにけむる夕焼けの空に沈んでいく


               樹がたおれ 家がたおれ
               どこまでも空が燃えている
               でもだれも見るものがいない
               時間だけがのこされて
               大きなフラスコの底に溜まってゆく


(これは1978年遠藤トム也さんとコラボレーションのような形で”滅びゆく動物たちに都会の片隅から唄う”というコンサートを新宿でひらいたのですが、そのときに書いた詩です。作曲は南さとし氏。現在パリに住んでいるトム也さんは、その後もこれを大事に唄っているとききます。)    

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2005年09月15日

サビという馬

                 サビという馬


              サビという馬のこと知ってるかい
              ある日岬にひとりっきりでやってきた
              暗い目をした三文詩人
              あいつといっしょにいた馬さ


              裏切った恋人や動物のこと
              たった三つの小さなうたを残しただけ
              ほかには何も残さなかった
              笛だけがあいつの持ちものだった


              サビという馬のこと知ってるかい
              岬の小屋で三文詩人の死ぬ日まで
              いっしょに暮らした馬のことさ
              あいつの笛をききながら


              サビという馬のこときかないかい
              風のなかで岬の小石に打たれていた
              激しいあいつの心を知っていた
              サビの行方を知らないかい


(これも堤政雄さんによる作曲。私はとても好きな曲だ。いまフランス在住のミュージシャン、遠藤トム也さんもこの歌をレパートリーにしていたが、三文詩人という言葉に違和感があるという。今は通じないかもしれない表現だが、あってもいいではないかと思う。ちょっと埃くさい感じがしてそこがいいと自画自賛。もっとも仏語に訳すとどうなるのだろう?)           
              

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2005年09月14日

カモメの島

               カモメの島

         
          カモメたちの飛ぶ島へいきたい
          真昼の海に浮かぶ
          緑の泡のような愛の島に

          
          カモメが虚空のなかをはばたき
          空と海でたくさんの風車がまわる
          私はあなたのなかで透明な海になり
          あなたは私を渡る虹のかなしみになる

          
          カモメが海の秘密をしゃべり
          砕かれた貝がらの浜辺がつづく
          私はあなたを呼ぶ海の混沌になり
          あなたは私を染める大きな夕焼けになる


          カモメたちの死ぬ島に行きたい
          暗い海に沈んだ
          花びらのような過去の島に

    
     (これははるか以前に書いた詞ですが、堤政雄さんの作曲でCDにも入って
     います。一部でけっこう愛唱された曲です。今読むとなんだかはずかしい
     けれど。)
    

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2005年09月09日

夢の味

今、次のファンタジーの会のテキスト、漱石の「夢十夜」を読み返している。これは読むほどにおもしろくなる物語だが、これとは別にメンバーの方たちの見た夢というのが手元にあって、それを読んでいるとつくづく人間というのはおもしろい存在だなあと思う。一人ずつが、夜にはこんな不思議な世界をひとりきりで生きているのだもの…。人生は決して平板なものではないのだ。
手元にある夢のなかから比較的みじかく、おもしろい夢を一つ引用させていただこう。
たとえばさんのこんな夢。
「ドアがカサコソと震え,少しずつひらく。小犬のようなクマがまじまじと私を見ている。鼻の先が乾いているクマを抱き上げ、私はドアの内側に入る。
静まり返った部屋の奥から、タップを踏む足音がする。ロバが床をたたきながら、近づいて来る。蹄を笑い転げるように響かせ,「さあ、君も踊って」といって、ロバは肩を揺すりながら遠ざかっていく。
「ママを探さなくちゃ」という、クマの重みが腕に加わる。私は立ち上がり、窓の外を眺める。濃い灰色の雲の下の森はぬかっていそうだ。長靴をはかなければと思う。
丘の向こうから、バイクの激しい音が聞こえてくる。そっくり返った姿勢で運転しているのは狼のように見える。……(以下略)」
夢分析などとは無関係に、一読してこの夢は、まるで詩のなかを散歩しているような情景だ。この夢はこの後、晴れやかな心象のうちに幸せ感をもって終えるのだが、この夢の題は「眠りの内で、認識している音」という。ほんとにリズムと響きにみちた躍動的な夢だ。こんな夢を見た朝、夢主はきっと気分がいいだろうなあと思う。
 
とてもいい夢を見て、それをすっかり忘れる一日。すてきな日とは、ほんとはそんな日かもしれないが。

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2005年09月06日

ナス料理

ナスっていろんな風に料理できて、便利ですね。最近教わって美味しかったので、そのレシピ。
かなりいい加減ですが。

 ナスのへたはそのまま、あの先っちょのへらへらした部分だけまるく切り取っておく。
 茶せん(といっても1センチくらいの厚さでいい)風に縦に切れ目をいれておく。 
 フライパンにごま油を入れ、刻みにんにくを炒める。
 ナスを入れ、なべ底にぎゅっと押し付けるようにしながら両面をやき、酒、しょうゆ,
 砂糖を同分量ずつ入れ、(各大匙2はい程度)落し蓋をしてぐつぐつ煮る。
 さいごにひっくり返して、甘酢(私は梅玄米酢を使う)をかける。
 これはご飯に合います!

以上、このレシピは薬膳の武鈴子氏からのヒントです。

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2005年09月03日

ベストの100冊

今日、金原瑞人さんのファンタジーについての講演をきいた。そして20世紀の
文学作品のベスト100についてのアンケート結果を知る。それはヨーロッパなど
に200以上の店舗をもつ本の大型チェーン(ウオーターストーン)が行ったアンケ
ートの結果だ。そこから二万五千人以上の回答が得られ、その結果は1997年
の(タイムズ・オブ・ロンドン)でも紹介されたとのこと。

それによると、10位までは�指輪物語 �一九八四年(ジョージ・オーウェル) 
�動物農場(ジョージ・オーウェル) �ユリシーズ(ジェイムズ・ジョイス) 
�キャッチ22(ジョゼフ・ヘラー) �ザ・キャッチャー・イン・ザ・ライ(サリンジャー) 
�アラバマ物語(ハーパー・リー) �百年の孤独(マルケス) �怒りの葡萄(ス
タインベック) �トレインスポッティング(アーヴィン・ウェルシュ)となっている。
もちろん英語圏に片寄っているが、それは仕方ないことなのだろう。
なお100位までのなかには、意外に子どもの本が多く、16位「たのしい川辺」
17「くまのプーさん」、19「ホビットの冒険」21「ライオンと魔女」などが登場する。
また100冊のなかでもっとも多かった作家はロアルド・ダールで、その4作は、
いずれも子供の本やファンタジー系だったとか。
そんなことからみて、20世紀後半から21世紀にかけては、子どもの本やファンタ
ジーが文学に市民権を得てきた時代といえるだろうとのこと。

ファンタジーを読む会を仲間と続けている私としては、これは興味ある話題だ。
が、たとえば私たちが今まで取り上げた吉田篤弘の作品や、これから読みたい
いしいしんじや、町田純の作品などは、(ファンタジーを指輪物語のような枠組みで
とらえると、)いったいどうなるのだろうなどと思ってしまう。もちろん読み手としては
そんな分類にこだわることはないのだが、日常と幻想の境界をこえ、あるいはすれ
すれに飛翔しながら展開される日常異化作用のある作品は、ファンタジーの方法と
して私にはとても興味がある。(それには文体の問題が微妙に絡むかもしれないが)

ファンタジーブームなどといわれて次々出版されるそれらしい大きな物語の枠の
外で、この日常と微妙に交錯し、あるいは侵し、あるい姿をくらましながら、この
窮屈で一元的ななまの現実を異化し、おもしろがらせてくれる、ユーモアとファンタ
ジーに溢れた軽業師たちを期待するのは、私だけではないだろう。

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2005年09月02日

ニューオーリンズ

ニュースでニューオーリンズのハリケーンによるひどい災害の様子を見ると
いたたまれない気持ちになる。どんな災害でもそうだが、ニューオーリンズ
は14年も前のことだが、フレンチクオーターにあるホテルに何日か泊まり、
愉しい思い出をもらった街なのだ。バーボンストリートのホールでミントジュ
レップを飲みながら楽しんだジャズの数々。プリザベーションホールの前に
1時間以上も行列して、床に座り込んで聞いた地響きするようなかっこいい
バンドの響き!
あのピンクの化粧台のあった、マリー・アントワネットホテルはいまどうなってい
るだろう。それから夜のミシシッピを下るケイジャンクルーズの夕食で、同席した
スイス人夫妻と、サンフランシスコからやってきたと巨大なお腹をゆするアメリカ
人の夫とその妻。お祭り騒ぎだったあれらの日々の断片が、影絵のように、いま
脳裏をめぐる。
アメリカにいたとき、ニューオーリンズの話になると、だれもが嬉しそうな顔にな
り、目を輝かせたものだ。いろいろな陰影はあっても、旅人にとってあんなユニ
ークな出会いの街はめったにこの地上にはない気がする。だからいっそうつ
らいし、あそこに暮らすひとびとのために祈りたい。少しでも早く救いの手が伸べ
られるようにと。陽気だったあの人たちに穏やかな日々が戻ってくるようにと。
私たちにかけがえのない悦びと思い出をくれたあの街のために、今、切に祈りたい。

投稿者 ruri : 22:09 | コメント (1) | トラックバック