2005年10月24日
高橋たか子の「日記」
「一人の人の存在的エネルギーの量とか強さが西洋人にくらべて少ないのではないか。その量とか強さを、一つにまとめて、人は他人と向き合うべきなのに、この一つにまとめる術が日本では文化的に欠けている。一つにまとめることで、その人というものが在り、また、そのことが他人への礼節にもつながる。こうした自分を相手にさし向ける、かつ、相手をよくみつめている、ということが、日本人には欠けている。」
これは高橋たか子の「日記」を読んでいて、いま心に引っかかっている言葉の一つだ。
さらに続けて「この強力な内在の力で、とことん学問をしたり政治を行ったり…西洋人がすぐれているのは、この一方向への徹底性であろう。一方向といっても、前述したように、出会う他人たちをよくみつめているので、複合的な一方向である。」「ロマンといわれる長編小説が日本で発達しなかったことも、右の事柄と関係がある」とも。
投稿者 ruri : 2005年10月24日 21:12
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コメント
日本人のメンタリティは江戸の昔からスノッブだと、ほんとにそう思います。
インディビデュアルの確立とあまり縁がない、
それが先の選挙の結果にもよくあらわれていると。
そこがいやだったりおもしろかったり悩ましいところですが。
これを読みあらためて日本浪漫派のことが気になっています。
投稿者 oqx1 : 2005年10月25日 05:26
とても胸を衝かれる言葉です。自分自身を省みて反省の気持ちからも・・・。
自分がどんなにエネルギーがないかを痛感しているのに、そのエネルギーをも、拡散し、浪費している毎日です。
私も高橋たか子さんには以前から関心がありましたし、少しは読んでいるのですが、霊的な気迫には圧倒されるし、修道院にまで入って暮したことなどから見ても、到底力の及ばない相手だと言う感じでした。
コメントをされた方、先の選挙について触れておられましたが、今度の選挙を日本人の過半数が「面白かった」と捉えているという記事を見て驚きました。「おもしろうて やがてかなしき・・」にならなければいいのですが。
投稿者 木苺 : 2005年10月25日 11:37
自分の個性を確立し、相手の個性をも認めることが、やはり日本人は苦手なのではないかと思います。上辺の心地よい範囲内でのお付き合いしか、長続きしませんから。互いに、徹底的に降りていった相手とは、いまはみな決裂しています。原因は、最初は一致していたと思っていた価値観の相違によるものでした。それでも、人間をきらいになったりはしませんが。
投稿者 青リンゴ : 2005年10月26日 12:15