2005年11月19日
近藤起久子詩集「レッスン」より
波
近藤起久子
土手を走っていく
七月の朝の電車は
がらんとして
下から見ると
どの窓にも
ゼリーのような青空が
ならんでいる
土手は夏の草でぼうぼうだ
波のように風がたち
青い朝顔を
いくつもゆらしていく
裏から透かしてみれば
今日だって懐かしい
波の下から見る
光の景色だ
(これは近藤起久子さんの「レッスン」という詩集に入っていた詩。”裏から透かして”みる目があったら、ずいぶん生きられる領分が違うだろう。この2行で詩がふいにみずみずしく私の中に流れ込んでくる。私もきっと”懐かしい今日”をたったいまも生きているのに…と気がつく。)
倍音
桃の花が咲いた
枝には
雪のつもった枝が
かさなっている
水色の春の空
その空に
灰色の冬空が
かさなっている
笑ったこどもの顔に
泣き顔がかさなっている
それから
日のあたる橋にかさなる
死体だらけの橋
ふりかさなったことばで
指あみするように
おばあさんが話している
すこしずれたところは
モアレみたいな
網目模様になっている
(今日、私の中には、どのくらい、ふりつもったり,かさなったりしたものがあっただろうか。いつか言葉になりたいものたちのかすかな身じろぎ…。)
投稿者 ruri : 2005年11月19日 22:11
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コメント
ご紹介の二作とも、独特のみずみずしい視点が効いていて、そっと潜んでいるので誰も気がつかない、そんな世界をひらいてみせてくれました。こういう作品に出合うと、詩が書きたくなります。そこかしこに隠されている未知なる世界の探索には、澄んだ感覚が必要ですね。短い桜の花のいのちを欲張りに堪能しようと、枝垂桜の真下に寝転んで、花のパラソルに包まれて下から花を眺めていると、風に花びらが揺れるので、背景の青空が水面のようで、水の底から水面に浮かぶ花を見ているような錯覚に陥ります。いま思えば、そこにも別の世界が潜んでいたのかもしれません。
投稿者 青リンゴ : 2005年11月20日 09:13