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2005年12月10日

蛍の思い出

ステンドグラス作家菊池健一さんが他界されたお知らせを受け、ショックを受けた。
私はかつて銀座のデパートの画廊で彼とコラボレーションをしたこともあり、またこのマンションの一室の窓には、彼の作品(リュートを奏でる二人の楽人のステンドグラス)がはまっている。
いろいろな思い出があるけれども、私にとって特に忘れられないのは、友人の0さんと彼の千葉のアトリエを訪れたとき、彼に案内されて見た蛍のすばらしい乱舞の光景だ。暗い夜道を車でしばらく走ってから、暗い谷のような原っぱのようなところへたどりつき、そこで車のテールランプを点滅させる。と、たちまち蛍が群れをなして、私たちのまわりに集まってきて、私たちはみな蛍に全身まぶされた!といっても過言ではないくらい。あたり一面の蛍の乱舞には声もなく、ただ茫然と立っていただけのあの時のシーンは、まぶたの裏にやきついて消えない。おそらく一生消えることがないだろう。

アトリエを訪ねたときおみやげにもらった青いガラスも、蛍の記憶と連動する。
お会いしたことはなかったが、夫人にお電話して伺うと、栃木にアトリエを移してからは、大谷石を使った作品に力を入れておられた由。ネットをあけてみると、そこに美しい大谷石のランプをいくつも発見した。

ステンドグラス、石のランプ…そして蛍。
彼も生涯光を追い求めて生きた人なのだろうか。それにしてもあまりに早すぎる彼の死にことばがない。

投稿者 ruri : 2005年12月10日 13:42

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コメント

「私たちはみな蛍に全身をまぶされた!といっても過言ではないくらい」とは、すばらしい思い出ですね。蛍には、つい、逝ってしまったひとたちの仮の姿を思ってしまいます。家の前の、かなり急な坂道の杉林に面した側面は、湿地になっていて、蛍が見られました。長男が幼かった頃、いっしょに蛍を見に行きました。両手のひらで作ったかごの中に、そっと蛍を入れて、もれる光のやわらかな温もりを楽しみました。両手をひらくとスウッと飛び立っていく蛍の光を見送ったものでした。湿地は枯れて、もう蛍はいません。でも、その季節になると、坂道を通るたびに思い出します。

投稿者 青リンゴ : 2005年12月10日 19:41

蛍の思い出はもう一つあります。母によくきいた話ですが、母が幼いとき、夕暮れにひとりで近くの山道を歩いていたら、沼のようなところへ出て、そこに蛍が一面にまぶしいほど乱舞していたのに出会って、時間のたつのも忘れてぼうっと見ていたというお話です。やがてどこかへ消えうせたようにいなくなってしまったというのですが。おそらく母もその光景を一生目の裏にやきつけていたことでしょう。それをきいただけの私ですが、その光景を見たような気になっています。この世にいない人と蛍の思い出が結びつくのは不思議です。ちなみに母の故郷は播州でした。

投稿者 ruri : 2005年12月11日 16:15

不思議ですね。私も死者とのつながりで、蛍の思い出があります。それを詩に書いて、その詩を、出版記念会の時に、出席してくださった吉原幸子さんが朗読してくださった思い出を持っています。ですから蛍について、死者が二重になっているのですね。蛍には人の魂を思わせるものがありますから。

投稿者 kinu : 2005年12月11日 17:33

私の記憶が間違っていなかったとしたら、菊地さんとは昔、お会いしたことがあるように思います。遅くに横浜線のどこかの駅で乗り継ぎ電車を待ってホームのベンチに座っていた記憶があります。作品の美しいステンドグラスのマリア像と夜のベンチが不思議なつながりで記憶されています。そのマリア像が描かれた作品の写真があまりに美しく、今でも大切にしまってあります。今、記憶をたどろうとしても、もどかしいほどに何を話したのか、そして彼がどのような姿であったのかなど漠然として記憶のなかでボーとしています。でも、その場面はかすかな光に包まれて私の記憶のなかに残っています。まるで蛍の光のように・・心からご冥福をお祈りしたいと思います。

投稿者 roko : 2005年12月14日 20:36

初めまして。私は1984年頃菊地先生の指導するアートスクールで絵付けを教えていただいていた者です。先生とは5年ぐらい
ステンドグラスの絵付けや知り合いの設計士からの依頼でステンドグラスのパネルを製作してもらった思い出があります。千葉県の工房に年賀状を本年送ったのですが届かず、気にしていたところ、貴HPで先生の亡くなられたことを知り驚いています。先生の工房の住所が知りたいのですが、教えて頂けませんでしょうか。

投稿者 山本政雄 : 2009年07月20日 09:40

山本政雄さま
菊池さんのその後のアトリエについては残念ながら詳しく存じません。ご逝去のあと、奥様に一度連絡したことがあります。そのとき千葉のアトリエを引き払われて、彼の栃木の自宅に移られた由伺いました。ネットで調べて見られてはいかがでしょうか。何か情報が分かるかもしれません。

投稿者 ruri : 2009年07月28日 21:16

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