« 2006年01月 | メイン | 2006年03月 »
2006年02月28日
松井やより全仕事展
雨の日曜日、高田馬場まで、「松井やより全仕事」展を見に行った。当日は、松井やよりさんと生前親しかった高橋茅香子さんの詳しい解説やお話があったのもよかった。
松井さんは2002年の12月末にがんで亡くなられたのだが、がんの発見から死までのわずか2ヶ月半の間に、どのように後進の方々に自らの仕事を引き渡していったか、また彼女の志であった「女たちの戦争と平和資料館」建設への夢を引き継いでいったか、その経過と、彼女の壮絶な病との闘いなどを如実にヴィデオによって見ることができた。それはなかなか言葉にはできない感動を残してくれた。
館に集められた資料や、生前の彼女の仕事の足跡、記事、著書のすべて、さらに子ども時代の写真や絵、山手教会の牧師さんであったご両親の写真、同志であった富山妙子さんの絵の展示もあり、丹念な充実した展示ぶりだった。そこには女性たちの強い共感と連帯の成果があった。
「若い記者たちへー松井やよりの遺言」という,有志記者の会篇の本に(アジアの人々を訪ね歩き、貧困、性差別、戦争犯罪、少数民族、環境問題を追い続けたひとりの女性記者の壮絶な人生)と書かれている。ほとんど私と同時代に、朝日新聞社の草分け的女性記者として出発し、この男社会の本流のなかを、「世の中を変えたい」という若い日の気持ちをもって泳ぎぬき、発言し続け、志半ばで倒れた一人の女性がいた。その果敢な生き方の映像を見ることは、時代の酷薄さを再認識させられると同時に、人はこのようにもすばらしい生き方ができる存在だったと励まされるものだった。
松井さんの言葉に「私が最後に言いたいのは、人間は何のために生きているのかということを考えるときに、出世するとか、しないとか、そんなことはどうでもいいことですよね。……人生は、何のために生きているかってことを考えながら取材するときには、非常に細かいことに気を遣う必要はないんじゃないか、勇気をもってできるんじゃないかなと思います」というのがあって、彼女の繊細な感受性と生きる力を自ら奮い立たせるための勇気が伝わってくる。
「松井やより全仕事展」は4月23日まで高田馬場の「女たちの戦争と平和資料館」(wam)で開かれています。TEL 03−3202−4634
投稿者 ruri : 13:28 | コメント (0) | トラックバック
2006年02月23日
お通夜
水橋晋さんのお通夜に行ってきた。地下鉄の港南中央駅の近く。
ひとはなんて静かにいなくなってしまうことか…。少し遠いので表情のよく見えない彼の写真に向って手を合わせ、お焼香をする。音もなくそっとドアをあけ、見えないお隣の部屋にひとりきりで行ってしまった感じだ。まだほんとうとは思えない。
横浜詩人会の仲間たち何人かと会ったが、だれも彼の旅立ちの詳細な様子を知らない。私は去年8月に伊勢佐木町で会って、彼から古い貴重なワインを2本プレゼントされた。それが最後だった。あれからもう半年以上たっている。ワインの1本はエルミタージュだった。ワインについてはいろいろあるが、それはまたいつかにしよう。
今日はお通夜の後、上大岡に流れて、かつて弓田弓子さんが水橋さんとご一緒したという地ビールのおいしい店に寄り、何人かで飲んだ。「モンゴル馬の馬刺し」というのを初めて味わった。馬頭琴のことを思い出した。魂ならモンゴルの草原を一気に飛ベルだろうなあ…と変なことを考えた。
投稿者 ruri : 22:41 | コメント (0) | トラックバック
2006年02月19日
クレー展とモーツアルト
大丸ミュージアムでクレー展を見た。スイスのベルンに「パウル・クレー・センター」が開設されたその記念展とのこと。会場では簡潔な線のドローイングを多く見ることができた。しかし晩年の天使のシリーズに至るまでの各時期の色彩感を伝える作品も数々あって、見ごたえがあった。好きなクレーを見に、いつかはベルンへ行ってみたいとは思っていたが、去年クレー・センターが開設されたと知り嬉しく思った。
クレーの言葉に(描くとは、見えるものを描くことでなく、見えないものを見えるようにすることだ)という意味のことが書かれていて、それはもちろん詩にも通じることで、ほんとうにそうだとあらためて共感する。
また表現は違うけれども、(私は死者たちや、まだこの世にやってこないものたちのために描く)というような彼の言葉を読んだことがある。これは忘れられないものの一つだ。
この言葉はモーツアルトの音楽にも通じる気がする。今年はモーツアルト生誕250年祭で、毎日テレビやFMでモーツアルトを聴けるのも嬉しい。クレーもまた特にモーツアルトが好きで、よく演奏していたと知る。
話がだんだんずれるが、今までにモーツアルトの好きな曲はいろいろあったが、去年から今年にかけては、一番多く聴いたのが、ある理由もあって、KV136のディヴェルティメントだった。そしてそのたびにさまざまな幸福感をもらった。
投稿者 ruri : 16:43 | コメント (3) | トラックバック
2006年02月13日
つむじ風食堂的
今日は久しぶりに春めいた一日だった。
用事があって近くの元町商店街まで出かけた。ユニオンというちょっとおしゃれなスーパーに立ち寄ると、明日のバレンタインデーのチョコレートが山積み。どれもおいしそうに見えてつい買ってしまう。
お昼がまだだったので、二階の窓際のカフェで、コーヒーとサンドイッチのランチを取る。
元町をゆく散歩の人びとや買い物びとを見下ろしながらのひとりのコーヒータイム。ところがなんと今日のコーヒーはまた格別に美味しくて、コーヒーを淹れるマスターもなんだかあの、吉田篤弘の「つむじ風食堂の夜」の食堂のマスターみたいな雰囲気なのだ。(ほとんど気のせい…!)。それにしてもこのコーヒーの味だけで今日は結構しあわせなのだから。(単純!) それに大好きな本が一冊でもあるということのメリットって、こういうところにも転がっているんだと自己満足。なにしろコーヒー一杯の味にもプラスαの余分な楽しみがみつかる。
投稿者 ruri : 21:37 | コメント (3) | トラックバック
2006年02月09日
フィボナッチ・ドラゴン
昨日,画廊ASKで日詰明男展を見た。フィボナッチの龍と名づけられた光のインスタレーション。ちみつな論理的構成によって現出した天文学的時間に、われ知らずまぎれ込んでしまったようなふしぎな経験をする。その後銀座のあかるい通りを歩いていても、それは網膜にやきついたままで、中空に光る青いらせんのイメージは消えない。見たというより、ある別宇宙に明滅する星の間を通過してきた感じ。音楽と数学と光と建築の概念から生まれた現代の空間感覚が具象となったような印象的個展だった。
その後、新橋の画廊で宮崎次郎展を見る。2回目だが、こちらは赤の色が魅惑的なファンタジックな画の世界。ハーメルンの笛吹きがさまよっているヨーロッパ中世の街にさまよいこむ感じだ。宮崎さんがいつか大人のための絵本を描いてくれたら嬉しいのに、と思ったりする。
帰りに一緒だった絹川さんと新橋駅の前の小川軒でコーヒーをのみ、詩の話などする。久しぶりに春めいた陽気の一日だった。
投稿者 ruri : 23:06 | コメント (0) | トラックバック
2006年02月04日
立春に
今日は立春。そう聞くだけでなんとなく嬉しくなる。昨日の節分の豆が窓際や机の上に残っていたので(と、いってもマンションなので,撒いたわけでなく、置いただけなのだが)、それをぽりぽりかじりながら、日差しのなかにいると、ああ、春がきた!と思いたくなる。
ところが外は、この冬一番の寒風で、西には雪をかぶった富士山がくっきりと浮かび上がっている。
この冬は、窓やガラス戸の結露が特別すごく、毎朝タオルで拭いてまわるのが一仕事だった。ひどいときはまるでガラスの面を川みたいに水が流れ落ちてくるのだから。
その寒さもあってか、20年近く育ててきた鉢植えのベンジャミンがこの冬に枯れはじめ、目下それが心配の種だ。去年の秋おそく植え替えをして、その後バルコニーに置きっぱなしで、強風にあおられていたのも悪かったのかもしれない。屋内に入れてから、上のほうからはらはらと葉を落としはじめ、今はどんどん下の方へと移ってきている。心配なので、ネット上で調べたら、結構似たような経験者の声が多く、とても参考になった。うまくいけば春には挽回することもあるというのだ。これはこのマンションへの引越し記念に亡き母が送ってくれたものなのだ。去年もおととしもいっぱい花をつけてくれた元気だったベンジャミンよ、何とか息を吹き返してね!と祈る日々だ。
そういえばこの冬の寒さで、もう一つ、ずっとバルコニーで元気にしていた「双子のかんきつ類」の一本が枯れてしまった。これは何年か前に有名になった、かのシューメーカー・レヴィー彗星にちなんで、その名をもらった鉢植えの2本だった。いまはシューメーカーの方だけが1本さびしげに風に吹かれている。
投稿者 ruri : 14:30 | コメント (2) | トラックバック
2006年02月03日
かいつぶりの家
川野圭子さんの詩集『かいつぶりの家』は、はっきりいって薄気味の悪い詩集だ。生きていることの根本にある非合理(生きることの不条理さ)が、身体の生理に密着して滲み出てくるように感じられる、その感覚が否応なくこちらにも伝わってきて…、しかしそれゆえにまた生の手ごたえがびしびしと響いてくる。私などどちらかといえば、及び腰になる感じなのだが、ある意味で忘れがたい作品集だった。
よく、夢の中で得体の知れないものにまつわりつかれて、払い落とそうとすればするほど、いっそうぬかるみにはまるような経験があるが、その感じを実によく表している。また自分自身もそのなかで、結構一役演じていたりするのだ。つまりそれはこの現実の一面そのものでもあるのだろう。
生きているということは、わが身体をもその一部として乗っ取っている「何ものか」の勝手な(理不尽な)営みに支配されていることだ…と、あらためて感じる。
次に挙げるのはちょっとスタンスの違うものだが、これも私が日常よく感じる違和感や不都合さの微妙な感覚を巧みに捉えていると思い、私の好きな一篇である。大男とひな菊、その対象化が象徴的で印象に強く残っている。
ひな菊
苦しいのです 僕は
と大男はうつむいたまま
くぐもり声でつぶやいた
大きなものの存在を
考えてみたことはないのですか
とわたしは聞いた
足もとに ひな菊の花が
大きいの 小さいの 中くらいのと
それぞれの集団を作って
咲いていた
大男は
それらを踏まないように歩いた
頭がめっぽう高い所にあるので
至難の技に見えたけれど
大男はとても注意深く進んだ
その調子でね
と霧の中を
遠ざかっていく大男の背中に
わたしは声をかけた