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2006年07月23日
To a Lost Whale
先日ハーバード大のCranstonさんからメールが入り、来学期のゼミで私の書いたクジラの詩を紹介したいとのこと。クランストンさんとは、10数年前に、私がケンブリッヂにしばらく滞在していた頃にお目にかかったのだが、それ以来ずっと私の詩の訳をしてくださっている。彼は日本文学〈和歌の翻訳と研究が中心)の教授であり、詩人である。「A Waka Anthology 1」によって日米友好基金日本文学翻訳賞を受賞している。
この詩は漂着死したクジラのイメージからのもので、1990年発表。いまさらちょっと恥ずかしいが、詩集には入れていないので,これを機会に訳詩と並べて紹介したい。
To a Lost Whale 喪われたクジラへ by Mizuno Ruriko
( translated by Edwin A .Cranston)
Sometimes I wonder
Aren't you out there even now
floating your sick body on the waves
pouring out your life
in a song of love
sung on and on?
ときどき私は思う
あなたは 今でもまだ
病んだからだを 波に乗せ
けんめいに 愛の歌を
うたいつづけているのではないかと
O whale --
what crippled your sense of direction?
For all the world as if you feared to drown taht day
you fled the sea toward us
(and I --it was then I met you......)
クジラよ
あなたの方向感覚を狂わせたのは何?
まるで溺死を怖れるかのように あの日
あなたは海を逃れてやってきた
(そして私はあなたと出会った……)
I love you
Enameled as you were with stardust of the sea
with barnacles and shells
you fell away alone
enormous from the dark
I love the bigness that is you
Listen −− when I pressed my ear to your wet skin
I felt for the first time -- oh, yes --
with my own touch
the briny beating of the universe
between the dazzle of the sky and sand
私はあなたが好きだ
海の星屑の 貝やフジツボにいろどられて
闇からはぐれおちてきた
あなたという大きさが好きだ
ぬれたあなたの肌に耳を押しあてて 私ははじめて
塩からい宇宙の鼓動に触れたのだもの
まぶしい空と砂のあいだで
(Maybe, eons ago, I shared with you, aquatic ape that I was,
the frothy atmospehre of milk churned up by blustering storms.
Foster brother and sister, perhaps we fed at the same breast.
A fragment of green forest sunken in your brain, the shadow
of a waving polyp etched in gray on my retina.......But our lives
have been classified , and in the end our souls no doubt will
vanish like two separate drops of blood drying on the sand.
Without ever combining into one.)
( もしかして水生のサルである私は吹きすさ
ぶ風に攪拌されて泡立った大気のミルクを太
古のあなたと分けあったのだ 乳兄妹として。
あなたの脳髄のすみには緑の森が沈んでいて
私の網膜には灰色の珊瑚虫の影がゆれている。
でも私たちの命は分類されて やがて魂は砂の
上の二滴の血のように蒸発するのだろう。
決して融合することのないままに。)
Yet the day will come
O whale
when between our two bleached skulls
sea spume driven by the wind
will blow again
and then we shall return
you and I to the one song sung
on this great earth
O whale far away
けれどクジラよ いつか
白くさらされた二つの頭骨の間を
あの風のしぶきがまた吹きぬけていくとき
私たちはこの大地の上で
ただ一つの歌にもどれるだろうね
遠いクジラよ
投稿者 ruri : 2006年07月23日 11:05
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コメント
1回目を読み終えて
胸が痛くなる人間は
私ばかりではありますまい
大きくてひろーい詩ですね
うむむむ
<昔がたりの老ばあーば風感想>
クジラと人間
体のありかたは異なっていても
哀愁に満ちたクジラの声が
海中を響くとき
海でありクジラであり人間であることのできる
詩人によみがえる思いは
クジラと共感できると思われます
2回目読んだ時は
バックで海草を着た女性が
歌っていました
童謡「うみ」を
うみはひろいな大きいな
月がのぼるし 日がしずむ
うみは大なみ青いなみ
ゆられてどこまで つづくやら
今でも
それぞれが様々な歌いかたで歌って
遠い共通の場所を呼び戻し
そこで生きる
一つの共通の歌に戻る
そんな瞬間が一瞬でもあるのではないかと
言う期待感(希望)がないと
楽譜再現音楽ならまだしも
即興音楽なんてやってられないですね
投稿者 獅子童丸 : 2006年07月24日 08:38
すべてのものが一つになる、大きなうたを聴くために、あなたはいつも即興演奏をしておられるのだと思いました。
昨夜,星野道夫の旅の記録をTVでみたのですが、私は詩をかくことを通して、彼のいう、あの、人間存在の遠く及ばないもうひと
つの自然に呼びかけているのだと気がつきました。
自然には二つあるといいます。身近にある自然と、もう一つ、人間にも無関心なもうひとつの大きな自然が。日常のこの時間の流れとは別に、そのような大きな時間がたえずどこかを流れていることを思う、と。
投稿者 ruri : 2006年07月25日 11:00
この星に生まれ育った生き物に共通する、根底のさびしさに触れているような作品でした。日常のこの時間の流れとは別に存在する「人間にも無関心なもうひとつの自然」、その扉がひらいたほんのつかの間のときを、過ごした気がする23日の夜のホタル電車のことを、お伝えします。津軽鉄道の「走れメロス号」に乗ってホタルの里へ向かいました。駅から更にバスで、深い山の中に入っていきました。夜が訪れると辺りは濃い闇に包まれて、わたしたちは、水辺に添った遊歩道を、手探りで進みました。その深い闇に舞い点滅する螢の灯、いのちが宇宙の塵に遡った想いで、螢が灯す光に見入っていました。
投稿者 青リンゴ : 2006年07月25日 13:55