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2006年09月12日
チリの夕べ�
《チリの夕べ》について、その後、主催者側の唐澤秀子さんとメール交換をして、あのような生身の声での朗読や、語り、そして語り合いというものが、とても大事なのではないか…と話しあった。それもあまり大きな会でなく。私はあのくらいの小さめの会がいっそうよいと思う。来て下さった友人からも、また是非という声もあって、何か行為をし、それから返ってくるものと、相互に響きあいながら、人は少しずつ試行錯誤しつつ、足場を見出して進んでいくものだと思った。
当日のパンフレットにあった、ガブリエラ・ミストラルの詩を一篇、載せたい。富山妙子さんのリトグラフがこの詩に捧げられていた。
バ ラ
ガブリエラ・ミストラル
バラの中心にある豊かさは
あなたの心臓の豊かさ。
それを撒き散らしなさい バラのように、
あなたの悲しみは みな 絞めつけられている。
それを歌のなかに 撒きちらしなさい
もしくは すさまじい愛のなかに。
バラを しまっておくんじゃありません、
炎で あなたを 焦がすでしょうに。
まるで天空から落下してきた音楽の一節のように鮮烈です。きっと訳もいいのですね。
投稿者 ruri : 21:28 | コメント (2) | トラックバック
2006年09月11日
チリの夕べ
久しぶりのエントリーです。今日は9月9日の《チリの夕べ》についてのご報告です。まとめるのが下手なので、次にその日のチラシの文を引用します。
もうひとつの「9・11」を思う初秋の夕べ
ーチリの「絵と詩と歌と本」に寄せてー
「テロルの9月」……この悲劇はアメリカ〈米国)の独占物ではない。
1973年9月11日、南米チリで軍事クーデターが起こった。1970年以来、3年間続いてきた、サルバドル・アジェンデを首班とする社会主義政権が倒されたのだ。首謀者はピノチェト将軍である.その凶暴さにおいて、ラテンアメリカでも類を見ない「治世」が始まった。虐殺,行方不明、拷問、レイプ、亡命……
数十万のチリ民衆が、それぞれの運命を強いられた。
軍事クーデターと、その後の軍政を背後で支えたのは、もちろん、アメリカだった。その意味でも、この国には、「テロルの悲劇」を独り占めにする資格は、ない。
チリ・クーデターから33年目の秋の一夜、たくさんの「9・11」を想い起こそう。
このような人為的な悲劇のない世界は、どのように可能なのかを考えよう。
チリについて、チリ(についての)「絵と詩と歌と本」です。
プログラム
お話「世界は、たくさんの『9・11』に満ちている」……太田昌国〈現代企画室)
「チリへの思い」富山妙子〈画家、火種工房)
「アリエル・ドルフマン著『ピノチェト将軍の信じがたく終わりなき裁判』を訳して」……宮下嶺夫
朗読「ビオレッタ・パラ著『人生よ、ありがとう』の一節から……水野るり子〈パラ詩集の翻訳者)
チリの歌手、ビオレッタ・パラ、ビクトル・ハラの歌を聴きます
チリの詩人、パブロ・ネルーダとガブリエラ・ミストラルに捧げて描いた、富山妙子のリトグラフを観て
いただきます。以上。
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私はビオレッタパラの訳詩集からデシマ(十行詩)をいくつかと、彼女の歌「人生よ、ありがとう」の詩を朗読した。会は現代企画室の太田昌国さんたちの企画によって進行し、休憩時間にはチリのワインや手作りのおつまみなどがサービスされ、正面の壁際には富山妙子さんのパブロ・ネルーダに捧げられた版画が並べられ、りんどうの花々が置かれていた。
会の内容は現代というこの出口を見失った暗い時代への批判と呼びかけに満ちた真摯なメッセージであった。そして会の雰囲気は和やかで親しみに溢れたものだった。富山さんの情熱溢れるスピーチは胸を打つものだった。特にこのような社会への抵抗運動やアピールの源には文学、美術、音楽などの芸術の力こそが必要なのだというその主張は、胸に刻まれている。
今日は9・11から5年目ということで、あのタワー崩壊の現場再現ドラマをTVで放送している。複雑な気持ちで見ている。アメリカでもその後のブッシュのテロ対策について、懐疑と批判が一般の市民から起こりはじめているという。