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2007年08月23日
キアゲハ羽化
キアゲハ3兄弟の長子?が今朝やっと羽化した。蛹化してから8日目。打ち続く酷暑で心配していたので、今朝7時前頃にふとのぞいたら、いつの間にか傍の茎に黄色いものが! この間の第一代目の蝶も気がついたら羽化していて、ほんとにびっくり。
今回もまた前の時のように折悪しく雨模様で、心配で、家の窓際に鉢ごと取り入れて様子を見ていたが、まもなく雨が上がって日ざしが見えてきた。そこで窓をあけてやったら、ちょうど10時頃、見事な翅をひらいて、空高く舞い上がり、バルコニーから東の森(木立?)へはるばると飛んでいった。後はうしろ姿を見送るばかり。でもどこかで「やったあ!」という爽快感。羽化後初めて見せるあの飛翔のすばらしい軌跡にはいつも感心してしまう。そしてどこか肩の荷を降ろした気分になる。
だがここへ至るまでには悲劇も! この3兄弟の二匹目は前に書いたように、蛹になるまえに忽然と蒸発してそれきりゆくえ知れずだし、一番末のチビが数日前に実は昇天してしまったのだ!この末っ子はいつまでも大きくならず、(普通の三分の二くらい)、それでもパセリの茎にしっかりしがみついていて、ほとんど何も食べなかった。なので、心配になってきて、スーパーのハーブ売り場で、イタリアンパセリを探してきて、そのやわらかい葉に乗っけてみたり、(それでも全然食べない)余分な世話を焼いて、結局最後に地面に落ちてアリがくっついているのを発見。摘み上げて、イタリアンパセリの葉にまたのっけてやったが、結局だんだん弱っていくばかりで、次の日にはみまかってしまったのだ!なんていうことだ!放っておけば案外勝手に大きくなったのでは…と悔やんだり、一寸の虫にも五分の魂というけれど、ほんとにこんなチビにこれだけがんばって生き抜こうとする力が潜んでいるのだ…と感心しながらも悲しくなるのだった。
今日のキアゲハの飛翔を見ると、一面救われた気分になるが、挫折したチビがまた哀れになって、どんな命にせよ夭逝というのは絶対よくないことだと思ったり。
それからもう一つ、こういう虫たちのかたわらで時間を過ごしていると、ヒトというのは粗っぽい存在だなあ…、となぜか痛感するのです。それと自然と付き合うときは「待つこと」,関心を持ちながら「じっと待つこと」が必要だと分りました。あせってはいけないと。
見えないけど、世界の隅々でこういう命たちがけんめいに生きているんですね。 以上でこの夏のキアゲハ3兄弟の物語はおしまい。まったく生きものと密に接することは、なんにせよ、しんどいことです。
”一匹目は真昼に蒸発し…、二匹目は夜明けに墜落し…、そして三匹目は東の森へ飛んでった…。” まるでマザーグースのTen little indian boys の始まりみたいですね。
投稿者 ruri : 2007年08月23日 16:25
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コメント
ハラハラ、ドキドキ、しましたが、しずかな感動とともに終わった、三兄弟の物語、なぜか、ご苦労さまでしたと、言わずにはいられません。わたしは、きょうもミンミンと鳴くセミの声をシャワーのように浴びて、いつもの家の前の急な狭い坂道を下りていく途中で、黄緑に黄色の水玉模様が入った、とてもお洒落なイモムシ君を発見、フラフラと低速で、坂道を横断しようとしていました。いまにも何かに踏み潰されそうで、思わず親指と人差し指でつまんで、道の脇の雑草のなかへ、移動させました。その直後、あっと、ひとりで悲鳴をあげて、子供のころの祖母の忠告を思い出したのです。素手でつかむと、かぶれるから、お箸でつまむのよ、という、忠告を。
投稿者 青リンゴ : 2007年08月24日 16:52
私もいくら愛しても?手にのっけたのは一回だけ。アリにたかられたのを急いで手で振り払ったときだけ。後はお箸でつまみました。だからエライなあ!と感心。そちらではよくアオムシ君がゆうゆうと道を横断するのですね。やっぱり自然が豊かだと虫たちもノンびりしてるのかなあ。
私にとってのこの夏は、やっぱりキアゲハちゃんのおかげで、傷心の?ひと夏でした。でも実は庭のシルクロードの朝顔のプランターに茶色くてかわいげのない「なんとかスズメガ」の大きな蛹が土中にもぐって睡眠中で、これは苦手。人間も勝手なものですね。
投稿者 ruri : 2007年08月24日 17:36