« 2007年10月 | メイン | 2008年01月 »

2007年12月24日

左岸

 12年間休刊中だった詩誌「左岸」が復活し、このたび「続・左岸」31号が送られてきた。同人は新井啓

子さん、広岡曜子さん、山口賀代子さんの3人である。以前のもそうだったが、今号はいっそう瀟洒な装

丁で、清楚な雰囲気が心地よい。さすが女性たちの詩誌という思いで読ませていただいた。そのうちの

一篇を紹介させていただきたい。


                 

                    蘚苔             

                                               山口賀代子

おさないころ

祖母につれられ わけいった深い森のなかのちいさな流れのそばで

石にしがみつくようにはえている苔をみたことがある

植物と水の匂いのする濃密な世界のなかで

まじわっていたわたしたち



五十年たち

湿度のたかい都市の一室で苔とくらしている

枯れ草のようになっていたものが

ほんのりうすみどり色になり

濃い緑になり

太陽のひざしを浴びると金色にかがやきはじめる

ただ光をとりこんでいるだけのことかもしれないのに



黄金色のちいさな花〈…だろうか)がさいて

胞子がとぶ

そのしなやかなベルベット状のものをひとつまみ

実生から育てた欅の根元に移す

と しばらく

いきおいをなくし枯れたかにみえるものを

根気よく水遣りをつづけると

黄色いちいさいひらべったい塊が黄金色にかがやきはじめる



ちいさな森がそだちはじめている

都市の一隅でなにほどもなくいきる女のかたわらで


                       ※
 


 ちいさな森…ちいさな森…ちいさな森…。そうだ、わたしも身辺にちいさな森を育てなければ…。森では

いろんなことが起こるのだから。おさない兄妹がパンくずをこぼしながら、歩いているかもしれない。魔女

の家だって建築中かもしれない。この星の上から森はいま静かに消えつつある。せめて身辺にちいさな

森…ちいさな森…ちいさな森をつくっていこう。

                 

投稿者 ruri : 14:28 | コメント (2) | トラックバック

2007年12月14日

Bitches Brew

昨夜、白楽にあるカフェバー 《Bitches Brew》へ、中上哲夫さんからの案内で、ジャズと詩の朗読を聞きにいった。20人くらいしか入れない小さいスペースだが、ぎっしりの盛況だった。オーナーの杉田誠一さんの説明によれば、彼が1969年に、ニューヨークでのジャズと詩の朗読に触れた折の感動的経験から、このたびの企画が生まれた由。

そして、とりあえずこれから一年、毎月第二木曜日の夜に、詩の朗読とジャズの会をひらくことにした。声をかけられた、旧知の中上哲夫さんがプロデュースすることになったという。

昨夜はサックス尾山修一、ピアノはケミー西丘、そして詩は初回なので中上哲夫だった。
中上さんは「アイオワ冬物語」の詩と最新作を読んだ。「アイオワ冬物語」のいくつかの詩篇が、孤独なサックスの音色とからみ、詩のかもし出すアメリカ大陸でのかわいた旅情を生かしていた。

ジャズは本来即興的要素が強いし、場の空気を瞬間瞬間に生み出していく。そのジャムセッション的呼吸が詩の朗読と合うのでは…と思ったりする。もちろんうまくいけばだけど。ジャズって生きものの一種みたいだと思う。たちまち空気の中に消えていくところも。

投稿者 ruri : 14:42 | コメント (0) | トラックバック

2007年12月12日

あめふらし

絵本あめふらし(絵本グリムの森�)《絵:出久根 育 訳:天沼春樹》に惹かれたのは、

もっぱら出久根育さんの絵のおかげだ。


《12の窓をもつ高い塔から国中を見渡すことのできる、ひとりの王女さまがいました。彼女は気位が高

く,誰の言うことも聴かないのです。自分のお婿さんは、千里眼の自分と勝負して、彼女の目から、すっ

かり姿を隠さなければならない、というお触れを出しました。この王女の挑戦に敗れたものは、首をはね

られ、杭に串刺しにされて、さらしものになるのです。…こうしてお城の前にはもう99本目の杭にまで男

の首が刺されました。》

 さてどんなメルヘンにもあるように、この王女さまにも100人目の求婚者があらわれて、いくつもの試練

をくぐりぬけて、めでたく王女様と結ばれることになるのですが、これがなかなか大変です。

カラス、サカナ、キツネたちに助けられて、その若者が、王女さま相手に繰り広げる駆け引きのおもしろさ

が、怖楽しい(こわくてたのしい)。ブリューゲル風の異形の風貌をもつ登場者たち。エネルギーと奇想溢

れる絵の展開に、開くたびに見入ってしまうのです。これは現実のうらがわから、もうひとつの”真実”が

窓越しにこちらをのぞいている大人の絵本です。

でもなぜ「あめふらし」がここに登場するのか、ちょっと不思議。

もしかしたら、だれの髪の毛のなかにも、アメフラシが一匹、こっそりひそんでいるのかも。

投稿者 ruri : 12:38 | コメント (0) | トラックバック

2007年12月09日

もくようびはどこへいくの?

久しぶりにブログの、それも絵本の頁を開きました。

「もくようびはどこへいくの」(ジャニーン・ブライアン:ぶん、スティーブ・マイケル・キング:え、すえよしあき

こ:やく)《主婦の友社刊》は、最近読んだばかりの絵本です。


           きょうは もくようび
 
           スプーのたんじょうび

        いちねんで いちばん とくべつな ひ

           この もくようびが

          ずっと おわらなかったら

           どんなに いいだろう

        でも、 よるのあいだに もくようびは

          どこかに いってしまうんだ

      もくようびは どこに いっちゃうんだろう?

シロクマの子どものスプーは、すてきなお誕生会をしてもらった後で、ともだちの小鳥のハンブーと、楽し

かったその木曜日を探しに出かけます。夜の森の中や、みずうみのほとり、丘の上、そして海辺など。で

もどこにも木曜日はいません。ふたりはがっかりして、家の前の階段にこしかけます。

      

          「ねえ、ぼく、もくようびって、

        こんな かたちを してると おもうんだ。」
           
                 ……

       「それはね、おおきくて まんまるなんだ。

         ぼくの おたんじょうケーキみたいにね。

           でね、ろうそくみたいに あかるいの。

         
         でね、ふうせんみたいに

              ぼくを たのしく してくれるの。

              ぼく、もくようびって、

         そういうの、みーんな

             たしたものだと おもう。」

それからふたりはじっと考えこんで、空をみあげていました。

ふたりはそれから木曜日に出あえて、


            「さよなら!」


とお別れをいえたでしょうか。

絵本の終わりのページで、ふたりがベッドにもどって、すやすやねむる幸せなシーンがすてきです!

                             ※

むかし子供の頃に、よく大晦日に感じたことを思い出します。いったいこの一年は、どこへ、だれのところ

へ、行っちゃうのかなあ…と。

時間は流れて、どこへ行くのか…それは自分の心の底に層をなしてたまっているというのも当たり前の

大人の感覚で、新鮮味がないようです。時間の後をどこまでもどこまでも追いかけていって、いつか時間

のしっぽを掴むことができたら、すばらしいSF旅行ができそうな気がします。身軽な子どもの心をもってい

たら、時間が風のように迎えにきてくれるかも。


         

  
       

       

投稿者 ruri : 10:45 | コメント (1) | トラックバック