2008年04月01日
something6より
このところ雑事に追われ忙しく暮らしていて、いまごろになって、鈴木ユリイカさん発行の「something6」をゆっくり読むことができ、そのなかでいくつもの作品に出会い、いつもながらのようによい刺激をいただくことになった。今日はそのなかから、以下の作品を引用させていただくことにしたい。
夏茱萸
尾崎与里子
かぞえていたのは
梅雨明けの軒下の雫と
熟しはじめた庭隅のグミ
そのグミの明るさ
私は〔老女〕という詩を書こうとしていた
眼を閉じるとひかりの記憶に包まれて
すぐに消え去ってしまう いま と ここ
時間のなかで自画像が捩れてうすく笑う
初夏の明るさに
この世のものでないものが
この世のものをひときわあざやかにしている
母性や執着の残片があたりに漂って
耳もうなじも
聞き残したものを聞こうとしてなにかもどかしい
それはふしぎな情欲のようで
手も足も胸も背中も
そのままのひとつひとつを
もういちど質朴な歯や肌で確かめられたいと思う
刈り取られていく夏草の強い香
ひかりの記憶
たわわにかがやく夏グミの
葉の銀色や茎の棘
〔老女〕はきらきらした明るさを歩いていて
※ ※ ※
私は母の死後、このようにもvividに失われた彼女の時を生きなおしただろうか。とくに2連目の、草
いきれのように匂い立つ、生と死をゆきかう時間の感触。よみがえる時のきらめき。このような詩に出
会うと、私にはいまというこの一瞬さえ惜しまれてくるのだ。
また「いとし こいし」も楽しく秀逸なエッセイだった。
投稿者 ruri : 2008年04月01日 14:34
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