« 前田ちよ子詩集「星とスプーン」より | メイン | 「杖」 前田ちよ子 »
2008年07月08日
詩集「昆虫家族」(1988)ー七月堂刊ーより
土の器
前田ちよ子
地が造られ、その終りに余った土で造られた器が地の
一端に据えられた。 その器の底に、いつからかこどもが
住まっている。
器に続く地では日々色々なことが起り、その中をかす
かな死臭を漂わせた大きな生きものが、ひたひたと身を
低くして歩みやってくる。やがて器にたどり着くと縁で
立ち止まることもなく、器の内側の丸味のある闇を深々
と下りて行く。
大きなものは器の底で走り寄るひとりのこどもの腕に
抱き取られると、ゆっくりと体を横たえて、その頭(かしら)をこ
どものひざの上に載せる。角ある頭(かしら),荒い毛の立ち並ぶ
背を撫でるこどもの手のひらの温もりに、生きていた大
きなものはうっとりと死に始め、閉じたまぶたの傾いた
端から涙のように自分の魂を生み終える。
土の器のどこからか、たくさんのこども達がめいめい
手に合った椀を持って集まって来る。円座して、魂の残
していった血と肉とを少しずつ分け合っている。ひとり
が ほら見てごらん とほほえんで言うと、はるかこど
も達の暗い頭上を、一個の魂がほのかに輝いて昇って行
くところだった。
天秤皿
前田ちよ子
私達は片方の天秤皿の上で生れていた。私達を生んだ
ものが何であるかは知らなかった。皿は巨大で、朝と昼
と夜のある宙に浮いており、はるか下の方は闇の雲がゆ
っくりと大きく渦巻いていた。私達の載った皿の対(つい)の
天秤皿はおろか、皿を支える支点さえも遠く遠く霞む大気の
向こうにあって、私達は見たこともなかった。
皿の上には何もなかった。風の吹く度にどこからか流
れて来る砂がわずかずつたまり、やがて砂は土になった。
私達は拾い集めておいた種をそこに播き、空一面から降
る雨と光とで種から苗を育て、実を収穫した。繁る草に
ひそむ虫を捕え、干して保存した。季節の変わる時には、
頭上を渡って行く鳥の群の互いに呼び合う声を頼りに弓を
引いた。私達は日毎大きくたくましくなっていったが、私達
の載った皿は次第に宙に上(のぼ)っていった。
寒い日の夜は火を焚き寄り添って寒さをしのいだ。そ
んな時私達はもう片方の皿に何があるのか話(はなし)した。
小さな弟はカラスだと言った。たくさんのカラスが卵を産んで
いるのだと。 三番目の兄は父と母だと言った。父と母とが
私達が大きくなる以上に肥えて行くのだとーー。無口な一
番上の姉がいつかこんな風に集まっていた時、一度だけ
自ら話し出したことがあった。「私は思う。あそこにいるの
は私達ではないかと。私達があそこでふえているのではな
いかと。 「ああ。私達はふえるのをやめようではないか。
兄や姉、姉や弟、妹や兄、弟や妹。私達はそんな関係
(あいだ)でふえるのはやめようではないかーー
姉はその後死んだが、私達は姉の言葉を守ってふえず
に生きた。あれからも私達の皿は少しずつはてしなく天へ
近づいていく。薄くなる大気と夜のなくなった一日中明るい
光の中にいて、私達の肉体は内側から透けるようになって
いた。 余り動くこともなく、話しをすることもなく、今では
もう食べなくてもよくなっていた。
収穫をしなくなった穂はいつまでも青々と豊かに実り、
たくさんの虫をその中に隠していた。渡り鳥は頭上を渡
らずに、皿の下の方を鳴いて渡って行く。
今でも 私は思う。あの大きく渦巻く闇の中を、更に
静かに沈み続けて行く私達の対(つい)の天秤皿。あの
皿の上の「重さ」。 あれはいったい本当に何なのだろ
うか…と 。
* * *
前田さんの第2詩集「昆虫家族」から2編載せました。
( )のなかは原文ではルビになっています。
投稿者 ruri : 2008年07月08日 15:01
トラックバック
このエントリーのトラックバックURL:
https://www.a-happy.jp/blog/mt-tb.cgi/4023