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2008年10月29日

雲の映る道 高階杞一詩集

高階杞一さんの新詩集『雲の映る道』には好きな詩がたくさんあった。以下はその中の作品からです。

                   いっしょだよ

               かわいがっていたのに
               ぼくが先に
               死んでしまう
               犬はぼくをさがして さがして
               でも
               いくらさがしても
               ぼくが見つからないので
               昼の光の中で
               キュイーンと悲しげな鳴き声をあげる
               その声が
               死んだぼくにも届く
               
               ぼくは犬を呼ぶ
               こっちだよ こっちへおいで 
               犬はその声に気づく
               ぴたっと動きを止めて
               耳を立て
               しっぽをちぎれんばかりに振って
               一目散にぼくのところへやってくる
               ずいぶん痩せたね
               何も食べてなかったの?
               キュイーンとうなずく
               ぼくは骨をあげる
               犬はぼくの骨をたべる

               おいしかった?
               クー
               これからずっといっしょだよ

         ”””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””

哀しい詩で、とくに犬の好きな私なので身に染みました。骨に関しては、もうひとつ、とても忘れられないような「春と骨」という詩があるのですが、あえてここには入れませんでした。いつか読んでください。子どもさんをなくされた詩人の経験の深さが、短い詩の中から切なく伝わってきて、前の詩集『早く家へ帰りたい』をもう一度読み直したりしました。


                   新世界 

               リンゴの皮をむくように
               地球をてのひらに乗せ
               神さまは
               くるくるっとむいていく
               垂れ下がった皮には
               ビルや橋や木々があり
               そこに無数の人がぶらさがっている
               犬も羊も牛も
               みんな
               もうとっくに落ちていったのに
               人だけがまだ
               必死にしがみついている
               たった何万年かの薄っぺらな皮
               それをゴミ箱に捨て
               神さまは待つ
               むかれた後の大地から
               また新しいいのちが芽生え
               みどりの中から鳥が空へ飛び立つときを
               そこに僕はいないけど
               人は誰もいないけど

                
            ””””””””””””””””””””””””””””””””””””

新世界っていうのは、人間のいない世界なんだと気がつきました。
まだ神さまのゴミ箱の底にうごめいている一人として。
  

        

                                           


  
   
                

投稿者 ruri : 11:13 | コメント (2) | トラックバック

2008年10月22日

詩 夕餉の食卓

今日は佐藤真里子さんから送られてきた詩を載せます。2008年10月10日に陸奥新報に載ったものです。

              夕餉の支度             
                                  佐藤真里子

         西の窓が薄赤く染まるころ
         (行こうよ…)と
         背後から近づいてくる闇に
         負けないように
         わざと音を響かせて
         野菜を切る
         同じ生きものの生臭さで
         包丁に力をこめて
         魚をさばく
         沸騰する鍋のふたを取ると
         いきなり吹きかかる湯気が
         何もかもを
         眠りの夢に変えそうで
         思わず開ける窓
         外は沈む陽の色になり
         虫たちの奏でるヴァイオリンは
         高く低く余韻を引き
         (行こうよ…)と
         すすきの穂のたてがみをゆらして
         幻のけものたちが駆けていく
         その先には
         いつも気配だけで背中合わせの国
         夕暮のさびしさの訳を
         知っている国がある
         毎日、いまごろ
         その国行きの電車が停まる駅が
         かすかに見える
         (行こうよ…)と
         宙から下りてくるレール
         宙へと消えるレール
         今日も乗りそびれて
         電車が走り去る音だけを聞く
         魚の美味しいスープは
         煮えたけれど

             ””””””””””””””””””””””””””””””””””     

いい詩だなあと思った。日常の当たり前の行為と、それをめぐる時間が、想像力によって、一気に広がり、深まり、宇宙性を取りもどす。詩人は言葉によって時間の質を変貌させてしまうのだ。ファンタジー的な手法がうまく生かされていて、(行こうよ…)いう呼びかけのくりかえしが、時の経過をリズミカルに伝える。銀河鉄道999のイメージも浮かぶ。秋の夕ぐれのさびしさと、憧れに似た想いが、ロマンチックな心情を伝えてくる。そして最後に今夜の美味しい食事タイムを連想させるのもさすが…。

投稿者 ruri : 14:13 | コメント (1) | トラックバック