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2011年12月07日
海の記憶(井上直展)
井上直さんの個展を見にASKへ久しぶりに出かけた。すばらしい展覧会だった。
現代を生きる私たちにとっての、海、空、宇宙、大地とは…。荒涼と寂寞が支配する大地
を流れる静謐な祈りの声。
3・11以前にすでに予見していたかのような、この光景に、言葉を失う。「海の記憶 A,B」
「V字鉄塔のある風景B,C」「処理工場のある夕暮れA,B」などすべて大作。
大谷省吾氏が解説文の冒頭に立原道造の詩を載せている。
悲哀の中に 私は たたずんで
ながめている いくつもの風景が
しずかに みづからをほろぼすのを
すべてを蔽ふ大きな陽ざしのなかに
私は すでに孤独だ - 私の上に
はるかに青い空があり 雲がながれる
しかし おそらく すべての生は死だ
目のまへに 声もない この風景らは!
そして 悲哀が ときどき大きくなり
嗄れた鳥の声に つきあたる
この立原の詩が井上さんの作品と呼び合い、響きあい、世界というこの悲劇的な空間を
贖罪と敬虔な祈りで満たそうとしているようだった。
私は、ひと筆ひと筆を運びつづけた孤独な3年の時を思い、表現者として
の画家の覚悟に触れ直した気がした。井上さんほんとに、ありがとう。
この個展は17日まで京橋ASK画廊で開催中。ぜひ詩人の多くの方々にも見て
ほしいと思う。
投稿者 ruri : 2011年12月07日 09:35
コメント
昨日、私も拝見してきましたが、「海の記憶」以外の大作すべてが震災以前に書かれたものであることに驚きました。静謐な祈りの漂うそれらはまさに、フクシマ原発事故の現場を思わせる情景や近代文明のたどりつく果ての終末的な風景が描かれていたからです。しかし井上さんは社会的なメッセージや批判を込めたものではなく、まったく自己の内面の不安や悲哀や孤独をただ表現したにすぎないのだと語られました。これは、どこか水野るり子さんの詩の世界にも通じる、詩人や画家の予兆的な感覚がとらえた人類の未来像ではないだろうか、とも思ったのでした。
投稿者 kinu : 2011年12月07日 17:55