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2015年01月11日

「チパサ(ティパサ)での結婚」 アルベール・カミュ

フランスでテロがあり、2人のアルジェリア系テロリストの名が挙げられている。
アルベール・カミュはアルジェリアで生まれ育った、フランス人作家であるが、父はフランス、母はスペイン出身である。(カミュの時代は、アルジェリアはフランスの植民地であった。)カミュは生まれ故郷のアルジェリアの海と太陽を生涯熱烈に愛し、アルジェリアの人々に共感していた。カミュは海と、この大地に、OUI !を叫んだ人だった。パリという都会の空気は彼の肌には合わなかったらしい。
彼は国境をこえ、風土性によって結ばれる《地中海文化》を提唱した。それは彼の思想だった。

彼は当時、アルジェリアがフランスから独立分離することなく、フランスの内部に踏みとどまり、国を超えた新しい文化圏が生み出されることを願っていた。この、国境を超えた風土によってつながり、共生していこうという彼の夢は残念ながら現実化しなかった。そして、今に至るこの時代状況をカミュが生きて見ていたら…どういう発言をするだろうか…と思うのだ。


         ”””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””

『チパサ(ティパサ)での結婚』、はカミュの本質である詩人的な感性に溢れるエッセイだ。読むたびに魅惑され、わくわくする。

チパサはアルジェの西方70キロにある古代ローマの遺跡であり、カミュがこよなく愛した場所であり、生涯に何回もこの地を訪れていた場所であった。

ここでカミュが関心を示すのは、”栄華を極めたローマ帝国でなく、古代の建造物を石へと帰す自然の力”であり、”若き日のカミュにとって、ティパサは、一つの人種あるいは民族と共有しうる地中海文化を宣揚するための特権的トポス”である。

カミュの「手帖」には、ティパサの名は1952年以降も5回現れ、42歳の時、彼は”自分が「そこで生きまたは死ぬことを望んだ場所」の筆頭にこの地を挙げている”。

”1939年、カミュは「アルジェ・レピュブリカン」紙の記者として、カビリア地方における住民たちの悲惨な状況を伝える報道記事を書き、植民政策の不正を告発した。…また1956年、彼はアルジェで「市民休戦」を呼びかけた。アルジェリアの悲劇を彼は身を以て理解していた。しかしながら、それにもかかわらず、いやむしろそれゆえにこそ、彼は青春のシンボルであるティパサを、歴史の動乱をこえた位置に置くことを願ったのである。”

テロ…アルジェリア、そしてチパサ。一人の人間が、歴史を如何に生きたか、個の資質と時代との
避けられない葛藤。そしてその間隙に生み落された「チパサでの結婚」のあまりにもかぐわしい夢
の匂い。

(” ”の部分は三野博司氏の文からの引用)

投稿者 ruri : 15:31 | コメント (0)

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2014年12月24日

カミュとの再会

隔月のたこぶね読書会で、今年はカミュの『異邦人』と『ペスト』に再会した。カミュを読んだのは
何十年も昔の学生時代だった。自分も年を重ね、時代も変わって、同じ作家の作品を読むこと
の面白さを知った。そのことを書いてみたいと思ったが、初めにとても新鮮に読み直した彼の
『結婚』の一部を引用したくなる。この”結婚”は生命と大地との、生命とこの地上との結婚を意
味している。以下は「チパサでの結婚」からの気ままな引用です。

                    チパサでの結婚    訳・高畠正明

春になると、チパサには神々が住み、そして神々は,陽光やアブサントの匂いのなかで語っている。
海は銀の鎧を着、空はどぎついほど青く、廃墟は花におおわれ、光は積み重なった石のなかで煮えたぎる。ある時刻になると、野原は陽の光で黒ずむ。目は、睫毛の先でふるえる光と色彩の雫のほかに、何かをとらえようとするが無駄なのだ。まろやかな香りを放つ草花のおびただしい匂いが喉を刺激し、巨大な熱気のなかで息づまるようだ。遠景に、シュヌーアの黒々とした影の広がりを、ぼくは辛うじて望むことができる。それは村を囲む丘陵に根を下ろし、確実な、圧するようなリズムで揺れ動き、海のなかにまさにかがみこまんばかりだ。……

港の左手では、乾いた石の階段が,乳香やエニシダに包まれた廃墟に通じている。その道は小さな
燈台の前を通り、やがて野原のまっただなかに沈んでゆく。……

少し歩くとアブサントがぼくらの喉をとらえる。その灰色の毛は見渡すかぎり廃墟をおおっている。そのエキスが熱気で醗酵し、大地から太陽に,あたり一面、強いアルコールが立ちのぼる。そしてそれが大空をゆらめかす。ぼくらは恋と欲情との邂逅を求めて歩いてゆく。ぼくらは教訓も、偉大さに人が求める苦い哲学も、求めはしない。太陽と接吻と野生の香りのほかには、一切がぼくらには空しく思える。……ここではぼくは、秩序や節度は他の人々にまかせておこう。ぼくの全身を奪い去るのは、自然と海のあの偉大な放縦だ。この廃墟と春との結婚で、廃墟はふたたび石と化し、人間の手が加えた光沢を失って自然に還ってしまった。……

投稿者 ruri : 17:34 | コメント (0)

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2014年11月27日

セゾン現代美術館(辻井喬 オマージュ展)

11月24日、軽井沢のセゾン現代美術館を訪れ、《堤清二/辻井喬 オマージュ展》を見た。
その日が会期の最後の日だった。

美術館は葉を落した木立に囲まれ、会場はゆったりした清楚な雰囲気で、シーズンオフ
の避暑地らしく、客も少なかったが、その分ゆっくりとマイペースで豊かな空間を味わうことが
できた。クレー、ミロ、エルンスト、マン・レイなどにはじまり、イヴ・クライン、マーク・ロコス、
サム・フランシスなどの現代美術を経て、荒川修作、中西夏之、宇佐美圭司、加納光於
などの日本の画家の大作も数多く見られた。

しかし私がもっとも心奪われたのは、辻井氏の自筆原稿や、数えきれないほどの著作物
(詩集や文学作品などを中心とする)、そして南麻布の書斎を復元したという空間におか
れた彼のデスクであった。愛用されたと思われるそのデスクには、いくつかの傷跡なども
見てとれ、創作に費やされた詩人の孤独な時間とその営為が語られていた。
「二つの行為(経営と詩を作ること)は本来矛盾するべきものではなく、それが矛盾して
感じられるところに、時代の様相がある」という彼の言葉が引用されている。
そうなのだろうか?
一人の人間が自己の運命を生き切ること、そして表現し続けることとは?
深い感慨を与えられた一日だった。

                ※               

翌日は冷たい雨だった。濡れていくホテルの中庭の木立を見ながら、一つの星がふいに
消え去った後の空白感に包まれた。

投稿者 ruri : 13:22 | コメント (0)

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2013年11月14日

堀辰雄展

昨日、堀辰雄展を見に、鎌倉文学館を訪ねた。没後60年を迎えたとのこと。
彼は昭和13年に鎌倉で結核療養し、翌年から一年ほど、鎌倉の小町で新婚生活を送り、
完成まで7年かけた「菜穂子」の構想も鎌倉の地で立てたという。

私もこのところ少し遠ざかっていたが、若いころは堀辰雄が好きでよく読んでいた。
肌に信州の風を感じるような、日本的湿潤さのない、澄んだ文体のもたらす雰囲気に惹かれていた。死の影が感じられるような、薄明の暗さを持つ「風立ちぬ」「菜穂子」なども好きだったが、
むしろ大和路の散策から生まれた「浄瑠璃寺の春」、それから最後の作品「雪の上の足跡」が
永く心に残っている。

特に馬酔木の花に出会うシーンは一読後、強く心に刻まれてしまい、何十年経った今も、
”馬酔木”の花を見たり、思い出したりすると、堀辰雄のこの文章を思い出すのは不思議だ。
春、”浄瑠璃寺の小さな門のかたわらに、ちょうど今を盛りと咲いていた一本の馬酔木”…。
馬酔木には、”あしび、と振り仮名がついていて、それまで私は”あせび”と呼んでいたので、
いっそう印象に残ったのかもしれない。
つづけて彼は、その門の奥に”この世ならぬ美しい色をした鳥の翼のようなもの”が目に入り、
足を止めると、それが浄瑠璃寺の塔の錆びついた九輪だった、と書いている。
かつて一人で訪れた九体寺への旅を思い出しながら、今度は馬酔木の咲くころにここを
訪れてみたいと、思った。

展覧会には神西清との文通はがきや、芥川龍之介や小林秀雄の原稿など、丁寧に展示されていて、あまり客のいない会場を出てから、「大和路・信濃路」「菜穂子」を売店で買って、庭の薔薇園
を見に行った。夏の名残の薔薇という感じが、展覧会の雰囲気とも合っていた。
紺碧の海を望み、庭園には椎の実(ブナの実?)が一面に散らばっていて、その2粒をお土産に
ポケットに入れて帰ってきた。

投稿者 ruri : 14:13 | コメント (0)

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2013年07月03日

エミリ・ディキンスン

久し振りに、たこぶね読書会主催で、中上哲夫さんの詩のお話を聞く会があった。
今回はエミリ・ディキンスンの詩についてだった。遠くから初めて来てくださった方
も何人かあって、自由な雰囲気で話を交わすこともできて、愉しい会になった。
原詩に触れながらの解説だったので、ディキンスンの詩のおもしろさが深まった
気がする。彼女の詩は死後急速にアメリカ詩の重要な位置を占めていくことにな
るが生きている間は詩人としては不遇だったと思う。

ディキンスンの好きな詩を2篇載せてみたい。彼女の自然をうたう詩がとても好きだ。
(前にも引用したことがあるかもしれません。)

              草原をつくるには クローバーと蜜蜂がいる

              クローバーが一つ 蜜蜂が一匹

              そして夢もいるー

              もし蜜蜂がいないなら

              夢だけでもいい

          ””””””””””””””””””””””””””””””””””

              私は荒野を見たことがない

              海を見たこともない

              だがヒースがどんなに茂り

              波がどんなものかも知っている


              私は神様と話したことがない

              天国に行ったこともない

              だが私にはきっとその場所がわかる

              まるで切符をもらったように 


          ”””””””””””””””””””””””””””””””””””””””


以上は、『エミリ・ディキンスン詩集』(自然と愛と孤独と)中島 完訳 からの引用です。   

               

           

投稿者 ruri : 16:40 | コメント (0)

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2013年06月20日

貴婦人と一角獣展

六本木の国立新美術館で、貴婦人と一角獣展を見た。
20年以上前にパリで初めて見たのだが、どうしても、もう一度見たいと思っていた。あのタピスリーの典雅なたたずまいと華やかな色彩(やや色あせた色彩が時の経過を優雅に感じさせ)、見ているだけで異界に引き込まれていくようだった。千花模様といわれる背面にちりばめられた植物や花々、そして多くの小さな動物たちの姿と表情が舞台をひときわ華やかに見せている。貴婦人の衣装や身振りも魅力的だが、一角獣の貴婦人を慕う姿態とまなざしに引き寄せられる。リルケのマルテの手記をもう一度読み返したくなる。

かつてパリを訪れる前に、秋山さと子さんに、それならぜひクリュニー美術館に行くといい…と
助言を受けたことを覚えている。その日右岸のホテルから、ひとりで左岸のクリュニー美術館へ出かけたまではよかったが、すごい方向音痴の私は帰り道に迷って、いつまでも夕暮れの左岸をぐるぐる回って心細い思いをした。

このタピスリーの印象が、どうやらその迷子の印象と一つになって、私のなかに刻まれているらしい。その後もう一度クリュニー美術館へ行っているのに、そのときは人と一緒で安心な旅だったせいか、このときのことより、その前の心細い左岸トリップの方が、忘れがたい。そして記憶も深いのだ。
ユニコーンと貴婦人が付き添ってくれていたのかもしれない…。

投稿者 ruri : 13:23 | コメント (0)

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2013年06月12日

サンペデロ

昨夜、サンペデロの花が咲いた。去年8月の夜に咲いた、あのサボテンの花。今年はまだ
6月なのに。昨夜7時ころからふくらみはじめ、9時ころにはほとんど満開(直径10センチ
くらい)の大きな花だった。

たった一夜の花なのに、それが雨の降る寒い夜で、不運な花だなあと思った。でも花は咲くときに
は咲く…と淡々と?咲いている。今朝5時ころに起きて急いで見に行ったら、もう知らん顔で
しぼんでいる。ああ、コウモリにでもなって、花弁のなかに忍び込んでみたらすてきだったのに。

でも一輪の花にどきどきするほどの高揚感をもらえるとは!そしてこの花が咲いていた間に見た
ゆうべの夢は不思議な夢だった。魔除けの力があるというサンペデロの花が夢の門口にも立っ
ていてくれたに違いない。

投稿者 ruri : 17:50 | コメント (0)

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2013年05月30日

花の季節

横濱平沼橋のイングリッシュガーデンの薔薇園を初めて見に行った。
写真をたくさん撮ったのだが、実物があまり素晴らしかったのでかえって載せる気にな
らなくて残念。写真の腕がないということだけですが。

視界にひろがる薔薇・薔薇・薔薇のパレードに、まぶしくて少し草臥れる。薔薇は濃密な
人工の花だから野の花のように心を解き放ってはくれない。

梅雨入りが早い今年、それでも我が家のバルコニーには、今、ノカンゾウのオレンジ色
の花が満開。5,60輪咲いている。ノカンゾウは一日だけの花。ワスレグサ(萱草)
というその名のように、あるがままに一日を咲き切って交代していく。

この季節だけのあかるい風景に浸りたくて、リビングの窓を開け放ち風を迎える。
もうじき百合の花が開きそう。

投稿者 ruri : 15:57 | コメント (0)

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2013年05月10日

信州の旅

気が付いたら長いご無沙汰をしていました。
その間に、春が過ぎて、もう夏みたいな季節になりました。

4月上旬に兄が急に他界して、周りの風景が一変したような一か月を過ごしました。

数日前に、兄の愛した信州のホテルを訪ねてみました。白樺の林に囲まれた蓼科高原の
静かなホテルでした。兄が訪れるたびに泊まっていたという部屋に泊まり、遠くに、南アルプ
ス、美ヶ原、そして北アルプスの山なみをはるかに眺めて過ごしました。

死者はもう戻ることはないのですが、その記憶だけはあの林や湖にまた戻ってくるような
気がします。なんだか立原道造の世界みたい!ですけれど。

投稿者 ruri : 14:26 | コメント (0)

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2013年03月10日

井上直さんの画を見る

 茨城県近代美術館に、6日、《二年後、自然と芸術、レクイエム》展を見に行った。上野から常磐線のスーパーひたちに乗って、水戸まで1時間ちょっとだ。2年前の地震災害を受けた美術館であるが、今はきれいに改築され、静かで広々とした気持よい館だった。

井上直さんの作品は5点出ていて、(うち3点が新作) 日曜美術館(NHKのテレビ)でも、そのちょっと前に紹介されていた。 5点のうち3点は2012年の新作だった。はるかな時間(自然)のなかに立ちつくす人間の後姿のイメージは、深い哀しみのなかにも、永遠への祈りと憧れを秘めた沈黙を漂わせ、粛然とさせるものがあった。

 芸術的感動はなかなか言葉にはできない。が、言葉にならない励ましをもらった気がした。もちろん自分への反省とともに。激しく動くこの時代の中で、真摯に内面を見つめる目を持ち続けながら、精神を具象化していく…その行為は、とても困難なことだけれども、その行為が人々を支え、励ます力を持つのだろう。

 新作「千の種族A」「千の種族B」「夕暮れのレクイエム」、そして以前銀座の画廊に出品されていた「海の記憶」「V字鉄塔のある惑星」などの作品の前に、しばらく立ち尽くしていた。
 
 そのほかに大観の「生々流転」という40メートルの絵巻物や、小川芋銭、河口龍夫の鎮魂のためのいくつかの作品など、印象的だった。

 水戸の梅林もそろそろ蕾が開きかけていたが、美術館のレストランで軽いランチをとり、そのまままたスーパーひたちに乗って横濱に帰った。

 明日は3.11から二年目の日が来る。


 
 

投稿者 ruri : 09:26 | コメント (0)

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2012年10月07日

ささやかなこと

先日土曜美術社から新・現代詩文庫が出版された。
たくさんの方からお手紙をいただいて有り難いことと思っています。

未刊詩篇の項目の冒頭に、「死んだ犬に」という詩を置いた。詩みたいなものを意識して
書き始めたのは、どうもこの詩あたりがきっかけだったような気がする。(日記みたいな
詩はずっと書いていたけれど)。この詩はナイーブな詩で恥ずかしいが、死んだペルに敬意
を表してどうしても入れたかった。

ペル(迷い犬の野良)は真っ白い犬だと思ったが、洗ってみたら、横っ腹に薄いベージュ色
の斑点が一つ浮き上がってきたので、はじめは真珠を意味する《ペルル》にしようかと思っ
ていたが,一字減らして「ペル」にした。

その頃家は埼玉県の新開地だったので、家の前は麦畑やイモ畑が広がっていた。夜だけ
放してやった時、ペルは嬉しそうに駆けまわり、畑に撒かれた農薬団子にでもあたったのか、
夜明けに犬小屋の前に横たわってひっそり死んでいた。悲しくて、押し入れに隠れて泣いた。
ちょうど月遅れのお盆の日だった。太陽がぎらぎらする真夏だった。

ちょうどペルが苦しんでいた夜明け前、私は夢の中に立って、色とりどりの松葉ボタンの花々を
見ていた。なぜか忘れられない。もう何十年も前のことだけれど。


投稿者 ruri : 09:45 | コメント (3)

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2012年09月27日

秋の花

とつぜん、昨日、秋の野の花々が友人から届けられて、我が家に涼しい秋風が吹いてきてくれた。
吾亦紅、女郎花、ホトトギス、リンドウ、野菊、そしてひときわ高くススキの穂が揺れているのは
音楽みたいにすてきだ。都会の真ん中で、秋の花々とお月見ができそう。

それで今日は「感傷的な草むら」という詩を書いた。

そうだ、あとで写真にしてみよう。

投稿者 ruri : 16:52 | コメント (0)

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2012年09月20日

ハーメルンの笛吹き男

オペラ「ハーメルンの笛吹き男」を見た。世界初演。作曲・¨一柳慧、台本・田尾下 哲、長屋晃一。
第19回神奈川国際芸術フェスティバルの公演だった。

私はかつて何人かの仲間たちと「ハーメルンの会」というのをつくっていて、詩誌というか、同人誌みたいなものを出していたこともあり、なぜか”ハーメルンの子どもたち”の伝悦には特に惹かれるものがあるので、とにかく見に行ったわけだった。

でもはじめからそんなに期待していたわけではなかったのに、だんだん引き込まれて、ついにはさかんに拍手している自分がいた!

台本は原作の伝説とは、終わりの部分が変わっていて、130人もの子どもが突然消えたというショッキングな結末は、町の大人たちや政治家たちの小賢しい分別にまさる子どもの純粋さが輝かしく
歌いあげられるものだった。それはだが、この時代への大きな批評や救いともなっていて、客たちに解放感与えてくれる気がした。

笛吹き男を演じた岡本知高(ソプラニスタ)の歌声もすばらしかったし、なぜか取り残された一人の子の口笛による演奏にも心奪われた。

しかし一番心に刻まれたのは、モーツアルトの子守唄の調べだった。それは笛吹き男が子どもたちをさらっていくときに歌う調べだった。ここにモーツアルトのこの曲を挿入した技術はさすがだと思った。のびのびと、優しく、子どもたちを夢という異界へ誘い込み、夢の中に解放して、自由に遊ばせる…さあ、この入口のドアをひらいてお入り…と。

大人たちは言葉を操ることで、分別を得て、夢と遊びを忘れ、自らをもう一つの檻に閉じ込めてしまうのかもしれない。

ある研究者が「モーツアルトはアルファベットの読み書きよりもはるかに早く音符の書き方に精通してしまい、言語より先に音楽に浸りきって、大人の分別とは別の能力を発達させすぎてしまった。…モーツアルトはついに大人の分別をうまく獲得できず、未成熟な子供っぽさを生涯抱えていた存在ともみなすことができる。それがモーツアルトならではの音楽を生み出す原動力でもあり続けたのではないか。」と述べているという。

そういうモーツアルト像と、笛の響きで子どもたちと共鳴し、彼らをたちまち異界へ連れて行ってしまうハーメルンの笛吹き男の姿はどうしてもダブって見える。このオペラが特にモーツアルト的なものと結びつくのには、ひとつの理路があると思う。と音楽評論家の片山杜秀氏は書いている。

なんだか途中からモーツアルト頌になってしまったが、今でもあの笛吹き男の歌ったモーツアルト
の調べが耳の中にしばしばこだましてくる。

さてハーメルンンの笛吹き伝説とは、この世界にとって、何を意味しているのだろうか。これが自分への問いのようにくりかえし聞こえてくる。


投稿者 ruri : 14:35 | コメント (0)

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2012年09月14日

木を植える

木を植える、というイメージは詩のなかによく登場する。そして印象に残る詩が多い。

東北の一本松は、残念ながら切り倒されて、人工的に形を再生され、記念樹としてもとに
戻されるという。けなげな松の木のイメージは世紀をこえて人々の記憶から消えないといい。

昨日、自分の若いころの日記を読んでいたら、一本の木として、自分自身を植える土地
を見つけたい…という言葉があった。まだそんな場所を見つけていないけれど。ちょっと
おもしろいなと思った。

ところで、だれでも心の中に懐かしい…あるいは忘れられない…一本の木を持っているのでは
ないか。私は子供のころ住んでいた家の二階の窓辺に枝を伸ばしていた(お隣さんの庭の隅
に立っていた?)一本のひのきのことが忘れられない。二階の窓際から手を伸ばして、小さな
実を取った思い出がある。木全体でなく、梢の先っぽと親しかっただけかも。
でも不思議によくその木を思い出す。身近にいた木の親友みたいなものだったかも。

投稿者 ruri : 15:02 | コメント (0)

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2012年08月26日

夜ひらくサボテンの花

先日サボテンの花について書きましたが、少し観察が足りませんでした。
今日二つ目の花がさいたのですが、なんとひらきはじめたのは昨夜の9時ころ。
半月の下で、10時ころには、もう先端が2センチくらいひらいていました。
一晩中見ているわけにもいかなくて、今朝早起きして、4時過ぎに見に行ったら
すでに満開。この花は夜中に咲くんですね。でも花の盛りは短くて、朝の6時には
もうつぼみはじめて、7時にはほとんど閉じてしまいました。この間の花は、朝に
なって、気が付いたので、2時間の寿命かと思ったのですが…、実は夜通し咲い
ていたんですね。

ペルーの自然の中で、この丈高いサボテンの群れの花盛りをみたらすてきだろうな
と思いました。向こうでは魔除けに庭に植えるとか、食べると幻覚作用があるといわ
れるのも、なるほどという雰囲気です。「魔」は夜のうちに近づいてきそうなので。
以上、間違いの訂正です。

投稿者 ruri : 12:53 | コメント (2)

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2012年08月14日

サボテンの花

CIMG0133.JPG
8月13日の朝に、突然柱サボテンの花が咲いた。買ってから10数年、ただ、どんどん伸びるだけ
の無用の?長物みたいで、ついに天井につかえてしまい、この春からルーフバルコニーに出しっぱなしにしておいた。(富士山と向かい合って)。それがかえってよかったのか、この10日ほど、つぼみみたいなのが7つものびてきて(ゴクリみたい!)どうなったのだろうと思っていたら、昨日の明け方突然に大きな花が一輪開いた。あまりに素晴らしい花なので、これにはびっくり!たくさんの白い花びらのまわりに、えんじ色の花びらの縁取り、花は直径10センチ以上ありそう。

ところが、ところが。2時間もしないうちに、急に花びらが閉じてきて、あっという間にしぼんでしまった。まったく夢まぼろしのごとくなり、という感じ。花の寿命は2時間足らず?

茎は2メートルくらいの高さ。本で見ると《セレウス・バルビアナス》通称サンペデロという南米原産
のサボテンに似ている。7つもつぼみがついたのに咲いたのはこの一輪、あとはみな落下してしまった。その気配もないところに、いきなり咲いて、瞬時に消えてしまう花というのは、なんて強烈なんだろう。ひとみたいに何か言葉をもっているような気がするのです。

投稿者 ruri : 13:04 | コメント (4)

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2012年08月01日

花火

今日は神奈川新聞の花火大会だった。みなとみらいの空に盛大にひらく花火をベランダから
眺めた。花火には人の気持ちをわくわくさせるものがある。が、最後の花火が夜空に消えた瞬間の
寂しさも毎年変わらない。

前にも書いたけれど、ヘッセの『クヌルプ』の言葉がまたよみがえってくる。
(至高の美しさというものは、いつも、人がそれに触れたときに、歓びの感情のほかに、悲哀や
不安の念を抱かせるものだ)という。逆に言えば不安という裏打ちあってこそ、喜びも深く、強い
ということか。喜悦と不安、この二つの感情は引き離すことができない。ヘッセはこの美の
象徴として《花火》と《少女》という存在を挙げ、やがて消えゆく存在であるゆえに、それらの
美しさがひとの心をひきつけてやまないという。心とは不思議なものだと、花火を見るたびに
この言葉を思い出す。

投稿者 ruri : 21:38 | コメント (0)

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2012年07月31日

ヴァシュリ通信

中断していた高橋茅香子さんのホームページ(ヴァシュリ通信)がカムバックしたとのお知らせ
があり、このところ毎日愉しみに拝見している。98文字日記もさりげない軽みがあって,盛夏に
涼しい小窓を開ける気分。あ、お元気なんだな…と思いつつ。
ちなみにヴァシュリとはグルジア語でリンゴの意味だそうです。
              

          
               ’’’’’’’’’’’’’’’’’’’’’’’’’’’’’


こちらのベランダには高気圧が毎日座りこんで、伸びをしていて、草花たちはしょげています。
鬼百合の花は楽屋に引っこみ、次はまっしろい山百合の出番みたいです。


投稿者 ruri : 09:37 | コメント (0)

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2012年07月26日

象と雅楽

今朝テレビで、雅楽演奏家である東儀秀樹出演の「タイへの旅」を見た。タイは彼が幼い日にそこに住み、故郷のような場所なのだという。その地で憧れだった象使いの修行をしてみたいという。

タイの人々と象との関わりは親密で、地雷で傷ついたり、心を病んだりしている象たちも収容されていたが、その扱い方にも象使いのプロとして、また同じ生き物同士としての深い心配りを感じさせる
ものがあった。

どうにか受け持ちの一頭の象の扱いに慣れてきた彼は、一番大事なのは象に対する心の持ち方
なのだとわかったという。其の象に対する心からの愛なのだとしか思えない。象は賢く忍耐強い
動物らしい。

興味深かったのは彼が屋外の自然の中で「笙」を吹いたとき、一頭の象が遠くから近づいてきて、じっと耳を傾けたあとで、さらに近寄って、その楽器に鼻を絡めるしぐさを見せたことだった。笙の
音色は(あるいはある音楽は)象の気持ちを揺り動かす何かをひめているのだろうか。
象は超低周波音で会話するというが、それとのかかわりはあるのだろうか。

人間は自分たちのことにかまけすぎているうちに、周辺の未知の領域の不思議に想像力が
及ばなくなっているかも。

投稿者 ruri : 12:33 | コメント (0)

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2012年07月25日

エレファントム

何人かの仲間と「月夜の象」という連作童話をやっている。添付メールで回しているのだが、
これが結構おもしろい。紙芝居おじさんの来るのを待っているような気分だという人がいるが
ホントにそうだ。

ライアル・ワトソン著『エレファントムー象はなぜ遠い記憶を語るのかー』を読み返している。
象はとても神秘的だ。いまや滅びかけているアフリカ象のことをもっと知りたいと思う。
彼らは言葉の代わりに、低周波で仲間たちと絶えず交流しているという。もしかしたら時空
をこえて、その声は今もアフリカ大陸に響いているかもしれない。と、いうのはいかにもワトソン
的だ。「三日月の牙をもった月の獣」…である象は懐かしいのに遠い。

私たちの「月夜の象」はこれからどこへ行くのだろう。しばらく追いかけて行きたい。

投稿者 ruri : 11:38 | コメント (0)

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2012年07月03日

ネジバナその他

今日は前田ちよ子さんの命日です。もう4年もたってしまいましたが。最近も彼女の不思議な夢を
見ました。見たというよりも彼女が夢の中に会いに来てくれた…という感じで、現実に会話を交わしたような、なまなましいリアリティがあり、目が覚めてから、しばらくして、あ、彼女はもういないのだ!
と気が付いて愕然としたくらいです。

今日は彼女の写真を目前に置いて、「星とスプーン」から”流星”を、「昆虫家族」から”たとえば”
を声に出して読みました。(聞いてくれたかな…)

          。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

さてバルコニーでは、にぎやかだったノカンゾウの季節も終わり、さびしくなった中に、
どこからかやってきた”ネジバナ”(モジズリ)が20本ばかりかわいいピンクの花を咲か
せています。これはラン科の花とのこと。

(みちのくの しのぶもじずり だれゆえに 乱れそめにし われならなくに)と詠われたのは、
この花でしょうか。(うろ覚えなので間違っていたらすみません…)

近づいてよく眺めると、らせん状にピンクの花が茎を取り巻いて上へ上へと昇りながら咲いて
いて、かわいくてとても風雅な花です。

                  。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

最近やっと写真をパソコンに入れることができ、このブログの大杉亭?のご亭主である利治
さんの指導で、たまにはアップできればと願っています。

もうシーズンオフなのですが、ノカンゾウの季節の写真も入れられるか、あとで試してみます。

nokanzou.jpg

投稿者 ruri : 13:30 | コメント (1)

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2012年06月29日

アゲハチョウの幼虫 その後

5月30日に「アゲハチョウの幼虫」について書きましたが、その後の報告です。
あの数日あと、楽しみに覗きにいったら、青いのも、ちびくろも(数匹いたのですが)、
だれもいなくなっていました!
きっと蜂か鳥にでもやられたのでしょう。いくら眼を凝らしても、何の痕跡もありません。

幼虫が蝶にまで羽化するのは何パーセントにも満たないそうなので、仕方ないかも。
生きのこることは、まず運なのですね。
それ以来みどり豊かな木の空家?を、しばしば訪れては、目を皿にして眺めていますが
つぎの来訪者もなし…というわけでした。

バルコニーではノカンゾウの緋色の饗宴が約一か月続いて終わりを迎え、今はアジサ
イの紫が2鉢、雨にぬれています。そして日嘉まり子さんから届いた鬼百合のつぼみが
日ごとにふくらんでいます。これもずいぶん鉢が増えました。

投稿者 ruri : 09:36 | コメント (0)

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2012年05月30日

アゲハチョウの幼虫

いま、バルコニーの隅のかんきつ類の木に、アゲハチョウの幼虫が4匹。多分ナミアゲハだと思うが
クロアゲハかもしれない。
2,3年前のキアゲハのイタリアンパセリでの飼育で、ほとんど壊滅状態の悲劇(一匹だけ羽化)にあった痛い経験がある。今回はただの観察者なので、気が楽だ。
二匹はまだ2センチほどの、黒い幼虫で、あとの二匹は3センチくらいで、きれいな緑色になっている。でも不敵な面構えをしている。かれらの生態を見ていると、日に焼けることも忘れ、あっという間に時間が経ってしまう。せめて一匹でも羽化してほしいもの。

投稿者 ruri : 11:21 | コメント (0)

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2012年05月24日

ノカンゾウ

今日、バルコニーで、待ちに待っていたノカンゾウの花が一輪やっと咲いた。今年の初咲き。18鉢もあるので、これから一か月ほどバルコニーはオレンジ色の饗宴になる。萱草(ワスレグサ)は一日花で、憂きを忘れる花と言われているが、そうなるといいのだけど。でも、ただでも忘れっぽいこの頃の自分。いったいどこまで忘れ果ててしまうのか…気になってくる。

オレンジ色の群落に合うように、昨日街へ出て紫や白や黄色の花々の苗を買ってきて周りにレイアウトした。一つは紫サルビアと書いてあったが、あとは名札がついてないことに、帰宅後気が付いた。近いうちに花屋さんに名前を訊きに行かなければ…。

投稿者 ruri : 21:47 | コメント (0)

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2012年05月19日

シンシアとジョン

一昨日、久しぶりにシンシアとジョンに会った。 シンシアとジョン。二人はこの二月に結婚したとシンシアがいった。なにしろずっと恋人同士で自由に生きてきた二人が、今度やっと決心して14年ぶりに結婚に至ったのだ。そしてワシントン大学にいたシンシアが、日本に就職が決まったことと、結婚したことの二つの「おめでとう」のダブル乾杯をした。シンシアは日本美術史の准教授として、今度九州大学に赴任し、福岡に定年までいることになった。ジョンは焼き物や浮世絵が専門の人だが、今はもっぱらシンシアの内助の功もやっているようで、日々の食事は彼の担当だし、シンシアの研究のよき理解者だ。

今は九州にやってきて、ジョンは大好きな日本で、日本語を勉強し、玄米、野菜、魚を食べ、二人で身軽にあちこち旅をしているらしい。来年はシアトルやブータンへ、再来年にはシチリアへ一緒に行こうと誘われる。知っているアメリカの人たちはとにかく行動的でよく旅をする。実に気軽に動いている。

シンシアが私の夫(美術史が専門)と仕事の話に熱中している間、ジョンがもっぱらお酒を注いだり、サラダをみんなに取り分けたりしていて、シンシアはいい相棒を見つけたなあ…とつくづく思う。ジョンはイギリス出身で、穏やかで優しい人。世界のあちこちに故郷があるようなコスモポリタン的存在だ。二人がほんとに大人になって出会い、こんないい生き方を選んだことがすばらしく思える。シンシアはいつも知的好奇心にあふれている人で、その活力は会うたびに私によい刺激を与えてくれる。

その夜のお酒は〆張鶴(シメハリヅル)。これは新潟村上のおいしいお酒です。

投稿者 ruri : 10:07 | コメント (0)

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2012年04月28日

エルンスト展

見たい展覧会がいっぱいあるので、最初に近いところで横浜美術館のエルンスト展を見に行った。
まず混んでいないのが嬉しかった。エルンストを見るのは初めてではないが、今回の展覧会は「フィギュアスケープ」(エルンストの作品を構成する二つの要素であるフィギュアとランドスケープをつなげ、後者からランドを差し引いた造語)という概念を軸に展示されているとのこと。彼の絵画の成り立ちを制作の手法とその意味の両面から理解するための指標であるという。

フィギュアとは「像」の意味で、たとえば内なる自我を表す、鳥と人との合成体である「ロプロプ」とかその他いろんなキャラクターをいう。
一方スケープとは風景的要素であり、「森」や地平線をのぞむ空間、海中と天空などの広がりを表すという。

見ていくと、デ・キリコやクレーの画を連想させるものがあって、卵形の顔をもつフィギュアもよく出てくる。彼はデ・キリコの強い影響を受け、その形而上的絵画と出会った後で次のように述べているという。

「私はそのとき、ずっと昔からよく知っている何かを再発見したような感情に襲われた。あたかもすでに見たことのある出来事が、私たちに自分の夢の世界の全領域を開示するようであった」と。
当たり前のことかもしれないが、この言葉の投げかける網にしばらく捉えられていた。

ゆっくり見ないと見落とすものがたくさんありそうで、その日は途中で切り上げたので、もう一度ゆっくり見に行くつもりでいる。彼の描く深い暗い森にまぎれこむと、出入り口の指標は見つからない。が、ちょうど見に行く直前に自分の森の詩を書いていたので、あの「森」の不思議に呼ばれている気がする。彼の駆使したさまざまの技法はそれとして、その絵はこの世ならぬ別世界を示し、しかも手に触れられる物質のようだった。

投稿者 ruri : 13:29 | コメント (1)

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2012年04月22日

花と熊

今年の春はいつまでも寒くて、桜も終わったのに朝夕暖房をつけている始末。こういう年の夏は異常に暑いのかもしれない。
Osada Norikoさんからニューヨークの公園の花の便りが入ったのは、なんだか嬉しい。ニューヨークの公園にはいったい今頃どんな花が咲いているのか…?Osadaさん、今度教えてください。

バルコニーのプランターに、紫、白、黄色の三種類のパンジーを植えたら、どういうわけか、真ん中の紫が、いつのまにか両側の白と黄色に圧倒されて見えなくなり、やっと掘り出して?別の鉢に移植した。そうしたら急に元気になって、今花盛りだ。花にも強い色と弱い色があるのかな。(まさか) 白と黄色のパンジーはいまプランターからこぼれだすほど我が物顔に咲き誇っている。

   ’’’’’’’’’’’’’’’’’’’’’’’’’’’’’’’’’’’’’’’’’’’’’’’’’’’’’’’’’’’’’’’’
 
 今度、賢治を読む会で、「なめとこ山の熊」の司会をすることになり、先日それもあって、横濱そごうに賢治の展覧会を見に行った。「なめとこ山の熊」の画もあって、親子の熊が月の光の中に立っていて、彼らの背中が物言いたげで、さびしそうに見えた。
 人間の世界では昨日クマ牧場の6頭のクマが射殺された。クマって私たちのコンプレックスを刺激するところがあるのかも…と思えてならない。
 
 以前はよくクマの夢を見た。夢の中でクマはたいてい私を追いかける怖い存在だった。ユングの夢辞典を見ると夢に現れるクマは「原初の本能的な力の出現ともいわれる」とあり、また自分を圧倒する母なるもののイメージともきいたことがある。そういえば母の晩年のころ、私はよくクマの夢を見ていた。そして亡くなってからは見なくなった。

花と熊。あまり縁がないものについて、なぜか思い出すままに書いてしまった。

投稿者 ruri : 10:39 | コメント (4)

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2012年03月21日

Edwin A.Cranston氏(NARA万葉世界賞)受賞

よいニュースが入ってきて嬉しい。
二十年くらい前から私の詩集の訳や評論を「The Secret Island and The Enticing
Flame」(Worlds of Memory, Discovery, and Loss in Japanese Poetry)という本に
まとめてくださったハーバート大学の教授Edwin A・クランストンさんが、このたび
日本文学研究者としての長年の業績(特に万葉集をはじめとする古代日本文学
研究者としての)により第三回NARA万葉世界賞を受賞なさったことです。
もちろん今までにも多くの賞を受けておられますが。

私は何人かの友人たちと二年以上にわたり、その著書を日本語に訳してきたが、
その最終回の仕上げの日が3月19日だった。そして先生の授賞式が3月18日
というのも、不思議な偶然であり、うまくこの下訳が印刷物になるのではという
予感がする。

ちなみにこの本の題の訳は、日本語にすれば、「秘密の島と誘惑する焔」(日本の詩
における記憶と発見と喪失の世界)というようなことだろうか。

投稿者 ruri : 10:50 | コメント (0)

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2012年03月20日

バルコニー

いまルーフバルコニーで咲いている花のことを書いておきます。
①ピンクのルピナス
②赤いプリムラ、黄色いプリムラ、白いプリムラ、ピンクのプリムラ、
 紫のプリムラ、朱色のプリムラその他のプリムラ
 これは横長の数個のプランターにいろんな組み合わせで並んでいます。
③紫と白と黄色のパンジー
④河原なでしこ(赤)
⑤赤と、絞りと、ピンクの屋外用シクラメン

⑥ローズマリーのうすむらさきの花(三鉢)
⑦まだ咲いていませんが、5月にいっせいに開く光のようなノカンゾウ
(ワスレグサ)が10数鉢。今は緑の葉がいっぱい。


これらは⑥と⑦以外は園芸店で買ってきたもの。ずいぶんありふれてますね。
私が買ってきたのはルピナスくらいですが。ちゃんと種から蒔いて、丹精して
育てたのならもっと豊かな気分でしょうね。

家の中では白いシクラメンが辛うじて二輪咲き残っているのみです。もちろん
花以外の緑の鉢は、サボテンも含めて林立してますが。

来年もこのマンションに住んでいたら、もう少しましなガーデニングでも
してみたい。

そうそう目の先3メートルほどの柵のところには雲竜柳が数本、今年も
芽を出しかけています。坂多さん(二兎同人)からお花の材料を以前分けていただいて
プランターに挿しておいたら、毎年芽を吹いてきます。

「緑なる柳はついに緑ならざるを得ぬ」…これは有名な言葉らしく、兄の遺された
日記に書かれていたもので、なんとなく覚えています。(間違っているかも…)

投稿者 ruri : 12:55 | コメント (1)

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2012年03月10日

POETRY

 久しぶりにマイブログを開けてみたら、今年初めてみたいでびっくり。

今日は気を取り直して、メモ風に…。

 2,3日前に≪Poetry≫という映画を見た。ちらしによれば(これは一人の初老の(66歳)女性

が「詩」にたどり着くまでの、魂の旅路である)とのこと。

監督、脚本は韓国のイ・チャンドン。女主人公ミジャは、孫息子をあずかって、介護の仕事を続けて

いる。生活はとても厳しいものだ。その上、最近物忘れの多い彼女は、医者を訪ねると、アルツハイ

マーの初期ではないかと診断される。けれども彼女には毎日の生活があるし、夢もある。子どもの

頃、彼女は詩人になればよいと言われたことを覚えている。そこである日見かけた町の詩の教室に

通いはじめる。そしていい詩を書こうと懸命の努力を続けるが、一方現実に起こるつらい出来事が彼

女の足を引っ張る。こまかいことは抜きにして、この映画で、監督が詩(言葉)に対して抱く夢、深い

祈りに心を打たれる。監督の手法も詩のように、説明せず、最後まで観客1人ずつの想像力にゆだ

ねる。とても寡黙だ。ミジャが最後に、哀しみや苦しみを通して、ついに書き上げた一篇の詩が画面

を流れるのがすてきだ。

監督は「人生の中に潜んでいる美を追求しようとする態度そのものを”詩”と呼んでいいと私は思って

います」と語っているが、この映画を見たあと、ミジャの詩(言葉)への希求そのものが、現実の時間

の質を結果として変え得ると言いたいのではないか。そこに、詩と出会う以前そのままの過酷な時間

があったとしても。ちょうど真珠貝の痛みのように。

 それにしても日本と韓国の町の情景はよく似ている。カラオケの場面とか、コンビニの風景とか、作

詞教室の女性たちの表情とか。でも全体に元気がいい。適度に通俗性がありおかしくて、笑える場

面がある。

投稿者 ruri : 11:15 | コメント (0)

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2011年12月24日

「届かぬ声」は届く (折口信夫賞)

青森の佐藤真里子さんからのメールによれば、以前このブログにも載せさせていただいた

斎藤梢さんの、震災のことをうたわれた短歌集「届かぬ声」が、今回折口信夫賞を

受賞なさったそうです。波乱のうちに右往左往しつつ過ぎていく今年ですが、

「届かぬ声」は確実に、ある人々の胸に届いていたのですね。嬉しいお知らせでした。

投稿者 ruri : 13:59 | コメント (1)

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2011年12月07日

海の記憶(井上直展)

井上直さんの個展を見にASKへ久しぶりに出かけた。すばらしい展覧会だった。

現代を生きる私たちにとっての、海、空、宇宙、大地とは…。荒涼と寂寞が支配する大地

を流れる静謐な祈りの声。

3・11以前にすでに予見していたかのような、この光景に、言葉を失う。「海の記憶 A,B」

「V字鉄塔のある風景B,C」「処理工場のある夕暮れA,B」などすべて大作。

大谷省吾氏が解説文の冒頭に立原道造の詩を載せている。

      悲哀の中に 私は たたずんで

      ながめている いくつもの風景が

      しずかに みづからをほろぼすのを

      すべてを蔽ふ大きな陽ざしのなかに

     

      私は すでに孤独だ - 私の上に

      はるかに青い空があり 雲がながれる

      しかし おそらく すべての生は死だ


     目のまへに 声もない この風景らは!

     そして 悲哀が ときどき大きくなり

     嗄れた鳥の声に つきあたる

この立原の詩が井上さんの作品と呼び合い、響きあい、世界というこの悲劇的な空間を

贖罪と敬虔な祈りで満たそうとしているようだった。


私は、ひと筆ひと筆を運びつづけた孤独な3年の時を思い、表現者として

の画家の覚悟に触れ直した気がした。井上さんほんとに、ありがとう。

この個展は17日まで京橋ASK画廊で開催中。ぜひ詩人の多くの方々にも見て

ほしいと思う。


投稿者 ruri : 09:35 | コメント (1)

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2011年12月05日

アイリッシュダンスとイルン・パイプ

アイリッシュダンスと音楽のグループ「ラグース」のショウを見に行ってきた。
エネルギッシュで華やかな女性たちのダンスは、もちろん最大の魅力だっ
たし、ヘイリー・グリフィスの澄みきったすばらしい歌声にも心ひかれた。
だが私は独特の味をもつ民族楽器イルン・パイプの音色にもっとも心惹
かれた。まるで気持ちを吸い込まれるような気がする。
寂しくて、なつかしくて、それはこの世の岸辺からあの世の岸辺へと、
深い懐かしさを込めて呼びかける声のようでもあり、またこの世での追憶
をひたすらに語る、あの世の住人の声のようでもあった。
私からいえば、それはこの世ではついに到達できないある場所への、けれど
詩や音楽や芸術が生まれてくる、母なる無意識への、深い郷愁みたいに、
寂寥感を漂わせている。アイルランドは妖精が住む国といわれるけど、その
文化のもつ不思議な魅力から心が離れない。

帰ってきて、以前から惹かれていたケルト音楽のCDを何枚か掘り出してきて、
アイリッシュティーを飲みながら、寒い午後のひと時を過ごしている。
我ながら、ミーハー的である…。

投稿者 ruri : 10:08 | コメント (2)

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2011年11月13日

アンリ・ル・シダネル展

11月6日閉館という、軽井沢のメルシャン美術館まで、ル・シダネル展を滑り込みで見に行った。
11月5日だった。軽井沢は好きで、よく行くのだが、メルシャン美術館は初めてだった。軽井沢で、
しなの鉄道に乗り換え、御代田で降りて10分足らずだったが、7月から開催しているのに今まで
気が付かなかったのは残念。でも散る前の紅葉(黄葉)の木々や林が美しく、浅間山がくっきりと稜線を見せ、それは思いがけない一日の贈り物だった。

ル・シダネルは日本ではあまり知られてない画家かもしれないが、私は以前(もう20年以上も前?)ひろしま美術館で出会い、なぜか心惹かれて、いまでも彼の「離れ屋」という絵葉書を大事にしている。

アンリ・ル・シダネル(1862~1939)は20世紀の初頭に活躍したフランスの画家で、インド洋の
モーリシャス島生まれ。生涯を通して、さまざまの芸術運動を目撃しながらも、特定の流派に属すことなく、独自の画風を展開したと解説にある。

夜の森、月夜、夕暮れに家々の窓から漏れる灯など、その絵のもつ空気感は柔らかく幻想的
で、アンティミスムの画家といわれている。多く描かれた食卓の絵には常に人はいない。さっき
までの語らいを思わせる食卓、用意されているが誰もいない食卓。しんとして静かな霧の中の
風景、街なかの人気のない路。夢の中のようなその画面には、だが寂しさはなく、ふしぎな懐か
しさが感じられる。

薔薇の花が一面に絡んだ塀の奥の「離れ屋」の窓。そこから漏れる灯りは、切なさをともなう
想像力を誘う。今の時代の人々からは忘れ去られたような静謐な空間。でも彼が精魂こめて
花々で埋めたジェルブロワの石の屋敷は今も訪れる人々が絶えないという。好きな画を説明
することは難しい。その絵のもたらす何が私を引き付けるのだろう。ひとたびは経験し、いつか
忘れ果ててしまったものへの郷愁かもしれない。何かによばれる気がする。

プルーストは『失われた時を求めて』のなかに、この画家を登場させているとのことだ。今度
その部分を探してみたい。

ル・シダネル展は来年の4月ごろ、新宿で開かれるとのことだ。


見終わってから、紅葉の庭に出て、彼の「食卓」を想いながら、赤ワインとピザのランチを
楽しんだ。ひろしま美術館から、軽井沢のメルシャン美術館へ、ル・シダネルが不思議な
虹の橋をかけてくれた一日だった。

投稿者 ruri : 11:30 | コメント (0)

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2011年09月24日

ゴン太ごめんね、もう大丈夫だよ

『ゴン太ごめんね、もう大丈夫だよ』光文社刊
(福島第一原発半径20キロ圏内犬猫救出記)
を読んでいたたまれない気持ちになった。それほど胸の痛むつらい記録
でもあった。同時に生き物たちの素晴らしさも感じた。そしてこのボランティアの方
たちの行動…、今目前にある事実に向かって、心情を行動へ移す実行力に感じ入る。
帯に記されているその内容の一部を紹介しよう。

○野犬化した犬たちに襲われながらも、飼い主の言いつけ通りに家畜と家を守り
 つづけた犬
○瓦礫の下に埋められた主人に必死でほえ続け、命を救った犬
○原発の敷地内で座ったまま、死んでいた犬
○つながれて息絶えていた柴犬
○捕獲器の中で4匹の赤ちゃんを産んでいた母猫
○ビニール、軍手を食べて腹部が膨れ上がっていた犬
○水欲しさに側溝に入り、抜け出せなくなって死んだ牛たち etc.

現地での悲痛な経験、あるいは感動的な経験が、ボランティアの方たちの
淡々とした記述で次々書かれていて、参加者の一人のカメラマンの写真はその
裏付けとして胸を打つ。

ゴン太は、連れて行けずに避難した飼い主の最後の言葉を守ったのか、納屋
の隅に隠れておびえていた犬だった。彼は家の牛や鶏を守り続け、そのためか
野犬化した犬たちの群れに襲われて全身傷を負い、首半分はざっくり怪我して
生血をまだ流していた状態だった。でも危ういところでボランティアの方
たちに見つかり、病院に運ばれ、なんとか安楽死を免れて、治療を受け、回復へ
向かい、飼い主とも再会できたとか。この犬は、餌もなくなり、納屋の後ろに積ん
であったかんな屑だけをたべて生きながらえていたとか。

またある柴犬は飼い主以外は手を触れさせないらしく、エサも水もないまま
繋がれて死んでいた…とか。たくさんのけなげな犬たちがいる…。
また豚小屋ではしずかに寄り添って飲み水も餌もなく死んでいった豚たち
がいたらしく、私は賢治の作品を思いました。

この方たちは手を出せない犬などには餌のみあたえ、救い出せる
犬たちはケージに入れて救出し、病気のものは医者に預け、もと飼い主
を探したり、貼り紙で知らせたりして、その間無料で保護したうえ、一時預かり
ボランティアや里親ボランティアを今も探している。身銭を切っての仕事
なので、カンパももとめている。まだまだどれだけの生き物が見捨てられ
ているか、仕事はこれからまだまだ続くとのこと。

さいごに著者のことばを引用します。

『こんなに大変な時に犬猫じゃないだろう。遺体の捜索もまだできていないんだ』
こんな声も聞こえてくる。だが私は思うのだ。たった一つの小さな命さえ救え
ない者が、どうして人を守れるというのか。…犬猫の命さえ助けられない社会
が、どうやって人間の命を救えるというのだろうか。そんな疑問を禁じ得ない。

…今こそ、普遍的なテーマとして命を考え、この世に存在するすべての命を
尊重する社会を求めるべきではないだろうか。
それに改めて気付かせてくれたのは、他でもない、20キロ圏内で出会った
生き物たちである。

”””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””
この本の出版は 光文社(1,143円+税)です。少しでも多くの方に読んでほしい
と思います。私はボランティアに行けないので、せめてカンパに行きたいと思います。
本は一冊ですがお貸しすることはできます。

投稿者 ruri : 12:41 | コメント (2)

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2011年09月22日

届かぬ声(3)

斉藤 梢さんは72首の短歌につづいて、短いエッセイを載せて
おられます。その一部をも引用させていただきます。

”””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””

(震災後のテレビにうつる人たちの「がんばります」の声に、私はとても

切ない思いがした。言葉を選べないのだ。その苦しみ悲しみ痛み嘆き

を、表現する言葉が見つからない。)

(チェコの友人からメールが届いた。……東北人の精神の強さ、避難所

での食料の配布に並ぶ無言の正しい列に、日本人の心を知るという報道。

宮沢賢治ならばどうしただろうか、と私は津波ののちの泥の田圃を見なが

ら思う。……「ヒデリノトキハナミダヲナガシ サムサノナツハオロオロアル

キ」と賢治の心に私はいま寄り添う。自然の摂理と闘いつつも、粘り強く

暮らしてきた人たちだからこそ、強くなれるのだろうか。)

(短歌には心や思いを伝える役割がある。思いを残すだけでなく、相手に

伝えたいと願うときに定型が言葉を受け止めてくれるはずだ。一行の歌が

心からの一言となればいいと思う。人間の心情のとても細やかなところ

までを言葉にする方法を知っていて、詠むということができる者がこれ

から担うことは何か。それは、短歌で何ができるかということとは違う。

芸術論や評価の対象にはならなくても、すぐれた作品かどうかというこ

とでもなく、とにかく心に依って詠みたいと思う。東北人として、宮城県人

として、私たちの暮らしているすぐそこで起きた災いだからこそ、被災地

の現実を被災者の本心を、言葉で残していかなければならない。涙の

かわりに。)


””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””

以上斉藤 梢さんの震災地からの発信、「届かぬ声」の一部を転載させていた
だきました。

あらためて 「斉藤 梢さん、ありがとう!」

投稿者 ruri : 12:18 | コメント (1)

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2011年08月27日

ローズマリー

昨日、タクシーに乗った時、フロントの手前に一本挿してあるのは、どうやら
ローズマリーの一枝。
気になって、降りるときに、「それ、ローズマリーでは?」と訊いてみたら、
「そうなんですよ。これを置いとくと蚊が来ないんです!」とのこと。続けて
「窓のところなどに置いとくと蚊が入ってきませんよ」という。

ローズマリーは我が家にも何株かあるが、ほとんど使わない。そんな効用が
あるなら、使ってみようかなあと思いながら帰ってきた。で、半信半疑のまま
家にあるハーブの本をいろいろ調べたが、どれにも載ってはいなかった。

でも試してみる価値があるかも…。運転手さんからは時々教わることがあるし…。

投稿者 ruri : 10:03 | コメント (0)

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2011年08月25日

夜顔

この間、”夕顔が咲きはじめた”といいましたが、わが家のは、夕顔ではなくて、夜顔でした。
先日、朝日新聞の天声人語にも,載っていましたが。日本ではよく夕顔と間違えるらしい
です。

夕顔なのになぜ夜おそくならないと咲かないのか?と不審に思って、ネットで調べました。
そうしたら、ほんとの夕顔の花はかんぴょうの花で、我が家のバルコニーのとは違いました。

最近涼しくなってきたら、夕方おそめに開花して翌朝の明け方まで咲いています。
夜顔はヒルガオ科の花(まぎらわしい!)で、夕顔のほうはウリ科の花だそうです。
源氏物語の夕顔はヒルガオ科?それともウリ科?

投稿者 ruri : 12:38 | コメント (3)

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2011年08月11日

暑熱のなかへ逆戻り

2,3日涼しい高原にいて、昨日新幹線から東京駅に降り立ったら、まるで蒸し器のなかみたいで、心もからだもびっくり仰天。

赤倉ホテルは、後ろに妙高山を背負い、目の下、前方には野尻湖や斑尾山を一部とする連山がはるばると広がり、いつもマンションの窓から都会の一部を見下ろしている暮らしと大違い。雲海の中に沈んでいるような気分だった。だが、せいぜい三日の休日で、また暑熱のまんなかへ戻ってきてしまった。

でも、せっかくの高原のホテルの一室でどんな時間を過ごしたかというと、目前にせまった読書会
のテキスト、岡本太郎の『沖縄文化論』を読んだくらいだ。もっともこれはノルマというには、結構おもしろく、刺激的で、かつて夢中になって読んだ彼の著書などをまた読み直したくなっている。

そういうわけで書棚からひっぱり出してきた、彼の『自分の中に毒を持て』が机上においてある。この暑さに対抗するにはよほどの毒が必要かもしれない。

投稿者 ruri : 21:24 | コメント (2)

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2011年07月24日

木漏れ日の家で

映画「木漏れ日の家で」を見た。ポーランド映画。監督・脚本はドロタ・ケンジェジャフスカ。
以前岩波ホールで上演されたときに行きそびれたのを、近くのシネマ・ジャック・ベティでやっていたので見に行く。めずらしくモノクロ映画である。

ポーランド、ワルシャワ郊外の森のなかに、木漏れ日に一面のガラス窓が輝く古い木造の屋敷がある。91歳のアニェラは、ここで愛犬のフィラデルフィア(フィラ)と長く暮らしていた。淡々と老女と一匹の犬の暮らしが見つめられていて、ほとんどこれという事件も起こらない。その分見るものは彼女の内面に同化して、彼女とともに双眼鏡で森深い庭の出来事や、隣家の情景を眺め、そのすてきな共演者である犬のフィラの表情に一喜一憂する気分になる。犬のフィラはその演技で受賞したとのことだ。この共演ぶりが興味津々だ。
老いていく孤独な一人暮らしの中で、息子への期待を裏切られ、孫の言動に失望し、しかしその森の家での日々の暮らしを深く味わっているアニェラの表情はとても魅力的だ。それは彼女が生きてきた自分の時間へのゆるぎない信頼からくるものかもしれない。彼女は最後まで自らを閉ざすことなく、毅然と信念に従って生き、若い音楽仲間たちに自らと屋敷とを解放し、思い残すことなく世を去るのだが、そこには老いの閉ざされた暗さはなく、孤独をこえたふしぎな明るさがある。

ラストシーンでカメラがはじめてこの屋敷の上空へと、はるばる上昇し、大きな広い空の下の森に囲まれたこの古い屋敷を俯瞰図のなかにとらえるシーンは感動的だった。野の果てまで続く、あの白い花房をつけた樹木はなんだろうと思いながら、ポーランドの自然の豊さを想った。

アニェラを演じたダヌタ・シャフラルスカのすてきな微笑に引き付けられたが、この名女優は95歳になる今も舞台で現役をつづけているという。またこの女性監督ドロタ・ケンジェジャフスカの作品をぜひ見たいと思った。

作家の金原瑞人が書いている。「ろくに起伏がなく、じつに退屈で,じつに眠気を誘う映画…のはずなのに、じつに生き生きとしていて、じつに心に食い込んでくる映画だった。
なにより忘れられないのはファーストシーンだったかで、アニェラが屋敷の二階から外を眺めている姿を外から撮っている場面だ。四角く区切られている大きな窓のガラスを、カメラがしっかり撮っている.格子のひとつひとつにはめられている、気泡の混じったガラス、表面にでこぼこのあるガラス、皺のあるように見えるガラス……四角いガラス一枚一枚が個性と存在感を持って、迫ってくる。そう、この古々しい屋敷の窓ガラスはずいぶん昔につくられたものなのだ。おそらく半世紀以上、もしかしたら一世紀以上前のものかもしれない。……監督、撮影の力量というのはこういうところで推し量れるのだと思う。」

この映画はシネマジャック・ベティで8月5日までやっているそうです。

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2011年07月05日

不思議な羅針盤

詩友の佐藤真里子さんにお借りした梨木果歩の『不思議な羅針盤』という本は最近のヒットだった。ミセスに連載したエッセイをまとめたものとのことだ。著者の小説はよく読んでいたので、その文章のもつ肌合いや感触には慣れていたが、今度のエッセイで著者が日ごろ何を感じ、どんなことを想っているかが伝わってきて、共感できる部分がたくさんあった。

たとえば「スケールを小さくする」という章である。片山廣子の『燈火節』に触れて、(アイルランド文学の翻訳で有名だった彼女だが、その生きていた現実世界のスケールの小ささとそのことがどんなに世界に細かな陰影を落としていたか…外国に足を運び、生身の体に余計な情報を入れる必要などなかったのでは、と思われるほど一つの世界として彼女の内界に、例えば神話世界の「アイルランド」が確立しているのだ。…と述べている。生身の体での知見を広げるということと、想像世界の豊かさを耕すということは、必ずしも重ならないのだと私も思うことがある。

(グローバルに世界をまたに掛けて忙しく仕事している人たちの、大きくはあっても粗雑なスケールに)最近なんだか疲れてしまった、という著者は(距離を移動する、それだけで我知らず疲弊していく何かが必ずあるのだ。…世界で起こっていることに関心をもつことは大切だけれど、そこに等身大の痛みを共有するための想像力を涸らさないために、私たちは私たちの「スケールをもっと小さくする」必要があるのではないか…つまり世界を測る升目を小さくし、より細やかに世界をみつめる。片山廣子のアイルランドはその向こうにあったのだろう。)
と、書いている。

私もあまりに目先のことに忙しいとき、大きな留守をしている気になってくる。そんな時は周囲の流れに追い立てられ、自分も大きな忘れ物のつまった袋を背負って、やたら右往左往しているだけの一人なのかもしれない。ときどき意識して世界を測る小さな升目を取り戻したいと思う。

投稿者 ruri : 17:03 | コメント (1)

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2011年07月03日

命日

 今日は7月3日。前田千代子さんの亡くなられた日です。三年前の今日はすぐそこにある。その2週間前に富山の病床を見舞い、交わした会話。その翌日金沢のホテルからかけた電話での「私は水野さんに励まされて詩を書いてきただけ…」という彼女の静かな口調を思う。そんなことではなかっただろうに。 もっともっと生前に彼女に会って話をきいておきたかった…という無限の思いばかりくりかえしよみがえる。

 その旅から帰ってきて、私はすぐ体調を崩し、10日ばかり入院してしまった。6月30日に退院して翌日、手紙をすぐ書いて投函したが彼女には読んでもらえなかったと思う。手紙は彼女のとこに7月2日に着いているにしても、彼女は同日の朝には倒れ、意識のないままに3日に亡くなったのだから。だから私の最後の手紙は今も彼女のあとを追いかけているだろう。空のどこかを。

3年前の日記を読むと、欄外に小さく、「閉じし翅 しずかにひらき 蝶死にき」 (梵) と書かれている。

投稿者 ruri : 11:01 | コメント (2)

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2011年06月30日

無言館

先日、赤レンガ倉庫で戦没学生「祈りの絵」展を見たとき、前田美千雄さんという方の絵があり、ふとこれは亡き詩友前田千代子さんの身寄りの方の絵ではないかと気になった。
 
それで前田千代子さんのご主人にお葉書を出して伺ってみたところ、お返事が来て、それはやはり千代子さんの父上の御兄弟とのこと…つまり千代子さんの叔父様にあたる方だと分った。清楚な感じのスケッチが二枚、その折に購入した本に載っていてさびしい海辺の風景とフィリピン島のスケッチであった。千代子さんからはこの方のことは聞いていなかった。でも彼女の血筋にはやはりこういう方がいらしたのかと思いつつ、解説を読み直した。千代子さんが生まれたのは昭和23年だったから、彼女はその方が死去された後で生まれている。

千代子さんが他界されてもう3年。明々後日の7月3日は3回目のお命日だ。
時を経て展覧会で偶然こういう出会いをするのも不思議なことだった。

(前田美千雄 大正3年6月、神戸市垂水区に生まれる。昭和7年東京美術学校日本画科入学。…昭和19年再召集され、5月頃フィリピン、ルソン島マニラに上陸、20年8月5日頃戦死。享年31歳。)

(美千雄が戦地から妻・絹子に送った絵葉書は400通をこえた。…どれもが生きて帰るまで待っていてくれという愛の便りだった。しかしフィリピンに転戦後、その便りはぷっつりと途絶えた。絹子さんはその夫のくれた絵葉書を何度も何度も暗記するほど読んで暮らした…)以上『無言館』の解説より。

投稿者 ruri : 11:31 | コメント (1)

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2011年06月28日

森と芸術

昨日、目黒の庭園美術館で「森と芸術」展を見てきた。

「芸術はどのように、森を描き、森を想い、森を懐かしみ、森をふたたび獲得
 しようとしてきたか。」
 
 このカタログには巌谷國士の解説が載り、人類の記憶に残る森の文化史が、
 作品とともに語られる。最初におかれているアンドレ・ボーシャンの愉しい森の
 風景に始まり、デューラー、コロー、クールベ、アンリ・ルソー、 ゴーギャン
 その他から、エルンストなどのシュルレアリスムまで、(なかにはギュスターヴ・
 ドレやアーサー・ラッカムなどの絵本やグリム、アンデルセンの挿絵も)並べら
 れていて、私はちょうど同人誌「二兎」で森についての作品や鼎談を発表したばか
 りなので興味が尽きなかった。
 見終わって、雨上がりの、まだ濡れた庭に出ると、美しい庭園のあちこちにチェスの 駒のように 黒、白 の椅子やベンチだけが点々とおかれ(人影も少なく)、背の高 い林に囲まれた緑一面の芝生が広々とひろがっていて、絵の中の森の余韻みたいに思 えた。
 
 
 


投稿者 ruri : 10:27 | コメント (2)

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2011年06月24日

真夜中の庭 その他

今日は、最近読んだばかりの本の紹介です。

 数日前に朝日新聞の広告で『真夜中の庭』ー物語にひそむ建築ー(みすず書房)というのを発見した。その後偶然横浜ランドマークの本屋さんの棚にこの本をみつけてぱらぱら見ているうちに、どうしてもほしくなって買ってしまった!
 だがこれは収穫だった。さっそくその夜、読みだしたら、面白くて止まらないままに、あっという間に最後まで読み終えてしまった。
 取り上げられているのは「ナルニア国ものがたり」「ムギと王さま」「アッシャー家の崩壊」「木のぼり男爵」「ゲド戦記」「グリーン・ノウ物語」「クマのプーさん」、もちろん「トムは真夜中の庭で」「ムーミン童話全集」も!その他たくさんあるがここでは、略します。

 著者植田実さんは建築関係の仕事がメインの方らしく、一貫してこれらの物語を
建築空間というか、家というスペースとかかわる空間的認識の中で語っておられるので、そのせいもあってか、自分が何回も読んだはずの物語が、いまや異なる角度からの光をあてられた別の物語性をもって、生まれなおしたようで、(またまだ読んでいない本もいくつも取り上げられているので)新しい本の贈り物を再度手にしたわくわく気分をプレゼントされた。ファンタジーや童話、幻想小説などの好きな方には特にお勧めです。

 次に週刊ブックレビューの児玉清さんが遺された二冊の本。集英社文庫の「負けるのは美しく」と新潮文庫の「寝ても覚めても本の虫」。私は「負けるのは美しく」を読んだばかりだが、これはほんとにおもしろく、ページをめくるのももどかしく読み進めたといってもいいくらいだ。読書家の児玉さんの文章力にも初めて触れることができた。同時に彼の役者としてのあり方(それは彼の人となりをそれとなくうかがわせるもの)や、人生のさまざまのつらい経験、九死に一生の思いがけない経験などを、ユーモアあふれる文章で描いていて、彼のファンならばだれもがひきつけられるものと思います。(たとえファンならずとも…。)あと一冊の「寝ても覚めても本の虫」が残っているので、これも楽しみです。

投稿者 ruri : 11:41 | コメント (3)

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2011年06月22日

続き

 第三回小野市詩歌文学賞の続きです。この賞はもともと小野市出身の上田三四二氏の例年の短歌フォーラム(今年で22回目)から生まれた賞で、その年の短歌、俳句、詩の、それぞれの分野の成果に対して与えられるものとのことです。
 おかげさまで、私は思いがけず受賞の機会を得たのですが、会場では普段触れ合うことの少ない俳句や短歌の方々とも接する機会を得て、興味深く、愉しい経験を得ました。 詩を書く行為は常に孤独なものですが、このたびは受賞詩集に対する辻井喬氏からの講評をうかがい、ふいに外から差し込むまばゆい光を感じることができありがたく思いました。それは同時に詩を書くことの厳しさと、責任につながるものなのですが。

 小野市は偶然亡き母の故郷でもあり、気持の底にずっと何か表現しがたい不思議さを感じていました。キツネやタヌキなどに化かされた曽祖父の話や、ホタルの乱舞する
沼や池の話などを子どもの頃、母からきいていたその地で、市長さんから新しい市政のあり方をうかがったりしていると、また別の不思議さを感じるのでした。

 さて、ここではせっかくの詩歌文学賞の話なので、俳句、短歌部門の受賞の方のお作品を3つずつ挙げさせていただいて、報告の一部にさせていただければと思います。

 小池 光 「山鳩集」より

      山門を出で来し揚羽とすれちがひ入りゆく寺に夏はふかしも

      夕暮れに雨戸を鎖(さ)すはいつまでもさびしき仕事その音きこゆ

      古井戸に落ちたる象のこどもあり井戸をこはして引き上げられつ


八田木枯  「鏡騒」より
(はった・こがらし)

      桜守おほまがどきをたかぶりぬ

      七月や生きとし生けるものの数

      金魚死に幾日か過ぎさらに過ぎ 

投稿者 ruri : 11:19 | コメント (0)

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2011年06月18日

ご無沙汰

気が付いたらまた2か月近くたっていました。自分のブログ無精にあきれながら、反省しています。習慣にすればいいのですが。

今日は近況報告です。このたび「ユニコーンの夜に」という詩集で、小野市詩歌文学賞という賞を受賞したため6月10日から13日まで神戸近くまで旅しておりました。小野市は神戸から車で50分くらいの市で、偶然ですが私の亡き母の生まれ故郷でもありました。のびのびと緑のひろがる豊かな風土を思わせる土地で、神戸から小野までの車の窓辺に早苗のみどりのみずみずしさも垣間見えて、久しぶりに気持ちが洗われました。この授賞式の経験についてはあらためて書かせていただこうと思います。
 受賞の後小野市の親戚のものに案内してもらい、明石海峡大橋を渡って、淡路島をドライブし、その夜は舞子のホテルに泊まり、13日に横濱に戻りました。

 家に戻るとこの一か月ばかり、バルコニー一面に咲いていたノカンゾウの最後の一輪が咲き終わるところでした。ノカンゾウとの一年のお別れです。来年もまた会えますように!

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2011年04月03日

夢は旅(羽生槇子)

今日は羽生槇子さんの詩集『人は微笑する』から一篇を載せたいと思います。
この詩集はわかりやすい表現の下に人々のもつ普遍的な郷愁のようなもの、宇宙的な想像力、他者へのやさししい思いが感じられ、この日頃の鬱屈したおもいを解放してくれました。

       夢は旅   
                           羽生槇子
  
夢は旅

どこかの集会に来たのでしょうか

それぞれ荷物をまとめ始めているから

集会は終わりでしょうか

荷物を片づけながら だれからともなく

自分の大切な人が亡くなる時の話を始めます

一人 また一人

わたしは 一人ずつの話を聞くたび泣いてしまいます

悲しいこと

  

そこで目がさめます

さめてから

夢の中で話していたいた人の中にわたしの知人が二人いて

しかも二人共 現実に大切な人を亡くした人で

でも その人の姿も表情も覚えているのに

話の内容を何も覚えていないことに気がつきます

夢の中でだけ伝わる言葉 というのがあるでしょうか


金色の日々は早く過ぎ

わたしは ふと 時の流れの音が

滝の流れの音のように激しく聞こえた と思います


     ”””””””””””””””””””””””””””””

なおこの詩集のなかにはさまれた絵が二枚あって、すてきでした。              

投稿者 ruri : 11:25 | コメント (0)

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2010年12月04日

『ユニコーンの夜に』

二年越しであたためていた詩集『ユニコーンの夜に』が11月30日の日付で上梓さ

れ、昨日12月3日に手元に届きました。土曜美術出版販売の高木祐子さんには、

色校正その他で細やかなお手数をおかけしました。おかげさまでほとんど予定通り

の日程で出来上りほっとしました。表紙画の田代幸正さんのユニコーンに乗った

少年がこれからどこへ向かうのか、今は見送るばかりです。

投稿者 ruri : 15:14 | コメント (0)

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2010年09月26日

ショパンのラストコンサート

ショパン伝説のラストコンサートというのを聞きに行った。パリで1848年2月16日に行われたショパンのラスト演奏会を、作家の平野啓一郎が再現する歴史的なコンサートとのことだった。平野啓一郎は長編作「葬送」でショパンの生涯と芸術を描ききったといわれているが、昨日も舞台上でナビゲーターの役を引き受け、自作の朗読も行った。演奏は宮谷理香(ピアノ)、江口有香(バイオリン)、江口心一(チェロ)。私の好きな舟歌やプレリュードをきけたのは嬉しかったし、またチェロソナタがとても新鮮だった。

特に心に残ったのは、ショパンが生涯に4回しか演奏会を行わなかったこと、その理由は大勢の前での演奏会が嫌いだったこと、演奏をするとしたら数少ない親しい知己のひとびとだけを前にやりたい、というタイプだったこと。そしてショパンはこの演奏会の翌年に他界しているということ。

3時間に近いコンサートの帰り道で偶然出会った野毛の「OBSCUR」という店での食事とワインがおいしくて、ここではジャズをBGMにして、コンサートの意外な「あとがき」?を読んだ気がした。

オブスキュールとはフランス語で”暗がり”とか”おぼろげな”とか、あるいは(作品、言葉などが)難解、曖昧という意味もあり、店がその名を選んだのは、暗がりのなかに差す光を意図しているとか。煌々とした明るさでなく、オブスキュールである故に魅力があることも。

投稿者 ruri : 10:21 | コメント (0)

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2010年09月04日

ハンス・コパーとルーシー・リー展

 昨日、汐留ミュージアムへ、ハンス・コパーの陶芸展を見にいってきた。この前テレビ

で見て、どうしても実物を一目見たかったので、酷暑の中を新橋まで見に行った。

 
 彼の作品の、内側からおのずと膨らんでくる(たとえば植物の強い生命力みたい

に…)宇宙的な存在性に触れてしまうと、この目で、というより、この手で、肌で、身

体そのもので、私はその作品に触れたという(視覚でない)感触が残ってしまうのは不

思議だ。たとえば重たさとか、肌への抵抗感とか、そんな(土)の持つ特性が肌身に刻

まれてしまったように。(さっき私はあの壷を両手で支えた、あるいは撫でた…という

ように。) よく詩の場合、リアリティがあるというのと通じるかもしれない。


 ルーシー・リーの洗練されたうつくしい作品、それ以上にコパーの作品の重たい存在

感に、しばらくは黙って打たれていよう。彼が最晩年になって病気になった頃、キクラ

デスフォームという、天に浮遊するような軽やかなかたちに、自身のいままで練り上げ

たオリジナルな技法を融合させ、自在なかたちの変容を生み出したことに胸を打たれ

る。

投稿者 ruri : 13:51 | コメント (0)

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2009年06月17日

『ヘンゼルとグレーテル』の絵本・追悼号

 以前にご報告しましたが、新樹社から絵本『ヘンゼルとグレーテル』(文・シンシア・ライラント、絵・ジェン・カラーチー)が6月1日付けで上梓されました。訳はやさしいようで、表現上で微妙な苦心が求められました。でもきれいな色彩の愉しい一冊になりました。無力な子どもたちが悪の力にめげず、自分たちの力で自分自身をまもるためにたたかい、幸せにたどりつく物語。現代の子どもたちにこそ、元気を与えるファンタジーではないかと、作家の意図を感じさせます。

 やっと前田ちよ子さんの追悼号(ペッパーランド34号)が出来ました。彼女の詩作品12、エッセイ6、それと座談会という構成です。ご希望の方がおいででしたら、ご連絡ください。少し残っております。
 そういえば先日のご家族の方とのお話では、ご長女の紫音さん(15歳)が、前田紫という号ですでに絵画に表現の才を発揮しておられるとのこと、いつか作品を見せていただけたらと思っています。

投稿者 ruri : 10:04 | コメント (0)

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2009年05月24日

阿修羅

 阿修羅展を見に行った。もちろん奈良でも見たけれど、今回は背部までよく見られるというので、混雑を覚悟で、(金曜日、は夜まで見られるというので)思い切って出かけた。(それでも30分は行列したが、気候もよく、ユリノキの花の下のベンチにしばらく休んで行列の後ろについた。そう長くは感じなかった。

 まず八部衆の(カルラという鳥のクチバシをもつ像をはじめ、それぞれの像の表情も独特で)存在感に打たれ、次に和やかな十大弟子のお姿にとても親しみを感じた。さて、その隣室。すごい人波に取り巻かれた阿修羅像が、まぶしいライトを浴びておられ、少年のような無垢な表情をもったまま、そこに三組の腕を宙に伸ばして、立ちすくんでおられるような感じで、そのお姿に私は痛々しさを感じた。

 けれど人々の輪のなかをゆっくり歩みながら、その背後を回り、三面のそれぞれの表情をまじかに見あげていくうちに、像の内部からあふれ出す豊かな生命力の波動に打たれ(特に正面のお顔の表情に)、痛々しさや戸惑いは消えた。阿修羅はやはりすばらしい体験だった。生命エネルギーとすぐれた美がそこに凝縮され、一体となって、多くの人々をとらえて放さない。人々はその場を去ろうとせず、いつまでも、ただただ熱心にみつめていた。

 数年前に、シチリアの海底から引き上げられたサチュロス像は永遠の生命エネルギーの化身のように、私にとって忘れがたい宝物だ。そのサチュロス像が無限の生命の歓びであり、宇宙への賛歌であり、「動の活力」を感じさせるものとしたら、阿修羅像は内面へ向かうひたむきな祈りに支えられた「静のエネルギー」をより強く感じさせた。

 私にとって、わがサチュロスにはモーツアルトのディベルティメントがよく似合った。では阿修羅像の音楽は、何なのだろうと思う。
 
 

投稿者 ruri : 09:19 | コメント (0)

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2009年05月02日

近況報告

    去年の12月以来の投稿なので、忙しかったこのところの、近況報告などをさせていただきます。 主なことを書かせていただきますと…。

  1. 3月に『ラプンツェルのレシピ』という詩誌を発行しました。
     これは横浜で、時折りグリムなどのお話を読んだり、詩について語り合ったりしている仲間8人で、グリムのラプンツェルのお話をネタに、詩とエッセイをまとめたものです。
     表紙の相沢律子さんの絵がなかなかよくて、一目で印象に刻まれます。
    (なかみは読者の方々のご判断におまかせすることにして)私は大いに表紙をたのしみました。
     まだ少し残部がありますので、ご希望の方は声をかけてください。

  2. この春、EdwinA・クランストン氏が『The Secret Island and the Enticing Flame』 ー (日本の詩における記憶と発見と喪失)ー という副題をもつ著書を、 コーネル大出版部から上梓されました。
     そこに「皿の底の闇ー水野るり子の詩の神話をさぐる」という題の、私の詩についての70頁ほどの作品論が載っています。(クランストン氏はハーヴァード大学の日本文学の研究者であり、このたび その業績により旭日中綬章を受けられたのは嬉しいことでした。)
     私がクランストン氏と会ったのは、ハーヴァード大での一夜のパーティの折であり、それ以来20年近くにわたる、訳をめぐっての、私たちの長い交信がもたらした貴重な果実であることを思うと、感無量です。 

  3. ペッパーランドの創刊同人であった、前田ちよ子さんが去年7月に急逝されました。
     彼女を偲び、その すぐれた詩作品を紹介させていただきたく、追悼誌「ペッパーランド34」を編纂してきました。
     『星とスプーン』『昆虫家族』 の詩集を中心に、9名のエッセイと鼎談による構成で、やっと印刷所に原稿を渡してほっとしています。6月にはできあがる予定ですので、
     お読みいただければ嬉しいです!

  4. 絵本『ヘンゼルとグレーテル』。近いうちに新樹社から訳が出る予定です。
     読みなれたお話ですが、あらためて一語一語自分で訳してみると、一行ずつの微妙な陰影にとらえられて、いい読み方の経験になりました。
     メルヘンや神話のもつ謎と美しさと恐怖の淵が深みをましてきます。このところあらためて物語や伝説のおもしろさに出会い直しています。

  以上、近況からのご報告です。 

 

投稿者 ruri : 14:20 | コメント (2)

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2008年09月16日

映画「白い馬」

 昨日、映画[白い馬」と「赤い風船」を横浜で見た。日本で公開されてから何十年ぶりの再公開になる。アルベール・ラモリス監督のフランス映画。前者は1953年にカンヌでグランプリを得、、後者は1956年に同じくカンヌでパルム・ドール賞を得た傑作小品である。私がこの映画に特別の思い入れがあるのは、ルネ・ギヨによる童話「白い馬」を友人たちと共訳出版した経験があるからだ。ルネ・ギヨはこの映画を見て感動し、この童話[白い馬」を書き上げたという。これらの映画はまさに映像による詩といわれるが、久しぶりに見たこの二つの映画は古びるどころかむしろ今の時代にこそいっそう静かに強く訴えて来るものをもっていた。

 [赤い風船」も「白い馬」も共に少年たちが人間以外の存在(ひとりは風船、ひとりは白い馬)と無二の友情を結び、その絆を断つことなくこの世の外へのがれていく…そんなテーマでは共通したものをもっている。純粋で無垢な心をもったまま、この俗な世界に生きつづけることの困難さ。それを観念でなく、映像で描き切った、ラモリス監督の才能に心打たれる。

 「白い馬」のラストの映像…白い馬とその背に乗るフォルコ少年の姿が、ウマ飼いたちの追跡を逃れて、ローヌ川の波間にはるか小さく遠ざかってゆくシーンは忘れがたいものだ。かつてこの南フランスのカマルグ地方を旅した折に見た白い馬たちの群れが目に浮かぶ。童話のおしまいの部分を引用させていただく。

 (年取った友だちのアントニオの声が、最後にフォルコの耳に届いたかもしれない。だが少年は、はるかに遠く、ざわめく波のなかに見えなくなってしまった。フォルコは、まるで大きな貝がらのくぼみの中で、ふくらんでゆく歌声のような、ひびきのにぶい水の歌をきいていた。
 
 岸辺の男たちは、やがて、白いぽつんとした、点のようなものしか見えなくなった。それは、少年と頬を寄せ合って,泳ぎつづけるウマの頭だった。
 まもなく、その点さえも波まにのまれて、牧童たちの目から消えてしまった。
 自分のウマの首に、しっかりしがみついているフォルコは、まるでねむりに落ちるときのような、とてもやさしいけだるさが、からだじゅうにひろがって来るのを感じた。
 水が頭の上を流れていった。
 フォルコは目をとじていた。
 
 少年は夢の中にいるように、かるがると、友だちのクラン・ブラン(白いたてがみ)と
いっしょに進んでいった。クラン・ブランは、もう二度と少年からはなれはしない。ふたりは、いつまでもいつまでも泳いでいった。
 うたうようなローヌ川の水が、ふたりをやさしく静かにゆすっていた。やさしい水は少年とウマとを、海へそそぐ大きな流れにのせて、はこんでいった。子どもとウマとが、いつまでも友だちでいられるような、すばらしい島にむかって。)ルネ・ギヨ作、スコップの会訳[白いウマ」(1969年刊)より

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2008年07月06日

前田ちよ子さんのこと

 ペッパーランドの創刊同人だった前田ちよ子さんが他界されました。急性骨髄性白血病になられ、5月10日に富山の入院先からお電話をいただいたのですが、それから2ヶ月、私は気の休まることはなく一日一日を過ごしてきました。そしてついに7月3日朝死去されたとご家族から電話を受けたのです。 6月半ばに緩和ケア病棟に移られたという彼女の電話に、急遽お見舞いに伺ったのですが、その折はまだ笑みを浮かべながら、いろいろなお話を一時間くらいすることができました。ご家族に伺うと彼女は病気を淡々と耐え、静かに受け入れて、けなげに最後の時を迎えられたようです。59歳の死は早すぎるといいたいですが。

 このブログにも入れましたが、去年5月に荒川みや子さんと富山を訪ね、12年ぶりに3人で一夜の語らいをもてたことを思うと、その一年後の今の成り行きが信じられません。

 彼女は病床でも童話を書いていました。詩集として「星とスプーン」「昆虫家族」の2冊を出しておられます。2冊ともユニークなすぐれた詩集で、今読み返しても不思議な魅力を感じ、彼女は自分の運命、あるいは人生の成り行きを半ば以上予感していたのではないかと思ったりします。独自の感性と直観で,現実の裏側にもうひとつの宇宙を見ることのできた人かもしれません。

 前田ちよ子さんの詩や童話をこれから少し紹介できたらと思っています。


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2008年03月28日

キアゲハ羽化

去年9月18日に蛹化したキアゲハの子が一匹、なんと6ヶ月と10日ぶりに、我が家の隅の飼育ケース

のなかで羽化した!3月27日の夜明けのこと。


書庫の隅にケースを置いてから、死んだか生きてるか分からないまま一冬たち、半年もの間何の変化も

なかったので、もう死んでいるのかも…と思いながら、でもさいごの望みはすてないままだった。だから朝

7時半ころ、いつものようにカーテンを開けたとき、何かケースの中にちがう気配を感じ、立ち止まっての

ぞいてみたらそこにキアゲハが一匹!もう我が目を信じられなかったくらいだった。やや小さめだが、もう

ちゃんと翅も開いている、うつくしいキアゲハなのだった。

 さっそく明るい窓辺に置いて、ついでに写真をとり、まだ寒いので、しばらく家の中においてから、8時半

過ぎに戸外に出して、ケースのふたを開けると、数分もしないうちに、あっという間に飛びたち、高々

と上空へ舞い上がり、南の方向へひらひらと飛び去ったのです。


 桜の花も5分咲き、空気はまだ冷たいが、家々の庭には花壇の花も咲いている…、なんとか春早い

この寒さを乗り切って、1週間〜10日間ほどの寿命を満喫して欲しいと、これはまるで親心のようであ

る。それというのも、去年は20匹近いキアゲハの幼虫がいたのに、この一匹を残してみな死んだり、行

方不明になって、辛うじてこの一匹だけがサナギになったのだから、いわばこの蝶は右総代の貴重な存

在だったのだ。去年は餌のイタリアンパセリが途中で不足して、コンビニなどで買いしめてきたのをやっ

た直後これ以外はみな全滅したわけだった。行方不明も含んで。

 
だからこの一匹が飛びたったときは、ほんとに去年から引きずっていたキアゲハコンプレックスから、一

気に解放されたような晴れ晴れとした気持ちになった。そうでなくとも、木っ端みたいだったサナギが、ふ

いに殻から解き放たれて空高く飛び立っていく姿はすばらしい。日ごろのストレスも忘れるのだ。それに

今回のこの羽化への思い入れは特別だったなあと今にして思う。

それにしても去年の夏のサナギは8日間で羽化したのに、今度のサナギは、冬とはいえ、羽化まで、

延々190日以上耐え忍んだわけだ。自然とは本来タフでかなりの適応力をもっているものなのだと感心

する。


これは昨日の朝の出来事。でもその余韻は、いまも私のなかへ明るく響いている。

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2008年02月22日

E・A・クランストン氏の受賞の会

 久しぶりにブログの頁をあけたら、もう一ヶ月以上もごぶさただったことに気がつく。

よほど落ちつかない日々を過ごしていたのだ。でも心覚えのためだけにも、次のことは記しておこうと思

う。

 2月19日にエドウィン・A・クランストン氏(ハーバード大学教授であり、私のすべての詩集や作品の訳

をしていただいた)が大阪府より山片蟠桃賞(日本文化を広く海外に紹介し国際理解を深めた著作及び

その著者を顕彰する賞)を受けることになり、私も日帰りで大阪まで出かけた。

 賞の対象となった著作は”A Waka Anthology,vol one:The Gem−Glistening Cup.”であ

り、これは古事記、日本書紀、風土記、続日本記、万葉集などから1578首を抜粋翻訳し、詳細な註と

解説を付したもの。すべてオリジナルの訳で序論を加えて千頁をこえる大著である
 
この後2006年には新撰万葉集、古今和歌集にはじまり、源氏物語の和歌795首までも収めた第2巻

が出され、やがて第3巻がこれに続く予定とのこと。

 このほかに氏は[和泉式部日記」の訳とその詳細な解題、研究書なども公刊、その成果は、欧米を中

心とした日本古典文学研究に大きな影響を与えている。

 当日は10年ぶりくらいにお元気なご夫妻にお目にかかれたのが私にはなにより嬉しかった。70歳を

越えて、なおお二人とも(夫人の文子さんは東洋美術の研究者)今後の仕事への情熱に静かな意欲を

燃やしておられるのが伝わってきて、それも私には大きな励ましであった。
 
 クランストン氏の当日の講演では日本文学研究の一学徒としての今までの人生を振り返り、日本文化

とアメリカ国籍の間で揺れた個人的経験に触れ、何より日本への一貫した深い愛を語られた。訳者とし

て柿本人麻呂はじめその他の歌人たちに触れ、自然と交感するやまとことばの繊細な美しさへの傾倒を

しみじみと話された。折々にユーモアを交え会場に笑いを誘った楽しいスピーチであった。
 
 日本人でありながらそれらの文化に疎遠に過ぎた、私のせまい言語経験をふがいなく思い、複雑な思

いで会場をあとにした。 91年のハーバード大でのクランストン氏との出会い、それからの10数年、詩を

めぐって交わされた交信の日々…、私は今回の氏の受賞を心から喜びながら、それらの月日の落穂拾

いがこれからの自分の宿題として残されていることをあらためて反省しつつ、それをあわただしい大阪行

きの土産にしたいと思った。
 

 さいごにこの著書の巻頭に文子夫人への献辞があって、それがなかなかすてきなので、挙げさせてい

ただこうと思う。

                 
             FOR FUMIKO

         Murasaki no
 
         Hitomoto yue ni
                      
           Musasino no

         Kusa wa minagara

         Aware to zo miru

                 Anon.,Kokinshu XV�:867

  

 むらさきの 一本ゆえに 武蔵野の 
                   
         草は みながら あわれとぞ 見る (古今集巻17:867より、よみびとしらず)


 
 

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2008年01月18日

ボルベール

今さら書くのもおかしいのですが、何ヶ月も前に高橋茅香子さん(私の英語の先生)に薦められていた映画「ボルベール」を、やっと昨日近くのシネマジャックで見ることができました。このところ足の調子をちょっと悪くしていて近くでないとなかなか出かけにくいのです。伊勢佐木町からすぐのシネマベティ・ジャックは、その点、上映時差があろうとも、常にいい映画や、見たかった名画をよくやってくれて、私にとってはありがたいミニシアターなのです。

私は、ペドロ・アルモドバルの作品では「オール・アバウト・マイ・マザー」、「トーク・トゥ・ハー」を以前見ていて、この「ボルベール」で、女性賛歌3部作をどれも見たことになるのですが、今回のがもっとも楽しく見ごたえがありました。主演のペネロペ・クルスの美しさと魅力とバイタリティ、怖さとユーモアを背後に秘めたストーリ−のスピーディな進行、女たちの楽天的行動力、見るものを元気付けずにおかないような、かれら相互のデリケートな思いやりと洞察力。とにかく万華鏡的に迫ってくる映像でありながら、心に染みいる…そんな各場面から目をそらすことができませんでした。

さて今日はその中でも圧巻だった歌のシーンを思い出しながら、《VOLVER》(帰郷)の詞をパンフレットから,以下に引用させていただくことにします。

     VOLVER

  かなたに見える光のまたたきが
 遥かな故郷に私を導く


 再び出会うことへの恐れ
 忘れたはずの過去がよみがえり
 私の人生と対峙する

                     
 思い出に満ちた多くの夜が
 私の夢を紡いでいく
 旅人はいくら逃げても
 いつか立ち止まるときが来る

 たとえ忘却がすべてを打ち砕き
 幻想を葬り去ったとしても
 つつましい希望を抱く
 それが私に残された心の宝

 帰郷(ボルベール)

 しわの寄った額 
 歳月が積もり銀色に光る眉

 感傷ー

 人の命はつかの間の花
 20年はほんの一瞬

 熱をおびた目で
 影のなかをさまよいお前を探す 

 人生ー

 甘美な思い出にすがりつき
 再び涙にむせぶ

                     

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2007年12月14日

Bitches Brew

昨夜、白楽にあるカフェバー 《Bitches Brew》へ、中上哲夫さんからの案内で、ジャズと詩の朗読を聞きにいった。20人くらいしか入れない小さいスペースだが、ぎっしりの盛況だった。オーナーの杉田誠一さんの説明によれば、彼が1969年に、ニューヨークでのジャズと詩の朗読に触れた折の感動的経験から、このたびの企画が生まれた由。

そして、とりあえずこれから一年、毎月第二木曜日の夜に、詩の朗読とジャズの会をひらくことにした。声をかけられた、旧知の中上哲夫さんがプロデュースすることになったという。

昨夜はサックス尾山修一、ピアノはケミー西丘、そして詩は初回なので中上哲夫だった。
中上さんは「アイオワ冬物語」の詩と最新作を読んだ。「アイオワ冬物語」のいくつかの詩篇が、孤独なサックスの音色とからみ、詩のかもし出すアメリカ大陸でのかわいた旅情を生かしていた。

ジャズは本来即興的要素が強いし、場の空気を瞬間瞬間に生み出していく。そのジャムセッション的呼吸が詩の朗読と合うのでは…と思ったりする。もちろんうまくいけばだけど。ジャズって生きものの一種みたいだと思う。たちまち空気の中に消えていくところも。

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2007年10月24日

「沈黙から 塩田千春展」

 神奈川県民ホールで開催中の《「沈黙から」塩田千春展とアートコンプレックス2007》を見に行った。
シンポジウム「他者の発見〜アートはコミュニケーションをいかに回復するか」では、針生一郎、北川フラム、一柳慧、塩田千春の4人のパネリストが発言。

 戦後日本の表現は「内閉的アイデンティティー」探しの迷路に陥っているのでは…の問いに始まり、日本における言葉によるコミュニケーションの欠如〈社会においても、個人においても、家族関係でも)、その内閉性を破るべく、状況への行動のなかに新たな自己を発見してゆく過程についてなど、話者それぞれの発言があった。

 北川フラム氏は越後妻有での「大地の芸術祭」を実行した経験や、地元の人たちとアーティストたちとのその折の交流過程を通して、「publicなもの」の発見について語り、説得力のあるスピーチであった。席上、塩田千春さんに今回の妻有での参加を依頼し、塩田さんが快諾する成り行きもありほほえましかった。

 内閉性に関しては、詩の分野でも同じことが言え、いま朗読会などが盛んになってきているのも、他者との関係における言語を捉えなおそうとする意識が強くなっているからだろう。個人の作業としての表現(自己のアイデンティティー確立としての営為)を、今一度作品の流通の場や、それらが書かれ読まれる場との関わりで広く捉えなおすときがきているのだと思う。

 シンポジウムが終わってから、塩田千春展を巡ってみた。塩田さんはベルリンを拠点に、インスタレーションや映像作品を発表している美術家。首都圏では初めての本格的な個展という。

 黒い糸が一面に張り巡らされ、その中には焼け焦げた一台のピアノ、70脚の椅子、また蜘蛛の巣のように張り巡らされた黒い糸のなかにおかれたベッドにねむる女、〈彼女はどんな夢をみる?)。旧東ベルリンの廃屋から集めてきたという無数の窓のインスタレーション。どれも胸苦しくなるような現代の不安と孤独を感じさせる。だが私は無数の窓のインスタレーションの迷路に、人間のもつ無限の想像力や好奇心への呼びかけを感じて、すずやかに心引かれた。

彼女は作品制作のテーマに「不在の中の存在」を挙げているという。彼女は「誰もいなくても、飲みかけのコーヒーがあれば、そこに人がいたことが分る。不在であるからこそ、存在感が増したりする。」といっている。シンポジウムでも、自分のアイデンティティーは不在の中にあると語った。私はその言葉に共感した。

 私も消えていったもの、存在が消えていったあとの空間にこそ、実在を感じるのだ〈想像力によってより強くその存在が我がものとして確認できる)からだ。旧東ベルリン地区を歩き「まだ足りない、まだ足りないと、とりつかれたように探した」という窓は千枚を超す…という。私たちはかつて他者の見た千の窓を通して、いつかそこに在った千の風景をもう一度視る目を持てるだろうか。

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2007年10月23日

エディット・ピアフ

このところちょっと足を痛めていて、あまり外出しないのだけど、近いところはタクシーで行けるので、昨日は映画[エディット・ピアフー愛の賛歌ー」を見ることができた。ピアフは好きでレコードやCDを持っていたが、近頃はあまりきかなかったので、逆に新鮮に感じた。なによりもその歌声のもつ生命のエネルギー、その表現力がすごい。私はぼんやりしていて、若い頃のピアフと晩年のピアフを演じた女優が別の人か…と思っていた。それくらい雰囲気がちがうのだから演技力もたいしたものなのだ。もっとも歌声は吹き替えなしで有難かった。

ラ・マルセイエーズを街頭で歌う少女のピアフが私は好きで、また晩年の恋人マルセルの事故死以後の壮絶な演技も印象的だ。

実はこの映画をぜひ見るようにと薦めてくれたTさんは、目下入院中。今日が手術の日ときいている。(彼はとてもいい画を描くひと)。元気で退院できる日が一日も早いことを祈っている。Tさん、ありがとう。

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2007年09月18日

キアゲハその後

9月7日頃に生まれたキアゲハの幼虫のその後です。

実は、なんとか五齢のアオムシまで育ったのだから、これでうまく羽化して8匹のキアゲハが見られると皮算用?をしていたのですが、そうはうまくいきませんでした。

かれら8匹はたちまちイタリアンパセリの鉢を丸坊主にして、それより大きい隣のプランターも食べつくしました。それから一匹が昨日の夜明けに大脱走。(蛹になるためです)。もう食草もなくなったので、残りの7匹を飼育箱に移して、買ってきたハーブ売り場のイタリアンパセリを入れてやったのですが、ほとんど拒食症。(食草にはとても敏感です。)もちろん少しは食べたものもいますが、こわいほど食べません。屋外のプランターと環境が一変したせいもあるのでしょうか。それとも買ってきたハーブが消毒されていたり?

(昨日友人の0さんが、キアゲハの窮状を知り、なんと、お庭の最後の一株のイタリアンパセリを土付きで、わざわざ宅急便で送ってくださり、これはすごく嬉しかったです。有難う!)

ただそれが届く直前に、今朝飼育箱のなかであえなく4匹が死亡しているのを発見。箱のなかを蛹化直前ではげしくあるきまわっていた2匹は、脱出できずあきらめたのか、天井近くに固着化。

それでも、やっと一匹だけ生きていた青虫君を、取り出して戸外のイタリアンパセリの苗の鉢にのせてやって、様子を見ていたところ、午後になりちょっと目を放した隙に、この子も脱走。いくら捜しても、もう後の祭りでした!ちゃっかりと物陰にかくれてうまく蛹化してくれるといいのですが!まあ、自立してやってもらう方が気は楽ですが…。

と、いうわけで、今のところ目の前で羽化を期待できるのは2匹だけ。脱走中が2匹。そして死亡が4匹、という結果。(もっとちっちゃいうちに死んだのは別として。)まあ統計上の200匹に1匹強の生存というデータに比べれば、約10匹のうち2匹はましにしても、チョウたちの生存条件は過酷です。こんな都会のなかのバルコニーでは。あーあ、今年はキアゲハの一夏という感じで、得難い経験をしました。というより、まだ経験中です。

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2007年09月08日

キアゲハ1ダース

 昨日7日、例のイタリアンパセリの鉢に、キアゲハの幼虫が孵化しているのを発見! これは9月1日にバルコニーに舞い戻り、自分の育った古巣の鉢に産卵した(と書いた)例のキアゲハの子どもたちだ。6日の深更からの関東直撃台風の通り過ぎたあと(7日の午後)に、鉢をのぞいたら、3ミリくらいのゴミみたいな茶色い虫がイタリアンパセリの茎のあちこちにくっついているではないか。嵐といっしょに生まれたんだ!と生命力の強さにびっくり。

 けれどまたこれからの食草の心配がつきまとう。どうやら1ダースはいるようだ。(そういえばあのときキアゲハは10回くらい産卵の行動をくりかえしていたっけ)。母親のサナギの殻がまだ残っている小さな鉢に1ダース!これはなんだかオモシロイ。

 これから脱皮を繰り返して、あの一人前の青虫にまで育つのが何匹いるか分らないが、すでに今朝見たら大きいのは5ミリくらい。でも小さいのは3ミリくらいとその差は大きい。せっかく里帰りして産み落とした子どもたち。せめて1匹や2匹は羽化まで育てばいいけれど…。なにしろ200匹に1匹の確率と知ってみると。

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2007年09月01日

キアゲハの帰郷?

今日、不思議なことがあった。午後ふと見るとバルコニーをひらひら舞う蝶の影。いそいでのぞくとこれがまた一匹のキアゲハなのだ。その蝶は、10日ほど前、キアゲハが羽化した、イタリアンパセリの鉢のまわりや、私ののぞいているすぐ前や、そのあたりのいろんな鉢の上をひらひらと舞いあるき、セージの花の蜜を吸ったりして、10分くらいもバルコニーから離れず、とうとう例のイタリアンパセリの鉢にとまって、まだわずかにのこっている葉のあちこちに、卵を生みつけている。(そこにはこの間ぬぎすてられたサナギのからがそのままくっついている)。蝶はそれからもジョウロの柄にとまったり、朝顔の花を訪れたり、ククミスの葉にとまったり、網戸の傍を舞ったりとかして…なかなか立ち去らない。何度か空高く飛び去ってもまた舞い戻ってくる。合計15分くらい散歩?しただろうか。

 どうもあれは自分の生まれ故郷へ舞い戻ってきた、例のキアゲハみたいに思えてくる。あれは3兄弟でなく、姉妹だったのかもしれない…とか。蝶が生まれた場所に卵を生みに戻って来ることはあるのだろうか。まさか!と思ってネットで調べてみた。そしたら、そんな例が当たり前みたいに挙げられていて、おどろいた。
この前、羽化したのが今から9日前だったから、あの蝶の寿命としてもそろそろ終わる頃だし…。それにあの羽化した場所の近くばかりを、しきりに飛び回っていたし…。手を出したら指にとまりそうな感じだったし…と、蝶と心が通じたような気分で、いろいろ心を遊ばせているのはたのしい。固体識別ができなくて残念だが。

 それにしても、ネットで見ると、90個余りの卵からうまく成虫になる蝶は、統計的にはわずか0.6匹という数字が出ていた。自然の状態では、200個近くの卵からわずか一匹くらいというわけ?よほどついてなければ生き残れないわけだ。
 この夏はキアゲハに始まり、キアゲハに終わった感じ。だが今日の卵がまた孵化したらどうしよう?ほとんど食草ものこってないし。

投稿者 ruri : 21:43 | コメント (4) | トラックバック

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2007年08月26日

薬指の標本

映画「薬指の標本」(原作小川洋子・監督ディアーヌ・ベルトラン)を見た。映画館へ行くのは暑さしのぎみたいなところもあるけれど、これは作品としても結構おもしろかった。

冷ややかな触覚的視線が画面をなめるように進んでいくふしぎな官能性があって…。そして映画の舞台の背景は港町であり、その雑駁な落ち着きのない日常の喧騒が、女主人公の暗い淵をたたえたような孤独を浮き上がらせるすばらしい効果をもっている。私はそのことにおどろく。

ここは横浜。私はいつもの風景のなかにいる気になる。そこはいわゆる歌謡曲のなかのロマンチックな港ではない。働く港湾労働者たちのいる日常のリアルな港町なのだ。そこは日本ではない、フランスのどこかの港だが。また彼女の泊まっているくたびれたホテル(知らない男と昼夜で分けて、一室をシェアしている…。顔をあわせることはない)の建物も、なぜか赤レンガ倉庫のイメージなのだ。

映画とはストーリーでなく、映像なのだと証しする作品だった。そしてまさにフランス映画だと感じる。小川洋子作品の雰囲気が、フランスの女性によってどのように生かされているのかと、文庫本の「薬指の標本」を買ってきて、夜中に読んだ。映画と小説はまったく別物であることははっきりしているが、映画としても、作品の雰囲気をこわさない、出来のいいものだと思った。(もちろん好みはあるけれど)。

ベルトラン監督はあの小説をネタに映画化する楽しみを存分に味わったにちがいないと思った。このようにして、ある作品に触発されて、自分なりの別世界を生み出すことは、多かれ少なかれ私たちにも経験があること…。作品をつくるということは一種の演奏行為でもあるのだから。

ところで付け足し。この映画の主人公は「靴」だと思う。原作と映画ではその靴の色が違う。そして残念なことに、映画の色の方が、印象に強く刻まれてしまうこと。(なにしろすてきな靴なのです)。映像の色は強い。原作を最初に読むべきだったかも。

投稿者 ruri : 16:30 | コメント (1) | トラックバック

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2007年08月23日

キアゲハ羽化

 キアゲハ3兄弟の長子?が今朝やっと羽化した。蛹化してから8日目。打ち続く酷暑で心配していたので、今朝7時前頃にふとのぞいたら、いつの間にか傍の茎に黄色いものが! この間の第一代目の蝶も気がついたら羽化していて、ほんとにびっくり。
 
 今回もまた前の時のように折悪しく雨模様で、心配で、家の窓際に鉢ごと取り入れて様子を見ていたが、まもなく雨が上がって日ざしが見えてきた。そこで窓をあけてやったら、ちょうど10時頃、見事な翅をひらいて、空高く舞い上がり、バルコニーから東の森(木立?)へはるばると飛んでいった。後はうしろ姿を見送るばかり。でもどこかで「やったあ!」という爽快感。羽化後初めて見せるあの飛翔のすばらしい軌跡にはいつも感心してしまう。そしてどこか肩の荷を降ろした気分になる。

 だがここへ至るまでには悲劇も! この3兄弟の二匹目は前に書いたように、蛹になるまえに忽然と蒸発してそれきりゆくえ知れずだし、一番末のチビが数日前に実は昇天してしまったのだ!この末っ子はいつまでも大きくならず、(普通の三分の二くらい)、それでもパセリの茎にしっかりしがみついていて、ほとんど何も食べなかった。なので、心配になってきて、スーパーのハーブ売り場で、イタリアンパセリを探してきて、そのやわらかい葉に乗っけてみたり、(それでも全然食べない)余分な世話を焼いて、結局最後に地面に落ちてアリがくっついているのを発見。摘み上げて、イタリアンパセリの葉にまたのっけてやったが、結局だんだん弱っていくばかりで、次の日にはみまかってしまったのだ!なんていうことだ!放っておけば案外勝手に大きくなったのでは…と悔やんだり、一寸の虫にも五分の魂というけれど、ほんとにこんなチビにこれだけがんばって生き抜こうとする力が潜んでいるのだ…と感心しながらも悲しくなるのだった。

 今日のキアゲハの飛翔を見ると、一面救われた気分になるが、挫折したチビがまた哀れになって、どんな命にせよ夭逝というのは絶対よくないことだと思ったり。

 それからもう一つ、こういう虫たちのかたわらで時間を過ごしていると、ヒトというのは粗っぽい存在だなあ…、となぜか痛感するのです。それと自然と付き合うときは「待つこと」,関心を持ちながら「じっと待つこと」が必要だと分りました。あせってはいけないと。

 見えないけど、世界の隅々でこういう命たちがけんめいに生きているんですね。 以上でこの夏のキアゲハ3兄弟の物語はおしまい。まったく生きものと密に接することは、なんにせよ、しんどいことです。

 ”一匹目は真昼に蒸発し…、二匹目は夜明けに墜落し…、そして三匹目は東の森へ飛んでった…。” まるでマザーグースのTen little indian boys の始まりみたいですね。

投稿者 ruri : 16:25 | コメント (2) | トラックバック

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2007年08月16日

マリー・イン・ザ・モーニング

 今日はまた一段と暑くなったようだ。キアゲハ兄弟のいる鉢まで家の中に入れたり、また出したりと…親ばかをやっていた。74年ぶりの記録となる40度オーヴァーの地があったという。明日がまた怖い。

 今日はエルビスが他界してから30回目の記念日。午後、バラードを何曲かと、好きなCD「ムーディ・ブルー」をきいた。久しぶりだが、やっぱり新鮮な衝撃だった。


MARY IN THE MORNING


Nothing's quite as pretty

As Mary in the morning

When through a sleepy haze

I see her lying there

Soft as the rain

That falls on summer flowers

Warm as the sunlight shining

On her golden hair,oh…


「マリー・イン・ザ・モーニング」の甘くて、ちょっと切ない歌声は、いつまでも耳の底に響いている。でもあれから風のように30年の月日が流れた。彼のバラードをきくたびに、歌詞が生き生きとしたせりふのように伝わってくる気がしてしまう。

 《朝のマリーほど美しい人を見たことがない。ぼくはまださめ切らない眠い目で、よこに眠る彼女を見つめる。夏の花々をぬらす雨のようにやさしく、金色の髪にたわむれる陽の光のようにあたたかく…》
   

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2007年08月14日

真昼の脱走劇?

今日、炎暑のバルコニーで、ちょっと目を話した隙に(4,50分ほど?)キアゲハの蛹化寸前の幼虫が鉢から脱走した。3兄弟の2番目が…。さっきまで茎のてっぺんにしっかりかじりついて、イタリアンパセリの花と実を坊主にしていたのに! どこか近くを這っていないかと、灼熱のバルコニーをそれでもあちこち捜しまわったが、影も形もなし。傷心の私!昨日は一番上?のが、これも真昼の脱走劇を何回も繰り返した挙句、やっと鉢の中に腰を落ち着けてくれて、今日はみどりの蛹になったところなのだが。(蛹になる前の場所探しの猛烈な徘徊は驚くばかりだった。)

さて消えた二匹目はどこへ?わずかの間に雲隠れなんて、もしかしてどこかの鳥さんがきて、食べちゃったのかなあ…。それならまだしも…。もしバルコニーの片隅で熱中症になって伸びているところを、アリに引っぱられていったのでは? 一生懸命見守ってきたので、それが一番痛手だ。

仕方ない。未練がましく後追いするのは止めて、3匹目のチビの大きくなったときには、もっと注意して、ここにおいでいただくことにしよう。と、いまはあきらめの心境です。

投稿者 ruri : 20:53 | コメント (3) | トラックバック

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2007年08月13日

キューバ音楽《ヌエバ・トローバ》

 先日、《東京の夏》音楽祭で、キューバ、ヌエバ・トローバの夜というのをきいた。最初の音が響いた瞬間、なつかしさが胸の奥に響いてくるような音楽だった。ヴォーカルでは、ビセンテ・フェリウ、ラサロ・ガルシア、アウグスト・ブランカの3人が登場。解説は八木啓代さんだった。

       DONDE HABITA EL CORAZON  (心の在処)


     愛を戦い、夢のかたわらでパンを焼く地に、私は生まれた
     
     黒人とスペインの血と、ほんの短い歴史

     私は海の真ん中からきた

     北というよりも南から

     そして赤い血がこめかみを流れる

     私はそういうところの生まれ

     たとえ世界のどこにいたとしても

     夜が空を覆い,信念に危機があったとしても

     私はそういうところの生まれ

     心のあるところの者

     鳩といっしょに夢を見て、愛のために死ねるところの

 

 さて、このトローバの発祥は、キューバがスペインからの独立を果たした独立戦争後のこと。ギターを手に歌い出した人々がいて、ヨーロッパの影響や植民地文化のスペイン民謡やアフリカ奴隷のリズム感などをも含む新しい歌の流れをつくり出した。これが中世ヨーロッパの吟遊詩人(トロバトゥール)の名をとり、トロバドールと名乗るようになった。

 これは更にキューバ革命の直後の流れにつながる。革命後の動乱や喧騒、識字運動など、混沌の底から、2度目の変化が起こり、若者たちがかつてのトローバの流れを汲みながら、ギターをとって,愛や別離、美しい風景や再生したばかりの祖国キューバへの思いを歌い出した。その頃はやっていたジャズやブルースやロックをも取り入れ、それらを消化しながら新しい多くの歌を誕生させていった。

 やがて個々の才能は互いに引き合い、連絡を取り合い、ひとつの大きな流れとなり、「ヌエバ・トローバ」(新しいトローバ)と呼ばれるようになった。そして80年代のラテンアメリカで、キューバ革命の象徴として、人々に熱狂的に受け入れられ、軍事政権や政情不安に蝕まれた国々で、彼らの歌こそが自由の象徴となった。

 ビセンテ・フェリウは1947年ハバナ生まれ。その作曲活動は1972年になって「ヌエバ・トローバ」と名付けられる運動となり、そこから多くの作曲家を輩出した。舞台で演奏するフェリウはとてもナイーブであり、心から音楽することを楽しんでいて、ギターと歌の化身のようにも見えた。

 (以上ヌエバ・トローバについては第23回《東京の夏音楽祭2007》の解説を参照した。)

               

投稿者 ruri : 10:53 | コメント (0) | トラックバック

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2007年08月10日

新しい借家人?

 10日ばかり前にキアゲハが羽化した例のイタリアンパセリのプランターの空き家に、今朝またキアゲハの幼虫たちを発見!!しかももうほとんど枯れかけて茶色くなりかけた実の部分にかじりついているではないか。大中小の3兄弟が!(やれやれ)だ。 仕方なくもう一つの元気なイタリアンパセリの鉢を、そのプランターの隣に置いてみた。(こっちの方がおいしいよう…という気持)
 
 夕方のぞいてみると三匹ともちゃっかり新しい鉢植えの方へ引っ越している。どうやって?こんな虫でもきっと、匂いか何かで食料豊富な場所が分るのか。駄目なら手を貸そうと思っていたのだが。

 それにしても、またしばらく小さな借家人のために、気が休まらなくなりそう。今日は34度の猛暑。ベランダ暮らしの彼らも大変だとか、いろいろ。

投稿者 ruri : 21:22 | コメント (2) | トラックバック

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2007年08月05日

裏磐梯

7月の末頃、裏磐梯へ短い旅をした。梅雨がまだ明けない頃だったが、幸い天気に恵まれて、爽やかな山の空気と磐梯山の壮大な風景を楽しむことができた。宿泊は猫魔ホテルという大きなホテルの南側の端の部屋だったので、(温泉やレストランが北側の端!)一日に何回も、ホテル内を(ここで言えば石川町の駅まで歩いたくらい)往復する羽目になった。(ちょっと大げさ?)

でも部屋の窓は緑一面の森に面したみたいで、都会暮らしの疲れをしばし忘れることができたし、春樹の「1973年のピンボール」を読み返すことができた。彼の文体の魅力についても見直した。

宿の前の桧原湖を船で二回往復して、磐梯山の大きくえぐられた山容が湖面に映るのを眺め、その湖面の深い青を心地よく眺めて、とてもいい気分だった。遠方に吾妻連峰。湖面にはカヌーをやる人々。森からホトトギスの鳴声。(ちなみに磐梯山とは天にかかる岩の梯子の意味だそうです)

だが桧原湖の歴史はすごい。この湖は120年前くらいの、1888年7月15日、磐梯山の噴火に伴う山体崩壊によりできた堰止湖で、噴火の際には500人以上の死者が出ているとのこと。その折に桧原村は湖底に沈み、地域社会は消滅した。そして現在も水位の変動により、集落のあった鎮守の森の鳥居や墓石が顔を出すことがあるという。そんな解説をききながら湖を観光すると、足の下がむずむずしてくる。この爽やかな静かな湖面の下には、何層もの見えない時間が沈んでいて、耳を澄ますと、噴火の際の村人の悲鳴が耳に響いてくるようだった。

台風、地震、洪水、そして戦争、原爆。一瞬のうちに時間の亀裂に呑み込まれていった人々はどんな消息をこの地上に残してくれるのか。、私たちは歴史の薄い表皮で、今、この一瞬を生きているにすぎない。だからいっそうそれはかけがえのない時でもあるけれど。

会津を旅するのは3回目だが、いつも何か懐かしいものを私に感じさせてくれる風土なのです。

投稿者 ruri : 17:24 | コメント (2) | トラックバック

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2007年07月30日

キアゲハ

 この前のブログに入れた身元不詳のアオムシ君が,17日に蛹化の準備を始め(完全に蛹の状態になったのは20日)、今日しっかりと一人前のキアゲハに羽化して旅だちを果たしました。茎に固着してから13日、完全な蛹になってからは10日目になります。なにしろ庭のプランターの中でのこと、蛹の期間に、私も3日間旅行で不在にしたり、天気も不順で暑かったり、寒かったり、雨続きだったりして気を遣ったのですが、やっと無事に旅立ったわけです。

 今朝7時頃、プランターをのぞいたら、蛹がややうす茶色になっているし、普通羽化まで1週間から10日と聞いたので、もしや中で死んでしまったかと心配でした。その上、今日は大きな低気圧がきていて、雷雨、突風などにおそわれるとのことで、はじめて雨の当たらないひさしの下に入れて様子を見ることにしました。

 そして、8時半頃だったか、通りかかりにふとのぞいて見ると、なんとキアゲハの美しい模様そのまま、蝶が一匹羽を広げているではありませんか!プランターのイタリアンパセリの茎にです。多分8時頃に羽化して羽を乾かしていたのでしょうね。

 ところがその後雷鳴も近づき、ここで飛びたってはどうなるかという親心で、さらに家の中へとプランターごと取り入れて、再び翅をたたんでしまった蝶を、はらはら見つめるばかりの時間…、彼はほとんど動きません。そのうち午後になって、そばに置いた紫のセージの花によじのぼったり、たたんだ羽を開いたりして見せてくれました。その頃やっと雷鳴が遠ざかり、雨も一時上がったので、「今だ!」とばかりプランターを戸外に出すと、彼(彼女)はいともかろやかに曇天の空高くのぼり、西北の方向へと飛び去りました。

 今また雨音がし始め、キアゲハ君の前途は多難だなあ…、せめて梅雨明けに羽化すればよかったのになあ…と今後の運命を思いわずらっている私です。それにしてもこれも個体にインプットされた運というべきでしょうか。うまく雨を避けて、花の蜜を見つけて、相性のいいどなたかに出会いますよう…と願うのみ。(本音は、「ああ、ホッとした!」というところです。)

 そういえば、アオムシ君が17日に蛹になるべくうろうろと場所探しを始めたその時、それから(羽化の瞬間は見逃しましたが)、羽化後飛翔にいたるまでのじりじりした時間、そしてあっけない旅立ちの瞬間、それぞれ大事な節目ごとに、偶然その場に居合わせる結果になったことは、ラッキーでした。飛翔前の静止タイム約6時間、その美しい模様、形態を上から横から、子細に観察させてくれたのですから。

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2007年07月18日

身元不詳

プランターのイタリアンパセリの葉群に、数日前一匹のアオムシをみつけた。けっこう華々しい装いで、ミドリの背中を黒とオレンジの柄でばっちり決めていて、ひと目見てキャッといって、反射的につまみ出し、殺戮に及ぼうとした。しかしなぜか、でもまあ、後一日くらい様子を見ようと、つまみ出すのも気持ち悪くて放っておいた。次の日も同じ、その次の日も…と見過ごすうちに、だんだん興味が湧いて何の幼虫か調べたくなった。彼(彼女)は一匹だけの気楽さで、イタリアンパセリをのうのうと食べ放題。そのせいかすぐ4〜5センチに成長。毎日黙々と孤独に生きぬいている。

ついに「庭・畑の昆虫」という本を引っ張り出して、丹念に調べてみた。すると特徴ある背中の模様から、キアゲハの幼虫らしいことが分った。かれらはニンジン畑に多く生みつけられるらしい。主な食草のセリ科の植物は高山にもあるので、幼虫は高い山でも育つということだ。食草の種類としては、ミツバ、ウイキョウ,カラタチ、パセリ、セロリ、セリなど香りの強いものが多い。

さて、このアオムシ君、昨日の夕方のぞいていたら、それまでじっとしていたのに、雨の中を急に右往佐往と歩き出し、地面に降りたり、他の茎にのぼったり試行錯誤。ついにかなり遠いところの茎にしがみついたまま固着状態になったので、どうやらそこでさなぎになるのでは。このヒト?(今はそういう気分)がキアゲハへと羽化するのはいつだろう?

それにしても夕暮の雨に濡れながら、長い間、このアオムシ君の行動をしゃがんでみつめていたせいか、今日は風邪っぽい。下手をしてキアゲハ症候群による風邪にまで発展しなければよいが。

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2007年06月18日

Ashes and Snow

 お台場のノマディック美術館で、グレゴリー・コルベールの《Ashes and Snow》を見てきた。人間と動物とが、同一平面上で、まるで夢の中でのように親密に触れあっているその映像は、どうしても現実とは思えないほど不思議だ。だが、このドキュメンタリーフィルムは、「どの作品もデジタル画像処理や合成、字幕などを加えずにコルベール自身がレンズを通して見たままを記録したものばかり」とのこと。
 
 彼は15年の年月を費やして、インド、エジプト、ミャンマー,トンガ,スリランカ,ナミビア,ケニア,南極大陸,ボルネオ諸島などの世界各地に40回以上の遠征を行い…」、これらの人間と動物との交流を収めた映像を撮ったという。
 
 その多くに水の場面が使われ、私は、人が胎児だったころの羊水の世界を想わざるを得なかった。(水中を泳ぐ象と人間のシーンのすばらしさ)。生命は水から生まれたものであることを、もう一度思い出した。三木成夫さんの「胎児の世界」を思った。
 
 象やヒョウや鳥やオランウータンたちが、ヒトと触れ合うシーンの無限の静けさとやさしさこそ、ほんとうの生命的真実で、動物たちを差別する私たちの文化こそ、大きな錯誤のなかに置かれているのでは…と思ってしまう。
 
 しかし私は、この作家がどうやってこのような映像を撮影できたのかをもっと知りたいと思った。1時間半ばかり超時間的空間をさまよって、まぶしい戸外へ出たら、そこはお台場。若い女性たちのあふれるこれもまた別の不思議空間だった。私たちの文化はこの先どこへ行きつくのだろうか。

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2007年06月02日

旅のこと

 このところペッパーランド終刊号の「夢、隠された森」というテーマでの詩をなかなか完成できず、いたずらに日を過ごしていたので、ブログで旅のことを書こう,書こうと思いながら日が経ってしまった。
気がつくともう旅から帰って、10日近く経っている。
 それでもまぶたの裏に車窓の立山連峰や、久しぶりの前田ちよ子さんを囲んでの同窓会?的情景がついさっきのことのように浮かんでくる。帰ってから彼女の詩集「昆虫家族」をあらためて読み直してみて、彼女の独自な感性をまたあらためて感じた。書かないでいることが、惜しまれる。今はいろいろな事情もあるだろうけれど、必ずこのような独自な表現の場に帰ってきて欲しいと思う。

 富山では県立近代美術館でルオーの大きな版画展をやっていて、どちらかというと敬遠しがちだった宗教的なものより、サルタンバンクやサーカスなどをテーマにした市井の人々の生気が立ちのぼる作品群に心を引かれた。さらに常設展では、思いがけず初めて出会ったクレーの画や、デルボー、エルンストなどの魅力的な作に出会えて嬉しかった。見終わってから、荒川みや子さんと、野の花の生けられてあるティールームで、ルオー展にちなんだ《聖ヴェロニカ》という特製コーヒーを飲みながらいっときおしゃべりをした。また、富山では池田屋安兵衛商店で、かの越中とやまの反魂丹を買うことができたので、これからしばらく、安心して?飲みすぎることができるかも!

 金沢では室生犀星の記念館が印象的だった。あっけらかんとした散文的な金沢二十一世紀美術館とは対照的に、静かでこじんまりとして、犀星の手書きの原稿や、朝子さんの語るビデオなど…、いかに犀星が愛され、その詩が大事によまれているかを感じた。
 
そして今回の旅の圧巻は、その夜、宿の近くでとった夕食。地酒を飲みながらの、この地方の今だけとれる白えびのから揚げや、ホタルイカ、のど黒の塩焼き、山菜のてんぷらなど、あまりにもぜいたくな晩餐。これは今回の旅のクライマックスかも…ああ、単純。

 なぜかこの富山、金沢の旅の記憶はとてもあかるい。五月の光のなかの緑と、日本海の青と、そして雪をかぶった立山連峰の白と、に縁取られて、私の記憶にくっきりと残りそうだ。

 それにしても、「前田ちよ子さん、待っているから、復帰してね。」

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2007年05月25日

大庭みな子

 三泊四日の富山、金沢への旅は充分にあかるくて、しかもたのしく、今も車窓から見た立山連峰の鮮やかな全容や、それ以上に旧交を温めたMさんの笑顔などが目に浮かぶのだが、それはまたあらためて書きたい。
 旅の帰りの車中で、一冊だけ持参した「村上春樹はくせになる」(清水良典)を読み終え、以前から興味があった春樹の作品を最初からまたあらためて読み直してみたいと思ったのだが、いやいやその前にまず、このところずっと気にかかっていた大庭みな子の全作品をまず読みなおしたい…などと思いながら、帰ってきたのだが、帰るなり夕刊で、《大庭みな子》の訃報を読むことになった。私にとっては大きな意味を持つ作家だった。初めて「三匹の蟹」や「魚の泪」を読んだ時のあの不思議な眩惑感を忘れることはできない。5月24日午前9時15分逝去…という新聞の活字を見つめてているうちに、自分がちょうどその頃金沢のホテルをチェックアウトしようとして、部屋で腕時計を見ていたその瞬間のことをはっきり思い出した。ああ、あの時だったのだと…。
 深層から表出される葛藤に満ちた人間のドラマと、感覚的なうつくしい文体が微妙にない合わされ、奔放な悪の匂いさえ漂うその文学は、限りなく読者の心ををひきつけた。そこには自己を裏切れない、いきのいい女たちがいた。年を経て、時代も変わったが、もう一度読み返して、大庭みな子がこの世に遺していった言葉のもつ意味をもう一度味わいたい。五月はほんとうは昏いのだと気がつく。

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2007年05月20日

五月の贈りもの

 もうノカンゾウの季節が巡ってきた。オレンジ色の花がいまバルコニーで満開だ。満開といっても一日花なので、夕方にはしおれ、翌日は次の花が咲く。数えてみたら今日は28輪。日の光がさすといっそう美しく、うっとりする。夕日の時にも。わすれ草といわれるだけあって、この花を見ていると憂さを忘れるというけれど、それはほんとうかもしれない。
 
 明日から富山へ荒川みや子さんと旅をする。ペッパーランドの創刊同人だった前田ちよ子さんと10数年ぶりに三人で会えるのが楽しみだ。なんとなく胸のなかがざわざわ…。荒川みや子さんの故郷である滑川にも寄れるかも。彼女の詩集「森の領分」を吹き渡っている、すがすがしい大気に触れることができるかもしれない。私はあの詩集が好きだ。あの詩集で荒川みや子という詩人に出会ったのだ。

 すがすがしい大気…といえば、つい先日、元町の魔女とハーブのお店《グリーンサム》のオーナーである飯島都陽子さんのお宅での楽しい飲み会に参加させてただいた。なんだか時のはざまにふと現れた爽やかな詩の一篇のような時間だった。「魔女の贈りもの」という名のショウチュウもおいしく、それ以上に美味なのは会話の味。飯島ご夫妻と愉しいそのお仲間たちに乾杯。五月のくれた思いがけない贈り物のような一夕だった。

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2007年05月01日

ぺんてか

久しぶりに、樋口えみこさんから連絡があって、ホームページ「ぺんてか」に私の詩を載せて下さるとのこと。ありがとう!というわけで、昨日、更新された「ぺんてか」をのぞいて、4月の詩を読ませていただいた。いろんなおもしろい詩をみつけた。私の詩は『ヒポカンパス5』に載った「月変幻」というもの。中上哲夫さんの詩を引用させていただいています。
 
ぺんてかをご覧になるには、http://homepage3.nifty.com/penteka/ をあけてみてください。

                       ※

 ヒポカンパス6号までを無事出し終えたので、7月21日に「ヒポカンパス解散記念朗読会」を詩誌ホテルと共同で、ひらくことになった。昨日、その打ち合わせ会をしたので、いずれ詳細をご案内させていただきたいと思います。よろしくお願いします。

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2007年04月26日

異邦人たちのパリ

 詩が書けないのに(書けないから?)、新国立美術館の「異邦人たちのパリ」展を見に行った。今日はミロの「絵画」という作品の前で思わず立ち止まってしまった。いま与えられている詩のテーマとつながっているので、刺激を受けたのだ。夢や無意識の表現ということではミロの作品は示唆的なものだった。その他ではパスキンの人物画がおもしろく、ジャコメッティの意外性のある彫刻作品にも出会えた。これらはポンピドーセンター所蔵作品なのだが、かつてパリで見た筈の作品も初めてのような気がして、まじまじと見ることになった。
 それにしても私は現代の美術作品のほとんどに、観念的なアイデアや仕掛けをまず意識する羽目になり、脳の中の出来事として納得してしまう傾向があり、これはやっぱり自分が美術の現場にわが身を置いてない故かと思ったりした。現代詩もそうだが、現代芸術が一般性を得ることの困難さは共通しているのだろう。直接的な身体性というものが追放されていって…、だが同時に、そこに別次元の興味を感じる自分もいるということなのだけど。

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2007年04月25日

「不思議動物園」

 4月20日、作曲家の堤政雄さんの「不思議動物園」というコンサートにいった。堤さんは現代音楽を中心に、歌曲やシャンソンなども、広いジャンルでの音楽活動を続けておられる。私は以前から、子どものためのミュージカル「海のサーカス」の台本や、シャンソン「かもめの島」「サビという馬」や、CD−ROM詩集「 うさぎじるしの夜」などでも、いっしょに楽しい仕事をさせていただいた。その日の会場はルーテル市谷センターで、静謐さと気品の漂う会場だった。
 当日は現代音楽の作品をいくつか聴くことができ、また歌曲では「ペッパーランド」誌に載せた私の詩『かぜひきみのむし』(堤政雄作曲)のようなユーモアあふれる曲のほか、おもしろい歌詞の曲などもいくつか演奏され、なかなか変化に富むコンサートだった。このコンサートのおかげで、私はとかく敬遠しがちだった現代音楽への関心を呼び覚まされた。またどこかユーモアあふれる堤さんのトークに会場からは、しばしば笑い声も起こった。
 彼は以前から妖怪という存在が好きだったようで、いくつもの曲が、時にザワザワした妖しい空気を孕んでいて、もしかしたら背中合わせで異界に触れていたのかもしれない。とにかく私はその日、音楽の力…としかいいようのないものを肌身に感じ、同時に友人である彼がそのようないい仕事をしておられることに、なんともいえない嬉しさと励ましを感じたのだった。

 ここに、ちらしにあった彼自身の紹介文を引用させていただく。
《ここ数年来、私は埼玉県奥武蔵の山里に住み、わずかばかりの畑で野菜を作りそして日々作曲にいそしむ生活を送っています。自然の静けさのなかでは、風のささやき、木の葉の調べ、鳥の歌声などと共に、けもの、妖怪など有形無形の気配が交錯します。それらは豊かなインスピレーションを私にもたらしてくれます。
 そのようにして生まれてくる作品の中から、今回は主にいわゆる現代音楽の技法、諧謔と異形のイメージそして叙情への回帰という三つの性格を持つ曲を選びお送りします。 》


                     
             かぜひきみのむし  詩:水野るり子、  曲:堤政雄


              みのむし みのきて ゆられていたら

              風にふかれて はなかぜひいて

              あまいあめだま なめたってさ


              みのむし みのきて 夢みていたら

              風にふかれて 小枝に 打たれ

              せなかほつれて すきまかぜ


              みのむし しぶしぶ みのぬぎすてて

              くぬぎ林を お散歩したら 

              はっ はっ はくしょん はっくしょん


              みのむし はやあし もどってみたら

              風にゆらゆら 一張羅のわが家

              おおきなおとこが 高いびき


 

 


 

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2007年03月20日

Fiddle-Faddle

 ペッパーランド同人の荒川みや子さんが、今度「Fiddle-Faddle」という個人誌を創刊された。小さくてお洒落な詩誌だ。すべて手づくり…印刷も装丁も。それを一冊づつこよりで綴じて、一枚の葉っぱがふわりと舞い降りてくるように届けられた。

 彼女はこれをとても楽しみながらつくったとのこと。ほんの数頁のかろやかな詩誌だが、荒川さんのながく暖めてきた大切な夢がやっと孵ったようだ。こよりを探すためだけでも、あちこち、街じゅうを歩き回ったのではないか。

 40部発行の「Fiddle-Faddle」。巻頭には彼女の詩一篇。頁をめくると、私の第一詩集「動物図鑑」についての評が書かれている。次号から私の仕事について、何回か連載してくださるとのこと。これは大変ありがたいことだ。 詩とは作者だけのものでなく、読者(評者)によって光を当てられることで、その意味もひろがるものであると実感する。

 こういう彼女の仕事で一番嬉しいのは、詩作品だけでなく、それが載っている場(詩誌全体)の隅々にまで、作者の歓びの気配が感じられること、そこからからだの声が響いてくることだ。

 「Fiddle-Faddle」とは、辞書でひくと、(ばかばかしいこと、とるにたりない些細なこと)という意味がある。こういう名づけ方も彼女らしい気がする。(FIDDLEはヴァイオリンのもう一つの呼称)

 数日前、発行を祝って、横浜の「カサ・デ・フジモリ」で一夜、スペインワインを飲みながら、彼女とあれこれ詩の話や、(とるにたりない些細な話)などを愉しんだ。久しぶりのスペイン料理もおいしくて、店の陽気な雰囲気や、一仕事を終えた彼女のリラックス度にも感染して、一夜の食事と会話を心から楽しんだ。
 

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2007年03月12日

はなを くんくんその他

昨夜、絵本「はなを くんくん」の結構ながい紹介を入れてエントリーする直前に、なぜかすべて一瞬に消されてしまうという事故がありました。で、今日はもう「はなを くんくん」について書くのはやめますが、これは今ごろの季節にぴったりの絵本ですね。冬篭りしていたクマたちや、カタツムリや、リスや,野ネズミたちが、みんなみんな、森でいっせいに目を覚まして,はなを くんくん!みんないっせいに駆け出して、さて彼らの鼻が嗅ぎ当てたのは何?全篇灰色の頁に、最後に天から落ちてきた一滴の光の精のようなもの!今年は暖冬だったのでかえってこの春の歓びは薄いかな…と思っていたら、このところ急に冬の嵐。うっかり冬篭りの穴から出たら大変ですね。用心、ご用心。

                              ※

今日は以前から見たかった映画「カモメ食堂」をやっと見ることができた。すぐ近くの館で上映してくれたので。小林聡美も好きな役者だし、もたいまさこの味がまたユニークで、フィンランドの澄んだ空気と、なによりその食堂のたたずまい。(ふと、吉田篤弘の「つむじ風食堂」を連想した。全然ちがうタイプだけど)。またムーミンの話もなつかしく…。そしてなによりあのおいしそうなコーヒーの匂いがしてきて、すぐにもあんなコーヒーを飲みたくなり、タクシーを拾って家に飛んで帰って、豆をひいて、下手なりにコーヒーを自分で淹れて、やっとくつろいだ次第。こういうお話はまさに地上数十センチのファンタジーですね。

投稿者 ruri : 21:20 | コメント (0)

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2007年03月06日

百合の芽

 鉢植えの三つの百合の芽が、昨日から今日にかけて、3本とも 地中からとつぜん顔をのぞかせた。確か中国のどこかのお寺の鬼百合の子孫だったと思う。去年、九州の日嘉まり子さんが送ってくださったむかごを鉢に埋めたものだ。去年は10センチくらい伸びたままで変化無く、どうしたのかなあ…と気になったが、冬にはすっかり地中に消えてしまった。今年も春になってやっとそれがよみがえってくれたので、どうなるか楽しみだ。
 この2,3日家の中の鉢植えのマダガスカル・ジャスミンも急速につるを伸ばし始めた。なんと光に敏感な植物たち!

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2007年01月14日

鏡の中の鏡

エストニアの作曲家アルヴォ・ペルトの「鏡の中の鏡」のCDをきく。
(ヴァイオリン)ギドン・クレーメル、(ピアノ)エレーナ・クレーメル。この曲をきくたびふしぎな宇宙に連れて行かれる。瞑想的になる。彼の演奏は静かで淡々としている。それなのにさまざまのイメージが目に浮かんでくる。ある人は暗い宇宙に星々が瞬きはじめ、それがまた一つずつ消えていく・・・、といっていた。わずか9分くらいの短い曲なのに、そのなかの異空間ははてしなく奥深い。

あるイメージ。水銀色の糸の上を一輪車にのって空へ遠ざかっていくひとりの天使。その後姿のなんと軽やかで、一人ぼっちなことか。雨が天使の羽根をしずかに規則的に打っている。

                         
   


          青い天使がいく
          青い天使がいく
          青い天使がいく


          だれかあの青い影を見た?

         
          夢の中で わたしは
          青い天使の車輪の音をきく
          夜を通り抜ける
          青い天使の呼吸をきく

          
          けれど 朝、天使は地上にいる
          天使は草を摘んでいる
          天使は荷を運んでいる
          通り過ぎることなどなく

          …いつか 千年もたったら
          人々は思うだろうか
          青い天使について
          青い天使が通り抜けた
          水銀色の日について
                         R・M

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2006年09月12日

チリの夕べ�

《チリの夕べ》について、その後、主催者側の唐澤秀子さんとメール交換をして、あのような生身の声での朗読や、語り、そして語り合いというものが、とても大事なのではないか…と話しあった。それもあまり大きな会でなく。私はあのくらいの小さめの会がいっそうよいと思う。来て下さった友人からも、また是非という声もあって、何か行為をし、それから返ってくるものと、相互に響きあいながら、人は少しずつ試行錯誤しつつ、足場を見出して進んでいくものだと思った。

当日のパンフレットにあった、ガブリエラ・ミストラルの詩を一篇、載せたい。富山妙子さんのリトグラフがこの詩に捧げられていた。

                   
                     バ  ラ
                                     ガブリエラ・ミストラル


                 バラの中心にある豊かさは
                 
                 あなたの心臓の豊かさ。

                 それを撒き散らしなさい バラのように、

                 あなたの悲しみは みな 絞めつけられている。


                 
                 それを歌のなかに 撒きちらしなさい

                 もしくは すさまじい愛のなかに。

                 バラを しまっておくんじゃありません、

                 炎で あなたを 焦がすでしょうに。

   

まるで天空から落下してきた音楽の一節のように鮮烈です。きっと訳もいいのですね。
    

                 
                
    

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2006年09月11日

チリの夕べ

久しぶりのエントリーです。今日は9月9日の《チリの夕べ》についてのご報告です。まとめるのが下手なので、次にその日のチラシの文を引用します。

            もうひとつの「9・11」を思う初秋の夕べ
            ーチリの「絵と詩と歌と本」に寄せてー


 「テロルの9月」……この悲劇はアメリカ〈米国)の独占物ではない。
 1973年9月11日、南米チリで軍事クーデターが起こった。1970年以来、3年間続いてきた、サルバドル・アジェンデを首班とする社会主義政権が倒されたのだ。首謀者はピノチェト将軍である.その凶暴さにおいて、ラテンアメリカでも類を見ない「治世」が始まった。虐殺,行方不明、拷問、レイプ、亡命……
数十万のチリ民衆が、それぞれの運命を強いられた。
 軍事クーデターと、その後の軍政を背後で支えたのは、もちろん、アメリカだった。その意味でも、この国には、「テロルの悲劇」を独り占めにする資格は、ない。
 チリ・クーデターから33年目の秋の一夜、たくさんの「9・11」を想い起こそう。
 このような人為的な悲劇のない世界は、どのように可能なのかを考えよう。
 チリについて、チリ(についての)「絵と詩と歌と本」です。

プログラム
お話「世界は、たくさんの『9・11』に満ちている」……太田昌国〈現代企画室)
「チリへの思い」富山妙子〈画家、火種工房)
「アリエル・ドルフマン著『ピノチェト将軍の信じがたく終わりなき裁判』を訳して」……宮下嶺夫
朗読「ビオレッタ・パラ著『人生よ、ありがとう』の一節から……水野るり子〈パラ詩集の翻訳者)

チリの歌手、ビオレッタ・パラ、ビクトル・ハラの歌を聴きます
チリの詩人、パブロ・ネルーダとガブリエラ・ミストラルに捧げて描いた、富山妙子のリトグラフを観て
いただきます。以上。
            
                ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
                     
  私はビオレッタパラの訳詩集からデシマ(十行詩)をいくつかと、彼女の歌「人生よ、ありがとう」の詩を朗読した。会は現代企画室の太田昌国さんたちの企画によって進行し、休憩時間にはチリのワインや手作りのおつまみなどがサービスされ、正面の壁際には富山妙子さんのパブロ・ネルーダに捧げられた版画が並べられ、りんどうの花々が置かれていた。
 会の内容は現代というこの出口を見失った暗い時代への批判と呼びかけに満ちた真摯なメッセージであった。そして会の雰囲気は和やかで親しみに溢れたものだった。富山さんの情熱溢れるスピーチは胸を打つものだった。特にこのような社会への抵抗運動やアピールの源には文学、美術、音楽などの芸術の力こそが必要なのだというその主張は、胸に刻まれている。

今日は9・11から5年目ということで、あのタワー崩壊の現場再現ドラマをTVで放送している。複雑な気持ちで見ている。アメリカでもその後のブッシュのテロ対策について、懐疑と批判が一般の市民から起こりはじめているという。

投稿者 ruri : 20:43 | コメント (0)

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2006年08月23日

山口への旅

8月19日から21日にかけて、11月の国民文化祭のための詩の選考を頼まれ、山口を訪れた。新幹線で4時間半かかる。おかげで行きと帰りにそれぞれ一冊ずつ新書版の本を読んでしまった。

山口市は私には初めての地でもあり、選考会の件もあり、やや緊張していたが、いまはなんとか無事に終えてほっとしている。それにしても作品を選ぶということは難しいことだ。選者個人の感性の幅の限界や、個性の差などをいやでも実感する羽目になる。高校生・一般の部では経験という素材の迫力と、詩としての完成度との間で悩むことになったり、小学生の部でもその年齢と作品内容のアンバランスなどということも考えざるを得ないケースも出てくる。

私は、他の選者の方々の作品に対する謙虚な姿勢に教えられることが多く、なかなかよい体験をしたと思っている。また詩という形でのみあらわせる経験を、こんなにも多くの人々が内面に抱えて一生懸命に生きていることはすごいことだと思う。それをコトバにしなければ、意識しないままにことなく、一生を終えてゆくこともできるのだが。コトバにすることと、コトバにしないこととは、その人にとって、人生をまったく別のものにしてしまうともいえそうだ。

山口では中原中也記念館が印象的だった。モダンな建築で、いま「青山二郎と中原中也」という特別企画展を開催中だった。貴重な手紙や写真などの資料を展示していて、時間をかけてゆっくり見ることができる。生原稿の魅力に今更のようにひきつけられる。

今度の会合で出会った、徳山の小野静枝さんは、「らくだ」という女性詩人たちの同人誌をもう30年も出し続けておられる方だ。二人でゆっくり食事をしながら、女性詩のことなど話し合うことができたのは、今回の旅の大きな収穫でもあった。

3日目には横浜から合流した絹川さんと、瑠璃光寺や雪舟の庭、サビエル大聖堂などをタクシーを頼んで回ってもらった。その日も、山口の空は青く、入道雲がわきたち、クマゼミが鳴き、ぎらぎらの真夏の一日だった。真っ青な空と雲を背景にした瑠璃光寺の五重塔のうつくしさや、うっそうとした木々の緑を吹き抜けてくる風の音が心地よかった。

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2006年07月30日

アパップのモーツアルト

先日紀尾井ホールにモーツアルトの曲を聴きにいく。クラリネット協奏曲とヴァイオリン協奏曲三番がメインのコンサートだった。クラリネットの演奏では、特に第二楽章のピアニッシモの音色の繊細な美しさに引き込まれうっとりしてしまった。
ヴァイオリン演奏はジル・アパップ(Gilles Apap)。1963年アルジェリア生まれのフランス人。今はカリフォルニア在住とのこと。即興の妙技と演出満載の演奏で人を驚かせるといわれるが、ほんとうにダイナミックな舞台演出には驚く。特に第三楽章のカデンツァは型破りで、口笛とうたで入り…つづいてコサックのダンス曲みたいなたのしげなメロディーやリズムが飛び出し、次々と変化しながら、延々10分以上もとどまるところを知らない。初めは唖然、次に俄然たのしくなり客席はみな固唾を呑んで聴き入るばかり。演奏スタイルも変わっていて、楽団の背後はもちろん、その間を通り抜け、一人ずつに目配せ?しているような感じ。

もちろん演奏はすばらしく、その華やかなきらめきのある響きは心を吸い寄せる。バイオリン協奏曲三番は私の一番好きな曲だが、このような音色で聴いたのははじめてかもしれない。きっと彼は音楽の精を自分のなかに住まわせているのだ。音楽のせまいジャンルの枠をこえ、さまざまな民族や風土を横断して風のように行き来できる自在な音楽への精神を育てているひとなのだ。モーツアルトもこれをどこかで聴いて大喜びしているだろうなあ…などと思った。

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2006年07月24日

国民文化祭

今年度の国民文化祭〈山口市主催)の現代詩部門の選考をすることになり、今日、山口から詩の原稿がどさっと届いた。これからたくさんの作品を読んでいくわけだけれど、とりあえず今日は小学校の部にざっと目を通した。大変だけど、読んでいくうちに、元気が出てくる。子どもたちの飛び跳ねるような生命感が伝わってくるのだ。それに子どもたちがどんなに家族の人間関係を軸にして生きているか、ひとりひとりの家族を、どんなにクローズアップさせて見つめているかが感じられて、なんだか嬉しくもなる。

逆に言えば家族というものが子どもたちに対してもつ意味が、一切の理屈ぬきに分かってしまった感じでもある。妹、弟、おばあちゃん、おじいちゃん、お父さん、お母さんたちが、それぞれの顔で、親しく登場しては、詩のテーマとなっている。これから中学生、さらに高校生と一般の部まで300篇近い作品を読むことになるけれど、それは私にとって、とてもすてきな体験をもらうことになりそうだ。
また書きたい、このことについて。

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2006年06月28日

ヨコハマメリー

見たい見たいと思っていた映画「ヨコハマメリー」を昨日やっと見ることができた。ようやっと映画館も空いてきている。映画を見るってほんとに気持ちの余裕が必要だ(少なくとも私の場合)。

私もメリーさんとは2、3回伊勢佐木町やJRのなかですれ違ったことがある。そのたび白昼夢を見ているような不思議な気分になった。松坂屋デパート、馬車道、伊勢佐木の通り。そこに重なるように占領下の、今はない根岸家の情景の再現。猥雑で活気に満ちた街頭の人々のかもし出す熱気。
そして一度だけきいたことのある永登元次郎さんの熱唱する「マイウェイ」には涙が滲む。今はその彼もメリーさんもいなくなってしまった街。最後のシーンで松坂屋の前を忙しげに歩くひとびとの間を幻のように過ぎていくメリーさんの姿は妖精のようで、悲しい。戦後から街娼として、年老いても街に立ち続けたメリーさん。忘れることのできない時代の証人である。それにしても年老いた彼女の素顔の凛とした美しさに驚く。あれは一体どういうことか。プライドを貫いたひとりの女性はあまりに寡黙だった。

やがてメリーさんも都市の伝説として語り継がれることになるだろう。無数の顔のないひとびとのシンボルとして。私たちはいまその伝説の生々しい息吹に触れているのだ。

多くのドラマを孕んだヨコハマという庶民の街。あらためてその懐の広い活力を感じる。私はたかだか20年ほどしか住んでいないけれど、居住者にとっても、横浜は日常と非日常の二重性を抱えた魅力ある街だ。

帰りに映画館の売店でサウンドトラック「伊勢佐木町ブルース]のCDを買う。

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2006年06月27日

列車に乗った男

パトリス・ル・コントの《列車に乗った男》をようやく見た。公開されたとき、というより新聞の予告で見たときから、ぜひ見ようと思いつつ、見そびれていた作品。

二人の孤独な男の、偶然の出会いからわずか3日間の短いふれあいと心の交流。会話が主体の静かな、むしろ地味な映画だが、見終わって、深いみどりの水面からゆらゆらと小石が沈んでいく…どこまでもその小石のゆくえを見ていたくなるような印象の切ない映画。あれはシューベルトの曲?。初老の一人暮らしの男の弾くピアノの音色が響く古い館、そこで男二人の交わす途切れがちだが味のある会話、朗読されるアラゴン?の詩の美しさ。互いにもうひとつの人生への夢を抱きながら、それぞれの運命を果たしにむかう二人の姿、(この辺はハラハラドキドキ)。そしてラストの、余韻を残す幻のような美しいシーン。生きる哀しみ。寡黙なロマンティシズム。ああ、やっぱりフランス映画はいいなあと思う。翳のあるジョニー・アリディと孤独で飄逸なジャン・ロシュフォールが引き立てあって魅力的。

ただ私は、始まりの10分ばかりを歯医者さんの予約でやむを得ず見逃したのが残念。映画は始まりがやっぱり大切。始まりの部分をちゃんと見なかったら最後のシーンが生きてくれない。もう一度はじめから見たい!どなたかこの映画を見た方がいらしたら感想を伺いたいなあ…と思う。映画も行為やモットーだけではなく、どうしようもなく生きている、ヒトの内面を描ける筈だ。

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2006年06月14日

『日本語で読むお経』をよむ

 昨日、たこぶね読書会で、八木幹夫さんを講師に招いて、ご自身の訳された『日本語で読むお経』についてのお話を伺った。お経の魅力をはじめ、この訳にあたってのご苦労、日本の言語表現に及ぼしたお経の影響なども。西脇順三郎や宮澤賢治の詩にもおよび、興味津々、よい刺激を受けた。それ以上に講師である八木さんの飾らない直接の体験談は話の内容に親しみを感じさせ、質問も多く、時間が足りないくらいだった。キリスト教、イスラム教、仏教との関わりや、比較なども話題にのぼり、これからの世界に仏教的な文化の役割が大きいのではという意見が多かった。学生時代にウルドゥー語を学ばれたという斉藤さんのお話もおもしろく、原始仏教の勉強を現在つづけている小山田さんなどもおられて、「宗教」的なるもののもつ裾野の広さを思った。

 二次会は中華街の均昌閣で。紹興酒などのみながら、話題がさらに広がり、笑い声とともに、変化に富んだ一日を終えた。

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2006年06月12日

『仏像のひみつ』はおもしろい

美術史の山本勉氏(現在清泉女子大学教授)による『仏像のひみつ』はとても興味深い一冊だった。いままでそれなりに多くの寺社や展覧会などで仏像を拝観する機会はあったが、このように分かりやすく仏像の種類やつくり方、その歴史について説明された本と出会ったのは初めてのことだ。これは私のような浅学者や初心者、若者、子どもたちにほんとに役に立つ啓蒙書であると感じ入った。

なかみをいえば、全部イラストつきで、漢字や専門用語が少なく、それだけでも読みやすく風通しのよい窓がひとつあいたような気がする。項目の(ひみつ その1ー仏像たちにもソシキがある)では如来、大日如来、菩薩その他のそれぞれのキャラクターの解説があり、(ひみつ その2ー仏像にもやわらかいのとカタイのがある)では、仏像の素材や造られ方がイラストによって具体的に語られている。(ひみつ その3ー仏像もやせたり太ったりする)では仏像を輪切りにしたとして、そのときの形が時代によってまるくなったり、楕円形になったり、またそのお姿もやせたりふとったりするのが、シルエットでくっきり示されている。(秘密その4ー仏像の中には何かがある)では仏像に魂を入れることについて、その内臓品のことなど。…というようにそれぞれ口語的な語り口での説明がある。
いままで彼方にあって拝んでいる対象だった仏様たちが、急に親しみやすく身近なものに思えるのは、こうした表現上のご苦労があったおかげと思いつつ、一般向けにこのような解説書が出たことは多分画期的なことだと思った。

山本氏は以前上野の博物館に勤務中、教育普及室長をしておられ、その折に「仏像のひみつ」という展覧会を企画された由。そのときの経験からこの本が生まれた経緯があとがきに記されている。

(解説の文章で意識したことは、できる限りテクニカルタームを使わないことです。初心者向けの仏像解説の多くは、テクニカルタームの解説ばかりに汲々として、読者に多くの用語を覚えることをなかば強制しています。……むつかしい漢字の多い専門用語はそれじたい一般の人を拒絶しているでしょう。それを極力排除しようとしたのです。たとえば、如来の髪の毛はパンチパーマ状の巻き毛であることを語るだけにして、それを指す「螺髪(らほつ)」という専門用語を紹介することはしませんでした。)以上は山本氏の言葉。

初心者たちや、一般の若者たち、そして子どもたちにとっても、これは入門の書としてとても役立つ一冊だと思う。このような風通しのよい文体の仏像解説書が生まれたことをご紹介します。

『仏像のひみつ』山本勉著 ( イラスト 川口澄子)朝日出版社  1400円

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2006年06月04日

H氏賞

昨日現代詩人会主催の日本の詩祭で、56回H氏賞の「パルナッソスへの旅」(相沢正一郎詩集)の紹介スピーチをした。盛会だったし、いい感じの会で、私も責任を終えて今日はちょっとした解放感。
相沢さんの詩集については、時間と記憶、想像力の働きなどをキイワードとして、私なりの読み方をしてみたが、この詩集は読み手にとってさまざまな受け止め方ができるのが、また魅力のひとつだと思う。
「詩学」の6月号にも解説を書かせていただいたので、読んでいただけると嬉しい。

バルコニーでは、今日もノカンゾウの花盛り、今、40いくつものオレンジ色の花がさわやかな風に揺れている。モーツアルトの喜遊曲を聴きながら、心を風にまかせている今日のひととき。

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2006年05月29日

ノカンゾウ

いまバルコニーはノカンゾウの花ざかりだ。(今日は28輪)。今日もオレンジ色のおおきな百合のかたちをした花がいっぱい風にゆれていて、まるで日光がバルコニー一面に降りてきたみたいだ。とても華やか。朝咲いて夕方に終わる一日花だが、つぎつぎと咲いてくれて、一輪の花をじっと見ているとその陰影に富んだ橙黄色の美しさにはそのたびうっとりと見とれてしまう。この花がワスレグサ(憂きことを忘れる)と呼ばれるのももっともだ。

ノカンゾウの鉢がいくつも並ぶその横のプランターでは、福岡の日嘉まり子さんからいただいたツタンカーメンの豌豆の種が今年も芽を出し、つるを伸ばし始めている。(ちょっと遅れたけれど)これはこれからの楽しみ。去年の風来坊のイソトマの花がこぼれ種から芽を出し薄紫の花弁をひらいている。

残念なのはいつか水橋晋さんにいただいたカリフォルニアポピーの花から採った種を、今年も蒔いてみたのにちっとも芽を出してくれないこと。いただいた年に咲き誇ったあのオレンジ色は目にやきついているのに。

室内では野放図に伸びたサボテンのてっぺんがまもなく天井に届く(あと1センチ!)ので、どうしたものやらと、お手上げ状態。

その同じ窓辺で、油本達夫さんに7年ばかり前にいただいた胡蝶蘭の花が今年も忘れず咲いてくれている。去年近所の花屋さんにもらったグロキシニアの鉢の大きな花と並んで。

花ばなは季節ごとにいろんな思い出を運んできてくれるようだ。

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2006年05月28日

相沢正一郎さんの会

昨日の午後、詩誌「ホテル」と「ヒポカンパス」の同人たちが集まって、今回H氏賞を受賞した相沢正一郎さんをお祝いする会を開いた。新宿のエルザというイタリアレストラン。こじんまりした感じのいい店だった。司会は根本明さんと岡島弘子さん。17名での気楽な楽しい会だった。みんなから相沢さんは謎の人と思われているらしく、ひとりひとりが彼に訊きたいことを質問するのだが、いろんな問いや答えが出てきて笑い声がよく起こった。詩集には台所が始終出てくるが、彼は料理の達人なのかとか。(かたわらの奥様がいい答えを出してくれました!秘密ですが)。野村喜和夫さんがずいぶんきわどい質問をしたり…。

私は彼が子ども時代に特に好きだった本や、さいきん面白かった本について質問。最近の本ではアゴタ・クリストフの『文盲』、また自分の子ども時代にではないが、その後子どものために読んであげたいろんな国の『民話』が心に残っているとのこと。

このように同人たちから親密な雰囲気で祝われる相沢さんは、いい仲間をもっておいでだなあ…と、いまさらのように感じる。「ホテル」はもう19年も続いている同人誌。そして私と岡島さんと受賞詩集の表紙の絵の井上直さんは「ヒポカンパス」の仲間で、これは2年間の長編詩同人誌なので、あと2号で終刊になる。

最後に出されたデザートのショートケーキを、水疱瘡で出席できなかったお嬢さんのためにと、大切そうに抱えて帰る相沢さんの姿が印象的。そして(彼はやっぱり謎の詩人だなあ…)と内なる声。

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2006年05月25日

西瓜糖の日々

はずかしいけど、いまごろリチャード・ブローティガンの「西瓜糖の日々」と出会っている。(もうおもしろくて、おもしろくて…)。頭の中が西瓜糖になりかけてます。
どうすごいといえないところがまたいい。もっと早く出会いたかった!もったいないので…というわけでもないけれど、少し読んではそこにしばらく浸っているのでなかなか進まない。
この前八木幹夫さんと会ったとき「あれ、いいですねえ」といったら、「いいでしょ、いいでしょ!」と。同じ本でこんなに意気投合してくれる人がいて、また楽しくなった。これだけでは一体どう面白いんだかわかりませんね。これは読んでみないと、とにかく。

今日買ってきた本。小森陽一著「村上春樹論」(海辺のカフカを精読する)、文学界5月号(ロシアの村上春樹)、言語6月号《ファンタジーの詩学》特集、その他一冊。

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2006年05月20日

昨日も今日も夕方ごろから天気急変。
出るときは傘など不要だったのに、帰り道はざあざあ降り。
それがまた昨日も今日も、友人との食事やお茶の帰り道…。
二日続けての相合傘の道行にふとおかしくなる。

おかげで今日は、東の空にすばらしく大きな二重の虹を見た。
夕方の6時頃に。
虹を見るとなぜか嬉しくなるのです。

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2006年05月10日

バルラハ展

上野の芸術大学大学美術館で「エルンスト・バルラハ展」を見る。バルラハ(1870〜1938)はドイツ表現主義の作家。彫刻の分野での表現主義は、日本に紹介されるのが非常に遅れていたとのこと。
最初雑誌のグラビアで見て、ぜひ行きたいと思い、「プラド展」を見た後でここを訪れたのだが、私にはむしろこちらの方がずっと印象的だった。芸術的感動を言葉にするのは難しいとあらためて思ってしまう。

バルラハは生涯を通じて「人間」を追求しつづけ、木彫、ブロンズ、版画、戯曲などを制作し、その力強くきっぱりと美しいフォルムには、生命の重さと内向する生の哀しみが一体化している。何回も会場へ引き返してゆっくりと見たいほどだった。だが時間がなかったので、後ろ髪を引かれながら、会場を後にしたのが心残りだ。

彼はナチから国家への非協力者として抑圧され、「頽廃芸術」の烙印を押されて、多くの作品が没収、廃棄され、失意のうちにその翌年死去したという。それがどんなに愚かな行為だったかを、これらの作品をみたあとで心底実感するばかり。なんて虚しい行為だろう。信じられない。

バルラハ展は5月28日まではこの会場で開かれています。

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2006年05月02日

ずれながら重なっていく時間

札幌の岩木誠一郎さんから絵葉書が届いた。(「愛虫たち」への私の便りへの返信として)。絵葉書は「支笏湖から望む残雪の樽前山」の風景だった。その写真を見てちょっと驚いた。もうかなり以前だが、ある夏の旅で支笏湖の近くに宿をとり、その翌日に出会ったそれは懐かしい風景だったので。その帰りに買ったクマのぬいぐるみを樽前山にちなんで「タルちゃん」と名づけたくらい、それは印象的な景色だった。そういえば岩木さんからは前にもサロベツ原野に咲く一面のエゾカンゾウの絵葉書をいただいたことがあり、カンゾウは私の特別好きな花なので、偶然の一致とはいえ嬉しくなって、これもいつも本棚に飾ってある。

岩木誠一郎さんの詩の移ろい行く微妙な時間の感触に、私はある懐かしさのこもった不思議な既視感を感じることがある。

                       出発


                明け方まで降りつづいた雨に
                洗い流された夢のつづきを
                歩きはじめているのだろうか
                いつもと同じ道を
                駅へと向かう足音も濡れて
                わずかにのぞく青空の
                痛みににも似た記憶のふるえ
                あふれてゆくもの
                こぼれてゆくもので
                街はしずかにしめっている

 
                このあたりで
                黒い犬を連れたひとと出会ったのは
                きのうのことだったろうか
                それとも先週のことか
                少しずつずれてゆく風景を
                何枚も重ね合わせて
                たどり着くことも
                通り過ぎることもできないまま
                わたしはわたしの居る場所から
                いつまでもはじまりつづけている

                
                ベルが鳴り
                自転車が追い越してゆく
                銀色の光がすべるように遠ざかり
                舗道の上に
                細いタイヤの跡だけが残る


この作品の2連目、(少しずつずれてゆく風景を/何枚も重ね合わせて/たどり着くことも/通り過ぎることもできないまま/わたしはわたしの居る場所から/いつまでもはじまりつづけている)という箇所がすっと心に入り込んでくる。自己同一的につながっていくようでありながら、実は少しずつずれてゆく、この時間という風景のグラデーション感覚は、とても現実的で共感できる。こうして人は流れてゆく時間の中から絶えずはじまりつづけてゆくのだと。そしてこのずれながら重なってゆく時間への敏感さこそが、自分の生に、独自の味わいと色合いを感じさせてくれるのではないか。(たどり着くことも、通り過ぎることもできないまま)人は日ごとに前へ生きつづける存在であるらしい。    

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2006年04月30日

ブログをごぶさたしていて、今日は久しぶりです。

このところの朝の楽しみは、NHKのBS放送月〜金朝7時半からの《毎日モーツアルト》を見ること。映像と年譜と音楽とでモーツアルトの年代記を追えるのが嬉しい。今は20台半ば位まできたが、(5月1日から一週間は初回からの5回分をリピートするそうです。今から見てもおそくはないというわけで。)彼も就職や失恋などで苦労ばかりしていたんだなあ…と思う。モーツアルトは子どものうちから年中旅ばかりをしていたらしいけれど、彼の(旅をしない人は哀れな人です。凡庸な才能の人間は旅をしまいとしようと常に凡庸なままですが、すぐれた才能の人は、いつも同じ場所にいれば駄目になります…)という言葉は印象的だ。たとえ凡庸であってもやっぱり旅はした方がいいと私は思うのだが。

それでというわけではないが、昨日,一昨日は京都と奈良をたずねた。京都で見た「大絵巻展」の《信貴山縁起》はとくにおもしろかった。僧命蓮(みょうれん)の呪文で、俵がたくさん列になって山を越え空を飛んでいくシーンなどアニメみたいで、その上物語もおもしろくて。また地獄草紙もすごかった。石臼で轢かれて粉々になる…舌は抜かれる…釜茹で、火あぶり…と。ユーモラスでもあるが、一種のおどしの文化のよう。もっとも別の形で今も私たちは始終おどされているし、似たような現象がはびこっているのでは。
そのほかにも鳥獣戯画や源氏物語絵巻など傑作のオンパレードだ。絵巻物は長編詩に似ていて、私にはちょっと参考になった。

翌日の奈良では大仏再建に尽くした僧、重源展を見て、春日大社神苑の万葉植物園を見た。みどりいろの桜の花を初めて見た。姫リンゴ、藤など新緑に映えて美しく、久しぶりに原稿から解放されて晴ればれした気分になる。

と、やっぱり凡庸な近況報告でした!

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2006年04月08日

ナショナル・ストーリー・プロジェクト

 原稿の合間を縫って毎晩寝る前の30分ばかり、佐藤真里子さんに拝借した『ナショナル・ストーリー・プロジェクト』(ポール・オースター編、柴田元幸訳)を読んでいた。これはポール・オースターがラジオを通じて、「物語を求めている。物語は事実でなければならず、短くないといけないが、内容やスタイルに関しては何ら制限はない。私が何より惹かれるのは、世界とはこういうものだという私たちの予想をくつがえす物語であり、私たちの家族の歴史のなか、私たちの心や体、私たちの魂のなかで働いている神秘にして知りがたいさまざまな力を明かしてくれる逸話なのです」と、アメリカ各地の聴取者に呼びかけて、その結果集まった多くの経験談から選んだアンソロジーです。

 「私たちにはみな内なる人生がある。自分を世界の一部と感じつつ、世界から追放されていると感じてもいる。だれもが生の炎をたぎらせている。そして自分のなかにあるものを伝えるには言葉が要る」と編者はいう。

 この本には、ラジオからの呼びかけ後一年間のうちに送られた4千通の投稿の中から選んだ179の物語が入っている。投稿者は、あらゆる階層、あらゆる年齢、あらゆる職業に属し,住処は都市、郊外、田舎とまちまちであり、それは42州の範囲に及ぶ。これはアメリカ人ひとりひとりのプライベートな世界に属する物語でありながら、そこには逃れがたい歴史の爪あとがしっかりと示されている。…大恐慌、第二次大戦、そしてベトナム戦争の影響、アメリカ人の人種差別の病etcが刻みこまれている。

 以上はほとんどポール・オースターのまえがきからの抜粋だが、私も読み終えて、「世界はなんて複雑だ。怖くて、不思議で…不可解で。そして人間とは、なんと測り知れない深い存在だろう。そしてこの世には見えない力が働いているのでは…、などと考えた。世界とはこういうものだという、私たちの思い込みを覆す物語、とはよく言ったものだと思った。これは貴重な、ほんとうに興味深い本でした。個人の物語を通して世界を感じるという経験。貸してくださった佐藤さん、有難う!やっぱり私も買おうかな…と今思っているところです。とくに「死」「戦争」「愛」の項目など、忘れがたい話が多かったです。
                                                    

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2006年04月02日

枝垂桜

昨日はお花見日和だったし、原稿の締め切りを一つクリアしたので、思い切って桜に会いに出かけた。それも雑用をいろいろ片付けてから、午後遅めに家を出た。
入生田の長興山紹太寺の枝垂桜がすばらしいときいたので、小田原で箱根登山電車にのりかえ、夕方4時頃にやっと現場にたどり着いた。 なにしろ思いも寄らない急な坂道を20分ばかりも登って、やっとお目当ての桜に会えたのだ。
さすがに樹齢330年といわれる枝垂桜の大木はすばらしかった。風もなく、まだ花びらひとつ散っていない。まわりに群れる人々の姿も小さく見える。夕日に近い光のなかで荘厳といえるほどの美しさ…。

帰りは下り坂なので、地元の出店で、5個百円!というおいしそうなミカンや、「桜ご飯の素」など買って、ふたたび入生田の駅へ向う。ところが大発見。この駅のホームの線路ぎわに、ちょうど満開の枝垂桜が一本立っていて、私の気持ちはむしろその美しさに吸い込まれてしまった。
ホームの柵ごしに手が届く近さ、私の目の高さに咲き誇る満開のしだれ桜のピンク。今まで出会ったどんな桜よりも魅力的で、美しく、夢見心地になる。これは現実じゃない…夢の中だと、しきりに自分に言い聞かせて、目の奥に深くしまいこんで帰ってきた。来年はきっとまたこの入生田駅まで来たい。この一本の枝垂桜を見に…と思いながら。初々しい「桜姫」に一目ぼれした私でした!

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2006年03月31日

相沢正一郎さんの詩から

今度H氏賞を受けることになった相沢正一郎さんの作品紹介を、韓国の詩誌「詩評」に書くことになって、相沢さんの詩集4冊をずっと読み直していた。この4冊の詩集には一貫して、日常の暮らしの細部に注がれるこの詩人の繊細なまなざしが感じられ、それを媒介としての「記憶」と「時間」への深い問いがあり、さまざまな古今東西の読書体験がユニークな形で、詩の中に生かされていて、本好きの私にとってはまたその意味でも興味深い作品が多かった。それらの詩は概して長めの散文詩が多いので(以前も一篇ここに引用させていただいたが)、今日は行分けの詩で、彼のやわらかな感性を素直に感じさせてくれる作品を第一詩集から挙げてみたい。私の好きな作品です。


                 ☆         ☆         ☆                

                   

  わたしはおぼえている
  かつてわたしがいたところ
  いつかみたあおぞら
  あめにぬれたき
  のきのしたのくものす
  こげたパンのにおい
  ゆうがたのみずのにおい
  あしのしたのすなのもこもこ
  おふろばのタイルのツルツル
  どしゃぶりのあとのとりはだ
  くさきのこきゅう 
  きしゃのきてき

                    
  わたしはおぼえている
  いまあなたがいるところ
  ひをたいたり
  おちちをすったり
  かげふみをしたり
  ひややっこをたべたり
  たまねぎをきってなみだをながしたり
  おなべをひっくりかえしてひめいをあげたりしたところ


  おかのうえのかねはまだなりますか
  ろっこつのうきでたしろいいぬがかなしみのようにただよっていた
  あのかわはまだながれていますか
  うらにわのきにことしもまたイチジクがみのったでしょうか
  かっしゃがあかさびている あのいどのみずはまだかれていませんか


          詩集 『リチャード・ブローティガンの台所』(4)より   

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2006年03月24日

ゴヤ展その他

昨日は鎌倉へ出かけた。絹川早苗さんとペッパーランド31号の編集をすませ、その後八木幹夫さんも加わって、近代美術館別館へ、ゴヤの版画展を見に行った。初めて上野でゴヤの黒い絵(レプリカだが)と、この版画シリーズを見たときの衝撃は大きかった。その後京都まで版画展の追っかけをやり、それからさらに10数年たって、やっとプラド美術館まで到着して、本物の黒い絵(わが子を食うサテュロス・砂に埋もれる犬、など)を見たときの感動と畏怖は忘れられない。

昨日の版画展の「戦争の惨禍」はあの頃より、今見た方がいっそう現実味があって、「こんな写真があったら発禁ものかも」とつぶやいた。ここまで人間の残忍と悲惨を痛烈にえぐり出し、風刺したゴヤという人の生き方をもう一度見極めたくなる。この一月に徳島の「大塚美術館」へ行ったのも、一つの目的はゴヤの「黒い絵」を見たいからだった。そしてこれもまた見事なレプリカにしばらく立ち尽くしたのだった。けれども本音を言えば、その迫力を受け止めるには相当タフな体力が必要だとさえ感じた。そのくらい凄かった。

人間の内に潜む悪を、ここまでたじろがずに描ききったゴヤの精神の背後には、宗教的な支柱があるに違いない、そこにも日本的な精神風土からはうかがい知れないものがあるのだろう、などと思いながら、三人で八幡宮の大銀杏の下を抜け、小町通を散策して、駅近くの秋本という和風の店で懐石風の飲み会。おいしいお酒と、おいしい魚と、愉しい話の飲み会であった。ゴヤのことは話さなかった。そして詩の話をかなりした。

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2006年03月18日

二人展

横浜詩人会の弓田弓子さんと坂多瑩子さんのお花と画の二人展を新杉田まで見にいった。とてもかわいくておしゃれなスペース。コーヒーもおいしかった。

坂多さん製作のお花は、あれはフラワーアレンジメントというのでしょうか。ファンタジックな小宇宙を想わせるオブジェたち。小さな椅子の上に、あけがたの夢の名残が花のかたちで残っていたり、そのかたわらに、やはり小さい詩がつぶやきのように置かれていたり…。

一方弓田さんの画の野菜たちは、ナスも玉ねぎもユーモアをにじませながら、結構まじめな表情を見せ、どこかで見かけた隣人のような親しみを感じた。花瓶や壷の絵も好きだった。その輪郭が大気と触れ合い、溶け合い、懐かしい存在感を持っていて。いいなあ…と思った。

それから弓田さんとしばらくビールを飲んで話をした。一度飲もうね!と言い合ってから、何年たったことだろう。それなのに思いがけない場面でこうして会って、親しく話し合うことができて嬉しかった。最近急逝された水橋晋さんのことや、女性詩の現在のことなど、かなりまじめに、話し合った。初めて二人で飲んだのに、以前からの友人のように親しく思えたのは不思議だ。

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2006年03月12日

ヒポカンパスの会のこと、詩ひとつ

暖かかった昨日の夜、渋谷の「月の蔵」で、ヒポカンパスの詩画展の打ち上げ会を開いた。ちょうど相沢正一郎さんのH氏賞受賞の発表の直後で、そのお祝いもかねて、和やかな楽しい会になった。協力していただいたオリジン アンド クエストの大杉さんも合流、画の井上直さんと共に、詩の世界に風を呼び込む話題も多くて、私にはその意味でもおもしろかった。会話のおもしろさがなければ食事会(飲み会)のほんとの楽しさはないとよく思う。
ところで打ち上げなどというともうこれで終わったような気になるが、詩誌のほうはまだ折り返したばかり。書くのがおそい私としては、まだまだ気をぬけないのです。

                             ※

今日は詩誌「六分儀」から、(これは2004年に出たものです)小柳玲子さんの詩をひとつ挙げさせていただく。小柳さん、縦のものを横にして恐縮です。

         木川さん

木川さんはもう死んでしまったので  訪ねていくわけにはいかない
木川さんは時々あの辺りにいるのだ 小さい段ボール箱を置いてこまごましたも
のを商っていることがある 木川さんが木川さんの詩の中に書いているとおりで
ある  これをください  私は影のような うさぎのような 幼いものをつまみあ
げたが 木川さんには私が誰だか分からないのだった 私はとてもあなたの近く
にいるのにあなたはとても遠くにいるらしかった  「あ F ?」とあなたはいった
Fはむしょうになつかしいものの総称だとあなたは書いていたが 私はそれでは
ない  私は……私はたぶんL……とかそんなものだ  かぎりなく清冽なもの
に向かって歩こうとしているもの  そうしてどんどんそこから遠くなってしまうも
の  そんな大多数の名前である  おいくら?私は木川さんに影のようなもの
の値段を聞いた 釣銭をもらう時 「わーこれ新札 樋口一葉だ はじめまして」
ととんきょうな声をだして 私は若い郵便局員を失笑させた

    

     ^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^         

追悼の詩をかくことは難しい。けれどそのひとの詩を知り、その人を愛し、心底その別れを惜しむ詩人のことばはいつまでも影を曳いて消えない。        


                              

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2006年03月05日

H氏賞詩集『パルナッソスへの旅』

長篇詩誌「ヒポカンパス」同人の相沢正一郎さんが詩集「パルナッソスへの旅」でH氏賞を受賞された。とても嬉しい。以前からの詩友であり、また同人でもある彼の受賞を喜ぶのはもちろんだが、日常を想像力によって異化し深める手法、日常の枠を自在にこえて、(今、ここ)の時間とそれを超える時間、あるいは宇宙的な時間とを交錯させ、こだまさせ合い、時の孕む多層性を呼び込むこと。そこから得られる自由感。また本好きにとってはちょっとたまらない魅力もある、モチーフの扱い方など、私は以前からのファンでもあったので。
これは「失われた時を求めて」の現代詩版のように読み手を時の鎖から解き放つ力をもつ。
またこの詩集の表紙は同じ「ヒポカンパス」の同人である井上直さんの画であり、それも作品の雰囲気とよく調和していて魅力的だ。

それでは比較的短い詩を以下に引用させていただく。

             
         (ステゴサウルス、アパトサウルス、ティラノサウルス……)

         

         台所の水道の栓をきつく閉めても、蛇口から水がしたたり落
        ちる。 もう何度か、パッキンを取り替えたのだが。 ちょっと疲
        れているとき、蛇口の先の水滴が徐々にふくらんでは落ちてい
        く、といった繰り返しがいやに気になったりする。 点滴が、子
        守歌をうたうこともある。 なにか言葉をもつときもある。 なん
        となく水の囁きに耳をすましていると、父の声が聞こえてきた。
        ……ステゴサウルス、 アパトサウルス、 ティラノサウルス、
        トリケラトプス、 ディノニクス、 プラテノドン。  ーー恐竜って
        いってね、大きな大きな生きものなんだ。 もう地球上にはいな
        いんだけどね。 声のあと、ある情景がよみがえってくるーーだ
        だっぴろい倉庫みたいなところに、父とわたしが手をつないで
        立っている。ー−それが、いつのころの記憶なのかわからない。
        あたりには、誰もいない 。見上げると、大きな骨の林。
         磨かれた床をふむ、父とわたしのあしおとがひびく。 父はわ
        たしに、六五〇〇万年前の地球でいちばん背のたかい恐竜、ブ
        ラキオサウルスの話をした。 葉っぱを切りとって巣にはこびキ
        ノコを育てるアリの農民、ハキリアリの話をした。銀河のまん
        なかで星を食べてだんだん大きくなる、ブラックホールの話を
        した。
        博物館を出ると、 世界は洗ったばかりのコップみたいに悲し
        くて, 明るかった。   

 

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2006年02月28日

松井やより全仕事展

雨の日曜日、高田馬場まで、「松井やより全仕事」展を見に行った。当日は、松井やよりさんと生前親しかった高橋茅香子さんの詳しい解説やお話があったのもよかった。

松井さんは2002年の12月末にがんで亡くなられたのだが、がんの発見から死までのわずか2ヶ月半の間に、どのように後進の方々に自らの仕事を引き渡していったか、また彼女の志であった「女たちの戦争と平和資料館」建設への夢を引き継いでいったか、その経過と、彼女の壮絶な病との闘いなどを如実にヴィデオによって見ることができた。それはなかなか言葉にはできない感動を残してくれた。

館に集められた資料や、生前の彼女の仕事の足跡、記事、著書のすべて、さらに子ども時代の写真や絵、山手教会の牧師さんであったご両親の写真、同志であった富山妙子さんの絵の展示もあり、丹念な充実した展示ぶりだった。そこには女性たちの強い共感と連帯の成果があった。

「若い記者たちへー松井やよりの遺言」という,有志記者の会篇の本に(アジアの人々を訪ね歩き、貧困、性差別、戦争犯罪、少数民族、環境問題を追い続けたひとりの女性記者の壮絶な人生)と書かれている。ほとんど私と同時代に、朝日新聞社の草分け的女性記者として出発し、この男社会の本流のなかを、「世の中を変えたい」という若い日の気持ちをもって泳ぎぬき、発言し続け、志半ばで倒れた一人の女性がいた。その果敢な生き方の映像を見ることは、時代の酷薄さを再認識させられると同時に、人はこのようにもすばらしい生き方ができる存在だったと励まされるものだった。

松井さんの言葉に「私が最後に言いたいのは、人間は何のために生きているのかということを考えるときに、出世するとか、しないとか、そんなことはどうでもいいことですよね。……人生は、何のために生きているかってことを考えながら取材するときには、非常に細かいことに気を遣う必要はないんじゃないか、勇気をもってできるんじゃないかなと思います」というのがあって、彼女の繊細な感受性と生きる力を自ら奮い立たせるための勇気が伝わってくる。

「松井やより全仕事展」は4月23日まで高田馬場の「女たちの戦争と平和資料館」(wam)で開かれています。TEL 03−3202−4634

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2006年02月23日

お通夜

水橋晋さんのお通夜に行ってきた。地下鉄の港南中央駅の近く。
ひとはなんて静かにいなくなってしまうことか…。少し遠いので表情のよく見えない彼の写真に向って手を合わせ、お焼香をする。音もなくそっとドアをあけ、見えないお隣の部屋にひとりきりで行ってしまった感じだ。まだほんとうとは思えない。

横浜詩人会の仲間たち何人かと会ったが、だれも彼の旅立ちの詳細な様子を知らない。私は去年8月に伊勢佐木町で会って、彼から古い貴重なワインを2本プレゼントされた。それが最後だった。あれからもう半年以上たっている。ワインの1本はエルミタージュだった。ワインについてはいろいろあるが、それはまたいつかにしよう。

今日はお通夜の後、上大岡に流れて、かつて弓田弓子さんが水橋さんとご一緒したという地ビールのおいしい店に寄り、何人かで飲んだ。「モンゴル馬の馬刺し」というのを初めて味わった。馬頭琴のことを思い出した。魂ならモンゴルの草原を一気に飛ベルだろうなあ…と変なことを考えた。

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2006年02月19日

クレー展とモーツアルト

大丸ミュージアムでクレー展を見た。スイスのベルンに「パウル・クレー・センター」が開設されたその記念展とのこと。会場では簡潔な線のドローイングを多く見ることができた。しかし晩年の天使のシリーズに至るまでの各時期の色彩感を伝える作品も数々あって、見ごたえがあった。好きなクレーを見に、いつかはベルンへ行ってみたいとは思っていたが、去年クレー・センターが開設されたと知り嬉しく思った。
クレーの言葉に(描くとは、見えるものを描くことでなく、見えないものを見えるようにすることだ)という意味のことが書かれていて、それはもちろん詩にも通じることで、ほんとうにそうだとあらためて共感する。
また表現は違うけれども、(私は死者たちや、まだこの世にやってこないものたちのために描く)というような彼の言葉を読んだことがある。これは忘れられないものの一つだ。

この言葉はモーツアルトの音楽にも通じる気がする。今年はモーツアルト生誕250年祭で、毎日テレビやFMでモーツアルトを聴けるのも嬉しい。クレーもまた特にモーツアルトが好きで、よく演奏していたと知る。

話がだんだんずれるが、今までにモーツアルトの好きな曲はいろいろあったが、去年から今年にかけては、一番多く聴いたのが、ある理由もあって、KV136のディヴェルティメントだった。そしてそのたびにさまざまな幸福感をもらった。

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2006年02月13日

つむじ風食堂的

今日は久しぶりに春めいた一日だった。
用事があって近くの元町商店街まで出かけた。ユニオンというちょっとおしゃれなスーパーに立ち寄ると、明日のバレンタインデーのチョコレートが山積み。どれもおいしそうに見えてつい買ってしまう。
お昼がまだだったので、二階の窓際のカフェで、コーヒーとサンドイッチのランチを取る。
元町をゆく散歩の人びとや買い物びとを見下ろしながらのひとりのコーヒータイム。ところがなんと今日のコーヒーはまた格別に美味しくて、コーヒーを淹れるマスターもなんだかあの、吉田篤弘の「つむじ風食堂の夜」の食堂のマスターみたいな雰囲気なのだ。(ほとんど気のせい…!)。それにしてもこのコーヒーの味だけで今日は結構しあわせなのだから。(単純!) それに大好きな本が一冊でもあるということのメリットって、こういうところにも転がっているんだと自己満足。なにしろコーヒー一杯の味にもプラスαの余分な楽しみがみつかる。

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2006年02月09日

フィボナッチ・ドラゴン

昨日,画廊ASKで日詰明男展を見た。フィボナッチの龍と名づけられた光のインスタレーション。ちみつな論理的構成によって現出した天文学的時間に、われ知らずまぎれ込んでしまったようなふしぎな経験をする。その後銀座のあかるい通りを歩いていても、それは網膜にやきついたままで、中空に光る青いらせんのイメージは消えない。見たというより、ある別宇宙に明滅する星の間を通過してきた感じ。音楽と数学と光と建築の概念から生まれた現代の空間感覚が具象となったような印象的個展だった。

その後、新橋の画廊で宮崎次郎展を見る。2回目だが、こちらは赤の色が魅惑的なファンタジックな画の世界。ハーメルンの笛吹きがさまよっているヨーロッパ中世の街にさまよいこむ感じだ。宮崎さんがいつか大人のための絵本を描いてくれたら嬉しいのに、と思ったりする。

帰りに一緒だった絹川さんと新橋駅の前の小川軒でコーヒーをのみ、詩の話などする。久しぶりに春めいた陽気の一日だった。

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2006年02月04日

立春に

今日は立春。そう聞くだけでなんとなく嬉しくなる。昨日の節分の豆が窓際や机の上に残っていたので(と、いってもマンションなので,撒いたわけでなく、置いただけなのだが)、それをぽりぽりかじりながら、日差しのなかにいると、ああ、春がきた!と思いたくなる。
ところが外は、この冬一番の寒風で、西には雪をかぶった富士山がくっきりと浮かび上がっている。

この冬は、窓やガラス戸の結露が特別すごく、毎朝タオルで拭いてまわるのが一仕事だった。ひどいときはまるでガラスの面を川みたいに水が流れ落ちてくるのだから。

その寒さもあってか、20年近く育ててきた鉢植えのベンジャミンがこの冬に枯れはじめ、目下それが心配の種だ。去年の秋おそく植え替えをして、その後バルコニーに置きっぱなしで、強風にあおられていたのも悪かったのかもしれない。屋内に入れてから、上のほうからはらはらと葉を落としはじめ、今はどんどん下の方へと移ってきている。心配なので、ネット上で調べたら、結構似たような経験者の声が多く、とても参考になった。うまくいけば春には挽回することもあるというのだ。これはこのマンションへの引越し記念に亡き母が送ってくれたものなのだ。去年もおととしもいっぱい花をつけてくれた元気だったベンジャミンよ、何とか息を吹き返してね!と祈る日々だ。

そういえばこの冬の寒さで、もう一つ、ずっとバルコニーで元気にしていた「双子のかんきつ類」の一本が枯れてしまった。これは何年か前に有名になった、かのシューメーカー・レヴィー彗星にちなんで、その名をもらった鉢植えの2本だった。いまはシューメーカーの方だけが1本さびしげに風に吹かれている。

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2006年02月03日

かいつぶりの家

川野圭子さんの詩集『かいつぶりの家』は、はっきりいって薄気味の悪い詩集だ。生きていることの根本にある非合理(生きることの不条理さ)が、身体の生理に密着して滲み出てくるように感じられる、その感覚が否応なくこちらにも伝わってきて…、しかしそれゆえにまた生の手ごたえがびしびしと響いてくる。私などどちらかといえば、及び腰になる感じなのだが、ある意味で忘れがたい作品集だった。

よく、夢の中で得体の知れないものにまつわりつかれて、払い落とそうとすればするほど、いっそうぬかるみにはまるような経験があるが、その感じを実によく表している。また自分自身もそのなかで、結構一役演じていたりするのだ。つまりそれはこの現実の一面そのものでもあるのだろう。

生きているということは、わが身体をもその一部として乗っ取っている「何ものか」の勝手な(理不尽な)営みに支配されていることだ…と、あらためて感じる。

次に挙げるのはちょっとスタンスの違うものだが、これも私が日常よく感じる違和感や不都合さの微妙な感覚を巧みに捉えていると思い、私の好きな一篇である。大男とひな菊、その対象化が象徴的で印象に強く残っている。


                ひな菊

            苦しいのです 僕は
           と大男はうつむいたまま
           くぐもり声でつぶやいた

            
            大きなものの存在を
            考えてみたことはないのですか
           とわたしは聞いた


           足もとに ひな菊の花が
           大きいの 小さいの 中くらいのと
           それぞれの集団を作って
           咲いていた


           大男は
           それらを踏まないように歩いた
           頭がめっぽう高い所にあるので
           至難の技に見えたけれど
           大男はとても注意深く進んだ


            その調子でね
           と霧の中を
           遠ざかっていく大男の背中に
           わたしは声をかけた

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2006年01月31日

詩画展と朗読の会

ヒポカンパスのASKでの詩画展と朗読会が28日に終わった。
28日には寒い中多くの方々が来てくださって、なかなかいい会になって嬉しかった。とてもいい朗読会で気持ちよく楽しめたという反響を周辺の方々からも、たくさんいただいた。それも当日の進行やセッティングなどに関しての画廊ASKからのご協力や、ゲストの方たちの朗読、ROSSAの演奏、何よりも来て下さったお客さんのいい雰囲気などのおかげなのだ。が、そのほかに井上直さんの画の醸し出す澄んだ宇宙的な呼気のようなものが会場に作用していたのではないか。私にとってもそれは後味のよいイベントであった。あらためて皆様に感謝します!

ところで「ヒポカンパス」もあと3号分残っている。またいろいろな工夫をして書き続けなければと思う。

                             д


昨日はお天気がよくて、横浜美術館でやっている長谷川 潔展を見にいった。何年か前京都で見たときのことを思い出し、春のような空気をたっぷり味わいながら、その日はかなり閑静?な館を訪ねた。

彼の版画は初期の木版から晩年のマニエールノワールによるどの作品も魅力的だ。が、昨日はとくにドライポイントの手法で描かれた繊細な線をもついくつかの作品に見入ってしまった。
たとえば「夢」という画。夢幻的な水の感触になじみ、半ば溶けていくようなもろさを感じさせる女の肌。水中の静物や魚たちとの不思議な親和性をもつそのたたずまいなど。
また今回は、前に見たときに気づかなかったが、ある一枚の絵の中に「砂漠の薔薇」(鉱石の一種)が描き込まれているのを発見した。(この前詩誌ペッパーランドで石の特集をしたとき、私はその「砂漠の薔薇」を素材にしてミニストーリーを書いたのだ)。 その「砂漠の薔薇」の実物も、彼の描いたフィンランド民話のキツネの人形などといっしょに、ひっそりガラスケースにおさめられている。彼が描き続けたジャイアントタンポポとか、もろもろの種草とか、一枚の葉っぱとか、アネモネの花とか、じっと見ていると、この地上から、どんなに丹念に、そして集中して、彼が小さな美の表象を拾い集めてくれたかが感じられて、見ているだけで幸福感を得ることができる。身辺の小さなものたちがくれる幸せに、もっとセンシティブであること。

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2006年01月26日

「漂流する恒星」展とヒポカンパス

1月23日(月)から28日(土)まで、京橋の画廊ASK?で、ヒポカンパス詩画展を開いている。《ヒポカンパス》は私も属している長編詩の同人誌で、詩の岡島弘子、相沢正一郎、画の井上直さんなどと一緒に、4人で、去年から今年までの予定で発行している雑誌。また、今回の詩とWEB展にはCyber Poetry Magazine の大杉利治さんも特別に参加して作品を発表している。

私はオープンの日に訪れた。井上直さんの連作《漂流する恒星》の画面には、現代を生きる人間の静謐な孤独と不安が感じられ、それとともに、この時空の内部にみなぎる言葉以前の宇宙的な音楽がきこえてくる気がする。寡黙で透明な、その青の空気が画廊のスペースを特別なものにしていて、私の友人たちの何人もが、彼女の画に引き込まれたとのことだ。

28日(土)2時〜4時には会場で詩の朗読会を行う。同人以外に、ゲストとして新井豊美、荒川みや子、海埜今日子、徳弘康代, 野村喜和夫諸氏の朗読があり、それからROSSAの演奏も聴くことができる。

当日が(晴れ)だといいのだが。

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2006年01月20日

日本語で読むお経

ペッパーランドの同人の八木幹夫さんが「日本語で読むお経」仏典詩抄という本を出版された。
風邪の治りぎわでもあり、タイミングがよくて、これもベッドの上で申し訳ないが、早速読ませていただく。
やさしい表現だが内容は結構やさしくはない。しかしお葬式でなじんだ数々のお経をルビを振られた原文を追って、声に出して読んでみると、あまりにすらすらとつかえずに読めるのでびっくりする。もちろん上部には日本語の詩的な訳文がついているので意味を見ながら読めるわけで、これはなかなかよい。無人島に一冊もっていくならどんな本?などというアンケートがあるが、これは候補の一冊かなと思う。
般若心経、観音経、法華経など13の代表的なお経が載っているなかで、最初心にとまったのは、「法華経方便品(ほけきょうほうべんほん)のおわりに書かれている次のような一文だった。
(これは訳者の解釈による文であると註にある)

野の花にたとえていえば、こうです。
今、光をあびて野に花が咲き乱れています。しかし秋が来て冬が近づけば、花々はたちまち枯れ、かつての生命に溢れた世界は一変します。緑の野は色を変え、花の姿はどこにも見当たりません。でも大地の枯れ草の陰にはおびただしい草花の種子が隠されています。夏の間、光や風や雨や虫や鳥が草花にかかわっていたからです。やがてふたたび春が巡り、天の法雨と光を受けて種は芽を吹き、大地の養分を吸収して見事な花を咲かせます。このように花は一度はこの世から消えたように見えても果てしない宇宙の因縁の輪の中で滅びることがないのです。これをそのまま、あるがままに受け入れること、それを諸法実相というのです。

これは八木さんがつけた解説文だと思う。私はこれを読んで偶然最近よんだばかりの、町田純の「草原の祝祭」のことを思った。ネコのヤンが草原のなかに立つ一本の樅の木のてっぺんに星の飾りをつけに行く透明感のあるファンタジー。私はそこに秘められたすべての生命への愛と祈りと、過ぎ去る時への哀しみに打たれるのだが。そのなかにパステルナークの「冬の祝祭」からの引用による次の一節がある。

    未来では足りない
    古いもの 新しいものでは足りない
    永遠が 草原の真ん中で
    聖なる樅の木にならなくてはならない

原詩では「永遠が 部屋の真ん中で」となっているが、ここでは草原の真ん中で、に変えられている。それはヤンが永遠を星のかたちにして、幼い樅の木に飾りつけるというお話だからだ。
永遠とは何か。と考えていたらそれは「法華経」のなかの(あらゆる存在は空なるものです。生じたり滅びたりするように見えても,生じもしなければ滅びもしないものです。)以下に通じるものと思えた。いつも「今というこの一瞬」を信じるというネコのヤン。彼に「空」と「永遠」のことを話したらヤンはなんと答えるだろうか。今日のところ私はこんな理解で結構満足しているのだが。

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2006年01月15日

マーク・ストランド

 このところずっと風邪を引いていて、さっぱりよくならない。といっても少しずつは、ましになっているのかもしれないが。そんなわけで大事な会合にも二回続けて欠席してしまうことになって残念だ。明日は隔月のファンタジーの会で、町田純の「草原の祝祭」を読むことになっているのに。私はもう何回か読んだのだが、読むたびにやっぱり魅力ある作品だと思う。作者は自身の世界観や思念を、詩のかたちであらわしたかったのだろうか。決して意味に要約しきれないから、逆に心に残るように思う。
宇宙の星々や月を小さな帽子に入れて、草原の樅の木に吊るしにいくネコのヤン、著者の想念が風のように草原を流れつづけ、それは、人生の時間と似ている。読後もしばらく私はヤンと一緒に日々を過ごしていた。
 
                            ж

 さて、ベッドの上で昨日マーク・ストランドの「犬の人生」(村上春樹訳)を読んだ。一部だけれど。
訳者あとがきで引用されている彼の詩が印象に刻まれているので、その短い詩を記しておきたくなった。マーク・ストランドは1934年カナダのプリンス・エドワード島に生まれた詩人(作家)で、1990年には(合衆国桂冠詩人)の称号を受けている由。


  物事を崩さぬために(村上春樹訳)        Keeping Things Whole
                                 

野原の中で                        In a field
僕のぶんだけ                       I am the absence
野原が欠けている。                   of field.
いつだって                         This is
そうなんだ。                        always the case
どこにいても                        Wherever I am
僕はその欠けた部分。                  I am what is missing.


歩いていると                        When I walk
僕は空気を分かつのだけれど              I part the air
いつも決まって                      and always
空気がさっと動いて                    the air moves in
僕がそれまでいた空間を                to fill the spaces
塞いでいく。                        where my body’s been.


僕らはみんな動くための                 We all have reasons
理由をもっているけど                   for moving. 
僕が動くのは                       I move                      
物事を崩さぬため。                    to keep things whole.


この詩を読んだとき、このように自分の存在感を消去法?で捉えていく感覚が驚きだった。まだ子どもだった頃自分の死をそのように感じたことはあったけれども。そしてまたこのように世界から退いていく感じが私には新鮮だった。

もう一つ。

                     死者

              墓穴はより深くなっていく。
              夜ごとに死者たちはより死んでいく。
             
              楡の木の下で、落ち葉の雨の下で
              墓穴はより深くなっていく。

              風の暗黒のひだが
              大地を覆う。夜は冷たい。

              枯れ葉は石に吹き寄せられる。
              夜ごとに死者たちはより死んでいく。

              星もない暗黒は彼らを抱きしめる。
              彼らの顔は薄れていく。

              僕らは彼らを、はっきりと
              思い出せない。もう二度と。

                

                      

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2006年01月09日

鳴門への旅

初めて鳴門のうず潮を見た。イメージのなかで、とても大きな渦を想い浮かべていったのだが、実際は小さいうず潮がいくつもいくつも観潮船の周囲に次々現れるのだった。よく写真で見る直径20メートルもあるような大渦は春や秋の大潮のときに見られるという。けれど自然の造形のすごさとよくいうけれども、ほんとに千変万化する海の表情はスリルいっぱいで見飽きない。
ちょっとうず潮について勉強してみると、「満潮時、幅1,3キロの鳴門海峡へと、太平洋から流れ込む潮流は、その海峡の狭さゆえに淡路島の南の紀伊水道で二つに分岐して、片一方は鳴門海峡の南側へ直接流れ込み、もう一方は大阪湾、明石海峡を経て淡路島を一周し、鳴門海峡の北側に到達する。その間約6時間かかる。その頃南側の方は干潮をむかえるため、海面に1〜2メートルの落差が生じる。その後また6時間たつと潮位が逆転し、ふたたび逆の落差ができる。これが日に4回繰り返されるため、その干満差によって世界にも類を見ない巨大な渦が見られる」とのことだ。
私は一日目は船で、2日目は橋の上から、このうず潮をみたけれども、2日目はあまりの強風のせいか、ほとんど渦らしい渦は見られなかった。いろんな自然の条件によっても左右されるのだろう。
それにしても鳴門海峡はほんとに風光明媚というのにふさわしく、わずか30分の船旅だったが寒風さえも爽快に思える今年の初旅だった。

以前エドガー・アラン・ポーの「メールストロムの渦巻き」を読みながら、それこそ胸の動悸がおさまらない感じがしたのだが、帰ってからもう一回読んでみたくなった。

帰りに大塚国際美術館で、古代から現代に至る西洋美術の傑作の、陶板による焼付けのレプリカをいろいろ見た。とりわけ古代の部屋で見た、デュオニソス入信を表現する「秘儀の図」やエトルリア様式といわれる「鳥占い師の墓」の壁面の図が特に印象的だった。でももっとも心に残るのはゴヤの黒い絵の一室だった。「わが子を食らうサテュロス」はプラド美術館で見たゴヤをまざまざと思い出させてくれ、しばし動けず立ち尽くしてしまった。ここも巨大なエネルギーを感じさせるスケールの大きな美術館でした!

四国徳島への旅でもっとも強く感じたことは、あたたかみのある豊かな風土性で、味でいえば、ホテルで味わった鳴門鯛のさしみ、鳴門若布のやわらかなみどり。鳴門金時のみずみずしい赤い皮のいろ。スダチの香り。目の前の畑で作られると言うラッキョウの鯛味噌漬けなどなど。なぜか気持まで豊かにしてくれた今度の小旅行でした。

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2006年01月04日

沼地のある森を抜けて

 さしあたっていま一番やりたいことで、我慢していることは何か…それも実現可能なことで…と、考えてみたら、何のことはない好きな本を夢中で読みふける時間が欲しいということだった。なにしろ買ったままで、積読状態の本が何冊あることやら、というわけで、やっとお正月の2日にちょっとだけだが、その欲求不満を解消することにした。雑事をすべて放り出して、このところ横目に見ていた一冊をとりあげて読んだのだ。それがとってもおもしろくて、だからこそ読みふけることができたともいえるのだが。
 梨木香歩著「沼地のある森を抜けて」がその本だ。どう説明したらいいか困るのだが、ぬかどこというどこにもある身近な素材から、ファンタジックでSF的な手法を駆使して、植物と動物のあわいにある粘菌や麹菌などの生殖形態に光をあてつつ、新しい生命様式への地平を探っていくこの作家の思想を肌身に感じつつ、一気に読んでしまった。原初の宇宙にただ一個浮かぶ細胞の見る切ない夢、そのすさまじい孤独に発する「自分の遺伝子を残したい」という人間の、特に男の欲求…などという詩的なイメージがあらわれてきたりする。ちょっと薄気味悪いところもあるが、この作家のいままで読んだ作品の中で私にとっては一番力作かつ問題作だった。一読をお薦めしたい作品だ。

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2005年12月30日

擬人法

しばらくブログにご無沙汰しているうちに、もう今年も余すところ一日になってしまった。
先日、中上哲夫さんなどに誘われ野毛での忘年会に参加した。5人でおいしい焼き鳥をたくさん食べ、詩の話などをたくさんした。帰ってくると、さあ詩を書くぞ!という気になったから、きっとおもしろい会だったのだ。来年にこの気持ちがつづくと、いうことはないのだが。
中上さんは、そのときも一緒だった淵上熊太郎さんと二人で季刊「電話ボックス」という詩誌(紙)を出している。一枚の紙の裏表に二人の作品が載っているだけなので気軽に手にして読めるのがいい。ユニークでしゃれた試みだと思っている。今日はその6号から、私の好きな一篇を挙げてみたい。
 
                       擬人法               中上哲夫

                
              真夜中のドアの向こう側に
              立ち枯れの木のように立っていたきみが
              いきなりケージを突き出したのだった
              台所のテーブルの上の
              砂の詰まったケージをながめているうちに
              わたしは忽然と悟った
              きみが遠くに旅立ったことを。
              砂の上のちいさな足跡と
              食べ散らかした向日葵の種たち
              昼間砂のなかにもぐっていて
              夜間歩きまわる砂色の生きものよ
              時代遅れの技法だなんていうひともいるけれど
              わたしが好きなロバート・ブライが好きな
              擬人法が好きさ
              深夜台所から寝室までフローリングの床を這って
                やってくる声たち
              …死にたかったわけではない
              …だけど死なないわけにはいかなかったのだ


ふしぎで、ちょっと不可解なところがある…のに、というかそれだからこそ、一読気持ちをつかまれてしまった。こういう詩はなかなか書けない。ある人が中上さんはノンフィクションをフィクション化してしまう詩人だ…といったが、現実をこのように異化できるのは、技術というよりも、固有の感性としか思えない。したがって、こればかりは習うことのできない領域かもしれない。

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2005年12月23日

シンシア

                      シンシアとジョン 

しばらくぶりにこのブログを開ける。その間締め切りだの雑用だのに追われて、寒い冬の味をあじわう?ひまもなくて残念だった。
 一昨日、シアトルからシンシアと彼女のパートナーのジョン、それからジョンの娘のアリックスが来日。会食する。シンシアは前にも書いたが、ワシントン大学で日本の仏教美術を教えている。ジョンは現在は出版の仕事をしていて、本作りが大好きな人。浮世絵に造詣が深い。(私は浮世絵について、いろいろ教わることができたくらい)。アリックスは17歳だが、もう大学2年生。目下写真と陶芸に打ち込んでいる由。
シンシア自身は大学のtenureにうまく合格して、一生のキャリアを保証されたばかり。だからhappyそのものの表情。それにしても旅行中も、毎朝6時半から、ホテルのスターバックスで3時間はひとりで勉強や講義の支度をしているという、その精進振りには驚かされる。いつでも仕事を最優先にがんばって生きている彼女らしい。でももちろん昼間は3人仲良く見物にいそしんでいるらしい。昨日は歌舞伎座と三井記念館(陶磁器や書など)、浅草などをめぐり、今日は上野の博物館と、日本が初めてのアリックスのために竹下通りへ見物にいくとか。アリックスもこれから日本語を勉強したい由。
 この寒さのなかコートもなしでさっそうと?歩き回っている彼らを見て、「うう、寒い!」などと風に首を縮めている私は、これにもあきれるのみ。そういうと「マサチューセッツはこの寒さなんか問題じゃないほど…」と軽くいなされてしまうのだが。アリックスはマサチューセッツから飛んで来た。
 会食したのは、桜木町の「月の蔵」という和風レストランだった。彼らは陶器のお皿や酒器が気に入り、ためつすがめつ眺めて愉しんでいた。アリックスは高校から飛び級で、大学へ入ったのだが早く陶芸に打ち込みたくて、そのうち中退して日本へ修行に来たいともいっている。
 日本になれている私たちの目に入らない美しさが彼らには見えるのかもしれない。なにしろジョンときたら、浮世絵を通して?現代の日本のあちこちに、私たちの目には入らないような細部の美や気配を新しく発見しているのだ。私たちもときには旅人の目になれるといいのだが、日常の文脈の外へ出ることはほんとに困難だ。
 来年はぜひシアトルへと招いてくれるのだが、そのときがもしあれば、私はどんな旅人になれるだろうか…と思いながら、年末を京都で過ごす彼らに、日本でのよい年越しが待っているように祈っている。

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2005年12月10日

蛍の思い出

ステンドグラス作家菊池健一さんが他界されたお知らせを受け、ショックを受けた。
私はかつて銀座のデパートの画廊で彼とコラボレーションをしたこともあり、またこのマンションの一室の窓には、彼の作品(リュートを奏でる二人の楽人のステンドグラス)がはまっている。
いろいろな思い出があるけれども、私にとって特に忘れられないのは、友人の0さんと彼の千葉のアトリエを訪れたとき、彼に案内されて見た蛍のすばらしい乱舞の光景だ。暗い夜道を車でしばらく走ってから、暗い谷のような原っぱのようなところへたどりつき、そこで車のテールランプを点滅させる。と、たちまち蛍が群れをなして、私たちのまわりに集まってきて、私たちはみな蛍に全身まぶされた!といっても過言ではないくらい。あたり一面の蛍の乱舞には声もなく、ただ茫然と立っていただけのあの時のシーンは、まぶたの裏にやきついて消えない。おそらく一生消えることがないだろう。

アトリエを訪ねたときおみやげにもらった青いガラスも、蛍の記憶と連動する。
お会いしたことはなかったが、夫人にお電話して伺うと、栃木にアトリエを移してからは、大谷石を使った作品に力を入れておられた由。ネットをあけてみると、そこに美しい大谷石のランプをいくつも発見した。

ステンドグラス、石のランプ…そして蛍。
彼も生涯光を追い求めて生きた人なのだろうか。それにしてもあまりに早すぎる彼の死にことばがない。

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2005年12月06日

エトルリアの世界展

九段のイタリア文化会館へ「エトルリアの世界展」を見に行く。ずっと以前のことだが、ここにイタリア語を習いに通っていたことなどを思い出しながら、黄金色の銀杏並木の坂を上る。空気の匂いがふいにさわやかになり、雨が降った後なのかと思う。

私が、なぜエトルリア美術に興味をもったかといえば、以前ローマのヴィラ・ジュリア博物館で、数々の出土品やエトルリアの美術の魅力にひきつけられた経験があるからだ。とくに寄り添う王と王妃の像を載せた「夫婦の陶棺」はすばらしかった。いまから2800年以上も前に地中海地域に登場し、古代ローマ文化以前のBC2世紀頃まで、エトルリアの文明はイタリア半島の中部に広く栄えたという。それから忽然として歴史の闇に消えていったという謎に満ちたいきさつにも、私の心をひく何かがあるのだけれど。

今日の展覧会は小規模だが、私はとくにBC6世紀頃の「古代の戦士像」や「女性像」の美しさにひきつけられた。どこかジャコメッティを想わせるようなほっそりとした、繊細な気品ある美しさで見飽きない。ほかにもエトルリアに特徴的ないくつかの石像や、納骨容器、装飾品などあり、ついに思い切ってとても重そうなカタログまで買ってしまった。そのために、できたら後で寄りたかった上野の「プーシキン展」にまで足をのばすのをあきらめた。残念だったが、でもほんとうは一度に二つの展覧会は見ないほうがいいから、ちょうどよかったのかもしれない。

そういえば、かの秋山さと子さんも、ヴィラ・ジュリアのエトルリア博物館の「小さなものたち」がお好きで、ローマへ行くたびに必ず訪ねられた由。もし生きておられたら、この展覧会もきっとのぞきにいかれたのではないだろうか…などとふと思う。

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2005年12月04日

Dさんの夢

紳士たちはポケットに手を入れ、立ち止まり、歩いてきた方向をじっとみつめている。何か落としたのかしら?彼らは悲嘆にくれているけれども何か秘密があるのかしら?

ポケットが山のようにテーブルに置かれている。ポケットの中に,裂かれた封筒の片端やら、折りたたんだ診断書が入っている。

つぶやき声が聞こえたので、顔を上げて見ると、黒いながいコートを着たヒゲのある男が
「私の致命傷・・・・」といって、藍色の空の方へ遠ざかっていった。

彼のポケットを開いてみると、きれいな宝石みたいなものがあった。懐かしさで心が揺さぶられるが、それが何なのかわからない。・・・・


(これはDさんから送られてきた夢の前半だ。まるで一枚のタブローをみているか、あるいは物語の一頁をよんでいるよう。今夜この続きを夢でみてみたい。)

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2005年12月03日

トリエンナーレ

今日は前から行こうと思っていた横浜トリエンナーレ2005をやっと見に行く。午後から晴れたので、山下公園の銀杏が、黄金色に陽に映えてまぶしいくらい美しかった。散り敷いた金色の葉を踏んで歩くのは、ほんとにぜいたくな感じだ。
でもやっとたどりついたトリエンナーレ展はなんだか今ひとつさびしい感じ。いろんなアイデアや方法があって、美術現場の人たちは関心をそそられるかもしれないが、一般人の私がみると、どれも似たり寄ったりの感じがするのは何故か。アートとは精神的にもっとゼイタクなものではないか。工夫されたこまかい差異にまで気が廻らない私ではあるが、見慣れた感じがして、新鮮な驚きがあまりない。技術や媒体だけの新奇さでなく…何か人間力を感じさせるものが欲しいと思ったりした。
(もっともすべてを見られたわけでなく、一部見落としたものがあるので、大きなことはいえないが)。

こういうことは現代詩にも通じることだと思う。
と、これがLEE UFANを見たばかりの私の、トリエンナーレへの感想だった。

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2005年11月30日

LEEUFAN展

昨日今日と、つづけて横浜美術館に「余白の芸術」展を見に行った。といっても、今日はうっかりものの私のことゆえ、昨日なんと館の正面におかれた特大の作品を見落として、それをまた見に行ったわけなのだが。リーウファンの作品世界のなかを歩いていると、なぜか心が非常に静かになって、日ごろの喧騒世界の表皮をくぐって宇宙の芯の部分に独りでこしかけているような気になる。
おおきな白いキャンヴァスにわずか3箇所、控えめな墨色でおかれた三つの点、あるいは木や石や鉄だけがぽつんと置かれている寡黙な空間。作品はあくまでも静謐であり、互いに宇宙的な関係性のなかで、交感し合い、響きあう…。
自己表現としての芸術という言葉に違和感を感じている私は、ここでは表現者もまた外からの声に見返され、相互的なこだまのような存在になりつづけていく場を感じて安堵する。(近代美術での作者という名の「主体」中心主義を批判)してきた彼の、このような「余白」の作品には、東洋的な感性をも感じつつ共感してしまう。21世紀芸術への指標のように、それらの作品たちは置かれているように感じる。
饒舌と過剰とスピードの喧騒世界の一角で、LEEUFANの静けさに浸った私は、帰りに彼の詩集を買って読みながら帰った。
          

               《余白とは
                空白のことではなく
                行為と物と
                空間が鮮やかに響き渡る
                開かれた力の場だ。
                それは作ることと
                作らざるものが
                せめぎ合い、
                変化と暗示に富む
                一種の矛盾の世界といえる。
                だから余白は
                対象物や言葉を越えて、
                人を沈黙に導き
                無限に呼吸させる。》

                         LEEUFAN展のカタログより 
                   
                                  李禹煥の言葉     

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2005年11月26日

ペンクラブの会

東京會舘での「ペンの日」懇親会に出席した。入会して2年経つが、出席は初めて。ペンクラブ創立七十周年を記念しての祝賀会です。初代会長島崎藤村に敬意を表して、藤村の詩の朗読とチェレスタの演奏がはじめにあった。その後会長の井上ひさしさんによる挨拶(現代の国際情勢のなかでの日本ペンクラブの果たすべき役割の重要さなど)、辻井喬さんのスピーチなどあり、乾杯の後、懇親会に移る。
私は作家の秦恒平氏や何人かの顔見知りの詩人の方たちと会い、横浜詩人会の宗美津子さん、富永たか子さんなどとひさしぶりにゆっくり情報交換ができた。ペンクラブのメンバーとして先輩なので、なにかと教えていただいて感謝。(たとえば会場で評判のおいしい料理はなにか!)まで。

さてその日の目玉でもあった福引のこと。何百人もの会場の熱気に包まれてくじ引きが進行。私は資生堂のオードパルファム《ローズルージュ》があたりました! ブルガリアンローズのエッセンスから生まれたという、その赤いバラの香り…。そしてローズ色の壜のデザインもなかなかすてきで、籤にはあまり強くない私にしてはラッキーでした。

というようなことばかり書いていてはちょっとまずいかもしれないので、さて今夜から締め切り迫るヒポカンパスの作品のために、気をとりなおし、ペンを執りなおさなければ。

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2005年11月17日

いちにち

だんだん寒くなってくる日々。日差しが毎日室内へと深く入り込んでくる。
バルコニーに出していたベンジャミンの鉢植えと、マダガスカルジャスミンを室内にとり入れる。ベランダの柵に長々と絡み付いていたジャスミンのつるをパチパチと切って、少しずつ鉢を動かす。すると驚いたことに長さ10センチ以上もありそうな立派な実が外側にぶら下がっているのを発見!暑さのなか見えないところでがんばっていたんだと感激。柵の内側にも一つ実がついているので、大事に取り入れる。きっと来年の秋には二つの実が熟して、ある日突然パカン!と割れて、種をいっぱい風に飛ばすだろう。

家の中を掃除し、洗濯物をとりこみ、大地からの食料を整理するともう夕方だ。秋の日はなんて短い。

Dさんから美しい絵葉書がとどく。Kさんと電話で詩についてのある評論のことをいろいろ話し合う。詩人でない人から、現代詩についてのまっとうな意見をきけるのはまれで、これはありがたいこと。

食事の後、近藤起久子さんの詩集『レッスン』と、月村香さんの『牛雪』を読む。それぞれに印象に残る作品があり、またそれについて書きたいと思う。

静かな秋の一日、寒くなっていく一日。鶏インフルエンザのニュースがしきり。

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2005年11月13日

詩と音楽

昨日は、「詩と音楽」のシリーズの4回目を聴きに行った。「シェイクスピアからワールドランゲージへ」というテーマで、ピーター・バラカンの解説で、アントネッロというグループの古楽器による演奏や、詩の朗読、古典的な踊りなどを見る。コルネット、ヴィオラ・ダ・ガンバ、チェンバロとハープの響きはとても優雅で、シェイクスピアの十二夜からの歌や、ヘンリー八世のアン・ブーリンへの恋文、魔女の踊り、「流れよ、我が涙」の演奏など古典的世界に浸った後、2部ではスティングやビリー・ジョエルの曲まできけてバラエティ豊か…。
4回分のチケットを買ってどれも愉しんだが、一番印象に残ったのは最初の「モンゴル〜草原をわたる風」の馬頭琴の演奏と朗読だった。このような企画をまた来年もたてて欲しいと思う。

今日は3年ぶりくらいで京都の友人加藤廣子さんを横浜に迎えて、中国茶など飲みながらいろいろと近況を話し合った。彼女は ビーンズというグループでオカリナを吹いている人なので、演奏活動の話や、音楽や詩の朗読に関する話をする。違うジャンルの人の話をきくのはおもしろい。ブログをはじめるというので、それも今後のたのしみの一つになる。

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2005年11月11日

橋本征子詩集「破船」より

今日は橋本征子詩集「破船」から詩を一つ紹介したい。この詩集の詩はどれも魅力的なので一つを選ぶのは難しかった。

                   破船

           吹雪のやんだ朝 ずるっずるっと雪
           が軋る音がする 急いでカーテンを
           開けて見ると 雪の庭に一艘の破船
           が流れついていた 枯れ木に積もっ
           た雪が 時折風に吹かれて剥げた水
           色のペンキの舳先にかかり 光を取
           り戻した無数の星が いっせいに壊
           れた船板の上になだれこんでくる
           めぐりめぐって ようやく辿りついた
           記憶のかけらが散乱しはじめる

           
           初潮をみた頃 少女は爪が伸びるの
           が早くなって学校へ行けなくなった
            ブランコを漕げば 赤いサンダル
           の足の先から爪が空に届きそうに伸
           び 鉄棒に逆さにぶらさがれば白い
           セーターの手の先から爪が地に着き
           そうに伸び 少女は自分の命のみな
           ぎりあふれるようすに脅えて すで
           に眠りに着いた死者たちの隠れ家を
           探して歩くのだったが 決して見つ
           けることはできなかった 乳房が穫
           れたてのレモンのように張った夜は
            ことさら爪が伸びる そんな夜は
            少女は爪をしゃぶってふやかして
           から前歯で力一杯噛みちぎり 空の
           金魚鉢で燃やすのだった 薄桃色の
           爪がちりちり焦げて一瞬ぱあっと炎
           の花びらとなる ガラスの底に沈ん
           だ一条の黒い灰 火傷した時間の落
           下 つるりと剥きでた指の先にはか
           すかな海の匂いが漂い 胸の奥底に
           は行き先のわからない一艘の船が通
           りかかるのだった

           
           いったいいくつの夏が過ぎたのだろ
           うか わたしは人気のない廃れた漁
           港につながれた一艘の船を見続け
           ていた 波は船を滅ぼそうと企み
           月も星も船を沈めようと誓いあって
           はいたが 船はただゆったりと浮ん
           でいるだけだった だが どんな黙
           契が船を隠したのか わたしがみご
           もった明け方から 船はいなくなっ
           てしまったのだった


           吹雪の朝 わたしのところへ漂流し
           てきたあの破船 長い年月に帆は千
           切れ 竜骨もひび割れ 破船となっ
           て現れた一艘の船 この舟は 死を
           含んだ海の指が わたしのところへ
           押し流したものなのだろう 海の底
           の花咲く深い眠りの到着点へとー


(橋本さんのこの詩集を読むたび、その独自の身体感覚と、暗喩に満ちた宇宙性に引き込まれる。人は身体の内部にこんなにも不可解な宇宙を隠しているのだ。
またこの詩の2連を読むとき、私は村上昭夫の「動物哀歌」のなかの「爪を切る」という詩を思い出す。伸びる「爪」に人は生きることの原罪を感じることもあるのだと。)           

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2005年11月10日

”絵葉書”

「SOMETHING 2」(鈴木ユリイカさんの編集・発行)が送られてきた。20人の女性詩人の作品が載っている。世代や地域や詩誌の枠を超えて、いろんな詩を書く人たちが集まってそのたびにメンバーも変えながら、今後も出していく予定であると聞く。同人誌の枠をこえようとするこのような試みは新鮮でもあり、今後もこの方法を生かしてよい詩誌を出しつづけていってもらいたいと思った。いままで名前を知らなかった方たちの作品に触れることもできるし、またよくその名を知っている方たちの作品を読み直せる喜びもある。

たくさん印象に残った作品のうち、今日は岬多可子さんの詩の一つを紹介したい。

           絵葉書

明るいオレンジ色の布に覆われている春
果樹の花が咲き
動物たちが 大きいものも小さいものも
草を食べるために しずかにうつむいたまま
ゆるやかな斜面をのぼりおりしている

家の窓は開いていて 室内の小さな木の引きだしには
古い切手と糸が残っている
みな靄がかかったような色をしている
冷たくも熱くもないお茶が
背の高いポットに淹れられて
それが一日の自我の分量

遠くからとつぜん 力のようなものが来て
その風景に含まれているひとは
みんな一瞬のうちに連れて行かれることになる

以前 隣家の少女を気に入らなかったこと
袋からはみ出た病気の鳥の足がいつまでも動いていたこと を
女は思う

春のなか
絵葉書は四辺から中央部に向かって焼け焦げていく


(静かでのどかな絵の中に孕まれている見えない恐怖感。どこかに現代という時代の影がさしているようで、それはまた、屈折した個人の意識下からのぞく不安の影のようでもある。説明のない分、いっそうイメージの表現力を感じさせる。)

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2005年11月06日

草原の祝祭

町田純のヤンのシリーズは不思議な魅力をもつファンタジーだ。物語というよりは独白体で際限なく語られる夢みたいでもある。ヤンの絵がとてもいい。後足で立って歩く孤独な猫のヤン。その背中の表情の豊かさ…。その背中を吹く草原の風の響き…。

「この一瞬の刻(とき)を大切に…」と、ヤンは思っているらしい。そのような一瞬はなかなかやってこないのだから、いっそう大切にしなければ…と。

「草原の祝祭」のなかに、今日はこんな文を見つけた。
「結局楽しいことや愉快だったことの記憶は、ある程度の年月がたつと、すべて哀しみのガラス玉にとじ込められてしまって、思い出すごとに、一つ、二つ、三つと、大きな広口びんに入れられていくんだわ。そして、こういったたくさんのびんは、それがどこにしまわれたのか、誰も覚えていないの。
ところが、寂しさや哀しさの記憶は、清冽な川底に散らばる、さらさらした白っぽい長石や、透明な石英の粒子のように、ときどき高まる意識の流れに舞い上がったり、無意識の淀みに沈み込んだりしながら、少しずつ、気が遠くなるほどゆっくりに、生涯の最期の河口に向かって、流され、進んでゆくの。
だから、死ぬ前に蘇る全ての記憶は、哀しみの記憶なのよ」
「でも、こうやって最期の時まで磨かれた、寂しさや哀しみの記憶ほど美しいものは、これほど美しいものが、ほかにあるかしら!」
これは草原を走る汽車のなかである女性に語らせている言葉だ。

私も夢のなかでときどき、しまい忘れた小さなビンなどを見つけることがある。それは目覚める前に、また意識の彼方の闇へと運び去られてしまうのだが。あるときは、ビンのなかに小さな魚たちが泳いでいたり、あるときはその底にわずかな水だけが光っていたりする。あれは私の遠い歓びや楽しさの記憶の結晶でもあるのだろうか…。

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2005年11月03日

三千院

奈良で正倉院展を見た。2、3年ぶりかもしれない。秋晴れに恵まれた一日。博物館を出ると、ナンキンハゼ(通称?)の大木の紅葉と白い実が午後の陽に映えて、とても美しい。奈良公園にもその時間は人影が少なく、鹿に餌をやる旅の人がちらほらいるくらい…。しばらくベンチでのんびりする。

翌日は京博で「最澄と天台の国宝展」を見る。延暦寺の聖観音立像をはじめ何体ものすぐれた仏像にお目にかかれた。(私の好きな運慶作の円成寺大日如来の面差しに似た横蔵寺の大日如来なども。)その道のプロである連れにうるさく説明を求めつつ、昼前までかかって、ゆっくりと見る。相棒がそうであるからといっても、私は門前の小僧までもいかない知識なので、今回ははじめからその気になって、仏さんとじっくり相対した。最澄と空海についてももっと知ってみたくなる。書物でだけでなく具体的な作品と引き比べて見ると、面白みが増すのかもしれない。

午後は大原の三千院まで行って、紅葉の走りに触れた。けれど一番印象的だったのは、国宝の往生極楽院(阿弥陀堂)の御堂だった。もちろん阿弥陀三尊はすばらしかった。が、その御堂内部の船底天井や垂木が群青などの美しい極彩色の花園の図で彩られていることが、去年の赤外線による調査で判明し、その一部残された部分を照らして見せていただけたのがなにより印象的だった!まるで感じが違うのでびっくりする。来年は御堂を別の場所に復元模造して公開する由。
その頃の人々はこのようにも華やかで色彩溢れる極楽浄土を夢見て、阿弥陀様に導かれて成仏するイメージを抱いていたのだなあ…と。いま私たちのみるその頃の仏像の多くが、このようにも金ぴかであったり、極彩色であったりしたのだから、なんという美意識の差だろう。日本的といわれる,ワビ、サビの感覚について、あらためて考え直してしまった。

それにしても、三千院の境内は丈高い木立のなかの空気がひときわ澄んで、すがすがしい。
今回は、短いがよい旅をした。何年ぶりかで、京都に住む旧友?のKさんと電話で話し、近い再会を約したことも嬉しいことの一つだった。

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2005年10月29日

能面展を見る

銀座のポーラミュージアムアネックスで、能面展を見る。亡き兄の松本高校時代の友人石関一夫さん製作の増女、乙御前をはじめに見る。乙御前のひょうきんさに笑い、増女の風格に細部まで瞳を凝らす。さらにギャラリーに並ぶ能面たちのかもし出す静謐さと、意外なユーモアをもたのしむ。一緒だった唐澤秀子さんと、悲しみや怨念などのマイナスの情念を表す面(たとえば泥眼など)の表情にはかえって訴える力の強さを感じるなどと話し合う。私は眉間にしわを寄せてこちらをひたとみつめる「増髪」の面にひきつけられたが、これも決して柔和な表情ではない。

その後ぶらぶら4丁目の方へ散歩して(唐澤さんも私も銀座は久しぶり)「蔵人」でランチをとり、その後「壱真」でコーヒーを飲んで夕方まで延々としゃべる。ファンタジーについて,彼女が子ども時代に熱中して読んだ「モンテクリスト伯」について、物語のおもしろさ、それから詩についての示唆的な話(人類創生のころの記憶にひそむさまざまの種のイメージを喚起する詩のこと)、ヨーロッパ文化とキリスト教が現代にもたらしたもののこと、彼女の入った合唱団のこと、いつかフランスのある地方のホテルにいっしょに行きたいという夢、女がものを書くには一人の時間、空間が必要ということ、ETC.。それから限りなくいろいろと…。私の詩集の編集者だった彼女に今回もまた活を入れられる。

久しぶりに友人と、仕事と関係なく、ただ純粋に話をする時間を過ごすことをした。そんな日はとても充実感があって、日ごろのこまかいしんどさも忘れてしまう。それにしても、ただ友人と話すというだけの時間をもつために出かけるということは、今は案外少ないかも知れない。何の目的もないこういう時間に対して、忙しい私たちは案外世知辛いのだろうか。

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2005年10月25日

童謡展

神奈川近代文学館の閲覧室に県内発行の雑誌などを展示しているところがあり、ペッパーランド30号を寄贈しに行く。丘の上にひろがる手入れのいい花壇やバラ園はのどかな日を浴び、あちこちに画架を立てて画を描いている人たちがいる。文学館ではいま「日本の童謡 白秋,八十…そしてまど・みちおと金子みすず展」という催しをやっていて、雑誌「赤い鳥」誕生にはじまる童謡の黄金時代をつくった神奈川ゆかりの詩人たちを中心に、その周辺の人々…野口雨情、山田耕筰、成田為三やその他の人々も紹介されている。童謡の「兎のダンス」のレコードを見つけ、子どもの頃親が買ってきてくれたことを思い出したりして懐かしい気持ちになる。
絵本や本の装丁にしても、色調にしても、決して今では出せないものがあって、私たちは知らない間にとんでもない時間のクレバスを超えて来てしまったのだと思う。
静かな喫茶室でカップにたっぷり入った熱いコーヒーを味わってから、もう傾きかけた午後の陽の中のバラ園を通りすがりに眺める。谷戸坂を下りて元町を抜けて帰るまで、今日はめったにない小春日和の一日だった。
歩きながら(童謡というのは子どものための歌といわれているけれども、あれは表現の一つのジャンルで、もっと分化し、もっと個性化していける詩的表現なのでは)と思った。マザーグースの訳では、白秋の訳が今でも好きだ。現代人?が訳すとあのような詩的な妖しさが消えてしまうように思う。パソコンの時代には生まれない、原稿用紙の上に一字ずつ書いていく時間のなかで、はじめて生まれてくる訳ではないか、などと思う。言葉がキツネのように軽やかに化けていて、その裏側に見えないしっぽを隠している気配。それもたのしい身振りで。

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2005年10月24日

高橋たか子の「日記」

「一人の人の存在的エネルギーの量とか強さが西洋人にくらべて少ないのではないか。その量とか強さを、一つにまとめて、人は他人と向き合うべきなのに、この一つにまとめる術が日本では文化的に欠けている。一つにまとめることで、その人というものが在り、また、そのことが他人への礼節にもつながる。こうした自分を相手にさし向ける、かつ、相手をよくみつめている、ということが、日本人には欠けている。」
これは高橋たか子の「日記」を読んでいて、いま心に引っかかっている言葉の一つだ。
さらに続けて「この強力な内在の力で、とことん学問をしたり政治を行ったり…西洋人がすぐれているのは、この一方向への徹底性であろう。一方向といっても、前述したように、出会う他人たちをよくみつめているので、複合的な一方向である。」「ロマンといわれる長編小説が日本で発達しなかったことも、右の事柄と関係がある」とも。

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2005年10月21日

軽井沢

この間の塩壷温泉への旅が尾をひいて、また突然軽井沢を訪ねた。
前夜までの雨が急に上がって、青い空に紅葉の木々の姿が映える好天だった。
ところで軽井沢はこんなに猿が多かったのか…と驚いたのだが、散歩中にも突如猿たちが奇声を上げて喧嘩を始めたり、ホテルの庭で親猿,子猿が10匹以上も戯れていたり、木々をかけのぼったり、枝でブランコをはじめたり…と、近くにいる人間のことなど目にもくれない様子。今は木の実がたくさん生っているので、さぞや大御馳走なのだろう。その遊びの様子は見ていて飽きない。
シーズンをいささかはずれているせいか、ホテルの近辺は静かで、頬に冷たい風もまだ心地よい。雲場の池は紅葉にはまだ少し早めで,鴨たちがのんびり泳いでいる。リンドウもまだ少し咲き残っている。
旧軽井沢に出て重文の旧三笠ホテルを見学した。建築からちょうど今年で100年。歴史的な由緒のある建築は、なんだか物語の中にでも出てくるような雰囲気だ。犀星や立原道造や堀辰雄、そして中村真一郎などの若き日の写真や資料の展示された一室もあって、古色蒼然とした建物の隅ずみから、彼らの語らいの声が聞こえそうだ。ここは軽井沢の鹿鳴館のような存在だったという。
純西洋式木造ホテルとしてホテルはいま重要文化財となり、澄んだ秋の日差しのなかにぽつんと置かれている。まるで童話のなかの一シーンみたいな雰囲気さえ持っている。それは、たとえば廃屋とか、滅びつつあるものの静かな気配にもみちていて、夕日のなかに刻まれた懐かしい記憶みたいでもあった。

歩きつかれて、昼食は川上庵の天ざるにした。

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2005年10月19日

RIVERDANCE

ケルトの文化や、アイルランドの音楽に以前から興味があった私にとって、リヴァーダンスの舞台はすばらしい魅力だった。アイリッシュダンス、タップダンス、フラメンコ…そしてイリアンパイプ、フィドル、サクソフォン、バリトン、合唱など、目と心を奪う演技の数々、人類の長い歴史を語るダイナミックで情念に満ちた叙事詩だった。なんといっても、あのすばらしい群舞をまた見たいと思った。

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2005年10月16日

ヴィオラ・リサイタル

ユーリー・バシュメットのヴィオラ・リサイタルを聴きに県立音楽堂へ行った。木のホールとして音響効果のよさで有名なこのホールが家から近いのはとても有難いことだ。バシュメットの演奏は二回目だが、今日の曲目はバッハの無伴奏チェロ組曲1番、シューベルトのアルペジオーネ・ソナタ(ピアノはミハイル・ムンチャン)、ブラームスの弦楽五重奏曲ロ短調などだった。バッハの最初の音が鳴ったとたん、いきなり胸の奥にまで響いてきてどきどきした。こんな風に胸に直接響く音ってなかなかない…。シューベルトは、そしてもちろんアルペジオーネは私のとても好きな曲だが、今日はバッハの方が印象に残っている。

私の詩集の訳をしてくれているアメリカ人のクランストンさんに好きな音楽をきいたら、自分の好きな音楽をいろいろ挙げてから、シューベルトも好きだといい、そういう自分をロマンチストだと記していた。そういうものなのだろうか。私はシューベルトの旋律に秘められた憂いのある甘さにも惹かれるのだ。そういえば
「あなたはどんな音楽が好きなのか」という質問は、私がときどき親しい人に投げかける問いの一つだ。
そのほかに、あなたは動物が好きですか?とか、どんな本を読むの?とか。あなたの一番お気に入りの時間は?とか。
脱線してしまったが、いい音に出会えた今日という日は、やはりいい一日だったと思う。

ちなみに舞台のバシュメットは黒づくめの簡素な衣装で淡々と演奏した。彼は1953年ウクライナ生まれの人。78年ミュンヘン・コンクールで優勝。その後国際的に活躍の場をひろげ、ベルリン・フィル、ロンドン交響楽団などとも共演し、「疑いもなく、現在、世界でもっとも偉大な音楽家の一人」とロンドンタイムズは評価している。(これはパンフレットにいわく…です)

思うに「偉大な人物」というのは静けさをどこか一点、内部に秘めている人ではないだろうか。
彼の演奏を聴きながら、つい先日読んだばかりの「ペンギンの憂鬱」のことを思った。あの著者アンドレイ・クルコフもウクライナの作家だった。

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2005年10月14日

帰り道で

秋の夕暮れはみじかいけれど、暮れかけたそんな街で何かに出会うこともある。今日は石川町駅からすぐのギャラリーで、詩と版画による「二人展」というのを見つけて、ふと立ち寄った。毎週いろんな個展が開かれているが、詩画展というのは少ない。特にこの二人展では詩と画の端正な調和が魅力的だった。音楽的な諧調をもつ短詩は山中孝子さん、あかるく透明な色彩の版画は工藤正枝さん。(山中さんは鎌倉での宮沢賢治の会にも出ておられるとか…。)帰るときに、96年の関内駅近くのギャラリーワーズでひらかれたという「二人展」の作品集をプレゼントされた。帰ってからページをめくると、やはりそこにも画と詩の響きあう澄んだ空間があって、一人の秋の夜の時間を満たしてくれる。お二人の気負いのない姿勢と、個展のすがすがしい雰囲気とに、思いがけない贈り物をもらった気がする。秋の一日、帰り道がくれた小さな幸せ…。

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2005年10月12日

エステルさんのこと

久しぶりに書棚を整理していたら、エステルさんの展覧会のカタログが出てきた。1987年のアートフロントギャラりーでの個展のときのものらしい。エステル・アルバルダネさんはスペインの女性の画家で、彼女の画は、日常のなかにあらわれる懐かしい異次元の風景を想わせる。木々や鳥たちの寡黙で鉱物的なやさしさ。海に向かって開いた窓で、小卓によりかかる物憂げな女性たち。卓上の果物に集まる光。窓辺に寄り添う二人の女。三日月の出る窓辺にひとりすわる女など。どんな暮らしのなかにもある物語の一シーンのようなそれらの画の静けさや秘密めいた懐かしさに心引かれる。私は「ラプンツェルの馬」という詩集の表紙に彼女の「鳥」という作品をいただいたのだ。
それが縁で、1988年にバルセロナのエステルさんのお宅に招かれたときのことを忘れない。閑静な別荘地にある彼女の家での夕食会だった。イタリアへ明日帰るというエステルさんの友人たちの送別会もかねていた。テラスに出ると満月がのぼっていて、はるか前方から地中海の波の音が聞こえてくる。冷えたワイン、実だくさんの魚のスープ、鶏のオレンジ煮などの後で、フルーツが出ると、エステルさんは庭から「マリア・ルイサ」というハーブを摘んできてお茶を入れた。(これは後で知ったが、レモンバーベナともいわれる香草で、消化によいとのこと)。その後アトリエに案内され、フィドという彼女の愛犬に紹介されたことも印象的。作品と同じく、彼女自身があたたかく魅力ある人柄で、そのときお土産にもらった手書きの青い大きな扇や、マリア・ルイサの小枝とともに私にとっての《バルセロナ》から切り離せない記憶になっている。その彼女への橋渡しをしてくれた北川フラムさんや、エステルさんの記憶を分け合ってくれる友人、唐澤秀子さんは私にとってとても有難い存在だ。
このカタログのなかに「ESPERANDO (待つこと)」という一枚の絵がある。夕暮れの窓辺で果物皿を手に誰かを待つひとりの女…。その背中を夕日の影が金色に染めている。私の好きな絵の一枚だ…。
だが、もういくら待っても彼女に会う時間はこないなんて。
エステル・アルバルダネさんが、もうこの世からいなくなってしまったなんて。
あのバルセロナの夕べのことを思い出すと、そんなこと、信じられない。

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2005年10月09日

たこぶね

昨夜読書会の仲間の積子さんから電話があって、いまTVの1チャンネルを見てる?
という。急いでつけてみると、なんと画面に「たこぶね」が大きく映っていて、
ちょうど話題の中心になっているところだった。
私たちは約10名くらいで、《たこぶね読書会》という小さな会をつくっている。
たこぶねの名の由来はアン・モロー・リンドバーグの「海からの贈り物」からもらっ
たのだ。子どもを育てるためにタコが貝をつくり、そこで卵を育てる…という知識
は得ていたが、実際に貝殻がどういう風につくられるのか詳細は分からなかった。
TVの映像では縦になった貝殻のなかに、タコが入って泳いでいるらしい。しかも
群れているとのこと。
そういう生態に驚いて、もう一度本やインターネットで調べてみた。するとメスの
タコが産卵育児用に貝殻を分泌して、(オスは小さくて貝殻はなく、繁殖用の腕の
部分をメスの貝殻に残して去っていくとか)そこで子どもが孵化するまで育てるという。
貝が破れたり穴があいたりすると、修理もする。貝殻は白く、その表面は美しい
さざなみ状になっていて、プラスティックのようにも見える。大きさは15,6センチも
あってアオイの葉のような形をしている。
メスは子どもが育つと貝を切り離し、自らは死ぬという。こうして空になった貝殻が嵐
のあとに、九州の沿岸などによく漂着するそうだ。いつか福岡の日嘉まり子さんか
ら、その美しい殻が送られてきて、いまも大事に箱にしまってある。これはアオイガイ
とか、タコブネとか呼ばれ、このような貝をつくるタコは6種類あるという。
英語ではPAPER NAUTILUSというそうだが、それもタコの祖先がオウムガイだから…と。
ところでなぜ会の名を「たこぶね」とつけたかというと、この貝は船乗りにとって順風と晴
天のシンボルでもあること、しかも子どもたちが孵化した後は、親だこは自らを切り離し
て、貝ごと大洋上に送り出すというかっこよさも一つの魅力だったからかもしれない。
そういえば読書会も10数年だが、今までのところ荒れ模様の日はなかったようだ。

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2005年10月08日

最後の椅子

                  コップのなか


              震える指でコップを包み
              なかみを、じっと、みつめているので
              どうしたの、水、飲まないの?
              シズノさんに声をかけた

               だって、こんなに透明で……あんまり、きれいなもんだから……

              そそぎたての秋のまみずに、天窓から陽が射して
              九十二歳の手のなかの
              コップのみなもが、きらり揺れる

              きょう、はじめて,水の姿と、向かいあった人のように
              シズノさんが、水へひらく瞳は
              いつも、あたらしい

              雲が湧いて、ひかりが消えた
              ふっと、震えが、止まっている

               それから、ほんとうに透きとおった静止が、コップのなかを
               ひんやりとみたす

              くちびるが、ふちに触れると
              ちいさい、やわらかい月が揺れて
              茎のような一本の
              喉を、ゆっくり、水が落ちる

前詩集『緑豆』で、その静謐さと透明な感性で、蒸留水を味わうような爽涼感を与え
てくれた齋藤恵美子さん。彼女の新しい詩集『最後の椅子』 から一篇を引用させて
いただいた。『緑豆』とはまた異なるスタンスで、老人ホームという現場から、ひとりずつ
名を持つ人たちとの関わりや、人の生きる姿を語るこの詩人の表現に対する腰の強さ
にあらためて感心する。

    

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2005年10月07日

塩壷温泉

中軽井沢から少し入った塩壷温泉の周囲は静かだった。猿やクマがしきりに出没するら
しく、窓には錠をおろせとか、夕暮れの散策には注意せよと書かれている。でも、あいに
くの雨でサルたちと出会うチャンスもなく、緑の木々に包まれた部屋で一日中「ペンギン
の憂鬱」を読みふける。物語は案外淡々と大きなドラマもなく進行するのに、退屈せず、
結構引き込まれて、さいごの意外な結末まで一気に読んでしまった。激流にもまれる一
枚の木の葉にも等しい個人の暮らし。だが、流れに運ばれる一枚の葉っぱにとって、
周辺の水は案外不動に澄んで見えるのかも。時代の中を運ばれていく個人の一日一日
の暮らしのように…などと現在の自分たちの日々に思いを馳せてしまう。
宿の露天風呂の近くでは、しきりにゴジュウカラ?みたいな鳥が飛び交って、ピンク色の
高原の残りの花が揺れていて、竜神の池の青い水面に雨粒の後が絶えない。
帰る日には雨も上がったので、長野県と群馬県の県境いの路をゆっくりドライブする。
真っ赤なツタウルシが緑の木に巻き付き、黄葉しかけた木々の間に朱色のウルシが
美しく映えている。ツタウルシが巻き付いた木は枯れてしまうので、以前は落葉松など
を守るためツタウルシを刈り取っていたが、今は手入れもせず放ってあるという。
というのも落葉松は、以前は貴重な材として、建物に使われたいたが、今は輸入の材に
頼って用いられなくなったからという。だから周辺の林は荒れてきているのだとか。

雨上がりの白糸の滝に寄ると、ひんやりと澄んだ空気はイオンで充たされているようだ。
浅間山から多くの地層を潜り抜けてきた生きた水が、目の前に無数の絹糸になって
流れ落ちている。

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2005年10月06日

すすきと吾亦紅

画を描いているNさんから突然届いた”すすきの穂とわれもこう”の風雅な一束…。
早速白い壷に活けて、部屋の一隅におく。室内はすっかり秋の野原の匂いだ。
背後からまるい月がのぼってくる…。
「音楽」と同じに「植物」も、いっきょに私をもうひとつの次元に連れていってくれるふしぎ。
お庭から、わざわざ秋の風情を送ってくれたNさんのこまやかな心遣いをしみじみ感じる。
おかげで、しばらくひとり秋の野原をさまよっていられそう。

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2005年10月02日

ミヒャエル・ゾーヴァ

ゾーヴァの画と出合ったはじまりは、「クマの名前は日曜日」の,あの洗濯熊のカード一枚
からだった。なぜかひかれて「ミヒャエル・ゾーヴァの世界」を買ってしまった。不思議な
魅力がある。何事もない静かな一軒家と雲と林のたたずまい。(何かがこれから起こる
のか、それとも起こってしまった後なのか)。
窓辺に座るクマおじさんの背後にひしめいている不穏な動物たち…ペンギン?ネコ?
ブタ?カエル?それになぜかヒトの手が!
会食中のテーブルの背後でニヤニヤ笑いをしてるイヌの顔。
黒い三角巾で前足を吊ってこちらをひたとみつめているしろい猫…etc.。なぜだか川上
弘美のある作品を不意に思い出したりする。童話的でユーモアと毒があり、立ちのぼる
のはひそかな悪意。もちろんオブラートにつつんで飲みやすく調合してあるけれど。
だれかさんの足もとに、ちっちゃな亀裂が口をあけている。(だれかさんの後ろに蛇がい
る)という世界。そんな不気味な気配…とおかしさにつられて、つい頁をめくってしまう。
この家でも夜中のバスタブでブタが飛び込みの練習をしているらしい。あのポチャンと
いう音は…。そしていつの日かブタが一匹、朝食のスープ皿を泳いでいるにちがいない。

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2005年09月27日

緑が重たくて

先日、詩誌「鹿」100号が送られてきた。これは浜松の埋田昇ニさん発行の詩誌。
巻頭に小川アンナさんの作品が載っている。アンナさんは私の日ごろ敬愛する先輩
詩人で、この詩誌が送られてくるたびに、私はいつも真っ先にアンナさんの頁をさがす。
そのいさぎよい生き方にしっかり裏打ちされた彼女の詩の魅力を味わうためだ。
小川さんは1919年生まれとのことだが、その作品に流れる一貫した強さ,美しさ、
生きることへの深い省察や憧れなど、詩にたたえられたエネルギーの深さははまぶしい
ほどだ。このように自然体で書かれていて、しかもこのように「詩」であること。それは
小川さんの今までの生き方の修練と結びついているに違いない。
92年にペッパーランドから「母系の女たちへ」という本を出したのだが、その巻頭にも
小川アンナさんの作品をいただいた。今日はそのうちの一篇をご紹介したい。


                 緑が重たくて


            卵の黄身のような月が地平に近く浮かんでいる
            二階の窓の青葉の向こうに
            生なまと月球の内にうごめく胎児の姿さながらの陰影を宿して
            緑が重たくて
            どこかで人が死のうとしているのではないか


            
            自然は豊饒の中に死を蔵しているものだから
            今宵
            バラやジャスミンの香にまじって一きわ匂うのはみかんの花だ
            火星の観察を了えてかえる子供らの声がする
            木立のなかでは巣立ったけれど餌の足りない雉鳩の子
            すすりなきのまま睡ってしまった


            
            私の死ぬ時もきっと地球は重たすぎる程美しいのだろう
            いや
            核の爆ぜる時でも地球は美しいのだ
            そのむごたらしさの想像に耐えぬもののみが声をあげる     

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2005年09月22日

シンシア

ニ年ぶりでアメリカからきた友人シンシアと会う。彼女は現在シアトル在住。東洋美術史
をワシントン大学で教えている。私が91年に夫と共にケンブリッジを訪れていたときは、
何から何まで親切に世話し、案内してくれた。おかげでとても愉しい三ヶ月を過ごすことが
できたのだった。
昨夜は、きらきらと点灯中のみなとみらいの大観覧車など眺めながら、新潟の銘酒
”〆張鶴”を飲み、延々とおしゃべりした。ラヴラヴの彼氏のことにはじまり、現在の
大学での仕事やアメリカでの暮らしぶり、身辺でのブッシュの不人気ぶりなどまで。
とにかくエネルギッシュ! 帰りぎわ、山のようなスーツケースの上にカメラとパソコ
ンのバッグ、さらに幾つもの荷物を盛り上げて駅の階段を駆け下りたそのバイタリティ
にはあきれっぱなし。仕事も万事その調子で、これは年齢の差だけではない!と実感す
るばかり。けれど明るい彼女と会うと私はいつも元気になることは確か。年末にまた会え
るのがたのしみだ。

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2005年09月09日

夢の味

今、次のファンタジーの会のテキスト、漱石の「夢十夜」を読み返している。これは読むほどにおもしろくなる物語だが、これとは別にメンバーの方たちの見た夢というのが手元にあって、それを読んでいるとつくづく人間というのはおもしろい存在だなあと思う。一人ずつが、夜にはこんな不思議な世界をひとりきりで生きているのだもの…。人生は決して平板なものではないのだ。
手元にある夢のなかから比較的みじかく、おもしろい夢を一つ引用させていただこう。
たとえばさんのこんな夢。
「ドアがカサコソと震え,少しずつひらく。小犬のようなクマがまじまじと私を見ている。鼻の先が乾いているクマを抱き上げ、私はドアの内側に入る。
静まり返った部屋の奥から、タップを踏む足音がする。ロバが床をたたきながら、近づいて来る。蹄を笑い転げるように響かせ,「さあ、君も踊って」といって、ロバは肩を揺すりながら遠ざかっていく。
「ママを探さなくちゃ」という、クマの重みが腕に加わる。私は立ち上がり、窓の外を眺める。濃い灰色の雲の下の森はぬかっていそうだ。長靴をはかなければと思う。
丘の向こうから、バイクの激しい音が聞こえてくる。そっくり返った姿勢で運転しているのは狼のように見える。……(以下略)」
夢分析などとは無関係に、一読してこの夢は、まるで詩のなかを散歩しているような情景だ。この夢はこの後、晴れやかな心象のうちに幸せ感をもって終えるのだが、この夢の題は「眠りの内で、認識している音」という。ほんとにリズムと響きにみちた躍動的な夢だ。こんな夢を見た朝、夢主はきっと気分がいいだろうなあと思う。
 
とてもいい夢を見て、それをすっかり忘れる一日。すてきな日とは、ほんとはそんな日かもしれないが。

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2005年09月06日

ナス料理

ナスっていろんな風に料理できて、便利ですね。最近教わって美味しかったので、そのレシピ。
かなりいい加減ですが。

 ナスのへたはそのまま、あの先っちょのへらへらした部分だけまるく切り取っておく。
 茶せん(といっても1センチくらいの厚さでいい)風に縦に切れ目をいれておく。 
 フライパンにごま油を入れ、刻みにんにくを炒める。
 ナスを入れ、なべ底にぎゅっと押し付けるようにしながら両面をやき、酒、しょうゆ,
 砂糖を同分量ずつ入れ、(各大匙2はい程度)落し蓋をしてぐつぐつ煮る。
 さいごにひっくり返して、甘酢(私は梅玄米酢を使う)をかける。
 これはご飯に合います!

以上、このレシピは薬膳の武鈴子氏からのヒントです。

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2005年09月03日

ベストの100冊

今日、金原瑞人さんのファンタジーについての講演をきいた。そして20世紀の
文学作品のベスト100についてのアンケート結果を知る。それはヨーロッパなど
に200以上の店舗をもつ本の大型チェーン(ウオーターストーン)が行ったアンケ
ートの結果だ。そこから二万五千人以上の回答が得られ、その結果は1997年
の(タイムズ・オブ・ロンドン)でも紹介されたとのこと。

それによると、10位までは�指輪物語 �一九八四年(ジョージ・オーウェル) 
�動物農場(ジョージ・オーウェル) �ユリシーズ(ジェイムズ・ジョイス) 
�キャッチ22(ジョゼフ・ヘラー) �ザ・キャッチャー・イン・ザ・ライ(サリンジャー) 
�アラバマ物語(ハーパー・リー) �百年の孤独(マルケス) �怒りの葡萄(ス
タインベック) �トレインスポッティング(アーヴィン・ウェルシュ)となっている。
もちろん英語圏に片寄っているが、それは仕方ないことなのだろう。
なお100位までのなかには、意外に子どもの本が多く、16位「たのしい川辺」
17「くまのプーさん」、19「ホビットの冒険」21「ライオンと魔女」などが登場する。
また100冊のなかでもっとも多かった作家はロアルド・ダールで、その4作は、
いずれも子供の本やファンタジー系だったとか。
そんなことからみて、20世紀後半から21世紀にかけては、子どもの本やファンタ
ジーが文学に市民権を得てきた時代といえるだろうとのこと。

ファンタジーを読む会を仲間と続けている私としては、これは興味ある話題だ。
が、たとえば私たちが今まで取り上げた吉田篤弘の作品や、これから読みたい
いしいしんじや、町田純の作品などは、(ファンタジーを指輪物語のような枠組みで
とらえると、)いったいどうなるのだろうなどと思ってしまう。もちろん読み手としては
そんな分類にこだわることはないのだが、日常と幻想の境界をこえ、あるいはすれ
すれに飛翔しながら展開される日常異化作用のある作品は、ファンタジーの方法と
して私にはとても興味がある。(それには文体の問題が微妙に絡むかもしれないが)

ファンタジーブームなどといわれて次々出版されるそれらしい大きな物語の枠の
外で、この日常と微妙に交錯し、あるいは侵し、あるい姿をくらましながら、この
窮屈で一元的ななまの現実を異化し、おもしろがらせてくれる、ユーモアとファンタ
ジーに溢れた軽業師たちを期待するのは、私だけではないだろう。

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2005年09月02日

ニューオーリンズ

ニュースでニューオーリンズのハリケーンによるひどい災害の様子を見ると
いたたまれない気持ちになる。どんな災害でもそうだが、ニューオーリンズ
は14年も前のことだが、フレンチクオーターにあるホテルに何日か泊まり、
愉しい思い出をもらった街なのだ。バーボンストリートのホールでミントジュ
レップを飲みながら楽しんだジャズの数々。プリザベーションホールの前に
1時間以上も行列して、床に座り込んで聞いた地響きするようなかっこいい
バンドの響き!
あのピンクの化粧台のあった、マリー・アントワネットホテルはいまどうなってい
るだろう。それから夜のミシシッピを下るケイジャンクルーズの夕食で、同席した
スイス人夫妻と、サンフランシスコからやってきたと巨大なお腹をゆするアメリカ
人の夫とその妻。お祭り騒ぎだったあれらの日々の断片が、影絵のように、いま
脳裏をめぐる。
アメリカにいたとき、ニューオーリンズの話になると、だれもが嬉しそうな顔にな
り、目を輝かせたものだ。いろいろな陰影はあっても、旅人にとってあんなユニ
ークな出会いの街はめったにこの地上にはない気がする。だからいっそうつ
らいし、あそこに暮らすひとびとのために祈りたい。少しでも早く救いの手が伸べ
られるようにと。陽気だったあの人たちに穏やかな日々が戻ってくるようにと。
私たちにかけがえのない悦びと思い出をくれたあの街のために、今、切に祈りたい。

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2005年08月31日

しずかに流れるみどりの川

 ユベール・マンガレリの『しずかに流れるみどりの川』を読んだ。『おわりの雪』の著者が
1999年に小説第一作として発表したものという。『おわりの雪』は少年と父親の寡黙な
関係が、一羽のトビの飼育をめぐって、ひそやかに展開する物語だ。雪原を犬と歩き
続ける少年の心理が、雪の一片のように、読後心に溶けていく、そんな読後感があった。
大きなドラマは起こらないのに、マンガレリの文体は読むものの内部に消えがたい印象
を残す。
この『しずかなに流れるみどりの川』も、少年がその父親との貧しい暮らしのなかで、二人
で追い求めるガラスびんの植物への夢とか、草のトンネルをたどりながら、少年がひとり
育てる夢想の世界とか、その低声による語り口で、同じように読者の胸に深い香りのア
ロマを残す作品だ。知らず知らず、私は少年と同じ草のトンネルを歩み、室内に斜めに
さしこむ光のなかで、百個のガラスびんをのぞき、教会でローソクを盗み、神様に一緒に
お詫びしたのかもしれない。どこにもある暮らしというもののもつ語られない哀しさ、少年
の素朴な優しさは、とまどいながらも、私の戸口をたたく雨か風のように思われる。

 『しずかに流れるみどりの川』  田久保麻理訳 (白水社)

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2005年08月28日

樹の気持ち

この家は丘の上のマンションの8階なので、ベランダも地上よりはるか上にある。ベラン
ダから下を見ると、都会の中ながら、ちょっとした木々の茂みが青々としていて、緑の小さ
な森みたいだ。
ところで、今日、書斎のわきのベランダに置いていた鉢植えの通称「ジャックの豆の樹」に
油蝉が一匹とまってやかましく!鳴きたてているのを発見。蝉の声というのは近くで聞く
と、もう耳がおかしくなるくらいやかましい。耳を聾するとはこのことだと思う。
すぐ下にはあんなに豊かに木が茂っているのに、何もこんなにひょろひょろとした鉢植え
の若木にやってきて、縄張り宣言をしなくても…などと思うのだが、蝉の気持ちは今ひと
つ分からない。
何年か前、10センチばかりだった苗を買ってきておもしろがっていたら、たちまち野放図
に伸びて、いまや天井に梢がとどきかけ、何度も若枝を切ってしまったのに、樹はへこた
れない。それにしても蝉が止まったのは、初体験に違いない!私の耳にはジンジンうる
さいが、樹にとってはこれはどんなふうに聴こえるのだろう?波動が樹液を波立たせる
のかな…などと思う。蝉のとまる樹と、蝉のとまらない樹というのはあるのかしら、など。
いつかバルコニーに置いた鉢植えのかんきつ類の樹でアゲハチョウの卵が孵って、
羽化して飛び立つのを見送ったときも、私はやはりその樹に一目おいたものだった。
なにしろ樹はこういうことを淡々とやってのけて、知らんぷりして立っているのだから。

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2005年08月27日

夢という、不思議なもの

夢について、いい文章を読んだ。作品社から出た「夢」というシリーズの高橋たか子の一
文です。

(私の場合、目が醒める時、夜の間に生きていたらしい生活について、妙に豊穣なものと
いう印象とともに目が醒めることは事実である。断片的な記憶が去っていくことがないよ
うにと、しっかり意識にピンで留めておき、それを反芻していると、それを含んでいる夢の
時間全体の豊穣さが、髣髴させられる。ああ、いい生活を送っていたな、と感じる。その
生活を具体的に知りようがないにもかかわらず、そういう感じが残るのである。良い夢の
場合はもちろんそうだが、悪い夢の場合にすら、現実の世界にはないような豊穣さが感
じられるのは、なぜだろう。豊穣さというのは、なまなましさ、一杯に充ちている命、緊密
さ、などと言い換えてもいい。)
 このさいごの行をよむだけで、私はこの人の作品をきちんと読んでみたくなる。

(ネルヴァルの「夢はもうひとつの生である」にたいして、私は「夢は唯一の生である」とい
う言葉を提出しよう。)

(じつに不思議なことだと思うのだが、原稿用紙をひろげて、スタンドを灯すと、白い紙の
上に、明かりの輪ができ、その小さな場所から、私は何処にもない世界にたちまち入っ
ていくのである。)

(私は、夜は、いわゆる夢のなかで生活し、昼間は、小説という形式をもった夢のなかで
生活しているといった次第なのだ。その両者は無関係どころではない。深いところで一
続きになっている。両者の間で違う点は、夜のほうの生活については意識的でないのに
反して、昼間のほうの生活については意識的だということだけである。…いったい何処か
ら、知らない素材ばかりがこれほど出てくるのか、自分でも気味が悪いほどである。もし
かしたら、夜の夢のなかで体験しているが、その体験が知りようもないままに私の頭の
なかに蓄積されている、そんな無意識の記憶から、私は素材を取っているのかもしれな
い。だが確かにそうなのかどうか、それを知りようもない。)

私は大庭みな子の作品が好きだが、彼女と高橋たか子が、親しい友人同士であり
二人でよくこんな話を交わしたという文章を何かで読んだことがある。
背後に豊穣な夢を負って生きる人々が多い世は、昼の世もまた陰影の深いものになる
ような気がする。そのような人々の出会う世の中はまた、含蓄の多い言葉が交わされる
世の中でもあるだろう。
ところで私は今夜どんな夢をみるのだろう。予想できないところが夢の魅力だけれど。

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2005年08月24日

ウイキョウ

明日は台風が来るということで、バルコニーの鉢や、外に出してあった「ベンジャミン」や
「ジャックの豆の木」などを片付けたり、室内に入れたりする。
以前も書いたけど、花屋さんにもらった”グロキシニア”の鉢を見たら、いつのまにか新し
い蕾がいくつもついている! あまり世話をやかないで放っておいたのが、よかったの
かも。
また、バルコニーではウイキョウがどんどん増えつづけて、あちこちのプランターで1,5
メートルくらいに伸び、この夏もレモン色のレース状の花をいっぱいつけていた。(そのう
ちウイキョウの林になりそう)。今日はその熟した実を摘んで、バジルの葉と冷蔵庫の中
のローズヒップティーとをブレンドしてお茶にしてみた。キャンドルウオーマにのっけて、
ゆっくりゆっくり温めて。
そうしたら癖がなくておいしいお茶になった。ウイキョウの種はそのまま噛んでいても、
甘くて、香りがあり、おいしかった。そういえばインドへ行ったとき機内でフェンネルを配ら
れたことを思い出した。
ウイキョウは目にもいいと昔から信じられていたという。消化を助ける実力はほんとに
あるらしく物の本にもそう書いてある。
それにしてもいろんなハーブ類の鉢があるのに、あまり実用に供さず、もっぱら水をやり、
見ているだけなのだ。
ローズマリー、タイム、バジル(これはもっぱらトマトと一緒のサラダなどに愛用する)、
チャイブなどが折々に花を咲かせてくれるし、いろんな種類のセージもブルーの花を咲か
せてくれる。

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2005年08月19日

カミナンテス

カミナンテス(旅人たちという意味)というフォルクローレのグループからCD[わが道づれ」が送られてきた。以前私が上福岡に住んでいた頃からの友人夫妻、高橋正樹さんと葉さんを中心にした5人のメンバーのグループだ。
あのころ、よくコンサートできいた曲、そればかりでなくある夜は我が家のリビングで、またある夕べは高橋家で、としばしばたのしませていただいたレパートリーの数々をまたこうしたかたちで耳にできるのは嬉しい。
ヌンカという曲は私がその頃つけた詞によって歌われていて、それにもびっくりしたし、懐かしくも思った。あれらの日々から、もう20年近くは経っていると思うのだが、それにしても若々しくロマンチックなご夫妻の歌声は変わらない。
     
             「空はどうして藤の花の上に
             冷たい雨をふらせるのだろう
             水はかよわい花を痛めつける
             まるで人生が私を痛めつけるように」

という高橋 葉さんの語りの入る「空はどうして泣いている」という曲を、今日はことさら懐かしく聴いた。
これからもフォルクローレへの尽きない夢を抱いて歌い続けてほしいと、カミナンテスの仲間へ心から声援を送る。

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2005年08月18日

銅版画展

Gallery元町で田代幸正さんの銅版画展をみる。田代さんの「野兎」という銅版画を私は一枚だけ持っている。
それはもう何年か前に出会って,ふしぎに心ひかれた作品だった。彼の絵には既視感と、ある懐かしさがあって、その背後に秘められた物語性を感じる。人が生きてそこで静かに呼吸している空間みたいなものが、私を誘う。その版画も、ひとりの少年が兎を抱いてこちらを見ている…ただそれだけなのだが。
それからもう一枚、傘をさした少年が大きな犬を連れて雨の中をあるいている小品。これはプレゼントされたもの。地に落ちて跳ね返る雨の感触、あたたかな動物の手触り…。

私は兎を抱く少年にひそかに名をつけていて、いつか物語のなかを歩かせてみたいなあ…と思っている。

ギャラリー元町は彼の絵を見るのにふさわしいスペースだった。彼はそのセピア色の光の底で、グレン・グールドのCDをかけ、鉱物やアンモナイトのことを話した。残暑の窓から入る斜めの光も、空間を涼しく異質なものに感じさせる。そういう時間はとてもすてきだ。

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2005年08月17日

旧制高校

60年も前の旧制松本高校の学生たちのインターハイや駅伝の記録をビデオで見ることができた。
亡兄の友人であったY氏から拝借したものだ。それは昭和21年10月の映像なのだが、若者たちはあの敗戦直後の貧しい食糧難の時代にも、なんとあっけらかんと、生き生きと、精一杯若さをたのしんでいることか!寮歌を歌い、ストームをし…。(そこは男ばかりの世界だが…。)
雨のふるフィルム越しに、かれらの生気あふれる姿を眺め、その後に過ぎた年月と、今の時代を思って複雑な気持ちになる。

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2005年08月16日

誰もひとりでは立てないところ

今日はエルビス・プレスリーが他界した日。あれからもう28年も経つ。CDを聴いているけれど、
彼の歌声ははなぜいつまでも古びないのか…というより年毎に新しくなるのかが不思議。

彼の歌ったゴスペルのなかで、私がもっとも心にしみる曲、その詞を書いてみたい。 機会があったら
聴いてみてください。

            WHERE NO ONE STANDS ALONE

            Once I stood in the night
            With my head bowed low
            In the darkness as black as could be
            And my heart felt alone and I cried oh lord
            Don’t hide your face from me

            Like a king I may live in a palace so tall
            With great riches to call my own
            But I don’t know a thing
            In this whole wide world
            That’s worse than being alone

            Hold my hand all the way,every hour every day
            Come here to the great unknown 
            Take my hand let me stand
            Where no one stands alone
            Take my hand let me stand
            Where no one stands alone
             
         
                 

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2005年08月14日

万葉集

鈴木ユリイカさんから「MAN’YO LUSTER」(万葉集の英訳)という本が送られてきた。
それぞれの歌ごとに美しいカラー写真の入った本で見ているだけでも愉しい。
英語で万葉集を読むことができるのは楽しみだ。リービ英雄その他による。

佐保河の小石ふみ渡りぬばたまの黒馬の来る夜は年にもあらぬか

(さほがわの こいしふみわたり ぬばたまの くろまのくるよは としにもあらぬか)
これは藤原大夫に大伴郎女のこたえた歌とのこと。
《佐保河の小石を踏み渡って宵闇の中をあなたの黒馬の来る夜は、年に一度で
もあってほしいものです》
私は黒馬というイメージにとらえられたみたいだ。

Would that,
even a single night a year,
your pitch‐black steed would come,
   treading over the pebbles
   in the Saho River

これを英訳で読むと、(私には)小石を蹴るひずめの音が聴こえてくる。
不意の連想…漱石の夢十夜のなかで、白い裸馬に乗ってまっしぐらに
駆けてくる女の図。黒馬と白馬、男と女はちがうけれども。

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2005年08月12日

メイ・サートン

昨夜、メイ・サートンの、すてきな言葉をまた一つ見つけた。
これは、高橋茅香子さんの「英語となかよくなれる本」のなかで見つけた一節だ。メイ・サートンが八十歳の一年間を綴った『アンコール』という著書に記されているとのこと。

「もし私が四十歳で—彼は今四十歳なのだ—結婚していなかったら、絶対に彼に結婚してほしいと迫っただろう。彼が普通の男性とちがうのは、ロマンチックだということ……わたしたちはいろいろなことについて語りあった。幸せでいる義務、そして自分のまわりの世界つまり人間、植物、花、天候などを楽しむ義務を持ちながら、現代がかかえている苦しみや恐ろしさをできる限り意識していなければならない、と語りあった」

これは「あなたに似た人の書いたもの」という章のなかに引用されている。私はメイ・サートンの愛読者だが,この『アンコール』という著書はまだ読んでいなかった。このように共感する著者の文の中に、また別の作家のすてきな言葉を発見するのは二重の悦びでもある。

特にこのなかで、「幸せでいる義務」という言葉が心に刻まれた。これははっとするような印象的な言葉で、私はこれからも折につけ、この表現を思い出すことだろう。

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2005年08月11日

むかご

福岡の日嘉まり子さんから、おにゆりのむかごが3粒送られてきた。「すぐに蒔いてください。来年(または再来年)の五月ごろ花が咲くそうです」とある。このむかごは「平成9年7月、中国山西省の五台山の佛光寺の境内で拾ったむかごの子孫。以後6年間日本で咲き続けています」とのこと。彼女も知人からいただいたとのこと。バルコニーでも咲くかしら?と不安だが蒔いてみよう。日嘉さんは去年もツタンカーメンのえんどう豆の種を送ってくださった。それは見事にいくつも莢を実らせてくれた。種をとったのに今年は蒔くのを忘れてしまった。来年は必ず蒔くことにしよう。

何年も前から、バルコニーではシルクロードからやってきたという濃いピンクの朝顔が、夏ごとに落ちた種から花を咲かせてくれる。見ていると、それはだんだん空へ上っていく音符のように見える。

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2005年08月10日

読書会のことその他

フォーラム横浜でのさいごのたこぶね読書会があった。テキストは恩田陸の「夜のピクニック」だった。
後味が爽やかという意見が多かった。本来なら屈折した感情を抱いた人間同士の葛藤があるはずのとこ
ろを、情念の絡み合いへは降りていかず、若者たちが知的な目で、行動的に解決へ向かうのは、この著
者の資質なのかもしれない。あるいは個々の人間の惑いや内面の悩みそのものよりも、それらを包むトポスの働きに関心があるのかも…などと私は思う。それにしてもさまざまなキャラクターを書き分け、関係づけていく筆力、また一昼夜の歩行祭を、読者にも飽きさせずに、同時体験させるような筆力には感じ入った。出席者は9人だったが、それぞれいろんな感想や意見が出て、それがひとりの読書と違うおもしろさなのだ。この次は場所を変え「ペンギンの憂鬱」を読むことになった。

帰ってから、ベイスターズのファンである私は、大魔神佐々木のさいごの試合をTVで見る。涙を浮かべた
清原とのさいごの対決。マウンドで一瞬抱き合う二人の姿を見て、かれら二人だけのひそかな記憶のフィ
ルムを巻き戻して、覗いてみたい気がした。

昨日新聞で元文学界の編集長だった西永達夫さんの死亡記事を読んで愕然。彼は大学時代も卒業後
も、若い日々を通して忘れられないいい友人だった。最近は会うこともほとんどなかったが、かつての爽
やかな交友の日々がしきりに思い出されてならない。いちにち淋しい。

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2005年08月08日

エッセイの愉しみ

高橋茅香子さん(私の英訳の先生)から、新刊の文春文庫「英語となかよくなれる本」が届けられた。
この本は以前晶文社からの単行本で読ませていただいていたが、実に愉しくて、なぜか元気の出てく
るエッセイ集だった。
英語を使って何かしようという読者であろうとなかろうと、帯にも書かれているとおり、「料理、コミック、
音楽に朗読、旅とミステリー、読みたい本、外国人と付き合うヒントetc.」、なにしろ愉しくて、肩がこら
ず、いろいろ目からうろこが落ちる一冊なのだった。おもしろくて、かつ得るところの多いエッセイは少ない
ものだ。いままたこの文庫本を手にできて、身軽に持ってあるき、新たに付け加えられた章とともにもう一
度読み返せる楽しみができた。

なお、著者には、アリス・ウオーカーの「メリディアン」(ちくま文庫)、アドリエンヌ・リッチの女性論
「女から生まれる」(晶文社)などをはじめとして、その他多くの訳書がある。

投稿者 ruri : 20:40 | コメント (2) | トラックバック

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2005年08月07日

恩田陸のファンタジー論

今度の読書会のテキスト、恩田陸の「夜のピクニック」を読み続ける一日。
朝の8時から翌朝の8時まで全校生徒で過酷な一昼夜を歩き通す歩行祭という行事を舞台に
思春期の若者たちの微妙な心理が語られていて結構引き込まれて読む。たいしたドラマがお
きるわけでもないのにこの淡々と続くモノローグ的な長丁場を飽きさせず読ませる筆力に感心
しつつ、立秋の日の相変わらずの暑さをしのぐ。

かつて恩田陸は「ファンタジーの正体」という一文で、以下のように書いている。
「ファンタジーというのは、戦争の話である。…もっと正確にいえば「秩序を取り戻す
話」とでも言い換えるべきだろうか。」「そもそも、戦争というのは、世界の中での均衡
が失われ、バランスの歪みに耐え切れなくなった時に起こるものだ。そして、戦後処
理とは新たな秩序の始まりを意味する。日々のニュースを見ても、今まさに、人工的
かつ欺瞞に満ちた秩序を作るために、かの国で終戦工作が行われているではないか。」
「かつてトールキンの「指輪物語」が書かれたのは第二次世界大戦の暗い世相下で、それが
アメリカ学生のバイブルとなったのはベトナム戦争の70年代。…そう考えると、この戦乱に
溢れた世界でファンタジーが流行ることの皮肉を思わざるを得ない。」「世界は秩序を、賢者
を、失われた倫理を取り戻すことを切に求めている。魔法の杖の一振りで、失われたものを
取り返すことを願っているのだ。それは逆に言うと、いかに世界が多くのものを失い,この世
に魔法も奇跡もないことを実感しているかということの裏返しだ。世界はヒーローを求めている。
秩序を回復してくれる聖なる存在を,だれもが血眼で捜しているのだ。「聖」や「神」という言葉
がこれほど安売りされている時代もない。」…しかし「ファンタジーの主人公たちの最後はいつも
虚しい。成功の後には、長い虚無の時間しか残されていないのだから。」「ラストで突然50年
後くらいに話が飛んで、数々の業績を成し遂げた老齢のハリーが、ロッキング・チェアかなんか
に揺られて、あの親戚の家の、階段の下の部屋を懐かしく思ったりしていなければいいのだが−
まさかね。」

投稿者 ruri : 21:24 | コメント (2) | トラックバック

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2005年08月06日

アイスクリーム

このところヒポカンパスの詩の原稿に追われていて、さっぱりブログを入れる
ことができなかった。
昨日も猛暑でもう夏ばて気味。そんな日はアイスクリームに限る。昨日はハ
ーゲンダッツのラズベリー、その前の日はバニラ、そのまた前の日は抹茶だった
かも。
それにしても子どものころ、冷えた銀のカップにのせられたシンプルなアイスクリー
ムはおいしかった。添えられたウェハースやクッキーの軽やかなはかなさも。
凝りすぎの濃厚なアイスクリームを前にしていまさらのように子供のころを思い出す。
話がとぶけれど、かのクラリネット吹きのジョージ・ルイスのレコードに「アイスクリーム」
という名曲があった。すてきだったあの曲!今夜また聞こう。

投稿者 ruri : 14:45 | コメント (0) | トラックバック

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2005年07月25日

花火

山下公園の夏の花火はこのマンションからもよく見えるので、毎年楽しみにみている。
あたりに高い建物がないので、ここからはいろんなところの遠い花火まで見えて、たのしい。
花火というと、私はいつもヘッセの「クヌルプ」を思い出す。15歳の遠い!むかしに、兄が教えて
くれた本だけれど、忘れた頃にまた読み返したりすることがある。そのころ読んだ訳の題は「漂泊の魂」
(相良守峯訳)となっていて、これも名訳だと思う。さすらいの魂を抱いて短い一生を生きたクヌルプが、
語ったのは、美とは何か…についてだった。

花火と少女のもつ美の儚さと魅力について話すとき、「…僕は夜、どこかで打ち上げられる花火ほ
どすばらしいものはないと思う。青い色や緑色に輝いている照明弾がある。それが真っ暗な空に上がっ
ていく。そうして丁度一番美しい光を発する所で、小さな弧を描くと、消えてしまう。そうした光景を眺めて
いると、喜びと同時に、これもまたすぐ消え去ってしまうのだという不安に襲われる。喜悦と不安と、この
二つは引き離すことが出来ないのだ。そうしてこれは、瞬間的であってこそ、いっそう美しいんじゃない
か。」
「あの幽かな魅惑的な多彩の火柱、暗闇の中を空に打ち上げられて、見る見るうちにその闇に溶け込ん
でしまう。それは美しければ美しいほど、あっけなく、そしてすばやく消え去ってしまう、あらゆる人間的な
喜びの象徴のように私には思えるのだった。…」

死後、何十年も経ているが、この本の読後に、若いまま逝った兄はこの物語をどんな気持ちで読んだの
かなあ…とときどき思うことがある。(訳は一部なおしてあります)

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2005年07月16日

グロキシニア

昨日町を歩いていたら行きつけの花屋さんの前で突然声をかけられ、「一体何を考えながら
歩いているの?」という。よほどぼんやり歩いていたらしい。あわてて「しその苗がほしいな
と思って…」などと取り繕うと、(ほんとにそう思っていたのだが)「しそはもうないけど…これをもって
行きませんか」といって大きな分厚い葉のなかに蕾がいくつか覗いている苗の鉢を押し付ける。
グロキシニアといっていまごろは傷むことが多いが、という。グロキシニアときいて、とっさに浮かんだの
は高村光太郎のあの詩だった。智恵子抄の巻頭にある「人に」という作品。

(いやなんです/あなたのいってしまうのが)ではじまる詩だ。
後半に(ちゃうどあなたの下すった/あのグロキシニアの/大きな花の腐ってゆくのを見る様な/
私を棄てて腐ってゆくのを見る様な/空を旅してゆく鳥の/ゆくへをぢっとみている様な/浪の砕け
るあの悲しい自棄のこころ/はかない 淋しい 焼けつく様な/)というくだりがある。

多分高校時代に読んだのだと思うが、私のなかにグロキシニアという花の響きが焼きついた?のは、
たぶんこの詩によってなのだ。おもしろいなと思う。そう思いながら(そうかグロキシニアってやっぱり
腐りやすい植物の一種なんだ…とベランダに置いたまま、押し付けられてやってきたちっちゃな鉢を
覗き込んだ。それにしても、果たして花は咲くのかなあ?

投稿者 ruri : 13:42 | コメント (2) | トラックバック

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2005年07月15日

原宿での朗読会

一昨日、原宿で開かれた「集」創刊号の朗読会に参加した。鈴木ユリイカさんがずっと原宿で
続けておられるAUBE面白詩の会の方たちと初めてご一緒した。かわるがわる自作の詩を
朗読。欠席の方の詩は代読され、私は自作を読んだあとはもっぱら聞き役になって楽しんだ。
このような会を15年?(間違っていたらごめんなさい)もつづけているという、たゆみないその
エネルギーの持続に打たれる。
第2号からはSOMETHINGという題になるそうだが、全国的な広がりで女性の書き手たちが
誌面に展開するこの時代の表現に興味がある。
終わってから、近くの中華の店で飲んだり食べたりのひと時。久しぶりにユリイカさんと話し合
う時間があってよかった。それに個性的な面白い方たちもたくさんいらっしゃる。
いろんなこともあるだろうけど、それぞれの場所でみんながやれることをやるのがいいのかも。
どこかで触れ合いを持ちながら…。
それにしても久しぶりに訪れた原宿の変貌ぶりとキラキラぶりにもびっくり。
                                                    

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2005年07月13日

夢十夜

隔月に開いているファンタジーの読書会で、昨日は漱石の「夢十夜」を読む。
ファンタジーといっても間口が広いので、これもその範疇に入れてしまって、
夢のイメージの多様な読み取り方を楽しむ。ユングでいうと、彼のアニマともいえるものを
あまりにもくっきり浮かび上がらせる第一夜の女の「黒い眸」「真珠貝」「星の破片」「真珠貝
の裏に映る月の光」「墓標のそばで百年待つ男」など、古典的なイメージの連結による
かっちりした詩的構成に、漱石の無意識の深みをのぞく意識の強靭な光と表現力をあらた
めて感じる。表現者というものはすごいものだと思う。夢は外部に表現されることで、初めて
万人の夢として立ち上がるものなのかもしれない。ひとびとの共有財産として。

もう一つ心に残るのは、青坊主を背中に負って歩む第三夜の夢だ。あれは「文化五年辰年だろう」
「御前がおれを殺したのは今から丁度百年前だね」、と背中の子どもがいうくだりにくると、
何度読んでも背中がぞくぞくする。漱石は人類のシャドウを自己の内部に負っていたという
解説はユング心理学派の秋山さと子さんの説だ。

メンバーのそれぞれが持ってきた夢についての報告もあって、それは次回に持ち越し。
どう展開するか次が楽しみだ。つづきはまず第六夜からになる。

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2005年07月10日

ロシア〜金の時代、銀の時代

この前のモンゴルの詩と音楽のシリーズに続き、昨日は「ロシア〜金の時代、銀の時代」の演奏
会を県民ホールで聴く。清楚な感じのイリーナ・メジューエワのダイナミックなピアノの演奏と、華や
かなエレーナ・オルホフスカヤのソプラノ歌唱と詩の朗読は見る楽しさと、聴く楽しさの両方を満足
させてくれた。
特に私は《展覧会の絵》とともに朗読されたツヴェターエワや、アフマートワ、マンデリシュターム等の
詩の響きの美しさにぞくぞくした。なぜか分からないのだが私は耳から入る響きでいうと、いろいろな
言語のなかでも特にロシア語とイタリア語に惹かれるからだ。
また昨日は会場で偶然詩人の山本楡美子さんに出会えて奇遇を喜んだ。
来年もこのような企画を立ててほしいと思う。

終わってからすぐ近くの会場FLOWERへ。現代詩人賞受賞の平林敏彦さんを祝う会に出る。
絹川早苗さんや村野美優さんなどと歓談。

投稿者 ruri : 21:25 | コメント (0) | トラックバック

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2005年07月02日

サテュロス像

愛知万博まで、憧れのサテュロス像を見に行く。シチリア沖から二千年ぶりに
引き上げられたというあのサテュロスだ。上野以来の再会だ。
イタリア館の大きなガラス球?の中心に据えられて、照明も凝らされ、はるばる
追っかけをやった甲斐があった。もう二度と見る事は出来ないだろうと、相棒の
絹川早苗さんとイタリア館に二回も出入りして、ガラス球の内部であきずに見上げる。
それでも決して満足はしないけれど。
サテュロスはイタリア館の目玉なので、ショップはサテュロスグッズのオンパレードだ。
仕方ないか…と思いながらもちょっとこれには食傷気味。
ランチは2階のカフェで赤ワインとトマトとモツァレラのサンドイッチ、それに絹川さん
の朝茹でのコーンをこっそり。ここはとても心地よいスペースだった。
その後はスペイン館(歌と踊り!)とトルコ館(瞑想的)を見ただけで引き上げる。
それだけでも滞留5時間。たどり着くまでが4時間。結構くたびれる。
翌日、名古屋のボストン美術館をゆっくり見られたのは収穫だった。
帰ってから、サテュロスの陶酔的生命感をモーツアルトのディヴェルティメントで、
まぶたの裏に再現している。

投稿者 ruri : 10:36 | コメント (0) | トラックバック

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2005年06月26日

ヒポカンパス

渋谷で詩誌「ヒポカンパス」の仲間(岡島弘子、相沢正一郎、井上直さんら)と2号に寄稿をいただいた
新井豊美さんの5人で集まって、長編詩についての座談会をやる。岡島さんの誘いに乗り、かなり
受身にこの詩誌に参加した私だが、他の仲間たちの真摯な取り組み方に刺激を受ける。
ああ、私はどうもまじめさが足りないよなあ…と反省。詩を書くのにも1篇ずつに計画性がない。
どこか自分の中にある他力?本願である。
それにしてもそれぞれの作品や実際の書き進め方をきいていみると、それぞれの個性が掛け値なしに
あらわれているようで、やっぱり私の行き当たりばったりの楽天性は、もはやリセットのしようがないの
かも…と半ばあきらめがちの今夜だ。

まあ、それはそれとして、湿気にすっぽり覆われたような真夏の暑さ。そのなかでベランダには空色
のセージの花、黄色いレースのウイキョウの花、アジサイの青と赤の鉢植えがそれぞれにすがすがし
い。それぞれの作品?がそのままで生き生きと…している。

投稿者 ruri : 20:52 | コメント (0) | トラックバック

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2005年06月20日

馬の博物館

先日馬頭琴のコンサートへいったせいか、その流れで昨日は根岸にある「馬の博物館」
を訪ねた。もう何回もいったところだが、今はエンペラーズカップ100年記念とかで、競馬
に関する資料が展示され、江戸時代の屏風絵なども出ていて珍しい。別室では世界の作家
たちによる馬の画がたくさん並んでいて、ロートレックの絵も2点あった。
隣室では馬頭琴を間近に見られて、あの悠然とした響きがこの馬の尻尾の毛から発していた
のだと確認し、また不思議な気になる。夏の草原に風に吹かれて立つ一頭の馬のイメージの
うつくしさ(!)は、生命そのものの象徴のようだ。
外に出てポニーセンターまで好きなサラブレッドのトウショウファルコに会いに行ったのだが、ちょうど
小屋の中に入っていてちらっと横顔を拝めただけだった。残念。

月とバイオリン、空飛ぶ魚、さかさまになった踊り子、そして大きな目の青い馬。それは私が
カレンダーから外したシャガールの画だけど、なぜかトイレの壁(シャガール、ごめんなさい!)
にいま貼ってあって、毎日みている。シャガールの馬は人間語が分かるに違いない。

投稿者 ruri : 13:28 | コメント (2) | トラックバック

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2005年06月15日

馬頭琴

近くのホールで、詩と音楽のシリーズという催しがあって、その第一回目を聴きにいった。
一回目はユーラシアの響き「モンゴル〜草原を渡る風」というテーマで、馬頭琴の演奏と歌と
詩の朗読をきくことができた。馬頭琴の調べは、まさに草原の風から生まれたような響きで、
緩急自在な美しいそのl響きをきいていると、自分が風に乗ってはるばると宙を浮遊している
気になった。都会のちまちまとした小さな扉や窓によって区切られた空間から生まれた音では
ないし、そんなところでは生き延びることもまれな音をきいたと思った。
演奏のチ・ボラグとチ・ブルグトとその仲間たちの、親愛感に溢れた舞台もすてきだった。

ふと作家町田純のネコのヤンのシリーズを思った。そのなかの「草原の祝祭」で、ネコのヤンが
幼い樅の木のてっぺんに銀の星を飾るシーンだ。

(まっ青な空の下、草原には心地よい風が吹いていて、ボクが一つ一つぶら下げていくと、ぶら
下げたばかりの星や球や鐘(ベル)がユラユラと揺れていった。
たちまち風は銀色になってまたどこかに走っていった。
するとまた別の風がゆっくり吹いてきて、今度は銀色の光を浴びて、ぐるぐるまわりを舞っていた。)

目路のはるかまで広がる草原のなかを風に吹かれながら歩いていきたい。どこかでネコのヤンと
カワカマスに会えそうな気がする。

投稿者 ruri : 22:52 | コメント (2) | トラックバック

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2005年06月12日

湿生花園

急に思い立って、朝7時頃家を出て箱根の湿生花園にいく。「ヒマラヤの青いケシ」
と「ニッコウキスゲの群落」がお目当てだったのだけど、雨上がりの緑のさわやかさ
と、どこまでも続く山野草の花たち、そして木の花もいろいろ。
今日ははじめての真夏を思わせる一日。でもそれほど暑さを感じなかったのは木陰
を吹く風のおかげかもしれない。なにより感心したのは植物につけられている名前の
みやびなこと。あらためて今頃日本語の美しさを花々から教わった感じさえする。イブ
キトラノオ、コマクサ、コウホネ、サンショウバラ、トキソウ、ヤマボウシ、レンリソウ、
ハマナス、ハクサンフウロ、ヤマオダマキ…その他いっぱい。
これからそのいわれを調べるのが楽しみ。

投稿者 ruri : 21:37 | コメント (1) | トラックバック

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2005年06月10日

梅雨入り

梅雨入り宣言が出て、ベランダのノカンゾウの花の上に雨が降りしきっている。
はがきの詩画集のシリーズが一段落したので、好きな本や言葉など、折々に
入れてみたいと思います。

(…私は詩を書いていたが、そうすることによって、私を超えて偉大な何ものか、少なくとも
私自身ではない何かに仕えていた。人は自分を追跡することで、「自己発見」をするのでは
なく、その反対に何かしらほかのものを追跡し,なんらかの規律あるいは日常の仕事(たとえ
それがベッドメーキングのような日課であってさえ)をとおして、自分が誰であり、誰になりた
いかを知るのだ。)メイ・サートン「海辺の家」(武田尚子訳)より

またこういうことも書いている。
(しかし私は、女であるばあいには、人間として充実した人生を送りつつ最高度のオリジナルな
仕事をすることは不可能に近いという、私自身のかたくなな見解につきあたるのである。)
と、どきっとするような言葉もある。メイ・サートンの本はどれも立ち戻ってまた読みたくなる。
ちなみにメイ・サートンはすぐれた庭造りの名手でもあった。彼女は生涯詩を書くのと同じように
手を抜かずに庭をつくり続けたのだろう。

投稿者 ruri : 16:08 | コメント (1) | トラックバック