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2005年07月24日
happyということ
ここまで書いて、昨日あたりから、なにかをしきりにわたしは考えていた。この a happy blog−明かるいブログ というタイトルに惹かれたのだ。というより誘われたのだ。とわたしは思っていた。わたしはこの数年
、わたしらしくない、というよりとても難しい詩、戦争、子どもの不幸な事件、原爆などをテーマに書いていて、へとへとにつかれていたのだおもった。勿論、それはわたしにとつて重要なことではあったし、それを
書いていることに後悔はないけれど、たまには軽いものや、あかるいものや、無防備なものややさしい
気持ちが必要であり、手放しで嬉しいことがあつてもいいではないか、と思ったに違いない。そういうことはつまり、happyなことはだいすきだし、おいしいお酒でも飲むみたいに味わってみたいと思ったのかもしれない。でも、苦しいことと幸せなことを、どうじに考えたり、かわるがわる考えたりすることはとてもむずかしくもあるけれど。まあ、能力もあまりないのだから、やれることまでやればいいとおもうけれど。
たとえば、ランボーが「地獄の季節」というとてもロマンチックな苦しい詩を書いてから、「イルミナシオン」という明るい何ともいえない詩的言語によって、思想や生き方をつくりあげたということは驚異なのだが、あれはどちらが先に書かれたものなのだろう。ラコストというこうひとの説によれば、「地獄の季節」が
先で「イルミナシオン」が後であるといわれているけれど。けれども、わたしは同時にあちらこちらと書かれたのかもしれないと思う。もし同時にかかれたとしたら、かれはどのように彼自身をコントロールしたのだろう。あるいは、それが自然だったのかもしれないとも思う。happyになったり、unhappyになったりしながら
自動的に生きていくのだろうけれど、この二つのことをどうじに書くのは難しいのだとおもう。でも、現代は
この二つのことをバランスをとりながら、いきることを要求されているのかもしれない。
投稿者 yuris : 2005年07月24日 00:33
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コメント
ユリイカさん
ときどきあけて、ブログおもしろく読んでいます。
ではこのところしんどかったのですね。
でもどんどんハッピーな気持ちになることも書いてください。
世の中、あまりに不安なので。
投稿者 青い石 : 2005年07月25日 15:51
ありがとう。わたしもhappyなことをどんどんかいてHAPPYになりたいです。でも、そうなれるかどうかわかりません。これはわたしだけでなく、あなたもそうではないか、と思います。ただ、わかっていることは、前とは違ったことがどんどん新しくおこっているということです。ですから、ちいさなことでも昨日考えられなかったことが起こり、面白くもあり、怖くもあるのです。たとえば、今日私の友達とわたしと私の夫の3人は一週間まえまでは全然知らなかったマンションにいて、料理をしたり、ビールを飲んだりしていたのですが、台風がやってくるというので、三角窓を閉めようとしたのですが、全然閉まらないので、ひとりは金槌でがんがんたたこうとしたのですが、突然、閉という小さなボタンを押すとしめることができたのです。これは夢ではありません。夢ではないということが
文章にした場合ちゃんと伝わるかどうかが問題です。そこで人が
一生働いて得ることができるマンションというものに非常に具体的にショックを受けたからです。とても立派なマンションでした。
それなのに、そこに住んでも幸せになれるかどうかわかりませんでした。わたしにいわせれば、建築家に想像力が足りないのではないかと思ったのです。ようやく、自分が何をいいたいか、わかりかけてきました。
投稿者 aoiuem : 2005年07月26日 18:38