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2006年06月28日
「はじめての海」丸山由美子
「はじめての海」 丸山由美子
一度だけ
海に連れて行ってもらつたことがある
開けっ放しの列車の窓から見えた松林まで
フライパンのような道を
みんなでもう一度
うす焼きたまごになってひき返した
潮の満ち始めた海はきらきらと
ずうっと遠くまで水着を着たおとなやこどもがいて
どうしてだか突然 ぽつんと
私の家は七人家族なのだと思った
それから父や母を大好きだと思った
それから満潮の海はギラギラと傾き
どこまでも広がって 高く高く
広がって
夕方近く私の手や足がおとなしくなって
もうそろそろ海の家から帰る気分で
最後にかきごおりを食べた
さし向かいのテーブルのもも色のお山のてっぺんから
耳のすこし遠い末のおとうとの
らっきょうのような顔が笑っている
もっとその他に留守番をしている祖母も
音のない潮風が吹く中で
みんなでしつかりと
雲と雲とのようにくっつき合って食べていた
何という何という詩なのでしょう!
丸山由美子さんはわたしと二つしか年が違わないので、ちょうど戦争が終わったばかりで家族で
海にいくなどということは大変幸せな事件だったということがわかります。ただそれだけで幸せだったのです。幸いなことに誰も戦争に行って死んだ人がいないということも大変な幸運だったのです。
ところが、アメリカではクリントン大統領の頃、子どもはもう親より豊かな生活ができないということが分かって
あまり幸せではなくなったそうです。その頃、アメリカにいっていた日本人はアメリカとは大変な国だなと感じたそうです。でも、日本がいまちょうどそうなつたそうです。ニートがたくさんいて、3万人以上自殺者
がいて、殺し合いがいたるところであるようになったわけです。
90年代の半ば頃まで、日本はあまり犯罪がなく、夜ひとりで外出してもいちばん安全な国だと外国人が
感嘆していたそうです。
だからこそ、この詩があまりにいい詩に思えるのでしょう。
こういう幸せより他になにかあるのでしょうか?
2006年06月25日
谷内修三さんのブログ
面白いブログみつけました。
「詩はどこにあるか。」
というブログです。
ここにあるよ、といってるようなブログです。
http://blog.goo.ne.jp/shokeimoji2005
2006年06月16日
『something3』がでました。
世の中がくらいのに、生きるのがそれほど簡単ではなくなっているというのに、それでも詩はなかなか面白いし、ひとを感動させる力を持っているという、その確かさを感じました。
「一人一人の世界が楽しくて、ついつい引き込まれてしまいました。読み終わると不思議なことに、みんな親しい友人のようにかんじます」尾崎与里子さんから感想頂きました。最高のことばでした。わたしは
そんなふうな詩誌をつくりたかったのです。
尾崎さんは長いながーい間、アルツハイマーのお母さまの介護をなさっていたのですが、その合間を
縫って詩を書かれました。
「子守唄」 尾崎与里子
食事を終えて
テーブルの籠に盛られた
オレンジとレモンの
艶々した果皮を見ている
……夏のさかな
魚たちは飛び跳ね
小さく流れている子守唄の歌詞が
とぎれとぎれに耳に入ってくる
母は今 ひどく渇いて
死の床にいる
私の目の前の果実の丸い重なりは
囓れば私のひとときをいきいきとと潤すが
手を差しのべても
手を握っても
祈っても
母は
渇いたまま死んでいくのだ
さょうなら
私の唇から懐かしい甘酸っぱさが飛び散る
(唄はガーシュインの「サマータイム」より」