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2006年09月12日
「平凡な情景」清岡卓行 追悼
平凡な情景 清岡卓行
気紛れのように そのとき
なぜ この眺めを
憶えておこうと思ったのだろう?
たぶん その奇妙な反芻が
大きな理由になっているのだ。
古く平凡な情景のいろいろが
いつまで経っても ときたま
私の頭の中を
色鮮やかな雉か なにかのように
飛びすぎていく。
たとえば 太平洋戦争の直前
十八歳であった夏休みの ある夜。
生れ故郷大連の家で 私は
兄と姉と 大きな楕円形の食卓を囲み
夜を徹しておしゃべりをした。
椅子の下は 緑のリノリウムの床。
窓の網戸も 同じ緑であったが
その細い針金は すこし錆びていた。
午後三時頃 網戸の向こうの
風のない暑い庭で 動物のように
噎せかえっていた 草木の暗闇。
また 戦争の様相が暗澹となっていた
二十一歳の冬の ある夜。
痩せ細った学生の私は マントの中の
孤独な寒さを むしろ愛しながら
下関の黒い桟橋に 立ちつづけていた。
戦争で殺されないかぎり ときどき
大連の父母の家に帰省しようとし
潜水艦の魚雷で 明日の命もわからぬ
朝鮮海峡を渡ろうとしていた。
そのとき私が 一心につながっていた
怖ろしく長い 無言の行列。
さらには 敗戦から二年経とうとする
二十四歳の初夏の ある午後。
大連に残っていた 少数の日本人の
子弟のための<日曜学校>で
臨時の教師であった私は
放課後 誰もいない廊下の窓から
雨あがりの外を ふと眺めた。
そのとき 校庭のむこうで
澄みきった青空を背景にし
日没に近い太陽に きらめいていた
生れ故郷の 緑の山の美しさ。
そのほか なぜか 私の場合
多くは戦争にからんで。
『固い芽』より 続・清岡卓行詩集・現代詩文庫126 1994・思潮社
私はこの詩がとても好きなのですが、その理由は? と聞かれると、なかなかうまく答えられそうもありません。答えられそうで、いざ答えようとすると、答えられないといったほうが正確なのだと思います。多分、
この詩はわかりやすく平凡のようでいて、実は極めて精密に創られているか、あるいは一回限り、一陣の
風のようにうまれたからであろうと想像します。こういう作品に対しては辻占師のように、当たるも八卦、当たらぬも八卦で向かうしかないし、それさえこの詩は許してくれるような気がします。
それともうひとつ、(たとえば……、たとえば……)と例をあげていく、たとえば論法です。さて、たとえば、
モーツアルトのピアノ協奏曲(それはたくさんありますけれど)の第二楽章を聞いているような感じがします。ところで第二楽章というのは必ずしもよくいわれるように「透きとおった悲しみ」とか「無私な優しさ」だけではなくねわたしはむしろモーツアルトの手紙のような、そのときどきの心のありよう、つまり、心の情景がかんじられます。
もうひとつ、たとえば、明暗の差がそれほど鋭くない、しかもデティールが実にはっきりとしている、時の鼓動が刻刻と伝わってくるようなモノトーンの映画を観ているような気がします。
この詩の魅力は情景というものが持っている深い意味にあると思います。詩人は誰よりも情景に大変
敏感であり、ある意味ではそれが詩人の<生>の極めて重要な部分を占めているのかも知れません。
なぜなら、この一見当たり前な情景が、海岸に立っているわたしの足下押し寄せてくる波のように訪れ、けっして荒々しくないのですが、わたしはときにその波に浚われていくのではないかといった深い驚きさえ感じるからです。さらにいうならば、繰り返す波への驚き、怖さは情景(事件ではなく)そのものが
持っている怖さかも知れません。
それは夢の甘い怖さのように、あるいは音楽のように、わたしたちの(生)の中に侵入してくるのではないでしょうか。これがこの作品の(詩人の)の本質かも知れません。