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2009年06月30日
2009年06月28日
ハイデッカーが読むヘルダーリンの「イスター」浅井真男訳
Friedrich Hölderlin
Der Ister
Jetzt komme, Feuer!
Begierig sind wir,
Zu schauen den Tag,
Und wenn die Prüfung
Ist durch die Knie gegangen,
Mag einer spüren das Waldgeschrei.
Wir singen aber vom Indus her
Fernangekommen und
Vom Alpheus, lange haben
Das Schickliche wir gesucht,
Nicht ohne Schwingen mag
Zum Nächsten einer greifen
Geradezu
Und kommen auf die andere Seite.
Hier aber wollen wir bauen.
Denn Ströme machen urbar
Das Land. Wenn nämlich Kräuter wachsen
Und an denselben gehn
Im Sommer zu trinken die Tiere,
So gehn auch Menschen daran.
Man nennet aber diesen den Ister.
Schön wohnt er. Es brennet der Säulen Laub,
Und reget sich. Wild stehn
Sie aufgerichtet, untereinander; darob
Ein zweites Maß, springt vor
Von Felsen das Dach. So wundert
Mich nicht, daß er
Den Herkules zu Gaste geladen,
Fernglänzend, am Olympos drunten,
Da der, sich Schatten zu suchen
Vom heißen Isthmos kam,
Denn voll des Mutes waren
Daselbst sie, es bedarf aber, der Geister wegen,
Der Kühlung auch. Darum zog jener lieber
An die Wasserquellen hieher und gelben Ufer,
Hoch duftend oben, und schwarz
Vom Fichtenwald, wo in den Tiefen
Ein Jäger gern lustwandelt
Mittags, und Wachstum hörbar ist
An harzigen Bäumen des Isters,
Der scheinet aber fast
Rückwärts zu gehen und
Ich mein, er müsse kommen
Von Osten.
Vieles wäre
Zu sagen davon. Und warum hängt er
An den Bergen grad? Der andre,
Der Rhein, ist seitwärts
Hinweggegangen. Umsonst nicht gehn
Im Trocknen die Ströme. Aber wie? Ein Zeichen braucht es,
Nichts anderes, schlecht und recht, damit es Sonn
Und Mond trag im Gemüt, untrennbar,
Und fortgeh, Tag und Nacht auch, und
Die Himmlischen warm sich fühlen aneinander.
Darum sind jene auch
Die Freude des Höchsten. Denn wie käm er
Herunter? Und wie Hertha grün,
Sind sie die Kinder des Himmels. Aber allzugeduldig
Scheint der mir, nicht
Freier, und fast zu spotten. Nämlich wenn
Angehen soll der Tag
In der Jugend, wo er zu wachsen
Anfängt, es treibet ein anderer da
Hoch schon die Pracht, und Füllen gleich
In den Zaum knirscht er, und weithin hören
Das Treiben die Lüfte,
Ist der zufrieden;
Es brauchet aber Stiche der Fels
Und Furchen die Erd,
Unwirtbar wär es, ohne Weile;
Was aber jener tuet, der Strom,
weiß niemand.
イスター フリードリッヒ・ヘルダーリン 浅井真男訳
いまこそ来たれ、火よ!
われらこがれる思いで
日を見るのを待っている、
まことに、試練が
ひざまづく者にとって過ぎれば、
彼は森の叫びに気づくであろう。
けれどもわれらは、インダス河から、
アルプェイオスを通ってはるばると
やって来たものを歌う。長いあいだ
われらはふさわしいものを探し求めたのだ、
いささかの飛躍をもって
身近なものにまっすぐに
手をのばし、反対がわにおもむく者もあろう。
しかしわれらはここで土をたがやそう。
あまたの川が土地を耕地に
してくれるからだ。なぜなら、雑草がはびこり、
夏に水を飲もうとして、けものが
川のほとりにゆくならば、
人間もまた仕事をはじめるのだから。
だがこの川をひとはイスターと呼ぶ。
この川はうるわしく土地になじんでいる。円柱をなす樹々の葉は熟し、
ざわめいている。樹々は野生のままに
入り乱れて立っている。その上には
樹々とはちがう高度を保って、岩々の
屋根がそびえている。これを見れば、
この川がヘラクレスを客として
迎えたことも、わたしを驚かさない。
遠くまで輝きをとどかせて、この川は
彼が炎暑のイストモスから影を求めて来たときに、
あの南方のオリュンポス山のほとりで、彼をさそったのだ。
なぜならば、そこでもひとびとは活気に満ちていたのだが、
死者たちの霊のためにはやはり
冷気が必要だったのだ。だからこそ彼は好んで
ここの泉と黄色い岸辺まで足をのばしたのだ。
ここでは高いところでは強い香りがただよい、
猟人が好んでさすらう谷間は
真昼にも唐檜の森におおわれて暗く、
イスターの樹脂の多い樹々からは
その成長の音が聞き取れるのだ。
ところがイスターは引っ返してゆくように見え、
わたしには、この川が
東方から来たとしてか思えない。
これについては
あまたのことが言えるだろう。そしてこの川は、なぜ
山々にまといついているのだろう、もうひとつの川、
ラインはわきによけて
流れ去っていったのに。あまたの川が
乾燥地帯を流れるのもあだではない。だが、どうしてか?太陽と月とを、
また日と夜とを、心情のなかに
分かちがたく保持して、運び、
天上的なものたちが温くたがいを感じあうための
しるしこそは、ぜひとも必要だからなのだ。
だからこそ、あのあまたの川はまた
最高者の喜びなのだ。 どうして最高者は
地上におりてこられよう?そしてヘルタが緑であるように、
川はみな天空の子らなのだ。だがイスターはわたしには
あまりに忍耐づよく、
殆ど見る者をあざけるほどに、自由でないように見える。すなわち、
日は、生長しはじめる
青春のときに昇らなくてはならず、
もうひとつの川は青春のおりに
早くも高々と壮麗な活動を示し、若駒にひとしく、
埒のなかで荒れ狂い、遙か遠くの風も
その狂乱を聞くのに、
イスターは満足しているのだ。
けれども岩には通路が
大地には鋤溝が必要なので、
もし停滞がなかったら、川は荒廖たるものになるだろう。
だが、あの川のなすことは、
だれも知らない。
※
イスターはドナウ川のこと。
ヘラクレスは極北人ヒュペルポレオイの国、もしくは西のはての国スペロスへ行ったともされるが、いずれの国も生の彼岸という意味を持っている。
イストモスはコリント地域のこと。
イスターはSalzburgあたりから、10の国を通過して、黒海に入る。
ラインは反対の大西洋に出る。
一時ヘルダーリンはすたれたが、最近またフランスで興味を持たれている。
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2009年06月27日
こんな詩が書きたかった!
Rilke ゛ Das Buch der Bilder ゜ eingang
Wer du auch seist: am Abend tritt hinaus
aus deiner Stube, drin du alles weißt;
als letztes vor der Ferne liegt dein Haus:
wer du auch seist.
Mit deinen Augen, welche müde kaum
von der verbrauchten Schwelle sich befrein,
hebst du ganz langsam einen schwarzen Baum
und stellst ihn vor den Himmel: schlank, allein.
Und hast die Welt gemacht. Und sie ist groß
und wie ein Wort, das noch im Schweigen reift.
Und wie dein Wille ihren Sinn begreift,
lassen sie deine Augen zärtlich los...
リルケ 「形象詩集」 序詩 富士川英郎訳
君がどんな人でもいい 夕(ゆうべ)がきたら
知りつくした部屋から出てみたまえ
君の住居(すまい)は 遠景の前に立つ最後の家に変わっている
君がどんな人でもいい
踏み減らした敷居から ほとんど離れようとせぬ
疲れた眼で
おもむろに君は一本の黒い木を高め
それを大空の前に立たせる ほっそりと孤独に
こうして君は世界を造った その世界は大きく
沈黙のうちにみのることばのようだ
そして君の意志が その意味をつかむにつれて
君の眼は やさしくその世界を放す……
この詩はyou tube にないので、発音がわかりません。でも、電子辞書に豆電池をいれたので、
すこし単語がわかりました。
welt ヴェルト 世界
gemacht ゲマはト 造られた
wer ヴェーア 誰
Abend アーベント 日暮れ時
この四つがわかれば、今日はいいでしよう。
リルケはやがて「世界ー内ー存在」ということをいうようになります。
この頃はまだ、世界はそんなに壊れていなかったのでしょう。いまは、世界という観念もすこし変わっているかも、知れません。壊れた世界の穴を埋めながら、世界を造るのは容易ではありません。
でも、この詩の魅力はそれとは別にあるようです。何かが可能だと思わせるのです。
2009年06月26日
エミリーディキンソンの「わたしは死のために…」亀井俊介訳
Because I could not stop for Death (712)
by Emily Dickinson
Because I could not stop for Death –
He kindly stopped for me –
The Carriage held but just Ourselves –
And Immortality.
We slowly drove – He knew no haste
And I had put away
My labor and my leisure too,
For His Civility –
We passed the School, where Children strove ( played at wresting)
At Recess – in the Ring –
We passed the Fields of Gazing Grain –
We passed the Setting Sun –
(Or rather – He passed us –
The Dews drew quivering and chill –
For only Gossamer, my Gown –
My Tippet – only Tulle – )
We paused before a House that seemed
A Swelling of the Ground –
The Roof was scarcely visible –
The Cornice – in the Ground –( The cornice but a mound.)
Since then – 'tis Centuries – and yet (Since then ’t is centuries; but each)
Feels shorter than the Day
I first surmised the Horses' Heads
Were toward Eternity –
わたしは「死」のために止まれなかったので―― エミリー・ディキンソン 亀井俊介訳
わたしは「死」ために止まれなかったので――
「死」がやさしくわたしのために止まってくれた――
馬車に乗っているのはただわたしたち――
それと「不滅の生」だけだった。
わたしたちはゆっくり進んだ――彼は急ぐことを知らないし
わたしはもう放棄していた
この世の仕事も余暇もまた、
彼の親切にこたえるために――
わたしたちは学校を過ぎた、子供たちが
休み時間に遊んでいた――輪になって――
目を見張っている穀物の畠を過ぎた――
沈んでゆく太陽を過ぎた――
(いやむしろ――太陽がわたしたちを過ぎた――
露が降りて震えと冷えを引き寄せた――
わたしのガウンは、蜘蛛の糸織り――
わたしのショールは――薄絹にすぎぬので――)
わたしたちは止まった
地面が盛り上がったような家の前に――
屋根はほとんど見えない――
蛇腹は――土の中――
それから――何世紀もたつ――でもしかし
あの日よりも短く感じる
馬は「永遠」に向かっているのだと
最初にわたしが思ったあの一日よりも――
2009年06月25日
リルケの愛の歌 富士川英郎訳
Liebes-Lied
Wie soll ich meine Seele halten, daß
sie nicht an deine rührt? Wie soll ich sie
hinheben über dich zu andern Dingen?
Ach gerne möcht ich sie bei irgendwas
Verlorenem im Dunkel unterbringen
an einer fremden stillen Stelle, die
nicht weiterschwingt, wenn deine Tiefen schwingen.
Doch alles, was uns anrührt, dich und mich,
nimmt uns zusammen wie ein Bogenstrich,
der aus zwei Saiten eine Stimme zieht.
Auf welches Instrument sind wir gespannt?
Und welcher Geiger hat uns in der Hand?
O süßes Lied.wutz
愛の歌 ライナー・マリア・リルケ 富士川英郎訳
お前の魂に 私の魂が触れないように
私はどうそれを支えよう? どうそれを
お前を超えて他のものに高めよう?
ああ 私はそれを暗闇の なにか失われたものの側にしまつて置きたい
お前の深い心がゆらいでも ゆるがない
或る見知らぬ 静かな場所に。
けれども お前と私に触れるすべてのものは
私たちを合わせるのだ 二本の紘から
一つの声を引きだすヴァイオリンの弓の摩擦のように。
では どんな楽器のうえに 私たちは張られているのか?
そしてその手に私たちを持つ それはどんな弾き手であろう?
ああ 甘い歌よ
2009年06月24日
2009年06月23日
ランボーの酔っぱらった船 宇佐美斉訳
酔っぱらった船 アルチュール・ランボー 宇佐美斉訳
平然として流れる大河を下っていくほどに
船曳きに導かれる覚えはもはやなくなった
甲高く叫ぶインディアンが色とりどりの柱に
彼らを裸のまま釘づけにして弓矢の標的にしてしまった
フランドルの小麦やイギリスの綿花を運ぶ船である私は
あらゆる乗組員どものことにもはや無頓着だった
船曳きがいなくなるのと同時にあの喧噪も収まってしまい
大河は私の望むままに流れを下りゆかせた
たけり狂う喧噪のなかを ある年の冬のこと
子供の脳髄よりも聞き分けのない私は
疾走した 纜をとかれた半島といえども
これほど勝ち誇った大混乱に身を委せはしなかった
嵐が海上での私の目覚めを祝福した
コルク栓より軽々と波の上で私は踊った
遭難者を永遠に転がし続ける者と呼ばれるその波の上で
十夜にわたって 角灯のまぬけた眼を惜しむこともなく
子供らが囓る酢っぱい林檎よりもなお甘い
海の蒼い水は 樅材の私の船体にしみとおって
安物の赤葡萄酒と反吐のしみを洗い流してくれ
梶と錨までももぎ取ってどこかへやってしまった
そしてその時から 私は身を浸したのだ 星を注がれ
乳色に輝いて 蒼空を貪り喰っている海の詩のなかに
そこでは時折 色蒼ざめて恍惚とした浮遊物
物思わしげな水死人が 下ってゆくのだつた
またそこでは 蒼海岸がいきなり染めあげられて
太陽の紅の輝きのもとで錯乱し かつゆるやかに身を揺すり
アルコールよりもなお強く また私たちの竪琴の音よりもなお広大に
愛欲の苦い赤茶色の輝きが 醗酵するのた゜った
私は知っている 稲妻に切り裂かれる空 そして竜巻
砕け散る波と潮の流れを 私は知っている 夕暮れを
一群の鳩のように高揚して舞い上がる暁を
そして私は時折まさかと思われるようなことをこの眼で見た
私は見た 神秘の恐怖にしみをつけられた低い太陽が
菫いろの長い凝固の連なりを照らしているのを
そしてまた古代史を彩る立役者たちのように
大波がはるか遠くで鎧戸の戦きを転がしているのを
私は夢に見た 眩惑された雪が舞う緑の夜
すなわちゆるやかに海の瞳へと湧き上がる接吻を
驚くべき精気の循環を
そして歌う燐光が黄と青に目覚めるのを
私は従った 何箇月もの間 ヒステリーの牛の群れさながらに
暗礁へと襲いかかる大波の後を追って
その時は マリアさまのまばゆい素足が 喘ぐ太陽の鼻面を
押さえつけることができるとは思いもしなかった
私は衝突した 本当に まさかと思ったフロリダ
人間の膚をした豹の眼に花々がまぜ合わされるあの国に
そしてまた 水平線の下へと 海緑色の野獣の群れに
手綱のように張り渡された虹にさえ衝突した
私は見た 巨大な沼が魚梁となって醗酵し
蘭草のなかに怪獣レヴィアタンがまるごと腐乱しているのを
べた凪のただなかで海水が崩れ落ちるのを
そしてはるかな遠景が滝となって深遠へと雪崩れてゆくのを
氷河 銀の太陽 真珠の波 熾火の空よ
褐色の入江の奥で味わったおぞましい座礁の体験
そこでは南京虫に貪り喰われた大蛇が
猛烈な臭いを放ってねじくれた木からずり落ちてくる
子供たちに見せてやりたかった 青い浪間の鯛や
金の魚 そしてあの歌うたう魚らを
――泡沫の花々が私の漂流やさしく揺すり
絵も言われない追風が時々私に翼をあたえた
時折 海はすすり泣いて私の横揺れを甘美なものにしながら
極地や様々な地帯に倦み疲れた殉教者である私に向かって
黄いろい吸玉のついた影の花々をさし出すのだった
そこで私はじっとしていた 跪くひとりの女のように……
まるで島だった 私が揺すっている船べりには
ブロンドの眼をした口うるさい鳥たちが争いをしたり糞をおとしたりしていた
そしてなおも後悔を続けていると か細くなって垂れ下がった私の纜を横切って
水死人らが後ずさりしながら眠りに落ちてゆくのだった
ところでこの私は入江の髪のなかに迷い込んでしまって
鳥も住まない天空へハリケーンによって吸い上げられた船だった
モニター艦やハンザの帆船といえどども
水に酔っぱらったこの骨組みを救いあげようとはしなかったろう
自由気まま 菫色の霞に跨がられ 煙を吐きながら
私は赤く染まった壁のような空に風穴をあけていた
そこにはお人好しの詩人にとって甘美なジャムである
太陽に彩られた苔と蒼空の鼻汁とがこびりついている
私はさらに走りつづけた 三日月模様の電光に染まって
黒い海馬ヒッポカムポスに伴われる狂い船となって
その頃 七月は 沸騰する漏斗をそなえた群青色の空を
棍棒の乱打でくずおれさせていた
私はみぶるいしていた 五十マイルも離れたところで
発情した怪獣ペへモットやメールストロームの大渦潮が唸るのを感知して
青い不動の海原を永遠に糸を紡いで渡る身のこの私は
古い胸壁に取り囲まれたヨーロッパを懐かしんでいる
私は見た 星の群島を そして航海者に
錯乱に陥った空を開示する島々を
――おまえは眠りそして隠れ住むのか あの底の知れない夜のうちに
無数の金の鳥たちよ 未来の生気よ
それにしても 私はあまりに泣きすぎた 暁は胸をえぐり
月はすべて耐えがたく 太陽もま例外なく苦い
刺激のきつい愛が私の全身を陶酔のうちに麻痺させた
おお 竜骨よ砕け去れ 海にこの身を沈めるのだ
私が渇望するヨーロッパの水があるとするならば
それは黒々とした冷たい森の水たまりだ そこではかぐわしい匂いのする夕暮れに
悲しみに胸をあふれさせてうずくまるひとりの少年が
五月の蝶さながらのたおやかな小舟をそっと放ちやるのだ
おお波よ おまえの倦怠に浴してしまった私には
もはや不可能だ 綿花のを運ぶ船の航跡を消してゆくことも
旗や吹流しの驕慢を横切ることも そしてまた
廃船の恐ろしい眼をかいくぐって航行つづけることも
Le Bateau ivre
Comme je descendais des Fleuves impassibles,
Je ne me sentis plus guidé par les haleurs :
Des Peaux-Rouges criards les avaient pris pour cibles
Les ayant cloués nus aux poteaux de couleurs.
J'étais insoucieux de tous les équipages,
Porteur de blés flamands ou de cotons anglais.
Quand avec mes haleurs ont fini ces tapages
Les Fleuves m'ont laissé descendre où je voulais.
Dans les clapotements furieux des marées
Moi l'autre hiver plus sourd que les cerveaux d'enfants,
Je courus ! Et les Péninsules démarrées
N'ont pas subi tohu-bohus plus triomphants.
La tempête a béni mes éveils maritimes.
Plus léger qu'un bouchon j'ai dansé sur les flots
Qu'on appelle rouleurs éternels de victimes,
Dix nuits, sans regretter l'oeil niais des falots !
Plus douce qu'aux enfants la chair des pommes sures,
L'eau verte pénétra ma coque de sapin
Et des taches de vins bleus et des vomissures
Me lava, dispersant gouvernail et grappin
Et dès lors, je me suis baigné dans le Poème
De la Mer, infusé d'astres, et lactescent,
Dévorant les azurs verts ; où, flottaison blême
Et ravie, un noyé pensif parfois descend ;
Où, teignant tout à coup les bleuités, délires
Et rythmes lents sous les rutilements du jour,
Plus fortes que l'alcool, plus vastes que nos lyres,
Fermentent les rousseurs amères de l'amour !
Je sais les cieux crevant en éclairs, et les trombes
Et les ressacs et les courants : Je sais le soir,
L'aube exaltée ainsi qu'un peuple de colombes,
Et j'ai vu quelque fois ce que l'homme a cru voir !
J'ai vu le soleil bas, taché d'horreurs mystiques,
Illuminant de longs figements violets,
Pareils à des acteurs de drames très-antiques
Les flots roulant au loin leurs frissons de volets !
J'ai rêvé la nuit verte aux neiges éblouies,
Baiser montant aux yeux des mers avec lenteurs,
La circulation des sèves inouïes,
Et l'éveil jaune et bleu des phosphores chanteurs !
J'ai suivi, des mois pleins, pareille aux vacheries
Hystériques, la houle à l'assaut des récifs,
Sans songer que les pieds lumineux des Maries
Pussent forcer le mufle aux Océans poussifs !
J'ai heurté, savez-vous, d'incroyables Florides
Mêlant aux fleurs des yeux de panthères à peaux
D'hommes ! Des arcs-en-ciel tendus comme des brides
Sous l'horizon des mers, à de glauques troupeaux !
J'ai vu fermenter les marais énormes, nasses
Où pourrit dans les joncs tout un Léviathan !
Des écroulement d'eau au milieu des bonaces,
Et les lointains vers les gouffres cataractant !
Glaciers, soleils d'argent, flots nacreux, cieux de braises !
Échouages hideux au fond des golfes bruns
Où les serpents géants dévorés de punaises
Choient, des arbres tordus, avec de noirs parfums !
J'aurais voulu montrer aux enfants ces dorades
Du flot bleu, ces poissons d'or, ces poissons chantants.
- Des écumes de fleurs ont bercé mes dérades
Et d'ineffables vents m'ont ailé par instants.
Parfois, martyr lassé des pôles et des zones,
La mer dont le sanglot faisait mon roulis doux
Montait vers moi ses fleurs d'ombres aux ventouses jaunes
Et je restais, ainsi qu'une femme à genoux...
Presque île, balottant sur mes bords les querelles
Et les fientes d'oiseaux clabaudeurs aux yeux blonds
Et je voguais, lorsqu'à travers mes liens frêles
Des noyés descendaient dormir, à reculons !
Or moi, bateau perdu sous les cheveux des anses,
Jeté par l'ouragan dans l'éther sans oiseau,
Moi dont les Monitors et les voiliers des Hanses
N'auraient pas repêché la carcasse ivre d'eau ;
Libre, fumant, monté de brumes violettes,
Moi qui trouais le ciel rougeoyant comme un mur
Qui porte, confiture exquise aux bons poètes,
Des lichens de soleil et des morves d'azur,
Qui courais, taché de lunules électriques,
Planche folle, escorté des hippocampes noirs,
Quand les juillets faisaient crouler à coups de triques
Les cieux ultramarins aux ardents entonnoirs ;
Moi qui tremblais, sentant geindre à cinquante lieues
Le rut des Béhémots et les Maelstroms épais,
Fileur éternel des immobilités bleues,
Je regrette l'Europe aux anciens parapets !
J'ai vu des archipels sidéraux ! et des îles
Dont les cieux délirants sont ouverts au vogueur :
- Est-ce en ces nuits sans fond que tu dors et t'exiles,
Million d'oiseaux d'or, ô future Vigueur ? -
Mais, vrai, j'ai trop pleuré ! Les Aubes sont navrantes.
Toute lune est atroce et tout soleil amer :
L'âcre amour m'a gonflé de torpeurs enivrantes.
Ô que ma quille éclate ! Ô que j'aille à la mer !
Si je désire une eau d'Europe, c'est la flache
Noire et froide où vers le crépuscule embaumé
Un enfant accroupi plein de tristesses, lâche
Un bateau frêle comme un papillon de mai.
Je ne puis plus, baigné de vos langueurs, ô lames,
Enlever leur sillage aux porteurs de cotons,
Ni traverser l'orgueil des drapeaux et des flammes,
Ni nager sous les yeux horribles des pontons.
投稿者 yuris : 14:44
2009年06月22日
ヘルマン・ヘッセの霧の中 高橋健二訳
Im Nebel
Seltsam, im Nebel zu wandern!
Einsam ist jeder Busch und Stein,
Kein Baum sieht den anderen,
Jeder ist allein.
Voll von Freunden war mir die Welt,
Als noch mein Leben licht war;
Nun, da der Nebel fällt,
Ist keiner mehr sichtbar.
Wahrlich, keiner ist weise,
Der nicht das Dunkel kennt,
Das unentrinnbar und leise
Von allem ihn trennt.
Seltsam, im Nebel zu wandern!
Leben ist Einsamsein.
Kein Mensch kennt den andern,
Jeder ist allein.
霧の中
ヘルマン・ヘッセ詩 高橋健二訳
不思議だ、霧の中を歩くのは!
どの茂みも石も孤独だ、
どの木にも他の木は見えない。
みんなひとりぽっちだ。
私の生活がまだ明るかったころ、
私にとって世界は友だちにあふれていた。
いま、霧がおりると、
だれももう見えない。
ほんとうに、自分をすべてのものから
逆らいようもなく、そっとへだてる
暗さを知らないものは、
賢くはないのだ。
不思議だ、霧の中を歩くのは!
人生(いきる)とは孤独であることだ。
だれも他の人を知らない。
みんなひとりぽっちだ。
2009年06月21日
「空の庭」川口晴美 ショックだった詩
空の庭 川口晴美
わたしはどんなふうに死んでいくのだろう
いつか 何十年後それとも今夜 どんな死に方をするのだろう
必ず死ぬのだからそれはふつうに考えるけれどわたしは死ぬときこういう顔を
するだろうかそんな暇があるだろうか
飛行機にのるときは死ぬかもしれないといつも少しだけ考えるけど
空に浮かんだオフィスビルで伝票を書いたり書類を提出したりしているときには
死ぬとは思っていない ほとんど
思っていなかっただろう本当に死んだひとたちも
ニューヨークビルに飛行機が突っ込んでいく映像はすうっと吸い込まれていく感じが
満点の高飛びみたいに美しくてエロスだなあとおもってしまったねと
秘密を打ち明けるように昨夜男友達が言った
笑おうとして うまくいかなかった わたしは
友達とはいってもセックスはするので そいつの前でホウエツの顔ほしたことが
あるかもしれない あるかもしれないけどそいつのペニスが入ってくるとき
あっけなく壊ればらばらに砕け散る窓硝子のある高層ビルのようだと
じぶんの体をおもったことはなかった
それとも操縦桿をにぎられて否応なくいっしょに落ちてゆく体なのだろうかわたしの
体に夥しい見知らぬ死が宿る
重すぎて軽い
(詩集「Lives」/「空の庭」より)
※
この詩はひどいショックだった。いちばんショックだったのは、「重すぎて軽い」ということばだった。
私たちの平和も、いのちも愛もからだもことばも重すぎて軽いのかもしれないし、地球も戦争も重すぎて軽いのかもしれない。この詩のいいところは、いいロック歌手がからだを張って歌うように、からだを張って詩を書いたことによる。
この詩のいいところは共通項がたくさんあることである。共通項は
9.11
男
女
セックス
痛み
ホウエツ
友達
死
空
エロス
ビル
壊ればらばらに砕け散る
重すぎて軽いもの、それはまるで、パソコンのエラーでぱっと消えてしまうことばのようだ。それでも詩人は果敢に挑戦している。
2009年06月20日
「旅へのさそい」シャルル・ボードレール安藤元雄訳
L'invitation au voyage
Mon enfant, ma soeur,
Songe à la douceur
D'aller là-bas vivre ensemble!
Aimer à loisir,
Aimer et mourir
Au pays qui te ressemble!
Les soleils mouillés
De ces ciels brouillés
Pour mon esprit ont les charmes
Si mystérieux
De tes traîtres yeux,
Brillant à travers leurs larmes.
Là, tout n'est qu'ordre et beauté,
Luxe, calme et volupté.
Des meubles luisants,
Polis par les ans,
Décoreraient notre chambre;
Les plus rares fleurs
Mêlant leurs odeurs
Aux vagues senteurs de l'ambre,
Les riches plafonds,
Les miroirs profonds,
La splendeur orientale,
Tout y parlerait
À l'âme en secret
Sa douce langue natale.
Là, tout n'est qu'ordre et beauté,
Luxe, calme et volupté.
Vois sur ces canaux
Dormir ces vaisseaux
Dont l'humeur est vagabonde;
C'est pour assouvir
Ton moindre désir
Qu'ils viennent du bout du monde.
— Les soleils couchants
Revêtent les champs,
Les canaux, la ville entière,
D'hyacinthe et d'or;
Le monde s'endort
Dans une chaude lumière.
Là, tout n'est qu'ordre et beauté,
Luxe, calme et volupté.
— Charles Baudelaire
旅へのさそい
私の子、私の妹、
思ってごらん
あそこへ行って一緒に暮らす楽しさを!
しみじみ愛して、
愛して死ぬ
おまえにそつくりのあの国で!
曇り空に
うるむ太陽
それが私の心を惹きつけるのだ
不思議な魅力
おまえの不実な目が
涙をすかしてきらめいているような。
あそこでは、あるものすべてが秩序と美、
豪奢、落ちつき、そしてよろこび。
歳月の磨いた
つややかな家具が
私たちの部屋を飾ってくれよう。
珍しい花々が
その香りを
ほのかな龍涎の匂いにまじえ、
華麗な天井、
底知れぬ鏡、
東方の国のみごとさ、すべてが
魂にそっと
語ってくれよう
なつかしく優しいふるさとの言葉。
あそこでは、あるものすべて秩序と美、
豪奢、落ちつき、そしてよろこび。
ごらん 運河に
眠るあの船
放浪の心をもって生まれた船たちを。
おまえのどんな望みでも
かなえるために
あの船は世界の涯からここに来る。
――沈む日が
野を染める、
運河を染める、町全体を染め上げる、
紫いろと金いろに。
世界は眠る
いちめんの 熱い光の中で。
あそこでは、あるものすべて秩序と美、
豪奢、落ちつき、そしてよろこび。
2009年06月19日
アルチュール・ランボーのオフィーリア 宇佐美斉訳
I
Sur l'onde calme et noire où dorment les étoiles
La blanche Ophélia flotte comme un grand lys,
Flotte très lentement, couchée en ses longs voiles...
- On entend dans les bois lointains des hallalis.
Voici plus de mille ans que la triste Ophélie
Passe, fantôme blanc, sur le long fleuve noir
Voici plus de mille ans que sa douce folie
Murmure sa romance à la brise du soir
Le vent baise ses seins et déploie en corolle
Ses grands voiles bercés mollement par les eaux ;
Les saules frissonnants pleurent sur son épaule,
Sur son grand front rêveur s'inclinent les roseaux.
Les nénuphars froissés soupirent autour d'elle ;
Elle éveille parfois, dans un aune qui dort,
Quelque nid, d'où s'échappe un petit frisson d'aile :
- Un chant mystérieux tombe des astres d'or
II
O pâle Ophélia ! belle comme la neige !
Oui tu mourus, enfant, par un fleuve emporté !
C'est que les vents tombant des grand monts de Norwège
T'avaient parlé tout bas de l'âpre liberté ;
C'est qu'un souffle, tordant ta grande chevelure,
À ton esprit rêveur portait d'étranges bruits,
Que ton coeur écoutait le chant de la Nature
Dans les plaintes de l'arbre et les soupirs des nuits ;
C'est que la voix des mers folles, immense râle,
Brisait ton sein d'enfant, trop humain et trop doux ;
C'est qu'un matin d'avril, un beau cavalier pâle,
Un pauvre fou, s'assit muet à tes genoux !
Ciel ! Amour ! Liberté ! Quel rêve, ô pauvre Folle !
Tu te fondais à lui comme une neige au feu :
Tes grandes visions étranglaient ta parole
- Et l'Infini terrible éffara ton oeil bleu !
III
- Et le Poète dit qu'aux rayons des étoiles
Tu viens chercher, la nuit, les fleurs que tu cueillis ;
Et qu'il a vu sur l'eau, couchée en ses longs voiles,
La blanche Ophélia flotter, comme un grand lys.
Arthur Rimbaud
オフィーリァ
ⅰ
星の眠る黒い静かな波のうえを
色白のオフィーリアが漂う 大輪の百合のように
長いヴェールを褥にいともゆるやかに漂う……
――遙かな森に聞こえるのは獲物を追い詰める合図の角笛
千年以上にもわたって 悲しみのオフィーリァは
白い亡霊となって黒くて長い川の流れに従っている
千年以上にもわたって そのやさしい狂気が
夕べのそよ風にロマンスを囁きかけている
風は彼女の胸に口づけし ゆるやかに水面を揺れる
大きなヴェールを 花冠のようにひろげる
柳はふるえて彼女の肩に涙を落とし
蘆は彼女の夢みる大きな額のうえに身を傾ける
押し歪められた睡蓮が彼女のまわりで溜め息をつく
ときおり彼女は眼覚めさせる 眠る榛の木が匿う
何かの塒を するとそこから小さな羽ばたきが逃れ出る
――不思議な歌声が黄金の星から落ちてくる
ⅱ
雪のように美しい おお蒼ざめたオフィーリァよ
そうだ きみは川の流れに連れ去られて幼い命を終えたのだ
――というのも ノルウエーの高い山から吹き降ろす風が
きみの耳にほろ苦い自由をそっと囁いたせいだ
一陣の風がきみの豊かな髪をくねらせては
夢みる精神に奇妙なざわめきを伝えていたせいだ
樹木の嘆きと夜の溜め息のうちに
きみの心が自然の歌声を聞き分けていたせいだ
広大無辺なあえぎにも似た狂える潮の音が あまりにも
やさしく情にもろいきみの幼い胸を押し潰していたせいだ
ある四月のこと 蒼ざめた美しい騎士
あわれなひとりの狂人が 黙ってきみの膝に座ったせいだ
天と愛と自由と おお何という夢をみたのだ あわれな狂女よ
きみはその夢にとろけてしまった 火に溶ける雪のように
きみのみた壮大な幻がきみのことばを締めつけた
――そして恐ろしい無限がきみの青い瞳をおびえさせた
ⅲ
――さて詩人はいう 星の明かりに照らされて
夜ごときみが自分の摘んだ花々を探しにやって来ると
長いヴェールを褥にして 水のうえを
色白のオフィーリァが大輪の百合のように漂うのを見たのだと
2009年06月16日
元気になりたい!
「ちょっと行ってみようか?」とタケミは言った。そのスーパー・マーケットは駅の北口と南口との間にあった。ということは駅に続く構内にあった。駅の改札口は2階にあったので、勤め人が駅から降りる前にその店によって、買い物をしバスに乗って家に帰ることができるので便利にちがいない。駅から歩いていくと、人がいっぱいで時々、歌をうたうひとや、いろいろな国からやってきた楽器を演奏する人がいたりした。「こないだはね、カナダからきた、とても上手なギタリストがいたんだよ」とタケミは言った。それから、もう半年もそのスーパー・マーケットに通いつめている。
なぜそんなに、そのスーパー・マーケットが好きになったかといえば、まず安いこととどんな人がいっても親切なことだった。私はその頃、リウマチがになったばかりで、細かいお金を手で数えることが遅かった。その店は年を取った人がたくさん買い物しやすくなっていた。それほど広くはないのに、その店は魚の種類が豊富で、私が幼い頃食べた魚もたくさんあった。ナメタガレイやキンキやホヤがあった。ホヤは海のパイナップルともいわれ、パリにもあった。今度、パリの友達がやってきたら、ホヤの新しい調理の仕方を披露しなければならないと思った。それは一生のうちでも、よく思い出すほど美味なのだから。
春になると
蟹を喰いながらむせび泣く
東南アジアの詩人の詩に感激したことを私は思い出した。タケミと私は毎週、
その店に通ったのだが、はじめ私はリウマチで足が痛くびっこをひいていたのにだんだん回復してきて普通のはやさで歩けるようになってきた。
ナメタガレイは寒い海のなかで育ったので、油がのっていて、とてもおいしい。キンキは高く手がとどかなかったが、いままでの半分になっていた。
春になると、タケノコやキャベツやジャガイモがおいしくなった。タケノコは蕗と煮て、ウニと味噌をあえた物で食べると最高の味になる。
とまあ、こんな具合に10ヶ月は暮らした。よく歩いて最近では足の痛さは殆どなくなった。ただまだ手の指は痛いことがある。それでも、銀座や東京駅などに行くと次の日は足が痛くなった。
この間は詩人白石かずこさんのある文学賞のお祝いにやって来た詩人新川和江さんと私たちの詩の雑誌『something』の編集部員田島安江さんと棚沢永子さんと一緒に銀座の帝国ホテルで会ってお寿司を食べた。
新川和江さんはもう七十九歳にもなるのに顔色がよく、つやつやしてお元気だった。彼女は帝国ホテルの壁のガラスタイルのことを語り、エジプトかメソポタミアには、上薬を塗った二千年もたったガラスの器があるらしいという話をした。その上薬は二千年もするとガラスと一緒に変質して、えもいわれぬ美しい輝きを放つと言われた。その時、「わたしは二千年も生きたことがないから、わからないけれど……」といったので、えっと思って思わず詩人の顔を見た。
まるで女の詩人が二千年も生きているかのような、とんでもない幻想に私は
かられたのであった。なるほど、詩人というのは、こんなことを考えているのかと思い驚いたのである。それでも、私はその後、一週間ばかり、リウマチの具合が悪かった。
日本では、かつて経済大国とかいわれたりしているが、少しも社会制度が発達していない。たとえば、女性が働きながら安心して子供を産めるようになっていない。それだから、結婚する男女が少なく、どんどん老人大国になっている。大学は莫大な費用がかかるし、家賃は高いし、老人介護は少しも発達していない。自殺者は三万人以上いるし、ろくなことはない。それなのに、百歳以上の老人が多く、これはびっくりしている。どうかすると、気候がいいせいか長生きする人も多いのである。私も長生きをする人をテレビで見るのが好きである。一体どんなふうに百何歳の人が生活しているかといえば、千差万別である。たとえば、地方で酒屋さんを開いている女の会長さんは104歳で、朝起きるとコップにきれいな水を入れて、目をぱちぱちと百回ぐらい瞬きをする、新酒のお披露目をしたり、お酒の瓶にラベルを張ったりして暮らしている。若い頃からの生活をなるべく変えないのだそうだ。もう一人の百歳の人は毎日お風呂に4時間も入る。血のめぐりをよくして海草類をたくさん食べるそうである。
もう一人は、お客に法律関係の書類を作成してあげる仕事を家の一階でしていて、3階に住んでいる。かれは歯が丈夫でかたいものでも何でも食べられる。食後、梅干しを砂糖壺に入れて転がしてたべるのが大好きである。皆が寝静まった真夜中に起き出し、お風呂に入り、非常に柔らかいタワシで体をこするのが長生きのこつらしかった。
ひと頃、きんさんぎんさんという双子の姉妹が国民的アイドルになり、みんなの話題をさらったことがあった。なにしろ、この双子のおばあちゃんたちは愛知県に1892年8月1日に生まれ、姉のきんさんは2000年1月23日(満107歳)まで生き、妹のぎんさんは2001年2月28日(満108歳)まで生きたのだから、信じられないくらいである。私の母より17年も前に生まれ、27年も後に亡くなったのである。
きんさんは赤身の魚が大好きで、ぎんさんは白身の魚が大好きだった。1991年二人して数えの百歳になり、市長から長寿の祝いを受けると、テレビのCMに起用され、たちまち全国的に有名になった。幾度となくテレビに出演したり、台湾に招かれたり、「きんちゃんとぎんちゃん」という唄になったり、ドラマに出たり、園遊会に招かれたりした。
姉妹はマスコミに取り上げられる前に軽い認知症であったらしいが、著名人
やリポーターの取材を受けたり、旅行するために筋力トレーニングに励んだ結果、記憶力が戻ったり、認知症が改善したりしたそうである。おかしかったのは、いろいろな仕事をして大金が入った際、「お金を何に使いますか?」ときかれると「老後のたくわえにします」と答えたという。
こんなふうに、私は長生きに対して興味を持っているが、これはアジア人なら誰でもそうではないかと思う。それに自分がそれほど長生きできなくても、そういう話を聞くのが好きなのである。タケミは赤身のマグロの刺身が好きなので毎日のように食べている。
本当は私たちはほんの少しでも旅に出たいのである。でも、まだ体がそれほど元気ではないし、お金もかかるので、我慢している。
昔といってもほんの少し前、私は「AUBE」というランボーの詩のタイトル、「夜明け」というグループを創って286回も原宿という街に集まってみんなで世界中の詩を声を出して朗読していた。それをテープに録音して地方の会員に送っていた。そのとき、そのテープのはじめにモーツアルトのピアノ協奏曲の第二楽章とかを録音して会員に聴いてもらっていた。それは何でもないことのようだったけれど、私たちが元気でいられる要素ではなかったかといま思いだした。286回も10分ぐらいの音楽をいつも探してきて、2週間に一回はみんなでそれを聴いたのだから。いつも音楽が体のなかを流れているような気がしていた。それを聴かなくなってから、リゥマチだの糖尿病がはじまったのだから。いまはだいぶ治ってきたけれど、また音楽を聴こうと思った。どういうわけか、タケミは子供たちの器楽合奏のフィルムを取り始めた。パリの友達はピアニストと友達になった。私はコンピュータにリパッティ、スコダ、リヒテル、カーゾン、ブレンデル、ハスキル、アリゲッティなどというピアニストを呼んであらゆるピアノ曲を聴いてみた。それらはなんとも美しかった。
しかし、オペラも聴いてみたくなった。歌姫や男のオペラ歌手はいつもあらゆる場所に招かれて何万人という人達の前で歌う。なんという情熱なのだろう。あらゆる広場や何百年も続いているコンサート・ホールで歌う。国境を越えていろいろな人種の人達をたった何分かで魅惑するとは一体どんな声なのだろうと思い、つくづく感心してしまった。そして、YOU TUBEは世界中どこでも聴けるのだと思い、現在はなかなかすごいと思った。音楽は何かだ。音楽のことを忘れていたなんて。
シェークスピアは言う
生きるべきか死すべきか?
音楽は言う
生きよ! と それから 消えてしまう
とフィッリップ・ソレルスは書いていた。こんなふうにいろいろなことをしながら私は少しづつ元気になりつつある。
「パープル・ジャーナル」のためのエッセイ
2009年06月14日
「私は自分の人生が気に入っている」李謹華イ・グンファ 韓成禮訳
私は自分の人生が気にいっている 李謹華 1976年生まれ (世界を新しくする詩6)
私は自分の人生が気に入っている
季節ごとに一回ずつ頭痛が来て、二つの季節ごと一回
ずつ歯をぬくこと
がらんとした微笑と親しい皺が関係する私の人生!
私は自分の人生が気に入っている
私を愛する犬がいて、私の知らない犬がいる
白く老けを落としつつ、先に死んで行く犬のために
熱いスープを煮込むこと、冬よ、さらば。
青い星が尻尾を振って私のところに駆けて来て
その星が頭の上に輝く時、カバンを無くしてしまったっけ
カバンよ、私のカバンよ、古いベットの横に、机の下に
くちゃくちゃな新生児のように生まれ変わるカバン
肩が傾くほど、私は自分の人生が気に入っている
まだ渡って見たことのない橋、まだ投げてみたことのない石ころ
まだ取って見たことのない無数の多くの姿勢で、新しく笑いたい
しかし私の人生の第一部は終わった、私は第二部の始めが気に入っている
多くの店を出入りせねば、新たに生まれた手相に付いて行かねば
もう少し謹厳に、私の人生の第二部を知らせたい
私が好きになり、私を気に入る人生!
季節は冬から始まり、私の気に入った人生を
一月からまた計画しないで、カゴとパンはまだたくさん残っていて
皿の上の水は乾くことを知らない
魚と尻尾を突き合わせて、黄色い星の世界に行き
魚の木を植えねばならない
第三部のスープは冷えて、あなたの唇に流れこむ葡萄酒も
事実ではない、しかし人生の第三部でもう一度言うつもりだ
私は自分の人生が本当に気に入っている
息子も娘もにせ物だが、わたしの話は嘘ではない
丈夫な尻尾を持って、斧のように木に登る魚
ふさふさと魚が開かれる木の下で
私の人生の第一部と第二部を悟り
第三部のドアが開かないように祈る私の人生!
気に入った部分がちょきんと切られて行って
ずっと明るくなった人生の第三部を見ている
私は遂に尻尾を振って笑い始めた
2009年06月10日
辻井伸行くん うまれてきてよかった!
あなたが生まれてきてよかった!
あなたのおとうさんがうまれてきてよかった!
あなたのおかあさんがうまれてきてよかった!
あなたのピアノを聴くみんながうまれてきてよかった!
「ショパンの子守唄」
川のささやきー辻井伸行
日本にも全盲の天才があらわれました。
この曲は辻井伸行さんが、幼いとき、お父さんに連れられて
隅田川に行ったときの記憶をもとにして、彼が作曲したものだ
そうです。
なんというすがすがしさ、なんという喜びなのでしょう。
2009年06月08日
アンドレア・ボッチェリーのアベ・マリア
最近、このひとの声ほど素晴らしいものを聴いたことがありません。涙が出てくるのです。
Andrea Bocelli はイタリアのトスカーナに1958年生まれました。
6歳でピアノを習いましたが、12歳でサッカーボールが頭にあたり、脳内出血のために失明しました。
音楽が好きだったのですが、一度あきらめ、法律の勉強をして、弁護士になります。けれども、どうしても音楽があきらめきれず、パバロッチとズッケロとかいうひとの推薦があって歌うたいの道を進みます。
今では、国際的なスーパースターになりました。この曲は映画ゴッドファーザーにも出てくるMascagni
のカバレリア・リスチカーナです。そして、この紹介者はアメリカの歌姫セリーヌ・Dionです。
2009年06月04日
「イタリック体の都市に住む秘密の言葉」金遠倞キムウォンギョン 韓成禮訳
イタリック体の都市に住む秘密の言葉 金遠倞 1980生まれ (世界を新しくする詩5)
雪の降るイタリック体の都市を点字で歩いて見なよ
暑い水脈の指紋が空中で沸騰している それなら指も旋
風を巻き起こしながら沸騰しているだろう、踊っている
だろう 君のために青い血管を開いて古い初潮を取り出
すつもりだ 絹糸のようにきれいな葉が耳を開いてひら
ひらするだろう
膨れるゴムのボールのような心臓に血が入って来れば、
うずくまっていた指先に最初の発声が落ちるだろう 秘
密の言葉は惜しんできた息をてっぺんに呼吸し、いっぺ
んに消えてしまい、指は消えつつ少しずつ月の子宮を記
録しているだろう
ここは光の世界を否定するいくつかの影たちが言語の
前の時間を押し出す所だ 私の小さな引き出しよ いく
つか耳を切って光が吐き出した沈黙をよく噛んで食べて
ごらん 歩くほど指の関節は外から暗くなるだろう 私
は秒針のような指で世界の風向計を少しずつ回していよう
2009年06月03日
「夕暮れの印象」李秀庭イ・スジョン 韓成禮訳
夕暮れの印象 李秀庭 1974生まれ (世界を新しくする詩4)
鍵盤一つを
ダーンと
打ち下ろす。
張り詰めて震える絃、
「ファ」の音階を飛び超えた
馬たちが、
一万頭ほど
手綱を切った馬たちが
走る。野原がいっぱいに
青いたてがみに覆われて
野原の果てまで駆けて行った馬たちが
塩辛い水の揺れる海の中に
跳びこむ。海に入った馬たちが
積みあがり積みあがり
黒い水嵩を成したまま
揺れながら横になる。
あなたと私の仲
瀑々とした水平線に
赤い鍵盤を広げた
夕焼けがかかり、
馬の鳴き声で深くなる
闇が来る。
2009年06月02日
「ポットホール」 新井啓子
ポットホール 新井啓子 (世界を新しくするための詩2)
波を避けながら岩場を歩いていると
岩をなめらかにくり抜いた 穴をみつけることがある
桶の形の穴のなかには 丸まった石ころが沈んでいる
波がくると 石は揺れる 次の波で少しだけ浮かぶ
それから 波がくるごとに 少しずつ
側面に沿ってまわり
まわりはじめて 石は静かな調べを奏でる
若葉の迫る岸辺のささやき
甲殻類の行き来する磯の歓声
石はまわる まわされる
浅い夢の海岸の 砂時計の砂の落ちる音
人気のない洞窟でくりかえされる世代交代
荒波だけが吠えさかる夜にも
石はまわる まわされる
遠い記憶の島には 海に向かって めまいごと
かなしみを投げ入れたり よろこびを飛ばしたりする崖があった
原初に地面が盛り上がり 赤く割れたというその高い崖の上から
石は海に転げ落ちた
丘には薄紫の花が這うように咲いていた
眼下には悠々と海鳥が飛んでいた
夕陽に染まる断崖を落ちながら
石はかなたからうねり寄る この星の鼓動を聞いた気がした
穴から海水があふれると 石も穴を超えて出る
鼓動が石を揺らすから 石にも目覚めるときがくる
うたうたいたい
穴に新しい石が入り 新しい海草が揺れるころ
深い海の底で 石は 自分のうたをうたいはじめる
2009年06月01日
「朝の少年」伊藤悠子
朝の少年 伊藤悠子 (世界を新しくするための詩1)
「暑いなあ」と大きな声で言いながら、少年が後ろから近づいてきた
「暑いねえ」と私
「寒いなあ」と追い越してから言った
「木陰にはいるとね」
「誰もいないなあ」
坂の横のバスの発着所を見おろして言っている
十四歳ぐらいだろうか
「バスだけね、運転手さんは休んでいるのね」
私はその少年に言うと同時に
私が手を引いている小さな子にも言うように言った
少年は階段を降り左の方に曲がるとき
こちらを向き大きく手を振った
私も片手を高く上げて返した
交差点を少年がひとり渡っていく
眞白い半袖シャツを着て
小説が始まる朝のようだ
渡り終えると
交差点の方に歩いていく私たちのために
歩行者用ボタンを押してくれた
こちらを見ながらひとつうなづいた
押しておくよ
ありがとう
少年は左の方へ
私たちは右の方へ
一本道を遠ざかっていったが
幾度も振り返り合図のように手を振った
そして少年は道を曲がったのだろう
誰もいないなあ