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2010年07月08日
思わぬところでタルコフスキーとペルトが繋がった
ソビエトの70年は終わり、全体主義の地獄は終わったが、芸術は決して貧しいものではなかったのだ
投稿者 yuris : 2010年07月08日 09:39
コメント
映像も音楽も素敵というか無敵(超越的)ですね。鏡の中の鏡という曲は前にruriさんのブログで知りましたがCDを手に入れたのはつい最近です。早速iPadも開き魅了されたり。Back In The U.S.S.R.な...レモンな気分に...なったりでした。
投稿者 Oz : 2010年07月09日 03:24
ipad あっていいですね。わたしも欲しいしうらやしいです。
ペルトのタブラ ラサはyoutubeにはあまりよくはいっていませんでした。ギトン・クレメールですけれど、cdはすごいボリュームで
はいっていて、それこそ何者かが現れたみたいな気がするのです。タルコフスキーは小さい画面のなかで、今みても新鮮です。
小鳥が帽子にとまったり、馬のこどもが立ち上がるところなんか
びっくりします。つまり、馬というものはあまり寝っ転がったりしないのですから、たぶん撮影のときに特別に人間がそうさせたのではないかと思います。女が木の冊に腰かけて煙草をすっていますが、ちょっと前は女は煙草なんか吸っていて言いたいことも
あまりいえなかったのですね。抑圧されていたというより、なんといったらよいのか、わからなかったのです。今では女はなんでも
いえるようになったので、煙草を吸ってカッコつけなくてもよくなりました。タルコフスキーはお父さんが詩人ですけれど、確か自殺したと思います。いつも何かをじっと見て考えていて、まるで考えることによって、物が存在するみたいに思えるのです。あの水のなかのながい藻はこれから宇宙に行く飛行士が見る最後の植物みたいで興奮しますよね。何か生きている物で。
投稿者 aoiuem : 2010年07月11日 04:51