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2012年10月29日
金恵英「やわらかな時計の中で」率直さということ
やわらかな時計の中で 金恵英
私か解読しようとする記号は
空から降り注ぐ雨だったり
頭蓋骨から降り注ぐ言葉だったり
二本の足の間から流れる精液だったり
二つの足の裏から逃げていく風だったりした
私が解読しようとする貴方は
ベッドに横たわり丸いおっぱいを晒したまま
犀月の日差しのごとく眠っては開いた唇に
私の舌を重ねれば赤いチューリップになる
愛撫した手がチューリップのスカートを脱がせば
ぽろって落ちてしまう花びら
首だけ残ったチューリップ
私が解読しようとする絵は
モナリザの微笑みをあざ笑う
分かりそうで分からないなぞなぞのような
記号でぎっしりの
柔らかな時計の中で道を尋ね
か細い指にモナリザの服は脱がされる
肌の色した玉ねぎのように
一枚二枚と剝がすほど
何もない!
白い血を増殖する時計が
体の中でちくたくと回り
私が解読しようとする肉体は
真ん丸の月のごとく萎れていく
※
私はこの詩にある率直さを感じます。
それは日本の詩には殆どみいだせない民族の資質なのだとさえ感じられます。
この率直さは、子どもが持っているような正直さであると思いますが、しかし、それだけではなく、
互いに引っぱり合ったり、はじけ合ったりするようなエネルギーを感じます。
たとえば、「私か゛解読しようとする」という言葉は、この詩を一つの建物にたとえるとするならば、その柱にあたると思います。
この言葉にも、私は一種の率直さを感じます。それは何か未知なものに全身で向かっていく率直さです。
はじめ読んだだけではやや理屈っぽいこの言葉も何回か繰り返し読むと、それ自体が言葉の肉体
性のようなものを持っています。
「頭蓋骨が降り注ぐ言葉」
「二つの足の間から流れる精液」
「私の舌を重ねれば赤いチューリップになる」
「愛撫した手がチューリップのスカートを脱がせば」
とかといった表現はイメージというより、言葉と言葉のぶつかり合いのような感じがして、私はあまり
詩のような感じがしません。その代わり、私はどこかでこんな言葉を使ってみたいと思ったりもします。
これにもあの率直さがあると思うのです。率直な言葉はいわばことばの元素のようなもので、互いに
ぶつかり合って大きなエネルギーを発散させたり、また時には全く新しい世界をつくリだすかもしれません。それを「やわらかな時計の中で」可能にするのです。
投稿者 yuris : 13:50
2012年10月28日
小島きみ子「ひそやかな星のように」いのちは星のように
ひそやかな星のように 小島きみ子
*
いつの間にか雨が止んで、灰色の岸辺にでは、春の初めに咲く
花の木がそよぎはじめた。その蕾は次第に膨らんで、ひそやかな
星のようだった。冬を連れ去っていく風の音を聞きながら、枯
れ草の上を歩く時、白い雲に流された影を、私は、鳥が獲物を
追う目になって、影のなかを見つめる。私たちは、見えるよう
な愛を求めていたのか。空は、泣きじゃくる子の波打つ髪の毛
のように揺れていた。
*
ふと、懐かしくて、影のなかに向かってなまえを呼ぶとき、
きっと言うのだ。それも明るいきっぱりとした声で。(僕)は
あなたの思うとおりにはならない。(僕)は(僕)を守るよ。そ
れでも、どうか元気でいてください。(僕のmama)と。私は
再び影のなかの、草の種のような、小鳥の目になって言うのだ。
私の母へ。(mama 私は、あなたの思う通りにはならない。そ
れでもどうか元気でいてください)
*
かっての私たちが暮らした、キッズクラフのその家では、放
課後の子どもたちが、ボランティアの青年と遊んでいたる黒い
髪の少年たちのなかに、ブラウンの髪の少年が混ざっていて、
彼は誰よりも速く野芝の上を、カラマツの木々の間を、走り抜
け行くのだった。その枯芝のなかに、小さな札と囲いがあっ
た。「花の種が(芽)をだします。踏まないでください」私の
影の上に重なる芽の、青い影を踏んだのはだれ。
*
森の小道を、別れてゆく人と散歩する。まだ花の咲かない桜
の樹皮は、夕べの雨で濡れて、新しく生まれてきた子どものよ
うに、光った息をしていた。私たちは、樹にもたれて、苦しめ
られた仕事のいろいろなことを思い出す。あなたは、また再び
言ったのだ。きっと戻ってくる、また一緒にやろうって。その時、
つややかに光る木の枝を折るように、白い雲の間を渡って行っ
たのは小さな獣、それとも辛夷のはなびらだったのか。
※
この詩のなかで、不思議な、でも、そんなふうに私も考えていたのかもしれない、と思ったのは、
三連目に書かれていることです。
「(僕)はあなたの思う通りにはならない。(僕)は(僕)を守るよ。それでも、どうか元気でいてください。(僕のmama)と」
「私の母へ。(mama 私は、あなたの思う通りにはならない。それでもどうか元気でいてください)」
というところです。家族の絆とか、つながりをこんなふうに、きっばりと、しかも冷たくではなく、ある種のユーモアが感じられるように、言ったのは、とても面白いと思いました。
この詩全体についていうと、自然そして宇宙と人間がどこか深いところでつながっているような感じ
がして、そのことを感じるままに言葉にしたような気がします。
それは特に一連芽によく現れています。たとえば
「私は 鳥が獲物を追う目になって、影のなかを見つめる。私たちは、見えるような愛をもとめていたのか」に私は感動しました。
一連目と同じ四連目も自然と人間が融合するような世界が書かれています。
こうしたなかに、二連目の家族の営みが挿入されているのが面白いと思います。
この詩はどこかイギリスのターナーの水彩画を思い起こさせます。