2010年09月23日
クノップフの『見捨てられた街』とブルージユが繋がった
ベルギーの象徴派のフィルナン・クノップフと画家の画集を小柳玲子さんが出版しているが、この「見捨てられた街」という絵は「死の街」というタイトルであったこともあった。この絵でいちばんはっとしたの人が街に誰も居ないということもあったが、台座の上に立っていた銅像もなくなり、海が静かにおしよせてきて、ただただ
静かになっていくということだったと思う。こんな絵をだいぶ若い頃見て、ほんとに怖かったのだ。今はこんなものを見てもそれ程怖くはなくなったように思える。なぜなら、死でさえ、現代は静かではなくなったように思えるからである。もしかしたら、死はもっとにぎやかななもので、少しも美しくもないかもしれないからである。どうしてか、私たちは死の静けささえ失ってしまったかも知れないからである。たまには過去のことも確認してみるのもいいかもしれない。
松田聖子「ブルージュの鐘」
ブルージュとは橋のこと、ローマ時代からの名前、BRUGGEだそうです。中世からの古い町で「屋根のない美術館」ともいわれる。いまは世界遺産になっていて、観光化しているらしい。
2010年09月14日
中村安希『インパラの朝』 図書館の貸し出し36人目
図書館の貸し出し36人目でようやく借りてきました。噂に違えず、すばらしい本でした。648日もかけて、ユーラシア、アフリカを横切った記録です。お金がなく、すこし病気で窓から眺める風景はよわよわしい木が一本だけで、たまらない暑さだけでは新しい詩を書こうにもなかなか書けないだろうと思っていたら、頭の後ろをがーんとなぐられたような衝撃でした。たった一日で読みあげました。特にアフリカがよかった。
「一面に広がる草原に、わらの家が建っていて、小さな村の子供たちがレールの周りに集まってきた。礼儀正しい子供たちはレールに沿ってきれいに並び、順番に自分の名前を言って私と握手してくれた。エチオピアの子供たちは、列車の中の幼児から村で出会った子供まで、世界で見てきた子供たちとは決定的に何かが違って、あまりにも情緒が安定していた。熱気に蒸せる鉄の車内で十数時間揺られても、泣き出す子供はいなかった。喧嘩をしたり、悪さをしたり、騒ぎだす子もいなかった。好奇心や感情は内面のみに存在し、自制の利いた態度の枠をはみ出したりしないのだ。子供たちは平均的に声を上げて笑わなかった、ただそよ風のようなやさしい笑みと澄み切った瞳で私を見ていた。太陽は除々に高度を下げて、地平線に着地すると、そのままみるみるしずんでいった。村には電気や水道はなく日没と共に闇がきた。ランプやロウソクゃ焚火といった灯りのもととなるものがそこには一つもなかったからだ。列車の床や線路の脇に乗客たちは横たわり、長くて暗い夜に備えた。私はビニール敷物とシュラフを引っ張り出してきて、草の大地にそれを並べた。船上、港、ジブチのプラットホームーー夜のアルハマを
出港してからの野宿はその日で四日目だったが、その日の夜空は雲に覆われ、月明かり
さえも届かなかった。私の周りの闇の中には、少年たちの白い歯と輝く両目が見えていて、彼らがそこにいることをおぼろげながら確認できた。その反対に、少年たちには私の姿がはっきりと見えているらしかった。彼らの名前を一つずつ私は順に呼んでみた。
少年たちは「イエス」と返し、私の指をそっと握った。暗闇の中のすべての物が少年たちには見えているのだ。私のカバンが倒れると、誰かがすぐ元に戻した。メガネの置き場を忘れると、誰かが私に手渡した。少年たちは、私の頬ゃ髪の毛にそっと触れ、「ビューティフル」と呟いた。私は右手をゆっくり伸ばし、少年の顔に手を触れた。柔らかく滑らかな肌だった。私は彼にこう言った。
『君はもっと美しいね。』と。
何もないということがある種の芸術性を持ち、ゆとりに満ちた子供の動作が心の琴線に静かに触れた。」
2010年08月04日
できるかできないかやってみよう
ここには、1500以上の世界の国々の風景が詰まっています。私はまだ30ぐらいしかみてません。
オランダの大きなアパートから海をながめ面白いなあと思いました。オランダは今にも海に沈みそうでありながら、世界一斬新なデザインの国であり、高級野菜を栽培して世界中に売っているなかなかたくましい国だとおもいます。
2010年07月08日
2010年07月06日
2010年07月02日
2010年06月29日
角田光代について 「世の中変わった」
「世の中変わった」とよく言われるが、一体どこが変わったのかよくわからない。とにかく誰もが生きにくくなったという。若い人も年老いた人も誰ともわからず、そういうのを聞いてから、ずいぶん時間がたったように思える。こういう現象を詩に書くのは大変
難しいと思う。ところが最近、この作家の小説を読んで、私は度肝をぬかれてしまった。
ここ2ヶ月ばかりは、角田光代という1967
年生まれのこの若い小説家の本を夢中になって読み、そして圧倒されました。
どこがどうということができないのですが、やはりすばらしい。つまり、小説を
読んで、少しすると、「あっ、これ、わたしのことだわー」と思ってしまうの
です。そして、登場人物が困難な立場に追い詰められると、もう怖くで読んで
いられないような気持ちになるのです。つまり、この頃世の中変わったねと思うような生き方をしている人達が次々と出てきて、困難なめに遭うのです。
たとえば、商店街、ショッピングモール、新興宗教、主に東南アジアへの旅行、
結婚して子育てをしながら再就職すること、旅行から帰って来るとどうするか、
子どもの受験地獄、女が子どもを産むことと産まないこと、結婚することとしないこと、カードで借金することの地獄、高校のころから現在までどう生きてきたか?そういうことを次から次へ書いているので、何十冊も図書館から借りてきて読むことができます。そして、わたしはただただ感心して読みました。
つまり、この作家は大変現実的なのです。そして、少し退屈なくらいの世の中にいきている私たちを描くのです。ひどく平凡な人々がでてきて、少しも偉く
も魅力的でもないのです。でも、この偉くも魅力的でもない人々の物語を読み
終えると誰もが一生懸命生きていることに感動するのです。全くすごいですね。
でも、こういうことは詩に書きにくいのですが。
2009年08月02日
何回も何回も読みました「朗読者」何回も見ました「The Reader」
この物語がどうして、こんなに心を揺さぶられるのか、私は2000年に「朗読者」という8刷目の本を読みました。何回も読み、はじめの恋愛の文章は大変わかりやすいので、私たちの詩のグループAUBEで読もうと思ったのです。「罪と罰」ほどではありませんが、私の好きな小説の十のゆびの入ると思ったからです。それにAUBEはそれこそ朗読者たちのグループだったからです。私はドイツ語版の本も買いました。
しかし、ドイツ語版の朗読テープはなかったのです。でも、英語の本と英語版のテープ
はあったのです。いまでも、それをわたしは持っています。でも、その後、すぐ安く
パウル・ツェランの詩人本人が読んでいる録音テープを見つけたのです。それでそちら
を聞いたり読んだり評論を読んだりし始めたのです。それは大きな大きな私たちの収穫でした。
それで、私はこの本のことをすっかり忘れていました。しかし、さすがにドイツの悲劇について、世界中の人が感じたり、考えたりしているものですから、この本はたちまちベストセラーになり、そして皆が心をゆさぶられていったのです。私の今度の大きな発見は
2000年と2009年では私の年齢が違っているので、主人公のHannahやMichaelとおなじように年をとったので、恋愛だけでなく、人間の罪や悲しみや戦争について
考えさせられることが多かったです。おどろいたことにこの作者ベルンハルト・シュリンクは1944年生まれで、私より三つも年したでした。少し通俗的ですけれど、現れるべくして現れた小説だと思いました。何よりも、直接戦争には行かなかったのに、ナチズムという大変重いもののをもろにかぶった世代だったのです。例え心に重く、恐らく
ユダヤ人もドイツ人も全世界の人々がどんなにこころに重くのしかかっていたとしても、単純に思想的にだけこの問題を処理するだけでは、いろいろな世代の人達にこうは
うまく伝わらなかったでしょう。しかし、恋愛というひとの一生に直接深くかかわり
あう出来事から、掘り起こしたため、映画をみたり、本を読んだりする人が抜き差しならぬところまでひきづられてしまうのです。
私はもう半月もこの本を読んで、少しおかしくなったりしました。
アドルノの「アウシュビッツの後、詩を書くことができるか?」にパウル・ツェラン
も、小説ですが、ベルハルド・シュリンクも必死に答えていると思います。特にこの本はニュンベルグ裁判以後、1963.12~1965.8まで初めてドイツ人がドイツ人を裁く裁判
が行われたそのことを小説にしているので、何かみにつまされるのです。ハンナは裁判
長に「あなたならどうしますか?」と叫ぶのです。あの悲痛な声は全世界のひとにひびいたと思います。つづく
2009年07月25日
judi denchの「真夏の夜の夢」
TITANIA
[Awaking] What angel wakes me from my flowery bed?
BOTTOM
[Sings]
The finch, the sparrow and the lark,
The plain-song cuckoo gray,
Whose note full many a man doth mark,
And dares not answer nay;--
for, indeed, who would set his wit to so foolish
a bird? who would give a bird the lie, though he cry
'cuckoo' never so?
TITANIA
I pray thee, gentle mortal, sing again:
Mine ear is much enamour'd of thy note;
So is mine eye enthralled to thy shape;
And thy fair virtue's force perforce doth move me
On the first view to say, to swear, I love thee.
BOTTOM
Methinks, mistress, you should have little reason
for that: and yet, to say the truth, reason and
love keep little company together now-a-days; the
more the pity that some honest neighbours will not
make them friends. Nay, I can gleek upon occasion.
TITANIA
Thou art as wise as thou art beautiful.
BOTTOM
Not so, neither: but if I had wit enough to get out
of this wood, I have enough to serve mine own turn.
TITANIA
Out of this wood do not desire to go:
Thou shalt remain here, whether thou wilt or no.
I am a spirit of no common rate;
The summer still doth tend upon my state;
And I do love thee: therefore, go with me;
I'll give thee fairies to attend on thee,
And they shall fetch thee jewels from the deep,
And sing while thou on pressed flowers dost sleep;
And I will purge thy mortal grossness so
That thou shalt like an airy spirit go.
Peaseblossom! Cobweb! Moth! and Mustardseed!
Enter PEASEBLOSSOM, COBWEB, MOTH, and MUSTARDSEED
PEASEBLOSSOM
Ready.
COBWEB
And I.
MOTH
And I.
MUSTARDSEED
And I.
ALL
Where shall we go?
TITANIA
Be kind and courteous to this gentleman;
Hop in his walks and gambol in his eyes;
Feed him with apricocks and dewberries,
With purple grapes, green figs, and mulberries;
The honey-bags steal from the humble-bees,
And for night-tapers crop their waxen thighs
And light them at the fiery glow-worm's eyes,
To have my love to bed and to arise;
And pluck the wings from Painted butterflies
To fan the moonbeams from his sleeping eyes:
Nod to him, elves, and do him courtesies.
PEASEBLOSSOM
Hail, mortal!
COBWEB
Hail!
MOTH
Hail!
MUSTARDSEED
Hail!
BOTTOM
I cry your worship's mercy, heartily: I beseech your
worship's name.
COBWEB
Cobweb.
BOTTOM
I shall desire you of more acquaintance, good Master
Cobweb: if I cut my finger, I shall make bold with
you. Your name, honest gentleman?
PEASEBLOSSOM
Peaseblossom.
BOTTOM
I pray you, commend me to Mistress Squash, your
mother, and to Master Peascod, your father. Good
Master Peaseblossom, I shall desire you of more
acquaintance too. Your name, I beseech you, sir?
MUSTARDSEED
Mustardseed.
BOTTOM
Good Master Mustardseed, I know your patience well:
that same cowardly, giant-like ox-beef hath
devoured many a gentleman of your house: I promise
you your kindred had made my eyes water ere now. I
desire your more acquaintance, good Master
Mustardseed.
TITANIA
Come, wait upon him; lead him to my bower.
The moon methinks looks with a watery eye;
And when she weeps, weeps every little flower,
Lamenting some enforced chastity.
Tie up my love's tongue bring him silently.
Here comes my messenger.
How now, mad spirit!
What night-rule now about this haunted grove?
小田島雄志訳
タイターニア
花のベッドから呼び覚ますのはどんな天使?
ボトム
鷽に雀に揚げヒパリ、
同じ調子のカッコドリ、
カッコウ悪いと鳴くけれど、
寝とられ亭主声もなし。
そりゃまあ、あんな阿呆な鳥と阿呆ぶりをくらべたってしょうがないやな。いくら「寝とられ亭主はカッコ
悪い」と鳴かれたって、鳥にむかって取り違えるなと言うわけにはいかん。
タイテーニア
ねえ、やさしいお人、もう一度歌って。
私の耳はあなたの歌にすっかり聞き惚れてしまい、
私の目はあなたの姿にすっかり見とれてしまった。
あなたの美しさを一目見て私の心はどうしようもなく
うちあけ、言わずにはいられない、あなたを愛するとる
ボトム
いえね、奥さん、理性があればそうおっしゃる理由はあんまりないと思うがね。が、まあ、
正直な話、理性と愛とはこのごろあんまり仲がよくないらしい、まったく残念なことだ、だれか
正直者が仲直りをさせないのは。まあ、あたしだって時と場合によっちゃあ洒落た台詞の一つぐらいは
言えるんでね。
タイテーニア
あなたは美しいだけでなく賢くもあるのね。
ボトム
いや、とんでもない。が、この森から脱け出すぐらいの知恵がありゃあ、あたしの用には
まだまにあうだが。
タイテーニア
この森から脱け出すなんて考えないで、いいわね。
なんておっしゃろうとここに引き止めますからね。
私はこう見えても卑しからぬ身分の妖精です、いつでも夏が私にかしずいてくれているのです、
その私が愛するのです、だから私のそばにいつまでもいらして、
妖精たちにお世話させるわ、いつでも。
海の底から真珠をとってこさせるわ、
花のベッドでおやすみになるときは歌わせるわ、
そして私はあなたの死すべき肉体を清めて、
空気の精のようにしてあげるは、この手で。
豆の花、蜘蛛の糸、蛾の羽根、芥子の種!
豆の花
はい、ご用は?
蜘蛛の糸
ご用は?
蛾の羽根
ご用は?
芥子の種 ご用は?
一同 なんでしょう?
タイテーニア
このかたに失礼のないようにお仕えしてね。
このかたの行く先々で楽しく踊ってね。
お食事にはさしあげておくれ、アンズにスグリの実に、
紫のブドウに緑のイチジク、それから桑の実に、
熊ん蜂の巣から密をとってきて添えるように。
枕もとのあかりには、
まず、どうしてここにたどりついたか、をいいますと、ケイト・ウインズレットの演技のことを考えいたわけです。映画はだんだん演劇に近づいているのではないかと思ったわけです。映画は今までアクション
を主体としてきたわけですが、つまり時間だったわけですが、どんなことがあっても映画が終われば
お終いだったのです。でも、ここに来て何か飽きたらなくなってきて、映画が終わってもまだ続いている
余韻というか存在というか、そういうものをもとめるようになってきたような気がします。ウインズレットは
私の好きなエマ・トンプソンの監督、主演女優の「いつか晴れた日に」(ジェーン・オースティン原作)に次女
として出演しているわけです。そして、アイリス・マードックのことを夫の人が書いた本を映画化した「アイリス」の若い頃の女優として出演しているわけです。そして、ついにジュディ・デンチにぶち当たったわけです。あの「007」のはじめ悪党のテンチ、それから部長の偉くなったデンチ、そして、「ビクトリア女王」
のデンチ、そして「アイリス」のアルツハイマーになった作家アイリス・マードックを演じたデンチ、そして
全くしらなかった本場のシェクススピァ劇場の真夏の夜の夢にでてくるタイターニァがとうとう登場した
わけです。なんてきれいな女のひとなんでしょう。映画が演劇に近づいていることを予感しました。日本
ではそのことを感じている女優は宮崎あおいさんでないかと思います。イギリスのデンチ、トンプソン、
ウインズレットの系列はすごいと思います。
2009年07月17日
iliad best
アキレウスがアガメムノンに逆らってTroy戦争に出ないで腐っているところへネストールの子のantilochosアンティロコスから、アキレウスの親友パトロクロスが死んだと知らせがはいる。アキレウスは怒り狂い、お母さんのテティスにアガメムノンの率いるアカイア軍が負けるように頼む。テテイスは大工のヘーパイトスに頼んでアキレウスの武具
を造ってもらう。そして、アキレウスは戦場に出て戦う。
2009年07月13日
もうひとつ不思議に思うのは
もう一つ不思議に思うのは、ギリシャでは、時間の使い方というか、感じ方というか、時間についての考え方がちがうことである。普通は時間は過去、現在、未来というように一直線上に動いて行くように思われているが、ギリシャでは少し違うようだ。
たとえば、「イリアス」を読んでいると、何かがちょっと違うような気がする。人間の他に神々がいるのだから、時々くらくらっとするのである。つまり、小さいときがあって、青春時代があって、今があるとかそういうふうにことがはこばない。神々は死なないのだから、人間と同じようではない。ゆったりと浮気を
したり、嫉妬したり、急にきまぐれにかっさらっていったりする。
どうしても、変なことが起こる。普通、パリスとヘクトールとアキレスは同世代の青年のように思っていた。ところが、パリスはティテスとペレーウスの結婚式の後、エリスの出現で美の審判をゼウスから
仰せつかるのだから、アキレスがまだ生まれているはずはないのだ。だから、少なくとも十年から二十年の違いがあるはずであるのに、そんなこと考えたこともなかったというふうになる。
これは、わたしたち現代人がすっかり失ってしまったものが、まだあるというか、ちらりと見えるものがあるのである。私たちは現在見えないものをちらと見たり、くらくらっとなったりする。ギリシャでは時間が
螺旋状に動いているという。なにか同じ所をぐるぐるまわりながら。少しずつ、前とは違ったところにいる。ちょうど日本人が桜の花を見るところと時が同じでも少しずつずれていくように。(この桜の花と雪の時の感覚はもしかしたら、ギリシャ的かも知れない。)螺旋状ということは
方向性があって、どこかへ向かっているということらしい。
2009年07月08日
大変不思議に思うのは
大変不思議に思うのは、イリアスが叙事詩であることとホメロスによって口承で語られたものであることだ。この大変大きい物語が架空の物語だと思えない程リアリティがあることだ。神話はもうできあがっていたのだろう。それと叙事詩であるからには、これに近い出来事が紀元前にあったか、いろいろ細かい出来事をまとめて大きな一つのものに構成したのかも知れないと思う。次の作品「オデッセイア」では
オデッセイアがいろいろの場面でイリアスを上演させ、アキレスやその他の運命に涙を流すという構成になっているという。
平家物語は事実を弾き語りで口承したものであるのと、イリアスは少し違っているのかもしれない。
ギリシャに本当にあったことは、アレキサンダー大王でこれも映画になって、ものすごいスケールでびっくりしている。とにかくギリシャというところはすごい。あらゆる哲学者がずらりといて、神話があって、
美しい彫刻があって、演劇も盛んで、医学も音楽も生まれて、都市国家があったのだから、けれども
女の地位は低くほとんど奴隷に近かったようである。ニーチェが「悲劇の誕生」を書いたのは20代でギリシャのことをあんなに輝しく、そして悲劇的に描いたのはびっくりすることであった。ギリシャでは神々と人間は同じ地位にあり、違うところはただ人間は死ぬが神々は死なないというところであった。このことは大変面白かった。アポロンの他にもうひとり、ディオニソスという神を付け足したことも愉快であった。
つまり、このイリアスがきっと、あとで、私たちの未来を切り開くことになるかも知れない。
2009年07月03日
映画「TROY」はホメロスの「iliad」イリアスと
映画「TROY」はホメロスの「iliad」イリアスとあまりに違いすぎるとアメリカの批評家らが
物議を醸し出した。しかし、映画は映画で私は面白いと思う。なぜなら、原作はあまりに
神々と人間が複雑にからみあっていて、とうてい映像にはなりにくいし、また説明もできない
からである。
だいたい、どこから、はなしたらいいのかわからない。
イリアスとは、トロイのこと。いまではトルコにある。アキレスは半身神で半身人間の英雄。母はティテス
は海の女神とペレーウスの息子。最後にパリスに弓でアキレス腱を切られて死ぬが、ティテスがスティス川に足をつかんで浸し神々のように不死身の体にするが、アキレス腱だけつかんで逆さにに川にひたしたのでその部分だけは不死身にならなかったので人間とおなじように死ぬので、悲しいのである。
パリスはヘクトールの弟でトロイの王家に生まれるが、母の夢みが悪かったため、羊かいに育てられる。テテイスとペレーウスの結婚式は神々からも盛大に祝福をうけるが、ひとり争いの神エリスだけよばなかったので、エリスは怒っていちばん美しい女は誰かといい、金の林檎を放り込む。ゼウスは羊飼いのパリスに審判させることにする。アテネー、ヘラー、アフロディテーの内、いちばん美しい女を与えると約束
したアフロディテーがいちばん美しいとハリスは審判する。これがもとになり、Troy戦争がはじまるのである。パリスはメネラオゥスの妻をスパルタから略奪してくる。これをアフロデイテーが助ける。メネラーオスはアガメムノンの弟でヘレンを取り戻すために戦争を起こす。どの映画でもヘレンと名の付く女は美しいに決まっているので、観客を満足させなければならないのだ。美しい女はなんにもしなくても唯眺めて
いるだけていいので、いいなあと思う。ただこの女のために男たちが血で血を争う戦争をするのはいかにも古代だとおもう。いまなら、石油とか共産党とか革命とかコロニーとかいろいろですけれど。
パリスはアキレウスを殺すが、最後にヘラクレイトスの弓を持つピクロテーテースに射られて瀕死の重傷を負うが、前の妻オイノーネーに助けてくれるように頼むが断られ死ぬ。
ヘクトールは家族を大事にするやさしい男だが、アキレウスの親友パトロクロスを殺したため、アキレスの恨みを買って殺される。戦いが終わっててもよるじゅうヘクトールの遺骸をひきづりまわし、ヘクトールの父親プリアモスに請われて遺骸を引き渡す。
こうして、トロイ戦争はアキレウスもヘクトールもパリスも死ぬのである。その他のおびただしい兵士たちも死に、イリアスの中はこの戦争で死ぬ人々の描写以外には何もない。「平家物語」の悲しいが「イリアス」はもっと虚しい。二十歳の頃私が読んだ本はイリアスだった。なんでも、覚えているのは、アキレス
が海に向かって、まるで幼い子が母に訴えかけるように、駄々をこねるところが微妙に悲しかった。
どうしてあんなに立派な英雄がお母さんに小さい子供のように駄々をこねるのだろうと思っていたら、
アキレウスは小さい頃母に育てられた訳ではなかったので、大きくなってもいつまでも寂しさが残っているからだと何かの本に書いてあった。それから、ヘクトールの妻アンドロマッケは夫に戦場に行かないように懇願するのも、ギリシャ時代から女たちはこうだったのだと思い、何千年立っても変わらないものは
変わらないのだなあと思ったことだった。
。
2009年06月24日
2009年06月16日
元気になりたい!
「ちょっと行ってみようか?」とタケミは言った。そのスーパー・マーケットは駅の北口と南口との間にあった。ということは駅に続く構内にあった。駅の改札口は2階にあったので、勤め人が駅から降りる前にその店によって、買い物をしバスに乗って家に帰ることができるので便利にちがいない。駅から歩いていくと、人がいっぱいで時々、歌をうたうひとや、いろいろな国からやってきた楽器を演奏する人がいたりした。「こないだはね、カナダからきた、とても上手なギタリストがいたんだよ」とタケミは言った。それから、もう半年もそのスーパー・マーケットに通いつめている。
なぜそんなに、そのスーパー・マーケットが好きになったかといえば、まず安いこととどんな人がいっても親切なことだった。私はその頃、リウマチがになったばかりで、細かいお金を手で数えることが遅かった。その店は年を取った人がたくさん買い物しやすくなっていた。それほど広くはないのに、その店は魚の種類が豊富で、私が幼い頃食べた魚もたくさんあった。ナメタガレイやキンキやホヤがあった。ホヤは海のパイナップルともいわれ、パリにもあった。今度、パリの友達がやってきたら、ホヤの新しい調理の仕方を披露しなければならないと思った。それは一生のうちでも、よく思い出すほど美味なのだから。
春になると
蟹を喰いながらむせび泣く
東南アジアの詩人の詩に感激したことを私は思い出した。タケミと私は毎週、
その店に通ったのだが、はじめ私はリウマチで足が痛くびっこをひいていたのにだんだん回復してきて普通のはやさで歩けるようになってきた。
ナメタガレイは寒い海のなかで育ったので、油がのっていて、とてもおいしい。キンキは高く手がとどかなかったが、いままでの半分になっていた。
春になると、タケノコやキャベツやジャガイモがおいしくなった。タケノコは蕗と煮て、ウニと味噌をあえた物で食べると最高の味になる。
とまあ、こんな具合に10ヶ月は暮らした。よく歩いて最近では足の痛さは殆どなくなった。ただまだ手の指は痛いことがある。それでも、銀座や東京駅などに行くと次の日は足が痛くなった。
この間は詩人白石かずこさんのある文学賞のお祝いにやって来た詩人新川和江さんと私たちの詩の雑誌『something』の編集部員田島安江さんと棚沢永子さんと一緒に銀座の帝国ホテルで会ってお寿司を食べた。
新川和江さんはもう七十九歳にもなるのに顔色がよく、つやつやしてお元気だった。彼女は帝国ホテルの壁のガラスタイルのことを語り、エジプトかメソポタミアには、上薬を塗った二千年もたったガラスの器があるらしいという話をした。その上薬は二千年もするとガラスと一緒に変質して、えもいわれぬ美しい輝きを放つと言われた。その時、「わたしは二千年も生きたことがないから、わからないけれど……」といったので、えっと思って思わず詩人の顔を見た。
まるで女の詩人が二千年も生きているかのような、とんでもない幻想に私は
かられたのであった。なるほど、詩人というのは、こんなことを考えているのかと思い驚いたのである。それでも、私はその後、一週間ばかり、リウマチの具合が悪かった。
日本では、かつて経済大国とかいわれたりしているが、少しも社会制度が発達していない。たとえば、女性が働きながら安心して子供を産めるようになっていない。それだから、結婚する男女が少なく、どんどん老人大国になっている。大学は莫大な費用がかかるし、家賃は高いし、老人介護は少しも発達していない。自殺者は三万人以上いるし、ろくなことはない。それなのに、百歳以上の老人が多く、これはびっくりしている。どうかすると、気候がいいせいか長生きする人も多いのである。私も長生きをする人をテレビで見るのが好きである。一体どんなふうに百何歳の人が生活しているかといえば、千差万別である。たとえば、地方で酒屋さんを開いている女の会長さんは104歳で、朝起きるとコップにきれいな水を入れて、目をぱちぱちと百回ぐらい瞬きをする、新酒のお披露目をしたり、お酒の瓶にラベルを張ったりして暮らしている。若い頃からの生活をなるべく変えないのだそうだ。もう一人の百歳の人は毎日お風呂に4時間も入る。血のめぐりをよくして海草類をたくさん食べるそうである。
もう一人は、お客に法律関係の書類を作成してあげる仕事を家の一階でしていて、3階に住んでいる。かれは歯が丈夫でかたいものでも何でも食べられる。食後、梅干しを砂糖壺に入れて転がしてたべるのが大好きである。皆が寝静まった真夜中に起き出し、お風呂に入り、非常に柔らかいタワシで体をこするのが長生きのこつらしかった。
ひと頃、きんさんぎんさんという双子の姉妹が国民的アイドルになり、みんなの話題をさらったことがあった。なにしろ、この双子のおばあちゃんたちは愛知県に1892年8月1日に生まれ、姉のきんさんは2000年1月23日(満107歳)まで生き、妹のぎんさんは2001年2月28日(満108歳)まで生きたのだから、信じられないくらいである。私の母より17年も前に生まれ、27年も後に亡くなったのである。
きんさんは赤身の魚が大好きで、ぎんさんは白身の魚が大好きだった。1991年二人して数えの百歳になり、市長から長寿の祝いを受けると、テレビのCMに起用され、たちまち全国的に有名になった。幾度となくテレビに出演したり、台湾に招かれたり、「きんちゃんとぎんちゃん」という唄になったり、ドラマに出たり、園遊会に招かれたりした。
姉妹はマスコミに取り上げられる前に軽い認知症であったらしいが、著名人
やリポーターの取材を受けたり、旅行するために筋力トレーニングに励んだ結果、記憶力が戻ったり、認知症が改善したりしたそうである。おかしかったのは、いろいろな仕事をして大金が入った際、「お金を何に使いますか?」ときかれると「老後のたくわえにします」と答えたという。
こんなふうに、私は長生きに対して興味を持っているが、これはアジア人なら誰でもそうではないかと思う。それに自分がそれほど長生きできなくても、そういう話を聞くのが好きなのである。タケミは赤身のマグロの刺身が好きなので毎日のように食べている。
本当は私たちはほんの少しでも旅に出たいのである。でも、まだ体がそれほど元気ではないし、お金もかかるので、我慢している。
昔といってもほんの少し前、私は「AUBE」というランボーの詩のタイトル、「夜明け」というグループを創って286回も原宿という街に集まってみんなで世界中の詩を声を出して朗読していた。それをテープに録音して地方の会員に送っていた。そのとき、そのテープのはじめにモーツアルトのピアノ協奏曲の第二楽章とかを録音して会員に聴いてもらっていた。それは何でもないことのようだったけれど、私たちが元気でいられる要素ではなかったかといま思いだした。286回も10分ぐらいの音楽をいつも探してきて、2週間に一回はみんなでそれを聴いたのだから。いつも音楽が体のなかを流れているような気がしていた。それを聴かなくなってから、リゥマチだの糖尿病がはじまったのだから。いまはだいぶ治ってきたけれど、また音楽を聴こうと思った。どういうわけか、タケミは子供たちの器楽合奏のフィルムを取り始めた。パリの友達はピアニストと友達になった。私はコンピュータにリパッティ、スコダ、リヒテル、カーゾン、ブレンデル、ハスキル、アリゲッティなどというピアニストを呼んであらゆるピアノ曲を聴いてみた。それらはなんとも美しかった。
しかし、オペラも聴いてみたくなった。歌姫や男のオペラ歌手はいつもあらゆる場所に招かれて何万人という人達の前で歌う。なんという情熱なのだろう。あらゆる広場や何百年も続いているコンサート・ホールで歌う。国境を越えていろいろな人種の人達をたった何分かで魅惑するとは一体どんな声なのだろうと思い、つくづく感心してしまった。そして、YOU TUBEは世界中どこでも聴けるのだと思い、現在はなかなかすごいと思った。音楽は何かだ。音楽のことを忘れていたなんて。
シェークスピアは言う
生きるべきか死すべきか?
音楽は言う
生きよ! と それから 消えてしまう
とフィッリップ・ソレルスは書いていた。こんなふうにいろいろなことをしながら私は少しづつ元気になりつつある。
「パープル・ジャーナル」のためのエッセイ
2009年06月10日
辻井伸行くん うまれてきてよかった!
あなたが生まれてきてよかった!
あなたのおとうさんがうまれてきてよかった!
あなたのおかあさんがうまれてきてよかった!
あなたのピアノを聴くみんながうまれてきてよかった!
「ショパンの子守唄」
川のささやきー辻井伸行
日本にも全盲の天才があらわれました。
この曲は辻井伸行さんが、幼いとき、お父さんに連れられて
隅田川に行ったときの記憶をもとにして、彼が作曲したものだ
そうです。
なんというすがすがしさ、なんという喜びなのでしょう。
2009年06月08日
アンドレア・ボッチェリーのアベ・マリア
最近、このひとの声ほど素晴らしいものを聴いたことがありません。涙が出てくるのです。
Andrea Bocelli はイタリアのトスカーナに1958年生まれました。
6歳でピアノを習いましたが、12歳でサッカーボールが頭にあたり、脳内出血のために失明しました。
音楽が好きだったのですが、一度あきらめ、法律の勉強をして、弁護士になります。けれども、どうしても音楽があきらめきれず、パバロッチとズッケロとかいうひとの推薦があって歌うたいの道を進みます。
今では、国際的なスーパースターになりました。この曲は映画ゴッドファーザーにも出てくるMascagni
のカバレリア・リスチカーナです。そして、この紹介者はアメリカの歌姫セリーヌ・Dionです。
2009年05月22日
ビートルズの イエロー・サブマリン
こんなに面白い元気のでるものは、ありません。
こんなにきれいなめちゃくちゃなものはものはありません。
こんなに幸せになるものはなかなかありません。
ビートルズがある程度成功して余裕があったからでしょう。
2009年05月12日
Elvis Preslyの曲は
何の曲がお好きですか?
わたしはこの三つがすきでした。
もっとすきなのはありましたけれど、あまりいい画像がないのです。
かれの声、汗、すべて。もう一人、ジェームス・デーンもすきでした。
ほんとに時代って変ですね。
あの、きゃあきゃあのなかにわたしたちはいるのです。
2009年05月04日
最近の歌姫は
なんてエレガントなのでしょう。
アンジェラ・ギオルギューというルーマニアのソプラノ歌手で1965年生まれだそうです。
有名なプッチーニのオペラで
おとうさん、お願い
わたしを あの人のところへ行かせて
でなけれゃ ベデッキヨ橋から アルノ川に
飛び込んでしまうから
おとうさん お願い
おとうさん お願い
といううたです。
もう一つのジャック・ブレルの古いシャンソンも素敵ですね。
このコンサートはオランダのベアトリックス女王のシルバーのお祝いのために唄
ったのだそうです。
シャンソンを歌うとき歌姫が男の歌手が唄いやすいように、ほんとの恋人みたいに振る舞う
ところが何ともいえないところで、ベアトリツクス女王もつい見とれてしまうのです。
こんな歌手見たことなかつた。
2009年04月23日
オドロキのオドロキ
jp.youtube.com/watch?v=vMVHlPeqTEg&feature=related=ja
新聞にもかいていましたけれど
こんなにびっくりし感動したことはありません。
本当のエンターテイメントとはこういうものなのでしょう。
2008年03月11日
ああ いい 泣けてくる! これがほんとの幸せ!
http://jp.youtube.com/watch?v=RXa72ownSFU
めちゃくちゃに めちゃくちやに
これがほんとの幸せ! こんなふうに一秒も無駄にせず
生きたい 生きたい 悔しい 悔しい 羨ましい
まぶしいばかりの 始まり
藤原基央 you tube− BUMP OF CHICKEN
上のURLをクリックしてね。
かわゆい かわゆい かわゆいよ。
ガラスのブルース
2008年02月15日
2008年02月13日
動物たちはどうしてるの?
最近、とても変なことを考えることがある。たとえば、私は「しろくまのおかおえほん」とか「しろくまの妹が生まれたよ」とかいう絵本を翻訳したりすると、まるで次から次へ「しろくまシリーズ」がでる。
確かに、しろくまたちは危ないし、氷山から落ちたり、飢え死にしたりしているらしい、しろくまたちのことを考えたりすると、絵本なんか出している場合ではないような気がする。奈良の鹿たちのことをテーマにしたドラマができたりしている。また、CBCではどこかの動物園でラッコの親子がゆったりとみずのなかでランデブーしていたのか何回も放送されたりして大変愉快でした。
このようにこの頃人間などよりよっぽど動物や植物がテーマになってきているような気がする。人間は人間に飽きたのだろうか?
まあ、そういうわけにもいかないけれど、いつか図書館でこどもの本で見たきれいな絵本が思い出される。その本は、きれいなマフラーをした女の子が、ペンギンをみていて、どうして、わたしはペンギン
でないのかしら? ペンギンならこんなに寒いとき泳いでも平気なのに、とおもうわけです。
それで、象、きりん、さる、かば、ばんだと次々に会い、どうしてわたしはかれらではないのかしら?
と思うわけ。とても目のさめるようなきれいな絵本だったので、私はいつまでも、いつまでもぼんやりみていたわけだけれども、動物になりたくてもなれない女のこは突然「ま、いっか」というわけですね。
ずっとたってから、なんだか、びっくりしたわけですね。
すると、このあいだ、テレビでおかあさんのおなかの中に、ちいさなカメラをいれて、赤ちゃんの空豆
のようなときから、撮影したわけです。私は人類が初めてダ・ビンチの解剖図、おなかの中の赤ちゃん
を見たときよりもショックを受けたの、その小さい生き物、つまり、胎児の喉のあたりに確かに一瞬、
エラがみえたのでした、それは一瞬で消えましたけれど。こうして人間の胎児はエラができたり、尻尾
が生えたりして、あるいは手にミズカキができたりして、だんだん人間の赤ちゃんになることでした。おど
ろいたことに、人間だけではなく、生きものにはみんな遺伝子があって、それぞれ全部違うということでした。まるでトマトも一個一個違うパスワードやIDをもっているみたいに。
しかも、この遺伝子はこの地球上のすべての生き物の遺伝子をひきついで、そうして、もしかしたら、
波のようにうねりながら進化しながら、ちゃんとお父さんやおかあさんからひきついで、たった一個の遺伝子を持って、生まれてくるわけですね。
つい最近まではそんなこと知りもしませんでした。急に文学の人間と神しかいなかった世界から、アリンコやら、鹿男あおによしなんかがあらわれてきて、すこし気持ちが悪いくらいです。
2007年10月19日
私はずいぶん長い間
私はずいぶん長い間この街から自然がなくなったり、のんびりした楽しいこと
がなくなったりしていることを嘆いたりしていた。これから、空気があまりよくないこの場所で歳を重ねてだんだん体力がなくなって、友達もすこしずつへっていくのか思っていた。しかし、彼を見たことによつて、何か思考に変化をきたしたたようだ。何かに挑戦することは何にでもいいということが解った。たとえば夫は漬けたり、ねかみそにキュウリや茄子や大根を漬けるのを楽しみにしている。息子はもっと漫画の世界に挑戦するために都心の神楽坂に引っ越していった。さて、私は何に挑戦したらよいのだろう。ノートの「やりたいこと」のコーナーに「初めは一ヶ月に一篇の詩を書き、それから一週間に一篇の詩を書き、その
次に毎日詩を書きたい」と書いた。「飛行機に乗って友達に会いに行きたい」
とも書いた。「やらなければならないこと」のコーナーに「洗濯と掃除」と書いた。
2007年10月18日
Next
Next,he took out pack of cigarettes and began to smoke. He seemd to get
a lot of pleasure out of it. After a moment. I couldn't see him anymore.
I don't know how much time in all I was watching him, but I had the impression that it had taken less than twenty or thirty seconds.not more.
But then, wait as I did,he didn't reappear.I thought I might have dreamed it.
I said maybe that's what poetry is. I really should have called the police.
Usually, that's what you do when you see a man climbimg a roof and moving
so nimbly over the security reilings of a fire escape. But I don't have this sort of reflex.and then, this man didn't seem to me like a criminal getting ready to commit a crime. It seemed like I understood him. He was doing it through a spirit of provocation. At the same time, since this was the first time I was seeing a man scale a building in real life and at a movie. I felt overexcited.I was thirilled at the idea that I was finally getting a glimpse of people ready to take on this kind of challenge.
2007年10月17日
それから
それから、どこからかタバコを出して吸っている。とてもいい気持ちらしかった。しばらくすると男は消えてしまった。
全部でどれくらいの間、私が彼を見ていたのか、せいぜい20秒か30秒ぐらいであろうかと思われた。それなのにどんなに待っても二度と彼は現れなかった。まるで夢のようだった。詩とはああいうものではないかとも思われた。
また屋根に登ったり、非常階段をひらり、ひらりと登る男を見たら、警察に通報するだろうかと考えた。私はそんなことはしないし、何か犯罪をしでかす男には見えなかった。私はあのひとの気持ちがわかるような気がした。あのひとは何かに挑戦しているのだ。しかし、ビルからビルへよじ登ったりする人を映画ではなく現実に見るのは初めてなので、私はおおいに興奮した。とうとう、こんなことをする人まで現れたかと思うと楽しかった。
2007年10月16日
MAN OF THE ROOF
I've been living in the this apartment in Tokyo for thirty-five years.
However, this morning at day-break.I witnessed something that I'd never
seen before.I got up a littre after four in the morning.I'd prepared two columun in my notebook : “Things I want to do”and “Things I should do,”and I
was getting ready to write in them. The first thing that I wanted to do was to
open the glass door and let the wind in.Outside it was still a bit dark.
I was looking absentry at the white building opposide. and suddenly I realized
that a man was noiselessly scaling the guardrail of the fire escape outside
the fifth floor. I saw him hang from the roof awning of the fifth floor, lift one
leg high, and presto, he hoiseted himself onto the roof.
It seemed as if I could hear him gasp for breath. He was wearing a kind of undershirt and had leather fingerless gloves. You would have said he was one
of thse gladitors that you see in the movies, or should I say Spyderman.
I kept watching him, full of curiossity, wondering what he was going to do
next when I noticed that he, as well, was staring at me , I start,as if I had been surprised in the act of looking at something that I was't suppesed to see, and, closing the glass door halfway, I went to the other room. There I
continnued my spying behind a bamboo shade and saw him move from the
the roof of the white building to the one next to it, a slighter taller beige
building. He nimbly climbed over a metal reailing, then another to get the
roof of the seventh floor without using the fire escape.
2007年10月15日
7月25日
このアパートに引っ越してきて35年近くなるのに今朝、今まで一度も見たことのないものを私は見た。私は朝四時過ぎに起きて、ノートに「やりたいこと」と「
やらなければならないこと」と書こうとした。しかし、私がやりたいことはガラス戸
を開け、風を入れることだった。窓の外はまだすこし薄暗かった。
なんとなく斜め向かいの白いピルを眺めると外階段の四階の手すりを男がするするっと登り、雨樋をするするっと登り、男は四階屋根のひさしにぶら下がり、片方づつ足をあげ、ひょいとビルの屋上に立った。
男の激しい息づかいが聞こえてくるようだった。彼は下着のようなシャツを着て指のない革手袋をしている。映画で見る闘士のようでもあり、スパイダーマン
のようでもある。
これから男はどうするのだろうと期待と好奇心にかられて見ていると、彼のほうでも私を見ているのでびっくりして、まるで見てはいけないものを見てしまったような気持ちになり、私はガラス戸を半分閉めて別室に移った。
こんどはすだれ越しに眺めると、男は四階の白いビルの屋上から隣接しているもっと大きな茶色いビルの非常階段の階段を使わず鉄柵をひらりひらりとよじ登り、もう一度ひらりとよじ登り、六階まで登ってしまった。
2007年06月17日
The closer I got to the train station,
The closer I got the train station, the more the numeber of cars and bikes increassed dramatically.
I've lived in this neighborhood for thirty years, but in the space of a few years, high office and
appartment buildings in glass and reinforced concrete have begun to prolifarate like muchrooms.
The plum trees and large farms of the past have disappeared as have the thick elms and magnificent
paulownia in flower.
On the other hand, the young cherry trees and pines with their slender trunks, which very tips of
their branches. As you turn into the avenue in front of the video rental store,you find youself on
asphalt full of holes, like Swiss cheese! Each time I go that way, I tell myself: oh it looks like the
allergic eczema that I have on my leg! But this morning, to my great astonishment, the street was
quite smooth. From year to year, the neighborhood is becoming more city like, but it gives the
impression of being a simple setting because it's so artifical.
駅に近づくにつれて
駅に近づくにつれて、自動車や自転車が急に増えてきた。
私は東京郊外のこの街に三十年住んでいるがここ数年のうちに、鉄とガラスで出来た高層マンションや
オフィスが侵入してきて、それまであった梅林や広大な農家が太い欅や美しい花を咲かせる桐と一緒に
消えていった。それとは対照的に道沿いに植えられていた桜や松は細い一本一本の木の枝まで注意深く手入れされている。
ビデオ屋の通りを曲がると虫喰いのように穴が空いたアスファルト路に出た。その路を通ると、ああ、これは私の足のアレルギー皮膚炎と同じだと思っていたが、今日はきれいな路面になっていて驚く。
街は年々都会的になっていくのだが、あまりに人工的で嘘っぽいかんじがする。
2007年06月13日
SOMETHING ISN'T GOING RIGHT ANYMORE
This morning around ten I was riding a bicycle not very far from where I live. I entered a narror
street bordered by houses where I looked at the camellias floweiring in garden corners and the
foliage of medlar trees, all the while enjoying the feeling of cool air on my face, despite the cold.
Then,just as I was going into a larger street, I stopped for a moment to let a car go by, But another
arrived right behind, and it gave me the shivers.
New year's celebrations have just ended; could it be that my reflexs are still a bit dulled?
In any case, I read in my horosecope that I should watch out for car accidents this year.
Recently the number of aged people dying in bicycle accidents has increased considerably.
Ten years ago, my own mother-in-law,who was liveng in a house near the apartment that was turning left just as she was in the crossewalk, and she died of it at the age of 79.
TRANSLATED FROM THE JAPANESE BY CORINNE ATLAN
2007年06月12日
1月10日の日記より 不安
朝10時、私は自転車を走らせていた。家の近くの住宅地の細い径にはいり、庭の隅に咲いている山茶花を眺めたりしながら、枇杷の葉っぱを眺めたりしながら、寒いけれど新鮮な空気を顔に感じていた。
それから、広い道に出るとき、ちょっと停止して車を一台やり過ごした。それなのにもう一台の車が通過してひやりとした。
お正月が終わったばかりで体が少し鈍っていたのかも知れない。私の今年の占いは自動車事故に気をつけるようにと書かれてあった。
ここ数年、老人の自動車事故死がとても多くなっている。また十年前に私達夫婦のアパートの隣室に
住んでいた義母が横断歩道を渡るとき左折してきた車にはねられて79歳で亡くなった。
駅にちかづくにつれて、自動車や自転車が急に増えてきた。
2007年05月02日
清水茂というひとのエッセイ
最近といってもここ数ヶ月半年ばかり注目しているえっせいがある。
かれはイブ・ボンヌフォワというフランスの詩人の詩を翻訳している早稲田大学の教授なのだか、その文章たるや、驚くべきものがある。
「たぶん一人の詩人であるということは、そのようなものとして世界にむかってつねに自分の感性と思念とを開いておくことだ。どのような己れの行為にもその在り様は付き纏っており、語られ、書かれるどの
一語にも、その痕跡はとどめられる。それは職業でも身分でもない。だから、大学教授のように、詩人がそうであることを免れ得る時間など存在しない。芭蕉、マラルメ、その他。
他方、美しい手紙を書くためだけに友情の必要な人がいた。ある種のナルシシスムのために友情も必要だったのだ。おそらく恋愛も必要だつただろう。自分が詩、もしくは文学と信じているものを作り出すためには、素材としての現実がともかく必要だつたのだ。友人や恋人について彼が抱くイマージュだけが取り敢えず重要であり、対象としての生身の存在は、極言すれば、彼にとって、何ほどのものではなかった。後世に美しい手紙を残したかったのだ。
これは私がいま考えている詩人の在り様とは正反対のものだ。というのも、真に価値をもつのは現実のものであって、私たちのエクリチュールではないからだ。真に価値をもつのはサスキアであり、ティトウスであり、ヘンドリッキェである存在そのものだ。
私たちがその存在、その現実をどのように見て、どのように捉えるのか、この点に、詩人の、あるいはレンブラントのようなすぐれた芸術家の特性が宿る。現実のものにむかう視線のひとつの在り様、それを愛となづけることもできよう。」
全くなんという文章なのだろう。そして、せっかちな私はサスキアって何? ティトウスは? ヘンドリッキェは? と思い、疑問があってもいつものようにほったらかしていて、現実というと、今わたしには、イラクや子どもの殺し合いのことだから、このカタカナは怪物のような物だと思っていた。
ところが、ところがである。サスキアとはレンブラントの最初の妻であり、すぐ死ぬのだが、大変美しく
「フローラに扮したサスキア」というなんとも愛らしい絵がある。サスキアはティトウスを産んだ後、お産で死んでしまう。その後、ティトウスも死ぬのだが、ヘンドリッキェという家政婦と一緒に暮らす。
とても深みのある落ち着いた女性で、後に描くハテシバはヘンドリッキェであろうといわれている。なんども結婚と離婚と死別に遭い、とうとうレンブラント自身がしぬのだが、最後に娘が一人残る。
映画「レンブラント」をわたしは思い出したのだ。
そして、ティトウスも思い出した。ティトウスはローマの皇帝コンスタンチヌスの息子のことなのだが、このお父さんの皇帝はなかなかのやり手で、はじめてキリスト教をうけいれ、コンスタンチノーブルに奠都する。大変なけちで公衆トイレをつくり、お金をとって儲けたのでみんなに評判が悪かった。けれども、息子のティトウスはやさしい、大変聡明な息子であったらしい。外国にちょっとした戦争にでかけたのだが
彼はあまり戦争が得意でなく、いのちからがらローマに帰ってくると親馬鹿コンスタンチヌスは大いに
喜んでローマに美しい凱旋門をたててあげたのです。ナポレオンがこの凱旋門を気にいり、パリにこれと同じものを立てたというのです。モーツアルトには「慈悲ぶかいティトウス」というオペラがあるそうですが
私はきいたことがありません。
というわけで、清水茂氏のいう「現実」というのはわかりましたが、私にはすこし美しすぎるとおもいましたけれど。まあ、それでも面白かったです。
2007年02月12日
IN THE HEART OF UENO PARK
Around 2:30 p.m.,I arrived at the station at Ueno and took the exit leading to the park. In the park,
gentle, bright sunbeams shone into the intermost reccesses of the woods,and quite a few people
were walking with a careless step, even though this wasn't vacation day.
I followed the movement and passed some students from a school of foreign languages, as well as
some office wakers who were taking a walk. The National Museum of Western Art was having an
exhibition of paintings from the Muees Royaux des Beaux-Arts in Brussels, and in front of the
entrance, you could see an enlarged reproduction of Bruegel's Fall of Icarus, looking like a film
poster.The painting showed such a surprising skill that I stayed for brief moment to take it in.
I went past the museum and arrived in front of the zoo.On my right strecthed the square with a
fountain in the center, and the water was sparking in the sun.
On the other side of the square with streched a deep undergrowth, where here and there you could spot some structures that looked like little blue huts.
For a while I walked around the square,which was full of people. Hearing some faint laughter. I
realized that all these people bunched together were watching a performance:a practically naked
man whose body was powdered white and who was slowly assuming the pose of Rodin's THINKER,
or that the Buddha,or else a javelin thrower from ancient Greece.
TRANSLATED FROM THE JAPANESE BY CORINNE ATLAN
2007年02月10日
10月18日 IN THE HEART OF UENO PARK
午後2時半頃、私は上野駅に着いた。明るい穏やかな日差しが上野の森の隅々まで降りそそいでいて、休日でもないのにかなりの人数の人びとが軽やかに歩いていた。
私もその流れにのって歩いていくと外国語学校の生徒たちや先生に会ったり、散歩するOLに会ったりした。
国立西洋美術館ではベルギー王立美術館の絵の展示中で、入口には映画の看板のように大きく複製されたブリューゲルの「イカルスの墜落」があった。とても上手な看板だったのでびっくりして私はすこし
の間眺めていた。
美術館をすぎると正面に動物園の入口が見え、右側には広場があり、噴水がキラキラとひかっていた。
私はしばらく大勢の人と広場を歩いていた。微かな笑い声が起こり皆がながめているのは体中に真っ白い天花粉をつけて殆ど裸の男のバフォーマンスだつた。男はゆっくりロダンの考える人になったり、弥勒菩薩になったり、ギリシャの円盤投げをする人になつたりした。
つづく
2007年02月09日
wednesday 18 October
Is it because I watched a fantastic music program the night before on the Internet? At dawn, anyway, I had a weird dream. I was in a Kind of bulding. With an entrance full of colonnades and a room with a ceiling decorated with frescoes. An arm came out of the painted clouds and stretched
toward me at the sametime as the music toward a sky from which I had a vast and profound view of the world down below.
10月18日
昨夜インターネットで幻想的な音楽プログラムを見たせいか、明け方私は変な夢を見てしまった。
その夢は建物のようであり門や玄関があり、柱がいっぱいあって、その寝室の天井画の雲のうえから一本の腕がのびてきて眠っている私の手をひっばりあげ、音楽とともに広く深く物事が見える空のうえに連れて行ってくれるかも知れない、それはそんな夢だった。
午後2
2005年12月12日
ローマのカレンダー
ローマの壁画のカレンダーはほんとに不思議な絵がついていて、3年ばかり飽きずに同じものをながめている。それはポンペイの壁画のような絵でもあるが、とても素朴な絵でそれ程たいした絵のようにも思えないがなぜ人を飽きさせないかがわからない。まず庭の絵があってそこはこのうえもなくのどかでだいたい木にとりがきて、レモンかオレンジの啄んでいる。ローマのひとも鳥が好きだったのかと思う。それから
家族や身近にいる動物がかかれている。台所には魚が飛び跳ねる絵があったりする。家族の絵は物思いにふけっていて、感懐深い。たとえば、たぶん病気かなにかで娘がしにそうになっていると死に神のような男に母親が怒ってたちはだかっていたり、息子はなかなか世の中とうまくいかないので、悩んでいたりするようだ。なんだか、こちらがかってに物語を作ってしまうような絵なのだ。それから、家のおおきな守り神がいたり、なにかおんなが土地の神にとりつかれたような儀式の場面もある。おそらく、ローマは最初の都市だったのかもしれない。だから、現代の人々もなにかテロや戦争の破壊がないように、平和を祈願して都市生活を無事にすごすことができるように世界中の人々がそういうカレンダーを眺めるのかも知れないと思う。わたしがどうしてかローマに惹かれてのかといえば、恐らく高校時代に読んだ世界史は
メソポタミアやエジプトなどからよんでいき、ローマあたりでおわってしまったからであろう。ローマのバチカンの庭ほど天国のように思えたことはない。
2005年12月01日
李禹煥とMARK ROTHKO
水野るり子さんがLEEUFANのことを書いていて、懐かしく思った。リーウフアンは韓国の画家で色がついた墨絵のようで、何とも云えない静けさと透明感がある。いかにも東洋の画家という感じがする。この絵のような詩を書いたひとがいて、その詩人は半分画家でもあったので、坂を登ったり降りたりするという
詩で、悩んだり迷ったり待っていたりするのだが最後に坂を登り切って、やっぱりお詫びをするのがいちばん
いいとかいう詩だった。蟹澤奈穂さんの詩だった。なぜ、その詩を読んだとき、LEEのことを思い出したのか知らない。たぶん、あのひとの絵には色の諧調があってそれが逡巡のようにもゆるやかな
思いのながれのようにも感じられたからだと思う。とても繊細ないい詩だった。
水野さんがリーの絵には宇宙の芯があると言ったのも面白かった。
わたしはいま頃になると、カレンダーを探しいくのだが、前に好きだったカンデンスキーもセザンヌもフェルメールもダンテ・ガブリエル・ロセッティもピカソもカスパール・ダビット・フリードリッヒもあまり感じられなくなっているのに驚いた。いまはロンドンの新しいテイト・ギァラリーでもパリのポンピドーでもお茶の水のコーヒー屋でもROTHKOがおおもてだった。LEEUFANもROTHKOもたいへんな抽象画でこの地上では
存在しないような模様なのか。いや、単に模様ではない。わたしたちがいつか宇宙旅行にいったときに見るもののような気がする。なぜだろう。Rothkoの絵は光と闇が混じりあっていて、宇宙にいった人間が地球の思い出にみる、暑かったり寒かったり雪がふったりする風景を自分の体の熱のように思い出すのだと思う。たとえば、映画「マジソン橋」
の信号がちかちかと点滅する別れのシーンのようなものがわたしたちのからだのなかに残っているのではないだろうか。ああいうものをことばにするのは、とてもむずかしいけれど。けれど、ROthkoの絵にはリァリティがある。わたしたちのよく知っている体の記憶が。もしかしたら、それは映画とか、音楽とかノイズかも知れないからだのなかの記憶なのだろうか。それとも遠い幼い頃に感じた匂いや味や体を通して感じとった映像なのだろうか。川のながれやしょうじのにおい、たくさんの声、犬や馬の体のにおい。いろいろな記憶、手でさわったもの、火のにおい。意外に匂いって重要だね。絵には匂いがないとおもうけど。
あるのかしら。
2005年10月20日
最近は
最近は、どうしてか、【毎日1分!英字新聞】 be likey to 石田健さんの
mag2 0000046293 を読んでいます。 いつまでたっても、英語はよく分かりませんが、
読んでいると安心します。石油代があがったことや鳥インフルエンザがヨーロッパではやっていることや
カシミールの地震のことを読んでいます。フランスのテレビビデオは時々切れてしまい、大変ですが、
アナウンサーか゜゛素敵です。でも、詩はなかなか書けません。
もうすぐ「something2」が発行されます。
2005年10月09日
「新生都市」鈴木志郎康 おぎゃーの詩
新生都市 鈴木志郎康 おぎゃーの詩
空には雲がなかった
雷鳴もなかった
風はひたすらペンペン草をゆらした
わたくしはその時を知っている
暗い穴から最初の血まみれの白い家が現れた
女の穴から血まみれの家は次々に現れた
渇いて行く屋根の数は幸福て゜あった
それは今女が生み落としたばかりの都市であった
人間のいない白い道路
人間の影のない白い階段
純白の窓にはもう血痕はなく
壁は余りにも自由であった
コロナに輝く太陽の下で
腐って既に渇いて行く母親の死体の上に
白色に光る直線はおどろくばかりの速さで生長した
人間はなく
風はなく
既に空さえもなかった
鈴木志郎康さんの「腰曲新聞」や「HAIZARACHO NIKKI」を時々退屈したときに読むことがあります。すると、なによりもすきなのは、夕食や昼食のためにスーパーから買ってくるときの材料のはなしのときです。何が何でもうまいものをつくるときには、何が何でもこれだけのものが必要である。という具合に
並べられる材料でとくにカレーの材料は生唾が出るほど迫力がある。わたしたちはどちらかというと料理
はさぼりたい気があって、できるだけ簡略にしたいと思っている。でも志郎康さんの日記を読んでから買い物に行くと気をいれて買い物をするので、お腹もすいてくる。なにしろ、詩人ではコンピュータ
の元祖のようなひとなので、それだけでも、尊敬してしまう。
この詩を読むとアメリカのチャーリー・シミックの詩をおもいだしてしまう。1963年の詩であり、日本にも
こんなにいい詩があったかと感激してしまう。もしかしたら、この詩人はハムレットみたいにマザーコンかも知れない。私はファザーコンかもしれないけれど。この詩を読むと寺山修司の「時には母のない子のように」を思い出し、オリンピックやケネディ暗殺の時代を思い出し、「都市の論理」を書いた羽仁五郎のことを思い出し、「母原論」がはやったことを思い出す。そして、なによりも、おぎゃーを思い出す。
2005年10月02日
あれよあれよと 「クアラ・ルンプール午前5時45分」山本博道
クアラ・ルンプール午前5時45分 山本博道 あれよあれよと
わたしはマンダリン・オリエンタル・ホテルの
隣のツインタワー・ビルが窓一杯に見える
二十二階の十九号室に泊まっていた
どんな景色かと窓から外を見ると
旅はまだ始まったばかりだというのに
わたしのホテルの十七階あたりまでが
高波ですでに浸水していた
何という不運で壮絶な光景だったろう
わたしは水浸しのこの下の階が
いったいどうなっているのか不安だった
街はあふれる泥水で色を失くしている
わたしが茫然と立ちすくんでいると
つぎの瞬間水は引いていて
道は泥沼か干潟のようになっていた
そこに茶褐色の虫やネズミが這い回っている
高波はふたたびやって来そうな感じだった
暫くすると泥の中から男の死体が浮いて来た
わたしはそうして行方不明の男たちが
世界にはかぎりなくいるのだろうと思った
道の右側の泥からは別の男が立ち上がって来る
死んでいるのだから息苦しくはないだろうが
目を閉じたまま男はずぶずぶと歩いて行く
いや死んでいるのだから
押し流されているだけだろう
そしてふたたび泥の中へ前のめりで沈んで行った
まるで映画か夢でも見ているような感じだ
わたしは急いで窓から離れて枕元の時計を見た
午前五時四十五分だった
クアラ・ルンプールの夜明けは霧に包まれていた
目の前には巨大なヒンズー教寺院を思わせる
ペトロナス・ツインタワー・ビルが聳えている
茶渇色の虫や死者たちの気配は消え
何事もなかったように街は眠っていた
それから五分もしただろうか
わたしははじめ隣室からかと思ったのだが
その声は拡声器を通して街の方から聞こえてきた
いや声というよりは歌に近かった
どこまでが夢でどこまでが現実だったろう
わたしには初めて聞くものだったが
コーランだと思った
辺りはしんと静まり返ったままだ
旅に出たときにだけ吸う煙草に火をつけた
泥の中で死んでいた男たちは
わたしに何が言いたかったのだろう
たとえば自由とか開放とか
たとえば悲しみとか
わたしはそのまま起きてバスローブを脱ぎ
シャワーを浴びて髭を剃った
そうして鏡の中から朝が来るたびに
わたしは死に向かっているじぶんを感じた
冷蔵庫から瓶の水を一本取り出し
窓のそばにもどってまた外を見る
旅はまだ始まったばかりだというのに
立ち籠めた霧のほかには何も見えない
『パゴダツリーに降る雨』書肆山田
あれよあれよといううちに、この驚くべき詩を読んだ。夫がクラークスのバックスキンの靴を受け取った。
オークションで競り落とした白い楽しそうな靴だった。それからスパゲッティ・ミートソースを食べ、新しい
靴をはいて散歩に行こうかとしていると、国勢調査のひとがきた。なにもなく生きているということとこの詩
がスパークし何が何でも、この詩をブログに写したい気がした。時々詩は退屈だと思うときがある。しかし、詩は非常に多くのひとが書いていてその一つ一つが素晴らしいと思う。時々人は濃密に詩人であり、そして、普通のひとでもあるわけだ。こんな詩できたてのほやほや。この彼が地上で見た物のうちでももう二度と見られない希有な時だと思う。この詩人が若いときから、わたしはファンだったが、いま一瞬さえわたっていると思う。洪水のあとの不気味な静けさと歌うコーランがいい。
2005年09月17日
大人になって少しわかったこと3 未來が見えるために
ひとは一生のうちにどれぐらい本を読むのだろうか? 恐らく、これからも無限というくらい本をよむかもしれない。それから、もう本なぞ読まず、ただ空気のように生きて行けたらいいのかも知れない。でも、やっぱり寂しくなって本をさがしにいくだろう。本のことでいちばん印象に残っているのは、大岡昇平さんだ。かれはもう80すぎていたのに、ベット゛の横に山のように本を積んで一冊一冊読むのを楽しみにしていた。特に最近の小説が好きらしくまるでわたしが読んでいるアメリカの若い人の小説を感心してよんでいた。それはわたしをひどく勇気づけたのを覚えている。もう小説をかかなくなったのに、小説をよんでいるということは、やはり好きなんだなあと思った。ところで、ひとが最後に読む本とはどんな本なのだろう。
今日、図書館でクーニーの「ルピナスさん」という絵本を眺めてきたが、ああいうものでもいいなあとも思った。でも、読む本はわからないとしても、作家が書く最後の本というのものを考えるのは、とても、楽しい。
恐らく、ラストブックというものは、いろいろ考えても、楽しい。この間、ゲーテの「親和力」という少し気味が悪いような本を読んだ。あれはやっぱり、倫理より恋愛をひそかに肯定したものであろうとベンヤミンがいっていた。そうかもしれない。しかし、最近わたしが読んだマルグリット・デュラスの「夏の雨」ほど新鮮に思えたものはない。何という物語なのだろう。なんという未来的な本なのだろう。フランスが好きなのは
堅苦しくないのに面白いからだ。このように子どもを大切に思う国はない。というよりは、この混乱の時代
にどのような大人の愛よりもこどもの方がうつくしいからだ。というよりも大人たちがありとあらゆる享楽と戦いと労働と知の疲労を試みたあと、この革命の国の市民はいまさりげなく子どもたちのことを語り、新鮮な朝の空気のような子どもの物語をするのだ。はじめ、わたしは図書館のあるコーナーにしゃがみこんでこの本を眺め、何度も何度もただ眺め他の本をかりてかえってきたのだ。何でも貧しい移民の夫婦は
子だくさんでこどもが学校にもいけないのだが、父親と母親はまだ本を読む力はのこっていて、ジョルジュ
・ポンピドーの生涯に感激する。なぜなら、どんなに有名な人物の夫婦の生涯でも、どこか自分たちの生活と似ているということを発見したからだ。それは有名、無名にかかわらず、人の生涯というものは、あるていど同じ論理に依って創られているからだというのである。この凡庸で穏やかな生活保護を受けている
イタリア系の父親とロシア移民らしい母親から、奇妙な天才のような子どもが生まれ、学校に一週間しかいかないのに、聖者になるかもしれない予感にみちていきるエルネストというこどものものがたりなのである。
これはフランスでベストセラーになってしまった。なんという朝の空気のような聖家族のものがたりなのだろう。これほどの希望をもったことはない。そして、ル・クレジオの「海を見たことのない少年」と「黄金の魚」もすばしらい。「黄金の魚」はわたしの友達の村野美優さんが訳したのだ。こういう本にわたしは未來を感じる。あの子どもたちが持っている光のなかで、わたしはいましばらく生きて死にたい。
2005年09月08日
大人になって少しわかったこと2 「愛はあまりにも若く」
ファンタジーといえば、どんな小説よりも魅惑的なこの物語を数年間何度も読むことになった。前にフォークナーの小説もかなり深く面白いと思ったが、でも、もう一度ふりかえる程のエネルギーがないような気もする。なぜわたしたちは、ファンタジーを読むのかはだれにもわからない。恐らく、どこのだれでも、つまり、おかあさんか、おばさんか、おばあちゃんか、わたしたちのすぐ側にお話の上手なひとがいて、ひとりの人が「百年の孤独」ぐらいの物語というか、情報をごく自然に伝えてくれていたのだろう。プーケットで恐ろしい津波が起こったとき、わたしたちはだれもあんな津波にであったことがないと思った。アメリカから
インドネシアに「これから一両日の間に巨大な津波がそちらにいくから、気をつけて欲しい」と連絡したところ、インドネシアでは誰もそんなことは経験したことがなかったし、はなしにも聞いたことがなかったのでので、受け取った者がにぎりつぶしたそうである。車から建物が破壊したかけらから、冷蔵庫やタンスやおおきなバスからその他一切合切の日常物質がゆっくりと殆ど静かにと思えるぐらいの水が道路を渡ってやってきたとき、それを見ていた人々はもう助からないぐらいの危険な状態にあった。20秒ぐらいであったかもしれない。海が干上がって不思議なことがあるものだなんて呑気なことを言っていたこともあった。かなり、遠くに白い波の壁が
こちらの岸辺に近づいて来たかと思うともうなにもかもがまきこまれて誰も逃げられなかった、とかあのヴィデオフィルムをとったのは誰だろうとか。ずっとたってから、わたしたちは何千年も前なら確かにありうるのだろうと考える。なぜなら聖書にだって大洪水は書かれてあるからだなどと。
物語は確かに必要だ。特に鬱になつたとき、ちらちらと夢にみるような物語は必要だ。とくにナルニア国の物語の次に書かれたC.S.ルイスの最高傑作は。子どもの物語ですらあれほど魅惑した「ライオンと魔女」の次の最初で最後の傑作は。愛といってもいろいろある。親や子どもへの愛もあれば、兄弟や姉妹、兄と妹も姉と弟も。死んでしまった肉親を捜してどこまでもどこまでも、北の氷のくにまで汽車にに乗り継いでいったのは、宮沢賢治でなかったのか?しかし、妹プシュケーを探して灰色の山の神々と争った
姉オリュアルのような物語はあまりない。なんともいえない魅力である。人間の世界では獣とさげすまれているキューピッドはあちらでは美しい若い神なのだ、でたらめのようにもおもえるけれど、伝説や悲恋や神話はどんなふうにこの世に現れるのか、そして神は?人間の真の姿とは?ファンタジーなら信じられる
、たまには何度も何度も読んでみたくなる。小さいときお母さんをなくしたルイスはナルニア国でそれを食べると重い病気で死にかけたおかあさんが生き返る魔法のりんごを発明する。こんな人、みたことがない。物語はわたしたちに必要なのである。戦後わたしたちは物語などなくても生きていけると思っていた。しかし、津波ひとつとってもひとりの人間の経験だけでは理解できないものがあまりにもおおくあるからである。
この本はC.S.ルイスの「愛はあまりも若く」である。
2005年09月07日
大人になって少しわかったこと
すこし夏バテでした。ずっと前にサイードというひとの「遠い記憶」という本を読んだことがありました。とてもわかりやすい自伝のような本で、わたしは感動して「サイードから風が吹いてくると」という詩を書いたことがありました。その時はサイードが小さいときからことや、アメリカに行って活躍することの具体的な体験
にとてもとても感動したわけですけれど、ごく最近なって彼のお父さんのことが気になりました。とにかく
サイードの一家はパレスチナにすんでいましたが、だんだんそこを追われてエジプトのカイロなんかで文房具の商売をして、しこたま儲けていました。お父さんは若い頃アメリカの兵隊に志願してアメリカのいろんなところに住んでいました。そこでかれアメリカ式の商売をして一旗あげたわけです。パレスチナというところは昔イエスが住んだところですから、なんだか男の国でやたらめったに親戚やら知り合いが多いわけでエドワード・サイードなんてその息子に名前をつけて、エジプトのかいろのイギリス系の学校にいれていました。それから、夏になると、レバノンの田舎に休暇をとりにいくわけですね。それでそのお父さんは
お金持ちなのによれよれの洋服をきて、子だくさんでなんにもしないでぼけーとしているわけですね。
どうして、あのお父さんは一家の柱で国を追われ、それだけでなくお金持ちで、それなのに絶望的な顔をしているのだろうとおもったわけですね。それはかれが一流の実業家なのに故郷がなく、家ももてず、
イスラエルに全部とられて流浪の民におちぶれているからです。やがて、かれは一人息子のサイードを莫大なお金を使って、高校から十何年もアメリカの学校にいれるわけです。お父さんがお金を稼ぐときはただ一家の暮らしを支えるだけではなく、なにか生き甲斐のようなものがなければならなかったのです。かれの
目的は巨大な富を息子の教育に費やすことだったわけです。まあ、それは大体成功したわけですが、
その気の遠くなるような大事業のことを延々とかいているサイードにも感心したわけです。お父さんは一日の仕事を終える前にお昼頃どこかへ消えてしまい、一秒たりともう働きたくないのですね。そして、大部分の男のひとたちが砂を噛むような労働をしているのだと思って、お金の力ってすごいなとおもったわけです。あの写真で苦虫をかみつぶしたお父さんは成功していながら、大変だったのだなあとおもったわけです。わたしもすこしお金をかぜごうかなあ。
2005年08月23日
とても暑い日に
とても暑い日に、つまらない仕事と面白い本の板挟みになり、お風呂に何回も入り、真夜中に眠られず
それでも昔と違ったやり方でファイトし、なんとかかんとか二つやり遂げ、まだ二つあります。生きてることになかなか満足しています。あなたはどうですか?暑くお見舞い申し上げます。
さて、ポール・オースター編の「ナショナル・ストーリー・プロジェクト」は9.11の二日後に出版された本ですが、政治的でない、格好があまりよくないけれどなかなか愛すべきアメリカが読めます。これはポール
・オースターの小説ではなく、一般から募集した4000のお話から、180選び、ラジオ放送で彼が朗読したものを本にしたものです。喜び、悲しみ、ユーモア、瞑想、夢、すべてあります。アメリカ人が語るアメリカの物語です。ひとつだけ、ちょっととりあげてみますね。
ヒグリーでの一日
ある日、まだ若き公認会計士だった私は、アリゾナ州ヒグリー近くにあるクライアントの農場を訪ねた。
私たちが話していると、網戸を引っかくような音が聞こえた。クライアントが言った。「こいつを見てください」。彼は網戸のところに行って、扉を開け、かなり大きなヤマネコを部屋のなかに入れた。生まれてすぐアルファルファ畑で拾われて以来、ずっと家族の一員なのだという。網戸が開くと、ヤマネコは浴室に駆け込み、便器に飛び上がって、用を足そうとしゃがみこんだ。終わると、床に飛び降りて、うしろ足で立ち上がり、体を伸ばして、水を流した。
カール・ブルックスビー
アリゾナ州メーサ
2005年08月19日
「トゥルー・ストーリーズ」
ポール・オースターの「トゥルー・ストーリーズ」という本を入江由希子さんから借りて読んでいる。まだ全部読んでいないが、この本を読みかけてから、二つの不思議なことが起こった。ひとつは、この本にでてくる短いお話はある程度はほんとうのことではないかと思うのだが、どこかはフィクションで、最後の落ちというか、つじつまがあうようになっている。そのなかで、最初あたりで大好きな話が出てくる。
作者はとても裕福なうちに生まれそだったのだが、両親が働いていて、そのお金ために離婚しなければならなかった。どうしても作者はお金を稼ぐ事が苦手で物書きとしては、贅沢な副業もあったのに、それを放棄して、カスカスの、つまり、食うや食わずの物書きの仕事をして、フランスの田舎のお城の留守番をしながら後から結婚することになる女の友達と一緒に暮らしている。ところが、物書きの仕事の収入はいつも2ヶ月遅れて゛やってきたり遅れたりする。お城の二人は本当に飢えてぎりぎりのところを、まるで天使
か月光仮面のようなナショナル・ジォグラフィックの社員の人が現れるのを待ち、お城に泊まったり、食事をしたりするホテル代ぐらいのお金を融資してもらっていたのだ。今回もとても飢え二人は最後のとっておきの食べ物をオーブンに入れて散歩にでかけると、食べ物はすっかりこげてしまった。それでかなり深刻に
絶望的な時間を何時間かすごしていると、なんとまあ天使のようなあの男が青い車に乗って現れた。そこで、読者であるわたしは深く感動して夕暮れの窓をながめたのであるがちょうど、それから、2週間もしない内に、私たち夫婦は「ナショナル・ジォグラフィック」を約100冊もあるひとからプレゼントされた。美しい写真の本で、たとえば、謎につつまれたカモノハシの生態を研究する女の学者とか
鯨ははじめ地上に住んでいて、足がはえていた化石を見つけた話とか、中国に入っていき中国人の生活を記録したアメリカ人だとか、アホウドリのおおきな姿を撮影した日本人だとか、水野るり子さんが好きそうな話か゛いっばいのっている。フランスのレヴィ・ストロースもこの雑誌を愛読していたそうである。
二つ目の偶然は、わたしはル・クレジオの小説をとても好きであるが、もうひとつ、このポール・オースター
のような方法の短編なら、つまり、本当のことは本当ことなのだが、やむ得ずフィクションにしているという
方法がとてもすきになって、まるでブログ向きの短編小説ような気がした。あまりグルメな小説より、ひどくリアルでなにか精妙な偶然によって創られたこの世に生きる不思議を感じさせてくれるストーリー、詩人でもあるし、なにしろこの困難な時代を生き抜き、なにかしら納得させるものを与えてくれる。
いつかこういう小説を書けたらいいなと思う。
2005年08月18日
一つのながーい小説のように
「ヘルムート・ラックと別れたのは、ただヘルムートが日本に住みたいと言い、わたしがフランスかドイツに住みたいといったからよ」とクミコはいった。クミコはいつもむかしのことを今のように、いまのことをひとつのながーい小説のように話した。だから、そばにいると、わたしはいつもこんがらかってしまうのだ。
ヘルムートというと、わたしのなかに国立の緑いっばいの麦畑がひろがり、うすい航空便の便せんにはさまつたちいさい写真をわたしとタケミは何度も何度も眺めた。青年の写真は三分間写真でうすらぼやけていて、こちらを向いていず、あまり目立ちたがり屋には見えなかった。「どんな人だと思う?」ときくと「ふーん、おもしろい。」といったきりタケミは黙った。「おもしろいって?」再度聞くと「すこしひょうきんで、ぼくらとそんなにかわらない」。「4月26日にシベリアまわりでくるっていってるわ。ほんとにくると思う?」「まあ、くるんだろうなあ。」「もしくるとしたら、ここに4人もねむられないわ。引っ越さなくっちゃ」「うん」そこでわたしたちは国立の北口から南口に引っ越したのだった。一階か゛六畳と台所、二階が六畳、これでかろうじて
4人暮らせる。4月26日は昼寝をしたくなるぐらい、わたしは疲れた。夕方、もう来ないかと思うぐらい遅く、たよりない電話がかかってきた。「えっ、いまどこ?」「国立駅よ」すると映画をみているように、映画のなかに入っていったかのように世界がぐらりと動いた。
その大きな男はわたしとおなじ年で、まだ25で2メートルもあり、オーバーは4キロもあり、靴は13文もあった。ヘルムート・ラックは愉快な男で外人みたいな気がしなかった。わたしは彼らが何を食べるかよくわからなかったので、買い物はしなかった。「大丈夫」クミコはいった。クミコとわたしはスーパーマーケット
に行ってあじの開きとほうれん草とおとうふを買ってきた。そして、その夜、クミコはお料理して、ヘルムートが使いにくそうにお箸であじの開きをたべたのだ。次の日、国立のひろい道路を4人であたたかい春の
ひざしのなかを歩くと、世界でいちばんしあわせなのは、わたしたちだと思ったくらいだった。
2005年08月14日
ベッドのひも
ところで、クミコはお母さんやその他家族のお墓を岡山から東京のどこかのお墓へ引っ越しさせるために、パリから里帰りしてきたのだった。お母さんは広島の病院で亡くなつたのだが、もう五年も岡山に誰もお墓参りに
くるひとがいなかったので、曹同寺というお寺はかんかんになって怒っていた。第一どこに連絡したらいいのかわからなかったのだ。クミコはお母さんのながーい介護の疲労のため、お母さんが亡くなる直前に盲腸炎になってしまった。妹さんはお葬式が終わると仕事の遅れを取りもどすのに必死だった。そこで曹同寺は待っても待っても現れないお墓の持ち主に業を煮やして看板を立ててみんなにうつたえていたそうである。なんにも知らないクミコたちはさんざん怒られて、五年分のお墓台をとられなければならなかった。クミコは、広島の病院はひどかつたとしきりに腹をたてる。「どうして?」とわたしが聞くと「ベッドにひもがぶらさがってないからよ。つい昨日まで起き上がってそろそろとでも歩いていた年寄りは、入院したとたんに起きあがれなくなるのは、つかまるひもがないからよ。」クミコは日本に帰ってくるといつもいつも生活習慣の違いに悪態をつき、へとへとになってつかれて帰っていくのだが、なるほど、フランスの病院のベッドには、ひもがあるらしい。わたしは一度だけ、ゲーテの最後の寝室というものを写真てみたことがある。そこにはベッド以外に椅子ひとつしかなく、しかも、頑丈なひもがぶらさがつていたのではなく、張りわたされていた。ゲーテはなんども
死にそうになりながら、また回復してベッドから降りることができたのは、その命綱のひもがあったのかとおもった。日本の国が西洋から実にいろいろなものをものを吸収したのはよかったけれど、ひもまで
は吸収するのを忘れてしまったのだ。畳のうえの布団のうえでねむつているひとは、元気になれば畳に
足をついて起きあがることができる。しかし、ベッドのうえではなかなかおきあがることができないかもしれない。それは本人にとつても家族にとっても重要なことであるかもしれない。
2005年08月12日
えっ、と山本楡美子さんはいった。
それは、とても不思議な写真だつた。ベニスでエレンが撮った写真で、大きな煉瓦の壁のなかに、ドア
のような形をしたものがあり、そのドアはぴったりしまっていて、けっしてこちらから開かないようになっている。そのうえに、蔦の枝が縦横無尽に伸びていて、ますますそのドアは開けることができないのだ。
第一、そのドアはこちらから開ける取っ手がない。なんのために、そのいりぐちはあるのだろう。ひじょうに高いところに、人間が決して登れない所にそのドアはある。それは、ベニスのサン・ミケーレ寺院にあるらしい。「ええっ」と山本楡美子さんは声をあげた。「ヨシフ・ブロッツキーの墓だわ。それからイーゴル・ストラビンスキー、それからもうひとりのロシア人の名前があり、「あら、エズラ・パウンドも」とやまもとさんはいった。それはもう外に出なくてもいい人の住まいだった。ながいこと外国で暮らした亡命者の墓だった。
ブロツキーは何年もベニスに滞在し死をまちながら、そういう小説をかいたのだった。わたしは確かその本を買ったのだが、なぜか読めなかったのだ。ベニスの墓はどうして、そんな上の方にあるのか、おそらく、土のなかだと、水がすぐ侵入してきて、跡形もなくなるかもしれなかった。「でも、奥さんはどうするのかしら?」と聞いたら「さあ、それはわからない」長い間ブロツキーの詩やインタビューの翻訳をしてきた
彼女はいった。
2005年08月08日
8月6日に
8月6日に、九州の福岡から、田島安江さんが棚沢さんの車に乗って、ふたりで我が家にやってきて、
詩誌「something2」の編集会議を開いた。田島さんは13日に98歳のお父様がなくなられたばかりなので、ほんとうは大変なのに、元気にやってこられてびっくりした。3人で長時間にわたり、いろいろなはなしをした。これで、3回目なのに淡々と話し合い、落ち着いて打ち合わせができたと思う。とても暑い日なので、クーラーを二つもつけた。うどんなど冷やして食べた。ちょっと前までは会うこともなかったのに、こうして、落ち着いていて、びっくりした。夕方近くになって、山本楡美子さんがやってきて、プラハからかえつたばかりなのに、カフカの家に行ったりしてきた話など平気でして、びっくりした。こんなふうに、なんでもなく
そうして、平気でなにか話し合いができるということに、わたしはなにもできないのに、ただただかんげきしていた。みんながかえつたあと、疲れて眠ったり、原爆のテレビをみたりした。今日も原爆のテレビをみた。こういうことは、夏だけでなく、冬も春も秋もすこしずつ放映してほしいと思う。
クミコから電話があり、エレン・フライスが日本にくるかもしれないから、そのときはあってほしいといわれた。急に、気の小さいわたしはどきどきした。「芸術のあと、芸術に住まい続ける」とエレンの所属する本のひとつはいっている。なにか時代が変わっていく驚くべき日々にわたしたちはいるのだとおもった。山本さんが借りている畑でそだてたトマトをかじると昔のトマトの味がした。トマトはまだ健全である。
2005年08月04日
ミスについて
あまりせっかちなので、いたるところで、ミスするタイプらしい。いつだったか、だれだったか、有名な
作家が、「僕は注意力散漫で学校の授業を聞いているとき、いちばんぼんやりしていて、先生のはなしをきいているうちに、自分が急にどこかへいなくなったかのような錯覚に陥った。」というのを読んで、すっかりその作家が好きになってしまったりした。パソコンをはじめてからも、いつもとんでもないことばかりおこった。そのたんびに、息子がよばれてきて、たった3万円でつくってくれたのに、何度も何度も修理に通ってくれた。息子というものは、いつも両親に注意されるものと決まっているのに、かれの両親はいつもコンピューターがこわれるたびに、大ご馳走をつくって、ご機嫌をとりながら、コンピューターを修理させるために息子をよばなければならなかった。「ママー。ここをさわっちゃだめなの。なんどいったら、わかるの。」などとしかられてばかりいた。いちどなど、小学校の頃、「ママは一度死んだら、キリストみたいに復活するからね。ママが生き返ったら、3日間だけ、お魚たべさせてね。何しろおなかが空いてると思うのよ。」といったら我が息子は大変こまり、「ママー。普通にしてよ。ママが復活なんかしたら、棺桶の蓋をがんがんと釘を打ちでられないようにするからね。」といつたのである。しかし、最近のミスで一番すごいことは、わたしがせかいでいちばんうつくしいというか、魅力的な声はABC CLASSIC FMのclassic-DRIVEの男のアナウンサー
で、Julia Lester だと思ってほれほれと3ヶ月もききほれていたら、ある時、ジュリア レスターの写真
がでていたので、よくみると、なんとワンピースをきている女のアナウンサーだったのは、驚いてしまった。でも、声だけきくと、男のように聞こえるといったら、わたしに賛成してくれるひともいるかもしれない。
いちど聞いたら、忘れられない声なのである。
それから、クミコがフランスに帰ってしまったので、淋しくて淋しくてたまらなくなったとき、息子を呼んで
インスタント珈琲などたくさんあげて、とうとうフランスのテレビを復活させてもらったのである。それは、わたしにとって大変幸せなことであった。パリから電話がかかってきたとき、フランスはいまかんかん照りで
どこへいっても水がたりないとか、教えてあげると、クミコはびっくりしていたのです。一日に13時と20時のテレビを見て大変満足したのでした。
2005年08月02日
遠い世界からの手紙
このところ、ある雑誌の編集をしているのだが、それはなにかしら、わたしをかーるい興奮にさそってくれる。締め切りがあると、どうしても、続々と編集部からパソコンの添付つきのメールでおくられてくる。
一人、5篇の詩とエッセイ一篇なので、印刷機にかけるとA4が4枚になるわけだが、この4枚を読んでいくのはまだばらばらの気分でよみにくいので、A3にコピーしにいく。そうしてほっちきすでとめ、何度も何度も詩をよんでいく。それからエッセイも読んでいく。すると、深夜に海底に網をかけ、そっと網を引き上げるときのような、どきどきするような喜びがある。よく名前も知らないようなひとが書いた詩、ずっしりと海底を何百年も泳いでいた魚なのか、宝石なのか、廃船なのか、わからないきらきらしたものが急にひきあげられてきて、目の前にあると、怖いような感動が伝わってくることがある。それらの詩はもし、詩集のなかに納められていたら、決してわたしは探すことができなかったであろう。それはすこしごつごつして、詩としては形があまりよくないかもしれないし、第一エッセイかもしれないと思うくらいだ。しかし、それはまぎれもなく詩であり、本人もよくそのことがわかっているようだ。しかし、わずかだけれど、詩はちゃんとあったのだ。特殊な語り口ではあったが、私でなくても世界中の人々がよくわかる普遍性を持っていて、そして、もしわたしが発見しなければだれが発見するのだろうと思われる偶然性に満ちている。そして、幾人かのひとに読まれたその詩は一晩たってまた読み直すといっそう真実で輝きを増しているように思える。
もし、現在の詩を、その価値をあじわってみたいとおもったら、詩の雑誌を編集してみるのが一番いいと思う。
2005年07月31日
ふるいつきたくなるようなグリーティングカード
わたしがパソコンを始めていちばんはじめにであった面白いものは、この13歳のマイルズ・クーレイがつくったイラスト・ゲームで、ふるいつきたくなるようなグリーティング・カードでした。アメリカのこの少年は学校に行かずに両親のもとで教育をうけ、イラストをつくり続けているそうです。ここを開いてみてください。
http://www.brookviewcottage.com/
miles/cards/cardsr.html
2005年07月28日
働くこと
こんなことを書くとどうせ三日坊主なのだから、あとから自分で恥ずかしくなるかもしれないけれど、この年になって働くことが少し好きになった。いままで一度たりと労働というものが好きになったことがなかったのだ。大変気まぐれであるし、あまりに無責任に書くことは欺瞞であると思うのだが。もし、長生きできたら、たくさんたくさん働きたいと思う。それはもしかしたら、幸せなことかもしれないと思い始めた。
もう5年ほど前に、クミコの娘達がやつてきて、一冊の分厚い雑誌をおいていった。その雑誌の名前は
「purple」というらしかった。その本は何百頁もが殆ど写真でできていて、5パーセントぐらいは文字でできていた。文字といつても、フランス語か英語で書かれていて、殆ど私にはわからなかった。その本を初めて眺めたとき、何も感じなかった。けれども、退屈なときにときどきぱらぱらとひらいてみると、なんだか
すこし面白くなつた。どうしてかわからないし、何しろその本が何の本なのかわからなかったのでした。いくら外国の雑誌だとしても何の雑誌かぐらいはわかるものではないかしら?雑誌といっても紙が立派なので本のようであった。その不思議な雑誌は最初はヘルムート・ラングとかコム・デ・ギャルソンとか
ドリス・ヴァン・ノッテンとかのファション雑誌のようでもあり、次の若い写真家たちの作品集のようでもあり、最後にはグラフィック・デザイン集でもあった。そして、ぱらぱらとめくってみると見れば見るほど、だんだん興味深く思えてきた、並べ方も、レイアウトもデザインも編集も実に周到にできていた。こんな雑誌
があったのかとまるで関心してしまつたわけである。しかし、なんといったらいいのか、初めからそう思ったわけでは断じてない。
デザインとか、写真とか、ファッションとかはなんの腹のたしにもならない。そのうえ、芸術とかアートとかというそんな高尚なものでもない、なんの変哲もないスーパーマーケットからふたりの女がでてこようとしている。白い毛糸のようなものをごたごたの身につけている。ところがこのふたりの女は有名なモデルらしい。ルーブルのすぐ前の公園のようなところをごたごたと荷物をもちながら、よこぎつているかと思えば
もうニューヨークについて、ちょーどあの貿易センタービルの二本のビルが見える対岸で、みんなが寒いのに散歩している。その次はサツカーか何かを観戦している。日本人の女も三人ぐらいいる。こうしてふたりの女のモデルはなにげなく冬のモードを世界中人々に披露しているのである。
こんな本、わたしは見たことがなかった。だんだんにわたしはその本がすきになった。その分厚い本を
エレンとオリヴィエがつくったのである。なんといい本なのだろうと私は眺めた。それから、エレンとオリヴィエはわかれてしまった。そこで本はふたつに別れ、「PURPLE」をオリヴィエが、「LE PURPLE JOURNAL」をエレンが創り始めた。オリヴィエはクミコの娘と一諸にくらしはじめ、娘アジアが生まれ、そして、ふたりはもう別れてしまった。アジアはまだ1歳にはなっていない。アジアはブラームスがお好きらしい。ところで、オリヴィエはとてもよく働くと聞いた。彼が働きあんなにいい本をつくったのだから、
わたしも働き、いい雑誌を創ろうとおもった。青い石さんがいってるようにねわたしも幸せになりたいと思う。明るい美しいモーツアルトのディヴィルトメントのような詩の雑誌ができるかな?その雑誌の名前を
something2といいます。オリヴィエ ザハームに敬意をこめて。よく働こうかな。
2005年07月27日
ハス博士は語る
「僕がなぜハスのことを知りたいと思ったかといえば、君と暮らしているからだ」と今日ハス博士はいって、まったくびっくりした。「でもどうして?わたしとハスと何の関係があるの?」と聞いた。「ハスは恐らく、
エジプトから伝わってきたのだよ。それから、インドに伝わり、タイやミャンマーに伝わり、中国を通って
日本に入ってきた。でも、エジプトからどのように、インドにつたわったかはわからない。恐らく、ナムの海のナムの国のひとびとがハスを運んだのだろうけれどね。エジプトとインドの間にあるイランやイラク、昔のシュメール文明にはあまり、ハスが見つからないのは、どうしてかわからないけれど。もう何千年も前のことだから、よくわからない。ハスはハスという物体以外のものがなく、あまり論理的でないルートを伝わって、アジアの人に愛されてきた。このあまり論理的でないものという意味できみも何かをひとにつたえようとしているからさ。」とハス博士がいう。「それじゃあ、わたしがいうことは、お里が知れるわけね。」
「そんなことはない。そういういみじゃあない。つまり、僕自身が矛盾しているんだよ。つまり、あまり論理的じゃないハスという実体を論理的にかたろうとしているからさ」「ふーん」わたしはわかったようなわからないような気分になる。「じゃぁ、文化人類学はみなそうなの?」「まあ、そうだな」
ところで、埼玉県の行田市にわたしたちがついたのは、まだまっくらな3時半、車のなかに蚊が一匹入ったので眠れなく、うっすらと開け始めた広大なハス畑を男たちはあるきはじめた。白いハスばたけのむこうに、大きな池のようなものが見え、ざわざわとするおおぶりのハスが揺れている。なぜこんなところに
わたしはいるのか?あの三人の男たちはだれなのか?どんどんハス畑のなかに入っていき、池のなかにひかれている橋を渡ってはすのなかに見えなくなった。シーンとしていて、ハスばかりがかすかにゆれている。ここは天国でもなければ、極楽でもない。ただ現実のハスがほんのすこし開き始めたらしい。
ヴィシュンヌは原始の水に横たわり、そろそろ世界を創ってみようかとおもった。かれでもあり、かのじょでもあるヴィシュンヌはお臍のあたりから茎のようなものをのばし、そのうえに、ハスの花を開いた。その開いたハスの花のうえにブラーフマンを乗せた。ブラーフマンはこうしてハスの花のうえで世界を創造した。まさか、では、この池でハスはしずかに開き、あちらでもこちらでも数かぎりない世界が創造されているとあなたは考えるのですか?博士。 その向こうの池ではビスケット工場にしようと掘り返した土の中から、1200年〜3000年もの時を眠っていた世界がいま目覚め、いくつもいくつも光を浴びてすきとおり
花ひらこうとしているのですか?博士。 あの花の話はエジプトからインド、タイ、ビルマをとおり、中国をとおり、
そんなに遠くやってきたのですか?博士。それなら博士。論理もへったくれもなく、花が開く時にやってくる世界をよくみてみなければ。花が開くときに奏でられる音楽をきいてみなければ。香りをかいでみなければ。ねえ。
2005年07月26日
ハス博士は語る
「スイレンは夕暮れには花を閉じ、水の中深くもぐってしまうので、手がとどかない。」ハス博士はいう。「夜明けにになると、東の方にむいて、再びうえのほうにのび、光を浴びて花を開く。神話では
赤いスイレン、すなわちハス、「世の初めから存在していた花」が原始の水であるヌンから現れ、または、「光からあらわれた」、この花は水や火、すなわち、混沌の暗闇と聖なる光それぞれとみっせつなものであった。水から現れたハスは、夜が終わって明ける太陽のシンボルとなつた。エジプト人がよく考えたことは、太陽神が、原初の湖からハスの花に乗って現れる、という考えであった。『死者の書』の15章では、ラーは「ハスから生まれた黄金の若者」として現れる。81章で、死者は聖なるハスに変身したいという願望を口にする。これは再生の望みを表現したものです。青いハスは、とくに、聖なる花とみられたのです。新王朝時代の多くの墓の絵画では、死者がハスの香りで気分を爽やかにしている様がみられます。ツタンカーメンの墓から出土した木製の彩色された彼の肖像の頭を見ると、王はハスの花から立ち上がっている。ハスはとりわけ、神フェルテムのものであった。」ハス博士は何度も何度もこのようなことを
わたしにきかせたが、わたしはいつもすっかりわすれてしまった。「アジアのひとはなぜハスの花を好むのだろう?」と私に聞き「そこにあったからでしょう」とわたしがいうと、その考えは面白くないといつておこったり、何日も何日も傷ついたように黙ってしまったりした。彼は私に、いろいろなこと教えてくれた。モーツアルト
も、ランボーも、原爆のことも、けれどもハスのことはまだわからない。時間がかかるのである。かれは
ハスの映画を作りたいと思い、何度も何度も企画書を書くがまだ一度も通らない。
2005年07月24日
happyということ
ここまで書いて、昨日あたりから、なにかをしきりにわたしは考えていた。この a happy blog−明かるいブログ というタイトルに惹かれたのだ。というより誘われたのだ。とわたしは思っていた。わたしはこの数年
、わたしらしくない、というよりとても難しい詩、戦争、子どもの不幸な事件、原爆などをテーマに書いていて、へとへとにつかれていたのだおもった。勿論、それはわたしにとつて重要なことではあったし、それを
書いていることに後悔はないけれど、たまには軽いものや、あかるいものや、無防備なものややさしい
気持ちが必要であり、手放しで嬉しいことがあつてもいいではないか、と思ったに違いない。そういうことはつまり、happyなことはだいすきだし、おいしいお酒でも飲むみたいに味わってみたいと思ったのかもしれない。でも、苦しいことと幸せなことを、どうじに考えたり、かわるがわる考えたりすることはとてもむずかしくもあるけれど。まあ、能力もあまりないのだから、やれることまでやればいいとおもうけれど。
たとえば、ランボーが「地獄の季節」というとてもロマンチックな苦しい詩を書いてから、「イルミナシオン」という明るい何ともいえない詩的言語によって、思想や生き方をつくりあげたということは驚異なのだが、あれはどちらが先に書かれたものなのだろう。ラコストというこうひとの説によれば、「地獄の季節」が
先で「イルミナシオン」が後であるといわれているけれど。けれども、わたしは同時にあちらこちらと書かれたのかもしれないと思う。もし同時にかかれたとしたら、かれはどのように彼自身をコントロールしたのだろう。あるいは、それが自然だったのかもしれないとも思う。happyになったり、unhappyになったりしながら
自動的に生きていくのだろうけれど、この二つのことをどうじに書くのは難しいのだとおもう。でも、現代は
この二つのことをバランスをとりながら、いきることを要求されているのかもしれない。
2005年07月22日
去年わたしは男だったの、とクミコはいった
「去年わたしは男だつたの」とクミコはいつた。えっとわたしたちがいうひまもなく。「それまで銀行で
お金をおろすとき何の問題もなかったのに、突然三人の行員がよってきて、逮捕されたの。」「このパスポートでは、あなたは男になつています。」と係員がいうのよ。」「えっといって、わたしは思わず下をみて、
ズボンを脱いでたしかめるところだつたの。あのロシアのあんぽんたんたちとおもったわ。だってロシアに滞在するためのパスポートはいつも写真が斜めに切られていたり、名前が間違えていたりするのでいつも気をつけていたけれど、こんどは大丈夫だとおもっていたのにね。わたしが男になるなんてねえ。」
みんなで大笑いしたあと、私が撮ったデジカメの蓮の花を大きなテレビの画面で観た。
実は、おととい、わたしはクミコと長い長いおしゃべりのあと、夜の十一時半に家を出で、十二時半に渋谷の東急に着き、カメラマンの神さん兄弟とハス博士というあだ名のわたしの夫と車で首都高速道路を
走っていたのだ。クミコが朝の十時に現れたのだから、翌日の十時まで殆ど眠られなかった。車は前から
横から後ろから他の車が迫ってきて、びゅんびゅん、がたんがたんと音がしてねむるどころではない。車にはナビゲーターがついていて、「あと700メートルしたら、右へまがつてください。パトカーが後ろから
やつてきています。スピードを落としてください。」とかいって、ちいさな画像がめまぐるしくうごく。このナビゲーターは全国的に使う事ができるので、外はまつくらだし、まるでゲームセンターでゲームをしているようなかんじでした。
2005年07月21日
あれは
「あれは、やはり、ルクサンブル公園じゃないかしら?」「ふーん、やっばり、ルクサンブル公園にマロニエがはえてる?」「うん」「ほんと?」「ちょっとまって」彼女は THE PURPLE JOURNAL という
雑誌をひろげてみせる。なるほど、ルクサンブル公園にはよっつに分かれたはっぱのマロニエとジャンヌ・ダルクの像が載っている。この大理石の像は戦う少女ではなく、聖女になつたりしている。朝電話がかかってきたので、いまどこにいるの?ときくと、武蔵野駅という、三鷹じゃない?ときくと、ああそうそうという。私の友達クミコはパリからやってきて、わたしが落ち着かなくオシッコするひまもなく飛び出していくと、もうバスの停留所にとまっていた。
それから、レンコンの天ぷらなど食べてすごした。クミコはELEIN FELEISS と OLIVIER ZAHM
に関心があって、いろいろ話しを聞いてみると、 エレンの雑誌に書き、オリヴィエの娘がクミコの孫になつていたりして、その子の名前はアジアであるといつたりして、わたしの頭は混乱した。それから、わたしが三日間
だけ見ることができたフランスのテレビのことを話すと、彼女は半年ばかりテレビはみていないといって
驚いた。(ずっとつづく)
2005年07月19日
ときどき
ときどき、死んでもいいから、こういう詩を書いてみたいと思う詩には出会うことがある。しかし、本当に
面白い文章やお話にこの頃、出会ったことがないと考えていたわたしは度肝を抜かれてしまった。図書館の一階は絵本を読む場所で、小さい子たちと、ちいさい椅子に腰掛け、これも、小さいテーブルで世界一豊富だというこどもの本を読んでいた。
その絵本はジェニーという女の子が食卓に座っていて、向こうの壁にモナ・リザの絵がかかっているのだが、吹雪純そっくりに微笑んでいて、まるで愉快なのだ。
「はじめ、ジェニーには なにもかも そろつていました。2かいには まるいまくらが、1かいには しかくい まくらが ありました。くしが ひとつと ブラシが ひとつ、のみぐすりが ふたつ、めぐすりが ひとつ、みみの くすりが ひとつ、たいおんけい 1ぽん、それから さむいときに きる あかい けいとの
セーターが 1まい。そとを ながめる まどが ふたつ。しょくじの おわんが ふたつ。かわいがってくれる ごしゅじんも いました。でも、ジェニーは たいくつでした。」そこで、ジェニーは きんの とめがねが
ついた黒い鞄に一切合切つめて、お気に入りの窓から、景色にお別れわ告げました。
「なにもかも そろつているのに」と植木鉢の花がいいました。花も、同じ窓からそとを眺めていたのです。
ジェニーは、葉っぱの一枚噛みちぎりました。「まどだって、ふたつ」花はいいました。「わたしの 窓は、
ひとつだけ」ジェニーは ためいきを ついて、はつばを もういちまい 噛みちぎりました。はなは、いいつつげました。「まくらが ふたつ、みみぐすり ひとつ、のみぐすり ふたつ、たいおんけい いっぽん。かいぬしも かわいがってくれる」「そうよ」といつて、ジェニーは つきづぎに はっばを 噛みちぎりました。
ジェニーは、はつぱで くちが いっぱいなので、ただうなずきました。「なのに、どうして でていくの?」
「それはね」ジェニーは、花を くきごと かみ切りました。「たいくつだから。ここには ない ものが
ほしいから。なにもかも そろつているよりも もつと いいこと きっと ある!」花は、もう なにも いいませんでした。 なにも いえなくなったのです。
ひらがなでかいたり、漢字で書いたりしたけれど、これがモーリス・センダックの「ふふふん へへへん
ぽん!」——もつと いいこと きつと ある——の最初の2頁です。世の中にこんなに面白い本があるとはしらなかった。もうおわかりとおもいますが、このヒロインは犬なのです。この犬は冒険の旅の末、
ハルカノシロの世界劇場の人気女優になるのだが、おもしろいことに、このジェニーははじめ何もかもそろっているのに、経験だけがないので、主演女優になれない。赤ちゃんの身代わりに食べられようと
ライオンの口のなかに、自分の頭をつっこむという勇気にみちた行為をする経験を積んだため、世界劇場の主演女優に抜擢され、毎日好物のサラミソーセイジのモップを食べる役を与えられるのです。
あっはつはつは。これほどねめちゃくちゃで、爽快な物語をよんだことがありません。(つづく)
2005年07月18日
絵本のなかのおかしな木
もう数週間前から、このブログに参加したかつた。どうして、そう思ったかといえば、なんだかめちゃくちや
になにかを書いてみたかつたからである。なぜかといえば、なにか面白いこととか、happyなことは、わたしにとって、いつもめちゃくちゃな気分のときに起こるからである。その日もひどく蒸し暑くて、すこし変わった道を歩いていた。みると、変な木が街路樹として並んで生えている。とうしてもわたしはその木をどこかで見たことがあるような気がした。わかつた、それはマロニエに違いない。マロニエの木はパリのリュクサンブル公園にあり、友達の双子の子どもたちを預けて、大人たちはどこかへ遊びに行ったから、よくおぼえている。いや、あれはリュクサンブル公園ではなかったかもしれない、とにかく緑が鬱そうとしたその公園
には、フローベルの銅像が立っていて、どうしてフローベルはあんなに美しい文体の小説をかけたのだろうとおもったのだけれど。いや、マロニエは韓国のソール大学にも生えていた。しかし、どうもマロニエ
の木というものは、この道路に立っている木とは違うようだ。なぜならマロニエの葉っぱは細くてみっつに
分かれているけれど、いかにも北方の木という感じがする。では、これは橡の木だろうか?けれども、橡の木は枝が各方面に伸びていて、なんだかこのまっすぐ立っているこの道路の木とは全く違う、そんなことを考えているうちに、急に思い出した。この木は最近絵本でみたモーリス・センダックの怪物たちが
いつぱいでてくる本に生えていた。すると、変な太鼓がどんどこどんどこ聞こえてきて、男のこがいった怪物のくにそっくりになる。なまぬるい風が吹いてきて怪獣のくにの王様になった男のこはオーオーと
奇声をあげるのだ。まったく大人になつた女だつて、センダックの絵本にはぞくぞくするのである。というわけで、あの木の名前がなんというのかはまだわからない。(つづく)