2008年06月04日
霧 村岡久美子
霧 村岡久美子
今日突然、濃い霧と海の匂いが街をおおった。午後三時。もうほとんど夜のようだ。街じゅうの街灯がいっせいに点された。人びとは、全然進まなくなった車の中でクラクションを鳴らしはじめた。六階のフランスの新聞の特派員事務所の若い女性が窓のところで驚きの声をあげる。
「下の電話がなくなっているわ!」
向かいの歩道の公衆電話は歩道もろとも消え去ってしまっている。いつもチャイ・ランがその公衆電話から電話をかけてきては、「君がここから見えるよ」と言う。彼女は窓から手をふる。そこが彼の司令部であり、戦略上の拠点なのだ。けれどもう何も残っていない。有楽町駅も、日劇も、銀座界隈も全部消えてしまった。
「チャイ・ラン、どこにいるの? わたしたち道に迷ってしまいそう。お互いを見失ってしまいそう」
思いがけなく視界ゼロの幽霊船のキャプテンとなった記者マルセル・ジュグラリスは、途方に暮れたように頭を振る。窓の中には霧があるだけだ。ほのかな白い光がただよう幻想的な夜。車のクラクションはもう止んでいた。すべてが霧に呑みこまれていた。
「こんな霧は見たことがない。こんなことはいままで一度もなかった…」
と、マルセル・ジュグラリスはくり返す。
幽霊船をこの世につなぐテレックスも止まってしまっている。
「キャプテン、どうしようもありません」
「仕事はやめだ、コーヒーにしよう」
「いい考え!」
洗面所に水をくみにいく途中、非常口のガラスごしに奇妙に傾いていく「歌手」の無言の影が見えた。
時刻は二時五十分。音楽はベートーヴェンの弦楽四重奏曲。すべてが鉄錆び色をしている。シーツも、ノートも、テーブルも、窓も、部屋の空気までもが、今日街をおおった錆びた鉄の色に染まっている。彼女は自分ではそう思っている。
けれどもこの部屋は、現実の今日の街と関わりがあったことはないのだ。もしどこかの街と関わりがあるとすれば、それは、たとえば一九四三年のある街とだ。窓を開ければ、一九四三年のその街、窓を閉めても同じことだ。この部屋が鉄錆び色におおわれているのは、彼女の頭の中の幻想の埃のせいなのだ。
部屋の片隅にある暗緑色の器から白い煙が立ちのぼる。それが白かどうか確かではない。眼に見えないのだから。彼女がそんなふうに感じるのは、ゆるやかにただよっている香の匂いのせいなのだ。そのために彼女はいまにも窒息しそうになっている。けれども本当は、ずっと前から彼女の呼吸はひどく緩慢になっていて、もうほとんど窒息してしまっているのだ。
時刻はつねに二時五十分。この物置の中は暗い。ほとんど荷物はない、それでもここは物置なのだ。その部屋で彼女は生きることも、料理をすることも、またものを片づけたり、散らかしたりすることも止めてしまった。窓を開けて空気を入れ替えることも、煙草の灰を捨てることもなくなった。
「風はいや…」
ほんの少し空気が動くこともおそれて、彼女は爪先立ちでそおっと静かに歩く。
「風は良くないわ。風は埃や枕のカポックの綿毛を舞いあがらせる。それは何時間も空気中をただよってレコードにくっつき、最後は私を窒息させるんだから」
彼女は舞台女優のような濃い化粧をし、目を黒く隈どる。それから目もとに大きなほくろをひとつ。気にいった位置が見つかるまで三度もやりなおした。
鉄錆び色のシーツでおおったベッドの上に彼女は膝をそろえて坐り、バターの代用のラードで味つけしたまずいオートミールをつつましい仕草で口に運ぶ。それは彼女が、黒人の少年を気にいっているからだ。その眼は、知性のある人間がもつ優しさと穏やかさに充ちている。少年の濃密な黒い肌。ためらう彼女の白い手。
ちょうどそのとき、誰かがドアを叩いた。
「いろいろ持ってきましたよ、奥さん。お安くしときますから。洗濯機の中に入っているんです」
「洗濯機に? 洗濯物なら洗えばいいじゃないの…」
「いえいえ、奥さん、そんなものじゃないんです。家族にみつからないように入れただけなんです。うちの者はうるさくて、みつかったりしたら大さわぎですよ。とてもかないません。どうか何かひとつでもいいから買ってください」
彼はますます近づいてきて、その声はますます低くなる。彼は何かを売ろうとしているのだが、それが何なのか彼女にはわからない、彼は彼で、彼女の大きなほくろが本物のほくろなのか付けぼくろなのかわからないでいる。
「そんなわけのわからないお話はたくさん。それにどっちみちものはいらないわ。ものの奴隷になるのはいや」
男は口をぽかんと開けて、一歩後ずさりし、突然姿を消した。
「ブラック・ボーイ、ブラック・ボーイ…彼はもういない…わかっているわ…私はもう彼の物語の中にはいない、彼の現在の中にはいない…」
突然からっぽになった部屋の中で彼女は呟く。
「私はもうどこにもいない。全部消えてしまった…」
singer
singer
Through the half-opaque window of the emergency exit door, you can see the silhouette of the
nodding “opera singer.” You can sense that her mouth is wide open and her lungs full of air.
It's time for her daily singing exercises. Every day, at the same time in the afternoon, you can find
her here,on the landing of the of the metal staircase at the back of this office building.
She sings to the non stop purr of an air conditioner, the noise of giant fan that wakes up
intermitternly with a great roar, in back,in the tiny concrete courtyard, and mettalic murmurs and
the vibulations of the trains that arrive,leave, arrive…at that Yurakucho station.
This is the kind of orchestra that accampanies her.
She has a very full, warm,lovely rises and descends the slope of the staircase to the sky. When
you're surprised the snatches of melody, you stop in front of the door with a strange pang in your
hearts as you do when you arrive late at a concert, just at the beginning of a concert, which is a
solemon and magical moment.
The atmosphere is intense to the extreme on the other side of the padded doors. The thinned melody comes through miraculously,which you listen to with desperate eagerness,
almost with a pain in your heart. There will never be music as beatifull as what you hear, like a
stowaway,in the sumptuously empty lobby, which is so immearsurably vast, so unbelievably silent.
This is a lost nightingale. She doesn't belong here. She'll be on stage soon.
One day, the people at the office discovered with amazement that the face of the “opera singer,”
so beautifully, perfectly oval, had lost its brightness, as if a layer of silt had been placed on it; the skin was both streched and wrinkled…delicately; she was creased, hunched up, drawn.
Time had passed. She will never leave the office. And that perspective threw her colleagues into a state of confusion. Since that time…uneasiness has taken over the office, and silence.
But there has been no change in the habits of the “opera singer.” She is disappears at the same
time in the afternoon to sings of all her happiness. all her joy. And at the end, she bows deeply, her right hand over her heart to acknowledge the unbridled cheers of her imarginary audience
and to thank the orchestra that was accompanying her, and feels so happy,so grateful. And she
reterns to the tiny union office of the film company, which is the darkest and most sinister office
in the whole building. It's in permanent disorder and often overflowing with freshly painted banners that occupy the entire length of the hollway, sometimes all the way to the elevator.
She takes her place again in the corner, far from the window. With a badly extinguished flicker of joy on her face, reddened by practicing, and the lights in her eyes into burning with too much intensity , she plunges back into the paperwork of a model employee, who is discreet and hard-working; fading into the shadows, she becomes a shadow again.
2008年04月28日
歌手
歌手 村岡久美子
非常出口の半透明のガラス越しに「歌手」の影が揺れているのが見える。口は大きく開かれ、吸い込んだ空気で肺はいっぱいになっているのだろう。いつもの発声練習の時間なのだ。彼女は毎日午後、この時間になると、働いている事務所をそっと抜け出して、同じ階の裏手にある金属製の非常階段の踊り場で歌う。エアコンの唸りと何分かおきに始動する巨大な送風機がそのたびに引き起こす爆発音が、機械室のあるコンクリートの狭い中庭からふきあげてくる。目の下の有楽町駅からひんぱんに出入りをくり返す電車の振動とざわめきが伝わってくる。その真っただ中で彼女は歌う。これらの騒音は伴奏をつとめるオーケストラなのだ。
彼女の声はとても美しい。声量のある暖かみのあるその声は、空の急な階段を嬉々として昇り降りする。通りがかりにふと聞こえてくるメロディ。いつものことなのに、ひどく心を揺さぶられて立ち止まり、耳を傾ける。奇妙な胸の痛み。まるでコンサートに遅れてついた時のように。ホールを埋めていた上気した観衆の姿はなく、ひっそりした広すぎる空間に呆然と立ちつくし、閉ざされた防音の二重扉の向こうの、緊迫したもっとも厳粛な瞬間を思い描く。そのとき、ふいに奇跡のように流れてくるメロディ。絶望的な貪欲さでそれを聞く。この世でもっとも美しい幻想的な音楽。
ここは彼女の居場所ではない。しかし、彼女が舞台に立つのはもう遠い先のことではない。まもなく彼女の晴れの舞台が見られるだろう。誰もがそう思っていた。ところが、いつの間にか彼女のきれいな卵型の顔から輝きが消えてしまっていた。肌が張りを失い、奇妙にひきつっている。それに気がついた同僚たちは驚き戸惑った。時が経ってしまったのだ。時の細かな粒子が美しい顔の上にひそかにふりそそいだのだ。彼女が舞台に立つことはないだろう、この職場を離れることはないだろう、という二つの見通しが同僚たちを失望させ困惑させた。それ以来、気づまりと沈黙とが彼女をとり巻いている。
けれども「歌手」の日課には何の変化も現れなかった。午後いつもの時間になると、そっと席を離れ非常階段の踊り場に立ち、虚空を前にして歌う。幸福のかぎり、喜びのかぎりをこめて歌い、最後に胸に右手をあてて、深々とお辞儀をして観衆の熱狂的な拍手に答え、それからオーケストラに感謝の気持ちを示す。それが終わると、映画会社の労働組合の狭くて薄暗い事務所にもどる。いつもごった返していて、ときには墨で黒々とスローガンが書かれたばかりの横断幕がはみ出してきて、廊下の向こうまで突き抜けていき、エレベーターの前まで届くことがある。彼女は窓から遠い、薄暗い片隅にある自分の席にもどり、歌の練習で紅潮し、喜びで輝いている顔をふせて、つつましく勤勉な事務員にもどる。彼女はこうして影に融けこみ、影そのものになる。
2008年04月23日
クミコの小説「時の算術」
「時の算術」 村岡久美子
今日は、すでに春の八日目、二十七回目の春。時は過ぎてゆくもので、時が過ぎてゆくにつれて、いろいろなことが起こるということがわかってくる。時を計るあらゆる手段を試してみる。流れる時に刻みをつけたり、秒を束ねたり、紙の上に並べてみたりする。すると、時がリボンみたいに見えてくる。あるときはただの点みたいに。またあるときは小さな棘みたいに。
時の長さは、わかりにくいもの。一日はあまりに短く、あまりに長く、終わることがない。だから時の長さを観察することに一生を捧げる人びとがいる。彼らは「学者」と呼ばれている。しかし学者は、自分もやはりその中で生きている時の長さをけっして理解することはない。そして彼らは、突然この地上から消え去ってしまう。
*
有楽町の高架を環状線の電車が走る。高架の下では口のきけない靴磨きが木の椅子に腰かけている。重ね着した服に首を埋めて、冬も夏もずっとそこにいる。ありったけの服を着込んで、それでも彼はいつも寒がっているように見える。高架の下をとおり抜けていく風のせいだ。何メートルか先の向うのほうで吹いている風とはちがう。
靴磨きの手は干からびて黒ずみ、いびつになっている。瞳孔は開いたままになっている。薄暗がりの中でかすかに光る灰色の小さな釘を見分け、靴底に打ち込んでいく。見落としたり、斜めに打ったり、打ち損じたりすることはけっしてない。靴屋の眼は、針や糸や釘など、ごく小さなものには極度に敏感なのだ。それらより大きなものには焦点を合わせることができないのだ。
いま靴屋は、二人の口のきけない男と、セメントの壁に背中の瘤をもたれさせている男が一人。客がとぎれると、彼らの会議がはじまる。議論し、冗談を言い合い、頭をのけぞらせて笑う。やりとりが熱をおびてくると、彼らの仕草はますます大仰で奇妙なものになっていく。その会話を聞きとることはできない。絶え間なく頭上を走り抜けていく電車のせいだ。
彼らは、太陽は爬虫類の一種であるとの結論に達した。太陽は、彼らのいるところからけっして遠いところにいるわけではない。けれども彼らにはけっして会いに来ない。そこがどうにもわからなかったが、ひとりがその理由に思いあたった。
「あいつはたぶん、靴を持ってないんだ」
この明快な分析に彼らはわっと笑う。知性の勝利。
2005年10月29日
大学にひとりの作家が
大学にひとりの作家が現れた。普段、大学なぞいったこともなかったのに、その日はその作家をみるために、というよりその作家の話をきくために、教室に入っていくともう満員で私は立っていなければならなかった。どちらかといえば、わたしはせっかちというか、退屈やさんというか、気まぐれやさんというか、とにかく自分ひとりで生きているひとなので、ひとの話を立ってきいたことなど殆どない。それでも、きっとその講師のお話がおもしろかったのだとおもう。わたしはお終いまで聴いて、それも満足してかえってきてのだから、自分でも驚いてしまった。その男の声を前にラジオで聴いたことがあった。そのひとは礼文島
の話をしていたのだと思う。わたしは田舎からやってきたにんげんで、とにかく、自分をあまり格好のよくない、田舎まるだしの人間だと思っていたので、恥ずかしいやらなにやらで、あまり口がきけない女のこだったわけだけれど、教室の教壇に立って話しているそのひともなんといってもへんなしゃべりかたで、どもるような、ひとつのことをなんども言い直すような、なんともいえない、話し方だった。あとになってあの話
しぶりをきいて、あれが日本でいちばん有名な小説家であり、そしてのちにノーベル賞までもらう作家だとは全く想像できなかった。かれはとにかく、わたしに自信を持たせてくれたのだ。ひとまえで話すとき、
あんなにどもったり、つっかえたり、言い直したりしてもとにかく自分のいいたいことをいえばいいのだと
いうことに気づき、ひとに希望をもたせてくれるひとはわたしにとって初めてであった。
そして、この頃の面白い本というので、2冊か3冊の本の話をしただけであった。それがまた面白かったのだ。一つは田山花袋の「蒲団」という小説の話だった。それはもうすこし退屈だったし、内容も
もう忘れてしまった。その次にその頃でたばかりのアメリカの黒人作家ジェームス・ボウルドウィンの「もうひとつの国」another country だった。わたしは講演の帰りにすぐ新宿の紀伊国屋によってすぐその本
を買って夢中になって読み、少なからず満足したのであった。わたしはおおいに興奮した。最近はじめて
私などには信じられない大人っぽい性のはなしだったからである。しかも、なかなかいい小説だったのだ。白水社の本の頁を開くと、落ちに落ちた黒人の若者が映画館のなかで叫んでいる。「ねこそぎもっていったくせに、まだ俺からもっていこうとしているてめぇはどこのどいつだ。もはやこれ以上は俺にはなにものこってねえ。ねこそぎもっていきあがれ。」なんという孤独と哀しみと闘いがこの黒人の若者を翻弄しようとしているのだろう。しかし、わたしがもっとも、ひかれたのは、この主人公のホモセクシャルの話ではなかった。
彼の妹がタイピスト秘書をしているのだが、その彼女のボスと恋愛関係になっているのだが、すこしづつ
屈辱的な立場になっているのに、どうしてもかのじょは性的にボスから逃れられないという話だった。
それを大江健三郎さんはぽそぽそとまだ二十二歳になったばかりの私たち学生にはなしたのだった。
それは衝撃的な話だったのだ。その本のことをクミコに話したら、読んでみたいと言った。自分でかって読めばというと、かんかんに怒り、わたしはあんたから、いちども本をかりたこともないといった。わたしはびっくりして、大学にも行けず、離婚して、すぐオフィスに勤めなければならなかった彼女の立場をすっかり
忘れていた。わたしはすっかり考え直して、読んだばかりの本をもって、有楽町のビルへあがっていって
クミコにその「もう一つの国」を渡したのだった。クミコもそれに感動した。そういうわけで大江健三郎さんはあのしゃべりとおなじようにすらりとした文体を離れて次第次第に複雑な要素を構成する物語を書くようになったが、わたしたちには新鮮に思えたのだ。
2005年10月24日
映画のなかで
「ふしぎなクミコ」のなかで、20こぐらいの質問があった。 たくさんいい質問があり、その質問は友達であるわたしにも日本語に訳された紙に書くように言われた。その中でたったひとつよく覚えている質問がある。「暴力について、あなたはどう思いますか?」 クミコの答えはこうだった。「暴力をわたしは憎む。
暴力はなんとしても拒否しなければならない。もしそれができないないなら私には死という代償がある。」
あの頃、クミコは28歳ぐらいだった(昨日、25と書いたが間違いだった)なんという強いことをいうひとなんだろうとわたしは思ったが、お互いに年をとり、40歳ぐらいになってからこんなこといったんだよ、というと「なんて生意気な、恥ずかしい!」と言った。質問も答えもその時、その気分によって違うのである。
わたしは何と答えたかといえば「暴力は私の中にもある。この自分のなかの暴力をいつも調整するのはとてもむずかしい」わたしは23 歳だった。
映画は警察の剣道の道場で警官たちがお面をかぶって練習している場面が長い間とられていた。クリス・マイケルは竹の刀のバチバチバチという音になにかを感じたのだと思う。それから、オリンピックの会場の見物席のたくさんのひとのなかのクミコと鳩があがる瞬間が撮られていた。ちょうどおなじような瞬間
を谷川俊太郎さんが今監督のオリンピックという映画の中でフイルムを2分かんぐらいの長いシーンで撮っていた。それから、日光のお祭りとモノレールがでてきてずっとクミコが出てきた。モノレールのとき、武満徹さんのふしぎな音楽がきこえてきたのだった。その音楽はこれから日本という国が経済的に豊かに
なろうとし、国際社会に参加しようとする緊張感にあふれていた。まさか、この映画が終わったあたりで
彼女がフランスにでていこうとしているなんて夢にも思わなかった。わたしはひとりぼっちにとりのこされてしまった。
2005年10月23日
le mistere kumiko
ちょうど、東京でオリンピックが開かれた頃だった。クミコとわたしは相変わらず飢えていた。この飢えは
どういう訳か、クミコとわたしをつきうごかしていたような気がする。なんとかして、この飢えから解放されたかった。わたしたちはなるべく助け合っていたが、それでも、母から贈ってくるちいさなお金ではなんにもかえなかった。まず帰りの電車賃を計算して、それを取り除いてから、食べ物を買った。クミコは食べ物に独特の感覚を持っていて、その情熱はパリに行っても変わらなかった。いまでも、江戸川橋の高級マンションのなかで、45年前の鯖の水煮と鮭の缶詰を買ってきてみんなでたべてびっくりした。それから、キュウリのニンニクとヨーグルトあえなぞしてびっくりした。彼女は25歳で離婚して、大阪から東京に兵隊ベッドと録音機を持って夫から逃れてきたばかりだった。彼女は3畳の高円寺のアパートに住んでいて
会ったときから、45年たったいまでもただただハルビンのことばかり話している。この間はハルビンの光と影について話した。
彼女はオリンピックのあたりに有楽町の丸いビルの4階に勤めていたが、そこは「バリマッチ」というフランスの新聞社がひとつのフロアを借りていたのだとおもう。そこにジュグラリスという記者がいたのだ。
クミコは時々4階から降りてきて、フランスパンを買ってきて、4階から降りてきた籠にパンを入れると柴田さんという映画青年が籠についたひもをひっぱってパンをひきあげた。
あるとき、クリス・マイケルという映画監督がやってきて、クミコのこころを虜にした。彼は背の高いひょろ長い男でクミコという若い女と日本という国のことをドキュメンタリータッチでえいがを取り出した。
音楽は武満徹だった。いまから考えるとこの「ふしぎなクミコ」という映画はなかなか面白い映画だったが、そのときはクミコと日本とが何の関係があるのかさっぱりわからなかった。なぜなら、クミコこそ日本
からあまりに遠い女は他にはいなかったからだ。しかし、フランス人が見た日本という東洋のなかでも何か非常
にミスティックな部分をクミコという女を通してかんがえているということは、大変おもしろいものだった
この映画監督は「ラ・ジュテ」という映画をとった。アラン・レネやゴダールと同じヌーヴェル・バーグの映画
をつくっているようだった。このもはや中年の男が最初にクミコのことを不思議なクミコといったのだが、それだけはなかなかほんとのことだと思って、わたしも賛成するのである。
2005年09月28日
ヘルムート・ラック
ヘルムート・ラックは武蔵野の野原や林をほっつきまわっていた。ちょうど、春だしのんびりと歩き回っても誰も何もいわなかった。隣りの塀の向こうは一ッ橋大学の広い構内だったし、外人がいてもそれ程
問題ではなかった。クミコはベランダにゴザを敷き、水着をきて、朝からのんびりとひなたぼっこをしていた。なんということだ。日本では二階のベランダの上で海水浴のときのように水着姿で体を日に当てる
ひとはいない。でも、いろいろとぐるぐるとヨーロッパをまわってきたひとにとっては、国立はちょっといい休憩所だったにちがいない。ベルリンの冬はそれはそれは寒くてというより、零下10度で鼻がつんつんしてくしゃみもできなかったのらしい。大きな暖炉に長時間薪をいれても暖かくならなかったらしい。あの頃はクミコはお風呂にたくさん入って体を温めていたらしい。入浴剤がベルリンから贈られてきた。
ヘルムートは野原を歩き回って、肥だめにおちたらしい。なんとも悲惨な顔をして、帰ってきた。コールテンのズボンをクミコに洗濯機にいれてもらい、ようやく、ほっとした。段差がついた和式トイレに反対側に腰掛けて、痔になりそうになっていた。それから、いなり寿しだと思ってガンモドキを買いゲッとはき出した。
すべてがおかしかったが、彼は陽気だった。彼がわたしと同じ年ですこしナチの時代を生きたのかと思うと、不思議な気がした。彼はベルリンの歯医者さんの息子だった。でも、彼は日本が気に入り10年も
ジャーナリストとして滞在したこともびっくりするようなことだった。一時彼が、お金をつくるために帰郷し、
それからまた日本にすんでいた。彼が帰ってしまうと、わたしはとてもさびしくなり、彼がスワンになって
飛んでいく夢をみた。すると彼はそのことを喜び、自分の息子にスワンと名付けた。今はハンブルグにすんでいるという。お金があったら、タケミとハンブルグにいってみたい。